トップ > 世界 > 「事故は予測困難」ベトナム・カントー橋崩壊事故から1年
世界

「事故は予測困難」ベトナム・カントー橋崩壊事故から1年

黒井孝明2008/09/27
 「ベトナム最悪の橋梁事故」といわれたカントー橋崩落から1年が経ち、工事はようやく先月末に再開された。日本が総力をあげたODAによる援助事業で、日本政府や施工企業の責任も取りざたされたが、ベトナム政府の公式報告書では「不可抗力」に近い事故だったと結論付けられた。
ベトナム 事故 NA_テーマ2
 54人もの死者を出したベトナム南部メコン川支流で建設中のカントー橋崩落事故から26日で1年が経った。日本政府が約300億円をかけたODA案件で、調査、設計、施工まで事業を独占した日本企業の信頼を揺るがした。ベトナム政府の公式事故調査報告がようやく出て工事は先月末に11か月ぶりに再開されたが、今年末に予定されていた完成は大幅に遅れる見込みだ。

「事故は予測困難」ベトナム・カントー橋崩壊事故から1年 | 8月末、カントー橋第2工区の工事が再開された(ベトナム建設省のサイトから)
8月末、カントー橋第2工区の工事が再開された(ベトナム建設省のサイトから)
 現地報道を邦訳し速報しているブログ「カントー橋崩落事故(最新報道)」 によれば、先月25日の工事再開以来、工事は昼夜を問わず進められている。「(事故の起きた)第2工区の進捗率は64%、主橋梁は152mの高さになった。第1工区と第3工区は50%の進捗。早くても完成は09年末、遅ければ10年の第1四半期になるだろう」。

 08年6月、ベトナム国家事故調査委員会は事故原因に関する最終報告書を発表した。それによると、崩壊は橋脚建設工事中、それを補強するための13号仮支柱から始まった。もともと不安定だった地盤が12mm沈下したため仮支柱が倒壊、引きずられるように前後の13号橋脚と14号橋脚に渡されていたコンクリートの橋桁が落下して、作業員を巻き込んだ。一連の崩壊はわずか20秒間に起こったという。

「事故は予測困難」ベトナム・カントー橋崩壊事故から1年 | 昨年9月の事故発生直前、工事中のカントー橋(左)と、事故直後(「第4回参議院政府開発援助調査派遣報告書」より)
昨年9月の事故発生直前、工事中のカントー橋(左)と、事故直後(「第4回参議院政府開発援助調査派遣報告書」より)
 崩落の原因とされた点はほかにもあった。仮支柱に設計とは異なるサイズや位置にボルトが使用され応力不足で破壊されやすくなっていたり、事故直前の降雨による地盤の変化があったりした。だが、いずれも事故の直接的な原因ではないとされた。崩落の直接原因と認定された小範囲で起きた沈下は「通常の設計においては予測困難なもの」と「不可抗力」に近い表現で報告書は結ばれている。

 事故後、ベトナム側は原因究明のかたわら、外交上の要請として日本外務省に事故調査委の経過報告について、中途での情報開示を控えるよう求めた。日本側もベトナムの意向に従ったが、橋桁工事の技術専門家や議員団を派遣するなど独自の調査協力や対応をした。

 参議院のODA調査派遣団は07年12月2日から5日間の日程で現地を訪れ、事故現場を視察した。日本議員団と会談した事故調査委の委員長であるグエン・ホン・クアン建設大臣は、事故の重大性を踏まえながらも「このプロジェクト(カントー橋建設)を是非継続してもらいたい」と要望した。

 当初、安全態勢が不十分だった可能性があるとして現地メディアから指弾された日本の施工企業3社(大成建設・鹿島建設・新日鉄エンジニアリング=TKN)は、07年末までに補償の一時金として約4,350万円と、死亡者の遺族に対しては1人約100万円を支払った。現地の労働者の年収は約5〜6万円だという。事故調査委の報告書では、TKNも含め刑事責任者の特定はしていない。だが、刑事的な責任追及は、現在も公安省で捜査が進められている。

 木村仁外務副大臣(当時)や国際協力銀行(JBIC)理事などを集めた「カントー橋崩落事故再発防止検討会議」は08年7月、円借款事業で事故が発生した際のマニュアル強化やガイドライン改訂など含めた提言をまとめた。円借款事業の施工品質の確保、とくに今回のような仮設構造物の安全管理やモニタリングについて、安全を徹底するよう明記している。これを受けて外務省やJBICはODA事業のあり方を改善していくという。

下のリストは、この記事をもとにJanJanのすべての記事の中から「連想検索」した結果10本を表示しています。
もっと見たい場合や、他のサイトでの検索結果もごらんになるには右のボタンをクリックしてください。