【萬物相】北朝鮮の朝貢外交
日本駐在初代中国公使の何如璋は1880年、英国の代理公使だったケネディに「朝鮮人は子供のようだ。荒々しい方法は役に立たないが、穏やかになだめて、力を使わずとも(力があると)うまく伝えれば、すぐに言うことを聞く」と語ったという。歴史上、韓半島(朝鮮半島)に存在した国々を東夷族と考えてきた中国が持つ中華思想の考え方が、ここには如実に表れている。
唐を建国した李淵が「高句麗に対して自分から(唐の)臣下と言わせるべき理由は何か」と尋ねた時に、臣下たちは「遼東の地は箕子が建てた国に由来しているので、必ず称臣させなければなりません」と言いくるめた。中国では一部の学者たちが今も「殷の国の人だった箕子が東方に移り、朝鮮を建国した」と主張している。
2009年12月に当時の程永華駐韓中国大使はスティーブンス駐韓米国大使と夕食を共にしたが、そこに同席していた中国大使館の陳海参事官が語った言葉が、暴露サイト「ウィキリークス」を通じて先日公開された。それによると陳参事官は「北朝鮮の閉鎖的な外交政策は、古くから続く韓国の伝統に由来している。清が明に代わって建国された後も長い間、朝鮮は明の王室に朝貢していた」「小さな国の韓国は“変化に屈服すれば生き残れない”という恐怖心があるため、急激な環境の変化に対応する際に萎縮する」と語ったという。
朝鮮の儒学者たちは明が滅びた後も、明を明るい太陽と月に例えてソンビ(学者)の志操と信念を守ることを誓った。そのような点で陳海の言葉はすべて間違っているとはいえない。しかし性理学にこだわっていた時代の融通のなさを韓国史全体に適用するのは、130年前に中国公使の何如璋が示した傲慢(ごうまん)な態度と共通するものがある。北朝鮮は時代の変化を追うどころか、逆に氏族社会に戻ろうとしているが、陳海の言葉はこの北朝鮮を念頭に置いたものだろう。金正日(キム・ジョンイル)総書記は28歳の息子を胡錦涛の前に連れてきて、三代世襲を認めてもらおうとした。中国人たちがこの様子を見てどのように考えたかは十分想像できる。
米国のカーター政権で安全保障補佐官を務めたブレジンスキー氏は、3日付けのニューヨークタイムズ紙のコラムで「胡錦涛が19日にワシントンを訪問するのは、32年前にトウ小平が米国を訪れて以来、最も重要な米中首脳会談になるだろう」と予想した。この会談で最も重要な議題は北朝鮮問題だ。米中首脳が韓半島の緊張を緩和させるために、どのような回答を見いだすかはまだ明らかでない。しかし北朝鮮が米中主導の時代の変化から今後も背を向けるのであれば、北朝鮮の未来はさらに暗いものとなるだろう。
朱庸中(チュ・ヨンジュン)論説委員