2010年11月6日 20時52分 更新:11月6日 21時27分
馬淵澄夫国土交通相は6日、大澤正明群馬県知事らと懇談し、八ッ場(やんば)ダム(同県長野原町)の建設について「今後は一切『中止の方向性』という言葉には言及せず、予断を持たずに検証する」と述べ、前原誠司前国交相が表明していた中止方針を棚上げする考えを示した。ダム建設の可否は来年秋までに結論を出す方針。
八ッ場ダム中止は民主党が昨夏の衆院選でマニフェスト(政権公約)に掲げた目玉政策の一つだっただけに、「マニフェストの事実上の撤回」と受け取られかねず、批判が出そうだ。
馬淵国交相は懇談の冒頭、ダム建設問題が半世紀以上にわたり地元住民を翻弄(ほんろう)してきたことについて「心からおわびを申し上げたい」と謝罪。大澤知事が「地元住民との対話が進まない原因は『中止の方向性』という言葉だ」と指摘すると、「私は『中止の方向性』という言葉に言及しない」と明言。ダムの必要性の有無は「予断を持たずに再検証していく」と述べた。
ダム建設の必要性を巡っては今年10月、国交省と関係1都5県などが「検討の場」を設け初会合を開いたが、これまで具体的な検証スケジュールが決まっていなかった。馬淵国交相は「地元の不安を払しょくするために、目標期限の設定は必要不可欠だ。(12年度の)予算案に反映できる来年秋を目標に検証する」と表明した。
懇談後、マニフェストの修正かを報道陣に問われた馬淵国交相は「中止という言葉があるのは混乱を招くと思うので、しっかりと(検討の場で)議論していただく」と明言を避けた。国交相は懇談に先立って、就任後初めて現地を視察した。
八ッ場ダムを巡っては、前原前国交相が政権交代直後に中止を表明。地元が猛反発したためダムの必要性の有無を検証する方針に転換したが、あくまで建設中止を前提にしていた。【鳥井真平】
【ことば】八ッ場ダム
1947年のカスリーン台風で、関東を中心に死者・行方不明者が1930人に上ったのを機に利根川の流域沿いで多数のダム計画が浮上。八ッ場ダムはそのうちの一つで、52年に旧建設省が現地調査を開始した。地元住民はダム反対闘争を繰り広げたが85年、生活再建を前提に計画を受け入れた。当初、00年度の完成を予定していたが、01年度以降3回にわたり計画が変更され、完成予定は15年度に延期。本体工事着工を目前に控えていたが、民主党政権の誕生で中止方針が打ち出された。