授業が終わったハタヤマは、よろよろとふらつきながら魔女っ娘科の廊下を歩いていた。授業中何かするたびに飛んでくるリンレイの殺気に、心身共に疲弊してしまったのだ。
落とした消しゴムを拾おうとして
ギラッ!
「ひっ!?」
分からないところを聞こうとして
ガシィッ!!
「私が教えてやるアル」
「うひいいいぃぃ」 ガタガタブルブル
……というように、何かするたびにリンレイがガンを飛ばしてくる。 ただでさえお互い犬猿な距離感だというのに、さらにプレッシャー倍増だ。 いくらメンタルに定評があるハタヤマでも、数時間ぶっ続けで圧力を掛け続けられるのはキツかった。
「ちくしょう、何かにつけてガンつけてきやがって……」
自分の行動を振り返れば自ずと解りそうなものだが、過去を振り返らないこの男には理解できなかった。 昨日の不幸より今日の美女、わかりやすい思考回路である。 今もなおぶちぶち文句を言いながらも、図書館へ向けて歩いている。
「紳士のボクを捕まえて、言うに事欠いて変態だと!?」
世界に誇る紳士を自負しているハタヤマは、変態呼ばわりに強く憤っていた。 こいつが紳士なら世界のほとんどが紳士の爵位を受けることができることだろう。 いや、おそらく彼は一応紳士なのかもしれない。 「変態」という名の爵位を持った。
「しっかし、なんの用なのかなぁ」
シルフェがHRの時、「放課後図書館に来て」と言っていた。 用ならその場で済ませればいいだろうに、いったい何の用なのだろうか。 詳しく聞こうとしたのだが、言うや否やわき目も振らずどこかへ飛んでいってしまった。 謎は深まるばかりである。
「あ もしかしてボクの魅力に気づいて、告白しようとか?」
そしてそのまま人気のない奥の方へ……いや、ダメ、ハタヤマくんやめて!
「ぐへへへへへへ……」
あり得ない妄想に浸りながら、涎を垂らして笑うハタヤマ。 その姿を、道行く魔女っ娘は避けて通る。 廊下の向こうでは、こちらを指さす魔女っ娘もいるようだ。 ハタヤマ、社会的地位の危機であった。
「シルフェ」 「伊藤の」
「「ドキドキ魔女っ娘講座〜☆ッ!」」
図書室に入るなり、ハタヤマは唖然としていた。 扉を開けて入るや否や、比較的仲のいいクラスメイト達がハイテンションで出迎える。 静かな図書館で起きた珍事に、周りの利用者たちは一様にイヤな顔をした。 図書室ではお静かに。
学友たちはそんなこと気にした風もなく、ハタヤマへにこにこ笑顔で手を振ってくる。 それはもう満面の笑顔で、力いっぱいぶんぶんと。
「ハタヤマくーーーんっ!!」
「ハタヤマさん、こっちだよ」
「………………」
やめてくれ、同類に見られるじゃないか。 即座にその場で回れ右して、この場からの離脱を試みるハタヤマ。 必殺スキル、「他人のフリ」である。 だが、彼の学友たちは、そうは問屋が卸さなかった。
「ちょっとちょっと、どこ行く気?」
弾丸のごとき勢いで、正面に回りこんでくるシルフェ。 それがまた楽しそうで、見ていて恥ずかしくなってくる。
「ハタヤマさん、一瞥して無言で去るのはひどいよ」
伊藤くんもやってくる。 こちらは何処か悲しそうだ。 おそらくとてもイヤなのだろう。 好きでやってる訳じゃないのかもしれない。 そんな事情はハタヤマの知ったことではないのだがさすがにほっとくわけにも行かず、仕方なくハタヤマは振り返る。 見てはいけないものを見る目をしながら、学友たちに問いかけた。
「なんだい君たちは 漫才コンビでも結成したのかい?」
皮肉を混ぜたハタヤマのジャブ。 だが、目の前の妖精さんには効果がまったく無かったようだ。
「ちがうよぉ〜 使い魔科で現在最底辺のハタヤマくんの為に企画した
優しさ溢れるすんばらしい企画なんだから!」
シルフェはにこにことハタヤマに説明を始める。 その顔は自分の行いに何の疑問や羞恥心も持っていない。 ふと伊藤君に目を向けると、なんだかとても恥ずかしそうであった。 やはり、彼も嫌々なのだ。
ハタヤマは心の中で合掌した。 ポクポクポク、チーン。
「さて、記念すべき第一回の受講生はチャック付きのちょっと変わった転校生、ハタヤマくんで〜す!」
ドキドキ魔女っ娘講座なんて、どこぞのハチミツ授業をパクッたかのようなネーミング。 もともと魔女っ娘なんざどうでもいいハタヤマにはいい迷惑であった。 しかしシルフェはノリノリらしく、キラキラした眼でハタヤマを見つめている。
あんまりにも見つめるので、何事かと思っていたのだが……
「……ほらぁ、ハタヤマくん返事ッ!」
「はぁ?」
シルフェの焦れたような声に、ハタヤマはキョトンと聞き返す。 一瞬して意味を理解し、凄く嫌そうに顔をしかめた。 この雰囲気は、おそらくあれだ。
その様子を見たシルフェは、さらに強く続きを促す。
「はぁ、じゃなくて、ハイ!」
どうやらどうしても言わせたいらしい。 素無視してもいいのだが、それだと話が進まないだろう。 どうやっても止まらなそうなシルフェの様子に、しぶしぶながら返事をした。
「はいはい……」
「はいは一回でしょうっ! ……もぉ〜 ハタヤマくんノリが悪いんだからぁ〜」
ぷんすかぴーと怒りながら、ハタヤマの周りをぐるぐる飛び回るシルフェ。 いつも以上にテンションの高いシルフェに、ハタヤマは半ば呆れ気味である。 なにが彼女をそうさせているのだろうか。
「シルフェちゃんがノリ過ぎなんだよ…… で、なんで伊藤君もいるの?」
「ハタヤマさんという魂の友を、落第なんてつまんない理由で失いたくないんだよ」
ハタヤマの手をギュッと握り、熱く言い切る伊藤君。 その勢いはいは烈火のごとく、背中には炎が幻視出来そうであった。 その理由にハタヤマは軽くカチンときていたのだが、水を差すのも何なので許してあげることにした。
確かに美しい友情なのだが……しかし、その胸中では
(こんなに扱いやすい捨て駒、そうはいないしね)
などとろくでもないことを考えている。 やはり友情とは幻想、薄氷の如き危うさを孕んでいるのだろうか。 同じ属性を持つハタヤマは彼の考えなどズバリお見通しだったのだが、いい加減話が進まないしシルフェが話したそうにウズウズしているので、ひとまず保留することにした。
もちろん、お仕置きは後できっちりするが。
「それで、何を教えてくれるの?」
ハタヤマが会話の誘い水を注ぐ。 その言葉を聞いて、シルフェが待ってましたと言わんばかりに元気よく飛び跳ねた。
「じゃあ始めるよ! ちゃんとしっかり聞いといてね!!」
そうして彼女は話し始める。 魔女っ娘講座、開幕である。
遠い昔、魔王の力に魅入られた黒き魔女リスティンを白き魔女セリアが封じ込めた御伽噺があった。 魔王に苦しめられる人間の中でただ一人立ち上がった少女。 彼女は各地で仲間を集め、抵抗勢力(レジスタンス)を築き上げていく。 そうして最後は一匹の使い間を連れて魔王と決戦し、見事それを打ち倒した。
「これって、実話なんだよねぇ」
「え!? 嘘、マジで?」
シルフェのさらりとした発言に、ハタヤマは驚愕の表情で応じる。 今までまったく知らなかった。 御伽噺だとばかり思っていたのに。 ハタヤマの心底驚いた様子に、シルフェたちは顔を見合わせた。
「えぇー!? ハタヤマくん本気で知らなかったの?」
「これはさすがに一般常識だよ」
信じられないとでも言うように、両者は口々にハタヤマへ言葉を投げかける。 それにハタヤマが答えると、二人は呆れたように笑った。
しかし、それも仕方ないのことなのである。 ハタヤマは物心つく頃から親というものが存在しなかった。 運良く助かり引き取って貰ったところでは生き物らしい扱いも受けられず、当然知っているべき常識や作法などを何も教えてくれなかった。
学校でやらないことは家族や友達に教えて貰うのが普通かもしれない。 しかし、ハタヤマには頼るべき家族も、共に遊ぶ友達もいなかった。 人は皆彼を見ると、ひとしきり珍しがった後、興味を失い離れていく。 人間でないものを友と呼ぶような存在は誰一人いない。 故に教えて貰っていないことなど、解るはずがなかったのである。
しかし言っても仕方のないので、ハタヤマは適当に流すことにした。 言わなければ何事も円滑に進むのだ。
ここで話し手は伊藤君にバトンタッチ、さらに話は続けられる。
実話だったということは当然その先の展開も残っているわけで、白き魔女セリアはその後世界中の魔法を調べ上げて何万冊の本に纏めたらしい。 そして、その中でも特に凶悪な効果を持つ魔法を闇魔法として使用禁止にしたという。
ここで注意すべきことは、近年禁断魔法として認定された魔法は、禁断魔法とは言わず闇魔法でもないということだ。
近代化する社会の中で、魔法の素質を持つ人間は年々減ってきているのは前述したが、そのノーマル(すなわち一般人)たちが魔法の存在自体を危険視して、全ての魔法を封印しようという運動があった。 当然魔女っ娘や使い魔達は猛反発し、あわや全面戦争という事態にまで発展しかけた。
そこで、お互いの陣営の代表者が会議を開き、人を傷つけるような害のある魔法のボーダーをさらに厳しくし、それらを封印するということで一応の決着をつけた。 これを、封印魔法と呼ぶ。 禁断魔法=闇魔法だが、封印魔法=闇魔法ではないので、そこのところは注意して頂きたい。
話を戻そう。
そうして半分以上の魔法が封印されたため、魔法は極端に弱くなってしまった。 それまで魔法に頼ってきた人達はその急激な変化に耐えられず、魔法以外の力で問題を解決しようとし始めた。 科学の始まりである。
しかし、皮肉なことに科学の発展が魔法の力をさらに弱めてしまった。 そのため、古代の魔女達は次第に数を減らしていき、その後に魔女になった者達は力の弱さから「魔女っ娘」と呼ばれるようになった。 もっとも、それでもノーマルとは比べものにならない力を持っているのだが。
なぜ「魔女」や「魔女っ娘」など、女性を意識した呼び名なのかは、魔法の素養を持つものが圧倒的に人間の女性に多かったからである。 だが、最近ではその考えに異を唱え、魔女っ娘という呼び名を廃止しようと活動する使い魔過激派グループもいる。
…平和に見えて、実は今は激動の時代なのである。
「ふーん……結構込み入った歴史があるんだねぇ」
おそらくそれなりに歴史があるだろうとハタヤマは思っていたが、改めて聞いてそのリアルさにちょっと圧倒されている。 その反応を見て、シルフェはとても満足そうだ。
「ふふふん、ハタヤマくんもちょっとはわかってきたみたいだね」
得意そうに胸を張るシルフェ。 そのときまた胸がプルプルと震えた。 その様子を見て、ハタヤマはまたにやにやと鼻の下を伸ばす。 伊藤くんはそんなハタヤマを見て、「さすがハタヤマさんだよ」と、尊敬の念を露わにした。
意味の分からないカオス空間が発生してしまった。
最後には、
「もう、知らないッ!」
シルフェがプイっとそっぽを向いてしまった。 完全にすねてしまったようだ。 いったい何があったのだろうか。
ここで、ハタヤマがポツリと呟く。
「セリアが全ての魔法を本にしたんだよね。 …それって、すっごく危険じゃないの?」
その魔導書が心ない者の手に渡ってしまえば世界は混乱に包まれるだろうから、ハタヤマの疑問はもっともだ。 というか是非ともゲットして、闇オークションでボロ儲けしたいとハタヤマは考えていた。
どうしようもなく邪な奴である。
「でも、ちゃんと纏めておかないとどれが禁断魔法だか分からないでしょ
だからセリアの魔導書以外は、その殆どが焼かれて灰にされたんだ」
それしか書いているものが無ければ、覚えようがないというわけだ。 伊藤くんのもっともといえばもっともな意見に、ハタヤマはガッカリした。 それならあとはセリアの魔導書を厳重に保管しておけば、危険は少ないだろうと考えたのである。
まったく残念でやるかたない。
ふと、伊藤君が思い出したように口を開く。
「そういえば、うちの学院にも一冊だけ古代の魔導書が展示されてるよ」
ほら、と伊藤君が図書室の一角を指さした。 そこには、ショーケースに保管された魔導書がポツネンと置かれている。 その一角だけ他とは何となく流れている空気が違い、
しかも正体不明で透明な壁が、ショーケースの外側を封印するように厳重に包みこんでいる。 ハタヤマは本能的に、あの壁に触るとケガをすると感じた。
強引に突破しようとすれば、腕がもげるかもしれない。
「それは知ってるよ、ネクロノミコンでしょ?
……でも、なんだか固そうだね」
「ショーケースのことかい?」
ハタヤマの主語のない言葉に、伊藤くんは首をかしげる。 確かに固そうだと言われれば、ショーケースのことしか浮かばないだろう。
「違うよ、その外側だよ なんか透明な壁が張られてるでしょ?」
まったく、あれじゃあ読めないじゃないか、とハタヤマはムッとした顔で悪態を付く。 図書室なのに読めない本があるなど、意味がないのではないだろうか。
ハタヤマのその言葉に、シルフェと伊藤君は驚いた顔をする。
「ええっ! ハタヤマくん、あれが見えるの?」
シルフェがビックリして眼を見開いている。 いったいどういう事だろうか。
「? それがどうかしたの?」
見えるも何も、あるんだから見えるに決まっている。 しっかりと見えているハタヤマには、目の前の二人が何故驚いているのか分からなかった。
「高度な結界は、熟練の魔女っ娘でなければ見ることすら出来ないんだよ」
要領を得ないシルフェの言葉に、伊藤くんが補足してくれた。 なるほど、転入間もないハタヤマがそんなものを見ることが出来るのが、にわかには信じられないらしい。
ボクだって存在は知ってるけど見ることはできないんだよ、と伊藤君は言い添える。 しかしハタヤマは何回目を擦ってもやっぱり無くなったりしないので、伊藤くんの言葉の意味がどうやっても理解できない。
だが
「……まあいっか」
そもそも見えようが見えまいがそれでどうにかなるわけでもない。 なのでハタヤマは深く考えないことにした。 適性検査を受けようと思っているくせにもうそんなことを忘れている。 大きなヒントだというのに。
結局、この事実の価値が認められることは無かった。
「そんなに凄い本なら、読むだけで最強になれるのかな?」
またハタヤマがテキトーなことを言い出す。 この男は、常に楽をすることしか考えないのだろうか。 あまりにも自然な切り出し方だったので、シルフェはあっけにとられている。 彼の直球過ぎる物言いに、伊藤くんは難しい顔をした。
「いや、たとえ読む機会に恵まれたとしても……
古代の魔導書の殆どは特殊な魔気インクで書かれているから、よほど読解能力が高くないと読めないよ」
新たな単語が出てきたので、早速ハタヤマが質問する。 魔気インクとはその名と通り魔力を含んだインクで、魔力がない者には読めないような処理をするときに使われるマジックアイテムだ。 ある植物の絞り汁と魔力を合わせて作られるらしいのだが、その植物は非公開で作り方は協会の専門の部門に属する数人しか知らない。 読めないことを利用した悪用を避けるためだ。 もっとも、質を下げればどうにか作ることも出来るが。
魔女っ娘の読解能力とはただ本を読む力というわけではなく、術者の魔力と知力を合わせて二で割った値だ。 これの強さに反応して、魔気インクや特別な処理を施された石版などを読むことが出来るかが決まる。 当然足りなければ読むことは出来ないし、ひどいときは白紙に見えることもあるのだそうだ。 レベルが足りないということである。
「ふ〜ん…じゃあ、誰ならあれを読めるのかな?」
言いながら、ハタヤマはネクロノミコンの方を見る。 おそらく読めやしないだろうが、やってみたい気はバリバリである。 だが本気でそんなこと言ってると思われるのもアレなので、一応予防線は張っておく。
「いや、そんなに凄い本なら、どれくらいのレベルなら読めるのかなって
学院内限定でね」
ハタヤマの言葉に、伊藤君はしばし考え込む。 やはり学院内だけという限定した範囲では、読めるものは少ないのだろう。 ここで教員の名前を出した場合、無条件でハタヤマは伊藤くんを見限るだろう。 空気が読めない奴は嫌いだ。 信頼しているからこそ、言葉少なに止めたのだ。
その辺りは伊藤くんも心得たもので、己の美少女データベースから候補者を洗い出してるようだ。
「う〜ん……いろいろいわくつきの人だけど
やっぱり、ルシフェル・ナナリさんかな」
それを聞いて、ハタヤマはとても意外だった。 ここでその名前が出るとは思わなかったからだ。
ルシフェル・ナナリ
廊下で見かけた女の子。 何だか寂しそうだったから、おもわず声をかけてしまった。 声をかけたら乏しいながらもちゃんと目線を合わせてくれて、自分をぬいぐるみ扱いしなかった女の子。
気がつくと、ハタヤマは伊藤君に問いかけていた。
「いわくって、どんなのなの?」
そう聞いてみると伊藤くんと、シルフェまで怯えたような顔をする。 いったい何事なのだろうか。
「え〜、ここで言うの? …わたしは、地獄耳だって聞いたよ」
「それに、聞かれると呪いをかけられるとかも言われてたね」
それを聞いて、ハタヤマの脳は急速に冷えていった。 なんだ こいつらは噂だけでこんな反応をしているのか 実際に本人と会話すらことすらせず 信用できるか解らない噂で他人に値札を付けているのか
ハタヤマは人を見た目や噂で判断する奴が嫌いだった。 そういう奴らは皆一様に噂ばかりを信じ、現実のその人を見ようとしない。 話したこともないくせに、解ったような口をきくのだ。
「……ヤマくん、ハタヤマくん、どうしたの?」
気がつくとシルフェが目の前にいた。 後ろから遠慮がちにこちらを見ている伊藤君も、なんだかとっても心配そうだ。 どうやら思考に沈んでいたようだ。 すぐ傍の彼らのことすら、意識の外に追い出していた。
「いきなり黙っちゃって、どうしたの? 具合悪いの?」
「大丈夫かい、ハタヤマさん?」
ハタヤマは頭をぶんぶんと左右に振り、曖昧に笑いながら口を開く。
「ちょっとぼーっとしちゃっただけさ なんでもないよ」
そう言って手をぷらぷらさせる。 この子たちに悪気は無いはずだ。 キレてはいけない、いけないんだ。
ハタヤマは必死に言い聞かせるが、無情にもその話題は続く。
「そういう噂もあるから、詳しくはあまり言いたくないんだよ
ほら、あそこにいるでしょ?」
伊藤君が今度は図書室の奥を指さす。 すると確かにそこに彼女はいた。
ただひたすらに本だけを読み続けて、時折なにかをノートにメモしている。 その姿からは何の感情も感じられない。
だが、ハタヤマは確かに何か感じた。 放っておけない感情を。
「……ちょっと話しかけてくるよ」
「ええっ! やめなよ、危ないよ!」
「流石ハタヤマさんだね、やっぱりボクが見込んだ通り…」
ハタヤマがそう言うと驚いた後、シルフェは必死に止めようとする。 根も葉もない噂を信じ、取り殺されるとでも思っているのだろう。 伊藤くんは何を考えているのか、尊敬の視線をハタヤマに向ける。
そんな彼らの全てが、ハタヤマに嫌悪感を与えた。
「うるさいよ」
ハタヤマの冷え切った呟きに、シルフェはビクッと身体を震わせた。 初めて聞くハタヤマの冷め切った声色に、かなりの衝撃を受けたようだ。 伊藤くんはその迫力に、ぶるぶると身体を震わせて縮こまってしまっている。
「ど、どうしたのハタヤマくん? こ、恐いよ」
「くだらない噂なんて信じてないで、少しは相手を理解する努力をしたらどうなの?」
上辺しか見ない奴らなんかと、共に過ごす時間は持ち合わせていない。 悪気がない相手だからこそ、これはたちが悪いのだ。
「不愉快だよ」
そう言いながらもずんずん二匹から離れていく。 シルフェはなんとか引き留めようと、健気にも手を伸ばしたのだが……結局、その手は虚しく空を切るだけ。
そこには、項垂れるシルフェと、縮こまる伊藤くんだけが残されているだけだった。
「やあ、ルシフェルちゃん」
よじよじと机によじ上りながら、ハタヤマはルシフェルに声をかけた。 その様子を見たルシフェルは、呆れたようなため息をつく。 それを見たハタヤマは脈がない訳ではないと感じた。
大げさに涙を拭く真似をしながら、会話の糸口を手繰り寄せようとする。
「どうしてため息をつくんだよぅ〜 ボクのこと嫌いなのかい?」
「あなた……信じてないでしょ」
そう言ってルシフェルはじっとハタヤマを見つめる。 対してハタヤマは、何のことなのかが解らず頭に疑問符を浮かべていた。 いったい何のことだろうか。
頭を捻ってを考える…解らない。 頭を捩って考える…まだ解らない。 頭を…
「…もういいわ。 あなたを見ていると、馬鹿らしくなっちゃった」
ルシフェルはいっそう呆れた気配を強める。 その様子にハタヤマは内心「よっしゃ!」とガッツポーズを決めながら、表面上は不思議そうな振りをしてさらにしつこく絡んでいく。
「なんだいなんだい、どういうことだい?」
「……お友達は、呪われるって言ってたでしょ」
淡々とした様子で、ルシフェルは言葉を紡ぎだした。 どうやら聞こえていたようで、言外に地獄耳のことも匂わせていることが窺える。 しかし、何故かハタヤマにはルシフェルが悲しんでいるように見えた。
何故そう思うのかは解らない。 だけど、無性に悲しそうに見える。 そしてそう感じる自分が、とても矮小な何かに思えた。 そんな想いを振り払うように、殊更明るげに振る舞うハタヤマ。 こういう場合引いてはいけない。 押して押して押しまくるのだ。
「ふふふ、甘いね ボクには超感覚という技能があるのさ
人間の数十倍の視覚、聴覚、嗅覚まで備わってるんだぜ?」
いきなり始まった感覚器官の話に、ルシフェルはきょとんとした顔をする。 だが、ハタヤマの狙いはまさにそれだ。 矢継ぎ早に話を続ける。
「はっきり言って、ボクの方が数段上さ」
そこまで言うとルシフェルはハッと驚いたようだ。 そう、人間であるルシフェルと自分を比べれば、どう比較しても自分の方が勝っているだろう。 確かに人間にしては強い感覚を持っているようだが……しょせんは人間、その程度である。
つまり地獄耳だと言っても、そう驚くことではないのだ。 上には上がいるのだから。
「それに、むかつく噂をされたらボクだって呪うくらいするさ」
むしろ相手を殺せる分、羨ましいくらいである。 呪い(まじない)くらいで殺せるなら、今まで何人殺してきたことか。
ルシフェルはハタヤマの真意を見極めようとしているのか、話にじっと聞き入っている。
「でも、君はそんなことしない 何故なら、ボクはまだ死んでいないから」
にこりとしながら、パチッとウィンクするハタヤマ。 ルシフェルはそれを見て一瞬虚をつかれたような顔をした後、すぐに口の端をつり上げ不気味な笑みを作りながら、ハタヤマに言う。
「……寮に戻ったら、死んでるかもしれないわ」
普通ならここで引くのだろうが、あいにくハタヤマはそうしない。 精神的にタフネスなのもあるが、何よりそんな無理矢理な笑顔で怯むほどヤワな人生送っていないのだ。 強がりなんてすぐに解る。 何故なら自分も○○○○いるから。
「それこそまさかさ 相手を殺すほどの危険人物なら、昨日の時点でボクは死んでるはずだ
それに本当に殺す気なら、殺す相手にそんな言葉を掛けたりしないよ」
そこまで言うと、ルシフェルは黙りこんでしまった。 おそらく、今までそんなことを言われたことがなかったのだろう。 今言うべき、返すべき言葉が見つからないのだ。 そんな様子を、ハタヤマは優しげに見つめている。
ハタヤマはさらに続ける。
「ルシフェルちゃんは難しく考えすぎさ
ボクみたいな不埒な輩は、適当にあしらっておけばいいのさ」
まさか本人からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。 ルシフェルはハタヤマの言葉に唖然としている。
「鬱陶しくなったら殺せばいい なんたってボクはしつこいからね
嫌がったくらいじゃ諦めないよ」
ルシフェルは口をぱくぱくしながら、必死に何か言おうとしている。 ハタヤマは彼女の言葉を、ただじっと待ち続ける。
「……嫌なんかじゃ、ない」
本来なら、決して言うはずのなかった言葉。 ここまで来ればこっちのものだ。
「なら、今日からボクらは友達だ よろしくね、ルシフェルちゃん」
ハタヤマは手を差し出す。 ルシフェルは震える指で、しかし、しっかりとその手を握った。 この日、ルシフェルに新しい友達が出来たのであった。
「そしてもっと仲良くなるために、その胸の中でなでなでして〜ッ!!」
突然ハタヤマがルシフェルに飛びかかる。 せっかく良い雰囲気なのに、とことん空気の読めない奴である。
「きゃあッ!」
反射的に避けるルシフェル。 その背後には、図書館らしく大きな本棚が天高くそびえ立っていた。
ゴガンッ!
「ぐえぶッ!」
全力で本棚に激突するハタヤマ。 生物からは聞こえてはいけない、あり得ないほどの重たい音が周辺に響き渡る。 ルシフェルはその鈍い音に、顔を痛ましく歪ませた。 哀れ、ハタヤマここで死亡か、と、思われていたのだが……
「い、痛いよぉ……避けないでよ〜」
なんと驚くべきことに生きていて、怪我一つ無くぴんぴんしていた。 しかも心の中では、やっぱりまだおっぱいダイブは早かったか……、と最低なことを考えている。 エロスとロマンが組み合わされば、生命力が増大するようだ。 どっかの文珠使いのようである。
そんなハタヤマの変わりない様子を、困惑した表情でルシフェルは観察していた。 これはまさか……
「……魔法、使ったの?」
「? 使ってないよ?」
ハタヤマには身に覚えがない。 しかし、インパクトの直前に現れた魔力反応や、無傷のハタヤマを見れば魔法を使ったとしか思えない。 ルシフェルはひどく混乱した。 何故ハタヤマは生きているのか……
だが、彼女にゆっくりと考える時間は与えられなかった。
ドドンッ …ドドンッ! ……ドドンッ!!
静寂を切り裂いた突然の地響き。 二人は顔を見合わせて、おそるおそるその音がした方向を見た。
「……ゲッ」
「…………………」
そこには本棚が将棋倒しの要領で、一枚一枚倒れていく悪夢のような光景が広がっていた。 有名な学院の図書館だけあってその蔵書量は凄まじく、天井まであるので倒れる様はまさに本の雪崩であった。 本棚の間で本を探していた生徒達は、我先にと競って逃走を試みている。 逃げ遅れれば、ただでは済むまい。
「川辺、あんたは骨無いから平気でしょ!」
「根黒こそ、バラバラになっても死にゃしないわよ!」
骸骨とミジンコが醜い足の引っ張り合いをしている。 双方が双方を身代わりにしようと、牽制しあいながら走っている。 こいつらも第二話で顔見せしていた、ミジンコ根黒とガイコツ川辺の二人組だ。
「ちょっとあんた、どきなさいよ!」
ドンッ!
「いてぇ!」
間の悪いことに進行方向で立ち止まっていたツンツン頭が、彼女らのターゲットにされる。 「ジャマよ!」とでも言わんばかりに力一杯跳ね飛ばされ、マイケルは絨毯の床に転がった。 やはり彼は痛い目に遭う星の下に生まれたのだろうか。
それをやはり見ていたパツキンは、当然のように助けに戻ろうとする。
「ああ、マイケルが倒れた! 待ってろ、今助け…」
ガシィ!
「あきらめろ! 今戻ったらおまえまで巻き込まれるぞ!」
助けに戻ろうとしたルーズベルトを、目つきの悪い男が後ろから羽交い締めにする。 その顔は本当に辛そうで、目尻には涙が浮かんでいた。 彼もやっぱりツラいであろう。 だが、ルーズベルトはベルナルドの静止を取り合わない。
「くっ、放せ、放せよベルナルド! マイケルが、マイケルがぁっ!」
パツキンが半狂乱になりながらもジタバタと暴れまわる。 よほど友達が大事なのだろう。 ベルナルドはその勢いに耐えきれず、両手を振り解かれてしまった。
倒れ伏したマイケルに向かって、一目散に駆け出すルーズベルト。
「マイケルーッ!!」
「ま、待て、戻ってこいルーズベルトーッ!!」
ルーズベルトは本の雪崩の中に舞い戻り、そのまますっかり消えてしまった。 今もなお鳴り響く本棚の倒れる地響きの中で、それは一つの事実をベルナルドに突きつける。
彼らはもう、戻ってこないということを。
「ちくしょぉ……ちくしょおおおおおおッ!!!!」
ベルナルドははがっくりと膝から崩れ落ちた。 もう戻らないかもしれない雪崩に消えた友達のことを思い、ポロポロと涙を流しながら。
「あわ、あわわわわわわわわッ! ほ、本棚がぁ〜!!」
その脇で、図書委員の女の子があたふたと焦っていた。 彼女は今夜帰れないかもしれない。 ご愁傷様である。
そんなドラマがあったことなどつゆ知らず、ハタヤマは慌てふためいていた。 このままでは自分たちが犯人にされてしまう、と。 犯人の分際でおこがましい奴である。 こういう場合取るべきは一つ。
「ルシフェルちゃん、逃げよう!」
態勢の不利を悟ったハタヤマは「コマンド:逃げる」を選択した。 ルシフェルの手を尻尾で巻き付け、一目散に出口へ走る。 ルシフェルはあっけにとられ、ハタヤマをふりほどけなかった。
「それから、明日の授業のパートナーになってもらうよっ!」
「え、ええっ?」
「返事したね! よし、決まりっ!!」
どさくさ紛れに明日の約束まで取り付け、一気に距離を縮めたハタヤマ。 その時の彼の頭の中には、ルシフェル以外の人間はいなかった。
久々のスリリングに酔いながら、彼は図書室を脱出するのであった。
――――その夜、一人の女生徒が何者かに襲われる
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