被害者は待てない、償いの時を逃すな!
〜5・13院内集会報告〜
5月13日、参議院議員会館にて「被害者は待てない、償いの時を逃すな! 5・13院内集会」が開催されました。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010と、戦時性暴力問題連絡協議会の共催です。
韓国では今年3月、超党派で「日本軍「慰安婦」問題解決国会議員の会」が結成されました。韓国ではこのところ地方自治体議会で次々と「慰安婦」問題の早期解決を求める決議が採択されるなど、この問題への関心が高まっており、日本の政権交代、そして韓国「併合」100年を機に問題を解決するため「議員の会」が必要だと考えられるようになったからです。
今回の院内集会は、「議員の会」の共同代表のひとり、朴宣映議員の訪日を受けての開催です。
またこの院内集会の主催団体のひとつ、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010も、この春にスタートしました。全国行動2010も、日本の政権交代、そして高齢化する被害女性に残された時間がもうごくわずかであることから、全国の市民と運動団体が手を結び、なんとしてでも早期に謝罪と補償を実現させたいという熱い思いから結成されました。
院内集会は韓国から国会議員が来日したこと、「慰安婦」被害者が来日されたこと、そして各地から市民の働きかけもあったということもあり、国会議員の参加を加えて100人以上が集い、会場は座れない人で溢れかえりました。
第1部は、韓国から来られたゲストのお話です。
朴宣映(パク・ソニョン)議員は、自由先進党の報道官で、憲法学者でもあります。朴宣映議員は「併合」100年のこの時に、「慰安婦」問題を解決すべきと、力強く訴えかけられました。
「すべての事には時というものがあります。韓国「併合」から100年、鳩山政権が成立している今年こそ、この問題を解決する絶好のチャンスです!」
「議員の会ではいろんな努力をしていきます。日本の国会議員のみなさんと交流・協力して、「慰安婦」問題の解決を図っていきたいと考えています。そのような思いを持っていたところ、日本でも戦後補償を解決するための議連が4月に発足したと聞き、本当に涙が出るくらい、跳び上がりたいくらい嬉しくてたまりませんでした。」
「「併合」100年のこの年に恥ずかしいことのないようにしたい。ここにいる日本の議員の皆様と共に努力をして、被害者の方の目からこれ以上血の涙が流れることがないように、立法解決を追求していきたいと思います。」
「地球の反対側では、今も戦争が行われています。そこに目をやると、未だに戦時下では幼い女性が性を犯され、性奴隷にされています。65年前に終わったことではなく、今も続く人権侵害事例なのです。」
「この「慰安婦」問題を前向きに 、そして1日も早く解決できるならば、日本は経済的 先進国として敬われるだけではなく、道徳的に優れた先進国として敬われるでしょう。そして韓国と日本はアジアだけではなく、世界において、真の自由と平和と人権を尊ぶ国として敬われることになるでしょう。」
「日本軍「慰安婦」被害者の名誉と人権回復の問題だけでなく、勤労挺身隊の問題、強制徴用の問題、そして在日の参政権の問題までも含めて、100年を迎える今年、必ず解決できるという希望を私は持っています。加えて強制的に結ばせられた「併合」条約は無効であるということを是非確認したいと思います。議員の皆様だけでなく、活動家の皆様だけでなく、日韓の国民が皆心を一つにして、世界の平和と自由と人権を守る日が来るということを、共に待ち望みたいと思います。今年の8月15日に韓国と日本の国民が、本当の意味での希望を取り戻すことが出来ることを願いたいと思います。」
韓国からは「慰安婦」被害者として吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニが来日されました。吉元玉ハルモニのお話はいつもながら本当に素晴らしく、参加した多くの国会議員の心にも響いたことでしょう。
83歳になられて、お身体も辛い中、来日されたハルモニの言葉には、重みがあります。そして韓国で234名いた被害女性が85名しか残っておられず、私たちは毎月のようにハルモニの訃報に接しなければならない現実があります。私たちに残された時間が本当に少ないのだと実感します。
そういう思いを込めて、ハルモニの全発言を掲載します。
「皆さんの前に余りだしたくない顔なんですけれども、吉元玉という人間がこのように姿を現しました。ほんのちょっと辛いだけだったら皆様の前に顔を出そうとは思わなかったでしょう。あまりにも辛かったので出てきました。70年間生きていても、普通に生きられた日が一日もないくらい、本当に辛かったのです。ですから再びこのようなことがあってはならないと思って、戦争のない国、本当に平和な国を作らなくてはいけないと思って、皆様の前に出したくはない顔をこのように出しています。私は辛い辛いとお話ししますが、皆さんは同じような傷みを経験したことがないので、分からないと思います。
戦争というものは人を殺すだけではありません。生きて残った人間も、一日一日辛くない日のない人生を過ごさせられることになります。ですから戦争は絶対にやってはいけないんです。私のような人間を作らないためには、戦争をなくさなくてはいけないんです。
お金があるからといって、戦争下で私のような犠牲者が生まれないということはありません。たとえお金がある国だったとしても、ひとたび戦争が起きれば、私のような犠牲者は必ず生まれます。
一言でいって、戦争をなくすためには、過去を清算しなければならないと信じています。日常時を考えてみてください。誰かが罪を犯した場合、その罪を犯した人が反省しなければ、罪はなくなりません。口を閉ざし耳を閉ざして、自分が犯した罪に対して知らんぷりをしていたのでは、罪は決してなくならないんです。ところが何の解答もないまま、私たちは65年も放置されてしまいました。これは本当にとんでもないことです。皆さん、この問題を解決するためにご尽力下さっていることは分かっていますが、もうちょっとだけ力を貸してください。罪を早く明らかにして、私たちの世代でこのようなことがなくなるように、次の世代に残すようなことがないようにしたいと思います。あまり余生は残っていませんが、少しでも心が安らかに眼を閉じることが出来るように、この問題を一日でも早く解決していただきたいと思います。
皆さん、これは「慰安婦」に起きたこととは思わずに、自分の親、姉妹や、知人に起きたことと想像して、気持ちを変えてみてください。そのように周囲の人に伝えていただけたら、本当にありがたいと思います。」
韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)代表は、様々なネットワークを作り、今年こそ問題を解決をしなければならないと強調されました。
「日本の政権交代は、韓国を含め、世界中で「日本は変わるだろう」という期待を持ちました。特に被害者の方たちは、自分が生きているうちにこれでやっと問題解決できるという、期待を越えた確信を持っていました。しかし在特会に代表されるような日本社会の右傾化もあり、被害者の期待もしぼんできました。しかし私たちは、鳩山政権に対する期待を憂慮に変えるのではなく、確信へと変えなければなりません。」
「生存しておられる85人の被害者のうち、それでもまだ元気な被害者は10人くらいで、ほとんどの方は病院や養老院におられます。一人で暮らしておられるハルモニも誰かの助けが必要なほど身体を悪くされておられます。」
「被害者の方たちは何度も日本に来られました。被害者の方たちは会うたびに「今年には、今年には必ず」と何度も繰り返し話されてこられました。そのように言ってきたんですけれども、今年こそは必ずこの問題を解決ししなればなりません。」
「どうしなければならないか考えたとき、本当にネットワークが重要です。それは私たちが20年間の運動の歴史の中で学び、確信してきたことです。被害者と被害者の連帯、被害者と女性団体の連帯、日本と韓国の連帯、それを越えてアジアの連帯、――すべての立場の人たちが、人権と平和を共通分母にして連帯していく、そういうネットワークが重要です。20年間培ってきたネットワークの力で、「慰安婦」問題の立法解決を実現させていかねばなりません。」
「これまで国連やILO、アメリカやEUの議会、そして韓国や日本の地方自治体議会で決議が上がっていますが、それらを紙屑にしないようにしなければなりません。」
「今年2010年こそ、被害者の名誉と尊厳を回復する年にしたいと考えています。ここにいる皆様方も自分の足下から、問題解決に向けたネットワークを作っていただきたいと思います。」
* * *
第2部は、日本国内各地で可決されている「慰安婦」意見書の報告でした。大阪府堺市と千葉県我孫子市から、市議会議員が参加されています。
堺市議会議員の中井国芳さん(民主党・市民連合)からは、堺市での意見書可決に向けた経過を説明しながら、意見書採択のために何が必要か、議員と市民運動との信頼関係の重要さを語られました。
「堺市では2008年6月に、キル・ウォノクさんとイ・ヨンスさんのお話を12名の超党派の市議会議員でうかがったことがスタートでした。」
「皆さんは「慰安婦」問題の何たるかはすでにご存知でしょうが、議員は違うんです。議員の中には関心のある議員もいれば関心の薄い議員もいるのが現実。そういう中での意見書採択だということです。」
「意見書を可決させるとき、必ず可決させることが重要。否決させてはなりません。政治の場で堺市議会で否決となったら、「慰安婦」問題の解決はいらないということを堺市民の代表である議会が決定したことになります。政治的に大きな問題になるんです。」
「とにかく議会というのは難しいです。何が正しくて何が正しくないかというのはあるかもしれませんが、議員の認識度合いに差がある中で進めていかなければなりません。そこで市民運動団体がどうカバーしていくかというと、陳情される人たちは各会派の関心を持つ議員個々人と人間的な信頼関係を作ることが非常に大事です。時には秘密を守っていただくようでないと、議員の側もとても相談できません。そういう信頼関係がなければ、この微妙な課題では難しいし、意見書実現のための連携も出来ないということになります。」
「それと堺市の場合は途中で「もうあかんやんけ、否決やったら否決してもらえ」という声が、運動団体の一部からあったと聞いています。そういうことではなくて、やはりねばり強く地道にやる。草の根の運動をしているのだからナニクソという気持ちを持って欲しい。運動団体がキレてしもたら、意見書に反対する議員にとっては、思うツボですよ。そこのところをしっかりして、議員と市民運動がしっかりと連携してやって欲しいです。」
我孫子市議会議員の岩井康さん(共産党)からは意見書が可決された状況を説明され、またそれに対し右翼からの報告があることも報告がありました。
「実は我孫子市議会は18年前の3月議会で一度「従軍慰安婦などの戦後補償を求める決議」が可決されています。しかし実際にはこの間、日の丸の問題など議会内でも様々な右翼的な動きもあり、そんな中で「慰安婦」意見書を求める請願が出されたわけです。実際に議会で論議が始まると、賛成反対いろいろと論議が交わされました。「ビジネス的な『慰安所』とも聞いている」「強制連行があったとは聞いていない」などと言う議員もいました。」
「反対討論では「当時は娼婦・売春・女衒は国が認めていた」「強制連行はなかった」「『慰安婦』問題はすでに解決積み」などとの意見が出されましたが、賛成意見で共産党の市議会議員が一つ一つ論破しました。特に我孫子市民の中に生き証人がいて、その人がトラック島の中での『慰安所』が軍によって運営され、自分も管理の一部を任されていたのだと証言していること紹介し、反対意見を論破しました。」
「16対11で、16年前と同じように可決成立させました。」
その後、民主党、社民党、共産党、そして無所属の参議院議員から挨拶がありました。
その日、委員長不信任案が出されていて衆議院議員は禁足状態だったため、衆議院からの参加はありませんでした。しかし参議院からは議員9人と議員秘書27人の参加がありました。
ここでは議員参加者のお名前は紹介しませんが、少しだけ発言を紹介したいと思います。
「10件の「慰安婦」裁判は、先日海南島裁判の最高裁が上告不受理となり、敗訴で全てが終わりました。いよいよ政治の道で解決するほかないのだということがハッキリしたわけです。『戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案』は2008年までに過去8回上程されてきました。今の状況は厳しいかも知れませんが、「解決は粘り強く」と仰っていただいたように、ネットワークをもっと拡げて、なんとしてでも解決を実現しましょう。」
確かに、もう国会の場での立法解決しか、方法は残されていないのです。そして毎月のように被害者の訃報に接しなければならないほど、私たちには時間が残されていないのです!
なんとしても、国会での立法解決を実現しましょう。
立法解決を実現させるために、日本軍「慰安婦」問題の解決の必要を周囲に拡げましょう。そして日本軍「慰安婦」問題に理解のある国会議員を、ひとりでも増やしましょう。
「慰安婦」被害者への謝罪と補償、尊厳回復のために、私たちの足下から、できることをはじめましょう!
集会の最後、APYN(アジア・パシフィック・ユース・ネットワーク)の若者たちから、蝶々の形をしたたくさんの署名が手渡されました。
APYNはアムネスティー・インターナショナルが若者主体の人権団体として設立されました。
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