きょうの社説 2011年1月1日

◎武士の家計簿 愚直な生き様がまぶしい
 加賀藩を舞台にした映画「武士の家計簿」が観客動員数で100万人の大台に迫り、こ の正月もロングラン上映を続けている。全国に先駆けて上映された石川県でも、6万人以上が鑑賞したというから、ありがちな「ご当地映画」人気の枠を超えている。もはや社会現象と言ってよいのかもしれない。

 武士の家計簿の制作費は、ハリウッド映画とは比べようもなく、派手なアクションはお ろか、刀を抜く場面すらない。これほど地味な作品がなぜ、大作や話題作がめじろ押しの正月映画のなかで、キラリと光る存在になり得たのか。年の初めに、この映画からもらった感動の中身をもう少し掘り下げてみたいと思う。

 時代は開国か、攘夷かで揺れた幕末から明治にかけての動乱期である。堺雅人さん演じ る御算用者(ごさんようもの)・猪山直之の日常は、風雲急を告げる時代の風とは無縁で、あきれるほど平和だ。同僚らが大部屋で一斉にそろばんをはじく光景は、パソコンに向かう現代の職場にそっくり。まさに刀を差したサラリーマンといった趣である。

 見事な危機管理術

 武士より商人の方が裕福な時代にあって、猪山家も気が付けば年収の2倍を超える借金 を抱えていた。2代にわたる江戸詰の役目で二重生活を強いられたのが痛かった。直之は一念発起、家財道具をすべて売り払い、入払帳(いりばらいちょう)(家計簿)をつけ支出を切り詰める。脇差しや姫君から頂いた茶器まで売り払う徹底ぶりである。貸し手に元金の4割を返し、残りを無利子10年返済とした交渉術も見事だ。

 900兆円もの借金を抱える現代日本は、収入の2倍を超える支出を満足に減らすこと も出来ず、財政赤字は増えるばかり。猪山家の大胆かつ的確な危機管理術に比べ、わが政治家たちの何とだらしないことか。爪のアカを煎(せん)じて飲ませたいと思った人も多かろう。

 私たちの暮らしは今、出口の見えないデフレや少子高齢化といった問題を抱え、閉塞( へいそく)感に満ちている。節約・倹約をテーマにしたこの映画は、現代の世相に見事にマッチした。身の丈に合ったつつましやかな暮らしは、もともと日本人が受け継いできた美徳である。額に汗して働き、ぜいたくを戒め、「お家芸」のそろばんの腕をひたすら磨き上げる。愚直過ぎるほど真っすぐな、猪山家の人々がまぶしく見える。

 映画の原作となった磯田道史さんの「武士の家計簿」によると、猪山家は、着たきりス ズメの暮らしぶりながら、実に所得の9割を消費に回していた。祝儀交際費や家来を雇う出費がかさんだからである。親族の不始末があれば「連座制」により累は一族に及ぶ。だから親類縁者は数日おきに相互訪問し、家族同然の濃密な関係を築いていた。印象的な「絵鯛」のエピソードも、実際は直之の長男ではなく、長女の数え2歳の祝いの席であった実話である。

 また、猪山家が家来と使用人の男女2人を雇っていたように、家来を雇うのは武家の義 務であり、避けられぬ出費だった。倹約を強いられたとはいえ、江戸時代の消費や雇用を支えていたのは、やはり武士階級であったことも知っておきたい。

 背景に武士道の精神

 新渡戸稲造が外国人向けに英文で著した「武士道」には、七つの徳目がある。正しき道 を行く「義」、義を貫く「勇」、他者へのあわれみの心である「仁」、仁の精神が育む「礼」、うそやごまかしを許さぬ「誠」、自分に恥じぬ生き方を貫く「名誉」、正義に値するものへの「忠義」である。

 映画の数々のエピソードは、皆どれかの徳目に当てはまる。武士道というと死を美化し 、命を軽んじる非人間的なイメージばかりが強調されがちだが、武士が武士らしく生きるための指針であり、明治以降は日本社会の道徳規範になった。戦後は見向きもされなくなったが、武士道の精神はもっと見直されてもよいのではないか。

 映画に描かれた猪山家の人々は明るく家族思いだ。「貧乏だと思えば暗くなりますが、 工夫と思えば楽しんでできます」。仲間由紀恵さんが演じる妻のせりふが泣かせる。時代に翻弄(ほんろう)されながらも、一族が支え合い、一日一日を大切に生きていく。そんなサムライ社会の平凡な日常にこそ学ぶべきことが数多くあるように思える。