池田大作作小説人間革命批判
1 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:32
ここの書き込みでは、主に、同十二巻を取り上げる。
同作品は、私小説と断られていないし、純粋な伝記でもない。作者は、これをフィクションと言っている。
しかし、人物の配置、時代設定等を鑑みるとどう見ても、ドキュメンタリーとしか読めない。
つまり、作者に都合の悪い面は、フィクションで、都合の良い部分は、真実としているのだ。
同十二巻では、露骨に「誰」とわかる形で、「反逆者」への陰険な人格攻撃が際立っている。その描写は、あまりにも生々しく、日本の法律で定めた「名誉毀損の罪」に該当するのは、明らかなのだ。
しかし、不思議な事に誰も作者を訴えようとしていない。これは、公明党の存在が明らかな憲法違反であるにも拘わらず、誰も本気で問題にして来なかった事と並んで、日本文化に於ける不思議の一つだ。
私が、ここで問題にしたいのは、同小説160ページに登場する石川幸男こと、石田次男氏への侮辱的記述である。これが書かれた当時は、石田氏は存命中だった。
石田氏の母は、初代の創価学会婦人部長であり、戸田先生との信頼関係は、深いものがあった。しかし、どういう訳か、同小説には、登場していない。これは、意図的に削除されたのだろう。
その息子である次男氏への戸田先生の信頼は、並々ならぬものがあった。同氏は、大卒ではあるが、有名校出身ではない。にも拘わらず、戸田先生に目をかけられた。という事は、池田先生の場合と同様、石田氏の人格的素養が戸田流の人材育成法のメガネに適った為だったのだろう。
p160には、次のような記述がある。
『一一幸男は、九州との馴染みはあるが、力量、人格はどうか....。
石川は........戸田は、翌年四月に聖教新聞が創刊された時には、編集スタッフに任命し、ほどなく彼を編集長とした。......
二十六年七月の男子部結成式の折には、石川は第一部隊長に抜擢され、一年半後には、青年部出身の初の支部長として、小岩支部長に就任したのである。まさに彗星のように、短日月のうちに登場してきた幹部といってよい。』
つまり、作者としては、戸田先生と石田氏との特別な関係を意識的に無視した上で、一応の敬意は払っているように見える。
当時の創価学会は、戸田創価学会と言うべきで、特に人事の面では、戸田先生が全てを裁可した。
その中で、石田氏は、『まさに彗星のように、短日月のうちに登場』したのだ。並々ならぬ戸田先生の信頼を受けていたのだ。
これは、ただ事ではない。ただの要領だけで、(当時の)学会の中で出世できるものではない。
さらに、そこに記載はないが、次男氏は、学会青年部初の理事にも就任している。
誰が見ても、それは、戸田先生が石田氏を自分の後継者とする布石だった筈だ。
実際、戸田先生の石田氏への信頼は、並々ならぬものがあったのは確かだった。
例えば、石川氏を小岩支部長にした時、戸田先生は、
「追いて来る者だけが追て来ればいい。次男と私で創価学会の旗を持って死ぬ覚悟だけだ」
とまで、言った。
また、現在の創価学会が愛用している「御書全集」への氏の貢献は、大きい。同全集は、長年の掘米尊師(後、猊下)の研究がなくては、成立するものではなかったが、氏の貢献も無視してはならい。
因に創価学会では、未だに、同書を「創価学会教学部が総力を結集して成った全集」と位置ずけている。
今年は、その創刊60周年?記念だそうだ。石田氏が果たした学会貢献を再評価するいい機会ではないのか?
戸田先生は、その貢献を称えて、一首の歌を送っている。正確には、覚えていないが、
『夫婦して 作れり御書全集 本仏の 永久に輝け その誉れ高し』
みたいなものだったと思う。

2 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/05(月) 12:34
作者の言い分とは逆に、戸田先生の石田氏への信頼は絶対とも言える程深かった。
また、戸田先生は、とりわけ聖教新聞の役割を重視した。「聖教新聞は、学会のミサイルだ」と戸田先生が常々語っていたのは有名な話だ。これは、聖教新聞が現在のような無礼講の人格攻撃や争い事を奨励したというより、「聖教新聞こそ広宣流布の道を切り開く最大の武器」という意味だったと思う。
私は、一部内容はともかく、聖教新聞の長年の愛読者である。よく出来ている新聞だと思う。新聞は、その起ち上げこそ重要である。従って、初代編集長の石田氏の貢献度はとりわけ大きかったと言える。
さらに、注目すべきは、石田氏は、当時の創価学会の唯一、最高の教義解説書の「折伏経典」の最初の章で、「宿命論」の執筆を任せられていた点だ。
これは、戸田先生が、石田氏を自分の分身と見ていた何よりの証拠だ。
不幸な事に、戸田先生の死後は、その章は、戸田先生の生命論にそっくり差し換えられた。
そうした戸田先生と石田氏の師弟の交流の記述は、人間革命では、スッポリ抜け落ちている。
p162には、次のような面白い記述がある。
『....彼(戸田城聖)は、石川によくこう言うのであった。
「幸男は長男だな、伸一は次男だよ」
それは、長男が甚六といわれるように、観念的な傾向が強く、苦労知らずの石川に対する戸田の婉曲的な指摘であったが、石川にはその意味がわからなかった。むしろ、石川は、それを自分が学会の跡取りであるといわれているように受け取ったのかもしれない。』
つまり、戸田氏が石田氏にこっそりと話した事を作者の地獄耳が捉えていたらしい。
私は、最初これを読んだ時、大笑いしてしまった。こうした珍説を読んだ全国の長男の会員の皆さんは、どう感じたのだろうかと、思ってしまったからだ。特に、池田家長男の博正氏はどう思ったのだろう?
余程、博正氏は父親から嫌われているののだろう。かつて、次男の城久氏が池田先生の後継者に最有力とされ、彼の突然死の後は、今は、三男の尊弘氏が池田家後継の最有力候補だ。
確かに、組織に於いては実力主義こそ最も尊ばれるべきものだが、古今東西、経験と実力は、ある程度の相関関係があるのも、常識だ。
まして、戸田先生の石田氏への信頼度を考えれば、戸田先生は、石田氏を自分の後継者と考えていたという意味で、氏を長男とよく言っていたのではなかろうか?また、それは、野心家の池田先生の心根を戸田先生は、鋭く見抜いた上での、池田先生への鋭い牽制だったのではなかろうか?
その上で、作者は、石田氏の事を酒のみで乱れがちな上、酒任せの指導をしては、会員から顰蹙を買っていたとしている。そういう破人格者である筈にも拘わらず、戸田先生は、石田氏を九州総支部長に任命している。それを作者は次のように解説している。
p163
『燃え盛る炎のごとき気質をもった「火の国」九州の総支部長には、まったく対照的な理の人にみえる石川幸男が就任することも、全体のバランスを考えると、よいかもしれないと思われた。
一抹の不安はあったが、戸田城聖は、あえて石川の可能性に賭け、彼を九州総支部長に任命しようと決めたのである。』
全く、人をバカにしきった記述だ。なぜに、戸田先生は、破人格の典型ともいえる人間に重要な役職を与えたかの説明には全くなっていない。私は、寧ろ作者が毎度のように勝手に戸田先生の心を推測し、平然と解説する厚顔ぶりにこそ、ぞっとした。
こういうデタラメを許し、有り難がっている創価学会員こそ哀れというより、バカである。
不幸な事に、戸田先生から深い信頼を受けていた石田氏は、戸田先生の死後、完全に池田専制体制から閉め出された。
池田先生が学会本部にやって来ても、周囲が騒然とする中、石田氏のみが、平然としていたという。
そんな態度が我が儘な池田先生の神経を逆撫でしていたのは、想像に難く無い。
そして、晩年には、公然と反旗を翻している。
普段から会員には、「仲良く!」などと池田先生は指導しているが、何故に『兄とも仰ぐべき』石田氏とは、仲良く出来なかったのか不思議だ。
池田先生が、自分を戸田先生の真の弟子を自称するなら、戸田先生が最もかわいがっていた弟子をもっと大切にすべきではなかったのか?
氏の実弟は、第三代公明党委員長の石田幸四郎氏だ。
幸四郎氏は、池田先生の命令の故か、実の兄の葬式にも訪れていない。
戸田先生の一番弟子が惨めに憤死した事実は、重く受け止める必要がある。
全く、目的故には、師弟、夫婦、親子、兄弟、姉妹の仲を平然と裂く池田先生の人生学は、恐ろしい。(参考資料 『堕ちた神池田大作』 『創価王国の野望』 溝口敦

3 名前: Leo 投稿日: 2003/05/05(月) 13:39
>>1-2 yurikoさん レス失礼します。

>さらに、注目すべきは、石田氏は、当時の創価学会の唯一、最高の教義解説書の「折伏経典」の最初の章で、
>「宿命論」の執筆を任せられていた点だ。

(私個人の意見で、水をさすようでなんなんですが)私は「折伏経典」の内容は(時代背景はあるにせよ)
酷いと思っています。私は一時期石田氏の動向に興味を持って調べてみたりしましたが、古書はみつ
からず、ネット上で『離辺』(今は読めない)や、『現代諸学と仏法』を参照したりしました。評判を色々な
人に伺ってみましたが、熱心な石田論者が存在する一方、多数は石田氏の仏教理解はイマイチ(専門的
だが不完全)とのことでした。

組織論としては石田氏を十分活用できなかったのは随分度量の狭いことだとは思います。

4 名前: Leo 投稿日: 2003/05/05(月) 18:29
>>組織論としては石田氏を十分活用できなかったのは随分度量の狭いことだとは思います。

度量の狭いどころでなく、

>こういうデタラメを許し、有り難がっている創価学会員こそ哀れというより、バカである。
>戸田先生の一番弟子が惨めに憤死した事実は、重く受け止める必要がある。
>池田先生の人生学は、恐ろしい。

確かに過去反旗を翻した幹部が多いですね(石田氏だけではない...)。
ぞっとしますね。何が世界平和だ、何がヒューマニズムだということですね。

5 名前: Leo 投稿日: 2003/05/05(月) 21:28
(独り言)
どんなに問題があっても、バリバリ会員さんは何も気にとめずに「何があろうと生涯師匠と共に」
ということになるのでしょうね。
(馬車馬が横が見えないように目の覆い(目隠し)をつけているようなものだと思いますが...)

6 名前: 諸葛 諒 投稿日: 2003/05/05(月) 23:24
yuriko さん
貴方は何を言いたいの
歴史の後戻りは
脳三級

7 名前:(uTMUL9hU) 投稿日: 2003/05/06(火) 02:11
>>5 Leoさん、お久しぶり
>(独り言)
>どんなに問題があっても、バリバリ会員さんは何も気にとめずに「何があろうと生涯師匠と共に」
>ということになるのでしょうね。
>(馬車馬が横が見えないように目の覆い(目隠し)をつけているようなものだと思いますが...)

これは私のことかな?(爆)
研鑽板に投稿したとおり、「何があろうと生涯師匠と共に」
私はバリではないが、この決意です。
私とLeoさんとでは、バリの定義が異なるのかもしれないが(笑)

8 名前: Leo 投稿日: 2003/05/06(火) 08:12
>>7 恋さん、どうも。
周りの見えている方、考えていらっしゃる方、良識派の方には少し敬意を持ちます。
私の批判するのは盲信派・顛倒派ですね。
(私の方もやみくもな批判に気をつけたいと思います)

9 名前: みかん(z8VoUpnM) 投稿日: 2003/05/06(火) 09:29
>>1
> 同全集は、長年の掘米尊師(後、猊下)の研究がなくては、成立するものではなかったが、氏の貢献も無視してはならい。

堀米日淳(大石寺六十五世)と、堀日亨(大石寺五十九世)を混同しているようですが。

10 名前: みかん(z8VoUpnM) 投稿日: 2003/05/06(火) 18:07
>>Leoさん
http://web.archive.org/web/20020202075537/www.linkclub.or.jp/~taroh/rihen/rihen_top.htm
ここに離辺のキャッシュが残っています。

>>yurikoさん
60周年じゃなくて、50周年です。(あと創刊というのは雑誌に使う言葉です)
御書全集が出されたのは、昭和27年(1952)の立教開宗700年です。
で昨年2002年が750年なので、50周年です。
日蓮宗の昭和定本日蓮聖人遺文(の第1巻)も、昭和27年に出されました。
日蓮正宗聖典もたしかそうだったと思います。全部、立教開宗700年記念行事です。

11 名前:(uTMUL9hU) 投稿日: 2003/05/06(火) 18:30
>>8 Leoさん、以下、私の独り言ですので、気に障ったらごめんなさい。

タイムリーに私の投稿と同じ文句が載っていたので、その引用かと邪推したのです。
そんなことはどうでもいいのですが、Leoさんが研鑽板も見ているのかなと思ったので。
Leoさんが研鑽板を去ったのは、残念だと思っています。
Leoさん達(敢えて複数形)の目的は創価学会の改革だと思っていたので、
それをネットでも展開するなら学会員の多いところでやるべきでしょう。
賛同者がいなくともLeoさんの主張するところを展開するくらいの意気込みが欲しかった(笑)
大聖人仏法の神髄は、「一人立つ精神」だと思っているので。
LeoさんのHPの冒頭に掲載されている開目抄の一節ですね。
そういう意味では、ここのスレ主のyurikoさんは論理は波状しているが、研鑽板でも頑張ってる(笑)
逆に言えば、罵詈雑言(笑)の中で一会員さんもここで頑張ってる。
お前はどうなんだと突っ込まれれば、私は、創価学会を弁護や擁護をする気はない。
正当な意見交換や議論はする気はあるけど、なかなか時間が・・・、早い進展にはついて行けないので(^_^;

もちろん、LeoさんにはLeoさんなりの考えで行動しているでしょうから、単なる私の想いです。

しかし最近のLeoさんの投稿を読んでいると、どうも違うのではないかと思えてしまう。
「初心者に教えてください」スレッド以外では、単なる非難にしか見えない投稿がいくつか散見します。
改革ではなく、非難が目的???(笑)
目的は、改革でも、解体でも良いのですよ。
非難していているだけでは、前進しないと思いますね。
ちなみに、私は、批判と非難は使い分けてます。

以前、Libraさんの掲示板が閉鎖されて残念と書いたことがありますが、
LibraさんやLeoさんのHPを見ても、目指すところが明確にされていない。
何を主張し、何を目指し、その方法論は?
私はそれを知りたかった。
Libraさんがネットを去って、その後、Leoさんに期待していたのだが。

非難にしか見えないからこそ、バリ盲信・盲目派の思考停止と言われるのならそれも結構(笑)

最後に私信のようになってしまって申し訳ない。
教学を再考する切っ掛けを与えてくれたLibra氏とLeo氏には感謝しています。
立場は違えど、エールは送っていますよ。

12 名前: ナナーシ(rBQWtf4.) 投稿日: 2003/05/06(火) 21:04
>>11
>改革ではなく、非難が目的???(笑)

非難される原因を考えた事がありますか?
『嫉妬』って答えは的はずれだから除外してくださいね

13 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:26
>>12 ナナーシさん、ごめん。横レスさせて下さい。
『人間革命』には描かれていない、第三代会長選出をめぐる学会史をせっかく書いたものですから…。


 戸田会長逝去の際、世情では学会の空中分解や分裂が取り沙汰された。これがかえって幹部や会員の危機感となり、本部への求心力を呼び、分派活動を制した。戸田先生が逝去間際に、学会の敵は「内部だよ」と指摘したことも、内部崩壊への警戒になったのである。

 ところが、この会長不在の2年間に、池田大作参謀室長を中心とする一部の青年部幹部・池田派=現学会首脳だけが精力的に多数派工作を行い、学会の実権を握っていったのである。戸田会長の「三代会長は青年部に渡す。牧口門下には渡しません」との言葉を“錦の御旗”にして、池田大作を神輿に担いでのクーデターである。

 この青年部のクーデターを支持したのが、故・原島宏治元理事長であった。原島理事(当時)が牧口門下などの年長者の反発を押えたことが、学会を「池田政権」に一本化できた要因の1つ。原島理事は、この池田会長選出の論功行賞により、後に学会理事長や公明党初代委員長に就く。

 戸田会長逝去後の学会は、小泉隆理事長を中心とする「集団指導体制」であった。
 昭和33年5月の春季総会(戸田会長逝去の1ヶ月後)で、小泉理事長は「会長職は当分おかない」と言明している。これは、いずれ戸田門下生が第三代会長に就任するとしても、皆30歳前後の若造であり、巨大化しつつある学会を統理するには心もとないとの認識と、また戸田先生の第二代会長就任が牧口会長の七回忌法要後という前例もあって、漠然と「戸田先生の七回忌までは会長不在」というコンセンサスが中枢幹部らにはあったからだという。

14 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:27

 さて、戸田先生の生前、戸田先生の石田次男氏への“想い”を目の当たりにしていた幹部諸氏の間には、「後継者は石田」が当然の認識だった。
 当時の『聖教新聞』や『大白蓮華』を眺めても、後の小説『人間革命』に描かれているような戸田−池田の特別な師弟関係、あるいは後継者への認知は全くない。「戸田−池田の師弟神話」は「池田政権」確立後、次第に独裁体制になっていく過程でつくられたものだ。

 名誉会長は、参謀室や渉外部といった参謀畑を歩き、総務を経て会長に就任した。
 石田次男氏は、秘書室、『聖教新聞』編集長、男子部第1部隊長、小岩支部長、理事、九州総支部長などを拝任しながら、常に第一線の指揮を執り王道を歩いている。

 戸田先生が「今日、集まられた諸君の中から、必ずや次の学会会長が現われるだろう」と挨拶した、昭和26年7月の青年部結成式には、石田氏は部隊長、名誉会長は班長として参集していた。また31年の小樽法論も夕張炭労問題でも、両氏は共に北海道に渡っている。

 つまり、再建草創の重要な出来事には、石田氏は必ず絡んでいるのだ。なにも名誉会長だけが“特別”ではない。むしろ『聖教』の初代編集長を務め、御書編纂、『折伏教典』の発刊、『大白』の編集発行など、教学振興の分野では石田氏の貢献度の方がはるかに大きい。名誉会長ら池田派は、会長就任以来、ことごとく石田氏の矮小化を図り、歴史を書き換えていったのである。

15 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:28

 名誉会長の「王権神授説」=「戸田−池田の師弟神話」の最たるものが、いわゆる「大阪事件」だ。戸田先生が出獄した“7月3日”に入獄したという、師弟不二の神話である。

 だが実際は、大阪府警が、昭和32年6月29日に小泉隆理事長を、7月4日に池田大作参謀室長を逮捕・拘留している。当時の一般紙も『聖教』の第一報も、皆7月4日。“7月3日”は「出獄と入獄の日に師弟あり」が強調されるようになった、昭和40年代後半から言いはやされたもの(創作『若き日の日記』が発端か)。
 それに刑が確定して服役したわけではない。単に取調べのために、大阪東署に2週間、留置された被疑者であり、17日に保釈出所、29日に起訴されたにすぎない。

 「大阪事件」は、翌年33年に小泉理事長が無罪となり、4年後の37年には、名誉会長の犯罪は証拠不十分で無罪となったが、他の一般会員は、戸別訪問や買収等で選挙法違反により罪が確定し結審している。
 名誉会長の無罪は、取調べ調書が証拠として採用されなかったからだ。不採用の理由は、取調べが、刑事訴訟法の規定を守らず深夜に及んでおり、手続き上に正当性がないからというもの。つまり内容審理ではない。
 したがって「大阪事件」において、名誉会長が、戸田先生や学会総体に累が及ばないよう、一人毅然として権力と対峙したという意義づけは、会長に就任した後、クーデターを正当化させていく過程で生まれたものだ。

 ついでに触れておくと、大世学院を中退した名誉会長を戸田先生が個人教授し“帝王学”を授けたというのも誇張。この戸田先生の教授は、名誉会長のみの個人教授ではなく、秋谷会長らも受講生で、当時の青年部数名が薫陶を受けており、秋谷会長は、戸田先生から「城」の字を戴き「城永」と改名している。

16 名前: SGI 投稿日: 2003/05/06(火) 21:29

 名誉会長を敬愛し崇拝している多くの会員は、「池田先生はすごい」と思い込んでいる。「名誉会長は偉大な指導者である」と信じ込むために、名誉会長と自分の“絆”――つまり学会が説くところの“人生の原点”を心に刻んでいる。

 しかし、この“人生の原点”は、人が1つの社会や集団に同化していく時の「刷り込み」心理である。けっして運命的な出会いでもなければ、宿縁でもない。単なる思い込みであって、池田大作を「人生の師」と仰がせるための心理操作である。

 もし、学会の「人生の師」が石田次男氏や秋谷会長であれば、今度は石田氏や秋谷会長との“絆”を見出すにちがいない。それまでの活動や体験の中から探したり、あるいは“人生の原点”になるエピソードを作ろうとするだろう。
 つまり、所属する組織集団が「池田大作」を宣揚するから、心地よく学会に帰属するために無理にでも(あるいは自然と)、そういった“人生の原点”を心に刷り込むだけの話である。いうなれば「アバタもエクボ」ということなのだ。必ずしも池田大作という一個人が傑出した人物というわけではないだろう。

青年部クーデターの続きは、後日。

17 名前:(uTMUL9hU) 投稿日: 2003/05/06(火) 22:20
>>12 ナナシーさん、初めまして。
>>>11
>>改革ではなく、非難が目的???(笑)
>
>非難される原因を考えた事がありますか?
>『嫉妬』って答えは的はずれだから除外してくださいね

私は、スレの趣旨とは大きく異なっているのを承知で、Leoさんに対して書いたのだが。
本来なら、メールで話すべき内容ですね。そういう点では、Leoさんにも他の皆さんにも申し訳ない。
横レスは一向にかまわないが、一言欲しいね。
今後、横レスに、レスを返さなくても文句は言わないでね。

さて、あなたの私の投稿に対するこのレスの目的は何ですか?
誰の何に対する非難の原因かな?
それで、答えが嫉妬だったら的はずれ? 何のことやら、馬鹿にも分かるように書いて欲しいな(笑)
ご自分で質問され、勝手に答えを妄想されているのだから・・・イヤハヤ何とも。
こういうのが対話の姿勢なのかと???

私は、非難するのみではなく、実践が大切という趣旨でLeoさんに書いたのだが。
さらに、非難と批判は異なると。
非難は感情論から、批判は理性から生み出される場合が多いと思っている。
もちろん、Leoさんが実践されてないということではない、のは言うまでもないこと。

いきなり質問で始まるなら、私も切り返しを
あなたは、自分が誰かに非難されたら、その原因を考えたことはありますか?
以上が、私の答えです。

18 名前: Leo 投稿日: 2003/05/06(火) 22:57
(SGIさん、解説の途中で失礼します)

>>10 みかんさん、ご紹介ありがとうございます。
Webキャッシュがあるのですね。

>>11 恋さん、どうも。
>Leoさんが研鑽板を去ったのは、残念だと思っています。
研鑽板を去ったのは反創価連盟さん、さかなこさんのアドバイスによるところ
大です。対話や議論が出来ない所で堂々巡りをしても意味がないのです。

>Leoさん達(敢えて複数形)の目的は創価学会の改革だと思っていたので、
もし改革をするならば個人個人がそういう意識を持たなければならないでしょう。
聞く耳を持たない人々に話してもどうなるものでもありません。

>それをネットでも展開するなら学会員の多いところでやるべきでしょう。
問題意識がなく学会指導で単に感動しているのは真の学会員ではないと思います。
(敢えて極論すれば...)師弟不ニの師を倒して(乗り越えて)こそ真の弟子であり
報恩ではないかと思いますがいかがでしょうか。

>逆に言えば、罵詈雑言(笑)の中で一会員さんもここで頑張ってる。
一会員さんは盲目的に学会指導の受け売りをしているだけだと思います。
頑張っているという認識は間違いであると思います。

>非難していているだけでは、前進しないと思いますね。
>ちなみに、私は、批判と非難は使い分けてます。
非難に見える書き込みも「意識が変わるきっかけ」を狙っています。

>LibraさんやLeoさんのHPを見ても、目指すところが明確にされていない。
>何を主張し、何を目指し、その方法論は?
>私はそれを知りたかった。
個人個人が自分で考え、時には他の人と議論し、必死に《何か》を見出す
(掴む)ということです。誰にでも通用する答えなどないのです。

19 名前: Leo 投稿日: 2003/05/06(火) 23:04
(追加)
>>非難される原因を考えた事がありますか?

私のある発言が非難として、学会が世間から非難される原因を恋さんは
考えたことがありますか?

>創価学会をみんなで考えよう
>創価学会の人にも楽しめる匿名制掲示板です。

この掲示板の趣旨は学会についての問題等を皆で考えたり話し合う場所
だと思います。

20 名前: ナナーシ(rBQWtf4.) 投稿日: 2003/05/07(水) 00:13
>>17
>誰の何に対する非難の原因かな?
>それで、答えが嫉妬だったら的はずれ? 何のことやら、馬鹿にも分かるように書いて欲しいな(笑)
>ご自分で質問され、勝手に答えを妄想されているのだから・・・イヤハヤ何とも。

解ってて書いているのか本当に解らないのか・・・
本当に解らないのなら正真正銘の馬鹿(自称ですから仕方ないですね)だし
解ってて敢えて書くなら論点をずらそうとする学会員特有の行動だね

21 名前: ナナーシ(rBQWtf4.) 投稿日: 2003/05/07(水) 00:14
あと掲示板ってのは1対1で話す場ではないと言うのがオイラの認識
横レスも何も多人数で議論するのが掲示板
1対1でやりたかったらご自分でも書いてる様にメールでどうぞ

22 名前: ?b 投稿日: 2003/05/07(水) 02:12
SGIさん
 とても読み応えがあります。続編を期待してます。
いつも思うのですがSGIさんのお話は本にした方がいいくらいの内容ですね。

23 名前: ナナーシ(rBQWtf4.) 投稿日: 2003/05/07(水) 08:02
>>17
朝になって何か答えがあるかと見たら答えどころかオイラの書き忘れが
あった様で...

>いきなり質問で始まるなら、私も切り返しを

質問に質問返し...これも学会員の常套手段ですな

>あなたは、自分が誰かに非難されたら、その原因を考えたことはありますか?

普通の人は考えるでしょう
何故そんな事を言われるのかって
学会の人は考えない(考えられない)のですか?

>以上が、私の答えです。

全然答えになってませんね


一会員氏が去ったと思ったら新しいヒーローの登場ですな
思考回路と日本語の理解能力はどうもほぼ同じ様ですが

24 名前: 一会員 投稿日: 2003/05/07(水) 19:35
去ってねえよ、アフォ。
残念だな去らなくて(笑)
お前さんの攻撃がすさまじく、キーボード打つタイミングを失っただけだ(爆)

25 名前: ナナーシ(rBQWtf4.) 投稿日: 2003/05/07(水) 20:18
>>24
本物ですか?
だとすればとても『世界平和を目指す人間主義者の弟子』の言葉とは
信じられませんな

成りすましでしょきっと...

26 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/07(水) 21:12
別人ですね・・・>>24

27 名前: 投稿日: 2003/05/07(水) 21:15
みなさん〜
>>24
無視した方がいいですよぉ〜
ナナーシさんも兆発に乗らないようにねぇ〜

28 名前: ナナーシ(rBQWtf4.) 投稿日: 2003/05/07(水) 21:56
今夜書き込まれた『一会員』名義の書き込みは、この板のアイドルである
あの『一会員氏』とは別人である事はほぼ間違いない
成りすます時はその人の文章の癖をじっくり研究してからにしないと
すぐにヴァレるよ(藁

たぶん某板の某氏の成りすましだね(藁藁

もし万一本人だとしたらそれは分裂症が表面化してきた証拠
どっちもどっちだけどな

29 名前: きょぅ@2世 投稿日: 2003/05/07(水) 22:23
>>28
えっ?まんまと釣られちゃった(´д`;;)

30 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 00:43
>22 ?b さん ありがとう。もう少し頑張ってみます。

 >>15 で「王権神授説」=「戸田−池田の師弟神話」の例として「大阪事件」に言及した。
 名誉会長や学会中枢は「仏法は勝負」なのだから、覇権を握れば歴史はいくらでも書き換えることができると捉えているのだ。

 名誉会長と戸田先生の師弟関係は過去世からの不思議な宿縁であり、名誉会長ただ一人が“師弟の道”を貫いたという神話を、実に会長就任前後から、様々な場面や手法で積み重ねてきた。あの有名な「名誉会長の入信場面」も、その1つ。

 まず、関西辺りから口コミで広め、ある程度定着すると(当時は、どんどん新入信者が増えており、事実を知らない会員は、それが真実だと思い込んでいく)、今度は小説『人間革命』に登場させる。
 「現代の御書」とも呼ばれた『人間革命』は「学会の真実の歴史と峻厳なる師弟の大道を綴るもの」と意義づけられており、“学会魂”を学ぶ会員必読の書である。にもかかわらず、事実との関係を問われると「これは小説ですから…」とごまかす。

 その一方、学会の正史を綴った『革命の大河・創価学会四十五年史』には、「後に小説『人間革命』で述べている」とか「……と伝えられている」と記述し、この入信場面を正史に残す。そして名誉会長の半生記『私の履歴書』には堂々と綴り、あたかも事実であるかのように装い、さらに第三者による評伝に、この虚飾に満ちた入信場面が紹介され、歴史として定着していく――。こうして“神話”は作られていくのである。

31 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 00:43

 名誉会長の入信経緯は、Leoさんが度々ご紹介されているように、『人間革命』の記述は全くのウソ。
 そこで、小口偉一編『新心理学講座』第4巻とは別の資料を提示してみる。

 まず1つは、『聖教新聞』昭和32年10月18日付の「私の初信当時」欄。
 これは、名誉会長が青年部参謀室長として、新潟・長岡市での会合で自身の入信当時を振り返って語ったものを掲載している。
 「私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。…折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。…私はそこで教学部長から折伏されたんですよ」

 小口偉一編『新心理学講座』のインタビューは昭和30年頃。この記事は32年。共に戸田会長の生前中であり、第三代会長就任前の名誉会長自身の談話である。それだけに信憑性は極めて高い。

 もう1つは、先頃(平成15年2月23日)開催された法華講・東京第一地方部総会での体験発表。
 発表者は、妙縁寺信徒の三宅妙子さん。平成13年10月に脱会し入講された年配の三宅さんは、なんと小説『人間革命』で名誉会長と戸田先生が初めて出会ったとする蒲田の座談会会場のお嬢さん。名誉会長を学会の会合に誘ったのが三宅さんの実姉で、いわば名誉会長入信の紹介者の妹なのだ。

 「時は昭和二十二年の八月、私の姉が同伴してきたのは同窓生であった池田大作その人でありました。小説『人間革命』には、そのときの美化された戸田先生との出会いが描かれていますが、それは全く事実は違います。そのとき十九歳であった彼は、折伏されて十日後に入信しました。
 その後、昭和二十四年の一月、池田が二十一歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています」(『大白法』平成15年3月16日付)。
 
 つまり、三宅さんの話では、名誉会長と戸田先生のちゃんとした出会いは24年1月のことであり、入信の経緯は、『新心理学講座』や「私の初信当時」に記述の通り、三宅さん宅に新来者として初めて学会の座談会に参加し、その十日後学会本部で小平教学部長に折伏されたのだ。

32 名前: Leo 投稿日: 2003/05/08(木) 00:56
>>24 
「おう、おうおう、そこの若えの。おう江戸っ子。いま喋ってんの。寝起きのいいの」
「いやあ、《お前さん》江戸っ子だね、威勢がいいね」(謎)

33 名前: Leo 投稿日: 2003/05/08(木) 01:17
>>31 (参考まで) SGIさんのご紹介にありました資料です。
>名誉会長の入信経緯は、Leoさんが度々ご紹介されているように、『人間革命』の記述は全くのウソ。
>そこで、小口偉一編『新心理学講座』第4巻とは別の資料を提示してみる。

后〜浪然慍顱。邸蔽法
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note007.html
(小口偉一編 『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』 河出書房、1956年)

----------------------------------------------------------------------
三宅さんの体験発表のご紹介、参考になります。ありがとうございます。

34 名前: Leo 投稿日: 2003/05/08(木) 01:34
で、『池田名誉会長の青春対話―21世紀の主役に語る―』 聖教新聞社 では
このように述べられています。

・「ほとんどは「勝者が書いた」歴史」
・「[名誉会長] いわんや、過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。特に歴史書は、
  ほとんどが「勝者の歴史」です。「勝てば官軍」と言うが、 「勝ったほうが正義」
  とされる。負ければ悪人にされる。そこを見なければいけない。」
・「そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはり、ありとあらゆることを
多く学び、多く考え、多く体験する以外にはない。大事なことは、 どこまでも公正に、
利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探求することです。」
・「その歴史は、永遠の流転の一コマですが、真実をきちんと残し、積み重ねていかないと、
  正しい歴史観がゆがめられ、また未来に不幸を重ねてしまう。
  正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、
  ゆがめたり、歪曲したりしてはいけない。歴史をつくってしまっては《小説》に
  なってしまう 。」
・「牴甬遒鮓ない人は、現在にも盲目瓠

まさにこのとおりで、創価の歴史も同様でしょう。

35 名前: Leo 投稿日: 2003/05/08(木) 01:52
>>34 (そのまんま自己批判なってます...)

36 名前: peace 投稿日: 2003/05/08(木) 02:40
消滅してほしい宗教団体のアンケートです。
公平な目でみて自分が消えてほしいと思う宗教団体に
投票してください。一人一票だけです。
公平を期するために政治、スポーツ、芸能、グルメ、司法
経済、ニュース、宗教(天理、アーレフ、創価、浄土宗、キリスト教
イスラム教、統一教会など公平にするために様々な宗教のスレ)
学生、家族、健康などあらゆる板でアンケートを募集してあります。

http://shizu.0000.jp/enq/enq.cgi?mode=enquete&number=141

37 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 07:00
池田先生は、最近の「随筆人間革命」(平成14年8月25日)において、しつこく自分の入信秘話を美化している。
抑、何への「入信」だったのが大いに疑問だ。せめて、死ぬ前に正直になったらどうだらう?
池田先生は、最近でも戸田先生は、軍国主義に反対して牢に入ったと強弁しているが、そんな事実はない。これは、かつては、『戦争に反対して.....}』という言い回しより前進しているが、池田先生得意の誤魔化しの論法だ。
正しくは、「戦争の遂行方針の方法論で、時の政府と対立した為」だ。
戸田先生や牧口先生は、日蓮大聖人の御本尊を奉じてさえいれば、戦争に勝利できると信じて居た。
聖教新聞に随時掲載される随筆人間革命は、主に内部向けであり、そこには、池田先生の本音がよく現われている。言いたい放題の嘘が書き連ねてある。
8月24は、一応池田先生の入信記念日になっているが、抑、何に対する入信だったのだろうか?
『昭和22年8月14日のよる。私が人生の師と仰いだ戸田先生と大田区の座談会場より御会いしてより、満55年。私は、即座に戸田の弟子たることを決意した。』
竜年光氏(後に第4部隊長、青年部参謀)は、此の日、その座談会の司会をしていて、池田青年は竜氏のすぐ後ろに座った。それで、竜氏のみが、池田先生をよく憶えていた。他にも、辻副会長もいたが、池田先生の事は全然記憶になかったそうだ。それほど池田先生は、目立たぬ男だった。
池田先生は、天皇制について質問をし、そのあと何やらメモらしきものを取り出して、読み出した。
ところが、あまりに、ぼそぼそ喋っていた為に、誰も何を言っているのかわからなかったそうだ。座は完全にしらけた上、池田先生は、無礼にも途中で帰ってしまったそうだ。
それで、池田先生は何か癪に障って、創価学会本部に再び、友達と連れ立って行った。
理論で負けたら、入信すると言って、当時の教学部長の小平氏と論争した。ところが、全く太刀打ちできないで、5時間も締め上げられ、入信を渋々する事になる。随分と随筆人間革命の記述とは隔たりがある。

38 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 07:02
37の続き
『入信を決意し、大田区から向かった杉並区にある寺院までお道のりは、肺病と肋膜を病んだ私には、随分と遠く辛く感じられた。
入信の儀式の勤行も唱題も、それは長く感じた。慣れない長時間の正座で、足は痺れた。』←---池田先生の日蓮正宗寺院に対する逆恨みは、ここまで逆登れる。だからこそ、池田先生は、勤行をサボり、怠行を皆に勧めているのだ。
『私もまた、青年の直感で、「戦争中、平和の為、仏法の為に投獄された、この人に付いていける」と確信したのであった』
これも全くのデタラメだ。本当は、『前の信者さん達が、牢獄に行ったことで、恐ろしかった』と二の足を踏んだのが、真相だ。
『ちなみに、その「立正安国論」が鎌倉幕府に提出された文応元年の7月16日は、当時の西暦であるユルウス暦では、1260年の8月24日に当たるようだ』
得意のこじつけだ。吐き気がしてくる。それで自分は、日蓮大聖人の再誕とでもいいたいのだろうか?
『侘びしく粗末な西神田の学会本部では、戸田先生の法華経の講義があった。
疲れ切った我が身をはげましながら、青年らしく求道の道を走った。どんなに多忙でも、必ず講義に出席した。』
これも、大嘘で、竜氏によると、池田先生は、戸田先生の事業を手伝うのに忙しいと、言い訳をして、殆ど講義には、出席しなかった。後に、中西氏をして、「あの人の欠点は、教学がないことです」と言わしめた遠因は、ここら辺にありそうだ。
『「言論の自由の時代だ。一つの新聞を持っているということは、実にすごい力を持つことだ。
学会もいつか、新聞を持たなければならない。太作、よく考えておいてくれ」
聖教新聞は、実に、この苦難の渦中の8月24日、師弟の対話から生みだされた。』
これも真っ赤な嘘だ。
戸田先生が、入信したばかり(三年目)で、学歴もなく、得体の知れない男にそんな大事を託す筈がない。
寧ろ、戸田先生は、自分の秘蔵ッ子である石田次男(故人)に全てをまかせて、編集長に命じた。
後年、戸田先生の池田先生への信頼も並々ならぬものがあったのも確かだが、日頃から、戸田先生は池田先生には、「次男が長男で、太作が次男だぞ」と釘をさしていた。これは、決して、駄洒落のつもりで言っていたとは、思えない。
『師匠を支えるために、私は夜学も、さらに大学への進学も断念した』
自分の学歴コンプレックスを戸田先生のせいにする池田先生の嫌らしさがよく出ている。
古今東西、学歴がなくても立派な仕事を成し遂げた人は、いくらでもいる。何故にもっと、肯定的に自分の人生を見れないのだろうか?
『毎朝、そして毎日曜に万般にわたる教育をしてくださった。今もって、その慈愛を噛み締めてて感謝している』
これも恐らく、これまでの文脈からすると、嘘だろう。
池田先生の初期の著作(「政治と宗教」や「政治と科学」など)には、池田先生の無教養ぶりが躍如している。
池田先生は、戸田先生を誉めているようで、貶めている。「催尊入卑」の典型だ。

39 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/08(木) 09:53
質問
yurikoさんのレスは長文でも何で「省略」されないのでしょう??

40 名前: イチゴ(oUXSsWIw) 投稿日: 2003/05/08(木) 10:11
30行までなら省略されません。
そしてyurikoさんの文章は改行が少ないので
その分見た目は行数が超えているようでも実際には30行以内だからみたいです。

41 名前: きょぅ@2世 投稿日: 2003/05/08(木) 11:10
>>40
なるへそ!!目からウロコでつ( ゜Д゜)\。 ポロッ(知らなかったやつw)

42 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 11:13
>>9 みかんさん
堀米日淳(大石寺六十五世)と、堀日亨(大石寺五十九世)を混同しているようですが。
>そのようでした。
御指摘ありがとうございました。
>>10 みかん さん
60周年じゃなくて、50周年です。(あと創刊というのは雑誌に使う言葉です)
御書全集が出されたのは、昭和27年(1952)の立教開宗70本人0年です。
で昨年2002年が750年なので、50周年です。
>わかりました。
>>31 名前: SGI
その後、昭和二十四年の一月、池田が二十一歳のとき、蒲田工業会に勤務していた彼を、私の母が、日本正学館を経営されていた戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼しました。池田の学会での仕事の出発点がここであり、私は、このときのことを今でも鮮明に覚えています」(『大白法』平成15年3月16日付)。

とすると、竜氏の発言「池田青年は、会場に居た」というのは間違っていたのだろうか?
そうでもないんじゃないか?
(名誉会長を学会の会合に誘ったのが三宅さんの実姉)なのだから、本人以外、証明できない。
また、竜氏のいよれば、その座談会会場には、森田青年(後の理事長)も居たというが、池田青年のことは、全く目立っていない為、全く記憶になかったそうだ。
竜氏によれば、池田青年が座談会場に居たことは、竜氏以外に記憶に残ってさえいない。
『戸田先生に、「よい青年がいる」と、初めて紹介し、就職を依頼』とすると、
戸田会長さえ、池田青年のことは、記憶に残っていなかった。
こんな事はよくあることで改めて言及する必要さえ感じられない。
つまり、戸田先生と池田先生の出会いは、少なくとも最初は、何の変哲も無い凡庸なものだった。よくある話だ。
問題は、池田先生が悪智慧を出して、戸田先生を利用した挙げ句、自分が入信した場面を脚色をグロテスクに施した事実だ。
創価学会では、古来から「入信記念日は、第二の誕生日」などと嘯いてきた。
ところが、池田先生の醜悪とも言える権力への野望は、そんな大事な「入信記念日」さえデマによって粉飾(ふんしょく)した。その目的は自分が「神」になることに他ならなかった。

43 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 13:31
前にも書いたが、聖教新聞に時折連載される随筆人間革命は、主に会内むけであり、それだけに作者?池田先生の本音が窺われて興味深い。ときには、露骨に反学会勢力への怨み事を書いている。外の社会に対しては、神妙な反省の態度を示しながら、内部向けには、怨み事を縷々と書いている。
  小説人間革命は、新旧併せて、20巻になろうとしているのに、そういう性質の書物故に、市場に発刊されたのは、何と文庫本の一冊だけだ。もっとも、最近では、インターネットの急速な普及により、そんな内部向けの内容でも、一般で容易に閲覧できるようになった。
  書店などで唯一取得できる聖教新聞社発行の「随筆人間革命」では、作者が思わず真実の執筆背景を書いてしまう箇所がある。
「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方がたにご協力を戴く。..........とくに私を激励してくれたS氏にいたっては、資料の収集はもちろんのこと、文体の運び方、文章の調子、結構までご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う。」(p47)
さらに興味深い記述がある。
「多量にわたる原稿書きは、最早、万年筆では不向きである。....鉛筆のほうが能率があがるからと、....一月中旬より実行。」(p47ー8)
「『人間革命』の執筆直前までは、恩師の出獄は巣鴨が通説となっていた。この通説はかなり抜きがたいもので、私はS氏らに詳しく調べてもらったものである。」(p70)

44 名前: 続yuriko 投稿日: 2003/05/08(木) 13:33
これらの記述からは、一体池田先生は、何をして、同書を自分の著作としていたのか不思議に思う。資料の収集はしない。基本的文さえ書けない。それなのに、堂々と、自分の名を冠しているのだ。
後に、人間革命の代筆を疑われて、大量の直筆の原稿が会員の間に配られた。私もその恩恵?に浴したのだが、それは、万年筆で書かれたものだった。当時は、感激したものだったが、これを読むと、普通は、鉛筆書きだったことがわかる。そうすると、あの万年筆の原稿は、代筆者が仕上げた原稿を写し、さらにそれをそれらしく、万年筆でなぞったものだったようだ。それにしても、上から様々な手直しが加えられていて、本物みたいだった。手の込んだことをすると思う。
「新聞をつくろう。.....俺が社長になる。伸一は副社長になって出発するのだ」(p122)この会話が持たれたのは、昭和25年としている。
池田先生が入信したのは、これよりほんの三年前だ。池田先生は、やっと教学部助師、つまりやっと入門レベルに辿りついただけだ。役職は、やっと班長になったばかりだった。
一方、後に池田先生のライバルとなる石田次男氏は、既に、教授という教学部最高の地位に就いていた。更に、御書の編集発刊や当時の唯一の教義解説書である折伏教典の中心的執筆者であった。役職も、青年部の第一部隊長という栄光の座にあった。そんな中で、戸田先生が石田氏を差し置いて、池田先生に新聞の発刊の相談をしたり、副社長に内示したりするのは、不自然というものだ。
後に両者と戸田先生との距離は、逆転してしまうのだが、ライバルの功績を全て盗むやりかたは、陰険そのものだ。
  それでも、この随筆人間革命執筆当時は、石田氏に対しては、それなりの気使いが伺える。
「その後、社に帰り、ただちにスタッフの人選に入った。.....その最初の編集長として、選ばれたのが、後に名編集長とうたわれたI君である」(p122)
I君とは、言うまでもなく、石田氏のことだが、晩年、聖教新聞社の専務とはなったが、最終的には、窓際に追い込まれた挙げ句に、退転反逆(創価学会に対して)をした。
人間革命12巻では、辛辣に批判されている。最期は、60代の若さでこの世を去ったのだが、その葬式には、弟の幸四郎氏(三代目公明委員長)は出席していない。まさに憤死したと言える。
何故に、池田先生は、名編集長とまでうたわれた人材を活用するどころか憤死させてしまったのだろうか?池田先生のリーダーとしての力量に疑問を投げかける、一つのエピソードだ。

45 名前: 一会員 投稿日: 2003/05/08(木) 18:46
イチゴさんありがとうございました。
謎が解けました。
しかし、解けたのはいいが、彼(彼女)の文章は理論破綻している。

46 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 20:29
>>42 yuriko さんへ
>とすると、竜氏の発言「池田青年は、会場に居た」というのは間違っていたのだろうか?
 そうでもないんじゃないか?
>つまり、戸田先生と池田先生の出会いは、少なくとも最初は、何の変哲も無い凡庸なものだった。よくある話だ。

その通りだと思います。
>>31 でご紹介した部分の前段には、三宅さん宅が蒲田の拠点で、戸田先生の月例の「立正安国論」講義の会場だったことをお話されております。そこで、三宅さんのお姉さんが同窓生だった名誉会長を連れてきたことは、話の流れの中で容易に頷けられるところです。
ただ、小説『人間革命』の描写が「全く事実は違います。」と明言されていることと、
きちんと自己紹介をし戸田先生に面識をいただいたのは、昭和24年1月の、三宅さんのお母さんを通じての就職依頼の時だったということです。

したがって、yurikoさんがご指摘されているように、天皇制や愛国者等の質問や即興詩を朗々と詠んだというのは、全くの脚色・創作でしかないでしょう。まさに“神話”創りなのです。


余談を1つ。
興味深いのは、名誉会長が御本尊下付の後、「家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」(小口偉一編『新心理学講座』より)と、雷への恐怖心から信心を始めたと語っていることです。

宗教改革の流れを生み出したマルティン・ルターは、大学で法律を学んでいたのですが、ある日、目前に雷が落ちて死の恐怖の中で、修道士になることを誓い、1505年に修道院に入りました。
雷は、信仰心を呼び目覚めさすのでしょうかね。

名誉会長は、今般の宗門vs学会抗争が起きる前、側近幹部を前にして
「俺は、マルティン・ルターになる。日本では宗教改革の歴史がなかった。今、それをやるのだ。坊主とケンカをするのだ。もしもの時でも、大聖人の仏法を掲げて、外から宗門を攻めていく」と語っております。
ご本人は“新教の確立”をめざし、改革者気取りなのかもしれませんが、所詮脂ぎった無知性な俗物然としたおっさんにしか思えないのは、私だけでしょうか。

47 名前: SGI 投稿日: 2003/05/08(木) 22:20

 名誉会長の入信は、昭和22年8月。昭和3年1月生まれの名誉会長は19歳だった。この「19歳」も、師弟神話に脚色する。つまり「牧口と戸田」「戸田と池田」の出会いにおける師弟の年齢が一致する、というウソである。

 「牧口と戸田」の出会いは、牧口先生が東京・西町小学校の校長時代〔大正8年12月12日〜9年6月22日の半年間〕。ところが2人の出会いの正確な日付が明らかではない。様々な資料に当たったが、曖昧で確定しないが、「48歳と19歳」か「49歳と20歳」のいずれかになる。

 一方の「戸田と池田」は、昭和22年8月とすれば、戸田先生が47歳で名誉会長は19歳。そこで、弟子の年齢を「19歳」と限定しても、牧口:48歳で戸田:47歳で一致しない。つまり、「48歳と19歳」で一致し「仏法の不思議」とか「尋常ならざる因縁」という師弟神話は成立しないのである。


 さらに名誉会長が、戸田会長の事業に従事した日付も資料によってマチマチだ。また「出版業(編集者)」なのか「信用組合・金融業」なのかはっきりしない。

 とりあえず『革命の大河』に基づき、昭和24年1月、雑誌編集者ということにしておこう。ところが『冒険少年』は同年8月に『少年日本』と改題され、10月には廃刊となっている。この時、戸田先生は全社員の信用組合への異動を命じている。つまり名誉会長の編集者生活は、最大限に見積もっても1年弱。
 
 信用組合は、翌25年8月に業務停止命令が出され、戸田会長は同年秋に大蔵商事を設立。名誉会長に営業部長を命ずる。したがって戸田先生の下で従事した仕事の大半は、保険代理業や高利貸し、手形割引等を営む大蔵商事の“営業”である。
 名誉会長は、編集者であったことをいろいろな機会で得意気になって公表している名誉会長だが、高利貸しの“営業”だったことはひたすら隠す。

 信用組合が26年3月に正式に解散すると、戸田先生は学会第二代会長に就任。大蔵商事の業績も、信用と顔がものをいう世界だけに、顧問の戸田先生が会長を務める学会の発展に伴い、急速に好転していく。
 信用組合の清算中は給与の遅配や分割払いもあったが、解散後は、歩合給の池田大作営業部長も、債務者への取立てに辣腕ぶりを発揮し、相当の高給を得るようになった。あの住宅事情が悪かった時代にもかかわらず、20代の若さで家持ちとなるほどだ。
 この経済力が、学会組織内で幹部として出遅れた分を取り戻す源泉となったのである。

48 名前: 一会員 投稿日: 2003/05/08(木) 23:17
だからどうしたって言うの。
ご苦労さんなこった。一生懸命キーボードを叩いて。
何が言いたいのかサッパリわからない。

49 名前: 一会員 投稿日: 2003/05/08(木) 23:17
だからどうしたって言うの。
ご苦労さんなこった。一生懸命キーボードを叩いて。
何が言いたいのかサッパリわからない。

50 名前: ?b 投稿日: 2003/05/08(木) 23:28
>一会員 うぜーんだよ!
SGIさんの話をじっくり読んでるのに同じmes二度もあげやがって。。。
創価お得意の嫌がらせか?  砂場へ行ってろ!

51 名前: Leo 投稿日: 2003/05/09(金) 00:25
>>49
創価のウソ・デマを暴露するシリーズですね。乞うご期待。

52 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/09(金) 00:38
一会員必死だな(藁

53 名前: Leo 投稿日: 2003/05/09(金) 00:38
暴露でなく批判でした。

54 名前: 倒木 投稿日: 2003/05/09(金) 07:02
>何が言いたいのかサッパリわからない。
自分の文章読解能力の低さを露呈してどないしますの・・・

55 名前: 一会員 投稿日: 2003/05/09(金) 08:37
よってたかって私をやっつけるのに必死だな(藁

56 名前: 倒木 投稿日: 2003/05/09(金) 08:43
>>55 一会員=掃徒=それはそうとさん
●ひがい-もうそう ―まうさう 4 1 【被害妄想】
自分が他人から危害を加えられているという妄想。精神分裂病に典型的にみられる。

●せいしんぶんれつびょう 【精神分裂病】
精神障害の一。病因は今なお不明。多くは青年期に発病し,感情の鈍麻・自閉症状・意志の減退・奇妙な行動・幻覚・妄想などを示すが,症状の現れ方や経過は複雑で変化に富む。早発性痴呆。分裂病。
〔2002 年(平成 14)日本精神神経学会がこの名称を変更し,「統合失調症」とすることを承認した〕

●じいしき-かじょう ―くわ― 2 【自意識過剰】
他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態。

( ´_ゝ`)y─┛~~

57 名前: 一会員 投稿日: 2003/05/09(金) 08:46
>>50
追っかけがいるからしゃあないだろう。(笑)・・とうへんぼくとナーナシのことだよ。

58 名前: ぱるぱる 投稿日: 2003/05/09(金) 10:08
SGIさんの書き込みを読むと、やはり池田氏は辣腕で有能な人だったのだなぁと思います。
なので脚色とかしないで素で勝負しても結構大丈夫だったのでは?とか思ったり。
人が自分の持ってるもの以上を望むとき、物事は歪んでいくんでしょうかねぇ・・・。

59 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/05/09(金) 20:33
う〜む,なんかyurikoさんやSGIさんのカキコ読んで考えているうちに出た結論。
池田も結局「金と恫喝」で成り上がった類ってこと。

60 名前: れいか 投稿日: 2003/05/09(金) 21:16
この記事ネタかと思ったけど、真実味をおびてきました。

http://www.asyura.com/sora/bd13/msg/763.html

61 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/05/09(金) 22:46
戸田&池田の関係はジョン・トリオとアル・カポネの関係みたいに見えるぞ!

62 名前: Leo 投稿日: 2003/05/10(土) 01:38
「ドン・コルレオーネは、シシリーからアメリカへ移住してきたマフィアファミリーの首領で
巨大の富と力を手に入れていた。しかし敵対するファミリーに銃撃されて重傷を負った時
、血の気が多い長男、腰抜けの次男、温厚な三男の中から跡継ぎ候補として頭角を
表したのは堅気の三男だった。」 − 映画ゴッドファーザー

63 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 05:10
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note007.html
最初にこの小口偉一編『新心理学講座』の池田インタビューを読んだ時は、その真偽を疑ったが、
池田先生の生い立ち等を考えると、それは、真正のものだ。
その感想は、『こいつとだったら、友達になれそうだ』という好感だった。しかし、その後に本人が辿った輝かしい『人間革命』のお陰で、池田先生は、今や日本で最も嫌われている人物になってしまった。
池田先生がその過程で身に付けたものは、周りの錯覚を己が自覚とした上で、嘘で固めた得意の演出で、自分を偉そうに見せる処世術だけだった。哀れとしかいいようがない。
私は別にコピペのみをしているわけではない。自分の意見を述べるのに必要な資料として提示しただけだ。
個人的には、創価学会の社会に果たして来た役割を高く評価している。そこには、少なからず池田先生の果たした部分もあるだろう。しかし、池田先生=創価学会=公明党には、あまりに欺瞞の歴史が多すぎる。
北朝鮮もよもやと思われたのに、その厚い壁を開きつつある。創価学会に於ても、「人間革命」に代表される嘘で固めた歴史に終止符を打ち、より民主的な開かれた、正直な団体に生まれ変わるべきなのではないのか?

64 名前: Leo 投稿日: 2003/05/10(土) 11:24
>>63 yurikoさん。
>より民主的な開かれた、正直な団体に生まれ変わるべきなのではないのか?

私もそのように思います。しかし外部や内部の指摘や状況を認識し変革して行けるか
試されるところだと思います。
(ご参考)
・「「自立」を抑制する要素」
http://page.freett.com/Libra0000/043.htm
・「創価学会では教団内に権威主義が保持されている」
http://page.freett.com/Libra0000/056.htm
・「神秘主義的宗教は師に対して絶対的な服従を求める」
http://page.freett.com/Libra0000/046.htm
・「仏教の師弟関係」
http://page.freett.com/Libra0000/044.htm
・「公明正大の方法によつて、最も自由に徹底的の討議を」
http://page.freett.com/Libra0000/055.htm

それと、民間信仰的なご利益信仰はまあ許容されるとして(しかしこれが《仏教》だと
言い張ってはいけないと思う)、呪詛に至っては完全によくないと思います。
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note008.html

65 名前: Leo 投稿日: 2003/05/10(土) 19:31
>>64 (自己レス)
学会人一般は自然的に「見猿・言わ猿・聞か猿」状態になっているから難しいですね。
http://sat.cside3.jp/home/1/tra27-2-3.jpg

66 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:23

私は、主に人間革命第十二巻を取り上げて、その人権蹂躙的記述を批判してきた。
作者は、言うまでも無く池田先生である。
ゴーストライターの手になる部分が大半だろうが、池田先生の思考パターンか如実に現われているのは確かだ。特異で陰険な表現で反逆退転者を揶揄した挙げ句、粉微塵にその人格を砕く残酷なやり方には、池田先生の面目躍如たるものがある。
その中で、最も悲惨な人格の持ち主として描写されているのが、「滝本欣也」つまり、「竜年光」でる。
かれは、十二ページにも亘り登場する。
存命中の人物を無許可?で登場させて、扱き下ろす作者の神経に唖然とせずにはおれない。
竜の登場の仕方が面白い。
『ある時、報告にやって来た参謀の滝本欣也が、戸田にたずねた。
「................もはや、敵はなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでしょうか」
(戸田先生)「敵は内部だよ」................
滝本は、.....ますます仕事の手を抜くようになっていった。』
つまり、竜の破人格は、とっくに戸田先生の見通す所で、いつか反逆すると面と向かって宣言していたというのだ。
もし、これが本当なら戸田先生は、余程陰険な性格の持ち主だったのだろう。
竜は、仕事を放って『(学会活動の為に)さっさと帰ってしま』ったり、昼休みに勝手に『大学者ぶって御書の講義を始めた』りして、職場に多大な迷惑をかける人物として描かれている。
義弟となった竜に対して、『酒田(誰かな?)は、会合などで見せる幹部の顔とはまったく裏腹な、彼(滝本)の実像を見せつけられて来た』と思っていた。
実に辛辣な表現だ。

67 名前: 続1yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:27
そんな破人格の典型である竜は、第四部隊長となり、『伸一は滝本の部隊の班長となった。』これが、竜にとって、生涯の仇になった。
池田先生の偽善に溢れた若き日々を知る竜は、「知り過ぎた男」になってしまったのだ。
『そのころ、......時に喀血さえしながら、病身に鞭打ち、壮絶なまでの戦いを展開していたのが山本伸一であった』が、実際は、会合をサボって、映画などを見ていた
この事は、池田先生が自ら、後に公開した若き日の日記で明らかにしている。
{別にいいんじゃないの?でも嘘はよくない....}(私の独り言)
そして、
『.伸一は、この日も、やむなく仕事のために欠席せざるをそえなかった。』
『滝本は、伸一が欠席しているのを知ると、冷たく言うのであった。
「山本は退転だよ。また欠席だ」』
池田先生、もう嘘はばれちゃったんですよ。
『戸田は、以前から、滝本の壮士気取りの生き方を憂慮しつずけ.....(滝本に)善意の人を自分の為に利用する心が芽生えたのであろう。』と分析させている。
つまり、戸田先生は全く竜を信用していなかったとしているのである。
さらに、終に酒田は、だらしない上、無責任な義弟の滝本を解雇してしまう。
滝本はさんざん悪たれをついて辞める。しかし、どう言うわけか、酒田の家に居座り続ける。
何か腑に落ちない。不自然だ。やはり、解雇の背景には、やむを得ぬ事情があったのではないか?
そんな破人格者の竜を、戸田先生は『腐っても私の弟子であることに変わりはない。』として、忍耐強く訓育し続けたとしている。
そして『滝本は、戸田の指導によって、かわっていったように見えた。そして
滝本は、品川の区議会議員となった。』
メデタシ、メデタシ。しかし、ここで終わりじゃないのだ。

68 名前: 続2yuriko 投稿日: 2003/05/10(土) 20:31
さらに続けて、戸田先生は池田先生にこっそり言う
『滝本はいつ退転してもおかしくない男だ。だが、そんな男だからこそ、まともな日の当たる人生行路をあるかせてやりたいと思って、私は、滝本を育ててきたんだよ。...........
伸一、仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にないのだよ』
そんな怪し気な人物だと戸田先生はわかっていたなら、絶対に大幹部に任命したり、その行動によって学会の社会的評価が左右される議員に推薦などするべきでなかった。
さらに、続けて
『しかし、ひとたび、学会に牙をむき、仏子の和合を破壊しようとしてきたなら、その時は、徹底的に相手を叩きつぶすまで戦うんだ。』
もし、戸田先生が自分が育てた弟子に対してこう思っていたとしたら、戸田先生こそ嫌な人格の持ち主の典型だったと言える。
ただ安心できるのは、この事は、毎度のように戸田先生が池田先生だけにこっそり話していた。
従って、人間革命の今までのパターンとして、この部分は、100%作者の創作と見た方がいい。
さらに結びが強烈だ。
『(三年後)
(戸田)は、滝本をまじまじと見詰めて、もう一度、言った。
「敵は内部だよ.......」』
池田先生は、自分の師匠の陰険ぶりを実に見事に描いている。
結局、『仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にない』だから、
創価学会員も池田先生から、騙されても、騙されても、最後まで池田先生を信じ、つつみながら、池田先生の再起と更生を願って、手をつくしていく以外にない。
でもちょっと気ずくのには、遅すぎた気がするのだ。
池田先生は、余程竜氏が気に入らなかったのだろう。
後に恭しく公開した「若き日の日記」では、竜氏は、Rとして登場して、「バイク事故の弁償金を学会が負担したにも拘わらず、礼の一つも言わない嫌な同志」として登場する。
私にも経験あるのだが、気持ちがあまりにも落ち込んでいたりすると、常識的なマナーまで忘れてしまう事がある。
後で、しまったと思うが遅すぎたりする。そして、せめて自分が逆に人を助ける立場になったら、相手の気持ちがよくわかる故に、あまり厳しい態度を取るまいと思うのだ。
もっとも、いずれの立場もあまり歓迎したくない。
「若き日の日記」で、もっと注目すべきは、竜氏の妻に対する批判的見解だ。
竜氏が「礼も言わぬ嫌な同志」と書いた後、続けて、「特に女房の態度が気に入らない」などと書いている。
池田先生の人間性のパターンとして、こうして敵対者?の家族のものまで攻撃するのだ。
既に、藤原氏の妻「幾子夫人」「日顕上人の妻や息子」「竹入氏の妻や息子」なども容赦なく人格攻撃されている。
ねらいは、「お前等、もし反逆でもしてみろ、お前だけじゃなく、家族、親類、友人関係すべてに塁(るい)が及ぶのだ」という脅しなのだろう。
竹入氏などの場合も、かつての同志達の口から薄汚い人格攻撃や秘密の暴露がされるのも当然といえる。
どう考えても、創価学会が人道主義を掲げ、人権問題に本気で取り組んでいるとは思えないのだ。
実に胡散臭い団体だ。

69 名前: Leo 投稿日: 2003/05/10(土) 21:42
(レス失礼します...)
『人間革命』第十二巻 で思い出すのが戸田会長の「車駕」(輿(こし))の
エピソードですが...下記のような「白馬」に乗って青年たちを閲兵した
ことは触れられていないですね...

検〜浪然慍顱仝妖直訐
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note007.html
「また会長は、昨年日蓮正宗の本山において行われた祭典で白馬に乗り、
この青年たちを閲兵している。白馬が天皇専用の乗馬であるということを
知らなかったというが、いずれにしても、、このような児戯に類することを
平気で行う一面を持っており、同じく組織者とはいっても、念法真教の
組織者A氏の近代企業における冷徹な企業精神に比べれば、親分的な、
ヤクザ親分的な、その意味では日本における庶民の感覚に直接うったえる
ような側面を持っているといわねばならない。」
(『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』 河出書房、1956年)

70 名前: Leo 投稿日: 2003/05/10(土) 23:00
>>66-68 yurikoさん。
>私は、主に人間革命第十二巻を取り上げて、その人権蹂躙的記述を批判してきた。

>存命中の人物を無許可?で登場させて、扱き下ろす作者の神経に唖然とせずにはおれない。

>池田先生の偽善に溢れた若き日々を知る竜は、「知り過ぎた男」になってしまったのだ。

>どう考えても、創価学会が人道主義を掲げ、人権問題に本気で取り組んでいるとは
>思えないのだ。実に胡散臭い団体だ。

『人間革命第十二巻』は他の巻から後に1993年出版されたものですが、このようなウラが
あったことは興味深いです。竜氏の発言や著作をチェックしてみたくなりました...

71 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 00:32
yuriko さんが、『人間革命』の記述に基づき論及されていることを邪魔する所存は全くありません。
ただ私自身は、今『人間革命』を読み返す気持ちにはなれないのです。嫌悪感が先立ち、触れたくもない心境です。

しかし、第12巻は、昭和33年の学会が舞台です。「3・16広布の模擬試験」における一連の流れの中で、戸田⇒池田の“エレベーター相承”があったとされる、学会の歴史にとって大変重要な事柄を記述するところです。
“エレベーター相承”は、敷衍すれば「師弟神話」(王権神授説)の最大エポックです。そこで、師弟神話の虚構と第三代会長就任の経緯について、『人間革命』の描写から直裁的には離れておりますが、私なりに言及したくレスしております。

竜年光氏の告発手記『池田創価学会を解散せよ』(日新報道刊)は、名誉会長の尊厳性に対する重大なトゲとなって突き刺さっております。なにしろ、戸田−池田の師弟神話に関するエピソードが全て「作り話」であるということを、当事者が暴露しているのですから。
山崎氏や原島氏は、名誉会長が第三代会長に就任し、独裁者・絶対者として君臨してからの名誉会長の実態を暴露していますが、
竜氏は、名誉会長の先輩として、会長就任前の実態を公表しております。それだけに“師弟の道”を説く学会にとって、名誉会長の尊厳性や学会指導の根源性を根本から否定することになりかねず、神経質にならざるをえないのです。そこで、いかに竜氏が人間として破人格であったかということを執拗に綴るのでしょう。

竜氏の手記によれば、33年3月の大講堂落慶法要や広布の模擬試験の「車駕」(輿)は、戸田先生の全くの意向ではなく、名誉会長が勝手に勘違いをし作らせ、戸田先生から烈火の如く怒鳴られたことが記され、この頃の名誉会長の言動を、戸田先生が不快に思っていたことを明らかにしております。

72 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/11(日) 16:46
今までの人間革命への批判文の中で、最も印象に残っているものは、文芸春秋に掲載された井上ひさし氏の書いたものだった。
(正確な年月日は忘れた)
その中で氏は、同書を「むずかしい書」と呼んだ。読んで行く内に何で、氏は、何故、わざわざ同書をひらがなで「むずかしい書」と書いたのか解って来る。氏は、同書を本当は、「はずかしい書」と呼びたかったのだ。氏らしいパロデーと言える。氏によれば、山本伸一というスーパーヒーローが縦横無尽の活躍をする姿が何とも不自然に格好良すぎるのだ。その人物が、現実に生きている著者その人だと言う事が露骨に明らかとなれば、そこに「恥知らず」という言葉がぴったり当て嵌まるのだ。そこでは、日本人が伝統的に美徳として重んじてきた、「控えめ」とか「人を立てる」などの徳が無造作に吹き飛ばされている、と井上は述べている。
全くその通りだと思う。私は、主に人間革命第十二巻を題材に批評しようと思う。
まず、同書の最初の章「涼風」では、戸田が山本と森川の二人の弟子を引き連れて軽井沢の浅間山の噴火口を覗きながらのやりとりが描写される。
山本は、言うまでもなく池田先生で森川とは、森田理事長を指しているのは、会員の間では、常識だ。森田理事長は、東大出身で、同法華経研究会に所属し、戸田先生から直接訓薫を受けて来た学会のエリート中のエリートである。その森川は、物語りの中では、見事にピエロを演じている。それは、勿論、スーパーヒーロー山本を際立たせる為だ。
p8
『「すごいですね」
森川は、こう言ったきり、次の言葉が続かなかった。』
そして、我等がヒーロー山本青年は、様々な鋭い質問を戸田にした挙げ句に、戸田著作の小説人間革命の感想を見事に述べ、自らが「続人間革命」を書く事が、戸田から暗黙の内に託されていた事を白々しく述べている。そういう白々しい池田先生の自己顕示欲を井上は、「はずかしい」と呼んだのだ。

73 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/11(日) 16:49
私は、小説人間革命は「はずかしい」書である以上に、人権侵害の書だと思う。
その傾向は、第十二巻で特に顕著だ。
人間革命第十二巻では、宗門批判を露骨にやり始めた事と並んで、所謂学会反逆者に対する人格攻撃が明からか様に行われている。登場人物が誰だかわかるだけに、その描写は無惨を窮める。
その中で、滝本欽一に次いでも悲惨な人格の持ち主として描かれているのが、藤川一正である。
藤川とは、藤原行正氏の事である。
藤川は、部下を無造作にこき使った挙げ句に、事故死に追いやった鬼上司として描かれている。
その上、責任逃れの為か、葬式にも顔を出さずじまいの「破人格者」として登場する。
彼は、そんな破人格に加えて、異常に功名心も強いとされている。
p257
『戸田城誠は、翌日、藤川が通夜にも参列しなかったと知ると、顔を真っ赤にして激怒した。
「なにッ!藤川は人間として許せん。先輩でありながら、無責任極まりない態度ではないか。今後、藤川のことは、いっさい信じるな!」』
こういう戸田先生の遺言があったにも拘わらず、池田先生は、言論出版妨害事件の折には、重要な密使の役を藤原氏に最初に演じさせている。そして、藤原弘達氏をして「小物を派遣して、生意気だ」と言わせ、その後の事態の進展を悪い影響を与えた。戸田先生の遺言を真面目に受け取らなかった池田先生に責任の一端はあるとも言える。
さらに藤川の妻が登場するのは面白い。
彼女こそ池田先生の元恋人渡辺(旧姓松川)通子の姉であり、池田先生を振った事があり、池田先生から逆恨みされていたのだ。
p250
『.....女子部の幹部である松田幾代と結婚するが、彼の名聞名利を欲する心はますます強くなったように思えた。
戸田は、怒りをこめた声で山本伸一に言った。
「藤川は、一将功なりて万骨を枯らすことになる。とんでもないことだ。しかし、女房も女房だ。あの見栄っぱりの性格が。ますます亭主を狂わせている。悪いのは女房だ。」』
ここまで特定の人物を誰とわかるにも拘わらず、露骨に描写し、バカにするとなると、人権侵害行為は明らかである。公共性や真実性が問題となる名誉毀損罪とは、別に侮辱罪が成立すると思う。それに、死人に口無しとばかり、師を利用して語らせている点は、毎度の事ながら、池田先生の目的の為には手段を選ばない悲惨な人格が現れている。
尤も、過去に於ける「私小説に登場する人物描写」に絡んだ裁判所の判例では、著者の裁量を大幅に認めるものと、認めないものの両方があっただけに、人権侵害を立証するのは、難しい点はある。しかし、争点はあると思う。

74 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 22:40
>>47 自己レスの続き

貸金の取立てなどに辣腕をふるい、金回りのよい名誉会長は、
田代冨士男元参議院議員の手記『将軍学を学ぶ』など、多くの資料でも明らかなように、
会員に対して頻繁に万年筆やライター、念珠、交通費等をあげたり、ビスケットや饅頭、チョコレートといった菓子類の差し入れ、ラーメンやカレーライス、時には寿司などをおごる。
こうした“気配り上手”が、金の世界で誰よりも「生き金・死に金」を学んだ名誉会長の最大のセールスポイントとなった。

戦後の新興宗教ブームは、一般に「貧乏・病気・争い」からの救いを求めて起こったといわれる。再建当時の学会も「貧乏人と病人の集まり」といわれ、ご多分にもれなかった。誰もが貧しかったのである。
そこに、戸田先生の下で働き、妙に金回りがよく、いろいろと“気配り”してくれ、時には「ベートーヴェンを聞こう」なんてことを言い出す、こざっぱりした若いやり手いる。クラシック音楽などには縁がなかった人々であるだけに、畏敬の念も生まれよう。
こうして、組織内で幹部として出遅れた分を取り戻すどころか、名誉会長を中心とする親分子分にも似た集団が青年部の中に生まれていったのである。

75 名前: SGI 投稿日: 2003/05/11(日) 22:42

名誉会長のもともとの本名は「池田太作」。
長男・博正氏が生まれた時、正式に「大作」と改める。「たいちゃん」「たっちゃん」と呼ばれていた少年時代に触れられることをひどく嫌う。記述は省略するが、複雑な家庭環境にあった。
父・子之吉氏は「強情さま」ともいわれるほどの真言宗の強信者。葬儀も真言宗で行っている。名誉会長が折伏した家族親族は、一応十人兄弟姉妹といわれる中で、兄弟2人だけだという。

名誉会長は1対1の個人折伏がとても苦手。
“人間・池田太作”を知る人の大半は、入信していないようだ。幹部として指揮する立場を得た時は、自信に満ちたはったりと気配りで成果を出しても、名誉会長自身が紹介者となる個人折伏は、ご本人が語るようにあまりない。
「『折伏しろ』っていうから、私は自分の友だちを十人ぐらいよんだのです。…会長先生がわざわざ、私のおよびした会合に出て下さったこともありました。しかしだれも信心しないのですよ。一生懸命やってもね。みな友だちがはなれっちゃうんだよ」(『聖教新聞』昭和34年2月6日付)。
他人の成果をも自分の手柄にして誇るよりも、素直に御本仏のご照覧に委ねる方が、よほど信仰者らしいと思うのだが……。

戸田先生時代、「教学の石田・行動の池田」といわれていたと聞く。
≪名誉会長の教学歴は、別スレ「初心者に教えてください。 」>178 をご覧下さい。≫

名誉会長が得意なのは“実践の教学”。
大聖人の御消息を切り文して、組織活動の中で状況に応じ、陳列していくやり方だ。この独特な解釈展開が、教義解釈になりがちな講義よりも受けたのである。「私のは対機説法だから、難解な講義よりよっぽどいいでしょう」とのたまう。
会長就任後の『御義口伝講義』や『立正安国論講義』等でも、現代解釈や生活に約した展開は“ヒラメキの人”だけに口述しているが、法義の解説に関しては優秀な教学部スタッフが担当している。40年間、いつもこのやり方で通している。

それでも、名誉会長のこの独特な解釈展開は、昭和30年代でも、1つ1つの組織活動のみならず名誉会長に関わる個人的な言動にも、何か大聖人の深いご法義の裏付けがあるかのような錯覚を周りの青年部会員に与え、“名誉会長は特別なのだ”という雰囲気を生んでいったのである。

76 名前: ソ−ス不明のコピペですが 投稿日: 2003/05/12(月) 16:08
2002/12/13

『戦う愛知の誉れ』
(聖教新聞「随筆 新・人間革命」より)

「昭和四十五年の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈(あっくめり)を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。
卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。
 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。
 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!
 信教の自由ではないか!
 社会の改革に奔走して、いったい、何が悪いのか!憲法に保障された、最も正しい人権闘争ではないか!
 勇気凛々たる中部の同志のスクラムは、敢然として、真っ向から、敵に火を吐く思いで戦い抜いた。
 何人かの臆病者は、逃げた。敵についた者もいる。

77 名前: 続76 投稿日: 2003/05/12(月) 16:10
しかし、今の大野和郎副会長を中心に、すべての真の同志は、未曾有の弾圧の嵐を堪え忍んで、遂に赫々たる太陽の昇るが如き、勝利の中部の堅塁を護り、盤石にしていった」
IDファイルはありません。)
 創価学会・池田大作さんの散文詩です。共産党の不破哲三さんが紹介したものです(笑)。

 むろん私は共産党は嫌いである。しかし,現在,政府与党に入り込んだ公明党=創価学会を正面から叩くのは共産党ぐらいのものであり,「毒をもって毒を制す」立場はぜひ必要であろう。
 これは池田大作さんが昭和45年=一九七〇年の言論・出版問題について,自分の心情を歌ったものである。
 前に書いたように,昭和45年=一九七〇年の言論・出版問題とは,創価学会=公明党が,藤原弘達さんの「創価学会を斬る」の出版を,当時の自民党幹事長田中角栄(その秘書の早坂茂三さん,反省しているか?(笑))に頼んで妨害・阻止しようとした事件である。当時,創価学会の組織内では,池田大作および創価学会批判の言論の自由は圧殺されていた。創価学会=公明党はそれをのぼせ上がって,社会全体へ拡大しようとしたのである。藤原弘達さんの勇敢な対応によって,池田大作および創価学会批判の言論の自由の圧殺は社会問題となり,池田大作・創価学会は猛烈な批判を浴びた。
 不破哲三さんによれば,当時,毎日,朝日,読売などの社説は次のようであったという。「毎日」一月十八日「言論出版妨害事件について」。「朝日」二月三日「公明党は徹底的に体質を改めよ」。「読売」二月四日「公明党の抜本的体質改善を」。「毎日」二月五日「公明党の体質改善に望む」。「読売」二月二十六日「議員“脅迫”問題を究明せよ」。「朝日」三月十四日「出版妨害問題の究明を要求する」。「毎日」三月十六日「“言論・出版の自由”究明を」。「読売」三月十九日「出版妨害問題の真相究明を」。
 これだけキャンペーンをやられてはたまらないであろう。当初,公明党・創価学会は、「出版妨害はデマだ」と北朝鮮と同じ白切りを行ったようだが,明白な事実だから,白を切れなくなった。で,その過程で,公明党=創価学会が,自分たちの信仰である日蓮正宗を国の宗教とする国教化をめざしており、国会の議決により「国立戒壇」を建立することを目的としていることも明白になった。他の宗教および宗教結社をすべて「邪宗撲滅」の対象とする記事も当時の聖教新聞には少なくなかった。これらいっさいが猛烈な批判を浴びたのである。
 そこで,ついに七〇年五月三日、池田大作会長が創価学会本部総会で「猛省」講演を行うにいたったのである。まず池田さんは、「言論妨害というような陰険な意図はなかった」,しかし,「これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと、猛省したい」と述べたそうである。
 しかし,こんなもの猛省だろうか?。事実,言論妨害をした組織が,あるいはさせた人間が「言論妨害をしました。おわびします」と言うのならともかく,「言論妨害したつもりはないが,そう受け取られたのならごめん」と言うのが「猛省」だろうか?。言論・出版妨害は,思想上の傷害行為である。事実,客観的にケガをさせた人間が,相手がケガをさせられたと思うのならごめんなんて言いぐさがあるだろうか?。事実,言論妨害をしました,すみません,もう二度としませんと言って始めて,反省であり,謝罪なのである。これでは金正日の拉致の謝罪と反省のレベルにさえ達していない。
 池田さんの血肉には言論の自由という規範がない。言論の自由は池田の規範ではないが,これだけ批判を浴びるのだから,一応配慮はします,もう二度とばれるような言論・出版妨害はしませんと言っているだけなのである。言論の自由に一応配慮します,あまり公然とは妨害しませんと言うのだって,進化と言えば進化だが(笑),揺り戻しの危険は高い。現在も創価学会組織の中で,いっさいの池田批判,池田に対する正面からの批判はもちろん,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判も許容されていない以上,揺り戻さないとすれば,組織の外の力関係によっているだけである。公明党の支持率3%ではむちゃはできなというだけのことである。池田に対する批判の自由が確立されない限り,創価学会は本質的に金正日の朝鮮労働党と同じ体質の組織であると言わざるを得ない。創価学会組織の中で,池田大作批判の言論を全面的に圧殺している以上,池田大作は社会的にはまだ少数派の金正日にすぎない。
 で,「戦う愛知の誉れ」における怒号となる(笑)。池田は全く「猛省」などしていないことが暴露されている。

78 名前: 続続76 投稿日: 2003/05/12(月) 16:11
池田,いいか,人間には言論の自由が食糧と同じほど必要だ。いや言論の自由などという固い言い方では不充分であり,何でもくっちゃべられる自由とでも言った方がいいほどだ。池田,おまえ何や,美食に耽ってぶよぶよの顔しやがって,それでも宗教家か,アホなどという言論を自由に言えないような組織は屑である。
 この散文詩の中で,人間にとってめしや命と同じほど大切な自由を妨害したことを批判されたことに池田大作は逆上している。もうそこに池田大作および創価学会のダメさ加減が暴露されているのである。人間にとってめしや命並みに大切な言論の自由を妨害したことに対する反省と謝罪が全くない。
 それほど大切なものを妨害したら,くそみそに批判されるのは当たり前である。何が「悪逆」だ,何が「狂気じみた悪口」だ,バカが。お前のした言論・出版妨害こそが,傷害・殺人と同等以上の悪逆なのであり,狂気じみた悪行なのである。国会喚問されるのだって当たり前である。おのれに恥じるところがないのなら,堂々と出ろ。大体,情けないではないか。日蓮なら,絶好の説法の機会と見なして喜んで出るのではないか。言論の臆病者め。
 誰も批判しない,誰も正面からの批判はもちろん,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判もしない。みんながあんたの奴隷,乞食として振る舞うような場でしかしゃべれない奴が,何が池田先生だ,アホくさ。
 「『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。」と?。お前がまず言論の自由に対して狂暴な侵害をした。では,逆襲は当たり前であろう。それに,他人のくっちゃべりを妨害する信教の自由なんかあるわけがねーだろ?。他人の自由を妨害し,圧殺しようとする奴には自由など与えられないのである。「最も正しい人権闘争」だと?。他人の人権を理不尽に侵害した奴は,人権の資格を剥奪されるのが当たり前なのに,池田大作は自己正当化に突っ走っている。
 言論の自由は空中でかまいたちのように侵害されるのではない。池田大作や金正日のように,自分に対する正面からの批判,皮肉,からかい,ヤジ,ちょっとした不平不満のような批判のすべてを許容できない不寛容な人間によって侵害されるのである。自己肥大が過ぎ,しかも実は自己のみみっちさを骨の髄まで知っていて自信がなく,他人からの批判のいっさいに寛容になれない男(女),これこそ自由と民主主義の不倶戴天の敵なのである。
 たしかに創価学会は現在,マスメディアの舞台上では随分と穏和なようである。しかし,組織という地下室では,池田大作批判の全面的,徹底的な圧殺が行われ,すべての成員が池田大作に対する奴隷・乞食として振る舞うことを要求されているというのが現実であろう。池田大作は猛省しなければならない。くっちゃべる自由を全成員に与えなければ,創価学会に未来はない。自由国家の中の,金正日の朝鮮労働党となるしかないのだ。
 くっちゃべるのが好きな創価学会の君,なんで池田大作の乞食や奴隷になってるわけ?
 で,老婆心ながら,不破哲三さん,共産党も大改革した方がいいと思うよ(笑)

ところで、公明党はどうでしょうか。1972年6月7日付の「公明新聞」には、北朝鮮に代表団を派遣して金日成(キム・イルソン)をほめたたえる共同声明がでています。北朝鮮の国際的無法が明らかになっていた時期でした。97年10月10日付の「公明新聞」には、金正日(キム・ジョンイル)総書記就任にあたって、礼賛の祝電を送っていることも報道されています。数々の北朝鮮の無法に批判の声もあげず、迎合を続けていたのは、公明党ではありませんか。さらに公明党は、85年に拉致事件の容疑者である北朝鮮の工作員が韓国で逮捕されたことに対して、容疑者の「釈放を求める要望書」に署名をしたり、97年12月東京都議会に出された拉致事件の解明を求める意見書に反対し、「韓国による北朝鮮への攻撃だ」という根拠のない北朝鮮側の言い分を代弁しているのです。公明党こそ拉致事件の解明に妨害的な態度をとってきたということではないでしょうか。

79 名前: SGI 投稿日: 2003/05/12(月) 22:19

名誉会長には、多くの「神話」や「伝説」がある。
学会員は、毎日のように40年間うわべだけの偶像神話を聞かされ、ウソも百遍聞かされると「本当かな」と思ってしまう。だが、これら「師弟神話」が、ことごとくウソ・誇張・歪曲であることを言及した。

 ○入信エピソード ⇒ ウソ >>30 >>31 >>33 >>46 参照
 ○出獄・入獄の7月3日 ⇒ ウソ >>15
 ○「大阪事件」 ⇒ 歪曲 >>15
 ○戸田先生の個人教授 ⇒ 誇張 >>15
 ○師弟年齢の一致 ⇒ ウソ >>47
 ○編集者生活 ⇒ 歪曲 >>47 >>74
 ○折伏の名手 ⇒ ウソ >>75
 ○教学神話 ⇒ 誇張 >>75

どうしてここまで「神話」を創作するのか。
詐欺師は、人をだます時、まず自分が信じ込み、その話を確信もって語るから、人はだまされる。つまり誠心誠意のウソをつくのである。今般の数々の宗門批判を語る幹部たちは、まさにその姿であろう。そして語っているうちに、そう思い込んでしまう。ウソが事実になっていくのである。

名誉会長や学会中枢には、「師弟神話」を創作・演出しなければならない理由がある。
それは、第三代会長誕生の経緯がいかがわしいからだ。
『人間革命』は、学会の真実の歴史を綴るものではない。単に自己顕示欲の業にとどまるものでもない。歴史を改ざんし、名誉会長と池田創価学会中枢の存在に正当性を付与するためのものだ。

池田大作・第三代会長誕生の経緯は、戸田先生の“想い”を裏切る「師敵対」行為にほかならず、それ故、覇権を握った名誉会長らは必死になって、その「師敵対」行為を誤魔化すために、池田大作を“特別の人”として宣揚し続けなければならないのだ。
現下の学会の“歪さ”の淵源は、池田大作会長就任にある。まさに戸田先生の予言「学会の敵は内部だよ」は至言だった…。

80 名前: Leo 投稿日: 2003/05/12(月) 23:21
名誉会長は国主ではないのだが学会が国家の中の国家であるならば国主に相当するであろう。
(本来ならば)すべての学会幹部・活動家は次の御書を心して拝すべきであると思う。
(でも、大方はなんちゃって仏法・ニセ仏法だから深く(正しく)考えないのかな..?)
「汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事佞臣の至り不忠の極りなり」
(「聖愚問答抄」、全集、p.493)
「汝忠を存ぜば諌むべし孝を思はば言うべきなり」
(同上)
「仏の正法を弘めん者経教の義を悪く説かんを聞き見ながら我もせめず我が身及ばずば国主に申し上げても
是を対治せずば仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人をもはばからず我もせめ国主にも申さん人は
仏弟子にして真の僧なりと説かれて候、されば仏法中怨の責を免れんとてかやうに諸人に悪まるれども
命を釈尊と法華経に奉り慈悲を一切衆生に与へて謗法を責むるを心えぬ人は口をすくめ眼を瞋らす、
汝実に後世を恐れば身を軽しめ法を重んぜよ」
(同上、全集、p.496)

81 名前: Leo 投稿日: 2003/05/12(月) 23:41
うっ、このスレは「池田大作作小説人間革命批判」だった...

82 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/12(月) 23:43
>>72
確か、森田理事長は、東大出身ではなかった。
戸田先生を囲んでの、法華経研究会のメンバーリストを御存知の方いらっしゃいませんか?

83 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 07:09
私の個人的意見としては、法難と自然現象とは、何の因果関係もないと思っている。
ところが、人間革命十二巻、涼風で、池田先生は、戸田先生の口を借りて、その因果関係を似非科学的分析によって説明しようとしている。
とすれば、あの雲仙普賢岳における大噴火も、仏教的因果関係で説明できるのだろう。
平成二年十一月に於ける池田先生の本部幹部会スピーチは、どう贔屓目にみても、品性低劣な宗門批判に終始していた。そして、それに呼応するかのように翌日、雲仙普賢岳が大噴火を起こしたのである。
あの大火砕流の衝撃は、未だに私のみならず、多くの日本人の記憶に生々しく残っている。
そこで、人間革命の戸田先生(池田先生の分身?)の噴火と法難の因果関係の高説(珍説?)を引用してみる。
p12、13
『戸田城聖は、浅間山の山頂を仰ぎながら言った。
「この天明三年の浅間山の大噴火は、その後、何年間にもわたって、大飢饉をもたらし、日本国中の人びとを苦しめることになる。....................不思議なことには、そのころ、日蓮正宗の歴史のなかで、法難がもっとも集中して起こっているのだよ。」
...............
まさに、弘法の芽が、無残にも摘みとられていった時代であった。
戸田は、感慨深く頷く伸一に言った。
「............
しかし、こうした現象が起きなければ、謗法に気ずかないのだから愚かな話だ
結局、噴火は、諸天の怒りの表れかもしれない。」』
この珍説に忠実に従えば、創価学会による宗門の迫害が、雲仙普賢岳における大噴火を誘発したのは、明らかなのだ。
とすると、創価学会は、その甚大な被害額を負担する用意があるというのだろうか?
更に、その珍説に従うならば、五年後の淡路関西大震災も創価学会の宗門迫害が因となっている。
さらに更に言うならば、バブル経済の崩壊に続く、平成大不況もすべては、創価学会=公明党の宗門迫害が遠因(直接の因か?)となっているのだ。
正に、恐るべきは、池田創価学会と言える。
面白いのは、こうした墓穴を掘ったような人間革命の記述は、第十巻にも登場する。
乃ち、第十巻には、ある幹部が、御本尊を勝手に作成した謗法の報い故か、胃穿孔(いせんこう)で悶死したとある。とすると、後継者と目された池田家の次男城久氏の胃穿孔(いせんこう)による悶死は、猊下による許可を得ずに作成した板本尊模刻による、父親の謗法の報いなのは明らかとなる。
まさに憤版ものだ。

84 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/05/13(火) 07:18
>>82
東大出が鶴見区役所や横浜市役所勤務ってのも珍しい(W

85 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:36
>>83続き
テーマ 池田城久氏の胃穿孔(いせんこう)は、父親の謗法の報いだろうか?
誰であれ、死者を侮辱するようなことはしたくない。
尤も、池田先生は、ちょっと違っていたようだ。
長年、奴婢のように仕えた北条浩第四代創価学会会長が亡くなった時は、
「暑い時には、死ぬのは止めようよ」
などと、ブラックユーモアで周囲の重い雰囲気を和らげてくれたし、戸田第二代会長が亡くなった時も、
「戸田先生も良い時に死んでくれたよな?」などと、
真意を計りかねるジョーク?を放ってくれた。
自分の次男が亡くなった時は、どんなブラックユーモアを放ったか、興味あるが、それは、聞かない。それは、さしずめ
「やっぱり、親の因果が子に報いるって本当だったんだな〜」と言った所だろう。
原島崇著
「誰も書かなかった 池田大作創価学会の真実」の中で一つだけ大きな間違いがある。
それは、池田博正が世襲の下準備の為に米国留学を試みたが失敗した、とする記述だ。
そこは、そのまま次男城久に入れ替えるべきだ。
池田先生の城久氏への期待は、並み大抵のものではなかった。
これは、余談だが、池田先生の元恋人の道子の息子にもこの名前を送っている。
周りから勘繰られないわけがない。
城久氏は、第三期生として、創価大学に進学している。
それがどういうわけか、彼等(三期生)は、自分達を特別だと思い込み、自分達を称して「本門の一期生」などと卒業文集や決意文に書いている。
そうすると、創価大学一期生は、迹門(しゃくもん)の一期生というわけだ。ばかにした話だ。
外部の人の為に説明すれば、本門=本当の 迹門=仮の
みたいな意味合いだ。
池田先生自身、三代目会長就任後、「本門」の広宣流布の指揮を取る、などと嘯いた事がある。先師への侮辱だ。「気概」などという言葉で誤魔かせまい。
その本門の一期生だが、普通なら殆ど下付されない、「お守り御本尊」が卒業の際、全員に配付された。
今から考えれば、あれも一種の偽御本尊だったのは、確かだ。

86 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:40
『普通なら殆ど下付されないお守り御本尊」』ーー1977年当時
続1
そんな城久氏の米国留学は、99%決まっていた。ところが、当時のMR。ウイリアムス氏の不手際で実現されなかった。
もし実現していれば、ひとまず米国理事長に就任して、創価学会会長かSGI会長への足がかりとする予定だった。
本格的世襲は、後の課題だった。
娶った妻も第一庶務出身の超美人だった。
そんな何もかも揃った環境で、帝王教育を受けて育った城久氏だったが、「普通なら死ぬ筈のない」胃穿孔というストレスが原因の病気で呆気無く他界してしまう。
それは、胃に孔があき、出血多量で死ぬ病気だ。文字通り悶死する。
そんな超エリートの城久氏が、米国を訪れた際、創友会で迎えたことがあった。将来、理事長に就任する為の下準備という噂だった。
城久氏への取り扱いは、完全に「池田先生名代」としてであり、創友会メンバーの緊張感は並み大抵のものでなかった。
そんな超大物であったのに、あっけなく27才の若さで亡くなってしまった。
対応した病院『創価学会系)の不手際が原因だった。
医療事故といってもよかった。
創友会メンバーの失望感も大変なものだった。

87 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:44
続2
質問『胃穿孔というのは、通常命取りになるものと聞き及んでおるのですが。』

確かに、急性の場合命取りになる。
というより、殆ど急性だ。しかし、一昔前なら別だが、救急医療の設備が整った病院に搬送され、緊急手術を受ければ、大体助かる。
心筋梗塞、脳溢血、自殺による出血多量など何れも、時間こそが生死の境を決する。
そんな中、日本では、ベット不足の為、救急患者の受け入れ拒否が時にあるという。信じ難い話だ。それらは、医療過失というより医療殺人と呼ぶべきだ。
城久氏の場合も、救急病院で受け入れを拒否された事もあり得る。
しかし、見るから緊急手術を必要としている患者を突き返すことはないと思う。
真相は、学会関係者が、異常事態を外部に漏れるのを恐れたのと、事態を軽く??見過ぎて、患者を学会関係医院に搬送した為、手当ての遅れで、死亡させてしまった。どういうわけか、適切な処置を施さずに何日間も入院させていた。そして、何と、そこの専門が何と、産婦人科だったというから、呆れる。
確かに、産婦人科医といえど、一応内科も診療していた。治療できると思ったのかもしれない。
しかし、緊急患者の場合、やはり設備が整っていないと万一の時がある。判断ミスでは、言い訳にはならない。
日本でも、米テレビ番組ERが放映されているらしいが、救急医療の現場は将に戦場だ。医療活動になくてはならない施設だ。
そんな基本的な状況判断の間違いで、城久氏は悶死してしまった。
それも、搬送先では、どういう訳か、偽名を名乗らされていた。
文字通り、父親の宿業の犠牲になってしまった、哀れな後継者であった。

88 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/13(火) 11:52
続3
さらに余談だが、池田城久氏が池田先生の後継者となる為の布石として、
御学友グループなるものが結成されていた。
池田家の面々は、日頃から自分達が特別だと思っていたらしく、何かと、「皇族」めいた名称を好む傾向があった。
一番下らなかったのは、天皇家を真似た、この一家との園遊会が屡持たれたことだった。バカバカしかった。
御学友グループは、本当の意味で城久氏と学友だったわけではなく、創価大学出身者の中で、特に優秀なものだけを集めた、城久氏支援グループと呼ぶべきものだった。
一期生から、八期生までと幅広い。米国留学生も何人か含まれていたのは、興味深い。
これは、明らかに創価学会内に派閥を創ろうとする動きで、とんだ庶民のリーダー達の誕生だった筈だ。
ところが、当の城久氏が急死した為、同グループは自然解散となった。
私は、常々こうした創価学会にある衆愚支配的傾向を快く思ってこなかった。
一度、池田先生が来米した際、「君達は庶民の味方になりなさい」というメッセージが創友会のメンバーに伝えられた。
その時、私が思ったのは、「こいつら自分達を何様だと思っているんだろう」だった。
バカばっかりなのに、会員達は、いい迷惑だ。

89 名前: 会員x 投稿日: 2003/05/13(火) 11:57
人間革命批判資料編
創価学会 池田大作の著書より
 >みなさん方は広宣流布といえば、なにかお祭りのことばか、ひとつの理想と
思っているのです。『一生懸命、広宣流布とは言うけれども、話だよ』と
心のなかで思っている人がいるのではないかと思うのです。ということは、
会長先生が、ニ、三年前におおせになったことがあるのですよ。『諸君らは、
それを本気に思えないのだろう。絶対そうではないよ。もしか、広宣流布が
できなかったら、日本は滅亡ですよ。世界の滅亡ですよ。仏さまのおおせに
なったことは、ウソになるよ。』と。
 仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。
仏さまです。きちんと二十一年先を目指して、そうおおせになったのだもの。
先生が四年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。
聞いておけよ。あと二十五年だよ』とおおせになったのだから。それから四年目だから、
ちょうど二十一年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。>
『会長講演集 第三巻』 昭和36年11月5日初版発行 P317より。
これは昭和33年9月14日に行われた講演なのですが、
これから二十一年後に創価がどうなっていたかを調べたらびっくり!
池田先生が第三代会長を辞任した年でした。前年にはあの「お詫び登山」
やってるし…広宣流布どころか内紛を起こしてましたよ。
池田先生の虚言壁が証明されました。

90 名前: SGI 投稿日: 2003/05/13(火) 20:11
>>82 yuriko さんへ

1)森田理事長の件
 森田理事長は、中央大学の夜間です。
 理事長の父・悌二氏が戦前からの会員で、戦争中、横浜・鶴見区に疎開。戦後昭和21年夏、戸田会長が座談会を復活されると、森田宅も会場となり、森田理事長は戸田先生の薫陶を受けるようになりました。

2)法華経研究会の件
 「法華経研究会」が具体的に何を指しているのか判然としません。
 が、記録によれば、戸田先生は昭和21年元旦から法華経講義を始められております。
 第1回法華経講義は、21年1月1日〜3月28日で、受講者は、戦前の学会の経済人グループ「生活革新倶楽部」のメンバー4人。岩崎洋三、西川喜方、本間直四郎、藤森富作の各氏。
 第2回法華経講義は、同年4月12日〜9月で、奥山和平、矢島周平、原島宏治、小泉隆、辻武寿、小平芳平、柏原ヤスの7名が受講。戸田先生は、このメンバーの終了式に、わざわざ鶴丸のバッチを作って一人ひとりに手渡しました。このバッチが、後に学会の会員章にもなったのです。
 そして、全員に歌を歌わせ、知っている気に入っているものがあれば合唱させたそうで、これが(戦後の)学会の会合で歌を合唱するようになった最初の日だと伝えられております。
 池田名誉会長は、昭和23年9月からの第7期法華経講義の受講生です。
 法華経講義は、戸田先生の理事長辞任まで続けられました。戸田会長の事業破綻は、この法華経講義に原因があったと、25年11月の第5回総会で総括されております。

91 名前: SGI 投稿日: 2003/05/13(火) 20:17
追記
第7期法華経講義の受講生は、約50人。
法華経講義は、第5期から毎回50〜60人位を対象として、西神田の学会本部が会場です。

92 名前: Leo 投稿日: 2003/05/14(水) 00:04
>>90 >2)法華経研究会の件
(ご参考)
東京大学関連としては、東京大学法華経研究会という東大生の創価学会サークルが
ある(あった)そうです。(又聞きですが...ソース提供の方に深く感謝します)

ちなみに東京大学法華経研究会は『日蓮正宗創価学会』(山喜房仏書林、1962年)
という書籍を出版したとのことです。研究会メンバーと直接関係ないのでしょうが、
蒼蒼たるメンバーが寄稿されています。(以下、敬称略)
序文
小口偉一
第一部
池田大作、原島宏治、秋谷城永(栄之助)、北条浩、黒柳明、鈴木一弘、
森田康夫、矢追秀彦、辻武寿、石田次男、篠原誠、高松和男
第二部
小平芳平、多田省吾、渡辺城克、柏原ヤス、中西治雄、渡辺通子、
竜年光、牛田寛
付 創価学会に期待する (寄稿者多数!)
池田勇人、佐藤栄作 (当時の総理、与党・野党の政治家)、(当時の都知事)、
(会社社長)、藤原弘達 (政治評論家)、(新聞記者)、(大学教授)、(芸術家)などなど

昔は学会は期待されていたのですね...
(寄稿者の中には後に学会を糾弾する竜氏、藤原氏も含まれています)

93 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 00:35
>>92 Leoさんこんばんは。

ちょっと整理させて下さい。
小口偉一氏は『日蓮正宗創価学会』に序文を寄せていますが、

>第一部
>第二部
>付 創価学会に期待する (寄稿者多数!)

こちらは『創価学会の理念と実践』(秋谷城栄、鳳書院、1964年)です。
なお、『日蓮正宗創価学会』(東大法華経研究会、山喜房仏書林、1962年)は
後に『創価学会の理念と実践』と改題され第三文明社から刊行されますが、中身は
秋谷版『創価学会の理念と実践』が論文集だったのに対して第三文明版は『折伏教典』
『創価学会入門』といったテキストとなっています。

94 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 00:41
[参考]『日蓮正宗創価学会』(東大法華経研究会、山喜房仏書林、1962年)

第一編 仏教流布の歴史
第二編 日蓮正宗の歴史
第三編 日蓮正宗の教義
第四編 生命論と幸福論
第五編 創価学会と折伏
第六編 創価学会の発展
第七編 王仏冥合と創価学会

そして巻末に小口偉一氏が「『日蓮正宗創価学会』について」と題する序文を
寄せています。

95 名前: Leo 投稿日: 2003/05/14(水) 00:43
>>93 ROCKさん、こんばんは。
フォローありがとうございます。

『日蓮正宗創価学会』(東大法華経研究会、山喜房仏書林、1962年)
>序文
>小口偉一
(論文集)

『創価学会の理念と実践』(秋谷城栄、鳳書院、1964年)
>第一部
>第二部
>付 創価学会に期待する (寄稿者多数!)

ということですね。

96 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 00:45
[参考]『創価学会の理念と実践』(秋谷城栄、鳳書院、1964年)

第一部
真実の宗教(池田大作)
宗教と政治理念(池田大作)
現代人の生活と宗教(原島宏治)
人間革命論(秋谷城永)
地球民族主義と世界平和(北条浩)
第三文明小論(黒柳明)
大衆福祉への新社会主義(鈴木一弘)
科学と宗教の間(森田康夫)
生命哲学と現代の医学(矢追秀彦)
道徳教育と宗教(辻武寿)
現代哲学界の根本課題(石田次男)
真理の探究と価値観(篠原誠)
新しい時代の経済理念(高松和男)

第二部
民主主義の原理と仏教(小平芳平)
広宣流布と信仰の自由(多田省吾)
現代ファシズム観を批判する(渡辺城克)
創価教育学の理念と実践(柏原ヤス)
青年部の実践運動(中西治雄)
個人の信仰と家庭革命(渡辺通子)
公政連と地方議会の実態(竜年光)
東洋学術研究所の成果(牛田寛)


創価学会に期待する
創価学会の略年表

97 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 00:48
[参考]『創価学会の理念と実践』(秋谷城栄、鳳書院、1964年)
―「創価学会に期待する」寄稿者一覧

池田勇人(内閣総理大臣)
河野一郎(建設大臣)
佐藤栄作(衆議院議員・自由民主党)
藤山愛一郎(衆議院議員・自由民主党)
中曽根康弘(衆議院議員・自由民主党)
江田三郎(衆議院議員・日本社会党)
赤松勇(衆議院議員・日本社会党)
西尾末広(衆議院議員・民主社会党)
永松英一(衆議院議員・民主社会党)
須藤五郎(参議院議員・日本共産党)
東竜太郎(東京都知事)
工藤昭四郎(東京都民銀行頭取)
村野辰雄(三和銀行専務取締役)
中村一策(日本勧業銀行頭取)
宇佐美洵(三菱銀行頭取)
清水康雄(清水建設株式会社社長)
大林芳郎(大林組社長)
御手洗辰雄(政治評論家)
藤原弘達(政治評論家)
大熊信行(神奈川大学教授)
斎藤忠(ジャパンタイムズ論説委員長)
富重静雄(朝日新聞記者)
渡辺恒雄(読売新聞政治部記者)
山岡壮八(作家)
平林たい子(作家)
古田重二良(日本大学会頭)
平沢益吉(東京都医師会医道審議委員)
藤田承吉(東京慈恵会医科大学助教授)
岩井津一(東京工業大学助教授)
根本誠(早稲田大学教授)
植田勇(大阪府立大学教授)
山崎鋭一(コレジ・ド・フランス研究員)
船越玲子(声学家)
和井内恭子(創作・インド舞踏家)
川村深雪(ピアニスト)

上記がLeoさんの言われるところの「付 創価学会に期待する (寄稿者多数!)」
ということです。

98 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 00:53
>>95 Leoさん、こんばんは。

>『日蓮正宗創価学会』(東大法華経研究会、山喜房仏書林、1962年)
>>序文
>>小口偉一

ここまではOKです。>>95を参照されて下さい。

>(論文集)

論文集というのは秋谷氏の『創価学会の理念と実践』の方です。
『日蓮正宗創価学会』は東大法華経研究会が編纂した『折伏教典』『日蓮正宗
教学小辞典』のようなものと考えると分かり易いかもしれません。(>>95

>『創価学会の理念と実践』(秋谷城栄、鳳書院、1964年)
>>第一部
>>第二部
>>付 創価学会に期待する (寄稿者多数!)

>ということですね。

そうです。

私の説明不足でしたm(__)m

99 名前: Leo 投稿日: 2003/05/14(水) 01:04
>>98 ROCKさん。
内部に聞いてもなかなか出てこない学会の昔のことをパッと答えて貰える
のでありがたいです(スッキリします)。

>『日蓮正宗創価学会』は東大法華経研究会が編纂した『折伏教典』『日蓮正宗
>教学小辞典』のようなものと考えると分かり易いかもしれません。

ということは『日蓮正宗創価学会』は『折伏教典』『日蓮正宗教学小辞典』のように
理論的根拠に無理のある内容を含むということでしょうか。
私は、『折伏教典』『日蓮正宗教学小辞典』は根拠のない他宗の非難を
含んでいますし、(現代から見て)通仏教や通日蓮的に?な内容も含むと思って
いるのですが...

100 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 01:17
>>99Leoさん

>ということは『日蓮正宗創価学会』は『折伏教典』『日蓮正宗教学小辞典』のように
>理論的根拠に無理のある内容を含むということでしょうか。

今、『折伏教典』(1961年校訂三版)と『日蓮正宗創価学会』を簡単に比較してみましたが
全体的に同じですね。
違うところは『折伏教典』が激烈な言葉が目立つのに対して、『日蓮正宗創価学会』は比較的
控えめな論調となっているという感じでしょうか。
ここから私の推測ですが、『折伏教典』が内部向けであり、『日蓮正宗創価学会』は外部向けの
出版物だったのではないかと思うのです。
ですから、創価学会系の出版社を使わずに仏教専門書の山喜房仏書林を使い、創価学会という編著
者名を使わずに東大法華経研究会としたのではなかろうかと思うのです。
つまり、第三者が書いた創価学会論評本(?)であると世間に思わせたかったのではないかと推考
します。

101 名前: Leo 投稿日: 2003/05/14(水) 01:45
>>100 ROCKさん、了解しました。
(スレの趣旨からはずれてしまいますが続けさせてください。
お願いします。> スレ主さん)

(『日蓮正宗創価学会』)、『折伏教典』、『日蓮正宗教学小辞典』、『創価学会入門』
の流れ(教義)と学会の現状を比較すると、学会が戒壇の大御本尊から離れて10年以上経過
しているの何ともないのは奇異に思います。
(個人的意見としては)日蓮正宗との関係をはっきりと絶つならば、教義的には通仏教
ないしただの勝劣派になればよいのではないかと思います。

102 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 01:52
>>101Leoさん

>(個人的意見としては)日蓮正宗との関係をはっきりと絶つならば、教義的には通仏教
>ないしただの勝劣派になればよいのではないかと思います。

Leoさんの御意見に賛同いたします。
学会の書物を見ているとふと、日蓮宗に近くなってきたなと思うときもあります。
おそらく、これからもいろいろな変遷があるでしょうけれども最終的にはLeoさんが
指摘されるようになるであろうと思っています。

103 名前: Leo 投稿日: 2003/05/14(水) 02:03
(昔の教義を引きずっているのならば)学会員の多くは日蓮宗に負けたくないのように思って
いるのかもしれませんが、日蓮聖人直結を目指すならば必然的に勝劣派に戻るのでは
ないでしょうか。

うまく喩えるのが難しいですが...日蓮宗の方が1+1=2 と言っているが
(それにそれは正しい)、でも学会は悔しいから1+1=3 なんてやっていたら
おかしいですよね。

104 名前: SGI 投稿日: 2003/05/14(水) 20:36
>>94
そうですか、巻末に小口先生が序文を寄せているのですか…。
私の手許にあるのは、
『日蓮正宗創価学会』(東大法華経研究会、山喜房仏書林、1967年)で、
改訂版のためか、和泉覚理事長(当時)の「改訂版の序」があるだけです。
…残念です。

改訂版の「はしがき」には、公刊の目的について
「旧版はそれらの悪質な宣伝に対して、これを打ち破り、創価学会の正しい姿を示すというねらいをもっていた。しかし、その後、一般の関心は量的にも質的にも大きく変容してきている。全く無認識な評価や悪宣伝は次第に姿を消し、真剣に人生を考え、真の仏法を求めようとする人々が多くなってきたのである。本書が、そうしたまじめな人々、とくに若い世代の青年、学生の方々の人生探求の手引きとして読まれるならば望外の幸せである」と記されております。

105 名前: ROCK@日蓮宗葵講 投稿日: 2003/05/14(水) 23:45
>>104 SGIさん、はじめまして。

小口氏は「『日蓮正宗創価学会』について」と題する序文の中で次のように記しています。

──────────────────────────────────────
東大法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』という書物を刊行するので、何か序文にあたる
ものを寄せてほしいという依頼があるまで、私は、こうした研究会の存在を知らなかった
し、ましてそれが、東京大学に在学する創価学会会員の学生によって構成されていること
も知らなかった。おそらく同じ大学に勤務しているということを機縁に、私への依頼とな
ったのであろう。だが私は、法華経研究の専門家ではないので、いちおうおことわりした
のであるが、宗教学を専攻して、創価学会についてもこれまでにいろいろ書いているのだ
から、といわれてみると、感想のようなものなら書けないものでもなく、逆にこちらから、
創価学会の若い人々に注文したい点をあげておくのもよいと思った。

(「『日蓮正宗創価学会』について」『日蓮正宗創価学会』 p1[巻末]、1962)
──────────────────────────────────────

小口氏は私の知りうる限りでは創価学会に関して次のような著作を出しています。

○『宗教と信仰の心理学』(小口偉一他、河出書房、1956年)
○『創価学会』(小口偉一・佐木秋夫、青木書店、1957年)

こうした創価学会を扱った著作を発表していること、同じ東大ということから小口氏に
序文を依頼したものと思います。

106 名前: SGI 投稿日: 2003/05/15(木) 00:31
>>105 ROCK@日蓮宗葵講 さん こちらこそ、初めまして。
 小口先生の序文、わざわざのレス 誠にありがとうございます。
 今後も何かと機会があればご教示願います。よろしく。

>>79 自己レスの続き
 
 名誉会長は、>>47 >>74 に記したように、財力と気配りとはったりで会内での序列をのし上がる。
 ついに昭和29年3月、翌年の統一地方選への挑戦=政界進出を念頭に、青年部組織の改変=1支部1部隊制に伴い参謀室が新設された。名誉会長は、自ら進んで青年部参謀室長のポストを買って出た。と共に、対外折衝を担当する渉外部長に就任し、中枢幹部入りを果たす。

 29年末の学会世帯数は、約16万世帯。毎月1万世帯が入信するという、怒涛の「折伏大行進」が全国で繰り広げられていた。当然、既成宗派等との軋轢を生み、しばしばマスコミにも取り上げられるようになった。「暴力宗教」キャンペーンなんかもあったという。
 そこで対外折衝の担当者として、戸田会長の下で働き、金融の世界に生き、世知に長け、人当たりが良く、外交(営業)の才能があった名誉会長こそが適任とされたのである。つまり、選挙と対外折衝のためにポストが与えられたのである。

 中枢幹部入りした名誉会長は、小樽法論の司会者を務めたり、30年春の地方選や31年の参議院選挙で役務をこなし、幹部としての足場を固める。そして参謀室長の立場で、青年部内に池田派ともいうべき集団を形成していく。名誉会長は「俺は戸田親衛隊長だ」と広言し、どんどん参謀室が青年部全体の運営にも関わるようになっていったのである。

 戸田先生の組織運営は、名誉会長のような一切合財「報告書」に認め指示指導を仰ぐというものではなく、基本方針を示した後は、いつも野放しで、担当者や役務者の勝手にやらせ、脱線するとコラーッと叱りながら、手綱を引くというもの。

 それをいいことに名誉会長ら参謀室は、辻青年部長や牛田男子部長の意向を無視し、「若人の祭典」とか体育大会、男子部1万名登山等のイベント開催を積極的に行った。
 名誉会長は、年齢や入信年月が近い参謀室の面々や古参の部隊長には“兄貴風”を吹かせ、それ以下の部隊長や幹部・部員には“親分風”を吹かせ、青年部の実質運営者は池田参謀室長との構図を作り出したのである。なにせ誰よりも、金力と気配り・はったりに富むのだから、右に出る者はいなかった。

107 名前: SGI 投稿日: 2003/05/16(金) 00:32
 前レス>>106の続き
 さてさて、青年部クーデターに話を戻そう。

 名誉会長は、戸田会長逝去後、渉外部長を辞任するものの青年部参謀室長のまま、総務に就任する。
 だが総務職の規定は、当時の学会規則にはなく、その権限も定められておらず、法的にも組織機構的にも“幽霊職”のままだった。既成事実の積み重ねだ。

 >>14 で記述したように戸田会長の生前中は石田次男氏が後継者と目されていた。
 また、戸田会長の逝去後は「戸田先生の七回忌までは会長不在」というコンセンサスが中枢幹部らにはあった(>>13 参照)。信徒団体なのだから、御法主上人猊下を師と仰ぎ、まとめ役としての理事長がいればいいのであって、急いで会長を選出することもなかろう、との意識もあったのである。
 
 にもかかわらず、名誉会長は野心達成のために、この総務と参謀室長の立場をフルに利用した。
 まず、無規定の総務職を選挙対策の責任者のように見せかけ、参議院選挙を取り仕切ることで、会長就任への工作を行う。つまり、最大のライバル・石田次男氏を昭和34年の参議院選に立候補させ、学会内での要職を失わせると共に、反池田派と目される先輩理事らに議員職を与え、会内での影響力を削いだのである。

 また、戸田先生の遺産整理を担当し、個人名義の資産をも学会の帰属にし、池田派の多数派工作に流用(着服もあったかもしれない)。香典も、北条浩会長の時と同様に、学会葬ということで、一部を除き遺族に渡さず学会会計に組み入れる。

 名誉会長は、戸田会長の事業・高利貸し業に従事していた時から、大変な高給取り(>>47 参照)。当時で月額20万円以上とさえいわれている。その上、当時の学会では資産家といわれた白木家との姻戚関係を持ち、さらに政商・塚本素山氏とも親しかった。
 こうした財力にものを言わせ、青年部幹部らの歓心を買い、参謀室を足がかりにして、選挙戦を仕切ることで、参謀室を青年部機関から学会総体の機関に引き上げて、覇権をめざしたのである。

108 名前: SGI 投稿日: 2003/05/17(土) 23:32

 組織ライン(本部−総支部−支部−地区−班−組)でもなく、壮・婦・男・女の四者でもなく、また本部事務局や『聖教』『大白』、教学でもない、それ以外の業務を担当するといった意味合いで「総務」というポストが生まれた。したがって、組織機構上の位置づけも、権限も、具体的な担当業務も、何も規定せず、ただポストだけが名誉会長のために新設されたのである。

 名誉会長は、大蔵商事の仕事(>>47 参照)を部下の中西治雄氏に任せ(役員に昇進し現場から離れる)、この無規定の「総務」に専念する形で、24時間“本部幹部”として専従する立場を得た。責任役員でも理事でも部長でもなく何の権限もないのに、専従職員や職業幹部がほとんどいなかった学会本部において、無規定であるが故に何でもできる状況が、全レス>>107のような行動を可能とした。小泉隆理事長は「実権を取られた」とボヤいたという。
 
 総務職が正式に規定されたのは、1年余後の昭和34年6月。「理事長の下に理事室を代表して事務局及び各部を統括する」というもの。これは、実質的にナンバー2を意味する。しかも、新任の理事が理事室を代表するという破天荒な人事であるばかりか、その理事室の代表者が法的には何らの立場を有していない(責任役員には未就任)という代物なのだ。

 この時の組織改革は、青年部参謀室が理事室入りを果たしことを意味する。かつ、学会事務局には北条浩と森田一哉が局長・次長に就き、『聖教新聞』編集長と青年部長に秋谷城永(後に栄之助)、男子部長に多田省吾、女子部長に湊時子(現姓・多田)が就任。まさに青年部池田派の主要ポスト制圧であった。

 新たに理事になった4名〔池田大作、北条浩、森田一哉、竜年光〕は、宗教法人法に基づく責任役員にはつかず、理事と責任役員は同一という、それまでの原則が崩れた。また、代表役員代務者だった小泉隆理事長は正式に代表役員となり、法的には創価学会の第三代会長となっている。これは、青年部池田派の行動をよしとしない者たちの抵抗を示す。法律上の権限=“名”は渡さないという手段に出た。

109 名前: SGI 投稿日: 2003/05/17(土) 23:33

第三代会長選出をめぐる経緯は、けっして伝えられているようなキレイ事ではない。
 実質的には、名誉会長と青年部参謀室によるクーデターである。彼らの権謀術数は、常に“名”を捨て“実”を取り、やがて“名”を整えるというやり方だ。「勝てば官軍」という覇道であり、王道ではない。

 名誉会長の野心は、現学会首脳である当時の青年部幹部・池田派による、学会最高幹部の代替わりによって達成されたのである。戸田先生に早くから大抜擢され、理事に就任(戸田生前中の唯一青年部出身理事)していた石田次男氏は、この代替わりの際、古参幹部陣に繰り入れられ、参議院議員に棚上げられてしまった。石田氏に対する妬みもあったのだろう。また、石田氏や小泉理事長らは、青年部池田派のように権謀術数の資質を持たなかったのである。

 「三代会長は戸田先生の七回忌後」というのがコンセンサスだった(>>13 参照)。なのに、総務の名誉会長だけは「早く三代会長を実現しないと戸田先生のご意思に反する」と主張。このドグマに青年部幹部(池田派)が同調し、名誉会長を押し立てて、一気に世代交代を図ったのが真相だ。34年6月の組織改革で、事は決したのである。

110 名前: Leo 投稿日: 2003/05/18(日) 00:58
>>109 >第三代会長選出をめぐる経緯は、けっして伝えられているようなキレイ事ではない。
この件でも、「民は知らしむべからず、よらしむべし」ということだったのですね...

111 名前: SGI 投稿日: 2003/05/19(月) 00:17
>>109 自己レス続き

 昭和33年3月、総本山で起こったことは、あまりにも生々しい。
 名誉会長は、死の床にあった戸田会長を蔑ろにし避けながら、悪辣非道の事を行い、青年部幹部らに後継者であることを印象付けていく。小説『人間革命』は、脚色・誇張・すり替え・捏造に満ちている。
 当時の中枢幹部や青年部幹部ら数名から、知られざる多くの事実を聞いたのだが、いかんせん直接体験したわけではないので、ここでは明らかにできない。外形上の名誉会長のポスト遍歴や組織改革を中心に、第三代会長選出が「青年部クーデター」であることを記している。

 昭和35年5月3日、第三代会長に就任した名誉会長は、腹心の北条前会長を新設の副理事長にすえ、本部事務局は森田、『聖教』と青年部は秋谷、渉外・広報は藤原行正元都議、出版は中西治雄元総務といった具合に側近で固める。というよりも、青年部池田派が要職を独占し、池田大作を表にした「学会中枢」を作り上げたのである。

 そして、小泉理事長を本部最高顧問に、和泉覚理事を文化部最高参与に、石田氏を副指導部長に、辻武寿理事や柏原ヤス理事を参議院議員へ、それぞれ戸田先生の下で学会再建に尽くした草創の先輩幹部をことごとく主要ポストから外していった。

 責任役員の枠も7名から15名に増設し、旧理事7名と同数の新理事7名を任命。責任役員会の過半数を制する。なお、名誉会長はそれまで一度も法的には登場したことがなく、ここで突如、責任役員および代表役員となる。その後36年7月に、責任役員は秋谷現会長を筆頭に一挙に14名が加わり、さらに翌年2名が追加され、名実共に「池田政権」は確立していくことになる。
[続く]

112 名前: SGI 投稿日: 2003/05/19(月) 00:19
>>111 続き]
 こうした青年部池田派の行動に反旗を翻したグループがある。
 蒲田支部や大阪支部の支部幹事、男子部部隊長などが、名誉会長の第三代会長就任にまつわる全てを「汚い」として、『顕徳会』と名乗る分派を結成。この旗揚げは、名誉会長の蒲田での言動や、大阪での選挙活動、青年部池田派の秩序破壊などを踏まえてのことだった。

 対する学会中枢(池田派)は、学会除名と、宗門に働きかけて『顕徳会』の不認知・破門で抗した。正宗からの破門は、当時の信徒にとって、何よりも堪えがたい措置である。こうして造反運動はつぶれた。
 学会再建に尽くした古参幹部らは、名誉会長や青年部のクーデターに不満を抱いても、反旗を翻すことはできなかった。戸田先生の「譲る会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ」との言葉に縛られたのである。
また、反乱に失敗し生活を破綻させ、かつ正宗からの破門への恐れもあった。あるいは議員という栄誉や会員からの信望も惜しい、との人情もあったのであろう。さらに、学会総体の躍進は凄まじいものがあった。目覚しく発展していく学会を前にすれば、青年部池田派の行いを認めざるをえなかったともいえよう。

 一方、青年部池田派はクーデターを正当化させるために、会内で「池田大作」の宣揚を積極的に進めた。「戸田−池田の師弟神話」(王権神授説)など、デッチあげとすり替えの神話・伝説作り、指導者として「類まれなる人物・池田大作」の演出、はては「会長帰命説」に至る法義利用等々、会員の間に“池田大作絶対”の雰囲気を醸し出し、幹部らの造反を防いだ。この手法は今日まで続いている。
 「池田政権」は、多少の揺り戻しはあったものの、昭和40年頃までには安定確立し、41年5月の「学会規則」改定では、会長の任期を終身とする独裁体制を完成させたのである。

113 名前: yuriko 投稿日: 2003/05/19(月) 00:31
人間革命10巻批判
この巻は、いよいよ池田先生のスーパーヒーローぶりが顕著になる。
それまでは、師弟の道は、強調されても、それは、他の会員も範としていける性質のものだった。
しかし、ここで登場する師弟の道は、師弟不二となり。ダライラマもびっくりの、師から弟子への魂の不思議な伝達が行われる。
『ただかろうじて山本伸一だけは違っていた。>>>>その彼の作戦の根本は、戸田の指針とまったく同一であった。不二であった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力はすでに不必要であった。』(一念62p)
ここで来ると感心を通り越して滑稽である。
池田先生は、よく自分のスピーチの仲で、前後の脈絡や、何時、何処でも説明もなく、「戸田先生は、〜〜の指導をしたことがある」とすることがあるが、それは何の事はない。「自分は、戸田先生そのものなのだから、戸田先生が自分の口を使って指導しているのだ」という意味だ。
恐山(青森)の「いたこ」も真っ青の死者の霊を自由自在に操る術を、池田先生は、何時の間に身に付けたのだろう?

114 名前: 訂正 投稿日: 2003/05/19(月) 00:35
>>113
池田先生は、よく自分のスピーチの仲で

池田先生は、よく自分のスピーチの中で

115 名前: Leo 投稿日: 2003/05/20(火) 00:38
山本伸一なんてチョー優等生が現実にいるわけないわな。
創価のホントの歴史はダーティーでカッコイイ!(・∀・)

116 名前: SGI 投稿日: 2003/05/20(火) 00:39
>>112 自己レスの続き

 学会中枢を支配した青年部出身の最高幹部たちは、互いに姻戚関係を結び、自分たちの権益を守りながら、手足となる「学会テクノクラート」(本部職員)の養成を急いだ。そして優秀なテクノクラートたちはその期待に応えていった。

 公明党の結成・衆議院進出の選挙運動による組織の引き締め、大客殿や正本堂建立という目標設定、文化祭・民音・出版・教育などの多様化、日常業務や組織運営(たとえば、地域ブロック制の導入等)の近代化といったことが、「最高の実務家」「組織の人」といわれる秋谷現会長の下で、効果的に整然と進められたのである。

 学会の躍進は、人心掌握術・カリスマ性に富む“池田大作”を前面に押し立てて、これを支えた秋谷現会長を筆頭とするテクノクラートの手腕だ。「池田40年の歴史」は、同時に「秋谷40年の軌跡」でもある。

117 名前: SGI 投稿日: 2003/05/20(火) 00:40
>>116 の続き]

 秋谷栄之助会長は、入信当初から「カミソリのように切れる頭脳」といわれていたという。そこで「理の人」「情に薄い人」との評判も根強い。
 それはともかく、秋谷会長夫人は、石田次男氏の実妹。
 つまり、名誉会長の最大のライバル・次男氏や石田幸四郎・元公明党委員長とも姻戚関係(次男氏と幸四郎氏は兄弟)を持つ。次男氏の存命中は、幸四郎氏や秋谷家は次男氏と絶縁状態だったとも聞くが、いずれにせよ、秋谷会長は、戸田会長時代、戸田先生の後継者と目された石田次男氏と姻戚関係を有しながら、一方の雄・名誉会長と共に青年部主流の一翼を担っているのだ。

 そして「池田政権」が誕生すると、名誉会長をサポートする形で『聖教新聞』編集長として学会の最高意思決定に関わり、さらに藤原行正氏と共に対外的な交渉折衝をも担当。その上、青年部長として「学会テクノクラート」の人材発掘も自らの手で行い、育成し、各部署につけていった。やがて学会事務局も掌中に収め、「学会テクノクラート」(秋谷人脈)の筆頭として確固たる地位を築き上げている。

 名誉会長と秋谷会長は、共に議員を経験せず、学会の要職に専任することで、学会内で不動の地位を得た。名誉会長の片腕ともいうべき北条前会長は、参議院議員になった古参幹部らのお目付け役として一時、参議院議員になっており、そのことが本部事務局での秋谷人脈の拡大を許したのである。

 もう一人の議員未経験者・森田理事長は、所詮“町役場の小役人”程度の能力しかなく、秋谷人脈にとってはアクセサリーにすぎない。藤原行正氏の後任として広報を担当している山崎副会長や関西の和田副会長らは、単なるイエス・マンであって、意思決定を司るだけの器量はない。結局、現在の池田創価学会は、秋谷人脈によって全てが決められている。

118 名前: 一所感 投稿日: 2003/05/21(水) 00:46
創価学会(池田名誉会長)は、よく学会での役職と信心には、相関関係はないとか。
幹部は、名誉職だとか言われる。
しかし、池田名誉会長は、文字都通り名誉職にあるにも拘わらず、最も強大な発言力=権力を維持し続けている。
43年間だ。異常な長さだ。
言っていることとやっている事がこれ程、ちぐはぐしている団体も珍しい。

119 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/21(水) 20:22
えっ?池田大作って43年間も、言いたい放題
好き勝手な事して、罪の無い人達を洗脳して
私利私欲しまくってるんですか?
まったく池田経って言われても
仕方ないですね・・・

120 名前: SGI 投稿日: 2003/05/21(水) 23:31
>>117 自己レスの続き

 戸田先生は、昭和28年夏、石田次男氏に次期会長の打診を行っている。しかし石田氏は「任にあらず」と断ったという。それでも戸田先生は、側近幹部や九州・八女支部での会合など折に触れ「次は次男だ」と語っている。

 そして、次代の学会を担う青年部の中から、これぞと思う人材に対しては、水滸会や華陽会の薫陶とは別に個人教授での訓練を実施する。彼らには、ご自分の名:城聖の「城」を与えており、期待の大きさが分かる。秋谷現会長もその1人だ(>>15 参照)。

 推測であるが、戸田先生の後継者構想は、石田次男氏を会長に据え、その「石田体制」を支える人材として秋谷会長を考えていたのではないだろうか。秋谷会長は、昭和31年に男子部長に任命されており、また戸田先生の媒酌で石田次男氏の実妹と結婚している。戸田先生の秋谷会長に対する期待がうかがわれるのだ。

 名誉会長は、組織人事本流の役職に一度も就いていない。また常々「戦前は教学がなくてつぶれた」と語られていたというのだから、教学部の存在は大変重要な位置づけにあったにもかかわらず、名誉会長は教学での貢献もない(>>75 参照)。教学面では、いつも戸田先生に叱られていたという。戸田先生が名誉会長に期待したのは、選挙などに関するオルガナイザーとしての手腕ではないだろうか。

 ところが「次の会長は皆で相談して決めろ」との遺言をタテに、名誉会長の野望に呼応する形で、青年部参謀室を中心とする池田派がクーデターを起こし、強引に第三代会長の座を奪ってしまった。このクーデターに秋谷会長は、戸田先生の“想い”を蔑ろにし参加したのだ。「石田政権」より「池田政権」を選んだのである。
 「池田政権」誕生と共に、秋谷会長は、戸田先生からいただいた「城永」の名を捨て、再び「栄之助」に戻り、「池田政権」の中で確固たる地位を築いていった。

121 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/22(木) 00:45
これこそプロジェクトXにしたら、どうよ?

122 名前: Leo 投稿日: 2003/05/24(土) 00:15
このスレは「プロジェクトX」のナレータの声を思い出して読むとピッタリです。
題名はさしずめ「人間革命 火花散る仁義無き闘い」でしょうか...?

123 名前: SGI 投稿日: 2003/05/24(土) 21:48
>>120 自己レスの続き

 名誉会長は、第三代会長に就任すると、こう言った。「戸田先生の本当の姿や心は私を通さないと判らない。君たちは知っているようで知らないのだ」と。
 これを受けて、参謀室以来の腹心である北条前会長は、「私たちは愚かでした。戸田先生と行動を共にしていても、雖近而不見で本当の戸田先生を知らなかったのです。本当の戸田先生のことは、今池田先生から伺って少しずつ判ってきました」と応えた。見事な忠臣ぶりだった。こうして戸田先生の指導も、名誉会長のフィルターを通して読み替えられていく。
 
 戸田会長の時代はテープレコーダーは一般には普及していない。また、戸田先生は極度の近眼のため、あらかじめ原稿を書くということをしなかった。いつもアドリブだ。『聖教』や『大白』の原稿も、ほんの例外を除いて皆口述筆記なのである。したがって、戸田会長の指導録や講演録は、全て出席者・同行者の筆記メモに基づく。
 
 そこで名誉会長は、会長就任後、戸田会長の『方便品寿量品講義』や『戸田城聖全集』等を刊行する際、自己の都合の悪い部分や真意を理解できない部分を削ったり手直しをしている。
 戸田先生の口述筆記を担当したのが、秘書の和泉美代女史や山浦千鶴子女史、『大白』や『立正安国論講義』は小平芳平元教学部長、『聖教』関係は石田次男氏らがまとめている。
 にもかかわらず、名誉会長は、戸田会長時代を知らない若手職員に『全集』などを担当させた。しかも石田氏ら当事者に接触することを禁じたのだ。

 名誉会長ら学会中枢は「戸田先生のことは池田先生だけが知っている」というドグマを展開した。師弟不ニの神話を説き続け、名誉会長の“解釈”による戸田先生の教理・指導・言動の再構築を図っていったのである。
 戸田先生の教えを忠実に守り実現しているように見せかけ、実は名誉会長らの都合に戸田先生の教えを変えていったのである。足に靴を合わせるのではなく、靴に足を合わせるという、本末を転倒した行為―戸田会長利用―師敵対行為を、こうしたところでも重ねているのだ。

124 名前: SGI 投稿日: 2003/05/25(日) 00:10
>>123 自己レスの続き 

 名誉会長の第三代会長就任は、“池田大作”を旗頭にした青年部池田派のクーデターであることを長々と書き込んできた。このクーデターが師敵対の行為であるが故に、クーデターを正当化させるために、戸田=池田の師弟神話を作り出さなければならず、名誉会長が“特別の人”であることを演出しなければならなかった。その際たる現われが、小説「人間革命」が描く世界なのである。

 このような「池田大作の宣揚」は、当然のことながら名誉会長の望むところである。本仏意識に基づく神格化願望は、早くから抱いていたようだ。就任以前より、そうした特異の言動が散見している。
 クーデターの成功によって「池田政権」を樹立した名誉会長は、「私を守れ。私を守ることは学会を守ることだ。学会を守ることは、広宣流布を進めることになる」との指導を繰り返す。こうして学会のあらゆるシステム・活動・方向性が、名誉会長のために仕えるようになり、名誉会長そのものが創価学会=体現者という実態を築いていったのである。⇒「池田国体説」(参照「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >415)。

 しかし、クーデター推進実行者である秋谷会長ら青年部池田派の幹部らにとって、名誉会長の独裁は「委任の君臨」であり、名誉会長は「同輩者中の第一人者」にすぎない。ただ師敵対行為であるクーデターを正当化させるためには、名誉会長を第三代会長に推した理由づけのために、師弟神話など「池田大作の宣揚」を必要としたのである。彼らにすれば、学会の“象徴”としての「池田大作」なのだ。⇒「池田機関説」(参照 同スレッド >416)。

 だから、青年部池田派にとって、学会批判や事実の暴露はそのまま「池田政権」の崩壊につながりかねず、そこで池田会長就任以来、長年にわたり“言論弾圧”を行ってきた。だか、ついに『創価学会を斬る』(藤原弘達著)で“鶴のタブー”が表面化。「池田政権」崩壊の危機を招く。

 この世間の激しい非難の嵐に、名誉会長は「私を守れ」と叫ぶだけで、箱根に逃げ隠れてしまう。若い頃の結核が元因の肺炎で微熱が続いていたというのはウソ。学会本部では、北条前会長を中心に善後策が連日にわたり講じられた。形振り構わずの組織防衛だった。
 最後は、自民党や右翼勢力と取引きをし、妥協を図ったのである。そして、政教分離・「国立戒壇」破棄・折伏路線の転換・思想的独善性の否定といった、創価学会の根幹をなすテーゼを揺るがしてしまったのである。

125 名前: SGI 投稿日: 2003/05/25(日) 12:55
>>124 自己レスの続き

まもなく半世紀に及ぶ「池田=秋谷時代」が終わる…。
学会SGIは、世代交代を図り“池田イズム”の継承と共に世界宗教をめざす。
果たして、どのように世代交代を成し遂げ、SGIの第二幕を進めるのだろうか。
秋谷執行部の、最後で最大の手腕が問われる時を、今迎えようとしている。


 さて「池田政権」は、いわゆる言論出版問題で危機を招いた。
 それ故に学会中枢は、活路を「学会の社会化」に見出す。つまり〔平和・文化・教育〕だ。「世界広布」の名の下で欧米識者との会談や、「社会に開かれた学会」のスローガンによる映写活動、合唱祭、地域友好イベント、図書贈呈・施設寄贈といった、現在の学会SGIの原形が生まれた。
〈参照「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >230 〉

 この「学会の近代化」から「学会の社会化」路線は、今日明らかなように、日蓮正宗の教義に抵触する問題を内包している。そこで、本部中枢・テクノクラートは、正本堂の完成を「本門・事の戒壇」建立と意義づけ、名誉会長の会長就任あいさつの「化儀の広宣流布をめざして一歩前進の指揮」という所信表明に終止符を打ち、新たに「広布第二章」を掲げる。
 つまり、日蓮正宗の教義を改変・逸脱・革新する“池田教”による「新・化法の広宣流布」の誕生であった。
〈参照・同スレッド >242 >243 >246 〉

 正法正義に基づかない創価学会は、これ以降、ご承知のように、実にさまざまな不祥事を次々と引き起こしていく。同時に、“池田大作”を神輿に担ぐ旧青年部池田派内部にも、深刻な亀裂を生んだ。
 路線変更や会長に対する個人崇拝の域に達していた現状を苦々しく思う人々や、名誉会長ら最高首脳幹部の独裁体制に疑いを抱く者たち、神輿と担ぎながらも「俗物・池田大作」を見限る幹部の群像、側近として「茶坊主」「腰ぎんちゃく」に生きる連中など、隠微な派閥抗争・主導権争い、追い落とし、取り込み、密告・告発・疑心が本部の内実となる。

126 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/25(日) 20:39
♪デーイラーイト、デーイラーイト、旅はーまだー終わーらーなーいー。♪

127 名前: Leo 投稿日: 2003/05/25(日) 20:50
(細かいことで、スミマセン)その歌詞は次のようです...
「ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない」
ttp://www.nhk.or.jp/projectx/song/song.html

128 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/05/25(日) 21:46
>127
激しく、空耳&うろ覚えでしたね。スンマソン。

129 名前: SGI 投稿日: 2003/05/26(月) 23:33
>>125 自己レスの続き

 特に、絶対者として君臨する名誉会長と、現実対応を重視する秋谷人脈の間で、学会中枢の主導権をめぐって駆け引きが続いた。「創共協定」(昭和49年12月)などをめぐり、秋谷人脈の幹部たちは“俗物・池田大作”の勝手気ままな独走が学会の存亡に関わると判断していた。

 名誉会長にしても、秋谷会長らにしても、それぞれが「創価学会」に人生をかけてきた。「創価学会」は、それぞれにとって手塩にかけた我が子のように、人生の“作品”だ。己が創り上げたという自負がある。その“作品”が意のままにならないことは、共に許し難いことでもあるのだ。

 そこには、御本尊の偉大な功力によって創価学会の発展があったという「感謝の気持ち」「信心の発想」は断じてなく、自己の業績を誇る“慢心”ともいうべき執着心しかない。「私がやった。全て私が道を開いた」といった発言が、それを物語る。学会中枢には、仏法信仰者としての矜持がない。

 そこへ宗門から、「学会の社会化」路線―その象徴である「五十二年路線」に対して、批判の火の手が上がる。それまで誰も首に鈴がつけられなかった池田会長を会長勇退に追い込んだのである。“絶対者・池田大作”の失墜であった。

130 名前: SGI 投稿日: 2003/05/26(月) 23:35
>>129 自己レスの続き

 しかし、この“無血革命”は、同時に学会中枢の世代交代の気運を高めた。世代交代を最も恐れたのが、秋谷人脈をはじめとする旧青年部池田派の面々だった。
 広宣流布への使命感や情熱に燃える30代だった青年部池田派も、すでに50代半ばの壮年世代。自己の権益や地位を守り、保身に走る。あるいは、学会の一人立ち・世代交代を認める程には枯れていない。働き盛りだ。こうして学会内部の派閥抗争・パワーゲームに、世代間の確執も加わった。

 そこで中枢首脳幹部は、クーデター防止のために、名誉会長の復権と共に、再び「先生を守ることは学会を守ること」との“幻想”を若手幹部に打ち込み、自分たちの地位を脅かす者を炙り出しては、造反者に仕立てたり、閑職や議員、外郭団体に飛ばし、主流からはずしていった。

 学会中枢の主導権は、北条前会長が亡くなった事で、名誉会長人脈から秋谷人脈に移っている。今の名誉会長は「裸の王様」だ。まさに単なる神輿に過ぎない。
 実権を握る秋谷人脈の最高首脳幹部たちは、自分たちが名誉会長に照らされた≪影≫であることを十分に自覚している。だからこそ、再び“名誉会長”を担いで、権益を守るのである。

 秋谷会長は、北京で名誉会長に土下座して忠誠を誓ったと伝えられている。土下座で臣下の礼を示し、名誉と豪奢な生活を保障することで、実質的権限をがっちりと握ったのである。
 名誉会長の「意を体する」形で、一層池田大作の宣揚に取り組み、今日のSGI路線を推進。これは、名誉会長の想いと利害と一致するが、“池田大作”をタテにした「実権派」秋谷人脈の処世術でもある。

131 名前: SGI 投稿日: 2003/05/28(水) 00:06
>>130 自己レスの続き

 「実権派」と深く結びついているのが、学会葬儀社の社長H氏や『聖教』御用達の広告屋Y氏、会館建設を取り仕切るH氏、S大学のO氏など、旧「社長会」の面々が「利権派」だ。
 「実権派」は、巨大な組織を統理運営するといった人を動かすことに喜びを覚える支配執着の人々。「利権派」は、私腹肥やし(宗教ビジネス)を生き甲斐とする物欲執着の人々。この少数の中枢幹部らが、名誉会長と共に“池田大作”を躍らせながら学会を牛耳っている。

 「実権派」の施策を支えるのが、中央の「実務派」H氏、M氏、N氏といった「御義口伝メンバー」を中心とする学会テクノクラートの実力者たち。役員室や常任中央会議、総務会、本部事務局などを主宰する。
 そして「実権・実務派」の方針を具体化するのが、M氏、T氏、U氏、O氏、N氏、W氏、Y氏などの方面組織の筆頭副会長ら。この「組織派」ともいうべきグループは、県青年部長時代に培った人脈があり、副会長になった現在、そのネットワークが“もう一つの創価学会”を形成している。

 また「実権・実務派」のブレーンに当たるのが、広報室、企画室、渉外局、教学部、顧問弁護士団などで、これに様々な工作や謀略を担当する「影の軍団」を含めて、創価CIA(SCIA)という“影の創価学会”がある。

 「学会の国際化」に伴って、H氏とかT氏、N氏、A氏といった“SGI人脈”による情報も、最近はかなり反映されるようになっている。この“SGI人脈”に、世襲制をめざす「奥様・御子息派」が接近しており、海外での派閥抗争も激しい。

132 名前: SGI 投稿日: 2003/05/28(水) 00:09
前レスの続き

 世襲制を支持推進する連中は、どの派閥にも存在する。
 学会総体をまとめていくには「世襲制がベスト」との認識に基づく。
 ⇒参照・「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >415 >416 >417
 ところが、「長男・博正」擁立派と「三男・尊広」擁立派の確執で、1つにまとまらない。

 博正氏が世襲を拒み、尊広氏が色気を出している事情や、次男・城久氏の遺児の存在、奥様の意向、「池田家」と学会との“線引き”問題、SGIと学会の関係、さらには宗門問題の絡みから“操り猊下”を担ごうとしているグループもあり、名誉会長の後継者問題は、ほぼ博正氏に固まりつつあるが、最終結論には至っていないようだ。

 学会の「永遠の指導者」は既に定められており(昨年の会則改定)、後継者といっても、単なる財産継承者であり、学会統合の“象徴”にすぎないだろう。
 現在創価学会の実質支配権は、これまで長々と記してきたように、秋谷人脈にあり、「ポスト池田」は集団指導体制となることは間違いない。しかしもし、秋谷人脈に内紛が起これば、そのまま学会総体の内紛・分裂につながる可能性がある。

 つまり本部中枢にとって、「ポスト池田」の最大の課題は、実は「ポスト秋谷」なのだ。
 それだけ秋谷会長のマネジメント能力は傑出しているということにほかならない。半世紀近くに及ぶ「池田政権」は、秋谷会長の統治(管理)能力に支えられているといっても過言ではない。秋谷会長の会長在位期間が、池田会長の在位期間の超え、最長不倒の長期間に達していることでも、ご理解いただけると思う。

133 名前: SGI 投稿日: 2003/05/31(土) 22:16
>>132 自己レスの続き

 学会の組織は、公益部門の本部事務局・地方組織と、収益部門の聖教新聞社・墓苑事業に大きく分かれる。どの部門に属するかで、行動様式や発想に相当の隔たりがあり、『聖教』の中でも編集と業務では肌合いが異なる。

 それだけに不祥事・不始末等をしないかぎり、所属部門からの異動はあまりない。それに、異動が頻繁であれば情報の拡散にもつながる。内実情報の漏洩こそが、学会中枢の最も回避すべき事態だ。だから人事異動が少ないのかもしれない。したがって、不正は極めて起こりやすい。

 その上、ポストによる権益(旨味)にもかなり差があるし、出身大学による先輩後輩の関係もあり、登用・昇進・配置転換といった人事面で怨嫉が起こりやすい。それだけに、どの人物と親しくするのかが、本部内で生き抜いていく中での才覚にならざるをえないのである。

 今はまだ「先生の指示ならば仕方がない」との諦めや、次々に設けられるポストのお陰で表面化していないだけのことだ。今後、パイの拡大がなくなり、絶対権力者(裁定者)が存在しなくなれば、どうなるのか判らない。〔誰が名誉会長の意を体しているのか〕をめぐり、実質的決裁権を争うことになる。

134 名前: SGI 投稿日: 2003/05/31(土) 22:18
前レスの続き

 真の池田門下生ともいうべき未来部(池田学会2世)あがりの30代40代の幹部職員には、こうした学会本部の内実を目の前にして、現実に妥協する者と、改革をめざす者がいる。
 旧青年部池田派も、この世代は子供世代だけに路線継承を働きかけている。現在の「R作戦・SGI路線」を担っているのも、この「ウルトラマン世代」だ。⇒参照「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」>57 >58 >62 >227

 それだけに「ポスト池田」=「ポスト秋谷」は、一気にこの世代への代替わりの可能性もある。この「ウルトラマン世代」と、もう一つ上の“おいしい生活”を享受しつつある「団塊の世代」との間に跡目争いがあり、ドス黒い怨嫉の嵐が吹き荒れるかもしれない。

 未来部あがりの世代は、総じて現在の「創価ルネサンス・SGI路線・仏法人間主義」が正しいと信じている。しかし“金まみれ”の池田創価学会SGIの現実は苦々しく思っている者が多い。
 そうした改革刷新の意識と、宗教貴族の“おいしい生活”に浸ろうとする中堅幹部との間に攻防があるのだ。現在は、宗門という外部の敵が存在しているので、明らかな形ではなかなか現われないだけのこと。

 若き「ウルトラマン世代」は、“池田紅衛兵”にもなりうる。
 本仏意識に根づき絶対権力者たらんとする名誉会長と、機関説(>>124 参照)に基づき現実対応を重視する秋谷人脈との間には、絶えず緊張関係がある。独裁者は、常に「超越した第一人者」でなければ気がすまない。「同輩中の第一人者」であることは許されないだろう。

 名誉会長が、人生の終焉に当たり、最後に再び「超越した第一人者」であることを確認しようとする我欲があれば、“池田紅衛兵”を動かし、秋谷人脈との軋轢を作り出すに違いない。そう“秋谷の首”を取って有終の美を飾りたい、と。そうなれば、学会版「文化大革命」の開幕だ。

135 名前: SGI 投稿日: 2003/06/01(日) 00:42

 しかしながら…
 「ウルトラマン世代」は、名誉会長にしても秋谷会長らにしても、子供世代。実際のところ、学会後継者と目される名誉会長の子息にしても、北条前会長や秋谷会長の子息にしても、その他学会中枢や公明党幹部議員の子息子女は、ことごとく皆学会および外郭団体に就職等している。彼らにとって、本部職員等は“家業”なのだ。

 それに >>116 で記したように、クーデターで学会中枢を支配した青年部池田派の面々は、互いに姻戚関係を結んでおり、現在の学会本部関係者は、広い意味で一族郎党の関係にあり、運命共同体である。だから、造反はそんなに簡単なことではないのだ。所詮、改革といっても改善であり、根本的な変革はありえず、現下の学会の在り様の延長にならざるをえない。

 本部幹部職員同士の姻戚関係作りは、例えば、学生時代や新入職員時代には「革命に女はいらない」との指導がまかり通り、個人的な意思による恋愛は好ましいものではないとの言われ続けていたことでも分かる。配偶者は、名誉会長(本部)が手当てしてくれるのだ。

 名誉会長(本部)の紹介による縁談を受け入れる方が、やはり後々メリットが大きい。名誉会長ら中枢の意向を無視して、自由恋愛で結婚すれば、結局のところ冷遇されてしまう事実を見せつけられれば、ごく普通の感覚として、紹介・推薦の縁談となるのが人情。
 こうして、今の“学会村”=創価王国には、隠然と“宗教貴族”が存する。彼ら特権階級の“おいしい生活”を支えているのが、名誉会長ら学会中枢の情報だけを信じ、幻想を抱き、身も心も財も捧げている一般会員である。

 したがって、名誉会長を頂点とする特権階級の面々が、“家業”として手にしている現在の“おいしい生活”を、つまらぬ内部軋轢で失うようなバカげた真似をするとは思えない。常に外部に敵を作り、内部の怨嫉を発散させている。名誉会長が、瞋恚(しんに)な我執に身を費やさない限り、学会本部内で深刻な抗争は早晩には起きないであろう。

136 名前: Leo 投稿日: 2003/06/01(日) 01:59
(感想)
“おいしい生活”は“おいしい生活”であってイタリアの「甘い生活」のように頽廃までは
至ってないのでしょうか...?
「甘い生活」ttp://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/3008/fellini_04.htm
“宗教貴族”とは、宗教版「ノーメンクラツーラ ソヴィエトの赤い貴族」のようですね。

137 名前: いちりん 投稿日: 2003/06/01(日) 09:20

>常に外部に敵を作り、内部の怨嫉を発散させている。

同感ですね。
常に、外に敵を作って、戦え戦え、勝利だ勝利だというのは、とても疲れることでしょうね。
しかし、そうしていないと、みずからの正義を訴えられないと思っている。

学会は、外に敵を作ることで、自分たちは正しいと思い込むことができる。
日顕、山友、竹入各氏らの存在は、学会にとって、とてもありがたい存在。

彼らは仏敵であり、邪悪であり、障魔であるとレッテルを貼ることで、自分たちは正しいのだと思い込むことができる。

外に敵がいないと、内に敵があらわれる。
だから、永遠に、敵を作り出し、邪悪だ魔だと、それを攻撃し続けねばならないということになる。
そして、ついには自分自身が自分に対して敵となる。
そういうあり方は、やはりしんどい。

戦う必要もないし、勝つ必要もない。
価値とか負けとか、そういうあり方を越える道があると思うけど。

138 名前: いちりん 投稿日: 2003/06/01(日) 09:22
×価値とか負けとか→ ○勝ちとか負けとか

139 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/06/01(日) 12:26
信仰はやりたくない人はやらなければいいんだよ。簡単なことだ。
しんどいならやらなければいい。
しんどいと思う人たちがお手々つないでしんどくない宗教やればいい。
しんどいと思ってない人まで道連れにすることはない。

140 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/06/01(日) 13:34
「勝つことが正義」と、勝負に拘り続けて今があるわけですから、
その体質は、創価学会が存続する限り変わらないでしょう。
理想主義では社会で勝者にはなれない。
そして、勝ち続けなければ会員の求心力が遠のいていく。
といった、一種の脅迫観念が蔓延しているのではないでしょうか。
勝ち負け以外の第三の道があるように思うのですが。
創価学会中枢にとっては、戻れない道なのでしょうね。

141 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 14:12
>>140 名無しさん
>しんどいと思ってない人まで道連れにすることはない。
誰かが無理矢理道連れに(=強制連行)しようとしているのでしょうか?
しんどいと思ってない人は、(たとい誘われても)断ればよいだけのことでは?

142 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 14:13
>>141 訂正
>>140>>139

143 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/06/01(日) 15:06
しんどいしんどいってこんなとこで愚痴こぼすなってこと、OK?

144 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 15:45
>>143 名無しさん
これは僕の>>143に対する書き込みでしょうか?
ならば(違ったらゴメンなさい)、いやいや愉快な珍解釈だなと唖然呆然失笑致しております。(^^)
「OK?」とのことで、僕に同意を求めていらっしゃるようなのでお答えしますが、
その解答は「はっ?・・・(汗)」です。「Yes or No」の二者択一なら、「NO〜〜〜〜〜〜!!!!」ですよん。(^O^)

145 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 15:47
>>144 訂正
「僕の>>143に対する」→「僕の>>141に対する」
・・・ううう、ごめんなさい。昨日の痛飲の影響がいまだに・・・(汗)

146 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 16:03
>>144 補足
ちょっと説明不足かな?
>いやいや愉快な珍解釈だなと唖然呆然失笑致しております。
これは、あなたの>>139「しんどいと思ってない人まで道連れにすることはない」の結論が、
どうして>>143「しんどいしんどいってこんなとこで愚痴こぼすなってこと」となるのか、
そのあなたなりの解釈・理屈付け(論理展開・論理の妥当性)が分からないということです。

147 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 16:17
>>146 補足の補足
あああ、でも、これでもまだお分かりにならないかな?(汗)
つまりここで「愚痴をこぼす(これはあなたの印象=主観なのでしょうが)」ことが、
「しんどいと思ってない人を道連れにする」にどう結びつくかが分からないという事ね。

う〜〜〜〜ん、これでも無理か?(滝汗)<あくまで憶測
つまりつまりここで「しんどいと愚痴をこぼす」と「しんどいと思ってない人まで道連れにする」ってことが
前提として成り立ってない限り、あなたの>>139>>143が結びつかないんじゃないかな?と思ったわけです。

そもそもそんな他人の愚痴(僕にはそうは見えませんけどね)に心動かされるって・・・
それこそ「動かされた方の人間」の(自己)責任では?・・・な〜〜〜んて思っちゃったりなんかして。(^^)

148 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 16:28
そもそも愚痴(僕にはそうは見えないけど)も、その人の自己責任では?。
それに道連れにされる?(つ〜か「心動かされる」って感じじゃないかな?)
のは、それが強制的な者でない限りは、心動かされた人の自己責任じゃないのかな?
で、たとい心動かされたとして、それが良かったと思うも、悪かったと思うも、その人個人の問題だと思いますけど。
それとも「心動かされて困る人」が他にいるとでも?
・・・少なくとも僕にはよく分からないですね、あなたの仰ってることが。

まあ、ただのご提案ということでしょうから、僕の場合は「はっ?・・・(汗)」がお返事です。(^O^)<しつこい(自己反省)

149 名前: Poh 投稿日: 2003/06/01(日) 16:39
SGIさん

僕はあなたのレスを読むのが楽しみです。大いに参考にさせて頂いております。
色々貴重な情報やお考えをお書き下さり、感謝しております。
僕の横レスのため、あなたの書き込みを邪魔したことお詫び申し上げます。
今後とも様々なことを教えて下さいませ。
学会と学会問題を多角的に眺める一助とさせて頂きますゆえ。m(_ _)m

150 名前: SGI 投稿日: 2003/06/02(月) 00:02

外部に敵を作り集団をまとめる手法は、確かナチスの手法たっだように思います。
この辺りのことは、Leoさんが造詣が深いのではないでしょうか。

池田創価学会は、絶えず外部に敵を設定して組織の拡大・維持を図ってきた。
会長就任後の「東は立正佼成会・西は天理教」の撲滅キャンペーンに始まり、共産党、自民党、労組、マスコミ、宗門、妙信講、正信会、造反者という具合に。
名誉会長は、戸田会長の「一歩も退くな!追撃の手を緩めるな!」という遺言を捏造・創作している。

常に「勝ち負け」にこだわるのが名誉会長の信条だ。「仏法は勝負」が名誉会長の真骨頂。阿修羅根性丸出しの指導が絶えることがない。こんな指導を真に受ける会員が哀れだ。
この「仏法は勝負」については、以前「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレッド >92 >139 >140 で所見を書かせていただいた。私は、「仏法は勝負」のキャッチコピーに対して、あえてキャッチコピーをつけるならば「仏法は報恩」としたい。


>>137 いちりん さん はじめまして。
>戦う必要もないし、勝つ必要もない。
>勝ちとか負けとか、そういうあり方を越える道があると思うけど。

 同感です。しかし、バリバリの活動家の会員には理解・共感が得られない在り方のようです。

>>140 愚鈍凡夫 さん はじめまして。
>創価学会中枢にとっては、戻れない道なのでしょうね。 

 おそらく戻れないでしょうね。永遠に敵を作り出していかなくてはならない。
 いちりんさんと同様、“しんどい”心休まらない修羅界の境涯だなと思います。

>>149 Poh さん 
 ありがとうございます。
 スレッド趣旨から逸脱し、勝手に長々と書き込んでおりましたので、いささか皆さんのお邪魔をしているのではないかと危惧しておりました。ちょっと救われました。
 名誉会長の重体説を聞きつけましたので、後継者問題を含めて「ポスト池田(秋谷)」を考えてみようと思い、会長就任前後からのいきさつをまとめてみました。ご参考になれば、大変嬉しく存じます。

151 名前: 一会員 投稿日: 2003/06/02(月) 00:23
「それ仏法は勝負を先とし・・・」日蓮。

152 名前: Leo 投稿日: 2003/06/02(月) 00:26
>>150 SGIさん。
>外部に敵を作り集団をまとめる手法は、確かナチスの手法たっだように思います。
>この辺りのことは、Leoさんが造詣が深いのではないでしょうか。
造詣が深いわけではありませんが...アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』での大衆
操作手法と学会の集団をまとめる手法に多くの類似点があることに驚きました。

>外部に敵を作り集団をまとめる手法
この部分に相当するのは下記であると思います。
「動揺している大衆は、自分が大勢の敵と争っているのを見ると、すぐに客観的な態度をとり、
 実際に他のすべてのものたちが間違っていて、ただ自己の民族や自己の運動だけが正しい
 状態にあるのかどうかと、疑いを投げかけるものである。しかしそれと同時に、はやくも
 自己の力が衰えてくる。だから内的には異なっている敵をいつも一つにまとめねばならない。
 そうして自分の支持者たる大衆の目には、ただ一つの敵に対してだけ闘争がなされている
 のだというように、まとめねばならない。これが自己の正義に対する信頼を高め、正義を
 攻撃するものに対する憤激を高めるのである。」
(アドルフ・ヒトラー『我が闘争』より)

153 名前: 倒木 投稿日: 2003/06/02(月) 01:12
>しんどいと思う人たちがお手々つないでしんどくない宗教やればいい。

「宗教やればいい」「宗教団体作ればいい」
群れる発想しかできないのかねぇ。
貧困な思考だこと。( ´,_ゝ`)y─┛~~

154 名前: Leo 投稿日: 2003/06/02(月) 01:15
(これは日頃思っている素朴な疑問で、特定カキコに対するレスではありません。)
「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」
仏法は下記に示されるように《道理》に基づくものとされます。
「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」
単に《勝ち負け》に執着するのは覇道であってもはや仏法ではないのでは
ないでしょうか...?それに学会で賞や処分があったりするのは「仏法」を
用いずに、「王法」を用いているということなんでしょうか...?はて...?

155 名前: Leo 投稿日: 2003/06/02(月) 01:44
『大白』六月号の会長巻頭言のように(組織に尽くすでなく近隣に尽くす)「地域友好」と
「共生」を謳っていくのは(本当に本当なら)あまり文句ないです...
掲示板もインターネット近隣のようなものであるから、覇道に基づく攻撃などやらないで、
もっと(下心なく)「地域友好」や「近隣に尽くして」欲しいものですねホントに。

156 名前: yuriko 投稿日: 2003/06/02(月) 19:04
>>154 Leo さん
>《勝ち負け》に執着するのは覇道であってもはや仏法ではない
というか、《勝ち負け》の基準が、覇道と仏法では違うのでしょう?
日蓮大聖人は、引用された御書で、次のようにも言っています。
『日蓮は少より今生のいのりなし。只仏にならんとをもふ計りなり。
されども殿の御事をばひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。』
私の解釈では、これは、大聖人の明確な政教分離の御教示だと思います。
更に言うなら、信心の世界で得られる真実の功徳は、言うまでも無く、
一生成仏です。決して、どれだけ金持ちになったとか、出世したとかにあるのではないと思います。
しかし、一方で大聖人は、在家である四条金吾に実に細かい俗世間のことを指示している。
その上で、『されども殿の御事をばひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。
其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思ふなり。』と仰せだ。
これは、大聖人が金吾に出家を期待しているのではない。
大聖人は、金吾は在家で居乍ら、「法華経の命を継いで欲しい」と言っているのしょう。。
つまり、日蓮仏法でいう勝負とは、信心の上での話で、俗世間の価値観とは違う。
そういう点からすれば、池田名誉会長を頂点とする学会組織は、明らかに覇道の価値観を基にしている。
それが、信仰の世界を濁らす原因となっているのは、間違いない。
しかし、その一方で、役職には一切無頓着で、大聖人の遺命を実現する為の組織活動に励んでいらっしゃる方も大勢いる。
そんな人達こそが、学会、宗門に拘わらず、広宣流布の屋台骨を支えているのだと思う。

157 名前: 平和活動者 投稿日: 2003/06/02(月) 19:11

在日・層化を批判すると、嫌がらせ・集団ストーカーされるぞ。

あなたは毎日、いやがらせ・集団ストーカーされた事がありますか?
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1053379222/-100
被害者も加害者も内部告発者も遠慮なく、カキコして下さい。
又はコピペも貼り付けてください。
 (注、今は騒いでいますよ)

158 名前: SGI 投稿日: 2003/06/02(月) 20:13
>>152 Leo さん 
わざわざ『MEIN KAMPF(わが闘争)』の引用、ありがとうございます。
大学1,2年生の頃、学生部の本部幹部から読むように勧められたことがあります。
本部幹部では必読書だったのかな?

 さて、「仏法は勝負」あるいは覇道論に関連して――。

 名誉会長や池田創価学会の根底にある発想は、“貸し方・借り方”のソロバン勘定だ。恩を売り、恩を着せれば相手に対して優位になる、という考え方である。街金融の世界で生きた名誉会長らしい発想ともいえよう(>>74 参照)。

 選挙活動や新聞啓蒙に駆けずり廻る時、幹部から「貸方になることが大事だ。貸方になることが、人生の勝利である。借方ではダメだ」という指導を聞いた人もいるのではないでしょうか。
 あるいは、「人は大家の頼みならば聞くが、店子の言うことは聞かない」とか「信頼されている人の言葉は重宝されるが、そうでない人の言葉はバカにされる」「日頃のつき合いが大切。選挙の時だけ頼みに行くようでは票にならない。普段から“この人は立派だ。信用できる。生き生きしている”と思われなくてはいけない」等々の内容だ。

 本来、仏道修行は菩薩道に根ざさなければならない。菩薩行とは、自己の徳性を発揮し、他に尽くそうとする心根から生ずるものであろう。抜苦与楽の無償の行為である。
 しかし、「情けをかけた」とか「偉く見せたい」とか「自分のためになる」「功徳がほしい」「ギブ&テイクだ」といった心根では、人のために何かをしても、それは己を飾るための見返りを期待する“先行投資”にすぎない。とても卑しい根性といえるだろう。

159 名前: SGI 投稿日: 2003/06/02(月) 21:00
前レスの続き

 “貸方になる”とは、そういうことであり、仏道修行には一切関係ないことだ。
 だが、名誉会長は違う。いつも、どんな場合でも、誰にでも、全てに対して“貸し方”であろうとする。「仏法は勝負」で「なめられないようになるのが人間革命」であり、「貸方に徹するのが人間王者」であって「人生の勝利」なのだ。
 これが、借金の取り立てに凄腕を示し、金の世界に生きた名誉会長の人生観なのであろう。

 だから名誉会長は、幹部職員に“施し”をしても、必ず報告書の提出を義務づける。あるいは“先行投資”分が回収できないと、凄まじい形相で「恩知らずだ」「騙された」「傲慢だ」と悪口罵詈を浴びせかける。

 今回の宗門vs学会抗争も、別の見方をすれば、“貸方・借方”の延長にあるようなものといえなくはない。
 名誉会長らには、総本山や宗門を荘厳・興隆させたのは自分たちだという“慢心”がある。つまり「学会(おれ)は貸方だ」という受け止めだ。その上で「借方の宗門(猊下)が偉そうなことを言うな」との反発があり、「借方は借方らしく、貸方(学会や名誉会長)の言うことを聞け」というのが、彼らのホンネかもしれない。
 ここには御本尊からの果徳を賜ったという報恩感謝の心がない。名誉会長ら学会首脳には、仏法信仰者としての信心がないのである。

*名誉会長語録(ある幹部のメモより)
 「どこまでも蛇のように執念深くやるのだ。勝たなきゃ意味がない。なめられたら、おしまいだ。どんな事をしても勝てばいい。要は勝つことだ。勝てば、後はどうにでもなる。なめられないようになるのが、人間革命だ」

160 名前: Leo 投稿日: 2003/06/03(火) 02:30
>>156 yurikoさん。
解説ありがとうございます。その御書は在家への指導だったですね。
>そんな人達こそが、学会、宗門に拘わらず、広宣流布の屋台骨を支えているのだと思う。
私は学会も宗門も全否定ではないです。中には(自然的に)よい人もいます。
ただ全般的には(学会内しか知らないですが)、おかしいところがあったら改めればよい
のに「おかしいところはない」と来るから、なんだかなーと思うのです。

>>158-159 SGIさん。
>*名誉会長語録(ある幹部のメモより)
に関連して。覇道系指導例は多いと思いますが、一例として「仏敵」について
このような記事があったことをみつけました(「ヒューマニズムの輪」サイトより)。
「創価学会も、仏敵と戦っているから強い。敵がなくなれば衰亡してしまう。」
(『聖教新聞』、1998年04月18日)
このような傾向を仏教と結びつけるのであれば不動明王的といえましょうか。

161 名前: SGI 投稿日: 2003/06/04(水) 23:45
 >>123 で記したように
 『戸田城聖全集』等は、名誉会長の綿密な指示と厳重な監督の下で、版を重ねる程に、名誉会長にとって都合の良いものに編纂されていく。
 編纂担当者は、「名誉会長を守ること・名誉会長と呼吸を合わせること」を習いとしており、かつ戸田=池田の“師弟不ニ”を信じている。したがって、名誉会長の指導や講演・講義を判断基準に『戸田全集』をまとめあげている。
 つまり、今日伝えられている戸田先生の指導や思想は、戸田会長の本意・真意と関係なく、すべて“池田大作”というフィルターを通して歪曲・捏造された代物なのだ。

 『戸田城聖全集』には水滸会や華陽会での指導録がない。ご承知のように、水滸会や華陽会は、男女青年部の先鋭を集め、毎月一回戸田先生を囲んでの勉強会・人材育成の場である。小説『人間革命』にも描かれている。
 水滸会は、『水滸伝』を教材にしながら、次代を担う門下生に政治・経済・文化・人生・信心全般にわたり戸田会長が自由自在に語り、ご自身の全てを伝えようと全身全霊・渾身の想いで薫陶を積み重ねた“特別な会合”である。

 実は戸田会長の逝去後、水滸会メンバーは、1年余りをかけて、まるで経典結集のようにして、水滸会での指導をまとめている。ところが、第三代会長に就任したばかりの名誉会長は、この完成した指導録を「私が預かっておく」と取り上げ、いずこに隠してしまったのだ。その後二度と日の目を見ていない。

 この至言宝珠に満ちた貴重な指導録は、戸田先生の思想の全て・エッセンスが語られているちがいない。それが公開されると、名誉会長にとっては不都合なのであろう。戸田先生の指導・教えと、“池田イズム”が相容れないものであることが明らかになってしまう事を恐れたのかもしれない。

 名誉会長が、師匠・戸田先生の想いを裏切り、クーデターで強引に会長の座を奪い、かつ師匠の教えを隠し、“師弟不ニ”の幻想を植えつけながら、さも恩師の言葉を語るが如く自説を開陳し、会員を“池田イズム”に教化していった歴史は、水滸会の指導録隠しに始まる。

162 名前: SGI 投稿日: 2003/06/04(水) 23:59
>>152 Leo さんの書き込みに刺激を受けました。
学会の組織運営は『わが闘争』から学んだのか?

「大衆の心理は、すべて中途半端な軟弱なものに対しては、感受性がにぶいのだ」。
「大衆の国民化は、中途半端や客観的立場の弱々しいもので怒るのではなく、目標に向かって容赦のない態度をとること、熱狂的に一方的な態度をとることによって可能となる」。
「民衆の心を獲得することは、上記と並んで、目標の敵対者を絶滅させる場合にのみ可能である」。

「ある運動の未来は、支持者がその運動をどれだけ正しいものであると主張し、同じ様な性質のある他の組織に対して最後まで貫き通す熱狂、いや不寛容さによって左右される」。
「構成員を、闘争を何か自然な成長に任せて良いものと考えるのでなく、自ら追い求めなければならぬものと見なすように教育しなければならない」。

「この運動は、人物に対する尊敬を、あらゆる手段を尽くして助長しなければならない」。
「権威を形成するための第一の基礎は人気である。人気と強制力が結合し、それらが共にある期間継続することができると権威はさらにもっと高い基礎の上で立ち上がることができる」。

「国家を維持するだけの力とは、現実になんであるか、と問うならば、それを二三の言葉に要約しうる。すなわち全体のために個人を犠牲にする能力と意思である、と」。
「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的要素を持ち、女性的な態度を取る」。

「国家は断固とした決意で民衆教育の新聞という手段を確保し、それを国家と国民の役に立たせなければいけない」。
「この世界における最も偉大な変革は、決してガチョウの羽ペンでは導かれなかった。宗教的・政治的たぐいの偉大な歴史的雪崩を引き起こした力は、大昔から語られる言葉の魔力であった」。

163 名前: いちりん 投稿日: 2003/06/05(木) 10:49
なるほどねえ。
水滸会のときの戸田さんの指導メモというのがあるんでしょうね。
それは、興味がありますね。
いろんな意味で、戸田さんという方は、魅力的ですね。宗教家としても事業家としても。
小平さんは亡くなりましたが、柏原さんとか和泉さんとか辻さんとか、
そういう方が、頭がぼけないうちに、なにか残しておかれるといいですけど。まあ、ほとんど不可能でしょうかね。

164 名前: Leo 投稿日: 2003/06/09(月) 01:02
>>162 SGIさん。
このリンクが参考になりますが、
「ミュンヘン革命とヒトラー」
http://ww1.m78.com/weimal/hitler%20at%20munich%20revolution.html
ヒトラーの『我が闘争』も捏造が多かったようです。

165 名前: SGI 投稿日: 2003/06/11(水) 23:52
>>163 いちりんさん >>164 Leo さん レスありがとうございます。
1週間離れていると、各スレッドの内容が進み、まるで別の掲示板のようです。
流れに掉さすことができず、書き込みを遠慮しようかなとの思いにも抱きます。
それでもあえて『わが闘争』の抜粋で、学会の在り様を考えてみましょう。

◎大衆へのプロパガンダについて

「いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない」。
 ⇒だから、スキャンダルと悪口しか訴えない。

「大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。
 この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである」。
 ⇒だから、いつまでも“日顕・山友・竹入”しかない。

「大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。
 だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである」。
 ⇒だから、学会はすべて正義・疑問や批判はアンチ謗法の断定二元論しかない。

166 名前: SGI 投稿日: 2003/06/11(水) 23:54
>>165 自己レスの続き

◎指導者の資質について

「偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、むしろ扇動者の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである」。
 ⇒そうだから、信仰心もなく信力・行力もなく、>>75 に記したように1対1の折伏もできないけど、気配りとはったりと金力で人心を掌握し組織を鼓舞することは得意(>>106 参照)な人が、いつのまにか“永遠の指導者”になってしまう。

◎知性と感情

「一定の傾向をもった書物は、たいていは以前からこの傾向に属している人が読むだけである。
 ここでは人間はもはや知性を働かせる必要はない。眺めたり、せいぜいまったく短い文章を読んだりすることで満足している。それゆえ、多くの者は、相当に長い文章を読むよりも、むしろ具体的な表現を受け入れる用意ができているのである」。
 ⇒学会に染まれば染まるほど、知性を失い、!マークの詩歌に喜び、組織の言われるままに行動するようになるのだろう。

167 名前: SGI 投稿日: 2003/06/21(土) 22:37

これまで連々と「池田・秋谷40年」が“師敵対”の歴史であること綴ってきた。
○師弟神話のウソ
 >>79 師弟神話のウソ(まとめ)
○青年部クーデター
 >>106 参謀室長就任  >>107 総務就任  >>108 主要ポスト制圧
 >>110 第三代会長就任  >>111 造反運動
○池田・秋谷時代
 >>117 >>120 秋谷人脈  >>124 >>125 言論出版問題→路線変更
 >>129 >>130 >>130 主導権争い
○ポスト池田
 >>132 後継者問題  >>133 本部の人事  >>134 ウルトラマン世代
 >>135 本部幹部は皆世襲・家業なり
○戸田会長利用
 >>123 『戸田城聖全集』の編纂  >>161 水滸会「指導録」隠し
  
 小説『人間革命』は、学会の歴史を歪曲・捏造し、クーデターで学会中枢を乗っ取った「青年部池田派」の勝者による勝者のために書き換えられたものだ。“師敵対”行為を正当化し、名誉会長と学会の無謬性を植えつけるためのプロパガンダにすぎない。
 会員には「学会の真実の歴史を綴り、師弟の道を学ぶ書」として、教学試験の出題範囲や座談会テーマに取り上げたりして、必読書となり、捏造した歴史が残されていく。この営みは今も続いている。

168 名前: SGI 投稿日: 2003/06/21(土) 22:38
名誉会長ら学会中枢幹部は、師敵対・不知恩の輩である。

 >>107 に記しているように、名誉会長は戸田先生逝去後、トラック2台で戸田先生の自宅に乗りつけ、無理やり戸田先生の遺品を奪っていく。奪っていった数々の遺品は、全て名誉会長の管理下に置かれた。つまり実質的に名誉会長の“もの”になってしまったのだ。
 昭和58年、東京・八王子(創価大学正門前)の東京会館(当時)で開催された「創価学会重宝展」では、戸田先生の遺品の1つである刀が展示された。その説明書きには「池田会長が戸田先生から生前に拝領した刀です」と紹介されていたのである。

 学会は、会員から集めた金で全国各地に墓苑を作り、その上で会員に墓石を売りつけている。実に商売が上手い。戸田会長は「学会は墓地を運営しない。墓のことは、全て宗門にお任せする」と断言していたにもかかわらず、だ。
 で、学会墓苑には、宗門の三師塔になぞらえて、必ず牧口・戸田・池田の三代会長の墓がある。ところが、これは牧口家や戸田家の了解を得ていない。しかも勝手に造っておきながら、両家に墓地代・管理料を請求しているのだ。池田家の分は、誰も請求していないのに、だ。

169 名前: SGI 投稿日: 2003/06/21(土) 22:39
>>168自己レスの続き

 昭和59年4月2日、戸田会長二十七回忌法要が常在寺で営まれている。
 ところが、名誉会長はこの回忌法要に出席していない。名誉会長は、この日富士美術館で開幕した「池田大作写真展」に訪れていることが、翌日の『聖教』に報道されている。

 かつて、国会の行事でやむなき事情により4月2日の儀式に出席できなかった国会議員ら戸田門下生に「万難を排して集まってくるのが弟子の本分である。犬畜生にも劣る忘恩の徒だ」と厳しく叱責した御本人の所業とは、とても思えない。恩師の法要よりも御自分の写真展の方が重要だなんて、とんだ“弟子の道”である。

 常在寺での法要では、戸田会長の奥様やご遺族がすでに着座し法要の開始を待っている後、秋谷会長と共に香峰子夫人が入場し、しかも戸田先生の奥様の上座に着座。恩師の法要で、恩師のご遺族に対して、このような無礼な振る舞いを平然としているのが、学会中枢幹部の姿である。

 さらに実は、この日は、総本山大石寺でも日顕上人猊下の特別な計らいで、戸田会長の二十七回忌の満山供養の法要が奉修されている。なのに、名誉会長は参加していない!。正本堂の隣に建っている富士美術館には訪れているのに、だ。

 所詮、名誉会長の「恩師」「恩師」の言葉は、自らの宣揚・権威保持に利用するものでしかないのだろう。
 会長就任後は、戸田先生の権威を借り、『全集』発刊で戸田会長の指導を書き換え、小説『人間革命』では最高の弟子であることを描き、名誉会長一人“師弟の道”を貫いているが如くの架空の神話で、会内に君臨する。恩師を利用する「忘恩の徒」とは、名誉会長ら学会中枢幹部にほかならない。

170 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/06/22(日) 11:02
では誰が会長になればよかったのですか?是非おしえてくださいませ。

171 名前: SGI 投稿日: 2003/06/22(日) 21:57
歴史で“もし”“たら”を論じることは詮なきことですが、
是非との枕詞付きですので、ご一緒に検討してみましょう。

>>120 で書き込んでいるように、私見ですが、
>戸田先生の後継者構想は、石田次男氏を会長に据え、その「石田体制」を支える人材として秋谷会長を考えていたのではないだろうか。
と思います。

信徒団体のトップとして石田氏を据え、事務局を秋谷会長や多田省吾氏らで支え、教学面は小平氏、選挙を含めての渉外関係が名誉会長や藤原行正氏らといった布陣をご構想されていたのではなかろうかと想像します。私も基本的には、それが妥当だと考えます。

しかしながら、
小説『人間革命』には1行も記述がありませんが、昭和33年3月17日総本山理境坊で第1回創価学会最高会議が開催され、席上戸田会長は、辻武寿氏の「次の会長は誰にするのですか」との質問に対して、「それは、お前達で決めるんだ」と答えております。
つまり戸田会長は、ご逝去間際において、明確に後継者指名を拒否されているのです。

さらに、同年同月の大講堂落慶法要の最中、戸田会長は側近幹部に「(学会の)敵は内部だ」と指導されていることを踏まえますと、戸田先生は、ポスト戸田の学会に、すでにある意味で失望していたのかもしれません。

172 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/06/22(日) 23:43
そういう体制になっていれば、もっと発展していたとおっしゃりたいの?
う〜ん、そうなるとますます御免蒙りたいですね。今のほうがいいわ。
それとも石田体制だとこんなに大きくならなかったというのかしら?それならいいけど。
そのへんの推測はいかがでしょうか。是非お聞かせくださいませ。

173 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/06/23(月) 02:43
いいかげん名無しってのはやめてくれ。

174 名前: SGI 投稿日: 2003/06/24(火) 00:27
 戸田会長の後が「石田体制」だったとして、学会世帯数等が、「池田体制」と比して多いか少ないかなんて判りません。それこそ詮なき想像です。

 ただ、下記の点については、願望を込めて肯定的に想像します。

 1)まず、「石田体制」であれば、今日“池田教”と揶揄されるような、トップを宣揚し個人崇拝の域に達するような歪な独裁体制は生まれなかった。
  崔單賃寮」は無理やり会長の座を奪っているため、政権の正当性をことさらこじつけなければならないこと。
 △修靴董池田会長自身が“特別の人”であることを望み、そのような演出を積み重ねてきた結果として、今日の池田創価学会の在り様があります。
 しかし、「石田政権」は正当性を強調する必要性もなく、
 じ妖沈萓犬聾朕与鯒劼箍馗浩詬箸鮓靴靴諫められていたこと、
 ダ佚鳥瓩癲△そらくそのようなことを望まないだろうと考えるからです。

 2)次に、「学会が主・宗門が従」といった感覚・認識は学会本部内に生まれず、信徒団体の分を超えなかった。
 仝妖沈萓犬蓮⊂樽法論直後の日昇上人猊下ご招待の祝宴でも「学会を潰しても、宗門を潰すな」と言明され、生前中宗門に対して赤誠を尽くしております。
 △泙拭会長空白期間、石田氏ら最高幹部には、宗門には法主は必ず存在しなければならないが、学会は単なる信徒の集団に過ぎず、必ずしも会長を必要としない。会長がいればこのうえないが、理事長中心の集団指導体制で、会員各位が自立的に信心を養っていけば充分に推進・運営できるとの認識がありました。
 石田氏らは、指導教師(担当僧侶)の派遣を宗門に要請したこともあり、学会組織を法華講組織の近代版と捉えていたと思われ、単独の在家信徒団体として存続したとしても、かなり早い時期に定期的な宗門・学会の連絡会議(僧俗協議会)が設けられただろうと推測できます。

175 名前: SGI 投稿日: 2003/06/24(火) 00:28
 3)今日の“金まみれ”の学会のようにはならなかった。
 仝妖沈萓犬蓮岾慍颪鷲亘海任い院廚半錙晃譴辰討い燭箸いい泙后財務部員にしても、任命には厳しい審査や面接を課しており、「全会員の1割を超えてはならない」と厳命されております。
 会員に供養を募る時は、総本山の堂宇建立や寺院寄進など目的を明確にし、絶えず宗門僧侶への供養しかありません。
 「折伏大行進」の時でも、学会は「金がかからない宗教」を“売り”にしており、また本部も会員も「金がかからない宗教」であることに誇りを持っていました。
 ざ發篭發鯢要とします。したがって、世俗的な栄誉や名誉・財力よりも信仰者としての矜持を堅く保ち続けている限り、今日のような醜い金権集団には堕さないと信じたいのです。

 4)たぶん衆議院には進出しなかった?
 仝妖沈萓犬蓮学会員が政治家になるのは自民党でも社会党でも共産党でも構わない、と発言しております。また、学会組織が取り組む選挙は地方議会と参議院選挙に限るとも。
 ◆愡安臠詼‐供戮硫鮗瓠王仏冥合の意義、国立戒壇の決着等々、これらに関する戸田先生の真意が不明であること。というか、宗門(御法主上人)の御指南がイマイチ明確でなく、宗団としての政治に対するスタンスが定まっていないように思われます。
 これは、もともと俗なる政治体制や政策―例えば、資本主義か社会主義か、安保や自衛隊の是非、福祉問題、教育政策といった事柄と、成仏や生老病死あるいは化儀化法としての聖なる仏法との関係が充分に整理・教示されていないことに起因しているのかもしれません。
 い任△譴弌現実に流され衆議院進出もありえるかもしれませんが、おそらく教団として政治(衆議院・政権抗争)に関わるリスクを恐れ、慎重に期したのだと推測します。

 5)内部抗争・内紛が起こる?
 ,海凌簑は、「天下を取る」を口癖にしていた名誉会長が、「石田政権」下において“長男・石田、次男・池田”の序列に、やはり我慢できず、実際第三代会長の座を奪ったように、結局学会本部内で権力抗争を引き起こすのだろうと思います。
[この項、続く。今日はここまで]

176 名前: SGI 投稿日: 2003/06/24(火) 21:06
>>175 自己レスの続き

5)内部抗争・内紛が起こる?
 ,海譴蓮◆崚群爾鮗茲襦廚鮓癖にしていた名誉会長が、石田体制下において“長男・石田、次男・池田”の序列に、やはり我慢できず、実際第三代会長の座を奪ったように、結局学会本部内で権力抗争を引き起こすのだろうとの推測に基づきます。
 △弔泙蝓∩瓩れ遅かれいずれ創価学会は、名誉会長らによって牛耳られてしまうということです。それ故に戸田会長は、>>171 に記したように失望感を抱いていたのかもしれません。

 L祥晴馗垢蓮塙兇瓠匹瞭整佞平佑任后A反イ鮓殄颪垢襯ルガナイザーの才能には長けております。しかし基本的には“やりっ放し”で、口先だけの人間です。守勢に回れば滅法弱く、逃げ隠れるのが常です。
 だからこそ、脇を固める人材が必要なのです。最たる忠臣だった北条前会長はじめ秋谷会長ら学会テクノクラートが支えているから、クーデターが成功し、トップとして君臨しているのです。

 い任垢ら、石田体制下で名誉会長が非主流と認知されシンパを作れなければ、名誉会長の造反は絶対に成功しません。しかし、脇を固める人材群を得れば、石田体制を覆すことは造作もないことです。
 ここでキーパーソンになるのが、秋谷現会長だと思います。
 秋谷会長が石田体制を支持すれば、名誉会長の野心・思惑の達成は、相当てこずり失敗に終わるかもしれませんが、池田支持に回れば易々成功するでしょう。秋谷氏は、それだけの器量がある人物です。

 ソ谷氏が池田支持に回り、石田体制の転覆を図る時は、おそらく本部内での権力抗争で決着がつき、組織分裂といった事態などは起こらないと確信します。適当な時期にもっともらしい理由で、石田次男会長から池田大作会長への交代がなされるでしょう。そして、現下がそうであるように、師敵対の池田創価学会の営みが始まります。

あれ、5番目は望みたくない推測になってしまった。
池田創価学会の出現は必然なのだろうか。

177 名前: yuriko 投稿日: 2003/06/29(日) 23:38
SGIさんの博識ぶりには驚かされます。
いろいろと調べてみたんですが、戸田先生は、いかなる時点に於てもポスト戸田体制に石田氏を考えたことはないでしょう?
昭和26年三月?日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。
その時戸田先生の体は、相当衰弱しており、戸田先生は、後事を誰に託すか真剣に考えておられたと思う。
其の時、理事室と青年部参謀室とで、特別委員会が結成された。
そのメンバーの構成をみると石田氏は入っていない。
確かに、戸田先生が会長に就任した後、戸田先生の石田氏への信頼は並々ならぬものがあったのは確かだった。
その信頼が、池田先生に移っていったのも確かなのではないのか?
ただ問題は、その青年部総登山の折り、石田氏の姿はどこに居たのか?彼の書いたものを見ると、彼もその場に居合わせたようにも思える。
池田先生はというと、戸田先生を乗せる車駕を作ったりして、おおはしゃぎだった。
池田先生は、後継に自分が当然指命されるとばかり、たかを括っていた。
それで、その特別委員会(当然池田先生もそのメンバーの一人)が、戸田先生に「後継はどうするんですか?」と直接危聞きに行った時、その席を態と
外していた(池田先生らしい演出)。
全ての委員は、池田先生が後継に指命されるとばかり思い込んでいたという。
ところが、戸田先生の答えは。「それはお前達が話し合って決めるだ」と言った。そして再度「後継は?」と聞かれると同じ答えを繰り返して、横をプいと向いた儘だったという。
これは、明らかに戸田先生の心変わりを示していると思う。
その原因として考えられるのは、やはり池田グループによる僧侶リンチ事件が戸田先生の心但を寒からしめたのが原因だろう。
実際、その事件を聞いた戸田先生は、すぐに猊下の元に使いを走らせ、心からの謝罪
をしている。また、病床を見舞った猊下に対しても。平謝りだったという。
それを考えると、戸田先生は、もし池田体制が発足すれば、遅かれ早かれ、日蓮正宗僧侶への迫害が始まることを危惧していたと思う。
戸田先生には、獄中体験という生死にも拘わる信仰体験がる。
その信仰体験というのは、理屈を抜きにしての、大御本尊への報恩感謝の念を起こさせた。その大御本尊を700年に亘り護持してきた日蓮正宗への報恩感謝もまた当然あったと思う。
戸田先生と池田先生との致命的差というのは、大御本尊への報恩感謝の念がるかどうという一点だと思う。
池田先生には、これといいた信仰体験がないのが、宗教指導者としての適格性を疑わせる理由だと思う。
具体的名称、氏名、場所は、後で書き込む。

178 名前: yuriko 投稿日: 2003/06/30(月) 00:05
最近の人間革命では、いよいよ昭和43年に起きた言論出版妨害事件をあつかっている。
池田先生の健康状態を考えれば、それは、代作者の手によるものだろうが、池田先生の直接の意向を受けてのことであるのも確かだ。
読売新聞などの間で行われた2001正月インタビューでも、池田先生は、言論出版妨害事件の歪曲した評価をしている。
現在、当事者である藤原氏、内藤氏、田中氏はもうこの世にいない。どんな嘘を書いてもいいと思っているのだろう。
ただ悪いことに、妨害側は存命している。
そして、彼等は、皆反逆者に名を列ねている。
羊のように大人しく、従順な会員達を騙すことなどわけないとおもっているのだろうか?
オーウエンの書いた1984のような露骨な歴史の書き換えが、一人の稀にみる宗教独裁者
によって行われようとしている。
藤原氏が危惧していた保守独裁体制が公明党の永久的政権参加によって実現してしまった。
日本の民主主義の行方を危ぶむものなら誰でも人間革命の記述から目を離すべきではない。

179 名前: 訂正 投稿日: 2003/06/30(月) 02:12
そして、彼等は、皆反逆者に名を列ねている。

そして、彼等の多くは、反逆者に名を列ねている。

180 名前: 続178 投稿日: 2003/06/30(月) 03:33
その特別委員会の面々も当然池田先生が後継に示されるとばかり思っていたようだ。
それは何と言っても、参議院選挙大阪地方区で、世間の予想に反して当選させた実績が大きかった/
池田先生は、東京に於ける折伏の実績もさることながら、大阪での折伏の実績があった。
これに関しては、旧人間革11巻に詳しいので改めて書き込む。
回りの目も池田先生が何かやってくれるような「大物ぶった態度」に過剰な期待をもってしまったと思われる。
そんな特別な位置を占めたいが為に、池田先生は、何としてでも大阪での参議院選挙は勝利したかったに違い無い。
そこで、選挙違反が行われたのもその成り行きに過ぎない。

181 名前: SGI 投稿日: 2003/07/02(水) 00:56
>>177 yurikoさんへ
>SGIさんの博識ぶりには驚かされます。

 いえいえ、たいしたことはございません。ただ多少皆さんよりは、学会や宗門の内実を知りえる立場・境遇・環境にあるのかもしれませんが、これまで体験したことや見聞きしたこと、手許資料などを適当にまとめているだけです。
 しかも基本的には、新聞や雑誌、書籍、ネット情報等、すでに公になっている情報を書き込むよう心がけておりますので、いわゆる“生”情報はほとんどなく、さほど目新しいものはないかと存じます。

 世阿弥だったと思いますが、「離見」という言葉があります。物事の本質をとらえるのに、離れて見る必要があるということです。そこで、可能な限り第三者的に客観情報やデータ、肯定否定の両情報などで「創価学会」を捉えてみたいと考えております。
 私自身の半生のほとんどは学会に属します。それだけに学会の素晴らしさ・長所・好感など肯定すべきところもあると認識しつつも、あえて学会の歪さ・短所・悪感など否定すべき点を浮き彫りにし、正邪・善悪・長短を合わせて総合的に検証することで、私自身の「創価学会」に対する決着をつけたいと思っております。

 それはさておき、yurikoさんの情熱には敬意を表します。
 レスを拝見しておりますと米国在住のようですが、遠くアメリカから(とはいってもネットでは距離は関係ないのですね)、何が真実で、正邪はどれで、本質は何かについて、真摯に考え、ご自分の言葉で何とか学会員の方に伝えようとの試みに勇気づけられます。
 貴方の営みにおいて、いささかでもお役に立つことがあれば、嬉しい限りです。

182 名前: SGI 投稿日: 2003/07/02(水) 00:57
[前レスに引き続いて]
>いろいろと調べてみたんですが、戸田先生は、いかなる時点に於てもポスト戸田体制に石田氏を考えたことはないでしょう?

 いいえ、>>14 および>>120 に書き込んでいるように、
 戸田先生は、一時期「ポスト戸田」の後継者として石田次男氏を考えていたことは間違いないと思われます。

 実際、戸田会長の学会における秘書であった和泉美代秘書部長は、戸田先生のご意向を最も良くする知る立場の方であり、昭和33年3月の総本山理境坊でも不眠不休に近い看病に尽くしており、当然のように戸田先生の言動を真正面から受け止め、第三代会長には石田氏の擁立に動きました。
 結果、池田会長誕生後、和泉秘書部長は名誉会長から陰湿な凄まじい“いじめ”にあい、深刻なノイローゼになってしまうのです。小説「人間革命」では“泉田ため”で登場しますが、もう故人となってしまいました。

>昭和26年三月?日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。
 
 正確には、昭和33年3月16日のことでしょう。
 同年3月1日に大講堂落慶大法要が奉修され、1ヶ月にわたり約20万人の慶祝登山が挙行されております。大講堂は、戸田会長が発願され、学会が寄進した堂宇です。戸田先生の最後の願業でした。

 実は、もともと1日の落慶大法要・祝賀会に岸信介首相が参詣予定だったのですが、所用で都合がつかず16日に変更になったため、急遽青年部6千名の総登山会が企画されたのです。これが、後に“広宣流布の模擬試験”と意義づけられる記念式典の開催経緯です。

183 名前: SGI 投稿日: 2003/07/02(水) 00:58
[前レスの続き]
>其の時、理事室と青年部参謀室とで、特別委員会が結成された。
 そのメンバーの構成をみると石田氏は入っていない。
>その青年部総登山の折り、石田氏の姿はどこに居たのか?

 はて?特別委員会というのがわかりません。
 後事を誰に託すか―つまり後継会長問題に関する会合については、竜年光氏は「最高会議」、石田次男氏は「理事・参謀の合同会議」と、それぞれ著書などで記しております。
私が当事者の一人から聞いた時は「特別の名称はなかった。理事長以下、理事と青年部参謀が戸田先生の枕元に集まっていただけ」と語っていました。

 いずれにせよ、「それ(後継会長)はお前達が話し合って決めるのだ」と戸田先生が語った理境坊での集まりには、名誉会長は居合わせておらず、石田氏は同席しております。
 また16日の大講堂での祝宴でも、戸田先生は、同様の趣旨を含んだことをお話されており、支部長や婦人部長、青年部代表幹部らも聞いているとのことです。
 だからこそ、後に第三代会長誕生の時、理事室の総意として全会一致の決議で推挙をするという手続きを踏んでいるのです。

>その信頼が、池田先生に移っていったのも確かなのではないのか?

 確かに名誉会長を中枢幹部に登用したのですから、それなりの信頼もあったかと思いますが、果たして石田氏から名誉会長に信頼が移っていったということはあったのでしょうか。

 毎年1月に戸田先生を囲む「子供会」という集まりがありました。これは、戸田先生の縁結びで一緒になった青年部幹部同士の夫婦(総勢15〜6組)が、戸田先生のご招待で会食するという会合です。
 この会合で戸田先生は、毎年のように「長男はツグオ、次男はダイサク」と繰り返し語られていたとのことです。戸田先生の御構想の中では、若手幹部の序列は、常に石田氏がトップで名誉会長は二番手であることが拝察できます。

 ですので、名誉会長を石田氏に代わって「後継会長に」という想いは、戸田先生の中にはないと思われます。
 しかしながら、名誉会長が青年部参謀室長として、>>106 で記したように、実質的に青年部の運営者(支配者)然となっている状況が、戸田先生の名誉会長への“信頼”であると、一般会員や青年部幹部らには映ったのかもしれません。
[続きは、また後日に]

184 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/03(木) 16:10
最近の聖教新聞では、しつこく「シアトル事件」なるものが実際に存在したかのように創価学会会長に語らせているし、創価学会草創期の最高幹部を口を窮めて批判している。
はたして、創価学会員は、そうした行動が、自分達を自ら貶めていることに気ずかないのだろうか?
また、創価学会の実質的創立者である戸田先生をも貶めていることにもなる。
去年の聖教新聞の随筆人間革命で池田先生は、戸田先生が牢獄に繋がれたことに関して、明らかな嘘の記述をしている。
改めて書き込もうとは思っているが、戸田先生は「戦争に反対して」牢に繋がれたのではなく、「軍部政府に反抗して」牢に繋がれたとはなっているものの、
池田先生自らを語る時は、「もし機会があれば、牢獄に入ってでも戦争に反対していただろう」んどと実に空々しい嘘を書いている。
虚言癖もここまで来ると救いようがない。

8ー14ー2002随筆新人間革命
『青年を愚弄する大人に嫌気がさしていた私は感動した。戦争を賛美しながら、戦後、手のひらを返すように平和主義に豹変した政治家や知識人にも辟易していた。
戸田先生が軍部政府の弾圧を受け、二年間、投獄されていた事実は、私が師事する決定的な理由となった。
私自身、もし再び戦争が起きたら、牢獄に入ってでも抵抗する覚悟の人間でありたかった。いかなる権力の横暴にも屈せぬ勇者として生きたかった』

185 名前: 続yuriko 投稿日: 2003/07/03(木) 16:22
世の俗言に「もしもとお化けは滅多に出ない」というのがある。
池田先生の決意発表もそれに当たるわけで、「もし戦争が起きたら反対する」などということは、誰でも容易く言える。
戦争を行う政府にしても、「戦争を行うしか事態を打開する道はない」と国民をもっともな資料を提示して説得しようとする。
大平洋戦争当時の日本国民の大部分は騙されたというより、それなりに納得して「日本を救わん!」という熱い使命感に燃えて戦争協力したのではなかったか?
戦争絶対悪の思想は、宗教的なものだ。
「たとえ自らがなされるまま蹂躙されても、暴力だけは使いません」という非暴力の精神は、余程強い精神力と信念がなければ為し得るものではない。
そんな高貴な精神力を池田先生が持ち合えている筈もない。
ノーベル平和賞をっ目指す御仁としては、情けない限りだ。
チベット仏教の精神的支柱のダライラマ14世の、非暴力による共産中国政府への抵抗や、同政府の支持によるヤンマー軍事政府から迫害されているヤンサンスーチー女史などへの支持協力もできないで、国際的仏教指導者などとよく言えたものだ。
池田先生が入信?した頃を知っている人々の数々の証言によると
当時勤務していた印刷工場などでの飲み会での池田先生の十八番は、「同期の桜」の斉唱だったという、
また、太作(たいさく)少年(本名)は、少年航空隊に志願しようとしたが、両親の反対で実現しなかった。
こういう人間が戸田先生と出会った当時反戦意識があったとは、どうしても思えないのだが、創価学会員の諸君は如何か?
体は頑丈で、体育は常に甲(最高点)だったという。
特に尻上がりはうまかった。
現在、新人間革命では、池田先生が病身を押して、会長職を全うするという美談が書かれているが、実に眉唾ものだ。
そして最も成績が芳しくなかったのは、図工だったという。後の救いようのない美術作品への悪趣味は、生来のものだったのは興味深い。
(資料まっとつるしま作『天魔の野望』

186 名前: SGI 投稿日: 2003/07/03(木) 23:57
>>183の続き
>>177 >これは、明らかに戸田先生の心変わりを示していると思う。

 というより、>>174->>176 に書き込んだように、戸田先生は昭和33年3月においては、すでに失望していたのではないかと、私は推測します。

>その原因として考えられるのは、やはり池田グループによる僧侶リンチ事件が戸田先生の心但を寒からしめたのが原因だろう。
実際、その事件を聞いた戸田先生は、すぐに猊下の元に使いを走らせ、心からの謝罪をしている。また、病床を見舞った猊下に対しても。平謝りだったという。

 論旨には同意しますが、事件の時系列が誤っているのではないでしょうか。
 日昇上人が、戸田会長の病床を見舞ったのは、3月18日。
 的場正順御尊師に暴行をはたらいたのは、3月29日(または28日:名誉会長ら一派の単独暴挙のためか、資料によって日付が異なる)。
 そして戸田会長が総本山から日大病院に転送されるのは、3月31日の夜更け(4月1日未明)である。明けて、2日午後6時40分過ぎ、逝去。

 よって、僧侶リンチ事件は、戸田先生が「後継会長は話し合いで決めろ」と指名を拒否した後のことです。でも
>戸田先生は、もし池田体制が発足すれば、遅かれ早かれ、日蓮正宗僧侶への迫害が始まることを危惧していたと思う。
 と、ご指摘のように、
 おそらく戸田先生は名誉会長に対して、そのような危惧や不安、そして不信感を抱かれていたのでしょう。

 戸田先生は、昭和27年4月の立宗七百年祭で青年部が引き起こした、いわゆる「狸祭り事件」や、昭和30年の「大阪・蓮華寺事件」などを通して、名誉会長の心の中にある宗門僧侶に対する反感や反抗心に気づかれていたのだと思います。
 このこともあって、名誉会長を後継者に指名することはできない、とお考えになっていたのだと思います。

 「狸祭り事件」も「蓮華寺事件」も「僧侶リンチ事件」も、いずれも小説『人間革命』では、学会や名誉会長にとって都合のように正当性があるかのように事実を歪曲して描かれています。すべて悪者は宗門僧侶になっておりますが、実際の事実はいささか異なるようです。歴史の書き換えといわざるをえません。
 ましてや、「僧侶リンチ事件」の後、名誉会長から報告を受けた戸田会長が「追撃の手をゆるめるな」と遺言したという記述は、捏造のなにものでもないのです。

187 名前: SGI 投稿日: 2003/07/03(木) 23:58
[前レスの続き]
>>180 >そんな特別な位置を占めたいが為に、池田先生は、何としてでも大阪での参議院選挙は勝利したかったに違い無い。
そこで、選挙違反が行われたのもその成り行きに過ぎない。

 でしょうね。
 昭和31年の選挙は当選を勝ち取ったものの、翌年の補欠選挙では落選となり、しかもご本人も選挙違反で逮捕されてしまったのですから、相当ショック・一大事だったのです。そこで失地回復をめざし、第三代会長の座を狙ったのでしょう。

 名誉会長は、「大阪事件」以前から会長就任の野望を抱いていたのでしょうが、事件後その想いを決定的に固めたのだと思います。
 しかも、戸田会長の逝去後、「戸田会長の七回忌後」というコンセンサスを覆すように会長就任を急いだのも、この「大阪事件」の被告だったからなのでしょう。

 「大阪事件」の裁判費用は、全額学会が負担しております。弁護団は、戸田会長の旧友である自民党元代議士を核にした強力弁護団が結成されましたが、弁護団は戸田先生の人脈であり、弁護団自体が名誉会長を厄介視しておりました。末端会員が全員有罪となったように、名誉会長の有罪判決は、まず逃れないであろうというのが大方の予測だったのです。

 そこで、名誉会長が第三代会長に就任しなければ、この強力弁護団は解散または無実化してしまいます。裁判で無罪を勝ち取るには、会長にならなければならないと、名誉会長は考えたのでしょう(裁判費用も個人負担になってしまう)。そして、もし無罪となれば「法難だった」と箔がつく、と。だから、会長就任を急いだのだと思うのです。
 こうして、名誉会長を中心とする青年部池田派のクーデターが遂行された…。

188 名前: yurikoのおば 投稿日: 2003/07/05(土) 15:19
>>186日昇上人が、戸田会長の病床を見舞ったのは、3月18日。
 的場正順御尊師に暴行をはたらいたのは、3月29日(または28日:名誉会長ら一派の単独暴挙のためか、資料によって日付が異なる)。
 そして戸田会長が総本山から日大病院に転送されるのは、3月31日の夜更け(4月1日未明)である。明けて、2日午後6時40分過ぎ、逝去。
ふむふむ、ということは、言いたくはないが、実質的に池田先生は戸田先生を死においやったわけですね。
池田先生にしてみれば、戸田先生が亡くなってしまえばこちらのものと思って居たのではないか?
石田氏が後に、池田先生が言ったそのものの言葉として、
「いい時に死んだよな〜?」
というのも説得力が出てくる。
会長職に就任した後も、「これからは、本門の広宣流布の指揮を取らせて頂きます」などの発言も師を愚弄する言葉として説得力が出てくる。
もっとも、旧版の折伏経典などでは、時代錯誤的邪宗攻撃が露骨に語られていて、今読むと眉を顰めざるを得ないことを考えれば、池田先生のお陰で組織の近代化が進み、広宣流布が前進したと言えなくも無い。
池田先生の実力を過小評価するのも間違っているが、もっと問題にしたいのは、果たして、現在の創価学会の姿は果たして戸田先生が本当に望んだものだったのだろうか、という点だ。
確かに、死人に口無しとも言うが、死者へのそれなりの敬意を払うのも必要なのではあるまいか?
創価学会の発展?は、日本経済のバブル的発展と全く歩調を合わせた。
その特徴の一つに「伝統の破壊」というのがある。
それは、大きくは、大平洋戦争に日本が負けた為に、日本の政治経済の民主化が加速度的に進んだのと歩調を合わせている。
新興宗教団体の発展の中で取り分け、創価学会が得をしたのも故なきことではなかった。
創価学会は巧みに伝統の破壊を行って来た。
しかし、表向きには、「創価学会は、新興宗教ではない。何故なら、その教義は、日蓮正宗の伝統教義に則り、根本の本尊を大御本尊にしているからだ」と嘯いてきた。
平成5年くらいまでは、まだ日蓮正宗の伝統教義にこだわる面もあったが、今では半ば公然と日蓮正宗伝統化義の破壊が進行している。
大御本尊ん正統性を否定した挙げ句、池田大曼陀羅が登場したりするのもそんな先の話ではない。

189 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/07(月) 14:39
SGIさんに質問です。
水滸会(すいこかい)記録は、戸田先生の遺言集としてあったそうですが、これを池田先生が「編集するから」として持ち出したまま行方がわからなくなっているそうですが、本当のことでしょうか?
また、留言集という戸田先生の遺言集も池田先生が、一人占めしているそうですが本当でしょうか?
池田先生は、さかんに自分と戸田先生は、一体不二であることを強調して、自分の指導は戸田先生の指導と寸分違わぬことを強調しますが、これは明らかな嘘だと思います。
強調し過ぎる為に却って疑惑を招いてしまうのです。
果たして、内容の善し悪しは別にして、それら戸田先生の遺言集が日の目を見ることがあるのでしょうか?
『「水滸会記録二十六箇条適職置文」』について知っていることがあれば教えていただけないでしょうか?

190 名前: SGI 投稿日: 2003/07/08(火) 23:09
>>189 yuriko さんへ
>本当のことでしょうか? ――と改めて問いかけられても、今さら確かめようがなく、私がこれまでに数人の関係者から聞いた事実として、>>161 に書き込んだ次第です。
水滸会での指導録(ある人は『二十六箇条』と言っておりました)を名誉会長が預かっており、その指導録に基づいて名誉会長の指導展開があるのだから何も問題がないと、その関係者の1人は語っていました。

私は長らく戸田先生の指導=池田先生の指導と思っておりました。小説「人間革命」や学会指導をまともに受け止めていたのです。
しかし、現下の狂った学会の在り様の淵源を求めて、学会の歴史について見直しをしたところ、このスレッドで連々と書き込んできたような“師敵対の歴史”を知りえたのです。そして、戸田先生の指導と名誉会長の指導には根本的な相違があるらしいことも判りました。

ところが、>>123 に記したように『戸田城聖全集』も改ざんされ、指導録も隠され、多くの戸田門下生は口をつぐむ有り様では、戸田先生の本当の指導・信心・教学・信条などの全体像に触れることができません。
>日の目を見ることがあるのでしょうか? ――是非その日が来ることを私も望みます。が、ほぼ実現しないでしょう、「池田批判」でも起こらない限り。誠に残念でなりません。

191 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/09(水) 05:46
やっと、落ち着きました。
意味はいろいろです。
そこで、前々から予告しておりましたように、再び人間革命批判を始めたいと思います。
ただ私の知識は、SGIさんのものと比べると微々たるもので、またSGIさんに補って頂きたく思います。
私は、このスレッドで人間革命批判と名ずけましたが、私は何も事実無根の批判をしたいのではありません。
ただ小説人間革命には、明らかな事実歪曲があるのではないか?
もし、そうなら一般会員にとって全くフェアーじゃないし、未来の世代へも申し訳ないのではないか?と思ったのです。
真実を知った上で、自分達の思うところを主張して欲しいと思っただけです。
>>187
>昭和31年の選挙は当選を勝ち取ったものの、翌年の補欠選挙では落選となり、しかもご本人も選挙違反で逮捕されてしまった
...私は、主に人間革命第11巻を取り上げたいのですが、先日同巻を読んだのですが、選挙違反者が出たことや山本伸一が逮捕拘留されたことは書かれていましたが、落選したことは書かれていなかったように思われるのですが、もう一度確認してみます。
いずれにしても、同11巻では、あたかも山本伸一が当事者であったのに拘わらず、反省の弁が全くないばかりか、被害者を装っていたのには、気分が悪くなってきました。
これは、言論出版妨害事件へも引き継がれるわけで、
その時の弁
「自分達はそのつもりはなかったのだが、こちらの熱心さのあまり言論妨害と受け取られかねない行動に走ったことに対して謝罪する」というのと全く同じ論法で、
「自分達は選挙違反などするつもりはなかったのだが、こちらの熱心さのあまり、一部のものの行為が選挙違反と受け取られかねない行動をしてしまったことは残念だ」ともなるのでしょうか?
なにより、私が許せないのは、池田参謀室長がその職の重要さを鑑みることなく、検事の追求に震え上がって、「ペラペラ」と自供したことです。
具体的引用は後にしますが、その言い訳というのが「戸田先生を守る為」というのだから、毎度のことながら師の利用には呆れます。
池田先生は、法廷闘争で真実を詳らかにすると嘯いていたようですが、事によると戸田先生逮捕拘留という事態もあっただけに許せない気持ちがします。
実際の結果はというと、検挙された者達の大部分は有罪となりました。公民権停止や執行猶予つきの罰金刑の比較的重いものでした。
容易く自白してしまった池田参謀室長も本来なら有罪は確実だったのですが、どういう訳か無罪になってしまいます。
これは長い目で見るとき、創価学会の正常な発展にも不幸だったし、広くは日本否世界の不幸だったんじゃないでしょうか?
池田先生によると、戸田先生は池田先生が検事の取り調べに大阪に向かうというんで、送る時に
「お前が倒れたら、俺もその上に倒れて一緒に死のう」と言ったそうですが、池田先生の性格から言って、これも作り話でしょう。
石田次男氏は、池田室長が無罪を勝ち得たことに関して、面白い裏話を明らかにしておりますが、これも後に書き込みます。
石田氏によれば、要するに戸田先生の人脈を通して、検事に圧力が加えられ、取り調べが深夜にまで及ぶ違法性の強いものであったことが証明され、自白が証拠として採用されなかった為と記憶しております。
なんとも、呆れた実態ではありませんか?
不幸なことに、池田先生は、法律=司法権力を見方につければ、白を黒とし、黒を白とできることを身を持って学んでしまったのでした。
創価学会が抱える、法律家軍団は、正に創価学会の謀略の手先として活躍してきたわけです。
山崎正友氏らが果たしてきた役割は決して小さくはなかったでしょう。
しかし、山崎正友氏等は、自らの犯罪行為を公開してまで、創価学会と心中するつもりはないでしょう。
私が望みたいのは、米国で「内部告発者保護法」が成立したように、日本でもそんな法律が成立して内部告発を促すだけではなく、過去に遡っても、内部告発者の社会的地位を保護するような法律が制定して欲しいのです。

192 名前: 訂正191 投稿日: 2003/07/09(水) 05:57
不幸なことに、池田先生は、法律=司法権力を見方につければ、白を黒とし、黒を白とできる

不幸なことに、池田先生は、法律=司法権力を味方につければ、白を黒とし、黒を白とできる

193 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/09(水) 09:00
>>191参考資料
http://www.forum21.jp/contents/contents7-1.html

194 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/10(木) 07:17
>>90 SGI さんへ
>>82 yuriko さんへ
1)森田理事長の件
 森田理事長は、中央大学の夜間です。
2)法華経研究会の件

ちょっと前のレスですが、ちょっと私は、勘違いしていました。
創価学会理事長森田一哉氏ともう一人の責任役員の森田康夫氏をごっちゃにしていました。
>>72人間革命12巻に登場する森川青年は、森田康夫でしょうか?
森田康夫は、東大の応用化学科の研究室にいた関係で、青木享、渡辺一郎(発足メンバー)、篠原誠(発足メンバー)と共に計七人で法華経研究会が、発展した形で、戸田会長を囲んで法華経講義が行われた。
他のメンバーには、岡安博司、三宅健夫(東京外大)、八矢英世、小林宏(後期)、などが居る。
開講時五人から四十四人に登り、大部分は、東大生ではなかった(五人だけ)   私がわかったのはここまでです。
この東大法華経研究会は、後の渋谷学生部長を中心とする学生部にはってんする。
この東大法華経研究会には、池田先生もよく参加していたらしい。
学歴コンプレックスの強い池田先生が東大の学生達に混じって何を思ったのか定かではない。

195 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/10(木) 07:26
>>194参考資料「広布の走者」学生部史委員会編、創価学会学生部史1974年初版

196 名前: SGI 投稿日: 2003/07/11(金) 23:48
>>194 yuriko さんへ。
>「人間革命」12巻に登場する森川青年は、森田康夫でしょうか?
――いいえ、森川一正は森田一哉・現理事長です。
 だいたい実際にありもしなかった“エレベーター相承”の立会人として描かれていますし、青年部参謀室の設置を描く第8巻「推進」の章では参謀として登場しておりますので、まず間違いなく森田理事長をモデルにしていると断定してもいいのではないでしょうか。

 東大生については、同第8巻「学徒」の章で紹介されています。
 記述から推測しますと、森田康夫=森永安志、青木享=青田進、渡辺一郎=渡吾郎、篠原誠=藤原明となろうかと思います。
 池田会長時代になると、東大法華経研究会は『日蓮正宗創価学会』を刊行し、彼らおよび彼らの後輩たち学生部の精鋭が教学部や特別書記局に就き、学会の理論構築を担い、やがて名誉会長の要人・識者との会談・対談につながっていくのです。

197 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 00:37
>>120
>「池田政権」誕生と共に、秋谷会長は、戸田先生からいただいた「城永」の名を捨て、再び「栄之助」に戻り、「池田政権」の中で確固たる地位を築いていった。
池田先生は、よく反逆者を揶揄して、「反逆者達」を「忘恩は人間として最大の恥であり、罪である」と言う。
そうすると、戸田先生から頂戴した名前を捨て去った現秋谷会長がそれに当たるといえる。
SGIさんに質問なのですが、
>>120
>そして、次代の学会を担う青年部の中から、これぞと思う人材に対しては、水滸会や華陽会の薫陶とは別に個人教授での訓練を実施する。彼らには、ご自分の名:城聖の「城」を与えており、期待の大きさが分かる。秋谷現会長もその1人だ
...そこで質問なのですが、戸田先生から城の字を頂いた幹部は、秋谷会長以外にどんな人が居るのでしょうか?

198 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 08:54
>>15でSGIさんが触れられている大阪事件について述べる。
この事件とは、昭和32年参議院補欠選挙を巡っての創価学会の選挙違反事件のことである。
外部の人は、自分で詳細は、調べて欲しい。
小説人間革命では、第11巻で取り扱っている。
昭和32年7月は、山本伸一=池田大作は、炭労事件の処理の為、北海道夕張にいた。
池田先生は、これを不当な権力による弾圧であることを印象ずける為、屡、「国家権力」「弾圧」「大阪府警の黒い糸」などの表現を使い、 この事件を創価学会に向けられた宗教弾圧である事を印象ずけている。
私が問題にしたいのは、同小説で、山本は無実であったのに、他の被疑者の検察と共謀した偽の供述によって、罪が捏ち上げられたことが強調させられている。
それだけではない。担当した弁護士までも
「...戸田会長が逮捕されるとなれば、これはおおごとだよ。検事も、君の出方次第では。穏便にすめせてもよいといっている。...]
など無実の被疑者に全く不自然な嘘の自白を勧めている。
また、後に無慈悲にも除名してしまう他の拘留者に対しても、「...非道な取り調べを受けた報告を聞き、胸を痛めてきた。そんな指示など、もとよりしたことはないが、違反者を出したことに道義的な責任を強く感じていた。...自分こそ最も苦しむべきではないか。...罪を一身に被るべきではないかと思えてきた。」
などと自己正当化に励む。その上で、(迷惑をかけた)他の被疑者に対しても、思い遣っている。全く、作者の精神構造を疑わせるような偽善に満ちた表現だ。
そして、山本は、
「...それで逮捕されたら、先生のお体はーー。あってはならない。絶対み逮捕させてはならない」
と悲壮な決意をする。
しかし、ここでちょっと考えて欲しい。
現在選挙違反の首謀者と目される男が逮捕拘留されて、検事の追求に会っている。本人は無実を主張 している。
そんな男に
1接見した弁護士が嘘の自白を奨めるだろうか
2山本が容疑を否認し続けたとしたら、戸田先生にまで警察の追求の手が伸びるのはあり得ないのではないか?
3昭和35年に理事長小西(小泉)は、無罪判決を受けた。これは、小西が一貫して無実を主張し続けたのが認められたからだ。一方、山本の裁判がさらに2年も延びたのは、山本が自白したからに他ならない。 ということは、山本が容易に自白しなければならなかった理由などなかった。
したがって、山本の決意
「...学会の正義だけは、なんとしても証明しなくてはならない。そのために...裁判にいっさいを賭けようとしていた。伸一は罪を一身に背負う覚悟はできていたが、学会の正義を証明するためには、無実を明らかにしなければならないことを痛感していたのである。」
などと身勝手としか言い様のない屁理屈で自己正当化を図る。
この学会を守るという自己正当化の論理は、池田先生のその後を貫く哲学となっていく。
その哲学とは、創価学会=自分自身とした上で、それを守る為には、どんな反社会的嘘、謀略も正当化されるというものだ。
大阪事件こそ池田先生の原点といえる。

199 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 09:09

却って危ぶまれるのは、選挙違反首謀者の自供を重くみた検察当局は、事態の重要さに鑑みて、一気に創価学会に対する追求の手を伸ばすことだ。
そうなれば、創価学会会長逮捕ともなり、創価学会は実質的崩壊の危機に直面したかも知れない。
結局はそうならなかったのだが、長い目で見る時、この検察当局の手緩さが、日本の政治に取りかえしのつかぬ災厄を齎(もたら)したとも言える。

200 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 15:02
>>186に関してです。
私の手許に龍年光著「池田創価学会を解散させよ」(1991年発行)がある。
氏は、今年83才益々頑張って頂きたい。
同書には、氏の誠実な人柄が伺われて、創価学会の真実が語られている印象を受けた。
同書には、池田先生の入信神話の真実、戸田先生の昭和33年3月の様子、的場尊師へのリンチ事件等が語られていて興味深い。
まず、龍氏の略歴から見てみたい。
昭和21年日蓮正宗入信26才 青年部結成時 第4部隊長 後に参謀 政治部長、壮年部長、統監部長、理事、総務、教学部師範、昭和30年から昭和60年まで品川区議、都議、党都議会幹事長、都議会副議長などを務めている。
故北条会長や森田理事長とは、極めて親しい間柄にある。草創からの最高幹部と言っていいだろう。
もっとも、池田先生が会長に就任する際ただ一人、異を唱えた為、池田先生に終生怨まれることになり、党や学会での出世は著しく遅れることになっった。
この書で語られていて、同スレッドで話題になった戸田先生の後継に関する遺言
2的場師リンチ事件について述べる

201 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 15:58
1戸田先生の後継に関する遺言について
まず池田先生の主張するエレベーター相承について。
私は、新人間革命は殆どよんでいない。したがって、具体的にエレベーター相承が語られている巻があるのかどうか定かではない。
私が注目したいのは、龍氏が目撃した次の場面だ。
『....三月一日の「大講堂落慶大法要」...池田はどこかにいなくなっていた。戸田先生が「池田を探して来い!」と命じられ、ジリジリしながら待っていると、池田はエレベーターの所に現れた。それを見つけた戸田先生が、大声を張り上げ、「何故、大事な時に俺の傍にいない!俺とお前しかいないんだぞ。それなのに、お前はどうしていないんだっ!」と、池田を怒鳴り付けた。池田は、恐縮するでもなく、「いえ、私のような者はこんな晴れがましい場に出るより、外で案内係をsジている方が相応しいので」と謙遜ぶった言い訳をしていた。」
これが、エレベーター相承の真実だが、私が注目したいのは、次の戸田先生の言葉「俺とお前しかいないんだぞ」だ。
池田先生が戸田先生に常にくっ付いていた事を考え合わせれば、この言葉は、戸田先生の後継としての御墨付きと取れなくも亡い。
また、「この儀式の後、先生の体がいよいよ衰弱された為、理事達と四参謀が揃って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。...この際ハッキリ池田を三代会長に指命してもらおうというハラずもりだったようだ。,,,ところが先生は、はっきりした声で、「それは、お前達が決めるんだ」と答えられた。」
この手記は、所謂」反逆者の手によるものなので、ある意味で一層説得力がある。
これによると、やはり戸田先生の池田先生へ信頼は群を抜いて居たように思われるし、回りの最高幹部達も次は、池田会長での暗黙の諒解があったようだ。
しかし、戸田先生は、池田後継指命を拒否された。
これは、既に述べたように戸田先生は、池田先生の中にある「何か」に一抹の危惧を感じられたからだと思う。
その危惧とじゃ、池田先生の露骨な日蓮正宗の僧侶達への明から様な反抗心だったのは明らかだと思う。
そして実際に、池田先生は、自ら師の不安を適中させる。
的場師への暴行は次の機会に述べる。

202 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/12(土) 23:00
2 的場師リンチ事件
被害者的場正順師は、妙信講裁判の際、創価学会が総本山大石寺に加えた圧力の実態を証拠資料として提出している。
事件が起きた3月28日、戸田先生は既に重体に陥っていた。
池田先生は、16日の式典の後、営業で北条、森田と帰京。ところが、27日突然、北条、森田と共に総本山に戻る。
これは、青年部と的場師の感情的対立を利用して尊師を吊るし上げようとしてのことだった。
青年部幹部が本山所化 小僧さんを使い走りに使っていたのを抗議された。
また、本山では乗物が禁止されていたのに拘わらず、戸田先生が豪華な輿(みこし)に乗って山内を練り歩いた。
これにも抗議された。これに逆上したのが池田先生だった。
的場師へ行ったリンチというのは、尊師を裸にして青年部に担ぎ上げさせ、冷たい川の水の中(3月下旬)に何度も頭を押し込めたというもの。
どう考えても異様で、池田先生の逆恨みとしか言い様がない。
何が「人権」「平和」だ!
ここで池田先生は、戸田先生に報告に行くのだが、そうすると戸田先生は「追撃の手を緩めるな、といわれた」と皆に報告する。
ここで、SGIさんの>>186の時系列に付け加えたい。
確かに、3月18日に日昇上人が戸田先生を見舞っている。
ところが例のリンチ事件から3日後、理境坊に日淳上人も戸田先生を見舞っている。
同席していた小泉理事長によると、戸田先生は上人に対して、何度も何度も「申し訳ありません、申し訳ありません」と謝っていたという。
そして、二日後、4月2日に逝去する。
かように池田先生の行った悪行は、師を苦しめ、死に追いやったのである。
まさに鬼畜の行為と言える。
また、当然「追撃の手を緩めるな云々」は捏造だったのは確実だ。

203 名前: 訂正198 投稿日: 2003/07/13(日) 14:33
方、山本の裁判がさらに2年も延びたのは、山本が自白したからに他ならない。 ということは、山本が容易に自白しなければならなかった理由などなかった。
訂正↓
方、山本の裁判がさらに4年も延びたのは、山本が自白したからに他ならない。 ということは、山本が容易に自白しなければならなかった理由などなかった。

204 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/13(日) 22:19
>>186日昇上人が、戸田会長の病床を見舞ったのは、3月18日。
...細かい点ですが、これは、何処から取った資料でしょうか?
人間革命は、嘘の歴史で塗り固められているとはいえ、細かい歴史事実はだいたい正確なのではありませんか?
池田先生は、それを巧みに利用して、人間革命が恰も正史であることを装っているんじゃないでしょうか?
日昇上人は、人間革命第12巻で、昭和32年10月14日午前2時20分息を引き取っていますが?
日昇上人は、昭和31年に退座しています。
やはり、昭和33年3月、戸田先生の病床を訪れたのは、日淳上人だと思うんですが、如何でしょうか?

205 名前: SGI 投稿日: 2003/07/13(日) 23:25
>>197
>戸田先生から城の字を頂いた幹部は、秋谷会長以外にどんな人が居るのでしょうか?
―― yurikoさんが>>194で紹介している渡辺一郎氏も、その1人です。「城克」を名乗っておりました。

>>204
ご指摘のとおり、日淳上人です。私の勘違い、タイプミスです。ごめんなさい。
だから >Sちゃんの労作、半分は正しいが半分は想像・妄想です。
――ってレスされてしまうのでしょうね。
資料は、石田次男著『内外一致の妙法』。こちらも、日淳上人でした。


 ところで、
 学会本部内では以前より戸田会長時代の事を語ることが憚れる雰囲気があります。故・北条会長も秋谷会長も語りませんし、和泉・辻・柏原らの長老連中も公式会合では必要以上の話をしません。戸田先生の事は名誉会長しか語ってはならない、という暗黙のルールがあるようです。
 
 名誉会長以外の人が語る時は、戸田先生と名誉会長の“捏造・脚色された”師弟関係に限られており、エピソードにしても名誉会長が語った内容を必ず踏襲します。余計な事を言うのはタブーなのです。だから、小説「人間革命」に描かれる以外の戸田先生の振る舞いや言動、指導といったものが、今の学会組織には伝わっておりません。

 私の身内や知り合いにおいても同様です。戸田会長時代の事を聞いても、すでに50年ほど前の事で記憶が曖昧になっておりますし、「人間革命」等で伝えられる事を自らも長年語り続けてきたので、どれが事実で何が虚実なのか判別できなくなってきました。
 ああ、こうして“歴史”は、書き換えられ残されていくのだなと、つくづく思いますよ。

206 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/13(日) 23:38
小説人間革命12巻375p
「先生...」
伸一は心の中で叫んだ。彼の脳裏に、大講堂落慶法要の日、エレベーターのなかで戸田が語った言葉が、まざまざと蘇った。
「さあ、これで、私の仕事は、終わった。...伸一、あとはお前だ。頼むぞ!」
...これが、有名なエレベーター相承なのだが、要するに、いつものパターンで戸田先生と池田先生二人っきりの対話で、これが真実とも嘘ともいえない。
ただ、人間革命が真実の歴史を語ろうとしているのか、池田先生の妄想を意図的に語ろうとしているyのか定かではない。
時代背景の説明にしても、やたらに詳しく書き記して、人間革命の話の流れに説得力を持たせようとしている。
それでも首を傾げる記述も少なく無い。
昭和33年青年部総登山 3月16日に広宣流布模擬試験の儀式と称して、総理大臣を招いた。
抑、何故一国の首相が総本山を訪れることが広宣流布の儀式、予行演習になるのか、さっぱりわからない。
恐らく、これは日蓮大聖人が行った3度に亘る国家諌行に準えてのことだろう。
日本仏教の伝統である国家安泰を願う為の国家仏教の伝統を踏まえてのことだろうが、民衆仏教を唱える創価学会にしては、ちぐはぐな感じがする。
結局の所、その体制迎合主義は、創価学会の伝統となる。
俗に言う、「ブタも煽(おだ)てれば木に登る」を実践しているだけだ。「偉い人に誉められれば、それでよし」というエスタブリッシュメント志向だ。
ついでに言うと、
何故昭和33年当時の首相は、明らかに岸信介であるのに拘わらず、作者は態々、首相の名前を峰直介としたのだろうか?
何か姑息な感じだ。

207 名前: 訂正206 投稿日: 2003/07/14(月) 08:59
恐らく、これは日蓮大聖人が行った3度に亘る国家諌行に準えてのことだろう。→国家諌暁(こっかかんぎょう)

208 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/14(月) 16:19
>>190『戸田城聖全集』も改ざんされ、指導録も隠され、多くの戸田門下生は口をつぐむ有り様では、戸田先生の本当の指導・信心・教学・信条などの全体像に触れることができません。
...今の創価学会員は、それなりに現在の創価学会に対して満足していると思う。
逆にいえば、過去の創価学会のあり方は、その時代を反映していたとはいえ、時代錯誤的であり、非常識、反社会的だったと思っていると思う。
たとえ、創価学会の実質的創立者が戸田先生であったとしても、それは、あくまで過去の存在という割り切った見方をしているものが大部分なのではないか?
こういう仮定は不謹慎かもしれないが、もし石田次男氏が第三代会長に就任していたら、どうなっていただろうか?
恐らく、戸田時代の余勢をかって、公称300万世帯までは行っただろう。
組織は、教学が強調され、そこには、まだ時代錯誤的宗門教学が巾を利かせていただろう。
海外への進出はあっただろうが、そんなに大々的ではなかっただろう。
また、遅かれ早かれ、池田先生一派は、クーデターを起こし、会の実権を握ったに違い無い。しかし、そうなると石田派も黙っているとは考えにくく、創価学会は分裂していただろう。
これは、決して絵空事ではなく、当時の新興宗教団体が皆経験してきたことだ。
公明党に関して言うなら、衆議院には進出せず、宗教政党としての分を守り、決して権力志向とはなっていなかっただろう。
かように創価学会は、宗教団体らしく発展したのではないか?
結局、バカなくせに粋がった池田先生の妄想が行きついた先が、池田流総体革命であり、天下取り構想だった。

209 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/15(火) 00:14
・・・以上yurikoの妄想創作文でした。

210 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/15(火) 00:15
>>209
yurikoの友人でした

211 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/15(火) 02:33
>>168SBIさん
>学会墓苑には、宗門の三師塔になぞらえて、必ず牧口・戸田・池田の三代会長の墓がある。ところが、これは牧口家や戸田家の了解を得ていない。しかも勝手に造っておきながら、両家に墓地代・管理料を請求しているのだ。池田家の分は、誰も請求していないのに、だ。
...これは、ちょっと聞き捨てなりませんね。
ずっと、このスレッドでは、創価学会の池田先生を中心とする歴史の塗り替えや歪曲について書き込みをしている。
そこには、露骨な池田先生の自己宣揚が動機となっている。
心理学の定説として、人間を最も強く動機ずけるものとして、性欲と並んで、「重要人物になりたい」というのがあるそうだ。
新聞を屡賑わす青少年の一見動機不明の事件は、この「注目を集めたい」というのがあるそうだ。
(17才少年によるバスジャック事件)
そうすると、池田先生の病的自己宣揚も戸田哲学によって、「欲望を抱くことは良い事」で、勇気ずけられた結果としての肥大化した現象といえる。
本当に、人徳が勝れた人間は、自ずと謙虚になり、自分より他人を誉め称えようとするものだ。
池田先生は、それをも演出しようとする。
日本のライ病看護の歴史や精神心理学に多大な貢献をした神谷美恵子先生などこそが、「先生」と呼ばれるのに最も相応しいのに拘わらず、本人は酷く嫌がっていた。
(因みに彼女は、「第三文明」か何かに文章を書いたと、彼女自身記している。興味ある)
彼女こそ、「いぶし銀」のような勝れた人格者と言える。
しかし、彼女の名のついた建物等は皆無に等しい。彼女もそれが望みだろう。
また、現在ウイーンフルハーモニー交響楽壇の主席常任指揮者という名誉ある地位を占めている小沢セイジ氏は、長年務めたボストン交響楽団を去るに当たって、「是非小沢記念館を建立したい」との申し出を頑に拒否し続けた。
いわく、「そういう記念館は、普通死んでから建てるもので、まだ健在な内は、気恥ずかしい」というものだった。
結局、記念館は建設されたのだが、この言葉を煎じて薬にして、池田先生に飲ませてやりたいものだ。
まして、過去の偉大な人物と並んで自分の墓を建てるなどということは、とてもではないが、正常とは、思えぬ。
恐らく、池田先生死後は、「池田廟」なるものを建設して、遺体を冷凍保存にした挙げ句、拝観料をせしめる予定なのだろうが、創価学会員は「ノー」と言える勇気を持ってほしい。

212 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/15(火) 02:35
上の投稿は、yurikoでした。

213 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/15(火) 06:29
>>210
>yurikoの友人
はて?
どなたか存知ませんが?

214 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/15(火) 19:28
>>10
名誉会長の入信?は、昭和22年19才
石田次男氏の入信は、昭和25年22才

御書全集発刊時)昭和27年)
名誉会長の教学資格は助師(入門レベル)(24才)
次男氏の教学資格は教授(27才)

男子部結成時の役職
名誉会長の役職は龍部隊の班長(24才)
次男氏名の役職は栄光の第一部隊長(27才)

これら資料が意味する所を考えてみたい。
次男氏の出身校は、芝浦工専(後工業大学)
名前は、忘れたが学長は、結構有名な人物だ。
東大などの一流大学とは言えないまでも、中堅校といえる。

一方、名誉会長は、どんな言い訳(営業部長として借金の取り立てが忙しい)をしようにも、5年創価学会に在籍して居乍ら、やっと入門レベルの教学資格しか得ていないというのでは、その「オツム」の出来具合が疑われる。

これらデーターが裏ずけるのは、やはり「ちょっとオツムの弱い」名誉会長が頭がよく、戸田先生に可愛がられて居た次男氏に対して、嫉妬心を抱いていたと見るのが正しい見方だと思う。
「遅く来たのに追い抜かれた」池田先生は、口惜しかったに違い無い。それで、戸田先生死後は次男氏を冷遇して、虐めたのだろう。
何か、みっともない。

215 名前: 和泉田 美代 投稿日: 2003/07/16(水) 00:08
池田先生へ
『それなのに、お前はどうしていないんだっ!』
この言葉は、戸田先生があなたに言った言葉ですよね?
あなたには、戸田先生のこの悲痛な叫びが聞こえなかったのですか?
確かに戸田先生の晩年は、あなたへの信頼が篤かったのは確かでした。
でも、やはり、戸田先生は、ぎりぎりの所であなたに失望してしまったのも確かだったのです。
その原因は、あなたの正宗御僧侶に対する傍若無人の振る舞いであったのは、確かだったのです。
戸田先生の死後30年を経て、あなたは、法華講総講頭という戸田先生も死後頂いた名誉ある地位を剥奪されました。
現法主は、戸田先生をよく御存知です。
戸田先生の気持ちを無にするようなことがしたかったわけではないのです。
その上、あなたは、日蓮正宗から破門にされました。
全てあなたが招いた結果です。
あなたは、死者へ屡侮辱的物言いをして来ました。
でも、人間死んでしまえば、何もかもお終いですか?
もしそうなら、亡くなった、あなたの息子さんは悲しみますよ。
あなたは、共産主義者と昵懇になり過ぎて、唯物論的無神論者になってしまったのでしょうか?
もう遅すぎるかも知れませんが、もう一度、御自分の良心の囁きに耳を傾けては如何かがですか?
心から懺悔すれば、上人はあなたを許すかも知れませんよ。
何より、戒壇様がそれを待っていますよ。

216 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 03:49
>>205
>名誉会長以外の人が語る時は、戸田先生と名誉会長の“捏造・脚色された”師弟関係に限られており、エピソードにしても名誉会長が語った内容を必ず踏襲します。余計な事を言うのはタブーなのです。だから、小説「人間革命」に描かれる以外の戸田先生の振る舞いや言動、指導といったものが、今の学会組織には伝わっておりません。
...これは問題でしょうね。
やはり、今できることは、
水滸会での指導録『二十六箇条』を速やかに公開させることだと思います。
恐らく、公開に当たっては、相当な部分が改竄されたり、伏せ字が施されるでしょうが、戸田先生の生の指導を知る最後の機会だと思います。
もしかしたら、そこには、とんでもないことが書かれているかも知れません。
それは何とも言えません。
また、案外、池田先生は、そこから、そのまま借用している部分が多いのかも知れません。
何れにしても、戸田先生が実質的、創価学会創立者であるからには、その
「二十六箇条」は、創価学会全体の財産として、皆が共有すべきものだと思います。
創価学会では、「日顕上人退座要求書名運動」なる下らないことをやっていましたが、この戸田先生遺言「二十六箇条」の公開署名運動をすることの方が余程重要だと思うんですが、皆さん如何でしょう?

217 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 05:08
これは、既にSGIさんが指摘していることですが、
>>177
訂正昭和26年三月?日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。

昭和33年三月十六日 広宣流布の模擬式として、青年部の登山がありました。

218 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 07:18
>>208
>結局、バカなくせに粋がった池田先生の妄想が行きついた先が、池田流総体革命であり、天下取り構想だった。
...これは、ちょっと言い過ぎでした。
訂正

結局、実力不相応に責任を任された池田先生の思考が行きついた先が、池田流総体革命であり、天下取り構想だった。

219 名前: 創価学会永遠の指針 投稿日: 2003/07/16(水) 07:33
>>34
>大事なことは、 どこまでも公正に、
利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探求することです。

220 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/16(水) 08:47
>>198
大阪事件で、池田先生は、二週間取り調べの為、拘留された。
人は、これを入獄したわけでもないのに、大袈裟に表現したという。
それもそうかも知れない。
でも、取り調べの為とはいえ、ともかく鉄格子が入っている部屋に入れられたのは、確かだ。
もし、これが不当拘留というのなら「権力による迫害」といえなくもない。
日蓮大聖人は、竜の口法難を逃れたものの、「門下による火付け騒ぎ」の容疑故に佐渡へ島流しになる。
その時、大聖人の弟子達も拘留される。
日朗もその一人だった。
日朗は、土牢に入れられて取り調べを受けるのだが、大聖人は、お手紙(土牢御書)を送って、激励している。
そこには、土牢に入れられたことに対して、正法護持の為の迫害と捉え、「あなたは、口や目でで法華経を読んだだけではなく、身と行動を持って読んだのです。それは、あなたが、法華経の行者であることの何よりの証拠です」と書きました。
この文脈からすれば、池田先生の二週間のブタ箱入りも、迫害と言えなく無い。
でも、たった二週間なのである。
池田先生は、あのノ−ベル平和賞を授賞した南アフリカ元大統領、反アパルトヘイト運動の勇者、マンデラ大統領と会談の機会を持ったことがある。
大統領の政治思想には、あまりに暴力的共産思想が投影されていた為、世界から必ずしも肯定的評価は受けていなかった。
しかし、それでも長年、人種差別と闘ってきた姿は、20世紀を代表する勇者とみなされる。
何と言っても、何と27年間も獄に繋がれていたのだ。
普通なら、発狂するか廃人になっていただろう。その苦難を堪えただけでも、刮目すべき存在と言える。
ところがである、
池田先生は何と、対談でたった二週間の拘留と27年間の獄中生活を単純に比較して、「麗しき同志」を演出した。
こんな恥の上塗りとしか言い様のない芸当ができたのは、ある意味で、立派である。
しかし、俗にそれを恥知らずという。

221 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/17(木) 02:35
>>205 SGIさん
>>197
>戸田先生から城の字を頂いた幹部は、秋谷会長以外にどんな人が居るのでしょうか?
―― yurikoさんが>>194で紹介している渡辺一郎氏も、その1人です。「城克」を名乗っておりました
----渡辺一郎氏とは、あの有名な池田先生の恋人であった渡辺通子(みちこ)の弟である。
旧姓を松川という。
あまり他人のプライベートな生活には立ち入りたくない。
しかし、池田先生と道子との間は、既に「月刊ペン裁判」等で公になっており、公開された資料の範囲で述べて行きたい。
SGIさんが提供してくれた資料によれば、戸田先生は、東大生である一郎氏にも個人教授を施し、自分の名前の一字をやるなど、明らかな期待の大きさが伺われる。
普通に見ても、余程の親密な間柄と言える。
当時、学会の中で美人姉妹と言われていた妹の道子が一郎を選んだのも故無しとはしない。
ところがである!
ここに面白員い資料がある。
池田先生が第三代会長に就任して、胴揚げされる場面なのだが、これが、後に油絵に拡大される。
それは、創価学会の重宝として永久保存されるのだが、二つに大きな違いがある!
元々の写真には、一郎氏は写っているのだが、重宝となった油絵には、消えている!
それだけではない!
そこには、写ってもいない筈のカネコ夫人が写っていたりする。
これは、恰も、子供向け雑誌の付録に付いている「間違いさがしーー二つの絵の違いうお探しましょう」みたいだ。
これは、無論、池田先生自身が製作したものではない。しかし、御用達しの画家に細かい指示をだして描かせたのは、容易に想像がつく。
池田先生は、小説?人間革命でも同じような姑息な方法を使って、巧みに事実の隠蔽(いんぺい)、書き換え、歪曲(わいきょく)を行ってきた。
この創価学会の重宝絵画では、池田先生の執念深い男のやきもちが現れている。
何か気味の悪さを感じる。

222 名前: 訂正 投稿日: 2003/07/17(木) 02:40
>>221渡辺一郎氏とは、あの有名な池田先生の恋人であった渡辺通子(みちこ)の弟である。

弟→夫

223 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/17(木) 04:02
 龍年光氏によると、
 「水滸会記録は、私が、″恩師の指導を後世に残すために、会員が記録を寄せ合って記録として残すべきだ”と進言した。
 池田大作は、否(いな)とも応(おう)とも言わず、不快げな顔をしていたが、その後しばらくたって、首脳達の前にきれいに装丁(そうてい)されたものを突然示し、
 ”このように、水滸会記録を作った。日興上人の二十六箇条遺誡置文(ゆいかいおきもん)のように、創価学会の根本指針となるものであり、
 「水滸会記録二十六箇条適職置文」と名付けて創価学会の重宝とする″と宣言した。
 我々に内容を見せることもしなかった。
 後に読んでみて、その内容には、水滸会だけでなく他の指導会での話が入っていたり、種々と不審な点がある」(慧妙)
ーーこれに依れば、水滸会記録二十六箇条適職置文は、実際に存在し、龍氏は何らかの方法でその内容を見る機会があったようだ。
その内容の改竄は、既にある程度行われてしまっているらしい。
しかし、それでも、全くデタラメではないようだ。
私が思うのに、水滸会(男子部)華陽会(女子部)のメンバーは、通算で80人くらい居る筈だ。
多くのメンバーは、戸田先生の指導を遺言のように記録していたのではないか?
そこで思うのだが、今ならまだ間に合う!件の遺誡置文と内容のつけ合わせを行って、修正すべきは修正し、付け加えるべきは付け加えるという作業をするべきではないのか?
しかし、恐らくメンバーの平均年令は、80才を超えているだろう。死亡率は、毎時一人くらいになっているのではないか?
重ねて訴えたい!
決して遅すぎる前に、戸田先生の真の指導録を後世に遺すべきでないのか?
そこには、多少のカルト的不穏当な発言もあると思う。
それでも、戸田先生は、実質的創価学会の創立者である。その発言が、後の為に其のママ残す価値があるのではないか?
すくなくとも言えるのは、創価学会=池田大作ではなく、創価学会=戸田城聖なのである。

224 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/17(木) 08:31
>>221
渡辺一郎氏は、学歴、戸田先生からの信頼度から言えば、少なくとも公明党書記長や副委員長の役職を歴任していてよかった。
私の記憶では、彼の党での最高の地位は、党国会対策委員長だったのではなかったか?
竹入委員長が20年以上にも亘り委員長の座に居たのは、少なくとも委員長時代は、「ごますり」が上手かっただけだ。
また、本当に人間として実力があり過ぎて、党の独立性を主張されるのを好まなかったのだ。
結局、引退してから、竹入氏や矢野氏は、党と創価学会の関係に不透明な点があることを指摘して、反逆者に転ずるのだが、遅きに失した気がする。
「もし」は歴史には、あり意味で禁句だが、
もし、渡辺氏が公明党委員長になっていたら、どう党は変わっていただろうか?
それは、わからない。
ただ、言えるのは、龍氏も渡辺氏も池田大作という男に、足を引っ張られて、実力を充分に発揮することなく、人生の表舞台から去ることになってしまいそうだ、ということだ。
龍氏!竹入氏!矢野氏!渡辺氏!大崎氏!藤原(行正)氏!(公明党議員経験者)
あなた方は、皆、池田創価学会の手先となったばかりに、貴重な人生をメチャメチャにされたのだ!
池田創価学会に一矢を報いて欲しい!
私達は、見ています!

225 名前: 訂正 投稿日: 2003/07/17(木) 12:16
また、本当に人間として実力があり過ぎて、党の独立性を主張されるのを好まなかったのだ。

また、政治家として実力があり過ぎると、党の独自性を主張されかねない。これが恐れられた。

226 名前: 訂正#1 投稿日: 2003/07/17(木) 12:18
また、本当に人間として実力があり過ぎて、党の独立性を主張されるのを好まなかったのだ。

また、政治家として実力があり過ぎると、党の独自性を主張されかねない。これが恐れられた。

227 名前: 訂正#2 投稿日: 2003/07/17(木) 12:21
大崎氏!

大橋氏!

228 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/17(木) 12:27
間違いが多すぎると信頼されないよ。
松川じゃなくて、松島だし。
大崎じゃなくて、大橋だろうが。
その他、たくさんあるが、面倒だから指摘しない。

229 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/17(木) 17:34
狂っているからしょうがない。

230 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/18(金) 04:59
>>228,>>229
創価学会員か?
いい加減目を醒ましなさい!
君達は、騙されているのだよ!
姑息な方法で、人間革命が恰も創価学会の正史だと思わされているのだよ!
抑、人間革命は、露骨に登場人物を実在人物に対照させている、
その名前の編み出し方がふざけているとしか言い様が無い!
恐らく、これは誰か、作者以外の仕業だろうが、姑息というか「いやらしさ」を感じる。
例えば、十条潔=北条浩、森川一正=森田一哉、秋月英介=秋谷栄之助、森田康夫=森永安志、青木享=青田進、渡辺一郎=渡吾郎、篠原誠=藤原明、 
面倒くさいから、もうやらないが、この人間革命で人名当ても結構面白い。暇つぶしになる。
抑、山本伸一が誰かを敢えて書かないが、実に臭い名前だ。
世の中には、運悪く、同姓同名になってしまった方も居る筈で、御気の毒としか言い様が無い。
そんな中で、戸田城聖、牧口常三郎、代々の猊下は実名を使っている。
それに、時折示す時局解説も実名を使用している(政治家など)
その中で窮極的に姑息だと思ったのが、>>206 岸信介首相の名前を峰直介としたことだ。
したがって、それらの作者の「ふざけ」ォ考えれば、少々の名前の間違いなんてどうでもいいじゃん。
君達創価学会員は、文句があるなら、堂々と名誉会長に言えばいいのだよ。
「いい加減にしろ!」とね。
この名前当ては、面白そうだから、続編を書く。

231 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/18(金) 07:37
ひとり、重要人物を忘れていた。
柏原やす=清原かつ
...一体だれが、こういう姑息な作中人物の名前を考え出すのだろう?

232 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/18(金) 11:09
最高裁がまた日顕猊下を断罪!
いいかげんにしろ最高裁藤田裁判長!

233 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/18(金) 11:29
>>232
...↑
罰当たり目が!

234 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/18(金) 21:49
>>221
この重宝絵画というのは、池田先生が第三代創価学会会長就任式と胴揚げの絵画別々のものです。
主旨を活かす為、一緒に論じました。
抑、私は、創価学会がもったいぶって言う「重宝」絵画には、何の芸術価値を付与していません。
その手法は、旧ソ連、共産中国、北朝鮮が好んで用いて来た「社会主義的写実主義」といわれるものだ。
悪趣味としか言い様がないのだが、名誉会長の無節操な社会主義らぶれには、要注意だと思う。
先日、古い文献でそれをよく示したものを発見した。
乞う御期待!

235 名前: 訂正234 投稿日: 2003/07/18(金) 21:53
社会主義らぶれ

社会主義かぶれ

236 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/19(土) 03:15
>>229
お前のメアド見たら、「頭破作七分」と出ていたぞ。
創価的にふざけているな?
その頭破作七分とは、正に池田創価学会員を待ち受けている運命だ!
SGIさんだ、分析解説して下さったように、池田先生作人間革命の歴史は、師敵対の歴史以外何ものでもなく、山本伸一=池田大作の獅子身中の虫(獅子奮迅ではない)の闘いを書いたものだ。
創価学会の敵共産党でも同じような「内部からの敵」の歴史があった。
すなわち、ソビエト連邦崩壊に伴って、大量の内部文書が外に漏れたのだが、
その中で日本共産党内部のスパイの名前も記されていた。
当時、袴田元共産党委員長は、名誉委員長として、99才で健在であった。
しかし、共産党は、漏れ出した資料に元に袴田氏の一切の名誉を剥奪したのである。
望むべくは、創価学会=公明党でも何時の日か、そうした揺れも度しが実現して、真の創価学会の歴史が明らかになって欲しい。
闘いは、始まったばかりだ。

237 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/19(土) 03:19
SGIさんだ、分析解説して下さったように

SGIさんが、分析解説して下さったように

238 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/19(土) 03:24
揺れも度し

揺れ戻し

239 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/19(土) 10:05
>明らかになって欲しい。
叶わぬ願い。

240 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/19(土) 11:14
>>239
相変わらず姑息な奴だな?
お前のメアド;衰退の宗門?
ばかが!
今やがたがたなのは、創価学会の組織だろ?
私はちゃんと知ってるんだぞ!
おくら人のいい創価学会員ばかりだと言っても、もう限界なんじゃないかい?
法華講は、君を待っている!

241 名前: 線文字B 投稿日: 2003/07/19(土) 14:15
yurikoさんへ

何回も言ってるでしょう。
いっつもだらだら長くて、誤字脱字だらけだと。
読みにくくてしょうがないんだよ。

みんなの掲示板です。
出て行けとは言わないけれど、人に読んでほしくば、
それなりの努力をしてください。

242 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/19(土) 15:17
袴田元共産党委員長じゃないだろ。
袴田里見は、共産党の前副委員長だったのだ。

元名誉議長野坂参三氏をソ連に内通したスパイとして除名処分したのだ。
野坂氏は、すでに100歳を超えていた。

人名を間違えるな。
そういうりかのが、多すぎてまったく信用ならんぞ。

243 名前: 名無しa 投稿日: 2003/07/19(土) 18:31
共産党はここでは関係無いじゃろうが
わしゃ貧乏を相手に正義面する組織が
嫌いなんじゃけんのう

244 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/19(土) 21:25
>>242
共産党も創価学会に負けず劣らず、反逆、裏切りが多い。
野坂も裏切り者として処分されたが、袴田も処分されたと思う。
何れにしても、イデオロギーを中心に人が集まれば、どうしても「不寛容」が巾を利かせ、「裏切り者」への総括が頻度を増す。
個人崇拝の組織至上主義には、あまり明るい未来は無い。

245 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/20(日) 12:17
所詮聞きかじりの薄っぺらな書込みでしかないんだ。

246 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/21(月) 17:57
>>15
『したがって「大阪事件」において、名誉会長が、戸田先生や学会総体に累が及ばないよう、一人毅然として権力と対峙したという意義づけは、会長に就任した後、クーデターを正当化させていく過程で生まれたものだ。』
これは、改めて述べたいのだが、池田参謀室長(当時)は、無責任な自供にとり、却って問題を複雑にしてしまった。
拘留期限3週間か?精一杯、せめて黙秘権を行使してさえいれば、起訴までも持ち込めなかったかも知れない。
たと起訴されたとしても、自供なしでは、無罪が容易に証明された筈。
池田先生は、検事の追求に震え上がった。
それで、池田先生は、自供し、回りの人に大変な迷惑をけける。
後もう少し我慢すれば、釈放されたのだ。
現在、池田先生が、「権力との闘いという時、自分が司法権力に負けて口惜しさがという背景がある。

247 名前: 訂正486 投稿日: 2003/07/23(水) 01:22
現在、池田先生が、「権力との闘いという時、自分が司法権力に負けて口惜しさがという背景がある。

現在、池田先生が、「権力と闘うという時、自らの司法権力への復讐という背景がある。

248 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/23(水) 13:41
ここの掲示板も少し寂しくなった。
たとえ私一人になっても、創価学会の真実を伝えていこうと決意している。
ここの書き込みでは、主に人間革命に登場する人物を取り上げている。
その中で、既にに述べたが、後に反逆する人物達に対しては、態々時間を遡って辛辣に批判している。
現在の新人間革命では、言論出版妨害事件の総括が行われているそうだが、それは未だ目にしてない。
恐らく酷い内容だろう。それについては、改めて書き込む。
ただ私が思うに、事件や登場人物の記憶がまだ生々しいのに、一方の当事者が一方的に総括などというのをしてもいいいものだろうか?
何か歴史に対する冒涜のような気がする。
そういう意味で、反逆した池田先生の側近達をどう新人間革命では、描いていくのか、注目したい。
恐らく、毎度のように、一方的人身攻撃に終止するだろう。そこら辺にすでに、創価学会の胡散臭さが発揮されるに違い無い。
そこで、次に池田先生が「君は、僕の弟子第一号」と呼んだ原島崇氏について述べる。

249 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/23(水) 14:31
原島氏の父親は、創価学会の戦前からの会員だった。
戦時中の軍部政府からの弾圧を何とか切り抜けた。
創価学会再建後は、理事に就任する。
息子の原島氏は、幼い頃の池田夫人(元名白木かね)とよく遊んでいたという間柄だ。
父親は、人間革命に於いて、原山幸一として登場する。
原島氏は、父親の記憶として、毎朝の勤行の後で、御義口伝の拝読をしていたことを回想している。
正に原島氏は、学会ッ子として「これ以上ない」という環境で、育ち、教育を受けたと言える。
そんな超エリートぶりは、氏の略歴に現れている。
昭和13年誕生
昭和31年教学部講師
昭和34年教学部助教授
昭和37年教学部教授 学生部副部長
昭和39年早稲田大学卒 聖教新聞社入社
昭和41年「特別書籍部」局長
昭和43年教学部長 44年総務
昭和45年宗教法人創価学会責任役員、理論室長
昭和47年創価学会教学部師範
昭和」49年聖教新聞論説主幹
昭和52年聖教新聞編集兼発行人、聖教新聞社主幹
昭和54年教学研究室長
昭和55年創価学会の全役職解任後、除名処分
平成11年日蓮正宗妙縁寺法華講員

250 名前: 訂正248 投稿日: 2003/07/23(水) 14:35
終止

終始

251 名前: SGI 投稿日: 2003/07/23(水) 23:18
小説「人間革命」(法悟空著)の連載が始まったのは、昭和40年1月1日。池田政権の完全なる指導権・絶対権力が確立された時期である。翌年には、会長任期を終身とする会則改定まで行っている。⇒ >>112 参照
 “池田先生”の神格化は、この時点から急速に進められていく。小説「人間革命」は、それに理論的根拠を与えるものとして書かれ、活用され続けているのである。

 「人間革命」第1巻の発刊は、昭和40年10月。直後の『大白蓮華』(同年11月号)に、北条浩理事長、和泉覚副理事長(いずれも当時)ら最高幹部7名による座談会が掲載されている。
 座談会で最高幹部らは、「戸田先生についての小説を執筆される資格は、池田先生だけがお持ち」とか「信心のことは、池田先生のもとに直結する以外にありません」とか「先生のみが如実知見していられた」「池田先生は、戸田先生の思想を正しく後世に伝え、広宣流布のため、出現になられた」方なのだ――等々と力説している。
 もうほとんど「池田本仏論」の展開になっている、との印象を抱くのは私だけだろうか。

 この『大白』の座談会でも語られているように、また>>123 のエピソードが示すように、「戸田門下生」は名誉会長ただ一人で、他の幹部連中は皆競って「池田門下生」として指導を仰ぐという関係が築かれていったのだ。

 戸田会長時代、会内では、戸田先生のことを「会長先生」と呼称し、他の最高幹部らに対しても“先生づけ”をしていた。例えば「小泉先生」とか「神尾先生」とか「小平先生」等々。もともと学会は教師の集まりからスタートした団体なので、互いの“先生呼び”はさほど抵抗なく習慣化されており、教えを乞う幹部には、例えば「小泉理事長」「小平教学部長」といった“役職づけ”よりも“先生づけ”が自然だったのである。

 ところが、名誉会長が第三代会長に就任すると一変した。
 池田会長以外の幹部を“先生呼び”することが禁じられ、会内で「先生」といえば池田会長ただ一人を指すことになったのだ(「会長先生」との呼称も徐々に消えていった)。
 名誉会長は、戸田先生の権威を借り、「戸田門下生」の後継者であると捏造し、会内で唯一の指導者として振る舞い、他の戸田門下生は、「池田門下生」として池田会長を盛り立てるようになり「戸田門下生」を捨て亡恩の徒に成り果てたのである。

252 名前: SGI 投稿日: 2003/07/23(水) 23:28
 小説『人間革命』は、昭和40年1月1日から連載を開始し、断続的ながら13年7ヶ月余りの長期にわたり執筆され、昭和53年8月3日10巻終了で一旦中断されている。
 そう、「五十二年路線」問題に関連して、『人間革命』に描かれる「師弟不二論――師への帰命論」が、宗門から謗法との指摘を受けて連載できなくなったのである〔翌年4月には会長勇退に追い込まれた〕。
 その後、名誉会長が復権すると、再び昭和55年8月10日から第11巻として連載を再開。しかし同年11月20日三章分を掲載したところで、突然2度目の長い中断となり、以後10年余り『人間革命』の連載はなかったのである。その間、スピーチが不動の“実践指導原理書”となった。

 それが、平成2年末、宗門vs学会抗争が起こり、学会が明らかに独立路線を歩み出すと同時に『人間革命』の連載が始まったのである。平成3年5月3日11巻の途中から始まり、平成5年2月11日第12巻の完結で、小説『人間革命』の連載が終了した。
 この平成に入ってからの連載は、「炭労事件」や「大阪事件」を描き山本伸一の卓越した指導力を賞賛し、戸田会長の後継者であることを宣揚しつつ、宗門僧侶への批判が書き込まれると同時に、名誉会長批判に公然と立ち上がった古い幹部らについても、その当時からおかしかった人物であるかのように描き、会員読者に僧侶や批判者への“憎しみ”を植えつけている。ホンマ無慙な小説だ。

 石川幸男(=石田次男)は「実践力に欠け」「慢心」の男で、藤川一正(=藤原行正)のことは「いっさい信じるな」「悪いのは女房だ」とし、滝本欣也(=龍年光)は「いつ退転してもおかしくない男」だが「ひとたび、学会に牙をむいて」きたら「その時は、徹底的に相手を叩きつぶすまで戦うんだ」と、戸田会長にいわせている始末だ。

 『人間革命』は“先生からのお手紙”である。
 名誉会長はしばしば「『人間革命』は過去のことを書いているのではない。事実は過去のことであっても、それを通して現在の会員への激励の手紙である」との旨を語ってきた。単に歴史の捏造だけではない。
 会員は『人間革命』を通して現在の信仰の在り方を学び、それを実践しようとする。会内では幹部が、そう指導している。だから、『大白蓮華』で「人間革命の読み方」の特集が組まれたり、読了運動が展開されたり、教学試験の範囲になったりするのである。

253 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/23(水) 23:52
続き>>249

聖教新聞平成14年 11-4
『退転者の共通点』
「金」「遊び」「女狂い」で転落
秋谷会長
(原島元教学部長は)鼻もちならない卑しい男だった。
ーー山崎の命令で、聖教新聞社から大量の資料を盗み出している。

254 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/23(水) 23:53
続き2
ーー山崎は、やがて原島に盗み出させた資料を使って、凶悪な恐喝事件を起こした。
つなり、原島は恐喝事件の共犯者も同然の極悪人だ。
ーーそもそも、H島みたいに酒乱で有名な男ーー酔っぱらって大事な会合を、すっぽかす。御書講義にも、酒臭い息で千鳥足でやって来る。皆が鼻をつまんで逃げていた「笑い)。
山崎は当時、陰で、「あんな世間知らずの不細工なやつ」とバカにしていた。

会長に質問です。
1  「女狂い」という言い方は、女性蔑視に繋がりませんか?
2  原島氏は、20年以上に亘り、教学部長、教学室長といった創価学会の最重要ポストの内の一つに就いていました。
その上、氏は、特別書籍部長として、池田先生から直接指導を受けるとともに、共同で原稿を執筆していました。
氏が反逆退転に至った結果に対しては、直接の上司である池田先生の管理責任も問われるべきです。池田先生には、指導者として「善導」出来なかったことへの反省があってしかるべきなのではないでしょうか?
3  大量の資料を盗んだ挙げ句、恐喝の材料に使ったとのことですが、抑、一宗教団体に恐喝に使われそうな材料が大量に存在すること自体が間違っているのではないでしょうか?
あるジャーナリストがその盗み出された資料に目を通した際に、あまりの丸秘マークの多さに慄然としたそうです。それはやはり、今や世間の定説となっているように、創価学会には、陰の部分が多く、宗教団体らしからぬ「謀略団体」であることの証左なのではないでしょうか?
因に、原島氏は、いかなる意味においても、窃盗の刑事責任は、問えないことが、裁判上決定済みです。
4  「不細工云々」はまた聴きとはいえ、不用意な言葉使いであり、人権侵害に繋がりませんか?>
バカ野郎、秋谷!いい加減にしろ!

255 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/07/24(木) 00:46
>>251
会長任期を終身とする会則改定してたんですか?
終身まで会長やりたかっただろうに,会長を辞めざるを
得なくなった後は,何が何でも権力を持ちたいがタメに
名誉会長のポストですか・・・
醜く太った○○ですな・・・

256 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 09:28
聖教新聞紙上座談会で2chanが話題になった時があった。
それは、インタ−ネット上の人権侵害行為、報道の自由、主催者の管理責任についての話題だった。
2チャンは、裁判で悉く敗訴(本当か?)し、合計6000万円という巨額の賠償金の支払い命令が下ったそうだ。
参加者のい異口同音の結論としては、インターネットの書き込みは規制すべきというものだった。
全く、創価学会らしい手前勝手な結論である。
自分達の都合いいようにメディアを散々利用しておき乍ら、自分達に不利な言論は封殺したいとするいつものパターンである。
しかし、2チャンは、益々繁栄しているし、何より、創価学会が訴えて勝訴したというニュースも一向にない。
もし、創価学会が訴えたいのなら、ここのHPをこそ訴えたらいい。
たとえ私個人が訴えられても、堂々と受けて立つ。(管理人さん宜しく!)
信心を失くした群狐(ぐんこ、きつねさん達御免なさい!)達に負けよう筈もない。
池田代作人間革命批判は、まだ始まったばかりだ。

257 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 10:05
>>251
>戸田会長時代、会内では、戸田先生のことを「会長先生」と呼称し、他の最高幹部らに対しても“先生づけ”をしていた。例えば「小泉先生」とか「神尾先生」とか「小平先生」等々。もともと学会は教師の集まりからスタートした団体なので、互いの“先生呼び”はさほど抵抗なく習慣化されており、教えを乞う幹部には、例えば「小泉理事長」「小平教学部長」といった“役職づけ”よりも“先生づけ”が自然だったのである。
...成る程。
全員が互いを先生と呼ぶ。
素晴らしいと思いますね\(^o^)/ 。
創価学会が屡主張してきた「一切衆生に全員が仏界が内在している)」というのを具体的に実践していたんですね。
創価学会本部内では、「先生」という呼称は、名誉会長以外タブー視されているというのは、本当でしょうか?
一般会員の間では、辻先生、柏原先生は、普通だったと思います。
ところが、私の母が辻副会長に指導を受けに行った時のことです。
母が、辻先生を先生と呼んだ所、他の学会幹部から注意を受けたそうです。
それに、名誉会長が創価学園を訪問した折は、たとえ教師の間でも「先生」と呼び合うことは、タブー視されているそうです。
面白いのは、正宗僧侶に対する呼び方です。
正宗僧侶は、伝統的に大学課程を終了すれば、「教師」の資格を得ます。それで、回りからは、先生と呼ばれる身分となるわけです。
信者が僧侶を先生とは、あまり呼ぶのを聞いたことはないが、聞いたことはある。
他にも、医者、教授、画家、弁護士などは、先生と呼ばれている。
これらは、一種の尊敬語としての修飾の働きをしているのだろう。
もし、一般の人がどうしても他人から「先生」と呼ばれたいのであれば、「クラブ」や「バー」に行ったらいい。
ホステス達は、あなたを「先生」か「社長」と呼んでくれるだろう。「あなたは、偉い」「私の為にお金を沢山使って下さい」
というわけだ。彼女達こそ、不軽菩薩の実践をしていると言える。
ところが、名誉会長が正宗僧侶を先生と呼んだ試しが無い。まして、法主猊下に対して、「合掌礼」をしている所など、目撃された事がない。

258 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 10:26
続き
...と思っていたら違うのである。
名誉会長も僧侶を先生と呼んでいた!
その僧侶達とは、正宗から脱落、反逆した者達だ。
私は、この話を聞いた時、大笑いしてしまった。0 (⌒‐⌒) 0
何で「反逆脱落」僧を池田先生は、先生は「先生」呼ばわりするのだろう?とその時は不思議に思った。
しかし、何のことはない、「池田流ゴールデンルール」=「ブタも煽てりゃ木に登る」を実践していただけなのだ。
最早僧侶の資格のない反逆脱落僧侶達は、「会館寺院」なる所で、飼い殺しになる運命なのだろうが、御気の毒とは思うが、滑稽な光景である。

259 名前: 訂正yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 10:33
>>257
>創価学会が屡主張してきた「一切衆生に全員が仏界が内在している)」というのを具体的に実践していたんですね。

創価学会が屡主張してきた「一切衆生の全員に仏界が内在している)」というのを具体的に実践していたんですね。

260 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/24(木) 20:32
>>202
>かように池田先生の行った悪行は、師を苦しめ、死に追いやったのである。
...昭和33年に起きた池田参謀室長を中心とする正宗僧侶への蛮行は、正式に検証し直す必要がある。
人間革命では、恰も的場師が、本山勤務の小僧にリンチを頻繁に加えているのを見兼ねて、室長が正誅を加えたかのように説明してある。
毎度のこと乍ら「おやおや」っていう感じだ。
この的場師リンチに関しては、「創価学会旭日の70年」でも取り扱っていた。
今手許にないから、何とか手に入れて批判の糧にしたい。
何れにしても、この「的場師リンチ事件」こそ暴力教団創価学会の原点に違い無い。
戦後間もなく(昭和26年か?)、池田青年部一派は、正宗僧侶への逆恨みによる暴行を働いているが、それとてよく検証すれば、不当なものだった。
それの再検証もしてみる。
大事な点は、何れの蛮行も池田青年による単独的なもので、戸田先生の許可を得てのことではない。
去年あたりの妙教(日蓮正宗寺院が発行している月刊誌)では、蓮華寺住職が、「蓮華寺事件」を回想していた。
そこでも、池田青年部一派の蛮行が問題になっていた。
元住職に依れば、それらの蛮行は、全て池田青年の救い難い劣等感によって引き起こすされたものだそうだ。
納得した。

261 名前: SGI 投稿日: 2003/07/24(木) 23:25
>>255
>会長任期を終身とする会則改定してたんですか?

 YES。昭和41年5月の改定で「会長の任期は終身とする。」と定めると共に、責任役員以下すべての役員について「任命し罷免する」権限を持ち、さらに「会長は、後任を選ぶことができる。」という代物です。まさに完璧な独裁体制です。

 ところが、昭和49年10月、名誉会長は宗教法人「創価学会」の代表役員を北条浩理事長(当時)に移譲しております。
 40年代後半、妙信講との抗争や「月刊ペン」問題などで訴訟事件が多発しはじめ、代表役員だった名誉会長の出廷を避けるため、法人としての創価学会の全責任を北条浩前会長に負わせるための措置でした。

 つまり、名誉会長はやりたいことをやり、その責任は一切負わないという、まことに手前勝手な地位にみずからを置き、実権は相変わらず握り続けるという形を、昭和54年の会長勇退前に、すでに法的には作り出しているのです。
 実は、この時「名誉会長制度」についても検討しており、54年4月に「五十二年路線」の責任を取る形で会長を勇退したのですが、結果的には、法的にも組織上の規約からも、社会的には何ら責任を問われることがない全くもって都合のいい立場を望みどおり手中にしたということです。

262 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/25(金) 13:44
(横レス失礼します)

結論・・・“小説”「人間革命」です。

  m(_ _)m

263 名前: SGI 投稿日: 2003/07/25(金) 21:28
>>261自己レスの訂正と補足
>40年代後半、妙信講との抗争や「月刊ペン」問題などで訴訟事件が多発
 「月刊ペン」問題は、昭和50年代でした。
 40年代後半は、「言論出版問題」で国会喚問が取り沙汰され、その恐怖におののいた名誉会長は、共産党の動向を探るため電話盗聴等を指示。それが発覚し社会問題となり、後に「宮本委員長宅盗聴事件」として裁判へ発展したことや、
 また、妙信講との抗争から正本堂の意義づけが揺らぎ、各地で「正本堂御供養金返還請求」の訴訟が起こされたり、静岡・富士宮市では土地問題で市議や市民によって告発・裁判となったこと等々、いずれも代表役員・池田大作を相手に訴えられたので、
日頃の指導とは打って変わり、矢面の立たぬよう安全地帯にお逃げあそばされたのが、代表役員の移譲です。

264 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/25(金) 21:33
日蓮大聖人在世の頃、日妙聖人という女性信者がいた。
彼女は、若くして夫に先立たれ、幼子(乙羽御前)と鎌倉に住んでいた。
日蓮大聖人が竜の口の法難で斬首を逃るものいの、佐渡ヶ島に流罪となる。
その地に向かって、日妙聖人は、幼子を連れて会いに行く。
当時の行程で一ヶ月はかかった。追い剥ぎや強姦魔もいたかも知れない。
大聖人は、そんな彼女達に会って驚き、感動する。
そこで、大聖人は、母親に聖人号を与えるのである。
当時の聖人とは、「仏様」の異名である。
女性の地位が向上していた時代とはいえ、稀なことであった。
大聖人は、自ら在家の身分にある女性信者を「仏」と呼ぶことで、自らの教えを実践したのである。
翻って、牧口、戸田時代、信者に教師が多かったとはいえ、互いを先生と呼び合ったことは、その大聖人のい精神である「全ての衆生は、本仏となれる」を実践したものだ。
「先生」は、乃ち「仏様」だったのだ。
それが、戸田没後、池田総務時代突然変化した。
池田総務は、さかんに「会長先生は仏」「会長は嘘をつきません」「会長は仏」を盛んにいうようになる。
自らが会長職に納まった場合の独裁体制を着々と準備していったのである。
そして、先生は、ただ一人、戸田後継者たる自分のみになった。
大聖人が一女性信者を「聖人」と呼んだのと随分と違った精神である。

265 名前: SGI 投稿日: 2003/07/25(金) 21:54
>>262 LISAKOさんへ
>結論・・・“小説”
 はい、その通りです。で、貴方はどうのようにお考えなのでしょうか?
 例えば、
  >>30の「入信神話」のように、小説の虚実がやがて事実として残されていく手法について
 ◆_馥發任蓮嵜深造領鮖砲鯆屬襦廚鳩伝され、刷り込みが図れていることについて
  yurikoさんが再三指摘しているように、(宗教指導者が著述しているのに)人権侵害・名誉毀損的な記述が目立つことについて
 ぁ“稟宗θ禀召鮗けると「小説ですから」と言いながら、作中のスーパーヒーロー・山本伸一を現実に投影する、会員や幹部のダブルスタンダードの構えについて
 ――等々、単なる“小説”の域に止まらず、歴史を偽造してまでも現在の池田創価学会の正当化を図り、会員への指導原理書にしていることが問題ではないでしょうか。

266 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/25(金) 23:27
>>265 SGIさんへ(レスありがとうございます)

初めまして。あの・・・私、レスを全部読んでいません。ホントに横レスで申し訳ありません。

,砲弔い
永遠に・・・事実として残ってゆくのでしょうか。
あなた方のような捉え方をなさる人が現実にいる以上、事実かどうか決めるのは
当人です。結局、何であろうと、いつだって、誰かが疑問を持つのですから。
自分自身の力となり勇気となって生きてゆけるのなら、私にはどうでもいいことです。
たとえ、手法であったとしても・・・それはそれで素晴らしい智慧だと思います。
「広宣流布」という目的があるのですから。

△砲弔い
詳しく教えて頂けますか。

について
yurikoさんのレスを読んでまた感想書きます。

い砲弔い
先生が“常勝関西”を原点と賛嘆して頂いてる心を知る想いです。
私の拠点は大阪です。先生は「大阪の戦い」を“運命戦”であると。
心の中心に、師弟の魂がなければ、私の考えも「ただの洗脳された小娘でしょう。」

問題の答えに・・・全くなってないコトは、お詫び致しますが、過去を探り出した所で
いったいどのような結果が生まれるのでしょうか。
「今まで」どうだったかではなく、「これからどう生きるか」という向上する心に
挑戦する魂はあるのではないですか。

組織や、教義の議論は必要ですが、掲示板でココまでするが必要あるのでしょうか。
私たちは、「師弟の魂」「一人立つ精神」が絶対だと肝に命じて日々戦っています。

そのような問題よりも、現実の問題の方が絶対優先です。
部員さんや、地域の方と平和的思想を語り合うコトのほうが・・・近道です。
目的は・・・世界広布(世界平和)です。
自分の幸福なんて祈らなくても勝手についてきます。お金だって同じ(宇宙銀行)
こんなこと解っていながら、なぜ疑問の世界に自ら進むのですか。

「一人立つ精神」で組織の課題を克服へと導くお力がある方たちなのに・・・


偉そうなコト書きましたが・・・お許し下さい(でも、怒っても構いません)祈ります。

267 名前: 上昇関西 投稿日: 2003/07/26(土) 01:08
同じ関西に住む者です。
> そのような問題よりも、現実の問題の方が絶対優先です。
> 部員さんや、地域の方と平和的思想を語り合うコトのほうが・・・近道です。
> 目的は・・・世界広布(世界平和)です。

そうであるならば、イラク戦争について、イラク派兵(兵隊さんを出兵させる
こと)について、周りの方の考えなり、意見をお聞かせ願いたいですね。
「他人の不幸の上に自己の幸福を築くことはしない」
「いきづまったら原点にかえれ!」
そう指導されてきましたよね。自分たち学会員は。

根本的問題、自分たちが直面している、本当に「深刻な危機、問題」を
「原点」に戻って考えてみたとき、「この戦争がイラクの普通の人々にとって
どういう現実であるか、それを想像してみなければ始まらないと自分は考えます。
そして、このHPでアップされている組織で苦しんでいる人の声を聞くことも・・・。
あなたは今回のイラク戦争について、学会が納得性がある明確な説明がなされたと
考えますか?
そうでないならば、ひとりひとりが同志だから支持政党だからと「票」をいれること
を真剣に考える必要がある。話し合う必要があるのではないか、と考えます。
そしてそれを、
>「師弟の魂」「一人立つ精神」が絶対
ならばその立場において今回の事態について別スレで結構ですので発言されてはいかが
でしょう。個人的なことですが、私はもう公明党は応援しません。

268 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 03:00
>>266 LISAKOさんへ
子娘さんですか...
実をいいますと私は、子娘大好きなんです。
応援してます。
聖教新聞でみかける女子部の会合の写真なんかいいなと思ってしまいます。
皆、いきいきしてますね。
そんなあなた方を失望させたり、増して揶揄(やゆ)したりできるわけありません。
私は、ある事情からアンチに身を転じたのですが、その過程は苦しいものでした。
私だけでもう充分です。
ここの板は、あなたの来るような所ではありません。
お帰りください。(T.T) (;_;) (>_<)/~~

269 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 03:50
>>267
>私はもう公明党は応援しません。
...最初に私の立場を表明します。
私は、戦争は絶対悪だと思います。
釈尊から流れて、ガンジー、トルストイ、デイビット ソロー、キング牧師、ダライラマ14世、アンサンスチ−女史の非暴力抵抗運動の哲学と行動を支持します。
彼等の信念の根底にあったものは、宗教的で、生命への畏敬でした。
これは、菩薩行だと思います。すなわち、たとえ我が身を犠牲にしても他者を救うというものです。
同様にキリストも、十字架にかかって全人類の罪を購いました(後のクリスチャンはそう信じました)
それらの行動は、余程の固い決意と信仰心が無くては為し得るものではありません。
しかし、政治家の哲学は全く別の所にあるのです。
政治家は、第一に「大多数の最大幸福」を目指します。したがって、少数の不幸を切り捨てなければならない。
理想的には、その「少数者」を限り無くゼロにしたい。でもそれができない。政治家は、その判断を代表して行う人々です。
ですから、見ようによっては、それが出来る人々は、偽善者に見えるし、実際に政治家は典型的偽善者と成り果てます。
もし、そんな職業が生理的に向かないと思うなら、最初から政治家を志さなければいいのです。
だから、創価学会=公明党のジレンマが生じるのです。
宗教家=信仰者の理想が現実の政治に活かすことは、不可能とは言わないが至難なのです。
信仰者としての理想と政治家としての理想は、屡相い入れるものではないのに、無理に「いつも」相い入れるものであるかのように装ってきたのが、創価学会=公明党なのです。
私は、日本の健全な政治風土の発展を願う以上に、人々の純粋な信仰心が犠牲になってはならないと考えます。
今回の日本政府戦争支持によって、あなたのような信仰者の信仰が犠牲になるべきではなかったのです。
故に、創価学会は、公明党から完全に分離すべきとだ思うのです。

270 名前: さかなこ 投稿日: 2003/07/26(土) 08:23
>>269

yurikoさんに一票ですだ(* ^ー゚)ノぃょぅ

271 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 09:00
>>266 LISAKO さん
>事実かどうか決めるのは当人です。結局、何であろうと、いつだって、誰かが疑問を持つのですから。
自分自身の力となり勇気となって生きてゆけるのなら、私にはどうでもいいことです。
...子娘が大好きな私が子娘を虐めるのは、心苦しい。
でも、横レス失礼させてください。
『事実かどうか決めるのは当人(のみ)』ーーハァ〜?
まっ見ようによっては、そうかも知れない。
たとえば、天動説を固く信じている人に、「日が登り、沈んでいく」というのは本当は間違いで、本当は、地球が、自転している為にそう見えるに過ぎない。ろ言った所で、「太陽が動いていると信じ足っていいでしょ」と言うかも知れない。
でも、これって可笑しいですよね。
事実は、本人の「好み」で決まるものではないでしょ。
米国では、本気で「アダムとイブ」の天地創造物語りを信じ、ダーウインの進化論を否定する人々が、何十万と居る。
私は、そんな彼等と何時間も本気で激論を交わしたことがある。
驚いたことに、彼等は彼等なりに、「科学的データー」を持ち出して来たのには、驚いた。
でもやっぱり、どう考えても間違いは間違いなのです。これは、多数決で決めることではないのです。
帰納法という論理的に事実を確かめる方法があります。

272 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 09:02
続き
この方法は、ある身直な事実が絶対の真実であると確かめられるとしたら、その約束事が少し範囲を拡大しても当て嵌まるとする。
すると、その約束事は、どんなに範囲を拡大しても自動的に当て嵌まるというものです。
ドミノみたいなものです。
であれば、『歴史的事実も本当に事実かどうか』も確かめる方法があるのではないか?
乃ち、ある歴史的事実への証人が複数いると仮定する。
その事件に対する見方、印象度や距離、時間の経過などを総合的に加味すれば、その事件の真実が自ずと明らかになるのではないか?
と思うのです。
小説人間革命に関していえば、明らかに池田先生を中心とする制作者達が「自分達に都合のいいように」歴史を作り変えていると思うのです。
その行為は、「犯罪的」と断ぜられます。
LISAKOさんのいう『素晴らしい智慧』とは、『悪智慧』以外の何物でもありません。
>過去を探り出した所でいったいどのような結果が生まれるのでしょうか。
...嘘の上に価値あるものは、積み上げられません。
その場凌ぎの嘘は、それを取り繕う為の嘘を次々に編(あ)み出して行かなくてはなりません。そして最後は、大きな嘘となります。その大きな嘘は、多くの人を傷つけ、犠牲を強います。
それは、人類が既に二つの世界大戦で少なくとも3千万人もの人命という途方も無い犠牲を払って学んだことなのです。
LISAKO さんのいう真実に対する見解は、相対的ということだと思います。
その見方も大事です。
それについての小論は別の機会に譲ります。

273 名前: yurikoの友人 投稿日: 2003/07/26(土) 09:17
yuriko氏とSGI氏の心は、池田氏に対する単なる憎しみの感情があるだけです。
すべての書込みはそこから発している。法華講よ目覚めなさい。

274 名前: 女子部 投稿日: 2003/07/26(土) 09:20
SGIさん大好きです、頑張って。

275 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 09:45
>>266 LISAKO さん
言い過ぎた点がありましたら、本当に御免なさい!
現実に部員さん達を激励している姿が目に浮かびます。
尊いことです。
そんな純粋な創価学会員の姿こそが、広宣流布を前進させ、その屋台骨になっているのは、確かなのです。
それだけに、広宣流布に隠れ蓑(みの)にして、金儲けしてる野郎が許せないのです。
どう考えても、名誉会長は3億円もの個人所得があるのはおかしいと思うのです。
それに、池田博正が本を出版して、印税をがっぽり儲けるのはおかしいのです。
儲けの漢字を御覧なさい!
信+者=信者=もうけ なのです。
あなた方は騙されているのです!目を醒ましなさい!
金持ちの宗教家ほど胡散臭いものはないのです!
法華講は君を待っている!

276 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 10:06
>>273 yurikoの友人
...お前みたいなダチ知らねーよ。
ちゃんと名乗りな!
http://www19.big.or.jp/~sunshine/soukagakkai/
応援隊のクラブハウスの私の伝言板ににイーメールアドレスを張り付けておけよ。
そうやって、私に心理的圧力をかけようとしているのだろうが、私には通用しないね。

277 名前: 学会に少し疑問を持つ女子部 投稿日: 2003/07/26(土) 10:48
yurikoさんにご質問です。同じ女性としてお聞きします。
なんでそんなに池田先生を叩くのですか?今なにかいやがらせされているのですか?
端的にお答えいただけますか?
同じ女性としてお聞きします。

278 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 12:04
>>277
>なんでそんなに池田先生を叩くのですか?
...叩いているつもりはない。
>今なにかいやがらせされているのですか?
...そういうんでもない。
寧ろ私は、創価学会員が好きだし、友人も沢山いる。
創価学会に対しては、多大な期待を持っている。
真の広宣流布は、創価学会を措(お)いて為しえないとさえ思っている。
それだけに、創価学会には、もっと責任を自覚して欲しいのだよ。
最近改変された創価学会会則では、池田先生は、牧口、戸田両先生に並んで、「永遠の師」という位置を占めた。
これが、もし創価学会内部だけの内輪話だったら問題ない。
しかし、創価学会の勢力は、全世界に及び、日本の政治に重大な影響力を及ぼしているのは、紛れも無い事実だ。
それだったら、その中心者として、最大の影響力のある人物の人格の資質を詳細に検討するのは当然ではないのか>
すなわち、「池田先生って、本当にそんなに偉いのか?」を聞かれるのは当たり前だ。
創価学会員は、その質問に誠実に答える義務があると思うんだけど、如何かね?

279 名前: 学会に少し疑問を持つ女子部 投稿日: 2003/07/26(土) 12:56
yuriko様お答えありがとうございます
貴方様のご意見の「創価学会の勢力は、全世界に及び、日本の政治に重大な影響力を及ぼしているのは、紛れも無い事実だ。」
ということですが、そのような影響を及ぼしていくようになったのは、池田先生の人格が優れていたからなのではないでしょうか。
もし、貴方のおっしゃるように、人格破綻・大嘘つき・ずるがしこいという指導者だったとしたら、自然に消滅していくものだと思います。
あのオームなどのインチキ教団のように。
一時は人を騙せても長くは続きません。貴女様は「人格の資質を検討」と綺麗な言葉で言っておられますが、レスを読む限り、それは「検討」ではなく、執拗な攻撃、嫌がらせに思えます。
聖教新聞を見る限り世界中から賛嘆されている池田先生ですが、あれは聖教新聞の捏造でしょうか?
ありもしない顕彰をさもあったように見せかけているのでしょうか?
もし顕彰が真実ならば、顕彰をした世界中の議会・大学・研究所・市や国の指導者達は全員だまされたということでしょうか?
そして、騙されていたと知ってもなお「返上せよ」の声が無いのは、いまだに騙されつづけているのでしょうか?
あるいは創価学会から多額のお金が流れているからでしょうか?かつて、韓国やブラジルや多くの国で、私の姉もそうですが、学会員というだけで逮捕されたこともあったのです。
御本尊様を壁の中に隠し、数人の会合も当局からの監視で出来ない中、泣きながら布教してきました。
そのとき池田会長はなぜ今のようにお金をばら撒き、顕彰を買わなかったのでしょうか?
お金はいっぱいあったと思います。そうすれば、逮捕されないですんなり今のように友好が深まり、みんな喜んで活動してきたはずです。
今韓国は何年も連続して優良市民団体として国から表彰されつづけています。
あの当局からの監視が続いていた地獄のような日々とは天と地の違いです。
皆さまの「顕彰は金で買った」というレスを拝見するたびに、この一点がどうしても腑に落ちません。
どなたさまか、この疑問を晴らしてくださいませんか?
私が疑問を持つのは、組織の中にいろんな幹部がいて、何でこんな人が幹部になるの?という疑問です。
池田先生には疑問を持っていません。
ついでに台湾か韓国か知りませんが、日蓮正宗が宗教法人を解除されたのはなぜですか?
日顕猊下さんがマスコミから「花和尚(遊び人の坊さん)」などと揶揄されていますが、お金をばら撒けば、池田会長もそうされたように顕彰され、お国で頑張っている法華講さんも肩身の狭い思いをしなくてすむと思うのですが、なぜやらないのですか?
韓国では猊下さんのような優れた方を排除し、人格破綻の池田先生を褒め称えるというような、おかしな国なのでしょうか?
猊下さんは今回、アメリカに行き、グランドゼロの広場に行き、献花と数千万円の寄付をしたと聞きました。
それも大切かもしれませんが、末寺ではお子さんの幼稚園に行くお金さえなく、泣き泣き解約をしているとのこと。
そのお金があればと、困窮している多くの末寺から悲鳴のような恨み節が聞こえているとのこと。
そんな宗門のお方が、学会のことや池田先生の人格検討なんてことを、朝から晩までパソコンにしがみついていないで、ご宗門に陳情したりするのが先決ではないでしょうか?
ちょっと余計なことまで書いてしまいましたが、お許しください。私は学会からとネットからしか情報を得ていませんので、間違った認識もあると思いますが、そこはご指摘くださいませ。

280 名前: 学会に少し疑問を持つ女子部 投稿日: 2003/07/26(土) 13:00
訂正します

今韓国は何年も連続して優良市民団体として→ 今韓国のSGIは、何年も連続して優良市民団体として

281 名前: 花火 投稿日: 2003/07/26(土) 13:15
ワタシも10年選手の学会員です。今日始めてこの掲示板にやってきました。
率直な感想です。
昔のことをどうこう言って、だからなんなの?ってゆーカンジです。
たしかに最近の池田名誉会長の話は鼻につく。
自分で自分をほめるなよ!と思うこともたびたびある。
もし友人に「池田先生って、本当にそんなに偉いのか?」と聞かれたら
即座に「わからん!」と答えるだろう。
だって、会ったこともないし、直接話したことも無いのだから。
それに会長なんて末端会員のワタシらが決められるもんでもないし。
名誉会長はワタシにとってただの同士だと思ってる。
だから名誉会長がどんな経緯で成り上がってきたかなんて関係ない。
そのこととワタシの信心は無関係だと言い切れる。別に池田名誉会長に折伏されたわけじゃないしね。
最後に法華講だから色々言うの?創価学会と宗門のことだって上のほうが勝手にけんかしてるだけでしょ。

282 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/07/26(土) 16:13
会員の労苦にあぐらをかいているのが池田たち学会本部。
自らは汗を流さず,激励のパフォーマンスだけ。
末端の会員からいかに労働搾取し金銭騙取するかを考える毎日。
それが池田たち本部役職員。
新たにご参加の学会員の方々への挨拶にもう一言。
学会活動やっても学会本部に金振り込んでも仏界は涌現しないよ。

283 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 16:49
皆さんレスありがとうございました。
返答は、改めて書き込みます。
私は、末端の学会員は好きだ。君達の信心への情熱は素晴らしいと思います。
しかし、やっぱり、その思考経路は歪んでいると断ぜざるをえません。
詳しくは、明日続きます。

284 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/26(土) 18:18
>>268 yurikoさんヘ

レスありがとうございます・・・
今日一日中、忙しくて書きたくても時間がぁ・・・
(必ずレスお返し致します)

それと、フォローもしてくれてアリガト〜ゴザイマス。
(小娘がどうかは^^以下略・・・ココはネット上w )

では、又お願いします♪

285 名前: 花火 投稿日: 2003/07/26(土) 22:34
思考経路が歪んでますか…
yurikoさんは自分が正常な思考回路と言い切れますか?
きっと言い切れますよね。それはワタシも同じこと
誰人も人のことは批判できないし、批判できるほど真っ当な人ってなかなかいないと思う

286 名前: yurikoを支援する会(法華講) 投稿日: 2003/07/26(土) 23:57
花火さん
yurikoは女なのに男言葉で話す。思考回路の正常な人でなければ出来ないことです。
貴方の思考回路こそ歪んでいる

287 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/26(土) 23:59
>>279
>そのような影響を及ぼしていくようになったのは、池田先生の人格が優れていたからなのではないでしょうか。
もし、貴方のおっしゃるように、人格破綻・大嘘つき・ずるがしこいという指導者だったとしたら、自然に消滅していくもの
...そうかな?
世の中矛盾だらけだろう?
先人の積み重なる努力で、それらあ矛盾は多くが解決した。しかし、一つ解決すれば、また新たな矛盾が誕生してきりがないというのが現実だろう。
理想的には、人が正しいことを主張すれば、それを人々が納得してくれればいい。しかし、そうでないことが多いだろう?
池田先生が世界中で認められているということが、必ずしもその人格が勝れているからとは限らないだろう?
君が持ち出したオウム真理教の麻原だって、ああいう事件を起こす前は、一応世界的に注目されていた。
ダライラマなんかは、その名声を麻原に利用された。
そういう俗物的名声を利用する方法は、胡散臭い宗教家のパターンなのだよ。

創価学会では、「一人立つ精神」が強調されるが、俗物宗教家は、決して「一人立たない」。
大勢の取り巻きに囲まれ、多くの勲章や賞状という虚飾で飾り立てなければ、不安で仕方がないのが、俗物たる所以だ。
それと対極にあるのが、真の宗教家だ。
あの鎌倉新仏教の祖師達は、既成の勢力に抵抗して、道なき道を切り開いた。
かれらは、押し並べて「幕府や朝廷」と言った権力者側からの甘言や寄進を拒否した。
特に日蓮大聖人の反骨精神は、日蓮門下が永遠の指針にすべきものだ。
池田名誉会長が易々と世界中から勲章を収集している様程、それに反する姿はない。

288 名前: みれい 投稿日: 2003/07/27(日) 00:06
横レスお邪魔します。
人格の優劣(そこに優劣もできればつけたくないけれど。)と掌握術は同じものではないと思います。
また思考回路の歪みは、私は多少人それぞれあると思いますよ。自分も含め。
それをお互い指摘しあって(この言い方も大事にはなってくると思いますが、なんらかの意味があると込め)、ちょこっとずつでも改善されるぶんには問題ないと思います。
ところがそれを単なる批判や中傷と受け止め否定するようであれば、また別問題かと。
yurikoさんはそこを言いたいのではないかと思いました。(全くお門違いだったらごめんなさい)
私が人間革命を読んだのは20年も前の話で、ほとんど覚えていないのでこのスレからはニュアンスしか読み取れませんが、
yurikoさんのパワフルさには圧倒されます。

289 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/27(日) 00:10
>>286
お前、次元低すぎ。
私が「おかま言葉」を使ったりすれば、女性らしさが表現されるとでも言うのかい?
抑、私は、「女性らしさ」の重要性は認める。でも、その現れ方は、人それぞれでいいんじゃないかい?

290 名前: はな 投稿日: 2003/07/27(日) 00:22
女性らしさを表現している女性は「おかま言葉」を使っているからなの?
それって差別じゃないのかしら?

291 名前: はな 投稿日: 2003/07/27(日) 00:27
普通のばあい女性が「オカマ言葉を話す」って言わないわよね。
男性が女性の言葉を使う時そういう言い方をするんじゃないかしら?
女性だと公言するあなた様が「私がオカマ言葉を使ったら」なんてとてもヘンです。

292 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/27(日) 10:30
>>291
...そいう難癖が来ることは予想してたよ。
私には、米国人と日本人におかまの友人がいる。
彼女達は「本来、女性の体に生まれてくるべき所を、間違って男性の体に生まれてきた」と信じている。
したがって、立ち振るまいや言葉使いが、意識して女性的になる。
それらは、大袈裟にそうしているのではなく、彼女達なりの「女性らしさ」を意識して追求している。
無論、それは彼女達の偏見に過ぎないのだが、観察すると面白い。
「なるほど、ああすれば女性らしさが表現できるのか?」というわけだ。
若い女性の中には、女性本能に目覚め、ボーイフレンドを探している方もいらっしゃるだろう。
多くの男性は、そんな彼女達に女性らしさを求めるに違い無い。それで戸惑うだろう。
そういう時は、おかまの友達を持つことだ。そして、よく観察して、その言葉使いや仕種(しぐさ)を盗んだらいい。
「お行儀教室」に通うより、多くのことが学べるに違い無い。
>普通のばあい女性が「オカマ言葉を話す」って言わない
...わざと、戯(おど)けたのだよ。
私に関して言えば、私は、男性っぽく話をするというより、どちらの性にも片寄らない「中性」を心掛けている。

293 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/07/27(日) 11:22
>>292
まさにこれは思考回路破綻の見本だ
これを日蓮さんは「頭破作七分」と言った
間違った宗教を信じた結末がこの姿
日顕宗はおそろしい
学会と同じだ

294 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/27(日) 11:38
>>288
>人格の優劣(そこに優劣もできればつけたくないけれど。)と掌握術は同じものではないと思います
...掌握術に関して、デ−ル カーネギーは「どうしたら、友人を得、影響を与えるか( How To Win Friends and Influence People)」日本語タイトル「人を動かす」を書いた。
この本は、聖書に次いでよく売れている本だそうだ。
私が、この本に出会ったとき、衝撃を受けた。
「何でもっと早く読んで無かったのだろう!」と思った。
そこで、思ったのは、「きっと、池田先生もこっそり読んでいたに違い無い」だった。
これは、人心掌握術についての本だが、「相手の欲する所を行う」というのは、あらゆる宗教道徳が教えているところだ。しかし、実行は難しい。
それができる人は、それなりの才能を持っていると思う。
これは、立派な知性だ。
これに関連する本で、一昨年あたりに米国でベストセラーになり、日本でも話題になった本に「EQ「エモーショナル インテリジェンス」があった。
このEQというのは、IQに対する言葉だ。
IQが、人間の知性を計る目安なのに対して、EQは、人間の感性を計る目安とされている。
この感性とは、「どれだけ他人に思い遣りを持てる」とか、「他人の心の痛みを感じる」といった能力だ。
主に右脳の働きだろうが、これも人間にとって不可欠な知性に違いない。
のの能力に池田先生は長けているに違い無い。
ただ、ちょっと悪いニュースがある。
これらの特殊能力は必ずしも、知性が伴われず、屡(しばしば)、「アホ」に生じる。
そして、それが悪用される。
歴史上の独裁者がその例だ。
ヒットラー、スターリン、毛沢東、金日成、ミロセビッチ、チャウチェスク、ノリエガ、フセインそして、池田大作だ。
彼等の特徴は、
1 危機に直面して、解決の為に論理的に結論を出すのではなく、その時の気紛れで多くを決裁する。
2 回りの人間を自分が大人物だと思わせるのがうまい。
3 己の権力の維持の為に、あらゆる手段をこうじ、他人(大衆)の犠牲を意に介さない。
などがある。
理想的な大衆指導者は、IQ+EQを兼ね備えているべきなのだが、なかなかそうはいない。

295 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/27(日) 16:13
補足
>主に右脳の働きだろうが、これも人間にとって不可欠な知性に違いない。
...
わかりにくい説明だった。
EQの働きは確かに、知的活動故に、知性と呼んだs
しかし、論理的思考や言語活動などを司る左脳の働きである知性と区別したい。
ここで注意して欲しいのは、人間の脳は、複雑で、右脳と左脳は必ずしも常に別々に活動しているわけではなく、常に互いに連絡を取合い、影響しあっている事実だ。
もっと正確に表現するなら、ある目的に応じてそれぞれの脳が、主に働くというべきだ。
したがって、池田先生の脳を例にとって考えるならば、論理的思考をする右脳の発達は、せいぜいチンパンジ−程度に止まり、左脳が異様に発達しているといえよう。
何にしても、池田先生の異能ぶりを過小評価するのは間違っている。

296 名前: SGI 投稿日: 2003/07/27(日) 20:40
>>266 LISAKOさんへ
 改めて、初めまして、よろしく。
 問いかけのレスをしておきながら、ご返答があろうとは予想しておりませんでした。
 これまでの経験で、「小説だから」とか、ましてや >>273のような「単なる憎しみの感情があるだけ」と言い放つだけで、突き詰めることを怖れ、己れ自身にもおいても誤魔化していく人間に何人にも出会ってきましたので、ちょっとビックリです。ありがとうございます。

>「今まで」どうだったかではなく、「これからどう生きるか」という向上する心に挑戦する魂はあるのではないですか。
 
 心構えとしてはその通りでしょう。しかしながら「今まで」の積み重ねで「今」があり、その連続した営みの中で「これから」があるのだと思います。「過去を見ない人は、現在にも盲目」(池田大作)です。

 Leoさんが >>34で『池田名誉会長の青春対話―21世紀の主役に語る―』から名誉会長の言葉を紹介しております。そこには、歴史は勝者によって書かれること、そして最後に「過去を見ない人は、現在にも盲目」とあります。
 「仏法は勝負」「勝てば官軍」「勝つことが正義」の覇道を歩む学会=名誉会長からみれば、まさにアイロニーとしか言いようがありませんが、『日本書紀』や『古事記』の例や、敗者となった明智光秀や石田三成に対する評論、また大衆人気(世論)に支えられての悪役・吉良上野介へのイメージ等々をみても、定説・通説がしっかりと定着した後に、新説・新事実を提示しても異論として、まず排除されるのが常です。
 
 このスレッドで私は、第三代会長の就任は、青年部池田派のクーデターであることを書き込んできました。クーデターを正当化させるために、数々の“師弟神話”や“山本伸一神話”を作り出し、それを『人間革命』に描き、さらにあらゆる機会を通じて学会の正史・略史として表明し、会員にも学習させ、定説・通説として残そうとしている、と所見を述べております。

 これが、学会のねらいの一つです。学会は万代路線を構想しております。万代にわたって“創価学会・池田大作は正しい”というテーゼを確固たるものにしたいのです。だから圧倒的な情報量を発信し続けます。これを端的に表す言葉が「ウソも百遍言えばホントになる」です。したがって、過去の事を論じているのではなく、現下の学会の体質・手法をも検証しているのです。
[続く]

297 名前: SGI 投稿日: 2003/07/27(日) 20:42
[続き]
 学会・名誉会長にとって都合の良い情報だけを、圧倒的な情報量で発信し、会員を学会の“世界”だけに閉じ込め、会員の覚醒や脱会を防止しております。
 「入信神話」や「大阪事件」「エレベーター相承」など『人間革命』に描かれた虚実だけでなく、「言論問題」にしても「電話盗聴」「月刊ペン事件」「山崎・原島問題」「本尊模刻」などにしても、また近年の宗門vs学会抗争に関わる数々のプロパガンダ情報における、捏造・歪曲・針小棒大・虚報を展開しております。

 こうした学会サイドの情報だけに躍らされると、つい最近まで本掲示板で精力的にご活躍されていた一会員さんのような言動につながるのだと思いますし、また >>279学会に少し疑問を持つ女子部さんのような誤認識を生んでしまうのではないかと考えるのです。

 人の道を説き、衆生救済を掲げ、世界を平和に導こうとするものが、歴史や事実について、捏造や歪曲を積み重ねていくところに、果たして大聖人の正法正義が存するのでしょうか。私は甚だ疑問です。

>それはそれで素晴らしい智慧だと思います。「広宣流布」という目的があるのですから。

 そう、「広宣流布」「世界平和」という美名の下に、実に実に数知れない不正や不法・犯罪行為が行われていることか。目的が正しければ手段はなんでも良い、要は「仏法は勝負」「勝つことが正義」なのですから。これも厳然たる学会の事実・現実であることを知っていただきたいと存じます。
 
 また、
 会内では「真実の歴史を綴る」と喧伝され、刷り込みが図れていることについて――詳しく教えて頂けますか。
 とのレスは、えっ、と驚きを禁じえません。日常の活動を振り返っていただければ、おのずから容易に実感できることではないかと思うのですか。

 要領のまとまりに欠けたレスで申し訳ありません。
 いずれの機会にまた続きを…。できれば、本スレおよび別スレッド「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」の私の書き込みに目を通していただければ、ありがたく存じます。

298 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/27(日) 23:40
ちょっと訂正します。
>したがって、池田先生の脳を例にとって考えるならば、論理的思考をする右脳の発達は、せいぜいチンパンジ−程度に止まり、左脳が異様に発達しているといえよう。
..これは、左右全く逆でした。
すなわち、論理思考や計算を主に司る脳は左脳で、芸術など感性を司る脳が右脳です。
したがって、上にある私の脳に関する書き込みは、全て左右逆にして理解して下さい。
また私は、名誉会長の感性を司る脳が異様に発達していると述べましたが、それは間違いでした。
名誉会長には、芸術の才能など全くありません。
例えば、しばしば開催される池田写真展には、不審な点がいくつもあります。
池田先生の写真の取り方は、全く人間革命製作過程と一致します。
すなわち、本人は何もしないのです。
レンズを覗こうともしません。
フィルムを選択したりカメラに装着することもありません。
一応、シャッターを押すらしいのですが、それまでのお膳立ては全て専門のカメラマンがやっています。
これは、プロのカメラマンがアシスタントを使うのと同じだとも言えますが、
プロフェッショナルな人達は、全ての過程を精通した経た上で、全てを理解した上でやっていることです。
例えば、医者が患者を診る場合、あらゆる検査をするのは、医者自身ではありません。
しかし、それぞれの検査内容に精通していなければならない。
その上で、総合的判断を下すのが医者なのです。
オルガナイザーとしての役割です。
同様な能力を、名誉会長も備えています、
SGIさんが、度々指摘しているように、名誉会長は、オルガナイザーとしての能力に長けているらしいです。
現代的異能と言えます。
それを上手に使いこなせれば、小説や随筆の執筆、対談の準備や資料の収集、スポーチなどが効率的に仕上がっていく。
極端な話しとして、
たとえ明日池田先生の身に不測の事態が起こっても、「池田手法」が健在でありさえすれば、いくらでも影武者をたてることが可能なわけです。
現在の池田先生の活躍ぶりもどこまで本人のものであるかは、誰にもわかりません。
参考:http://www.iodata.net/sohot/enjoy/spot/work/no4_nou/nou_1.htm

299 名前: Leo 投稿日: 2003/07/27(日) 23:59
SGIさん、ご紹介ありがとうございます。
>296についてコメントです。
>Leoさんが >>34で『池田名誉会長の青春対話―21世紀の主役に語る―』から名誉会長の言葉を紹介しております。
>そこには、歴史は勝者によって書かれること、そして最後に「過去を見ない人は、現在にも盲目」とあります。
外部批判であるようでありながらそのまま自己批判に当てはまるような学会のテキストを時々見かけることがあるのですが、
これは内部の誤り対しては盲目(思考停止?)なのか、実際の執筆者が外部批判にみせけけて実は内部批判(告発)を行って
いるものかと思うことがあります。(前者なのだとは思いますが,,,)

300 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/28(月) 00:01
>>yurikoさんヘ

今までのレス読ませて頂きました・・・m(_ _)m(イタッ

yurikoさん、法華講員サンなのですか。

301 名前: Leo 投稿日: 2003/07/28(月) 00:06
yurikoさんの >298に関連してコメント
>現在の池田先生の活躍ぶりもどこまで本人のものであるかは、誰にもわかりません。
>SGIさんが、度々指摘しているように、名誉会長は、オルガナイザーとしての能力に長けているらしいです。
日曜版の1面がいつも回顧録になっている《新》聞は前々から疑問でした...

302 名前: SGI 投稿日: 2003/07/28(月) 00:17
>>299 Leo さんへ。
 実は、数年前までは、>実際の執筆者が外部批判にみせけけて実は内部批判(告発)を行っている―こともありました。彼らは異動になりましたが、ひょっとしたらその想いは受け継がれているのかしれません。滅後において、かの「スターリン批判」如き新方針で「学会正常化」を画策している(た)メンバーが存します(した)。

303 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/28(月) 00:39
>>SGIさんヘ
少しづつレスさせて下さい。お願いします。
(レスを付けたい箇所がアリ過ぎて・・・)

横レスですが。
「過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。」と言うコトだと思います。
本当の真意をつかむコトができた人なら、どのような記事であろうと・・・(以下略

304 名前: Leo 投稿日: 2003/07/28(月) 00:39
>302 SGIさん
>彼らは異動になりましたが、ひょっとしたらその想いは受け継がれているのかしれません。
>滅後において、かの「スターリン批判」如き新方針で「学会正常化」を画策している(た)メンバーが存します(した)。

私は時々伝わってきた口コミ情報以外は学会本部(中央)のことは全然わからないのですが
(学会中央は一枚岩かと思っていました)、「学会正常化」をめざすメンバーがいる(いた)
というのは好感が持てます。

「彼らは異動になり」という時期(1990年代後半?)はもしかしたら本部でも地方でも結構移動が
あったのでしょうか。

305 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/28(月) 00:54
>>304 Leoさんヘ
スターリン死後、批判されているコトそのものが、
正義か否かが判断できるじゃないですか。学会に的さないと思いました。

>>302 SGIさんヘ
>「スターリン批判」如き新方針
とは、どのような方針だったのか教えて欲しいです。お願いします。

◆私のような学会員が来るようなスレじゃないコトは解っていますが・・・
(少し相手にしてやって下さいmase)レスは急がないです。

306 名前: みれい 投稿日: 2003/07/28(月) 01:21
おおっ!デールカーネギーについてのご意見ありがとうございます。私も意義ある本だと思っています。
ついでにいえば、ナポレオンヒルについてもかなり悪用されていると思っています。肝心な部分を除けばその本に書いてある指南は一般会員の活動、行動についても当てはまると思います。上手く絡めたな、と。
また、もう一人のカーネギー(アンドリューとデールは違う人だと思っています。同一ならばどなたかご指摘ください)や、その他の人物についても。
右脳と左脳についてのご意見、またIQとEQについてのご意見、私にとっては頼もしい限りです。
左脳と右脳をつなぐ脳りょう(配線みたいなもの)は、女性の方が多いと聞いた事があります。
ゆえに女性は左脳と右脳を同時に使う事が男性よりも得意。(これも人それぞれと思われる。ちなみに私の知り合いのオカマちゃんも、私よりいい「女」です。ホルモンの状況などにもより変わってくると思われますが)
左脳のロジカルな面に対して右脳の感性的な面。それぞれの役割。
私はロジカルなほうはとんと苦手なので、もう人まかせ。

・・・大きくスレからずれてしまいましたが、こういった著名人の各書籍について、学会員はあらためて目を通す機会が多いほうがいいと思います。池田さんが言っている、または学会で述べられる「一見筋の通った立派なご意見」は必ずしも学会オリジナルのものではない。
活用されるならいいけど、悪用されては困ります。
しかしデールカーネギーはうちの学会盲信家族も読んでいるのですが、行動は必ずしもあてはまらず。なので学会員がこの本についてどうとらえているかは疑問のままです。
あらためて別スレ「MC」で扱おうかな。

307 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/28(月) 01:42
>>306 みれいさんヘ

>学会員がこの本についてどうとらえているかは疑問のままです。
学会員としては答えられないんだけど・・・
私的には、(詳しいコト学んでませんが)ひとつの方法(手段)であると思います。
とても興味ありますdesu。
でも、私は池田先生から、そのような手段(方法)を学んでいると思っています。
新聞やその他の書籍の文章そのものからじゃないyo。
「心」から秘密の電波もらってますw (DQN発言お許しを・・・>all)

308 名前: LISAKO 投稿日: 2003/07/28(月) 01:44
>>みれいさん・・・レス返さないでOK^^desu。

309 名前: Leo 投稿日: 2003/07/28(月) 23:06
>305 LISAKOさんへ
私は単なる名簿上の学会員です。
>>304 Leoさんヘ
>スターリン死後、批判されているコトそのものが、
>正義か否かが判断できるじゃないですか。学会に的さないと思いました。
学会には間違いは一切ないということを言われているのでしょうか。

>◆私のような学会員が来るようなスレじゃないコトは解っていますが・・・
>(少し相手にしてやって下さいmase)レスは急がないです。
掲示板に来る・来ないは誰でも基本的に自由ではないでしょうか
(もちろんアラシは除く)。

>「心」から秘密の電波もらってますw (DQN発言お許しを・・・>all)
よくわからないので不躾ですが質問させて頂きます。LISAKOさんは
先生に直接会われて会話されたことがあるのでしょうか。

310 名前: SGI 投稿日: 2003/07/28(月) 23:51
>>304 Leoさんへ
 金融機関のように定期的なローテション異動はありませんが、決して人事異動がないわけではありません。中央から方面への異動や、議員転出による異動とか、担当部門の変更とか、一般の企業組織と比べるとかなり少ないと思いますが、それなりにあります。

 また、昨今はあまりありませんが、学会の人材登用の方法として「抜擢人事」とか「特進人事」あるいは「エレベーター人事」などと呼ばれるものがあります。名誉会長らから特別に目をかけられると、いきなり全国幹部になったり本部内でも数階級昇進したり、反対に不興を買うとポーンと地方に飛ばされたり実質的な降格処遇になったりと、人事権(人事異動)で名誉会長の支配力を見せつけられたことがありました。

 さらに、本部内部で造反者等が出現した時には、必ずその造反者と近しい者や親しい者、関係者は一斉に身辺調査がなされ、場合によっては査問や念書提出に至ります。それでも疑いが晴れない時は、さりげなく人事異動で閑職や議員転出等への主流はずしが行われてきました。
 グループS、福島源次郎副会長の『誠諫の書』提出、池田問題対策事務所(外護の会)、四十六人会、地涌ネットワーク室といった80〜90年代の造反グループ出現の時は、本部中枢は相当の危機感をもって対処。人事異動の範囲はSGI各国までに及びました。

 本部職員・幹部が退職した時も監視の網から逃れることができません。円満退職であっても定期的なさりげないチェックが続きます。ましてや突然の依願退職や造反疑惑者にリストアップされたことがある者については、場合によっては長期間にわたり尾行や通信傍受、交友関係調べが続きます。公明党議員OBにも似たようなシステムが存します。
 
 「五十二年路線」の第一次宗門抗争以来、学会本部では造反活動には異常なまでに警戒・予防対策に神経をつかっているとの印象を受けます。少しでもそのような疑いがあると、名目をつけての人事異動や身辺調査を行い、芽を摘み取っていこうという方針のようです。

311 名前: SGI 投稿日: 2003/07/28(月) 23:52
>>305 LISAKOさんへ。
>どのような方針だったのか教えて欲しいです
 「スターリン批判」とは、ご承知のように、
 「共産主義の歴史においても画期的な出来事。1956年のソ連共産党大会でのフルシチョフの秘密報告に始まる。神の如き存在であったスターリンの独裁・個人崇拝・粛清といった悪が徹底的に告発された。スターリンはそれまでは偉大な指導者とされていたので、世界の共産主義運動に衝撃をあたえ、中ソ対立の原因となった。この批判は後にペレストロイカの過程で深められ、ソ連の国の制度そのものの否定にいたる」というものです。
 
 だから、“新方針”として打ち出されているのではなく、名誉会長の逝去後「ポスト池田」において、上記「スターリン批判」のように池田創価学会の罪と悪を総括し、健全な学会を再生しようという“新方針”を打ち出したいと考えている幹部・職員がいる(いた)ということです。
 学会には適さないとのご認識のようですが、私は反対に「スターリン批判」のような荒療法をしない限り、もう学会はまともにならないと捉えております。

312 名前: Leo 投稿日: 2003/07/29(火) 00:38
>310 SGIさんへ
ご回答ありがとうございます。
>人事権(人事異動)で名誉会長の支配力を見せつけられたことがありました。
会としての責任を被るような実務上の役職には就いておられないが、強力な実権を持たれている(た)ということですね。

>本部職員・幹部が退職した時も監視の網から逃れることができません。
監視の網があり、粛清があるというのは独裁国家のやり方そのものですね。

>少しでもそのような疑いがあると、名目をつけての人事異動や身辺調査を行い、芽を摘み取っていこうという方針のようです。
思ったより厳しいですね。しかしながら、八紘一宇、鬼畜敵対者的な独裁組織の拡大には懸念を持ちます。
万が一の「正常化」(あるいは人間の《理性》もしくは《荒療治》)に期待したいです...

313 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/29(火) 04:27
>>396みれい
>また、もう一人のカーネギー(アンドリューとデールは違う人だと思っています。同一ならばどなたかご指摘ください)や、その他の人物についても。
...アンドリュ−カーネギーは、米国の鉄工王だと思います。インターネットで簡単に検索できるでしょう。
名誉会長が、歴史上の偉人の業績を利用して持論を展開することは、今更解説の必要がないでしょう。
その人物の特徴は
1 現代人ではない。もし、現代人であったら、「それなら、その人物は名誉会長をどう評価しているのか?抑、名誉会長のことを知っているのか?かが問題になる。
2 同じ理由で、できればその人物は外国人、できれば欧米人がよい。異文化であることを口実にして、その人物がの仏教への関心度を無視することが出来る。
3 その人物の偉大さへの評価は既に確立していて、議論の余地がない。
その人物の「ふんどし」で相撲を取っても誰も異論はない。
...などがある。
改めて解説と例を引きたいが、まず3について。
浅はかな池田先生は、よくこれで失敗する。
これは、資料収集係の茶坊主がいる第一庶務とか、特別書籍部、教育研究室の責任になるのだろう。
その失敗の実例を見ると「案外、創価学会には人材が居るようでいないんだな」とわかってしまう。
エピソード1
池田先生が何回目かの訪米。
その時米国では既に、アメリカ大陸を発見してとされるコロンブスへの評価は、議論が別れていた。
その理由は、
1 米国大陸には、南北に亘って広く現地人が文明と文化を築いていたのに、「発見した」というのはおかしい
2 現知人にとって、ヨーロッパからの移民は、災厄以外の何ものではなく、伝染病、性病の蔓延によって、何千万の人々が犠牲になった。
3 キリスト教文明が唯一最高の文明である故に、キリスト教を広めるという美名が最初にあって、それに従わない「野蛮人」を神の名において成敗するという考えが正当化された
4 いまだに現地人の宗教の自由を規制している。(麻薬の使用の為)これは、民主主義が最高の統治思想としているにも拘わらず、矛盾している。
,,,などがある。
池田先生は、そんな「胡散臭い」歴史上の人物を思いっきりに誉め称え、顰蹙(ひんしゅく0をかった。
他にも、特に今では、人類に災厄をもたらしたとされる共産主義指導者や思想家を手放しで称えることがよくあった。
国内では、伝統的に共産党と犬猿の中であるのは、評価できるにしても、「どうかな〜?」と首を傾げることがよくあった。
「他人のふんどしで相撲を取ることを得意としたきた」池田先生であったが、その節操のない、幼稚な思想性のない人物評価故に、屡墓穴を掘ってきた。
その綻びは、あまりに大きくなり過ぎて、最早誰も繕うことはできない。

314 名前: みれい 投稿日: 2003/07/29(火) 04:57
yurikoさん、
よかった。職場で鉄鋼王と営業経験の二人が職場で話が出た時、みんなで混ざっていたもので(書いてある職歴違うし写真見た限り顔も違うけどw)
ありがとうございます。そうですね、ネットにも詳しく出ていそうですね。

ではまたこのスレ、ひたすら読みふけりに戻ります。

315 名前: yuriko 投稿日: 2003/07/29(火) 04:59
訂正+補足
>>313
教育研究室→教学研究室
2 現知人にとって、ヨーロッパからの移民は、災厄以外の何ものではなく、伝染病、性病の蔓延によって、何千万の人々が犠牲になった。

無論、移民してきたヨ−ロッパ人に手による現地人虐殺も頻繁に行われた。
その総数は、ンチによるユダヤ人虐殺などの比ではない!
南アメリカの国(アルゼンチンなど)は、一国全ての領土から、現地人を虐殺や追放することに成功した場所もある。
現代において、ボスニア コソボなどの地におけるエスニッククレンジング(民俗浄化)ジェノサイド(民族の殲滅)は、ヨーロッパキリスト文明の常套手段だったのである。
ヨーロッパのアフリカ大陸植民地化や奴隷貿易の繁栄は、ヨ=ロッパキリスト文明の残虐性の証明となる。
現地人が必ずしも、「この世の楽園」的文化、文明を築いていたとは言えない。しかし、少なくとも、当時は、それなりに繁栄していたのである。
池田先生は、しょっちゅう、それら西洋文明を代表する国々から、その象徴たる「十字架」の紋様の入った顕彰を受ける。
送る方には、悪意があるとは言えないが、池田先生が態々自慢するのは、もっとおかしい。
欧米文化から顕彰されるのが特に嬉しいらしいが、みっともないのである。

316 名前: 訂正 投稿日: 2003/07/29(火) 05:43
現代において、ボスニア コソボなどの地におけるエスニッククレンジング(民俗浄化)ジェノサイド(民族の殲滅)は、ヨーロッパキリスト文明の常套手段だったのである。

現代において、ボスニア コソボなどの地におけるエスニッククレンジング(民族浄化)ジェノサイド(民族の殲滅)は、ヨーロッパキリスト文明の常套手段だったのである。

317 名前: 訂正 投稿日: 2003/07/29(火) 13:07
鉄工王

鉄鋼王

318 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/10(日) 15:57
来週は、新人間革命の言論出版妨害事件に絞って。徹底的に批判したい。
幸い、私は、英文の創価学会を斬る(I denounce sokagakkai)が手に入った。残念ながら、日本語版は手に入らなかった。
「お笑い創価学会」を参考にする。
この事件は、創価学会の反社会性が社会的に明らかにされた。
それが、それから、たった30年程度経ったくらいなのに、創価学会は、事件を完全に風化させようとしている。 (決して成功したわけではない)
もしもこんなことが罷り通ったら、一体正義は、どうなるというのか?
私にとっても、言論出版妨害事件は、学会正義とは何かを考える上で、重要な意味がある。
乞う御期待!

319 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/10(日) 22:20
乞う御期待!じゃねーよ、四個の格言ちゃんと答えろよ。

320 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/11(月) 00:39
>>319
...
回答済み!

321 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/13(水) 11:28
いよいよだ。

322 名前: SGI 投稿日: 2003/08/15(金) 00:38
>>318>>321 yurikoさん。
>いよいよだ。
――と、御宣言されているところを失礼いたします。全く関連しない内容ですが、レスしちゃいます。許されよ。

“創価学会の根本理念──師弟不ニ論”を考える。

 小説「人間革命」の表向きの主人公は戸田城聖である。だが、戸田先生の思想と業績の正しさを顕揚し、美化し(執筆発表時で都合の悪いことは歪曲あるいは黙殺し)、それを自らの後光にして、現在の池田創価学会の正当性を図り、会員に指導理念を与えているのは、戸田城聖の唯一の後継者である山本伸一の思想と行動である。だから、山本伸一が実質上の主人公と呼んでさしつかえない。

 本来、師の偉大さを綴るべき内容が、巻を追うごとに山本伸一がいかに弟子の道をすばらしく歩み続けたかという“弟子宣揚論”へとウエイトが移行し、ついに「新・人間革命」では“私はこんなにも凄い偉大な正しい人間だ”という自慢話になる。
 小説「人間革命」は、戸田会長と山本伸一こと名誉会長の師弟関係は過去世からの不思議な宿縁であり、山本伸一青年ただ一人が“師弟の道”を貫いたという神話を綴るのがメインテーマだ。この二人の“師弟不ニ”という一体関係が、主題を規定している基本思想である。

 会員は、小説「人間革命」を通して“弟子の道”を学ぶ。山本伸一を理想形に、師に仕え応えることを身につけていく。学会で最も強調され教え説かれるのは“師弟の道”だ。
 名誉会長は「“師弟の道”こそ、正しい信仰、正しい人生をまっとうしゆく要諦である。“師弟の道”を見失い、自己の“原点”をなくした場合には……結局、無常に漂い、いかなる営々たる努力も、幸福と結びつかない人生になってしまう」と語る(平成元年11月18日・本部幹部会)。

 学会創立60周年の平成2年には「原点・求道の年」が掲げられていた。
 「原点」とは、「いうまでもなく池田名誉会長が心血を注いできた“師弟”の道である……師の正義とその構想の全てを実現された池田第三代会長、この三代会長の精神こそ創価精神であり、創価学会の永遠の原点である」。
 「求道」とは、「池田名誉会長と同じ時代に戦える私どもは、師とともに戦い抜くことが、そのまま自身の原点を確立することであり、……この共戦こそが、私どもにとっての“求道”の実践にほかならない」。
 この理念を、そのまま明文化したのが、昨年春の新会則にほかならない――。

 まさに“師弟の道”こそ、池田創価学会の根本理念・教義であり、そのテキストが小説「人間革命」である。だからこそ、会員必読の書(=現代の御書)であり、読了運動や学習会、教学試験にも活用されるのである。
 そこで、学会の“師弟の道”について、福島源次郎著『蘇生への選択』をベースに考えてみたい。

323 名前: SGI 投稿日: 2003/08/15(金) 00:39
 「人間革命」第10巻――「大聖人の仏法が師弟不ニの仏法であるならば、一切法がこれ仏法であるゆえに、広布実践という現実的な昇華のなかにも、師弟不ニの道が貫かれていくことは当然の理といわなければならない」(「一念」)

 大聖人の仏法は師弟不ニ → 一切法は仏法 → 広布実践も師弟不ニの道を貫く――実に“見事”な論法である。
 しかし、仏法における師弟とは、仏と衆生の関係であり、師=仏にほかならない。学会(=俗世間・組織)における師は、あくまでも凡夫たる“よき檀那”の中の一人である。だから、「五十二年路線」で教学上の誤りを正した時、厳格な峻別を確認し、以後“人生の師”という言葉で誤魔化してきた。

 もしかかる論法が許されるとすれば、「大聖人の仏法は信を根本とする → 一切法は仏法 → 会社においても社長に対して信を根本とすべきだ」というテーゼが成り立つ。これが詭弁だというならば、先の「人間革命」の記述も同じく詭弁となる。
 つまり学会の「師弟不ニ不可欠論」は、典型的なすり替え論であり、論理的にも全くナンセンスな代物といってよいだろう。だが小説「人間革命」は、師弟不ニの不可欠を説き、師弟不二の何たるかを山本伸一の姿を通して書き綴っている。

 「師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不ニの道を貫くことの困難さがここにある。ただかろうじて、山本伸一だけが違っていた。彼は関西方面の最高責任者となったとき、戸田の膝下にあっての久しい厳しい薫陶から、戸田の言われるまでもなく、ひとり多くの辛労に堪えながら、彼は作戦を立てた。
 その彼の作戦の根本は、戸田の指針と全く同一であった。不ニであった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力はすでに不必要であった」(「一念」)
 「師弟不二の道は、一念における荘厳な不ニにある……不ニとは合一ということである」(「一念」)

 師弟不ニというものは、師弟の道と全く違うものであること、それを成し得た者は、多くの弟子の中で唯一「山本伸一」一人であったこと、そしてそれはまさしく次元は異なれども、大聖人と日興上人の関係如きものであり、戸田先生と山本伸一青年における師弟不ニの道こそが、今日の学会の発展・広布の進展の原動力となっているというのことが、順々と書き綴られている。
[続きは後日]

324 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/16(土) 02:08
SGIさん書き込みご苦労様。
SGIさんは学会の元職員なの?で、いまは法華講?まさかまだ職員じゃないでしょう。
いろんなこと良く知ってますね。本でも出したら売れるんじゃないの。
いまなら民主党と妙観講がたくさん買ってくれるかも知れまへんなあ。
オツコツさんの情報元だったりして。

これだけの書き込みをするのって、すごい大変でしょう?
もしかしたらこれが職業なの?
単純な疑問でした。

325 名前: Leo 投稿日: 2003/08/16(土) 02:56
>324 についてコメントします。

 二次的要素でなく、内容そのものにたいする批判(ないしコメント)を行う
ことが重要ではないでしょうか。

(ご参考)
「日常生活では、われわれは実にいろいろなタイプの批判をする。たとえば、
 「彼の言っていることは正しいのだが、言い方がよくない、時と場合を考
 えるべきだし、聴衆にどんな反応を引きおこすかも考えるべきだ」とか
 「あんなものの言い方では、彼の誠実さがちっとも表現されていない」と
 いった類のコメントである。こうしたタイプの批判的コメントは、基本的
 に言って、問題となっている言明の内容そのものにかかわるのではなく、
 その言明の提出のされ方とか、ある状況下でどんな反応を引きおこすかと
 いった二次的要素にかかわっている。こうしたタイプの批判は、言命の内
 容そのものにたいする批判ではないという点に最大の特徴をもっている。」
(Libraさんの「仏教の源流から」スレのご発言の引用資料
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1029381997&START=913&END=913&NOFIRST=TRUE
より)

# ちなみに、私は以前、書評として「二次的要素にかかわっている」批判しか
# していない人を見かけたことがあります。

326 名前: SGI 投稿日: 2003/08/16(土) 09:57
>>324 「名無しさん」さん
 私の過去のレスを丹念に読み込めば、私が何者かはおよその見当がつきます。
 基本的には公開された情報をご紹介しているのですが、それでも時折、属性や素性が顔を出しております。
 それらを結びつければ、貴方の疑問は晴れるでしょう。

327 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/16(土) 12:03
>私が何者かはおよその見当がつきます。
もったいぶるところがいやらしいな。偉そうにしたいんだろうな。哀れだな。

328 名前: Leo 投稿日: 2003/08/16(土) 13:02
>327
私はずっとSGIさんの書き込みを拝見していますが、「偉そうにしたい」という姿勢はないように思います。

329 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/08/16(土) 21:16
>>328
小生も同感です。
SGIさんの書込みは、元学会員として言われてみれば確かにそうだよなぁと思います。
レスを楽しみにしていますので、続けて下さい。

330 名前: みれい 投稿日: 2003/08/16(土) 22:14
同じくです。

331 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 00:14
Leoさん、愚鈍凡夫さん、みれいさん、ありがとうございます。
「レスを楽しみにしていますので、続けて下さい…」なんて、恐縮です。
いつも趣の異なる長文のレスを書き込んでおり、皆さんのご不興を買っているのではないか、とビクビクもんなんですよ。救われました、はい。おおきに。

332 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 00:15
>>322>>323 自己レスの続き
 ということで、実は「師弟の道」と「師弟不ニの道」では境涯が違うのだ。

 「広布の実践における師弟の関係を、単なる師弟の道ととるか、師弟不二の道ととるかが、はじめてあらわにされたと見なければならない。師の意図するところが、現実にあらわれるか、あらわれないかは、弟子の実践の姿を見れば容易に判断のつくことである。師の意図が脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとるとき、師弟の連結は、はじめて師弟不二の道をまっとうすることが辛うじてできるといわなければならない」(第10巻「脈動」)

 「師の考えるところと、弟子が懸命に考えることとが冥合するとき、信仰の血脈は偉大なる脈動となって迸る。師の意図を教条的に追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師とともに頒かちあう弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不ニの道の一切がかかっているのである」(同)

 だから「師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不ニの道を貫くことの困難さがここにある」(「一念」)と断定し、かつ、学会においては「師弟の道」が信心の根幹であるが、中でも「師弟不ニの道」は一段と高き崇高の姿として位置づけられ、それを見事に体現しているのが“山本伸一”ただ一人であると描くことで、名誉会長が“特別の人”として宣揚されている。

 そして、戸田=山本の師弟関係が、池田=会員の師弟関係に置き換えられた時、名誉会長を“人生の師”と仰ぐ会員は、「師弟の道」から「師弟不ニの道」をめざし、根源において師との一念の合一を得るべく努力をしなければならない、という信仰実践に励むことになる。

 つまり、これが「先生の意を体する」ということだ。
 名誉会長の意図を察し、手際よく段取りを組み結果を出すことが求められ、万が一何かあれば自らが泥をかぶって“先生”を守ることが、池田門下生としての“弟子の道”にほかならない。
[この稿、続く]

333 名前: なるほどね 投稿日: 2003/08/18(月) 00:57
末端の泡沫会員としては池田門下生さんたちと温度差を感じますなあ。池田門下になったおぼえはないし。
「師弟不ニの道」なんて勝手にめざしたい人間がめざせばいいだろうが、今どきそれほど熱心な会員ばかりじゃあない。
幹部連中と、純粋バカな青年がほとんど。いったん仕切り直さなけりゃ、ますます活動家は減っていくばかりでしょうな。

334 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/18(月) 02:22
つまるところ池田門下生なんてのは
池田>日蓮大聖人
だからな・・・
学会本部のサラリーマンどもに操られてる一般会員も
いいかげん目を醒ましてもらいたいもんだね・・・

335 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 22:32
>>333 なるほどね さんへ。
 でしょうね。もう池田創価学会はほとんどカルトですから…。

>>334 モーリス さんへ。
 同意。まったくその通りです。
 でも、約130万人のバリ会員は“見ざる・聞かざる・考えざる”の別世界の人たちですから…。

336 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 22:35
[続き] >>332 自己レスの続き
 
 大聖人の仏法は、三大秘法の御本尊への帰命・境智冥合の信仰実践である。その仏道修行を強め深めていく縁の一つとして、学会の「師弟の道」があったのであり、学会の「師弟の道」や「師弟不ニ」が目的でないことはいうまでもない。
 
 ところが、「師弟の道」と「師弟不ニ」が全く違うもので、「師弟不ニ」は特別のハイレベルの信心境涯に達した弟子のみが実践可能であるということになるならば、そもそも「師弟不ニ」というのは、過程なのか結果なのか、手段なのか目的なのか、因・縁なのか果・報なのか、よくわからない奇妙なものになってしまう。
 また、特別の人間のみが可能で、普通の凡人には実践・到達しがたいものならば、一切衆生救済の大乗法門たる大聖人の仏法の門戸を狭めるという根本的矛盾を生ずることになり、大聖人の仏法の在り方に反することになってしまう。

 さらに、億劫の辛労を尽くして精進すべきは御本尊への信心であり、御本尊・大聖人の御一念と境智冥合しぬくために、全魂を込めての努力・修行を貫いていくところが本筋のはずである。そこへ導き、それを支援していくのが、学会組織の本来の存在理由であり“師”の存在ではなかろうか。

 しかるに、その“師”の一念に合一することを至上とし、そのために「強信にして困難な信仰作業を必要とする」と説くのでは、目的と手段が入れ替わり、まさに本末転倒ということになる。
 果たして弟子にこのようなことを要求する“師”が、正信の師であろうか。少なくとも御本尊を無上と仰ぐ信徒の中にはいないはずだ。断じているはずがない。

 もしいるとすれば、その人は大聖人の仏法の筋目を違えた、破仏法の増上慢の師というべきであろう。正信の師ならば、戸田先生がそうであったように、かかる弟子の迷妄を打ち砕き、信仰姿勢の正方向転換を厳しく指導するに違いない。
 あくまでも「依人不依法」だ。御本尊と自分の間において、途中の論師人師の言葉に従うことも、ましてや途中の論師人師の一念に合一するなんてことは、厳に慎むべき信仰態度である。

337 名前: SGI 投稿日: 2003/08/18(月) 23:35
>>336訂正
 「依人不依法」 → 「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)
 これは恥ずかしい。意味が全く逆になってしまう。赤面、赤面。

338 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/19(火) 04:27
>>322SGIさん
>福島源次郎著『蘇生への選択』
....
この本はよかった。
私もSGIさんに倣って近く、同書の復習分析をしてみたいと思う。
著者は、北条氏、秋谷氏に次ぐ#3の側近とされた人物だ。
何故、そんな人物が反逆退転したなどと揶揄されるに至ったのか、よく考えることは、創価学会に10年以上居る者なら、当然だろうと思う。
池田創価学会の三謀略体質の大特徴は、
1 臭いものには蓋
2 時が過ぎてしまえばこちらのもの。自分達に都合の悪い事は、水に流す。
3 なりふり構わずに、「死人に口無し」を利用。
とてもじゃないが、正常な人間のやることとは思えない。
池田先生は、屡、共産中国に胡麻を摩るのに、
「日本は中国に恩があったのに拘わらずそれを踏みにじったばかりでなく、中国人を虐待した」
と反省(日本人全体に代わって)している素振りを見せる。
もしそうなら、次のことも真剣に考えてみては如何か?
「「創価学会は日蓮正宗の代々の猊下、昼夜を違わずに働いた反逆学会幹部に恩があったのに拘わらず、それを踏みにじったばかりでなく、その猊下の流れを汲む僧侶や反逆した幹部を虐待した」
と反省すべきだ。

339 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/19(火) 10:56
ま,大作の一念と境智冥合しても仏界は涌現しないわな・・・
畜生界の生命でも涌現しそうだな・・・

SGIさんの趣旨とは違うかもしれないけど
勤行・唱題だけじゃだめ新聞のセールスやら配達やら選挙の投票依頼やら
財務やらあれもこれもやらなきゃ成仏できないなんて言ったら,大乗仏法
とは言えないわな。

340 名前: 学会に少し疑問を持つ女子部 投稿日: 2003/08/21(木) 10:57
yuriko様
私の>>279 へのご返事いただけないのですか?
都合の悪い質問には答えてくださらないのでしょうか?

341 名前: SGI 投稿日: 2003/08/22(金) 00:59
>>336->>337 自己レスの続き]

 さて、意外なことに「師弟不二」なる語は、御書にはない。
 また福島源次郎氏によれば、戸田先生の指導(『全集』等)にもないらしい。どうも「師弟不二」は、第三代会長就任前後から名誉会長によって濫用され、会内に認知・定着した語のようだ。造語ではないにしても、名誉会長の・名誉会長による・名誉会長のための語であることは間違いない。

 それでも当初の頃は、「御本尊を疑わず、生涯離さないのが師弟不二だ」(『指導メモ』S41年6月発刊)「広宣流布の前進に立つその信心が、大聖人と真実の師弟不二となる」(同)といった具合に、師=大聖人または御本尊という仏道の基本をおさえていた。
 しかし、『人間革命』第10巻では明らかに違う。「脈動」の章では、一応日蓮大聖人と日興上人との血脈付法・唯我与我の御境地における師弟相対のお姿に言及した後、「次元は異なれど」と断りつつも、先のレスのように、これに類するかごとき至高・至難の道として「師弟不二の道」を説き描いている。

 『人間革命』第10巻の執筆は、昭和52年秋。そう、今日のSGI路線につながる「五十二年路線」が最高潮に達していた時だ。御本尊摸刻や教義の新解釈、化儀の改変など、「創価仏法」が叫ばれ「師への帰命」が強調されていた。
 どこかに書き込んだ、例の『弟子分帳』も、この時期だ。「弟子証」は、師=名誉会長からの授記だった。名誉会長は「いかに御本尊を受持していても、師匠(=名誉会長のこと)との血脈を切ったならば全くの無益だ」と日頃から語っており、あくまでも「師弟の道」あるいは「師弟不ニ」が大事なのだ、と説く。

 本来、仏と衆生の関係において、師=御本仏に対する師弟相対の信心に立つのが基本なのに、「帰命」や「授記」が示すように、いつの間にか師=名誉会長(=仏)にすり替わり、名誉会長に呼吸を合わせ・仕え・従うのが仏道になっている。
 御書にない「師弟不ニ」なる語を用いて、あたかも仏説のごとく装いで、その時折りにおける自分の感覚と思念と都合で、自己流の「師弟の道」を説き続けてきたといえまいか。学会内に流通している師弟論のほとんどは、名誉会長の邪見に満ちた我流の教えであることを知らねばならない。

342 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/22(金) 09:09
>>340
>騙されていたと知ってもなお「返上せよ」の声が無い
私は、創価学会女子部大好きッ子です。(一部を除いて)
ですから、何かかいたら傷つけるような気がして、なかなか書き込めない。
取り敢えずは、ちょっとだけ、
実を言うと私もそれを不思議に思っていた。
しかし!あったのである!
池田先生に名誉称号変換を要求した団体が!
それは、他でも居ない「富士宮市民」!
富士宮市は、日本国内で」唯一の池田名誉会長に名誉市民の称号を贈呈した、世界中でその不見識を揶揄された市であった。
ところが、富士宮市議会には、立派な議員が少なからず存在した!
創価学会が造成した墓地に絡み、不正な取り引きがあったとした。
これは、限り無く黒に近い灰色であり、同市の顔に泥を塗ったとされた。
御存知のように、富士宮市には、日蓮正宗総本山がある。
また、日蓮宗や各宗の大寺が存在している由緒ある土地柄である。
そんな伝統に、名誉会長の怪し気な素性は、「名誉市民」に相応しくないのは当然だ。
同市には、「富士美術館」という「大石寺監視の為の謀略拠点」があるが、その立ち退きを求める市民の声も序々に大きくなってきているそうだ。

343 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/22(金) 16:30
>>279学会に少し疑問を持つ女子部さん
>朝から晩までパソコンにしがみついていないで、

これって、私?(^_^;)?
私は、創価学会員の何もかも否定しようとしているわけではないのだよ。
お姉様の韓国での御活躍は素晴らしいと思うよ。
やはり、世界中にこれだけ、日蓮大聖人の教えが広まったのは、学会員達の文字通りの不自惜身命の闘いがあったればこそだと思っている。
残念なことだが、現在の宗門海外部は、それを意図的に信者の目から隠して居る。
フェアーではないと思う。
しかし、宗門が何もやって来なかったとか、スキャンダルを起こしたなどという話は嘘だよ。
意図的に宗門を貶めようとしているのは明らかだと思うけどね?
抑、創価学会は、日蓮正宗の伝統をさんざん利用して来た。
世間から批難される度に、「自分達は、新興宗教団体ではない。何故なら、自分達が信仰の対象としているのは、三大秘法の大御本尊であり、それは、七百人間日蓮正宗の管主によって厳護してきたものだからだ。
そんな宣伝文句びお陰で、海外では、ある程度の「敬意」の目を持って眺められた。これは、
SGIさんも書いていたが、創価学会の最悪の罪障は、「恩知らず」という点だ。

344 名前: yuriko訂正 投稿日: 2003/08/22(金) 16:37
>>343
七百人間日蓮正宗

七百年間日蓮正宗

345 名前: 学会に少し疑問を持つ女子部 投稿日: 2003/08/22(金) 16:49
>>343
恩知らずは日顕のほうだと思いますけど?

346 名前: れいか 投稿日: 2003/08/22(金) 18:11
>>345 学会に少し疑問を持つ女子部さん
すみませんが、せめて、日顕さんとか日顕氏とかつけていただきたいのです。
呼び捨ては、ちょっと聞き苦しいもので。

347 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/22(金) 21:07
学会本部が呼び捨てしてるからといって
追随して呼び捨てにするってのもなんか主体性がないような気がする。

348 名前: 学会に少し疑問を持つ女子部 投稿日: 2003/08/22(金) 21:56
失礼しました、今後気をつけます。
ただし、条件があります。
池田先生を呼捨てにしているレスを見つけたら、即刻注意してください。
その条件でしたらわたくしも「日顕猊下」と呼びます。
よろしいでしょうか?れいかさん、モーリスさん。
そのアクションがない限り、私はスタンスを変えたくありません。

349 名前: 名も無き行者 投稿日: 2003/08/22(金) 22:45
かっこいい!

#駄レスすんません。

350 名前: れいか 投稿日: 2003/08/22(金) 23:15
>>348
誰のことも呼び捨てにすべきでないと思います。勿論池田先生のことも。
私も池田先生のことを呼び捨てにしたことはありません。これからもしません。
でも他人の言動まで責任はもてません。
私は日顕氏がいつもあんなに呼び捨てにされてるのを聞いていて、ずっと気の毒に
思ってました。あの名誉毀損は傍目でもつらいのです。「他人を呼び捨てにすべき
でない」倫理のためというより、聞いている私がつらいので、学会に少し疑問を持
つ女子部さんに、お願いしてみました。
それでも、学会に少し疑問を持つ女子部さんが、条件つきでなければ、呼び捨てを
辞めたくないと言われるのなら、私はそれ以上に踏み込んで、呼び捨てを辞めるよ
うにとは言いたくありません。

351 名前: 通りすがれ・・ 投稿日: 2003/08/22(金) 23:27
「池田さん」「日顕さん」はいいのですか?

352 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/23(土) 00:05
呼び捨てしてかまわないけどね。
こっちも「池田」「大作」と呼び捨てしてるしさ。
もっともこちらは池田をその程度にしか見てないんだよね。
「日顕」という呼び方がいかにも画一的というか学会本部にベッタリで
主体性が感じられないよ。
自分で考えて呼んでいるというよりは学会本部や地元の組織に呼ばされて
いるように映る。
呼び方ひとつでこちらは「結局こいつも池田のロボットか・・・」と
思っちゃうんだよね。後々語る内容が大体見当ついちゃう。
聖教や新報や幹部の話の受け売りといった具合にね。。。。

受け売りなんかよりご自身の人生経験や自ら学んだことに基づいて
熟考して導き出した意見のほうが傾聴に値するよ。
学会本部の連中の受け売り聞いても仕方がない。
ここの住人は伝聞や週刊誌等二次情報ではなく直に触れて創価学会を
知っているから受け売りは絶対に通用しない。
受け売りじゃなくてご自身の頭で考えてもらいたい。

353 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/23(土) 00:50
>>351
それは仕方が無いと思うよ。
尊称を付けることができないなら、せめて「ニュートラル」な表現を使うべきではないのか?
権威というのは、人が受け入れて初めて効力を発揮するものだからだ。他人に自分が従っている権威を無条件で受け入れさせることはできないと思うよ。
それに関連して「権威への服従」という面白い本を読んだことがある。
この本についての感想は、改めてMCのスレッドで書き込もうと思っている。
要するに人間というのは、権威に弱いということが書かれていた。
肩書きを信用して、それによってその人物そのものを判断してしまう。
制服を着て、警察官手帳を持った警察官が最も泥棒として成功しやすい。(悪い例えだが)ただ、この権威お利用は、便利でもある。一々遭う人毎に敬意を示すと、手間がかかるし、エネルギーが取られる。

354 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/23(土) 00:52

そんな人間心理を利用するのは、詐欺的と言える。特に、宗教敵権威は、人を容易く欺ける。
xxx尊師(米国では、リベレンド)と呼び掛ければ、無条件の尊敬の意を示すことになる。
ところが、自分の信仰を貶している宗教指導者に対しては、それとは、反対の軽蔑の意を示す。当然だと思う。なぜなら、そうすることによってこそ、自分達の信仰の絶対性を示すことになるからだ。
したがって、法華講のメンバーに池田大作を池田先生と呼ばせることは、無理だし、創価学会員に日顕上人への呼び捨てを止めさせることはできないと思う。
もっとも、実存主義哲学者に言わせれば、そんなものは、どうでもいいことだ。ーー 私は、真の宗教家は実存主義者だと思っている。
人それぞれが、自分の気持ちに正直になって、表現すればよいと思う。
ただ、仏法者として言えるのは、「全ての衆生に同じ仏性を認め、最高の敬意を表明します」というのは、美しい行為だと思う。できれば、私はそれを実行したい。
インド(ヒンズー教だが)、では、互いの挨拶に「ナマステー」と言うそうだが、意味は「私はあなたに帰依します」だ。
つまり、手を併せて「私はあなたを尊敬します」と敬礼するのだ。この習慣は美しいと思う。もし、世界中の人がこれを行えば、人々の間に真の調和がもたらされ、平和な世界が実現されると思う。

355 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/23(土) 10:34
小説?人間革命=堕地獄仏法 批判は来週します。

356 名前: 隣のぽち 投稿日: 2003/08/23(土) 10:46
好きにしたら
いいじゃん
あえないんだから

357 名前: れいか 投稿日: 2003/08/23(土) 12:19
>>354 yurikoさん
法華講のメンバーって、池田先生のこと呼び捨てにしてるんですか?

358 名前: Leo 投稿日: 2003/08/23(土) 18:50
>355 yurikoさん >堕地獄仏法
そういう題名の批判小説があります...
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=698850&rbx=X

359 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 00:52
>>356 隣のぽちさん
>好きにしたら
>いいじゃん
>あえないんだから
______

意味不明です。
現代のような交通の便利な世の中、何時でも会おうと思えば会えるよ。
必要なのは、ちょと強い意志と実行力だけだよ。
因みに私は、東京に行く前に、オフ会を呼び掛けようと思っている。
題して、「yurikoさんと語ろう会」(あの憎き『研鑽板からのぱくり)
別に、誰も来なくてもいいけどね....┓(´_`)┏ オーノ〜
>>357 れいか さん
基本的には、呼び捨てだが、基本的にそういう話題が会話に登らない。
法華講という所は、基本的にマイペースで信仰をするという所。
それが悪い所かも知れないが、それぞれの住職が講員との繋がりを深めようと努力しているように見える。
因みに、私が「池田先生」とか、「池田会長」と言っても、殆どの人は気にしない。
ただ、中には、「おかしい」という方もいた。
そういう人には、自分の辿った道とか、池田先生への思いを語って、納得して貰った。
宗門にしても、池田先生の功績を何もかも否定しているわけではない。特に戸田先生に対しては、今でも「先生」と呼んでいる。

360 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 09:35
>>333なるほどねさん
>いったん仕切り直さなけりゃ、ますます活動家は減っていくばかりでしょうな。
....
と言いますと、具体的には?

361 名前: れいか 投稿日: 2003/08/24(日) 10:53
>>351 yurikoさん
>因みに私は、東京に行く前に、オフ会を呼び掛けようと思っている。
うわっ。。すごく興味あるけど、私、東京から離れてる田舎にすんでるので、行きに
くいんですよね。
>基本的には、呼び捨てだが、基本的にそういう話題が会話に登らない。
そうでしょうね。それがあたりまえでしょうね。もう関係ないですもん。
学会みたいに、日顕上人のことを漫画にしたり、新聞にあることないこと書いたり
して冒涜したり、日顕上人打倒を祈れば功徳が出るとかアホなデマが出回ったり
いまだに、見苦しく言っている方がおかしいですもんね。学会をバカにするなという
けど、バカにしたくなるのが正直な気持ちです。

362 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/24(日) 15:16
>学会をバカにするなというけど、バカにしたくなるのが正直な気持ちです。

同感!
バカの元凶が池田をはじめとする学会本部の連中。
食うに困らず安全な場所に身を置いているのをいいことに
荒唐無稽な言説を垂れ流して会員を愚弄している。
バカにされて当たり前である。
会員も会員で
池田及び組織への忠誠=信心強盛
という学会本部仕立ての信仰観から脱しきれず
学会本部のいいなりに無意味な活動を繰り広げる
救いがたい愚劣ぶり。

学会員諸君よ正気に返れ!
何を好きこのんで池田や学会本部の奴隷であり続けるのだ?
仕える対象は大聖人の仏法であって池田や創価学会ではないぞ!

363 名前: おこた。 投稿日: 2003/08/24(日) 15:37
>仕える対象は大聖人の仏法であって池田や創価学会ではないぞ!
モーリスさんに一票!
「創価学会」信仰者の皆さん、原点に返りましょう。

364 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/24(日) 15:41
正体現わしたな!
。。。。。。。。。。。。。。。。。

>>352 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/23(土) 00:05

呼び捨てしてかまわないけどね。
こっちも「池田」「大作」と呼び捨てしてるしさ。
もっともこちらは池田をその程度にしか見てないんだよね。

。。。。。。。。。。。。。。。

日顕宗の坊主か法華講員か知らないが、宗門側の人間が「池田」と呼捨てにしている間は、「日顕!」と呼捨てにされても文句は言えない。
そうだろう、モーリス君。
その程度にしか見ていない相手なら呼捨てOKということらしい。
れいかさん、よろしいですね?

365 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/24(日) 16:11
はあ,正体?学会本部の奴隷フゼイが何をいまさら
鬼の首でも取ったようにのたまうやら(笑)

オレが言いたいのは学会員諸君の主体性のなさを言いたいの!
呼び捨てしたけりゃすればいいが
学会本部が呼び捨てしてるから自分も呼び捨てなんてのは実に見苦しい!
あと,オレは宗門の人間ではない。
ところで,名無しってのはやめろ。

366 名前: ちゅうた 投稿日: 2003/08/24(日) 16:42
創価学会なんて存在自体が、世の中をバカにした話だ。
 
なんて風にも思ったりもします。
 
創価学会という教団は、自分達が世間やよその宗派や政党をバカにしたり、
見下したりすることついては、大変、意欲的でありながら、
自分達のほうが批判の目にさらされることについては、断じて許さない。
やれ、名誉毀損だ。人権侵害だ。といったように、おおさわぎをする。
そういう身勝手な色合いが、非常に強い教団といえますよね。

367 名前: ペガサス 投稿日: 2003/08/24(日) 17:24
ア○フみたいですね〜
常に敵を設定する。かつて他宗、共産党(今もか)自民党、今日顕宗と。
そして他は間違い。よって自分は正と勝手に決めつけ煽る。
10年後の相手は何になるのだろうか?

368 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 17:28
>>61 れいかさん
>すごく興味ある
------
一泊分の食事と寝る場所を提供してくれるなら、日本全国、どこでも行きますけど。

369 名前: れいか 投稿日: 2003/08/24(日) 17:39
>>364
>れいかさん、よろしいですね?
だめです。宗門より学会の方がやってることがひどいです。犯罪すれすれの名誉毀
損です。学会の人は感覚が麻痺してるんだと思うんですけど、ほんとにひどいことしてる
んですよ。
ちょっとお聞きしたいんですけど、日顕宗を打倒するとはどういうことなんですか?
日顕氏が退座するということですか?そうしたら、次に学会はどうするのですか?
勿論、正義、世界平和、広宣流布のためでしょうから、明確なビジョンがあるは
ずですよね。

上から言われるから、周りがそう言ってるから、ただそれだけで日顕氏を攻撃して
るというのが本当のところじゃないですか?

370 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 17:49
>>366 ちゅうたさんへ
------
久しぶり!
(⌒‐⌒)
(^o^)//""
( ^3^)/

371 名前: れいか 投稿日: 2003/08/24(日) 18:05
>>369 yurikoさん
キャ〜!ま・まだ心の準備が。。Ican't make up my mind.Imean I'm not ready
yet.何を言ってるのかしら、英語これでいいかしら?私ったら、yurikoさんと違って
自信ないし、人見知りが激しいものですから。。いやぁ、ドキドキします。でも、
興味あります。でも、たぶん法華講には行かないと思うけども、それでもよろしい
でしょうか。

372 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/24(日) 18:35
>そういう身勝手な色合いが、非常に強い教団といえますよね。

このあたりを考えると
学会本部が労働搾取や金集めに腐心するのもわかる。
連中にとっての力はもはや信力・仏力・法力ではなく「金力」!
手っ取り早く金の力で抵抗勢力を押さえ込むハラであることが
よくわかる。
タダ働きや財務の功徳をさかんに吹聴するわけだ。
信力・仏力・法力ではなく金力を頼みにするあたりもはや宗教団体で
あることをあきらめたか?
所詮宗教法人格も創価学会にとっては蓄財の一手段でしかない。
創価コングロマリットでも形成するのが目的なのだろう。

373 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/24(日) 18:42
そういうわけで
全国の学会員諸君も学会本部の野心のための
使い捨てパーツにすぎないわけだ。
哀れなるかな学会員よ!
一度,人生考えなおせ。。。

374 名前: ちゅうた 投稿日: 2003/08/24(日) 20:14
いえ〜す。 私もほんと、一度考えなおしてみたほうのがよいと思います。
創価学会ほど会員をバカにした教団も、他にないのではないか?とさえ
思ったりすることもあります。
 
以前、よその掲示板で、ROCKさんという方が投稿されてた、
池田大作さんの昔の発言。
私に、すごい好評だったんですけど、転載させて頂いてもいいですかネ。
 
それというのが、コチラ↓です。
 
『広布と人生を語る』第三巻(昭和57年11月18日) 143−144頁
 日達上人御遷化の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。
 私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。
 彼らは、以前には、総本山が根本であると叱咤しておきながら、
 いまは手のひらをかえして、みずからがその根本を破壊しているのである。
 言語道断もはなはだしい。
 私どもは変わらざる信心できたし、これからも変わらざる信心でいくのである。

『広布と人生を語る』第三巻(昭和57年11月18日) 297頁
 大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第二祖日興上人は、
 大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違えることなく、
 令法久住されることに無量の辛労をつくされた。
 以来、法灯連綿と七百三十年のあいだ、厳護されてきた法水は、
 御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の
 御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切なのである。

yurikoさん。 お久しぶりです。活躍されてますネ。また、宜しくです。

375 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 22:52
>>374 ちゅうたさん
>私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心....
------
\(^o^)/ ちゅうたさん!よろしくです!
不思議なもので、私達は、人生の相当重要な期間、共に「一人の男」を人生の師と仰いだわけです。
それで、特別な親近感が涌くのは不思議なものです。
御迷惑かとも思いますが、無条件の信頼の感情さえ涌いてしまうのです。
これに関しては、創価学園史上(私の知っている範囲で)唯一人の東大理科三類現役合格者で、現在小児科医の方が、素晴らしい感想を書いていますので、明日あたり書き込みます。

376 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 23:08

>命を賭して
如何に、池田先生にとって「命」が軽いのかわかってしまいますよね?
でも、普通そう言われれば、誰だって信用しちゃうんじゃないかな?
もし、そこまで人心を弄んでいるとしたら、池田(先生)というのは、相当な悪党ということになる。
そこで思い出すのが、故北条第四代創価学会会長だ。
北条会長ほど誠実に、池田先生に尽くした人はいない。そんな北条氏に池田(先生)は次のように言った。

377 名前: SGI 投稿日: 2003/08/24(日) 23:25
>>341 自己レスの続き]
 御書にない「師弟不ニ」なる語を多用し、“師匠・池田大作”に仕えることが最高の人生である(>>332)との手前勝手な論理を説き続け、この“師弟の道”を学会の根本理念・教義にまで押し上げた(>>322)のは、小説『人間革命』の功績だ。

 「師への帰命」論は、小説『人間革命』第3巻「結実」の章に基づく。
 「この若き革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、稀有の師への帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬことを、彼は知ったのである」。
 
 この記述を根拠に、下記のような指導が、会内で次々に展開された。

 「妙法広布の大願に身命を削る戸田前会長と生死を共にしていくとの、生命の奥底からの深く厳しい決意にたった実践。これが山本伸一青年の『革命は死なり』という意味であった」(『聖教』S49.11.8付・『小説「人間革命」第3巻に学ぶ』から)
 「“師弟血脈”の契りは後世、広宣流布実現の時どのように歴史家は評価するであろう。日蓮大聖哲の宇宙最極の法理を、この世に表現せしめた大革命の源流にこの師弟のきずなを見落とすことがあればそれは画竜点睛を欠くことになる」(『広布の走者 創価学会学生部史』第三文明社刊)

 「今、我々が『人間革命』を学ぶ意義も、この一点にあるといえよう。師が身をもって実践した真実の軌跡をとどめたこの一書に、我々の行動の原理を求め、そこに学んだ精神を自身の原点として実践に移す、その往復作業の中に妙法への帰命、即具体的実践としての“師への帰命”の展開があり、自身の人間革命もまた一歩一歩進められるのである」(『大白蓮華』S50年5月号)
 「まさしく、現代における“人”への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また、池田会長が大聖人の御書を寸分違わず、身に移し実践されていることから考えても、必然的にそうなるのである」(『ひのくに』第10号)

 まさに「池田本仏論」の展開だ。当然のことながら、宗門から厳しく指弾されることになった。
 学会は「池田本仏論」なるものは存在していなし、これらの指導は全て教義逸脱・違背であり、誤りであったとして、公式に宗門に謝罪し、会員への周知を約束した。
 にもかかわらず、“師弟の道”は学会の根本理念・教義であり続けている。これが、今般の宗門vs学会抗争の背景にある教義上の問題点でもある。

 ちなみに上記の第3巻「結実」の章は、「五十二年路線」での挫折で、次のように書き改められている。
 「この若き革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、稀有の師と一体となっての「妙法への帰命」であることを、彼は知ったのである」。

378 名前: SGI 投稿日: 2003/08/24(日) 23:33
>>375
 創価高校6期生。「金時計」受賞の久米正法氏のことですね。現在、法華講に所属。
 楽しみです、ワクワク。

379 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/24(日) 23:56
続2
『私は、この人と一緒に死ぬ覚悟でいるんです』(前進より)
こう言われて奮い立たない人間はいない。
正確な引用は、後でするが、池田先生には、こうした「人の命(自分のもか?)」を軽く扱う言動が実に多い。
つくずく、とんでもない男だ。
先に挙げた北条氏への(激励?)は、空々しく、実行しなかったのは、言うまでもない。
それどころか、北条氏の葬儀の時(真夏)、遅れて葬儀に到着した挙げ句、
「暑い時に死ぬのは止めようよ」と汗を拭きながら入ってきたという。
青年部時代、共に闘った竜年光氏は、その場に居合わせた。さすがに腹に据えかね、後に当時創価学会理事長の森田氏に抗議した。
すると、「あれはジョークだよ。あの場の雰囲気を和らげるためだよ」と言ったそうだ。
なる程、池田先生は、思い遣り深い!(皮肉)

380 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/25(月) 05:24
>>377 SGI さん
>「この若き革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的実践でいうならば、稀有の師と一体となっての「妙法への帰命」であることを、彼は知ったのである」。
----
私が興味あるのは、果たして今回の宗創戦争の結果、再「書き改め」が行われるだろうか?ということだ。
池田先生流師弟論の特徴は、一言で言うなら「牽強付会(こじつけ0」に尽きる。
すなわち、自ら露骨には、「自分に仕えよ!」とは、決して言わない。
ただ、歴史上、特に「釈尊と阿難」とか、「日蓮大聖人と日興上人」を引き合いに出して、「あの偉大な人物も師弟の関係があったればこそ、偉大な業が成し遂げられた」
さらに、自分も偉大な仕事を成し遂げつつあるーーとは、露骨には言わないが、明らかな形で暗示する。
その自分は、偉大な戸田先生に仕えたからだ。==そこまでは、わかるとしても、次の段階で飛躍する。すなわち、
だからこそ。全創価学会員は、自分を人生の師と仰ぎ、随順しなければならない。
個々の無関係の例を強引に関連ずけて、結論を導くやり方は池田先生の十八番(これについても書き込む)。
一度も会ったことさえない人物を自分の師と仰ぐことの気味の悪さは、あの文鮮明率いる統一教会信者が、彼を「お父様」と呼ぶのと同程度か超えている。
因に。釈尊の有名な最後の言葉は、「自灯明、法灯明」であり、師弟とは何の関係もない。
この信仰者としての
「孤高」の態度は、仏法者が受け継いでいく。
抑、日蓮大聖人が、もし師弟の関係を絶対的としていれば、決して「自分独自の悟り」として、立宗宣言などしていなかったであろう。

381 名前: SGI 投稿日: 2003/08/25(月) 21:07
>>376>>379 に関連して

 56年7月北条会長が急逝しました。この北条さん程「先生」に真心で仕え忠誠を尽くした人を知りません。清廉の人・私心のない人・誠実な人格者でした。熱血の人であり、「先生」を守るという一点に全てを賭け、泥をかぶって「先生」に献身した人です。私たちは、弟子の鏡として尊敬してきました。

 稀にみる頑健な体と医師から折紙がつくほどの人が急死したのです。心身共に疲れ果てていったのだと思います。その数時間前まで終日「先生」と行動を共にしていたのですから、特にその日は疲労の極みにあったのでしょう。大忠臣の体の具合、それも側にいて判らないほど配慮ができない「先生」であったのです。

 この逝去の際、大勢の幹部の前での「こんな暑い時に死ぬのは皆が迷惑する」云々の暴言は周知のとおりです。たとえ冗談でも言うべきことではありません。これを聞いて怒りを覚えた人は私だけではありません。北条さんの姿をよく知る良識の人なら、とても許せない暴言です。

 北条さんの会長就任の時もそうでしたが、逝去の時も、北条さんの人柄と遺徳を偲ぶ追悼特集は、『聖教』紙上にとうとう見られませんでした。聞けばいずれも「先生」から「やる必要はない」という強い指示があったとのことです。
 たとえどうであろうと会長という立場の人です。しかも誠実に生き抜いた、稀にみる人格者の北条さんを宣揚するのは当然のことです。命令してでも特集記事を載せるべきであります。
 でも「先生」はさせませんでした。これに対する百万言の言い訳も無用です。北条さんの宣揚をしなかったという事実――これだけで「先生」の人柄はおよそ察せられます。そして「私が一歩引いて北条に任せたが、結局学会を支えきれずに死んだ」というこの「先生」の批評はどう解釈すればよいのでしょう。
(以上、福島源次郎著『蘇生への選択』から)

 「ところが、池田大作はその北条さんが亡くなると、その通夜と本葬で集まった1億5000万円の香典、東京の戸甲記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行された葬儀で集まった約20億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の金庫へ入れた。」
 「一家の柱を失った遺族は長年往み慣れた聖教新聞社前の和風二階建ての家から即刻立ち退きを命じられた。池田大作がそう命じたのである。北条未亡人はやむなく遺産をはたいて都心から離れた狭い一軒家に移り住んだ。」(藤原行正著『池田大作の素顔』から)

 宣徳院浩徳日基大居士(北条浩前会長) 合掌。

382 名前: SGI 投稿日: 2003/08/25(月) 22:34
>>380 yuriko さんへ。
>私が興味あるのは、…再「書き改め」が行われるだろうか?

 おそらく再「書き改め」はないと思います。というのは、小説『人間革命』は、事実を歪曲・捏造し、学会なかんづく名誉会長の無謬性・正統性を歴史的な定説として残すことと、執筆発表時点の指導原理を示すことが目的です。
 したがって、先のレスで記したように“師弟の道”は、もうしっかりと学会の根本理念・教義として定着し、新会則にも謳われているのですから、再改訂の必要性はないと思います。もし改訂するとしたら、もっともっと名誉会長を宣揚するときでしょう。
 
>池田先生流師弟論の特徴は、一言で言うなら「牽強付会」に尽きる。

 同意。私のレスも、その趣旨で書き込んでおります。

>歴史上、特に「釈尊と阿難」とか「日蓮大聖人と日興上人」を引き合いに出して
>自分も偉大な仕事を成し遂げつつある
 
 ソクラテスとプラトンも、頻繁に登場しますね。
 「ガンジー・キング・池田」キャンペーンなんかも、そう。
 スピーチでも「私は勝った」「厳然と闘った」「正義を示した」「皆さんを代表して勲章を受けた」といった発言も、ここ数年とみに目立つようになりました。

>露骨には言わないが、明らかな形で暗示する。
>全創価学会員は、自分を人生の師と仰ぎ、随順しなければならない。

 意を汲み、意を体することが弟子の務めです。業績は師匠に、責任は弟子が取るのも、「先生流師弟論」の具体的な姿です。
 その結果が、今日の池田創価学会の現実となっているのです。

 「お父様」だろうが「将軍様」だろうが「先生」だろうが、全て同根ですね、きっと。
 しかも名誉会長の場合、世界広布の切り開く先駆の指導者=〔主〕であり、“人間”を大切にし慈しみ勇気と希望を与える師匠=〔師〕であり、学園や大学・未来部の会合では「お父さん お帰りなさい」=〔親〕と敬愛の思いを表します。「1000年に1人の偉大な人物」なのですから、批判しようものなら、「不知恩」「極悪」「一せん提」とののしり、凄まじい迫害を招く場合があります。
 狂ったドグマと非常識な体質に染まり、利権を享受する者にとっては「地上の楽園」かもしれませんが、同調できぬ者にとっては迷惑至極の存在でしかないのです。

383 名前: SGI 投稿日: 2003/08/25(月) 22:59
>>381 訂正

 宣徳院浩徳日基大居士 → 宣正院浩徳日基大居士
              昭和56年7月18日 58歳 寂
              俗名:北条 浩 (創価学会第4代会長)

384 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 00:14
>>371 れいか
>キャ〜!ま・まだ心の準備が。
−−−−−−−−−−
気のせいでしょうか?
何か、ブリッ子(もう古い言葉か?)っぽかったんだけど.....
私がちょっと不思議に思うのは、何でれいかさんは、文句をさんざん言い乍ら、創価学会にひっついて居るのかな?です。
それだけ創価学会には、それなりの魅力があるということでしょうか?
れいかさんって、どこら辺に住んで居る
のでしょうか?
せめて、関西とか、北海道とか, 中国地方とか教えて頂けませんか?

385 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/26(火) 02:23
>『私は、この人と一緒に死ぬ覚悟でいるんです』(前進より)
>こう言われて奮い立たない人間はいない。

乗せられてしまうほうも軽率だなと思うのは私だけでしょうか?
池田の言葉でいとも簡単にはしゃぐ会員の姿見てつくづく単純だなと
冷めた目で見てたもんです・・・

386 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 06:36
>>379
資料編
「池田先生が私を横において、何人かの人と話をされたときにこういわれた。『私はこの人といっしょに死ぬ決心をしているんです。』と。その一言はまさに私の肺腑(はいふ)をえぐる一言であった。胸の中からこみ上げてくるあついあついものがあった。私は皆の手前、あふれそうになる涙を見られまいとして、ジッと窓の方を向いたままで先生の次の言葉を聞いていた」
(前進昭和35年6月号)

387 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 06:37

前進という雑誌は、主に地区部長以上の学会幹部に販売されたもの。
SGIさんに詳しく解説をして頂きたい。
この雑誌には、長く「会長本仏論」大っぴらに語られていた。当時を振り返れば(私は、誕生してないが)、会長本仏論は、一般会員の目を巧みに欺き乍ら、着々と創価学会の中心教義にあっていった。そこで、この雑誌「前進」の果たした役割はとてつもなく大きい。
ところで、上の故北条会長の回想でも語られているよに、池田先生の虚言癖、大言壮語に純粋な人間は、うぐに騙されてしまう。
世の中には、嘘をつくことを何とも思っていない人間は少なからず存在しているようで、池田大作は、その典型のようだ。
これは、別スレッドMCで、改めて述べたいのだが、心理学エッセイ「嘘を平気でつける人達」には、詳しく述べられている。
私も出来うる限り正直な人生を歩みたいとは思う。
それでも、一時しのぎで嘘をついてしまったことは何度もある。それだけに、他愛のない嘘であれば、できるだけ寛容であらねばならないと思う。
しかし、池田大作に関しては、「他愛のない嘘」の範囲は完全に超えていると思う。
この男のやって来たことは、「詐欺」以外のなにものでもない。
特に純粋な人を平気で騙すやり方には、腹に据えかねる。
だから、言いたい!
「池田先生!
これ以上、私達を失望させないで下さい!お願いです!北条氏との約束を果たして下さい!」

388 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 07:34
>>380
誤解のないように記しておくが、私は、日蓮正宗の「血脈相承」や
「師弟相対」で法門を学ぶことの重要さまで否定しているのではない。
私が問題としているのは、池田先生が勝手に日蓮正宗の根本教義「血脈相承」を盗んで、自分の都合のいいように作り替えている点だ。
米国創価学会の会合でのことだ。
ある会員が「在家の者同士での師弟の契りの重要性について、日蓮大聖人は、何と仰っているのですか?」
実にいい質問だrと思った。
無論、出席していた幹部は何も答えられなかったのは言うまでもない。
そう、日蓮大聖人は在家同士の師弟の契りについては何も言=ってない。
戸田先生すら、仏法上の師弟とは、あくまでも仏と衆生の関係として、今世に於ては、猊下を師と仰いで、信者は在家の立場で信仰実践していくことを指導している。
(福島源次郎著「蘇生への選択」)
池田先生が第三代会長に就任して以来、牽強付会的に、仏法の師弟の関係を在家の身分の範疇にまで拡大解釈した。
もっとも、池田本人は、本気で自分を「日蓮大聖人の再誕か、それを超える存在」とみているようだ。
私も「まさか」とは思ったのだが、本人は本気のようだ。
竜年光氏は、それを指して「まさかの『さか』を超えてしまった」と表現していた。
言い得て妙である。

389 名前: れいか 投稿日: 2003/08/26(火) 12:01
>>384 yurikoさん
なによ、あなたっ!また呼び捨てにしたわね!yurikoのいけず。
>何でれいかさんは、文句をさんざん言い乍ら、創価学会にひっついて居るのかな?
ひっついてなんかいやしないわっ!脱会手続きが面倒だからしてないだけよ。手続き
するときに、あの人達と接触するのがうざいし。何よりもご本尊様をお返ししなくちゃ
ならないのがイヤなんです。
私は中国・四国地方です。yurikoさんは外国国籍で、日本国内の旅行は安いのかな?
アメリカのどこにいるの?日本にはどれぐらいの頻度でくるのですか?
※いけず=いけない人

390 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 16:12
>>389 れいかさん
> なによ、あなたっ!また呼び捨てにしたわね!
....
すまん、すまん。
悪気があったわけではありません。私は、長らく、創価学会応援隊の住人だった。
あそこ
は、書き込み者の名前の後には「様」が付いている。
それで、コピペをすると自動的に「様」もついて来る。
しかし、ここの掲示板では、名前の後に何もない、それでコピペをすると、何の敬称もつかない。
それで、ここの掲示板にはまだ慣れていないようで、失礼が多い。
これから気をつけるので許して頂きたい。
>本にはどれぐらいの頻度でくるのですか?
...15年間帰っていません。
>アメリカのどこにいるの?
...西海岸。詳しい住所は、後でこっそり教えます。ここで、住所を公開すると創価学会からどんな嫌がらせが来るかわかりません。
油断大敵です。
>何よりもご本尊様をお返ししなくちゃならない....
,,,れいかさんが持っているのは、偽御本尊であって、御本尊ではありません!
ある住職の話だと、その御本尊には「魔物」が棲(す)んでいるという。
あまり軽々しく考えない方がいいです。
私は、迷信じみた話は信用しない方です。しかし、「やはり!?」と思わせる事件が「偽御本尊」の回りでは頻発しているのです。
聞いてる方が気味悪くなってきます。
自殺、失明ーー実際に起きました。つくずく、偽御本尊の害毒をもっと強く訴えておけばよかったと後悔しています。
創価学会は、血脈付法の御本尊を勝手に回収して焼却しているそうです。
私は、当初、この話を耳にした時は、「まさか!」と思ったが、実際に焼却は行われている。
池田創価学会の恐ろしい所は、この「まさか!」を平気で行うところです。
れいかさん!
創価学会を甘くみてはいけません!
そこに関わっているだけで、どんな罪業を積むか知れないのです!
それを謗法与同といいます。
たとえ「偽御本尊」でも処分するのが恐いのなら、少々金はかかりますが、丁寧に包装して、創価学会本部宛に書き留めで送ったらいいでしょう。

391 名前: れいか 投稿日: 2003/08/26(火) 19:08
>>390 yurikoさん 
いいんです。私も >>389で、yurikoさんのこと1回呼び捨てにしたから。おあいこ
ということで。
>ここで、住所を公開すると創価学会からどんな嫌がらせが来るかわかりません。
いえてる〜!こわいですよね。どこで教えてもらえばいいんでしょうか?チョンガー
さんとこ行く?
>れいかさんが持っているのは、偽御本尊であって、御本尊ではありません!
私が持ってるの・・第六十七世 日顕と書いてありますよ。

偽本尊の迷信じみた話は私もなんだか、信じられないですけど、学会が流布した
本尊を回収して焼却するという、その神経の方が怖いんですよ。ついていけない。
でもね、私は法華講には行きませんけどね。

392 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/26(火) 21:10
大聖人様御真筆以外は全部イミテーション即ち模造品
悪く言えばニセモノと私は思うんだけど・・・いかがなもんでしょ?

393 名前: SGI 投稿日: 2003/08/26(火) 22:39
>>387
 『前進』ですか?便利な小冊子でした。手帳サイズで約60ページ程、会長や幹部の指導、その月の活動方針や活動ポイント、体験談、座談会の拝読御書の要点など、幹部として必要な情報がコンパクトにまとめられておりました。会員・部員指導のタネ本です。月刊で、1部たしか50円位だったと思う。「五十二年路線」の挫折で、タイトルを『創価学会研修シリーズ』と変えておりますので、ご存知の方は容易にご想像できるかと思います。

 創刊の時期が判りません。昭和40年前後には、確かに発刊されていました。我が家は拠点で、毎日毎晩会合があり会員が出入りしており、毎月『前進』を大人たちが小銭を受け渡しながら捌いていたのを憶えております。父や母は、色鉛筆で線を引いたり、書き込んだりして、活動バックに入れ、持ち歩いておりました。おそらく全国各地で、数多くの幹部の方がそのようにして活用していたのでしょう。

 今日のような情報技術がない時代にあって、巨大組織を一定の方向へ引っ張っていくには、『前進』のような幹部用テキストは極めて重要なツールであったにちがいありません。本部幹部・専従職員も少なかった。その意味で、その時その時の学会本部の会員に対する指導方針・組織の方向性を最も直裁的に示すものであろう。
 だからこそ、「池田本仏論」につながる名誉会長の“本音”も不用意に掲載されており、口コミのタネ本でもあったのです。資料的な価値も高い。でも、使い捨ての消耗品感覚だったためか、バックナンバーを保存保管している人は私の周辺にはいないのです。まことに残念です。

◎『前進』会長指導から
 「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(40年6月号)
 「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ」(41年1月号)
 「私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ」(同)
 「私から幹部の任命を受ける事は、記別を受ける事」(42年2月号)
 「私を中心にして御本尊を信ずる事によってこそ(中略)幸福境涯を確立することが出来るのです」(同)
 「私の話は一つの儀式です。記録をとっておくように」(42年8月号)
 「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(45年5月号)
 
 「きょうは七月四日、池田先生が三十二年参議院大阪地方区補選にかかる選挙違反容疑で逮捕された、忘れることのできない日です」(43年7月号)⇒参照 >>15「7月3日」のウソ

394 名前: みれい 投稿日: 2003/08/26(火) 22:41
心の中にマイご本尊様を持っていれば、紙にあらわしたものは何でも大事にしてあげればいいと思うのですがね・・・。
だめかしら

395 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/26(火) 23:48
>>391れいかさん
>私が持ってるの・・第六十七世 日顕と書いてありますよ。
...多くは、もう語りません。
その御本尊様をくれぐれも大切にして下さい。
法華講にいらして下さい。
その御本尊を持っているということは、創価学会員にとっては、もう法華講員であることの証明なのです。
彼等は、どんな嘘をつぃいて、その御本尊を盗み、破壊するか知れません。
くれぐれも気をつけて下さい。

396 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/27(水) 00:28
392 モーリスさん
>大聖人様御真筆以外は全部イミテーション即ち模造品
>悪く言えばニセモノと私は思う
...これは信仰の問題だと思う。
ここのHPは「創価学会をみんなでかんがえよう」であるから、御本尊をその文脈で考察してみる。
創価学会の歴史は、60年。
その前に、日蓮正宗は既に700年の歴史を誇っていた。
そこで考えなければならないのは、何故牧口先生は、数有る日蓮系の宗派の中から、正宗を創価(教育)学会を支える宗教としたのだろう?
抑、創価学会が宗教と結びつかなければならなかった必然性がなかったのは、論を待たない。
しかし、偶然からか、牧口先生は、日蓮正宗を選んだ。
直接の引用はできないが、牧口先生は、日蓮正宗が群を抜いて宗祖の思想や信仰を正確に伝えていたからに違い無い。
実際、その通りで、他の日蓮宗は、1 他宗と過度の妥協によって、実体を止めていなかった
                 2  宗祖の真の偉大性を全く理解せずに、遺文集の整理が充分にされていなかった。
などが挙げられ、牧口先生としては、大いに不満があったに違い無い。
創価学会などの在家の日蓮系団体の成功のお陰で、日蓮大聖人への関心が高まった。
それらの歴史的背景を考えても、牧口先生と特に戸田先生が、日蓮正宗の代々の猊下が伝えた御本尊こそ本物とするのは、充分に根拠のあることだと思う。
実際、私が日蓮宗の御本尊を観察して見ても、またその形式や安置の仕方(日蓮宗では祖師像が必需品)でも、宗祖の信心から大きく離れてしまっている。
誰がどう努力しても、宗祖日蓮大聖人と直接対話することは、不可能。
もし、あなたが、日蓮フアンであるなら、日蓮をスパースターと思うのなら、
牧口、戸田両先生がそうしたように日蓮正宗を自分の宗旨とするのは賢い選択だと思う。
残念なことだが、創価学会は、牧口、戸田両先生の心を踏みにじって、全く異質な宗教を作り上げてしまったのは、事実だ。

397 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/27(水) 05:13
394 みれいさん
> 心の中にマイご本尊様を持っていれば、紙にあらわしたものは何でも大事にしてあげればいいと思うのですがね・・・。
...人間が他の動物と違っているのは、文化を持つ点にあります。
文化とは遺伝という形を取らない、固体間の意志伝達手段によって築き上げられた、総合を指します。
からすや、猿にも一応「文化」はあると証明されていますが、人間と比べたら些細な規模です。
その文化を特徴ずけるものの一つに、「象徴的約束事」というのがあります。
端的な例は、「お札」です。
もう説明の要はないと思いますが、
ある文化を共有している人間集団にとって、ある特定な紙に何が書かれているかとてつもなく重要なのです。
そのお札で、問題になるのは、1 最新のものか
               2  そのお札を発行している国に信用があるか?
                 3  実際にそのお札で買い物をしている人間は居るのか?
                   4  簡単にコピーできないし、するものもいない
などの条件が、特定のお札に価値をもたらしているのです。
これを御本尊に置き換えると、
         1  その御本尊は、時(末法)に適っているか?
              ?大聖人から受け継いだ血脈に基づいているか
          2  御本尊を作っている宗団は、歴史的、組織的に責任ある教義を持っているか?
            3  実際に、その御本尊を持って(祈って)功徳があったか?
                ?信者は偏く、その御本尊の意味を理解し、他人にその使用を勧められるか
               
                  4  簡単にコピーはできない。(日蓮正宗の法主のみが書写できる)
これらの条件を守ってこそ、御本尊に功徳が具わる。
私が述べたことは、道理だと思うが如何でしょうか?
もっよ、卑近な例を出せば、同じラブレターでも、あなたのとって、大事なのは
1そのラブレターは、愛する人によって書かれたもんもか
2何時書くかれたものか
3直筆か
などの条件が重要になってくるでしょう?
したがって、残念ながら、みれいさんの言うような、「紙にあらわしたものは何でも大事」ではありません。
....みれいさんらしくありません。
しっかりしましょう!

398 名前: こうへい 投稿日: 2003/08/27(水) 07:41
スレッドの内容と話が違っているように思うけど
過去ログ読んでないので的を外すかも知れませんが
ご本尊について一言
まず、形有る物はいつかは壊れるというのが自然の法則です
ご本尊は宇宙法です、地球が消滅するとすれば御本尊はなくなります
つまり御本尊は化義のものです
そして化法としてあるのは
我が胸中の肉団におわします、それが御本尊です

誰が書いた、それは違うというのは地球規模の話ですね
宇宙規模の会話をしませんか、まさしく学会を考えるです、創価学会=宇宙学会でしょ
http://sonomitoha.tripod.co.jp/

399 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/27(水) 07:41
>>1次男氏への戸田先生の信頼は、並々ならぬものがあった。同氏は、大卒ではあるが、有名校出身ではない。
,,,,
石田次男氏の出身校は、芝浦工業大学。
中堅の上という所で、一流大学と言っていいだろう。
そもそも、出身校でその人物の実力を計るのは間違っている。
ある人物が、たまたま社会で優れた業績を上げる。
それで、その出身校を調べてみると、たまたまある学校だったとする。
そんな例が重なって、その学校の信用度が増して行く。
その点からいうと、芝浦工業大学には、一流と言われる人材が屡出ている。
したがって、他の早稲田、慶応、明治、立教大学あたりと、肩を並べるくらいと言ってもいいだろう。
一方、池田先生出身の富士短期大学(前身大成学院)はどうだろう?
在校生や卒業生には申し訳ないが、これっと言って、目立った人材を産んだ例がない。
御存知の方は、後学の為にも教えて頂きたい。
また逆に一流大学出身者にも、世間を騒がせた犯罪者も少なからずいる。
はたして、池田先生の存在は、富士短期大学にとって、どう評価されているのだろう?
創価学会の手前勝手な屁理屈からすれば、千年に一度の大人物(750年前に誕生した宗祖を超えるのは当然)だそうだが、
どう取り扱っていいものやらわからなくて、困っているというのが本音だろう。
**芝浦工業大学の関係者へは、私の軽率な発言を心から謝罪します

400 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/27(水) 07:52
>>398 こうへいさんへ
,,,,大変失礼ですが、あなたは、このHPで大活躍された「一会員」さんのお友達でしょうか?
不躾(ぶしつけ)ですが、こうへいさんの御考えに対しては、「思考停止」させて頂きます。
(・・;)

401 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/27(水) 08:09
>>396
>直接の引用はできないが、牧口先生は、日蓮正宗が群を抜いて宗祖の思想や信仰を正確に伝えていたからに違い無い。

直接の引用はできないが、日蓮正宗をが群を抜いて宗祖の思想や信仰を正確に伝えていたからに違い無い。

402 名前: こうへい 投稿日: 2003/08/27(水) 11:30
yurikoさんへ初めまして

私はまったく新しく来ました新来者です
誰も友達がおりません、よろしくしてやってくださいね
http://sonomitoha.tripod.co.jp/

403 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/27(水) 21:27
>>396
私は,真摯に日蓮仏法を学ぶ人たちから一番軽蔑される
「ご利益信心」の人間です。
一番関心があるのは功徳,それも現世利益があるかどうかです。
高等な理論よりも現世利益に関心があります。
その意味ではyurikoさんから見れば私は創価学会の連中と大差なく映ることでしょう。
私は,親に逆らって一時は勘当されてまで信心をしたので,
そういうリスクを犯して信心した以上功徳・現世利益が
ないものをやるわけにはいかないのです。
幸い,信心してなかったらありえないと思えるような
功徳を受けたので,これからも信心していくつもりでおります。
しかしながら組織活動には全く関心がありません。
創価学会は功徳をエサに,実際には功徳などあろうはずもない
「学会活動」に会員を駆り立てることに躍起になっています。
選挙だの新聞だの民音だの財務だのと学会本部の連中の生活のために
会員にタダ働きばかりやらせようとします。
学会に限らずどんな組織でも,組織を維持発展させるためには
構成員の労働や金銭の提供が要求されます。
そういう行動は組織の中枢にとってはメリットがあっても
末端には全くといっていいほどメリットがありません。
ですから私は極力組織というものには加わらないことにしています。

私は日蓮ファンというほどではないし
牧口さん戸田さんの思いも極論すればどうでもいいわけです。
一番大事なのは今生きている自分自身であって
日蓮大聖人でも牧口さんでも戸田さんでもありません。
非常に言葉は悪いですが
日蓮仏法も私が幸せになる一手段にすぎません。

yurikoさんはすっかりあきれてしまったでしょうが
これが私のスタンスです。悪しからずご容赦ください。

404 名前: SGI 投稿日: 2003/08/27(水) 22:02
 こうへいさん、初めまして。
 貴兄が提議された本尊義や、万教一致論・万教同根論に関しては、「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレにて、是非考えたいテーマです。いずれ機会があれば、私なりの考えをまとめながらレスする所存です。本スレでは、下記の事柄を書き込んでおります。

◎『人間革命』批判
 ◆総論 =\椎部クーデター >>13 ∨槎拭石田次男 >>14 B膾綮件 >>15 ぁ反誉犬了奸 >>16 ッ單朕棲焚 >>251-252 ξ鮖砲隣埖 >>296-297 Щ駑繊屬錣闘争」 >>162 >>165-166 ヅ喘飜楴 >>167
 ◆師弟神話 =‘信神話 >>30 >>32 >>33 >>46 年齢神話・編集者神話 >>47 N技畆蟲のこと >>71 さで曚蠑綣 >>74 ッ單賃精遒論淺が苦手 >>75 Δ泙箸 >>79 法華経講義 >>90-91
 ◆師敵対・亡恩の徒 = 峪愼穫拭弃し >>161 >>190 >>205 遺品を奪う >>168 27回忌法要 >>169
 ◆「師弟不二」論 =仝凝澄Φ疇 >>322 △垢蠡悗論理 >>323 D鏤劼瞭 >>332 な法違背 >>336-337 セ嫩鈩世浪羝 >>341 Σ馗控¬刃 >>377 北条前会長の急逝 >>381 >>383 地上の楽園 >>382 小冊子『前進』 >>393 →続行中。

◎学会秘史
 ◆青年部クーデター =〇暇甜篠構任 >>106 ∩輒浬任 >>107 主要ポスト制圧 >>108 ぞ,討亟鰻 >>109 ゲ馗構任 >>111 θ心・顕徳会 >>112 Р馗構身規定 >>261 >>263
 ◆池田・秋谷40年 =ヽ慍颯謄ノクラート >>116 ⊇谷栄之助 >>117 8妖沈萓犬料曚 >>120 じ妖腸馗考用 >>123 ァ峪笋鮗蕕譟 >>124-125 主導権争い >>129-131
 ◆ポスト池田 =\そ洩簑 >>132 ∨槁瑤凌融 >>133 >>310 ウルトラマン世代 >>134 に槁職員は家業 >>135 ゥ好拭璽螢麋稟 >>311
 ◆後継者指名 =,發掘崟佚賃寮」なら >>171 >>174-176 後継指名なし >>182-183 0筝世隣埖 >>186 ぢ膾綮件 >>187

405 名前: こうへい 投稿日: 2003/08/27(水) 23:54
SGIさま、はじめまして
ぜひ考え方を会話しましょう、私の掲示板でもいいですよ
http://sonomitoha.tripod.co.jp/

406 名前: coco 投稿日: 2003/08/28(木) 00:30
>>403

モーリスさんは、いつもスカっと爽やか。

407 名前: みれい 投稿日: 2003/08/28(木) 01:15
yurikoさん、
私の「マイご本尊様の感覚」は、たぶん日蓮宗の感覚に近いのです。
なので、「紙にあらわしたものは何でも大事」ではなく、紙自体にこだわるよりも祈る気持ちを大事にしましょうと言いたい。

もちろんそれに価値があると見るのももっともかな、と思います。
私は同じ感覚(?)でバーミヤンの遺跡が破壊されたりするのは悲しいです。
そこまで築き上げたものは形だけではないのですね・・・

ちなみに私にとってラブレターの何が大事かって、いただいたその手紙自体よりも、その内容と相手の気持ちでしょう。どんなふうにいただいたか、とか。
なのでいただいたものは読んだら手元に残していませんよ。すでに内容を読む事でいただくものはいただいた、と。
相手も数年たってラブレター持ち出されても困るでしょう(笑)。
けれどインパクトのあるものは思い出に残っていますよね。

408 名前: みれい 投稿日: 2003/08/28(木) 01:22
>もちろんそれに価値があると見る

これはyurikoさんの感覚の事です。ご本尊自体の事です。

409 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/28(木) 09:16
先程、随筆新人間革命を読んでいたら、人間革命の執筆予定として、30巻とでていた。
これは、旧人間革命と併せての数なのか、新人間革命だけで、30巻なのか不明だ。
いずれにしても、本人は、まだまだまだまだまだくだばるつもりはないのだけは確かだ。
私は、その執念深いずうずうしさに、ぞっとした。
そうすると私がしなければならない仕事が限り無く増えていくとういことでもある。
いい加減にしろ池田先生!

410 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/28(木) 10:55
>>407 みれい さん
確かに、宗教の自由ということに関しては、今の日本、格段に住みやすくなりましたね。
いかなる本尊を持っていようと、誰からも文句を言われる筋合いがない。
もし、どうしても気に入らなければ関わらなければいい。
しかし、いざそれが、家族の間では、そうも行かなくなる。この問題は、寧ろMCのスレッドで扱うべきでしょう。
つまり、「形而上」の事柄については、誰も絶対的な権威を持って決めつけられないということです。
たとえば、ある人にとって、ある本尊を持っていて、功徳が現れたとしても、別の人から見れば、それは錯覚というかもしれないし、または、それは、より不幸になるきっかけだとか言うのです。
巷を騒がしている新々新興宗教団体。
彼等の最大の特徴は、すぐに明らかになる御利益です。
何年も修養を積んだりとか、人に尽くすというのは、二の次の場合が多いですね。
そういう現世利益に囚われていると、人間の知覚というのは、非常に狭まれて来ます。ぎすぎすして、余裕のない自己中心的な人間が出来上がってしまいます。
こういう人には、日蓮正宗の中でも、創価学会の中でも出会いました。こういう種類の人達と話をしても、大抵耳を貸しません、だから、相手にしないことにしました、
みれいさんは、そういう方とは、どうしても思えないのです。
私は、やはり、宗教を選択するのに大事なのは(もし、必要とするなら)、絶対に目作の「功徳」に惑わされてはならないことを、本当に骨身に滲みてわかりました。
まちがった宗教の害毒というのは、「水銀に汚染された水を少しずつのんで行くように」すぐには、現れません。否、寧ろ、その水は最初は美味しいとさえ感じるのです。
それでは、間違った宗教をどうやって見破るのか?
それは、人間の理性しかありません。
もしも、いろんな事例を突き合わせて、特に信者の姿をみて、明らかに可笑しい人が多ければ、その宗教はおかしいのです。
しかし、その判断基準は近視眼的であってはなりません。表面だけでは判断してはななりません。果たして、真心
が通じるかどうかを見なければなりません。
このHPは、そいう点で、すばらしい機会を提供していると思います。
「創価学会(だけに限らず)を皆でかんがえよう」ー−素晴らしいと思います。

411 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/28(木) 11:12
訂正>>410
絶対に目作の「功徳」に惑わされてはならないことを、本当に骨身に滲みてわかりました。

絶対に目先の「功徳」に惑わされてはならないことを、本当に骨身に滲みてわかりました。

412 名前: れいか 投稿日: 2003/08/28(木) 17:43
>>410 yurikoさん
あの・・あまり興味ないかもしれないんですけど、私がなぜ法華講に行きたくない
かというと、yurikoさんのレスを引用させてもらって申し訳ないのですが、

>それでは、間違った宗教をどうやって見破るのか?
>それは、人間の理性しかありません。
>もしも、いろんな事例を突き合わせて、特に信者の姿をみて、明らかに可笑しい人
>が多ければ、その宗教はおかしいのです。

簡単に判断をくださないように注意深く、長い目で私なりに見たつもりなのですが、
たとえば、学会の2世、3世がこころの問題で悩んでいるケースが多いこと、また
犯罪者も枚挙にいとまがないという点があります。だから、御本尊に効力がないと
もいえないのですけど・・学会には60年の伝統があるのですから、もうそろそろ
邪宗の害毒は流れていてもいいころなのに、こんなにも問題が出てきているのです。
(これはおかしい。ご本尊様には効力はなかったのではないか?)確かに学会にいい
人はたくさんいますよ。でもこれはご本尊様に効力があるんではなくて、その人が
もともといい人なのではないでしょうか?いい人だから、学会に入って純真に頑張
っているのです。

そしてきわめつけはこれなのですが、

>「形而上」の事柄については、誰も絶対的な権威を持って決めつけられないと
>いうことです。

そうなんですよ。これなんです。正宗を絶対としてしまうと、他は忌み嫌うべき
邪宗になります。例えば他の文化財、歴史などは汚らわしいものになってしまう。
これがイヤなんですね。そして、不自由さを感じてしまうんです。
純真に信じないと宗教らしくないし、純真に信じるとプラシーボ効果が出るとか、
確かにいい点はあるけど、そこのところはもう少し融通をきかせて、他の宗教のい
いとこどりでもいいんじゃないかしら・・
以前、学会の人に「なんで他の宗教を信じちゃいけないの?」と尋ねると、「それは
彼氏がいながら、別の男の人と浮気してるようなものだからよ」と言われて、納得して
しまった思い出があるけど・・そんなものかな・・?
というより、彼氏を持つのはいいけど、他人の彼氏を誹謗しなくてもいいというほ
うが適切なのではないかしら。
もしも法華講が、ご本尊尊様を中心に生活をする、自己啓発クラブみたいなものに
なれば、私も是非参加するんですけどね。

413 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/08/28(木) 20:36
>406
私の単純でわかりやすいでしょ♪

414 名前: みれい 投稿日: 2003/08/28(木) 23:53
yurikoさん、
まったく同意です。
ここ、すばらしいですよね。

ここの掲示板は、いろんな人がいて、その人の意見の中にも賛同する意見あり、反目する意見あり、けれどもその人自身に対してどうこうではなく、意見交換自体がきちんと出来る。
学会の方あり、法華講の方あり、非学会の方あり、特定の信仰のない私も。この、お互いの信仰はちがえど、そこに大きな壁もない感覚、なんか感動的。キリスト教の方とかも混ざってほしいくらいです。

>それでは、間違った宗教をどうやって見破るのか?
それは、人間の理性しかありません。

ああ、これはもっと早く教えてほしかったです(笑)。
私は理性が一度壊れ、ぎりぎりで本能で察知するしかなかった。
おかげでえらいこと遠回りしましたよ。
けれども、今こうしてはるばる(といってもネットに距離は関係ないか)yurikoさんともお話できている。なんともありがたい事です。
yurikoさんの中の仏様(これが法華経でいうご本尊様と違いますか?)に合掌。

415 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 01:23
>>412れいかさん
>もしも法華講が、ご本尊尊様を中心に生活をする、自己啓発クラブみたいなものに
なれば、私も是非参加する
....所詮、宗教の本質は、自己啓発でしょう?
言い換えるなら、個人的ということです。
それでは、どんな宗教でもいいのか?とも言えないこともない。
しかし、ちょっと腰を上げて、自分で調べてみて下さい。
やはり、おかし気な宗教に拘わっているととんでもない不幸に巻き込まれた例が多発しおているのです!
それら、間違った(人を不幸にする)宗教の特徴は
◎寺院経営の最優先事項が、経済=お金
  *儲け=人+信者だと信じている
◎個人の生活に異常に干渉してくる
  *どこに住むか
  *誰と付き合うか
  *親、兄弟の付き合い
要するに、「うま過ぎる話」はない。ということ。
●ある新興宗教の会合に招かれて行ったことがある。
a やっていることは、創価学会と大差がない。
b いい人達ばかり。
c 社会的に成功している人も少なからずいる。
d 高学歴の人達も少なからずいる
e それなりに幸福な家庭生活を営んでいる
などの特徴があった。
しかし!
ある
出来事で、私の見方は、一変した。
それは、彼等の一人から、一種の「ネズミ講」に入ることを勧められたのである。
*ネズミ講は、一種のマルチ商法で、元手がかからず、人を増やせば増やすほど、金が増えて行くという、「錬金術」。
●絶対の定理=錬金術は存在しない
であるから、これを主張(主催)している団体、または個人は、いんちきと断定してよい。
どんな詐欺師(団体)も、必ず「ほころび」を見せるものです。
どうしても、あなた自身が納得いかないなら、その団体は、大抵おかしいのです。
どんなに人数が多くても、それに騙されてはなりません。
大事なのは、あなた自身の人生なのです。誰にも犠牲にさせてはなりません!
***件の新興宗教団体は、統一教会でした

416 名前: LISAKO 投稿日: 2003/08/29(金) 02:58
>>415 yurikoさん・・・(大変遅くにスミマセン)

私は、この文章を読んで「あ〜良かった私は大丈夫だぁ〜^^っ」と思いました。

417 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 03:01
>>414みれいさん
私は、みれいさんの真摯な態度に心打たれます。
要するに、みれいさんは、「哲学」されたのだと思います。
私は、かつて、この「哲学」をするということに対して、偏見を持っていました。
私は、哲学というのは、ある特殊な方向性に思想(人格)を向かわせる為のプロセスだと思っていました。
しかし、それだけではないのですね!
哲学とは、もっと砕いて、「自分を(客観的に)見詰める行為」と定義していいでしょう。
そんな見方を与えてくれたのは御廚屋良一(みくりやりょういち)氏が書いた『哲学が好きになる本』と『哲学ってなんだろう』の二冊でした。
御廚屋氏は、長年都立高校の校長をしていた教育者です。
池田大作(先生)のように、肩書きだけではなくて、実践家としてです。
それだけに、氏の主張には、とても説得力がありました。
さすがに、倫理社会を教えていただけあって、人に「考えさせる」のが上手い。
公共教育の場に居ただけあって、様々な生徒を相手にしなければならない。それで、自然に「誰にでも通じる」論の術を身に付けたのではないでしょうか?
私が、「理性」と言ったのは、「理ずめ」で、物事を考えることというより、御廚屋氏が教えているように、道理をもって、「自分を見つめる」行為です。
「考えること」の重要さは、意外な場で認識させられなした。
別スレでも書いたのですが、
私は、最近、日本発連続ドラマ「ピュアラブII「」を視たのだが、主人公が小学校教師という設定だけに、改めて『考えることの重要さ」がわかりました。

418 名前: LISAKO 投稿日: 2003/08/29(金) 03:08
>>412 れいかさんヘ(コレも遅くにホントスミマセン)

>そうなんですよ。これなんです。正宗を絶対としてしまうと、他は忌み嫌うべき
>邪宗になります。例えば他の文化財、歴史などは汚らわしいものになってしまう。

今の学会の教えはそうではナイよ。。。他の宗教も認め合おうね・・・といった感じ。
と、私は学んでいます。

419 名前: LISAKO 投稿日: 2003/08/29(金) 03:16
>>417 yurikoさんヘ

私は、あまり考えていないのか・・・?

いるのか・・・?

あまり解りません。嫌です>自分^^

420 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 05:53
>>412れいかさん, >>414みれいさん
これは、完全にスレ違い(マイコンにすべき)なのですが、行きがかり上、こちらに書き込みます。
私が偶然に大学(それも米国の!)の古本市で見つけて、今や私のバイブルとなりつつある文庫を紹介sっひます。
法華講員の私が紹介するのも問題あるような気もしたのですが、敢えて。
それは、『<脱>宗教のすすめ』竹内靖雄』という文庫だ。
(はじめに)
この本は<脱>宗教のための本である。<脱>であって<反>ではない。脱宗教とは宗教を「卒業」することで、「卒業」するためには入門して勉強しなければならない。そのための案内書があこの本である。
...
この著者の言葉に全てが要約さっれていると思う。詳しい内容への考察は、別スレで述べたい。
御廚屋氏も著書で述べられていることですが、人間には、他の動物と著しく異なった性格として、「考える」という特徴があります。
これは、「哲学」すると同じ事ですが、それでは、哲学することにはどういうことでしょう。
クリスチャンでいえば、
神は存在するのかどうかを考え、その存在を証明することが「哲学」すること。
仏教(釈尊)は、
人間は何故苦しまなければならないのかを考え、それから逃れる方法を考える。
大乗仏教では、
普遍的な仏の悟りは、何かを考え、それによって、全衆生が苦悩から脱出する方法うお考える。
近代哲学(現代哲学)では、
人間を外から支配する絶対的存在を認めず、理性によって、普遍的にあらゆる人間存在に当て嵌まる法則は何かを考える、
ーーこの態度は、人類に科学的思考(理性を中心)をもたらし、それによって、文明が、物質面においても、精神面においても長足の進歩をもたらした。

421 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 06:14
一方、宗教は、一神教と多神教に拘わらず、まず第一に来るのが、
「信じること」です。
したがって、儒教は、元来は、理性的で道理を説く、哲学的思考体系だったのですが、「論語」などの、四書五教=」の絶対的権威を受け入れるということで、宗教になったのです。
したがって、祖先への崇拝も、単なる感謝の行為というよりも、祖先からの加護を信じるという「宗教」に昇格(堕落か?)したのです。
.....
こういう特徴があるから、ある教団を統率している僧侶や幹部は、自分達が掲げる教義を絶対的なものとして信奉しなければならない。
たとえ内心疑っていても、表面上は、絶対的な確信を表明しなければならない。
しかし!信者は違う!特に現代に生きる人々には、選択する余裕(権利)がある!
常に、ある教団指導者が本当の事を言っているのかどうかを「疑って」「考え、」「選んだり、拒絶」する権利がある!
それは正に哲学することなのです!
そういう意味で、私が先に挙げた『<脱>宗教のすすめ』は、果たして自分には、抑宗教が必要なのかを考えるにあたっての、一押し本と言える。

422 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 06:55
>>419 LISAKO さん
>あまり解りません。嫌です>自分^^
....
とても可愛いと思いました。
こういう恋愛感情に似たものは、「信じる」ことです。
>>418
今の学会の教えはそうではナイよ。。。他の宗教も認め合おうね・・・といった感じ。
...
目を醒まして下さい!そういう風に、会員に思考停止させる姿こそ、創価学会が怪し気なカルトであることの証明なのです!
日蓮大聖人は、むやみやたらに、他の宗教を邪教と定めたのではありません。
大聖人は、仏教の伝統である道理を重んじた人です。
大聖人が開教した頃の日本は、一応、日本人は、仏教を広く尊び、浄土教が広く信奉されていました。
それなのに、世は、武士が台頭し、天皇(当時は絶対的権威があった)を島流しにしたりしたり、武士同士の争いも絶えない様相を見せていました。
また、自然災害にも襲われ、鎮護国家を教旨とする仏教の面目(権威)が廃れてしまいました。
そこで、大聖人は、考えたのです。哲学したのです。自分に信じていた宗教を疑ったのです。
大聖人は、正に人間らしい行為をしたのです。
翻って、現在の創価学会。
思考停止させる行為は、宗祖大聖人の心を裏切るものです。
この際、自分達は池田先生に騙されているのではないか?よ〜く考えてみましょう?
哲学してみましょう!
次に私は、このスエッドに相応しく、最近の新人間革命から、池田先生の会員騙しの証拠となる記述を書き込みましょう。

423 名前: れいか 投稿日: 2003/08/29(金) 07:56
yurikoさん
>>415....所詮、宗教の本質は、自己啓発でしょう?
今の法華講は知らないけれど、学会で無理な折伏、勧誘をするように、要求された
経験があるものだから、その点がイヤなんです。それに、改めて法華講に入る必要
を感じないんです。めんどくさいだけのような気がして。
>>418LISAKOさん
>今の学会の教えはそうではナイよ。。。他の宗教も認め合おうね・・・といった感じ。
>と、私は学んでいます。
そうらしいですね。けどね、学会の場合「以前言っていたことと違っている」という
点が気に入らないんです。教義なんてコロコロ変えるものじゃないと思います。ご本
尊も勝手にコピーするもんじゃないのに、やってしまったということも絶対に許せま
せん。なんためにコロコロ変わってきたかというと、真理を追究するためというより、
お金儲けのためだからね。今となっては(昔からかな)学会は新興宗教です。
yurikoさん、そういえば、激しくスレ違いに脱線してしまってごめんなさい。
これ以後レスひかえます。

424 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 08:52
最近の人間革命は、言論出版妨害事件(1968〜1970)について記述されている。
あまりにの嘘八百、捏造、抹消が堂々と行われている。
そこには、次いでに大阪事件への歪曲も堂々と行われている。
それに、もっと面白い芸当も名誉会長はやってのける!
それは、名誉会長が両親を入信させているという記述だ。
今や、全創価学会員を堕地獄へと導いている池田先生にとって、両親を入信させたなどというう嘘は、あまりに些細なことで、どうでもいいことに違い無いだろうが、毎度のこと乍ら、無慚である。
『新人間革命 大河21
また、お父さんやお母さんが信心をしていない人もいるかもしれない。
それもまた、深い意味があることなんです。私の場合は、最初、両親も家族も、誰も信心をしていなかった』
そこで、池田先生に質問です。\(^-^)/
『最初』とありますが、何時両親は、入信したのですか?
お袋さんは、義理で入信(のふり)をしたかも?しれませんが、親父さん(よねきち)は、死ぬまで入信しませんでしたよね?
確か、その墓は、真言宗のお寺にあって、塔婆がきちっと立てられてますよね?
そもそも、池田先生が何への入信だったのかわかりませんだ、いい加減な嘘をつくんじゃね〜よ!
いい加減にしろ!池田先生!

425 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/29(金) 14:22
先生と書いてますが
池田さんは教師ですか?
何方か教えて下さい。

426 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 15:25
>>354訂正
>そんな人間心理を利用するのは、詐欺的と言える。特に、宗教敵権威は、人を容易く欺ける。
>そんな人間心理を利用するのは、詐欺的と言える。特に、宗教的権威は、人を容易く欺ける。

427 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 15:59
>>425
池田大作SGI会長は、教育者ではありません。
敢えていうなら、商売人と言えるでしょうか?
ただ、創価学会初代と二代目会長は、本当の意味で教育者でした。
池田(以下敬省略)は、人のフンドシで相撲を取るのが得意な男です。
それで、初代と二代目の会長の功績をそっくり盗む形で、三代目会長の座に納まり、序でに先生の座も得たわけです。
また、日本語の「先生」という呼び掛けには特別な意味があります。
相手を特別な尊敬な思いで呼び掛ける時に使われます。
その結果、医者は勿論、政治家、弁護士、画家、小説家、棋士、役者、宗教家など、教育に直接関わらない職業に携わるものまで、先生と呼びます。
広義においては、相手に特別な知識を授ける者は皆、先生と呼ばれます。
それが、本人達は、自分が優れているから、そう呼ばれているのだと錯覚すると、異様に傲慢になったりします。
銀痣のホステスなどは、そんな人間心理を巧みに利用して、専門職(薬剤師も含めて)に就いている者は皆一様に、「せんせい」と呼び、商売を営んでいる者は、皆「社長」と呼びます。
重要人物と思われたいのは、人間の最も原始的欲求のようです。
池田の最も大きな欲求は、「他人から、偉く思われたい」特に「女性会員から、尊敬の眼差しで見られたい」というのがあるのです。
それで、先生と人から呼ばれて、嬉しくてしょうがないのです。
全く、みっともない男です。

428 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/29(金) 19:30
yurikoさん
ありがとう御座いました。

429 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/08/29(金) 20:40
法華講員のズバリ切り込む文章は呼んでいて気持ちがいいもんだ。

430 名前: みれい 投稿日: 2003/08/29(金) 21:56
おおっ私は知らぬ間に、哲学が何やらわからぬ間に哲学していたのですか。
なるほど。哲学の新しい発見を教えていただく。

>さすがに、倫理社会を教えていただけあって、人に「考えさせる」のが上手い。

これは実は非常に難しい事なのですよね。けれどとても大事ですよね。

>法華講員のズバリ切り込む文章は呼んでいて気持ちがいいもんだ。

法華講員だからなのかはわからないけれど、yurikoさんの、何事にもばっさり切り込む潔さなんかは、かっこいいと思うのです。
(モーリスさんは「スカッとさわやか」でしたね(笑))

文字を剣に例えるならば、最近特に剣先が定まってきた感。なんとなくですが、侍スピリット、てな言葉が私の中では似合う人。

431 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/29(金) 23:56
>>427

<先生という呼称について>
もう10年程前にもなるでしょうか?
土井社会党(当時)委員長が、「国会議員を先生と呼ぶのは止めよう!」と呼び掛けたことがあります。
私は、土井氏の政治姿勢は、昔から好きになれませんでしたが、この発言にだけは、諸手をあげて賛成しました。
\(^o^)/
その後、果たして、これがどの程度実行されているかしれません。
個人的な考えを述べれば、
国会議員は、国家を一つの企業体と捉えれば、国会議員は「取り締まり役」。
言わば、日本を代表する顔なわけですから、日本国民の名誉にかけて内外に恥ずかしく無い地位と名誉が保証されるべきです。
したがって、国会勤続20年の議員が、ある年令まで達したら、「御苦労様」という意味を込めて、国家の最高の勲章を授与するのは当たり前だと思います。
それをあれこれ、某宗教政党は、自分達のみっともなさを棚に挙げて批判しています。
情けない限りです。
先生という呼称に関して、神谷美恵子氏は独自の意見を持っています。
彼女は、「そこが知りたい」で取り上げられたこともあって、日本人の大部分は知っていると思います。
彼女は、スーパーウーマンとも呼ぶべき存在で、ささに先生と呼ばれるのに相応しい人物です。
卑弥呼と並んで、日本人は誇り仁尾もうべき、日本人のスーパーヒーローです。
しかし、本人は、そういう資質にも拘わらず、也人から騒ぎ立てられたり、持ち上げられたり、まして神棚に祭り上げられるのを酷く嫌いました。
彼女の人生哲学は、「人間の本当の価値は、社会的地位では決して計れない。表面上は何気なく生きている人の中にも、厳しい困難に堪えて、優れた仕事を遺した人はいくらでも居る。そんな人達を差し置いて、自分を偉く見せ掛けるのは間違っている。」
というものでした。
そして、彼女は、苦しみ悩む人達を「あなた方は、私達に変わってその苦しみを引き受けて下さっているのだ」
というキリスト教的贖罪意識がありました。
かと言って、彼女は、特定の宗教(キリスト教)を自分の宗旨としているあけではなかったのです。
彼女の言に依れば、モルモン教が一番心情的に合ったそうです。
彼女は懶園に長く勤務していただけに、あらゆる宗教の多様性を其の儘、受け入れることが、自分の人生哲学になっていきました。
そんな彼女は、生きた人間を真正面から受け止めました。
そうすれば、「私はあなたより偉い」などという優越感など涌く筈もなく、ただひたすら敬意を示すしかなかったのです。
これは、まさに不軽菩薩の生き方であって、人間として尊極の姿だと思います。
彼女は、そういうわけで、仏教に深い関心を寄せていました。
そのせいでしょうか、彼女は、晩年、一度だけ、潮出版社「第三文明」に寄稿しましたが、これだけが、彼女の履歴で汚点を遺すものでした。
私は、寧ろ、池田先生こそが神谷美恵子先生の爪の垢を煎じて飲むべきだと思うのですが。

432 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/30(土) 00:05
訂正>>431
卑弥呼と並んで、日本人は誇り仁尾もうべき、日本人のスーパーヒーローです。

卑弥呼と並んで、日本人は誇りに思うべき、日本人のスーパーヒーローです。

433 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/30(土) 00:19
訂正>>431
彼女は懶園に長く勤務していた

彼女は癩(らい)園に長く勤務していた

434 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/30(土) 00:32
訂正>>431
也人から騒ぎ立てられたり、持ち上げられたり、まして神棚に祭り上げられるのを酷く嫌いました。

也人から騒ぎ立てられたり、持ち上げられたり、まして神棚に祀り上げられるのを酷く嫌いました。

435 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/30(土) 03:12
>>訂正431
そして、彼女は、苦しみ悩む人達を「あなた方は、私達に変わってその苦しみを引き受けて下さっているのだ」
というキリスト教的贖罪意識がありました。

そして、彼女は、苦しみ悩む人達を「あなた方は、私達に代わってその苦しみを引き受けて下さっているのだ」
というキリスト教的贖罪意識がありました。

436 名前: SGI 投稿日: 2003/08/30(土) 10:46
あっという間にレスが進んでしまう…。随分前の続きですが。

[>>377 自己レスの続き]
 学会の“師弟の道”の在り方が仏法違背である、と宗門より厳しく指摘され、学会は昭和53年6月30日『聖教新聞』で、教義逸脱と誤りを認め“師弟の道”の訂正・廃棄を表明した。これが、いわゆる『6.30』と呼ばれるものだ。
 ⇒参照HP http://norimaki.faithweb.com/gakuindex.htm 
 そして同年11月には、総本山にて、全国教師会と共に、2千名が参加した記念登山代表幹部会−いわゆる『11.7お詫び登山』−が開催され、「五十二年路線」を謝罪し、学会が留意すべき教学問題が確認された(発表者:辻武寿副会長)。その中に次の事項がある。

 「第一に、戒壇の御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません。」
 「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。」

 「第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいります。」

 「第三に、学会員の心情には、長い歴史のなかで、しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、また、それは当然であるとしても、その心情を表わすのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。
 『法華初心成仏抄』の中に
 『よき火打と、よき石のかどと、よきほくちと此の三つ寄り合いて火を用いるなり、祈りも又是の如し、よき師と・よき檀那と・よき法と此の三つ寄り合いて祈を成就し国土の大難も払うべき者なり』とあります。
 この御文の中に、よき法とは、言うまでもなく、末法の法華経たる三大秘法の大仏法であります。よき師とは、末法の御本仏・日蓮大聖人であられ、また代々の血脈付法の御法主上人猊下であると拝するものであります。
 私ども創価学会は、よき檀那の立場でなくてはなりません。したがって、今日において、学会で師弟という場合、よき檀那の中における指導性の問題であり、私どもにとっては、代々の会長は、折伏・弘通の師であり、現実社会における人生の師であることを銘記すべきであります」

 この発表は、仏法上における根本の師は、あくまでも日蓮大聖人であり、また血脈付法の御法主上人猊下であるということ、そして学会における師とは「よき檀那」の中における存在にすぎないことを、宗内の僧俗代表の正式の会合で言明し、確認し、その実践を誓ったものである。
[続く]

437 名前: SGI 投稿日: 2003/08/30(土) 10:47
[続き]

 辻武寿副会長の話に出てきた『法華初心成仏抄』の御文の続きは、
 「吉(よき)檀那とは貴人にもよらず・賎人をもにくまず・上にもよらず・下をもいやしまず・一切・人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと仏は説給へり」

 これらの御文を正確に素直に拝すれば、祈りは「よき師」と「よき法」と「よき檀那」の3つが寄り合いて成就するのであり、信者一人ひとりが「よき檀那」でなくてはならず、またなるように努めるべきことを御指南されている。
 決して、1人の「よき檀那」が存在し、その人に師事し、その人の下で信心修行を励まねば祈りは叶わない、とは仰せになっていない。

 >>388 yurikoさんのレスにもありましたが、そもそも仏法の受持・修行において、「よき檀那」(在家)の中で“師弟の道(師弟不二とか師弟相対)”の必要性、あるいはその在り方を説かれた御文・御指南は、御書全編を拝しても一文一句たりとも出てこない。ましてや「(在家の)師への帰命」なる概念は、大聖人の仏法には存在しないのである。

 帰命の対象として、御本尊=大聖人以外のものにおくことは、いかように立て分け、いかなる意味合いを持たせようとも、大聖人仏法の信仰に立てば絶対に許されるものではなく、完全な誤りである。
 あくまでも学会組織における“師弟の道”は、「よき檀那」間の人間関係にすぎず、法門・教義・指導原理にはならないし、また絶対にしてはならないものだ。

438 名前: yuriko 投稿日: 2003/08/31(日) 15:59
>>437 SGIさん
>学会組織における“師弟の道”は、「よき檀那」間の人間関係にすぎず、法門・教義・指導原理にはならない
.....
その通りです。

439 名前: SGI 投稿日: 2003/09/02(火) 00:27
[>>437 自己レスの続き]

 では、御法門の外にある在家(檀那)集団における“師”とは、いかなる存在だろうか。
 日淳上人等のご歴代上人のご指南を踏まえれば、「学会の師」は戸田先生に尽きるといわざるをえない。

 戦後、宗門は衰亡し学会は壊滅している状況下で、獄中の尊い信仰体験(戸田先生は「悟達」なんて増上慢の表現を全くしていない)に基づく大確信をもって“一人立ち”、学会を再建し、折伏弘教を進め、宗門外護の誠を尽くし、今日の広布展開の礎を築かれた第二代会長・戸田城聖先生こそ、在家檀那中の師であろう。
 もし学会の中で“師弟の道”が説かれることが許されるならば、それは在家信徒としての信仰の在り方・進め方を示し教えて下さった戸田先生に対するものでなければならない。

 名誉会長の大きな誤りは、自らの野望と慢心で、この“師弟の道”を自己の立場に延長させ、戸田先生に替わって自らが“師”となったことだ。戸田門下生のみならず牧口門下生までをも全て自らの弟子となし、不埒で不遜で不躾で身勝手な独自の師弟論を強いたところにある。⇒ >>251参照

 クーデターを正当化させるために、名誉会長を絶対的な「学会の師」に祭り上げ宣揚していったことによって、次第に学会内では名誉会長への姿勢の如何で信心の正邪・厚薄が評価されるようになり、「池田大作」が大聖人に比肩するがごとき絶対的な師弟関係を作り上げていったのである。⇒ >>404 ≪INDEX≫参照
 
 「五十二年路線」の挫折により「人生の師」と称されるようになったが、実質は何も変わらなかった。
 実態は、これまで書き込んできたように、また皆さんが体験・実感されるように、“稀有の師=池田大作への帰命”にほかならない。
 大聖人の仏法、正宗の教義、戸田先生の指導等を、全て自己に都合よく牽強付会し、我見我流の邪な師弟論を展開・定着させたことが、今日の学会の数多くの過ちと誤り、諸悪の言動や在り様を生み出している根源といわざるをえない。

 池田創価学会が、勝つためには手段を選ばず、状況に応じ言動をコロコロと変え、言っている事とやっている事が全く違っていても平然としており、都合の悪いことは事実を曲げ、論理をすり替え、圧倒的な情報量で糊塗し、正当性と無謬性を主張していることはご存知の通りだ。
 これは、池田大作名誉会長の不誠実な心根・人間性・行動様式が反映しているもの。そして、名誉会長を「人生の師」として師事している多くの幹部や会員が、この名誉会長の不誠実な心根・人間性・行動様式に感化されているからだ。
 以前、学会では「出でよ!10万の池田大作」という指針が打ち出されたことがあった。小説『人間革命』を人生のテキストに仰ぎ、創価組織の中で育ち、不埒で不遜で不躾で身勝手な師弟論を学んだ“ミニ池田大作”が、至る所で不誠実で非常識な言動を繰り返すのも当然のことであろう。

440 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/02(火) 06:10
>>439 SGIさん
>以前、学会では「出でよ!10万の池田大作」という指針が打ち出されたことが
>あった。小説『人間革命』を人生のテキストに仰ぎ、創価組織の中で育ち、
>不埒で不遜で不躾で身勝手な師弟論を学んだ“ミニ池田大作”が、至る所で
>不誠実で非常識な言動を繰り返すのも当然のことであろう。
....
曾て、かねこ夫人が、創価学会員は、皆「創価学会金太郎飴」にならなければならない、と指導?したことと、軌を一にしている、
でも、本当に10万の池田クローンが居たら気味が悪い。

441 名前: 小野不二 投稿日: 2003/09/02(火) 12:09

学会を退転した輩に峻厳なる師弟の道が分かろうはずがない。
所詮、師を裏切った後ろめたさが為す虚論なり。論評に値せぬ。
あえて両断せば「負け犬の遠吠え」。片腹痛し。可笑、可笑。

442 名前: 倒木 投稿日: 2003/09/02(火) 13:05
久しぶりぢゃん、不一致君。元気にカルト活動してるの?

443 名前: 倒木 投稿日: 2003/09/02(火) 13:15
と思ったら不二か( ´_ゝ`)からかって遊ぼと思ったのに ツマンネ

444 名前: 小野不二 投稿日: 2003/09/02(火) 13:32

師弟の道は不二なり。故に不二と号す。
不二に至らざる己の未熟さを嘆くべし。
道念の不徹底・透徹した覚悟なき者は、ただ怨嫉を抱くのみか。

445 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/02(火) 13:56
>>444 小野不二君
君って、本物の小野君?
何しに来たんだい?
ここの管理人は、私じゃないけど、このスレ主は、私だと知ってるよな?
私と一騎討ちなら何時でも受けるよ。

446 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/02(火) 14:13
>>444 名前 小野不二君
>師弟の道は不二なり。故に不二と号す。
....
(/o\)(+_+) 気絶中
な〜んだ、不一君じゃなかったのね?
要するに、君は、不一君の弟子だから、 『師弟の道は不二』なわけね?
紛らわしいんだよ!

447 名前: 小野不二 投稿日: 2003/09/02(火) 16:02

不一殿は来ますまい。悪臭漂う明盲蒙昧の集まりに尊体を運ぶ理由はなし。
虚論を一瞥し、「螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、
烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし、わらふなるべし」と喝破、相手にせぬは。笑止笑止。

448 名前: 倒木 投稿日: 2003/09/02(火) 17:00
不二君って無理に文体作って疲れない?それになんかサムいよ。

449 名前: 小野不二 投稿日: 2003/09/02(火) 17:50

吾は憐れむ。師に邪心悪心を抱き、斜視眼で直視観できず、友を裏切り、
不二の高嶺に輝く白銀を仰ぐ感涙も知らず、恨み虚言を吐く転落人生を。
邪悪の徒には栄えなし。毀誉褒貶の人を降すのみ。吾ら威風の道を歩む。

450 名前: 倒木 投稿日: 2003/09/02(火) 19:10
ほうほう、つまり現代語に訳すと

「戸田創価学会時代にサラ金回収屋をさせられ戸田城聖を恨み
戸田がいる限り自分はこんなアホな事ばかりさせられるのだと逆恨みし
石田光男を裏切り会長の座をゴリ押しで奪取し
本物の桂冠詩人の詩の美しさも理解できないのに権威主義なもんだから自作自演の
世界桂冠詩人というくだらない栄誉を自分に与える虚栄心を持ち、手足の如く
操った子飼いの山崎正友や原島嵩、藤原行正、福島源次郎、竹入義勝氏らに
造反され、聖教新聞の記者や自由座談会で現幹部陣にに恨み虚言を吐く事を強要
し、自分は「名誉職」に逃げて影から人々を操り毀誉褒貶を繰り返す【池田大作】
の事など気にせず 非学会員は創価学会に関わらず堂々と人生を歩みなさい」

と言う事ですね。

451 名前: J.P.P(J.P.PFc.) 投稿日: 2003/09/02(火) 19:50
>>449
チンピラのパシリさん。
辺境の地までようこそ。

逃走経路はコチラ↓ですので、さっさとお帰りくださいませ
http://jbbs.shitaraba.com/study/168/

チミのボス猿さんにもヨロシクお伝えください(プ

452 名前: 小野不ニ 投稿日: 2003/09/02(火) 20:43

顛倒の唐変木殿。貴下に天誅下さらんことを祈らむ。毒鼓の縁もあらん。
学会は仏意仏勅。師弟子皆、地涌なり。十四誹謗畏るべし。五逆罪なり。
一闡提の者なりとて還著於本人あり。諸天の加護なきこと怨むべからず。

師曰く

創価の前進は正義と希望の大光。皆が太陽と輝け!社会の闇を打ち破れ!

「正義の言葉」は破邪顕正の宝剣! 悪を撃つ弾丸! 声が歴史を開く。

戦おう!命の限り 正義を叫んで わが生涯を勝利と福徳で飾れ!

「悪を滅するを功」「善を生ずるを徳」正義の炎の言論が大功徳の人生を開く!

末法は「闘諍言訟」 言論の闘争の時代だ。
叫ばねばならない。最極の信念の力で邪悪を叩き斬れ!

仏敵と戦わずして成仏はない!
「法華折伏 破権門理」 破折の言論戦で 広宣流布の英雄たれ!

453 名前: 倒木 投稿日: 2003/09/02(火) 20:55
ふんふん、なるほどなるほど。つまり現代語訳すれば
「創価学会は自称仏教団体で、池田大作も学会員も全て地涌の
菩薩(え〜?大作さん本佛じゃないの?)で、我々に刃向かえば
五逆罪で無間地獄で、絶対に成仏できんからなテメーおぼえておけよ。」

てことですか。で、その大作さんが言うには
「創価学会は超正義!みんなオラに元気をわけてくれよな!」
「正義の叫びはゼットソード!ドドン波!」(以下略)

ていう訳ですね。へぇ、毒電波出してるねえ。

>仏敵と戦わずして成仏はない!
そうそう、ゴータマのダンマを無視する仏の敵、創価学会と戦わなくては
成仏はできないってか。そんな事どこの経典に書かれてるの?まさか
法華経に??

454 名前: SGI 投稿日: 2003/09/02(火) 21:02
小野不ニさん、初めまして。
もしかして貴方は、一会員さん?高みの見物さん?
あるいは、かの有名な小野さんご本人?
それとも全然違って、新しき狂気の人の登場ですか。

で、「虚論」とご批判されているようですが、
どのような点が「虚論」なのかご明示していただけませんでしょうか。
単に言い放つだけでは、貴方自身が書き込まれているように、
「負け犬の遠吠え」であり、戯れ言にでしか思えないのです。いかが。

倒木さんの現代語訳、感嘆す。

455 名前: SGI 投稿日: 2003/09/02(火) 21:17
小野不ニさん。
引用されている名誉会長の指導は、『聖教』連載の「わが友に贈る」ですね?
唯一といっていい、名誉会長のオリジナルです。
それにしても、最近のは富に“!”マークが多い。
情緒不安の激昂がそのまま現れており、洗練さもなく、単なるアジですな、これは。
世界桂冠詩人の矜持も失ってしまったのでしょうか(あっ、もともとないか)。

456 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/09/02(火) 21:32
「仏敵と戦わずして成仏はない!」
って・・・自分を本仏とでも思ってんのか?
増上慢て言葉の意味わかってんのかねえ?

457 名前: ロム専 投稿日: 2003/09/02(火) 21:58
小野不ニさんて なりすましかな?

458 名前: 小野不ニ 投稿日: 2003/09/02(火) 22:05

文義意において虚論なり。論を俟たず。破邪顕正。師の正義を証するのが弟子の務めなり。
現実を見よ。師を仰ぎ、師弟の道を生き貫く幾多の友の歓喜溢れる姿を。ここに正義あり。
師曰く「悪は多けれども一善にかつ事なし」歴然の現証を見よ!追撃の手をゆるめるな!

459 名前: (-_-) 投稿日: 2003/09/02(火) 22:13
「わが友に贈る」ですかぁ。
「お前らに指令する」の間違いじゃないのか?

>>455 情緒不安の激昂がそのまま現れており洗練さもなく、単なるアジですなこれは。
まったくです。

>>457 小野不ニさんて なりすましかな?
どのみち「腐れ小野」のお仲間には間違いなさそうだね♪

460 名前: 倒木 投稿日: 2003/09/02(火) 22:55
池田大作たんの自称「詩」は
「アジテーション」そのものです。

ですから、世界桂冠詩人なんて馬鹿なもの自称してないで

「世界アジテーション協会会長」を名乗って「おら正義!」
「おっすおら池田大作!みんな応援してくれよな!」みたいなアホアジ飛ばして
学会員は「さすが池田先生だわぁ、うるうる」とやってればいいのさ。

461 名前: ロム専 投稿日: 2003/09/02(火) 23:55
>>458

あまりにも上っ面のステレオタイプ。反学会さんのなりすましならわかる。
組織全体からすりゃ、今の学会にアホのような歓喜溢れる会員の姿なんぞ稀。
池田師匠親衛隊による、創られた歓喜なら会合でお目にかかれるが。
巨大化組織の空洞化は進む一方。

462 名前: 不二愚壮 投稿日: 2003/09/03(水) 17:18
 
小野不二改め不二愚壮と号す。

師曰く
「一人の人間における偉大な人間革命は、
 やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、
 さらに全人類の宿命の転換を可能にする」
「平和ほど、尊きものはない。
 平和ほど、幸福なものはない。
 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」

是れ小説人間革命の主題なり。表は小説なれど内に学会と師匠の真実あり。
事実に奥に真実在り。求めざる者には解らず。まして邪心顛倒の者をや。

463 名前: 不二愚壮 投稿日: 2003/09/03(水) 17:19

学会旭日七十年に師弟あり。師弟の道は広布後継の方程式。我らの誇り。
師弟不二に権威主義なし。師を原点に同心円。仏道は師弟の道に究めり。
師弟道に徹せば自ずと境界開く。弟子本分尽くすこと、我ら出生の眼目。

464 名前: 不二愚壮 投稿日: 2003/09/03(水) 17:20

師、開けし世界広布の扉、今や大河なり潮流なり。人類希求の行動なり。
東奔西走平和旅。世界の知性との対話。賞賛と共鳴、人類の教科書なり。
行動実践に三類の強敵あり、故に真実なり。安居雑談観念は天魔の所作。

465 名前: 不二愚壮 投稿日: 2003/09/03(水) 17:20

経に「在在諸の仏土に常に師と倶に生ぜん」。師弟子は宿縁深厚の仏縁。
我らは約束せし弟子なり。退転造反は不知恩亡恩の業。悪果報必然なり。
本仏論は創作空想に過ぎず、不知恩者の言説に真義なし。所詮魔説なり。

466 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/03(水) 18:58
>>422 yurikoさんヘ

レスありがとうございますm(_ _)m

昨夜、書きたかったのですが・・・(超夜中)でしたので・・・我慢しましたdesu。

また、時間のある時に・・・どーかヨロシクお願い致します♪

467 名前: モーリス(JExy6YJA) 投稿日: 2003/09/03(水) 21:30
>>465
それなら釈尊や日蓮を師としたいもので
池田なんてまっぴら御免。

468 名前: SGI 投稿日: 2003/09/03(水) 22:59
>>462-465「小野不二改め不二愚壮と号す」さん

 >>461 ロム専 さんがレスされているように、まさにステレオタイプですね。学会員のシンボリックな1つの姿かもしれません。貴方の書き込みは、まるで役所が発表するような十年一日の定型コメントのように、なんの感慨も覚えないものです。

 3行表記の目新しさは認めますが、内容は極めて陳腐です。
 私は貴方が書き込んでいるような学会プロパガンダ情報が周知されている実態を踏まえて、私なりの論拠を提示しつつ批判的な所見を述べているつもりです。
 したがって、私のレスが貴方にとって気に障り、反論・批判・論評するならば、貴方なりの論拠を明示してくださいとお願いしたのです。にもかかわらず、「虚論」「魔説」「不知恩忘恩」「創作空想」「天魔の所作」等々、レッテル貼りを繰り返し、徒にレスを重ねているだけです。

 貴方が「我らの誇り」とか「人類希求の行動」「人類の教科書」「我らは約束せし弟子なり」と宣言するのは、貴方の勝手ですが、私にとっては独り善がりのつまらない言い分でしかなく、何ら説得力を持ちません。
 おそらくかつての私も貴方同様に模範的な池田門下生・親衛隊であり、貴方が主張している事は充分に理解しているつもりです。その上で、貴方から見れば、不知恩忘恩・退転造反の裏切り者なのでしょうが、ここに至るまでには言葉に尽くせない過程があってのことです。

 それだけに貴方をはじめ学会員の皆さんが、脱会者や造反者・批判者に対して、単にレッテル貼りに過ぎない中傷や断定、あるいはステレオタイプの主張を繰り返すだけの言動は、私から見れば、反対にあなた方の内面にあろう動揺や迷いの現われなのかな、と感じるのです。いかがでしょうか。

469 名前: 創価学会草の根研究者 投稿日: 2003/09/04(木) 15:16
SGIさん
>>15の大阪事件の池田渉外部長(当時)逮捕ですが、当時の新聞各紙(9月4日夕刊)では
9月3日夜逮捕となっております。しかし、日本経済新聞のみ逮捕場所を「自宅」と断定
して報道しているので、聖教新聞の誤報は深夜池田氏が自宅で逮捕されたため、状況が
つかめず、移送拘置された4日を逮捕日として報道したという所ではないでしょうか?
(当時の創価学会は戸田会長の指揮の下、新聞不買運動で日刊紙に圧力をかけていますが、
日経は購読層に学会員が少ないため圧力をかけられず、逮捕場所まで出せたと考えられます)

もちろん、これだと自ら大阪に出頭して逮捕されたという「人間革命のお話」は真っ赤
な嘘になります(私は創価学会が「7月4日説=デマ」批判をするのは「池田氏が自宅で
逮捕されたという不名誉な事実を隠したい」というのがより真相に近いと見ています。)

※補足:逮捕周りの状況を書き換えるため、11巻の「夕張」では戸田版人間革命の刊行日
を6月にしてあるというとんでもない事実歪曲をやってます(その次の「大阪」では7月3日
に戻していますがこの失態、現在の文庫版でもしっかり残っているので噴飯物です)。

470 名前: SGI 投稿日: 2003/09/04(木) 22:38
>>469 「創価学会草の根研究者」さんへ。
 「7月3日」に関する情報のご提示、誠にありがとうございます。深謝。
 3日と4日にこだわっておりましたが、ポイントは「自宅逮捕」だったのですね。目からウロコです。補足情報も興味深く拝見しました。

 そうですか、『日経』も報道していたのですか。知りませんでした。結構、社会的な大事件だったことが推察されます。であれば、小泉隆理事長(当時)の逮捕は、どうような状況だったのでしょうか。先に教団癸欧身柄を拘束され、続いて実行部隊の最高責任者が逮捕されたのですから、やはり相当な社会的な関心を呼んだのでしょうね。ご存知でしたら是非ご教示下さい。

 それにしても、いわゆる「学会本」は数多くあるのですが、告発・暴露本だったり、一方的な翼賛・批判本だったり、粗略な論考や表面的な考察が目立ったりで、なかなかきちんとした創価学会に関する研究書といいますか論評、考察本に出会わず、歯がゆい思いを抱いております。
 学会ウォッチャーは存しても、学会研究をライフワークとする方はそんなにいないようです。「創価学会草の根研究者」さんのような方々が情報を提供されることは、大変心強くありがたい存在です。是非これからも貴重な情報のご提供をお願います。よろしくお願い申し上げます。

471 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/05(金) 04:20
>>69 創価学会草の根研究者さん
>>15の大阪事件の池田渉外部長(当時)逮捕ですが、当時の新聞各紙(9(7)月4日夕刊)では
9(7)月3日夜逮捕
,,,,,,,(・_・) ふむふむ。
何か、池田先生らしい、小賢しさだね?
かつて、池田インタビューで、「入信したての頃は辞めることばかりを考えていた。なぜなら、戦争中創価学会は、全部の宗教に反対して、幹部が牢屋に入れられたから。」(趣旨)と、同じ文脈で、公権力からの圧力を、ひたすら恐れていた。
これは本人が、今になってさかんに吹聴しているような「法難」を名誉と思う意ような潔さは、微塵もない。
池田(先生)の本質は、臆病と卑怯に尽きる。
近年、池田先生は、マンデラ南アフリカ大統領と会談した際、マンデラ氏の27年間にも及ぶ「獄中生活」と自分のたった2週間の勾留を単純に比較した上で、「自分も権力と闘った英雄」を演出したが、実際は、公権力をひたすら恐れる俗物でしかなかった。
公明党議員を走狗として、国会喚問をひたすら恐れたのも、それを考えれば、今さら乍ら納得がいく。

472 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/05(金) 04:56

もし、大阪事件での逮捕が、本当に法難と思うのだったら、もっと堂々と事実をありの儘に公開していればよかった。
それが、できなかったのは、「後ろめたさ」があったからに違い無い。
その「後ろめたさ」「とは、第一に、検事の追求にあって、勾留満期(たった2週間!)を待たずに、「ペラペラ」と自供してしまったことと、
妻や子供達の目の前で、手錠をかけられるという不名誉を隠し通したかったからに他ならない。
池田先生は、「自分だけ助かりたい」という卑怯な動機から自供したお陰で、創価学会運動員の大量逮捕という重大事件に発展してしまった。
それを創価学会は、「除名」という御得意な方法で、切り捨て、「臭いものには蓋」をした。
本人の有罪判決も、「自供」という有力な証拠があるう以上、確実と思われたのだが、石田次男氏の活躍によって事無きをえた。
(石田氏は、無論池田の為に働いたのではなく、戸田先生に塁が及ぶのを未然に防いだだけ。)
池田は、「自供」という証拠の為に、4年間もの長い法廷闘争を強いられた。
(同時に逮捕された小泉氏は、自供は勿論せず、僅か一年の裁判だった)
この裁判費用もバカにならなかった筈。
弁護人も当時は、外部から(戸田先生の人脈を利用)の応援を恃んだ。
今のお金でいえば、少なくとも一億円はかかかったのではあるまいか?
平成元年には、一億七千万円入りの古金庫を捨てた創価学会にとって、その額は、はした金に過ぎないだろう。
極貧層の集まりといわれる創価学会員にとっては、その額は見過ごしには出来ない。
一兆円という個人資産を持つ池田先生は、その何分の一かでも、創価学会に返還する義務があるのではないか?

473 名前: 不二愚壮 投稿日: 2003/09/05(金) 13:10

≫468
笑止千万。我ら師弟道に動揺迷いなし。歓喜確信あるのみ。
実践なき愚痴者の嫉み言なり。机上の空論、虚しからずや。
所詮、観念観法に価値創造なし。仏道は実践、菩薩道なり。

474 名前: 不二愚壮 投稿日: 2003/09/05(金) 13:11

汝ら度し難き衆生なり。堕地獄必定。急ぎ急ぎ悔悟す可し。
己の至らざること嘆く可し。原点失いき者の末路、憐れ也。
我らが師、慈父なり。愈々傾聴す可し。是、最後忠告なり。

475 名前: 名も無き行者 投稿日: 2003/09/05(金) 13:56

2chの煽り厨(内容の無い悪罵を書き連ねるしか芸が無い人種)を見てる気がしてきた・・・・
これはいくらなんでもなりすましでしょう?

476 名前: J.P.P(J.P.PFc.) 投稿日: 2003/09/05(金) 14:09
いや、違うでしょ。>なりすまし
向こうの愚壮のオジイチャンですよ。

トコロで最初の「小野不ニ」というハンドルは、どういう意味でつけたのでしょうかね?
ヒト様のハンドルをドウコウ言うつもりは無いですが、最初から煽りのつもりでしたら
ココから撤退した方がイイと思いますよ。

477 名前: (-_-) 投稿日: 2003/09/05(金) 20:12
まあ、とても人に何かを話す態度じゃ無いわな>不二愚壮殿
脳内ワールドを一人で舞う姿は哀れでもあるね。

・・・・・・・・合掌

478 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/09/05(金) 21:15

横レス失礼します。

『……この事件(=昭和32年の大阪事件)の前年、昭和三十一年の参議院選挙で、池田は大阪地方区で白木義一郎を当選させた。そのやり方があまりにもヒドイので、大阪地検は激怒していたという。その翌年、無責任にも池田は、またまた無差別戸別訪問の指令を出していた。この事実を知った弁護団は、全員、池田の有罪を確信していた。
その証拠に、池田の直接指揮下で動いた山田哲一、鳥養ら大勢の幹部や会員は有罪になった。』(龍年光 『池田大作創価学会の脱税を糾弾する』)

「戦後最大の宗教企業とその時代」
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-2/60.htm

このことが、大阪事件の伏線になっているのではないでしょうか。

1957/02/28 戸田会長、本部幹部会で、
 「宗教で金もうけするぐらいかんたんなことはないのだぜ。おさい銭をあげろと言うのだよ。インチキ宗教のやり方は、功徳をもらうには元手がいる。だから金を出して神を拝めば、倍にも三倍にもなって出てくるから出せ、出せと言うのだよ。そう言われると、もっともだと思うだろう。泣く泣く、皆は、ない金をはたいて出すでしょう。そういうことをして、信者をだまして金をとる。これくらい、世の中にかんたんなことはない。やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くから、やってみたまえ。それがいかんというのが、私の精神なのだ。
 そうすると困ることが一つあるのだ。仏教のうえからいって、日蓮大聖人様の御書を読んでも、はっきりするし、釈迦の学説を聞いても、はっきりするが『お布施を出せ』ということがある。大聖人様は、お布施を出せとはおっしゃらない。しかし、法華経の行者を供養した者には功徳があるとおっしゃっている。そうすると、出さねばならないような気持ちが出てくる。どうだね。これが邪宗教の起こるもとになってくる。悪いことをするやつは、この原理だけ使うのだ。日蓮大聖人様でないものが、大聖人様のような顔をして金を集めるから邪宗教だろう」
 「ほんとうの法華経の行者に供養するのなら、これはまた別だ。もし日蓮大聖人様がここにいらっしゃったら、私など、裸になっても御供養してしまう。これは本当の信仰からくるものである」

「戦後最大の宗教企業とその時代」
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-2/65.htm

これって創価学会のこと(自画自賛か?!)。この師(戸田城聖)ありて、この弟子(池田大作)ありと言うことでしょうか?

話は変わって、「大阪事件」に関連して
1957/04/22 大阪の日刊紙、夕刊でタバコ事件を候補者名を伏せて報道。関西本部、タバコに学会候補の名が書かれていることを知り、他党の悪質な妨害として、厳重に取り締まりを申し入れる。
   04/23 参院大阪補欠選挙の投票日。大阪の日刊紙、朝刊で百円札事件を候補者名を伏せて報道。関西本部、再び当局に取り締まりを要請。南海高野線の初芝付近で戸別訪問をしていた京都の学会員、現行犯で逮捕される。(投票日直前、学会員の戸別訪問による現行犯逮捕が何軒かある。)
   04/24 参院大阪補欠選挙の開票。学会の中尾候補(船場支部長・中尾辰義)は自民、社会に次ぐ第3位で170494票を得るが落選。
   04/28 保田妙本寺帰入奉告法要。会長、挨拶の中で「大阪の参議院選挙に補選をやってきまして、それで自民党と社会党を向こうにまわして、じゅうぶんな戦いをしてきた。負けたのは負けたのだぞ。負けたけれども、惜しくない負け方なのだ。あっぱれな負け方なのだ。相手は自民党だ、社会党だ、こっちは第三勢力みたいなもんだね。
 これがなんで信心に関係あるかというのです。それはある。岸君が総裁選挙をやった時に、どうか頼むと言ったのだ。御本尊様へ。まだ信仰はしておらんぞ、彼は。信仰していると思って間違えてはいかんぞ。しかし、頼みたいのはそれだといったのだ。しかるに石橋君が七票で勝った。それから彼が、身延の権大僧正の衣を貰った時に、私は、これはあぶないと思った。一月の二十八日に、本部幹部会で、はっきり言ったのだ。このまま彼が総理をつとめれば、日本の国に災いがある。彼が病気で倒れたのは、それから三日目だ。そうして、岸君が総理の位置についた」と語る。

「戦後最大の宗教企業とその時代」
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-2/65.htm

戸田さん、話をすり替えてはいけないよ(故人に合掌)。 (。-人-。)

479 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/09/05(金) 21:43
Poh氏

480 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/09/06(土) 11:01
>>479:

ちゃうで。本人やで。

学会史の資料を探していたら、ヒットしたので投稿しました。

481 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/06(土) 18:51
私は、かつて聖教新聞を愛読していた。
しかし近年の聖教新聞の内容の悲惨さは度が過ぎている。
無論、聖教新聞の面汚しの先頭に立っているのは、池田大作の新人間革命の小説並びに随筆だ。

題材は、あの言論出版妨害事件を扱っている。
7ー5ー2003
烈風ーーこれだけで、自分が被害者であることを仄めかしている。
『民社と共産の反目は続いていたが、学会と公明党の攻撃の為に、なりふり構わず、また手を結んだのである』もう最初から、池田創価学会は、反省絶対拒絶なのである。
あくまでも、自分達は、被害者であって、政治的隠謀の犠牲者を演出している。さらに
『あらゆる手を使っての執拗な攻撃である。この機会に、なんとしても学会と公明党に大ダメージを与えたいと、血道を上げていたのだ。』
お前が加害者だったんだろう?

482 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/06(土) 19:31
私は、かつて聖教新聞を愛読していた。
しかし近年の聖教新聞の内容の悲惨さは度が過ぎている。
無論、聖教新聞の面汚しの先頭に立っているのは、池田大作の新人間革命の小説並びに随筆だ。

題材は、あの言論出版妨害事件を扱っている。
7ー5ー2003
烈風ーーこれだけで、自分が被害者であることを仄めかしている。
『民社と共産の反目は続いていたが、学会と公明党の攻撃の為に、なりふり構わず、また手を結んだのである』もう最初から、池田創価学会は、反省絶対拒絶なのである。
あくまでも、自分達は、被害者であって、政治的隠謀の犠牲者を演出している。さらに
『あらゆる手を使っての執拗な攻撃である。この機会に、なんとしても学会と公明党に大ダメージを与えたいと、血道を上げていたのだ。』
お前が加害者だったんだろう?さらに、
『,,,悔し涙を流す人もいた。
ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。』
池田先生は「反省能力が欠如しているだけなんだよ。
それより、何で学会員は、自分達のリーダーの不手際を追求しなかったのだろう?
不思議だ。
集団催眠にかけられた愚民の図だな?
何か、ここまで来ると、創価学会員って、ビョーキだな?それも相当重症だ。

483 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/06(土) 19:50
7-9-2003
烈風55
『政教一致などという批判は、その機構の整備が進みつつあることを知った上で、改革途上ゆえの未整理な部分を、あえて突き、攻撃材料としたのかもしれない』
ハァ?だから〜、お前が加害者だったんだろう?さらに
『伸一は、今回の問題が意図的に仕掛けられた問題であったとしても、結果的に社会を騒がせてしまったことに、会長としての責任を感じていた。』
わけわかんないこと言っいぇるよな?アッタマおかしいんじゃないの?
言論出版妨害が何ものらに仕掛けられた隠謀?いい加減にしてくれよ!

484 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/06(土) 21:08

>>73藤川一正こと、藤原行正氏について。
彼は、創価学会による言論出版妨害の際、最初に弘達氏名に交渉に当たった。
にも拘わらず、この烈風では、「その他」に入れられてしまっている。
『ーーーまず、秋月英助(秋谷会長)らが、著者お藤沢達創(藤原弘達)や出版社の関係者に会い、内容につぃての申し入れを行ったが、そのどこに問題があったのだろうか?
秋月は、事前の話し合いで解決できるものならと考えて、行動したのであろう。
秋月らは、’あくまでも要請を伝えたにすぎず、その言い方も丁重であり、妨害の意図など全くなかった。
........
ということは、事実と異なる屈辱的なことを書きたい放題書かれ、名誉や人格が傷つけられることがわかっていても、事前には、なんの対応も出来ないことになる』
−−−−
(´○`; ポカーン...最初これ讀んだ時、「開いた口が塞がらなかった、
要するに、池田創価学会の主張ってのは、自分達は、やちたい放題、言いたい放題をして、回りは、暖かく見守っていて欲しいってんだろう?
お前等いいかげんにしろよ〜!(-_-#) ピクピク
大人の常識としてはだ!自分が何を公開の場で発言するかをチェックされるだけで、侮辱的なのだよ。
大人として、自分の発言内容に責任が持てるなら、何を言ってもいいのだよ。
1  発言が公共の利益に適っている
2  発言が事実にづいて、真実か
を基準に置いて原則的に何を言ってもいい。
もし、発言が真実でなければ、その人物は、社会的に葬り去られる。
池田創価学会は、民主主義社会に於いて、(責任がともなう言論自由がいかに重要かを結局は、学べなかったらしい。
道理で、聖教新聞紙上では、平気で人権を侵害する記事に溢れているわけだ!
ある人は、言論の自由を「何でもクッチャブル自由」と表現した。
>>78その通りだと思う。
藤原行正氏の回顧談は、次。

485 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/06(土) 21:39
藤原行正著 「池田大作の素顔」
p212
44年8月末、朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部dふぇ池田から一つの仕事を命じられた。
.....藤原君は、彼(弘達氏)とは、面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」
池田はいつもこの調子だった、
.................
私が東京世田ヶ谷の弘氏を一人で訪ねたのは同年8月31日の早朝だった。
...........迷惑そうな弘達氏と1時間ほど話し合った。
以下要約 要求したあ項目は
1  出版の中止(選挙が近かった)
2  題名の変更
3  出版の延期
4  事前、原稿のチェック
5  池田大作の名を本に登場させない。

486 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/06(土) 21:53
続1
最祖の二者会談は、不調¥に終わった。
「今度は秋谷も一緒に行け」池田は、同席していた秋谷にそう命じた。
続く

487 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/07(日) 06:57
続2
....マスコミ各社は藤原弘達氏が秘蔵する極秘テープ(弘達氏、行正氏、秋谷の三者会談)をめぐり、激烈な争奪戦を展開した。最後に「週間朝日」が凱歌をあげ、同誌45年3月20日号に掲載されることになった。
この予想外の事態に腰を抜かすほど仰天したのが池田大作であった。
学会側は発売と同時にこの号を10万部以上買い占めた。言論¥出版¥妨害の事実から一般会員の目をそらしてしまえ、というのが池田の狙いであった』
...このyぷに、池田創価学会は、露骨に愚民化策を進め、一般会員を無知の状態においた。
その為に、事実の捏造、歪曲、特定人物の抹消など、全体主義的支配体制の独裁者に相応しい方法を採用した。

488 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/07(日) 07:27
続3
続3
『....もし新刊書の「創価学会を斬る」を取り扱うなら学会系の潮出版社の刊行物をすべて引き上げることもありうるゾ。そんな脅迫めいた裏工作が九月中旬から連日展開されていた。
....池田一人が悪あがきを繰り返し、キズはどんどん深まっていったのである。.....池田は気を揉み、心配のあまり一種のパニック状態に陥っていた。
「おい、謝りに行こうかな」
....しかし、だれも返事をしなかった...その正論を口にしたら池田の怨みを買う。それはゴメンだ。
.....その場では彼は黙って聞いている。しかし、事件のほとぼりが冷めた三年後、五年後に必ず仕返しされるだろう』
...事件から30年余り、池田先生は「おらが春」を謳歌しているつもりなのだろうか/
関係者の大部分がこの世を去ったり、廃人になった今、言論出版妨害事件で舐めさせられた苦汁に対する復讐を=しているつもりなのだろう。
歴史事実がかくも露骨に、隠蔽、糊塗(こと)され、さらには歪曲された上に、登場人物の抹殺をやってのける「池田大作」。
ー−恥知らずというより、悪の権化。サタンそのものと言っていいかも知れない。
日本国民は、池田創価学会=公明党への厳しい監視の目を注ぎ続けなければならない。

489 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/09/07(日) 07:51
>登場人物の抹殺をやってのける「池田大作」。
多くの信徒の遺骨をゴミ袋に詰め(その数200袋ともいわれる)、大石寺の裏山に大きな穴を掘って捨てた日顕よりましだ。

490 名前: 昔学会員今法華講 投稿日: 2003/09/07(日) 07:54
>>489

ほんとか?
これを究明するのが先だな。これがホントならおれは法華講やめる。

491 名前: 末端の信者 投稿日: 2003/09/07(日) 14:53
>>489

どっちも誉められたことではないね。
というより、同じ穴のムジナチック。
つくづく情けないよな。日蓮聖人も可哀想に。
私もまずは完全な幽霊会員を目指そう。

492 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/07(日) 16:08
>>488
>恥知らずというより、悪の権化。サタンそのものと言っていいかも知れない。
これは、ちょっと言い過ぎでした。
池田先生の人権も尊重されなければなりません
書き直します

恥知らずというより、悪者。提婆達多(だいばだった)そのものと言っていいかも知れない。

493 名前: 名も無き行者 投稿日: 2003/09/07(日) 21:44
そんな!
提婆達多が可哀想!

・・・・あ、ごめんなさい。

494 名前: 昔学会員今法華講 投稿日: 2003/09/07(日) 23:19
>>489 調べてみたが、本当だったようだ。
ひどすぎる。法華講やめるとは言ったものの、本当はやめられないんだよ。
残念だ、これがお山の実態だったとは・・。今日は落ち込んだ。
学会を批判する言葉もでない。悔しい。情けない。

495 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/08(月) 00:41
>>493 名前: 名も無き行者さん
>そんな!
>提婆達多が可哀想!
..........
確かに。ーーこれは、「仏教の源流」スレで述べたかったが、歴史上の提婆達多は、釈尊の教団を、「戒律に関する」意見の相違の為に去ったに過ぎない。
提婆達多の教団は長く存在していたらしい。要するに、多様性や多元的意見の尊重は、古代インド社会では普通に行われていた。
そういう文脈で、大乗仏教が興隆し、法華経が誕生したのだ。
現代社会のキリスト教、イスラム教、ヒンズー教等を巡る、「妥協絶対拒否」の伝統は、そんなに古い習慣ではないようだ。
名も無き行者さんは、池田大作を歴史上の人物に例えるなら、どんな人物が相応しいと思いますか?

496 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/09/08(月) 09:19
>>492
>悪者。提婆達多(だいばだった)そのものと言っていい
これはどういう意味ですか?詳しく教えてください。
提婆達多は悪者と認識していたのですか?書き直したということは、ミスではないな。
>>495はごまかしだな。
うすっぺらな知識で知ったかぶりするからこういう墓穴を掘るのだよ、ガハハ。

497 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/08(月) 12:34
>>496
「名ナシ」でも何でもいいから、適当に名前考えてくれないかい?
少なくとも、私は、お前を「名ナシ」と呼ぶ。
>提婆達多は悪者と認識していた
だから〜、近年の仏教学の研究の成果は、釈尊を伝説上の人物ではなくて、実在の人物として、かなり、その実像がわかってきた。
これは、原始仏教経典などの上座部仏教が伝えてきた古い層の経典への、新しい視点が導入の為だ。
文献学の観点から、経典間の比較対称が行われ、どれが歴史的事実で、どれがフィクションなのか、かなり正確に想像できるようになった。
そこでわかったのは、
1  釈尊の人生は、比較的穏やかで、迫害など経験しなかった
2  寛容と尊敬こそが、釈尊の中心の教えであっやから、敵は殆どいなかった
3  釈尊は、教団のリーダーとしての立場より、求道者として、集団の一員に過ぎなかった
4  釈尊の没後、経典の結集が行われたが、その内のどれ程が釈尊自身の言葉なのか不確か。
5  釈尊自身、自分の言葉や考えを後世に遺すことに、あまり重要性を認めていなかった
---などの事がわかってきた。
したがって、#2の観点からすれば、釈尊に敵対する提婆達多の存在を仮定することは、無理があると思う。
提婆達多は、実際に存在してたらしいが、その存在は、釈尊の敵というより、教団経営の効率化の為の分派に過ぎないと見る方が自然だ。
分派すれば、当然、戒律も違ってくるだろう。
それを異端と、釈尊滅後の直弟子達が定義したのもあり得ることだった。
........
大乗仏教運動が盛んになるにつれて、その担い手である「菩薩達」と「長老派(直弟子の流れ)」の対立は深まっていった。
長老派の立場は、「あんなものは、仏教ではない。」として、無視。
一方、大乗仏教の担い手である菩薩達はひたすら本流の「長老派」を軽蔑し、攻撃した。
曰く「どんな人間も成仏できる。しかし、例外がある。それは、自ら釈尊の弟子を名乗る僧侶達だ」
「彼等は似非仏弟子であり、嘘をついているだけに、その罪は尚更深いのだ」
と言い立てた。(この現象は、創価学会が日蓮正宗僧侶を軽蔑していうのとソックリ!)

498 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/08(月) 13:01

ところが、北インドの霊鷲山(りょうじゅせん)を中心に変わった大乗仏教教団が形成されてきた。
彼等は、菩薩を中心にしてはいたが、構成人員はさまざまだった。
男女が混合していたし(以前は、別々)、癩病患者、身体障害者、子供、バカ、罪人、外国人、そして、僧侶も含まれていた!
彼等は、自分達には神通力がそなわり、釈尊と直接対話ができ、「火にも焼かれない」「水にも溺れない」そして終には、自分達の存在は、釈尊をも超えると言い出す始末であった。
彼等の中には、空想に富んだ物語り製作の天才もいた。
そこで、提婆達多という窮極の仏敵の存在を創造して、自分達の敵を造り出して、自分達を被害者とみたて、団結を鼓舞したのだ。
(これと同じ事を池田創価学会が行っている)

499 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/08(月) 13:18
>>496名ナシさん
>>悪者。提婆達多(だいばだった)そのものと言っていい
これはどういう意味ですか?詳しく教えてください。
...
池田先生の存在は、仏敵という意味で、「悪者。提婆達多」と定義したのだよ。
悔い改め、心から懺悔しさえすれば、池田先生も成仏できるという意味で、そう呼んだ/

500 名前: 名も無き行者 投稿日: 2003/09/08(月) 14:05
>>495
yurikoさん、私の軽口にレスありがとうございます。
>名も無き行者さんは、池田大作を歴史上の人物に例えるなら、どんな人物が相応しいと思いますか?
私は池田先生の事はよく知らないんです(ネット検索すれば大量に出てきますが、極端な悪口か極端に
神聖化してるか、或はスポーツ新聞ばりの下世話なニュース記事か)。
知っていることは「彼を知る人間たちの間であまりに評価が二分されてる事」ぐらいですか。
故にそれなりに有能な大物であるのは事実だろうと思います(新興宗教研究のサイトでは彼を出口王仁
三郎に例えていたが)。というのも大物でなければ叩かれる必然性もないからです。
少なくとも創価学会という団体において独裁的権力をもっているのは事実でしょうから権力掌握の手腕と
独裁的権力を維持する手腕は長けていると判断します(内部に反目する者も多そうですが)。判断材料は
これぐらいしかないので、これで見るならラスプーチン?
・・・・・やっぱりラスプーチンに失礼かなぁ?

>これは、「仏教の源流」スレで述べたかったが、歴史上の提婆達多は、釈尊の教団を、「戒律に関する」意見の相違の為に去ったに過ぎない。
「戒律に関する意見の相違」でサンガを去ったのですか。提婆達多の教団って割と苦行中心の修行を進
めた、ってなんかで読んだ覚えがあるんですが・・・・うろ覚え(涙

>>497-498
うわー、貴重な情報だぁ。

>分派すれば、当然、戒律も違ってくるだろう。
>それを異端と、釈尊滅後の直弟子達が定義したのもあり得ることだった。
これは十分考えられると思うんですよね。
して仏典(ジャータカ等)であんだけ敵視されてる、って事は提婆達多ってそれなりにカリスマのある人
間だったんじゃあ・・・って事も考えられますよね。

>この現象は、創価学会が日蓮正宗僧侶を軽蔑していうのとソックリ!
これ、実は私も同じ事考えてました。創価学会だけじゃなく正信会も大石寺の僧侶に見切りをつけ、自
分達で御書解読への研鑚を始め、ついに御書システムという画期的なものを誕生させるに至ってます。
表立って非難はしていませんが、少なくとも内心に侮蔑の思いはあるような気がします。
(とはいえ、仏塔教団起源説の在家菩薩万歳な思想を、逆にそういう気風に利用したのか?とも考えら
れるし・・・・うーん、鶏が先か、卵が先かの話になってしまうなぅ)

かなり興味深い情報を載せて下さっているのでじっくり読ませて下さい。
感謝しますm(__)m

501 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/09(火) 00:01
小説人間革命批判の趣旨とはちょっとズレるが、気になったことが一つ。
『わが忘れ得ぬ尊き同志たち』9ー2ー3003
『昭和54年、私の会長勇退が決まった会議には、都伎子(つきこ)さんも出席していた。
彼女は、臆病にして卑劣な幹部たちに「第三代会長を守り抜けと、戸田先生は遺言されたではないか!この意気地なし!」と怒り狂わんばかりであった。

502 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/09(火) 00:46

さらに日顕宗の隠謀が露になるや、憤然と反撃した。
........
「坊主どもが、人並み以上の生活ができるようになったのも、先生と学会のお陰ではないか。『不知恩の畜生』だけは、決してゆるすな!」
.....................
(´○`; ポカーン。池田先生得意の戦法で、自らは「汚い仕事」はせずに、他人に自分の醜い愚痴を代弁させている。
開いた口が塞がらないとは正にこのことだ。
自ら招いた会長引退ーーにも拘わらず、往生際悪く、回りの幹部に対して「八つ当たり」をしている。
みっともない。多数の会員に対して迷惑をかけたことに対して、「反省」の言葉一つない。
つくずく「反省能力の欠如」こそ、池田大作の人格そのものなのだ!
全く、それと同じ文脈でのこの新人間革命の言論出版妨害事件の記述がある。
その上で、生来、「坊主恐怖症」に罹っている池田先生は、「何でもかんでも悪いのは、坊主」とばかりに、悪口の言いたい放題。
この悲惨な人格は、未来永劫記録に遺さねばなるまい。

503 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/09(火) 01:19
 ★ yurikoさんヘ(遅くにホントゴメンなさいです)

>>497 >>498 とても、おもしろい。。。と思っちゃいました^^。

504 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/09(火) 01:33
>>502 yurikoさんヘ

ふと、思ったのですが「人革」は、先生の“想い”“誓願”“理想”etc…

では、ないのでしょうか?(一応は、小説ですからne)

完全犯罪のよーな気もします。(良い意味でのne)

505 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/09(火) 01:36
>>504(の補足です)

どうしてかと言うと

・・・後世に・・・永遠に・・・残すためだと思います。

(当たり前のコト)ですね。

506 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/09(火) 02:12
再び「小説?新人間革命批判」
烈風の抄では、言論出版妨害事件という創価学会=公明党のドン池田大作が引き起こした醜聞を扱っている。
ここでは、予想はされていたが、事実の歪曲、隠蔽。登場人物の抹消が露骨に行われている。
もし、21世紀の日本でこんな「バカげた不正」が、誰からも異を唱えられずに通るとしたら、正義は死んだと言っていい。
先に、藤原行正氏という、言論出版妨害事件のキーマンの一人が、歴史から抹殺されたことを書いた。
彼は戸田先生に直弟子で、青年部第七部隊長を経験。池田先生の弟分。その後、都議になった。言論出版妨害事件の折には、創価学会の地方本部長も務めていた。
そんな重要人物さえ、いともたやすく池田先生は、歴史から抹消したのだが、池田先生は、もっと残酷なこともやってのける!
それは、自分の息子の抹消である!
池田先生には三人の息子がいたのだが、その内、次男の城久氏は、父親の謗法の罰を直接受けて悶死した。
個人的には、「人が罰で死ぬ」というのは、迷信の類いだと思っている。しかし、池田先生自ら、第10巻で、胃穿孔(いせんこう)は、似せ御本尊製作の罪と規定しているから、それに従うしかあるまい。
「烈風47」では、三人の子供が登場している。
ここで、ちょっと驚いたのは、池田先生は自分のことを「パパ」と呼ばせていることだ。
当時、日本は、戦後20年足らず。
「パパ」というのは、元々中国語らしいが、バタ臭くて、一般的ではなかった。
どちらかと言えば、中流から上の家庭で使われていた。
朝鮮部落出身の池田先生が、そんな風に自分を呼ばせていたなんて不自然な気がした。
これは、郷ひろみが自分のことを「ダディー」と呼ばせていたこと以上に、事件である。
『人間にとって大切なことは、正義に生きるということだ。信念をまげないということなんだ。パパも、そうやって生きて来た。これからも、そうしていくつもりだ』
これは、まさに「偽善教育」そのものだ。
さらに、長男正弘=博正、
『凛々しい口調で言った。「広宣流布のために一家が難を受けることは、誇りだと思っています。
「ぼくも平気だよ」間もなく小学校6年生になる末っ子の弘高=尊寛も、口をとがらせて言った。
「そうか!獅子の子は強いな」』
(〃 ̄▽ ̄ヾ)あははっ♪. (〃 ̄m ̄) ̄m ̄) プッ( ̄m ̄〃)ププッ(* ̄m ̄*)プッ(〃 ̄m ̄)
何と言う悲惨な親子関係だろうか!こういう「偽善教育を受けた子供がどんな恐ろしい大人に’育ってしまうのか、考えるだに恐ろしい。
しかし、時既に遅し。彼等は、大人になって、父親とともに、悪臭をまき散らしている。
ここで、気ずくのは、次男城久氏が登場していない。
城久氏は、創価大学三期生。卒業後は、御学友グループなるものが結成されて、着々と世襲の準備が進められた程の、超大物だ。
それが、きれいさっぱり、広宣流布の歴史から消え去られた。
池田先生は、親の資格さえない、残酷な心根の持ち主なのだ。

507 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/09(火) 03:34
>>506
訂正
それが、きれいさっぱり、広宣流布の歴史から消え去られた。

それが、きれいさっぱり、広宣流布の歴史から消し去られた。

508 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/09(火) 03:59
>>504 LISAKOさん
>完全犯罪のよーな気もします。(良い意味でのne)
..........
私はLISAKOさんを傷つけてしまっただろうか?
(-_-;) m(_ _)m ごめんなさい。
でも、本当に悪いのは池田先生なんだよ。
私は、一部とはいえ、学会員からヒドイ目に遭わされた。
学会の本質には確かに「狂っている」部分もあるのだよ。
悪しからず。
良い意味での完全犯罪など存在しないよ。
というか、存在してはならんのだよ。
犯罪は悪いことだから犯罪と呼ばれるのだよ。まして、宗教家が犯罪なる手段を使ってまで、自説を宣伝するべきではないのだよ。
池田先生のやっていることは、あのオウム真理教の麻原のやった事と大して変わらないのだよ。

509 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/09(火) 15:37
>>508 yurikoさんヘ(レスありがとうございます)

私は・・・ぜ〜んぜん傷ついていませんよ♪(可愛く無いです)>私

学会の本質が狂ってるのではなくて、学会員一人ひとりの「自覚」が問題なのでは?
誰でも・・・生きて行く中で、色んな悩みや困難な壁にぶち当たったりする・・・。
でも、その困難な出来事をバネに、より強く前に突き進んで行こうとする・・・。

その「強さ」みたいな心の方向は“信心”でつくっていく。(その途中)
誰でも、目的を見失いそうにもなります。(ってゆーか私のコト)
毎日、挑戦して行こう!って自分に負けないように。

何が言いたいのか自分でも、あれっ?て感じなのですが。
もともと、「狂ってる」性質を持った人の集まり= 学会に入る(改善されたいから)
決め付けはしませんが。そー考えるコトもあります。

だから、私はオカシイなと思う学会員(幹部でも)には、
「もともと、この人って?どんな性格で、どんな人付き合いをしてきたのだろ?」
とか、分析みたいなコトしてます。賛同は出来ないコト多いけど・・・絶対に攻撃的には
攻めません。逆にチョコットくすぐって仲良くなって「不安なトコロ訴え」ます。
その時の私は「嘘つき」です。本音では・・・真逆なコトが心をよぎっているのに・・・
仲良くなる為の「手段」として、まず相手の「心」を覘きたいのです。

コレとソレとは違いますが・・・私は嘘つきですが、自分ではアリ☆だと思っていますっ
てコトが言いたかったのかなぁ・・・と。思います。
ちなみに。。。私も今から頑張る人です♪ ダメ出し>自分

  (PS 長々と一人よがりみたいなレスでスミマセンでした)

510 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/09(火) 17:05
>>509 LISAKOさん
( ゜゜)( 。。)( ゜゜)( 。。) うんうん 言っていること、わかる気がする。
確かに信仰を求めて創価学会に入会してくる人達の大部分は、自分に何らかの問題があって、それを変えたくて入会してくるわけだよね。
だから、信仰の結果ある程度宿業を転換しても、その余韻は残るわけだよね。
例えば、借金がかさんで、結局個人破産をしても、一件落着ではない。
その人が、金を使う習慣を根本的に改めない限り、また借金で苦しむようなものだよね。
だから、学会の幹部の人格がおかしいと批難しても何の解決にもならない。
自分の宿業を変えていかない限り、同じ問題は付いてまわる。
日蓮大聖人は、一生成仏抄の中で、「隣の住人の金をいくら数えても決してふえないように、自分の宿業を見詰めなければ、宿業を転換できない」(趣意)と仰っている。
私も決して、創価学会を批判すすることで、自分の問題を解決しようとしているわけではない。
ただ、現代人の一人として、なるべく冷静な目で、「一体何が自分の回りで起きているのか」を観察していきたいと思っているだけだ。
知識は力になるし、考える材料を提供してくれる。

511 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/10(水) 00:35
人間革命批判ーー楽しくてしょうがない。なぜなら、一人でも迷える創価学会員を救えることになるからだ。
聖教新聞の一貫した論調の特徴ーー正義。
ところが、実際は、この団体程悪逆な団体はない!
白を黒、黒を白という倒錯した世界に居乍ら、誰もそれがおかしいといわない。
マインドコントロールと一言では済ますことができない。
私達は、歴史を振り返るとき、「何故、あの時代の人々は、政府の悪逆に反抗しなかったのだろう?」と思うことが屡ある。
しかし、その場に居れば、巨大な流れに押しながされざるをえないのだ。
そこに、大衆運動の気味の悪さがある。
大衆運動の一大特徴は、マスプロパガエション−ー大衆の心理操作だ。
創価学会は、そこに目を付けた。
明らかな嘘であっても、それを何度も何度も繰り返されると、それが真実のような錯覚を起こしてしまうのだ。
そこで「聖教新聞」にお果たして来た役割は大きい。
その中でも、小説人間革命は中心的役割を担ってきた。
人間革命批判こそ、創価学会という偽善の虚悪を倒す端緒となる筈である。

512 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/10(水) 00:55
新人間革命批判
私は、大阪事件の偽善性について既に批判したが、池田大作の耳には全く、その声はとどかなかったようである。
池田先生は、執拗に大阪事件が自分に向けられた「迫害」としている。
しかし、実際は、池田先生の無責任な行動によって引き起こされた事件であって、戸田先生さえも逮捕される寸前までいった。
池田先生の罪を認める完全な全面自供によって、有罪は確実視されていたが、石田氏の機転によって、事無きを得た。
この事件は、学会史に泥を塗る「恥」であった筈。
それを反転させて、学会の受けた名誉ある法難と位置ずけ、池田先生は偽善者としての真骨頂を示した。
そういう「不名誉な」歴史を池田先生は執拗に隠蔽しようとしている。
次にその箇所を書き込む。

513 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/10(水) 01:23
新人間革命 大河では、主に言論出版妨害事件を取り扱っている。
この事件は、創価学会が引き起こした「民主主義への挑戦」といえるものだ。
民主主義の何たるかを全く理解できていなかった池田先生は、その無教養故によって、考えずに行動してしまった。
すなわち、「自分にとって気に入らぬこと」には耳を貸さないで澄むと思っているのだ。
何とも呆れた無責任体質だ。
『1957年7月、山本伸一が選挙違反という無実の罪を着せられ、逮捕されるという弾圧事件が起こった。
「大阪事件」である。
そこには、社会の変革に立ち上がった、創価学会という民衆勢力の台頭を阻もうとする、国家権力の意図が働いていた。←((⌒‐⌒) 嘘をつけ!)
以来、伸一は約4年半にわたって裁判闘争を続け、62年1月、無罪判決を勝ち取るのである』
かように、ここの人間革命の章では、言論出版妨害事件という凶悪事件を正当化する為に事実を歪曲しただけに止まらず、ついでに大阪事件をも再度正当化が図られている。
こうして嘘を繰り返すことによって、読者はなんとなく「そんなものかな?」と思ってしまうのである。
恐ろしいことである。

514 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/10(水) 02:12
訂正>>513
すなわち、「自分にとって気に入らぬこと」には耳を貸さないで澄むと思っているのだ。

すなわち、「自分にとって気に入らぬこと」には耳を貸さないで済むと思っているのだ。

515 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/10(水) 02:37
>>510 yurikoさんヘ(遅くにゴメンなさい)

レスありがとうございました。
私は、もっと知識を身に付けて頑張らないとダメだなと思っています。
yurikoさんと私は・・・池田先生に対する想いは違いますが・・・。
色んなコト・・・とても考えさせてもらってます。
これからも、どーかヨロシクです♪ 頑張りますから・・・^^☆

516 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/10(水) 05:36
>>515 LISAKOさん
>頑張りますから・・・^^☆
.........
(o_ _)o ドテッ!(+_+) 気絶中。
何を頑張るんですか?
こういうのって、「暖簾(のれん)に手押(てお)しするみたい」って言うんじゃなかったけ?

517 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/10(水) 08:21
>>198
大阪事件についての所見。

518 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/12(金) 04:21
参考
言論出版妨害事件>>76,>>77. >>78
池田先生次男城久氏の悶死>>85

519 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/12(金) 04:37
>>518
池田城久氏の悶死>>85>>86>>87>>88

520 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/13(土) 17:17
>>516 yurikoさんヘ

(暖簾に手押し・・・でゴメンなさいdesu)
色んなコト、「学ぶ」を頑張ろうと思います。

521 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/09/14(日) 18:10
私もyurikoさんのお話をうかがい、学会で頑張ろうと思います。
これからもどうぞよろしく。

522 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/15(月) 10:51
新人間革命が言論出版妨害事件をどう描くか楽しみだった。
案の定、池田先生は、私の期待応えてくれて、偽善、歪曲、嘘、塗り替えに満ちた記述をしてくれた。
ありがとうございました。
実をいうと、この時期(八月)私にはもう一つ楽しみにしていたことがある。
それは、言わずと知れた「池田先生入信記念日」だ。
この日こそ、日蓮正宗は勿論、創価学会にとっても、永遠に続く悪夢の始まりだ。
実をいうと、このスレを立ち上げたのは、その「悪魔誕生の日」を暴きたかったのである。
SGIさんの協力のお陰で、大きな成果があげられた。
創価学会では、池田先生は「嘘つき」が常識となりつつある中、池田先生は、なおも(自分の入信に経緯に関して)嘘をつきけ続けるのだろうか?
随筆新人間革命を読むのが楽しみだ。
もし、既に読んだ人が居るのなら、その感想を聞かせて下さい。

523 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2003/09/15(月) 15:52
>>383
>宣正院浩徳日基大居士

少々不謹慎ですが思わず「おっ、なるちゃん?」ってマウスのホイールを止めてしまった。
浩宮徳仁親王、愛称なるちゃん。
先日、生まれて初めて「さざれ石」なるものにさわった。横レス失礼。

524 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/15(月) 16:31
SGIさん
このような匿名性の高い掲示板で、あまり素性が明らかになりそうなことをお聞きするべきでないのでしょうが、敢えて。
SGIさんは、言論出版妨害事件が発生した時は、何処にいらっしゃいました?
事件の概要とかを知りうる(直接でなくとも)立場にいらっしゃいましたか?
もし、そうなら、池田先生が病気を装おうとして、箱根の研修所で、風呂に何度も入っては、体温計を計っては、「唸されていた」というのは本当の話ですか?
新人間革命では、未来部の代表が池田先生の囲んで、懇談会が開かれたとだけ掲載されとりましたが、その時、池田先生は子供達に「仇を取れ!」(池田大作の素顔)と指導?していたのは本当ですか?
いずれにしても、池田大作という男ーーとんでもない奴だと思うのですが、如何でしょうか?

525 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/09/15(月) 17:11
>池田大作という男ーーとんでもない奴だと

いいかげんにしろ!yyurikoよ。個人を呼捨てにするなと味方のアンチからも注意があったばかりじゃねーか。
テメーがそういうのなら、こっち側もいうぞ!

日顕という男のとんでもない部分をいってやろうか?
日顕というとんでもない男は、なんでとんでもないかというと、相承を受けてない。
なぜかというと、証人がいない、日時を特定できない、そしてそして肝心の相承箱がない。
こんなとんでもない奴が法主の座にいるとは、日顕はホントにとんでもない男だ。

こういうのを遊び人の腐れ坊主というんだ、覚えておけよ!
だから法華講のみんなは不幸になっているじゃねーか。周りを見渡してみろ。
じゃあ、邪魔したな。

526 名前: 渡辺ユウジ 投稿日: 2003/09/15(月) 19:03
日顕はくだらない淫乱坊主だ、とんでもない奴だ。
早くくたばればいい。

これはyurikoの口真似だからな、言っとくけどよ。
くたばりぞこないの日顕。恐喝野郎の山友。ガセネタ屋の乙骨。みんなくだらねー野郎達だ。
yurikoが減らず口たたいているあいだ、こっち側も応戦する。野郎が地べたにひれ伏して謝罪してやめればやめる。

527 名前: Leo 投稿日: 2003/09/15(月) 22:30
>522 yurikoさん、こんばんは。

>実をいうと、この時期(八月)私にはもう一つ楽しみにしていたことがある。

八月二十四日のことと思いますが、すでに九月になってしまいました...

>創価学会では、池田先生は「嘘つき」が常識となりつつある中、池田先生は、なお
>も(自分の入信に経緯に関して)嘘をつきけ続けるのだろうか?

yurikoさんに以前下記資料(名誉会長の入信動機を含む)を紹介したことがありましたが、
読者の便宜のためここに再掲および抜粋しようと思います。

指導者の実像
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note007.html
(『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』 河出書房、1956年)
 后〜浪然慍顱。邸蔽法

《真実》
「南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しな
ければいけないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかた
がない。」

「それでお題目を唱えろということでしたが、はずかしくてしかたがなかったのです。」

「それから御本尊をお下げするという話で、私は三〇分間ほどいりませんとがんばったん
です。すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました。」

「家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私
の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南
無妙法蓮華経と口をついて出ました。」

「それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。前の信者
さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的
に弾圧される。その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよい
と考えました。」

「二年目に「立正安国論」の講義を聞いてから、よし、よい勉強しようと考えるようにな
りました。」
(『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』 河出書房、1956年、pp.57-59)

《虚飾》
「第2代会長はの確信に満ちた言葉は、確固たる「人生の哲学」と「師」を求め続けてい
た名誉会長の心に、深く刻み込まれました。
 爐海凌佑了愼海覆蕁⊆分は信じられる!瓠
(「シリーズ 『新会員の友のために』 第12回」 『聖教新聞』 2002年4月25日、p.4)

528 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/16(火) 01:40
>>525
>日顕というとんでもない男は、なんでとんでもないかというと、
>相承を受けてない。なぜかというと、証人がいない、
>日時を特定できない
...........池田大作のことを呼び捨てにして、気分を害させてしまったようだ。
申し訳ない。謝る。以後気をつける。
しかし、お前(名無しだから、何と言うべきか?)の主張は難癖に過ぎない。
もう古い話だ。
1 相承の証人
これは、何人もいる。
それを後づけと批難することは容易い。
しかし、日顕上人の得道されてからの、経歴は素晴らしく、誰も異義を挟めるものではない。
何より、創価学会は今になって、日達上人を持ち上げ、恰も上人が全面的に創価学会を支持していたように装っているが、実際は、上人が一番、厳しく学会を諌められていたことは、数々の資料が裏付けている。
日達上人の晩年、自分の健康状態が思わしくなかったら、相承の準備も当然していただろう。
もし、それを怠っていたというなら、学会は、日達上人をも貶めていることに気ずくべきだ。
日達上人が、創価学会の小ずるさを熟知していたからには、後で憂いを招くようなことをなさる筈がない。
2 日時について
相承は、師弟相対を根本にして、非公開で行われる。
創価学会がとやかく言う筋合いではない。
宗教法人として独立しているのだから、その団体としての規則は尊重されなければならない。
創価学会風に言えば、自分達が絶対に及ばぬ領域故の「嫉妬」からの難癖である。

529 名前: ??? 投稿日: 2003/09/16(火) 01:41
命令して欲しいの!
http://angely.muvc.net/page001.html

,. -‐''' ー- 、ヽ‐---、::::::::\ ヽ、 i、
        / ´ ̄  ̄``ヾ lヽ、`'ー゙::::::::::::::;> Y′ お願い、、はやくぅ・・・・・
 ト、   /            `ヾ、=;r‐<´ヽ. ヽ.l、
-'ー゙-v':   ゙´ ̄ ミ =ミ:.、. 、\.\ヾ゙;、 ヽヾヽ |
 」::--三'      ミ: 、 >、ミ;、ヽ ヽ. ヽヽト、 lハヽ|
,..<,r:'´        、/;;r:''"ヾ;ト、ヽ.ヽ ヾ;ト、.`             ,. -_;'ニニ;_ 、_
::://,      ヽ、ベ、ミ;''ヽ;、__ノ;ゝl; ヽl」Lヽ〃rへ;_>=-‐‐.、  /./       `ヽヽ、_
::l// ,'    ヽ、 ヾ;ヽ   ``'´ /,>‐''" ̄__,,.. --‐''"У/::.           ヾー-`'=ー-、
//.! |. ,   ヽ,.ヽト、,、      // ,.r '' "´    ̄ ̄ , イ ./:::::.:.           i     `ヽ.\
|:! .| .!i l  、 :ヽト、!l'゙`ヽ,ヽ / /   /    ,     ,.-‐/ / //:::::.           |      ゙、.l
  ハ レl ',   \ヾミヽゞ=イ   /  ./   ./   | ./´ ./.' ! |,'::::::::.:.           /       l l,
 /ハVい、 ':, `ヾミ、ー>-‐:| ./   /  /_|/  /  | j'::::::::::.:.         .,.イ:::.       .! |
 !.| |`トlヽヽ ヽ  ヽ`ヾ:;\| /  ,.'  //   |  ,'   .l ,'::::::::.:.:.        .:/:;::i::::.:.        | |
 |.ハ. l ',.', \ヽ,ヽ   `:.、 \〈  / _,. イ /   .|  !   ,' !::::::::.:.:.        .::;' / ノ::::.:.      i ,'
   ヾ、い  l::::/ヽ、  `ヽ、`j./´  / ,′  |  |  ,' .|:::::____        |:/::::.:.:       / |
     ヽヾ;、、l;ハ、-`ヽ、.  l   ノ /    .l  l. | .,'  「-―‐ ''"´二二二`' ー‐ - 、 __    / .l
      \ヽ-‐ヽ   ```` i / /  .,'  l、_ | .| .l  7"``::ー--===:;_三二_`'_ー-=`>-,イ

530 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/16(火) 02:59
>>527 Leoさん
..........いつも資料の提供感謝しています。
Leoさんは、創価学会員でしたっけ?
私は、正直、創価学会員のことを尊敬しております。
創価学会の存在が無ければ、日蓮大聖人の仏法は廃れて
いたと思います。
歴代上人が創価学会の存在を絶賛していたのも当然だったと思います。
日淳猊下も仰っていたように、末法の世に創価学会が誕生し、発展したのは、不思議だし、必然だったと思います。すべては、日蓮大聖人の魂魄を留めた大御本尊の大利益だと思うのです。
その大御本尊を700年に亘って護り伝えてきた日蓮正宗、とりわけ代々の御方趣主猊下への、報恩感謝は決して忘れてはならないと思うのです。
ところが、池田先生の最悪の欠点は、この報恩ができなかった点にあると思うのです。
藤原行正氏(池田大作の素顔)によると、池田(先生)は、青年時代、「天下と取ろう」が口癖で、その目的達成の為には、どんな手段も取るーー日蓮正宗でなくてもよかった。
と言っております。
藤原氏によれば、池田先生の口癖は、「嘘も百編言えば本当に」だったそうですが、俄には信じ難いことです。
もし、こんな奴が自分の回りにいたら、私だったら付き合いません。こういう奴は、詐欺師の類いであって、信用できないからです。
yはり、人間には、どうしても犯罪者的気質を不幸にも持ち合せてしまった人間が居ると思います。
気の毒とは思います。
しかし、私には、伺い知れない世界です。
残念なことに、世の中には、しばしば、「犯罪を犯しても。良心の呵責を一切感じない」という種類の人間も存在しているのです。
そういう人間が、時折、社会の指導者や教育者になるから、問題は複雑になるのです。
「人間の良心と罪悪感」ーーこれは、あまりに大きなテーマです。(「マイコン」のスレッドで扱った方がいいと思い居ます。)
池田先生は、ドストエフスキーについてもスピーチしたことがあると思います。
彼の作品の大きなテーマが「罪と罰」でした。
池田先生は、やぶん、いつものように茶坊主に下調べをさせたせいで、自分ではろくなことを学ばなかったに違い無いです。
「火事だ〜!」と最初に騒ぎ出す奴が、屡放火犯であるように、「嘘をつくのはよくない」と説く、宗教家が詐欺師であるのも珍しくありません。
池田先生の人格を一言で言い表わすなら、「三百代言」だと思います。
『三百代言」=辻褄が合わないことを強引に言い包める人。(広辞苑)

531 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/16(火) 03:18
訂正>>530
その大御本尊を700年に亘って護り伝えてきた日蓮正宗、とりわけ代々の御方趣主猊下への、報恩感謝は決して忘れてはならないと思うのです。

その大御本尊を700年に亘って護り伝えてきた日蓮正宗、とりわけ代々の御法主猊下への、報恩感謝は決して忘れてはならないと思うのです。

532 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:22
>>525 名無しさん

> 日顕というとんでもない男は、なんでとんでもないかというと、相承を受けてない。

 「唯授一人血脈相承論」というのは後世の作り話です(日蓮や日興の考えとは無関係)。

  初期興門教学には「唯授一人血脈相承論」などなかった(小林正博)
  http://page.freett.com/Libra0000/098.html

533 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:22
>>526 渡辺ユウジさん

> yurikoが減らず口たたいているあいだ、こっち側も応戦する。野郎が地べたにひれ伏し
> て謝罪してやめればやめる。

 そのような行為は「浅ましき事」だとおもいます。

  「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 3 ](No. 809〜)
  http://page.freett.com/Libra0000/kangaeyou_03.html#809

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自賛気なる体・人目に見すべから
  ず浅ましき事なるべき、弥身口意を整え謹んで主人に向うべし主人に向うべし

  (「教行証御書」、学会版全集、p. 1283)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  三 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。
    かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むこ
    とがない。

  四 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。
    かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息
    む。

  五 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息
    むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

  (中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)、岩波書店、
    1978年、p. 10)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  折伏は慈悲が根本(Libra)
  http://page.freett.com/Libra0000/z004.html

534 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:24
>>528 yurikoさん

> しかし、日顕上人の得道されてからの、経歴は素晴らしく、誰も異義を挟めるものでは
> ない。

 わたしが知るかぎり、阿部信雄さんは学者としてはまったく評価されていないようです。
たとえば、宮崎英修先生などは、阿部信雄さんの論調を「責任のない無根拠の小児的主張
にのみ始終している」といわれていますが[注]、これと反対の評価をわたしは知りません。

  [注] 「五人所破抄見聞」は妙蓮寺日眼の著作ではない(宮崎英修)
      http://page.freett.com/Libra0000/102.html

535 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:24
>>530 yurikoさん

> ところが、池田先生の最悪の欠点は、この報恩ができなかった点にあると思うのです。

 「大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者となら」なければなりません。わた
しは、池田名誉会長が「仏法をならひきはめ」ているとはおもいませんので、その意味で
は、池田名誉会長は「報恩ができなかった」というのは正しいとおもいます。
 いっぽう、「仏説に証拠分明に道理現前ならんを用」いて「仏法をならひきはめ」よう
とすれば、「伝統的な大石寺教学の齟齬」に気がつくのは必然なので、「より開かれた、
より説得力のある、普遍的な教義体系を確立していく」ことが真の報恩だとおもいます。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  いかにいわうや仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜん
  には必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか、(中略)仏法を習い極めんと
  をもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをもはば父母師匠国主等に随い
  ては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母師匠等の心に随
  うべからず

  (「報恩抄」、学会版全集、p. 293)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは真実報恩の者なり」等云云、比干が王に随
  わずして賢人のなをとり悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。

  (同上)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ、悉達太子は
  閻浮第一の孝子なり父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか、比干が親父紂
  王を諌暁して胸をほられてこそ賢人の名をば流せしか

  (「下山御消息」、学会版全集、p. 364)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  汝若し知恩の望あらば深く諌め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事佞臣の至
  り不忠の極りなり

  (「聖愚問答抄」、学会版全集、p. 493)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  本よりの願に諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからずいづれも仏説に証拠分明に
  道理現前ならんを用ゆべし論師訳者人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん、又
  法門によりては設い王のせめなりともはばかるべからず何に況や其の已下の人をや、
  父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず、人の信不信はしらずありのままに申すべし
  と誓状を立てしゆへに…

  (「破良観等御書」、学会版全集、p. 1293)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

536 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 10:25
>>531 yurikoさん
> その大御本尊を700年に亘って護り伝えてきた日蓮正宗、とりわけ代々の御法主猊下
> への、報恩感謝は決して忘れてはならないと思うのです。

 日蓮が残した「大本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。優劣があると考える人が
もしおられるとすれば、その人は「大本尊(曼荼羅)」の内容を理解していないのだろう
とおもいます。

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://page.freett.com/Libra0000/107.html

  同一理に支えられた同一相貌の御本尊は同質同体(浅井円道)
  http://page.freett.com/Libra0000/099.html

  「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 3 ](No. 780〜)
  http://page.freett.com/Libra0000/kangaeyou_03.html#780

537 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/16(火) 19:07
>>534 Libra@三世さん
>わたしが知るかぎり、阿部信雄さんは学者としてはまったく評価されていないようです
.........君の「知っている限り」など、どうでもいいのだよ。
池田先生みたいに、「誉められさえすれば」何でもやるという手合いは少数派だよ。
>宮崎英修先生などは、阿部信雄さんの論調を「責任のない無根拠の小児的主張
......宮崎って誰?
>どうせ、創価学会お抱え、「提灯持ち」「女郎」学者の類いだろう?
『責任のない無根拠の小児的主張』などと平気で言える底意地の悪さに唖然とするよ。
なんの根拠もなしに、そう決めつける態度こそ小児的というんじゃないかい?
同じように、上人の評価を一方的に下した例おして、聖教新聞にはかつて、現役の精神科医を登場させた。そして、勝手に日顕上人の精神分析をしていた。
人権侵害だ。医者の倫理に悖る。
木陰から石を投げつけるくらいしかできない奴等ばかりなのが、創価学会の実体なのだよ

538 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/16(火) 19:21
>>536 Libra@三世さん
>日蓮が残した。「大
本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。
スピーチレスだよ。
君が池田教に洗脳されている限り、どーしょうもない。
日蓮大しょうにんは、「本尊はすぐれたるを用うべし」とおっしゃっているように、何を自分が根本崇拝していくか大事に決まって居るだろう?
何を本尊としていくがで、その人の人生の方向性を決めてしまう。

539 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 19:29
>>537 yurikoさん

> >わたしが知るかぎり、阿部信雄さんは学者としてはまったく評価されていないようです
> 君の「知っている限り」など、どうでもいいのだよ。

 もっともなご意見だとおもいます。わたしはまったく無知ですから。もし、yurikoさん
がご存知なのでしたらぜひご教示いただければさいわいです。

> 池田先生みたいに、「誉められさえすれば」何でもやるという手合いは少数派だよ。

 この部分は、わたしの主張とはまったく関係ありませんね。

> >宮崎英修先生などは、阿部信雄さんの論調を「責任のない無根拠の小児的主張
> ......宮崎って誰?

 日蓮宗の有名な学者さんです。

> >どうせ、創価学会お抱え、「提灯持ち」「女郎」学者の類いだろう?

 ちがいます。

> 『責任のない無根拠の小児的主張』などと平気で言える底意地の悪さに唖然とするよ。
> なんの根拠もなしに、そう決めつける態度こそ小児的というんじゃないかい?

 間接的にではありますが、根拠は示されているのではないかとおもいます。もっとも、
その根拠が妥当であるかどうかは、阿部信雄さんが書かれた「立正大学図書館長宮崎英修
氏の妄説誹謗を破す」という文献を読んで判断するしかないとおもいます。この文献につ
いてはわたしも未見ですから、その根拠の妥当性には興味があります。可能であれば、ぜ
ひ、yurikoさんに読んで頂いて、宮崎英修先生の「妄説誹謗を破」していただければとお
もいます。

> 同じように、上人の評価を一方的に下した例おして、聖教新聞にはかつて、現役の精神
> 科医を登場させた。そして、勝手に日顕上人の精神分析をしていた(後略)

 この部分も、わたしの主張とはまったく関係ありませんね。

> 木陰から石を投げつけるくらいしかできない奴等ばかりなのが、創価学会の実体なのだよ

 創価学会にはたしかにそういう人が少なからずおられます。しかし、そういう人ばかり
ではないとおもいます。

540 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 19:41
>>538 yurikoさん

> 君が池田教に洗脳されている限り、どーしょうもない。

 根拠を示して反論していただきたかったのですが、「スピーチレス」なんですか。ざん
ねんですね。しかし、わたしのことを「池田教に洗脳」されているとおっしゃる方はかな
り珍しいとおもいます。

541 名前: 名も無き行者 投稿日: 2003/09/16(火) 20:02
横レス本当に失礼します。
>わたしのことを「池田教に洗脳」されているとおっしゃる方はかな
>り珍しいとおもいます。
うん・・・・びっくりした(汗

Libraさん、独り言スレでのレス、本当にありがとうございましたm(__)m
まさか訳者の方に直接連絡を取って頂けるとは思ってもいませんでした。
感謝致しますm(__)m
ゆっくり読ませて頂きますね。

昨日「批判的合理主義」買ってきました。少しずつ読み進めていきます。

542 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/16(火) 20:25
>>541 名も無き行者さん

> >わたしのことを「池田教に洗脳」されているとおっしゃる方はかな
> >り珍しいとおもいます。
> うん・・・・びっくりした(汗

 自己正当化のためにどんどん物語(作り話)を創作してしまえるというのは、「唯授一
人血脈相承論」とか「宗祖本仏論」とかとまったく同じ精神構造のなせるわざなのかもし
れないですね。もっとも、yurikoさんの場合には、「なんの根拠もなしに、そう決めつけ
る態度」でおっしゃっておられるのではないようでしたが(>>537)。しかし、どういう
根拠だったのでしょうかね。

> Libraさん、独り言スレでのレス、本当にありがとうございましたm(__)m
> まさか訳者の方に直接連絡を取って頂けるとは思ってもいませんでした。

 小河原先生はHPをもっておられますし、メールアドレスも公開されています。ただ、
お忙しそうなご様子だったので、少し申し訳ない気もしました。

  小河原 誠のHOME PAGE
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~kogawara/

> 昨日「批判的合理主義」買ってきました。少しずつ読み進めていきます。

 そのうち、「批判的合理主義」のスレッドでも立てましょう。いまはまだ無理ですが。

543 名前: みれい 投稿日: 2003/09/17(水) 00:24
yurikoさん、
私のHP(リンク集といってもいいかも。簡易です)からLibraさんのHPも観てください。

あと、他にもHP持っていらしたら、リンクご参加ください。

http://members.goo.ne.jp/home/pianissimo-pp

544 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 02:40
>>539 Libra@三世さん
そもそもスレ違いの場所で、長ったらしい議論はしたくない。
でも、レスを送って下さったことには感謝したい。
そこで、簡潔に述べる。
>日蓮宗の有名な学者さん
.....(^^ゞナヌ?
信仰の違ったものが、完全に客観的立場で、教義に関しての勝劣を云々できるわけないだろう?
池田学会が、日顕上人の書写した御本尊を「魔物が棲む」と言って焼却したり、日蓮宗の人間がコレクションの一部としても、不思議でも何でも無い。
また、江戸時代隠れキリシタンを見つける為に、マリアとイエスの絵を踏み絵させても、役人は何とも思えってなかった。しかし、真のキリシタンであれば、命を懸けても「してはならないこと」だった。
ひろさちや氏が、そのことに関して面白いエッセーを食物のタブーに絡めて、述べている。
それと同じ文脈で、池田大作が長い信仰歴にも拘わらず、猊下に対して、一度たりとも「合掌礼」すらしたことがないというのは、今更驚くべきことではない。
信仰心が全くない日蓮宗の学者が、日顕上人が書かれたものを評価できなくても、当たり前だよ。
日蓮大聖人は、御自分が顕わされた御本尊に関して、境界の違いによって、それを仏の当体と見れるかどうかがかかっている、という意味を仰っている。
その御本尊と一体不二の上人と見れるかどうかは、誰も強制できないよ。
信仰心のない者との議論は成り立たないと思うけどね。

545 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 02:58
続1
信仰心とは、自らの意志で獲得した「マインドコントロール」と言ってもいい。
英語で言えば、choiced selfaffermation--積極的自己肯定とでも言える。
赤ん坊が、母親が与えられた乳に毒が入っているかごうか疑うだろうか?
毎朝通勤電車に乗る会社員は、毎回、「この電車はきちっと目的地に行くか」を悩むだろうか?
宗教における信仰も同じ次元で考えられないだろうか?
足裏診断に大金を払った信者を我々はバカにできるだろうか?=否である。
日顕上人が顕わした御本尊にのみ功徳が具わると説く日蓮正宗の教義ーー信者にとっては当たり前だ。
日蓮宗の学者の言い分なんて興味ないよ。

546 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 03:24
かつて、創価学会の掲示板でちゅうたさんの言っていたことで、興味深く心に刻んだことがある。
それは、彼が子供の頃、家で小火騒ぎがあった。
深夜、家族の者は独り残らず避難した。
ところが、「じっちゃん」が突然、「御本尊様を取りにいかねば」と、火がきすぶる中、取りに帰ったという。それを見て、幼いちゅうたさんは、「御本尊様は命に代えても護らなければならないのだ」と心に刻んだという。
この「じっかん」の持っていた信仰心は、かつて創価学会員なら誰しもが持っていたものだった。
一方、現在の創価学会。
積極的に御本尊を回収しては、粗末な作りの偽御本尊と交換しているという。
交換された御本尊は一体も正宗寺院に返還されていないばかりか、焼却処分にされているという。
隔世の感がするが、こうした行動は、創価学会員の人間としての根本的な部分が崩壊している証明だと思う。
根本的な部分とは、1  正直に生きる心
         2  他人の心の痛みを感じること
         3  人と人の繋がりを信じ、大事にすること
         4  その人の依って立つ思い出を大切にすること
などだと思う。

547 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 04:49
訂正
>>546 yuriko
>この「じっかん」の持っていた信仰心は、かつて創価学会員なら誰しもが持っていたものだった。

この「じっちゃん」の持っていた信仰心は、かつて創価学会員なら誰しもが持っていたものだった。

548 名前: yuuuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 05:11
>>536 Libra@三世さん
A>日蓮が残した。「大
本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。
スピーチレスだよ。
君が池田教に洗脳されている限り、どーしょうもない。
>>540
>
>わたしのことを「池田教に洗脳」されているとおっしゃる方はかな
り珍しいとおもいます。
.........
君が、Aと主張したことが、完全に池田創価学会的なのだよ。
だって、池田創価学会だけが、それを言い出したのだよ。
宮崎某の書いたものに目を通してはいないが、あまりにいいタイミングで出て来た妄節なんじゃないかい?
これは、池田創価学会に洗脳された上での発言としか思えないけどね。
君とい宮崎某の関係はわからない。
でも、一方的にある人間の説を支持するのは、あまりに主体性がないんじゃないかい?
Libra@三世さんの体験に則して語ってくれないかい?
それとも、一度も信仰を持ったことがないのか、本尊を持たない宗教の信者なのかな?
それは、立場の違いでしょうがないよね?
(-.-)y-゜゜゜ いっぷく(*私は嫌煙者だけど)

549 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 05:16
訂正
>>548
宮崎某の書いたものに目を通してはいないが、あまりにいいタイミングで出て来た妄節なんじゃないかい?

宮崎某の書いたものに目を通してはいないが、あまりにいいタイミングで出て来た妄説なんじゃないかい?

550 名前: ドプチェク(Liye31iI) 投稿日: 2003/09/17(水) 05:26
yurikoさん Libraさん みれいさん ワンダラーさん 経悟空さん 非活動1年生さん


yurikoさん、こんにちわ。
Libraさん、お久しぶりです。

お二人の議論、個人的には大いに興味がありますから、これからも色々とお話していただきたく思っております。
ところで、御本尊や日蓮系の宗派の違いに関する事はさて置き、横レスさせていただきます。

>>545

>信仰心とは、自らの意志で獲得した「マインドコントロール」と言ってもいい。

「マインドコントロールについて」のスレッドの378で述べましたが、信仰者にとっては大なり小なりの一方的な思い込み、狂信に陥らない程度の自己暗示・催眠作用の類が必要なのでしょうかね?
私は最近、信仰というものが次第にわからなくなって来て、「信仰とは、仏教とは、法華経とは、日蓮仏法とは、いったい何なのか?」とか、「祈って、いったい何になるのか? 祈っていたら、果たしてそれなりに何らかの功徳や具体的な成果というものがあるのだろうか?」「そもそも、信仰の功徳とは何なのか?」「日蓮聖人や釈迦たちは、何を見られ、何を悟られたのだろうか?」等々、色々と考えながら迷っている状態なのです。
いくら真剣に祈っても、自分の思いどおりに事が運ばず、「こんなに祈っているのに、何故何も結果が出ないのか?」と焦ってみたり、「馬鹿馬鹿しい。こんな事をいつまで続けても仕方がない」と投げ槍の気持ちになったりする事があります。
いったい、信仰とは何なんでしょうかねぇ・・・
時々、本当に疲れた気分になります。


みれいさん ワンダラーさん 経悟空さん 非活動1年生さん

「マインドコントロールについて」のスレッドでのレス、また後日させていただきたく思いますので、しばしお待ち下さいませ。

551 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 06:13
最近の新随筆人間革命を読んでいて、文字通り吐き気を催した。
戸田先生によると、「卑劣な作り話」には唾するべきだそうだが、池田先生の新人間革命などは、真っ先にその対象となるべきだろう。
以下続く

552 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 06:15
随筆 新・人間革命 (337) 「正義の言論」の勝利 2003-8-12

虚言を砕け! 真実を叫べ!

 戸田先生は、よく言われた。
 「卑劣なつくり話の文章には、唾を吐く思いだ」

ことしやかに流された多くの中傷批判も、時が過ぎゆくにつれ、その欺瞞性の仮面ははがれ落ち、ただ残るのは、人権侵書という畜生の命で濁った活字のみである。

法華経にも説かれる提婆達多が、嫉妬と野心に狂い、清浄無比なる釈尊を陥れ、教団の麗しい和合を破らんと用いた邪智の手口は、いったい、何であったか。
 それこそ、「妄語(ウソ)」であり、「綺語(不当に飾り立てた言葉)」であり、「悪口」であり、「両舌(二枚舌)」であった。ここに、正法正義への迫害の常套手段がある。
 大聖人も、「日蓮を失わんと為(し)て無かろう事を造り出さん」(御書九九三ページ)と、喝破されている通りだ。
 御本仏さえも、「無尽の讒言(尽きることのない悪口・中傷)」によって貶められたのである。
 仏意のままに広宣流布を続けゆく、この尊き学会にも、反逆と敵対の者たちから、数限りない言論の暴力を浴びせられてきた。
 近年も、さも特別の情報を握っているかのように知ったかぶって、嘘八百の言々句々で人の心を撹乱し、世間を操らんとする、悪宣伝の策謀が繰り返された。
 それらの陰湿な文章は、なんと毒々しく、人の心を破壊することか。
 名前だけ真実で、あとは九十九パーセントが嘘という、全くのデタラメを載せられたことも少なくない。
 御聖訓には、讒言について「そねみ候人のつくり事」(同一一五七ページ)――つまり、“嫉んでいる人間のつくり話”と打ち破っておられる。
 学会に対する多くのつくり話も、その陰には、必ずといっていいほど、この悪逆な嫉妬が蠢(うごめ)いている。

かのガンジーは訴えた。
 「私にとっては、宗教を離れた政治は全く汚いものであって、常に忌避すべきものだ」

才知ある畜生に、人びとを騙させては、断じてなりません。絶対に負けないでください。共に真実の人間として!」

553 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 06:20
参考資料
産経新聞4回連載(2001/9/17〜2001/9/20)記事

池田大作氏会見詳報
――三十年前には言論出版妨害事件があった。

 

 「学会はさんざん悪口をいわれた。それはいい。許せなかったのは、学会婦人部に対して、口を極めて侮辱したことだ。この点に怒ったのだ。政治評論家として名を売っている人が、真剣に宗教を持っている人をそこまで誹謗(ひぼう)するのは許せなかった。信仰心は純粋なものだ。純粋であればあるほど、侮辱のつくり話などに反発し、怒るのは当然だろう」

(* ̄m ̄)プッ
(〃 ̄▽ ̄ヾ)あははっ♪. (〃 ̄m ̄) ̄m ̄) ̄
m ̄)むふふ♪. プッ( ̄m ̄〃)ププッ(* ̄m ̄*)プッ(〃 ̄m ̄)
( ´,_ゝ`)プッ.
(゜Д゜)ポカー

554 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 06:57
何かすごく残念。
もっと池田先生の嘘が聞けると思ったのに。(・・;)
以下 引用
随筆 新・人間革命 (339) 「わが新生の8月」 2003-8-27
私が、生涯の師である戸田城聖先生にお会いしたのは、魂の暗中模索の渦中、敗戦から二年後の、昭和二十二年の八月十四日であった。
 一青年の質問に、権威ぶる態度は微塵もなく、どこまでも誠実に、明快に、答えてくださる先生であった。
 あの最悪の戦時下にあって、軍部政府の弾圧で牢獄に入っても、寸毫も信念を曲げなかった先生であった。
 そこには、人間として極限の「実像」があった。
 私は決めた。
 我、この師に続かむ。
 我、この道を進まむ。
 それが、私の新生の出発となったのである。

555 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 07:49
>>548 yurikoさん

> 君が、Aと主張したことが、完全に池田創価学会的なのだよ。

 ざんねんですが、わたしにはあなたがいっていることがさっぱりわかりません(涙)。

> だって、池田創価学会だけが、それを言い出したのだよ。

 「それ」とは???

> でも、一方的にある人間の説を支持するのは、あまりに主体性がないんじゃないかい?

 まずは理論とその提唱者の人格とを切り離してお考え下さい。

> Libra@三世さんの体験に則して語ってくれないかい?

 わたしはおなじことをくりかえし議論するつもりはありません。以下を参照されて下さ
い。
 
  「創価学会をみんなで考えよう」での発言[ 3 ](No. 780〜)
  http://page.freett.com/Libra0000/kangaeyou_03.html#780

 その上で、ぜひ、特定された批判をおねがいします。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   《批判というものは常に特定されたものでなければならない》というのは、
  つまり、「なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の
  論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければなら
  ない」(カール・ポパー)ということです。以下に、かなり単純化して、説明
  してみます。

    ある人の主張の結論が、既成の考えの結論(命題Aとしておきます)と一致
  するとします。で、そのAはすでに批判され、その批判に耐えられなかったと
  します。しかし、この場合でも、この「ある人の主張の結論」は、そのある人
  の提出している具体的な論証のいかんを問うことなしに常に怪しいと断定して
  よいというものでは必ずしもないわけです。これは、Aがどういう形で批判さ
  れたのかにもよるわけですが[注]、たとえば、《Aを導出するために用いられ
  た前提の中には必ずしも真とは言えない命題が用いられている。よって、Aは
  必ずしも成立しない。》という形のものである場合には、そのような批判を
  「ある人の主張の結論」に対してそっくりそのまま適用することはできないわ
  けです。この場合には、「ある人の主張の結論」に対する批判というものは、
  その「ある人の提出している論証」がなぜ妥当ではないのかについての特定さ
  れた理由を述べるものでなければなりません。もしも、それをすることなしに、
  《すでに批判された既成の考えと結論が同じである》ということだけを理由に、
  直ちにその考えを怪しいものであると断定してしまうとすれば、やはりそれは
  偏見だろうと思います。

    [注]たとえば、既成の考えの結論(A)に対する批判が、《Aから導出さ
      れるある命題は偽である。よって、Aが真であることはありえない。》
      という形での批判であったとすれば、それは「ある人の主張」に対し
      てもそっくり適用することができるでしょう。

  (スレッド「仏教の源流から」、No. 912、No. 914、
    、http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1029381997&START=912&END=912&NOFIRST=TRUE
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

556 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:18
>>550 ドプチェクさん

> お二人の議論、個人的には大いに興味がありますから、これからも色々とお話してい
> ただきたく思っております。

 まだ議論になっていませんが、もし、yurikoさんから「特定された批判」があれば、自
分の考えを見直すチャンスにしていきたいとおもっています。

 もっとも、わたし程度の頭では、yurikoさんのおっしゃられることはなかなか理解でき
ないようです。たとえば、yurikoさんからすれば、わたしがどんなこと(A)を主張しよ
うとも、わたしが「Aと主張したことが、完全に池田創価学会的なのだ」ということにな
るらしいのです[注1]。で、その理由が、「だって、池田創価学会だけが、それを言い出
した」から、ということらしいのです。
 ドプチェクさんなら、yurikoさんのおっしゃられていることがおわかりになりますでし
ょうか。もし可能であれば、翻訳していただければさいわいです。

  [注1] これとは逆に、研鑚板の方では、わたしの主張はすべて「組織内アンチ」的
      ということになるらしいです。

> 「そもそも、信仰の功徳とは何なのか?」

 「一生成仏」ではないでしょうか。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり

  (「四条金吾殿御返事」、御書全集、p. 1169)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 仏教というのは「呪術的な儀式を行い奇跡を期待する信仰のシステム」[注2]などでは
ないとわたしはおもいます。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  「宗教」が、自らの欲望を全面的に肯定し、その達成を目指す「祭祀」「祭り」「イ
  ベント」「行事」「スペクタクル」に堕落し、自らを磨き上げて行く「精神の労作業」
  になってゆかないこの国の未来を、世界はけっして羨まないでしょう。

  (友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、2001年、p.86、
    http://page.freett.com/Libra0000/016.html
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  [注2] 友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社、2001年、p.110。

557 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:33
 yurikoさん&ドプチェクさん

 「特定された批判」については、ついこのあいだ、名も無き行者さんといっしょに考え
てみたところです。以下の中で引用されている議論を参照していただければさいわいです。

  小河原先生からのご回答(ポパーの真理論などについて)
  http://page.freett.com/Libra0000/kogawara01.html

 批判は「非個人的」なものでなければならないというのも重要だとおもいます。
  
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  日本的組織では、ある行動や思想を、それを生み出した者の人格と容易にむすびつけ
  てしまう強い傾向がある。(中略)こうした傾向が強いところでは、批判即人格攻撃
  と受け取られてしまうだろう。しかしそうであるからこそ、行動や、思想と人格を切
  り離し、たとえ理論が誤っていたとしても、「われわれの代わりに理論を死なせる」
  と考えられる観点が、きわめて切実に要請されてくる。

  (蔭山泰之「面目と反駁−批判的合理主義の観点から見た日本的組織の諸問題−」、
    日本ポパー哲学研究会機関誌、Vol. 10、No. 1 、1998年6月、
    http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v10n1kagefr.html
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

558 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:38
>>557 

 蔭山泰之さんの文献へのリンクは現在しんでいるようです。以下はおまけです。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   組織が全体として誤った方向に突き進んでいるときに、内外からのあらゆる批判、
  反駁を避けることができれば、当面は、たしかに組織の体面は保たれるだろう。しか
  しそれは、沈みつつある船の中で安全な個室を確保しようとするようなものである。
  というよりもむしろ、船底の板をはがして個室を補強しようとするような、組織の危
  険性をさらに増す可能性さえある。
  
  (蔭山泰之「面目と反駁−批判的合理主義の観点から見た日本的組織の諸問題−」、
    日本ポパー哲学研究会機関誌、Vol. 10、No. 1 、1998年6月)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   批判は、ふつう非難と混同され、敵意の現れとさえ見られることがある。そして、
  批判を受け入れることは、屈服を意味するとも考えられ、一種の屈辱ともみなされて
  いる。たしかにそういう侮辱的な批判もあるかもしれないが、しかしそれはたいてい
  相手を理解しないたんなる非難と同程度のものであろう。本来、批判とは、論理的矛
  盾や事実との齟齬を指摘することにより、批判される対象と現実を直面させる試みで
  ある。そしてその目的は、その批判対象をよりよきものにすることにある。この意味
  では、批判はその対象に対する真剣な関心の現れである。それは批判の対象を改善す
  るきっかけ、チャンスなのである。だから、批判や反駁を受け入れることは改良への
  一ステップである。

  (同上)
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

559 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 08:52
>>543 みれいさん

 わたしなんかの HP を紹介して下さってありがとうございます。みれいさんにはいつも
お世話になってばっかりですね(汗)。

 みれいさんにもお願いしたいです(ご迷惑かもしれませんが)。もしも可能であれば、
yurikoさんの理論をわたしに翻訳してください。yurikoさんの理論というのは、以下のよ
うなもののようです。

  1.Libra がどんなこと(A)を主張しようとも、それ(A)は完全に池田創価学会
    的である。

  2.なぜならば、池田創価学会だけがそれ(A?)を言い出したからである。

560 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 10:19
555 名前: Libra@三世
> だって、池田創価学会だけが、それを言い出したのだよ。
>>536 
>「それ」とは???↓
日蓮が残した。「大本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。

561 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 12:19
>>560 yurikoさん

> > だって、池田創価学会だけが、それを言い出したのだよ。

 読み飛ばされてしまわれたようなので、もういちどいってみます。「まずは理論とその
提唱者の人格とを切り離してお考え下さい」(>>555)。

 たとえば、いまここに理論Aがあるとしましょう。この理論Aが妥当であるか否かとい
う問題は、だれがその理論Aを「言い出した」のかというようなこととは関係がありませ
ん。現在、アインシュタインの相対性理論が妥当であるとおもわれているのは、天才アイ
ンシュタインが「言い出した」からではなくて、アインシュタインの理論が今のところ厳
しい反証の試みに耐えて生き残っているからです。

> >「それ」とは???↓
> 日蓮が残した。「大本尊(曼荼羅)」に優劣などはありません。

 >>536 では、浅井円道先生とか勝呂信静先生とかのご主張を引用しておきましたが、例
の「yurikoさんの理論」からすれば、浅井円道先生も勝呂信静先生も「池田創価学会」と
いうことになってしまうのでしょうか。「それを言い出した」のは「池田創価学会だけ」
というからには、おそらくはそうなってしまうのでしょう。ちなみに、浅井円道先生も勝
呂信静先生も日蓮宗の学者さんですが。

  同一理に支えられた同一相貌の御本尊は同質同体(浅井円道)
  http://page.freett.com/Libra0000/099.html

  本尊の形式と思想を区別せよ(勝呂信静)
  http://page.freett.com/Libra0000/107.html

562 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 12:33
>>561 自己レス

 まさか、浅井円道先生や勝呂信静先生までもが「池田創価学会」ということになってし
まうとは…。

 以下、現時点において、わたしが理解した限りでの「yurikoさんの理論」をまとめてみ
ます。

  1.わたし(yurikoさん)の主張に対立する主張はすべて「池田創価学会」が「言い
    出した」ものである。

  2.「池田創価学会」が「言い出した」主張は、内容を検討するまでもなく、すべて
    誤りであると断定できる。

  3.よって、わたしの主張は常に正しい。

 上の理論は、「わたし」を「池田創価学会」と読み替え、「池田創価学会」を「アンチ」
と読みかえれば、「研鑚板の理論」とまったく同型なのかもしれません。「yurikoさん&
研鑚板の理論」というべきなのだろうか。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   わたしは、自分の理論を「自己満足の観念論」とはおもいません。なぜなら、わた
  しは反証主義者として《つねに自分の理論に対する反証を積極的にさがしもとめてい
  ます》ので。

   これに対しまして、《自分の理論に対して示された反証をなにひとつ真正面から受
  けとめようとはせずに、理論の是非とはまったく関係のないレッテルを反証提示者に
  はることによって反証をことごとく無視し、そのことによって自分の理論が無敵であ
  ると錯覚している》のが「自己満足の観念論」なのでしょう。

  (スレッド「「「開会」「死活の法門」研鑽!【絶待妙】【相待妙】って何?」」、
    No. 83、
    http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1061134587&START=83&END=83&NOFIRST=TRUE
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

563 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 14:28
訂正
>>546
>かつて、創価学会の掲示板でちゅうたさんの言っていたことで、興味深く心に刻んだことがある。

かつて、創価学会応援隊の掲示板でちゅうたさんの言っていたことで、興味深く心に刻んだことがある。

564 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 14:37
>>562 Libra@三世 さんへ
大変重要で興味深いテーマではありますが、ここのスレッドテーマ「小説人間革命批判」に相応しくありませんね。
お願いですから、「マインドコントロール」に移動して下さい。
または、新しいスレッドを立ち上げて下さい。
お願いします。m(_ _)m

565 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/17(水) 20:21
>>564 yurikoさん

> 大変重要で興味深いテーマではありますが、(後略)

 どうやら、yurikoさんからは「特定された批判」はないということのようですね。では、
わたしからはとくに付け加えることはありません。

 お付き合いくださいましてありがとうございました。なかなか楽しかったです。

566 名前: みれい 投稿日: 2003/09/17(水) 23:29
細かい部分(本尊の取り扱いについて)はMCスレへいきますが、yurikoさんと、Libraさんの意見の違いは、
日蓮宗と日蓮正宗くらいちがうかな。
2人ともアンチ池田さん学会なのにね。
Libraさんが池田さん学会員だったら、秋谷さんに手紙出してまで主張しないと思う。

567 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/17(水) 23:59
>>544
訂正
日蓮大聖人は、御自分が顕わされた御本尊に関して、境界の違いによって、それを仏の当体と見れるかどうかがかかっている、という意味を仰っている。

日蓮大聖人は、御自分が顕わされた御本尊に関して、境界の違いによって、それを仏の当体と見れるかどうか変わってくる、という意味を仰っている。

568 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/18(木) 05:17
>>567
訂正
日蓮大聖人は、御自分が顕わされた御本尊に関して、境界の違いによって、それを仏の当体と見れるかどうか変わってくる、という意味を仰っている。

日蓮大聖人は、御自分が顕わされた御本尊に関して、境涯の違いによって、それを仏の当体と見れるかどうか変わってくる、という意味を仰っている。

569 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/18(木) 20:00
<小説人間革命>スレッド
562 Libra@三世さん
1>yurikoさんの理論」からすれば、浅井円道先生も勝呂信静先生も「池田創価学会」とxxxxxxx

2>相対性理論が妥当であるとおもわれているのは、天才アインシュタインが「言い出した」からではなくて、アインシュタインの理論が今のところ厳しい反証の試みに耐えて生き残っているから
...........................
1  両先生方の論文は元々、日蓮宗の立場を擁護する立場だと思う。
Libra@三世さんが引用したのは、日蓮宗の学者のものなんだよな?
彼等の常套手段(大御本尊の意義を否定すれば)は、「御本尊は全て同じ」と「人より法」の主張だ。
つまり、根無し草のように、依って立つ思想や信仰の脆弱さが鼻をつく。唯一絶対の血脈を否定する輩にとっては、当然の帰結だったろう。
Libra@三世さんは、繰り返して、自分の立場が公平だと言っているが、法を明らかに偏重していて、とてもではないが信じられない。
あの汚辱に塗れた創価学会の学生部に平然と所属していることを堂々と発表するだけでも、その依って立つ所の主張が、池田大作的に違い無いといえる、
しかし、客観的に観察しても、「人法一箇」を説く大聖人直系の門下生の言い分の方が、遥かに筋が通っている。
人と法のどちらも重要だ。

570 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/18(木) 22:17
>>569 yurikoさん

 特定された批判が無理なのでしたら、べつに無理なさらなくてもよいですよ。

571 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/18(木) 23:44
>>570 Libra@三世 さん
>特定された批判が無理
................昨夜、あまりの眠気に堪え切れず、操作を過ってしまった。
\(_ _) ひつれい

572 名前: Leo 投稿日: 2003/09/19(金) 00:11
>569 yurikoさん、横レス失礼します。
>あの汚辱に塗れた創価学会の学生部に平然と所属していることを堂々と発表するだけでも、その依って立つ所の主張が、
>池田大作的に違い無いといえる

Libraさんが学生部に所属していることを発表したことはないと思いますし、名誉会長に対してはどちらかというと
(あるいはかなり?)批判的であると思います。

>しかし、客観的に観察しても、「人法一箇」を説く大聖人直系の門下生の言い分の方が、遥かに筋が通っている。
>人と法のどちらも重要だ。

それは日蓮聖人は「大聖人」を信仰されていたということを主張するものでしょうか。
また、日蓮聖人と「大聖人」は別の方(架空の方)で、日蓮聖人から見ると正宗は異流儀になるのではないでしょうか。

573 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/19(金) 06:17
>>572 Leoさん
>Libraさんが学生部に所属していることを発表したことはない
そうでしたっけ?
私の記憶では、あったようなに思うんだけどねr。
過去ログを詳しく調べてみましょう。
>日蓮聖人は「大聖人」を信仰されていたということを主張
.....意味不明です。
>日蓮聖人から見ると正宗は異流儀になる
............これも意味不明です。
君は、抑正宗教学を誤解しているようだ。
日蓮正宗では、大聖人を仏と立てるのだが、これは、キリスト教の三位一体説から程遠い。
正宗教学では、「大元に不変真理を大言した本仏」がどっかと腰をおろしている。
この存在は時間空間をも超える。
その仏が時と場所によって、地上に違う仏を派遣して、民衆の教化に努める。
仏は、だるま=真実の教えを体現したとは、無常の理を示す為と、人々に渇仰心を起こさせるために、入滅する、。
しかし、時と場所に応じてまた誕生する。
従って、歴史上の大聖人御自身、その大元の久遠実成のの本仏の反映でしかない、
該当箇所の書き込みは近い内にする、

574 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/19(金) 06:36
大聖人の教学の凄さは、そこに止まらない。
その窮極の本地の仏は、日蓮大聖人と同一だが、それだけではない!
その窮極の本地の仏と寸分違わぬ命を末法に誕生した地湯の菩薩全てが共有している。
さらに!
広義においては、末法の衆生全てに、(全ての人が題目を唱える可能性があるという点で)同じ仏界の命が具わっている、とする。
でも、まだ終わりじゃない。
仏法の哲理からすると、一切の有情、無情の存在全てがあ、その仏様の反映とする。
**これは、あくまでも、反映なのであって、仏の生命そのものではない。
反映されているのだったら、それを信じて、縁に触れさせて涌顕させてやらなければならない。
その為の「御本尊」なのだ。
だから、本物の御本尊でなければならないのだよ。

575 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/19(金) 06:43
訂正>>573
正宗教学では、「大元に不変真理を大言した本仏」がどっかと腰をおろしている。

正宗教学では、「大元に不変真理を体現した本仏」がどっかと腰をおろしている。

576 名前: Libra@三世 投稿日: 2003/09/19(金) 07:17
>>572 Leo さん

> 日蓮聖人と「大聖人」は別の方(架空の方)で、日蓮聖人から見ると正宗は異流儀になる
> のではないでしょうか。

 ようするに、こういうことですね[注]。

  1.「日蓮聖人」には「上行菩薩」の自覚があった。

  2.「日蓮聖人」にとっては、「上行菩薩」は「教主釈尊」の「初発心の弟子」であ
    って、「教主釈尊」とは別の方であった。

  3.「日蓮聖人」にとっては、「三世十方の権迹の仏を出生する根本の仏」という意
    味での「本仏」は、「教主釈尊」であった。

  4.「日蓮聖人」自身の思想の中には、【「三世十方の権迹の仏を出生する根本の仏」
    =「教主釈尊」=「日蓮聖人」】という思想(以下、「日蓮本仏論」と表記する)
    はありえない。

  5.「日蓮本仏論」を主張したとされる伝説の人物(「大聖人」)は、おそらく、
    「日蓮聖人」とは別の方(架空の方)である。

    [注] 《日蓮本仏論》再考
       http://www.ne.jp/asahi/my/www/bbslog005.html

> それは日蓮聖人は「大聖人」を信仰されていたということを主張するものでしょうか。

 「日蓮聖人」は立像の釈迦仏を随身仏としてご所持されましたね。

577 名前: SGI 投稿日: 2003/09/19(金) 23:53
やや前のレスへの回答で、これでは横レスになってしまいますが、
>>524 yuriko さんへ。

>言論出版妨害事件が発生した時は、何処にいらっしゃいました?
――ごめんね、この件はノーコメント。
>事件の概要とかを知りうる(直接でなくとも)立場にいらっしゃいましたか?
――間接的には知り得た、かな?
>池田先生が病気を装おうとして、箱根の研修所で、風呂に何度も入っては、体温計を計っては、「唸されていた」というのは本当の話ですか?
――箱根にお隠れになっていたのは本当です。微熱が続き、体調が極めておもわしくない中、それでも先生は、学会を守るために最高指導者として病態を顧みず次々と手を打っていると聞かされておりました。
>池田先生は子供達に「仇を取れ!」(池田大作の素顔)と指導?していたのは本当ですか?
――本当です。この懇談会だけではありません。私も名誉会長から直接同様の指導・指針?を受けました。上記のような話を聞かされているだけに、友人や知人の中には今でも、この時の「仇を取れ!」を人生の目標・糧・支えにしている者がいます。
>池田大作という男ーーとんでもない奴だと思うのですが、如何でしょうか?
―― 一言では語れません。私の様々なレスから推察してください。

578 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/20(土) 04:20
>言論出版妨害事件が発生した時は、何処にいらっしゃいました?
――ごめんね、この件はノーコメント。
.........ちょっと残念。(´ヘ`;) でも、
>私も名誉会長から直接同様の指導・指針?を受けました。
>友人や知人の中には今でも、
>この時の「仇を取れ!」を人生の目標・糧・支えにしている者がいます。
...............これだけで充分な気がします。
つまり、池田先生は、1  外部には、ひたすら「被害者」を装い、
           2  内部、とりわけ女.子供に対しては、被害者を装い
           3  怨念を募らせ、
            4  虎視眈々と、復讐を誓う。
┓(´_`)┏ オーノ〜
なんかホントどうしょうもないね。破人格の典型だね?石に躓いて、その石に「八つ当たり」をするなら、まだわかる。
しかし、池田先生のやっていることは。もっと酷い。
その石に、自分の不幸の原因の全てを帰せしめ、石全部に逆恨みをしているようなものだ。
そこで思い出すのが、あの独裁者ヒットラーだ。
彼の個人的体験は知らない。
しかし、彼は、当時のドイツ人が体験していた不幸を全て、ユダヤ民族にせいにして、その民族全てお殲滅を図る。ーーそして、殆ど成功しかけた。600万人もの人々が、極めて効率的な方法で殲滅させられた。
池田大作も自分が体験した不幸?を全て、正義の言論人、正義の政治家、のせいにして、彼等に対して復讐しようとしているのだ。
\(^_^)/ そうなのだ! 池田大作がしているのは、『正義への復讐』なのだ。
自分の悪辣な「我が儘」が拒絶されたことへ逆恨みして、悪のやちたい放題ーーこれが池田大作の正体なのだ!
奇しくも、池田大作の正体を見抜いた「最大の被害者」藤原弘達氏と藤原行正氏は、同じ苗字。これは、偶然だろうk?
両方の軸から、一人の悪人の正体を観察したのだ。
嘘をつくことなど何とも思っていない男←ny 原島元創価学会教学部長
この男にかかれば何でもありだ。その文脈での、創価学会の日顕上人への悪辣な中傷なのだ。
藤原弘達氏が亡くなった時、一晩中、氏の自宅には、祝電がかかって来たという。←こういう非常識をやるのは、実に創価学会員らしい!その親分こそが、我等が池田先生なのだ!
我々法華講員は、くれぐれも、心しなければならない。( ^_^)

579 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/20(土) 04:29
>>578は、SGIさんの意見(>>569)に対するコメントです。

580 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/20(土) 07:13
>>578訂正+補足
つまり、池田先生は、1  外部には、ひたすら「被害者」を装い、
           2  内部、とりわけ女.子供に対しては、被害者を装い

つまり、池田先生は、1  外部に対しては、ひたすら猛省した「意図なき加害者」を装い、
           2  内部、とりわけ女.子供に対しては、被害者を装い乍ら、反省絶対拒否の姿勢を貫き

581 名前: SGI 投稿日: 2003/09/20(土) 09:14
>>579
はて?>>569はyurikoさんご自身のレスなのですが…。

582 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/21(日) 00:53
>>581 SGIさん
ごめんなさい。
手元が狂いました。>>577とするべきでした。

583 名前: LISAKO 投稿日: 2003/09/21(日) 01:02
yurikoさんヘ

>そこで思い出すのが、あの独裁者ヒットラーだ。

池田先生と一緒にしないで下さい・・・m(_ _)m
学会員は先生の、言いなりにはなってませんよ「自由」なのですから。
独裁者では、ありませんよ^^。

584 名前: yuriko 投稿日: 2003/09/21(日) 02:49
>>583 LISAKOさん
>学会員は先生の、言いなりにはなってませんよ
ヽ(^o^;)ノ ビックリしたな〜!
突然あらわれるんだもん,,,,,,

585 名前: 2世@女子部 投稿日: 2003/09/22(月) 11:49
あっ、ここでもバカ法華講がウダウダ能書き言ってる。
yurikoちゃん、いいかげんに目を覚ましなさいね。

586 名前: SGI 投稿日: 2003/09/22(月) 19:41
 小説「人間革命」は、過去の事実を糊塗し、歴史を塗り替える意図があることは、このスレッドにおいて度々論及されてきた。
 それでも、執筆時から過去を振り返り、事実の隠蔽や歪曲・すり替え・糊塗を重ねても、執筆時からの時の経過の中で今度は現時点から眺めてみると、いろいろと今日の池田創価学会SGIとの齟齬を発見して、なかなか興味深いものがある。
 
例えば、
 「かつての謬説、妄説、疑難等を、あますところなく白日の下に曝して、宗史、宗義、化儀等に至るまで、富士大石寺がいかに正流であり、嫡流であるかを鮮明にしたのであった。
 将来にわたって、どんな小賢しい言いがかりも、この全集(注『富士宗学全集』のこと)を前にしては一指も、ふれることが出来ない。それほど見事な周到さをもって、膨大な百三十四巻を結実している」(◆P79)
 「大聖人の仏法以外は、ことごとく誤った宗教、誤った教理というよりほかにないのであります。この一事が問題なのです。しかも大聖人の仏法が、正しく強く七百年間護られてきたのは、富士大石寺であり、日蓮正宗なのであります」(─P239)
 
あるいはこんな記述もある。
 「或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだ――と。何と、浅墓な言であろうか。俗にいう、PRなど、学会には、絶対に必要ないのだ。それこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである」(◆P117)

 「戸田は、金銭に対しては、あらゆる不純を否定して、異常なまでの潔癖な姿勢を堅持した。…彼は、その必要が生ずると、いつも学会員に、その内容のすべてを提示して、必要経費を確保した。まず計画があり、それを遂行するために使用する資金が募られた。金があって、それから計画を立てるのではない。彼は、いつも事をなすにあたって、大胆に金を使ったが、金に仕えることは一度もなかったのである」(ΑP282)

 「仮に、その御僧侶が浄財を、とんでもないことに使ったとしても、われわれの関知するところではない。その方に、大聖人のお叱りあるのは必定です。御供養はかくあるべきものと、戸田は思うのです」(−P206)

 「御本尊に関しては、厳密にいうと、唯授一人と申しまして、ただ一人にしかわからぬことなのです」(АP112)
と、いった具合だ。

587 名前: SGI 投稿日: 2003/09/23(火) 00:23
小説「人間革命」とは別に、名誉会長の指導・スピーチも破綻している。
現下の論調と全く一貫しておらず、言動不一致きわまりない。
名誉会長においては、「絶対」とか「断じて」「一切」「……ねばならない」といった言葉が、いかに軽いものであるかよく判ろうというものである。小泉首相の“公約”の比ではない。宗教の指導者が語る言葉が、こんなに軽々しいものであっていいのだろうか。

◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔1〕

「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」(◆P123)

「昨今、こともあろうに、唯授一人血脈付法を否定せんとする一部の輩の策謀がみられることは、御開山上人の厳格・正常な正法護持の御精神に照らして、断じてあるまじき所業であります」(−P72)

「日蓮正宗の根本たる御法主上人を訴えたという、この一事だけで、もはや一切が崩れさったことを物語っている」(−P212)

「現在も、日達上人御遷化の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」(−P143)

「仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(−P294)

「絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。…これが真実の信心であるからだ。
 それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺誡に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり撹乱(かくらん)されてはならない」(◆P37)

588 名前: SGI 投稿日: 2003/09/23(火) 00:25
[>>587 続き]
◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔2〕

「御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(−P256)

「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見から見ればわれわれと同じように見えるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つとも無益であり、功徳はないのである」(─P228)

「三大秘法の御本尊は、総本山富士大石寺に厳然とましまし、七百年の伝統を経て、いま、第六十七世御法主日顕上人に付属されている。その御本尊を書写されるのは、御法主上人猊下御一人であらせられ、それがいま、皆さま方が信受したてまつる御本尊なのである」( P185)

「かりに御本尊も、一見すればたしかに物体であり、なくなる場合もあるようにみえるが、代々の御法主上人が、かならず御本尊の御図顕をなさってくださる。絶対の法が残されるのである」(ぁP216)

「富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水瀉瓶されてきたのでございます」(−P72)

「以来七百星霜、法灯は連綿として謗法厳誡の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました」(ΑP12)

「南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」(ΑP199)

「信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。総本山を中心とすることが根本であり、御法主上人猊下御一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」(−P98)

589 名前: SGI 投稿日: 2003/09/26(金) 00:15
[>>588 続き]
◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔3〕

「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくる。
 創価学会は御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する」(−P32)

「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまで御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである」(−P117)

「ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れをいささかなりともたがえてはならない」(−P249)

「総本山が日蓮正宗の根本道場であり、御歴代の御法主上人が仏法の師であられることは当然である」(ぁP286)

「常に、生涯にわたって、わが愛する同志とともに、仏法の師であられる御法主日顕上人猊下の御許に、力強き前進をしたいと念じている」( P49)

「日蓮大聖人の御書を拝するにあたっては、あくまでも御法主日顕上人猊下の御説法を中心として、よくよく拝していかなければならない。唱題し、布教に励み、さらに教学を学び、日蓮正宗の教義がいかにすばらしいものであるかを体得していただきたいのである」( P118)

「日蓮正宗の伝統教義を厳格に守り、われわれ学会の使命である広布の大精神を継承していくことの重要さ、大切さはとうぜんの理といってよい」(◆P155)

「まず第一に、日蓮正宗の伝統法義をあくまでも信心の基本としていかなければならない」(−P112)

「これからも日蓮正宗の伝統法義を確実にふまえながら、一歩一歩、着実なご発展をお願いしたい」(−P251)

590 名前: SGI 投稿日: 2003/09/26(金) 00:16
[>>589 続き]
◆池田大作著『広布と人生を語る』から〔4〕

「昨日『総本山根本、御法主上人厳護』のSGI決議をした。これは重要な決議である。その信仰の根本をふまえながら、世界広布と世界平和に前進したいものである」( P125)

「創価学会の組織は、広布、信心、庶民のための組織である。また、総本山外護のための組織であり、大法弘通のための組織であることを忘れてはならない」(−P112)

「この代々の御法主上人猊下に御奉公していく信心が、創価学会の根本精神なのである」(−P151)

「社会はますます複雑になっていくであろう。その動向に対処するために、学会も多様性を要請される場合がある。しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、
 一、三大秘法の大御本尊がいっさいの根本であると拝していくことだ。
 二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。
 三、それを基調として、学会は、広宣流布を展開していくのである。
すなわち、『信』と『行』と『学』を深め、広げていくのである。
 この大原則を離れて、大聖人の仏法はありえないし、いかに内外ともに複雑性をもつ時代になろうとも、この軌道のうえを進んでいけばまちがいないのである。ここにその大原則を確かにふまえた学会活動の重要性が、明確となるのである」(−P271)

「この反逆の図式について、日蓮正宗の大学匠であられた堀日亨上人は、こう述べておられる。
 『(本師の滅後になると)ややもすれば、なにかの感情で事を宗義に托して、自分は何某(だれ)の弟子でない信者でない、忝(かたじ)けなくも宗祖大聖人の御弟子であると云ふ、反逆児とも云はるべき者が出現する」と。
 すなわち五老僧たちは、“自分は日興上人の弟子などではない。大聖人の弟子である”とし、日興上人に信順できなかった。さらに迫害を恐れ『天台沙門』とさえ名乗った。その根底は、日興上人と対等であるなどという傲(おご)りであり、嫉妬であり、保身に堕した卑しい感情であった。日亨上人は、反逆の徒は常に、こうした感情を言葉たくみに正当化していくものであると御教示されているわけである」(−P80)

591 名前: SGI 投稿日: 2003/09/26(金) 00:39
[>>586-590 続き]

先に提示した『広布と人生を語る』や破門前(特に会長時代)の指導と昨今のスピーチの、どちらが正しく、どちらが大謗法なのか、学会は明確に説明すべきだろう。ついでに名誉会長の指導・スピーチの“有効期限・賞味期限”も公表してほしいものだ。
とても同一人物と思えない変節ぶりである。自語相違もはなはだしい。これを一般に“ウソ八百”というのではないか。

◆池田会長の指導

「ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、御僧侶は全部猊下の弟子である。法類である。ゆえに、いかなる理由があるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」(『聖教新聞』S54年2月26日付)

「御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝し奉るのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです」(『巻頭言・講義集』−P184)

「御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」(『会長講演集』ぁP145)

「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人様であります」(『会長講演集』−P43)

「日蓮正宗においては、また学会の指導は、五座三座というが、自分は三座二座でいいではないかなどというのは懈怠です」(『会長講演集』ΑP219)

「大東亜戦争の最中には他の宗教、他の教団は、ぜんぶといっていいくらい軍部と結託をしました。その時に日蓮正宗だけは、単独でがんばりきった宗団です」(『会長講演集』◆P143)

「大聖人の御正意を拝するためには、御相伝による深義によらなければならないのである」(御書講義録『生死一大事血脈抄』P59)

「百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇処も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております」(『百六箇抄講義』)

「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。…御本尊を“物”と扱うようになった場合は罰をうけます。学会精神に反します。信心ではありません」(『大白蓮華』S39年8月号)

「われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」(『大白蓮華』昭和36年6月号・巻頭言)

592 名前: 投稿日: 2003/10/04(土) 14:20
「人間革命」を小説として批評する
 常にベストセラー入りするが、ある特定の人々しか眼を通さない本というのがある。そう、宗教関係の本の類いの事である。既成の小説の殆どに眼を通していながら、そういう系統の本を扱わないのは不当ではないか、と感じた筆者は池田大作の「人間革命」全巻を読み通してみた。

593 名前: 投稿日: 2003/10/04(土) 14:38
続1
内容は池田大作を模した山本という主人公が、創価学会二代目会長の戸田城聖の下で成長してゆく話で、無理に分類すれば教養小説とでもなるのだろうか。この作品の欠点は、やたらと主人公の述懐が出てくる所である。世界平和は、式の大時代的な、演説原稿みたいなくだりが随所に出てくる。さらに、時代背景の記述がうるさすぎる。歴史の教科書を読んでいる気分になる場面も随所にある。あと、人名の不統一も致命的な欠点である。岸首相が突然、峰首相と名前を変えてしまうのであるが、いくらなんでも登場人物の名前ぐらいは統一して欲しいものである。

594 名前: 投稿日: 2003/10/04(土) 14:42
続2
あとの記述は体験談式の学会の教義や、主に戸田城聖を中心にした創価学会史といった趣きである。作者は文学志向の強い人物なのだが、「人間革命」そのものを、本当に小説として残したいという野心があるなら、一度、リライトした方がいい。ただ、小説、を名乗るなら改訂の必要がある作品ではあるが、宗教の本、として扱うなら、まあ、信者が読む分には問題あるまい。中島みゆきファンが中島みゆきソングブックを読むのと同じ理屈だろうから。

595 名前: 藪太郎 投稿日: 2003/10/04(土) 23:05
池田大作氏が広宣流布と言うのは、池田独裁国家を作ることでしょう。北朝鮮式独裁国家を、目指してるのではないでしょうか・・・また第三文明国家とも言う。
必死に、保守党に金魚の糞の様にぶら下がってるのも滑稽ですね。以前は、生涯野党で行くと豪語していました。
支離滅裂でころころ変わるのは、病気でしょう。坊主いらねが、今は坊主を金で
飼ってている。葬式に戒名は、要らぬが、今は、偽坊主に葬式させて、戒名も書かせて
いる。普通の頭では、理解出来ません。

596 名前: yuriko 投稿日: 2003/10/06(月) 11:42
『人間革命』第四巻 池田大作【著】 聖教新聞社からP256から

 『戸田の悠然たる態度におされて、余計なことを考えていた伸一は、簡単に負けてしまった。それを知っていたように、戸田が言った。「もう一局来い」

 二人は、また駒を並べてはじめた。いつか二人は、将棋に夢中になっていた。激しい攻防戦になった。最後に危ないところで伸一が勝った。一勝一敗の引き分けである。

 「さあ、寝るか、伸、ぼくの布団で一緒に寝ようよ」

 戸田は隣室の布団に入った。伸一は、ハイ、と返事をしたものの、戸惑ってしまった。彼は階下におりて、手洗いに立った。そして、二階に戻ろうとして、ふと階下の部屋を見ると、中学生の喬一が布団をはねとばして寝ている。彼は、掛け布団を喬一にかけてやりながら、自然にその布団の中へ、ひっそりもぐりこんでしまった。

翌日は日曜である。戸田と伸一は、おそい朝食を二人で済ました。幾恵は夏痩せしたように、げっそりしている。組合の動向を心痛しているのであろう。

 戸田は茶を呑みながら、悄然としている幾恵に苛立った。
「つまらん心配はよせ」
小説では、“二十歳の微熱”を逃れたようです。大人が一つの布団で寝るのは“NO”。

創価で師の命令は絶対のようだ。実際の“二十歳の微熱”を逃れられたかは闇の中(あくまでフィクションと言う事で)。
でも何か気持ち悪い

597 名前: SGI 投稿日: 2003/10/06(月) 21:38
>>586-591 続き]
下記の引用も、いまだに学会の基本・原則・原点は変わっていないと言い張るあなたに贈ります。
名誉会長は「戸田先生は私の師匠だ」と語っております。名誉会長は下記の師匠の指導をどう受け止めているのでしょうか。

◆戸田先生の指導〔1〕

「なかには先生などとよばれて、さも偉そうな顔をしているものもいるが、もってのほかといわざるをえない。ことに、自分の指導しているものにたいして、威張り散らしたり、押さえつけたりすることは、絶対に禁物である。
 ただ、この世に生まれて、一言にても法を説けることを御本尊に感謝して、慎み深くあらねばならなぬ」(『戸田城聖全集』 P97)

「いうまでもなく日蓮正宗だけが大聖人より嫡々相伝の家であって、いかに日蓮宗を名のるとも、日蓮正宗以外は、大聖人の相伝の宗ではなく、不相伝家と称する宗で、大聖人の極理を知らないがゆえである」(『戸田城聖全集』−P161)

「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえでも即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない」(『戸田城聖全集』−P235)

「仏法のうえより誤りがあれば、地区部長といえでも除名する。部長のおかす罪は、もっとも重くみる。組織を重んずるかぎりには、厳罰をもってあたる」(『戸田城聖全集』ぁP44)

「いいか、もう一度いいます。折伏することと、お寺へ尽くすことと、御本山への御奉公は、あたりまえのことなのです。それをしたからって、なにもえらいのではないのです」(『戸田城聖全集』ぁP237)

「信者は、ただ真心をもって、御本尊様へのご奉公を、いちずにつとめなければならない。われわれ、御本仏大聖人様に、お目通りできなかったその悲しみを、お山のご奉公にかえるのでなければ、真のご奉公とはいえないと信ずるのである」(『戸田城聖全集』 P65)

「学会は、宗務院の行政には従うのが鉄則であり、今後もただご奉公を尽くしていくばかりである」(『戸田城聖全集』−P499)

「『一聖』とは、七百年にわたる歴史をもつ日蓮正宗富士大石寺であり、『万宗』とは、それ以外の一切の邪宗・邪義である」(『戸田城聖全集』ァP120)

598 名前: SGI 投稿日: 2003/10/06(月) 21:40
[>>597 続き]
◆戸田先生の指導〔2〕

「血脈相承といって、われわれの御法主上人に、法水の容器は違うが、その内容は一滴ももらさずに伝えてきているのです。だから御法主上人だけが、御本尊様をしたためることができる方なのです」(『戸田城聖全集』◆P37)

「どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、わたしは水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」(『戸田城聖全集』−P236)

「御法主上人は唯授一人、六四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」(『戸田城聖全集』ぁP399)

「法水瀉瓶というのは、ここに二つの茶碗が、どんな形に変わっても、このなかの水を瀉(うつ)せば中の水は変わりないのであります。ですから、代々の御法主上人は、お人によって、いろいろとお姿は違うのでありますが、日蓮大聖人の法水が、そのまま変わりなく移されているのであります」(『戸田城聖全集』ァP439)

「この教団こそ日本の宝であり、仏のおおせの僧宝であると、万人の尊敬すべきところで、まことにまずらしい教団である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである」(『戸田城聖全集』 P43)

「われわれは、日蓮正宗の兵隊である」(『戸田城聖全集』ぁP25)

「弟子檀那と申しまして、御僧侶方が将校でありますれば、われわれは兵隊であります」(『戸田城聖全集』ぁP238)

「末法に大利益ある本仏の宗教を護持・弘通する僧侶は、大集経の意のごとく尊崇・保護しなければならぬ」(『戸田城聖全集』ァP192)

「ご法主猊下だけが、御本尊様をしたためることができる仏様なのです」(『戸田城聖先生質問会集』P30)

「日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』S34年7月号)

599 名前: SGI 投稿日: 2003/10/06(月) 21:41
[>>598 続き]
◆戸田先生の指導〔3〕

「御僧侶に対する供養は、仏に対する真心を現すものであり、御僧侶は、大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない」(『戸田城聖全集』 P62)

「お山に金を供養して、坊さんがどのように使っても、使ったほうの罪で、出したほうの罪ではないのです」(『戸田城聖全集』ぁP485)

「お布施をすることは、坊さんを喜ばすためにするのではない。それは、御供養をして、罪障を消していただくためにするのである」(『戸田城聖全集』ぁP502)

「富士に来て 大石寺の 鐘を聞き 仏の慈悲は 身に染みにけり」(『戸田城聖全集』 P453)

「各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳には変わりがありません。総本山の大御本尊にお会いするのは、親元に帰りたいといった気持ちで、なつかしがってくるようでなければなりません」(『戸田城聖全集』◆P27)

「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉御供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである」(『戸田城聖全集』−P490)

「暴力や戦争を否定して、真に文化的な平和な楽園を建設するための根本的思想、哲学を持つ宗教が、富士山麓に厳然と存在していることを主張するものである」(『戸田城聖全集』 P22)

「創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。…その人の主義、政党には、私は干渉しない。胸の奥底に広宣流布をしまっておけば、何党でもさしつかえない」(『戸田城聖全集』ぁP271)

「文化活動というものは、広宣流布の大構想からみれば、それは子供のオモチャのようなものである。…それが広宣流布のための本格的な闘争であると思ったら大まちがいです」(『戸田城聖全集』ぁP275)

600 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/10/12(日) 23:50
「小説人間革命」はフィクションであり、実在の人物とは関係ありません。
以前、新聞記者から矛盾点を突っ込まれたら、
学会幹部が「あれは小説ですから」と答えていた。

601 名前: 倒木 投稿日: 2003/10/13(月) 05:49
しかし内部向けとか勧誘時には「これは信実の書だから」と言って読ませる

602 名前: ナナーシ (rBQWtf4.) 投稿日: 2003/10/13(月) 18:38
矛盾やおかしな点がばれそうになるとフィクション
知らない人には史実

学会お得意のダブルスタンダード(藁
それに気付けない阿呆会員(ゲラ

603 名前: 倒木 投稿日: 2003/10/13(月) 20:17
気づけないというよりワザとだと言ってたよ。
飲ませて白状させた。

所詮「入会させたもん勝ち」と思ってるのですよ。

で、表向きには「創価学会に入会させる事が目的じゃない!」と“勧誘”する。

アホか君ら

604 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/10/13(月) 22:39
>>602
>それに気付けない阿呆会員(ゲラ
>>601
>アホか君ら

学会員を見境無しに露骨に小馬鹿にして見下す君らも
本質は似たようなものだよ

よっぽど自分を利口だと思っているのだろうが

605 名前: 倒木 投稿日: 2003/10/13(月) 22:47
>>604

相対的に言えば「入会させるのが目的じゃない!」と言いながら裏では「入会させるのが目的さ」と
考えてニコニコ勧誘する組織に乗せられやすいアホな学会員よりお利口さんだと思ってるよ。

別に見境なしに馬鹿にしてないのにねえ、そんなカリカリしないでゆっくり文章を読んだほうがいいよ。学会員さん( ´,_ゝ`)y─┛~~

606 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/10/13(月) 23:24
>>605
そう学会員だ
きみよりアホなね
そしてはやく学会が崩壊することを願っている学会員だ
この組織は内外問わず、人の心に憎悪や差別をつくり出し続けているからね

607 名前: ナナーシ (rBQWtf4.) 投稿日: 2003/10/14(火) 00:12
>>606
人を騙して会員数増やす事しか考えてない馬鹿を馬鹿にしてるだけだが?(藁
自分達も騙されてる事に気付いてないのは馬鹿だろ?

608 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/10/14(火) 00:32
>>607
単なる興味なんですが、ナナ−シさんは創価学会と何か関係がある方ですか?
元学会員とか、恋人が学会員だったとか、知り合いが学会員とか?

609 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/15(土) 07:01
最近の妙教で、原島崇氏は、池田先生は、丑寅勤行には、一度も参加したことがないそうだ。
丑寅勤行は、日蓮正宗法主が毎朝、欠かさずに、広宣流布と世界平和を祈念している宗内最重要行事の内の一つだ。
(猊下が法務の為に、本山にいらっしゃらない場合を除いて)
私達信者は、本山に居る間は、出来うる限り参加したいものだ。
それが!
池田大作は、法華講総講頭という重要な立場に居乍ら、一度も丑寅勤行に参加したことがなかったとは!
まさに、この男の人格とは、面従腹背の偽善者そのものだったのだ!
学会員の皆さんは、「しまった!騙された!」となる前に、
もう一度、素直な気持ちになって、本門の戒壇の大御本尊の御前に帰ってきては如何でしょうか?
´ρ`)σ そこの君!法華講は君を待っている♪.

610 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/15(土) 07:05
訂正
最近の妙教で、原島崇氏は、池田先生は、丑寅勤行には、一度も参加したことがないそうだ。

最近の妙教で、原島崇氏は、池田先生は、丑寅勤行には、一度も参加したことがないことを明らかにしている。

611 名前: ken 投稿日: 2003/11/16(日) 19:27
>>608

学会の発展が憎くてしょうがないんだよ。憎らしくて憎らしくて・・・こういうのを嫉妬というんだ、こういう奴は相手にすることは無い。

612 名前: うにゃ 投稿日: 2003/11/16(日) 23:45
嫉妬というのは「うらやましい」という意味合いが強いときに使う言葉ですよ。
学会に入会したくても入会させてもらえない人。
学会員の皆さんが幸せにみえてうとましい。
そういう人がここで批判していると嫉妬という表現が適切かもしれませんが・・・
ここにはいらっしゃらないと思います。
国語辞典でお確かめください。

613 名前: 倒木 投稿日: 2003/11/17(月) 05:10
創価学会員の所有している「創価辞書」(注:脳内に保管されてます)には

嫉妬
名)スル
(1)創価学会について批判が向けられること。また、その気持ち。特に、池田大作仏ついていう。やきもち。悋気(りんき)。
「―心」「創価学会の大躍進(注:昭和50年から会員数ほとんど増えてません)に―する」
(2)池田大作仏に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。
「池田大作仏の才能{念写、世界桂冠詩人(注:自作自演)、平和活動(注:対談、寄付)}に―をおぼえる」

という外界からすれば訳のわからぬロジックが完成していると見られています。

614 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/17(月) 17:24
>>611 Kenさん
>学会の発展が憎くてしょうがないんだよ。憎らしくて憎らしくて・・・こういうのを嫉妬というんだ
。。。。学会は発展しているようには見えませんが?
ただ、その体質が変化しつつあるのは確かですね。
それがいいか悪いかは、一先ず置きます。
ただ世間の多くの人々は、それを好ましい変化よ見ているようです。
ある雑誌に、「創価学会はもう危険ではない」という研究論文が掲載されていました。
奈留程と思いました。
しかし、日蓮大聖人の教えを直接受け継いでいる宗教団体が危険でなくてようのだろうか?
そこに「胡散臭さ」はないのか?
これは、何と30年も前に藤原弘達氏が予想していたことなのだ。
だからこそ、氏は、「創価学会は危険なのだ!」と逆説的に警告したのだ。
氏によれば、創価学会の真の存在意義は、一部の野心家による信心利用であり、日蓮(大聖人)利用だと断言している。
日本国民の大部分は、そんな創価学会=公明党の存在に対して『嫉妬心』を抱いているのではなく、
┓(´_`)┏
創価学会の存在を「鬱陶しい存在」だと見ているのだよ。
(`_´メ) め!

615 名前: 某パパ (papanGNo) 投稿日: 2003/11/17(月) 19:04
× 創価学会を嫉妬している

○ 創価学会をshit!と思っている

かなぁヽ(´ー`)ノ

616 名前: SGI 投稿日: 2003/11/18(火) 00:32
>>609
>池田先生は、丑寅勤行には、一度も参加したことがないそうだ
―― そういえば、その通りかもしれない。
 私自身の経験・見聞からも、一度も丑寅勤行に参加する名誉会長の姿を見たこともない。
 先代の日達上人の時は学会の要望を受け容れられて午前0時に、御当代日顕上人猊下が御登座以降は再び午前2時から粛々と執り行われている御開山以来の丑寅勤行に、総本山大石寺に御登山参詣した者はたいてい参加を望むものですが、名誉会長は登山し御開扉あるいはお目通りをしてもすぐにお山を後にしてしまいます(昔は雪山坊で指揮していたこともありましたが)。
 それに名誉会長の指示を受け、学会では丑寅勤行の参加者を制限しておりましたし、そもそも総本山への登山自体いわゆる「五十二年路線」以降(お手打ちになってからも)、夏期講習会や本山での会合を開催することも減ったりなくなったり、団体登山も以前に比べれば熱心に取り組まず啓蒙や勧誘することが極めて少なくなっておりました。

617 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/18(火) 02:20
\(^O^)/SGIさん待ってたよ〜ん!
以前、私は、山崎正友氏とは、どの程度親しかったか聞きましたよね?
そしたら、山崎氏とは、「ライン」の違いから、あまり接触する機会が無かった旨を書いてましたね。
私は、個人的には、山崎氏の学会貢献は大変重要なものだと思っています。
何故なら、彼によって、(秋谷氏の事務系は別として)創価学会は、組織として磐石になったと思うからです。
それにしても、SGIさんが、ずっと解説して下さったように、原島氏を中心とする創価学会教学部「創価仏法教学部」による、教理体系構築も重要だったのではないか?と思います。
あまり、「きわどい」質問はしたくないのですが、
SGIさんは、そんな教学部とどのように拘わっていらしたのか、教えて頂けないでしょうか?
原島氏の(差し支えのない範囲で)人物評価は?彼の貢献度は?
伝説の教学室長の桐山氏は?ーー私は、彼が書いた英文「fundamaental of Buddhism」を未だに愛用
しています。

618 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/18(火) 05:34
>>616 SGIさん
>(昔は雪山坊で指揮していたこともありましたが)。
一体、何時頃から。池田(先生)の信心は狂ってしまったのでしょうか?
私は、てっきり、池田(先生)は、戸田先生に倣って、本山に居る時は、常に雪山坊に投宿して、指揮?を執っているものとばかり思っていました。
それが、ちょっと、可笑しいと感じ始めたのは、創価学会本部の方針として、創価大学でも夏期講習会が催されるようになってからです。
その時思ったのは、
「果たして、本門の大御本尊様に御目通りしないで、夏期講習会を開く意義などあるのだろうか?」ということでした。
あれは、昭和51〜2年当たりだったでしょうか?
SGIさんは、そうした池田(先生)の行動を指して、『師敵対」とまで、言ってましたよね?
本当は、何時から池田(先生)は、狂ってしまったのでしょうか?(池田自身や他の戸田先生の直弟子達は)「戸田先生に申し訳ない」などとは、思わなかったのでしょyか?
池田(先生)は、戸田先生の一番弟子であった石田氏を憤死させ、自分を直接面倒見てくれた、先輩幹部の竜年光氏と反目しあう姿は、正に「師敵対」としかいいようがありません。
創価学会を実質的に0から再出発させ、75万世帯ーー実質的には、300万世帯までした戸田先生。
やはり、創価学会は、永久に戸田創価学会であるべきではないのでしょうか?ーーすなわち、創価学会の存在意義は、宗門外護であり、本門の大御本尊様を信仰の中心にするべきではないでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜
竜氏は、戸田先生の思い出として、
「立っている電柱、一本一本が御本尊に見えるんだよ」と、顔をほころばせながら言っていたそうです。
この御本尊とは、無論、正宗に伝わった「板御本尊」のことだったと思います。
やはり、戸田先生の信心は本物だったんだな〜と思います。

619 名前: SGI 投稿日: 2003/11/18(火) 23:51
>>617-618 yurikoさんへ
>教学部とどのように拘わっていらしたのか、教えて頂けないでしょうか?
―― 私は“秘すべし教学”を受講する立場であって、教理体系構築に直接関わる立場になったことはありません。

>原島氏の(差し支えのない範囲で)人物評価は?彼の貢献度は?
―― 私の印象では、原島氏はとても真面目な方です。学会2世・学会っ子のパイオニア的な存在で、純粋培養の一途さが際立っておりました。ウソをつくことができない人で、また責任感が強く、自分の領分のことは精一杯尽くそうとの心構えに満ちておりました。ですから、学会SGI思想構築への道しるべを開いた貢献度は大変なものがあろうかと思います。現在の氏にとっては痛恨の極みでしょうが。

>伝説の教学室長の桐山氏は?
―― 桐山泰次氏は、原島氏の造反後、教学部長に任じられましたが、早々に教学研究室長に転じられております。原島氏と共に名誉会長の著作物を代行していたグループや新教学の理論構築を図っていたメンバーは、一部の人間を除きほとんどが教学研究室等の閑職に追いやられております。
 野崎至亮氏などは陰ながら「池田批判」を広言(変な表現だな)しており、原島氏の資料持ち出しを手伝ったとも伝えられております。一体彼らは今何をしているのだろうか。

 原島氏は造反後相当の辛酸を舐め、その尊い体験を通して正宗信仰に原点回帰することができたのでしょう。しかしながら、桐村氏や野崎氏あるいは松島淑氏らは、おそらく現況の学会の在り様が狂っていることは肯定しても、正宗の伝統教学自体は時代遅れで現代に相応しく再生させなければならないと考えているのかもしれません。
 川田洋一氏は完璧に正宗教学否定者で、学会の新教学・SGI思想により正宗の伝統教学を再生どころか超克をめざしており、こうした再生・超克の脈絡が今日の学会教学部や松戸行雄氏や中野毅氏、小林正博氏らの学術部員の論調につながっているのだと思います。

>一体、何時頃から。池田(先生)の信心は狂ってしまったのでしょうか?
―― さあ、いつ頃からでしょうか。それを探ってみようと、本スレッドで『人間革命』の検証を通じて考えてみました。石田次男氏は「大阪事件」の拘置所で退転したのだと指摘しておりますし、竜年光氏は最初から信心がなかったのだと批評しております。おそらく、そうなんでしょうね。

>他の戸田先生の直弟子達は「戸田先生に申し訳ない」などとは、思わなかったのでしょyか?
―― 今なお学会で禄をはべる長老たちにはないのかもしれません。情けないことです。
 名誉会長の第三代会長就任における“青年部クーデター”には大変な枉惑が潜んでいるのでしょう。

>創価学会は、永久に戸田創価学会であるべきではないのでしょうか?
―― その通りだと思います。でも、破門となった現在では詮なきことです。もう在家信徒団体のみの組織は御宗門は認めないでしょうね。新たな僧俗一致・和合の教団を築くしかありません。
 「祖道の恢復」です。それには御僧侶方の一層の奮起・自覚・指導性を望みます。

620 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/19(水) 02:15
>>619SGIさんへ
丁寧なレスありがとうございました、
私は、てっきりSGIさんが、桐村さんとばかり、思っておりました。
こういう詮索ってよくないですよね。
>川田洋一氏は完璧に正宗教学否定者で、学会の新教学・SGI思想により正宗の伝統教学を再生どころか超克をめざしており、...
実をいいますと、学会関係の記事、出版物の中で、川田さんのものだけは、自分の中では、すっきり受け入れられるんですよ。
確かに、川田氏の考えは、池田竜であり、明らかな謗法臭さはあります。
あまりに、外道義で仏法を解釈しようとしています。ーーある意味で、彼のやっていることは、市民大学講座で「楽しむ仏教」であって、信心修行を主張しているのではないですよね。まっ、それも時代の流れなのでしょう。
>御僧侶方の一層の奮起・自覚・指導性,,,,
本当に、SGIさんや法華講員には、申し訳ないのですが、それは非常に困難だと思います。
私は、米国で信心をさせて頂いているのですが、外から眺めているせいでしょうか、宗門の広宣流布に対するいい加減な姿勢ばかりが目に付いてしまうのです。
宗門は学会との取り決めで、海外広布は、学会に一任するということから、海外での教化活動に不備がある、というのはヤムを得ないかもしれません。
また、SGIさんが別スレッドで解説して下さっているように、池田創価学会は、日蓮正宗国際サンターなるものの下に、宗門を典礼部に組み込み、無力化する計画だったそうですね。
幸い、この謀略は日達上人の英断によって、阻止されたんですよね。
それにしても、私が感じるのは、宗門の海外教化の遅れです。特に教学面においてです。
僧侶達の一貫した態度というのが、「信者何するものぞ」というものです。
これは、ちょっと言い過ぎかもしれませんが。
相伝仏法は、師弟相対である以上、この構図は変わらないような気もするのです、

621 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/19(水) 02:28
>>620
訂正
海外での教化活動に不備がある

海外での教化活動に不備があった

622 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/30(日) 08:20
>>620
SGIさんへ
>は、てっきりSGIさんが、桐村さんとばかり、思っておりました。
こういう詮索ってよくないですよね。
訂正
は、てっきりSGIさんが、桐山泰次さんとばかり、思っておりました。
こういう詮索ってよくないですよね。

623 名前: yuriko 投稿日: 2003/11/30(日) 08:37
久しぶりに人間革命批判を再開する。
今回の衆議院選挙で、公明党は873万票(全国区党単位)という大量得票を果たした。
日本人にとって、新たな悪夢の始まりだ。
今回の選挙では、またもや小説人間革命が選挙戦のマニュアル本として使用された。
あまりに露骨ば政教一致ぶりに拘わらず誰も「おかしい」と言わない。日本人は、すっかりこの異常事態に順応
してしまったようだ。
これは、創価学会=公明党は憲法違反のスレッドで改めて扱いたいのだが、この公明党選挙にこそ、創価学会の胡散臭さがあるのだ。
今後、●人間革命●創価学会●選挙のテーマで、書き込みをしていきたい。

624 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/01(月) 08:42
はっきり言って創価学会って票集めのための組織
って感じがする

625 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/01(月) 08:52
選挙の度にコッチが電話に出るまで
しつこくかけてくるのは勘弁してほしいね
腐れ信者の実名晒してやりたいよ、ハッキリ言ってエライ迷惑

私はそれが原因で創価が大嫌いになりました

626 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/02(火) 21:10
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/168/1070043013/l100
大阪事件について

日経の夕刊だそうです。

http://age.tubo.80.kg/upload/img-box/img20031115002809.jpg

を見ると自宅で逮捕となっているが、人間革命では大阪空港じゃなか
ったっけ?

627 名前: SGI 投稿日: 2003/12/02(火) 23:50
別スレ「マインドコントロールについて」で、学会の政界進出・公明党問題が話題となっておりますが、こちらで少々記してみたいと存じます。

 政界進出に関する戸田先生の意図や目的については差し控えさせていただきますが、戸田先生は下記の指導を残されております。
 >>599 >「創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。…その人の主義、政党には、私は干渉しない。胸の奥底に広宣流布をしまっておけば、何党でもさしつかえない」(『戸田城聖全集』ぁP271)
 あるいは「衆議院には候補者を立てない」(『週刊朝日』昭和31年7月29日号)、「わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ」(『総合』昭和32年7月7日号)と、つまり公明党のような政党の結成は明確に否定しております。

 この指導を受けて、名誉会長も第三代会長就任後しばらくは
 「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから」(昭和36年6月10日)とか >>591 >「われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」(『大白蓮華』昭和36年6月号・巻頭言)と、戸田会長時代の方針を踏襲していたのです。

 ところが突然、 昭和39年5月本部総会にて、「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆様方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(中略)恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へ出よ、とのご遺訓があったのです」と発表。

 かくのごとく、いとも簡単に前言をひるがえし、政党結成・衆議院進出を決定します。しかも、何千人の聴衆を前に本部総会という会において最も重大な会合での「会長講演」の中で提案という形を取り、かつ、恩師・戸田先生の“ご遺訓”の捏造または訓戒を反故にしております。つまり、公明党の結成・衆議院進出は、師敵対行為なのです。

628 名前: SGI 投稿日: 2003/12/02(火) 23:51
 政党を結成し衆議院に進出したことで、学会にとっては計り知れない十字架を背負い、今日の無様な在り様に堕する機縁になったのではないでしょうか。それはともかく、名誉会長にとっては多くのメリット・果実を与えたことは間違いないでしょう。
 もともと選挙活動での活躍ぶりで幹部としての地固めをし階段を駆け上がり会長のイスを得たのですから、名誉会長にとっては、選挙は己れの存在意義を示し、会内での出世手段であり、権力維持の装置なのです。⇒ >>107 >>111 >>117 などを参照。選挙がなければ、名誉会長は“ただのおっさん(じいさん)”でしかありません。

 さて、公明党が結成されても――先の本部総会では「本日より政治分野においては、公政連はあくまでも自由奔放に戦いを展開してもらいたい。一方、創価学会は純粋なる宗教団体として、政治部を廃止し、本来の使命である宗教活動、折伏に邁進したい」と述べているにもかかわらず――公明党の議員は、全員学会の要職を兼務しておりました。
 それが「言論出版問題」で世間に謝罪し政教分離を約束した事で、表向きは議員は学会の要職を離れることなったのですが、これが、竜年光・元都議や大橋敏雄・元代議士の告発本でも明らかのように、単なるポーズでしかなく、今も昔も公明党はあくまでも“池田私党”でしかありません。

 公明党は、名誉会長を護るために存在します(党だけではありませんが)。したがって、公明党の国会議員は何よりも名誉会長への忠誠心が問われます(何も議員だけのことではありません)。
 議員になるか否かは、名誉会長の胸三寸です。名誉会長の“鶴の一言”で、突然議員にならざるをえない(辞めなければならない)ことは、けっして珍しいことではありません。それ故に、表向きの候補者推薦の手続きは存しますが、本当の人選基準は名誉会長の“御心”次第です。

 そこで左遷人事として、あるいは報償・論功として、時には忠誠心の審判として、さらには権力維持のために人選が決定していきます。その格好の事例が、太田昭宏・元総合青年部長・現衆議院議員ではないでしょうか。


 独白:職場で部下の退職と入院が重なり、てんやわんやの対応に追いまくられております。毎晩10時11時の帰宅や休日出勤が続き、明日からは出張です。疲労感が背中に張りつき、年末業務を前にして、ますますイラづいている今日この頃です。久々にレスしてみました。少しはストレスの解消になったのかな。

629 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/03(水) 00:03
次代(時代)に応じて、変わっていくのではないのですか・・・。

630 名前: Leo 投稿日: 2003/12/03(水) 00:37
>公明党は、名誉会長を護るために存在します(党だけではありませんが)。

まあ、確かによく聞かれた指導では「リーダを護れば自分も護られる」「先生を護れば自分も護られる」
というのがありました。奇妙に思います。皆を護るのがリーダの役目ではないかと思うのですが。
それは独特の「哲学」ではないでしょうか。

631 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/03(水) 03:00
>>628SGIさん
>そこで左遷人事として、あるいは報償・論功として、時には忠誠心の審判として、さらには権力維持のために人選が決定していきます。その格好の事例が、太田昭宏・元総合青年部長・現衆議院議員
。。。。太田昭宏は東京12区で当選した。
選挙事務所には、八代英太郎も駆け付け応援したという。
八代というえば、1996年東京11区で沢たまき(故人)と激しい議席争いをした。
そこで、彼は厳しく創価学会批判をしたお陰で当選した筈。
沢たまきは、次期参議院選挙立候補からは見送られる事に決定していた。
本人は、もっとやりたかったそうだが、所詮は票取りの飾りに過ぎなかったのだろう。
創価流組織力学の犠牲になった。哀れだ。
彼女と議席を争った八代が方針を180度転換して、太田公明党候補を激励しているのだから、呆れるではないか。
死んでしまえば、何もかもお終いというのは、池田狂学らしい。
学会員は、政治的に利用させないーーこれは、池田先生のポリシート信じていた頃もあったが、公明党=池田創価学会の無節操ぶりに、私は毎度のように気分が悪くなった。

632 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/03(水) 03:39

八代英太は12区から立候補予定だったが、全国区に回った。
これは、明らかな政治取り引きだ。
議員が全国区から選出されるのと選挙区から選出されるのとでは、党内での発言権が違うそうだ。
そういう意味で八代には不満があったに違い無いとは思う。
訂正>>631
八代英太郎→八代英太

633 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/03(水) 03:43
訂正>>620

全国区

比例区

634 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/03(水) 04:09
>>628SGIさん
左遷人事として、あるいは報償・論功として、時には忠誠心の審判として、さらには権力維持のために人選が決定していきます。その格好の事例が、太田昭宏・元総合青年部長・現衆議院議員ではないでしょうか。
。。。。個人とはいえ、太田氏は、公人。
差し支え無い範囲で、何がどう論功が太田氏にあったのでしょう?
とすると、竹入氏の解説を待つなでもなく、国会議員の立候補人事は、名誉会長の胸先三寸で決まっていたのですね。
やっぱりというか。
ちょっとおかしい。
これって、池田大作の政治の私物化じゃないのか?
とんでもない人事が組まれるとも思えないが、公共に関わることである以上、その選出方法には、透明性があるべきではないのか?
統一教会の文鮮明によって選ばれたカップルの離婚率は一般平均より格段に低いそうだ。
選考にあたっては、余程慎重に選んでると思われる。(無論、スタッフの助けもあって)
しかし、やっぱり不自然な気がする。
公明党国会議員に池田先生から直接「直弟子証」を手渡されたというのも異常な気がするのだ。
議員個人に渡される筈の国会歳費が創価学会から天引きされてるというのは、もっとおかしい。

635 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/05(金) 20:13
SGI さんによる学会の歴史を読むうちに、思いました。
幹部会の衛星放送が開始されて間もないころ、和泉さんが前で話をさせられていました。(和泉さんでないかもしれません。とにかく古参幹部)
名誉会長がそれをすぐ後ろで座って見ていて、話の途中か最後かで和泉さんを茶化しました。
和泉さんは全国会員の前で恥じをかかせられ、名誉会長は権力を誇示しておりました。
その時の和泉さんの無念の思いはいかばかりのものであったろうと。

636 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/06(土) 12:50
yuriko さんもご苦労さまです。
yuriko さんや SGI さんがもし御存知でしたら教えて頂きたいことがあります。

(1) 中西氏について
(2) 大阪事件のときの石田氏を中心とした工作について

お暇な時にでもお願い致します。
スレッドにあまり貢献できずに申し訳ありません。

637 名前: たけし 投稿日: 2003/12/06(土) 15:02
「873万票、過去最高だ」
 創価学会の池田大作名誉会長が吠えている。

http://www.forum21.jp/contents/03-12-1.html

638 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/06(土) 15:32
>>636フレッツさん
>(1) 中西氏について
(2) 大阪事件のときの石田氏を中心とした工作について

。。。。私もSGIさんがどんな解説をして下さるのか楽しみです。
石田工作については、原島氏が詳しく書いている。
それは、石田氏著の「内外一致の妙法この在るべからざるもの」も詳しい。
改めて書き込む。
中西氏は、池田先生から、こき使われて、燃え尽きて死人同然になってしなった。..
彼は、創価学会金庫番。
池田先生のせいで、無軌道な乱脈が創価学会利路線が定番になってしまっら。
中西氏の人生はは散々利用された挙げ句、国外退去させらのではなういか?
池田先生による事件への貢献はある。
中西氏は池田毒性の犠牲者。

639 名前: SGI 投稿日: 2003/12/08(月) 23:44
>>629
>次代(時代)に応じて、変わっていくのではないのですか・・・。
―― ということで、原理・原則もなく変化自在に変わっていくのが、学会の真骨頂ということですか。
 だから、自家撞着しようが、自語相違であろうが、朝令暮改になっても、恬として恥じることもなく、利を求めてあっちに行ったりこっちに来たり、右に付いたり左へ向いたりするのですね。
 マキャベリズムと揶揄されても、蝙蝠と蔑まれても、お構いなし。美辞麗句を並べる表向きの言動とは裏腹に誠実さもなく、節操もなく、義もなく、凛とした毅然たる終始一貫の姿勢は望むべくもない――という現在の在り様は“状況に応じて変わる”ところに発しているのかもしれませんね。


>>630
 >>124 >>323 >>332 >>341 >>439 や他のスレッドで、度々歪な池田流「師弟論」の実態には言及してきました。まさに独特の「哲学」でしょう。今度機会があれば、再度池田流「師弟論」についてまとめてみたいと存じます。私にとって、池田流「師弟論」は長い間己れの行動規範でしたから、半生の総括にもなります。
 ところで、Leo さんは池田流「師弟論」に感化されたり陶冶されたり、あるいは直接見聞したことはありませんか。とお聞きしながら、返レスはいつできるか分かりませんので、気にしないで下さい。


>>635
>全国会員の前で恥じをかかせられ
―― 名誉会長の常套手段です。
 ずーっと昔から、このやり口で幹部・会員らに己れの“権威”を誇示してきました。こうした“茶化し貶め”に耐えなければ本部幹部は務まりません。名誉会長は常々「私は生命の奥に巣食っている我見や慢心を打ち破っているのだ。プライドは捨てよ。従順か反逆かのいずれしかない、中間はない。私の厳しい指摘に耐えるのが弟子の道を全うすることになる(趣旨)」と語っております(した)。


yurikoさん、フレッツさん、
 太田昭宏氏および中西治雄氏の件、もうちょっと時間を下さい。
 なお「大阪事件」については、本スレッドでは >>15 >>187 >>191-193 >>198 >>246-247 >>469-472 >>478 等で言及されております。ご参照ください。

640 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/09(火) 23:54
yuriko さん、SGI さん、ありがとうございます。
お時間のあるときで結構です。楽しみにしております。

641 名前: Leo 投稿日: 2003/12/10(水) 00:39
>>639 SGIさん。
>ところで、Leo さんは池田流「師弟論」に感化されたり陶冶されたり、あるいは直接見聞したことはありませんか。
>とお聞きしながら、返レスはいつできるか分かりませんので、気にしないで下さい。

私は現役時代は正直言いまして師弟不ニは師絶対と捉えておりました(苦笑)。直接見聞については、直接見聞
の機会はなく、衛星中継、新聞、書籍、ビデオ、口コミなどでしか「お会い」できないのを残念に思っておりました。
(今から思うと一方通行であり、通信教育?の師弟のようなものだったように思います(笑))

642 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/10(水) 13:05
創価学会と選挙。
この奇妙な関係の謎を解く為には、(旧)小説人間革命を読まなくてはならない。
特に、主人公山本があらゆる予測を覆して春木(白木)を大阪参議院地方区で当選させた経緯を描いた第10巻。
そして、大阪事件を描いた11巻は、必須だ。
これらを読めば、創価学会と公明党は、どんなに世間から批判されようとも、永遠に一体だということがわかる。
要するに創価学会は、政治を手段にしか使ってないのだ。
つくづくとんでもない団体だ。
両巻の記述には、選挙のことだけではなく、池田先生の狂った世界観が語られている。
たとえ、ゴーストライターの手によるものであっても、池田先生の考えは忠実に反映されているだろう。
私は、今、創価学会時代を振り返って、「やはり、池田先生は偉大だったのでは?」と思うことがある。
しかし、これらの巻を読むと、やはり根本の所で狂ってるとしか言い様がない。池田先生は「日本にとって、アブナイ男」なのだ。
森田理事長に龍年光氏が面談し、財務の件など、創価学会の現状を憂えている旨を伝えたところ、理事長は、「今更何だ、創価学会は非常識でやってきたからこそ、ここまで発展したのではないか」
と言い放ったという。好意的に解釈すれば、「誰もが思い付かないような発想の転換をして、道無き道を切り開いて来た」と、受け取れる。しかし実態は、世間を偽善で欺いてきた集団に過ぎないのだ。
今回の衆議院選挙ではまたもや人間革命が選挙マニュアルとして使用されたらしいが、政教一致ぶりが、またもや功を奏してしまった。
日本中から、人間革命(特に10、11巻)を燃やしてしまわない限り、日本での正常な憲政(民主主義)の発展は永遠に望めないだろう。

643 名前: SGI 投稿日: 2003/12/13(土) 22:00
 今日、埼玉のゴミ処理場での大量紙幣(約3000万円)発見のニュースが報じられていますが、
 中西治雄氏といえば、何といっても平成元年6月の「古金庫事件」でしょう。
 横浜のゴミ処理場に捨てられていた古金庫から1億7千万円の現金がみつかり、やがて古金庫が聖教新聞社地下倉庫から運び込まれていたことが判明すると、中西氏が「私がサイドビジネス(総本山での売店事業および金杯販売)で稼いだ金だ」と名乗り出た事件です。中西氏はこの事件で形式上は懲戒解雇になっております。ご記憶の方もおりましょう。

 さて、中西氏は『人間革命』第7巻に「中道秋雄」で登場しております。
 詳しくは下記のHPをご覧下さい。
http://www.toride.org/17zikn1.html 『自由の砦』(平成9年9月10日号)
http://www.toride.org/17zikn2.html 『自由の砦』(平成9年10月10日号) 

 上記『自由の砦』でも指摘していることですが、学会の「調査報告書」は余りにも矛盾点・不可解なことが多すぎます。明らかに偽証です。
 実は、この「古金庫事件」が起きる数ヶ月前に、本部幹部・職員の間では「中西さんが本山売店の営業権を億単位で与えられ、口封じを約束させられた」との噂が流れておりました。あの「古金庫事件」は仕組まれたものではないかとの疑惑が当時囁かれていたことを思い出します。

 中西氏と名誉会長の関係は、戸田先生の事業である「東京建設信用金庫」や「大蔵商事」の営業活動を通じて知り合い、職場の上司・部下の関係から始まっております。
 名誉会長が三代会長に就任した後は、初代・第一庶務室長を務め、また名誉会長のご母堂・イチさんが亡くなった時には葬儀の総責任者を務めました。まさに名誉会長の秘書であり、金庫番であり、池田家の執事だったのです。誰よりも名誉会長のウラも表も知り尽くした人間です。

 それだけに絶対に敵に回せない存在です。“飼い殺し”にするしかありません。中西さんには娘さんが3人おり、いずれも学会に絡めとられておりますし、江戸川区に新築した自宅も「老後を保障するという名目で学会の金で建てた」と聞いたことがありますので、造反はせず、半ば幽閉状態を甘受しながら余生を過ごしているのでしょう。

 名誉会長は「中西は私から逃げようとして罰を受ける。頭がまた禿げて、顔がはれるよ」と評しておりました。

644 名前: Leo 投稿日: 2003/12/13(土) 22:23
>「中西は私から逃げようとして罰を受ける。頭がまた禿げて、顔がはれるよ」

池田氏は池田氏の意向に沿わない人物が罰を受けると、本気で信じているのですか...?

645 名前: Leo 投稿日: 2003/12/13(土) 22:48
いや、愚問でした。

646 名前: SGI 投稿日: 2003/12/13(土) 23:04
Leoさん、今晩は。

>>641 の>通信教育?の師弟 は、言い得て妙ですね。
組織あげての“刷り込み”行為は、まさに偶像信仰そのものです。

>>644-645
ご本人は本気で「仏だ」と思い込んでいるのだと思います。
「永遠の指導者」「1000年に1人の偉人」と称しているではありませんか。
自明なことです。

647 名前: Leo 投稿日: 2003/12/14(日) 01:04
SGIさん、こんばんは。

>>646
>ご本人は本気で「仏だ」と思い込んでいるのだと思います。
>「永遠の指導者」「1000年に1人の偉人」と称しているではありませんか。
>自明なことです。

(これはSGIさんを難ずるものではありません)たとえば創価学会会則を例にとると腑に落ちない点が多いですね。

日蓮大聖人に対して、学会の「永遠の指導者」とは遣使還告ということなのでしょうか。

「池田大作第三代会長は、日本のみならず世界に日蓮大聖人の仏法を弘通し、更に仏法の理念を平和・文化・教育
 などの分野に展開して、仏教史上初めて世界広宣流布の道を開いたのである。」
(創価学会会則 (平成14年4月1日施行)
 http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/new_page_29.htm

仏教、特に大乗仏教は最初から世界宗教としての性格があり、各国の文化芸術に寄与したのではないでしょうか。
法華経も各国に流布しましたし。「仏教史上初めて世界広宣流布」という捉え方は誤りではないかと思います。
「仏教」を「日蓮大聖人の仏法」としても「仏教史上初めて」という表現はおかしいように思います。

648 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/14(日) 03:23
>>647 Leoさん 仏教、特に大乗仏教は最初から世界宗教としての性格があり、各国の文化芸術に寄与したのではないでしょうか。
法華経も各国に流布しましたし。「仏教史上初めて世界広宣流布」という捉え方は誤りではないかと思います。
「仏教」を「日蓮大聖人の仏法」としても「仏教史上初めて」という表現はおかしい
。。。改めておはようございます。
ほんとそうですよね。
池田先生の何らかの仏教ーー¥とりわけ日蓮大聖人の仏法への貢献は認めたいとは思いますよ。
でも、どう贔屓目で見ても、それが過大評価され過ぎていると思いますよ。
ここは、SGIさんに是非解説して欲しいのですが、会員にとって、池田先生というのは、御本仏以外の何ものでもありません。
私は、幼い頃、題目を無茶苦茶に上げてにた時期がありました。
その頃、池田会長と写真撮影会が頻繁に催されていて、私も参加しました。
池田先生と目があった瞬間でした。池田先生は、参加者に「題目を沢山上げているね」と言いました。
私は、当時、有頂天になり「やはり、池田先生は、何でも御見通しだ。仏様だ」と思ったことがあります。
しかし、今から思えば、そういうのは全部、作意の演出に過ぎなかったと思うと残念でなりません。
そうした作意の演出は、溝口敦氏の「堕ちた神池田大作 権力者の構造」に詳しいです。
私がこの本を読んだ時の衝撃度は、藤原弘達氏や内藤邦夫氏の著作を読んだ時のものより遥かに大きかったです。
「幽霊の正体みたり、枯れ尾花」といった所でしょうか。

649 名前: Leo 投稿日: 2003/12/14(日) 10:47
yurikoさん、こんにちは。

>>648 >ここは、SGIさんに是非解説して欲しいのですが、会員にとって、池田先生というのは、
>御本仏以外の何ものでもありません。
(この部分は横レスになってしまいますが...)

以前UHFで「人間池田大作」という番組が流れたことがありました。わざわざ題名に「人間」とつけるところ
が奇妙に思います。(もちろん生放送ではありませんでした)

「人間何々」といった場合、「人間釈迦」、「人間キリスト」、「人間アインシュタイン」のように仏や神や
偉人など隔絶した(別格の)存在と思われている方々の内面(人となり)をえがこうとする場合に使われる
のではないでしょうか

「人間池田大作」という題名を見て、題名をつけた企画者は(多分学会側と思いますが)、池田氏を
「仏」なり「隔絶した存在」と思っていることが伺えます。それに番組的には紹介であって
内面をえがくようなものには見えませんでした。

650 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/14(日) 17:30
>>649Leoさん
>「人間池田大作」という番組が流れたことがありました。
。。。。(^o^)/ ぅわ〜ぃ
あれ、実をいうとアメリカでも放映されたのですよ。
あれが、日本でもね?
何か感激です。
でも、あの日本版は、一部カットされて、絶対編集されたと思うんですけど。
一番、気になったのが、一日本の婦人部員へのインタビューでした。
彼女は、はっきりと「池田先生から、沢山の功徳を頂きました」と涙を浮かべ乍ら答えていました。
無論、悪意は無かっただろうし、他力本願的なのはよしとしても、「御本尊様から功徳を頂いた」とは、終に言いませんでした!
これが創価学会の真実の姿なのです。
それはもそれでもいいんじゃないかと思います。ーー池田先生は生きながら永遠の指導者=仏様になりましたし。
〜〜〜〜〜〜〜
現在、ウイーンフィル常任識者である小沢セイジ氏は、長年務めたボストンフィルを去るに当たって、記念館の建設の話がありました。しかし、彼は頑に断り続けたといいます。
「まだ生存中なのに、勝手に『記念』してもらっては、気味が悪い」というのが理由でした。
結局、記念館は、建設されたと記憶していますが、本当の偉業を成し遂げた人の謙虚さを見た気がしました。
無理かもしれないけど、池田先生もそんな謙虚さを示して欲しかったです。
本当に、庶民の味方=代表「人間池田大作」だったら、よかったんですけどね。

651 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/16(火) 00:21
>>647
「池田大作第三代会長は……仏教史上初めて世界広宣流布の道を開いたのである」は、創価学会の従来の主張からすれば、おかしくはない。

聖教新聞紙上の韓日友好は有名だが、その流れの中で「韓国が日本に仏教を伝えた」とある。しかし仏教は、釈尊から始まり、正式な師弟関係を通じて、最澄が日本に伝えたもので、日蓮はその最澄に連なる弟子の一人だ(日蓮限定)。だから韓国仏教が介在する余地はない。にも関わらず、創価学会には韓国仏教の影響があるわけだから、既に仏教史も創価学会版仏教史になっている。なら創価学会が、創価学会版仏教史で語るのは当たり前。

652 名前: Leo 投稿日: 2003/12/16(火) 01:26
>しかし仏教は、釈尊から始まり、正式な師弟関係を通じて、最澄が日本に伝えたもので、
>日蓮はその最澄に連なる弟子の一人だ(日蓮限定)。

確かに、三国四師のなかには韓国の方はおられないですね。

>だから韓国仏教が介在する余地はない。にも関わらず、創価学会には韓国仏教の影響があるわけだから、
>既に仏教史も創価学会版仏教史になっている。なら創価学会が、創価学会版仏教史で語るのは当たり前。

そうすると、なんでもありですね。

たとえば、今の世界情勢なんかも「創価学会版平和」であり「創価学会版正義」で「創価学会版勝利」
なのでしょうね...

653 名前: Leo 投稿日: 2003/12/16(火) 02:34
そして、明日も人類史上初めての朝が来る...

654 名前: 投稿日: 2003/12/16(火) 06:50

>彼女は、はっきりと「池田先生から、沢山の功徳を頂きました」と涙を
>浮かべ乍ら答えていました。「御本尊様から功徳を頂いた」とは、終に
>言いませんでした!

世間様から見たら「なんで掛け軸の紙っきれから力が出てくんねんっ。
おかしいんとちゃうかーーー??」っていうのが相場でしょうに。
功徳やら御利益やらなんていうのは、人から出てこようと紙から出て
こようと(笑)本人の個人の主観にものすっごく左右されるもんだと
思うんだよね。
主観というものは、宗教の柱みたいなもんで、それというのは、脱会
してもなお学会に執着している、ゆりちゃんの主観もまた似たようなもん
だと思うんだよね。私はそう思うよ。

655 名前: 投稿日: 2003/12/16(火) 06:53

あのビデオの彼女は、こういいたかったんじゃないだろうか。
『池田先生から(教えてもらった題目の効用について自分が感激し、それで
拝んだ結果、御本尊さまから)、沢山の功徳を頂きました』って
言いたかったんだと思うわねえ。

そういえば、ロスでエリック和枝さんにお会いしたことがあるけれども、
どこの国も婦人部が存在感あるなあ・・・って思いました。笑

656 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/16(火) 09:12
>>655 蘭さん
>ロスでエリック和枝さんにお会いしたことがある
。。。。(゜Д゜)ポカーン
何時の間に勝手にきたんだ〜!

657 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/17(水) 22:27
yuriko さん、SGI さん、ありがとうございます。

中西氏は、学会が正義ならはっきり言ってものすごく学会に迷惑をかけた部類だと思うわけですよ。
竹入氏の比ではないくらい、社会的イメージが悪くなったわけです。
なのに、新聞で悪口を書かれたことが一度もないのではないかと思います。
つまり、特殊事情があったとしか考えられないんですね。
なのにSGIさんが語るような特殊事情は、学会員は誰も信じようとしない。
変な話です。

658 名前: 投稿日: 2003/12/20(土) 01:52

yuriko ちゃん

私がいったのは、もう7年くらい前だったの。家族で行ったとき、寄った
んです。そのときのことだよ♪

フレッツ さん

私は、SGIさんが言ってることは、おおむね事実なんだろうなあって思ってますよ。
私はバリだけれども、彼の言うことは分かりますよ。

659 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/20(土) 06:40
SGIさま
中西さんの件も含め、いわゆる反権力のジャーナリスト(本多勝一とか鎌田慧)
たちはどうして中西さんを取材し事実を明らかにしないのでしょうか。
証拠となるような事実は残っていないのでしょうか。
池田先生がなくなったとき初めていろんな人が事実を語りだすのでしょうか。
たとえば、細谷元東京長などもどこに行ってしまったんでしょう。
池田先生が亡くなるまではみんなダンマリなんですかね。

660 名前: SGI 投稿日: 2003/12/20(土) 23:58
>>647 Leoさん
>学会の「永遠の指導者」とは遣使還告ということなのでしょうか。
―― 総別の法門や一往再往の展開が極めて恣意的で、「文底の文底読み」とか「我らの立場で約せば」さらに「言語道断」「生命で感ずるもの」といった言い草が横行する学会ですので、何でもありです。


>>648 yurikoさん
 いわゆる「池田本仏論」については、別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」で度々書き込んでおります。表向きには存在しない観念ですが、まちがいなく池田創価学会の底流に存在しております。現下の学会の実態そのものが、まさに“池田教”であることを如実に示しているのではないでしょうか。


>>657 フレッツさん
>特殊事情は、学会員は誰も信じようとしない。
―― 信じないし、信じないようにしているから、学会員であり続けるのでしょう。


>>658 蘭さん
>おおむね事実なんだろうなあって思ってますよ。
―― 蘭さん、ありがとう。事実(体験・見聞・伝聞=情報収集)です。

661 名前: SGI 投稿日: 2003/12/21(日) 00:36
>>659 「名無しさん」さん
>中西さんを取材し事実を明らかにしないのでしょうか。
―― 本多勝一氏は自身のテーマが違うので直接的には関わっていないと思いますが、
 鎌田慧氏については以前アプローチがあったことを聞き及んでいます。
 本多氏や鎌田氏だけではなくジャーナリストにとって、「創価学会」は格好のテーマになるはずです。常に取材やアプローチは試みていると思います。でも、マスコミには厳然と“鶴のタブー”が存します。タブーに触れた時のリスクを考えれば、評論を発表することを差し控えるのでしょう。
 
>池田先生がなくなったとき初めていろんな人が事実を語りだすのでしょうか。
>池田先生が亡くなるまではみんなダンマリなんですかね。
―― おそらく、そうだと思います。

 学会には、ご承知のように造反しにくい、あるいは分派活動ができない仕組みがあります。
 それに、以前 Leoさんのご指摘にもあったように、本部幹部・職員には「組織(学会)絶対」の感覚があります。「戸田の命よりも大事な学会」のフレーズに基づく「仏意仏勅の学会組織を破壊させてはならない」というテーゼが骨の髄まで染み込んでいるのです。

 したがって、名誉会長のことは否定できても、組織破壊へとつながる行動には踏み込むことができません。自制心が働くのです。そして今、名誉会長批判を公表すれば、巨大組織が総力を挙げて徹底的な人身攻撃を繰る広げるのですから、結局静かに遁世するしかないということになってしまうのでしょう。

 名誉会長の死=“Xデー”を迎えた時、学会内部で「スターリン批判」が始まるのか、それとも「毛沢東路線」をさほどの混乱(天安門事件はありましたが)もなく“改革・解放”へと変更させた「小平路線」が実現できるのか。あるいは名実共に「池田教」の確立ができるのか――今、本部内では主導権争いが続いております。
 「スターリン批判」の展開になれば、凄まじいものが次から次へと出てくるでしょう。
 でも、学会・SGIの想像を絶するような巨額資産を前にすれば、そんな愚かな選択はまずないと思うのですが…。分かりません。

 ところで本スレでは、「池田創価学会40年の歴史」は「池田=秋谷の40年」であることを記してきました。
 ⇒参照 >>116-117 >>120 >>123-125 >>129-135 その他のレス目次は >>404
 その中で、「ポスト池田」は、実は「ポスト秋谷」が課題であることを触れたのですが、現下において次代の学会執行部に関する不鮮明さは、昭和54年の“無血革命”に由来するのです。
 そして、この“無血革命”の延長線に、太田昭宏氏のことがあります。太田氏を学会執行部から追い出し公明党に送り込んだことに、「ポスト池田=秋谷」の混迷さを招いていると、私は捉えております。

662 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/21(日) 00:41
>>660SGIさん
。。。。。
先日、11月に行われた青年部幹部会同中のビデオを見ました。
池田先生の迫力に圧倒されました。
これじゃ〜、まだまだ悪夢は終わりそうもありませんよ。
今年、経験した脳拘束の後遺症など少しも感じさせませんでした。
創価学会は、一にも二にも池田を中心とした師弟論が根幹となっています。
sgiさんが別スレで解説して下さっている秋谷を中心とした事務方の支えがあってこその、池田体制なのでしょうが、創価学会が宗教団体である以上、カリスマ性のある指導者があってこそでしょう。
幹部会で池田先生が繰り返し言っていたことは、
創価学会=正義が邪悪=創価学会を批判する勢力に対して、戦っているというものでした。
これは、もうどうしょうもないなと思いました。
如何なる懸念が世間で唱えられようと、それを頑に無視し、それを自分達に向けられた攻撃としか受け取れない勢力に明るい未来はあるのでしょうか?
そもそも邪悪な勢力とは何でしょうか?
元々、親であり師であった宗門や猊下の存在でしょうか?
こんなことを言うと僧侶に叱られるのですが、資金力、人材力で遥かに劣る現在の宗門を虐めているのは、創価学会だと思うのです。
同中を見た感想ーー┓(´_`)┏

663 名前: SGI 投稿日: 2003/12/22(月) 00:04
>>662 yurikoさん
>明るい未来はあるのでしょうか?
―― ないと信じたいのですが、いかんせん五濁悪世の末法ですから…。
>そもそも邪悪な勢力とは何でしょうか?
―― ひょっとすると、名誉会長や学会自身かもしれません。
>親であり師であった宗門や猊下の存在でしょうか?
―― 今は組織の結束力を高めるための道具にすぎません。
>資金力、人材力で遥かに劣る現在の宗門
―― はい、その通りです。同感。
 だからといって、明るい未来がないということにはならないのではないでしょうか。
 「時を待つべし」ではないのですが、それぞれが己れの分々で御本尊への報恩行として果たすべきことに尽くせば、必ず局面は変わります。

>創価学会が宗教団体である以上、カリスマ性のある指導者があってこそでしょう。
―― はい。名誉会長が存在しての創価学会です。
 だからこそ、秋谷会長は事務方に徹しております。そもそも戸田会長逝去後の「青年部クーデター」が、その構図・役割分担で推進されたものです。

 名誉会長のカリスマ性に関するエピソードのいくつかを、どこかのスレに書き込んだ記憶がありますが、名誉会長のカリスマ性を演出するための幹部・職員の苦労も並大抵のものでありません。
 それでもなお名誉会長の人心掌握術は傑出していると思います。“通力”もあるのでしょう、きっと。

664 名前: SGI 投稿日: 2003/12/22(月) 00:05

 カリスマ性といえば、名誉会長の後継者と目された幹部として、故・福島源次郎副会長と太田昭宏・元総合青年部長・現衆議院議員がいます。共に、リーダーとしての度量や器量に富んだ方で、多くの会員が心を寄せていました。

 その2人の人生を大きく変えたのが、昭和54年の“無血革命”=池田会長の勇退・総講頭辞任です。
 この会長勇退・総講頭辞任は、御本尊模刻に象徴される大謗法路線の「五十二年路線」の責任を取るものでした。福島氏は、この「五十二年路線」の終結に連座する形で副会長を辞任。直接の理由は54年3月の“大牟田発言”でしたが、この“大牟田発言”は捏造でした。つまり、福島氏の失脚は仕組まれたものなのです。

 「五十二年路線」終結への実質的な指揮官は、原田稔・現副理事長。当時彼は、池田会長(第一庶務)と理事長室(宗教法人責任役員会)と学会執行部の間の連絡調整を担っておりました〈現在この役割は、正木正明副会長が本部役員室長のポスト名で担っております〉。
 原田氏らが、名誉会長や北条前会長、秋谷会長らの意向を受けながら、宗門との“お手打ち”を進めると共に、池田会長の名誉会長への移行(無責任体制の確立)、秋谷ラインの強化、後継ライバルの追い落としを図ったのです。
 
 「五十二年路線」そのものは挫折に終わりましたが、宗門との“お手打ち”は成功し、かつ正信会僧侶の宗門追い出しや山崎正友・元顧問弁護士、原島嵩・元教学部長の除名処分、さらに名誉会長の次男・城久氏への後継路線をスタートさせることができました。
 そして、城久氏への後継路線を進めていくにつれ、太田氏の存在が、名誉会長サイドにとっても秋谷会長ラインにとっても目障りとなり、太田氏の議員転出が企てられていったのです。

665 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/22(月) 01:50
SGI さん

すさまじい政治力学が存在しているのですね。こういうことは、身近にいらっしゃったであろう、SGI さんしか知り得ません。
知っていらっしゃることを全部お願いしたいくらいです。
どこかのサイトで、現在は既に池田氏は人寄せパンダ化し、実権は秋谷氏を中心とするグループが掌握しているのでは?という話を見ましたが、
ありそうな話だと思います。
ところで52年頃の池田氏が箱根?に隠れていた時などに本部を仕切っていたのは原田氏ということでしょうか。

蘭さん

はい、私も SGI さんの話は説得力があると思っています。
学会員の思考方法の情けなさについて意見しました。

666 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/24(水) 13:54
SGIさん 
古川利明というジャーナリストが学会をいろいろ批判して
いますが、元新聞記者の癖に取材しているようでそれほど
取材していないんですね。それは佐高信も同様です。
ほとんどの文章が憶測でしかない。

憶測や宗門サイドの意見ばかり取り上げるので、結局何の決め手にもならない。
我々学会員が驚くような事実が出てこない。乙骨氏と似たり寄ったりなんです。
むしろSGIさんの書き込みのほうがオッという新しい情報がありますよ。
SGIさんがうそを書いているとは思いませんが、
所詮私らではSGIさんの言葉が事実かどうかの確認など
できないわけで、最後はどっちを信じるかということに行き着くのでしょう。
SGIさん 一度実名で本などお出しになったらいかがですか。
yurikoさんと私はきっと買いますよ。楽しみにしています。

667 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/24(水) 14:24
SGIさん 続きです。
SGIさんがいろんな経緯があって学会を去り宗門に行ったというのは、
信念に基づいてのことでしょうから私は尊重します。創価仏法の原理で言えば
私のような考えは慈悲がない行為なのかもしれませんが、
宗教の選択は誰しも認められた権利ですから、どうしようもない。
私の経験でいえば大概の学会員の友人も私と同程度の考えですよ。
首に縄を引っ掛けてでもなんていう大慈悲の持ち主はお目にかかった
ことありませんです。

私がいつも釈然としないのは、
末端会員はともかく、学会を去って行った元幹部の方たちは、
自分が折伏した人やあるいは自分の部員さんだった人に対して、
学会を去る決意を彼らに説明しているのかということです。
あまりしていないのではないか。

というのは、責任者であれば座談会に出ようとか折伏しようとか、
公布基金しましょうとか、ずいぶん会員に対して働きかけてきた
わけでしょう。働きかけていたにもかかわらず、黙っていつの間にか
学会を去ってしまうというのはある意味無責任だと思うのです。
特に若い世代。学生部とか男子部時代なんていうのは
結構無理に部員さんを活動に引張り回しているはずなんですね。
今まで引っ張っていたのに説明も無くいなくなってしまう。
去ってゆく時にいろいろ心無いようなことを言う輩もいるでしょうから、
つらいのも分かりますが、置手紙くらいはして頂きたいものです。
この件についてSGIさんはどのようにお考えですか。
名無しのままでいることは少しわけがるものですからお許しください。

668 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/24(水) 14:49
>>664
SGIさん 私も当時学生部だったので、太田昭宏さんが彗星のごとく青年部長に
就任されて瞬く間に学会員の気持ちを掴んだのを記憶しています。
池田先生が勇退された数年後で、山崎氏・原島氏という大幹部が離反したときですね。
溝口男子部長という方も居られましたが、山崎元顧問弁護士と
マージャンばかりしていたので左遷されたという噂が流れていました。
でもそのときから、太田さんは将来は公明党に戻る方で、
いまこの難局のときに学会で指揮を取っているピンチヒッターだ
という風にきいてましたよ。公明党は太田さん。
そして、学会のほうは浅見さんが将来会長になる。
そのように聞いておりました。
浅見さんもねえ。学生部長・男子部長・青年部長というときは、
輝いて見えたものですが・・・・。

669 名前: Leo 投稿日: 2003/12/25(木) 02:29
名無しさん。

(気になったので横レスさせて頂きます...)

以前の書き込みでSGIさんは学会を追われたということをいわれていました。
ですので、去るときに説明して行くとか去るのは無責任とかは問えない
のではないかと思います...

670 名前: 名無しさん2号 投稿日: 2003/12/25(木) 13:45
聖教新聞というジャーナリズムに名を借りた会報が宗門や
脱会者をいろいろ批判していますが、新聞の癖に取材しているようで
それほど取材していないんですね。それは創価新報も同様です。
ほとんどの文章が憶測でしかない。

671 名前: SGI 投稿日: 2003/12/25(木) 23:34
>>665 フレッツさん
>知っていらっしゃることを全部お願いしたいくらいです。
―― そんなことをしたら、この世から消えているかもしれません。
>本部を仕切っていたのは原田氏ということでしょうか。
―― 仕切っているのは、秋谷会長です。原田氏は単なる“事務屋”です。
 また、名誉会長が箱根に逃げ隠れていたのは「言論問題」の時です。私の印象では、「五十二年路線」の時は、名誉会長はどちらかというと“強気”だったように記憶しています。
 名誉会長が逃げ隠れるのは、たいてい世間的に「池田問題」が噴出しマスコミなどが騒ぐ――例えば『月刊ペン』事件や国会喚問などが取り沙汰された時などで、80年代は海外に長期滞在しておりました。

 「五十二年路線」の収束=“お手打ち”へ向けて宗門との折衝役が、山崎氏、原島氏、原田氏、野崎勲氏でした。このうち山崎・原島の両氏は、日達上人のご威徳に触れ「ミイラ取りがミイラ」になってしまったのです。
 また野崎氏は、学会組織では男子部長として「池田本仏論」の浸透を図っていた当事者の1人でしたので、宗門サイド(活動家僧侶)への説得力を持ち得ず、昭和54年の終局場面での取りまとめは原田氏ということです。でも、シナリオを書いたのは秋谷会長だと推測しております。

 原田氏は、抜群の記憶力の持ち主です。名誉会長の“伝説・神話作り”にはなくてはならない人でした。名誉会長が出席する会合や記念写真撮影会等では、あらかじめ事前に参加する会員の名簿やプロフィール、エピソードがまとめらます。その報告内容を原田氏が頭に入れ、名誉会長に影のように付添い、耳打ちしながら“1人の会員をも大切にする、何でも知っている池田センセー”を演出しておりました。
 また、接遇(名誉会長への貢物を捌くセンター)では、名誉会長の指示が次から次へと気ままに出されますが、その1つ1つをメモを取らず、きちんと確実に処理できるのは原田氏しかおりませんでした。つまり、原田稔・現副理事長は優秀な典型的な創価官僚なのです。

 原田氏の職員としてのスタートは「聖教」の記者。小説「人間革命」を担当(執筆ではなく原稿の収受)した時、名誉会長の目に止まり、第一庶務室長の抜擢され、本部幹部・職員として主流に入り、本部事務局の事務総長へと登りつめました。
 長く事務総長として絶大なる決裁権を持つため、彼の決裁がなければ業者を指名することができません。だから業者の攻勢も凄まじく、まともに自宅に帰っていないとか。赤坂に“彼女”がいるらしいとの噂を聞いたことがあります。

 この原田氏の“おいしい生活”を真似て、学会会館に自動販売機の設置をめぐりリベートを着服したのが浅見茂副会長で、彼はリベート問題が明るみに出てしまい(『慧妙』等でご存知の方も多いでしょう)左遷となった、というのがもっぱらの噂です。
 この件が明るみに出た時、本部は会内に「綱紀粛正」の通達を発しております。
 浅見氏は「頭の中まで筋肉」と称され、「間違って男子部長になった」と評される程で、無内容な空威張りだけが得意のゴマスリ男だったため、誰も庇う者がいなく、やむなく信濃町を後にしたのです。珍しく身から出た錆で出世を閉ざした本部中枢幹部となりました。


「名無しさん」さんへの返レスは、また今度。ごめんなさい。

672 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/26(金) 01:33
参考
http://www.forum21.jp/contents/contents8-15.html
特集/知られざる創価学会本部職員の腐敗の実態(8/15号)

673 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/26(金) 16:54
平成二年、池田先生は酔っぱらいの難癖のように、全国幹部会という本来なら晴れがましい籍で、何の脈絡もなく日蓮正宗の管長を批判する。
その翌日に九州の普賢岳が噴火。
そんお凄まじい火砕流は、梺の町全てを飲み込み、焼き尽した。
普賢岳の普賢とは、普賢菩薩から来ている。
普賢菩薩とは、法華経の28品普賢菩薩勧発品と結経である仏説観菩薩行品経出て来る菩薩。
普賢菩薩は、衆生の臨む所に何時でも現れて、法華経を説くことを誓う。それだけではない、
普賢菩薩は、法華経を行ずる者を守護することを誓い、法華経を行ずる者を迫害する者を、例えそれが正統性のある、真実であろうと、厳しく罰することを誓っている。
したがって、池田名誉会長の言い分が例え、もっともな部分があったとしても、法華経を行じていた日蓮正宗法主m
を誹謗中傷したことは、大謗法であることは明白なのである。
Kenさんは、酷い錯覚から現証の意味を履き違えて、私を批判していたが、これこそ現証と思う。
創価学会会長は、即刻、(今からでも遅く無い!)雲仙普賢岳周辺に住む住人一人一人に頭を下げた上で、金銭的な意味も含めた「損害賠償」を行うべきなのである。
これは、既に述べたが人間革命12巻に、謗法と自然現象、とりわけ火山噴火との関連性について述べてある。
(個人的には、迷信の類いだとは、思っているが、何とも気味が悪い)

674 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/26(金) 17:53
新人間革命批判
烈風#16
この抄では、主に昭和43年に起きた言論出版妨害事件を扱ってる。
内容は、例によって、憤版物である。
自分達が起こした社会的醜聞を、「人の噂も75日(この場合30年)」とばかり、事実の歪曲、糊塗が露骨に行われている。
『出版関係業務に携わるメンバーのなかに、取り次ぎ店や書店で批判書の非道さを訴え、取り扱いの配慮を要請した人はいたようだ』
『義憤を感じてのこととはいえ、一部の学会員の取次ぎ店や書店への訴えかけが、”組織的な圧力”などと喧伝されてしまったのである。』
『気持ちはわかるが、一つ一つの行為が結果的にどう見られるかという客観的なものの見方、慎重さを欠いていたことは間違い無い』
『学会員の怒りは、確かに激しいものがある。自分達の団体が「狂信者の群れ」「ナチス」「愚民化」などと罵倒されれば、普通の神経なら、誰でも怒りを覚えるであろう。また、一部に抗議する人が出るのも当然である』

675 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/26(金) 18:24

実に手前勝手な言いい草である。
池田に言わせると、事件はあくまで、偶発的なもので、悪意はなかったことを強調している。
そして、何より、組織的関与の否定だ。
このパターンに何か思い当たらないだろうか?
選挙違反である。
創価学会=公明党は、選挙違反を公然と繰り返し、それに対して、「シラを切り通してきたからこそ」今まで生き長らえて来たのである。
ところが、実際は、現在でも毎号の聖教新聞に池田名誉会長の朱色の校正が入って、真っ赤になるように、創価学会は、池田の支持が隅々まで、行き届かないと一歩も動かない組織なのである。
言論出版妨害も池田の直接の指示の結果であることは、間違い無い。
その上で、わざとらしく『気持ちはわかるが』などと、他人事である。
いい加減にしろと言いたい。
面白いのは、次の表現である。
『狂信者の群れ』『ナチス』『愚民化』
私の手元に、「創価学会を斬る」はないのだが、何回も読んだ。
私の記憶では、内容的にそう取れないこともないというものはあったが、上に挙げた表現はなかった。
これは、かえって自分達を卑下しているようで滑稽な観がある。
手前勝手な屁理屈で、自分達の立場ばかりを正当化する。ーー創価学会=公明党の永遠のパターンである。
自分達の無軌道な行動によって、どれだけ多くの人が迷惑を被ったか知れない。
それに何より、池田創価学会=公明党は、自分達の傍若無人ぶりが「言論出版妨害」を引き起こしたことを認め、世間に対して詫びたのではなかったのか?
それが、30年も経ってから、手前勝手に事実を歪曲して、自己正当化をするとは、卑怯としか言い様がない。

676 名前: SGI 投稿日: 2003/12/27(土) 00:14
「名無しさん」さん

>>666
 古川利明氏の3部作=『システム』『シンジケート』『カルト』は、ここ10数年の“学会情報”をまとめた・集大成したという意味では力作でしょう。
 けど、「名無しさん」さんがご指摘のように、“二番煎じ”の観は否めません。おそらく勝れたディープ・スロートを掴んでいないのだと思います。やはり故・内藤国雄氏や段勲氏の方が一日の長がありますね。
 また、それだけ最近の学会内部での「管理」が厳しいのかもしれません。私ですら、学会時代の友人や知人との接触がままにならない程ですから。本部幹部・職員にとって、外部者や、ましてや敵対者に会う・話すということは、ほとんど自殺行為に近いものがありますからね。

>最後はどっちを信じるかということに行き着くのでしょう。
―― そうですね、その通りだと思います。
 だからこそ、より広く・多くの情報収集と妥当性の検証・検討が欠かせません。
>一度実名で本などお出しになったらいかがですか。
―― そんなことをしたら、生活が破壊します。
 段勲氏や乙骨正夫氏は、そうした言語を絶するような凄まじい学会サイドの“プレッシャー(迫害)”の中で活躍されているのです。この度の『週刊新潮』連載「新・創価学会を斬る」の山田直樹氏も、もう二度と平穏な生活には戻れないでしょう。大変な覚悟の上のことだと拝察します。
 なお「新・創価学会を斬る」も、古川氏と同様“二番煎じ”のレポートに終わってしまいました。ちょっぴり残念。

>>667
>今まで引っ張っていたのに説明も無くいなくなってしまう。
>置手紙くらいはして頂きたいものです。
―― 全員が、とは申せませんが、多くの方々が個人的には懸命にそうした行動を取っております。
 でも“点”は“線”にならず“線”は“面”に広がらないのです。局所に限られてしまうのです。それだけ本部機構の対応・対処が凄まじいのです。
 円満退職であっても、退職前後しばらくの間は行動の一切が監視下に置かれ、会話や通信の自由が奪われることがあります。造反・敵対、あるいは不本意退職者であれば、それに口コミを使っての人身攻撃を付加し、信じられないような“人格破壊者”に仕立てられますし、様々な場面で迫害や嫌がらせを受け、そうした事への対応に追われ、かつての友人知人・後輩への接触はできません。それでも中には、今般の「宗創戦争」が起こった頃は、共同で手記を出版した職員や議員がいました。

677 名前: 投稿日: 2003/12/27(土) 00:18

SGIさん、こんばんは。
森重さんのお子様って現在どうしているのでしょうか。

678 名前: 投稿日: 2003/12/27(土) 00:19

もしかして、そういう存在は、やっぱりいないのかしら。

679 名前: SGI 投稿日: 2003/12/27(土) 00:39
>>677-678 蘭さん、こんばんは。
今すぐには確認できませんが、
昔名誉会長も在職していた大蔵商事の後身会社(商号を思い出せない)が森重さんのマイカンパニーになり、学会関係の物件等の保険代理業を営んでおり、その会社の役員に就任している、と認識しております。
たしかそうだったと聞いたことがあるのですが、不確実情報として受け止めてください。

680 名前: 投稿日: 2003/12/27(土) 00:57

SGIさん

返事をありがとうございます。教えていただいて、ありがとうでした。

それでSGIさんは、学会は除名にはなっていないんですよね?確か。
違っていたら、すいません。それで今は寺院に通う日々なのでしょうか。
それで学会と宗門両方見られていると思うのですが、宗門が偽本尊と言ってる
学会の本尊を拝んで「不幸せになりました」って言って、宗門に行かれている方
は結構いるという感じをお持ちですか?宗門の方に聞くと「いっぱいいますよー」
って聞くのですが(笑)どうも昔からの人間関係で信用できない方なので
それで聞いてみたいと思いました。

それと、たくさん読ませて頂いて、結果的に「現象面」で、池田先生の
意思が通ったという事実。それをもって「勝った」とするなら、やっぱり
どう考えても「題目を徹底的にあげてるから」だと思ってしまいます。
なんだか読んでてそう思いました。魑魅魍魎の頭のいい本部職員達の中で、
あれだけの位置を維持できる題目の一念みたいなものを感じてしまいました。
(ちなみに私は一応、気持ちの上ではバリです・・爆)

それと、以下のサイトはご存知でしょうか? 私は原告ご夫婦を知ってますが
SGIさんは、どう思われますでしょうか。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/jinken/

681 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/27(土) 02:44
yuriko さん

ここは人革批判として yuriko さんが作った場所ですが、話の流れて使わせてもらっています。すいません。

SGIさん

ありがとうございます。
自動販売機の話は有名ですね。そうですか。原田氏はそういう方ですか。
会則変更では、会長の権限が更に増したようですが、秋谷氏、原田氏、八尋氏あたりが実権を握っているのでしょうね。

蘭さん

池田氏は、朝の勤行・唱題を5分で終わるのが普通と聞いたことあります。
「勤行が始まる」=「すぐ終わって、動きだす」から、勤行が始まった瞬間から周りの人がせわしくなるそうです。
伝聞ですいません。

682 名前: yuriko 投稿日: 2003/12/27(土) 03:41
>>675訂正
いい草

言う種

683 名前: 投稿日: 2003/12/27(土) 04:15
フレッツさん

それは今でしょ。これは誰しも経験があると思うんですが、昔つんだ題目の
体験の福運なのかわかんないですが、確かにそういった部分はあるんですよ。
私にもあるもん。じゃなきゃ、これだけ嫌われている創価、誰がやるかっての。笑

684 名前: 名無しさん 投稿日: 2003/12/27(土) 05:32
>>676
SGIさま
ご返事ありがとうございます。それほどひどい迫害を受けるのでしょうか。
「信じられないような“人格破壊者”に仕立てられますし」
まあそのようなことを言う人も確かにいますし、それを鵜呑みにする会員も
いるとは思いますけど、私の友人知人(学会員)などはそれなりの理由があった
のだろうと考えていますよ。だからこそ、そのような一人歩きする噂話を
防ぐためにも置手紙のようなものが有効なのではないかと思います。
それにしても、学会員の中で去ってゆく者に嫌がらせをする輩というのは
信じられませんなあ。一時的な感情からの行為なら判らなくもありますが、
継続的に長期にわたって嫌がらせをするとなると放っては置けません。
結局そのようなくだらない噂話を仕込むような人は信用されないんじゃないかなあ。

685 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2003/12/27(土) 09:59
横レス失礼します。
>>679:SGIさん御指摘の会社は、「蠧章」のことではないでしょうか。

「この、創価学会施設の保険について、代理店として、一手に取り扱っているのが蠧章であり、この会社が、池田大作がかつて営業部長としてすご腕をふるっていた「大蔵商事」の後身であることは、すでに述べた。
 保険の他に、創価学会施設の清掃管理、車輌の運行・管理・運搬・輸送(以上、日本図書輸送)、会員向け創価学会書籍の販売(博文堂、鳳書院、青春書店等書店群)、ビデオ、フィルム、テープ、CD、それらにともなう電気製品等の製作販売(シナノ企画)、仏具をはじめとする創価学会グッズの製作販売(東洋物産・千居、八葉)、印刷(ひさご印刷)、聖教新聞等出版物の用紙(和光社)、戦略的な書籍・雑誌の出版(潮出版社、第三文明)、建設設営関係(創造社、栄光建設)、創価学会員の葬儀(白蓮社、報恩社等)、会館警備(日光警備保障)等々、創価学会の外郭会社は、いずれも創価学会に寄生し、会員を独占的に喰い物にし、搾取するシステムの、重要な部分を担う機関として発足した。
 そして、その基盤の上に、一般市民を顧客として開拓し、発展していった。
  "数百万人"という固定客を確保した上での事業展開であるから、一般同種企業に比べて、はるかに有利であることは言うまでもない。
 オウムのパソコン会社が、70億円の売上げで世間を驚かせたが、創価学会の外郭会社はそんなチャチなものではない。」(「池田大作の経済的野望」より)

ご参考までに。 m(_ _)m

686 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/29(月) 12:10
蘭さん

カミナリが恐くて題目あげたことはあったでしょうが、大蔵商事でお金を持ち始めてからは、
ほとんどないんじゃないでしょうか。
あまりに信心がないことを夫人が戸田先生に相談したぐらいですから。
それに、うまい手段を選べば、今の地位を確保することは可能でしょう。
我々学会員は、いい事があると題目の福運と考えますが、神のお陰と考える人もいます。
どちらが正しいかは分かりませんよね。
私は池田氏の「成功」は、経済力を用いた制圧によるものと思います。
学会は社会に対して同じことをやっていますよね。

687 名前: 投稿日: 2003/12/29(月) 22:16

フレッツさんさ。。。

カミナリ云々というのは、入会のときとこと言ってんだろうけど、その当時や
大蔵にいたときのこと言ってんじゃないのよ。第一、私はそれを書物で
知ったんじゃなくて、石田次男とか、それこそ戸田先生の奥様から聞いて
そう実感したんだからさ。もっとちゃんと物事勉強して言ってよ。

688 名前: 投稿日: 2003/12/29(月) 22:18

それと戸田先生の奥様が、なんでそう戸田先生にいったのか、それくらいの
ことも把握しないで言っても、なんだか説得性ないんだよね。その背景も
ちゃんと知った上で言ってくんないと、なんだかコピペ相手にしているみたい
じゃないの(笑)。

もうちと、SGIさんまでとは言わなくても事情を知った上で書き込みした
ほうがいいと思うなあ。いちいち説明しなきゃなんないのは、しんどいっすよ。

689 名前: フレッツ 投稿日: 2003/12/30(火) 02:26
蘭さん

了解です。失礼しました。
私は、今となっては、SGI さんや yuriko さんが知ってること等で知るしかないですが、
少なくとも、みなさんの話からは蘭さんとは違う印象を持ちます。
戸田先生夫人と交流があったとは。。。蘭さんはかなり本部に近い方でしょか?
蘭さんの知っていることもお聞かせください。時間のあるときで結構です。

それから、池田氏が今の地位にいることと彼の過去の信仰とが結び付く根拠が
私には分かりません。
フセインが最近まであの地位にいたことととの違いが分からないのです。
金日正が二世にもかかわらずあの地位にいることができることとの違いが分かりません。
違いが分からないので、なおさら蘭さんと違う印象を持ってしまうのでしょうね。

690 名前: SGI 投稿日: 2003/12/30(火) 02:41
>>639 の続き、太田昭宏氏のこと。

 最近のことは判りませんが、以前は本部に就職すると、あらかじめ配属先が決まっていたとしても、とりあえず全員で1〜2ヶ月位の新人研修を受けます。全体研修を終えた後、配属先が通知されますが、この場合配属先は、本部・聖教のみならず大学・学園、党、民音、潮、第三文明などの外郭・関連会社等すべてが対象となります。

 太田氏は、京大大学院から公明党機関紙局へ配属となりました。その後「公明新聞」記者としての仕事ぶりや在京での活動ぶりが高く評価され、男子部中枢幹部として頭角を現し、本部に転属。そして男子部長、青年部長、総合青年部長へとエリートコースを駆け上がっていきました。
 青年部長時代には、定数2議席だった参議院神奈川選挙区や東京都議八王子選挙区で奇跡の当選を果たしたり、埼玉・所沢の西部ライオンズ球場での「雨の文化祭」を指揮したりの数々の偉業をなし、「不可能を可能にする男」とか「不敗伝説」を作り、圧倒的な存在感とカリスマ性を生み出しました。

 会の内外でファンが多く、会内では全国各地から招来が望まれ、太田氏が出席する会合には青年男女部員だけではなく、壮年・婦人部でも参加を希望する人が多かった。野村克也夫妻らとの交流も深く、夫人の沙千代(サッチー)さんを公明党系の新進党候補として立候補へ説得したのも、太田氏でした(今となっては、隠しておきたい事実かもしれません)。いずれにせよ、学会の中枢幹部では数少ない対外折衝(社会的に通用するという意)ができる人でした。

 城久氏が急逝し後継路線が混沌とした時、こうした太田氏の存在が、>>664にも記しましたが、とても目障りなものとなったのでしょう。どこともなく「太田はいずれ公明党に戻す。党にとって必要不可欠な人材だ」との噂が流れ、いつの間にか太田氏の議員転進が既成事実となっていきました。
 そして、衆議院選挙の立候補予定者が発表された時、太田氏は竹入さんの後継者として旧東京10区から立つはずが、なんと最も当選が難しい最大激戦区の旧東京8区に回されていたのです。東京10区は全く無名の新人で弁護士の山口那津男氏でした。

 この時ある会合で、名誉会長は「太田は苦労が足りない。もっと汗をかいてみろ。あえて東京8区で挑戦させる。獅子がわが子を谷に落とすようなものだ」あるいは「たれ目の人間は裏切る。信用できない」とも語っていました。この発言を聞いて、多くの者が「ああ、太田さんは先生に嫌われているんだ。太田さんに組すると、とばっちりが来るな」と受け止めたのです。

691 名前: SGI 投稿日: 2003/12/30(火) 02:44
>>680 蘭さん
>学会は除名にはなっていないんですよね?確か。
―― へぇ〜、除名になると、通知書が来るんだ。知らなかった。
 私の場合、人づてに聞くところによると、ある会合で数名の方と共に名前が読み上げられ、「先生に背き、同志を裏切った者として、永久にその断罪を追及していく。今後は一切交流・接触してはならない」との決議がされたそうです。これは除名ではないのでしょうかね。
 そういえば、この決議があった年から、私から年賀状を出しても全く返事が来ません。今年も年賀状を書きながら、そんなことを思い出しました。

>宗門の方に聞くと「いっぱいいますよー」って聞くのですが
―― 私が所属する寺院では、今年の御本尊下付は三桁(100世帯)には達しませんでしたが、その3分の2は脱会者です。このうち半数以上の方が「学会のニセ本尊を拝んでろくな事がなかった」と語っております。体験ですので、その人にとっては真実でも、それを客観的に証明することは難しい事柄です。学会では、その反対のことを喧伝しているわけですから。

>以下のサイトはご存知でしょうか? 
―― 知りませんでした。拝見させていただきました。
 これも、>>684 の「名無しさん」さんに知っていただきたい、学会の真実の1つの姿です。
 継続的に長期にわたって人身(人格)攻撃する在り様は、聖教新聞の座談会からでも容易に想像できることだと思います。
 蘭さんは、原告のご夫婦をご存知のようですから、果たして学会サイド語る人間像が本当なのか否か、教えていただければありがたいものです。
 
 それにしても、学会の病理は深刻な状態、ある意味では末期的な状況なのかなと考えてしまいました。結局のところ、本部が組織が認めない活動や運動は排除されるということなのですね。別スレで話題になっているイラク派兵反対の署名活動も、ガス抜きの段階であればお咎めがないのでしょうが、一人ひとりが自分の頭で考え行動するようになると、きっと活動停止の働きかけがあると推測します。

 30年ほど前、婦人部に主婦同盟という別組織が作られ、やはり本部のコントロールが利かなくなった時、主婦同盟の活動は潰され変質を余儀なくされました。言葉・指導とは裏腹に会員の“目覚め”を恐れるのが、信濃町本部中枢なのでしょう。名誉会長が最も望んでいないことを本部幹部は一番よく知っているのです。

692 名前: SGI 投稿日: 2003/12/30(火) 02:48
>>686 フレッツさん
私も、名誉会長の今日の境遇は信仰(御本尊)の力とは捉えておりません。

693 名前: ドラえもん 投稿日: 2003/12/30(火) 20:10
以前、俺の支部の男子部達で外部の友人や有志をかなりの人数集めて
市民会館で反戦の朗読会をやろうとしたら、本部・支部幹部に潰されたね。
確かに学会員どうしがグループをつくっての独自の活動は警戒している。

694 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2003/12/31(水) 10:39
ところで俺は最近、蘭がアンチの成りすまし学会員じゃないかと
思うんだよ

理由その一:池田大作を貶める発言を良くする

創価学会がせっかく「ガンジー・キング・池田」などとやって
池田大作が、大切なもののためには命もかけるような偉大な人物だと
必死に宣伝してるのに、池田大作は世界平和より自分たちの幸せを優先する
奴だと事あるごとにいろんな掲示板で発言しまくってイメージダウンに走り回っている

理由その二:公明党は世界平和の役には立たないと発言している

公明党はアメリカ様には逆らわない政党だと公言しているので
将来万が一公明党が単独与党になったとしても、アメリカ様が「右向け右」
と号令をかけたらその通りの行動をするので、今回のイラク侵略のような
アメリカの横暴を阻止する勢力にはならないと認めている

理由その三:創価学会は日本を大日本帝国にしようとしていると言っている

理由その一で言った通り、池田大作と創価学会は世界平和より自分たちの幸せを
優先する団体だと言っているので、まかり間違って日本がアメリカ並みの
国力を持った場合、今のアメリカのように自分たちの幸せのために
他国を侵略すると認めたも同然である

このような巧みなイメージダウン活動を、小野のような狂信学会員にすら
アンチだと悟られずに堂々とやれるというのはかなりの奴だぞ

695 名前: Leo 投稿日: 2003/12/31(水) 13:23
>>680 気になったのでレスします。

>それと、たくさん読ませて頂いて、結果的に「現象面」で、池田先生の

これは「現証」かな?

>意思が通ったという事実。それをもって「勝った」とするなら、やっぱり
>どう考えても「題目を徹底的にあげてるから」だと思ってしまいます。

「(会員が)題目を徹底的にあげる」は学会指導ですが、池田氏が「徹底的に題目をあげている」
ということは聞いたことがないです。看護士の人材グループが夫妻の健康を祈る題目を
あげているということはよく聞くところです。(このような人材グループでけでなく
幹部や一般会員もやってることですが、それだけ専門の唱題会はないですね...)

>なんだか読んでてそう思いました。魑魅魍魎の頭のいい本部職員達の中で、
>あれだけの位置を維持できる題目の一念みたいなものを感じてしまいました。

そうすると、池田氏は魑魅魍魎の統領であり、魑魅魍魎中の魑魅魍魎ということに
なるのでしょうね。
(蘭さん的には男と生まれたからには怪物と呼ばれれるくらいじゃなければ
ダメだと仰ると思いますが...)

696 名前: RIN 投稿日: 2003/12/31(水) 15:34
>>693
なんか、がっかりですね。。。
せっかく内側から湧き上がった行動を阻止するなんて、組織の保身に走ってますね。
やってみて、失敗したらそれはそれでまた次の糧になるはずなのですが、、、

他のスレで女子部の方もイラク自衛隊派遣についての勉強会をやろうと呼びかけたところ
反応がよくなかったらしいです。なんだか疲れてきたとおっしゃっていました。
最近いらっしゃらないですが、組織の雰囲気にのまれずにがんばってらっしゃるといいのですが、、、

697 名前: SGI 投稿日: 2003/12/31(水) 17:55
>>674-675 「言論出版問題」に関連して

 今、学会内で宗門・法華講への対応・工作を目的とする「教宣部」あるいは「広宣部」なるセクションが組織されていますが、30数年前には、対マスコミを目的とする「言論部」なるものが同じように存在しておりました。

 この「言論部」なるセクションがやっていたことは、会内で比較的知的レベルが高く文章等が書ける人を集め、マスコミへの投書活動が中心でした。
 昭和30年代の「折伏大行進」で、社会の様々なところでいろいろと軋轢が生じ、それがマスコミによる「暴力宗教キャンペーン」につながったため、池田執行部にとってはマスコミ対策が重要課題に位置づけられ、組織を挙げて精力的に取り組まれたのです。

 本部では、マスコミ関係者へのプレゼント(付け届け)や招待旅行、シンパ作り、ランク分け・色分け等の懐柔策を展開。
 また、潮出版社からは総合雑誌『潮』や週刊誌『週刊言論』、子供向け雑誌『希望の友』『希望ライフ』、婦人向けの『婦人と暮らし』等を次々に創刊させ、学生部の機関誌だった『第三文明』も、出版社を立ち上げ一般雑誌として対社会へのチャンネルに加えていきました。
 さらに、「言論出版問題」でも明らかになったように、取次店・取次会社への関与や書籍出版の事前検閲などを試みるようになっておりました。 

 一方、組織では「言論部」―「教宣部」同様、非公式な暫定的なセクション―が主体となって、学会の素晴らしさを取り上げるよう要望したり、信仰による功徳の体験談を投稿したり、アンチ学会記事には抗議文や反対論を集中的に投書したりしておりました。
 こうした投書の嵐に、マスコミ各社はうんざり。学会に関わると、面倒なことになる・煩わしいことに巻き込まれるといった認識が生まれ、多くのマスコミ各社が、学会記事を取り上げる事を止めました。かろうじて出版社系の週刊誌だけが学会圧力に対抗していたのです。

 昭和40年代のマスコミ界では、“菊”“桜”“鶴”が「3大タブー」といわれ、すでに学会記事はメジャーメディアでは登場しなくなっていた。そうした鬱積した状況で「言論出版問題」が起こり、共産党が『赤旗』紙でキャンペーンを展開し、国会問題へと発展することで、一気に学会問題が再びマスコミ(メジャーメディア)の遡上にのぼり、池田執行部は窮することになったのです。
 これが、「言論出版問題」の背景であり、小説「人間革命」に描かれるような、会員の個人レベルでの義憤から生じた不幸な誤解に満ちた問題といった事柄では断じてありません。

698 名前: SGI 投稿日: 2003/12/31(水) 23:05
>>690 続き

 太田昭宏氏が名誉会長に疎まれたのは、太田氏が単なる「イエス・マン」でなかったからです。
 もちろん学会主流から議員への転出は後継者問題が最大の要因ですが、太田氏が時には自分の意思で動き物事を決め成就することが気に入らなかったのだと思います。
 
 以前にも書き込みましたが、本部幹部・職員に求められる能力は、名誉会長の「意を体する」ことです。小説「人間革命」に描かれるような、師の想いを受け止めその志を実現していく、ってことは単なる外向けの“看板”か、山本伸一=名誉会長の宣揚でしかありません。

 池田創価学会にあっては、常に1番は池田大作であって、2番も池田大作、3・4がなくて、最後も池田大作なのです。名誉会長を凌ぐようなことをすれば、必ず排斥させます。だから今、学会中枢を牛耳っている秋谷会長ら最高幹部は、絶対に“影”の存在であることにポジショニングします。それが生き残る途なのですから。「意を体する」ことに長けている事を示すのが、最も重要なのです。「意を体する」とは、名誉会長を宣揚することにほかなりません。

 ですから、自分の意思で物事を決めることは絶対に許されません。これは本部機構だけではなく、公明党、大学・学園その他でも同じです。その構図は当然ながら一般会員にも及びます。会員一人ひとりが自立し、自分の頭で考え、自己の意思を持ち、行動することを最も恐れているのが、名誉会長および学会中枢なのです。
 
 だからこそ、会員を休みなく会合、会合、活動、活動へと追い立て、社会面やテレビ欄も載っている「聖教新聞」と口コミで情報を遮断し、濃密な人間関係の世界に沈め、その一方では「人間王者」とか「勝利」「人間革命」「蘇生」「世界平和」といった幻想を与え、創価の世界でしか通用しない充実感を持たせているのでしょう。
 幻想でしかないので、なんら社会には寄与していないし、幻想を形のあるものに創造しようとすれば、それは必ず名誉会長の「意を体する」範疇におけるコントロール下に置かれなければならないのです。
 学会は組織体であり、1つの統一した運動体であることがまず前提としてあって、一人の「人間革命」を通しての「総体革命」をめざすということで、決して一人ひとりの「人間革命」のために学会組織が存在しているのではありません。

 今の学会は、名誉会長のために存在し、学会自身のために存在し、存在することが自己目的になっております。したがって、名誉会長にとって、あるいは学会自身にとってプラス・利することでなければ、それが名誉会長(学会指導)の具現化活動だとの動機であっても、コントロール下になければ必ず潰されるでしょう。それが現実なのだと思います。

699 名前: Leo 投稿日: 2003/12/31(水) 23:47
うーむ。学会は巨大な一個の単細胞なのですね。

(期間も長くなくそれほど熱心でもなかったが)組織を離れてよかった。
2004年はマイ世界的には個人解放・個人勝利の年かな...?

700 名前: 投稿日: 2004/01/01(木) 04:00

SGIさん、あけましておめでとうございます。

先の質問ですが、私はその原告夫婦の人となりを信じていますし、また
学会で言われているような人物像ではないと思っています。原告の奥様は
今もその活動をしていますが、そういう姿は、ほんと尊敬できるものです。

701 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/01(木) 04:31
>>698SGIさん
>名誉会長を凌ぐようなことをすれば、必ず排斥させます。
。。。。
池田先生が健全な内はそれでいいでしょう。
池田先生が去年倒れた時、「やはり、来るべき時が来た」と思ったものです。
その後の回復力には、舌を巻きましたが、
人間70才を過ぎたら、何時何が起きても驚くに値しないと覚悟するべきでしょう。
池田先生の人生は、完全な最終章に入ったというべきでしょう。
そこで、今までは、後継問題は、噂の段階に過ぎませんでしたが、今年からは、もっと具体的形を持ってくると思います。
すなわち、真の後継者は、それなりの「カリスマ性」を持ってないと勤まらないと思うのです。
無論、池田先生のようなカリスマ性は望むべくもありませんし、創価学会の組織が拡大し、何より多様化してしまい、一人の指導者が全てを統率するというのは無理だと思います。(今でも、池田先生が『超能力』でその役割を果たして入るかのように見せていますが、それは完全な幻想です)
そうなると、どうしても象徴的存在にならざるを得ません。
そうすると、世襲しか考えられないのですが、何と言っても、SGIさんが繰り返し取り上げている『青年部クーデター」によって、『世襲を否定して』会長の地位を得た、池田先生にそんなことはできません。
池田城久というサラブレットが居た時は、それは、クリアできたのですが、博正や三男(名前忘れた)ではどうしょうもないと思います。
太田氏を公明党から呼び戻すというのもいい案かも知れませんが、私は何か、誰も思いつかないような「どんでん返し」があるような気がしてしょうがないのです。
池田先生は、「世間をあっといわせる」(社長会発言)が得意としているのです。

702 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/01/01(木) 16:22
]
               _-- ( ヽ、
            /  __\ \)ノ/リ
          /    <__ \ \/ノ
         /   /<__ \ \ ヘ /⌒/ あなたさぁ...
         /  〆  └--、ヽ、\ - \ |
         / レ\ =ミ=、__/丶  -     〉なんてゆうか...
       / ン/  (- =、 > <( \       |
       し/  ミ   'ー--ヘ/ \ミiヽ     {  言葉に説得力がないんだよね。
       リ/   /    ン /("ミ 、 、ヘ      > 、
       |    /<.o イ  'ー ヾ / >、  ∠/ヽヘ 苦労したことのない人間が言う...
     ,.-/|   -=、_/ "|   _∠/  \(⌒)   ノ \
   / | \ヽ   ヽ,-\}   ∠ノ      ヾ、 /    \そう、「ウソ臭さ」
 ̄<   !  `\      /___    \/ \(
_ \   !    > ー-- イ  \_    ̄ ̄\_\    ( みたいなものを感じてしまうんですよ。
!  ̄ ̄ ヽ /{  )\ |   ∠       ノ)ヽ、
       \ /⌒\ 〉   ̄ /       / >\
         \ い /     /       //ノ
          \ /     /       / / ̄
堀之内九一郎(55歳)
株式会社生活創庫 代表取締役社長/年商67億

703 名前: モーリス (JExy6YJA) 投稿日: 2004/01/02(金) 07:47
>SGIさん

今、このスレのSGIさんの記述を読み返しているところです。
ところで、読み返して気づいたのですが、大変申し訳ないことに
>>255へのレス>>261への御礼を未だ申し上げておりませんでした。
失礼しました。
遅れながら申し上げます。
どうもありがとうございました。

SGIさんにぜひこの掲示板で述べられていることを
書籍化していただけないものかと思ってます。
それでは続きを楽しみにさせていただきます。

704 名前: SGI 投稿日: 2004/01/03(土) 23:27
時折、こうしてINDEXしないと、何をレスがわからなくなってしまうので…。すみません。

◎『人間革命』批判
 ◆序論 = >>13-16 (\椎部クーデター>>13 ∨槎拭石田次男>>14 B膾綮件>>15 ぁ反誉犬了奸>>16
 ◆総説 =|單朕棲焚 >>251-252 ⇔鮖砲隣埖 >>296-297 資料「わが闘争」 >>162 >>165-166 づ喘飜楴 >>167 >>404
 ◆師弟神話 =‘信神話 >>30 >>32-33 >>46 年齢神話・編集者神話 >>47 N技畆蟲のこと >>71 さで曚蠑綣 >>74 ッ單賃精遒論淺が苦手 >>75 Δ泙箸 >>79 法華経講義 >>90-91 ┗寅勤行に出ない >>616
 ◆師敵対・亡恩の徒 = 峪愼穫拭弃し >>161 >>190 >>205 遺品を奪う >>168 27回忌法要 >>169
 ◆「師弟不二」論 =仝凝澄Φ疇 >>322 △垢蠡悗論理 >>323 D鏤劼瞭 >>332 な法違背 >>336-337 セ嫩鈩世浪羝 >>341 Σ馗控¬刃 >>377 北条前会長の急逝 >>381 >>383 地上の楽園 >>382 小冊子『前進』 >>393 「11.7お詫び登山」教学問題 >>436 よき檀那とは >>437 人生の師 >>439
 ◆大阪事件 = >>15 >>187 >>469-470
 ◆昔の指導 =‐説『人間革命』から >>586 ◆惺布と人生を語る』から >>587-590 C單腸馗垢了愼 >>591 じ妖腸馗垢了愼 >>597-599

◎学会秘史・実態
 ◆青年部クーデター = >>106-109 (〇暇甜篠構任>>106 ∩輒浬任>>107 主要ポスト制圧>>108 ぞ,討亟鰻>>109) ゲ馗構任 >>111-112 Р馗構身規定 >>261 >>263 ┯明党結成 >>627-628 言論出版問題 >>697
 ◆池田・秋谷40年 =ヽ慍颯謄ノクラート >>116 ⊇谷栄之助 >>117 8妖沈萓犬料曚 >>120 じ妖腸馗考用 >>123 ァ峪笋鮗蕕譟 >>124-125 主導権争い >>129-131
 ◆ポスト池田 = >>132-135 (\そ洩簑 >>132 ∨槁瑤凌融 >>133 ウルトラマン世代 >>134 に槁職員は家業 >>135) ゥ好拭璽螢麋稟 >>302 >>311 >>661
 ◆後継者指名 =,發掘崟佚賃寮」なら >>171 >>174-176 後継指名なし >>182-183 0筝世隣埖 >>186
 ◆学会の素顔 =仝凝隋Χ預 >>619 中西治雄 >>643 8凝通 >>664 >>671 ぢ静直執 >>690 >>698 ッ祺修血覆 >>639 Εリスマ性 >>663-664 Э与塙況 >>310 >>676 >>691

705 名前: SGI 投稿日: 2004/01/03(土) 23:28
後継問題について

 昨年5月、名誉会長の重体が伝えられたこともあり、少々「後継問題」に言及しております。⇒>>125 >>129-135 をご参照ください。

 後継問題を考える時、次の3つがポイントになるのではないでしょうか。
 〔祥晴馗垢凌感
 奥様・香峯子夫人の思惑
 K槁中枢の世代間確執

 ,量祥晴馗垢凌感とは、>>134 に記したように、名誉会長が人生の終焉に当り、「同輩中の第一人者」(委任の君臨)から「超越した第一人者」(絶対的独裁者)をめざし、秋谷会長らと修復のきかない軋轢を生み出した時、かのスタリーン批判のように名誉会長批判が吹き荒れる可能性があります。

 奥様・香峯子夫人の思惑とは、かね夫人(本名)が「ポスト池田」について、どのような在り様を望むかです。特に「池田家」の相続人は誰なのか、です。
 現在の学会は「池田王国(池田王朝)」にほかなりません。相続すべきは、池田家・SGI・創価学会の3つ。この3つは、今のところ不即不離の関係になっております。本部中枢は池田家と学会の分離を図っているところですが、間に合わない時、池田家の相続問題が学会の後継者問題に跳ね返るということになります。
 そしてややこしいのは、嫁姑問題と孫の存在が絡んでいるということです。中でも、故次男・城久氏の妻:みさ子夫人との関係と、長男・博正氏の子息と城久氏の遺児(といっても、もう成人ですが)の存在が池田家の相続を複雑にしております。

 世代間確執は、「団塊の世代」と「ウルトラマン世代」の確執または結束にほかなりません。「ポスト池田」あるいは「ポスト秋谷」は、集団指導体制であることは間違いないのですが、どの世代(年代)が主導権を握るかにあります。この辺りの序列が明定されないと、おそらく学会は常に分裂・内紛の危機に曝されることになります。

706 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/01/04(日) 08:42
学会の人は、池田一族が後継する事に抵抗はないのでしょうか。世襲など我々、一般人
からすると考えられないことなんですが。
これでは、北朝鮮となんら変わらないのでは。

707 名前: フレッツ 投稿日: 2004/01/04(日) 15:16
あけましておめでとうございます。

SGIさん、いつもありがとうございます。
池田王朝はどうなるのでしょうね。秋谷一派の実務派が長男博正氏を「劉禅」として学会を動かすのか。かね夫人が「則天武后」となるのか。
池田氏が学会に世襲はないと言ったのはいつのことでしたでしょうか?

708 名前: MILD SEVEN 投稿日: 2004/01/04(日) 16:36

ここで得た情報を活用させていただきます。
ありがとうございます。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

709 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/04(日) 19:36
>>707フレッツさん
>池田氏が学会に世襲はないと言ったのはいつのことでしたでしょうか?
。。。。
実際の語録は、是非、SGIさb=んにお願いしたいのだが、
法華講関連の小雑誌で、創価学会の今昔、耳語相違を扱ったものがある。
是非、欲しいのだが、なかなか、日本に行く機会がない。
池田先生が、ひたすら世襲を否定したのは、戸田先生が亡くなって、会長席が空白だった期間だった。
当時、さすがに、池田先生は、当時随一というくらい会長候補だった。
戸田先生存命中は、やはり石田次男氏が、次期会長候補#1だった。
それが、池田先生は、度々、選挙違反を繰り返しながらも、選挙戦で実績を挙げて、地歩を固めていった。
また、池田先生は、確かに知性は別として、渉外の能力に長けていて、人に取り入るのが上手かった。
その為、戸田先生は、池田青年を特に気に入って、常に傍に置いていた。
それで、戸田先生急性の後は、後継者は、池田という雰囲気が強かったらしい。(竜年光氏の手記)
これは、もうSGIさんも述べたことだが、戸田先生は、ある時期、自分の死期を悟り、幹部達が、万一に備えて、後継指名を懇願したのに、それを頑に拒否された。
それで、池田先生は、戸田先生亡き後、様々な裏工作をする。それらは、
1  「創価学会は世襲をしない。世襲をするのは、邪宗教の証拠」と吹聴
2  「次期会長は青年部から出すと、戸田先生が生前言っていた」と吹聴
3  「会長先生は仏様。嘘をつきません」と盛んに吹聴して、自分が就くであろう会長職を絶対化する
☆まさに、稀代の嘘つき池田先生の独特のアイロニーといえる。

710 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/04(日) 19:44
>>709 訂正
>それで、戸田先生急性の後は、後継者は、池田という雰囲気が強かったらしい。(竜年光氏の手記)

それで、戸田先生急逝の後は、後継者は、池田という雰囲気が強かったらしい。(竜年光氏の手記)

711 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/05(月) 01:17
>>709
訂正
法華講関連の小雑誌で、創価学会の今昔、耳語相違を扱ったものがある。

法華講関連の小雑誌で、創価学会の今昔、自語相違を扱ったものがある。

712 名前: フレッツ 投稿日: 2004/01/07(水) 02:21
yurikoさん

ありがとうございます。
いつどこの言葉か分かればいいのですが、会内の政治を中心に動いた彼であれば、そういう可能性はありますね。
SGIさんは御存知でしょうか。
私も第二次宗創戦争よりも前に聞いたことがあるのですが、どこでの話かは分かりません。

713 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/07(水) 05:34
池田流(秋谷流と言った方がいいのか?)人事は、滅多矢鱈に、役職の数を増やす。
元々、創価学会理事というのが、会長を補佐する最高幹部だった。
それが、今では、数が増え過ぎて、創価学会で石を投げれば理事に当たるとまで言われるくらい数が増えた。
これは、組織自体が拡大していた時期には、妥当な措置だったが、ゼロサム状況に陥った今では、あまり意味がない。
次に役職のインフレが起こったのは、「総務」。
総務という役職は、戸田先生亡き後、理事長と理事、参謀室、男女青年部を結び付ける、内容がはっきりしない総合職。
戸田先生亡き後、池田先生の為に、設けられたようなもの。(恐らく、池田先生の根回しの結果)
当然、最初はたった一人の総務だったのだが、今では、理事に次ぐ数の多さ。
もっとも、今でも総務を形の上では、創価学会の最高幹部の内に入る。
組織の最高意志決定機関は、一応、総務会議となっている。
副会長制が発足した当初は、絶対的地位にある会長を支える最重要役職だった。
会長代理まで務めた。形式的にも実際的にも、副会長が次期会長を務めた。
ところが、今では、やたらに副会長職もインフレ状態である。
しかし、それは、もっと実用的要素を持ち、組織の機構上の整理に役に立っている。
すなわち、副会長は、他の役職と兼任して、その役職の権威を高める。
例えば、副会長でも「関西方面長」とか、「中国四国方面担当」とかだ。
それが、最近わかったのだが、池田家の二人の子息も副会長に抜擢?されている。
三男の尊弘までもだ。
この男は、’青年部副総合青年部長からの、順調な昇進らしいが、いかなる実績があったのか、はっきりしない。
また、副会長として、どう会長をサポートしていくのかもわからない。
同じ副会長の博正は、自分お体験を本に書いて出版して、大儲けした。
無論、会員以外は殆ど買わなかっただろうから、親子による組織利用に過ぎない。
そこで、三男の尊広は、どこから給料を貰ってるのかわからないが、組織を食い物にしているのは間違いない。
ここら辺も、是非、SGIさんに解説をお願いしたい所だ。

714 名前: 会員β版 投稿日: 2004/01/07(水) 09:24
学会の現状に疑問を持つ一会員です。
ここに書かれていることは退会した人々によって著された出版物で読んだことも
ありますがそれを上回る具体的な事例が生々しく書かれており正直、驚いております。
 これが真実とすると池田氏は極悪人ではないかと感じますが私の周りのかなり
上位の幹部から一般の会員に至るまではこのような悪人は殆どおらず大変親切な方が
多いです。公明党の議員でも直接お会いし一緒に行動してみて大変善良な人々で
嫌な思いをしたことはありません。一般的に指導者がとんでもない人物であったならば
その所属する人々を多かれ少なかれその傾向を持つに至るのではないかと考えます。
このギャップはどこから生まれるのでしょうか。
このスレが池田氏や学会の欠点のみを強調するあまりそう印象を与えるのか、
それともこれが実像なのか正直半信半疑です。
確かに退会した人や邪魔な勢力に対しては常軌を逸した行動はとりますが
それを除けばそれほど会員のの行動はおかしなものではなく池田氏の5、6割は長所を
持った人でありそれ以外は当然欠点も併せ持った人と考えていただけにやや戸惑いながら
読ませて頂きました。

715 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/01/07(水) 13:39
お前が簡単に除いたその部分が問題になっているという事に気付け

716 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/07(水) 15:35
>>714 会員β版さん
> 上位の幹部から一般の会員に至るまではこのような悪人は殆どおらず大変親切な方が
多いです。公明党の議員でも直接お会いし一緒に行動してみて大変善良な人々で
嫌な思いをしたことはありません。
。。。。
よい所に気がつきました。
だから厄介なのです。
もし、悪人が悪人みたいな顔形をして、そういう振る舞いをしていれば、容易に悪を見破ることができます。
ところが、現実は、極悪人に限って、「これ以上にない、善人の面構え」をしているものです。
宗教家の前歴を調べてみると、詐欺師だったり、高利貸だったりすることが多いそうです。
彼等は、言葉巧みにスリ寄って、(利子は、特別サービス、期間内に返済すれば、無利子とか)あまりに旨い話しで、金を貸したりします。
★絶対の法則
1 錬金術は存在しない。
無から有が生まれると主張するのは、高利貸と宗教家だけです!
その両方とも、非常に詐欺師に近い存在です!
そして、不思議なことに、古今最高の数の勲章の数を誇る、我等が名誉会長の創価学会と関わった原点こそ、高利貸しであり、又宗教だったのです。
何とも皮肉なことです。
戸田先生は、元々教育者だったのが、たまたま事業に関わることになり、高利貸しをするようになったに過ぎません。
やはり、戸田先生の中では、牧口先生という純粋な教育者が絶対的な師匠として存在していたに違いありません。
戸田先生は、自分の俗物的な部分を充分自覚しながら、牧口先生と自分の関係を純粋なものに保ちたかったに違いないのです。
それは、数々の戸田先生が書き遺したものから明らかです。
また、日顕上人自らも、戸田先生の純粋な信仰心を称えています。
息子の喬一氏によれば、戸田先生は、猊下に目通りするときは、伏せ拝の儘、身じろぎもしなかったそうで、喬一氏は、「猊下様って、こんなに偉いんだ」と感動していたそうだ。
これは、戸田先生が宗門の権威主義を盲目的に称えていたものではないと思う。
なぜなら、戸田先生と日亨上人が戯れている微笑ましい写真などを見ると、そこには、相互に信頼しきった「友情」みたいなものを感じる。
これは、日蓮大聖人と四条金吾殿との関係に由来する伝統だと思う。
すなわち、師弟、聖と俗,、出家と在家のけじめをつけつつ、相互の信頼があったと思う。
ところが、名誉会長の場合、陰では、猊下の悪口の言いたい放題だったのは、今更証明の必要すらない。
池田先生は、伏せ拝どころか、合掌礼をしている姿を、誰一人観た者はいない。
これは、元池田先生側近?のSGIさんが、証言してくれると思う。
>>池田氏は極悪人ではないかと感じます
。。。
池田先生を極悪人と決めつけるなんて不当っです。正しくありません。
それなりに、立派な所も多いのです。
人間、欠点もあれば、長所もあるものです。
自分達のことを棚に上げて、他人を厳しく批判するのは、みっともないし、不当です。
しかし、米国大統領が常に世界で最も批判される人物なのは、それだけ思い責任を担っているからで、
もし、名誉会長が生きながらの「永遠の指導者」と自ら名乗るなら、それだけの責任も伴うべきで、
「本当に池田先生って、そんなに偉いのか」を様々な角度から、精査されるのは、本人の為にもいいことではないでしょうか?
創価学会幹部や公明党議員の大部分が、素晴らしい人格なのも、当然、そうあるべきだと思います。
ただそれが、彼等の無謬性の証明には当然なりません。
私の友人にも本部職員や公明党議員が多いですが、私は、脱会した今も、彼等に対しては、盲目とも言える絶対的信頼を於いています。
これは、何があっても変わることはありません。
それが、友情というものです。

717 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/07(水) 15:45

>池田氏は極悪人ではないかと感じます
。。。
池田先生を極悪人と決めつけるなんて不当っです。正しくありません。
それなりに、立派な所も多いのです。
人間、欠点もあれば、長所もあるものです。
自分達のことを棚に上げて、他人を厳しく批判するのは、みっともないし、不当です。
しかし、米国大統領が常に世界で最も批判される人物なのは、それだけ思い責任を担っているからで、
もし、名誉会長が生きながらの「永遠の指導者」と自ら名乗るなら、それだけの責任も伴うべきで、
「本当に池田先生って、そんなに偉いのか」を様々な角度から、精査されるのは、本人の為にもいいことではないでしょうか?
創価学会幹部や公明党議員の大部分が、素晴らしい人格なのも、当然、そうあるべきだと思います。
ただそれが、彼等の無謬性の証明には当然なりません。
私の友人にも本部職員や公明党議員が多いですが、私は、脱会した今も、彼等に対しては、盲目とも言える絶対的信頼を於いています。
これは、何があっても変わることはありません。
それが、友情というものです。

718 名前: 会員β版 投稿日: 2004/01/07(水) 23:04
>>716 yurikoさんへ
印象を書き込んだだけですがご丁寧にご返事頂きありがとうございます。
創価の会員は良い人もいますがちょっとついて行けない方もおります。
池田氏も欠点があるが概ね尊敬に値する人物ではないかと自分では
子供の頃からの習慣もありそう思っておりました。
しかし聖教の罵倒記事が延々と続きこの人は本当にまともな人なのだろうかと
いつしか疑問が生じました。>>715の方がご指摘のように退会者や対立する勢力、
かつての側近に対する冷酷なまでの扱いは彼の著書の中身とは異質のものです。
このあたりの矛盾する人格に対し疑問を持っていたところこのスレを偶然知り
様々な批判書の裏付けともなる証言を読み驚いております。
 特に戸田先生の遺産を巡っての醜い仕業が事実であるならばいくら長所があったとしても
とうてい尊敬に値するものではありません。私自身も欠点の多い人間ですがそのような
次元の話ではないように思います。
宗門から破門された頃、右翼の街宣車が本山を取り囲んだこと、それに学会が絡んでいたとの
状況証拠があること、日顕猊下の芸者遊びの写真を捏造したこと等々
一般の会員である私には真偽のほどが判定できないことが山ほどあります。
このレスが全部事実かどうか私には判断する材料は持ち合わせていませんが
今後は参考にさせていただくつもりです。

719 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/08(木) 01:21
>>718 会員β版さん
>このレスが全部事実かどうか私には判断する材料は持ち合わせていません
。。。SGIさんも私も裏が取れないことは書いていません。
特に、SGIさんは、元本部職員。
幹部でもありました。
御本人が脱会するに当たって、どれだけ悩んだか、察するに余りあります。
同志を裏切ったのではないかという罪悪感もあるでしょうし、池田名誉会長への、親愛、恩義、尊敬の気持ちもあるでしょう。
それだけに、自分の過去と決着をつける為に、知っていることを話そうとしているのでしょう。
私達は池田創価学会の素晴らしい面も充分認識していて、誇りもあります。それだけに、向上してもらいたいとの一心です。
一部のアンチ勢力のような為にする批判は一つもありません。
ただ、池田創価学会の一大特徴は、酷く政治的という点であり、人心収斂術が根本にあるのです。
別の言葉で言い換えれば、「騙しのテクニック」です。
私達は、信仰の根本にあるのは、真心であるべきで、それに、池田創価学会が反しているのは明らかで、
それを糾したいと思ってるだけなのです。

720 名前: フレッツ 投稿日: 2004/01/09(金) 21:37
世襲に関する発言は、新聞そのものを見てませんが、
1961年(昭和36年)10/7の聖教新聞に載っているようですね。
他、大作全集にもあるとの情報も得ました。
-----------------
先日、ある学者がきて、「創価学会は世襲制度ではありませんね」という話が出ました。
封建制度の残骸のひとつに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ
知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって世襲制度ということは、もっとも誤った、
いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正
佼成会も、全部世襲制度であります。代々の財産をそのままうまく受け継いで、金儲
けしようという、その縮図でもあるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、
宗教ではなく、〃邪教〃であると断言できる理由であると私は思うのであります。
日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。

721 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/01/09(金) 22:14
>>720

>日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。

でも、SGIは、永久に世襲制度ではありません と言っていません。

722 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/10(土) 01:27
>>721
>SGIは、永久に世襲制度ではありません
。。。。
なるほど、
SGIは、創価学会ではない、ということですね。
考えられるのは、SGIの名目会長を将来、博正が務めるということですね。
しかし、SDIは、創価学会インターナショナルの略称であり、創価学会と法人の面でも、一体だと思います。
もしも、SDIという組織を通して、世襲が行われるとしたら、それは、創価学会の財産の私物化になると思いますね。
博正が、何らかの意味で、その実力を証明すれば、話は別だと思います。
先に、出版した博正の本は、その為のワンステップかも知れません。
現在でも、池田先生のスイ=チ、対談は、池田大作企画の代理によってなされているから、
池田メソッド(そんなものがあるとしたら)を使ったら、誰でもSGI会長を務めるのに、問題はないのでしょう。

723 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/10(土) 07:55
>>722
訂正
>SGIは、永久に世襲制度ではありません

でも、SGIは、永久に世襲制度ではありません と言っていません。

724 名前: Leo 投稿日: 2004/01/10(土) 13:48
学会の言う「永久」とは雰囲気を盛り上げる修飾語のようなもので「いつまでも限りなく続く」
という意味はないのではないでしょうか(^^;

例)
「もとより日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります。」
(池田大作「恩師の二十三回忌に思う」、『聖教新聞』昭和55年4月2日、p.1)

725 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/01/10(土) 18:13
創価学会の「永久」は「池田先生の気が変わるまで」という意味だろ

726 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:19
 ほんまに、ほんま。名誉会長の言葉・約束ほど“軽い”ものはありません。
 ことごとく全てといっていいほど、名誉会長の約束は反故になっております。自語相違もはなはだしい。首尾一貫なんて概念は持ち合わせていないのです。
 政党を作らない・衆議院に進出しない。正本堂御供養が最後・二度と会員から金品を集めない。宗教法人設立「三原則」を守る・御法主日顕上人を外護する。勲章はいらない。院政を敷かない……枚挙にいとわない。
 名誉会長が言う「永久に」とか「絶対に」とか「いささかも変わることがない」というのは、単なる枕詞にすぎないのでしょう。そもそも内容自体に厳しい歴史の審判に耐えるだけのものがあるのでしょうか。だいたい『池田大作全集』の刊行にしたって、池田家の財産を増やすだけのことで、学会には帰属しません。それでも会員の皆さんは、読みもしない『全集』を買い続けるのですから、本当にありがたい“お人好し”なのだと、つくづく思いますよ。

727 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:20
>>707 >>712 フレッツさん
遅くなりました。フレッツさんも >>720 でご紹介されている続きは、次の通りです。

○『会長講演集 第五巻』(昭和37年1月29日初版発行)から

 先日、ある学者が来て「創価学会は世襲制度ではありませんね」と言う話が出ました。
 封建制の残骸の一つに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって、世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、ぜんぶ世襲制度であります。
 代々の財産をそのままうまく受け継いで、金もうけをしようという、その縮図であるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、真の宗教は無く、「邪教である」と断言できると私は思うのです。

 日蓮正宗は、そして、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。あくまでも、師弟の相対のうえにたって、最もすぐれた弟子が創価学会の代々を継いでいくということになっておりますから、そのつもりでおっていただきたいと思います。
 恩師戸田先生も「学会っ子は大好きだ。学会育ちは、ほんとうに自分は大事にしたい」このように講演集にも述べられております。「学会っ子に財産を譲ってあげよう」また「青年部に跡を継がせていこう」このように、つねづね申されておりました、そのご精神どおり、私もあくまでも、学会っ子のぜんぶ譲ります。また、青年部出身者が代々の会長を継いでいくということを、重ねてこの席上を借りて申し述べておくしだいであります。

 どうか、第四代も、第五代も、くどくど申し上げますけれども、青年部出身者のなか、青年部で活躍をした、学会っ子のなかから選んでいきますし、その選ばれた人は、第四代の会長ひとりであります。今度は、そのひとりの会長を中心に、戸田先生が中心で全学会人が鉄の団結をしたごとく、また、いま、私ごときものでありますけれども、私を中心に鉄の団結で広布に向かっているごとく、第四代、第五代の会長を中心に、諸君が鉄の団結をして全学会を大きく飛躍をさせていただきたいと思うのであります。


○央忠邦著『池田大作の軌跡』(昭和60年4月2日発刊)から 

 央  将来の学会の後継者に息子さんをするという週刊誌の記事を読んだことがあります。私は学会は世襲制はしないと以前から聞いていましたが、一体どうなんでしょう。
 池田  学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。私から北條第四代会長へもそうでした。いわんや会則のもとでは絶対にありえないことです。念のために申し上げれば、長男は高等学校の教員、次男は大学の職員です。三男坊はまだ大学生です。いずれにせよ、まったく論拠のない推測記事でしょう。
 ※著者の央忠邦氏は、当時・朝日新聞記者。


 私自身も、直接名誉会長から「世襲否定発言」を聞いたことがあります。たしか昭和から平成に変わる頃(つまり天皇の代替わりに関連して)で、すでに学会では城久氏亡き後、博正氏を本命に世襲路線が既定路線になっていた時期だったので、そんな発言をしてもいいのかな、と危惧した記憶があります。

728 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:25
以下のレスは、以前 Libraさんのサイトで書き込んだものを加筆訂正したものです。

 1)池田家が学会オーナー家となり、博正氏にしろ尊広氏にしろ、または城久氏の子息(貴久氏?)が世襲しても、その後継者は財産継承者にすぎず、新たな指導者にはならないのではないでしょうか。
 世襲が実現しても、池田家は学会SGIの象徴であって、集団指導体制が採用されるのだと思います。現に、名誉会長も秋谷会長も、次代の学会は集団指導体制だ、と明らかにしていたと存じます。そのために新会則で「永遠の指導者」と位置づけ、さらに会長職に師範会議や最高指導会議の意見に基づく御本尊の裁定や教義解釈権を付与したのでしょう。
 したがって、後継者の個人崇拝はないと判じますが、いかがでしょうか。

 2)池田創価学会では、天皇家のように池田家が象徴となり、その“国体”を守りながら、会長以下執行部が「池田先生は、こうおっしゃっていた」と詔旨しながら会を運営していくのでしょう。池田家の財産と学会の財産は不可分で、その継承者は名誉会長の血統でなければ、会が収まらないのではないでしょうか。
 池田家(名誉会長の栄誉・財産・血統・思想)を守るということで、執行部は「錦の御旗」を有し、会員の支持を得、会を統理することができる。それ故に、名誉会長にはもっともっと"箔"をつけて貰わなければならない。――これが、今の執行部の方針ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 3)内部造反や路線対立が生じた時、「錦の御旗」を所持しているほうが主導権を握ります。キリストと聖書があればいいというプロテスタントは分派分裂・諸派発生の歴史のようですが、大聖人と御書があれば血脈はいらないと正宗を切り捨てた学会ですので、「錦の御旗」がなければ、会を二分するような分裂騒動を招きかねません。それだけに、ポスト池田時代は「(第)三代会長の精神」を旗じるしに掲げざるをえないのではないでしょうか。

 4)平成14年の会則改正では、SGI(創価学会インターナショナル)に関して初めて明記されました。すなわち「この会は、この会と教義、目的を共通にする世界各国の団体からなる国際的機構として、創価学会インターナショナルを設置する。」(第77条)と。
 これは、SGIが創価学会の海外支部から、SGIが上位団体となり、学会がSGIの日本支部になる方向性を示すものですし、かつ、それでも学会がSGIをコントロールしていくことを表明しております。
 子息らのSGI会長就任ならば、世襲否定発言に抵触しません。財産と血統は池田家、思想と栄誉はSGI、統理と行動は学会、という三位一体が、「ポスト池田」=学会万代路線ではないでしょうか。
[続く]

729 名前: SGI 投稿日: 2004/01/11(日) 18:27
[続き]
 5)池田第三代会長の誕生は青年部のクーデターですが、戸田会長は生前「三代会長は青年部に譲る」と明言しており、その意味では“お墨付き”がありました。
 会の統理を握った池田会長以下青年部は、クーデター反対派と目される古参幹部らを議員や参議・顧問といった形で組織の第一線から外し、磐石な体制を築き、そして次々と「戸田先生の構想を実現するのだ」との名目で、新構想・新路線あるいは路線変更を打ち出していったのです。
 第一次宗創戦争は、宗門(正信覚醒運動)サイドからの反撃で、結局は内部分裂までには至りませ
んでした。本部内部でも改革派らしきグループは存在しましたが、幹部職員は「組織崩壊は避けなければならない」との自制が働きます。この思考回路は、今もしっかりと根付いており、それ故分裂を引き起こすような騒動は、そう簡単には起きないのではないかと捉えております。

 6)他教団のこと故、誤認識があればご容赦ください。
 立正佼成会の場合、庭野日敬氏が生前においてきちんと会の理念と具体的な方向性を示し、世襲し、逝去しているので、古参幹部は後継者・日鑛氏を守り立てる番頭役に徹することができたのではないでしょうか。
 霊友会の場合、継成氏が教団を先代より引き継ぎ、「いんなーとりっぷ」のキャンペーンを始めると共に、自身の法華経研究に基づき釈迦との連関を図る教義の再構築など、教団の現代化を推進している最中、先祖供養等の教団の伝統に固執する古参幹部により辞任に追い込まれたのではないでしょうか。
 つまり、佼成会は「真実顕現」とか「普門示現」と称しながら、上手に衣を替えていったが、霊友会・継成氏は"衣替え"に失敗した、と。

 7)学会の場合、名誉会長の“勅旨”―「錦の御旗」が有効である限り、佼成会・日鑛氏のように世襲後継者を宣揚する必要もなく、また執行部による路線変更があるとしても、“勅旨”の新解釈・発現ということで乗り切ることができる、と執行部は踏んでいるのではないでしょうか。池田会長時代のように。
 SGIがめざす世界宗教は、おそらくギリギリのところでは日蓮大聖人との連関を保つであろうが、脱・正宗を超えて「日蓮離れ」をするであろうと予測されます。しかし、「五十二年路線」挫折の反省に立って、極めて慎重に着実に、会員にさほどの違和感を与えることなく、コトを進めているだけに、正宗の信徒団体時代を胸に刻む50〜70代の会員らの引退を待つ覚悟さえ秘めているのではないかと思います。

730 名前: Leo 投稿日: 2004/01/11(日) 22:44
SGIさん。

>>726
>だいたい『池田大作全集』の刊行にしたって、池田家の財産を増やすだけのことで、学会には帰属しません。
>それでも会員の皆さんは、読みもしない『全集』を買い続けるのですから、本当にありがたい“お人好し”
>なのだと、つくづく思いますよ。

『池田大作全集』は古書店で1冊100円の価値です。
これだけ古書で価格が暴落する全集ものはめずらしいのではないでしょうか。
これは市場価値のないものを会員が負担・消費しているひとつの例ですね。

731 名前: SGI 投稿日: 2004/01/12(月) 00:16
へぇー、そうですか。100円ですか。「ガンジー・キング・イケダ」のイケダ先生の市場価値は。
まぁ、ノーベル賞でも取れば、市場価値が上がるのでしょうね。
名古屋のテレビ塔からお札をばら撒いた青年が、破綻した足利銀行関連株で儲けたように、投資のつもりで買おうかな。

732 名前: フレッツ 投稿日: 2004/01/12(月) 13:34
SGI さん、追加情報ありがとうございます。

なるほど、近々、私は学会関連書籍を廃棄処分にしようと思ってたのですが、
宝くじ気分で置いておこうと思えてきました。(笑)

733 名前: アルフ 投稿日: 2004/01/14(水) 13:00
>>730
Leoさん。
『人間革命』も『法華経の智慧』も、とにかく、池田氏の著作の類は
100円以下(うちの近所で50円で山積み状態だから)で
手に入ります。神田の古本屋街でも、郊外の大型古本屋でも、
いくつかの大学前の小さな古本屋でも同じ価格レベルです。
それも出てすぐの新刊状態で手に入れられます。
内容がお粗末なことと、あまりにも部数が多いことから、
古本市場で底値を打ち続けているのでしょうね。

734 名前: Leo 投稿日: 2004/01/15(木) 01:10
アルフさん。

>内容がお粗末なことと、あまりにも部数が多いことから、
>古本市場で底値を打ち続けているのでしょうね。

やはり古本市場は正直ですね。

「内容がお粗末なこと」についてですが、以前某バリバリ氏と対話して気づいたのですが、
(バリバリ系にとっては)創価本の「内容」は問題とならないようです。池田氏の著作ということ
で「感動」するとのことです。(バリバリ系の条件反射?)

735 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/16(金) 16:14
町の貸し金業が悪い職業とはいわない。
でも、宗教家の前歴には相応しい職業とは思えない。
池田青年の面構えは、迫力がある。
戸田先生が危篤の病床に在った時、池田青年は、ここぞとばかりに、当時所化頭の的場師をリンチした。
的場師が、青年部幹部が面白がって、所化達に小使いをやって、やばこなどを買いに出させていたのを、注意された。
陰で「坊主など、金さえやれば、どうにでもなる」と言っていたのを聞き咎められたからだ。
当たり前だ。
それを聞き付けた池田青年は、戸田先生が病床にあることを奇貨として、僧侶を吊るし上げることにする。
将来、自分が創価学会を乗っ取った時の為、睨みを利かせる為だ。
戸田先生は、病床にあったにも拘わらず、事件を聞きつけると、すぐに当時の猊下に謝罪の使いを出し、病床を見舞った猊下には何度も、謝罪していたという。
当時の池田金融会社営業部長は、一般サリーマン平均給与の20倍以上の収入を得ていた。
池田青年の勇姿→http://soejima.to/souko/visual_data/img20031213130040.jpg

736 名前: Leo 投稿日: 2004/01/17(土) 02:33
yurikoさん。

>池田青年の勇姿→http://soejima.to/souko/visual_data/img20031213130040.jpg

(既にご存知かと思いますが...)
その画像のあるトップのサイト(http://soejima.to/)にいってみたら、
「副島隆彦の学問道場」というホームページでした。
http://soejima.to/

さらに、そのホームページには「創価学会について考える掲示板」
http://snsi-j.org/boards/bbs.cgi?room=ikeda
という掲示板がありました。

737 名前: SGI 投稿日: 2004/01/18(日) 00:23
>>728 訂正
 博正氏にしろ尊広氏にしろ、→ 博正氏にしろ尊弘氏にしろ、

738 名前: SGI 投稿日: 2004/01/18(日) 00:38
この裁判も、学会の「意に沿わない」行動は認めない、という体質の表れでしょうか。

創価大相手の訴訟で圧力
裁判したら“地獄に落ちる”
「サークルOB会 解散させられた」と27人

 創価大学(岡安博司代表者理事)の不当な圧力で人形劇団のサークルOB会が解散に追い込まれ、精神的打撃を受けた――と、同OB二十七人が二十五日、同大学を相手どり二千七百万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地裁八王子支部に起こしました。解散をめぐる当事者間の争いとは別に、原告が訴訟におよぼうとしたとたんに大学と創価学会側から訴訟をやめるようすさまじい圧力がかけられたことが問題になっています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-12-26/15_01.html

739 名前: SGI 投稿日: 2004/01/18(日) 22:37
>>677-679 蘭さん、続きです。
>>685 愚鈍凡夫さん、ありがとうございます。

その後、判明した事実をお知らせします。

 ‖臑⊂事は、大道商事 → 日章 と商号を変えながら、愚鈍凡夫さんのご紹介通り学会外郭の関連会社として現在も存在している。⇒ >>685参照

◆‖臑⊂事は、戸田会長が営んでいた東京建設信用組合が破綻した後の、事業(高利貸し業)継続の会社。池田大作・現名誉会長は、実質経営者の戸田先生の愛人だった森重紀美子さんに取り入り、会社発足まもなく営業部長(昭和25年11月)に、翌年には取締役に就任。⇒ >>736 Leoさんご紹介の写真参照

 第三代会長に就任した名誉会長は、大蔵商事で部下だった中西治雄氏と星生務氏を引き連れて学会本部に乗り込む。星生務氏は学会本部会計を、中西治雄氏は聖教新聞等収益事業の会計と池田家の財産と裏金の管理を担当して、学会の金の流れを支配した。

ぁヽ慍颪箸隆愀犬鮴擇衫イ気譴紳臑⊂事は、森重紀美子さんと、その甥である森重章氏が経営する会社となり、商号を大道商事に変更。しかし名誉会長ら辣腕営業部隊がいなくなったのだから、次第に営業不振に陥り多大な負債を抱えるようになる。

ァ/構典美子さんの一人息子・光生氏は、和光商事という会社の社長。この会社は、聖教新聞社の用紙を一手に扱う会社で、すべての製紙会社がこの会社を通して創価学会関係の紙を納入する“利権会社”で、莫大な利益を保証されていた。
 生活が保証されている光生氏は、「銀座の帝王」と呼ばれるほどの豪遊に明け暮れ、財産を残さず、大道商事を助けることができず、結局大道商事の始末は学会本部に持ち込まれた。

Α‖臚讃事は、信じられないほどの巨額の負債をかかえ、その債権者の多くは学会員だった。また、名誉会長や中西氏らが開拓した出資先も多く残っていた。 そこでもし倒産すると、「古くからの債権者が騒ぎ出し、池田先生の名前も出て学会にも迷惑がかかる」ということで、再び学会丸抱えの会社となったのである。

А,泙詐号を日章に変更。社長も社員も学会から派遣された。再建策の財源として正本堂御供養金が使われたという。続いて宗門に求め、正本堂や末寺の損害保険を代理し、手数料を稼ぐ。さらに学会施設も扱わせると共に、正本堂建立に伴う記念品やグッズ、本山売店での販売品等々の納入も 日章 経由で行うようになり、こうして学会の外郭関連会社の中核になったのである。

─仝什 日章 は、社長は学会の古参幹部。取締役には、森重紀美子さんの一人息子、故・光生氏の妻・裕子さんが連ねており遺族の面倒をみているが、監査役に福島啓充弁護士(副会長)が就任し、常に監視下ある。このように 日章 の在り様は、学会に寄生しながら利権を貪る、名誉会長ら学会幹部のファミリー企業の象徴的な会社といわざるをえない。

740 名前: 投稿日: 2004/01/20(火) 03:02

ありがとうございました。

741 名前: SGI 投稿日: 2004/01/27(火) 00:08


 学会サイドでは、三類の強敵が学会を襲ったのだから学会こそが仏意仏勅の唯一の団体だ、と声高々にいう。すなわち「言論出版問題」が俗衆で、「正信会問題」が道門で、この度の「宗創抗争」が僣聖だというのだ。笑止。

 名誉会長に関する<神話>や<伝説>が全て虚飾に満ちたものであることを、本スレッドで書き込んできた。小説「人間革命」は、その虚飾の事柄を歴史的事実として学会正史に残すための1つの手段であることも指摘してきた。⇒ >>704 から参照下さい。
 同じ手法で「三類の強敵」出現論を展開し、また・さらに会員を欺き騙す。会員も信じたいが故に易々と無道理の言い分にしがみつく。無慙だと思う。

 「言論出版問題」は、度々yuriko さんがご提示しているように、あるいは >>697でご紹介したように、学会の体質から引き起こした反社会的な不法行為にすぎない。
そして、「正信会問題」は謗法路線の〔五十二年路線〕に根本的な原因があり、今般の抗争は先の〔五十二年路線〕の挫折と反省を踏まえて再び学会が仕掛けたものであることは、すでに別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」で記してきた。

 学会のプロパガンダ情報しか受け容れない会員は、何を語っても聞く耳を持たない。嬉々として改ざんされた歴史を生命に染み込ませていく。しかし、書店に行き次々と刊行されていく学会本を前にすると、名誉会長の神格化だけではなく、牧口会長や戸田先生の生涯や思想、法華経や大聖人の御法義への新解釈、日蓮正宗への論難など、幾多のメディアを活用して歴史を捩じ曲げ、世間的な通説にしていこうという学会の意図を憂う。

742 名前: MILD SEVEN 投稿日: 2004/01/27(火) 04:00

お邪魔しま〜す。
池田創価の特徴診断。

<破壊的カルトの特徴>

・思考、感情、行動、情報のコントロール(マインドコントロール)「池田創価」

・一般社会や信者以外の人間の敵視、蔑視、軽視など。「池田創価」

・規模:いろいろ

・教祖:個人教祖の特徴、存在の有無など、いろいろ。

・ライフスタイル:厳しいものから不道徳なものまで、いろいろ。

・教祖、または教団組織への絶対服従。教義が変わったときには、自分の考えもそれに合わせる。「池田創価」

・批判的思考の否定 「池田創価」

・目的のための手段の正当化 「池田創価」

・世界観の分化。教団組織は善、それ以外は悪。「池田創価」

・救いや、心の平和は、教団組織に従うことによってのみ得られる。「池田創価」

(伝統的なキリスト教なども、教会の存在を重視します。しかし、救いは、信者と神との個人的関係にあると教えます。神を信じる者が救われるのであって、教会や牧師に従う者が救われるのではないわけです。)

・脱会者には、恐ろしい制裁がくだされる 「池田創価」

(一般の宗教であれば、その宗教団体から脱会しても、入会前の状態に戻るだけです。それに対して、脱会すると、前よりももっとひどい目に合うと教えます)

・教団組織を個人より優先する、全体主義的体制。「池田創価」

・これまでの人間関係や人生の目標など、過去との断絶をさせる。「池田創価」

*全ての破壊的カルトが上記の特徴全てを持っているわけではありません。また、客観的には上記の特徴があっても、信者である本人は、全く気づかない方が普通です。


<良い宗教と悪い宗教>

ここでは、宗教の教義については触れません。本人の様子と、教団組織のシステムについて考えます。

良い宗教

・信仰のシステムは開放的で、他の思想にも耳を傾ける

・批判能力はそのままか、強められる

・自主性はそのままか、強められる

・価値観や生活や目標が、信仰と一体化し、調和している

悪い宗教

・教団の操作や圧力によって改宗した 「池田創価」

・完全主義で他の考えを認めない 「池田創価」

・批判的な考えは否定され、批判能力が脅かされる 「池田創価」

・自主性が失われる 「池田創価」

・これまでの人間関係や大切な過去を否定する。全体として調和していない 「池田創価」

・経済的、精神的に教団から搾取される 「池田創価」

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/mc/03mamoru.html

http://jbbs.shitaraba.com/study/3876/momo7.html

743 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/01/28(水) 15:11
池田教徒って薄気味悪いね

744 名前: Leo 投稿日: 2004/01/30(金) 00:25
SGIさん。

>>741
>学会サイドでは、三類の強敵が学会を襲ったのだから学会こそが仏意仏勅の唯一の団体だ、
>と声高々にいう。すなわち「言論出版問題」が俗衆で、「正信会問題」が道門で、この度の
>「宗創抗争」が僣聖だというのだ。笑止。

(すでにご存知かもしれませんが)創価では教学試験に「日顕宗を破す」なる出題があります。
そのような内容が試験に出れば会員はそれが真実と思ってしまうのではないでしょうか。

 例)【出題範囲】御書2編と「日顕宗を破す」。
 ttp://members.at.infoseek.co.jp/sgi_2001/page058.html

そもそも創宗問題というのは、創価の言論弾圧事件や盗聴事件や52年路線等が引き金で
あったと思います。

一方正宗の教学試験を調べてみましたが、「池田創価学会を破す」とか「創賊を破す」
のような出題はないようですね。

 (初級) 平成16年度版
 ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/1239/syokyu16onsei.htm

創価が「教学試験」で「日顕宗を破す」のような出題をするのはどう考えてもおかしいのでは
ないでしょうか。

745 名前: yuriko 投稿日: 2004/01/31(土) 10:21
>>664SGIさん
>この会長勇退・総講頭辞任は、御本尊模刻に象徴される大謗法路線の「五十二年路線」の責任を取るものでした。福島氏は、この「五十二年路線」の終結に連座する形で副会長を辞任。直接の理由は54年3月の“大牟田発言”でしたが、この“大牟田発言”は捏造でした。つまり、福島氏の失脚は仕組まれたものなのです。
。。。SGIさん、
ちょっと遡って、申し訳ないのですが。
福島氏の大牟田発言は捏造って、どういう意味なのですか?
できれば、解説して頂きたいのですが?
SGIさんは、世代的に故福島元副会長と親しかっただろうと思います。
どんな方でしたか?
確かに福島氏の発言の中には、「池田本仏論」と受け取れられかねない発言はありましたが、
曲解しない限りは、問題なかった筈だったと思います。
やはり、福島氏の一途な性格が災いしてしまったのでしょうか?
記録によれば、大牟田発言というのは、正宗僧侶に対する中傷だったからとされていますが、
もしそうなら、現在の創価学会の先駆を走っていたというだけで、現在の創価学会首脳は、福島氏を誉めこそすれ、貶すいわれはないと思います。
福島氏によれば、人間革命にハッキリと、「師への帰命」と書いてあったにも拘わらず、他の学会首脳達は、
「そんなのどこにあるんだ」と恍(とぼけ)けていたそうでうね。(蘇生への選択)
要するに、学会首脳といっても、腹の奥底では、池田名誉会長をバカにしているような気もするのですが、
SGIさんが、本部職員として、勤務していた時はどんな雰囲気だったぼでしょう。
原島氏や山崎氏を初めとする、造反直弟子達の証言を待つまでもなく、、学会本部職員は、本当には池田名誉会長のことを尊敬してないんじゃないですか?
例えば、本部職員同士が飲みに行ったるする時、名誉会長の滑稽な行動を肴に飲むということはありませんでしたか?

746 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 18:13
>>744 Leoさん。
>そのような内容が試験に出れば会員はそれが真実と思ってしまうのではないでしょうか。
>「日顕宗を破す」のような出題をするのはどう考えてもおかしいのではないでしょうか。
―― ホンマに無慙です。滑稽すらあります。

>そもそも創宗問題というのは、創価の言論弾圧事件や盗聴事件や52年路線等が引き金であったと思います。
―― ですね。別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」に書き込んだ通りです。

>「池田創価学会を破す」とか「創賊を破す」のような出題はないようですね。
―― 過去のどの教学試験においても、ありません。ピュアでシンプルな正宗教学を学んでいます。
 学会破折に関しては、夏期講習会で取り上げられるか、『大白法』の連載程度です。

747 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 18:14
>>745 yurikoさん。
>福島氏の大牟田発言は捏造って、どういう意味なのですか?
―― 「大牟田発言」をめぐる経緯は、『蘇生への選択』第1章にも記されているのかと存じますが(私が所有しているのは私家版なので)…。
 私は大牟田に臨座していたのでありませんが、福島副会長から直接お聞きしたところでは、真意(全体の趣旨)は僧俗和合を強く訴えるものであり、前年の「6.30」「11.7」へ至った経緯を説明する際に、多少の事実誤認や不適切な表現があり、その不適切部分の言葉尻や切り文だけで再構成された内容が問題視された、とのことです。

>福島氏の一途な性格が災いしてしまったのでしょうか?
―― ……です。
 福島氏ほど純粋に「師弟の道」を追い求めた最高幹部はいないのではないでしょうか。
 「ゴマスリ源次郎」「ゴマ源」と揶揄されるほど、池田センセーの熱烈な信者でした。言論出版問題の時も、名誉会長から「福島が1番真面目である。真剣だ」と手放しで褒められていたとか。
 北条前会長や秋谷会長らが「青年部クーデター」の同僚・共犯者であり、中西氏は執事・番頭として山崎正友氏は別働隊として側近中の側近になりますが、名誉会長の本当に意味での“直弟子”は原島氏と福島氏が双璧だと思います。

 野崎勲副会長は、名誉会長がセブンスターからマイルドセブンに煙草を替えると同じようにマイルドセブンに替えたり、1〜2服軽く吸うだけの吸い方になると同じような吸い方に替えておりました。また名誉会長が、軽井沢や霧島の研修所などで、(おそらく太っていたからだ思うのですが)おなかをせり出しふんぞり返った姿勢で座り、右手でジェスチャーをつけながら語るを真似て、地方に行った時、青年部幹部を相手に同じような姿勢で「君は○○○だね」と断定的な口調で指導してたのですが、

 福島氏は、幹部会や指導会での話し振りや口調、トーンが名誉会長にそっくりでした。
 昨今の支離滅裂なスピーチからは想像もできないのですが、昭和40年代の若き名誉会長の指導や話ぶりは一角のものがありました。その名誉会長の姿を彷彿させる福島氏の指導や話し振りは、まるで名誉会長の分身のようで、多くの会員を魅了し、大いに鼓舞されていたのです。
 根っから心酔していたのだと思います。だから、師の一挙一動や思想を全身で受け止めようと、ストイックなまでに真剣でした。私たち後輩・次世代から接していても、時には息苦しくなる程でした。
 それになりよりも、最高首脳幹部の中では最も唱題行を積み重ねる人でした。時間を作っては、御本尊の前に端座しお題目を唱えておりました。本当に“唱題の人”でした。名誉会長以下多くの幹部がおざなりの勤行唱題で済ませる中、正宗信仰者としての矜持を保ち、一本ビッシっと筋の通った信仰姿勢は、本部では異色といえば異色でした。

>名誉会長の滑稽な行動を肴に飲むということはありませんでしたか?
―― ないことはないのですが、まずしません。
 というのは、どこに「壁に耳あり・障子に目あり」か分かりませんので、軽率な言動はしないよう自戒しております。密告が怖ろしい。
 それでも一時期、幹部職員らが麻雀を興じる時、リーチの際「ケンキョ(謙虚)」と言うのが流行ったことがあります。「私ほど謙虚な人間はいない」といった具合で“謙虚”は名誉会長の口癖ですので、図々しくもリーチする時は「ケンキョ」と言って上りを待つのです。

748 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/01(日) 18:50
>>747 SGIさんさん
>昨今の支離滅裂なスピーチからは想像もできない
。。。。\(^o^)/ SGIさん、レスありがとうございました。
文章から、何となく、信心の姿勢について、福島氏から多く学んだことが伺われます。
私家版「蘇生への選択」を貰ったそうですが、
福島元副会長が反逆退転(学会側の言い分)してからも、ある程度の付き合いがあったようですね。
本部職員の中には、名誉会長の一挙手一投足を真似ることが、師弟の道であると錯覚している人間がまだ多いのではないですか?
すると、昭和40年代に池田先生の姿を真似るのはいいとしても、最近の池田先生の真似をしたらどうなるのでしょうか?
それで失敗した幹部の話なんて聞きますか?
例えば、女性関係とかで。

749 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 19:29
>>748 yurikoさん。
>それで失敗した幹部の話なんて聞きますか?例えば、女性関係とかで。
―― 真似たかどうかは分かりませんが、金・女(不倫)・酒(遊びも含めて)の不祥事はしょっちゅうでした。きっと今でも同じでしょう。
 「聖教」や「新報」で報じられる宗門ご僧侶の行状よりヒドイというのが印象です。

750 名前: さかなこ 投稿日: 2004/02/01(日) 19:31
>>SGIさん

どもこんにちは(・∀・)

福島さんや原島さんが反逆者のように言われるようになったのは
何故なんですか??
私が同中に参加するようになってからは既に反逆者の中に名前がずらーっと
入っていたので分からないのです。
っていうか若い人が次から次から来るのに昔の知らない人の名前を
読み上げられて絶対に許すなーって言われてもぽかーんって感じでした。
両親に聞いてもあんまり嫌がって教えてもらえなかったもので…

751 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/01(日) 20:00
>>750さかなこさん
>両親に聞いてもあんまり嫌がって教えてもらえなかった
。。。私はぎりぎり間に合ったかな?っていう感じです。
でも、SGIさんの世代って凄いですよね。
池田名誉会長のせいで、右往左往、名誉会長を弁護したつもりが、本人が勝手に前言を翻したり。
もし、こういう男が、裁判の原告席に座ったりしたら、弁護士の立つ瀬がないでしょうね。
何つったて、自分で勝手に、証言を変えるんですからね。
特に、54年の会長辞任のときなんか、
私は、何か口惜しかったけれども、池田先生の潔さに感動して、
「池田先生がどんな立場になろうと、池田先生は私の最高の誇りであり、師匠です」という旨の手紙を送ったのです。
それが、あれから30年以上たって、聖教紙上に「怨み節」を延々と書き殴る神経に、「ぞっとする」のです。
SGIさんに是非当時を。(個人的回顧でいいですから)振り返って頂けると、ありがたいのですが....

752 名前: SGI 投稿日: 2004/02/01(日) 20:21
>>750 さかなこさん
 謗法路線の〔五十二年路線〕を宗門サイドから指摘され、「ごめんなさい。もう二度としないから、許してください」と約束し、会長職も勇退したのに、内輪の会合では「ちくしょー、今に見ていろ。やり返すからな」「だいたいお前たちが私を守ることができなかったんだ」と、反省の姿勢どころか瞋恚(しんに)の情を燃やす名誉会長に、
 原島氏と福島氏はそれぞれの立場で師を想い弟子の道から「先生、間違っています。改めてください」と意見したところ、逆に「私に意見するとは、おこがましい」と反感を買い、排斥され幽閉されてしまったのです。そして軟禁状態になったお二人は、余りある時間を唱題と思索に費やし半生を振り返り、正宗信仰者の道を貫くことを選び(原島氏の場合は、正信会サイドでしたが)学会を去ったのです。
 そうした経緯を、結果的にはお二人とも著書として出版したことが、名誉会長や本部の脅威となり、大反逆者としてネガティブ・キャンペーンの展開へとなりました。

753 名前: さかなこ 投稿日: 2004/02/01(日) 21:13
yurikoさん>
私は間に合わなかった(笑)人でその後の話を学会内で聞いたので
全く?な面が多く本当に困りました。何ていっても反逆者がやたらと
多いし…(゚Д゚;)
親もきっとあんまり詳しい事情を知らなかったのかもしれないですね…
ただイケダセンセイを裏切ったとしか…言ってなかったので…。

SGIさん>
どもども。そういうわけだったのですね。あの勇退の話は美談として語られて
るので腑に落ちないながらもそういう話として知識にありました。
女子部の会合で、あの話を県の女子部長が意気揚揚と語りだし、「マスコミや
宗門の逆風が吹き荒れる中でのご勇退であったー(あがり調子)…そのとき誰が一体
先生を守れたのかー(上がり調子)先生ただお1人が嵐の先頭に立たれて
私達を守って下さったのだー(上がり調子)」って感じで話し始めると会場から
すすり泣きが…って感じで…。何だかもうあまりに「英雄物語」だったので
感動もなにも、ぽかーんって感じでした。そんな昔の話されて守ってくださった
って言われても…って(゚Д゚;)

754 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:26
「随筆・人間革命」より
嵐の4.24

一九七九年
(昭和五十四年)の四月二十四日

この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。全国の、いや、全世界の同志は・その発表に、愕然として声をのんだ。
その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。
なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。
正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、卑劣な策略を続けている。
これは、こ存じの通りである。
御聖訓には、随所に説かれている。
「法華経の行者は諸々の無智の人のために必ず悪口罵詈等の迫害を受ける」と(趣旨、御書一四〇?等)。
広宣流布の闘争のゆえに、悪口罵詈されるのが、真の法華経の行者といえるのである。
さらに「佐渡御書」には、「賢人・聖人は罵詈して試みるものである」(通解、同九五八
「賢聖は罵竃して試みるなるべし」真実の信仰者は、罵詈され讒言され・嘲笑されて・初めてわかる。

755 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:30

畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友だちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。
心痛に、夜も眠れなかった。私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和台の道を探り続けた。
しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。
それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家ともの好餌となった。坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。私は苦悩した。
これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛められることだけは、防がねばならない。
戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。
民衆の幸福のため・広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織である。私の心中では、一身に泥をかぶり、会長を辞める気持ちで固まっていった、いずれ後進に道を譲ることは、何年も前から考えてきたことであった。

756 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:33
続3
ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」沈痛な空気が流れたo
やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」沈黙が凍りついたo
わが胸に、痛みが走った。たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。
しかし、時流とはなんだ!問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって・戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのであるo情けなく、また、私はあきれ果てた。
戸田は遺言された。「第三代会長を守れ!絶対に一生涯守れ!そうすれば必ず広宣流布できる」と。この恩師の精神を・学会幹部は忘れてしまったのか。

757 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:37
続4
なんと哀れな敗北者の姿よ。ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!
そんな渦中の、四月十二日、私は、中国の周恩来総理の夫人でである?穎超女史と、迎賓館でお会いした。
その別れ灘に・私は、会長を辞める意向をお伝えした。
「いけません!」真剣な顔で言われた。「まだまだ若すぎます何より、あなたには人民の支持があります。人民の支持のあるかぎり、やめてはいけません。一歩も引いてはいけません!」生死の境を越え、断崖絶壁を歩み抜いてこられた方の、毅然たる言葉であった。

やがて、暗き四月二十四日を迎えた。火曜日であった。
全国の代表幹部が、元気に、新宿文化会館に集って来た。
しかし、新たな"七つの鐘"を打ち鳴らす再出発となるべき、
意義ある会合は、私の「会長勇退」と、新会長の誕生の発表の
場となってしまったのである。大半の幹部にとって、まったく寝耳に水の衝撃であった。私は途中から会場に入った。

758 名前: 池田太作の妹 投稿日: 2004/02/02(月) 00:41
続5
「先生、辞めないでください!」「先生、また会長になっ
てください!」「多くの同志が、先生をお待ちしております!」などの声があがった。皆、不安な顔であった。
「あんなに暗く、希望のない会合はなかった」と、後に、当時の参加者は、皆、怒り狂って
私は、厳然として言った。私は何も変わらない。恐れるな!私は戸田先生の直弟子である!正義は必ず勝つ」と。

あまりにも
  悔しきこの日を
    忘れまじ
  夕闇せまりて
    一人歩むを


これは、四月二十四日に記された日記帳の一首である。

わが家に帰り、妻に、会長を辞めたことを伝えると、妻は、何も聞かずに「ああ、そうですか……。こ苦労様でした」と、
いつもと変わらず、微笑みながら、迎えてくれた。

759 名前: Leo 投稿日: 2004/02/02(月) 01:20
池田太作の妹さん。よい資料を提示されたと思います。

>この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。
>全国の、いや、全世界の同志は・その発表に、愕然として声をのんだ。
>その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、
>ありとあらゆる学会攻撃があった。なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と
>弾圧であった。

歴史にもしは禁物ですが、言論弾圧事件、盗聴事件など、52年路線とその後の対応などが
なかったら「学会攻撃」のやりようがなかったのではないでしょうか。
戸田第二代会長は「狸祭り事件」で「総講頭罷免」「登山停止」になったそうですが後には
許されています。第二代会長と第三代会長の差は宗門と和解するのか(信仰を重んじるのか)
徹底抗戦するのか(闘争を重んじるのか)という違いがありますね。

また、第二代会長と第三代会長の大きな違いは、第二代会長が終生日蓮正宗の信者であったが
第三代会長は日蓮正宗の信者でなくなった(池田教ともよばれる)ということですね。

なにはともあれ、学会の示す見解は会員のある種主体的自我を清める作用があるにせよ
(多くの会員を安心・納得させるのには十分であるにせよ)、誰をも納得させるには(その
必要もないかもしれないが)不十分でありましょう。

760 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/02(月) 08:31
>>759Leoさん
>誰をも納得させるには(その必要もないかもしれないが)不十分でありましょう。
。。。。
要するに、池田大作という人は、人に弱味を握られたくないのですよ。
兎も角、ちょっとでも反省したら、負けを認めることになると思い込んでるんですよ。
しかし、仏教、否宗教で、最も重要なのが、己の卑小さを知り、謙虚になることです。
とすれば、「大いなる希望」が信条の池田先生にとっては、あまり仏教は向いてないのだと思います。
元はといえば、戸田先生の「俗物ぶり」が創価学会を事業として捉え、大発展した要因だと思います。
ところが、戸田先生の場合、「dぴsひょうもない俗物」ではあったが、信仰者としての絶対的純粋さがありました。
別の言葉で言い替えれば、「たまたま頭のいいビジネスマンが、信仰を持った。結果、宗教事業が成功した」だったのです。
それが、池田先生の場合、
「頭のいいビジネスマンが、意図的に信仰を利用して、成功した」だったのです。
池田大作という人物は、やはり戸田先生が作り上げたのでしょうが、想像を超えて奇怪な人物だったのですね。
実際は、藤原広正氏が言うように日蓮大聖人の再誕どころか、「物怪」だったのですね。

761 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/03(火) 01:52
>>760 訂正

戸田先生の場合、「dぴsひょうもない俗物」ではあったが、信仰者としての絶対的純粋さがありました。

戸田先生の場合、「どうしようもない俗物」ではあったが、信仰者としての絶対的純粋さがありました。

藤原広正氏

藤原行正氏

762 名前: YURIKO 投稿日: 2004/02/03(火) 02:40
私がこの「人間革命批判」を立ち上げたのは、ある重要な意味が込められている。
●池田創価学会は、歴史が古くなればなる程、真実の顔が見えてくる。
xxxxxx池田憤版本に書いてあるように、真実の歴史は容易に歪められ、嘘の事実が恰も真実であるかのように記録されることがある。
オーウエン「1984」では、世界は、三つの巨大国家に分割され、お互いに絶えず争い事を繰り返している。
極端に全体主義国家になった「オセアニア」では、歴史管理局が設けられ、過去の歴史事実を自在に歪めたり、糊塗したりしている。
最高指導者「ビッグブラザー」の本当の姿は誰も見たことはない。
このように、全体主義体制にとっては、歴史の歪曲は常套手段なのである。
池田創価学会が反民主的組織であるのは、本質的なのである。
一私的で、ローカルな宗教団体で止まっている内なら、誰も気にする必要hじゃない。
創価学会を脱会した人は、累計で1000万人を超えているそうだが、「もし嫌なら、辞めれば」いいのである。
しかし!問題は、そういう本質的に反民主的な団体が、公共に影響有る政党と一体不二の関係にあるというのが問題なのである。
>>753-758の資料は、池田創価学会の歴史そのものを語るだけで、その問題点が浮かび上がっているという皮肉な結果になっている。
すなわち、
池田創価学会は「自分達ほど純粋に世界平和と社会の発展を願い、その具体的行動を実行している者達はいない。」「自分達ほど善意に満ちている人々はいない」「それなのに、世間の人達は私達を虐める。おりわけ、権威主義に凝り固まった宗門は酷い」「宗門は極悪である」と決めつけ、世間を説得しようとしている。
宗門の体制に問題なしとはしない。
しかし、どんな定義に照らしても、極悪だろうか?そう、世間を錯覚させているのが、池田創価学会なのである。
そういう憤版的、偽善的体質は、その歴史を遡れば、遡る程、(無節操に方針を変えたり、事実を歪曲、摺り替え、糊塗することで)過去からの変遷が明らか明らかになってくる。
真実の小説人間革命こそが、創価学会への最も強烈な批判材料なのである。

763 名前: SGI 投稿日: 2004/02/15(日) 23:02
>>762
 でも、学会は歴史の書替えは可能だと捉えているのだろう。
 書替えは過表現だとしても、都合のいい「定説」を残し、歴史的事実の常識化はできると踏んでいるに違いない。現に、戦前の創価学会は戦争反対を貫き弾圧され、指導者が牢獄に入り初代会長は獄死した、というのが定説化している。

764 名前: Leo 投稿日: 2004/02/16(月) 00:48
GIさん。>>763

>書替えは過表現だとしても、都合のいい「定説」を残し、歴史的事実の常識化はできると踏んでいるに
>違いない。現に、戦前の創価学会は戦争反対を貫き弾圧され、指導者が牢獄に入り初代会長は獄死した、
>というのが定説化している。

「戦争反対を貫き弾圧され」のではなく、直人さんの資料にソースがありますが、日本が日蓮正宗へ帰依し
ないと勝てないという主張だったのですね(全く反戦ではない)。

「『神札を拝んではあいならん。神さまなんか拝んでも、日本の国は勝てないぞ!』という学会
 の持論が問題となって、牢へ入りました。」
(『講演集』下巻、p41、1956年)

・戦時下における創価学会について
ttp://www.sincere.ne.jp/~naohito/index.html
(『直人さんのほろよい談所』)

765 名前: Leo 投稿日: 2004/02/16(月) 00:49
GIさん。>>763 → SGIさん。>>763

766 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/16(月) 23:18
>>763SGIさん
>書替えは過表現

果たして、そうでしょうか?
どなたか、石田次男氏著述の、「内外一致...」からの引用を望んでいらっしゃったのですが、書き込んでいませんでした。
それは、所謂大阪事件での石田氏の果たした役割の完全な省略と、自身の完全無罪が証明されたというものです。
これらに関しては、本腰を入れて、きちんと書かなくてと思っています。
★何と言っても、池田大作(先生)は、完全な罪を認める自供をしているのです。
それが、どういうわけか無罪判決になってしまったのです。
池田創価学会流の「事実無根」は、全く逆を意味することがあることは、言論出版妨害事件でとっくに証明されています。
言論出版妨害事件では、当事者の公明党側の委員長。書記長、都議会議員、と全員が陰険で反社会的政治工作があったことを認めているのに拘わらず。池田創価学会の手にかかると、「正義への迫害」と全く逆の事実が堂々と語られてしまっているのです。
また、月刊ペン事件に於ても、創価学会側のスパイが隈部被告側に忍び込み、弱味を握ったことで、学会側優利の裁判結果になったことは、そのスパイ自身の告白で明らかになっている。
これらは、創価学会が黒を白といい、白を黒と言ってきたことを証明なのです。
特に、大阪事件では、正義の闘いどころか、本来なら創価学会の(真の?)姿が白日の下に曝され、創価学会=犯罪集団という(正しい?)印象を歴史に刻印する筈だったのです。
それが、今では、堂々と「権力への正義の闘い」と公然と歴史の書き換えを行っているのです。
大阪事件こそ池田創価学会の明暗を分けたものと言えます。
その事実関係をもっと深く検討する必要があります。

767 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/16(月) 23:30
訂正>>766
>自身の完全無罪が証明されたというものです。

池田大作の完全無罪が捏造されたというものです。

768 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:39
.....
この事件で『戸田先生を引っ張る』と言った地検が戸田先生を引っ張らなかったのは何故か?少なく共、事情聴取は有っても不思議は無さそうだが、それも無かったのは、決して池田の言うように『自分(池田)が泥を被った』からではない。このことは今明らかにして置く必要がある。戸田先生に迄
地検の手が伸びなかったのは、事件を担当した清原次席検事(地検ナンバー2)が断念したからに過ぎない。昔のことで、もう迷惑が及ばないことも無いであろうから真相を明らかにしておく。

769 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:43
続1
敗戦の昭和20年夏、清原氏は満州(今の中国東北部)に居て、真正面からソ連軍に追い回された。
文字通り命からがら逃げ回った。その時、椎名晴雄ーー今は故人ーーという人に命を助けられた。清原氏は椎名氏を<生涯の命の恩人>として重く買った。二人共何とか帰国丈は果たし、それぞれの道を歩み、昭和32年当時、清原氏は大阪で検事を務め、電源開発員である椎名氏ーー第四代小岩支部長ーーは東京で学会の小岩支部幹事をしていた。この時の小岩支部長は私(石田)であった。

770 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:47
続2
椎名氏は大阪事件の時、清原氏との関係を戸田先生に話し、清原氏へ<石田紹介状>という名目の親書を認め、石田がそれを持参して(13日頃)地検へ清原氏を訪問した。
『清原氏に弁護士を紹介して下さるよう申し入れよ』と戸田先生に言われた通り、このことだけ30分位粘って言い張った。
この日から二日後、まず田代富士男(後の砂利船汚職参議院議員)氏が釈放され、次いで池田も拘置所から出て来た。

771 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:51
続3
有体に言えば、清原氏は椎名氏の親書ーー内容は違法な懇願であるーーに依って、満州での命の恩に報いたのである。大阪事件の捜査段階が、急みバタバタと絞めくくられたのはこのせいであった。
戸田先生に地検の手が伸びなかったのもこの為であった。
清原検事が一切合財目を瞑って幕を引いてくれたからであった。
従って、断じて、池田が一一切合財を被ったからではない。
池田は、当時、誰からもこの事情が漏れる気遣いが無いことを良い事に、万事、自分の功績にして、学会員を総騙しにした丈だ。

772 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:55
続4
この裁判の為に自民党元代議士である大瀧弁護士を核にした強力弁護団を結成して当てたが、池田が三代会長に成らないとこの弁護団が崩壊する。
少なくとも無実化する。<総務>就任(昭和33年6月)を急いだのも理由は同じだ。と言うのは、大瀧弁護士は戸田先生の旧友でしかなく、池田を厄介視していた人物だから。
又、学会側の各種証人も、違反は承知の上だし、池田の学会内での立場が弱まれば、親身で裁判に臨む気が薄れてしまうし、戸田先生亡き後は学会本部としても本腰を入れてバックアップはしなくなるだろう。
続5

773 名前: 故石田次男 投稿日: 2004/02/17(火) 07:59
続5
これは、誰にも充分予測される所であって、有罪当然を承知の池田としては、まず会長に成らないと裁判で無罪を勝ち取ることも難しく成る。非に非が重なって転落の詩集に成ってしまう。
この選挙違反が有罪であれば学会内での池田株は暴落する。無罪ならば<法難だった> という箔が着く。有罪無罪の落差は余りにも大きい...と見た池田は、事件から来る学会内での失脚を恐れて、拘置所入りは以前から心に有った会長就任意志を事件後に決定的に固めてしまった。

774 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/17(火) 08:31
池田創価学会の皆さん!
★「老子」に有名な「天網恢々(かいかい)疎にして漏らさず」という言葉を知っていますか?
仏教では、因果供持。
誰も見てないと思っても、必ず誰かが悪事を見ているのです。
池田創価学会は、「時が過ぎればこちらのもの」
「誰も見ていない」
とばかりに、散々悪事を重ねてきました。
しかし、いつも誰かが彼等の悪事を見ていたことを忘れてはなりません。
元公明党都議会議員で、元創価学会青年部第七部隊長で、池田先生の弟分だった藤原行正氏によると、若い頃の池田先生の口癖は、「嘘も百編言えば本当に」だったそうです。
在家とはいえ、仏教系の新興宗教の青年幹部が、反倫理的な言動を公然としていたとは、俄には信じ難いのですが、その後の池田先生の行動パターンを観察すれば、「奈留程」と思わせてしまいます。
★(原文は天網恢々 疎而不失)」と云う言葉があります。これは天は大きな網を張っていて、その網は恢々、すなわちいかにも目があらいように見えるけれども、何事に関しても見落としと云うことは無いのだというほどの意味なのですが、実は罪を法的であるとか宗教的であるとか分けるからこそ、法の網の目をくぐる等という所行が出てくるのかも知れません。

775 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/17(火) 08:55
訂正>>774
仏教では、因果供持

因果倶時(いんがぐじ)

776 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/19(木) 06:56
昨年の聖教新聞を見ていて、面白い発見をした。
5月19日は、創価学会の常住御本尊が書写されて52周年の記念日だったそうだ。
記事には、『昭和26年5月、戸田第2代会長は、会長就任後真っ先に、創価学会常住御本尊を発願。広布の誓願と団結の中心として、学会本部に御安置した。』
とある。
そこで意図的に省略されてるのは、『日蓮正宗63世日亨上人に願い出て、御本尊が下付された』という部分だ。
たとえ、どんなに池田創価学会が中から日蓮正宗色を無くそうとしても、それは無理。
創価学会の歴史をどう塗り替えようにも、現在の民主主義が行き渡り、民衆が賢くなった日本で、民衆を騙し続けることはできない。
池田先生が、好んで用いる「権力に対して民衆が闘う」というスローガンは、自身が悪しき権力の権化となっている今、皮肉以外の何ものでもない。

777 名前: 直人 投稿日: 2004/02/19(木) 08:02
>『日蓮正宗63世日亨上人に願い出て、御本尊が下付された』

日亨師は五十九世。
日亨師以降の歴代は《亨→開→隆→恭→満→昇→淳→達→顕》
そして、創価学会本部に安置されている「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と記され
ている本尊であれば、それは六十四世・日昇師。

778 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/19(木) 08:50
>>777ROCKさん

間を入れずに訂正して来るとは!
「壁に耳あり、障子に目あり。インターネットにROCKあり!」

779 名前: ときどきROM 投稿日: 2004/02/21(土) 11:25
新・人間革命  創価大学 七十八 (2702)

一九七三年(昭和四十八年)十月二十六日、三度目の「創大祭」が巡ってきた。
 山本伸一は、その前日の夕刻に、創価大学を訪問した。
 ロビーでは、学生たちが、展示の設営作業に追われていた。
 そこに、創立者が姿を現したのだ。皆の驚きは大きかった。
 伸一を見ると、作業をしていた学生たちが集まってきた。
「いやー、突然、来てしまってすいません。
 本来ならば、明日、伺うべきでしょうが、明日になれば、全部、できあがってしまい、諸君の労作業を見ることができなくなってしまう。
 私は、苦労して、懸命に働いている諸君を、見守っていたいんです。
 また、その方が、大事であるし、意味があると思って、おじゃまかもしれませんが、一足早くまいりました」
牾慇犬閥賚を分かち合いたい。みんなの苦労に報いたい″というのが伸一の真情であった。「さあ、作業を続けてください」
 こう言うと伸一は、傍らにあったペンキを塗るための刷毛を手にした。そして、学生たちの設営作業を、手伝い始めたのである。
 人の苦労を知ってこそ、人の心を知ることができる。そこから、人間の触発が始まる。
 彼は、この日、構内を回って、作業に精を出す学生たちを励まし続け、大学に一泊した。
 翌日も、朝からフル回転であった。
 午前中、七月に他界した教員の功績を後世にとどめるために、大学内にその教員の名を冠した杉を植樹した。
 続いて、図書館を視察し、洋書二千冊と寄付金を贈呈。さらに、図書館の職員らと懇談し、記念のカメラに納まるなど、激励を重ねた。
 その後、伸一は、中央体育館での祝賀会に向かった。
 これは、開学三年目を迎えた創価大学の教育の成果を見てもらおうと、各企業の代表や報道関係者ら約七百人を、「創大祭」に招待して行われた祝賀会であった。
 伸一が体育館に入ると、既に歓談が始まっていた。彼は、来賓のなかに飛び込むように、一人ひとりに声をかけ、名刺を交換し、丁重にあいさつを交わしていった。

 山本伸一は、名刺を交換するたびに、こう言って、深々と頭を下げた。
「私が山本でございます。大変にお世話になっております。
 来年は、一期生の就職活動が始まります。初めてのことですので、ご指導、ご尽力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
 ほとんどの人が、伸一と直接、言葉を交わすのは初めてであった。
 皆、伸一の丁重さに恐縮し、何度も頭を下げる来賓もいた。
 彼は必死であった。
狹租のある他大学に進学していれば、就職も有利であり、多くの学生が、希望通りの企業に就職できるにちがいない。
 それを、あえて、苦労を承知で、私の創立した新設校の創価大学に来てくれたのだ。
 だから、自分が直接、各企業の代表と会い、誠心誠意、創大生のことをお願いしよう。
それが創立者である私の義務だ″
 伸一は、そう深く心に決めていたのである。

780 名前: ときどきROM 投稿日: 2004/02/21(土) 11:26
 会場は、立食パーティーの形式をとっており、料理をのせたテーブルのほか、壁に沿って、学生の模擬店が並んでいた。
 伸一は、そのなかを右へ左へと歩き回った。
犲敬歓佑陵萇仭完とお会いしよう″と、彼は決意していた。
 動き、語る伸一の顔には、いつの間にか、汗が噴き出していた。
爐修海泙任笋襪里″と、人は思うかもしれない。しかし、その行動なくして牾道″はない。道を開くには、まず自らの意識を開くことだ。
 彼は、ある来賓には、こう尋ねた。
「『創大祭』をご覧になった、率直な感想はいかがですか」
 来賓は語った。
「今、どの大学も、学園祭は、面白ければなんでもよいという風潮が強くなっています。
 しかし、『創大祭』は違いました。真面目に研究や調査に取り組み、自分たちの主張を真正面からぶつけている企画が実に多い。また、社会正義に燃える、学生らしい心意気があふれています。
 卒業生が社会に出るのが楽しみです」
「ありがたいお話です。光栄です。学生たちに伝えます。
 創大生は、私の命なんです。皆、純粋ですし、限りない可能性をもっています。今後とも、お力添えください」
山本伸一は、来賓と精力的に言葉を交わし、名刺交換していった。
 伸一の汗は、スーツの襟にまで滲んでいた。
 彼の後ろには、「創大祭」の実行委員長である押山和人という学生がついて歩いていた。
 押山も一期生で、来春には四年になる。だが、卒業後の進路について、まだ、真剣に考えてはいなかった。
 就職活動をするにしても、先輩もいないために、よく状況がつかめず、まだ先のことのように感じていたのである。
 しかし、創立者の姿を見て、押山は目の覚める思いがした。
狎萓犬蓮∨楜い砲覆辰董△椶たちの将来に心を砕き、就職の問題も学生自身よりも真剣に考えて、手を打ってくださっているんだ。
 よく、『諸君のために道を開く』と、先生は言われるが、今、まさに、体を張って道を開いてくださっている!″
 押山は、創立者の姿を生命に焼き付ける思いで見ていた。彼の胸には熱いものが込み上げ、太い眉の下の大きな目が、何度も曇った。
 この日、伸一は、体育館に集った、ほとんどの来賓とあいさつを交わしたのであった。
 さらに、このあと、彼は「創大祭」を記念して行われた、卓球大会やテニス大会にも、相次いで出場した。
 伸一は、疲れ果てていた。しかし、そんな素振りは全く見せずに、学生と対戦した。
 夕方からは、教授の有志の招待を受け、構内の合掌造りの「万葉の家」で、食事をともにしたのである。
 最初に、教授の代表があいさつに立った。
 この教授は、感無量の面持ちで語った。
「私は、本日、創立者の姿を拝見し、心の底から感動いたしました。
 山本先生は、全来賓と会われ、時に、深く、深く頭を下げておられた。
 学生の未来を開くために、すべてを捧げるご決意が、痛いほど伝わってまいりました。
 私は反省しました。その慈愛が自分にはあったのか、と。
 先生は、身をもって教師の精神を教え、創価大学の建学の精神を体現してくださった……」
 真の共感は、行動のなかに生まれる。

781 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/21(土) 14:55
>>780-779ときどきROMさんへ
。。。一体、どういうつもりで、新人間革命をそのまま書き込んだのか、wかりません。
資料としてなら、他のHPでも見れると思うのですが。
私が購読しているダイジェスト版の聖教新聞にも、ちゃんと人間革命は掲載されていますし。
このスレタイは、「人間革命批判」ですので、もし、私にこの資料を批判しろというんでしたら、そのように受け止めらせて頂きます。
何はともあれ、御苦労様でした。

782 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/21(土) 15:31
>>779-780
それでは、早速、批判させて頂きます。
●もしも、この新人間革命が池田大作=山本伸一本人が執筆したとすれば、池田大作(先生)は、正しく狂人と断定してよいでしょう。
理由1 例え、自伝小説としても、一般紙に並ぶ、発行部数を誇る機関紙に、こうまで手放しで、自分を誉め称える行為は異様である。
それも、ただ単なる回顧録というんじゃなくて、わざとらしく、他人の口を借りて自分を「褒めちぎる」神経は異常である。
この山本伸一というのは、物語りの中でも、学者でもないし、何か特別な研究論文を発表したというんでもない。
一体、何らかの思想=教育構想があって、創価大学を創立したのでもない。
○ただ、世間的慣習に従って、宗教で生業をたてている、というだけで、回りから「先生」と呼ばれてるだけだ。
○創価大学とて、本人が事業で成功して、その資金の一部でも寄付したというんではない。
○池田(先生)が得意とする「人のふんどしで相撲を取る」といった手法で、自分は、何もやってないのに拘わらず、「創立者」としての「手柄」だけは、自分のものにしたのである。
○更に、「嘘も百辺言えば本当に」という手法をここでも利用して、「創価大学創立に最も功績があったのは、自分である」というのを繰り返し、吹聴したのである。
○もしも、牧口先生や戸田先生といった、実際の教育者だった人達の功績を称えて、大学を創立したというのなら、創立者の名前は、両方の名前を冠すればよいことだ。
★本当に実力と人徳がある人間であれば、本人が何もしなくとも、自然に回りの人間がその功績を顕彰したいと申し出されるものだ。
(世界的指揮者小沢セイジ氏など)
○どう控え目にみても、池田(先生)は、自分のことを誉め過ぎている。
*結論 新人間革命もまたゴーストライーターの手によるものだろう。

783 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/23(月) 17:36

この池田先生の自己陶酔癖は、もっと詳しく検討する必要」がある。
『蘇生の選択by福島源次郎』
福島氏の略歴
○昭和31年 東京大学経済学部卒業 富士電気入社 日蓮正宗入信
○昭和35年 創価学会入会
○昭和36年 学会本部職員
●聖教新聞編集総局長●編集主幹●専務理事●創価学会男子部長●青年部長●文化本部長
○昭和47年創価学会吹副会長
○昭和54年 一切の役職を辞任

784 名前: ペガサス 投稿日: 2004/02/23(月) 21:33
>●もしも、この新人間革命が池田大作=山本伸一本人が執筆したとすれば、池田大作(先生)は、正しく狂人と断定してよいでしょう。
理由1 例え、自伝小説としても、一般紙に並ぶ、発行部数を誇る機関紙に、こうまで手放しで、自分を誉め称える行為は異様である。

その点は、同意ですね。
こちらのどなたでもいいのですが、
仮に自叙伝を出すとして、自身を限りなく美化する文章をみとめるだろうか?

私の知ってる限りにおいて、ゆういつ、それなりに感動したのは大阪事件で
検察庁でしたか呼ばれ、そのときの心情。
「幾重にも続く山々に出来うるならば隠れたいと思った」ーだいたいの趣旨。

そういった普通の心情にむしろ共感は覚えるのだが、
すべてを正当化し、逆に美化しようとする流れには嫌悪感をおぼえてしまいます。

785 名前: Leo 投稿日: 2004/02/24(火) 02:09
前の小説人間革命第一巻の冒頭 --

「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 だが、その戦争はまだ、つづいていた。
 愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。」

「ばかげたことを、いつまでやっているんだ!」

-- 創宗戦争も同様。

786 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/24(火) 02:41
>>783
SGIさんが、既に述べているように、福島氏は、太田氏と並んで、池田名誉会長の後継者とみられるくらいに、側近中の側近。
池田の指導を一字一句漏らさずに、手帳にメモしてると言われていた。それだけに、そのメモの信憑性は高い。
そこに記されていた言行録は狂態というのに相応しい。
今、それが池田創価学会の真実を知るのに大きな手助けとなっている。

787 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/24(火) 02:55
福島源次郎の息子さんの実名入りの手記が、妙教に掲載されたことがある。
また、創価大学山岳部に属する現役学生3人のリレー体験談がこれもなた実名入りで掲載された。
彼等は、福島元創価学会副会長と直接会って、池田名誉会長や創価学会の真実の姿を知る。
福島源次郎氏のような人材を失ったことが、どれだけ法華講にとって痛手だったかしれない。
冥福を心から祈りたい。
福島氏「蘇生の選択」で、一番興味深かったのは、日頃から福島副会長に、池田先生は、「自分を守れ!」+「自分の家族を守れ!」と指示していたという。
「自分を守れ!」というのは、もう、うんざりすくくらいに皆さんは聞いているだろうから、説明の要がないと思う。
創友同窓の集いなどで、「師匠を護るのが弟子の務め」だとか「師匠の教えを実現していくのが弟子の義務」なおと、言われると、
「そうだ!」と条件反射的に反応してしまう。
しかし、もし、「池田先生の家族を守れ!」となると、
えっ?」となってしまう。
恐らく、池田先生は、福島氏にあまりに心を許し過ぎて、つい、本音が出てしまったのだろう。
池田創価学会の本質ーーそれは、池田大作並びに池田家による創価学会の私物化以外の何物でもない。

788 名前: Leo 投稿日: 2004/02/24(火) 02:59
んー。
福島氏に傘をさしかけている池田氏の写真を持っている人がいるとか、
福島氏が辞めるときに池田氏が俺も辞めるよといったとか。
相当頼りにしていたようですね。

近年では福島氏と同じ大学出身の大幹部はかなりしごかれたとのこと。
(退転しないように)
本幹衛星中継の前座部分で人間が壊れるのではないか?と思えるほど
仏敵攻撃スピーチをやらされていた。

789 名前: Leo 投稿日: 2004/02/24(火) 03:10
蘇生講をやったり、第二創価学会をつくるといわれた勢いのあった、
福島氏ですが、どこまで実現できておられましたか、また誰かが
引き継いでいますか。

福島氏と石田氏の関係はどうでしょうか。
(福島氏は石田氏を師匠にしたのでしょうか)

ある方の石田氏は印度六派哲学と六師外道の区別がついていない
との指摘がありました。

790 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/02/24(火) 22:04
795 名前:氏名黙秘 投稿日:04/02/24 13:10 ID:???
私が昔読んだ昭和30年代に出版された「日本精神(忘れた)序説」っていうねずみ色の表紙の本には

「2代戸田は【末端で働く学会員こそが一番えらい。それをまとめる支部長、それを終局的にまとめる
会長といえども、学会員を支援する為に居るのであって、末端の学会員を大切にしなければならない】
と述べていた。
ところが第3代池田になると、これが【そのえらい学会員をまとめている支部長こそが一番えらい】というように
すり替えが発生しているようである」

って書いてありますた。あまりにも衝撃的だったので未だに覚えてます。
その後のデーサク先生の行動を見ると「・・・だから俺様こそが一番えらい」といいたかったみたいです。
なんてったって「創価学会インタナショナル(SGI)会長」ですもんね。

791 名前: SGI 投稿日: 2004/02/25(水) 00:53
>>789
>蘇生講をやったり、第二創価学会をつくるといわれた勢いのあった、福島氏ですが、どこまで実現できておられましたか、また誰かが引き継いでいますか。
―― おそらく、ご本人は第2創価学会をつくる意思はなかったと思います。
 蘇生講は、福島氏の存命中に解散しており、誰も引き継いでいないと存じます。

>福島氏と石田氏の関係はどうでしょうか。(福島氏は石田氏を師匠にしたのでしょうか)
―― 師匠にしておりません。
 福島氏が学会の要職を駆け上がっていく時には、すでに石田氏は“過去の人”です。当時から「石田氏はアル中」とのデマが流されており、名誉会長の第三代会長就任後に幹部になった人は、ほとんど石田氏とは接点がありません。福島氏は会長就任後の幹部です。
 副会長の辞任後、福島氏が自身の教学の「見直し作業」の過程で、石田氏を訪ね、教学上の論点をいくつか教授を受けた次第です。

>ある方の石田氏は印度六派哲学と六師外道の区別がついていないとの指摘がありました。
―― その通りでしょう。
 特段きちんと区別をつけようとの想いもなかったのだと思います。釈尊の教え以外は「外道」との観点に立ち、釈尊が否定した六師外道義は、詮ずるところ、仏法(内道)以外のすべての教え・思想・宗教・哲学を指すとし、その“対告衆”として六師外道義だったと捉えているのであり、その意味で印度六派哲学も六師外道も、いずれも「外道」ということで十把一絡げだったのでしょう。

792 名前: みかん 投稿日: 2004/02/25(水) 01:30
> 特段きちんと区別をつけようとの想いもなかったのだと思います。

それは違うと思いますよ。
『現代諸学と仏法』『内外一致の妙法』を読まれたら判りますが、
あれだけ衒学的に、諸学問、諸哲学を論理的に理解しようと
した人が、そんないい加減な態度であったとは思われません。

石田氏が六師外道義と六派哲学の区別が付いていたかいなかった
か、インド学の専門家でない私には判りませんが、
石田氏の学問的な真摯な態度はきちんと評価すべきだと思います。

それが、頭打ちになっちゃってるのが石田氏の限界だと
思いますけどね。所詮理系の人で、人文学には向いていない
と私には思われます。

793 名前: Leo 投稿日: 2004/02/26(木) 01:31
SGIさん。 >>791 みかんさん。 >>792

解説ありがとうございます。
福島氏も石田氏も限界があったということですね。

794 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 04:44
福島源次郎元創価学会副会長が書いた「蘇生の選択」を何年ぶりかで読み返してみた。
「まえがき」で述べてある通り、この書は、本人の30年以上の信心の全てをかけて、書き綴られたものだ。
さすがに、すごい。
もっと、この書を読み込み、人にも勧めていかなくてはならない。
福島氏が亡くなって、益々、この書の価値が増したと言ってもいい。
やはり、創価学会の最高幹部の中では、池田名誉会長との師弟の道を、この人程、徹底的に追求した人はいない。
それなのに、何故、創価学会幹部は、そこ(福島氏の挫折も含めて)から、何も学ばないのか不思議mでしょうがない。
氏は、はっきりと、池田名誉会長は偽物だと断定したのである!
「悪鬼入其身」だとか、「狂人」と片付けるには、氏の分析は、あまりに鋭過ぎ、生々し過ぎる。
これから、少しづつ、その内容を見ていきたいと思う。
何と言っても、このスレタイの人間革命批判に相応しく、福島氏こそ、池田版人間革命を正面から批判したのである。

795 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 05:13
続1
池田発言「私には戸田先生しかいない。それが私の一切である。戸田先生の『心』をこの世で実現していく、それが私の使命であり、栄誉であると思っている。それ以外の私自身のことや一家一続のことなど、全く眼中にない」
福島元副会長「名誉会長は、学会本部長に就任した私に、こう告げたのであります。
『君の就任のはなむけとして、ひとつ言っておこう。君のこれからの重要な仕事は、私の家族のことまで常に心に掛け、将来にわたって面倒をみていくことだ。この点がまだ君に欠けている。中西を見習うのだよ』(昭和51年12ー8)」
********************************
前に書いたが、福島氏は、「如是我聞」と称して、名誉会長の発言を一字一句漏らさずに、書き留めているので有名だった。
皆(学会員であれば)、福島氏に理想的「弟子」の姿を見て、
「弟子たるもの、ああでなくてはならない」と決意していた。
それだけに、尚更、彼が記したメモの信憑性は高い。
奥様は、健在なのだろうか?
御子息の手記では、御他界されたと記憶しているが、記憶違いなら心から、お詫びしたい。
奥様が御存命であるなら、是非、その手記を「酔いところも、悪い所も含めて」公開して頂けないだろうかあ?
さもなければ、御子息にその仕事をお願いできないものだろうか?

796 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 07:27
>>787
私は、残念ながら、福島氏と直接会って話しをしたことがない。
それだけに、本当は(会合で見かけたような姿ではなく)どんな方だったのか興味がある。
是非、SGIさんにお願いしたい。
よい評価ばかり聞いていたのは確かだが、悪い評価も聞いたことがある。(所謂反逆前に)
悪口はいいにくいでしょうが、SGIさんに是非、福島元副会長の思い出を語って頂きたいと思います。
我が身を振り返ってみても、人間の欠点をあげつらってばかりいても、意味がない。
そういうことばかりしていると、その人自身の信用がなくなる。
それだけに、このスレッドで、池田先生のことを批判するのも心苦しい。
しかし、自ら、生き乍らにして、「永遠の’指導者」の資格を得、世界中の何百という会館に自分の名前を冠し、写真家としての素養のあるなしは、別として、相当規模の武美術館に作品を展示している。
その上、個人資産が1兆円となれば、完全なあ公人といっていい。その規模が大きいだけ、責任も重い筈だ。
大体、現代世界、洋の東西を問わず、スキャンダルに塗れて、世間の人を驚かせる行動を取るのは、宗教家である。
そういった風潮に乗って、日顕上人のことも、「無い事、無い事」であるにも拘わらず、スキャンダルを絞り出すように捏造しているのだろう。
そうなれば、日本最大の似非宗教団体のトップとして君臨してきた池田名誉会長の人格を精査するのは、当然なのである。
やはり、池田名誉会長の人格を一言で言えば、「無責任人間」といえると思う。
昭和30年代、植木ひとしの「天下の無責任男」という実に下らない映画があったが、どういうわけか、その映画の主人公に最も相応しい男こそ池田大作のような気がしてならない。
●戸田先生の元、共に広宣流布をしていこうと誓いあった、先輩(竜年光氏)、後輩(藤原行正氏)、兄弟子)石田次男氏)、自分の弟子一号(原島崇氏)に反逆され、自分を本仏とまで崇めた直弟子(福島源次郎氏)に背かれ、創価学会の組織を構造的に現代化した功績のあった顧問弁護士に恐喝され、自著の代筆の相当部分を依頼した秀才(桐山泰次氏)に去られ、学会組織の財産を私物化し、池田家個人財産を巧みに増やすことに貢献のあった金庫番(中西氏)を陰棲に追い込んだに池田大作。
●何故、こういう男が「のうのう」と生きているのか不思議でならない。
一時、児玉誉士夫、田中角栄、池田大作は、昭和が生んだ三悪人と言われたことがあった。
池田先生が、日蓮正宗から破門されたのは、当然の成り行きだったとしても、全世界から顕彰されたという総計300近くの名誉称号は、酷い皮肉として、日本史に残るだろう。

797 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 10:04
所謂、反逆者達の言い分と池田先生=池田教徒達の言い分には、とんでもない開きがある。
接点がまるでないのである。
それは恰も。互いにそっぽを向いて、ひたすらがなり立てているように見える。
池田創価学会は、宗門に対して、「話し合いを拒否したのは、そちらの方。封建的に信者を見下している宗門は、時代に逆行しているのみならず、本質的に悪」と決めつけている。
ならば、聞きたいのは、「本質的に悪」ならば、創価学会は、そういう宗教の御本尊を祈祷し、教義を利用して、(少なくとも表面上は)発展してきた。
とすると、その発展自体間違っていたのではないか?
であれば、今まで利用してきた日蓮正宗の御本尊は、形式も含めて、全て返還すべきだし、教学の体系も即刻別物に変えるべきではないのか?
そして、池田大作の「青春対話」とか、「ナイチンゲール」に付いてのスピーチあたりを教学?の中心にするべきだと思う。
xxxxxxxxxxxx
池田先生はよく、所謂反逆者や宗門側の言い分を、「うそつきの天才ども」などと揶揄して、全く誠実に聞こうとしない。
しかし、そこで、白黒写真のネガのように白黒を全く逆に見てみるとよい。
つまり、池田先生が大嘘つきで、所謂反逆者達(山崎正友氏も含めて)や宗門側が真実を述べているとしたら。
そうすると、不思議なことに、全て、今まで意味をなさなかったことが意味を成してくるのである。
それは、例えば、今まで、本当の気色だと思っていたのが、外の気色が鏡に反射していたことがわかったようなものだ。
微妙な違い(左右逆)だから、余程注意しないと見過ごしてしまう。
本当は、大きな違い(幻想と現実)なのだが、原則を取り違えているから、わからないのである。
それは、丁度、舞台劇で、劇がフィクションだという約束ごとを忘れてしまうことにも似ている。
「創価学会は、日蓮正宗の教義を盗んだ」という大原則を忘れれば、創価学会の胡散臭さを見分けることは出来ない。

798 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 12:41
訂正>>797
それは、例えば、今まで、本当の気色だと思っていたのが、外の気色が鏡に反射していたことがわかったようなものだ。

それは、例えば、今まで、本当の景色だと思っていたのが、外の景色が室内の鏡に反射していたことがわかったようなものだ。

799 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/26(木) 12:55
訂正>>795
奥様が御存命であるなら、是非、その手記を「酔いところも、悪い所も含めて」公開して頂けないだろうかあ?

奥様が御存命であるなら、是非、その手記を「良いところも、悪い所も含めて」公開して頂けないだろうかあ?

800 名前: ときどきROM 投稿日: 2004/02/26(木) 21:02
新・人間革命  創価大学 八十二 (2706)

山本伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。

「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。

 日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や
機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。

 たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に
工夫、研究し、活路を開いているんです。どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。

 昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。

 大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだ
ってあるでしょう。

 だから、爐海硫饉劼貌れば安心だ。将来の生活が保障された″などと考えるのは間違
いです」 学生たちは、真剣な顔になっていた。

狡戦″を忘れ、牋預検蹐凌瓦鬚發辰真佑何人いようが、発展の力とはならない。

 伸一は言葉をついだ。

「就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです。 たとえば、出版社
というと、多くの人は編集をイメージするが、会社には経理もあれば、営業もある。また、
受付もあれば、清掃や営繕を担当する部門もある。

 有名出版社に入ったとしても、どこに配属されるかはわかりません。また、自分の好き
な部署に配属されても、部署は、状況に応じて変わっていくものです」

 皆、頷きながら話を聞いていた。

「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。 その時に、自分の希望と違う職場だから
仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。
敗北です。

 就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩が
いて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。

 しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む
時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」

801 名前: SGI 投稿日: 2004/02/26(木) 23:00
>>792 みかんさん。
あっ、誤解を招いているようです。

 石田次男氏について、けっして「いい加減な態度」だとか「真摯な態度」でない、といっているのではなく、
 氏が追求したのは、仏法と諸学(外道義)の峻別であって、諸学の分類や体系化が目的でない故に諸学そのものへの論及は省することが多かった、と記したかったのです。
 つまり、仏法との対比において外道義を論じ、碁盤で将棋が指せないように、あるいは将棋盤で囲碁ができないように、もともと一人称・二人称の世界・論理に三人称の論理(俗諦)を持ち込むなというのが主眼なので、特段諸学の分類について詳細な論述にはこだわらなかった―外道の中での相違をことさらに示す必然がなかった―のではないかと思うのです。
 したがって、氏が六師外道義や六派哲学を含めて諸学(外道義)そのものに造詣がなかった――とはとらえておりません。

 私自身は、石田氏の業績について大変敬意を抱いております。
 直接お会いする機会はありませんでしたが、氏の生前においても、ある人を介して、氏の論調や主張、お人柄などを幾度となくお聞きしており、私にとっても恩人の1人です。
 いまでも石田次男氏こと「堅持院法明日徳居士」(平成4年2月4日寂)には追善をさせていただいております。

802 名前: SGI 投稿日: 2004/02/26(木) 23:18
…しかし、
 ヤフーbbのデータ流出事件の竹岡誠治容疑者の長男も本部職員なのか。唖然。
 やはり、本部幹部は“家業”なのでしょう。⇒ >>135 参照

803 名前: Leo 投稿日: 2004/02/27(金) 01:13
ときどきROMさん。 >>800

>狡戦″を忘れ、牋預検蹐凌瓦鬚發辰真佑何人いようが、発展の力とはならない。

んー。これは名言だと思います。

創価への狡戦″を忘れ、創価への牋預検蹐凌瓦鬚發辰真佑何人いようが、(真の)発展の力とはならない。
ということですね。

「権威主義者は一般に、自分の影響力に服従し、それを信じ、それに応える者たちを選抜するであろう。
だがそうすることで、彼は凡庸な者たちを選ぶことにならざるをえない。というのも、
彼は、自分の影響力に叛逆し、それを疑い、あえてそれに抵抗する者を排除するからである。
権威者は知的に勇気ある人々、すなわちあえて彼の権威を拒む人々が最も価値のある型である
かもしれないということを認めることができない。」
(K・R・ポパー 『開かれた社会とその敵』)

「あえて彼の権威を拒む人々が最も価値のある型であるかもしれない」ということですね。

804 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/27(金) 02:23
>>801SGIさん
>将棋が指せないように、あるいは将棋盤で囲碁ができないように、もともと一人称・二人称の世界・論理に三人称の論理(俗諦)を持ち込むなというのが主眼....
。。。。故福島源次郎氏も所謂池田教の最大の誤りは、仏法を無理矢理に世俗の学問で説明しようとした点にあるとしています。
それに対して、賛成するかどうかは別として、その通りだと思います。
「キリスト教と科学の闘争」という有名な本が、1870年くらいに書かれなした。(現在、部屋の中を探している)
そこで述べられているのは、ガリレオの例を持ち出すまでもなく、宗教権威が客観的事実に基づいた、知的観察の発展を妨げたことが述べられている。
仏法は、元々が宗教らしさを欠いていたから、そうした宗教権威というのはなかったと思います。
テラバダ仏教の坊さんのHPには、「仏教は心理学おいうより、科学である」なおと書いてありましきまし。
そこで、私は、心理学は、自然科学の分野ではないが、立派な科学ですよ、と書いた。
更に思ったのは、現在のテラバダ仏教を始め、現在存在している仏教は、完全な宗教となってしまっている、と書きました。
それが、いいことかどうかは別です。
宗教と化した仏教は当然、権威が最も重要になります。それが、SGIさんの言われる「一人称の世界」ということでしょう。
その中で論争するのなら、多いにするべきです。
同じ土俵で、同じルールで相撲を取ろうとするなら、大いに頑張って欲しいです。
ところが、現代世界、得に日本の文化の最大の特徴として、文化の世俗化というのがあると思います。
そんな中で、「相伝仏法!」と言われても、少数の趣味としての仏教としてなら、ある程度は流行るでしょうが、時代の中心にはならないでしょう。
欧米の宗教事情も非常に厳しいものがあり、世俗化を拒否した教会は、厳しく淘汰されています。
創価学会は悪ーーこれは絶対の事実です。
しかし、創価学会が発展してしまったのは、事実なのです。その理由は、仏法を巧みに世俗化させることに成功したからです。
創価学会みたいな悪を野さばらせてしまった、ーーこれは、重大な責任問題です!
ですから、「宗門は、一方的被害者」という見方にも、私は与することができません。
やはり、これからの真の広宣流布を在家、出家共に目指すのであれば、慎重さが必要であるのは確かですが、まず深刻な反省が必要だと思います。
例えば、大乗非仏説(これは、宗門でパンフレットが出ている)などの、現代仏教学の成果をもっと、総合的見地から、宗学に取り入れていくべきでしょう。
オールオアナッシングではない、健全な宗門の精神面での発展を望むものです。

805 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/27(金) 06:28
訂正>>804
それに対して、賛成するかどうかは別として、その通りだと思います

仏法を世俗の学問に照らし合わせて研究対照にしてよいかどうかは、別にして、池田創価学会の誤りは、相伝仏法である日蓮正宗の教義を理解できていなかった、と思います。
猊下の指導に対して、信服随順するのは、日蓮正宗信徒となったら、当然の務めです。
もし、それが出来なければ、退転届けを提出すれば済んだこと。誰も引き止めなかったでしょう。
それを、実に巧みに宗門の方から、破門させて、「宗門は、権威主義的を演出した。
実に狡猾だ。
かつて、創価学会から、大量の文書が外部に流出した。それに目を通した、あるジャーナリストは、あまりの丸非マークの多さに唖然としたという。
あまり多くの秘密は疑惑を生み、やがて、それは不信に繋がっていくもの。
今回の所謂、C作戦では、(将軍様)池田先生は、どんな作戦を立てたのか興味深い。
最初から、最後まで何とか、「宗門は陰険且つ、権威主義的で、無慈悲にも創価学会を破門にした」を演出したのだろう。
>テラバダ仏教の坊さんのHPには、「仏教は心理学おいうより、科学である」なおと書いてありましきまし。

テラバダ仏教の坊さんのHPには、「仏教は心理学というより、科学である」などと書いてありました。

806 名前: Leo 投稿日: 2004/02/27(金) 23:51
yurikoさん、SGIさん。

こちらのスレをお借りして、今回、お尋ねしたいことがあるのですが、
よろしいでしょうか。

『大白蓮華』2004年3月号に教学部長が宗門に「日精問題を質(ただ)す」という
1月9日に送った質問状の内容(全文)が紹介されていますが、正宗さんの方では
何か対応があったでしょうか?

「日精問題を質(ただ)す」は学会内部向けのパフォーマンスであって
(いつもの調子の学会本位の内容)、正宗さんの方では全然相手にしていないと
思いますが...

807 名前: yuriko 投稿日: 2004/02/28(土) 05:42
>>806Leoさん
>大白蓮華』2004年3月号に教学部長が宗門に「日精問題を質(ただ)す」....

。。。実をいいますと、そのことは、最近、聖教新聞で知ったのです。
創価学会は、何かと過去の法主のスキャンダル(であるかのように)を針小棒大にして話をするのが得意みたいですね。
今までも、稚児法主、要法寺派遣法主、釈尊像建立など、過去に起った事件を根掘り葉掘りしてきましたね。
挙げ句の果ては、猊下の言葉尻を捉えて、大御本尊否定発言を捏造したいとか、「お前等いい加減にしろ」といった感じですよ。
他にも桜の木伐採とか子持ち杉伐採とか、「よくも、ここまで考え付くものだ」といった感じです。
それらは、全て内部向けだから、真面目に付き合う方が間違ってるんですよ。
それに、先日、聖教新聞で、流石に扱っている量は、小さかったのですが、未だに、シアトル事件があったかのように、語られていました。
この「針小棒大」のワンパターンですから、今度の日精上人問題も下らない難癖に過ぎないでしょう。
ただ、宗門は、どんな下らない難癖に対しても堂々と反論して欲しいと思います。
そうすることによって、自らの信心の姿勢を示し、信徒達が励まされるのみならず、創価学会員や全くの外部の方々を折伏していくことに繋がるからです。

808 名前: SGI 投稿日: 2004/02/28(土) 23:47
>>806Leoさん
 残念ながら『大白蓮華』2004年3月号を手に入れておりません。
 これまでとは違った新たなに疑難が提示されているのでしょうか。
 すでに宗門サイドからいくつかの破折文書が示されていますので、新論点でない限り単なる繰り返しならば何のリアクションはないでしょう。
 ちなみに(ご存知だとは思いますが)これまでの宗門サイドの破折文書をご紹介します。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/shiryo2.htm
 タイトル「B01 法義研鑚委員会 H10/11/01(大白法513号) 日精上人に対する創価学会の疑難を破す

http://members.at.infoseek.co.jp/netplane/nissei.html
「創価学会による日精上人に対する再度の疑難を破す/時局協議会文書作成班1班」
「創価学会による日精上人に対する再々度の疑難を破す/法義研鑚委員会『大日蓮』98」

http://jagihashaku.main.jp/saido/01.htm
 日蓮正宗青年僧侶邪義破折班「新興宗教「創価学会」と離脱僧らの再度の邪難を摧破す」

809 名前: SGI 投稿日: 2004/02/29(日) 00:05
>>804 yurikoさん
 論旨において概ね賛意を表します。
 現代の世俗化・多元化の状況に耐え克服し、正法正義の宣揚と指導性の発揮すべく、宗門サイド(特に御僧侶方)の覚醒と新たな教学展開を望むものです。
 私が存知あげている御尊師方には、こうした意識を持ちながら日々研鑽されている方々がいます。ですので、絶望はしておりません。

810 名前: Leo 投稿日: 2004/02/29(日) 00:20
SGIさん。 >>808 資料のご紹介ありがとうございます。

学会は何度も「日精上人に対する疑難」をやっていたのですか。

>これまでとは違った新たなに疑難が提示されているのでしょうか。

>すでに宗門サイドからいくつかの破折文書が示されていますので、
>新論点でない限り単なる繰り返しならば何のリアクションはないでしょう。

一応時局班への反論が書いてありますが、結び部分で回答なき場合は法主の除歴云々
と書いておりリアクションがない場合不戦勝を狙うかのような書きぶりです。
SGIさんがご存知ないところをみると宗門サイドは相手にしていないのですね。

811 名前: SGI 投稿日: 2004/02/29(日) 23:54
>彼の後ろには、「創大祭」の実行委員長である押山和人という学生がついて歩いていた。(新・人間革命より)

 押山和人こと忍田和彦・元青年部長は、創価学園・大学の1期生。初の金時計(創立者賞)受賞者である。今なお鳳友会委員長を務め、学園OBの頂点に立つ(ちなみに、創価大OBの会=創友会トップは、正木正明氏・3期生)。現在、宗教法人「創価学会」責任役員17人の1人として名を連ねているが、学園・大学卒業生ではただ1人の責任役員だ。つまり、忍田氏は学園・大学OBの筆頭者いえよう。

 押田氏も正木氏も2人共、学生時代は学生自治会で活躍した。学生自治会の目標(合言葉)は「創立者構想の実現」。創立者=池田大作・創価学会名誉会長の思想を学び、その思想を継承し構想を実現していくことを自己の生き方・使命・人生の目的とする人材を輩出することをめざす。
 創価大は、創立構想を発表以来、宗教大学でないことや「学問の自由」「信教の自由」を保障する“開かれた大学”であることを世間に表明してきた。そこで、大学機構自身が直接“池田私兵養成大学”であることを担うことができず、学生の自治として「創立者構想」を実現することを担ってきたのである。忍田氏らは、その礎を築いたということだ。

 「創立者・池田先生に甘えてはいけない」と、学生自らが自治会の活動方針として学費の値上げを掲げ、物価スライド制を織り込んだ学費値上げを実現させたという、極めて珍しい実績を残す。この時の中心者が寺西宏友氏。創価中学1期生・大学4期生で、金時計の受賞者だ。現在創価大の教授を務める。
 寺西氏はドイツ経済史が専門であるが、1・2年生を対象とする共通基礎演習も担当している。
 演習のテーマは「『私の世界交遊録』を読む」。演習の内容は、「本演習のテーマは,創立者池田大作先生と現代世界を代表する知識人との出会いを綴った『私の世界交遊録』の読解を通じて,現代文明・社会の直面する諸問題に対する理解を深めることである。様々な分野を代表する人物の描いた軌跡を,創立者の感性で綴った本書は,まさに多様な現代社会に,どう取り組むかの示唆を与えてくれるものと思う」と紹介し、到達目標は「幅広い分野,また文化的背景を有する人々との対話に,創立者が,如何なる世界観・価値観をもって,臨んでいったのかを掴み取っていきたい」だそうだ。

 共通科目とは、ひと昔前ならば一般教養科目と呼ばれていたもので、専門科目を学ぶ前に履修にするものである。創価大では、新たに「大学科目」というものを設定し、創価大学や創立者に関することを学ぶことになっている。寺西氏が担当する共通基礎演習は、そのゼミ版である。
 いよいよ大学機構が前面に出て、創価大が“池田私塾”であることを鮮明にしてきたといえようか。

 忍田氏にしても、正木氏にしても、寺西氏しても、いずれも世襲を担う「ご学友グループ」の一員だ。アメリカ創価大の学長である羽吹好史氏も、同メンバーに名を連ねる。学会本陣の外堀は、この「ご学友グループ」を中心に学園・大学OBらに実権が移ってきている。

812 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/01(月) 01:14
>>811SGIさん
>の「ご学友グループ」を中心に学園・大学OBらに実権が移ってきている。
。。。さすが、SGIさんですね。
かつて、「池田問題対策委員会」→現在「外護の会」で、パンフレットを発行してましたよね。
そこで、この「ご学友グループ」の存在を知って、ちょっと驚いたことがありました。
この「ご学友グループ」について、もう少し詳しく知りたいのですが。
私の知っている範囲では、これは、「27人衆」とも別名呼ばれていて、創価学園や創価大学出身の超優秀な者達を選び、元々、池田大作の次男城久を世襲体制を固める、というものでしたよね。
私は、てっきり城久急逝の後、自然解散したとばかり、思っていたのですが、まだ活動していたとはね。
xxxxxxxxx私が、抑思うのは、池田人材養成術の胡散臭さです。
確かに、創価学会には人材が豊富です。
人材育成ーーこれは、戸田先生は水滸会 (男子青年部)や華陽会(女子)以来の伝統みたいですね。
最近の新人間革命では、毎度のように、恩師利用で、創価大学が、その両方の人材グループからの一貫した延長線にあるかのように、描いてますね。
でも、思うんですけど、池田(先生)は、国会議員を私兵化して、「本弟子」とか「新弟子」(どう違うんでしょうね?とか、「直系中の直系」*主に創友会 とか呼んで、意図的に差別化しようとしてますよね。
でも、こういうのって、共産党の組織主義と似たところがあって、結局、「衆愚支配」の延長でしかないんじゃないでしょうかね?
北朝鮮では、殆どの国民が飢えで苦しんでいるにに、党最高幹部が、「この上ない」贅沢
をしているので有名ですが、創価のエリ−ト達も似たようなことをしてるんでしょうね。
この奇怪な、創価英才主義は、日本の教育の手本になるどころか、日本の恥部となっていくことは間違いないでしょうね。

813 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/02(火) 02:32
乙骨氏の主催する「フォーラム2001」創価大学USAの実態を少々扱っている。
さすがに、宗教系大学だから、秘密主義があって、実態が掴みきれない。
無論のこと、米国の大学では、「まともな大学」の内には入っていない。
確かに、教授陣は、一応、有名大学出身者を集めている。
これは、日本の創価大学同様、金で何とか人を集めて、体裁を整えたのだろう。
しかし、大学というのは組織である。少数の有名人を集めたところで、全体として機能しないだろう。
学生の質はどうだろう?
一応、大学だから、一定の基準には達しているようだ。
しかし、どう考えても、優秀な人材が悪環境で長く学び続けるとは思えない。
そんな中、ある創価大学USAに出会った。彼はフレッシュマン。
明らかに、彼には失望の様子が見えた。
これは、池田創価の特徴なのいだが、まず彼等は、実体より、プロパンガンダを徹底的に行い、人々に「実際にそこに、既に『理想郷』が存在している」彼のように錯覚させる。
まずは、形(型)を作る。あとの中味は、何でもよい。
そんな伽藍堂だから、真剣に実質を求めるものにとって、創価教育で最初に出会うのが、「理想と現実のギャップ」だ。
私、個人の体験を綴れば、●米国の大学や大学院のハイレベルな課程には驚いた。何と言っても、人文系では、一冊読むのだけでも、相当の努力の必要な本を何十冊も読ませられる。
自然科学では、一日中実験室に閉じ込められる。
★、そんな中でも、淡々とこなしていく学生が多かったのには、尚驚いた。
ああいうのを見ていると、つくずく「アメリカ人畏るべし」と思ってしまう。
だから、本当に優秀な学生であれば、創価大学USAの実態は、あまりに拍子抜けに違い無い。
先に、紹介したフレッシュマンだが、一年を過ぎる前に、既に他の大学に転学することを決めている。

814 名前: xyz 投稿日: 2004/03/02(火) 12:07
>>813訂正
これは、池田創価の特徴なのいだが、まず彼等は、実体より、プロパンガンダを徹底的に行い、人々に「実際にそこに、既に『理想郷』が存在している」彼のように錯覚させる。

これは、池田創価の特徴なのいだが、まず彼等は、実体より、プロパンガンダを徹底的に行い、人々に「実際にそこに、既に『理想郷』が存在している」かのように錯覚させる。

815 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/02(火) 12:13
>>813訂正#1
人材育成ーーこれは、戸田先生は水滸会 (男子青年部)や華陽会(女子)以来の伝統みたいですね。

人材育成ーーこれは、戸田先生が創った水滸会 (男子青年部)や華陽会(女子)以来の伝統みたいですね。

816 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/02(火) 22:48
>>813訂正 #2
>そんな中、ある創価大学USAに出会った。彼はフレッシュマン。
明らかに、彼には失望の様子が見えた。

そんな中、ある創価大学USAの学生に出会った。彼はフレッシュマン。
明らかに、彼には失望の様子が見えた。

817 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/08(月) 00:54
>>750
原島氏に関しては、>>752に加えて、当時、
創価学会の幹部が多数、毎日のように、自宅を訪問して説得している。
もちろん原島氏の奥さんも。
で、内実は>>752だけど、原島氏がおかしくなったのだと、
創価学会では言われている。

>>764
創価学会の内部資料の対話チャートには、面白いことが書いてある。
日蓮も牧口も戦争を否定していない。
当時の情勢や社会からすれば、必要悪の戦争があったと考えるのは、
当然であると書いてある。
わかり易く言えば、平和のための戦争の肯定することで、
日蓮や牧口は平和主義者であったということ。
そして創価学会の主張は、牧口は平和主義を貫いたのであり、
嘘は言っていないのだそうだ。

818 名前: Leo 投稿日: 2004/03/08(月) 07:13
名無しさん。 >>817

>創価学会の内部資料の対話チャートには、面白いことが書いてある。
>日蓮も牧口も戦争を否定していない。
>当時の情勢や社会からすれば、必要悪の戦争があったと考えるのは、
>当然であると書いてある。
>わかり易く言えば、平和のための戦争の肯定することで、
>日蓮や牧口は平和主義者であったということ。
>そして創価学会の主張は、牧口は平和主義を貫いたのであり、
>嘘は言っていないのだそうだ。

そうすると現在でも必要悪の戦争があり、創価・公明は平和主義を
貫いているということになるのですね。

必要悪の戦争を認める平和主義というのは言うまでもなく中途半端と
いうか不徹底と思います。

言い訳に終始し、過去に不備があればそれを改善するという姿勢
がなければ進化・成長や未来をよりよいものにするということはできないと
思います。

言い訳主義の創価・公明には未来を託することができない。

819 名前: 直人 投稿日: 2004/03/08(月) 20:13
Leoさん、お久しぶりです。

日精師問題については、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班から反論が出ました。

『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の邪問を破す』
http://jagihashaku.main.jp/saitojanan/mokuji.htm

820 名前: Leo 投稿日: 2004/03/08(月) 23:15
直人さん。 >>819

>Leoさん、お久しぶりです。

お久しぶりです。

>日精師問題については、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班から反論が出ました。
>『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の邪問を破す』
>http://jagihashaku.main.jp/saitojanan/mokuji.htm

ご紹介ありがとうございます。

学会側が反論するか、有耶無耶にしてしまうか少し興味のあるところです。

(少なくとも、『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の邪問を破す』
 は『創価新報』か『大白蓮華』に掲載すべきように思います。)

821 名前: 直人 投稿日: 2004/03/09(火) 01:37
Leoさん、こんばんは。

>有耶無耶にしてしまうか少し興味のあるところです。

本来なら、斎藤氏から邪義破折班へ反駁分が出されるべきでしょうね。
平成3年頃は秋谷会長から宗門へのお尋ね文書や宗門からの回答を文書化
したりしていたのですけれどね。

しかし、『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の
邪問を破す』を一読してみましたが、感情的だなぁと思いました。邪義
破折班がやるのではなく日顕師が書いた方がもっとマシな論考になった
と思います。

822 名前: Leo 投稿日: 2004/03/09(火) 23:03
直人さん、こんばんは。

>しかし、『―日精上人誹謗の蒙を啓く―創価学会教学部長 斉藤克司の
>邪問を破す』を一読してみましたが、感情的だなぁと思いました。邪義

創宗の法論は元来感情的なものと思っていたのであまり気にしていなかった
のですが、やはり感情的ですかー。

>破折班がやるのではなく日顕師が書いた方がもっとマシな論考になった
>と思います。

そうなのかもしれないと思います。

学会は御大はどっしりかまえていて何かやるのは弟子の役目になっている
ようなので最高指導者は法論に参加しないようですが...

823 名前: 直人 投稿日: 2004/03/09(火) 23:48
Leoさん、こんばんは。

>そうなのかもしれないと思います。

一年程前の『聖教新聞』の紙上座談会で宮崎英修先生が「小児的主張にのみ
終始している」と御論考(「富士戒壇論」『仏教の歴史と文化』P653)に書
いたことについて、狷顕師は身延派の学者から「小児的主張」と言われて
いたな瓠兵饂檗砲箸いθ言がありましたが、『立正大学図書館長宮崎英修
の誹謗妄言を破す』という論考はある程度評価できると思うのですけどね。
もっとも私は宮崎先生の『大石寺・板曼荼羅について――その価値と成立』
という御論考を読んでいないので、日顕師の説が正しいと直断できませんし、
日顕師の論考にも感情的なところは多少ありましたけどもそれでも大石寺教
学という観点から見ればある種の説得力はありました。
だから、今回も日顕師が反駁文を書いた方がよかったのにな、と思うのですね。
日顕師以外では、邪義破折班なんかが書くより高橋粛道氏が書いた方がもっと
論理的反駁になったでしょうね。(現宗門で教学的に耐えれるのは高橋氏くら
いでしょう。花野充道氏もよいですがあの人は天台思想が専門のようですし。)

>学会は御大はどっしりかまえていて何かやるのは弟子の役目になっている

それはあるでしょうね。
折伏大行進時代、日蓮宗、仏立宗、国柱会から創価学会へ対する批判書籍が
出ましたが、それは教学部長が書いたものを会長が校閲するくらいでしたし。

>最高指導者は法論に参加しないようですが

小樽問答の際も会長は法論に参加せずに教学陣(小平芳平氏、辻武寿氏)が
担当しましたね。
最高指導者(名誉会長・会長)は参加しなくとも副会長クラスが法論に参加
することはあるみたいですね。
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/houron/victory.htm

PS.
そう言えば、橋本好氏という学会員が東京都知事を折伏しようとして手紙を
約50回にわたって送っていましたっけ…。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=++%94%71%8C%5B%90%CE%8C%B4%90%54%91%BE%98%59%93%61+

824 名前: 投稿日: 2004/03/13(土) 03:08

直人さんは、ほんと勉強されていますね。いつも驚きです。

825 名前: SGI 投稿日: 2004/03/21(日) 23:43
>>811 自己レスの続き

 創価大3期生は「本門の1期生」と称される。巷では、名誉会長の次男・城久氏が3期生だったからだといわれているが、実のところ、名誉会長が創立者として初めて入学式に臨むことができたからである。それ以前は創大祭や滝山祭には来学していた(学生で構成される実行委員会の招待)が、公式行事の式典に臨んだのは、第3回入学式が初めてだった。創立者が父兄として入学式に参加していては格好がつかないということで、式典として創立者の臨席ということになったのである。

 名誉会長は臆病者である。絶対に敵対者や悪感情を抱く人がいる場には臨まない。名誉会長が臨む場は、内部の会合かお膳立てされた会見の場しかなく、名誉会長が先頭に立って真正面から状況を切り開いたということは全くない。名誉会長は修羅根性の人だ。
 
 創価大でも同様だった。開学当時、東大・安田講堂に象徴される学園紛争に荒れる時代背景もあって、理想の大学(=大学の自治や学問の自由・信教の自由を保障すると約束していた)を築くという謳い文句に結構著名な教授らが理想に燃えて創価大に集っていた。
 ところが開学前後から実態が違った。やはり所詮“幹部養成学校”であり、学会本部(名誉会長)が横車を押そうとする。そこで教授陣らが反発し、瞬く間に教員組合が結成された。これが名誉会長の癇にさわったのだ。

 このような状況のところに、絶対に「火中の栗を拾わない」名誉会長が登場する訳がない。
 名誉会長は「1期生、2期生の諸君は、どうか自分たちがこの大学の創立者であると自覚をし、本気になってもらいたい。誰でも逃れることができない宿命というものがある。そこに肚を決めたとき宿命は使命となって、その人の一生を輝かせるのです。私が諸君に期待する真心を汲みとって、創立者の学生になってもらいたい。私は諸君を心から尊敬し、また信頼もしております」(第2回創大祭)とゲキを飛ばしている。

 そこで、教員組合潰しは忍田氏ら学生自治会が担う。組合員の教授らにワナをかけたり、講義のボイコットを決議し、組合解散のキャンペーンを張った。こうして組合は潰れ、大学は「創立者構想」の文言の下に価値観が一元化され、第3回入学式には創立者スピーチが実現したのである。名誉会長にとっては、きっと何とも晴れがましく嬉しかったに違いない。だから第3回入学式は、名誉会長の胸中では“第1回”であり、3期生は次男も在学しているだけに「本門の1期生」と名づけたのだろう。
 
 開学2年間でわずか5回しか訪問しなかった名誉会長は、この後本部棟8階に専用施設を作り上げ、さらに超豪華和風作りの専用施設「加住研修所」も建て、しばしば来学するようになり、時には年に十数度に及ぶようになった。
 自分が創立した大学と誇りながら、創立開学資金は全国の会員から募り、運営資金は学会からの援助に頼り、さらに学生に学費の値上がりを決議させ、自分の財産からは一銭も出していない。自分に敵対・悪感情を抱く者がいる間は姿を見せず、あるいはそれらの人々と直接語り合うこともなく、学生らに謀略などで排斥させた後、創立者・指導者然として振る舞う。
 小説『新・人間革命』とは裏腹に、やはり創価大学開学数年の事実も、名誉会長の人間性を反映しているといわざるをえない。

826 名前: 直人 投稿日: 2004/03/22(月) 01:46
>>824らん♪さん、おひさしぶり。

>ほんと勉強されていますね

いえいえ、《旅的途上》です。
生涯、学徒でありたい。そして少しでも今の自分と違った《未見の我》を見つけ
たい。《未見の我》を見つける旅は果てしない。今はまだホンの一歩だと……。
そう思ってます。

827 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/24(水) 04:28
>>825SGIさん
>教授陣らが反発し、瞬く間に教員組合が結成された。これが名誉会長の癇にさわったのだ。
 このような状況のところに、絶対に「火中の栗を拾わない」名誉会長が登場する訳がない。
。。。奈留程。
道理で、創価大学USAの第一回入学式に来なかったわけですよね。
フォーラム21で明らかにされているよに、
現在創価大学USAでは、微妙に教授陣と大学当局との対立が進行中だ。
創価大学USAでも日本の場合と同様、金でそれなりの人材を募ったのだが、中味もなしに、形だけを整えたところでどーしょうもない。
創立者池田先生のリップサービスに騙されて、そこに「学問の自由」や「理想」があると思い込んで、集った人達こそ気の毒。
私の知り合いの優秀な学生などは、そうした「ぎくしゃくした」雰囲気に耐え切れずに、一年も満たずに退学を決心した。
将来を考えた時、背負うリスクや失う時間が大き過ぎたのではないか?
創価大学USAが日本の創価大学と大きな違いは、一応「仏教系で宗教的」私学である点を表に出している点だ。
これは、当たり前だと思うのだが、「言行不一致」の池田哲学にしては、画期的なことだ。
勘繰り過ぎかも知れないが、普段、何にでも口を挟みたがる池田先生だが、●語学が不得意なお陰で、口を挟めなかった+●創価大学USAの存在は、スタータスシンボル、アクセサリ−程度で、本当はどうでもよかった。
というのがあると思いますね。
まっ、何れにしても、創価大学USAから人材らしき者が出ることはあり得ないでしょうね。

828 名前: Leo 投稿日: 2004/03/25(木) 06:00
>創価大学USAでも日本の場合と同様、金でそれなりの人材を募ったのだが、中味もなしに、
>形だけを整えたところでどーしょうもない。

以前から疑問だったのですが、創大の出身の中堅・末端幹部は多いのですが、大幹部は
いないんですよね。

829 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 07:42
>>827
創価大学USAのHP→http://www.soka.edu/academics/academic_concentrations/
一応、面白いと思ったのは、学際的プログラムが導入されている点だ。
米国の一流大学の学生の間では、ダブルメジャアー(二つの学部専攻)は珍しくない。
これは、基礎学科の履修さえ済ませてさえいれば、態々繰り返し同じ科目を取らなくてよいから、時間的にもそんなにかからないからだ。
ただ、自然科学専攻から、人文科学に専攻を変える場合、必須科目が随分違うから、時間が倍かかってしまう。
また、人文系から、自然科学に専攻を変える者は殆どいない。
基礎体力が違う為だろう。
そういう意味で、創価大学USAでは、人文の分野に限られているものの、学際的教育に重きが置かれているのは良い。
もっとも、大学のよしあしは、大学院の出来次第だから、創価大学usaが「まともな」大学として認められる為には、限り無く遠い道のりがある。
日本の創価大学は、開学20年。やっと、法科大学院も開いた。
人材面では、問題が無いみたいだ。大学らしくなったという感じだ。
それなりに頑張って頂きたい。

830 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 07:45

>>828 Leoさん
>以前から疑問だったのですが、創大の出身の中堅・末端幹部は多いのですが、大幹部は
いないんですよね。
。。。。
要するに、創価学会っていう所は、俗物的学歴主義になったっていうですよ。
一昔前、創価学園の最優秀者達は創価大学または、医学部。二番手は、国立大学または、海外留学。三番手が早稲田慶応など有名私立。残りは、創価大学。みたいな差別に暗黙の諒解があったんですけどね。
例えば、創価学会教学部長斉藤氏は、東大出身。
池田大作を中心とした「法華経の智慧」の対談参加者の学歴が凄い!
東大、慶応大学院など。
でも、何か、胡散臭さを感じてしまう。
というのは、如何にもこういうのは、名誉会長の学歴コンウレックスの表れが露骨だからだ。
東大出身の人間の頭脳でやっと、名誉会長とバランスが取れ、慶応や早稲田でも大学院出身でやっと対等に話が出来る。
といった具合だ。
所謂三流大学出身だったら、博士号を二つくらい持っていなければ、名誉会長と対談など、畏れ多いのだろう。
しかし、話している内容などは、面白いと思うこともあるが、別に騒ぎ立てる程のこともないと思うのだが。

831 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 07:53
続2
聖教新聞では、学歴詐称を殊更、重大事件かのように語られているが、どうでもいいことではないのか?
社会的に成功している人物を観察すると、たまたま一流大学出身だったなんてことは、あってもいい。
しかし、現代社会では、平均寿命が延びて、人は、何段階もの人生設計を立てるのが望ましくなった。
また、社会の流動化に伴って、職業の選択だけでなく、職種まで変わるのは珍しく無くなった。
こういう変化は、アメリカ社会では、既に当たり前になっているが、日本ではこれからだろう。
そんな社会に於いて、たった一回の入学試験で、全人格の出来不出来を決定する不合理なnこと。
そして何より、創価学会は実力主義が自慢だった筈だ。
最終学歴が小学校卒の者が大幹部になったり、議員になったりしたのが、魅力だったのだ。
それに、池田大作が短大卒というのが魅力だったのではなかったのか?
イケダ&ガルブレイス ハーバート大学名誉教授を自慢してるのは、「勲章漁り」の悪趣味同様、「さもしさ」を感じてしまう。

832 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 10:07
訂正>>829
日本の創価大学は、開学20年。

日本の創価大学は、開学30年。

参考HP
カルトスクール 創価大学USA
http://www.forum21.jp/contents/03-5-1.html

833 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/25(木) 11:05
>>811SGIさん
>押山和人こと忍田和彦・元青年部長は、創価学園・大学の1期生。初の金時計(創立者賞)受賞者である
http://www.toride.org/takeov/4_6_1.htm#6
●<池田大作 日本経済乗っ取りの野望(4)>
生徒自治会の会長を長い間つとめた男は、第一庶務に就職後も、創価大学のボスとして君臨した。  やがて、女子学生に、  「池田先生に会わせてやるから……」 等ともちかけ、http://www.toride.org/takeov/4_6_1.htm#6
手当たり次第に関係を結んでいたことが発覚し、クビになり、失脚した。

これって、本当のことですか?

834 名前: SGI 投稿日: 2004/03/26(金) 00:26
>>833 yurikoさんへ。
 本当です。事実です。

 学生自治会の初代委員長・K田氏は、>>825で記した教員組合潰しで功をあげ、創立者=名誉会長の覚えもよく絶大な権限を得た。名誉会長が創価大に来学すれば、そばに侍ることが許され、本部棟8階の名誉会長専用スペースを自由に出入りすることができたのである。

 で、「先生に会わせてあげる」を殺し文句に、次々と女子学生に手をつけていく。でもやがてスキャンダルは表面化し大問題となるが、自治会委員長にキズをつけてはいけないということで、さりげなく委員長を交代し、何となくウヤムヤのうちにスキャンダルをもみ消してしまう。

 そのK田氏は、学会本部に就職。しかも第一庶務に配属し、さらに池田家にも出入りが許され、北条・秋谷ら最高首脳幹部に直接名誉会長の指示を伝達する任務を担うほど、名誉会長に重用されるのだ。
 ところが、昔のクセが出てしまい(あるいは、名誉会長を真似たのか)、第一庶務の女性職員に手を出してしまう。ついに名誉会長の逆鱗に触れてしまい、地方の会館に左遷。ジ・エンドとなった。

 忍田氏ら学園エリートは、こんなバカな事はしない。根っからの優等生だ。この辺りが、もう一つ上の世代「野崎コレクション」に連なる幹部と肌合いが異なるところである。

835 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/26(金) 05:28
>>834SGIさん
>忍田氏ら学園エリートは、こんなバカな事はしない
。。えっ!すみません。ちょっと勘違いしてました。
私は、すっかりK田=忍田とばかり思ってましたよ。
私の個人的意見では、二人の男女が合意の上なら、一度に何人と付き合い、性交渉を持ってもいいじゃないかと思いますね。
私は、全くそいうのは不得手ですけど。。。
ところで、1000人に一人くらいは、普通の人間でも、異常性欲を生まれついて持っているらしいです。
アメリカでは、公式に一種の「身体障碍」と認められ、治療の為の保険も支給されます。
世間でいろいろ揶揄されがちですが、御本人達は大変な苦悩を経験しているらしいです。
それら障碍が職業として生かされれば、それなりに救いはあるのでしょうが、普通の生活ができないだけ、気の毒です。
特に、宗教関係の指導者や教育関係者、など責任の’ある立場の人達がこういう障碍を持っていれば厄介でしょう。
K田なども、たまたま、そいう素質を持っていただけでしょう。
恐らく、池田先生も御本人の自覚の有無は別として、この障碍を持っているのではないでしょうか?
しかし、諸天の加護か、池田先生は、「糖尿病」という性機能を損なう病気になりました。
かねこ夫人が一番、ほっとしてるんでしょうね。

836 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/26(金) 13:22
新・人間革命  開花 四 (2731)

「広宣流布」「立正安国」を成し遂げ、人類の幸福と平和を築き上げようとされた日蓮大
聖人の教えのままに、牧口常三郎は戦いを起こした。

 大聖人は、どこまでも民衆を根本とされた。牧口も民衆のなかに分け入り、民衆と対話
し、一人ひとりに社会建設の主体者としての自覚を促していった。

 創価教育学会は、最盛期といえども、会員は三千人ほどの小さな団体にすぎなかった。

 だが、小さくとも、正義の教団であった。唯々諾々と軍部政府に従う、権力に骨抜きに
された宗教ではなかった。

 ここに邪宗門と化す宗門との根本的な違いがあった。

 教育改造を、宗教改革を叫び、新たなる価値の創造を説き、社会の悲惨をなくすために、
敢然と立ち上がった改革の教団であった。軍部政府も調査を重ね、それを鋭く感じ取って
いたのだ。

 権力は民衆を支配し、隷属させ、意のままに操ろうとする猖眄″をもつ。それゆえに、
獰猛な弾圧の牙を剥き、学会に襲いかかったのだ。

 もし、学会が「広宣流布」「立正安国」を放棄し、権力におもねっていたならば、弾圧
にあい、牧口が獄死することもなかったにちがいない。

 しかし、そうなれば、仏法者としての魂の死であり、日蓮大聖人への違背にほかならな
い。

 戦後、時代は軍国主義から民主主義へと変わった。強大であった国家権力にも制限が加
えられ、権力は分散し、大小さまざまな権力が、複雑に絡み合う構造となった。

 一方、学会は、牧口の遺志を継いで一人立った戸田域聖によって、新たな「広宣流布」
の前進を開始していった。

 やがて学会は、民衆のスクラムを広げ、「立正安国」の実現のために、文化・社会の建
設に着手した。政治を民衆の手に取り戻すために、政治の変革にも取り組んでいったので
ある。

 まさに、新しき民衆勢力の台頭であった。

 そこに、国家権力をはじめ、既得権益をむさぼり、権力の猖眄″の毒に侵された諸勢
力は、強い恐れと危機感をいだいた。そして、学会への攻撃、迫害が繰り返されたのであ
る。

 法華経に説かれ、御聖訓に仰せのように、難こそ最大の誉れである。

837 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/26(金) 13:31
新・人間革命  開花 五 (2732)

 学会への弾圧は、「広宣流布」が進み、「立正安国」の建設が進めば進むほど激しさを
増した。

 地域で、権勢をふるう有力者らの画策による村八分。

 既成宗派の寺院が、学会員の遺骨の埋葬を拒否した墓地問題。

 北海道の夕張炭鉱で、「天下の炭労」といわれた炭鉱労働組合が、学会員を締め出そう
とした夕張炭労事件。

 山本伸一が選挙違反という無実の容疑で不当逮捕された大阪事件……。

 さらに、教団の名誉を毀損する虚偽の報道など、マスコミによる誹謗中傷も繰り返され
た。

 伸一が第三代会長に就任してからは、攻撃の的は、会員の団結の要である彼に絞られて
いった。

 しかも、その弾圧の手口は、次第に巧妙、狡猾になっていったのだ。

 学会に偏見と嫉妬をいだく評論家や学者などを使って、非難の集中砲火を浴びせ、学会
排斥の世論をつくろうと躍起になる、新聞や週刊誌も少なくなかった。

 国会で議員が、事実無根の話を織り交ぜ、学会を激しく中傷し、会長の伸一を証人喚問
せよと騒ぐ、卑劣極まりない宗教弾圧の暴挙も、何度となく繰り返された。

 しかし、伸一は、自分のことなら我慢もできた。彼が断じて許せなかったのは、さまざ
まな迫害によって、多くの学会員が人権を踏みにじられ、筆舌に尽くしがたい苦汁をなめ
させられてきたことであった。

 村八分で、水道を止められた人もいた。

 周囲の脅しや嫌がらせに泣いた人もいた。

 子どもまでもが、仲間はずれにされ、いじめ抜かれた。

 権力の猖眄″といっても、それは権力を掌中に収めた人間の生命に宿る猖眄″であ
る。

 仏法では、正法を信ずる人に害をなし、仏道修行を妨げる働きとして、「第六天の魔王」
すなわち「他化自在天」について説かれている。

 これは、すべてを奪って、支配しようとする際限のない欲望であり、これこそが権力の
猖眄″の本質といえよう。

 ゆえに、学会が「広宣流布」と「立正安国」の使命を果たし抜くためには、権力の弾圧、
迫害と永遠に戦い、勝ち越えていく以外にない。

838 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/26(金) 15:41
>>836-837
A●>だが、小さくとも、正義の教団であった。唯々諾々と軍部政府に従う、権力に骨抜きに
>された宗教ではなかった。
> ここに邪宗門と化す宗門との根本的な違いがあった。

B●> 山本伸一が選挙違反という無実の容疑で不当逮捕された大阪事件……。

C●>伸一が第三代会長に就任してからは、攻撃の的は、会員の団結の要である彼に絞られて
いった。

D●>会長の伸一を証人喚問せよと騒ぐ、卑劣極まりない宗教弾圧の暴挙

E●>さまざまな迫害によって、多くの学会員が人権を踏みにじられ、筆舌に尽くしがたい苦汁をなめ

839 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/26(金) 16:18
A●について。
。。。当時、創価教育学会は、ちゃんと唯諾々よ、軍国主義政府の方針に「きちんと」従っていました。
通牒というのがあって、創価教育学会の基本方針として、伊勢神宮遥拝など、神道を支持していた。
同団体が弾圧された理由は、同団体が「転倒した」国家諌暁(こっかかんぎょう)を主張していたからだ。
すなわち、天皇が御本尊を受持しなければ、戦争に勝てない、と主張したからなのだ。
「反戦平和主義でなかった」のは確かだ。←殊更自慢するまでもない。
B●について。
山本伸一=池田大作は、犯罪の事実を自白した。
ところが、4年もの長き公判(有罪が確実視されていた)で、石田氏らの活躍によって、検察の追求に手加減が加えられ、+裁判官の正義感じから、態々、自ら調査して、取り調べの違法性が証明された。
などの条件が重なり、無罪判決が出たのである。
これは、池田(先生)の悪運の強さを証明するものであったが、長い目でみれば、人類にとって、長い悪夢の始まりになってしまった。
C●について。
池田(先生)は正しいから攻撃(嫉妬?)の対象になったのではなく、社会にとって迷惑な存在だから。批難されたのである。
因に、オウム審理教)アレフ)も同じことを言っている。
そういう意味では、彼等こそ「正義の教団」といえる。
現代日本において、宗教的理由で不当な迫害が行われることはあり得ない。もし、社会から批難されることが多いのであれば、それだけ問題教団であることの証明なのだ。

840 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/26(金) 16:43
D●jについて。
池田創価学会は、日頃から「正義の言論戦」などを主張している。
それならば、国会の場で、証人喚問されるということは、またとない「自分の考えを主張する」絶好の機会である筈だ。
池田(先生)は、よく図々しく自分を日蓮大聖人に準える。
日蓮大聖人は、他宗との公場対決を望んだ。いわば、証人喚問みたいなものだ。
池田(先生)もその精神に学んで。堂々と自説を述べればいいのだ。どれだけ多くの人を折伏できるか知れない。
E●について、
創価学会こそ、公明党という公党を抱え、政権権力を握っている。
そんな団体の指導者達は自分の発言に慎重さが求められるのは当然だ。
ところが、聖教新聞の紙上座談会や様々な記事を使って、個人の私生活にまで踏み込んで人身攻撃をしている。
無実なものや公共の利益に何の関係のない市井の人々に対して、不等な「さまざまな迫害」をしている集団こそ、池田創価学会なのである。
このように、創価学会は万事、手前勝手な主張ばかりだ。
いい加減にしろ創価学会!

841 名前: 世界ノーベル平和賞 投稿日: 2004/03/26(金) 17:23
池田大作は稀代の腰抜けだからしょうがないと思うよw

842 名前: モーリス (JExy6YJA) 投稿日: 2004/03/26(金) 23:03
なんか「新・人間革命」が引用されておりますが
あれはただの小説、要するに作り話なので
注意して読むとよいでしょう・・・

843 名前: モーリス (JExy6YJA) 投稿日: 2004/03/26(金) 23:07
いかんいかんもっと謙虚に・・・

要するに作り話だそうなので
注意して読むとよいそうです。

844 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 01:18
訂正>>840
>無実なものや公共の利益に何の関係のない市井の人々に対して、不等な「さまざまな迫害」をしている集団こそ、池田創価学会なのである。
>このように、創価学会は万事、手前勝手な主張ばかりだ。

無実なものや公共の利益に何の関係のない市井の人々に対して、不当な「さまざまな迫害」をしている集団こそ、池田創価学会なのである。
このように、創価学会は万事、手前勝手な主張ばかりだ。

845 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 01:46
>>843モーリスさん
>要するに作り話だそうなので注意して読むとよいそうです。
。。。>>1で既に述べたことだが、人間革命には、「だらだらとした」歴史記述がやたらと多い。
この狙いは明らかに、人間革命の記述は全て歴史的事実だと、読者を錯覚させる為だ。
私が、一番、「ふざけている」と思ったのは、昭和32年当時の首相の名前を勝手に、岸総理から峰総理に変更したことだ。
他ならない、日本国の首相である。
いい加減にしろといいたい。
また、後に創価学会の方針に反発して脱会した者達に対しては、口汚く罵ったりする。
それも、上の例のように、「言葉遊び」としか思えない、名前の変更をしている。
例えば、原島→原山など、ばかばかしいから、もうやらない。
明らかに、どこの誰とわかってしまうのである。
それも、存命中であろうとなかろうと関係ない。
明らかな全体主義体制の組織の独裁的指導者が自叙伝的物語りを執筆している。
これ程、気味の悪いことは無い筈なのだ。
都市にある大きな書店では、人間革命が堂々と吊り広告されているそうだ。
しかし、これは、稀代の悪書なのである!日本の恥!日本文化の汚点なのだ。
日本国民は、人間革命の存在意義について、もっと真剣に議論すべきなのだ。
一人の醜い男の気紛れだけで、歴史事実が改竄、糊塗、歪曲されていい筈はない。

846 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 02:02
B●について。
山本伸一=池田大作は、犯罪の事実を自白した。
ところが、4年もの長き公判(有罪が確実視されていた)で、石田氏らの活躍によって、検察の追求に手加減が加えられ、+裁判官の正義感じから、態々、自ら調査して、取り調べの違法性が証明された。
などの条件が重なり、無罪判決が出たのである。

山本伸一=池田大作は、犯罪の事実を自白した。
ところが、4年もの長き公判(有罪が確実視されていた)で、石田氏らの活躍によって、検察の追求に手加減が加えられ、+裁判官の正義感から、態々、自ら調査した結果、取り調べの違法性が証明された。
などの条件が重なり、無罪判決が出たのである

847 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/27(土) 12:15
yurikoさん
あんたはもっと自分の書いたことを確認してからアップしてや。
いろいろなところで訂正が多すぎ。

よけいなところで信頼性失うで。

848 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 12:48
>>847
>よけいなところで信頼性失うで。
。。。
かんにん、かんにん。
一応、書き込む前に、読み直しをしてるんやけど、
どうしても、間違えてしまうんや。
でも、大事なんは、内容やろ?
ワシも出来るだけ、気つけるさかいに、
これからも、あんじょう、宜しく頼みますわ。

849 名前: 池田太作 投稿日: 2004/03/27(土) 15:43
いわんや、過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。特に歴史書は、ほとんどが「勝者の歴史」です。「勝てば官軍」と言うが、 「勝ったほうが正義」とされる。負ければ悪人にされる。そこを見なければいけない。 
 「正しい歴史」を絶対に書き綴らなければならない。そして、だからこそ断じて負けてはいけない。「正義が勝つ」歴史を絶対につくらなければいけない。
 「史観」と「史眼」が大事なのです。レンガを集めただけでは家は建たない。事実を集めただけでは歴史は書けない。そこに?どう事実を組み合わせたか?という、歴史を書いた人の「哲学」が隠されている。それを見抜くことです。
 歴史書を見ながら自分の眼を磨き、「これはそうであろう」「どうも違う」「こっちのほうが正しいのではないか」と、正しさを探求することです 。そういう心を磨くことが、歴史観を養うことになる。
 そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはり、ありとあらゆることを多く学び、多く考え、多く体験する以外にはない。大事なことは、 どこまでも公正に、利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探求することです。

850 名前: 池田太作 投稿日: 2004/03/27(土) 15:47
太平洋戦争時代の歴史の取り扱いが問題となっているが、どんな恥ずかしいことであろうが、事実は事実として残すことが、日本民族にとっても、人類にとっても大切なことです。
 その歴史は、永遠の流転の一コマですが、真実をきちんと残し、積み重ねていかないと、正しい歴史観がゆがめられ、また未来に不幸を重ねてしまう。
 正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、ゆがめたり、歪曲したりしてはいけない。歴史をつくってしまっては小説になってしまう 。悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠・証人を大事にしなければなりません 。

池田大作 『池田名誉会長の青春対話?―21世紀の主役に語る―』 聖教新聞社、1997年、pp.100-102)

851 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 15:56
>>850 池田太作さん
>悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。
。。。
ということは、池田代作の「人間革命」って、虚飾書の典型なのですね?
ナルホド

852 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 16:33
>>1
>(石田次男)氏は、大卒ではあるが、有名校出身ではない。
。。。これは、もう書いたが、石田氏の出身校は、芝浦工業大学。
江崎 玲於奈学長は、ノーベル賞を授賞者。
一流校と言っていいだろう。
私の不適切な表現を関係者各位にお詫びします。

一方、池田名誉会長の出身校は富士短期大学。
前身は、大世学院。
貶すつもりはないが、一流とは言い難い。
現在は、主に女子が一般教養を身に付ける為に行くらしい。
それなりに、頑張って頂きたい。
池田先生は、何でも一流好みで、一流大学出身の者としか付き合わないみたいだが、大世学院大学に在学していた時は、他の学生達や教授と全く、付き合わなかったのだろうか。
ああいう「スノービッシュ」な態度だったら、誰からも相手にされなかったんだろーな。
ホント、嫌な奴なんだろう。
まっ、将、いかなることがあろうと、富士短期大学の公式行事に招かれることってないんだろうな。
果たして、富士短期大学は、池田大作を卒業生に持って、迷惑しているのか、誇りに思っているのかわからない。
ただ、池田名誉会長は、どういうわけか合計200以上の名誉学位を持っているらしいが、母校から、名誉学位が送られる糊塗はあり得ないだろう。
何故なら、池田(先生)が提出したとされる卒論すら本人の手によるものでないことが明らかになっているからだ。
専門家が見れば、すぐにわかるのだろう。
いい恥曝しだ。

853 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 16:41
訂正>>852

まっ、将、いかなることがあろうと、富士短期大学の公式行事に招かれることってないんだろうな。

まっ、将、いかなることがあろうと、富士短期大学の公式行事に招かれることってないんだろうな。

ただ、池田名誉会長は、どういうわけか合計200以上の名誉学位を持っているらしいが、母校から、名誉学位が送られる糊塗はあり得ないだろう。

ただ、池田名誉会長は、どういうわけか合計200以上の名誉学位を持っているらしいが、母校から、名誉学位が送られることはあり得ないだろう。

854 名前: uriko 投稿日: 2004/03/27(土) 16:43
再訂正>>852

まっ、将、いかなることがあろうと、富士短期大学の公式行事に招かれることってないんだろうな。

まっ、将来、いかなることがあろうと、富士短期大学の公式行事に招かれることってないんだろうな。

ただ、池田名誉会長は、どういうわけか合計200以上の名誉学位を持っているらしいが、母校から、名誉学位が送られる糊塗はあり得ないだろう。

ただ、池田名誉会長は、どういうわけか合計200以上の名誉学位を持っているらしいが、母校から、名誉学位が送られることはあり得ないだろう。

855 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/27(土) 17:34
>>850池田太作殿

公明党がアメリカの武力攻撃(=戦争)を支持したことも、
正しい歴史として残さなくてはなりませんね。

856 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/27(土) 21:17
yuriko さん
>>853
>>854
って・・・
言うてるさきから訂正ですかい?。
あんた書き込むの一日おいてから書き込んだ方がええんちゃいますか?
読む方も疲れまっせ。

別にあんたの敵でも味方でもないけどホントにあんたは慎重さにかける
ええかげんな人だと考えざるをおまへんで。
こんなに訂正を繰り返す人って・・・ねぇ。

自分が書いている言葉に対する意識が軽いんとちゃいますか?

857 名前: えっ? 投稿日: 2004/03/27(土) 23:36
わしも、そう思う。うん!(^^)

メモ帳等に書いてから、コピペで書き込むべきじゃ。
けっこうこの業界(^▽^;)の有名人は、このての人が多すぎる┐('~`;)┌

858 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/27(土) 23:51
>>856
>自分が書いている言葉に対する意識が軽いんとちゃいますか?
。。。
いや、そうやないねん。
実をいいますとな、
わてには、集中力欠乏症というけったいな障碍がおますのや。
英語では、attentionn deficit disorderちゅんやけどな。
もちろん、努力によって、ある程度はよくなるっちゅうもんもおますけど。
どうしても、完全によくなるっちゅうもんでもないんや。
わてもデキルだけ、努力するさかいに、堪忍しといてや。
ホンマ宜しゅうたのんまっせ。
m(_ _)m

859 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/28(日) 11:50
実をいいますとな、ワシは、今まで、関西方面に住んだことはないんや。
でもな、ワシの友達が大阪から来とるんがいてな、
コイツと話しをよーけするさかい、何時のまにか、関西弁が移ってしもうたんや。
コイツは、元は池田教狂信者でな。
師弟不二や、関西魂やらなんやら、ごっつーわけわからんこと、しょっちゅう言っておったんやけどな。
「あんさんは、何宗の信心をしていたんや?」って、
聞きよったら、な〜んも答えられんでな。
脱会を決意したんや。
今は、法華講で「本物の信心してるやな。池田に騙されていただけやったんや」

って、脱会を勧めたワシに感謝しとるんや。

860 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/28(日) 21:49
おかまやろうが、いいかげんにしとけや。
都合の悪い事はみんな病気のせいにするという技法はみぐるしいで。
そんな病気もっていたら、あちこちのさばるの控えたらどうなんや

861 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/28(日) 21:50
法華講員の常套手段ですな

862 名前: タレモナシ 投稿日: 2004/03/28(日) 23:50
主張以外のことで仲間割れするのは止めましょう。

863 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/29(月) 02:00
>>827
ふと、思ったのだが、
創価学会と公明党の関係を思いだした。
1999年に、長い間、表舞台から姿を消していた竹入公明党元委員長が突然、回顧録を朝日新聞に連載する。
そこで明らかにされたのは、創価学会員の間では、常識となっていた、学会の公明党組織の私物化、支配だった。
それが、どういうわけか、池田名誉会長の逆鱗に触れ、翌日の創価大学のスピーチでは、恩知らずをミスター馬さん、ミセス馬さんと揶揄して、批難した。
正面から批判を受け止め、それを組織改革の一助にしていこうとする、発想そのものが全く無いのである。
それを考えれば、日本で創価大学開学の際、教授陣から反発された、学会支配に対しても同様な態度だったのだろう。
ひたすら、だんまりを決め込み、逃げ捲り、決して、異見を聞こうとしない。
創価学会の歪な全体主義は、もうとっくに機能しないことが証明されている筈だ。
まずは、大衆支配=民衆主義=民主主義という愚かな錯覚を止めて(意図的に錯覚させているのだろう)、本当の意味で、民主的体制を作り上げる以外に創価学会の未来は無いことを知るべきだ。
まずは、●秘密主義をやめよ
    ●池田家を特別扱いするのは止めよ
    ●創価学会の所有する資産状況を完全に公開せよ
    ●宗門問題を初めとする、創価学会が企んだ隠謀の責任者を処罰せよ。

864 名前: SGI 投稿日: 2004/03/30(火) 01:11
>>834 の続き
 「野崎コレクション」に連ねる人たちは、総じて酒やソープランドやギャンブルがお好き。と、いっても、>>835 でyurikoさんが言及しているような病的なものではなく、きわめて一般的な程度である。しかしながら、彼らが全国各地に行けば地元幹部による大接待攻勢が常習となっていった。

 こうした幹部職員のドンチャン騒ぎは、北条前会長死後、顕著になった。特に広布部員制度が生まれ「金集め」に奔走するようになってからだ。財務の金額を煽るために、多額の財務納金者には名誉会長との会食パーティがセットされ、日常的に宴会が開かれるようになると、歯止めがなくなった。

 つまり、担当地域の財務納金高が名誉会長の覚えを良くすることが如実に分かるようになると、それぞれの幹部が目標を立て、会員に財務を過度に呼びかけるようになり、目標が達成すると「打上げ会」を行うようになっていった。時には本部一行と共に、温泉宿をまるまる借り上げ、その一円の芸者さんたちを集め、途方もない祝宴を開いたことがある。

 さらに、豊富な資金力を誇る学会には内外の業者が群がる。本部でも地方でも、支払いは業者持ちの接待が繰り広げられ、リベートやキックバック、つけ届けも当たり前となった。一定の決裁権を持つ、ある程度の幹部になると、>>661 でも記したような“おいしい生活”が甘受できるのだ。

 学会の業者選定の原則は、会員が経営者または幹部として在職しているところ、あるいは創価大卒業生の就職枠を設けるところが中心となる。だから、夜の接待も口の堅い会員が経営するお店だけに安心して遊べるし、経営者も口外しないことが利潤につながっていることを十分にわきまえているから、広く知られわたることはない。なにも宗教貴族(本部職員)だけが“学会の金”で飯を食っているのではない。皆が運命共同体なのだ。

865 名前: SGI 投稿日: 2004/03/30(火) 01:12
>>864 の続き
 論旨が少しズレてしまった。戻す。
 学園エリートは根っからの優等生。学園時代から特別の薫陶を受けている。小山内校長時代と男女共学となった学園とは明らかに違う。学園エリート以外の創価大卒業生やフタケタ学園生の大半は、中堅幹部として学会組織を支える使命を持つのだろうが、彼ら学園エリートは池田創価学会の後継になるべく育成された人材群だ。以下、>>828 Leoさんの疑問にお答えするつもりで記す。

 池田創価学会の「第1世代」は、何といっても名誉会長や秋谷会長に代表される「昭和ヒトケタ世代」。この世代が戸田会長から直接薫陶を受けながら、師の遺志を裏切り“青年部クーデーター”を企て学会を牛耳、今なお支配を続けている。
 「第2世代」は、>>116 で記した「学会テクノクラート」であり、世代的には「団塊の世代」に当たる。『御義口伝』講義のメンバーであり、大学会のメンバーであり、鳳雛会・伸一会のメンバーであり、「野崎コレクション」にも連なる、50歳代後半から60歳代の、今実質的に学会や公明党を運営している世代層である。

 学園エリートは「第3世代」となる。彼らは「ウルトラマン世代」だ。⇒ >>134-135 参照
 学園(高校)1期生は、現在52歳。10期生では42歳となる。つまり壮年かもしれないが、実年と呼ばれるには早い。まだ「第2世代」が存在しているのだ。
 しかし、「第3世代」の筆頭として忍田氏が学会の責任役員に就任しており、正木氏(3期生)が役員室を主宰し、羽吹氏(1期生)が創価大学USAの学長を務め、寺西氏(4期生)や神立孝一氏(4期生)らが創価大の教壇に立ち、谷川佳樹氏(5期生)らが青年部を司り、その他各期から数名ずつが聖教新聞社や大学・学園の事務局、公明党(議員・職員)、関連団体・会社で、しかるべきポストに就き業務をこなしており、いつでも組織運営を担うことができる。
 
 また、秋谷会長の子息は6期生、北条前会長の子息は7期生で、「第1世代」の子ども世代は全て「第3世代」に属す。したがって、「第1世代」が引退する時、世代交代・世襲問題を考慮すれば、この学園エリートら“ご学友グループ”が博正氏?を祭り上げる(支える)新執行部の誕生は、十分に容易に予測できるのである。その世代交代の執行部トップは、男子部長・青年部長経験者の忍田か正木か谷川か―のいずれかもしれない。

866 名前: ニヤニヤ 投稿日: 2004/03/30(火) 10:00
>>865
だから、何を言いたいんだ?(=_=)

867 名前: 関西人 投稿日: 2004/03/30(火) 10:14
>>859 俺元法華講員、超反学会だった。
今は男子部。今のほうが信心を勉強出来るし人の痛みも分かる自分になれた。
確かに創価にもとんでもない嫌な奴もいる。組織なんだから当たり前やん。

ちゅうかね、その関西弁…『変』やで?(笑)

868 名前: yuriko 投稿日: 2004/03/30(火) 14:40
>>867 関西人さん

君は騙されとるんやで。
>ちゅうかね、その関西弁…『変』やで?
。。。そうでっか。
どこがおかしいんか教えてくれへんか?

869 名前: Leo 投稿日: 2004/03/30(火) 23:13
関西人さん>>867 こんばんは、はじめまして。

>今は男子部。今のほうが信心を勉強出来るし人の痛みも分かる自分になれた。

「人の痛みも分かる自分になれた」とのこと、よいことですね。
成長されたのですね。

ところで、「信心を勉強出来る」とのことですが、「信心」とは下記ような意味
なのですが、正宗より創価の方が「神仏を信ずること」を勉強できるのでしょうか。
私は、法華講の経験がないもんで、もしよろしかったらご経験などからご説明頂け
ないでしょうか。

「しんじん 【信心】
 神仏を信ずること。神仏を信ずる心。」
(『大辞林 第二版』)

870 名前: Leo 投稿日: 2004/03/30(火) 23:27
(補足)
学会ではよく「信心」、「信心」といいますが、これは実際には「(学会の指導者と
指導を)信じる心」という意味で使われているのではないでしょうか。
(一般的な日本語の意味とのずれがあるのではないでしょうか)

一方で、一般的な日本語の意味とのずれがないと仮定すると、学会の指導者は神仏と
イコール(所謂(名誉)会長本仏論)になるのでしょうか。

そんなこともふまえてお話し頂けたらと思います。

871 名前: Leo 投稿日: 2004/03/31(水) 00:19
SGIさん。>>865 こんばんは。

>学園エリートは根っからの優等生。学園時代から特別の薫陶を受けている。小山内校長時代と
>男女共学となった学園とは明らかに違う。学園エリート以外の創価大卒業生やフタケタ学園生の
>大半は、中堅幹部として学会組織を支える使命を持つのだろうが、彼ら学園エリートは
>池田創価学会の後継になるべく育成された人材群だ。以下、>>828 Leoさんの疑問にお答えするつもりで記す。

ご紹介ありがとうございます。
なるほど、創大エリートというカテゴリはないが、学園エリート(ヒトケタ)という
暗黙のカテゴリがあるのですね。

> また、秋谷会長の子息は6期生、北条前会長の子息は7期生で、「第1世代」の子ども世代は全て「第3世代」に
>属す。したがって、「第1世代」が引退する時、世代交代・世襲問題を考慮すれば、この学園エリートら
>“ご学友グループ”が博正氏?を祭り上げる(支える)新執行部の誕生は、十分に容易に予測できるのである。
>その世代交代の執行部トップは、男子部長・青年部長経験者の忍田か正木か谷川か―のいずれかもしれない。

彼らが実質の後継者グループの可能性があるのですね。

彼らのうちのある人は本幹の前座でどうかしてしまったんじゃないかと思うほどの調子で敵対者攻撃スピーチ
をやらされていましたし、伝え聞くところによると福島氏と同じ大学出身ということで池田氏に相当しごかれて
いたとのこと。彼らの運営する創価の未来はどのようになるのでしょうか... (少し興味のあるところではあります)

872 名前: SGI 投稿日: 2004/04/04(日) 23:19
>>828 Leoさん、御返事が遅れました。ごめんなさい。
>彼らの運営する創価の未来はどのようになるのでしょうか... (少し興味のあるところではあります)
―― 私は大いに関心があります。どんな未来になることやら…。
 彼らに対する認識は、 >>134-135に書き込んだ通りなのですが、それでも創価学会が創価学会なりに少しはまともになるかもしれないとの期待を抱いているのです。でも、やっぱり空しいかな。敵対者攻撃スピーチにしても、不本意でやらざるをえない状況にあるのだと思いたいのですが…。

 さて、>>811 で言及しました“ご学友グループ”の氏名をご紹介しておきます。すでに過去にも何度が報じられたことがありますので、ここで再び公開しても構わないでしょう。“ご学友”ですから、当然ながら全員創価大の卒業生です。

 忍田和彦  羽吹好史  田代康則  吉郷研慈  馬場善久
 梶岡 誓  塩原将行  長谷川裕正  松村光晃  松田健児
 本多正紀  正木正明  寺西宏友  神立孝一  島田 勉
 和田吉隆  長竹信美  伊藤泰治  梶原哲也  東 宏治
 木下清一  須田 裕  上村英樹  今江正人  高田英典
 杉本典之  綿原範夫
 大迫美智代  小林容子  熊沢みさ子  西谷清美
 河野洋子  中尾多賀子  梶岡由美子

873 名前: 創大OB@非学会員 投稿日: 2004/04/05(月) 00:13
>>872
これってプライバシー侵害の発端にならないかな?
創価大学を散々批判しておきながら、その名簿をこんな掲示板に公表するなんて。
一体何を考えているのかね。何をしたいわけ?
醜い根性を持っている奴だねあんたは。

874 名前: Leo 投稿日: 2004/04/05(月) 00:25
SGIさん。 >>872

ご紹介ありがとうございます。

>彼らに対する認識は、 >>134-135に書き込んだ通りなのですが、それでも創価学会が創価学会なりに
>少しはまともになるかもしれないとの期待を抱いているのです。でも、やっぱり空しいかな。
>敵対者攻撃スピーチにしても、不本意でやらざるをえない状況にあるのだと思いたいのですが

池田氏はそういうことをやらして幹部の品定めをしているのですね。

>さて、>>811 で言及しました“ご学友グループ”の氏名をご紹介しておきます。すでに過去にも何度が
>報じられたことがありますので、ここで再び公開しても構わないでしょう。“ご学友”ですから、
>当然ながら全員創価大の卒業生です。

“ご学友グループ”、「鳳友会」(>>811 )に対して認識を深めることができました。

875 名前: Leo 投稿日: 2004/04/05(月) 00:30
創大OB@非学会員さん >>873

あなたは創大何期の方でしょうか。

非学会員さんだったら“ご学友グループ”の氏名が記されていても難色を示す必要が全くないと思いますが...

鳳友会HPもありますし...
(関連、参考)
鳳友会
ttp://hoyu.tokyo.soka.ed.jp/
鳳友会役員
ttp://hoyu.tokyo.soka.ed.jp/yakuin.htm

876 名前: ドプチェク (Liye31iI) 投稿日: 2004/04/05(月) 01:57
<個人的所感>

「創大OB@非学会員」さんって、ホントに非学会員の方なんですかね?
「アンチ学会@法華講員」というHNの人と同様、実に不自然な印象を受けてしまうのは、決して私だけではないと思うんですが・・・(「<最近 イスラム社会で女性がノーベル賞を受賞>」のスレッドの83&85を参照)
また、もうかなり前、他の掲示板である学会員が、「私は、学会に入るずいぶんと前から、公明党の理念に共鳴していたので、中学生の時から支持していた」などと、いかにも取って付けたような、実にわざとらしく思えるばかりの極めて可能性が低い事をシャアシャアと言っていたのを憶えています。
それらは、何れも矛盾めいた所があったり、可能性に乏しかったりするものだと、誰だってそのように思い、疑念・不信感を抱いてしまうのではないでしょうかね・・・
そもそも、いくら創価大学のOBだと言っても、学会員でない人間が、学会関係のHP・掲示板をそれほど頻繁に見ているとは思えず、しかも、こちらの掲示板は、学会や創価大学の公式HPとか、個人が運営している学会宣伝用のものとかではなく、学会の現状に対して批判的な問題提起の意見が述べられているそれなのですから、「何故?」と大いに首を傾げてしまうのが普通ではないのかと。
そして、本当に創価大学のOBなのかどうなのかも、私には、何だか怪しく思えて来るんですよねぇ・・・
もっと言えば、短い書き込みではあっても、発言内容は無論の事、文体、文章に現れている微妙なトーン、礼を失した粗雑な人間性が感じられる言葉遣いといったものなどが、これまでにこちらで何度も目にして来たそれと、実によく似ていると思っている人は、かなりの数に上るのではないでしょうか?
以上、私の個人的な所感でした。

『日蓮は“偽り”を生きてはおりませぬ!』
(2001年度NHK大河ドラマ「北条時宗」における日蓮の台詞)

877 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/07(水) 18:50
これから、遅かれ早かれ、人間革命の記述と現実が同時進行する日が必ずやってくる!
そしたら、どんなに気味の悪いことになるだろうか?
予想されるのは、侮辱的記述によって、明らかな名誉毀損行為。
恐らく、作者は、岸→峰山(首相!)というようにまたもや、姑息な変名方法を使用するだろう。
果たして、日顕上人は、実名で登場するだろうか?不自然な変名を使用するような気がする。また、例えば、副会長でありながら反逆退転した福山次郎(福島源次郎のこととか)原山聡(原島崇のこと)とか、山下久友(山崎正友のこと)とかが候補。
ただ問題は、●あまりに際どくなりすぎて、「誰」とわかってしまう場合。かえって、嫌味に取られるだろう。
★次に考えられるのは、人間革命が未来小説になった場合。
これは、悲惨を極めるだろう。
作者得意の「大風呂敷」が過ぎて、世間から顰蹙を買うのが目に見えている。
例えば、公明党の単独政権が実現して、首相公選制が実現し、池田先生が選ばれたり、日本が安保常任理事国入りして、池田先生が名誉国連事務総長に選出され、ノーベル平和賞なんかを取ったりする。
その上、日本国民からは、国父と呼ばれる(驚くこと勿れ、昭和40年代には、公明国会議員にそう呼ばせていた!)
こんな、恐ろしいことが、万一でも実現すれば、池田スピーチ直後に起きた雲仙普賢岳噴火どころではない!
日本は確実に沈没するだろう。マジで。

878 名前: Leo 投稿日: 2004/04/08(木) 02:20
yurikoさん。>>877

>これから、遅かれ早かれ、人間革命の記述と現実が同時進行する日が必ずやってくる!
>そしたら、どんなに気味の悪いことになるだろうか?

最近の新・人間革命は少しほのぼのモードです(ほのぼのの中にも創価の定番スパイスが利いている)。
4月5日は外部カメラマンを借りた自賛話。
4月6日は「学会は員は組織に操られている」懸念への否定。
4月7日は写真撮影の「ノーファインダー」伝説でした。

話しは脱線しますが、4月5日の寸鉄は人間主義からかけ離れていて酷かった。
「「嫉妬は讒謗をもって攻撃する」芸術家(ダビンチ)。怨嫉日顕(※原文ママ)は陰謀失敗、心中寸前か」
(「〜か」等はまるでスポーツ新聞の見出しのようじゃないですか)

4月の新報も相変わらずです。11面の「シアトル事件」本体裁判のイラスト(法廷スケッチ風)は
会員に館長を犯罪者であるかのように印象付けようとする心理的効果を狙ったものでした。

こんなことがいつまで続くのでしょうか... 冷静に対処されたし。

879 名前: Leo 投稿日: 2004/04/08(木) 02:23
(訂正)学会は員 → 学会員、館長 → 管長 m(_ _)m

880 名前: Leo 投稿日: 2004/04/08(木) 02:39
自己レス)
>こんなことがいつまで続くのでしょうか... 冷静に対処されたし。

「怨みに怨みをもって報いていけば、また新しい怨みを生む。これで
 は怨みの止む時がありません。」(ダンマパダ)

881 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/08(木) 03:17
>>878Leoさん
>最近の新・人間革命は少しほのぼのモードです(ほのぼのの
→池田創価学会の常套手段です。
>外部カメラマンを借りた自賛話
→その「されげなさ」が危険なのです!
>4月5日の寸鉄は人間主義からかけ離れていて
→この何枚も舌を使い分ける行為こそ、池田創価学会の得意とする所。
あまりに、さりげなくされる為に気がつかない、否、感覚が麻痺してしまっているのです。
>「シアトル事件」本体裁判のイラスト(法廷スケッチ風)は
>会員に管長を犯罪者であるかのように印象付けようとする心理的効果
→池田創価学会が得意とするのは、こうして「明らかな違法行為」を「ばれずに」「こそこそと」することです。
。。。。Leoさんは、創価学会青年部の方でしたっけ。
何故、ああいう「無茶苦茶な」宗教団体に居続けるのですか?
スパイとして、内部情報を収集しているというなら、わかるのですが。
と、言います私も、内部矛盾には気づきながらも、30年もバリでした。
その理由は、「譬えどんなに矛盾があったとしても、それに替わる在家日蓮教団はあるのだろうか?」といったところです。
もっとも、中には、立正狡世会の直人(ROCK)さんのように、聖教の寸鉄などを見て、直ぐに池田創価の胡散臭さに気づいて、入会すらしない方もいます。(殆どかも)
しかし、一旦入会してしまうと、抜け切るのは容易でないのでしょう。
私を脱会に踏み切らせたのは、家族関係と度の過ぎた内部矛盾から噴出した宗門攻撃によってでした。
改めて、お伺いしますが、Leoさんを学会に繋ぎ止めているのは何ですか?

882 名前: Leo 投稿日: 2004/04/08(木) 07:56
yurikoさん。 >>881

>何故、ああいう「無茶苦茶な」宗教団体に居続けるのですか?
>スパイとして、内部情報を収集しているというなら、わかるのですが。
>と、言います私も、内部矛盾には気づきながらも、30年もバリでした。
>その理由は、「譬えどんなに矛盾があったとしても、それに替わる在家日蓮教団はあるのだろうか?」といったところです。
>もっとも、中には、立正狡世会の直人(ROCK)さんのように、聖教の寸鉄などを見て、直ぐに池田創価の胡散臭さに気づいて、入会すらしない方もいます。(殆どかも)
>しかし、一旦入会してしまうと、抜け切るのは容易でないのでしょう。
>私を脱会に踏み切らせたのは、家族関係と度の過ぎた内部矛盾から噴出した宗門攻撃によってでした。
>改めて、お伺いしますが、Leoさんを学会に繋ぎ止めているのは何ですか?

私はある友人Aさん(学会員の方)に学会がおかしいという証拠を示されるまでプチ・バリでした。
それにしばらく学会がおかしいということを認めるのにも時間がかかりました。
学会を辞めようと考えましたが、別の友人Bさん(学会員の方)と友人Aさんの2人に
それぞれ相談したところ、学会は外部の批判に耳を貸さないから、辞めずに内部から批判する
必要があるというアドバイスを貰いました。
スパイというものは他の組織の背景があるものだと思います。
私は他の組織の背景がありませんので、内部告発者あるいはレジスタンス(バリに言わせれば
組織内アンチ)という感じです。
おかしな政治体制の国があったとして、亡命・移住するか、改革・抵抗運動(といっても私の
場合たいしたものではないですが)をするかの二者の道があると思います。

883 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/08(木) 10:09
>>852Leoさん
。。。奈留程。
創価学会には、宗門問題が起きる前、押木氏という、伸一会に属する現役本部職員が中心となって、
「池田問題対策委員会」というのがありました、
これは、藤原行正元都議の息子憲昭や大橋元衆議院議員の蒸息子などもくわわって、
趣旨は、Leoさんのように、学会組織内に留まり乍ら、内部改革を目指すものでした。
私なんかや、学会内部の中堅幹部なんかからも、結構支持者がいたんですけどね、
池田大作が、「伸一会から、退転者が出れば、学会を解散する」などと、公言していただけに、手をつけれませんでした。
もっとも、池田の二枚舌は今更という感じですけどね。
ところが、宗門問題が惹起してからは、自然解散して、「外護の会」にかわりました。
結局、内部改革は失敗だったんですね。
そういう意味で、Leoさんのやってることは、いいと思いますね。
もし、創価学会が変わるとしたら、内部改革によるしかないですからね。
応援します。

884 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/08(木) 11:00
内部改革にエネルギーを消耗するくらいなら、
組織への執着から離れる道もあるって事に気がつこうよ。

885 名前: Leo 投稿日: 2004/04/08(木) 23:05
yurikoさん。>>883

>ところが、宗門問題が惹起してからは、自然解散して、「外護の会」にかわりました。
>結局、内部改革は失敗だったんですね。
>そういう意味で、Leoさんのやってることは、いいと思いますね。
>もし、創価学会が変わるとしたら、内部改革によるしかないですからね。
>応援します。

お言葉ありがとうございます。

学会ではいかなる内部改革運動も潰されますので、
1) 改革組織をつくらず、個人個人の問題として捉える
2) 活動を離れるだけでもよし
(辞めたい人は辞めるもよし)
が重要と思っています。とにかく目立たないこと。

あと、私はyurikoさんと考えがことなるのですが、学会を辞めたり法華講に
行ったから自然に問題が解決するとは思っておりません。
(学会と同様正宗も納得しておりません)

886 名前: Leo 投稿日: 2004/04/08(木) 23:12
>>884 の名無しさん。

>内部改革にエネルギーを消耗するくらいなら、

エネルギーを消耗するほどではないです。ささやかな抵抗をしているだけです。
活動を離れたら、本を読んだり、インターネットやったりする余暇が相当増えました...

>組織への執着から離れる道もあるって事に気がつこうよ。

活動を離れたので特に組織に執着してないです。

887 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/09(金) 03:17
??885Leoさん
>1) 改革組織をつくらず、個人個人の問題として捉える
>学会と同様正宗も納得しておりません
。。。。。。。ふ〜ん。
所詮は、問題意識を持ち乍ら「時を待つ」しかないのでしょうね。
創価学会がここまで大きくなったのは、偏に、戸田先生が宗教をビジネス=金儲けの手段と見ることをした為でしょう。
戸田先生の場合、牧口先生という純粋な教育者の下、商売の天性を活かしました。
それに加えて、獄中に於ける「生き死に」の体験をすることで、信心に目覚めていったのです。
いわば、「天才的商売人兼教育者がたまたま宗教に出逢った」「その信仰の表白の仕方があまりに、俗物的過ぎた為誤解された」「しかし、戸田先生の人格を根本にあるのは、大御本尊様げの報恩であり、絶対的信だった」
と思うのです。
今、戸田先生と出逢っていれば、恐らく、先生は、「私の最も嫌いなタイプ」で、決して人間関係を持とうと思わなかったでしょうね。
しかし、大石寺では、戸田先生が寄進した大講堂が立派に立っていますし、戸田先生のお宅には、祥月命日には、正宗の僧侶が40年以上欠かさずいらしゃってることからかんがえても、
戸田先生の根本を成していたのは、正宗信仰だったと思いますね。
多くの学会が朝夕分たず、学会活動に従事してきたのは、戸田先生の信仰心や、掲げた理想に共鳴したからだと思います。
★ところが、池田先生の場合、
戸田先生の「形」だけを盗んで、戸田メソッドをその儘盗んで、自分の手柄にしてしまったんです。
池田先生は、戸田先生と根本的な部分で違う、詐欺師的人格と断定していいと思います。
何と言っても、雲母の如く現れる所謂、退転反逆者達は、池田の人間性を疑うのに充分だと思いますけどね。
本来なら、組織が自己崩壊しても不思議でないのに、そうならないのは、池田にそれなりに魅力があるのと、独特の人心収斂術があるからなのでしょう。
池田に関していえば、「俗物中の俗物が信仰を利用した」というだけでしょう。
>正宗も納得しておりません
。。。。。。とのことですが、
法華講組織一つ見てみても、規模が小さいのですが、内紛は絶えませんし、問題のある僧侶も多くいます。
教義上の矛盾もあります。
しかし、宗教団体としての純粋さや、信仰のあるべき姿は、創価学会を遥かに凌いでいると思います。
ボ−イスカウト的活動を求めている人達には向かないかも知れませんが。

888 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/09(金) 06:19
>>888自レス
>創価学会には、宗門問題が起きる前、押木氏という、伸一会に属する現役本部職員が中心となって、
>「池田問題対策委員会」というのがありました、
。。。。
これは、ずっと、SGIさんにお聞きしたいと思っていたのですが、
この「池田問題対策事務所(外護の会)の活動実態を知ってる範囲で教えて頂きたいのですが。
SGIさんが、本部職員だった時、彼等とどんな風に接していましたか?
押木事務長と交流はありましたか?
女性のメンバーはいましたか?
海外支部はあるのですか?
現在の活動はどうなってるのでしょう?
********************
これは、最近知ったのですが、元教学室長(代作担当)の桐村泰次さんは、まだ、創価学会副会長の任にあるみたいですが、どうなんでしょう?
彼は、英文で、創価学会教学教義解説書を出していたのですが、今は、見る影もありません。
一時、自宅に軟禁状態だったとも聞いたんですけどね。

889 名前: Leo 投稿日: 2004/04/09(金) 07:42
yurikoさん。>>887

>法華講組織一つ見てみても、規模が小さいのですが、内紛は絶えませんし、問題のある僧侶も多くいます。
>教義上の矛盾もあります。
>しかし、宗教団体としての純粋さや、信仰のあるべき姿は、創価学会を遥かに凌いでいると思います。

それはそうです。正宗さんは選挙団体にはなっていません。

>ボ−イスカウト的活動を求めている人達には向かないかも知れませんが。

yurikoさんと私は見方が違うのだと思います。私は特にボ−イスカウト的活動を求めているのではないです。
正宗さんの状況をWebなどで拝見させていただいておりますが(慧妙やtorideなどの正宗さん側の資料などなど)
法華講さんは元学会の方が多くいますし、(失礼な表現になることをご容赦)状況を見ても「学会の毒饅頭の
毒がまわっている」ように思います。正宗をよくするのはあくまでも正宗さんの力と思います。

890 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/17(土) 14:02
今から、一時間後に「小説?人間革命批判」を再開する。

891 名前: SGI 投稿日: 2004/04/17(土) 22:50
>>888 yurikoさんへ。
 しばしあれこれと考えましたが、今回はご返答を差し控えさせていただきます。何かと障りがあるもので。
 機会があれば、今後のレスの中でさりげなく言及することもあろうかと思いますので、この度は誠に申し訳ないが、あしからずご容赦くださいませ。

892 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/18(日) 01:27
>>891SGIさん
。。。。諒解です。
まっ、自然な推論として、SGIさんが、「池田問題...」に、直接、間接に拘わっていらっしゃるだろうと思います。
少なくとも、親しい方が、そのメンバーなのでしょう。
それが、わかっただけで充分です。
こういう匿名制の掲示板というのは、大きな利点と欠点を併せ持ってますよね。
利点は、自分の立場を明かさずに、内部告発などをして、内部改革ができるし、
欠点は、匿名であるが故に、責任ある発言と見なされずに、信用されない、っていうのがあると思います。
読者としては、所謂「斜読み」をしながら、常に情報を探るといった所でしょうか?
私にとっては、SGIさんの存在は「神様」みたいです。
今後も、決して無理をなさらない程度に(創価学会から暗殺されないように)、内部情報を提供し、続けて下さい。
ただ、いったん外部になってしまうと、内部情報というのは掴み切れないでしょうが、そこは、様々な手段で手に入れて下さい。
そこで、「池田問題...」の件も、公開されている情報(フォーラム21など)をまとめる程度でも結構ですから、宜しくお願いします。
(^人^)

893 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/22(木) 06:35
ヤッフーBB恐喝未遂犯人は、竹岡容疑者。
彼は、野崎コレクションの筆頭メンバー。野崎一族の中核。
最近のスピーチで、池田は熱原の法難の14年後、首謀者である平左衛門尉が一族諸共滅んだことを強調した。
その科学的根拠は別にして、謀略担当副会長野崎勲氏が中心になって企てた、宗門攻撃の捏ち上げシナリオc作戦から、丁度14年。
その時に合わせるかのように、野崎副会長は、突然の病死。64才の若さだった。
さらに、野崎一族の代表と目される創価学会全国クラスの男の悪事が暴かれ、野崎一族は滅亡した。
宮本邸盗聴事件等、創価学会の謀略に拘わったとされる竹内は、ヤフーBB恐喝未遂容疑で逮捕された。今度こそ、年貢の納め時だろう。
なぜなら、創価学会=公明党は政府責任与党である以上、そのメンバーに対して、厳しい規律を求めるのは、社会的要請であるからだ。
竹内容疑者は、知り過ぎた男として、創価学会からは処分されることはなかったそうだ。池田の直接関与も証言できるからだろう。
池田創価学会崩壊が一刻、いっ国迫っている。
関連HPhttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/03/bb.html

894 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/22(木) 06:46
訂正>>893

池田創価学会崩壊が一刻、いっ国迫っている。

池田創価学会崩壊が一刻、一刻迫っている。

895 名前: Leo 投稿日: 2004/04/23(金) 01:20
yurikoさん。 >>893
ろちろぐ(blog)というサイトがあるのですね。
批判が当を得ているというか的を射ているというか、
面白く読ませてもらいました。

自分の頭で考えられない創価学会員
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/post_19.html

小野不一のサイトに書き込んでみた。
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/post_20.html

ヤフーBB恐喝未遂に創価学会の元全国クラス幹部がいた
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/bb.html

「幸福」を難しく説明する創価学会員
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/__1.html

批判的な人は法華講員だと思う単細胞な創価学会員
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/post_25.html

その人のペースで信心をやらせない創価学会員
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/post_26.html

あなたは悟りを得たわけでない凡夫の創価学会員に折伏されている
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/post_27.html

896 名前: Leo 投稿日: 2004/04/23(金) 01:29
>>894 >池田創価学会崩壊が一刻、一刻迫っている。

ファイナル・カウントダウンですか。

897 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/25(日) 02:08
>>893
yuriko殿

小野不一は指導主義・教授主義も知らなかった信心歴40年
ttp://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/03/40.html

活動暦、経験役職も私よりか上のはずだが・・・
ナゾがひとつ解けましたです(w

898 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/26(月) 09:04
40 名前: か〜ちゃん (2XEgrmcs) 投稿日: 2004/02/22(日) 10:50

小野さんは、ブロック長さんです。ブロック長としての使命を充分に
果たしていらっしゃる。家庭訪問を地道にこまめにされている。
お年寄りとの心の交流もされている。本当は優しくて暖かい方です。

899 名前: SGI 投稿日: 2004/04/28(水) 19:33
 五月連休に当たり、「言論出版問題」について検証してみようかなと思い立ちました。
 ご承知の通り、すでに小説『新・人間革命』では「言論出版問題」についても歴史の書き換えを行っております。
 学会史観では、この「言論出版問題」は、学会を正しく理解して貰いたいとの熱意のあまり多少の行き過ぎはあったかもしれないが、世間が指弾するような言論の自由を蹂躙するようなことはなく、むしろ学会の急激な伸張に慄いたマスコミや既成勢力が、事を大げさに取り上げ騒ぎ立て、仏の使いたる学会を弾圧しようとした、いわば俗衆増上慢・魔の働きである、というものだろう。

 しかし、この問題は、言論の自由や信教の自由といった民主主義の根幹を揺るがし、さらに国立戒壇や王仏冥合に象徴される公明党の立党理念が政教分離の原則の観点から問われたことは間違いないことでしょう。
 もともと批判は許さないという独善的な思考と、目的のためには手段を選ばずという体質から生じたものであり、しかも対応策の1つとして電話盗聴=犯罪行為(通信の自由に抵触)に手を染めていくことにつながっていくのです。

 この辺りを時系列的に記述してみたく存じます。
 でも、果たして気力と時間があるのだろうか。単なる決意表明に終わったりして…。

900 名前: 経悟空 投稿日: 2004/04/28(水) 22:28
SGIさんの提案にによりこちらへ移動しました。

>私の認識では衆議院進出前に国民政党の宣言はなかったと思うのですが

これはわたしの記憶の混乱でした。公明党の結党が1964年であり、綱領に「王仏冥合」を
うたっても、日蓮正宗の国教化などを意図するのものではない、1972年に建立予定の正本堂が
いわゆる事の戒壇であるとその頃から言っていたとはおもいます。しかし1970年の本部幹部会
では「国立戒壇」の語の使用をやめるとの発言がされ、曖昧な表現がなくなり妙信講の活動が
盛んになるのでした。国民政党の宣言はさらにその後であります。

『創価学会を斬る』では創価学会が日蓮正宗の国教化を意図する団体であると認識していたと
おもいます。すでに国立戒壇路線の実体は消滅していても、「国立戒壇」語の使用を妙信講
などに配慮して廃止していないための誤解であろうから、この発言は適切であり、対外的には
「政教分離」の明確な宣言であったといってよいでしょう。SGIさんは役職の分離でなく、
こちらを指しておられたと理解いたしました。

901 名前: SGI 投稿日: 2004/04/28(水) 23:17
経悟空さん、ありがとうございました。
氷解しました。私も、経悟空さんと同様の認識です。

 「国立戒壇」や「王仏冥合」という表現が国教化を類推させ、厳しく指弾されたのだと思います。
 また、国立か民衆立か、国会決議を要するか否か、事の戒壇か否か、といった意義付けや手続きをめぐって、妙信講(現在の顕正会)との対立を派生させ、さらに今般の“宗創抗争”でも正本堂が重要な論点になっているのだと捉えております。

 昭和45(1970)年の本部総会での会長講演で、国立戒壇や国教化を明確に否定し、政教分離を約束し、開かれた学会をめざし、平和・文化・教育に重点を置くとの路線変更が、謝罪表明と共に、世間一般に快く受け容れられ期待もされたのだと思います。

902 名前: SGI 投稿日: 2004/04/28(水) 23:22
こちらでも《INDEX》をレスさせて下さい。ごめんなさい。
◎『人間革命』批判
 ◆序論 = >>13-16 (\椎部クーデター>>13 ∨槎拭石田次男>>14 B膾綮件>>15 ぁ反誉犬了奸>>16
 ◆総説 =|單朕棲焚 >>251-252 ⇔鮖砲隣埖 >>296-297 >>741 >>763 資料「わが闘争」 >>162 >>165-166 づ喘飜楴 >>167 >>404
 ◆師弟神話 =‘信神話 >>30 >>32-33 >>46 年齢神話・編集者神話 >>47 N技畆蟲のこと >>71 さで曚蠑綣 >>74 ッ單賃精遒論淺が苦手 >>75 Δ泙箸 >>79 法華経講義 >>90-91 ┗寅勤行に出ない >>616
 ◆師敵対・亡恩の徒 = 峪愼穫拭弃し >>161 >>190 >>205 遺品を奪う >>168 27回忌法要 >>169
 ◆「師弟不二」論 =仝凝澄Φ疇 >>322 △垢蠡悗論理 >>323 D鏤劼瞭 >>332 な法違背 >>336-337 セ嫩鈩世浪羝 >>341 Σ馗控¬刃 >>377 北条前会長の急逝 >>381 >>383 地上の楽園 >>382 小冊子『前進』 >>393 「11.7お詫び登山」教学問題 >>436 よき檀那とは >>437 人生の師 >>439
 ◆大阪事件 = >>15 >>187 >>469-470
 ◆昔の指導 =‐説『人間革命』から >>586 ◆惺布と人生を語る』から >>587-590 C單腸馗垢了愼 >>591 じ妖腸馗垢了愼 >>597-599 ヌ祥晴馗垢量鸞 = >>726

◎学会秘史・実態
 ◆青年部クーデター = >>106-109 (〇暇甜篠構任>>106 ∩輒浬任>>107 主要ポスト制圧>>108 ぞ,討亟鰻>>109) ゲ馗構任 >>111-112 Р馗構身規定 >>261 >>263 ┯明党結成 >>627-628 言論出版問題 >>697 森重紀美子・大蔵商事 >>679 >>739
 ◆池田・秋谷40年 =ヽ慍颯謄ノクラート >>116 ⊇谷栄之助 >>117 8妖沈萓犬料曚 >>120 じ妖腸馗考用 >>123 ァ峪笋鮗蕕譟 >>124-125 主導権争い >>129-131 Ц凝隋κ‥腓領ッ >>752
 ◆後継者指名 =,發掘崟佚賃寮」なら >>171 >>174-176 後継指名なし >>182-183 0筝世隣埖 >>186
 ◆学会の素顔 =仝凝隋Χ預 >>619 中西治雄 >>643 8凝通 >>664 >>671 ぢ静直執 >>690 >>698 ッ祺修血覆 >>639 Εリスマ性 >>663-664 Э与塙況 >>310 >>676 >>691 福島源次郎 >>747 >>791 >>801 野崎勲 別スレ「学会=公明党は憲法違反」》57 》66

◎後継問題
 ◆3つのポイント = >>705  ◆総論 = >>728-729 >>737
 ◆世襲制否定発言 = >>727
 ◆ポスト池田 = >>132-135 (\そ洩簑 >>132 ∨槁瑤凌融 >>133 ウルトラマン世代 >>134 に槁職員は家業 >>135 >>802) ゥ好拭璽螢麋稟 >>302 >>311 >>661
 ◆ご学友グループ = >>811 >>825 >>834 >>864-865 >>872

903 名前: SGI 投稿日: 2004/04/29(木) 20:59
<言論出版問題 [>>899-901 の続き]
時系列資料は、HP「年表・戦後最大の宗教企業とその時代」他を基にしております。
http://snow.prohosting.com/foggyday/

◆昭和35(1960)年
 ○05/03 池田大作氏、創価学会第三代会長に就任。

 #すべてはここから始まった。クーデターで会長の座を奪い取った(>>106-109 >>111-112 参照)だけに、政権強化のためには内外からの批判を許さなかった。“批判封じ”は、池田創価学会の一貫した姿勢。

 ○05/08【学会】会長、関西総支部幹部会で「関西の邪宗教の牙城」である「天理教を総攻撃せよ」と大号令。
 ○05/10【学会】会長、男子部幹部会(東京体育館)で「立正佼成会を撲滅せよ」と檄。

 #外部に敵を作り、内部に目を向けさせない。この手法は今も同じ。

 ○06/10【学会】会長、「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから、政治団体ではありません」と、学会政治部の衆議院進出を否定。
 わずか4年でこの言葉は本人によって覆される。「恩師戸田前会長からも、時きたならば衆議院へも出よとのご遺訓があったのであります」(64年5月3日会長講演)

 #前言を翻すことやスタンスを180度変えることなどは、学会・公明党の得意技。
  「臨機応変に手練手管でやれ」とは、名誉会長の指導。
 
◆昭和36(1961)年
 ○05/03【学会】文化部を文化局に格上げ。下部に政治・経済・言論・教育・学芸(のちの学術、ドクター、芸術 の3部)の各部設置を発表。言論部部長=秋谷栄之助。
 ○05/19【学会】言論部結成(男子部部隊長会)。会長、「広宣流布は言論戦で勝ち取るものであり、諸君に、一つの理念があれば、正義と情熱をもってこれを世に訴えていかなければならない。言論は時代を創り、時代を左右し、時代を決定し、指導していく力がある」と、言論戦の重要性を強調。
 ○05/24【学会】聖教新聞、言論部の設立目的について掲載。『言論部員は、内外の問題を広く勉強し、論じ、正義を主張する力をもって、世論の源泉に立つ』

 #この言論部が具体的に何をやっていたかは、>>697 を参照。
  “成果”の一例として、作家・社会運動家の平林たい子さんが、非難の手紙の殺到にたまりかね聖教新聞に投書したことがある。
  ⇒ 平林たい子 http://www.city.suwa.nagano.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=326
  すると、昭和38年7月28日の言論部第1回全国大会で、会長、「いままでは思い上がり、独断的であり、利己主義である彼ら(言論人)を恐れさせて、身ぶるいさせて、ほんとうに正しい言論戦はこわい、どうしようもないというところまで追って追って追いまくっていこうではありませんか」と述べる。
  さらに聖教新聞『社説』で、〃こうした事態は言論部の活動の前進であり、評論家に悲鳴をあげさせたのは、民衆の間から湧き起こった、たくましい真実の言論による勝利だ〃とする。
            ◇
  「部員総数は約七千。(中略)学会員は、この前後から老若男女を問わず正義のペンをとり、その言論の力で社会に適正な世論をつくり、時代を動かしていく作業を、自発的に、広く、深く、地道に進めていくのである」(『創価学会四十五年史・革命の大河』より)

[この項、続く]

904 名前: SGI 投稿日: 2004/04/29(木) 21:00
<言論出版問題◆[>>903 の続き]

◆昭和36(1961)年
 ○06/01【学会】会長、大白蓮華6月号で「しょせん、王仏冥合の実践の関所ともいうべき選挙戦は、日蓮大聖人の至上命令である。だれが、なんと批判しようが、末法の救世主日蓮大聖人の大精神をば、われわれ地湧の善薩は、断固、選挙を通して貫き通そうではないか。しこうして、われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」と、かさねて学会政治部の衆議院進出を否定。

 ○10/07【学会】聖教新聞、会長の『先日、ある学者がきて、「創価学会は世襲制度ではありませんね」という話が出ました。封建制度の残骸のひとつに世襲制度という制度が現存しております。他の団体はいざ知らず、宗教界にあって、教団の世界にあって世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿であります。霊友会しかり、天理教も世襲制度であり、PL教団も、立正佼成会も、全部世襲制度であります。代々の財産をそのままうまく受け継いで、金儲けしようという、その縮図でもあるし、その一端だけをみても、彼らに真の仏法は、宗教ではなく、〃邪教〃であると断言できる理由であると私は思うのであります。日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません。』との言葉を掲載する。

 #「言論出版問題」には関係ないのですが、ご紹介まで。
  要するに、教団の世襲制度は最も卑しい〃邪教〃の姿であると、激しく批判しているということ。
                    
◆昭和37(1962)年
 ○01/17【学会】政治結社「公明政治連盟(公政連)」の発足を発表。
  <基本要網>
  一、現今の政界は、保守、革新を問わず派閥抗争に明け暮れ、党利、党略を重んじ日本国民の福祉を忘れ、大衆とまったく遊離しつつあることを深く憂うるものである。
  一、公明政治連盟はこれらと本質的に異なり「社会の繁栄が即個人の幸福と一致する」諸政策を推進し、日本国民の真の幸福と繁栄のみならず、広く世界人類の永遠の平和実現を期するものである。
  一、われらの政治理念は、日蓮大聖人の立正安国論の精神を根本とし、その最高の哲理と最大の慈悲を基調とし、近代的にしてもっとも民主的な団体としての活動を行なうとともに、いっさいの不正に対し、厳然たる態度を明確にすることを公約する。
  <基本政策>
 (1)核兵器反対。いかなる理由を問わず、核兵器の製造、実験、使用に反対する。
 (2)平和憲法の擁護。
 (3)公明選挙による政界の浄化。
 (4)参議院の自主性確立。

 ○06/16【学会】聖教新聞、会長指導を掲載。
 『邪教などは、みんなうまい事を言って、金を巻き上げ、教祖のために、教団の勢力のために、それも本当に人々を救えるならば許せるけれども、全部が地獄に落ち、民衆が教祖にだまされ、そして教祖は立派な家ばかりつくり、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これが、邪宗教の姿です。創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません』
 ※「学会の施設には、賽銭箱がない」「学会の信仰は一銭も金がかからない」「学会は金儲けが目的ではない」というのが学会員の自慢だった。

 #これも「言論出版問題」には関係ないのですが、ご紹介まで。
  いやー、昔日のことです。それにしても名誉会長の「永久」「絶対」ほど軽い言葉はない。

[この項、続く]

905 名前: SGI 投稿日: 2004/04/29(木) 21:01
<言論出版問題>[>>904 の続き]

◆昭和37(1962)年
 ○7月参議院選挙 学会・公政連、9名の全員当選。
 ○07/05【学会】聖教新聞、会長談話「このたびの大勝利の原因は、あくまでも、わが日蓮正宗創価学会は、日本の柱であり、同志の皆さん方が、広宣流布を目ざして、その自覚をもって戦いをしてくださった。ともに、日本の民衆の方々が、日蓮正宗創価学会の活動、実践、目的に対して、おおいなる賛同と協力をしてくださったたまものであると、私は確信するのであります」を掲載。
 また北条副理事長の「この大勝利の原因は、けっしてほかでもない、わが創価学会会長・池田大作先生こそ、日本における、そして世界における平和を祈るたったひとりの大指導者であるということを、私は宣言したいのであります。(略)このただひとりの大指導者池田先生について、今後の広宣流布の大道をきょうからは、いよいよ自信をもって、断固まい進していきたいと堅く決意したのであります」も掲載。

 #参議院選挙の勝利で、事実上「池田体制」が不動のものなったことが伺われる。

 ○07/10【学会】聖教新聞、会長指導「なにも宗教団体が政界に進出してならないという憲法はありません。そういう規定はどこにもないわけです。乱れきったこの世の中に、墓番の宗教、金もうけの宗教はいざしらず、真の宗教は、信者は、信念と理念をもって、あらゆる分野に命を賭してすすんでいくことそれ自体が、宗教の使命であると私は確信したいのです」。
 「日本の国ほど、宗教に対する概念が誤っている国はないわけです。したがって、あらゆる点からみて、宗教団体が政界に進出することはとうぜんであり、いわんや、仏法のうえで、日蓮大聖人様が堂々と政界にすすみなさいとおおせの政界進出がわが創価学会の戦いなのであります。(拍手)
 したがって、だれびとがどう批判しようが、どのように怨嫉しようが、私でもは信心第一に、王仏冥合を目ざしていこうではありませんか。(拍手)」を掲載。

 #このころの聖教新聞は、まだ生発言を忠実に再掲しようとしているので、したがって、名誉会長の口ぐせである「したがって」が全く意味不明であることがよくわかる。ともかく、政界進出は大聖人の仏意だと言いたいらしい。

 ○07/20 参院「公明会」を結成。勤行・唱題の導師を会長が務める。
 ○09/13【学会】公政連、東京・池袋の豊島公会堂で結成式をかねた第1回全国大会。会長出席。

 #院内交渉団体の結成式であっても、やはり勤行・唱題で始まる。しかも導師は学会会長。
  北条浩・公政連副委員長は全国大会で、「池田先生を離れて、公政連の発展も、各々の幸せもありえない」と述べ、名誉会長が実際の党首であること示す。
  
 ○12/06 公明会結成国民大会(台東体育館)を開催。演壇の右側には「日本の柱 公明会」 左側には「王仏冥合の推進」の垂れ幕。
 聖教新聞の社説では「創価学会が、宗教に無知なるがゆえに、低級なる邪宗教に迷っていた大衆をめざめさせ、正しい宗教観を教えたごとくに、その腐敗堕落を嘆きながらも、無知なるがゆえに既成の政治家どもにだまされてきた大衆に、真の政治のあり方を教えるものである。政界の夜明けは、公政連、公明会の発展によってのみもたらされることは、心ある人の等しく認めるところとなったのである」と論じる。

 #つまり、学会と公政連・公明会が愚かなる民衆を覚醒しうるのだ、と断じているのである。

[この項、続く]

906 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/04/30(金) 04:56
個人的に言うと、この板は1年半位前からあまり
面白くなくなってしまったのですが、
SGIさんの書き込みは興味深く読んでおります。

これだけの事実(かどうか私には検証できませんが)をご存知で、
これだけの文章が書けるお方は、宗門内にもそうは居りますまい。
しかし、この板に書く意味が私にはよく分かりません。
もっと学会員が多く入る板のほうが学会に与える
影響は大きいでしょうに。SGIさんの目的のひとつは事実を学会員に
知ってほしいということでしょう。
であるならば、発表の場をもっと選んだらいかがですか。

907 名前: yuriko 投稿日: 2004/04/30(金) 06:11
>>906
>個人的に言うと、この板は1年半位前からあまり
面白くなくなってしまった

これって、私への嫌味だな。
別に、お前なんぞに読んで貰わなくていいよ。

908 名前: ニヤニヤ 投稿日: 2004/04/30(金) 09:54
>一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません』
> いやー、昔日のことです。
。。。
寄付?はて、今まで寄付取られた人はいるのか?わたしは出した覚えないけどな。
供養?はて、宗門には供養した覚えあるけど学会に供養した覚えないけどな。
財務で取っている?はて、財務の制度は戸田会長が作ったもので、昭和36年、37年頃のこの聖教のコメントのときは既に行われていた。
つまり、財務は寄付でもなければ供養でもない。財務が寄付とか供養なら、財務やりながら財務を否定するというへんなコメントですものね(ニヤニヤ)
。。。ということは「いやー、昔日のことです。」などと、いかにも学会は変わってしまったというのを強調しようとしたんだろうけど、変わっていないということだね。。。残念だったね。(ニヤニヤ)
寄付も供養も取っていないのは昔日も今日も同じだよ。。。ハイ残念!法華講員さん!
えっ?広布基金?。。。これも寄付でも供養でもない。財務でもない。正真正銘の「広布基金」だからな・・・ハイ残念!
あと取られていることといえば。。。思いつかないな。
そういえば宗門にはやれ葬式だ、やれ結婚式だ、やれ七五三だ、やれ登山だ、やれ塔婆供養だ、やれお講だと、いっぱいお金を出したけど、当時から比べれば今はそれが無くなった分だけお金が余っちゃって・・・こんなうれしいことはない。
宗門にそういったお金を使ったその分、学会の財務にプラスしているから。。。まあ同じか(ニヤニヤ)
それにしても宗門と切れてからお金がかからなくなったな。(ニヤニヤ)

909 名前: ニヤニヤ 投稿日: 2004/04/30(金) 10:05
>906
学会員に知ってほしいというのではないと思う。
自分がいかに物知りか、法華講の中でもいかに学会に精通しているかをアッピールしているだけと思う。
学会員にではなく、法華講員に向かっての自慢とみていたけど(ニヤニヤ)
だから学会のサイトでこんな書込みしても意味がない。
だって、ほとんどそのままの歴史だし、古い学会員なら皆知っていることだし、中にチョロっと意図的に捏造っぽい記述をして、法華講員や知らない人をだませるし。
学会のサイトではすぐそれを見破られちゃうから、立場を悪くして墓穴を掘ることになっちゃうもん。
だから、学会員があまりこないこの掲示板で知識をひけらかしているんさ。(ニヤニヤ)

910 名前: さんこ 投稿日: 2004/04/30(金) 22:58
そうかなぁ〜。私も楽しみにまた興味をもってよんでいますよ。
自己満足とか偉ぶってみせるためにSGIさんは書いていないんじゃないですか?
SGIさん頑張ってください。
ついでにいうと私も以前の方が読みやすかったなぁ(えへ)

911 名前: SGI 投稿日: 2004/04/30(金) 23:34
>>906「名無しさん」さん、>>910 さんこさん、ありがとうございます。

 実は私も1年半前位からこの掲示板に参加しておりますので、雰囲気を変えた1人なのかもしれません。毎度書き込む度に“ちょっと場違いかな”と思いつつも、厚かましくレスしておりますが、掲示板に相応しくないのならば、まことに申し訳なく存じます。

 私が掲示板に参加する意図は、ご指摘のとおり、事実を知ってほしいということです。
 様々なところで繰り広げられる、学会員さんと法華講員さん、あるいはアンチと呼ばれる方とのレス応酬を見ていると、その多くが情緒的で感情的で狂信的なやり取りに終始し、きちんとした事実を基に論じ合うというのがとても少ないように見受けられます。
 そこで、もうちょっときちんとした認識の上に立って、しっかりと論じ合ってほしいとの願いを込めて、プロパガンダ情報以外で知り得た・体験した情報や事実を提示していこうかなと考えた次第です。

 で、この掲示板を選択したのは、
 1)最新レスが最上段に表示される形式の掲示板は、私の感覚に合わず苦手なこと。
 2)2ちゃんねる等は確かに参加者は多いのですが、レスのテンポが速く、さらに混交玉石で対応ができないこと。
 3)バリ会員さんが運営するサイトは、個人情報の保護等について信頼をおけないこと。
 4)学会員が大半を占める掲示板では、学会思考によってまともな論議ができないこと。
 5)念頭にしている伝えたい方は、学会に疑問を抱いている人や悩んでいる人、あるいは理性的・客観的に学会の在り様を考えている人であって、学会思考に染まり切ったバリ会員ではないこと。
 6)講員中心の掲示板では、自身の講活動で充足しており、ネットでの必然性がないこと。
 ――などで、私にとってはここでのレス応酬が心地よいのです。

 本来ならば、様々なスレッドにレスし意見を交わしたいところですが、時間や気力がなくままなりません。本当に残念です。
 それでもやはり多くの方に知っていただきたい思いはあります。
 ということで、皆さん、ここの掲示板をご紹介ください。皆で盛り上げよう。

912 名前: Leo 投稿日: 2004/04/30(金) 23:42
(一言レスですが)賛成です。

913 名前: SGI 投稿日: 2004/04/30(金) 23:43
>>908
財務部員は戸田先生が作りましたが、広布部員は池田創価学会時代のものです。
内容が大きく変質しております。

財務は、寄付でもなく供養でもない、「御供養の精神」で拠出する基金ですか。
貴方がそれで納得しているならば、それはそれで私にとっては構わぬことです。
でも、財務で多くの方が苦しんでいるのが現実です。
どうぞ、その深刻な現実から目を逸らさないで、しっかりと見据えてください。

914 名前: Leo 投稿日: 2004/05/01(土) 01:18
SGIさん。 >>913

私は最近のこと(かつ地区(末端))しか知りませんが、(一応審査あがあるとの建前の)「広布部員」は
「財務」を年末に行い(銀行振り込みで領収書あり)、会館では彼岸勤行会などの折、
「公布金」の受付をやっています。

疑問なのが、「マイ聖教運動」で会員1人(実際は熱心な活動家1人)毎に聖教一部購読
を勧めるものです。

他にも学会系雑誌・書籍は結構あるのでお勧めの通り購読・購入したらそれだけでも
結構な金額になると思います(熱心な会員でも経済的に余裕がない限り全部は購入
しないと思われます)。

915 名前: Leo 投稿日: 2004/05/01(土) 01:30
一応審査あがあるとの建前の → 一応審査があるとの建前の

916 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/05/01(土) 03:24
>>906
個人的に言うと、この板は1年半位前からあまり
面白くなくなってしまったのですが、
>>907
これって、私への嫌味だな。
別に、お前なんぞに読んで貰わなくていいよ。

yurikoさんって面白い。自身を御自覚のようで(藁)

917 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/01(土) 05:07
>>911SGIさん
>私が掲示板に参加する意図は、ご指摘のとおり、事実を知ってほしいということです。
。。。
以前、私もホームグラウンドは、創価仏法研鑽板だったのです。
当初から、私は、アンチであり、創価学会を批判はしていましたが、その良い所も大事にしていきたいと思っていました。
ところが、だんだんと、アンチに傾くようになり、管理人の小野から、この「創価学会を皆で...」に移るように言われたのです。
そこで、SGIさんの「SGIは世界宗教を目指す」スレを発見したのです。
それで、「sぷだ。こちらの方が自分の意見を述べやすい」と思ったのです。
創価学会の素晴らしい点はわかっているし、心から尊敬する友も少なからず創価学会に居るだけに、一方的批判一辺倒には陥りたくありませんでした。
しかし、創価学会の宗門(特に猊下への)仁義なき、攻撃は、憲法で定められた「宗教の自由」あさえ、帯や明かしかねないように思われたのです。
SGIさんが、意図しているような「まずは、客観的情報を」というアプローチは大切だと思います。何故なら、池田創価学会がそれを最も畏れているからです。
ただ、私としては、一元会員として、自分の言葉で、自分の気持ちを正直に話のも大事ではないかと思ったのです。
エリートでもない、宗門関係者でもない、如何なる利益団体も代表しない私が、
ただ、「お前だったら、どうするのだ?」を問いかけたかったのでした。

918 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/01(土) 05:17
>>917訂正
それで、「sぷだ。こちらの方が自分の意見を述べやすい」と思ったのです。

それで、これだ。こちらの方が自分の意見を述べやすい」と思ったのです。

しかし、創価学会の宗門(特に猊下への)仁義なき、攻撃は、憲法で定められた「宗教の自由」あさえ、帯や明かしかねないように思われたのです。

しかし、創価学会の宗門(特に猊下への)仁義なき、攻撃は、憲法で定められた「宗教の自由」あさえ、脅かしかねないように思われたのです。

919 名前: SGI 投稿日: 2004/05/01(土) 09:03
 財務の歴史については、別スレ「交付基金について」》710-711に書き込んだことがあります。また収支報告に関しても、同スレ》705、》713で言及しておりました。ご参考までに。

  >>914「マイ聖教運動」ですか、昔(昭和40年代)からやっていることです。
 私も学生部に入った時に、購読用・切り抜き用・折伏贈呈用の最低3部は購読するよう指導され・した記憶があります。子供の頃から我が家では「マイ聖教」どころか家族人数の2倍以上は購読しておりましたので、“しゃーないなー”と思いつつ多部数購読しておりました。

 結婚して世帯を構えた時も、夫婦2人で5部。他にも民音だ、書籍だ、広布基金だ、財務だと、何やかんやとお金が出て行き、家計はいつもピーピー。可処分所得だったら生活保護が受けられるのではないかと妻と語り合ったこともあります。

 法華講に移ったら、そういう馬鹿げた出費がなくなり、寺院や講への支出額は学会組織への支出額の10分の1以下になりました。家族団らんで過ごす時間も経済的な裏付けも生まれ、レジャーを楽しむことができます。この5月黄金週間も小旅行をする予定です(けっして、どこかのように全国交流ではありません)。

920 名前: SGI 投稿日: 2004/05/01(土) 13:04
<言論出版問題ぁ[>>903-905 の続き]

◆昭和38(1963)年
 ○02/01【学会】大白蓮華2月号に助教授試験の模範答案文を掲載。
 『末法は折伏に限るのであるが、なお御僧侶の立場よりする法の上の折伏を、檀那の立場よりする武力・権力・金力による化儀の広布の時の折伏に比べれば、摂受とおおせられる。』
 『(化儀の広宣流布とは)今、わが創価学会が、選挙により権力を持ち、会長池田先生のもとで勇敢にあらゆる魔と戦い、本尊流布に進む姿がそれであると確信する。』

 ○03/20【学会】公明会の辻武寿議員、参議院本会議で、提出した公職選挙法一部改正案の趣旨説明。(1)戸別訪問禁止の撤廃(2)連呼行為の一部復活(3)文書、画画頒布制限の緩和(4)個人演説会の回数制限の撤廃(5)寄付行為、政治資金の規制、等。
 ※さっそくこのような党利党略のお手盛り改正案を提出するとは!公明会のこの改正案は廃案になったがその後もしつこく数度にわたって提出している。

 #あはっ、そうだよな。「大阪事件」も戸別訪問、買収容疑だったものね。

 ○04/04【学会】会長、聖教新聞で「私どもの選挙戦は、他の政権欲を考えておる政治、選挙とは違います。第一番目に、日蓮大聖人様のご遺命である王仏具合をめざしての、世界最高の崇高なる選挙戦であり、政治であります」と檄を飛ばす。

 #そうか、学会の選挙戦は「世界最高の崇高なる選挙戦」だったのか。

 ○04/17 第5回統一地方選。【学会】都知事選で自民系無所属・東竜太郎を支持。東、阪本勝を破って再選。公政連、1087名当選。藤原行正、都議に初当選する。
 東京葛飾区の学会員が詐欺投票(替え玉投票)の現行犯で逮捕。署長勾留2日・検事勾留10日の合計12日間勾留されても上部の指揮系統を口にせず、あくまで単独犯行を主張する。
           ◇
 『「池田大作さんが『創価学会の六十万票を自民党に入れる』という一筆を書いてくれる。それを僕がもらいに行き、大野伴睦(自民党則総裁)に届ける、なんてことがあったんだ」(中央公論新社刊『渡邉恒雄回顧録』※2000年1月18日発行)
 これは、1963年の東京都知事選のとき、学会票をほしがる自民党の要望に応え、現・読売ジャイアンツのオーナーで読売新聞社社主の渡辺恒雄氏が、池田大作と会い、票をバーターした際の生々しい証言である。
 事実、こうして学会票の獲得に成功した自民党は、狙いどおりに都知事選に大勝利し、二人の会談を設定した渡港氏は、その結果を踏まえながら、「まず学会勢力を自民党とくっつければ、相当な安定政権ができる」(前出・回顧録)と確信するに至ったようである。
 それにしても池田は、第3代会長就任からわずか3年後には、すでに時の権力者に擦(す)り寄り、会員の頭数を交渉カードとして使い、政治工作に奔走(ほんそう)していたのであるから、呆(あき)れてものが言えないとは、このことだ。
 当時から学会員たちには、反権力、反自民のポーズを取りつつ、裏では、キッチリ権力を手中に収めようとしていた池田大作。今になっては、権力の権化、勲章オバケの異名を持つ池田であるゆえ、さほど驚きもしないが、やはりこの男、最初から信仰心の一カケラもないデタラメな人物であったことは間違いない。ここでも自らの野望(日本国乗っ取り)実現のために宗教を利用する姿が、如実に映し出されているではないか。』(慧妙2003年10月16日号)

[この項、続く]

921 名前: SGI 投稿日: 2004/05/01(土) 13:04
<言論出版問題ァ[>>920 の続き]

◆昭和38(1963)年
 ○06/05 『文藝春秋』7月号発売。藤原弘達、林健太郎、宮城音弥、平林たい子による創価学会についての座談会記事を掲載。このうち藤原弘達、平林たい子宅に学会員からの抗議の手紙が殺到。

 #で、>>903 に記述したようなことになった。
  なにせ約7千人の言論部員が、「正義のペン」とやらを「(指令に基づいて)自発的に、広く、深く、地道に」一斉に投書するのだから凄まじい。

 ○08/30【学会】渉外局を三局に分割。渉外第一局長=藤原行正(マスコミ対応)、第二局長=大野潔(内部トラブル)、第三局長=竹入義勝(外部トラブル)。

◆昭和39(1964)年
 ○02/01【学会】『大白蓮華』2月号発行。秋谷栄之助、「(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を組織して…」等とする。

 ○04/  山崎正友、東京弁護士会に弁護士登録。
          ◇
 『純粋な〃池田教信者〃であった私は、弁護士会でもらった弁護士バッジを、いったん池田大作に渡し、本部広間での理事会の席上、池田大作につけてもらった。同時に、「〃公明党専属〃として、月一万円の嘱託料を支払うようにしよう」と言われた。(中略)
 嘱託の仕事は、公明党の〃法律相談〃(月一回くらい)の他は、選挙違反の処理であった。この選挙違反が、驚くほど多く、選挙のたびに忙殺された。事務所の仕事ができなくなることも、しぱしぱであった。(中略)
 逮捕された時に、ほとんどは、〃F票〃や組織の名簿などを押収されるから、その上の責任者が呼び出され、取り調べられる。イモヅル式に、何人かが挙げられる。下手をすると、地方本部や候補者にまで追及がおよぶ。候補者は10日間、悪ければ21日間、拘留されるのが常だった。
 私の仕事は、逮捕された人に接見し、〃やったことは認めよ。しかし組織上のことは言うな。あくまで自発的にやったこととして通せ〃と口止めするほかに、関係組織のガードを固めることだった。
 また、当時の大野潔渉外第三局長や都議・区議らとともに、検挙者の出た組織の関係者に〃口合わせ〃(我々は〃ストーリー〃と呼んだ)を指示するとともに、証拠になりそうなものを焼却処分させることだった。まさしく、〃証拠隠滅〃そのものの行為を、本部からの指示で、組織を挙げて行なうのである。(中略)
 東京都議会で公明党がキャスティングボートを握るようになってからは、選挙違反対策の方針が変わった。警視庁との間で、「公明党は、警察予算や人事、その他で協力する。その代わり、選挙違反は、現行犯、実行犯の処分はやむをえないが、組織の上層部への追及は行なわない」という了解が生まれた』(山崎正友『あの頃のこと』慧妙2000年12月1日号)

 ○04/02【学会】戸田城聖七回忌。
          ◇
 『昭和39年、戸田城聖氏の七回忌が過ぎた頃から、池田大作は「戸田先生の御遺志はすべてやり遂(と)げた。これからは私流にやる」と宣言した。この頃から、〃逸脱(いつだつ)〃が次第に公然化し、エスカレートしていくのである。
 39年という年は、池田大作が、〃正本堂建立御供養〃を発表し、また、〃衆議院進出〃を宣言した年である。それは、池田大作が、自らの〃本仏化〃と〃日本の国士たらん〃との野望を剥(む)き出しにしていく第一歩であった』(山崎正友『あの頃のこと』慧妙2002年7月1日号)

[この項、続く]

922 名前: 経悟空 投稿日: 2004/05/01(土) 17:30
>>911
SGIさん。

>そこで、もうちょっときちんとした認識の上に立って、しっかりと論じ合ってほしいとの
願いを込めて、プロパガンダ情報以外で知り得た・体験した情報や事実を提示していこうかな
と考えた次第です。

「言論問題」は創価学会の歴史の上で大きな区画で、以後は「鶴のタブー」がなくなります。
また「国立戒壇」の否定は妙信講の創価学会批判を招き、創価学会と宗門による宗内統制に
穴があいて正信覚醒の運動へ連鎖していきます。これらはすでに30年以前の事柄ですから
1970年の時点で1940年の日本を回顧するのに等しい。記憶と歴史の境目には党派的な言論が
あふれ、1940年の真相はそれらの党派が現役から退いてから次第にあらわになっていきます。

であればSGIさんが「プロパガンダ情報以外で知り得た・体験した情報や事実を提示」
されたいなら、いま日蓮正宗の側に立っている人たちの発信を批判なく提示されるべきでは
ないかと存じます。『年表・戦後最大の宗教企業とその時代』などはじゅうぶん正確な史実
とわたしは考えますが、著者の立場は日蓮正宗の側です。「宗創戦争」などは国民に興味が
ないものであるから、いづれかの側の発信しかない。われわれはそれらは括弧にまずいれ、
党派外の情報から宗創抗争の歴史の要点を把握するようつとめるのが望ましいとおもいます。

923 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/01(土) 20:33
以前、このスレで、
池田先生は、大阪事件で、実際に逮捕されたのは、7月3日であるのに、何故、7月4日という日付けにこだわるのかについて述べた。
先日、何気なく、人間革命11巻を読んでいて、わかったような気がした。
これは、有名な話らしいが、改めて該当箇所を引用したい。
「人間革命」によれば、逮捕されたのは、7月4日でなければならなかった。
それも、時刻までも、ある時間でなければならなかった

924 名前: SGI 投稿日: 2004/05/02(日) 01:40
>>922 経悟空さん。
 ご指摘の点に関して、概ね同意いたしますが、やや見解が異なるところがあります。
 私は、歴史認識や歴史研究においては少なからず党派性(表現が適切でないかもしれません)を帯びるものだと捉えております。

 事実の積み重ねが“真実”に至るものだとしても、その“真実”は100人いれば100通りの“真実”があるのではないでしょうか。“真実”は“評価”なのだと思います。事実を積み重ねる過程で、すでに取捨選択がなされているからです。情報や資料は批判なく提示し、受け手の判断に委ねるのが最善だとは存じますし、そのように心がけるべきですが、究極的には不可能なことではないでしょうか。

 「創価学会」を考察するに当たって、可能な限り第三者的(客観的)な視点で検証しようと思っておりますが、私は正宗信仰者であり、最終的にはその立場からの判断から逃れることはできません。私が望むのは、より多くの事実を収集し、検討し、「創価学会」に関する“真実”―この場合“実相”といった方が適切かもしれませんが―を、掲示板に参加されている皆さんと共に見出したいということです。

 >われわれはそれらは括弧にまずいれ、党派外の情報から宗創抗争の歴史の要点を把握するようつとめるのが望ましいとおもいます ―― 異論はありません。私のレスについても、訂正や補足、批評などをレスしていただければありがたく存じます。 

 ところで、
 「経悟空」というペンネームは、かつて山崎正友氏が名乗っていたと伝聞したことがあります。
 経悟空さんが、山崎氏ご本人ではないでしょうが、ご存知でしたか。

925 名前: SGI 投稿日: 2004/05/02(日) 01:41
<言論出版問題Α[>>921 の続き]

◆昭和39(1964)年
 ○05/03【学会】第27回本部総会を開催。
 「公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定といたします。(中略)
 恩師戸田先生も時きたらば衆議院へ出よとのご遺訓があったのです」と、公明政治連盟の政党化と衆院進出を発表する。

 #自身の前言(>>903 参照)を打ち消すために、日大講堂を埋め尽す全国の代表2万人を前に、突然「政党結成と衆議院進出」を諮り、その場で全員の賛同があったものとして決定してしまう。つまり、会員の賛意で路線転換したのだという誤魔化しだ。しかも恩師・戸田先生をも利用する、念の入れよう。かくて学会は「政党結成と衆議院進出」に駒を進める…。

 #なお、この本部総会では正本堂建立も発議している。
 その上で「正本堂の建立は事実上本山に於ける広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがってあとは本門戒壇堂の建立だけを待つばかりになります。したがって全体的な御供養といたしましては今度の正本堂の御供養だけで、いっさい将来はいたしません」とも。

 ○06/30【学会】会長、第27回学生部総会で講演。
 「……それで『創価学会は国立戒壇をめざしているからよくない』このように陳腐な論議をしております。まったくナンセンスのかぎりであります。戒壇とは、仏法の終着点であります。……いま大聖人様の仏法においては独一本門の仏法であるがゆえに、その終着点は本門の戒壇となります。
 ……御書には〃国立戒壇〃ということばはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと〃国立戒壇〃ということばをもらしたことがありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたことも一、二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも〃国立戒壇〃ということばはないのです。〃戒壇〃といえば〃本門戒壇建立〃となるのです」(聖教新聞1964年7/2号に掲載)
         ◇
 ※会長としては自分の代で戒壇建立したい。だが戸田は「国会の過半数の議決による御教書」と条件を付けていた。実際に正本堂が落成するまでにそれが不可能なことを分かっていたので、正本堂を事の戒壇とし広宣流布達成を宣言するため、池田は師匠の国立戒壇の定義を否定した。間違っていることを不純な動機でさらに否定したということ。

 #ふーん、戸田先生は「国会の過半数の議決による御教書」と条件を付けていたのか。
 学会の刊行物は、改訂版を出す度に都合の悪い部分を削除・改変するから確かめようがない。

 ○11/01【学会】青木享、『大白蓮華』11月号で、「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇建立といい、ぜんぶ同しことを指しているからである。広宣流布が達成されれば、すべての人は御本尊を信して個人の幸福をうちたて、同時に民主国家であるならば、政治家もまた日蓮大聖人の教えを根本にして政治活動を行なうのである。これは王仏冥合の姿にほかならない。そうなれば、日蓮大聖人の御遺命である戒壇建立の条件(王臣一同に三秘密の法を持ちて)がそうであるから、とうぜんの結果として、民衆の総意によって戒壇が建立されるのである。民主国家における民衆の総意は、同時に国家の意思であるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議ではない」とする。

 #何だやっぱり、広宣流布=王仏冥合=国立戒壇建立じゃないか。なのに「国立戒壇建立」を否定していくから、妙信講との軋轢を起こしてしまう。

[この項、続く]

926 名前: 経悟空 投稿日: 2004/05/02(日) 21:11
>>924
SGIさん。

もろもろの事実から全体像を組み立てることは、その人の思惟方法や背景の知識が異なるから
少しずつ違う全体像が出来上がるでしょう。わたしが「党派」といったのはそういう意味では
なく、事実を捏造したり隠蔽したりする集団であります。たとえば「C作戦」というものが
宗門の側ではなかったといい、創価学会の側ではあったというたぐいです。事実はあったか
なかったかですから、いっぽうの側の主張は事実を捏造しているか、あるいは隠蔽しています。
党派の抗争においてはいくつかの重要な事実について存在と非存在の主張がわかれるのです。
要するに事実についての存在と非存在の主張は第三者の情報によってしか決着しないでしょう。

またSGIさんが日蓮正宗の信徒であるか、創価学会の会員であるかは事実から全体像を組み
立てる段階でも関係がありません。そのどちらでもないSGIさんがまずおられてそのSGI
さんが組み立てた全体像ができたあとで、日蓮正宗のほうがいいなあ、創価学会はいやだなと
評価されるのです。まず認識があって、その後に評価がされるのだから、認識には党派も立場
も無関係であります。もしそうでなければこういう掲示板に何の存在意義があるでしょうか?
およびSGIさんが日蓮正宗の信徒の立場で発言されるなら、宗内カルト「妙観講」への態度
を決められるべきです。『慧妙』の記事は間接的であっても引証しないほうがよいでしょう。

>「経悟空」というペンネームは、かつて山崎正友氏が名乗っていたと伝聞したことがあります。
>経悟空さんが、山崎氏ご本人ではないでしょうが、ご存知でしたか。
『甦るか創価学会』
http://sanity1.at.infoseek.co.jp/vsub5E.html
のことでしょうか。わたしは山崎正友さんとは面識はありませんが、萩本直樹さんが「凄い人」
といっていたのを思い出しました。

927 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/04(火) 03:09
SGIさんと経悟空とのやり取りに関して、横から失礼します。
SGIさんが宗門の立場から事実を積み上げ宗門の側から見た真実を述べることは
一向に問題が無いと思います。
一見中立を装って片方に都合の良いニュアンスだけを
残すような書き方と比べればよほど良心的といえましょう。

経悟空さんが仰る党派性というのは別の言葉で言えば偏見(偏った見方)でしょう。
私は偏見があっても大いに結構だと思う。
偏見と偏見の意見を提示しあって読んだ人がどちらが正しいのかどちらを好きか
決めればよいのです。その意味で、924でのSGIさんの考え「情報や資料は批判なく提示し、
受け手の判断に委ねるのが最善だとは存じます」に賛成です。

ただし、情報や資料が事実では無い場合にはSGIさんが描き出そうとする真実
そのものが曇ってしまう=説得力を失い宗門に敵対する行為となってしまう
ことになるのではないでしょうか。

私は創価学会の側に立つ者ですが、学会も宗門もあまりに自分たちの都合のよい
ことばかり書きすぎて逆に説得力を持たないのが残念と思っています。
例えば、学会側は「宗門は僧が上で俗は下。俗は僧に従わなければならないと
言っている。」と主張しておりますが、それは本当かなあと
私は思ってしまいます。もっと別な表現を宗門はしているのではないかと
思うのです。そんな時代錯誤のことを宗門が言うはずがないと
普通の学会員は思いますよ。

偏見は偏見でよいのです。その一方で反論の場も設けてくださればと期待しております。
聖教新聞とは申しません。第三文明でも潮でもよいので反論の場を設けることによって
説得力も増すのだと思います。
文だけで決着なんか着くはずないのですけどね。
宗門にたいしても同様の思いです。

ところで、経悟空さん。私も萩本さんに学生時代お会いしたことあります。
経悟空さんとどこかでお会いしているかも。
経悟空さんはどちらの側に立ちますか?

928 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/04(火) 03:33
SGIさん、私たちはジャーナリストでもないし警察官でもないので、
事実を追求したり確認することは難しいんです。
どこかで諦めてこれは事実だろうと信じなければならない。
そうでなければ時間がいくらあっても足りないし、お金も無限大に必要です。
池田先生が1000億円の隠し財産があるとかスイスに1兆円の口座があるとか
喧伝する宗門側の方もいますが、外為法に関係したしたことがある人なら、
そんなことは嘘だと経験上分かるものです。
しかし、先生が亡くなったときにどのくらいの財産を残していたかで、
大方のことが予想できるのではないでしょうかね。
新聞にも公表されるし、数字は事実といっても良いでしょう。
国税当局はそれほど甘くないですからね。
国税庁には中立よりも反学会の人のほうが断然多いのですから。

929 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/04(火) 11:03
>>928七誌 さん
>池田先生が1000億円の隠し財産があるとかスイスに1兆円の口座があるとか
喧伝する宗門側の方もいますが、外為法に関係したしたことがある人なら、
そんなことは嘘だと経験上分かる
。。。。
君さ〜、「隠し財産」とか「秘密資金」の意味がわかってないよ。。。。
世の中には、いろんな方法で金を貯め、隠す方法ってあるものなんだよ。
見つかる奴は、ドジなだけ。
池田ファミリーが一般会員の目の触れないところで、どんなに贅沢しているか知れないのだよ。
何といっても、池田先生の宗教屋としての手腕は、入会と同時に発揮された。
詐欺的手法で、高利貸業の営業部長を勤めた池田は、当時の一般サラリーマンの20倍の所得があったという。
そういう男が、とてもじゃないが、宗教家らしく、「少欲知足」の生活をいかなる時点でも送ったとは思えない。
この男の信条は「自分の物は自分の物。他人のものも自分の物」だと思うね。
そんな男の現在の最大の課題は、一兆円に登ると見られる隠し財産を如何に、自分の息子に分配するかだ。
一人減ったとはいえ、出来の悪い息子3人で、一兆円を分けなければならない。場合によっては、内紛が生じ、それを機会に、様々な創価学会の暗黒部分が暴かれる可能性だってある。

930 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/04(火) 11:17
yuriko君のようなお調子者でNaiveなお方が居るから宗門サイドは苦労するわな。
SGI氏の懸命の書き込みの足を引っ張っていることをご自覚無いようで。
ご苦労が多いですなあ SGIさん。

931 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/04(火) 11:27
yurikoちゃんのお人柄は微笑ましく思っていますよ。
単純でお人よし。すぐおだてられちゃうし、
ある事無いこと吹き込まれてしまうわけね。
純粋でいい人だと思ってますよ。(笑)
Boy Friendに騙されるなよ。アメリカはいい加減なやつ多いからな。(笑)

932 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/04(火) 13:15
>>931七誌 さん
>ある事無いこと吹き込まれてしまうわけね
。。。
君って、創価学会員かい?
まさか、創価学会員にそんなこと言われるとはな。。。トホホ〜
\(^0^)人(^0^)/ ナカヨシ♪
シアトル事件一つとっても、ああいう荒唐無稽な話を7年にも亘って、「恰も本当にあったかのように」言いふらして、何とも思ってない団体だ。
何でもありなんだろうな。
ここは、「人間革命批判スレッド」だから、もう一度、その一部を引用する、
『大河三』
『ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚え乍ら、心に誓った。
”私達は、社会に迷惑をかけるようなことは絶対にしてはならない。それは、学会に迷惑をかけることになるのだ”また、ある人はあ、伸一が、今、発表した「社会に信頼され親しまれる学会」というモットーを思い出した。
そして、社会を大切にし、大きな心で人々を包む寛容さを、会長は身をもって示したのだと思った』
ーーこれは言うまでもなく総ルビだ。
創価学会員の平均は、殆ど文盲に近いということだろう。まっ、それはいい。
それにしても、こういうのを読んでると、池田の座右の言である「嘘も百遍言えば本当に」って本当だったんだなーと思ってしまう。
つまり、池田は本当は誤る必要など無かったのに、「慈悲心」から、「事を丸く納める」為に止むを得ず、誤ってやったというわけだ。
何ともはや、反省のない救い難い尊大さだ。
げっ(ノ ̄〓 ̄)ノ

933 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/04(火) 13:23
訂正>>932
つまり、池田は本当は誤る必要など無かったのに、「慈悲心」から、「事を丸く納める」為に止むを得ず、誤ってやったというわけだ。

つまり、池田は本当は誤る必要など無かったのに、「慈悲心」から、「事を丸く納める」為に止むを得ず、謝ってやったというわけだ。

★ここは、言うまでもなく、言論出版妨害事件に関する箇所

934 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/04(火) 13:28
もう一丁!

事を丸く納める」為に止むを得ず、誤ってやったというわけだ。

事を丸く納める」為に止むを得ず、謝ってやったというわけだ。

935 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/04(火) 13:34
再訂正
つまり、池田は本当は誤る必要など無かったのに、「慈悲心」から、「事を丸く納める」為に止むを得ず、謝ってやったというわけだ。

つまり、池田は本当は謝る必要など無かったのに、「慈悲心」から、「事を丸く納める」為に止むを得ず、謝ってやったというわけだ。

936 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/05(水) 02:19
平常心が失われてしまったようで。・・・(苦笑)

937 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:20
>>926 経悟空さん。
早々のレス、ありがとうございます。家族旅行で留守をしておりました。申し訳ございません。
さて、
有効な第三者情報がない場合、対立する当事者双方の情報の中から判断するしかありません。
『慧妙』であれ、『創価新報』であれ、『聖教新聞』であれ、その他の機関メディアにしろ、一般情報にしろ、可能な限り情報を収集し、できるかぎりニュートラルな立場を維持しつつ、信憑性があり説得力があると判ずる情報・事実から結論を見出すしかないのではないでしょうか。


>>927 七誌さん。ありがとうございます。
学会メディアの情報は溢れるほど過剰な状況だと思います。
私としては、この掲示板で「創価学会を考える」に当って、自身が見聞した事以外は、バランスを取ることと判断が偏らないようにとの思いで、どちらかというと心情的に宗門サイドに立った情報提示になっていると思います。
私が提示した情報・事実・推論に誤りや反論があれば、反証をお願いしたいところです。互いの反証により検証がなされ、1つの姿が明らかになると思いますので、よろしくお願い致します。

938 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:24
<言論出版問題А[>>925 の続き]

◆昭和39(1964)年
 ○11/17【学会】公明政治連盟を改組し、『公明党』を結党。日大講堂で結党大会。
  委員長・原島宏治。書記長・北条浩。
  創立者である池田会長、その政治理念を提唱。結党宣言では『立正安国論』を引用して王仏冥合の大理念に立つとし、綱領には
(1)王仏冥合と地球民族主義による世界の恒久平和(核兵器の廃絶)
(2)人間性社会主義による大衆福祉の実現(人間性の尊重)
(3)仏法民主主義による大衆政党の建設(基本的人権の尊重)
(4)議会制民主政治の確立(政界浄化)――をかかげる。
         ◇
 <結党宣言>から
 『日本出世の大聖哲、日蓮大聖人、立正安国論にいわく「所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり、夫れ国は法に依って栄え法は人に因って貴し」と。
 この仏法の絶対平和思想、すなわち王仏冥合の大理念のみが、世界を戦争の恐怖から救いうる唯一の道なりと、われわれは強く確信する。ここにわれわれは、公明党の結党を内外に宣言するものである。
 公明党は王仏冥合・仏法民主主義を基本理念として、日本の政界を根本的に浄化し、(中略)大衆福祉の実現をはかるものである。しこうして、ひろく地球民族主義の立場から、世界に恒久的平和機構を確立することを最大の目標として勇敢に戦うことを、国民のまえに堅く誓うものである』
         ◇
 『「国立戒壇だ、広宣流布だ。百人が百人、そう信じていた。80年ごろまで、その気分は続いた」ある国会議員OBは第一党を目指す組織の昂揚を振り返る。「いままでは根本原理だけを教えてきたが、ここまできたら私が全魂を打ち込んで、育てていく」池田氏は陣頭指揮に立つ。まず、打ち出されたのは、「舎衛の三億」と呼ぶ原理。釈迦の教えの広まり具合を意味する仏教用語を現代に置き換えたのだ。「学会員が総人口の三分の一、信仰はしないが公明党支持が三分の一。あとの三分の一は反対であっても、事実上の広宣流布だ」同時に、それが信教の自由を認める証拠だ、とも主張した。』(『AERA』96年6月10日号)

 ○12/09 初代公明党委員長・原島宏治死去。新任委員長に辻武寿。
 ○12/16 原島宏治葬儀。
 『2時すぎ公明党原島君の葬儀参列。池田会長に会う』(朝日新聞社刊『佐藤栄作日記』第2巻)

 #えっ、原島氏はわずか3週間の委員長だったの。

◆昭和40(1965)年
 ○07/12【学会】会長、青年部最高幹部会で、
 「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体でありますが、ともに日蓮大聖人の教えを奉じ、王仏冥合をめざす同体異名の団体である。(中略)あくまでも公明党は宗教政党であります。
 創価学会を離れて公明党はありえない。もしあるとすれば、既成政党となんら変わることなく、政治のための政治に堕することは必然であります。されば、永久に創価学会と公明党は、一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」
 「学会員が日本の総人口の三分の一となり、さらに、信仰はしないが、公明党の支持である人たちが、次の三分の一となり、あとの三分の一は反対であっても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の三億を築けばよいのであります」などと述べる。(聖教の外に、大白蓮華9月号へ掲載)

 #ふーん、学会と一体不二ではない公明党は、既成政党と何ら変わらないのか。だから、利権汚職、スキャンダル、連立政権・右傾化路線と、「政治のための政治に堕することは必然」ということなのかな。そういえば、名誉会長はかつて「汚職議員が出たら公明党を解散させる」と言ってたっけ。

[この項、続く]

939 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:25
<言論出版問題─[>>938 の続き]

◆昭和41(1966)年
 ○(?)【学会】折伏教典の改訂五版を発刊。
 「(前略)このたび公明党の結成等、新しい段階を迎えて増補第五版を発行することとなった。化儀の広宣流布の機は熟し、いまや三代会長池田先生の指導のもと、王仏冥合達成へ向かって、めざましい進軍が続けられている」(北条浩理事長の「改訂第五版発刊の辞」P1)
 「日蓮大聖人の仏法の実践は、王仏冥合の達成である。(中略)正しい仏法によって、人間革命された政治家が、仏法の哲理を根本精神として、大慈悲を政治の上に反映させ具体化する時、はじめて理想的な政治が行われ、王仏冥合となるのである。(中略)創価学会は、個人の生活の確立のみでなく、社会の繁栄を願うがゆえに、仏法の大精神を体得した人、これを理解し、政治に反映させる決意のある人を推薦した。この推薦にこたえて、結成された政党が、公明党なのである。」(P352〜353)

 「ただ一つ日蓮大聖人の教えどおりに信心修行しているのは、日蓮正宗(総本山富士大石寺)だけである。」(P96)
 「学会再建にあたった第二代戸田会長は、つねづね「戸田はけっして一宗一派を開くものではございません。ただ、生命のつづくかぎり、御本山へ、忠誠一途に尽くすのみであります」と申しておられたが、まことに、その一生こそ、先師牧口会長の遺志を継がれ、ひたすら総本山をお守りする真心ひとすじに貫かれた粉骨砕身のお働きであった。(中略)その御供養の至誠は数を知らず、すなわち、日蓮正宗の良き檀那、大信者として、偉大な生涯をまっとうされたのである。ここに創価学会と日蓮正宗との関係はおのずから明白となろう。」(P350)
 「謗法とは「正法を誹謗すること」であり、したがって、なにが正法であるかが問題である。それはいうまでもなく、末法今時の正法は、道理、文証いずれから論じても日蓮大聖人の教えであり、その教えは富士大石寺に伝わる三大秘法の大御本尊以外にあるはずがない。しかれば、謗法とは、その大御本尊を誹謗することであることはいうまでもない。」(P354)

 #当然のことながら『折伏教典』は廃刊。

 ○01/08 「2、3連絡の後、1時半出発して鎌倉へ。所要時間55分。ゴルフの練習をし、池田大作会長と6時半に会ふ。夜食を共にしながら約3時間ばかり話して別れる。公明党との協力関係出来るか」(『佐藤日記◆366頁)
 ○01/10 「東京都問題は公明党との妥協漸(ようや)くなる。岩佐君から池田会長の申し越し連絡あり。早速のきゝめか」(『佐藤日記◆366頁)
 →3日後の13日、都議会本会議は水道料金を平均で35.4%値上げする案を自民党と公明党の賛成で可決する。佐藤・池田会談の「ききめ」であった。都議会での公明党工作が、佐藤から池田に対してなされたこと、その最初の成果が都民を犠牲にする水道料金の値上げであったことは、その後の自公関係を考える上で象徴的だったといえる。

 ○02/04 「池田会長の処へ、岩佐君を介して、まきえの文箱を届ける。蓋し時計の御礼なり」(朝日新聞社刊『佐藤栄作日記』第2巻366頁)
 →2人の関係が親密になっていったことが分かる。池田は「時計」を贈り、その「御礼」に佐藤は「まきえの文箱」を届けているからである。

 #国民や会員の知らないところで着々と自民党との関係を深めている…。岩佐君とは、岩佐凱実・富士銀行頭取のことで、学会側の希望で仲介役を務めている。
 そういえば蒔絵は、名誉会長のお気に入りの工芸品だ。

 ○05/03【学会】第29回本部総会を開催。
 会長、「そういうようなわけで、昭和54年から11年目の昭和65年、西暦1990年、この年を目標として、広宣流布の大総仕上げにかかりたい。こう決意している次第であります。」等と語る。

 #そう、1990年(平成2年)は、学会・名誉会長にとって“特別な年”だったのです。

 ○05/08【学会】池田会長、本部幹部会席上で、今後、国立戒壇という言葉使わないと言明。正本堂は、天皇帰依や国会議決によらない「民衆立」との見解を示す。(それまでの学会・宗門・妙信講等の「国立戒壇」を否定。併せて学会独自の「国会議決による戒壇建立」をも否定。)       

 #これにより、妙信講との対立が明らかになる。

940 名前: SGI 投稿日: 2004/05/05(水) 18:31
<言論出版問題>[>>939 の続き]

◆昭和41(1966)年
 ○06/01【学会】池田大作著『指導メモ』を聖教新聞社から刊行。
 『師弟』の項で(185頁)「私は戸田前会長と十年間、師弟の道を歩んできた。たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。それが自分の人生と決め、だまされても、師匠と一緒なら、それでいい。それが師弟相対だと決めた」とする。

 #これは、名誉会長が説く得意の池田流の師弟観。こんなこと大聖人も戸田先生も説いていない。この任侠師弟観が、学会堕落の根底思想。

 ○06/22『田中幹事長を招致して明日の田中、辻(公明党)会談の打含せと注意を喚起しおく』(『佐藤日記(2)』445頁)
 ○06/23『田中幹事長は公明党北条[浩書記長]君と正式に初めて会見。円満に会話が行はれた様子。先づは一安心。引続き1週間以内に再会見の予定』(『佐藤日記(2)』446頁)
 →こうして、田中は佐藤の指示によって公明党とのパイプ役になった。

 #田中幹事長とは、もちろん田中角栄元総理のこと。後日「言論問題」で大活躍。

 ○07/ 【学会】会長、全国各地域の班長を励ますため「班長撮影会」を行う。これは班長を一回に5〜60人から100人集めて記念写真を撮るという催しで、この年の7月前後、半年から10ヶ月かけて各地で開催された。
         ◇
 『これらの記念撮影は、来たるべき公明党初の衆議院選挙で戦う地域を中心に、創価学会員を総動員する狙いがあった。池田は学会員の信仰心をくすぐりながら、選挙戦勝利への、より高度なマインドコントロールを行なっていたのである。』(元・学会本部職員A・Y『偽仏の如是我聞を検証する!?(3)』 慧妙2003年9月16日号)

 ○(?)『公明』8月号発売。ヨーロッパの宗教政党を視察した北条浩副委員長、寄稿文の中で、公明党はヨーロッパの例と同じ原理に立つ宗教政党であり、日本にはいままでヨーロッパのような宗教的土壌がなかったのだから、その土壌をつくりながら、同時に平行して公明党をスタートさせたのだ、とする。
 ※共産党はこれを憲法第20条「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」に抵触するものとしている。

 #このころから、支持層が重なる共産党とのバトルが顕現化してきた。

 ○07/03【学会】池田会長の『立正安国論講義』を刊行。公明党の意義づけに多くの頁がさかれている。
 「発刊日の7月3日は、戸田前会長の出獄の日である。またこの日、奇しくも私が、昭和32年に国家権力の謀略によって入獄した日でもある」(P7〜8)
 「公明党とは即、創価学会の異名であり、一体不二の関係にあることを知らなければならない」(P72)
 「この国権の最高機関たる衆議院に、三大秘法の仏法を奉じした真の民衆の代表を送り出すことこそ、現代の国家諌暁であることは、明白である」(P81)

 「まことの仏法の真髄は、日蓮正宗にしかない。そして、それを外護しゆく創価学会の活動をはばむものあれば、それこそ仏法を破滅させる魔の姿であり、もし、かつてのごとくあえて国家権力をもって、阻止しようものなら、終戦後のように「仏法実に隠没せば」の経文が、たちまちにして眼前に展開され、民衆を苦悩の深淵のなかへと進ませる結果となろう」(P333)
 「彼らは、いつも宗教団体の政治介入はいけないと、創価学会を非難してきた。ところが、最近になって創価学会の王仏冥合の大前進に恐れを懐いたこれら邪宗教は、なんの臆面もなく、にわかに参議院等に、自己の利益を守るべく候補者を立てたり、保守党と取り引して推薦候補にする等、邪宗教と政治家との結託が、目立ってきたのである」(P505)

 「もとより、王仏冥合の原理に照らし、創価学会が明王・聖人となる以外になきことは必然であった。ここに「王」とは、独裁者の「王」ではなく、民衆それ自体であり、また民衆の中より出、民衆の予望を担い、民衆の幸福のために戦う真実の指導者の意である。創価学会が、今日、公明党を誕生させたのもまさしくそのためである」(P545)
 「いっさいを指導しきっていくべき原理は、仏法の骨髄たる妙法以外にない。この偉大な妙法を持った公明党のみが、真実にして唯一の宗教政党である。しかして、これこそ現代世界が要望する、最高に革新的な政党なりと確信するものである」(P856)
 「立正安国論の実現とは、王仏冥合の実現であり、第三文明の偉大なる社会を実現することである」(P1094)

 #ここでは7月3日が「出獄・入獄の日」となっている。

[この項、続く]

941 名前: SGI 投稿日: 2004/05/07(金) 21:15
<言論出版問題>[>>938-940 の続き]

◆昭和41(1966)年
 ○09/25【学会】本部幹部会を開催。
 海外では学会が公明党の支持団体であることから政治団体とみる見方が一部にあり、そのことから生じる無用の摩擦と誤解を回避するため、海外法人の名称をすべて『日蓮正宗』と改め、政治活動をいっさい行わないことを宣言する。これにともない『創価学会・オブ・〇〇』は『日蓮正宗・オブ・〇〇』と改称される。

 #『SGI憲章』でも、海外のSGIは一切の政治活動をしない、と宣言している。
 日本だけ政治支援活動を行い、海外ではやらないことについて、何らの説明が一度もない。

◆昭和42(1967)年
 ○01/29 第31回総選挙。
 公明党25名が当選し、参議院で第三党、衆議院では初進出でいきなり第四党となる。
 大橋敏雄、福岡二区でトップ当選。自民50%割る。公明党の伊藤惣助丸、初当選。
 選挙の二日後、池田会長は突然、公明党の委員長だった辻武寿、北條浩を更迭して、竹入・矢野体制に移行させた。竹入は都議会議員で学会組織では世田谷第一本部の本部長だった。

 「(委員長就任にあたって)池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらってます」(竹入義勝『毎日新聞』夕刊 67年2月1日付)
 「政治家になったのは、創価学会からの指示だった。委員長就任の打診があったときは、ともかく逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった。学会の副理事長や総務をやってきたが、取りえは元気がよくて活動的だったことぐらいだ。だから、無我夢中で党活動に専念した」(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』98年9月18日付)

 #ついに衆議院進出。初挑戦で、いきなり25名の当選。
 ジャーナリズムも本格的に学会=公明党について論じるようになり、いよいよ言論弾圧の幕があく。

 ○01/  三一書房、毎日新聞記者・内藤国夫に都議会公明党に関する本を執筆するよう依頼する。

 ○02/24「対公明との関係は誠に微妙。よって池田会長並に竹入委員長に会見を申し込む」(『佐藤日記』39頁)
 ○02/25「(竹入に会ったところ)意外に強硬。(立正佼成会の)庭野をきれとの話だが、それは出来ない。兎に角注意するで話は終る。今後特に気をつける要あり」(『佐藤日記』39〜40頁)

 #公明党が新体制になったので、佐藤首相も新たな関係構築に。この頃の竹入氏は政治家というより生真面目な学会員であったことが伺われる。

 ○(初夏)【学会】男子部地区部長候補の上原成宏、学会本部渉外三局の渡部理事に呼び出され、公明党本部へ行く。
        ◇
 話は「この間、話の出たZ社だけれども、室伏高信という年とった人が、池田先生のことを書こうとている。大右寺のほうにも取材にきている。それに編集の人間もくっついているけれども、どんな中身なのか知ることはできないだろうか。もし池田先生を誹謗するようなことだったら、何か考えなければいけないし……」という意味のことをいわれ、「できればゲラを手に入れてほしい」というわけです。
 「第三者がゲラを持ち出すのはちょっと無理じゃないですか」と言ったら、「どこの印刷所を使っているか調べるだけでいい」ということでした。(中略)
 「君のいったとおりだった。別に害になる本じゃなかった。ゲラも見たよ」というんで私は驚いたんです。私も多少そっちの仕事をしていましたから、「よくゲラが手に入りましたね」といったら、「印刷所だってどこだって、学会員はいるからな」というわけです。(中略)
 下山――直接の上司は渉外三局長の館岡総務です。館岡さんはいまの創価学会会長である北条浩にがっちりつながっているわけです。
 ――すると、渉外三局のボスは、北条浩氏だったわけですね。       
 下山――そうです。要するに、ダーティな部分の親玉で、あの北条氏は、たしか副会長になっていたと思います。(下山正行『私は創価学会のスパイだった』P20 〜23)

[この項、続く]

942 名前: SGI 投稿日: 2004/05/07(金) 21:17
<言論出版問題>[>>941 の続き]

◆昭和42(1967)年
 ○07/20 第55特別国会、防衛二法改正案が成立。
 政府は、過去2回流れてきた防衛庁設置法および自衛隊法改正案(防衛二法)を、三たび提出してきた。6月9日の趣旨説明を皮切りに6月29日から衆院内閣委員会で審議が始まり、7月6日、自民党単独で強行採決された。これに対して野党各党は態度を硬化させ、7月の審議は全面的にストップする。
 この後、議長の斡旋と4党国対委員長会談を経て国会は正常化され、7月10日の補足質問の後、本会議での採決を経て法案は参院に送られた。参院でも野党は対決姿勢をとったが、一酸化炭索中毒症特別措置法案(CO法案)を取り引き材料に自社両党の妥協がなり、防衛二法改正案は7月20日に成立する。これについても、佐藤は密かに手を回していた。

 「10時登庁。国会も明1日を残すのみとなったので、最後の勉強を党側に指示する。何よりも防衛二法を通過さす事、その為に(秘書の)大津君を創価学会池田会長に連絡をとらす。会長が幸に引きうけてくれたので一寸安心。又その約束通り議事がとり運ばれた」(『佐藤日記』106頁)
 →この頃になると、もはや特別の仲介者は必要なく、秘書からの連絡で事が運ぶようになっていた。佐藤と池田の関係がそれだけ親密なものになっていたということが分かる。

 #仲介者も公明党議員も通さず、直に首相官邸とのホットラインが佐藤内閣以来続いている。
 『随筆・新人間革命』でも明らかなように名誉会長の方から池田隼人首相邸に赴いたり、学会の「政党結成・衆議院進出」の路線変更と佐藤政権の時期が重なっており、法案成立に協力することで政府・自民党に“貸し”を作ろうとしている。
 そういえば「貸し方になるのが人生の勝利」というのが名誉会長の人生観でした。⇒ >>158-159 参考

 ○08/末 内藤国夫、三一書房から依頼の原稿を脱稿。(※11月末出版予定だったところ、三一書房、出版を断念する。)
        ◇
★内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版社)の場合
 67年1月ごろから、三一書房からの執筆依頼で、都庁担当新聞記者として取材してきた都議会公明党の素顔を書きはじめたという。これが創価学会・公明党の知るところとなり、出版社に圧力がかかり、出版計画は中止となる。
 内藤氏は出版社を変更し、極秘裏に出版準備をつづけたが、印刷工程でゲラが創価学会にわたった(業務上横領の疑い)ようで、公明党の竹入委員長が30数箇所の書き換えや削除を要求してきた。
 さらに、国際勝共連合の背後にいた右翼の頭目の笹川良一が内藤氏に「わしは公明党に前に一度恩を受けている。本はおれが全部買いたい」といってきたことも明らかにされた。この本は69年5月に出版されたが、大手取次店は配本を拒否し、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、わずかに世に出された。(『前衛』03年11月号)

 #そう、そう。学会は右翼との関係も深いのでした。
 塚本素山氏を学会顧問に迎えていたこともありますし、笹川親子には『月刊ペン』裁判では大変お世話になりました。最近では外宣車による大石寺襲撃にも一肌脱いでいただいております。結構“ニッポンの闇”とのお付き合いも特別なものがあるようです。

[この項、続く]

943 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 00:04
<言論出版問題>[>>942 の続き]

◆昭和42(1967)年 
 ○09/ 公明党、10月に刊行予定の植村左内・編著『これが創価学会だ 創価学会幹部43人の告白』のゲラ刷りを入手。※植村左内(本名・村上行雄)氏は66年に脱会。
         ◇
 『「さて、当の植村氏は、創価学会脱会者として、学会を離れてすぐさま、新宗連の機関紙『新宗教新聞』に学会批判に記事を連載し、それをまとめて『これが創価学会だ』というタイトルで『しなの出版』から刊行予定であった。ところが、同書のなかに出てくる『中村君の日記』というのが植村氏自身の創作であるといった批判が出た。
 この当時、日大会頭の古田重二良氏は、日本宗教センターの理事長として、創価学会の加盟を再三にわたって要請したことは先述したが、同センターの加盟宗派が創価学会加盟問題でかなりの論議をしている。そして、注目すべきことは、立正佼成会の庭野日敬会長だけが条件付きで創価学会の加盟に賛成した。
 庭野氏によれば、『私としては、無謀な折伏や排他的独善的行動を改め、池田会長自らが代表となって加入し責任をもって会議に出席するならば、参加承認してもよいと思う』といって、創価学会から折伏の二字を奪い去ることを条件とした。だが創価学会は加盟せず、脱会者の植村は、立正佼成会の別動隊長とも言われる清水雅人氏の〃領導〃により、創価学会は犯罪者の巣窟と思わせるような連載記事を『新宗教新聞』に書きつづっていた」』(丸山実『「月刊ペン」事件の内幕』(P75〜76)

 ○09/  公明党の辻武寿(前委員長、のち学会副会長)、矢野絢也書記長、竜年光(都議、のち脱会)の3人、自民党本部に福田赳夫幹事長を訪ね、『これが創価学会だ』の出版中止を依頼するが断られる。続いて賀屋興宣に依頼。(賀屋は版元の「しなの出版」に圧力をかけたとされる。)

 ○10/13 東京地裁、学会からでていた『これが創価学会だ』の出版禁止仮処分申請を却下。
         ◇
 『これが創価学会だ』は出版されるが、大手取次店、同書の新刊委託扱い・注文扱いを拒否。小売書店の店頭に並ばず。
 【学会】名誉毀損の告訴と、謝罪広告を求める民事訴訟を起こす。
 【学会】同書出版は新宗連が仕掛けたものとして、新宗連理事長で立正佼成会会長の庭野日敬を警視庁に告訴。庭野、警視庁に出頭する。
         ◇
 「庭野、古田重二良(日本大学会頭、社団法人宗教センター理事長)の仲介で北条浩と会談。学会・公明党立会いのうえで同書の廃棄処分を行なう。『新宗教新聞』編集長・清水雅人(本名・佶)、紙上に連載していた学会脱会者・植村左内(本名・村上行雄)氏の内部告発記事を『これが創価学会だ』(しなの出版)という単行本にまとめ新宗連加盟教団に大量に買わせようとするが、学会が名誉毀損で告訴する意志を明確にしたため新宗連側が忌避、自主的に本を回収する。」(『第三文明』83年6月号)
         ◇
 「古田氏は、日本で二大宗教団体といわれる創価学会と立正佼成会をなんとか和解する方途を考え、両者に接触していたが、植村氏の『これが創価学会だ』が出版されるに至って、立正佼成会側が、自らの手で植村氏の本を破棄し、それによって『布教戦争』の一時停戦をするといった古田氏の案が両者を動かしたのだった。植村氏の本は日大の校庭でもやされた。これが世にいう〃焚書事件〃である。ところが、植村氏が自著をもやされたと喧伝しているが、実際は裁断されたのであり、焚書ではなかった。」(丸山実『「月刊ペン」事件の内幕』P75〜76)
         ◇
★元創価学会員・植村左内著『これが創価学会だ』の場合
 まだ本が出ないうちに、池田会長と竹入委員長が出版社を相手どり、図書発行等禁止仮処分申請をおこなった。東京地裁が、まだ本ができていないことを理由に申請を却下すると、今度は名誉毀損として告訴。この本も取次店が扱いを拒否した。
 68年12月には、出版社と創価学会・公明党の間に示談が成立し、出版社は著者に無断で印刷過程のすべてを創価学会・公明党にわたしてしまった。出版社への圧力には、福田赳夫、賀屋興宣という自民党中枢が関与し、宗教センター理事長で日本大学会頭の古田重二良氏が示談をまとめたという。
 庭野日敬立正佼成会会長(当時)によれば、古田氏は、立正佼成会に買い取られて配られた本を信者から取りもどし、日大校庭で焼いてしまったそうである。植村氏は、現代の"焚書"や創価学会からのいやがらせにあいながらも、別の出版社から出版にこぎつけた。(『前衛』03年11月号)

 #政治権力に右翼と訴訟・裁判、今も昔も変わらないのですね…。違っているのは、政治権力の中にいるということと、自陣メディアによる反キャンペーンの凄まじさ。

[この項、続く]

944 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 00:08
<言論出版問題>[>>943 の続き]

◆昭和42(1967)年 
 ○12/暮 民主社会主義研究会(民社研)の機関誌『改革者』の編集長・遠藤欣之助、同誌に公明党問題を書くため、鈴木一弘・矢野絢也編『労働運動と宗教 仏法と人間性社会主義』を一読したところ、同書に中大教授・武藤光朗の著作からの無断盗用があることを発見。遠藤、この事実を論文にまとめるが、ゲラ刷り段階で公明党に漏洩。公明党・竹入、某銀行頭取を通じて民社党に働きかけ、民社党から遠藤に発表中止を勧告させる。

◆昭和43(1968)年
 ○01/  植村左内、古田重二良の要求により、今後、学会批判書は書かないという文書に調印する。

 ○01/25【学会】関西本部幹部会を開催。会長、「幹部として学会の正しい姿を知り、間違いのない指導をしていくため」小説『人間革命』を読んでほしい、と要望。また参院選に触れ、王仏冥合の戦いの本義を再確認する。

#だから、小説『人間革命』は「現代の御書」。学会史観を植えつける洗脳書?
  >>251-252 >>296-297 >>741 >>763 を参照。

 ○02/12 「大津君を通じて池田会長へ援助方頼む。返事はいゝが会長も困っておるに違いない。そのうちに何とかなるだらう。社会党が倉石君罷免を強く主張する。理解しかねるとの返事。別途社会党と連絡して見ると、公明党が強いと云ふ。まだ解決の潮時が来てない結果と思ふ」(『佐藤日記』233〜234頁)
 →「倉石罷免」問題をめぐって、佐藤が池田会長に「援助方」を頼んでいたことが分かる。
 このときにわかに浮上した「倉石罷免」問題というのは、2月6日の閣議後の記者会見で、倉石農相が「現行憲法は他力本願だ。やはり軍艦や大砲がなければダメだ」と述べたことに端を発する。この発言に野党が反発して倉石農相の罷免を求め、2月23日まで16日間も国会は空転した。佐藤首相は事態打開のための水面下での工作を始めるが、それは公明党の竹入委員長に対してではなく、創価学会の池田会長に対してであった。

 ○02/14 「日大の古田君は国税庁に手をやく。当方は古田君を介して公明党への働きかけをする。今日の処まだ効果不十分」(『佐藤日記』236頁)
 ○02/15 「今日も亦空転。然し公明党に動きあり。竹入君1日記者会見して動きを見せたが、野党につき上げられ又ぐらつく。然し池田会長のリモートコントロールがあるのでどうなるやら。物事は一進一退で解決するものか。夕刻古田君に架電してネジをまく。先生の方にも税で問題を起こしており、その上公明党との折衝で仲々忙しい事」(『佐藤日記』236〜237頁)。
 →「池田会長のリモートコントロール」という言い方は、本質をついていると同時に大変生々しいものである。
 
 #「日大の古田君」とは、古田重二良(日本大学会頭、社団法人宗教センター理事長)氏のこと。
 国会問題とのバーターで、学会批判本である植村左内・編著『これが創価学会だ』や隅田洋著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』の出版妨害に自民党政権が絡んでいることが伺われる。

 68年に入り、7月の第8回参院選を控え、公明党は国会や地方議会ではとくに「汚職と腐敗の摘発」に力を入れた。そのターゲットにすえられたのは、当時すでに何かと噂の絶えなかった田中角栄である。
 「(田中)元首相と親しくなったのは、国会の質問で貸しを作ったことだった……公明党の参院側が、田中さんの国有地払い下げ問題や女性問題を取り上げることになった。68年6月にジャーナリストが仲立ちし、東京紀尾井町の料理屋で話をした。
 田中さんは「女性問題は、責任をとっているので取り上げるのはやめてほしい」と率直に訴えてきた。最初は、よくしゃべる人だなという印象だった。駆け出しの私に誠心誠意、話をするなあと感心した。この会談があって、党の参院幹部に「自民党の中では相当伸びる人だし」ということで女性問題の質問はやめてもらった」(「竹入秘話」『朝日新聞』98年8月26日付)
 →室生忠によると、自民党田中派と公明党との間に太いパイプができるのは68年以降のことで、「田中の金脈問題と学会の税金問題を取り引き材料にして」(室生忠『創価学会・立正佼成会』)のことだったという。理由は違うが、この時期に田中と公明党との間に、太いパイプができたという点では共通している。そしてこのパイプは、やがて大きな意味を持つことになる。(『前衛』03年7月号)

 #虚虚実実というより、“貸し・借り”の取引きにすぎない?

[この項、続く]

945 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 23:05
<言論出版問題>[>>944 の続き]

◆昭和43(1968)年
 ○02/11 隅田洋(=隈部大蔵)著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』、日大会頭・古田重二良らの介入で初版即絶版、市販されず。
          ◇
 隈部大蔵(西日本新聞東京支社の経済担当論説委員)、『東北出版』から学会批判書を出すことを計画。介入を恐れ福岡県北九州市の日進印刷(教科書専門という)に発注するが露見。同地を選挙区の一部とする劔木亨弘文相が『東北出版』に中止を要請。古田重二良、『東北出版』に事前にゲラを見せるよう要請。社長、日大会頭室に出向きゲラを見せる。
 『東北出版』に学会員や東声会と目される暴力団が来訪。抗議の電話が相次ぐ。
社長、公明党の最高幹部宛に「今後創価学会・公明党関係の批判書は二度と出版しない」旨の証文を書かされる。同書は言論出版問題を機に70年6月に『あゆみ出版』から刊行された。
          ◇
 『隈部大蔵自身、その経歴は安藤竜也との共通の陰影部分につつまれ、謎めいている。彼が、のちに警視庁および裁判所で陳述したところによれば、「昭和19年に陸軍中野学校(諜報員養成機関)を卒業し、若干の軍務(情報活動)を経て終戦を迎え、戦後は、昭和25年頃から経済安定本部、経済企画庁に事務官として勤務し、次いで昭和32年から株式会社西日本新聞杜に論説委員(経済担当)として勤務したが、昭和43年頃、年来の仏教教義に対する強い関心から創価学会批判書を執筆、出版しようとしたことが原因で上層部との間に意見の対立を生じ、やがて昭和49年7月退社し、以後はかねてからの誘いに応じて東京都中央区銀座3丁目10番19号所在の月刊ペン社の編集局長に就任し、同社が発行する総合雑誌『月刊ペン』の編集に従事するとともに自らもこれに執筆していた」となっている。(「月刊ペン事件」判決書)(山崎正友『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』P30〜31)

★隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合
・秘密裏に出版作業がすすめられたが、印刷段階で、印刷業界の幹部から印刷中止を迫られた。印刷所にはいやがらせがつづき、当時の劔木亨弘文相からも中止の圧力がかかったと、著者に伝えられる。この本の場合も古田日大会頭(※日本大学の古田重治郎会頭)からゲラの検閲を迫られた。出版社社長には暴力団員がつきまとい、ついに出版中止となった。(『前衛』03年11月号)

 「これではまるで、ソビエトで地下出版を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き「まてよ、作影(注=池田大作氏の影響の意)はやはり噂だけではなく事実かな」と思わざるを得なかった。
 というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら「極秘」のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。
 しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗り出すとは少々恐れ入った話だが、「作影」が「○影」に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない」(評論家・山本七平著「池田大作氏への公開質問状」『諸君』昭和56年6月号)

 #隈部大蔵氏は、後の『月刊ペン』裁判のもう一方の当事者です。氏の晩年は、対学会に心身を削っていく人生となりました。

[この項、続く]

946 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 23:06
<言論出版問題>[>>945 の続き]

◆昭和42(1967)年 
 ○07/01【学会】幹部用月刊誌『前進』で「きょうは七月四日、池田先生が三十二年参議院大阪地方区補選にかかる選挙違反容疑で逮捕された、忘れることのできない日です」と、池田逮捕を7月4日とする。

 #あれ?『立正安国論講義』と違うぞ。⇒ >>15 >>469-470 >>940 参照

 ○07/05〜06【学会】、宮本孝(新宿第3総合ブロック第9総ブロックの男子部総B長)、砂川昭夫(欧州第2本部フランクフルト部隊長)、新宿区の末端幹部から実行班を選抜、新宿区内の郵便受けから投票入場券を抜き取らせ、総ブロック拠点に集め、不在者投票(替え玉投票)をさせる。北林芳典、『戸二読書会』の名目で住民票を閲覧、入場券者の生年月日・本籍等を確認。

 #これが世にいう「新宿替え玉投票」事件。

 ○07/08【学会】第13回社長会。会長「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」と発言する。
 ○08/03【学会】第15回社長会。池田会長「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。何でも話しておかねばならないのだ」と述べる。

 ○09/11 北条浩公明党副委員長、隈部大蔵を赤坂プリンスホテルに呼び出し、恫喝。
 ※結果、隈部は出版を断念する。
         ◇
 『昭和43年、隈部大蔵はペンネームで『創価学会・公明党の破壊』および『創価学会.公明党の解明』という批判書を書き、出版しようとしていた。名誉致損の告訴で反撃されるのを防ぐため、その原稿を知り合いの坂本英雄弁護士に預けたところ、その事務所の事務員が熱心な学会員であり、これを同弁護士黙認のもとコピーして創価学会本部に届けた。これを読んで、北条浩が激怒し、隈部を帝国ホテルのロビーに呼び出し、怒鳴りづけたことは、前章で述べたとおりである。
 「お前は、こんなくだらんことを書いて、ジャーナリストとして恥ずかしくないか。我々は巨大な象のようなものだ。お前は蟻のような存在だ。こんなものは屁とも思わん。しかし、我々は、蟻であろうと、向かってくる者は本気でふみつぶす。お前もふみつぶされたいか。お前も西日本新聞杜に圧力を掛けてクビにするぞ!」
 隈部大蔵は、まだ原稿の段階で情報をキャッチした創価学会の情報網と北条の権幕に震え上がり、出版をとりやめた。
 しかし昭和45年になって、創価学会による、藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』をめぐる出版妨害事件が起こり、これをきっかけに国会とマスコミから総攻撃を受けるに至った際、隈部大蔵は北条浩による威嚇の顛末をふくめて公表し、〃言論弾圧〃の一例として取り上げられるに至った。
 この件は池田大作みずからの一方的な謝罪でけりがつき、隈部大蔵は改めて二冊の著書を出版して、初志を貫徹した形となった。しかし、創価学会とのトラブルで、その後西日本新聞社にいづらくなり、退社せざるを得なくなった。新聞社の方が創価学会と付き合うことの利を選び、創価学会とトラブルをおこして不買運動などされることを恐れ、体よく隈部を追い出したのである。』(山崎正友『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』P30〜31)

 ■北条副委員長の恫喝
 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を捜し出すのに予想外に時間がかかってしまったが。
 しかしだ。いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
 よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これにくらべてお前は1匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ。(『フォーラム21』04年4月15日号)

 #「たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶす」、有名なフレーズだ。
 「全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない“虫ケラ”はいない」。つまり、日常的に諜報活動しているから、時たま善からぬ個人によって通信記録や個人情報の盗み出しがバレルのかもしれない。

[この項、続く]

947 名前: SGI 投稿日: 2004/05/09(日) 23:20
<言論出版問題亜[>>946 の続き]
◆昭和43(1968)年 
 ○10/11 東京地裁「新宿替え玉投票事件」で、〃他人の投票入場券を盗み、本人になりすまして公明党候補に詐偽投票をおこなった〃として、宮本孝・砂川昭夫に禁固1年・執行猶予4年、北林芳典に禁固4カ月・執行猶予3年など、創価学会員8人に有罪判決を下す。
 ※のち山崎正友は、この新宿替え玉投票の指示は新宿区・港区の総指令であった八矢英世〔後年、総務・創造社代表〕から発せられ、新宿区の男子部司令・松山久男が直接指揮をとった、と告発する。
         ◇
 『創価学会本部が、手の打ちようもない状況で焦るうちに、学会員の拘留も長期にわたり、耐えきれなくなった者が、次第に〃口を割る〃という最悪の状況になった。私は、そうした、〃落ちかけた者〃に急きょ接見し、御書を読み聞かせ、池田会長の指導と激励を伝え、一締に唱題して耐え抜くよう励ました。弁護士の地位を利用して接見し、創価学会幹部として〃信心指導〃して、「何もしゃべるな」と口封じしたのである。
 公明党も、手をこまねいていたわけではない。(中略)池田大作から直々に指令を受けた竹入義勝委員長は、警視総監に面会した。すべてを、ありのままに話し、「二度とこうしたことはやらないから、今度だけは助けてくれ。何とか、このあたりで収めてくれ」と深々と頭を下げた。
 当時の総監秦野章氏は、竹入氏とは〃無二の親友〃といわれた仲だった。後の総務部長の下稲葉耕吉氏(後の総監)とも、竹入氏は〃刎頚(ふんけい)の友〃といわれた仲だった。(中略)最後は、はっきりと、現在逮捕された者の範囲で事件をまとめ、それ以上の捜査の継続は中止することを約束した。(中略)
 その翌日、竹入氏は、今度は地検に行き、次席検事の河井信太郎氏に「どうか公明党を助けてくれ」と再び深々と頭を下げた。(中略)警視庁の意向を押し切ってまで捜査を続ける意思のなかった河井氏は「これっきり、一度だけですよ」と言って、捜査打ち切りを約束した。』

 『後に情報師団の一員となり、現在も、葬儀会社〃報恩社〃の社長という肩瞥きの裏で情報活動を続ける北林芳典も、この時、逮捕された。東京理科大の学生だった彼は、看守の子息の夏休みの宿題を手伝ってやるなど、如才なく振る舞い、〃自分はただの使い走りで大したことはしていない〃として、捜査官にウソ八百を述べて騙し、早々と釈放されて逃げていた。
 竹入氏が警視庁に事件の全容をありのままに話し、〃すでに取り調べが行なわれている範囲の事件として処理する〃ことに決まったから、北林は改めて再逮捕された。捜査宮は北林の顔を見て「お前に騎されるとは……」と絶句した。北林は、この時のことが評価され、情報員として用いられるようになったのである。その後も〃ウソの天才〃ぶりを発揮していることはいうまでもない。
 事件は、結局、〃男子総B長クラスの宮本孝史が考案し、首謀者として、検挙された人達を指図してやったこと〃として収束した。(中略)執行猶予判決の後、宮本は、論功行賞として、渉外第二局長らに見込まれ本部職員となり、同局に配置された。』
 
 『事件終了後、文化会館三階の広間(当時)で、池田大作出席の元で、弁護団の労がねぎらわれた。冷汗ものの経験をさせられた弁護士達(私以外は非学会員。その後も入会したという話は聞いていない)から辛口の注意や注文が寄せられた。
 池田大作は、「今後、二度と替え玉はやらせない。約束する」と約束したが、さらに「ただし、戸別訪問は別だ。戸別訪問は外国ではおおむね許されており、真の犯罪行為とはいえない〃形式犯〃だ。庶民の集まりである学会員が、選挙に参加するには、どうしても欠かすことができない。取り締まりの対象とならぬよう、充分注意を徹底しているが、それでも捕まる奴が出る。仕方がないことだ。したがって、戸別訪問事件については今後も出るが、対処をよろしく頼む」と、念を押した。
 創価学会の集団戸別訪問は、池田大作が容認し、積極的に奨励していた、という厳然たる根拠である。これは今も続いている。』

 『この事件の全容について、創価学会は〃デッチ上げだ〃などと言っていたが、全貌を知る竹入義勝氏が、一昨年秋、朝日新聞に連載した〃回顧録〃で事実を認め、自ら、河井次席検事に〃お手柔らかに〃と頭を下げに行ってさんざん文句を言われたことを公表したから、もはや否定のしようがなくなった。その恨みと怒りを、池田大作は、竹入氏に対する個人攻撃に振り替えているのである。』(山崎正友『あの頃のこと』慧妙01年1月16日号)
                           
 #学会員の皆さん、戸別訪問は犯罪です。名誉会長は「それでも捕まる奴が出る。仕方がないことだ」と語っております。自分の身は自分で守りましょう。
[この項、続く]

948 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/05/09(日) 23:25
>>928
隠し資産の話は、宗門じゃないでしょ。

週刊ポスト
創価学会が長銀の金融債を8000億円所有している。
http://www.weeklypost.com/jp/981009jp/news/news_4.html

インターネット行政調査新聞
池田大作名義の個人預金が、スイス銀行に1兆円あって、
ニューヨークに6000億円、ブラジルに4000億円と移された。
同時に、統一教会と生長の家も同時に指摘している。
http://www.gyouseinews.com/storehouse/aug2001/001.html

で、宗門が出所ってのを教えてくれるかな?

949 名前: SGI 投稿日: 2004/05/10(月) 22:17
1つの情報を得ました。

 今夏の参議院選挙後に行われるだろう内閣改造で、坂口大臣に代わって、公明党からは冬柴幹事長が総務省大臣として入閣する、というのです。もっとも冬柴氏本人が総務大臣を望んでいるのであって、小泉首相が現時点で「ウン」と言ったわけではなさそうですが。
 いずれにしろ、公明党としては、坂口大臣と冬柴幹事長の交代をさせ、秋の党大会で太田昭宏・幹事長代行を幹事長に昇格させる意向で、公明党の主張・言い分をある程度聞かないといけない小泉政権ですので、公明党が強く要望すれば実現の可能性は高いと思われます。

 おそらく太田氏の幹事長昇格は次期党代表への布石ですが、この党執行部の意向について、必ずしも学会本部が1つにまとまっていないようです。
 この太田昇格案は、故・野崎勲氏の“置き土産”なのですが、別スレ「学会=公明党は憲法違反」》57 》66 にレスしたように、すでに「過去の人」となっていたため、“置き土産”が名誉会長の指示・支持・承認によるものなのかが判らないからです。

 というのも、太田氏の党代表は既定路線のはずだったのですが、本部中枢幹部の間には「どうも太田は先生に嫌われているらしい」との認識があります(⇒>>690 >>698 参照)。そこで、名誉会長の本心は、太田氏の党代表就任を望んでいない、という受け止め方が1つ。
 かつて学会を代表し名誉会長の意向を受けながら党を仕切っていたのは、間違いなく野崎氏です。野崎氏は神崎代表の指南役でもありました。しかし自公連立政権(小泉内閣)誕生以来、野崎氏は仕切り役からはずされており、直近の名誉会長の真の意向を知らず、“置き土産”自体が「過去のもの」ではないか、との疑念があるのです。

 もう1つは、「ポスト池田(秋谷)」の後継問題が微妙に影を落としているとのことです。
 昭和50年代、野崎―太田コンビで青年部をリードし、太田青年部から「ご学友グループ」世代(⇒>>811 >>825 >>865 >>872 参照)の忍田・正木・谷川へとバトンタッチされていきました。したがって、党が太田執行部ならば、学会執行部は誰が仕切るのかという問題です。
 つまり、このまま「池田−秋谷コンビ」なのか、「原田−西口コンビ」なのか、それとも一気に「ご学友グループ」なのか、が定まっていないため、太田昇格案について決着がつけられないというのです。

 太田昭宏氏は、もう58歳。神崎代表の2歳下です。神崎代表の後を継ぐならば、すでに幹事長に就いていても遅くないはず。なのに、いまだ名誉会長からの明確なご指名がない。名誉会長に嫌われているのか、それとも「ポスト池田(秋谷)」に結論が出ていないのか。どちらにせよ、学会も、党も、早晩「後継問題」に結論を出さざるをえない、といったところでしょうか。
 あるいは、ひょっとして「後継問題」に結論が出ない・出せないのかもしれません。

950 名前: 犬作 (nH.EB2uo) 投稿日: 2004/05/10(月) 22:48
ttp://page.freett.com/senmon/soukagakkai/katsudou/soukagakkai_higouhou.html

これを見てください。
怒りが沸いてくると思います。

951 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/11(火) 10:23
大阪事件45年目の虚構と真実
http://www.elnolte.ne.jp/souka/giwaku2/
何故、池田は、7月3日とい日日にこだわっ太のだろうか?
池田は、7月3日、自宅にて逮捕されたとなっている。
一方、学会の正史を綴っているとされる人間革命11巻では、
『昭和32年7月3日、午前ーー山本伸一は千歳空港をあとにした。大阪府警に出頭するためである。
この日は、戸田城聖があの戦時中の法難による2年間の獄中生活を終えて、出獄した記念の日である。
ーーーー戸田は彼の分身ともいうべき最愛の弟子を、いま羽田に迎え、そして、ただちに大阪の獄舎に送らねばならないことに、深い苦汁に満ちた感慨をもてあました。情けなくもあり、腹立たしくもあった。
ーーそれは、まさに伸一の身に此の日がおとずれることを予見し、最愛の弟子に、生涯にわたる権力との闘争への決起を促すかのような、入魂の指導となっていった。
ーー府警に着くと、早速、伸一は公職選挙法違反の容疑者として取り調べられ、午後7時過ぎ、待ち受けていたかのように逮捕されたのである。午後7時頃といえば、12年前のこの日、戸田城聖が出獄した時刻と奇しくも同じであった。』
(人間革命11巻 大阪 p207-225)

952 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/11(火) 10:56

ところが、発行された聖教新聞では、7月4日に逮捕されたとしている。
石田氏や竜氏は、これを捉えて、池田は嘘をついたとしている。
真相は、なんのことはない、池田が得意の行き過ぎた演出をしたかっただけなのだ。
すなわち、『午後7時過ぎ、待ち受けていたかのように逮捕されたのである。午後7時頃といえば、12年前のこの日、戸田城聖が出獄した時刻と奇しくも同じ』
これを言いたかったが為に、回りくどい創り話しをしたのである!
実に下らない!吐き気がしてくる!
このパターンは、戸田と牧口の出逢いと自分と戸田との出逢いの年令の奇妙な一致でも使用された。
たった一つの年令が違うだけなのに、何でこういう演出をしたのか?
大阪事件に至っては、単に時刻(それも数時間か?)が違うというだけなのだ。
つまり、池田先生と戸田先生は、妙法という人智を超えた「宇宙の法則」によって結びついており、身も心も一体でなければならないのだ。
こうした記述は、人間革命10巻で最も顕著である。
何ンか気持ち悪い。
まさに、オカルト且つカルトの世界なのだ。
こうしたパターンが、教団内で止まっている限りにおいては、別に構わない。宗教団体でこうした奇謂は珍しくはない。
ただ、創価学会は公明党と一体という点が問題なのだ。
例えば、公明党国会議員は、直弟子として、池田と特別な師弟の契りを結んでいるとされ、そうした妙法の世界では、池田は御本仏の再誕とされている。
私は大袈裟に言っているのではない。元、池田の弟子として、本当のことを言っているのだ。
そんな男が、仏らしい振る舞いをするならともかく、俗世に塗れた権力獲得の為なら、どんなこともするような俗物的権力欲も鵜亡者だとしたら?
これ程危険なことはないし、もうすぐ、その後を継ぐであろう後継者達に対しても、決して油断してはならない。

953 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/11(火) 11:39
続2
尚、池田が逮捕された場所は自宅と報道されている。
これも、臭い演出だと思うのだが、戸田先生は、豊多摩刑務所を出獄した。
真相は兎も角、戸田先生は、権力に対する闘争だった。
それへの連続性という印象を与える為に、池田は、権力の牙城である府警で逮捕されなければならなかったのである。
自宅逮捕ーー何も恥ずかしくはない。
自らは巨大な権力を手中に納め、自分に意の儘にならぬ勢力に対して、仁義無用の戦いをしかけてくる。
自分が権力悪の存在に成り下がったことをもっと堂々と認めてみたら如何か?
*もっとも、こうした「奇妙な一致」は、何も池田独自のものではない。
実をいうと、日蓮大聖人の誕生年月日も演出されているのである。
すなわち、仏滅後、末法に法華経で予見されたように、御本仏が誕生されたという下りだ。
末法の到来を告げた「大集経」は抑、大乗仏教典で、釈尊とは何の関係もない。
法華経は、言わずもがなだ。
それにも拘わらず、一部の輩は、仏滅が2月15日であるのをいいことに、日蓮大聖人の誕生年月日も末法にはいって、2月16日としている。
池田がこうした「不思議な一致」の演出をこういう所から盗んだのは疑い得ない。
つくづく、こういう「小賢しい嘘」が絶対にばれないと思っていた池田先生ーー実際に小男(ヒットラーも!)だが、人間性も実にせせこましい

954 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/11(火) 13:59
『七月三日という同じ日に戸田会長が出獄し、池田名誉会長が入獄したという厳粛な事実を否定できると心をはやらせ、記事を書くにあたって不可欠な傍証を固めることや、裏をとることを怠ってしまったのだ。池田名誉会長を傷つけたいという邪悪な心が、真実を見つめる眼を曇らせてしまったのである。
 牧口常三郎創価学会初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長のあいだには、不思議な師弟の絆がある。その師弟の不思議なくしては、日蓮大聖人の教法は世界に弘まらなかった。その事実を、日蓮正宗僧俗は冷厳に見つめるべきだ。
 創価学会三代会長の死身弘法の戦いがなければ、釈迦の法華経も、日蓮大聖人の閻浮提広布も虚妄となるところであった。
 したがって、創価学会初代、二代、三代会長の師弟の絆は時間、空間を超え、仏教史を貫く深い意味がある。創価学会が仏意仏勅の団体である所以である。』
(地涌選集417)
これは、創価学会の公式見解と見ていいだろう。
いつも通りの誤魔化しである。事実を部分的にしか明かしていない。
●戸田先生が、国家権力によって、不当逮捕され、入獄したのは事実。一方、池田の場合。法律違反したことは、本人も認めており、不当逮捕ではない。
●池田が逮捕された日と戸田先生が出獄したのは同じかも知れないが、人間革命の記述では、時刻まで一致しているとするのは、行き過ぎた表現。
●初代と二代会長は確かに、入獄といえるが、池田の場合、取り調べの為にたった二週間拘禁されたに過ぎない。池田は、心身ともにリラックスしており、房では、黒田節ばかり踊っていたそうだ。
●どう考えても、初代、二代創価学会会長と池田との接点はない!

955 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/11(火) 14:10
>>954追加
●戸田先生は確かに7月3日、豊多摩刑務所を出獄したが、池田は、15年後、同じ日に自宅で逮捕された。
その事実を変に歪めるのは可笑しい。

956 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/11(火) 14:17
訂正>>955

15年後、同じ日に自宅で逮捕された。

12年後、同じ日に自宅で逮捕された。

957 名前: SGI 投稿日: 2004/05/11(火) 23:44
>>949 自己レスの続き

 で、冬柴幹事長が総務大臣ってか。想像するだに怖ろしい。
 総務省のHPには、総務省の役割は「行政組織、公務員制度、地方行財政、選挙、消防防災、情報通信、郵政事業など、国家の基本的仕組みに関わる諸制度、国民の経済・社会活動を支える基本的システムを所管し、国民生活の基盤に広く関わる行政機能を担う省です」とある。戦前の内務省以上の権限を持つ、強大な行政権力機構だ。

 そのトップに、あの冬柴氏が座る。おぞましい…。
 「表現の自由」や「通信の自由」「投票の自由」「生命身体の安全」「私生活の保護」といった、今でも学会組織によって脅かされているかもしれない基本的人権が、さらに圧迫されるかもしれないのだ。
 >>950 犬作さんが、ご紹介されているサイトに記述されているような事を体験した者として思う。もしそんな日が来たとしたら、ネットに書き込むこともままならず、学会批判は地下活動になってしまうかもしれない。やだ、やだ。

958 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/12(水) 02:52
創価学会によって基本的人権が脅かされているというのは、
SGIさんの主観が入りすぎでしょう。
主観を語る代わりに事実を挙げてくださればもっと説得力を持ちますけどね。

私には創価学会の力を過信しすぎているように思えてしょうがない。
創価がすこしでも法に触れるようなことをすれば、よだれをたらして
喜び飛びつくグループがうじゃうじゃ居るわけです。
与党に居ようが学会の幹部だろうが、法に触れるようなことをするときには、
こんなことして大丈夫かとビクビクしながら警戒してるはず。
自分たちには敵が多いことを知ってると思うけどねえ・・・。
監視が厳しくてとても好き勝手なことなんか出来ませんよ。
共産党や民主党だけでなく、学会員の監視もあるんだから、
キャバレーにも行けないんじゃないかなあ。
自腹で行くすし屋だって、誰かに贅沢しやがってと言われるんじゃないかと
回りの目を気にしてますよ。

959 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/12(水) 02:55
人権が脅かされているのなら、確かな証拠を押さえて法に訴えればよいのです。
例の弁護士が知恵を貸してくださるでしょう。

960 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/12(水) 03:11
SGI氏ほどのお方が犬作殿があげたサイトを信じるとは・・・。
このようなサイトを揚げるような奴こそ創価学会を利する行為だと思うね。
だれがそんなストーカーモドキのことをするんだ。
そんな閑な学会員はいませんよ。みんな生活に一杯いっぱいなんだから。
頭のおかしい会員がやるか恐れはあるかもしれないけど、
それを組織的犯行とするのは100%立証できません。

脱会したときには、まあしかしおばちゃん連中の噂話のネタにはなるかもね。
まあそれも1ヶ月かそこらでしょう。信念があればたいしたことじゃない。

学会にダメージを与えようとするならば、
動かしがたい内部情報=経理の情報だろうね。
学会を監査している公認会計士が知っているだろうけどね。
たぶん、SGIさんが期待するような事実は無いと思うよ。

961 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/12(水) 06:05
>>958-960七誌さんへ
。。。学会員の方ですか?
創価学会員が徒党を組んで、脱会者に対して嫌がらせをしているのは事実ですよ。
それは、組織の幹部の支持ではないかも知れませんが、結果的に組織的スト−カ−行為になってしまっているのです。
どんな理由にしる、「脱会者は裏切り者」という気持ちが起きてしまうのでしょう。
それは、幹部の指導や池田大作の指導にも数多あります。
そうすることが、組織防衛の為、最も効果的なのでしょう。
つまり、会員が組織のあり方に疑問を感じても、「罪悪感」が生じ、それを打ち消そうとするからです。
ちょっと前に、日蓮正宗の一寺院が発行している「妙教」という雑誌に、元創価大学山岳部に属していた、三人がリレーで体験発表した記事が掲載されていました。
彼等は、福島元副会長から、創価学会の腐った体質を聞いて、脱会への一つのきっかけにしたのですが、
彼等が脱会を決めたのは、現役学生の時だったのですが、組織から凄まじいスト−カ−行為を受けた実態が、詳しく綴られていました。
彼等は、山岳部に属していただけに、命懸けの体験を共にしたのでしょう。それだけに、他の学生達からは、裏切られたと思われたのでしょう。
「可愛さ余って、憎さ百倍」というのは、何か一つの目標に向かって運動していた経験があればあ、どんな組織でも起こり得るでしょうが、
創価学会の場合、互いの距離が、物理的にも心理的にも近すぎる為、別れる時摩擦が起きるんじゃないでしょうか?
>人権が脅かされているのなら、確かな証拠を押さえて法に訴えればよい
。。。やくざの嫌がらせと同じで、親分(幹部)の関知しない所で起きたとすれば、いくらでも「言い訳」は出来ますよ。
もしも、創価学会員=公明党員が自治大臣という内閣の中でも、重要なポストに就いたら、日本はメッチャクッチャになるのは間違いないでしょう。
創価学会方式の陰険で、こそこそやる体質は、創価学会が過去に行ってきた犯罪記録を見れば明らかだと思いますけど。
「世間がしまったと思った時が、広宣流布」(池田の社長会発言)
を考えれば、国民が公明党議員が自治大臣のポストに就くことに対する不安は、充分に根拠があると思います。

962 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/12(水) 07:02
 噂話ですか??

>創価学会員が徒党を組んで、脱会者に対して嫌がらせをしているのは事実ですよ。

 何故泣き寝入りをするのですか?
 訴えるべきでしょう。
 もしそのような事実のに接しっていて、法的措置を取る様に何故勧めないのですか?
 被害者サイドから訴訟等の事実が出てこない以上、以前の香典を持て帰るの類としか思えません。
 被害者はさっさと訴えてください。

963 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/12(水) 09:14
訂正961

もしも、創価学会員=公明党員が自治大臣という内閣の中でも、重要なポストに就いたら、日本はメッチャクッチャになるのは間違いないでしょう。

もしも、創価学会員=公明党員が総務大臣という内閣の中でも、重要なポストに就いたら、日本はメッチャクッチャになるのは間違いないでしょう。
>>962沖浦克治 さん
>被害者はさっさと訴えてください。
。。。別板の書き込みによると、あなたは、池田憤版本を全部燃やしたことがあるそうですね。
すっかり、見直しました!
あなたは、本当は素晴らしい方だったのですね!
そこでなのですが、
池田創価学会の陰湿さは、沖浦克治さんもよくわかっている筈なんですけどね。
彼等は、目的達成の為にはどんなことでもやるのですよ。それも、巧みに。
埼玉桶川事件以来、厳しいスト−カ−規制法が施行されていますが、法の網をくぐるなんて簡単なことですよ。
大幹部で脱会した、ある方などは、地元の会員から逆恨みされて酷い目に遭いました。
例えば、汚物を玄関先にまかれるとか。
ある有名女優(実際に御会いしたのですが)は、自宅に何者かに火をつけられたそうです。
幸い、発見が早かったのですが、心当たりといえば、創価学会員しかなかったとのことでした。
このように、犯罪被害などというのは、現行犯で捕まえる以外に、被害の実態を証明できないのですよ。
創価学会には、「口コミ」指導というのがありますよね?所謂、オフレコです。
このオフレコ指導というものの影響は、決してバカにできないんですよね。
池田が、日顕上人を針金でしばって、トンカチでぶっ叩くなどという物騒なスピーチをした途端、実際にそれを法華講員に対して実行した創価学会員がいたそうですよ。
また、ある幹部は、「退転、反逆者は、虫のように潰すしかない」とか、池田は「退転者を追い詰めて自殺に追い込め!」などと、指導しているそうじゃありませんか。
つくづく、池田創価学会は根本的な部分で、仏教からかけ離れてしまったのですね。
公明党議員が、イラクで善意で働いていたボランティアを「反日分子」とか「自己責任!」とか言って、見捨てようしたのは、奈留程、創価学会員らしいなと思うのです。

964 名前: SGI 投稿日: 2004/05/13(木) 00:39
七誌さんへ。

>>958
>SGIさんの主観が入りすぎでしょう。
―― いえいえ体験です。
>事実を挙げてくださればもっと説得力を持ちますけどね。
―― 具体的に挙げれば氏素性が特定されてしまいますし、また時折、書き込んでもいます。
 それに何も私に関る事実でなくても、基本的人権が脅かされている事実は、ネットでもメディアでも本掲示板でも度々論及されており、充分ご承知のことと存じます。
 まさか七誌さんともあろうお方が、すべて妄想だ・誇張だ・捏造だ・ためにする情報だ、なんてことは言いますまい。
>ビクビクしながら警戒してるはず。
―― 警戒して慎重なことは確かですが、ビクビクはしていないのじゃないかな。
>回りの目を気にしてますよ。
―― うん。周りの目を気にして、それなりのキャバレーや寿司屋に行っております。中枢幹部はキャバレーよりもクラブかな。
 以前、どっかのスレで彼らの“おいしい生活”ぶりを書き込んだ記憶があるのですが、探し出せない。

>>959
>確かな証拠を押さえて法に訴えればよいのです。
―― 犯罪は否かは警察の判断。民事ならば不介入。名誉毀損の場合は挙証責任は訴える側に。そして裁判ともなれば途方もない時間と労力と金がかかる。市井の一般人には不可能に近い。
 経験に基づけば、弁護士に依頼・相談する時から相当苦労するし、訴えたら訴えたで大変な騒動を招く。寝た子を起こす(虎の尾を踏む)感じで、状況はさらに悪化するのです。無法がまかり通る印象を持つのは私だけだろうか。
 それに、仮に犯罪あるいは人権侵害が立証されたとしても「一部の善からぬ会員の仕業だ」ということで、おしまい。
 あるいは「アンタの場合は特別で、普通はそんなことはない」というレアケースに貶めてしまうだけ。
>例の弁護士が知恵を貸してくださるでしょう。
―― そうしたネットワークが築けないから、皆さん、じっと我慢で耐え忍んでいるのでしょう。

965 名前: SGI 投稿日: 2004/05/13(木) 00:40
続き
>>960
>だれがそんなストーカーモドキのことをするんだ。
>そんな閑な学会員はいませんよ。
―― するんだな、これが。
 なにせ「悪を滅するのが善だ」とか「批判者や脱会者を倒すのが正義だ」とか「自殺に追い込め」といったアジテーションを繰り返しているのですから。
 また、本部直結の専門実行部隊が存在しているし、地域には教宣部というセクションもあり、時には他県から訳が分からぬまま動員され人権侵害行為に従事する青年部もいるのです。
>頭のおかしい会員がやるか恐れはあるかもしれないけど、
―― 総じてバリ会員のモラルハザードは目を覆うばかりです。

>おばちゃん連中の噂話のネタにはなるかもね。
―― この口コミによる侵害が最も悪辣深刻なのですよ。地域コミュニティーでの立場や名誉を破壊するのですから。子供たちの“いじめ”と同じ病根なのではないでしょうかね。
>まあそれも1ヶ月かそこらでしょう。
―― はぁ、1ヵ月?呆れてしまうな、このコメントには。
 私の場合は、尾行や盗聴疑惑が断続的に約3年続き、交友関係などの身辺調査は、私だけはなく妻までもが親兄弟や親族・小学校時代の友達まで及び、私の親兄弟は一時監視下に置かれました。
 学会関係者には転居先を知らせていないにもかかわらず、学会時代の友人や知人が訪ねてきたり、差出人不明の投書や無言電話による嫌がらせが続いたり、玄関先に汚物を撒かれたり猫や鼠の屍骸を投げ込まれたりもしました。 

>学会にダメージを与えようとするならば、動かしがたい内部情報=経理の情報だろうね。
―― 学会の“表の経理”は辻褄が合っている、と担当者が語っていました。
 問題は“裏・奥の経理”。でもこれも、ルノアール絵画疑惑や古金庫事件のように、誰かが泥をかぶって幕引き。「単発であれば大丈夫」と本部中枢は踏んでおりましょう。集中して次から次へと暴露され、司直の手が入らない限り、期待できない。
 だからこそ、政権与党でいたいと思うのでしょう。その上で、今度は冬柴幹事長の総務大臣就任で、旧・内務省以上の行政権力を押さえようという魂胆かもしれません。

966 名前: (-_-)ニヤリ 投稿日: 2004/05/13(木) 03:49
バリ会員の厚顔無恥にはあきれるばかりですね。
彼らは自らの信念をダラダラと語っているばかりで「対話」の精神なんて
"これっぽち"も感じられません。
有る意味「問題意識」に対して "聞く耳持たない" の一点張りじゃありませんか。
自分の思い入れを 好き勝手に垂れ流すだけなら楽なものですよ。
はっきり言って「あなたは単なる荒らし」に堕していると言わざるおえません。

みなさん狂信者の言う事は「スルー」する事をお勧めします。
他人にはガンガン突っ込み、自分に対する意見は「のほほと開き直り」。
相手をするだけ無駄というものです。
某掲示板の醜態を御覧下さい。彼は我々に甘えているだけなんですよ。

967 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/13(木) 05:20


>別板の書き込みによると、あなたは、池田憤版本を全部燃やしたことがあるそうですね。

 燃やしませんよ。
 処分をしましたがね。
 後悔しております。

968 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/13(木) 06:55
<<967沖浦克治さん
>後悔しております。
。。。
何で?
ところで、
池田先生と国会議員の関係って、何だと思います?
やはり、師匠と弟子でしょう。
でも、池田先生って、創価学会内部では、「友達」っているんですかね?
いないんじゃないでしょうか?
かねこ夫人は?
夫婦の間でも、やっぱり師弟の関係なんでしょうね。
私が幼かった頃、かねこ夫人は、「モンペ」をはいて、廊下に寝ていると聞きました。
師匠の自分の夫の身に万が一の事態が出来しても、いつでも対応できるようにする為だそうです。
でも実際は、かねこ夫人の居ない時と場所で、池田先生は、他の女性と「いちゃついて」いたのですから、気の毒ですよね。(月刊ペン事件裁判に於ける原島証言)
竹入公明党元委員長にしても、委員長時代は、「雇われ」的で、決して対等の人間関係ではなかったみたいですね。
今は反逆している大橋元衆議院議員にしても、現役時代は、池田先生との関係は師弟だったのでしょう。
こういう宗教的関係を政治という世俗の世界に持ってくるのは、危険だと想うんですけどね。
要するに、池田大作っていう人は、公私とかを区別できない、親の成育に問題のある人格破綻者に過ぎないと思うんですけど。

969 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/13(木) 11:53
>>965
>>無言電話による嫌がらせが続いたり、
>>玄関先に汚物を撒かれたり猫や鼠の屍骸を投げ込まれたりもしました。

ホンマですか。こういう人間の精神構造が分からんなあ。
猫やねずみの死骸を投げるなんてのは、金をもらってもやだね。
大体どうやってそれを手に入れるかもわからんち。
そのような基地外を取り締まれないとは、警察って何なんでしょう。
SGIさんが話を作るとは思えないので、これは事実として受け止めましょう。
また、学会の不正経理を暴けないとしたら、日本の国税庁や検察やマスコミは
何なんでしょう。角栄ですらあげられたのです。学会の力はそれよりも
強いのか。そうは思わんけどなあ。

970 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/13(木) 12:04
>>965
「自殺に追い込め」といったアジテーションを繰り返しているのですから。

これホンマですかあ。私は聞いたことありまへんでえ。
教宣部の会合には言ったことがあります。
驚いたのは脱会したメンバーの名前はオープンにしないのです。
なぜかというと、名前がおおっぴらになるとその脱会者に
会員が迷惑を及ぼす恐れがあるからということです。
つまりなぜ脱会したのかとか、しつこく話すような会員が居ることを
想定しているのです。
そのくらい脱会者とのコンタクトには気を使っております。
これは私の地域だけなんだろうか。

971 名前: 七誌 投稿日: 2004/05/13(木) 12:13
>>964
>>それに何も私に関る事実でなくても、基本的人権が脅かされている事実は、
>>ネットでもメディアでも本掲示板でも度々論及されており、
>>充分ご承知のことと存じます。

勉強不足であまり存じ上げておりません。ネットの書き込みは基本的に
信じておりません。事実の確認の仕様無いからです。ですから、SGIさんのように
1年半くらいの書き込みを読んで、信頼を抱いた方の言葉は事実確認は出来ませんが
信じますよ。
しかし、司法の手を借りることが出来ないというのは、暗黒世界ですね。
小説の世界のように思えます。

972 名前: SGI 投稿日: 2004/05/14(金) 00:19
七誌さん、レスありがとうございます。

>>969
>ホンマですか。こういう人間の精神構造が分からんなあ。
―― ほんまです。ほんま、判りまへんな。狂っておりますがな。
>猫やねずみの死骸を投げるなんてのは、金をもらってもやだね。大体どうやってそれを手に入れるかもわからんち。
―― 猫は1回だけ。おそらく車に轢かれたものだったと思う。
 ネズミは4〜5回かな。毛が粘着のりでベトベトだったから、「ゴキブリホイホイ」みたいなもので捕まえたのではなかろうか。
>そのような基地外を取り締まれないとは、警察って何なんでしょう。
―― 警察にも何回か足を運びましたが、犯人の捜査はしないですね。せいぜいパトロールの強化を約束してくれる程度でした。でも、署での応対では、学会・公明党と警察の関係をうかがい知れて、不愉快な思いもしたけど、参考にもなった。
>SGIさんが話を作るとは思えないので、これは事実として受け止めましょう。
―― ありがとうございます。
>学会の力はそれよりも強いのか。そうは思わんけどなあ。
―― 権力が“その気”なれば、学会とて安泰ではいられまい。だからこそ、政権与党に組し、かつ権力のコントロール側に座そうとし、また足元がすくわれないよう、あらゆるところに“気配り”をしているのでしょう。

973 名前: SGI 投稿日: 2004/05/14(金) 00:20

>>970
≫「自殺に追い込め」
>これホンマですかあ。私は聞いたことありまへんでえ。
―― そうですか。実は私も『慧妙』やネットの情報ですので不確実なのですが、
 それでも学会関係者からは「確かにそういう発言はあった。けど、いつものスピーチ途中の脱線部分での受け狙いなのだから、誰も本気で受け止めていない」との返事をもらったことがあります。

>脱会したメンバーの名前はオープンにしないのです。
>その脱会者に会員が迷惑を及ぼす恐れがあるからということです。
―― というより、会員が脱会者とコンタクトし、脱会することを予防しているのではないかと推察します。
 学会の在り様に疑問や不満、憤りや諦めを抱いている人は数知れずいます。どんどん活動家が減っているのが現状ではないでしょうか。学会組織は“本当の事”を知られるのが困るのです。本部の統治方針は「依らむべし・知らしべからず」が基本なのですから。

>>971
>司法の手を借りることが出来ないというのは、暗黒世界ですね。小説の世界のように思えます。
―― そうですね、まさに五濁悪世なのでしょう。
 「事実は小説よりも奇なり」とも申します。今このスレで「言論出版問題」を考証しておりますが、事実は、小説(人間革命)よりはるかに凄まじいものです。当時より状況は悪くなっており、学会はG・オーウェルが描く世界そのものだと感じております。

 その世界が、学会・公明党勢力が政権与党として管理する側に回ることで、社会の多方面に広がり影響を及ぼしていることを危惧するのです。そんなところに「次の内閣改造で冬柴幹事長が総務大臣を望んでいる」との情報に接し、戦慄感さえ覚えました。
 個人的な印象なのですが、もともと冬柴幹事長はどうも好かんのです。今回の年金問題で、冬柴幹事長も未納期間を認めましたので、大臣就任は難しくなったかもしれませんが、それでも公明党が政権に組している事実は、過去の「言論問題」等の事跡から鑑みても、大いに憂うべきことだと思います。

974 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/05/14(金) 02:05
SGI殿は文体が恐ろしく変わりますな。本当は3人くらいで書いているんじゃないの。
だいたい、SGIなんていうハンドルネームが怪しい。
S-鈴木(仮名)
G-後藤(仮名)
I-石井(仮名)
とかいって、3人の頭文字だったりして。
3人のうちの一人はまじめそうな人だけどね。

975 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/14(金) 03:04
>>974
>GI殿は文体が恐ろしく変わりますな。
。。。
下衆の勘繰りっていうのだとおもいますね。

976 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/14(金) 06:29


>>961訂正
>それは、組織の幹部の支持ではないかも知れませんが、結果的に組織的スト−カ−行為になってしまっているのです。



それは、組織の幹部の指示ではないかも知れませんが、結果的に組織的スト−カ−行為になってしまっているのです。

977 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/14(金) 07:42
>>973SGIさん
>今回の年金問題で、冬柴幹事長も未納期間を認めましたので、大臣就任は難しくなったかもしれません
。。。
池田先生は年金をちゃんと払ってるのでしょうか?
もし、これで払っていなかったとしたら、面白いことになると思うのですが。。。

978 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 01:18
新人間革命『烈風』
『実は、藤沢達造という政治評論家が書いた、創価学会批判書の出版を、学会と公明党が妨害したという批難が沸騰するなかでの、支援活動であったのである。
xxxこれを見た学会員は、怒りを覚えた。
藤沢は、二年程前にも、ある月刊誌で、公明党と学会の批判を展開したが、憶測と偏見による”中傷”になっていたからだ。
又、藤沢は、テレビやラジオでの毒舌を売り物にし、創価学会を「狂信徒集団」呼ばわりしてきた。
さらに、学会の婦人たちを侮辱し、卑しめるような発言をしたこともある。
xxxx山本伸一も、この著者の言動には、憤りを感じていた。
自分への誹謗ならまだよい。だが、健気に、法のため社会のために、尊き献身の汗を流す婦人部員を侮辱することは、断じて許せなかった』

979 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 01:35
>>977 yurikoさんへ。
 さあ、どうでしょうか。これは個人情報ですからね。こうなれば、自己責任において公表されるのではないでしょうかね。(前・福田官房長官の談話風)

 本部職員等は厚生年金ですから、名誉会長の会長座任中は、会長職の給与から天引きされていたと想像しますが、会長退任後は、学会からはスピーチの講演料や原稿料といった名目で報酬が支払われていると聞いたことがありますので、源泉所得税は控除されていても、社会保険料については個人(国民年金)での納付となるのではないでしょうか。
 どうも年金制度自体がよくわからないので、お答えようがないのです。ごめんなさい。

980 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 01:37
<言論出版問題院[>>938-947 の続き]

◆昭和44(1969)年 
 ○03/ 『公明党の素顔』のゲラ上がる。大手取次店、同書の委託販売を拒否。
 エール出版社に北条浩、竜年光(公明都議)、山崎尚見(学会渉外局長)が訪れ、出版の取り止めや内容の変更を求めた外、「これまでにかかった諸経費はすべて面倒を見る」「出せば必ず売れる創価学会の本をお宅にお願いするから」などの申し入れをする。
 内藤、信濃町のレストランで北条浩・山崎尚見と面談。さらに数日後に内藤、有楽町の中華レストランで竹入委員長と面談。竹入、入手ルートを明かさぬまま『公明党の素顔』ゲラを取りだし、「池田大作会長の批判だけは許せない。断固戦う。池田会長の出てくるところは全部削ってほしい」と申し入れる。内藤、これを拒否する。(吉良陽一『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○04/ 民社研機関誌『改革者』編集長・遠藤欣之助、創価学会の『民労』結成構想に対する批判記事を『経済往来』に執筆。
 学会がこれに反論したので、遠藤、再批判をまとめるが、組版段階で同誌スポンサー筋の銀行頭取から圧力がかかり、発表を断念する。(吉良陽一『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○04/初め エール出版社、内藤国夫の『公明党の素顔』を出版。新聞による書籍広告は『朝日』『毎日』の他は出来ず。
 内藤、呼び出され笹川良一事務所へ行く。笹川、「私は前に公明党に借りがあるので、この際、その借りを返したい。そのためにあなたの本を全部買い取りたい」と申し入れるが、内藤これを拒否。笹川、エール出版社に一括買い上げを申し入れるが拒否され、複数の書店から約9000冊を購入。(吉良陽一『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○08/下旬 藤原弘達氏(※明治大学法学部教授)が「この日本をどうする」という警世キャンペーンシリーズの第1巻として『日本教育改造法案』を出版。東京、大阪、名古屋、札幌、福岡などで出した車内広告の片隅に、次回作『創価学会を斬る』の出版を予告する。

 #いよいよ『創価学会を斬る』が登場。車内広告は、藤原弘達氏の“仕掛け”?

 ■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』(講談社刊)から
 (内藤国夫、植村左内、隈部洋らが出版の妨害を受けていたので)こうした創価学会・公明党の言論弾圧を目のあたりにするにおよんで、私のこの種の圧力に対する反抗心は、いやがうえにも盛り上がらざるを得なかった。(中略)
 戦中派の私としては、いいたいことも満足にいえない時代に多感な青年時代を送り、戦後になってやっと自由の世になったと思っていたところに、こうした言論に対する暴力的ともいえる抑圧である。人間としての自由まで束縛されるとあっては、黙って引っ込む気にはなれなかった。
 「これは、信条の自己確認であり、生き甲斐の実践だ。こうなったら、徹底的に闘ってやるぞ」
 私は創価学会・公明党の内蔵する諸問題を指摘すること以上に、人間の権利を確保するための闘いとしての認識を強めていったのである。

 (中略)最大にして唯一の問題は、この本をどうやって出版するかということだった。
 懇意にしていた書店、出版社主のだれにもちかけても、「おやめなさい、身辺が危ないですよ」という返答が返ってくるばかり。ある古書店主などは、「先生のその本が出たら、神田の街を逆立ちして歩いてみせる」とさえ、冗談めかしていったものである。
 そこで、いろいろ検討した結果、創価学会の息のまったくかかっていない小さな出版社を選ぶことが肝要だった。そして、発刊まで秘密を守ることができ、学会から圧力をかけられた場合、それに屈することなく最後まで頑張ることができるかどうかが、第一の選定基準であった。
 そこで登場してきたのが、日新報道という小出版社である。

[この項、続く]

981 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 01:38
<言論出版問題押[>>980 の続き]

 (中略)私は綿祓社長に、「この本は活字になっても出版されない危険がある。それでもいいか」ときくと、「いい」という。「資金はあるか」とたずねると、「五百万円ぐらいはある」という。「それが全部なくなってもよいか」と念を押すと、「けっこうです」と答える。
 私も最終的には自費出版も覚悟しなければならないと思い、二千万円ほどを用意した。「やるべきときにやるのが男だ」と、いささか悲壮な覚悟を決めた。執筆上の助手としてもうひとり、明治大学での直系「弟子」の富田信男(現・明治大学教授)を加える。

 そして、私と富田、日新報道側の三人だけで、秘密裏にことを運ぶことにし、社内にさえカンコウ令を布いた。そして、11月初旬の刊行を目ざしてスタートしたのが、7月のことであった。「この日本をどうする」というシリーズの第一巻を『日本教育改造案』とし、『創価学会を斬る』はあえて第二巻におさめることにしたのは、内藤国夫、植村左内、隈部洋らが出版の妨害を受けていたので、もしそういうことがありうるとすれば、私にはどのような形でくるであろうか、第一巻で事前の偵察をしてみたいと思ったからだ。
 第一巻『日本教育改造案』の車内広告を、東京、大阪、名古屋、札幌等の大都市で出し、その片隅に、ごくごく小さく、第二巻『創価学会を斬る』の予告を出したのが、44年8月末のことであった。


 #これに対して創価学会・公明党は、池田大作会長(当時)の指示のもと、『創価学会を斬る』の出版妨害に着手。広告直後から、藤原氏宅の電話がジャンジャン鳴り出す。これは内藤氏の場合と同じ。

 ○08/末 『朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から1つの仕事を命じられた。(中略)(北条・秋谷同席で、池田大作は)「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」「藤原君は、彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」池田はいつもこの調子だった』(藤原行正=元創価学会渉外局長『池田大作の素顔』89年4月発行 112頁)

 ○08/31 池田の命を受けた藤原行正氏は、著者の藤原弘達氏宅を訪ね、―佝任涼羯漾↓題名の変更、出版時期の延期、じ狭討留寨、ッ單腸馗垢魄靴錣覆ぁ津の措置を求める。弘達氏、これを拒否。

 ■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』(講談社刊)から
 私はきっぱりといった。
 「君は憲法が保障している言論・出版の自由の項目を知らないのか。君のいうことは明らかに圧力ではないか。公明党は憲法擁護をうたっているようだが、こんな憲法を踏みにじるようなことをして、なにが憲法擁護だ。そんなことをきくような俺だと思っているのか」
 執拗なまでによくねばった藤原都議だったが、これには返す言葉もなかったようだ。これまで学会批判の記事や論文がほとんどなかったのは、おそらく、たいていの執筆者が執拗な圧力にうんざりして、〃自己規制〃を強いられたのであろう。

 たとえば、『週刊文春』昭和45年(1970)1月12.19日合併号の「各界五十氏、創価学会への直言」をみると、約四割の人たちが発言を断わっているというほどだ。その冒頭にコメントを拒否した高名な作家なるものの発言を載せてあるので、ちょっと引用しておこう。
 「〃直言〃だって? イヤだ。イヤだ。公明党はイヤなんだ。批判したら、また投書と電話で波状攻撃をされちゃたまらんもの。二、三回やられてるんだ。向こうは多数だが、こちらはひとり。やりきれませんよ。僕はなにもいいませんよ。大体そういう不愉快な目に合わせる宗教と政党に、僕がいい感じをもっているはずがないでしょう。発言するとなると、どうしても悪口になっちゃう。そうなると、また学会会員たちの波状攻撃だ。なにしろ、モノいえぼ唇さむし、一銭のトクにもならないぼかりか、実害があるんだから……」

 ○09/04 藤原行正氏、出版社の日新報道にも出版中止を掛け合うが、これも不調(於・キャピタル東急ホテル)。
 ○09/14 今度は秋谷栄之助・聖教新聞主幹と藤原行正氏が、藤原弘達氏の自宅を訪問。1時間45分に及ぶ交渉だったが、やはり不調に終わる(この時の会談の内容は藤原弘達氏によって録音され、後に公表されることとなる)。
 ○09/19 再び日新報道側をホテル・オークラに呼び出し、前回同様の要求を繰り返す。今度は「藤原弘達の本を出すなら、あらかじめ原稿を見せて欲しい。また、出さないという事になったら、代わりに学会・公明党で、より有利な儲かる仕事を依頼し、決して損のないようにする」ことを強調。つまり、事前検閲の要求と利益誘導である。

[この項、続く]

982 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 01:49

┓(´_`)┏ オーノ〜
私は、これを読んでいて、はらわたが煮えくり返った。
こういうのを読むとやっぱり、創価学会は、池田大作を初めとして、基地外集団だったんだと、つくづく思ってしまう。
創価学会への社会的好感度は、創価学会が行き過ぎた自分達の行動を素直に反省するという態度を内外に示す度に僅かながら上昇している。
ところが、こういう風に、何十年も経って、「実は全然反省などしちぇいなかった』「寧ろ、虎視眈々と逆恨みを晴らそうと機会を待っていた」
という本音が明らかになる。
ホント、気分が悪くなってくる。
創価学会員(実は私も含めて)、謙虚に過去の過ちかr学び、悪い所は直していこうと努力してきたのである。
それが、トップの不用意な発言によって、今までの苦老が水の泡になってしまうのである。
こういう記述を一般世間の人が読めば何と思うだろうか?
「やはり、創価学会は信用できない。反省している振りをしながら、裏ではこっそり、舌を出している。その反社会的体質は決してかわらないのだ」と、思うんじゃないだろうか?
私は、創価学会員と未だに付き合いがある。一人一人と接する分には、皆、常識と教養に溢れている。
それが、集団になると、途端に異常行動に走る。
全ての原因は、やはりトップにあることは疑い得ないようだ。

983 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 02:09
続2
抑、藤沢達造が藤原弘達を指すのは、明らか。
藤原は、残念なことだが「鬼籍」に入って久しい。
しかし、彼がこの記述を見たら、どう思うだろうか?
「大作!てめ〜!ぶっ殺してやる!」と怒るんじゃないだろうか?
池田創価学会の開き直りも度を超してるのではないだろうか?
こういう「誰」とわかる形で、実在(した)人物を批判、侮辱するのは人間革命の特徴だが、何故、こういう明らかな悪書を世間では放っておくのか、不思議でならない。
もし、創価学会や公明党という名称が全く別のものなら、まだ許せる。
戸田、牧口、歴代法主、日蓮大聖人は無論、やたらに詳しい歴史背景の記述などは、同書がいかにも「歴史書」という酷い錯覚を読者に抱かせている。
何といっても、極めつけは、山本伸一の名称だ。
池田大作のことは明らかなのだが、こうして「いかにも、想像上の登場人物」を装って、得意の「自分は、控え目で、謙虚な人間」を演出したいのだろう。
「いい加減にしろ!」といいたい。
こういう愚書が、日本の歴史に登場し、社会的に何の咎もないということこそ、日本社会の大問題なのだ。

984 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 16:50
<言論出版問題魁[>>981 の続き]

■藤原行正著『池田大作の素顔』(講談社刊)から(P112)
 44年8月末、朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から一つの仕事を命じられた。「池田先生があんたに話がある。本部に顔を出してくれ」 その時、本部の応接間には北条、秋谷の両人が同席していた。
 「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」
 「藤原君は彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」
 池田はいつもこの調子だった。要するに同じ時期、出版予告の出ていた学会批判書『創価学会を斬る』の筆者、出版元に談判して出版を中止させろというのが池田の指示であった。(中略)

 実はその年の6月頃から学会内部では『創価学会を斬る』の情報をキャッチしていた。それが8月末になって、同書の出版予告が車中ポスターで掲載される事態となった。池田が私を呼んだのはその直前だったわけである。

 #藤原弘達氏が「私と富田、日新報道側の三人だけで、秘密裏にことを運ぶことにし、社内にさえカンコウ令を布いた」(>>981)にもかかわらず、学会側はすでに6月頃には出版情報を入手していたという。学会の諜報能力の高さを示す。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P115)
 この初回訪問の時、私は弘達氏への五つの依頼項目を用意していた。(中略)
 これは私の独創というより、当時の創価学会が外部からの批判封じの一策として、対外的な交渉の場でよく使った一つのパターンなのである。相手の様子を見ながらこちらの要求を一つずつ順に小出しにしていくわけで、Aが駄目ならB、Bが駄目ならCといった具合。かなりネチっこい交渉方法だから相手にとっては迷惑この上なかっただろう。

 迷惑といえば、このころの学会のやったイヤガラセ戦術は凄まじかった。学会の攻撃目標となった相手は「人海戦術」による散々な被害を覚悟せざるを得なかった。
 この昭和44年の言論妨害時には組織内に言論部という部門があり、学会批判者などへひどいイヤガラセをする担当者まで準備されていた。全国の各地域から一定の役職以上の婦人部幹部、あるいは筆の立つ一般学会員を抜擢して言論部員に任命しておき、何か問題が生じるたびに各地の創価学会会館などへ召集をかけるのだ。
 なにしろ七百万世帯を数える巨大集団だから、その言論部員は五人や十人ではない。本部から指示が出るたびに各地の部員たちは葉書を持ち寄り、多い場所では一ヵ所百人、百五十人単位で集まった。

 現場の一室では言論部担当の学会幹部から部員一人ひとりに具体的なテーマ、宛先までがふり分けられる。それぞれがせっせとイヤガラセの手紙や投書を書き、その場で書き上げるまで帰宅させない。
 これを全国数十カ所、数百カ所の各支部、各会館でいっせいにやるわけだから、標的にされた相手はたまらない。文字どおり、イヤガラセの手紙が洪水のように流れこんでくることになる。

 たとえばこの出版妨害事件の際、学会側から相手の弘達氏の自宅に投げ込まれたイヤガラセの投書類は優にミカン箱十箱分はあったろう。
 この投書作戦のほかに電話作戦も強烈だった。やはり本部が学会員を総動員して、学会批判をやったテレビ局やラジオ局、雑誌編集部をめがけどんどん電話をかけさせた。個人宅にも「家に火をつけるゾ」「夜道に気をつけろ」といった脅迫電話が殺到したり、散々なイヤガラセ戦術が展開されたものである。

 投書作戦も電話作戦も池田お得意のやり方だった。「私の言葉は学会の憲法だ」とウソぶいた池田三代会長の号令一下、選ばれた言論部員をはじめ学会員たちは池田の言葉を疑いもせず「悪者」に向けて熱心に攻撃をしかけた。その姿は世間の目には一種の狂信集団と映っただろうが、学会員個々はむしろ熱心な信者たちであり、その宗教心を池田が巧みに操っていた。

 学会の裏側を知らされず、池田大作の打つ手はすべて順風満帆と一般学会員は頭から信じきっていた。しかもその前年にキモを冷やした「集団替え玉投票事件」(>>946-947)をうまくモミ消せたことが池田大作をさらにのぼせあがらせていた。
 図に乗った指導者のもとで、学会全体が世間をナメていたといえる。言論出版妨害事件はその延長上に起こるべくして起こった象徴的な出来事であった。

 #我が家は拠点だった。あの頃、大人達がせっせと投書作りしていたのを思い出す。大量の葉書を見て、懸賞への応募だと思い「当るといいね」と言ったら、集まっていた大人たちに笑われたこともある。

[この項、続く]

985 名前: SGI 投稿日: 2004/05/16(日) 16:51
<言論出版問題粥[>>984 の続き]

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P120)
 ところが、弘達氏は急に「いいよ、じや会おう」と折れ、急転直下、翌14日の再訪を約束する事態となった。
 あとから考えれば、氏が態度を変えたのはこちらへの譲歩ではなく、しつこい相手に一杯食わせてやろうとの魂胆だったようである。もう一度会って、その会話をテープに取って動かぬ証拠とし、横暴きわまる創価学会の圧力を世間に公表してやる。弘達氏の頭にその考えが浮かんだのは、おそらく私との電話中だったと推察する。

 その日、私は再び本部へ向かい、弘達氏との約束の一件を池田へ直接報告した。「今度は秋谷も一緒に行け」 池田は同席していた秋谷にそう命じた。秋谷は翌日、名古屋出張の仕事があるとかで、「名古屋の帰りに相手の家に寄りますから、藤原さん一人で先に行ってください」と、私へいった。
 のちに弘達氏と私、そして秋谷の“密談”が録音された実物テープの存在が公表された際も「藤原さん、悪いけど表へ出てくださいよ」と、要領よく逃げを打ったが、最初から彼は池田に命じられたので仕方なく同行するといった表情であった。
 前日にそんないきさつがあり、9月14日、藤原弘達宅訪問はまず私が先着した。30分ほど遅れて秋谷もやってきた。

 この時の約1時間40分におよぶ三者の会話内容が弘達氏の準備した隠しマイクで録音され、「創価学会による言論妨害の動かぬ証拠」となる。
 しかし、この「極秘テープ」が誌上公開によって世間へ知れわたったのは問題の三者会談からすでに6ヵ月が経過した時期だった。それはなぜか。創価学会の言論弾圧自体はのちに国会で各党の憲法論議まで呼び、世の耳目を集めたほどの重大事件だったが、そのテープそのものはそう衝撃的な内容ではなかったからである。

 #著者や出版社への“圧力”が功を奏さないため、次に取次会社や書店に“圧力”をかけることに…。

◆昭和44(1969)年 
 ○09/ 「池田大作は、後にリクルート事件で有名になる池田克也(当時は潮出版社勤務)に命じ、大手書籍取次店や大手書店に圧力をかけさせる。

 創価学会に批判的な報道に抗議することを主たる任務とする全国各地の言論部員に、藤原弘達氏と日新報道に対して激しい抗議を行わせたため、藤原弘達氏の自宅や日新報道には、「ぶっ殺すぞ」とか「地獄に堕ちる」といった脅迫まがいの電話や手紙が、連日、殺到。抗議の葉書や手紙の量は段ボール箱数箱分にのぼるまでになった。

 さらには書籍の取次会社に圧力をかけ、『創価学会を斬る』を市場に流通させないよう工作するとともに、聖教新聞の社員や外郭企業の潮出版社の社員を動員して書店に『創価学会を斬る』を置かないよう圧力をかけたのだった。」(『慧妙』03年7月16日付)

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P123)
 最初は私と秋谷を鉄砲玉に使っておきながら、池田は下手な手を打っていた。私たちの動きとは別に学会系の潮出版社など出版関係、雑誌関係の幹部たちを動員して、「おまえらも全力を挙げてあの本の出版を潰せ」と命じてしまっていたのである。
 そこで当時の潮出版社幹部だった池田克也(現衆議院議員)らが大手取次店各社、大手書店などに手を回していた。もし新刊書の『創価学会を斬る』を取り扱うなら学会系の潮出版社の刊行物をすべて引き上げることもありうるゾ。そんな脅迫めいた裏工作が九月中旬から連日展開されていた。

[この項、続く]

986 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 22:52
>>985SGIさん
>創価学会に批判的な報道に抗議することを主たる任務とする全国各地の言論部員。。。。。

今から、10年以上前のこと。
アメリカ全国放送のシンジケート系テレビ番組で、「ソーカガッカイ」が放送されたんですよ。
内容は創価学会の本質を暴く、客観的なものでした。
主に、創価学会がカルトたる所以は、「異常に強いピアプレッシャーによって、一端入会するや、人間関係による心理的圧力によって、人心操作をする所にある」としてました。
更に「脱会者による反ソーカガッカイ」→STOP THE NSA(SOKAGAKKAI)の活動を報告していました。
数日後のワールドトリビューン(米国版聖教新聞)では、同番組に対する批判記事が載り、その中で、公然と、SGIN(当時はSA)のメンバーは、じゃんじゃん同番組を放送した地方局に抗議のファックスを送りつけましょう!と煽っていました。
これは、違法行為とまでいわなくとも、反社会的行為と言えると思う。
それにしても、SGIは、今や187国に拡大したと、創価学会員は浮かれているが、全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、zpっとするのである。
あの、「STOP THE NSA]はどうなったのか興味はある。

987 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 23:00
訂正>>986

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、zpっとするのである。

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、ぞっとするのである。

988 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/16(日) 23:01
訂正>>986

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、zpっとするのである。

全世界にその臭い息をまき散らすことになったとは、ぞっとするのである。

989 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/17(月) 12:23
>>986
>テレビ番組の名前は、インサイドエィデション(INSIDEEDITION)

990 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/17(月) 22:02
訂正>>989

テレビ番組の名前は、インサイドエィデション(INSIDEEDITION)

テレビ番組の名前は、インサイドエディション(INSIDEEDITION)

991 名前: SGI 投稿日: 2004/05/17(月) 23:20
>>986 yurikoはん
そうですか。学会SGIは米国でもやっているのですか。
となると、欧州でもやっているのかもしれませんね。
であれば、フランスでのSGIがカルト認定は、
やはり当然のことだ、となりますな。

992 名前: SGI 投稿日: 2004/05/17(月) 23:21
<言論出版問題・21>[>>984-985 の続き]

◆昭和44(1969)年 
 ○09/ 
■本部職員・岩崎文彦氏の証言
 私は、業務命令で書店に行かされました。たしか全員で19名だったと思います。本が店頭に並ぶ少し前に、各部門から選抜されたメンバーが急遽、集められました。聖教新聞社の広告局、業務局(新聞販売部門)、出版局(書籍販売部門)、潮出版社からも来ていました。場所は聖教旧館の隣にあった業務局が入っていた建物の2階仏間で、私は出版局からの選抜です。責任者は出版総局長だった横松昭、出版局次長だった青柳清が現場の指揮をとっていました。
 そこで聞かされたのは、こんな話です。「藤原弘達が『創価学会を斬る』という本を出す。創価学会を批判するとんでもない本だ。書店を回ってそれを押さえろ」。書店での口上も指示されました。「この本を、ここにある棚から中にしまってください。そうしてもらえなければ、『人間革命』などの扱いをしません」。『人間革命』は書店にとって売れ筋の本でしたから、十分圧力になると考えたのでしょう。そして最終的には、「創価学会を敵に回すのか」と。そこまで圧力をかけろといわれたんです。
 青柳のもとで書店を地域別に分けて担当する区を決め、行動開始です。青柳が北條さんから「お前が中心でやれ」と命令されたと聞きました。期間は1ヵ月前後だったと記憶しています。(岩崎文彦・昭和43年聖教新聞入社。聖教新聞社出版局、広告局、業務局等を経て、同55年退職。/『フォーラム21』03年7月1日号)

■日新報道・遠藤留治社長インタビュー
 「この日本をどうする」第1巻の『日本教育改造法案』を昭和44年8月に出版した際、国鉄(現JR)、私鉄の各線に中吊り広告を出したんですが、その広告の左端に、次作として『創価学会を斬る』の出版予告を載せたんです。抗議電話が始まったのは、この出版予告を出した直後からでした。
 会社にいると電話がジャンジャンかかってくる。それは『日本教育改造法案』についての問い合わせ電話ではなく、ほとんどすべてが『創価学会を斬る』についてのものでした。「いったいどういう内容なんだ」「いつ出版するんだ」という探りの電話から、「出版をやめろ」とか「ぶっ殺すぞ」「地獄に堕(お)ちるぞ」という脅迫電話まで、ひっきりなしでした。もちろん名前は名乗りません。一方的に怒鳴りまくった上で電話を切る、というパターンが延々と続きました。

 また、この抗議電話とともに、舞い込んだのが抗議の葉書や手紙でした。段ボール何箱分になったでしょうか。とにかくもの凄い数でした。
 (藤原弘達氏宅に対しても)それはひどいものでした。やはり段ボール箱で何箱にものぼったんじゃないでしょうか。電話での脅迫もひどいものでしたので、警察がそれとなく藤原弘達氏のお子さんなど家族の警備をしたほどでした。
 ですから藤原弘達氏は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として『創価学会を斬る』の執筆を続け、私たちも移動しながら編集作業を続ける有り様でした。なお、この抗議電話や葉書は出版後もますますエスカレートし、内容もひどいものでした。

 日販、東販という大手書籍流通会社をはじめ、のきなみ拒否です。「取り扱えない」というので、「なぜだ」「どうして」と理由を聞くと、誤魔化していましたが、そっと創価学会の圧力であることを教えてくれる業者もありました。結局、書籍の配本契約を結んでいた11社のうち、初版の配本を請け負ってくれたのは栗田書店1社だけという悲惨な状況でした。(中略)

 藤原弘達氏が創価学会・公明党による言論出版妨害の事実を明らかにする以前、私も『朝日新聞』や『読売新聞』など、全国紙の記者や編集幹部に会って、創価学会・公明党がこんなひどいことをしていると事実を説明しました。ところが、彼らはこの問題を全く扱おうとはせず、政治問題化してから初めて扱うようになったんです。このマスコミの怠慢には本当に失望し、怒りを覚えました。
 今日も、創価学会の莫大な広告費や『聖教新聞』の印刷費、購読部数、視聴率などの前に、新聞・テレビなどの巨大メディアは屈し、創価学会問題を積極的に報じようとはしませんが、当時から彼らは、勇気とジャーナリズム精神を喪失していた、と言わざるをえません。(『フォーラム21』03年7月1日号)

[この項、続く]

993 名前: SGI 投稿日: 2004/05/17(月) 23:23
<言論出版問題・22>[>>992 の続き]

◆昭和44(1969)年
 ○09/ 藤原弘達、前述(>>981 >>985 参照)の録音テープの存在をマスコミに流す。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P122)
 藤原弘達氏がテープの存在だけを天下に公表したことで、池田大作は「大変なことになった」と血相を変えた。
 下手をすると創価学会の最高責任者として自分が社会的糾弾の矢面に立たされる。池田はまずその不安に怯え、「おい、大丈夫か!」 オロオロした声をあげた。持ち前の厚顔としたたかさで学会内部にニセの「池田神話」を広め、超ワンマンぶりを発揮しながら、一歩世間へ引っ張り出されると臆病そのものという地がモロに出た。

 一方、相手の藤原弘達氏はなかなかのクセ者だった。氏は最初から池田に攻撃のターゲットを絞っていたらしく、実に巧みにテープを武器に使った。テープの存在を匂わせながら実物をなかなか見せないのである。
 直接の当事者だった私は内心で苦笑する思いだった。問題のテープが公表されるまでその内容を知っているのは相手の弘達氏と私、秋谷の三人だけだったが、言論弾圧だ、と大騒ぎされるほどの言葉を口にした覚えはないし、むしろ遠回しで温和な発言に終始したという確信さえあった。

 そのことを池田に伝えていた。私の言葉を信用していれば話は簡単だった。この段階で、当事者の私なり秋谷なりが正式に謝罪し責任を明らかにすれば、学会組織まで累が及ぶことはなかっただろう。
 実はテープの一件が暴露された直後、学会上層部で善後策を協議した。北条、秋谷、私の三人に竹入と矢野なども加わり、その場で「謝罪すべし」という一つの結論が出ていた。
 この時は私もハラを決めていた。テープをとられた一件は自分のミスだ。私が頭を下げ、学会側の要求を撤回した上で都議を辞任する。要するに学会側に言論妨害の意図は一切なく、私の独断でただお願いに上がっただけという事態収拾案だった。諸般の情勢からそんな形で当事者が早目に社全的責任を明らかにするのがもっとも妥当な解決策ではないか。最高幹部の間ではその方向で意見の一致をみていたのである。(中略) 

 もっとも、この最高幹部間の取り決めは池田の勝手な先走りでご破算となった。(中略)
 そして、テープの一件が暴露されたのは池田がこの指示(取次店や書店への圧力 >>981 )を出した直後であった。池田一人が悪あがきを繰り返し、キズはどんどん深まっていったのである。(略)問題はすでにテープだけではなかった。いずれ取次店や書店への学会の圧力まで暴露されるかもしれない。池田は気を揉み、心配のあまり一種のパニック状態に陥っていた。

 #「学会内部にニセの「池田神話」を広め、超ワンマンぶりを発揮しながら、一歩世間へ引っ張り出されると臆病そのものという地がモロに出た」。これが、池田大作という男の正体。
 まさに『佐渡御書』の「おごる者は必ず強敵に値いておそるる心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて。無熱池の蓮の中に小身となって隠れしが如し」だ。

◆昭和44(1969)年
 ○10/ 対応に窮(きゅう)した池田大作は、竹入義勝を通じて、当時の自民党幹事長・田中角栄にもみ消しを依頼する。「創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった」(竹入義勝『朝日新聞』98年8月26日付)

■原島嵩著『池田大作・創価学会の真実』(日新報道刊)から(P108)
 池田会長に対する批判は絶対に許さないという風潮が学会内にありましたので、藤原行正氏も「池田会長の批判だけはやめてほしい」と要求したのです。池田の無謬性、絶対性は、創価学会の生命線だからです。この池田批判を許さないという体質は、今も続いております。
 藤原弘達氏は、この申し入れを突っぱねました。そのため、当時、公明党の委員長であった竹入義勝氏が、池田の意向のもとに、当時自民党幹事長であった田中角栄氏に依頼したのです。

 #ついに田中角栄の登場――。
 内藤国夫著『公明党の素顔』の場合は笹川良一氏が(>>942 >>980 参照)、植村左内著『これが創価学会だ』(>>943-944 参照)や、隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合(>>945-946 参照)は日大会頭・古田重二良らの介入だったが、『創価学会を斬る』では自民党の超大物・現役幹事長=田中角栄氏が斡旋役だった。
 この現役幹事長の介入という事実が、学会の言論弾圧の実態を政治問題・憲法問題へと引き上げ、衆目に曝されることになった。名誉会長の身から出たサビだ。

[この項、続く]

994 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/18(火) 04:00
>>993SGIさん
>現役幹事長の介入という事実が、学会の言論弾圧の実態を政治問題・憲法問題へと引き上げ、衆目に曝されることになった。名誉会長の身から出たサビだ。
。。。。『池田大作の素顔』by藤原行正ーー読みましたよ。
14年くらい前に出版されたんですよね。
何と言っても、言論出版妨害事件の一方の当事者が事実を語ったのですから、注目しました。
ところが、世間では、そんなに注目がなかったし、学会も完全に無視していましたね。
ただ、相変わらずの人身攻撃に終始していましたね。
批判するものの人格を貶めて、信用を落とすというやり方は、何も新しいものではありませんでしたよね。
現在、藤原氏は、24時間看護で療養中だそうです。気の毒なことです。
池田大作が、言論出版妨害事件の歴史的事実を糊塗、歪曲した上で、人間革命に創価学会が受けた法難として、記述することは予想されtました。
でも、ここまでとなると、「死人に口無し」「障碍者に口無し」を露骨に実施するとはね。。。。。
創価学会が一宗教団体として、責任逃れをするなら、それは仕方がないのです。
それを世間の人や会員が観察して、軽蔑されても、自業自得であり、嫌なあ脱会すればよいだけのこと。
ところが、学会は公明党という公共に影響ある公党を「シャム双生児」のように抱えているというのが問題なのです。
一宗教団体が、ある評論家に「執筆への手心をしてくれるよう頼む」ーー微笑ましいです。
ところが、公権力でもって、圧力をかけるとなると、民主主義の原則までひていするという憲法問題にも発展するでしょう。
そういう危険性が、創価学会=公明党が政治に関わっている限り、常にあるということを国民は知るべできすね。
国民は、公明党にNOと言うべきなのです。

995 名前: SGI 投稿日: 2004/05/18(火) 23:13
>>994 yurikoさん。
>学会は公明党という公共に影響ある公党を「シャム双生児」のように抱えているというのが問題なのです。
―― 同意。
 まず1つは、昭和45年5月3日の本部総会で「政教分離」を表明・約束した(後述)にもかかわらず、実態は今なお「永久に創価学会と公明党は一体不二の関係」(昭和40年7月12日・池田会長 ⇒>>938)にあり、国民や社会に対して平然とウソをついていること。

 次に、学会が宗教的理念〔王仏冥合・国立戒壇―国立戒壇義については異論あり〕に基づいて政治進出を図るならば、やはり当初の戸田構想の通り、政党結成と衆議院進出はするべきでなかった。その意味で、名誉会長は師匠・戸田先生の指導を反故にしたこと。これは、師敵対行為にほかならない。
 それでも、もし政党結成・衆議院進出を図るならば、信教の自由(憲法14・19・20条)を自他共に保障することを鮮明に公約し、その上で憲法20条の政教分離の原則について見解(場合によっては憲法改正の表明)を示し、宗教政党として政治活動を行うべきで、国民政党の看板は欺瞞のなにものでもなく、二律背反になっていること。

 さらに、名誉会長は「衆議院に進出しない」と再三言明(⇒>>903-904)していたにもかかわらず、いとも簡単に前言を翻したこと(⇒>>925)。この事実も看過できない。
 これまで名誉会長の発言には一貫性がなく、自語相違もはなはだしいことは自明だ。過去の指導や発言(⇒>>586-591 >>726)と今日の在り様をみれば一目瞭然である。宗教指導者としての資質が欠落しているといわざるをえない。まぁ、新興宗教の教祖は詐欺師が多いともいわれているので、最も適格かもしれないが、どちらにせよ信用・信頼ができないということには変わりがない。

996 名前: SGI 投稿日: 2004/05/18(火) 23:14

 そして、現在の政権与党の一角を占めているという事実を鑑みた時、この「言論出版問題」の事跡や現状の学会SGIの在り様を振り返れば、yurikoさんがご指摘の通り、 
>公権力でもって、圧力をかけるとなると、民主主義の原則まで否定するという憲法問題にも発展するでしょう。そういう危険性が、創価学会=公明党が政治に関わっている限り、常にあるということを国民は知るべできすね。国民は、公明党にNOと言うべきなのです。
―― ということになろう。

 池田創価学会が、基本的人権である言論の自由を侵害し弾圧したのは事実だ。だからこそ、国会をはじめ社会から厳しく指弾され、名誉会長(当時会長)は謝罪し猛省し「二度と同じ轍を踏んではならない」と約束したのである。
 なのに、『新・人間革命』等を通して、事実を糊塗し史実の書き換えを進めている。やはり昭和45年の謝罪・猛省は、世間を欺くためのポーズであったことを示す。平然とウソをつき、基本的人権を蹂躙する体質を持つ集団(⇒>>957-965 >>972-973)が、今、政権与党(権力)側に座している事実を重く受け止めなければならない。

997 名前: SGI 投稿日: 2004/05/18(火) 23:15

 池田創価学会は批判を許さない組織だ。
 名誉会長の個人的な資質もあろうが、もともとクーデターで会長の座を奪い取った(⇒>>106-109 >>111-112)のだから、会長就任の正当性が疑わられるだけに、批判を封じ、「神話」を作り、業績を誇り、外部に敵を設けなければならない。これは、池田創価学会SGIの宿命なのだ(⇒>>902-903)。

 学会内では、今も昔も「池田大作批判」は、ご法度。一切の池田批判、正面からの批判はもちろん、皮肉やからかい、野次、ちょっとした不平不満の批判すら許されない。本部幹部会等で、皮肉やからかい、野次を飛ばすのは、名誉会長ただ1人。組織では、せいぜい“ガス抜き”なら許される程度だ。
 しかし批判者は、排除されるだけではなく、幾多の事実が示すように、凄まじい個人攻撃・人格攻撃を受ける。時には社会的な抹殺にさえ至る。言論の自由は、学会内では圧殺されているのだ。

 言論の自由は、他人・他者からの批判に一切寛容になれない人・集団によって侵害される。このような不寛容な人間・集団こそが、自由や民主主義の敵・悪なのである。ましてや池田創価学会は、過去において「言論出版問題」の事跡があり、さらにその「猛省・謝罪」をないがしろにし、今なお批判者に対しては容赦ない攻撃を組織をあげて繰り広げている。

 そのような団体が、国のあらゆる機関にはびこり影を落とし、国の行く末を握っている。言論の自由がないところは、必ず全体主義・ファシズムになることを忘れてはならない。
 この度の年金未納問題を通じて、有権者が与野党の政治家に愛想をつかせ、ますます政治不信を増長させ、今夏の参議院選挙で投票に行かなければ、組織に言われるまま投票する学会員の票(公明党票)がものをいうことになる。そうなると、個人情報保護の名目の下、言論統制が敷かれ、気がつけば“物を言えば唇寒し”の状況が生まれているかもしれないのだ。

998 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/19(水) 00:53
>>997SGIさん
>言論の自由は、他人・他者からの批判に一切寛容になれない人・集団によって侵害される。
。。。
如何なる集団(公益集団、私的集団を問わず)であっても、その集団内ぼ憲法があり、それに従わない者が出れば、排除されますよね。
株式会社においても、いかなる理由であれ、社員を解雇できるのであって、その理由は述べなくてもいいのです。
ところが、公益性が高まれば高まる程、その集団は、社会一般の決まりにも従わなくてはならなくなります。
したがって、裁判闘争となると、資金や支援体制を確保するのは難しいものの、個人が公人や公益法人を、不当解雇などで、訴えて勝訴する可能性はあるのですよね。
ところが、宗教団体から破門などされて、それが「不当」だと叫んでみた所で略100無駄でしょう。
創価学会では、「査問会議」なるものが敵的に開かれており、「除名処分」が相当数の会員に対して、既に行われています。
その決定が如何に不合理、不当にものであっても、外部は文句はいえないでしょう。
ところが、創価学会=公明党が益々、公益性が高まれば、社会の注目度も高まり、「一般の意見」に謙虚に耳を傾ける義務が出て来るのです。
つまり、創価学会=公明党は、出鱈目とはいえ、一応のカルト的教義(池田先生は1000万会員の人生の師)が魅力となって、発展の動機となってきましうたが、
公益性が増せば増す程、カルト教義を引っ込ませざるをえなくなってきました。
創価学会=公明党は、広宣流布(池田創価学会の天下取り構想)を目指していたにも拘わらず、いざそれが実現(信者数の増大)してしまえば、元の動機(大義)の存在理由も無くなってしまう、というジレンマに陥ってしまたんですよ。
長い目で見れば、公明党が自民党に吸収されるというのも宜(むべ)なるかなといった所ではないでしょうか?

999 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/19(水) 01:15

>公益性が増せば増す程、カルト教義を引っ込ませざるをえなくなってきました。
。。。
牧口 戸田 池田 と三代の会長だけで、他の北条氏や秋谷氏が創価学会が掲げる教義に何の影響も与えないのも当然でしょうし、
これから、博正あたりが、名目上の創価学会の後継者になっても、教義上は何の意味を持たないでしょう。
創価学会=公明党の魅力は、カルト教義にあったにも拘わらず、それが無くなわけですから、創価学会が池田没後、自然に空中分解するのはやむを得ないでしょうね。
ただ、SGIさんが言及したような「青年部クーデター」を指揮するような野心家が、創価学会に出現すれば別ですが、望み薄といった感じですが。
もし、第二の池田大作が現れれば、それなりに面白いんですけどね。

1000 名前: SGI 投稿日: 2004/05/21(金) 23:55
>>998 yurikoさん
>公明党が自民党に吸収されるというのも宜(むべ)なるかな
―― おそらく本部中枢には、そのような認識というか方針・施策の選択肢の1つとしてあるのだと思います。
 「言論問題」以降、学会世帯数は明らかに停滞しており、公明党の単独政権は夢のまた夢。そこで、自民党との連立や連合・合併は視野に入っていたはずです。昭和59年(1984)の「二階堂擁立劇」の際、先輩幹部に「なぜ?」と聞いた時、「学会の最終目標は政権入りだから」との答えが返ってきました。その後90年代初頭の小選挙区比例代表制導入やPKO法案賛成、竹下派分裂を通して、自民党との連立へのタイムスケジュールが組まれていたのです。途中、新進党への参画という寄り道がありましたが、現在の自公連立に至りました。

 自公連立といっても、実質的には自民党池田派化です。学会にとって、公明党は所詮“道具”にすぎません。あくまでも学会の利益が主体です。なかんずく名誉会長の尊厳性を守ることが目的。これさえ果たせれば、なにも公明党の看板にこだわる必要はないのです。本当は「国父」を目指しているのでしょうが、もう残されている時間がありません(そういえば「五十二年路線」の最中、会長勇退の直前、ホメイニ師のイラン革命が起こった時、信濃町界隈では妙に興奮していたのを思い出します)。今は、学会(名誉会長)にとって“利”があるか否かが判断基準なのでしょう。公明党の存在は有用ですが重荷でもあるというのが、中枢幹部のいつわざる認識ではないでしょうか。

>公益性が増せば増す程、カルト教義を引っ込ませざるをえなくなってきました。
―― そうかな。
 もともと名誉会長=学会ブレーンの思想にカルト教義といえるほどの内実があるとは思えません。古今東西の至言を集めただけの、きわめて常識的で当たり前の「生き方論」をアラベスク模様にしているだけではないでしょうか。
 宗教的な教義も、別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」で書き込んでおりますが、大聖人の仏法を中心に置いているようですが、東西の各宗教の“良い処取り”をし、最大公約数の共通性を見出そうとしているのだと思います。誤解を恐れずに言うならば、よっぽど日蓮正宗の方が異端・カルトでしょう。
 学会SGIがカルトなのは、教義上に根づくものではなく、個人崇拝に基づく様々な在り様・実態であって、その意味でのカルト色が学会のエネルギーでもあることは確かです。その名誉会長が醜く老い、終末を迎えようとしているだけに、学会の特異な活力が失われつつある中、「ポスト池田」の学会組織の永続性と組織の活力維持を図ろうと、名誉会長の「神格化」と社会との同化の間で信濃町本部が苦慮しているのではないでしょうか。

1001 名前: SGI 投稿日: 2004/05/22(土) 00:08
<言論出版問題・23>[>>993 の続き]

◆昭和44(1969)年
 ○10/06(10/04?)田中角栄、藤原弘達に電話す。「竹入がワシのところへ頼んできて、涙を流しながら、なんとか藤原弘達のあの本を止めてくれ、といった」と介入の理由を述べ、会見を求める。

 ○10/15(10/11?)田中角栄、藤原弘達を赤坂の料亭『千代新』に呼び『創価学会を斬る』の出版取り止めなどを要請。
 席上、田中は「竹入から頼まれた。この件を知っているものは池田、竹入、矢野のほか自分たち二人だけだ。『斬る』については初版の一部だけを(小売店に)流し、残部すべては公明党の金で買い入れる。自分としては公明党に貸しを作っておきたい」と語る。
 この時、隣の部屋で、交渉の行方に聞き耳を立てている池田大作と竹入の姿を、料亭の仲居が目撃。後に『サンケイ新聞』がその事実をスッパ抜く。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P126)
 池田大作が三たび失態を重ねたのはこの時だった。池田は竹入と一緒に問題の料亭のすぐ隣りの部屋に身を潜ませ、藤原・田中会談の話の成り行きにこっそり聞き耳を立てていたのである。
 ところがその姿を係の仲居さんに目撃され、のちにこの事実は当時サンケイ新聞政治部記者だった俵孝太郎氏によってスッパ抜かれるというオマケまでついた。

■矢野絢也著『矢野回想録』(P29)
 昭和44年から46年にかけて藤原弘達氏が創価学会批判を繰り返した時には、私と竹入とで田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は「よっしゃ」と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。

 田中は赤坂の「愛用の料亭・千代新」に『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達明治大学教授を呼びだし、「初版分は全部買い取ろう」と持ちかけた。しかし、藤原は出版の意思を変えなかった。このとき隣の部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が息を殺して事態の推移を見守っていたことを、藤原教授は気づいていたのだろうか。
 なお、田中が藤原に会ったのは「池田の依頼」であり、このときの「2人のやりとりを池田は仕切り越しにじっと聞いていた」(野田峯雄『池田大作金脈の研究』)という説もある。もし、それが本当なら、池田は竹入や矢野とは別に、田中・藤原会談の様子をうかがっていたということになる。(『前衛』03年7月号)

# 隣の部屋で聞き耳かよ。情けなか〜。

 ○10/23 田中角栄、藤原弘達を赤坂の料亭『乃婦中川』に呼び、ふたたび会談。藤原、田中に「初版10万部で打ち切ってもよいが、言論の自由妨害はしないこと」と話す。結局すべて不調に終わる。
 ※『「なんぼ出せばいいんだ?」「金でやるんじゃない」と断ったら、次は地位だ。『潮』に書かしてやるとか、連載させるとか、あげくには「オレは権力があるんだからNHKの解説委員でもどうだ」とか。……「頼む、頼む」と手を握って放さない。』(藤原弘達・内藤国夫『創価学会に未来はあるか』)

# そういえば『潮』の原稿料は、他誌に比べ3倍以上の破格な金額だと聞いたことがある。
 学会に刃向かえば“たいへんな目”に遭うが、学会の懐柔に乗れば“おいしい生活”にありつけるのは、今も同じ。

[この項、続く]

1002 名前: SGI 投稿日: 2004/05/22(土) 00:09
<言論出版問題.24>[>>1001 の続き]

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 実に奇妙なもので、この問題に田中が交渉者として登場してからは、私に対するいやがらせはまったく影をひそめていた。ところが、田中が手を引いてしまうと、まさにタイミングを測ったように、ものすごい妨害が再開されたのである。その間の脈絡はまことに一貫していたといっていいだろう。(中略)

 談判決裂とともに、彼らの電話によるいやがらせば、猛然とエスカレートした。「交通事故に気をつけろ」「火の用心はいいか」「創価学会・公明党を批判した政治家や評論家はみんな早く死んでいる。お前の命も長くはないぞ」「お前の家を爆薬で爆破するぞ」「俺は右翼だ。一週間以内にお前を抹殺する」……。
 主として私の自宅に、1日20回以上、そのような内容の電話がかかってきたし、同様の内容の脅迫状状も来た。ここに、創価学会・公明党の〃抹殺の論理〃というものがはっきりと出てくる。とどのつまりは、「邪魔者は消せ」ということなのだ。

 脅迫がさらにエスカレートするにつれて、私や家族の身に危険を感ずるようになり、たまりかねた私は警察に相談した。警察は、電話機に録音機をつけて、電話のやりとりを録音しておくようにという。そこで、テープレコーダーをセットした。そして、私に電話がかかってきたときに、「この電話は録音しているんだ」と告げると、彼らのやり口は、ひと言も喋らずにガチャンと電話を切る方法に変わった。夜の夜中に、一時間ごとにかかってくる。不眠戦術というわけだ。

 出版社にもいろいろないやがらせが仕掛けられた。出版社の周辺には見張りが出るようになり、動けば尾行がつくようになった。
 いつまでもこういうことが続くのではたまらないと考えて、私は出版を急がせることにし、11月中旬刊行予定を11月6日刊行に変更した。編集部は徹夜の強行軍、私自身も一日3時間、寝たか寝ないかの状態である。

# 藤原弘達氏と田中角栄幹事長の交渉中は嫌がらせ電話がなく、交渉が不調に終わると、また嫌がらせが再開する。この藤原・田中交渉自体が隠密裏なことなのだから、一方の当事者である学会側の組織指令であることは明白だ。
 投書、無言電話、脅迫電話は、学会のお家芸。正宗寺院や脱会者への嫌がらせにも行われている。

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 私はスタッフに宣言した。「いままでは、向こうからケチをつけられないように留意し、ややアカデミックな内容の本にするように表現を抑えてきたが、こうなった以上、表現をできるだけ激しく、私の怒りが読者に伝わるようなものに書きなおそう。ときにはエゲツないと思われるような表現も使う。方針は180度、転換だ」

 この本が出版されたあと、当時の毎日新聞政治部の三宅久之副部長は、このようにいった。
 「これでは、創価学会嫌いな人は読めるけれども、学会の人が読めば、反省の前に、こんちくしょうということになると思う。本当に反省を求めるということで書くのであれば、もうちょっと書きようがあったと思う」
 むろん、私が創価学会・公明党の研究をはじめた意図もそこにあった。しかし、事態がそこまでいった以上、どうせ学会は私の本も学会会員に読ませないようにするだろう。そうした学会のやり方との闘いなのだ。

 田中角栄が登場したことで、圧力は最高潮に達しているのだから、ここで論調をゆるめたのでは、妥協を意味し、一歩後退したことになる。私が決意したのは、毒をもって毒を制す――つまり、劇薬療法であったのだ。そんなわけで、ほとんどでき上がっていた原稿に急速、手を入れ、激しい調子の本につくりなおす作業に取りかかったのである。

[この項、続く]

1003 名前: SGIさんのファン 投稿日: 2004/05/22(土) 17:31
SGIさん。
SGIさんの<言論出版問題>レスを勝手に下記にコピペしました。
ゴメンナサイ^^;)(^^ゞ
http://snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=ikeda
「言論問題」の真相を初めて知りました。とても参考になります。
きっとそういう人は多いと思います。
続きを期待しておりますので、頑張って下さい。

1004 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/22(土) 20:01
<<1003SGIさんのファンさん
>勝手に下記にコピペしました。
。。。。
私もSGIさんのフアンですから、SGIさんの研究成果が様々な人達の読まれるのはいいことだと思います。
しかし、『SGIさんのファン』の掲示板は、失礼ながら「興醒め」ていう感じですよ。
せっかく、いい意図なのに、ちょっと残念ですね。
抑、掲示板、名前が、「創価学会について考える掲示板」っていうのが、この板名「創価学会をみんなでかんがえよう」の二番煎じっていうのは明らかだし。
他の書き込みの内容も、クリスチャン関係っていうのもね。。。。
私は、掲示板主は、MILD SEVENさんじゃないかと思うんですけどね。

1005 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/22(土) 20:27
>>1000-1002SGIさんへ
。。。SGIさんが提供された資料は、実を言いますと、アメリカの州立大学の「日本文花研究」の蔵書が置いてある所なら、大体手に入るんですよ。
ということは、一般にも相当読まれていた筈なんですけどね。
要するに、池田創価学会の「やり口」っていうのは、
●時が経って、人々の記憶から消えるのを待つ
●より大きな声で、手前勝手な主張をする
●自分達(のみ)こそ正義だと信じる、また他人に押し付ける
●批判者や反逆者が死んだり、病気などで引退するのを待つ
●自分達は正しいとの絶対の確信を持つ
。。。。実際やってることは、巧妙な自分達の勢力の拡大のわけですから、
人間、一旦、良心を失えばどんなこともできるのだな〜とつくづく思ってしまいます。
日顕上人は、「真実の証明」の中で、良心=仏心を失ってしまった池田大作を初めとする創価学会首脳への仏鉢は必然と述べていますが、
一般世間の人達は、もっと関心を持たないといけなせんね。
「世間がしまったと思った時が広宣流布」となって、日本が「取りかえしのつかない程」滅茶苦茶になってからでは、遅すぎます。

1006 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/22(土) 20:36
訂正>>1005

日本文花研究

日本文化研究

仏鉢

仏罰

1007 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/22(土) 21:09
>>SGIさん
>もともと名誉会長=学会ブレーンの思想にカルト教義といえるほどの内実があるとは思えません。古今東西の至言を集めただけの、きわめて常識的で当たり前の「生き方論」をアラベスク模様にしているだけ
。。。。
アラベスク模様っていうのも上手い表現だと思いますね。
でも、池田創価学会に何のオリジナルも無いとするのは如何でしょうか?
池田創価学会は、イデオロギー的には何の内実はない、というのは正しいと思います。
しかし、彼等(池田先生)には、「何か」があるのです。
それは、オリジナルを巧みに変化させて、自分のものとして発表する「現代コピ−文化」を先取りしているのですよ。だから、世間で眉を潜まされ乍らも、しぶとく存在しているのですよ。
例えば、
レオナルド ダビンチのモナリサの絵がありますね。
あれに、誰か(名前忘れた)がヒゲを付けたんですよ。
それはそれで、新たなオリジナルとして、評価されました。
もっとも、「似非物」であるのには変わりませんが。
でも、考えてみれば、念仏からみれば、題目が「換骨奪胎」なわけですし、というか日本の仏教全体がそうだし、もっと広くいえば、日本の文化そのものが、「換骨奪胎」だと思うんですけどね。
つまり、日本人の中にある深層心理に、「オリジナル」から勝手に発展させても、罪悪感がない、否、寧ろ、「いいこと」っていうのがあると思いますね。
九州で信仰された「耶蘇」なんかも、全くとまで言わなくとも、キリスト教とは別物ですしね。
池田創価学会もその教義が「似非物」であるが故に、日本人にかえって、受け入れられているっていうのはあると思いますね。

1008 名前: ちゅうた 投稿日: 2004/05/23(日) 12:59
わたくしも、すいません、事後承諾?事後報告?なんですけど。
SGIさんの言論出版問題についての投稿、
よそのサイトで、宣伝と、ちょっとだけコピペもさせて頂いちゃいました。
ごめんなさい。
 
でも、本当。 知ってた人は知ってたにしても、
知らなかった人は全然知らないか、それか、歪められ美化された話しか
知らされないと思われます。
 
結構大変だと思うんですけど、あまり負担になり過ぎない程度で
頑張って欲しいと思います。 続きも楽しみにしたいと思います。

1009 名前: SGI 投稿日: 2004/05/23(日) 18:53
>>1003 SGIさんのファンさん
>>1008 ちゅうたさん
 どうぞ、どうぞ。
 多くの方に真相を知っていただくことは、私にとってもありがたいことです。
 私自身、今回資料をまとめていて新事実の発見があり、驚いております。
 それにしても、この「言論出版問題」は重大な出来事だったのだと、今更ながら思います。
 もうちょっと頑張りますので、よろしく。 yurikoさんもね、ありがとう。

>>1007 yurikoさん
 確かに「何か」がある、あるいはあったのだと思います。
 そうでなければ、私自身の半生も無意味なものになってしまいますから。
 その「何か」がなんであるのかを確認しようと、こうしてネットにも向き合っているのです。

1010 名前: SGI 投稿日: 2004/05/23(日) 18:55
<言論出版問題.25-1>[>>1001-1002 の続き]

◆昭和44(1969)年
 ○11/06 『この日本をどうする2 創価学会を斬る』(日新報道出版部刊)出版
 第1部・実態「これが創価学会の正体だ」 第2部・分析「その病理を衝く」 第3部・展望「その危険なる未来」―の3部構成12章建て約300頁。
       ◇
 「日本の政党政治、民主主義の前途を考えた場合、なんらかの意味においてこの創価学会・公明党という存在に対する対決を回避しては、日本の議会政治、民主政治はとうてい健全に育たないという強い確信をもったからにほかならない」(同書「まえがき」から)。

 「いかなる手段をも辞さないのである。勝つためにはなんでもやる。どんな形態の組織化もいとわない。そのやり方は要するに“力は正義なり”を地でゆくということである。マイト・イズ・ライト――強い者が勝つ、勝てば官軍敗ければ賊軍というわけだ。そのやりくちは、およそ人間の内面に自然にくいいる宗教とは無縁な、はなはだ強権的、高圧的なものなのだ。ひとことでいえば、まことに攻撃的性格をもっているということである。こうした団体であり、そういう戦術をとることに特異性をもっているが故に、創価学会を構成している幹部にしても、だいたい品格のない人ばかりである」(p24)。

 「ややオーバーないい方をすれば、アリの這い出る隙もないほどに、学会員はガンジガラメにしばられている。そのうえ、脱会しようとする会員に対しては、集団的な圧力をかけたりするわけであるから、心臓の弱い人間なら、ほとんどこれに対する反駁の余地はなく、不満ながらもそのまま屈服してしまうことにもなりかねないわけである。こうしたガンジガラメ組織の特色は、会員相互の相互監視というシステムのうえに組み立てられているところにある。それは、ある意味では上部組織への密告奨励、情報提供によって組織に対する忠誠心を測定するというシステムになっているといってもよい」(p48)。

 「創価学会のいっていることの良し悪しとか、当・不当ということも問題だが、最近における創価学会は何よりも巨大な組織という事実をテコにし、その組織力を背景にして、運動を展開していることにさらに大きな問題がある。
 それ組織の巨大さの故に、この宗教教団について語ったり、批判したりすることは、いまや一種のタブーになりつつある。その傾向は日本のマスコミ界にすら蔓延しているのである。このようにマスコミ界が無言であり、創価学会を恐れているのは、必ずしも創価学会が宗教として立派であり、宗教として権威があると考えているためではない。その巨大な組織の実力を背景として行われるさまざま圧力、社会的・経済的・政治的圧力をある程度こわがり、恐れることから起こってきている現象といわなければならない」(p75)。

“創価学会・公明党 七つの大罪” 
 「公明党の政治的性格を曖昧にする政教混交、政教混濁の罪をば、創価学会と公明党のなれあい関係から生ずる最大の“罪”として糾弾しなければならない」(p97)。
 「第二にあげなければならないのは時代錯誤(アナクロニズム)の罪である。(中略)池田大作という四十一歳の男のもつ不可思議なカリスマのうえに、そういう組織病理は集約的に現れているといっても過言ではない」(p98)。
 「第三の罪は、創価学会・公明党に一貫する反社会性とでもいえる罪である。これを解りやすくいいなおすならば、他をノロウものの罪といってもよいだろう。他人に対する寛容性のない、いじけた人間の意識の罪である」(p108)。
[続く]

1011 名前: SGI 投稿日: 2004/05/23(日) 18:55
<言論出版問題.25-2>[>>1010 の続き]
[『創価学会を斬る』引用の続き]

 「第四の罪は、創価学会の政治支店、公明党の政策的曖昧さにある」(p114)。
 「第五の罪は愚民化誘導の罪である。つまり、だんだんと国民大衆がバカになるように誘導していく罪と表現してもよい(中略)。批判なきところに進歩はない。本来、青年は批判あってこそ、その存在意義があろうというものである。その青年部が、他を批判するのあまり、自分の身辺を批判することを忘れ、しかもなおかつ革新の中の革新を叫ぶありさまは、まことおこがましい限りといわなければならない。
 ともあれ、池田会長の言葉のみを絶対として、これを鵜呑みにし、独りよがりの実践哲学をふりまわし、創価学会に身命を賭す青年部、そして学会健児として羽振りをきかしている青年部、かかる猪突猛進的青年部が存するのみで、若き青年会員から批判らしい批判がでてこないというのは、この組織自体が健全な成長をしていないということ物語る」(p130)。
 「第六の罪は「虚業」繁昌にすぐるの罪である」(p144)。
 「第七の罪は、強きをたすけ、弱きをくじくの罪、というように表現できるかもしれない。
 庶民の味方・公明党、みなさんの公明党、というような表現をとっているけれども、その内容をみるとはなはだ権威的な臭味をともなっている。強きをたすけ、弱きをくじくことこそ、むしろ創価学会の本領ではないだろうか。そういう感じさえしてくるということである。弱きものに対しては徹底的に強く出て、強きものに対してはきわめて柔軟な姿勢をとる」(p153)。

 「果たして池田自身が、そういう一種の神格化、個人崇拝の対象になることを必要と考えて、自分の意思でそうしているのかどうか、それとも池田をとりまく連中が、彼をことさらオミコシのようにまつりあげているのであろうか。おそらく、現在においてはこの両者が相関的に作用しながら池田神格化傾向として表面化している、といわなければならないだろう。
 しかし、ともかく池田会長を「会長先生はわれわれのお父さんのような方です」「会長の判断は絶対に誤りがないのです」といってはばからない、年齢的には池田のお父さんクラスの幹部連中の神経たるや、まさに異常性を示すものといわなければならない。だが同時に、そのような信仰の対象となって平然としている彼の神経の中にも、大いに問題があるといわなければならないだろう」(p167)。

 「彼等が御本尊として崇拝する日蓮のすばらしさは、鎌倉幕府という権力に対する抵抗であった。しかし、現在の創価学会・公明党の姿勢に、権力に対する抵抗の姿勢が本当にあるだろうか。また権力に対する真に鋭い批判を展開しているといえるであろうか。さらには権力に対する批判を通じて国民大衆を本当にたくましくする方向にむかっているだろうか。私にはそうとは思えない。むしろ一部野心家たちの御本尊利用であり、学会組織利用であり、大衆利用であるにすぎないと考える。それ故に創価学会が危険であり、公明党が危険である、と断言するのである」(P299)。

# とても35年前の記述とは思えない。逆に言えば、池田創価学会の本質は何も変わっていないということか。

[この項、続く]

1012 名前: SGI 投稿日: 2004/05/23(日) 18:56
<言論出版問題.26>[>>921 の続き]

◆昭和44(1969)年
 ○11/06 日新報道、発売と同時に2台の宣伝カーをくりだして、連日、藤原弘達の肉声テープを流す。 

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 しかしながら、ここで大きな問題に遭遇することになった。はじめから予想していなかったわけではないが、大手取次店のほとんどが、『創価学会を斬る』の新刊委託扱いを、理由にならない理由で断わってきたのである。引き受けたのは、中央社のみ、あとは「書店から注文があれば扱う」という、ちょっと文句のつけようがない返答で、実質的な拒否である。

 日新報道はにわかづくりの出版社だ。この本が売れないとなったら、つぶれるしかない。会社の存亡がかかっている。そこで、社員が手分けをして、都内の書店を片っ端からまわって注文をとって歩くことになった。広告、とくに新聞広告も、創価学会の圧力を恐れて、引き受けてはくれない。これまた当初から予想されたことであった。そこで、なんとかこの本を世の中に知らせるためによい方法はないものかと思案した結果、都内を宣伝力ーで走ることにした。出版としては異例の宣伝活動である。

 ○11/09 TBS『時事放談』で小汀利得が藤原弘達著『創価学会を斬る』を推薦 

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 私は、この本の推薦文をだれか知り合いの有名人に依頼する必要を感じ、かねて親交のあった大宅壮一に頼んだ。大宅は一度は引き受けながら、翌日になって、「こんな本の推薦はできん」といって、断わってきた。それまでに私が出した本にはいつも気軽に推薦文を寄せてくれた大宅が、一夜にして態度をがらりと変えたことに、私はショックを受けた。

 そこで、日新報道を通して、当時、TBSテレビ『時事放談』のレギュラーをしていた評論家・小汀利得に依頼する。小汀老は二つ返事で引き受けてくれた。実は彼も〃被害者〃だったのだ。推薦文は次のようなものであった。
 「かつて私は、創価学会・公明党の欺臓性を指摘したことがあった。ところが、それに対する反論たるや言論の次元を越えた、まさに狂気の沙汰だった。個人でもそうだが政党なり、団体の真の姿は、批判に対する反論の態度をもって知ることができる。憲法で、言論・報道・表現の自由を保障されたこの日本において、かかる暴挙を敢えて行なう創価学会・公明党のヒステリックな態度こそ、国を亡ぼす因であり、絶対に許せない行為だ。
 今度、藤原弘達君が蛮勇をぶるって『創価学会を斬る』という本を書いたが、豊富な資料を駆使したその内容といい、見識といい、創価学会・公明党を斬るにふさわしい。日本国民必読の書として本書を推薦する」

 こうして、『創価学会を斬る』は世に出ることになった。そして、かねて手配ずみの車内ポスターの出る時期になった。ところが、広告代理店から、車内ポスターができないといってきた。その理由は、「斬る」という表現が穏当ではない、「本格的批判のテキスト」というサブタイトルがアジビラ的であるというものであった。まったくわけのわからない理由で、要するに創価学会・公明党から圧力をかけられたことを証明しているようなものである。そのほかにも数々の妨害があって、一時は出版社も「資金が続かない」と、音を上げたこともあった。私も、自己資金を二千万円ほど、いつでもおろせるように、普通預金に変えて用意しておいた。

 ○11/ 角川書店、田村芳朗(東洋大学教授)の『日本仏教史入門』を出版。
          ◇
 同書の企画を進めるに当って、角川書店編集部が大石寺の写真提供を学会に打診したところ、学会渉外総局から部長、部員が来社、原稿の閲覧を要求し、「筆者の田村教授は今までに学会に来たことがなく、直接学会から執筆資料を得ずに仏教史を書けるのか疑問に思っている」、学会は宗教や仏教研究者のリストを作っており、彼らが何度学会本部に来たか一覧表も用意してある、等と述べる。角川書店が原稿閲覧を拒否すると、「中小出版の一つや二つどうにでもなる」と言い、その後も電話で原稿閲覧を再三にわたり要求する。(『実録 創価学会=七つの大罪』)

# この段階でも、他所では言論出版妨害を行っている。

[この項、続く]

1013 名前: SGI 投稿日: 2004/05/23(日) 18:57
<言論出版問題.27>[>>921 の続き]

◆昭和44(1969)年

 ○11/14 藤原弘達氏、佐藤栄作首相から斎藤一郎秘書官の電話を通じて、「よくぞ勇気ある本を出された。夫人ともどもに読んで大変に感動した。これからも頑張ってください」という伝言を受ける。
 佐藤首相は、訪米前の党首会談で、当時、民社党の西村栄一委員長に会った時、「あんた、藤原君の『創価学会を斬る』という本を読んだかい。公明党はナチスが台頭したときのやり方とそっくりだと書いてあるぜ。お読みでなかったら、手もとに余分なのがあるから、なんなら差し上げましょうか」といわれたという。(『文藝春秋』70年3月号・藤原弘達氏の寄稿)

 ○11/20 『週刊文春』、藤原弘達に取材。

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 私は『創価学会を斬る』の「まえがき」では、「政府与党の最要職にある有名な政治家」という表現を用いて、田中角栄の名前そのものを書いていなかった。(中略)
 ところが、大手新聞は、『創価学会を斬る』の広告を拒否した関係上、バツが悪いのか、この本を明らかに黙殺する態度に出た。一片の記事はおろか、私なり日新報道のところに、取材にも来ないのである。

 もっとも早く反応を示したのは、『週刊文春』で、それでも私のところに取材に来たのは11月20日、本が出てから2週間もあとのことであった。そして、その後、いくつかの週刊誌から取材があった。しかし、週刊誌にしても、「政府与党の最要職にある政治家とはだれか」という質問をストレートにぶつけてくるところはまったくなかった。政治権力と商業マスコミとの腐れ縁的関係のなせるわざであろう。

# まず週刊誌が動く。新聞メディアは、いつも後追い。テレビは騒ぐだけ。
 でも影響力は、テレビ>新聞>週刊誌の順。テレビが取り上げたら、もう国民的関心事だ。

 ○11/23【学会】第30回社長会〔於、芝・松山〕、池田会長の発言から。
 「世の中で一番悪い奴は評論家だな。もっと民衆が強くならなければならない」。
 「今は書くのも読むのもいやになった。8月以来、ぶっ続けだったからね。これを乗り越すと、また書けるようになると云われるがね。今度で2回目だ。2年前も1回あった。週刊誌も読まない。新聞だけを読んでいる」。

 ○12/01 『週刊文春』12月8日号発売。『創価学会を斬る』の「まえがき」を取り上げる。藤原弘達「アメリカから帰ってきたら言論の自由のために、佐藤さんもひとハダぬぐといってたよ。……木村官房副長官もボクをよんで、国会の法務委員会にかける相談にのってくれたよ」とする。

 ○12/01 隈部大蔵、『創価学会・公明党の解明』を展望社から出版。
 隈部、前回・前々回の体験から創価学会員のいない印刷、活版、製本屋を自力で探し、自費出版同然に同書を完成する。(『実録 創価学会=七つの大罪』)

 ○12/02 『読売新聞』に『創価学会・公明党の解明』の広告。 
 「当学会を正しく理解するために。大衆を組織する現代日本のエネルギー。たくましい結集、伸展、国土の繁栄へ日本をリードする公明党の解明!」
        ◇
 「要するに、流通も広告も、ともに、創価学会の巨額の取引量と資金によって首根っこを押さえつけられているのである。ともあれ『読売新聞』との交渉の末、苦肉の策ともいえる文面で広告が掲載された。それがこれである。」(慧妙・99年5月1日号)

# これまでならば、学会の言論弾圧で日の目を見なかった批判本の出版刊行。風向きが変わったことを示す。

 ○12/09【学会】会長、指導で「言論問題」を「王仏冥合の戦いにおける魔の働き」と断ずる。

# 週刊誌が取り上げたので、会員の動揺を防ぐための指導。いつものパターンと論理。

 ○12/13 『仏教タイムス』に『創価学会・公明党の解明』の広告。
 「虚偽、秘密主義! 閉ざされた深い霧の中に躍動、国土を崩壊の危機に巻込まんとする黒く巨大な塊! 圧力! 暴力! 買収?行為をえらばない」
         ◇
 「同じ内容の書籍であるにもかかわらず、これほど広告の文句が変わる――まさに異常である。」(慧妙・99年5月1日号)

[この項、続く]

1014 名前: SGI 投稿日: 2004/05/24(月) 23:29
<言論出版問題・28>[>>1010-1013 の続き]

◆昭和44(1969)年 
 ○12/13 NHK総選挙特集番組「日本の進路/2党間討論」で、共産党の松本善明氏が「『創価学会を斬る』等の出版物に創価学会・公明党が出版に圧力・妨害をくわえている」と発言。受けて、公明党の正木良明氏が「そんなことはしていませんよ。すべてウソである」と述べる。

 ○12/14 共産党機関紙『赤旗』が、糾弾キャンペーンを開始。
 『創価学会を斬る』の他にも、多数の刊行物が出版妨害された事実を明かす。

# さぁ、第2幕の幕開けだ。

 ○12/15 『東京新聞』夕刊コラム『放射線』に曽野綾子の「ジュゲムジュゲム」を掲載。
 「ついこの間まで、私の立っているささやかな立場からかなり暮らしいい、明るい国だと感じていたが、最近そうでもないある事件にぶつかった。私はその内容をここにコトコマカに書きたいのだが、それができないのである。それは、現代の日本に言論の統制があるということだ。
 かりにここに一冊の本があるとする。私はその本を信じているわけではない。しかしその本が、あるグループにとって具合いの悪いことがといろことになると、その本は広告も、配本もさまさまな形で拒否されるといわれ、そのことについて、がりに私が真相を知りたいと書こうとしただけで、その原稿にさえも、どこからともなく圧力がかかるということである。
 私はもう、大変ビックリしているのである。これは戦争中のあの暗い時代に体験しだことと、似てきはじめた。そしてもし、これがどんどん続いていくなら、日本は再び不思議なことになるだろう。(中略)
 この文章を見て、何が何だかわからぬ、というかたもあろうが、私の責任ではない。(中略)
 私はわかるように書けないのである。わかるように書いたら、その文章は日の目を見ないからだ。これは歯に衣を着せた文章の典型である。」
 ※一冊の本とは藤原弘達著『創価学会を斬る』、あるグループとは創価学会のことを指しているが、そのことさえ書けない、と曽野綾子氏は書いている。

 ○12/15 『赤旗』木谷八士・記者、赤坂プリンスホテル別館ロビーで藤原弘達に取材。
 藤原、妨害関与者として田中幹事長の名を初めて明かす。
 ○12/17 『赤旗』六段見出しで「田中関与の藤原談話」を報道。

■木谷八士・『赤旗』記者の述懐
 「藤原氏の口から田中の名前が出たとき、背中からタラタラと汗が出るし、全身がカッカ燃えるし、筆を持つ手は震えるしで、これは大スクープだと思った」

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 この時点から、彼らは、イデオロギー政党でありながら、イデオロギーにかかわりはないという立場を敢えてとるわけである。たとえば、「赤旗」は、大新聞が一切無視する中にあって、まさに商業新聞顔負けのスクープ精神をもって、私に肉薄してきたのである。
 したがって、私としても、その努力と情熱を買って、イデオロギーを越えて、タイ・アップすることにしたのである。

 このことに対して、私は、保守陣営、あるいはその筋の評論家から、「共産党に利用された」という批判を受けることになる。たとえば、政治評論家・御手洗辰雄は、『創価学会を斬る』の何版目かの推薦文で、「すばらしい本を出した、感動した」といってくれながら、ほかのところでは、「藤原は共産党に利用された。それが気にかかる」というようなことをいっている。

 結果からいえば、それはまったく逆であるといえる。大手商業マスコミは頼かぶりを決め込み、創価学会・公明党の言論弾圧を暗に是認しているといってもいい態度をとっていたのだ。「赤旗」はこの問題に関しては、一時、共産党の機関紙であるという立場を〃忘れて〃、事実のみに即して報道を行なったことにより、言論・出版の自由の問題が社会に一大センセーションを巻き起こす火つけ役になったという事実をみれば、それは明らかであろう。

[この項、続く]

1015 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/25(火) 03:55
>>1011SGIさん
>[『創価学会を斬る』引用の続き]
 「第四の罪は、創価学会の政治支店、公明党の政策的曖昧さにある」(p114)。
。。。
創価学会応援隊HP
で、「輝き」っていう名前で書き込んでいるバリ創価学会員がいるんですけど。
実に創価的主張をしていました。
創価学会員が選挙活動をするメリットとして、地域社会との交流が深まり、住民の政治意識が高まるっていうのを挙げていました。
これは、一見正論のようにも見えます。
しかし、そういうんだったら、檀家制度に代表される日本の伝統寺院もそれなりに、そういう役割を果たしてきました。
別スレで、RINさんは、創価学会の互助組織とイスラム社会の互助組織を比較して、そのメリットを称えていました。
しかし、それを言うんだったら、「何故、創価学会=公明党じゃなければ、いけないのか?」の疑問に答えられないでしょう?
とりもなおさず、創価学会こそが日本伝統の地域社会の結びつきを破壊してきた張本人だったんきゃないでしょうか?
いざ、自分達が多数派になったからといって、そのメリットのもにしがみつくっていうのも如何なものでしょうか?
自分達が折伏っていう方法で、勢力を拡大してきたという実績があるのなら、逆折伏されたら、それに逃げないで堂々と反論する義務があると思う。

1016 名前: SGI 投稿日: 2004/05/25(火) 23:14
>>1015 yurikoさん。
>地域社会との交流が深まり、住民の政治意識が高まる ―― ですか。
私には単に、しつこい投票の誘いで公明党(自民党)に票を集めている行為としか思えないのですが。
しかも「法戦」と呼ばれ信仰活動の1つと勘違いし、上からの指示に従うだけの“健気な”姿であって、とてもとても高い政治意識に根ざした活動とは到底考えられません。
「輝き」さんが、マジでそう主張しているならば、相当重症ですね。
藤原弘達氏も『創価学会を斬る』で、学会の罪は、
「第七の罪は、強きをたすけ、弱きをくじくの罪」であり、
「第五の罪は愚民化誘導の罪である」と指摘しておりますが、まさに正鵠を射ていると思うのです。


次に、学会が、ある意味で互助会組織であることは事実でしょう。
同志愛に支えられた非常に堅い絆で結ばれたコミュニティー社会を築いているのですが、
それは反面、五人組の如く連帯責任を圧しつけられる雰囲気による相互監視と
濃密な人間関係による怨嫉や悪感情を生み出し、簡単には「足抜け」できない組織になっております。
私には、むしろ伝えられるところの北朝鮮の実情に近いのではないか、と思えてなりません。
したがって、学会が多数派・権力側に立ち創価的な社会を創出することをマジで怖れますね。
北朝鮮も、昔は「地上の楽園」と評されていた時期がありました。いずれ学会も矛盾が噴出するのでしょう。

1017 名前: 歴史の書き換え 投稿日: 2004/05/26(水) 15:01
『新人間革命 烈風26
秋月は、自分が個人的に藤沢に会って、率直に要望を伝えてみようと考えたのである。もし、創価学会に関する本を出すなら、極端な決めつけではなく、きちんと取材もして、事実に基づいて書いてほしい。また、そのために資料も提供するし、総本山にも案内するーーそれが、秋月たちの一貫した要請であった。』
『烈風27
秋月英介たちは、あくまでも丁重に、藤沢達造に要望を述べていった。
また、二人は、藤沢の了承を得て、数日後、この本の出版社の関係者とも会って要望を伝えた。
。。。。男子部員が、出版取次ぎ店を訪ねた折りに、藤沢の本の見本刷りを見せられた。
。。。その内容は、衆院選挙を前にした、悪質な妨害といってよかった。
ーーたとえば、学会は、公明党に天下を取らせて、やがて憲法を変え、「日蓮正宗を国教化」しようとしているというのである。
。。。そもそも、学会は、世界の広宣流布をめざしているのに、どうして日本の国教にする必要があるのだろうか。。。。。
藤沢は、一度として学会本部に取材に来たこともない。
学会を誹謗した他の出版社などを資料にしての執筆のようだ。
また、学会の選挙の支援活動にしても、会員の政治意識を目覚めさせる教育はほとんどなく、会員を無能にし、意のままに操り、票を集めているというのだ。
。。。世の中をよくしよう、民衆の手に政治を取り戻そうと、社会建設の使命に燃えて支援活動に取り組む人びとへの甚だしい愚弄ではないか』

1018 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/27(木) 01:17
>>1017の記述とSGIさんの>>1001-1002, 1010-1011の記述の差はあまりに大きい。
●池田大作の嘘
○創価学会、公明党や実在する団体名である以上、人間革命がフィクションだという言い訳は通用sない。
○竹入委員長、矢野書記長という公明党の最重要役職に就いている人物達の存在が完全に消えている。
○藤原行正氏は、秋谷と共に弘達に会いにに行った旨は、書かれている。
『秋月介は、公明党の都議会議員でもある幹部と、藤沢の自宅を訪問した』
何気なく書かれているが、政治力を駆使して圧力を加えようとする意図が隠せない。
★何より、当時の自民党幹事長田中角栄の名前がどこにも見当たらない!
これら>>1017の記述では、創価学会が公明党という政治権力を利用して、言論出版に自由を侵そうとした事実は隠蔽されている。
現在でこそ、創価学会=公明党の批判は、百花爛漫の様子だが、それらの嚆矢となった「創価学会を斬る」の出版は容易でななかった。
池田先生は、小賢しい方法で何とか、出版を妨害しようとしたのは明らか。
こういう男の人間としての品格を疑うのは私だけだろうか?
現在、池田先生は、トインビー対談に肖って、ガルブレイス博士という高名な学者と対談を進めている。
外国人で老人だったら、上手く騙せると思っているのだろうが、いい加減にしろと、言いたい。
故藤原弘達氏への鎮魂を込めて訴えたい。

1019 名前: 動物愛護協会 投稿日: 2004/05/27(木) 06:36
随筆/新・人間革命/法悟空/70/

先駆の使命・大九州
――友よ!21世紀をよろしく頼む――

この工業の街で、人間主義の旗を掲げて進む皆様にも、ある時は、陰湿な中傷と攻撃が、またある時は、畜生の坊主らの圧迫の烈風が吹き荒れた。
 いかなる宿命と使命のゆえであろうか。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
池田大作創価学会名誉会長に対して警告します。

あなたは、あまりに度々、動物を蔑称「畜生」と呼び、詩や随筆に使ってきました。
確かに、日本伝統文化には、部落民などを畜生と呼んで、軽蔑してきました。
浄土真宗では、差別戒名を使用してきたのは、広く知られている所です。
だからといって、現代において、不用意に「畜生」を差別用語として使うのは、如何なものでしょう?
まして、池田会長は、人間主義を唱え、生命の尊厳を訴える宗教家ではなかったのでしょうか?
よりによって、最も軽蔑すべき日顕宗の坊主を「畜生」に例えるなどあっていい筈がありません。
実体のない「珪冠詩人」の称号など、即刻返上しなさい!

1020 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/27(木) 07:39
訂正

確かに、日本伝統文化には、部落民などを畜生と呼んで、軽蔑してきました。

確かに、日本伝統文化では、部落民などを畜生と呼んで、軽蔑してきました。

1021 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/27(木) 11:04
>>1014SGIさん
。。。質問ですけど、
ここに登場する正木良明衆議院議員って、正木正明創友理事長の親父さんですか?
創価学会では、最高幹部の二世達が次々に、全国規模の幹部に登用されtますね。
別に世代交代はあってもいいんですよ。ただそれで、体質が変わることなく、閉鎖的、カルト体質が次世代に受け継がれて行くことを恐れるのです。
参考hp http://www.forum21.jp/contents/03-6-15a.html
正木理事長の挨拶
http://www.soka.ac.jp/news/sun/Sun26/alumni.html
『創立者の精神を万代に伝え、その構想を実現することこそ、創価大学、創価学園の根本的使命である」ことを全員の総意をもって確認しあいたいと思います。
 次に、母校を守り、支えていく私共の活動について申し上げます。
 昨年の総会で申し上げた通り、第1に我々一人ひとりが社会で実証を示し、創価教育の評価を高め、後輩の道を開くことであり、第2には母校に優秀な後継者、人材を送りこむこと、第3には財政的支援の3点に集約されます。』

1022 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/27(木) 11:28

何か、これ読むとぞっとしちゃいました。
別に、世代交代。。。いいんです。
しかし、日蓮正宗教義の破壊みならず、仏法を著しく歪曲した池田教説を本気になって、この連中は、『万代に渡って』伝えていくつもりなんでしょうかね?
カルト教義に何の疑問を持たず、益々悩乱者を増やしていくつもりなんですかね?
創価学会が世襲体制を組織全体に行き渡らせた時こそ、要注意でしょう。
池田先生は、自分の最愛の息子を失ったことを仏罰とまだ自覚できてないようですね。
個人的には、人の死を仏罰云々と述べたくはないのですよ。
しかし、城久氏を利用した池田工作が明らかになった今、その計画が実現していた場合のことを考えると、慄然とせざるをえないんですよ。
それに懲りずに、池田先生は、自己保身の為に、創価学会全体の世襲体制を築いてから、逝こうとしてるのかと思うとぞっとしますね。
私が望むのは、如何なる時点でもよいから、池田創価学会の功罪を総括し、できれば、毛沢東の死後、中国で起きた「四人組追放」みたいな、新生創価学会を築いて欲しいですね。
創価学会=公明党という存在が、最早、一朝一夕に無くならないのだとしたら、よりベターなものを目指して欲しいのです。
利権丸抱えの世代交代には、絶対反対ですね。

1023 名前: SGI 投稿日: 2004/05/27(木) 23:29
>>1021 yurikoさん。
 正木良明・元代議士と正木正明・副会長は、確か叔父・甥の関係だったと思いますが、もし違っていたら御免なさい。今度機会があれば確認しておきます。

 それにしても、度々書き込んでおりますが、本当に本部職員等の“世襲”が目立ちますし、最近は第4世代の団塊ジュニアが全国幹部や中枢幹部へ登用される年齢に達してきました。
 「創価学会の実態」スレ(≫232 )では、
>高級幹部らの子女は、他の学生に遠慮するのか、それとも会社側が嫌煙するのか、上場会社への就職はあまりなく(特に男子の場合)、学会及び関連企業・団体への就職が目立つ。
 うがった見方をすれば、一般企業と違って学会には業績評価は実質的にはないわけで、幹部職員であれば「おいしい生活」は保障される。親の人情としても、学会および関連会社への就職を望むし、また閉鎖的であればあるほど「おいしい生活」を会員に知られずに済む。だから、幹部ポストが高級幹部らの世襲になっていくのは当然であろう。

 また、本スレ(>>132-135)でも、
>「ウルトラマン世代」は、名誉会長にしても秋谷会長らにしても、子供世代。実際のところ、学会後継者と目される名誉会長の子息にしても、北条前会長や秋谷会長の子息にしても、その他学会中枢や公明党幹部議員の子息子女は、ことごとく皆学会および外郭団体に就職等している。彼らにとって、本部職員等は“家業”なのだ。(あのヤフーBB・データ流出事件の竹岡誠治容疑者の長男も本部職員です)
 <略>
 こうして、今の“学会村”=創価王国には、隠然と“宗教貴族”が存する。彼ら特権階級の“おいしい生活”を支えているのが、名誉会長ら学会中枢の情報だけを信じ、幻想を抱き、身も心も財も捧げている一般会員である。
 したがって、名誉会長を頂点とする特権階級の面々が、“家業”として手にしている現在の“おいしい生活”を、つまらぬ内部軋轢で失うようなバカげた真似をするとは思えない。常に外部に敵を作り、内部の怨嫉を発散させている。名誉会長が、瞋恚(しんに)な我執に身を費やさない限り、学会本部内で深刻な抗争は早晩には起きないであろう。

 と書き込んでおりますが、総じて後継世代の「ウルトラマン世代」は“学会万年路線”をどう築くのかが課せられた使命です。それを「創立者構想の実現」と称したり、「SGIの世界宗教化」と表しているのです。彼らにしてみれば、“学会万年路線”=家業の繁栄・永続なのでしょうから、一般の会員とはチト情熱・使命感が違うのは当然のことでしょう。それなのにいまだに「生々世々創価学会員であり続けます」と語る“御人好し”もいらっしゃるのですから、信濃町本部にしてみればありがたいコトで…。


ところで、yurikoさん。『新・人間革命』烈風の章との対比、期待しております。よろしく。

1024 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/28(金) 03:42
これは、「やっぱり」としか良い様がないのだが、創価学会の民主主義に対する理解は、「おそまつ」だ。
民主主義に於ては、「ルール」を守る限り、どんな言論の自由も保証されるべきだ。
個人個人が、その価値を選択して、「聞く聞かない」を判断すればよい。
自律こそが、民主主義の精神である。
特に、権力を持った勢力や権力者に善悪を決めて貰う筋合いはない。
したがって、民主主義とは、「人間性信頼の精神」とも呼べると思う。
「近所のおばさん達の噂話」「無責任な評論家達のコメント」「過激派のアジ」
これら、全て自由なのである。
ある人は、「クッチャベリの自由」と言ったが奈留程といえる。
今から、10年以上前、「アグネス論争」なるものがあった。
これは、タレントで才女のアグネスチャンが何の脈絡もなく、突然、日本人の親子関係や親子教育のあり方を批難し始めたのに対して、作家林真里子を中心に「あんんた、何もシラン癖に言うてんねん」と、反論し、それが、アグネスの人格攻撃にまで発展した事件だった。
あれは、言い分に関しては甲乙つけがたいが、「言論の自由」という点から見れば、起こるべくして、起きたといっていい。
つまり、「何か、自分の意見を世に広く問えば、それに対して、賛否両論があるのは当然」をアグネスは、もっときちんと覚悟すべきだった。
あれで面白かったのは、アギネスが聖教新聞日曜版に登場したことだった。
そこで、アグネスと創価学会員は、奇妙に「うまが合い」たがいに、マスコミの横暴に憤慨し、同情し合っていた。
そこで、私は。「こいつら、民主主義の意味が全くわかってない」だった。

1025 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/28(金) 04:25
そんな頑迷とも言える「民主主義への理解拒絶」が、創価スピリッツとなって、言論出版妨害事件以来、創価学会は、何も学ぼうとして来なかった。
聖教新聞5月31日「破邪顕正」に松浦伸作という男の署名記事が載っている。
松浦は「日蓮大聖人は、守護国家論」の中で、「一凶」と断じた悪書である法然の選択集を批難。布施を止めよ。と主張した。
また、ガンジーも不正に対して、不買運動を展開。故に、聞きたく無い言論に対しては。耳を貸さない権利を主張している。
これは、あまりに、我田引水的主張だ。
さらに、松浦は、「憲法の表現の自由とは、国家権力の規制からの自由、だから、言論機関が、市民団体(宗教団体も含む)に対して、批判をするのは許せない」などという無茶苦茶な屁理屈で、読者をケムに巻いている。
そして気に入らない言論に対しては「買うな!読むな!店に置くな!広告を出させるな!を主張。
xxxxxこいつって、ホント、アホ。
池田創価学会は、30年前の言論出版妨害事件であれだけ、世間から批判されたにに、全く反省していない。
日蓮大聖人は、邪宗との公場対決を望み、悉く勝利し、弟子にもそう勧めた。
それに負けた権力側に立った邪宗が、日蓮大聖人を迫害したのだ。
それなのに、創価学会がやって来たこと、主張していることは、「言論の封阿圧」であり、権力におもねっての弾圧だったのは、歴史的事実なのである。
創価学会が、「バカ」ばっかりなのは、もうどーしょうもないが、自分達同士で、互いに見下すかのように思われる記事は書かない方がよい。

1026 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/28(金) 04:39
訂正>>1025

聖教新聞5月31日「破邪顕正」に松浦伸作という男の署名記事が載っている。

2003年聖教新聞5月31日「破邪顕正」に松浦伸作という男の署名記事が載っている。

「言論の封阿圧」であり、権力におもねっての弾圧だったのは、歴史的事実なのである。

「言論の封圧」であり、権力におもねっての弾圧だったのは、歴史的事実なのである。

1027 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/28(金) 04:59
追加訂正>>1024

これは、「やっぱり」としか良い様がないのだが、創価学会の民主主義に対する理解は、「おそまつ」だ。れは、「やっぱり」としか良い様がないのだが、創価学会の民主主義に対する理解は、「おそまつ」だ。

これは、「やっぱり」としか言い様がないのだが、創価学会の民主主義に対する理解は、「おそまつ」だ。

そこで、私は。「こいつら、民主主義の意味が全くわかってない」だった。

そこで、私が思ったのは、「こいつら、民主主義の意味が全くわかってない」だった。

1028 名前: SGI 投稿日: 2004/05/28(金) 22:00
<言論出版問題・29>[>>1014 の続き]
◆昭和44(1969)年 
 ○12/19 『赤旗』「広告・書店に次つぎ脅迫、日新報道・皆川編集長が語る怪事実」を掲載。
 ○12/22 『赤旗』「公明党の出版妨害に新事実、自民福田前幹事長に頼む、消された学会批判書」を掲載

 ○12/22 『産経新聞』、阿川弘之の『ジュゲムジュゲム』を掲載。
 「先週の東京新聞『放射線』欄に、曾野綾子さんが『ジュゲムジュゲム』と題する単文を発表している。(中略)読んで、ははァあの問題をいってるなと私は思った。それは政治評論家の某氏が最近ある特定団体の内幕を暴露した本のことだ。その著書には正体不明の大きな圧力がかかり、正規の配給ルートにのせることも新聞広告をすることも出来なかったという黒い噂があるのである。『真相』を糾明したわけではないし、問題の本も読んでいないので、固有名詞を出すことは私も遠慮するが、噂の何分の一かでも事実とすれば、これは恐るべきことだ。
 その団体がナチスに似ているかどうか私は知らないけれども、ドイツにナチスが台頭した時期の不気味さを感じさせるものがある。日本でいえば、軍部に対する一切の批判が許されなかった、あの不幸な時代の到来を予感させる」

 ○12/23 『赤旗』「公明系出版社が日販に圧力」を掲載。
 ○12/23 「言論・出版の自由に関する懇談会」(代表世話人=草鹿外吉)が声明文を発表。
 ロシア文学者の草鹿外吉氏ら5氏のよびかけで、「言論・出版の自由にかんする懇談会」が開かれる。懇談会は「憲法第21条で保障されている『言論、出版その他一切の表現の自由』をはなはだおかす……行為を断じて許すことができません」との「声明」を発表し、この「声明」への文化人・知識人の賛同が年末年始の時期に333名になり、その後「言論・出版の自由にかんするシンポジウム」の開催となる。
 この「懇談会」によって、いくつかの具体的事例が明らかとなった。

★内藤国夫著『公明党の素顔』の場合 ⇒ >>942 参照
★植村左内著『これが創価学会だ』の場合 ⇒ >>943 参照
★隅田洋著『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』の場合 ⇒ >>945 参照
★竹中信常(大正大学教授・宗教学)著『創価学会』(労働法学出版)の場合
 校正段階で、学会渉外局長・山崎尚見からゲラを見せるように要求され、提出。山崎、約1ヶ月後、朱をいれたゲラを示し「創価学会から見てこの本は創価学会を正しく書いていない。手を入れたように変えて刊行せよ」と要求、原文通り刊行するなら名誉毀損で訴えることも、と圧力を加える。そのため刊行が2ヶ月遅れる。
★福島泰照著『創価学会・公明党の解明』の場合
 創価学会からの妨害を予想して、秘密裏に出版作業をおこなった。しかし、本ができあがるころから、大手取次店や広告代理店の扱い拒否という事態に直面し、出版が大幅に遅れた。
★梶山季之著『小説・創価学会』(女性雑誌に連載)の場合
 梶山氏に抗議の投書が殺到し、雑誌編集長はいやがらせをうけて蒸発するという事態になり、連載を途中で打ち切った。
 この他にも、塚本三郎著『公明党を折伏しよう』(名南経済振興会)、森ごろう著『創価学会をあばく』(日本出版センター)等、創価学会に気に入らないとみなされた印刷物の著者や出版関係者がいやがらせをうけ、出版が妨害された事例が次つぎと明らかになった。(『前衛』03年11月号)

 さらに、創価学会が組織的に印刷、広告、取次店から小売店まで、圧力をかけたことも明らかになり、作家の臼井吉見氏らも「私もいやがらせをうけたことがある」と述べ、これまで創価学会・公明党の反民主主義的体質に危惧をいだいていた言論人や宗教家が立ち上がる。
 日本ジャーナリスト会議、全国出版産業労働組合総連合会、日本新聞労働組合連合、文化団体連絡会議などが、言論・出版妨害の真相究明と創価学会・公明党への抗議を表明。
 岩波書店の玉井乾介編集部長、未来社の西谷能雄社長、飯塚書店の飯塚広社長、文理書院の寺島徳治社長なども「言論の自由の重要性を訴える」声明を出す。

[この項、続く]

1029 名前: SGI 投稿日: 2004/05/28(金) 22:01
<言論出版問題・30>[>>1028 の続き]
◆昭和44(1969)年 
 ○12/24 『北海道新聞』他、公明党・矢野書記長の事実無根談話を掲載。
 矢野書記長、「言論・出版の自由に関する懇談会」声明文(12/23)に対し、「公明党が出版や広告に圧力をかけたというのは、まったく事実無根であり、悪意にもとづく中傷だ。共産党がデッチ上げてさわいでいることだが、きわめて次元の低いデマであり、選挙妨害、名誉毀損にあたるので、ただちに公明新聞で党の見解を明らかにする予定だ。声明を出した学者、文化人の人たちも、先入感を持たずに、客観的な認識をもって、よく調べたうえでやってもらいたい」とする。

 ○12/24 『産経新聞』、学会内部の動向ルポを掲載。

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 いっぽう、創価学会内部では、二重の悪質な〃嘘つき行為〃が行なわれていた。昭和44年(1969)12月24日の「サンケイ新聞」によると、学会内部では、「共産党はなんて卑怯なことをやる党だ。今朝、全戸に配られたチラシを見ましたか。『言論出版に圧力と妨害を加える公明党』という大見出しで、ウチの悪口をさんざん書いている。なんとかいうインチキ学者の本を引用してサ。こっちも反論しないでよいものだろうか」とか、「あの学者は来年(昭和45年)2月、M大学をクビになるという話だ。それまでのカネ儲けのためにあんな本を出版したんだろう。いまにご本尊さまのバチがあたるさ」というようなことを議論していたという。

 自己の言論・出版の自由への抑圧には口をとざし、一般会員には共産党の批判を〃デマ・中傷〃と受け取らせ、さらに学会内部にデマをばらまいたのである。

 さらに、学会内部では、「(池田大作)会長先生は見苦しい選挙をして勝つよりは、堂々と戦って負けたほうがよいとおっしゃったではありませんか。このお言葉をもう一度かみしめて、きたないケンカは買うのをよそう。それよりこちらは正々堂々の政策を訴えていきましょう」 「大勝利をおさめて池田先生にご報告致しましょう」(『サンケイ新聞』同日付)などと、宗教団体だか政治団体だかわからないような〃政教一致〃を地でいく運動、絶対的権威者・池田大作会長のみを尊しとする妄信的運動が、学会幹部のデマに踊らされて進められていたのである。

# 平成の「宗創抗争」でも全く同じ手法・論法だ。
 しかも藤原氏によれば、氏のマスコミでの活躍が「大学教授らしくないから退任させろ」と言い出す者が大学内に現れ、後にこの言い出しっぺ者は創価大学に教授として迎え入れられたという。

 ○12/25 『赤旗』「〃反証あげてみよ〃『事実無根』の矢野発言に藤原弘達氏が怒る」を掲載。
 ○12/25 矢野書記長、NHKテレビ『そこが聞きたい』で再び「妨害はしていない」と発言。

 ○12/25 『改革者』1月号発売。遠藤欣之助「われわれは沈黙しない 公明党の言論・出版妨害の実態」を掲載。
 ○12/25 『東京新聞』、『改革者』1月号の広告から無断で「公明党の」をカット、単に「言論・出版妨害の実態」として掲載する。
 ○12/26 『赤旗』「消された『公明党』の文字、新聞の広告主も知らぬ間、出版妨害また明るみ」を掲載

 ○12/27 衆議院総選挙。
 公明党、「言論問題」にもかかわらず、前回の25名から倍増の47名当選で大躍進。第3党になる。

 ○12/31 フジテレビ『ナイトショー』(司会・前田武彦)に藤原弘達が出演、言論問題を語る。

[この項、続く]

1030 名前: SGI 投稿日: 2004/05/28(金) 23:58
<言論出版問題・31>[>>1028-1029 の続き]
◆昭和45(1970)年 
 ○01/ 【学会】北九州会館主事・川内宗雄、北九州市小倉区の金栄堂とナガリ書店を訪れ、『創価学会を斬る』に関して「100人の客と20人の客とどちらが大切だという商売の話」をし、「批判書を売るなら、売れ筋の『人間革命』など創価学会の出版物を扱わせない」と圧力をかける。
 ※同様事例が、北海道・愛知・福島・大阪・京都・東京など各地で頻発。

 ○01/05【学会】副会長制施行。北条浩・秋谷栄之助・森田一哉の3氏が就任。
 「池田は突然、学会の機構改革を断行して副会長制を敷いた。会長の下に北条浩、森田一哉、秋谷栄之助の三人の副会長をおいたのである。この人事のナゾはのちに解けるが、要するに事態を悪化させるだけ悪化させたあげく、事件の張本人である池田大作には身勝手な自己保身しか頭になかった。」(藤原行正著『池田大作の素顔』)
 ○01/05 公明党竹入委員長・矢野書記長、学会の役職(総務)を辞任。
 ○01/08 北条浩、公明党の副委員長を辞任(以後、学会の職務に専念する)。

 ○01/05 公明党竹入委員長・矢野書記長、記者会見。
 竹入、「私も矢野書記長も(同席の矢野書記長が「公明党、創価学会を通じて」と言い直す)出版その他を押さえようとしたことは一度もない」「私が自民党のある実力者を通じて、藤原氏の本の出版を取り止めるよう依頼した事実はない」「同氏の本は悪口雑言をならべたものにすぎず、具体的には何もない。政治評論家といわれているが、われわれとしては相手にする人物ではないと思っている。出版を取り止めてもらいたいというようなケチな考えは持っていない」。
 矢野、「事実無根としかいいようがない。もしそのような事実があるというのなら、立証の責任は藤原氏にある」と語る。(『聖教新聞』70年1月6日付、他)

# この記者会見が火に油を注いだ。
 年末は選挙期間中だったので、『赤旗』のみが精力的にキャンペーン報道を行い、新聞メディアは報道を差し控えていたのに、この全面否定の記者会見で一挙に全マスコミが取り上げるようになった。まさに自業自得・墓穴を掘った。後に竹入氏は「放っておいたほうが良いと進言したが、……あの記者会見も学会幹部からの強い要請でせざるを得なかった」と周辺に語っている(『朝日新聞』98年9月18日付)。
 

■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P127)
 事態の悪化に直面して、学会上層部は連日のように善後策を協議していた。悪あがきを繰り返す池田になんとかブレーキをかける必要がある。大幹部全員の頭にその思いが強かった。何度か話し合った結果、竹入がある謝罪案を口にした。要するに今回の問題はこちらに身に覚えのあることだから、相手側と世間に対して、「これから気をつけます」と、頭を下げ、とにかく事件を収めようという発案だった。

 事件解決を優先させるにはそれがもっとも常識的な手であった。そこで幹部間の最終意見がまとまり、学会ナンバーツーの北条さんが池田大作へ最高会議の結論を報告した。ところが、池田はここで首を横に振ったのである。
 「絶対に事実無根で押し通せ!」。池田は北条さんにこう厳命し、その指示が北条さんから今度は竹入に伝えられた。池田独特の性格がまた顔を出したのだ。もし一度でも創価学会会長たる者がミスを認めたら自分の権力の座が危くなると不安でもあったのだろう。この男は自分の犯した誤り、間違いを決して認めようとしない性格の持ち主であった。(中略)

 一方、池田大作が謝罪案を蹴ったために、竹入は大ウソつきの汚名をかぶる羽目になった。
 四十五年一月五日、彼は党書記長の矢野とともに記者会見し、創価学会の言論出版妨害事件はすべて事実無根と発表してしまったのである。その発言内容は内部の人間でさえ恥ずかしくなるようなウソだった。

[この項、続く]

1031 名前: SGI 投稿日: 2004/05/28(金) 23:59
<言論出版問題・32>[>>1030 の続き]

◆昭和45(1970)年 
 ○01/06 『朝日新聞』、藤原弘達が「まぎれもない事実だ。電話の録音テープもあるし、国会での証言もいとわぬ」と語った、と報じる。

 ○01/06 田中角栄、記者会見。「藤原弘達への執筆中止依頼は公明党に頼まれてではなく、つぶやきを聞き、おせっかいを焼いた」「友人がひどく書かれているとき、その雑誌社へ陳情した部類」と発言、自身の関与の事実を認める。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から
 この竹入の事実無根発言に激怒したのが藤原弘達氏である。氏は私や秋谷とのテープを持っているし、自民党の田中幹事長から執筆取り止めを依頼されたのも事実。その席で田中幹事長は、「公明党の竹入委員長から頼まれた」と、学会側の裏工作の真相を弘達氏に打ち明けてもいたから公明党首脳のウソはだれの目にも明らかだった。ここに至ってマスコミ各社は創価学会へ強い疑惑の目を向け、国会では共産党、社会党らによって創価学会会長・池田大作、公明党委員長・竹入義勝の喚問問題が取り沙汰される事態となる。

 この時、池田大作の見せた醜態はひどかった。言論出版妨害問題が国会で取り上げられ、池田本人の喚問の可能性が生じるや、この男は日ごろの威張り返った仮面を脱ぎ捨てた。国会という公の場でギューギューやり込められたら、もうお手上げだ。学会内部のウソでかためた池田崇拝など吹っ飛んでしまう。自分の正体が暴かれるのを、池田はおそれ、あわてた。そのうろたえぶりは哀れというより無残だった。

■竹入義勝『政界回顧録』
 69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。
 創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、「竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ」と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。電話で連絡を取った。
 「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」
 「すまんなあ」
 「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」
 「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」
 「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」
 こんなやりとりをしたのを思い出す。
 佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた。(『朝日新聞』98年8月26日付/『前衛』03年7月号)

■佐藤昭子(田中秘書)著『私の田中角栄日記』
 当時、池田大作氏は「田中さんのためなら公明党をつぶしてもいい」とまで言ったそうだ。田中は年1回の公明党の青年研修会で講演して帰ってくると、私に池田氏がああ言ったとかこう言ったとか、全て話してくれた(75頁/『前衛』03年7月号)

[この項、続く]

1032 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/29(土) 02:27
電話で連絡を取った。
 「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」
>>1031SGIさん
>(竹入) 「すまんなあ」
>(田中) 「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」
>(竹入) 「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」
>(田中) 「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」
>(竹入) こんなやりとりをしたのを思い出す。
。。。SGIさん、一部(名前)を付け加えました。
何か、感動しました。
創価学会=公明党が、さんざん、揶揄や批難しているのとは、対照的にやはり、竹入氏や田中氏は、責任感のある立派な男達だったのですね。
それに比して、創価学会員から仏様のように崇められている池田大作先生の無責任ぶり、厚顔無恥、俗物ぶるは情けないとしか言い様がないですよ。
新人間革命が果たして本人の手によるものかどうかは別にしても、本人が全く目を通してないということは、考えられないです。
すると、池田先生は、少なくとも、自分の目が黒い内は、徹底的に世間と(人のいい)学会員を欺き通して、逝くつもりなんでしょうね。
私が池田先生に心から望むのは、
せめて、死ぬ前に、自分に少しでも「仏心」=良心の欠片でも残っているなら、
(偽(御)本尊なら別ですが)御本尊様の前に端座して、心から、自分の悪行を悔い、懺悔して欲しいですね。
そして、無念の内に亡くなった藤原弘達氏の墓前に詣でて、謝って欲しいですね。
そして、事実上、創価学会=公明党から追放された、竹入、矢野元公明党委員長の名誉を回復して欲しいですね。
けっして、遅くならない内に。
o(__)oペコ(^人^) おねがい

1033 名前: SGI 投稿日: 2004/05/29(土) 19:31
<言論出版問題・33>[>>1028-1031 の続き]

◆昭和45(1970)年 
 ○01/07 共産党・宮本顕治書記長「日本の政界、政党の本質的な重大問題として国会で取り上げていきたい」と表明。
 ○01/08 社会党・江田三郎書記長、言論問題を国会で取り上げると表明。
 ○01/10 民社党・佐々木良作書記長、「わが党も特別国会で取り上げる」。

 ○01/11 TBSテレビで放映されていた対談番組『時事放談』で、政治評論家の細川隆元氏が「公明党はナチスに通ずる、今度はこの席に関係者を呼んで問いただす」と発言し、細川氏と小汀利得氏の対談の席に池田大作氏を迎える特別企画が組まれた。
 しかし、池田氏側は、体調不良で多忙という奇妙な理由で出席を拒む。

 #ほら、やっぱり“逃げる”。絶対に矢面に立つことはない。

 ○この頃【学会】渉外三局の渡部理事、男子部員の上原成宏に共産党を探れと命じる。
 さらに「公明党サイドに、市川雄一機関紙局長らを中心とするグループ、聖教新聞内に篠塚八洲特別報道部長をキャップとする対代々木(共産党)情報師団がつくられた」(『週刊文春』80年8月14日号)

■山崎正友著『盗聴教団』から
 昭和45年1月中旬、私は、学生本部三階の仏間で、池田大作氏より直々に、『折伏教典』を手渡され、「この中に、強要罪や、宗教法人法違反の内容があるという人がいるんだ。学生部の法学委員会で検討してくれないか。共産党が国会で創価学会の体質問題をやるといっている。国立戒壇から何から、ひとつひとつ総点検して対策を立ててくれないか」と依頼された。私は、私のほかに長谷雄幸久、猪能重二(ともに弁護士)、桐ヶ谷章、吉村弘、高井康行(当時司法修習生)、神崎武法(検事)、亀本和彦(建設省)氏らでプロジェクトを作り、作業を開始した。(中略)

 当時、創価学会本部では、北条浩副会長(当時)を中心に、毎夜、会議が開かれていた。そこに、竹入、矢野、竜氏ら公明党首脳、秋谷、森田一哉、和泉覚氏らの組織幹部、山崎尚見、芳賀昭人氏ら広報室関係者、それに、青木亨、福島源次郎、市川雄一氏ら機関紙ならびに青年部首脳が加わった。私も、プロジェクトの代表としてその末席に加わった。
 事件の推移の中で、私のプロジェクトチームの作業内容がしだいに重きをなし、会議は、竹入、矢野氏ら、公明党の国会およびマスコミ対策と、私のプロジェクトの分析が軸となって展開されていくようになった。

# この頃の学会本部は大変だった。ほとんどの幹部職員は寝る時間もなかったという。
 「言論問題」による国会対策(特に証人喚問)に、正本堂建立・戒壇義をめぐる妙信講との軋轢、そして共産党対策(後の盗聴事件や「創共協定」へと発展)、そして会員の動揺や脱会者や会内の批判者への対応に追われていたのだ。

[この項、続く]

1034 名前: SGI 投稿日: 2004/05/29(土) 19:32
<言論出版問題・34>[>>1033 の続き]

◆昭和45(1970)年
 ○01/11【学会】両国・日大講堂で学生部幹部会を開催(2万人参加)。
 渡部一郎・公明党国対委員長「言論の自由の問題について」講演。後日、引責辞任へと発展する。

■渡部一郎・公明党国対委員長の講演(抜粋)
 (前略)こんなバカバカしい(笑い)話がありますか。なにがわたしたちが言論弾圧などしますか(笑い)。創価学会の初代会長以来、日蓮大聖人以来、お釈迦さま以来(笑い)、言論の自由のために闘っているわが創価学会が、そんなバカなことをやりますか(強く)。もう私は聞いてあきれるというんだ(笑い)。まさにあっと驚くタメゴロー(大笑い)。

 こんなバカな話はない。真相はどうだったか。(中略)このバカバカしい事件、まるっきりウソとゴマカシとデマと中傷でかためたハナ紙みたいなものをもってきて、恐喝にくるアホウがまだいるということなんです。はたして言論弾圧であったか、いいですか、言論弾圧であったか、それとも恐喝に対する果敢なる挑戦であったか――その違いが明らかになるでありましょう。その時の『公明新聞』は、きっと売れるでありましょう(拍手)。

 本当にバカな話、あきれるほどです。天下の創価学会と天下の公明党に対して脅かそうなんて、まったく(大声で)驚いたね。まー、ほんとに、ほー、ほんとに考えられないね。ほんとにバカバカしい話(笑い)、まったく頭にきてるんですが、今静かに鳴りを潜めているところなんです。

 そうしたら、また社会党のうすバカどもが調子にのって、「言論の自由の問題は政治の問題であるから、われわれもとりあげたい」――この間からとくに140議席から90に落ちたのがこたえているんだな。ひがみ抜いとる感じだな(笑い)。まだいいよ、90もあるじゃないか。その程度で済んで感謝しなきゃいかん(笑い)。そうひがむなよ(笑い)。こっちなんかまだ47で我慢しているじゃないですか(笑い)。とにかくひがんだヘンな目つきして、傷だらけの傷病兵みたいなもんだ。僕らとすれ違うと、恨みがこもった目つきで見る(笑い)。

 そこへ民社党が、「あの問題はうちが言い出したものだ。言論の自由の問題は重要だ。このさい徹底的に公明党をやっつけなきゃいかん」とかワイワイいう(笑い)。共産党をやっつけるのが立党の精神なら、民社党は公明党としっかり闘うべきだ。それを公明党とケンカして、どっちの味方なんだ。わけがわかんなくなる(笑い)。頭が宙返りしている。そんなんじゃしょうがない。本当の政治家と思われない。気がちがってるとしか思われない(笑い)。

 それから、自民党なんかにものを頼むほど、うちは落ちぶれていませんよ。はっきり言っておくけど(長い拍手)。皆さんにわかってもらいたいんだけど、うちは自民党に“貸し”はあるけど“借り”はないですよ(拍手)。“貸し”いろいろあるけどね。
 最近は「角」とか「福」とかいう連中が、次の総理になるそうなんだな。はっきり言っておくけど、両方とも“黒い霧”のヒモがちゃんとついてるんだ。導火線をうちは握っとるんだ(笑い)。いつだって火はつけられるんだ(笑いと拍手)。
 選挙があるから、我慢しているだけだ。それなのに調子に乗りやがってね、うちを脅す片棒を担いでいる奴なんか、容赦せん。容赦せんと、われわれが怒るだけで、向こうはあわてちゃっているんです。(中略)公明党のカンニン袋の緒が切れたらどうしよう。恐怖と脅威は、かれらの災難ですよ(笑い)。それがこっちにわかっているから、笑って平気なんです。「おお、やっているじゃないか」(大笑い)――というふうにある日、僕はユメを見たんだというわけです(大笑い)。

 また日本共産党は、自分自身がひどすぎるじゃないですか。(中略)こんなおかしな共産党が、党内にさえ言論の自由さえない政党が、なんでこんなおかしなことをいうんでしょうか。

# 実は共産党批判の部分が一番長いのですが、内容はほとんど自己批判=学会・公明党の内実紹介としか思えないものです。
 いずれにせよ、この光景、今般の「宗創抗争」でもあったよね。変わらないんだね、学会の体質は。

[この項、続く]

1035 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/30(日) 01:52
>>1033SGIさん
。。。
SGIさんが紹介して下さっている資料というのは、皆公開済みのものだけなんですよね。
読む人は読むんだろうけど、雑誌で、(当時)500円、本だと1000円払ってまで、購入しないのでしょう。
その上、>>1025『「買うな!読むな!店に置くな!広告を出させるな!』と、、、会員達を洗脳するのですから、
「ほとぼりが醒めたら」、誰も気にしなくなるというわけなんでしょう。
誰かが、言っていたんですけど、
創価学会問題の難しさっていうのは、学会は組織的に行動するが、それへの批判者達は点となって、面、まして立体にもならない為に何の力も発揮できないで、尻しぼりになってしまう、と言っていましたが、これは、学会批判にも当て嵌まるわけでして、批判が面と中々ならないんですよね。
そういう意味で、SGIさんは、言わば、点と点を結びつける働きをされていて、大変意義深いと思いますね。
それにしても、学会本部の言い訳とは別に、竜氏は、当時、本部と公明党とのパイプ役という重要
な役を担っていたのですね。
福島副会長、山崎弁護士、皆、一生懸命だったんですね。
おかしな感じでしょうが、今更ながら感謝?です。
それにしても、元東大法華経研究会の渡辺一郎って、見かけ倒しで、完全なバカですね。
こういう渦中で、党の重要職にありながら、こういう軽率な発言をするとは!
戸田先生から頂いた名前(城永)を返上してよかったですよ、増して、公明党委員長にならなくてよかったんでしょうね。(否、却って、相応しかったかも知れない)

1036 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/30(日) 02:29
訂正>>1035

まして立体にもならない為に何の力も発揮できないで、尻しぼりになってしまう、

まして立体にもならない為に何の力も発揮できないで、尻すぼみになってしまう、

1037 名前: SGI 投稿日: 2004/05/30(日) 12:13
>>1035 yurikoさん。
 なにも渡部一郎氏だけではないでしょう。
 今般の平成の「宗創抗争」でも、森田前理事長以下、和泉、辻、柏原、山田といった古参幹部が、あるいは首脳幹部が、『聖教』の紙上座談会や本部幹部会、方面の幹部会などで、人としての品性を疑わざるをえない口汚い言葉で宗門・猊下批判を繰り返しておりますように、当時も各地で同じように、学会批判者を罵っていたということです。

 大衆を扇動する人の性なのでしょうが、それにしても信仰によって培われるだろう高潔な人格や品性というものを微塵にも感じさせない学会(公明党)幹部の言動には、ほとほと呆れ返ります。いわゆる「法を下げる」ということですね。

 なお、渡部一郎氏の講演内容は、後日『赤旗』でスッパ抜かれ、党要職者の発言であるだけに問題となり、国対委員長辞任へと追い込まれていきます。

1038 名前: SGI 投稿日: 2004/05/30(日) 12:15
<言論出版問題・35>[>>1033-1034 の続き]

◆昭和45(1970)年
 ○01/14 第63回特別国会召集。第3次佐藤内閣成立。

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 私はこのタイミングをとらえて、佐藤栄作首相に公式の会見を申し込んだ。佐藤首相は、先に紹介したように、前年の訪米前、斎藤一郎秘書官を通じて、はげましの言葉を寄せてくれた。その事実から考えると、私が田中角栄の名前を公表するまでは、この問題に田中が関与していたことを、佐藤首相は知らなかったようだ。田中角栄自身も、佐藤総理は絶対に関与していないと強調していたが、それは信じてもいいだろう。

 しかし、だからといって、これが自民党の問題にならないということにはならない。なぜなら、自民党の幹事長というポストは、自民党が政権をとっている以上、権力そのものであるからだ。つまり、これは権力による言論・出版の弾圧という意味合いを含んだ重大問題でもあるのだ。その意味でも、私は佐藤首相に会い、私の意見を述べておくことが必要だった。(中略)

 伝え聞いたところによると、佐藤は、「公明党のためにそこまでやる必要はないではないか」と、田中を叱責したという。すると、田中は、「公明党に限らず、国会対策はすべて幹事長の俺に任せるといったではないか。やりにくいことばかりこちらに押しつけて、きれいごとばかりいうとは……」と怒鳴ったともいう。佐藤親分としては、子分の田中に開きなおられた格好になった。こうなると、佐藤はその立場上、さんざん手の汚れる仕事にこき使った田中を、どうしてもかばわざるを得ない状況に立ちいたったわけだ。

# そう、政権与党の現役幹事長が絡んでいるのだ。まさに権力による言論弾圧。それ故に、田中幹事長の更迭ができない佐藤首相も弁明する側に立たざるをえなくなった。

 ○01/16 公明党、京都府知事選(4月12日投票)で自民・民社の推す柴田護の支援を決定。

# はい、ご想像の通り、取引きです。

 ○01/16 公明党矢野書記長、記者会見。
 「党でこの問題を調査した結果、著者に対して正確な認識と客観的な批判を要望した事実は認められるものの、それはあくまでも不当な中傷に対して、みずからの名誉を守るための話し合い、要望といったもので、一部に誇大に宣伝されているような言論自由妨害といったものではない。しかし国民に疑惑を抱かせたことは遺憾であ り、今後もこれを反省の糧として、言論の自由をあくまでも尊重していく決意を表明する」との談話を発表。全面否定から部分肯定へ後退する。

 ○01/18 『毎日新聞』社説「言論出版妨害問題について」を掲載
 ○01/25 『朝日新聞』投書欄が「言論・出版の自由をめぐって」の特集を組む。
 特集は「『赤旗』が連日キャンペーン記事をのせたため、一般の新聞報道が立ちおくれたため」とことわって、「市民に強い危機意識"出版妨害"の真相求める声」として5投書が紹介され、公明党の「反論は遠慮する」とのコメントまで掲載。

[この項、続く]

1039 名前: SGI 投稿日: 2004/05/30(日) 12:15
<言論出版問題・36>[>>1038 の続き]

◆昭和45(1970)年
 ○01/25【学会】会長、指導で「言論問題は本門戒壇建立を前にしての難である」とする。
 ○01/27【学会】第31回社長会〔於、いろは〕、池田会長の発言から。
 「新しい段階に入ったんだから、三障四魔は当然だな。しかたがないよ。聖賢は罵言(り)して試みるなるべし、だからな。いろいろの事件があるが、これによって皆んな成長するよ。1月はやられましたね。2月、3月までだな。行解すでにつとめぬれば、だからな。だから仏法なんだな」。
 「いろいろの事件は学会が強くなり切った証拠でしょう。社会の仕組みが違っているから、問題にもなるよ。これだけの仕事をすれば疲れますよ」。
 「弘達の問題等、世間ではたいして問題にしていないよ。しかし、国会があるから慎重にしよう。だいたいマル共(=共産党のこと)は暴力革命だよ。社会党もダメだ」。

# この「言論問題」当初から、名誉会長は「三障四魔だ。魔の働きだ」と言い続け、決して自分たちの反社会的な行為(あるいは基本的人権への侵害)によって惹起したとの認識を示したことがない。

 ○01/30 池田会長は自らの国会喚問を阻止するために衆参両院の公明党国会議員を総動員し、赤坂2丁目のクラブ「石丸」などを拠点に、各党の理事を接待責めにして懐柔する工作をおこなう。
 さらに、池田会長は佐藤(※栄作首相)にも連絡を取っていた。70年1月30日の『佐藤日記』には、岩佐富士銀行頭取を通じて「藤原弘達問題には干与しな[い]様に」という池田からの伝言が記され、佐藤は「同感」と岩佐に伝えている(『佐藤日記ぁ31頁)。
 野党などから出された池田喚問要求について佐藤はのらりくらりと対応し、結局これをうやむやにしてしまう。池田の伝言どおり「干与しない」ように行動したのである。(※『佐藤日記』=佐藤栄作の日記)(『前衛』03年7月号)

 ○02/02 公明党・矢野書記長、出版妨害に対する反省から公明党と創価学会を分離して体質改善を図りたい、と語る。

 ○02/02 マスコミ関連産業労働組合共闘会議(9万7千人)が総評はじめ各労組に呼びかけ、「出版妨害の真相を聞く会」を開催し、21労組が結集。
 ○02/02 「言論・出版の自由に関する仏教徒懇談会」が結成され、各宗各派120人の仏教徒を前に全日本仏教会や東京仏教連合会の代表があいさつ。
 ○02/03 共産党系の「言論・出版の自由に関する懇談会」、文京公会堂で『公明党・創価学会の妨害に反対する言論・出版の自由に関する大集会』を開催。3千人が参集。全国各地でも「言論・出版の自由を守る懇談会」が結成される。

 ○02/03 『朝日新聞』社説「公明党は徹底的に体質を改めよ」を掲載
 ○02/04 『読売新聞』社説「公明党の抜本的体質改善を」を掲載
 ○02/05 『毎日新聞』社説「公明党の体質改善に望む」を掲載

# 国会再開を前に、新聞メディアが一斉に社説で取り上げはじめる。

 ○02/09 五木寛之・生島治郎・戸川昌子・梶山季之・野坂昭如・佐野洋・結城昌治の7作家、〃出版妨害問題がすっきりした解決をみるまで、創価学会系とみられる出版物、雑誌等に取材・執筆を自発的にさし控える〃との趣旨の文書を『潮』『週刊言論』編集部に手渡す。

[この項、続く]

1040 名前: SGI 投稿日: 2004/05/30(日) 12:16
<言論出版問題・37>[>>1039 の続き]

◆昭和45(1970)年
 ○02/14 特別国会再開。俗に「言論国会」と称される。
 ○02/18 共産党の米原衆院議員、代表質問で出版妨害を追及。
 自民党(佐藤首相)、衆参本会議での各党代表質問に対して「妨害といえぬ」と回答する。

# とうとう国会に舞台が移る。クライマックスだ。

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 これに対する佐藤首相の答弁は、まことに奇怪、「個人の名前があがっているが、そういうことこそ慎んでもらいたい」というものであった。代表質問は、一問一答ではなく、言い放し、答え放しであるから、これまでである。それにしても、佐藤は田中をかばうことによって竹入をかばい、竹入をかばうことによって池田大作をかばうほかなくなっていたわけで、彼らの気脈を通じた人的布石がここにはっきり出ていることを証明するものであった。(中略)

 代表質問が終わって、舞台は予算委員会に移る。まず、社会党の赤松勇が登場、しかし、先にも述べたように、赤松は不勉強の一語に尽きた。民社党の麻生良方と塚本三郎はまあまあの質問をした。共産党の不破哲三はさすがによく勉強していて、相当に切り込んだ質問をしていた。
 それに対する佐藤首相の答弁は、のらりくらり逃げの一方、「この本を読んだといわれるがどうなのか」と聞かれたのに対し、「前と後ろしか読んでいない。全部は読まなかった」と答弁する始末である。

 佐藤の唯一の論理的立場は、「今度の事件は言論妨害というけれど、必ずしも国家権力によるものではない」というものだった。すぐさま、これに同調する新聞論説もあった。
 しかし、これは、形式論理の知能犯的すりかえである。先にもいったように、与党の幹事長というポストは、政党政治においては、国家権力そのものといってもよいのだ。しかも、現代国家にあって、言論弾圧をする資格があるのは政府機関だけという論理をもち出すにいたっては、佐藤首相のバカさ加減にもあきれかえってしまう。そんなことでは、自民党が共産党を批判する根拠はなくなってしまうではないか。このようなバカげた論理が堂々とまかり通る国会だから、私がひそかに期待したような成果はなにもないまま、田中角栄は公明党に貸しをつくり、公明党は田中に借りをつくるようなことが許されてしまうのである。

■松浦総三『現代ジャーナリズム事件誌』
 佐藤首相にすれば、『創価学会を斬る』がベストセラーになったおかげで、角栄幹事長にカウンターブロウを与え、大蔵官僚出身の福田赳夫にスンナリとバトン・タッチできると考えてもおかしくないからである(そのことは戦後政治の第一級資料ともいうべき『佐藤栄作日記』にも書かれているが)。その一方、佐藤からみれば“跳ね上がっていた”創価学会をも同時に叩くことが出来たのである。
 こう見てくると、創価学会による出版妨害事件は極めて政治的謀略のにおいが強いことに気がつくだろう。藤原弘達のバックには佐藤首相がおり、狡猾な佐藤はこの創価学会の出版妨害事件を利用して安保国会を言論問題国会にすりかえ、池田会長の国会喚問という野党の要求を退けて創価学会に貸しをつくることに成功したのである。(片野勧著『捏造報道』音羽出版刊より引用)

# 片野勧氏は、元『聖教新聞』記者。「あとがき」で「本書はあくまでも創価学会の歴史の1コマを取り上げながら、内側から見た筆者個人の創価学会報道に対する1つの分析であり、見方である」と記す。
 片野氏は、マスコミの学会報道は一定の意図を秘めた偏見と捏造に満ちたものだ、との論調を展開する。
 そこで、氏の「プロローグ」での記述を借りて、「ましてや、発信する側にある意図をもって情報が洪水のように流されれば、未来は暗澹たるものになるだろう。毎日毎日、同じ類型的な記事ばかりを読み、不正確なマスコミ報道(学会メディア報道)ばかりを目にしていたら、人間の頭脳は次第に退化していくことは間違いないだろう」<文中の( )は、私SGIが挿入>と指摘させていただく。

[この項、続く]

1041 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/30(日) 18:19
訂正>>1035
>戸田先生から頂いた名前(城永)を返上してよかったで
。。。。
城永は秋谷栄之助
城克が渡辺一郎
でも、何で二人とも、そんな大事な名前を捨てたんでしょう?
やはり、池田先生は、自分が戸田先生から名前を貰えなかったものだから、嫉妬していたからでしょう。
頭のいい二人は、(バカな)池田先生の気を宥める為に、名前を捨ててみせて、池田先生の忠誠心を示したのではないか?
それにしても、実に下らない!
┐('〜`;)┌

1042 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/05/30(日) 22:23
>>1041
「城」の字を捨てて自分の元に就くか、「城」の字にこだわって創価学会の反逆者
となるかの二択を強要されたからです。

渡辺氏の場合、問題はもうひとつ存在し、妻の道子夫人(旧姓多田といえば
なるほど・・・とわかるのですが)との間の子の父親が実は池田氏では?
という疑惑があり、月刊ペン事件でもこのことが争点の一つとなっています
(司法判断では「決め付けるのは性急である」とするに留まり、踏み込んだ
事実関係の確認は行われていません。またこの子供と池田氏の次男には
なぜか同じ「城久」という名が付いていると言う疑問もあります)。

牙城会メンバーだった親類の話によれば、晩年の渡辺氏は相当な反池田&
反公明主流派だったようで、「政治家は汚職とか汚いことなんていくらでも
出来る。でも俺はそれだけは絶対にいやだ」と暗に田代議員(砂利舟疑惑)
の一派を批判しておられたようです。現在は蟄居の上、誹謗文書の発行元
にされたりといまだに池田氏からむごい目にあっておられるようです。

1043 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/31(月) 16:55
>>1042

>渡辺氏の場合、問題はもうひとつ存在し、妻の道子夫人(旧姓多田といえば
なるほど・・・とわかるのですが)との間の子の父親が実は池田氏では?
という疑惑があり、
。。。。
ちょっと訂正させて、下さい。
渡辺一郎の妻は、道子で、急性は、松島です。
姉が郁子で、藤原行正氏の妻です。>>73
渡辺一郎氏は、戸田先生から一字を参考貰い、城克を名乗っていたが、
秋谷氏が、城永の名前を無造作に捨てたように、一郎氏も戸田先生から貰った名前を捨てた。
やはり、戸田先生から、名前を貰えなかった為に、池田先生の嫉妬心を畏れたのではないか?
しかし、実を言うと、池田先生も名前を変更したのである。
それまでは、太作と名乗り、回りからは、「たっちゃん」と呼ばれていたそうだ。
「年令の奇妙な一致」とか、「戸田先生が出獄した日、それに同じ時刻に、権力の牙城たる府警察で、逮捕された」
とか、行き過ぎた、宗教利用をしているのが、池田創価学会なのである。

1044 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/31(月) 17:26
 渡部です。
 通子です。

 やはりガセネタはこんな調査力でしょう。
 馬鹿馬鹿しい限りですね。

1045 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/31(月) 17:28
 渡部です。
 通子です。

 やはりガセネタ屋はこの程度の調査力でしょう。
 馬鹿につける薬はありません。

1046 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/05/31(月) 19:28
>>1044-1045
単なるタイプミスかもですよ。yurikoさんのタイプミス有名。

1047 名前: yuriko 投稿日: 2004/05/31(月) 22:28
>>1045 沖浦克治 さん
>やはりガセネタはこんな調査力でしょう。
。。。。
私は、君を私の仲間だと思ってるよ。
( ^^)/\(^^ ) だんけつ

>>1043>渡辺一郎の妻は、道子で、急性は、松島です。

渡辺一郎の妻は、道子で、旧姓は、松島です。

1048 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/05/31(月) 22:33
 yuriko さん

>私は、君を私の仲間だと思ってるよ。

 それでは創価学会にお戻りなさい。
 でなければ仲間ではありませんよ。

1049 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/01(火) 00:26
>>1048沖浦克治さん
>それでは創価学会にお戻りなさい。
。。。
何か誤解してるみたいですけど。。。。
私は、池田憤飯本を処分した君の本質は、組織内アンチだと思うからこそ、
君を私の仲間だと見込んでるのだよ。

1050 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/01(火) 07:11
 yuriko さん

 それではあなたは私の仲間ではありえません。
 私は池田先生を心の底から尊敬申し上げております。
 あなたには見込みがないようです。
 私のかんちがいでした。

1051 名前: SGI 投稿日: 2004/06/01(火) 20:24
<言論出版問題・38-1>[>>1038-1040 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○02/
■原島嵩著『池田大作先生への手紙』から
 いわゆる創価学会・公明党による言論出版妨害問題が起こり、池田先生への批判記事を載せた出版物を回収したり、権力をつうじて圧力をかけたということで、国会でこの間題がとりあげられ、先生の国会喚問まで取り沙汰されるにいたりました。

 この背景には“池田先生は絶対でなければならない、無謬でなければならない”という考え方があったのです。これが仏法上からいってもどれほど誤っているかは、後述することにします。現北條会長や公明党の幹部、聖教新聞社出版総局等がその阻止に総力をあげたのです。

 なにしろ先生は、異常なほど国会喚問を恐れられていました。当時、私は、先生の側にいましたのでそのころの様子はつぶさに見て知っております。私としても、先生を国会でさらし者にされることは絶対に回避しなければならないという心でいっばいでした。

#「先生を守る」―― これに尽きるのです、本部職員の職務は。

■大橋敏雄著『“吹けば飛ぶ男”の奮戦記』から
 昭和44年の11月、藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』に対する、いわゆる言論・出版妨害事件が起こりました。45年になると、これが一気に社会問題化し、池田会長が国会に 証人喚問されそうな雲行きになりましたが、これを何とか抑さえようと、関係委員会の理事クラスや責任者を懐柔するように 指令が学会本部から公明党議員に出されました。
 「Aは誰、Bは誰」と 担当を決めて、狙いうちで赤坂の料亭や高級クラブに連れ出し、接待したのです。池田会長を守るためには 手段を選ばないのが実情です。
 ところが、遊びなれない公明党の議員は、相手より先にできあがってしまい、「ミイラとりがミイラになる」有り様でした。もっとも、今の公明党議員はすっかり遊びなれて、むしろ緩みきって、立党精神はどこへやらという状態のようです。

# 所詮、公明党議員は学会の走狗なんです。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から
 池田は自分の国会喚問をなんとしても阻止するために衆参両院の七十人近い国会議員を総動員し、各党の懐柔策を命じた。共産党を除く各党の理事を全部懐柔せよ、という号令が本部から全議員に指示されたのである。
 そのため公明党の全国会議員は赤坂二丁目のクラブ石丸を拠点とし、今日は自民党理事、明日は社会党理事という具合に各党代議士連中を接待攻めにした。その接待費は学会本部持ちで毎晩毎晩一流クラブや料亭へ誘い出した。各議員は接待が終われば拠点に戻って報告し、次の指示を仰ぐ。連夜の飲み食いで身体をおかしくする者まで現れる始末だった。(中略)

 池田大作は一人で逃げた。公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は2月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。
 この逃避行の際、年末に軽いカゼをひいたのを幸い、自分から不調を騒ぎ立てた上で徹底して重病人を装った。その側についていたのが一番弟子・原島嵩教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。原島はのちに月刊ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田のデタラメな行状について自分の目撃談を明かしている
 「四十五年の言論出版問題の時は、会長になってはじめての経験で(池田氏は)狂乱状態のような時もありました。時には、午前四時(ごろ)にある女性が靴下もはかないまま、私たちを呼びにきたこともございました。非常に度を失っていた時期だったので、そうした場面にも遭遇したのではないかと思っています」
 この時、原島と一緒に上田雅一現副会長も同行していた。そして、二人は逃避行中の池田大作の真の顔、ふしだらな女性関係をまざまざと見せつけられてしまう。

# 「池田大作は一人で逃げた」! 以前どこかにレスしたのですが、名誉会長の将棋は攻め込まれると、ひたすら王将が逃げていくみっともない展開になります。

[この項、続く]

1052 名前: SGI 投稿日: 2004/06/01(火) 20:25
<言論出版問題・38-2>[>>1051 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○02/
■原島嵩著『池田大作・創価学会の真実』から
 昭和45年に入ると、この言論出版問題は、共産党のみならず、社会党や民社党も、国会の場で厳しく追及するようになりました。
 池田は、病気を理由に箱根研修所に身を隠すようになります。副会長制もしかれ、あたかも集団指導体制を図るかのようなポーズをとります。池田は、ヒステリックに「私を守れ」「法難だ」を口にするようになります。私たちには「熱があって、万年筆もにぎれない」といって頭に氷のうを乗せ、弱りきった姿をさらしていたのです。熱があるというわりには、温泉に一日に二度も三度も入るというのも、おかしな話です。
 池田は、明らかに国会証人喚問を恐れていました。この喚問を回避するためには、彼は何でもしたのです。田中角栄氏にも借りを作ってしまいました。また当時の佐藤栄作首相にもみずから電話し、国会喚問回避の根回しをしました。また民社党の西村委員長にも、「公明党を民社党に合体させる」と口約束をし、その場をしのごうとしました。

# 逃げた先では、美女を侍らせ温泉三昧。そして権力者・実力者等に“泣き言・すがりつき”。

■藤原行正著『池田大作の素顔』から
 原島証言にもあるように池田大作は大の風呂好き。一日に二度も三度も湯舟につかる。重病人に化けた箱根でもこれだけは我慢できなかった。毎日せっせと入浴を楽しんだらしいが、風呂から上がるたびに熱を計った。湯上りの池田が上気した顔で体温計を口に含む。体温計の針は急上昇する。それを部下に示して、「おい、どうだ。こんなに熱がある!」 そのまま床にもぐり、部下に用意させた氷嚢を三つも四つも頭にのせて「ウーン、ウーン」と唸る一芝居。ところが、数時間経つとまた起き出して入浴、そして検温……。まともな神経ではとてもつきあいきれないような真似を演じていたのである。(中略)

 言論事件の直前だったが、池田は学会内に「未来会」という集まりをつくった。学会幹部の子弟、あるいは一般学会員の子弟でとくに優秀な者を集めたこの会は高校生、中学生、小学生らで構成されていた。いわば池田王国のエリート予備軍。池田先生の正しさ、創価学会のすばらしさを君らが証明しろ!そんな教育を小さい頃から徹底して受けた集団である。
 池田がその未来会のメンバーを箱根に集め、この事件は学会への迫害行為だとデタラメを教え、その「法難」と雄雄しく闘う自分の姿を見せつけた。不精髭は伸び放題、よれよれのドテラ姿で杖をつき、池田大作は純真な子供たちの前で受難者を演じて見せた。
 世間が騒いでいる言論出版妨害事件は、社会から池田先生に向けられた迫害だ、この問題で池田先生はこんなに苦しまれている、君たちは大きくなったら池田先生の仇を討つんだぞ……。純真な子供たちはその池田の言葉を真に受けた。

# 純真かどうかは別にしても、「仇を討つ」というのが「ポスト池田」後継世代の使命。
 「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(96年11月3日『創価同窓の集い』にて)。
 「私が戦ったのは、戸田先生の復讐のためだけだ。革命とは復讐戦だよ。戸田先生は、牧口先生の復讐のために戦った。私の復讐は弟子たちがやるんだ」(76年8月22日「自然友の会(学会員検事のグループ)」)。
 「戸田先生や牧口先生の仇をうつために、(私は)会長になり、立ち上がったのである。あとなにもない。これが師弟の道です。これが同志の契りです」(『前進』昭和41年9月号)。
 そうなんです、“怨念と復讐”が学会精神・師弟の道なのです。これが極意。

[この項、続く]

1053 名前: SGI 投稿日: 2004/06/01(火) 21:35
<言論出版問題・39>[>>1052 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○02/23【学会】本部全体会議。
       ◇
『昭和45年に入り、「言論出版妨害事件」は、ますます社会の糾弾を浴び、池田大作の国会喚問の要求も出て、創価学会の混乱ぶりは頂点に達した。池田は毎月の全体会議にも欠席するようになり、様々な指示は側近を通し伝えるようになった。
 昭和45年2月23日の全体会議の席上、秋谷(現会長)は藤原弘達問題のポイントとして
 一、内部の不安を一掃していかねばならない
 二、よく事情を知って対処せよ
 三、魔を打ち破っていく、という一人一人の基本姿勢が大事である
と指導し、「今、前進するものが真の勇者である」と煽って、職員の動揺を押さえるのに懸命であった。
 しかし、聖教新聞社社員や潮出版社社員等が一般書店を回って出版妨害をしていることは、かなりの職員が知っていたので、首脳の苦しい弁解を、首をうなだれて聞くしかなかったのである。』(元・学会本部職員A・Y『偽仏の如是我聞を検証する!?』慧妙・03年11月16日号)

 ○02/24 『赤旗』、01/11渡部講演(⇒>>1034)の全文を掲載。
 ○02/26 衆院議院運営委理事会で渡部講演追及の動きが出る。
 ○02/27 公明党・渡部一郎、「講演内容に穏当を欠くところがあった」として党国対委員長を辞任。
 ○02/27 国会・予算委員会、共産党・不破哲三議員が言論出版妨害事件に関して質問。佐藤栄作首相、高辻法制局長官が答弁に立ち、創価学会・公明党を擁護した。
 
 ○02/27【学会】第32回社長会〔於、箱根研修所〕、池田会長の発言から。
 「今度の事件(言論問題)で、とにかく日本中に浸透した。有名になった。本当は政教分離どころか、政教一致で私が指揮をとりたいよ、ほっておけない。竹入、矢野はよく頑張っている」。
 「(言論妨害といっても)たいした妨害ではないよ。どこでもやっている事だよ」。
 「新聞記者はどんな時でも味方にしなければならない。渡部は記者まで悪口を云ってしまった。おっちょこちょいだ。学会を大事にしない。手をたたく人がいるから、良い調子になってしまう」。
 「今度の事件も、幹部の誰かがやるだろう、と皆が思ったら重大だ。自分がやるんだ。自分の分野は完璧にするぞ、という決意でなければならない。今は戦闘だ。幹部がのほほんとしていてはいけない。皆んな闘え。どんな事をしても良いから、いざという時、責任を持つのが責任者だ」。
 「信心は責任だ。責任感から智慧も出るし、信心も強くなる。信心即責任、信心即福運だ」。
 「箱根は空気が良い。今は煙草がスパスパすえる。1日5箱位すえる。東京へ行くと駄目だ。1箱もすうと、もう駄目だ」。
 「本物と偽物とを見分けなければならない。(略)拓大の矢部総長が「藤原弘達は、あれは本物ではないよ」と云っていた」。
 「マル共(=共産党)は空振りだったな。高辻法制局長官が「道義的には問題が残るが、憲法違反等という大げさなものではない。二党間で争ったり、国会で論議したりする問題ではない。どうしても疑いがあるならば、それを法廷で争う問題である」と、こちらの言いたい事を皆、云ってくれた」。

# 信心即責任というなら、箱根に逃げ隠れ、煙草スパスパ・温泉三昧の日々をやめて、政教一致でもいいから指揮をとれよ。偽物は、どこまでいっても偽物ということか。
 
[この項、続く]

1054 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/01(火) 22:08
>>1051-2SGIさん
>“怨念と復讐”が学会精神・師弟の道なのです。これが極意。
。。。
私も幼い頃は、「悪しき権力者達が池田先生を虐めてる」と信じ切っていたんですけどね。
>なにしろ先生は、異常なほど国会喚問を恐れられていました。
。。。
何度も主張してる事ですが、
日蓮大聖人は、公場対決を自ら進んで望みました。
現代社会、特に人々の幸福を預かる政治家達はディベート(討論)の場こそ、自分の意見を人々に説得する最高の場です。
1960年、大統領候補の共和党ニクソンと民主党ケネディー、テレビ中継討論が行われました。
今でこそ、当たり前vになったテレビディベートですが、当時は画期的で、これによって、選挙の流れがディーに傾きました。
国会証人喚問ーー折伏の為の絶好の機会だったんじゃないでしょうか?
>言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。
。。。全く、その通り!
まずは、師匠が先頭に立って、実戦してもらわないと。
自分を支持してくれる者達だけを前に、演説するのは、そんなに難しくない筈。
もっと、堂々と折伏の実戦して欲しかったんですけどね。
立正佼正会の庭野日敬氏は、堂々と国会の喚問に応じたそうじゃないですか?
それを見て、恐らく、池田先生は怖じけづいたんでしょうね。
「とてもじゃないが、俺は無理」と。

1055 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/02(水) 03:50
箱根は空気が良い。今は煙草がスパスパすえる。1日5箱位すえる。東京へ行くと駄目だ。1箱もすうと、もう駄目だ」。
信心即責任というなら、箱根に逃げ隠れ、煙草スパスパ・温泉三昧の日々をやめて、政教一致でもいいから指揮をとれよ
偽仏の如是我聞は、全く裏目にでましたね。
池田先生の人間性の特徴として。
●自分は特別だと、信じ込む。
*
**竜年光氏に依ると、
2回目の池田との出逢いが強烈な印象を遺しているという。
いきなり池田(先生)は、竜氏に向かって「いつか世間をあっと言わせる」と言ったという。
竜氏は、『頭のおかしな男だ』と直感したという。
*池田先生は、小平教学部長に折伏されて、止むを得ず、入信に同意し、最寄りの寺院でも、同行した幹部の人に、無理矢理御本尊を押し付けられた。
住職に「受けてみるだけでも、一応受けてみたら、と宥められた」
それで、雷の恐ろしさに思わず、題目を称えた。
これで、どういうわけか、池田先生は、確信の男へと変身した。
それまで、何をやっても「うだつの上げがらない」男からの変化である。
他人の評価っや印象などいい加減なのは確かだ。
アインシュタインにしても、子供のころは、「頭が悪い」障碍者だった。誰も、彼が、20世紀を代表する天才だと思っていなかった。
日蓮大聖人にしても、当時の仏教界では、厄介者で、せいぜい怪僧としか見られていなかった。
そうすると、池田大作は、本当は20世紀を代表する偉人なのに、世間が偏見を持ち、誤解しているだけなのか?
池田先生の人生の最晩節に至って、我々は、真実を発見できるのか?
明らかに、連日聖教新聞一面を賑わす「顕彰」「勲章」の類いは、池田先生の優れた業績を後世に遺そうとの意図だ。
*それで、果たして、「世間をあっと、言わせること」に成功したのだろうか?
★確かに、世間は、昭和が生んだ、窮極の俗物として、彼を長く記憶に止めるに違いない。

1056 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/02(水) 04:02
>>1055の引用は、>>1054SGIさん
>箱根は空気が良い。今は煙草がスパスパすえる。1日5箱位すえる。東京へ行くと駄目だ。1箱もすうと、もう駄目だ」。
>信心即責任というなら、箱根に逃げ隠れ、煙草スパスパ・温泉三昧の日々をやめて、政教一致でもいいから指揮をとれよ。
。。。。
からでした。

1057 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/02(水) 04:23
訂正>>1055
>住職に「受けてみるだけでも、一応受けてみたら、と宥められた」
>それで、雷の恐ろしさに思わず、題目を称えた。

住職に「受けてみるだけでも、一応受けてみたら」、と宥められた
家に持って帰ると、拝まずに三日間放って置いた。
しかし、三日目に雷が自分に向かって落ちてくるような気がした。
その恐ろしさに思わず、題目を称えた。
●これは、池田大作先生が、東大教授の小口偉一氏のインタビューに直接答えたもの。
私は、池田先生の飾らない、率直な受け答えに感動した。
インタビューの全文は、Leoさんによって、掲載済みである。

1058 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/02(水) 04:32
再訂正>>1057

題目を称えた。

題目を唱えた。

1059 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 00:26
今日のクロ−ジアップ現代は「老人による犯罪」だった。
青少年による犯罪の増加と並んで、老人(65才以上)による犯罪の増加は著しく、
10年前の3倍だという。
科学技術の進歩のお陰で、貧困や病によって起る苦しみは、以前より遥かに解決されている筈である。
ところが、社会的問題は、形を変えて、新たに人々を苦しめる。それも、より大きな規模で。矛盾である。
そんな奇妙な時代の閉息感に於いて、人々が「奇跡的」な救いを宗教に求めるのも無理からぬ所がある。
創価学会に問題があるのにも拘わらず、未だに、多くの人々を繋ぎ留めているのは、そんな人々に生きる意味を、怪し気なものだが、与え続けているからだろう。

1060 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 00:44

創価学会は、そんなに悪くない。
いい人も沢山居る。
しかし、ちょっと、考えて欲しい。
30年前’、創価学会が引き起こし、社会的大問題になった言論出版妨害事件。
これは、創価学会が有力政治家や自分達自身の政治権力を利用しての、自由な言論の封圧だったのは、歴史的事実なのである。
それを恰も、何事もなかったかのように、健忘症を装おうことは、詐欺行為といえると思う。
必ずとは言え無いが、
やはり前科者は、付き合うのに要注意なのである。
嘘つきは、必ず新たに嘘を積み重ねるのである。
創価学会の体質が30年経った現在も何ら変わっていないことは、彼等の人間革命の記述を見れば、あまりに明らかだ。

1061 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 01:12
『烈風(←この題名からして、「言論出版妨害事件」は創価学会が受けた法難という印象を与えようとしている。)
29
12月2日、衆議院は解散となり、7日には、総選挙の公示を迎えた。
その数日前、藤沢は、民社党系の思想研究団体が主催するシンポジウムに出席し、創価学会と公明党から、自著の出版をめぐって、さまざまないやがらせ、妨害を受けたと語ったのだ。
xxxxさらに彼は、共産党の機関紙「赤旗」のインタビューに応じた。
藤沢は、反共評論家としても知られてきた人物である。それが、共産党の機関紙に、臆面もなく登場したのだ。』
『藤沢と話し合った秋月英介は、言論出版妨害されたと騒ぐ彼の言動に不可解なものを感じていた。丁重に要望を伝えただけであることは、藤沢本人が一番よく知っているはずである』
『烈風30
藤沢達造が、言論弾圧を受けたと騒ぎ出すと、これまでに学会や公明党の批判書を書いてきた何人かの著者たちも、一緒になって騒ぎ始めた。』

1062 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 01:33

『週刊誌を振りかざしながら、こんな言葉を投げかげつける人もいた。
「言論弾圧するなんて、学会も公明党も戦時中の軍部のようだな」
しかし、社会建設の使命に生きる同志は、決して挫けなかった。
烈風は、むしろ闘魂の炎を、ますます燃え上がらせていった。「何を言っているんですか。その軍部政府と命がけで戦って、信教の自由を叫び抜いたのが、学会なんです。
それに、根も葉もないことまで書きたい放題書かれ、悪口を言われ、弾圧されてきたのは、学会の方じゃないですか!」
皆、悔し涙を決意に変えて、敢然と走り抜き、衆院選は公明党が47議席を獲得するという大勝利を収めたのだ。
喜びが爆発した。全精魂を尽して苦難と試練を乗り越え、勝利をわが手にした者のみが得る、生命の凱歌であった。』

1063 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 04:01
>>1061-2
私は、上記の記述を読んでいて、怒りというより悲しみが込み上げてきた。
何で、ここまで嘘を書き列ねなければならないのか?
池田先生は、学会員は本当にバカばっかりだと思っているのだろうか?
少なからずの学会員は、大阪事件での池田先生の失敗に学び、そして、言論出版妨害事件の失敗から学ぼうとした。
そんな努力を、自らの責任放棄という形で、無造作に台無しにしていいものだろうか?
それを学会員に聞きたい。
『藤沢は、反共評論家としても知られてきた人物である。それが、共産党の機関紙に、臆面もなく登場した』
いかにも、共産党は悪との前時代的、悪印象を植えつけようとしている。
『丁重に要望を伝えただけ』
抑、都議会議員の藤原氏に交渉を命じた(最初は一人)ことを省略している、
公明党という政治力をちらつかせたのは明らか。
『藤沢達造が、言論弾圧を受けたと騒ぎ出す.....』
いかにも、藤原弘達氏が理不尽な「言い掛かり」をつけて来たかのような印象を与えている。
本人の手記。
更に、言論弾圧の当事者たる藤原行正氏、竹入、矢野元公明党委員長が、権力を行使しての、出版干渉だった事実を隠している。
その上、SGIさんの書き込みによれば、創価学会が組織を総動員して、出版の妨害をしたのは明らかなのである。
『一緒になって騒ぎ始めた。』
まるで、高見の見物で、人をバカにした記述だ。

1064 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 04:36
『「何を言っているんですか。その軍部政府と命がけで戦って、信教の自由を叫び抜いたのが、学会なんです』
。。。お前等な〜!舐めん名と!
さすがに、最近では、創価学会が戦前、戦争に反対して弾圧されたという記述は見られない。
もう恥ずかしいのだろう。
しかし、牧口初代、戸田二代会長は、「信教の自由を叫んだ」から、獄死したり、獄に繋がれたんじゃない!
ものは言い様だ。牽強付会の謗りは免れない。
私は、寧ろ、牧口、戸田両先生に対して、尊敬しているし、彼等が獄に繋がれたことは、それなりに意義があったと思っている。
やはり、令法久住という重大な使命があったとはいえ、宗門関係者で、教えの純粋さを保つ為に、喜んで、獄に入る者はいなかったし、現在でも、誰もいないんじゃないかと思う。(日顕猊下、御免なさい!)
それにしても、牧口、戸田両先生は、決して、「信教の自由を守る為」に逮捕拘留されたのではない。
記録によると、当時の創価学会員の折伏の仕方が、「公序良俗」を乱すとされて逮捕されたのである。
牧口先生は、「天皇を折伏しなければ、日本は勝てない」と主張し、ある会員が「子供死んだのは邪宗のせい」などと、言ったから、当局に目を付けられたのである。
たしかに、布教活動は、言論の自由の内に入るだろうが、その内容は、「言論の自由」を主張したのではなく、転倒した形での、他宗攻撃に過ぎなかったのである。
『根も葉もないことまで書きたい放題』
そうでもないと思う。根拠はあったと思う。
『喜びが爆発した。全精魂を尽して苦難と試練を乗り越え、勝利をわが手にした者のみが得る、生命の凱歌』
。。。他人の不幸の上に、自分の幸福を築いてはならないーーやっぱり、嘘だったんですね?

1065 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 06:04
>>1063
やはり、極めつけは、竹入公明党委員長は田中角栄自民党幹事長に頼み込んで、
藤原弘達氏に圧力をいかけ、出版の自粛を促した事実を省略したことだろう。
しかし、常識的に考えて、そんな事が首尾よく運ぶと思っていたのだろうか?
相手は、有名政治評論家だ。
三流評論家だったら?ーー恐らく、池田先生は、気に止めなかっただろう。
相手が大物なら、相手もそれなりの覚悟を決めて臨んでくるだろう。
何故、これくらいのことを池田先生は予想できなかったのだろうか?
実際、実動隊の先兵を務めた藤原行正氏は、強い懸念を示したらしい。
当時の創価学会や公明党の中にも、それなりに頭のいい者達も居ただろう。
それが、たった一人のトップの判断ミスで、事が大きくなり、多数の会員を苦しめることになった。
池田先生は、後のインタビューで、当時の心境を「自殺したい気分だった」と語ったが、どこまで本気だったかは別にして、詐らざる気持ちだったのだろう。
しかし、本人は、何の責任も取らなかった。
というか、自分の不手際で、宗門問題を悪化させ、会長引退まで至った件でも、実質的に何の責任も取らなかった。
そして、平成2年から始まった、池田先生の計略的「権力闘争」によって、復権を完全に果たした。
それのみならず、人間革命等を使っての、歴史の書き換えを行っている。
これらの行為は犯罪と断定してよい。
この犯罪行為は、創価学会という宗教団体が公明党という政治団体を走狗として、権力を乱用したことによって惹起したのである。
現在、創価学会=公明党の独裁者である池田大作76才。
何時死んでもおかしくない年令だ。
そこで重要になってくるのが、ポスト池田大作だ。
独裁者hが居なくなれば、それで全てが解決するというものではない。
創価学会=公明党という政教混淆団体の憲法上の位置づけをきちっとした上で、
●どういう形を採れば、国民の大多数は納得するのか、
●過去、同団体が関与してきた犯罪をどう清算するのか、
●どう将来、この団体の犯罪行為を防いでいけるのか、
などの青写真を今の内に作って置かねばならない。。

1066 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 06:39
訂正>>1065
実際、実動隊の先兵を務めた藤原行正氏は、強い懸念を示したらしい。
当時の創価学会や公明党の中にも、それなりに頭のいい者達も居ただろう

実際、実働隊の先兵を務めた藤原行正氏は、強い懸念を示したらしい。
当時の創価学会や公明党の中にも、それなりに頭のいい者達も居ただろうが、何も言い出せなかった、という点が問題なのだ。
故福島源次郎元副会長によれば、
「呼吸が合わない!」などと、叱られて、動いている車を止めて、車外に放り出されたこともあったという。
(蘇生への選択)
もし、私が福島氏の立場だったら、一発ぶんなぐって、「さよなら」だったろう。
ということは、学会本部職員になる条件というのは、「マゾ」気がないと勤まらないということなんだろう。(SGIさん御免なさい)
こんなバカバカしいことが、同族系企業ならともかく?、天下の創価学会においてあってはならないことなのである。
池田先生の実力を過小評価するのは、間違っているが、過大評価することは、致命的だ。
現在、新人間革命が、略同時進行で、創価学会=公明党の動向を反映している今こそ、池田創価学会体制の功罪を、社会的レベルで評価し直すよい機会だと思うのだが。

1067 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/03(木) 06:56
 yuriko さん

 人間革命は素晴らしい小説です。
 無論あなたが否定されることはご自由です。
 私は私、あなたはあなたですからね。

1068 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 09:27
訂正>>1066
『「何を言っているんですか。その軍部政府と命がけで戦って、信教の自由を叫び抜いたのが、学会なんです』
。。。お前等な〜!舐めん名と!

『「何を言っているんですか。その軍部政府と命がけで戦って、信教の自由を叫び抜いたのが、学会なんです』
。。。お前等な〜!舐めんなよ!
>>1067沖浦克治 さん
>私は私、あなたはあなた
。。。
何が言いたいんだ?
でもさっ!
つくづく変な小説だと思わんかい?
やたらに、詳しい時代背景の説明や実在の人物名の頻繁な登場。
現代小説の一大特徴として、フィクションの世界と現実の世界の境目がない、というものがある。
そう考えると、人間革命は、古典小説としては、破廉恥としか言い様がないが、現代抽象小説としては、後世に遺る名作かも知れない。
その上、作者が実際には、殆ど執筆してないとなると、新しい小説のあり方をも提示している。
いいにしろ悪いにしろ、小説人間革命の真の価値は、遠い未来の世代の者達が決めると思う。

1069 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/03(木) 18:43
>何が言いたいんだ?

 読めばわかるように書いてあるでしょう。 

>つくづく変な小説だと思わんかい?

 思いません。
 嫌ならば読まねばいいでしょう。
 簡単です。
 私は小説人間革命が大好きです。
 あなたは大嫌いでしょう。
 それぞれ自由です。
 私は私、あなたはあなたです。

1070 名前: SGI 投稿日: 2004/06/03(木) 21:32
yurikoさん。
>>1054
>国会証人喚問ーー折伏の為の絶好の機会だったんじゃないでしょうか?
―― 折伏の絶好の機会になるかどうかは判りませんが、主義主張を表明するいい機会であることは確かですよね。
>立正佼正会の庭野日敬氏は、堂々と国会の喚問に応じたそうじゃないですか?
―― 庭野喚問は昭和31年の事だったと思いますが、戸田先生は「俺も呼んでくれ。国会相手に折伏するぞ」(趣意)と側近に語ったと聞きます。また牧口先生も、戦時中特高相手に堂々と主義主張を述べ、調書はあたかも折伏問答の様相になっております。
 初代、二代に比べると、第三代会長は、ひたすら国会や法廷など公場から逃げまくっております。

>>1064
>牧口、戸田両先生に対して、尊敬しているし、彼等が獄に繋がれたことは、それなりに意義があったと思っている。やはり、令法久住という重大な使命があったとはいえ、宗門関係者で、教えの純粋さを保つ為に、喜んで、獄に入る者はいなかった
―― 昭和18年6月、正宗僧侶の藤本蓮城(俗名・秀之助)師が「不敬罪並に人心惑乱」により、検挙投獄され、長野の刑務所において獄死(19年1月)されております。
       ◇
 「天皇を皆、偉いと思っているが、天皇は少しも偉くない。只、偉い者として奉って置くだけだ。天皇よりも日蓮のほうが偉いのだ。日蓮様は大勢の人を救っている」
 「大東亜戦争日本が先に手を出したのだから英米から反撃を受けるのは当たり前だ」
 「ギャング、ギャングというが、ヒトラーもムッソリーニも東条もギャングだ。我が国は今まで米国や英国から教えられていながら、今更弓を引くのは、良くない」(藤本秀之助発言『昭和特攻弾圧史・4巻』P184)

>>1066
>学会本部職員になる条件というのは、「マゾ」気がないと勤まらないということなんだろう。
―― 名誉会長は、本部職員によく「つまらぬブライドはなくせ。我見を捨てよ。全身全霊で師(私)の言葉を受け止めよ」と指導します。時には「お前の生命に巣食っている我見をへし折ってやる」と言い、多人数の前で怒号と共に吊るし上げられることがあります。

1071 名前: SGI 投稿日: 2004/06/03(木) 21:34
<言論出版問題・40>[>>1051-1053 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○02/26 『読売新聞』社説「議員“脅迫”問題を究明せよ」を掲載
 ○03/14 『朝日新聞』社説「出版妨害問題の究明を要求する」を掲載
 ○03/16 『毎日新聞』社説「“言論・出版の自由”究明を」を掲載
 ○03/19 『読売新聞』社説「出版妨害問題の真相究明を」を掲載

 ○03/02 社会・民社・共産の3党、「調査特別委員会」設置、池田大作・田中角栄・竹入義勝ら12人の証人喚問等で、共同歩調(意見の一致)を確認。

 ○03/  民社党の春日一幸委員長、宗教団体が政治に進出することに対して断固法律による規制を求める質問(『宗教団体の政治的中立性の確保等に関する質問』)を内閣・自民党に発する。
 (要旨)〃信教の自由に対する政府の解釈は、その濫用を認めるおそれがある。信教の自由、政教分離の原則を定めた憲法二十条は、宗教によって政治が支配されるのを防止することをうたったもので、宗教団体が教義によって政権の獲得をめざす政治的な活動を放置することは断じて許されるべきではない〃
 これに対し、佐藤内閣は『宗教団体の政治活動、献金で活動規制の立法には不賛成』との見解を表明、逆に公明党を庇護する形となる。

 ○03/  日本出版物小売業組合全国連合会、学会・公明党による書籍販売・流通面への圧力・妨害を糾弾する声明文を発表。
 ○03/13 『赤旗』、「流通面に加えられた干渉は出版史上初めてのケースである。 小売全連制定の『出版販売倫理綱領』はその第3条において『われわれ書店人は、言論出版の自由を尊重するがゆえに、販売面を通じて行なわれる制圧・干渉に対してはあくまでも反対する』とうたっている。今般、創価学会によって取次店および書店に加えられた圧力は、まさしくこの第3条に該当するものであって、われわれはあくまでその真相を糾明し、弾圧に反対する」との記事を掲載する。

 ○03/13 『週刊朝日』昭和45年3月20日号発売。藤原弘達氏が録音した、秋谷栄之助らとの対話テープ(⇒>>985)を掲載。延々1時間45分にも及ぶ、その内容を全て書き起こした記事は、合計11頁にも及ぶ膨大な量となっている。
      ◇
 「この予想外の事態に腰を抜かすほど仰天したのが池田大作であった。
 学会側は発売と同時にこの号を10万部以上買い占めた。言論出版妨害の事実から一般学会員の目をそらしてしまえ、というのが雑誌買い占めを命じた池田の狙いであった」(藤原行正著『池田大作の素顔』p121)

 ○03/14 大阪・千里丘陵で日本万国博覧会開会式。翌日から一般公開。

 ○03/17 社会・民社・共産の3党、「出版妨害問題真相究明議員集会」を衆院第一議員会館で開催。藤原弘達、内藤国夫など証人8人に質問する。3党、「この集会を出発点として院内外で出版妨害に対する究明を続行する」と表明。

[この項、続く]

1072 名前: SGI 投稿日: 2004/06/03(木) 21:35
<言論出版問題・41-1>[>>1071 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○03/17「出版妨害問題真相究明議員集会」から

■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 この議員集会には、私と日新報道の綿抜社長、皆川編集長、植村左内、福島泰照、エール出版の関係者らが参考人として呼ぼれた。私はこのときに、参考資料として、問題のテープの速記録も提出した。それらは、議員たちに配布された。昭和45年の5月に、私はこの議員集会の模様を速記録にまとめて、『私は証言する』と題して日新報道から出版した。

 ▼赤松勇〔社会党〕『中央公論』の4月号に、青地晨(評論家)という人が言論問題で書いております。彼が『週刊朝日』1月23日号の記事を引用しておりますが、この中に次のような個所があります。
 すなわち、藤原参考人のご意見として、「田中幹事長は公明党に急所を握られているということですよ。昨年(昭和44年)の2月、彼と公明党とのあいだに妥協が成立して、公明党は田中の黒い霧をあぼくことをやめた。これを知らないと、このドラマ(出版妨害事件)の本当のストーリーはわからない」と。
 一説によれば、創価学会・公明党が田中幹事長のスキャンダル、汚職をあばくと恐喝したのに対して、田中幹事長は脱税問題で切り返した。そこで妥協が成立したという噂があるわけです。そこで、昨年の2月、公明党との間に妥協が成立したということは、一体どういうことであるのか、この際、大胆に国民の前に明らかにしていただきたいと思います。

 ▼藤原 少なくとも憲法違反の疑いがあるようなことを頼まれて、あの忙しい幹事長が二回も料亭で会うということは、よほどなにかを握られて、断わり切れない事情があるとみるのが常識であると思われます。とくに忙しい田中さんが15分も前に来て待っているのですから……。(中略)とくに公明党の場合、汚職とか、その他のことを摘発するぞということをテコにしながらいくやり方が、ひとつの常套手段であります。摘発すればいいのですが、摘発せずに、摘発するぞといって、やっていくわけです。

 現在の日本の政治状況からみた場合、これは政党だけの問題ではない部分があります。現に昨年、三菱銀行頭取・田実渉氏は、竹入委員長をわざわざ財界の首脳に会わせているという事実があります。昨年の終わりの選挙において、自民党があんなに勝とうとは、日本の政財界の人は考えていなかった。もし自民党が減つた場合には、自民・公明連立政権体制というものが、体制側においては考えられていたひとつのスケジュールではないかという推測が存在するわけであります。
 事実、財界人と会った直後、竹入委員長は、自民党との連立もないことはないと、におわした表現を新聞記者にしております。こういう傾向は、現在の京都府知事選にもあるでしょうし、来年の東京都知事選にもあるでしょう。(中略)

 とくに公明党は、創価学会が莫大な金を集めている。無知な信者を通じて、大きなお寺をつくるとかいって、五百何十億も集めている。その金に日本の銀行屋は非常に弱い。三菱銀行の田実頭取などは入信したのではないかということまでいわれている。
 そのような、自民党の体質の中にある「金がいる」という要素と、公明党の中にある「金がある」という要素は、貸借勘定というものを成立させる。いわば公約数的な要素があるということがいえるのではないか。(中略)

 ▼赤松 それでは最後に確認をしておきたいと思います。ここで明らかになったことは、田中幹事長は、「つぶやきがあったから、おせっかいをした」といっておるけれども、これは明らかに嘘であって、竹入公明党委員長から依頼があって、あなたに対して出版妨害を試みたのだ、このことはそういうことで確認してよろしゅうございますね。
 ▼藤原 間違いありません。

[この項、続く]

1073 名前: SGI 投稿日: 2004/06/03(木) 21:35
<言論出版問題・41-2>[>>1072 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○03/17
■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 ▼不破哲三〔共産党〕(前略)例の電話による妨害ですね。これが田中幹事長から申し入れがあった以後、止まったというのは事実ですか。
 ▼藤原 事実です。
 ▼不破 それで、決裂のあと再開されたわけですか。
 ▼藤原 そうです。田中角栄氏から電話があった10月4日の時点と、それから料亭で二回会ったんですが、この間には不思議なことに、電話は一本もかからないんです。いま田中氏がやっているんだからいいということを、いかに公明党の幹部が承知しているかということの表れで、まあ、田中氏が出たくらいだから、おそらくなんとかなるだろう、一応あそこにまかしてあるんだという姿勢であり、ある意味においては、全面委任という形態であった。少なくとも彼が私に接触しているあいだは、一応控えておこうという態度を公明党がとったことは間違いないと思います。

 ▼不破 電話の問題などになりますと、あれはためにする者の、つまり、創価学会・公明党に反対する者の側の陰謀的なやり方だということを、いろいろなところで非常に強調するわけです。
 ところが、藤原さんの場合でいうと、このだれも知らないはずの、つまり当事者以外にだれも知らないはずのこの交渉が始まったらぴたりと止まって、だれも知らないで決裂したらぴたりと再開されたんですから、私はこの電話妨害というのが、いかに組織され、統制されたものであるかということは、この一事をみてもわかると思うので、これは非常に重要な問題だと思ってうかがったわけです。
 それから、竹入委員長から依頼されたということは、電話の席でも、二回の会合でもいわれたということですが、この事実を池田会長が知っているということを田中幹事長が藤原さんにいわれたのは明白な事実ですね。
 ▼藤原 これは第一回の千代新という料亭で、私が「だれが知っているのか」といったら、「池田会長と竹入と矢野と君と僕だ、この五人だ」こういうことをいったんですから、それは間違いございません。

 ▼不破 (前略)藤原さんはこの本を出されるにあたって、いままで創価学会・公明党による出版妨害活動をかなり研究もされ、対応策も考えられてことを始められたということを、いろいろなもので書かれているのを聞いたんですが、いわゆる出版界の創価学会・公明党のタブーの問題で、藤原さんの調査の結果、もし発表できることがあったらうかがっておきたいんですが。

 ▼藤原 大体、この種の本というのは、ゲラ段階であちらにつかまれている。スパイが印刷所に入っています、創価学会の会員が。これが創価学会の本部ないし公明党の本部に対するひとつの信者としての忠誠心のあらわれになるんです。創価学会・公明党を批判するような本があったら、早めに、そのゲラの段階でお届けする。こういうことを奨励しているように私には思われる。だから、そういう形で抗議が来るケースがあります。
 それから、私のように、予告広告をいたしまして、『創価学会を斬る』というのをほんの小さく出した、この最初の段階で来る抗議の形態は、全部いやがらせの電話であります。それから、その次に、それなりの幹部が出てくる。幹部でうまくいかなかった場合には、私の場合は田中幹事長、内藤国夫君の場合は笹川良一氏か三浦義一氏(国家社会主義者・政財界の黒幕的存在)、それから植村左内氏のときには日大の古田会頭、賀屋興宣氏、こういうふうな人が出てくる。大体、この段階で、いままではつぶされているわけですね。
 私の場合は最後までいったわけで、田中幹事長の提案を蹴った。ここで、今度は出版妨害の具体的ないわゆる大衆動員妨害工作、経済的な圧力、このようになってきたんです。私の形態の特色は、田中幹事長段階で蹴って全面決裂までもっていって、そのあとに、創価学会・公明党の組織的出版妨害というものが全国的に展開されたところにあります。ところが、逆にいえぼ、実際に買いに行っても買えないのでありますから、この問題を非常に多くの国民に知らせ、こういう反撃が大衆の中から起こってきたひとつの背景がここにあるわけです。

[この項、続く]

1074 名前: SGI 投稿日: 2004/06/03(木) 21:36
<言論出版問題・41-3>[>>1073 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○03/17
■藤原弘達『角栄、もういいかげんにせんかい』から
 ▼松本善明〔共産党〕 藤原さんがこの著書の出版をはじめようとなされたときに、当然いろいろな妨害を予想されたと思います。どういう覚悟でこの出版にかかられたか、その点をまずいっていただきたいと思います。
 ▼藤原 覚悟といえば大袈裟になりますけれども、まあ私は五万部ぐらいもでれば上出来だと思っておった。 少なくとも現在のマスコミにはタブーがありますし、いままでたくさんやられているわけで、まあ、戦後二十四年もたったし、私もマスコミの仕事も十四、五年やっておりますし、私の力でどのぐらいやれるか、いっちようやってやろうと、喧嘩といえば喧嘩ですが、これを言論人として天下に知らせることを通じて、マスコミのタブーを破ってみたい、つまり、タブーへの挑戦のつもりだった。

 ▼松本 (中略)それともうひとつお聞きしたいのは、創価学会全体を含めて、非常に組織的な、総合的な妨害がなされていることは、田中幹事長は知っていたかということです。もし自分の提案を受け入れなければ、あなたがそういう目にさらされるということを、田中幹事長は知っていたでしょうか。
 ▼藤原 完全には知っていなかったと思います。つまり、創価学会の人のひとつの特色は、自分より強い人や権力者に対しては、実に低姿勢に出るということがあります。強きを助け、弱きをくじくという基本的体質をもっているということです。ですから、田中氏は、私は知らなかったと思う。(中略)

 ▼松本 藤原さんは田中さんに、こういう妨害をやっているんだということは、その席でお話しになった?
 ▼藤原 それはもうしつこくて困っているんだということはいっておきましたよ。
 ▼松本 そうすると、その時点の会談の中では、もう田中さんは承知しておったわけですね。
 ▼藤原 田中氏はこういう言い方をしていました。「創価学会というものは、普通の宗教じゃないからね。あれは、ともかく、まあ勢力を拡大するということに一所懸命なところで、普通の宗教とは、やはり心に神を思い、仏を思う、そういう内省的なものだけれども、あれは内省的なもんじゃないから」と。その点では、なかなかいいとこをちゃんと見ていましたよ。

 ▼松本 電話でいよいよ田中幹事長が出てきたときには、どういうふうに感じられましたか。
 ▼藤原 これで、日本の政治を抜本的に批判できるひとつのチャンスをつかんだと思いましたね。田中角栄氏個人には悪いけれども、これはやはり日本の政党政治のルールを正さなければいけない。公明党は口で自民党を打倒するといいながら、陰ではそういうことを頼んでいる。
 こういうようなことでは、政党政治といっても、国民を偽るものであり、この問題こそ、まさに国会が裁かなければならない。公明党はなにかといえば、「裁判所に提訴すればいいじゃないか」といっている。
 また、佐藤総理の発言をみると、「国家権力の介入以外は全部プライベートな問題だ」という解釈をとっている。これは、まさに十九世紀的国法学の理論であって、それだけでも私は二十世紀後半の総理大臣としては不適格だといわざるを得ない。
 これだけ圧力団体がいっぱいでき、労働組合もあり、経団連もあり、全学連もある。こういうものが社会権力をもっているわけです。この多元的な社会構造における言論妨害の事実によって得られるところの利益を享受するものはなにか、こういうところから、もう少しきめのこまかい政府追及を、ぜひ皆さんもやっていただかなければならぬということを望んでおきたい。

 ▼松本 (中略)藤原さんはその際に頑張られたからいいんだけれども、普通の人だったら、田中幹事長というような政府の中枢に影響をおよぼす人が出てきて、そういう立場をとった場合、出版を断念する程度の圧力であっただろうか。
 ▼藤原 と思います。これは名前を申しませんが、皆さんだれでも知っておられる政治評論家の方と一緒に晩飯を食べましたら、「君はまだ若いから、将来があるからだろうが、私だったらやはり二千万で手を打ったね」なんていっておられた。まあ、半分は冗談でしょうが、あとのわずらわしさを考えたら、それは手を打ちたい気持ちになるのも、ある程度は人情としてわからないことはない感じがしたという実感だけは述べておきます。

[この項、続く]

1075 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/03(木) 21:38
>>1069 沖浦克治さん
>私は小説人間革命が大好きです。
> あなたは大嫌いでしょう。
。。。。
私も大好きですよ。
誰が書いてるかは、わかりませんが、よく出来てると思いますよ。
但し、ちゃんと、「正しい人間革命の読み方」を心得た上で読まないとダメです。

1076 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/04(金) 01:38
>>1055
やはり、人間革命の原点は、池田先生の入信場面の捏造だ。
このことは、万代に渡って、語り続けるべきだ。
要するに、池田先生という人格の最大の特徴は
「嘘をつくことを何とも思わない」につきる。
参考>>33Leoさん
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note007.html
[【インタビュー】
妨害された側の出版社代表が語る
言論出版妨害は歴史的事実  歴史改竄は許されない

遠藤留治(日新報道代表取締役)}
http://www.forum21.jp/contents/03-7-1.html

1077 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/04(金) 06:29
>>1970SGIさん
>正宗僧侶の藤本蓮城(俗名・秀之助)師
。。。恥ずかしながら、藤本師のことは全然しりませんでした。
そこで、ちょっと、調べたんですけど、
地涌にかろうじてありました。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/706.html
この地涌っていうのは、不破某が発行してるんですよね。
論調は、完全に創価学会側なんですけど。
離脱脱落僧なんですか?
ところで、質問ですけど、現在の宗門では、藤本師への評価はどうなってるんですか?
本当に立派な僧侶だったんですね。
名誉回復させてもいいんじゃないかと思うんですけどね。
すると、牧口、戸田両会長への再評価ということにも繋がってしまうから、難しいんでしょうね。
ここは、宗門も大きな度量を示して欲しいですね。
何れにしても、宗門僧侶の中にも、気骨があるものが居て本当によかったですよ。
でも、つくづく思うのは、やはり、宗門には、「華もちならぬ」権威主義っていうのはあるみたいですね。
もっとも、それは他宗と比べたら、遥かにましなんでしょうけど、改める余地はあるとおもいますね。
創価学会は、そんな宗門の弱点を上手く衝いてるのでしょうから。、

1078 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/04(金) 06:35
訂正>>1077

華もちならぬ」権威主義

鼻もちならぬ」権威主義

1079 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/04(金) 16:28
>>1074SGIさん
>藤原
>これだけ圧力団体がいっぱいでき、労働組合もあり、経団連もあり、全学連もある。
>こういうものが社会権力をもっているわけです。この多元的な社会構造における
>言論妨害の事実によって得られるところの利益を享受するものはなにか
。。。
これは、重要な点だと思う。
藤原教授がいいたかったのは、政治結社の自由が保証されている民主主義社会に於いていて、どのようにルールを守りながら、自分達の主張を述べるか、が重要という意味だろう。
故小淵総理が、苦々しくも「民主主義は数が大切だから」と言いながら、公明党との連立を進めた背景に、民主主義のジレンマがあった。
創価学会=公明党みたいな「出鱈目団体」とは、出来れば、誰もが遠ざかっていたいのである。
○創価学会=公明党の最大の問題点は、この団体が、きちっと最低限の民主主義のルールを守らない点にある。
●党の体質は、民主的とは言い難い。密室政治を思わせる。
●選挙立候補者選定の過程が不透明
●同様に政策決定の過程が不透明
●党の予算と創価学会の予算の区切りがない
●創党してとされる池田先生の党での権限や影響力が不透明
●池田先生は、xx提言やスピーチなどで、屡、政治的発言をしてきた。
●それが、党の政策発表に明らかに反映している。これは、決して民主的手続とはいえない。
●抑、池田先生は、言論出版妨害事件の関与などで見られるように、基本的民主主義への理解レベルが、平均的中学生にも達していない。
●池田創価学会は、公明党議員の信仰や思想に干渉してはならない。
●創価学会員の投票に干渉してはならない
●池田名誉会長に対して、いかなる意味でも、特権を与えてはならない
●恰も、日本国を代表するような発言を池田先生はするべきではないし、そういう扱いも受けるべきではない。
●国会議員は、「私達は池田の弟子ではない」「公僕として、一般大衆に奉仕する旨を誓うべき
●創価学会の組織への忠誠度によって、議員の「良し悪し」を決定するのではなく
●政策立案力やそれを実現する為の実行力で、政治家個人の資質を見極めるべきであって、一宗教団体への忠誠度は何の関係もない。

1080 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/05(土) 01:06
訂正>>1079

●創党してとされる池田先生の党での権限や影響力が不透明

●公明党を創党したとされる(実際は戸田先生の手柄を盗んだだけ)池田先生の党での権限や影響力が不透明

1081 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/05(土) 05:04

このことは、「創価学会=公明党は、憲法違反」シレッドで述べるべきなのだが、行きがっかり上、ここで述べたい。
●別に、宗教指導者が政治的発言をしても構わない。
これは、米国の有名な市民権運動指導者のキング牧師の政治運動を見ても明らかである。
日本に於ても、例え「尊師」の肩書きのつくような、いかなる宗派の者であろうと、選挙に立候補できる。
だが、一旦立候補すれば、その目的は、自身が掲げる政策の正しさのみを訴えるべきで、自己の属する教派の教義の正しさを訴えるものであってはならない。
別の言葉で言い換えると、その主張は、普遍的価値が伴うべきと言える。
そして、例え、その候補が当選しても、特定の宗教団体のみが利益を受けるようなことがあってはならない。
●米国では、ある特定の宗教団体などの非利益団体が、政治活動を行っていると認定されれば、「免税特権」が剥奪される。
創価学会にとって、政治活動が大きな比重を占めているのは、常識であるからには、「免税特権」は、当然剥奪されるべきだ。
●したがって、創価学会員が、公明党を批判することは、自由だし、それによって、罪悪感を持つべきではない。
●公明党の選挙立候補者の少なくとも、三分の一は、創価学会員以外の者であるべき。
●同様に公明党幹部の少なくとも三分の一は、創価学会員以外の者が占めるべきだ。
●公明党議員で且つ、創価学会員であっても、池田大作を仏法指導者9政治指導者ではないのは無論のこと)として認めなくとも、批難されるべきではないのは無論のこと、公明党員としての地位に影響があってはならない。認めない

1082 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/05(土) 16:11
 yuriko 氏

>但し、ちゃんと、「正しい人間革命の読み方」を心得た上で読まないとダメです。

 当然心得ていますよ。
 あなたには無理ですけれどね。

1083 名前: SGI 投稿日: 2004/06/06(日) 22:17
>>1077 yurikoさん
 夏期講習会第2期参加のため、返信レスが遅くなりました。ごめんなさい。
 さて、
 yurikoさんが引用されている『地涌』によれば、戦時下にもかかわらず昭和19年2月27日に藤本蓮城師の満山供養が総本山大石寺客殿で奉修され、時の法主である日恭上人が導師をされていますので、宗門としても精一杯の追善と敬意を表しているのではないでしょうか。
 満山供養は、一山(総本山)を挙げての法要で、通常の追善法要とはちょっと訳が違う。塔中坊住職や縁故の僧侶、親族らが一同に会しての追善法要で、法要後も総本山(猊下)の主催で一席を設けるのが慣わし。つまり、猊下のお許しがなければ修することができない法要なのです。

 また、『地涌』第670号(93年6月16日付)によれば、「逮捕拘留されていた藤本蓮城に対しては、一宗擯斥処分に付し宗門より追放してしまった。藤本は昭和十九年一月十日、長野刑務所で獄死している。 本来ならば、殉教した藤本を宗門としては宣揚したいところであろうが、擯斥処分にした拭いようもない負い目があるため、宣揚したくとも宣揚のしようがないのである。 宗門は、この藤本に対して正式な謝罪も名誉回復もせず、うやむやのうちに僧籍を死後回復し、「日護」という戒名をつけてお茶を濁している」とありますので、正式な名誉回復はないものの僧籍と日号の回復をはかっているとのことです。私個人の気持ちとしては、是非正式な名誉回復の表明を望むところですが。

 鼻持ちならぬ権威主義というより、軍部政府の圧力を恐れたのではないかと推察します。当時、宗門は身延との合同問題等を抱え、ぎりぎりのところで「富士の清流」=正法正義の御法を護っていたのですから、必要以上の軋轢や軍部を刺激することはできるだけ避けたいというのが本音だったのではないでしょうか。弱腰といえばその通りなのでしょうが、当時の宗門は弱小の地方宗団にすぎなかったのですから、情けないことかもしれませんが、致し方がないのかもしれません。
 それらが負い目意識となっており、戦時下の出来事については、ことさら言及しないのかもしれません。どこかの宗教団体のように、事実を曲げ、主張をすり替えてまで、戦時中の出来事を美化するようなことはしないのでしょう。

1084 名前: SGI 投稿日: 2004/06/07(月) 23:10
<言論出版問題・42>[>>1071-1074 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○03/18【学会】本部全体会議。
       ◇
 『翌月の3月18日の全体会議で、森田(元理事長)は次のように話している。「万博に行きたい、という人間がいる。こういう時に、そのような気持ちになるのは、現状を認識していなさすぎる。私たちは血で血を洗う革命の経験がない。この事件を避ける人は無間地獄に行く人だ。この難局を乗り切っていく人こそ、一生成仏ができるのである」。
 さらに、池田からの伝言として、《言論妨害の事実がないのに、でっち上げられた。これは大難である。当分続くであろうが、何とか乗り切ろうではないか。》と伝えている。
 社長会記録によると、当時の池田大作は箱根研修所に逃げ込み、勤行もせず、唱題で難局を乗り越えようともせず、側近女性達と遊び戯(たわむ)れて気をまぎらわせていたという。池田大作は、こうした己れの姿は棚に上げ、本部職員の中で動揺したり、しらけている人間に対しては、「無間地獄に行く」とか「成仏できない」などと脅迫して、締め上げていたのである。』(元・学会本部職員A・Y『偽仏の如是我聞を検証する!?』慧妙・03年11月16日号)

 ○03/24【学会】渋谷研修所で、「竹入委員長の談話」について会議。
                           
■山崎正友手記(『自由の砦』01年2月10日号)
 3月24日、メンバーは、超高級住宅を買収して池田専用施設とした〃渋谷研修所〃に集められ、池田会長講演までのツナギとして、竹入公明党委員長に当面行なわせる予定の、〃談話〃の打ち合わせを行なった。
 池田大作が、キッシンジャー特別補佐官と会談したことでも知られる〃渋谷研修所〃には、池田大作の他、北条浩、竹入義勝、秋谷栄之助、山崎尚見(広報室長)といった最高首脳と共に私も呼ばれ、さらに、かつて特別顧間だった塚本素山氏と、その顧問弁護土の橋本公旦法学博士がいた。橋本公旦氏は、中央大学法学部教授で、憲法学の権威として高名だった。(中略)
 橋本氏は、極めて強気の方針を述べて会議をリードし、そのため、談話の内容は「けっして言論妨害ではない。しかし、そのように受け取られたことについては、遺憾に思う」という、従来の強行突破路線を維持することになった。

# ところが、名誉会長は違った。表向きの虚勢を張った強気の意向とは別に、学会会長の責任を問う世論の激しさに慄いていた。特に、よほど国会証人喚問や裁判所への出廷が怖いらしい。そして何としても会長の引責辞任だけは避けたい。そこで…。

■山崎正友手記(『自由の砦』01年2月10日号)
 会議後、私を、専用車(特別仕様のプレジデント)に乗せ、隣りに座らせて都内をあちこち走り回りながら、相談した。車内で秘密事項を相談したり報告を受けたりすることは、池田大作の常習的な慣習である。その後も、何回となく、私は同じような形で池田大作と懇談し、重要な決定に参画している。(中略)

 池田大作は、さらに「あれで世間の学会批判は収まると思うか」とたずねた。一対一の話であるし、私は、もう気休めを言ったり、池田大作の心情を慮(おもんぱか)って、適当な回答をするべき時期ではないと思い、率直に意見を述べる決心をした。
 「率直に申し上げて、あれでは収まらないと思います」。
 「君もそう思うか。私もそう思うんだよ」。(中略)「こんな状況がさらに2ヶ月も3ヶ月も続くと、私自身も持たない。学会員達も動揺し、暴発したり、やめたりする者が増えるだろう……。それで、どうしたらよいと思う?」。

 黙っている私に、池田大作は、「率直に、考えていることを言ってくれ。どんなことを言っても怒ったりしないし、君の意見だと他の幹部に言ったりしない」。
 私は、意を決して口を切った。「相当思い切って引くしかありません。ある程度、覚悟して、思い切って頭を下げ、そして、この際、これを契機として、すべての面で思い切った改善をして、やり直した方が、かえってやりやすいのではないでしょうか。減った会員はまた、折伏で増やせます」。
 池田大作は、膝をたたいて大きくうなづき、「負けるが勝ちだな。君もそう思うか。じつは、私もそれしかないと考えているんだ。よし、そうしよう。謝ってしまおう。こんなことで、長いことやり合ってもたまらんよ。身体が持たない。たしかにやり過ぎもあった。体質を変えるチャンスだよ」。

# 思惑通りの成果が出ない時、名誉会長はよく「負けるが勝ちだな」「名を捨て実を取ればいい」「獅子は前三後一。ニ歩進んで一歩退くのが戦いの肝要だ」と言います。そして「絶対に仇を取れ。見返してやるのだ」と叱咤します。あの方の辞書には「成功は私の実績。失敗は部下の責任」しかないのです。
[この項、続く]

1085 名前: SGI 投稿日: 2004/06/07(月) 23:12
<言論出版問題・43>[>>1084 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○03/28 衆議院予算委員会。
 民社党の塚本三郎代議士、「いまここにたくさんのいわゆる犯罪の数々というものが、不幸にして創価学会さんのものがあまりにも私は目につきました。(中略)したがって、これらのデータから見まするとき、この際創価学会池田大作会長を証人として喚問することを委員長に要求いたします」。

# ついに池田大作・創価学会会長の国会証人喚問が公式に俎上にあがった。

■法悟空『随筆 新・人間革命 223』「戦う愛知の誉れ」より
 中部は断固として勝った。愛知は悠然として勝利をした。
 長い長い間、卑劣な権力者たちに恫喝され、あらゆる陰謀のなか、策略に陥れられながら、厳然と正義のために戦い抜いて、中部は勝った。断じて勝った。(中略)
 昭和四十五年の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈(あっくめり)を煽り立てられた。 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。(後略)
(『聖教新聞』01年7月10日付)

# 「私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた」とは、民社党の塚本三郎代議士のこと。実に執念深い。国会喚問の要求は相当こたえたのだろう。よっぽど公の場に出るのがお嫌いらしい。
 ところで、かつて名誉会長の「中部(名古屋)嫌い」を知らぬ者がいなかった。
 まず何といっても、中部方面の担当幹部が秋谷栄之助・現会長だったこと。⇒>>116-117 >>120 >>124-125 >>129-132 >>176 参照
 次に、「言論問題」最中の衆議院選挙(昭和44年師走)は、予算案修正動議の発議権を満たす51議席をめざし76人が立候補したが、結果は47人の当選に止まった。この時、中部3県は石田幸四郎・前公明党委員長はじめ坂口力・現厚労大臣ら現職議員を含め全員が落選し、51議席が獲得できなかった最大の要因となったこと。
 また「言論問題」以降も、学会問題での国会証人喚問や質問趣意書の提出に、とりわけ熱心だったのが春日−塚本の民社党コンビ(春日一幸氏も愛知県選出議員)であったこと。いかんせん、「公明党と民社党を合体させる」との空手形を飛ばしたのだから(⇒>>1021)。ついでに社会党の赤松勇氏も愛知県選出議員だった。
 さらに、借金を嫌らい、一過性で無意味な華美を除き、堅実で着実な実績を積み重ねる県民性が、名誉会長の場当たり的なアジテーションになかなか乗らないこと――等々により、常々「中部は暗い」とか「私と呼吸が合っていない」「九州以上に本部(信濃町)との距離が遠い」といった発言となっていたのだ。数年間、名古屋を素通りして地方指導に出向いていた時期もある。

 ○03/29 公明党竹入委員長、「共産党をつぶす」と演説。

 ○3月下旬〜4月上旬【学会】山崎正友顧問弁護士(副理事長、青年部常任参謀、学生部主任部長を兼務。のち、総務、参事、本部参与を歴任)、創価学会本部別館〃五月荘〃で広野輝夫学生部主任部長らと相談し、電話盗聴が技術的に可能であることを確信。北条副会長に計画実行の許可と資金提供を依頼する。

# 「言論問題」の時、共産党の卓越した情報収集力は、再三創価学会を窮地に追い込んだ。
 政府・自民党とは、昭和30年代から“貸し・借り”のパイプやチャンネルがあり、佐藤首相(>>920 >>939 >>942 >>944)や福田赳夫氏(>>943)には池田会長自らが電話で頼み込み〔名誉会長が歴代首相の中で最も電話や会談をしたのは福田赳夫元首相〕、田中角栄幹事長(>>940 >>944)には>>993で記すように竹入義勝・公明党委員長らが泣きつき、民社党には上記のように党の合体を約束し、社会党には野党協調を申し出て手加減を頼んでいる。
 また、銀行筋を使っての大手取次会社や書店、あるいは新聞社等マスコミ各社への工作(>>980 >>992)も展開しているのだが、どうしても共産党だけは手の打ちようがない上、共産党内部の動向が掴めず、共産党が次々と繰り広げる「黒い鶴のタブー」キャンペーンに手痛いダメージを受けていたので、盗聴という犯罪行為に手を出すことになったのである。もちろん、名誉会長の指示によるものだ。

 ○3月下旬 妙信講、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を宗門・学会に送付。
[この項、続く]

1086 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/08(火) 07:02
>>1085SGIさん
>名誉会長が歴代首相の中で最も電話や会談をしたのは福田赳夫元首相〕、田中角栄幹事長(>>940 >>944)には>>993で記すように竹入義勝・公明党委員長らが泣きつき、民社党には上記のように党の合体を約束し、社会党には野党協調を申し出て手加減を頼んでいる。
。。。。
ちょっと前、聖教新聞に、池田先生は、福田赳夫との交流を回想してましたね。
その時は、「そんなものかな〜」と思ったのですが。
やはり、池田先生は、公明党創党者として、政治家気取りだったのですね。
池田先生は、かつて。「ある政治家が私の所に来て、投票の取りまとめを依頼して来た。しかし、私は、きっぱりと断った。何故なら、創価学会の組織は信心の為にあるもので、政治的に利用させるようなことがあってはならないからだ」
私は、不覚にも、その時は感動してしまったのですよ。
今から、考えれば、あれは、「学会員からは、一円も寄付を募ったりしません」などと同様に池田先生の『二枚舌』だったのですね。
嘘があまりにも明らかで、堂々とつかれると、案外、人は簡単に信じてしまうものなのですね。
しかし、モノは考えようで、
創価学会の組織を政治的に利用させないということは、自分(だけ)は利用していいことだし、
学会員から、寄付を集めないということは、(在家でも供養が受けれるから)「学会員は仏様に供養をしている」と屁理屈が成立しますからね。、
池田先生は、本当は政治家気取なのでしょう。
確かに、池田先生は、ヒットラ−同様、アジテーターとしては、一流かも知れませんね。
藤原行正氏が著書で言っていましたが、
池田先生は、自分の野心を実現させる為なら、創価学会でなくとも何でもよかったのかも知れません。
実際、かつて池田先生は、「政権を取れるなら、創価学会を解散してもいい」と言ったことがあるそうです。
(この情報源御存知ないですか?)
池田先生は、少なくとも、創価学会=公明党は自分の持ち物と思ってるのでしょう。
それなら、この際、池田先生に東京一区から、衆議院選挙東京一区か参議院選挙比例代表名簿一位で立候補してもらったらどうでしょうか?
人を自分の意に合わせて操るのが政治的というんだったら、私には、それが好きな人間の気がしれないんですが。
池田先生の人生最終目標は、首相公選に立候補して、石原都知事を負かすことだと思いますね。

1087 名前: SGI 投稿日: 2004/06/10(木) 00:49
<言論出版問題・44>[>>1084-1085 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○3月下旬〜4月上旬【学会】言論問題沈静化のため会議を重ねる。
      ◇
 『盗聴作戦を立案計画中の昭和45年3月から4月にかけて、私は頻繁に、池田大作と共に行動している。(中略)問題を作り出した池田大作本人がしなければならないところに、ポイントは 凝縮してきていたのである。池田大作は、それを、5月3日の総会での、伸(の)るか反(そ)るかの一発勝負に賭けたのである。その結論に至るまで、私達首脳は、何度か池田大作の前で〃御前会議〃を開いた。「5月3日をどうするか」すべてはそこに集中してきた。』(山崎正友『自由の砦』01年2月10日号)

# 「言論問題」は、多くの学会員にとって「創価学会」が社会的に厳しく糾弾される事態は初めてだった。それだけに動揺も激しかった。組織では連日、会員から疑問や批判が問いかけられ、幹部はその対応に大わらわとなり、実質的に組織活動は機能しなくなっていたという。
 池田大作会長についても、国会喚問や裁判所出廷、引責辞任が現実味を帯び始め、本部としても、そうなれば組織破壊・分裂につながりかねないとの危機感が支配的になった。もうこれ以上ウソや工作を重ねることはできない、と。
 そこで、5月3日の本部総会で池田会長による謝罪表明で一挙に幕を引く、という方針になった次第。

 ○03/29【学会】第33回社長会〔於、箱根研修所〕池田会長の発言から
 会長「今度の問題で皆元気か。共産党のスパイがわかったか。皆淋しいが、どうしようもない。誰も悪い人はいない。皆、善意であった」。

# 「今度の問題で皆元気か」の発言は、この頃の名誉会長の口癖。箱根に逃げ隠れており、極少数の側近幹部にしか接しておらず、さらに組織が動揺し、情報も流出しているので、本部幹部らからの造反者が出ることを危惧して、このような挨拶(問いかけ)から始まっている。
 「共産党のスパイがわかったか」との発言は、先に組織内に出した「共産党のスパイ(細胞)を洗い出せ」という指示の結果を聞いたもの。>>1034『赤旗』の「01/11渡部講演」や『赤旗』連載の「黒い鶴のタブー」は、共産党のスパイが学会組織に潜入し内部情報をもらしている、と名誉会長は捉えていた。また、マスコミ報道で疑問を抱いた会員が、座談会で質問したり、批判的な発言をするようになったのも、共産党による組織撹乱工作だと信じて疑わなかったからだ。
 「誰も悪い人はいない。皆、善意であった」とは、「学会員(実は、名誉会長自身のこと)は善人だ。悪意はない。ただ世間知らずで、方法や手段を誤っただけだ」という弁明。

 会長「一つ一つ私が面倒を見てはおれないし、それでは仕様がない。私が失敗しても皆が守ってくれるのが普通なのに、反対だ。これでは情けない」。「外部の人が“議員は会長を護っているようだが、そんな事はない、皆自分の為にだ”と云っていた。その通りだ」。

# 毎度の事ながら、名誉会長の身勝手さを端的に示す発言といえよう。
 常々本部職員らに「私を守れ」「私を守る事は、御本尊を守り、学会を守ることだ」と指導していることはご周知の通り。ある人曰く、自分を創価学会という船の帆柱に縛りつけ、腹にダイナマイト(スキャンダル)を巻きつけ、「俺が爆破させられると船も沈むぞ」と脅しているようなものだ、と。

 会長「今度の言論問題で、何も悪くない学会人が無念の思いをし、迷惑をしている事が可哀そうだ。胸がちぎれる様だ。誰も悪くないが、私の知らない時に2、3人の人でした事が発端になった。その事を思うと無念だ。残念でならない」。

# 箱根に逃げ隠れた名誉会長は、随行した原島嵩・元教学部長らに「今回の問題は藤原(弘達)と藤原(行正)の問題だ」と言い放ち、自分は被害者だとのスタンスを示し続けている。上記発言も、その1つ。明らかにウソ。事情の知らない幹部を前に自己の正当化と責任転嫁を図ることに懸命だ。

[この項、続く]

1088 名前: SGI 投稿日: 2004/06/10(木) 00:50
<言論出版問題・45>[>>1087 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○03/29【学会】第33回社長会〔於、箱根研修所〕池田会長の発言から
 会長「民音も、書籍も、うんと少なくして、喜んで信心が出来る様にしよう。聖教新聞の多部数も減らそう」。

# 『赤旗』の「黒い鶴のタブー」では、学会本体や公明党の在り方と並んで外郭団体についても批判されていた。中でも、民音は設立趣旨を裏切るような芸能コンサートの興行中心の“金もうけ路線”が厳しく問題提起され、さらにチケットの押し付け販売は、書籍販売や『聖教』の多部数購読と共に、会員に経済的な負担を強いる体質が問われていた。

 会長「皆が団結する様に東京の理事室から全国に手紙を出そう。婦人部にも青年部にも高等部にも出そう」。

# 組織の動揺にあわてた池田会長は、まず本部職員や外郭社員の給料を3月からいきなり10%ベースアップ。夏の賞与も、従来の1ヶ月分支給を2ヶ月分支給とし、前払い制度も導入。さらに出張旅費や諸手当まで増額し、それまで薄給に泣かされてきた職員達が“とても信じられない”という大盤振る舞いで、造反を防ぐ。このやり方は、山崎・原島・福島の各氏が造反した時や「月刊ペン事件」裁判など、何か騒ぎがあった時に常用されている。
 その上で、最高幹部らに地方幹部や会員に対して、直接手紙を出したり、電話をかけたりして激励と引止めを図るよう指示している。いかに表面上の強気とは裏腹に、狼狽しているのかが察しられる。

 会長「国会の問題が心配だ。4月2日は何とか大丈夫だ。しかし、5月3日はまだ何とも云えない、危ないよ。もし迎えられれば僕の勝利だ、どうだろう」。「5月3日が無事に迎えられたら、1時間半の講演をして、それから又勝ち抜いていこう」。「(5月3日は)敵も呼ぼうか。滝川同盟議長等。報道関係もずい分来るだろうな。学会も一級闘士を呼ぼう。大幹部だけだと盛り上がりがない」。「講演では一切を含んで、がっちりやる」。

# これは、謝罪表明で決着をつける、との方針が外郭の社長幹部らに伝えられている場面。
 それでも国会での喚問問題の進展具合では、無事5月3日を迎えられず、最悪の場合、ことの次第では学会解散まで追い込まれるかもしれない、と危惧を抱いていたらしい。
 そうした不安感から、名誉会長は“おかしな情報屋”の情報にも頼り、この時は例えば「武井○○」と名のる詐欺師の「共産党が国税を動かし学会本部に査察が入る」という情報に1千万円の情報料を支払った。名誉会長の周辺には、こうした氏素性が判らぬ得体の知れない人間が徘徊している。

 会長「会長を代えたらどうだろう。総会で選挙しようか。しかし、報道関係に「会長信任を問う」なんて書かれてもつまらんし、結局同じ事だな」。「これはここだけの話だが、講演の最後に「高等部の中から第4代会長が一日も早く出現する事を望む」と話す。そして出来れば次の日緊急理事会を開いて、パッと切り替える。第4代会長をたてる、どうだろう。(全員反対)」。「君達に相談しても、うんとは云わないな。水掛け論だ。だいたい、学会がなければやって行けない連中だからな」。
 「まだ10年も私がやらなければ駄目なのか、情けない」。「総務クラスが、心に不満がある。あるいは何も意見がないのは、北条副会長に対する不信任だな。あれも細かすぎるよ。いっくら云っても直らないが、ずい分良くなったろう。しかし、今は北条しかまとめられる人はいないよ」。

# 「俺は辞めないぞ」との意思表明。トップが箱根に逃げ隠れてしまったのだから、本部では癸欧遼名鮖瓩一切の指揮を執っていた。中枢幹部・総務の不満は名誉会長へのものであるが、誰もそれは口にしない。
 

 ○03/31 日航機「よど号」、赤軍派にハイジャックされる。

# 衝撃的な「よど号ハイジャック事件」が起き、国会論議のテーマが移り、学会の「言論出版妨害事件」に対するマスコミや国民の関心も徐々に薄らぐ。名誉会長の国会証人喚問問題も、自民党と公明党の反対と各野党の思惑がズレて、結局尻すぼみの形となっていった。
 「言論問題」への対応に追われていた首脳幹部の1人は「神風が吹いた」と語ったという。

[この項、続く]

1089 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/10(木) 06:02
>>1030 SGIさん

 >竹入、「私も矢野書記長も(同席の矢野書記長が「公明党、創価学会を通じて」と言い直す)出版その他を押さえようとしたことは一度もない」「私が自民党のある実力者を通じて、藤原氏の本の出版を取り止めるよう依頼した事実はない」「同氏の本は悪口雑言をならべたものにすぎず、具体的には何もない。政治評論家といわれているが、われわれとしては相手にする人物ではないと思っている。出版を取り止めてもらいたいというようなケチな考えは持っていない」。
 >矢野、「事実無根としかいいようがない。もしそのような事実があるというのなら、立証の責任は藤原氏にある」と語る。(『聖教新聞』70年1月6日付、他)

>■藤原行正著『池田大作の素顔』から(P127)
> 何度か話し合った結果、竹入がある謝罪案を口にした。要するに今回の問題はこちらに身に覚えのあることだから、相手側と世間に対して、「これから気をつけます」と、頭を下げ、とにかく事件を収めようという発案だった。
> 池田はここで首を横に振ったのである。
> 「絶対に事実無根で押し通せ!」。池田は北条さんにこう厳命し。もし一度でも創価学会会長たる者がミスを認めたら自分の権力の座が危くなると不安でもあったのだろう。この男は自分の犯した誤り、間違いを決して認めようとしない性格の持ち主であった。(中略)
> 。
> 四十五年一月五日、彼は党書記長の矢野とともに記者会見し、創価学会の言論出版妨害事件はすべて事実無根と発表してしまったのである。その発言内容は内部の人間でさえ恥ずかしくなるようなウソだった。
>....

1090 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/10(木) 06:25

感想
実をいいますと、
私は、「創価学会による言論出版妨害」は事実無根と、ほんの5〜6年前までは信じていたのですよ。
お恥ずかしいです。
SGIさんの提供された資料ーー特に日新報道社長の述懐によれば、犯罪的と言える程の、出版妨害だったのですね。
事実は、多数決によって決まるものではないと思います。
多くの創価学会員は良い人ばかりです。
教養もあり、常識があります。
池田先生にも、素晴らしい点は沢山あるのを認めます。
池田先生の広宣流布特に、世界広布への貢献は、素晴らしいものがあります。
でも、こういう資料をよんじゃうと、どう考えても、「池田大作=危険」という結論しか出ませんよ。
故藤原弘達氏は、「何で、創価学会員は、池田大作を追い出さないンだ。あれだけ、いろんな悪いことやって、学会にも世間に対しても、迷惑をかけたのに。不思議sだ」
と嘆いていたそうです。
池田先生の人生もいよいよ総仕上げです。
勲章の収集、ましてノ−ベル平和賞を獲得することが、その総仕上げではなくて、
今まで、自分が行ってきた悪行を謙虚に反省、懺悔することこそが、仏縁に接した者の取るべき姿ではないでしょうか?

1091 名前: SGI 投稿日: 2004/06/12(土) 23:06
<言論出版問題・46>[>>1087-1088 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/02【学会】大石寺で戸田前会長十三回忌大法要を行う。
 会長「今まさに広宣流布実現の表徴ともいうべき、三大秘法、事の戒壇たる正本堂が、清浄なる富士の裾野に、その雄姿を現わさんとしております」と述べる。

 ○04/02【学会】『聖教新聞』に「座談会 複数政党制のカラクリ 上」を掲載。
 覆面記者らが、共産党の〃複数政党制〃論を嘲笑し、その一党独裁の恐怖を強調する。
 ○04/03【学会】『聖教新聞』に「座談会 複数政党制のカラクリ 下」を掲載。

# この時期の学会メディアは、猛烈な反共攻撃で世論の分断と批判封じをねらって、「圧迫される自由」「踏みにじられる国家主権」「醜い権力闘争」「冷酷な粛清」「暴力革命」などといった、旧ソ連、中国の文化大革命、反動勢力の戦前からのデマ宣伝などを題材とする大見出しの反共記事や特集が何回も組まれている。

 ○04/ 【学会】会長、言論出版問題で謝罪する方針を側近に伝える。
        ◇
 『そして、4月に入ると、〃謝罪する〃という、池田大作の意思が、首脳に伝えられた。
 北条、秋谷、竹入らは強く反対したが、池田大作はもう方針を変えなかった。
 「大将が頭を下げてしまったんじゃ、戦いようがないよな」。秋谷氏は不満そうに私に話した。「撤退は弾丸を撃ちながらやるもんだがなあ」。竹入氏も口惜しがった。
 塚本素山氏や橋本公旦氏も、まったく不服で、「いったい何のために私達を呼んだんだ」と、文句を言ってきた』(山崎正友『自由の砦』01年2月10日号)

# 敵前逃亡の白旗降参。自業自得とはいえ、権力には滅法弱い。そういえば「大阪事件」でも検事の追求にペラペラと供述した過去があったっけ。
 ともかく5月3日に向けて事態収拾・幕引きへの手立てが講じられていくことになった。  

 ○04/03【宗門】猊下、浅井昭衞親子に目通り。
 ○04/06【宗門】猊下、御霊宝虫払会御書講で「有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕したならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります」と説法、未来における〃国立戒壇〃の可能性を示唆する。
  
 ○04/08 共産党・谷口善太郎代議士、「宗教団体の政治活動に関する質問趣意書」を国会に提出。

■谷口善太郎代議士の質問内容
 昭和31年の参議院選挙の時、前創価学会会長戸田氏は「われわれが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」とのべ、昭和34年の参議院選挙の際には、当時、創価学会会長代行の池田氏は「国立競技場、国立美術館、国立公園等も、すべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは必然でなくてはならぬ。…それには同志をたくさん議会におくらなければならない」とのべ、さらに、池田氏は「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには関所ともいうべき、どうしても・通らねばならないのが創価学会の選挙なのでございます」とのべていた。
 以上のように、創価学会は国が創価学会の宗教的施設を国立として建てることを目的としていたが、この目的は憲法第20条3項および憲法第89条に違反したものと考えるがどうか。

# ご承知のことでしょうが、国会議員の質問趣意書に対して政府は必ず回答しなくてはならないのです。この谷口議員の質問書は、学会の政界進出は憲法違反ではないかを問うものでした。そこで、政府は翌日学会に…。

[この項、続く]

1092 名前: SGI 投稿日: 2004/06/12(土) 23:08
<言論出版問題・47>[>>1091 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/09 政府から、創価学会へ国立戒壇義について正式に照会がなされる。
       ◇
 『池田会長と創価学会首脳が、テンヤワンヤの大騒ぎになったであろうことは、想像に余りある。〃国立戒壇否定、正本堂即事の戒壇〃という、政府への欺瞞回答は、あらかじめ考えていただろう。政府照会がなければ、総会のような席で正式に宣言するつもりだったと思う。そこまでいかなければ世論は沈静しない、そんな状況になっていた。ただ政府への回答となると、これは正真正銘、公的なものである。〃国立戒壇否定、正本堂即事の戒壇〃は、日蓮正宗内の統一見解でなければ、回答はサマにならない。それなのに妙信講あたりに国立戒壇を大音声に主張されたのでは、すべてがぶちこわしになる可能性がある。
 そんなことから、日達上人と宗門役僧への圧力が、それまで以上に増大したと思われる』(下山正恕『冨士大石寺顕正会』P135)
       ◇
 『この回答文の原案は、私と原島嵩氏が中心となって作成した。それをもとに、北条浩らの首脳と公明党書記長(当時)矢野絢也氏らが、中央大学憲法学教授の橋本公旦氏を招いて、創価学会太田会館において作り上げたものである。
 橋本氏は、塚本素山氏の紹介で、言論問題の処理について相談役を引き受けてもらった。
 この時、矢野絢也氏が、橋本氏の意見を茶化すような発言をして同氏の不興(ふきょう)を買い、同氏が〃公明党の首脳があれではやり甲斐がない。以後、おつきあいをお断わりする〃と言ってきた。
 このことで池田大作は激怒し、矢野絢也氏を箱根研修所に呼びつけ、私達首脳や側近が見守る中で、数珠で頭を何度もひっぱたき、「お前は頭が狂っている。精神病の気がある。頭に巣くっている魔を調伏し、追い出してやる」と、奇妙な〃お払い〃をやった。
 この時の、肩をふるわせ無念を噛(か)み殺していた矢野氏の姿が、今も忘れられない。』
(山崎正友『あの頃のこと』・慧妙03年1月15日号)

■山崎正友著『盗聴教団』から
 早速箱根に矢野書記長を呼びつけて叱責し、「お前は頭が狂っておる。治してやろう」と、皆の居並ぶ前で数珠によるオマジナイをほどこした。それは、マジナイというよりは数珠による殴打ともいうべき乱暴な行為だった。十数人の最高首脳がいる前で、矢野氏をみんなに向かせて正座・合掌させ、池田氏がうしろから題目を唱えながら、数珠でビシッ、ビシッとひっぱたくのである。

 それ以来、池田氏はことあるごとに側近幹部に、「矢野はもともと精神病の気があるんだ。学生時代共産党をやっていて、生命もにごっている。竹入たちとは違うんだ」と言った。
 もちろん矢野書記長は、池田氏にあまりよい感情を持たなくなった。学会幹部にはめずらしいクールさと、大阪人らしい現実主義を身につけて、政治の世界でさんざんもまれてきた矢野書記長が、熱に浮かされたような“池田礼讃教団”の中で異質と見られるのは当然の成り行きといってよかった。

 東京に帰って数日後、公明党本部の一室で私と二人で話し合ったとき、「君い、なんぼこちらでやろう思うたかて、相手のあることやで。世間の理屈を押しのけて、手前ミソばかりやれいうても、でけへんもんはでけへん。君ら側におるもんは、そのへんをよう心得てコントロールしてくれんと、公明党はつぶれるで」。“二度とは言わん”との前置きつきであったが、矢野書記長はこういった。

 池田氏自らの失敗で惹起した言論問題を、池田氏の言うとおりに押さえろといっても無理だ、ということをはっきり言ったわけである。
 そのときの私は、もちろん驚いたし、けしからんと思った。池田氏を御本仏の再誕とあがめ、池田氏を護って馬前に散ることが最高の名誉と心得ていたのが、当時の最高幹部すべてであったはずである。その一人であった私にとって、大先輩幹部の一人から、このようなセリフを聞こうとは夢にも思わなかった。しかし、いまになってみれば、それはしごく当たり前のことだったのである。

# おいおい“お払い・おまじない”かよ。でも、この話、複数の幹部から聞いた事がある。

[この項、続く]

1093 名前: SGI 投稿日: 2004/06/12(土) 23:09
<言論出版問題・48>[>>1092 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/11『週刊新潮』4月18日号発売。『池田大作会長「ナゾの四十日」と〃疑惑の女〃石井孝子』を掲載。『新宗教新聞』編集長・清水雅人の話を裏付けをとらずに事実として載せ、のち、清水・学会・石川孝子(芸妓。記事では石井孝子となっている)から抗議を受ける。
        ◇
 「昭和45年頃、『週刊新潮』に、池田大作と赤坂芸者との艶聞についての記事が掲載されたことがある。隈部大蔵は、大いに興味を引かれた。当時知り合いだった『週刊新潮』の記者を銀座に誘い出し、酒を飲ませて内情をたずねた。「もちろん真実だ。自信をもっているよ」。その記者は断言した。
 「創価学会は、幹部がやってきて抗議したり、内容証明郵便で記事の取り消しと謝罪を要求してきた。しばらくして、公明党の矢野書記長がきて、担当デスクに『何とかしてくれんか』と泣きついた。デスクがトイレに立つと、矢野もいっしょにトイレにっいてきて連れションしながら、『ホンマに、わしら、池田会長に怒られて困っとるんや』と、ボヤいていた。こちらが突っぱねると、向こうが〃告訴する〃と脅してきたから、『それなら、池田大作と公明党国会議員の女性との大スキャンダルも書くぞ』と言ったら、そのまま引き下がった」「創価学会は、池田の下半身のことで、告訴はできないよ」』(山崎正友『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』P37)

# 「池田大作の下半身スキャンダル」が報じられるようになったのも、「言論問題」のおかげ?

 ○04/12 共産党『赤旗』、4/2・4/3『聖教』掲載の「複数政党制のカラクリ 上・下」に反論。

 ○04/14【宗門・学会】聖教新聞社応接室、引き続き午後2時から第二青葉寮で会議。
 出席者=宗門側:早瀬総監、阿部教学部長。 
     学会側:秋谷副会長、小平芳平、辻総務、原島教学部長。第二青葉寮では池田会長が出席。
 このときの『阿部教学部長の直筆メモ』が後日、流出。
        ◇
 池田「国立と云うと追いつめられる恐れがある……日淳上人にも現猊下にも国立の言あり。共産党はこれらをつみ重ねてきている。これは違憲になる。……もし之をお認め頂けるならば、猊下より宗門の定義として(国立戒壇否定を)『大日蓮』に発表して頂きたい。そうでないと私の独創になってしまう」
 早瀬「非常に重大な事である。充分猊下にお伝えし、申し上げる。その上で御返事をする」
 池田「非常にいそぐので早く願いたい。……また何等かの方法で、この件につき宗門内の統一を願いたい」
 池田「今迄、猊下は、我々の言ったことを擁護して下さった。それが今度はもう一歩脱皮せねばならぬ時になった。猊下も『時によるべし』とおっしゃっている。今ここで、永久に国立という内容にするか、しないかが、急所である。永久にしないという決定を云えば収まる。……猊下よりそう云うお説法があったとして、『大日蓮』に発表して頂きたい」
 「次、浅井問題の検討となる。……浅井問題の解決が焦眉の急という会長の発言あり」
 池田「……谷口質問を見せて、宗門が解散になってもよいのかということを、よく猊下より話して戴くことがよい」
 池田「本山も危ないのだということを、云って下さい。……至急やってもらいたい。明日か明後日――16日一杯にやって頂きたい。猊下より浅井に『国立をとれよ』と一言云って頂ければよいと思う」
 小平「国立を主張して憲法違反と云うことになると、宗教法人法第二条違反となり、これは法人法第xx条により、解散させられます」
 池田「だから浅井に、憲法違反で潰されてよいかということを云って下さい」
 池田「猊下より、民衆立は自分が云ったんだと、むしろ云って頂きたい」…………

# 宗門(阿部教学部長・当代猊下)にとっても、国立戒壇義は決着をつけるべき宿題となっている。いずれきちんとした御裁可の御指南を望むものである。

 ○04/16【宗門】猊下、浅井講頭・浅井本部長の2人を東京・常泉寺に呼ぶ。
        ◇
 『案の定、御虫払法要から十日の後、日達上人は浅井講頭・浅井本部長の二人を、東京・常泉寺によんだ。日達上人は共産党の質問主意書のコピーを示し〃国立戒壇を叫べば宗門はつぶされる〃と理に叶わぬことと、共産党の恐ろしさを強調した。そして〃だから今後は国立戒壇を云うな〃と要請した。もちろん妙信講はそれを拒否し、逆に日達上人を説得した。日達上人は〃これから池田会長と会うからその旨を伝える〃とまで、約束したほどであった。』(下山正恕 『冨士大石寺顕正会』P116)

[この項、続く]

1094 名前: SGI 投稿日: 2004/06/12(土) 23:11
<言論出版問題・49>[>>1093 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/上旬〜中旬【学会】松本篤(学生部班長)、広野輝夫宅で電話線に流れる電気をその電源とする無線発信機=盗聴器の製作を開始(学会が共産党練馬地区委員会に仕掛けた電池式・10cm四方ぐらいの盗聴器をサンプルにするよう手渡される)。

 ○04/中旬【学会】山崎正友・広野輝夫・竹岡誠治(学生部幹部。のち、創価班全国委員長、全国副男子部長、第4東京青年部長に就任)・北林芳典(学生部常任幹事)らの盗聴実行グループ、共産党本部電話盗聴の拠点としてニュー外苑ハイツを賃借。松本篤、その部屋で盗聴器の製作を続行。
 「(借りた部屋は七階にあったが)尾行を警戒してエレベーターは六階か八階で乗り降りして、一階分は階段を利用して部屋に出入りするようにしていました。部屋はベランダ、六畳、四畳半、キッチン、それにトイレ、風呂、玄関が一直線に並ぶタテ長の間取りで、六畳には竹岡さんが荷物を持ち込んで寝泊りしていたし、四畳半の三尺の押入れには、その上下の仕切りを取り壊して、北林さんが自分のご本尊を安置したりしていました。
 僕は台所のテーブルに機材を広げて盗聴器づくりにあてたわけですけど、玄関に入ると丸見えになるので、玄関との間についたてを置いて目隠しにしていました」(『宝石』82年10月号 松本の話)
 一週間におよぶ調査の結果、党本部の電話線が多数のうえ束になって直接地下ケーブルに入っていることが判り盗聴を断念、目標を宮本宅に変更する。

 ○04/20頃【学会】北条副会長、山崎正友に盗聴活動資金として300万円の現金を渡す(同年5月末までの間、2回目200万円、3回目500万円を渡す)。

 ○04/  【学会】パンフレット『共産主義の本質』シリーズ5冊を発行。なお、発行者名・奥付け等、一切なし。
 「日共機関紙『赤旗』の昭和45年3月20日付に「共産党への『暴力主義』よばわりはこっけいである」という、まことに〃こっけい〃な記事が掲載された。筆者は『赤旗』理論政策部長の榊利夫氏。連日、創価学会、公明党批判の記事を書きまくっている人物だ。しかし、いささか〃息切れ〃したのか、さえないこと無残なばかりである」
 「マルクス・レーニン主義政党として進むのか、議会主義に徹して進むのか。道は二つ。前者を選ぶならば『暴力革命』がありうることを公然と宣言せよ! 後者を選ぶならば〃修正主義〃の汚名を甘受せよ!」
 「前にも述べたように、1966年3月までの日共党史は〃自主独立〃について一言もふれていない。ところが、わずか3年前の昭和42年7月になって、党史の全面的な書き換えを行っているのだ。いわゆる〃宮本党史〃として一般にも悪名高い『日本共産党の四十五年』(日共中央委出版部発行)が、それである。ここでは、党創立の時点までさかのぼって、全て〃自主独立の立場〃から、一貫して〃宮本神格化〃のための配慮が払われている」
 「現在、宮本書記長が〃自主独立の立場〃を掲げ、〃平和革命の可能性〃をふりまいているのは、はたして本心からだろうか。あるいは二十年前の論文は、単なる若気のいたりとして、また全文削除とでもするのだろうか。いずれにせよ、このような全く相反する発言をする人物は、現代日本における最大の〃ジキルとハイド〃という以外にない」
 「日共の機関紙『赤旗』(昭45・4・12)は、『聖教新聞』の昭和45年4月2日、3日付に掲載された『複数政党制のカラクリ(上)(下)』の反論を載せている。筆者は鈴木氏。十日間の〃沈黙〃にもかかわらず『陳腐な党攻撃』と意気盛んなようであるが、内容は、誠に〃陳腐ないいわけ〃に終始している。都合の悪いところは全て避け、論理をスリカエ〃涙ぐましい〃までの努力の結果〃アカハジ〃の上塗りをする結果となってしまった。以下、その〃いいわけ〃の欺瞞性を重ねて斬ることにする」――等々が記述されている。

[この項、続く]

1095 名前: SGI 投稿日: 2004/06/13(日) 01:12
>>1086 yurikoさん
>ある政治家が私の所に来て、投票の取りまとめを依頼して来た。しかし、私は、きっぱりと断った。
―― これは明らかにウソです。>>920 に記したように、すでに公政連時代から“公明票の売り渡し”をしております。なにしろ学会員は、政策の是非で投票するのではなく、組織に言われるまま投票する人々ですから。

>『二枚舌』だったのですね。
―― ですね。でも最近は、その「二枚舌」体質に一般会員までもが感化されてしまったようです。
“口”で平然と「二枚舌(両舌)」を語り、語る「二枚舌(建前と本音)」で己れ自身の“意”も誤魔化し、さらに“身”で「二枚舌(善人とバリ会員)」を演じる。ともかく学会にしがみつくことだけが目的となっている。思考停止の状態です。

>池田先生は、本当は政治家気取なのでしょう。
―― いやいや「千年に一人の偉人」なのですから、一介の政治家気取りではありません。むしろ日本国あるいは人類の最高指導者(国父)のつもりではないでしょうか。

>「政権を取れるなら、創価学会を解散してもいい」と言ったことがあるそうです。(この情報源御存知ないですか?)
―― 捜索中。政権取り=天下取り=広宣流布ならば、ありそうです。

>池田先生の人生最終目標は、首相公選に立候補して、石原都知事を負かすことだと思いますね。
―― 名誉会長は絶対に首相といった「公人」にはならないと思います。文字通りの「公人」になってしまったら、過去の悪業がすべて曝されてしまうことになりますから。
 もし万が一、名誉会長が国家指導者になる時は、「言論の自由」のない秘密警察が跋扈する超管理独裁政体の政権が出現したときです。

1096 名前: SGI 投稿日: 2004/06/13(日) 01:13
>>1089
 当初(昭和44年12月)、共産党によって暴露された「言論出版妨害」について、学会サイドは「無視していれば、そのうち立ち消えになるだろう」と期待していたようです。
 『赤旗』のキャンペーンも、師走総選挙の真っ只中でしたので、公明党と共産党の“泥仕合”と受け止められていたようでしたが、選挙も終わり年も越えてから、『赤旗』の余りにも衝撃的な報道内容に、学会サイドが過敏に反応し、「事実無根」の全面否定発言を繰り返したため、騒ぎをかえってエスカレートさせていったのだと思います。まさに“火に油を注ぐ”ことになったのです。

 選挙期間中は「事実無根。ためにするためのデッチであり、デマ宣伝だ」と内外に表明しておりました。これはこれで、選挙対策上、仕方がないと捉えられていたのだと思います。
 ところが、年明けの1月5日の記者会見で、「共産党は、選挙期間中、この問題でビラをまき宣伝したが、これは事実無根のデマ中傷であるが、こちらも反論のビラをまいたのでは東京都議選のような次元の低い泥仕合となってしまうため、あえて反論しなかった」(竹入発言)と述べ、>>1030にレスしたような全面否定の発言が、一挙に社会問題へと引き上げ国会問題へとつながったのでしょう。

 こうした全面否定発言は、竹入・矢野の両人以外でも、
 「言論の自由うんぬんの問題ですが、私どもは憲法を犯した事実もありませんし、そういう経験もありません。まったくの事実無根でございます」(昭和45年1月5日・テレビ「奈良和モーニングショー」大久保直彦代議士発言)。
 「そういうことはないと思います。弾圧した、なんてことはないと思いますが、皆さんの『こんな神聖な創価学会に対して何を言うか』という声が、世論として盛り上がってきたことは事実でございます」(多田時子代議士)。
 といった具合で、公明党首脳が口をそろえて全面否定を繰り返しております。

 それにしても、この多田時子代議士の発言に見られるように、今でも世論=学会の意向、民衆・庶民=学会員、正義=学会の主張、一人の人間=名誉会長、といった独善的な読み替えは続いております。

1097 名前: SGI 投稿日: 2004/06/13(日) 01:14
>>1090 yurikoさん
>私は「創価学会による言論出版妨害」は事実無根と、ほんの5〜6年前までは信じていたのですよ。
―― ほとんどの学会員が「事実無根」または「多少の行き過ぎはあったかもしれない」といった程度の認識でしょう。
 なにしろ、名誉会長は『随筆 新・人間革命』で、次のように大見得を切っております。
 「現在、小説が描く時代は、昭和45年―会長就任10周年の5月3日からの新生の旅立ちである。当時の学会は、"言論問題"の嵐の渦中にあった」「私には、書かねばならない使命と責任がある。後輩に真実を伝えなければならない」「「真実」を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる。真実は、語らなければ残らない。沈黙は闇を増すだけだ。ゆえに私も、書くべきことは全部、書き残す責任がある」と(『聖教新聞』03年8月8日付)。

 先生や学会をともかく信じたい学会員さんは、何事も自己に都合よく“事実”を認識しなければ学会にとどまることができません。学会による言論出版妨害事件についても、名誉会長らが『新・人間革命』第14巻「烈風」に描かれることが「事の真実だ」と指導しているのですから、実際の学会が長きにわたって行っていた犯罪的な言論出版妨害の実態は、知らないだろうし、知ろうともしないでしょうね。
 現下においても、山田直樹著『創価学会とは何か』(新潮社刊)が伝えているように、底知れない資金力にモノをいわせ実質的に言論封鎖・翼賛言論を推進している実態を鑑みた時、かの「言論出版妨害事件」は過去の出来事ではなく、現在進行形の課題でもあるのだと思います。

>池田先生の広宣流布特に、世界広布への貢献は、素晴らしいものがあります。
―― さぁ、どうでしょうか。
 では、具体的にどのような貢献があるのでしょうか。教線拡大・布教実績は、会員信徒一人ひとりの尊い実践によるものです。名誉会長が著名人と会談しても、その著名人が入信したとは聞いた事がありません。
 法は人によって弘まるものですが、日本国内では、名誉会長およびその信奉者によって、かえって顰蹙を買い、法を下げております。はたして本当に、学会メディアが報じるような海外においてSGIの興隆があるとは、とても信じられません。
 私は、名誉会長には「負の貢献」があっても「正の貢献」は結局のところなかろうか、というのが最近の認識になりつつあります。

>池田先生の人生もいよいよ総仕上げです。
―― そうですね。どのような“総仕上げ”をするのか注視したいと思っております。

1098 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/13(日) 08:05
 言論出版妨害事件が事実であろうと無かろうと、創価学会員はそんな事にはこだわりませんよ。
 こだわるのは、あなた方アンチだけです。
 勝手に盛り上がってください。
 高みの見物をしていますから、面白可笑しくやってくださいませ。
 それでは、どうぞ!!

1099 名前: (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/06/13(日) 09:03
こだわらないのに、何故か書き込み。
かの人の目的は?
創価学会を批判する人に対する”批判のための批判”なの?

1100 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/14(月) 20:46
>>1097sGIさん
>>「政権を取れるなら、創価学会を解散してもいい」と言ったことがあるそうです。(この情報源御存知ないですか?)
>―― 捜索中。政権取り=天下取り=広宣流布ならば、ありそうです。
。。。。
私の覚えている範囲では、
溝口敦氏の「堕ちた神池田大作ーー権力者の構造」で、
氏が、引用していました。
ついでに、溝口氏のこの著作について。
私にとって、「堕ちた神。。。」は、「創価学会を斬る」以上に衝撃的な書でした。
この書によって、後に憤死した石田次男のことを知りましたし、
池田主導の青年部クーデターのことも知りました。
元々、この書は、「堕ちる神」で出版されたのが、「堕ちた」になりました。
駄洒落的で面白いと思いました。
溝口氏の取材力には、本当に驚かされました。
何と言っても、池田先生の生い立ちから、入信の嘘、よいうか「誤魔化し」を完全に見破ったのですから。
もし、溝口氏の本が無ければ、池田先生は、今でも「創価学会員のバカ共め。まんまとだまされやがって」と陰で、ほくそ笑んでいたことでしょう。
『天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」(老子)』って、本当だったのですね。
溝口氏の取材方法は、大量の資料を手元にしての分析だそうです。
これは、SGIさんのやり方にも通じると思います。
何と言っても、池田創価学会が最も恐れているのが、「真実の発現」です。
別の言葉で言い換えると、「実際にあったことを、ありの儘に明かす」だけで最も強烈な批判になるのです。
後は、その資料を見た一人一人が判断すればいいだけ。
中には、沖浦氏みたいに、「全く気にならない」という人もいるでしょう。それは、それで。一つの選択でしょう。
しかし、大部分の学会員は、ただ漠然と信じ込まされているだけです。彼等には、少なくとも真実を知る権利があるのではないでしょうか?
これは、無論、宗門問題にも当て嵌まるべきで、宗教の選択が自由の今日、市場は買い手市場です。ーーそうあるべきだと思いますね、
宗教指導者の談合こそが、日蓮大聖人が最も批判していたことだったのではないでしょうか?

1101 名前: SGI 投稿日: 2004/06/14(月) 21:30
>>1086 yurikoさん
>「政権を取れるなら、創価学会を解散してもいい」と言ったことがあるそうです。(この情報源御存知ないですか?)
―― 月刊『現代』講談社刊(昭和45(1970)年7月号)に
 池田会長(当時)の「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」という言葉があるそうです。現物は確認しておりません。あしからず。

>>1100
 そうですか。溝口敦著『堕ちた神・池田大作――権力者の構造』の中に引用があるのですか。
 惜しむらくは今手許にありません。誠に残念です。
 私も、溝口敦氏の取材力に驚かされた1人です。氏の記述を基に、度々先輩幹部や草創の会員さんに事実確認をしたことがあります。その都度、封印された事実を知って、ずい分聞かされている・教え込まれている事実とは違うものだな、と思ったものです。

1102 名前: SGI 投稿日: 2004/06/14(月) 21:42
>>1098
かつての師曰く、
「歴史を直視できなければ、未来を切り開くことはできない」。

1103 名前: SGI 投稿日: 2004/06/15(火) 00:05
>>1100 yurikoさん
>大部分の学会員は、ただ漠然と信じ込まされているだけです。
―― そうかな。「大部分」というのは、どの範囲をさすのかにもよるのでしょうが、
 “活動家”と呼ばれる会員の多くは、「信じ込まされている」のではなく「信じたい」のだと思います。
 名誉会長を信じ、学会についていくために、屁理屈だろうが自語相違だろうが論理破綻であろうが、信じ続けていくためだけの情報を受け入れ、自分なりに無理やりでも納得し、あるいは都合の悪い事は遮断・排除し、ともかく学会にしがみついているのではないでしょうか。
 
 だから、過去に目をつぶり、今現在だけにすがる。つまり刹那、刹那で納得できればいいのです。自分の依って立つ根拠が崩れるような情報や事実・働きかけに対して、自身の心の揺れを隠し己れ自身をも誤魔化すために、そうした情報を提供する他者に過敏に過激に反応するのでしょうし、また仲間内では「信じようとしている」根拠・理屈だけを繰り返し繰り返し叫んでいるのでないかな。

>彼等には、少なくとも真実を知る権利があるのではないでしょうか?
―― 権利は当然ありましょうが、その権利を行使するか否か、ご本人の問題です。
 学会組織が知らせる訳がありません。「依らむべし・知らすべからず」なのですから。

 私が、このスレで>>904 以降レスしてきた「言論問題」についても、
「山崎や原島の反逆者の証言なんかウソに決まっている」「赤旗の記事は批判のための批判」「マスコミはウソをつく」「権力は学会をつぶそうとする」「藤原弘達は自分の都合のいいことしか言わない」といった具合に受け容れず、結局受け容れる情報は学会の言い分=『人間革命』の記述ということになります。
 これでは、もう小説というより神話の世界です。彼らは、事実や真実はどうでもいいのです。己れが信じた“創価学会・池田大作”という神話の世界に生き続けるために、うわべの美辞麗句と虚構のロジックに酔うだけです。彼らは“本心”を失っているのでしょう。

1104 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 04:57
>>1103SGIさん
>うわべの美辞麗句と虚構のロジックに酔うだけです。彼らは“本心”を失っているのでしょう。
。。。。
池田先生は、意識的にしろ、無意識的にしろ、「人心収斂術」にかけては、天才的だと思います。
他の才能はともかく、それだけは確かだと思います。
果たして、その才能は重要といえるでしょうか?
確かに、その才は、人間の本質的なものには何の関係もないかも知れません。
しかし、現代という大衆社会では、決して軽く扱う扱うべきではありません。別の言葉で言うと、「政治力」と言えると思います。
恐らく、池田先生は、戸田城聖という「一種の怪物」に出逢い、「俺もああなりたい」と思ったに違いありません。
池田先生の人生は、戸田先生に出逢うまでは、如何なる意味でも、「才能の閃き」は全くありませんでした。
それが、どうして、こう変化してしまったのか、不思議です。
私が思うに、かえって、「無」だったが故に、己の能力を過信できたんだと思います。
竜年光氏が、旧知の森田理事長に面談を申し入れ、現在の創価学会が戸田先生が理想として創り上げた組織と大きく違ったもにになってしまった窮状を訴えたことがあったそうです。
すると、森田理事長は、「創価学会がここまで発展できたのは、『非常識』でやってきたからだ」と嘯いたそうです。
私は、奈留程と合点がいったのでした。
すなわち、例えどんなに、「非常識」で他人に迷惑をかけても、一遍の反省もない、「鉄面皮」こそ、池田創価学会の強さなのです。
それは、人間革命や随筆人間革命の随所に発見できます。
言論出版妨害事件への開き直りは、その一部でしかありません。
そういう開き直りで、一番、私が気分が悪かったのは、「会長引退」にまつわるものでした。

1105 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:08
続1
当時、私は、まだ中学生。
何で、池田先生が会長を引退しなければならなかったのか。解らず口惜しい思いをしました。
私は、母と共に、池田先生に慰労の言葉と、「これからも池田先生だけが、私の師匠です」という誓いの手紙を送りました。
そして、潔い「引退」の姿が、清清しく、誇りに思ったものでした。
ところが、実際は、池田先生の心の中は、「逆恨み」で一杯だったのですね。
全く、情けない、としか言い様がないです。

<聖教新聞 1999.5.1 付 随筆 新・人間革命 80>

一九七九年、すなわち昭和五十四年の五月三日――。
 間もなく、創価大学の体育館で、〃七つの鐘〃の総仕上げを記念する、第四十回の本部総会が行われることになっていた。
 本来ならば、その日は、私は、偉大なる広宣流布のメッセージを携えて、創価の栄光を祝賀する日であった。

1106 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:14
続2
すべての同志が熱意に燃えて、楽しき次の目標をもち、至高の光を胸に抱きながら迎えゆく、歓喜の日であった。
 尊い広布の英雄たちが微笑をたたえ、共々に、珠玉の杯を交わしながら祝うべき日であり、大勝利の鐘を自由に打ち鳴らす日であった。
 しかし、嫉妬に狂った宗門をはじめ、邪悪な退転者等の闇の阿修羅が、この祝賀の集いを奪い去っていったのである。
午後二時から始まる総会の開会前であった。
 妬みと滅びゆく瞋恚の魂をもつた坊主を乗せたバスが、大学に到着すると私は、ドアの前に立ち、礼儀を尽くして、彼らに挨拶した。
 ところが、坊主たちは、挨拶一つ、会釈一つ返すわけでもなく・冷酷な無表情で、傲然と通り過ぎていった。
 学会伝統の総会も、いつものように、学会らしい弾けるような喜びも、勢いもなく、宗門の〃衣の権威〃の監視下、管理下に置かれたような、異様な雰囲気であった。
 ある幹部が後で言っていた。
 「冷たい墓石の上に座らされたような会合であった」激怒した声が多々あった。
 会場からの私への拍手も、遠慮がちであった。

1107 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:17
続3
また、登壇した最高幹部は、ほんの数日前の会合まで、私を普通に「池田先生」と言っていたのが、宗門を恐れてか、ただの一言も口にできない。

 私をどうこうではない。
 それは、強き三世の絆で結ばれた、会員同志の心への裏切りであった。
 婦人部の方が怒っていた。
 「どうして、堂々と、『今日の広宣流布の大発展は、池田先生のおかげです』と言えないのでしょうか!」と。
 私が退場する時も、戸惑いがちの拍手。
 「宗門がうるさいから、今日は、あまり拍手をするな。特に、先生の時は、拍手は絶対にするな」と、ある青年部の最高幹部が言っていたと、私は耳にした。
 恐ろしき宗門の魔性に毒されてしまったのである。言うなれば、修羅に怯えた臆病者になってしまったのである。

1108 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:20
続4
会合が終わり、特別の控室にいた高僧や坊主どもに、丁重に挨拶をしたが、フンとした態度であった。これが人間かという、そのぶざまな姿は、一生、自分自身の生命に厳存する閻魔法王に、断罪されることは、絶対に間違いないだろう。
 仏法は、厳しき、「因果の理法」であるからだ。
 私は思った。
 宗門と結託した、学会攪乱の悪辣なペテン師たちは、これで大成功したと思い上がったにちがいない。彼らは、「これで、計画は着々と準備通りに進んでいる。これでよし! これで完全勝利だ」と計算し、胸を張っていた。
 その陰湿さと傲慢さが、私には、よく見えていた。
 私は、ずる賢き仮装の連中の実像を、その行動から見破ることができた。
 この陰険極まる、狡猾な連中には、断固として、従ってはならない。いかなる弾圧を受けようが、「忍耐即信心」である。
 学会は、蓮祖の仰せ通りの信仰をしている。死身弘法の実践である。柔和な忍辱の衣を着るべきである。
 学会に敵対する彼らは、蓮祖の姿を借りて、真実の仏の使いを道具にし、利用し、破壊しているのである。

1109 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:24
続5
これが、恐ろしき魔性の荒れ狂った、現実の実態であった。あまりにも悲しく、あまりにも情けなかった。
 本来、宗教は、人間の幸福のためにあるものだ。
 それが坊主の奴隷になり、権威の象徴の寺院・仏閣の下僕のになってしまうことは、根本的に間違いである。
私は、重荷を、また一層、背負った気持ちで、皆と別れ、自宅には帰らず、神奈川文化会館に走った。
 「今朝の新聞に・先生のお名前が出ていました」
 神奈川文化会館で、側近の幹部が教えてくれた。
 この三日付の読売新聞には、日米国民の「生活意識」調査の結果が掲載されていた。
 その中に、日本人が「尊敬する人物」に挙げた上位二十人の第六位に、私の名前が出ているというのであった。
 上から、吉田茂、野口英世、ニ宮尊徳、福沢諭吉、そして、昭和天皇と続き、その次が私である。
 「会長勇退」直後の五月三日に、このような記事が出たことに、私は不思議なものを感じた。
 また、同志の皆さまが懸命に私を応援してくださっているようにも思われた。

1110 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:27
続6
数日後、ある識者の方からいただいたお手紙は、この調査のことを非常に驚かれ、こう結んであった。
 「現存する人物では、民間人の第一位です。
 そして、日本の宗教界では、貴方、お一人だけです。まさに宗教界の王者です。どんなに、戸田会長がお喜びになるでしょうか!」
「大事には小瑞なし、大悪を(起)これば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(御書一三〇〇?)とは、日蓮大聖人の絶対の御確信であられる。
 誰が何と言おうが、私は私の信念で勝つことを決心した。
 そして、ただ一人、今まで以上の多次元の構想をもちながら、戦闘を開始した。
 「獅子は伴侶を求めず」とは、よく戸田先生が、私に言われた言葉である。
 一人、孤独になった私は、無言のうちに、必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。
 師弟の両者が一つの姿で、無限に戦い、舞い、走り、勝利しゆく。私は、その新しき時代の、新しき伴侶を待っていた。

1111 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:42
結論
この池田先生独特の「開き直り」「無反省」「自己正当化」「尊大ぶり」こそが創価スオイリットなんだと思います。
何と言っても、池田先生を本仏として仰いだ¥故福島源次郎氏までも、無造作に切り捨てたのです。
後で、改めて引用したいと思いますが、福島氏の口惜しさを思うと胸が痛みます。
今更ながら、福島氏に合掌します。
もし、自分が誰からであれ、深い信頼と尊敬を受けてたとしたら、それへの裏切りは、「腹わた」がよじれる程の苦しみでしょう。
人によっては、あまりの苦しみから。生きて行く気力さえ無くしてしまうに違いありません。
そういう「ごく普通の感受性」を持ち合せていない池田先生は、それを「強み」と錯覚しているのでしょう。
ところが、実際は、それは、人間として最も恥ずべきことだと思います。

1112 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/15(火) 05:58
 福島源次郎氏

 私には思い出多き人でした。
 ご冥福を祈ります。

1113 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 05:59
訂正>>1111

この池田先生独特の「開き直り」「無反省」「自己正当化」「尊大ぶり」こそが創価スオイリットなんだと思います。

この池田先生独特の「開き直り」「無反省」「自己正当化」「尊大ぶり」こそが創価スピリットなんだと思います。

1114 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/15(火) 10:08
>>1109
>坊主の奴隷になり、権威の象徴の寺院・仏閣の下僕のになってしまうことは、根本的に間違い
。。。。
確かに、日本仏教界は、江戸時代の檀家制度が功を奏して、葬式仏教に成り下がった。
宗教組織という生産性がゼロの世界では、布施(寄付)に頼るしか生きる道はない。
禅宗などは、自給自足が建て前とあって、小規模の野菜畑を耕し、少欲知足を旨としている。
無論、例外や堕落した僧侶はどこにでも居るものだが、その厳しい修行ぶりは、宗教としての命脈を保っている。
これは、出家集団が中心の上座部仏教集団があるセイロン、タイ、ビルマ、などでは普通に見られる。
そこで、日本の仏教界だが、今更、言うまでもなく、その殆どは是俗化の勢いは止まるところを知らない。
宗教らしさを求める人々に、「一日出家」などを提供して、立派にビジネスとして成り立っている。
需要と供給の関係が成立しているのだから、とかく批判される筋合いはないのだろう。
日蓮正宗の出家集団も、そういう日本仏教界の大きな流れに、完全に取り込まれている。
大聖人のように、他宗との公場対決など、思いもよらぬことだ。
信者に寺院参詣を促して、「即席」の聖の体験をしてもらうのが精一杯だ。
しかし、だからといって、十把一絡(じゅっぱひとからげに、日蓮正宗をそこに含めて批判するのは如何なものでしょう。
何より変なのが、恰も、日蓮正宗寺院が特別に堕落しているような印象を池田創価学会は与えようとしています。
○日本仏教界全体に、行き過ぎた世俗化に対して警鐘を鳴らす。×日蓮正宗僧侶を針小棒大に批判する。
ではないでしょうか?
平成2年から始まった、第三次創宗戦争の目的は、池田大作による権力闘争であるのは間違いない。
池田創価の万代路線の磐石化こそが、その目的だが、果たして、日本人、否創価学会員の中から、「聖」を完全に取り払うことはできるだろうか?
私は、無理だと思う。
そこで、創価学会は、現在、宗門からの脱落僧を飼っているが、そんな事が続くわけもない。一世代限りだ。
創価学会は、もっと、日本仏教界全体の堕落にどう挑戦していくのか、明確な態度を示さない限り、宗門と正しい関係は、永久に結べないだろう。
というか、元々、破門は望む所だったらしいから、「宗門(特に猊下の)僧侶虐め」は、組織引き締めの為の、(閑潰しの)材料に過ぎなかったのかも知れない。

1115 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/17(木) 07:07
期待上げ。

1116 名前: SGI 投稿日: 2004/06/17(木) 23:23
<言論出版問題・50-1>[>>1091-1094の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/20以後【学会】の各メディア、共産党攻撃を終了する。
       ◇
 『(会長謝罪の方針は)内部に対しても秘密厳守し、数名の首脳しか知らなかったから、聖教新聞、大学新報、公明新聞等での〃共産党への反撃〃は大々的に続いた。それが終わったのは、4月20日過ぎである。突然といってもよい形で〃反撃〃が中止され、内外とも固唾(かたず)をのんで、5月3日を見守った』(山崎正友『自由の砦』01年2月10日号)

 ○04/20【学会】箱根研修所で「5・3」原稿の討議。
       ◇
 『池田大作は、原島嵩氏ら〃特別書籍〃のメンバーに、その意向を伝え、草稿作りを開始した。ある程度、骨子が煮詰まったところで、北条、秋谷、竹入や首脳、そして私達にそれを示し、意見を述べさせた。
 4月20日を過ぎた頃、私の他、桐ヶ谷、八尋両弁護士、神崎武法検事らが箱根研修所に呼ばれた。これには、朝日新聞社の政治部記者で池田のプレーンであった央忠邦氏も、特別参加していた。
 夕食後、原島氏らが作った講演のレジュメが皆に示され、池田大作から意見を求められた。

 今読めば、何ともない内容だが、その時は、皆、仰天した。
 絶対的無謬性(むぴゅうせい)と、世俗を超越した存在で、会長就任以来、〃反省〃とか〃謝罪〃とか一度もしたことのない池田大作が、言論妨害を謝罪した上、政教分離、国立戒壇の放棄、体質改善等を端的に宣言する、というのである。
 「ここまで引く必要が、何であるの?!」央氏が、強い口調で言った。
 「池田先生に、こんなことをさせて、君らはそれで良いのか!」と言わんばかりの口調だった。
 私達も、〃国立戒壇の放棄〃まで必要なのか等、〃行き過ぎではないか〃との意見を述べた。
 そうした意見を一々聞いた上で、その日は解散した。

 終了後、床につく頃、原島嵩氏が私の部屋にやってきた。
 「池田先生から君の意見を聞けと言われた。君は、あれでは行き過ぎだと言うのか!?」
 私は、その剣幕にタジタジしながら、「もっと柔らかい内容表現にしたら……」「もっとボカしても良いのではないか」「国立戒壇まで放棄する必要があるのか」などと、意見を述べた。
 原島氏は、「謝った方がよい、引いた方がよい、と池田先生に進言したのは君だろう!」
 私が「池田先生がそう考えておられると思ったから、自分もそう思って意見を述べたのです」と答えると、「池田先生が発言する以上、中途半端なことができるわけないだろう。これ一発で、解決しようと池田先生は決心しておられる。すべて自分が責任を取る、と言っておられるんだ。そのためには、これでも足りないくらいだ、と先生は言っておられる」と。』(山崎正友『自由の砦』01年2月10日号)

[この項、続く]

1117 名前: SGI 投稿日: 2004/06/17(木) 23:24
<言論出版問題・50-2>[>>1116 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/20【学会】箱根研修所で「5・3」原稿の討議。
       ◇
 『翌日、朝食の後、皆は帰京の途についたが私は一人、残るように言われた。(中略)皆が出発した後、第一庶務から原島氏と私に、池田大作の寝室へ来るよう連絡を受けた。私達が池田大作専用の寝室に行くと、池田大作は廊下の藤椅子に座り、第一庶務の女子職員に、こめかみや背筋のマッサージをさせていた。 起きたばかりなのか、寝巻姿のままで、顔は寝不足のせいか、むくみ、目は熱っぽかった。
 椅子の前に小さなテーブルがあり、その前の床に二人はかしこまって座った。その時、池田大作の寝巻の裾がはだけ、目を上げると正面に太ももの奥まで見え、白いステテコが丸見えになった。その時、ステテコの前の切り口に、赤い口紅状のものがついているのが、目に入った。私は思わず隣の原島嵩氏の顔を横目でうかがったが、原島氏は平然としていた。

 池田大作は、講演の草案について、「どうだ。二人で相談したか。友さん、納得したか、あれで良いか」と尋ね、私は「心苦しいことですが、やむをえないと思います」と答えた。池田大作は「あとは、共産党がどう出るかだな」といい、さらに「全部、北条さんから聞いている。今は君が頼りだ。全てをなげうって、全力をあげて集中してくれ」と言い、「資金・活動費は充分もらっているか」と尋ねた。今のところ不自由していない、と答えると、今度は原島氏に向かって、「君は、友さんを全面的にバックアップしてやれ。北条さんにも学生部長にも言って、友さんが動きやすいようにしてやれ」と、強い詞子で命令した。さらに、私の師団に臨時の手当を出してやるよう、北条氏と中西氏に伝えろ、と原島氏に命じた。

 私は、池田大作が、電話盗聴作戦のことを言っているのだとわかったが、その場では、直接にその内容や進行状況を報告しなかった。事は、北条氏と私の間だけで機密に進めることだし、万一の時、池田大作を、「何も知らなかった」として、守らなくてはならないから、話は北条氏だけを通じてしておけはよい。それに、原島氏や第一庶務の女性がいるところで話すことも、はばかられた。
 
その後、私は、数限りなく盗聴を行なうことになったが、それらに際しても、事前こ池田大作に話したのは、三回だけである。一度は、常泉寺での妙信講との対決の時、二度目は、妙縁寺での日達上人猊下と妙信講浅井昭衛の談判の時、そして、三度目は、昭和49年問題の際、池田大作と二人で日達上人猊下に大石寺大奥でお目通りした時である。これ以外の作戦は、すべて北条氏の許可を得て行なった。

 さて午後に帰京した私は、直ちに広野を呼んで、作戦の進行状況を確認した。「どうしても、直接情報を取らなくてはならない。不退転の決心でやろう。ただし、絶対に失敗は許されない。君らで勝手にやることは絶対許さん。すべて私の了解のもと、私の指示に従ってくれ!!」』(山崎正友『自由の砦』01年3月10日号)

[この項、続く]

1118 名前: SGI 投稿日: 2004/06/17(木) 23:25
>>1111 yurikoさん。
>この池田先生独特の「開き直り」「無反省」「自己正当化」「尊大ぶり」こそが創価スピリットなんだと思います。
―― ふむ、なるほど、そうかもしれません。要は「仏法は勝負」、勝てばいいのですから。
 名誉会長曰く「人がどうあれ、環境がどうあれ、状況がどうあれ、要は自分が強くなればよい!」(平成13年10月21日・聖教)。つまり、自分さえ良ければ、他者はどうでもいいのです。二枚舌だろうが、不誠実だろうが、無反省だろうが、勝つためならば手段を選ばないということです。

 さて、>>1103自己レスの続きになりますが、私の印象では、大半の学会員が今の学会はおかしい・狂っていると感じており、できれば学会組織と関わりたくないと思っているようです。潜在的な脱会希望者は、相当の数にのぼるのではないでしょうか。反対に、「学会は正しい」「先生はすごい」と心底から思っている会員――いわゆる狂信的な“バリ会員”は1割にも満たない印象です。

 学会から禄を食む会員は複雑です。本部職員3,000人をはじめ、公明党議員4,000人弱、聖教新聞店の店主、民音や大学・学園、潮、日本図書輸送、信濃施設管理、東西哲学書院、富士白蓮社、報恩社、シナノ企画といった外郭関連団体・企業だけでも 軽く5,000人を超え、
 さらに会館や墓苑の建設・維持管理に伴う内装工事や電気工事、造園作業、各種メンテナンス業務を受注する会員業者、あるいは清掃業、資源回収・産業廃棄業といった公明党の利権業界に従事する会員業者、また創価大卒業生を受け容れた企業は、学会関係の仕事や資金を得ることができるので、その卒業生――までを含めると、学会の存在をなくして生きていけない会員数は、10万人に近い数字となります。

 “家業”となった宗教貴族の本部職員は当然のことですが、こうした周辺会員も学会関連の業務・仕事を通して生業を営んでいるのですから、彼らは学会がおかしい・狂っていると思っていても、学会を離れることができないのです。
 学会は互助組織・ムラ社会・運命共同体であり、名誉会長を頂点とする池田王国です。簡単に“足抜け・足を洗う”ことができません。だから、学会や名誉会長を「信じる」ために「信じよう」と務め、自分を誤魔化すしかないのです。哀れです。

 この10万人が本心を隠しながら、不本意ながらも生きる術として「学会の正義」を振りかざし、叫び唱え、狂信的な“バリ会員”20万人を煽り、組織活動が維持されています。
 「自分さえ良ければいい」という心根の人物を指導者と仰ぎ、空虚な美辞麗句に飾り立てられた言葉と幻想に乗せられ、煽られ、搾取される「活動家」会員も、やはり哀れな存在です。

1119 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/19(土) 05:42
>>1117SGIさん
>その時、池田大作の寝巻の裾がはだけ、目を上げると正面に太ももの奥まで見え、白いステテコが丸見えになった。その時、ステテコの前の切り口に、赤い口紅状のものがついているのが、目に入った。
。。。。これって、池田先生が、第一庶務の女性にフェラチオをさせていたのですかね?
でも、池田先生は、当時、心身共に弱っていt筈だから、そんな事をさせている余裕なんか無かった筈。
やはり、それも演技だったのでしょうか?
今、池田創価学会は、執拗に、山崎正友氏の人格攻撃をしています。
山崎氏=前科者=嘘つきという構図を学会員の頭に叩き込んでいます。
全ての創価学会スキャンダルを全て、氏の責任に転嫁しようとしています。
そこで思うんですが、山崎正友氏は、学会の顧問弁護士だったのです。
池田先生や北条前会長の篤い信頼を受けていた筈です。ーー一蓮托生だった筈です。
もし、民間企業で顧問弁護士が不祥事を犯したら、当然、その顧問弁護士を直接雇っていた取り締まり役は、責任を取らなくてはなりません。
例え、その不祥事を知らなくともです。そうすることによってのみ、責任の所在が明らかとなり、未来に同じことが繰り返されるのが防がれるのではないでしょうか?
顧問弁護士が顧客の秘密を暴露することは、それだけで、人格が疑われます。
ところが、その企業や組織が社会的で、社会的である程、そこに不正があれば、それを公開する義務が、その弁護士にあります。
シャイアトル事件の下田判決ではありませんが、
「首尾一貫して変遷gない」という天から考えても、山崎証言は本当だと言っていいのではないでしょうか?

1120 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/19(土) 06:51
 これだけ批判をされるという事は、人間革命が後世大評価をされる兆しですね。
 創価学会員として嬉しく思います。

1121 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/19(土) 11:17
>>1120
>沖浦克治 人間革命が後世大評価をされる兆し
。。。
さー、それがどう評価されるのかが問題ですね。
個人的に言えば、面白い書だと思うし、結構愛読してますしね。
xxxxxxxxx
もう二十年前になるが、井上ひさし氏は、文芸春秋に「人間革命の批評」を書いた。
井上氏は、自身の創作活動の他に、文芸批評や社会評論活動も行っている。
「憲法を考える本」は、アンソロジーと共に、憲法学者と対談などもしている。
そういう意味で、井上にとって、「人間革命」は、社会小説とも言えない、興味深い奇書だったに違い無い。
なぜなら、同書は、文芸書ではないのは確かだし、宗教的深遠さを説く、「聖」の馨りもない。
やたらに詳しい時代背景の説明と実在人物の登場は、ノンフィクションを思わせるが、昭和32年当時の首相の名前が、岸ではなく、峰になっていたりして、読者をわざと混乱させたりする。
したがって、読者は、同書に書かれていることが、どこまで本当にあったのかどうかわからない。
井上は、この書の主人公「山本伸一」の不自然過ぎるスーパーヒローぶりを批判している。

1122 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/19(土) 11:19
続1
すなわち、師匠の心をテレパシーを使って読んだり、未来の行動を正確に予想したりする。
その上、戸田さえも、本当は脇役に過ぎず、全ては、山本伸一の立身出世を助ける為のお膳立てという仕組みになっている。
それで、井上は、同書を「むずかしい書」と呼んだ。
読み進めて行くと、井上は、同書を本当は、「はずかしい書」と言いたかったことがわかる仕組みになっている。井上らしい、パロディーと言える。
著者が、どの程度、自分で執筆したのかもわからない。
しかし、著者の名前が冠してある以上、文責は、池田大作にあるのだけは確かだ。
そういう奇書が、可能にしているのは、歴史の書き換えだ。
例え、どんなに同書は小説だから、などと言い訳をしてても、すぐに誰とわかる人物や団体名を登場させては、屡、侮辱的な記述と共に、その行動を酷評する。その様は、「人権侵害」の謗りを免れない。
同書は、奇書である共に悪書として歴史に永久に封印すべきだと思う。

1123 名前: ちゅうた 投稿日: 2004/06/19(土) 13:50
yurikoさん。こんにちは。
そうですね。この本の影響なんかを考えたら、或いは永久に
封印されてしまったほうのが、よいようにも思えますね。
ただ、折伏教典のような封印の仕方は、それはちょっと
ずるいって気もします。 「人権擁護」を標榜したりしてる団体の、
そのメンバー必読の書とされてる本に、
侮辱的な記述や酷評なんかが随所に書いてある点は
証拠・資料として残しといてくれないとです。
よくいわれてるように、創価学会って、
臭いものには蓋みたいなところがありますから、
今のところ、この本はまだ「臭いもの」とはみなされては
いないようですけど、この先わかんないかも知れませんし。です。

1124 名前: ちゅうた 投稿日: 2004/06/19(土) 14:07
SGIさんへ。こんにちは。
前は勝手にコピペさせて頂いて、事後報告だったのに、
こころよく承諾して下さって、どうも有難う御座いました。
連載もいよいよ本当のクライマックスのようですが、
いろいろ調べて下さったり、大変だったんじゃないかと思います。
この連載は、やっぱりより多くの人、
特に、いまだに学会信者を続けてらっしゃるような人に
たくさん読んでもらったほうのがよいように思います。
自分も実は、すごいマイナーな掲示板なんですけど、
5月くらいから始めてみたんです。
情報(資料)こ〜な〜というのも用意してあるんですけど、
そこに、コピペというより、もう,ら全部、転載させて頂く訳には
いきませんでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。
 
ttp://groups.msn.com/Inconsistency/

1125 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/19(土) 16:12
>>1120
古本屋で、100〜200円くらいで売ってますので
おそらく古本屋の買取価格は、50円以下でしょ。
資源ゴミとして評価されるかもしれませんね。

1126 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/06/19(土) 18:02
>>1125

嫁入り道具というか、妻が結婚時に別々の方から3冊もらってきていました。
会社の方が苦しくなって給料とれず生活費の少しでも足しにとブックオフに
2冊もっていきましたが新品まっさらで値段つきませんでした。タダで引き取りだけ。
私の本もたくさん持っていきましたが値になりませんね。結構いろいろ高かったのに。
若干あったコミック(ドカベン他)や西村京太郎ものの方が高いとは。とほほ。

1127 名前: SGI 投稿日: 2004/06/19(土) 20:45
>>1124 ちゅうたさん。こんばんは。
 転載の件、どうぞ、どうぞ。
 わざわざコーナーに全連載の掲載とは、ホンマ恐れ入ります。
 苦労が報われます。ありがとうございます。
 そうですね、やはり多くの学会員さんにも知ってもらいたいですね。
 よろしくお願いいたします。

1128 名前: SGI 投稿日: 2004/06/19(土) 20:46
<言論出版問題・51>[>>1116-1117 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/19【学会】池田大作会長の行動記録
10:20 起床、入浴、食事
 11:00 北条・森田・秋谷・中西 応接間にて懇談
 12:00 休憩
 13:30 お部屋にて中西と手紙  特別研究班と勤行
 15:30 央氏の訪、広間  夫人・娘同伴
 17:00 央氏含み特別研究班と打ち合わせ
 18:10 食事 食堂  引き続き、打ち合わせ
 19:30 央氏、夫人・娘と帰る
     二階二号室にて特別研究班・北条・森田・秋谷・竹入・矢野と打ち合わせ
     *特別研究班メンバー 原島・桐村・上田・野崎・山崎(正)・神崎・山本(英)・宮川・細谷・桐ヶ谷・松田
 20:30 竹入・矢野・北条・森田・秋谷と話す 二号室
 21:30 食堂にて按摩  北条・原島・桐村・中西と話す
 24:00 唱題 仏間
 24:20 お部屋にて北条・原島・中西と懇談
 
 ○04/20【学会】池田大作会長の行動記録
  8:20 起床、入浴、食事
  9:30 中西・原島 お部屋  10:00 勤行 
 10:30 箱根研修所、発  先生・原島・桐村・中西・行水・尾方・持永・竹入・奥様・上田(京)
 11:30 第二青葉寮、着  事務所にて荷物整理
 12:45 休憩(以下、判読できず)
 15:05 原島・桐村・八矢 応接間 15:20 中西と話す  
 16:40 夕刊  16:50 勤行
 17:10 中西と話す 応接間
 17:40 北条・小泉・竹入・矢野・柏原・森田・辻
 18:10 竹入・矢野 帰る
 19:00 浜野 理髪
 20:20 事務所にて品物整理
 20:50 二階にて休憩
 21:10 上田・野崎 二階へ
 21:40 応接間にて上記メンバー達と懇談
 22:40 第二青葉寮、発  徒歩にて23:00自宅へ

 ○04/21【学会】池田大作会長の行動記録
12:50 自宅、発
 13:05 文化会館、着
 13:15 サンケイ天野氏、来訪 6階応接間(カメラマン同行)
 14:50 同 終了(以下、判読できず) 15:25 同 終了(以下、判読できず)
 16:00 佐藤正忠氏、来訪 6階応接間  
 16:35 同 終了 本部事務局にて執務、南米品物整理
 18:00 文化、発 第二青葉へ
 19:00 按摩  21:00 休憩  22:10 入浴
 22:35 中西と応接で話す  22:50 秋谷 加わる  23:05 秋谷 帰る
 23:10 第二青葉、発 徒歩  23:20自宅へ

# この「行動記録」は、色々な発見があって興味深い。

[この項、続く]

1129 名前: SGI 投稿日: 2004/06/19(土) 20:47
<言論出版問題・52>[>>1128 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/22【学会】池田大作会長の行動記録
13:45 第二青葉、着
 14:00 高瀬広居氏 来訪  18:15 同氏 帰る
 18:30 ご家族と会食 天満寿 戸田氏加わる
 19:15 戸田氏と懇談 応接間
 20:30 按摩 二階にて  22:00 終了 懇談
  1:00 帰宅 

 ○04/22【宗門・学会】大石寺大客殿で「臨時時局懇談会」。
      ◇
 『教師(住職)など僧侶千名、創価学会・法華講・妙信講の代表が招集された。参加者全員に、谷口の質問主意書のコピーが配られた。創価学会代表の辻武寿総務室長が「共産党の攻撃により、いま宗門は危急存亡の時を迎えている」と説明した。許されて妙信講・浅井昭衛本部長が質問に立った。
 「どうして日蓮正宗が危急存亡なのか。御書には『外道・悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の虫の師子を食む』とある。また『師子を吠る犬は腸(はらわた)くさる、日月をのむ修羅は頭七分』とあるが、もし学会が仏弟子なら、どうして共産党ごときをそれほど恐れるのか。いま聞けば、学会は共産党と争うつもりはないとの事であるが、共産党は赤旗紙において、恐れ多くも戒壇の大御本尊の御写真を掲げ、連々と誹謗中傷をしているではないか。学会はなぜ護法のために戦わないのか。妙信講は共産党にこのことで対決を申し入れたが、先方が逃げた。学会はなぜこの謗法を責めないのか」
 この質問への真っ当な返事はなかったようだ。さらに「国立戒壇をいえば法律上つぶされるといま聞いたが、そのようなことの有り得るはずはない。はっきりとその法的根拠を示してほしい」という浅井の質問は「猊下がお待ちだから……」と早瀬総監にさえぎられた。
 次いで行われた日達上人の説法にも質問が許された。浅井本部長は再び立ち、事の戒壇に関して質問した。日達上人は回答できずに口を閉じてしまい、臨時々局懇談会なるものは、流会同様に終わった。意図した〃全宗門合意〃は成らなかった。』(下山正恕『冨士大石寺顕正会』P114)

 ○04/23【学会】出版妨害事件を機とした政府の照会に対し回答。

 ○04/23【学会】池田大作会長の行動記録
13:50 第二青葉、着
 14:05 佐藤正忠氏 来訪  14:50 同氏 帰る 事務所にて中西と話
 15:00 唱題  15:25 原稿・執務
 16:40 本幹に出発  先生・北条・辻・中西・行水
 16:50 途中 散歩  17:10 武道館、着 貴賓室にて
 17:47 先生の話 始まる  18:40 同終了
 18:50 武道館、発  先生・戸田・森田・中西・行水・尾方
     入浴、食事
 19:35 応接間にて中西と懇談
 21:00 森田・辻 和室にて話
 21:15 中西・秋谷・和泉 加わる
 24:15 第二青葉、発  24:35 自宅、着

 ○04/24【学会】池田大作会長の行動記録
12:15 第二青葉、着  昼食 応接間  12:30 休憩 和室にて
 14:00 スープ、せんべいを召し上がる  14:15 中西と話
 14:25 勤行  14:35 手紙2通書く
 15:30 原稿執筆 中西・原島・桐村・野崎
 17:00 夕食(カレーライス) 17:35 手紙書かれる  18:05 休憩 応接間
 18:35 分室へ出発  18:55 分室、着 央・川崎 来訪  19:15 両氏 帰る
 19:20 手紙を書かれる 二階にて
 20:50 分室、発  21:30 自宅、着

[この項、続く]

1130 名前: SGI 投稿日: 2004/06/19(土) 20:48
<言論出版問題・53>[>>1129 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/25【学会】池田大作会長の行動記録
14:40 文化会館、着
 14:55 塚本氏 来部 6F応接で面会  16:45 塚本氏 帰る
 16:55 サンケイ矢野氏・カメラマン鈴木氏 来部 インタビュー
 18:55 両氏 帰る
     会食 ご家族・戸田喬久氏 与志乃寿司 7F和室  19:40 同終了
 19:45 北条・秋谷・山崎・中西と話 6F執務室で
 21:15 奥様・戸田氏 帰る
 22:15 文化会館、発 北条・秋谷・山崎 同行 青山方面をまわり 22:40 自宅、着

 ○04/26【学会】池田大作会長の行動記録
 16:20 自宅、発
     先生・奥様・北条・原島・上田・野崎・中西・持永・竹入・上田(京)・行水 同行
 18:20 箱根研修所、着  休憩
 19:20 入浴
 20:10 食事 広間にて 北条・原島・野崎・上田 同席 原稿
 22:20 皆と勤行
 23:00 按摩 稲村  中西 二号室で話
 24:40 中西・原島・上田・野崎

 ○04/27【学会】池田大作会長の行動記録 
  9:40 起床  10:10 入浴  
 10:40 中西・原島・野崎・上田と話 応接間  11:15 休憩 
 13:15 勤行  13:20 食事 広間 原稿 
 14:20 中西と話 二号室  15:10 手紙
 16:40 研修所、出発
     先生・奥様・行水・持永・竹入(央) 同行
     強羅の櫻道を散歩 箱根周辺をドライブ
 18:20 研修所、着  食事 原島・上田・野崎 原稿
 19:40 応接間にて原稿 同メンバー
 20:10 二号室にて原稿 同メンバー
 21:20 原島・桐村と原稿 二号室
 22:15 お部屋にて中西と書面決裁
 23:40 勤行 按摩 中西と話 

 ○04/28【学会】池田大作会長の行動記録 
  9:40 起床  10:20 入浴、食事
 11:00 中西・原島と話 応接室  11:40 休憩
 12:40 書類決裁  13:30 手紙を書く お部屋にて中西と話
 15:40 篠原・高松と二号室にて懇談  15:45 手紙  17:00 原稿 十一号室
 17:30 勤行  18:00 広間にて食事 篠原・高松と共に
 19:20 床屋 浜野  21:20 原稿 十一号室
 22:40 食堂 按摩(古賀) 篠原・高松と話
 24:40 中西・原島・桐村・野崎・上田 お部屋にてお話 

[この項、続く]

1131 名前: SGI 投稿日: 2004/06/19(土) 20:49
<言論出版問題・54>[>>1130 の続き]
◆昭和45(1970)年
# 04/19〜28「池田大作会長の行動記録」について
 池田大作氏の「行動記録」は、基本的には第一庶務が作成する内部文書である。しかし、この度提示した4月19日からの「行動記録」は、「月刊ペン事件」差戻し審で検察(学会)側が公判に提出したもの。裁判で、山崎・原島の両氏が「池田大作氏はフェラチオが大好き」等の証言に対して、検察側が反証として提出したのが、この「行動記録」だった。つまり、学会本部公認の公表文書だ。

 では、学会公認の「行動記録」を検討してみよう。
 まず何といっても、池田会長(当時)の朝寝坊と勤行時間の短さ・サボりが目につく。唱題はまずしない。これは、おそらく今でも変わらないと思う。
 また、実に按摩(マッサージ)好きである。ほぼ連日だ。名誉会長の身体が妙に柔らかいのは、日頃のマッサージの効用なのであろうか。寿司と風呂好きであることも判る。
 
 そして、執務らしい執務をしていない。せいぜい手紙書きと「お届け物」の捌き位である。やたらと休憩時間を取っているのも特徴的だ。こんな生活を40年以上続けているのだろう。
 原稿を書いている時間が時おり記されているが、必ず原島氏ら側近の代筆メンバーがおり、自身ひとりで原稿用紙に向かっていることがない。「5.3」の謝罪講演も、これまでレスしてきたように、原島氏ら特別研究班の手によるものであることを裏付けている。

 次に、学会本部にはほとんど立ち入らず、常に専用施設を気ままに転々としていることが記されている。これは今でも同じ(だろう)。本部職員とて名誉会長との接点はあまりないのである。
 最近はちっとも地方に出て行かないが、かつて地方指導で東京を離れた時、名誉会長の訪問先ではすべての会館が突然訪れるかもしれない名誉会長のために、最高のもてなしができるよう準備万端でスタンバイしていたものだ。たいていは徒労に終わり、無駄な時間と労力と人手が費やされていた。
 
 この「行動記録」では、言論問題の対応ぶりに関し、竹入・矢野の公明党首脳や、当時、東京地方検察庁検事だった神崎武法・現公明党代表や、朝日新聞記者・央忠邦氏らが入れ替わり立ち代り来訪し、池田会長(当時)を中心に学会首脳と会議を重ねていることが記録されている。
 「行動記録」の後半は、すでに「5.3」での謝罪という方針が明確になっているので、原稿内容のチェックだけが主なテーマのようで、箱根周辺のドライブなどに興じている。

 それにしても、肺炎をこじらせ体調が最悪の中、いわれなき中傷や弾圧から学会や会員を守るため、学会の最高責任者として命を削りながら激務をこなしている山本伸一の姿は、一体どこにあるのでしょうか。小説『新・人間革命』の記述は、実に空々しい限りです。
 あるいは、こんな記録を法廷に出してまで、名誉会長の女性スキャンダル(下半身スキャンダル)を何とか誤魔化そうと必死だったともいえるのかもしれません。

[この項、続く]

1132 名前: 学会っこ 投稿日: 2004/06/19(土) 20:57
池田先生何さぃか知ってるんですか?もぉ70さぃなんですょ?ww
普通の70さぃの方見てみ?w 体もぼろ△磴里烹前とぉなじ事できるゎけなぃゃろ?
それでも池田先生ゎがんばって私達の為に行動してくれたはんねんw
間違ってるょwほんまにww
池田先生ほどなぁ私達の事ぉもてくれてはるひとゎぉらんって皆ぉもてるw
ぁんたが70さぃなった時の体見てみww
17さぃの子にここまでぃゎれて恥ずかしくなぃん??

1133 名前: 学会っこ 投稿日: 2004/06/19(土) 20:58
池田先生何さぃか知ってるんですか?もぉ70さぃなんですょ?ww
普通の70さぃの方見てみ?w 体もぼろ△磴里烹前とぉなじ事できるゎけなぃゃろ?
それでも池田先生ゎがんばって私達の為に行動してくれたはんねんw
間違ってるょwほんまにww
池田先生ほどなぁ私達の事ぉもてくれてはるひとゎぉらんって皆ぉもてるw
ぁんたが70さぃなった時の体見てみww
17さぃの子にここまでぃゎれて恥ずかしくなぃん??

1134 名前: SGI 投稿日: 2004/06/19(土) 21:15
>>1132 学会っこさんへ。
 今は70歳過ぎの醜いじいさんかもしれないけど、
 昭和45年というたら、まだ42歳の働き盛りやで。
 「言論問題」の時は、箱根に逃げ隠れて温泉三昧で過ごし、時たま東京に出てきて、やっぱりマッサージと休憩の日々だったちゅーことや。ちゃんとレスを読んでみ〜。できれば最初からね。

1135 名前: 学会っこ 投稿日: 2004/06/19(土) 21:35
笑w 醜ぃって自分の事ですか?w まぁ醜ぃけどなぁww笑 かゎぃそw
てかなぁwそんなぇらそぅにぃぅけどwどっからそんなガセつかまぇてきてんの?笑w
なぁ?w 何を知ってそこまでぃってんの??
自分で見たん?どぅせどっかの創価学会嫌ってる人らに吹き込まれただけゃろ〜けどw


1136 名前: 学会っこ 投稿日: 2004/06/19(土) 21:36
笑w 醜ぃって自分の事ですか?w まぁ醜ぃけどなぁww笑 かゎぃそw
てかなぁwそんなぇらそぅにぃぅけどwどっからそんなガセつかまぇてきてんの?笑w
なぁ?w 何を知ってそこまでぃってんの??
自分で見たん?どぅせどっかの創価学会嫌ってる人らに吹き込まれただけゃろ〜けどw


1137 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/19(土) 22:10
知能の低さを学会の名前を冠にアピールしてるアホがいるな・・・

1138 名前: 学会っこ 投稿日: 2004/06/19(土) 22:11
ごめんなさぃw創価学会に迷惑かけてしもたww
ゎたしみたぃなんばっかちゃぅんでww

1139 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/19(土) 23:00
同じ香具師がHN変えていっぱい書き込んどるな(ry

1140 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/20(日) 00:46
>>1105-1110

●宗門の〃衣の権威〃の監視下、管理下

●墓石の上に座らされたような会合

●嫉妬に狂った宗門をはじめ、邪悪な退転者等の闇の阿修羅が、この祝賀の集いを奪い去っていった

●妬みと滅びゆく瞋恚の魂をもつた坊主を乗せたバス

●恐ろしき宗門の魔性に毒されてしまった

●修羅に怯えた臆病者

●特別の控室にいた高僧や坊主ども

●これが人間かという、そのぶざまな姿は、一生、自分自身の生命に厳存する閻魔法王に、断罪されることは、絶対に間違いないだろう。

●「どうして、堂々と、『今日の広宣流布の大発展は、池田先生のおかげです』と言えないのでしょうか!」と。

●本の宗教界では、貴方、お一人だけです。まさに宗教界の王者です。

1141 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/20(日) 00:48
続1
これらの記述を見ると、どう考えても、創価学会が人間主義を掲げ、人権を尊重する団体とは思えない。
池田先生は、日顕猊下がどうこうっていうんじゃなくて、
ともかく日蓮正宗僧侶が憎らしくて、憎らしくてしょうがなかっただけなのである。
どうしてなのかは、わからない。
瞋恚と嫉妬で、自分の心を燃やしてるのは、自分のことではなかったのか?

1142 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/20(日) 00:57
続2
★実を言うと、私も僧侶(一般)のことは、あまり好きになれない。
自分が僧侶になりたいと思わないし、自分の子供(将来の話)が僧侶という職業に就いて欲しい、とも思わない。
しかし、だからと言って、「坊主を憎め」とは、思わないし、言わない。
せいぜい、同じ人間として、互いに尊敬し合っていければ、と思う。
○その上、池田先生は、自分のことを「宗教界の王者」などと、平然と嘯く。
他人を平然と見下してるのは、自分ではないのか?
私は、池田先生のスピーチや書いた(とされる)ものをよく読む。
そんなに、嫌いではない。しかし、池田先生が、他人を怨み、軽蔑する様は、「ぶざま」であり、情けないとしか言い様がない。
私は、特定人物を批判、揶揄したくはない。
もし、嫌なら、遠ざかればいいだけのこと。
でも、こういう風に、善人ぶった傲慢な人間に対しては、嫌悪感を覚える。

1143 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/20(日) 10:53
>>1077
歴史に学ぶべき教化の現場:本当に日蓮宗僧侶が創価学会員になったのか

昭和五十八年版日蓮宗寺院名簿を最後に、札幌市西区妙本院結社高橋一淳教導の名は消えている。昭和五十一年結社認可、五十八年ころ行方不明、五十九年本人の事情がもとで結社廃止僧籍削除されている。法臈年数は、得度から僧侶削除までのことである。
はたして同一人物なのか、今後の調査が必要である。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/01/01_053.htm

創価学会調査報告 本当に日蓮宗僧侶が創価学会員になったのか

本人によると、自分は創価学会には入っていない、謗法払いはしていない、『第三文明』の顔写真は自分にまちがいないが、その後学会から一切連絡はない、ということである。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho35/s35_068.htm

なので、藤本城房師も、捏造の可能性がある。牧口・戸田が、他の創価学会員に迷惑をかけなかったように、藤本師も、日蓮正宗に迷惑をかけたくなかっただけで、自分から僧籍を捨てた可能性とか。宗門の役職を捨てて、一僧侶という立場なんだけど、創価学会的にはこう書いたとか。

1144 名前: SGI 投稿日: 2004/06/20(日) 16:43
<言論出版問題・55>[>>1128-1131 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○04/28 政府、04/08谷口善太郎議員が提出(>>1091)した「宗教団体の政治活動に関する質問趣意書」に答弁書を出す。
       ◇
  <答弁書>
 ご質問の趣旨は、現行憲法の下においては、国が国立の宗教駒施設を設置することが許されないのであるから、そのような違憲の事項を実現することを目的とする政治活動を行なうこともまた、憲法上許されないのではないかという点にあると思われるが、事理としては憲法を改正しなければ実現することができない事項であっても、その実現を目的とする政治活動を行なうことが直ちに憲法違反になるわけではない。このことは、現に、政治活動として憲法改正の主張をすることが許されていることからみても明かであろう。
 なお、昭和45年4月9日、衆議予算委員会においてご質問のあった国立戒壇の意義については、宗教法人創価学会の所轄庁である東京都知事から同法人に照会したところ、次のとおり回答があったので、念のため申し添える。
 
「一、本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。
 二、既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行なわれており、昭和四十七年十月十二日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
 三、一時、本門戒壇を“国立戒壇”と呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である」

■山崎正友『盗聴教団』
 昭和45年の言論問題のとき、国会で「創価学会は、国立戒壇建立ということを目的としており、つまり、みずからの国教化と国家の手による戒壇建立を目的とし、そのために公明党という政党を作って政治活動をしているが、これは憲法の政教分離の原則に違反するのではないか」という趣旨の質問が行なわれた。
 これにもとづいて、所轄官庁である東京都宗務課より創価学会に照会がなされた。
 これに対する創価学会側の回答は、「現在、建設中の正本堂が、日蓮大聖人御遣命の事の戒壇であり、これは、信者の浄財による民衆立であって、国家権力とは関係ない。したがって、国立戒壇とか国教化といった意図はまったくない」という趣旨だった。

 ○05/ 【学会】山崎正友を顧問弁護士とする。(〜80年3月まで在任)

 ○05/01【学会】『前進』5月号。
 「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」との池田会長の指導を掲載。
 ○05/01【学会】『大白蓮華』5月号発行。
 北条理事長の「三大秘法完結の時代を迎えて」を掲載。「すでに大聖人側在世中に、〃慧(え)〃たる本門の題目、〃定(じょう)〃たる本門の本尊は建立された。そして、ただ〃戒〃たる本門の戒壇のみが「時を待つべきのみ」と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義」云々とする。

[この項、続く]

1145 名前: SGI 投稿日: 2004/06/20(日) 17:50
 この度、学会による言論出版妨害事件をまとめるに当たり、収集した資料の中で「おおっ」と感じたのは、>>1128-1131 に提示した池田会長の「行動記録」です。

 この「行動記録」は、学会公認の公表資料。裁判で名誉会長の有利になるように改ざんされているかもしれませんが、たとえ改ざんされているとしても、名誉会長の実像を彷彿させてくれる貴重な資料となっております。
 それにしても、本当に怠惰な気ままな生活を過ごしているものだ、と改めて感じ入った次第です。このような人物に師事していた己れ自身の不明も痛感いたします。

 “池田大作”については、現実の実像とイメージにギャップがあるのではないでしょうか。本部職員や幹部あるいは一般会員が、実像の名誉会長に触れた時、自身が抱くイメージを壊さないよう、頭の中で修正されているのだと、経験則的に思います。きっと、見なかったこと・聞かなかった・知らなかったこととして処理されるのでしょう。

 その意味では、学会員が抱く“池田大作”は、“池田大作”を演じた人物の少しばかりの接点の上に、神話と伝説で塗り固めた思入れの産物で、もう「記号」となっているのかもしれません。

1146 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/20(日) 22:52
>>1145SGIさん
>この「行動記録」は、学会公認の公表資料。裁判で名誉会長の有利になるように改ざんされているかもしれませんが、たとえ改ざんされているとしても、名誉会長の実像を彷彿させてくれる貴重な資料
。。。。ホントそうですね。
私も、月刊ペン裁判で、この行動記録が提出されて、一般公開されてから目にしたのですが。
なんかキツネにつままれてるような気持ちでしたね。
何故なら、それまで、池田先生は信心強盛だと信じ切っていましたからね。
学会員だったら、もし自分が何らかの理由で入院するような事態になれば、御本尊様を病室に安置したいような気持ちになります。
そして、学会員は、こぞって病室に通って、「勤行唱題」をするに違い無いのです。それが信心というものです。
ある哲学者が述懐してたんですが、
ある患者が入院して、ベッドの上に座って、何やら「お祈り」を突然始めたっていうんです。
それをたまたま観察していた、件の哲学者は無性に感動したといいます。
その患者が学会員かどうかはわかりません。
幹部かどうかもわかりません。
しかし、その祈りという行為に込められた、「誠実さ、謙虚さ」は、人間として最も尊い何かを示していたからこそ、その哲学者は感動したのだと思います。
すなわち、人間が己の卑小さに気づき、絶対者(絶対的運命)に素直にひれ伏す姿こそ、聖への個と仕手の存在価値を主張士てる姿なのです。
人間、誰でも死を迎えます。
人間の本当の価値が’その瞬間試されるのだと思います。
あらゆる嘘、詐りのメッキが剥がれ落ちます。
本当の意味で、生物、非生物を問わず平等の存在になる瞬間です。
聖の時間とは、そういう瞬間に通じると思います。
だからこそ、勤行唱題が大事なんだろ、思います。勤行唱題は、本来、人に見せるものではありません。
それだけに、池田先生は、裁判所に提出した行動記録似依ると、普段、勤行唱題を殆ど行っていなかったことは、この男の本質を示していると思います。
つまり、この男の本質とは、パフォーマンスであり、嘘、誤魔化しを何とも思っていないということなのです。

1147 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/20(日) 23:14
すなわち、人間が己の卑小さに気づき、絶対者(絶対的運命)に素直にひれ伏す姿こそ、聖への個と仕手の存在価値を主張士てる姿なのです。

すなわち、人間が己の卑小さに気づき、絶対者(絶対的運命)に素直にひれ伏す姿こそ、聖への個としての存在価値を主張してる姿なのです。


それで、ある女子部にこの事実ーー池田先生は普段殆ど勤行唱題を行っていないーーを示して、「それでも、君は池田先生を信じて付いていくのか」と聞いたことがあるのです。
そしたら、その方は、泣きそうな顔をして、「もし、池田先生が普段、殆ど勤行唱道題を行っていないのなら、名誉会長を引退してもらうしかないです」
などと、言いました。
私は、何やら彼女に悪いことをしたような気持ちになったのですが、
抑、「名誉会長」職などというのは、存在しないことをこの女はわかってないな、と思って苦笑しました。
池田先生は、本気で「自分は特別」「自分は仏様」+「だから、お祈りはしなくていい」
などと思っていたとしたら、
仏教、否宗教の本質とは何かを一から学び直すべきだと思います。

1148 名前: SGI 投稿日: 2004/06/22(火) 22:30
<言論出版問題・56-1>[>>1144 の続き]

◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。
 池田会長「名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は、2度と、同じ轍を踏んではならぬと、猛省したいのであります。私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直にお詫び申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります」と、言論出版妨害について"猛省"講演をする。
 翌日の『聖教新聞』は「言論・出版問題、同じ轍、二度と踏まぬ、猛省して"自由"を厳守」「学会と公明党の関係、明確に分離の方向」という見出しでこの講演を報じ、さらに『大白蓮華』70年6月号にも掲載された。全国紙も大きく扱った。

■池田会長の講演概略
 1.会長就任10周年の意義
 <略>
 2.言論出版問題の公式謝罪
 「今度の問題は『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の情熱からの交渉でゆえに言論妨害というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまったことは、まことに申しわけなく、残念でなりません。
 たしかにこれは、それ自体としては、法律に抵触するものではなかったと思う。しかし私は、法に触れないから、かまわないというような独善的な姿勢ですまされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない、最も大切な問題だと思うのであります」。
 
 「今回の問題をめぐって幾多の新聞、雑誌にフランスのボルテールの次の言葉が引用されておりました。それは『私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれをいう権利を、私は命にかけて守る』という有名な言葉であります。私はこれこそ言論の根本だと思う」。
 「その点からいえば、今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶を作ってしまったことも認めなければならない。今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと、猛省したいのであります」。

 「私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあったにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります。
 また、この問題には、学会幹部も何人か関係していますが、全般の学会員の皆さん方には、なんら責任のないことであります。その皆さん方に種々ご心配をおかけしまして、私としては申しわけない気持ちで一杯であります」。

 「言論の自由が、幾多、先人の流血の戦いによって勝ち取られたものであり、人間の権利を保障する尊い遺産であることも、よくわきまえているつもりであります。
 これを侵すことは民衆の権利への侵害であることを明確に再確認し、言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思いますが、いかがでしょうか(大拍手)」。

[この項、続く]

1149 名前: SGI 投稿日: 2004/06/22(火) 22:31
<言論出版問題・56-2>[>>1148 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■池田会長の講演概略
 3.国立戒壇の否定
 「後世のために、現在の責任者として、全ての路線を明確にしておく必要があることを痛感し、皆さま方に確認しておきたいからであります。
 まず第一に、本門戒壇は国立戒壇である必要はない。国立戒壇という表現は、大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来ともに使わないと決定しておきたいと思いますが、いかがでありましょうか。(全員挙手)

 第二に、国教化は、一閻浮提という世界宗教の意義からはずれ、その宗教の力なきことを意味するものであり、かねてからこれを否定してきた、私どもの意志を更に高らかに宣揚したいと思いますが、その点もいかがでしょうか。(全員挙手)

 第三に、将来、国会の議決によって国立にするのではないかという疑惑に対しても、本門戒壇は、どこまでも、純真な信心を貫く民衆の力によって築かれ、意義づけられることを明らかにしておきたい。
 戸田前会長も私も、国会の議決ということを民衆の要望をあらわすものとして、真剣に考えたこともあります。しかし、それは、憲法の精神からいって不適当であり、私どもとしても、はるか以前にこの考えを捨ててしまっております。
 また、国立でないからといって、いささかも戒壇建立の本義を曲げるものではなく、むしろ、どこまでも純真な信徒の総意によって推進されていくことのほうがはるかに大きい意義がある。ゆえに絶対に、国会の議決等によらぬことを明言しておきたいと思いますが、いかがでしょうか。(全員挙手)(拍手)

 第四に、したがって政治進出は、戒壇建立のための手段では絶対にない。あくまでも大衆福祉を目的とするものであって、宗門、学会の事業とは無関係であることを、再度、確認しておきたい。よろしいでしょうか(挙手)」。

 4.学会と公明党の『政教分離』を宣言
 「私自身、公明党の会合には一度も出ておりません。39年の結党大会にも出ていません。また40年7月に『宗教政党』という理念を述べましたが、ここでも『理念においては一体であるが、体制、機能においては別である』むねを前提として、そう申し上げたのであります。
 これは、学会と公明党は『一体不二』であるという言葉を使ったので、一部に誤解した受け取り方をされておりますが、よく読んでいただければわかるように、民衆の幸福と平和を願う理念、理想が同じであるという意味であって、体制、機能の面までも『一体不二』ということは決していっておりません。

 また、その後『公明党のビジョン』を発表したときも『学会員一人一人の政党支持は自由である』と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。もとより、公明党誕生の母体は、創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも、それに依存するようであっては、党の健全な発展はない」。

 「創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向かって将来も進むことは、当然であります」。「今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。具体的には、議員で、学会の役職を兼務している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい」。

 「学会は、公明党の支持団体ということになります。当然、学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は、日蓮大聖人の仏法、三大秘法の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉するものではありません。逆にいえば、いかなる政党支持の人であろうと、いかなるイデオロギーをもつ人であろうと、この妙法の旗のもとには、全く、なんの差別もなく、平等に包容されるべきであることを、明瞭にしておきたいのであります」。
 「また、当然のことながら、党の問題は、人事についても、政策についても、全く党の自主的決定によることは変わりありません」。
       
[この項、続く]

1150 名前: SGI 投稿日: 2004/06/22(火) 22:33
<言論出版問題・56-3>[>>1149 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■池田会長の講演概略
 5.公明党を誕生させた理由
 「社会的活動の次元には、宗教性を持ち込む必要はないし、むしろ、直接、持ち込むことは、信心即生活の誤った解釈であり、立正安国、王仏冥合の原理からの逸脱といっても過言ではありません。したがって、生命の尊厳、人間性の尊厳、絶対平和主義という普遍的理念をいかにして具体化するかという〃技術〃が、政治の次元の課題となるわけであります。我々が公明党を誕生させたのも、その理念を政治の分野に実現してほしいという純粋な気持ちからであり、その願いは今なお一貫して変わっておりません」。

 「公明党は、安国の次元に立つものであり、立正を問題にする必要はない。むろん、個人として立正を確信することは信教の自由であるが、党としては一切、宗教上の問題を政治の場で論議する必要はない。また、あってもならない。また、宗教上の目的を党の目標とする必要もないし、すべきでもないあくまでも、現行憲法の定める信教の自由を遵守し、宗教的には中立を貫き、政教分離していけばよいと思うのであります」。

 6.共産党に対する態度
 「現在、共産党と学会が常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えております。しかし、これは私の本心ではない。共産党の創価学会に対する攻撃から、防衛のため、こちらとしても反撃せざるをえなくなっただけのことであります。私としては、こうした泥仕合はできるかぎり避けたいというのが本意であります。我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない。また、そうであってはならない。
 創価学会は、宗教の次元に立つものであります。宗教は、一切を包容していくべき立ち場のものであります。ゆえに、政党と同じ次元で争うべきではありません」。

 7.学会の体質問題
 「学会の体質ということについては、言論問題をめぐる種々の批判のなかでも、論議されてきたことでありますが、私どもとしても、受け入れるべきは冷静に受け入れ、改めるべきは、率直に改めていかなくてはならないと思う」。

 「第一点は、布教、折伏の問題であります。無理な学会活動をして、社会に迷惑をかけることは、大謗法であり、学会の敵であります。多少減ってもいいから、立派に整とんしながら、ゆうゆうとやっていきましょう」。「御本尊をなんでも、いただかせようとして、粗末にするようなことがあっては、大聖人の仰せへの反逆である。そのためには、入信にさいしては、座談会に三回以上出席することを条件とし、本人の写真等も添えて、きちんと名簿に登録するようにしたい」。
 「また、退会したいという人に対しては、道理だけは尽しても、決して執拗にとめてはならない。むしろ、本人の意思を尊重し、その意向を認めていくことを、更に強く徹底しておきたい」。

 「これと関連して、第二点として、これまで学会は、紹介者と入信者というつながり、すなわちタテ線を基調として前進してまいりました。だが、ここに完ぺきな基盤ができあがりましたので、地域社会と密接なつながりをもつという意味からも、これまでのタテせんを基調としたのと同じく、これからはブロック、すなわちヨコ線を基調としていきたい」。

 「第三点は、事故を起こした人の問題であります」。「ただし、学会員でありながら、悪いことをしたり、折伏や選挙にさいして事故を起こし、世間を騒がせ、同志にも迷惑をかけた場合には、いかなる幹部であっても、解任または除名処分にしていく以外にない時代であると思う」。

 「また、第四点は、大きな問題でありますが、学会の体質として、特に外部からいわれていることの一つとして、学会は上意下達で、下意上達がないという点があります」。
 「宗教法人法に基づく創価学会の規則についても、全宗教界の先駆を切って最も民主的な内容にしていきたい。現在、委員会で検討中でありますが、たとえていえば、会長の任期を三年ないし四年にするとか、選挙制にするといったことであります。今までの規則では、会長は終身制と定められてきました。世間から会長はカリスマ的支配だなどといわれてきましたが、会長だけ終身制ではそういわれてもやむをえない」。

 8.学会は〃創価文化〃の母体
 <略>  
[この項、続く]

1151 名前: SGI 投稿日: 2004/06/22(火) 22:34
<言論出版問題・57>[>>1150 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■原島嵩著『池田大作・創価学会の真実』p111
 5月3日の会長講演は、桐村泰次氏(現副会長)と私の二人で草案をつくりましたが、その内容も、どれだけ池田が世間に対して「大誠実」のポーズをとるかに焦点をあてました。彼は、原稿のなかに「関係者の方々にお詫びに行きたい」という一文を入れるように指示しました。しかし、一方では、「タカシ(私の名前)!いいか!必ず仇をうて。いつか学会批判者に対して、この本は何だ!とたたきつけるのだ」と、ものすごい形相で語るのでした。

■藤原行正著『池田大作の素顔』p134
 45年5月3日、ようやく箱根から出てきた池田大作は日大講堂を埋め尽くした数万人の創価学会員を前に、言論出版妨害事件に対して初めて正式に釈明した。
 左手にマイクを握った池田は壇上から開口一番、お得意のワザを決めて見せた。
 「どうですか、わたしがヤメてよろしい、と思う人、手をあげてください!」
 重苦しい空気の場内はシーンと静まりかえつたままだった。
 「では、やめては困るという人、手をあげてください!」「ハァーイ」と会場全体を揺がすほどの大歓声が上がった。事件当時、一般学会員の大半は事件の真相を知らされず、ただ「池田先生を信じろ」と徹底して教えこまれた。ある程度の事情を察した中堅幹部、本部の若手会員らでさえ「池田先生を守るしかない」が合言葉だった。

 池田大作はそこまで巧みに学会全体を「洗脳」してしまっていたのである。だから学会指導者として致命的な誤りを犯し、天下に正体を暴露したはずの創価学会三代会長はこの日、わずか数秒間で、言論出版妨害事件における自分の責任をすべて帳消しにしてもらえた。あとは調子に乗った池田の独演会であった。
 「ボルテールの有名な言葉に『私はおまえのいうことに反対だ。だが、おまえがそれをいう権利を私は命にかけて守る』というのがあります。私はこれこそ言論の自由の根本だと思う」
 この演説原稿を書いたのは原島嵩だった。池田大作はそれをただ棒読みしただけ。(中略)

 過日私は、藤原弘達氏と月刊誌『現代』の対談で19年ぶりにお会いできて、事件時の非礼をお詫びした。その席で池田の話題となり、私は氏へ1つの質問をした。
 「池田は謝るといっていましたが、先生のところへお詫びに行きましたか」
 「来やしないヨ!池田の公式の表明ってのは全部ウソだからな。ヒットラーでもこれだけのウソはいってないよ」

■小説『新・人間革命』(聖教・03年7月16日付)
 「関係者をはじめ、国民の皆さんに、多大なご迷惑をおかけしたことを、率直にお詫び申し上げるものでございます」伸一は頭を下げた……
 参加者は驚きを隠せなかった。"先生がなぜ謝らなければならないのだ! ""学会は法に触れるようなことなど何もやっていないではないか!"。複雑な表情で壇上を見上げる人もいれば、悔し涙を流す人もいた。ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。……そして、社会を大切にし、大きな心で人びとを包む寛容さを、会長は身を持ってしめしたのだと思った。

# 小説『新・人間革命』では、講演で述べ、『聖教新聞』でも見出しにあった「二度と、同じ轍を踏んではならぬと、猛省したいのであります」の部分はそっくり削除されている。
 『新・人間革命』には、「言論の自由」を蹂躙したという歴史的事実に対する反省など微塵もない。本部総会での山本伸一会長講演では、一連の言論弾圧は世間の不当な誤解であって、にもかかわらず山本伸一が「寛容」の心で責任を一身に引き受けて「謝罪」したという美談になっている。

[この項、続く]

1152 名前: SGIさんのファン 投稿日: 2004/06/23(水) 10:00
SGIさん、こんにちは。
毎回毎回たいへん楽しみにしております。
私も、>>1128-1131の先生の「行動記録」には驚きました。
信じられない思いです。なんか裏切られた感じです。
ところで、SGIさんの連載も「5.3」にたどり着きました。
もうそろそろ終わりなのでしょうか?
知らないことを教えていただき、感謝しております。
これからもよろしくお願いいたします。

1153 名前: SGI 投稿日: 2004/06/23(水) 23:08
>>1152 ファンさん。
ありがとうございます。嬉しく存じます。

私自身も、このシリーズを通して新たな発見があり、有意義な試みになりました。
たとえば、赤軍派の「よど号ハイジャック事件」と「言論問題」がリンクしていたなんて、びっくりです。

はい、まもなく<言論出版問題>シリーズを終える予定です。
>>1097 でも言及しましたが、この「言論問題」は、単に30年前の歴史的な出来事ではありません。
今も尚、連綿と続く池田創価学会SGIの体質・生理・実態なのだと思います。
歴史を捏造する行為も許しがたいことですが、
このような行動様式を持つ集団が政権(権力)に属していることに、とても慄きを覚えております。
1人でも多くの方に共感が広がることを望みます。

1154 名前: SGI 投稿日: 2004/06/23(水) 23:25
<言論出版問題・58>[>>1151 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■『前衛』(03年11月号から)
 1970年の「5月3日」とは、創価学会の起こした言論・出版妨害事件について池田氏本人が"猛省"を表明した日であり、創価学全と公明党との分離や「かたくなな反共主義を掲げるものではない」ことなどを国民に約束した日でした。連載小説では、"言論問題"は創価学会を陥れる謀略事件だったかのように描き、表むき「お詫び」しながら、裏で日本共産党への盗聴をおこなったことは隠しとおす、「反共主義を掲げない」など言ったこともないというような展開になっています。クロをシロと描いて居直り、それを「真実」の名で「書き残す」ものといわなければなりません。

# 学会(名誉会長)の歴史の捏造は、なにも『人間革命』だけではない。
 『若き日の日記』『私の履歴書』『革命の大河』といった書物や口コミなど、さまざまな機会を通じて繰り返し繰り返し営まれている。⇒ >>296-297 >>741 >>763

■藤原行正著『池田大作の素顔』p139
 この事件の当事者は私だ。社会に対しても、相手の藤原弘達氏に対しても、また学会に対しても重い責任を痛感している。しかしすべては池田大作の命令からはじまったのだ。
 「選挙前に学会批判の本が出るのは邪魔だ、余計な雑音は押さえ込め」
 というのが池田の私への指示だった。この指示自体が池田の思い上がりであり、それにつづいて重大な判断ミスが連続した。彼の打つ悪手がどんどん事態を悪化させた。その意味で、言論出版妨害事件を大きくする種をまいたのは池田自身だったわけである。その本人が事件から5年後、そのいきさつを一般学会員へ向けて書き綴った一文がある。

# 書き綴った一文とは、下記の『私の履歴書』のこと。

■池田大作著『私の履歴書』から(文庫版p167)
 昭和45年には、いわゆる言論問題が起きた。実は、その前年の暮れ、かなり強行スケジュールの旅をし、無理をしたこともあり、私は40度を超える熱を出し、従来の結核と肺炎が結びついたかたちで、体力を衰滅させてしまっていた。その以前から、なるべく創価学会の運営面については、副会長制を敷いて一切を任せ、私は、執筆活動などに打ち込みたいと念願していた。45年1月、この件を総務会にはかり、副会長制が実施されることになったわけである。
 私が一歩引いたときに極めて予想外のところから事件が起きていた。それが言論問題である。私は、事の真相が初めわからなかった。よくよくその本源を追求していったときに、これは創価学会の体質にかかわることであることを知った。そのことについては、40年ごろから考え始めていて、なんとかしなくてはいけないと思っていたところであった。それが、極めて意外なところから噴出したわけである。
 45年の4月ぐらいまで、全く熱が下がることはなかった。しかし、これは私が解決しなくてはいけないと思った。私は5月3日の第33回本部総会の席上、創価学会と公明党の政教分離の徹底、量より質への転換を示す数々の指針を示した。これが契機となって、創価学会は、強固な創価学会より強靭な創価学会へ変転していったことは、まぎれもない事実である。

■藤原行正著『池田大作の素顔』p140
 実に立派な作文である。一般会員はこの内容を頭から信じた。池田大作という男がいかに一般学会員を小バカにしているか。また、この書物が日本経済新聞社から刊行されたものであることを考えれば、世間に対しても平気でウソをつける男であることがわかる。

# ウソをつく、つまり不妄語戒を破ることだ。不妄語戒は、仏教徒が守らなければならない5つの戒の1つ。ということは、名誉会長は仏教徒にあらず、ということになる。

[この項、続く]

1155 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/25(金) 23:57
ソウカトオナジ( ・∀・)ジサクジエン?

1156 名前: SGI 投稿日: 2004/06/26(土) 21:49
<言論出版問題・59>[>>1154 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■『創価学会45年史 革命の大河』p341
 「新生の年」――昭和45年5月。会長就任十周年の記念すべき総会を迎えた学会は、この年初頭から巻き起こっていた一連の学会批判、いわゆる「言論問題」をふまえて、大幅な革新をなしとげ、長期的な新路線を明示。“生命の世紀”に向けて、さらに壮大な前進を開始するのである。

 創価学会創立以来、その純粋な信仰、宗教革命と人間解放の歴史的戦いに対して加えられた批判、無認識と偏見が相乗されて組み立てられた数限りない非難・中傷は文字どおり枚挙にいとまがない。いわゆる“諸刃の剣”としての言論の力を、だれよりも強く感じていたのは、ほかならぬ学会員であり、それだけに正義の言論、正義の報道への熱望もまた、ひとわき切実なものがあった。

 しかし、このやむにやまれぬ心情も現代社会の複雑なプリズムをとおすと、きわめて屈折した姿となって映ったようである。学会に関する一部出版物に対して、正確に客観的に著述してほしいという願望から発した出版側への要請なども、逆に学会批判の好材料とされ、言論の自由を弾圧しようとしているなどという意図的な議論と批判が沸騰。これを党利党略、一宗一派のために利用しようとする勢力の針小棒大な宣伝もあって国会でも取り上げられるにおよび、非難はエスカレートしていったのである。

 日蓮正宗・創価学会は、はるかなる日蓮大聖人の時代から、度重なる弾圧に抗して、言論の自由と信教の自由のために、ひたすら戦いつづけてきた。もとより、言論戦こそ布教の唯一ともいうべき武器であってみれば、それは当然のことである。あの自由圧殺の怪物・軍国主義ファシズムに抗した牧口初代会長、戸田前会長が、ともに獄につながれたという事実は、学会がめざすとことが奈辺にあるかを、象徴的に示しているといってもよい。

 しかし、学会が正しく認識して評価してもらいたいと願う個人の熱情が生んだこの行為は、一般社会に学会の批判拒否の体質と映じたようだった。そこで学会は、この問題と、それをめぐって起きた批判を、革新と新生への偉大な跳躍台とすべく、反省すべき点は謙虚に反省・検討して、長期的な新路線を展開することとなったのである。

 5月3日、東京・日大講堂の第33回本部総会で、内外の強い関心を集めながら、池田会長は講演した。まず「あらゆる批判に対して、真っ正面から取り組み、非は非として認め、正すべきは正して前進する」とその決意を披瀝した会長は“広宣流布”について、これを“妙法の大地に展開する大文化運動”であると定義。
 「これからの十年は、創業の時代、建設の時代を終えて、完成期、総仕上げの時に入ったと銘記していただきたい。もはや教勢拡張に終始するときではなく、一人ひとりの社会での成長が、もっとも望まれる時運となってきた申し上げたい」と広宣流布の質的深化を宣したのである。


# これが、学会正史における言論出版妨害事件に関する記述・論評だ。これだけである。
 この『革命の大河』は、昭和50年11月の刊行。以来、四半世紀が経つ。この論評が会内の“定説”となり、ものの見事に小説『新・人間革命』の記述と符合する。
 学会員は“本当のこと”を何も知らされないし、知ろうともしない。本部が組織が報じる情報だけを受け止める。〔52年路線〕をめぐる会長勇退にしても、今般の学会破門への経緯にしても、あるいは宗創抗争における種々の論争や情報合戦、社会やマスコミからの批判についても、巧に隠蔽され都合よく加工された情報だけを信じ切るのである。

[この項、続く]

1157 名前: SGI 投稿日: 2004/06/26(土) 21:50
<言論出版問題・60>[>>1156 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■法悟空『随筆 新・人間革命 223』「戦う愛知の誉れ」より
 (前略 >>1085参照)「信教の自由」を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。
 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。
 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!
 信教の自由ではないか!
 社会の改革に奔走して、いったい、何が悪いのか!憲法に保障された、最も正しい人権闘争ではないか!(後略)
 (『聖教新聞』01年7月10日付)

# 言論出版妨害事件については、長らく「先生が一切の責任を引受け、謝罪し、学会を守った」という、まやかしの“美談”にとどまっていた。ところが、自自公の連立政権を確固たるものにしたら、事件そのものを「伸張する学会勢力に嫉妬し危機感を抱いた者達(仏敵)による学会バッシング」とすり替え始めているのが最近の学会だ。

■不破哲三論文「創価学会・池田大作氏に問う―31年前の『猛省』は世をあざむく虚言だったのか」から
http://www.jcp.or.jp/tokusyu/enzetu-fuwa-shii/2001_7_22fuwa_souka_ikeda.html
 この告白(#同上『随筆 新・人間革命』のこと)が創価学会と公明党の本音だとすれば、この集団は、本音をおしかくした巨大な虚言によって、31年にわたって日本の国民と世論をもてあそんできた、ということになります。いったい、この集団は、日本の社会と国民そのものを、何と考えているのか、そのことがあらためて問われるではありませんか。
 ……なかでも、私がとりわけ重要だと思うことは、"自分たちは、どんな無法なことをやってもいっも『仏』、それを批判するものはすべて『仏敵』だ"という究極の独善主義―以前、『邪宗撲滅』を前面に押だししていた時期にむきだしの形で現れ、社会的な批判の的となった独善主義が、この文章のなかに、まるごと復活していることです。
 ……自分たちを批判するものにすべて『仏敵』のレッテルを張り、手段を選ばずその『撲滅』をはかるという組織は、現代の民主主義のもとでは、政治の世界でも、宗教の世界でも、存在の資格を疑われても仕方のないものです。
 (『しんぶん赤旗』01年7月22日付)

■共産党・不破哲三記念講演(01年8月10日)から
http://www.jcp.or.jp/activ/activ19_jcp79th/07_0401.html
 いまから30年ほど前ですが、60年代から70年代の初めにかけて、日本の社会は、公明党・創価学会の動きに民主主義とは異質のものを感じて、強烈な危機感をもちました。
 何が異質だったか。いくつかをあげてみますと、一つは、「邪宗撲滅」です。創価学会は、「邪(よこしま)な宗教は撲滅するんだ」という看板を当時、公然と掲げ(>>903)、この看板のもとで、自分たちと信仰、思想、信条の違うもの(>>904)にたいする猛烈な攻撃を学会活動として行っていました。多くの宗教がその被害を受けましたが、政党では日本共産党が最大の被害者でした。そして「撲滅」という言葉に象徴的に示されているように、「邪宗撲滅」のためにはどんな無法な手段も平気でとられました。

 二つ目は、そうやって相手を攻撃する一方、自分たちにたいする批判は、どんな手段を使っても封殺しようとする(>>921>>946>>1012>>1039)、民主主義とはあいいれないそういう体質があからさまにありました(>>1051-1053)。あとでつぎつぎ分かったことですけれども、公明党・創価学会を批判する書物が出ようとすると、ありとあらゆる手立てを使ってこれを闇(やみ)に葬り去る。こうして葬られた書物が何冊にも及びました(>>941-945>>980>>1028)。

 三つ目には、「宗教」が「政治」を支配するという「政教一体」であります(>>940)。とくにそれは、選挙戦(>>920)にもっとも端的にあらわれました。
 その根底には、自分たちの信仰を国の宗教にして、日本の全国民に押しつける、当時、「王仏冥合」という言葉でいわれました(>>905)が、自分たちの宗教の国教化という目標がありました。
 この問題では、創価学会が議会に進出するのは、創価学会が信仰する「戒壇」を国の力でつくる(>>925)、「国立戒壇」を国会で議決するためだ(>>938)、それが政界進出の最大の意味だ、そういうことが公然とうたわれたことさえありました。

[この項、続く]

1158 名前: SGI 投稿日: 2004/06/26(土) 21:51
<言論出版問題・60-2>[>>1157 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■共産党・不破哲三記念講演(01年8月10日)から
http://www.jcp.or.jp/activ/activ19_jcp79th/07_0401.html
 こういう動きに民主主義に対する危機が広く感じられていた、そのさなかに起こったのが、1969年暮れの言論・出版妨害問題でした。
 公明党・創価学会が、出版が計画(>>981)されていた創価学会批判の書物(>>1010-1011)を闇に葬ろうとして(>>984-985>>992-993)、自民党の最高幹部まで動員して妨害工作をしたのです(>>1001-1002)。もう亡くなりましたが藤原弘達さんという著者が、それに屈服しないで抗議の声をあげた。「赤旗」がその声をすぐ報道して世に明らかにしました(>>1014>>1029-1033)。そこから始まって、自分たちに都合の悪い言論は闇に葬るということが民主主義の世の中で許されるのかということが、日本社会の大問題になったのです(>>1013>>1038)。

 私は国会初当選のときでしたが、1970年2月の国会で取り上げて(>>1040)、時の首相、佐藤栄作氏を徹底的に追及しました。社会党や民社党の議員のなかからもこの問題を取り上げる人たちがでました(>>1072-1074>>1084-1085)。こうして、まさに日本の社会をあげての大問題になっていったのです(>>1071)。この議論は、言論妨害問題だけにとどまらないで、先ほど私があげた、公明党・創価学会に日本社会が危機を感じていたさまざまな問題のすべてが取り上げられる大議論になりました。もちろんそれにたいして、公明党・創価学会の側からは猛烈な反撃がおこなわれました(>>1034>>1094)。しかし、反撃に屈しないで、私たちはがんばりました(>>1092-1093>>1144)。

 最後はどうなったかというと(>>1087-1088)、もう反撃の余地がないと観念して(>>1091>>1116-1117>>1128-1131)、1970年の5月3日、当時創価学会の会長であった池田大作氏が、「猛省」講演(猛烈な反省の講演)として世に知られることになった講演をおこなって、創価学会の体質改善の約束を天下に行ったのです。

 これはその時取り上げられたすべての問題にたいして、創価学会の側の非を認めて謝罪し、体質の転換を約束した講演でした。言論問題では、池田氏はそのとき、非は学会の側にあったことを認め“二度と同じ誤りは繰り返さない”し、“関係者、国民に迷惑をかけたことにたいし、深くおわびをする”、こういう言明を行いました(>>1148) 。

 また、“無理な学会活動で社会に迷惑をかけることは絶対にしない”、熱意のあまりだといっても、無理な活動をやることは“学会の敵”になることだとまでいいました。そして、わが党との関係についても“かたくなな反共主義はとらない”と約束しました(>>1150) 。

 最後に「政教一体」の問題については、“選挙活動はあくまで党組織の仕事として明確に立て分けておこなってゆく”、つまり学会か公明党か区別がつかないような選挙戦はやらない、党組織の仕事として“立て分けておこなってゆく”、創価学会は支持団体として、地域ごとの応援の役目を果たす、ということを公約しました(>>1149) 。

 政界進出の目標についても、「国立戒壇」という言葉は今後一切使わないし、自分たちの信仰を全社会のものにする、国に押しつけるという「国教化」の方針も否定しました(>>1149) 。

 こうして謝罪と同時に全面的な体質改善の公約をしたわけであります。
 “それなら”ということで、当時の公明党・創価学会にたいする社会的な批判が収まりました。“それなら民主主義の枠のなかで一緒にやっていけるだろう”、それが池田講演を受けての大方の世論になったわけであります。
 この歴史を見るならば、31年前の「猛省」講演に示された池田公約というのは、公明党・創価学会と日本社会との関係にとって決定的な意義をもったものだと、私はいうことができると思います。
[この項、続く]

1159 名前: SGI 投稿日: 2004/06/26(土) 21:52
<言論出版問題・60-3>[>>1158 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■共産党・不破哲三記念講演(01年8月10日)から
http://www.jcp.or.jp/activ/activ19_jcp79th/07_0401.html
 それからいろいろな歴史がありました。この講演の線からの逸脱など不法なことがいろいろありましたが、表向きは池田公約の枠内での動きという形をとっていました。
 しかし、1998年に新進党を解体し、公明党が再び復活して以後の動きを見ますと、以前の「政教一体」体制の復活を思わせる動きが全国で非常に目立ってきました。(中略)

 そういう形で、選挙戦が池田氏によって指導されているという姿が「聖教新聞」にありありと出てくるのです。『聖教新聞』を見る限り、公明党というのはうわべだけの衣で、実態はまさに司令塔から活動部隊まで全部創価学会だなと思われるような事態が進んでいました。
 しかも、この文章(#『随筆 新・人間革命』のこと)によりますと、選挙戦というのは「法戦」、“仏法の戦い”なのですね。「広宣流布」といって、創価学会の信仰を世界に広めるための“仏法の戦い”だという位置付けになっていて、この戦いを池田大作氏と一人一人の会員が、「師弟」のつながりをもってともに戦う(共戦)のが選挙戦だということまで強調されています。

 こうなりますと、選挙戦で選挙違反をやっていくら逮捕者が出ても(>>947)、「法難」だから勇んで立ち向かえということになるのだと思いますが、やっぱりこのあたりに、ここ数年来の選挙戦が謀略と無法が横行する舞台になっていることの重要な根っこがあるなと思ってみてきました。
 これは、すべて「政教分離」を約束した、それからまた“かたくなな反共主義をとらない”ということを約束した「猛省」講演での公約からの、明白な逸脱でした。

 こういう逸脱についてはよく分かっていたつもりの私でしたが、参院選直前に書かれた池田大作氏の文章を見て、あまりのことに目を疑うような驚きをもったのです。

 それは、7月10日付の『聖教新聞』に出ていた「戦う愛知の誉れ」という文章でした。そこで、31年前の言論問題のことが書かれていたのですが、なんとそれが、言論問題は創価学会にとっては、“信教の自由を守る正義の闘争だった”という、位置付けなのです。攻撃した者は、最初に「数人の代議士」とありますから、私ももちろん、その一人なのですけれども、この「数人の代議士」をはじめとして、あのとき、創価学会の言論妨害行為を批判した者にたいしては、「なんという悪逆か」、「理不尽な罵倒の連続」、「卑劣な強敵」、「極悪の非難」、もうそれこそ字引からひっぱりだせるだけの悪口を全部ならべたかのような(笑い)、悪口がならべられていました。なかでもこれは、と思ったのは、学会を批判した者に「仏敵」というレッテルをはっていることです。

 私はあぜんとしました。31年前の池田講演というのは、言論・出版妨害問題で、自分たちに非があったことを天下の前に認めたものです。それで日本国民と関係者に深くおわびをしたいと、謝罪の意思まで表明したものです。

 ところが、今回の文章は、それを完全に覆して、あれは批判した者が悪かったのだ、正義はわれにありと、そういうことを公然と宣言した。
 私はこの問題は、日本の民主主義のために絶対に見過ごすわけにはいかないと考えて、選挙のさなかではありましたが、あえて「創価学会・池田大作氏に問う」という文章を執筆しました。(拍手)
[この項、続く]

1160 名前: SGI 投稿日: 2004/06/26(土) 21:53
<言論出版問題・60-4>[>>1159 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■共産党・不破哲三記念講演(01年8月10日)から
http://www.jcp.or.jp/activ/activ19_jcp79th/07_0401.html
 そのなかで、とりわけ重大だと思ったのは、つぎの二つの点でした。
 一つは、「31年前の『猛省』講演は世を欺く虚言―うそ―だったのか」という問題です。私は、このことを文章の表題にもしました。

 これだけ大がかりなウソは、ほとんど例がないのです。あのとき創価学会は、言論妨害をわびて、こういう体質改善を約束するから大目にみてくださいということを天下に公約したわけでしょう。それが、まったく心にもないことだった、一時の方便だった、私たちはそんなつもりはまったくなかったのだと、いまになって開き直るわけですから。もう時効だと思ったのかもしれませんが、そんなことは、社会に対して道義的な責任を負う気持ちが少しでもある組織だったら絶対にやりえないことではないでしょうか。(拍手)

 だいたい、あの組織が、相手にたいしてぶつける一番の悪口は「うそつき」という言葉なのです(笑い)。私どもはしょっちゅうやられています。「うそつき」を最大の非難と心得て、わが党にたいしてこれを連発している創価学会ですから、その最高の責任者の池田氏が31年前いったことが「虚言」(うそ)ではなかったか、という質問にたいしてどうこたえるのか、注目していましたが、結局、いまだになんの回答もありません。

 しかし、この重大問題は、沈黙でさけてとおるわけにはゆかない問題です。(拍手)
 黙っているということは、「猛省」講演なるものが虚言(うそ)だったということを自分で認めたのと同じではありませんか。(「そうだ」の声)

 二つ目は、自分はいつでも「仏」の側、どんな悪いことをやっても「仏」の側――あるいは「仏」だと思っているかもしれませんが(笑い)――いつでも「仏」の側です。そして、相手の側はどんな正論をとなえても、創価学会・公明党に対して気に入らないことをやる以上、「仏敵」だという議論です。

 これは、自分たちと思想、信条、信仰の違うものをすべて「邪宗撲滅」といって「撲滅」の対象としたかつての路線のあからさまな復活だと思います。
 しかも、「仏の敵」にたいしてはどんな無法も許される。だから、社会的道義も市民・政治道徳も踏みにじったどんな選挙妨害も、どんな謀略活動も、「仏敵」とのたたかいだから許される。おそらく、そういうことで自らを励ましながらやっているのでしょう。(笑い)
 以前は日蓮正宗といったらたいへんなものでしたが、1991年に日蓮正宗から創価学会が破門されたあとは、日蓮正宗の本山もその僧りょたちも、全部「仏敵」扱いされるようになっています。

 私は、あの文章で、何をやっても自分は「仏」で、自分を批判するものは全部「仏敵」だとする議論は、「究極の独善主義だ」といったのですけれども、自分たちを批判するものにすべて「仏敵」のレッテルをはり、手段を選ばず、その「撲滅」をはかるという組織は、現代の民主主義のもとでは、政治の世界でも、宗教の世界でも、その存在の資格を疑われても仕方がないではありませんか。(拍手)
[この項、続く]

1161 名前: SGI 投稿日: 2004/06/26(土) 21:54
<言論出版問題・60-5>[>>1160 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/03【学会】第33回本部総会(両国・日大講堂)。池田会長、謝罪講演。

■共産党・不破哲三記念講演(01年8月10日)から
http://www.jcp.or.jp/activ/activ19_jcp79th/07_0401.html
 なぜ、31年前の公約の取り消しをいまこの時期にやったのか、事情はよく分かりません。公明党が政権についたため、安心して本音をさらけ出したのかもしれません。また、マスコミや政党の批判をより巧妙な形で封殺する体制ができた――政党に対しては票で恩を売る、マスコミに対しても、「聖教新聞」などの印刷を発注しては恩を売っているようでありますが、そういう体制ができて、日本共産党以外に公然と公明党・創価学会を批判する勢力がなくなったという安心感が、背景にあるのかもしれません。

 それからまた、池田大作氏があまりにもえらくなりすぎて(笑い)、日本社会に謝ったなどという歴史をあとに残したくないのかもしれません。(笑い)
 しかし、どのような事情があろうとも、私は、この池田氏の文章に示される現在の公明党・創価学会の言動と姿には、31年前に日本の社会が危機を感じたすべての体質的な特徴が復活していることを、見ざるを得ないのであります。(拍手)

 日本共産党は、日本の民主主義を守りぬく立場から、相手がだれであろうと、民主主義を侵すあらゆる策謀に対して、これを許さずたたかう決意をここで表明するものであります。(拍手)
 「池田大作氏に問う」の文章にも書きましたが、この「究極の独善主義」には未来がないということ、
 「猛省」講演がうそだったことを自分から暴露したことは、創価学会・公明党およびこれと連合するものの陣営に新しい矛盾を噴き出す新しい状況を生み出さざるを得ないこと、
 このような異常で特殊な集団が政権に参加している問題については、それが社会的な批判と吟味にさらされる日が必ず来るということ、 このことをここで重ねて強調したいと思います。(拍手)


■山崎正友『あの頃のこと』(慧妙・03年1月1日号)
 妙信講は、かつて創価学会が言い続けた〃国立戒壇〃と〃国会の議決こそ戒壇建立の肝要〃とする解釈を真っ向から振りかざして、創価学会と宗務院に突っかかった。創価学会も宗務院も、ついこの間まで言ってきたことを否定しなくてはならないために、対妙信講問題は、どうしても簡単にいかない。
 しかも、その混乱のなか、池田大作と創価学会は、宗門を甘く見て、自ら間題に対処しようとせず、宗門に解決を押しつけ、その一方で、〃正本堂こそ御遺命の本門戒壇〃〃正本堂完成によって三大秘法が完結し、広宣流布の時代に入る〃などという我意我見の解釈を展開したから、問題はますます収拾がつかなくなっていった。
 その結果、妙信講問題に、とりあえず表面上のケリが付いたのは、昭和52年4月の裁判上の和解によってであった。しかし、法義上のあつれきは、その後も後を引き、結局(創価学会の破門、そして正本堂の取り壊しという事態を経て、平成14年10月、これに替わる奉安堂建立をもって最終決着がついた、といえる。この意味においても、奉安堂の建立は重大な意義を持っている。


# 昭和45(1970)年5月3日の第33回本部総会・会長講演は、創価学会にとって極めて重大な講演である。
 この講演に、今日の池田創価学会の在り様の全てが集約されているといっても過言でない。学会史上、最大のターニング・ポイント(エポック・メーキング)であったともいえるだろう。
 公明党の問題、国立戒壇(正本堂)の問題、独善的反社会的な体質――等々に対する総括をなおざりにしたことは、戸田路線との決別を示し、かつ、「社会の蘇生へ大文化運動」と題された、この講演は、今日のSGI路線を生み出し、正宗との軋轢・離反につながっているからだ。
 ⇒第33回本部総会とSGI路線・広布第2章の関係については、別スレ「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」の拙レスをお読み下さい。≫243(INDEX ≫528 ≫802)

[この項、続く]

1162 名前: 基地 外 投稿日: 2004/06/27(日) 07:12
随筆 新・人間革命 
「戦う愛知の誉れ」
池田 太作

中部は断固として勝った。
 愛知は悠然として勝利をした。
 長い長い間、卑劣な権力者たちに恫喝され、あらゆる陰謀のなか、策略に陥れられながら、厳然と正義のために戦い抜いて、中部は勝った。断じて勝った。
 略
それは、一九七六年(昭和五十一年)、ちょうど二十五年前の七月二十七日(火曜日)のことであった。
 「三烈士」の詩は、この五年前、?言論問題″を発端とする学会攻撃のなかで発表した、五十五連の長編詩であった。

1163 名前: 基地 外 投稿日: 2004/06/27(日) 07:17
続1
私は、中部をはじめ、大切な同志への思いを、七百年前に殉教した「熱原の三烈士」に託して、広宣流布に戦闘する誉れを詠った。
 その長編詩から六連を選んで、当時、創価学園の教員の杉野泰彦さんに曲をつけていただいたのである。

昭和四十五年の?言論問題″の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵詈を煽り立てられた。
 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!
 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。
 「信教の自由」を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。
 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。
 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。

1164 名前: 基地 外 投稿日: 2004/06/27(日) 07:21
続2
 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!
 信教の自由ではないか!
 社会の改革に奔走して、いったい、何が悪いのか!
 憲法に保障された、最も正しい人権闘争ではないか!
 勇気凛々たる中部の同志のスクラムは、敢然として、真っ向から、敵に火を吐く思いで戦い抜いた。
 何人かの臆病者は、逃げた。敵についた者もいる。
 しかし、今の大野和郎副会長を中心に、すべての真の同志は、未曾有の弾圧の嵐を堪え忍んで、遂に赫々たる太陽の昇るが如き、勝利の中部の堅塁を護り、盤石にしていった。一部の評論家や著名人、そしてまた何人かの代議士たちは、これだけの大攻撃を受けた愛知の学会は、必ず崩壊するであろうと囁いていた。
 しかし、中部の創価学会の勇敢なる信心は、凄まじき苦境を乗り越え、すべてに大勝利したのだ。それは、永遠に燦と輝きわたる歴史として残るにちがいない。
 愛知の広布の友は、大聖人の御聖前通りに戦い抜いたのだ。
 略

1165 名前: 基地 外 投稿日: 2004/06/27(日) 07:27

続3
中部の愛唱歌である「この道の歌」(山本伸一作詞)が発表されたのも、「熟原の三烈士」の歌の発表から二年後(一九七八年)の同じ七月二十七日であった。
 「この道」とは、信念の道であり、そしてまた正義の道、幸福の道、同志と歩む勝利の道である。
 それは、我ら「創価の烈士」が進みゆく大道なのだ。
 当初の発表では、歌詞の結びは、「ああ中部中部 諸天舞う」となっていた。
 だが、皆の合唱を聴きながら、最後の歌詞がちょっと違うな、と思った。
 諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまうからだ。
 大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきであると思った。
 そこで、後になって申し訳なかったが、「諸天舞え」と直したのである。
 仏法の勝負は厳しい。

1166 名前: 基地 外 投稿日: 2004/06/27(日) 07:30

続3
中部の愛唱歌である「この道の歌」(山本伸一作詞)が発表されたのも、「熟原の三烈士」の歌の発表から二年後(一九七八年)の同じ七月二十七日であった。
 「この道」とは、信念の道であり、そしてまた正義の道、幸福の道、同志と歩む勝利の道である。
 それは、我ら「創価の烈士」が進みゆく大道なのだ。
 当初の発表では、歌詞の結びは、「ああ中部中部 諸天舞う」となっていた。
 だが、皆の合唱を聴きながら、最後の歌詞がちょっと違うな、と思った。
 諸天が「舞う」だけでは、主体である我々にとっては、受動的になってしまうからだ。
 大事なのは、諸天をも「舞わせる」、つまり「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動にしていくべきであると思った。
 そこで、後になって申し訳なかったが、「諸天舞え」と直したのである。
 仏法の勝負は厳しい。

1167 名前: 基地 外 投稿日: 2004/06/27(日) 07:34
続4
 中途半端な、ひ弱な精神では、断じて勝てない。
 民衆の悲嘆の流転を変え、堂々たる民衆勝利の大喝采を叫ぶことはできない。
 ゆえに、徹して、断じて強くあれ! ひとたび戦いを起こしたなら、必ず勝て!
 必死の一人は、万軍に勝るのだ!
 略
 敬愛する愛知の友よ!
 新しき、また新しき正義の戦いに勝利し、壮大なる広宣流布の大城を、護り築いていただきたい。
 偉大なる愛知よ!
 新世紀の「創価の烈士」よ!
 遂に来た決戦の時、未来永劫に、その名を輝かせゆくのだ。
 そして、二十一世紀の緒戦を、勝利の創価の城で飾っていただきたい。
<2001/7/10 掲載>
http://shiohama.at.infoseek.co.jp/zuihitu-223.htm

1168 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/27(日) 10:52
元々、戸田先生が創価学会員を政治の場に送り込んだのは、あくまで宗教人としての分を守り乍ら、仏教的考えを政治に生かせればよいと考えてのことだった。
権力の獲得が目的ではなかった。
その証拠に衆議院(政権を獲得する場)には、代表を送らないことを言明していた、
それでも、政治と宗教の混淆体制に問題がないわけではないが、参議院が独自の立場を発揮できる限りにおいては、戸田構想に意義がないとは言い切れない。
しかし、現在の日本の参議院は、衆議院の付属的存在に成り下がってしまった。
本来、参議院は、立候補資格の年令が高く設定されていたり、専門知識を持っていることが期待され、言わば、衆議院の暴走をチェックする機能が期待された。

1169 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/27(日) 10:54
続1
そういう点からいうと、米国の二院制度の目的や機能と根本的な部分で違っていた。
ところが、野心家の池田大作が参謀となり、創価学会が参議院に代表を送りこんだ時点で、やがては、衆議院に進出することは予想され、本来の戸田構想を裏切るのは当然だった。
更に、池田大作は創価学会を集票マシーンとし、己のの野心=権力獲得に利用するのは当然の成り行きだったのである。
私は、別に権力獲得という動機が悪いと主張しているのではない。
ただ、政治的主張は政治の場で、宗教的主張は宗教の場で行った方が、それを聞いている者は理解しやすい筈で、二重のメッセージがあれば、それは偽善に繋がり、信用を失うことになる。
そうなれば、宗教家や政治家としての存在理由が無くなる。

1170 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/27(日) 10:57
続2
池田大作は、そこの所が殆ど理解できなかった。
それが、彼の人生の敗北だったのは、気の毒な気もする。
しかし、それこそ、自業自得と言えるのだろう。

池田大作が、創価学会を政教混淆団体として、利用した原点は、昭和31年の参議院選挙にある。

1171 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/27(日) 10:59
続3
『昭和31年の第四回参議院選挙が、創価学会になかで問題となったのは、前年の四月三十日の統一地方選挙が大勝利で終わった直後であった。以来、いくたびか戸田城聖のもとで作戦企画が立てられ、周到と緻密を要する戦いは、なかなか最後の決定をみなかった。全国区三名、地方区二名の内定をみたのは、十月初旬であった。このなかで、大阪地方区の一切の指揮責任者として山本伸一が、戸田から指命された。
(人間革命 一念 第十巻)』
『いま、彼がたよるべきものは、御本尊と御書しかないことを心から納得した』

1172 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/27(日) 11:02
続4
『それが、いきなり五名もの国会議員候補である。青年達は、広宣流布のテンポは意外な速度で進んでいる、と気づかねばならなかった』
『快晴の空に富士を仰いだ一月二日、初御開扉があった。山本伸一は奉安殿の中で、大阪の戦いについて、一閻浮提総与の大御本尊に深い祈りをささげたことは、いうまでもない』
『最高の作戦、最高の行動というと世間通例の選挙作戦なんかを思いうかべて、真似をしたがりますが、これはとんでもない間違いです。
どんな作戦、行動よりも法華経の兵法、つまり信心から出た作戦、行動を用いる以外にないのだ、これが最高の作戦であり、最高の行動となるということです』
★結論
小説人間革命を廃書としない限り、創価学会=公明党の憲法違反状態は是正されない。

1173 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/27(日) 18:20
>一閻浮提総与の大御本尊

こんなものいらない。自分勝手な善意の押し付けだ。良いもならまだしも、受持するものを痴呆にするものなんか。

1174 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/28(月) 00:00
>>1173
>こんなものいらない。

ちゃんと、名前くらい名乗ったらどうだ?
どんな意見でも述べるのは自由だよ。
どんな宗教でも、一応、善意から出てるのは確かだろう。
ところが、それが自分(達)だけの善意を主張する所に問題があるのだよ。
もし、善意の人達だけが、集まれば、多少の意見の相違を乗り越えて、智慧を出し合えばいいからね。
ところが、そうはいかない。
それは、やはり、その「善意を思潮している」人達の本当の意図は、「自分の生活を守りたい」っていうのがあるからなんだよ。
かつては、宗教家(聖職者)っっていうのは、自己犠牲とか清貧というイメージがあったが、今は、宗教と儲けは直接、結びつくからね。
例え贅沢をするとまでいかなくとも、少なくとも、「食い逸れ(くいっぱぐれ)」っていうのはないからね。
世界の殆どの国で、略完全な「宗教の自由」が保証されている今日、自分の身を犠牲にしてまでも、信仰の真実を明かす者はいない。
それは、宗教にとっていい時代になったとは言えないと思う。
宗教にとって、最も幸福な時は、「迫害をモノとはせずに、布教活動をしている時」だと思う。
「自分勝手な善意の押し付け」が無ければ、出来なかった。
それが、必要な場合もあるよ。
「人の不幸を見て見ぬ振りをする」なんて、私は嫌いだね。

1175 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/28(月) 00:12
やはり、その「善意を思潮している」人達の本当の意図

やはり、その「善意を主張している」人達の本当の意図

1176 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/29(火) 05:32
>>1173
>一閻浮提総与の大御本尊
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/honzon.html#4
正しい本尊と血脈相伝に基づく信仰
1
日蓮正宗の正しい本尊について教えてください
2
日蓮大聖人はなぜ御本尊を顕わされたのですか
3
「人法一箇(にんぽういっか)」とはどういうことですか
4
「本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊」とはどういうことですか
5
「一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の御本尊」とはどういうことですか
6
戒壇の大御本尊と各家庭の御本尊との関係を教えてください
7
日蓮正宗の「信仰」とは何ですか
8
「広宣流布」の本当の意味は何ですか
9
「令法久住」と「広宣流布」とはどのような関係にあるのですか
10
「唯授一人の血脈」と「信心の血脈」とは同じものですか

1177 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/29(火) 05:36
5 「一閻浮提総与の御本尊」とはどういうことですか

 「一閻浮提総与の御本尊」とは「一閻浮提(全世界)のすべての人々が信受すべ き御本尊」との意味で、本門戒壇の大御本尊のことを指します。
 『観心本尊抄』に「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与 せしめたまふ」(新編657頁)と仰せのように、御本仏宗祖日蓮大聖人は、末法 万年にわたり、全世界の人々を救済するために、自らが御所持の寿量文底の南無妙 法蓮華経を顕わされました。
 そして、南無妙法蓮華経の法体として、「本門戒壇の大御本尊」を図顕されまし た。
 全世界の人々が真実の平和と幸福を確立するためには本門戒壇の大御本尊を信仰 すべきであり、その戒壇に参詣すべきことを『三大秘法抄』に「三国並に一閻浮提 の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給うべき戒壇な り」(新編1595頁)と仰せられています。
 このように、全世界の民衆を救済するために顕わされた大御本尊であり、全世界 の民衆がおしなべて参詣帰依すべき大御本尊という意味から「一閻浮提総与の大御 本尊」と申し上げます。

1178 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/06/29(火) 05:57
>「一閻浮提総与の御本尊」とは「一閻浮提(全世界)のすべての人々が信受すべ き御本尊」との意味で

 顕師は全人類に蓮祖が与えられた本尊を私物化し、保身の手段にしています。「
 謗法もここに極まれり!ですね。

1179 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/29(火) 16:18
創価学会は全人類に蓮祖が与えられた本尊を私物化し、保身の手段にしています。「
謗法もここに極まれり!ですね。

私物化できないから本尊て言うのさ

1180 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/06/29(火) 17:31
どの宗教も宗派も本尊を持っているよ。南無釈迦むに仏と言うのが本尊、南無阿弥陀仏というのが本尊、イエスキリストというのが本尊、アラーが本尊、だろう。南無妙法蓮華経は本尊の中のひとつに過ぎないんだよ。

1181 名前: 腐った鯖 (SabaD/L.) 投稿日: 2004/06/29(火) 20:02
ミンナのタメの、「南無妙法蓮華経」を商標登録しようとして叩かれた教団もいたと思ったが?(w

カンチガイだったらスマヌ...

1182 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/06/29(火) 20:41
>>1181
腐った鯖さん、おつかれ様です。

特許庁の特許電子図書館で商標の検索が出来るようです。
「南無妙法蓮華経」以外にも、「日蓮世界宗」なんていうのも検索してみると
面白いですよ。

http://www.ipdl.jpo.go.jp/Syouhyou/syouhyou.htm

1183 名前: 腐った鯖 (SabaD/L.) 投稿日: 2004/06/29(火) 21:42
>>1182

シー-!!
ネタは小出しにヨロピク(w


で、華麗にスルーするんですよね?

1184 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/29(火) 21:54
>>1118SGIさん
>私の印象では、大半の学会員が今の学会はおかしい・狂っていると感じており、できれば学会組織と関わりたくないと思っているようです。
>>1145 SGIさん
>その意味では、学会員が抱く“池田大作”は、“池田大作”を演じた人物の少しばかりの接点の上に、神話と伝説で塗り固めた思入れの産物で、もう「記号」となっているのかもしれません。
。。。。。
名誉会長の行動記録なんか見ちゃうと、つくづく「こういう人間にだけは、なっちゃいけないな」と思います。
池田先生の最大の功績は、歴史に残る「反面教師」だったのではないでしょうか?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇

1185 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/29(火) 21:56
続1
それで、先日、創価学会の大きな会合に出席したんですよ。
若くて、元気そうな女子部が司会を務めていました。
二人の婦人部員が体験発表をしたんですけど、
何れも素晴らしかったです。
ところが、会合の終わりの方で、「今度の参議院選挙は、昭和31年の大阪地方区参議院選挙を思い出して戦っていきましょう!」などと、激励し合ったんですよ。
さすがに、引きましたね。
つくづく、この団体は成長や発展を拒絶しているのだな、と思いましたよ。
自分達を批判する者達へは「嘘つき」呼ばわりして、都合の悪いことには、聞こえないふりをします。
こうなってくると、創価学会の存在っていうのは、「社会悪」の一大勢力と言うしかないと思います。

1186 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/29(火) 21:59
続2
今や、インターネットの普及で、マウスボタンのクリック一つで、名誉会長が顕彰されたとされる賞の価値がわかります。
人々は池田先生の胡散臭さに気付き始めています。
もうファッショ的大衆心理操作は不可能でしょう。
大衆は益々賢くなってきます。
しかし、創価学会が最も恐れているのが、真実の権限だと思います。
そうなれば、結局は、賢くなった大衆によって、創価学会の指導者達は、その地位から引きずり下ろされるでしょう。
先の「純粋な」婦人部員達には、気の毒に思いますが、やはり、創価学会は歴史の必然として、無くなった方がいいと思います。

1187 名前: yuriko 投稿日: 2004/06/29(火) 22:08
訂正>>1186

真実の権限だと思います。

真実の顕現だと思います。

1188 名前: SGI 投稿日: 2004/06/30(水) 23:15
<言論出版問題・61>[>>1156-1161 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/05【学会】第34回社長会〔於、箱根研修所〕池田会長の発言から
 会長「北条さんは、今度は本当に僕の事を思ってくれた。今迄はちょっと、ほんの1%違ったが、今度は本気に護ってくれた。北条が一番だ」。
 「5月3日が終われば、山は過ぎた。5月3日は勝ちだな」。

# 名誉会長は窮地に追い込まれると、北条浩・前会長ら首脳に「何とかしろ」と言いつけて、箱根や軽井沢、海外などに逃げてしまう。「言論」の時もそうだったが、創共協定、「月刊ペン」事件、宗門問題など、自分の失敗・事態がこじれた時の尻拭いを一方的に押し付けるだけである。
 「言論」では、引責辞任に追い込まれることなく、無事「5.3」を迎え謝罪講演で一応のケリがついたので、“北条はよくやった”と労っているところだ。

 会長「熱が下がらない、本当に長いね、異常だね。あんまり周囲がのんびりしているので、よけい熱が出る」。
 「今日の料理は旨いが、もうおしまいか。何となく物足りないな。(最後に肉料理が出る)ああ、これが出るの、これで良いんだよ。これで御飯を食べるんだよ。これで良い、旨い」。

# まだ病人の芝居をしている。けど、その舌の根が乾かないうちに、もう健啖家ぶりを露呈。誰も名誉会長が病み上がりだと思っていない。

 会長「公明党の体質も変えなければいけない。大久保の使い方もまずい。竹入はつかいこなせないし、矢野には統率力がない」。「竹入に今迄以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか」。

# わずか二日前に「政教分離宣言」をし、人事も口出さないと語っていたのに(>>1149)、このように党人事を命令している。講演の「政教分離宣言」が、まったく口先だけであることは、この発言でも明らか。

 ◎公明党人事の件(#この社長会で、会長を中心に討議され、発言録の最後にまとめられている)
 「竹入・矢野ラインは欠点はあるが、今交代するのはまずいのではないか。先生に御迷惑をかけた点で、当然やめる気でいるだろうが、外部はあくまで言論問題の引責と見る。そうなると、あんなつまらない問題でも騒げば辞める前例になる。もっとずうずうしさがなければ、世間は安心しない。
 竹入・矢野ラインは自民寄りになってしまって、野党から受け入れられなくなっている。また、2人だけ解っていて、皆がわからないで進んでいる。変えた方が良いが、筋を通して、6月党大会または来年の総選挙の前にやるべきだ。
 後、問題は後任だ。参院からもって来ると、いかにも人材がいないように云われる。やっぱり衆院だ。帯に短し、たすきに長し、だ。渡部さんもあの問題がなければ良いが、駄目だ」。

#「竹入秘話」によれば、竹入・矢野両氏は辞任を申し出たが、名誉会長らが辞任を拒み、結局翌月の党大会では再選ということになった。辞める・辞めないは学会(名誉会長)に決裁権があり、しかも不祥事に対する引責や資質が問われるのではなく、「先生に御迷惑をかけた点」が最も重大な判断基準という有り様。公党としての社会に対する責任なんて感覚はない。これは今も同じ。
 また、言論問題で田中角栄幹事長ら自民党首脳にすがり政府・自民党の袖の下に隠れておきながら、名誉会長の「自民寄りになってしまって」の発言を受けて、党大会以降は“革新ポーズ”を取り始めた。人事も政策も、すべて学会(名誉会長)が握っているのも、今も同じ。
 渡部問題とは、01/11学生部大会での講演内容(>>1034)が国会問題となり02/27国対委員長を辞任したこと(>>1053)。

[この項、続く]

1189 名前: SGI 投稿日: 2004/06/30(水) 23:16
<言論出版問題・62>[>>1188 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/05【学会】第34回社長会〔於、箱根研修所〕池田会長の発言から
 会長「今度の話(#「5.3」の謝罪講演のこと)はどうだろう。弱気でもいけない。強気でもいけない。私は私らしく言った方がよいでしょう。云うべき事は皆云ったから、それで良かったでしょう」。
 「私が神経を使わなかったら、学会はどうなっているか」。

# 謝罪講演の原稿は、原島氏ら「特別研究班」がまとめ上げたものだ(>>1116 >>1128 >>1131)。実によく練り上げられた内容になっている。
 1)まず言論問題は、言論妨害というような陰険な意図は全くなかったが、結果として、言論妨害と受け取られたのは残念である。
 2)国立戒壇とは民衆立ということであり、国立戒壇=国教化は当初から否定してきたが、「国立」という言葉が誤解を招いたかもしれないので、これからは「国立戒壇」という表現は使わないことにする。
 3)学会は政教分離をはっきりとめざしていたが、学会と公明党は「一体不二」と表現したこともあって、誤解した受け取り方をされてしまい、母子関係にあると見られてもやむをえなかった。
 4)会長だけ終身制というのではカリスマ的支配といわれてもやむをえない、……等々(>>1148-1150)。
 一見して解るように、これらの論理の運び方はすべて同じ。外部からの批判はすべて「誤解」であるが、今後は「誤解」を与えるような用語や言動は止める、というものだ。
 つまり仔細に検討すれば、ウソとすり替えで言い訳を羅列し弁明し、時には謝罪しているような体裁を取りながら、実は巧妙に学会には何も悪いことはないし、悪いこともしていないと開き直り、責任転嫁を図っているのである。
 ひょっとして、名誉会長がいう「配慮が足りなかった」とは、言論を弾圧したことではなく、学会や公明党が批判されるきっかけを与えてしまったことをいうのかもしれない。だから「私が神経を使わなかったら、学会はどうなっているか」との発言にもなるのかな。

 会長「今度は1人の犠牲で学会は守った。それで良いな。とにかく学会は守ったよ、学会は強くなったな」。

# 「1人の犠牲で学会を守った」…か。見事に加害者が被害者にすり替わっている。正しくは「今度もまた、私一人で引き起こしてしまった危機を、皆で何とかしのいでくれた。ありがとう」だろ。

 会長「何もかも一切終わったら、断然やろう。まず内部だな。やった人とやらない人とは厳然と差がつくよ。ざまあ見ろと云うには10年かかるな、でもやろうよ」。

# これはご存知の如く、名誉会長の口癖。何かあれば「10年!」。「10年先を見よ」「10年闘え」「この10年間、やった人とやらなかった人に差がつく」「本物か偽物か。ふるいにかけられる10年である」 ―― こう言って、脅し尻を叩き、未来に目を向けさせ、現実の問題から目を逸らす。
 「何もかも一切終わったら、断然やろう」とは、世論の批判が過ぎたら(一段落したら)、また思い切りやりたいことをやろう、ということ。確かにほぼ10年毎に節目を迎える。会長就任から10年目に「言論問題」で謝罪。「言論」から10年後には〔52年路線〕で会長勇退があり、その10年後には学会破門。そして破門から10年、会則改正で“池田教”を宣す。

[この項、続く]

1190 名前: SGI 投稿日: 2004/06/30(水) 23:16
<言論出版問題・63>[>>1189 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/05【学会】第34回社長会〔於、箱根研修所〕池田会長の発言から
 会長「田中さんともずい分長いつき合いだな。田中さんは良い人だな」。

# 田中角栄・元首相のこと。「言論問題」では大変お世話になった(>>940 >>944 >>1001-1002 )。

■野田峯雄著『池田大作 金脈の研究』(三一書房)p169
 この一件(#藤原弘達氏への出版中止依頼)以外に、池田は田中角栄に国会喚問阻止を頼んでいるが、そうしたなりふり構わぬやり方もいつもの伝。 
 が、「長いつきあい」とはどのようなことをさしているのだろうか。
 公明本部の敷地の登記簿がこの答えを示唆していた。70年10月14日「同土地はすでに68年2月10日、交換によって公明党委員長の竹入へ所有権が移っていた」と法務局に届け出ている。なぜ、彼らはそのことを70年3月の公明協会の所有権移転登記時に気づかなかったのか不可解だが、とまれ、公明党の竹入がすでに所有し、「学会の所有する党の敷地」と交換に差し出した土地を探す。
 すると、それは信濃町の聖教新聞の敷地だとわかった。こちらの土地の登記簿をみる。
 65年12月に当時の公明党委員長辻武寿が衆議院所有地の払い下げを受けていた。田中角栄が大蔵大臣→自民党幹事長の時期で、角栄による国有地払い下げの大盤振る舞いの一環。角栄の公明党懐柔だった。
 池田のいう「長いつきあい」とは、たとえばこうしたことをさしていたのに違いない。

# 野田峯雄氏は、東京都新宿区南元町の公明党本部の土地の所有権変遷から、学会の「政教一致」ぶりを追いかけている。この土地の登記簿には、錯誤登記やダミー会社(学会関連会社・鳳書院)が登場したり、原島宏治氏や竹入義勝氏の個人からの贈与登記なども記載され、また学会が所有していた時期もあって、ずい分複雑怪奇の変遷を示す。

 ○05/11『週刊文春』昭和45年5月18日号発売。池田会長インタビュー記事「ずいぶんタタかれましたねェ。わたしは良いが、会員がかわいそうで…(とカオをおおう)わたしは『自殺したいよ』と女房にいったんです。『がんばりなさい』となぐさめられましたよ。いまのキモチとしては『処女のお嬢さんが、輪姦されたあと、さらに蹴りとばされているような気分だ』と女房にいいましたよ」を掲載。

 ○05/14【学会】盗聴実行グループの竹岡、宮本顕治共産党書記長宅の電話盗聴の拠点として高橋義夫の偽名で「青木高井戸マンション」を賃借。のち公明党中野区議となる江口済三郎が佐藤功の偽名でその連帯保証人となる。学生部員・奈良憲一、宮本宅の周辺調査を行なう。

 ○05/19『赤旗』の創価学会=公明党批判キャンペーン記事「黒い鶴のタブー」の第3部が終わる。
        ◇
 「しかし、同じ『赤旗』の紙面では「公明党は猛省していない?」と題して、まだまだ問題は解決していないぞ、という記事を載せていた。いったい、これで、連載は、終わるのだろうか。(中略)
 組織では、すでに直接攻撃に備えて、反共シフトを徹底する作業が進められていた。「池田先生は、けっして悪くない。学会は間違っていない。池田先生は、ただ、会員を権力や共産党から護るために頭を下げられたのだ」とロコミで流し、「座談会へ共産党が来てかく乱したり、偽装入信してくることに備えよ」と、マニュアルを徹底した。
 政教分離や戒壇論については、会員から質問されると、「実質的には、何も変わらない。今までと同じで良いんだ」と指導した。会員の目を問題からそらすために、さかんにミニ文化祭などの行事や、表彰を行ない、脱会者防止に全力をあげていた。組織も、とかく負担の多かったタテ線から、地域割りのブロック組織へと改め、目が届きやすく組みかえた」(『自由の砦』01年5月10日号)

[この項、続く]

1191 名前: SGI 投稿日: 2004/06/30(水) 23:30
>>1184 yurikoさん。
>池田先生の最大の功績は、歴史に残る「反面教師」だったのではないでしょうか?
―― でもそんな人物を「人生の師」と仰ぎ、「永遠の指導者」と崇拝している人たちにとっては、世界中から賞賛される「千年に1人の人物」だそうで、彼らには理解・共感してもらえないコメントですね。

1192 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/01(木) 06:17
>>1190SGIさん
>○05/11『週刊文春』昭和45年5月18日号発売。池田会長インタビュー記事「ずいぶんタタかれましたねェ。わたしは良いが、会員がかわいそうで…(とカオをおおう)わたしは『自殺したいよ』と女房にいったんです。『がんばりなさい』となぐさめられましたよ。いまのキモチとしては『処女のお嬢さんが、輪姦されたあと、さらに蹴りとばされているような気分だ』と女房にいいましたよ」を掲載。

よりによって、>『処女のお嬢さんが、輪姦されたあと、さらに蹴りとばされているような気分だ』
。。。などという例えを出すなんて、池田先生の品性が如何に低劣なものかを証するにに充分ですね。
創価学会が猊下と芸者が共に写っているの写真を捏造した際も、
「学会員の中にも少なからずの、芸者さん達がいるだろうに、スキャンダルに使うなんて酷いな」
と思ったんですよ。
学会員がこれだけ多ければ、少なからずの人達が犯罪被害者でしょう。
その中には、「処女」で「輪姦」され、さらに「蹴飛ばされたた被害者も居た筈です。
池田先生は、熱心な創価学会員が死刑にされた時も、「臭いものには蓋」でしたけど、
指導的地位に居る者として、明らかに配慮が足りなかったのではないでしょうか?

1193 名前: SGI 投稿日: 2004/07/01(木) 22:57
>>1192 yurikoさん
>池田先生の品性が如何に低劣なものかを証するにに充分ですね。
―― YES。
 名誉会長の品性のなさは、数々の生スピーチでも明らかです。
http://www.toride.org/ikemondai.html#skyo
http://www.toride.org/real/real.htm

>指導的地位に居る者として、明らかに配慮が足りなかったのではないでしょうか?
―― いいんです、名誉会長の場合は。
 かつて御書講義で、「無作の三身とは末法の法華経の行者なり」(御義口伝)の御文について、例の如く牽強付会して、無作とは本来の姿のまま・造作がなく・あるがままの振る舞いのことで、末法の法華経の行者は無作の振る舞いで人々を元気付け導いていくものだ、と聞かされたことがあります。

 だから、池田センセーは自由気ままにやりたいようにやって、その上で「功績は名誉会長に。失態は本部幹部が被る」というのが本部の不文律となります。すなわち尻拭いは弟子の務めなのです。「先生を守る」とは、そういうことでもあるのです。

 「言論問題」でもそうでしたが、国会の証人喚問や裁判への出廷から逃げ回り、今般の宗創問題でも一度たりとも前面で出てくる事も、あるいは自らの名で反論を表明することもできず、いつもいつも内部の会合やメディアで勇ましく煽るだけで、あとは超豪華な専用施設で衣食住すべてに贅沢三昧を尽くす日々を過ごしております。
 
 池田大作という人物は、そういう人なのです。オウム真理教の地下鉄サリン事件裁判で、麻原彰晃教祖を「悟りを開いた絶対者」と崇め、その教祖の指示のまま罪を犯した幹部信者が「こんなはずではなかった」と無念の涙を流しておりましたが、いずれ同じような悔悟の想いに駆り立てられる学会幹部・会員も続出するのではないでしょうか。

1194 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/02(金) 20:29
池田先生の得意業に「師の恩に報いる」というのがある。
自分は、戸田先生から受けた恩を精一杯返してきた。
それも、何十倍にもして。
それで、言外に「お前等も、私から受けた恩に酬いよ。決して、裏切るな」
「恩知らずは、人間として、最低の行いである」「「私を大事にせよ」
「私の広宣言流布への貢献を顕彰するのを決して疎かにしてはならない」
というわけだ。
最近の聖教紙上では、特にそれが目立つ。
ということは、いよいよ「Xデー」が近ずきつつあるということか?
見た感じ、まだまだ元気そうだから、隠れた癌細胞が発見され、「余命僅か」を宣告されたのかも知れない。
何れににしても、池田先生と日顕上人のどちらが先に亡くなるかが、10年以上続いている宗創戦争の勝敗が決まるのは確かだ。
アンチ陣営としては、不ぃ藤原氏、内藤氏と貴重な人材を失って久しい。
しかし、人材はまだまだ豊富だ。
特に、池田先生の一番弟子の原島高元創価学会教学部長の活躍が光っている。
床には、自分に都合の悪いことも、喋らなければならないだろうが、捨て身になって、全てを吐き出して欲しい。
それに、池田先生の直系中の直系といられる「創価学園」「創価大学」出身の乙骨氏の活躍も、期待したい。
そして、無論、この掲示板で、一際光った活躍をしている、元学会本部職員SGIの活躍もある。
つまり、恰も、中国の冒険物語りの「水胡(すいこ)伝」に登場する英傑達のように、アンチ陣営も、人材に欠くことはないのだ。
池田創価学会に根本的革命が訪れ、指導陣が総括され、追放されるまで、精一杯の活躍を祈っている。

1195 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/02(金) 20:44
床には、自分に都合の悪いことも、喋らなければならないだろうが、捨て身になって、全てを吐き出して欲しい。

時には、自分に都合の悪いことも、喋らなければならないだろうが、捨て身になって、全てを吐き出して欲しい。

1196 名前: SGI 投稿日: 2004/07/03(土) 00:28
<言論出版問題・64-1>[>>1188-1190 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/20頃【学会】山崎正友、北条副会長(参議院議員)と相談のうえ、秋谷栄之助副会長、原島嵩教学部長、経理担当・中西治雄を含めた5名で会議を行ない、「絶対に事故を起こさないようにして実行すること」を決定。山崎、広野に対し電話盗聴のゴーサインを出す。
       ◇
 「5月20日過ぎ、いつもの副会長室わきの会議室に、北条氏の他、秋谷栄之助、原島嵩、中西治雄の各氏、そして私が集まり、会議を開いた。
 私が、経過と状況の報告を行ない、「準備も万全に整ったので、いよいよ決行したい」と言った。皆は、いろいろと質問したり、意見を述べ合った。秋谷氏と原島氏は、消極論だった。
 秋谷氏は、〃危険すぎる〃と、大事をとる立場であり、原島氏は、親友の私を、そのような危険な任務につかせることを避けたかった。学生部で、私の前任者だった原島氏は、広野の人物に対する不信感も持っていた。
 北条氏は、決めかねていたが、黙っていた中西氏が「北条さんの言うとおり、日本が太平洋戦争に負けたのは、情報戦で負けたのですよ。今から見ると、大人と子供のケンカみたいでしたよ。共産党にウチが敗けているのも、情報で遅れをとってとっているからですよ」(中略)
 中西氏もまた、陸軍幼年学校出身の軍人だった。池田大作の側近中の側近として、中西氏の発言は重きをなし、時に池田大作の意向の代弁者とも見なされていた。(中略)かくて、中西氏の発言をきっかけに、会議の結論は〃実行〃へと決着した」(『自由の砦』01年5月10日号)

 ○05/下旬【学会】盗聴実行グループ、宮本宅の電話線に深夜、盗聴器を設置。盗聴を開始する。(のち、盗聴器を改良したものと交換)
       ◇
 「盗聴器全体の大きさは親指程度。アルミのシャシーにおさめるとき、部品をシンナーにつけ、指紋を洗い落した。それで、当時、電電公社だけが使っていた伸縮する絶縁テープを、男子部にいた電電公社の職員からもらい、それで巻いて、取付け役の竹岡さんに渡したんです」(『宝石』82年10月号 松本篤の話 >>1094
       ◇
 「盗聴器が取り付けられ、宮本邸の電話での会話が受信機に入るようになってから一週間、私は、自宅で、息がつまるような緊張感の中で、二十四時間待機し続けた。(中略)
 私が最も知りたかったのは、共産党が、創価学会に対して、今後どのような行動を起こすか、ということであった。これについては、盗聴開始より2、3日後、党本部から、大阪と東京で創価学会の組織が反共宣伝等をしていてけしからんと思うが、何か対応するか、と決裁を求めてきたのに対し、宮本氏は、もはやあまり関心がない、といった口調で「あと、一、二回、ビラでも撒いておきなさい」という指示をしていた。明らかに、〃創価学会問題はもう終わったのだ〃という態度であり、〃さらに、機関紙や国会で叩け〃というような大々的な対応ではなくて、〃下部組織を満足させるために何かやって、お茶を濁しておけ〃といわんばかりの指示であった。(中略)
 広野を帰らせてから、私は、このテープとレコーダーを持って、本部副会長室に行き、右わきの小会議室で、北条浩副会長に、盗聴し録音した会話をそのまま再生して聞かせた。北条副会長は、身じろぎもせず聞き入った。創価学会に関するやり取りの部分は、何度も繰り返し聞いた。
 「いや、すごいもんだ。こんなにはっきり録れるのか!!」北条浩は驚嘆した。
 「参議院で宮本と時折出会うことがあるが、すごみのある男だ。話したことはないが、これが、あいつの声なのか…」そして「共産党は、これ以上、学会とやる気はなさそうだな。追い打ちの心配は、まずないな」と言った。(中略)「それにしても、向こうの出方がはっきりわかったことはじつに大きい。これで、こちらは、自信をもって今後の方針を立てられる。さっそく、池田先生に報告しよう」と言った。
 (中略)北条副会長は会議室から出て行き、しばらくして、大きな封筒に入れた500万円の札束を持って来て、私に渡した。「とにかく、よろしく頼むよ。うちの連中にもバレていないだろうな」(山崎正友『自由の砦』01年9月10日号)

[この項、続く]

1197 名前: SGI 投稿日: 2004/07/03(土) 00:28
<言論出版問題・64-2>[>>1196 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○05/下旬【学会】盗聴実行グループ、宮本宅の電話線に深夜、盗聴器を設置。盗聴を開始する。

■山崎正友『懺悔の告発』p43
 言論問題以後、前述したような、内部事務局関係の仕事が増えたが、これはやがて、八尋頼雄弁護士がもっぱら担当してくれるようになり、その分、負担が軽くなった。その分、対外的な活動へとウェイトが移った。特に、情報、謀略といった活動が主な目標となったのである。その第一歩が、共産党議長・宮本邸盗聴事件であった。

 昭和44年暮から45年にかけて、評論家・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』出版をめぐって創価学会が、本人や出版社をはじめ、取次店や書店にまで、これを止めるよう圧力をかけた事件がきっかけで、創価学会は世論の袋叩きにあい、国会でも追及を受けることになった。
 田中角栄氏の助け船のおかげで、創価学会は辛うじて危機を脱したが、それでも池田大作は世間に対して全面謝罪し、政教分離等を口にせざるを得なかった。この時、創価学会攻撃の急先鋒だったのが日本共産党であった。創価学会と共産党はまるで天敵同士のようにいがみ合っていた仲だったので、この時は、共産党にいいように攻められてしまった。

 そこで創価学会としては、言論問題の収拾と、今後の安全のために、共産党の出方を知ることが何よりも重要な課題になった。共産党対策のために公明党にも、聖教新聞編集部にも、また、創価学会の組織内にもプロジェクトチームが編成された。それらの各チームが収集した情報が私のもとに集められ、そして最高首脳の会議に提出されるようになっていた。
 しかし、成果はなかなか上らなかった。直接的な情報が乏しいために、靴の上から足の裏を掻くような思いの毎日だった。そんな折、たまたま創価学会学生部幹部会の席で渡部一郎代議士(当時)が自民党首脳を小バカにした放言演説をしたのを、潜入していた共産党員が録音してマスコミに暴露したため、自民党や世論が硬化して創価学会が窮地に陥るという事件が起こった。情報収集に関しては、共産党の方がはるかに上だったのだ。

 それで、犂磴砲牢磴髻蹐箸い辰心蕎陲函必要に迫られて、共産党情報収集の一環として、宮本邸電話盗聴が計画され、実行されたのである。
 池田大作の承認のもと、北条浩副会長(当時)の決裁で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして作った裏資金の提供を受け、私が学生部幹部数十名を動員して実行に移したのである。

 私が総指揮を執り、実行責任者は広野照夫氏と竹岡誠治氏だった。二人とも、今は創価学会の幹部である。
 昭和45年5月から約3ヵ月にわたって行なわれたこの作戦では、二、三の重要な会話の盗聴に成功したものの、発信器の不調によって発覚するところとなり、共産党は東京地検に告訴した。
 この刑事告訴は、犯人不明のまま迷宮入りとなり、実を結ばなかったが、しかし、五十五年八月、私の内部告発手記を契機に、共産党は改めて北条氏らを相手どり損害賠償請求訴訟を起こし、事件は最高裁まで持ち込まれたが、共産党側の完全勝利に終わり、創価学会は百万円の損害賠償を支払ったのである。

 というわけで、この盗聴作戦自体は、百%成功というわけにはいかなかったのだが、ある程度の成功は収め、そして、何よりも撤退と証拠隠滅が完全だったことが、首脳に高く評価された。
 以後、池田大作によってさらに重用され、このとき以降、盗聴・電話盗聴・監視・尾行は創価学会にとって欠かすことのできない手段となり、妙信講の造反事件等、対応を誤れば大事に至るような事件が起こるたびに、盗聴・尾行・スパイの送り込み等、ありとあらゆることを行なってきたのである。

 こうした活動は次第にエスカレートして、ついには創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査も行ない、いざという時に備えるようになった。もちろん通り一遍の調査ではなく、スキャンダルや人間関係まで詳しく調べ上げているのである。

[この項、続く]

1198 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/03(土) 07:01
>>1196-7 SGIさん

ホント、これこそ、プロジェクトXですね。
私は、個人的には、創価学会員が好きなんですよ。
でも、集団になると、「わけの解らぬ」犯罪的行動をするのですね。
これは、池田創価学会のカルマ(宿命)ですね。
創価学会は、道理で山崎氏や原島氏の人格抹殺攻撃(英語では、charactor assasination)をするわけですよ。
あいつらの言うことは信用するな!と。
これは、共産党不破議長も書いていたんですけど、
創価学会の常套的攻撃手段である「嘘つき!」を繰り返し、
週刊紙、新聞の反学会記事に対しては、「読むな、買うな、捨てろ」で、学会員を洗脳出来るんですけど。
こういうインターネットの情報っていうのは、別に意識しなくとも、少々の好奇心があれば、自然に目に入ってきちゃうんですよね。
別に、金を払うんじゃないから、罪悪感も感じないんですよね。
別にそんなに時間もかかるわけじゃないから、立ち読み以上の気楽さで、情報にアクセスできるわけですよ。
◇ ◇ ◇ ◇◇
それにしても、>>1196-7は、創価学会が如何に、犯罪集団なのか、証明していますね。
人殺しや盗みをしてるわけではないけれど、犯罪的ですね。それも組織的に。
やっぱり、こういう雰囲気っていうのは、同様な似非仏教団体オウム真理教に直接、影響を与えたと思いますね。

1199 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/03(土) 12:10
>人殺しや盗みをしてるわけではないけれど

これをやっていると思うからから仏敵だとみなしているのですが。

1200 名前: SGI 投稿日: 2004/07/04(日) 00:20
<言論出版問題・65>[>>1196-1197 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○06/25 公明党第8回党大会。政教分離を決定。
 「王仏冥合の大理念を高く掲げて」、「地球民族主義」により世界平和を築き、「人間性社会主義」により大衆福祉を実現し、「仏法民主主義」による大衆政治を樹立する…との党綱領を改訂、『王仏冥合』などの仏教用語・創価学会用語を削除し、「日本国憲法をまもる」と明記する。   
 (※これについて矢野書記長、「新しい綱領には『王仏冥合』という言葉は使っていません。しかし、これがまったくなくなったかというと、そうではありません」と語る。)
        ◇
 『公明党は、折からの70年安保問題を、自動延長となる6月23日の二日後に党大会をずらしてかわし、王仏冥合や仏法民主主義を党の綱領から外す。残ったのは中道主義と人間性社会主義だ。
 「人間性とは自由民主主義、社会主義とは社会的公正のこと。自由経済をベースにした混合経済」
 機関紙局出身の理論家で元書記長の市川雄一代議士は、社会主義の要素はなかったと話す。
 元委員長の矢野絢也氏は、「党は政治と宗教の緩衝地帯。わしら泥かぶりますということ」
 当時の公明党関係者は、「安保を認めると革新ではないとレッテルを張られ、自民党の補完勢力扱いになる。『新しい保守』だとは言い出せなかった」と内心、安保や自衛隊を容認しながら、革新陣営に位置づけられるよう腐心したことを明かす。』(『AERA』96年6月10日号)

 ○06/25夜【学会】渉外三局、公明党本部から学会本部へ引っ越し。
                            
 ○08/23【学会】会長、内部の会合で「……(共)の問題ですが、戸田先生が亡くなられる寸前、遺言として最後の敵は、(共)といわれた。事実そうです」と語る。

# この遺言は名誉会長の捏造。だから、「敵」がその都度、他宗教団だったり、自民党だったり、宗門だったり、内部批判者だったり、造反者だったり、とコロコロ変わる。

 ○08/下旬【学会】各大Bから2名の公明党員を選出するよう通達。

# 全国の各大Bへ党員登録を割り当てた。政教分離を約束したので、一応形の上では党組織を作らねばならず、公募しても集まるわけがなく、こうして学会組織で割当てを行った。所詮形だけの組織だから、何も機能するはずがなく、相変わらず学会に“おんぶにだっこ”状態であることには変わりがない。
 それどころか、最近は選挙活動が学会活動のメイン活動になっている。党員意識すら失っている。
 秋谷栄之助会長は、91年12月6日の県長会で、こう述べている。
 「一国を挙げて、すべて先生(#名誉会長のこと)という時代になってきて、ちょうど大聖人の時代に大聖人お一人に憎しみが集中した。宗教も権力もそれと同じである。すべてそれ(池田大作名誉会長の指示)で日本の動向が決まる時代になってきている。
 こうして起こる問題に逃げてもダメである。大事なのは同志の団結と寄り合いで突破していくことである。これが広布の命題である。それ(広布)がそのまま参院選の比例区の票がバロメーターになる」と。
 つまり、参議院選挙比例区の得票数が広布伸展のバロメーターであり、その集票活動が学会(信心)活動であると定義づけているのだ。

[この項、続く]

1201 名前: SGI 投稿日: 2004/07/04(日) 00:21
<言論出版問題・66>[>>1200 の続き]
◆昭和45(1970)年
 ○09/29【学会】第39回社長会〔於、松野茶屋〕池田会長の発言から
 会長「聖教も350万に増えた。思い切って多部数を削った。大革新だったな。これは上意下達だが、随分いい上意下達だな。学会の上意下達は、だいたい下の方がずっと得するね」。

# 言論問題の最中、批判の対象となった『聖教新聞』の多部数購読も「1世帯5部以下」の指示が出た(>>1088)。だが、この指示も、言論問題騒ぎが収まるにつれ、「ゆとりのある人がたくさんとるのは構わない」「1世帯5部までは啓蒙しよう」という内容に変更されていった。こうして、また350万部へと戻ったのである。これが“大革新”“大英断”というのだ。今では「マイ聖教」運動とかで「1人5部の購読」が呼びかけられ、会員数・世帯数がほとんど増えていないのに、550万部の発行部数を誇るまでになった。
 謝罪講演で学会の体質改善を表明し、上位下達も改めると約束したにもかかわらず、「学会の上意下達は、だいたい下の方がずっと得するね」と述べ、さらに「本当は全体主義は一番理想な形態だ」(第61回社長会・昭和47年6月15日)と語っているように、学会には民主主義・民主体制は存在しない。

 ○10/28【学会】第39回社長会〔於、箱根研修所〕池田会長の発言から
 会長「言論問題を誰が処理したか。総務以上の人たちの責任だ。一生涯、罪の償いをやっても足りない位だ。師弟相対と云っているが、全部私が締めくくった。議員など総退陣すべきであった。5月3日以後、当然すべきであった」。「矢野、浅井らの態度はひどいものだ」。
 会長「北条さんは真面目だが、独創性がない。森田さんは威張っている。秋谷さんは陰険だ」。「竜は真面目だ。星野は上等兵だ。青木もいい、すっきりしてきた。また若手もいいが、どうしても大きさがない。スケールが小さい」。「和泉は頼りない」
 会長「いつまでも、題目をあげていれば解決する、では仕様がない。開いてゆけない」。

# この日はご機嫌斜めのようです。側近幹部らをこき下ろしております。その中でも龍年光氏は褒められております。不思議だ。小説『新・人間革命』では、戸田先生の存命中から不良幹部のように描かれているのに…。
 それにしても「題目をあげていれば解決する、では仕様がない」とは、どのような事態を指しているのか判りませぬが、題目嫌いの名誉会長らしい発言です。

 会長「外郭団体と本部役員を含めて、23万人位社員が学会の為に働くようにならなければ、広宣流布はできない」。

# へぇー、「学会から禄を食む会員:23万人構想」があるんだ。現在、生計を学会に依存する会員数は10万人(>>1118)。その1人ひとりが幹部となって、自分の頭で考えることを止めた“バリ会員”を煽てながら引っ張っていくのが、学会流の広宣流布の実相ということか。
 
 ○11/19【学会】第40回社長会〔於、ホテルオータニ〕池田会長の発言から
 会長「5、6月頃、体がもったのはフカのひれを食べたからだな。それで体力がもった」。

# フカヒレも名誉会長の好物。

 ○12/28【学会】第42回社長会〔於、小島宅〕池田会長の発言から
 会長「去年の12月29日、30日、31日は大変だった。この一年間はひどかった」。

[この項、続く]

1202 名前: SGI 投稿日: 2004/07/04(日) 16:11
<言論出版問題・67>[>>1200-1201 の続き]
◆昭和46(1971)年
 ○06/15〜07/06 公明党、訪中団(団長・竹入委員長)を派遣。06/28に周恩来首相と会見。

 ○07/08【学会】第50回社長会〔於・八矢宅〕池田会長の発言から
 会長「中共訪問の件。いい舞台を作りました。4年前の発言と『人間革命』に中共問題を2ヶ所書いた、あれです。公明党の力なんかじゃない。中共貿易が始まる。金剛会(#社長会のこと)も乗り出そう」。
 「中共の動きなんか、全部分かった。今度はこうなる、次はこうと。信心している人がむこうにいて、こっちも1人、むこうも1人で、完璧に手の内がわかった。たいしたもんだ。党なんか、なんにも手を打ってなかった。党もそうだが、みんな世間を甘く見ている」。
 「新聞社が訪中の感想を聞きに来た。全部ことわった」。

#“功績は名誉会長”(>>1193)の事例の1つ。せっかく新聞社が取材に来ているのだから、スピーチの時のように自慢をすればいいのに。でも、できない。日中国交正常化の背景には、下記のような意識があるからだ。
       ◇
■竹入義勝『政界回顧録』
 言論出版妨害問題は田中さんらに対し大きな負い目になった。国会対策でも田中幹事長時代に、よく協力を頼まれ、党の基本政策に抵触しない限り、対応した。日中正常化ができたとき、「これで借りがかえせたな」と正木良明政審会長と喜び合ったものだ。日中が終わると、田中さんとは、いっそう「おれ」「おまえ」の間柄になった。田中派の中でも、田中さんに直接ものがいえず、私に「仲介してくれないか」と頼んでくる幹部がいた。(『朝日新聞』98年8月26日付)

# 公明党は、日中国交正常化問題で、田中内閣のエージェントとしての役割を果たした。これは、言論出版妨害事件での借りを返そうという意識によるものだ。

 会長「竹入は一番忠実である。矢野など問題でない。言論問題の時、竹入でなければあそこまで頑張らなかったでしょう」。

# これほど竹入氏を評価しているが、それが今では極悪人扱い。
 元『聖教新聞』記者の片野勧氏は、この「竹入秘話」について、下記のように評する。

■片野勧『捏造報道』p39
 それにしても、すぐばれるウソをなぜ、つくのか。M・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』によれば、うそをつく人間の特徴として、「自分の体面や世間体を気にする」「他者に責任を転嫁する」などがあるという。
 世間体を気にしての学歴詐称、悪いことは他人のせいにし、いいことは全部、自分の手柄にする――竹入の行動は、まさに「世間体」「責任の転嫁」そのものではないか。
 周総理の信念は「我は人民の雑用係なり」。
 至言である。政治家は民衆に奉仕すべきものである。その一方、民衆を利用するだけ利用して、恩を権力側に売る。政教分離を口実に、独断専行で党を私物化していた、こんな竹入の傲慢さに創価学会が批判を加えるのは当然のことである。

# 片野氏の記述は、竹入義勝・元公明党委員長のことではなくて、実は池田大作・創価学会名誉会長のことを評論しているのではないのか?

[この項、続く]

1203 名前: SGI 投稿日: 2004/07/04(日) 16:12
<言論出版問題・68>[>>1202 の続き]
◆昭和46(1971)年
 ○07/08【学会】第50回社長会〔於・八矢宅〕池田会長の発言から
 会長「竹入さんはお土産を買う暇がなかった。一般には好評だが、買った方が良かったよ。私ならうんと買う。中共の人は親切だ。上の方はうるさく云うが、下は違う、うんと買った方が良い、付き合いが深まる」。

# 何事も“モノ”で歓心を買う名誉会長らしい発言だ。会長勇退後は“カネ”で名誉まで買うようになった。
 振り返れば、子ども時分から池田センセーからの頂き物や差入れに感激していた自分がいる。クリームパン1つにも、お礼の手紙や報告書を書いていたっけ。しかも、あれら差入れ等も学会の負担であって、センセーの財布ではない。銀座・和光の最上得意客である「奥様」香峯子夫人の支払い、あれは自腹なのだろうか。

 会長「古代は宗教、政治の順で、現在は政治、宗教の順だ。しかし、この次はもう一度宗教、政治とする以外になくなった。学会の生き方はすごい、学会の生き方が最も進んでいる、みんなが解らないだけだ」。
 「公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ」。

# 学会と公明党の関係は、一体不二どころか支配・被支配の関係でしかない。すべては学会=名誉会長のために存在する。これが学会の掟。

 会長「民衆が守るなんてことはない。御本尊が守ってくれるのであって、結局は民衆は権力に支配されるようになる」。「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」。

# 「学会を守る」=「先生を守る」ことだ。であれば、「奴隷のように学会に仕えよ」とは「池田大作の奴隷になれ」ということにほかならない。結局「民衆は権力に支配される」のだから、というのが名誉会長の本音ということだ。

 会長「今になっていえる事は、偉い人は、別荘は絶対必要で、又なまけているようでも、ゆっくり、勝手に考える事が大事だ」。

# 一方では、このように自身の生活ぶりを正当化する。別荘=学会所有の専用施設のこと。日本のみならず世界各地にある。まさに創価王国の王様。エライのだ。

[この項、続く]

1204 名前: SGI 投稿日: 2004/07/04(日) 16:15
<言論出版問題・69>[>>1200-1203 の続き]
◆昭和46(1971)年
 ○09/21 公明党第9回党大会。竹入委員長、暴漢に刺され、3ヶ月の重傷。
        ◇
 「今にして思えるのは、竹人君が暴漢に襲われて重傷を負った時のこと。昭和46年だったか、彼が車を降りる時に刺され、傷が腸まで達して、意識不明で生死の境をさまよったことがあった。しかし、この報を聞いた時、池田は〃あいつは育ちが悪いから自分で車のドアを開けるんだ〃と一言いったんです。自分のために奔走している人物が瀕死の状態の時に池田はそう言ったんです。よせばいいのに北条(浩)君がそれをそのまま本人に伝えてしまった。竹入君のショックは大きかったようです。その時から竹入君の池田への気持に変化が生じたのかもしれません……」
(龍年光『週刊新潮』98年10月15日号)

# 日中正常化交渉の代償が、暴漢の襲撃(テロ)だった。
 当時、中国共産党幹部と接触することは、まさに“未知との遭遇”にほかならず、さらに反共右翼やタカ派から激しい反発を招いた。国交正常化交渉に臨んだ田中角栄首相にしても大平正芳外相にしても一命を賭していたという。それほどの“難事業”だったのである。
 竹入氏が、名誉会長の意を受けて取り組んだものだとしても、実際にテロ行為によって生死をさまような重傷を受けた時に、「あいつは育ちが悪い」という言葉はないだろう。人として許されることではない。名誉会長にとって、側近幹部や会員、弟子とは何だろうか。
        
■矢野絢也『矢野絢也回想録』p23
 ある人物(今も現職の中枢)が「これからの党をどうするんだ。学会は、党と議員を無茶苦茶に言う。本部の言いなりだ。我々は『もの』だ。『もの』ですよ、『もの』」。
 私が「もの」とは何かと聞くと、「『もの』とは意思を持たないと意味だ。心のない『もの』です」。
 竹入委員長と私は「そんなことは言ってはいかん。考えてもいかん」と厳しく叱り、その後、二人で二時間ほど懇談。(中略)
 矢野「県長会に秋谷会長出席予定が急に指示があり、出るには及ばずで欠席だとよ。表向きは、体をいたわれという意味だって」
 二人「さっきは二人で、彼に厳しく注意したが、秋谷会長も『もの』か」
 竹入「学会で人事がありそうで、学会人事と党人事は関係ないと思うが、上がおれに暫く続けろと言っている。それでいいか」
 矢野「私に遠慮はいらない。素直に受けて、続けたらいいと思う」

# そうか「もの」なのか。秋谷会長にしても「もの」扱いか。北条前会長の葬儀の時も、不謹慎な発言で顰蹙を買っていたっけ。「一人を人を大切に」という指導は「俺を大切にせよ」というのが真意であることが、今さらながら痛感する。

■山崎正友『あの頃のこと』
 言論問題の処理と責任をめぐって、公明党首脳に不満とねじれが生じたが、さらに、〃表向きの政教分離によって独自性の猿芝居を演じているうちに、両者の問に疑心暗鬼が生じた。
 学会側は公明党首脳のことを「あいつらは信心がなくなった」と邪推し、公明党首脳は、「線路向こう(中央線信濃町駅をはさんで両側にそれぞれの本部がある)の奴らに、政治や世間のことがわかるか!」
と罵るようになった。竹入委員長(当時)が池田大作のことを「あいつ」と呼んだ等のうわさも池田大作や学会首脳の耳に入ったのである。(中略)
 第二の公明党との亀裂については、これを完全に解消し、再び、池田大作の完全な支配を取り戻すには、さらに20年近くかかっている。竹入・矢野をはじめ、第一世代の議員達をすべて引退させ、神崎武法ら池田大作の子飼いによる執行部を作り上げて、やっと大掃除が終わった。
(『慧妙』03年5月1日号)

[この項、続く]

1205 名前: SGI 投稿日: 2004/07/04(日) 16:16
<言論出版問題・70>[>>1204 の続き]
◆INDEX =これが、池田創価学会「言論出版妨害事件」の歴史捏造の証し。

01)35年:「邪宗撲滅」と言論部設置 >>903 02・03)36〜37年:公政連発足 公明会結成 >>904-905 04・05)38年:自民党と票取引、言論部の活動 >>920-921 06)39年:衆議院進出の表明 >>925 07〜09)39〜41年:公明党結党、「一体不二」発言、池田−佐藤会談、『立正安国論講義』発刊 >>938-940 10)42年:衆議院初挑戦・25議席 >>941
 
11)内藤『公明党の素顔』>>942 12)植村『これが創価学会だ』>>943 13)43年:政権党の利用 >>944 14)隅田『創価学会・公明党の破滅』>>945 15)北条の恫喝 >>946 16)43年:「替え玉投票事件」判決 >>947

17)44年:『創価学会を斬る』出版予告 >>980 18・19)藤原会談 >>981 >>984 20)出版元への圧力 >>985 21)取次ぎ・書店への圧力 >>992 22)田中角栄へ依頼 >>993 23・24)藤原−田中会談 >>1001-1002 25)『斬る』概要 >>1010-1011 26・27)44年11〜12月:『創価学会を斬る』発刊 >>1012-1013 28)44年12月:「赤旗」キャンペーン開始 >>1014 29・30)言論弾圧の実態 >>1028-1029

31)45年1月:「事実無根」記者会見 >>1030 32)角栄、関与を認める >>1031 33・34)渡部発言 >>1033-1034 35〜37)45年1〜2月:国会質問 >>1038-1040 38・39)45年2月:学会の対応 >>1051-1053 40・41)真相究明議員集会 >>1071-1074
 
42)45年3月:学会首脳会議 >>1084 43)国会喚問の発議 >>1085 44・45)第33回社長会 >>1087-1088 46〜48)45年4月:「国立戒壇」質問書の提出 >>1091-1093 49)共産党対策 >>1094 50)箱根会議 >>1116-1117 51〜54)池田会長の行動記録 >>1128-1131 55)質問書の回答 >>1144

56)5.3講演の概略 >>1148-1150 57)「5.3」謝罪講演 >>1151 58)『私の履歴書』>>1154 59)『革命の大河』>>1156 60)不破講演 >>1157-1161
61〜63)第34回社長会 >>1188-1190 64)電話盗聴 >>1196-1197 65)政教分離・党大会 >>1200 66)45年下期 >>1201 67〜69)日中国交問題 >>1202-1204 

[この項、終了]
 長々の連載にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。深謝。

1206 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/04(日) 17:46
>>1205SGIsann

>長々の連載にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。深謝。
。。。。
本当に、御苦労様でした。
感謝です。
後は、私達(アンチ)がどれだけ、これら資料やSGIさんのコメントを効果的に利用していくかです。
池田創価学会の一大特徴として「打たれ強い」というのがありますが、
あれは別の言葉で言い換えれば、「カエルの面に小便」というもので、「無反省」「開き直り」「責任転嫁」「我田引水」「牽強付会の言い訳」「都合のいい忘却」「催尊入卑」で、凌いできたんですよね。
でも思うんですよ。
池田創価学会の連続勝利の陰で、どれだけ多くの人々が傷ついていったかを。
屍が累々だと思いますね。
もうそろそろ、誰かが何とかしなくてはならにと思いますね。

1207 名前: ニヤニヤ 投稿日: 2004/07/05(月) 09:27
>池田創価学会の連続勝利の陰で、どれだけ多くの人々が傷ついていったかを。
屍が累々だと思いますね。

これはおかしな話ですね
勝利者がいれば敗北者が出る。これは当たり前の話でござんしょ?
傷つきたくなかったら勝つことです。負けてこんなんゆうとるのは敗北者の愚痴
愚痴をこぼしても学会に勝つことは出来ないよ
頑張ろうよ

1208 名前: SGIさんのファン 投稿日: 2004/07/05(月) 18:46
SGIさん、ご苦労様でした。
竹入委員長が暴漢に刺されたことがあるなんて知りませんでした。
それにしても、SGIさんの連載によれば、
学会はまるで犯罪集団のようで、にわかには信じられません。
池田先生も、全然イメージが違います。本当なのだろうかと思います。
頭を整理するに、ちょっと時間がかかるみたいです。
でも、たいへん勉強になりました。ありがとうございます。

1209 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/05(月) 20:19
>>1207

心配するな。
まずは末端会員を精神疾患に追い込むくらい
とことん叩いてあげるから。
末端、それも特に婦人部が働かなければ
創価の組織は機能しなくなるからね。
なにしろ勝てばいいんだからね。
何でもやらせてもらうよ。

創価はアンチに文句言ってるけど
まあいわばこれは世間に対する愚痴というものです。
愚痴言ったら福運減るよ。
キミたち創価はナニ言われても黙ってガマンしてなさいw

1210 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/05(月) 20:45
>心配するな。
まずは末端会員を精神疾患に追い込むくらい
とことん叩いてあげるから。

 あなたにたたかれた程度でへこむ会員など、創価学会にはいませんよ。
 そんな軟弱者は、とうに宗門に走り去りました。

1211 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/05(月) 21:47
>>1707ニヤニヤさん
>勝利者がいれば敗北者が出る。これは当たり前の話
。。。
それは、世間法というものですよ。
仏法の考えではありませんね。
日蓮大聖人が
「仏法は勝負」と、言った時、
それは、誰が勝つとか、誰が負けるとかを意味したのではないのです。
御義口伝言に、
「桜梅梅李」という言葉が出てきますが、
それを俗諦に約せば、「各々の個性を変えることなく、最高の可能性を引き出す」
ということです。
創価学会と宗門の関係で言えば、
「それぞれの持ち味を生かして、共に広宣流布を目指す」ということになります。
クリスチャンの教えでさえ、
「貧しきは幸いかな。天国の門は、あなた方の為に開かれているのです」と言っています。
逆に、
現世に於いて、栄華栄達を求めれば、
成仏への道は、ますます遠くなりますし、
信心の意味が無くなってしまうのです。
果たして、「我こそは勝利者」と嘯いている人間が、宗教的、真の救いを本当に信じきれるかどうかは、個人的問題です。
池田先生は、現世では、成功者の部類に入るでしょうが、
本当の所は誰にもわからない、と思います。

1212 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/05(月) 22:00
>創価学会と宗門の関係で言えば、
「それぞれの持ち味を生かして、共に広宣流布を目指す」ということになります。

 これは論外です。
 創価学会でないものが広まっても、何の意味も持ちません。

1213 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/05(月) 22:02
 宗門について
 
 日蓮正宗、この団体の役割はすでに終了いたしております。

1214 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/05(月) 22:38
>>1213沖浦克治 さん
>日蓮正宗、この団体の役割はすでに終了い

沖浦克治=創価学会

ドロボー!

1215 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/05(月) 22:45
 宗門は正本堂破壊で役目を終了いたしました。
 未来などはありません。

1216 名前: yuriko[TRACKBACK] 投稿日: 2004/07/06(火) 05:26
>>1215 沖浦克治さん
>宗門は正本堂破壊で役目を終了

勉強不足ですね。
別スレッド(日蓮正宗のアナクロニズム)で、既に検討済みです。
正本堂の解体にしても、あれは、創価学会の巧みな隠謀です。
元々、正本堂の意義づけは、池田先生の牽強付会で、
末法の本門の戒壇となっていたが、
日達上人は、その讃文の中で、正本堂の意義づけを
「本門の戒壇に準ずる」として、そのものではないことを明示していたんだよ。
ある時、池田先生は、正本堂の鍵を渡すように要求してきたそうだ。
つくづく、とんでもない男だ。
無論、猊下は、断固拒絶したのだが、池田先生の宗門支配の野望は、決して、消えることが無かった。
池田先生独特の逆恨みの原理から、宗門を追い詰め、正本堂解体の非を負わせたんだよ。
何と、言っても、登山がある度に、一日の電気代だけで、(当時)1000万円かかるという建物だったからね、宗門としても止むを得なかった。
正本堂解体の裏事情は、http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/925/1049435183/r56
56ー59で、SGIさんが、フォーラム21の記事を書き込んで下さった。

1217 名前: yuriko[TRACKBACK] 投稿日: 2004/07/06(火) 05:54
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/925/1049435183/r56-59

1218 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 07:24
 正本堂破壊が、何故宗門の致命傷か!

 陰謀(私は愚論とおもいますが)でも何でもいいのです。
 要は、信徒の真心のご供養を踏みにじった事実。が、致命傷なのです。
 正本堂破壊以前、創価学会員で総本山に未練を残す人は結構いました。
 現在、そんな人はほとんどおりません。
 
 宗門は本当に世渡り下手ですね。
 どんな理由があれ、こんな事をしたら、ご供養に参加した創価学会員の気持ちが離れる事は目に見えています。
 破壊する前、もう少し手間隙をかけるべきでしたね。
 何故破壊をするか。を、ご供養に参加した信徒一人ひとりに丁寧に説明をし、大部分の人を納得させる作業が絶対に必要だったのです。
 これを仏法では、機根を整える。と、言います。
 私の一家はご供養に全員参加いたしましたが、正本堂破壊に関する説明は宗門から一言もありませんでした。
 無論、宗門の機関紙等には理由が載せられていた。と、思います。
 が、このご供養に参加したほとんどの信徒は宗門を見限り、創価学会と共に去りました。
 この人たちへの説明は、法主と能化がご供養に参加してくださった信徒一人ひとりに対して家庭訪問をする以外にありません。
 創価学会では、当然の事として行われています。
 しかし能化どころか法華講員一人、所化さん一人拙宅には来ませんでした。
 これ程、信徒に対する礼を失した宗門を許す創価学会員などいません。
 あきれるほど世間知らずです。
 要は仏法に無知なのです。

1219 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 07:27
 結論です

 宗門に未来などはありません。

1220 名前: みちよ 投稿日: 2004/07/06(火) 08:43
>登山がある度に、一日の電気代だけで、(当時)1000万円かかるという建物

yurikoさま はじめまして 質問します
こんなに電気代のかかる建物って現在日本に存在するのですか?正本堂だけだったのでしょうか?

1221 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 09:18
 yurikoさん

>こんなに電気代のかかる建物って現在日本に存在するのですか?正本堂だけだったのでしょうか?

 いいご質問ですね。
 未来は無いのですから、せいぜい過去の話題で盛り上がる以外にありません。
 誠意を持って答えてあげて下さいね。

1222 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/06(火) 15:30
期待上げ

1223 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/06(火) 16:09
>>1218 沖浦克治さん
>破壊する前、もう少し手間隙をかけるべきでしたね。
 何故破壊をするか。を、ご供養に参加した信徒一人ひとりに丁寧に説明をし、大部分の人を納得させる作業が絶対に必要だったのです。
。。。。
確かにね。
シアトル事件裁判でも、宗門の「世渡り下手」には、イライラさせられたよ。
この間、創価学会の座談会に久しぶりに参加したんですよ。
そこで、何と、「正本堂破壊のビデオ」をメンバーに見せていたんですよ!
確か、正本堂が破壊されたのが、平成10年。
6年前の出来事を繰り返しメンバーに見せては、憎しみを煽っている。
確かに、宗門は、池田大作の大謗法と別にして、正本堂破壊の止むを得ない状況を、キチット説明するべきだった。
宗門の権威主義は、病的な域に達してるのは認めざるを得ない。
もっと、ちょっとした気配りを心掛け、丁寧に説明をし、改めて、学会員の貫いた、「真心の御供養」に感謝してもっよかった。
日蓮大聖人は、信徒から受けた供養への感謝の手紙を実に丁寧に書いている。
日蓮大聖人からの直系を名乗るなら、大聖人の行体座臥も学ぶべきだろう。
創価学会から、本質に拘わらない部分で、弱味を突かれるべきではない。

1224 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/06(火) 16:15
>>1220みちよさん
>こんなに電気代のかかる建物って現在日本に存在するのですか?正本堂だけだったのでしょうか?
。。。
えっと、
私の勘違いで、あれは、一月の電気代が1000万円でした。
それくらいなら、東京ドームの方が遥かに上手ですよ。

1225 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 16:43
 yuriko さん

 世間知らずの出家が、したたかに生きる在家に勝てる道理がありませんよ。
 勝負ははじめからついています。

 戸田先生のご指導です。
 『人生の極意は、生きて生きて生き抜いて行くことだ。』(趣意)
 
 池田先生のご指導です。
 『諸君たちは、何があっても自分らしく、しぶとく生き抜いていきなさい。』(趣意)

 現在の創価学会には、この様な指導を心肝に染めて生きてきた人たちが、それこそ何十万人といるのです。
 やれ、嫡々一人だ。とか、御法主のご内証だ。とか、浮世離れの余迷いごとで騒ぎまわるだけしか能の無い、世間知らずの能化や法主どもが勝てるわけはありませんよ
 かわいそうなものです。 
 在家に喧嘩を売るとはね。
 出家の分をわきまえないからこんな目にあうのですよ。

1226 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 16:45
 SGI氏

>[この項、終了]
 長々の連載にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。深謝。

 いや〜!
 終わってよかった!!

1227 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/06(火) 20:40
>>1225沖浦克治さん
>やれ、嫡々一人だ。とか、御法主のご内証だ。とか、浮世離れの余迷いごとで騒ぎまわるだけしか能の無い、世間知らずの能化や法主ども
。。。。
ホント、トンデモナイ野郎だな?
でも、正直でいいよ。
確かに、「しきたり」とか、「秘儀」なんていうものは、本来の日蓮大聖人の教義にはない。
否、寧ろ、日蓮大聖人が鎌倉で布教を開始された時は、そういった因習と、迷信に凝り固まった仏教界を批判する為立ち上がった。
●日本が仏教を受け入れたのは、それが鎮護国家の為だったのに、その役目を果たしていなかった。
●実生活に役に立つのが、仏教、否宗教なのに、却って、現実逃避の手段になっている
●聖職者達の為の宗教になっている。=一般信者の存在が忘れられている。
最近、日顕小人は、説法の中で、
日蓮正宗伝統で他宗との著しい違いとして
●僧侶だけが祈祷するというんじゃなくて、僧侶と信者が一体になって、勤行唱題に励む
●同様に教学の研鑽を僧俗共に行う
●僧衣に色をつけて、殊更、位階の違いを強調しない
などを指摘していた。
つまり、日蓮正宗が本来持っていた、僧俗の区別なく平等に仏道修行に励むという伝統を創価学会が勝手に盗用したに過ぎないというわけだ。
それを、池田大作は、恰も、自らの手柄のように喧伝しているのだよ。毎度の事ながら、無慚としか言い様がないね。
特に、日蓮宗の各派などは、完全に日本仏教の悪しき伝統に感化されてしまった。「宗祖=日蓮大聖人」などと、恥ずかしくて、言えたものではない。
そんな傾向が、日蓮正宗に全く及んで無いとは、言い切れない。
日蓮正宗も所謂「葬式仏教」的面がないとは言えない。これは、信者達が世間体を考えて、そう求めているという側面もある。
だが、牧口初代、戸田二代会長は、日蓮正宗が持っていた「良い伝統」が利用できたお陰で、創価学会を発展させることが出来たのは、紛れも無い事実なのである!
池田三代目会長の貢献を過小評価するべきでないものの、その成果は、★日蓮正宗の伝統+★牧口、戸田両会長の創造力
があって、初めて可能になった。
日顕上人は、牧口、戸田両会長のい信心の姿勢をちゃんと評価しているし、特に戸田先生を高く評価している。
これは、元々池田名誉会長の生命の内部に巣食っていた「慢心」の命が、
「自分が今日あるのは、全て自分だけび努力」と錯覚してしまったことによるのではないか?
本人は、常日頃「自分が今日あるのは、戸田先生のお陰」と言い乍ら、どこまで本心だかわからない。
本スレッドで、明らかになったのは、「師敵対」の池田創価学会の歴史なのだ。

1228 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/06(火) 20:46
訂正>>1227

最近、日顕小人は、説法の中で、

最近、日顕上人は、説法の中で、

1229 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 22:34
 yuriko 氏

 訂正などしなくていいよ。
 あれは小人そのものです。
 あの人の率いる団体の役割は、すでに終わっております。

1230 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/06(火) 22:38
 日蓮正宗

>だが、牧口初代、戸田二代会長は、日蓮正宗が持っていた「良い伝統」が利用できたお陰で、創価学会を発展させることが出来たのは、紛れも無い事実なのである!

 そうですよ、そして今は日蓮正宗には何の利用価値も無いのです。
 だしがらみたいな宗教ですよ。
 最近は腐り始めて臭くて仕方がありません。
 さっさと生ゴミの日に出してくださいね。
 近所迷惑です。

1231 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/07/07(水) 00:10
>>1230の和文和訳。
利用できるだけ利用して、利用価値がなくなったらポイする。

忘恩の徒ここに極めりという事か(w

1232 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 06:34
 馬鹿馬鹿しい
 
 忘恩音の徒なんて、そんな力むほどの問題ではないですよ。
 日蓮正宗も天下の創価学会のお役にたって幸せでしょう。
 それなのに、感謝をしないから時代においていかれたのです。
 去年のカレンダーを今年は処分をするでしょう。
 読み終わった週刊誌はゴミ箱に入れるでしょう。
 同じですよ。
 日蓮正宗はもう役立たずなんです。
 役割は終わっているんですよ。
 だしがらは畑の肥料にでもするか、猫に食べさせるかしかないんです。
 往生際が悪すぎるのでみな迷惑をしています
 無名君、顕師に引退の美学を誰か教えてあげるべきです。

1233 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/07(水) 09:00
今の宗門は猫も跨いでいく・・・w
哀れだ

1234 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/07(水) 13:19
>>1232沖浦克治さん
>去年のカレンダーを今年は処分をするでしょう。
> 読み終わった週刊誌はゴミ箱に入れるでしょう。

例えが悪すぎるよ。
お前さ、
それなら聞くけど、
足腰の立たない、惚けた自分の親を「姥捨て山」に捨てられるか?
長年慣れ親しんだ小学校時代のランドセルを簡単に捨てられるか?
君の場合だったら、古くなったスキー用具を簡単に処分できるか?
これは、もう人間の情愛の問題だよ。
人間は、やはり感情の動物だと思うね。
例え、不合理のものでも、人間って、簡単に捨てられるものじゃないよ。
それが、場合によっては、伝統とか文化と言われるのであって、人間を最も人間らしくならしめていることなんだよ。
だからこそ、私は、もっと慎重に学会と宗門の関係を考え、出来れば、共に同じ目標を目指して進んで欲しいのだよ。
私におとっては、正宗のない創価学会は考えられないし、学会のない正宗も考えられないのだよ。

1235 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/07(水) 15:50
>>1232
沖浦克治さん

>>去年のカレンダーを今年は処分をするでしょう。
>>読み終わった週刊誌はゴミ箱に入れるでしょう。


学会のカレンダー、潮ですか。
さぞかしお部屋の方も、綺麗にかたずいたでしょうね。

1236 名前:   (QdWIIOBQ) 投稿日: 2004/07/07(水) 16:11
> 去年のカレンダーを今年は処分をするでしょう。
> 読み終わった週刊誌はゴミ箱に入れるでしょう。

こんな香具師等に「慈悲」の心があるとは到底思えない。
仏教とは慈悲の教えではなかったのか?

> 役割は終わっているんですよ。
> だしがらは畑の肥料にでもするか、猫に食べさせるかしかないんです

ものすごい「慈悲」の精神ですね。
世話になろうが何だろうが、自分たちに都合の悪いものは切り捨てる。
菩薩ってそんな事するんだ?

1237 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/07/07(水) 19:29
>>1207
>勝利者がいれば敗北者が出る。これは当たり前の話でござんしょ?

宗教というか心を語っているのであれば料簡の狭い言葉のように感じます。

「我大地有情と同時成道す」というお釈迦様の獅子吼により開かれた仏の道。
法華経にしても勝利者と敗北者という相対性、ましてやそのような善悪優劣を
示す思想は全くないと思います。日蓮さんにしても戒体即身成仏義や一生成仏抄
などを見ても同じだと思います。
それどころかお釈迦様とも法華経とも日蓮さんともまるで逆の解釈じゃなかろうか。

仏法仏道を語るのであれば、絶対的な勝利をどうしても得て欲しいものであります。

おっと、>>1211 yurikoさん かぶりましたね。時差ありすぎですかね。
まさに桜梅桃李。
柳は緑、花は紅、真面目。蘇東坡(そとうば) ですね。

1238 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/07/07(水) 21:13
「忘恩音の徒」だなんて。
こんな単語すら打ち間違えるぐらい取り乱したのですか?
あきれた。

1239 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:38
 無名君
 ずっとあきれていなさい。

1240 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:46
>>去年のカレンダーを今年は処分をするでしょう。
>>読み終わった週刊誌はゴミ箱に入れるでしょう。

>例えが悪すぎるよ。

 本当ですね、カレンダーや週刊誌に悪い事をいたしました。

>足腰の立たない、惚けた自分の親を「姥捨て山」に捨てられるか?
長年慣れ親しんだ小学校時代のランドセルを簡単に捨てられるか?
君の場合だったら、古くなったスキー用具を簡単に処分できるか?

 そんな事はしませんよ。
 でもあなたも砂漠でさそりがいたら潰すでしょう。
 台所のゴキブリはかわいいですか?
 庭のムカデも大事にしていますか?

>例え、不合理のものでも、人間って、簡単に捨てられるものじゃないよ。

 宗門は創価学会員ならみな荒ゴミに出します。

>だからこそ、私は、もっと慎重に学会と宗門の関係を考え、出来れば、共に同じ目標を目指して進んで欲しいのだよ。

 あなたがそう考える事は自由です。
 
>私におとっては、正宗のない創価学会は考えられないし、学会のない正宗も考えられないのだよ。

 無いものねだりでしょうね。

1241 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:47
>世話になろうが何だろうが、自分たちに都合の悪いものは切り捨てる。

 私は宗門の世話になっていません。

1242 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:49
>仏教とは慈悲の教えではなかったのか?

 宗門を潰してあげるのが慈悲と言うものでしょう。

1243 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:50
 この世で最も存在させておいてはいけないもの、それが宗門です。

1244 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:52
 「車椅子での登山はご遠慮願います」

 こんな奴らを何故のさばらしておくのでしょう?

1245 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/07(水) 23:54
 差別主愚者の腐れ宗門

 これでは阿仏坊などは登山ができませんね。
 これでも蓮祖門下ですか?

1246 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 03:01
>>1240浦克治さん
>そんな事はしませんよ。
> でもあなたも砂漠でさそりがいたら潰すでしょう。
> 台所のゴキブリはかわいいですか?
> 庭のムカデも大事にしていますか?
。。。
君さっ、
池田珪冠詩人のポエムを読み過ぎだよ。
自分の気に入らない人間を「畜生」や「昆虫」として、扱き下ろすのはミットも無いよ。
仏教の根本的な教えの一つに無情、有情を問わず、悉有仏性を説いてるのだよ。
故遠藤周作氏の書いた小説(題名、御存知の方教えて!確か女の一生、一部だと思う)で、ナチのある青年幹部の様子を描いたシーンが出てくる。
そこで、その幹部は、庭にある自分が大切に育ててていた植物に、ある日、小さい虫がびっしり付いているのを発見する。
無論、その植物から見れば害虫だろうが、その青年幹部は、怒り、最も残酷な方法で殺してやろうと決意する。
そこで、一匹、一匹指で潰していくのだよ。

1247 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 03:03
続1
それと同じ感覚で、その青年幹部はユダヤ人を殺していったのだよ。
彼にとって、ユダヤ人は、人間でなく、「害虫」だったのだよ。
果たして、六百万人ものユダヤ人をガス室に送り込ん殺害する方法が、残酷な方法なのかどうかは、わからない。
しかし、強制収容所で体験したことは、この世での地獄だったことは、様々な証言が跡づけている。
「自分の気に入らない人間の尊厳を認めない」というのは、その理由が何であれ、最も残酷な行為の口実となるのだよ。
宗教の違いによって、憎しみを煽る行為は、歴史や場所を問わず、最も残虐な行為を可能にしてきた。
現代世界でも同様だ。
まず、現代に住む私達がしなければならないのは、「無条件で憎悪を止め」て★「有りの儘の他人を受け入れること」なんじゃないかい?

1248 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 04:18
続2
「害虫を殺す」という感覚だが、
これが可笑しいと多くの人々が既に気づき始めている。
所謂、有機栽培、化学肥料や殺虫剤を使用しない。
これは、大変な手間がかかり、コスト面で折り合いがつかない。
それでも、多くの人々は、「多少の虫食い」「みっともなさ」「汚い色」の野菜や果物を求めるようになって来ている。
多少の、寄生虫がいてもいいじゃないか、というわけだ。
これは、●一見、合理的に管理された中で育った。果物や野菜が、安全なようだが、10年、20年跡、どんな副作用が出るとも限らない
    ●果物や植物を育てた土地の栄養が無くなり、次第に使いものにならなくなる
    ●地球全体の自然循環システム(連鎖機能)が損なわれ、多くの動植物が絶滅してしまい、人間にとって有用な動植物だけを培養するわけにはいかない
その結果、★地球45億年かかって、育てた自然の智慧を生かしつつ、人類一万年かかって養った智慧からも謙虚に学んでいこう、という運動が盛んになりつつある。
これは、「創価学会の社会責任を考えよう」のスレッドfでも述べたが、企業の社会責任も同様に、一見、無駄に見える環境への配慮が求められるようになった。

1249 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 04:20
続3
私達、人間社会に於ても、
一見無駄と思われる人材の切り捨てが、長い目で観た場合、必ずしも全体の幸福に繋がらないという指摘が出始めている。
過剰な生産性向上のプレッシャーから、現在企業は、熟練労働者を次々にリストラをしている。
その結果
●心身病を発病して、退社や長期喫欠勤を余儀無くされ、結局は、企業の生産性の低下に繋がり
●「働いても報われない」というう感覚が、労働者のやる気を喪失させて、生産性が落ちる
これらは、企業社会での問題点だが、
これら弱者切り捨てという「二十世紀の遺物的哲学」は、地域社会の破壊にも貢献した。
すなわち、かつての地域社会は、●お年寄り●障碍者など、一見、無駄な存在が、地域社会にとって、不可欠な存在としていた。
彼等の存在によって、人々は、相互に助け合う重要性を学び、人間存在の不確かさを知り、「明日は我が身」と、「他人の痛みを感じる」とういう、人間社会とって重要な教訓を学びあえた。

1250 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 04:22
続4
沖浦さんは、会社の社長らしいが、
一応、社会的成功者と見なしていいだろう。
その考え方は、20世紀資本主義社会の「勝てば何をやってもいい」という生産性の向上第一主義、そのもののように思える。
「無駄なものを切り捨てよ!」とね。
沖浦さんが愛して止まない創価学会の哲学もそれと同じてはいないのか?
20世紀後半に於ける、創価学会の成功は、そんな企業社会の風土を反映したものに過ぎなかったと思う。
しかし、自分達のリーダーを批判する者や勢力を無造作に切り捨て、組織の活性化を図る行為は、限界ではないのか?
もっと、相違点より、共通点を見い出す、総合主義や調和主義を採るべきだはないのか?
抑、創価学会の強みは、実力主義であり、社会的弱者を救い上げることにあったのではないのか?あらゆる勢力を結集することに意義を見い出したのではなかったか?
日蓮正宗を「もう用済み」として、切り捨てる行為は、戸田先生が造り上げた組織の理想にも悖るのではないか?
大体にして、創価学会員達は、日蓮正宗が伝持してきた「聖」の部分を切り捨てたら、代用できるものがあるとは、到底思えない。

1251 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/08(木) 06:52
 yuriko さん
 
 たくさん書き込まれましたね。
 全て的外れです。

>>1250を例に取ります。

>その考え方は、20世紀資本主義社会の「勝てば何をやってもいい」という生産性の向上第一主義、そのもののように思える。

 そのような事を行った事はありません。
 推測で物をいわないように。
 あれば過去レスをあげてください。
 無ければ謝罪をしなさい。 

>「無駄なものを切り捨てよ!」とね。

 無駄に見えて本当は無駄で無いもの。を、見つけられるかどうかが、人生の分かれ目になる事が多いのです。
 安易にこんな事を言うべきではありません。

>沖浦さんが愛して止まない創価学会の哲学もそれと同じてはいないのか?

 まったく違います。
 あなたはそれが理解できなくて退会をしたのでしょう。
 私は、それを知っているから創価学会をやめないでいるのです。

>20世紀後半に於ける、創価学会の成功は、そんな企業社会の風土を反映したものに過ぎなかったと思う。

 そうであったなら、食費まで削って登山をしたり、正本堂のご供養に参加など誰もしなかったでしょう。
 創価学会しか希望を与えてくれなかったから、会員は喜んで参加をしたのです。
 あなたには決して理解不可能な創価学会の真実です。

>しかし、自分達のリーダーを批判する者や勢力を無造作に切り捨て、組織の活性化を図る行為は、限界ではないのか?

 馬鹿げた思い込みです。
 宗門は創価学会員の真心を土足で踏みにじりました。 
 先にレスしたでしょう。
 リーダー云々は現在では無関係です。
 もし池田先生が、宗門と和解をしよう。と、提案をすれば、大半の創価学会員の気持ちは先生から離れるでしょう。
 事実を認識すべきです。 
 リーダー云々は愚論です。

>もっと、相違点より、共通点を見い出す、総合主義や調和主義を採るべきだはないのか?

 何故、創価学会がわざわざそのような事をすべきなのですか?
 宗門がすべきでしょう。
 破門をしたのはあちらですよ。
 改心をするならあちらさんです。

>日蓮正宗を「もう用済み」として、切り捨てる行為は、戸田先生が造り上げた組織の理想にも悖るのではないか?

 あなたは少しおかしいですね。
 もう用済み。と、切り捨てたのは宗門ですよ。
 
>日蓮正宗が伝持してきた「聖」の部分を切り捨てたら、代用できるものがあるとは、到底思えない。

 聖の部分とは具体的に何ですか。
 創価学会に無くて宗門にはある聖に部分を具体的にあげてください。
 抽象論ではお答えのしようがりません。

1252 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/07/08(木) 11:40
>>1239
言われずとも、ず〜〜〜〜〜〜〜っと、あきれています(w
これからも、心地よくあきれさせていただきますね(w

1253 名前: 薫(SGIさんのファン) 投稿日: 2004/07/08(木) 18:53
SGIさん、こんにちは。SGIさんのファンを改めた薫です。
>>1205 のINDEXを参考にもう一度読み返しております。
そこで、SGIさんにご質問があります。
1つ目は、>>903>>921に出てくる言論部はまだあるのですか?それとも広宣部にかわったのですか?
2つ目は、>>920の選挙法改正案と大阪事件は関係ないと思います。大阪事件は冤罪ではないのですか?
3つ目は、>>980に車内広告は藤原弘達氏の“仕掛け”?とありますが、やはり最初から学会をはめようとしていたのですか? >>1040で藤原弘達氏のバックには佐藤首相がいると松浦創造さんが書いております。
4つ目は、SGIさんは>>995-997で、政教分離と言論の自由のことを書いていらっしゃいますが、ではSGIさんは宗教政党と国民政党はどのように違うとお考えなのですか?
また、学会員は池田先生を師匠と思い学会にいるのであって、学会員が先生を批判するはずがありません。批判する人は、学会を辞めた人か外部の人ですから、学会の中で言論の自由がないというのは、ちょっと違うと思うのです。
5つ目は、>>1010-1011『創価学会を斬る』の鋭さには驚きました。だから学会は出版妨害をしたのですか?
6つ目は、>>1028 本当にこんなにも出版妨害をしたのですか?とても信じられません。
7つ目は、>>1051-1053で組織ぐるみだったことの証言がありますが、みな退転した人たちばかりです。ほかにも第三者の裏づけ資料はありますか?
いきなりの質問ばかりですので、お暇な時にお答え下されば結構です。

1254 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 22:18
>>1253 薫(SGIさんのファン) さん
>大阪事件は冤罪ではないのですか?
。。。。横レス失礼します。
お願いですから、もう少し、このスレッドを最初から、じっくりと勉強してみて下さい。
SGIさんは、元本部職員。
生涯の殆どを「学会活動」に捧げてきた方です。
何らかの理由で、解雇されて、怨みがあるのかも知れません。
でも、私には、それだけではないと、思います。
SGIさんは、自分が一身を投げ打って尽した「池田創価学会」とは何なのかを知りたいのです。
この感情は、私にもあります。
かつて、創価学会には、北条、秋谷、森田副会長に続いて、福島源次郎という副会長がいました。
この方が書いた本に「蘇生への選択」という本があります。

1255 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/08(木) 22:20

福島氏が出版した本はあ、これ一冊です。池田先生のように、何十(百)冊というわけではないから、却って、「渾身の一冊」だと思います。
そこで、福島氏は、
池田先生のことを「偽仏法指導者」と断じているのです。
また、「創価学会教学部長を20年に渡って務めた、原島氏も同様の結論をだしているのです。
他の離反した幹部や党指導者の例は、敢えて出しませんが、
彼等の存在を無視したり、「狂っている」とか、「魔」と、決めつけることは、現代教育を受け、自分の頭で考えることを身に付けた私達が採るべき態度ではありません。
●大阪事件ですが。
あれは、池田先生が取り調べの段階で、罪を認める自白したのです。
文句が、あるのなら本人にいうべきでしょう。
最終的に、池田先生が無罪になったのは、裁判長が、取り調べに違法性があったと、認めただけです。
それは、無論、「拷問の使用」とかいうものではありません。昭和31年といっても、フセイン政権下のイラクではなかったのです。
池田先生の場合、事実審理に関しては、有罪が確実視されていました。
確信犯的犯行と断定されていたのです。

1256 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 03:44
>>1245沖浦克治 さん
>差別主愚者の腐れ宗門
。。。。
これは、ちょっと私にとっても、意外な事だったのだが、
宗門は、基本的に創価学会問題にそんなに頓着してんあいのだよ。
慧妙なんかは、主に創価学会に対する批判の記事で埋まっているが、
宗門全体の流れからゆくと、少数派で、異端とさえ言えるのだよ。
私が、法華講の集まりなどで、創価学会問題を持ち出すと、皆、怪訝そうな顔をして、いかにも迷惑みたいな顔をしている。
しかし、私個人の問題としては、
●創価学会員の家に生まれた
●創価学会を通じて、正宗教学を学んだ
●創価学会の犯罪を知らなかった(見て見ぬ振りをしていた)
故に、創価学会の恥知らずな、宗門攻撃に対して、私自身にも責任があるように感じられてならない。
そこで、私がしなければならないのは、きちっと「何が真実か」を明かした上で、創価学会員に判断させるべきではないかと、思うのだよ。
その上で、
▲脱会して、日蓮正宗法華講に入るのもよし、
◆他の信仰を持ってもよし、
●宗教そのものを捨てるのもよい。
ただ、私は、日蓮正宗法華講に入講して欲しいとは思うけどね。

1257 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 03:55
訂正>>1256

>宗門は、基本的に創価学会問題にそんなに頓着してんあいのだよ。

宗門は、基本的に創価学会問題にそんなに頓着してないのだよ。

1258 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/09(金) 05:49
  yuriko さん

>宗門は、基本的に創価学会問題にそんなに頓着してないのだよ。

 それはそうでしょう。
 飯さえ食えればいいのですから。
 一寺院に300人もいれば飯は食えますよ。
 布教などはめんどくさいだけでしょう。

1259 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/09(金) 05:57
 yuriko

>故に、創価学会の恥知らずな、宗門攻撃に対して、私自身にも責任があるように感じられてならない。
そこで、私がしなければならないのは、きちっと「何が真実か」を明かした上で、創価学会員に判断させるべきではないかと、思うのだよ。

 創価学会は人間の運営する組織です。
 当然の事ですが、必ずダーティな部分があります。
 世間にダーティーな部分が無い組織などはありえません。
 創価学会も当然同じです。 
 創価学会を批判する人は、この創価学会のダーティーな部分を必ず取り上げます。
 私は不思議でなりません。
 生き馬の目を抜く世間を生きている創価学会が、如何なる理由で純真無垢であらねばならないのでしょうか?
 そんなアンチ達の自分勝手な価値観は、どこか他所で見つけてください。
 幼児性潔癖症で創価学会をやめるか、世間と創価学会は同じ場所と思い、しぶとく生きるか、二つに一つです。

1260 名前: 名無しタソ 投稿日: 2004/07/09(金) 11:47
>>1259
>世間にダーティーな部分が無い組織などはありえません。
>創価学会も当然同じです。

まあ「凡夫」ですからね。
しかし、そのダーティーな部分を何とか無くしていこうというのが
見えないところが創価学会の悪い点ですね。

1261 名前:   (dtD01wIM) 投稿日: 2004/07/09(金) 12:40
>>1259
> 生き馬の目を抜く世間を生きている創価学会が、如何なる理由で純真無垢であらねばならないのでしょうか?

はぁ?
宗教って純真無垢であるべきなんぢゃないのか?
>>1260が言う様に人間が運営してるんだから間違いがあっても仕方ない。
しかしそれを直そうとか過去の間違いを謝罪しようと言う動きどころか
どうやって誤魔化そうかとしか考えてない様に見えるんだよ。

もうね、逝ってくれと。
そんなクソ宗教は消滅した方が「世界平和」なんぢゃないか?w

1262 名前:   (QdWIIOBQ) 投稿日: 2004/07/09(金) 12:41
またトリップ間違えた
雨津田氏脳

1263 名前: 投稿日: 2004/07/09(金) 12:58
yurikoさん ありがとうございます。
失礼しました。最初から読んでみます。とても長いので大変そうですが、頑張ってみます。
大阪事件も知らないことがあるようです。勉強します。これからも教えてください。
SGIさんは元本部職員なのですか?それであれだけの書き込みができるのですか。

1264 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/09(金) 16:30
>そんなクソ宗教は消滅した方が「世界平和」なんぢゃないか?w

 やってごらんよ。

1265 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/09(金) 16:31
>しかし、そのダーティーな部分を何とか無くしていこうというのが
見えないところが創価学会の悪い点ですね。

 なら入会しないでね。

1266 名前: susumu 投稿日: 2004/07/09(金) 19:45
>>1259沖浦克治 さん
>幼児性潔癖症で創価学会をやめるか、世間と創価学会は同じ場所と思い、しぶとく生きるか、二つに一つです。
。。。
奈留程、
私はつくづく、沖浦さんみたにはなるまいと思いましたよ。
ところで、先日、地下鉄(カリフォルニア)の駅の出口で面白い出来事にでくわしたんですよ。
ある男性が、切符を清算しようとしたら、小銭が足りないことに気がついたのです。
せいぜい、1$(100¥)くらいなんです。
駅員はいないから、簡単に出れる出口から外に出ればいいのです。
すると、その男性は、携帯で家族に電話して、駅に来るように頼んだのです。
近くに住んでいたんでしょう。すぐに、家族らしき人が来て、お金を渡しました。
私は、たまたま、それを見ていて、
「何で、そんな事をするんだ??」
と尋ねると、

1267 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 19:46

「当たり前ではないか。泥棒だけにはなりたくないからね」
と言われました。
私は、感動しましたよ。何故なら、「誰が見ていようといまいと、道徳的を守る」というのは、崇高な宗教心に通じますからね。
アメリカ人は、そいう意味で、宗教心を大事にする立派な国民なんですよ。
無論、米国では、暴力犯罪の発生率は、まだまだ、日本より遥かに高く、道徳的に乱れている面が多いのも確かです。
しかし、件の男性の行為は例外ではないようです。
そこで、思うんですが、
創価学会員)特に池田名誉会長)の行動が、屡、犯罪的(特に詐欺的)なのに、それを開き直って、「この現実世界はダーティー」などと、開き直るのは、宗教心の放棄だと思います。
創価学会の失敗は、最初は兎も角、次第に俗世間に染まり過ぎて、良心(仏心)までも見失ってしまった所にあると思います。
「自分を犠牲にしても守りたいものがある」というものが、良心の象徴だと思います。
そうすると、
自分達こそ、「勝ち組」だと嘯く、沖浦さん=創価学会には。純粋な宗教心はない、と思います。

1268 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 19:51
>>1266は、yurikoの書き込みです。

1269 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/09(金) 21:42
 yuriko さん

>私はつくづく、沖浦さんみたにはなるまいと思いましたよ。

 それでいいのです。
 誰かのようになろうとすることは愚かな行為です。
 私は私、あなたはあなたです。

>それを開き直って、「この現実世界はダーティー」などと、開き直るのは、宗教心の放棄だと思います。
 
 そんなことを言っていません。
 ダーティーな部分が必ずある。と、言っているのです。
 どうもあなたは早とちりがすぎますね。

>創価学会の失敗は、最初は兎も角、次第に俗世間に染まり過ぎて、良心(仏心)までも見失ってしまった所にあると思います。

 創価学会はそのような失敗はしておりません。
 あしからず。

>自分達こそ、「勝ち組」だと嘯く、沖浦さん=創価学会には。純粋な宗教心はない、と思います。

 あなたに私の心の中はわからないでしょうね。
 私のレベルまで上がって来なさい。
 でなければ無理ですよ。

1270 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/07/09(金) 22:28
池田大作作小説人間革命批判
http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/925/1052105523/1232

結局、このレスも要約すれば「創価学会は忘恩の徒です」と言っているに過ぎない。
力む、力まないの問題でもないね。
かの人も、役に立たなくなったから、ポイなんて事にならないように気をつけてね(w
ひょっとすると、すでにポイされかけてるのかも、、、
それで、自分の存在感を示そうと必死になってるのかも、、
そう考えると、ちょっと同情するな、、、(w

1271 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/07/09(金) 22:29
>>1270は、誤爆です。申し訳ない>皆様。

1272 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 22:53
◆昭和45(1970)年 4/19池田大作会長の行動記録  
10:20 起床 入浴 食事
11:00 北条 森田 秋谷 中西 応接間にて懇談
12:00 休憩
13:30 お部屋にて中西と手紙 特別研究班と勤行
15:30 央氏と話 広岡 夫人娘同伴
17:00 中氏含み特別研究斑と打ち合わせ
18:10 食事 食堂 引き続き打ち合わせ
19:30 中氏夫人娘さん帰る
秋谷 竹入 矢野と打ち合わせ
20:30 竹入 矢野 北条 森田 秋谷 細谷 桐谷と話
22:30 按摩
24:00 唱題 仏間
>>1130 SGIさん
>◆昭和45(1970)年
> ○04/25【学会】池田大作会長の行動記録
1>4:40 文化会館、着
 >14:55 塚本氏 来部 6F応接で面会  16:45 塚本氏 帰る
 >16:55 サンケイ矢野氏・カメラマン鈴木氏 来部 インタビュー
 >18:55 両氏 帰る
 >    会食 ご家族・戸田喬久氏 与志乃寿司 7F和室  19:40 >同終了
 >19:45 北条・秋谷・山崎・中西と話 6F執務室で
 >21:15 奥様・戸田氏 帰る
 >22:15 文化会館、発 北条・秋谷・山崎 同行 青山方面をまわり  >22:40 自宅、着

1273 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 22:56
続1
>○04/26【学会】池田大作会長の行動記録
 >16:20 自宅、発
 >    先生・奥様・北条・原島・上田・野崎・中西・持永・竹入・
>上田(京)・行水 
> 18:20 箱根研修所、着  休憩
> 19:20 入浴
> 20:10 食事 広間にて 北条・原島・野崎・上田 同席 原稿
> 22:20 皆と勤行
> 23:00 按摩 稲村  中西 二号室で話
> 24:40 中西・原島・上田・野崎
> ○04/27【学会】池田大作会長の行動記録 
>  9:40 起床  10:10 入浴  
> 10:40 中西・原島・野崎・上田と話 応接間  11:15 休憩 
> 13:15 勤行  13:20 食事 広間 原稿 
> 14:20 中西と話 二号室  15:10 手紙
> 16:40 研修所、出発
>     先生・奥様・行水・持永・竹入(央) 同行
>     強羅の櫻道を散歩 箱根周辺をドライブ
> 18:20 研修所、着  食事 原島・上田・野崎 原稿
> 19:40 応接間にて原稿 同メンバー
> 20:10 二号室にて原稿 同メンバー
> 21:20 原島・桐村と原稿 二号室
> 22:15 お部屋にて中西と書面決裁
> 23:40 勤行 按摩 中西と話 
> ○04/28【学会】池田大作会長の行動記録 
>  9:40 起床  10:20 入浴、食事
> 11:00 中西・原島と話 応接室  11:40 休憩
> 12:40 書類決裁  13:30 手紙を書く お部屋にて中西と話
>> 15:40 篠原・高松と二号室にて懇談  15:45 手紙  17:00 原>稿 十一号室
> 17:30 勤行  18:00 広間にて食事 篠原・高松と共に
> 19:20 床屋 浜野  21:20 原稿 十一号室
> 22:40 食堂 按摩(古賀) 篠原・高松と話
> 24:40 中西・原島・桐村・野崎・上田 お部屋にてお話

続2

1274 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/09(金) 22:59
続2
池田名誉会長の
法華経 方便品寿量品講義
1 方便品
『前に述べたように、この経文に示されている「仏の智慧」「仏の力」は、御本尊の境涯であり、御本尊を受持する私達も、この境涯になることができる。また、「禅定」「解脱」「三味」等が、現代でいえば、勤行唱題に含まれることも、すでに述べた通りです』
『なお、私達が朝夕の勤行にさいに、この十如実相の文を三回読むことは、どのような意義があるのでしょうか。それは、大聖人の「一念三千法門」の御文に基づいています。
(略)
要するに、「我が身が尊い仏である」と宣言し、信心の功徳を増していくための三遍読誦です。総じて勤行唱題のたびに、我が生命の仏性
を讃嘆しているのです。また全人類の仏性を讃嘆しているのです』
。。。。。。。
しかし!
私の記憶では、
池田名誉会長は、殆ど勤行唱題を行っていない。
その代わり、公明党関係者や神崎(当時)検事など、司法関係者などと懇談するのに忙しい。
実に池田先生らしい。

1275 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/09(金) 23:01
>しかし!
私の記憶では、
池田名誉会長は、殆ど勤行唱題を行っていない。

 他人のことは捨てておきなさい。
 お題目を上げたければご自分で気の済むまでどうぞ。

1276 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/10(土) 04:53
>>1269沖浦克治

>私は私、あなたはあなたです。
>私のレベルまで上がって来なさい。
>私のレベルまで上がって来なさい。
さん。。。。
君って、いつも開き直りなのね。。。。/
君をこれから師匠とするから、いろいろと御教示してください。
君のレベルって、。。。。。
ノータリン?
XXXXXXXXXXXXXXXXX
これは、あくまでも個人的意見なんだけれども、
日蓮大聖人の教えを実践する気があるのなら、きちっと勤行唱え題は実践した方がいいよ。
まっ、池田教は、基本的には、勤行唱題は、あまりしなくていいらしいが。
宗教は自由なんだから、どうでもいいのかも知れないが、それなら最初から、そう言ってくれればいいんだよ。
池田先生が今日蓮を気取ることは詐欺行為としか言い様がないね。
地獄に堕ちると思うね。

1277 名前: モーリス (JExy6YJA) 投稿日: 2004/07/10(土) 05:16
しょうがないじゃん!
創価では
仏界の涌現しない学会活動のほうが仏界の涌現する勤行唱題より功徳が大きいとか
ヌカしてるんだから!

今日蓮を気取っても
やってることは創価が言うところの忍性さんてか・・・

1278 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/10(土) 06:37
 yuriko 氏

>君をこれから師匠とするから、いろいろと御教示してください。

 考えておきましょう。

>まっ、池田教は、基本的には、勤行唱題は、あまりしなくていいらしいが。

 池田教という宗教は知りませんね。
 どこかにあるのですか?
 私は創価学会員ですが、お題目は一日一時間唱えます。
 これぐらいは創価学会員として普通ですよ。
 勤行唱題をあまりしなくていいのは、確か日蓮正宗と言う団体では無かったかと思います。
 法主がよくさぼるそうですよ。

1279 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/10(土) 06:39
 モーリス氏

 益々頑張るように。

1280 名前: SGI 投稿日: 2004/07/10(土) 12:13
>>1225
>世間知らずの出家が、したたかに生きる在家に勝てる道理がありませんよ。勝負ははじめからついています。…やれ、嫡々一人だ。とか、御法主のご内証だ。とか、浮世離れの余迷いごとで騒ぎまわるだけしか能の無い、世間知らずの能化や法主どもが勝てるわけはありませんよ。

―― そう、だから
『曽谷入道殿御返事』に曰く
「内には弟子有って深甚の義を解り、外には清浄の檀越有って仏法久住せん」と。

 かつての宗門・学会による僧俗和合を破壊したのは、池田創価学会です。
 池田創価学会の歴史は、まさに「師敵対」の歴史です。

●戸田先生の指導

「いうまでもなく日蓮正宗だけが大聖人より嫡々相伝の家であって、いかに日蓮宗を名のるとも、日蓮正宗以外は、大聖人の相伝の宗ではなく、不相伝家と称する宗で、大聖人の極理を知らないがゆえである」(『戸田城聖全集』−P161)

「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえでも即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない」(『戸田城聖全集』−P235)

「御法主上人は唯授一人、六四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」(『戸田城聖全集』ぁP399)

1281 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/10(土) 12:36
>>1254 yurikoさん
 あのー、私には「解雇」とか「怨み」とかは関係ないことです。
 確かに相当ひどい仕打ちを受けたのは事実ですが、福島氏や原島氏、山崎氏、竹入氏といった側近首脳幹部に比べれば、たいしたことはありません。

 福島氏らに対する学会の対応・仕打ちは、傍から見ていてもそりゃーひどいものでした(今も続いておりますが)。当事者でなくても、意が痛む・心が締め付けられるような辛いものを覚えました。特にご家族のことを思うと、ここまでするのかとの義憤すら抱き、「人間のすることではないな」と思ったほどです。

 職員・幹部・会員の大半は、基本的には真面目で前向きで“良い人間”なのに、なぜか組織モードになると、一転して“狂気の世界”になってしまうのです。それは『聖教』の紙面座談会でも如実にご理解いただけることだと存じます。
 
 学会は狂っております。その原因と本質がどこからくるのかということと、自己の半生に決着をつけるべく「池田創価学会」にこだわっているのです。と同時に、私の有縁・無縁の方々に「蘇生への選択」を促したく、こうして関わっている次第です。
 私にとって、故・福島源次郎氏はとてもとても重要な恩人の1人です。8月3日は福島氏の命日です。

1282 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/10(土) 13:39
 退会者さんに

>かつての宗門・学会による僧俗和合を破壊したのは、池田創価学会です。
 池田創価学会の歴史は、まさに「師敵対」の歴史です。

 創価学会が僧俗和合(こんなものは最初から無かったと思いますが)破壊しようと、師敵対(誰に対してでしょうね?)しようと、それが人類のためならばそれでいいのです。
 第三者が文句を言うべき事柄ではありません。

>●戸田先生の指導 云々

 どうでもいいですよ、むかしの話ですから。
 終わった事です。

1283 名前: SGI 投稿日: 2004/07/10(土) 20:22
>>1282
 であるならば、「戸田門下生」を名乗らぬ方がよろしいかと存じます。

1284 名前: SGI 投稿日: 2004/07/10(土) 20:27
>>1281
あれっ、どうして名前が「名無しさん」で表示されているのだろう?
何もしていないのに、いつも通りに送信したはずなのに、なぜだろう?
>>1281はSGIのレスです。

1285 名前: Mr.G 投稿日: 2004/07/10(土) 20:28
>>1282
戸田氏がいたから今の池田氏があるのでは・・・
私の邪推でしょうか?

1286 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/10(土) 20:59
>あれっ、どうして名前が「名無しさん」で表示されているのだろう?
一度名前を消してココとか他のBBsとかで無記名つまり「名無し」で投稿するとそうなる。
ネットの常識でっすよw

1287 名前: きも 投稿日: 2004/07/10(土) 21:09
なにが創価学会だよ
キモすぎ
神なんか存在しねーし
死ね

1288 名前: SGI 投稿日: 2004/07/10(土) 21:21
>>1286
いやいや、そうではなくて、>>1280を送信した後、>>1281を書き込んで、名前欄を一切いじらず連続投稿したのに、名前が変わっているから、おかしいなと記しているのです。なぜだろう?

1289 名前: SGI 投稿日: 2004/07/10(土) 21:22
>>1285
少なくとも、戸田会長は池田大作氏を後継者に指名しておりません。
>>13-16 >>106-109 を参照下さい。

1290 名前: Mr.G 投稿日: 2004/07/10(土) 22:01
>1289
SGIさん、はじめまして。
言葉足らずですいません。
池田氏は戸田氏を師匠と仰いでいるので、沖浦さんの発言はちょっと学会員さん的にはまずいのではないかと思ったのです。
学会員さんが師匠と言っている池田氏のの師匠の指導をどうでもいいとおっしゃっているので・・・
それとも沖浦さんは池田氏を師匠と思っていないのでしょうか?
だったら私としては納得がいきます。

1291 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/10(土) 22:54
>>1285Mr.Gさん
>戸田氏がいたから今の池田氏があるのでは・・・
私の邪推でしょうか?
。。。。。。。。
創価学会の指導は、裏の、裏そのまた裏を読まないといけません。
小説人間革命は廃書にするしかないでしょうが、
「あんなもんを最初から、文字通りに信じるのがわるいんだ。ばかどもメ!」
という高笑いが聞こえてきsそうすね。

1292 名前: SGI 投稿日: 2004/07/10(土) 22:59
>>1290 Mr.Gさん 初めまして。
こちらこそ、先走ってしまい、ごめんなさい。
で、沖浦氏はどのようなコメントを書き込むのでしょうかね。
まぁー、かの人の場合、「沖浦学会」であって真正の学会員ではないので参考になりそうもありませんが。

1293 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/10(土) 22:59
(・_・)<ヤフーBB恐喝事件は何で、創価学会の幹部がやったのに テレビで報道されないノー?


           -=-::.
            /       \:\
            .|          ミ:::|
           ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/
            ||..● .| ̄|. ● |─/ヽ
            |ヽ二/  \二/  ∂>  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           /.  ハ - −ハ   |_/ < この事件はとっくに揉み消しましたよ
           |  ヽ/ヽ/\_ノ  / |   \テレビ局には創価学会員を送っておきました
.           \、 ヽ二二/ヽ  / /   \
.             \i ___ /_/ /   \   
        ,.. -──- 、, |"    ""       \  
      ,/        `''-、             \
     ., '            ``ヽ;‐‐-, _         |

ヤフーBB恐喝犯の正体 http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/925/1087640765/
           http://kuma.cocolog-nifty.com/b/2004/02/bb.html
           http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/762.html
           http://roach.cocolog-nifty.com/blog/2004/02/bb.html
           http://www.geocities.jp/mksutra/takeoka.html

1294 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:15
>少なくとも、戸田会長は池田大作氏を後継者に指名しておりません。

 どうでもいい事です。
 事実として池田先生が継がれた 
 これが全てです。

1295 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:17
>それとも沖浦さんは池田氏を師匠と思っていないのでしょうか?
だったら私としては納得がいきます。

 私の心の中を気にしなくてもよろしい。
 勝手に納得していなさい。
 私は関係ありません。

1296 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:21
 誇大妄想狂に

>小説人間革命は廃書にするしかないでしょうが、

 あなたは、小説人間革命の版権及び著作権には無関係の人間です。
 何かを廃盤するには先ず版権を買わねばなりません。
 不可能な事を、さも自分が出来るかのように公言する行為は馬鹿げています。
 駄目人間の見本になって満足ですか?
 情けない人ですね。

1297 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:25
 SGI氏

>まぁー、かの人の場合、「沖浦学会」であって真正の学会員ではないので参考になりそうもありませんが

 君みたいに創価学会から脱落し、落ちぶれ果てて退転した軟弱な裏切り者に、創価学会員の気持ちがわかるはずがないでしょう。
 猫に虎の気持ちがわかるものですか。
 引っ込んでいなさい!!
 この退転者め!!!

1298 名前: Mr.G 投稿日: 2004/07/11(日) 00:34
>>1295
別にあなたの発言など期待してませんよ。
じゃあ、沖浦さんは池田氏を師匠と思っていないと断定しときます。
仮にあなたがそうでなくても、あなたが戸田氏の指導などどうでもいいと言ったからにはそれなりの説明は必要です。
創価学会の会長の指導を否定しているのですからね。
ちょっと突っ込まれたからって「私は関係ありません。」と言うのだったら最初から言わなきゃよかったんじゃないですか?
逃げてばかりだからアンチの皆さんに罵倒されるのですよ。
創価学会員を語るなら、組織の人間だとおもって責任持って発言しなさい。

1299 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:54
>仮にあなたがそうでなくても、あなたが戸田氏の指導などどうでもいいと言ったからにはそれなりの

 そんな事は言っておりません。

>創価学会の会長の指導を否定しているのですからね。

 しておりません。

>ちょっと突っ込まれたからって

 突っ込みにはなっておりません。

>「私は関係ありません。」

 あなたの愚論はあなたのものです。
 当然私には関係ありません。

>逃げてばかりだからアンチの皆さんに罵倒されるのですよ。

 これもあなたには関係ありません。

>創価学会員を語るなら、組織の人間だとおもって責任持って発言しなさい。

 あなたがそうしなさい。

1300 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:55
>別にあなたの発言など期待してませんよ。

 それでよろしい。
 この態度を持続するように。

1301 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 00:59
>じゃあ、沖浦さんは池田氏を師匠と思っていないと断定しときます。

 あなたが何をどの様に断定しようと、それはあなた自身の問題です。
 力むほどの事ではありません。
 ご自由におやりなさい。
 私はこの件には無関係です。
 巻き込まないで下さい。
 迷惑です。

 感想
 しかしこの人はどうしてこれほど愚論を重ねるのだろう?
 よほど恵まれていないのだろうね。
 かわいそうな人間です。
 身内でなくてよかったな。

1302 名前: Mr.G 投稿日: 2004/07/11(日) 01:59
>仮にあなたがそうでなくても、あなたが戸田氏の指導などどうでもいいと言ったからにはそれなりの

 そんな事は言っておりません。

>創価学会の会長の指導を否定しているのですからね。

 しておりません。

>>1282 否定しております。大丈夫ですか?なりすましですか?
なりすましなら、あなたに誤ります。

>じゃあ、沖浦さんは池田氏を師匠と思っていないと断定しときます。

もし違うなら>>1282のような発言はしないでしょう?
違うなら違うとはっきり言えばいいのです。
あなたが私の言うことを否定したら、「だったら>>1282の発言はなんなのだ?」と他の人からも突っ込まれるのが恐いから答えられないのでしょう?
後先考えずに無責任な発言をするからこうなるのです。

>逃げてばかりだからアンチの皆さんに罵倒されるのですよ。

 これもあなたには関係ありません。

もしかして、あなたが逃げ回っていることを認めてるのですか?
相当、悪質ですね。情けないですよ。

感想
正直、参りました。もう結構です。お疲れ様。私もここで止めときます。
何を言っても無駄でしょう。あなたが逃げるから不毛なレスが続くのですよ。
あなたのようなイエスかノーかも言えない人にかわいそうな人間扱いされても困ります。
あなたに、そっくりそのまま返します。そして他の学会員の皆様がかわいそうです。
別に私はアンチではありません。どちらかというと「反沖浦氏」です。
もう相手にしませんし、してもらわなくても結構です。
ということで、おやすみなさい。

1303 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/11(日) 04:31
>>1294-6沖浦克治 さん
>事実として池田先生が継がれた 
 これが全てです。
。。。。。。
池田創価学会の特徴として、「既成事実の積み重ね」
というのがありますね。
元、青年部第7部隊長、都議会議員の藤原行正氏は、
池田先生は青年の頃、
「嘘も百遍言えば本当に」
というのを屡口にして、それを座右の銘としていたと述懐しております。
これは、「世間には、そういう人間が多いから、気つけよ」でhなくて、
「口八丁手八丁(社長会発言)で、世渡り上手に」「嘘をつくことなど何とも思っていない「ということです。
可哀想なのは、香峯子夫人です。
こういう男を夫に持ったら、心配で夜も寝れないでしょう。
後に、月刊ペン裁判で、この問題は大きくなるのですが。
池田先生が糖尿病を患って以来、あまり話題になっていません。香峯子夫人が最も、ほっとしているのかも知れません。
果たして、創価学会員は、池田大作が第三代会長で、幸福だったのか?
時代の大きな流れで、それを判断するのは、跡世の人々だけでしょう。
ただ、現代に於いても、池田創価学会の胡散臭さを鋭く見抜き、その災厄を厳しく警告していた人々が少なからず居たということも事実として、記録されるに違い無いのです。

1304 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/11(日) 04:37
訂正>>1303

時代の大きな流れで、それを判断するのは、跡世の人々だけでしょう。

時代の大きな流れで、それを判断するのは、後世の人々だけでしょう。

1305 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 07:51
 敗北者に

>正直、参りました。もう結構です。お疲れ様。私もここで止めときます。

 それでいいでしょう。
 やめておきなさい。
 私は誰が何と言おうと創価学会を動きません。
 あなたとは覚悟が違うのです。
 最初から相手になるはずがありません。
 今後は分をわきまえ、私のレスに触れない様にすること。
 以上申し渡しました。
 
 
 戸田先生の指導は、今回引用のものと正反対の本音のものが多く残されています。
 日蓮正宗を明確に否定されたものもあります。
 今後研究が進むでしょう。
 あんな指導を今時引っ張り出し、創価学会攻撃の衣文とすることは馬鹿のやる事でしょう。
 だから法華講は進歩しないのですよ。
 かわいそうな無能集団ですね。

1306 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 08:01
 三流アジテーターに

>池田創価学会の特徴として、「既成事実の積み重ね」
というのがありますね。

 あなたは本当に僻みっぽいですね。
 創価学会の特徴ではありません。
 世間一般の特徴です。
 宗門も無相承が法主として居座り、あなた方は既定事実として受け入れたいるでしょう。
 世間とはこの様なものです。 
 創価学会だけの特徴ではありません。
 少し頭を冷やしなさい。

>ただ、現代に於いても、池田創価学会の胡散臭さを鋭く見抜き、その災厄を厳しく警告していた人々が少なからず居たということも事実として、記録されるに違い無いのです。

 力む必要はありません。
 どうもあなたは、ごく普通の事をドラマティックに見せよう。と、する傾向が強いですね。
 今後の人生のために改めた方がいいでしょう。
 どんな団体や人間にも反対勢力はあります。
 それだけの事です。
 創価学会が嫌いな人は何やかや批判をします。
 当然でしょう、嫌いなのですから。
 蓮祖でさえ、御在世中は正当な評価を受けませんでした。
 いい加減に悪い頭を冷やしなさい。

1307 名前: Mr.G 投稿日: 2004/07/11(日) 10:45
>>1305 はいはい。敗北者に敗北者と言われても困ります。

>戸田先生の指導は、今回引用のものと正反対の本音のものが多く残されています。
 日蓮正宗を明確に否定されたものもあります。
 今後研究が進むでしょう。
 あんな指導を今時引っ張り出し、創価学会攻撃の衣文とすることは馬鹿のやる事でしょう。

私の断定は違うということですか。
勝手に決めつけて申し訳ございません。
どうでもいいで片付けるんだったら最初からこういえば良いのではないですか?
愚論とやらも長くはつづかなかったのに・・・

>私は誰が何と言おうと創価学会を動きません。
 あなたとは覚悟が違うのです。
 最初から相手になるはずがありません。

べつに学会を止めろとは一言も言っておりません。
この件に関しては学会が悪いのではなく、沖浦氏が悪いのですよ。
この掲示板を見てあなたに正当な評価を下す学会員さんはいないでしょう。
あなたの覚悟なんて知る由はないですが、ここでの掲示板で書き込むときの覚悟は、まずくなったら逃げ回って、意味不明なレスを上げることでしょう。
だから、私も最初から相手にしないことにします。

>今後は分をわきまえ、私のレスに触れない様にすること。
 以上申し渡しました。

了解しました。私からもお願いします。

1308 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/11(日) 11:46
 Mr.G 氏

 引っ込んでいなさい。

1309 名前: (QdWIIOBQ) 投稿日: 2004/07/11(日) 16:03
> 今後は分をわきまえ、私のレスに触れない様にすること。

このオツムのおかしな爺さん、ナベツネと同じ思考回路か?(爆笑

1310 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/12(月) 22:09
>>1275沖浦克治さん
>他人のことは捨てておきなさい。
。。。。
でもさ、
私が創価学会に居た頃。
何かちょっとした意見の対立が幹部とあると。
「お前、勤行ちゃんとやってないだろう?」
とか言われたっけ。
つなり、
自分の言うことを素直に聞かないのは信心がないからだ、というわけ。
創価学会では、勤行唱題をメンバーを管理する為の道具にしていたのは明らか。
それなら池田先生はどうなんだと、興味が涌くのは当然でしょ。
この際、池田先生の全行動記録を入信以来全てを公開してもいいのでは?

1311 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/12(月) 23:30
ということは、
ノーベル平和賞もらえなかったり、
選挙で1000万票達成できないのは、
池田先生が勤行ちゃんと
やってないからなんですね。。。

1312 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:02
yuriko氏は怨嫉から学会批判しているのが良く分かる文章だ

1313 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:04
学会も日蓮正宗とか世間に怨嫉しているんだけどね。

1314 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:07
それはそうでしょう。
イケダセンセーが出家したり御法主になったり、
戒壇様建立できないからね。

1315 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:08
も、ってやっぱり怨嫉かw

怨嫉はほうぼうになるから学会は怨嫉してませんよw

1316 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:15
怨嫉してないことになっていると思うけど。。。
学会メディア見ると、あれは怨嫉の荒しじゃないですか。

1317 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:20
あれは怨嫉じゃなくて真実w

1318 名前: アンチな名無しさん (hQOQfsK.) 投稿日: 2004/07/13(火) 00:21
なんだかんだ言って創価学会って、結局、怨嫉の宗教だよね┐(´∀`)┌ヤレヤレ

1319 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:22
怨嫉がものすごいパワーを生むのですよ。
選挙もその結果の一つ。

1320 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:23
怨嫉してたら、学会はここまで大きくなってるわけないw

やれやれw

1321 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:25
ほんとうは、もっと大きくなっていたハズですが、
マイナス面や自己本位だったため、今の規模。

1322 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:25
アンチは決めつけばかりってわかるw
どんどん醜態見せておくれw

1323 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:27
学会員がもっと謙虚だったら、今頃創価学会が国教になっていた。

1324 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:27
それはかなり当たってると思うね。

1325 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:28
学会員がもっと謙虚だったら、公明党が第一党になっていて首相も指名していた。

1326 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:29
学会員がもっと謙虚だったら、創価学会は日本人や世界に愛されていた。

1327 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:29
1324は1319に対するレスです。

1328 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:30
アンチは何でも人に責任をなすりつけるのがよく分かるw
どんどん書いてくれw

1329 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:33
実は、
学会メディアって、何でも日蓮正宗や世間に責任をなすりつけているんだけどね。

1330 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:34
学会員がもっと謙虚だったら、破門などされなかった。

1331 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:34
アンチも同じ人間。
学会が云々、学会員が云々じゃなくて、まずお手本を見せておくれw
謙虚さというお手本をねw

1332 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:39
学会員がもっと謙虚だったら、アンチとよばれる人々はいなかった。

1333 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:40
学会員がもっと謙虚だったら、学会バッシングはなかった。

1334 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:44
学会員がもっと謙虚だったら、創価学会をみんなで考えようという掲示板はなかった。

1335 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:45
正しい事を正しいと言うと人から妬まれたり中傷された経験はないの?
心を真っ白にして自身を見つめ直してみたら?w
そしたら分かるよw

1336 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:47
正しい事を正しいと言うと学会員から妬まれたり中傷されたりする。

心を真っ白にして自身を見つめ直してみたら。。。
そしたら、学会員がもっと謙虚だったらなーと思う。

1337 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:49
それは他力本願だよw

1338 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:51
他力本願はダメなんですか?

じゃあ、学会員はなぜ外部に選挙頼むの。
他力本願はダメなんでしょう。

1339 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:52
他力本願はダメなんですか?

じゃあ、学会員はなぜ外部に選挙頼むのかな?
他力本願はダメだったら。。。

1340 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:52
正しい事を正しいと言うと…何を正しいと言ったか内容による。

元学会員?

1341 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:54
国のため。

選挙支援をお願いしたら感謝されてる人がいっぱいいるけど?w

1342 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:54
では、学会員がもっと謙虚になるべきだということは
正しくないことですか?

1343 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:57
謙虚な学会員に出会えないのは君に福運がないだけw

1344 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 00:58
>選挙支援をお願いしたら感謝されてる人がいっぱいいるけど?

つまり、他力本願はオーケーってことで。

1345 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:00
>謙虚な学会員に出会えないのは君に福運がないだけ

たとえば、代表のイケダセンセイって謙虚なの?

世界人類皆、福運がないってことかな?

1346 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:01
みなさーん、人類が不幸だといっている、学会員がいますよー。

人類を不幸よばわりするのはやめましょう。

1347 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:05
それをふまえて人のためになると言ってるんだよw
で、質問に答えてないよ。
元学会員?

1348 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:06
ま、学会員の福運とやらはたいしたことないな。

1349 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:06
人のためって、学会員のためってことでしょ。

1350 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:08
やっぱり決めつけてるねw
固定観念は良くないよw
みなさーんって君は一人じゃ何も出来ないから、臆病だからネットで
ほざいているのが良くわかるねw
書けば書く程醜態丸出し

1351 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:08
開目抄って読んだことある?

1352 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:09
学会員って結局何も説明できないのね。

1353 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:10
福運を知らない人に福運はたいしたことないってw

1354 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:11
福運って謙虚じゃない人が謙虚に思えること?

1355 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:13
で、元学会員?質問にちゃんと答えてね

1356 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:13
答える義務なし。

1357 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:14
今ので答えてるさw

1358 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:16
人に質問するなら、もっと謙虚にね(無理か?)。

1359 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:16
質問ばかりして、こちらから質問すると答える義務なし、とは
あまりにも自分本位で自己中なので
よって糸冬 了
おやすみw

1360 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:20
別に難しく質問しているわけではないよ。
素朴にレスしているだけですよん。

今日の結論
学会員はまともにレスができない(かな?)。
もっと修行すること。

1361 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:27
別に、あんらを取って食おうとか、学会やめさせようという気はないよ。
学会や学会員ってどんなものかなーと。

そんなものなのね。

1362 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:43
アンチに出会ってしまった名無しさん

福運がなかったのかな?

1363 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/13(火) 01:49
>>1312-61

書き込みはありがたがいのですが、
チャット状態になっています。
御遠路下さい。
チャットルームは、ここのhpから入れます。

1364 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 01:51
失礼しました。

1365 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/13(火) 01:56
訂正>>1363

>>1312-61


>>1312-1361

1366 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/13(火) 08:21
 yuriko 氏

>この際、池田先生の全行動記録を入信以来全てを公開してもいいのでは?

 ご自分で池田先生にお願いしなさい。
 あなたは依頼心が強すぎます。
 自分のやりたい事は自分でやりなさい。
 以前にも指摘しました。
 同じ事を何度も言われる事は恥ですよ。

1367 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/13(火) 20:00
SGIさんによれば、8月3日は、元創価学会副会長、文化本部長の福島源次郎氏の命日。
そこで、私は、「福島源次郎を語れ」と題して、書き込みを募集したい。
別にスレッドを立てようかとも思ったが、
「人間革命は現代の御書」として、誰よりも、人間革命を読むのに真剣だった氏に相応しく、この「小説人間革命批判」スレッドで扱うことにした。
福島氏の愛情に拘わらず、氏は既に随筆人間革命において、宗門と創価学会を混乱に陥れた、無責任な副会長として登場している。
本人の本望だったのだろうか?
何とも、憫れである。

1368 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/13(火) 21:22
 福島氏

 退転すればそれでおしまいです。
 可哀そうに思えます。

1369 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 22:52
毎年お盆には、反逆者と呼ばれた人々が大挙してイケダセンセーの枕元に
現れることになっています。

毎年増えるばかりなんです。

1370 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 22:59
反逆者の魔界転生もアリ?

1371 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 23:09
怪談みたいなことはやめてよ!!!
こわいから。

1372 名前: ミ,,゚Д゚彡 投稿日: 2004/07/13(火) 23:34
> 退転すればそれでおしまいです

要は仲間でない香具師には冷たい、いや冷酷なところと言う事。
折伏する時は相手の迷惑も考えずにガンガンやって入会させ、辞めたら
裏切り者等罵倒して自分たちが入会させた責任などお構いなし。
「入会は自分の責任だ」と言い出す始末。

も う ね 、 氏 ん で く れ と

1373 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/13(火) 23:35
>毎年お盆には、反逆者と呼ばれた人々が大挙してイケダセンセーの枕元に
現れることになっています。

 ボクのところにおいで。
 可愛がってあげますよ。

1374 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/13(火) 23:38
幽霊にまで個人情報公開を迫る不肖沖浦克治氏59歳。

1375 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/14(水) 00:11
キモイ

1376 名前: 責任転嫁 投稿日: 2004/07/14(水) 01:09
随筆新人間革命
『(昭和五十四年)の四月二十四日この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。全国の、いや、全世界の同志は・その発表に、愕然として声をのんだ。
その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。
なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。
正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、卑劣な策略を続けている。
これは、こ存じの通りである。』
『畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友だちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。
心痛に、夜も眠れなかった。私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和台の道を探り続けた。
しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。』

1377 名前: 責任転嫁 投稿日: 2004/07/14(水) 01:12
賊1
『それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家ともの好餌となった。坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。私は苦悩した。』
『宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって・戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのであるo情けなく、また、私はあきれ果てた。
戸田は遺言された。「第三代会長を守れ!絶対に一生涯守れ!そうすれば必ず広宣流布できる」と。この恩師の精神を・学会幹部は忘れてしまったのか。
なんと哀れな敗北者の姿よ。ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!』
『あまりにも

1378 名前: 責任転嫁 投稿日: 2004/07/14(水) 01:15
続2
『あまりにも
  悔しきこの日を
    忘れまじ
  夕闇せまりて
    一人歩むを 』
『どうして、堂々と、『今日の広宣流布の大発展は、池田先生のおかげです』-と言えないのでしょうか!」』
1999/5.1付け聖教新聞より

1379 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/14(水) 02:30
池田先生が謙虚だったら今のようにはなっていなかったでしょ。

やっぱ福運がないのかな。

1380 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/14(水) 02:31
ちょっとお尋ねします。
創価学会は組織維持を目的とする団体ってほんとうですか?

1381 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/14(水) 02:51
20世紀に独裁者は姿を消したけど
宗教の世界では21世紀になっても独裁者がいる(通用する)ってこと?

1382 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/14(水) 06:03
『私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧』
>>1376-1378

『正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨み』
『畜生のごとき坊主らの暴圧による』
『悲鳴を、激怒の声』
『血の涙』

どうでもいいけど。
桂冠詩人を名乗るなら、もう少し言葉使いに気をつけた方がいいと思います。
陳腐です。

1383 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/14(水) 06:12
 愚人どもに

 池田先生が復帰され、私達は大喜びしております。
 部外者がどうこう言うべきことではありません。
 今日の創価学会の盛隆と、今回の公明党の伸びを見れば一目瞭然です。
 批判をしても何のやくにもたたない事を思い知りなさい。

1384 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/14(水) 06:15
  yuriko THE 恥さらしに

>桂冠詩人を名乗るなら、もう少し言葉使いに気をつけた方がいいと思います。
陳腐です。

 桂冠詩人の名称は頂いたものです。
 名乗ったのではありません。
 又この時期はまだ頂いてはおりません。
 あなた、何処まで馬鹿ですか??

1385 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/14(水) 20:57
小説人間革命をこよなく愛し、それを「現代の御書」とまで呼んだ福島源次郎氏。
彼の唯一の著書、「蘇生への選択」の一部抜粋を書き込む。

1386 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/14(水) 21:16
>>1384沖浦克治さん
>又この時期はまだ頂いてはおりません。
 あなた、何処まで馬鹿ですか??


それは、こっちの台詞だ。ば〜〜か!
池田が会長を引退させられたのは、昭和54年だけど、
これが書かれたのは、平成11年だ。
実質は伴わないものの、池田はとっくに桂冠詩人の称号をどっかから貰って、得意気に自慢してたよ。
>>1378
よく見ろ→>1999/5.1付け聖教新聞より
それにしても、池田先生は、バカの一つ覚えみたいに、反逆者や宗門を畜生に例えて、人格攻撃 をしてきた。
何とかなんないの?
でも、ライオンは畜生じゃないんだろうな?
せいぜい、豚か?
そういえば、池田豚作っていうHN使ってたアンチが居たけど、元気かしらね?

1387 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/14(水) 22:57
 yuriko 氏

 いいえ馬鹿はあなたです。
 万人が認めるところですよ。
 恥じかきアンチは面白いですか?

1388 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/14(水) 23:07
yuriko氏は、池田先生を尊敬しているって
言ってたはず

1389 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/14(水) 23:21
 迷惑でしょうね。

1390 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/14(水) 23:25
反逆者や宗門を畜生に例えて…事実ですね。

1391 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/15(木) 14:02
福島源次郎
「蘇生への選択」
●人間革命の徹底学習
小説人間革命は師弟の道を求める私達にとって実に大きい教科書でした。
何度も読み返しては学会の真実と戸田先生と山本伸一(池田大作)の師弟の道を学びました。
第三巻「結実」の抄における「稀有の師への帰命」という一句に接した時の驚きと激しい感動は、表現できぬものでした。
帰命とは容易ならぬ言葉です。仏御本尊に対する信仰者のあり方です。。。。。
大先輩の指導を待ち、問いかけもしましたが、反応は弱く明確な答えもありません。。。。。先生は繰り返し人間革命の重要性 を語り、その熟読学習を何度も会員に呼び掛けました。。。。。
人間革命の学習運動読了運動を学会内に根づかせることいを私の生涯の仕事にすることを御本尊様に誓いました。。。。死力を尽くし全魂を傾けて実行してきました。他の先輩幹部達にこの主張や指導をする人が誰一人いないという学会の現状が、私にこのような思いをよりいっそう駆り立てたのでした。

1392 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/15(木) 14:04
続1
私は本部職員になった際、学会の歴史と精神を学ぶ為に、聖教新聞社の資料室で聖教新聞第一号より全号を読破したものでした。この人間革命においても、この書を学習して信心の糧を汲み取り、実践することにかけては誰人にも劣るまいと固く決意をし、努力してきました。以来、読了は昭和54年の辞任までに十五回以上に及びます。重要箇所は諳んじるくらいに何度も読みました。激忙の首脳幹部の中で人間革命を私以上に学んだ人は一人もいないと、今でも断言できます。

1393 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/15(木) 14:08
続2
。。。。そして、後世にこの師の偉大さを語り伝えることを願い、出来るだけ詳細に日記を綴り、メモに書き留めてきました。。。。。私はわが生涯 わが生命をこの師に賭けていたのです。
人間革命の教示により、それが御本尊への帰命に通ずることを信じていたからです。
。。。。でも反省すれば、あまりに未熟過ぎた自分自身に赤面します。唯、自らの信念に忠実に精一杯生き抜いたという点においては、いささかも恥じるところはありません。

1394 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/15(木) 14:11
続3
「師弟の道」に関する違背について、私の他にも何人もの幹部の言説が取り上げられて批判破折されました。これらの言説には、表現上や語句の使用面には行き過ぎがありましたが、その言わんとする内容はほとんどが先生の教え、指導 薫陶に由来するものです。根っからの我説我論のものは一つもありません。
いうなれば、教義違背の張本人、最高責任者は先生本人であったのです。
。。。。私の帰命論についても「福島が勝手にやったことであり、私は大迷惑だ」とある会合の席上で語りました。

1395 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/15(木) 14:14
続4
後日談になりますが、この帰命論が宗内で問題になっていた昭和五十年頃、現秋谷会長が「師への帰命」というのが、人間革命にあるというが、本当にあるのかね。どこに、あるんだと私に尋ねてきたきた時には、開いた口がふさがらないくらいに驚きました。第三巻を開けてその箇所を示したところ、、「なRほど、ちゃんとあるな」と。しげしげと読んでいましたが、改めて、最高幹部でも表面の姿と違い、人間革命への取り組み方がいかにいい加減なものであったかと、思いしらされたものでした。

1396 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/15(木) 21:13
故福島源次郎氏を思うにつけ、所謂「バリ」と言われる学会員達が哀れでならない。
中西氏、原島氏、福島氏など、池田先生の側近中の側近といわれる人々に限って、池田先生の元を去っている。
そして、池田先生は、彼等を畜生以下と例えては、「反逆者に尊重すべき人格などなし」とばかり、人格攻撃をする。
それも、自分から阿はあ決して言い出さず、必ず、他の側近達に批判させる。
自分は、いつもダーティーフリーというわけだ。
それで、自分は、昭和が生んだ「日本の聖人」として後世の人々に評価して貰いたいのだろう。
しかし、そんな事は、万一にもあり得ない。
せいぜい、「昭和が生んだ物怪(もっけ)ーー池田大作の素顔を著したv藤原行正の命名ーーとして、人々の記憶に長く残るに違い無い。

1397 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/15(木) 21:25
そして現在の創価学会は福島氏の帰命論、「師弟の道」を破棄するどころか継承しているのであった

1398 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/15(木) 21:50
 知らなかった。

1399 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/15(木) 21:53
それほど福島氏はすごかった。
だから池田センセは全力で否定しなかければならなかった。

1400 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/15(木) 22:03
 知らなかった。

1401 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/15(木) 22:07
池田センセが否定するのは都合の悪い人なのだ。

1402 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 22:19
>>1401
池田先生の偉大さがわからない奴は黙っていろ!

1403 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/15(木) 22:20
どこが偉大だか説明してみそ。

1404 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 22:37
説明してやろう
池田先生は世界の大学から名誉博士号や世界から名誉市民を受けている
これほど偉大な人はいない
日本では嫉妬で報道されていない
真実を報道しているのは聖教新聞だけだ!

1405 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 22:40
それから公明党がなければ日本は滅びていた
池田先生は今回の選挙は実質一千万と同じ快挙といわれた
なんて偉大なんだ!

1406 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 22:43
池田先生は世界の識者と対談している
そういう日本人はいままでいなかった

1407 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/07/15(木) 22:49
 知っていた。

1408 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 22:57
1404〜1406はわたしのなりすましです。

1409 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 22:59
1402もなりすまし
アンチの姑息さがわかる
狂っているな

1410 名前: Mr.G 投稿日: 2004/07/15(木) 23:02
>>1409
これもですか?
http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/925/1082515321/18
なんかこの掲示板荒れたな。

1411 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 23:02
1408〜1409はわたしのなりすましです。
創価学会の偉大さがわからない
姑息なアンチは狂っているな

1412 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 23:04
議論で負け、個人攻撃もネタが尽き、最後はハンドルを騙って成りすまして貶めようって。
法華講のやりそうなことだ。
面白いな!

1413 名前: 匿名@学会員 投稿日: 2004/07/15(木) 23:06
創価学会の偉大さがわからない法華講め
正体を現したな!

1414 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/15(木) 23:12
喧嘩や悪戯はほかでやってください!!!

1415 名前: Mr.G (WGvFaSvM) 投稿日: 2004/07/15(木) 23:13
テスト

匿名@学会員さん よく分からんけどなりすまし防止にトリップでもつけてみれば?
それでももう訳の分からない状況になってきていますが・・・・

1416 名前: 匿名@学会員 (qT7P55sk) 投稿日: 2004/07/15(木) 23:14
テスト

1417 名前: 匿名@学会員 (qT7P55sk) 投稿日: 2004/07/15(木) 23:15
なりすましはやめろ!

1418 名前: Mr.G (WGvFaSvM) 投稿日: 2004/07/15(木) 23:32
>>1417
匿名@学会員さん
いずれにせよ、なりすましは管理人さんに調べてもらえば直ぐバレるので「管理人のスレッド」で書き込んでみては?
この掲示板も荒れたな。
しばらく落ち着くまで静観する事にします。
では、おやすみなさいませ。

1419 名前: 匿名@学会員 (qT7P55sk) 投稿日: 2004/07/15(木) 23:35
>>1418
ありがとう
管理人さんに調べてもらいます
おやすみなさい

1420 名前: 犬作 (nH.EB2uo) 投稿日: 2004/07/16(金) 01:41
>>1402
「創価ちゃんねる」ってコテハン出せよ。

1421 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 08:32
「蘇生への選択」
●個人崇拝の弊害
第三代会長時代になっての活動会員の最大エネルギーとなったのが、「師弟の道」というイデオロギーとなった。
社会から批判を浴びせられ、不祥事件が報道されて疑念を抱いても、「先生は常に正しい」とそれを振払い、前進してきた。
だからこそ、池田批判が内外に強くなる名誉会長の危機(これを学会の危機と常に置き換えます)には、必ず、「師弟の道」を強調し、再徹底させて防衛してきた。
しかし、「師弟の道」は本人のいうような学会の命綱ではなく、本人自身が学会君臨の座を確保する為の生命線なのだ。

1422 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 08:34
続1
この「師弟の道」は師である名誉会長の絶対化を形成し、名誉会長の宣揚 感謝 不疑 信順を会員に強制し、名誉会長の個人崇拝を生み出している。
この「師弟の道」が学会内に最重要思想として君臨している限り、入信して会員になることは、自動的に名誉会長の弟子になることを意味する。
一度も会ったことも話をしたこともない人物を師となし、自分がその人の弟子になるというのは、常識からすれば、おかしな話。
そもそも「人生の師」というからには、基本的には自分が現実に抱えている人生諸問題について問いかけ、教わるという、直接の人間関係があるところに成り立つ。接触の機会もなく、直接の対話もできぬ人間同士の間に師弟関係など元来成立できる道理などない。
本来成立しえない師弟関係を押し付けがましく成立させ、それを認めさせようとすること自体が、社会常識上おかい。
その洗脳術こそが、名誉会長の秘術。

1423 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 08:36

個人崇拝の幻想に染まった人の言動は非常識性を帯び、世間の常識ある人々に違和感を与え、仏法から遠ざける。
一人の入信者がうまれる陰で、三人 五人の学会嫌いや学会軽蔑者を作ってきた。
「師弟の道」という邪義を学会から取り除いただけで、学会はどれほど明るく透明になることだろう。

1424 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 08:38

続4
批判と意見がをゆるさぬ権威主義の独善性がなくなれば、良識ある人々がどれほどすっきりし、蘇生していくことか。
この「師弟の道」を排除しても、学会は決して崩れることはない。その神話と幻想こそが、学会をダメにし、根元から腐らせていった。
御本尊への信心を根本にして、それぞれの異体(立場 性格 考えの相違など)を認めつつ、二者択一を排し、調和と和合を築く行き方を探り、会得してこそ、学会の真実の強靱さ生まれてくる。

1425 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 08:43
本来成立しえない師弟関係を押し付けがましく成立させ、それを認めさせようとすること自体が、社会常識上おかい。

本来成立しえない師弟関係を押し付けがましく成立させ、それを認めさせようとすること自体が、社会常識上おかしい。


続4

続3

1426 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 08:50
三代会長時代になっての活動会員の最大エネルギーとなったのが、「師弟の道」というイデオロギーとなった。

三代会長時代になっての活動会員の最大エネルギーとなったのが、「師弟の道」というイデオロギーだった。

1427 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/16(金) 09:28
yuriko君、やんと自分のハンドルつかえばいいのに。

1428 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/16(金) 10:01
>>1427
>やんと自分のハンドルつかえばいいのに。
。。。
実を言うと、私が創価仏法研鑽板で書き込みをしていた頃、
小野君から注意されたんだよ。
すなわち、「きちっと、自分の意見と他の意見の区別して、読み手にわかりやすくしろ」ちね。
奈留程と思ったね。
そこで、資料の提供は自分の我見が入り込まないように心掛けてるわけ。
それでも、私が予め、何を書き込むか書いてあるから、私が書き手であるのは自明でしょ?

1429 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/16(金) 10:14
心がけは立派だと思うんですが
誤字脱字の多さは何とかなりませんか?
訂正だけでログが埋まってしまいますよ。

1430 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 10:17
「蘇生への選択」
●誤れる師には師事できない
私は広宣の偉大な正師を求めて、学会に入った。第三代会長を我が師と定め、人生の全てを賭けて信順し、敬慕し、師事して来た。
この師のもとで生涯仏道修行を全うしたかった。この師の指揮のもとで妙法広布の尊い人生を堂々と生きぬきたかった。
この世で最も偉大で価値あるものと確信し、世俗の名聞冥利も栄誉栄達も一切決別した。
かくして二十余年、わが人生に悔い無しと心に決め、多くの会員にこの一筋のすばらしさを訴え、師を宣揚してきた。

1431 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/16(金) 10:30
続1
しかし、私は痛恨の思いを込めていう。
「私の確信し、切に願望したこの一筋の道は誤りであり、全ての努力は水泡に帰してしまった。」とーー。私達が心より仰いだ師は、まぎれもない偽物の仏法指導者だった。
一切は幻影だった。
しかし、仏法の世界において、あらゆる善言を用いて指導をし、「師弟の道」を強く説いて自らに信順することを促し、多くの会員から仏のごとく尊敬を受けている人物が偽物であることは決して許されぬこと。

1432 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 10:46
>>1431は福島のものです。
続1
池田名誉会長が偽物であるという判断は、じつに容易ならぬこと。私はこの判断を断腸の思いでくだした。
このことは、学会内で懸命に努力し、積み重ねてきた成果の全てを、自ら否定し去ることを意味する。
唱題に唱題を重ね、信心を奮い起こし、私の総力を上げて検討しぬいた結論であり、苦しみぬいて取り組んできた上での判断だった。
私は、今御聖訓のままに、信心の大確信をもって、池田名誉会長は仏法指導者として偽物であると、はっきり言える。

1433 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 21:01
●大牟田発言事件と辞任
いよいよ会長辞任の一連の諸行事が開始される前日の4月23日朝、北条さんは、時間をもうけて約1時間にわたり、これまでの経緯を説明した。
「会長辞任申し出の前から、すでに猊下は学会に対して実に厳しい態度で臨んでいられた。
君の大牟田発言はその中での引火線になったが、会長辞任は長い歴史の中での一連の出来事であり、この責任が君だけあるのでは決してない。大きい流れの問題であることが、今よく判った。私達の分析が甘かったし、間違っていた。宗門への姿勢も悪かった」

1434 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/16(金) 21:03


今、思えば全てが狂っていた。当事者の殆どが異常感覚に陥っていた。それから三年後。原田副会長が、「北条会長の生前のノートなどの資料を詳細に調べていく中で、宗門問題を引き起こした元凶を福島さんだと考えていたのは明らかに間違いであることが判った。申し訳ない」と私に陳謝した。)学会本部で)
しかし当時の私に侮辱ともいえる暴言を吐いて詰問した他の数人の幹部は、謝罪どころか一言のあいさつさえない。

1435 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/17(土) 02:06
>私は、今御聖訓のままに、信心の大確信をもって、池田名誉会長は仏法指導者として偽物であると、はっきり言える。

別に、難しく考えずフツーに見ても彼はエセ宗教者に見えますけど。
ほんとうの宗教者だったら世界を回って慈善活動やっているとか、
戦争前にアメリカの大統領と会談して意見を言うとかしているはず。
ニュースやインタビューに生で出ているだろうしね。

正しい仏法指導者と見るのは学会員ぐらい。
それは文化、教育、刷り込み、お約束、虚構の世界。

1436 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/17(土) 02:19
ほんとうの宗教者だったら世界を回って慈善活動やっているとか、

慈善活動のかわりに布教だけをやっている。
布教が慈善活動と思っている。

慈善活動をやらないばかりかそれをないがしろにして、
さらに宗教心もなく、政治力に頼ろうとして、選挙ばかりに
力を入れている。

心よりも数や力が大切のようだ。

>戦争前にアメリカの大統領と会談して意見を言うとかしているはず。
>ニュースやインタビューに生で出ているだろうしね。

マイナーな識者や高齢の識者とばかり対談している。
口先ばかりで戦争を心から反対する姿勢がみられない。

えげつない他宗教団体の攻撃を行っている。
政治家から宗教弾圧を受けていると称しているわりに
自らが宗教弾圧をやっている。

1437 名前: モーリス (JExy6YJA) 投稿日: 2004/07/17(土) 08:33
>>1436

>心よりも数や力が大切のようだ。

>口先ばかりで戦争を心から反対する姿勢がみられない。


極めて激しく同意。
バリバリ創価クンはなんか文句ありますか?

1438 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/17(土) 15:49
学会員は学会から流れてくる情報しか知らないから反論不能です。

1439 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/17(土) 15:51
情報→似非情報

1440 名前: SGI 投稿日: 2004/07/17(土) 17:13
>>1253 薫さん、レス、ありがとうございます。
 ご返答が大変遅くなりました。申し訳ありません。

>言論部はまだあるのですか?それとも広宣部にかわったのですか?
―― 言論部は、昭和45年5月3日の「謝罪講演」を受けて解散・消滅しました。
 広宣部とは、教宣部のことでしょうか。地域によって口称が異なるようですね。どちらにせよ、薫さんが指摘しているセクション(広宣部)は、今般の宗創問題で設置された対宗門・法華講のためのもので、活動は、かつての言論部に似たこと、あるいはそれ以上のエゲツないことはご存知のことでしょう。
 直接的には言論部とは発足趣旨が異なりますが、数に頼んで敵対勢力にプレッシャーをかけるという意味・発想では同じかもしれません。

>大阪事件は冤罪ではないのですか?
―― 冤罪ではありません。犯罪です。>>15 >>187 >>469-470 を参照下さい。

>最初から学会をはめようとしていたのですか?
―― >>697 でも言及しましたが、『創価学会を斬る』の発刊以前から“鶴のタブー”が存在し、広く多くの言論妨害がなされていたのです。そこで、>>980 で藤原弘達氏自身が記述しているように、車内広告で挑戦予告を行い、藤原氏の“土俵”に学会を呼び込んだといえるのかもしれません。

>宗教政党と国民政党はどのように違うとお考えなのですか?
―― 簡潔に記すことができません。これまでも度々言及してきましたが、これからもその都度書き込んでいきますので、それで勘弁して下さい。ゴメン。

>>1010-1011『創価学会を斬る』の鋭さには驚きました。だから学会は出版妨害をしたのですか?
―― 内容の問題ではないと思います。
 「批判を許さない」という体質の問題であって、どのような内容であっても、他の本と同様に出版妨害を受けたのだと思います。“批判封じ”は、池田創価学会の一貫した姿勢です⇒>>903

>本当にこんなにも出版妨害をしたのですか?とても信じられません。
―― 事実です。きっとまだ他にもあったのだと思います。

1441 名前: SGI 投稿日: 2004/07/17(土) 17:14
[>>1440 の続き]
>学会の中で言論の自由がないというのは、ちょっと違うと思うのです。
―― 大橋敏雄・元衆議院議員の例でも分かるように、名誉会長を批判すれば、凄まじいバッシングの上、除名となります。原島嵩・元教学部長にしても、福島源次郎・元副会長にしても、名誉会長に弟子として名誉会長および学会の在り様を諫めた結果が、聞き入られるどころか“忠言一切耳に入らず”で、反対に排除・個人攻撃という仕打ちになって、ご存知のような極悪人扱いです。
 学会を辞めたから批判するのではなく、名誉会長を批判(建設的な批判であっても、意見具申でもあっても、名誉会長や本部の方針に異を唱えると)したから学会から排除されるのです。

 また、創価大学の人形劇団「ぴっかりこ」が、大学当局と対立し裁判へと発展した問題でも、関係者には相当の圧力がありました。⇒http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-12-26/15_01.html
 つまり、学会では“お上に楯突いちゃならねぇーだ”のです。異議の申し立てを許さない世界・団体なのです。図らずも名誉会長は「本当は全体主義は一番理想の形態だ」(第61回社長会・昭和47年6月15日)と語っています。

 だから、多くの会員が名誉会長の称号や勲章漁りやスピーチの内容、組織の選挙活動や財務などの在り方に疑問を感じていても、表立って言葉にすることはないではありませんか。確かに会合が終わった後とか、気心が知れている同士の場合は、口にすることはありましょう。でも所詮それは、不満の吐露であり、愚痴のつぶやきであり、ガス抜きに止まっているだけです。
 不満・愚痴・ガス抜きであれば、幹部(本部)は気にしません。しかし、それが行動となり、運動へと発展したり、他の会員に影響を与える場合には、学会組織は容赦がありません。そうした事例は多々見聞されているのではないでしょうか。

>ほかにも第三者の裏づけ資料はありますか?
―― 自己の正当化はあるやもしれませんが、当事者の証言です。そこに意味があると存じます。
 第三者の裏付け資料といえども、当事者や関係者からの取材から始まります。そうした証言や資料から、何を読み取り、考えていくのは、読み手の問題ではないでしょうか。

1442 名前: 福島源次郎 投稿日: 2004/07/17(土) 18:10
〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓爾〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓躬〓〓〓〓〓〓〓〓軍〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

1443 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/17(土) 18:12
実権

1444 名前: 福島元次郎 投稿日: 2004/07/17(土) 18:14
〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓躬〓〓〓〓〓〓〓〓軍〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

1445 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/17(土) 18:18
福島源次郎 蘇生への選択
●疑念の発端
○疑いを押し唯信順
私は先生を大聖人の再誕と考えたことは一度もない。
しかし、「師に対しては毛筋程の疑いもあってはならない」というのが、諸先輩方の指導だった。
何より、師自らが側近の私達に常に言い聞かせてきたことだった。
先生は賛成の趣旨での意見はよく聞くが、批判的意見や反対意見は聞かない。抑、そう言える雰囲気すらない。
聞いたように見えた時も、後日、必ず手厳しい叱責や批難が加えられる。批判拒否は先の体質から来るものだ。
首脳の諸先輩は、このことを知りつつ、割り切っているというより、要領よく立ち回っいるだけだった。思い切った意見具申をしたのは、自分の他には原島教学部長がいた。

1446 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/17(土) 18:21

●宗門問題で醜い人格が露出
人間は厳しい状況に立ち至って、本性が強く現れる。
先生の姿がまさしくそうだった。
それは、言行不一致 責任転嫁 無反省 無責任の人間像だった。
言論問題が発生する前までは、総本山や御法主上人に対して、誠実を貫く姿がまだあった。
ところが、正本堂が完成する当たりから、宗門批判を先生自ら始めた。
「お山は信用できない」
「廂を貸して母屋を取られるとは、こちらの台詞。僧侶の奴隷などにはなってはいけない」
昭和51年12月9日、故原島理事長法要で先生が突然、宗門攻撃を開始した。
同じ月、私は創価学会本部長に任命される。これは、理事長の補佐役。必然的に対宗門指示を実行させる為の執行責任者となった。
宗門の強硬さが明らかになると、先生の内と外の顔が極端に違うようになった。
私は、情報歪曲によって責任を負わされ、本部長職から解任され、九州に移住した。
先生によって「帰命論は福島が勝手にやったことで、私は大迷惑」と語られる。

1447 名前: SGI 投稿日: 2004/07/17(土) 22:14
test

1448 名前: SGI 投稿日: 2004/07/17(土) 22:17
[>>1440-1441 の続き]
○学会内の“批判封じ”に関連して――

 「聖なる狂信」という言葉があります。
 信仰的に純粋であればあるほど、疑う心が全くなければないほど、独善という落し穴に陥る危険性があります。そして、独善と独善とがぶつかりあう時、暴力と破壊という悲惨な世界が現出します。宗教やイデオロギーによって、人間が人間を敵視する時、人間は限りなく残忍になれるのです。
 国家と国家が、自由と平和と正義の世界をつくるためと言いながら、殺戮と破壊を繰り返しています。宗教と宗教が、魂のやすらぎを説きながら、暴力と虐殺を繰り返しております。平和な世界を作るために、それを阻む憎き敵とは徹底的に戦え。やすらぎの国土をつくるために、それを妨げる憎き邪教とは徹底的に戦え、と。それが太平洋戦争であり、十字軍の聖戦であり、今日のイラク戦争であり、学会による宗門攻撃となっています。

 独善的な信仰においては、自らの信仰を相対化して冷静に見る人は、「信心がない」と言われて批判されるのです。自分たちの信仰は唯一絶対の正義であるから、疑うことは悪である、という暗黙の了解が教団・組織の中に充満しているからです。
 理性(疑う心)に基づいて、組織(教団)改革のために建設的な意見を述べても、指導者への批判と受けとめられて排除されるのがオチ。指導者への盲信盲従が、教団の信仰に純粋なる証しとなるのです。

 オウム真理教の林郁夫氏は医者でした。彼は、次のように語っております。「疑ってはいけない」「信じよう、信じよう」と自らに言い聞かせていた。理性をもって考えれば、おかしいと思うことはあっても、「そのように考えるのは信心がないからだ」という教団の雰囲気の前に沈黙せざるを得なかった、と。
 教祖の麻原彰晃容疑者には、宗教を利用して自身の栄耀栄華を極めようという邪心があったにせよ、林郁夫氏は信仰的には真面目であり、むしろ真面目なるが故に「聖なる狂信」の世界へと足を踏み入れたと思います。

 疑うことが許されない絶対的な信仰は、往々にして盲信となり、狂信となり、狂気の破壊行動となって現われます。かのオウム真理教が、その現実を示しております。
 理性の目で見れば、王様は衣類をまとっていないように見えますが、誰も正直に「裸の王様だ」とは言わない。また、そういうことを言ってはいけないのが、独善的な信仰の独善たるゆえんなのです。

 私は、自分が信仰する唯一絶対の教団を、常に相対視して、理性に基づいた建設的な提言をなしていくという勇気をもたなければならないと考えます。建設的な提言までも「批判」として言論封鎖するのではなく、その提言が仮に間違っていれば、執行部が責任をもって諭していくことが大事なのだと思います。そのような教団運営ができない信仰は、オウム真理教と変わらないことを知らなければなりません。

1449 名前: SGI 投稿日: 2004/07/17(土) 22:19
[>>1448 の続き]
 今、学会は、極悪と徹底的に戦うことを強要し、会員を煽りに煽っております。

■青木亨編『21世紀の創価の正義』p80
 和泉 日蓮仏法の魂は、「極悪との戦い」だ。慈悲だとか、寛容だとか言って、悪を見逃したり、悪と戦わないなんていうのは、仏法じゃない。そんなのは、ただの臆病であり、卑怯なんだ。
 森田 その通りです。学会も池田先生の指導のもと、極悪と戦い抜いてきたからこそ、ここまで大発展したんです。……
 和泉 御書にも仰せじゃないか。「悪を減するを功と云い善を生ずるを徳と云う」。悪を破折しなければ、功徳は出ない。悪と戦ってこそ、本当の善になるんだ。仏法はすごい原理だ。だからこそ、青年部は徹底して戦ってもらいたいんです。
 佐藤 分かりました。我が青年の使命であり、責任です。

 あるいは「極悪と戦ったからこそ、極善である仏になることができたのである。善は悪と戦うからこそ、善なのである。極悪と戦うなかに、最高の善である仏の生命は開かれていくのである」(『大白蓮華』平成16年1月号・p76取意)と。
 名誉会長も執拗に自ら会員に激を飛ばしております。「仏法は、正義と邪義の戦いである。一生の間には、釈尊の時代の提婆達多のごとき悪人が出てくるものだ。……最後の最後まで、断じて、戦いを止めてはならない」(『聖教新聞』平成16年6月24日)と。

 これらは、まだまだ上品な方です。毎日、毎日、個人名を挙げながら、これでもか、これでもかと、下品な言論のテロ行為が行われております。口では「広宣流布」「慈悲」「平和」と言いながら、実際にやっていることは、異教徒を呪い殺さんばかりの憎悪の会員教育にすぎません。

 いかなる宗教も、己れの宗教が正しいことを主張するから、正義を信ずる者同士が、正義と正義とをぶつけあって、仁義なき戦いへとなります。しかし、憎悪と憎悪とをぶつけあうことによって、はたして問題は解決するでありましょうか。憎悪は人間の残忍さをエスカレートさせるだけで、仏国土建設には何ら寄与しないのではありませんか。憎しみは憎しみだけを生むのです。

 独善的な学会員は「自分が人からされたくないことは、人にもしてはいけない」という仏教の基本的な倫理がわかっておりません。自分たちは正義であるから、相手をいくらののしってもいいけれども、相手から同じことをされると、逆上するといった独善的な人間は、この掲示板の中にでも実証を示しております。いずれ身を破ることになるでしょう(というか、すでに…か)。

 こうした独善的な会員は、自分の方から見れば、相手は極悪であるかもしれませんが、相手から見れば、自分の方が極悪・愚か者と映っていることに気がつかないのです。
 理性(疑う心)を持った正常な学会員は、必ずしも執行部のやり方がすべて正しいとは思っておりません。理性・正心をもった会員は、『聖教新聞』や『創価新報』等の異常なまでの反宗門キャンペーン等を見て、こんな下品な新聞は世間の人や子どもには見せられない、と思っております。見識をもった会員は、相手を罵るだけで、己れをかえりみない独善的な言動は、宗教者・信仰者として恥かしい、と思っております。

1450 名前: SGI 投稿日: 2004/07/17(土) 22:20
[>>1449 の続き]
 「憎悪によって問題は解決しない」「憎悪によって布教はできない」。実は、このことを一番知っているのは、学会執行部・信濃町本部です。毎日、毎日、異常なまでに宗門等の悪口を言っているが、あれは組織防衛にすぎません。
 名誉会長は、「攻め合いは、ひるんだら負け。激戦のときこそ断じてひるんではならない。強気で攻め抜けということだ。攻めは守るなり。攻撃こそ最大の防御である」(『聖教新聞』平成16年6月19日)と語っています。つまり端的にいえば、学会は宗門等の悪口を言い続けていないと組織がもたないのです。

 組織の結束を図ろうと思えば、敵対勢力をつくり、緊張・交戦状態を作り上げるのが最も手っ取り早い。敵が存すれば、組織は結束せざるをえないからです。これが、池田創価学会の組織運営の手法です。会長就任以来、執行部はずーっとこの手法で組織を運営してきました。
 常に敵対勢力が存在するから、名誉会長ら執行部がおそまつな指令を出しても、不祥事を起こしても、失態しても、事態をこじらせても、それに異を唱えれば敵を利すると言われるだけです。過日も「敵対行為だ」と言って、正論を退けていた方がいました。

 全体主義の国や交戦中の国において「言論の自由」がないように、学会の組織内も自由にものが言える雰囲気はありません。そして、交戦中の国に住んでいる時、売国奴とか非国民とか言われるのが一番つらいように、その組織集団に所属し続けようと思ったら、黙ってついていくしかありません。
 もっと他の方法はなかったのか、と個人的には考えても、現実に抗戦状態にある以上は、組織を守るためには、あるいは自己の生活を守るためには、敵と戦うしかないのです。だから、本音を隠しながら組織の指示に従うのです。

 多くの会員が本音を隠しながらも、唯々諾々と従っていることに乗じて、好戦的な人々が忠義づらをして、名誉会長らに取り入り、その権威をかさにきて傍若無人の振舞いと「おいしい生活」を享受しております。かの満州国における日本の関東軍がまさにそうでした。
 いつの時代でも、いかなる組織でも、人間そのものはそんなに変わるところがありません。「広布のため」「学会を護る」「先生を護る」という大義をもって、名誉会長にとり入り、自身の栄誉栄達や蓄財、支配欲の満足をはかっているのです。

 薫さん、こうした実態をよくよく見定めてください。そして、最も正しい身の処し方を選択されることを切に望みます。

1451 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/18(日) 01:46
age

1452 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/18(日) 03:16
福島源次郎 蘇生への選択
●禄を食むべからず
○目にあまる偽善性に絶望
昭和55年から57年にかけて、山崎正友裁判月刊ペン裁判が行われた。その進行に伴って幹部の口コミは勿論、聖教紙上での原島 山崎両人に対する攻撃も¥激しくなった。
●四者各部首脳の座談会記事
露骨な個人中傷と先生礼讃。背いた者への憎悪が露骨で、気分が悪くなるようなもの。
先生自らがこの記事に手を入れ、語られていないことまで加筆していることを知った時、ほとほと情けなくなった。先生は、自分が強調したいことを、他の人の口や文を借りて語らせることは通常のこと。
▽慈悲の心が微塵も見られぬどころか、徹底的に組織から排除し葬り去ろうという怨念が前面に出ている。
昭和57年4/11 関西文化会館 東大会 女子大会での発言に絶望感を持った。
◇原島家のことは信用したことがない。
しかし!原島宏治氏は、第三代会長誕生の最大の推進者。
理事長。公明党初代委員長。
息子が離反したからといって、その父の功績も一挙に葬り去るのは、あまりに冷酷。
原島 山崎 を重要ポストに登用したのは先生本人。
「忘恩」「卑劣」と攻撃する前に、自分の誤りと失敗の責任を反省し、謝罪するべきだった。
◆昭和56年7月北條会長が急逝。
逝去の際、大勢の前で「こんな暑い時に死ぬは皆が迷惑の暴言。
私は怒りを覚える。
北條会長の会長就任の時、逝去の時、追悼特集は聖教新聞に載らなかった。
いずれも、先生が「やる必要がない」との強い指示。
それどころか、
「任せてやったのに、結局、学会を支えられなかった」との批評。
まさに、偽仏法指導者の面目躍如の出来事だった。

1453 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/18(日) 06:06
>>1452
>北條会長の会長就任の時、逝去の時、追悼特集は聖教新聞に載らな
訂正

北條会長の会長就任の時は特別な記事も組まれず、逝去の際も、追悼特集は聖教新聞に載らなかった。

。。。私の感想。
ホント、今からでもいい、
北條記念館を一つでもいい、建立してほしい。
そうしたら、私は創価学会への見方を根本的に見直す。

1454 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/18(日) 08:22
福島源次郎 蘇生への選択
●偽指導者の正体を最終確認
昭和57年9月19日、所沢市の西武球場で第二回世界青年平和文化祭が開催される。
天候が急変し、朝から土砂降りの雨。三千人の来賓にも拘わらず、雨中決行した。
球場に向かう道筋で出演予定の男女青年が、寒さに震え乍ら題目を唱えていた。
小雨の中、先生が手を振り乍らグラウンドに入場した、
ところが、貴賓室に入ったきり、最後まで出てこなかった。
フィナーレでさえも、一言の激励もなく退場。足下にはヒーターがあったのを確認。
幹部席で私は、目撃していたのだ。
そもそも、この文化祭は、一連の学会批判ムードを一挙挽回する為、先生が直接提案し、指示して開催が決定された。
参加者は、練習も厳しく、休日返上、連日深夜までの練習に励んでいた。
先生は、朝からの雨は必ず止むと断言し、先生の決断で、開催は強行された。

1455 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/18(日) 08:24
続1
ところが!
開会後、再び、土砂降りの雨。
来賓、出演メンバーも濡れた。
出演メンバーは、寒さでかじんだ手足や体を何とかほぐしながら、懸命に演技した。
いじらしい姿だった。
もしも、本当に青年を愛する指導者であるならば、自ら進んで雨に濡れて青年と行動を共にすべきではなかったのか?
ハシゴを使っての演技中、一人の学生が頂上から落下し、瀕死の重傷を負った。
多くの出場者も風邪で発熱した。
彼等に一言の労いの言葉をかけなかった。

続2

1456 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/18(日) 08:26
続2
一方、戸田先生は昭和29年5月9日の青年部総登山の時、強雨の中の三門広場での式典中、さしかける傘を払い、ずぶ濡れになって青年と行動を共にした。この時、師54歳。その指揮を執った弟子、池田は今、同じ54歳。
ところが、(池田)先生は、自分の弟子達とは別行動を採る。
『今日のお山においての青年部の集いに対し、梵天 帝釈の加護することもなく、雨の中で行われますことは、ひとえに一身私の謗法のいたすところと深くお詫び申し上げます』
この戸田先生の一言は5千5百人の青年男女の肺腑をえぐったと、人間革命第八巻に書かれている。
何と、戸田先生の最高の弟子を誇る先生の行動は違っているのか!?
私は、この日を境に、先生を偽物の仏法指導者と断じて、完全に見切りをつけた。
無念だった。

1457 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/18(日) 13:46
>私は、この日を境に、先生を偽物の仏法指導者と断じて、完全に見切りをつけた。

福島氏は気付くの遅すぎ!

1458 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/19(月) 12:03
>>1457

>福島氏は気付くの遅すぎ!

。。。。。
正信に目覚めるもに遅すぎるということはありません!

1459 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/20(火) 00:13
SGIさんにが引いた、藤原行正「池田大作の素顔」に依れば、
言論出版妨害事件の折り、
自分は箱根研修所に避難し、温泉三昧だったそうだ。
それに、毎日風呂に入った後、体温計を当てては、高温を周囲に示し乍ら重病を装っていたという。
こんな事をする人間が居るとは、俄には信じ難い。
私としては、池田先生は本当に虚弱体質で、熱に悩まされ続けたと信じたい。
土砂降りの西武球場でも、もしも体の調子がよくなかったとしたら、
無理を望むべくもない。
従って、問題は果たして誰を信用するかということになる。
「師匠を信じ切る」ーー人を信じる→美しい行為だ。
もしも、池田先生が会員を平気で騙し続けていたとしたら?本当に「嘘を平気でつける人」だったら?
日蓮大聖人の仏法では、理証、文証、そして、現証が何より重要で、池田先生が赫々(かくかく)たる実績を示している以上、正しいに違い無いとということになっている。
私も、あんまり、人を疑うのはよくないと思う。
疑いは不信に繋がり、精神的破綻をきたす。
それだけに、池田先生の為にも、きちっと、疑い、正当な手続きを踏んで、疑惑を晴らしてあげるのも大切なのではないか、と思う。

1460 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/20(火) 00:43
>>1459
>それに、毎日風呂に入った後、体温計を当てては、高温を周囲に示し乍ら重病を装っていたという。
>こんな事をする人間が居るとは、俄には信じ難い。

「体の痛みで、丸1日の作業は無理だったが、スキーなら差し支えなかった」(オッキー?)
とかわんないよ!

1461 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/20(火) 07:19
モラルハザード(道徳退廃)というのが問題になる。
高い地位にあるものがその地位の責任を自覚するどころか、おれを利用して、私利私欲を肥やすことをいう。
官僚、企業を問わず、組織が大きくなればなる程、本人がさして意識することもなく、「当たり前」のように、「特権」を利用するのはよくあることだ。
大してチェックもされなかったら、
「やり得」「ということになる。
外交官のリッチな生活には、驚いたが、一国を代表する仕事をしているのだから、少々のことは大目にみては、とい態度が一般にもあったのではないか?
それと同様に、池田先生y公明党議員にたいしては、
「私達の代表だから」とつけ上がらせてきたのではないか・
しかし、私が先に、米国のある駅で、僅かな清算の額でもきちっと、支払おうとした乗客がいて、私が感動したように、
「誰が特に観ていようといまいと、清廉潔白に生きる」といのは、人間の宗教心に通じると思う。
すなわち、常に絶対者の目をそこに感じ、「自分は生かされているだけ」という、絶対的謙虚さが、信仰者に共通して見れる。
それを考えると、どうも、池田先生には、そうした信仰心がないようにしか思えない。
というか、藤原行正氏名が自著で述べていたことだが、
池田先生におとっては、最初から、広宣流布とか、日蓮大聖人の仏法、まあして、日蓮正宗の興隆などは、どうでもよく、
大事だったのは、自分の出世欲だけだったのではないかとも思える。

1462 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/20(火) 07:38

「ノーブルドオブラージ」というフランス語があるが、
これは、「地位が高ければ高いほど、私欲を棄てて、公に奉仕する」という考えだ。
信仰の世界で言えば、身軽法重ということになるだろう。
クルスチャン風に言えば、「無償の愛」ということになろう。
宮沢賢治が「全体の幸福が無ければ個人の幸福はあり得ない」と言=ったのもそこに通じるだろう。
たとえ、誰が観ていようと観ていまいと、公の為に尽くすことは、結局は自分に(最大限の形で)還ってくいるという考えは、菩薩の修行に通じると思う。
日本の教育にモラルハザードが起っているから、宗教教育の必要性を訴える者が多い。
創価学会はその先駆を走り、教育文化の振興を主張している。
問題は、その中味だ。
まずは、池田先生に基本的な道徳から教育を受け直して貰うのも一考だ。
まずは、民主主義が民衆主義と如何に違うかとか、如何なるルールを守るべきかを学んで欲しい。

1463 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/20(火) 08:00
続2
ここで、沖浦さんのケースを考えてみたい。
沖浦さんは、アンチに対して、「匿名投稿」をさんざん揶揄しては、自分の個人情報を過度に一般に曝してきた。
それが、今回の不祥事だ。
仕事をさばって、スキーの練習をしていたことくらい大した問題ではないのかも知れない。
大会の成績も「優勝」したくらいだから、寧ろ誉めるべきことなのかも知れない。
処分も「三ヶ月」程度だから、ちょっとした「お灸を据える」程度だったのかも知れない。
しかし、問題は、創価学会員である沖浦さんのモラルハザードだ。、
ここの掲示板でも問題になっているように、創価学会員の公共心のなさは、重大な社会問題ですらある。
それを、自ら、59才という大人が、インターネット掲示板という現代最先端の公共の場にも拘わらず、何の罪悪感もなく、
職場放棄(それも公共)した事実を隠蔽(ごまかし続けた)というのが問題なのだ。
こういっては、何だが、実に創価学会員らしいではないか?
沖浦氏の行動は、またしても、創価学会員のモラルハzードの実態を実証してくた。まさに、師弟不二といえる。
恐らく、新潮はこの件を扱わないだろう。
●あまりにマイナー
●沖浦氏があまりに個人情報を既に公開しているから、人権侵害になる
などの理由からだ。

1464 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/20(火) 10:55
訂正>>1463

処分も「三ヶ月」程度だから、ちょっとした「お灸を据える」程度

処分も「六ヶ月」程度だから、ちょっとした「お灸を据える」程度

六ヶ月無給なんだろうな?
もう恥ずかしくって、職場には復帰できないんだろうな?
でも、職場っていうのが、神戸市清掃局ってなってるから、
要するに、市民のゴミ集めだから問題ないんだろうな?
「北の国から 遺言」でじゅん君も、富良野市の清掃局だったから、大変な仕事だろうけど、やりがいがあることは想像できる。
六ヶ月間暇だったら、ここに遊びにきなよ。

1465 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/20(火) 14:41
高い地位にあるものがその地位の責任を自覚するどころか、おれを利用して、私利私欲を肥やすことをいう。

高い地位にあるものがその地位の責任を自覚するどころか、それを利用して、私利私欲を肥やすことをいう。

池田先生におとっては、最初から、広宣流布とか、日蓮大聖人の仏法、まあして、日蓮正宗の興隆などは、どうでもよく、

池田先生にとっては、最初から、広宣流布とか、日蓮大聖人の仏法、まして、日蓮正宗の興隆などは、どうでもよく、

1466 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/21(水) 18:59
初めまして ながらくロムしてたものです
SGIさんにお聞きしたいのですが 池田先生以下最高幹部の方達の御本尊様は
今創価学会が配布している日寛上人の御本尊様とお取替えしているのでしょうか?
それとも日蓮正宗の御本尊様を拝んでいるのでしょうか?
是非教えて頂きたいのですが よろしくお願いします。

1467 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/21(水) 20:10
福島源次郎『蘇生への選択』
●人間革命の師弟の道
執筆の動機から考えて本来師の偉大さを書き綴る師論であるべき内容が、巻を追うごとに、山本伸一(池田大作)がいかに弟子の道をすばらしく歩み続けたかという、弟子宣揚論へ重点が移行していった。
『師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不二の道を貫くことの困難さがここにある。ただかろうじて、山本伸一だけは違っていた。。。。。。その彼(山本)の作戦の根本は、戸田の指針と全く同一であった。不二であった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力はすでに不必要であった。』(第10巻 一念)
『師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師承とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀といわなければならない』(同 脈動)

1468 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/21(水) 20:29
続1
。。。。。弟子の全ての行動が、師から何の指導を受けなくとも、師の考え通りになっているというような摩訶不思議なものすごいことをやってのける人とは、いったいどんおような人間なのか?現実の世界で可能なのか?
私達には、その作業は、意味不明な大変困難な作業を必要としているように思われる。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、三大秘法の大御本尊への帰命 境地冥合の信仰実践だ。その仏道修行を強め深めていく縁の一つが、学会の師弟の道であり、その達成が目的でであるべきでない。
そもそも、師弟不二の道というのが、過程なのか結果なのか、縁なのか果なのか、手段なのか目的なのか分からない奇妙なものだ。

1469 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/21(水) 20:33
続2
特別な人間のみが可能で、普通の凡人には実践できないものならば、一切衆生救済の大聖人の仏法の精神に反する。
本来、精進すべきは御本尊への信心であり、それを支援していくのが師の存在ではないのか?
池田の師弟論は。目的と手段が入れ代わり、本末転倒となっている。
こんなことを要求する師は存在するべきでない。
最高指揮官と現場指揮官との戦略戦術の統一のために、至難な信仰作業を必要とするのはおかしいのである。

1470 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/21(水) 20:39
訂正>>1169

いったいどんおような人間なのか?現実の世界で可能なのか?

いったいどのような人間なのか?現実の世界で可能なのか?

1471 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/21(水) 20:47
訂正2>>1169

『師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師承とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀といわなければならない』(同 脈動)

『師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師匠とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀といわなければならない』(同 脈動)

1472 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/23(金) 01:58
福島源次郎 略歴

昭和7年生まれ
熊本県出身
熊本県立済々学高校、東京大学経済学部卒業 昭和31年富士電機に入社。
昭和31年日蓮正宗入信
同35年創価学会入会
翌36年富士電機を退社して学会本部職員となる
以後、聖教新聞社編集総局長 編集主幹 専務理事
創価学会男子部長 青年部長 文化本部長
昭和47年 創価学会副会長
昭和54年 一切の役職を辞任
平成10年 死去 享年66才

1473 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/23(金) 16:20
1460の続き
 上のような菩薩の思いが、一念三千や題目と何か関係があると思われますか?全く無いと言わなければならないでしょう。
 第4番目に、寿量品に、「如来は如実に三界の相を知見す。生も、死も、もしくは退、もしくは出、有る事無し。又、在世と、および、滅度の者も無し。実にもあらず、虚にもあらず、如にもあらず、異にも有らず。三界のものの三界を見るがごとからず。かくのごときの事を、如来は明らかに見て、誤り有る事無し。
 一体、常住の仏の上のような心境が、一念三千や題目と何か関係がありそうにも思えますか?之は「空」を言ったものです。文低に題目が隠されているのを取り出した、などと言うのは、イカサマの手品士が言うようです。
 第五番目に、常不軽菩薩品に有るように、ただ相手を仏になると予言し礼拝するだけでは、法華経の教えに適っておらず、法華経の教えを説くことが必要であるとされています。相手を礼拝することは法華経の教えではありません。これが題目や一念三千と何かかかわりがありそうですか?何も無いと思いますが。
 第六番目に、順序が逆になりましたが、薬草喩品の後半部分に一番しっかりと法華経の教えが述べられていると思います。題目や一念三千と少しも関係の無い教えです。この部分はラジュウの訳にないものです。ラジュウの原本を見た誰かが、之では法華経の教えが何であるか、後世の人は迷惑するだろうと考え、追加補充したのではないかと思われますが、その部分は役に立っており、他の部分の教えと相反するもんではありません。
   

 空と言う真理の前にすべてのものが消失しているのです。命は有りません。何かあると言う教えはすべては空を教える法華経の教えに反しています。
  
 以上で、日蓮の教えは法華経の教えと関係の全く無い教えです。之を仏教と言ってはいけないでしょう。

1474 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/23(金) 16:22
1460の続き
 上のような菩薩の思いが、一念三千や題目と何か関係があると思われますか?全く無いと言わなければならないでしょう。
 第4番目に、寿量品に、「如来は如実に三界の相を知見す。生も、死も、もしくは退、もしくは出、有る事無し。又、在世と、および、滅度の者も無し。実にもあらず、虚にもあらず、如にもあらず、異にも有らず。三界のものの三界を見るがごとからず。かくのごときの事を、如来は明らかに見て、誤り有る事無し。
 一体、常住の仏の上のような心境が、一念三千や題目と何か関係がありそうにも思えますか?之は「空」を言ったものです。文低に題目が隠されているのを取り出した、などと言うのは、イカサマの手品士が言うようです。
 第五番目に、常不軽菩薩品に有るように、ただ相手を仏になると予言し礼拝するだけでは、法華経の教えに適っておらず、法華経の教えを説くことが必要であるとされています。相手を礼拝することは法華経の教えではありません。これが題目や一念三千と何かかかわりがありそうですか?何も無いと思いますが。
 第六番目に、順序が逆になりましたが、薬草喩品の後半部分に一番しっかりと法華経の教えが述べられていると思います。題目や一念三千と少しも関係の無い教えです。この部分はラジュウの訳にないものです。ラジュウの原本を見た誰かが、之では法華経の教えが何であるか、後世の人は迷惑するだろうと考え、追加補充したのではないかと思われますが、その部分は役に立っており、他の部分の教えと相反するもんではありません。
   

 空と言う真理の前にすべてのものが消失しているのです。命は有りません。何かあると言う教えはすべては空を教える法華経の教えに反しています。
  
 以上で、日蓮の教えは法華経の教えと関係の全く無い教えです。之を仏教と言ってはいけないでしょう。

1475 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/23(金) 18:04
1473/1474は記入間違いです。済みません。

1476 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 01:17
このスレッドでは、創価学会史、人間革命などを中心に意見を書き込んでいます。
教義上のことは、興味はありますし、全く関係ないとは言い切れませんが、
他のスレッドに書き込みをお願いします。

1477 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 01:53
最近思う事。
●現代世界では、略完全な宗教の自由が保証され、
ある特定の宗教団体が反社会的行動に走らない限り、その活動は規制してはならないことになっている。
個人個人の精神の自由が保証されているから、その個人が信じている信仰の良し悪しや善悪を干渉できないことになっている。
それを創価学会は、「正義の実現」の旗印の下、堂々と干渉してきた。
●人間の幸不幸福は、宗教に(全て)かかっている。
この括弧付があるかどうかで、180度違って来る。
確かに、宗教は人間の精神の大きな部分を支配する。そういう意味で、人間の幸不幸は、宗教によって左右される。
しかし、「xxxの宗教でなければ、絶対に幸福になれない」又は、「絶対に幸福になれる」とは、絶対に言い切れない。
人生んもある期間、又、場所によって当て嵌まることはあっても、それが普遍性は持たないのである。
●宗教によって、(だけで)人間の幸不幸福を論じるのは、時代性に反する
現代社会の大きな骨格として、徹底的な世俗化というのが言える。
そこでは、宗教的、精神的主義主張は、重要でないとはいえなういが、代二義的なものにならざるを得ない。
★例 救急医療の現場で、患者の宗教的背景は問題になることは、まずない。
医療チームの目的は、目の前にいる患者の命を救うことだけである。
その患者が犯罪者かどうかも、そこでは問題とならない。
それと同様に、心を病む現代人にとって、信仰の対象の善悪は、二次的なものに過ぎない。
結論 現代に於ては、宗教は滅びる傾向にある。というか、滅びるべきなのかも知れない。
人間革命も遅かれ早かれ、廃書となるだろう。

1478 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 02:02
訂正>>1477

ここでは、宗教的、精神的主義主張は、重要でないとはいえなういが、代二義的なものにならざるを得ない。

ここでは、宗教的、精神的主義主張は、重要でないとはいえないが、第二義的なものにならざるを得ない。

1479 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/24(土) 02:03
私は宗教的な権威は滅びると思いますが、人間の素直で素朴な宗教心はなくならないと思います。

1480 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 05:06
>>1479
>私は宗教的な権威は滅びると思いますが、人間の素直で素朴な宗教心はなくならないと思います。
。。。。
正確な名前は忘れたのですが、
斉藤○○氏
「生命輝日mの為に」というルポルタージュふぁあります。
これは、ある夫婦に生まれたダウン症の赤ちゃんをどうするかについて、夫婦、病因感じぇ医者、の反応を軸に、社会と障碍者に対する社会の態度を考えたものです。
詳しい内容は、別の機会に譲りますが、

1481 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 05:08
そこで印象に残っているのは、
『素朴な民間っ信仰に、地域社会が育んで来た「弱き者を守る」というのがある
』というんですよ。
例えば、七福神なんていうのは、全部、老人や水頭症などの障碍児の象徴だというんですよ。
水子地蔵は無論、天狗、お稲荷さん、般若=精神分裂病者、 
そういう民間信仰の中で、「常人と違った姿を持った人」っていうのは、特別な神懸かった不思議な力を持っていて、大事にしさえすれば、その地域社会に幸福をもたらす、と信じられて来た、っていうんですよ。
こういう一種の素朴な信仰心っていうのは、「たとえ意味のないように見えても、互いに支え合うシステムを創ることは、地域社会の安全保障」っていう考えがあるからなんですよね。
そういう役割は、無論、欧米のキリスト教会にもあるんですよね。
こういうのって、創価学会にもあるわけで、そうすると、教義上の正邪の重要性より、人間という社会的動物の特性を考えなければならない、と思うんです。
つまり、確かに、地域社会を結び付ける素朴な宗教心は大事かも知れないが、『それが逆に人間を支配するよな力を持つのも誤り』と思いますね。

1482 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 05:13
>>1481

斉藤○○氏
「生命輝日mの為に」というルポルタージュふぁあります。

斉藤孝氏
「生命輝く日の為に」というルポルタージュがあります。

1483 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 06:10

夫婦、病因感じぇ医者、の反応を軸に、社会と障碍者に対する社会の態度を考えたものです。

夫婦、病院関係者、医者、の反応を軸に、社会と障碍者に対する社会の態度を考えたものです。

これは、「ブラックジャックによろしく」などの医療ドラマでも問題になったことだが、
「果たして、社会的弱者は社会的に役に立たないからいない方がいいのか」という問題に繋がると思います。
別スレ「創価学会=公明党は憲法違反」で少し触れたのですが、
現代社会の大きな特徴として、
「成功の機会の平等」っていうのがあるんですよね。
よく言えば、「自由競争」。悪く言えば、「弱肉競争」っていうのがあるんですよ。
それが過ぎると、「優生保護」の思想になってしまうんですよね。
この問題は哲学的に深い問題だから、別の機会にもっと、述べたいんですが、
私は、創価学会の
「世界青年平和文化祭」なんていうものは、あまりに胡散臭くて、「ムシズが走るンんですよ」
何故、「日本老人パワーの祭典」とか開けないですか?
「パラオリンピック(障害者オリンピック)」のテレビ中継があってもいいじゃないですか?
それを創価学会=公明党はもっと精力的にサポートしてもいいのではないんですか?
創価学会=公明党の哲学っていうのは、所詮は、エスタブッリシュメントにスリ依る
「エリート」主義なのではないか?所詮は、富と名声という実を求めてるだけなのではないですか?
よく、公明党は立党の精神に還れといいますが、
もしも、その誠実を信じるなら、それは「弱者の味方」だったのではないんですか?
だから、戦争絶対悪だったのではないんですか?
今回の選挙では、「逆風にも拘わらず勝利した」などと、公明党=創価学会関係者は開き直っていますが、
「バカヤロー」と言ってやりです。
反省拒絶こそ創価=公明スピリットらしいですが、
戸田先生が自分の命とまで仰った創価学会は、そこに無く、あるのは無気味な砂漠に聳える「蟻塚」のように、
生存競争に勝とうという、菩薩の慈悲の精神と全く逆のことだと思いますね。
実に醜いですよ。

1484 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/24(土) 09:47
絶対的幸福の秘訣は絶対の反省拒否にあった。

反省がなければいつまでも無傷でいられるのである。

1485 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/24(土) 09:48
>反省がなければいつまでも無傷でいられるのである。

そのかわり実質的発展、向上は望めない。無間地獄なのである。

1486 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 16:21
福島源次郎 「蘇生への選択」
●破邪強言之書 昭和63年8付24日提出
○10年前一連の宗門問題の過程で、先生の無謬性は完全に崩れ、人間としての欠点や虚像の一端を発見して、妙法広布の稀有の師と仰いだ私自身の甘さが反省された。
しかし、先生の実像がかくもひどいものとは夢にも思わなかった。
●先生が説く「師弟の道」は明らかに仏法違背
▽先生が説く「師弟の道」は戸田先生時代の師弟の道とは明らかに違う。
学会の師弟の道は、在家間の師弟関係。それは善知識。
信心成長のための「縁」。主師親三徳具備の大聖人を師とする師弟相対と一線を画すべき。
大聖人は創価学会の出現を前提にして仏法を説いたのではない。
御書には在家間の師弟論は一文一句ない。
戸田先生はこの天を弁えていた。
◆先生は我説の「師弟の道」を’援用する為に、大聖人と日興上人の師弟関係を引用した。
しかし、学会の師と仏様は全く違う。それは、かえって、不敬 僭越になる。
日淳上人の御説法を利用するのは、「換骨奪胎」の詭弁だ。
上人は御説法の中で、初代 二代により信仰のあり方が出来上がっている故、その仏道を全うしていくべきと教示されたに過ぎない。
先生がよく使う「仕える」「守る」「呼吸を合わせる」は、仏法義とはなんの関係もない。
先生は、恰も御本尊への信心を説くようだが、全ては自分中心。支配と服従の世界。
どういう資格があって、師という特権と絶対権威の座に座り続けるのか?
戸田先生は、よく「私にほめられると思うな。大聖人にほめられる信心をしなさい」と語っていた。
●「師(自分)を守れ」
先生は「私を守ることが、広宣流布だ」と’よくいいました。
しかし、学会の師は口に出してはならないどころか、思ってもならないこと。不惜身命の姿を自ら示して、必要なら国会にも裁判にも進んで臨むべき。
それなのに、金銭や国会議員を使い、策を弄して逃げている。卑怯未練な姿。
それどころか、先生は経済的、身分的、生活上何一つ犠牲にしていない。
この言動(自分の宣揚)は、自分が偽仏法指導者であることを自ら証したものだ。
寧ろ、先生の奇怪な言動や失敗で被害を受けたのは、第一線の会員の人達だ。
先生は師を僭称する増上慢であり、その座から下りるべきだ、

1487 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 16:29
訂正>>1486

戸田先生はこの天を弁えていた。

戸田先生はこの点を弁えていた。

1488 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/24(土) 17:28
>それなのに、金銭や国会議員を使い、策を弄して逃げている。卑怯未練な姿。

「逃げるが勝ち」「秘すれば花」という言葉もあるから、戦略的にはアリじゃないでしょうか。

民衆は納得しないけどね。

1489 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/24(土) 19:15
>>1488
>「逃げるが勝ち」「秘すれば花」
。。。。。
まっ、世間法的にはそれでいいのでしょう。
しかし、信仰者としては如何なものでしょう。
信仰者は、まずは絶対的なものに無条件で帰依するところからっs始まるのです。
究極的には、その為には、自分の命をも犠牲にできる、というものであるべきでしょう。
だからこそ、真の信仰者にとって、富や名声といった世俗の価値観で尊ばれるものに対して嫌悪感さえ抱くのでしょう。
曹洞宗の開祖道元などは、自分の留守中に弟子が寄進を易々と受けたことに怒り、追放してしまいます。
それどころか、そんぼ弟子が座っていた場所の床下の土を掘って捨て去った、といいます。
日蓮大聖人も北条幕府の度重なる懐柔策に妥協せず、栄誉栄達を拒否し続けました。
池田先生は、よく自分のことを「仏法者」といいますが、それは、宗教家という意味なのか、信仰者としての意味なのかよくわからないのです。
浄土真宗の例もあるから、在家と出家が彼の中では、一体となっているのでしょう。平たく言えば、自分の都合次第で、出家にも在家にも変化できると思っていて。
本人は、それで何の矛盾も自分の中で感じていないのですね。
抑、大乗仏教が主に伝わった日本で、面倒臭い戒律を遵守する伝統など生まれなかったから、
「聖」的なものを日本の僧侶に求めるのが間違っていたから、池田先生は「それなら、俺も宗教家になれる」=「俺も人から先生と呼ばれる身分になろう」と思ったに違い無いのです。

1490 名前: SGI 投稿日: 2004/07/24(土) 20:02
>>1466「真実を知りたい」さん ご返答が遅れて申し訳ない。

>池田先生以下最高幹部の方達の御本尊様は、今創価学会が配布している日寛上人の御本尊様とお取替えしているのでしょうか?それとも日蓮正宗の御本尊様を拝んでいるのでしょうか?
―― まぁ、名誉会長の場合は、勤行・唱題をほとんどしないのですから(⇒池田会長の行動記録 >>1128-1131)、御本尊様が正宗版だろうが、学会版であろうが、さほど関係ないこと。もともと結婚当初から「おれは特別だ」と嘯き、勤行をサボり続け、戸田先生を唖然とさせた御仁ですから。

 で、その他幹部ですが、関係者に聞くところによると、替えた人もいれば、替えない人もいるということです。特に常住御本尊様をいただいているところはほとんど替えていないそうで、中には自宅の1階には学会の「ニセ本尊」で、2階に正宗からの御本尊様を御安置している幹部もいるそうです。
 会員には御本尊を取り替えるよう指導しておりますが、自身の自宅の御本尊は替えたくないという本心が透けて見えるようです。ホンネとタテマエを使い分けるのは、もう本部幹部の習いなのでしょう。

 ところが、宗門から離脱し学会に組した一部の〔元〕正宗寺院では、正宗の板本尊から学会作成の「ニセ本尊」拡大版を本堂に掲げている寺院があります。葬儀の時の導師曼荼羅も「ニセ本尊」です。
 「僧俗平等。坊さんはいらない」と指導している学会ですが、それでも僧形者(僧侶)を望む会員を引き止めるために、各地に会館寺院を建設したり、離脱寺院への参詣を認めておりますが、そこでは離脱住職を説得し、学会の「ニセ本尊」を掲げるという次第です。
 つまり、「お寺さんも学会の新しい御本尊に替えたのだから、お宅も替えなさい」という理由づけ・口上に利用されているという訳です。

1491 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/25(日) 02:08
SGIさんへ 
ご返答ありがとうございました!
最高幹部達はいくら創価学会を離れるのが怖いとはいえ謗法の恐ろしさを知らないのでしょうか?
脇書きを消して変造コピーした御本尊様でも大丈夫だと判断した理由が知りたいですね
ちなみに日顕猊下の御本尊の脇書きを墨で御不敬された幹部の話を直接聞きましたが
新たに御本尊様をもらう直前 正座から立ち上がった時に足を骨折したそうです
これは明らかな罰だと思うのですが。。。。
 
正直言っていい加減 聖教新聞での池田先生への表彰ばっかりにはうんざりします
口では名誉などはいらないと言いながら 実際やってる事は全然ちがいます
最初は表彰を受けるのも全世界のSGIの会員の為だと思っていましたが
それにしてもいい加減もういいでしょう  辞退をして欲しい 表彰を受けている時間が
あるのなら末端会員の中に入って折伏なりご指導なりして欲しいです
それが本当の仏法指導者ではないでしょうか
先生が会員の前に姿を見せるのは エリート幹部達だけを集めた本部幹部会のみと言っても
過言ではありません
  
>もともと結婚当初から「おれは特別だ」と嘯き、勤行をサボり続け、戸田先生を唖然とさせた御仁ですから
さすがにこれはないと思うのですが本当なのでしょうか?
戸田先生が勤行をしないような人間を重宝するとは思いませんが・・・・

戸田先生がご指導していたのは 正宗の御本尊にしか功徳はない 戒壇の大御本尊様
へつながらない物は功徳がない いたる所で述べられていて基本はこの1点だったと思うのですけどね
(当時を知らないので本で読む戸田先生の知識しかありませんが)

1492 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/25(日) 07:08
>>1491さん

SGIさんの書き込みは半分ウソがあります。ウソはいけない。これは人間としてもっとも卑劣で邪悪な行為です。
ウソをついてあなたを騙そうとしている。鵜呑みにしてはいけません。
その一つ、本尊取替えについて、これは日顕の名前の入っている本尊だけ取り替えたということ。
私も、地域の幹部も日達上人の本尊です。これを取り替えた人がいることは聞いたことがありません。
中にはいるかもしれませんが。私の親などは支部の拠点をしていますが、その日達上人の本尊を最近表装したばかりです。
一事が万事、一つうそをつく人は二つ三つとウソをつくのに抵抗が無くなる。
SGIさんの発言、鵜呑みにしないように、どこにウソが隠されているか分かりません。
それと、ウンザリしながら聖教新聞読んでもしょうがない。顕彰記事を載せることをとやかく言う前に、読まなければいい。
あなたは聖教のどの頁がすきで読んでいるのですか?全く読まなければうんざりすることも無い。ヘンですねw
私は父親が付き合いで取っている朝日新聞を持ってきますが、左翼思想的記事にウンザリしているので読みません。
産経新聞を読んでいます。

1493 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 10:35
ウソかホントかということは確認(テスト)できたり根拠を示したりしてはじめていえること。

創価学会員は思い込みだけで、まともな判断が欠如しているという例だね。

1494 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 10:38
それに聖教新聞を判断基準としているようでは真実は見えて来ない。

この意味がわかるだろうか?

朝日新聞だけを判断基準するのと同じだよ。

1495 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 11:43
ちょっと厳しいけどね。

学会内部にいれば学会のことは批判を受けずに無傷でいられるのだろうけど、
一般社会は学会じゃないからね。当然批判を受けるわけだ。
そして確認(テスト)できてはじめて正しいか正しくないか判断できる。

正しい正しいと百万遍主張すれば正しくなる(たとえウソでも本当になる)
というのは最初から無理がある。無理があるのでヒステリーにもなってしまう。

1496 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 11:52
反対者をさんざん非難しておいて、自分達は非難されないぞというのも一方的だしね。

ということで、創価学会はヘンな我執はやめて、社会奉仕でも文化活動でもやったらいい
とおもう。

1497 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/25(日) 13:28
私は学会の幹部です。私の組織から市会議員一人推薦し、支援しています。
この組織の中での情報として、日達上人のご本尊を替えた人は一人もいません。
私が申請書をチェックしていますから間違いありません。替えたのは日顕の本尊だけです。
隣の圏や区幹部にも男子部時代の幹部がいますので、そういう奇異なことが行われたときは、即情報が広がります。
しかし、そういううわさも聴いたことがありません。
これが現場にいるものの証言・証明です。
つまり、SGI氏は、どこかで聞きかじったうわさか、または想像かしらないが、裏も取らないデタラメな情報をココで流し、知らない人はコロット騙されるところだった。
あのひとの書き込みは半分はもっともらしいことを書いているが、半分はデタラメな話。それをみきわめてくださいね。アンチな方々。
ということです。

1498 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/25(日) 16:30
>>1497 仏教解説者さん
> あの人の書き込みは半分はもっともらしいことを書いているが、半分はデタラメな話。
。。。。
あなたこそ、出鱈目という根拠がないですよ。
SGIさんの解説は、実際にあったことに基づいています。
実際に私は、日達上人の御形木御本尊を偽御本尊に替えるように、半ば強要された例を知っています。
特に、偽(御)本尊が創価学会から販売され始めた頃、たとえ日達上人書写の御本尊でも(偽モノに)取り替えるように喧伝されました。
「新しい御本尊の方が功徳がある」とか言われて。
件の私の友達は、説得されて、偽(御)本尊に替えてしまったのですが、自分の間違いに気づき、すぐに(日達上人書写)の御本尊を返してくれるように頼んだのですが、もう手元にないの一点張りで、取合ってくれず、結局、どこからか、(日達上人書写の)御本尊を渡してくれたのですが、
その御本尊には、ある筈のない「染み」があって、違う御本尊だとわかったそうです。
結局、元の御本尊は、行方知らずのままの儘です。
私の友人は、未だに罪悪感に苦しんでいます。
今でこそ、御本尊は形式が重要として、日顕上人書写の御本尊でさえ、強制的には取り替えないという方針のようです。
しかし、既に、「不敬」された御本尊の数を思うと、「時既に遅し」という感じです。

1499 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/25(日) 17:49
>>1492 【仏教解説者さんへ】
レスありがとうございます
>SGIさんの書き込みは半分ウソがあります。ウソはいけない。これは人間としてもっとも卑劣で邪悪な行為です。
>ウソをついてあなたを騙そうとしている。鵜呑みにしてはいけません。
>その一つ、本尊取替えについて、これは日顕の名前の入っている本尊だけ取り替えたということ。
>私も、地域の幹部も日達上人の本尊です。これを取り替えた人がいることは聞いたことがありません。

確かにSGIさんは今は法華講の人なので ウソと言うより間違いはあるかも知れません
ですが 日顕猊下の御本尊ならお取替えしても良いという理由がわかりません
日達法主の御本尊様は正宗の御本尊なので問題はないと思います
純真な信心をすれば功徳があるでしょうね
問題は今学会が配布している日寛上人の御本尊様の脇書きを削除してコピーをした
御本尊様の事です 自分の周りでもこの新しい御本尊様を頂いて本当に人間として
成長した人間を見たことがありません
むしろ社会的に様々な事件を犯したり 人間としてどうなの??って思われるような人が
多いのは事実です 
それはやはり罰なのではないかと思ってしまいます
もちろんSGIさんの意見を100%信頼しているわけではありませんが
ここのスレッドのいままでのやりとりを見て かなり学会本部と精通した方だな
と感じています
>それと、ウンザリしながら聖教新聞読んでもしょうがない。顕彰記事を載せることをとやかく言う前に、読まなければいい。
>あなたは聖教のどの頁がすきで読んでいるのですか?全く読まなければうんざりすることも無い。ヘンですねw
私が好きな項は名字の言や体験談などです 以前は池田先生のスピーチも主な物は切りとって
保管していました 4面も罵詈罵倒していますが内容が正しい場合は多少言葉使いが汚くても好きです
ただ 退転していった原島氏や山友氏 そして竹入氏などへの人格攻撃はおかしいと思います
原島氏へいたっては父親までも信用できないなどと言われていました
そのような人間をなぜ最高幹部として用いていたのかその点も問題にしなければいけないと思います

1500 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/25(日) 19:31
人間100%完璧な人などほとんどいない。
しかし、向上しようと努力していれば、それは人間として尊いことです。
未熟だからダメなのではなく、叛逆したからダメなのです。
叛逆、裏切りは人間として最低なばかりでなく、周囲にも悪影響を及ぼす大悪であると仏法は説く。
これたの張本人が山友らなので、それを言論で断罪している。
だからたとえダメでも、信用置けなくても、最後の最後まで庇い、目覚めるための場を与えた。
しかし、叛逆してしまった。これで終りです。それが仏法というもの。
仏法は勝負です(日蓮)。

1501 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:07
>>1500 仏教解説者 さん
>たとえダメでも、信用置けなくても、最後の最後まで庇い、目覚めるための場を与えた。
。。。。奈留程。
これで謎が解けました。
私は、ずっと、何故に戸田先生程の人物が、池田先生の偽善生、小賢しさ、うそつき、ダメ人間を信用してしまったのか?疑問に思っていたのですよ。
そういえば、人間革命12巻>>66
『伸一、仏法者というのは、騙されても、騙されても、最後まで相手を信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく以外にないのだよ』
とあるから、成仏する為には、徹底的に「お人好し」出ないと行けないんですね。
で、おね、思うんですけど。
やはり、例え部下¥であっても、不祥事を起こせば、その上司も監督不行届きで、処分されるのは、現代組織では常識でしょ?
ですから、創価学会の最大の問題点は「無責任主義」にあるんじゃないかと思いますね。
創価学会員が、騙されても、騙されても、最後まで池田先生を信じ、信じ、つつみながら、再起と更生を願って、手をつくしていく、っていうのは、もう限界なんじゃないですか?

1502 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/25(日) 21:19
訂正>>1501

池田先生の偽善生、小賢しさ、うそつき、ダメ人間

池田先生程の偽善者、小賢しさ、うそつき、ダメ人間

で、おね、思うんですけど

でもね、思うんですけど

1503 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/25(日) 21:21
真実さん、叛逆はダメです。
釈迦の時代にもいましたね。反逆者が。釈尊は徹底的に断罪した。
日蓮大聖人の時代にもいました。日蓮大聖人は徹底的に断罪しました。
恩を忘れたものは畜生よりしますが悪い。そう日蓮大聖人は指導されています。
SGI氏もyuriko氏も反逆者です。反逆者の末路は悲惨です。
それは本人しかわからないことです。そう日蓮大聖人は言っています。

1504 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:23
>>1502
五老僧の謗法、退転、不祥事は日蓮大聖人の監督不行届き?それとも日興上人の?
さあ、答えてみなさい!

1505 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:25
日蓮大聖人は鎌倉時代の幕府や既存仏教勢力を攻撃した反逆者であります。

既存宗教勢力、既存政党を持つ非反逆者である創価学会は日蓮大聖人の弟子でないことは
明白であります。

1506 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:28
>既存宗教勢力、既存政党を持つ非反逆者である創価学会は日蓮大聖人の弟子でないことは
>明白であります。

単独政権をとるならまだしも自民党と与党入りするのは謗法与同であり無間地獄であります。

1507 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:31
反逆というのはかつての味方が敵に廻ること。
もっと日本語勉強した方がいい。恥かしいよホント。

1508 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:33
戸田会長は大石寺の戒壇の御本尊を幸福製造機といった。
学会はそれから離れたのであり幸福製造機を失った。

幸福製造機がないので選挙という現実路線で勢力拡大を行っている。
仏教や宗教とはもはや無関係でしょう。

1509 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:35
>>1507
>反逆というのはかつての味方が敵に廻ること。
>もっと日本語勉強した方がいい。恥かしいよホント。

ウソツキ発見!ああ恥かしい恥かしい。

はんぎゃく 0 【反逆/▼叛逆】
(名)スル
権力や権威に対し、さからいそむくこと。謀反。ほんぎゃく。
「圧政に―する」「―者」「―罪」「―を企てる」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

1510 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:40
「うそは言論の敵」と聖教新聞に出ているくらいだから創価学会員自身が気をつけた方がいいと思うよ。

1511 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:54
>「うそは言論の敵」と聖教新聞に出ているくらいだから創価学会員自身が気をつけた方がいいと思うよ。

何事も自体顕照ですよ。

1512 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 21:55
冥の照覧がありますからね。

1513 名前: アロエ 投稿日: 2004/07/25(日) 21:59
仏教解説者さん、学会員らしい主張ですね。

> 人間100%完璧な人などほとんどいない。

ほとんどいない?一部は完璧なのですか?
池田さんは完璧?

> 未熟だからダメなのではなく、叛逆したからダメなのです。
> 叛逆、裏切りは人間として最低なばかりでなく、周囲にも悪影響を及ぼす大悪であると仏法は説く。
> これたの張本人が山友らなので、それを言論で断罪している。

SGIさん達が何度も言ってますが、あなたは主観で相手が悪いと決めつけています。
もっと客観的な主張ができませんか。
反対がいけないと決めつける前に、反対意見の正当性を吟味するという極めて
当然の行為が欠落しているのですよ、学会員は。
これまで何度も言われているんですけど、分からないですかね。
簡単に言えば、「先生」という言葉における思考停止。

1514 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/25(日) 22:09
池田さんは<実質>100%完璧な人間なのだ(でなければならないのだ)と思う。

それにしても<実質>は便利な言葉だ。
創価学会は<実質>正義の宗教団体で、公明党は<実質>戦争反対で平和の党だ。

1515 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/25(日) 23:36
>>1504
>五老僧の謗法、退転、不祥事は日蓮大聖人の監督不行届き?それとも日興上人の?

。。。。
それを言うなら、日蓮大聖人は、道善房(師匠)からすれば、反逆者。
大聖人自身は、「自分はある宗の創始者でも、末葉でもない」とか「自分は一人で悟った」とかいいっています。
しかし、実際は道善房に弟子入りしているわけだから、
師の道善房から「裏切り者!」と罵られてもおかしくはなかったんですよね。
ところが、立宗宣言をした後、日蓮大聖人は清澄寺で、居並ぶ、地元有力者や兄弟子、師匠の前で、
「お前達の信じている宗教は間違っている。地獄に堕ちる」と宣言したんですよね。
こうした行動を¥捉えて、内村鑑三などは、「日蓮(大聖人0程、独立、独創性に富む、宗教家は日本史上居なかった」と絶讃していまあす。
日蓮大聖人、更には、宗教に限らず、先駆者というのは、例えその主張がどんなに正当なものでも、旧勢力にとっては、脅威となり、反逆者のレッテルを貼って、除外しようとします。
そうすると、正義、悪、反逆者などといっても、所詮は「視点」と問題であり、相対的価値観に過ぎないんですよね。
特に科学史なんかを観察しますと、今日では、あまりに常識的なことでも、当時、彼等(科学者達)は、魔女の存在と大差がなかった時もあったわけですよ。
このことは、池田先生が「青春対話」でも述べていたのだが、歴史というのは、所詮、勝者が綴ると思いますね。
五老僧の反逆にしろ、日蓮宗各宗では、「反逆」などと見ていないのは当然でしょう。
そうすると、現在、反逆退転、堕ち地獄の因を創っていると批判されている人達の主張が正しいと評価される時が来ると思いますね。
日蓮大聖人御自身の自立独立を尊ぶ人生観がある限り、日蓮正宗に限らず、日蓮系教団では、分派活動は宿命のように付いて回るでしょう。
それこそ、宿命とも言えるものであって、止むを得ないことだと思います。
ここで、私の予想ですが、創価学会が池田先生の死後、分裂するのは避けられないと思うし、日蓮正宗も更なる分裂をするでしょう。
これは、「正しい」「間違っている」という次元を超えた問題です。

1516 名前: SGI 投稿日: 2004/07/26(月) 00:47
しょうがない、降りかかった火の粉は振り払うか…。
仏法解説者さん、私のレスのどこにウソがあるというのかな。

 貴方は、私の>>1490にレスに対して、すぐさま翌朝>>1492で、突然「SGIさんの書き込みは半分ウソがあります。ウソはいけない。これは人間としてもっとも卑劣で邪悪な行為です」と、誠に無礼な書き込みをしてきました。
 しかも、私がウソをついている根拠として、「本尊取替えについて、これは日顕の名前の入っている本尊だけ取り替えたということ」だけを挙げ、その上「一事が万事、一つうそをつく人は二つ三つとウソをつくのに抵抗が無くなる。SGIさんの発言、鵜呑みにしないように、どこにウソが隠されているか分かりません」と記しております。

 私は、「真実を知りたい」さんの質問の回答として、>>1490で、貴方が「日顕の名前の入っている本尊だけ取り替えた」と記しているように、「替えた人もいれば、替えない人もいる」「常住御本尊様をいただいているところはほとんど替えていない」「〔元〕正宗寺院では、正宗の板本尊から学会作成の「ニセ本尊」拡大版を本堂に掲げている寺院があります」等と記しただけです。

 私のレスには、日達上人や日顕上人は登場していない。
 書いてもいないことを勝手に捏造し、かつ、人を「ウソつき」「卑劣で邪悪」と罵る。まことに学会らしい反応だ。

 さらに>>1500では、「叛逆、裏切りは人間として最低なばかりでなく、周囲にも悪影響を及ぼす大悪であると仏法は説く。これたの張本人が山友らなので、それを言論で断罪している」と記していますが、このことは図らずも、貴方のレスは学会サイドの“言論”が、その程度のものであること示しております。

 貴方は、何の根拠も示さず、私のことを「あのひとの書き込みは半分はもっともらしいことを書いているが、半分はデタラメな話」と断定していますが、この“レッテル貼り”が貴方のねらいではないでしょうか。
 私のレス内容に対する反論を試みるのではなく、捏造と罵倒で“レッテル貼り”を繰り返す。それはまさに今、学会メディアが山崎正友氏や原島氏、乙骨氏、段氏らに対して行っている、貴方がいうところの“言論”の姿にほかなりません。

 こうした貴方のレスを含む学会メディアの手法は、断じて「言論」に値するものではない、と私は考えます。貴方のレスこそ、「どこかで聞きかじったうわさか、または想像かしらないが、裏も取らないデタラメな情報をココで流し、知らない人はコロット騙される」書き込みであることを、いずれ例証したく存じます。
 なお、私の本掲示板に対する構えは、>>911 >>924 >>937 にレスしておりますので、ご参照下さい。

1517 名前: SGI 投稿日: 2004/07/26(月) 00:48
>>1491「真実を知りたい」さん
>最高幹部達はいくら創価学会を離れるのが怖いとはいえ謗法の恐ろしさを知らないのでしょうか?
―― 彼らには仏法信仰者としての矜持がありません。このことは、これまで様々なレスの中で言及してきました。申し訳ありませんが、そちらのレスを読んでくださるか、今後のレスに期待して下さい。

>戸田先生が勤行をしないような人間を重宝するとは思いませんが
―― 名誉会長とは何度か一緒に勤行をしたことがありますので、全く勤行をしない人だとは断定いたしません。
 しかし、>>616 に書き込みましたが、名誉会長は丑寅勤行に参加したことがありませんし、先の「行動記録」が示すように、名誉会長の勤行は、実に短い。私の体験でも、朝は15分位ですし、夕の勤行は10分もかかりません。きっと基本的には勤行は嫌いなのでしょう。
 
 新婚時代の話は、龍年光氏の著『有徳王』によります。
 「池田は牢獄の中では、何故題目を唱えなかったのか?
 その理由は簡単です。彼には生死の境に題目をあげぬく、という信仰心がなかったのです。日蓮正宗の信者としての基本の朝晩の五座三座の勤行を、彼は若い時からやっていなかった……ある日、結婚して半年ぐらいの池田かねが、思いつめた表情で、戸田先生に質問していました。
 『主人(池田大作)は、朝晩の五座三座の勤行をしません。私がどんなにやかましく言っても、俺は特別なんだからやらなくてもいいんだ、と言うんです。本当に主人は、特別なんでしょうか。五座三座はやらなくても、いいんでしょうか』と。
 戸田先生は、びっくりした表情で、強度の近眼鏡の奥で眼を丸くされて、『ホホー、そんなことを言っているのか……』と言ったきり、二の句がつげない様子でした」。

 また、戸田先生は、名誉会長を後継者に指名しておりません。かの「エレベーター相承」はウソです。詳しくは、>>106-109 または >>902 をご参照下さい。

1518 名前: 夏の野うさぎ 投稿日: 2004/07/26(月) 02:10
仏教解説者さんへ

法戦と言われる選挙スレでも、お返事頂きましてありがとうございます。
ひとつ聞きたいことかあるのですが・・・。
私もまじめな(^_^;)学会員ですので
あなたを「どうこうしよう」というのではありません。
組織内では聞きづらいことですから。

日顕御本尊のことなんですが
日顕氏登座の頃のご本尊は、力があったが
創価学会を破門した時点で、力がなくなったので
日寛上人の御本尊に変えたと聞いています。

私も日顕猊下?と書いた御本尊に勤行・唱題した記憶はあります。
破門は平成3年11月28日です。←(間違っていたらごめんなさい)
しかし、破門の時点ではまだ日寛上人の御本尊はなかったので
そのまま日顕氏の御本尊を安置していた学会員がほとんどでした。

しかし、厳密に言うと破門の時点で日顕御本尊に祈っても
意味のないものだったはずです。
なのに大勢の学会員は
日顕御本尊に対して唱題していました。(私も含めて)
そして信心の度合いに応じて功徳もあったと思います。

学会としても、その時点(破門の時点)で日顕御本尊は
力がないから(血脈が切れたため)祈っても仕方ないと言うべきだったと思うんです。

しかし、流れとしては日顕御本尊に祈るのは嫌だという学会員の声があり
それに答える形で突然、日寛上人の御本尊の正当性が強調され
日顕御本尊が学会員からなくなった段階で
創価学会を破門したから日顕御本尊には力がないと
言うようになったと思います。

私としては学会側のミスリードもしくは、会員に対するマインドコンロールに
思えてならないのですが、いかがでしょうか。
もっと言えば日顕御本尊にも力はあるのではないかと思ってしまいます。

この問題については、他のサイトでも様々な形で論議されております。
このスレは流れが速いので、レスは急ぎませんが
よろしくお願いします。

1519 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/26(月) 08:22
>もっと言えば日顕御本尊にも力はあるのではないかと思ってしまいます。

それはあるでしょう。
主観の問題であって、日蓮正宗ではあり、創価学会ではないことにしているだけですね。

1520 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/26(月) 10:44
>>1518さん
これは私の個人的な意見として述べます。
本尊とはどういうものか。
分かりやすく言うならば「鏡」にたとえられると思います。
鏡は自分を映します。しかし、鏡には歪みもあれば、曇りもある。汚れもあり、傷もあれば、明るさもある。
そういう雑事のない鏡は、自分の本当の姿を写してくれますね。
歪んだ鏡は自分の姿を歪んで映す。遊園地などに足の長く映る鏡などがあるのをご存知ですか?
もしその姿を本当の自分だと思い込んでいたらどうでしょう。俺は足が長い。短く見えるのは鏡がおかしい・・。
本当は美男美女の家族なのに、我が家の鏡は少し歪んで曇っているため、そうでなく写しだすため、家族はみんな劣等感を抱いて生きているとか。
本尊は自分の生命を映し出す鏡と思ったらいかがでしょう。
本尊にお題目を唱えることにより自分の生命の中にある仏の命が映し出される。
鏡は、正確にありのままを映すものほど勝れているとすれば、仏の生命をそのまま歪ませることなく映し出すものこそ勝れた鏡と言っていいでしょう。
だから日顕の書いた本尊も、映ることは映る、しかし、僅かのゆがみがあった。
誰も気がつかなかった。やがて本性をあらわした。それから書いたものはもっとゆがみや曇りが出てきた。
つまり、書く人に「正しい信」があれば、鏡も正常のものとして、正しく映し出す。
信を失ったら鏡も歪み始める。鏡のゆがみは温度や湿度だけでなく、書写する人の心の正邪の波動にも影響される。
たとえば酒を飲み演歌を聞きながら、風呂にも入らず上半身裸でパンツ一丁で、汚らわしいことを考えながら書いた本尊(お守りでもいい)を、あなたは命がけで祈ることが出来ますか?
たとえばそれが、正系門家の由緒あるお寺の御法主上人猊下様だとしてもです。
また、信のある人が書いた本尊、後にその人が謗法を犯したとする。
以前は正常であっても、謗法を犯した時点からゆがみが生じてくる。その人が正しい道に戻っても、一度ゆがんだものはもう元には戻らない。
以前は謗法の人でそのとき書いた本尊は、その人が正しい道に付いたとしても、はじめからつけられた傷は元には戻らない。
だから、本尊を書写する人は、精錬潔白、穢れを嫌い、世俗に染まらず、邪淫を求めず、我執にとらわれず、謗法を禁じ、ひたすら余念無く民の幸せを願い、学問を怠らず、贅沢を好まず、・・
という信念をひたすら持ちつづける人でなければならない。
非常に厳しき世界に居つづけなければならない。
その人が書写した本尊こそ、99.9%正しく力がある本尊といえるのではないでしょうか。
たとえば日蓮正宗の法主と呼ばれた坊さんは67人(正確には二回やった人もいるのでもっと少ない)いましたが、全部が全部99.9%ではない。
人がいなくて6歳とか9歳の小坊主が法主になった時もあるし、他宗から出向で入ってもらったときもある。
だから、いろんな本尊が書かれたことでしょう。
学会が授与している本尊は日寛上人の書写した本尊の脇書きを削除したものを印刷したものです。
宗門は、脇書きを削除したことを「変造」などとイチャモンつけていますが、数多くある宗門の末寺、のおよそ350ヶ寺は学会が寄進したもの。
その脇書きには寄進した代表者の「願主 池田大作」という文字が書かれている。
その字を消して拝んでいる寺がある。どのくらいあるか調べてはいませんが、これはいかが?といつも質問すると、大抵の法華講は黙ってしまいます。
脇書きを削除してもそれは変造でもなんでもありません。
問題は、本尊にゆがみが生じているかどうかの問題です。学校の階段の踊り場などにOBからの寄進された姿身の鏡が飾られている。
寄進者名を削っても鏡の精度は変わらないのと一緒です。製作者の腕とか機械の精度が問題なのです。
ちなみに日寛上人の本尊に変えた学会員の多くがくどくいっぱいの人生を送っているのは、わが地域だけではないと思います。
聖教新聞の体験の頁を是非お読みになってください。(これは捏造だという人は読まなくても結構)

1521 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/26(月) 10:46
宗門は、脇書きを削除したことを「変造」などとイチャモンつけていますが、数多くある宗門の末寺、のおよそ350ヶ寺は学会が寄進したもの。
その脇書きには寄進した代表者の「願主 池田大作」という文字が書かれている。
その字を消して拝んでいる寺がある。どのくらいあるか調べてはいませんが、これはいかが?といつも質問すると、大抵の法華講は黙ってしまいます。
脇書きを削除してもそれは変造でもなんでもありません。
問題は、本尊にゆがみが生じているかどうかの問題です。学校の階段の踊り場などにOBからの寄進された姿身の鏡が飾られている。
寄進者名を削っても鏡の精度は変わらないのと一緒です。製作者の腕とか機械の精度が問題なのです。
ちなみに日寛上人の本尊に変えた学会員の多くがくどくいっぱいの人生を送っているのは、わが地域だけではないと思います。
聖教新聞の体験の頁を是非お読みになってください。(これは捏造だという人は読まなくても結構)

1522 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/26(月) 16:04
>>152o-1521 仏教解説者さん
>願主 池田大作」という文字が書かれている。
。。。。
あなたの教説を聞いてると、
果たして、私達は同じ宗教を信奉していたことがあったのだろうか?と思う程。
共通の信仰の基盤はないですね。
所謂、52年路線は、創価学会の謗法路線の原点です。
その中で、とりわけ宗門が問題にしたのは、八体もの偽板(御)本尊でした。
その中でも、池田個人に下付されたお守り御本尊を写真に取って、拡大し、板に模刻したのがあるのです。
それを池田名誉会長は、東北研修所に安置しました。
「東北には、中々お邪魔できませんので、厳然と守っていきたい」ーーこれは、明らかに偽板(御)本尊のことをさしていると思われます。
これは、有名な話というだけで、池田先生の願いは、自分が創価学会員から拝められることだと思いますね。
他にも、自分の名前を勝手に脇書にして、偽御本尊も例があります。)創価学園や大学の寮など。
私自身、元池田狂信者でしたから、「それで何か問題あるの?」っていう感じでしたね。
しかし、要するに創価学会がやってきたのは、正宗の伝統教義を利用したていうだけなんですよ。
御本尊も自分勝手に作成すればよいのpですよ。
偽札同様。本物そっくりであればある程、偽(御)本尊制作は罪深いと思いますね。
これは、最近知ったのですが、
池田先生は、本門之大御本尊の後ろに自分の名前を刻むことを要求してきたそうです。
要するに、池田先生の本質は、人心収斂術に過ぎなんですよ。
僭聖増上慢の典型だと思いますね。
そういう慢心を諌め、謙虚になるように誰か側近の人が、注意すべきだと思いますね。
●それと、日蓮大聖人の仏法は冥伏せです。
罰にしても、重ければ重い程、すぐに表面に現れるわけでなないのです。
詳しく書かれたhpの参照は、別の機会に。

1523 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/26(月) 17:18
>>1522
横道にそれたレスはご勘弁ください。私は板本尊の話などしていませんよ。
日寛上人の本尊と日顕の本尊の話をしています。
あなたにお尋ねします。
・日寛上人書写の本尊には力があると思いますか?
・脇書きを消さないものであれば変造ではないといえますか?
・日顕の本尊をそっくりそのまま印刷したもの(宗門の言ういわゆるニセモノ)と、ホンモノの違いはどこにありますか?宗門が印刷した本尊と、同じ印刷機や紙やインキを使って、同じ職人が印刷するとして、学会が依頼したのと宗門が依頼したのと、どこが違うか。おせーてください。

この三つにズバリお答えください。余計なことは書かなくていいですから。ズバリです。
できればあなたの意見というより、宗門の公式見解のほうがいいですね。あなたの考えはずれている場合がありますから。

1524 名前: ぱるぱる (PaRU2.Xo) 投稿日: 2004/07/26(月) 17:26
>>1523 仏教解説者さん
はじめまして。横レス失礼します。
学会の幹部であるあなたがご自分で書かれるときは
>これは私の個人的な意見として述べます。
と仰ってますよね。
だったらyurikoさんが個人的な意見を書いてもOKじゃないですか?
yurikoさんに
>あなたの考えはずれている場合がありますから。
と言うのはそのままあなたにもあてはまる事でしょうから。

1525 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/26(月) 17:27
>>1521 【仏教解説者さんへ】
深い思いやりのある言葉どうもありがとうございます
私はもし退転したとしても学会員さんから受けた恩は忘れません
真実を知るには一方向からの情報だけではなく 全ての情報をまんべんなく知る必要があります

実際宗門問題など調べれば調べるほど本当に疑問ばかりなのです
人間革命にお守り御本尊様を無くしたという方が戸田先生の指導を受ける場面があります
その方は何をやってもうまくいかない 生命力がわかない 
そしたら戸田先生は御本尊様を無くしといてうまくいくはずがない 人の7倍信心しなさい
と指導されてる場面がありました
大切なのは御本尊様ですよね 根本の御本尊様があって始めて信心があるのだと思います
日蓮正宗でなければダメだと言われたのは戸田先生だったはずです
たとえ日顕法主の御本尊様でも ご不敬されて罰が出たと言う事は 力のある御本尊様なのだと思います
それをお取替えすると言う事は 自分の命を投げ出してしまったようなものではないでしょうか? 

仏教解説者さんの理論でいけば 日蓮大聖人様御親筆の御本尊様をコピーして
拝むのが1番ではないかと思ってしまいます

それにしても 同じ法華経を持つ者互いに謗りあうべからず という御文に宗門 創価学会とも
違背している気がします
日蓮大聖人が今の時代に生きていたら 嘆き悲しんで お叱りになられると思います

1526 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/26(月) 17:46
>>1524さま
個人的ご意見でもいいですよ別に、そう断っていただければ・・。
しかし、あなたはなにか勘違いしておられます。
私の見解は、教学的な見解についての質門に答えてのものです。こういう場合は自分の意見として述べるには何のさしさわりも無いと思います。

私がゆり子氏に質問したのは、宗門の教義を知りたくて聞いたのではないのです。
彼女が、私の書き込みに難グセをつけ、批判してきたからです、しかも学会批判を添えてです。
「だったら聞くけど・・・」という批判に対しての切り返しの質問です。
「いえるものなら言ってみなさい」という反論の質問です。
こういう場合は、頭のいいあなた様ならおわかりでしょう?批判は宗門の言い草をそのままコピーしたような意見で、私からの突込みに対しての答えは自分の意見というのは、誰が考えてもおかしいでしょう?

私が彼女に単純な質問という形で、ご教示いただく場合は、個人的意見でも全然OKですよ。
批判の切り返しに個人的意見を言われたのでは、「ああそうかい、かってにそう思えば・・」で終わってしまいます。
お分かりいただけましたでしょうか?>ぱるぱるさま

1527 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/26(月) 18:00
真実を知りたい様
戸田先生の時代は御法主も清らかな信心をされていました。だからその先生方が書写された本尊は、一点の曇りもなく、歪みの無い鏡のような本尊でした。
日顕が信心がおかしくなり、そういう人が書いた本尊も当然ゆがみが出るのは当たり前の話です。
ただし、全く力が無いかというとそうではない。歪みながらも顔は映る。ちょぼちょぼの功徳はあるとは思います。

それと、日蓮大聖人の本尊をコピーするというのは現実的ではありません。等身大ほどの大きな本尊を飾るスペースなど、今の住宅事情では無理かと思います。

>日蓮大聖人が今の時代に生きていたら 嘆き悲しんで お叱りになられると思います

これは違います。日蓮大聖人は存命中、弟子への指南は厳しいものでした。謗法や仏法の精神を忘れた信徒には、火の吐くような叱責をされています。
今の学会の紙上座談会の100倍ぐらい厳しいお師匠様でした。御書をよく拝読してください。
悪に対する姿勢はすごいものでした。

信仰は自由です。どんな教団に入ろうが。そして幸せになるならないも、自己責任です。
「臨終の時相が悪くて日蓮を恨むなよ」というきびしい言葉も残しています。
じっくりと考えて、良い道を探ってください。

1528 名前: ぱるぱる (PaRU2.Xo) 投稿日: 2004/07/26(月) 18:02
>>1526 仏教解説者さん
>個人的ご意見でもいいですよ別に、そう断っていただければ・・。
そうですか、だったらyurikoさんも安心して個人的見解を述べられますね。

>しかし、あなたはなにか勘違いしておられます。
>私の見解は、教学的な見解についての質門に答えてのものです。こういう場合は自分の意見として述べるには何のさしさわりも無いと思いま
>す。

それはおかしいですね。
教学的な見解への質問ならば、なおのこと学会の公式見解を答えられるのが当然と思うのですが。
だって教学試験も学会はやっているわけですし。
何もさしさわりなはいとあなたが仰ることが、私はとても違和感を感じます。
あなたがそれを差し障りがないと思って書いたのでしたら、同じ事をyurikoさんが言っても成り立つでしょうね。

>こういう場合は、頭のいいあなた様ならおわかりでしょう?
私はあなたと初めてやりとりをしているのですが、なんだか以前から私の事を知っているような口ぶりですね。
それとも皮肉という事でしょうか・・・あんまり趣味がいいとは思えませんが。

>批判の切り返しに個人的意見を言われたのでは、「ああそうかい、かってにそう思えば・・」で終わってしまいます。
別に私はそれには意見はありません。
ただ、あなたが書いていることとyurikoさんへの要求があんまりにもフェアに思えなかったもので
横レスさせていただきました。

1529 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/26(月) 20:02
>>1526
出たー!ガッカイ得意の質問返し!

1530 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/26(月) 20:04
>>1526
出たー!ガッカイ得意の質問返し!

1531 名前: 投稿日: 2004/07/26(月) 20:25
SGIさん、ありがとうございました。
SGIさんの返答レスを見落としていました。σ(^_^;)タハーッ
毎日「まだかな」「まだかな」と期待しながら開いていたのに、>>1440-1441>>1448-1450に、あんなにも丁寧に書き込んで下さっていたのですね。m(__)m
お礼が遅くなりましたが、本当にありがとうございました。
SGIさんがご指摘のように、確かに学会には自由にものが言える雰囲気があまりないのかもしれません。
真面目に活動しようとすればするほど、自分自身の疑問と組織の指示の間で、悩む人は多いのかもしれないと思いました。
yurikoさんに言われて、このスレッドを最初から読んでみました。
知らないことばかりで、人間革命と全然違うので驚いております。
sgiさんの資料や体験に基づきながら整理されたレスは、大変勉強になります。
sgiさんのレスが100%本当だとは信じたくありませんが、私も本当の事を知りたいと思います。
sgiさんがいわれる「聖なる狂信者」とは、捏造と罵倒のレッテル貼りのことだったのですね。
私は、仏教解説者さんにSGIさんに謝罪してほしいと思います。SGIさんに失礼です。ヽ(`Д´)ノ
明日から合宿で10日間ほどパソコンを見ることができません(≧m≦)が、これからもいろいろと教えて下さい。

1532 名前: 投稿日: 2004/07/26(月) 20:27
SGIさんがsgiさんになっています。ごめんなさい。m(__)m

1533 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/26(月) 20:55
>>1527 【仏教解説者さんへ】
>戸田先生の時代は御法主も清らかな信心をされていました。だからその先生方が書写された本尊は、一点の曇りもなく、歪みの無い鏡のような本尊でした。
>日顕が信心がおかしくなり、そういう人が書いた本尊も当然ゆがみが出るのは当たり前の話です。

本当にそうなんでしょうか? 軍部権力から神札を受け 創価学会を登山停止にされた時の法主 鈴木日恭上人は
本堂で焼け死ぬという仏罰に合っています だとしたらその時点ですでに日蓮正宗の御僧侶が
書かれた御本尊様には功徳がない事になります

>それと、日蓮大聖人の本尊をコピーするというのは現実的ではありません。等身大ほどの大きな本尊を飾るスペースなど、今の住宅事情では無理かと思います。
戒壇の大御本尊様以外にも日蓮大聖人がかかれた御親筆の御本尊様は多数存在しています

>これは違います。日蓮大聖人は存命中、弟子への指南は厳しいものでした。謗法や仏法の精神を忘れた信徒には、火の吐くような叱責をされています。
>今の学会の紙上座談会の100倍ぐらい厳しいお師匠様でした。御書をよく拝読してください。
>悪に対する姿勢はすごいものでした。

確かに御書では時折退転者や謗法の輩への厳しい叱責をみかけます
ですが聖教4面と比較するのはいかがでしょうか 
聖教4面に書かれた事のほとんどは悪口です 相手を罵る事だけです
※選挙の時の聖教4面は良いと思いますが
詳しい情報 事実を元にしての批判がまったくと言って良いほどありません
それに 学会は良く宗門との裁判でも全部勝ってると言っていますが
事実はまったく違います 7,8割方が対宗門裁判で負けています
創価新報や聖教新聞だけを見ていてはわからないことです 

多くの学会員のみなさんは真剣に人間革命に取り組んでいるし
人間として優しい方達が多いです
だからこそもし間違っていて不幸になってもらいたくはありません

>信仰は自由です。どんな教団に入ろうが。そして幸せになるならないも、自己責任です。
>「臨終の時相が悪くて日蓮を恨むなよ」というきびしい言葉も残しています。
>じっくりと考えて、良い道を探ってください。
日蓮大聖人様は人々を不幸せにする為に生きられたのではありません
今の学会員さんでは組織活動にほぼ時間を取られ 人生を遊び楽しんでいる状態ではないように
感じます 学会の中だけに居ては見識も狭くなるし 独善主義に陥ってしまいます
人間は人間の輪の中に入ってこそ色々磨かれるものだし
色々な人達と交流を持つことが1番の成長になると思っています
学会の中に居ては自分の思考というものがだんだんとできなくなるんだと思います
自分の思考をさせなくさせるような宗教は間違っています
「ドキュメンタリ−人間池田大作」で池田先生は会長が上会員が下 幹部が上会員が下
こうなったら学会も邪教です! と言いきっていました
もし学会が邪教になりさがってしまったら 一体どの教団に入りますか?
日蓮正宗しかないのではないでしょうか

1534 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/26(月) 21:17
>>1517 【SGIさんへ】
質問に答えてくださってありがとうございます
SGIさんのレスは全て読ませてもらいました
>名誉会長とは何度か一緒に勤行をしたことがありますので、全く勤行をしない人だとは断定いたしません。
>しかし、>>616 に書き込みましたが、名誉会長は丑寅勤行に参加したことがありませんし、先の「行動記録」が示すように、名誉会長の勤行は、実に短い。私の体験でも、朝は15分位ですし、夕の勤行は10分もかかりません。きっと基本的には勤行は嫌いなのでしょう。
池田先生の日記に1日1万べん以上のお題目の実践を始めるという記述があったと思うのですが
だとしたらそれもウソという事になるのでしょうか?
SGIさんは長らく本部の職員をされていたようですが
そのような池田先生の姿を目の当たりにしておかしいと思って辞めて行く本部職員は
多いのでしょうか?

1535 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/26(月) 22:31
>>1523仏教解説者 さん
・日寛上人書写の本尊には力があると思いますか?
・脇書きを消さないものであれば変造ではないといえますか?
・日顕の本尊をそっくりそのまま印刷したもの(宗門の言ういわゆるニセモノ)と、ホンモノの違いはどこにありますか?宗門が印刷した本尊と、同じ印刷機や紙やインキを使って、同じ職人が印刷するとして、学会が依頼したのと宗門が依頼したのと、どこが違うか。おせーてください。
>>1526
>私がゆり子氏に質問したのは、宗門の教義を知りたくて聞いたのではない
。。。。。
そういうことなら、宗門の公式見解なら、正宗の公式HPを参照して下さい。
最初に、あなたは、日添上人に関して、嘘の情報を書き込んでいますので、訂正します。
●人間革命第一巻で書かれている通り、日添上人は、「(日蓮宗)との合同は不承知」として、軍部政府とは妥協しませんでした。
さらに、同巻でゃ、日添上人の死を罰とはせずに、
「御逃げになろうと思えば逃げられた」+「大御本尊がまします宝蔵に向かって端座していた」として、殉教同然の描かれ方をしている。
創価学会発行の折伏教典は、廃書になって久しいが、一応、創価学会の正式な見解が述べられている。
それに依れば、例え日蓮大聖人直筆の本尊であろうとも、正宗の血脈が通っていない本尊には何の功徳もない、としている。
何故なら、日蓮大聖人が一閻浮提 悉未来際の末法衆生救済の為に遺された大御本尊に信心の血脈が通っていないから、としている。
戸田先生が「幸福製造機」(適切な表現ではない)と呼んだのは、他ならぬ大御本尊だったのである。
学会員に下付された御本尊に功徳があるというのも、時の法主が大御本尊の相貌をその儘写したからこそ、としていた。
そういう信仰するものにとって、大事な大御本尊に目通りすることを拒否しては、いかなる本尊であろうと、例えどんな歴代法主が書写したのであっても、功徳がある筈がない。
従って、既に私の説明で尽くされているように、
時の法主が允可した御本尊でなければ、何の功徳もない、ということになる。
これは、信仰の次元であり、それが嫌なら、何時でも退転届けを出して、日蓮正宗信徒であることを止めればいいのである。
創価学会の小賢しさは、自分達で勝手に「や〜めた」と言って、謗法の限りをしていながら、恰も自分達が宗門という、権威主義の権化みたいな団体kら、迫害されたかのように、被害者を装っている点んにある。

1536 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/26(月) 22:31
>>1523仏教解説者 さん
・日寛上人書写の本尊には力があると思いますか?
・脇書きを消さないものであれば変造ではないといえますか?
・日顕の本尊をそっくりそのまま印刷したもの(宗門の言ういわゆるニセモノ)と、ホンモノの違いはどこにありますか?宗門が印刷した本尊と、同じ印刷機や紙やインキを使って、同じ職人が印刷するとして、学会が依頼したのと宗門が依頼したのと、どこが違うか。おせーてください。
>>1526
>私がゆり子氏に質問したのは、宗門の教義を知りたくて聞いたのではない
。。。。。
そういうことなら、宗門の公式見解なら、正宗の公式HPを参照して下さい。
最初に、あなたは、日添上人に関して、嘘の情報を書き込んでいますので、訂正します。
●人間革命第一巻で書かれている通り、日添上人は、「(日蓮宗)との合同は不承知」として、軍部政府とは妥協しませんでした。
さらに、同巻でゃ、日添上人の死を罰とはせずに、
「御逃げになろうと思えば逃げられた」+「大御本尊がまします宝蔵に向かって端座していた」として、殉教同然の描かれ方をしている。
創価学会発行の折伏教典は、廃書になって久しいが、一応、創価学会の正式な見解が述べられている。
それに依れば、例え日蓮大聖人直筆の本尊であろうとも、正宗の血脈が通っていない本尊には何の功徳もない、としている。
何故なら、日蓮大聖人が一閻浮提 悉未来際の末法衆生救済の為に遺された大御本尊に信心の血脈が通っていないから、としている。
戸田先生が「幸福製造機」(適切な表現ではない)と呼んだのは、他ならぬ大御本尊だったのである。
学会員に下付された御本尊に功徳があるというのも、時の法主が大御本尊の相貌をその儘写したからこそ、としていた。
そういう信仰するものにとって、大事な大御本尊に目通りすることを拒否しては、いかなる本尊であろうと、例えどんな歴代法主が書写したのであっても、功徳がある筈がない。
従って、既に私の説明で尽くされているように、
時の法主が允可した御本尊でなければ、何の功徳もない、ということになる。
これは、信仰の次元であり、それが嫌なら、何時でも退転届けを出して、日蓮正宗信徒であることを止めればいいのである。
創価学会の小賢しさは、自分達で勝手に「や〜めた」と言って、謗法の限りをしていながら、恰も自分達が宗門という、権威主義の権化みたいな団体kら、迫害されたかのように、被害者を装っている点んにある。

1537 名前: 夏の野うさぎ 投稿日: 2004/07/27(火) 00:57
仏教解説者さんへ

長いレスありがとうございます。
もちろん個人的意見で学会としての公式見解ではないことは承知しております。

下記にある、私が一番聞きたかった問題について明確な答えが得られなかったのが
残念です。

>学会としても、その時点(破門の時点)で日顕御本尊は
>力がないから(血脈が切れたため)祈っても仕方ないと言うべきだったと思うんです。

未熟な私ですが以下のように思っています=あくまでも私=夏の野うざぎの見解です。

創価学会が破門された時、学会にとって都合の悪いことは
大御本尊にお目通りできないことと、宗門より御本尊下付を停止されたことです。

大御本尊にお目通りできなくても、会館や自宅の御本尊に祈る功徳は同じなので
問題はなかったと思います。(私としては大御本尊も他の御本尊も力は同じだと思っている)
しかし、新たな御本尊下付ができなければ折伏弘教が出来ない、というより
教勢拡大に支障があったと思われます。

そこで、学会には日達上人や日昇猊下の御本尊もあったので
それを印刷(コピー)して独自に下付することができたと思います。
しかし、それでは宗門より御本尊乱造の誹りは免れない。
そこで反宗門の僧侶に頼んで、日寛上人の御本尊を手に入れたと思います。

宗門からの御本尊下付停止から、日寛上人の御本尊が一般会員に行き渡るまで
タイムラグがあるはずです。
その間、学会は日顕氏の御本尊について、だんまりを通しました。
日顕氏の御本尊が 謗法だ、汚らわしい、力がないと言ってしまうと
当然、多くの学会員は自分が持っている日顕御本尊に嫌悪感や疑いを持ちます。
勤行・唱題もままならないでしょう。

そうすれば、退会、脱会、宗門へ行ってしまう学会員がもっといたと思います。
私は学会が組織防衛のために、末端会員に真実を隠したと思っています。
それをミスリードではないかと思っているのです。
それはあとで発覚しても言い訳ができます。
会員みんなのためを思って黙っていたのだと。
公式な言い訳は私としては聞いたことがないのですが・・・。

1538 名前: 夏の野うさぎ 投稿日: 2004/07/27(火) 01:01
1537の続き

そして下記につながってくるのは自然なことだったと思っています。

>しかし、流れとしては日顕御本尊に祈るのは嫌だという学会員の声があり
>それに答える形で突然、日寛上人の御本尊の正当性が強調され
>日顕御本尊が学会員からなくなった段階で
>創価学会を破門したから日顕御本尊には力がないと
>言うようになったと思います。

そして上記5行の経過については学会側の巧妙なマインドコンロールだと思っています。
これは、私は日顕氏の御本尊には力があると思っているからです。

日顕氏は昭和54年7月22日登座、平成3年11月28日学会破門
つまり12年間あまり、学会員は日顕御本尊をひらすら信じて、功徳を受けてきたわけです。
しかし、その間、あなたが言うように全ての日顕御本尊が清浄なものでは
なかった思います。
しかし私たちはどの御本尊が「清浄」か「不浄」か知lりえません。
不浄な御本尊だと知っていたら真剣に祈れません。
知らないために、真剣な信心で宿命は変換出来たのです。
この論理からすれば、御本尊を書いた人というより
どんな御本尊であれ、信じる気持ちと言うことになると思います。

学会は日寛上人の御本尊を手に入れたことで反日顕氏キャンペーンを始めます。
日顕氏の素行を批判することで、御本尊にそのものの功徳や力という視点をすり替え
日顕氏御本尊に対する気分的な嫌悪感を喚起させます。
日寛上人の御本尊に変えたくなるのは自然現象になってしまいます。

日寛御本尊の正当性を訴え、功徳があるといえば、取り替えはあたりまえだと思います。
日寛上人御本尊さえ、自由に手に入り、末端会員が日顕御本尊から
日寛御本尊に変えてしまえば、もう宗門は関係ありません。
異常なまでに、徹底して宗門を叩き、日顕御本尊を否定することで
学会正義を末端会員にすり込もうとした戦略だと思っています。

この頃から宗門と別れてよかったいう、以前の聖教4面の
学会中枢幹部の声が高くなった気がしています。
私は破門以来、学会のとった戦術は非常に巧妙で
組織防衛のためには、予想以上の大成功を納めたと思っています。
創価学会の本部中枢幹部には切れる人がたくさんいると思いますから。

さて私に対するレスですが前半部分の御本尊を鏡に例えたお話しは一理あると思います。
一言、一言引用してのレスは避けますが
例え、過去に自己破産した人が一万札を印刷しても、一万円として価値があり
心の汚れた法律家が法律を作っても、法律には力があります。

つまり、日蓮大聖人であれ、日達上人であれ、日寛上人であれ、日顕氏であれ、御本尊そのものには
それなりに力はあると思います。どれを選択するか自由です。
当然の事ながら、功徳を導き出すのは自らの信力・行力です。

ですから、あなたが強調している日寛上人御本尊にもなんら問題ないと思っています。

1539 名前: SGI 投稿日: 2004/07/27(火) 22:49
>>1531 薫さん
 ありがとう。勇気づけられます。
 どうぞ、「ウソの言論」を見破ってください。「聖なる狂信」は愚かなことです。
 学会の「無疑曰信」は間違っております。ついでに申せば「仏法は勝負」も間違っております。詳しくは、別スレッド「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」をご覧下さい。

 また、このスレッドでは、小説「人間革命」を批判する趣旨で池田創価学会の裏面史を書き込みましたが、「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレでは、言論問題以降の「広布第2章」の動向を綴っておりますので、ご参考にして下さい。そうすれば、一応、池田創価学会の歴史を概観できると思います。
 ⇒INDEXレス 
  http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/925/1034690171/528
  http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/925/1034690171/802

1540 名前: SGI 投稿日: 2004/07/27(火) 22:51
>>1534「真実を知りたい」さん
>池田先生の日記に……それもウソという事になるのでしょうか?
―― はい、その通りです。
 『若き日の日記』の記述は大半が捏造、つまりウソです。
 『若き日の日記』も、小説「人間革命」と共に、名誉会長の神格化・神話作り等が目的です。共に、池田体制が確立した昭和40年代前半に連載または刊行が始まりました。小説「人間革命」が、戸田先生の出獄時から始まるため山本伸一が登場・活躍するまで少々時間がかかるため、急ぎ“池田大作”の個人崇拝を推進するために刊行されたのが、『若き日の日記』です。当然のことながら、創作であり、代筆(共同執筆)です。

 当初の刊行は、部数限定の私家版(非売品)で、大幹部や本部職員、次代の学会を担うことが期待されている中高等部員や学生部員など、ごくごく少数の人に(原則として名誉会長から直接)贈呈されました。したがって、入手することができた幹部らの喜びはひとしおで、まるで仏様から成仏の記別をいただいたような心境だったと思います。

 たしか『若き日の日記』は全4巻だったと記憶しているのですが、順次1巻ずつの刊行でその都度、贈呈された者は誇りも高々でさらなる名誉会長への忠誠を誓い、入手できなかった者は次回刊行に期そうと、やっぱり忠誠に励むといった感じになっていたのではないでしょうか。
 だから、私家版の全4巻フルセットで所有している人は、おそらく極めて少ないと存じます。

 さて、私が学生部や男子部だった頃、よく「就いていく3000遍・リードする5000編・宿命転換の1万遍」という指導を先輩から受けたし、後輩にも語っておりました。この「宿命転換1万遍」は『若き日の日記』に拠るものだったのですね。
 しかしながら、私は名誉会長が唱題行に励む姿を見聞したことがありません。本幹等の会合にも途中入場が常ですし、唱題会に参加している姿はまず記憶にありません。たいてい会長、理事長クラスが導師でした。名誉会長と勤行した時も、百遍も唱えることがなかったと思います。
 反対に「忙しくて勤行ができない時は、題目三唱、1遍でもいいんだ」とか「非常識な時間に題目を唱えることは、法を下げることになる」といった指導を、しばしば聞きました。その時は、勤行唱題をサボっていけない、どんな時でも必ず御本尊様の前に端座すること、常識的に振舞うことが大事、という趣旨なのだと受け止めておりましたが、実はそうではなかったということになりましょうか。

 今、宗門法華講では「一切を開く鍵は唱題行にあり」を合言葉に、僧俗が一致して唱題行に励んでおります。
 毎月第1日曜日午前9時からは1時間の「広布唱題行」。総本山客殿では日顕上人猊下が必ず導師をつとめられ、合わせて全国の寺院では御住職と共に講員が唱題行を修します。さらに、毎年総本山で開催する夏期講習会では、第1日目の夜に唱題会が営まれ、月例の「布教区別僧俗広布推進会」(布教区ごとに末寺住職と信徒代表が参集しての会合)でも唱題行を修しております。
 また、私が所属するお寺では、毎日午前9時からと毎週水曜日夜7時から1時間唱題会を続けており、婦人部や青年部は月1回3時間唱題会を行っております。

 お寺での唱題行はたいへん清々しいものです。それに、俗に「だんだん良くなる法華の太鼓(?)」と言われますが、太鼓の音・リズムが、なんともいえず気分を良くしてくれます。これは学会時代には味わうことができなかった気分です。

1541 名前: SGI 投稿日: 2004/07/27(火) 22:54
>>1534「真実を知りたい」さん 
>そのような池田先生の姿を目の当たりにしておかしいと思って辞めて行く本部職員は多いのでしょうか
―― 以前は少なからずいましたが、今はいません(たぶん)。名誉会長のことを見限っていても、「おいしい」宗教貴族の生活・人生を大いに享受しております。それに、「ポスト池田」の時代も近いし…。

 以下、別のスレッドで書き込んだものを転記します。

◎「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレ≫185
 <前略>学会本部は伏魔殿です。いろいろな幹部がいます。
 名誉会長の本質を見限りながら、その名誉会長を利用することで、学会を牛耳っている一部の最高幹部や、名誉会長に特別な想いを抱き、あるいは名誉会長が説き学会が教えてくれた夢や理想に人生を賭け、そこに自己実現を求める者、おべんちゃらとへつらい・保身と追従の忠臣であることに己の存在を見出す者、学会エリートとしての矜持を持ち、理想の実現を図ろうという者など。<後略>

◎「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレ≫415-417
 ◆池田機関説 = この機関説は、基本的には国体説の変形。ただ、名誉会長の無謬性は必ずしも護持できないであろうとの認識に立つ。つまり、名誉会長を絶対的な君主としては仰いではいない。失態や罪も客観的に認めよう、との姿勢を残す。ある意味では、名誉会長を見限っている。なにせ、側近や中枢幹部は名誉会長の実態をより知っているのだから。

 しかしながら、会員の名誉会長に対する想いは、「伝説」に彩られた“表の顔”によって、信仰心ともいうべき篤い信頼感がある。これを強いて崩す必要もなく、この信頼感を利用する方が効率もよい。教団運営において、会員一人ひとりの意思は、最終的には中心者の1つの意思に集約させなければならないからだ。<後略>

◎「創価学会(SGI)は世界宗教をめざす」スレ≫73
 <前略>なのになぜ、こうも過度に名誉会長を持ち上げるのか。
 おそらく恐怖感があるのではないかとも想像します。会員の多くが「先生」に心酔している、「先生」を看板に掲げないと学会がもたない、ポスト池田時代のあらゆる事態を考えれば「先生」を基軸にしていなくてはいけない、そして、今現実に生きている名誉会長の監視の“目”……。

 これまでにも多くの先輩が学会の内部改革に立ち上がりましたが、すべて反逆者のレッテルを貼られたり、生活が崩壊してたり、家族がバラバラになったりして、点が線に線が面になることはありませんでした。
 志ある本部幹部・職員の意識には、名誉会長のことは切り捨てることができても、「戸田の命よりも大切な組織」たる創価学会を崩壊させるような覚悟はできません。学会を守り抜く、まともにするための行動はできても、学会自体を二分三分するような事態は避けなくてはの思いがあります。<後略>

◎「池田先生のカリスマ性について」スレ≫62
 <前略>これまでにも、何度かそのような兆しがありましたが、全て潰されました。潰れるようになっているのです、構造的に。跳ね上がったコイは、二度と池に戻ることはできません。生活権を失うだけではなく、家族も、地域も、全てを失います。何人かが廃人同様になりました。<中略>

 おそらく幹部職員の大半は、一般会員が名誉会長に対して抱いているような想いはないのではないでしょうか。本部内では名誉会長のカリスマ性は質が異なっていると思います。学会員が学会を境に「内部」と「外部」に立て分けるように、幹部職員は、さらにまた本部を境に「内部」と「外部」(内部の中の外部)の垣根を作り、さらにその奥にまた「内部」と「外部」があり…、結局自分にとっての「外部」には、名誉会長のカリスマ性を飾り立てるような言動をしてしまいます。習いです。

◎また、仮に円満に辞職しても監視は続くのです。本スレの>>310 >>661などをご参照ください。

1542 名前: 坂本竜 投稿日: 2004/07/28(水) 07:13
SGIさん、人間革命は嘘が多いといわれますが、これは歴史の本ではないのですよ。
あくまでも小説ですし、架空の人物が一杯登場していいのです。
問題は、この小説から自分の人生を変革できる思想・哲学を学べればいいのです。
そんな事もわからないで、とやかく言っていること自体が滑稽極まりない。
批判したい気持ちはわかりますが、心が透けて見えるというものです。

1543 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/28(水) 07:28
>>1537.1538
>学会としても、その時点(破門の時点)で日顕御本尊は
>力がないから(血脈が切れたため)祈っても仕方ないと言うべきだったと思うんです
私は力が無いとは言っていません。歪んだと言ったのです。
非地連勝集代表者が書いた本尊ですから、力はあります。
しかし、信心に濁りがでて歪んだ波動が加味された(現代風に言った場合です)。
だから、たとえ力があっても拝みたくないってことです。
私は日達上人の御形木様を拝んでいましたが、特別御形木様を配したいと願っていました。
どちらも力は一緒でゆがみは無かったと思いますが、そういう願望はありました。
その後特別御形木様をいただきましたが、それと同じで、日顕の本尊で言うなら、遊蕩法主の本尊は力はあるかも知れませんが、信心が狂ってきた人の書いた本尊を命がけで拝む気持ちは薄れてしまいましたので、変えたいと思うのはあたりまえの心理です。
後理解いただけましたか?

1544 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/07/28(水) 07:30
非地連勝集
日蓮正宗の間違いです

1545 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/28(水) 09:01
つまり「小説 人間革命」はフィクションであり
ファンタジ−なので真に受けちゃダメってことですね。

1546 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/28(水) 09:13
史実にフィクションを混ぜる良い例に「三国志演義」がありますが
アレもかなり創作入ってますね。
諸喝孔明が大風を吹かせるとか、関羽が死んでから化けて出るとか。
「小説 人間革命」もそれと同じと言うことね。

1547 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/28(水) 09:22
z>>1544仏教解説者 さん
>.非地連勝集
   ↑
ヽ(^o^;)ノ あわや

一瞬、何のことだ?と思ったよ。
しかし、それにしても、
>>1143
>信心に濁りがでて歪んだ波動が加味された(現代風に言った場合です)。
。。。。これって、創価学会の公式見解なのかい?
とんでもないね。
「歪み」fだの「波動」だのまるで、カルト+オカルトだね。
何度もかいているが、日蓮正宗は相伝仏法だ。
●本門の戒壇の大御本尊
●三宝の一つである僧宝をとりわけ時の法主として、血脈を尊ぶ
ということなんだよ。
牧口先生が創価教育学会を創立され、とりわけ戸田先生が創価学会として再建した時は、日蓮正宗の一講として参加が許された。
その時の条件が、(日蓮正宗がたてたあ)三宝の尊重だったのだよ。
別に、日蓮正宗の方から講として参加を要請したのではない。
これは信仰の次元だから、別に嫌になったら、退転届けを出せばいいだけなんだよ。
それぞれの家庭に安置されている御本尊に功徳があるのは、それぞれが大御本尊の相貌(そうみょう)を時の法主が写したからこそだ。
そう信じるのが信仰というものだ。
御本尊は、日蓮大聖人の悟りを文字で表現し、日蓮大聖人の仏身と見る。
詳しくは、観心之本尊抄と日寛上人の文段を参照されよ。
御本尊を全宇宙の法則とか、あんたの言う「波動」とかみているようでは、日蓮大聖人の仏法とは何の関係もないよ。
君によれば、御本尊は、器械のモーターか何かみたいだな?何ともはやだね。。。。

1548 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/28(水) 09:51
>>1542坂本竜 さん
>あくまでも小説ですし、架空の人物が一杯登場していいのです。
問題は、この小説から自分の人生を変革できる思想・哲学を学べればいいのです。
。。。。
それなら、そうちゃんと、そう断ってくれないとね。
>>1546
>史実にフィクションを混ぜる良い例に「三国志演義」があります
。。。。それって、ちっと血がうんじゃないかい?
●生存中の作者がスーパーヒローとなって、物語り中、大暴れしているのではない。
●やたらに詳しい時代背景の説明は、読者にドキュメンタリーであることを錯覚させている
●同第十二巻では、「誰」とわかる形で、所謂「反逆者」を登場ささせ、侮辱的記述を秘密の暴露という形で行っている。
これは明らかに、「フクションだから」という言い訳の許容範囲を超えている。
★池田先生に依れば、人間革命は全三十巻まで行くそうだ。
日本文化の「恥じ曝し」は、まだまだ続きそうだが、存命中の反逆者やとりわけ日顕上人への、酷い人権侵害的記述が予想されるだけに、楽しみだ。
その時こそ、完全な名誉毀損罪が成立する筈だ。
創価学会の悪が公然と裁かれる日は必ずやって来ると思う。

1549 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/28(水) 10:00
訂正>>1548

●生存中の作者がスーパーヒローとなって、物語り中、大暴れしているのではない。

●人間革命では、「三国志演義」と違って、生存中の作者がスーパーヒローとなって、物語り中、大暴れしている。

1550 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/28(水) 10:07
訂正2>>1548

それって、ちっと血がうんじゃないかい?

それって、ちょっと違うんじゃないかい?

1551 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/28(水) 12:06
訂正>>1515

日蓮大聖人、更には、宗教に限らず、先駆者というのは、例えその主張がどんなに正当なものでも、旧勢力にとっては、脅威となり、反逆者のレッテルを貼って、除外しようとします。

日蓮大聖人、更には、宗教に限らず、先駆者というのは、例えその主張がどんなに正当なものでも、旧勢力にとっては、脅威となり、反逆者のレッテルを貼られ、除外しようとされます。

1552 名前: 夏の野うさぎ 投稿日: 2004/07/28(水) 22:22
>>1543
仏教解説者さんへ

嫌いな法主の御本尊を拝みたくないのは当然ですね。

>しかし、信心に濁りがでて歪んだ波動が加味された(現代風に言った場合です)。

他の方も言っていましたけど、この言葉ってあまり説得力がないと思うんです。
20年前に印刷した1万円札が、手垢が付いたので、銀行に行ったら
価値が落ちて3000円にしかならなかったみたいな・・・。
ファジーな言い方は誤解と曲解を生み、自分に都合のいい解釈になってしまう危険性があります。

私が周りの幹部(私より役職が上ということだけです)に聞いた時は全て、日顕御本尊は力がないと完全否定でした。
多くの学会員は、「相承」がないから、学会を破門して血脈がなくなったとして完全否定ですね。
学会員と言うより学会本部の見解だと私は思っています。

「相承」がないなら登座以来、日顕御本尊に力はなかったわけで
学会を破門して血脈がなくなったのなら、破門された時に日顕御本尊は全て返還すべきだし
この問題に関する組織内での議論は好ましくないので私は頷いただけですが
事実や真実がどうであれ、議論も問いかけもなく自分たちを納得させているのだと思います。
盲信と揶揄される土壌がこんなところにあるのかなと思っています。

その点

>私は力が無いとは言っていません。歪んだと言ったのです。

という仏教解説者さんは、まだ盲信ではないかもしれませんね。
仏教解説者さん、私はけっして、アンチでも未活動家でもありません。
あなたとは少し意見が(見解)が違うという事なのでご理解して下さい。
ガチガチ、バリバリに固まってしまった学会組織を少しでも風通しのよいものにしたいからです。

1553 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/07/28(水) 22:42
>>1540 【SGIさんへ】
貴重な情報ありがとうございます

今後もSGIさんの投稿興味を持って見させてもらいます
学会では宗門の僧侶は堕落していると言っていますが 
事実はそうではなさそうですね
宗門の情報も教えてもらえるとうれしいです

1554 名前: SGI 投稿日: 2004/07/29(木) 00:19
>>1542 坂本竜さん
以前にも同じようなコメントがありました。その時もお応えしたのですが、
たしかに坂本竜さんがご指摘のとおり、「人間革命」は小説であり、フィクションのはずです。

しかし、例えば、
 1)>>30 の「入信神話」のように、小説の虚実(ウソ)が、やがて“事実”として学会正史に刻まれ、定説・通説になっていくこと。
 2)にもかかわらず、批判や批評を受けると「小説ですから」と誤魔化す一方、組織内では「学会の真実の歴史を綴る」と喧伝し、「言論問題」のように歴史的な事実でさえ捩じ曲げていくこと。
 3)そして、作中のスーパーヒーロー「山本伸一」を現実の「池田大作」に投影させ、名誉会長や学会の独善的な無謬性・正当性を刷り込んでいくこと。
 4)さらにいうならば、yurikoさんが再三再四ご指摘しているように、宗教指導者が著述しているにもかかわらず、敵対者や反逆者に対する人権侵害・名誉毀損的な記述が多いこと。

――等々、単なる“小説”の域にとどまらず、
歴史を捏造してまでも池田創価学会の正当化を図り、会員への指導原理書に――かつて「現代の御書」と称していた――していることが問題ではないでしょうか。

1555 名前: SGI 投稿日: 2004/07/29(木) 00:27
>>1553「真実を知りたい」さん
レスありがとうございます。
これからは宗門・法華講の現状についてもなるべくご紹介するよう心がけます。
反対に、学会組織の第一線の現実・情報を教えていただければ、ありがたく存じます。

1556 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/29(木) 04:35
>>1554SGIさん
>入信神話」のように、小説の虚実(ウソ)が、やがて“事実”として学会正史に刻まれ、定説・通説になっていくこと
。。。。
最近の聖教新聞で、「あれ」って思った記事があった。
池田先生が大阪事件で、夕張から、大阪地検の召還に応じて、出頭する際のこと(嘘だが)。
人間革命11巻では、戸田先生が態々羽だ空港まで、迎えに行って、
「お前が万が一死ぬようなことがあれば、その上に俺も伏して死ぬ」という麗しい美談が語られている。
それが、何時の間にか、史実として、聖教新聞で語られていた。
このパターンは、
ステップ1 聖教新聞各部代表首脳による紙上座談会で、『xxxということが、人間革命に書かれている
ステップ2 (他の首脳により)『そういう事実を我々は忘れてはならない』
ステップ3 聖教新聞の他の記事で『事実』として記載される
『法華経の智慧』でもそうだが、池田先生の得意の戦略は、「こでもか!」っていうくらいの美談を語って、人を感動させることだ。
アジテーターだ。それが事実かどうかは、池田先生にとっては、どうでもいいのである。
これって、詐欺師のパターン。
「話題を提供しようと思っただけ」→「悪気はなかった」→「あまりに、人々が喜ぶから、調子に乗ってしまっただけ」
テレビドラマ「恋がしたいX3」では、悪気のない、詐欺師が登場するが、
「多少の嘘も仕方がないな」という気持ちにさせられた。
女性が年令を10歳くらい詐って、年下の男性とデートしたって別に構わない!
しかし、そういう小さい嘘が積み重なって、政治的スキャンダルになったり、企業詐欺になったら、社会問題だと思う。
そういう点では、池田先生の嘘癖=大衆心理操作は、社会問題と言っていい深刻な問題だと思う。
因に、昭和31年の日本経済新聞の報道では、池田先生は、自宅で逮捕されたことになっている。

1557 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/29(木) 06:57
参考資料

http://www.elnolte.ne.jp/souka/giwaku2/
大阪事件45年目の真実と虚構

1558 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/29(木) 13:15
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1559 名前: sayuri 投稿日: 2004/07/29(木) 13:19
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1560 名前: 池田大作 投稿日: 2004/07/29(木) 13:23
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1561 名前: 太郎 投稿日: 2004/07/29(木) 14:07
yurikoの投稿
人間革命第11巻 大阪
『戸田城聖は、控え室で伸一の来るのを、伸一の峯子や小沢弁護士とともに待っていた。戸田は彼の分身ともいうべき最愛の弟子を、いま羽田に迎え、そして、ただちに大阪の獄舎に送らねばならないことに、深い苦汁に満ちた感慨もてあましていた。』
『われわれがやろうとしている日蓮大聖人の仏法を広宣流布する戦いというのは、現実社会での格闘なのだ。。。。伸一、征ってきなさい!』
『伸一、心配なのは君の体だ。。。。絶対に死ぬな、死んではならんぞ。。。。。
伸一、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな』
『電撃が伸一の五体を貫いた。。。。感動は涙となって眼からほとばしり出そうになったが、彼はじっとこらえた』
『戸田先生の弟子らしく、私は力の限り戦う。師のためにも、同志のためにも。それは広宣流布のどうしても超えねばならぬ道程なのだ』

1562 名前: 太郎 投稿日: 2004/07/29(木) 14:09

感想。
●たかが、選挙違反の取り調べにお出頭するのに、やくざの親分子分のように、「今生の別れ」を演出するのは、あまりに芝居じみてて、滑稽だ。
●伸一の妻の名前を峯子とするのは、実際の「みねこ」から、類推が容易過ぎる。ここは、フィクションなのだから「道子」とでもした方が、読者受けがよかったのではないか?
●選挙違反することが何故、現実社会との格闘になるのか、さっぱりわからない。
法律を守ることくらい、常識のある社会人の第一歩ではないのか?
●まずは、取り調べの段階で、容疑を認め自白したのだから、組織に迷惑をかけたことについて、反省の言葉があるべきではなかったのか?

1563 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/29(木) 20:53
訂正>>1562

伸一の妻の名前を峯子とするのは、実際の「みねこ」から、類推が容易過ぎる。

伸一の妻の名前を峯子とするのは、実際の「香峯子」から、類推が容易過ぎる。

1564 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/30(金) 00:17

池田先生の入信場面の捏造は、既に証明済みだから、今改めて追求しない。
捏造があまりにも明らかなのにも拘わらず、本人は「私の履歴書」などの一般向けのエッセーでも、「既定事実」として利用してきた。
創価学会員にとって、誰から、何時、何処で入信を決意するに至ったかは、取り分け重要な意味がある。
「入信の日」=「第二の誕生日」だからだ。
それを平気で詐る人間が居たとしたら?
哀れとしかいいようがない。恐らく、基本的な精神構造に問題があるのだろう。心理カウンセリングを受けて、心の傷を治療する必要があると思う。
それが、今度、疑惑が涌いたのは、大阪事件で池田先生が夕張から羽田に向かい、大阪地検に出頭する場面の捏造だ。
又もや、恩師利用の「創り話」の疑惑が濃厚だ。
●(公式の記録通り)自宅逮捕ならば、容疑者と外部(戸田先生)の接触は不可能
●『死ぬな』とか『お前の上にうっぷっして俺も死ぬ』などと言うのは、作文
というのが明らかになってしまう。
池田先生が正直な人間でないことは、もう明らかだが、ここまで来ると、犯罪的と言っていい。
唯一、真実を証言できるのは、戸田先生の他に香峯子夫人がいる。夫人の勇気を期待したい。、

1565 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/30(金) 00:28
これは、戸田先生の電気だが、
ここで、「お前の上にうっぷしして死ぬ云々」は既に正史としえ、綴られている。
http://n0r1k.at.infoseek.co.jp/todadata5.html
他にどんな例があるのか、投稿を募りたい。

1566 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/30(金) 00:34
訂正>>1565

電気→伝記

1567 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/07/31(土) 03:15
>>1520-1521

本尊観という信条の根幹にも関わるであろう部分については、
それぞれの意見や思い感覚というものはすべて尊重されるべき
ものであろうし、私がこの場でとやこう述べることは場違いで
あろうと思っています。

で、ひとつだけ「鏡」というものについての思い。

鏡をいくら磨いても、自分の顔についた汚れはおちません。
鏡を磨くと同時にいやそれ以上に自分の見る力を養う必要が
あると思います。
目が不自由な方で鏡はたとえ見えなくても、とても素晴らしい
見る力をもっている方たくさんいらっしゃいますよ。
鏡の話はわかりやすい喩えだと思いますが、それだけならば
ゴルフクラブを自慢し、時に都合よく自分の成績をクラブの
責任にしちゃうシングルのおっさんとあまり変わらなくなるのでは。

ごく普通の鏡、洗面所とかの鏡でいいと思いますが、
その鏡に向かって自分の名前を大きな声で呼んでみてください。
「はい」と返事できるかどうか。
誰が返事するのか。鏡の中の自分ですか、それとも。

目をつむってみるといいです。
ご本尊が見えますか。鏡に映る自分がはっきりと見えていますか。
見えるまで立ち向かえばいいです。なりふり構わず。目が開いている
開いていない関係ないでしょう。ご本尊がぐんぐんせまってきて
光がチラとでも見えたらもう克ったも同然だと思いますよ。
自分のことだけ都合よく考えていたらどうでしょうか。
ぐんぐんくるでしょうか、あるいは自分がこう迫っていっているのか。
私の我見であり自己経験の表現のしかたの違いはあろうかと思いますが、
ご本尊に向かって唱題をすることは素晴らしいことだと信じております。
ちょっと禅的すぎたかな。

と、結局ご本尊観に踏み込んでしまった。失礼。

1568 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 11:02
御本尊御本尊と言うが、一体何が御本尊なんだ?どこの宗教団体でも御本尊を持っている。宗教法人としての登記をする時に、御本尊を明記しなければ登記できない。
貴方の言う御本尊とはなにか?法人登記申請書に、御本尊を記入する欄があるであろうが、そこに御本尊と明記しているのか?
後言うところに既に、反社会性があるのだ。それも小さいものではない。狂乱が現れているのだ。御本尊とはなにか?

1569 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 11:06
間違いは明らかであるから、質問をこのようにする。何と言うべきところを御本尊と誤っていったのか?

1570 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 11:29
歩さんは創価学会の非会員でかつ肯定的傾向の理解者の方とおもいますが・・・

創価学会の本尊とは教義では三大秘法、まつられるもの(目に見えるもの)としては仏壇に安置している
法華経の曼荼羅ですね。

「ほんぞん 【本尊】
(1)一寺一堂の信仰の中心としてまつられている、仏・菩薩の像や曼荼羅(まんだら)など。」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

「(教 義)
第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、
日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。」
(「創価学会会則」総則)

創価学会が狂乱にせよ間違っているにせよ、そのようになっています。

1571 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 11:43
日蓮は「御本尊に迷えり」とか「余所に求むるなかれ、胸中の肉団にあり」とかよく聞くせりふである。この胸中の肉団にありと言うのは非常に問題ではないか。
即ちこれは、『有身見』ではないのか? 有我の邪見ではないのか?この邪見のために学会員は人をのろうと言うことができるのだ。人の胸中に向かって祈るのだ、南無妙法蓮華経と。
自分の胸中の南無妙法蓮華経と他人の胸中の南無妙法蓮華経と無差別である。だから団結は必須である。この団結を壊すものは、許されない。離れていった者は、自分の分身のように思い後をつけるようになるのだ。又自分の分身を増やそうとして、教えを広めるのではなく、仲間を増やすことに精を出し、それが教えを広めることと勘違いすることになるのではないか・

1572 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 11:52
>第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、
 ここの御本尊の言葉の使い方が間違っているのだ、ここを日蓮自作の法華経の曼荼羅・とするべきであったと思う。

1573 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 13:38
>日蓮は「御本尊に迷えり」とか「余所に求むるなかれ、胸中の肉団にあり」とかよく聞くせりふである。
>この胸中の肉団にありと言うのは非常に問題ではないか。
>即ちこれは、『有身見』ではないのか? 有我の邪見ではないのか?この邪見のために学会員は
>人をのろうと言うことができるのだ。人の胸中に向かって祈るのだ、南無妙法蓮華経と。

鎌倉時代は現代の仏教学の見解はないですから、
有我の邪見、我見、有身見、アートマンを否定していないのかもしれません。

しかし、
「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の
因果の功徳を譲り与え給う」ということなので、

釈尊の因行・果徳を譲り受けなければなりません。

釈尊の因行・果徳を譲り受けず(このことが念頭になく、忘れて)、ただただ自分の胸中の肉団
そのままのカオスに祈っているのは、「自分教」になってしまいます。
創価学会の問題というのはこの「自分教」によるものではないでしょうか。

それに、釈尊は呪いをやらないでしょう。

1574 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 13:50
日蓮大聖人は法華経が師匠であった。「法華経を師匠と御憑み候へ」

創価学会では俗人指導者が師匠となっている。

1575 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/31(土) 14:10
>>1480
>正確な名前は忘れたのですが、
斉藤○○氏
「生命輝日mの為に」というルポルタージュふぁあります。

斉藤茂男 生命かがやく日のために 共同通信社
                 講談社α文庫
●書評  知恵遅れでしかも内臓器官に障害を持つ赤ちゃんが産まれたとする。 手術をしなければ命は危険にさらされ、いずれ確実に死が訪れる。手術をするかしないか。つまり障害児を生かすか殺すか・・・もしそういう選択を迫られたとしたら・・・・
看護婦からの投書を元に新聞記者(筆者)が一人のダウン症新生児にまつわる顛末を一部始終リアルタイムに記事とした。大いなる反響、賛否両論の渦巻くなか、結局両親の手術拒否でその子供は亡くなってしまう。

筆者は事件の後、いろいろな関連事例を調べていきます。ある銀行の エリート支店長は、2歳になったダウン症の娘を餓死させてしまいま した。彼の友人や同僚は誰一人として彼の娘が障害児であったことを 知らなかったそうです。通常なら社会的強者であるべき彼が自分の娘 の存在を誰にも話せなかったのはなぜなのか。殺してしまったのはな ぜなのか?
私はここに、日本社会の病理がかいまみえているような気がするので す。日本のいじめや差別の問題は非常に複雑です。いじめる側、差別 する側の人間が、暴君や独裁者のように明らかに形として見えない、 いわゆる「ふつうの人」であるというところが、その解決を難しくし ているのではないでしょうか?
 これはウォルフレン流に言えば「日本社会の構造的問題」であると 言えると思います。

だからどうすればいいのか・・・・
それは私にはまったく解りません。

1576 名前: yuriko 投稿日: 2004/07/31(土) 14:15
>>1575は、コピペです

http://www.baobab.or.jp/~kbaba/book.html#NO9

1577 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 14:22
>>>1575は、コピペです
>http://www.baobab.or.jp/~kbaba/book.html#NO9

その書評は参考になりますね。

「失敗の本質・日本軍の組織論的研究」
「奇跡の経済復興という成功体験に固執し、柔軟性を失ってしまい、激動の国際経済情勢に
 翻弄される現在の日本社会(企業、行政その他)を、ここに当てはめると非常に興味深い
 事実、すなわち組織としての日本人の特性は、戦前と殆ど変わっていないという恐ろしい
 事実が引き出されるのです。
 この本が先のバブルで日本中が浮かれている時期に書かれていながら、既に日本的組織が
 変化する外部状況に充分適応できない点を警告している点は注目に値します。
 今もまた無力な若者がある意味で犠牲を強いられているのでは無いでしょうか。」

新興宗教団体の組織も同様ではないでしょうか。

1578 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 14:33
続き

・太平洋戦争、日本の敗因

「あの戦争がいかに無謀であったか、そしていかに今の日本の社会もあの当時の体質を変わらずに
 ひきずっているのか、それを具体的に検証し、明らかにするのが目的である」

「劣る兵器と補給を精神力で補おうとする精神主義の行き着く結果であった。」

  劣る教学を精神力で補おうとする精神主義。

「兵器思想というより文化の違いが多くの若者を死に追いやった。」

「本当の意味で自らの責任をうやむやにした軍部のありかたは、今もなお日本的組織の
 あり方にオーバーラップする。」

  某新興宗教団体は日本的組織のあり方の代表ですね。

・日本軍の小失敗の研究

「島国であり、ほとんど単一の民族からなっている我が国においては、物事を真正面から
議論することを避けてきた。諺ひとつを見ても「沈黙は金」に代表されるように
1 議論をなるべく排し
2 進言、忠告、上申の類を嫌う」

某新興宗教団体は自分たちも島国根性ということで。

・大本営参謀の情報戦記

「よく「歴史に学べ」と言われますが、これって案外難しいのです。これまでの失敗を分析し、
 反省し、今後の糧とすることができていれば世の中はもっと良くなっているはずです。
 日本的組織では失敗を徹底的に分析することによって関係者や当事者が不利に扱われる
 ことを恐れて、このような反省が行われないことが多いようです。
 いちばんいいのは自分の所属する組織での具体的な失敗の経験が教訓となれば一番いい
 のですが、これがいかに難しいか、組織に属する人間なら理解できるはずです。」

  某新興宗教団体会員は礼賛本ばかり読まないでこのような本も読んだらよいですね。

1579 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 14:44
>「兵器思想というより文化の違いが多くの若者を死に追いやった。」

兵器を用いる戦争と違って宗教戦争では若者は死なないんですが、
カルト化というか人間性の死んだ状態になります。

1580 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 15:52
仏教のニルバーナは、持戒を基礎としているようです。この持戒が人権思想であると思います。
一切が空である、とすれば、何をしても何かが変化するわけではない、だから何をしても言いのだ、と言うことに考えたくなる。しかしこの意味を吟味してみる必要が絶対に必要です。
空と言う真理を信じるものならば、何かをすると言う意識を持つだろうか?何かを望むことがあろうか?
人を殺そうとするのは、人の存在を有身見としてみているのであるか、空の真理に反する。したがって空の真理に従う人は、人を殺すことはない。同様に、盗んだり、騙したりもしない。これらの悪は全てなにかあると考えていることが前提だからだ。
 空の真理に従う人にはそれでは何があるのか?結局、空の真理を知らない人が陥っている悲惨な状態を、慈悲喜捨する気持ちがあるだけのことにならないか。そこで、真理の法を説き進めることになるのではないか?

1581 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 16:25
>>1573
しかし、
「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の
>因果の功徳を譲り与え給う」ということなので、

釈尊の因行・果徳を譲り受けなければなりません。


 私はこれは大変疑問で、危険な思想でさえあると思う。釈尊の因果の功徳とは何か、それを知っていることが前提で無ければならない。
それは仏知見と言われるもので、空の真理でしょう。その真理に従うことが必要であるところ、上のように教えられて、空の真理を体得できるものでしょうか?
空の真理を体得するならば、阿弥陀の浄土のような、美しく幸せな世界にいることができるのではないか?その世界では、全てが縁起によっていることを見る、縁起の世界は、この上なく美しいのではないか?
縁起に埋もれていない状態、縁起から解脱した状態、これが救いなんではないか。
 善も悪も全て縁起である。そうすれば、善も悪も自性がない。だから善にも悪にも執着しない。
 ここのところが私の考えて見なければならない課題なんだけど、誰か教えてくれないかね。

1582 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 19:09
>>1577
もう数十年前になるかもしれないが、あるアメリカ人が日本にきて、日本の官僚と接触した時、日本には統治権が無い、と言うような感想を漏らしていた記憶がある。
法律が整備されていても、それを守っていないと言うことだ。今の日本でも相変わらず、法律が誰によっても守られていない。行政庁が守っていないのだ。国民も法律知識の教育を受ける権利を、行政庁から侵害されている。こんなままで教育基本法が改正されると言うことだが、ますます国民は民主主義と言う社会体制について無知文妄となろう、そのような法律に改悪されるだろう。
伝統だとか、文化だとか言ってるが、法律で『伝統』と言うものを定義しなければならない、『文化』にしても叱り。改悪されるならば、憲法に反するものになろう、そして、又争いの種が生じるのだ。創価学会の公明党や、紳道の自民党がすることなのだ。
 結局日本人と言うのは、知性が無いので、西欧の外見の真似はしても、中味まで吸収できないのではないか。日本はアメリカのひとつの州になったほうが良い。アメリカに支配されたほうが良い、そのほうが幸福である。
 憲法九条の改正についても、日本は平和をもたらすような知恵の発揮を期待できないことを示しているのだ。

1583 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 20:42
>釈尊の因行・果徳を譲り受けなければなりません。
>
>私はこれは大変疑問で、危険な思想でさえあると思う。釈尊の因果の功徳とは何か、
>それを知っていることが前提で無ければならない。
>それは仏知見と言われるもので、空の真理でしょう。その真理に従うことが必要であるところ、
>上のように教えられて、空の真理を体得できるものでしょうか?

できません。

そこが大きな問題のひとつで、仏教がはじめから違っているのです。

ちなみに創価学会では教学は会員に確信を持たせるためのものだそうです。
仏教がはじめから違っていようが間違っていようが構わないという駄目なところが
あるわけです。

1584 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 20:52
>結局日本人と言うのは、知性が無いので、西欧の外見の真似はしても、
>中味まで吸収できないのではないか。日本はアメリカのひとつの州になったほうが良い。
>アメリカに支配されたほうが良い、そのほうが幸福である。

私も知性の無い日本人のひとりとして考えさせられます。

そういえば糸川英夫博士も同様の警鐘を鳴らされておりました。

糸川英夫博士の「日本はこうなる」、その後
ttp://www.nttcom.co.jp/comzine/archive/smart/shilcon/no-20.html

日本はこうなる(糸川 英夫 著)
ttp://www.dyart.jp/hon/hon2003/nihonha.htm

日本はこうなる(糸川 英夫 著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062020068/qid=1091274607/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-0066138-8027452

「レビュアー: magumbo アメリカ、オクラホマ州
著者糸川氏は、戦前、優れた戦闘機の設計に携わり、戦後は、ロケット研究に貢献された方だそうです。
アメリカの歴史番組などで、紹介されるくらいなので、世界的に有名な技術者なのでしょう。
日本の将来を予測するようなタイトルがつけられていますが、「日本はこうなる」とうよりも、
むしろ「日本人はこうすべきだ」という観点が多く盛り込まれていて、色々考えさせられました。
日本の敗戦とその後のテクノロジーの発展、そして経済成長などを、とても現実的に捉えており、
そこから派生する様々な問題と対処方につながるヒントを、著者個人の経験も含めて、論じておられます。
本書は、八十年代半ばのものですが、糸川氏の科学的、客観的な視点から見た世界の中の日本は、
21世紀の今日でも、参考になると思います。 」

無内容で自己礼賛の創価本よりは参考になりそうだ。

1585 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/07/31(土) 22:14
>>1581
空の真理について質問することは大変大切なことと、大乗経典はい言う。空について質問したかどうかが、今度の運命を変えるのだと。

1586 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/02(月) 08:06
明日 8付3日(日本時間)は、故福島源次郎氏の命日。
早い様で短い、6年目だ。
私が学会員だったから頃、氏を目標に頑張った頃もあった。
●結構、いい男
●東大経済学部卒
●最高幹部 
●池田先生の側近中の側近
などの理由からだ。
私の友人の中でも、福島氏を手本に頑張っていた者も居た。
ところが、その人は、福島氏が反逆者と烙印されるや否や、「あの福島の野郎が。。。。」とかいう口の利き方をしていたのには、驚かされ、失望をした。
それは、無論、池田名誉会長の福島氏に対する態度の急変を受けてのものだ。
私はというと、ただひたすら混乱した、というのが正直な所だった。
というか、未だに混乱していて、池田名誉会長を軽蔑する気持ちにもなれないし、福島氏を無条件で信用する気持ちにもなれない。
ただ悲しい気持ちが自分を覆うだけだ。
今は、もっと真実を確かめたいという気持ちだけだ。

1587 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/02(月) 08:09
現在、昔の故福島源次郎氏に相当するのはT副会長ですかね(出身校同じ、但し反逆者候補の意味でない)。

1588 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/02(月) 13:14
福島源次郎『蘇生への選択』
●信心をとるか保身を選ぶか
このような数々の出来事の積み重なりと時の推移の中で、私は悩み続けた。ひとたび人生の全てを没入して信頼し、その人の為なら死ぬことも辞せずとまで尊敬した人だ。理性からだけではとても片付けられぬものがあった。その執着から離れるために酷く苦しんだ。
その私に最後の決断をさせたのは、「依法不依人」の御金言だった。
仏以外のいかなる人にも信仰上の根本的正邪の判断をゆだねてはならないのだ。
先生の説く仏法違背の「師弟の道」にこれ以上随ってはならない。仏法指導者として、また一人の人間としても極めて大切な特性に欠け、大事な局面で言行不一致の偽善的人物を生涯の師 仏法の師として尊敬し、師事してはならなかった。

1589 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/02(月) 20:20
繰り返して書くが、
私は池田名誉会長のことを尊敬している。
しかし、あんまり好きにうなれるタイプではない。
あんまり、一緒に居て「ほっとする」タイプの人間ではないようだ。
ただ、池田青年が心理学者の小口偉一氏のインタビューで見せたような率直さには好感を持てる。
「こいつとだったら、友達になれそうだ」と思った。
そのインタビューによると池田先生は、かみなりの恐さに思わず題目を唱えてしまったそうだが、それこそ。池田先生の信仰の原点だった筈だ。
すなわち、神仏に無私の心ですがる気持ちこそ、本物の信仰だと思う。
どうか、池田先生は、その時の気持ちを思い起こしてもらいたい。
そして、高い所で構えているのではなく、本当に庶民の中に飛び込んで欲しい。
まずは、「先生」のタイトルを返上するとか、期間を限定してもいいから、日顕上人を師範として、出家するのもいいかも知れない。

1590 名前: MILD SEVEN 投稿日: 2004/08/02(月) 22:11
耐えがたきを耐えた良き提案ですね。
自分を捨てる事を忘れた宗教指導者であってはなりませんからね。
何度でも一から上に向ってやり直せる実力こそ本物かと。
更なる上があると思います。

1591 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/02(月) 23:58
>>1589

私が神仏にすがる気持ちを本当の信仰心と呼んだのは、私の心境の変化による。
私は日蓮大聖人の仏法は、言わば「太陽の教え」つまり、自力の教え、自らの可能性を題目によって呼び覚ます。というような考えを持っていた。
折伏する時もそう、主張してきた。
その考えは概ね、未だ変化はない。
しかし、自分自身の「どうしょうもない運命の壁」みたいなものにぶち当たり、それに対して、諦念として受け入れる姿勢も学んだからだ。
また、日蓮大聖人の遺文を読んでいくと、日蓮大聖人もそうした、宿命に対して受けりれることうぇお暗に勧めていることを発見したからだ。
そこで考えていくと、「宗教の本質とは寧ろ、他力本願にあるのではないか」と思うに至った。別の言葉でいえば、自分の無力さに気付く重要さだ。
もっと、突き詰めてくと、常にゼロから出発すること、敗北を認めることこそが、新しい自分の発見に繋がるということだ。
しかし、日蓮大聖人の仏法で言えば、「変毒為薬」といえる。
●敗北や自分の犯した罪悪を認めること+●希望を棄てずに、挫折をバネに未来に一歩を踏み出す
こうした過程が大事だと思う。
池田創価学会に限っていえば、まずは●自分達の犯した謗法の罪や失敗を認める●それをバネに真実の広宣流布を目指す
ということになるだろう。
先にも書いたが、「自分達の間違いに気が付くのに遅すぎる」ということは決してないのである。

1592 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/03(火) 22:34
訂正>>1591

日蓮大聖人の遺文を読んでいくと、日蓮大聖人もそうした、宿命に対して受けりれることうぇお暗に勧めていることを発見したから

日蓮大聖人の遺文を読んでいくと、日蓮大聖人もそうした宿命に対して受け容れることも暗に勧めていることを発見したから

1593 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/04(水) 06:07
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1594 名前: sayuri 投稿日: 2004/08/04(水) 06:09
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1595 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/04(水) 06:22
池田問題対策事務所
はじめに
 創価学会は、初代牧口、二代戸田会長をはじめとする草創期の先輩達の血の滲むような苦闘によって現在の発展をみました。その創価学会が、池田大作という一人の偽善者のために、現在、社会的には悪徳宗教のレッテルを貼られ、内部的には会員の疲弊 組織崩壊の危機にあります。
池田批判をする会員だからといって、創価学会をやめなければならない理由は全くありませんし、逆に、池田大作を創価学会から追放することこそが、御本尊を信じ創価学会を愛する会員によって最も重要なテーマである、と私達は考えます。
そして本来の、喜びと誇りに満ちた創価学会を再建し、正直な発展の歴史を刻むことが、学会員共通の願いではないでしょうか?

1596 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/04(水) 06:24
続1
既に一般社会では、池田大作=悪人という認識は、社会常識として定着した感があります。遅ればせながら創価学会内部にあっても、一部のいわゆる「池田教」の幹部を除けば、薄々池田大作の真実の姿を知りたいと考える人が、急激に増加しています。
また、既に池田大作の異常さを充分認識している人達や池田打倒の決意を固める方々からも、断片的なマスコミ報道だけでなく、池田の誤りを体系的に確認したい、との声が数多く寄せられています。
本書はこのような要望に応えて、いわば「池田教を破折するための折伏教典」を意図して作成しました。
創価学会を愛する全国の皆さんが「池田教」の過ちをただし、自信に満ちた明るい創価学会を実現するための一助として、日常的に本書を活用していただければこれに勝る喜びはありません。
1989年1月

1597 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/04(水) 06:27
続2
●池田大作の謗法
  ○本尊模刻の大謗法
  ○仏法利用の池田血脈
  ○池田本仏論の画策
  ○池田教を目指す創価学会独立路線
●池田大商人の実態
  ○財務ーーその強引非道な金集め
  ○学会系出版物の半強制的な購入
  ○池田大作への貢ぎ物
  ○池田専用施設の贅沢三昧

1598 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/04(水) 06:29
続3
●池田大作の名聞名利
  ○池田大作の著作物は全て代作
  ○池田「平和旅」の売名行為
  ○第一庶務 池田警備の異常な拡充
●池田大作最後の野望ーー世襲
  ○次男の不可解な死と長男の登用 
  ○香峯子の異常なでしゃばり
●池田大作代作一覧表

1599 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/04(水) 08:01
やはり一般会員は「知らぬが仏」なのですね。

1600 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/05(木) 19:45
>>1568 名無しさん

>>1567でいうところのご本尊は「南無妙法蓮華経」を述べたつもりです。
それが板だどか紙だとか戒壇のご本尊と呼ばれるものだろが特に意識していません。

私自身にとってのご本尊はお釈迦様です。
人間釈迦のなれのはてを崇めているのではないんです。
私なりに都合よく解釈していますが、本当に尊いものとしての「あなた」
としてのお釈迦様、人間釈迦も含む、つまり名無しさんあなたです。

法律的というか手続きのことはよく知りません。
宗教法人格と信仰本来はまた別ではないでしょうか。

1601 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/05(木) 23:03
>>1600
わかりました、ただ、御本尊様と言のが不愉快なんです。他宗の御本尊を盗んでいる、胃や強盗している、そんな風に採れますので。

1602 名前: SGI 投稿日: 2004/08/05(木) 23:16
yurikoさん
今週月曜日から某地方都市に出張に出ておりました。
本日、帰路の途中、ある主要ターミナルの大手書店に立ち寄ったところ、
山崎正友著『創価学会と「水滸会記録」―池田大作の権力奪取構想』(第三書館・刊)という本を見つけました。今年6月の出版のようです。
内容は、「水滸会記録」の記述を紹介しながら、池田創価学会の在り様を分析していくというものです。
「水滸会記録」記述そのものの引用が少なく、ちょっぴり期待はずれですが、それなりに参考になる点が多々ありました。
>>161 >>190 に書き込んだように、やはり「水滸会記録」は名誉会長が独占しており、しかも改ざんしているそうです。その上で「戸田先生の御遺言は全部実現した。水滸会の教えを私1人が完全に理解し、実践した」と宣し、昭和50年代に入ってから、一部の首脳幹部や後継幹部に閲覧を許しているそうです。

1603 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/06(金) 17:04
福島源次郎
「蘇生への選択」
●北條会長逝去後急速に腐敗
師弟論に焦点を当てて「人間革命」や名誉会長指導を精読し、検討。
結論は、先生の説く「師弟の道」は、自分勝手に創作した我説+虚構。
1.池田流師弟論は、論旨が一貫していない。これは、特に御書と照らし合わせると、はっきりする
2.先生の師としての資格が崩れる。ーー社会の常識や良心に反してる上、仏法上からも誤っている。
3.多くの会員に誤れる「師弟の道」に指導してきた自分の罪深さを考えると、慚愧に堪えない。
4.特に北條さんが亡くなってから、先生の言動が急変化し、歯止めが無くなった。
池田色が全面に出た。そこで最も際立ったのが、金銭の乱れと自画自賛、自己宣揚の
行き過ぎ。

1604 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/06(金) 17:06

5.本来の学会は金銭面では厳格。清貧に甘んじ、質実剛健の気風が漲る。
本部職員は、更に厳しい姿勢が要求された。
福島家でも、常時質屋通いをする程の清貧。しかし、それを名誉とした。
6.広布推進者としての襟度を持ち、中元 歳暮の品など、一切私物化したことがなかった。しかし、中には、相当以前から、業者からの贈答品を私物化していた本部職員も居た。
★曾ては、学会運営資金の財務も厳格な節度が適用された。
  ○参加者資格の厳しい審査。
  ○金額も本人の自由意志。
  ○この金銭扱いの厳しさと節度こそ、金儲け主義の邪教との違いであり、学会の誇り。

1605 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/06(金) 18:46
>>1601 名無しさん、失礼いたしました。

その不愉快をどう取り除くかが宗教の目的のひとつだと思います。

ところで私が大石寺にフラリと行って日蓮正宗戒壇の本尊にお目通りできるのかなあ。
んーと、拝観料というか1000円くらいまでなら用意できます。

1606 名前: SGI 投稿日: 2004/08/06(金) 22:23
>>1605 歩さん
 本門戒壇の大御本尊のお目通りは、おそらく適わないかと存じます。

 古来より正宗では、大御本尊様は「広宣流布せざる間は秘蔵すべし」であって、公開はしておりません。
 ただ、正法興隆による人類の恒久平和・広宣流布を祈り、自身の無始以来の謗法罪障消滅と現当二世にわたる大願成就を願う信徒らの想いを受け、御法主上人のお許しによって「御開扉」が奉修されているにすぎないのです。
 つまり、大御本尊様のお目通り=御開扉は、あくまでも「内拝」という形式になっており、正宗信仰者に限り参拝が許されております。

 御開扉が登山(総本山大石寺に参詣すること)でスケジュール化(定例化・恒常化)したのは、学会による登山会の実施以来のことです。それまでは時の猊下のお許しがあるまでは、御法蔵に秘蔵された大御本尊様の御開扉がいつ適うかは判らない状態で、場合によっては数日間待ち続けたということです。
 現下はあらかじめ1年間の御開扉奉修日が発表になっており、その日程に従って信徒らは登山しております。

 登山には、所属寺院から添書を受ける「添書登山」、末寺住職たる指導教師の引率のもと法華講の支部講員がそろって登山する「支部登山」、法華講連合会が主体となって行う「連合会登山」などがあります。
 いずれも大御本尊様のお目通り=御開扉の時には、大石寺内事部の登山事務所から「内拝券」を交付していただき、奉安堂の御開扉に臨みます。
 奉安堂の前庭前入口で、御僧侶または青年部の登山任務者に「内拝券」を1人ずつ手渡し、中に入る仕組みになっており、当日発行の「内拝券」がなければ、まず奉安堂内部には立ち入ることができないと思います。
 この仕組みは、学会の登山会が実施されていた時と何ら変わりません。

 ということで、正宗信仰者でなければ、かつ「添書」等でなければ、本門戒壇の大御本尊のお目通りは適わないということになります。
 なお、総本山大石寺の境内見学は、誰人であっても全くの自由です。
 どこかの教団のように、公道にもかかわらず、道を行き交う人を見張るような監視カメラも、トランシーバーのイヤホンを耳にした警備員が辻ごとに立つこともなく、静穏で清浄たる気分に浸ることができます。

1607 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/07(土) 11:52
>>1606 SGIさん、こんにちは。

丁寧で詳しいレスありがとうございました。
厳格な文化伝統そして創価学会の存在を含めての歴史を感じさせていただきました。
拝観料なんて安易に述べたことお許しください。
禅寺なんかね、結構とってる見せてやるからなんて。
こっちは物見遊山で参じているんじゃない。っても、やっぱちょっとは物見遊山ですか。

SGIさんに回答頂いて丁度よかったと思っているのですが、お伺いしてよろしいでしょうか。
不適切な表現や気を害したりトンチンカンな記述ありましたらお許しください。

日蓮正宗の教義はあると思いますが、折伏謗法払いというか世に言う折伏大行進時のような
一般市民的にはたいへん過激な行動が過去から歴史的に行われていたのでしょうか。
日蓮原理主義的な面があるとは思いますが、真剣さをもった厳しい折伏や謗法払いの儀式は
あったんだろうと想像しますが、人様から後ろ指さされるような印象を与える行動してたのでしょうか。
講の中には血気盛んな人もいるでしょう。敬虔過ぎて敬遠されるような人もいたことでしょう。

江戸時代の寺請制時の正宗の様子や、私が考えるに日本の歴史最大の宗教弾圧廃仏毀釈後や
創価学会出現直前の様子なんてどんな感じだったのでしょうね。
創価学会と一緒にというか引っ張ってもらって拡大していくなかで、自分にも酔っちゃった
ってことないですか。信者拡大のなかで自己正当化を図るため過去の歴史も曇った目で
見えるようになったってことは。正史改ざんとまでは言いませんが、何か都合のいいように
解釈するようになったとか。

ここでは日蓮正宗や創価学会が良い悪いを述べているのではなく、もし昔から結構過激だったら
規模の大小はあるけれど、もう少し歴史舞台というか少なくとも歴史家薀蓄にでてきても
いいような気がしているものですから。

1608 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/07(土) 12:56
規模の大小はあるけれど、もう少し歴史舞台というか少なくとも歴史家薀蓄にでてきても
>いいような気がしているものですから。

あまりメジャーではないようですが・・・

砂村問答
ttp://gappo.cool.ne.jp/yowa/5903/5903.htm

霑志問答
ttp://gappo.cool.ne.jp/yowa/5906/5906.htm

日蓮正宗の余話
ttp://gappo.cool.ne.jp/yowa/mokuji.htm

のようなことがありましたですね。

1609 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/07(土) 20:20
しかし、宗創問答の決着はついたのだろうか?

1610 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:43
>>1607 歩さん、こんばんは。
求められている回答になるかどうか分かりませんが、とりあえず公式的な見解をご紹介します。

日蓮正宗は、第二祖・日興上人が、大檀那である地頭の謗法により身延を離山したように、
また日興上人以来の歴代御法主がたびたび幕府や朝廷に奏上し国家諫暁を行ってきたように、
他宗から「針金宗」と揶揄されながらも、正法の護持と弘通には熱心な宗団だったと思います。

正宗の基本的な概略については、下記のHPをご参考ください。
◎ウィキペヂディア「日蓮正宗」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヨ罩e
◎日蓮正宗の歴史
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/nds/nsh.htm

一昨年の宗旨建立750年を記念し、正宗への手引書として『日蓮正宗入門』が刊行されておりますので、この書の第三章「日蓮正宗の歴史」(p178〜)から引用させていただきます。
◎江戸時代以前は、下記にてご確認下さい。
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/shoshurekishi_1.htm
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/rekishi_3.html

■江戸時代 p201
 江戸幕府は、当初よりキリスト教を禁制し、幕藩体制の強化を目的として既成仏教教団を利用し、本末制度で寺院を統制しつつ、「宗門改め・寺請制度」などによって、民衆を寺院に所属させる檀家制度を確立しました。これによって各宗の寺院が急増したため、幕府は寛永8年(1631)と元禄5年(1692)に「新寺建立禁止の令」を出し、以後「寺院法度」を定め、宗教論争や自讃毀他を禁止するなど、強力に宗教を統制しました。
 これらの時代背景から、各宗派の力は内部の興学に注がれていきました。日蓮門下においては、檀林(学問所)が関東に次々と設立され、天台学を中心とした教学の研鑽が盛んに行われるようになりました。
 大石寺においてはこの時代、諸堂宇の整備が進められ、各地に末寺が建立されていきました。特に江戸中期以降においては、活発な折伏弘教を原因とする法難が各地で起こっています。

■江戸時代の弘通と法難 p207
 江戸幕府は、宗教政策の一環として寺院法度を定め、布教を厳しく制約するとともに、寺請制度を設けて改宗を禁止しました。しかし、そうしたなかでも大聖人の破邪顕正の精神を受け継ぐ僧俗の折伏弘教により、日本各地に大石寺信仰への改宗者が相次ぎました。このため、為政者や他宗の僧俗によって大石寺門徒への迫害が加えられ、各地で法難が起こりました。

 以下、金沢法難、讃岐法難、仙台法難、洞ノ口法難、伊那法難、尾張法難、八戸法難――の記述が続き、他にも蛇窪法難や猫沢法難などが紹介されております。
[続く]

1611 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:44
>>1610 続き]
◎『日蓮正宗入門』第三章「日蓮正宗の歴史」から
■金沢法難 p208
 加賀・能登・越中の三カ国を領有した金沢藩では、第5代藩主・前田綱紀の勧めにより、江戸屋敷の家臣が常在寺で日精上人の説法を聴聞したことにより、家臣の中に大石寺の信徒が誕生しました。その後、大石寺に帰依する者は領内にも弘まっていき、享保3年(1718)頃には福原式治(次郎左衛門)をはじめ、純真な信仰を貫く信徒が続々と現れました。しかし、同8年(1723)に藩主が第6代の吉徳になると、藩は幕府の厳しい宗教政策に従って、領内に末寺がない大石寺信仰は寺請制度に抵触するとして、布教を取り締まるようになりました。
 
 そして、享保11年(1726)4月に加賀の法華宗慈雲寺の僧・了妙が富士門流に改宗したことにより、慈雲寺が寺社奉行に訴えたため、大石寺の信仰は禁止されて内得信仰さえも差し止められました。この頃、藩内の大石寺信徒は数千人に達していたといわれています。
 翌12年(1727)3月、第28世日詳上人は金沢藩江戸屋敷に対し、領内の寺院建立と大石寺信仰の解禁を願い出られましたが却下され、その後、歴代上人が藩主の交代のたびに末寺建立願いを提出しましたが、いずれも藩規により受諾されませんでした。

 しかし、このような状況のなかでも弘教は続けられ、十数の講中が生まれるほどになりました。これに対して藩では、元文5年(1740)、寛保2年(1742)、明和7年(1770)と、数度にわたって大石寺信仰の禁止令を出し、これに背いた理由で大勢の人々が入牢・閉戸などの刑に処されました。そのなかで、天明6年(1786)4月に大石寺信徒の足軽小頭の竹内八右衛門が牢死しました。

 これらの迫害は、明治時代を迎えるまでの約150年間の長期にわたりましたが、金沢信徒たちは「抜け詣り」を行うなど、根強い信仰を続けました。この法華講衆の中より、第37世日捧上人、第47世日珠上人が出られています。そして明治12年(1879)、第52世日霜上人により金沢の地に妙喜寺が建立され、ここに金沢信徒の悲願が成就したのです。

◆抜け参り
 金沢法華講衆の強盛な求道心を示す逸話として、二つの「抜け詣り」が伝えられています。
 一つは、前田藩主が江戸への参勤交代の途中、東海道吉原(富士市)付近で宿泊したとき、金沢信徒の青年武士たちは、お供衆が寝静まった深夜に宿を抜け出し、約15キロもある大石寺まで駆け走り、歓喜の唱題を行って宿に戻ったといいます。甲斐(山梨県)
 また、道中手形を出してもらえない金沢の信徒たちは、大石寺に参詣したい一心から領内を抜け出し、互いに励まし合いながら山谷を踏み越え、十数日を掛けて大石寺への参詣を果たしたといいます。
[続く]

1612 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:47
>>1610-1611 続き]
◎『日蓮正宗入門』第三章「日蓮正宗の歴史」から
■尾張法難 p215
 尾張地方では、文政年間に入って江戸目黒の永瀬清十郎の折伏により、富士派の信仰が急激に広まっていきました。名古屋では文政5年(1822)頃、高崎タヨ等数名が入信し、尾張北在(愛知県小牧市方面)では同6年(1823)に舟橋儀左衛門・平松増右衛門・岩田理蔵・木全右京等が入信し、さらにその布教は美濃(岐阜県)にまで及びました。

 これら尾張法華講衆に対して御隠尊であられた第48世日量上人はたびたび書状をもって激励され、総本山より玄妙坊日成師・荘恩坊日覚師等が現地に赴いて布教にあたりました。このとき、清十郎も江戸から何度も尾張に入って折伏を果敢に行っています。その結果、尾張講中の弘教の意気は高まり日蓮宗徒とたびたび法論を交えました。この布教と法論によって文政・天保・嘉永・安政年間の30数年にわたり法難が起こりました。

 文政8年(1825)7月には、高崎勝治(唯六)等、5名が日蓮宗本成寺で一致派の僧・日就を論破したことに端を発し、日蓮宗徒が寺社奉行の力を借りて大石寺信徒に暴行を加え、御本尊を強奪するという事件が起きました。このとき、日量上人は尾張法華講衆に対してたびたび激励の書状を送られています。
 また天保元年(1830)6月には、木全右京は熱田(名古屋市熱田区)の日蓮宗本遠寺の役僧らに呼び出され、寺社奉行の命令である大石寺の信仰をやめることを強制されました。

 この時期、信徒たちは御本尊を厳護するために壁の中にお隠しするなどして信仰に励んでいましたが、同8年(1838)7月に突然、寺社奉行による信徒宅の「仏壇改め」が行われ、平松増右衛門等が過酷な取り調べを受けるなどの迫害が、翌9年(1839)4月まで断続的に続きました。
 さらに弘化の末頃より嘉永年中にわたって起こった法難は、一連の尾張法難のなかでもっとも激しいものでした。嘉永元年(1848)春、木全右京等が妙楽寺の僧である智定院を破折したことに端を発し、同年8月、右京をはじめ理蔵・善之衛門等も連行されて厳しい取り調べと拷問が加えられました。この拷問は熾烈を極め、善之衛門は歩くこともできないほどになり、中心者の右京と理蔵も半死半生の状態でした。
 その後、同年10月より平松増右衛門は、名古屋法華寺で3回にわたり身延派等七カ寺の僧を論破しましたが、その3年後の5月に捕らえられて2ヵ月間拘留されています。

 そして安政元年(1854)11月には、右京の子である左京が日蓮宗僧・玉禅院と本迹勝劣について書面による対論でこれを論破し、同2年(1855)2月には岩田理蔵が『本迹問答』を記すなど、信徒の活躍は盛んでしたが、それがまた法難を誘発し左京は追放の刑となりました。また同4年(1857)3月から翌5年(1858)11月にかけて、北在米野村(小牧市)の善之衛門・彦七・清九郎の3人が投獄のうえ、拷問を受け、さらに20余人の信徒が拘禁されました。このように幕末まで数々の苦難に遭いながらも尾張法華講衆は信仰を堅持しました。

 その結果、第52世日霑上人は、明治12年(1879)に名古屋岩倉に興道寺を、同14年(1881)には名古屋・主税町に妙道寺を創立されました。さらに同24年(1891)には信徒一同の出願によって小牧に小木村説教所(後の妙経寺)が開設されています。
[続く]

1613 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:49
>>1610-1612 続き]
◎『日蓮正宗入門』第三章「日蓮正宗の歴史」から
■江戸時代の布教と問答 p219
 折伏による布教を旨とする大石寺門流は古来、他宗・他門と多くの問答を行い、ときには公場対決などによって独一本門の正義を宣揚してきました。しかし江戸時代には、幕府の政策により布教が禁止されていたため、公場対決のような問答は成立せず、個人による問答が各所で展開されました。

<砂村問答> 略
<石要問答> 略

>>1608 の「名無しさん」もご紹介されているHPですが、ここに正宗の法難や問答がまとめられております。ご参考までに。
◎『大日蓮』連載「日蓮正宗の余話」
http://gappo.cool.ne.jp/yowa/mokuji.htm

なお、江戸時代でも、今日の創価学会のような異流義が派生しております。

◎『日蓮正宗入門』第三章「日蓮正宗の歴史」から
■異流義の派生 p221
 富士門流の信仰は、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を根本とし、大聖人・日興上人以来の歴代法主上人に師弟相対して信行に励むことを旨とします。しかしながら江戸時代において、この信仰の筋目から外れて異流義と化したものに「三鳥派」「堅樹派」があります。
 
<三鳥派> 略
<堅樹派> p222
 「堅樹派」は、江戸時代後期の明和9年(1772)、堅樹日好が起こした異流義の一派です。日好は本迹一致の身延門流から大石寺に帰伏しましたが、まもなく大石寺批判を重ねるようになり、離反して異流義を唱えはじめました。

 日好は「大石寺は大聖人の正統ではあるが、折伏をしないから法水が濁っている」と大石寺を誹謗して「我こそ大聖人・日興上人の正統である」と自讃し、さらに「御本尊は折伏を行ずる者の胸中にある」などの邪義を立てて、強引な布教を行いました。
 しかし、このような布教が幕府の取り締まりの対象となり、主導者であった日好は投獄されたうえ、はじめは三宅島に流され、次いで利島に流されて在島38年の後、文化9年(1812)に罪人のまま、74歳で寂しました。

 その後、門下の臨導日報が日好の義を受け継いで大石寺批判を続けたため、第52世日霑上人は『異流義摧破抄』を著して破折されました。しかし、自説に固執する日報が『聖語明鏡顕魔論』をもって反抗してきたため、日霑上人は『叱狗抄』を送って再度強く破折されました。

 日報は、その後も大石寺を誹謗し続け、臨終には悪相を現じて非業の最期を遂げています。
 この日報の臨終の姿から、その信仰に疑いをもった弟子・佐野広謙(妙寿日成尼)・富士本智境(日奘)が、明治28年(1875)に日霑上人のもとに帰依し、強力な折伏を展開したことにより、堅樹派に感化されていた人々も、徐々に大石寺に帰伏するようになりました。
 このようにして堅樹派は、日好から百数十年を経た明治中頃にその流れを止めました。
[続く]

1614 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:52
>>1610-1613 続き]
◎『日蓮正宗入門』第三章「日蓮正宗の歴史」から
■明治・大正時代 p223
 明治政府は、江戸幕府が仏教寺院を利用して政策の実行をはかったのに対し、神道の国教化政策を強力に推進し、「廃仏毀釈」の風潮をもたらしました。それは明治元年(1868)に国家神道を中心とする祭政一致の制度を定め、神祇官の設置や神仏分離の令を布告したことからも明らかです。

 しかし、これらの政策が現実にそぐわないため、政府は明治5年(1872)に神祇省を廃して教部省を設置し、さらに同10年(1877)には教部省を廃して内務省に社寺局を置くなど、神道と仏教を利用しての国民教化政策をはかりました。同22年(1889)2月に発布された『大日本帝国憲法』では、天皇と神道を中心とした思想のもとで信教の白由は一応は認められるようになりましたが、「国家神道」を中心とする方針は次第に強められ、その流れは明治・大正から昭和20年(1945)の第二次大戦の終わりまで続きました。

 このようななか、折伏を旨とする大石寺門流では、第52世日霑上人をはじめとする御歴代上人により、街頭講演会などの新たな布教方法をもって教化が強く進められ、各地に教会所が設立されました。

 そして明治33年(1900)、第56世日応上人の代には「日蓮宗富十派」の公称が認められ、さらに同45年(1912)6月、第57世日正上人の代に「日蓮正宗」との宗名が正式に認可されました。この時期に日応上人・日正上人や第58世日柱上人による全国巡教が行われ、各種の布教書が発行されるなど、布教が活発に行われました。
 
■問答による宗旨の宣揚 p224
 江戸時代と同様、明治・大正時代における富士門流の僧俗による折伏は、他宗他門からの論難を呼び起こしました。

<両山(霑志)問答> 対:要法寺・玉野日志 略
<横浜問答> 対:蓮華会・田中巴之助(後の田中智学) 略
<富士派と顕本法華宗(什門)との問答> 対:顕本法華宗(本多日生) 略
⇒詳細は、http://gappo.cool.ne.jp/yowa/mokuji.htm でご確認ください。

<その他の問答>p228
 明治8年(1875)10月には、大阪蓮華寺の講頭・森村平治等が、要法寺(現日蓮本宗)の末寺である蓮興寺と問答を行い、また同年12月には、堺本伝寺(大石寺末寺)の本立講が日蓮宗一致門流の妙見朋友講を論破するなど、積極的に折伏が展開されました。
 同9年(1876)9月にも、京都住本寺信徒・加藤廉三が、日蓮宗妙法寺の日庸と問答をし、その後も数度にわたって問難を論駁しました。
 また大阪蓮華寺の信徒・荒木清勇は、同16年(1883)6月に法華宗八品派との法論を行い、同18年(1885)4月にも、一致派・畠山弥兵衡と法論を行っています。
 さらに同月、神奈川県小田原において第56世日応上人がキリスト教徒と公開討論をされ、同20年(1887)4月には、大石寺門流の久留米霑妙寺・佐野広謙尼(妙寿日成尼)が身延派・頂妙寺の僧を破折されました。
 また同23年(1890)11月には、横須賀において御隠尊第53世日盛上人が身延派・清水梁山と問答されています。
 同26年(1893)2月には、京都住本寺の信徒・加藤道栄が、要法寺塔中の真如院・矢田志玄を論破し、大正15年(1926)5月には、北海道深川宝竜寺(大石寺末寺)の渋田慈旭師等が本門法華宗を破折するなど、各地で富士派の正義が宣揚されました。
[続く]

1615 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:53
>>1610-1614 続き]
◎『日蓮正宗入門』第三章「日蓮正宗の歴史」から
■昭和時代 p233
<戦前の宗門>
 宗門では・第60世日開上人の代に、昭和6年(1931)の日蓮大聖人第六百五十遠忌に向けて全国巡教が行われ、客殿修繕をはじめとする記念事業が行われました。また同10年(1935)には、三門の大修築が行われています。一方、御隠尊であった第59世日亨上人は、全国各地に赴いて宗史・宗学にかかわる資料を収集し、同13年(1938)に『富士宗学全集』134巻を、翌14年(1939)には『富士宗学要集』10巻を編纂されています。また同年には、戦時色の増すなか、第62世日恭上人は信徒教化のため全国巡教をされました。

 このようななか、同14年4月に公布された『宗教団体法』により、文部省は関連宗派を1つにまとめる政策を打ち出し、日蓮宗系の数多くあった宗派も「法華宗」「日蓮宗」「本化正宗」の三派に合同されることになり、日蓮正宗は日蓮宗への合同を強制されるという危機に晒されました。
 これに対し日恭上人は、単身で文部省に赴かれて合同不承知を訴えられるとともに、同16年(1941)3月10日には、僧俗護法会議を大石寺御影堂で開いて日蓮門下合同の拒否を決議するなど、正法護持の尽力がなされました。その結果、日蓮正宗は同月31日、『日蓮正宗宗制』の単独認可を得て、日蓮宗との合同を免れることができたのです。


以下、私SGIの書き込みです。
 
 戦前、昭和初期の正宗は、常在寺信徒の三谷素啓氏による折伏で牧口常三郎氏(後の創価教育学会初代会長)が入信するなど、僧俗が大正時代からの折伏弘教の気運を受け継いでおり、各地で街頭折伏や布教講演、布教書の刊行、機関紙の発行などが精力的に取り組まれていました。

 しかし昭和10年代中頃になると、戦時体制を進める軍部政府の政策で「身延合同問題」が起こり、さらに戦時下では「神札問題」も突きつけれ、軍部に反抗した御僧侶もいました(⇒>>1070 >>1083 参照)が、正法護持・令法久住に重点を置かざるをえない状況に追い込まれ、やがて終戦を迎えたのです。

 戦後は、GHQの農地解放政策で、総本山大石寺は全国各宗派寺院の中でも最大規模の約27万坪の農地を失い、まず経済基盤の確立が急がれました。正宗の御僧侶は、もともと他職業との兼職をせず僧道に専念する気風があったようで、末寺住職を含め生活の維持と堂宇の復興が精一杯となったのではないでしょうか。

 そこに戸田城聖氏が創価学会を再建し、かの過激な「折伏大行進」を敢行したため、宗門僧侶は御授戒と葬儀に追われ、僧侶による折伏弘教ができない状況が常態化し、法華講の教化育成もままならない事態になったのだと推察します。
[続く]

1616 名前: SGI 投稿日: 2004/08/08(日) 00:55
>>1610-1615 続き]
 さて「謗法払い」の件ですが、過去の歴史での実情についてはよく判りません。
 禁止下にもかかわらず、法難や問答を引き起こすような折伏弘教を展開したのですから、それなりの軋轢があったのだろう、との想像はできますが、「謗法払い」が原因ではなさそうです。

 私が所属する正宗寺院(法華講支部)でも、日々折伏弘教に励んでおります。ほぼ毎週週末の土日には、新入信者の御授戒や勧戒式(再入信の場合)がありますが、いずれも「謗法払い」を済まして御本尊下付に至ります。
 御住職や在勤御僧侶、紹介者や講幹部は、きちんと「謗法払い」の重要性をお話し、入信者のご納得を得て、謗法グッズ(仏像、神札、御守り、破魔矢、達磨、ニセ本尊など)はお寺に納めていただいております。納得をえられない場合は、納得できるまで待ちます。

 私たち法華講の折伏は、基本的にはそのご家庭のご家族全員の入信をめざします。ご主人を中心に一家和楽の信心で御本尊様をお迎えできるよう、粘り強く焦らず道理を説きながら、大聖人の仏法・日蓮正宗の教えが正しいことを話し、一切の謗法が不幸を招く根本要因であることの理解を求めるのです。
 御本尊下付を世帯数でカウントするのは、本来ここにあるのです。

 したがって、安易に御本尊下付はいたしません。極めて慎重に取り組み、強引なことはしません。なによりも御本尊様への御不敬を最も怖れるからです。
 かつて学会の強引な折伏によって、数知れずの御本尊様が御不敬となりました。二度とそのような過ちはしないぞ、との決意・気概みたいなものを御尊師方からは感じます。ですから、強引な折伏――人様に後ろ指を指されるような行動については常々諫められており、あまり“数”には拘っていないようです。

 ただ、正法護持・謗法厳戒・破邪顕正・法統相続には厳しく臨むため、信仰においては非寛容なところがあるようで、昔から「法華は法華のところに嫁に行く」といわれております。

1617 名前: 大越佐紀子 投稿日: 2004/08/09(月) 15:43
SGI 様に質問です。学会三世で非活動の者です。
両親は幹部です。
理由なく、二帯の本尊が家にあることは、よくないことでしょうか。それと、学会本尊を寺に返却したら、悩みが解決したというような体験を聞きますか?知っていたら、是非教えてください。

1618 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/09(月) 18:14
>>1617
>理由なく、二帯の本尊が家にあることは、よくないことでしょうか。

確かに見込みの分世帯分を先に本尊流布してお巻きしてとっておくということがありますね。

そんなことすると信心がお巻きしてとっておく状態になってしまうでしょうね。

1619 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/09(月) 18:48
>確かに見込みの分世帯分を先に本尊流布してお巻きしてとっておくということがありますね。

水増しの本尊流布ですね。
池田氏はその実体を知っているのでしょうかね。容認なのか。
知っていたら幹部が叱られるか。

1620 名前: SGI 投稿日: 2004/08/10(火) 00:33
>>1617 大越佐紀子さん、こんばんは。
◎本尊2体の件
 私が学会にいた時も、今法華講でも、1世帯に2体以上の御本尊様を認める話は聞いたことがありません。
 親世帯との同居、分世帯の子ども等が戻ってきた時、あるいは御本尊様を所持する男女が結婚し世帯を構える時は、必ず一方の御本尊様をお寺にお返しするようにと、指導を受けましたし指導してきました。
 
 法華講(私が所属する寺院)では、分世帯による遠方でもあっても、必ず御住職や御尊師が赴き入仏式を奉修します。
 御本尊様は「仏様」です。したがって、信徒が勝手に御本尊様を“どうにかする”ということは厳しく諫められております。>>1618の、あらかじめ見込み分世帯分の下付を受けることなど、ありえるのでしょうか。今の学会では「なんでもあり」なのかと、呆れるばかりです。

◎ニセ本尊の件
 そのような体験はしばしば聞きます。
 わが支部でも、一昨年の「法華講30万総登山」に参加した元学会幹部の方で、学会のニセ本尊に替えた直後から、順調だった事業が突然取引先の倒産で経営不振に陥り、さらに保証債務の履行を迫られ、一切の財産を失ってしまい、首を吊ろうというところまで追い詰められ、その時以前一緒に活動した元学会員で現法華講員の方の折伏で脱会・入講し、再び正統な御本尊様を御自宅にお迎えしたところ、思いがけない人から事業援助の申し出があり、再起を果たし、総本山大石寺への登山と御開扉がかなったと、歓喜の体験発表がありました。

 また今年6月の総合座談会では、ニセ本尊に取り替えた頃から原因不明の病に犯され入退院を繰り返すようになった、遠方に住む学会活動家の実母に、粘り強く学会の誤りやニセ本尊の怖ろしさを語り続け、約10年越しの折伏で脱会・入講に至ったところ、実母の病気がウソのように消えて、親子3代健やかに暮らすようになった、との活動報告がありました。

 おそらく全国の正宗寺院・法華講支部でも、同じような体験発表や活動報告があると確信します。
 法華講機関紙の『大白法』には、毎月2〜3人の体験発表が掲載されております。機会があれば、是非ご覧下さい。
 例えば⇒http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/paper.html

1621 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/10(火) 01:04
1618です。
>確かに見込みの分世帯分を先に本尊流布してお巻きしてとっておくということがありますね。

学会員の仏壇の本尊を安置している下にお巻きした本尊を細く袋に入れて置いているお宅を
拝見したことがあります。どのお宅もというわけではありませんが、それは一軒だけではありませんでした。
理由を訊くと誰々の分(同居の子供の分など)でいつかは独立するだろうからということでした。

1622 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/10(火) 03:10
>理由を訊くと誰々の分(同居の子供の分など)でいつかは独立するだろうからということでした。

現場の組織で折伏の数が上がらないから分世帯で数合わせをしているのでしょうね。
学会らいといえばそれまでだけど、何でそんな無意味なことに頭と時間を使うのかなあ?
創価学会は数字で歓喜する組織だから本尊の中身や授与のあり方なんかあまり
気にもしないのでしょう。

学会本尊の返却の件ですが、学会は日顕の本尊を拝むと罰が当たると教えてますが、
法華講の方は学会のニセ本尊を拝むと罰が当たると言いますよねw
学会の本尊が偽造品であることは本尊を見るだけでもわかります。
(あんな細い字、筆で書けるわけがない、冷静に見たら縮小コピーだった)
しかし、私は正宗の本尊せよ、もっと遡って羅汁が訳した「法華経」についても、
唯一の正しい法であると認めるためには証拠も道理も無理がるように思います。
学会の本尊はまだ自分で所持しているので「罰」云々に関しては、そう遠くない
うちに自分の身で通してハッキリさせたいと思ってます。

1623 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/10(火) 05:05
>>1詳しくは改めて書き込むが、
思い出したことがある。
確か、石田氏は池田先生より、3才年長。
しかし、創価学会への入会(入信)は3年遅れ。
戸田先生が創価学会青年部に4部隊を結成した折りは、石田氏は栄光の第一部隊長。
池田先生は、竜第4部隊の一班長。
石田氏は、教学部教授。
池田先生は、やっと入門レベルの助師。
それが、どういう訳か、両者と戸田先生との距離、位置関係は逆転してしまう。
石田氏の教学理解に」対しては、様々な意見があるのも確かだ。
しかし、今は亡き福島氏が副会長職を辞してから、石田氏に面会をしたのだが、
福島氏は石田氏の教学理解の深さに、驚かされた。
さすがに、戸田先生の一番弟子だけあったと思ったそうだ。
最後に繰り返すが、石田氏は、芝浦工業大学出身。ノーベル賞受賞者の江崎令於奈氏が学長を務めている。
池田先生は、元朝鮮系専門学校の大世学院を中退。後で同学院は、富士短期大学と名称を変更。
池田先生は、東大出の秀才桐村泰次氏に卒論を代筆させて、かろうじて卒業。
富士短期大学に毎年、多額の寄付をしているらしいが、未だに同大学から「名誉博士号」授与の話は出てこない。
恐らく、池田先生が殊更、自分の学歴をに触れるのを避けているのが明らかな為だろう。

1624 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/11(水) 07:49
公明党は、20年間もの間、竹入氏に私物化されていた!
とすると、その責任はどこにあるのか?
現在の公明党も、もしかしたら誰かに私物化されていないのか?
一体、責任の所在は何処にあるのだろう?
<党を私物化 支持団体を利用しゆく>
佐藤総合青年部長
ところで前回、悪い議員連中が話に出たが、あの「学歴詐称」「見栄と腐敗の権化」の竹入のやつ!あいつも委員長時代、さんざん「学会の皆さんの応援のたまものです」なんて言っていた。
弓矢東京男子部長
ところが、まったく口先だけ。議員をやめたら学会活動はしない。後輩の議員の応援もしない。
●腐敗議員の一掃に先輩も後輩もない
杉山男子部長
それで突然、「回顧録」なんか出して、『党は学会に支配されていた』とか何とか言い始めた。
弓矢
あまりのひどさに「この恩知らずの畜生」と怒っていた婦人がいたな。
島田関西総合青年部長
ふざけるな!何が「支配されていた」だ。政教分離をタテに党の最大支持団体である学会に、何も言わせなああかったのは、きさまじゃないか!
佐藤
皆が知っている。皆が怒っている。だから、お前を追放したんじゃないか。
「腐敗議員の一掃」に先輩も後輩もない。
支持者の大恩を仇で返すようなやつがいたら、若手の議員が一人立て!
何の遠慮も容赦もなく、徹底的に追求しろ!
(聖教新聞 12月13日 2002年)

1625 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/11(水) 07:55


次ぎは、誰でしょう?
公明党の議員の皆さん!
創価学会青年部の脅しに屈することなく、いうべきことは、ちゃんと言いましょう!

1626 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/12(木) 00:18
聖教新聞4面は宗教が機能しなくなった宗教団体が単なる道化に過ぎないことを如実に物語っている。

1627 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/12(木) 03:16
>>1610-1616 SGIさん、こんにちは。
レス、ご解説ありがとうございました。

以下感想です。
「謗法払い」は化儀として、また本人の自由意志というか強い信念
信仰心に基づいたものとしては理解できます。
私自身につきつけられたら丁重にお断りすることになると思います。

SGIさんのいわれるようにご家族みんなできちんと了解の上であれば
まだ問題は少ないと思うのですが、家族の一部が他の家族の思いを
ないがしろにするような行動や、あるいは家族以外までもがドヤドヤと
家に上がりこんで心のふるさとのような何物にも替えがたいような
ものに手をつけたりすること、それは泣くに泣けない、目をおおう
ような光景もかつてはあったことでしょう。
当の本人や、同じ思いのものからすれば、みんなを幸せにするためとの
強い信念があったのかもしれませんが、人の心を思いやるという根本的な
社会ルールに多いに欠落する行動や一連の指針指導なるものがあった
からではと想像しています。

宗派宗旨を替えること、これは個々人の責任において行えばよいこと。
だだしそれを遡ってだとか、他の家族に強要するようなことはならぬと
思います。
それは自分の名前と同じ。自分の名前かえたい。そりゃ手続きすれば
替えられる。ただそこには極々一部の大例外を除いて名前つけてくれた方の
思いに対し敬意をはらう必要があると思うのです。
ある人が「名前をかえたいが、どうでしょう」と相談にきた。
私「かえたければかえればいいんじゃないですか。但し、お父さんやお母さん
名前をつけてくれた方にきちんとお話してからにされるといいと思いますよ。」
説得する必要があるかどうかわかりませんが、筋道はつけるべきだと思います。

1628 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/12(木) 03:17
>>1627 (つづき)
家族内での折伏も同じだと思うのです。
よいと思っているものを勧めることですから。
正義があるかどうか知りませんが、家族の中でも礼と節、そして仁義があると
思います。ここでの仁義もまた順序だと考えております。

その人なりの大義や正義と祭り上げられる確信と知識、つまりは事情と環境が
あったのでしょうが、それが及ぼした様々な事象にきちんと対峙していかなければ
ならないと思うのです。
折伏大行進も同様。それで救われた人たくさんいらっしゃることでしょう。
しかしながらその良い面だけを見てくださいでは、日本が例えばアジア諸国に対して
高度経済成長とODAだけ評価してください、すごいでしょ。と言っているのと同じ。
大切なこと忘れてないか、と思うのです。

203高地にも731部隊にもクワイ河にもおじいちゃんの行ったボルネオ戦線にも
愛と友情、涙と励まし、挫折と栄光、いろいろあるのは事実ですから。
一般紙だか機関紙だか雑誌なのかまあどちらでもいいが、血気さかんな歴史を
ある一面をクローズアップして影については語らないばかりでは、読む気がしない。
創価学会だけじゃない、まがりなりにも一心同体だった日蓮正宗もきちんと
総括したほうがよいのではなかろうか。
全国民に対してではなく、内部できちんと。

事実誤認識あればお許しください。

1629 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/12(木) 03:56
藤原行正 『池田大作の素顔』 講談社
この本は、SGIさんが、何度も引用している。
1989年初版だが、出版された時、それなりに衝撃はあったが、
元公明党議員の「暴露本』の類いという印象だった。
当時は、中国の民主化運動の嵩まりの行方が気懸かりだった。
それを改めて、現在よむと、
池田創価学会の厚顔ぶり、破廉恥ぶり、偽善ぶりが窺えて衝撃を受ける。
「いくら何でも。そこまで、世間を欺けないだろう」などと、思ってはならないのである。
池田大作という男は、「まさかの坂を超えているのである」(竜年光『創価学会は解散せよ』)
確かに、池田創価学会には、日蓮大聖人の教えを全世界に広めたという功績はある。
しかし、池田先生が「永遠の師」とか、神棚に祀りあげられるのには納得が行かない。
そんな事をすれば、創価学会の「汚点」+「恥」というだけでなく、
日本の恥、世界の恥、人類の恥となってしまうことは間違いないのであう。

1630 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/12(木) 08:58
福島源二郎『蘇生への選択』
●狂態はますます激しく露骨に
先生の自己宣揚と自賛は、生来のもの。
「今日も元気で」(フォーエバーセンセー?)という歌がある。婦人部の白百合合唱団が作制した時、誰もが「こんな歯の浮くような賛歌を先生が認めるわけない」と思った。ところが、先生は名曲と激賞し、何度も歌った。その内、私達も抵抗感が無くなった。
先生が賞賛され、感謝されることを要求する程度は、病的に異常だ。つくづく、先生は根性まで腐っていると痛感した。かつて、先生は青年に、「名聞名利を排せよ」「無冠の誇りに生きよ」と厳しく指導した先生の姿はない。
先生は自らの言葉を裏切っただけでなく、先生の指導を信条として生きて来た会員の心を踏みにじった。
心の卑しさが伺われ、哀れさをも催す。
いわんや、勲章や表彰に多額の金が動いていると聞けば、言葉を失うばかりだ。
多くの会館や講堂に自分の名前をやたらにつけた。魂胆が見え過ぎている。
自賛癖が激しいだけでなく、組織内でも、れっきとした名文のない無原則な大量表彰が絶えまなく行われた。
大方の予想通り、副会長の乱造された。
これは、歴史の常として、権力者が自分の権力を延命を図る為、栄誉を大量に与えて、回りを固めているのだ。
堕落し、偽善の正体を次々とさらけ出す先生の現実の姿に、目を覆いたくなる程、口惜しさを覚えた。
それだけに、偽善的指導者に率いられる学会の悲劇的破局が予想され、(副会長時代から)憂え続けてきた。

1631 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/12(木) 13:57
龍年光 『池田創価学会を解散させよ』
1988年、文芸春秋11月号に「池田問題と異端」という文が掲載された。著者は山本七平氏である。
「この人物の異常さは宗教史上類例を見ない」という副題が付けられたこの文で、山本氏は「あらゆる異端より異常といわなければならない」と述べている。
つまり、西洋の宗教史の中に登場する異端者とは全然違う種類の、精神に異常をきたしている人物にすぎない、ということである。
(略)
遂にまさかの坂を超えてしまった。
「俺は御本仏と同じか、それ以上だ」と。本気で思い込んでいる様子なのだ。私は、にわかに信じられなかった。が、どうやら本気らしいと知った時、この男は間違い無く精神異常者だと思った。
「我は人類最高の指導者なり」の一念である。しかし、これは本人だけの思い込みで、普通に訳すと、こうなる。
「池田大作は、人類最低の精神異常者なり」
さらに補足すると、彼の一念の中には、日蓮正宗7百年の伝統も、戒壇の大御本尊様に対する信仰心も、牧口先生と戸田先生が師弟二代の命を捨ててつくられた創価学会の精神に対する尊敬も、何もなかったのだ。それどころか、それら総て己を飾り立て、他を欺くために利用した、単なる道具に過ぎなかったのだ。

1632 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/12(木) 14:13
龍年光 略歴
大正10年福岡県大牟田生まれ。昭和21年 出獄したばかりの戸田城聖先生に出逢い、日蓮正宗信徒となる。
創価学会男子青年部第4部隊長、青年部参謀。
政治部長。壮年部長。統監部長。理事。総務。驚愕部師範。
昭和30年より60年まで、品川区議。都議。
党都議会幹事長。
都議会副議長。

1633 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/12(木) 23:46
仮に「池田大作は、人類最低の精神異常者なり」だとして、
「人類最低の精神異常者」を「最高の指導者(仏)」と仰ぐ。
これは、これで、深みを持てば意味のある修行だ。
「人類最低の者」を仰ぐことができれば、全人類を仰げる筈だ。
これぞ不軽菩薩の修行だ。

1634 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/13(金) 08:11
↑これも風刺です。

1635 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/13(金) 21:30
>>1633
>「人類最低の精神異常者」を「最高の指導者(仏)」と仰ぐ。
。。。。
これは如何でしょう?
果たして、第二次世界大戦で、ドイツ国民は「不軽菩薩の修行」をしたから、ヒットラーを支持したのでしょうか?
ボウニアやコソボで虐殺が起きたのは、ミロシビッチなどの指導者を国民が愛したからでしょうか?
池田先生の友人のルーマニア独裁者チャウチェスク大統領やイラクフセイン大統領が、自国民を拷問、投獄、虐殺したのに、国民は支持し続けました。
あれも、国民は不軽菩薩の修行をしていたのでしょうか?
違うと思いますね。

1636 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/13(金) 21:32

ただ、それぞれの国民が、一方的に騙されていた、と考えるのも間違ってると思いますね。
「6000万人のヒットラーが居た」という本を読んだことがあります、
この本は、如何に当時のドイツ国民が、ヒットラーの残虐行為に対して「見てみぬ振り」をしていたかを、証明したものです。
つまり、当時の世界全体が「奇妙な熱に冒されていた」のは確かだったけれど、やはり、彼等は意識的に自分達の運命を選択した結果、悲劇が起きた、ということです。
もっと言えば、彼等は確信犯。
「彼等(私達)は騙されていただけ」とか「一億総懺悔」とか可笑しいのですよ。
創価学会の場合で言えば、これだけ何年、何十年と池田創価学会の犯罪的体質を社会が糾弾しているのに拘わらず、「カエルの面に小便」というのは、可笑しいのです。
現代日本のように、略完全な信仰や思想の自由が保証されている所で、「宗教弾圧」「思想的迫害」など、あるわけないのです。
もし、世間が、これだけ批判するのであれば、それだけ創価学会は胡散臭い団体なのです。

1637 名前: SGI 投稿日: 2004/08/14(土) 01:17
>>1627-1628 歩さん、こんばんは。レスありがとうございます。

実は、私も歩さんのレスと同様な感覚を抱いており、とても共感を覚えます。
その上で、あえて先の私のレスに関して補足説明をさせていただきます。

 正宗では御本尊様を「仏様」と拝します。それ故に御不敬な扱いや始末に至ることを最も危惧します。
 一家に2つ以上の「仏様」が存することは、正宗では認めませんし、神様は仏に仕え、法華信仰者を守護する役目を果たす存在と捉えますので、その神様を信仰の対象とすることも基本的には受け容れませんので、御本仏・日蓮大聖人の御魂魄・御当体たる御本尊様をお迎えする時には、やはり「謗法払い」については相当の態度で臨んだではないかと思います。

 したがって、昔は信心が決定(けつじょう)した人のみに、時の猊下がお認めになった常住御本尊を下付するのが原則だったそうです。たしかに御形木御本尊による下付もありましたが、原則的には直筆の常住御本尊なのだそうです。
 つまり、そう簡単に御本尊様は下付(厳密には「お貸し下げ」)されず、多くの信徒が内得信仰で正宗信仰を貫いたのです。先にご紹介した法難に登場する正宗信徒らのすべてが御本尊下付に至ったのではないのです。
 それだけに御本尊下付は、正宗の信仰上において大変重きがあるエポックであり、当然そこに至るまでに時間をかけて「謗法払い」等についても家族や一族の理解や同意、同心への営みがあったものだと推測いたします。

 私が所属する寺院は、明治中頃から弘教が始まり大正年間に建立された寺院です。講員さんのお宅をお邪魔すると、日応上人や日正上人、日柱上人らがお認めになった常住御本尊を拝見することができます。また、昭和30〜40年代に入信し当初は御形木御本尊だったお宅が、その後御住職を通して日達上人や日顕上人の常住御本尊様をお迎えしたお話をお聞きすることができます。
 常住様をお迎えする時は、家族・親族が一同に揃い、講役員や親しい講員さんも集い、御住職の導師で「入仏式」を奉修いたします。仏間または座敷の床の間にたいていは真新しい仏壇を安置し、常住様を御奉掲し、読経唱題の後、御住職よりご法話を頂戴し、祝宴となり、そのご一家の新しい歴史の開幕を皆でお祝いします。つまり、そのご家族ご一家に「仏様」をお迎えしたという歓喜の化儀なのです。

1638 名前: SGI 投稿日: 2004/08/14(土) 01:18
[続きです]
 したがって、法華講では、学会のような「一代法華」のケースがあまりありません。親から子へ、子から孫へと、法統相続していくものだという前提に立ちます。それに、当時は現代と違って、家長制が当たり前の時代であり、おそらく家長が「こうする、決めた」と言えば、家人は原則として従ったのではないでしょうか。
 現代においても、個々個人の信仰心・信仰の自由は、当然のことながら尊重はされるのでしょうが(親が宗旨替えしたのだから、子どもが親とは別の宗旨に替えてしまうことも認めざるをえないでしょう)、それでも代々「家の宗旨」として正宗信仰が続くことを望みます。
 
 「家の宗旨」として日蓮正宗になっても、さほどの抵抗感がないように見受けられます。学会のように、選挙活動や財務の強要、新聞や民音の啓蒙といった、およそ信仰とは関係ないと思われる活動もなく、あるいは年がら年中・日々会合や活動に追われることもなく、あるいは大聖人は御本仏と崇めますが、それ以外の人を(名誉会長のように)個人崇拝することもありません。極めて自然な形で日常の生活の中に信仰活動が営まれます。あえて他の仏教諸宗との違いを挙げれば、朝夕の勤行唱題の励行と謗法厳戒の定め位ではないでしょうか。
 
 正宗においても、負の歴史はあったのかもしれません。特段、光と影のうち、光の部分だけを強調する所存もありませんし、事実は事実として認識すべきだと存じます。750年の歴史の中で血気盛んな方や直情径行の方もいたのでしょうから、折伏や宗旨替え、「謗法払い」等で、おそらくそれなりの軋轢や顰蹙などもあったのかと思います。
 だからこそ、法は自ら弘まず人により弘まるだけに「振る舞い」が大事であり、信仰者として常に心がけていくべき事柄として、絶えず諫め諭しの御法話があるのでしょう。

 たいへん要領の得ない、取りまとめがないレスになってしまいましたが、意を汲んでいただきたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

1639 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/14(土) 11:05
>>1636
>「6000万人のヒットラーが居た」という本を読んだことがあります、
>この本は、如何に当時のドイツ国民が、ヒットラーの残虐行為に対して「見てみぬ振り」
>をしていたかを、証明したものです。

同じことを繰り返さないようにするには、
日本国民はしっかり似非宗教団体(創価=公明)の不正を監視し追撃の手を緩めてはなりません。

似非宗教団体(創価=公明)が不正の監視や追撃の手を宗教弾圧といってもネタバレであります。

1640 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 12:39
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1641 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/14(土) 12:45
デムパかと思ってしまった

1642 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 12:52
続1
藤原行正『池田大作の素顔』
『たとえば、(昭和)336、7年当時の私は池田の側近ナンバーワンと呼ばれ、一人十役をこなしていた。理事、渉外部長、青年部参謀、公明政治連盟副書記長、、区議、東洋精光顧問。特に理事は創価学会の総合的運営を担う責任役員職であった』
『(池田は)「俺は自分以外の誰も信じない」、何か話のおり、池田がふとこんな言葉をもらしたことがあった。(略)
「この日本の中に三人の大悪人がいる。児玉誉士夫、田中角栄、そして池田大作である」これは、かつて名検事総長とうたわれた故伊藤栄樹氏が現役時代にもらした言葉と聞いている。。。。そして、気がついたら、池田大作一人がまだ生き延びて、傲慢で不遜で、権力好きでお体裁屋の六十(当時)男に仕上がっている。』

1643 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 12:57
>>1640書き直し
アメリカでも日本でも、有名人に関する暴露本の類いは後を絶たない。。
個人的にも、(創価学会組織内ではあったが)自分に関する、悪い噂が立って、
「何を根拠にそういう悪口を言いふらすのだ?」という気持ちになった時がある。
いずれにしても、「己の立ち振るまいに疾しい所が無ければ、必ず、それを打ち消してくれる人が現れるものだし、悪い噂は消えるものだ」
そういう点から考えると、池田名誉会長の回りで、「悪い噂」が立っても、それを跳ね返して、44年にも渡って。「最高指導者」の地位にあるのは、それだだけ、池田先生に徳があった為とも考えられる。
しかし、一方で、池田大作名誉会長という男は、本当の悪党で偽善者ということも考えられる。
要するに、様々な資料から、個人個人が冷静な判断を下すしかないと思う。
有名人の皆さんには気の毒だあが、社会への影響力等を考えると、スキャンダルが立つのは、公益の為に止むを得ない面もあると思う。
池田名誉会長に限って言えば、長年、都議会議員七期、党都議団幹事長十期を務め。「言論出版妨害事件」の折りには、池田大作の走狗となって働いた、藤原行正氏の証言は、軽々しく受け止めるべきではないと思う。
SGiさんの引用と重なる部分もあるが、資料の提供をしたい。

1644 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/14(土) 13:00
>「俺は自分以外の誰も信じない」

日蓮大聖人やアーノルド・J・トインビーや学会員も信じないそうです。

1645 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 13:06
続2
『●高利貸の営業部長
昭和25年秋、戸田先生は急場凌ぎで高利貸業を開業した。それが大蔵商事という会社で、池田はここで大変な働きを見せるのである』
『借金返済の為の窮余の一策だから、戸田先生もなりふりかまわず学会員から出資金や貸し付け金を集め、他へ貸し付けるという新商売だった。』
『象徴的なのは出版業や正規の金融業ではパッとした働きのなかった池田が、この金貸し稼業では目覚ましい働きを見せたことである。。。。(学会員)各家に図々しく上がりこんでは、「戸田先生の苦境を助けるため」「学会のため」などと言葉巧みに話を持ちかけ、金を集めた』
『金のある家か、金のない家か。独特の動物的勘を発揮し、その懐事情をピタリといい当てる。他人には真似の出来ない、そんな芸当を大蔵商事時代の池田大作は演じていた。』

1646 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/14(土) 13:08

>『借金返済の為の窮余の一策だから、戸田先生もなりふりかまわず学会員から出資金や貸し付け金を集め、
>他へ貸し付けるという新商売だった。』
>『象徴的なのは出版業や正規の金融業ではパッとした働きのなかった池田が、この金貸し稼業では
>目覚ましい働きを見せたことである。。。。(学会員)各家に図々しく上がりこんでは、
>「戸田先生の苦境を助けるため」「学会のため」などと言葉巧みに話を持ちかけ、金を集めた』

ナイス!これは信心利用ってやつだ。(コメントすんまそん)

1647 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 13:09
続3
『ところでその日、私が池田に連れて行かれた先は神奈川県の鶴見だった。お目当ての学会員の家を探し当て、池田が足を止めた。
「お、ここは金を出してくれそうだ」
薄汚れた門構えの家だった。とても他人に貸すほどの余裕があるとは思えない。
「いや、こういう家には、箪笥預金がしまいこんであるんだ」
自信満々にそう言った池田の読みはピッタリと的中した。もう一軒の学会員の家では、一緒に来て居た池田の部下が、
「あそこはダメですよ。前に借りて、もう金がない。行っても無駄です」

「いや、あの家は必ずまだある。大丈夫だ。行ってこい」
そう睨んだ池田が部下を走らせた。実際に金はあった。私はキツネにつままれたような気分で池田の特異な眼力にただ目を見張っただけだった』

1648 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 13:14
続4
続3
『大蔵商事の時は絶対に信仰者の所へ行かなかった。。。。。何回も通って、苦労して大宮の機関区の退職金を全部取ったりして闘った。。。。私は嫌だった。しかし、友達だから助けねばならぬ。また、戸田先生は自棄糞で、何でもいいからやれ、とやらせた』
『上の発言で、「学会員の所へは行かなかった」と胸を張っている。しかし、それがウソ、であることは当時の池田に同行した私の体験から明らかだ。。。。。学会員を頼る以外に24、5歳の若造が誰から資金を暢達できるのか。こういう¥非常識なウソに、無教養で厚かましい池田は平気で口にする。
「ウソも百遍繰り返せば真実になる」と、
私は池田の口から何度聞かされたかわからない。この男は本気でそう信じているから始末が悪いのである』

1649 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/14(土) 13:35
>「いや、あの家は必ずまだある。大丈夫だ。行ってこい」
>そう睨んだ池田が部下を走らせた。実際に金はあった。私はキツネにつままれたような気分で
>池田の特異な眼力にただ目を見張っただけだった』

学会員のなけなしの生命保険金もその眼力からは逃れることができないね。(コメントすんまそん)

1650 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/14(土) 14:04
信・行・眼力 だね!

1651 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 14:04
私は、別に金貸し業を軽蔑する気持ちはない。
それどころか、一流銀行に勤める人達は、社会的エリートだと思っているし、
行政府の金融省、大蔵省(日本の省庁制度には疎い)に勤めている人達は、超一流の人材なのだろう。
町金融や高利貸屋もちょっと、ヤバいとは思うが、職業の内だろう。
しかし、戸田先生が始めたこととはいえ、創価学会が町金融と同体で再出発した事実は、同会の性格を決定づけたと思う。
戸田先生が心から、純粋な学者であり、信仰者である牧口先生を心から敬慕していたのは本当だと思うし、
戸田先生が自分を純粋な日蓮正宗の信徒と思っていたのは本当だと思う。
無論、戸田先生は、日蓮正宗が他の邪宗のように、駐車場経営などのビジネスをするのには反対だっただろう。
戸田先生が自分の一番弟子の石田次男氏に貸し金業を手伝わせななかったのは、意味があってのことだと思う。
現在の創価学会が池田名誉会長のビジネス手腕によって、(見た目に)発展して来たのは、それなりに意義はあったのだろう。
日蓮正宗が、宗祖の医大さと、その伝統のみに固執した所で、輝かしい未来はないかも知れない。少なくとも、(沖浦さんの弁)大きく発展するとは思えない。
泥中に咲く、蓮華の花こそが、日蓮大聖人の教えを社会に生かす道のように思う。
私としては、SGIさんが紹介して下さっているように、正宗の化儀を受け継ぎつつ、現代社会の最前線で、それなりの成果を上げた創価学会の伝統も生かせたらと思う。

1652 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/14(土) 14:12
訂正>>1651

日蓮正宗が、宗祖の医大さと、その伝統のみに固執した所で、輝かしい未来はないかも知れない。少なくとも、(沖浦さんの弁)大きく発展するとは思えない。

日蓮正宗が、宗祖の偉大さと、その伝統のみに固執した所で、輝かしい未来はないかも知れない。少なくとも、(沖浦さんの弁)大きく発展するとは思えない。

1653 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/15(日) 04:11
藤原」行正 『池田大作の素顔』
『過日私は、藤原弘達成氏と月刊誌『現代』の対談で19年ぶりに御会いできて、事件時の非礼をお詫びした。その席で池田の話題となり、私は氏へ一つの質問をした。
「池田は誤ると言っていましたが、先生のところへお詫びへ行きましたか?」

1654 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/15(日) 04:33

藤原氏「来やしないヨ!池田の公式表明ってのは全部ウソだからな。ヒットラーでもこれだけのウソは言ってないよ」そして弘達氏はさらに続けた。
「僕は並の宗教専門家などよりも創価学会をよく知る人間だと自負しておるけれども、そいう僕がつくづく不思議に思うのはだね、創価学会の患部連中及び一般会員というのはいったい何を考えとるのかってじょとなんだな。だって、あなた、常識的に見て、池田大作という男は大ウソつきであり、自由な言論の妨害者であり、宗教を野心達成の手段に使うペテン師であるわけだ。そういった人間であることを暴露するような事件やスキャンダルを、既に幾つも起こしている。にも拘わらず、池田大作は依然独裁者であり続けておると、そこんところがどうも納得いかねえんだよなあ。創価学会の連中はいったい何やってんのかねえ」
◆yurikoから池田先生へのお願い
一昨年の人間革命 烈風の抄の記述などから、推察すると、
池田先生は藤原氏の生前には、誤りには行かなかったのでしょう。
それにしても、自ら招いた大混乱、失態にも拘わらず、開き直るなんて、酷いですね。
私は、池田先生が本部総会で謝罪したからには、とうに藤原氏の家に直接伺って、謝罪したものとばかり思ってましたよ。
それを今になって、外部からのインタビュー(産経新聞)で、無反省で、開き直ったばかりか、随筆人間革命や小説人間革命では、事実を歪曲した挙げ句、責任逃れをするなんてね、
「死人に口無し」とはよく言ったものですね。
仏教者=宗教家を名乗るなら、恥を知って下さい!
せめて、藤原弘達氏の墓前に詣でてて、懺悔して下さい!
世界1000万人のSGI会員が、それを期待している筈です。
せめて、自分がくたばる前に、お願いします!o(__)oペコ

1655 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/15(日) 04:39
訂正>>1654

創価学会の患部連中及び一般会員というのはいったい何を考えとるのかってじょとなんだな。

創価学会の幹部連中及び一般会員というのはいったい何を考えとるのかってじょとなんだな。

1656 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/15(日) 04:50
訂正2>>1654

一般会員というのはいったい何を考えとるのかってじょとなんだな。

一般会員というのはいったい何を考えとるのかってことなんだな。

注)「池田大作の素顔」の初版は、1989年10月

1657 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/15(日) 04:59
訂正3>>1653「池田は誤ると言っていましたが、先生のところへお詫びへ行きましたか?」

「池田は謝ると言っていましたが、先生のところへお詫びへ行きましたか?」

1658 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/15(日) 05:07
訂正4>>1654

一昨年の人間革命 烈風の抄の記述などから、推察すると、
池田先生は藤原氏の生前には、誤りには行かなかったのでしょう。
それにしても、自ら招いた大混乱、失態にも拘わらず、開き直るなんて、酷いですね。

一昨年の人間革命 烈風の抄の記述などから、推察すると、
池田先生は藤原氏の生前には、謝りには行かなかったのでしょう。
それにしても、自ら招いた大混乱、失態にも拘わらず、開き直るなんて、酷いですね。

1659 名前: 奈奈氏 投稿日: 2004/08/16(月) 12:53
yurikoさんかくん
訂正して書き込んでみたら
いかがでしょうか
毎回では
冗談話になる

1660 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/16(月) 14:33
↑アフォだからかんべんしてあげて、わざと間違えて強調してるってうわさも立っているくらいだし。

1661 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/16(月) 23:46
藤原行正 『池田大作の素顔』
『池田大作は戸田二代会長の葬儀の直後、東京目黒の恩師宅を訪ねていた。無遠慮に上がり込み、まるで家捜しでもするように二代会長の遺産を洗いざらい調べ上げ、本部へ持ち返ったのである。』
内藤国夫 『現代』55年7月号
『当時、青年部参謀室長の職にあった池田大作は、会長の死の直後に時を移さず、目黒の戸田先生の家にのりこんだ。郁子未亡人をさしおいて戸田先生の遺品類や、故美術品、学会関連事業の重要書類など、四億円相当の遺産を強権的に差し押さえ、学会本部に持ち去った。あまりにむごい仕打ち、と嘆き悲しむ遺族の懇願で、後に四千万円相当の遺産が返却されたものの、大半は創価学会の所有に帰した。』

1662 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/16(月) 23:49
続1
(内藤)
『戸田先生の葬儀に寄せられた四千万円余りの香典さえ、遺族には渡さず、創価学会の独り占め、幾子未亡人らの再三の抗議で、四十九日法要をすませてのち、ほんの一部がかえされたのみ、という。』

続2

1663 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/16(月) 23:52
続2
(藤原)
『北條四代会長が亡くなったのは昭和56年7月18日の深夜であった。。。。丈夫な人だっただけに、その突然の死の報に接した時は、私は一瞬自分の耳を疑ったほどであった。』
『ところが、池田大作はその北條さんが亡くなると、その通夜と本葬で集まった一億五千万円の香典、東京の戸田記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行された葬儀で集まった約二十億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の金庫へ入れた。』

1664 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/16(月) 23:53
香典泥棒はいかんね。

1665 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/16(月) 23:54
続3
これは、後日談だが、
創価学会は創価大学で創価学会の重宝展を開いた。
中には、何でこれが重宝なのだ?というものも少なくなかったそうだ。
(青年部体育大会で池田先生と戸田先生が共に談笑している姿など)
●そこで、戸田家に伝わっている筈の、古い刀があったそうだ。
郁子夫人は、盗まれたものとばかり思っていたから、それを発見した時は、腰を抜かすばかりに驚いたそうだ。

1666 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/16(月) 23:56
続4
藤原行正『池田大作の素顔』
『池田は得意の口コミ作戦で小泉批判を繰り返した。
「小泉は『俺が次の会長になる』と公言した」
などと根も歯も無いことを言いふらした。
★さらに、自分の会長就任時の記念写真に小泉氏の渋い顔が写っているのにも我慢がならずにその部分だけ切り取って修整し、会長就任の記念写真から小泉氏を抹殺してしまった』
◇すると、例の日顕上人の芸者捏造写真は池田の直接の指示だったことは疑い得ない。
最近の聖教新聞では、「度の過ぎた修整」と裁判所で断罪されたにも拘わらず、名誉毀損が成立しなかったことをいいことに、掲載していた。
創価学会の犯罪的体質が現れていた。

1667 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/16(月) 23:57
池田先生は会員ひとりひとりから何かを盗むそうだ。
(会員は全然気がつかない)

何を盗むかって?
心だよ。

1668 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 00:00
Sorry! Go,ahead!

1669 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 00:04
>>1666
>★さらに、自分の会長就任時の記念写真に小泉氏の渋い顔が写っているのにも我慢がならず
>にその部分だけ切り取って修整し、会長就任の記念写真から小泉氏を抹殺してしまった』

旧共産主義国の写真と同じだな。

1670 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/17(火) 00:39
ふっと思ったのだが、
池田XDAYが近づきある今日、
懸念されること
●池田先生死後
○後追い自殺=殉死はないか
○池田名誉会長葬儀で集まる香典は100億円を下らないと思うが。
○香典の内、いくらくらいを遺族に渡すつもりなのか
○先例(戸田会長や北條会長の例に倣えば、池田家に渡る香典は、その百分の一程度か?
○池田先生が生前の内に、香典の分配を詳しく決めて、公開するべきではないのか?
★私の願いは無論、池田先生の御長寿であるのは言うまでもないことだ。

1671 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 00:51
>>1670
下世話な突っ込みですんません。

>○池田名誉会長葬儀で集まる香典は100億円を下らないと思うが。

大白蓮華の購読者数200万人(活動家数に相当)で100億円を割ると一人あたり5000円。
一人5000円は少ない。100億円をこすかもしれないとおもう。

>○池田先生が生前の内に、香典の分配を詳しく決めて、公開するべきではないのか?

池田平和ノーブル財団(仮称)を設立して毎年池田平和ノーブル賞(仮称)を出すのではないかとおもう。
あくまでも予想だか。

1672 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 01:05
>○池田名誉会長葬儀で集まる香典は100億円を下らないと思うが。

もうひとつの予想は、最近学会葬では香典レスが多いから、やはり香典レスで、
カエサルの例にならって逆におこずかい(遺産の広範囲な分配)が出て、
ヒエーと幹部と会員が感動してしまうというのもあるとおもっている。

1673 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/17(火) 01:19

私がもう一つ懸念することがある。
それは、池田先生の墓所をどこにするべきか、ということだ。
●商売に抜け目のない、学会首脳。
これを商売に使わない手はない。
●旧ソビエト連邦で、
レーニン廟なるものがあって、レーニンの体を人工的に永久保存してあったそうだ。
ホルマリン漬けじゃ冷凍かはわからない。また、現在、その行方もわからない。
●創価学会も池田廟を建立して、拝観料を会員から、搾取するつもりなのか?
墓苑に池田の名前をするのにも、一種の「薄気味悪さ」を感じていたが、死してまでも、一般怪会員から金銭を搾取するのは止めて貰いたい。
抑、仏教の死生観は、日本人古来からの死生観とは相容れない部分が大きかった。
すなわち、釈尊の説く死、(というか説かなかった)や上座部仏教や大乗仏教の死の根底にあるのは、輪廻転生であり、基本的に、今生に存在する肉体は、言わば、「借りの宿」に過ぎない。
そういうものに、こだわりを持つことが間違っている。「荼毘に臥す」というのは、もっともなことだと思う。
いずれにしても、池田先生がどんな偉大な業績を遺したにしても、池田本仏化や池田大曼陀羅の建立には、断固反対する。

1674 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 01:28
>>1673
下世話な突っ込みでほんとうにすんません。
(ブラックユーモア&グロテスク&ナンセンスなのでイヤな方は下を読み飛ばしてください)

>●旧ソビエト連邦で、
>レーニン廟なるものがあって、レーニンの体を人工的に永久保存してあったそうだ。
>ホルマリン漬けじゃ冷凍かはわからない。また、現在、その行方もわからない。

実物を残すのはきびしいから蝋人形で代作するでしょうね。

>●創価学会も池田廟を建立して、拝観料を会員から、搾取するつもりなのか?

すでに建立されていないとおかしいかもしれない。
しかし徳川家康を例にすると東照宮のようなものをあとで建立するかもしれない。

仏舎利みたいに全会館で分骨するかもしれないし(これはないか)、
ガンジーや周恩来元主相を例にするとすがすがしく自然葬か?

1675 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 01:31
俺はね、どんな人間でも最後は荘厳だと思うよ。

1676 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 01:41
>>1673
>いずれにしても、池田先生がどんな偉大な業績を遺したにしても、池田本仏化や池田大曼陀羅の建立には、断固反対する。

曼荼羅を勝手に書写すると胃穿孔になるというのが学会の定説(伝説、マインドコントロール)だが、
あとでひょっこり出こないとも限らないとおもう。

1677 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 01:43
あとでひょっこり出てきても胃穿孔になりようがない。

1678 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 01:49
ちょっとこんなことを書いたから弁解するわけではないけど、
池田先生は若いときすっていたタバコやめられたし、
最高の医療を誇るドクター部が控えておられるし、
会員が一生懸命ご長寿の題目あげているから長生きされると思います。

1679 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 02:27
しかしなんだね。
創価は話題の提供には事欠かないね。

1680 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/17(火) 10:20
>>1673

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/2455/lemi.html
レーニンをミイラにした男

イリヤ・ズバルスキー/サミュエル・ハッチンソン共著
赤根洋子訳
文春文庫


ちょっと調べてわかったのだが、レ−ニンの遺体は赤の広場のレ−ニン廟にまだ安置されている。
私はてっきり、レ−ニン像は全て、旧ソ連圏から撤去されたものとばかり思っていた。
しかし、大部分のロシア人にとって、レーニンはまだ偉大な人物のようだ。
特に古い世代では、そうらしい。
ところが、レーニンを埋葬すべしとの意見がだんだん強くなって来てるようで、その勢いは止まらないだろう。
独裁者の遺体をミイラにしたのは、レーニンだけでなく、金日成の死体を永久保存しているらしい。
面白いことに、彼等の持つ「死体保存技術」はビジネスとして繁盛しているらしい。
私は、是非とも、レーニンが埋葬されてしまう前に、レーニンの実物大の遺体を、自分の目で見てみたい。
「池田大作」をホルマリン漬けにするのも、結構面白そう。
拝観料は、5000円くらいが妥当か?

1681 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/17(火) 23:42
娑婆で演説しないような指導はミイラと同じだ − 識者 (寸鉄風)

1682 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/18(水) 00:44
>>1678
>池田先生は若いときすっていたタバコやめられたし
。。。。
タバコ止めたといっても、私の記憶が正しければ、50代後半でしょ?
もう手遅れ。
池田先生の肺は、ニコチンとヤニで真っ黒な筈。
何と言っても、ヘbースモカーを自認してたしね。
そこで、ちょっと思うのだが、
池田先生はよく自慢奇に、「私は医者から、30歳まで持たない」と言われたとか。
大阪事件で大阪警察署に出頭する際、羽田空港で戸田先生から
「お前の体だけが心配だ」「死ぬな」「万一の時はお前の上にうっぷして、私も死ぬ」(人間革命11巻)
(これは、全てウソというのが明らかだが)
などという浪花節を演じているが、
池田先生の小学校時代の成績表に依れば、欠席も殆どなく、体育は最優秀(尻上がりの名人)で、
そういう男が急に虚弱体質になるとは信じ難い。抑。そういう虚弱体質の男が、タバコを吸い始めるというのも不自然だ。
(実を言うと、タバコを吸うのにも体力が必要なのだ。それを私は、病気で入院してわかった。今では、臭いだけでも、吐き気を催す)
どうも、SGIさんの解説(言論出版妨害時の臭いサル芝居)にもあるように、池田先生=虚弱体質というのは、お得意の演出の類いだと思う。

1683 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 01:03
戦後直後の栄養状況や医療事情(健康状況)の悪さというのもあるにはあったとおもう。
(栄養失調の人や結核にかかる人が多かった)

日本の経済成長の波にうまくサーフィンしたのが池田氏&創価だったとおもう。
(戦後直後精悍だった多くの人があとで恰幅がよくなった)

池田氏の会長就任時の写真は痩せていてかっこいい(ほめすぎか?)。
偏狭そうだがそれなりのシブさがあった。

1684 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 01:09
>レーニンをミイラにした男

池田氏をミイラ(雲の上の存在)にした者、それは幹部と会員だった。

池田氏はメシも食えばトイレにも行く。天然で庶民的なところが売りだった。

1685 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/18(水) 01:10

人間革命12巻では、
山本伸一=池田先生が、「血を吐きながら」戸田先生の事業を手伝い、孤軍奮闘していたとある。
しかし、結核で血を吐くようになったら、相当の重症だ。
例え、戦後間も無くて、療養施設が不足していたとはいえ、公共衛生の為に、入院が勧められるだろう。
ところが、実際は、「痔瘻(じろう)」で、気の毒だったとは思うが、自慢?するような病気でもあるまい。
新人間革命では、山本会長が「熱があるのに拘わらず」強行スケジュールで、記念撮影会に臨む様子が描かれている。
新撰組の沖田総司に肖(あやか)ろうとでも思ったのだろうが、池田先生に、健康上の心配は今も昔もない!
池田先生の御長寿は間違い無いと思う。
「憎まれっ子、世にはばかる」とは、けだし名言といえる。

1686 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 01:23
(感想)
前から思っていたのですが、『小説人間革命』や『新・小説人間革命』は事実に近いこと
書いているようで、実はちらっと美化したり、ある部分では長々と正当化(言い訳、創作)したり
していますね(せこい)。

いっそのこと設定を別の原画の惑星にでもして未開の宇宙部族を折伏するとでもした方が
(スペースオペラ風)創作力が自由にに発揮できたのではないかと思います。

1687 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 01:24
原画の惑星→銀河の惑星

1688 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 01:27
>いっそのこと設定を別の原画の惑星にでもして未開の宇宙部族を折伏するとでもした方が
>(スペースオペラ風)創作力が自由にに発揮できたのではないかと思います。

そうすれば敵対者攻撃しまくり、正義の栄光の勝利しまくりでも違和感がないでしょう。

1689 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 01:38
自由ににに・・・ スペース広宣流布とか?

1690 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/18(水) 07:17
>>1686
>事実に近いこと
書いているようで、実はちらっと美化したり、ある部分では長々と正当化(言い訳、創作)したり
していますね
。。。。
お前、どうかしちゃってるよ。
正しくは、人間革命には、時に事実かと思われる記述も散見できるが、
殆どは、山本伸一を美化する為の目的で書かれている。
特に、時代背景の説明は詳細で、実際の事件を目の当たりにするようだ。
特に面白かったのは、人間革命12巻で、時の首相の名前を勝手に、岸→峰総理としている。
こういう代物だから、作者(これも怪しい)が勝手に、登場人物の性格を歪曲したり、抹殺したり、存在しないことを、恰も存在したかのように記述することなど容易い。
小説人間革命は、現実とフィクションの間を限り無く曖昧した点で、従来の私小説というジャンルにも当たらない、新しい文学の領域かもしれない。
人のフンドシで相撲を取るのが得意な池田先生だが、こういう破廉恥を平然と行う点に於ては、独自のものだ。

1691 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/18(水) 07:48
>殆どは、山本伸一を美化する為の目的で書かれている。

結局『小説人間革命』や『新・小説人間革命』も礼賛本ということになるね。

1692 名前: 大越佐紀子 投稿日: 2004/08/18(水) 12:46
SGI様 

返事が遅くなってしまいまして、すみません。2体の本尊というのは、私が以前留学するときに持っていった御本尊様が、そのままお返しせずに持っているということです。私が留学するという話になったとき、ちょうど「本尊のお取り替え」の話が出た頃で、私としては、実家にある日達様の本尊を返す気持ちが全くないため、それを持って留学したのです。そのため実家の本尊は、学会版のものになりました。それで留学先から帰ってから、日達様の本尊を返す段になり、どうしても気持ち的に返す気持ちが起こらず、組織の方達にもお話して、私の部屋に安置しているというわけです。

拠点でもある私の自宅には、学会版のものがありますが、どうしても気のせいか、その本尊を安置してからというもの、我が家にはいろいろ不幸が訪れている感じがしてならないのです。父の会社の倒産もそうです。けれど父はなんと「私の会社はあこぎなことをして儲けていたので、これでやっとかたぎになれたようなものだ。倒産はきっと功徳かもしれない」と言いますが、私から見たら、どうしても功徳に思えません。理由は、そのために母がパートに一日中出るようになり、従来の腰の痛みが悪化し、顔つきまで変わってしまったからです。また私には妹がいますが、その妹の持病である肺も、すごく悪化しました。両親は「宿業を軽く出させてもらったのだ」と言いますが、それだけでない多くの現実の生活の証明に、私自身が不安で過ごす日々を送っています。 けれども組織の方達からはよく「二体もあるのは普通でない」と言われ、私としては、日達様の本尊を持っていたいと思うものの、両親が支部幹部で顔が立たないのか、学会版のものを家の中心に置くことを譲りません。

こういう中で、私が日達様の本尊を拝んでいたとしても、良い結果とうのは出ないものでしょうか。教えて下さい。本来でしたら、私が家を出ることが一番良いのかもしれませんが、種々の事情により、それを今することは出来ないのです。  

そこでSGI様に「学会版の本尊をもっていることによる現証」を聞きたかったわけです。紹介頂いた大白法には、体験が少ししか載ってなかったですが、現実として、SGI様は、その怖い現証を見たり聞いたりされてますか?事例があれば教えてください。それと、もうひとつ。ちまたの学究では、富士の大石寺の大御本尊様の偽物説が出ていますが、それが本当ならば、あの頭の良い戸田先生は、どうして気づかなかったのでしょうか。それとも気づいても、それ以上の確信があったから「正宗が一番」という確信を持ったのでしょうか。それも併せて教えてください。

私の書き込みは、なかなか書けずにいますが、また書きます。返事をお待ちしています。

1693 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/18(水) 17:05
>>1692

大越佐紀子 さん、初めまして。
大越さんは、どこに留学していたのですか?
日本は、創価学園に行ったのですか?

1694 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/20(金) 04:57
>>1692大越佐紀子 さん
>現実として、SGI様は、その怖い現証を見たり聞いたりされてますか?事例があれば教えてください。それと、もうひとつ。ちまたの学究では、富士の大石寺の大御本尊様の偽物説が出ていますが、
。。。。
横レス失礼します。
現証として、あれが罰とか功徳とか決めつけるのは如何なものでしょう。
抑。仏教開祖釈尊の悟りの原点というのは、
四門遊観 をきっかけにして、生死病死 怨憎会苦 求不得苦 愛別離苦 五盛陰苦の四苦八苦こそが、人生の本当の姿だと悟る所から始まるのです。
現実世界を見てみても、理由は何であれ、毎年30000万人もの人が自殺しているというのは、彼等が「死んだ方がまし」というくらい、苦悩した結果に違い無いのです。
彼等を
「弱き者」「挫けた者」となじるのは間違っています。
法華講員の方でも、自殺した者はいるだろうし、
創価学会の方で自殺した方々は、残念ながら、何十人と知っています。
創価学会員の中でも、「不治の病」に倒れ、亡くなった人も知っていますし、
失明、家庭不和、家庭内暴力、犯罪者、犯罪被害者の創価学会員は沢山います。
破門される以前から「何で信心しているのに、こういう目にあうんだろう」と思ったこともあります。
しかし、私達は、仏教徒して、先に挙げた最も重要な大前提を忘れていたのです。
それは、「私達が生きている世界は、苦海」という事実です。
しかし、そんな中でも、「旱天の慈雨」という奇跡は必ずあるものなのです。
俗っぽくいえば、
「棄てる神あらば、拾う神あり」といった所でしょうか?
こうして、覚悟を決めることが出来た人間は強いです。
それは、恰も、波乗りが、大波を楽しむかのようです。
話はちょっと、それましたが、要するに、創価学会員であろうと無かろうと、功徳もあれば罰の現証もあるのだから、大事なのは、それぞれが、それをどう受け止め、乗り越えて行くかということだと思います。
統計的に、xx宗の信心をしたから不幸になったと決めつけるあり方は、「人権の世紀」(そうありたい)と言われる21世紀に相応しくないと思います。

1695 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/20(金) 05:39
毎年年30000万人

日本だけで、毎年3万人

大石寺に御安置の大御本尊が偽作という邪説への検討は、かなり詳細に別スレ「大御本尊の写真が公開されてます」でしておいたのでしが。
そちらを参照して下さい。
日蓮大聖人が出世の本懐として、大御本尊を遺されたかどうかについては、古来から様々な邪難がありました。
●もし、そんなに重要なものなら、日蓮大聖人は、もっと詳細に文書に、その意義を書き遺してもよかったのではないか?
●聖人御難事で「余は二十七年也」」が唯一の証文としているが、そこには、大御本尊とか曼陀羅とは出ていない
●日興上人も、全くとは言わないが、大御本尊に言及していないし、後半生の殆どを(近所だが)重須で過ごしたのは不自然
しかし、SGIさんが解説して下さったように、
●大御本尊は、本来、広宣流布達成の日まで、非公開で内拝といって、法主猊下の特別許可が必要だった。
。。。。ですから、大御本尊は、一閻浮提 塵未来際の民衆の為に認められたものでも、その性格故に、その存在は秘密にされていたのです。
そこで、他宗(特に日蓮宗)は、もっともらしい「偽作説」を持ち出してくるのです。
ところが、大御本尊の相貌からも、日蓮大聖人の御真筆であるこちとは疑い得ないし、熱原の法難が起きて、三人の百姓が命を落としたというんは、歴史的事実なのです。
日蓮大聖人ほど、情に脆い宗教家は居なかったと思います。
そんな人が、心を動かされ、触発され、何かを感じ、自分の信仰実践の総決算をしようと思い立つのは自然なことではないでしょうか?
創価学会員である限り、そういう日蓮門下を名乗ったとしても、大御本尊に絶対目通りできないのです。
いずれ、創価学会の中枢から「大御本尊偽作説」が堂々と語られるでしょうが、それらは与え太話の類いでしょう。
惨めというか、哀れです。

1696 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/20(金) 05:50
訂正1695

与え太話の類い

与太話の類い

1697 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/20(金) 07:49
>いずれ、創価学会の中枢から「大御本尊偽作説」が堂々と語られるでしょうが、それらは与え太話の類いでしょう。

元学会員&元法華講員の方が「大御本尊偽作」(大御本尊偽作肯定の方向で)について近々書籍を出版されるそうですね。
予想的には与え太話と思えないほど細を穿ったものになりそうです。

ある日蓮宗の方も大石寺法門批判の書籍を近々出版されるそうです。
著者の方は反論不能ということをうたっています。

法華講員の方(および学会員の方)はただ信じるという方向での道が残されているので大丈夫と思いますが...
(学問で信じているのではないでしょうから...)

1698 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/20(金) 07:56
訂正1697

与え太話

与太話

1699 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/20(金) 07:59
無視すれば批判からは無傷でいられるでしょう。学問的には終焉を意味しますが。

1700 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/20(金) 09:18
藤原行正 『池田大作の素顔』
彼(大橋俊雄)を翻意させたのはほかでもない、池田自身の言葉だった。
三月二十八日、公明党の沼川洋一代議士宅から出火し、熊本市内の留守宅で一家六人のうち四人が火事で焼死するという痛ましい惨事が発生した。
この出来事は、選挙地盤に留守宅を残す公明党各議員にとっては他人事ではない。事故の数日後、国会内で公明党代議士会が開かれた時もこの話題になった。その時、彼の席にいた柴弘代議士が大橋氏に池田の暴言をこっそり耳打ちした。
「あの事故の第一報を聞いた時、池田名誉会長は「沼川はもう十五、六年も俺のところにこないからな。だからそんな目に遭うんだよ」といってのけたそうだ。同席していた数人の幹部に向かってな」
大橋氏はそのまま黙って席を立った。他人の不幸を自分の権力誇示に使って恥じない池田大作は許せん!その夜、大橋氏が私の家に電話をくれた。
「もうあんな男のためには死ぬ気も失せました。死んだつもりになって池田打倒をやるのが自分の仕事だと思い直しました」

1701 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/20(金) 09:20
藤原行正『池田大作の素顔』
娘の結婚が決まり、第一段階の準備はできた。そこで私は藍綬褒章のお祝いパーティを盛大にやることにした。。。。。今回の私のように五千人を集めた派手なパーティは前代未聞であり、池田の神経をわざと¥逆撫でするやり方だった。
案の定、池田大作は激怒した。しかしあの男は私に怒りを向けず、気の毒に現会長の秋谷栄之助がしのとばっちりを受けた。
「藤原にあんなパーティを開かせやがって!お前の監督不行届きだ。ここで土下座して私に謝罪しろ」
秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。が、最後はホテルの床に這い、土下座した。
秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程なかばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。
<藤原氏への質門>
●この話は、秋谷氏から直接聞いたのですか?それとも誰か見て居たのですか?
●是非、秋谷会長自ら、池田に対して、土下座したことがあるかどうか聞きたい。

1702 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/20(金) 09:45
>>1697
>元学会員&元法華講員の方が「大御本尊偽作」(大御本尊偽作肯定の方向で)について近々書籍を出版されるそうですね。
予想的には与え太話と思えないほど細を穿ったものになりそうです。
。。。。
ほらね。早速、与太話の続編だね。原文を見ないと何とも言えないが。
池田大作の人間革命をもっと、真剣に学習しなさい!
戸田先生=池田先生によれば、日蓮正宗大石寺に御安置の大御本尊だけが、日蓮大聖人の魂魄を留めた崇拝対象なんだよ。
もう絶版になった折伏教典にも、「例え、日蓮大聖人の直筆の御本尊であっても、時の日蓮正宗の法主の允可のないものは、拝んでも功徳はない」。
それどころか、「そういうものを拝めば、その家に不具者が生まれる」とあるぞ。

1703 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/20(金) 22:08
>ほらね。早速、与太話の続編だね。原文を見ないと何とも言えないが。

原文を見よう。

>池田大作の人間革命をもっと、真剣に学習しなさい!

ヤダ!

>戸田先生=池田先生によれば、日蓮正宗大石寺に御安置の大御本尊だけが、
>日蓮大聖人の魂魄を留めた崇拝対象なんだよ。

なんで?
日蓮大聖人は大石寺に行ったことあんの?

>もう絶版になった折伏教典にも、「例え、日蓮大聖人の直筆の御本尊であっても、
>時の日蓮正宗の法主の允可のないものは、拝んでも功徳はない」。
>それどころか、「そういうものを拝めば、その家に不具者が生まれる」とあるぞ。

創価の指導は暗黒最悪!

1704 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/20(金) 22:21
所謂印籠教学では国民は納得しない。(ボソ)

1705 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/20(金) 23:34
関係ないけど、

>>1701
>案の定、池田大作は激怒した。

「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。」
(『走れメロス』)
を思い出した。

1706 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 02:04
>>1703
>日蓮大聖人は大石寺に行ったことあんの?
。。。。
お前って、おばかさんね。
日蓮大聖人は宗祖。
日興上人は、その直弟子で、大石寺開山、開祖。
日蓮大聖人は無論、富士の梺には行かれただろう。
日蓮大聖人は、広宣流布の暁には、そこに本門寺を建立せよ、と遺言された。
それで、後世の日蓮門下を勝手に名乗る者達が、北山本門寺や西山本門寺などを建立して、自分達こそ日蓮直系だと称した。
富士五山と言われているものが、それに当たる。
どれも、日蓮大聖人が直接開いたものでないにしろ、観光にはいいかも知れない。
戦時中は、無論、合同せよ、と政府から命令されたのだが、時の猊下日恭上人は、「合同不承知」と拒否された(人革第一巻)

1707 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:14
>>日蓮大聖人は大石寺に行ったことあんの?
>。。。。
>お前って、おばかさんね。
>日蓮大聖人は宗祖。
>日興上人は、その直弟子で、大石寺開山、開祖。
>日蓮大聖人は無論、富士の梺には行かれただろう。
>日蓮大聖人は、広宣流布の暁には、そこに本門寺を建立せよ、と遺言された。
>それで、後世の日蓮門下を勝手に名乗る者達が、北山本門寺や西山本門寺などを建立して、自分達こそ日蓮直系だと称した。

北山(重須)本門寺
ttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/sos_omosu_h.htm
「永仁6年(1298)日興上人は重須石川能忠・上野南條時光との協力のもと、
 御影堂、本化垂迹天照大神宮、法華本門根源の三堂を造営したという。」

【寺院名】富士山 本門寺(
ttp://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/30ho27.htm
「【開山】白蓮阿闍梨日興上人」

日興上人を後世の日蓮門下を勝手に名乗る者と称するとはついに悩乱か?頭破七分か?

後世の日蓮門下を勝手に名乗る者達が大石寺の戒壇の本尊を建立して自分達こそ日蓮直系だと称した。

1708 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:15
>>日蓮大聖人は大石寺に行ったことあんの?

で、戒壇の本尊は日蓮大聖人が建立したの?

1709 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:18
yuriko殿
如是相、ないし現証に出ましたかな?

1710 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:21
>日蓮大聖人は、広宣流布の暁には、そこに本門寺を建立せよ、と遺言された。

大石寺はなぜ本門寺という名前でないの?

1711 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:37
『二箇相承』は紛失までは大石寺でなく重須(北山)本門寺に保管されていた
(重須文書)
ttp://gappo.cool.ne.jp/yowa/5904/5904.htm

1712 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:39
>『二箇相承』は紛失までは大石寺でなく重須(北山)本門寺に保管されていた
>(重須文書)

大石寺の正統性を示すのに、北山本門寺の文書を用いるのはまったくもっておかしい。
ということ。

1713 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 02:47
しかしなんだね。
学会員と法華講員の違いは単に
学会を信じるか正宗を信じるかの違いなのかね。

1714 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 11:04
>>1706
>お前って、おばかさんね。
 
 人をなめた口を利くんじゃない!

1715 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 11:21
「愚人にほめられたるは第一のはぢ(恥)なり」 なので、全然構わないのダ 。

1716 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 11:40
お灸がきつすぎたかな?(ボソ)

1717 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 11:54
>>1715
そしたら、賢人のそしられたのでよかったと言うことか?

1718 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 11:57
そこまでいったら増上慢になってしまう。

1719 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 12:01
誰が増上慢?

1720 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 12:03
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」だからといって自分が賢人だと思ったら。

1721 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 12:13
愚人にけなされた場合はどうか?

1722 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 12:50
「教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い(中略)はぢならず」

恥でないそうです。

1723 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 13:09
>>1702
どんな宗教にも矛盾はあるものだが、心が清まれば信仰としておかしくない(成立する)。

それを無理やり理屈付けようとしたり、事実を捻じ曲げたり、さらに批判すると罰があたる
など脅迫まがいのことをするから、すっかり噴飯ものになってしまう。

1724 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 13:13
>心が清まれば
 
 心が清まるとはどのような状態を言いますか?
 信仰と心が清まるとはどのような関係にありますか?

1725 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 13:16
仏様や神様に手をあわせたとき、どのような気持ちになりますか。
そのような心は清められた心ではないですか?

1726 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 13:22
>池田大作作小説人間革命批判

小説人間革命批判を行えば究極的には大石寺批判にまで到達してしまう。両刃の剣だ。

従来は大石寺批判に到らないように寸止めしていただけだ。

1727 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 14:22
仏様や神様が何を望んでおられるか知る必要があると思います。それとも、自分の望みをかなえてくれる対象としてみるだけで良いのでしょうか・?
仏や神の望みを自分が果たすことか、自分の望みを神や仏が叶えることか、それとも混じったものか、どんなもんでしょうか?

1728 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 14:23
本門の戒壇を建立し日蓮大聖人と「見立てる」見立ての心。

(枯山水を山水に見立てる、見立ての心と同様・・・)

それは信仰としてよいが、過去の創価による低俗な大衆化と、良識を逸脱する
仏罰の強調がカルト化をもたらした。

1729 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 14:34
>>1727
>仏様や神様が何を望んでおられるか知る必要があると思います。
>それとも、自分の望みをかなえてくれる対象としてみるだけで良いのでしょうか?
>仏や神の望みを自分が果たすことか、自分の望みを神や仏が叶えることか、
>それとも混じったものか、どんなもんでしょうか?

私は仏様や神様でないので究極的にはわからないのですが(神のみぞ知る)、
想像するに、仏様だったらすべての人が成仏すること(仏様の境涯になること)
が望みではないでしょうか。

自分の望みをかなえるという卑近な願いからはじまって(煩悩)、
究極的には仏様の境涯に近づく(菩提)という風になればよいんでは
ないでしょうか。

1730 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 14:50
>>1707-1728 名無しのばか共

一人の人物かどうかはわからない。
トンズラした沖浦某かはわからない。
でも、スレ主として、お前等に警告したいのは、掲示板に書き込む時は、最低限のマナーを守ってほしい。
●HNをつけること。
●具体的にどの意見に対する意見なのか明示すること。
ここのスレッドは、一応、人間革命批判だから、批判にしろ反論にしろ、スレ内容に沿って、意見を述べてほしい。
それでも、幾つか注目すべき意見もあったから、それに対して意見を以下書き込む。

1731 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 15:13
>>1710
>大石寺はなぜ本門寺という名前でないの?

アフォ!
日蓮大聖人は、広宣流布達成の暁には、本門寺を富士の梺に建立せよと、遺言したのだよ。
それを、日蓮直系を勝手に名乗った、北山や西山本門寺が、恰も。自分達が広宣流布を達成するかのように錯覚させる為に、本門寺を名乗ったんだよ。
小賢しいというか、茶番じみてるとしか言い様がないね。
でも、この「直系信仰」というのは、日蓮教団にはよく出てくるんだよね。
日蓮教団独特の「正統vs異端」の闘争だね。
それを考えると、池田創価学会のブレ−ン達もその事情を知悉した上で、自分達も日蓮正宗から独立宣言しても、上手く乗り切る自信があったんだろうね。
全くの知能犯だよ。
でもね、別に迷信で創価学会員達を脅かす訳じゃないんだが。
池田創価学会が日蓮正宗に対して、チンピラが因縁を引っ掛けるように、謗法の限りをするようになってから、ろくでもない罰の現証が次から次へと現れてるんだよ。

1732 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:02
>アフォ!
>日蓮大聖人は、広宣流布達成の暁には、本門寺を富士の梺に建立せよと、遺言したのだよ。

北山本門寺は富士の梺でないの?

なぜ『二箇相承』が北山本門寺にあったの?

>それを、日蓮直系を勝手に名乗った、北山や西山本門寺が、恰も。自分達が広宣流布を達成するかのように
>錯覚させる為に、本門寺を名乗ったんだよ。
>小賢しいというか、茶番じみてるとしか言い様がないね。
>でも、この「直系信仰」というのは、日蓮教団にはよく出てくるんだよね。
>日蓮教団独特の「正統vs異端」の闘争だね。

日蓮教団によく出てくる「直系信仰」は大石寺も同じだね!

1733 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:05
>でも、スレ主として、お前等に警告したいのは、掲示板に書き込む時は、最低限のマナーを守ってほしい。

>お前って、おばかさんね。
>アフォ!

こういうのはよいのかな。スレ主の特権かな?(笑)

1734 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:07
>日蓮教団によく出てくる「直系信仰」は大石寺も同じだね!

>こういうのはよいのかな。スレ主の特権かな?(笑)

カルトは盲目。自分を特別扱いし他を蔑む。そういうこと。

1735 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 16:13
池田創価学会罰の現証
●人間革命第10巻で池田自ら、
「御本尊を勝手に作製する謗法の報いは、胃穿孔で悶死と規定していて、自分の後継者としていた息子が、胃穿孔で悶死した。
これは、父親が勝手に、御本尊を模刻した罰の現証。
●人間革命第12巻で池田は戸田の口を借りて、似非科学理論を展開。
それに依れば、人々や社会が正宗に対して迫害し、謗法行為を行えば、その罰の現実証として、火山が大噴火するとした。
ところが、池田n平成2年の日顕上人への、中傷、誹謗の下品な難癖スピーチの翌日に、雲仙普賢岳が大噴火した。
日本に数有る活火山の内、法華経の結経であり、法華経の行者を悩ます者を罰することを誓った、普賢菩薩が登場する妙法蓮華経普賢菩薩勧発品(かんぽつほん)第二十八に最も馴染み深い火山が噴火。
●池田スピーチで熱原の法難と平左衛門尉に現れた罰の現証の関係を言及。
すなわち、平左衛門尉も法難の後、丁度17年後、一族滅亡という罰の現証が現れたとした。
ところが、宗門迫害のシナリオ(C作戦、シアトル事件、猊下と芸者の偽造写真、等)を書いた学会謀略担当副会長の野崎氏が、謀略の丁度17年後怪死。
それのみか、野崎ファミリーの若頭 竹内某が、ヤッフー恐喝で逮捕。基礎は猶予されたものの、容疑が完全に晴れたとは言えず、これで、野崎ファミリーは滅亡したとしていい。
野崎副会長は、平左衛門尉の再誕と思う。
●学会広報担当西口副会長が口舌癌で悶死
●地震に関しては、最も安全とされていた神戸の地では、全国に先駆けて、偽御本尊と日蓮正宗認可の御本尊と交歓。正宗御本尊が大量に不敬された。
その翌日に、淡路 関西大地震が発生。7000人近い人が亡くなる。特に、学会員が密集していた地域は、略壊滅状態。
。。。。その他、平成大不況や、毎年3万人の自殺者など、池田創価学会が謗法を行えば、行うほど、罰の現証は明らかになっている。

1736 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:20
一応言っておきますが、学会の支持や弁護するつもりはないですよ。
学会は見ての通りの酷い状況だから。その必要はない。
ただその源が正宗にもあったということ。

学会を否定して正宗をうかびあがらせようなどというのは姑息。
どちらも否定されるべきです。

パンドラの箱から災いが出てきたが、希望だけが残った。

1737 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 16:22
訂正>>1735

偽御本尊と日蓮正宗認可の御本尊と交歓。

偽御本尊と日蓮正宗認可の御本尊と交換。

1738 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:25
>偽御本尊と日蓮正宗認可の御本尊と交換。

日寛上人が日蓮正宗認可ですか? とうとう逝ってしまいましたか?

1739 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:27
意味がわからん。

1740 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:30
>>1735
創価を指導できなかったのは正宗の不徳のいたすところであります。
不徳ではありましたが破門にしてやりました。

破門にすれば責任は正宗にありません。万々歳であります。

1741 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:32
日達上人は創価を評価し過ぎた。
正宗もっとはやいうちに創価を破門しておくべきだった。(狸祭り事件の時点などで)

1742 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:39
>>1730
>名無しのばか共

名無しばかよね。おばかさんよね。後ろ指、後ろ指さされても〜

1743 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:41
一応このスレからは転進(撤退)であります。

あそんでくれてありがとさん。他のスレじゃ容赦しないよ。

1744 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 16:47
基礎は猶予

起訴は猶予
>>1736
>ただその源が正宗にもあったということ。
。。。。
無論、それは認識している。
日蓮正宗側に、問題があったのは明らかだと思う。
ただ、どんな団体でも、過去を反省、清算するというのは至難だと思う。
それは、民族、国家、宗教の歴史を見れば明らかだと思う。
ともすると、過去を反省するあまり、自分達が受け継ぐべき伝統文化を全否定ということにもなりかねず、文字通り、
「元も子も無くなる」ということになりかねない。
実を言うと、地球規模で起っている「グローバリズム」の一番の問題は、そこにあるんだよ。
そういう意味で、養老猛の「バカの壁」は実に示唆に富んでいる。
日蓮正宗が、これから、「ファンダメンタリズム」に安住の地を求めて、益々信者を失うのか、伝統の真の活性化が出来るのか、それは、まだわからない。
ただ、私は後者に賭けてみたいのだよ。

>>

1745 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 16:48
別に撤退することはないでしょう。(飽きたのですか?)
ただあの方は重須文書の意味(位置づけも)がわからないなど客観的な議論に適さない方ではないかと・・・

1746 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/21(土) 17:06
>>1744
>ただ、私は後者に賭けてみたいのだよ。

Great! (^v^)b

1747 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/21(土) 17:13
>>1738
>>偽御本尊と日蓮正宗認可の御本尊と交換。
>日寛上人が日蓮正宗認可ですか? とうとう逝ってしまいましたか?
。。。
ちょっと、お前の言ってること、わかんないんだけど。
創価学会は、一期一縁(特定の信者に生存中のみに下付)の御本尊にいい加減な、修整を施した上、粗末なカレンダー量産方式で、偽(御)本尊を大量に作製した。
これは、元々、日寛上人の真心を踏みにじるものでもあった。
代々の法主猊下が認めた御本尊であっても、時の日蓮正宗法主が允可してない御本尊は、謗法となる。
したがって、学会員の中で、日達上人が認めた御本尊を拝んでる者がいるが、
創価学会という大謗法団体に所属している限り、堕地獄の道は間違いない。却って、日達上人への侮辱となってしまう。

1748 名前: SGI 投稿日: 2004/08/21(土) 17:26
>>1616 >>1637-1638 自己レスに関連して

 創価学会は昭和40年代後半から実質的に発展していない。
http://jbbs.livedoor.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1034690171&START=90&END=91
http://jbbs.livedoor.com/study/bbs/read.cgi?BBS=925&KEY=1034690171&START=433&END=438
 このことは、故・福島源次郎・元副会長も著書の中で指摘している。

■『蘇生への選択』p238
 現在は三〇〇万世帯を超えず、二五〇万世帯前後です。その数字も、全く信心せずに御本尊がある(ご安置でもない)というだけの名目世帯がかなり含まれている数字です(全国平均五%以上と推定される)。

 したがって名誉会長が誇らしげにいう七五〇万世帯折伏というのは、全くの架空であり、虚偽の数字なのです。いうなれば、組織の御本尊下付申請(寺院への)の報告数字を単純に加算した累計数でしかありません。これには退転者や、大躍進の昭和三十年代後半の組織間の激しい成果競争の中で、偽の御本尊送りが激増し、この水増し分の数字がかなり含まれて合算されているのです。

 この点について、当時の会内でも、良識派の幹部が問題視し、実数統監にするように改善策が強く要望されてきたのですが、実現しませんでした。昭和四十五年の言論問題を契機とした一連の改革で、男子部(当時私が男子部長でした)が、まず実数統監に訂正し、他の組織もそれにならい、縦の支部制からブロック制を基本にする変更の中で、全国もやっと実世帯に直されました。この時点で二四〇万世帯に届きませんでした(公称世帯数はそのままで通した)。
 即ち、差引き五〇〇万世帯余というのが、いいかげんな折伏の結果の御本尊返却・放置・捨棄などの退転であり、又虚偽の御本尊送りの架空数字であったわけです。

■『蘇生への選択』p382
 学会が七百五十万世帯の折伏をしていないのは、貴方が最も存知のことではありませんか。御本尊送りの機械的合算数字が七百五十万世帯であっても、その中の五百万世帯は、当時の折伏の過当競争による、いいかげんな折伏の結果の御本尊返却・放置・捨棄の退転であり、又虚偽の御本尊送り(ご安置先のない御本尊が、当時の地区部長・班長宅に何体もあるのが往々あった)の架空数字であったのを、貴方が知らないはずは断じてありません。

 それを承知で、このような嘘を平気で発言する貴方に、信心、否、人間としての良心があるのでしょうか。
 貴方が為したというのは、ピーク時である昭和四十二、三年頃の二百三十万前後の折伏であり、その後二十年間の長期停滞の指揮だったのではありませんか。戸田先生は七年間で、零に近いところから七十五万世帯を築き・貴方はその四倍の年月をかけて、その二倍の世帯を加えたにとどまり、且つその間、二十年にわたる大停滞という惨めな状況をもたらしたに過ぎないのであります。

 いくら行事や会合やイベントを多彩に練り広げ、建物をきらびやかに作り、外国の要人や学者たちと会談しようと、折伏は停滞しています。世帯は横ばいを続けています(注=少々折伏しても退転脱落者が多く、増えない)。座談会は活気を失い、教学は形式のみとなり、そして何よりも信心の功徳が激減しているというこの事実、この実態に貴方は目をつぷり、それでも大発展というのですか。
[続く]

1749 名前: SGI 投稿日: 2004/08/21(土) 17:27
>>1748 続き]
 で、明らかなことは、学会の公称世帯数は実態を示していないということだ。
 例えば、3年毎の参議院選挙の得票数と学会公称世帯数の関係でも指摘することができる。
 戸田会長時代(会長空白期間も含む)は、得票数と世帯数はおよそ2:1で、常に世帯数の約2倍の票数を獲得していた。ところが、名誉会長が三代会長に就任してからは、世帯数が得票数にどんどん迫り、昭和40年には公称世帯数がその年の得票数を超える。以後、最近の自公連立になるまでは一度も得票数が公称世帯数を超えたことがない。

 ということは、あれだけのF票獲得の支援活動を展開しながら、世帯数を上回る得票数を得ることができなかったということになる。組織の第一線にいれば、そんなバカなことはない、というのが実感のはずだ。つまり公称世帯数は、単に「公称だ」というだけで、実態も現状も実有も示していない、全くの架空の虚偽の数字にすぎない。

 強いて根拠があるとすれば、御本尊下付数ということになる。
 ところが、福島氏は「偽の御本尊送りが激増し、この水増し分の数字がかなり含まれて合算されているのです」と記し、虚偽の御本尊送りの架空数字の例証として「ご安置先のない御本尊が、当時の地区部長・班長宅に何体もあるのが往々あった」とも述べる。

 私も見聞したことがある。男子部時代、担当していた地域のある支部長が亡くなった時、そのご家庭から相談を受けた。仏壇を整理したら、奥から十数体の御本尊様が出てきたので、どうように処置したらよいのか、と。同じように、親元でも隣接区の本部長宅からダンボール箱一杯の身元不明の御本尊様が届けられたことがある。まさに福島氏が記述する通りだった。

 福島氏は名誉会長に問う。「学会が七百五十万世帯の折伏をしていないのは、貴方が最も存知のことではありませんか。…当時の折伏の過当競争による、いいかげんな折伏の結果の御本尊返却・放置・捨棄の退転であり、又虚偽の御本尊送りの架空数字であったのを、貴方が知らないはずは断じてありません」と。
 昭和45年、実数統監を把握し、学会の実世帯数(非活動家世帯数を含む把握世帯数のこと)が240万世帯に届いていないにもかかわらず、「公称750万世帯」で押し通すことを指示したのは、名誉会長だった。
[続く]

1750 名前: SGI 投稿日: 2004/08/21(土) 17:28
>>1748-1749 続き]
 750万世帯の折伏をしていないのに、その“数”を誇る。名誉会長には己れを誇示するために「数を誤魔化す」=平然とウソをつくという癖があるということにほかならない。「数を誤魔化す」のは池田創価学会=名誉会長の体質だということだ。

 かつて学会での御本尊下付は、所定の申請書類に必要事項を記入し寺院受付に提出すれば、御宝前で御本尊様を下付していただくだけで、その申請者自宅での入仏式は、御僧侶の導師ではなく担当幹部らによって行われていた。
 つまり、宗門が関与していたのは寺院内だけのことで、それ以外は担当幹部次第なのである。言い換えれば、複数の幹部が共謀すれば、いくらでも御本尊下付数=折伏成果数は誤魔化すことができるということだ。

 そこで、名誉会長の華麗なる実績を検討してみよう。

■学会45年史『革命の大河』p116
 一月末の支部長会でこのことを厳しく戸田会長から指摘された支部長たちは、翌二月から心機一転、折伏活動に入っていった。もはや、だれもが七百年祭を目前にして、いささかの足踏みも許されぬ気持ちになっていた。その結果、二月の折伏成果は、それまでの記録を更新し八百三十五世帯にまで伸びた。
 なかでも、池田支部幹事が指揮した蒲田支部は一支部で二百一世帯という、この当時では驚異的ともいえる数字を達成していた。すでに前年から男子青年部の班長として、支部幹事として、第一線に東奔西走していた彼は、自らに与えられ戦野で、大躍進の突破口を開こうと限界に挑み、支部内の空気を一変させたのであった。
 そして、この二百という見事な実績は、他支部を大いに勇気づけたという意味で、それ以降の学会前進の起爆剤ともなったのだ。広布史に語り継がれる“伝統の二月”という言葉もこのときにはじまる。

■同書p148
 すでに前年来、大阪支部は、それまで他の追随を許さなかった蒲田支部を抜いて、毎月の折伏成果はつねにトップであった。支部の勢力もそれに伴って、五万三千世帯の蒲田につぐ規模にまで伸長し、全国にその名をとどろかせていた。
 その大阪支部で、一月から開始された折伏の大旋風は、二月−四千、三月−五千、四月−九千と、爆発的な世帯の獲得数となって結実し、全学会の成果の三分の一以上を一支部で占めたのである。そして、この怒濤の前進を、いっさいの中心となって支え、推進したのは、ほかならぬ池田参謀室長であった。
[続く]

1751 名前: SGI 投稿日: 2004/08/21(土) 17:28
>>1748-1750 続き]
 引用した『革命の大河』の前者が昭和27年の「蒲田支部201世帯」。後者が昭和31年の「大阪支部不滅の金字塔」といわれるものだ。いずれも小説『人間革命』にも綴られている「池田神話」の1つ。

 昭和22年8月に入信した名誉会長は熱心な会員ではなかった。勤行も会合も活動もサボりがちの、どちらかというと後ろ向きの会員だった。転機となったのは、昭和24年、三宅さんの紹介で戸田会長の会社に転職(⇒>>46)したことだ。しかし、戸田会長の事業は試練を迎えており、名誉会長は高利貸し(貸金業)に従事(⇒>>47)し、学会活動どころではなかった。
 名誉会長は、再建創価学会の相当早い時期に入信しているが、幹部としては出遅れていたのである。その代わり、大蔵商事(貸金業)の辣腕営業部長として、20代にかかわらず総理大臣に匹敵するような高給を得ていた。名誉会長の“売り”は、戸田先生の下で働いているということと、桁外れの金を持っているということにあった。

 昭和26年5月、戸田会長が第二代会長に推戴・就任し「75万世帯達成」の大誓願を表明し、さらに翌年27年の立宗七百年を控え、全国で「折伏大行進」が敢行され、何がなんでも折伏成果をあげねばならない状況になった時、名誉会長が所属・担当する蒲田支部が驚異的な“数”を挙げたのだった。

 ところが、池田青年(名誉会長)は個人折伏ができない(⇒>>75)。「折伏の闘士が第一級の人材だ」といわれていた当時の学会では致命的な弱点だ。
 学会は成果主義である。特に昔はその傾向が強い。役職を昇進するには、ともかく“数”を挙げることだ。当時の“数”とは、御本尊下付数にほかならない。池田青年は、昇進レースの出遅れを、この蒲田の“数”で取り戻すのである。一体どのような“手品”を使ったのだろうか。
 
 大阪の闘いは、昭和31年の事。この年は、国政選挙(参議院選挙)に初めて挑戦した年である。大阪選挙区には元プロ野球選手の白木義一郎氏を立てる予定で、前年から学会本部を挙げて組織構築に力を注いでいた。つまり折伏成果をあげることが最も望まれていたのである。
 それだけに戸田会長をはじめ、東京から幹部が立ち代り入れ替わり重点的に関西に入っていた。そしてここでも池田参謀室長(名誉会長)の時、1ヶ月間で1万世帯を超える御本尊下付を記録するのである。

 小説『人間革命』では、山本伸一参謀室長(名誉会長)の、御書の一節一節を通しての入魂の指導と個人面接、臨機応変に展開する的確な指示と師弟不二の実践が強調されている。
 この大阪での池田室長の指導や言動を、後に(昭和40年代後半)に関西の会員は「将軍学」と呼んで『前進』(⇒>>393)等で紹介されるようになり、小説『人間革命』の記述に先立つ“露払い”を図っている。
 田代冨士男元参議院議員の手記『将軍学を学ぶ』(⇒>>74)によれば、当然のことながら架空の御本尊下付に関する記述はないが、やはり結局のところ“金”だ。 
 で、この“金”が「大阪事件」につながる。

 「大阪事件」の容疑は、戸別訪問と買収。学会組織による戸別訪問や買収行為は、すでに「大阪事件」の前年の白木候補の選挙の時にも行われていた。だから、翌年の参議院補欠選挙の時、警察は当初から学会の選挙活動をマークしており、その捜査の網に引っかかったのだ。
 買収行為のほとんどは、煙草や菓子類、食事などの供応である。そう、名誉会長の得意の“気配り”そのものだった。それ故に、組織ぐるみの違反であり、その指揮者が池田室長と目されたのである。
 証拠は十分だった。現実に、実行犯とされた末端会員らは有罪判決が確定。しかし、池田室長(名誉会長)については、手続き問題によって取調調書が採用されず、結局有罪にならなかった(⇒>>15)。
 つまり「大阪事件」は冤罪ではない。学会の躍進を封じ込めようとする権力の策動というのは、学会プロパガンダにすぎない。
[続く]

1752 名前: SGI 投稿日: 2004/08/21(土) 17:29
>>1748-1751 続き]
 名誉会長が指揮を執ると、途端に成果数が急増する。文京しかり、蒲田しかり、大阪しかり。
 昭和32年12月に戸田会長の大誓願「75万世帯」を成就し、翌年4月戸田会長は霊山へ。そして同年6月、池田大作参謀室長が破天荒人事で総務に就任(⇒>>107-108)。
 学会正史『革命の大河』は、次のように記す。「総務というポストは、このとき初めて設けられたが、会長なきあとの事実上の最高責任者であった。弱冠三十歳の池田室長が、このポストについたときから、学会は“偉大な変貌”をとげはじめるのである」(p176)と。

 “偉大な変貌”は、世帯数に表れる。昭和33年10月に100万世帯突破の発表。翌年末130万世帯、第三代会長就任の35年7月には150万世帯。ここからも凄まじい。翌36年6月200万世帯を突破し、会長就任2年半後(37年11月)には300万世帯、400万世帯は39年2月。
 同年5月の本部総会で「600万世帯の同志の糾合」を掲げると、月間折伏数も26万世帯(5月)、34万世帯(6月)と次々と記録を書きかえ、41年1月には500万世帯を超え、会長就任7周年の42年5月には620万世帯、そして45年1月には750万世帯に達したことが発表されたのである。

 この「750万世帯」が、水増しで全くの架空の数字であることは、>>1740-1742に記した。
 実勢は約250万世帯。およそ2/3の500万世帯が存在していなかった。月々年々の成果数を誤魔化してきた結果なのだろう。
 池田創価学会の実数は約1/3。ならば、名誉会長の「蒲田支部201世帯」も、実際は67世帯くらいだったのかもしれない。であれば、昭和27年2月の総成果数は、835−(201−67)=701世帯。当時12支部体制であるから、1支部平均58.4世帯。蒲田支部は、鶴見や小岩と並んでA級支部に位置づけられていたので、67世帯は極めて妥当の数字となる。

 名誉会長は、若い時から異常に“数”に執着してきた。折伏ができない、教学力もない、あるのは金だけ。だから、己れを誇示するには“数”しかない。結果=数字がすべてであり、方法=中身はどうでもいいのだ。要は「勝てばいい」のだから。自己の“力”を誇示したい――これが、名誉会長のスピリットにほかならない。

1753 名前: SGI 投稿日: 2004/08/21(土) 17:33
>>1752 訂正
 ×>>1740-1742 → ○>>1748-1750

1754 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/22(日) 02:11
訂正>>1735
すなわち、平左衛門尉も法難の後、丁度17年後、一族滅亡という罰の現証が現れたとした。
すなわち、平左衛門尉も法難の後、丁度14年後、一族滅亡という罰の現証が現れたとした。

1755 名前: 脱宗教宣言 投稿日: 2004/08/22(日) 09:30
>>1735
罰を与える仏などいらない!

あるいは人類がもっと自省的になれば罰を与える仏や神はいらない筈だ。

池田創価学会の顛末がどうなるかはしっかり見てゆきたい。

1756 名前: 脱宗教宣言 投稿日: 2004/08/22(日) 10:16
(念のため...)
個人が好んで宗教を信奉することは否定しない(宗派も)。

仏罰は信者だけに下して貰って、他に迷惑をかけないでやって頂きたい。

1757 名前: 脱宗教宣言 投稿日: 2004/08/22(日) 10:19
>他に

第三者という意味で創価という意味でない!

1758 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 11:04
推して知るべしかな?

1759 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 11:53
何が?

1760 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 15:36
>>1755
>罰を与える仏などいらない!

 真理に逆らうものを、天に唾するものとして、逆らう人自体が自分のつばを受けるのであり、当然のことである。このことを罰と言うのである。決して真理が、自分に反抗したので、そのし返しに、苦しめると言うのではないのだ。真理に従わない限り、その人は、真理に反した原因結果の生涯を続けるのである、これを輪廻と仏教では言ってるのだ。むしろ仏や菩薩は、憐れんで、そのような罰から開放してやろうとするのである。どうして、仏罰、神罰があろうか・ 
 法華経薬草喩品に『如来は人々の指導に当たっては公平であって、不公平で有ることはない。あたかも太陽と月の光が全ての世間を照らし、良い行為のものにも悪い行為の者にも、又上にいるものにも下にいる者にも、又芳香を放つものと悪臭を放つ者とを問わず、いかなるところでも一様に光で照らし、斑がないのと同じである。まさしくそのように、完全に『悟り』に到達した如来が放つ仏の知恵と意志の光は、五種の運命をたどる全てのもの達にあまねく輝き渡り、正しい教えは、それぞれの意向に従って、偉大な乗り物なり、独学の乗りものなり、声門の乗り物なり、を望むもの達の間に公平に示されるのである。又如来の知恵の光は過不足なく、その結果全てのものは福徳と知恵とを獲得するに至る。」としているし、さらにキリストは『『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを貴方方は聞いています。しかし、私は貴方方に言います。、自分の敵を愛し、迫害するものの為に祈りなさい。それでこそ天におられる貴方がたの父の子供になれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を登らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれるものを愛したからと言って何の報いが受けられるでしょう。収税人でも同じ事をしているでは有りませんか。又、自分の兄弟にだけ挨拶したからと言って、どれだけ勝ったことをしたのでしょう。異邦人でも同じ事をするでは有りませんか。だから、貴方がたは、天の父が完全であるように、完全でありなさい。』と言っています。

1761 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 16:21
罰とは与えられるものでなく当然の報いとうことでありましょうか。

ほとんど納得ですが、自然現象(地震)との関連性はアリでしょうか?

1762 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/22(日) 17:05
>>1760
奈留程。
ちょっと意外に思ったのは、キリスト教も本来。神が人間を罰するという考えは無かったのですね。
仏教にも本来、罰という考えはないんですよね。
でも、最近思うんですが、やはり罰というのはあるような気がするんじゃないか、と思うんですよ。
というのは、所謂「自業自得」が基本なのだけれども、
やはり、何か大きな善というか、絶対善への誹謗、叉は、宇宙大の生命体への破壊活動などの反動として、「罰」というのがあるような気がします。
例えば、身も凍るような残虐な犯罪を犯した犯人が、100%捕まるわけではありません。
その犯人には、無論、如何なる宗教心(絶対者への崇敬)があるとは思えないのですが、
そういう人間が悲惨な死を迎えるかどうかはわかりません。
しかし、そういう犯罪を犯してしまった人間に対して、根源的な部分で。「罰」が下されると思うんですよ。
それは、「来世に罰が下る」とかいうんじゃなくて、罪を犯した途端に、人間としての根本的資質を失ったと思うんですよ。具体的に言えば、「成仏の種子を焼き尽くす」とでもいえますでしょうか?
それは、正に「無間地獄」の境涯といえると思います。
例え犯罪を犯してしまう人に限らず、私達は、自分の判断の過ちから、「後悔してもし切れない」ような間違いを犯し、人を傷つけてしまうことがあります。
それは、人間であるが故に、中途半端な智慧がある故に、犯してしまうのです。それ故、人間こそが最も罪深い存在だと思います。
そんあ罪深い人間に対して、人間の智慧を遥かに超えた存在から、「罰」が下されるのは、ある意味で救いのような気もするのです。
さも無ければ、人間であることの責任は、あまりに重過ぎると思うのです。

1763 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/22(日) 17:14
訂正>>1762
>でも、最近思うんですが、やはり罰というのはあるような気がするんじゃないか、と思うんですよ。

でも、最近思うんですが、やはり罰というのはあるのではないか、と思うんですよ。

1764 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 17:30
>>1761
>罰とは与えられるものでなく当然の報いとうことでありましょうか

自ら光を遮って暗くし、暗闇の中で苦労している状態。自らしたのであるから、人は騙せても、自分は知ってるわけで、そこに嘘の自分と真実の自分が生じ、真実の自分が嘘の自分を責め滅ぼすに至るのではないでしょうか?真実の自分が満足するまで責め続けるでしょう。これが地獄と言うもんではないかと思いますが。だから悪いことをしたら、必ず善なる自分に責められるのを免れることが出来ないんじゃないかね。

 
>ほとんど納得ですが、自然現象(地震)との関連性はアリでしょうか?

 自然減少を言わなくとも、悪とはなにか?と言えば、正法に反逆したことです、仏教的にいうと。この商法とは、一切が空と言うことですから、一切の中に、生老病死、その中に自然現象も入っているものと言うべきでしょう。生老病死は五蘊に基づくものです、五蘊の初めは色です。色が外界を指すでしょう。自然現象は色です。その色が空であるといっているのが、正法でしょう。さらに後の四ウンも空であるといってるのが正法ですから、地震が有無を主張する余地はないでしょう。
 ですから大乗経典の般若経では、空を体得している者は戦場に赴いても矢も刀の傷害も受けないとしていますし、空中を歩いたり、水中に潜ったり、御存知の薬王菩薩のごとく身体を火で焼いても彼はなにかを損じたことにならないことを証明したのではありませんでしたか。
 地震でたくさんの人が死んだとしても、仏教の修行者ならば、平静を保てなければならないのじゃないでしょうか。仏教では、人間なるものはない、と言います。
 釈迦が、自分の生まれ育った都城が、敵の大群によって火を点けられ自分の親族が絶滅されている時に、阿南は、従兄弟の釈迦に、人間なら当然の苦しみを吐いて釈迦に文句をいいました。その時に釈迦は何事もないかのように、全ては空であると教えていたではないか。と言ったと涅槃経に記されていたと記憶しています。
 ニルバーナは真実にあるのであり、それは、まことにこの世のものとは違うのじゃないかね、極楽浄土はあるのですよ。

1765 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 17:57
正法を信じないものには地震のような天変地異は地獄となるでしょう。これに関連するキリストの言葉にも、恐ろしい天変地異が起ころうでろうが、神を信じるものは救われると言う意味のことを言ってませんでしたか・?神を信じないものには天変地異は恐ろしいもんです。

1766 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 22:12
>釈迦が、自分の生まれ育った都城が、敵の大群によって火を点けられ自分の親族が絶滅されている時に、
>阿南は、従兄弟の釈迦に、人間なら当然の苦しみを吐いて釈迦に文句をいいました。
>その時に釈迦は何事もないかのように、全ては空であると教えていたではないか。
>と言ったと涅槃経に記されていたと記憶しています。

釈迦はイラク戦争なんかも何事もないかのように全ては空であるでしょうかね。
だったら釈迦も役に立たない。

釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたといわれているが、うたた寝をしていただけかもしれない。

1767 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 23:39
自分の脳髄、自分の妻子、自分の王国、全てを与えるのが菩薩。彼にとって、戦争で死ぬ人はそれほど問題だろうか?問題は真理を知ってるかどうかではないかな。空と言う真理を知っているのと知らないのは雲泥の差だ。

1768 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 23:43
戦争の原因がそれ程問題だろうか?戦争が行なわれていることはそれほど問題だろうか?そんなことは全然問題ではないのだと思う。何が起ころうとも空なんだから。つまりなにも起こってないのだから。

1769 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 23:45
有身見つまり身体を我と見る人にとっては、戦争は地獄なんだ。でも全て無我と知っている人は、なにも起きていないと見るのではないか?

1770 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/22(日) 23:56
一時どこかの週刊誌が、ユダヤ人のホロコーストはなかったと報じて、大問題になったことがあったね。週刊誌側が引っ込んだようだったが、ホロコーストがなかったと言う理由が、仏教のい有空にあったら、反論できたろうね。

1771 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:00
>戦争の原因がそれ程問題だろうか?戦争が行なわれていることはそれほど問題だろうか?そんなことは
>全然問題ではないのだと思う。何が起ころうとも空なんだから。つまりなにも起こってないのだから。

そうすると釈迦の説というのは、
世の中には、殺す者も殺される者もなく、教えを聞く者も聞かせる者もなく、識別する者も識別させる
者も存在しない。利剣を以て頭を断つとも、これによって何人も何人の生命を奪うこともない。
ただ剣刃が七つの要素(地・水・火・風の四元素と苦・楽と生命(霊魂))の間隙を通過するのみである
というパクダ・カッチャーヤナ(六師外道の一人)の説の、
「七つの要素」のかわりに「空」を持ってきたバージョンなんでしょうか?

1772 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:08
>一時どこかの週刊誌が、ユダヤ人のホロコーストはなかったと報じて、大問題になったことがあったね。

ないといえば無の断見になり、あるといえば有の断見になる。

1773 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:13
なにニヒルを気取ってんだか。「サタン(魔)は永遠にNOといい続ける」という見本ですね。

1774 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:17
如来寿量品一六
「これらの人々がこの世界を見て、焼け落ちていると感じる時にも、余の仏国土には神々と人間達が満ちあふれるのだ。そこには幾千万の遊園、楼閣、鳳連があって、彼等にはさまざまな娯楽と愛欲の楽しみがあって、国土は宝玉造りの山々と花が咲き果実の実った樹木で飾られている。天空では神々が楽器をかなで、又曼荼羅の花の雨を降らす。花の雨は余と弟子達に降りかかり、又悟りを求めて努力する他の賢者達にも降りかかった。余の国土はいつもこのような状態なのだ。だが他のもの達は、余の国土が焼け落ちているとかんがえよう。彼等はこの世界がまことに恐ろしく見持目で、幾百の悲しみが散在していると見るであろう。」
こういうことではないのか。

1775 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:23
理論を振り回すだけの「虚無的思考」に囚われている人が「空」を語る資格なし。
みなさん、インテリを気取ってニヒリズムに浸っている人のいうことに耳を貸して
はなりません。

こういう考え方は人を「死」へ向かわせるものです。肉体の死でなく魂の死を誘惑
しているのですな。魂が死ねば肉体もおのずと滅びます。

まあ、多分なんらかの意図をもって偽りの「空」思想を喧伝しているだけなのでしょう。
自殺思考のあるものに般若心経は向かないとは思うけどね。確かに。

1776 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:26
あのー >>1771 は一応虚無主義への反論のつもりなんですけど。
同じにみえるでしょうか。

>自殺思考のあるものに般若心経は向かないとは思うけどね。

法華経も同じですね。

1777 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:28
「空」というのは全ては虚しいという虚無をいうものではない。
「空」とは自分の煩悩を空にせよという意味だと思う。
そういった意味では、創価学会員さんがよく口にする「我見を捨てろ」と
通ずるものがあるのでしょう。

般若心経は「偽りを捨てて真実の世界へ行こう」という教えのはず。
だから「空」とは偽りのことだ。「空」を語るものこそ「偽りの人生」を生きている。

1778 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:28
>>1771
不二の法門を知らないのか?答えはここにある。今晩は休ませてもらいます。

1779 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:29
自殺思考のあるものに必要なのはお経でも理論でもない。医者だと思います。

1780 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:29
>まあ、多分なんらかの意図をもって偽りの「空」思想を喧伝しているだけなのでしょう。

私でない名無しさんのカキコにそういう匂いをかんじたから。反論させてもらってます。
so-Aさんから見れば理論を振り回しているのと同様ですが。

1781 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:31
>>1778
>不二の法門を知らないのか?

知らんね。知る必要もない。

1782 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/23(月) 00:33
こういうときイエスの言葉を思い出す。「サタンよ、下がれ!」。

1783 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:34
>>1780 名無しばっかだから誰が何をいっているのかわかんないのよ。
コテハンが面倒くさいなら固定数字でもいいからわかるようにしてくれないかな。
名無しでもかまわんが、読み人が見分けがつくようにしな。

1784 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:35
>>1782 全く同感。

1785 名前: (-人-) (rK4qBGFw) 投稿日: 2004/08/23(月) 00:41
>>1783
>名無しでもかまわんが、読み人が見分けがつくようにしな。

確かにわかりにくいです。名無し主義(HN未入力)は返上しようかな。

1786 名前: so-A 投稿日: 2004/08/23(月) 00:52
>>1785
実際に人と会話しようとするときには顔が見えるし男か女かもわかるし(わからんときもあるけど)、年齢も大体察しがつくでしょう。

だから、特に氏素性を名乗る必要もないわけです。凡その察しをつけながら会話できるから。もちろん年長者には敬語を使うべきですよね。
もちろんビジネスで看板しょっている場合は別ですが。

名無しに拘るのも、コテハンに拘るのも同じこと。つかコテハン使ったほうが面倒くさくないじゃない。

1787 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/23(月) 12:59
>>1766
>>釈迦が、自分の生まれ育った都城が、敵の大群によって火を点けられ自分の親族が絶滅されている時に、
。。。。うる憶えで申し訳ないのですが、
釈尊は、自分が出た釈迦簇にマガタ国という強国の大軍が攻め入る時、
その軍隊の進軍してくる先に、黙って座っていたそうです。
当時、既に釈尊の名声は広まっていて、
その釈尊を見た王は、その神々しさに打たれ、黙って軍を引き返したそうです。
王と釈尊の間の会話は失念してしまいました。
そんなことが、もう一度あったそうです。
ところが!
三回目にそんなことがあった時は、釈尊は何もしなかったそうです。
これは、何を物語っているのかというと、
釈尊の教えは、基本的に「運命をその儘受け入れる」という所にあったと思います。
別の言葉で言えば、「運命論者」せいぜい「道理を重んじる」といったものでは無かったでしょうか。
でも、それは、虚無主義とも違うと思います。
釈尊没後、それぞれ特色のある思想を持った、大乗教典が作成されますが、「般若心経」の中心思想の「一切の本質は空」というのは、釈尊の教えの一部であるが、中心思想とは思えません。
たはり、私は仏陀の本当の教えは、「諸法実相」にあったと、信じたいです。
すなわち、あらゆる、非生物、生物を問わず、宇宙法界を貫く本質は尊極の「仏」だという思想です。
続きは、「仏教源流part2」でしましょう!

1788 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/23(月) 13:02
>>1766
>>釈迦が、自分の生まれ育った都城が、敵の大群によって火を点けられ自分の親族が絶滅されている時に、
。。。。うる憶えで申し訳ないのですが、
釈尊は、自分が出た釈迦簇にマガタ国という強国の大軍が攻め入る時、
その軍隊の進軍してくる先に、黙って座っていたそうです。
当時、既に釈尊の名声は広まっていて、
その釈尊を見た王は、その神々しさに打たれ、黙って軍を引き返したそうです。
王と釈尊の間の会話は失念してしまいました。
そんなことが、もう一度あったそうです。
ところが!
三回目にそんなことがあった時は、釈尊は何もしなかったそうです。
これは、何を物語っているのかというと、
釈尊の教えは、基本的に「運命をその儘受け入れる」という所にあったと思います。
別の言葉で言えば、「運命論者」せいぜい「道理を重んじる」といったものでは無かったでしょうか。
でも、それは、虚無主義とも違うと思います。
釈尊没後、それぞれ特色のある思想を持った、大乗教典が作成されますが、「般若心経」の中心思想の「一切の本質は空」というのは、釈尊の教えの一部であるが、中心思想とは思えません。
たはり、私は仏陀の本当の教えは、「諸法実相」にあったと、信じたいです。
すなわち、あらゆる、非生物、生物を問わず、宇宙法界を貫く本質は尊極の「仏」だという思想です。
続きは、「仏教源流part2」でしましょう!

1789 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/23(月) 13:39
別スレで、
「池田は何をやりたいのか、さっぱりわからん」とありましたがあ、実を言いますと。
創価学会員の大部分も、それがわからんのですよ。
ただ、はっきりしているのは、池田創価学会は、仏教とも、日蓮大聖人とも関係のないカルトだということです。
私が、そのカルトぶりが気味悪く感じたのは、人間革命第10巻でした。次の一節を見て下さい。

1790 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/23(月) 13:41

『師弟に通ずる生命の脈動こそ、不二たらしめる原動力である。その為には、師の意図の脈動が何を根源としているかを深く理解し、みずからの血管の中で消化する強信にして困難な信仰作業を必要とする。』(脈動)

1791 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/23(月) 17:54
>>1637-1638 SGIさん

レスありがとうございました。感銘深く読ませていただきました。
朝夕の勤行唱題の励行など素晴らしいものがあると感じております。
宗旨ゆえかこれから先もいろいろあろうかと思いますが、日蓮さんが
何をしたかったのかをよく看てとられて、縁する方々が安楽で心豊かな
生活を送られることを願っております。

1792 名前:(Sm14xCnE) 投稿日: 2004/08/23(月) 17:55
>>1671
池田さんがまだ行ってなく、それゆえに世間評価がされていないことに
「私財をなげうつ」があると思います。
あまり不謹慎なことは言えませんが、財団のようなものを作り、
奨励金や報償を出す立場にたってもおかしくないと思う。
正力松太郎賞(野球以外にも宗教界向けもあります)のようなものや
教育好きとの事なので創価学園関係を全額奨学金対応にするとか。
人の金と思って簡単に言い過ぎました。

>>1675 最期は荘厳
まったく同感です。
亡くなる方にとって、すべてのものに文句をつけない理由をつけない
ありのままの姿になってありのまま受け入れる瞬間。
自分をなくしてすべてのものがそのままある姿になる。成仏なのでしょう。

1793 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 09:26
人間革命第11巻『大阪』
『検察がこの機会に徹底して取り締まり、壊滅的な打撃を与えておこうとの方針を取ったとしても不思議ではない。だが、そこには、少なからず創価学会に対する感情的偏見があり、その将来にいわれなき恐怖をいだいたことも確かであろう。」
『。。。権力は魔性の力となって弾圧の牙をむくのである』
『いかなる時代であれ、弾圧を敢行するには、それを正当化する大義名分が必要となる。つまり、処罰の理由となるなんらかの問題点をつくり出し、それに事寄せて弾圧は行われる』
『。。。まさに冤罪によって処罰するという迫害の構造がここにある』
『故意に社会的な問題をつくりだし、それを口実にして叩きつぶそうとするだけに、多かれ少なかれ冤罪を生むことは間違いない』
---yurikoの感想。
要するに、何としてでも、自己正当化を図りたいのが池田創価学会なのですね。

1794 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 09:41
当時の聖教新聞 池田大作のコメント
『交通違反でも五千円。一万円の罰金は取られるのだから。この事件の判決としては、非常に軽いではないか。されに仏法上から見れば、こんな名誉なことはない。少しもがっかりすることはない』
『このような有罪の判決を受けた人達を、暖かく激励し、そしてこの人達の怨みをそそぐ為にも、この次の選挙は勝とう』
『この裁判の勝利は、一言にしていえば、仏法が王法に勝ったのである』
(昭和37年1月30日)

1795 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 10:07
続2
人間革命『大阪』
『伸一をまじまじと見詰め、その肩に手をかけた。「伸一、心配なのは君の体だ。。。絶対に死ぬな、死んではならんぞ」』
『ーー検事から「こうした事件は式系統が明らかにならないと収束できない。君達で話し合って、一応、山本参謀室長の指示ということにしてはどうか。ほんの形式上の問題だから、決して、山本を逮捕したりはしないし、理事長の小西の逮捕もなくなる。また、すぐに君等も釈放してやる」との話があったというのだ』
『「あと一つだあけお聞きします。私があなたたちのいうように供述すれば、ほんとうに戸田先生の逮捕や学会本部の手入れはしないのですね」
「君もくどいね。約束は守るといっているじゃないか」』
『伸一の供述がはじまった。彼は、悔しさに身を震わせながら、ついに違反を認めたのである。痛恨の思いであった。しかし、自ら決断した、やむなき選択であった』

1796 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 10:43
続3
池田先生のついたウソ
●当時の池田逮捕を報じた新聞は、日本経済新聞で、「自宅で逮捕」となっており、他の新聞は、場所
を特定しなかった。したがって、池田は刑事に付き添われて、羽田空港に行ったのであり、そこに戸田先生は見送りに行ったとしても。『お前が死んだら、俺もその上にうっぷして死ぬ』などという会話が持たれよう筈もない』
●竜年光氏が池田出所後、『どうだったね、拘置所の生活は?』と聞いた所、『房では、黒田節の歌と踊りの練習をしていたよ』と答えたのは有名。房では、終始、リラックスしていたのは明らか。そんな男が、悔しさのああまり、身を震わせて自供をした、などというのは不自然』
●検事の言われた通り、供述すれば、戸田先生も逮捕しないし、学会本部も手入れをしない、と言われたから、供述したというのは、不自然。
寧ろ、検事の目論みは、創価学会の選挙違反に絡んだ、組織犯罪を立証しようとしていたのは、明らか。
真相は、理事長の小西(小泉)氏が事実関係を完全否定し抜いた為と、理事の石田次男氏が、戸田先生の友人関係を利用して、検察に圧力をかけたのが、功を奏した
からである。
普通、参謀室長とういう責任ある立場の者が、犯罪の事実関係を認める供述をしたのなら、そこから犯罪事実関係の全容を解明しようとする動きh当然出て来る。
池田の全面自供は、戸田先生と創価学会組織を危険に曝しただけ。
そんな前科者の池田先生は、日本国から、「勲章の類い」を授与されることは、絶対にない。
しかし、そういう前科者が「法科大学」を創立したのは、日本史上に残る「珍事」であるのは、間違いない。

1797 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 14:41
人間革命第11巻『裁判』
『。。。。なれば、広宣流布とは、人間尊厳と自由と平等とを勝ち取る、人権の闘争にほかならないはずである。』
『。。。。このとき、山本伸一の生涯にわたる人権闘争への金剛の決意が、彼の胸中に人知れず芽吹いていたのである。
ーー権力の魔性の桎梏(しっこく)からの人間の解放、人間の勝利...........。よし、やろう、仏子として、わが人生を賭けて。』

1798 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 14:43

これは、ちょっと違うんじゃないか?
溝口敦氏が名著『堕ちた神 池田大作ーー権力者の構造』で明らかに通り、
池田先生は、信教の自由の制度を思いっきり濫用し、比類なき権力を手に入れた。
言ってることと裏腹に、池田先生は一度たりとも、権力から迫害されたことはない。
明らかなのは、骨の髄まで染み込んだ、権力者としての傲慢さであり、「無責任体質」なのである。池田先生は、いかにも正義の味方、人権擁護の旗手のような振りをしながら、やったことは、人権弾圧だったのである。
言論出版妨害事件はいうに及ばず、大阪事件では、末端の会員の除名、切り捨て。
福島源次郎副会長を実質追放。
その他に、数多くの幹部、議員、会員の除名、追放。
その構造は、全体主義社会の縮図のようだ。
創価学会の胡散臭さは、「言行不一致」「偽善体質」にあるのだ。

1799 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/24(火) 22:33
訂正>>1796
>検察に圧力をかけたのが、功を奏したからである。

検察に圧力をかけたのが、功を奏して、戸田先生や学会本部にまで、追求の手が及ばなかった
からである。
★これは、日本史上、悔やんでも、悔やみきれない汚点として残った。
創価学会=公明党は、身を持って、「無理が通れば、道理が引っ込む」を学んでしまったのである。
この大阪事件の成功?によって、池田創価学会は、違法と合法の間のぎりぎりの所で、
「ばれなきゃあ、何をやってもいい」
「ばれても、居直る。」
「そして、愚にもつかない屁理屈をこね、言い訳をする」
創価学会が選挙違反で検挙された会員に対して、「法難賞」を授与しいたのは、よく知られている。
日本の選挙制度では、「戸別訪問」無しでは、運動ができない。
「戸別訪問」の禁止は、元来、不正な金品の授与を防ぐ為にあったのだが、日本の風土では、有名無実の制度といえる。
近年、「戸別訪問」の禁止条項は大幅に緩和されたが、創価学会=自民党の勢力ばかりが得をしたと言っていい。。

1800 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/24(火) 22:54
破前・破後(破門前と破門後)は状況が違うそうで。
破前は学会は宗門の傀儡にされたと思っているらしいですよ。
破前の不祥事はチャラとか。

1801 名前: SGI 投稿日: 2004/08/24(火) 22:57
>>1720
><藤原氏への質門>
>●この話は、秋谷氏から直接聞いたのですか?それとも誰か見て居たのですか?
>●是非、秋谷会長自ら、池田に対して、土下座したことがあるかどうか聞きたい。

 私は藤原行正氏ではありませんが、見聞したことを少々レスします。
 私も秋谷会長の土下座は聞いたことがあります。前に書き込んでおります。⇒>>130参照

 ところが、名誉会長自身が土下座をしたことがあります。
 〔五十二年路線〕が基因となった正信覚醒運動(正信会活動)が激しくなり、さらに関連して『月刊ペン』裁判が始まり、窮地に追い込まれた名誉会長が、学会擁護派だった日顕上人猊下をはじめとする宗門僧侶=宗務院役僧らに再びすがりついた時、協議の場で突然名誉会長が土下座し、「私を助けて下さい。いわれなき中傷に苦しんでおります。会員が可哀相です。今まで以上に僧俗和合の姿を示さないと、学会も宗門も持ちません」と言い、宗門の後押しを取り付けたというのです。
 名誉会長は慇懃無礼の人です。こうした屈辱的なことは絶対に忘れず、必ず仇をとります。
 それ故に今尚、宗門攻撃を執拗に続けるのでしょう。名誉会長にとっては、宗門が跪かなければ気が済まないのだと思います。瞋恚(しんに)の想いに身を焦がしているのが、名誉会長の姿です。

 また、名誉会長の怒り方について、以前別のスレに書き込みました。転載します。
◎「池田先生のカリスマ性について」スレ
89 名前: SGI 投稿日: 2002/12/04(水) 23:17

 名誉会長の怒り方は、度を越え、常軌を逸しております。
 阿修羅の如く凄まじい形相と、天を衝くような怒声で、激しい罵詈雑言の嵐が襲いかかります。そこに居合わせた者全員の顔が引きつり、全ての所作が止まり、場の一切が凍りついてしまうほどです。誰も、場を取り直すことができません。

 大きな会合や一般会員がいるような処では、決してそんな事はありませんが、本部幹部ら特定の者だけの場合は、時折そんな場面に遭遇します。何が名誉会長を怒らせているのか判らないまま、一人の人間をつるし上げるのです。必ずといっていいほど、複数以上の人間がいる時に爆発します。1対1の時(少なくとも私の体験上は)にはやりません。みせしめです。
 みせしめですから、そこに居合わせた者は、何が名誉会長を怒らせているのかを拝察しようとします。つまり「意を汲もう」とするのです。でなければ、今度は自分がつるし上げられてしまいますから。衆人の前で、ケチョンケチョンにやられるのは敵いません。プライドがズタズタになります。名誉会長は、プライドをズタズタにするために怒るのだと語っていますので、その通りなのでしょう。本当に凄まじい怒り方です。

 それでいて、怒られた幹部は、おそらく心の片隅で「先生に叱られた」ということを誇りに感じるのだと思います。それは、「先生に存在を認められた」という認知の喜びかもしれません。(この辺りの心理分析は、Pohさんにお任せします)
 また、怒られた直後や叱責された事柄をきちんと成し遂げた時には、自宅に署名入りの著書や接遇からの回し物等が届くなど、ちゃんとフォローがあります。時には担当地域への激励行や担当各部の会合出席が設定されます。これが一番、幹部職員にとって有り難いのです。やはり、自分が担当している地域や部の会合に名誉会長が来て、第一線で頑張っている会員さんが喜んでくれる姿が、何よりも替え難いご褒美となります。

 でも、人間です、衆人の前で怒られるのは敵いません。できるだけそんな事にならないよう、緊張感をもって業務に従事しているのだと思います。名誉会長のことを考える=名誉会長の「意を体する」ことは、学会のこと、組織のことを考えるのと同じなのですから。だから、学会本部等には一種独特の緊張感があるのではないでしょうか。

1802 名前: so-A 投稿日: 2004/08/24(火) 23:21
失礼します。そしてまじめな参加者の方々にお詫びします。
ageさせてもらいます。

1803 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/25(水) 07:09
人間革命第11巻 『あとがき』
『既存の勢力にとっては、民衆の新しい力の台頭は、自分達の存在の基盤をも揺るがしかねないものと映ったようだ。そして、学会は排斥すべき対象とされていったのである。
しかし、政治を民衆の手に戻すために、政治の改革に着手することは、立正安国の原理に照らして、仏法者のさけることのできない使命である。もし、宗教が現実の社会の諸問題に目をふさぎ、単に個人の心の安らぎや慰めを与えるだけのものとなってしまえば、もはや、「死せる宗教」に等しい』

1804 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/25(水) 07:11
続1
★反論
●創価学会が世間から批難されて来た理由は
○最低の常識を守って活動をしない
○自分達にしか通用しない屁理屈を、押し付ける
○公党を抱えているに拘わらず、極端な秘密主義
○その為、謀略を疑われても止むを得ない
●宗教団体が政治参加するのに、政治団体を作って国会等に代表を送ってはならない理由は
○宗教人が個人として、政治参加することは、寧ろ奨励される
○ただし、その参加法は、政治哲学に依るべきで、政策の一致による勢力結集であるべき

1805 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/25(水) 07:18
続2
○宗教的価値観は、「あれも、これも」というより、「この信仰を持たなければ、人々は救われない」という一元的価値である。
○ところが、現代日本の政治の根本にあるのは、人権の尊重と民主主義である。
別の言葉で言い換えると、「話し合いによる、妥協」と「多次元主義」である。
普遍的正義を希求するともいっていい。
○それと、(日蓮的)宗教的価値観が合い入れる筈がない。
○日本人の宗教観は、伝統的に多神教であり、日蓮大聖人や親鸞上人の唯一神(仏)の考えは、寧ろ特殊である。実際、それぞれの教団の後継者達の大部分は、多神教的方向に、教団の性格を変えていった。(歴史的事実として)

1806 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/25(水) 07:23
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1807 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/25(水) 07:30
書き換え>>1806
続3
○日蓮大聖人の掲げた「立正安国」の精神は、宗教家が直接政治に参加することを勧めているのではない。
寧ろ、大聖人は、奈良時代の道鏡を政教一致の悪例として、厳しく批判している。
大聖人の心は、宗教人は、宗教人としての分を守り乍ら、政治に意見をしていく、というもの。
宗教人は、宗教の世界で正邪を決するべきとした。
だからこそ、公場対決を望み、権力者からの、懐柔策(大寺の寄進や、官位の贈与、謗法の供養)を拒絶したのである。無論、例外はあったが、理由の無きの無きものではなく、その精神は日蓮正宗の伝統として、受け継がれた。

1808 名前: 教えてください 投稿日: 2004/08/25(水) 14:57
「宗教家が直接政治に参加すること」というのは、たとえばどういうことでしょうか。
たとえば立正佼成会が民主党を応援するとか、日蓮正宗が白川新党を支援したことはこれにあてはまりますか?
それとも無信仰のひとしか政治家になれないとか、もっとくわしく知りたいのですが。

1809 名前: MILD SEVEN 投稿日: 2004/08/25(水) 16:18
私はバランスの問題だと思います。

1810 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/25(水) 17:36
>>1808教えてくださいさん
>「宗教家が直接政治に参加すること」というのは、たとえばどういうことでしょうか。
。。。
いい質問です。
次の場合が考えられると思います。
●特定の宗教団体の役職に就いたまま、政治業務につく
●宗教人として、第一の目的が、政治権力を利用しての、特定宗教教義の宣伝にある
●宗教人として受け散る「寄付金」又は、「供養金」と政治資金の区別がない
●自分と異なる宗教教義を持った、政敵を教義の違い故に、批判し、差別をする。
。。。ざっと挙げたのですが、上に挙げた懸念は、全て公明党議員に当て嵌まります。
20年に渡って、公明党委員長を務めた竹入氏によれば、公明党の方針は常に、創価学会(特に池田先生)のの意向に左右されていた。
今でも、実態は大して変わっていないんじゃないか?と思われます。
これは、憲法で定めた、法の下での平等を犯しています。
聖教紙上で、公明党議員の信仰活動のありかたを批判していました。これは、重大な人権侵害です。
公明党が実質的に池田大作=創価学会の私党であることは、今更証明するまでもないと思います。
今でこそ、議員と学会役職は兼務していませんが、党本部職員と学会役職を兼務しているのは普通です。
何より、公明党本部に礼拝所がある事実は、政教を混同している何よりの証拠です。
日蓮正宗信徒が選挙で立候補したのを見逃さず、政策故ではなく、宗教の違いによって批判していました。とんだ、筋違いです。
創価学会員の政策の無知故に、好き嫌いのみによって、特定の政治家を批判することは、人権侵害になるのです。
宗教団体が特定の政治家や政治団体を支持することは問題ないです。
しかし、公明党議員の場合、国政、地方レベルを問わず、99%が創価学会員幹部として活躍(実績を積む)しています。
創価学会ほど、所謂「師弟」の関係を強調している宗強団体はありません。
これは、どういうことを意味するかというと、弟子の議員達が、一カルトリ指導者の手足として動くということです。
たとえ、どんなに池田先生が善人だと仮定しても、その体質、体制は、民主主義の根幹を揺るがす異常事態なのです。
要するに、MILD SEVENさんの仰る通り、バランスの問題であり、信教の違いによって、誰も差別を受けてはならないのです。
特定の宗教団体が不当に政治権力を行使し、他の宗教団体が圧力を感じる事態こそ、憲法違反なのです。

1811 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/25(水) 22:23
yurikoさんこんばんは。

ROMの世界、名無しの世界から来ました。蒼海と申します。

このスレでちらっと出てきた重須文書なども興味があるのですが、こちらの掲示版の趣旨でないので
控えさせていただきます。
(重須文書は他の掲示板の波木井氏とれいな氏のやりとりで出てきたのでぴんときました)

>特定の宗教団体が不当に政治権力を行使し、他の宗教団体が圧力を感じる事態こそ、憲法違反なのです。

創価学会は民主党などから文句が出ると宗教弾圧と叫びつつ、普段は日蓮正宗を宗教弾圧したりしている
ようですね。自語相違ではないかと思いますし、自分は非難されたくないけど、他を非難するという
幼児的なのか老獪なのかよくわかりません。

創価学会のパワーを見ると独特の文化(宗教)を用い物理的な武器を用いない内乱のようなもので、
極論すると内乱罪?のところを、与党に協力してお家安泰をはかるという構図に見えますが
いかがでしょうか。アメリカとイスラエルの関係(宗教は異なっているが、自民が神道で創価学会が
独自仏教)のようなところもあるかもしれないですし。

1812 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/25(水) 22:37
それから、他のスレでSGIさんが創価学会とフリー・メイソンとの関係を指摘されて
いましたが、ユダヤ系や華僑との関係も気になっています。

私はフリー・メイソンやユダヤ系や華僑を陰謀的だとは思っておりません。
政治的や経済的(あるいは文化的にも)成功した人達だと思っています。

1813 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/26(木) 01:39
!811 蒼海 (N5f0tigw) さん
。。。初めまして。
レスありがとうございました。
故小淵首相が公明党との連立を決めた時、
「民主主義は数だから。。。。」と、苦汁を滲ませたコメントをしていました。
言外に「本当は、公明党みたいなカルト似非政党と組みたくはないんだ」というのがあったのです。
ところが、小淵元首相の言うように、現代の民主主義体制というのは、数を集めた者が勝ちとなっているのです。
人を集めれば、集める程、ビジネスチャンスが生まれ、それが政治権力獲得に繋がるのです。
藤原行正氏が著書で
「池田大作という男は、自分が俗世間で成功する為に創価学会を利用しただけではないのか?」と言っています。
キリスト教やイスラム教の歴史を見ても、宗教の発展と政治支配の相関は明らかです。
仏教のみが、その教えの性格から、本来、非政治的(反ではない)なものです。
ところが、日本が西欧化(特に米国化)するに従って、仏教(日本の)の性格が本質的に変容してしまったのではないでしょうか?
公明党の実質的創党者である戸田先生にしても、創価学会が政治団体になるのは、企図していませんでした。(少なくとも、公式には)
戸田先生によれば、「自民党員、社会党員、共産党員?にも、日蓮正宗信徒は居ていい。公明党の存在は、国立戒壇建立のみにある」
としていました。
非現実的なコメントのようですが、言わんとする所は、公明党の本来の目的は、権力の獲得にあるのではなく、「社会倫理の向上」にあった、という点では見るべきものがありました。
創党初期の頃、公明党議員が国会で発言する時は、「政策に関しての論議は出来ず、政治倫理の向上を訴えることのみだった」というのは、
微笑ましいというより、本来の宗教政党としての役割うぃ果たしていたと言えると思います。
もし、憲法20条を改正して、公明党の活動に制限を加えるkとが出来たとしたら、
●国会に代表が送れるのは、参議院のみ。とか
●衆議院の勢力は、全体の三十分の一を超えてはならない、とかすればいいと思います。
せいぜい、「地方議会に代表は送れるが、国政レベルでは、直接代表を送ることはできない」とするべきです。
そうやって初めて、「特定の宗教団体が国家権力を持つことが防げられ、政治権力で他の宗教団体に迫害を加えることを防げる」と思うのです。
西欧にも、宗教政党は存在していますが、
それは、その国の公認宗教がキリスト教であるというのが前提としてあるのであって、キリスト教は宗教というより、習俗
として存在しているのです。日本のように、創価学会が公認宗教として存在していない場所では、創価学会の宗教思想に対して、、不快感を持つ人々が少なくない所では、宗教色を前面にだした、政党は、その活動に制限が加えられるのは当然だと思います。

1814 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/26(木) 02:22

もう10年以上前になるでしょうか、
トルコで、イスラム原理主義政党である、「イスラム美徳党」が憲法違反として、解散を命じられました。
他のイスラム教国とは違って、トルコでは、西欧の人権思想がかなり、国民に浸透していて、人権運動(特に女性の)が盛んです。
つまり、西欧型立憲主義の体制を取っている国では、純粋な宗教政党は存在し得ないのです。
公明党は金科玉条のよに、大昔に出された「内閣法制局長」の「公明党が特定の宗教団体から支持を受けることは、憲法違反にならない」という国会答弁を持ち出してきますが、
創価学会と公明党の関係が、シャム双生児のように一体不二であることは、創党時から、言論出版妨害事件を経た今日まで、一貫しています。
何より、公明党委員長を20年に渡って務めた、竹入氏の回顧録がそれを裏づけています。
竹入氏が、その回顧録の最後で、「政党が特定の圧力団体(特に宗教団体)の利益のみを代表するべきでは、最早ない」
というのは、正しいと思います。
掛け声だけでゃなく、党の体制そのものが広く国民に開かれるべき(党員資格の緩和など)だし、国民政党として、透明性をもっと確保するべきでは、ないでしょうか?

1815 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/26(木) 02:54
訂正>>1810

創価学会ほど、所謂「師弟」の関係を強調している宗強団体はありません。
これは、どういうことを意味するかというと、弟子の議員達が、一カルトリ指導者の手足として動くということです。

創価学会ほど、所謂「師弟」の関係を強調している宗教団体はありません。
これは、どういうことを意味するかというと、弟子の議員達が、一カルト団体指導者の手足として動くということです。

1816 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/26(木) 06:51
>>1812 蒼海さん
>それから、他のスレでSGIさんが創価学会とフリー・メイソンとの関係を指摘されて
いましたが、ユダヤ系や華僑との関係も気になっています。
。。。そうですね。
SGIさんが、解説して下さったように、
欧米社会では、ローカルの社交クラブがあまりに普通にあるし、
キリスト教は、略、公共の宗教として認知されてますから、日本人が想像しているような秘密性や隠謀性はないですね。
それに、本来、犯罪組織のマフィアにしても、元々が同郷の互助組織とsじて出発したこともあって、今では、合法的団体が殆どですし。
日本の「ヤクザ」にしても、そうですね。
ただ、彼等(マフィアやヤクザ)は、本来、犯罪組織ですから、いざとなったら、暴力によって、組織防衛を図ろうとするでしょう。
それは、フリーメーソンなどの、秘密社交クラブにも当て嵌まります。つまり、組織防衛の為には、手段を選ばないのです。
これは、華僑組織(ローカルの囲碁クラブを拠点としている場合が多い)。
私が懸念するのは、いずれ創価学会もそういう方向を辿るのではないか、ということです。
すなわち、創価学会の犯罪性→「勝つ為には手段を選ばない」というのが、認知されてしまうことを恐れているのです。
創価学会も他の団体同様、規模が拡大し、歴史を積むことで、社会的に認知され、日本人社会の一部となるでしょう。
しかし、それが最も危険なのです!
つまり、マフィアやヤクザ組織の本質が犯罪組織であるように、創価学会も巧みに装いを凝らしながら、人々の生活に入り込んできます。
ところが、人目のつきにくい所で、「汚い犯罪」を「より巧みに」=合法的に犯していくのです。
ヤフー恐喝事件やシアトル事件裁判などは、その典型ですし、「芸者捏造写真事件」に至っては、その犯罪性が裁判所で指摘されたにも拘わらず、創価学会は頬被りを決め込むことが出来たのです。
創価学会が社会的に認知されるということは、日本社会に新たな「暗部」を付け加えていくことに他なりません。

1817 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/26(木) 07:10
訂正>>1816

これは、華僑組織(ローカルの囲碁クラブを拠点としている場合が多い)。

これは、華僑組織(ローカルの囲碁クラブを拠点としている場合が多い)にも、見られます。

1818 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/27(金) 09:03
私がつくづく思うのは、
池田先生は、こうウソばかりを人間革命に書いて、果たして、誰も何も言い出さないとでも思っていたのだろうか?
今や、創価学会員は、偽御本尊を持ち、
勤行ならぬ、怠行で超短い「勤行らしきもの」を行っているらしいから、
でも、池田先生をよく知る人は今更?という感じなのだろう。
池田先生は、入信当初から、殆ど勤行を行っておらず、したとしても、殆ど一分以下(元本部職員SGIさんの証言)だったから、
ただ、香峯子夫人はちょっと、違うかも知れない。
彼女は、戸田先生に新婚当初から、池田先生が勤行しない事実に悩み、相談していたくらいだから、
池田先生の偽善的生活を知り過ぎた女となっている。
私がちょっと心配しているのは、所謂、池田夫妻の熟年離婚だ。
香峯子夫人が、「もういい加減にしろ」と池田先生に「三行半」(みくだりはん)を渡し、
知っていることを全て話し、戸田先生や創価学会員を騙し続けてきたことに対して、素直に懺悔するとき、
本当に創価学会は変わり、未来が開かれるかも知れない。

1819 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/27(金) 22:07
yurikoさんこんばんは。

>>1818
>私がちょっと心配しているのは、所謂、池田夫妻の熟年離婚だ。
>香峯子夫人が、「もういい加減にしろ」と池田先生に「三行半」(みくだりはん)を渡し、
>知っていることを全て話し、戸田先生や創価学会員を騙し続けてきたことに対して、素直に懺悔するとき、
>本当に創価学会は変わり、未来が開かれるかも知れない。

人間革命には山本伸一(池田氏)が会長になったとき、奥さんは「これからはお父さん(山本伸一のこと)は
死んだものと思います」という件があるように思います(うろおぼえですが)。
なのでとっくの昔に諦めているような気がするのですが・・・

1820 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/28(土) 02:24
池田先生は、日本の裁判所で認められた「公人」。
公人をどう定義していいのか、難しい。
ただ、今までの事例から、先例に従うべきなのだろう。
最近の事例で、記憶に新しいのが、アメリカ クリントン大統領のモニカ ルインスキーが大統領執務室で、大統領の「チンポ」を吸ってたというやつだ。
別にどうって事じゃないと思うが、公人(大統領)が公共の施設(大統領公邸)で、フェラチオをさせていたというのが問題だったのだろう。
日本では、宇野総理大臣の芸者妾スキャンダルで、総理大臣の座から追放された。
公人は、一般の道徳的規範を示さなければならない点で、より高い道徳的見本を示さなければならなかたのだろう。
そういう意味で、公人に一般的なプライバシーが保障されていないというのも止むを得ないと思う。

1821 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/28(土) 02:31
続1
私は、ここで、池田先生の性生活を覗き込もうというんじゃない。
池田大作と香峯子夫人の夫婦生活の断片を観察してみたい。
ところで、創価学会は地区幹部が中心になって動いているといって、過言ではないと思う。
その単位は、夫婦。
近年の熟年夫婦の離婚の増加は、従って、創価学会組織に深刻な影響を与えているというのは間違いない。
その中で、池田夫妻の関係は、創価学会員夫婦にとっては、鑑となる姿な筈だ。
ところが、どうも、そうではないらしい。
私が、子供の頃、よく聞かされていた話として、
「香峯子夫人は、池田先生と床は共にせず、廊下でモンペをはいて寝ている。それは、会長先生に万一のことがあった時に備える為だ」がった。

続2

1822 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/28(土) 02:34
続2
私は、まだ子供だったから、夫婦が一緒に布団の中で寝るのは、就寝以外の目的があるとは、思ってもみなかったから、「香峯子夫人も池田先生の弟子として、大変な闘争をしているのだな」と感動していた。
ところが、池田先生が外国の公式機関などで招かれる機会が増えるに従って、夫婦同伴が多くなった。殆どの外国の習慣では、夫婦同伴が普通なのだ。
池田夫妻は、恰も同格のように振る舞った。
昔の日本の亭主関白的な「妻は三歩下がって、夫の影を踏まない」というのは通用する筈が
なかった。
しかし、池田先生の暴君的振る舞いは、マジックインキ事件などでも明らかな通り異常なのである。
原島氏に依れば、研修所などで、女性(香峯子ではなく)と入浴して、体を洗わせていたのは、普通だったそうだ。
大っぴらに、「ソープ」などに、通える身分でなかったから、止むを得なかったのだろうか?

1823 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 02:34
>>1821 yurikoさんこんばんは。

>「香峯子夫人は、池田先生と床は共にせず、廊下でモンペをはいて寝ている。
>それは、会長先生に万一のことがあった時に備える為だ」がった。

下世話な話ですみませんが、池田氏のお子さんは池田氏と香峯子夫人の
間のお子さんと思っていたのですが・・・

1824 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/28(土) 02:36
続3
しかし、さすがに香峯子夫人も腹に据えかねて、「爆発」することもあるようだ。
そんな時、池田先生は、「夫婦生活は地獄だ」と呟いていたそうだ(ある現役本部職員の証言)
池田先生も、学会員の思惑とは逆に、それなりに苦労していたのだ。
可哀想な老人だったのだ。
原島崇氏は、香峯子夫人とは、子供の頃から遊び友達だけあって、全てを明かすのには、あまりに心苦しかったに違い無い。
しかし、原島氏の「創価学会の真実」には、池田夫妻の歪な夫婦関係が綴られていて興味深い。
少なくとも、私は招来結婚しても、池田夫妻を手本にしたいとは思わない。

1825 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 02:46
>>1824
>少なくとも、私は招来結婚しても、池田夫妻を手本にしたいとは思わない。

(想像ですが)たとえ学会員でも手本にはしないのではないでしょうか。

やはり亭主関白なようでかかあ天下の夫婦、亭主関白なようで恐妻家な父さん
がよいのではないでしょうか。(私の勝手な思い込みか?)

1826 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 02:54
>>1822
>ところが、池田先生が外国の公式機関などで招かれる機会が増えるに従って、
>夫婦同伴が多くなった。殆どの外国の習慣では、夫婦同伴が普通なのだ。

つまりファースト・レディということですね。
関係ない話ですが、最近は外国に行かないようですね。

>原島氏に依れば、研修所などで、女性(香峯子ではなく)と入浴して、体を洗わせていたのは、
>普通だったそうだ。

なんか大名というかスルタンというか、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」に出てくる
未来の悪のビフのワンシーンのような、「星の王子ニューヨークへ行く」のワンシーンのような。
まあ、男の永遠のあこがれですな。

そういう話だったら嫉妬するんだけどなあ。勲章じゃ嫉妬しようがない。

1827 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 03:01
(自己レス)
>「バック・トゥー・ザ・フューチャー」に出てくる
>未来の悪のビフのワンシーンのような、「星の王子ニューヨークへ行く」のワンシーンのような。
>まあ、男の永遠のあこがれですな。

ちょっと想像し過ぎてしまった。

1828 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 03:08
うーん。しかしわれながら私の書き込みはヘタレだ。

1829 名前: so-A 投稿日: 2004/08/28(土) 03:15
もう、俺はへタレを攻めないから。安心して自由に書き込みなよ。
がんばってね。さよなら。

1830 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 09:12
対学会員を狙っていたのですが、学会員でない人にビシビシ鍛えられてしまった。
ありがとうです。

1831 名前: 蒼海 (N5f0tigw) 投稿日: 2004/08/28(土) 12:22
小さく鐘をたたけば小さく鳴る、大きく鐘をたたけば大きく鳴る、
粘着する人には粘着するという性格かもしれないと、自分を思ってみた。

1832 名前: SGI 投稿日: 2004/08/28(土) 19:13
>>1692 大越佐紀子さん、レスが遅くなり誠にごめんなさい。
書く内容に少々躊躇するところがあり、いささか逡巡しておりました。

◎学会に所属しながら日達上人書写御本尊を拝むことについて。
■日蓮正宗法義研鑽委員会編『創価学会「ニセ本尊」破折100問100答』から引用。

Q)「『ニセ本尊』に功徳がない」ということは、学会員が拝んでいる従来の御本尊には功徳があるということですか。

A)三宝を誹謗する謗法団体となった創価学会に所属している人は、従来の御本尊でも功徳は積めません。
 「『ニセ本尊』に功徳はない」というのは、その本尊自体が、最初から大御本尊の血脈が通じておらず、仏力・法力が具わっていないからです。従来の御本尊は正しい血脈のもとにまさしく仏力・法力が具わっており、御法主上人の御指南に従って正しく信仰をすれば、功徳があることはいうまでもありません。
 しかし、従来の御本尊であっても、拝む人が血脈付法の御法主上人を誹謗するならば、四力(仏力・法力・信力・行力)が合せず、功徳はありません。まして何よりも「ニセ本尊」を作るほどの謗法団体になった学会に所属していては、絶対に功徳はありません。かえって、拝むほどに罪業を積み重ねることになります。さらには今までの信心による一切の功徳が消えてしまうことを恐れるべきです。
 「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(全集1338頁)とは、このことです。

Q)拝む人に「信力」「行力」があれば、複写本尊でも「仏力」「法カ」を発現する、という主張は正しいのですか。

A)これは、本末転倒であり増上慢の考えです。
 仏力・法力・信力・行力は四力といいます。その関係について、日寛上人は『観心本尊抄文段』に「当に知るべし、蓮華は水によって生じ、我等が信力・行力は必ず法力によって生ずるなり。若し水なくんば則ち蓮華生ぜず、若し法力なくんば何んぞ信行を生ぜん(中略)我等、法力により信力・行力を生ずと雖も、若し仏力を得ざれば信行退転さらに疑うべからず」(富要ぁ248頁)と仰せです。
 もともと日蓮大聖人の御当体たる御本尊には仏力と法力が具わっており、この御本尊に対して信じ(信力)、唱題を行ずる(行力)ときに四力が合して成仏がかなうのです。「仏力」も「法力」もない複写の「ニセ本尊」に向かって、凡夫がいかに信力・行力を発動しようとも、真実の境智冥合などありえません。
 迷いの衆生である凡夫の信力・行力によって、御本尊に仏力・法力が具わり、本当の本尊になるなどという論は、因果を無視した外道の考えであり、また「我、仏に勝れたり」とする増上慢の極みです。
[続く]

1833 名前: SGI 投稿日: 2004/08/28(土) 19:13
[続き]
◎「ニセ本尊」の現証について。
■『創価学会「ニセ本尊」破折100問100答』から引用。

Q)「ニセ本尊」を拝むとどうなるのですか

A)「ニセ本尊」には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となります。
 大聖人の仏法において「似て非なるもの」を用いるということは、大謗法です。
 その理由は、仏に似ているがゆえに、正しい教えが隠され、多くの人々が真実の仏を見失ってしまうからです。
 大聖人は、真言宗が天台の一念三千を盗み入れて「大日経第一」と立てたことに対して「真言亡国」と破折されていますが、今回創価学会が作製した「ニセ本尊」は、日蓮正宗の御本尊を盗み取り、日寛上人の御本尊に姿・形を似せているだけに、その罪もまた大きいのです。
 第二代戸田会長は、御本尊について「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(『大白蓮華』98号 9頁)と指導しています。


 >>1620でレスしたように、私自身しばしば直接見聞きしております。
 事業不振・会社倒産、病気、交通事故、家庭不和、家族の失踪・突然死……ここ数年、脱会・入講される方の中には、「ニセ本尊」の現証と思われる事例があります。こうした現証を体験し、脱会を決意されております。
 また、今なお学会に留まっている私の友人や知人の中にも、上記のような不幸な出来事や苦悶する事態に迷い悩んでいる者がいます。

 実は、私自身にもあります。私の親族は学会派と正宗派に分かれておりますが、学会派の実弟が7年前突然亡くなっております。家人に見守られることもなく、階段下で冷たくなっている姿で発見されました。直前まで健康で、死を予測・覚悟させる兆候は一切ありません。何の前触れもなかったのです。死因は急性心不全。いまだ信じられません。家族はいきなり悲しみの淵に落とされ、今も引きずっているようです。
 彼は私よりはるかに信心が強盛でした。それ故に、私は、仏様が、彼がこれ以上学会に組し続けることで生命を穢していくことを止めるために、あえて寿命を尽かせたのだ、と信じております。臨終相は、とても悲しげな表情でしたが、それでも半眼半口の成仏相だったことが救いです。
[続く]

1834 名前: SGI 投稿日: 2004/08/28(土) 19:14
[続き] 
 ある1つの悪果報(現証)が出た時、それが罰なのか、難なのか、功徳(転重軽受)なのかは、結局のところ、その人本人の生命でしか解らないものだと思います。他人(凡夫)が軽々に断ずることは慎むべきではないでしょうか。ですから、ご本人が「現罰だ」と確信され表明されている場合には、その旨をお話しますが、私には何が「ニセ本尊」の悪果報なのか判りません。
 
 仏様は慈悲広大です。仏は、あらゆる諸々の衆生、一切の有情無情に差別なく慈悲の雨を降り注ぎます。四仏知見が仏の出世の本懐なのであり、そんな仏様が、正法に順則・信受していないからといって衆生を裁くことはないと信じております。
 この世の理(ことわり)は、縁起による因果です。善縁に触れ善業を積めば果徳を得、悪縁に誑かされ悪業を為せば悪果報を招く、それだけのことだと思います。

 日寛上人は『文底秘沈抄』で「本尊とは所縁の境なり」と定義され、それは「境能く智を発し、智亦行を導く」故に、と記されております。
 およそ宗教は、哲学や道徳と違って、信仰が基本となります。したがって、何を信ずるかという問題がとても重大事であり、その信ずる対境の如何によって、感化の善悪・優劣が分かれるのだと思います。本尊は妨非止悪でなければなりません。 
 故に、「境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず……故に須く本尊を簡んで以て信行を励むべし」と仰せです。

■『創価学会員への折伏教本』
各論「第4章 創価学会に疑間を感じている学会員に」p183

三、創価学会は、なぜ日寛上人の本尊(ニセ本尊)に交換させるのか
 現在、創価学会では会員に、従来の御本尊から日寛上人の本尊と称するものに取り替えさせていますが、学会が「日寛上人の本尊」と称するものは、日蓮大聖人の教えに背く『ニセ本尊』です。なぜなら、第二代戸田会長も、「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない」といっているように、たとえ、もとの御本尊が日寛上人の直筆であっても、それを複写し配布することは、大聖人の血脈を承けられた御法主上人の許可がなければできないことだからです。
 まして創価学会は、日寛上人が御本尊に認められていた授与書きを抹消し、御本尊の御文字まで改ざんしているのです。これは日寛上人の御意をないがしろにする行為であり、仏をも恐れぬ魔の所業というべきです。
 したがって、『ニセ本尊』は功徳がないばかりか、創価学会のもっている魔の働きがこもったモノであり、それを拝むことは大謗法となります。創価学会員の中には、『ニセ本尊』を拝むことによって、いい知れぬ不安や疑問を抱く人が多くいますが、それらの人は、自らの直感でそのいかがわしさを感じとっているのではないでしょうか。
 創価学会では、宗門が御本尊下附を拒否したので、やむなく自ら本尊を作製し始めたとの言い訳をしていますが、どのような口実を設けても、『ニセ本尊』が日蓮大聖人の仏法に違背していることに変わりはありません。
 あなたが、御本尊を取り替えられたことに対して不安を感じたのは、きわめて自然なことなのです。要するに、会員に対する本尊の交換は「創価学会の大謗法」の一言に尽きます。
 一日も早く創価学会の過ちに気づいてください。
[続く]

1835 名前: SGI 投稿日: 2004/08/28(土) 19:15
[続き]
◎大御本尊様の偽物説の件
 当然のことながら、戸田先生は偽物説をご存知です。
 そもそも大御本尊様への疑難は、江戸末期に現れ、本格的に起こってきたのは明治期です。いずれも御歴代の御法主上人らによって破折し尽くされております。
 中でも、元要法寺の僧であった玉野日志による邪難・問答に集約されます。というのも、その後の疑難(最近のも含めて)は、この霑志問答(⇒>>1613-1614)の焼き直しにすぎないからです。

 戸田先生は『小樽問答誌』の序文に、砂村問答や横浜問答を言及されておりますし、「聖人御難事」講義では、次のように述べられております。

■『戸田城聖全集』В669
 大聖人様は三十二の御年に、南無妙法蓮華経と、清澄山でお唱えあそばして、二十七年で、いまの総本山に厳護されている大御本尊様を、御建立なさった。それが弘安二年十月十二日です。その大御本尊様をわれわれは拝んでいるのです。
 それで、二十七年とおっしゃっているが、身延のやからはウソだという。ウソだといっても、だめなのです。御本尊様に力があるのです。そうでしょう。われわれが理屈をいくらいってみたって、御本尊様にカがあるのですから、どうしようもない。<中略>
 「余は二十七年なり」とおっしゃって、おしたための御本尊様こそ、いまの奉安殿の御本尊様であらせられるのです。御立派なものです。あの大御本尊様を拝んだら、命が延びるとまでいわれているのです。立派な大御本尊です。それは、拝まなければわかりません。拝んでもわからないかもしれない。聞いてもわからないかもしれない。ただ無二の信心で拝すべきです。

1836 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/28(土) 21:50
age

1837 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/08/29(日) 15:03
SGIさんへ、ちょっと聞きたいことがあります。
富士大石寺の大御本尊についてですが、信徒になればそれを拝することが出来ますね。
では、信徒になってもそれを拝さなければ、つまり、法主の書写した本尊の印刷したものだけを拝んでいても、成仏は出来ないのでしょうか。
教えていただければありがたい。

1838 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/29(日) 15:06
お元気でしたか?

1839 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/08/29(日) 15:08
それともう一つ、日蓮正宗の信徒にならない人はすべて罰を受け、不幸になるのでしょうか。
よろしくお願い致します。

1840 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/08/29(日) 15:11
私のわがままを言って申し訳ないのですが、「名無しさん」や「yurikoさん」でなく、SGIさんにお答えいただきたいのです。
少し掘り下げて考えてみようと思っていますので。

1841 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/29(日) 15:14
名無しさんは適当に無視してやってください。
あとは気になさらぬことです。
よろしくおねがいします。

1842 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/08/29(日) 17:12
また性懲りも無くきたか・・・・
最近ここも静かになったと思ったのになぁ

1843 名前: SGI 投稿日: 2004/08/30(月) 23:15
>>1837 >>1839 仏教解説者さん、こんばんは。
>富士大石寺の大御本尊についてですが、信徒になればそれを拝することが出来ますね。
―― はい、そうです。⇒>>1606

>では、信徒になってもそれを拝さなければ、つまり、法主の書写した本尊の印刷したものだけを拝んでいても、成仏は出来ないのでしょうか。
―― そんなことはありません。
 総本山大石寺への参詣(御登山)を勧奨することはあっても、御開扉の有無によって成仏が決まるなんてことは、今も昔も正宗では説いておりません。そんなことを言い出したら、世界約40ヶ国・60万人の信徒の大半が成仏できないという無茶苦茶なことになります。

>日蓮正宗の信徒にならない人はすべて罰を受け、不幸になるのでしょうか。
―― 正宗信徒であるか否かで、幸・不幸が決まるものではありません。
 幸・不幸は、>>1834で記したように、端的にいえば因果応報の姿にすぎません。
 ただ、至高最上の善業は、末法適時の大白法たる大聖人の仏法の正統嫡流である富士大石寺の教えを信受・精進することだ、と正宗信徒は確信しているのです。

1844 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/08/31(火) 01:26
SGIさま、お答えくださりありがとうございます。
ついてはもう一つお尋ねしたいのですが、たとえば真宗とか禅宗、真言宗などを信仰している人は成仏で来ますか?

1845 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/31(火) 05:45
>>1840 仏教解説者さん
>私のわがままを言って申し訳ないのですが、「名無しさん」や「yurikoさん」でなく、SGIさんにお答えいただきたいのです。
少し掘り下げて考えてみようと思っています
。。。
ホント、君は、「頭隠して、尻隠さず」っていうやつで、自分が誰だかすぐ、人にわかるような書き込みをするんだよな。
HNを、そう度々変えるんだったら、その際、心機一転して、そのキャラも変えてみたらどうだい?
そでさ、
何でいつも、君は、書き込み者を勝手に限定するんだい?
何か、不愉快だよ。
君の言い方だと、私は、「掘り下げた議論」が出来ないみたいじゃん。

1846 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/31(火) 06:34

>>1844
>もう一つお尋ねしたいのですが、たとえば真宗とか禅宗、真言宗などを信仰している人は成仏で来ますか?
。。。早速、横レス失礼します。
愚問だと思います。
宗教には、一元的価値観がある場合が多いです。
例え、同じ仏教とは言っても、日蓮大聖人は、四箇之格言に代表されるように、
自分の信じる教え以外の仏教では、成仏しないどころか、地獄に堕ちる因を作ると言いました。
それは、宗教家として、日蓮大聖人は、誠実な態度を示したと思います。
もし、大聖人が「あれも、これもいい」と言っていたら、抑開宗の意味がなかったと思います。
というか、日蓮大聖人の立場は、一種の原理主義であって、「人々は、本当の仏の教えを信じ、実践していない」だから、本来、鎮護仏教として移入された仏教が、その役目を果たしていない」というのがあったと思います。
当時(鎌倉時代)、仏教界は、適当に談合して、それなり安定していて、新しい仏教が入る余地はありませんでした。
そこで、日蓮大聖人は、自分の教えをマーケィテングする為に、旧勢力をネガテブ アドで攻撃したのだと思いますね。
話は飛びますが、

1847 名前: yuriko 投稿日: 2004/08/31(火) 06:37

現代のような、「大乗非仏説」が常識となり、日蓮大聖人が依経とした大集経でさえ、その一部だとするなら、「xxxの経典」を依経とする、仏教信仰を持っていたら、絶対に成仏しない」という考えこそ、アナクロニズムで、百害あって一利無しだと思います。
ただ、四箇之格言等の内容を子細に検討すりことなく、一方的に破棄することも間違っていると思います。その辺は、「日蓮正宗はアナクロニズム」スレッドで検討しました。
仏教に限らず、現代世界では、様々な宗教が、並立し、宗教の性質故に、妥協のない、宗教(宗派)同士の争いに発展してしまっています。
そこで、現代では、全く新しい視点が必要になってくるのです。
その内の一つが「世界人権宣言」に代表される人権思想の普及が大事になってくるのです。
「人権思想の普及」とは、思想の枠組みを超えた思想の普及です。
それは、相対主義文化論を踏まえて、精神の自由と絶対の尊厳を謳ったものです。
つまり、★「宗教正義(成仏 不成仏の論議など)ぼ主張は自由」「しかし、それは、その土俵内に止めるべき」「それに賛同しようと、異を唱えようと自由」ということなのです。
クリスチャン風に言えば、「死んでみなくては、神様が居るかどうか、わからない」ということになるでしょうか?
■ただ、ここで特筆すべきなのは、釈尊(歴史上の)が悟った事柄こそ、そのことで、思想や信仰の相対主義だったのです。
とすれば、釈尊の教えに従えば、「思想や立場の違い」で争う意味が無いとしたのです。
だからこそ、その教えが、ガンジーやマーチン ルター キング牧師に受け継がれ、実践されていくのです。

1848 名前: SGI 投稿日: 2004/08/31(火) 20:39
>>1844 仏教解説者さん
>たとえば真宗とか禅宗、真言宗などを信仰している人は成仏で来ますか?
―― 正宗信仰者の立場で申せば、成仏はありえない、と捉えております。
 宗祖・日蓮大聖人が、
 「所詮成仏の大綱を法華に之を説き、其の余の網目は衆典に明かす。法華の為の網目なるが故に」(観心本尊得意抄)
 「但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」(九郎太郎殿御返事)
 「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり。されば此の題目には余事を交へば僻事なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり」(御講聞書)
と、説かれていますが故に。

 ところで、「仏教を解説する者」を自称され、これまでの貴方のレスから拝察すると、貴方は活動家学会員と思われます。そんな貴方が、権実相対レベルのことを問いかける意図が分かりかねます。
 本掲示板は“創価学会を考える”のが本旨です。学会問題に関連して正宗宗門を論じることがあっても、単に正宗教義を問うならば、しかるべき掲示板やHPがありますので、そちらの方でレスされてはいかがでしょうか。

1849 名前: 仏教解説者 投稿日: 2004/08/31(火) 21:08
SGIさま
丁寧なお答えありがとうございました。ここも終りになるという告示がありました。
又どこかでお会いしましたら、よろしくお願い致します。
最後に
>そんな貴方が、権実相対レベルのことを問いかける意図が分かりかねます。
ここの掲示板で話題になるのいつも、「学会の教義」なるものです。
そのほとんどが、学会でなければ幸せになれないなんて馬鹿なこというな!ふざけるな、というものです。
学会員はみんなアフォだ、不幸だ、あたまがおかしいという論調でした。
しかし、学会が実践しているものは日蓮大聖人の仏法です。私も長年活動してきましたが、宗門と別れる前も今も、選挙新聞啓蒙、座談会、財務、協議会、教学試験、折伏、御書講義と、何にも変わっていません。
もし、学会に難グセをつけるとすれば、それは日蓮大聖人の仏法に対する難グセ、もしくは日蓮正宗の教義に対する難グセです。
つまり、学会の言い分が宗門とどこが違うのかを明確にしなければなりません。
そういう意味で、たとえば一番重要な成仏(分かりやすく言うと幸せ)の定義について、法華講員のあなたにお聞きしました。
あなたのお答えにあるように、学会も全く同じ解釈です。
それを確認したかったのです。そのほか折伏や謗法についての定義もそういう意味からお聞きした買ったのですが、残念ながらここは終わるということですので、これ以上お聞きしません。
結論を言うと学会のそういう教義は日蓮正宗の教義とほとんどたがうことはありません。
しいていうなら「本尊」でしょう。これとても、歴代法主の書写した本尊を印刷した者ですので、私が拝している日達法主の本尊も日寛上人の本尊も全く同じ感覚で捉えています。
だから、私も功徳いっぱいの人生を送っています。
まあ、書き逃げのようなことになって申し訳ないのですが、もし、反論がございましたら、閉鎖までの間どうぞご意見を書き込んでください。それが最後になるかもしれませんが、参考にさせていただきます。
いろいろご教示ありがとうございました。

1850 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/01(水) 00:37
>、権実相対レベル
 
この権実相対と言うのが曲者なんだ、これは日蓮や天台がかってに言ってるもので、決して法華経が実で、般若経群の大乗経典が、権であると言うと言うことではない。大乗経典群が実であって、小乗の教えが権であると言う教説は大乗経典によって説かれたものである。しかしその小乗の教えなるものが何を指すのかさっぱり判らない。この三乗の教えがあるとしたことこそ、大乗経典なのである。この点で、大乗非仏説と言われる所以がある。つまり釈迦は、声門、縁覚、菩薩などの区別をしなかったのである。
我々後世の人間は、仏教の分裂(大乗、小乗)に大変迷惑しているのではないのか?

1851 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/01(水) 02:14
>>1850
>我々後世の人間は、仏教の分裂(大乗、小乗)に大変迷惑している
。。。。
仏教の歴史を観察すると、
「あれッ」って思うんですよ。
私の感覚では、「大乗仏教vs小乗仏教」で、何百年も争っていた、というのがあったんですよね。
それは、ヨーロッパに於ける「ローマカソリック対プロテスタント」や「キリスト教対ユダヤ教」または「キリスト教対イスラム教」のように、決して妥協ない、血の抗争を思い浮かべてしまうんですよね。
でも、実際は、大乗仏教が見事に日本化したように、仏教の不思議な性格として、教義の相違故に争うことに意義を見い出して居なかったのですね。
先日、NHKの番組で、鑑真についてやっておりました。
すると、わあかったのが、「奈留程、鑑真は仏教僧侶であって。日本の文化にどれ程多くの恩恵をもたらしたか知れない」というものでした。
鑑真は、一応、「律宗」の開祖で、小乗の戒律中心の仏教を日本にもたらした、と思っていたのですが、それはとんでもない偏見でした。
鑑真は、法華経を持ってきたのを初め、正に、大乗というより、仏教を日本に再移入してくれたんですよね。
それを考えますと、抑、仏教では、大乗と小乗で分裂したと考えること自体が間違っているのですよ。
そこで、推薦する本があります。「大乗仏教と根本仏教(増谷文雄)」こうせい出版です。

1852 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/09/02(木) 00:57
御本尊の件の事でちょっと書かせてもらいます
罰がどうのこうのと以前のレスでありましたが
私の見聞きした事を話します
私が居たところの先輩はひょんなことから御本尊を3つ持つ事になってしまい
3つ持った翌日に交通事故を起こし子供を大怪我させてしまったそうです
それ以来怖くて2つ3つと預からないようにしてると言ってました
SGIさんの弟さんの話もありましたが
学会員さんで罰に合う人はすごい多いようです しかしそれを魔と捉えてがんばっている人が
余りに多い気がします
ある病気の発作で死んでアパートで腐乱死体で見つかった方や
他にも色々聞いています
ですが交通事故が起きて車が一回転したのに無傷だった方もいますし一口に
学会の御本尊では功徳がないとは言えません

ですが正宗とくっついてた頃がどうかは知りませんが
私の親戚が有名な気孔、霊能者なのですが
学会では先祖が成仏していないそうです 

そうするとどういうことが起きるかというと 子供が生まれない
病気や障害を持って生まれてくる 原因不明の病気にかかるetc
多岐に渡って障害を及ぼします

霊と言うとバカにするかも知れませんが WHOでも霊波動が病気の原因になると言う事はすでに
認められている事です
実際にお経をあげて入ってる霊や先祖を成仏させたりすると病気が治ります
実際見てますし 口コミで何人も患者さんが来てる 

私の周りの学会員さんで子供が生まれないという人は偶然なのかわかりませんが最近多いです

それと御本尊様2つの件ですが 厳粛に言うとお守り御本尊様を持っている方は
御本尊様が2つになるわけで 2つあるから罰が当たるとかそいうい事はないと思いますが。。
ですがどちらかを粗末に扱ったりするともちろん罰がでるでしょうね

学会と宗門とどちらが正しいのかとなった場合 実際の当事者間で起きた事は
当事者のみしかわからないので 現証によって判断するしかないですよね

1853 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/02(木) 03:53
>>1852真実を知りたいさん
>当事者のみしかわからないので 現証によって判断するしかないですよね
。。。あなたは、学会員でしょうから、ここで、態々、御本尊に関して、日蓮大聖人がどう言っているかを書き込んでも意味ないでしょう。
正に、馬耳東風、馬に念仏 と言った所でしょうか?
先日、創価学会の大幹部(副会長レベル)の方と、本尊に関して議論したんですよ。
一点だけ、私が強調したのは、もし、創価学会が日蓮大聖人が顕わされた本尊に対して、「畏敬の念」を持っているのなら、もう少し費用をかけて、(御)本尊を作成したらどうですか?
今の(御)本尊は、カレンダーの一枚刷りで、見るからに「見窄羅し過ぎます」
原価は精々、60¥くらいじゃないんですか?
表具をきちっとすくらい難しいとは思いませんが。」
元々、御形木御本尊というのは、創価学会が大折伏戦を戸田先生が始めたお陰で、出来たもので、元々は、「一期一縁」の御本尊が普通だったそうです。
だからと言うのでしょう。「大量のカレンダー方式の粗製(御)本尊でも、大して変わらない」「大事なのは、祈る側の信心の一念だ」ということなのでしょう。
つまり、今まで、寺院(大石寺)で、行っていた「開眼供養」も形式に過ぎないということなんでしょう。
そういえば、学会発行の本に「開眼供養」の無意味さについて、下らない論文が載ってましたね。

1854 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/02(木) 04:30

それで、池田創価学会の方々に憶い出して欲しいことがあるのです。
あれは、昭和35年5月3日 池田大作が第三代会長に就任する時の、スピーチです。
その時、池田は
「これから、化儀の広宣流布の指揮を執らせて頂きます」と言ったのです。
また「本門の広宣流布をする」とも言いました。
化儀とは、伝統に従って、とかの意味であり、本門とは、迹門(仮の)に対する意味で、「真実の」とか、「正統の」とかの意味です。
そもそも、こういう発想が出来る事自体が、戸田先生が成し遂げた偉業を「小馬鹿」にしてるのですよ。
戸田先生の一念の奥底には、「日蓮正宗があってこその創価学会」っていうのがあったんですよ。
SGIさんが引用して下さったように
「御本尊だけは、どうしょうもない。信徒が勝手に作るわけにはいかない」だったんですよ。
52年路線が挫折した原因は、池田創価学会が本尊問題をクリア出来なかったからです。
板本尊模刻の実績?を観察すれば、池田に常識的な信仰心が微塵もないことは明らかでしたから、偽(御)本尊を作成するのは予想出来ました。
要するに、
「本尊を何体持っていたから、罰が当たった」とか「日達上人の御本尊を拝んでいるから」とかの問題ではなく、
日蓮正宗の伝統教義で最も重要な「御本尊」を粗略に扱い、ましてや明らかに「変造を加え」+「偽物」を作成している大謗法団体の創価学会に属している限り、
生命の次元で、大変な罪業を積んでいるのは明らかです。それを推進している団体に属している限り、不幸の因を積むことになるのだす。
偽札は精巧に出来ていればいる程、その罪は重く、被害も拡大していくものです。

1855 名前: 投稿日: 2004/09/02(木) 05:10

興味深い話しをありがとうございます。それで質問なのですが、「真実を知りたい様」は、その
霊能者の方にご指導を受けているのですか?
また、その方の指導によって、何か生活に結果が出たでしょうか。お聞きしたいです。

「罰」ということですが、「先祖が成仏できない理由」を、霊能者さまは、なんと
仰っていたのでしょうか。お聞きしたです。

1856 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/02(木) 05:36
>>1849仏教解説者 さん
>私も長年活動してきましたが、宗門と別れる前も今も、選挙新聞啓蒙、座談会、財務、協議会、教学試験、折伏、御書講義と、何にも変わっていません。
>もし、学会に難グセをつけるとすれば、それは日蓮大聖人の仏法に対する難グセ
。。。。
お前さ、
確か、日達上人が認めた御本尊を拝んでる、とか書いてたよな?
それに、勤行も朝晩欠かさずに行っていると、(掃徒HNの時)書いてたよな?
今でも、ちゃんんと勤行してるかい?
創価学会総体を観察すれば、「勤行をしなくなった」のだから、破門の後と先では、全然違うと思うんだけどな。
そこら辺をお前は、誤魔化しているのだよ。
創価学会に問題があるのと、日蓮大聖人の教えに対する批判は全く別問題だよ。
創価学会問題が、問題である所以は、同会がカルト的特徴を具え、社会問題を引き起こしているからだよ。
教義上の問題だけで、宗門と対立し、世間から批判されちるのなら、ちゃんとルールを決めて、同じ土俵で話し合えば済むことなんだよ。
世界の常識として、創価学会は、宗教団体かも知れないが、仏教団体としては認知されてないよ。
特創価学会のカルト教義に関しては、このスレッドや他で検討済みだけどね。
もっと、池田流師弟論に関して、人間革命を熟読して欲しいよ。

1857 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/02(木) 06:11
>>1852真実を知りたいさん
>私の周りの学会員さんで子供が生まれないという人は偶然なのかわかりませんが最近多いです
。。。。
奈留程。
現在、日本での最大の問題の一つが「少子化」です。
統計によれば、今の出生率では、今から50年後は、日本人の人口は0になるのだそうです。
ホンマかいな?っていう感じですけど。
東ヨーロッパのある国では、実際にそんな現象が起きているそうです。
経済大国日本ですから、労働力不足は、外国人移民に頼ることになるのでしょうが、
招来は、サウジアラビアみたいに、金持ちの日本人に、多数の外国人労働者が仕えるという状況が生じるかも知れませんね。
抑、低出産率というのは、環境+遺伝子の問題だと思います。
私が思うに、人類は、ある時期が来たら、「どんなに努力しても、子孫が増えない」という事態を迎えるような気がするのです。
実際、缶詰めの食財ばかりを、10年食べていた男は、化学剤のせいで、精子の数が殆ど0になってしまった例もあったそうです。
それに近いことが、日本でも「知らず知らず」に起っているのではないでしょうか?
何れにしても、創価学会の見た目での発展は、日本を確実に「滅び」に向かわせていると思います。
それとも、創価学会がたまたま、そんな時代状況に呼応して、存在しているのか、どちらとも言えません。

1858 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/02(木) 06:28
訂正>>1857

招来は、サウジアラビアみたいに

将来は、サウジアラビアみたいに

1859 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/02(木) 07:41
ここまでくると妄想オカルト人格だな。
批判にもなんにもなっていない、ただ妄想を書き連ねているだけ。
アンチってこの程度なのだ、という印象を植え付けようとしているなら
理解できるが、もし本当に創価学会のありかたを批判しようとしている
のなら的外れも何も、能力不足も甚だしい。

批判者としての資格ゼロ。

1860 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/02(木) 07:50
しかし霊能者に指導を受ける創価学会員というのも萎えるな。

1861 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/09/02(木) 14:27
>>1855 【蘭さんへ】
指導というかただの会話?です
私が創価学会員ということで色々話をしてくれるだけです
それにまだ創価学会をやめていないので生活に結果とかそういったものはわかりません
私も創価学会にはとてもお世話になったし 
信心の実践で成長させてもらった部分がかなりあるからです
ですので日蓮大聖人の仏法は絶対正しいという確信を持っています
しかし 創価学会と日蓮正宗 どちらが本当に正しい日蓮大聖人の仏法を実践できるのか
これで今は悩んでいるところです

実際に親戚のところへは3代創価学会が続いている家の3世の方が相談にきて
その方の子供が二人とも脳に障害をもって生まれてきているので
治して欲しいと
そのご夫婦は創価学会を脱会致しました。
私は霊能者が正しいと言っているわけではなく 1つの判断材料として捉えてるに過ぎません

>「罰」ということですが、「先祖が成仏できない理由」を、霊能者さまは、なんと
>仰っていたのでしょうか。お聞きしたです。

詳しい事はわかりませんが 説明によると 死んだ方の霊魂(精神)が次に生まれ変わるの為の場所
へ行けずに苦しんだりさまよったりしてるらしいです
早く成仏したくてそれを気づかせる為に自分の子供に取り付いたりするらしいのです
霊といっても波動らしいですけど 詳しい事はわかりません
ですが実際にそれをはずすと病気が治ったりする事は確かです

1862 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/09/02(木) 14:33
名無しさん

批判するだけなら簡単ですよ
自分の考えがあるならそれを述べればいい
自分の考えを述べずにただ他人を批判するだけなんて最低だと思いますね

1863 名前: 真実を知りたい 投稿日: 2004/09/02(木) 14:55
>>1853 【yurikoさんへ】
いつも豊富な知識と誤字の多さに脱帽させてもらっています(笑)
yurikoさんは確かアメリカ在住の方でしたよね?
アメリカの大幹部の方と話をされたのでしょうか気になります
それにしても普通の法華講員さんとは違う視点で破折(アドバイス?)されているのですね(笑)
もっと親切丁寧に学会の間違いを破折されているんだと思いました。

私が学会を捨てきれない事の1つに「池田先生の指揮」があります
何度見てもあの指揮には魂を揺さぶられる想いがします
ピアノ演奏は録音されたものを流しているだとか写真はプロのカメラマンが撮っているとか
人間革命は他人が書いているとか確認しようがないものばかりの中で あの指揮だけは本人が間違いなく
執っているのでそれだけで信用できてしまうのです。

ですがもし創価学会が間違っているのなら
>大謗法団体の創価学会に属している限り、
>生命の次元で、大変な罪業を積んでいるのは明らかです。それを推進している団体に属している限り、不幸の因を積むことになるのだす。
>偽札は精巧に出来ていればいる程、その罪は重く、被害も拡大していくものです
の通りだと思います。。

1864 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/02(木) 17:31
>>1863

創価学会が間違っているとか間違っていないとか、おかしな理屈だね。
幼稚な視点だよ。

1865 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/02(木) 18:02
幼稚な屁理屈にはつきあってられないよね。

1866 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/02(木) 20:32
裁判の判決書は、事実の記載とそれに対する判断が記載されていなければならない。当然だろう、判断経路が明確でないなら、人は納得できないのだ。
「幼稚な屁理屈」と言うのは判断の最終部分であるけれど、どんな事実に対する判断か全くわからない。
このように事実認定とそれに対する判断経路を欠いた主張は、独裁と言われなければならず、一方的に相手を抑圧するものとなり、刑法上では脅迫とか強要とかの罪に当たることになろう。
われわれは常に、このようなIT上の掲示板においても、独裁にならないように注意するほうが良い。自分の為に。相手の為に、第三者の為に。

1867 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/02(木) 20:38
また屁理屈かよ。

1868 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/02(木) 21:47
>>1863真実を知りたいさん
>私が学会を捨てきれない事の1つに「池田先生の指揮」があります
。。。
マジですか?
人によっては、「あれは、日本の恥」と言う人も居ますよ。
でも、ああいう演出で、本質的でない部分で、人を酔わせて、判断力を失わせるのは、創価学会の手口なんですよ。
学生部結成10周年記念出版「広布の走者」っていうのがあるんです。
それに、依ると、学生部結成記念総会で、池田先生は恰も、将軍が馬上で、指揮を執るような仕種で入場して来た、とありました。
私が、その場に居たら、恐らく、あまりに滑稽に見えて、大笑いしてたでしょうね。
又、一昨年の本部幹部会では、池田先生は、入場してくるや、ばちを持って、用意してあった太鼓を乱打し始めた、そうです。
聖教記者は「何と、素晴らしい師匠なのだ!」と感動しておりましが、私は、「いい加減にしてくれよ」という感じでしたね。
私は、ああいう「わざとらしい」演出は、大きらいなんですよ。
これは、あらゆる、池田本にも見られるんでしょ。
要するに、池田創価学会の一大特徴として、「演出によって、人の感覚を酔わす」というのが、あります。
ナチス ドイツ では、宣伝相 ヒムラーの果たした役割は大きいものがありました。
すなわち、「如何にヒットラーが神の降誕であるかを、ヒムラーは、ライトの当たり具合を初め、あらゆる方法で演出したそうです。
もっとも、女子部の合唱祭なんんか、それなりに感動しましたし、そこに「青春」を感じられるのだったら、それもいいかな、と思います/
池田先生のポアノ演奏で、「興醒め」して、脱会した(本当の話)人も居ますし、逆に感動している人も居ますよ。
人それぞれで、いいんじゃないんですか?(無責任風)

1869 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 00:25
人の感動にどうやって責任もてというのかね。アホか

1870 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/03(金) 04:16
>>1869
>人の感動にどうやって責任もてというのかね。アホか
。。。。
名無しには、原則的にレスしたくないんですけど。
自分の発言に対して、無責任に思えるからです。
でも、面白い意見だから、一言だけ。
君の言わんとするのは、「形に表せない」+「精神的」+「主観的」な世界に対して、善悪、美醜の価値判断は出来ないというんでしょう。
よく言いました。その通りなんです。
是非、これを池田大作先生にも教えてやって下さい。
池田創価学会が発展してきた要因の一つに、「人間の幸不幸は、信じている宗教によって決まる」だから「あなたが現在不幸なのは、あなたが信じている宗教のせいだ」
と人々に「因縁」をかけて、折伏してきたお陰なんですよ。
ホント大きなお世話だと思うんですけど。
折伏してくる人達は、本気で、自分達が勧めている信心をしさえすれば、全て解決すると信じていたんですよ。
草創期、池田先生は、勤行もよくしなかったらしいし、折伏も不得意だったそうですが、
正に、池田先生は、自分のライフスタイルに創価学会全体を染めるにに成功したんですね。
SGIさんが、池田創価学会は、「師敵対」だというのも、納得ですね。
でっも、戸田先生の直弟子の学会首脳達は、それで、いいと思うっているんでしょうかね。
特に、現会長の秋谷城永(城永は、戸田先生がつけたもので、池田の命で捨て去った)は、どうなんでしょうか?

1871 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 05:35
何を言っているのかさっぱりわかりません。

1872 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/09/03(金) 07:43
 yurikoさんに

 本当に支離滅裂ですね。

1873 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/03(金) 09:22
>>1872 沖浦克治 さん

>本当に支離滅裂ですね。
。。。
神戸市民の為に、何かボランテアしてますか?
例えば、スキー場のゴミ拾いなんかいいかも知れませんね。
●君への推薦本
○論理意ぇレーニング 野野茂樹 産業図書
まー、私に難癖をつけるのは、10年早いね。

1874 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/09/03(金) 09:29
>神戸市民の為に、何かボランテアしてますか?

 してますよ。
 神戸市民とはかぎりませんがね。
 あなたはどうなのですか?

>まー、私に難癖をつけるのは、10年早いね。

 難癖をつけるほどのレベルではありませんよ。

1875 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/03(金) 09:29
訂正.>>1873

論理意ぇレーニング 野野茂樹 産業図書

論理意トレーニング 野野茂樹 産業図書

1876 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 09:30
論理意ぇレーニング てなんスカ?

1877 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 09:33
君の文章から論理性が感じられないのも論理意ぇレーニングのお蔭だったんですね。

1878 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 13:58
なんか修羅道と言うのはコンなんじゃないのか?いさかい。俺はハンドルネームでさえも否定的だ、まして本名を名乗るのはいうまでもない。ハンドルネームを持つとさらし者になるのだ。それは主張のためではなく

1879 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 17:20
君の文章から論理性が感じられないのも論理意ぇレーニングのお蔭だったんですね。

1880 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 17:34
コテハンだから晒されるという短絡思考の馬鹿が消えない限りはね。

1881 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/03(金) 20:53
コテハンを使うと言うことは、自分のプライバシイを自ら晒すと言うことだ。誰も求めてもいないのにだ。ここにトラブルの発生の原因があると思う。
名無しというのはその反対で、トラブルの原因を生じない。

1882 名前: so-A 投稿日: 2004/09/03(金) 21:03
>ここにトラブルの発生の原因があると思う。

トラブルの原因はコテハンか名無しかではなく、書き込みの内容そのものに
あると思います。名無しなら下らないことを書いても叩かれないですものね。
いつでも逃げられるし。便利ですよね。

1883 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/04(土) 00:42
自ら自分の自由権の行使をさらけ出して、他人の干渉を誘発するのだ。そして誘発しておいて、うっかりそれにのって生きたものと小競り合いをするのだ。ここはそんなプライバシーの問題を論ずるところか?いやそれが論題であれば別だけど。だから話がよすけにはずれてしまう。>書きこみのないようそのものに問題がある。そう、書きこみの内容がプライバシーで、それは勝手に出来る事柄を、さらけ出しておいて、お互いに自由権を侵害し合うと言うことになるんじゃないのか。だから果てしのない諍いである。人が自由に処理することの出来ることに、求められてもいないのに干渉してはならないし、干渉させてもならないのだ。

1884 名前: so-A 投稿日: 2004/09/04(土) 01:00
あなたが自分でコテハン禁止の掲示板を運営すればいいでしょう。

1885 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/04(土) 02:09
>>1876
>論理意ぇレーニング てなんスカ?
。。。ばかが。
頭使えよ!
ちょっと、書き損じただけだろう?
論理トレーニング 野野茂樹 産業図書

1886 名前: so-A 投稿日: 2004/09/04(土) 05:59
要するに論理意ぇレーニングは最高だと仰りたいのですね。

1887 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/04(土) 08:58
八聖道 正見 正思 正語 正業 正命 正精進 正念 正定

1888 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/04(土) 14:05
>>1886
粘着してるぞ

1889 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/04(土) 14:55
>>1887
私は一時、小乗の悟り「阿羅漢果」を悟った人が菩薩の修行をはじめる資格を持つと、聞いたことがありますが、そんなことはないと思う。
 大乗経典では、菩薩を誉め、声門をけなしていますから、菩薩を誉めるのならその前提である声門をけなしてはならないのです、にもかかわらず、声門をけなすのは、声門は菩薩の前提ではないのだと思います、又経典もそのように言ってると思います。
貴方はどう思われますか?

1890 名前: so-A 投稿日: 2004/09/04(土) 16:48
>粘着してるぞ
論理意ぇレーニング中ですので。

1891 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/04(土) 22:01
論理意ぇレーニングといふのは粘着のことなの蚊?

1892 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 09:45
法恩寺講頭が女高生売春を斡旋
 講員を奪い合う坊主、抗争激化の講中
「週刊新潮」が報じ、法華講婦人幹部も吹聴

 日顕宗が法華講の関西富士会館を横取りして作った堅持院事務所(住職=遠藤朝道)へ、法恩寺(神戸市
兵庫区)から法華講員が流れている。その最大の原因は法恩寺講頭の西光信市が異常人格者で講員から毛嫌
いされていること、また、「女子高校生売春事件」で逮捕された前科があること等々である。
 そこで本号では少女買春、女高生売春斡旋男の西光信市の汚れた正体を暴くことにする。

 西光は悪友三人と組んで女子高校生に売春させて、その売春料(二万円〜五万円)の約半額を斡旋料とし
てピンハネし、荒稼ぎすると共に、自らも女子高生と性交渉を続けていた。
 買春法主が率いる日顕宗とはいえ、こんなハレンチ男が寺の講頭とは、なんとも呆れ果てたものだ。この
西光らが女高生売春の斡旋で逮捕された事件を最近も法華講兵庫地方部婦人部長の平田冨美子が盛んに吹聴
し、当時の「週刊新潮」が取り上げていた。

 この「週刊新潮」には「女高生売春」の見出しが躍る。その記事によると、逮捕されたのは「西光信市、
荒居悟司、桶谷勇、中谷一夫の四人」だと実名で、しかも、西光ら三人は顔写真付きで報じられ、次のよう
に書いてある。
 「(売春は)一回二万円(時には五万円)で、その取り分は女高生が一万、残り一万は荒居らが斡旋料とし
て持って行った」と。この「荒居ら」とは当然、西光も含まれている。この悪党共は客が女子高生に支払っ
た金額の半分を巻き上げていたのである。
 「事件摘発のきっかけは、覚醒剤常用者で前科二犯の中谷一夫が、生田区三宮界隈のラブホテルで高校生
を使って売春をしているらしいという風評からだった。
六月から内偵を開始した兵庫県警と生田署は、張り込みを続けた結果、須磨区の私立高校の女子高生による
売春を突きとめたのだった」
 「女子高生の中の主犯格で今回、検挙されたA子(一七)は、逮捕された荒居、西光、桶谷らとは、お
互い住居がそう遠くないという関係にあった。特に、A子と荒居は家がすぐ近所で、小さい時からの知り合
いであった。A子の役目は、荒居と組んで売春しそうな女の子を見つけてくることだった。A子は荒居、西
光の二人と関係をもったが、客は取らなかった。斡旋料を稼いでいたのである」
 西光らは買春というより、タダで女子高生と性行為をしていたという。

 以上が「週刊新潮」の記事の要旨だが、兵庫地方部の平田冨美子は「あんた、週刊誌だけやのうて、スポ
ーツ新聞にもいっぱい出ててんで。そんな悪党をお寺が講頭につけたらあかんがな」と吐き捨てる。

 この西光は法恩寺の会計を私物化して供養金を横領したことは本紙525号で触れたが、今では講頭に加
えて兵庫地方部の理事にもなっており、婦人部長の平田は「西光の追放を祈って毎日七時間、お題目をあげ
ている」と付け加えた。

 こんな西光が牛耳る法恩寺を嫌って講員達は流失。
今後、坊主共の生活のため、堅持院事務所、妙言寺、正蓮寺も絡み、折伏ではなく法華講内の少ない信徒を
奪い合う争いが、一段と熾烈になっていくに違いない。

1893 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 09:48
法恩寺の住職は無能、講頭は少女買春
 講員を奪い合う坊主、抗争激化の講中
寺の駐車場で大喧嘩、唱題会でも口論


 日顕宗の寺の大半はペンペン草が生え、閑古鳥が鳴いているが、その代表的な寺の一つが法恩寺(神戸市兵庫
区)である。今年の盆の法要に来た講員は文字通りチョボチョボであったが、前号で報じた通り、宗門が法華講
関西富士会館を堅持院事務所(西宮市浜甲子園、住職=遠藤朝道)に衣替えしたことによって参詣者は更に激減、
誰も寄りつかない“無人寺”になるのではないかと囁かれている。

 その理由は幾つもあるが、最大の問題点としては法恩寺住職の冨田慈龍が無能なこと、それに講中の分裂と深
刻な抗争である。同寺では講頭(西光信市)一派と反講頭派が激しく対立している。
 講頭派には講頭の西光をはじめ壮年部長の城仁田浩、婦人部長の酒井美津子らの悪党が顔を並べている。敵対
する反講頭派を操っているのが、兵庫県内の十八カ寺・法華講十九支部を統括する兵庫地方部婦人部長の平田冨
美子である。
 これらの幹部達が抗争を繰り広げていたのでは講員達は動揺し、寺への参詣者が減少するのは当然の成り行き
だ。

 西光は講頭である自分を講員達が敵視して寺へ来ないのは、平田が講中の恥部や講頭自身の「女子高生買春事
件」を盛んに吹聴しているからだと知っており、抗争は暴力沙汰にまで発展する勢いだ。
 西光は遂に、反講頭派の威圧に乗り出した。盂蘭盆の法要の後、壮年部長の城仁田と共に平田の娘婿である北
野尚司(法恩寺の登山部長、青年部長などを歴任)を寺の駐車場に呼び出して吊し上げようとしたのであった。
 「われ(おまえ)が、おかん(義母の平田)に言わしてんねやろ!」
 西光は凄い剣幕で詰問した。ヤクザの喧嘩を彷彿とさせる殺伐とした空気が漂っていたという。
 「知るかいや(知る訳がないだろ)!」
 北野が大声で怒鳴り返した。この北野の一喝で勝負は決した。北野の思わぬ逆襲に怖じ気づいた西光と城仁田
の二人は態度を一変させ、拝み倒す作戦に出た。
 「頼むからこの話(西光信市の「女子高生買春事件」)
広げんといてえや(広げないでね)」
 今度は平身低頭して頼み込んできたのだ。西光の女子高生買春事件については次号で詳しく紹介するが、事態
の成り行きを眺めていた講員達が西光の弱腰をせせら笑う声が響いたという。

 もっと滑稽だったのは、婦人部唱題会での出来事だった。婦人部長で講頭派の酒井がヒステリックな口調で
「学会員を折伏しなさい」と、年配の婦人達に言った。
 ところが、相手は反講頭派の婦人だったから、ここでも逆襲に遭って、痛烈に罵倒された。
 「エラそうに何言い出すねんな。あんた、火事で家が焼けて御本尊さんをご不敬した時、学会の人に世話に
なって新しい御本尊もらえたんちゃうんか! お母さん死んだ時、学会に葬式(友人葬)してもろたんちゃうん
か!」と、酒井の“泣きどころ”を知る婦人講員から過去を暴かれ、酒井は顔面蒼白になって立ち往生。本堂内
は騒然となった。
 講頭ら幹部は信心も思いやりもないため徹底して嫌われている。 (つづく)

1894 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 09:50
宗門が法華講の関西会館を没収
 講員を奪い合う坊主、抗争激化の講中
関西富士会館→大石寺出張所→堅持院事務所

 日顕宗が「法華講関西富士会館」(西宮市浜甲子園)を法華講連合会から取り上げて「堅持院事務所」にしてし
まった。同会館は学会が昭和四十七年二月に寄進した建物で、同四十一年に寄進した「法華講富士会館」(東京都
墨田区)に続いて、法華講の関西方面の拠点にするためであった。
 ところが、横暴な宗門がこの会館を横取りし、最近までは「大石寺出張所」の看板を掛けていたが、この度、
遠藤朝道(五十歳)を住職に任命し、今月七日には入仏式を行って、全面的に本山直轄の寺に衣替えしたのである。
 強欲な日顕は豪遊して供養を湯水のように浪費するくせに、一ヶ寺も造らない。挙句の果てには学会が厚意で
寄進した法華講の会館まで強奪したのである。

 この背景には、狡猾な坊主共の信者の奪い合い、法恩寺(神戸市兵庫区、住職=冨田慈龍)講頭・西光信市の異
常性格、同寺の講中の分裂・抗争などが複雑に絡み合っている。
 堅持院は住職であった渡辺広済が昭和五十五年九月、日顕に擯斥処分を受けて正信会寺院になった。その際、
堅持院所属の講員の多くが法恩寺に流れていった。

 ところが、平成三年以降、アクの強い脱会者らが法恩寺講中の主導権を握るようになり、同十年秋、堅持院か
ら流れてきた三津田道夫を中心とするグループは追放され、神戸在住のまま九州・法霑寺支部に移籍して神戸地
区を結成。行事などは甲子園・正蓮寺に通っていた。
 また、同寺に留まった堅持院系の講員も、脱会者連中とは仲違いして憎しみ合っている。

 荒みきった法恩寺に所属する婦人講員達が去る二十日、堅持院事務所への移籍を強く希望して訪問した。
 住職の意向を受けた女房の遠藤一恵(四三歳)が応対し、次のようにまくし立てた。
 「法恩寺が今、滅茶苦茶な状態になっていることは、平田さん(兵庫地方部婦人部長)からも聞いてよく知って
います。本当によく耐えてきましたね。本当は所属替えには住職同士の了解が要りますが、強くご希望ならウチ
にいらしたらどうですか。荷物の整理や法人の手続きで八月中はバタバタしているけど、九月五日の広布唱題会、
十二日の御講にぜひ来てください。今、堅持院支部は大体百世帯ですが、信徒の皆さんは大阪や姫路、四国と
あっちこっち、もうバラバラで、役員会でも『これから連絡とらなきゃ』って言っていたところなの。神戸や西
宮の地元の皆さんに守り立ててほしいわ」と、法恩寺の講員を奪い取ろうと必死だ。

 この一恵の「勧誘」が波紋を広げ、法恩寺は大激震に見舞われている。
 また、一恵は西宮に赴任直前、坊主の女房達の会食の席で酔いも手伝って次のように言い放っていた。
 「西宮って、お寺が三つもあって大変なの(阪神西宮の妙言寺、JR甲子園の正蓮寺、堅持院事務所の三つを
指す)。どんな汚い手を使っても信者を増やさなきゃね、やっていけないわ」

 学会の真心を踏みにじり、法華講の専用施設を盗み取った宗門。その寺の住職・遠藤と女房は生き残りをか
け、赴任前から供養を持ってくる信者の強奪を狙っていたのだ。 (つづく)

1895 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 09:52
おかしな創価の母体だった正宗の法華講がおかしいのは当然

1896 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 10:02
創価のような非合理的で全体主義的傾向のある団体は強力な仮想敵をつくらないと
組織をまとめたり維持したりすることができない

1897 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 10:06
>おかしな創価の母体だった正宗の法華講がおかしいのは当然

理由 法華講員の多くは元学会員で創価的発想を持っている

1898 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 10:08
宗教界の南北問題ということか
「統一」はいつなのか 日蓮正宗創価学会に栄光あれ!

1899 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 10:21
川は上流が汚れていれば下流も汚れている
下流が独立したとしても大きな川は短時間で澄まない

1900 名前: モーリス (JExy6YJA) 投稿日: 2004/09/05(日) 10:39
>>1892-1894

創価新報あたりだろ?

1901 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 10:53
法華講員チェックの観測気球とおもうけど創価新報のコピペとかは萎えるな

1902 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/05(日) 11:07
AAのコピペモナー

1903 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/06(月) 11:58
正宗VS学会。または一般世間VS学会。そして学会内抗争
こうなりゃその教えを説いた日蓮そのものがおかしいと思わんのか?

手前の宗教信じなきゃ地獄行き。日蓮の底が知れるな。

1904 名前: 商人 (X/jFc8nM) 投稿日: 2004/09/06(月) 12:10
>>1903
子供の頃から日蓮が偉いと習ったので、そう思っている。

しかし、日蓮批判についての合理的な説明を聞いたことがないのも
事実。

曼荼羅の構造に問題があるとか、権力から迫害されたため御書は怨念
がこもりその後の信者が師の無念を晴らすためために反権力的になる
とか、いろいろ。

抗争をもって思想が悪いとする考えを認めると、ほとんど全ての思想
が不可となるので、ちょっと受け入れがたいです。

1905 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/06(月) 12:56

>しかし、日蓮批判についての合理的な説明を聞いたことがないのも事実。

 其れは貴方の勉強不足ですよ。日蓮のいうことがおかしいとおもわないならば日常の行動もおかしいことに気がついていないかもね。

1906 名前: 商人 (X/jFc8nM) 投稿日: 2004/09/06(月) 13:14
>>1905
申し訳ない。文章のミスです。
日蓮批判に対する「学会側の」合理的説明がない。少なくとも私は
納得できなかったということです。

まったく反対の意味になってしまいました。

1907 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/06(月) 13:37
ほっとしました。貴方はこまやかで柔らかい精神の方とおもっています。

1908 名前: 商人 (X/jFc8nM) 投稿日: 2004/09/06(月) 14:43
>>1907
かなり誤解していると思いますよ。
商談流れて、暇をつぶしているだけという見方もできますし。

以前は差別主義者だの退転者だのと言われた憶えもあります。
人の感想は千差万別だなぁと思った次第です。

自分が何なのか分からないし、対して興味ありません。
みんなここでいろいろと議論していますが、目的はなんでしょう。
やっぱり本当のことを知りたいよね。結論がどうであっても。

1909 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/06(月) 16:56
>貴方はこまやかで柔らかい精神の方とおもっています。

 其れでは取り消しておきます。w

1910 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/09(木) 09:18
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓爾〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

1911 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/09(木) 09:19
愚かな沖浦克治氏に送る
『焼けただれた管長室には、第六十二世日恭猊下が、おいたわしくも、身を火焔に自ら焼き、端座したままの姿であられたのである。しかも、正装であり、袈裟をかけた、姿である。そして、一閻浮提総与の大御本尊を、御安置した、御宝蔵の方に向かっていた。猊下はお逃げになることは、いくらでも出来たのである。その証拠に、数百人の罹災者のなかで、負傷者は一名もなかった。客殿の焼亡とともに、何故に、吾が身をみずからお焼きになったのかーー凡庸の推察は、差し控えなければならない」』(人間革命一 二六六ページ)

1912 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/09(木) 09:30

ということは、沖浦さんは、「凡庸の推察をしていた」だけですね。文句があるなら、池田先生に言って下さい。
と言いましても、昭和54年にお詫び登山をして、「恩師を憶う」という詫び文を発表したにも拘わらず、後になって、「あんな文章は書けない。全然知らない」などと、居直ったくらいだから、この人革の文も「全然知らない」と開き直るかも知れない。

1913 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/09/09(木) 11:29
 これにコロット騙された宗門の世間知らずな事!!

 ザマーミロ!!

1914 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/09/09(木) 12:12
1913 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/09/09(木) 11:29

 これにコロット騙された宗門の世間知らずな事!!

 ザマーミロ!!
------------------------------------------------

もはや仏教云々以前の問題発言ですね。
命が汚れきってますよ。
そんな境涯では他人の幸せなど考えられる訳がありません。

1915 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/10(金) 01:57
>>1913沖浦克治さん
>ザマーミロ!!
。。。
私は、それなりに創価学会の組織では頑張っていた時期もありましたし、
幹部になったこともあるんですよ。
池田先生とも個人的に付き合いがありました。
それだけに、創価学会員を憎みきれないんです。
出来れば、蘇生への道を選択して欲しいんです。
でも、沖浦さんみたいな学会員を見ると、情けなくなり、悲しくなるだけです。
やっぱり、創価学会って、もうどうしょうもないんですかね?

1916 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/10(金) 03:23
>>1871
何を言っているのかさっぱりわかりません。
>>1870
現在、創価学会は、様々な宗教団体と友好関係を築いているという。
しかし、一方では相変わらず、日蓮正宗に対しては、執拗で、理不尽な攻撃をしかけている。
21世紀の現代、人類的、国際的、地球的規模の問題に我々は直面している。
そこで重要なのは、互いの「相違点」を探るより、「共通点」を探ることが重要になって来る。
何といっても、(障碍者を除き)人類である限り、同じ染色体を共有し、人類としての特徴を共有しているのは確かなのだ。
そういう流れにあって、現在の創価学会的流れ→「人類は皆兄弟」は、もっともなものと言える。
つくづく、笹川良一はそういう意味で先駆を走っていた。
しかし、笹川の経歴に「怪し気なもの」を感じるように、池田創価学会のやり方にも「怪し気なもの」を感じるのは、私だけではないだろう。
私は、そこに「仏の顔をしたヒットラー」を見てしまうのだ。
かつて、ヒットラーがドイツ国民から、救世主のように崇拝されて、挙げ句が、人類全体を破滅に追いやる一歩手前にまで行ったように、
池田創価学会も、善意の集団のような顔をしながら、実は、人類を破滅に導く元凶となりつつあるような気がして、しょうがないのだ。
道理よりも感情に訴える、その運動方針に、私は非常に危険な徴候を見てしまうのだ。

1917 名前: 沖浦克治 投稿日: 2004/09/10(金) 06:53
 yuriko さん

 どうしようも無いのは日蓮正宗という邪教です。
 あなたは、この邪教団の内紛に関する私の質問に未回答のままです。
 都合の悪い事は知らん顔をして、自分の意見を押し付ける態度は宗門の体質でしょうか?
 今一度あげますので、お答え願います。


 今般、貴殿執筆の「僧侶主導の広宣流布を考える」と題する論考が、貴殿らの発行する「道心」第29号に掲載されました。しかるにその内容には、以下に指摘する通り、事実に相違する点などが多々あり、これを広く頒布したことは、公の場で管長を誹毀讒謗する行為に該当し、また読者に誤った認識を植え付け積極的に宗内秩序を紊乱し、かつ本宗の信用を著しく害する行為であって、本宗僧侶として到底許されざるところです。

 もし、この命令に従わなかった場合は、本宗宗規に照らし厳正に対処することを念告します。

平成十六年八月十七日

日蓮正宗宗務院

   総 監  藤 本 日潤

浄 福 寺 内

    花 野 充 道 殿


>かつて、ヒットラーがドイツ国民から、救世主のように崇拝されて、挙げ句が、人類全体を破滅に追いやる一歩手前にまで行ったように、

 もし、この命令に従わなかった場合は、本宗宗規に照らし厳正に対処することを念告します。

 ナチとそっくりの体質です。
 あなた、情けないと思いませんか?

1918 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/10(金) 08:54
>>1917沖浦克治さん
>あなたは、この邪教団の内紛に関する私の質問に未回答

お前さ、
筋肉ばかり鍛えてないで、頭の中味も鍛えてくれよ。
テレビ番組のIQサプリなんていいかもしれないよ。
ちなみに、私は、あの番組で出された問題で、不正解は、今のところ一つもないけどね。
私の場合、見た瞬間、わかっちゃうよ。君とは、レベルが違うんだろうな。
。。。。それで、君の質問だが、
質問になってないよ。何を答えて欲しいんだ?
そもそも、「僧侶主導の広宣流布を考える」を読んでないから、コメントのしようがないよ。
GOOGLEで検索したけど、それらしきものは発見できなかったよ。
沖浦さん!どうせ暇を持て余してるんだろう?
全文をここに、書き写してくれないかい?話は、それからだよ。

1919 名前: yuriko 投稿日: 2004/09/10(金) 09:03
訂正>>1916
>何といっても、(障碍者を除き)人類である限り、同じ染色体を共有し、人類としての特徴を共有しているのは確か
。。。
大変、不適切な表現でした。
正確には、
○何といっても、(障碍者も含めて)人類である限り、同じ染色体を共有し、人類としての特徴を共有しているのは確か
_(._.)_ ひらに