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☆★☆★2010年12月26日付 |
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政権を担当して間もない民主党に過大な期待をする方がムリというもので、多少のことは大目に見てやりたいものだが、〈バラマキ〉だけは撤回しないとあとで泣きを見るのは明らかだ▼政府が閣議決定した平成23年度一般会計予算は22年度当初予算比1124億円増の92・4兆円となった。世間体をつくろうためにある程度ムリをするのはわかるが、収入より支出の方が多いのだから、なおも借金依存体質から逃れられない。こんな生活が長続きするわけがなく、そのためにも不要不急の支出は避けるべきなのだ▼だが、見栄を張って公言した手前、内心しまったと思いながらも約束を破るわけにいかない。親戚中の子どもたちに毎月「お年玉」をくれるなんて、振り返ってみるとなんとバカなことをしたもんだと後悔するが、「いいおじさん」で通っているから、「あれは冗談だった」とも言えない▼蓮舫さんが中学生たちとの討論会に臨んだら、「子ども手当」などをバラマキと評され、彼女がたじたじになったと新聞記事にあり、中学生ですら国家財政を家計と同様に考え「入るを量って出るを制す」必要性をわきまえていることを知って安心した。その手当が自分の家庭にも入り、その分小遣いが増えるとは考えないのがエライ▼逆にエラくないのがエライひとたち。一旦口に出してもまずいとなるとすぐ引っ込めて平気なくせに、財政破綻という国家存亡の危機を目前にした時、空手形は出せないなどとカッコつけるのはやめた方がいい。国には倒産がないなどと考えていたら、ギリシャ、アイルランドの二の舞になりかねないのだ。 |
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☆★☆★2010年12月25日付 |
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昨日の岩手日報に「うさぎ年株価も跳ねる」という記事が載っていた。その通りなら景気も回復するだろうと期待したいところだが、十二支で株価予想というその根拠は案外バカにしたものでないらしい▼同記事によると、証券業界には十二支にそれぞれ株価とを結びつけた「子は繁栄、丑はつまずき、寅千里を走り、卯は跳ねる」といったおまじない風の言い伝えがあり、その神託≠信じると来年の卯年は株価が跳ねる≠ニいうわけだ。寅は千里を走らなかったから、これは怪しいと思うなかれ▼過去の統計データによると、卯年は日経株価の上昇率が十二支中3番目に高いのだという。実際1951年は62・9%も上昇、次の63年には下げたものの、75年、87年、99年のいずれも上昇した実績≠ェある。その科学的根拠≠ノついて専門家は、卯年が米国の大統領選挙の前年にあたり、また日本で3年ごとに来る景気浮揚期に重なるためと分析している▼「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で、「十二支株価予想」もまずは確率5割と考えればよかろう。なにせ跳ねることは得意だが、遅い亀にも先を越された前歴があるから、居眠りしないように祈るだけである▼株価が上がっても指をくわえて見ているだけの小欄だが、景気回復の原動力としては大いに期待したいところ。実は「卯」も翌年の「辰」も「〈うだつ〉が上がらぬ」と考えていたが、こちらはまことに非科学的だから、より科学的な方を信じることにする。 |
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☆★☆★2010年12月24日付 |
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うまく再就職できればいいが、いやそう案ずるまでもなく誰かが手を差しのべるにちがいない。〈尖閣ビデオ〉を流出させた責任を問われて海上保安庁から12カ月の停職処分を受けた同日、自ら職を辞した一色正春・海上保安官の今後の身の振り方についてだ▼この件で、海保長官ら24人が処分されたが、さすが保安官を免職にはできなかった。それをしたら〈道理〉が消し飛んでしまうからだ。発表によると、処分理由は「社会全体に影響を及ぼし、重大な結果をもたらした」とあるが、悪い影響だったのか、それとも良い影響だったのか、その〈影響〉とやらを明示できなかったのは、海保自体にためらいがあったからだろう▼それはそうだ。国家公務員に守秘義務はあっても、その内容が国の根幹に関わる重大なものであり、むしろ守秘すべきではないと判断した一保安官が、職を賭す覚悟で行ったこの〈内部告発〉は、一歩譲って職業倫理に反するとしても国家倫理には添っていた▼いや、すくなくとも〈民意〉にはだ。たとえて言うならばこれは〈超法規的措置〉である。国家の将来をおもんぱかったこの決断を法制面のみで罪に問うことになれば、角をためて牛を殺すようなものだろう。むしろビデオを公開しなかった方が〈国家反逆罪〉にあたろう▼保安官の行為は民族としての矜恃を保つ大切さというものを教えてくれた。同時に、法以前に道理として守るべきものもあるということも。人も国家も倫(みち)をふみはずしてはならないのである。 |
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☆★☆★2010年12月23日付 |
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産経新聞論説副委員長の五十嵐徹氏が「経済のデフレより怖い精神のデフレ」と題して所論を書いているのを読んで、なるほど日本が恐れるべきは心の衰退だろうなと同感した▼論考は、米国の外交機密文書をすっぱ抜いた「ウィキリークス」が、中国の台頭と日本の相対的地位低下について「いまや日本はずんぐり太った敗者だ」とシンガポール外務省の高官が評したことを取り上げ、「的を射ているとうなずく向きは多いのではないか」としているが、かって日本を学べとモデルにしたそのシンガポールからももはや見限られているというのは残念▼昇竜のシンガポールのみならず新興国や途上国からさえも同様の見方をされているとすれば、それは単なる経済の状況を捉えてのことではなく、日本という国の精神的支柱が骨粗鬆症的症状を呈しているということではないかと思う▼事の結果はともかく、マレーシアのマハティール前首相が挙げたように、アジアの国々が独立を遂げる原動力となったのは、欧米列強に立ち向かった日本のパワーに学んだことが大だったことは否定できない。少なくともそうした精神面の強靱さが戦後の復興を推し進め、世界第2の経済国に押し上げる元となったはず▼だが、いま日本を覆っているのは精神の退廃現象である。困難に対してまともに向かっていかず、ただ保身のために逃げ回っているという政治の一場面を見ただけで、まさに「精神のデフレ」という表現がぴったりだと思われてならない。しっかりしろ!ニッポン。 |
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☆★☆★2010年12月22日付 |
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日本が市場を占有していた液晶テレビも薄型テレビもリチウムイオン電池も韓国勢に首位の座を奪われてしまったと昨日は書いたが、これだけは追随を許すまいと断言していいのが電気釜(炊飯器)だ▼米食の国だからこそ生まれた産物といっても、米が主食の国はほかにもある。しかしただ米飯が食べられればいいというのではなく、うまい米にこだわる国民性は炊き方にもこだわるから、電気釜が登場して以来、その改良は飽くことなく続けられてきた。メーカーによるそれぞれの工夫は「ここまでしなくても」と思うほど手が込んでいる▼アジアからの観光客が秋葉原で買う電気製品の筆頭はこの電気釜で、二つも三つもまとめ買いする例が珍しくないという。親戚や近所から頼まれてのことらしいが、それほどこの製品はデジタルだけでなく日本が誇るアナログ技術を結集した逸品なのだ▼この電気釜に勝るとも劣らぬ画期的製品が市場に投入された。三洋電機が7年の歳月をかけて開発した「GOPAN(ゴパン)」で、米を使ってパンを焼く機械だからその名もズバリこうなった。これでうまいパンがつくれるというのだから、超人気となるのは当然▼その開発物語を知ると日本の技術力が秘めた底力を再認識して安心するが、落ち込む一方の米の需要が一気に回復するとは思われないまでも、米が見直される効果は絶大なものがありそうだ。人気沸騰で生産が間に合わず予約を中止したほどで、これは近年にないメガヒットだろう。パナソニックに吸収され、その名が消える三洋のこれはまさに究極の〈遺産〉とほめたたえたい。 |
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☆★☆★2010年12月21日付 |
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一時、「経済は一流、政治は三流」といわれた日本だが、政治において菅政権がその汚名を返上することは期待できそうもない。ところが一流のはずの経済もこのところ雲行きが怪しくなってきた▼昨日の産経が報じたところによると、リチウムイオン電池でシェア世界首位だった三洋電機が韓国のサムスングループに抜かれ、2位に陥落する見通しとなったという。「リチウムイオン電池よお前もか!」という悲鳴が聞こえてきそうである。液晶テレビ、薄型テレビについで、こちらも韓国勢の軍門に下ったからである▼リチウムイオン電池は、長寿命電池としてだけでなく、ハイテク機器用の電源として、またハイブリッド車やEV(電気自動車)普及の牽引役として重要な使命を帯びるまさに「時代の寵児」である。その開発と改良に努めた日本のメーカー各社は、10年前世界全体で94%のシェアを誇っていたが、いまや42%まで下落した▼代わって韓国勢がそのシェアを奪いつつあり、10年前の2%が今年は35%に達する見通しだ。三洋の首位陥落はその象徴的なできごとで、かって日本の独壇場だった液晶テレビ、薄型テレビが韓国勢にお株を奪われてさらに水をあけられそうな状況に加えて、劣勢が電池分野にも及びそうな様相に経済界も危機感を募らせている▼かって世界市場を席巻した日本製品が次々と韓国や中国に追いつかれ、追い抜かれているのは、品質を過信しすぎて安価という消費者ニーズを二の次にしてしまったせいもあるが、国も一緒になった世界戦略の不在が大きいという声も聞かれる。さて、巻き返しをどうするか? |
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☆★☆★2010年12月19日付 |
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タイムトラベル(時間遊泳)など空想の世界だと思っていたら、真剣にその実現を追求している科学者たちがいる。ネットの科学番組でそんな取り組みの様子を見て楽しんだ▼秒速30万`bという光速と同じスピードを持つ乗り物があれば、宇宙旅行をしても浦島太郎にならずに地球に戻れるが、その光ですら太陽から地球まで届くのに8分を要するというから、タイムマシーンの開発はまさに夢物語だろう。だが、理論的には時空のゆがみの中にスーッと入っていける可能性がないではないという▼その方法論を聞いてもこちらにはちんぷんかんぷんだが、時空を曲げてたためば「近道」ができてタイムトラベルも可能となる─などと聞くと一概に荒唐無稽とばかり片づけられないような気がしないでもない。それにしても重力のないところでは時もゆっくりと進むから、GPSも衛星と地球間の誤差を修正する必要があるとか▼タイムマシンも未来へは進めるが過去はムリだと聞いてがっかりした。過去をいじったら現在も未来も変わってしまうからだ。だから歴史的人物に会えることも、今は亡き家族や親類縁者、知人、友人と再会?する楽しみも諦めなければならない。当選番号を知って過去に当たりくじを買い求めることなどできないのは当然としても、冤罪の根絶も、迷宮入りの事件解決も同様となる▼では、未来へ旅行したら楽しいだろうか。否。老いさらばえた自分を見たくはない。若者の場合、まだ見ぬ伴侶と会うことはできても、その先の生活までのぞいたら幻滅は必定だろう。というわけで、現在をほどほどに楽しむのが一番のよう。 |
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☆★☆★2010年12月18日付 |
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「水戸黄門」の後番組で「大岡越前」が何度目かの再登場をしたが、越前役の加藤剛さんと、榊原伊織役の竹脇無我さんのような俳優は段々いなくなっていくのだろうなと考えると残念だ。加藤さんは私生活でも越前の役柄そのままの実直さで周囲から尊敬されているよし▼もう1人。この人もみかけそのままではないかと思うのが児玉清さんだ。すでに77歳というから後期高齢者≠セが、とてもそんなお歳には見えない。この人が日経のフォーラムで話したことが日経に掲載されていて、それを読むとまさに思った通りの人物。世の中を真剣に歩いていることがうかがわれる▼50歳ぐらいの時、役者としての壁にぶち当たり、この先どうやっていくべきかと悩んだその回答が、本を原書で読むことだったという(このあたり、すでにただの役者ではない)。そんな本の中の1冊にあった主人公の言葉「ウイン・ナウ・ペイン・レイター(今勝て、痛みは後だ)」に時々勇気づけられると話している▼つまり結果を考えすぎてくよくよするより、まずは行動しろということだろう。これは菅政権にそのまま贈呈したいような言葉で、「ノーペイン・ノーゲイン(虎穴に入らずんば虎児を得ず)」という格言も別にあるように、いずれ正しいと思ったら迷わずに実行することだろう▼児玉さんは老後をハッピーに暮らすためのキーワードを挙げている。「許す」「笑う」「手放す」「決めつけない」「急がない」の五つだという。体験がもたらした生き方だろうが、なるほど示唆に富んでいる。 |
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☆★☆★2010年12月17日付 |
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生まれは戦前でも「戦前派」の仲間に入れられないのは、墨塗りの伏せ字教科書を使った世代ではないからである。しかし「墨塗り」の伝統は生きている。なんと新聞紙上で!▼昨日の読売新聞を見て思わずニヤリとした。週刊新潮の発売広告の中に伏せ字があるのを認めてのことだ。墨ベタで消されたその下にどういう文字が隠されているかは一目瞭然。〈「○○」が持ち歩く小沢抜き「大連立」〉とある見出し語の中の伏せ字部分は、同紙の殿上人のあだ名であることが▼偉大なる新聞人にして大球団の会長。同時に政界の指南役としてまぎれもなき影響力を持ち、一時は自民と民主の大連立を画策したこともあるこの人物に、カタカナの略称が奉られているのは強面に似ず愛敬があるからだろう。それはさておき、同紙が広告とはいえ〈検閲〉のやむなきにいたる心情は理解できる▼しかしこれはかえってご本人の名誉を傷つける結果になるのではないか。なぜなれば、こうして隠せばかえって興味をそそられるのが人間の常。他紙をめくれば〈答え〉は明白であり、いや想像をたくましくせずとも、合点がいくからである▼広告局が〈主〉の立場をおもんぱかって墨塗りしたのだろうが、ご本人が「そんなみっともないマネはやめろ」と宮沢賢治よろしく一喝、担当者をたしなめて莞爾と笑うぐらいの度量は持ち合わせていよう。しかし同様の前例が何度かあったことを考えれば、この方は案外広告欄など見ない主義なのかもしれない。 |
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☆★☆★2010年12月16日付 |
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昨日付の本紙に載ったJR大船渡駅の新築計画について、勝手な希望を許していただけるなら、駅舎のデザインは近代的なものより、クラシカルなものにしてほしいと思う▼現在の駅舎は築後76年という歴史を刻んだ建物でも、何度か改築され風雪を感じさせるのはホームの屋根や柱などの一部に限られる。しかしその屋根や柱にこそ〈年輪〉を刻んだ美しさがとどめられており、思わず郷愁を呼び起こされるから、小さな駅ながら「東北の駅百選」に選ばれたのだと思う。新駅舎はその伝統を継ぐものであってほしい▼日本でいまも近世における歴史的建造物として保存されている建物は、明治・大正期の洋風建築が多い。これらが保存の対象とされるのはただ歴史を刻んだだけではなく、そのデザインが愛されてきたからである。その代表格である東京駅が新築ではなく改修されるのはなぜか▼岩手県でいえば、レンガ造りの岩手銀行中の橋支店を解体するという声は絶対出ない。駅舎というのはその地域の顔であり、鉄道というものが存在し続ける限り付随して存在し続けるが、それは長寿を定められているのと同然で、だからこそ100年後にも存在感を示すような造りであってほしい▼利用者のみならず広く地域に親しまれ、集えるような場所としての駅舎の姿は、無機質で冷たい現代的建築ではなく、シックで温かみのある洋館風のそれであるべきだ―とは小欄の一方的な期待だが、ランドマークとしても周囲に溶け込み、なにかほっとするようなデザインにと老爺は考えるのだ。 |
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