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きょうのコラム「時鐘」 2011年1月3日
あたたかい雪がある、と鈴木大拙は回想している。みぞれは冷たいが、そうではない雪がある。言われてみれば、静かに降る雪に、ぬくもりを覚えることがある
横殴りの風に運ばれる雪は、凍えるほどである。雷鳴と共に吹き荒れる雪も肌を刺す。が、音もなく降る雪や、日に照り映える雪景色は、そうではない。穏やかな心は雪も変える。「子どものころ、はだしで駆け回った」と大拙が回想する雪である 45年前の元日の小紙で、大拙と堀田善衛(よしえ)が対談している。金沢生まれの仏教思想家は高岡出身の作家を相手に、「ひと冬を故郷で過ごしたい」と語っている。ほどなく病没し、大拙晩年の帰郷はかなわなかったが、思いをはせたのは「雪のあたたかさ」だったろうか 貧しい学生だった大拙は、東京から夜を徹して鎌倉まで歩き通し、禅の門をたたいた。入門は簡単に許されたという。「北国の者は根気がよい」。そう声を掛けた師も、雪国で育った 厳しい冬を耐えるから、根気のよい心根が育つ。冷たい雪に苦しむから、心が和む時には雪にもぬくもりが伝わる。あたたかな雪の正月でありたい。 |