・いまでは「柿の種」も、「あげせん」も、
「グミ」も「あげするめ」も「ポテトチップス」も、
1回で食べ切れる分量に小分けされていて、
いや、さらにいえば「キャンディ」類などは、
1個ずつパッケージされて売っています。
たいがいのものが、小分けされていって、
買ったものを「食べかけ」にしてしまっておくのでなく、
食べて終えては次を買う、というものになってます。
そういえば、昔は、スイカが切り身で売ってるだけで、
「スイカはまるごと買うからこそ、スイカなんだ」
と、ぷんすか怒るおやじさんとかもいましたっけ。
文章も、小分けされていってます。
ネット上のテキストというものも、
「ホームページ」が一般的だった時代には、
長文やアーカイブを当てにした文章がたくさんあった。
そして、ブログが流行してくると、
その都度、読みやすい分量のテキストが、
上書きに近いようなかたちで発表されていく。
おおげさに言えば、「論文」から「要約」へ、
というような変化があったと見ていました。
そして、いま「ツイッター」では、
まさしく小さな袋に小分けした「柿の種」です。
入れる材料が、ほんのちょっとありさえすれば、
ちゃちゃっと袋に入れて、ほいっと出せる。
「それがクセになっちゃうと、
考えを熟成する機会がなくなるから、よくないよ」
と、ぼくは言ってたのですが、
じぶんもツイッターをはじめてしまいました。
「よくないよ」と言ってたことも、ほんとでした。
「製品」にならないことばを、ぽんぽん出せますし、
また、それはちょっと快感もあるんですよね。
あと、じぶんの差し出す別々の「小袋」に、
似たようなテーマが隠れてるのを発見するとかね。
だけど、「じっくりと、答えから遠い場所にいて考える」
ということが、出来にくくなっているのは、
気をつけなきゃいけないなぁと、思ってます。
ちょうどいいときに正月休みがくるので、うれしいです。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
「ほぼ日」の業務は今日までですが、「ほぼ日」は毎日よ。
「グミ」も「あげするめ」も「ポテトチップス」も、
1回で食べ切れる分量に小分けされていて、
いや、さらにいえば「キャンディ」類などは、
1個ずつパッケージされて売っています。
たいがいのものが、小分けされていって、
買ったものを「食べかけ」にしてしまっておくのでなく、
食べて終えては次を買う、というものになってます。
そういえば、昔は、スイカが切り身で売ってるだけで、
「スイカはまるごと買うからこそ、スイカなんだ」
と、ぷんすか怒るおやじさんとかもいましたっけ。
文章も、小分けされていってます。
ネット上のテキストというものも、
「ホームページ」が一般的だった時代には、
長文やアーカイブを当てにした文章がたくさんあった。
そして、ブログが流行してくると、
その都度、読みやすい分量のテキストが、
上書きに近いようなかたちで発表されていく。
おおげさに言えば、「論文」から「要約」へ、
というような変化があったと見ていました。
そして、いま「ツイッター」では、
まさしく小さな袋に小分けした「柿の種」です。
入れる材料が、ほんのちょっとありさえすれば、
ちゃちゃっと袋に入れて、ほいっと出せる。
「それがクセになっちゃうと、
考えを熟成する機会がなくなるから、よくないよ」
と、ぼくは言ってたのですが、
じぶんもツイッターをはじめてしまいました。
「よくないよ」と言ってたことも、ほんとでした。
「製品」にならないことばを、ぽんぽん出せますし、
また、それはちょっと快感もあるんですよね。
あと、じぶんの差し出す別々の「小袋」に、
似たようなテーマが隠れてるのを発見するとかね。
だけど、「じっくりと、答えから遠い場所にいて考える」
ということが、出来にくくなっているのは、
気をつけなきゃいけないなぁと、思ってます。
ちょうどいいときに正月休みがくるので、うれしいです。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
「ほぼ日」の業務は今日までですが、「ほぼ日」は毎日よ。