外科医、増田進さん(76)が、患者の肩や背中を触って患部を探り、手際良くはりを刺した。「痛かったら言ってね」。患者は一瞬顔をしかめるが、すっきりした表情で診察室を後にする。西和賀町の「緑陰診療所」のいつもの風景だ。必ず患者の体に触れ、治療や薬について患者と話し合うのが増田さんのやり方だ。
元沢内病院長。患者本位の医療を追求して07年に開いた。ベッド1台と机があるだけの診察室で、看護師と2人で1日20人以上の患者を診る。「患部に触れもせず、薬ばかり出す」「ずっと同じ治療をしても良くならない」と、他の病院に疑問を持つ患者らが全国から訪れている。
東北大医学部卒業後、1963年に沢内病院に赴任し、新設の健康管理課長も任された。保健婦や栄養士らと共に住民の健康台帳を作り、医療に活用した。健康診断の実施、啓発活動などに医療、保健、福祉を三位一体とした「沢内方式」実践の中心となった。
だが、85年ごろから病院経営の効率化の波に、沢内ものまれた。村民1人当たりの医療費は当時の県平均より約2万円低かったにもかかわらず、村は従来のやり方を否定し、方針を変えた。一度村を離れ県内の病院に勤めたが、「診療報酬を得るために診断を下し、薬を出している」と感じた。医療の在り方を問い直すため、沢内に戻った。「患者のために、が最後に残った目標」と話す。
沢内で、患者本位の医療を改めて問い直した医師が他にもいた。県立千厩病院外科長、藤井大和さん(33)。06~09年、沢内病院に勤務した。
赴任直後、他の医師たちが辞め、常勤が藤井さん1人になった。救患や入院の受け入れを断らざるを得なかった。「もう一度病院を考え直そう」と病院の職員全員と話し合った。結果、住民の要望が高い救急対応を迅速に行えるよう、職員全員が心肺蘇生法を身につけ、少ない医師を補助できるようにした。やけどの患者が職員の応急処置で一命を取り留める成果も出た。
勤務年限があり、志半ばで去らざるを得なかった。藤井さんは思う。「機会があればもう一度沢内で、地域医療がちゃんと回転する仕組みを探りたい」【山中章子】=つづく
毎日新聞 2011年1月4日 地方版