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[25141] 除霊師・藤堂夏樹のあんまり怖くない怪奇事件簿
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:d88471de
Date: 2010/12/28 16:07

 今回、オリジナル板で初投稿させていただきますモトオです。
 お目汚しになるやもしれませんがよろしくお願いします。

 注意点
 ・題材として幽霊や呪いといったオカルトを取り扱いますが独自解釈・設定が多くあります。
 ・除霊師と銘打ってますがGSのような爽快感がある作品ではありません。
 ・厨二です。(邪気眼的な意味ではなくポエミーな感じで)
 ・一話一話が短いです。

 それでも一向に構わないと言われる剛毅な方はどうぞご一読ください。



[25141] 第一話『幽霊の住む家』・1
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:d88471de
Date: 2010/12/28 16:14
 
 第一話『幽霊の住む家』





「この家さ、出るんだよ」

 橙色の空。揺らぐ雲。落ちかけた太陽が滲んでいる。映るものの輪郭を覚束なくさせる夕暮れの空はまるで飽和した砂糖水のようだった。
 時刻は五時。この部屋は一軒家の二階に位置しており、その上窓が西側にある。そのため夕日が無遠慮なまでに差し込んでいた。
 部屋は空と地続きのように染まっている。強すぎる光が少しだけ目に痛い。
 藤堂夏樹は逆光でよく見えない、急に語り出した部屋の主の顔を薄眼で眺めながら、ただ静かに耳を傾けていた。

「夜になると、リビングで変な音がしたりしてさ。一度気になって覗いてみたら人影が動いてたんだ。あれ、絶対幽霊だよ。最近は声も頻繁に聞こえるようになってさ、安心して眠れないんだよ。俺はともかく、幸子……妹になんかあったらと思うと余計に眠れない」

 彼の名は金森卓也という。
 学校帰りの夏樹とは違い制服こそ着てはいないが歳の頃は同じくらいだろう。声の調子に恐怖は感じられなかった。
 見えてはいない。
 しかしおそらく浮かんでいる表情は純粋に妹の心配をする兄のものだ。
 それが簡単に想像出来るから、夏樹は気が重かった。

「お前さ、除霊ってヤツが出来るんだろ?頼む、どうにかしてくれないか。俺に出来ることなら何でもするから」

 言葉と共に、座った状態から軽く握った拳を床につけて勢いよく頭を下げる。正座こそしていないものの体勢はほとんど土下座に近い形だった。
 黙って話を聞いていた夏樹も、さすがにそこまでさせては悪いと思い、慌てて口を開く。

「そこまでしなくていいよ。頼むから頭を上げてくれ」
「じゃあ、除霊、頼めるか?」

 一瞬、躊躇いがあった。しかし重々しく首を縦に振る。

「分かってる、やるよ。つーかそもそも俺はそのために来たんだしな。契約はちゃんと守るよ」

 軽く溜息が零れた。
 今回の件は夏樹にとってあまり気の進まない仕事ではある。
 正直に言えば、出来れば断りたい類のものだった。
 しかし、既に前金で十万円もの除霊料を受け取っている。金を貰っている以上依頼を断ることはできない。それがどれだけ気に入らない内容であったとしても、一度交わした契約を反故にすることは絶対にしてはならないというのが藤堂夏樹の中核を成す思考である。

「すまん、迷惑かける」
「いいって。卓也が悪いってこともないしな」

 それは気を使った訳ではなく本心からの言葉だった。
 別に誰が悪いという話ではない。
 誰かが悪いというのならば、それは気の進まない仕事でありながら受けた自分自身だろう。とは言え普段世話になっている男の頼みを断るという選択肢など初めからない。
 結局、今回の依頼を受けたのは当然の流れだったのだ。

 
 藤堂夏樹は中学三年生であり、今年は受験生としてそれなりに忙しい日々を過ごしている。
 しかしながら、彼の毎日が忙しいのには受験以外にもう一つ理由があった。今日金森家に訪れたのも、夏樹が持つ中学生らしからぬ後者の理由によるものだ。
 結論だけ言ってしまえば、藤堂夏樹は俗に除霊師と呼ばれる存在だった。
 夏樹には幼い頃から多少ながら霊感があり、その能力を活用して成仏できない霊を払う、いわゆる除霊というものを行っている。
 それは今回のように依頼を受けて行う場合もあるし夏樹自身の意思で行う場合もあった。どちらにせよ彼はまだ小学生だった時分からオカルトじみた世界に足を踏み入れ、今でもそういう生活を続けているのである。
 勿論、『俺、実は除霊師なんだ』と喧伝したところで馬鹿にされるだけなのが分かっているため普段は隠している。
 しかし夏樹自身が言い回らなくとも長い間続けていれば噂というのは拡がっていくもので、ごく少数ではあるものの彼が除霊師であると知っている人間もいる。そうすれば自然、除霊の依頼をしてくる人間も出てくる。
 今回もそういった経緯で夏樹に徐霊の依頼が舞い込んだのであった。

「よし。取り合えず詳しく話を聞かせてもらおうかな」

 どかりと腰を下ろし表情を引き締める。
 除霊の確約を取れて安心したのか、卓也は先程までの神妙な顔つきから一転、快活な笑顔を見せた。

「夏樹っありがとう!やっぱお前は友達、いや親友だ!」
「なんか俺凄い勢いで出世してるな」

 二人は下の名前で呼び合っているが、実の所そんなに親しい間柄ではなかった。
 というより彼らが会話を交わしたのは今日が初めて、それも実に一時間程前のことだった。こんな短い時間で親友になるのなら明日になったら家族か兄弟にでもなっているかもしれない。
 正直卓也のこういった調子のいいところには呆れもするが、その物怖じしない感情表現と純朴さは今のご時世では結構貴重な才能ではないかと夏樹は思う。別に羨ましい訳ではないが。

「親友どうこうは置いとくとして。卓也が見た幽霊の話を聞かせてくれよ」

 幾分声が低くなった。その響きに空気が変わったことを感じたのか、卓也は静かに頷き、重々しく自身が見たモノについて語り始めた。

 *

 夜半、奇妙な胸騒ぎに突き動かされ卓也は部屋から出て一階へと続く階段をゆっくりと下りる。
 下から音が聞こえたから、もしかしたら泥棒でも入ったのではと思ったのだ。
 廊下に着いた時点で音が気のせいではないと気付いた。
 ぱち、ぱち。
 枯れ木が燃えるような音。
 音はどうやら居間から聞こえてくるらしい。
 夜の暗さにも慣れた。卓也は音を立てずに前へ進む。
 そうして居間に足を踏み入れるが、そこには誰もいなかった。
 奇妙な音は気付けば消えている。
 代わりに呻くような女の声が響く。
 居間には誰もいない。
 女の声はだんだんと強くなっている。
 一瞬、夜の闇の中で鈍く光るものがあった。
 誰もいない。それは間違いなかった。けれどそこには確かに誰かがいる。
 何もない。その筈の空間で、うっすらと何かが揺らいだ。 
 女の声が一際大きく響き。




 その先には、青白い、人影が─────




 *

「とまあ、こんなとこだ。見た瞬間部屋に戻ったからはっきりした姿とかは見てないけど。女の声ってのは多分合ってると思うぜ」
「女の声、ねぇ」

 話を聞き終え夏樹は軽く顎を弄りながら呻いた。別に鬚を蓄えている訳ではないが、その仕草は夏樹が考え事をする時の癖だった。
 
「俺が話せるのはこれくらいなんだけど、参考になったか?」
「ああ、助かった。ありがとう」
「そっか、ならよかった。でもさぁ、俺こんなことになるまで幽霊ってあんま信じてなかったんだよな。夏樹は除霊師っていうからにはいろいろ見てきたのか?」
「それなりに、ね。俺は昔から幽霊が見えてたから、幼稚園くらいの時は幽霊と生きてる人間の区別がつかなくって、皆の前で誰もいないところに話しかけてるってことが結構あった」
「はぁー、それは洒落にならないな」
「おかげで俺は近所でも噂の変なガキだったなぁ」

 今でもやっていることは然程変わらないか、と夏樹は思わず苦笑した。

「幽霊ってやっぱりうらめしや~てのが多い?」
「そんなことはないかな。幽霊を現世に留めるのは未練とか執着とか、そういう死んだ人間が最後に持っていた『想い』なんだ。別に恨み嫉みを抱いて死んだから幽霊になる訳じゃない。愛情とか、楽しいことがしたいとか、そういう明るい理由を持った幽霊だっている。要は方向性に関係なく強い『想い』を持ってる奴だけが幽霊になるんだよ」
「明るい理由って……なんか怖くないなそれ」
「まあ理由が明るかろうが何だろうが幽霊ってのは大概報われないもんだけどな。納得して死ねなかったから幽霊になるんだから」

 そう言った夏樹の表情は軽い口調とは裏腹に暗かった。幼い頃から幽霊を見続けてきた彼は、つまりそれだけの数の報われないモノを見てきたということだ。それが感じ取れたからか、卓也は急に、何かを探すように辺りを見回し始めた。

「そういや、幸子遅いな。いや、幸子って俺の妹なんだけど、今日はまだ帰ってきてないんだよな。お前にも紹介してやりたいんだが。あ、手は出すなよ?もし妹になんかしたら全力で殴るから」
「馬鹿言うな、出してたまるか」
「なっ!?夏樹、お前は幸子に不満があるってのか!?」
「お前はどうしたいんだよ……」

 夏樹の声が部屋に空しく響く。表情はまだ晴れないがもう先程までの重苦しい雰囲気は完全になくなっていた。
 
「つーか、お前シスコンだったんだな。それも重度の」
「勿論だ、俺はお兄ちゃんだからな。かわいい妹のためなら何でもするさ!」

 シスコンという言葉を完全に肯定され、どう返していいのか分からず夏樹は押し黙った。その様子を見て卓也は声をあげて笑う。

「ま、お前も幸子みたいにかわいい妹を持てば、いや幸子に会えば俺の気持ちが分かるさ」
「かわいい妹ねぇ……」

 満面の笑みを浮かべる卓也とは裏腹に、夏樹は眉間に皺を寄せた。出来れば会いたくはないと考えていたからだ。
 そんな面影は欠片も残っていないと思うけど。誰にも聞こえないように夏樹は口の中だけで言葉を転がした。
 ふと窓の外に目を向ければ空はいつの間にか暗くなっていた。随分長い時間居座ってしまったらしい。夏樹は立ち上がり軽く制服のズボンを叩く。少しだけ埃が舞った。


「ま、とりあえず聞きたいことは聞けたし、今日は帰らしてもらうな。また明日、いや明後日来る。その時に除霊をやるから」
「……今日じゃ、駄目なのか?」
「悪いな、いろいろ下準備があるんだ。今日は出来ない。俺はそんなに有能な除霊師じゃないからね」

 それは謙遜ではなく単なる事実だった。
 彼は除霊師を自称し、事実過去に何度も幽霊を払ってきた。
 しかし彼自身の能力は決して特別なものではなかった。
 夏樹は除霊師といっても法力や陰陽術などが仕える訳ではない。
 剣道を嗜んでいるため運動能力はそれなりだが、それもあくまで部活レベル。霊を切り裂くなどといった技も使えない。
 そもそも彼には除霊師を名乗れるほどの力がある訳ではなかった。
 酒や塩を使えば簡単な邪気払いはできるし、呪具を使えば幽霊を強制的に成仏させることだって一応はできる。しかしそれは夏樹の力ではなく単に道具がそのような力を持っているに過ぎない。
 実の所、夏樹自身には『幽霊が見える』『幽霊と喋れる』程度の霊感しか備わっていないのである。
 だから彼が除霊をしようとするのならばそれ相応の準備がいる。
 話が通じる相手なら説得する。
 その幽霊が執着しているものが分かればそれを取り除くことで成仏させる。
 どうしようもない悪霊ならば強制的に除霊する。
 どんな方法を取るにせよ入念な下調べと準備が必要なのだ。

「……分かった、明後日なら出来るんだよな?」
「ああ、それは間違いなく」

 確信を持って頷く。それに安心したのだろう、卓也は暗い雰囲気を吹き飛ばすように快活な笑みを浮かべた。 

「でも帰るにしてももう少し家にいたらどうだ?多分もうすぐ幸子も帰ってくるだろうし」
「いいよ、どうせ後で嫌でも会わなきゃいけないんだから」

 捨て台詞のように吐き捨てて踵を返す。後ろで何かを言っていたが、その声には耳も貸さず夏樹は足早に部屋を後にした。



 金森家から出ると辺りは既に暗く、閑静な住宅街は殊更静まり返った印象を受けた。
 夏樹は少しだけ肩を震わせた。日が落ちると随分冷え込む。そう言えばもう九月も終わりだ。これから少しずつ寒さは厳しさを増すだろう。それを億劫に思いながらも、しかし今は震えるほどに冷たいと感じる風がどこか心地よかった。
 
「さて、まずは情報収集か」

 歩きながら携帯電話を取り出し電話帳検索、目当ての名前を見つけ発信。コールの三回目の途中で繋がり、電話の向こうがらしゃがれた声が聞こえてきた。 

『おう、どうした。夏』
「あ、岩本さん?すんません、ちっと頼みたいことがあるんですけど……」

 岩本は夏樹の父親の友人であり、その職業は現役の刑事だった。
 夏樹にとっては子供の頃からよく家を訪ねてくる優しいおじさんである。除霊師としての活動も知っており、彼自身には霊感の類はないが、夏樹を信じ手助けもしてくれる一番の理解者でもあった。
 電話の向こうの岩本に手早く頼みごとを説明すると、彼は二つ返事で了解してくれた。そして軽く雑談を交わして電話を切る。一連の動作が終われば疲れたような溜息が零れた。岩本との会話のせいではない。今回の件を受けたのはやはり失敗だったかもしれないと今更ながら思ってしまったからだ。

「でもまぁ、卓也とも約束しちまったしなぁ」
 
 もう止めることが出来ないのは分かっている。
 それでも気が進まないことには変わりなかった。
 どこかすっきりとしない気分のまま夏樹は帰り道を歩いていた。足取りは重い。気分が滅入っているのだと自分でも理解できた。

「どうせ後味悪い結果になるんだろうし。ほんと、報われないなぁ」

 誰もいない暗い夜道。
 我が物顔で空に鎮座する月を睨みながら夏樹は小さく呟いた。


 砂糖水の夕暮れは少しの時間しか味わえない。
 その後にやってくるのは塩水のような夜だ。





[25141] 第一話『幽霊の住む家』・2
Name: モトオ◆e71ef7c8 ID:d88471de
Date: 2010/12/29 16:13

 翌日、岩本から呼び出され夏樹は家の近所にある喫茶店に足を運んだ。
 そこはカウンターとテーブルが三つだけの小さな店で、店内に足を踏み入ればすぐに端のテーブルで煙草をふかしている肩幅の広いしかめ面の男の姿が確認できた。

「おう、夏」

 相手も気付いたらしく、かったるそうに手を上げて挨拶をしてくる。カウンターの奥にいるひげ面の店長に紅茶を頼み、夏樹はそのまま男に向かい合う形で腰を下した。

「ども、遅くなりました」
「いや、かまわねぇ。学校帰りか?」
「ええ」
「そういや今年は高校受験か。調子はどうだい」
「進学校を目指してる訳でもないですから問題ないですよ」
「ああ、戻川高校だっけか。学力の割には学校の設備が割と良いとか息子がいってたが」
「や、実は俺もそれが目当てで受験しました」

 受験のことや岩本の息子を話題にして雑談を交わしていると、店長が紅茶を運んできた。この店には店員がいないため、接客も配膳も全て店長がまかなっているのだ。
 一旦話が途切れる。そこで岩本は思い出したように鞄を漁り始めた。

「と、あんまりこっちは時間がないんだった。そろそろ本題に入るぜ。ほれ、これが資料だ」

 鞄から取り出されたクリアファイル。その中から、コピー用紙が二、三枚テーブルの上に投げ出された。

「今回の件は仕方ないが、あんま俺を便利に使ってくれんなよ?情報を外に漏らすって意外とやばいんだ。もしかしたらクビもあるんだからな」

 岩本は県警に勤める刑事だった。当然ながら事件の情報を部外者に漏らすなど御法度である。岩本自身、殺人事件が起こった時には夏樹の手を借りることもあるので強くは言わないが、彼の言う通り懲戒免職も冗談ではなかった。

「分かってますって。以後自重します」
「それならよし。まあこの件に関しては俺にも責任があるからな。今回は好きに使え」

 大口を開けて笑う岩本に感謝を述べ、夏樹は用紙に目を向ける。
 これは金森家を離れてから岩本に連絡して用意してもらった資料だ。
 卓也の前では触れなかったが、二十年以上前、彼の住む家では殺人事件が起こっていることを夏樹も知っていた。だが詳しくは内容を理解しているとは言い難かったため、こうやって岩本に資料を用意してもらったのだ。
 心を落ち着ける意味で紅茶を一口啜り、夏樹は資料に没頭し始めた。用紙にはびっちりと文字が書かれている。それをどこか冷めた目で追っていく。

 二十四年前。
 金森卓也の住む家で起こった殺人事件。
 犯人は当時二十八歳のOL。
 日曜に家へ通し入り住人を殺害。
 動機は住人である四十代男性に対する憎しみ。
 犯人と男性の間にあった不倫関係。
 天秤に掛け妻を取った男。
 憎しみに転じた愛情。
 犯人は既に死亡。事件の起こった家で胸を一突きにして犯人は死んだ。
 この事件の生存者は男性の子供一人だけ。

 つらつらと資料に視線を這わせ、全てを読み終えると夏樹は溜息を吐いた。
 それは記されていた事件の血生臭さのせいではなく、今回の幽霊騒動があまりにも自分の予想通り過ぎたからだった。

「女の情念ってのはいつの時代も怖ぇな。仮にも愛した男を殺しちまうなんてよ。しかもそいつの家族まで殺すんだから相当だ」

 読み終わるタイミングを見計らい、煙草をふかしながらぼやいた。
 灰皿には数本の吸い殻が残っている。相変わらず彼は愛煙家らしい。
 幾度か健康のために抑えたらどうかと言ったことはあるが岩本は笑って誤魔化してばかりだった。

「まぁ愛しも憎しも執着って見方なら似たようなもんでしょうし。怖いっての俺も思いますけど」

 多くの幽霊を見てきた夏樹にとって、愛情も憎悪も個に対する執着という観点から見ればさほど変わらない。
 愛情が憎しみに転じるというのは彼にとっては別段不思議な話ではなく、むしろ納得のいく心の動きだった。
 
「……中学生の意見じゃねぇな」

 呆れたように声を零した岩本は煙草を灰皿に押し付けた。

「ま、いつも通りか。どうだ。除霊の方はうまくいきそうか?」
「ええ、今回は説得で済みそうですから」
「それならいい。お前になんかあったら寝覚めが悪いからな。楽そうでよかったじゃねえか」

 確かに難易度で言えば今回は簡単と言ってもいいかもしれないしかし夏樹は「楽そう」という発言にほんの少しだけ表情を歪めた。

「気持ち的にはあんまり楽じゃないですけど。正直、気分は乗りませんね」

 カップに残った紅茶を飲み干す。
 温くなってしまったせいか若干の渋さが舌に残った。

 *

 まだ仕事があるという岩本を見送り夏樹は二杯目の紅茶を注文した。
 心地よい香り。今度は冷めないうちにとカップに口をつける。熱さが喉を通ってじんわり体に広がれば、陰鬱な気分を振り払う程ではないが、それでもその暖かさが幾分か気分を和らげてくれた。
 一人で喫茶店に残ったのは確たる理由があってのことではない。すぐに立ち上がるだけの活力が残っていなかっただけの話だ。
 何気なくもう一度資料に目を通す。
 そこにあるのは惨たらしい事件の顛末。
 しかしそれを見ても夏樹は血生臭いとは感じなかった。
 恐ろしいとも残酷だとも思わない。
 湧き上がる程の感情は何もない。
 夏樹が感じたのは一つだけ。
 
 本当に、報われない。

 想い浮かんだ言葉はそれだけだった。

 *

「なぁ、おにぎり食いながらりんごジュースはおかしくないか?というか見てて気持ち悪いんだが」

 それから更に一日経って、約束した除霊の日。
 夏樹は卓也の部屋で一人夕食をとっていた。夜に備えコンビニで買ってきた食料で腹ごしらえをしていたのだが、気付けば卓也が半目になってその食事風景を眺めている。

「そうか?俺は気にしないけど」

 夏樹は変わらず口をもごもごと動かしている。おにぎりを口に頬張ってはジュースで流し込む。その様は確かに見ていて奇妙なものではあった。

「俺は気にする。おにぎりには緑茶一択だろ。あれか、今の若い奴は平気とかそういう話か。時代の流れって怖いな。ていうか気持ち悪いな」
「気持ち悪いは言い過ぎだろ……俺は好きだからいいんだよ。後どんなに見てもやらないからな」
「いらない。ってかもしかして甘党?おにぎり以外全部菓子パンだけど」
「甘党って程じゃないけど、嫌いじゃないな」
「さてはお前コーヒー飲めないだろ?」
「飲めるって。コーヒーと牛乳を1:9で割って砂糖二、三杯入れれば」
「それはもうコーヒーじゃねぇ」

 益体のない会話がとりとめなく続く。そうして、そろそろ一日が終わろうという時間になった。

「そういや、除霊の準備って結局なんだったんだ?」

 その瞬間近付いてきたせいか、卓也は今までの会話の流れを断ち切ってそんな話題を持ち出した。
 今回の除霊に関して肯定的ではない夏樹は一瞬だけ顔を顰めたが、肺の息を吐き出して、うっすらと埃を被った床の上に懐から取り出した小道具を並べた。液体の入った小瓶が数本。薬包が二、三個。後は簡素な装飾がほどこされたナイフである。

「なあそれ何?」
「馬鹿、触んな!俺の商売道具だぞ!」

 小瓶に無造作に手を伸ばした卓也を語気も荒く制し、並べたそれらをもう一度手早くしまう。その態度に卓也少しむくれた様子だった。

「で、中身何なんだよ」
「酒だよ、お神酒。これさえあれば多少でも霊感がある人間なら簡単な邪気払いができる。刃物に濡れば幽霊を傷付けることだってできるしな。あとこっちは清めの塩」
「へー、そういうのって本当に使えるのか。塩とか酒とかって定番だけど、昔っから信じられてものってやっぱりちゃんと効果があるからなんだな」

 感心したように声を漏らす。しかし夏樹はそれに軽く首を振った。

「それちょっと順番が違う。こういうのは『効果があるから』信じられてるんじゃなくて『信じられてるから』効果があるんだよ」
「ん?それってなんか違うのか?」
「あーっと、説明しづらいんだけど。幽霊ってのは未練とか執着とか、そういった本人の強い想いでこの世に留まるってのは前話したよな?」
「そういやそんなこと言ってたような気がする」
 
 幽霊が現世に留まる原因は様々だが、必ずと言っていいほど現世に留まらなければならないだけ理由を持っている。
 そしてその理由の大半は死ぬ瞬間に抱いた強い『想い』である。
 今際に抱いた感情が「誰かを殺したい」ならば死んだ者は人を殺す幽霊に。
「誰かが心配だ」と思えばその誰かを見守るために幽霊となって現世に留まることになる。 
 感情の方向性に関係なく、強い想いこそが彼らを幽霊足らしめるのだ。

「幽霊にとって想いってのは存在理由だし、なにより死んでからも形を保つためのエネルギーなんだ。幽霊ってのは想いの塊だって言ってもいい」
「えーと、それで?」
「だから、これにはこういう効果がある、って強い信仰があるもの……つまり強い想いが籠ったものは例外なく幽霊に効く。留まろうって想いと払おうって想いがぶつかり合う形になるからな。実際に効果があるかじゃなくて、何十年何百年信じてこられたってことが重要なんだ。お経やら呪文なんかも同じでね」
「つまり幽霊は人一人分の想いで出来てるけど、酒だの塩だのの効果は何万何十万の人間の、霊を払うっていう信仰で出来てるから、数の差で勝つってことか?」
「ま、大体そんな感じ。とはいっても幽霊にも個体差はあるから過信はできないけど。生まれて二、三十年の若い幽霊ならなんとかなるだろ」

 その言葉にもう一度卓也が待ったをかける。

「またよく分からん単語が出てきたんだが。若い幽霊ってなんだ、歳とるの?」
「若い幽霊っていうのは、そうだな、幽霊ってなんで人間の形してると思う?」
「なんでって、人間の幽霊だからだろ?人の形をしてるに決まってる」
「そ、正解。幽霊は自分が『人間が死んだ存在』だって知ってるから人間の形をしてるんだ。で、死んだばかりの幽霊は人間だったころと同じように考えたりできるんだけど、体がないから時間が経てば経つほど自分が人間だった頃を忘れていく。そうすると幽霊は死んだ際の想いが強いから、次第に頭ん中がそれで一杯になってくんだ。誰かを殺したいって思ってるならそれしか考えられなくなって、自然に思考力が失われていく。そうやって自分が人間だったって事を忘れれば当然……」
「あ、元の形を忘れてく?」

 言葉の途中で答えに至ったらしく、卓也は言葉を遮るような形で言った。
 それを肯定するように夏樹が黙って頷く。

「そっか、幽霊が『人間が死んだ存在』だって知ってるから人間の形をしてるのなら、自分が人間だってことを忘れたら当然人間の形じゃなくなってくるってことか」
「そういうこと。それが年を取った幽霊。一度だけ三百歳の幽霊に会ったことがあるけど、もう幽霊っていうかただの化け物だったぞ。部屋を埋め尽くすぐらいの大きさの」
「うへぇ、見たくねー」
「ま、そういうのはごく稀だけどな。そうやって思考や形を失うのは何百年単位の時間を過ごした幽霊だけだよ。大抵の奴はそうなる前に消えちまう。想いって、どんなに強くてもいつか薄れるもんだからさ」
「じゃあ幽霊にも寿命があるのか」
「まあね。想いがあればどんだけでも存在できる反面それがなくなればなくなれば簡単に消えちまう。消えなくても、現世に残っている以上ずっと死んだ時に抱いた想いに縛られ続ける。ほんと、報われないよなぁ」

 幽霊は幽霊である以上、未練や執着と言った自身の想いに縛られ続ける。
 だから逆に言えば、どんな形であれ彼らの根幹を成す『想い』の原因を取り除いてやれば多くの幽霊は存在することができない。つまり大層な能力がなくても除霊自体は可能なのだ。
 多少霊感があるレベルの夏樹が除霊師として活動できるのは、この幽霊の未練を解消することで成仏させる手腕に優れているからである。

「はぁー、幽霊っても何でもありって訳じゃないんだな」
「今言ったのはあくまで基本で、例外も結構多いけどな。生まれてから千年以上経つけど本人の意思が強すぎて人間の形を保ってるのとか、逆にそんなに時間は経ってなくても『想い』が強すぎるせいで簡単に思考を失くして形を忘れちまうヤツもいる。ま、今回はそんな例外ないだろうから大丈夫だと思うけど。そもそも酒も塩も今回は護身程度で持ってきただけだからな。説得だけで成仏してくれそうだ」
「え?夏樹、もしかして幽霊の正体知ってるのか?」

 その言葉に、夏樹は一瞬動揺して言葉を詰まらせた。
 
「……当たり前だろ。俺は大した能力なんてないんだから下調べをしてどうにか成ると思ったヤツしか相手しない。死にたくないからな」

 声は硬質だった。感情が感じられないと言ってもいい。先程までとは打って変わった態度。夏樹の纏う空気が岩のように固まった。

「俺、なんかまずいこと聞いたか?」
「……いや、悪いな。ちょっと緊張してるみたいだ」

 誤魔化すように夏樹は笑ったつもりだった。しかしその表情はただ強張っただけである。
 だから卓也は、謝る代わりに夏樹の様子に気づかないフリをして、せめて自分はと快活に笑った。

「そうか、緊張してる時は手のひらに妹と書いて飲むといいぞ」
「……おかしいだろそれ。なんで妹?お前にはそれしかないのか」
「勿論、それしかない」

 夏樹の乾いた笑いだけが部屋に響く。
 救い様がない卓也に救われた自分が妙におかしく思えたのだ。

「いや、正直な話。お前も幸子に会えば分かると思う。確かに身贔屓は入ってるけど、実際すごくいい娘なんだぞ.?自慢のかわいい妹だ」
「そう言われてもなぁ……」

 その言葉を素直に受け止められないのには理由があった。
 実は夏樹は卓也と会う三日程前に幸子と顔を合わせる機会を持っていたのだ。
 その時に幸子自身から兄の存在を触り程度ではあるが教えられてもいた。当然ながらこんなシスコンだという情報は受け取ってはいないが。
 それはともかくとして、夏樹自身の幸子に対する人物評は可愛いとは程遠い現実主義の女性というものだった。正直に言って彼女が「かわいい妹」というのは身贔屓が過ぎると彼は思っている。そんな事を口にすればどこぞのシスコンが悪鬼の如く猛り狂うのは目に見えているので口にはしないだけである。

「まあそれは置いとくしてそろそろ時間かな」
「おいテメェ、人の妹勝手に置いとくな」

 若干凄む阿呆を軽くいなし、夏樹は腕時計を見た。しかし暗くて針がよく見えない。だから携帯を取り出して時間を確認した。
 時刻は二時に近付いていた。
 夜の長くなった現代では草木は眠れど人は眠らない時間。
 丑三つ時である。 



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