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2010年12月27日(月)付

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アフガン戦略―責任ある撤退へ現実策を

この戦争はいつ終わるのだろうか。1年前に打ち出したアフガニスタン戦略をオバマ米大統領が再検討した。現状を「前進はあったが、もろくて反転しうる」と総括する。国際テロ組織ア[記事全文]

遺骨が問う戦後―過去に向き合い続ける

太平洋戦争の戦没者の遺骨収集事業が、動きだしている。「一粒一粒の砂まで確かめる」。先日、日米激戦の地、硫黄島で火山灰まじりの土を掘り返した菅直人首相は、こう誓った。この[記事全文]

アフガン戦略―責任ある撤退へ現実策を

 この戦争はいつ終わるのだろうか。

 1年前に打ち出したアフガニスタン戦略をオバマ米大統領が再検討した。現状を「前進はあったが、もろくて反転しうる」と総括する。国際テロ組織アルカイダの解体と、アフガニスタンの安定。この目標が達成できるのか。「オバマの戦争」と呼ばれるようになった戦いへの疑問は尽きない。

 米軍3万人の増派を柱にしたオバマ戦略は、2011年7月に撤退を開始するという公約とセットだった。アクセルを踏みながら、ブレーキを利かせるような綱渡りである。

 10万人規模に増強された米軍は、南部を中心に攻勢をかけている。再検討では、主な地域で反政府武装勢力タリバーンの勢力をそぎ、一部で逆転できたと評価する。アルカイダについても「指導部は弱体化」とみている。

 だが、現地からの報道では、北部などで逆にタリバーンなどの武装勢力が反撃している。

 米軍の悩みは、武装勢力が隣国パキスタンへ自由に出入りできることだ。武装勢力が潜伏するパキスタン内の国境地帯は、米軍が手を出せない「聖域」になっている。ここを押さえない限り反政府勢力の制圧はできない。だが、そのためにパキスタンからどう協力を得るか、報告は触れていない。

 駐留する外国軍の死者は今年700人に達し、昨年を大きく上回る。国際治安支援部隊(ISAF)を支える北大西洋条約機構(NATO)諸国からも、オランダが撤退を始めた。

 痛ましいのは民間人の死傷者だ。国連の統計で今年は10月までに5480人を数え、昨年より2割も増えている。赤十字国際委員会(ICRC)の事務所は「過去30年間の活動で最悪の状況になった」と異例の声明を出した。こうした地元の痛みを放置して、人々の心をつかむことはできない。

 米軍が撤退を始めるまで、あと半年しかない。2014年末をめどに、アフガン側に治安権限を完全に移譲することが決まっている。

 責任ある撤退へのかぎとなるのは、アフガン国軍と警察の訓練と育成だ。

 だが、腐敗がはびこるカルザイ政権に能力があるのか。今月初めに現地を訪れたオバマ大統領は、カルザイ大統領と電話で話しただけだった。信頼できる当事者が不在のままでは、治安権限を移譲することはできまい。

 アフガニスタン人が主人公となるためには、政治的な解決が必要だ。

 かつてのタリバーン政権は過激な宗教主義が支配していた。だが、今の反政府勢力は一枚岩ではない。その一部を選んで政権に取り込まなくては、安定への道筋にならないのが現実だ。

 米国が積極的に取り組んでいる今こそ、権限移譲の実現に向けて、各派との交渉を真剣に進めねばならない。

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遺骨が問う戦後―過去に向き合い続ける

 太平洋戦争の戦没者の遺骨収集事業が、動きだしている。

 「一粒一粒の砂まで確かめる」。先日、日米激戦の地、硫黄島で火山灰まじりの土を掘り返した菅直人首相は、こう誓った。この島では日本兵1万3千人分の遺骨が見つかっていないが、官邸の特命チームが米国資料をもとに集団埋葬地を特定。これから発掘作業が本格化する。

 首相は「遺骨帰還は国の責務」と強調し、他の戦域での収集の拡充にも意欲を見せた。沖縄や海外での戦没者は計240万人。戦後65年が暮れつつあるというのに、戻ってきた遺骨は126万柱にとどまっている。

 実は、遺骨収集を「国の責務」と定めた法律はない。旧軍の残務整理を引き継いだ厚生労働省が、戦没者遺族の援護の一環で続けてきた。

 敗戦後しばらく、侵略した地に足を踏み入れるのは難しかった。政府が率いる遺骨収集団が盛んに赴くようになったのは、各国への賠償が進んだ1960年代末のこと。戦友が道案内し、遺族が肉親の最期を思いながら、密林にわけ入る。72年、グアム島の残留兵横井庄一さん救出で関心が高まり、遺骨収集は一気に進んだという。

 平成に入り、戦友や遺族は高齢となった。遺骨のありそうな場所の情報は減り、事業は先細りになる。4年前からは一部で民間団体への委託が始まったが、フィリピンではNPO法人が集めた骨に現地の人のものが混ざっている疑いが指摘されている。そろそろ幕引きを、という声も出ていた。

 菅首相は、野党時代からこの問題に関心を持ってきた。思いつきの政権浮揚策ではなく、本気で各地での収集に取り組もうとしていると信じたい。だとしたら、従来の遺族援護や慰霊といった枠組みを越え、遺骨収集のあり方を考え直すときではないか。

 収集の正確さや効率を期すのは当然だ。今後の担い手は学生ボランティアなど、若い人にも広げるべきだろう。

 国家に動員された人たちが、なぜこんな所で命を落とし、放置されねばならなかったのか。戦争の悲惨さと、反省を学び、和解の手がかりとする。そんな営みとして続けられないか。

 たとえば52万人が戦死したフィリピンには、37万人分の遺骨が残る。しかしあの戦争では、100万人を超すフィリピン民間人が犠牲になっている。日本兵の最期を捜すときには、そのことを忘れてはなるまい。

 中国や国交のない北朝鮮では、いまだに遺骨調査さえ難しい。兵士には旧植民地出身者も含まれる。韓国政府からは、日本各地に強制連行された人の骨を返せと、求められてもいる。

 物言わぬ骨たちが、暗闇からこの国の戦後処理を問うている。大切なのは過去に向き合い続ける姿勢である。

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