“九州の首都”福岡市には、二つの都心がある。天神と博多。「その二眼レフ構造が福岡の特徴」と語る。
戦後、天神には百貨店や商店街が集中した。一方の博多には来春の九州新幹線の全線開業に合わせ、延べ床面積20万平方メートルのJR博多駅ビル(JR博多シティ)がオープンし、阪急百貨店や東急ハンズが九州では初お目見えする。
両地区の競り合いに世間の耳目は集まるが「天神か博多かという一極集中では、なく、天神は天神らしく、博多は博多らしく。双方が持ち味を生かしてこそ福岡市の可能性が広がる」と確信する。
「地域の地域による地域のためのマネジメント組織を」。06年に「We Love 天神協議会」、09年に「博多まちづくり推進協議会」の設立をけん引した。今では両団体とも多数の地元住民や企業が名を連ねる。
幼少期を過ごしたのは東京都渋谷区だった。自宅近くには国立代々木競技場があった。1964年の東京五輪に合わせ、世界的建築家の故丹下健三氏が設計した名建築は「僕たち子どもの遊び場だった」と振り返る。
東大に進み、工学部で丹下氏が開講した都市設計研究室(現・都市デザイン研究室)へ進んだのも何かの縁か。半世紀先に生まれた丹下氏は「一人の建築家がピッと線を引いて建物や道路を造る時代」を生きた。だが、今は「新しい物を造るより既存の道路や建物を生かし、天神や博多の協議会のように住民が自主的に街を運営する時代」と思っている。
持論は「都市の魅力はストリートにある」。九大に赴任して間もない90年代半ば、中国・上海市の再開発計画に参加した。任されたのは市中心部の一角。6~7階の低層住宅案を出すと、市側は「もっと高くして」と再考を求めた。完成したのは20階以上のマンションだった。
「アジアの街が超高層化してしまうのでは」。当時、そう懸念した通り、今やアジア各国には超高層ビルが林立する。似たようなビル群を見るにつけ「大型ビルではなく、レストランや屋台を巡り、ウインドーショッピングしたりと、歩き回りたくなる魅力的なストリートこそ、街を個性的でおもしろくする」という思いは強まる。
まちづくりは「百年の計」と言う。ならば「100年後の福岡市は?」と尋ねてみた。
「天神には小さな店が並ぶ楽しい通りが続き、博多駅前から伸びる大通りは、東京の表参道や大阪の御堂筋みたいに、福岡を代表する道に育って……。福岡は海が近いから、街が海へと広がっていくような景観がいいね」。未来予想図が見えているかのように、生き生きした口調だった。【夫彰子】
でぐち・あつし 1961年生まれ、工学博士。東大工学部助手を経て93年から九大工学部に。87年に国際設計競技最優秀賞を受賞。アジア各国の都市デザインを研究し「欧州は石の文化で街を凍結的に保存する。アジアは木の文化。街並みを保存しつつも中身を造り替える」と語る。著書に「アジアの都市共生」など。
=おわり
2010年12月15日