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2010-12-13(月)
期待はずれの作品に怒ることは当然か?
このあいだ敷居さん(id:sikii_j)とこの件についてTwitterでやり取りしたんだけれど、いやまあ、どうなんだろうね。正直にいうと、ぼくは「ある作品が自分の好みに合わないからといって怒るひと」は非常に苦手です。
ぼく自身はあきらかにそういうタイプじゃなくて、「ある作品に失望したら、黙って去っていくひと」なんだけれど、ま、もちろん、だからといって作品を批判するな、といいたいわけではない。
ある作品の「手抜き」や「質の低さ」に対して怒ることは、それはまあ、正当だと思う。たとえば『HUNTER×HUNTER』の下書き掲載について怒ることはわかる。ただ、「自分の好みに合わないこと」を怒るのはなあ。そんなの怒ってもしょうがないじゃん、と思わずにはいられないんですよね。
もちろん、どこまでが「客観的な良し悪し」で、どこからが「主観的な好み」になるのか、厳密な基準があるわけじゃないので、ぼくから見て主観で怒っているように見ても、そのひとにとっては客観的な基準があるのかもしれない。
でも、「自分の期待したカップリングにならなかったから怒る」とか、「自分が予想した展開にならなかったから怒る」とかは、これはもう、あきらかに難癖に近いものじゃないか?
いや、怒ることそのものはそのひとの勝手だけれど、それをネットを通して表現したら作者やほかのファンの目に届く可能性があるわけですよね。そうなると、それはもう、個人の感情の発露という次元を超えているんじゃないか。
くり返すけれど、作者や作品を批判するな、といっているわけじゃありません。しかし、その批判の基準はあくまで「良し悪し」に置かれるべきであって、「好き嫌い」に置かれるべきじゃないんじゃないか、といっているわけです。
主観と客観、「良し悪し」と「好き嫌い」は区別しましょう、ということですね。ま、先述したようにこれがなかなかむずかしいんだけれどね。マナーを守って批判しようぜ、ということかもしれない。
この話の前提になっているものは、「作品は作者のものなのか消費者のものなのか」という問題だと思う。「作者は作家のものだ」と考えるならば、作者が何しようと作者の勝手ということになるでしょう。一方、「作品は消費者のものだ」と考えるなら、作者の横暴許すまじ、という話になるに違いない。
ぼくはどちらかといえば前者に近い立場であるわけだけれど、まあ、べつに「作品は作者のものなのだから作者が何やろうと勝手」とは思わない。でも、同時に「作品は消費者のものなのだから作者は消費者の欲望に応えるべき」とも思えない。
結局のところ、作品は誰のものでもないのでしょう。作者がその作品をより良くしようとする努力を怠ったときには批判されるべきだろうし、読者が作品を自分のもののように思い上がったときには、やはり批判されるべきだということかと。
で、まあ、「作者も消費者も両方満足する」ことが理想であることはいうまでもありません。いわゆるWin-Winの関係ですね。これは非常にむずかしいことなのだけれど、時折り、奇跡的にこういう条件を満たす作品が生まれて、傑作として賞賛されることになる。
でも、特に大長編ともなると、どこかでそのバランスが崩れることが少なくない。長い話はいつまでも読者の期待するラインをたどってはいかないことが普通。そういうとき、読者は期待はずれの失望を味わわされることになるわけですが――やっぱりね、だからといって怒ることはないんじゃないか、という気分はありますね。
作家は、サービス業ではあっても、べつに消費者に滅私奉公しなければならない立場ではないわけです。消費者はべつに王様ではない。いや、王様ではあるとしても、首をはねられた王様だっていくらでもいる。
これはドラマ『王様のレストラン』のセリフですが、本当にそうだと思う。未熟なサービスマンがくびになってあたりまえであるのと同様、しかるべきマナーを守ろうとしない王様は首をはねられてしかるべきではないか?
おたがいに気持ちよく作品を楽しめるようであればいちばんいいんでしょうけどねえ。なかなか、そうはいかないんだろうな。でも、「作家は消費者の召使い」だとは絶対に思わないし、卑しくもファンを名乗るなら「創作」という奇跡に対しては一定の敬意は払ってほしいな。
一切消費者のことを考えずひたすら自分のエゴを満たすことだけを考えたとき、作家は魅力を失うのかもしれない。でも、作家の心配りやサービスを「単なる当然のこと」と見なしたとき、消費者はただひたすら要求するだけのモンスターになっていくのではないか。ぼくはそう思う。
「このカップリングしか認めない」とか「このキャラが負けるなんて許さない」とかいいだすことはやはりぼくには過剰な要求に見える。まあ、どこまでが適性な要求かということは微妙な問題ではありますが――でも、やっぱりアウトな要求ってあると思うんだ。
そう思わん?