2010年12月30日

2010.12.30.

この度は私の不徳の致すところで、多くの人にご迷惑をかけたり、不愉快な思いをさせたことをここにお詫びします。申し訳ありません。

一言で言えば、年50以上のアマ大会を中心に諸々の業務をこなすだけで精一杯で、
もともと不得意な経理処理がお留守になっていたことは確かです。明らかなオーバーキャパシティでした。

既に昨日、中井会長と税務署を訪れて現状を話し、対処に関する相談を行いました。
恥ずかしながら自分の知らない話も多く、税に関する無知を思い知りました。

さすがに今回は自分の不甲斐なさに落ち込みました。文字通り寝込みましたし、一時は病的な鬱状態になりました。みんなにこんな迷惑を掛けて、もう死んじまったほうがいいなと本気で思った瞬間も何度もありました。人はああいう時に自殺を考えたり実行してしまうんでしょうね。家族がいなければ私も危なかった。不謹慎かもしれませんが、とても貴重な経験でした。

しかし“アンチ若林”な人達には残念なお知らせですが、元来厚顔無恥だからなのか、心臓に毛でも生えてるのか、いまはすっかり復活しています。これも私を励ます電話やメールをくれた方々の、心に染みるお言葉があってのこと。心から感謝いたします。

今回の件で久しぶりにいろいろネットの掲示板を見ましたが、私のことはともかく、中井さんや弟のことまで中傷したり揶揄したりする発言があったのは心が痛みました。ちなみに今はもう、あちこち見るのは止めてます。朝日さんのブログも読ませていただきましたが、「会議に呼んだが無視した」という部分は誤認だと思います。確かに韓国選手権のため大邱に滞在している時に一度だけ着信があったようですが、着信時には気付かず、伝言も残っていなかったため韓国からのコールバックはしなかったということはありましたが。他にも私の記憶と違っている部分がいくつかありました。

またどこの掲示板に書いてあったかは忘れましたが、「若林は女子選手をどうたらするために女子修斗を旗揚げした」なんていう酷いのもありました。私に対してはともかく、試合に出場してくれた女子選手に失礼な発言です。

しかし一番ニュアンスが現実と違うなと感じたのは、「若林は利益を独占するために、人に仕事をさせなかった」的ニュアンスがあったことです。私が嫌いだとか、私がすぐ怒るから怖いという理由で、自分から言い出せなかった人は確かにいるのかもしれません。しかし何かしてくれるという人を断ったことはありません。そして協会に関する様々な業務に関しては、そのほとんどを長年一人でこなしてきた自負もあります。まあ、こなさざるを得なかったとも言えますが。

ずいぶん前、まだ全日本の出場選考が始まったばかりで、選考結果を一人一人に郵送していた頃の話です。この時すでに事務局長でアマチュア普及委員長だった私は、
書類制作からコピー、折って封筒詰めし、ポストに投函するまでの全作業を徹夜で一人でこなしていました。
直後の理事会で「作業量的に一人では無理。全理事でなくとも、せめて執行部であるはずの会長ぐらいは手伝ってほしい」と訴えたところ、時の会長から
「俺は封筒詰めするために会長になったんじゃない」と言い捨てられ、
「これはもう一人でやるしかない」と決意したことがありました。
思えばこの頃から、私の業務的な孤独は始まっていたように思います。

最近でも面倒な事案があると「協会は若林さんと若い奴に任せてるから」と、
取り合わない理事もいたようです。

しかし協会内に仕事をしてくれる人がいなかったというだけで、
私は一人だけでアマチュア修斗を続けてきたわけではありません。
「この人がいたからこそ」という、その地区の中心的存在となる
積極的な協力者が全国各地にいました。

北海道は俵谷実代表とパラエストラ札幌の面々。
北東北は西塚丈人代表とパラエストラ八戸の面々。
南東北は佐藤豪率いるパラエストラ仙台&福島と波紋會の皆さん。
会場を押さえるのが大変な関東で大きな力となってくれたのは阿部直之代表と総合格闘技道場STFの面々。
新潟&上越地区は、佐藤孝代表のパラエストラ新潟と梨本洋平代表のパラエストラ上越、そして風田陣さんのピロクテテス新潟。
中部地区は鈴木社長のALIVEと清水宗元代表のパラエストラ岐阜。
北陸地区は福本吉記代表のクラブ・バーバリアンと青山忍代表の和術慧舟會富山支部S.P.O.。
関西地区は中山巧代表のパラエストラ大阪の面々と小池館長率いる直心会のみんな、そして田中達憲代表の和術慧舟會兵庫支部。
中国地区は藤田善弘さんとパラエストラ広島の面々、影山資朗代表のゼロ戦クラブと山本陽一代表のセコンドアウトの皆さん、岡田剛史代表のTKエスペランサ、村井貴史選手と毛利道場の皆さん。
山陰地区は渡辺達郎さんと元PURBRED柔術チーム鳥取のみんな。
四国地区は香川が船川健吾さんのTNLと、藤本公和代表のTEAM BLAZEの面々。
徳島は梶本浩之代表のアンドレイオス。愛媛が林哉宏代表のパラエストラ愛媛で、高知が川上辰之代表のチーム一領具足のみんな。
九州地区は後藤富一代表のパラエストラ北九州と上野九平さんと泊憲史代表のパラエストラ博多、赤崎勝久の赤崎道場A-SPIRIT。
南九州が近田哲二代表の総合格闘技近田道場。
そして沖縄が地元出身の松根良太。

中には現在、私と疎遠になってしまっている人もいます。
もろもろ理由はありまずが、それも私の狭量が故でしょう。
アマチュア普及の任を終えた今は感謝の気持ちしかありません。

結果的に解任という形でキャリアを終えることになりましたが、
アマチュア普及委員長は元々年内で辞任しようと思っていました。

最初に辞任を考えたのは今年2月。
いつまでも変わらない協会の依存体質を変えるには、
私が辞めるしかないと思い至った時でした。

そしてなによりも大きかったのは体調面です。
仕事のせいだけでなく、日頃の無理や不摂生のせいもあるのでしょうが、
ここ数年は平気な振りをしつつも常に体調不良の傾向にありました。
今年に入ってから、特に夏頃には体調不良が顕著化。
この頃には「やってもあと3年」というリミットを決めていました。
9月の全日本は乗り切ったものの10月にはついに脳梗塞を発症。
しかし症状が奇跡的軽かったのと、頼れる人がいないという理由で
担当医師の許可を貰って1ヶ月で現場復帰しました。
やはり自分が決めた大会スケジュールには、やはり責任がありますから。
しかし来年度を今年と同じスケジュールで乗り切る自信は、
いざという時の踏ん張りがきかない今の私にはありません。
これで年内がリミットであることは決まりました。
そして責任が持てないであろう来年の大会に関しては、
私がスケジュールを決めることをあえて避けてきました。

長らく依存体質だった協会の中に代わりにアマを運営してくれる人がいるだろうか?
そのことはずーっと私の不安材料でした。
それを考えると、私自身にとっては不名誉なことであっても、
修斗の未来を考えて愚かな私を解任しようという活発な動きが起こったことは、
その依存体質に途方に暮れていたこれまでの状態と比べれば、
とても救いのある出来事だったと思います。

修斗の未来のために、日本のMMAの未来のために最も重要なことは、
今まで以上に大会を行って、今まで以上に選手を増やして、全体のレベルを上げていくしかありません。
日本の野球選手がメジャーリーグで活躍することができるのも、
日本全国で草野球や少年野球が行われ、
高校野球という若人が血を燃やす舞台があればこそ。
裾野が広いからこそ山は高い。
総合格闘技にしてもこれは同じ事でしょう。

大会を行う事ぐらいは、やる気と頑張る気さえあれば、誰にでもできます。
ましてや修斗の未来を考えて全国でたくさんの人が立ち上がったとのことですから、
私一人が無理してやっと取り回していたこれまでのアマ修斗よりも、
多くの人が協力しあうであろうこれからのアマ修斗のほうがおそらく安泰でしょう。
後はよろしくお願いします。

これまで私にご協力いただいてきた方々には、
私なき後もアマチュア修斗へのご協力を節にお願いします。
もちろん、必要があれば私も協力を惜しみません。
まあ必要とされて、体力的に可能なかぎりならばということになりますが。
なおこれまで私が管理していたSHOOTO NEWS BLOGの運営は、
既に坂本一弘さんに託してあります。
掲載などに関するお問い合わせ、情報はサステインまでお願いします。

坂本さんにご招待いただいたので、1月10日の後楽園は基本的に会場に見に行くつもりです。
ただし病み上がりのポンコツなので当日の体調次第ということになりますが。
本ブログをご覧の方も、ぜひとも当日は後楽園へ。
なお同大会のチケットはただいま絶賛発売中です。

ban10tyo at 01:08│Comments(0)この記事をクリップ!

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