核兵器開発疑惑で米国から敵視されるイラン。日本は10月、この中東の大国で長年続けてきた世界最大級の油田開発事業から完全撤退した。油田の名はアザデガン(埋蔵量260億バレル)。米外交と一線を画した油田開発は「独自外交の象徴」とまで言われてきた。撤退の内幕を追うと、自国のエネルギー安全保障を巡る日米中3カ国の水面下の攻防が見えてくる。イラン包囲網の強化に躍起の米国、米国に恩を売った形の日本。そしてイランの油田開発の主役は中国に代わった。【「転換期の安保」取材班】
イラン南西部フゼスタン州。中国が開発主体の大規模油田が密集する。先月、記者が州都アフワズを訪れると、空港でも高級ホテルでも、外国人の大半は中国人だった。
アフワズの北東130キロ。中東で最初に発見(1908年)された油田マスジェデ・スレイマン近くの街に6階建てのマンションがあった。レンガ積みの周囲の粗末な家並みの中で異彩を放つ。
地元で「キャンプ・チニー(中国人)」と呼ばれ、約200人の中国人の油田労働者が暮らす。専用食堂があり、労働者は現場と宿舎を往復する日々だ。入り口は制服姿のイラン革命防衛隊員が警備しており、地元住民との接触はないという。タクシー運転手(42)は「中国企業は労働者も機材も何でも自国から持ってきて、地元には何ももたらさない」と不満げた。
近くのアザデガン油田でも、日本に代わり主導権を握ったのは中国企業だった。「中国はひたすらつばをつけるように石油や天然ガスなどのエネルギー権益をあさってきた」と、テヘランの石油業界筋は指摘する。
中国はイランとの貿易、投資を活発化。2国間の貿易総額は今年、10年前の約10倍(300億ドル)に膨らんだ。イラン核問題を巡り国連安保理が再三の制裁決議を採択し、米欧などがイラン包囲網を強めているのとは対照的だ。
米国では今年7月、「北朝鮮をしのぐ脅威」(外交筋)と認識するイランに対し、同国進出企業への制裁を盛り込んだ独自の制裁強化法が成立。これを受け欧州の石油メジャー4社がイランでのエネルギー開発からの撤退を表明した。
アザデガン開発を進める日本の国策会社「国際石油開発帝石」(INPEX)に対し、米国は「制裁対象にINPEXを加える可能性」を伝えた。日本側はこれを受けてイランでの「足場」を放棄。9月30日、開発からの撤退が明らかになった。
折しも、9月7日に尖閣諸島付近で日本海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突する事件が起きた。日中間で緊張が続く中、米国は「日本政府の立場を全面支持する」(国防次官補)と表明。沖縄の米軍普天間飛行場移設問題が迷走する中、外交筋は「日本が米国に『撤退』というカードを切った形だ」と語る。つまり日本はアザデガンを手放すことで、借りを返した(または恩を売った)格好となった。
イランは79年のイスラム革命を機に親米から反米に転換。両国は敵視を続けてきた。とかく「対米追随」と皮肉られる日本だが、イランとは友好関係を維持してきた。その証しとしての「アザデガン」だった。
だが、中東エネルギー問題の専門家、畑中美樹氏は「(メディアで流れた)『アザデガン撤退は痛手』との指摘はナンセンスだ」と語る。
アザデガンの油質は、主に工業用の重油質で精製コストがかかる。油層も複雑で高度の開発技術が必要だ。日本側は、06年には当初の開発権75%から65%を手放し事業主体から退いている。日本側には「開発権をわずかでも維持することは国益だ」との見解がある一方で、多くの関係者が「実は撤退のタイミングを見計らっていたのが真相」と指摘する。「米国の圧力を『渡りに船』とうまく逃げ切った」との安堵(あんど)感も漂うのだ。
日本の撤退の背景には、INPEXがインドネシアなど各国への事業多角化を進める中、イラクで確認原油埋蔵量が急増するなど石油供給源としてのイランの価値が低下してきたこともある。
国際的なイラン包囲網では原発建設や軍事ビジネスでイランに利権を持つロシアも、高性能防空ミサイルシステム「S300」のイランへの売却契約破棄を発表(10月)するなど、米欧に歩み寄りを見せる。
問題は中国の対応に絞られ米国はアメとムチで中国への懐柔策を本格化させている。
今年に入り、米国は中東アラブ諸国に対し、中国がイランから輸入している石油を肩代わりするよう要請して回っている。アラブ諸国は好意的だ。イスラエル同様にイランの核武装を警戒しているからだ。
また、米国は中国石油企業に対し、かつてはあり得なかった米エネルギー企業への投資を容認する姿勢を示すなど米国内でのビジネス展開を後押ししたりしている。
一方、全米最大の年金運用基金カルパースなどはイラン投資を続ける中国企業を「ウオッチリスト(要警戒企業)」に掲載。これらはニューヨークなどの株式市場に上場しており、米側が「投資不適格」と判断すれば、株価は一気に下落する。中国側の動きをけん制しているのだ。
在テヘランの中国・新華社通信の記者は「中国のイラン進出企業も制裁の影響は顕著だ。米ドルでの銀行決済ができなくなり、事業の現状を維持するのが精いっぱいだ」と解説した。
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毎日新聞 2010年12月15日 東京朝刊