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[24455] スワジク姫物語 旧題【習作】逆ハーものを自分が書いてみたらどうなるかの実験【TSだよ】
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/17 05:30
 逆ハーものとか色々読んでみて、これTSした男性が主人公になったらどうなるのだろうと思って書いてみた。なるべくなら逆ハーのテンプレに沿って書いてゆきたいなぁと思いつつ、逆ハーのテンプレって何だ? と不安に陥る今日この頃。

 あと出来るなら逆ハーフラグを叩き折りたいなぁ。折れるのかどうかわからないので、今はまだ希望的な所信表明をしてみたりみなかったり。
 ☆小説家になろう!に本作品を登録しました。☆

  旧題【習作】逆ハーものを自分が書いたらどうなるかの実験【TSだよ】
 思うところがあって、タイトルを変えました。もともとこの作品の題名は未定だったので、まあいい機会かなと。あ、でも逆ハーを諦めたわけじゃないんだからね!!



うん、皆さんのご意見を反映して以下の部分を改善いたしました。
これで少しでも良い文章、雰囲気をお届けできればと思います。
っていうか、読者と一緒にSSを作っているような気がして、なんだかオラわくわくしてきたぞ、てな感じになっております。

 修正点 1.主人公のスープ直飲み訂正
      2.ルビ打ちの解除
      3.主人公の発言時の1人称を私に部分変更
      4.7話の窓枠での情事、9話での指示語表現の訂正
      5.19話の債権2箇所を債務に訂正



[24455] 1話「ここは何処? ボクは誰?」(ルビ抜き修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/25 12:37
 真っ暗な闇の中、ふわふわと漂う自分の意識。
 まるで光の届かない深海にいるようだ。
 何も感じることが出来ず、何にも聞こえない。
 手や足を動かしてみるけど何にも手ごたえが無く、むしろ手足があるのかさえ疑わしかった。
 声を出そうとしても、もちろん出ているかどうかも分からない。
 なのに自分がここに在るのだけは、しっかりと自覚できた。
 いったいどれくらい闇の中を漂っていただろう?
 闇の中に何か違和感を覚えたので周囲を探ってみると、うっすらとした細い線の様な光とそこから零れ落ちてくる微かな音に気がついた。
 なんだろう?
 そう思って光へと近づこうと僕は手と足を必死に動かした。
 もちろん何の感触も実感も感じないけれども。
 それが功を奏したのか、じわりじわりと意識が光に向かって近づいてゆく。
 少しづつ大きくなる胸の鼓動。
 だけども光に近づくにしたがって、自分の体が冷たくなっていくのが分かる。
 あと息苦しい。
 聞こえていた音もだんだんと騒音に近いレベルになってきて、正直頭の中でぐわんぐわんと木霊している。
 うぇ、吐きそう。
 さらに意識が浮上する。
 僕は、さっきから聞こえていた音が誰かの叫び声だという事にようやく気がついた。


「早くタオルと着替えをもってこい! 濡れたままじゃ体温が下がる一方だ」
「まだ息は吹き返さないのか? 大分時間が経っているんだぞ!!」
「うるさい! 俺だって一生懸命やってるんだ! それよりも早く医者を連れてきやがれ!!」


 複数人の野太い声が聞こえる。
 誰か倒れたのかな? それとも溺れた?
 でも、正直うるさい。 
 ああ、頭がガンガンする。


「くそっ、もう一回息を吹き込むぞ!」


 そういう声とともに、僕の唇に生暖かい何かが押し付けられた。
 一気に送り込まれる大量の空気。
 送り込まれた空気が肺の中に入ったかと思うと、胸の奥から生暖かいものが逆流して喉を蹂躙する。


「うぼぅえ」


 一気に胸につっかえていた何かを吐き出したら、凄い咽てしまった。
 涙も鼻水も止まらない。
 廻りの声がいっそうやかましくなったが、もうそんな事に構っていられるほどの余裕などなかった。
 激しく繰り返す嘔吐と咳に横隔膜が痙攣を起こしかけ、死ぬほどの苦しみにのた打ち回った挙句、僕はあっさりと意識を手放した。



 どれ位闇の中を彷徨っただろうか。
 再び僕の意識は闇の底から浮かび上がる。
 今度は死ぬような苦しみとはまったく無縁の、穏やかな目覚めだった。
 しばらく焦点の合わない画像に苦労したけど、大人しく待っていればすぐにピントが合ってきた。


「知らない天井だ」


 そんなお約束な科白をはいてから、自分の現状を把握してみる。
 まず、見知らぬ天井、綺麗なシャンデリアwith蝋燭、そして割と離れたところにある大きな窓。
 壁は真っ白でしみ一つ無いし、壁から突き出ているアンティークな燭台は高価そうだ。
 ふかふかとした枕に、糊の効いたシーツ。
 一流ホテルのベッドに寝かされている気分だ。
 まだ少し頭がクラクラしているけれど、それでも最初の目覚めよりずっと気分がいい。


「喉、渇いたな……」


 ぼそりと呟いた独り言に違和感を覚える。
 あれ? 僕の声ってこんなに高かったっけ?
 そう思って頭を掻こうとすると、挙げた手に絡みつくサラサラな何か。


「うわっ、すっげー綺麗な髪だなぁ。銀色の髪なんて生まれて初めてみたよ」


 もともと僕の声は女の子の様だとよく友達にからかわれたことがあったけど、いま聞こえた声は女の子そのものだった。
 そっと喉を押さえながら声帯を震わせてみる。


「あー、あー。うぅん、やっぱり僕が喋っているってことで間違いないのか」


 とりあえず声の問題は後回しだ。
 それよりも目の前でゆらゆらとゆれる銀の髪の方が気になる。 
 腰まであるまっすぐな髪を一房掬い取り、目の前まで持ってきてマジマジと観察する。
 触り心地がとてもスベスベしていながら軟らかく、キューティクルが窓から入ってくる陽光をキラキラと反射していた。
 それに凄く良い匂いがして、なんというか急に恥ずかしくなった。
 で、さらにびっくりしたのが髪を珍しそうにいじっている僕の手だ。
 正に白魚の様なほっそりと繊細そうな指に桜色の綺麗に整えられた爪。
 少なくとも自分の指はこんなに綺麗な手ではないという事だけは確かである。
 そして極めつけは、胸部に感じる今までに無い重み。
 大きく動くたびにぷるんと震えるその物体は、一見冷静そうにみえる僕のSAN値をガリガリと削ってくれる。
 それはもう情け容赦なく。
 確認するまでも無く僕の男としての大事なものが無くなっているのも感じとれたし、何か異常な状況に陥っているということは理解できた。
 この状況に当てはまる言葉がひとつ、僕の頭の中に浮かび上がる。
 

「……TSかよ、勘弁してくれぇ」


 小説や漫画でお馴染みの性転換ってやつ。
 いったい何をどうしてこうなったのか。
 僕は頭を抱えてベッドに蹲るが、そこからもいわゆる女の子の匂いが追い討ちのように僕の鼻腔をくすぐった。
 うん、なんか女の子の部屋に初めて入った時の事を思い出す。
 ぼっと熱くなる両頬に戸惑いながらも、ひとしきりベッドの上で身悶えた。
 と、部屋のドアが控えめにノックされるのが、ピンク色に染まった僕の脳に届く。
 それはそうか。
 誰かが僕をここに連れてきたのなら、当然その誰かが接触を持ってくる事だって考えられえるのだから。
 ベッドの上で蹲りながら、じっと扉を見る。
 誰が入ってきてもいいように警戒しながら見続けるが、一向に誰も入ってこようとしない。
 しばらくするともう一度、同じようなリズムでノックが繰り返された。


「えっと、どうぞ?」


 恐る恐る声をだす。
 するとほとんど音もさせず、3mはありそうな扉がゆっくりと開かれた。
 その扉の向こうに立っていたのは、こういったお話には付き物の『メイド』さんだった。


「失礼いたします、姫様」


 エプロンドレスと呼ばれる服を身に纏ったくすんだ金髪の女性(たぶん18、9歳位だろうか)は、丁寧にお辞儀をするとゆっくりと僕に近づいてきて顔を覗き込んできた。
 綺麗なエメララルドグリーンの瞳がとても美しく、化粧をせずともシャープな顔立ちのメイドさんに僕は頬を赤らめたまま息を呑む。
 アゴ辺りで綺麗に切りそろえられた髪は、彼女の凛とした表情に凄く似合っている。
 彼女に見とれていると、メイドさんの綺麗な手が僕の頬にそっと添えられる。
 その指が頬を伝って顎の下にくると、つっと少し強引に上を向かされた。
 キスをしますと突然言われても、ハイとしか答えられない空気と体勢に僕の心臓はバクバクである。
 思わずきゅっと目を瞑る。
 これが僕のファーストキスなのかと思うと、頭の中が混乱してきゅっとシーツを握り締めるしか出来なかった。
 ふっと目の前のメイドさんの存在が遠のく。
 肩透かしを食らったような感覚に、僕は意識せずに声を零す。


「あっ……」
「? なんでしょうか、姫様」
「い、いえ、何でもありません」
「そうですか。大分お加減も良くなられたご様子ですが、念のためお医者様をお呼び致します。しばらくそのままでお待ちくださいませ」


 慌てる僕を尻目に颯爽と身を翻したメイドさんだけれども、背を向ける一瞬、彼女の頬が赤く火照り瞳が潤んでいたように見えた。
 まさか彼女も期待してたのかなと馬鹿なことを思いつつ、とりあえずは状況も分からないのでお医者さんが来るのを待った。
 あるいは元の僕の姿に戻れるヒントなり解決方法を知っているかもしれないし。
 さほど待たされずに扉が再びノックされた。
 

「は、はい、どうぞ」
「失礼いたします、姫様。ドクター、グェロをお連れいたしました」
「おはようございます、スワジク様」


 恭しく頭を垂れるのは、漫画で見るような中世の貴族が身に纏うような衣装だ。
 ただ残念なことに中世貴族の衣装は衣装でも、かぼちゃズボンにボンボリのような肩周り、タートルネックの様な詰襟である。
 白を基調とし所々に青のアクセントがはいっているんだけど、そのアクセントのつけ方がさらに悪目立ちしている。
 志村○んが白鳥の頭を股間につけてコントに出てきそうな格好だ、と言えば分かっていただけるだろうか。
 そして頭にちょこんと乗った帽子。
 あからさまに縮尺が違うだろうといいたい。
 で、そんな可哀想な格好をしているのが割とお年を召したご老人である。
 笑ってはいけないと思いつつ、ぐっと下腹に力を入れて笑いを堪えた。
 そんな私に気付く様子も無く、2人は手際よくベッドサイドに色々な道具を揃える。


「さて、スワジク様。お加減はどうでしょうか」
「えっと、別に大丈夫だと思います。時々脇がちくっと痛む位でしょうか」
「なるほど。眩暈、吐き気は?」
「起き掛けに少し眩暈があったくらいで、その後は別に大丈夫です」
「分かりました。ではお召し物をお脱ぎください」
「あ、はい」


 言われるままに浴衣のような絹の上衣を肌蹴させた。
 服の下に隠されていた真っ白な肌。
 大きくも無く小さくも無い形の良い胸部(胸部ったら胸部だ)。
 さらにその下、下腹部が胸の間から見える。
 ああ髪が銀色だからかぁ、などと馬鹿な事が頭をよぎる。
 そのすべてが初心な僕には刺激的過ぎて、鼻の奥がなにやら熱くなってしまう。


「っ!」


 後ろで控えていた金髪メイドさんが、僕の顔を見て声にならない悲鳴を上げる。
 なんか変なことをしただろうか?
 などと考えていると、おじいさんが台の上にあった白い布を手渡してきた。


「それでしばらく鼻を押さえてください」
「はえ?」

 
 そう言われて、初めて自分が鼻血を垂らしていたことに気がつく。
 どんだけ童貞野郎(チェリーボーイ)なんだよ、僕は。



[24455] 2話「ミーシャ視点」(ルビ抜き修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/24 15:51
 昨日、私が傍仕えをしている姫が城壁より転落して湖に落ち、溺れたそうだ。
 本当に私が非番のときでよかったと心の底から安堵する。
 あの姫のことだ、目を覚ましたらそれこそ侍女の3人や4人は首を切られるだろう。
 物理的な意味で。
 そんな命の心配もあって主だった侍女達は泣き崩れるばかりでまったく役に立たず、とりあえず責任追及されないであろう私が矢面に立たされた。


「まったく、とばっちりで私の首が飛んだらどう責任を取ってくれるのかしら」


 ぶつぶつと同僚たちへの文句を小声で言いながら、私は北の塔舎の中を歩く。
 ここはあの蛮行姫が領主様に強請って立てた小宮殿。
 帝都にあるヴェルエルエ宮殿を模した造りになっていて、外装も内装もこれでもかというくらい華美に装飾されている。
 私の実家の年貢租銭がこんなものに費やされているのかと思うと、正直唾を吐きかけたいという衝動に駆られる。
 まあそんな衝動にも、もう慣れたのだけれど。
 スワジク様の寝室が見えてくると、丁度扉の前に目を真っ赤にした同僚が立っていた。
 彼女の名はアニス。
 昨日姫様についていた侍女の一人であり、私の親友だ。
 私が近づくと、くすんと鼻を鳴らしながら眼鏡を押し上げて目尻の涙なんか拭いたりする。
 うん、なんか凄く小動物っぽくって守ってあげたい。
 思わず彼女の短い赤毛をくしゃくしゃと弄ってしまう。


「ごめんね、ミーシャちゃん。私、もっとしっかりしなきゃって思うんだけど……」
「いいのよ、アニス。あの姫の扱いには慣れてるし大丈夫だとは思う。で、今はまだ起きてない?」
「ううん、さっき起きたみたい。なんかごそごそと音がしてたし」
「……で、何してんの?」
「待ってた、ミーシャちゃんが来るの」


 恐る恐るといった風に私を上目遣いでみるアニス。
 思わず砂糖を吐いてしまうほどの破壊力だが、目の前にある危機のために今いち萌えきれない。
 目が覚めてすぐに朝の支度を始めないと、あの姫は暴れるのだ。
 これはコブや痣の一つも覚悟しないといけないか。
 深いため息をついて私はアニスを横へ押しやり、静かにドアをノックし蛮行姫の言葉を待つ。
 だがさっきまでごそごそと動いていた気配がなくなり、部屋の中がしんと静まりかえる。
 怒声を覚悟していただけに、少し拍子抜けである。
 しばらく待っても状況に変化が見られない。
 仕方が無いのでもう一度ノックをする。


「えっと、どうぞ?」


 私は自分の耳を疑った。
 ノックの返事は罵声ではなく、何かに脅えるような可憐な少女の声なのだ。
 これはまったくの想定外。
 がしかし、ここで泡を食って姫の不興を買うわけには行かない。
 ここで取り乱そうものなら、それこそ24時間調教フルコースが待っている。
 まあ、殺されないだけマシだろうけども。
 気を取り直して、私はそっとドアノブを回して扉を押し開く。


「失礼いたします、姫様」


 丁寧にお辞儀をしてから部屋へと1歩進む。
 目の前にあるのは真っ白な白亜の部屋に鎮座するキングサイズのベッド。
 そのベッドの上に、姫が蹲りながら、こっちをじっと凝視していた。
 なんというか、花の蜜に誘われる蜂の様な気分で目の前の少女に引き寄せられる。
 なんだろうこの姫、こんなに可愛かったっけ?
 そんな馬鹿なことを考えていたからだろうか、私の悪い癖が出てしまった。
 まるでジゴロのように少女を見つめ、頬を優しく撫でながら顎をついっと持ち上げる。
 その間、私の瞳は目の前の少女に釘付けだ。
 ふるふると揺れる睫毛の重さに耐えかねたのか、ゆっくりと少女の瞼が下ろされる。
 頬はうっすらと桃色に色付き、軽く開かれた瑞々しい唇からは甘い吐息が吐き出された。
 何これ、喰っちゃっていいわけ?
 そんな駄目思考に陥っていた私を、親友のアニスが扉の向こうから必死に声を掛けて制止してくれた。


「ミーシャちゃん、正気に戻って! それ色んな意味で駄目だって!!」


 その声に正気を取り戻した私は、今更ながら自分が仕出かそうとした事に恐怖を覚えた。
 この私が蛮行姫に心を奪われるなんて、ありえない!
 すっと背筋を正して、姫から1歩距離を置く。
 目を閉じたままじっとしていた姫を見下ろすと、きゅっとシーツを掴んで震えている手が見えた。
 くっ、どんだけ可愛いの。
 蛮行姫だからって侮っていたわ。
 そうよね、黙っていればこの姫は超美少女なのだ。
 だが、ここで本能に流されたら試合終了だ、私の人生的に。
 また吹き飛びそうになる理性をかろうじて繋ぎ止めながら、深く深呼吸をする。
 目の前の少女の口から漏れる微かな失望の声にも、もうたじろがない。


「あっ……」
「? なんでしょうか、姫様」
「い、いえ、何でもありません」


 どこか残念そうな顔をしてこちらを見る姫。
 何の罠なのだ。
 侍女をからかうもしくは陥れる新しい方法でも開発したのか、この姫は。
 一時は危うかったが、もう騙されません。


「そうですか。大分お加減も良くなられたご様子ですが、念のためお医者様をお呼び致します。しばらくそのままでお待ちくださいませ」


 そういって私は上気した顔を隠す意味でも、すばやく姫に背を向けてこの部屋を後にした。
 廊下に出ると、ぷぅと頬を膨らませたアニスが待っていた。


「ミーシャちゃん、浮気はイヤです。ううん、浮気はもうミーシャちゃんだから仕方ないと諦めたけど、あの人とだけは絶対にイヤ」
「あ、あはは。馬鹿だなぁ、アニスは。姫がなんか新しい嫌がらせの方法を開発したみたいだから、ちょっと試してただけじゃまいか」
「何言ってるのですか。ミーシャちゃん、頬が赤いです」
「いやいやいや、これはなんというか恐怖に耐えた結果といいますか」
「うそばっかり」


 拗ねる親友の機嫌を取りながら、私はドクター・グェロの控え室へと向かったのだった。



[24455] 3話「来たな、逆ハー要員め」(ルビ抜き、ボク修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/24 16:00
 僕は窓の外を見ながら、今日何度目かの深いため息をついた。
 結局あの後、なんだかんだでドクターにいろんな事を聞きそびれてしまったし、自分の置かれている現状を把握しようにもメイドさんが外に出してくれない。
 唯一僕に出来ることは、こうやって軟禁されている部屋の窓から外の風景を眺めるだけ。
 とは言いつつも、これはこれで馬鹿にならなかった。
 今いる部屋がどうやら結構高い位置にあるようで、この建物の周りや外壁らしきもの、さらにその向こうの町並みまで良く見える。
 建物だけではなく、そこで生活しているであろう人々の姿も。


「これってやっぱり日本じゃないな。うん、TSで異世界か過去へのトリップ、しかも憑依ものか」


 得られた風景や人の服装、行きかう馬車などから、この世界の文明レベルがおおよそ中世くらいだろうと予想する。
 そして姫様と呼ばれ傅かれる外の人。


「これで軍事知識や内政知識が豊富にあれば、俺TUEEE出来たのかな?」


 まあ一般的な学生でしかなかった僕が、そんな夢みても仕方ないんだけど。
 元に戻れないとしても、なるべく平穏に暮らしていけたらいいなぁ。
 それに地位や権力があっても、どう振舞ったら良いかわかんないしねぇ。


「とにかく! 外の人と中の僕が違うってことを悟られてはいけないという事だね。それにはまず外の人がどんな人物だったのかってことを知らなきゃ話にならないか」


 既に侍女たちには訝しがられているようだけれども、まだ大丈夫なはず。
 会話は当たり障りの無い事しか言わなかったし、なるべく迷惑をかけないように大人しくしていたし。
 とにかくお姫様なんだから、丁寧に、お淑やかにを基本にしていれば間違いはない!
 ……はず。


 そうやって外の風景をぼんやり眺めていたら、扉をノックする音が聞こえる。
 はいと返事をしながら振り返ると、そこには既に扉を背に佇む2人の男性がいた。


「お目覚めかな、リトルプリンセス」


 銀色の髪、紅と碧のオッドアイ、すらりとした鼻筋にきりりとした口元、目元は涼やかで背も高く、ジャニーズJrに居そうなイケメンだ。
 しばらくぽかーんとしていたら、銀髪イケメンの後ろに立っていた黒髪イケメンが不機嫌そうに呟く。


「私は止めたほうが良いと忠告はいたしたのですが、申し訳ございませんでした」
「何を言う。貴様だってほいほい付いてきたではないか、レオ」
「付いていかねば、貴方は何処まででも暴走するからです。妹君とはいえ、仮にもレディの部屋に無断で入るなど貴方には良心というものがないのですか?」
「そのおかげでいいものが見れたではないか」
「あのぉ、いいものって何が見れたのでしょうか?」


 二人が僕をそっちのけでヒートアップしていきそうだったので、とりあえず会話に参加してみた。
 っていうかこの部屋割と殺風景だし見て楽しそうなものって何もないはず。
 レオって呼ばれた黒髪のイケメンは、口をつぐんでむっつりと黙り込む。
 その代わりに銀髪イケメンが、すごく優しげな笑みを浮かべて僕の傍へと近づいてきた。


「分からないかな、私の可愛い小鳥ちゃん」
「え゛? い、いえ私にはさっぱり」


 小鳥ちゃんってどんだけサブイ科白を垂れ流すのか、この銀髪イケメンは。
 見ろ、鳥肌が立ってしまったではないか。
 そういえばレオが僕を妹君と言ってたから、このイケメンは兄貴になるんか。
 兄妹ならこんなやり取りも有り……か?
 などとクダクダ思考を横においておき、多少引き攣った微笑みながらも首を左右に振って答えて見せる。
 銀髪イケメンはさりげなく僕の肩を抱きしめると、優しく僕の髪に口づけをした。


(え゛え゛え゛え゛? それって兄妹で有りなのか?)


 混乱する僕を何か面白そうな珍獣でも見るように観察されていたのだが、割とテンパっていたのでまるで気付けない。


「窓辺で黄昏れる美少女。これほど絵になるものはないとは思わないか?」
「ちょ、お兄様、耳元で囁かないでください。くすぐったすぎます」


 こいつ絶対女泣かせだ、リア充にちがいない。
 男だったころの僕であっても、こんなさりげなく女の子の肩なんか抱けなかったし、ましてや私の小鳥ちゃんだの黄昏れる美少女だのといった科白なんか素面で吐けるかっ!
 多少の場違いな怒りを篭めて、リア充イケメン(銀髪イケメンからクラスチェンジ)の胸をやんわりと押し返す。
 本当はキモイから突き飛ばしても良かったのだけど、お姫様らしくないからね。
 けど意外にも押されるままに後ろに退がるリア充イケメン。
 もうちょっと抵抗されるかと思ったのに。


「そんな顔をしないでくれよ、私だって義理とはいえ可愛い妹に嫌われたくは無いからね」
「はぁ、そうですか」
「それに今日はとても面白いものを見れたしね。そうは思わないか、レオ」
「貴方の悪ふざけには付いていけませんが、まあ同感とだけ言っておきましょうか」
「はあ……」


 リア充イケメンはそのまま僕に背中を見せるとスタスタと扉へと向かってゆく。


「まあ、とりあえずお見舞いに来ただけだから今日はこれで失礼するよ」
「あ、はい。わざわざ有難うございました」
「……有難うございました、か」
「え? ボク何か変なこといいました?」
「いやいや、綺麗なレディに感謝されるとドキドキするなと思っただけさ」
(駄目だこいつ、早くなんとかしないと……)


 レオが扉を先に開け、リア充イケメンがさも当然といったふうに扉をくぐる。
 そこでぴたりと足を止め、僕に振り返って手を振って見せた。


「それじゃあね、スワジク。とりあえずは当面は大人しくしておいで。近いうちにまた来るから」
「あ、はい。分かりました」
「うん、いい返事だ。それじゃあね、蛮行姫」


 無駄にいい笑顔を振りまくっていたリア充イケメンも、扉が閉まると見えなくなる。
 ようやくほっと一息つけた。
 そんなに長い時間ではなかったけれども、やはり外の人の親類縁者や知人なんかが訪ねてこられると気を使う。
 こんな対応で本当によかったのだろうかと思うものの、圧倒的に情報が足りないのだから仕方が無い。
 今はやれることをやるだけだ。


「でもバンコウ姫ってどういう意味なんだろ?」
 


 ☆後書きっぽいもの
 皆様のご意見から、スワジクの科白で1人称をボクから私に変更しました。演技しているときは『私』、素の時は『ボク』、地の文は『僕』を意識して使用していきたいと思います。



[24455] 4話「あれ? もしかして怖がられてる?」(改訂)(1人称修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/24 16:09
 僕は相変わらず自分の寝室からじっと外の様子を眺めていた。
 まあ実際それしかすること無かったし、本を読みたくてもラノベとかあるとも思えない。
 文学書なんて持ってこられても読む気もしないし、大体字は読めるんだろうか?
 とりあえず意思の疎通は完璧に出来ているみたいなんだけど。
 自分でいろいろ調べてみたけど、僕は決して日本語を喋っている訳ではないみたいだ。
 意識して文章を構築してみたら分かったんだけど、どうも僕が知らないまったく新しい文法に則ってるみたい。
 なのに何故喋れるのか。
 結論、僕に分かるわけがない。
 もしかしたら文字もきっちりと読めたりするのかもしれないけど、今はまだ試す気にもならない。
 お腹が空いたなぁと思ったころ、昼ごはん以来の来訪者がドアをノックしていた。


「はい、どうぞ」
「失礼します、姫様」


 朝、ドクターと一緒に色々と身の回りの世話をしてくれたメイドさんが入ってきた。
 名前はミーシャさんっていうらしい。
 クールな表情にちょっとぶっきらぼうな口ぶりが凄く雰囲気にぴったりして、一言で言えば漢らしい? 女性である。


「いらっしゃい、ミーシャさん。今度は何でしょうか?」
「はい、そろそろご夕食の時刻となりますが、お食事はどうなさいますか? 皆様とご一緒されるようでしたらお召し変えさせていただきますが」
「あ、そうですか。……この部屋でって訳にはいかないでしょうか?」


 苦笑いをしながら、ミーシャに尋ねてみる。
 まあ駄目なら腹をくくって行かなきゃ仕方ないんだけど。


「分かりました。それではその様に手配させていただきます」


 それだけを言うと、さっと踵を返して部屋から出てゆくミーシャ。
 かっこいいなぁ、漢らしいなぁとその後姿を見送る。
 そしてまた独りぼっちになった。
 今日この部屋を訪れたのは、ドクター・グェロ、ミーシャ、フェイ兄様、レオの4人だ。
 食事時になるとあと3人くらいメイドさんが増えるけど、おおむね壁の花。
 喋ることもなければ、視線すら会わない。
 みんな心持ち視線を下にして、じっと立っている。
 食事が終われば一斉に動き出して、無駄口一つ叩かずに出て行ってしまう。
 あれがメイドのプロ集団ってことなんだろうと、一人感心していた。


「今日一日ほとんど一人だし、さすがに暇だし寂しいなぁ」


 ベッドの上に寝転がって、ぽつりと本音が漏れてしまう。
 立場が上の人は孤独だっていうけど、こういう状況を言うのかな?
 だったら偉い人なんかにならなくていいんだけどなぁ。
 枕を抱きながらごろごろしていると、ミーシャが数台のワゴンと共に部屋に入ってきた。
 後ろには男性が数人がかりで少し大きめのテーブルを下げている。
 次に入ってきたのは、豪華な布張りの食卓椅子が4つ。
 その次が、テーブルクロスと燭台、花瓶、それに生け花を携えた花師さん。
 あれよあれよという間に殺風景な寝室にダイニングスペースが出来上がる。
 そして最後は真っ白な制服に身を包んだ給仕さんが、ぴかぴかの食器を並べてゆく。
 僕はその手際の良さに圧倒され、ぽかんと見守るだけだった。


「姫様、ご用意が出来ましてございます」
「あ、ありがとう」


 いつの間にか私の傍に来ていたミーシャが、恭しく頭を垂れている。
 こんな凄い人たちに頭を下げられる程、僕は凄い人間ではないのでどうしても気後れしてしまう。
 外の人はどう感じていたのかなぁ。


 僕はミーシャが誘導してくれるとおりに席に付き、近寄ってきたメイドさん達のされるがままになる。
 二人寄ってきてボールの中にある水で手を拭かれ、別の二人が手際よくナプキンを首と膝にかけてくれる。
 給仕がいい音をさせながら食前酒っぽいものをグラスに注ぎ、ミーシャがスープを入れてくれた。


「あ、あの有難うございます」
「……」


 少し気後れしながらメイドさんや給仕さんたちにお礼を言うも、誰一人答えを返してくれなかった。
 き、気まずい。
 高貴な方とは直接お話も出来ないってやつか?
 これは地味にきついぞ。
 彼らの無反応振りにどうリアクションすべきか悩んでいると、ミーシャが耳元でそっと囁いてくれる。


「準備が整いました。どうぞお召しあがりくださいませ」
「あ、そうですね。それじゃあ、いただきます」


 両手を揃えて“いただきます”をして、スープに手をつけた。
 うん、パンプキンスープっぽい味が口にふわっと広がって、なんていうか幸せになる味だなぁ。
 あっという間に、皿の中のスープを全て平らげてしまう。
 少しナプキンに垂れたりテーブルの上に雫が落ちたりしたけど、拭けば無問題。
 ごしごしと首もとのナプキンでテーブルを拭いてから、お代わりを頼もうと顔を上げた。
 と、壁の花のメイドさんと一瞬視線が合ってしまう。
 あれ? なんかびっくりしたような表情だよね?
 よく見ると、なんか皆の視線がテーブルとかナプキンに突き刺さってるんだけど。
 な、何か間違ったのかな?
 ハッとなってミーシャに振り返る。
 彼女なら何か適切なアドバイスをくれるのではと思ったが、彼女はまるで僕を視界に入れることを拒否するかのように首を背けていた。
 くっ、ミーシャさんには頼れないか。
 といって他に声を掛けれそうな人も居ないしどうしたものか。
 そんなことを考えていると、空になったスープ皿を赤毛のメイドさんがそっと下げようとしていた。
 何が駄目だったのかよく分からないけど、気にしても今は始まらない。
 そう自分の中で開き直って、赤毛のメイドさんに声を掛けた。


「あの、お代わりいただけます?」
「……はあ?」
「いや、お代わり欲しいんですけど……。あ、もう無かったら別にいいです」
「い、いえ、すこし暖める時間をいただけましたらお出し出来ますが」
「ああ、いいですよ、暖めなくて。そのままでもすごく美味しかったものですから」
「あ、え? で、でも?」
「アニス、姫様の御所望です。すぐに用意を」
「は、はい!」
 

 ミーシャの鋭い声に、アニスはびくっとなって手にしていたスープ皿を床へ落としてしまう。
 微かに残っていたスープの残滓がその衝撃で僕の着ていた浴衣(っぽい寝巻き)に撥ねた。
 それを見たアニスの顔がみるみる青ざめてゆく。
 彼女の膝ががくがくと震えたかと思うと、ストンと床に崩れ落ちた。


「ももも、申し訳ございませんっ」
「ひぃっ!」


 凄い勢いで謝られている僕。
 ちなみにひぃってなったのは僕だったりする。
 そりゃ普通びっくりするでしょう。
 でもそれ以上に普通じゃないのは目の前のアニス。
 ガタガタと震えて土下座してるその姿を見て、この状況が異常であるとイヤでも理解できた。
 固まる体に氷点下へと突入する場の空気。
 そんな中頼れる漢、ミーシャが動いた。
 

「スヴィータ、アニスを連れて外へ。メイはお召し換えをお持ちして。男性は皆いったん外へ出てください」


 すげぇよ姐さん。
 この凍った空気の中、なんでそんなにテキパキと指示をだせるのか。
 もうね、ミーシャは『漢女(おとめ)』というしかないよね。
 一糸乱れぬ動きでその場が収拾されていく。
 色々と驚いたけど、ようやくほっと一息つける気がした。


「あのミーシャさん」
「はい、何でございましょう?」
「アニスに気にしないように伝えてもらえないでしょうか。別にこれくらい拭けばいいんだし、着替えるのも大げさだと思いますし」
「事を大げさにしてしまい申し訳ございませんでした。この責めはいかようにもお受けいたします」
「いえ、そんなに畏まらなくても。それにミーシャさんが良かれって思ってしてくれたことですし。お礼をいうことはあっても責めるなんて私には出来ません」
「はい、ご寛恕を頂き返すお言葉も見つかりません。アニスには今後このような失態をせぬよう厳しく指導いたしておきます」
「あー、お手柔らかにしてあげてくださいね?」
「承知いたしました」


 そういってミーシャは深々と頭を下げた。
 正直こんなことくらいで怒ったりしないのに、ちょっと周囲の過敏な反応に違和感を覚える。
 っていうか、外の人いったい今までどんな風に皆と接してきたのさ!!



[24455] 5話「領主視点/フェイタール視点」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/23 07:26
 我が義理の娘、スワジク・ヴォルフ・ゴーディン。
 盟主国であるブリュスノイエ帝国の四家ある選帝侯の一つ、ヴォルフ家の血を引くあの者ははっきり言って我が国の癌である。
 私の正妻はヴォルフ家の11女であった。
 一言で言えばいけ好かない女で、何かといえば選帝侯の肩書きで無理を通す我侭ぶりは国内の州長達にも不評だ。
 その評価は彼女が死した今も微塵も揺るがぬ。
 そんな女に育てられた畏父娘が我侭でない筈が無かった。
 気に入らぬといえば侍女を殺め、貧相な館だといっては莫大な国金を費やして盟主国の宮殿風に改築したり。
 あの者の傍若無人振りに、一体何人の国民が隠忍を強いられたか。
 悪名だけでいうなら、スワジクは我が妻の数倍上をいく。
 そんな無茶を強いられてなお甘んじて従わねばならぬのは、一重にわが国が帝国の庇護、いやヴォルフ家の庇護なくしては生き残れないが故。
 だから、先日の落水事故にはずいぶんと肝を冷やされた。
 あんな取るに足らぬ女でも、ヴォルフ家との姻戚関係を続ける上ではなくてはならない要因である。
 息を吹き返したと聞いて腰が抜けるくらい安堵したものだ。


「父上、お呼びにより参りました」
「おお、フェイタールか。よくぞ参った。して、あの女の様子はどうであったか?」


 私の私室に入ってきたのは、第3王子のフェイタールである。
 蛮行姫が唯一気を許している存在、近衛のレオが言うにはフェイタールに懸想しておるとか。
 だからあの女の動向を探るべく見舞いに出したのだ。


「はい。大分元気を取り戻したようで、昼ご飯もしっかりと食べたそうです。ドクター・グェロの話では肋骨に多少ヒビが入っているのと、記憶の混乱がみられるようですが概ね良好とのことです」
「ほぉ、記憶の混乱とな。だからか、こちらへ怒鳴り込んでこぬのは」
「はい。おそらく落水した経緯すらよく分かっていない様子でした」


 フェイタールのその話に、私は思わず会心の笑みを浮かべてしまう。
 そんな私を見て、フェイタールも苦笑いをしていた。


「そうかそうか、では問題の侍女はどうした」
「それも抜かりなくいたしております。とりあえず奴の傍仕えを外し、レオの屋敷にて匿っております。状況を見てですが、落ち着いてから帰郷をさせようと思っております」
「ま、姉を殺されて復讐心を抱くなという方が無理な話だからの。今後は傍仕えの身辺調査は入念にせねばな」
「正直私も肝を冷やしましたが、その反面溜飲が下がったのも確かです」


 王族の血縁に手を出せば死罪は当然であるが、まああの女なら法を曲げても誰も文句はいうまい。
 それに本人は殺されかけたことすら自覚していないと来ている。
 笑うなという方が無理な相談であった。


「してヴォルフ家への使者はどうする?」
「その辺りはレオと内大臣が手配しております。とりあえず本人が覚えていないので、自己の過失による落水事故という報告にさせますがよろしいでしょうか?」
「そうか、良きに計らえ」


 聞きたいことはすべて聞き終えたので、下がってよいと目で指示する。
 が、フェイタールは少し考えるような仕草をして、立ち去ろうとはしなかった。


「何かあるのか?」
「いえ……、はい。奴が私に、『有難うございました』と言ったのです」
「……馬鹿な、あやつが他人に礼を述べるなどと」
「私も自分の耳を疑いました。それになんといっていいか、態度が豹変したように見えます」


 自分で言っていることを確かめるように、噛むようにゆっくりと喋るフェイタール。
 まるで自分の発言を疑っているかのような様子に、すこし不安になる。
 

「もしや、殺されかけたことで態度を改めたのか?」
「どうでしょうか? それならば改めるどころか、粛清を始めるのがあの女です。もう少し様子を見てみますが、もしこの変化が好ましいものであれば、私はそれを伸ばしていこうと思います」
「済まぬな。お前には嫌な事ばかりを押し付けてしまう」
「何をおっしゃいますか、父上。あんな小娘にわが国を良いようにされては堪ったものではありませんからね。これも私の仕事の一つですよ」
「苦労をかけるが、蛮行姫をよろしく頼む」
「はっ、命に代えましても」





 王の自室を出て、俺は蛮行姫の侍女たちの控え室へと向かった。
 時間的に言えば食事が終わったころだろうか。
 先ほどあった報告では部屋で食事をするらしかったが、それに振り回された給仕や侍女たちに軽い同情を覚えた。
 そんなことを考えながら歩いていると、廊下の真ん中で青い顔をしているアニスとスヴィータがいた。
 なにか逼迫した様子に、胸騒ぎを感じる。
 足早に2人も元へ近寄ると、驚かせないように声を掛けた。


「アニス、スヴィータ、何かあったのか?」
「あ、これは殿下、お見苦しいところを」
「かまわぬ。何があった?」


 慌てて最敬礼を取ろうとするスヴィータを止め、今だ泣き止まぬアニスに声を掛けた。
 だがアニスは少々取り乱しており、話が出来るような状況にはなさそうである。
 仕方なしに、再度スヴィータに視線を戻す。


「食事の給仕中アニスがお皿を取り落としてしまい、姫のナイトドレスに滴を掛けてしまったのです」
「まずいな。で、奴は怒りくるっているのか?」
「そ、それが……、特に怒った様子は無くむしろアニスに気遣うような感じを受けました」
「そうか、分かった。後は任せろ」


 そういって蛮行姫の部屋に入ろうとする俺に、スヴィータが縋るように言葉を続ける。


「殿下、私たちの処罰はどうなるのでしょう? アニスもそれが気になってて、それに上塗りをするような失敗をしてしまって。正直、私たちいつ処刑されるのかと不安で仕方ないのです」
「すまぬな。だが、そんな事はさせんよ。安心しておいで」


 悔しそうに涙目で俯くスヴィータ。
 その亜麻色の髪にそっと手を置いて慰撫し気休めの言葉をかける以外、今の俺に出来ることは無い。
 自分の無力感に歯がゆい思いを感じながらも、俺は俺にしか出来ないことをなさねばならないのだ。


「でん゛が、も゛うじばげ、あ゛り゛まじぇん……、ヒック」
「アニス、今日はもう下がりなさい。そんなに泣いたら干からびてしまうよ?」
「ずびばぜん……」


 優しく声を掛けると、アニスは泣き止むどころかさらに収拾が付かない状態に陥った。
 スヴィータの胸に顔を埋め無理やり声を殺しているのだが、あまり効果は発揮できていないようだ。
 侍女たちの不安も一杯一杯のところまで来ているのか。
 気付かなかった訳ではないけれども、彼女たちに安心出来るような情報を提供できなかったことが悔やまれる。
 彼女たちの処遇については、もっと早くに蛮行姫に確認すべきだったのかもしれない。
 そうすればいらぬ不安感を抱かせることもなかったのに。
 とは言うものの、藪蛇になっては本末転倒である。
 歯がゆい思いを奥歯で噛み殺し、扉の外で屯する給仕達を掻き分けて奴の居城へと足を踏み入れた。
 気分はまるで絶望的な戦場に向かう騎士のようだった。
 これは俺にしか出来ない戦い。
 待っていろ蛮行姫、きっといつか俺なしではいられないようにしてやるからな。



[24455] 6話「もっと兄様のこと知りたいの」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/25 18:56
 ミーシャが替えの浴衣っぽいのを持って来てくれた。
 本当にこれ位なら着替えることも無いのにと思いつつ、染みになったら大変だからかなぁと考えてみたりする。
 せっかく持ってきてくれたのだし、取り敢えずは着替えることにして浴衣っぽいのを脱いだ。
 当然浴衣っぽいのの下は全裸である。
 こっちの人って下着とか付けないのかなぁ?
 そんな変な事を考え妙にドキドキしながら新しい浴衣っぽいのに袖を通す。
 あんまり変態チックな思考はやめよう、主に僕の精神衛生上の為に。
 と突然予告もなしに廊下側のドアが開いて、変態が乱入して来た。
 あまりにもびっくりしすぎて僕とミーシャの時間が止まる。
 そこにいたリア充イケメンは部屋の中の状況を把握したようで、なんとも微妙な笑顔で立ち尽くしている。
 フェイ兄、なにやってんの?
 丁度扉に向かって着替えていたから、彼からは僕のすべてが丸見えだと思う。
 ここは悲鳴を上げるべきかどうすべきか考えて、とりあえず浴衣っぽいので前を隠す。
 しばし見詰め合う男と女。


「いや、あの、食事中だと聞いて……」
「はぁ、確かに食事中でしたね」
「な、なんで裸に???」
「はぁ、着替えているからですかね?」
「いや、その……」
「殿下、一旦廊下へ出られてはどうでしょうか?」
「す、すまん!!」


 ミーシャがこめかみを押さえながら彼への最善策を提案し、それを承諾した変態はすぐさま廊下へと出て行った。
 まあ、確かに女性の生着替えを見てしまったらそうなるのは理解できるね。
 自慢じゃないが、僕ならもっと取り乱す自信がある。
 そんな変なことを考えていたからだろうか、手の止まった僕にミーシャが近づいてきて丁寧に浴衣っぽいのを着付けてくれた。
 すいませんミーシャ様、そんなに睨み付けないでください。
 それに今のはあの変態兄が悪いよね?
 あ、もしかしたら僕も毛の先ほどは悪かったかも?
 あ、あの、本当に御免なさい、許してくれないと色々と漏れてはいけないものが漏れそうです。





「いや、本当にすまなかった。まさか着替えているとは思っても居なくて」
「もう良いです、フェイ兄様。私それほど怒っていませんから」
「本当かい?」
「本当です」
「アニスの失敗も?」
「ああ、お皿を落とした事ですか? 誰だって失敗の一つや二つくらいするでしょうし、それも気にしていません」
「そうかい、良かった。流石は私の可愛い妹だよ」


 そこでその科白がでるんかい、変態シスコン兄よ。
 まあフェイ兄が再入場したときは、本当にまじめな顔で90度頭を下げてたもんなぁ。
 生まれて初めてされたよ、最敬礼で謝罪って。
 怒っている真似してみたけど、あまりしつこいと嫌われたら大変なので程ほどにしておく。
 この変態さんには後できちんと働いてもらわないといけないしね、フフフ。
 っていうかそんなに真面目な顔が出来るなら、普段からそっちで居れば良いのに。
 マジでもてると思う。
 男の視点から見ても惚れ惚れするくらいかっこいいもんな。
 変態性シスコン症候群さえ罹患してなければ、きっと国一番の人気アイドルになれるんじゃなかろうか。
 などと思ってマジマジとフェイ兄様の顔を見つめていると、奴が極上スマイルと悩殺ウインクをセットで放射してきやがった。
 キモいのとキモイのとキモイので思わず視線を逸らしてしまったよ、音速で。

 そうそう、今この部屋にはミーシャとフェイ兄と僕の3人だけである。
 まさか王子様が頭を下げているのを他の人に見せるわけにもいかないので、僕がミーシャに頼んで3人にしてもらったのだ。
 まあ、本当はミーシャにもそんなところは見せない方がいいんだろうけど、それは僕の保身の為にゆずれねぇ
 一応これでもか弱き少女なのだから、変態シスコン兄と二人っきりとか全力でお断りなのである。
 まあとにかくこれから食事が終わるまではこの3人きりなわけ。
 一杯人がいるといろんな意味で落ち着かないしね。
 実はこれには深い深い僕の思惑があったのだが、ミーシャもフェイ兄ももちろん気が付けるはずもない。
 さて、フェイ兄は謝罪も済んで少し気を緩めているようだし、後ろのミーシャもさっきよりかは動きが柔らかくなっているような気がする。
 いいタイミングだな。


「あのぉ、フェイ兄様? 一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ん? 何だい、僕の可愛い妹よ」
「さぶっ……。い、いえ、もう夕食は済まされたのですか?」
「ああ、そういえばバタバタしていてまだだったかな」


 そこで僕は会心の笑みを浮かべて、両手を胸元でパンと打つ。


「よろしかったら夕食ご一緒しませんか?」
「え? しかしこれは君の夕食だろう? それを私が頂くのはちょっと……」
「いいんです。どうせ全部は食べきれないと思っていたところですし。残すともったいないでしょう? 本当はミーシャさんにも手伝ってもらいたいくらいなんだけど、さすがにそれはミーシャさんが頷いてくれないだろうし」


 フェイ兄は困ったような半笑いの顔でミーシャに視線を移す。
 ミーシャは相変わらずクールでビューティな感じで立っていて、兄様の視線に軽く頭を下げる。
 たぶんそれは「ご随意に」とかいう感じのゼスチャーなんだろうと思う。
 フェイ兄様は仕方が無いなあといいつつ了承してくれた。
 くくくく、罠に掛かったな。
 僕はすかさず変態ロリ兄の為に椅子を引く。
 ポジショニングを間違えると計画が狂ってしまうからね、ここは一番大事なところだ。
 ぽかんとするミーシャを尻目に、強引にフェイ兄の背中を押して椅子に座らせる。
 次にさっき給仕さんがしていたように、手早く食器を彼の前に並べてゆく。
 そして仕上げに、僕が座る椅子と食器類をフェイ兄の隣に持ってきてセッティングした。


「な、何をしているんだい、スワジク?」
「いえ、一度フェイ兄様とこのように並んで食事をしたかったのです。いけませんか?」


 ピシッっていう何かが割れる音が背後でしたので何かなと思って振り返ると、ミーシャが無表情にお皿をダスターに放り込んでいるのが見えた。
 落として割れたのかな?
 まあ、とにかく準備は万全、あとはミーシャに給仕してもらうだけだ。


「さあ、ミーシャさん、よろしくお願いします!」
「……はい、承りました」


 そうして僕の『テーブルマナー、見て盗んでやるぜ作戦』は、和やか(?)な雰囲気の中開始されたのだった。
 ミーシャから時々放射される妙な威圧感はきっと気のせいだ。
 それに今は作戦行動中、余計なことに気は散らせない。
 僕はフェイ兄の食べ方を横目で必死に真似ながら、下品にならないように気をつける。
 男と女で多少違う部分もあるかもしれないが、それは基本が出来てからでいいだろう。
 他愛の無い会話の中にも色々と学ばなければならないことは意外と多い。
 食材の名前、産地、食前酒に最適なお酒等々。
 この作戦を何回か繰り返せば、テーブルマナーや食に関する知識はクリアできるんじゃなかろうか。
 意外だったのはフェイ兄ってただの変態ではなく、結構広い範囲の薀蓄をもってる変態だったということかな。
 ま、当分は僕のために生き字引になってもらおうと密かに心に決めた。



[24455] 7話「人生はすべからくミッションである」(一部描写追加)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/26 23:28
 「はふぅ、疲れたぁ」

 
 ベッドの上にうつ伏せに倒れこみ、全身の力を抜いてだらける。
 今日一日変に気を使いながら過ごしたせいで、なにか妙に肩が凝っている気がするのは気のせいだろうか。
 外の人のことが分からないので本当に行き当たりばったりに姫を演じたけど、大丈夫かなぁと今更ながらの心配をする。
 まあ最悪「記憶喪失ですの、おほほほっ」って惚けてしまえば大抵の事は誤魔化せるかも。
 

「っていうか、外の人の立ち位置が分からないんですけど?」


 声に出して不平を唱えるも、僕の訴えは誰にも届かない。
 立ち振る舞いはある程度大人しくしていることでクリアできても、知識まではいかんともしがたい。
 いつも何をしていたのか。
 どんな趣味があったのか。
 好きな色は?
 犬派? 猫派?
 友人関係は?
 好きな男性のタイプは?
 好みの食事は?
 公務とか、やりかけの仕事があったりしたらどうしようとか。
 誰かに聞くにしても、誰に聞いて良いのかよく分からないし。
 メイドさんたちは割とそっけないしなぁ。


「ボクに外の人を真似るのは無理だよな、実際。知らないことだらけだしなぁ」


 ガシガシと乱暴に茹だった頭をかき回す。
 暴れるのに疲れた僕は、部屋の天上にぶら下げられたシャンデリアを見つめながら無心になろうと努めた。
 味方を作らなきゃ。
 僕の窮状を理解してくれて、それでいて世話を焼いてくれそうな人。
 やはり候補としてはミーシャかフェイ兄ぐらいの選択肢しかない。
 ほかのメイドさん目も合わせてくれないし。
 なんかなぁ、こうチート技能とか持ち合わせてないもんかね。
 僕的にはサイコメトリーとかサトリのような相手の心を読めるようなやつ。
 この世界に魔法は無いのかなぁ。
 ぐだぐだ考えているうちに、だんだん瞼が重くなって意識が遠のく。
 そして僕のTS憑依の初日は幕を閉じた。


「って、まだ寝ちゃ駄目だ! 忘れてたよ、外の人の私物チェック!!」


 なんで今までそれに気付かなかったのか!
 日記とかあったら、凄くいい情報源になるよね。
 しかしこの部屋にはベッドと鏡台、夕方に運び込まれたダイニングセットくらいしかない。
 ならこの城のどこかに外の人の私室なんかあるんじゃないのか?
 凄いよ、僕!
 賢いよ、僕!
 昼に気付いたところでメイドさん達が居てなかなか思うように行動出来なかっただろうから、今がベストタイミングだ。
 だいぶ夜も更けてきただろうし、もしかしたらみんな寝てるかもしれない。


「ふふふ、ボクにも運が向いてきたぁぁぁ!」


 本当に運が向いてきたかどうかは別として、とりあえずの行動指針が出来たのは単純に嬉しかった。
 が、このまま外に出たのではすぐに誰かに見つかってしまう。
 部屋の隅にあったワードローブに飛びついて、何か使えるものはないかと探しまくる。
 出てきたのは、外出用の浴衣、ごついバージョン。
 これは今来ている絹よりは分厚く、色も割りと暗めのブラウンだ。
 薄暗い夜の城の中ではきっと隠れ蓑になってくれることだろう。
 ついでに鏡台の椅子にかかっている埃避けのカバー。
 ちょっと工夫すればほっかむりをするのに丁度いい感じ。
 夜といえども外の人のこの銀色の髪は目立ちすぎると思うから、これの中に髪を全部入れてしまおう。
 髪が多くて全部入れると喉のところで紐を結べないので、仕方なしに鼻の下あたりで結んでみた。
 気分はルパン3世だが、見た目は一昔前のこそドロである。


「探索エリアはこの部屋がある階を虱潰しに行こうかな。といっても扉の外には誰か居るのかな?」


 抜き足差し足忍び足でこの部屋唯一の扉へとへばりつく。
 耳をつけて、じっと外の様子を伺う。
 静かだ。
 誰も居ないのかもしれない。
 と、ごそりという堅い物が触れ合う音が聞こえた。
 どうやら誰かが扉の前で立っているようだ。
 まあ、それは正直予想できたから落胆はしない。
 僕はそのままゆっくりと窓へと移動する。
 昼に外を眺めていたとき、ここから隣の部屋のベランダが見えていたのだ。
 しかも割りと近い。
 僕はそっと音を立てないように窓を開け放ち、ゆっくりと窓枠に跨る。
 パンツ履いてないから、直に石の冷たさが股間に伝わるのがなんとも言えず微妙な感じ。
 こう何ていうか当たり加減とか、フィットしているみたいな?
 あ、ちょっと前かがみになった方がいいみたいだね。
 ……。
 ……っん。


「はっ、イカン、イカン。こんな所で変なことしてたら、本気で頭の中身を心配されてしまう」


 気を取り直してベランダまでの距離を目測する。
 丁度外の人の歩幅でぎりぎり一杯のところだろうか。
 これくらいの距離なら飛び移ればなんとかなるかな?
 そう思って下を見てみた。
 見なきゃ良かった。


「怖えぇぇ」


 3階くらいの高さはあるだろうか。
 下を歩いている見回りの兵士さんが割りと小さく見える。
 余計な物音は立てられないなぁ。
 もう一度ベランダを見ると、さっきより大分遠く感じてしまう。
 お、落ちたらさすがに死ぬよね?
 ぶるりと体を震わせて、それでも腹を括って窓枠の外へと身を乗り出す。
 窓の下にある出っ張りに辛うじて足をかけ、窓枠に両手でしっかりと掴まって足を一本だけ伸ばす。
 

「と、届かない……」


 うん、ごめんヘタレてたよ。
 ふぅっと深呼吸して、片手を離す。
 半身になって足を伸ばすと、なんとか足が向こうに付く。
 窓を掴む手と伸ばしている足がプルプルと震え、落ちるのをなんとか我慢している状況。
 そこで重大なことに気がつく。


「足が届いても、この体勢じゃ向こうに飛び移れないよね」


 僕はいそいそと部屋の中にもどり、今度は窓枠に足をかけて立ち上がる。
 これであっちへ飛び移れればミッションコンプリート。
 飛び移れなければミッションフェイルド、ついでにバッドエンドその1である。
 目を閉じて精神統一、飛べない距離じゃない。
 大丈夫、僕ならやれる。
 僕は心の中で掛け声をかけた。


(アイ、キャン、フラーーーーーーーーーーーーーーーイ!)


 思いっきり窓枠を蹴って、虚空へと羽ばたく僕。
 ごうっという風切り音が聞こえたかと思うと、直ぐに強い衝撃を両足に受けた。
 その衝撃を無理に受け止めず、ごろんと前転前受身でなんとか耐えた。
 よかった、中学校のときにやった柔道の授業がこんなところで役に立つなんて夢にも思わなかったよ。
 ありがとう、脳筋田辺先生。
 冷や汗を袖で拭ってベランダに立ち上がる。
 後ろを振り返ると、飛び出た窓は風のせいか自然に閉まっていた。
 これでは帰りはこのルートを選べない。
 紐か何かで固定してこなかった自分の迂闊さを呪う。
 その時ベランダの向こうから声がした。


「誰かそこに居るの?」
(ヒィィィィ!)


 拙い、見つかってしまう!
 ベランダから飛び降りる?
 いや、出てきた相手を殴り倒すか?
 はたまた置物に成りきるか!!
 どうする? どうするよ、僕!



[24455] 8話「よぉスネーク。ダンボールは何処だい?」(擬音修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 00:06
「誰かそこに居るの?」


 窓の向こうから聞こえる女性の声。
 ま、まずい! ここで見つかる訳には行かない。
 僕は周りを見回して隠れる場所が無いかを必死に探す。
 ベランダからぶら下がってやり過ごす?
 力尽きたら死ねる。
 急いで自分の部屋に飛び移る?
 不可能ではないかもしれないけど、窓を突き破る事になるので血まみれになるのは必然。
 そして最後に目に付く壁の窪み。
 縦2m、横幅1.5m、奥行き30cmくらいのアーチ型の窪みだ。
 ロマネスク様式かゴシック様式か知らないけれど、この城の設計士さんに惜しみない感謝を送ろう。
 その窪みにさっと飛び乗り、べったりと壁に張り付く。
 ベランダの曲がり角で丁度声のした窓からは死角になる。
 奥まっているから、ぱっと見にはきっと僕がいるなんて分からない筈、……だといいな。
 軽い金属音をさせてゆっくりと窓が押し開かれる。


「誰? 誰かいるの? ミーシャちゃん?」


 姿は見えないけどこの声はアニス!
 なんかその声を聞いただけで、泣きそうな顔と引けた腰でベランダを覗いている彼女が容易に想像できる。
 もしかしてアニスは不幸属性持ちのどじっ娘メイドか、……萌ゆる!
 などと腐った思考に陥っていると、段々とアニスの声が近づいてきた。
 くっ、まずい、見つかるかも。


「じ、冗談なら止めてよね、ミーシャちゃん。私、怖がりだっていつも言ってるのにぃ」


 じわりじわりと近づいてくる声と足音。
 怖いなら部屋に戻れと言いたいけど、怖いからきちんと確認して安心したいのかも。
 くそっ、僕は壁だ、壁画だ。
 心を無にするんだ、僕。
 そう個にして全、全にして個、己を捨てて世界と同調すれば、自然と一体になれるんだ。
 

「あーん、誰でもいいから返事してよ~。やっぱ殿下の言うとおり宿直なんてしないで帰ればよかったー、私の馬鹿ぁ」


 アニスがぶつぶつと呟きながら、ベランダの曲がり角までやってきた。
 メイド服をきちんと着込んだ上にガウンを羽織って、手には蝋燭が入った銅鐸のようなものを持っている。
 普通のランタンなら周囲全体を照らすのでもしかしたら一発でばれたかもしれないけど、アニスの持っているのは懐中電灯みたいに直線的に照らすだけのものだ。
 これなら壁にへばりついている僕まで光がさほど届かない。
 

「誰も居ませんねぇ? ふぅ、よかったぁ。本当に誰か居たら心臓が止まる所だったよ」


 ようやく安心したのか、声にも少し明るさが戻っている。
 彼女が居るのは丁度僕の目の前。
 そう、そのまま外の方に向かって回れ左してくれたら何も問題はないから!
 僕は必死に心の中でアニスにお願いをする。
 こっち向いたら駄目だからね!
 さらに念押し。
 僕のテレパシーが彼女に届いたのか、大きく一つ頷いてくるりと体を回転させた。
 右回りで。


「……」
「……フヒヒ」


 丁度僕と向かい合う形になって固まったアニス。
 銅鐸みたいな照明器具が、下から斜め45度の角度で僕を照らす。
 しばらく口をぱくぱくとさせていたアニスは、突然糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
 なんだろう凄い罪悪感。


 倒れこんでいるアニスを肩を落として見下ろす僕。
 このまま放っておいたら絶対風邪引くよね。
 ちょっと彼女が出てきた部屋を見ると、いろんな道具とライディングデスク、ベッドが置いてある物置の様な部屋だった。
 あのベッドの上にアニスを載せておけば、風邪引かないよね?
 棚に有った少し厚めの綺麗な毛布を手に取り、アニスの元へと駆け戻る。
 毛布を床に敷き、握れるだけの長さを残してアニスの背中と足を包み込めるように調整する。
 これで簡易の布ソリの完成である。
 非力な僕ではアニスを背負うとか出来ないから、これで引きずっていくしかない。
 まあ毛布は一発で駄目になるだろうけど、いっぱいあったしいいよね?
 とまあ、そんなこんなで大量に汗をかいたけど、なんとかアニスをベッドに寝かせることが出来た。
 そして部屋を見回すと、扉が2方向にあるのが見えた。
 一つは質素な扉、もう一つは割りと豪華っぽい造りのやつ。


「これはきっと豪華な扉の方を先に調べるべきだよね」


 そういって僕はそっとドアノブを回して扉を開いた。
 薄暗くて細部まではよく分からないけど、窓際にあるテーブルと椅子、暖炉まえに置かれているソファが見える。
 壁際には小さい書棚があって、薄っぺらそうな本がいくつか並んでいた。


「へぇ、凄いや。部屋の中にミニチュアの植物園まであるんだ」


 ちょろちょろと水の流れる音を聞きながら、部屋の奥にある少し大きめの机に向かった。
 机には引き出しが左右合わせて6つある。
 そのどれにも鍵などかかっておらず、取っ手を引けばするりと開く。
 全部の引き出しを色々探ってみたら、週刊誌くらいの大きさの革の本を2冊見つける事ができた。
 一つは錠付き、もう一つは錠無しだ。
 錠無しの方の本を開けてみると、予想通り何か色々と書き付けられている。
 暗くて内容までよく読めないけれども、字の綺麗っぽさからいって外の人のものじゃないかと推測する。
 その時、隣の部屋から声が聞こえた。
 アニスが目を覚ましたみたい。


「せ、センドリックさ~ん。センドリックさぁぁん」


 泣きそうなアニスの声を聞きつけたそのセンドリックさんとやらが、隣の部屋に駆け込む音が聞こえた。


「どうなされました、アニス殿」
「べべべべ、ベランダ……、へへへ、変なひひひ人ががが」
「な、何ですと? 賊か?!」


 どうやらセンドリックさんは賊(実は僕のこと)を探しにベランダへと向かったようだ。
 むふふ、チャーンス。
 きっとセンドリックさんは僕の部屋の前にいた人だろう。
 さっきも扉の外には音が一つしかしなかったから、いまなら僕の寝室まで誰にも会わずに辿り着けるはず。
 ナイスアシスト、アニス!!


 僕はなるべく音を立てないように、今度はアニスのいる宿直室ではなく廊下へ続くであろう扉を押し開く。
 案の定廊下には誰も居ない。
 僕は胸に2冊の本を抱えて足早に寝室へと向かう。
 予想通り、部屋の前には誰も居ない。
 僕はすぐさまドアを開いて中へと滑り込んだ。
 そのまま本をベッドの上に放り投げ、茶色の分厚い浴衣っぽいのを脱いでワードローブへ突っ込む。
 頭に被っていた椅子のカバーもむしり取り、ベッドの枕の下に2冊の本と一緒に押し込んだ。
 ほっと一息ついたところで、ドンドンドンとドアがノックされる。


「あ、は、はい、どうぞ!」
「失礼いたします姫様。衛士のセンドリックです。こちらにたった今、何者かが入り込んできませんでしたでしょうか?」


 声を掛けると同時に、白い鎧に身を包んだ厳ついおっちゃんが入ってきた。
 腰に下げている剣に手をかけて、いつでも抜き放てる体勢に鋭い目つき。
 さすが衛士さん、なんかオーラが違うわ。


「さ、さあ? 私は寝ていたのでよくわかりませんが」
「……さようでございますか? して、あちらの窓は最初から開けっ放しでございましたか?」
「いえ、あそこは私がきちんと戸締りいたしました!」


 僕がセンドリックさんの問いに答える前に、後ろから着いてきていたアニスがその問いに答える。
 そうえいば、就寝前の戸締りに彼女が来ていたっけ。
 センドリックさんはすばやく窓に近づくと、さっと周囲を見回して不審な点が無いかを調べている。


「ふむ? なにやら微かに窓枠に付着していますな……。なにかの粘液が乾いたのか、これは?」
「ままま、魔物ですかね? お城の中まで魔物がはいってきたんでしょうかね?」
「いや、断定は出来ません。とにかくお二方はきっちりと窓と扉を閉めて外へ出ぬようにお願い申し上げます」
「は、はい、分かりました」


 せ、センドリックさんがマジマジと見てたのってまさか……、くっ、この聡明な僕にして一生の不覚! さっきちゃんと確認して拭いときゃ良かった。
 その晩は結局、お城中で居もしない賊探しで一晩中てんやわんやしたそうである。
 ごめんよ、皆。





 *アニスが見たスワジクのポーズ 参考資料「古代エジプトの壁画調マリオTシャツ」



[24455] 9話「そういえば僕って肋骨にひびが入ってたよね」(一部表現加筆修正)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 00:03
「全治1週間といったところでしょうか」


 サイドボードの上に置かれたボウルの中で、丁寧に手を洗うドクター・グェロ。
 ここはいつもの僕の寝室で、僕はベッドの上で寝転がっていた。
 本当は起きたいんだけど、呼吸するたびに鋭い痛みがあるので大事をとって寝転んでいる。


「……姫様、なにか激しい運動のようなものでもされましたか? 例えばダンスの練習などですが」
「い、いえ、特に激しい運動はしてないのですが」
「そうですか。とりあえず骨は折れてはいませんので、日常生活に特に支障があるわけではありません。が、患部に負担のかかるような行いは厳に慎まれたほうがよろしいかと。さもなければ……」
「さもなければ?」
「ぽきりと骨が折れてしまいますぞ?」
(ひぃぃぃ、それは嫌だ)


 骨が折れるところを想像して引き攣る顔を、なんとか笑顔でごまかす。
 昨日あれだけ無茶したのだから当然か。
 気合入ってるときはあまり感じなかったけど、朝起きたらすっげー痛いんだもんなぁ。
 仕方が無い、当分は大人しくしておこう。
 といっても大きな動きや深呼吸をしない限り大丈夫そうだけどね。
 一人うんうんと頷いている僕を放置して、ドクター・グェロはさっさと廊下へ出て行く。
 彼とと入れ違いに、今度はフェイ兄とセンドリックさんが入ってくる。


「大丈夫かい? あんまり無理をしてはいけないよ」
「はい、有難うございます、フェイ兄様」
「少しだけ部屋の中というか、窓の辺りを調べさせてもらうよ」
「……は、はい、どうぞ」


 そう、昨日の賊侵入事件がまだ未解決なのである。
 犯人が目の前に居るのだから当然っちゃ当然なんだけどね。
 だからって何もあの窓に執着しなくてもいいじゃないのかと。
 これなんて羞恥プレイなの?
 元男だから恥ずかしくないだろうって思ってたけど、もうねマジ死にそうなくらい恥ずかしいんですけど!!

 
「昨日私がベランダへ出たとき、丁度窓が閉じられるのを見ました。それで慌ててこちらの部屋に入ったところ、閉まったはずの窓が再び開いておりました」
「なるほど。賊が一度ここに入ったが、センドリックが気がついたので慌てて逃げたのか」
「恐らくは。そしてその物証として残していったのがこの窓枠に付着した粘液の跡です」
(センドリックさん、それ物証ちゃう! ボクの……や、って言えるかぁぁぁぁぁ!!)


 僕の心の突っ込みにもめげず、まじまじと窓枠を見つめる男が2人。
 その時、僕は信じられないものを目撃してしまった!
 フェイ兄が乾いたそれを爪で削り取り、指に付けてぱくっと口に咥えたのだ。
 瞬間、僕の中の加速装置がフル稼働。
 ベッドの上の枕を片手で掴むと、力一杯フェイ兄の頭に叩きつけた。


「~~っ!」


 脇に走る激痛に思わずしゃがみ込んでしまう僕。
 死にそうな恥ずかしさに衝動的に突き動かされたけど、これって結構やばい行動だよね。
 叩かれたフェイ兄は不思議そうな顔をしてこちらを見下ろしている。
 激痛に喘ぎながらも、僕は一応この変態に注意する。
 

「フェイ兄様、そ、そんなものを舐めるなど……」
「毒かどうか確認したかっただけなんだよ。飲み込むつもりは無かったんだけど、君が急に殴るもんだから飲み込んでしまったじゃないか」
「ふぇ?!」
「まあ、毒だとしても即効性のものではないようで僕も安心したけどね」
「なるほど、確かに刺激はありませんな」


 って、センドリックさんまで何しちゃってんの!!
 顔を真っ赤にして蹲る僕を不思議そうに見つめる2人。
 フェイ兄がぽんと手を打って、なんか感動したような顔をしている。


「もしかして、我が愛しのリトルプリンセスは私の身を案じてくれたのかな」
(違ぇよ、このロリ変態)


 返事する気力もなく、がくりと頭を垂れてしまう。
 それが無言の肯定と受け取られたのか、ますます間違った方向へ理解されてしまった。


「ありがとう、スワジク。君がそんなに私のことを心配してくれていただなんて、本当に嬉しいよ」


 そういって僕を軽く抱きしめて額に優しくキスされた。
 欧米人ならこれは純粋な挨拶みたいなもんだ。
 欧米人ならこれは挨拶なんだ。
 このキスは握手みたいなもん。
 鳥肌が浮いた手を必死に擦りながら現実逃避する僕。
 悔し涙を浮かべながら、うーと唸って睨み付ける。


「殿下、これを!」


 馬鹿なことをやっていると、いつの間にやらセンドリックさんが僕のベッドの枕元にたって何かを指差していた。
 フェイ兄もそれに興味を示してベッドに駆け寄る。
 そして僕は一人、自分のしてしまった失敗に呆然としてしまう。
 彼らが僕のベッドで見つけたもの、それは昨日苦労して手に入れた外の人の日記。


「これは何だ?」


 そういってフェイ兄が錠無しの日記を手にとってパラパラと読み始めた。
 あまりの事態の急展開(僕的に)についてゆけず、読むなと抗議することすら忘れてしまっていた。
 フェイ兄の顔が段々と深刻なものに変わってゆく。
 あ、マジモードだ。
 何が書いてあったんだろう、あの日記に。
 も、もしかしてフェイ兄の変態チックな所業が羅列してあったりとか。
 うん、たぶん外の人もあのシスコン野郎に辟易してて、愚痴をあれに殴り書きしていたに違いない。
 どうしよう!


「スワジク、これらは君がここへ持ってきたのかい?」


 そんなことを認めたら一連の騒動が僕の仕業だとばれてしまう。
 だから僕は条件反射的に、力一杯首を左右に振った。


「この本の中身を見たりはしたかい?」
「い、いいえ」
「そうか、よかった。センドリック! 敵の狙いが分かったぞ。急いで衛士隊の幹部を招集しろ。ついでに侍女長と主だったスワジク付の侍女も集めろ」


 自分の日記なのに思わず中身を見てないとか言って大丈夫なのかと思ったけど、割とそこはスルーみたい。
 っていうか、敵って何? 狙いって何? な状況なのですが、誰か教えていただけませんかね?


 ばたばたと足早に出てゆくフェイ兄とセンドリックさん。
 ふぅ、ようやく静かになったか。
 散らかした枕をベッドに戻そうと立ち上がる僕の視界の隅にミーシャの姿が見えた。
 なんの意識もせずそちらへ目を向けると、ミーシャはじっと窓枠についた僕の……を眺めている。
 

「えっと、ミーシャさん? どうかしました?」
「いえ、別に……。ククッ」
(ななななんですか、その黒い笑い方は! ま、ま、まさか、見破られた? まて落ち着け、ボク。仮にあれがそうだと見破られたとしても、それの主がボクだって証拠は何処にもない。大丈夫だ、落ち着け!)
「私も何やら呼び出されるようですので、しばらく下がらせていただいてよろしいでしょうか? あとで代わりのものを遣しますので」


 恭しく膝を曲げ頭を垂れるミーシャの背後に、巨大なくもの巣を張った女郎蜘蛛を僕は見たような気がした。
 なんだろう、知られてはいけない人に知られてしまったような気がする。
 掠れるような僕の返事を聞いてミーシャは優雅に部屋を出て行った。




 その頃廊下を歩いているフェイタール殿下と衛士センドリック。


「スワジク姫ですが、大分雰囲気や素行が変わられましたですな、殿下」
「ああ、私の身を案じて泣いて怒るなど今までに無かったことだ。これは割りと早く落とせそうな感じだな」
「しかし蛮行姫とまで言われたあの方が、まさかの変わりようですな。」


 満足そうに頷くフェイタールに、センドリックが苦笑いをしながら疑問を投げかけた。
 その問いにフェイタールも少し唸りながら考える。
 あまりに変わりすぎているスワジクの性格。
 いっそ別人であると言ってもらった方が納得がいくほどである。


「ドクター・グェロも言っていたのだが、落水事故を起因とする記憶の欠落、幼児退行、不都合な記憶の封印など説明をつけようと思えばいくらでもできる。だが問題はそこじゃない。問題は、わが国にとってあの者が御しやすい人物か、そうでないかだけだ。中身など関係ない」
「ま、確かにそうですな。ですが下々の者はそうは思いますまい」


 顎を扱きながらセンドリックが苦々しげに呟く。
 フェイタールも彼の言うことに頷くしかなく、実際目の前にあるこの本の存在がそれを証明していた。


「侍女の報告書と極秘報告書を姫の枕元に隠し、侍女達の本音が彼女の目に留まるように謀るか」
「実に確実で嫌らしい手ですな」
「これを読めば、あの蛮行姫が激昂するだろう事を賊は熟知していたということだからな。
事が成れば、今居る侍女達全員の首が飛んでもおかしくない。打ち首にならなくても、ひどい罰が与えられるだろうな。そうなれば誰かがまた第2、第3の落水事故を計画しないとも限らない。いや、高い確率でそうなるだろう」
「そしてそれは衛士には止めるすべが無いところで実行されるでしょうな」
「実に狡猾な策だ。くそっ、どっちが真の敵なのか、確証さえ掴めればな」
「中原のラムザスか、帝国か。前門の虎、後門の狼ってところですかな」
「鼠をもう少し潜らせるべきかもしれんな」
「それは私にではなく、ミザリーに申し付けてください」
「そうだな。とにかく今は見えざる敵に対して、隙を見せないようにするしかないな」
「まったくしんどいことですがね」


 どんな嫌な人物であろうとスワジクというこの国の弱点は、死ぬ気で守っていかねばならない。
 それが並大抵のことではないことを2人は熟知している。
 何せ国内外にこの弱点は知れ渡っているのだから。
 『ゴーディン王国を潰すのに兵はいらぬ、蛮行姫をちょいとつつけばすぐ滅ぶ』
 侍女や兵士の中に潜む反スワジク勢力をどうやって説得するか、二人は深いため息をついて会議室へと入っていった。



[24455] 10話「ちょっと待ってよ。今までの苦労って一体……」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 16:45
「ふぅ……」


 怪我に響かないように、軽くため息をつく。
 なんで気を使ってまでため息をつかなきゃいけないのかというと、結局振り出しに戻ったからだ。
 折角の貴重な資料(?)を奪われ外の人の事を知る機会を失った。
 あんなに努力したのがすべて無駄になって、残ったのは肋骨のひびばかり。
 そりゃため息の一つもつきたくなりますって。
 それに扉の左右に立っているメイドと衛士君っぽい人が、こうなんていうか凄いことになってるし。


「あ、あの、少し楽にされてはどうでしょうか? そんなに何時間も立ちっぱなしは疲れませんか?」
「いえ、自分は慣れておりますので、お気遣い無用にお願いします」
「ひゃ、ひゃい! わ、私もな、慣れておりますのでおおおおお気遣いなさりゃないでくだしゃい」


 いや、すっごい気になるんよ。 
 青い顔でカチコチに固まっている衛士君はなんかすっごい新人ぽいし、同じくチワワが冷蔵庫に入っているみたいにブルブルと震えているメイドさんは正視に耐えないほど哀れだし。
 よく見るとこの衛士さんってまだ結構若いみたいだねぇ。
 背は割りと低くて、栗色の髪を後ろで無造作に束ねている。
 ソバカスがあるせいもあって、割と愛嬌があり幼い感じのする男の子だ。
 15歳くらいかなぁ?
 装備も鞘もぴかぴかだから、もしかしたら衛士デビューしたての人なんだろうな。
 対するメイドさんは、ミーシャやアニスとは色違いの服を着ていてちょっと新鮮かもしれない。
 こっちはなんと緑色の髪をしていて、ミーシャと同じようにアゴのところで切りそろえている。
 割と大きな瞳が印象的な可愛い子なんだけどね。
 なんていうか彼女の脅えっぷりがアニスを髣髴とさせて無性にいぢめたくなる。


(まあ、冗談はさておき、本当に3時間も立ちっぱなしは衛士君はともかく、あのチワワメイドさんには拷問だろうに)


 仕方無しに僕は窓際からダイニングテーブルへと移動し、椅子を引きずり始める。
 2人はまったく同じ挙動で私に注目しているのだが、手伝おうとかそういう気配は無い。
 メイドがそれでどうかと思うけど、まあ下手に邪魔されるよかいい。
 脇の痛みを庇いながら、椅子をメイドさんの横へ持っていく。
 てかこれ割と重い。
 昨日これを楽々と持っていたミーシャって割と力持ちなのかもしれないなぁ。
 セッティングが完了したので、横に立つメイドさんに視線を移す。
 なんか凄い勢いで脂汗を垂らしてるんだけど……?


「あ、もしかしてトイレ我慢してる?」
「はひゃ? い、いえ、そんなことは」
「我慢は体に毒だから、少し息抜きしてきてはいかがですか。疲れたでしょうしね。ただし、10分休んだらすぐ戻ってくること。いいですか?」


 椅子に座らせるよりも先に休憩をさせた方が良さそうなので、そういって彼女を扉の外に放り出す。
 僕の視界から外れたらさすがに彼女も息を抜けるだろうしね。
 ぽかんとした顔で僕をみる衛士君。
 ふふふ、今度は君の番だよ?
 メイドさん用に持ってきた椅子をずりずりと動かして衛士君の横に持っていく。
 満面の笑みで彼を見上げ、椅子の座面をぽんぽんと叩いて座れと促す。


「い、いえ、自分は大丈夫ですから」
「ええ、分かっています。でも見ている私も結構疲れるのですよ? それにそんなに緊張していてはいざと言う時に体が動きません。だから少し体を休めても誰も文句はいいませんよ」


 しばらく衛士君は迷っていたみたいだけれども、椅子の誘惑には抗えなかったのか割と素直に座ってくれた。
 そしてふぅと大きくため息をついたりしている。
 よっぽど緊張していたのだろう。
 ま、要人警護になるんだから緊張は当然か。
 それに賊が入り込んでいるという設定だしねぇ。
 もっともその賊は目の前にいたりするんだけど。
 

「はっ、も、申し訳ありません。みっともないところをお見せしまして」


 微笑ましげに衛士君をみていたら、何を勘違いしたのか焦って謝ってくる。
 僕は片手でそれを抑えてながら、これはもしかしてチャンスじゃないのかと思った。
 今までのメイドさん達じゃこんな隙なんて見せてくれなかったし、喋ってもくれなかったしね。
 そういった意味では、ここに臨時で派遣された衛士君とメイドちゃんは格好の餌食。


「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「はっ、自分はボーマン・マクレイニーと申します」
「どちらのご出身ですか?」
「はっ、リバーサイド州都出身であります」
「リバーサイドですか。あまり記憶にないのですがどんな所なのかお話していただけません?」
「はぁ。えっとですね、うちの州都はその名の通りターニス河沿岸に栄える商業都市で……」


 ふふふ、まず掴みはおっけー。
 緊張と警戒心を解してから、欲しい情報を引き出す!
 くくく、僕はもしかしたら優秀な尋問官になれる素質があるんじゃなかろうか?
 自分のお国自慢なら口も軽くなるんじゃないかと思っていたら、案の定乗ってきた衛士君の喋ること喋ること。
 緊張の反動ってのもあるのかもしれないが、ここは笑顔で聞き役に徹する。
 ずいぶんと調子よくお国自慢をしてくれていた彼が、突然はっとして立ち上がった。
 何事かと思うと彼はダイニングテーブルへと向かい、椅子を片手に1脚づつ持って戻ってきた。
 一つをメイドさんがいたところへ、そうしてもう一つをなんと私の立っている後ろへ置いてくれたのである。
 なんというか素直に感動。
 ちょっと遅いけど、若いのに気遣いが出来る人なんだねぇ。


「自分だけ椅子に座って申し訳ありませんでした。レディを立たせておくなど、騎士としてあるまじき行為でした」
「いえ、気にしないでください。私が無理やりボーマンさんを座らせたのですから」


 と当たり障りのない返答をしつつお互い笑い合う。
 何これ、すっげー好感触じゃん。


「でも正直以外でした。あんまり人の噂もあてにならないものですね」
「噂? 噂とは私に関する噂ですか?」
「ええ、姫を傍で拝見する機会を得られて確信しました。あの噂はデマですね。きっと姫を妬む誰かが嫌がらせで流したのでしょう」
「なるほど噂ですか。どんな噂なのでしょう?」
「いえ、姫様のお耳を汚すほどのものではありません。お気になさらないほうがいいでしょう」
「でもやはり自分の噂は気になるものです。あまりいい噂ではなさそうですが、それを知るのも姫としての私の役割かもしれません」


 っていうかそこが知りたいんじゃ、キリキリ話さんかい。
 笑顔でプレッシャーを与えると、迷いつつもこれは私が言った話ではないと前置きつきで話してくれた。
 曰く、国一番の我侭者である。
 曰く、人を人とも思わぬ所業に幾人もの宮仕えが涙に枕をぬらしているらしい。
 曰く、気に入らないという理由で侍女の首を切らせたことがある。
 曰く、こんな田舎街の城は辛気臭いので都の風を入れてやる、と突然宣言して北の塔舎の全面改装をした。
 ちなみにその費用は国費の1年分に相当したらしい。
 曰く、フェイタール殿下を小姓のように扱う身の程知らずである。
 等々。

 えっと正直引いた。
 これがすべて本当の話なら、外の人あんた人としてどうなのよ?


「これらはあくまで姫の姿を見たこともない者たちの間での噂です。俺のように姫様に直にお会い出来れば、そのようなデマなど一笑にふせましょう」


 たかが椅子を勧めたくらいでそこまで持ち上げられてもこそばゆいだけであるけれども、まあ悪い気はしない。
 ま、所詮噂だしね。
 でも外の人の取っ掛かりが出来ただけでも大収穫である。
 話が弾んでいると、恐る恐るといった感じで外に出したメイドさんが入ってきた。


「ちょうど良かった。話しつかれて喉が渇きましたし、みんなでお茶にしましょうか」
「ひゃ、ひゃいっ」


 そういって二人をダイニングテーブルまで引っ張っていき、3人で割りと楽しいおしゃべりが出来た。
 うん、憑依2日目にしてはいい感じ。
 その茶話会は、専属のメイドさんが戻ってくるまでの間続いたのであった。



[24455] 11話「若き2人の門出にて」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/27 20:18
「で、お前は衛士であるにも関わらず、姫様と一緒にお茶を飲んでいたわけか?」
「はい」
「はぁ? 何を考えているんだ? 相手はあの蛮行姫だと教えただろうが! わざわざ足元を掬われに行ってどうすんだ、馬鹿が」


 割と広い部屋の中に、野太いだみ声が響き渡る。
 近衛隊舎の隊長室に呼び出された俺は、さっきまで一緒にいた侍女のニーナと共に近衛隊長と侍女長の二人に睨まれ、怒鳴りまくられていた。
 確かに着任前には扉の前から1歩も動くなとは言われたし、それを守れなかった自分も悪いと思う。
 が、それが何故あのプリンセスの悪口に繋がるのかが分からない。
 それにあの人が誰かの揚げ足を取るような人には、俺には見えなかった。
 俺のそんな態度にヒゲ面の隊長は心底うんざりしたような表情で、隣に佇む氷の様な雰囲気の侍女長へと視線を送る。


「ニーナ、貴方もです。主と同じテーブルにてお茶を飲むなど、侍女としては許されざる行為なのは今更の話ですよね。貴方はもう少し賢い人物だと思っていたのですが、どうも違ったようです」
「じ、侍女長。でもですね、姫様が是非にと言われて」
「専属の侍女の方々は、全員こちらが満足できる仕事をしていただいております。彼女達に出来て、貴方に出来ない理由があるのですか?」
「い、いえ、それは、そうなんですけれども」


 侍女長の刃の様な視線と声に、しなしなとニーナの声も背中も萎れてしまっている。
 なんだろう、俺はぜんぜん納得いかない。
 そりゃ、先週実家から上京したばかりだから右も左も分からないし、ましてや近衛の仕事なんて全然慣れていないから失敗も一杯している。
 姫様の人となりだって知らないし、他の王族の人のことだってまったく知識が無い。
 俺はそんな新米だから、自分のミスを怒られるのは分かる。
 でも今回のこれは違うだろう?
 姫様は明らかに会話を欲していたし、楽しそうに笑ってくれていた。
 護衛としてすぐに動けないようなことをしていたのは駄目だけど、俺が怒られているのはそこじゃない。
 あのお姫様と一緒に会話していたこと自体をなじられている。
 何故だ?


「お前分かっているのか? 不敬罪と言われて首を切られてもおかしくなかったんだぞ!」
「そうはなりませんでしたっ!」
「それは現時点での結果論だ! 明日になれば、ボーマンが不敬を働いたと言われて、お前抗弁出来るのか? 不敬罪は軍法会議を経ずに即死刑だぞ。それはそこのお嬢ちゃんも一緒だ!!」
「ひぃう、ご、ごめんなさい」
「謝ったってもうどうにもならんわっ!!」


 ヒゲ面隊長の怒声に涙と鼻水を垂らしながら、必死に頭を下げるニーナ。
 だけど俺は下げない。
 蛮行姫の噂であの人の事を讒言するのなら、死んだって絶対下げてやるもんか。
 その反抗的な態度が気に入らないのか、ヒゲ面隊長はふんっと鼻から息を噴出す。
 ヒゲ面(もう隊長なんて呼んでやるかってんだ)の怒声が収まれば、今度は侍女長が言葉を継ぐ。


「本来であれば、始末書と王族への謝罪文、合わせて違反金の納付が妥当な処罰ですが……」
「それではお前ら2人を守ってやれねぇんだ」


 苦虫を噛み潰したような顔をするヒゲ面と、一切の感情を表さない能面侍女長。
 俺は悔しい気持ちを必死で噛み殺し、視線で射殺すくらいの覚悟で目の前の2人を睨みつける。
 そんな俺の態度に心底愛想が尽きたようなヒゲ面は、引き出しから手のひらよりも少し大きいくらいの布袋を2つ机の上に放り出した。


「お前達は今日付けでクビだ。何処へなりといくがいい。これはせめてもの餞別だ」
「そうですかっ、よく分かりました! こんな騎士団、こっちから願い下げだ!」


 俺は支給された剣を机の上に叩き付けると、餞別とやらには一切手を付けずさっさと隊長室を後にする。
 ニーナの号泣しながら謝る声が聞こえたが、それよりもこんな奴等と一緒の空気なんか吸いたくなかった。



 隊舎にある自分の部屋から、皮袋1つ分の自分の荷物をもって外へ出る。
 そこには木の下で人目を憚らず泣き続けるニーナがいた。
 彼女には正直悪いことをしてしまったと思う。
 お茶を一緒にという誘いにぐずる彼女の背を押したのは、紛れもなく自分だろうから。
 ふぅとため息を吐いて、ニーナに近づく。


「おい、ニーナ。何時までも泣いていたってどうにもならないぜ?」
「ぶぇっ、ぶぇっ、ひっぐ。だ、だっで、わだじ、いぐどこないぼん」
「はぁ? 実家は? そう遠くないんだったら護衛ついでに送ってやるよ」
「ヴぁ、ヴぁたじ、ご、っご、ごじだもん」
「五時?」
「うん、ごじ」


 なんか意思の疎通に難があるように思えるのだが、泣いている女の子を放っていては騎士の名折れ。
 綺麗に手入れされた緑色の髪に手を載せて、がしがしと左右に揺らしてやる。


「や゛~べ~で~」
「しょうがねぇ、持ち合わせあるからしばらく面倒みてやるよ。城下町ならどっか働けるとこあんだろ?」
「……」


 泣きながらもしばらく考えてから、ゆっくりと頷くニーナ。
 はぁ、なんか雨に濡れた小動物みたいで放って置けないんだよなぁ。
 ぐずぐずと鼻をすすりながら、ニーナは木陰に隠してあった荷物を引っ張り出してきた。
 なんだろうね、泣きながらもこの準備の良さは。


「ごでがらどごいぐの?」
「そうだな。取りあえず町の北側へ行こうと思う」
「……びべざま?」


 なんでそういうところだけ女って勘が鋭いのかね。
 確かに北側の町なら、場所によったら姫様の部屋がみえるところがあるかもしれないと思ったのも確かなんだけど。


「ばーか、生意気いってんじゃねーよ。面倒みてやんねーぞ?」
「おでぇざん」
「は? 何?」
「わだじのぼうが、おでぇざん」
「え? マジ? もしかして年上?」


 無言で頷くニーナに、信じられねぇとつぶやく俺。
 しかし、それでも主導権は渡さねぇ。


「けっ、当面養ってもらうんだから、生意気いうなよ」


 その俺の言葉にも、ニーナは首を横にふるふると振って否定の意を表す。
 おもむろにカバンの中から皮袋を1つ出してきて、その中身をこちらに見せた。
 新金貨がぎっしりと詰まっているのが見える。
 よくよく観察すると、これってさっきヒゲ面が餞別だといってよこしたものじゃないのか?
 首にした人間にこの金貨って、意味がわからん。
 余計なことを喋るなってことなんだろうけどなぁ。
 でもやっぱりそのやり方は気にいらねぇ。
 ふと気になってニーナのカバンを覗いて見ると、同じような皮袋がもう一つ入っている。


「なぁ、その皮袋って俺の分のじゃね?」


 またもや首を横にフルフルと振って否定するニーナ。


「いや、待てよ! これあの時の袋だろ? なら片一方は俺のじゃん!」
「ぢがう。ボーバン、ごでむじじでいっだ」
「なにがめついこと言ってんの! ちゃんと山分けしろよ。一緒に生活するんだろうがよ!」
「やだ」
「なんでだよ! お前ずりぃよ!」

 そんなことを言いながら俺達はこの胸クソ悪い城を後にした。
 途中北の塔舎の横を通るとき、なんとなくスワジク姫の姿を探してみる。
夕陽の中、寝室の窓から北の方を物悲しげに見つめる姫様の横顔が小さく見えて、無性に悲しくなった。


(すいません、姫様。俺、あなたの様な人の為に剣を捧げたかったのですが、もう無理なようです)


 頭を大きく下げて姫に謝罪するけれども、それは彼女の視線には入らなかったようで変わらず北の町並みをじっと見つめていた。
 とても悲しげに。

 


近衛隊舎の隊長室

 西日が差し込む窓から、近衛隊長のコワルスキーはこの城を去っていく2人の若者をじっと見つめていた。


「もう二人は行きましたか?」


 部屋にある応接セットに腰掛けて侍女長のヴィヴィオは、琥珀色の液体を煽るように喉に流し込む。
 綺麗にアップにしていた髪は無造作に下ろされ、細身の眼鏡は机の上に置いてある。
 まだ定時には早いのだがなとコワルスキーは苦笑するしかない。
 もっとも彼とて気分はヴィヴィオと同じく、とっとと飲んでウサを晴らしたがっているのだが。


「何が悲しくて前途有望な人材の首を切らなきゃならんのか」
「仕方ないでしょう? レイチェルの二の舞は御免だわ」
「気持ちは分からんでもないさ。俺だって自分の部下がいわれの無い罪で刑死させられたら、何をするか分かったもんじゃないからな」
「あの子達、最後までこっちの気持ちなんて分かってくれなかったわね。報われないわ」
「言うなよ。それが俺たち上司の仕事であり、職責だ。恨まれようとも、そのときの最善を尽くさなきゃならないんだ」
「……そうね。……でも、報われないわね」
「まぁな」


 コワルスキーは苦笑いをしつつ、バーからグラスを取り出して自ら酒を注ぐ。
 彼の手にあるボトルを途中でヴィヴィオがひったくり、空になった自分のグラスに残りを勢い良く注いだ。
 お互いのグラスをこつんと当てて、門出の祝辞を唱和する。


「「若き2人の同胞に、豊穣なる未来が訪れんことを」」



[24455] 12話「そうだ、お風呂へ行こう!」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/28 16:50
 皆様、只今から僕ことスワジク姫は、お待ちかねのお風呂に入ります!
 ヒャッハー! お湯だ、お湯だーー!
 などという世紀末的な脳内アナウンスは横において、真面目な話こっちの世界での始めてのお風呂なのです。
 昨日お風呂入ってなかったし、割と体がべた付いて気持ち悪かったんだよな。
 それに初めてこんなに長く寝室から離れられたよ。
 純粋にそこが嬉しかったりするんだな、これが。
 とは言うものの、お風呂って何処だ?
 なんで皆僕の後ろを歩くわけ?
 お陰で迷っちまったじゃねぇか、団体で……。


「……」


 少し涙目で後ろを振り返ると、文句を言うわけでもなく付いてきている2人のメイドさん。
 スヴィータというちょっと勝気そうなツインテールと、もう一人は名前知らないモブキャラっぽい人。
 二人は僕の着替えやら何やらが入っている包みを、恭しく前で抱えながら黙って付いてきている。
 ああ、もちろん視線なんて合わせてくれない。
 ふ、フン! 寂しくなんかないんだからねっ!
 それはそれとして、どうやら新しい分岐点のようだ。
 
選択肢は4つ。
 1、程なく行き止まりの壁が見えるけど、途中に扉が2つほどある廊下を直進する。
 2、中庭の方に向かって続く廊下を進む。
 3、なんかホールっぽいところへ続く廊下へ行ってみる。
 4、来た道を戻る。
 5、スヴィータさんに泣き付く。

 4つの選択肢なのに、1つ余分なのは最後のが隠しコマンドだから。
 そして僕は躊躇せず最適の選択肢を選ぶ。
 くるりと振り返り、にこにこと満面の笑みを浮かべてその名を口にする。


「あの、スヴィータさん。ここってお城のどの辺りでしょうか?」
「はい、ここは政務館1階、来賓応対区画になります」
「来賓ですかぁ」
「はい、来賓です」


 分かったような振りをしてうんうんと頷く僕に、スヴィータは無駄のないシャープな答えを返してくれる。
 来賓って、お客様ってことだよねぇ。
 そんな区画を寝巻き姿でうろうろするのはさすがに失礼だよね、お客様がいたらさ。
 答えるべきことは答えたと言わんばかりのスヴィータの反応に、僕は苦笑いを浮かべるしかない。
 これってあれだよね、イジメ? だよね。
 女のそれは陰湿だって聞いたことあるけど、なるほどこれがそうなのか。
 でもこの状況で苦労するのは僕もだけど、スヴィータ達も同様に引っ張り廻されているのだからイジメって訳でもないのか?
 ううむ、困った。


「これは姫殿下、いかがなされました?」
「ふぇ?」


 思わずへんな声を上げて振り返る僕の目の前に、いつぞやフェイ兄に付いてきていた黒髪イケメンが立っている。
 確か名前はレオだったか。
 んー、この人に聞いたら教えてくれるかな?
 あるいは案内してくれたら一番嬉しいんだけどなぁ。


「ふむ、湯浴みに行かれるようにお見受けますが、何故わざわざ正反対の政務館の方までこられたのですか?」
「え、えっと、ちょっとぼうっとしていて、道を間違えたようです」
「なるほど」


 顎に手をやってしばらく僕を見つめるレオ。
 なんとなく落ち着かずに、そわそわと体を動かしてしまう。
 そんな僕を見てか、レオは優しく微笑みながら手を差し伸べてくれた。
 比喩的な意味でも、文字通りの意味でもである。


「丁度私も仕事が終わって帰ろうと思っていたところです。よろしければ途中までご一緒しましょうか?」
「えっと、よろしいのでしょうか?」
「お嫌でなければ、是非」


 おおぅ! なんて自然なフォロー。
 うん、僕の中のレオに対する好感度を1つ上げておかないといかんね。
 これがフェイ兄なら抱きついて頬ずりしながら風呂まで引きずられた挙句、一緒に風呂にまで入ると言うに決まっている。
 侮りがたし変態ロリシスコン兄め。
 変な妄想の中でフェイ兄と戦っているうちに、レオが自然な感じで僕の隣に来て半歩前を歩き出してくれる。
 これがいい男というものだろうか。
 僕が女なら、マジ惚れるよ。
 いや、体は女だけどさ、その辺りは勘弁なってことで。
 兎に角これでようやく風呂に辿り着けるよ~。
 

「そういえばフェイタール殿下が、姫殿下の怪我が治ったら遠乗りに誘いたいなどと申しておりましたよ?」
「はぁ、そうなんですか? フェイ兄様って何かと私に気を使ってくださいますよね? 何故なのでしょうか」
「自分の妹に気を使うのに、特別な理由などいりますでしょうか? それに殿下は貴女をたいそう溺愛されていますからね。いろいろと世話を焼きたいのでしょう」
「……はぁ」


 レオの口から聞かされたトンでも情報に、ある程度覚悟はしていたとはいえ欝になる。
 やっぱり奴はシスコンか……。
 これはもしかして外の人がブラコンだった可能性もあるのか?
 そ、そ、そして二人の関係ってもしや……。



『あははは、私の可愛いいちごちゃん♪ ほら、今日も一緒にお風呂に入ろうか』
『いや~ん、フェイ兄様ぁ。もうエッチなんだからぁ。スワスワ恥ずかしいのぉ』


 ピンク色の魔空間にふわふわと浮かぶ無数のシャボン玉。
 全裸のフェイ兄が満面の笑みで外の人に向かって両手を広げている。
 そんなフェイ兄に、外の人はいやんいやんと全裸を左右にねじって恥らってるのだが、二人の距離は無情にも縮まってゆく。


『何をいってるんだい。もう毎日一緒に洗いっこしている仲じゃないか。でも、いつまでも初々しい私のいちごちゃんが、に、に兄様は大好きだよ』
『フェイ兄様、それほんと?』


 鼻の穴を大きくしてぴすぴすさせているフェイ兄を、外の人は上気した頬と潤んだ瞳で見上げる。
 その蠱惑的な視線にフェイ兄のボルテージはいきなりMAXへと突入。
 ぶわっと立ち上がって自分自身を曝け出す。


『ああ、もちろん本当だとも。見てごらん、私の○×はもう■▽※だよ!!』
『ふぁぁぁ、$&@なってる。なんだか怖い。でもフェイ兄様のだがら、私、我慢できるよ』
『なんて愛らしいんだ、マイスゥイートハニー! もう辛抱たまらん!!』
『いやぁぁん、兄様。優しくしてぇ。スワスワのお・ね・が・い♪』


「ぐはぁぁぁ、ボクのSAN値ががが」


 僕は思わず姫としてあるまじき声を上げながら、その場に突っ伏してしまう。
 レオは一瞬びくぅっとなって引き掛けたが、そこは大人の自制心で踏みとどまったようだ。


「ひ、姫殿下、いかがなされました?」
「い、いえ、持病の癪が突然……」
「は、はぁ、そんな持病お持ちでしたか?」
「ええ、突然に」


 心配そうにというか、若干引き攣った笑顔で僕を見つめるレオ。
 大魔王もびっくりの魔空間からなんとか生還した僕は、震える膝に活を入れながら立ち上がる。
 もちろんBGMはアリスのチャンピオンか、サバイバーのアイ・オブ・ザ・タイガーだ。
 くそう、いつか闇に葬り去ってやるわ、あの変態ロリ紳士(壊)め。


 取り繕いようの無い空気を強引に何とか取り繕いながら、僕たちはようやく目的地の風呂場へと到着した。
 脱衣場の扉の前で、ミーシャとアニスが待っている。
 こちらの姿を確認すると、ミーシャが少し怪訝な顔をしてレオに話しかけた。


「閣下、何か問題でもございましたでしょうか?」
「いや、道中で姫殿下と行き合わせたので、こちらまでご案内したまで」
「ほんと、助かりました。有難うございます、レオ……閣下?」
「レオと呼び捨てでかまいません、姫殿下。それでは私はこれにて」


 まあ取っ付きにくそうだけど、仲良くなれば割と世話を焼いてくれそうなタイプだ、レオって。
 フェイ兄に頼るよりも彼と仲良くなった方が色んな意味で安全かもしれない。
 僕の中のお助けキャラリストに早速書き込んでおこう。


「姫様、こちらまで時間が掛かったようですが、なにか問題がありましたでしょうか?」
「えっと……」


 ミーシャが心配そうな表情で尋ねてくれるも、まさかスヴィータ達になんかイジメっぽいことされてましたって言えないしなぁ。
 それにあれがイジメだって決まった訳でも無し。
 大体目上の人の間違いを指摘するのって確かに勇気いるもんねー。
 ま、早計な判断はするべきじゃないって事にしておこう。


「ちょっと寄り道していただけですよ。心配いりません」
「そう、ですか。分かりました。それではこちらへ」


 ま、結論として言える事は、二日ぶりのお風呂は気持ち良かったってことかな。
 脱衣所も、浴室もビックリするくらい豪華だったけど、漫画でよくあるような向こうが見えないような風呂じゃなかった。
 せいぜいがこじんまりとした銭湯くらいの広さである。
 それにしたって一人ではいるには贅沢すぎるんだけどね。
 サウナ風呂だったらどうしようとか思ったけど、普通に入浴できるってことが分かったのは嬉しい。
 これであと、自分で体を洗えたら言うことなかったんだけどね。


「ちょ、ちょ、ミーシャさん、そこ、そこは自分で洗いますから!」
「大丈夫です。力を抜いてお任せください。それにここは結構垢が溜まりやすいところですから綺麗にしておかないといけません」
「だ、だからそこはそんなに強くしちゃ……、ふぅっ!」
「大丈夫です。力を抜いて身を任せてください」
「や、やーの。そっち違う! そこは触っちゃ駄目ぇぇぇ!」
 

 誰かお願いします、この人を止めてください……。



[24455] 13話「なんとなく状況が分かってきたかもっ!」(前編)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/02 17:44
 憑依3日目の朝。
 今日も快晴で、窓から入ってくる陽の光と爽やかな風が朝の眠気を優しく取り去ってくれる。
 うん、今日も元気だ、空気がうまい!
 さて、2日の情報収集活動(?)を経て、いろいろと分かったことがある。
 ここいらで一旦僕の置かれている状況を頭の中で整理する必要があるだろう。
 そんなことを考えながら、鏡台の前に座るとアニスがブラシを片手に寄って来た。
 朝の身だしなみは彼女たちメイドがやってくれるので、色々と楽をさせてもらっている。
 自分でやれって言われても、まあ無理だしね。


 まず僕が憑依している外の人、スワジク姫は嫌われ者っぽい。
 ボーマンが教えてくれたあの噂と、自分の周りにいるメイドさん達の雰囲気、そして昨日のスヴィータ。
 これだけの情報で決め付けるのはどうかと思うけど、なんとなくそうなんだろうなぁって感じる。
 まあでも救いはあるわけで、変態だけどフェイ兄は色々と気を掛けてくれるし、レオだって優しかった。
 女性陣はおおむね僕を無視しているようだけど、一人ミーシャは隔意なく接してくれる貴重な存在だ。
 こうやって見ると僕の味方ってレオを除くと変態しかいないのではないかと疑ってしまう。
 変態性シスコン病のフェイ兄、狙った獲物は逃さないガチ百合、ミーシャ。
 もしかしてレオも僕が知らないだけで変態なのかな?
 身近な味方にこれだけ高確率で変態が多いなら、その可能性も捨て切れねぇ。
 ボーマンとニーナは、この中で数少ない普通の人材だ。
 ただし、ボーマンは施設警備隊、ニーナは政務館付侍女に所属しているらしいので、前回の様なイレギュラーが無い限り顔を合わせる機会がない。
 まぁ、もっとも向こうが来れないならこっちから訪ねに行けば良いわけで。
 機会を見てこっそりと会いに行くのもありだな。

 とまあ、割と僕の周りの環境はよろしくない状況のように見受けられる。
 それに依然として、外の人の公務とか人間関係は五里霧中なわけだし。
 だが、それでも今出来ることは少ないながらもあるじゃないか!
 と言う事で……

『第1回 友達百人出来るかな?大作戦 -いじめなんかに負けないで♪-』

 ぱふぱふ、どんどん!

 くっくっく、完璧だ、完璧すぐるよ、僕。
 これならば諸葛孔明(男)も裸足でサンバを踊りだすだろうよ。
 くっくっく、あーっはっはっは。


「み、ミーシャちゃん、なんか姫様からどす黒いオーラが……」
「ん、そっとして置いていいと思う」
「わ、分かったよ」



 さて、作戦名をつけたは良いが実際誰から攻めようか。
 フェイ兄、ミーシャ、レオは既に友好状態にあるとして、一番ハードルの高いのが、スヴィータ、その次がモブっぽいメイドさんのライラか。
 ちなみにライラは僕付き侍女達の責任者らしい。
 次にアニスだが、彼女はなんかどうにでも出来そうな気がするし、それ以外の人となると衛士や給仕さんだから今は無視していい。
 楽な方から友好を固めるか、難易度の高い方から失敗覚悟で状況の改善をするか。
 んー、身の危険や貞操の危機を感じるけれども、まずはフェイ兄やレオの男性陣から攻める事にしよう。
 腐っても僕は美少女だし、少し健気に接したらイチコロに違いない。
 元男が言うんだからこれは間違いないな。
 ふふふ、善は急げというし、早速作戦開始と行こうじゃなイカ。





フェイタール執務室

 一昨日の晩に起こった謀略工作に関して、私達は手詰まりに近い状態だった。
 敵の謀略員がスワジクの部屋に入って出て行った経路は比較的簡単に分かったのだが、それ以前、もしくは以降の足取りが全く見つからない。
 まるでそんな者は存在しないと言わんばかりの完璧な手際である。


「くそっ、そっちの線も手詰まりか。そっちはどうだ」
「はっ。城壁、城門、勝手門、水路に井戸、地下通路まで調べ上げましたが、不審な形跡は何一つ見つかりませんでした」


 たった今報告を終えたセンドリックを押しのけて、ごつい体格の近衛指揮官コワルスキーが前に出て報告書を読み上げる。
 期待はしていなかったが、否定的な報告に肩を落としてしまう。
 私は無言でその後に立っている侍女長ヴィヴィオに目を移す。
 その意を汲み取った彼女は、首を左右に振りながら告げる。


「私の方は出入り業者、来城者、使用人から各州都が雇用した文官、武官まで洗いざらい調べました。今のところ不審な者、忽然と居なくなった者、あるいは招かれざる客などは見つかっておりません」
「そうかご苦労だった。……そういえば、コワルスキーとお前の部署は昨日欠員が1名づつ出たんだったか?」
「はい。スワジク姫のことを知らぬものを敢えて選任したのですが、それが裏目に出てしまいました。これは私の判断ミスです。申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げるヴィヴィオに対し、少し罪悪感を覚える。
 レイチェルの事件から一時も休まず働きづめの彼女の姿が、とても痛々しくて見ていられない。
 が、それを面と向かってヴィヴィオにいう気にもなれず、深いため息をつくしかなかった。


「近衛の施設守備隊と政務館付侍女だったな。レオ、早急に手配するよう内大臣に助言しておいてくれ」
「了解しました」
「そうだ、レオ、お前の方の調べはどうなった?」


 私の机の斜め前にある秘書用の机に腰を掛けた、幼馴染の相棒に声を掛ける。
 レオは記録を取っていた手を休め、椅子に背を預けお手上げのポーズをとった。


「城下にある各有力者の館、反帝国派勢力、あるいは現在確認出来ている他国の謀略員に動きはありません。特に反帝国派について重点的に調査しましたが、結果はグレーです」
「詰まるところ、わからんということか」
「ですね。正直、そこまで我々を手玉に取れるような工作員が存在するのかどうか、私は非常に疑わしいと思っています」
「どういう事だ、レオ」


 机に置いてあったカップを手に取り口をつけようとして、中身がないことに気がつく。
 柄にも無く緊張しているのか、私は。
 いや、むしろレオの口からその可能性を聞きたくは無いのかもしれない。
 もし、レオの懸念していることが当たりだったら……。


「私はこう考えています。外部の犯行に見せかけた内部の者の犯行であると」
「っ! それでは閣下は私が調べた調査結果をお疑いになられているのでしょうか?」


 レオの仮定を聞いて、間髪入れずに反発するヴィヴィオ。
 一瞬にして場の空気が険悪なものと化す。
 だがその反発を鷹揚に片手で制したレオは、ゆっくりと一同を見回す。


「おかしいとは思いませんか?」
「何がだ、レオ」
「ここにいる人材は、身贔屓と言われるかもしれませんが、それぞれの担当分野において非常に優秀な実績を持っています」


 ぐるりと一同を見回すレオの視線に、それぞれが当然とばかりに胸を張る。
 そんな様子をレオは満足げに見て、視線を私に固定した。
 レオも緊張しているのか、次の一言を紡ぐ前に唇を軽く舐める。


「そんな優秀な人材全てを出し抜けるような鼠が、果たして存在しえるのでしょうか? もしかして、我々は大きな勘違いをしているのではないでしょうか? 例えば、限りなく黒に近い存在であるにもかかわらず、事件当初から白だと断定されている人物について、とか」
「……」


 しんと静まり返る室内。
 ここ2日ほど記憶の混乱があり、常とは違う行動をとっていた彼女。
 センドリックの状況報告から一旦は捜査線上から外したのだが、レオはその彼女こそが犯人ではないのかと言ったのだ。
 目を閉じてこの2日間のことを思い返す。
 あの傍若無人だったスワジクが、借りてきた猫のように大人しくなったこの2日間のことを。


「しかし、閣下。私はベランダからあの窓が開いたり、閉まったりするのを見ていました。それにわざわざ隠してあった報告書を我々に見つけさせた意味も分かりかねます。別に彼女を擁護するわけではありませんが、整合性が取れなくは無いですか?」
「その辺りの動機付けはともかく、姿の見えない賊の正体が彼女であるとするならば色々と辻褄は合います」


 レオは眉間に人差し指を当てて、軽くコツコツと叩きながら喋り続ける。
 あれはあいつの脳がフル回転しているときによく見られる仕草だ。
 

「知っていますか? 件の窓の立付けが割りと緩かったということを。鍵を掛けていないと少々の風で開いたり閉まったりするのです」
「ではアニスの見た賊は?」
「恐らく彼女でしょう。茶色の外套着は、彼女のクローゼットにも存在していたことは確認しています。そしてそれが衣掛けから落ちていたことも。さらに、センドリック卿も覚えていますでしょう。本来椅子の上に無ければならない埃避けが彼女の枕の下にあったことを。何より、あの窓からならか弱い女性でも隣のベランダまでは飛び移れます」
「しかし最初のアニスの悲鳴を聞いてからベランダに行くまで、または私がベランダから彼女の寝室に行くまでの間には誰も居ませんでした」


 センドリックが当時を思い出しながら、カウンターオピニオンを提示する。
 それに慌てることも無くレオは自分の推論を続けた。
 彼の話を聞きながら、恐らくはレオが正しいのであろうという事を理解し、自分の甘さに辟易した。
 たった数日従順な様子を見せていたからといって、何故こうも簡単に彼女を関係ないと信じてしまったのか。


「彼女が悲鳴を上げたのは、賊を見て気絶した後のことだと報告書には記載されています。であれば、犯人がどこか別のところに身を隠すことも出来たでしょう。例えば、施錠することがなかった侍女達の作業部屋とか。実際、あの報告書はその部屋に保管されていたものですし、経路としても理にかないます」
「なるほど、アニスの悲鳴を聞いた私がベランダで調査している間に部屋に戻って体裁を整えたというわけですか」


 レオは満足げな表情でセンドリックに振り返った。
 彼女の犯行時の行動としては、確かに筋は怖いほどに通るし無理がどこにも無い。
 だが一つだけ、やっぱり分からないことがある。
 当初もそれが分からなかったから、私達は彼女を白だと断定したのだ。


「レオ、では聞こう。スワジクの狙いは、なんだ?」





[24455] 14話「なんとなく状況が分かってきたかもっ!」(後編)
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/11/30 07:27
 しんと静まり返った執務室の中、レオがまさに私の問いに答えようとしたその時、突然ドアがノックされた。
 会議中ということは各部署に通達済みなので、よほどの緊急事態でないかぎりここへは誰も寄ってこないはず。
 私はヴィヴィオに目配せをして、対応するよう促す。
 彼女はすぐさま表情を切り替え、洗礼された動きで来訪者が待っているであろう扉へと向かった。


「誰か?」
「はい。スワジク姫殿下付の侍女、アニスでございます。姫殿下が是非フェイタール殿下にお会いしたいとお申しになられまして……」
「しばらく待て」


 問答無用に会話を切り上げ、ヴィヴィオがこちらを振り向いてどうするかの指示を待っている。
 私は傍まで来ていたレオを見上げて、彼の意見を聞くことにした。


「先ほどのお尋ねの件ですが、私にも姫殿下の狙いがいまだ絞りきれておりません。が、向こうから出向いてきてくれているのであれば、ここは相手の行動を見てから考えてもよいかもしれません」
「女狐と狸の化かしあい……か」
「女狐は女狐でも、あれは妖狐の類です。しっかりと気を張って臨むべきでしょう」
「……わかった」


 私はゆっくりとヴィヴィオに肯いて、スワジクを執務室に招き入れた。




 時間は少し遡って、城の厨房。
 さすがに城に詰めている人たちの食事を作るだけあって、半端じゃない広さだ。
 かまども30位はあるんじゃないだろうか。
 今は昼食後ということもあって調理場にはほとんど人がおらず、洗い場で食器やら道具を洗っている人が10人くらいいる。
 その調理場の一角を、スワジクとミーシャ、アニスは占拠していた。


「さてと、材料はこんなものですね。道具も一通りそろっているし、窯はどうでしょうか?」
「は、はい。今火を入れましたけど、昼前にも使っていたみたいなのでそんなに時間は掛からないと思います」


 鼻の頭を真っ黒にしたアニスが振り返って報告してくれた。
 なら窯がいこるまでの間に、生地を作ってしまおうか。
 妹に無理やり作らされたクッキー作りが、まさかこんな所で活躍しようとは。
 なんでもやっておくものだなぁとしみじみ思う。
 ま、そんな回想よりもクッキーを焼くの方が先なんだけどな。

 出来ました。
 え? 途中経過? なにそれ、美味しいの?
 ぶっちゃけ、そんなレシピここで言ってもねえ。 
 だいたい普通のバタークッキーだし、慣れてたしね。
 出来栄え? あーた、そりゃ完璧だよ。
 伊達にあの鬼妹に2年間も強制的に仕込まれたわけじゃない。
 っていうか、ミーシャさん、アニスさん、なんでそんなに驚いた顔してんの?
 女の子ならこれくらい当然の嗜みでしょうが。


「い、いえ、それはそうかもしれませんが、まさか姫様がここまで上手に焼かれるとは予想もしていませんでしたので」
「ですよね。なんかすごい手馴れてた。もしかしたらミーシャちゃんや私より上手いかも」
「ふふふん。ま、人間誰にでも一芸はあるということです。さあ、お茶の用意をしてフェイ兄様のところへいきましょう。きっとびっくりするでしょうね」
「本気で腰を抜かすくらいびっくりすると思います」

 
 そんな大げさなミーシャさんのお世辞に気をよくした僕は、女の子ぽく見えるように飾り付けをしてワゴンに乗せた。
 ぐふふふ、ここまで完璧にしないと許してくれなかったからな、うちの鬼妹。
 っていうか、ボーイフレンドへのプレゼントくらい自分で作りやがれ!
 さて、今必殺の手作りクッキーを持っていってやるからな、変態シスコン兄め!
 これで悶え死ぬがいいわ。



 で、今フェイ兄の執務室。
 意気揚々と乗り込んだまではよかったんだけど、あれ? 何? 空気悪くない?


「やあ、スワジク。急にどうしたんだい。こっちの方まで来るなんて珍しいじゃないか」
「あ、いえ、フェイ兄様は今日はお忙しいとお聞きしていたので、3時のおやつに甘いものなどいいのではと思って焼いてきたのですが……」
「え゛、君が焼いたのかい?」
「はい。フェイ兄様の為に一生懸命作りました。よかったら皆様も摘んでくださいな」


 ぴしっという音が部屋の中に響いたような気がするくらい、僕とミーシャ、アニス以外の皆が固まってる。
 なんだよ、そのありえないっていう表情での反応は。
 なんでミーシャ声を殺して笑ってるの?
 ……ってあれ? もしかしてスワジク姫ってお菓子も料理も出来なかった……のか?
 あるぅえ、リサーチ不足?
 てかその件についてはリサーチすらしてなかったけどね。


「一つお聞きしてよろしいでしょうか、姫殿下。それはお一人でお作りになられたのでしょうか?」


 頬を引き攣らせたレオが、恐る恐るといった感じで話しかけてきた。
 ははぁん、さてはあれだな、食えない代物を持ってきたって思っているんだな。
 愚か者め、一口食して己が不明を猛省せよ。


「ミーシャさんとアニスさんにも手伝ってもらいましたが、おおむね私一人で作りました」
「なるほど。お一人で、ですか」
「それでは私が毒見をさせていただきましょうかな」


 なんか初めて見るごつい人がぬっと出てきて、ワゴンの上にあったクッキーを一つ摘んだ。
 しかし、でかいなこの人。
 僕の1.5倍くらいはありそうじゃん。
 焼いたクッキーが、なんかの欠片かと思うくらい小さく見えるよ。
 で、ひょいとクッキーを口に入れ、傍に入れてあったあつあつの紅茶を一気に飲み干す。
 ってそんな勢いで飲んだら、喉を火傷するんじゃないのか?


「ふむ。なるほど。これは……なんとも」


 執務室にいた一同の視線が、その木偶の坊さん(勝手に命名した)に集中する。
 そんなことを気にもせず、彼はさらに別の形のクッキーに手を伸ばし口に放り込む。
 繰り返すこと5度目にして、フェイ兄が痺れを切らしたようだ。


「コワルスキー、どうなんだ?」
「は? 何がでしょうか?」
「お前、毒見してたんじゃないのか?」
「おお、これはすいません。あまりに美味しかったもので、ついつい失念しておりました」


 がこんと机の上にアゴを落としたフェイ兄に、豪快にがははと笑ってもとの場所へと戻ってゆく木偶の坊改めコワルスキーさん。
 ロッテンマイヤーさんぽい人とミーシャ、アニスが皆にクッキーと紅茶を振舞っているうちに、僕もフェイ兄の分をトレイに乗せて持ってゆく。


「お仕事お疲れ様です、フェイ兄様。疲れたときは糖分を取るといいといいますから、たくさん食べてくださいね」
「あ、ああ、すまないね。しかし君がお菓子を焼けたなんて僕は初耳だったよ。いや、本当にびっくりしたよ、スワジク」


 トレイで口元を隠しながらはにかんで見せる。
 僕の予想では、破壊力ばつぐんの視覚効果があるはずだ。
 寝る前に、ちょと何度か鏡の前で遊んでたから間違いない。
 自分の笑顔に悶えるって言うのも痛いけど、まあ、もとが違う人間だしOKだよね。
 ま、ロリ変態にここまでする必要はないかもしれないが、他の人もいたしレオもいたから「可愛く健気な妹」のアピールが出来てよかったかもしれないな。
 とりあえず、クッキー焼いて好感度UP作戦は成功したといっても過言ではなかろう。
 うわっはっはっは。






 スワジク達が出て行った後の扉を、部屋の中にいた全員がじっと凝視していた。
 目の前にある食べ残したクッキーと、可愛らしいレースの布とリボンに包まれた手付かずのクッキー。
 今あったことだけを素直に受け止めるのであれば、甲斐甲斐しい妹の兄への気遣いという話でいいのだが、相手はあの蛮行姫である。
 この出来事を素直に受け止めていいものかどうか。


「ヴィヴィオ殿」
「はい、なんでしょうか閣下」
「私は今まで姫殿下が厨房に入って料理の真似事などをしたといった報告は一度も受けたことが無いのですが?」
「はい。私もそのような報告は閣下にした覚えはありません」


 二人がふぅと大きなため息をついて肩を落とす。
 優秀であると自負する二人が、自分達が一番注視していた人物において知らないことが存在した。
 さぞ二人の矜持を傷つけただろうな。
 何を隠そうこの私ですら少なくないショックを受けたのだから。
 あの者については他の誰よりもむしろ本人よりも熟知しているつもりだったのだが、どうやらそれは慢心であったようだ。


「レオ、それでスワジクの狙いをどう見る」
「……彼女の行動は、それほど複雑でも難解でもありません。が、彼女の目的なり考えが読めません。上辺だけを見るのなら、これ以上ないくらい我々にとってはいい変化ではあるのですが」
「ま、これだけ方向性が違えば、何を信じていいかわからんですわな。まったく、ボーマンの奴が誑かされるのも分からんでもないな」


 あきれたようにソファーにふんぞり返って笑うコワルスキーに、眉間にしわを寄せて不機嫌にしているヴィヴィオ。
 センドリックは既に思考を放棄しているようだし、私にいたっては何をどう考えていいいのかすら分からなくなっている。
 暴れても、大人しくなっても、人を悩ませ翻弄することだけは人一倍の能力を見せるスワジクに、今は脱帽するしかなかった。


「この変化が本当であれば、皆が幸せになれるのにな」


 誰に聞かせるでもなく私はそう呟いた。



[24455] 15話「ん~、バレちゃったかな?」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/01 09:20
 さてさて現在進行中のイメージアップキャンペーンだが、次のターゲットをライラさんかスヴィータにしようと思ったんだ。
 ……うん、ごめん。
 なんかね怖いんだよ、彼女達の空気が。
 あれは地雷だ、間違いなく。
 だってスヴィータに焼いたクッキー持って行っても、笑顔で断られたんだよ。
 おほほほ、下賎な私の様な者にはとても恐れ多くて口にも出来ませんって。
 笑いながらライラを連れて逃げていったんだよな。
 くそう、見事なATフィールド張りやがって。
 仕方が無いのでアニスにあげたら、顔右半分が嬉しそうで、反対側の顔が困ったような感じだった。
 お前はアシュラ男爵かよ……。
 しかし、思っていたよりスヴィータ達のハードルは高そうだな。
 何がそんなに彼女達を頑なにしてるんだろう。
 ……やっぱ外の人だよなぁ、どう考えても。
 でも原因が分からないことには、対策も立てられない訳で。
 そんな僕は困ってしまった訳で。


「食べ物で釣るのはなんか無理っぽいなぁ。といって少年誌よろしく殴り合って友情を育むわけにもいかないしなぁ。女ってどうやって友情を深めるんだ?」
「ふざけないでっ!」
「はい、ごめんなさいっっ!!」


 突然聞こえた怒声に、条件反射的に頭を下げた僕。
 恐る恐る頭を上げてみるとそこには誰も居ない。
 あれ? いま怒られたよね?
 きょろきょろと部屋の中を見回すが、やっぱり今は誰も居ない。
 と、窓際からなにやら言い争う声が聞こえる。
 あの声はスヴィータ?
 窓に近寄ってそっと様子を伺ってみると、侍女達の作業部屋と呼ばれる部屋のベランダ(以前僕が隠れてた辺り)で、侍女達4人が固まってなにやら言い争っている。
 どうやらスヴィータとライラが結託して、ミーシャに文句を言っているみたいだ。
 アニスは、……なんだろう、ミーシャとスヴィータの間でおろおろとしているだけみたい。
 

 少し距離があるので何を言い争っているのかまでよく聞こえない。
 漏れ聞こえる単語は、「信じられない」、「忘れたのか」、「売女」、「あんな女の何処が」というようなもの。
 ふむ、これは友情というよりは痴情の縺れ?
 ミーシャ、手が早そうだしなぁ。
 そこで僕は閃いた!
 スヴィータとミーシャの仲を取り持てば、少しは今の状況を改善できるかも!
 まあ、ちょっとお節介っぽいけど、そこはくどくならないように気をつければ大丈夫。
 うん、僕は空気を読める子、やれば出来る子だもんな。
 二人のためにいっちょ一肌脱いでみようか!

 

 で、早速その日のお茶の時間。
 微妙にギスギスしているメイドさんたちを尻目に、僕は必死に取っ掛かりを探っている。
 当たり前な話、いきなりさっき喧嘩していたでしょう? なんて切り出せるほど僕は豪胆ではない。
 で、その取っ掛かりは意外とあっさりと見つかった。


「スヴィータさん、その手、どうされたのですか?」
「はい。仕事中に少し挫いてしまいました。ですが姫様がお気になさるほどの事ではございません」


 木で鼻をくくったような答えとは、今のスヴィータの返事ような事をいうんだろうなぁ。
 だがっ! いつもならそこで引き下がる僕だが今は一味違うんだよ?
 僕はそっとスヴィータの手を掴むと、座っている自分の太ももの上に載せ逃げないように軽く押さえた。
 もちろんスヴィータも最初は少し抵抗したが、さすがに手を振り払うというような失礼な行動には出ない。
 くくく、育ちの良さが仇になったな、スヴィータ。
 恨むなら君の父上か母上を恨むのだな。
 などと心の中で勝ち誇りつつ、不器用に巻かれた包帯をそっと解く。
 あー、やっぱり腫れ上がってる。
 無理やり固定してたものだから、指先も少し鬱血気味だし。
 だが、これくらいの捻挫なら我がテーピング秘術を持ってすれば、赤子の手を捻るも同然。
 たちどころに普通に働けるようになるだろう。
 ま、本当は動かしちゃ駄目だし、捻っちゃ駄目なんだけどね。
 このテーピング術は剣道部の主将直伝の奥義で、なんでも知り合いのとても怪しげな接骨院の先生に伝授されたらしい。
 実際僕も捻挫したときにこのテーピングをしてもらったら凄く楽になったので、内緒で僕だけ教えてもらったんだよね。
 誰も居ない放課後、二人きりで包帯の巻きあいっこをしてさ。
 んー、いま思うとなんか主将の鼻息が荒かったのはなんでだろう?
 なんか嫌な記憶に辿り着きそうで、慌てて目の前の現実に僕は没頭する。


「少しだけ痛くするけど、我慢してくださいね」
「……」


 無言で頷くスヴィータ。
 んー、ツンデレって感じじゃないなぁ。
 しかしこの積み重ねがツンには必要で、それをおろそかにしてはデレは来ない!


「これでよし。どうですか? 締め付けがきつかったりしませんか?」
「……はい、大丈夫だと思います」
「それじゃあ少し動かしてみてください。多分大分痛みが和らいでいるはずです」


 僕の言葉に、半信半疑で手を動かすスヴィータ。
 胡散臭げな表情が、一変して驚きの表情に変わる。
 我が秘技にかかればこれくらい当然だよ、スヴィータ君。
 なんて考えながらニコニコとスヴィータを見つめていると、それに気付いた彼女は何故か凄く悔しそうな顔をして立ち上がった。


「私の様な者にもったいない施しを頂き、誠に恐縮でございます」
「いいのですよ。あ、でも痛みがましになったからってムチャをしてはいけません。なるべく患部は冷やして安静にした方がいいですよ」
「はい、ご忠告感謝いたします」


 スヴィータはスカートを摘み足を後ろに引いて頭を下げ、そのまま目を合わさずに仕事にもどった。
 うん、彼女にはこれくらいで今はいいだろう。
 あんまり親切の押し売りはよろしくないからね。
 で、だ。
 本命は、頬を腫らしたミーシャだ。
 彼女からは何があったかも聞きたいから、お茶の時間が終わってからじっくり攻めた方がいいな。
 んー、貞操的に危険な気もするけど、さすがにそこまで獣ってわけでもないだろう。
 ……と信じたい。




 お茶の時間が終わってメイドさん達が引き上げる中、僕はミーシャを引きとめる。
 二人きりになるまで待ってから、僕はミーシャに椅子を勧めた。


「凄いことになっていますよ? 気付いてますか、ミーシャさん」
「申し訳ございません。少し作業中に転んでしまいまして」


 お茶会のときはさほどでも無かったけど、今は大分腫れ上がって彼女の切れ長の左目をしたから押し上げていた。
 まさか顔にテーピングするわけにもいかないので、さっき用意させたボウルの水に手ぬぐいを浸してそっと優しく押さえる。
 少し体を堅くしたミーシャだが、すぐにその緊張も解け椅子の背もたれに体を預けた。


「姫様、ひとつお聞きしてよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「どこで……何処でお菓子の焼き方を覚えられましたか?」
「え? あー、そのー、本で……。そう、本で覚えたのです!」
「なるほど。では、先ほどのスヴィータに施したあれは? あの様な処置の仕方、私も医術を多少嗜んでいますが初めて見ました。あれは何処で覚えられたのですか?」
「あ、あれは、その、ドクターに……」
「なるほど。ドクター・グェロに教わったのですか」
「えと、まぁ、そんな感じだったかなぁ?」


 やヴぁい、僕の目が凄い勢いで泳いでるよ。
 さっきの事を聞きだそうと思ったら、逆に何か尋問されてるんですけど?
 これって割と拙いんじゃなかろうか。
 ミーシャが濡れタオルを押さえている僕の手を、優しくだがしっかりと掴んだ。
 まるで手錠のように感じた僕は思わずミーシャから距離を置こうと後ずさる。
 だけど手を掴まれている以上、そんなに距離が取れるわけも無い。


「では、最後にお聞きします」
「はひっ」
「姫様は、……貴方は私たちにした事を何処まで覚えていらっしゃるのですか? 貴方は本当にあのスワジク・ヴォルフ・ゴーディンなのですか?」


 ミーシャの問いは、僕の、僕という存在の核心を突いてきたものだった。
 彼女の白刃の様な気迫に、僕は思わず怯んでしまい答えることが出来ない。
 当然僕の動揺は僕の体の震えや表情からミーシャには筒抜けだろう。
 なんといって答えるべきか、僕はとっさに反応できずにミーシャに捕まったまま動けずにいた。




 侍女作業部屋の横にある宿直室にスヴィータはいた。
 手に巻かれ堅く結ばれた包帯をいらただしげに解く。


「あんな女に施しを受けるなんて、屈辱以外の何ものでもありませんわ」


 包帯を丸めてゴミ箱に放り入れると、棚から新しい包帯を出して自分で巻きなおす。
 そこへライラが入ってくる。


「スヴィータ……」
「あの2人は何をしているのかしら?」
「あ、えと、椅子の上で恋人のように抱き合ってた。何か話し合っているようだったけど、そこまではさすがに聞こえなかったよ」
「あの売女、そこまでしてヴォルフ家の威光を傘に着たいのかしら」
「そ、それは流石に無いんじゃないかな? 第一ミーシャってそんな感じの人じゃないし」


 ライラが反論を唱えると、射殺さんばかりにキッと睨みつけるスヴィータ。
 その眼光に、開きかけた口を閉じてしまう。
 もともとスヴィータとライラでは家格が天と地ほどの差があるので、この力関係は仕方が無い。
 寧ろそれでも責任者たろうとしているライラは褒められてしかるべきかもしれないし、だからこそ責任者足りえていたのだろう。


「貴方はもう忘れたの? レイチェルが何故殺されたのか」
「それは、それは忘れないけど」
「なんでルナが城を追われるように逃げ出さなきゃならなかったのか、もう忘れちゃったの?」
「忘れてない」
「誰が悪いの? レイチェル? ルナ? それとも私たち?」
「それは、絶対に違う」
「じゃあ、誰が悪いの? 誰が悪人なの?」
「あの女よ」
「そうよ、ライラ。あの女が諸悪の根源。あの女こそが悪魔なのよ」


 暗い瞳で自分の呪詛を復唱するライラの姿に、満足そうに目を細めるスヴィータ。
 窓辺によってベランダ越しに見えるスワジクの寝室を覗く。
 そこにはミーシャの頬を押さえたスワジクとその手を愛おしそうに押さえているミーシャの姿。
 スヴィータからは、2人が愛の抱擁と熱い口付けを交わしているようにしか見えなかった。


「ふっ、貴方にも同じ絶望を味あわせてあげるわ。裏切り者にもそれなりの罰が必要だしね。ほんと、これからが楽しみだわ」



[24455] 16話「ボクとミーシャの秘め事」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/03 06:08
「なるほど。それでは貴方は姫様ではなく、別の世界から来た人だと?」
「うん! そうそう」
「……」
「……」


 あれ? なんか凄く可哀想な人を見る目で見つめられているんですけど?
 今は午前の深夜。
 ミーシャに突っ込まれ固まってしまった僕は、洗いざらい吐くことになってしまいました。
 流石に誰が来るか分からない状況で色々説明しにくかったので、夜に全部説明するってことで開放してもらって今に至る。
 うん、分かっていたんだよ、こういう反応が返ってくるんじゃないかなって。
 そりゃ考えてみれば、僕の友達でも突然そんな事を言い出したら頭の中身を疑うよ?
 きっと色々と辛いことがあったのかな、とか。
 人生諦めたらそこで試合終了だよ、とか。


「もしかして哀れまれてる?」
「ええ、少し」


 あーと唸りながらベッドに突っ伏す。
 やっぱ、記憶が無いことを理解してくれても、魂まで変わってしまったっていうのは納得できないよね。
 大体僕自身なんでそうなったかの説明なんて出来ないし。
 非常識だし、意味不明だし、可愛いし。


「ですが、なんとなく姫様の状況は把握いたしました。信じがたい話ですが、人格が他の誰かと入れ替わってしまったという話も一応理解しました」
「ほんと? 可哀想だからって話合わせてるんじゃないの?」
「例えそうであったとしても、今の貴方にはその話を合わせてくれる協力者が必要ではないですか?」
「そりゃそうなんだけど」


 僕はぼりぼりと後頭部を掻きながら、突っ伏した姿勢のままミーシャを見上げる。
 腕組をして顎に手を当て、僕を見つめながら何かを一心に考えているようだ。
 

「でもさ、なんでミーシャは他の人みたいにボクに冷たくないの?」
「ん?」
「ほら、スヴィータなんかさ、たまに目が合うと絶対零度の視線を向けて来たりするし、他の皆も喋ってくれないし。でもミーシャだけはボクとちゃんと向き合って喋ってくれるよね? なんで?」
「ああ、なるほど。私とて貴方に隔意がないわけではありません。ですが、それ以上に興味があるのも確かです」
「興味?」


 目が猛禽のようになっているんですけど。
 舌なめずりしないでください、ミーシャさん。
 なんか身の危険をひしひしと感じるのですよ、主に貞操とか精神の安寧とかの面で。


「私が医術を学んでいることはお話いたしましたよね?」
「ああ、はい」
「だから、外的要因からくる記憶の欠落なり人格の変化という心理的な怪我というか、そういった事例には非常に興味があるのです」
「……それってボクが可哀想な子だから興味があるってことだよね?」
「むしろ残念な子だから?」


 なにげにきついこと言いますよね、ミーシャさん。
 もう僕の心のHPは0だよ、ほんと。


「まあ、本音はともかく」
「本音なんだ!」
「貴方の置かれている状況は、貴方が思っているほど易くは無いです」
「そう、……だよね、やっぱり」
「貴方の記憶がないという事が知れたら、様々な形で利用しようとする者があらわれるかもしれません。あるいは直接害そうとする者もいるでしょう。そして貴方はそういった『敵』に対して、自分自身を守る術を持たない。これは死活問題です」
「敵ってまた大げさな」
「暢気にしていられるのは今のうちですよ。身内にも貴方を敵視する人など掃いて捨てるほど存在するのですよ」


 それは嫌だなぁ。
 知っている人がある日突然襲い掛かってくるなんて、それなんてホラーだよ。
 それだったらまだゾンビがうまーって襲ってきてくれる方が数倍安心できる。
 本当に襲ってこられても困るんだけどね。


「今ある時間内でなんとか姫様らしく振舞えるように、いろいろと覚えていただかないといけないでしょう」
「そうだろうね」
「具体的には、女性らしさや立ち振る舞いからでしょうか」
「気をつけてやっているつもりだったけど、駄目かな?」
「ええ、どこの世界に足を開いて椅子に座る王女が居るというのです?」
「え! ボク、そんなことしてたっけ?」
「あなた自身が気付いていないだけで、それはもうボロボロと。一言で言えば慎みが足りないのです。それでは萌えきれません」
「……いまなんかさらっと変な言葉が聞こえたのですが?」


 一緒にベッドの上に座っていたミーシャが、すくっと立ち上がる。
 つられて上を向く僕に、にこりとイイ笑顔を魅せる彼女。
 うん、やっぱりミーシャはカッコイイな。


「大丈夫です。明日からはみっちり教育していきますから。あと女らしさについては、これは強制的に引き出してあげましょう。心配要りません。私に掛かれば女らしさのひとつやふたつ、無くても無理やり植えつけて差し上げます」
「なんか凄い嫌な予感しかしないのですが?」
「気のせいですよ。大船に乗った気で居てください。悪いようにはしませんから」


 で、その次の夜から僕の深夜レッスンが開始されたのでございます。




「引く足が逆です! 何故そんなにフラフラしているのですか?」
「や、だって……」
「だってもロッテもありません! 挨拶の一つも満足に出来無ければ社交パーティにすら出席できません」
「いや、なんかさ、今日は疲れちゃったっていうか……ねぇ?」


 僕は鬼教官に向かってへらへらと愛想笑いをしながら慈悲を請う。
 与えられる可能性などないとは分かっていても、万分の一の可能性に掛けてしまうヘタレな僕。
 だってもう夜も大分遅いっていうか、後少ししたら夜が明けるんじゃないのかというくらいの時間だよ?
 そりゃフラフラにもなるって。


「そうですか。疲れましたか。分かりました。ではベッドで語り合いましょうか……心ゆくまでゆっくりと」
「ひぃぃぃ、ごめんなさい、ごめんなさい。頑張ります、頑張りますからそれだけは堪忍してぇぇぇ」
「分かればよろしいのです。何も眠いのは姫様だけではないのですから、頑張っていただかないと。……まぁ、私的には頑張って頂かなくてもいいのですけれども」


 何さ、その本音駄々漏れのコメントは!
 ミーシャの黒い笑みに背筋を凍らせながら、すぐさまレッスンに戻る。
 えっと確か、まず相手の前に立ち、にっこり微笑みつつ軽く右手を相手の右手に向かって差し出す。
 次に左足に重心を置きつつ右足を軽く斜め後ろに引いて、相手に差し出された右手に軽く触れつつ膝を曲げて頭を垂れる。
 そしてゆっくりと姿勢を戻して挨拶の完了だ。


「相手に向かってそんなに勢い良く手を出してどうしますか! 姿勢が悪い! 笑顔が堅い、ぎこちない! 目は逸らさず見つめず口元を!」
「ふにゃぁぁぁ、もう無理ぃぃぃ」


 昨日ミーシャが宣言したとおり、僕はただいま宮廷一般常識を勉強中です。
 皆が寝静まってからの訓練だから、もうきつくてきつくて。
 それに失敗したり上手く出来なかったら鬼教官のきもちい……、んんっ、キツイお仕置きがまっているのです。
 睡眠不足で死ねるのですよ!


「3日や4日の寝不足で死んだ人間はいません! きりきりしないならお仕置きです!」
「ちょ、待って。ミーシャさん、待ってください。頑張りますから、ちょ、そんな抱きしめたらっ! ボタン外しちゃ駄目だってば! あっ、あぅ、ら、らめぇぇぇぇ」





「うぅぅ、太陽が黄色い……」
「おはようございます、姫様」
「お、おはよう、アニス」


 なんとかベッドから抜け出して、鏡台の前に着席する。
 いつものように顔の手入れから始まって、身だしなみを整えてゆく。
 んー、女の人って毎朝これしなきゃいけないんだから、ほんっと大変だよねー。
 アニスが毎日頑張ってくれるから、僕はなんの努力もしないでいいから助かるよなぁ。
 髪も梳いたし着替えも済んで、僕は眠い目を擦りながらテーブルに着く。
 ほほう、今日は朝から餃子ですかぁ。
 久しぶりだよね、中華って。
 ふわぁぁぁ、眠いけどいただきまーすぅ。


「こ、こらっ、すすすす、スワジク! 何をするんだっ」
「はむっ、はむっ」
「や、やめないか、こら! それは食べるもんじゃないぞ!!」
「餃子じゃないですねぇ、もしやミミガーですかぁ。なるほど、コリコリして美味しいのです」
「いい加減目を覚ましてください」
「ぎゃふんっ!」


 い、い、今目の中で星が飛んだ!
 星がピカって光った!
 っていうか、頭割れそうなくらい痛いんですけど。


「何事?」
「おはようございます、姫様」
「ミーシャさん、頭が頭痛で痛いのですが?」
「そうですか。後でアニスに薬をお持ちするように言っておきましょう」
「うぅぅ、ミーシャの意地悪。……で、フェイ兄様はなんで床に座ってるんです?」


 床にへたり込んでいたフェイ兄が全力でため息をつき、遣る瀬無さ気にテーブルの上にあるナプキンをとって濡れて光っている耳を拭いている。
 気のせいかフェイ兄の顔が赤いような気がするんだけど。
 ん? 僕が何かしたのかな?


「我が愛しの姫君は最近寝不足のようだね。夜な夜な何かしているのかい?」
「おほほほ、何故か最近寝つきが悪くて」


 中途半端な笑みを浮かべて、適当な理由をつけてみる。
 フェイ兄はそんな僕の顔を見て、また一つ大きくため息をついた。
 幸せが逃げるよ?



[24455] 17話「借金大魔王女だったという罠」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/08 15:57
 「それではこちらのドレスなどは如何でございましょうか。こちらは王都が誇る針職人ゼッベル氏の作でございます。ご覧になられれば分かると思いますが……」


 目の前に広がるザ・見本市みたいな空間に、ジャ○ネットタカタ張りにしゃべり倒す繊維ギルドの職員さん。
 何が起こっているのかといえば、どうやら外の人が以前に発注していたドレスが出来上がったので、商品のお披露目と試着会が急遽催されたのだ。
 いやね、ほら、これでも僕は男であるわけだから、なかなか女物の服を着るのに抵抗があったりするんだよ。
 うん、ごめん。今更の話だよね……。


「しかし、多いですね。こんなにたくさん衣装があると見て回るだけで陽がくれそうですね」
「ええ、前回はこの半分程度しかご用意出来ませんでした。姫様から品揃えが薄いとのご叱責を頂きましたゆえ、今回はギルドの総力を挙げて汚名を返上すべく参った次第でございます」


 うん、なんか頬が引き攣ってきた。
 どんだけ買わないといけないのかな?
 まさか要りませんのでお帰りくださいって言ったら、ぶち切れられるかな?
 ちょっと探りをいれてみようか。


「ところで、前回はいかほど頂きましたでしょうか?」
「はい、先回の折には、お持ちした商品全部お買い上げいただきました!」
「え゛?」


 ちょっと待て。
 見るだけで優に半日は潰れそうなくらいの商品を、外の人は全部買い取った……だと?
 くらりと揺れる頭を必死に支えながら、後ろについてきていたミーシャに小声で訪ねる。


「服ってもう足りているんだよね?」
「はい。すべての衣装に袖を通そうと思うと、一日一着ペースで2年くらいはかかるかと」
「帰ってもらうことは出来る?」
「まさか。王宮まで出向かせて一着も買い取らなかったとなれば、彼のギルドは対外的にもギルドメンバーからも信用を失うでしょう」
「ぼ、ボクのお小遣いはいくら?」
「すいません、侍女如きではそこまで知る権利がございません」


 深いため息をついたら、なにやら不安そうな顔をしたギルド長さんがこっちの顔色を伺っている。
 そんなつぶらな瞳でこっちを見られたら、余計罪悪感が募るじゃないか。
 ここは時間を稼いで、レオさんにでも詳細を聞きに行かなければ!


「あ、あの、ギルド長さん?」
「はい、なんでございましょうか、姫殿下」
「そろそろお昼ですし、ここらで昼食の時間といたしませんか?」
「おお、これは気付きませんでした。それならば、我らも昼食といたしましょう」
「ええ、そういたしましょう。それではまた後ほど」


 軽く膝を曲げて別れの挨拶をし、ミーシャの後を追ってそそくさとその場を後にする。
 もちろん行く先は昼食などではなくてレオの執務室。
 さすがに自分が自由に出来る金額をきちんと把握しないで買い物なんて、怖くてしかたがない。




「なるほど。ご自身が自由に出来る予算の残を知りたいというわけですね?」
「は、はい、そうなんです。レオさんに聞けば分かるかなと思いまして」
「その判断は賢明です。もちろん把握しておりますので、帳簿を見ればすぐに返事が出来ます。が、今までそのような事をあまりお気になされていなかったように思うのですが?」
「あ、その、なんというか、やっぱり無駄遣いは良くないかなと思いますし……」


 僕の言い訳を背中で聞きながら、レオさんは棚の中から分厚い書類の束を一つ引っ張り出してきた。
 それを無造作に開けて、ページを凄い勢いで捲ってゆく。


「ああ、ありました。姫殿下のご自由に出来る資金ですが、ざっと見積もって新金貨五千六百枚……」
「ええ? そんなにあるんですか!」


 ちょっとほっとした。
 五千六百枚の金貨がお小遣いだといわれてもピンと来ないけど、これだけあるのであればあの服を全部買い占めてもお釣りがきそうだ。
 もちろんそんな馬鹿な買い方はするつもりないけどね。
 と思っていたら、レオが笑顔で首を横に振っている。
 ん、僕、なんか勘違いしてるのかな。


「新金貨五千六百枚のマイナスでございます。ですので、現在姫殿下の判断で決済できるものは何一つございません」
「……」


 あれ? 何をいってるのかな?
 良く聞こえなかったよ。
 ちょっと耳を穿って風通しを良くしてから、もう一度聞きなおそう。


「えっと、レオさん。私……」
「新金貨五千六百枚の負債でございます。現在姫殿下は飴玉一つ自分の意思では購入できる状況にはございません」
「ボク、借金もちですか!」
「正確には姫殿下の借金ではございませんが、予算自体はそれだけの額を超過しております。これをどうにかしない限り、正常な予算執行は無理でございます」


 どーすんのさ、この状況。
 今まで慎ましやかな生活を営んできて、爪に火を灯すとまでは言わないけど、節約しながら生きて来たのに。
 何が悲しくていきなり国家予算規模の借金を抱えなきゃいけないんだろう。
 それよりも何よりも、あの服をどうするのさっ!!


「あの、レオさん? 実はですね……」
「ええ、分かっております。本日招かれている繊維ギルドの件ですね。本日の招待に掛かった費用はまだ計上されておりませんので、先の額にさらに昼食代、警備費用、招待会用の人員費用、その他雑費で金貨五十枚ほどが上乗せされますね。もちろん衣服購入代金は含んでおりません」
「あうあう……」
「何かご質問は?」
「あ、ありません」


 なに爽やかな笑顔でこっちみてるのさ。
 あれだよね、レオって割といぢめっ子だよね?
 涙目になっている僕を見て楽しんでいるのが、何となく分かるもの。
 進退窮まるとはこのことか!
 慌ててミーシャを振り返っても、彼女も苦笑いを返すのみ。
 当たり前だよね。
 たかが一メイドに国家予算をどうこう出来る力がある筈もなし、とはいうものの、このままではギルド長以下繊維ギルドの皆さんが困るわけで。


「あのぉ、レオさん?」
「はい、なんでございましょう、姫殿下」
「そのですね、今日来られたギルドの人たちがある程度満足できる程度の買い物が出来るだけのお金がですね、要るのですが……」
「なるほど。分かりました。金貨でいかほど用意させましょうか?」
「よ、用意出来るんですか?!」
「必要であれば用意せねばならないでしょう。ギルドが王宮に呼ばれて何も買ってもらえずに追い返されたでは、最悪死人が出る騒ぎになりますし」


 よかったー。
 レオさんが話のわかる人でよかったよー。
 もうね、抱きつきたいくらい嬉しいんだけど、とりあえずそれは堪えてミーシャに金貨何枚必要か尋ねようと後ろを振り返る。


「ま、相当額を住民から徴税すれば済む話なので、それほど心を痛める必要もありますまい」
「……?」


 えっと、それって臨時徴税するってことなのかな?
 もう一度、レオの方へと向き直る。
 当のレオは嬉しそうな顔で、「どこから徴税しようかな? そういえばあの地区はまだ貯め込んでいる筈だから、徴税隊を編成して」などと物騒なことを仰っておいでです。


「あの、レオさん?」
「はい、なんでしょうか、姫殿下」
「徴税するのですか?」
「ええ。無い袖は振れませんので、無理からでも袖を作って見せないと鼻血もでません。何せ新金貨五千六百五十枚の借金ですから」


 あう、さりげなく50枚追加されてる。
 拙いよね。
 なんか最終的にはどこかの国の人みたいに市民に恨まれてギロチン台送りになるんじゃないのかと。
 うわぁ、やなフラグが立ちそうだ。


「ちょ、徴税や徴税隊はやめませんか?」
「おや? ですが一番手っ取り早い方法なのですが。まあいいでしょう。じゃあ、貧民区の再開発に割り当てていた費用が確か金貨千枚ほど執行待ちで倉庫においてあった筈。それを使い込みましょう!」
「使い込みません!」
「金を溜め込んでいる商家に難癖をつけて罰金として、金貨を巻き上げる」
「どこのヤクザですかっ!」
「ふむ。ならば、適当な理由をつけて王宮に詰める者たちの給料を2ヶ月ほど50%カットすれば、金貨3千枚は浮いてきます。それを購入費とマイナス予算の補填に当てましょう」
「もっとマシな案はないんですかっ!」


 むむむと唸って眉間に皺を寄せるレオさん。
 同じくむむむと唸る僕。
 しばらく睨みあっていた僕たちだけど、レオさんがため息をついて首を左右に振る。


「分かりました。仕方ないので私の私財を売り払えば、金貨百枚はあるかもしれません。とりあえず、今はどこかから金貨を持ってきて支払いに充て、後日私財を売却した金貨で穴を補填しましょう」
「あ、そっか。私財を売り払えばいいんだ」
「私の屋敷を売り払えば割といい値段になるはずです」
「いや、そうじゃなくて。売り払うものなら、北の塔社にも一杯あるんじゃないですか? 例えば廊下においてある壷とか。使ってない部屋に飾ってある絵画とか。本末転倒だけど、着ていないドレスを誰かに売るとか」


 なんだ、簡単じゃないか。
 借金苦に身を削るような方法になるのは仕方ないけど、もともと必要以上にある装飾品なのだからこれらを売ればいいお金になるはず。
 これなら誰からも文句は出ないだろうし借金も少しは減るかな。
 となればあとは売却方法をどうするか、誰かに考えてもらえばいいのだけれども。


「姫殿下、正気ですか? 北の塔舎にあるものはすべて貴方が絶対に必要なものだと言い張って購入なされたものなのですが。それらを売却するより、徴税するほうがずっと楽だと思うのですが」
「いえ、自分の買い物をする為だけに誰かが犠牲になるのは、あまりいい気がしません。ですが自分の身を切る分については自分が我慢すればいい話なので、これが一番私に取って気楽な方法なのです」


 レオさんがじっと私の目を覗き込むように見つめている。
 今まで散々使いたい放題をしていた外の人が、突然僕の様なことを言えばそりゃ変に思われても仕方ない。
 ギロチン台に送り込まれないように平穏無事に生きていくためには、今までの外の人のやり方を変えていく必要があるわけで。
 これもスワジク姫イメージアップ作戦の一環として作用してくれたらいいなぁと思ったりする。


「なるほど。本気のようですね。了解しました。本日の買い物が決まったら、ギルド長をこちらへ遣してください。その時に代金を清算いたしますので」
「はい、ありがとうございます。それじゃあ、近いうちに売却する品の目録を作っておきます」
「わかりました。そちらは私を呼びつけて頂ければ、いつでもお手伝いさせていただきます」


 ようやく支払いのあてが出来てほっとした僕は、ミーシャを連れて先ほどの見本会場と化した部屋へと戻っていった。


 しかし金貨五千六百五十枚の借金か。
 これもいずれどうにかしないといけないかなぁ。
 あ、そうそう、結局今日の買い物の合計額は新金貨百枚となりました。
 全部買わないと宣言したらギルド長はびっくりしていたけど、それでも相当数の買い物をしたので機嫌よく城を後に出来たんじゃないかな。 
 もっとも僕の胃は結構なダメージを受けたけどね。
 さて、次は何処に手を入れるべきか、またミーシャと相談しないといけないや。



[24455] 18話「売り払えっ!(某姫殿下風に)」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/09 20:19
 暖かな陽の光、柔らかな風、そして匂い立つ色とりどりの花達。
 目を閉じればすぐにでも夢の世界へ旅立てそうな昼下がりに、僕を含む総勢十五人の人間がこの広場に集まっていた。
 メンバーは僕を筆頭に、フェイ兄、レオさん、センドリックさんに初めて見る男の騎士さんが3人。
 女性陣は僕付の侍女であるミーシャ、スヴィータ、アニスにライラの四人に、いつか見た侍女長のヴィヴィオさんと彼女が従える3人の政務館付の侍女達。
 皆、動きやすい服装にエプロンやら手袋やら掃除道具を持っているが、顔つきは戦場に出る戦士のように引き締まっている。
 やっぱりヴィヴィオさんとレオさんがいると、場の空気が締まるんだね。
 フェイ兄ではなかなかこうは行かないに違いない。
 11人がびしっと整列している前に、僕を始めフェイ兄、レオさん、そしてヴィヴィオさんが立っている。
 そしてレオさんがゆっくりと前へと出て、11人の掃除人達に向かって説明を開始した。


「本日、ただいまから北の塔舎にある不要になった調度品や衣類、家具などの搬出、処分、そしてその後の簡単な清掃を行う。主な指示は侍女長か私が出すので、不明な点等があれば逐次相談に来ること」
「はいっ!」


 歯切れのいい皆の返事が綺麗にハモって、なんか凄くカッコイイなぁ。
 いつもの3割り増しでかっこよく見えるな。
 特にアニスとか。……いや、別に普段がだらしないとかいう意味じゃないよ? 
 しかし、今日の僕もいつもとは一味違うんだ。
 見よ! この動きやすさを追求したブラウスを! さらにいつもはスカートを履いているのだが今日は掃除もあるからパンツを履いてみた。
 もっとも、外の人はパンツルックが嫌いだったのかズボンが1枚も無いから、フェイ兄に頼んでズボンを1本頂いたのだけれども。
 ちゃんと手袋とタオルも用意したし、三角巾も頭に装着している。
 1分の隙もないこの僕を見て、何故か誰もコメントをくれないのは何故だろう?


「それでは各自、割り当て場所へいって作業を開始してください」


 レオさんの号令と共に、さっと散ってゆく11人。
 僕もミーシャの後を追って塔舎に入ろうとしたら、後ろから肩を誰かに掴まれた。
 何かなと思って振り返ると、フェイ兄が笑顔で立っている。


「えと、フェイ兄様?」
「うん、スワジクはこっちだよ」
「なるほど、担当場所が違うのですね」


 素直にフェイ兄の後ろについてゆくと、中庭の中ほどに設置されたテーブルの上にお茶や一口ケーキなんかが置かれている。
 そこへフェイ兄が近寄って、椅子を引いて僕に座るよう促す。
 っていうか、それじゃあ手伝えないのではないのだろうか。


「あのフェイ兄様、皆の手伝いは……」
「大丈夫だよ。みんながきちんと綺麗にしてくれるから。その間私たちはここでゆっくりと皆が終わるのを待っていればいい」
「折角手伝うつもりで服装も整えましたのに」
「僕達が出て行ったら、逆に皆が働きにくくなるんだよ。上に立つものが率先して何事もこなすのもいいんだけど、時と場合によりけりなんじゃないかな」
「そうでしょうか……」
「でも、そういう気持ちがあるっていうのはとてもいい事だと僕は思うよ」


 そういって不満気にしている私の頭を撫でるフェイ兄。
 とは言うものの、みんなが一生懸命働いているのに横で、それを見ているだけというのは結構落ち着かないものなんだけど。
 そわそわしながら塔舎とテーブルの上を行き来する僕の視線を、フェイ兄は生暖かい目で見ている。
 変な奴と思われているんだろうなと思いつつも、やっぱりなんか落ち着かない。
 例えるなら、全校生徒が清掃時間に清掃しているのに僕だけが手伝わなくていいからと教室の自分の席に座っているような感じ、といえば伝わるかな?


「変わったね」
「何がです?」
「君の物の考え方が、だよ」
「そ、そうですね。やはり今までは問題が色々とあったと思いますし、私も変わるべきかなと思ったんです」


 僕は用意していた答えをフェイ兄に言う。
 ミーシャと二人で考えた無難な答えなのだが、果たしてこんな苦しい言い逃れで納得してもらえるかどうか。
 だって平気で五千七百五十枚もの借金を作れる人だったんだからねぇ、外の人は。
 といって僕が外の人みたいに振舞えるかといわれれば、間違いなく無理だし。


「そうかい。何にせよ、変わるというのはいい事だと思うよ」
「はい、有難うございます」


 にっこりと笑顔で返事をすると、フェイ兄は慌てて咳払いをして塔舎へと視線を逸らす。
 釣られて僕も塔舎を見たら、3階の窓からレオさんがこっちに向かって手を振っているのが見えた。
 僕達に上がって来いということみたいだ。
 どうやら僕にも出来ることがあるみたいだと思ったら、なんとなく嬉しくなる。
 苦笑するフェイ兄の背中を押しながら、僕達はレオさんの待つ3階へと向かった。


「なるほど、私の私室のものだから触れなかったという訳ですね」
「はい。申し訳ありませんが、要る物と要らない物の指示だけ頂けたら、搬出はこちらでいたします」
「しかし、久しく入った事が無かったが、……凄いな」
「ははは、本当に」


 頬を引き攣らせながら、フェイ兄の呆れ顔のコメントに同意する。
 目の前の部屋は30畳はあろうかという位の広さがある筈なのに、所狭しと置かれた置物や家具などで床が見えないくらいに占領されていた。
 なんていうか、雑な古物商屋さんの倉庫みたいな感じ。
 こんな所で日々の作業やなんやと外の人がしていたのかと思うと、呆れを通り越して尊敬の念が沸く。
 僕なら5分と居たくない部屋だよ、これは。


「どうしますか、姫殿下」
「とりあえず手前のものから全部外に出していきましょう」


 そういって手近にあった額を手に廊下へ出ると、外で待機していた人たちが順番に中へと入っていく。
 レオさんに促されて僕はもう一度部屋の中に入り、荷物の運び出していいかどうかの判断をしてゆく。
 段々と部屋が空いてくるにつれて自由に動けるようになったので、皆の作業の邪魔にならないように家具や調度品の水拭きなんかを始める。
 最初こそ皆僕に気を使っていたようだけど、鼻歌まじりに掃除をしている姿を見て何も言わなくなった。
 やっぱり何か作業をしているっていうのは良い事だねぇ。


「ん? なんだろう、この引出し」


 窓際にあった多分自分の執務用の机を整理していたら、鍵が掛かっている引出しがあった。
 そういえば、さっき上の段の引出しの中にこれの鍵っぽいのがあったな。
 すぐ上の引出しを引き出して真鍮製の鍵を取り出す。
 鍵穴にぴったりとはまるので、恐らくこの引出しの鍵なんだろう。
 鍵を回すとかすかな抵抗の後、かちりと音がして鍵が開いた。
 何故かドキドキしながら引出しを引くと、中には豪華なカバーの本が1冊入っている。


「へぇ、綺麗な本? いや、中が白紙だからノートのようなもんか。何が書いてあるんだろう」
「姫殿下、こちらの箱の中身はいかがいたしましょう?」
「あ、はい。少し待ってください、ヴィヴィオさん」


 慌てて引出しを閉めて、僕はヴィヴィオさん達が囲んでいる大きな葛篭っぽい箱へと向かった。
 ここはどうせ自分の私室なのだから、あのノートみたいなやつは時間のあるときにまた来て読めばいいよね?





 その日の夜。
 僕は一人、スワジク姫の部屋へと来ていた。
 昼間見た本が凄く気になっていたし、もしかしてあれが日記とかだったらもっと外の人のことが分かるかもしれないと思ったから。
 蒼い月夜に照らされた部屋は思ったよりも明るく、特に窓を背にした机は火を灯さずとも文字が読めるほどだった。
 昼間開けた引出しをそっと開け、中にあったノートを取り出す。
 表紙を捲ると最初の書き出しに、「愛しの娘へ」と綴ってあった。
 次を捲ると日付らしきものが書いてあり、綺麗で几帳面な字が整然と綴られている。


 ウルガの年、ミレニアの月、赤の7

 今日、お母様は旅立ってしまわれた……。
 私は正真正銘、この世で一人ぼっちになってしまった。


 その日記の書き出しは、とても冷たくて悲しそうに僕には見えた。
 何か他人の秘密を覗き込んでいるようで居た堪れない気持ちになったけど、多分これは僕が読み進めていかなきゃいけないものだと思う。


 ゴーディン家の奴らは、お母様の葬儀で皆ほっとした表情で笑いあっていた。
 もちろん私の目の前でそんな事を露骨にはしなかったが、誰も悲しんでなど居ないことくらい12歳の私でも分かる。
 でも私は泣きません。
 ちゃんとお母様の言いつけを守って、一人でも強く生きてゆくと誓ったのだから。
 それに私にはあの子がいるから大丈夫。
 あの子だけはお母様のことを本気で悲しんでくれた、たった一人の親友だもの。


 僕はゆっくりと次のページを捲ろうとして、その手を止めた。
 日記の間に何かが挟まっているみたいだ。
 なんだろうと思って引き出してみると、赤い封蝋をした真っ白な封筒で表に宛名が書かれていた。



 「親愛なる兄様と、一度も愛してくれなかった義父様へ」


 僕はゆっくりと封を破ると手紙を取り出して、月明かりの下でゆっくりと読み始めた。



[24455] 19話「何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった…」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/17 05:22
「おはようございます、姫様」
「ふぁ。おはよう、アニス」


 眠たそうな目を擦りながら姫様がベッドの中からもそもそと出て来られるのを、暖かい手ぬぐいを持って眺める私。
 これだけを見たら朝に弱い妹がベッドの上でもたついている絵なんですけど、相手があのスワジク姫だから微笑むことすら躊躇われるのですけれども。
 もそもそと出てきた姫様に暖かいタオルで顔を拭ってもらってから、ベッドから出てくるのをじっと待つ。
 姫様の行動をおなじように見つめているミーシャちゃんの視線が、なんか普段と違っていて妙な胸騒ぎを感じる。
 何と言われても上手くいえないけど、二人だけの空気みたいなものがあって嫌だなと思う。
 まあ、今はそんな私情にかまけているわけにも行かないので、ベッドから降りた姫様にゆっくりと近づいて拭き終わったタオルを受け取って始末する。
 それから自分でも分かる微妙な笑顔を無理やり作って、姫様の手を取り鏡台の前へと手を取って連れてゆく。
 それだけで一仕事終えたくらいに神経を使ってしまったので、姫様に気付かれぬようそっとため息をつく。
 と、すぐにくいくいっと袖を誰かに引かれた。
引く手の主を見ると、姫様が鏡台の鏡越しに笑いながら喋りかけてくる。


「ため息付くと幸せが逃げますよ。アニスは可愛いのだから、笑顔でいる方がいいです」
「ひゃ、ひゃい」


 突然の姫様の言葉に私は噛んでしまった。
 姫様からこんなこと言われたのは初めてだから、本当にびっくりした。
 いつも彼女から私に向けて出る言葉は「グズ、ノロマ、でか乳」がほとんど。
 落水事故以前なら、名前すら呼んでもらった記憶が無い。
 スヴィータが言うように背筋が寒くなる気持ちも分かる。
 なんていうかあるべき物があるべき所に無いような、そんな落ち着かない感じ。
 なんでミーシャちゃんは平気なんだろう。
 考え事をしながら手を動かしていると、後ろから当のミーシャちゃんに声を掛けられる。


「アニス。それはそれで良いとは思うんだけど、考え事しながら髪を結うのはやめた方がいいよ」
「え? 私なんか変な事した?」
「姫様の髪、えらい事になってる」


 なんだろうと思って前を見ると、うず高く巻き上がる銀色の髪。
 いわゆる盛り髪というやつが目の前に燦然と輝いていた。
 わわわ、私なんて事を!


「うぅ、重い……」
「ひ、姫様、申し訳ありません。ただいますぐに元にもどします」


 ああ、考え事なんかしなきゃ良かったよ、私の馬鹿。
 もともと一つの事にしか気が回らない人間なのに、ああ、数分前の自分を殴りたい。
 涙目になりつつ姫様の髪を解いていると、鏡越しに姫様が苦笑しているのが見えた。


「ドジっ娘だねぇ、アニスは」
「すすす、すみませーん!」


 うん、いつもなら怒鳴り散らされるような失敗だったけど、やっぱり優しくなった姫様。
 顔を真っ赤にしながらいつもより20分も余計に時間がかかり、朝食の担当だったスヴィータに睨まれてさらに涙目になったのは余談である。



 朝食も滞りなく終わりフェイタール殿下も執務に戻られ、今は少しゆっくり出来る時間帯。
 といっても侍女である私たちはそんなにゆっくりも出来ない。
 姫様が食後に外へ出たいと言われたので、その準備に右往左往しているのだ。
 怪我も良くなった事もあるのか、姫様は最近いつもにも増して行動的になられている。
 内向きな正確だった姫様がここまで積極的に外界と関わりを持とうとしているのも、事故後の大きな変化の一つ。
 他の大きな変化は何かといえば、例えば怒鳴り散らさなくなったとか、失敗するたびに鞭で殴らなくなったとか。
 鞭といっても堅くて平べったくてしなる棒ですが。
 あれが空気を裂く音を聞くと、本当に怖くて仕方が無かった。
 あと、先日の装飾品とか姫様のコレクションの処分なんていうのも、大きな変化といえるかな。
 高価な物に囲まれているのが幸せというような姫様が、執着せずにそれらを処分していく姿は本当に別人のよう。


「アニス。外出の用意出来ました?」
「あ、はい姫様。こちらのお召し物で今日はどうでしょうか」
「アニスがいいと思うならそれでお願いします」
「はい、畏まりました。ではこちらへどうぞ」


 姿見の前で部屋着を脱いでもらい、用意した服を手早く着せてゆく。
 服装の好みも180度方向が変わった。
 以前の様な贅を凝らしたような衣装は見向きもせず、選ぶものといえば大人しい地味なもの。
 急激な好みの変化に、最初は何度も寝室と衣裳部屋を行き来したものでした。
 姫様は着替え終わると、にこにこと笑いながら私たちに振り返る。
 何やら企んでいそうな笑みに、私は思わず一歩後ずさってしまう。

 
「さて皆さん、今日は少し忙しくなりますので覚悟していてくださいね?」
「え? 何か急なご予定がおありなのでしょうか?」
「ええ、今から政務館へ行き、ちょっと挨拶廻りをしたいのです。そうそう、その前に厨房に行ってクッキーも作るので皆さん協力してくださいね」


 いたずらっぽく微笑みながら今日のスケジュールを説明する姫様に、その場に居たミーシャちゃんや私を含め侍女全員があっけに取られた。
 っていうかミーシャちゃんも知らなかったって事は、これって姫様一人で決められたことなのかな。
 なんか嫌な予感しかしないんですけど……。





 昨日の大掃除の際に出た処分品の処理についての報告書に目を通していると、レオが珍しく慌てた様子で部屋に入ってきた。
 私は手にしていた書類から目を離し、肩で息をしている彼を何事かと思って見る。


「ノックもなしにどうしたんだ、レオ」
「は、はい。殿下に早急にお知らせしたいことがありまして。す、スワジク姫ですが……、姫殿下が……」
「事故か! 事件か!」


 脳裏に先日の落水事故の恐怖がよみがえる。
 くそっ、レナの単独犯行だとばかり思っていたが、やはり背後にどこかの派閥が動いていたか。
 椅子を蹴倒して、ソファーにもたれ掛かっているレオに駆け寄った。
 レオはそれを片手で制しつつ、首を横に振る。
 事故や事件ではないのかという安堵感に、思わず長いため息をつく。


「では、なんだというのだ。びっくりするではないか」
「姫様が政務館で、今まで悶着のあった部署の視察に廻られているのです」
「な、なんだと!」
「いままでの経緯を考えると、以前のムチャな要求の催促か、成果が上がっていないことへの糾弾にいったのではないでしょうか? 最近は北の塔舎から出られなかったので安心していたのですが……」


 ここ数日の彼女の行動を見る限り、以前の様々な事案について忘れているような節があったので私もレオも安心しきっていた。
 あのまま大人しいお姫様を演じてくれているならそれもいいと思っていたのだが、どうやら我々は裏をかかれたようだ。
 これ以上内政に口を出されては、官僚達の不満が一気に噴出する可能性もある。
 王家に対する不満や不信をこれ以上助長させるわけにはいかない。
 私はすぐさま現状の把握と事態の沈静化に向うため、レオの襟首を掴んで政務館へと向かった。


 政務館3階にある財務室。
 レオの話では、スワジクはまずこの部屋を目指したらしい。
 私は逸る気を抑えつつ目の前の扉を押し開く。
 部屋の中にいた官僚達が、血相を変えて飛び込んできた私に驚きの視線を向けてきた。
 一同が凍り付いている中、奥のデスクに座っていた財務長官が口を開く。


「これは殿下。このようなむさ苦しい場所に何か御用でございましょうか?」
「スワジクがこちらに来たと聞いたのだが?」
「はい、小一時間ほど前に来られ、私と少々話をされて出て行かれました」


 深いため息をついて肩を落とす長官。
 その眉間には深い皺が刻まれている。
 今度はいったいどんな無理難題を吹っかけてきたのやら。
 私は恐る恐る長官に事情を尋ねた。


「突然の訪問でしたので、こちらも大分警戒はしていたのです。姫殿下が買った物の債権放棄令などというふざけた法令を成立させろと、つい最近までしつこく言われていたのですから」


 長官は机の上にあった紙を数枚取り上げて、私の前まで持ってくる。
 それを受け取り軽く斜め読みをしたが、書いてある内容がよく理解できずに何度も読み直すことになった。


「殿下が何度も読み直すのも当然です。私だって本人を目の前に10回問い直したのですから」
「あ、有り得ん」


 次に続く紙に目を通すと、そこには一面にびっしりと埋めつくされた数字の山。
 縦軸と横軸の項目を見て、数字の意味するところを把握した。


「へ、返済計画表だと?」
「返済計画表というよりは、向こう30年間の予算執行計画表というべきでしょうか」


 私の手の中にある表をレオに渡して、私はもう一度1枚目の誓約書と書かれた紙に目を通す。
 要約すれば、来年度からの姫の生活予算から少しづつ債務返済を行っていくとの宣誓書だ。


「こ、こんなもの意味がありません。だいたい当の債務には既に割当てている財源がありますし、30年もこの城に結婚もせず居座るつもりかと。急にこんな話をされても現場が混乱するだけで……」
「閣下の言うとおりです。私もまたなんていうムチャをいうのかと思ったのです。でも本人が返したいと言っているのであれば、来年度の予算設計がずいぶんと楽になるのも確かです。例え雀の涙程度の額とはいえ、債務が減っていくのですから。さらにこれ以上意味の無い債務を増やさないという約束までしてもらっています。結婚されるされないは私どもの感知するところではないので無視するとして、財務長官の立場としては全面的に姫殿下の意見に賛同いたしております」


 狐につままれた様な顔をして呆然と立ち尽くすレオと私。
 そんな所に慌しく数名の文官達が駆け込んできた。
 みな手に手に何かの書類を持っている。


「レオ閣下! こんなところで何をされているのですか! 大至急この事案の決済をお願いします」
「閣下! こちらもお願いします」


 その人ごみに押されて壁に押し付けられるレオ。
 目の前で振り回される紙を一部引ったくり、私はさっと目を通した。
 書かれている内容は、様々なギルドに発注していたスワジクの身の回り品の発注取り消しについての命令書だった。
 その次にひったくった文書には、スワジク専用にストックしていた高級食材の流用許可と再仕入れの禁止がうたわれている。
 なんなのだ。一体何が起こっているというんだ。
 頭をガシガシと掻き毟りながら、書類の山に埋もれてゆくレオを見た。
 

「殿下、こちらでしたか。」


 野太い声に呼びかけられて、なんとも気乗りしないのだが一応振り返る。
 そこに立っていたのは、罪人の収監、処罰を監督する刑務督(刑事罰専門の法務省大臣みたいなもの)が立っていた。


「おお、リディル卿。貴方も何か?」
「この混雑を見る限り、恐らく同様の用件かと思われます」
「卿が来られたということは、スワジク姫がらみの受刑者についてですか?」
「はい、左様でございます。こちらに目を通していただき、陛下に恩赦の号令を頂きたいのですが……」
「待て、待ってくれ。一体何が起こっているんだ?」
「先ほど姫殿下が来られて、収監されている侍女や政務官達の恩赦ないしは訴訟自体の取り下げを訴えてこられまして。こちらとしても特に問題はないと思いますので、早急に本件を片付けたいと思うのです」


 頭痛がしてきた。
 喜ぶべき事なのだろうけれども、一度にこうも押し寄せられるとレオも私もパンクしてしまう。
 ま、まさか、これは新手の嫌がらせか?!


「と、とにかくここでは財務室の邪魔になる。皆一旦ここを出て私の執務室の方へ来てくれ。レオ、行くぞ」
「は、はい、殿下」


 結局、私とレオは次から次へと現れる官僚達に忙殺され、今日1日を執務室で働かされる羽目になった。



[24455] 20話「おでこのキスはノーカンだからねっ」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/15 21:47
 ここはスワジク姫こと僕専用の私室。
 机の上に置いたメモ書きをじっと眺めて、僕は一行一行チェックを入れてゆく。
 なんのメモかというと、日記から書き出したスワジク姫の駄目出しリストである。
 あの日記、読み進めていくとだんだん行動が過激になっていくもんだから、結構読んでいて背筋が寒くなった。
 日記の勢いでいったら絶対いつか背中から刺されるなぁと思うわけで。


「これでおおよそ迷惑な命令やお願いなんかは粗方片付いたかなぁ。個人との感情のもつれは徐々に改善していくとして、王様との関係も改善したいなぁ。ギスギスした家族なんていやだもんな」


 といいつつも、いまだ一度も王様に会ったこともない。
 でも正直、義理とはいえ娘が溺れたんだから見舞いに来いよと言いたいんだけどね。
 相手が来ないならこちらから歩み寄るのみ。
 といいつつも、王様がどんな人か知らないのでどうアプローチすべきか悩むところ。
 この辺りはミーシャに聞くよりか、フェイ兄にさりげなく聞くのがいいかな。
 物思いにふけっていると、ドアが静かにノックされる。


「はい、どうぞ」
「やあ、僕の可愛いお姫様、ご機嫌はいかがなか?」
「お仕事はいかがなされたのですか、フェイ兄様」


 最近はフェイ兄様の気色の悪い科白にも大分耐性が付いてきた、と言うか慣れた。
 だから部屋へ入ってきた変態ロリスキーを笑顔で迎え入れることも出来るようになったんだ。
 これって凄い進歩じゃね?
 と、益体も無いことを考えている場合ではなく、これは渡りに船、鴨が葱を背負ってやってきたのです。


「仕事かい? 君が昨日盛大に増やしてくれたお陰で寝不足気味だけど、大体片付いたよ」
「あ、あはは。それはご迷惑をおかけいたしました」
「いや、かまわないよ。昨日のような事ならいつでも大歓迎だよ。っていうか、何故今になって?」


 机を迂回して僕の背中側にある窓の桟に腰を掛けるフェイ兄。
 フェイ兄は笑顔を崩さないけど目が笑っていないので、なんだか怖い印象を受ける。
 あれ? フェイ兄ってこんな腹黒キャラだっけ?
 確かに昨日一気に外の人の行動修正をしたから、以前を知る人であれば疑問に思うのも当然だろうね。


「そう、ですね。私は以前から周囲に色々と無茶なことばかり言っていました。それは自分でも薄々感じていたことなんです。今回自分が死に掛けていろんな人が必死になって助けてくれたという事を聞いたとき、こんな我侭一杯の自分じゃいけないんじゃないかなっていう思いが生まれたのです」
「なるほど。それでいままでの行動を振り返って、自分で駄目だと思うところをやり直しているっていう事かな」
「はい、その通りです。以前の私は他人が変わらないから自分も変わってやらないって意固地になってました。でも人に変わって欲しければ、まずは自分から変わらないと駄目だって思ったんです」


 椅子をくるりと回して、横に立つフェイ兄を見上げる。
 僕の言葉にびっくりしているのか、ぽかんとした表情でこっちを見下ろしているフェイ兄。
 イケメンの間抜けな表情っていうのもなかなか可愛いものですねぇ。
 ……って、今僕は何を考えた!
 男の顔を可愛いと思うなんてありえない。
 こ、こ、これは何かの間違いです、やり直しを要求するのです!
 顔を真っ赤にして体を前に向ける僕。
 やべぇ、恥ずかしすぎて耳まで熱くなってしまった。
 これはあれか、精神が体に引きずられているってことなのかな。
 ってことはいずれ僕は可愛い女の子を見ても何とも思わずに、どこかの男に欲情するとかそういうことですか?
 それはそれで色々とキツイのですよ、僕の男としてのプライド的に!
 ちらりとフェイ兄を横目で伺うと、何やら物凄い生暖かい目で見つめられているような気がする。
 うわぁ、絶対何か勘違いされた!
 萌えられたとかだったら軽く死ねる。
 っていうか、シスコンロリ変態は死ねばいいんだ、そうだ抹殺しよう!
 などといい加減思考が暴走状態になったときに、ぽんと頭の上に手を置かれた。
 茹で上がった僕の頭には、置かれたフェイ兄の手はとてもひんやりとして気持ち良かった。
 お陰で少し冷静になることが出来たことは感謝したいけど、そう何度も撫でないで欲しい。恥ずかしいじゃないか。


「それ、自分ひとりで考えたのかい? その、誰か他にそう教えてくれた人がいるのかな?」
「……いえ、基本的には自分一人の考えです。色々と冷静になれば廻りが見えてきたというか、そんなところだと思っていただければいいかなと思います」
「一人でその考えに辿り着いたというのならそれは凄いことだと思うし、その為に何か行動を起こせたのは尊敬に値するよ」
「いえ、そんなに褒めてもらうほどの事では……」
「ただね……」


 ゆっくりと僕の頭を撫でていた手がぴたりと止まる。
 何かなと思って見上げてみると、そこには笑顔で黒いオーラを放っているフェイ兄がいた。
 うわぁ、何んでそんなに怒ってるのさ! 
 良い事したと思ってるなら、褒めるだけにしてくださいよー。


「何かをするなら、僕にちゃんと相談してからにして欲しかったなぁと。徹夜で仕事させられるとか、どんな嫌がらせかと思ったじゃないか」
「ひぃぃ、す、すいませーん、フェイ兄様。てか、頭が痛いです! ぐりぐりするのやめてください~」


 暫くの間涙目になって抗議する僕を無視して、フェイ兄は黒い笑顔のまま頭をぐりぐりしつづけた。





「フェイ兄様、お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」
「ん? 何かな」
「あの、私、事故があって以降一度も父上とお会いしていないのですが、どのタイミングで挨拶に行けばいいのか……」


 ぐりぐりされた頭を撫でながら、目尻に涙をためたまま困った顔でフェイ兄を見上げる。
 僕としては親なら娘の快気祝いくらいさっさと来ればいいのにってな感じなんだけれども。
 フェイ兄はさっきの黒い笑顔から一転、僕の顔を真剣な表情で見つめている。
 ちょ、恥ずかしいからやめて欲しい。
 こんなにまじまじと他人から見つめられるのって経験が無いしどう反応していいのか分からないじゃないか。
 しかし僕には困ったときの日本人魂というか、最終奥義がある。
 そう、日本人が追い詰められた時や反応に困った時に発動するという 伝説の秘技、『愛想笑い』である。
 自分で言うのもなんだけど、鏡を見ていないから分からないけど結構不気味かもしれん。
 頭の中でにへらと笑う美少女を想像して、少し頭が痛くなるがそこは無視。
 おや? フェイ兄視線を逸らしたね。
 くくく、自然界では視線を逸らした方が負け犬という掟があってだな。


「そうだね。父上もそろそろ会わないといけないとも言っておられたみたいだし。今日の夕食、たまには3人揃って食べようか」
「……はい、私に異存はありません」


 アホな思考を中断されたけど、フェイ兄からの提案はまさに望んでいたこと。
 二つ返事で頷くと、フェイ兄も眼を細めて笑ってくれた。


「では、後でスヴィータにその旨を伝えておかないといけませんね」
「ああ、そうだね。細かいことは後で私から伝えるから、後でスヴィータに私のところへ来るように伝えておいて欲しいな」
「はい、分かりました」


 素直に頷く僕の額にフェイ兄は手の平をそっと押し当てる。
 すっと前髪をその手で掬い上げ無防備に晒された額に、流れるような極自然な感じで軽く押し当てられたフェイ兄の唇。
 数秒間フリーズする僕の脳と体。
 ナニヲシテオイデデスカ?


「それじゃあね、僕の可愛いお姫様。夕食会は精一杯おめかしして来るといい。きっと父上も腰を抜かすだろうね」


 脂汗をだらだら垂れ流す僕を置いて、フェイ兄はさっさと部屋から出て行ってしまう。
 いや、出て行ってくれた方がいいんだけどね。
 額とはいえ男にキスをされたショックと、その感触をぼんやりと受け入れている自分自身がいるという2重のショックに立ち直れずにいる。
 うわー、うわー、これはあれだよ、外の人の気持ちを体が引き摺っているに違いない。
 僕が男にドキドキするなんて、死んだって有り得ないんだからなっ!


「ボ、ボ、ボ、ボクはホモじゃねぇぇぇぇ!」


 『BLはホモじゃないんだよ、兄貴』という日本の鬼妹(ガンオタ腐女子)の声がしたのは、きっと僕の脳が壊れてしまったからだと思うんだ。
 っていうか、僕は今は女だからBLでもないけどねっ! 
うん、負け惜しみだよ、悪いかコンチキショー。





 一歩部屋の外に出て、自分自身の行動に嫌気がさした。
 いや、それは無垢なる人を欺いているという罪悪感といってもいいかもしれない。
 蛮行姫を無垢な人と感じた自分の感性に驚くが、だが彼女の行動や反応は邪気の無い、もっとストレートに言えば他愛無いものだ。
 そこらにいる下級貴族の娘達となんら変わらないのではないかとも思えるほどに。


「嫌なものだな、人を信じることが出来ないというのも……」


 スワジクは自分から変わらないといけないと言った。
 そしてそれを実行している。
 対して自分はどうなのかと問いただす。
 彼女が変わったことを認識し実感してもなお、以前のスワジクが暗い目をして私を見つめる。
 それは非難の眼差しだろうか、それとも怨恨か。
 自身の感情を持て余しながら報告のために陛下の執務室へと急ぐ私の前に、一人の男が立ちはだかった。
 私よりも頭一つ分高いはずの男を、目の前で恭しく膝を付いている為に見下ろす形になっている。
 浅黒い肌に深い色の赤毛、対照的にコバルトブルーに輝く瞳。
 鍛え抜かれた体躯は服の下からでもその存在感を訴えている。
 深いワインレッドの衣装に身を包んだその男は親帝国派の軸をなす巨魁。


「これはフェイタール殿下。お久しゅうございます」
「……久しいな、トスカーナ卿。何か私に用か?」
「いえ、姫殿下のご機嫌伺いをと思い参上した次第で。そろそろ体調も回復されたという噂を聞き及びましたゆえ」
「まだ、許可出来ぬ。あと数日は待たれよ」
「さて、先日も同じような事を御使者から言われた気がするのですが、あと数日とは具体的にいつになりましょうぞ」
「おってドクターから連絡をいれさせよう」
「ご配慮いただき、まことに有難うございます」
「かまわぬ。それでは私は急ぐのでこれにて失礼する」


 跪いている彼の横をすり抜けたと思った時、背後からトスカーナ卿が再度声を掛けてきた。
 その声色は先ほどの慇懃な感じではなく、どこか挑発的なものを感じさせる。


「そうそう、そういえば昨日姫殿下はまた色々と政務館をお騒がせになったとか」
「それがどうした」
「いえ、朝令暮改な姫殿下の行動に少し疑問を持ったものですから……。まさかとは思いますが何者かが姫殿下を誘導しているのかと」


 彼の言葉に思わず足を止めてしまう。
 ここは乗ってはいけない所だと思いつつも、無視して去るには聞き捨てなら無い発言でもある。


「ほう、何を思ってそのような事を?」
「はい。実は侍女の一人からそのような噂を聞きまして。何やら落水事故後、姫殿下には記憶を失っていたような時期があったとか」
「ドクター・グェロが言うには記憶の混乱があるというのは聞いている。だが記憶喪失になっていれば、昨日の様なことは出来ぬであろうに」
「そうかもしれません。が、だからこそ、何者かが姫様を操っているのではないかと……」


 私は我慢できずに振り返って、トスカーナ卿の背中を睨みつける。
 言いたいことは分かっている。
 この男は私達こそがスワジクを誘導し、彼女の望まない方向へと導いていると言外に煽っているのだ。
 

「卿は何が言いたいのだ」
「いえ、侍女の一人がここ数日、夜な夜な姫様と密会しているとか。如何にも怪しげな事ではありませんか、殿下」
「ほう、それは私も初耳だな。そういう事情を私よりも先に知っている卿も、私からすれば十二分に怪しげではあるのだが?」
「これはお戯れを。私はただ風聞を殿下にお伝えしたまで。しかしこの話を聞いて疑心暗鬼に陥る有象無象もいるのではないかと、老婆心ながらのご忠告を」
「そうか、それはご苦労なことだ。忠告感謝する。それでは」


 有象無象の筆頭が何を言うのかという思いを押し殺しつつ、私はこの場を少しでも早く去ろうと思った。
 自分自身を変えようと考えたというスワジク。
 その彼女の願いを聞きつつ、どう彼女の心に入り込もうかと考えている自分。
 スワジクを擁護するといいつつ政争の手段としているトスカーナ卿。


「なんだ、私もトスカーナも同じ穴の狢ではないか、ハハハ」


 私の乾いた笑い声が、暗くて長い廊下に静かに沈んでいった。



[24455] 21話「お願い、誰かしゃべってよ」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/18 16:33
 蝋燭の光で幻想的にライトアップされた食堂で、僕達というか外の人の家族が集まって夕ご飯を食べている。
 30人は入れそうな部屋の中央にでんと置かれた長いテーブル。
 上座に座るのは当然ながらこの国の王様で、王様からみて右側に座るのはフェイ兄、そして左側、フェイ兄の真正面に座るのが僕。
 王様とは大体2mくらい離れている。
 正面のフェイ兄とも大体同じくらい離れている。
 蝋燭の灯で琥珀色に染め上げられた料理は何故かいつもより味気なく、水代わりのワインにも酔えなかった。

 
「……」
「……」
「……」


 何、この沈黙のトライアングル。
 美味しく無いじゃん、ご飯がさ。
 もっとこう会話とかあってもいいんじゃないの?
 うちだったら、鬼妹が聞きたくも無い馬鹿話を延々と垂れ流すんだよ。
 それがどんだけ苦行だったか! 
 でもそれはそれで食卓に潤いがあったんだと今なら思える。
 大体聞こえてくるのが衣擦れの音と偶に聞こえる食器の音だけってどういうことよ。
 そりゃ、外の人もグレるわっ!
 メインディッシュが出てきたあたりで、ついに僕の忍耐力は限界を迎えた。
 ばしっと一言いってやらねば!


「あ、あのぉ……」
「……」


 切れた割に弱気なのは僕のデフォルトだから気にしないで欲しい。
 僕の声を聞くと、王様はこちらを見ずに横に立つメイドさんに目配せをし、そのメイドさんが僕の傍へとやってきた。


「何か不手際がございましたでしょうか?」
「あ、いえ、そういうんじゃなくてですね、こう親子の会話というかなんというか」
「はい。何かございましたらお伝えしますが」


 あくまで優しく微笑みかけてくれるメイドさん。
 綺麗なお姉さんの笑顔は見ていて癒されるけど、だがしかしここはそんな事で誤魔化されるわけにはいかない。
 そう決心した僕は、メイドさんの反対側にいるミーシャを手招きする。
 澄ました表情で傍へ寄ってきたミーシャに僕は聞いた。


「食事中の会話ってマナー違反ですか?」
「まあ概ねそうでございますが、料理が出てくる合間かデザートの時であれば直接の会話はそう嫌われるものではありません」
「なるほど。あ、すいません。ということで次の機会まで待ちます」


 反対側に困った笑みを浮かべながら佇むメイドさんにそう言って、元の位置にお帰りいただく。
 同じく元の位置に戻ろうとしたミーシャを引き止めて、小声でアドバイスをお願いする。


「ミーシャ、王様ってどんな話が……」
「ゴホンッ」
「……失礼しました」


 王様の怒りの篭った咳払いにびびった僕は、大人しくご飯を口に詰め込む作業に戻った。
 ううう、怒んなくたっていいと思うんだ。
 ただ黙々と皿の上のものを片付けて、運ばれてきたデザートのフルーツも平らげる。
 よし、これで食後の団欒タイムに突入だ!
 僕は冷やした水で口の中をすっきりさせてから、王様が座る席へと顔を向けた。


「あれ? 誰も居ないよ?」
「ああ、父上はデザートを食べないからね。スワジクが一心不乱にデザートを食べているうちに部屋に帰ったようだよ」
(……何このすっげー敗北感)


 こうやって初めてのゴーディン一家団欒の時間は終わったのだった。
 納得いくかぁ!
 僕は勢い良く立ち上がり、じろりとフェイ兄を睨みつける。
 いやフェイ兄が悪い訳じゃないんだけど、このやり場の無い怒りを誰かにぶつけないと収まらないんだよ。
 当のフェイ兄は締まらない笑みを浮かべて僕を見ている。


「フェイ兄様。明日も夕食皆で食べますよ」
「決定なのかい?」
「ええ、決定事項です。父上にもよろしくお伝えください」


 僕はそういってミーシャを従えて自室へと戻った。
 

 2日目の夕食。
 昨日と同じように蝋燭の紅い炎にライトアップされた食卓。
 そして昨日と同じ無言のトライアングルが形成されていた。
 黙々と食事をしている王様。
 僕と王様を澄ました顔して観察しているフェイ兄様。
 背中に燃える炎を負った僕。
 君達にも見えるだろうか、僕のこの迸るパッションがっ!
 今日は燃え滾るパッションだけじゃなく、きちんと昨日の反省に基づいて料理の合間で会話を試みることも忘れない。
 王様と同じペースでスープを飲み終わる。
よし、今だ!


「あの、父上。私、この間お城の湖に落ちてしまいまして……」
「知っておる」
「で、ですよね。それでですね……」
「姫殿下、前を失礼いたします」


 僕の左側から給仕さんがサラダをそっと目の前に置いてくれた。
 何もそのタイミングで置かなくてもいいじゃん。
 罪の無いサラダを睨み倒し、親の敵の様な勢いで噛み倒す。
 うん、目が三角になっているのは分かるけど今は許して欲しいのさ。
 あまりにじっくり噛みすぎたから、僕がサラダを食べ終わった時点で父上はパスタに入っている。
 むむむ、仕方ない。
 メインディッシュ前を狙うか、それが駄目ならデザートを食べずに父上に話しかける。
 今日残されたチャンスはこれだけだ。
 そうして運ばれてきたパスタは、ブルーチーズのクリームソースが掛かった海鮮パスタ。
 僕の体が一瞬にして硬直した。


(ななな、なんだこの強烈な臭いはっ。シェフが1ヶ月履いた靴下を一緒に鍋に入れてソースを作ったのか?)


 鼻が直角に曲がりそうな臭いに、僕は目の前の料理とどう対峙していいのか迷っていた。
 基本出されたものは全部食べる。
 これが僕の家の家訓だから、当然目の前にある意味不明な料理でも完食せねばならない。
 だが果たしてこれを食べ物といっていいのか?
 冷や汗と脂汗が一緒になって額を伝う。
 ごくりと生唾を飲み込みつつ、他の二人の様子を伺った。


(た、食べてる。……ということは嫌がらせではないということか)


 フォークでパスタを1本絡めとり、恐る恐る口に近づける。
 っていうか無理! これは無理! 初心者にはハードルが高すぎるって!!
 脂汗に冷や汗さらには目尻に涙まで浮かべつつ、僕は眼前のモンスターとにらみ合った。


(ええい、ままよ!)


 目を瞑って、謎の物体Xを口に放り込んだ。
 思ったよりもクリーミーな舌触り、少しきつめの塩味が太目のパスタに程よく絡まっている。
 そして同時に口腔内、鼻腔内に広がる無限の臭気。
 今度こそ本当に僕はエターナルフォースブリザードを喰らったかのように氷付けになってしまう。
 幸いだったのはアニスが僕の異常に気がついたようで、目立たないように外へと連れ出してくれたので大事には至らなかった。
 ブルーチーズ、恐るべし……。
 こうして家族団欒計画第2弾は失敗に終わった。




「というような事がありまして、今日の夜の訓練はお休みさせて欲しいのです」
「……はぁ」


 ベッドの中に青い顔をして横たわる僕を、ミーシャは呆れたように見下ろしている。
 ミーシャはブルーチーズ大好き人間らしくて、今日のメニューなんて垂涎物だったそうな。
 ちなみに今日はアニスが付き添いだったから、ミーシャは晩餐には来ていなかったんだけどね。
 ふぅと大きなため息をついて苦笑するミーシャ。


「仕方ありませんね。それでは今日の歴史の勉強はお休みとしましょうか」
「ありがと、ミーシャ」
「いいえ、そんなに青い顔をされては流石に無理も言えませんし。また体調が回復してからにしましょう」
「ごめんね」


 わざわざ深夜に起きてくれたのに申し訳ないという気持ちで一杯だ。
 そんな僕の顔を見て、ミーシャは微笑みながら僕の頬を優しく撫でてくれる。
 えっちい事しないミーシャは優しくていいんだけどなぁ。
 っていうかミーシャとも大分仲良くなれたよなぁ、僕。
 ごろごろと喉を鳴らしながら、ミーシャの手に顔を押し付ける。


「父上攻略はさ、別方面から立てることにするよ」
「そうですね。私もどんな方法が良いか考えておきますね」
「ありがと。ミーシャは僕の4番目のお助けキャラだね」


 ぴたりと止まるミーシャの優しい愛撫。
 ん? と思って見上げると、真っ黒なオーラを纏ったディアブロがそこに居た。


「ちょー、な、な、なんで黒くなってるのさ」
「聞き捨てなりませんね」
「何も変なこと言ってないじゃん!」
「何故私が4番目なのですか! っていうか他の3人は誰なのですかっ!」
「痛い、痛いって。ほっぺた抓るなぁ」


 ぎゅーっと頬を抓るミーシャの手を両の手で外そうともがくけど、全力を出しても尚ミーシャの力には遠く及ばない。
 嬲られるままになる僕は、目幅の涙を流しながら許しを請う。


「何かわかんないけど、ごめんなさい。もうしません」
「誰ですか! 他の3人のお助けキャラって誰なんですか!」
「言います! 言いますから手を離してください、ミーシャ様」


 僕の必死のお願いが彼女に届いたのか、ようやく手を離してくれるミーシャ。
 抓られていた頬は燃えるように熱い。
 ほんと勘弁してほしいよ。


「で、誰なんですか?」
「ひっ。え、えと、1番目がボーマンで2番目がニーナ、3番目がレオ。4番がミーシャで、番外にフェイ兄かな」
「殿下が番外ですか……」
「え? なんか駄目だった?」
「いえ、別に駄目というわけではありません。ただ、世の無常を感じたというかなんというか」


 そんな馬鹿話を暫くしてから、ミーシャは僕の部屋から出て行った。
 そういえばボーマン達と久しく会ってないなぁ。
 明日、近衛の方に行ってみようかな。
 あ、ついでにラスクかクッキーでも焼いて持って行ったら喜ぶかも。
 父上攻略はうまく行かなかったから、ここらで初々しいボーマンたちで和むのが吉に違いない。
 我ながらいいアイデアだと思いつつ、僕は毛布に包まって深い眠りについたのだった。



[24455] 22話「うーん、なんかタイミング悪いよね」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/19 07:51
 私こと、フェイタール・リブロイア・ゴーディンの朝はまずトイレに行くことから始まる。
 いきなり何を言うのかと思われるかもしれないが、毎朝の習慣というものは中々に馬鹿に出来ないものがある。
 これをしないと今日という日が順調良く始まった気がしない、という事があなた方にも何かあるはずである。
 私の場合、それがトイレに行く事だったというだけの話だ。
 何をそんなにトイレに拘るというか朝の滑り出しの話に拘っているかと言うと、今現在その行為が阻害されているからに他ならない。


「で、何故私は起きてすぐに、しかもトイレにまで押しかけられねばならんのか、具体的で論理的且つ私の感情が収まるような説明をもらえると思っていいのか? レオ」
「はい、こちらまで押しかけた理由は、姫殿下が朝一番から行動を起こしているという報告とそれに対する対応の協議の為です」
「それくらいの話ならば、もう少し待ってからでも良かったのではないか? 具体的には私がトイレから出るまでの間とか!」
「先ほども申し上げましたように、すでに姫殿下は行動を起こされています。そしてその目的とは、近衛隊舎への視察だそうであります」
「行きたいなら行かせればいいではないか!」


 何をしに近衛までいくのかは知らないが、行きたいというのならば行かせて問題のあるような場所でもないだろうと思い、ついイライラした口調で突き放す。
 私の反応もレオはある程度予測していたのか、恐縮する様子も無く、むしろ教え諭すような口調で言葉を続けた。


「姫殿下付きの侍女からの報告では、どうも以前首にした近衛隊士と侍女に会いに行きたいといっているようです」
「何を馬鹿なことを。首にしたのなら近衛に行っても仕方ないだろうに」
「殿下、冷静になってください。我々は姫殿下にそのような話は一切しておりません。彼女はいまだ彼らが城内で働いていると思っているのです」


 レオのその一言に、私の寝ぼけた頭は一気に覚醒した。
 ほんの一時、警護と身の回りの世話をさせただけの人物にスワジクが興味を持ち続けるとも思っていなかったのだ。
 慌ててトイレから出ると、目の前にレオとコワルスキーが立って居た。
 

「今の姫殿下にあの二人への処置の事が発覚すれば、折角の彼女の融和ムードが元に戻ってしまう可能性も否定できません。ここは何としてでも近衛訪問を阻止しなければなりません」
「二人の行方は?」


 レオが危険視する未来を現実にさせない最良の方法は二人を呼び戻すことだ。
 そう思って隣に立っているコワルスキーに視線を移して、彼らのその後を問いただす。
 だが、コワルスキーはごつい体を小さくし力なくかぶりを振る。


「も、申し訳ありません。レイチェルの二の舞にさせない為に、あえて彼らの行く先を聞いていませんでした。その時は最良の手段だと思ったのですが、こうしてみれば最悪手でした」
「彼らの実家に早馬を出して事情を説明し呼び戻せ」
「ボーマン・マクレイニーに関しては既に早馬を出しています。がリバーサイドまでは往復で1週間は掛かります。あと、ニーナという侍女の方ですが、厄介なことに身寄りがないそうで、探しようがないのです」
「ヴィヴィオは?」
「はい。現在件の侍女だった女の行方を調査するために各貴族に最近雇った侍女の有無を聞いて廻っていますが、有効な手がかりが得られるかどうか……」
「……」


 なんとも厄介な話である。
 コワルスキーとヴィヴィオの彼らに対する処置については、私もよしと判断したことだ。
 むしろ、スワジクがここまで態度を改めていたという事実をもう少し早く受け入れることが出来たら、いや、こうなる事を予想して早く二人を呼び戻す算段を立てていれば……。


「殿下、今は悔いている場合ではありません。兎に角、姫殿下を最低でも1週間、彼らの事に気付かせないような何らかの方策を練らねばなりません」
「そうは言っても、何か良策でもあるのか?」


 執務室に向かいながら、私はどうやってスワジクの気を引くか真剣に悩む。
 例えば今日の午後だけでいいのならまだやりようもあったのだが、1週間も彼女の気を引くなどというのは無理ではなかろうか。
 朝から何故こんなに頭を悩ませないといけないのか。
 思わず黒い感情がスワジクに対して向きそうになって、そしてそれがお門違いだということに気がつく。
 自然な流れで彼女を悪者に仕立て上げようとした自分の思考に、私は心の中だけで愕然とした。
 これではどちらが悪人か分かったものではない。
 その自戒ですら矛盾しているという事に、私は言いようのない苛立ちを覚えた。





「ふむふむ、中々みんな手馴れてきましたね」
「毎日これだけクッキーやら何やら作れば慣れもします」
「あはは、それはそうですね」


 額に汗を浮かせて石窯の中から鉄板を取り出すアニスが、苦笑混じりにそう答えた。
 うん、最近メイドの皆もおしゃべりしてくれるようになったから、これくらいの軽口は言い合えるようになったのさ。
 あれだね、共同作業で連帯感を培った成果かな。
 小学校や中学校では何の気なしにやっていた事だけど、人間関係の形成には一番の方法なのかもしれないと感心したものだ。


「あ、スヴィータ、今包み幾つ出来ましたか?」
「はい。アニスが出してくれたのを包めば、予定していた個数に達します」
「そう、じゃあライラさん、残ってる生地を全部まとめて焼いてしまいましょう。ミーシャとアニスは片付けに廻ってくださいな」
「はい、姫様」


 スヴィータとライラはまだ何処と無くぎごちない感じもあるけれど、それでも以前と比べればずっといい感じになってきた。
 やっぱり長く一緒に過ごす人達と仲良くなってきたってのは、僕の精神衛生上にも凄くいいことだと思う。
 王様とは仲良く成りそびれたけど、時間はまだたっぷりあるんだから気長にいくしかないよね。


「や、やあ、スワジク。何をしているんだい?」
「あ、フェイ兄様。こんなところまで何をしにいらしたのですか?」


 妙に堅い笑顔のフェイ兄が厨房の入り口に立っている。
 王族の人がこっちまで来るのは非常に珍しいんだけど、どうしたんだろう。
 そう思っていると、フェイ兄は凄い説明口調で言い訳を始める。


「いや、朝起きて暫くしたら何か甘いいい匂いがしたものだから、なんだろうと不思議に思って匂いの元を探し回っていただけなんだよ。ほら、この間スワジクが作ってくれたクッキーが美味しかったから、甘いものに目覚めたというか、そんな感じかな」
「なんでそんなに言い訳がましい説明なんですかね?」
「そんな訳ないじゃないか。本当に君の作ってくれたクッキーが美味しくて忘れられなかっただけだよ」


 ううむ、にこりと笑う奴の歯の光具合が弱い。
 何を企んでいるのやら……。
 色々と勘ぐっていると、先日のフェイ兄とのやり取りを急に思い出してしまった僕。
 ま、ま、まさか、こやつ……。
 自分的にあり得ないことを想像してしまい、自分の意思とは無関係に真っ赤に染まる顔。
 いやいやいや、なんで照れたみたいな顔になるんだよ!
 くそっ、自分の反応が気持ち悪いんだってばさ。


「つ、摘み食いは駄目ですからね。もう少ししたらあまりのクッキーとラスクが焼けるのでそれまで待ってください」
「あ、ああ、ありがとう」


 真っ赤になった顔を見られるわけには行かないので、くるりと後ろを向いてキッチンの上の小道具たちを次々と片付けて行く。
 これじゃあ、まるで恋する乙女みたいじゃないかっての。
 高揚した気分を落ち着けるため、洗い場の中の水桶に手を浸してクールダウンを図る。
 あー、冷たくて気持ちいいなぁ、この井戸水。


「ところでスワジク。こんなにお菓子を焼いてどうするんだい?」
「ええ、今日ちょっと近衛隊の隊舎に挨拶に行こうかと思うんです。この間も塔舎の片づけを手伝ってもらったままですし、それにこの間あった新人君が頑張ってるかどうか見に行こうかなと思ってるんです」
「あー、そうなんだ。あー、でもそれは残念だったなぁ。さっきコワルスキーが、今日は近衛隊の教練に出かけるといっていたぞ? 多分行っても居ないんじゃないのかなぁ」
「えー、そうなんですか? コワルスキーさんにスケジュール聞いておけばよかったですねぇ」


 なんか妙に変なトーンでしゃべるフェイ兄に少し違和感を感じながらも、近衛隊の皆が訓練で不在という残念なニュースの方に気を取られる。
 朝一番から頑張って作ったのになぁ。
 ビニールやタッパーがあればしけらないんだけど、包んでいるのがハンカチじゃあなあ。


「弱りましたね。折角作ったのに、もって行き場が無くなってしまいました」
「あ、姫様、だったら政務館のほうを先に行かれてはどうでしょうか……ひぃぃっ!」
「? アニスどうしたの」
「いいいい、いえ、なななな、なんでもございません!!」


 急に顔を真っ青にしてチワワのように震えるアニス。
 どうしたのかな?
 不思議に思って彼女の視線の先へと振り返って見る。
 そこには穏やかに笑っているフェイ兄がいるだけで他には誰も居ない。
 幽霊でも見たのか? そうだったら嫌だなぁ。


「スワジク、政務館の方は今日は行かない方がいい。帝国からの使者が来て何やら今日1日は色々と忙しいらしいぞ?」
「えー、そうなんですか、フェイ兄様? 困ったなぁ。本気でこのクッキー達をどうしよう」


 本気でクッキーの処分に困った。
 政務館や近衛の人たちに行き渡るようにと思ってつくったから、正直店が開けるほどの量があるんだけど。
 そう思って悩んでいると、厨房の勝手口の扉が開いて数人のシスターっぽい人たちと料理長が入ってきた。
 シスター達は私やフェイ兄を見て凄くびっくりしていたが、慌てず騒がず私たちの前まで来て挨拶し、そのまま厨房の奥へと去っていった。


「珍しい組み合わせですね、料理長とシスターって」
「ああ、あれかい。あのシスター達は王都にある孤児施設から来ている人たちだよ。多分孤児たちの食事について料理長と打ち合わせをしに来たんじゃないかな」
「へぇ、孤児施設は国営なんですかぁ」
「ああ、たった1つだけど由緒ある施設なんだ。王宮に仕える者にも、その孤児院出身が何人かいるんだ」


 僕の疑問にすばやく解説を入れてくれるフェイ兄。
 うん、今日のフェイ兄、なんか魁!!○塾の雷電みたいだな。
 もちろんあんな暑苦しくは無いけど。
 そっかー、孤児院かぁ……。
 僕はふと良いことを思いついて、厨房の片隅で何やら話し合っているシスターと料理長の元へ向かう。
 僕が近づいてい来るのが見えたのか、料理長が帽子を脱いでぺこりと挨拶をしてくれる。


「あの、少しお邪魔してよろしいでしょうか?」
「は、はい、なんでしょうか、姫殿下」


 少しオドオドとした感じで料理長が返事をくれる。
 もう大分厨房にも出入りしているんだから、もう少し慣れてくれてもいいと思うんだけどな。
 まあ、身分の差ってやつに疎い僕には分からない何かがあるのかもしれないけどさ。
 シスター達も少し不安な表情で僕を見ている。
 そんな彼等の不安を和らげるために、僕は自分が表現出来る最大限の優しい微笑みというやつを作ってみせた。


「折り入って皆様にお願いがあるのですが」
「はぁ、なんでございましょう」
「実はさっきまで近衛と政務館の皆様にと思って作っていたお菓子があるのですが、どうも今日は日が悪いらしくて持っていけなくなってしまったのです」
「……はぁ」
「そこでですね、差し出がましいかもしれませんが、皆様の施設に是非これらを寄付させて頂きたいと思うのですがどうでしょうか」


 そういって僕は振り返ってミーシャを見る。
 ミーシャは既に僕が考えていることを見抜いていたのか、クッキーとラスクの包みを一つずつ持ってこちらに来てくれていた。
 既にリボンは解かれてすぐにつまめる状態だ。


「どうぞ、ご試食してみてください」


 その一言に、恐る恐るシスターの一人がクッキーに手を伸ばした。
 口にクッキーの欠片を入れると、とたんにシスターの顔が驚きの表情になる。


「お、美味しいですわ。こんなクッキー食べたことありません! も、もう一つ頂いてよろしいでしょうか」
「ちょ、シスター・アンジェラ、独り占めとははしたないですわ」
「私も一つ頂かせてもらいます」


 シスター・アンジェラを押しのけて、ミーシャに殺到するシスター達。
 どうやら厨房に漂っていた甘い匂いに最初からやられていたようだ。
 口々に美味しい、美味しいと喜んで食べてくれるその姿に満足した僕は、料理長に向かってお願いした。


「料理長、すいませんがあちらにあるクッキー、全部こちらの施設にもって行くようにお願いしてよろしいでしょうか?」
「はい、畏まりましてございます」


 当初の予定とはまったく違った結果になっちゃったけど、まあこれはこれでよしとしよう。
 皆の笑顔に満足して僕は厨房を後にする。
 笑顔が溢れるっていうのは良い事に違いないから、巡り廻って外の人のいい評判になったらいいなぁと思う。
 しかしあれだな、最近立てた予定が全て思うような結果に結びついていないや、タイミングが悪いのかな?
 それにフェイ兄、いい加減真面目に仕事しないとレオに怒られると思うんだ。




[24455] 23話「王子と王女と昔話」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/23 08:39
 ここ数日、フェイ兄やレオ達の動きが妙に怪しい。
 事ある毎に僕のすることに干渉してくるというか、タイミングよく邪魔しに来るんだ。
 特にボーマンたちに会いに行こうと思ったりあてもなく城の庭を散歩していたりすると、必ずと言って良いほど誰かが妙な用事を引っさげて現れる。
 嫌がらせをされるような事に思い当たる節があるわけでもなく、今までは見ない振りをしてそのままにしていたんだけど……。


「やあ、僕の可愛いお姫様。今日はいい天気だねぇ」
「……」


 性懲りもなく現れたフェイ兄。
 こうも行く先々に待ち伏せされていたら、僕じゃなくても機嫌が悪くなるはず。
 口にバラでも咥えて現れたなら、間違いなく幻の右が火を噴いていたと思うんだ。
 引き攣る頬をそれでもなんとか理性で押さえ込んで、平静を装って微笑んでみせる。
 僕の静かな怒りを感じたのか、フェイ兄の顔も若干引き攣っていた。


「こ、これからどこへ行くんだい?」
「……」


 笑顔のままフェイ兄の前を素通りして、僕は一路目的地へと真っ直ぐに進んでゆく。
 無視されて流石に居心地が悪くなったのか、冷や汗を流しながら僕の後を付いてくる。
 これはあれかな? 監視されているんだねぇ。
 だとしても僕の何をフェイ兄達は警戒しているのかなぁ?
 そんな変なことしていないと思うんだけど。
 自分の過去の行動を振り返って見るも、やっぱり心当たりには辿りつかない。
 色々と考えながら歩いていたら、あっという間に目的地へと着いてしまった。
 扉の前で、僕は肩越しにちらりとフェイ兄を振り返って見る。
 うん、あの顔はここが何処か分かっていないね。
 仕方が無い、ちょっと懲らしめてやろうか。


「フェイ兄様もここに御用があるのですか?」
「あ、ああ、そうだね。私も調度ここに用事があったんだよ」


 その科白に同行していたアニスが声なき悲鳴を上げて、フェイ兄から慌てて距離をとる。
 相変わらず気がついていないフェイ兄に、僕は満面の笑みを浮かべて振り返った。


「ご一緒に入られますか?」
「ああ、そうだな……」


 ようやくフェイ兄が僕の背中にある扉へと目を向けた。
 フェイ兄はその場所の意味を知ると、面白いくらい劇的に顔が青ざめてゆく。
 何を考えながら後ろを付いてきたのか知らないけれど、深く考えずに生返事をするからそのようなのっぴきならない事態に陥るんだよ。
 

「わかりました。フェイ兄様がそう仰るなら、恥ずかしいですが一緒に入っても私はかまいません」
「いやいやいやいや、ち、違うんだ、スワジク! ここ、これは間違いというか、勘違いなんだ!」
「最近ずっと私の後を追いかけておられたのは、この為だったんですね。大好きなお兄様のお願いですから、私死ぬほど恥ずかしいけど我慢できます」


 調子に乗って、目尻に涙を溜めて見せつつフェイ兄の手をしっかりと握り込む。
 この変態ロリスキーめ、社会的に死ぬがいいわ!
 手を握られたフェイ兄といえば、まるで熱湯に手を突っ込んだような勢いで腕を引く。
 目が凄い勢いで泳いでいて、なおかつ顔が真っ赤だ。
 止めの一撃を食らわせてやろう。


「フェイ兄様、優しくしてくださいね?」
「すまん、スワジク! 急用を思い出した。失礼する!!」
「あ、フェイ兄様!」


 僕の縋る手を振り払う勢いで、フェイ兄が足早にその場を去ってゆく。
 ちなみに横に控えていたアニスは考えることを放棄したのか、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 うまく追い払えたのは良いけど、逆にこれを契機に積極的になられたらどうしよう。
 一瞬の嫌な未来図を、頭を振って追い出す。
 とりあえずはここへ来た本来の目的を遂行せねば。
 そういって僕はトイレのドアを開けて中に入った。


 
 窓から麗らかな陽光が差し込む昼下がり。
 僕は一人、自分の部屋でう~っと唸りながら日記帳を凝視していた。
 何をそんなに唸っているかというと、色々と行き詰っているからだ。
 最初は割りと順調に行けてたと思ったんだけどなぁ。
 ここ数日で僕がした事って、結局政務館に行って外の人が言ったとんでも命令を撤回しただけ。
 官僚の人達の反応が最初訪問した時より随分とマシになったのが、現状での唯一の成果だろう。
 それ以外の状況改善策は割りと黒星続きである。
 義理の父親へのアプローチは失敗したし、ボーマンやニーナとも結局会えずじまい。
 ミーシャとはずいぶんと仲良くなれたけど、逆にアニスが微妙に僕との距離を置き始めたように感じる。
 アニスはミーシャっ子だったから、取られたと思って嫉妬していたりして。
 スヴィータやライラは変わらずクールな反応のままだし、レオに至っては訪ねて来ることすら珍しい。
 唯一、フェイ兄が最初から今までスタンスを崩すことなく接してくれている唯一の存在ではあるのだが……。


「シスコンロリ変態でなければ、あるいは力強い味方と思って頼れたのかもしれないのになぁ。フェイ兄って本気で残念さんだよ」


 現状を整理しつつ、自分の置かれている状況に僕は深いため息をつく。
 一体何をどうしたら、環境の改善に繋がるんだろう。
 こっちがいくら歩み寄っても、相手は離れていく一方の様な気がする。
 明確な悪意が見えない分、逆切れする切欠すらも掴めない。
 まあ切れる予定はないんだけどね。
 ああ、ボーマンやニーナのあの初々しさが懐かしい。
 会いたいなぁ、会って弄って遊んだら癒されるのになぁ。


「はぁぁ、ボーマンどうしてるのかなぁ……」


 僕は椅子をくるりと回して後ろを向き、そこから見える外の町並みをぼんやり眺めて午後を過ごした。
 




 扉越しに深いため息が聞こえ、その後に続いた言葉に驚愕する。
 私はノックしようとした姿勢のまま、じっと中の様子を伺う。
 だがそれ以上の変化はなく、ただ静寂が時と共に流れてゆく。


(なんだ今の科白は。もしかしてスワジクはボーマンとかいうあの騎士見習いに惚れているのか?)


 正直に白状すると結構ショックを受けている。
 以前からスワジクが私に好意を持っている事には気付いていたので、彼女が私以外の者に気を許すところなど想像もしていなかった。
 それだけに今のスワジクの独り言は、私のプライドをいたく傷つける。
 今まであった絶対的な自信が、まったくの根拠の無いものだったという衝撃の事実を突きつけられたのだから。
 自分でも訳の分からない感情に振り回されつつ、そっとその場を離れる。
 さっきのトイレの件は、また日を改めて謝るとしよう。





 少し昔話をしよう。
 あれはまだ私が7歳になったばかりの春。
 桜の花が舞い落ちる王宮の庭園で、私とスワジクは初めて出会った昔話を。


 その当時、上の二人の兄は成人の儀を終え、長兄は前線近くの領地の管理者として、次兄は王国の精鋭騎士団の団長として前線へ行ったばかり。
 いままで仲良く遊んでいた兄弟が突然居なくなり、私は退屈な毎日をどう過ごしていいか分からぬまま日がな一日ぶらぶらと城内を彷徨っていた。
 次兄と水切りをして楽しんだ庭園にある池のほとり、長兄と追いかけっこをして遊んだ薔薇園の中。
 過ぎ去った楽しげな日々の残滓を、無意識に私は辿り続けていたのだと思う。


「ん? なんだろう、あれは」


 桜林の一角に、人目を忍ぶように置かれているガラクタ。
 古びたバケツや城壁の欠片、錆びた蝶番などで作られた意味不明のオブジェがあり、そのすぐ脇にはなにやら猫が横になれるほどの穴が掘られていた。
 ここは私たち兄弟のお気に入りの遊び場だったので、何かひどく思い出を穢された気がしてムカムカしたのを覚えている。


「誰だよ、こんなところにゴミを捨てたのは」


 ちょっとイラッとして置いてあったバケツを蹴り上げる。
 もともと軽い木で出来ているものだから、子供の蹴りでも数mほど先まで飛んでいって桜の幹に辺り砕け散った。
 思い出を穢す悪党をやっつけた気分になって、ちょっとスカッとして久しぶりに笑みがこぼれる。
 うん、残りのガラクタも壊してしまおう。
 そう思って奇怪なオブジェを踏みつけた。
 何度も、何度も。
 多分、私は楽しくて声を上げて笑っていたと思う。
 今思えば何がそんなに楽しかったのかとも思うが、それは多分自分ではどうにもなら無い事や寂しさへの憂さ晴らしだったのかも知れない。


「あははは、こんなゴミなんかっ!」


 ガラクタの上で飛び跳ねていたら、突然後ろで何かが落ちて水の零れる音が聞こえた。
 なんだろうと思って振り返ると、そこには銀色の髪と赤い目をした妖精が居た。
 真っ白なドレスは、だけどもドロであちこち汚れて、スカートの一部は水でぼとぼとに濡れている。
 足元に転がる木のバケツと零れた水、愕然とこっちを見るその少女の目に浮かぶ涙を見て、彼女がこのガラクタのオブジェを作った張本人だと悟った。
 どう言葉を掛けていいのかとっさに思いつかず、私はただ彼女が作ったであろうオブジェの上で立ち尽くす。
 その少女はただ無言で私の元までやってくると、力一杯私を突き飛ばした。
 私の突き飛ばされた先は運悪くというか、落とし穴のように掘られた猫の大きさほどの穴が待ち受けている。
 私は穴に足を取られて、受身もろくに取れず仰向けにひっくり返ってしまった。
 後頭部に走る衝撃に鼻の奥に広がる硫黄臭。
 その痛みに悶えていると、さらに少女が私の上に飛びかかってきて髪を引っ張ってきた。
 私は少女の追撃にパニックになり、掴みかかってくる手を払いのけて突き飛ばし返す。
 思ったより軽かった少女は、私の力に抗することが出来ずガラクタの中にひっくり返った。
 でも彼女はすぐに起き上がって泣きながら殴りかかってくる。
 私もまだ子供だとはいえ、日々剣の稽古をしている身。
 冷静になれば少女の出鱈目な攻撃を捌くことなど朝飯前だ。


「おい、いい加減やめろ」


 何度あしらわれても挑んでくる少女に、辟易しながらも止めるよう訴えてみる。
 だが頭に血の上ったままの彼女にそんな言葉など届くはずも無く、何度倒されようとも何度殴られようとも向かってくるのだ。
 彼女のその行動には子供心ながらに薄ら寒いものを覚える。
 そうこうしていると、その喧嘩を見た近衛がやってきて少女を無言で取り押さえた。


「放せ! 放さぬかっ! たかがゴーディン家のものがヴォルフ家に楯突いてただで済むと思うのかっ!」


 彼女の科白で、ようやく私はこの少女が父上の正妻の子であることに気がついた。
 確か名前はスワジクとかいったか。
 ゴーディン家の血を一滴たりとも流さぬ赤の他人で、義理の妹。
 父上や父上の側近達が毛嫌いしている女の娘。


「お、お嬢様っ!!」


 突然現れた同い年くらいの侍女が、組み伏せられている少女をみて血相を変えて走って来る。
 彼女は躊躇いもせず私の前に跪くと、地面に額を付ける勢いで平伏した。


「殿下、申し訳ありません。何卒、何卒姫様のご無礼をお許しくださいませ」
「レイチェルっ! 何故そんな奴に頭を下げるのだ! 悪いのはそいつなんだぞ! あうぅ、痛っ」
「……」


 スワジクの私に対する暴言を封じるためだろう、衛士は少女の背中に載せた膝へ体重を乗せる。
 土と砂と血と涙に汚れた顔を、苦痛で歪める妖精の顔。
 声を震わせて平伏する侍女。
 スワジクに言われるまでも無く、誰が一番悪いのかなど理解できる。
私の胸の中は罪悪感で一杯だった。


「放してやれ」
「はっ」


 衛士は少し迷いながらもスワジクの拘束を解く。
 直ぐにでも私に向かってくるかと思ったが、彼女はただ悔し涙を流しながら蹲っているだけ。
 スワジク付きの侍女だろう黒髪の少女が、そっと彼女に寄り添い助け起こす。
 取り出したハンカチで顔の汚れを拭い、口の端から流れる血を拭う。
 私は震える膝を必死で隠しつつ、二人に向かって声を掛けた。


「……すまなかった」


 その言葉にスワジクは欠片も反応を示さず、付き添っている侍女はただ黙って頭を垂れる。
 暫くじっとしていた二人だが無言で起き上がると、何も言わずにこの場を去り始めたる
 侍女の肩を借りながら、ヒョコンヒョコンと片足を引き摺りながら去っていく少女を見て、私は死ぬほどの後悔に苛まれたのだった。



[24455] 24話「王子と王女と夢の欠片」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/26 00:12
 次の日、私は浮かない顔をして昨日の桜林へと向かった。
 自分の胸の中にくすぶる漠然としたもやを、昨日のあの場所に行けば晴らせるのではないか。
 なんの根拠も無い自分勝手な妄想を抱いて、ただ黙々と歩いた。
 程なくして昨日の場所について、僕は自分の淡い期待が裏切られたことを知る。
 崩れたガラクタは既に無く、掘られた穴も誰かによって埋め立てられていた。
 他の地面と若干色が違うということだけが、昨日の出来事の名残だ。
 恐らく昨日のうちに庭師が片付けたのだろう。


「くそっ」


 誰に対して吐いた悪態だったのか。
 私は下唇を噛んでその場を後にしようと踵を返し、数歩歩いてから立ち止まる。
 肩越しに振り返って、もう一度色の変わった地面を見つめた。



 今日という日がゆっくり終わろうとしている時刻に、ようやく私は作業を終えることが出来た。
 城壁に使うはずだった煉瓦に底に穴の開いたバケツ。
 庭園で使う杭に古ぼけた立て板、そして穴を掘るためのスコップ。
 昨日のオブジェよりはかっこよく出来たんじゃないかと思う。
 自分の城の周りに堀のように掘った穴に、運んできた水をなみなみと注ぐ。
 近くの噴水から汲んで持ってくるだけでも重労働だ。
 それをスワジクは昨日一人で頑張ってここまで持ってきていたのだと思うと、本当に可哀想なことをしたんだと実感できた。


「ふふん、昨日の変な寄せ集めよりずっとカッコイイじゃないか」


 負け惜しみのようにそう呟いてから慌てて周囲を見回す。
 誰にも聞かれていないことにほっとしつつも、あの少女が結局現れなかった事に少しだけ落胆する。
 私は手に付いた泥もそのままに、自分の部屋へと戻ることにした。


 また次の日の夕方、私は自分に色々と言い訳をしながら、桜林のあの場所へと足を向けた。
 私が集めたガラクタは、昨日とは違い捨てられもせずその場にある。
 ただ1点違うのは、まるで嵐が過ぎ去ったあとのようにめちゃくちゃに壊されていたという事だけ。
 恐らくスワジクが昼の間にここを通った時にでも、壊していったんだろう。
 私は何故か急にニヤリとして、今度は簡単には壊れないように石材を多めに使って城の補強を始める。
 堀も昨日より倍は深く掘って幅も広げてみたし、城の天辺にはゴーディン家の旗を立てたりもした。
 これを見たスワジクが、怒りに我を忘れてこのガラクタの城に突撃してくる姿を想像する。
 多分あの娘だと壊すのに一苦労するだろうな。
 久しぶりに感じる意味不明な高揚感を感じつつ、私はにやにやしながら部屋に帰った。


 あの城を汗水垂らしながら壊しているスワジクの姿を見て笑ってやろうと思い、私は昼食をすばやく掻き込んで慌てて桜林へと向かった。
 あそこの場所は城壁の陰に隠れていればこっそりと観察出来るはず。
 少しでも早く現場につかないと、肝心のスワジクの奮闘振りが見れない。
 私はすれ違う侍女や衛士を無視して、一目散に目的の場所へと走り続けた。
 上がる息を抑えながら城壁に背を預け、そっと桜林を覗いて見る。
 少し遠いがあのガラクタの城が見えた。
 よく目を凝らして見ると、どうやら既に壊されているようだ。
 私は肩透かしを食ったような気分で、城の修復に掛かる。
 午後一番で間に合わなかったってことは、あいつは朝のうちに壊しに来ているんだろう。
 午前はスワジクも家庭教師の授業があるはずだが、相手はそれをどうにかクリアして壊しに来ているんだろうと推測する。
 ならば私も午前中にここへ来るだけだ。
 そして次の日、私は予定されていた家庭教師を仮病で休み、自分の部屋の窓からそっと外へと抜け出した。
 この時間ならきっとスワジクはまだ奮闘中かも知れない。
 そう思って、私は一路城壁の影を目指してひた走る。
 程なくして城壁の影についた私は、そっと顔をだして桜林を見た。
 そこには、私が昨日作った城の面影は既に無い。
 私は深いため息をついてガラクタの城へと向かう。
 巻き散らかされたゴミの上に投げ捨てられているゴーディン家の旗。


「あり得ないだろう? 今の時間で壊されてるって、まさか夜中にでも来て壊しているのか?」


 負けっぱなしは性に合わない。
 私はそう思って3度目の築城に取り掛かる。


 その晩侍女たちが去った後、私は朝と同じように窓からそっと抜け出した
 両の手には毛布と水筒、パンを1本。
 まさかとは思いつつも私はただ桜林を目指す。
 闇に包まれた王宮はしんと静まり返って、昼間の喧騒を欠片も感じさせない。
 遠くのかがり火の僅かな光で照らされた足元を、おっかなびっくり前へと進む。
 闇の中、ぼんやりと見える桜色の林の中、私の作った城の前で何かが動いている。
 まさかと思いつつも足音を殺しながら近づく。
 まさかは、もしやになり、やっぱりに変わった。


「こんな時間に何やってるんだよ……」
「っ!」


 私の声に、ガラクタの前に蹲っていた少女は肩を跳ね上げて振り返った。
 信じられないといった顔で、その銀色の少女は私を見つめる。
 多分、私も同じような顔で彼女の紅い瞳を見つめていたのだろう。
 無言のまましばらく見つめあい、そしてスワジクは5歳の子供とは思えないため息をつく。


「ふぅ、何か用か、下衆」
「べ、別にお前になんか用は無いさ。私はそのガラクタを毎回丁寧に解体している馬鹿を見に来ただけだ」
「ふんっ! こんなものをほったらかしにして、躾のなっていない下衆だこと」
「そのガラクタに執着する馬鹿も、道化のようで見物だな」


 お互いがお互いを罵り合う。
 だけどその言葉に険はなく、その仕草に拒絶は無い。
 私は兄達が居なくなって寂しかったのだろうと思う。
 月の光に照らされた銀色の天使は、暗く冷たい孤独な夜に微かな温もりを求めてここに居たのだろう。

 スワジクを見ると厚手のカーディガンを羽織っただけで、その下は薄いネグリジェだけだ。
 もう春とはいえ夜はまだ冷える。
 あまつさえネグリジェの裾は泥水でボトボトだ。
 私は持っていた毛布を、彼女の彼女の肩にそっと掛けてやる。
 その間スワジクはそっぽを向いていたけれども、逃げはしなかった。
 ふとガラクタの城を見ると、その横に猫が横たわれるくらいの穴が掘られている。
 スコップなどなく、陶器の器を代わりに掘っていた様子。
 その傍には噴水から汲んできたのであろう水桶があった。


「なんだよ、その穴。また落とし穴でも作ろうとしてたのか?」
「な! 落とし穴なんか誰が掘るかっ! これはリュナス湖だ!」
「はぁ?」


 スワジクはどこか誇らしげに胸を張って、そのリュナス湖と言う名の穴ぼこを解説し始める。
 ヴォルフ家の本城の直ぐ西側に広がると言う大きな街が3つくらいは入る湖。
 その透明度は10mの深さの湖底ですら微かに見えると言う。
 スワジクの母親のお気に入りの湖らしい。


「この王宮の北東側にも湖ならあるぞ?」
「あれは駄目だそうだ。もーっと透き通っていて冷たいんだって」
「へぇ。で、なんでそれをここに掘ろうと?」
「べ、別に。ただ何となく」 


 何故か悔しそうな顔をしてそっぽを向くスワジク。
 その瞬間、くきゅるるるという可愛い音が聞こえた。


「お腹、減ったのか?」
「……」


 顔を真っ赤にして躊躇いがちに頷く。
 彼女の仕草に思わずくすくすと笑いながら、私は持ってきたパンと水筒を差し出した。


「……あ、あり……」


 消え入りそうな声で何かを呟いたみたいだが、残念ながら私はその言葉を聞き取れなかった。
 何故かスワジクは急に不貞腐れたように近くの桜の木の下へ行って座りこむ。
 渡したパンを膝の上に水筒を傍らに置いて、私の夜食を少しづつ上品に口へ運ぶ。
 私も一人立っているのも馬鹿らしいので、スワジクが座る横に腰掛けた。


「おい、下衆」
「なんだ、馬鹿」
「お前は誰だ?」
「ぶっ、そこからなのか?!」
「私は! ……私はこの王宮のことは良く知らない。お前が誰かなんてのも知らない。だから誰だと聞いているのだ。すこしは光栄に思え」
「私は、お前の兄だ」
「私に兄などいない」


 自己紹介の初っ端から全否定された。
 こめかみを押さえつつ、私は基本的なことを一から説明する。
 ゴーディン一族のこと、ヴォルフ家との婚姻関係、そしてスワジクが私の義理の妹だということも。


「そうか。私は何も知らないのだな……」


 5歳とは思えない口振りと仕草で、空に浮かぶ銀色の月を見上げる。
 その姿は闇に溶けてしまいそうで、とても儚げだった。


「お前の母上は何も教えてくれないのか?」
「母上は……、ヴォルフ家のことさえ覚えていればいいって。ヴォルフ家の領地のことを知っていればいいって。それ以外のことは、私は覚えなくていいんだって」
「それって酷くないか?」
「……よく、分からない。でも母上がそう言うのなら、私はそれでいい。母上が笑ってくれるなら、それが嬉しい。だから、その他の事は別に知らなくていいと思ってた」


 見上げていた視線をゆっくりと落として、私の顔に固定した。
 スワジクは、そして確かに笑っていた。


「この王宮の奴らは皆嫌いだ。お前も嫌いだ。顔も体も足も、本当に痛かったし」
「そ、それは謝る。ごめん」
「仕方ない、許してつかわす」
「なんだかなぁ」


 くすくすと笑いあいながら、二人で夜空の月を見た。
 それはとてもとても美しい思い出。
 二度と戻らない、二度と帰れない、二人だけの秘密の時間。


「さて、私はもう帰らないとレイチェルに怒られてしまう」
「あの侍女の子、いい子だね」
「うん。レイチェルは怒ると怖いけど、でも優しいから大好きだ。なんといってもレイチェルと私は、しんゆうというやつだからな!」
「それはうらやましい限りだよ」
「まあ、お前も嫌いから、普通くらいにはしてやってもいい」
「それは光栄の極みでございます、マイフェアレディ」


 スワジクがすくっと立ち上がり、肩に掛けていた毛布と水筒を無造作に突っ返してくる。
 私がそれを恭しく受け取ると、わけも分からず二人して大笑いした。
 ひとしきり笑い終えると、目尻に浮かぶ涙を拭きながら見詰め合う。
 にこりとスワジクは微笑むと小さく手を振る。


「それじゃあ、またね。えと、フェイタール兄様」
「ああ、またね、スワジク。それとその呼び方、長ったらしいならフェイ兄でいいよ」
「そか。じゃあ、フェイ兄様。おやすみなさい」


 次の日の昼過ぎ、私は鼻歌交じりに桜林に向かって歩いてゆく。
 昨日の出来損ないの湖、もうちょっとちゃんとしてやらないと駄目だな、などと考えていた。
 桜の花びらはもう殆ど散ってしまっていて、明るい緑色の葉が所々に見えている。
 昨日の夜のことを思い出しながら、それこそスキップを踏むくらいの勢いでガラクタの城を目指した。


「……な、なんで?」


 目の前にあるのは、昨日の晩二人で座った桜の木。
 ここに無ければならないものが、見当たらない。
 二人で作ろうとした、ガラクタの城とスワジクが一度は見てみたいといっていたリュナス湖を模した穴ぼこ。
 それらはまるで最初から無かったかのように綺麗に片付けられている。
 私はただ呆然とその場に立ち尽くすだけしか出来ない。
 スワジクがこの王宮を離れ離宮に移ったという話を聞いたのは、それから間もなくしてからのこと。
 そして彼女と再会したのはそれから5年後、スワジクの母親が自殺した後のことだった。



[24455] 25話「PAで売ってる串とかって、やたらと美味しそうだよね」
Name: トマトサンド◆8112e221 ID:856d6dc3
Date: 2010/12/29 23:04
 突き抜けるような青い空の下、僕とフェイ兄、ミーシャにセンドリックさんの4人で城下町を歩いていた。
 フェイ兄とセンドリックさんは、近衛の白い制服を着ていて腰に長剣を下げている。
 ミーシャはいつもと変わらぬエプロンドレス姿、ただしいつもの色と違って薄緑色のドレスの上に白いエプロンだ。
 これが王宮に勤める一般侍女の制服なんだそうな。
 で、僕はというと、良家の子女の様なフリフリのドレスを着せられて、髪はアップにして帽子で隠す。
 銀色の髪の人というのはこの世界では結構珍しく、見る人間が見ればこちらの身分がばれるらしい。
 フェイ兄の銀色の髪も隠さないといけないので、センドリックさんと二人、普段被ることのない略式礼帽を被っている。
 本当は警備の面やらで城外へ出るのは駄目だって言われたのだが、トイレの一件を匂わせて強引にフェイ兄に承諾させたのだ。
 だってさ、こっち来てからずーと自分の部屋か中庭か政務館しか見てないんだもんな。
 最初はすげーって思ってたけれど、さすがに飽きがくる。
 それに監視されている視線とか、距離を置かれてる雰囲気とか、割と精神的に来てたりもしたしね。
 ここらで心身ともにリフレッシュしても、誰にも文句なんか言わさない。


「うわぁ、この通り全部露店なんですか?」
「ええ、ここは王都にある市場の中でも1番有名な所です。北部と南部にもそれぞれのマーケットがあるのですが、ここほど賑やかではないですね」


 目を輝かせながらした質問に、センドリックさんが丁寧に答えてくれた。
 東京や大阪の繁華街とは比べ物にはならないけれど、地元の流行っている商店街並みには人がいる。
 うん、うろちょろしたらきっと迷子になるな。
 傍に立っていたセンドリックさんの袖を、迷子対策とばかりにしっかりと掴む。
 手前に見える屋台では色とりどりの野菜が並べてあり、その横には藁や竹っぽいもので編んだ民芸品っぽいもの、草履とか小箱等が地面に所狭しと積み上げられている。
 反対側ではいろんな服が山積みになって今にも崩れそうだし、ちょっと古ぼけた壷屋なんかも見えた。


「うはぁ、異国情緒たっぷりだよ! おろ? この籠ってなんに使うんだろ?」
「ああ、いらっしゃいませ、お嬢様。その籠はロンポを入れる蒸し籠でございますよ」
「ろんぽ?」
「ロンポはね、ふわっとしたパン皮に包まれた肉饅頭のことだよ」


 籠を手にとって開けたり閉じたりしながら、フェイ兄の説明を聞く。
 肉まんみたいなもんか。
 どっかに売ってるなら食べてみてもいいかもしらんね。


「お嬢さん! こっちの瓜はどうでしょうか! 甘くて美味しいですよ」
「おお、おっきぃ!」


 竹籠屋の横の野菜売り場のおばちゃんが、手にした深緑1色のスイカの様なものを威勢のいい声と共に掲げている。
 景気良くその瓜を叩くと、実がぎっしり詰まっているのか凄くいい音がした。
 僕は目を輝かしながらその西瓜もどきに近づく。
 その瞬間、おばちゃんは背中に隠してあった鉈の様な刃物を振りかぶる。
 後ろに居たセンドリックさんとフェイ兄があっと叫ぶ間もなく、おばちゃんの鉈は目の前の獲物を真っ二つに引き裂いた。


「どうだい! この熟れ具合、この濃厚なパジィの甘い香り。こいつは今日の一押しの商品だよ!」
「ほぉぉぉぉ」


 目の前に差し出された瓜の半分をじっと見つめる。
 西瓜のように赤いのかとおもったけど、中身は黄色だった。
 離れていてもこのパジィって果物が甘いってのは、匂いで十分理解できる。
 実演販売や試食用に目の前で焼かれるお肉とか、普段より美味しそうに見えるのは何故だろう?
 知らず知らずのうちにごくりと唾を飲み込む僕。
 それを見たおばちゃんがにやりと笑う。


「食べてみますかい、貴族のお嬢様?」
「い、いいの?」
「ああ、いいですとも。うちの果物は王宮にも収めてる極上品だからね! あの銀色の貴公子、フェイタール殿下さまも垂涎ものの一品ときた! お嬢様も殿下さまを虜にしたいなら、これをお土産に持っていったらイチコロだよ!」
「うわぁ、それは地味に嫌だけど、一口もらいます」
「あいよっ!」


 気風のいい返事で返してくれたおばちゃんは、器用にも手の上で瓜の片割れを食べやすく切り刻んでくれた。
 差し出されたパジィを、僕は指で摘んで口に放り込む。


「おいひぃ!」
「でしょう? どうだい、後ろの騎士の旦那達も! これを食べたらフェイタール殿下さまのように強くなれるかもしれないよ?」


 おばちゃんが屋台の中から手を伸ばすのが辛そうだったので、僕がその瓜をもってフェイ兄たちのところへ行く。
 にこにことそれを差し出して、「美味しいよ、食べれば?」と笑いかける。
 センドリックさんは笑顔で、フェイ兄とミーシャはふぅっとため息をついてからパジィに手を伸ばした。


「ふむ、なかなか甘いですな」
「いつも食べているものより美味いじゃないか」
「本当ですね。これはなかなか」
「おばちゃん、これ3つください!」


 皆が舌鼓を打っているのを見て、今日始めての買い物をする。
 おばちゃんは大きく頷いて、積み上げられているパジィの中から美味しそうなのを3つ選んでくれた。


「これを持って歩くのですか?」


 ミーシャがジト目で僕を見つめてくる。
 あう、そうだよね、今から町を見て歩くって言うのに、この荷物はないな。
 ふとフェイ兄を見上げると、分かったといった風に頷いておばちゃんの下へ向かう。


「すまない。これを後で近衛隊のコワルスキー隊長へ届けておいてくれ。代金もそこで貰ってくれてかまわない。もう3つ追加して、半分はヒューイから王女への贈り物だと言えば大丈夫だ」
「はいよ。でも騎士様も大変だねぇ、いろんな所に気を遣わにゃいけないなんてねぇ」
「いらぬ世話だ」
「おお、おっかない、おっかない。すいませんね」


 フェイ兄に睨まれたおばちゃんは、肩をすくめて露店の中へと引っ込んだ。
 まあ、ある程度分かってたことなので、僕は特に気分を害することもなく次の面白そうな店を探して露店街を突き進む。
 5歩ほど歩いたところで、今度は服を山積みにしている露店から声を掛けられる。
 なにやらモフモフとした毛皮を出してきて、しきりに今なら半額といって盛んにアピール。
 僕は珍しい毛皮だったこともあり、足を止めて熱心に説明するおっちゃんの話を聞く。
 次に4歩進めば、斜向かいの干物屋が魚の干物なんかを振り回して、僕の注意を引こうと必死になっていた。


「はぁ、凄い客引き合戦だね。いつもこんな感じなのかなぁ?」
「いいえ、それは違います、お嬢様。彼らは貴方がどこかの貴族の子女だと見て声を掛けてきているのです」
「あー、なるほど。金のなる木に見えているわけか」
「そういうことです」


 ミーシャが小声で僕の疑問に答えてくれる。
 でもあれだね、小説とかマンガで読んでいると、平民は皆貴族を怖がって這いつくばるものだと思っていたけど、それって僕のステレオタイプだったのかな?
 僕としては身分の差に物怖じしない人達がこんなに居ると思ったら、王宮内とのギャップにとても新鮮に感じる。
 詰まる所、どこまで行っても僕は小市民ってことなんだろう。


「そこの美しい貴族のお嬢様、 フィシャーズ通り名物のカニスープはいかがですか! 美味しいですよ!!」
「カッコイイ騎士様! うちの剣は頑丈だよ! 剣と剣を力一杯ぶち当てても、欠けもしなけりゃ曲がりもしないよ」
「あはは、それってもう剣じゃなくていいんじゃないの?」
「私はカニ嫌いだと言っているんだ。頼むから近づけてくるなっ」
「ヒューイ様、好き嫌いは良くありませんなぁ」
「ああ、お嬢様走って行ったら迷子になりますからっ! 落ち着いてくださいっ!!」
「そこのお兄サン達、良いニセモノありますよ! 安いデスヨ、今なら安くで売ってアゲマス!」
「「胡散癖ぇぇ!!」」
「ミーシャ、ミーシャ、これこれ、豚の睾丸だって。きしょい、誰が食べるんだろう」
「だからお嬢様、はしゃぎすぎですっ!!」
「ああ、豚のは割りと美味しいですよ。訓練の後、みんなでよく臓物屋に食べに行くんですけどね」
「うわぁ、センドリックさん勇者だねぇ」


 取り留めの無い会話を繰り広げながら、僕はこの時間を十二分に満喫する。
 多少はしゃぎすぎな気もするけど、人間楽しむときは一生懸命楽しまないとだし。
 そうこうしていると商店街の反対側の端まで来て、ようやくカオスな時間が終わりを告げる。
 僕の手には数本の串焼きに、腕にぶら下げた可愛いお土産達。
 このお土産は今日の外出についてこれなかった3人のメイドさん用だ。
 フェイ兄とセンドリックさんは、なにやらケバブっぽいものを食べている。
 ミーシャだけは何も買わずじまいだったみたい。


「ミーシャも何か買えばよかったのに」
「特段、今欲しいものが無かっただけです」
「この串、美味しいよ?」
「はぁ、姫様、口の周りべトベドになってます」


 だって仕方が無い、この串の具、僕の口よりずっと大きいんだよ。
 ミーシャがあきれながらハンカチを取り出して、僕の口の周りを拭き上げる。
 その横をガラガラと音を立てながら、大八車っぽいものが通り過ぎてゆく。
 なにやら封をされた巨大な瓶を運んでいるみたいだ。


「あれって、何?」
「ああ、あれは町で出たゴミを回収しているんだよ。郊外まで持っていって肥料を作る基にするらしい」
「へぇ、どうりで町が綺麗なんだね」


 大八車を目で追い素朴な感想を話していたら、ミーシャが袖を引っ張って僕の口調を嗜める。
 ああ、商店街を見て歩いたときのテンションのままだったから、知らず知らずに素に戻ってたみたい。
 ちらりとフェイ兄の方を横目で盗み見たけど、特に気にしている様子は無いようだ。
 と背後で大きな音がする。
振り返って見たら、通り過ぎた大八車から瓶が一つ振動で揺れて落ちていた。
 中身が道の端にぶちまけられて、運んでいた人が天を仰いで自分の失敗に悪態をつく。
 ゴミなんて見ていたら串が美味しくなくなるので、僕は視線を外そうとして、でも外せなかった。
 いろんなゴミに紛れて、つい最近どこかで見たようなものが混じっていたのを見つけてしまったのだ。


(あれって、確かこの間僕達が作ったクッキーだよね?)


 ゴミの中に混ざっていたのは、先日孤児院に寄付したはずの大量のクッキー。
 その殆どは未開封のまま廃棄されているように見えた。


(えっと、なんで?)


 その理由はなんとなく想像できそうかも。
 嫌な想像をして動けなくなってしまった僕に気がついたミーシャが、訝しげに近づいてくる。
 傍まで来てようやく僕の視線の先にあるものに気がついた彼女は、少し強引に僕を振り向かせ、先を歩くフェイ兄たちの下まで連れて行かれた。


「姫様、あまり気になさらずに」
「う、うん。そうだよね。食べ切れなかったのかもしれないし、口に合わなかったのかもしれないしね」
「後日、さりげなくその辺りを調べて見ます。何か事情があったと思いますし」
「い、いいよ、別に。ほら、元はといえば僕が相手に押し付けたようなものだし。孤児院の人達も断るに断れなかったのかもしれないし……」
「姫様……」


 楽しくて舞い上がっていた今の僕は、まるで冷や水を掛けられた犬のよう。
 こんなことは日常茶飯事に起こっても可笑しくないんだと、日記を読んだときから覚悟を決めていたはず。
 だけどその事実を目の当たりにすると、やはり気分は凹むしかなくて。
 何か別のことを考えようと思っても、思い出すのはネガティブなことばかり。
 王様の冷めた視線。
 どんなに仲良くなろうとしても、見えない壁を作って相手にしてくれない侍女達。
 うそ臭いフェイ兄の笑顔。


『私はこの王宮(セカイ)を憎む。母上を死に追いやった心無いこの世の中(セカイ)を、ずっと憎み続けてやる』


 脳裏に過ぎるのは、日記の一文。
 外の人の、『敵意』。
 そんなことは無いんだよ、セカイはもっと優しく出来ているんだよ。
 それを証明してあげたくて、僕は頑張るんじゃなかったのか?
 本当は皆優しい人達なんだって、そう思うから。
 なんだよ、僕が負かされてどうするんだよ……。


「ん? どうかしたのかい、スワジク?」
「い、いえ、何でもありません、フェイ兄様」
「そうか。ところで今日はちゃんと楽しめたか?」
「え、ええ。とても楽しかったです。有難うございます」


 なんで目頭がこんなに熱くなってるんだろう?
 このくらいのことで目を潤ますなんて、男らしくないじゃないか。
 自慢じゃないが、僕は滅多な事では泣いたりしないし泣いた記憶もそれほどない。
 恐らくはこの体に僕の精神が引きずられているので、涙腺が緩くなっているのだろう。
 我慢すればするほど込上げて来る何か。
 程なくして、僕の目尻から溢れ落ちた。


「っ?!」


 流れ落ちる涙を見たフェイ兄とセンドリックさんが凍りつく。
 そりゃそうだ。
 僕だって突然女の子が泣き出したら固まるしかないもんな。
 だから早くこれを止めないと、折角の楽しかった時間が台無しになる。


「どうか、……したのか?」
「い、いえ、何でもないんです。目、目にゴミが……」
「……」
「や、やだな。止まんないや。何でだよ。止まってくれよ……」


 そっと差し出されたハンカチで、流れ落ちる雫を受け止める。
 僕は肩を抱かれるようにして、目の前に止められた馬車にのって王宮へと帰る。
 王宮が近づくにつれ、僕の気分は反比例に落ちてゆく。
 ああ、僕は馬鹿だ。
 本当に馬鹿だ。
 こんな出来事なんて、これから起こる事に比べればほんの些細なアクシデントのようなものだったのに。
 それでもその時の僕は、今まで我慢してきた感情を抑え切れなかったんだ。


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