(cache) 連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」

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第25週「独立宣言」

9月13日(月)〜9月18日(土)/第145回〜第150回

昭和59年の秋。修平(風間杜夫)がこの世を去ってからひと月ほどがたったある日、布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)の長女・藍子(青谷優衣)のもとに東京都の教員採用試験の合格の通知が届く。娘に水木プロの仕事を手伝ってほしいと思っていた茂は不満をあらわにする。娘を手放したくないというのが茂の本音で、教員になったらどこに赴任することになるかわからないのが茂には我慢できなかった。茂と藍子の間で板ばさみになり、さらには次女の喜子(荒井萌)からも家の雰囲気が悪くなると言われ、布美枝は困惑してしまう。茂の気持ちもわかってやって欲しいと藍子に諭すが、逆に藍子は「水木しげるの娘」ではなく、「村井藍子として、自分のことは自分で決める」と布美枝に宣言する。藍子のきっぱりとした言葉に、布美枝の心は揺れていた。

強烈な個性の持ち主である絹代(竹下景子)と何事もなく同居している布美枝に対し、雄一(大倉孝二)の妻・佐知子(愛華みれ)は「よくやってくれている」と感謝を伝える。藍子は教員採用を辞退させることまで考えていた茂への反発をつのらせて、友人の智美(水崎綾女)に愚痴をこぼす。そこに偶然居合わせた浦木(杉浦太陽)は、茂はいまだにガキ大将なんだと藍子に話す。浦木は修平の仏前に線香をあげるため、藍子とともに村井家へ向かう途中、しゃがみこんでいる老夫婦に出くわす。なんとそれは源兵衛(大杉漣)とミヤコ(古手川祐子)だった。

藍子が教員採用試験に受かった話を聞いて源兵衛も喜ぶが、娘を家に置いておきたいという茂の思いも理解する。源兵衛は藍子を手放さずにすむための一計を案じ、藍子に見合いをさせるよう茂に促す。茂もその気になり、義姉の佐知子に手配を依頼する。藍子に黙って見合いを進めるのは、よしたほうがいいと心配する布美枝だが、茂は聞く耳持たない。しかし結局は藍子に知られてしまう。

源兵衛の計画も失敗に終わり、どうしても教師になると言い張る藍子と、それに反対する茂との対立は深まるばかりだった。夫・修平に先立たれた絹代とミヤコはしみじみと語り合い、それぞれの思いを理解する。源兵衛とミヤコ、布美枝と藍子、喜子はそろって深大寺を訪れる。そこでミヤコは父親の気持ちを安来節にたとえて藍子に話して聞かせ、源兵衛や茂の行為は藍子のためを思ってしたことだと話す。藍子と喜子は源兵衛・ミヤコ夫婦と茂・布美枝夫婦はとても似ているから仲良くやっていけるのだと微笑みあう。 昭和60年4月、藍子は念願かなって都内の小学校に赴任することになった。しかも赴任先は家から通える学校であった。

教師の仕事をがんばっていた藍子だったが、しだいに元気のない様子を見せはじめ、梅雨に入ったころにはかなり追い詰められたような言葉を口にする。目立たない子供のいいところをクラス中に紹介しようとしたことが、えこひいきをしているととられてしまったのが原因だった。藍子は深く落ち込んでいた。受け持ちのクラスはガタガタ。父兄たちからも批判される始末。

藍子はある日、布美枝に弱音を吐く。喜子は茂に藍子を励ましてくれるように依頼する。藍子は『頑張った藍子を見ていて感心していた。だから早急に答えを出さずによく考えるように』と話していた布美枝の言葉を思い起こしていた。そのとき茂が子供部屋にやってきて、自分の仕事場にも張ってあるゲーテの格言を藍子に手渡す。

茂:好きなことをして生きるのはえー。けど、好きと、楽することとは、ちょっこし違う
藍子:・・・
茂:苦しいことや嫌なことがあっても、それでもやらずにはおられんのが、本当に好きなことだ
藍子:・・・
喜子:・・・
茂:だけん、迷ったり悩んだり、落ち込んだり、苦い思いもしてみんことには、好きなことはなんなのか、本当はわからんのだよ
藍子:・・・
茂:人は神さんではないけん、世の中を思い通りには動かせん。やるだけやってもうまくいかないときは、好機の到来を待つほかない。・・・人間にできるのは、それだけだ
(茂、藍子の方をポンとたたき、)
茂:戦わずして土俵を下りるのが、いちばんつまらんぞ
藍子:うん・・・
喜子:・・・
(布美枝、戸口で見ていて、)
布美枝:お父ちゃん・・・

藍子は元気を取り戻し、明るく出勤するようになった。喜子は短大を卒業した後、水木プロの仕事を手伝う気になっていた。そして昭和60年の10月、鬼太郎の3度目のアニメの放映がスタートした。水木プロには各所からお祝いの電話が、ひっきりなしに舞い込んでいた。そんな電話に混じって安来から源兵衛が倒れたとの連絡が入ってきた。