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【東スポ創刊50周年企画「時空自在」】大みそか恒例のNHK紅白歌合戦で、第61回となる今回は注目の豪華衣装対決が見られない。昨年まで26回出場の美川憲一(64)が落選したことで、20年近くにわたりお茶の間を楽しませてきた一つの目玉がなくなったわけだが、過去には豪華衣装をめぐる事件も起きていた。今年で出場32回・豪華衣装の先駆者である小林幸子(57)と、同34回を誇る芸能界のご意見番・和田アキ子(60)のバトルだった。
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20世紀最後の紅白となった2000年の大みそかの紅白当日にバトルが勃発した。当時のことをある芸能プロ関係者は振り返る。「最終リハーサルが終わって、歌手のみんなが本番を待ち構えていたころです。ちょうど、和田が楽屋の近くでキムタク(木村拓哉)と談笑していたんです。周りには事務所スタッフの人たちやレコード会社の人らもいた。そこに小林が血相を変えて走ってきて、和田に向かって『私なりに区切りをつけたのに、あんなこと言わないで!』と詰め寄ったんです。その場にいたみんな、あぜんとなってました」
事の発端は小林が豪華衣装を「今年でやめる」と言い出したことに、和田が大みそか前日に「彼女は、お客さんを喜ばすためなら何でもやると言っていたのに。何でやめるの?」と疑問を呈したことにある。小林はその発言を新聞で見て、カンに障ったのだろう。「やめる」というのに対し、「何で?」と疑問を投げかけただけだ。決してバトルになるようなものではないが、ここには2人のただならぬ因縁があったのだ。前出の芸能プロ関係者は続ける。「一番最初に、電飾衣装を小林が作って出てきたときに、和田が『あれは衣装じゃない。装置だ』と言い出したのが2人の間を疎遠にした。後日、和田が『1年に1度しか会わない』と言っているように、全く接点はなく、紅白のステージでも必要以上には話さないといわれていた」
しかも、当時の和田の置かれた立場もある。「当時、和田は今以上に言いたい放題だった。いまでこそトーンは落ち着いているが“口撃”は激しく、他の紅白出場歌手から、『アッコさんは他の歌手のことを言いすぎる』と非難されていたこともあった。それも小林を後押しした背景でしょうね」(同)
このバトルは紅白以後も続き、小林は自分の公演の場で、和田は自分の番組で持論を展開し、ますます溝を深めていった。しかも01年の紅白にはこの問題が再燃。「やめる」といった豪華衣装だが、本番前には小林が「派手なもので」と用意があることを示唆。その発言に、和田が自分の番組で「『かくし芸みたいな衣装はやらない』と言っていたのに。ホント、イヤだ、演歌はウソつきが多いから」と発言し、演歌歌手全体にまで飛び火した。この年の小林は電飾などは使わずにバックダンサーの20人が小林の仮面をかぶって一緒に登場する演出となった。あるレコード会社関係者は「今の関係といわれても、『1年に1度しか会わない』仲ですから。互いに干渉しないようにしているというのが現状じゃないでしょうか」。溝は深まったままかもしれない。
<紅白の豪華衣装対決>紅白での小林の豪華衣装は85年の十二単が始まりと言われる。01年こそ電飾をなくして登場したが、02年には幅6メートルを超える巨大ドレスが復活した。
あるレコード会社のスタッフは「『やめた』ことでのファンの反応がすごかった」と振り返る。04年にも同じようなことが起きた。小林の出身地・新潟県で中越地震が発生。多大な被害が出たことで悩んだ。「豪華な衣装を見せることで被災地で苦しむ人の元気につながればという思いもある一方、家が崩壊した人もいるのに、我関せず、キラキラしたもので出てもいいものかと」(同スタッフ)
結局、2度目の大トリを務めた小林は作ってはいたものの、豪華衣装を封印し着物で出演した。前出スタッフによると「賛否はあったのですが、『楽しみにしていたのに』などという声が圧倒的でした。もはや、やめるにやめられないものとなってしまったってことですよ」。
03年には、クジャクをイメージした幅13メートル、高さ約8メートルの羽が全開しないハプニングも発生。逆に大きな話題となった。 小林対美川という対決構造では、互いのリハーサルを見て小林が「憲ちゃん(美川)のは以前、私がやったのと同じことよね」。
一方、美川は「あれくらいだったら私の方が上ね」と言い合っていた。その光景も今年は見られない。
20世紀最後の紅白となった2000年の大みそかの紅白当日にバトルが勃発した。当時のことをある芸能プロ関係者は振り返る。「最終リハーサルが終わって、歌手のみんなが本番を待ち構えていたころです。ちょうど、和田が楽屋の近くでキムタク(木村拓哉)と談笑していたんです。周りには事務所スタッフの人たちやレコード会社の人らもいた。そこに小林が血相を変えて走ってきて、和田に向かって『私なりに区切りをつけたのに、あんなこと言わないで!』と詰め寄ったんです。その場にいたみんな、あぜんとなってました」
事の発端は小林が豪華衣装を「今年でやめる」と言い出したことに、和田が大みそか前日に「彼女は、お客さんを喜ばすためなら何でもやると言っていたのに。何でやめるの?」と疑問を呈したことにある。小林はその発言を新聞で見て、カンに障ったのだろう。「やめる」というのに対し、「何で?」と疑問を投げかけただけだ。決してバトルになるようなものではないが、ここには2人のただならぬ因縁があったのだ。前出の芸能プロ関係者は続ける。「一番最初に、電飾衣装を小林が作って出てきたときに、和田が『あれは衣装じゃない。装置だ』と言い出したのが2人の間を疎遠にした。後日、和田が『1年に1度しか会わない』と言っているように、全く接点はなく、紅白のステージでも必要以上には話さないといわれていた」
しかも、当時の和田の置かれた立場もある。「当時、和田は今以上に言いたい放題だった。いまでこそトーンは落ち着いているが“口撃”は激しく、他の紅白出場歌手から、『アッコさんは他の歌手のことを言いすぎる』と非難されていたこともあった。それも小林を後押しした背景でしょうね」(同)
このバトルは紅白以後も続き、小林は自分の公演の場で、和田は自分の番組で持論を展開し、ますます溝を深めていった。しかも01年の紅白にはこの問題が再燃。「やめる」といった豪華衣装だが、本番前には小林が「派手なもので」と用意があることを示唆。その発言に、和田が自分の番組で「『かくし芸みたいな衣装はやらない』と言っていたのに。ホント、イヤだ、演歌はウソつきが多いから」と発言し、演歌歌手全体にまで飛び火した。この年の小林は電飾などは使わずにバックダンサーの20人が小林の仮面をかぶって一緒に登場する演出となった。あるレコード会社関係者は「今の関係といわれても、『1年に1度しか会わない』仲ですから。互いに干渉しないようにしているというのが現状じゃないでしょうか」。溝は深まったままかもしれない。
<紅白の豪華衣装対決>紅白での小林の豪華衣装は85年の十二単が始まりと言われる。01年こそ電飾をなくして登場したが、02年には幅6メートルを超える巨大ドレスが復活した。
あるレコード会社のスタッフは「『やめた』ことでのファンの反応がすごかった」と振り返る。04年にも同じようなことが起きた。小林の出身地・新潟県で中越地震が発生。多大な被害が出たことで悩んだ。「豪華な衣装を見せることで被災地で苦しむ人の元気につながればという思いもある一方、家が崩壊した人もいるのに、我関せず、キラキラしたもので出てもいいものかと」(同スタッフ)
結局、2度目の大トリを務めた小林は作ってはいたものの、豪華衣装を封印し着物で出演した。前出スタッフによると「賛否はあったのですが、『楽しみにしていたのに』などという声が圧倒的でした。もはや、やめるにやめられないものとなってしまったってことですよ」。
03年には、クジャクをイメージした幅13メートル、高さ約8メートルの羽が全開しないハプニングも発生。逆に大きな話題となった。 小林対美川という対決構造では、互いのリハーサルを見て小林が「憲ちゃん(美川)のは以前、私がやったのと同じことよね」。
一方、美川は「あれくらいだったら私の方が上ね」と言い合っていた。その光景も今年は見られない。
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