神魔万象
そこは神魔界の最深部、『魔創殿』
ここに鎮座する魔界のあらゆる負の力を凝縮させた『魔創卵』にマステリオンの魂を封じ込めた聖龍石を投げ入れると、その負の力によって聖龍石の中のマステリオンの魂は活性化し、現世に復活を果たすことになる。
ボーンマスターが地上でテラスをそそのかして聖龍石の封印を破らせたのも、すべてはここに聖龍石を持ってくるためだった。
過去の栄誉よ今ひとたび!の思いを募らせ、光の戦士と彼らに力を貸す魔界元帥ベリアールの追撃を必死の思いで振り切り、ボーンマスターはとうとう魔創卵の前までたどり着いた。
「とうとう……とうとうここまで来たのだ!!」
後はここに聖龍石を入れれば、1000年の悲願であったマステリオンの復活を果たすことが出来る。
とはいえ、残されている時間は少ない。
マステリオンの復活をなんと阻止しようとしている光の戦士たちはもうすぐそこまできているのだ。
掻き集めた部下も悉く討ち果たされ、魔創卵の門番であるアカラ、ウンカラの断末魔も先ほど響いてきた。
光の戦士たちがここにたどり着くのも時間の問題だ。だからこそ一刻も早く!
ボーンマスターは懐に大事にしまっていた聖龍石を急いで取り出すと魔創卵の中へ投げ込もうとした。
その時
「そこまでだ、ボーンマスター!!」
ボーンマスターの背後から忌々しい声が響く。
そこには、光の戦士たちを先導して来た魔界元帥ベリアールが怒りに満ちた顔でボーンマスターを睨みつけていた。
「ぐっ、ベ、ベリアール!!」
「ボーンマスター…この恥知らずめ。あのマステリオンを復活させようなどと…。魔界の者として見逃すわけにはいかん!」
ベリアールには、過去に魔界の実力者であったマステリオンの召集を受け地上に侵攻したことがある。
あの時、自分は協力者の立場であったのにまるで配下のような扱いを受け、そのプライドを酷く傷つけられたことがあった。
しかも、自軍の損害も全く省みず、ただ破壊と混乱をもたらすだけだったマステリオンの戦いっぷりはベリアールの戦いの美学からは全く受け入れがたいものであった。
だからベリアールは中央大陸に地上の軍勢が入り込んできたところでもうマステリオンに付き従う義理はないと決断し、同士のアリオク、アスタロットと共にとっとと魔界へと帰還してしまった。
このことがなければマステリオンが敗れることはなかったと、ボーンマスターはベリアールのことを心底恨み続けており、またベリアールのほうも自分の部下でありながらマステリオンに尻尾を振るボーンマスターのことを疎ましく思っていた。
この頃から二人の確執は修復しがたいものとなっており、ベリアールの粛清を恐れたボーンマスターは魔界から逐電し1000年もの間マステリオンを復活させるチャンスを狙っていたのだ。
すべては自身の立場の回復のため。そして、自分に塗炭の苦しみを味あわせたベリアールへの恨みを晴らすため。
「最早逃げられぬぞボーンマスター。大人しく観念しろ!」
ベリアールと5人の光の戦士がじりじりとボーンマスターを包囲してくる。普通ならこの時点で詰みだろう。
が、ボーンマスターは観念するどころかそのこけた顔を醜くゆがめて笑った。
「観念…?観念しろだと!
バカめ、観念するのは貴様らのほうだ!!」
勝利を確信しているボーンマスターが高々と掲げたのは、翡翠色に光る聖龍石。
ボーンマスターはくるりと魔創卵のほうへと向きかえると、聖龍石を投げ込もうと大きく振りかぶった。
「?!いかん!ボーンマスターにそれを投げさせるな!!」
ベリアールがあせって叫んだがもう手遅れ。
ボーンマスターの手から離れた聖龍石は、大きく弧を描いて魔創卵の中へと吸い込まれていった。
そして…
魔創卵から放たれる闇の波動を聖龍石はぐびぐびと吸収して、両手に余るくらいの大きさだった聖龍石はどんどんとその大きさを増していき、美しい翡翠色をしていた石は次第に暗い深緑色へと変わっていった。
それに伴い、聖龍石から光の戦士たちが今まで感じたこともないほどの強烈な邪悪な瘴気が周囲に発散されてきた。
その瘴気はあまりにも強大かつ濃く、噴きだす黒い瘴気で聖龍石が見えなくなるほどのものだった。
「うぁ……、あ……」
リュウガは目の前で瘴気が次第に人の形をとっていく光景を、何も出来ずに呆然と眺めていた。
これはリュウガだけではない。
タイガも、ショウも、シズクも
年長者のオウキですらマステリオンが復活せんとしているにも拘らず、指一本すら動かすことが出来なかった。
それだけマステリオンが持つ力が桁を外れており、自分たちではどうすることも出来ないということを本能で察していたのだ。
やがて、どす黒い瘴気は一つの姿を形作り、その瞬間瘴気の内にあった聖龍石が澄んだ音を立てて粉々に砕け散り、破片が瘴気の内から辺り一帯に飛び散った。
直後、瘴気の固まりが靄のように消え去り、中から荘厳な黄金の甲冑に身を包んだ魔神…
かつて魔界を席巻し、地上にまで己の触手を伸ばした破壊の化身、マステリオンがその姿を現した。
「……我、復活せり!」
1000年という気の遠くなる時間を経て、過去の悪夢が今また再現されようとしていた。
☆
「つ……強い!」
これで何度目だろうか、リュウガが打ち込んだ渾身の斬撃をマステリオンは事も無げに片手で受け止め、そのままリュウガを力任せにぶん投げた。
疲労から最早受身も取れず、リュウガは背中から派手にもんどりうって倒れこんでしまった。
「うぅ……、リーダー!タイガ、ショウ、シズク…!」
リュウガの声に答えるものはいない。
オウキ以下全員マステリオンの圧倒的な力に蹂躙され、周囲に倒れ付している。
彼らとて決して未熟なわけではない。この魔界の冒険で地上にいた頃よりはるかに武技の腕は熟達し、さらにベリアールから授かった『聖獣合身』によって守護獣と合身したことにより、人間として有する限界に近い力を身に付けている。
が、それですらマステリオンの持つ力と比べたら微々たる物でしかなかったのだ。
ちなみにマステリオンとまだ対抗できうる力を持っていたベリアールはボーンマスターと相打ちという形になり、ボーンマスターの最後にはなった魔力で石と化してしまっていた。
「ひ弱な地上のものよ……。貴様らの微々たる力ではこの我に抗することなど出来ぬ……」
マステリオンの勝ち誇った台詞がリュウガの心にズキズキと響く。
「我の復活を阻止しようと魔界の最深部まで来たことは評価に値はするが…、無駄な努力だったな」
マステリオンは痛みで動くことが出来ないリュウガを掴み上げると、息がつまらない程度に力を加減しながらもぎりぎりと首根っこを締め上げた。
「がはぁっ…」
「貴様らのせいで我に付き従う者共も大分数を減らされてしまった…。その責任は、とってもらわないとな」
宙吊りにされじたばたともがくリュウガに、マステリオンの背中からうぞうぞと蠢く光の触手(ライト・テンタクルス)が1本ひょろりと伸びてきた。
光の触手はリュウガの顔へと伸びてくると突然その先端がパクリと割れ、中から真っ青な血管にびっしりと覆われた眼球が出現しリュウガをぎょろりと睨みつけた。
眼球はリュウガの全身を忙しなくキョロキョロと眺め、触手の先端からは生臭い青い液体がとろとろと流れ落ちている。
「ぐぁ……。な、なんだこれ……」
血の気が引いて薄ぼんやりとした視界で光の触手を見たリュウガは、そのおぞましさに眉を潜めた。
「この光の触手を植え付けることで、貴様らは我の忠実な配下となる。
1000年前に地上を侵略した際も、我はこれを各部族王に植え付けたことで地上侵略の基盤を築いたのだ。
心配するな、痛みはない。痛みなど感じる間もなく、その身も心の隅に至るまでもが我への忠誠心で満たされるであろう」
「なっ?!」
マステリオンが自分たちを皇魔に堕とそうと画策していることにリュウガは愕然とした。
このままではマステリオンを倒すどころか、自分たちが地上侵略の尖兵として使われてしまうことになる。
見ると、リュウガだけではなく他の4人にもマステリオンの光の触手が絡みつき、体内に潜り込もうとしている。
「や、やめろ、やめろぉ!!」
じたばたとリュウガはもがくが、不安定な姿勢の上首根っこを抑えられているのでびくともしない。
その間にも、光の触手はリュウガの口から侵入しようと眼球をぐりぐりとリュウガの口に押し付けてきている。
「んーッ!ん―――ッ!!」
口に入れさせまいとリュウガは必死に口を噤むものの、押し込んでくる物凄い力と眼球から滴る粘液の滑りが頑なに閉ざしたリュウガの口をじわじわと開かせてきている。
そして、抑える箍が一瞬緩んだ隙を逃がさず光の触手はリュウガの口をこじ開けてズルズルッ!と潜り込んで来た。
「むぐ―――ッ!!」
顎が外れるくらいの触手の太さと粘液のおぞましい味にリュウガはくぐもった悲鳴をあげた。
「終わりだ。これでお前達は我の忠実な配下となる」
勝利を確信したマステリオンは、そのまま光の触手をリュウガに飲ませようとズルズルと侵入させてきた。
リュウガも懸命に飲み込むまいと喉に力をこめたが、触手から染み出る粘液が潤滑油の役目をしてお構い無しに突き進み、歯で触手を噛み千切ろうともしたが弾性が高い触手は全く歯を通そうとしなかった。
おまけに染み出る粘液が喉を通るたびに胸の奥が酒でも飲んだみたいにカァッと熱くなり、抵抗の意思を根こそぎ奪っていく。
あれほどおぞましいと思っていた光の触手に妙な愛着が湧き始め、もっともっと体の中へ入れたいという欲望がもたげてくる。
(も、もう……ダメだ……)
内から燃え上がる熱でのぼせたように顔を赤らめたリュウガは、くてんと全身を脱力させて触手への抵抗を止めてしまった。
邪魔をされることがなくなった光の触手はそのままリュウガの中へと潜り込んでいき、身体に寄生しようとした時
バシィッ!
突如マステリオンの光の触手が物凄い光を発したかと思うと、すべて根元から消滅してしまった。
「なにっ?!」
まさか抵抗する術がないと思っていた光の戦士がこんな芸当を出来るとは思わなかったマステリオンは驚愕に目を見開いた。
が、驚いたのはマステリオンだけではなかった。
リュウガも、他の戦士たちも突然自分たちの戒めが解けたことに何が起きたのかわからないといった顔をしていた。
実際、彼らは何をしたわけでもない。
もうダメだと全員諦めかけていたところ、すべての触手が消え去ってしまったのだから。
「え……なにが、起こったんだ……?!」
絶体絶命の危機を脱したものの訳がわからないリュウガが首を傾げた時、彼ら光の戦士たちの真上で突如眩い光が疾った。
青、白、赤、緑、金
疾った五色の光の固まりはやがて其々人をかたどり、マステリオンを見下ろすかのように出現した。
「なっ?!お、お前らは!!」
その姿を見て、マステリオンの顔に明らかな動揺が走った。
なぜなら、現れた五色の光の姿は、1000年前に彼を封じ込めた伝説の4人の部族王(+1)のものだったからだ。
『そこまでだ、マステリオン!』
青い光…、4部族王のリーダーであり神羅連和国初代皇帝サイガが、手に持った七支刀をマステリオンに構えながら啖呵を切った。
「お前ら……、とうの昔に死した身でありながら、なおも我の邪魔をするか!!」
『お前が一向に反省しないもんだからよ、おちおち死んでもいられねぇんだよ!』
獣牙王エドガーが眉を潜めてマステリオンを睨む。
『1000年前、あなたを滅ぼせずに封印するしかなかったのは僕たちの手痛いミスでした』
飛天王アレックスが悔やむかのように胸を抑える。
『だって、こんな風にいつ復活してくるか分からないんだもの』
鎧羅王ポラリスが勇ましく剣を構える。
『だから我々は聖龍石から万が一お前が復活した時に、同時に復活できるよう思念を込めておいたのだ』
4部族王ではないものの、当時最強の力を持っていた輝煌王シリウスが自慢げに語る。
「お、おのれぇ……死んでなお我の前に立ちはだかるか。
聖龍王サイガ!!」
マステリオンの声には苛立ちと怒り、そして多少の脅えが混ざっている。
1000年の時を過ぎたとはいえ、狭苦しい聖龍石に封じ込められたことへの怒りと恐怖は早々易々とは消えはしない。
それまで居丈高な態度に終始していたマステリオンが、4部族王(+1)を前に明らかに怯んだ表情を見せていた。
そして光の戦士たちも、自分たちの前に現れた伝説の部族王に気圧されていた。
部族王たちは自分たちの直接の先祖であるのだが、内から発せられる雰囲気が自分たちに比べて桁違いに大きいのが嫌でも感じられる。
その辺は所詮ただの戦士である自分たちと、王にまでなった彼らとの差なのであろうか。
『リュウガ……だったな』
「サ、サイガ、さま…」
マステリオンを倒して神羅連和国を作り上げ、その強さは伝説にまでなったサイガ。
そのサイガに自分の名前を呼ばれ、リュウガは心臓が飛び出そうなほど緊張し片言の返事しか返すことが出来なかった。
『すまない。俺たちの至らなさから、子孫のお前達にこんな迷惑をかけてしまって……』
「い、いや……迷惑なんて、そんな……」
おどおどと言葉を返すリュウガにサイガは苦笑したが、すぐにマジな顔に戻ってマステリオンを睨みつけた。
『マステリオンは、以前俺たちが封印した時よりはるかにパワーアップしている。きっと、魔創卵の中にあった邪気を全て吸収したのだろう。
このままでは、マステリオンは周辺の邪気、瘴気をどんどん吸収し手のつけられない存在になってしまう。
そうなる前に、マステリオンを倒さなければならない!』
それはリュウガもわかる。マステリオンは時間がたつごとにどんどんその力を増していっている。
最初の時でさえ恐ろしいまでのパワーを持っていたというのに、これ以上強くなったら自分たちは言うまでもなく地上、魔界を含めて誰もマステリオンに敵う者はいなくなってしまう。
『残留思念である俺たちには、今のマステリオンを直接倒す手段はない……
だから、リュウガ!お前達に俺たちの力を貸してやる!全ての力を解き放て、リュウガ!』
そう言うなりサイガの身体は青い光になり、リュウガの中へと吸い込まれていった。
『俺様の力をくれてやる!!マステリオンをぶっ飛ばしてやれ、タイガ!』
エドガーの白い光がタイガに吸い込まれていく。
『僕らの成せなかったことをショウ、あなたに託します!』
アレックスの赤い光がショウに吸い込まれていく。
『シズク!貴方の大事な人を守ってあげなさい!!』
ポラリスの緑の光がシズクに吸い込まれていく。
『オウキ!奴はこの場で絶対に食い止めなければならないのだ!私の力であの仇敵を討て!!』
シリウスの金の光がオウキに吸い込まれていく。
光の戦士はその名の如く五色の光に包まれ…
「「「「「こ、これは……」」」」」
そこには伝説の部族王と聖獣合身を果たした光の戦士たちが出現していた。
その内に宿る光に相応しい金色の鎧を身にまとい、溢れんばかりの力が体内を満たしている。
「これが…伝説の部族王の力…」
「すげぇ…、これならマステリオンだろうとなんだろうと相手じゃねえぜ!」
「まさに絶好の好機というやつです!」
「ご先祖様…ありがとうございます!」
リュウガたち4人は自分たちの危機に現れた先祖達に心から感謝した。
先ほどまでの劣勢はどこへやら、光の戦士たちの心にはこの先いけるかもしれないと言う大きな希望が沸き立ち、それまではあまりの強大さから畏れの対象でしかなかったマステリオンにも五分五分の気持ちで相対することが出来ていた。
「みんな、時間がない!一気にマステリオンを倒すぞ!!」
そんな感慨に浸っている4人にオウキの声がこだまする。
光の戦士たちは銘々得物を握り締めると、マステリオンへ向けて突進していった。
「行くぞマステリオン!これが最後の勝負だ!!」
リュウガは二刀七支刀を振りかざし、マステリオンに真正面から突っ込んでいく。
「おのれおのれぇ聖龍王!
今度こそは息の根を止めてくれるわぁ!!」
一方マステリオンはリュウガの中にサイガを見て、憤怒で顔を真っ赤にしながらこれまた馬鹿正直に真正面から迎え撃った。
闇の魔王と光の戦士
互いの意地と意地を賭けた最終決戦が始まろうとしていた……
最終章〜魔神転醒
「わ…我の体がが……」
伝説の4部族王(+1)の加護を受けた光の戦士たちが、渾身の力をこめて放った『五霊神滅・央覇封神』が蘇った魔神マステリオンの体の中央にある核を撃ち貫いた直後、マステリオンの体のあちこちから黒い光が噴き出てきた。
それまで光の戦士たちをまるでものともしなかったマステリオンの圧倒的な魔力が、放たれる黒い光と共に徐々に弱まっていくのが感じられる。
「リュウガ!マステリオンを封じるのは今しかない!」
光の戦士のリーダーであるオウキが、マステリオンを封じる聖龍石を持っているリュウガに向けて叫んだ。
確かに、この機会を逃がしたら再びチャンスが訪れることはないかもしれない。
「わかった、リーダー!」
リュウガは懐から聖龍石を取り出すと、苦しみのたうつマステリオンに向けて大きくかざした。
「今度こそ完全に消え去れ、マステリオン!!」
これでマステリオンの魂を再び封じ込めることが出来る!リュウガはそう確信していた。
だが
『それではまた同じ事の繰り返しだ!』
リュウガの頭にマステリオンを倒すために降臨し合神を果たした伝説の部族王・サイガの声が響き渡る。
その声はリュウガだけではなく、他の光の戦士たちにも各々合神した部族王が放っていたようで光の戦士たち全員が一瞬の間硬直していた。
『封じるだけじゃ、また同じ事を考える奴が出てくる!』
タイガの頭にエドガーの声が響き渡る。
『僕たちの失敗を、繰り返してはいけません!』
ショウの頭にアレックスの声が響き渡る』
『今度こそ、完全に消滅させないと!』
シズクの頭にポラリスの声が響き渡る。
『奴の魂を消滅させるのは、我々の責任だ!』
オウキの頭にシリウスの声が響き渡る。
『ここまでよく頑張ったなリュウガ。後は任せろ!』
「えっ?!サ、サイガ様?」
その声と共に、リュウガの体内に息づいていたサイガの力がスッと消え失せたのをリュウガは感じた。
言うまでもなく、同様の声を他の4人も聞き取っている。
すると、5人の体からそれぞれ青、白、赤、緑、金の光が放たれ、衰弱しているマステリオンに向って伸びていった。
同時に聖獣合身も解け、5人は元の姿に戻っていった。
『マステリオン、1000年に渡る決着、今つけてやる!』
「お、おのれ……聖龍王ぉぉ!!」
苦しげに歪むマステリオンの目が迫る5色の光を憎々しげに睨むが、最早どうすることも出来ない。
4部族王(+1)の意思が篭った光はマステリオンの中に吸い込まれ、漏れ出でていた黒い光を白く浄化させていく。
マステリオンの金色の鎧の所々から白い光が噴き出し、その光は徐々にマステリオンの身体全体を白く包み始め、その存在を光の彼方へ消し去ろうとしていた。
『リュウガ…俺の子孫よ、早く地上に戻れ。今、地上は……』
「わ、我は滅びぬ…!この程度で、この程度のことでぇ―――――っ!!」
もはやその輪郭さえはっきりとしなくなっていたマステリオンだが、邪悪な赤い瞳だけは爛々と輝き続け光の戦士たちを睨み続けていた。
が、それもほんの数瞬でしかなく、1000年の時を経て復活を果たした魔神マステリオンは部族王の魂と共に閃光の一部となって跡形もなく消滅してしまった。
マステリオンの断末魔の咆哮と一緒にサイガが何事か叫んでいるようだったが、リュウガにはいまいち聞き取ることは出来なかった。
「「「「「………」」」」」
予想もしなかった展開に、光の戦士たちはマステリオンが消え去ったあたりを呆然と眺め続けていた。
が、呆然としていたのは光の戦士だけではなかった。
「あ、あわわ……。皇帝陛下、負けちゃったよ……」
マステリオンと光の戦士の激闘を物陰からチラ見していたアナンシは、思いも寄らないマステリオンの消滅に開いた口が塞がらなかった。
『どうせ皇帝陛下にあの5人が勝てるわけないんだから、
ボロボロに打ち負かされたところで甘い言葉でも吐いて
5人全員陛下の威光に傅かせちゃってきなさいな!』
すでに地上の殆どを魔に堕したテラスからこれまた理不尽な我侭を言付かれ、アナンシは渋々ながら神魔界まで降りてきたのだが、目の前で上司のボーンマスターは魔界の重鎮ベリアールと相打ちになり、次にはマステリオンがまさかの消滅を喫してしまった。
これでは何のためにテラスを堕として昔の部族王の血を引く5人を地上から引き離させ、その隙にマステリオンを復活させたのかわからない。
まさか、1000年前の部族王の魂が光の戦士たちに力を貸すとは思いもしなかった。人間の魂にそこまでの力があるとは到底思えなかったからだ。
「まさか皇帝陛下、長い間封印されすぎて寝ぼけていたとか……ないよね?」
いや、そんなこともあるまい。
部族王の魂と融合する前の光の戦士たちは明らかにマステリオンに圧倒されていた。それは過去に地上を席巻し、魔王、魔神と呼ばれるに相応しい力を持ったマステリオンそのものであった。
傍目に見ても圧倒的なそのパワーをみれば、光の戦士たちが勝てるはずがないと思うのがそりゃ当然というものだろう。
事実アナンシも物陰から見ていて「あ、こりゃもうあの小僧達持たないな」と確信したくらいだ。
だが現実はマステリオンは塵一つ残さずに消滅してしまい、後には光の戦士たちが残る結果となってしまった。
「どうしよう……。このことそのままテラスに報告したら……」
そんなことをしたら、テラスが烈火の如く怒るのは目に見えている。
皇魔に生まれ変わって性格がグジャグジャに歪んだテラスだが、『マステリオンの力で世界を自分の住みやすい場所に変える』という点は皇魔になって以来変わることはない。
だが、肝心のマステリオンが結局自分に力を与えることなく負け滅んでしまった…
となると、テラスが望む世界が永遠に訪れないということになる。
そんなことを『あの』テラスが容認するだろうか。
『絶対にありえない』
アナンシは確信していた。
自分に都合のいい世界が訪れると信じていたからこそ、テラスは驚くほどの短い期間で地上世界を混沌の只中に沈められたのだ。
それが出来なくなったと突然言われたからって、それをすぐに納得などするはずがない。
きっとメチャクチャに荒れ狂い、自分も巻き添えを食らわないとも限らない。
下手をすると地上世界そのものが大被害を受けかねない。
そんなところへわざわざ戻って何になるのだろうか。
せめて上司(ボーンマスター)がいれば得意の舌先三寸で誤魔化すことも出来たかもしれないが、肝心の上司殿はそこで無残な屍を晒している。
だとしたら、今さら地上に帰ったとところで……
「……もう知らない!どうにでもなっちゃえってんだ!」
考えてみれば、ボーンマスターもマステリオンもいなくなった今、何の義理があってテラスのいうことを聞かなければならないのだ。
所詮テラスは皇帝復活と地上侵攻のために作り上げた手駒の一つだ。捨てたところで何も惜しいものはない。
大体、こちとら上司のワガママで1000年もの間故郷に戻れなかったんだ!ここで任務も何もかもバックれてしまえば久しぶりに故郷に戻ってゆっくりとした生活が送れる!
もし何事か追求されたとしても、『ボーンマスターに無理矢理働かされていた』と答えればそんな大きな罪には問われないだろう。
「やめやめ!僕はもうなんにも知〜〜〜らない!!」
あっさりと任務の放棄を決定したアナンシは、光の戦士たちに気づかれないようにこっそりと息を殺してこの場を離れると、脱兎の如く駆け出して魔創殿の外へと飛び出していった。
その後には光の戦士と復活した創造神クリエール。クリエールの手で石化を解かれた魔元帥ベリアール。
そして、バラバラに砕けた聖龍石の欠片が散乱しているのみだった。
その時バラバラになっていた聖龍石の一部がボゥッと淡い光を放ち、まるでアメーバのようにぐねぐねと不定形に蠢いたが、すぐに光を失ってどろりと溶けて消え去ってしまった。
が、そのことに気づいた光の戦士たちは誰もいなかった。
☆
「ふぅ……。疲れたなぁ……」
全身くたくたに疲れ果てた水麗のシズクは、着るものもそのままに宛がわれたベッドに飛び込んだ。
あの後、光の戦士たちはマステリオンを滅ぼした祝いとして魔界の重鎮エルシーヴァの館に招かれ、盛大なもてなしを受けた。
魔界でもその傍若無人さからあまり歓迎されていなかったマステリオンを滅ぼした光の戦士たちは意外なほどの歓待を受け、あちこちに付き合いまわされてえらい気苦労をしょってしまった。
これならマステリオンと戦っていた時のほうがよほど楽だったなどと、少し不謹慎な思いを抱きながらシズクは顔に腕を宛がいながらこれまでのことを回想していた。
突然魔界に送り込まれることになった日。行く手を遮る様々な敵。魔界元帥ベリアールの同行。
洗脳されたリーダー・オウキとの思いも寄らない戦闘。そして復活を許してしまったマステリオンとの死闘…
とても普通の一生では体験しきれないほどの冒険をしてきた。
だが、それも今日でおしまい。
明日になればエルシーヴァが作ってくれたゲートを通って地上へ帰る段取りになっている。
随分と長い間魔界を冒険しているような気がするが、実際はそれほど大した日数は経ってはいない。
それだけ濃い日常を過ごしてきたということだろう。
「…でもなんか、すぐに帰るのも惜しい気がするのよねー」
正直、これほど刺激と緊張に包まれた日々を過ごしたことは今までなかったし、これからまた体験することもないだろう。
そう考えると、退屈な日常に帰るのがはたして幸せなのか?という思いがしてくるのだ。
とはいえ、一人だけ魔界に残るわけにもいかないし、第一魔界にいても相手をするものがいない以上地上にいるのとそう変わることはない。
「でも、またマステリオンみたいな強い敵が出てきたら……」
なんてことを考えるのはさすがに不謹慎だと思ったか、シズクはそれ以上考えることをやめた。
今は平和を取り戻したことを喜ぶべきであって、平和になったから退屈なんて発想は一歩間違えたら混乱を望むように聞こえてしまう。
「やめやめ!こんなこと考えてても意味ないない!」
そもそも、今はやたらと体が疲れ一眠りしたくてベッドに飛び込んだのだ。
それがこんなことに頭使って頭も疲れたら本末転倒過ぎる。
シズクは上質な絹のシーツをバサッとかぶり、ごろんとベッドの中で横になった。
その時、わき腹にズキンと鋭い痛みが走った。
「痛っ!!」
何事かとシズクは起き上がり、ちくちくと痛むみぎのわき腹に手を添えると、そこには何かごろごろとした手ごたえのあるものが入っているみたいだった。
「…なによもう」
安眠しようとしたところを邪魔されたシズクは、むくれながらも上着の中に手を突っ込み痛みの原因を摘んで取り出した。
それは、淡い翡翠色をした石の欠片だった。
そして、シズクはそれを良く知っている。
なぜなら、その欠片の元はあのボーンマスターが自分たちの目の前でマステリオンを復活させるための魔創卵の中へと投げ入れた…
「…これって、聖龍石じゃない…」
あの時、マステリオンは封じられていた聖龍石を内から粉々に砕いて復活を果たした。
恐らく、その時飛び散った石片がたまたまシズクの服の中へと飛び込んできたのだろう。
「これを取り戻すために、私たちはこんな遠くまで来たのよね」
シズクは粉々になった聖龍石の欠片を見てしみじみと思った。
もっとも、マステリオンの復活を阻止することに失敗した以上、この聖龍石はただの石ころとそう変わらない代物ではあるのだが。
「テラス様……怒るかしら?」
自分たちの使命はマステリオンの復活を阻止するためにボーンマスターが奪った聖龍石を取り戻すことだった。
だが現実はこのとおり聖龍石は粉々になり、マステリオンは復活してしまった。
まあ、肝心のマステリオンはシズクたちの目の前で跡形もなく消滅してしまったので聖龍石奪還以上の成果を上げたといえなくもない。
「…マステリオンを倒すことが出来たんだから、大丈夫よね…」
うん大丈夫。多分大丈夫。大丈夫だろう。大丈夫……なはず。
「いざとなったら、この欠片を見せて納得してもらうほかないか」
この聖龍石の欠片を見せればテラスも最終的に納得をするだろうと考え、シズクはベッドから起き上がると聖龍石の欠片を手荷物の中へ入れようとした。
その時
チカリ
「ん?」
シズクの手の中の聖龍石が緑色に淡く輝いた。ような気がした。
単なる気のせいかな?と思ったシズクが袋の口を開こうとしたところ、またチカリと輝いた。
「…月の光でも反射しているのかしら?」
ここ魔界にもちゃんと太陽が昇り月が浮かぶ。その月の光が窓から射し込んで聖龍石に反射しているのかと思ったが、肝心の外は曇っているのか月どころか星の光すら瞬いていない。
「おかしいなぁ…」
確かに聖龍石はただの石とはいえない代物だが、今この手にある聖龍石はなにも施されていないものだ。
勝手に光ることなどありえるのだろうか。
不審に思ったシズクが聖龍石をまじまじと見たら、またまた石はチカリ、チカリと蛍のように暗く輝き始めた。
「やだ……。なにこれ」
その輝きにシズクの背筋は怖気からゾゾッと震え、思わず手に持った聖龍石を投げ捨てようと腕を振ろうとした。
が、動かない。
シズクの目も腕も、まるで凍ったかのように自由が利かず、聖龍石を投げることも視線を外すこともできない。
その間も聖龍石はチカチカチカチカと激しく瞬き続けていた。
「あ……」
それはまるでシズクに何かを訴えるある種の信号のようにシズクの網膜を焼き、それに見惚れるシズクの顔からは次第に表情が消え始めていった。
チカチカ チカチカ チカチカ チカチカ
「…………」
もはや魅入られたかのように聖龍石をシズクは見続け、その瞳は光る聖龍石に呼応するかのように赤く輝いている。
そして、一際強く聖龍石が輝いた時
 | ………はい
|
シズクは小さくこくりと頷くと口を開き、手に持った聖龍石を口に含むとごくりと飲み込んでしまった。
その瞬間、シズクの瞳はまるで聖龍石のように翡翠色に輝いた。
「……うふふ…」
まるでお腹の中の子供を愛でる妊婦のようにシズクは愛しそうにお腹を擦ると、そのまま床にばったりと倒れ静かな寝息を立て始めてしまった。
その顔にはこの上ない悦びの笑みが張り付いており、意識がないにも関わらず半開きになっている瞳は一定の間隔を保ちながら翡翠色の輝きを放っていた。
☆
翌朝、予定の時間より大幅に遅れて起きてきたシズクの姿を見て全員がその目を疑った。
顔は高熱でもあるかのように真っ青で、愛剣双頭大蛇を杖のようにして身体を支えてやっと立っている始末。
吐く息は病人のように浅く忙しなく、体中から脂汗が滴り落ちている。
「おい……シズク、どうしたんだよ!」
タイガの目にはどう見ても今のシズクは病人にしか見えない。
「もしかして…昨日の疲れが一気に出たのですか?!」
「……わからない…」
ショウの問いかけに答えるシズクの声は今にも消えそうなほど小さいものだった。
(本当……私、どうしちゃったんだろ……)
シズクも、自身のあまりにも悪い体調の原因がさっぱり分からないでいた。
確か昨日、ベッドに潜ったことまでは覚えている。
しかし朝、物凄いだるさと共に目を覚ましたのは何故か床の上だった。
寝ぼけてベッドから落ちたのかと思い起き上がろうとしたが、何故か体がまともに動かなかった。
身体を起こそうという意思はあるのだが、まるで全身に重石でも括りつけられたかのように体が全く言うことを聞かないのだ。
何とかベッドに手をかけて身体を起こすことは出来たものの、頭の血管が千切れそうなくらい激しい頭痛が起き、腰はフルマラソンをした後のようにカクカクと笑って全然力が入らない。
布団を被らずに寝たので身体は冷え切っているはずなのだが、なぜか胸の奥から燃えるような熱さが湧き上がっており、顔からは滝のように汗が零れ落ちている。
最初は風邪でもひいたのかと思ったが、これら症状は明らかに風邪とは異なる。
原因がわからないから対処の仕方もまったくわからず、とにかくシズクはなんとか衣服を着替えると双頭大蛇で身体を支えながらみんなの前に出てきたというわけだ。
「なあ本当に大丈夫なのか?なんだったら一日、帰るのを待ってもかまわないんだが…」
「大丈夫です、リーダー……。気にしないで……」
シズクのあまりの顔色の悪さにオウキがシズクへの気遣いを見せたが、シズクはそれをはっきりと断った。
みんな、やっと地上に戻れるって昨日さんざん喜んでいたのに、自分のせいで一日とはいえそれが先延ばしになるのは忍びない。
それだったらとにかく戻ってから横になればいい、とシズクは考えた。
「しかし……」
「じゃあ、俺がシズクの肩を持ちますから」
それでもなおシズクの体調を見て躊躇うオウキに、リュウガが横から声をかけてきた。
そのままリュウガはシズクの腋に肩を入れ、今にも崩れ落ちそうなシズクの身体を抑えた。
「キャッ…。リ、リュウガ!大丈夫だって……」
「そんなフラフラしていて何が大丈夫なもんか。体調悪いんだろ?だったら気にするなよ」
「あ、ありがと…」
リュウガの細やかな心遣いに、シズクは青い顔を少し赤らめながらお礼を述べた。
そんな二人をショウは微笑みながら、タイガは少し苛つきながら眺めていた。
「本当に大丈夫なんだな、シズク。少しでも気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ。わかったな」
「はい…、リーダー」
こうして光の戦士たちは、この後色々と帰り支度を整えるとエルシーヴァやベリアールたちに別れを告げ、地上へ帰る道へと足を運んだ。
シズクの体調が優れないということで手放しに喜べはしないのだが、それでもようやっと地上に帰れるということで5人の心は弾んでいた。
が、それも地上に戻るまでのことだった。
☆
「あれ………?」
エルシーヴァによって作られた地上への道を通って、光の戦士たちは旅の出発点だった中央都市宮殿地下の魔界への入口から顔を出した。
当然、そこには入口を守る衛兵の姿があるはずなのだが…
彼らが出てきたとき、そこには誰も立ってはいなかった。
本来ならば歓待されてもおかしくないはずのことをやってのけたというのに、誰もいないというのはさすがに寂しい。
「おかしいなぁ……誰もいないはずはねぇのに…」
誰もいないのを不審に思いながら一足早くタイガが前に踏み出した時、タイガの上方でなにかがごそりと動いた気配がした。
「?!危ないタイガ!!」
オウキがタイガを止めようとした、それと同時に何者かがタイガ目掛けて急降下してきた。
「うわっ!!」
とっさにタイガは身を捩ってかわしたものの、なにか鋭い刃物のようなものが顔を引っかき頬をざっくりと切り裂かれてしまった。
タイガの頬には三本の赤い筋ができ、血がダラダラと零れ落ちてきている。
勿論致命傷には程遠い傷だし、肉体能力の高い獣牙地域出身のタイガにとってこの程度の傷なら10分もすれば塞がってしまうほどのものだ。
が、完全に不意打ちを食らったタイガとしては面白いものではない。
タイガはバッと目線を動かし自分を傷つけた犯人を追ったが、相手は思いのほか動きが早くたちまちタイガの視界から姿を消した。
「ち、畜生!不意打ちとは卑怯だぞ!!」
タイガは怒り狂って逃げた相手を探したが、どこぞヘ消えてしまったのか既に気配すら感じられなくなっていた。
慌てて出てきた他の戦士たちにも、タイガを襲った者がここにいるようには感じられなかった。
「逃げたか……」
突然の脅威が去ったことで光の戦士たちは一旦肩を撫で下ろしたものの、すぐにとんでもないことに気が付いた。
「でも……、なんで中央都市宮殿で僕たちが襲われなければならないんですか?」
この至極最もなショウの疑問に、光の戦士たちは思わず固まってしまった。
「………」
冷静に考えれば、中央都市宮殿で自分たちが襲われるいわれなどない。
ここは神羅連和国の中心部であり、自分たちは連和国皇帝テラスの命令で魔界まで赴いていたのだ。
そんな自分たちが感謝されるどころか襲撃されることなどありえない。
そう、
『神羅連和国から襲撃されることはありえない』
「そう言えば…、ここに誰もいないのも……」
光の戦士たちにいいようのない不安が走った。
自分たちのいない間に、地上に何かとんでもないことが起こっているのではないか、と。
(そう言えば……サイガ様が……)
リュウガはサイガがマステリオンとともに消え去る直前、切羽詰った顔で自分に語りかけてきたのを思い出した。
あの時はマステリオンの断末魔にかき消されて何を言っているのかは良く聞き取れなかったが、もしかしたらサイガは自分たちにこのことを伝えたかったのかもしれない。
「リーダー!とにかく上に行こう!様子がおかしすぎる!」
「ああ、これはただ事じゃないぞ…!」
リュウガの呼びかけにオウキは即座に頷いた。この四方を石壁で囲まれた部屋にいくらいても何が起こっているのかなどわかりはしない。
ここはまず上にあがって、一体何が起こっているのかというのを確かめなければならない。
ただ、気がかりもあった。
魔界にいた時から悪かったシズクの体調は、通路を通っている時も悪化の一途を辿り、今ではリュウガにすがっていないと立っていることすら困難な状態になっていた。
「はあっ……、はあっ……」
リュウガに支えられながら顔を赤く染め、荒い息を吐くシズクは非常に痛々しくてとても同行できるような雰囲気ではなかった。
「シズク……、お前はここで休んで…」
オウキはシズクの身体を気遣い、ここで休んでいくように促して肩に掌を軽く置いた。
「ひゃんっ!」
するとシズクは感電したかのように身体をびくつかせ、甘い悲鳴をあげた。
「シ、シズク?!」
これには触れたほうのオウキもびっくりし、慌てて置いた手を離した。
それに対してシズクのほうも、ただでさえ赤い顔をさらに真っ赤に染めて顔をブンブンと横に振った。
「あ……
だ、大丈夫よリーダー!!私は大丈夫だから、気にしないで……!!」
「あ、ああ……」
普通にシズクの状態を考えれば大丈夫なはずがないのだが、その前のシズクの声があまりにも場違いだったこともあってオウキも他の三人も毒気を抜かれたようになんとなく納得してしまった。
「………」
一方シズクのほうもなんとか状況をあやふやにできたものの、思わず口に出してしまった嬌声にあせることしきりだった。
実はシズクの息が荒いのは辛いからだけではない。
朝から時間がたつにつれ、身体の奥ではっきりとなにかが息づいているのがシズクには感じられてきていた。
それは体内にへばりつくような重さを持ち、しかもじわじわと広がっている気配さえ感じられる。
しかもそれが広がるにつれてまるでそれに吸い取られるように体の力が抜けていき、入れ替わりに信じられないほどの疼きと火照りがシズクの身体を支配しつつあった。
すでにリュウガに触れられているだけで心臓は破裂しそうなほどの早鐘を打ち、下半身は腰が抜けたみたいにガクガクと笑っている。
高熱と火照りで頭はボーッとなってうまく働かず、視界も霞んでよく見えない。
これは明らかに異常だ。昨晩何か悪いものでも体の中に入ったとしか思えない。
が、だからといってそれをみんなに吐露するのは憚られた。
いくら男勝りで光の戦士の中で一番の怪力持ちとはいえシズクは女の子だ。自分の体が火照って疼いて熱いだなんておいそれと口に出せるはずがない。
結果、どうしても言えずにここまできてしまったのだが、疼きと火照りはすでに限界に達しつつある。
オウキにちょっと触れられただけで全身に痺れるような刺激が走り、腰の奥がきゅんっと蠢いてしまい、結果さっきのような甘い声をあげてしまった。
(ダメ……身体が、熱いよぉ……)
この体の熱さを誰かに鎮めてもらいたい。腰からじんじん響いてくる疼きを抑えてもらいたい。
そう願ってはいるのだが、具体的な方法がわからない。
それは明らかに身体が発情している状態だったが、まだまだ子供であるシズクには自分の体を苛んでいるものが一体なんであるか理解することが出来なかった。
周りの光の戦士たちはシズクがまさか欲情に身を焦がしているとは想像も出来なかったので、単純に体調がだだ崩れているものと思い込んでいる。
だからオウキは心配はしながらも、シズクが『大丈夫!』とむきになって言うのでとりあえずは同行させてみることにした。
なにしろよくよく考えてみたら、今この場でタイガが何者かに襲われたのだ。ここに残したからといって無事ですむ保障はない。
何が起きているのか分からない以上、全員ひと塊になっていたほうが安全かもしれないのだ。
「…わかった。だけど無理はするなよ。もしダメだと判断したら、リュウガと一緒にどこか安全そうなところで休ませるから。
リュウガ、その時はシズクをしっかりと守ってやるんだぞ。いいな」
「わかってるよ、リーダー!」
リュウガはまかせろと言わんばかりに胸を張りながら、シズクのほうをチラリと横見してニコリと微笑んだ。
その顔がシズクの目に飛び込んできたとき、
「うっ!」
シズクの胸の奥がズクン、と蠢いた。
ただでさえ熱かった体がボッと燃え上がるような感覚に包まれ、熱気で視界がフラフラしてくる。
(な、何が起きたの……?!)
霞む視界にリュウガの顔だけがやけにはっきりと映りこみ、見つめれば見つめるほど身体の奥が疼きどくどくと得体の知れないなにかが体中に広がっていっている。
それは決して慕情とか惹かれるといったものではない。
リュウガを見れば見るほど、シズクの心に広がっていくもの。
それは
リュウガと、ひとつ に なり た
「シ、シズク……どうしたんだ?」
「えっ……?!な、なんでもない…!」
自分のことをぽーっと眺めているシズクに気づいたリュウガが少し顔を赤らめて問いかけ、その声にハッと正気に戻ったシズクはまるで逃げるように視線を外した。
(わ、わわわわたしったら一体なにを!!)
さっきから赤くなりっぱなしのシズクの顔だが、今回はとどめとばかりに耳の先まで真っ赤に茹ってしまった。
何かを言うわけでもなく、なにかをするまでもなく、ボケ―ッと異性の顔を見つめ続けている。
それではまるで、惚れた男を見る女そのものではないか。
(そんなことない。そんなことない!!)
シズクは湧きあがったリュウガへの思いをなんとか打ち消そうと、グッと目をつむりながらリュウガ以外のことで頭をいっぱいにしようとした。
が、一旦頭にこびりついたリュウガのイメージは、どんなに頑張っても完全に消えることはなかった。
なぜならそれは、シズクの意思ではない別の何かによってもたらされたものだったからだ。
☆
「おかしい……」
あまりの人気のなさにオウキは思わず呟いた。
封印の間から出てきて結構歩いたのだが、兵士はおろかネコの子一匹たりとも出会わない。
それどころか、人のいる気配すら感じさせない。
天井は蜘蛛の巣が一面に張り、カーテンはビリビリに破り捨てられ、石壁は所々が崩れ落ちている。
これが、世界の中心となっていた中央都市宮殿の姿とはとても考えられない。
まるで、はるか以前に放棄された廃城のような雰囲気があたりを漂っていた。
「なあ…、ここ本当に宮殿なのか?いくらなんでもボロすぎるぞ?
俺たちが出発してから、そんなに時間は経ってはいないはずだよな!」
「ええ…。魔界と地上の時間の流れが違うというならともかく……」
タイガとショウの疑問ももっともだ。
この朽ち果て方は1年や2年というものではない。どう考えても何十年もほったらかしにされていたような酷い有様だ。
「時間の流れって……、じゃあもしかしたら、今の地上には俺たちの知っている人たちは誰もいないってこと……?」
リュウガはショウの説にゾッと背筋を振るわせた。
せっかくマステリオンを倒し平和を取り戻せたというのに、それを祝福してくれる人間がいないかもしれない。
いや、例えいたとしても、それは自分たちが全く知らない人間たちかもしれない。
それでも自分たちがやったことに意味がないとは言わないが、それでは自分たちはこの後どうしたらいいのだろうか。
シズクも自分たちが時間に取り残されたかもしれないと思い、ただでさえ青い顔をさらに青くしていた。
だがそんな中でオウキだけは冷静さを失ってはいなかった。
「余計なことは考えるな。もうすぐ上に出られる。そうすれば、何かがわかるはずだ」
大きな仕事を終えて緊張が緩みまくったところに強烈なショックを喰らって狼狽気味な4人をなんとか抑えているあたりは、流石に光の戦士の最年長者であり、リーダーとしての自覚を持っている。
だが、外を見た時にはさすがのオウキも絶句するしかなかった。
「こ、これは……」
正面入口の扉を開いた時、外に広がる光景は想像を絶するものだった。
やけに暗いと思っていた空は、まるで墨を広げたかのように真っ暗な雲に覆われており、所々から射してくる日の光は毒々しい赤い色をしていた。
吹きぬける風はまるで木枯らしのように冷たく、庭木は一本残らず葉が落ちて剥き出しの幹を露出させている。
とうとうと水を噴き上げていた中央の噴水はぐしゃぐしゃに壊され、溜まった水は赤黒く変色して不快な臭気を発していた。
外から見る中央都市宮殿も酷い有様だった。
王都の中心部として神々しいまでの輝きを放っていた面影はまるでなく、苔生した壁は得体の知れない蔓植物にびっしりと覆われ、ガラスが外れた窓があちこちで風に煽られてギィギィと軋んだ音を上げている。
崩れた屋根には一匹の鳥すらおらず、城全体から寒々しい冷気が発しているようにすら感じられる。
そこには生の一欠けらすらない。
城全体が『死』の雰囲気に包まれていた。
「なんだよ……。一体何が起こったっていうんだよ!!」
せっかくマステリオンを倒したというのに、せっかく使命を果たせたというのに。
全てが終わって帰ってきた故郷には誰もおらず、朽ち果てた屍を晒していた。
では、自分たちがしてきたことは一体なんだったのか。
「なんだってんだよ、ちくしょぉ!!」
リュウガはやり場のない怒りに全身を包まれ、足元に転がっていたものを力いっぱい蹴飛ばした。
それはリュウガの足に軽い感触を残してすっ飛び、前方の崩れた垣根にぶつかって粉々に割れた。
「あれ……?」
最初は石でも蹴飛ばしたと思っていたリュウガだったが、そのあまりの軽さにちょっと首を傾げた。
が、隣にいるシズクはリュウガの蹴ったものを見て顔を引きつらせていた。
「リ、リュウガ……、それ……」
シズクがガタガタと震えてリュウガが蹴り飛ばしたものを指差す。
白い破片をばらばらに撒き散らしたそれは、明らかに人間の骨の一部だった。
「?!う、うわぁぁ――っ!」
知らぬこととはいえ人間の骨を蹴ってしまったことにリュウガは酷く狼狽し、シズクを支えていることすら忘れてへなへなとしゃがみこんでしまった。
「も、もうイヤ!!なんなのよこれ!!
地上に一体何が起こったっていうのよ―――っ!」
リュウガと一緒にへたりこんでしまったシズクは緊張の糸が切れたのか、顔をくしゃくしゃに歪ませておいおいと泣き始めてしまった。
が、誰もシズクを慰めることすらできない。
シズクだけでなく全員が、自分たちの置かれた境遇を理解できずに茫然自失していたからだ。
もしかしたら本当に、元の時代の何十、何百年後の世界に来てしまったのかもしれない。
ショウが言った突拍子もないことが、万万が一の現実のように思えてきた。
全員なにをすることもなくボーッとしたり泣きじゃくっている中、ショウがボソリと口を開いた。
「みなさん…ここは一度、エルシーヴァさんが作ったゲートに戻るというのはどうでしょうか…」
つまり、一旦魔界に戻ってエルシーヴァなりベリアールなりに事情を教え、対策を考えると言うことだ。
今ならまだゲートも残っているだろうから戻ることは難しいことではないだろう。
「そうだな。ここにいても何もすることは出来ないしな……」
オウキがショウの提案を飲んで立ち上がろうとした時…
 | あら…、ショウじゃないの。 地上に戻ってきたのね
|
ショウの耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。
「えっ?!その声は……」
目を丸くしたショウが声のした方向へと振り返ると…
そこには、ショウの実姉であるカレンが微笑みながら立っていた。
「ね、ね、ね、姉さん!!」
そのショウの驚きようったら、今まで光の戦士が見たこともないものだった。
いつも冷静で、年には不釣合いなほど落ち着いているショウがここまで取り乱すことが出来ること自体意外なものだったといっていい。
だが、そうなるのも道理だ。
今の今まで遥か未来の時代に飛ばされたと思っていたのに、突然自分の肉親が現れたのだから。
ショウは絶望のあまりいもしない幻でも見ているのかと思ってしまった。
でも、自分の前にいる人物の顔は、まぎれもなく姉であるカレンのものだ。毎日顔をあわせていたのだから間違えようがない。
ただ、いつもは飛天騎士団の制服を着こなしているカレンが、今は首から足元まで隠れるようなマントを羽織っている。
ショウにはカレンがそんなものを着ている記憶がなかったので、そこだけ妙な違和感を感じていた。
「本当に…本当に姉さんなんですか?!」
「ふふっ、何を言っているのよショウ。私が私以外でなくてなんだというのよ」
弟の意味不明な疑問にカレンはくすくすと微笑んだ。
その笑顔は、ショウもよく知っているまぎれもないカレンのものだ。
ただ、なにかおかしい。
うまく言葉には言い出せないのだが、今のカレンの笑顔には喜びというより嘲りといった空気が感じられてくるのだ。
ただ、確信がもてないのでショウはそのままカレンに近づいていった。もちろん、ある程度の警戒心を持ちながら。
「姉さん……、地上はどうなってしまったんですか?僕たちがいない間に、何が起こったんですか?」
「何が起こった?別に何も起こりはしないわよ?」
カレンは微笑みを保ちながらショウの疑問に言葉を返してくる。
だが、その答えはとても納得できるものではない。
一変どころか魔界化したと言っても過言ではないこの地上をみて、何も起こってはいないと返されてもはいそうですかと言える人間は光の戦士の中にはいない。
「そんなはずはないでしょう姉さん!どうみても地上で何かとんでもないことが起こったのは明らかです!
大体、あの荒廃した中央都市宮殿はなんなんですか!騎士団の姉さんがいながら、なんであんなことになってしまったんですか!!」
そうだ。飛天騎士団に所属するカレンは皇帝テラスと中央都市宮殿を守るのが使命だ。ここまで宮殿をボロボロにされながら、本人が悪びれもせずにいるというのはどうにも納得できない。
だがカレンは、そんなショウの叱責にも全然堪えた様子はない。それどころか
「…あんなこと?宮殿が?
いいじゃない。ていうか以前よりとっても素敵になったと思わないかしら?うふふっ」
と、むしろ喜ばしそうにしていた。
「「「「「?!」」」」」
これにはショウだけでなく、光の戦士たち全員が絶句してしまった。
あんなにも破壊し尽くされた宮殿を見て、素敵になったとはどういうことなのだろうか。
カレンの美的センスがぶっとんでいるというならまだ話も分からなくもないが、ショウの知る限りカレンがそんな感覚を持っていることなどとても考えられない。
「ね、姉さん!何を言っているのですか!!あんなに朽ち果てた宮殿が、以前より素敵になったですって?!」
「ええそうよ。私、以前の宮殿ってだいっ嫌いだったの。
大仰で物々しくて、まるで周りの人間を威圧しているみたい。見ていていつも息が詰まったわ」
宮殿のことを悪し様に言うカレンの顔はあくまでも笑顔だ。
だが、笑顔から放たれる言葉にはそれだけで人が殺せるくらいの毒が多分に含まれている。
「それに引き換え、今の宮殿のなんてすばらしいこと!
あくまでも控えめに、奢らず、静かに佇むその姿は、見ていてとっても気持ちのいいものだわ!」
そして、今の宮殿を讃える言葉には裏表のない完璧な賛辞がこめられていた。
が、それは普通の人間の美的感覚からはまったく相容れないものであった。
「そんな……
姉さん、それはおかしいです!今の姉さんはおかしいですよ!!」
「おかしくなんてあるものですか。よく見てごらんなさい。あの中央都市宮殿の姿を。
虚飾と虚栄の仮面を剥ぎ取り、ありのままを見せた本当の姿を!
あれこそテラス様が、皇帝陛下がおわす場所に相応しいのよ!
そう思わないかしらぁ?!ショオォ!!キャハハハハ!!」
ショウに向けて馬鹿笑いするカレンの顔には、それまでの柔和な微笑みとは打って変わった黒い影でも噴出してきそうなほど邪悪な嘲笑が張り付いていた。
それは、ショウが知っているカレンが絶対に見せることのない表情だった。
「姉さ……
やっぱり姉さんは変です!何があったんですか、この地上で、一体何が!!」
ケタケタと笑い続けるカレンに憤ったショウは、冷静さを欠いたままカレンに突っかかっていった。
いや、カレンが現れた時から冷静さなど失っていたのかもしれない。
だからこそ見落としていた。
カレンのマントにこびり付いている、まだ乾いていない血糊を。
「っ!危ねえショウ!!」
カレンのマントがふわりと揺らめいたのと、タイガの悲鳴が上がったのはほぼ同時だった。
「わっ!!」
カレンのマントの中からショウの顔面目掛けて飛び出してきたものが、咄嗟に横に避けたショウの顔を薙いでいった。
ズキン!という熱い感触ともにショウの頬から血が流れ落ちていく。
「な、なにをするんですか姉さ………ん……?!」
いきなり顔を切り裂かれたショウは憤慨してカレンを睨み…途中で言葉を失った。
マントの中から飛び出てきたカレンの腕は黒い繊毛に覆われ、指の先には黒光りする爪が鋭く伸びており、掌自体が普通の人間の2倍ほどの大きさになっている。
だがなにより奇異なのは、肘の先から伸びる大きな皮膜だ。数条の骨を解して広がるそれはまるで蝙蝠の飛膜のような形をしており、ばさばさと不気味に羽ばたいている。
もちろん腕にこんなものをつけた人間などいるはずがない。
「フフフフ……」
ショウに掌を突き出したカレンは、まるでショウの肉を削いだ感触を愉しむかのようにカチャカチャと爪を鳴らした。
その顔にはさっきまでの優しげ微笑みとは打って変わった、見るものを凍て付かせるような暗黒の笑みが浮かんでいる。
「っ!」
その笑顔に明確な殺気を感じたショウは、腰の剣に手を当てながら後方へと飛びのいた。
「くぅっ、やっぱり偽者でしたか……。油断しました…」
騙された悔しさからか、それとも肉親を利用されたことに憤ったのかショウの剣を持つ手は細かく震えている。
「ふふふっ……、何を逃げているのかしら?ショオオオオオオォッ!!」
もう誤魔化している必要がなくなったからか、偽カレンは悪鬼のような形相でショウを睨みながら一足飛びに飛び掛ってきた。
その早さはまるで空を飛んでいるかのようで、油断していたらとても目では追いきれないくらいだ。
が、ショウはその辺は読んでいたようで迫り来る爪を剣を使って軽くいなした。
ガキン!という金属音とともに軽く火花が飛び、仕留め切れなかった偽カレンはそのまま目にもとまらない速さでショウ目掛けて突進を繰り返した。
「ほら、ほら!ほらぁ!!ほらほらほらほらほらほらぁぁぁぁ!!!」
狂気に彩られた笑顔から繰り出される突撃は一撃当ればショウの肉どころか骨まで切り裂くぐらいの威力を秘めてはいるものの、ショウは冷静にその全ての攻撃を受け流していた。
そして、偽カレンが攻めあぐねている間に横からタイガが割り込んできた。
「てめぇぇ!さっき俺の顔に傷をつけたのはお前だなぁぁ!!」
その素早さと武器からそう確信したタイガは、怒りで顔を真っ赤にしながら偽カレン目掛けて拳を振り回した。
「ふふっ、どうやら頭の中身まで筋肉で出来ているわけじゃなかったみたいね!良く気づきましたー!」
偽カレンはとぼけたようにタイガをからかいながら、タイガの繰り出す猛攻をあっさりと避けている。
が、そこにショウからの攻撃も加わってきて流石に分が悪くなってきた。
「この偽者、いい加減に正体を現しなさい!!」
いつまでも自分の姉の姿をしていることに我慢がならないのだろうか、ショウは睨み殺しそうなほどの視線を偽カレンに飛ばしながら全ての攻撃を急所目掛けて繰り出している。
その剣戟がマントにかすり始めたのを見て、とうとう偽カレンは攻撃を諦め大きく間合いを開いた。
その顔からは幾分余裕はなくなってはいるものの、口元に浮かぶ薄ら笑いはまだくずしてはいない。
「ふふっ、魔界に行って随分と経験をつんだみたいねショウ。ここまで強くなっていたとは正直驚いたわ」
「まだ言いますか!もう姿を偽っている必要はないのです!さっさと元の姿に戻りなさい!!」
口調こそまだ丁寧だが腸は煮えくり返っているショウの様子に、偽カレンは苦笑しながらショウを睨みつけた。
「…どうやら誤解をしているみたいねショウ。私は偽者でもなんでもないわ。正真正銘、あなたの姉『だった』カレンよ。
でもねぇ……」
そこまで言ってカレンの双眸がギラリと金色に輝いた。
同時にカレンの全身から真っ黒い瘴気が噴き上がり、纏っているマントをぐずぐずに溶かしていく。
マントが崩れ落ちた中からは一瞬カレンの肢体が見えたが、瑞々しい肌に瘴気が纏わり付いたかと思うとそこは瞬時に血の気のない青色に染まり、所々に細かい毛が伸びてまるで服を身につけているような姿になる。
髪の毛を割って伸びてきた耳は掌に余る大きさになり、その脇からは真っ黒い角がメキメキと生えてきている。
眼鏡の奥の瞳孔は縦に裂けて暗い金色の光を放っており、靴をズタズタに引き裂いて飛び出した爪は手の爪と同様刃物のような鋭さと輝きをもっていた。
やがて爆発したかのように瘴気は拡散し、中から現れたカレンはまるで人間と蝙蝠を掛け合わせ、ぐちゃぐちゃに合わせたような異様な外見になっていた。
「『あの時』に私は本当の私を手に入れたの……。
何者にも邪魔されない、皇魔の体と心をね!
どう?ショウ。今の私、とぉっても綺麗でしょ……!」
口から収まりきらない牙を煌めかせ青黒い舌でちろちろと舐め回しながら、カレンはショウを金色に光る目を愉しげに歪ませながらニタリと微笑んだ。
そのあまりに艶かしい姿が自分の知る姉とまるで異なるので、ショウは軽い眩暈を感じてぐらりと身体を傾けた。
「う、うそだ…ウソだ……。姉さんが、皇魔に…なんて……」
ショウは魔界でボーンマスターたちに洗脳され、皇魔族となって襲い掛かってきたオウキと戦ったことがある。
だが、そのときでもオウキは外見こそ醜悪なものになっていたものの、所々から見える生身の身体は普通の人間のものだった。
しかし目の前のカレンには、人間的な部分は欠片なりとも残ってはいない。
身体の隅々、魂すら完全に皇魔のものと成り果てていた。
だからこそ、ショウにはカレンが皇魔になったということを受け入れることが出来なかった。
「うそだ、うそだ!うそだぁ―――ッ!!」
「お、おいショウ!!」
ハッとしたタイガが止める間もなく、ショウは闇雲に剣を振り上げながらカレンに向って突進していった。
勝算や打算などない、完全にパニックに陥っての闇雲な突撃だった。
「ふん…」
勿論そんな攻撃をカレンが喰らうわけがなく、カレンは軽く身を捩ってショウの突進をかわすとその剣を持つ腕をがっしりと押さえつけた。
「馬鹿ねぇ。戦っている最中は常に心を冷静にって、教えたでしょ?そんな突きじゃあ虫も殺せやしないわよ」
「ぐっ…!!」
かつて散々姉に言われたことを指摘されて、やはり目の前の皇魔は姉なのかと思い知らされたショウが絶望に満ちた顔をカレンに向けたとき、カレンの両目がギラリ!と金色に光った。
「あっ…!」
この目を見たら危険だ!とショウの本能は囁いたが、時既に遅くショウの眼はカレンの瞳から視線をそらすことが出来なくなっていた。
カレンの輝く瞳の眩しさにショウの眼は一瞬眩んだが、すぐに回復した視界にはカレンの縦に鋭く裂けた瞳孔が一杯に広がっていた。
それは細かく開いたり閉じたり、あるいはちかちかと不規則に瞬いてショウの目を釘付けにしている。
「あぁ……」
その動きを目で追っている間に、次第にショウの意識はカレンの瞳のみに占められていくようになった。
ショウ自身の自我自体が薄ぼんやりとしていき、何も聞こえなくなり、何も感じなくなってきている。
おそらく今自分がどこで、何をされているのかもわからなくなっているのだろう。
「ショウ!おいしっかりしろショウ!!」
オウキの叫び声にもショウは全く反応しない。すでにショウの耳には外の音を捉えることができなくなっていた。
今すぐにでも助けに入りたいのだが、カレンの右手がショウの心臓辺りにしっかりと添えられていて迂闊に手を出すことが出来ない。
もし少しでも動きを見せたら、カレンは即座にショウの胸にその爪を突き刺すだろう。
「くっ…」
「ふふ…わかっているようねぇ。もう少しそこで見ていなさい。すぐに終わるから……」
オウキ達が歯噛みしているのをせせら笑いながら、カレンは最後の仕上げに入っていった。
「うぁ……っ?!」
自意識が薄れ、ぽーっとしているショウが突然ビクリと背筋を強張らせた。
何も聞こえなくなっているはずの耳に、物凄い高音の圧力がかかってきたのだ。
(ィ―――――――ッ!!!)
それは確かに『音』なのだがあまりにも高周波すぎて人間の耳には音として捉えることが出来ない。
「さあ……ショウ、よく聞きなさい。お姉さんの『声』をね。その単純なおつむの、隅の隅まで……」
よく見るとカレンの大きな耳が小刻みに震えている。
蝙蝠の外見を模しているカレンは本物の蝙蝠と同様に超音波を発することが出来、それをショウの頭に叩きつけていたのだ。
「ぁ………ぁあ……。あぐぅ………」
強烈な超音波で頭をシェイクされているショウは目を虚ろに曇らせながらビクビクと身体を小刻みに震わせていたが、しばらくすると脱力したままピクリとも動かなくなった。
「…………」
「おい、ショウ!ショウ!!」
「ショウ!しっかりしろーっ!!」
「……ショウ…」
リュウガやシズクたちの叫び声にも、ショウはカレンに抱きかかえられたまま全く反応しない。
それでも必死に呼びかける光の戦士たちに、カレンはショウを抱きしめながら嘲笑した。
「ふふふ、無駄よ。今のショウにはあなたたちの声は聞こえていないわ。
ショウに聞こえるのは、私の声だけ……。ねぇ?ショウ」
すると、リュウガ達の声にはまるで応えようとしなかったショウの顔がむくりと起き上がり、カレンのほうを振り向きながらこくりと頷いた。
 | はい、姉さん |
その声は非常に機械的で感情が感じられず、カレンを見るショウの眼はカレンのように金色に輝いていた。
「ショウ、あなたは姉さんの言うことなら何でも聞いてくれるわよね?血を分けた弟ですもの、ね?」
「はい、姉さん」
「私が死ねといったら、死んでくれるわよね?」
「はい、姉さん」
「じゃ、死んで」
「はい、姉さん」
カレンのとんでもない命令に眉一つ顰めずに頷いたショウは、手に持った剣を逆手に持つとスッと掲げ、そのまま何の躊躇もなく自身の胸目掛けて突き下ろそうとした。
「「「「あぁっ!!ショウ!!!」」」」
光の戦士たちがあっけに取られる中、ショウが構えた剣は胸に吸い込まれ…
る瞬間、カレンの手がショウの手を抑えた。
「冗談よ、ショウ。可愛い弟に死ね、なんて本気で言うものですか。ねえぇ?」
そう言いながらカレンは光の戦士たちを小馬鹿にしたような顔でせせら笑った。
今のは明らかに光の戦士たちに今のショウの状態を見せ付けているのだ。ショウがカレンの言うことに何でも従う奴隷と化してしまっていることを。
「うふふっ……、可愛いショウ。可愛すぎてすぐに壊しちゃいそうだわ……。でも、それはまだまだ…
さあショウ、魔蝙将カレンの名において命令するわ。
私たちの仇敵、あの憎い光の戦士たちを一人残らず殺しなさい!」
「はい……姉さん」
カレンの命令に頷き、光の戦士たちのほうに振り返ったショウは…
金色の目を憎しみで爛々と輝かせ、手に持った剣を構えて光の戦士たちに襲い掛かってきた。
「死ねぇぇぇ――――――っ!!」
まずショウに狙われたのは一番近くにいたタイガだった。
「わぁっ!待てショウ!!」
いきなり襲われて混乱するタイガの心臓目掛けて閃光のような突きが打ち込まれ、なんとかかわしはしたものの胸あたりのジャケットがザックリと切り裂かれてしまった。
「ほ、本気かよ…ショウ……」
親友に殺されかけたタイガは一瞬放心してしまったが、そんな時間を許さないかの如くショウはタイガに手加減無しの攻撃を繰り出してきた。
「死ね!死ねタイガ!!姉さんのために死ねぇぇ!!」
顔を怒りで真っ赤にしたショウの攻撃はいつもの流れるような華麗な剣捌きはなく、闇雲にタイガの急所目掛けてブンブンと振られるのみだった。
そのためタイガもショウの剣筋を見切ってかわしてはいるものの、まさかショウに攻撃を入れるわけにもいかずどうにも攻めあぐねていた。
「ショウ!大丈夫か!!」
タイガの危機を見てオウキとリュウガが急いで駆けつけショウの攻撃を防ごうとしたが、邪魔をされたショウは今度はリュウガ目掛けて猛攻撃をかけてきた。
「き、君達も死ね!!死ね!!僕の姉さんの命令だ!光の戦士はみんな死ねぇぇ!!!」
ショウのメチャクチャに振り回す剣がガキン!ガキンと澄んだ音を立ててオウキやリュウガの剣と剣戟を煌めかせる。
その勢いはリュウガはともかくオウキすら押されつつあり、正直ショウにこれほどの膂力があったのかと三人を驚かせていた。
どちらかと言えば知略で戦うイメージの強いショウには、腕っ節が強いイメージはない。
だが今のショウは力のリミッターでも外れたのか、信じられない力で三人を押しまくっていた。
オウキ達は三人がかりでショウを止めようとしているのだが、全く止められる気配がない。
こうなっては多少ショウに痛い目を与えないと確信したオウキは、剣の鞘を掴むとショウの鳩尾目掛けて突き出した。
「ぐぁっ!!」
「ショウ、すまん!」
どぼり!と鈍い音を立てて、オウキの柄はめこりとショウの鳩尾に吸い込まれた。
これには流石にショウも動きを止めその場にがっくりと膝を落とした。
「これでしばらくはショウもまともに動けないはず…今のうちにあいつを…」
「うがぁぁぁぁぁああああ!!」
だが、動けないほどのダメージを食らったショウは獣のような咆哮を上げながら立ち上がると、ダメージを受けたことを微塵も感じさせない動きで再び襲い掛かってきた。
「ば、馬鹿な!!痛みを感じていないのか!!」
常人ならしばらくは呼吸困難になって立ち上がることすら出来ない。というか普通は気絶するほどのダメージを与えたはずだ。
だがショウはさっきと勢いを全く変えずに攻撃してきている。
「キャハハッ、そんなことしても無駄よ。
今のショウは私の命令を遂行することだけしか考えられない。その身も心もね。
だから、どんなに痛めつけても止まらないわ。
例え足を切られても、腹を割かれても、お前達を殺すまで決して止まらないわ。
ほらほら、攻撃が甘くなっているわよショウ!
もっと強く、もっと早く!自分が壊れるくらいの勢いでそいつらを殺しなさい!!」
「はい姉さん!がぁぁぁぁあああぁっ!!」
今のショウの絶対的な主人であるカレンの命令に従い、ショウは今までよりさらに強く激しく打ち込んできた。
そのあまりの力の入れようにショウの関節は軋んで嫌な音を発し、剣を握り締めている拳からは血がダラダラと流れ落ちてきているが、そんなものは全く気にせずにショウは攻撃し続けている。
「やめろショウ!このままだとお前の体がもたないぞ!」
そんなオウキの忠告にも殺戮マシーンと化したショウは全く耳を貸さない。いや、貸せない。
カレンの耳から常に発せられている超音波がショウの鼓膜をびりびりと揺すり、カレンの命令を送り届けるとともに余計な声を聞くことを妨害しているのだ。
「ああそうそう、もし止める方法があるとしたら、それはショウが死んだときだけ!
お前達に出来ることは、ショウを殺すか、ショウに殺されるしかないのよ!!
まあ私にとってはどっちでもいいんだけどね!アハハハハッ!!」
「な、なんてことを…。あなたはショウの姉なんだろ!!ショウが死んでもいいって…なんでそんな!」
自分の弟の命を毛ほども思っていないカレンに、リュウガはショウの猛攻を防ぎながらカレンに非難の声を上げた。
が、カレンは全然動じもせずにリュウガに冷ややかな視線を向けた。
「何を言っているのよ。皇魔である私にとってはショウも憎い光の戦士の一人であることに変わりはないわ。
お前達を一人残らず殺した後は、私の手でショウの心臓を抉り出してその暖かい血のシャワーを全身に浴びるの。
きっととっても気持ちいいわよぉ……アハ、アハハハハァ!」
確かにカレンの言うとおり、ショウも光の戦士の一員である以上敵には違いない。
だが、それでも血を分けた弟をこうも残酷に扱えるものだろうか。
一体なにがあってカレンが皇魔に堕ちたのかはリュウガには分からないが、その心の闇の深さにリュウガは背筋がゾッと震えた。
「さあさあ、お前達はショウの相手でもしていなさい。ああ、殺しちゃっても全然構わないからねぇ、ククク!」
そう言いながらカレンはショウやリュウガ達を完全に無視し、少し離れたところで蹲っているシズクのほうへと進んでいった。
本当ならシズクもショウを止めに行きたいところだったのだが、ますます以って身体の調子がよろしくなくなりもはや立っていることすら困難になっていた。
本当ならリュウガが傍についているはずなのだが、ショウに襲われているタイガを助けるため、ついつい離れてしまっていたことでシズクの護衛が全くいない事態になっていた。
「うふふ、随分苦しそうねお嬢さん?なにか悪いものでも食べたのかしら?」
「くっ……」
余裕を持って対峙するカレンに対し、シズクは双頭大蛇を支えにしてどうにか立ち上がったもののとても戦えるコンディションではない。
「しまった!シズク!!」
シズクの危機にリュウガは気づくものの、ショウの猛攻を防ぐのに手一杯でとてもシズクの救援には駆けつけられそうもない。
無論オウキもタイガも同様で、今の状態のショウに背を向けたらたちまちばっさりと斬られるのは目に見えているので、シズクの危機は分かりながらもそれを防ぎに行くことが出来ない。
つまり、シズクは独力でカレンの手から逃れなければならないが、今のシズクにそれを求めるのは酷であろう。
「うぅ……くそぉ…」
カレンを睨むシズクの視界が時折ぼやーっとぼやける。まるで体中の力がどこかから抜けているような脱力感が全身を支配し、意識すら時々飛びそうになってきている。
「ほらほらぁ、足元にきちゃっているわよ。もっとしゃんとしないと」
「やめろぉ……来るなぁ…!」
カレンの伸ばしてきた手をシズクは双頭大蛇で力いっぱい叩こうとしたが、もう剣を振る力さえまともに残っていないシズクは双頭大蛇に振られるような感じで身体を泳がせ、ドッシーンと勢い良く転んでしまった。
「あぁぅっ!」
シズクは慌てて起き上がろうとするが、転んだ痛みと脱力しきっている身体は言うことを聞かず、ただただ気ばかりが焦るだけだった。
「ふふふ…、自分で勝手に転んでくれるなんて…。あっけないものね」
ニタニタ笑ったカレンの手の爪がかちかちと嫌な音を立てている。今あれを振り下ろされたら防ぐ手立てはない。
だがカレンは爪を鳴らしながらシズクに言い放った。
「……安心なさい。今はまだあなたは殺さない」
「えっ…?」
最初シズクはカレンが自分を見逃す理由がわからなかった。
が、遠くで見えるリュウガたちとショウの剣戟を見て、カレンの意図をすぐに悟った。
「ま、まさか…私も……!」
「あらぁ?結構勘がいいのね。そう、察しの通りよ!!」
まずい!とシズクが顔を背けるより早く、カレンの瞳がギラリと光った。
「あうっ…!」
その瞬間シズクの身体はビクリと跳ね、全身が凍りついたかのように硬直してしまった。
「ふふふ…、あっけないものね。まあ、体調も悪かったみたいだからしかたがないのでしょうけど。
でも安心しなさい、もう体の辛さで悩む必要もないのよ……」
カレンは術中に落ちたシズクへ耳を向け、洗脳音波を叩き付けた。
ただでさえ気力が弱っているシズクに超音波に逆らう術はなく、見る見るうちにシズクの顔から表情が消えていっている。
「ショウと同じく私の下僕になれば、体がどうなっていようが私の命令に従うことしか出来なくなる。
頭痛だろうがなんだろうが関係ないわ。そんなのを気にする心すらなくなるんだからね!!」
果たしてそれがシズクに聞こえているのかは分からない。が、確実にシズクの意思はカレンによって侵食され消え去りつつあった。
「これであなたを下僕にすれば二対三。少なくともどちらも無事ではすまないでしょうね。
まああなた達が生き残ったとしても、互いに殺し合いをさせてすぐに全員同じところに送ってあげるから安心しなさい!
ク、クク、ククククク!!」
「…………」
不敵に微笑むカレンを、シズクは無表情のままボーッと見ている。すでにショウと同じくシズク自身の意思はかき消されており、自分が何をしているのかすら判ってはいないはず。
なのだが、カレンを見るシズクの瞳には僅かではあるが感情らしきものが宿っていた。
それは本当にほんの僅か。よく見ないととても判断できないほどのものだったが。
「さあ、もうあなたには私しか見えない。私の言うことしか聞こえない。
私の言うことには絶対従わなければならない。その身体も魂も、この魔蝙将カレンの思うがまま…。さあ、立ちなさい」
「…………」
カレンの命令に、シズクは逆らうことなくふらりと立ち上がった。俯いているシズクの眼はショウ同様金色に光り輝いている。
「ふふ、いい子ね…。じゃあ早速あいつらを殺しに行きなさい。
その大ぶりな剣で、バラバラに切り刻むのよ!」
ショウ一人でさえ手間取っている光の戦士たちだから、ここでこの小娘一人加えれば防ぎきれなくなるに違いない。
辺り一面は血の海と貸し、共倒れになった光の戦士たちの肉片で溢れ返ることだろう。
その陰惨な光景を想像して、カレンは無意識にゾクゾクと背筋を快感で振るわせた。
ところが
「…………」
肝心のシズクがその場に突っ立ったままピクリとも動こうとしなかった。
「あら…?聞こえなかったの?早く光の戦士たちを殺しに行きなさい」
「…………」
だがシズクはやっぱり動かない。
「……ちょっと…なんで私の命令を聞かないの!私はあなたの主人よ!私の命令には絶対服従なのよ!!」
「…………」
カレンは多少声を荒げて怒鳴ったが、それでもシズクは指先一本すら動かそうとしなかった。
これはさすがにカレンも想定外の事態で、一瞬唖然とした後思い通りに動かないシズクに烈火のごとく怒り出した。
「な、な、な!!なんで動かないのよ!!ふざけないで!
下僕の分際で主人に逆らう気なの?!
わかった。もういいわ!お前なんかいらない。
光の戦士に殺される前に、私がこの手で殺してやる!!」
逆上したカレンは爪をジャキン!と伸ばして剣ほどの長さにし、大きく振りかぶってシズク目掛けて振り下ろした。
無抵抗のシズクはそのまま4枚に下ろされてしまう、と思ったら…
「………」
シズクは俯いたまま腕を伸ばし、自分目掛けて振り下ろされたカレンの腕をがっちりと掴んだ。
「なっ!」
まさか抵抗されるとは思わなかったカレンは多少目を見張りつつも、そのまま右腕に力を込めた。
皇魔である自分と、人間でしかも小娘であるシズクとでは力の差がありすぎる。このまま強引に腕を下ろしてシズクを切り刻もうというのだ。
ところが
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
カレンがいくら力をこめようがシズクはびくともしない。カレンは途中から左手を右手に沿え渾身の力でシズクを押し込もうとするが、対するシズクは左手一本でカレンの腕を掴んだまま全く動こうとしない。
確かにシズクは体からは想像も出来ない光の戦士で一番の怪力の持ち主なのだが、それにしてもこの力は異常だ。
「バ、馬鹿な!!なんでこんな!!」
さすがに異常な事態を感じたカレンは一旦シズクから離れようとしたが、シズクは物凄い力でカレンの腕を掴んだまま離そうとしない。
「は、離しなさい!こいつ!離せ、離せぇ!!」
すっかり立場が逆転してしまい、多少の恐怖を感じながらカレンは何とかシズクを振りほどこうとしたが、地に根っこが張っているみたいにシズクは全くびくともしない。
「いい加減にしなさい、こいつ………!!」
それでもなんとかしようとカレンがムキになってぐいぐいと腕を引っ張っていると、それまでずっと俯いていたシズクの顔がゆっくりと持ち上がってきた。
「…………」
その顔には先ほどと同じく表情らしきものは感じられない。
が、先ほどと違っているところが一つあった。
カレンの下僕になっている人間は、カレンと同じように瞳の色が暗い金色に輝いているはずだった。
実際、先ほどのシズクはそうだった。
ところが、今のシズクの瞳は金色ではなく、血のように鮮やかな緋色をしていた。
その目がぎょろりと動き、カレンを射すくめた。
「………ヒッ!!」
その視線は何故かカレンの心に言いようの知れない恐怖を発生させ、カレンは不様にもその場にへなへなと崩れ落ちてしまった。
そして、その際に耳から放ち続けていた超音波もつい途切れさせてしまった。
それが状況を逆転させた。
「っ!!ぐがぁぁぁぁっ!!」
それまで狂気のままに剣を振るっていたショウが突然頭を抑えて苦しみだしたかと思うと、その場にばったりと倒れこんでしまった。
「な、なんだ?!」
一体何が起こったのか理解できなかったオウキたちだったが、シズクの傍でへたり込んでいるカレンを見て何かが起こったのだけは理解できた。
そして、カレンを倒すのは今しかないことも。
「でやぁぁぁっ!!」
三人の中でいち早く反応したリュウガは剣に雷の力を込め、蒼く輝く剣を振り上げてカレン目掛けて突っ込んでいった。
普通なら遠くからドタバタ走ってくるリュウガにカレンが気づかないはずはないのだが、シズクの視線にすっかり心萎えさせていたカレンは不覚にもリュウガの突進に全く無警戒だった。
「…ハッ!」
そのため、気づいた時にはもうとてもかわし切れない間合いまでリュウガに踏み込まれていた。
「喰らえ――っ!!」
「クッ!」
顔目掛けて突き入れてきた剣をなんとかカレンは身をかわそうとしたが、いまだにシズクに捕まれたままなので身体が思うように動かない。
それでも必死で身を捩り、なんとか致命傷を受けることは避けられたが、かわし切れなかった剣はカレンの右耳をズバッと切り裂いていった。
「ギャアアアアアァァッ!!」
神経と血管が集中している耳を斬られ、カレンは激痛から身の毛もよだつほどの絶叫を上げた。
切り口からは夥しい量の青黒い血が噴き出しており、手で傷口を抑えてもその隙間からだらだらとこぼれ落ちてきている。
「ぐぅぅ…っ!小僧がぁぁ……!よくもぉ!!」
リュウガを見るカレンの眼は憎悪でぎらついている。そして、カレンが激しく身を捩った余韻からか、シズクがカレンの手を離してばったりとその場に倒れこんだ。
が、カレンはシズクには目もくれずリュウガを睨み続けている。今のカレンには自分に深手を負わせたリュウガしか見えていなかった。
「ショウ!こいつを殺しなさい!!一刻も早く、ショウ!!」
だが、ショウはカレンの命令に反応しなかった。ショウも先ほどシズクと同様に倒れこんでいたからである。
「ショウ!早く起きなさい!起きて殺しなさい!命令よ!!」
カレンはムキになってショウに命令を繰り返した。カレンの声と同時に発せられている超音波が耳に入れば、例え無意識だろうが身体が反応して命令を遂行するはずだからだ。
そして、案の定ショウの身体はカレンの声に反応したのかゆらりと起き上がった。ショウの周りではタイガとオウキが警戒しながら身構えている。
「ショウ、そんなザコは後回しにしてまずはこいつを仕留めるのよ!」
「くぅ……。タイガ、リーダー!少しの間だけでもショウを抑えてて……」
リュウガとしてはせっかくカレンに手傷を与えられたわけで、ここでショウに邪魔をされては元も子もない。
なんとか二人にショウを任せて、その間にカレンを倒さなければと考えていた。
ところが、事態は意外な展開になっていった。
「……、お断りします。姉さん」
カレンのほうを振り返ったショウの瞳は、先ほどまでの操られた金色ではなくショウ本来の若草色のものだった。
「な!馬鹿な!!ショウ、あなたなんで正気に………ハッ!!」
ショウが正気に戻っていることに狼狽したカレンは、手で抑えている傷口を思い出してハッとなった。
超音波を発する耳をリュウガに傷つけられたことで超音波をうまく発信することが出来なくなっていたのだ。そのためショウの洗脳が解けてしまったのだろう。
カレンには見えていなかったが、すぐ下で蹲るシズクの瞳も本来の薄紅色に戻っている。
カレン自身は今でもちゃんと命令音波を出していると思っているので、これで実質他人を操ることは出来なくなったと言っていいだろう。
「くそっ、なんてこと……」
こうなったらカレンが自分自身の手で戦うしかない。だがそれでもさっきとは状況が異なっている。
カレンが目にもとまらないスピードで縦横自在に飛び回ることが出来たのは、やはり本当の蝙蝠と同じく耳から発する超音波で彼我の距離などを正確に測りだしていたからだ。
その超音波が封じられてしまった以上、先ほどまでの素早い攻撃を繰り出すことはとても出来ない。
「…どうやら、形勢が逆転したようだな」
ショウが正気に戻ったのを見て、オウキが矛先をカレンへと向けなおす。
「この傷のお返し、たっぷりとさせて貰おうか!」
タイガが手をバキボキと鳴らしながら近づいてくる。
「姉さん……、もう僕は迷いませんよ」
ショウが血を分けた姉と戦う覚悟を決めたのか、剣をカレンへと突きつける。
「あなたがショウの姉さんと言っても…、容赦はしない」
倒れたシズクを庇いながら、リュウガの剣先に蒼い電光がパチパチと弾けている。
「うぅ……く、来るなぁ……」
状況が相当不利になり、カレンはじりじりと後ずさっていく。だがとても逃げ切れそうには思えない。
「…姉さん、一つだけ教えてください」
剣から赤い炎をちらつかせながらショウが真剣な面持ちでカレンに尋ねた。
「姉さんはなぜ、皇魔に身を堕したのですか?
僕の知っている姉さんはそんなに心の弱い人間ではないと確信しています。それが、なぜ」
「そ、それは……」
弟の思わぬ迫力に、カレンはつい言いよどんでしまった。
が、その時
「不様ね、カレン」
突然空のほうから声がしたかと思うと、三体の皇魔がカレンの後方へすとりと降りてきた。
三体の内、脇を固めるのは妙齢の女性皇魔。そして真ん中の一人を見て、光の戦士たちはわが目を疑った。
「「「「テ、テラス様?!」」」」
そこにいたのは紛れもなくこの国の頂点であり、自分たちを魔界に送り出した張本人。
誰よりも聖龍石を奪われたことを気にかけていたはずの神羅連和国皇帝、テラス。
しかし、光の戦士たちの前に立っているテラスはどう見ても人間ではなく皇魔のいでたちとなっており、その全身から放たれる邪悪な気配はカレンのものとは比べ物にならないほど濃く、強いものだった。
 | 許さない…… お前達は……!
|
光の戦士を睨むテラスの金色の瞳は、隠しようがない怒りで燃え狂っていた。