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2010/12/27

「さかなクンさん」事件に対するNHKの対応の不自然さの裏に何があった!?

 インターネットで検索して見ると、NHK広報局が12月15日に「さんをつけろよ、デコ助野郎」って、そういうことだったのか…ううう…知らなかった…(>Д< ;) みんなひどい…」( 6:39 AM Dec 15th HootSuite)とツィッターに書き込んだことがわかる。

 「さんをつけろよ、デコ助野郎」などという言葉を使うべきではないと考えるのは、ごく普通の人間の神経である。
 ところが、その手の書き込みがいくつも出てくるので、NHKの広報担当者は「脅されているのではないか」と、びびった。これは常識人のごく自然な反応だ。
 
 しかし、「さんをつけろよ、デコ助野郎」は大友克洋のマンガ「AKIRA」に出てくる名台詞で、それを引用しただけだ、ただのシャレだと書いた側はいうのだが、引用例の言葉がきたなすぎて適切ではない。

 私が今書いている原稿の一部を引用しておこう。

ダジャレの法則
 ダジャレには法則がある。たとえば、親しい仲の相手に対して、「~してくれ」「~してくれませんか」というときのダジャレは、頭に「くれ」か「おくれ」がつく単語や言葉なら何でもいける。
   何とかしておクレヨン
   任せてクレマチス
   切ってクレソン
   行ってクレオパトラ
 クレマチスは花の名前だが、知らない相手には通じず、まったく面白がられない。相手が知らない言葉だとシラケてしまうということを念頭に置いていわないといけないのだ。
   取って呉(くれ)の軍港
   取ってクレメンタイン
   取ってクレアラシル
   取ってクレッシェンド
 こういうダジャレを「付け足し言葉」といい、江戸、明治の昔から存在した。
 呉が軍港であったことを知らない若者相手に、「とって呉の軍港」といってもポカンとされるだけだ。
 「取ってクレメンタイン」は、アメリカの西部開拓時代に歌われた「いとしのクレメンタイン」やジョン・フォード監督の名作「荒野の決闘」(1948年)の原題が「マイ・ダーリン・クレメンタイン」だったということ、そして、この歌は日本では「雪山賛歌」という題名に変えられてダーク・ダックスが歌って大ヒットしたといったことなどを知っていないと面白くない。
 クレアラシルはニキビ薬の名前で、テレビのCMで知っている人もいるが、知らない人も多いからキョトンとされる可能性が高い。クレッシェンドは「だんだん強く」を表す音楽記号<なので、音楽知識が皆無の人にいっても通じない。
 したがって、冒頭に「くれ」がつく言葉なら何でもいいというわけではないのだ。
 相手を見て、場合を考えて、言葉を選択すると効果があるということになる。

 こういうことである。

 今日では、デコ助野郎などという言い方は、日常の会話のなかでは死語に近いが、それだけに余計、一種の差別用語的な意味合いも持つ。したがって、会社の会議中に上司が部下に向かって、「このデコ助野郎が!」などと罵倒したら、たちまち問題になるだろう。

 しかし、その上司が、そのとき、こういう言い方をしたら問題は起きない。
 「大友克洋の『AKIRA』のせりふじゃないけど、ここは『さんをつけろよ、デコ助野郎』だな」

 NHKの広報マンは、わけのわからない言葉でさんざん脅された挙句、「AKIRA」の中のセリフでシャレだよと誰かが書き込んだのみて、そうだったのかと初めて知り、安堵の胸を撫でおろしたのである。
 こういう心の動きを理解しないといけない。
 
 私自身の例だが、子どもが幼児の頃、一緒にテレビの「アンパンマン」をよく見ており、悪役バイキンマンが毎回、「これでも食らえ!」といって攻撃するので、それを面白がって私が繰り返し、口まねしていたら家の者にきつく注意された。
 「さんをつけろよ、デコ助野郎」は、そのとき私が家の者に「お前はアンパンマンを知らないのか」「このジョークがわからないのか」と毒づくようなもので、説得力がない。

 シャレというのは、相手に通じなければ意味がないということだ。「さかなクンさん」事件では、その点が考慮されていなかった。
 NHKの広報も、当初は遊びとはわからず、大量のサイバー攻撃にとまどい、混乱した。これは私の推理だが、どうすればいいかと思案した挙句、「遊びというのだから遊びで」というNHKらしからぬ姿勢を取らざるを得なかったのではないか。そこにはNHKの弱みがあったということを理解しないといけない。

 NHKに聞いても本当のことはいわないだろうが、NHKは、ただでさえ受信料拒否に悩んでいる状況であるから、何万人もの人間を敵にまわすのは得策ではないと考え、迎合するというNHKらしからぬ手を選んだことは十分に考えられるのだ。
 
 MHKをサイバー攻撃した連中は、NHKのそういう〝弱み〟に配慮したのかどうか。そのことを考えずに、
 「最終的にはNHKはジョークで応じてきた。担当者は我々の仲間になった。かわいい奴だ」
 と自分たちに都合のよいように評価するのはどうなのか。
 〝みなさまのNHK〟が、「サイバーテロ」ともういうべき大量のつぶやきに怯えて、そうした可能性がないとどうして断言できようか。

 私のブログへの書き込みのなかには、「NHKは〝ほめられキャラ〟で、あなたは〝いじめられキャラ〟」というのがあった。逆ではないのか。権力をほめ、一介の物書きである弱者をいじめてどうするのか。志が低すぎる。

 今回の私へのコメントには、「さんをつけろよ、デコ助野郎」が若者だとどうして断言するのかという問いかけが若い人たちからあった。
 常識的に考えて、社会経験が豊かな年配の人間が、唐突にこういう言葉でNHKに迫るとは考えられないからだ。少しでも社会で揉まれ、下げたくもない頭を下げている人間なら、NHKに苦情を呈する場合でも、もっと理詰めなものの言い方をするはずだからである。
 もし若者以外の人間がこういう〝言葉足らず〟のことをやっていたとしたら、世も末だ。

 こういうコメントも私のところに寄せられている。
 「『さかなクンにさんを付けろ、デコ助野郎』なんて言ってる人は、2chだけで通用するネタをツイッターなんて2ch利用者以外の方も多く利用するサイトで使うのはおかしい事だと思いますし、それで貴方(城島のこと)をネタをネタとわからないのか! なんて批判をしている人はちょっとモラルを疑います」

 ――ところで、デコ助という言葉だが、私が東宝で映画の助監督をしていたとき、憬れの黒澤明監督がよく失敗をしでかすスタッフに「このデコ助」とよく怒鳴っていると、彼のチーフ助監督を勤めたことがある森谷司郎監督や先輩の助監督から何度も聞かされた。
 黒澤監督がきつく叱りとばすということは聞いていたが、そんな下品な言葉を使っているのかと知ってショックを受けたものだった。
 デコ助のデコは、おでこのデコをさす以外に、罵倒するときにも使われる言葉なのだ。

 「さかなクンさん」が正しい日本語かどうかという話は、別の機会にしたい。

 本ブログには書き込みはできません。あしからず。

(城島明彦)

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