きょうのコラム「時鐘」 2011年1月8日

 雪の街で時折、寒修行の僧を見掛ける。風に逆らい、背筋を伸ばして歩く姿が美しい。当地を彩る冬の点描の一つ、静かな祈りである

大気は肌を刺すほどであろうに、と暖房の車の窓から修行の姿を眺める。子供のころに嫌々出掛けた寒げいこは、はるかに遠い思い出である。もはや鍛えようもないほど、精神はなまくらになったに違いない

裸になった木々の枝が風に揺れる。冬枯れの街である。そう表現し、画家に怒られたことがある。葉を落としても、枝も幹も枯れてはいない。それどころか、命の芽をしっかり宿している。断じて「冬枯れ」ではない、と

風景を描く画家からは、いまの季節こそが大事だ、とも教わった。寒空の下、裸になった木々の幹や枝の姿を描いておかないと、葉をつけ、花を咲かせた姿は芯の通らぬものにしかならないという。どんな世界にも、寒修行はある

正月気分が抜けて、一年の計も揺らぎ出したころである。緩みかけた心に喝、とばかりに巡ってきた寒の厳しさである。寒いことは寒いが、心が締まってありがたくもある。天の配剤と思えば、寒さもしのげる。