最近は、他人のblogを閉鎖に追い込んだことを自慢される方々もおられるようですが、私は、そういうことって自慢するようなものではなく、むしろ恥ずかしいことなのではないかと思います。特に、理路整然とした、品位を保った議論によって相手に自らの非を気付かせるのではなく、品位を欠くコメントを執拗に投入したり、匿名掲示板などで個人情報を晒すなどの相手のいやがる行為を行うことにより、自分とは異なる意見を表明する者に、そのblogを継続する意欲を奪う、あるいはblogを継続することに恐怖を感じさせる人々というのは、思想の左右を問わず、「民主主義の敵」と言っても差し支えないように思います。
また、匿名掲示板でも匿名blogでも、自分とは意見が異なる第三者を「反日」だ「工作員」だとレッテル張りをして攻撃するのがはやっているようですが(まあ、某与党幹部のような「いい年をした大人」でもやらかすのだから「お子様」がまねするのは仕方がないという言い様はあり得るのかもしれませんが。)、そこまでいくと、
サンスティーンが言うところの"a group of people who tend to think something"にはもはや留まっておらず、a group of people who "don't appreciate but instead demonize those who disagree with them"という領域にまで行き着いているのではないかという気がします。
仮名で情報発信している人がその仮名とリンクする形で実名を公表されることをいやがることは同じく仮名又は匿名で情報発信を行っている方々には重々おわかりだと思うのですが、demonize済みの相手に対しては、そういう配慮を一切できなくなるということなのでしょうか。いずれにせよ、人間としての器の小ささを感じます。
私は今まで冷静にやってきたのに、小倉さん自身の発言がおかしい。自己中毒で暴走してますな。自分が理路整然としてるようでいて、全く他人の意見に耳を傾けようとしない。自分の意見に酔ってるんじゃない?
他人に対しては文句を言うくせに、コメントを勝手に削除するはで、誠意を全く感じない。
あなたこそ人間の器が小さい。
だいたい、レッテル貼りは、朝日新聞の得意技やで。今まで、どれだけの人が、朝日新聞のレッテル貼りで人生を台無しにされてきたか。
おそらくこのTopicは最近起こった某新聞社地方支社所属記者氏のblog閉鎖を意識しておられると思いますが、この事例の場合、経過を見ると明らかに「売り言葉に買い言葉」です。
また、先生は「ある意見を持つ集団が、その集団の圧力でもって反対意見者を潰した」と解釈しておられるようですが、むしろその売り言葉買い言葉に不特定多数が反応してしまった、という方が正しく見えます。
不特定多数なので、真面目に相手を説得しようとする人もいれば、厭味だけを言っていく人もいます。「対象に反対の立場である」という以外は実はまったく統一性がないのです。
実はお恥ずかしながら、私自身「祭り」の参加者側になったこともあれば、逆に「祭り」の対象になりかけたことも、両方あります。「祭り」の対象になりかけた時は、ひとつ間違えて不特定多数を敵に回す発言をすれば、間違いなく「なりかけ」から対象に「なって」しまったでしょう。その両方の経験から得た結論が、以上のことです。
しかしその点がわかっていないと傍からは「ひとつの塊」としか見えず、そうとしか見えないから「なにかひとつの意思で行動している」と誤解しがちです。先の記者氏の場合もそれで「相手が自分に敵意を持った統一意思の一つの集団」として対応を誤ったのだろうし、先生の分析も同様の視点で過ちをおかしているように見えます。
benliでの記事を読んでこちらも読むようになったのですが、これでは・・・。
その落ち度がどのようなものであるのかは、まだ整理出来ていないのですが、印象として感じるのは次のような点です。
・自分が論理的でないにもかかわらず、コメントにある議論を一方的に間違ったものだと非難する。あるいはろくに議論に応じない。
・相手の知識に対して謙虚さを欠く。
・ネットの世界では尊敬されていない社会的地位を持ち出して優位に立とうとする。
といったところでしょうか。確かに、嫌がらせを行うのは酷いことだと思いますし、私も嫌悪感を感じますので、小倉先生の議論には基本的には同意します。しかし先生の議論も、管理者の質的な差異を考慮に入れないという点でやや荒っぽいのではないでしょうか。(繰り返しになりますが、ここで「質的」といったのは、主張の左右という問題ではなく、主張の論理性や対応の誠実さといったことです。)
小倉先生がコメントを削除したことは、消された当人にとっては不満でしょうが、さほど酷いとは思いません。小倉先生は基本的には筋道だった議論を展開するし、コメントに対しても時間の許す限りで誠実に対応していると考えるからです。しかし、ネット上にいるのはまともな人ばかりではないわけで、そのような人・サイトにまでこの議論を敷衍して述べている点には賛同出来ません。
長文失礼しました。
弁護士さんで、しかもプロフィールも公開したうえでブログを書かれていらっしゃるのですから、私みたいなHNだけで主張する人間の意見なんてそれこそ「品位を欠くコメント」なんでしょうか。
私は今回の一連の朝日の報道を見ていますと、どうにも根拠が弱いと感じてしまうのです。相手が圧力を感じたから圧力があった、などと言われましても説得力がないとは思いませんか?
先生が仰るにそれは、「裁判準備のため当然」だそうですが、裁判になるまで証拠を示せないものを巨大マスメディアが断定的に報道していいものなのでしょうか?
もしそれが許されるのだとしても、報道される側にとってそれは「証拠はないが朝日の記者を信じろ」にしか見えません。きちんとした裏づけがなく朝日のような巨大マスメディアが、いくら政治家が公人とはいえ、一人の人間を追い込む記事を載せるなんて、これは最早「報道権力の乱用」といっても過言ではないのではないでしょうか?
結局のところお互いの立ち位置が違うので、どこまで行っても議論は噛み合わんでしょう。
特に私のエントリーに対する反論については、かなり品位を欠くものまで残しているのですが(見れば分かると思うのですが。)。
コメント欄を朝日新聞社に対する正しくない印象を読者に与えるための場として開放してはいないわけですが、私は、別に朝日新聞社を特に敵だとは認定していない(別に、味方でも同志でもないですが)ですから当然ですね。
これは、ブログ潰しの被害者にも加害者にもいえることですが、自分がインターネット上でそのような行動をしていることが周囲の人に知られるとまずいと言うことは匿名であってもすべきではないということはいえそうですね。midnightpax氏はその点は問題がなかったように思いますが(それでも恐怖感を覚えるのは仕方ないですね。匿名の方々から攻撃を受けるのは怖いですから。)、最近潰された方はその点は問題があったとはいえるでしょうね。
それでも、彼の実名を暴くなどしてそのブログを閉鎖に追い込むことが間違っているという評価には変わりがないわけですが。
ネットのあちこちに個人が特定可能な情報を自らさらしていた訳で。
政治的な発言をしたい、だけど身元はばれたくないというなら、それだけの防衛策は必要ですよ。
ネットの敷居が低くなって、誰でも情報を発信できるようになったのはいいことですが、ネットの危険性を十分に理解せず気軽に個人情報の痕跡を残してしまうのが悪いとしか言いようがないですね。
ブログ潰しの加害者とは誰を指すのでしょうか。今回のエントリーに関してはこの点がなんともあいまいで、それ故共感できないものになっていると思います。
あるブログが閉鎖された(潰れた)事実を受けて、結果的にそのブログにコメントを寄せた人間全員を加害者と規定するわけですか?
批判的なコメントがどんなに集中したところで、コメントを寄せる個々の人間は自分の書き込みにしか責任を持てません。
そして各コメントの道義的評価は、ブログが閉鎖されたかどうかとは全く関係がないはすですよね。対象ブログが潰れなくても、悪質なコメントは悪質です。潰れたブログにもまともなコメントはいくらでもあります。
小倉さんの説だと、あたかも共通の意図を持ってチームワークよろしくブログ潰しを遂行する軍団でも存在しているかの様ですが、それは現実とはかなりギャップがある様な気がします。
>てチームワークよろしくブログ潰しを遂行する
>軍団でも存在しているかの様ですが、それは
>現実とはかなりギャップがある様な気がします。
そんなこと、小倉さんは言ってないのでは。
「結果として巻き起こされる『多数意見』が相手を押しつぶすことになる構図を理解していて、それでもなお相手を匿名の影から押しつぶす」という行為に対して批判的な見解を表明しているわけでしょう。
それに関しては、私も同意だな。
「どっちもどっち(鈴木さん)」とか「うかつに個人情報をさらす方が悪い(アルクさん)」ような意見が見られますが、相手のうかつさを非難することは、自分の行為の品位の無さを擁護する理由にはならないんです。相手が下品な言動をしている時こそ、自分は襟を正してスマートな姿勢に努めなきゃいけないと思う。
「数」というのは、それだけで明らかに暴力になる物でそれを理解せずに書き込みをするのは想像力が無いことだし、わかってて「俺1人くらいならいいや」と思うのは無責任だ。
「祭」の構図は、自分の責任を「one of them」の中に埋没させながら、言いたい事は言って「多数派」の力は行使してしまっている、ちょーカッコ悪いと思う。
私は、「祭り」が起こっている、もしくは起こりかけているのを見たら、そこには基本的にコメントをすべきではないのだと思う。祭りの発生を予感しながら気軽にコメントをした人は、すでにその時点で「多数派の暴力」に荷担していると、そう思うのだ。
小倉さんが1/15のブログでリンクしてるてるてるさんのサイトに細かい流れが記載されていますので必要な方はご確認を
midnightpax氏は別に氏名が暴かれたりしたことを閉鎖の理由にはしていません
それはさておき閉鎖という終結を迎えてしまうときその原因過程はいろいろあるわけで、中には「理路整然とした、品位を保った議論」なんてのが通用しない人がいるんですよ。(例えばmidnightpax氏はそうでした)
閉鎖に追い込んだなんて自慢するのは自慢にもならないことですが、またその一方で自爆して萎縮して閉鎖してしまう人の問題の方にもきちんと目を向けないといけないと思いますよ
探偵はオマンマ食い上げだ。
身元を特定されるのが気分悪いのは確かですけど、これを加害行為と言い切ってしまう人がいるということは、ネットの危険性を理解してない人がまだまだ多いと言うことですな。
僕はネット上で政治的発言をかなり行ってますが、このことは友人や家族には言ってません。
そこまでしろとは言いませんが、あちこちに個人情報の痕跡を残しておくのが無防備すぎます。
ととりんさんにしても、小倉さんにしても、結局どうすべきと言ってるのか良くわかりません。
one of themの中に埋没させながら言いたい事を言ってるのは、今のあなたも同じだし、私も同じ。この後の成り行き次第でこのコメント欄が祭になるかもしれない。
個々の意図と別の次元で結果がもたらされるわけで、「加害者」の定義も私にはやっぱりわかりません。
2chのやり方をそのままblogのコメント欄に持ち込んでしまってる。
管理者に反対する意見を持つ匿名者の非常に短い(議論とも言い難い)コメントであっても、数多くなされる事で圧倒的な力を持ってしまう。
特に、コメント欄で議論を続けるような事は愚かな事になると思います。
それとはちょっと関連しますが、基本的にこのblogは小倉さんの物なのだから管理者として適切な介入をする事は当然だし、反論する価値が無いと判断された物に関しては間引いた方が良いと思います。
引き受けたくせに逆切れしちゃいかんと思うのは、当然のような気がするのだが・・・
でも、逆切れするのが、人間なんだよねって思う今日この頃。
http://blog.goo.ne.jp/wakainkyo/e/d03d4a2d17076c0d8c9634a69744f616
ある種の思想集団の「お気に障ること」をブログで述べるということは、個人情報を開示されたり、コメントスクラムを受けることを甘受しなければしてはいけないことではないわけですし。
しかも、コメントスクラムを構成する「批判」の中には、そもそも批判の対象となる文章を正確に読むことをせずになされているものが少なからずあるわけで、そういうものまで甘受せよと言われてしまうと非常に困ってしまいます。
その上で、おそらく誤読された上での批判と思われるものにコメントするとすると、私は、コメントスクラムについて、共同不法行為が成立する場合があり得ると思っています。これは商業雑誌に載せられるレベルの話なので詳細な論理については多分どっかに掲載することになると思うのですが。
でも、祭り状態でなくても、反論が多数寄せられる可能性はあるわけですから、共同不法行為になりえる場合と、そうでない場合との客観的な区別はどこでつけるべきなんでしょうか?
そこが、非常に知りたいです、ヒントだけでも教えてください。
ま、個人情報の流出自体は、不法行為といっても仕方が内面はあると思いますので、コメントスクラムの点について、お教えください。
しかし無七志さんも人が悪い、議論から撤退された若隠居さんを再び引っ張って来ようだなんてw
で、リンク先で若隠居さんが評価されている芸能総研大橋さんの対応について、小倉さんは↓こう評されてるわけです。
>荒らされるのが怖くなって、問題の話題については、ある種の
>思想集団に譲歩する形をとるとともに、「とはいえ、これからは、
>アイドルのことなど、どうでもいい内容が多くなるでしょう。」
>として、ある種の思想集団を興奮させてしまうような話題を避ける
>ことを志向することとしたようですね。
真摯な反省に基づく誠実な対応である可能性は全く考慮されないわけですね。
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/c6334f6b4598f27b1c94c31da5773dd6
何故なら口が巧いから。
ぼくは,他人のブログをそんなに批判したいなら,自分のブログを持って十分に問題点を指摘した文章を書いてトラックバックすべきだと思います。
何か不満を持った人が,いちいちいちゃもんをつけているように見えて,いわゆる掲示板荒らしと同じように見えてしまいます。
こういう状況になっても,発言を続けられる小倉弁護士をぼくは支持してます。
がんばってください。
いや、実はもうとっくに別の場所で別の名前で新らしいブログを立ち上げていて、そっちでは今度こそ個人情報がバレたりしないように注意深く運営してたりして・・・と想像しましたもので。名前や文体を変えれば「過去のゴタゴタはなかったことにして復帰する」のもあながち不可能ではないのがネットの面白いところだなぁ、と。
あまり関係ない話でしたね。すみません。
>こういう状況になっても,発言を続けられる小倉弁護士をぼくは支持してます
支持するのは勝手なんですが、真面目(と私には見えますが)に意見する大部分の方たちを
>いわゆる掲示板荒らしと同じように見えてしまいます。
と、一方的に断罪するのはどうにも腹がたつなと。
ブログを展開する以上何か反応があるのは当然だし、もしそれを「受け付けない」ならブログじゃなく日記でも書いていればいいこと。
それから先生に言わせると、ここで先生に批判的なコメントを述べている人達(私も含めて)は、ある種の思想集団がスクラムしている、らしいのですが、これはただ単に先生の意見に賛同できない方が多いからでは?
それを「思想集団」と一括りにされるのは、私個人としては侮辱されている気がして不愉快です。先生からみれば大多数が自分を虐めているように見えるかもしれませんが、私の意見は別にそのような思想集団たちと連動してされているわけではないのですから。
このような状況になっても発言を続けられる姿勢は褒められるものですが、しかし、この状況は御自身が招いたことです。その意味でいうならば、発言を続けられることは、むしろ、当然なのではないでしょうか。
理解して欲しくないなら別ですけど。
エントリだけでなくコメントも読みましたが、合法とする意見にも説得力がありました。電話帳とニフティの事案がどこまで通用するのか、個人的には疑問を持っています。判例が確立するまでは何とも言えませんね。
どれも、私にとっては実態が見えづらく、難しい話に感じます。
ただ言えるのは、最低の場合でも、ここには管理者という存在がいる、ということです。管理者が存在するのですから、その人と意見のすり合わせができない、と感じられた場合には管理者は削除、訪問者は引き上げるべきです。
それに、そのレベルの話を持ち出さずとも、管理者のためにならないような、批判だけの文章は控えるべきだと考えます。
このまま批判だけのコメントに対応をしていくことは、先生にとっても、この blog にとっても、そしてコメントする人にとっても良い結果にはならないと思います。
また、書き込まれる方は、書き込む前に一度文章をよく読み返してみるべきです。相手の説得を考えているのならば、もっと適切な言葉があるはずです。
ここ数回、本当ならもっといろいろな話が聞けたかもしれないと思うと少し残念です。
これからもがんばってください。
>> いわゆる掲示板荒らしと同じように見えてしまいます。
> と、一方的に断罪するのはどうにも腹がたつなと。
dubdub さんにはそのような意図は持っていないと思います。
それに、まじめな意見でも、このような状況下ではただの批判に見えてしまうことがあるのだと思います。
どちらも迷惑ではずかしい。
かつて、良心的な掲示板の管理人たちが、非難や罵倒も含めて批判的な投稿にも誠実に対応していくうちに、神経をすり減らして、ついには閉鎖に追い込まれるのを何例も見ました。
掲示板を荒らす側は、いやがらせになっていることを自覚していないか、自覚してなお、いじめたくて、いやがらせをしたくて、やっているのです。
ブログつぶしも同じです。いくらブログの管理人が良心的で誠実でも、いやがらせは続きます。
掲示板あらしの例から学んだことは、管理人の独断専行が、結果的に、掲示板での会話を萎縮させることなく、継続させることができる、ということです。
管理人へのいやがらせ投稿は、その掲示板でとりあげているテーマでの会話を楽しみたい、意見や情報を交換したい、と思っている人々にとっても邪魔になる。
落ち着いて話ができなくなる。
そういう事態を避けるには、管理人が独断専行して、おのおのの掲示板と相性のいい人がその掲示板に集まる、というのがいい。
ブログも同じです。
けれども、今回の件に関しては、全面的に小倉氏を支持する。反対者の発言を守ってこその言論の自由だ。
Blog潰しを自慢するような人は最低な人というのは同意できます。
が、しかし、
>>そういう事態を避けるには、管理人が独断専行して、おのおのの掲示板と相性のいい人がその掲示板に集まる、というのがいい。
といわれているのは違和感があります。それこそ思想集団といわれているもの、そのものではないですか?
独断専行がまかり通るところにはYESマンしか残らないのではないですか?
ワンマン経営者の企業や旧ソビエト・中国あるいは北朝鮮の様に...
しかし、一般的な大多数の人間はグレーゾーンにいるという事を自覚すべきです。
小倉氏の視点には、「自分も加害者側に無意識に組する怖さ」がネットにはあるんだという自覚が欠けている様に思えてなりません。
東芝事件から始まって、JOY、まっちゃん、 ディルレヴァンガー等、多くの騒動は、悪意の荒らしというより、常識的なモラル感覚で誰もが理解できるレベルの「怒り」が極度に増幅されていくパターンの方が多い様な気がします。(もちろんそれだけではありませんが)
どうも事象を単純化して深みの無い議論になってしまっているのが残念ですね。
それから「批判だけのコメント」が管理人さんの為にならないとも限りません。少なくとも第三者が決める事ではないと思います。
何も議論がないとか、同じ意見ばかりが集まるのが相性がいい、という意味ではありません。
議論の応酬が続いているが荒れていない掲示板やブログというのはあるでしょう。そういうブログや掲示板の管理人のなかには、コメントや投稿の削除を、むしろ積極的に行っている場合があります。投稿やコメントはなんでもおいておけば自由に議論できる、というものでもないですから。
そして、自分の「怒り」が「常識的なモラル感覚で誰もが理解出来るレベル」のものか否かは、冷静になって考えてみた方がよいでしょう。
そういう意味では、特に普段は仮名や匿名を用いている人々は、オフライン上で思想を同じくせずして付き合っている親友にだけは自分のネット上での活動を打ち明け、「私は、いまこんな活動やっているんだけど、どう思う?」と尋ねてみるといいのではないでしょうか。
同じblogにコメントスクラムをかけている人から自分の「怒り」を理解してもらえたからって、それが「常識的なモラル感覚で誰もが理解出来るレベル」のものであるかどうかはわからないわけですし。
閉鎖に追い込まれるようなヘタレは最初から「チラシの裏にでも落書き」してればいいんですよ。(んなブログにコメント覧なんて最初からつけるな)
それがいやなら最後まで自分の筋を通すべきだ。
意にそわないコメントは削除しまくってでも。
まぁ、ケツまくってにげることもひとつの手だからいいんじゃないですか。またひっそりはじめることもできるんだし。
でも、「コメントスクラム」とか「ある種の思想団体」なんかは、存在しない物だと思うな。
何か理解出来ない相手に対して自分にとって解りやすい「形」をむりやり当て嵌めてるに過ぎないって感じがする。
んで炎上させちゃった記者さんが今年に入って二人程居たけど、結局その二人って、真面目な意見だろうとソース付きの反論だろうと、受け止める気が無かったのが悪かったのでは?
だから「こいつ普段どんな所でどんな記事書いてやがるんだ」って方向に怒りが向かっちゃった。不幸な事に。
寄せられる意見に迎合しろってコトじゃないよ。ただ、自分と違う考えの人も居る事くらいは容認するべきだったよね。
でも、特に二月の記者さんは、自分で煽っといて知識不足晒して勝手に自滅したようにしか見えないけど。
釣り糸垂らしたらシャチが釣れちゃって食べられちゃった状態なのに、シャチだけが悪いの?
そして小倉さんにはその言葉をそっくりそのままお返ししたいところですが、それだと何時までたっても平行線なので。
ここまで批判が続出する原因となった朝日新聞事件の擁護ですが、曰く「裁判準備のため証拠提出が出来なくて当たり前」「政治家の話を主観で圧力と捉えられたことが問題」。こんな説明で納得できるわけがないでしょう?
もう少し詳しくお聞かせ願いたいですね。
建設的でない批判、非難、中傷については管理者権限で削除方針を出した方が良いと思います。
これは関係ないですが、コメントに対するレスよりも専門家の知識を分かりやすく伝えるようなエントリー記事をより充実して貰えると嬉しいです。
そういう事言う貴方も民主主義の敵〜♪
そんな事まで許容する民主主義って
ス・テ・キ・♪
言論の自由マンセ〜
でもコメントスクラムってそういう状況が生じた後で指摘できるものですよね。
例えば今小倉さんはコメントスクラムにはまってる状況じゃないと思いますが、他の方であれば批判的なコメントの数々にスクラムにはまっているかもしれません。
またコメントスクラムの形成過程の問題ってのもありますよね。すっかり火がついた状態であれば「火遊びに参加するなんてけしからん」とは言われても仕方がないと思いますが、その火がつく過程の人たちにとっては「けしからん」と言われても「いやだってこうなるとは思ってなかったし」ということになったりするわけで。
「コメントスクラム」には意図せずそうなってしまう面はどうしてもあるわけで、そのあたりの話なしでとにかくコメントスクラムはよくないという話をしても結局は予防につながらないと思います。
ところで小倉さんはmidnightpax氏の例の問題発言はどう思ったんですかね。少し興味あります。
上のレスにもありました「まっちゃん」「JOY」事件と同類の
悪く言えば、ネット市民による私的な制裁です。
これらに共通しているのは結果の良し悪しは別として
制裁の対象に明らかな落ち度があった、ということです。
私が全ての人に言いたいのは
被害者に何らかのシンパシーを感じていると、それが認められない
それが見えなくなるという事実です。
「他人のblogを閉鎖に追い込んだことを自慢される方々」
「民主主義の敵」「器が小さい」などと書いてしまう。
「まっちゃん」事件で当初「まっちゃん」を擁護して
「楽しいんだからいいじゃん」と発言した女子中学生と一緒なんです。
この弁護士は女子中学生並だぜプゲラ!ということではなくて
こういう状況ではあらゆる階層の人々が例外なく同じような
行動をとるということです。
私だってこうやってさも他人事のようにかけますが
自分の知り合いが重大なミスを犯して、そこにつけこまれて「炎上」させられたら
うまく対処できるかわかりません。
まぁだから普段の意識だけでも、ということで。
政治家の言論介入と天皇の戦争責任が密接に結びついたこの問題ですが、個人に直接匿名反論が出来るblogという場でこうした問題に発言を行うのは非常に不利であるという現実がよく分かる状況に今なっていますよね。
ところで、この問題への戦術での安倍議員自身の、朝日による政治背景を持つ陰謀説や朝日の不買を間接アッピールするような発言などは、まさにこのような状況を煽るような間接的メッセージだったと受け取られてもしかた無いと思います。安倍議員のメディアでの発言の延長上と思えてしまう匿名攻撃が継続される事は、政治家としての安倍議員の印象に対して、実によくない状態を生み出ている可能性がありますね。例えば、このblogで小倉弁護士をやり込めても、その過程に論理性が著しく欠ける場合は、匿名発言者にはダメージは無いでしょうが、安倍議員の過去の発言内容に沿って、そちらにダメージが行くと言う結果になるでしょう。blog上で反論を行わないが判断を行っているカキコミ者の何倍もの人間がいるわけですから。 これは、実に興味深い現象だと言えます。
今後、弁護士有志の会など、組織化された主張が動きをとるわけですし、既に複数団体がはっきりと介入があったというコメントを出している以上、安倍議員は明確にそれへの反論を行うはずだと思われます。対等の議論の場がそちらに受け継がれると想像します。
ある意見に対し論理的に反論出来る自信があるのであれば、相手の個人情報を晒して追いつめる必要はないし、単に相手の人格を貶める役割しか果たさない言葉をコメントとして投入する必要もない。まして、相手を脅す可能ようなとげとげしい言葉遣いをする必要もないし、相手のblogを「炎上」させることを同じ思想集団に属する者に呼びかける必要もない。「必要もない」というよりは「すべきではない」というべきですね。これらのことが行われる場では、冷静で理路整然とした議論の応酬がなされる可能性は小さくなりますから。
ハタから見てる人からすれば、「大会社であるはずの新聞社」に属している人ってどうしてこうも“横柄”な物言いなのかねぇ、という印象がプンプン臭っていたのではなかったでしょうか。
記者なんてのは、普段から“多大なる社会的影響力を与える”発言(結果的には大虚報となってしまった『松本サリン事件報道』を思い出しましょうね…)をしてる割には、『会社』というバリアにしっかりと守られてるせいで、読者からの苦情が記事を書いた記者のところに直接行くって事は、ふだんならまず無い。ところが、ブログだとそういった反響ってのが、賛同も非難も含めてダイレクトにドーンと返ってくる。
で、そのインパクトの大きさに耐えきれず、「コメントスクラム」を受けた・あるいは「ネット右翼」から圧力を受けた、とブログ上で確信も証拠も無く逆ギレしてしまったのが、例のお2人では無かったのですかね。
しかもミッドナイトパックス氏に至っては、自らの主張のあきらかなほころびを、高校生に論破されてしまっているし、それを糊塗するかのような逆ギレ・さらには「周囲は皆敵だ・オレを誰かがハメようとしている」と乱れまくり。見苦しいったらありゃしない。
そして2ちゃんねらー達がgoogle情報を繋ぎ合わせる事で、彼らが正真正銘の新聞記者である事を探り当てたのは、そういった経過があってのことでしょうし、その議論を当てはめると「ネット上に散らばる情報をgoogle検索でつなぎ合わせて、ブロガーの素性を推察するのはイカン」って事にはなりませんか? まさか、ね…。
・Whois検索へのリンク
・ブログ主の個人情報を推測(あるいは断定)できる記事へのリンク、引用
などは合法でしょうから、ほとんど意味はないですね。
自分の主観に立っている意見だというのに、もっともらしく聞こえるところが恐ろしい。
しかしそんな貴方でさえ朝日新聞の根拠を示せていない。安倍議員が根拠を示されていない事項について、どのように反論をしろというんでしょうか?
まず、どのような根拠に基づいて記事を掲載したのか朝日は明確にすべきだと思いますがいかがでしょうか?
それとも、弁護士有志の会とやらは大元の朝日ですら示せていないあの報道の根拠を提示したうえで、「介
入があった」としているんでしょうか?
もしないのだとしたら、あやふやなものに対して反論しろといわれても困ってしまうのはお分かりでしょうか。
確かに証拠がある「かもしれない」今の状況で朝日が悪いと決定することは出来ませんが、「かもしれない」状況であのような記事を載せる異常性を考えられたほうが良いかと思います。
もし本当に伝えたいこと・言いたいことがあるのなら、他人の褌を借りるようにコメントだけで議論するのではなく、自分のブログで議論を展開するべきです。そしてその議論をつなげようとするならばトラックバックを利用すればいいと思います。そうせずに、自分の発言に対して無責任ではないでしょうか?
結局、それじゃコメントじゃなくていちゃもんなんですよね。
だからこそ、削除されても仕方ないコメントだったのではないでしょうか?
あなたは、頭がよろしいのでしょ?
あなたは、頭がよろしいのでしょ?
あなたは、頭がよろしいのでしょ?
冷静に。冷静に。
今一度、
ご自分の文章を見直した方がよろしいですよ。
間違って他のエントリに書き込んでしまったのならすいません。
Whois情報の目的外転載がいくら違法だと叫んだところで、
・Whois検索へのリンク
・ブログ主の個人情報を推定(あるいは特定)できる記事へのリンク、引用
などは合法でしょうから、あまり意味はありませんね。
http://hotwired.goo.ne.jp/blog/ogura/image/title_photo.jpg
いや、私は本気ですよ。
しがない記者さんが嘲笑を買ったのは、小倉さんのように各論や具体例に関して論ぜずに、コメントする人間すべてを「ネットウヨク(べつに侮蔑的な表現であればなんでもいいですが)」と一緒くたにしてレッテルを貼り、挙げ句何一つ有効な反論をせずにケツをまくったからでしょう。
私は右でも左でも無いですが、最近の一連の動きで何が腹がたってるって、まるでその右の脳みその足りない馬鹿どもを論破できるような文章を書いてblogにあげながら、彼らが大挙してやってくると、彼らの各論にさっぱり反論できないヘタレっぷりです。そして反論できないから、くやしまぎれに人間性を攻撃してみる。客観的に見て「品位が足りない、恥ずかしい」「民主主義の敵」と言ってみたところで、現実に議論をせずに逃げだしたblogを目にしては寝言にしか聞こえません。
>他人の褌を借りるようにコメントだけで議論するのではなく、
>自分のブログで議論を展開するべきです。
時々、こう云うトンチンカンな意見を曰う香具師がいるが、
どうして、自分の意見言うのにいかなる理由で
ブログを持つ必要があるのだろう?
日本はいつからブログ民主主義になったのか?
マジに頭がおかしいんじゃないかと思う。
だいたい、日本でブログなんて云うモノが本格運用されて
1年チョット、それなのに、ブログブログブログブログ
猫も杓子もブログブログブログブログ
ブログを持たざれば意見を言うことまかりならぬ。
と云う考えの方が、逝かれている。
どこで何を書こうとも基本的に自由である。
但し発言には当然責任を持て と云う単純なことである。
犯罪的発言にはIP辿って検挙されるだけである。
それゆえ、トンチンカンな発言をすれば非難も浴びる。
当然の道理である。
大胆な言説には、他人様から当然厳しい指摘を受ける。
こんな事は実社会でも同じである。
大胆な意見は言いたい。でも厳しい指摘は受けたくない。
こんな事は通らないし、況やだから「手加減して」では
生温くて、本当の民主主義とは到底言えない。
>>結局は配慮と品位なのでは? (さとる1号)
あのブログのどこにそういうものがあった?w
レッテル貼り、品位を欠くコメント、まったく人と論議しない上での勝利宣言など、あなたが方がもっとも蔑んでいることをしてたのは、あのブログのほうですがw
コメントに文句を書かれるのがいやならコメント受け付けなきゃいいでしょwでもそれだとブログ書く意味もなくなりますがねwチラシの裏にでも書いておけば誰も文句なんて言えませんよw
>>だからこそ、削除されても仕方ないコメントだったのではないでしょうか?
同意ですね。だからこそ、削除してしかるべきブログだったということですよw
ここのブログの人も人に文句を言う前に、胸に手を当てて、自分の書いてることを、もう少し落ち着いて一度読んでから、人の目にさらしてはどうでしょうかw
そういう行為が、ゆくゆくはご自分の首を絞める危険性を孕んでいる事は自覚されているんでしょうか。
自らの素性を明かしてblogを開設する位ですから、相応の野心もお持ちの事でしょう。
しかし、その野心が達成、もしくは達成間近になった時、
或いはさまざまなメディアに露出し、ご自分の意見を社会に広く主張する時、
このエントリーは亡霊のように付きまとう事でしょうね。
「ああ、あの小倉ね。自分のblogで気に食わないレスを削除しまくってた『あの』小倉だね。」と、
ついでにこのページのURLも添えられて…。
もしかしたら、貴方もお読みかもしれない週刊誌などで取り上げられるやも知れません。
「あの小倉センセのネットの恥ずかしい過去」
「小倉弁護士 インターネットで反対意見封殺」などとお題をつけられて…。
事実がどうであるかよりも、刺激的なタイトルで読者が飛びつけばそれで良いとするメディアも
多数存在する事はご存知の通りだと思います。
このblogの読者は、レスをつけて下さっている方々ばかりではありません。
もっと膨大な数が、貴方の言葉を観察しています。
そして、貴方が望む望まないに関係なく、今回のやり取りは適度に濃縮、還元、加工され、
非常に単純な(しかし端的とは限らない)言葉として、
Web上の貴方の名前に枕詞のように付きまとう事でしょう。
つーかね、これだけ周囲から言われてるのに、
自分の主義主張が一般常識からハズれているかも知れないって考えた事は無いのか?
もしかしたら自分は「カラスは白い」と言い、周囲はそれをたしなめているだけなのかも知れないと考えた事は無いのか?
貴方が自らのblogですら批判され、
逆に貴方が「器が小さい」と評価した某氏がネット上で大きな支持と発言力を持っているという「現実」を少しくらい見ろっての。
…という事を言いたくてレスつけてる人、居る?
あそこにパンツ見せてる女がいるぞ!となれば、どらどらオレも見てやろうと人だかりができることもあるだろうし、それで逆ギレしたあげくに家に引きこもられたって誰もそんなの知らんでしょ。ミニスカでの外出が強制されているわけではないのだから、今度はロングで出かければいいのでは。
パンツ見せていたら、やはり見る人は見るわけで、引きこもるかもしれないから見るなと強制はできないような気がします。
そりゃ幼児から見たら怖いでしょうからこれは正論ですね。
ただ、少なくとも、中学生どもはつるんでいたのでもターゲットを探し出したのでもなく、不躾な幼児がいたから反射的に絡んだものだという点は見誤るべきではないですね。
連めるほどの連中ではないですよ。だからこそ無秩序に集中するのであって、却ってこの量的集中よりも無秩序さの方が真の怖さなのですけれどもね。
攻撃、としか、味方か敵か、としか捉えられない人にとっては量こそが怖いのですが。
そのあたり、小倉氏も、自分の周囲にあるものからの連想・発想しかできていないのでは、と思える節があります。
コメント欄に大挙して押し寄せた連中は、別に結託、一致団結してBlog落としに行ったわけじゃないでしょ。
記事の内容に反論を持ってる人が沢山いて、んで沢山書き込んだってだけで。
その中で個人情報暴露やら荒らしコメントやらは、野次馬の雑音みたいなもんでしょうが。
あたかもある団体が結束してBlog潰しのために反論荒らしごっちゃにしてコメントを大量投稿したみたいな書き方に見えるのですがどうですか。
>自分の主観に立っている意見だというのに、もっともらしく聞こえるところが恐ろしい。
その場での上位のジャッジがない匿名議論というのはこういう説得力がものを言うわけです。
ただ、主観と言うことで言いますと、この場合重要なのは、私自身が朝日の記事の真偽に関っての主観を述べているのではないということでしょう。
私が述べている趣旨は以下です。
公的に安倍議員がNHK番組への介入を行ったであろうとする朝日とは直接無関係の言論、それも特に小倉議員だけが言ってるわけでもない言論があり、公的な組織から複数表明されていると言う事実。
朝日に対してこれまでどの様な対抗戦略をとってきたかとは無関係に、安倍議員はこちらの言論に対しても適切な反論対処を行わなければならないだろうという予測。それを行わないと、安倍議員はやはり的確な反論が出来ないという判断が起こるだろうから、当然政治家としての立場上、反論するであろうということ。
安倍議員がメディアを通じて大々的に表明した朝日の陰謀説の根拠が正確なものかどうか、間接的不買コメントが政治家の発言として適切だったかどうかは、安倍議員発言が分散した言論のような実体の無い朝日攻撃が拡大すればするほど、具体的に問われる可能性が強まるという予測。
私は、おおよそ、このあたりの話をしているわけです。それほど客観性が乏しい意見では無いでしょう。勿論、安倍議員が全て論破してしまえば、私もなるほどと思うだけでしょうね。
みんな、チョット聞いてくれ。
このブログの一連の記事を読んで、
ただ、一つ言えることなんですが、
>小倉秀夫の「IT法のTop Front」
>高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」
>佐々木俊尚の「ITジャーナル」
上記の3つのブログの中で
>小倉秀夫の「IT法のTop Front」
の出来が一番悪い。
知的所有権云々の話は消えて、
朝日新聞ナンタラカンタラとか、
民主主義ナンタラカンタラなど、
そんな主義主張を書く為にこのブログ続けているのか?
と問いたい。
マジに佐々木俊尚のブログの内容の充実ぶりを
少しは見習って欲しい。
そして何故「ある種の思想集団」が存在するという結論に至ったのかをご教示賜りたいです。
実際問題として、開示している個人情報が広まったからといってそれが広めた人間の責任になるかは微妙なところだし
それ以前にネットもまた現実社会の一部なんだから匿名性が有ると思うのは間違いだと思うべきです
それと、意見に対応できなくなったからといって全てを消すってのもおかしくないかい?
blogってのがWEB LOGの略なんだから書かれたコメントも含めてblogなんだし
あっ、だからコメントもろとも全てを消すのはある意味正しいか(w
コメント量が自分の処理能力を超えたら、放置して自分の考えが纏まってから書いてもいいわけだし、もともと人の意見を聞く気が無いのならコメントの書き込みを出来ないようにすればいいだけだと思われ
さすがに一線の弁護士ということで冷静に対応されているようですが、やはりこの話題を出すのはちょっと冒険が過ぎたのではないでしょうか。あの記者ブログの話、朝日新聞の話を挙げて何十という反対するコメントが殺到しないブログはないですからね。
毎回楽しみに読んでいるので、放言は流してまた書きつづけてください。コメントの削除も必要かもしれませんが、いちいち対応するのも本業の妨げになるでしょうから、これはこういうものとしてあきらめましょう。
いずれ、政治的発言に対して、コメントを「全面的に賛成」「部分的に反対」「全面的に反対」「どちらでもない」に分けて投稿できる仕組みができると見やすいかもしれませんね。色分けとか。
今回の件についてだけ言えば、
・街頭に立って大声で、何か叫んでいる人がいる。
・「○×社は悪くない。」
・色々な人が立ち止まって、何を言っているのか聴いてみる。
・あまり興味の無い人は立ち去る。
・「何か変な事を言ってるぞ」と思う人が立ち止まる。
・叫んでいる人に反論する人、諭す人が現れる。
・噂で人がさらに集まる。
・「叫ぶ人」は聞く耳を持たず煽り続ける。
・野次が飛び始める。
・「あの人、何処の人?」
・近くの電柱に、ニックネームと社名と氏名の立看板がある。
・「あれ?これってあの人じゃないの?」
・「あ!そうだね。あの人だよ」
・「あの人、○×社の△□さんだったんだって」
・「...だって。」
と言う話だと、個人的には理解しております。
個人情報の云々は別として、たまたま立ち止まった人達を含めて「思想集団」なのでしょうか?
今回、単に彼の「もの言い」が不快なだけの人も多くいました。
この点だけ、お聞きしたいと思います。
それは「論理的に反論出来る自信」がある人に限っての話でしょう。
ブログが不特定多数に対して開示されるものである以上は、「何らの思想集団にも所属しないが自分の意見に対して非論理的に反感を覚える可能性があるという点だけは共通する閲覧者の一群」が存在するという想定をしておくべきです。
このような想定は非現実的だとお考えですか?
しかし、そのブログの扱う言論が政治的な内容に及んだ場合は、そうとも言えないはずです。
ある特定の政治的意見をもつ集団(今回に関して言えば、ある特定の政治的意見に対して反感をもつ集団)は組織的であることもありえますが、非組織的であることも充分にありえます。
アドルフ・ヒトラーが完全に民主的な手段によって選出されたという事実をお考え下さい。
不特定多数の人間は、組織化されている、されていないに関わらず暴力的になりうるのであり、ブログで自らの意見を発表するということは、そのような暴力が振るわれる可能性のある場に自らを晒すということと同義です。
そして、そのような場において発言者に要求される資格は、自らの理性と信念を支える確固とした覚悟と、恐ろしい大衆の動向を敏感に読み取り、常に自らの立場を守って勝利を掴み取る政治家としての技量ではないでしょうか。
件のmidnightpax氏は、これら「言論者としての資格」に欠けていたように、私には思われます。
それに、管理人がとった行動も十分大人気ないですよ。刺激的なコメントを書いたら、刺激的な返答があるのは当然ですよ。
まあ多分読みもされないでしょうけど一応リク
>小倉さん
いえそのokuma氏やmidnightpax氏にシンパシーを感じる感じないとは別にページを見た感想ってやっぱりありますよね。で、小倉さんが彼らのページを見てどう思ったかに興味があるんですよ。
そうやって変な意味に改造された言葉がインターネットを介して世界中にばらまかれる様を見るのは決して楽しいものではありません。
多少それでブログの醍醐味であるインタラクティブな部分が損なわれようが、それはオーナーに任せるべきである。
またブログのオーナーの個人情報を特定し、それを不特定多数の目に晒したとしても、それはネットなどを介して合法的に知りえた情報で、しかも当該ブログ外の場で行われる行為である以上、別に責められる筋合いはない。
何らかの色気があって、ある局面では記名で物事を語りながら、不都合な場合は名を秘すというのは、要するに匿名掲示板で匿名であるのをいいことに暴れている連中と何ら変わりない行為であり、その使い分けをしくじって氏名や身分が晒されたとしても自業自得、脇が甘いとしか言いようがない。
コメント欄にまできちんと署名する小倉さんがなぜ匿名に対しこのエントリーのような立場をとるのか不思議でならない。
コメント欄の件も、コメント欄が荒れるのを見逃せないのなら、最初からTrackbackだけにすればいいのに。現実の対処ができない人が理想論を述べても説得力がないっすよ。
>一部の方
こちらの規約を見て、同意してからコメント投稿してるんでしょうか?
とりあえず自分は読みました。
管理者有利というのを理解した上で、ちゃんと発言できる場になってほしいと願っています。
そうですね。安倍議員はその公的な組織から複数表明されている根拠のない言論に対して適切な反論対処を行わなければならないでしょうね。いかにそれが虚しく憤る作業だったとしても議員ですから。
それから「朝日の陰謀説」ですが、これは安倍議員の口から直接話されたのでしょうか?安倍さんがTVで例の番組の検察官が工作員だったと話したことなら見ていましたが、安倍議員に対する記事が「朝日の陰謀」だと安倍議員がそうコメントしたのでしょうか。
もしそうなら、朝日の側から確固たる証拠が提出された際にはその根拠が求められるでしょうね。しかし、今の段階では朝日の根拠のない記事をみたら陰謀だと感じても無理はありませんから、説明責任は生じないのではないでしょうか。間接不買コメントにしたって主観の問題ですから責任は発生しないでしょう。
どうもこの問題は朝日の曖昧な根拠によって議論がし辛いところがあります。肝心の問題は朝日がどのような証拠に拠ってこの問題を報じたのかというところにあるのだと考えます。安倍議員の朝日陰謀説にしても、公的な組織の批判にしても、それから派生したことです。朝日を擁護する方々は確固たる証拠を示してから、朝日をバッシングする人達に反論してもらいたいものですね。
品位のある対応の出来なかった件の記者にも
問題はあると思います。
ましてや、捏造か否かで揉めてる新聞社の人間が、
記者名を伏せて政治家を叩くなんて品位も糞もないと思います。
品位も糞もない記者に、品位も糞もない発想で炎上させたのが
それほど問題なんでしょうかね。
まあ、コメントした人の中には本文を読まずに流れで放言した人も
いるでしょうし、それは問題ではあると思いますが。
僕みたいな無益な意見を書く人間も
コメントスクラマーの一人に入れられてしまうのでしょうけど
有名なサイトから来ただけで、たまたま沢山のコメントが付いてる中、
自分も何か言いたくなっただけです。
まあ、こんな事があっても、こういう日もあると思って、
気にせず続ければいいと思います。自分に非がまったくなければ。
それが、品位ある対応じゃないかな、と。
つまりここで、「じゃああなた(筆者)の朝日新聞に対する姿勢は」って反論した時点で
実はここの話題に関係ない書き込みになってるんだよな。
無差別PKだったら非難されるべきだが今回の件はは相手側に非あり、の一種の自治行為に属していた。非が無いと思う人の割合が多ければ祭りにはならなかっただろうし、なったとしてももうちょっと擁護のコメントがついたはず。
その自治行為というもの自体に反対であると言うならそれはそれでありだと思うのだけれども、小倉氏はコメント削除による自治は認めているし。
例えが分かりづらくてすいません。
・個人情報を暴く
まず、google検索で容易に辿れるような情報は、隠蔽された個人情報とは言えないでしょう。実名云々は公開情報をつなぎ合わせただけにすぎません。
そしてそれをコメント欄に書き込もうと、どこか全く別のページに書こうと、ネットではリンクがあるのだからどこでも同じことです。
つまり個人情報を云々するな、というのは「このblogを書かれたお方については一切詮索することまかり成らぬ」という意味に他ならないでしょう。
小倉さんとも思えぬ時代錯誤の発言ではないですか。
そしてそのblogがどうだったかといえば。
匿名でNHKを批判し朝日を擁護するblogはまさにその朝日の記者が無関係な第三者のふりをして書いていた、などとくれば、これはもうそのblog自体がスキャンダルであり、卑劣な工作だと言われても仕方のないところです。あまりに面白すぎてみんなに言いふらさざるを得ないでしょう。
・閉鎖に追い込む
コメントした人々は閉鎖させようと思って書き込んでいたわけはなく、むしろそのおもしろ状態ができるだけ長く続いてくれるのを願っていたと思われます。著者が朝日記者だったというのは、閉鎖に追い込むための材料ではなく、単にスキャンダルのネタなのです。
そういうわけで、暴かれたのは公開された\"個人情報\"などではなく「しがない記者」さんのスキャンダルなのであって、閉鎖したのは「しがない記者」さん自身です。
・相手のblogを「炎上」させることを同じ思想集団に属する者に呼びかける
まさか、「ネット右翼が結託して俺のblogを潰しにきた」という「しがない記者」さんの言を真に受けているのですか。
「blogを継続する意欲を奪われた」「blogを継続することに恐怖を感じた」ことは、「しがない記者」さん自身に責任があると言えないですかね。俺には、スキャンダルを暴かれたせいでそうなったと思えますが、それは彼の自業自得ではなかろうかと。
> 最近は、他人のblogを閉鎖に追い込んだことを自慢される方々もおられるようですが、私は、そういうことって自慢するようなものではなく、むしろ恥ずかしいことなのではないかと思います
というのは正しいですね。
しかし、一般論を述べた延長で小倉氏が想定しているらしい標的に向かって具体的なその標的の名前を明記しないまま「民主主義の敵」だの「人間性が小さい」だのと物騒な評価を大上段からおっしゃる時点で立派に一般常識から外れていませんかね。
「民主主義の敵」「人間性が小さい」と評されても心穏やかでいられる人なんて小倉氏当人を含めて世の中の数パーセント程度のものであり、その言葉を鼻先に叩きつけられて喧嘩を売られたととられても仕方ないことです。
不特定多数の人が閲覧できる場所で、喧嘩売る対象をはっきりさせない気の利かなさからここのコメント欄が面白いことになっていますが、まさかこれも度が過ぎるとコメントスクラムだのとおっしゃったりなさらないことを切に望みます。
そもそも誰から見ても当たり前の筈の一般論にしてから肝心の題材に挙げている一連の出来事について検証不足が危ぶまれる内容で終わっており、その題材に関わった当事者全てが一切合切まとめて小倉氏のこのエントリーにおける標的と目されていると錯覚されても仕方のないところです。
糾弾するなら糾弾するで構いませんから弁護士さんらしく理路整然公明正大にやってください。期待しています。
肯定的な反響もあれば、そうでないものもあるわけで
彼は後者に対してあまりに不誠実だった。
それだけのことでしょう。
民主主義云々という言い回しは、まやかしにしか思えませんよ。
一般化しようとした時点で空論になっちゃってる気がしますね。
>品位のある対応の出来なかった件の記者にも
>問題はあると思います。
意味のわからん事書いてすいません。
要は、ブログ書きには品位が要求される
んじゃないかという事です。
朝日記者ブログを炎上させた人
と自慢する人は、コメントスクラムを
むしろ積極的に呼び込んでいますよね。
そういうスタンスの人がいても
いいと思います。
彼は、件の記者のような事をやられても
へこたれませんし、言い返せます。
コメント欄を解放するという事は
どんな人でも規約に反しなければ
歓迎しますよ、という事で
それを否定しだせばネットの有意義な部分が
損なわれると思います。
自分の品位で、相手の品位を保てばいいんです。
そういう大人なブログ、いくつか知ってますよ。
僕がブログをやらないのは
そういう事されたら凹むからです。
凹む人はやらなきゃ良いんです。
問題なのは、あの程度で記事を消す人が
非常に大きなメディアで物書きとして
飯食ってる事だと思います。
自分の言葉の重さ、
こんな僕でも感じてるつもりですが、
新聞社の方はどうなんでしょうね。
小倉さんの反論により議論が深まるのを楽しみにしています!
また、仮名とリンクする形で実名を公表されることをいやがってるわりには、新聞記者等の「権威」だけは振りかざす人の器についてはどう思われますか?
今さらながらココの最初のコメントはすごいなー。
裁判で「IP出せや」となれば簡単に個人は特定できるよ。
しかも今回のはトレースと言う古典的&アナログな手法による検索で見つかったんだからしょうがないべ。
あと英語読めないから日本語訳付けといてよ。まじで。
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/d/20050115
で「コメントスクラム」を呼び込むには相当強力なエサが必要だと思います。
さらにしがない記者さんの件は朝日関係者というのが暴露される前から既に炎上していたとも思うのです。それ以前の問題で非常に優秀な釣り師だったのではないかと勘ぐってしまうほどの実に攻撃的で品位の無いテキストを多数書かれていましたし。
さて・・・ここの今の状態は「コメントスクラム」が発生している状態だと思われますでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050209#p2
こちらでは「次の燃料倉庫はここか、みたいな話」としてこちらが紹介されている訳なんですが。
ブログを閉鎖させて喜ぶのは悪趣味極まりないですが、このエントリーのあなたの文章も同レベルに落ちてしまっていますよ。
コメント無茶苦茶増えてるw
それが民主主義の敵クオリティ
ってとこ?w
それを「コメントスクラム」とレッテル張りして否定するのはあまりにも女々しい。
つまり、晒した晒した言ってるけどさー、本当に晒したのは「本人&友人&朝日」じゃんその辺どうよ。
つーか、「民主主義の敵」の「敵」ってのはアレですか、
「もっとも危険な敵は馬鹿な味方である」
ってことですか。
http://www.google.co.jp/search?ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja&lr=lang_ja&q=%E7%A7%81%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%93%81%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%91%E3%81%A0%E3%81%8C
であるというならば、中央大学の学生達に、
意見を聞いてみては如何ですか?
多分、切込隊長さんの方に賛同する論理的な意見が
沢山出てくると思いますよ。
まあ、「中央大学スクラム」だとか
言われるともう手の打ちようがありませんが…
俺のような権威には逆らうなということなんでしょうか?
ありがとう。読ませてもらいました。
軽く反論しとくと
>個人の情報を一定の目的のために公開した者において、それが右目的外に悪用されないために、
今回のは悪用では無く判断材料として当然に求められるべき物であった。記者と名乗っているけど所属を明らかにしていない。もしコレが一方の当事者の発言であるならば読者は当然その事を念頭において読む必要がある。それが無ければ誤解してしまう恐れがある。
>右電話帳の記載の検索は、通常、眼科医の診療を希望する者がその診療所を探すという目的で利用するという特定の場合にすぎないと解されるから
電話帳の場合はその意図が明確であるが電話帳ではない情報の場合の意図が不明瞭である。さらに社会的な責任を負う記者の場合その署名の意図はその記事だけに止まらず広範囲に責任を持つと思われる事。つまり眼科医とは違うと言う事。
>原告がその後実際に受けたと認められるような嫌がらせ電話等を含む
今回はいやがらせ電話はあったの?しならないけど。
まとめると「眼科医とは違うのだよ。眼科医とは」と言った所かな。
あとリンク先じゃないけど
>いずれにせよ、人間としての器の小ささを感じます。
これは単なる感想だよね。だからどうした的な。
確かに意見が異なるからって他人のブログ潰したり
個人情報晒して悦に入ってたりするのはどうかと思う。
しかし。
結果潰されたとしても、その原因となる
多数の人々の暴走を招いたのは本人の対応の悪さ。
異なる意見に対して全力で見下しながら全否定、
しかも自らが憎悪する2ちゃんの煽りと同レベルの
燃料投下喧嘩歓迎的敵対度200%コメントで反撃するなど
結果どうなるかなんてわかりませんではすみません。
「人間としての器の小ささを感じます。」
とのことですが、それをいっちゃあおしまいよ。
貴方が闇を見るのと同様、闇が貴方を見ていることを忘れるな、
といったのはニーチェッだったけか。
人格否定発言はいずれ自らに帰ってくるものです。
というか、喧嘩屋を自称する(?)人に喧嘩売るって凄い。
それだけ覚悟決めてるってことだとしたら何も言わずに
生暖かい目で双方応援します。
長くなったけど、ひとことで言えばみなさん大人として
振舞いましょう、ということです。
ご自分に都合の悪い意見は削除、黙殺、検証せず、レッ
テル貼りに執着なさいますか。まるで言論粛清ですね。
ところで福島瑞穂氏もかつてメディアに「公平な報道を」
と強要していたのをご存知ですか。新聞でも取り上げられ
ていましたよ。トンでもないことですよ!
ところで弁護士に纏わるロシアのジョークをご存知ですか?
「犯罪を手伝う者は2種類ある。1つは犯行当時から関わる共犯者。
もう1つは後から手を貸す弁護士である。」
誰も閉鎖なんて求めてないと思う。謝罪や訂正を求める人は居るかもしれませんが。
じゃなくって、たいがいは自身の発信したものへの批判や嘲笑に耐え切れず逃げちゃうといったもののような気がします。
全て自分が発信したものへの感想や批判なわけだし、甘んじて受ける覚悟はWebという場での表現者として必要だと思います。
その覚悟が無いのは甘えだと僕は感じます。
というか誰しも間違いやウッカリやなんてあって当然だし、たかが反対意見の人らからの嘲笑でサイト閉じちゃう人は完璧を求めすぎでは?といつも思います。
恥を恥と思わない厚顔無恥さを日本人はもっと持つべき!
大石英司さんのところで見つけた言葉です↓
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/02/post_7.html
もともとが生理的な嫌悪感であってもその考えを補完したいがために多少無理をすると突っ込まれると
c⌒っ*゚ー゚)φ メモメモ...
おっ 削除キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
勘違いでのコメント失礼しました
というか,Blogを書くって事自体が公共の場でオナニーをして,みんなに見てくれえーと言ってるのに等しいでしょ。
見苦しいと言われるのがいやなら,Netじゃなくて自宅でひっそりやりなさい。
しかしNetは共有資源だと言う基本的な認識も最近は薄くなったもんだ。しかもWiredでこう言うこと書くとは,昔のNetの理解が深い(ように思われた)Wiredからだいぶ変わったもんだねえ。
ネット上である女子高校生(未成年)が自分の通う高校教師との交際日記を公開していました。教師は女子生徒と性交渉を持っていました。女子生徒の日記には実名等の個人を特定する情報はありませんでしたが、これを目にした人達が公開された情報の断片と、サーチエンジンによる検索で得られた情報とをつなぎ合わせることで女子高生の通う高校と相手教師を特定してしまいました。女子生徒のすむ地域の条例で未成年との性交渉は禁じられており、彼らは当然のごとく関係各機関へ通報しました。
さて「身分を隠して自社を擁護する新聞記者の個人情報をつなぎ合わせる事」と「女子生徒の交際日記から相手教師を突き止める事」、この二つの行為の間に倫理的な観点から何らかの差異はあるのでしょうか?(法的観点からは両者には厳然とした差異がありますよね)
やはり仮名で公開された情報をつなぎ合わせて個人を特定することはそれ自体いかなる目的においても許されざる行為なのでしょうか。
興味深い問題だと思いますが先生のご意見はいかがでございましょう。
煽るな!と言っておいてアナタが煽るとは…正直、先生にはガッカリしました
閉鎖に追い込まれたことを批判しているようです。その根
拠は「いわゆるニフティ眼科医事件」での判決「ニフティ
の掲示板において氏名、職業、職場の住所及び電話番を、
本人に無断で掲載したことが不法行為にあたる」ことのよ
うです。しかし、判決では「個人情報を特に眼科医による
診察を希望する目的など全くない多数の者にまで簡単に目
にすることのできるようにするものであって、右電話帳に
掲載される場合とは比較にならないほど大きな、悪戯電話
や嫌がらせ被害発生の危険性をもたらすおそれがあるもの
と認められ」不当だ、とのことです。
今回、ブログの管理者は自らを「新聞記者」だと明かして
いました。そして閲覧者は「どこの所属の」新聞記者なの
かを知りたい者が大半だったと思われます。とするならニ
フティ眼科医事件の状況とはまたちょっと変わって来るわ
けです。しかも、住所や電話番号が晒されたわけではなく
氏名、勤める新聞社や支局、これまでに書いたものが晒さ
れたわけですから、「悪戯電話や嫌がらせ被害発生の危険
性をもたらすおそれ」を理由に不当性を主張できないはず
です。
職業は不向きです。
人は自由に取材したいが、自分は取材されたくない
というのは全く非論理的で横暴そのものです。
臆病な警官、高所恐怖症のパイロット。
なにか意味がありますか?
私個人として、全く信用できない人だと思います。
小倉さんがこの文章を書いてくれたおかげで
自分の身を守る術が一つ増えたと思います。
何か大変な事が起こっても、小倉さんや小倉さんの周囲にいらっしゃる方々には
絶対に近付かないようにしようと思う事が出来ました。
ありがとうございます。
それが嫌な人のためにFreenetだの何だの作ってる方もいるんですから。
これは善悪ではなく、そういうものだと理解するしかないと思います。匿名記事のバックグラウンドを探る無粋な奴は右翼だ、子供だ、と叫んだところで、どうしようもないです。
他人のブログで、批判でも何でもないような暴言を吐く人達がいる以上、管理人にはある程度自衛のスキルが求められると思います。右も左も関係ないのです。
件の記者にも問題はあったでしょう、だからといって荒らされてよいわけではありません。しかし現実に荒らしが存在するなのですから、自衛するしかないのです。
削除も一つの方法です、いちいち答える義務もありませんし。不適切な発言への削除は右左関係なくある程度支持されると思いますよ。
不適切な書き込みをする人達が、今日明日に居なくなるわけがありません。いなくなるはずがないと考えましょう。
私もそういった書き込みを見るとうんざりしますが、税金みたいなものと思ってます。
そして、右寄りにしろ左寄りにしろ、きちんと話の土俵に上がってくれる人は意外な程多いと思いますよ。
荒らしが存在するなのですから、
↓
荒らしが存在するのですから
すいません
「他人のブログを閉鎖に追い込んだ。」とのことですが、これは全くの見当はずれです。果たして事の顛末をきちんとお調べになられたのでしょうか?まさか弁護士ともあろう方が調べもせずに断罪することはありえないですよね?
多くの方は「逃げるな」「閉鎖するな」と言っていたのです。「あなたの理論の矛盾、間違いをきちんと説明して欲しい」と。にも関わらず、しがない記者氏はブログを閉鎖し、自分の記事を削除し、逃げたのです。コメントした方が閉鎖に追い込んだというのはあまりにも筋違いです。実際のコメント、読みましたか?コメントの多くは、まさしくあなたがおっしゃるような「理路整然とした、相手に自らの非を気づかせる」発言でしたよ。それとも、反対意見は全て「品位のないコメント」で片付けられますか?
小倉氏は、自分とは意見が異なる第三者をひとくくりにして「ネット右翼」「民主主義の敵」とレッテル貼りして糾弾するのがお得意のようですが、「違う意見は許さない、認めない」では、それこそ器の小ささを感じさせますよ。まぁ、某新聞記者のような「いい年した大人」でもやらかすのですから、「お子様」がまねをするのも仕方がないという言い様もあり得ますね。おっと失礼。
弁護士って、勉強できても頭いいとは限らないんですね。
お前が閉鎖に追い込まれとけw
規制議論が出るたびに「言論の自由」が持ち出されてますが、「自由」の裏には「責任」があるのではないでしょうか?
特に、社会的に大きな影響力を持つものほど、重い責任を負うべきだと主張するマスコミ関係者が、その責任を放棄し、それを指摘されて逆切れ閉鎖したのが、実情じゃないのですか?
IT関係には強いが人とのコミニュケーションには弱いんだろうか。
確かに火がぼうぼうに燃えている中で自己批判するような思考はつらいかもしれないが、レッテルを張って思考停止するのではなく、コメントを書いている人も一人一人の人間であることを思い出して読み直してみてはどうでしょうか。
あなたが作り出した「コメントスクラム」なる言葉が「なにか示し合わせた上でコメントを書き込む」という行為を指そうとしているのなら、たぶんそういうことはないと思います。
こうして書いている私自身、誰かと示し合わせた訳ではなく、単に他の情報源から「面白そうなことになっている」という興味で一人で見に来た人ですから。
そういう個別の判断で来た人たちが概ね似たような反応を示す、ということがどの様なことなのかを改めて考えてみることをお勧めします。
通常なら「あぁ炎上している」でスルーなんですが、以前勤めていた大学の名前が出ていてのこの状態だと、それこそ少子化でみんな苦しくなる中頑張っている大学への『ネガティブキャンペーン』が続いてしまうではないかと危惧してコメントを書いてみました。
コミュニケーションは多かれ少なかれ情報のキャッチボールの中で自己の変質を伴うものですからそのインパクトが多ければ多いほど不快に思うのは当然かもしれません。
ですが、それこそがコミュニケーションの意味であり、まさにそれが blog というツールの本質なのではないでしょうか。
批判を受けるのは愉快なことはありませんが、それがいやならば単なる web に書くとか、紙メディアに書くとか一方通行のメディアを選択した方が幸せなのではないかと思います。
と書いた6文字後にレッテル張りの文章が書かれている件については
いかがお考えなんでしょうか?
こんなにコメントついてるとはね。笑える。
他人の批判をして注目を集めたかったのかとも思ったので
無視しようとも思ったのだけれども、こういう注目のされ方は
逆宣伝というものであり、社会的信用を喪失するための
宣伝効果しか無いという当たり前の事実があるわけであって、
なんか、こう、お話にならないですね。
この記事もすぐ忘れるし、この人と仕事することもないだろうし、
仕事することになったら、注意しなきゃならん奴だという
予備知識にはなったからありがたいとはいえる。
「論争に負けて逃げてる」んですよ。
自分が正しいと思うのならば、たとえ誰がなんと言おうと黙ってはいけない。撤回してはいけない。サイトを閉じてはいけない。コメントを消してもいけない。
「自ら省みて縮くんば、千万人と雖も我行かん」
「綸言汗の如し」
男が(いや、女でも)一度口にした言葉は引っ込めちゃいけないのです。
サイトを閉じて逃げるのは最低の卑怯者のすることです。
逃走してしまった事にそのblogの持ち主に確信の無さを自ら
晒してしまったって事ですね。
閉鎖したblogは何れも論理的矛盾が多く見られ、多くの反論
を招き、只の野次馬をも引きつけてしまったと。
私は2つの閉鎖したblogに国民に対する敵意をも感じましたね。
そういったblogが利用者の低俗な娯楽になったとしても
不思議なことではありますまい。
しかも、プロを自称する人間のblogですから当然利用者の
興味の対象となります。今までは媒体を独占してましたので
いい加減な言動でもコネがあれば通用したのですが今の時代は
インターネットに繋がっている限り誰でも発信できるので
いい加減な言説は最早通用しないって事です。
数学的にはこれと同じ構造ですが、筋はきっちり仕事をしてそれなりの対価を得ているわけですし、筋がねらう銘柄には一定の条件があるわけです。筋のスポンサーというのもいるはずです。学術的にはこっちの研究の方が面白そうですね。
このあたりにIT法のTop Frontがあるはず...
今回のフレームを論文のネタにさせていただきました。ごちそうさまでした。
このような論争に対して閉鎖という結論に至るのは人間としての器の小ささを感じます。
このような論争に対して閉鎖という結論に至るのは人間としての器の小ささを感じます。
意味の無い優越感のバイアスしか感じませんね。
(以下は、記者氏の発言内容です)
右翼大好きミーハーサイト
Weblog / 2005-01-29 00:21:56
ブログのしくみってまだわからんのだけど、
トラックバックという欄にいくつかあるからクリックしてみた。
オー、NHK、というか、右翼大好きミーハーサイトだ。
おもろい。
論理は破綻してるし、「検閲」のなんたるかもわかってない。
政治家に事前に番組を見せる、という行為じたいの重みもさっぱりわかってない。
自分と意見が違うと「アカ」「サヨ」「プロ市民」とレッテルをはって議論をごまかす。
でもおもろい。
こうやって人間の思考力って退化するんだな、と
人間から猿への逆ダーウィンの退化論を実証できそう。
みんなで観察してみよう。
えらい人はそれがわからんのですよ。
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