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村上の弟殺害遺棄:バラバラ殺害、起訴内容認める--裁判員裁判初公判 /新潟

 ◇母への嫌がらせ契機に

 弟を刺殺し、遺体を切断して村上市の国道脇に捨てたとして、殺人と死体損壊・遺棄の罪に問われた山形県酒田市錦町3、元アルバイト店員、土田崇(たかし)被告(33)に対する裁判員裁判の初公判が20日、新潟地裁(山田敏彦裁判長)であり、土田被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。量刑が焦点となる。22日まで連日公判が開かれ、判決は27日。

 検察側は冒頭陳述で、土田被告は弟の学さん(当時31歳)が定職に就かず、母親に嫌がらせを繰り返していたことに不満を募らせ「弟に振り回される生活に決着をつけるため、事件当日、言い合った際に殺害を決意した」と主張。「動機に同情の余地があるが、第三者に相談して最悪の結果を避けることはできた」と指摘した。

 弁護側は、学さんが母親に対し暴力や暴言を繰り返してきたと指摘。土田被告は弟のこうした言動に8年にわたって耐え忍んできたとし「何年もこの状態だったら、どういう気持ちになるか考えてほしい」と訴えた。

 起訴状などによると、土田被告は5月22日午後6時ごろ、自宅で、弟の学さんの胸や腹などをナイフ(刃渡り約13センチ)で刺して殺害。同23日午後5時ごろ、学さんの部屋で、遺体の首と両手首、両脚のひざ上の部分をのこぎりで切断。胴体と両脚を乗用車に乗せて、同25日午前2時半ごろ、村上市の国道7号脇の側溝に捨てたとしている。【畠山哲郎】

 ◇02年から3人暮らし 事件当日、弟がふすまに細工し口論に

 検察側の冒頭陳述によると、山形県酒田市出身の土田崇被告は00年に国立大法学部を卒業した後、金沢市や新潟市で仕事をしていた。01年12月、母親から「弟の粗暴な振る舞いに困っている」と打ち明けられ、02年に酒田市に戻り、3人で暮らすようになった。

 一方、弟の学さんは高校中退後、職を転々とした。弁護側の冒頭陳述などによると、98年に両親が離婚してから、学さんは仕事を休みがちになり、母親に対する暴力や暴言が始まった。07年に自動車の車検が切れてからは、自分の部屋にこもるようになり、ドアのチェーンをかけて母親が家に入れないようにするなど、嫌がらせを繰り返したという。

 事件のあった5月22日も、母親の部屋と台所の間のふすまが開けられないように学さんが細工したことを発端に口論になり、土田被告は殺害を決意したという。以前にも殺害を考えたことがあり、その際、購入し、押し入れにしまっていたナイフを持ち出し、自宅の台所で、首や胸、腹などを刺して殺害。遺体を運びやすくし、身元の割り出しを困難にするため、切断したという。【畠山哲郎】

毎日新聞 2010年12月21日 地方版

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