2日夕、首相官邸での鳩山由紀夫首相と記者団のやりとりは次の通り。
――かつての政権の任期中での投げ出し批判している。自身も投げ出しではないか。
「はい、本来、総理たる者、やはり任期を全うするべきだと、そのことによって、国益が守られると、そのように信じておりましたし、今でもそれはそうだと思います。日米、日中、日韓のことを考えればですね、あまり途中で投げ出すのはよろしくない、そう思っておりました。ただ、国民の皆さんがこの鳩山政権に対して聞く耳を持たないと、聞く耳を持たなくなったと、そのようにいわれました。その言葉をかみしめながら、やはり本来、政治主導というのは国民主導、すなわち国民と一体となって歩むのが新政権でなければならないのに、その新政権が国民の声と遠くなるとか、国民のみなさんが聞く耳を持たなくなってしまったとすれば、これは立ちゆかなくなると。そのような判断の中で、自分が身を引くことが結果として国益につながると、そう判断をいたしました。そんな遠い話ではありませんが、10日から1週間くらい前から、自問自答しておりました」
――首相はかつて首相交代なら衆院解散を求めていた。信を問う選択はなかったか。
「私には、その選択肢はありませんでした。すなわち、国民に信を問わずとも、国民の皆さんが聞く耳を持ってくださるようになれると、そのように信じたからでありまして、それは先ほど申しあげた通りの理由です」
【議員の進退】
――去年7月、首相を終えた後は、政界に残ってはいけないと発言した。議員辞職する考えは。
「私は国会議員としてのバッジを与えて頂いた、有権者が選挙で選んで頂いた。それを途中で投げ出すべきではないと。しかし総理たる者、その影響力をその後、行使しては、行使しすぎてはいけない、そのように思っています。従って私は、次の総選挙に出馬はいたしません」
――すぐに辞職するわけではないと。
「次の総選挙には、出馬をいたしません」
――菅副首相から代表選出馬の意向が示された。菅氏を支持するか。
「影響力をあまり行使してはいけないと、今申し上げた通りでありまして、私から誰かを指名するとかいう意図はありません。菅副総理には、当然今まで一番近くで、行動をしてくださっておった方でありますから、まず、がんばってくださいということは申し上げました」
【同時辞職】
――首相から幹事長に一緒に辞めようと言ったそうだが、それは月曜の会談の際に段階で言ったのか。小沢氏の反応は。
「月曜、火曜とお会いしました。月曜の時には私の方から身を引きたいと、辞したいと申し上げました。その翌日、3人でお会いした時に、私も辞めますが、先ほど両院総会で申しあげましたように、一番求められているのは、政治とカネにおけるクリーンさだと、やはりクリーンな民主党に戻さなきゃいかんと、そのために幹事長にも身を引いて頂きたいということは申し上げた。『分かった』ということでありました。そして改めて、小林千代美さんにも引いてもらいたいということを私から申し上げた。幹事長が、『それは私がやろう』と申されました」
【「親指」の意味】
――昨日3人でお話しになった後に、我々の「続投か」の問いに、首相は親指をあげた。その意味は。
「自分が心に決めていても、それを表したときに、どのようになるか、それはおわかりでしょう。ですからそれは、自分の心というものを、外には一切出さないように努めました」
【首相の言葉】
――聞く耳を持たなくなったというが、なぜか。言葉をどう大切にしてきたか。
「私は自分なりに大切にしてきたつもりです。ただやはり、聞く耳を持たなくなったのは、一番は政治とカネ。そして2番目はやはり、普天間における、県外といったじゃないかと、連日のようにそのことが喧伝(けんでん)をされて、県外に最終的に十分にならなかったと、これは約束が違うではないかと、いうことです。その二つを私は例示いたしましたが、基本的にはこういったことが、国民の皆さんが私に対して、あるいは政権に対して、聞く耳を持たなくなった原因だと思ってます」
――クリーンに戻したいというが、小沢さんが隠然たる影響力を持つなら国民はクリーンと認識しない。小沢さんも、次の総選挙に出馬するべきではないと思うか。
「次期衆院選に出馬するかされないかというのは政治家本人がお決めになることであって、私が申し上げるべきことではありません。そして隠然たる勢力というものを皆さん方おっしゃいますが、大事なことは国民の皆さんにこの政党は変わったなと、クリーンになったなと、そのような印象を少なくとも与えることが大事であって、それはやはり、今回の新しい代表の選出の仕方とかですね、あるいはさらに新代表がどのような人選をされるかとか、そういったところにかかっているんじゃないでしょうか」
【理想主義】
――首相は物事の進め方として、根回しが十分でなくても、理想を掲げてやってこられた。理想主義を掲げて努力したことについて反省は。
「私は理想というものはやはり、追い求めるべきものだと、そのように思っています。やり方の稚拙さというものがあったことは認めたいと。普天間が失敗に終わったみたいに思われているかもしれませんが、私は必ずこれは、次代における選択として、次代において、選択として間違ってなかったねと言ってくださる時がくると、そのように思っています」
【やり残したこと】
――8カ月あまりでやり残した、これだけはやりたかったのにできなかったことは。今日のあいさつはすばらしかったが……
「ありがとう」
――…ああいうメッセージを前に出そうという考えはなかったか。
「やり残したことといえばやはり日ロ関係でありまして、この領土問題に対して今年3回、メドベージェフ大統領と真剣に議論できるなと、非常にこれは楽しみにしてました。必ずそこで進展があると、そのように自分なりに心に誓うものがあったもんですから、それができなくなったことは誠に残念と、そのように思っています。それから、このようなことがもっと早くできなかったかと言われても、なかなか、こういう環境じゃないとできなかった演説かもしれませんし、自分の心境という中で、ある意味で、総理という職の緊張感の中で、十分に自分自身を出し切れなかったところがあったかもしれません」
(秘書官「はい、ありがとうござました」)
――会見はおやりにならないんでしょうか。最後まで質問を制限されるんですか。
中東ニュースがわかりにくいのは、何事にも過去の経緯があるからです。最新ニュースをを理解するために知る必要がある用語や基礎知識を、中東駐在の川上編集委員が分かりやすく解説します。