プロレタリア作家、葉山嘉樹に「セメント樽(だる)の中の手紙」という掌編がある。
ダム建設現場でセメント樽をあけてミキサーに放り込む作業をしていた男が、樽の中に小さな木箱を見つける。箱の中にはセメント工場で働く女子工員のこんな手紙が入っていた。同僚である恋人が原料の石灰岩を投入中、破砕器に転落し、骨も、肉も、魂も、一切が石と共に粉々に砕かれ、焼かれてセメントになった。このセメントがいつ、どこで、何に使われたか知りたい--。
やりきれない物語だが、それを思い起こさせる実話を最近、若い友人に聞かされた。
彼が中部地方の自動車工場の期間工だった5年ほど前、製造ラインに不具合が生じた。ラインを止め、プレス機の中に1人の工員が入って復旧作業中、別の工員が知らずに運転再開のスイッチを入れ、人間ごとプレスされてしまった。スイッチを入れた工員も、ほどなく首をつって死んだという。
「最先端の工場で、そんな単純ミスで人が死ぬこと自体信じられなかったけど、会社は事故後、当事者が自殺するかもしれないと考えて予防策をとるべきですよ。なのにみすみす死なせて犠牲者を2人にした。結局、使い捨てなんです」
古里の鹿児島に帰って小さな出版社で働く友人は、やるせなさそうに言った。
葉山は働いていたセメント会社で大正10年に起きた労災事故に触発され、先の小説を書いた。死んだのは6人の子を持つ男で、葉山は遺族への補償増額を会社に直訴した。しかし全く相手にされなかったため、労働組合作りに走って首になっている。
それから89年。今年もまた、多くの非正規雇用の人々や就職できない若者たちが不安の中で寒々とした年の瀬を迎えている。気の遠くなるほどの歳月の間、私たちは一体何をしていたのだろう。
毎日新聞 2010年12月28日 0時28分
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