2010年12月30日

不逞者を斥(しりぞ)ける至高の徳

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排外主義にもなれない日本人に未来などない!

インド人学生自殺は多民族・多人種・多文化共生の不可を示す一例

 常に加害者は日本人だとされる。

 教育現場における外国人生徒の存在が顕在化しているが、そこで問題視される側が常に日本人であることに憤りを覚えずにはいられない。

outemon03 群馬県あたりでは混血の小学生が自殺したことがニュースとなったが、大阪府茨木市の追手門学院大学(=写真= 落合正行学長)では3年前の平成19年6月8日、同大学経営学部に通っていた在日インド人の男子学生が兵庫県神戸市内の自宅マンション8階から飛び降りて自殺した問題で、このほど大学側が「自殺の原因としてイジメの存在を否定出来ない」と認めたことが大きな話題となっている。
 
 伝えられるところによると、学内ではこの在日インド人の男子学生に対してズボンを脱がせたり、使いっ走りをさせ、あるイスラム過激派組織の首領の名前をあだ名につけるなどしていたことが調査で明らかとなったとされる。
   
 男子学生は自殺の直前、両親宛ての遺書を残しており、そこには「学校で受け続けたイジメ(中略) 僕はもう限界」などと書かれていたという。
 遺族は同大学に調査を求めていたが、大学側が応じなかったとして今年8月、「大阪弁護士会に人権救済の申し立て」を行ない、大学はマスコミ報道で自殺問題が公(おおやけ)になった後の10月、第三者委員会を設置し調査を進めていたものだ。

crm1008311400015-p1 同大学は幹部職員らの処分を表明。なお、死亡したインド人学生の母親は支援者を通じて「もっと早く調査していたら、夫も後を追って自殺することはなかったと思う」とコメントしたが、この夫(インド人学生の父)の後追い自殺というのもこちらではその真相を明らかにすることは出来ない。

 だいたい、この手の「事件」が明るみになった時、まるで仕立てられたかのように都合よく日本国内で支援者が存在するものだが、あたかも外国人を虐げられた弱者で被害者であるかのように演出し、何らの非もない日本社会を叩いて貶めることにエクスタシーを見出している社会運動勢力(左翼・人権派)が存在するのだから実に厄介なことだ。

 仮に自殺に追い詰めるまでのイジメがあったことが事実であったとしても、外国人が公然と日本国内の学校に通っていられること自体がそもそもの問題の発端である。
 これを機に、むしろ見直すべきは日本人学生と外国人学生との間に学校内でも大きな隔たりが生じ、世間で言うところの「共生」やら「国際化」などはまったく実現していないことを示す現行の「外国人留学生受け入れ政策」のほうであろう。

 ひいては留学ではなくとも、大学から小学校に至るまで外国人の子弟が日本の学校に通うまでに行き過ぎてしまった「外国人受け入れ方針」こそは抜本的に見直されるべきである。日本国として特定技能に基づく労働や留学期間を終えてからの日本での就職を際限なく認めることのないように。

 異なる人種・民族への差別や偏見、迫害をなくそうとは国家社会としての理想ではあっても日本人個々において、どの国の人間を好きになろうが嫌いになろうが個人の自由で勝手。すべての日本人にインド人だの支那人(中国人)だの朝鮮人といった外国人と仲良くせよなどと強要するほうが暴論というものだろう。

 一体いつから全ての外国人と手を取り合うべきなどという誤った概念が常識となったのか。

 外国人生徒へのイジメが問題だとするなら、全ての外国人の権利を際限なく受け容れろという強要こそは壮大なスケールでの「日本人イジメ」だと言える。

 大阪の大学でのケースにせよ、イジメを苦にした自殺は外国人に限ったことではなく、日本人同士それも小中学校レベルでも多発していることだが、外国人が当事者の場合のみ左翼系弁護士を擁した人権救済機関が速やかに動き出すというのも解せない。

 インド人学生の自殺とは反対に国際結婚詐欺(重婚)事件ではインド人やパキスタン人の男によって日本人女性が騙されたというケースを私は自身の活動を通じて数限りなく見聞きしているが、それら生涯を狂わされるほどの被害に遭った日本人女性がいくら法務省なり入国管理局なり関係機関に救済を求めても必要な措置がとられることは皆無に等しい。

 これこそは著しい人権侵害で、同様の被害は潜在的なものも含めて膨大な数におよぶと思われるが、常にインド人やパキスタン人など外国人の側が被害者で、日本人の側が加害者であり、仮に被害を被ったとしても日本人なら黙っていろと言わんばかりの現在の社会通念と国・行政の施策は紛れもなく日本人イジメだ。

 現在、世界各地では多くの日本人がその国々で外国人として厳格に「区別」されながらも暮らし、またある者は強烈な差別・偏見・迫害に遭いながらも日々逞しく日本人として暮らしている。その日本人が母国・日本においてさえ外国人によって虐げられ、常に加害者扱いで何らかの被害に遭っても救済されないとなれば救いがない。
 まだ外国で暮らしていたほうが良いのではないかと思えるほどに。

 結局、等しく共生することを理念としたはずが外国人ばかりを優遇し、日本人を虐げる結果となる。これが多民族・多人種・多文化共生の「正体」に他ならない。

 在日外国人のうち80万人以上となって約60万人の在日朝鮮人を追い抜いてトップに躍り出た在日支那人をはじめ、現在の日本にはフィリピン人やブラジル人、バングラデシュ人、イラン人、インド人、パキスタン人など実に雑多な外国人が不法・合法を問わずに混在している。

 埼玉県川口市の芝園団地では支那人との生活上のトラブルが絶えないし、さるアパート・マンションではベトナム難民の住人が上階から洗濯水を垂れ流すことが問題となり、堪りかねた日本人住民が管理会社や役所にまで苦情を申し立て、問題のベトナム人住民に対して口頭での注意が何度となくなされたが、それでも一向に改善の気配がない。

 異なる人種で異なる文化を持つ民族なのだから埋め難い「違い」が生じるのは当然で、日本人の反発が起きて衝突が生じてしまうのは必然。

 ましてインド人のようにIT分野などごく一握りの知的階層の他は、圧倒的多数が土人も同然のような暮らしぶりをしてきた連中に日本の文化・習慣に馴染ませるように注意しようが教育しようが土台無理なのである。
 逆に我々日本人が彼らの母国での文化や習慣といった暮らしを理解することは到底不可能であるように。

 さる大アジア主義を標榜する日本の右翼活動家は、不良外国人に対してさえ日本人の高尚さと徳を以って彼らを感化し教育し直すべき旨を云々しているが、すでに日本人がそうした偉大性を喪失して久しいというのにアホかと言いたくなる。
 高尚さと徳を云々するなら、海の外から入って来た不逞者を即座に叩きのめして追い出す戦いこそ「至上の徳」であり、身を以ってした教育と言えよう。

 こうした大アジア主義の日本の右翼は、天皇を中心として強く団結して欧米と戦った時代の日本国をそのまま思い描いているのかも知れないが、アメリカの侵略を排し、そして支那・中共の侵略をも排したベトナムによってその主役の座は数十年も前に日本ではなくなっている。

 話を元に戻すが、日本で差別され自殺にまで追い込まれたと被害を主張する外国人は、母国へ帰れば身分制度や貧富の差によってそれこそ熾烈な差別や偏見・迫害にさらされるような連中なのだ。

 そんな連中から外国人に最も優しいとされる日本が被害を訴えられるような謂われはどこにもない。

 肌の色や目の色が違えば警戒するのは当然、文化・習慣が異なれば対立が生じ、やがて追い出そうとする排外思想が台頭するのは民族社会の必然!

 外国人は日本で暮らしてこられただけ有り難いと思え!

 日本人が差別意識に凝り固まっていて嫌だと思う外国人はとっとと出て行け!

 在日外国人が横暴を極め、かつてないほどに増長した現今の日本において排外主義こそは「至高の徳」である!

 日本で日本人が最も保護されない状況にあって排外主義の重要性を理解しなければ日本人に非ず!

 排外主義にもなれない日本人に輝ける未来など保障されない!

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Posted by samuraiari at 03:39│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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