野党の中には、政策審議と閣僚問責・小沢氏の問題を分けるべきと考える政治家がいる。河野太郎氏は自身のメルマガで、閣僚の問責は、かつての額賀福志郎防衛庁長官問責決議を民主党が謝罪することで終結させ、予算案審議や税制改革などの政策の審議に入るべきだと主張する。同様な考えを持つ政治家は、民主・自民両党の中堅クラスに多いと思われる。
しかし、これは決して自民党の方針とならない。むしろ、菅首相の問責決議に進もうとすらしている。菅政権への支持率を急落させた国民が、冷静に政策論争の必要性を理解できると信じられないからだ。野党は、感情的な国民の反発を恐れて、国会審議を進められない。「熟慮の国会」が実現しないのは、国民の側に問題にも問題がある。
国民の不勉強に対する
政治家の不信
ある自民党中堅政治家と雑談した時、国民の政治に対する勉強不足を嘆く発言があった。例えば、国民の政権批判の1つに、「民主党政権と野党とのパイプのなさ」がある。民主党には、野党と腹を割って話せる政治家がいないために、「政権担当能力がない」というのである。
これは明らかに間違った認識だ。自社さ政権や金融国会での政策新人類の経験を共有する石原幹事長ら自民党若手中堅議員と民主党の間には確固たる人脈がある(第58回)。現在の問題は、与野党間にパイプがあっても、国民が感情的になっているので、それを使えないということだ。
55年体制の頃、自民党と社会党の間に、竹下登・金丸信氏と田辺誠氏のような、太い人脈が存在した。しかし、人脈があっても、国会で「強行採決」「審議拒否」は常に起きていた。自民党・社会党が国会で強硬策に訴えるか、妥協を模索するかを、常に世論の動向を見ながら使い分けていたのだ。
これは、政治学の大学一回生の教科書レベルの話だ。過去の事例を勉強していれば、菅政権の国会運営の困難は、与野党間にパイプがないからではなく、国民が野党の妥協を許さないからだとすぐにわかる。