菅直人首相と前原誠司外相が沖縄県を訪問し、普天間「県内移設」を迫った。実現が難しく負担軽減にもならない現行案を進める愚になぜ気付かぬか。
「安保の矛盾と“差別”直視を」「説得すべきは米国だ」(琉球新報)「辺野古推進の地固めか」(沖縄タイムス)
首相の沖縄訪問にあたって地元紙が掲載した社説の見出しだ。
米軍普天間飛行場の返還をめぐり、名護市辺野古への県内移設方針を変えようとしない政府と、国外・県外移設を求める沖縄県民との温度差が表れている。
「ベター」な選択か
首相は十七、十八両日、沖縄県を訪問した。就任直後の訪問以来、半年間も沖縄県民と真剣に向き合ってこなかった首相が、米軍基地の実情把握のために沖縄を訪問したことは、基地負担軽減に向けた第一歩になるはずだった。
しかし、首相は仲井真弘多知事との会談で「普天間の危険性除去を考えたときに、沖縄の皆さんにとって辺野古はベストの選択肢ではないが、実現可能性を考えたときにベターな選択肢ではないか」と、県内移設受け入れを迫った。
これに対し仲井真氏は会談後、記者団に「ベターというのは(首相の)勘違いだ。県内(移設)はノーだ。バッドの世界だ」と強い不快感を表明した。当然のことだろう。
仲井真氏は十一月の県知事選で、県内移設を条件付きで容認する立場を変え、「負担を全国で分かち合うべきだ」として県外移設を掲げて再選を果たしたばかりだ。
その仲井真氏に、公約に反する「県内移設」受け入れを迫る首相には、政治センスのなさを感じざるを得ない。前原氏も同様だ。首相、外相が続けて訪問して県内移設の受け入れを迫れば、県民感情を逆なでするだけではないか。
公約翻意の困難さ
今、沖縄から問い掛けられているのは、在日米軍基地の約75%が集中する沖縄に、新しい米軍基地を造ることの是非だ。
日米安全保障条約が日本に必要なら、その基地負担は「北海道から鹿児島までのヤマト」も等しく負うべきではないのか、と。
それをせずに、「代替の施設を決めない限り、普天間飛行場が返還されることはない」(二〇一〇年版防衛白書)として、県内移設受け入れを迫るのは「沖縄差別」ではないのか、と。
にもかかわらず、菅内閣は、こうした沖縄の問いに真正面から答えようとしていない。
仙谷由人官房長官は記者会見で「沖縄の方々には、誠に申し訳ないが、甘受していただくというか、お願いしたい」と述べた。
仲井真氏らの反発を受けて発言を「撤回」した形にはなっているものの、沖縄の基地負担は過剰だが、甘んじて受け入れてほしいというのが政権の本音だからだ。
県民が県外移設に転じた仲井真氏を再選させた以上、県内移設は極めて厳しくなった。仲井真氏が公約に反する形で、移設に必要な辺野古沖の公有水面埋め立てを許可することなどできない。
県内移設を進めようとしても実現せず、世界一危険と米側も認める普天間が結果として継続使用されるという最悪の結末を迎える。
首相はなぜ、その状況を率直に認め、新たな手を打たないのか。
あってはならないが普天間で再び事故が起きれば、米軍基地は地元住民の怒りに囲まれる。円滑で安定的な基地使用ができなくなれば、安保条約の運用に重大な影響が出るのではないか。それは日米両国にとってマイナスのはずだ。
日米両政府はまず、忘れ去られつつあるそうした危機意識を想起し、共有することから始めるべきだ。実現可能性の低い辺野古移設に固執せず、米軍基地や訓練の県外や国外への移転を再度、検討の俎上(そじょう)に載せてはどうだろう。
受け入れ先を見つけるのは困難な作業だが、日米安保が両国にとって死活的に重要だというのならその労苦を受け入れるに値する。
首相には、一歩踏み出して国外・県外移設を米側に提起する勇気を、日本国民と米政府には沖縄が背負ってきた過重な基地負担への想像力を求めたい。
コザの怒りは今も
四十年前の十二月二十日、コザ市(現沖縄市)で「コザ騒動」が起こった。米軍統治の「アメリカ世」で繰り返された圧政や人権侵害に怒った沖縄人が、実力を行使した唯一の大規模な民衆蜂起だ。
その後の本土復帰で「ヤマト世」に代わっても、米軍基地の重圧と、沖縄に基地を集中させる日米両政府の政策は変わらない。
「どうか小指の痛みは全身の痛みと感じ取ってください」
繰り返される沖縄の悲痛な叫びに、菅内閣も国民も、真剣に向き合うべきときが来ている。
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