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今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月25日(土)07時21分41秒 i220-108-41-123.s02.a015.ap.plala.or.jp
  了解致しました。しばらく静観する事に致します。  

佐渡の朱鷺さん

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月25日(土)00時12分50秒 softbank220058091171.bbtec.net
  どうも、佐渡の朱鷺さんとは、うまくかみ合わないようです。
しばらく、静観されていてください。

南里Guyさん、よろしくお願いします。
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月24日(金)11時31分29秒 i220-108-41-123.s02.a015.ap.plala.or.jp
  車の運転中に電話を下さったんですか?
それはあまり感心しません。
一刻を争う状況等であるなら致し方ない場合もあるでしょう。しかし今回は私がご無理を言って、実名や、お住まいの場所や、顔写真等を拝見させて頂き、貴方様の実在を確認させて頂きたい、と言う事でした。
しかし貴方様が、「まずはお電話でご挨拶」とおっしゃるので、その意向に合わせた訳です。
時間のない中、無理に連絡をして欲しい等とは、私は一言も申し上げておりませんし、第一、それはとても危険な行為です。
今後は二度と、そのような事をしてはいけません。
 

混迷

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月24日(金)01時12分17秒 softbank220058091171.bbtec.net
  ここまで、師弟の何たるか、要するに、信心がわからなくなっているのです。
何が目的なのか。人間革命とは、どういう状態なのか。
究極まで、自身の手で、自分自身の心で、自立して、日蓮仏法を信仰している会員が少なくなっているということに、間違いありません。
来年の1月の大百蓮華が届きましたが、理事長の言には、失望しました。信心が、わかっていない証拠です。全くもって、先生の側近にいながら、何を毎日しているのでしょう。
学会本部幹部の毎日の日常風景は、広宣流布にかける情熱や歓喜、報恩の念は、ないのでしょう。この日本で、一体何人の人が、日蓮仏法の真髄である大歓喜の境涯を満喫していることでしょう。不肖、私は、この瞬間にも、自身に満足し切っております。何の後悔の念もありません。ただ、ただ、一人でも多くの人に、妙法を届けたい心境だけです。この障碍が、内部の決定権者どもにあるという疑いのないことだけです。

そもそも、教学部にも、本気になって探求心を燃やしている人は、皆無です。御書は、迫害と中傷の真っ只中でしか、身でわかりません。要するに、闘争の最中でないと、リアルにつかめません。自分のものに、出来ません。そういった意味では、除名に遭遇したり、組織から排除された人の方が、我が生命の対決が出来ます。徹底的な主観の世界である信心は、逆境にある人ほど、確立されるというのが、私の確信です。

益々、混迷を深めている日本の全体は、私の責任でもあります。もっと、自身が活用されるように、御本尊様に祈っています。いや、全然ダメです。もっともっと、真剣勝負の祈りが必要であるということは自覚しております。

佐渡の朱鷺さん

私の方は、車の移動中に、無理に時間をこじ開けてご連絡させていただきましたので、今ひとつ、会話に集中出来ませんでした。渋滞と混雑の交通事情の中、ハンドルさばきが大変でした。佐渡の朱鷺さんも、風邪を引かれていたとのことで、タイミングが悪かったですね。

事情がおありだと、直ぐに感じ取りましたが、私の方も時間がなく必死でした。本当は、ゆっくりとお話しをしたかったです。佐渡の朱鷺さんと比べれば、私は若輩者ですが、人は年齢ではないというのが、よくわかっております。いかに、いのちの時間を生きたかであると思っています。自己の生命への対決無くしては、畜生の生命時間と変わりません。
そういった意味では、例え20代で亡くなっても、その人の生きた時間は、神聖なる生命の時間であったといえるでしょう。また、次の生へと刻印されます。

『私自身は先生にお会いした事はありませんが、全て通じております。』

そう、言い切られるのは、艱難な事件をくぐりぬけられたからでしょう。素晴らしいことです。

【先生を誤解する俗衆増上慢は、先生を利用して暗躍する者にとって、実に都合が良いのです】

先生を利用し、会員を欺いています。組織の上層部に君臨し、支配しています。
盲目で臆病で、愚かな人間に成り下がっている会員も悪い。大衆心理に踊らされて、真実を見ようともしない。悪は、放置すれば増長するだけです。野放しのまま、ここまできてしまいました。目覚めた会員が、闘わなければ、純粋な組織は、保てません。それもまた、刻印であり、宿縁です。


 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月22日(水)21時25分32秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  先ほどは遠方からわざわざお電話を頂き感激致しました。ありがとうございました。
風邪を引いておりましたし近くに子どもがおりましたし、話の内容からも、少しひそひそ話になってしまいましたが、私の人となりは、大方、想像して頂けたかと思います。
今日より明日へさんは、とても明るく、楽しい感じのする、朗らかな方でした。
南里Guyさんにも、同じような性質の明るさ、素朴さ、真面目さを感じました。
ますます、安心して参加できるようになりました。
お心遣いを頂いた事に、心より感謝いたします。

お話の中で、いろいろあった事で、池田先生への怨嫉の気持は涌いて来なかったのでしょうか、と言う事がありました。
はっきりと申し上げておきます。
あり得ないのです。
先生どころか、幹部に対しても、誰に対しても、ないのです。

私はいろいろな事件の後、どちらかと言うと、何の力にもなれないちっぽけな自分を責めてしまい、心を病んでしまいました。
心療内科に通いましたが、薬の後遺症で、鬱症状にもなりました。
経済的にも、通院が無理でしたので、自力で治療するしかありませんでした。

その後数年間は、自分自身を知識して、回復へと導くための、研鑽の期間でした。
物理的な身体を貫く、生命の、具体的な法則や、実体について、身を以て探求しました。
魑魅魍魎とも、たくさん対話しました(笑)
さまざまな識者の見解に触れ、学術的な研究を進める事も出来、御書の読み方が変わって来ました。
結果的に、さらなる仏法の確信に立つ事となり、やがて思う様な結果があたりまえのように出るようになり、また周囲の人たちとも、それらの経験を共有することで、誤解の渦の中にあった池田先生の存在を、再確認させると言う事をして来ました。
先生を誤解する俗衆増上慢は、先生を利用して暗躍する者にとって、実に都合が良いのです。
誤解を放置することで、悪はのさばるだけです。
私は先生についての真実を話す事で、外護の役割を担っています。
私自身は先生にお会いした事はありませんが、全て通じております。

今思えば、私が創価学会から受けた一連のとんでもない出来事は、単なる酷い事件が起きたと言う事だけでなく、私自身の生命探求の学びの過程で必要な出来事だったのだと、今はそう解釈できます。
私は、これまで私に関わって下さった、全ての人達に感謝しなくてはいけません。

私は、御本尊様、お題目に、完璧に守られ、そのかわりに、支配されています。
そのために、私は、どんな存在からも、不当に支配を受ける事はないのです。
そういう意味で、私はマイノリティーである自分を、誇りに感じている面があります。
今日より明日へさんも、私と話しをしてみて、その事を感じて下さった事と思います。

私の人生は、私の意思だけではどうにもならないものでした。
あまりにも非力でした。
島国日本における差別の体質は、私には理解できず、受け入れられず、そのため、孤立しておりました。

全て御本尊様に、お任せの人生なのです。
そういう生き方をして来て、最終的にここ佐渡の地で、大聖人さまを常に慕いながら、真実は何なのかを問いかけつつ、この国の無明を破り、革命の金波銀波を起すために生きる事となったのです。
そんな中で、今日より明日へ様ともお知り合いになれました。
同志の絆は永遠ですね!
ありがとうございました。
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月21日(火)08時13分51秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  了解です。では南里Guyさんから私の番号を聞いて電話を下さい。お待ちします。  

同志(同じこころざし)

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月21日(火)00時10分26秒 softbank220058091171.bbtec.net
  静岡の同志の方々です。

魂の絆で、結ばれています。昨年、ここ福岡でお会いしました。
わざわざ、お越しいただきました。

いつの日にか、必ず、静岡に行きます!共戦の為に、先生の為、全学会員(地湧の菩薩)の為、全民衆の為に。静岡の方々は、本当に善良な方々ばかりでした。
真面目な会員さんが、苛められ、組織から排除され、こんな理不尽なことはありません!
先生の敵は、内部の最高幹部のヤツ等です。54年の決着は、何もついておりません。

さあ!これからが、本門の戦いです。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/oracion4

 

佐渡の朱鷺さん

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月20日(月)23時45分21秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  了解しました。

まずは、声でご挨拶しましょう!
近日中に、南里Guyさんに連絡いたします。
私の携帯番号を、お教えします。それか、佐渡の朱鷺さんの番号をお聞きします。
どちらでも、全くかまいません。

また、励ましなど、御礼はいいですし恐縮です。
ご自身の内省の葛藤が、よく伝わって来ます。
大変な思いをされて、生き抜いてこられたことは、よく存じ上げております。

南里Guyさんのご使命も、不思議なものです。つくずく、そう思います。
必ず、皆さんと、お会いする日が訪れるでしょう。必然なのです。

http://9200.teacup.com/seiginorentai/bbs

 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月20日(月)09時47分42秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へ様

お返事ありがとうございました。
今年はこの掲示板で、今日より明日へさんからどれほど励まされたか知れません。
思えば南里Guyさんとの出会いによって、南里Guyさんやこの掲示板の管理者様への疑いのような気持が消えたからだと思います。
文字はある程度その人個人を表現できますが、人間同士はやはり、直接お会いして話し合うと言うのが大切な事なのだと感じています。

私は以前、除名になった方達やその周辺の人達の言動に深く傷付いた事があります。
除名になった方達も人間です。
人として至らない点があるのは当然の事です。
私もまた同じことです。
自分の内側にある、信じたい人たちの信じられない発言であったり、行動であったり、それらの状況から抱えた人間不信であったり、被害者感情、怒りや悲しみ等の負の宿命。
それらを他者に投影しているうちは、自分自身の心の傷とは向き合えないものなのだ、と言う事も分かりました。
自分自身に立ち返り、自己内面の回復に向かうには、大切に思う気持はあってもなかなか理解し合えない他者と言うのは、あって良いのだと考えるようにもなりました。
また自身の内面が回復して来た時、「なぜその出来事に出くわしたのか」と言う疑問が湧いて来る様にもなりました。
一つのステップを乗り越えるたび、悪との戦いは洗練され、確信を持って、楽しい気持で立ち向かう事が出来るようになっても行きます。
楽しいから、前向きに頑張ろうとする。
多くの人が前向きだから、少々の臆病や卑屈な気持が借りにあったとしても、その面に勇気や学びを与えながら、善の連帯として、しっかりと手を繋ぐ事ができるようになる。
そしてまた一つ、確信に立つための課題と、自他を信頼するための偉大な結果をそれぞれの人生に生み出す事ができるようになるのだと思っています。

実は、今日より明日へさんにお願いがあります。
私は今日より明日へさんの事をこの掲示板上でやりとりした面でしか知りません。
なので、できれば自画像と、お名前と、お住まいの場所等を知りたいと思っています。
やり取りをして下さった方の素性を知って、その実在をしっかりと確認したい、と言う気持からです。
宜しくお願い致します。
 

立正安国

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月18日(土)16時18分33秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  12月に入り、仕事の多忙が続いております。本年も、残り僅かな期間になりました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。来週は、年賀状も書かなければなりませんね!

南里さん

素晴らしい、実に、深遠な「島」の詩ですね。魂に、深く入り込んで来ましたよ。光景と共に。『それは創世の大昔そのままの根をかっちりと海底に張っている』・・この辺は、グッと来ます。いや~感動しました。素晴らしい限りです。

ツイッター上に、ついに、写真をアップされていますね!衝撃でした(笑)
自画像の公開に踏み切られた、南里さんの真剣さと情熱を感じました。
あの場所(空間)での会話、表情、全てを鮮明に記憶しています。昨日のことのようです。
隣のおじいさんが、南里さんだと思われた方もいるでしょう・・(笑)

あの時の、私の一念は、先生しか、ありませんでした。
何が何でも、先生に直談判するという覚悟でした。大分の事も、除名になった、全ての方々のことも、今後の創価学会の事も。直接、先生にご指南を仰ぐ覚悟でした。
金城会や、大馬鹿な勘違い患部からの激しい阻止を食らいましたが。
しかし、尋常ではない警備体制には、舌を巻きました。・・何十人も。

私など、次の日に、一人で学会本部に行った時など、信濃町には、アイツ等がこれでもかと、連携して尾行して来ました。飲食店に後輩と入ったら、威圧して、隣に座って来ました。もう、騒然とした空気に包まれました(笑)

JR山手線、電車内にも、渋谷の街中にも、ぴったりと、くっついて来ました。・・ここまで来たら、明確な犯罪です。さすがに、空港までは、ついてきませんでしたが。
もしも、福岡空港までも待ち構えていたら、私は、徹底的に争うつもりでいました。

私の姿勢は、「いまだ、こりず候」です。(笑)
何度でも、「立正安国」を、叩き付けてやります。

佐渡の朱鷺さん

大変な思いをされて、幼少期、青年期を過ごされたことでしょう。目に浮かびます。
人生の労苦は、必ず、糧となります。変毒為薬とは、言葉で言うのは簡単なことですが、実際には、当の本人にしか解らない、切実なる思いが、真剣なる願いが、うち鎮められています。人生の荒波を、自立して必死に漕いで、たどり着いた方でしか、法華経の深い思いは、わかりません。経典の一文字に込められた「詩」は、即、何とか救いたいという、何としても、救いきりたいー。という深秘の、生命究極の詩です。

法華経の一文・一句が生きています。その一文字に、私は、涙します。歓喜します。
鼓動の脈動が、体内に流れ通ってきます。嗚呼、法華経。恋焦がれ、苦楽をともにした人類の希望。その雄姿を、ひとたび聞いただけで、感無量の感情が込み上げてまいります。
もう、大好きです。体の一部のような存在です。

『地殻変動によって隆起した存在である「島」には、人間生命と似た波長があるのかもしれないですね。。
佐渡はその隆起したものの中に、金脈と銀脈が含まれていたと言う点で特殊な意味を持つ島かもしれない、と考えたりします。
越後は天然ガス等の、エネルギー問題に直結する物質が出ていますし、原発施設もあり、佐渡は金銀、と言う、経済に直結する物資が出ています。』

全くもって、仰っている通りです。島は、人間生命そのものです。地球自体が、生きています。鼓動を感じます。万物は、生きて脈動していますね。
佐渡は、何度も言いますが、不思議なところです。佐渡ヶ島を知らない日本人はいません。


Theimpossiblehashappened

流石、我が門下だ!約束は、絶対に守る。




http://twitter.com/nanriguy

 

Theimpossiblehashappenedさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月17日(金)13時46分38秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  V(○⌒∇⌒○) イエーイ  

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月17日(金)00時11分37秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  佐渡の朱鷺さん

ありがとうございます。
 

音楽

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月15日(水)00時51分6秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  Theimpossiblehashappened

音楽は素晴らしいですよ。
あらゆる差異を越えて人間同士を繋ぐ力を持っていますからね。
NYでもブルーノート等さまざまなクラブへ行き一期一会の交流を楽しみました。
一番最初に聞いた洋楽はWINGSのJETと言う曲。
ボウイはデザイン学校の時良く聞きました。T-REX、SEX-PISTOLSも好きでしたねー。
MY WAYと言えば私の場合はシド=ビシャスになってしまいます。
その学校はおかしな人がよりすぐりで集まっている学校でしたのでこんな私でもなんとか馴染む事ができて幸運でした!(笑)
南里GUYさんも同じ学校でしたけど(笑)

-13℃!ひゃー内蔵までフリーズしそうですっ!暖かくしてお過ごし下さいね!
こちらはそこまで気温は下がりませんが毎年雪かきで汗だくですヨ!
 

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月14日(火)23時26分29秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  佐渡の朱鷺さん

音楽はいいものですね。

中学生の時音楽を始めて、最初に練習した曲がボウイの「NO NEW YORK」という曲でした。
高校生の体育祭ではNYのBroadwayで有名な「West Side Story」をやったのを覚えてます。
大学生の時は友人からフランク・シナトラのチケットを貰い観に行ってそれ以来「New York New York]と「My Way」が大好きです。(今ではBarに行くと必ずNY NYをリクエストします)

こちらは朝起きたら雪が薄くですが積もってました。今日の最高気温もマイナス13度。そちらのほうがもっと雪などすごいんでしょうが。。。寒いです。。。

風邪などに気をつけてください。
Stay warm
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月14日(火)21時24分50秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『私の小学生の頃の最大の苦悩は、「人は死んだらどうなるのか。」でした。寝ても覚めても、そのことが頭から離れず、片時も心が休まらず、苦しくて苦しくて・・・
周りの大人全部が、一番大事なことに、逃げている。偽っているとしか思えませんでした。』

そうですね。私もそうでした。
私の場合は家族からの言葉による暴力、肉体的な暴力、ネグレクト等の虐待を受けていましたし、家族はそれを「愛」であり、「獅子は我が子を谷底に突き落とすものだ。」と私に教え、「あなたは優しい。その優しさを私たちは自分のエゴを満たす為に利用している。」と聞かされました。
近所の人や学校の先生が思いあまって私への対応を考えるように両親に説得したりもしていましたが、耳を貸す事はありませんでした。
学校ではいじめにあっていましたが、そういう両親に相談することなどありえませんでした。
私にはどこにも居場所がなく、生まれつきの自閉症や虐待の被害等で、自分の考えを言葉にして発する事が上手く出来ませんでしたから、他人に意思を伝えなくてはいけないような場面では対応がとても困難で、そのため不安や緊張が高く、心身の体調は芳しくなく、「私はいつ死ぬのだろう、そして死んだらどうなるのだろう、それにしてもこの儚く悲しく寂しい私の人生は、一体なんの為にあるのだろう。」と言うことばかりが頭を過っていたと思います。
私には、こんな私でも、この世に存在していたことを誰かに知っていてほしい、と言う切実な願いがありました。

ある日の雨上がりの時、図書館の帰り道、太陽の光がキラキラと水たまりに反射していました。
私はその光景が、私に何かを語りかけている様に感じました。
それから私は、心に浮かんだ言葉を、夢中になって書き留めるようになりました。
まるで見えない詩人が私だけに詩を創ってくれているような、そんな気持がしていました。
私はその詩をカレンダーの裏にマジックで書いて自分の部屋に張りました。
それはできるだけ高い場所が良いのではないかと考え、天井付近に貼付けました。
それを見た親戚の子が、「あの詩はすごくいいね。。。」と言いました。
私は、私の気持なんてわかるはずがない、と考えていたその子の中に、詩と言うものを通すことで、共感し合える世界があることをこの時初めて知りました。
私の中の、暗く寂しい陰鬱な世界が、この出来事を境に光りを捉え、希望に満ちたものへと変わりはじめました。
私はコツコツと筋トレや勉強に励む様になりました。
その鍛えにはど根性がもちろん必要でしたが、そこに至るきっかけは「詩」と言うものの存在でした。

今思えば、それらの経験も、この娑婆世界を生き抜く精神力を培うためには必要な経験だったのでしょうね。
どんなに苦しく思える人生でも、人生に無駄な事は一つもないと、法華経と言う詩を通じて仏法の存在を確信した自分には分かります。

『『島』には、独立(屹立)した、波長の融合とも表現出来る何かが、確かに存在しています。』

地殻変動によって隆起した存在である「島」には、人間生命と似た波長があるのかもしれないですね。。
佐渡はその隆起したものの中に、金脈と銀脈が含まれていたと言う点で特殊な意味を持つ島かもしれない、と考えたりします。
越後は天然ガス等の、エネルギー問題に直結する物質が出ていますし、原発施設もあり、佐渡は金銀、と言う、経済に直結する物資が出ています。
世界における重要課題を具体的に捉えつつ、地球に思いを馳せながら銀河に励まされて行動するのに、丁度良い場所かもしれません。
 

宇宙(シマ・島)

 投稿者:南里Guy  投稿日:2010年12月14日(火)09時34分25秒 p4058-ipbf3007marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
   島       泉芳朗


私は 島を愛する

黒潮に洗い流された南太平洋のこの一点の島を

一点だから淋しい

淋しいけれど 消え込んではならない

それは創世の大昔そのままの根をかっちりと海底に張っている

しぶきをかけられても 北風にふきさらされても 雨あられに打たれても

春夏秋冬一枚の緑衣をまとったまま

じっと荒海のただ中に突っ立っている


ある夜は かすかな燈台の波明りに沈み

ある日は 底知れぬ青空をその上に張りつめ

時に思い余ってまっかな花や実を野山にいろどる

そして人々は久しい愍(あわれ)みの歴史の頁々に

かなしく 美しい恋や苦悩のうたを捧げて来た

わたしはこの島を愛する


南太平洋の一点 北半球の一点

ああ そして世界史の この一点

わたしはこの一点を愛する

毅然と 己の力一ぱいで黒潮に挑んでいる この島を

それは二十万の私 私たちの島

わたしはここに生きつがなくてはならない人間の燈台を探ねて――


※泉芳朗(いずみ・ほうろう)非暴力闘争で奄美日本復帰運動を成し得たリーダー。詩人・教育者

http://twitter.com/nanriguy

 

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月14日(火)06時26分10秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん

貴殿の書かれる、一文・一句が生きています。

ビンビン伝わって参ります。素晴らしい限りです。貴女様の生き抜いて来られた試練の苦難は、不肖、私にはよ~~く解ります。
私も、不思議な体験の連続を味わって生きて来ました。とても、活字では表現出来ないことばかりです。雨の中、私のいる場所だけが晴れることがあります。

『誰かからの理解や共感を得にくい経験が私の人生には多すぎます。』

私も、実際、そうなんです。全部、お話しをしたら、本になります。しかし、比喩を用いるしか、手段がありません。それは、読み手の人に、疑念を抱かせないような細心の配慮が、どうしても必要になります。佐渡の朱鷺さんは、使命です。私も、そうです。世の中の、周りの人間全部がおかしいのか、自分だけがおかしいのか・・孤独な精神の反復葛藤は、己心に渦巻き、極限状態まで行きます。

私の小学生の頃の最大の苦悩は、「人は死んだらどうなるのか。」でした。寝ても覚めても、そのことが頭から離れず、片時も心が休まらず、苦しくて苦しくて・・・
周りの大人全部が、一番大事なことに、逃げている。偽っているとしか思えませんでした。
実際、大聖人様が御書でしたためられておられることも、不思議な話しばかりです。

究極の法門を、身で体得するには、自分自身が、全人類を背負う覚悟なくして、解りません。いいようのない孤独世界を、手探りで生きてきた人間でしか解りません。世界最高峰の哲学の頂は、チョモランマの峰峰は、吹きすさぶ嵐に足もとをさらわれない勇気と忍耐、生き抜くど根性がなければ、登攀出来ません。

私も、お住まいの佐渡の地で、縄文時代からの息ずかいを、確かに感じました。
そして、不思議な感覚と、磁場を感じ取りました。沖縄の島々にも、感じました。
余談ですが、ナポレオンが幽閉された処も、NYも島です。イギリスも島です。
『島』には、独立(屹立)した、波長の融合とも表現出来る何かが、確かに存在しています。

本当に、佐渡は、不思議なところです。
 

お返事

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月12日(日)21時24分0秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  Theimpossiblehashappened さんへ

お返事ありがとうございました。感激です!
ジョン=レノンの命日。1980年12月8日。
この日私は学校の教室でその訃報を知りました。
ロックの好きなクラスメートたちが大騒ぎをして授業になりませんでした。(いつも比較的そうでしたが)
この年は私にとっても、非常に解釈の難しい出来事が次々に起きた年でした。
常識では説明のつかない経験をいくつもしました。
今ようやく言葉にできるようになりましたが、宇宙人に拉致されたと言うのが一番適切な言い方かもしれません。
UFOのような物質に乗って宇宙旅行をするわけではありません。
一瞬のうちに時空間を越えて宇宙の彼方へテレポートする、と言うような事だったと思います。
そのことは私の心に傷を残しました。
大きなトラウマになりました。
誰かからの理解や共感を得にくい経験が私の人生には多すぎます。
そんな経験が一つ増えるたび、私は、茫漠とした虚無感の中に立っていられるだけの何かを私の中に確立する必要性が出て来ます。
もっともその経験が私をユダヤ教やキリスト教の過ちを確信させ、古からの神のメッセンジャーたちとの魂の交流を可能にさせ、また最終的には仏法へ、そして池田先生の人間主義へと導かれる契機になったとすれば、それもまた一つの必然的なプロセスだったと言えるでしょう。

翌年の初夏に、私は学校の体育祭で「ベルリンの壁」と言うミュージカルを演じました。
ストーリーは、当時まだ存在していた「ベルリンの壁」と言うものの意味と、その壁に引き裂かれた人間同士の連帯を取り戻すために民衆が立ち上がる、と言うものです。
主人公は一人の働き者の男性を愛する、どこにでもいるような一人の女性です。
国家によって奪われた愛する人を取り戻すために、彼女は悲しみの祈りを繰り返す。
その祈りが天に届けられるや否や、全てのうちひしがれた民衆の胸に立ち上がる気力がこみ上げて、みんなで勇気を出して壁を破壊し、やがて村に平和が戻って来たと言う、単純明快なものでした。
ジョン=レノンの「GIVE PEACE A CHANCE」、ザ・フーの「See me Feel me~Listen to you」やピンクフロイドの「THE WALL」等のBGMを使って制作されたミユージカルです。
主人公を演じたのは当時不登校気味で引きこもりがちになっていて、学校からは既に見放されていた私でした。
私はこの期間、このミュージカルを演じるためにだけわざわざ登校した記憶があります。
体育祭の前日の空を忘れる事が出来ません。
真っ黒な雲が立ちこめていてグラウンドは泥の状態でした。
ところが私が歌い出した時に、雲の合間から一筋の光が降り注いで来た。
私は、きっとあの雲の彼方から、誰かが自分を見ていてくれているのだな、と感じました。
2001年、北海道の旭川で、学会を除名になった方が主宰となって開催されたホロコーストパネル展では、ユダヤ人のお母さんが悲嘆にくれる幼い子どもに歌った当時のユダヤの詩をパネルに添えて展示しましたが、そんな内容の詩でした。

そう言えば、ジョン=レノンが住んでいたダコタ=ハウスには、宇宙人が遊びに来た事があったと言う事をいつだったかユリ=ゲラーが言っているのを読んだ事があります。
言葉に出して言ってしまえば、頭か精神の病気を疑われてしまいそうな経験をどう考えたら良いのかに真剣に向き合うようになったのは2002年くらいからです。
それまでは、学会が人を救って行くのだ、学会に入れば救われるのだと心のどこかで思っていた部分があったのですが、それこそが間違いなのだと分かってから発狂寸前まで悩みました。
イラク戦争の勃発を契機に、過ちの多い人類が正しい軌道を歩み出す為に、自分はどうあれば良いのか、何をすべきなのか、という問いかけに、私は自分也に納得の行く答えを出さなくてはいけなかった。

そんな時、孤独な自分の助けになってくれたのは音楽だけだったかもしれません。
ジョン=レノンの曲は、人類の連帯にとって最も大切な「愛」と言うものの性質をしっかりと伝えてくれています。
私たちの状態や時代の空気や環境が、それに対してどうレスポンスしているかで愛はその形を変えるかもしれないし、現代社会にあってそれは厳しさの側面が強いかもしれない。
メルヘンチックなものとは、あまり関係がないようにも思います。
しかしそれが唯一、人類にとって与えられた愛であるなら、受け入れてなお屹立していられるだけの精神の強さを持ちたいものだと願っています。

今日より明日へさん

佐渡が島は本当に不思議な所です。
島の人たちはよく、佐渡は日本じゃない、本土の人たちと比べたら私たちはフォリナーだ、佐渡はアパルトヘイトの島だった、と言います。
奈良時代に、越後の属国にさせられるまで、佐渡は佐州または渡州とも遠州とも呼ばれていました。
越後に吸収された後も、佐渡は越後には同化せず、縄文からの土着の文化をずっと維持し続けて来ていると思います。
それはある意味、人々の心の中に、本土に対して大変閉鎖的な面があることの証左でもあると言えますが、しかし一度心を開いた相手とは、ほとんど家族同然の親しさで抱擁し、接する向きが強いです。
困難な面はもちろんありますが、民主主義を大切に考えており、上下の関係よりも横の繋がりを尊重しようとする。
嘘を嫌い、見栄や体裁を嫌い、安易に世間の流行に流される事を何よりも嫌う気高さがあります。
悪い面と良い面を比較すれば、どちらかと言うと良い面が少しだけ勝っている。
私は佐渡については、そういう見方をしています。
その地に大聖人様が悪口の咎で流されて、意気消沈するどころか、数々の重大な御書を書きしたためられた。
私はその事を思うと、深淵な、厳粛な気持にならざるを得ません。
 

ジョン・レノン

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月12日(日)07時07分8秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  佐渡の朱鷺さん

ありがとうございます。
今、Happy Xmas (War Is Over) - John Lennonを聞きながら、この文章を書いています。

街はクリスマスの飾りで綺麗ですよ。というかメルヘンチックといった感じです。

木曜日(ジョン・レノンの命日の次の日)に、友人と会っていたんですが、別れた後、夜、一人でぶらっとダコタハウスと向かいのストロベリー・フィールズに行ってきました。たくさんの花が飾ってありました。確か、12月8日の夜10時50分頃、ダコタハウスの前で撃たれて11時過ぎに病院で亡くなった。その時にラジオか何かでかかっていた曲はビートルズのAll my lovingだったと何かで読んだことがあります。(南里Guyさんが詳しいとおもいますが!)
そういうことや、あと12月は年末というのもあるかもしれませんが、12月は自分にとっては少し寂しいイメージがあります。
話は戻りますが、先日こっちの新聞にあれから(ジョン・レノンが亡くなって)30年経ってジョン・レノンの理想にちかづいたとおもいますか?というインタビィーがNYであり、みんなの意見は「そのあと、テロがあってひどくなった。」や「州警察が地下鉄で大きい銃を持って立っている。」などでした。
一期一会、人種のるつぼ、リーマンショック、Sex And The City、テロ、テロ未遂、そして国連等等、狭いところですが、ここも本当にいろんなことがあります。



先日、こちらの日系新聞にあれから30年
 

来年のカレンダーを自室に掲げました

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月12日(日)02時53分48秒 ap5.teacup.com
  皆様には、急な掲示板のメンテナンスが入ったことをお詫びいたします。

ご不便をおかけしました。

12月7日投稿のTheimpossiblehashappenedから12月10日までの佐渡の朱鷺さんまで、管理人として総括のレスをさせていただきます。(遅くなりました)

ニューヨークは、人種のるつぼであり、出会いと別れは、さざ波のようだろう。世界中から目ざし、故郷の国々に散って行く。一期一会の出会いを噛み締めながら、音楽に取り入れ、一音を磨くように。氷点下以下の季節の町並みは、クリスマス一色に染まる。風邪を引くなよ!ガンバレ。そして、佐渡の朱鷺さんには、きちんと御礼のレスをするように!一言でもいい。伝わればいいんだよ。そして、約束を未だに果たせず、申し訳ない。これも、修行と思え。お前のことは、いつも思っている。

南里Guyさん

貴twitterのホームページに、当掲示板をリンクされ光栄に存じます。ありがとうございます。ここは、私のカラーがあまりにも強烈なのは、自覚しております(苦笑)
貴twitterに集まりの方々は、皆さん真剣な方々なんでしょう。インターネットの連携は、いのちの繋がりです。南里Guyさんとも、ネットで知り合いました。魔性(怪物)の敵陣営は、粉砕するしかありません。最近は、また性懲りもなく会館の建設ラッシュです。庶民は生活苦でギリギリというのに、この不況時に、大金が舞い込んだか!?
先生「学会本部は、しっそなものでいいんだ」

佐渡の朱鷺さん

ジョン=レノンの「Happy X'mas」・・映像に写る 両足がない男の子。女の子の遺体を抱く親等々。悲惨凄惨な地獄絵図です・・この世の地獄です。その場に、飛んで行きたい衝動にかられました。何とかしたい。抱き締めたい。題目を、南無妙法蓮華経と。遺体に、病室の中でも一緒に唱えたいー。魂が震えました。その光景(場所)丸ごと抱え、題目の光を届けたいー。そういう心境で真剣に念じました。戦争は、即地獄です。地湧の菩薩(私の確信)は、戦争に真っ先に反対するのを、使命としています。

佐渡は、大聖人様有縁の大地です。開目抄始め重書(秘伝書)は、ことごとく佐渡の地から送られています。思いますれば、不思議なところです。私は、鎌倉はじめ、大聖人様の足跡を追って佐渡に行きましたが、「我日本の大船にならむ・・」の金の文字を、ある寺院で見つけた時の光景が鮮明に焼きついております。佐渡の朱鷺さんとの出会いは、不思議なものを感じております。日夜の真剣なご投稿に頭が下がります。まさしく、地湧の菩薩様です。

黄金の兎さん

『全体の意味を汲み取らずに文章の一部分だけを取りあげて非難するような不真面目さに対し応えるつもりはありません』

私も全く同感ですよ。貴殿からは、不真面目さしか伝わって来ません。人として、です。
揚げ足を取るだけで、真剣さが伝わって来ません。皆さんも、そうでしょう。
対話のお相手がほしいのなら、他のサイトに行ってください。どうか、お願いいたします。
もう、ここは結構です。




 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月10日(金)20時25分1秒 i218-224-141-62.s02.a015.ap.plala.or.jp
  失礼ですが、全体の意味を汲み取らずに文章の一部分だけを取りあげて非難するような不真面目さに対し応えるつもりはありません。  

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月10日(金)18時46分6秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >悪は為されるものであり・・・、この部分はよく理解できません。何を言おうとされているのですか?。

>例えば原爆の投下も、神が直接原爆を落したわけではないが、兵士に主要な導きを行う形で神がやった、結果的には神がやったのだ、と言う風に言えてしまうわけです。

この部分はあまりにも短絡的且つ攻撃的です。仏は慈悲であり神は愛です。それらのことをわきまえておられるなら上記の言葉は私には非常に残念でなりません。
 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 9日(木)23時00分24秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  お返事、ありがとうございました。

「神が筆を直接取ったというのではなく書き手に主要な導きを行った」と同じように、「神が直接編纂した、というのではなく、編纂した人に主要な導きを行ったのであるから最終的には神が編纂したことになる。」とおっしゃるなら、もうなんでもかんでも「結果的には神がやった」と言うことが言えるわけです。

例えば原爆の投下も、神が直接原爆を落したわけではないが、兵士に主要な導きを行う形で神がやった、結果的には神がやったのだ、と言う風に言えてしまうわけです。
それは、原爆投下と言う行為を行う加害者にとってあまりにも都合が良いわけです。
人は、神の前において無力でちっぽけな、矮小な存在である、悪は為されるものであり、人はその悪の一部なのだ、と言うような、人類に置ける善の価値の抹殺が生じてしまうように思います。
神を信仰する事が悪い事だとは言いませんが、そこを考えないならその信仰は、過ちの過去を懺悔して良い価値を生み出す為の力にはなりません。

数年前に、我が家に初めてエホバの証人の方がお見えになられた時、主人はその方に、「ここに咲いている花も、草も、樹も、そしてあなたも私も実は神なんですよ。」と言ってました。
その方は、「そうだったのですね。ありがとうございます」と言って涙を流していたそうです。

一人一人の神様が力を合わせてこれまでの未熟な神が犯した過ちを払拭しつつ、平和な世界を作って行こうではありませんか。
そうしていつか、人格を備えた自立した人間、騙さず、騙されない、この世界に対して自分なりの責任を負える者になって行きたいと思うのです。
 

(無題)

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 9日(木)22時42分16秒 softbank126122224122.bbtec.net
編集済
  >佐渡の朱鷺さんへ
学会を辞めた理由についてはこのHPの方向性を考慮し差し控えさせて頂きます。私の立場は元々「21世紀 近未来志向の創価学会員よ集え!」のサイトにはふさわしくないものであることを十分承知しているつもりです。その上で私は聖書研究生であることを伝えています。

イエスキリストについては私たち人間を原罪から本来の状態に回復させるために原罪を負っていない自分の命を贖い代として神に差し出された方、   表現としては言葉が足りませんが私の考えです。
 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 8日(水)23時38分29秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『神が筆を直接取ったというのではなく書き手に主要な導きを行った、ということです。』
それはそれで良いと思いますし、間違いだとは思いません。
しかし、『最終的に聖書が現在の形になったという点では神が編纂されたといってもいい』
と言うのは何故ですか?
私はあなたに、『聖書は誰が編纂したと思いますか』と質問しました。
『神が編纂したと思います』と言うお答えであるなら、私は最初からその答えに疑問を感じる、と言っているしその理由も述べています。
それ以上のお答えがないのであるならもうこれについてのお返事は結構です。

エホバの神への信仰だけが人類を救うのだ、とお考えであるなら、私はそうは思わないのです。
私には仏法によって救われている自分の人生を疑う動機がありません。
それとリラックスうんぬんですが、私は時としてリラックスするとストレスが溜まるタイプなので心配は無用です。

ところで黄金の兎さんは、何故学会を辞めてエホバの証人の信仰をするようになったのですか?
また、イエス=キリストについては、どのようにお考えですか?
差し支えなければお聞かせくださいませ。
 

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 8日(水)21時30分23秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >神が編纂しました。」とお答えになられたのです

何十人かの人の手によって書かれました、神が筆を直接取ったというのではなく書き手に主要な導きを行った、ということです。多分説明された方の言葉のあやですね。ただ、モーセの十戒の石版のように自ら書かれたという事例もあります。最終的に聖書が現在の形になったという点では神が編纂されたといってもいいと思います。

エホバが人格神でないというのも少し変です、その点に関して家に来た証人の方にもう一度確かめてください。

>大聖人の御書は、全て大聖人が自らの責任で書かれたものです。
多くの教団がそれらを編纂し、御書として出版しています。内容はそれぞれ違うかもしれません。
ですがどこの教団も、御本仏が編纂した、等とは言いません。

たしかに本を社会的に紹介するに当たっては人間の名前を出すでしょう、仕事上の付き合いもあるようですが話あった時と場所が重大なものでないなら御本仏や神が編纂したと言って何の差支えがあるでしょうか。対話を深める方向性を考えておられるなら表現に捕らわれずにもう少しリラックスして話し合うことをお勧めします。

 

不軽の精神

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 8日(水)07時19分55秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  南里Guyさん

『「異体同心」は「手段」ではなく「目的」』

すごい!何か目が開かれる思いがする言葉です!
私も、それが言いたくて、でもなんと言って良いか分からずにいたのですが、そういう事だったんだな!とこうして言って頂くとスッキリと腑に落ちます。
有り難うございます!

『映像を観るにつけ、戦争は「させられている」とつくづく感じました。
そう「させられている」のです!』

私もそう思います。
戦争をしている人たちは、何故自分が人を殺したりしているのか、分からない状態にさせられていると思います。

昔、中国で捕虜になった日本人兵士の多くが、周恩来政権下で処刑を免れ、人として更正して行く際に、毎日の日課として日記を付けることを奨励されたそうで、その日記が大量に中国にあると言う話を聞いた事があります。
彼らは、兵士は全て国家の被害者であり、人権を尊重されるべきだと言う周恩来の思想によって救われ、その人間性を回復させることができたようです。
日本が、そうした近隣諸国の、本当の恩に報いる事ができる日が来るのは、いつの日の事でしょうか。。。

いや、まず自分から、ですね!
不軽の精神、と言う事を最近、良く考えます。

 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 8日(水)00時55分49秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『聖書は神の霊感に導かれて書かれた、というのが社会では通用しない、と言いたいのですね。』

違います。
聖書を書いたのは、誰ですかと聞いたら、「多くの人が書いています」とお答えになられたので、「ではそれらを編纂したのは誰ですか。」と尋ねたら、「神が編纂しました。」とお答えになられたのです。
私はその事について、おかしいな、と思うのです。
なぜなら、エホバの神は人格神ではない、とその話の前に聞いていましたから、人格を持たない存在が一冊の書物を編纂した、と言う事になり、そんなことを言うのは無責任な話だな、と思ったわけです。
そのような無責任な話を社会の中で通用させてはいけない、と言う気持から、先の発言になりました。
「みんなでいろいろやってたら何となく出来ちゃったんです」とか、そういう答えなら分かります。

例えば大聖人の御書は、全て大聖人が自らの責任で書かれたものです。
多くの教団がそれらを編纂し、御書として出版しています。内容はそれぞれ違うかもしれません。
ですがどこの教団も、御本仏が編纂した、等とは言いません。
どこの御書がおかしいだとか間違いだとか偽物だとか本物だとかのいざこざはありますが、それぞれの教団が自ら責任を持って編纂しています。

『釈尊が億劫の間転生を繰り返して修行を行い法華経を説いた際、信じる事が非常に困難であると言ったのは何故ですか。』

この惑星上の物理次元に存在する、と言う事を前提とした生命の経験値だけでは、理解しがたい事だからではないだろうかと考えています。
ただそれについての確信を得たものなら、誰の生命にも備わっている仏界を引き出し、同じ経験値へ導くためのアプローチは可能だと言う事も、同時に言っていると思います。

『まして現代にあってはあなたが言った事と同じではないですか?。』

聖書を神が編纂した、と言うことについてですが、私の質問は、神を信じる信じないと言う信仰の次元での問いではなく、教団の社会面における意識の内容を把握するための事だったと思います。
エホバの証人はナチスドイツに反旗を翻し闘った歴史があります。多くの信者が投獄され拷問等を受けています。
選挙に参加しないのは、その事が背景にある、とも伺いました。
良いとか悪いとかではなく、何度も自宅にお話にきて下さるので対話を深める方向性を私なりに考えているのだと言う事です。
仕事上の付き合いもあります。

『私の家族にも学会員がいますが私はその点を厳しく注意しています。』

ご家族がどういった風なのかは存じ上げませんが、私は、どこかの教団に所属していて、その教団が唯一の正義だと言う独善的な気持から他人の信仰を土足で踏みにじる人を人として信用しません。
学会員は平気でそういう事をする人が多いです。

もしもご家族にそうした方がいらっしゃるなら、その慢心を戒めるのは当然の事でしょう。
大変だと思いますが頑張って下さい。
 

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 7日(火)22時46分56秒 softbank126122224122.bbtec.net
  聖書は神の霊感に導かれて書かれた、というのが社会では通用しない、と言いたいのですね。なるほど、そうかも知れませんが釈尊が億劫の間転生を繰り返して修行を行い法華経を説いた際、信じる事が非常に困難であると言ったのは何故ですか。まして現代にあってはあなたが言った事と同じではないですか?。
私の家族にも学会員がいますが私はその点を厳しく注意しています。
 

商人?

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 7日(火)21時52分35秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >今日より明日へさんへ
昔は売っていたそうです。現在ではお金は取っていません。信仰の主旨と向こう(アメリカ)の法人に対する優遇上そうする方が良いようです。
ちなみに私は相当数の書籍の進呈を受けましたが「いくらです。」と言われたことはありません。
 

ジョン・レノンの冥福を祈る!

 投稿者:南里Guy  投稿日:2010年12月 7日(火)21時09分29秒 nttkyo903032.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  ご無沙汰っ!朱鷺さん。

動画拝見させていただきました。子供が泣く姿には胸が掻きむしられてたまりません。
子供の泣く姿…。私たち、なかんずく私の責任は重大です。

こんな映像が出なくなる日を目指して、ちっぽけな自分ですが確実に挑戦していかなければなりません。でなければ、私はこの世に生を受けた意味がありません!

私は、たくさんの子供の笑顔を大判の紙にプリントアウトし、ぐるりとそれが職場の部屋中を取り囲んでいます…


心身に傷を負わす「もの」とは、生涯戦います。

映像を観るにつけ、戦争は「させられている」とつくづく感じました。

そう「させられている」のです!

「異体同心」は「手段」ではなく「目的」

この実現に、自身との格闘を更に続けてまいります。

http://twitter.com/nanriguy

 

今日より明日へさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 7日(火)15時59分20秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  自殺者の数ですが、自殺と警察が断定するのは、遺書等の、自殺を証明できる証拠があった場合だけだそうで、自殺を疑われるが、断定できない「変死者」を合わせると10万人を越える数になるそうです。
ですからこの十年で、おそらく100万人を越える数の自殺者が、実際には出ているのではないでしょうか。。

数が問題なのではない、とは思いますが、なんとも酷い状態です。
人生の哲学を失った、弱肉強食の、競争国家の、成れの果ての凄まじさです。
他人を見下しバカにして、いい気になりたがる不誠実な臆病者が多いです。

まずは、今ある暮らしをかけがえのないものとして大切にしようと言う人間らしい心を取り戻さなくてはいけないでしょうね。
 

Happy Xmas

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 7日(火)15時39分10秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  NY!
この季節はクリスマスの飾りで奇麗でしょうね!
我が家もツリーを出しています。
毎年クリスマスパーティーを家族で催しています。

クリスマスは世界中の子どもたちが大好きな行事。
ですが国家同士の争いのために、楽しいはずのクリスマスを迎えることのできない子どもたちが、この地球上にたくさんいるのも現実です。

何年か前に、クリスマスの日に、子どもたちを膝の上に乗せて、ジョン=レノンの「Happy X'mas」と言う曲に合わせて制作された、戦争に関する動画を見てもらった事がありました。

娘は、「お母さんは何が言いたいの?こんなに貧しい、悲惨な子どもたちが世界には沢山いると言うのに、あなたたちは贅沢だ、と言う事が言いたい訳じゃないんだよね?」と少しいぶかしそうにしながら、全て見てくれました。
無言で見終わった後、「お母さんが何が言いたいのか、なんとなく分かった気がするよ」と言ってました。
彼女たちの大切な問いかけに対する最も誠実な答えと言うのは、本人以外の誰かではなく、自らの人生が用意するものだと考えるからです。

いじめで苦しんだ娘は、その経験が無ければ、自分は救われなかったと良く言います。
人を赦す、と言うことの大切さは、どんな宝にも変えがたい、復讐を願うのはその人の心が盲目の証拠だ、とマハトマ=ガンディーの言葉を引用して、私に言った事があります。
私は、子どもたちが受け入れたそのドラマに、イエス=キリストと言う人が全人類に確信を持って残した精神的遺産、愛の存在を感じます。

人類の文明の進化の歴史は、問題を解決する為の方法論の進化と共に為されて来ました。
文明は便利で有難いものである反面、必ず反作用があります。
それに目を瞑る事は、戦争を肯定する事に繋がります。

文明に慣れてしまった現代人が、アマゾンの原住民のような暮らしを送る事は、身体能力的に難しい事に違いありませんが、数多くの「先進諸国」が国民に為して来た近代教育の放射能を浴びた一人一人が、出来得る限り大地に近い暮らしを目指し、外側の世界よりも内側の世界に目を向けるようになる事は、いつからでも出来る事だし、長い時間を掛けて成し遂げようとするならばそれは困難な事ではありません。
これまで、都市機能の最新化の為に負担を押し付けられて来た地域が、インターネットと言う発信機能を使って声を上げ始めた昨今、文明の進化はより緩やかに、そして賢明さを持って、数々の過ちを振り返りながら為されるようになってきたのではないだろうか、と感じています。

インビクタスの中には、ネルソン=マンデラが変えたと言われている南アフリカが、世界の最先端である理由がはっきりと描かれています。
かつて池田先生も、世界の最先端はアフリカですとおっしゃっていた記憶があります。
問題の多いアフリカがなぜ最先端なのか、その理由を理解できる人が一人でも多く増える事を私は願っています。
残念ながら日本政府に、その先見の明を持つ政治家はなかなか現れません。

私の中には、先生の「誰人も誰かの不幸の上に幸福を築く事はできない」と言う言葉が何度も何度も浮かび上がって来ます。
たしかこれは「離婚をするのは謗法か否か」と言う、会員の質問に対してのお答えでした。
この先生の深い慈愛、人類の未来を見つめるまなざしの暖かさに、私は、涙が溢れた事がありました。

Happy Xmas (War Is Over) - John Lennon
http://www.youtube.com/watch?v=s8jw-ifqwkM
 

出会いは別れの始めかな

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年12月 7日(火)12時56分18秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  NYはめっきり寒くなりました。今週の週間天気予報では、体感温度が最高でも氷点下以下です。寒いですが、クリスマス一色で街もきれいです。

ところで、NYは世界の交差点、人種の坩堝なんて言われますが、先日、3年前に友達になり、それからたまにランチなどしていた友人が仕事の関係で日本に帰国しました。で、別の1年前に友達になった友人は来年1月からロンドンに行ってしまいます。こちらでは、友達になっても数年で、お別れということがよくあります。ちょっと寂しいですね。
でも、それと同じようにたくさんの人がやってきます。そういう意味ではいつでも新鮮ですね。
 

やってはいけない、在家が本尊作成

 投稿者:葬禍脱会  投稿日:2010年12月 7日(火)07時26分21秒 FL1-118-111-192-103.osk.mesh.ad.jp
  「日顕宗の言う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には、『仏と自分』との関係の信仰が重要であって、権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない」
                                 聖教新聞・平成5年5月5日

「成仏は自分自身の『信心』で決まるのであって、『聖職者』の介在によって決まるのではない。
 『直接』こそ仏教本来の在り方である。
 『日蓮大聖人直結』の創価学会の信仰こそが正義なのである。」
                                 聖教新聞 平成6年6月5日


指導内容が180度 逆です。



「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることは
 いうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖日蓮大聖人より 第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人猊下が法水瀉瓶・血脈相承され、

 現在は、第六十七世日顕上人猊下に、いっさい受け継がれているである。
 ゆえに私どもは、日顕上人猊下の御指南を拝しつつ、正宗の伝統と法義をふまえながら、
 勇んでそれぞれの国で、それぞれの地域で、信心向上のための教学を研鑽し、
 おおいに広宣流布に邁進していただきたい。
                                (広布と人生を語る1-131頁)

「いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の「遣使還告」であらせられる血脈付法の御法主日顕上人
 猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。
 批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」
                              (広布と人生を語る1-230頁)

「その信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである。総本山を中心とすることが根本であり、
 御法主上人猊下御一人が仏法の師でいらっしゃるのだ」広布と人生を語る 第3巻98頁


正信会檀徒会が、御法主上人の血脈相丞を否定したことに対しての発言。

「これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。
 血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」
                         『広布と人生を語る』第三巻P294

いう事が時と共に変わる、、変わったほうがおかしいのです。

「血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」(池田指導)

このとおりです。

まして在家が(新興宗教 創価宗)『形木御本尊』を印刷作成 授与など  言語道断です。
 

犯罪狂団上層部「信濃」にとって禁句です。(笑)

 投稿者:葬禍脱会  投稿日:2010年12月 7日(火)06時30分32秒 FL1-118-111-192-103.osk.mesh.ad.jp
  「御法主猊下だけが、御本尊をしたためることのできる仏様なのです」
                             『戸田城聖先生質問会集』

「御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。

 日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしょうもない。だから、 仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。
 ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。
 魔性の力が入っている。」 『大白蓮華』昭和三十四年七月号

「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている」戸田城聖全集・3-490頁

各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳には変わりがありません。
総本山の大御本尊にお会いするのは、親もとへ帰りたいといった気持ちで、
なつかしがってくるようでなければなりません。『 戸田城聖全集 第二巻』

「創価学会というものは、日蓮正宗のなかの一部の会があり、
 日蓮正宗には、法華講とか何々講とかあるうちの一つに、創価学会がある」

                           『戸田城聖全集・4-425』



己心本尊論  破折

「本尊とはまったく他所に求むべきではなくて、自分自身が本尊であり、(中略)
 地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも変わりがないと考えることは、
 重大な増上慢のきわみであり、大謗法である」『戸田城聖全集』



「御法主上人猊下をとおして大御本尊を拝しますれば、かならず功徳がでてくる 」『戸田城聖全集』第4巻399頁

「先代牧口先生当時から、学会は猊座のことは、いっさい感知せぬ大精神で通してきたし、 今後も、この精神で一貫する。

 これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。

 信者の精神はそうでなければならない。昔、関西に猊座のことに意見をふりまわして
 没落した罰当たり者があったそうだが、
 仏法の尊厳をそこなう者は当然そうなる。

 どなたが新しく猊座に登られよう、学会会長として、
 私は水谷猊下に お仕えして来たのといささかも変りはない。

 新猊下を大聖人様としてお仕え申し上げ、
 広布への大折伏にまっすぐ進んで行くだけである。」昭和31年1月29日付聖教新聞・
                          『戸田城聖全集 第3巻235』

「法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、 どなたが法主様でも一貫不変、

 これ信者の大精神。信薄き者には判らん事」昭和31年1月29日付聖教新聞・寸鉄欄

「どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきた のと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申し上げ、
 広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである。」
                    昭和31.1.29『戸田城聖全集』第3巻236頁

「法水瀉瓶というのは、ここに二つの茶碗が、どんな形に変わっても
 このなかの水に瀉せば中の水は変わりないのであります。ですから、

 代々の御法主上人は、お人によって、いろいろとお姿は違うのでありますが、
 日蓮大聖人の法水が、そのまま 変わりなく移されているのであります」
                       『戸田城聖全集』 第5巻439

「御法主上人を悩ましたてまつった罪は、ただ全国大折伏をもって懺悔滅罪、
 もっておわび申しあげる決心でおります」戸田城聖全集第三巻500ページ

「御法主上人は唯授一人、六四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる」戸田城聖全集4-P399

 

今年も、自殺者3万人越え・・

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 6日(月)23時49分22秒 softbank220058091171.bbtec.net
  警視庁の発表では、今年も自殺者が3万人越えるのは確実との報道です。
「自殺」は、自ら命を絶つ、この世の最たる罪です。仏法の眼からみれば、大罪です。

生きて、孤独地獄、死んで間断なき無間地獄です。死んだ後も、心色不二の生命体は、手足の感覚があります。壮絶な責苦の阿鼻叫喚です。その人が、知ろうと知らまいと、仏法律は、徹底的に厳しい。とことん厳しいです。

法が貫いている限り、宇宙の何処にも逃げ場はありません。一人で流離い、死ぬ場所を探したその人の心中を思いはかったら、苦しくなります。誰か、手を差し伸べる人はいなかったのか・・可哀想で無念の思いが込み上げて来ます。深い慟哭とため息が、忍び寄って参ります。あまりにも、無慈悲な世の中に成り下がっています。残された遺族も、生き地獄でしょう。自分を責め、後悔の念が押し寄せて来る。うつ病になるのが、道理かも知れません。自殺に至る人は、うつ病の精神状態だったという人もいますが、そこまでいった精神も、人間の赤裸々な葛藤があったはずです。

平成10年から、ずっと3万人越え・・異常です。本当に、尋常ではない社会だということです。自分の身近な人を、出来うる限りに励ます。私も、職場の人やお客さんには、励ましています。いつも、希望を送る態度では接しております。今年も、やっぱり3万人越えでした・・。自殺者志願のサイトで、踏みとどまるように投稿したりメールもして来ました。私なりに。この一通の投稿で、一人の尊い人が救われたらという真剣な思いからです。きりがありません。陸続と、志願者がやって来ます。・・創価学会は、何をやっているのか!と怒り狂ったときもありましたが、今は、静かな怒りとなって「時」を待っています。

しかし、単純計算でも10年間に30万人強の人が自殺していることになります。驚くべき数です。日本共産党が言っているように、戦争をやっているようなものです。もはや「有事」です。コンペイ党は、相変わらず、お話しになりません。憲法9条を変えなければならないと、のたまわく創価大卒の国会議員もいますし・・何のために信心をしているのでしょう。国を憂い、民を思う。「日蓮と同意ならば」でしょう。

佐渡の朱鷺さん

よ~く、わかりました。世界平和の題目を真剣に上げないなんて、ウソです。

『私は泣き虫なのです。』

実は、私も直ぐに感動して目頭が熱くなる人間なんです。
感動する話しに弱いんです。

了解しました!インビクタス、必ず観ますよ!


 

黄金の兎さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 6日(月)23時02分55秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ずっと「商人」だと思い込んでいました。訂正して頂きありがとうございました。了解です。  

(無題)

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 6日(月)22時49分20秒 softbank220058091171.bbtec.net
  黄金の兎さん

そうですね。私の投稿の最後から四行目上に、確かに「商人」と誤字を使用していました。
エホバの証人が正しいです。失礼しました。ただ、エホバの「商人」でもいいのではないでしょうか。高額な書物等を買わされるようですし、商売と変わりません。私の祖父が熱心に通っていました(もう、何年も前に亡くなりましたが)いつも、お金を工面していたようです。高額な教材ばかりが家にありました。
 

訂正を

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 6日(月)22時20分5秒 softbank126122224122.bbtec.net
  今日より明日へさん、佐渡の朱鷺さん、商人ではなく「証人」です。  

引き合う糸

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 6日(月)10時16分20秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさん

『その出会いは、偶然ではありません。共鳴する、引き合う糸が織られていると思います。』

そうですね。
私も、この出会いは御本尊様の計らいであると思っています。

私が中学生の頃、隣の中学の一級上の先輩が行方不明になった、と言うことを、全校朝会の時に聞きました。
当時は、誰も北朝鮮の事など考えも及ばず、家出か誘拐か、いずれにせよ、悪い大人がいるから気をつけなくてはいけない、と言う話だったと思います。
私は、「家出するなんて、ヤンキーなのかな?」と考えていました。
それから何十年も経てから、その時の少女が、北朝鮮に連れ去られたのだと知り、また、その現場が私の自宅とそう遠く無い場所であったと言う事に衝撃を受けました。
先日、お会いした被害者の方も、行方不明になった当時、近隣の人たちは、母子でアル中の父親から逃げ出したのだと言う話になっていた、と聞きました。
しかし、実際は全く違っていました。

私は、こんなに近くで酷い出来事が起きていたことを、知らなかった、と言う事に対し責任を感じて、題目をあげたことがあります。
拉致被害者の方々は、私に、世界平和の為の題目をあげるきっかけを作って下さったのです。

彼女は、たくさんの花束と、ご夫婦で召し上がるのでしょうか、やわらかい米粉のシフォンケーキを、二つ買って行かれました。
「とてもやわらかいので注意して下さいね」と言って、そっとそっと、ケーキを手渡しすると、「わかりました」と笑顔で掌を重ねて、ケーキを受け取って下さいました。
泣きそうになりました。私は泣き虫なのです。

インビクタス、ぜひ見てみて下さいね!
最後に流れる、ジュピターと言う曲ですが、中越大震災の時、長岡の音楽祭で平原綾香さんが唱って下さいました。
私はその曲が大好きなんですが、この映画の最後に流れるジュピターを聞いて、私の中で、何かが繋がったと言う魂の歓喜を感じて、涙が溢れましたよ!
 

エホバの商人

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 6日(月)09時21分3秒 i58-93-218-215.s02.a015.ap.plala.or.jp
  黄金の兎さん

一ヶ月程前、エホバの商人の幹部の方が自宅に布教活動に訪れました。エホバの商人の方たちは布教活動に大変熱心です。
対話の姿勢は礼儀正しく、受け答えも常識を弁えてきちんとしており、分からない事は分からないと言いますし、正直な人たちだなと言う印象を持っています。
こちらの考えを頭ごなしに、無闇に否定することもせず、聞きたく無い事に耳を塞ぎながら、自分の言いたい事だけは大声で喚き散らすような病的な態度もなく、少なくとも創価学会の職業幹部よりは人として好感を持ちました。

私は、彼らが「エホバ」と表現する「神」の部分を「生命」と言う言葉に置き換えてしまえば、考え方は、仏法と同じ事だと思いました。
ただ、今日より明日へさんがおっしゃったように、聖書に対する考え方、本尊についての意識が曖昧な点が問題だと感じます。

エホバの商人の方に、「聖書は、誰が編纂したのですか」とお伺いした所、「神が編纂しました」と言っていましたが、そんな言い方は、社会では通用しません。
聖書は、教会権威が編纂したもので、それを「神がやった」と神の責任にしてしまう所に、エホバの商人や、それを信仰している方たちの他者依存的性質であったり、宗教を権威として捉える向きの強さを感じました。

選挙に対しても、世界を変革するのは神であるため、政治では世界は変わらない、そのため、無投票と言う風にお考えのようですが、その点も、政治や司法が、国民にとって良くも悪くも、重大な働きをすると言う視点が抜けています。
もっとも、私も、議員として信頼に値する適切な人物がいない場合は白紙投票をする、と思いますが、国政選挙には最高裁裁判官の国民審査もあり、それに不信任を突きつける義務もありますから、投票は必ず行って、行わねばならないわけです。

社会問題に対して無思慮であることの無責任さを、神への忠誠心とすり替えて解釈させるやり方に、教団権威の信仰者への抑圧の体質とずる賢さを感じますよ。
騙されないで下さい。
 

「南無妙法蓮華経の力は大歓喜」

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 6日(月)00時33分52秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  佐渡の朱鷺さん

働かれているお店に「拉致被害者」の方がいらっしゃったのですね。いかにも佐渡らしい、また佐渡の朱鷺さんらしい出会いだと思いました。光景が目に浮かびます。拉致被害者の方々の心情を察すると、胸がかきむしられる思いになるのは、皆さんそうでしょう。
北朝鮮のやったことは、あまりにも非道です。その家族の方・・察するにあまりあります。

『自身の弱さとの対峙と言う、精神的労苦と言うものを、上手い事を言いながらずる賢くすり抜けて来た者には、決して分からない事だと思います。
表面的には、どんな善き人に見える人でも、奥底にある違いと言うのは、いざと言う時明らかになります。』

ここの部分は、人間観察眼の、機微に精通した方でしか言えないことです。私には、スッキリと理解出来ます。その通りです。窮地の時、土壇場の時に、良くわかるものです。・・
余談ですが、私には、不思議な感覚というものがありまして、男女問わず、初対面で奥底の一念が観えます。直感でわかります。真っ直ぐに瞳を見つめて、思いを馳せていくと感じて来ます。その人のきしかたや、生命のクセ等々がわかって来ます。慈しむ、慈愛の力とでも言いましょうか・・何とかしたいという一念だけです。その拉致被害者の方も、佐渡の朱鷺さんの心音に触れ、光を感じられたことでしょう。その出会いは、偶然ではありません。共鳴する、引き合う糸が織られていると思います。

インビクタスという映画は、私も観たいと思っております。アフリカには、雄大な自然と共に、真の人間賛歌を感じています。奴隷船とキリマンジャロの朝焼けは、人間の額ずきの祈りと大空を翔る人の思いを感じる希望の舞台です。アフリカの魂を世界へ。

黄金の兎さん

自らの意思で、脱会されたとのこと。非常に残念と共に、自分の無念さと苛立ちも同時に感じました。私にとっては、非常に無念です。周りの組織の人に、親身になってくれる学会員さんや確信のある人がいなかったのでしょう。・・本当に衝撃と残念さが舞い込んできました。私と直接、会っていたら必ず、魂を揺り動かす何かを、引き止める大確信の炎を与えられたことでしょう。

如何なる宗教も、「南無妙法蓮華経」に勝るものはありません。
それは、自分自身が御本尊様に向かい「境地冥合」出来るかどうかが、全てです。人ではありません。自分自身が法を体得できるかどうかです。
実は、私は高校三年生のころ、エホバの証人に入会しようとしていた時期がありました。
熱心な同級生に誘われて、会館やらにも行っていました。聖書も読みました。しかし、その直後に、大病を患い、入院しました。その病室で学会員さんに折伏されました(厳密には、私から経典が気になって仕方なく、声を掛けたことから始まりました)その後、わかったことですが、大病になったのも導かれていたとハッキリと自覚しました。

エホバの証人は、インチキです。宗教は、本尊に力があるかどうかです。聖書は、魔力があります。否、宗教の本尊には、魔力があります。以前、投稿していますが、イエス・キリストは、仏教徒だったと私は思っています。彼が本当に慕っていたのは、釈迦だったと私は、思っております。今と違い、あの当時は、インド地方との交流が活発でした。・・

大聖人の仏法は、死んだ後に天国のようなところに行くのではなく、生きたまま、そのままで、即身成仏(仏の境涯に至る・仏界の生命の湧現)です。この現実、この瞬間、に焦点があります。自分自身が、迷いから覚め法性の感覚(大歓喜)を味わうのが真髄です。
エホバの商人の本尊は何かというところを、よく見極めてください。妥協しては絶対にダメです。徹底的に、追求されてください。人ではなく、自分自身で確かめられてください。

私は、何万人、何十万人の人がいても、私の大確信は微動だにしません。それほど言い切れる体験を、連続的に味わいし尽くして生きてきました。宗教体験があるかないか。です。
 

返事

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年12月 5日(日)19時24分11秒 softbank126122224122.bbtec.net
  今日より明日へさんへ>あの頃は、確か・・キリスト教と仏教に迷われていたと記憶しています。その後、お変わりありませんか?お元気そうで何よりです。当掲示板は、あれから幾度となく、嘲笑の荒しに遭遇して、一度、閉鎖している経緯を辿っています。なので、荒し行為及び誘発するような投稿に関しては、特に敏感になっております。


INが復活してからこのHPにアクセスしたときにあなたがした質問でしたね。あれから暫く経っていたので申し訳なく思っています。このHPの特殊性を考慮し私の結論を投稿すべきかどうか正直苦慮しておりました。色々な立場の方がこのサイトを閲覧されていると考え
ていたからです。中にはまだ詳しいことは情報としてまた、実際の実践として信仰を自分のなかに確立できていない方も多くいるのではないか、と私は考えていました。私にしろカナズチさんにしろ人間としてそれぞれの考えと悩みがあります。また人間として、の定義も同じ人間が決めることができるものではない、というのが私の信条であり、また聖書の心でもあります。
私はあなたの学会組織での経過でどの様なことがあったのか詳しくはわかりませんが、私にあっては自ら組織からの退会を申し出ました。現在私はエホバの証人の研究生です。
 

インビクタス

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 4日(土)22時03分45秒 i60-34-91-196.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさま

お忙しい所、お返事ありがとうございました。
全面的な共感を持って、拝見させて頂きました。

今日は、私が働く店に、北朝鮮の拉致被害者の方が、お客さんとして訪れました。
彼女を接客している間、私は、彼女が、自分自身をとても大切にしていることを感じ、その事がとても嬉しかったです。
まるで、自分まで労られ、報われているかのような、安心の気持になりました。
自分を大切にする、と言うのは、そういう事なのだと思います。
自分を大切にしているようで、それはそのまま、他人を守ることでもあります。
彼女の存在や、これまでの苦労に、心からの労いと、感謝の気持を捧げたく思いました。

地域には、彼らを良く言わない人も多いです。
どうしてだろう、とずっと不思議に思っていましたが、「拉致被害者」と言う、ある意味特殊な立場にある人たちと、同じ人間として心を通わせることのできない、臆病さと言うものが、彼らを無意識に悪く言わせているのだな、と感じざるを得ませんでした。

困難を乗り越えて地に立つ人と言うのは、どんなに素朴に見える人でも、不可侵のオーラを身に纏っています。
内側にある暗闇を怖れる臆病の心は、その本当の強さに負けてしまう。
自身の弱さとの対峙と言う、精神的労苦と言うものを、上手い事を言いながらずる賢くすり抜けて来た者には、決して分からない事だと思います。
表面的には、どんな善き人に見える人でも、奥底にある違いと言うのは、いざと言う時明らかになります。

昨日、主人と「インビクタス」と言う、マンデラさんと、南アフリカのラグビー選手たちの交流を描きながら、真の愛国心とは、と言うテーマを感じさせる素晴らしい映画を見ました。
私はこの映画を見ながら、自分の中に、殺意のような気持がこみ上げて来るのを観察していました。
マンデラさんが、黒人たちに言った、「赦しなさい」と言う言葉を聞く度に、その殺意はこみ上げました。
私もまた、虐げられて生きて来たと言う、被害者の感覚を持っています。
普段はコントロールしていますが、何かの拍子に、「許せない」「許してなるものか」と言うどうしようもない感情が心に沸き上がる事があります。
それらの殺意の積み重ねは、長い間私の中でとぐろを巻いてい来たようにも思います。

その、うちなる魔物を征服するのは、自分しかいない、と言う事を頭では理解しておりますが、それはそう容易くはないのです。
例えば、マンデラさんのような人生を、あるいは、拉致被害者の方々の人生を、尊いものとして感じるたびに、消え去って行くものであることを、私たちは魂で学ぶべきなのです。

真の愛国心は、どこの国の国民であろうと、みな同じものなのだと感動を持って浸透させた翌日に、ある独裁国家の愚かな策略に巻き込まれ、人生の大半を拉致被害者と言う牢獄の中で過ごして来た方がお客さんとして来店して下さり、言葉を交わし合った事と言うのが、私には、何か非常に大切な、実のある良き前兆として、愉快に思えてなりませんでした。

インビクタス-負けざる者たち-
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを

無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流しても
決して屈服はしない

激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ
 

マサまる子さん、佐渡の朱鷺さん、皆様

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 4日(土)14時39分31秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  仕事が、落ち着いて来ました。やっと、時間が出来ました!

本日は、こちらは晴天(快晴)です。
一分、一秒を争うがごとき、多忙を極めておりました。私は、サラリーマンです。この不況下に、何とか弊社の業績は、前年並みです。失職されている方、求職の方には、衷心よりお祈りいたします。

マサまる子さん

『私の書き込みは貴掲示板において、掲示板の趣旨にそぐわない書き込みだったのでしょうか?』について、ご返答いたします。遅くなったことについては、お詫びします。

確かに、貴HNさんも眼中には入っておりました。しかし、どちらかというとHNカナズチさんの方に、「お遊び」という思いがありました。部員さんに、何を語られているのでしょうか。信心に確信がなくて、人に何を伝えれるのでしょうか。マサまる子さんは、こうやって、再投稿されました。人として、立派です。誠実さが伝わって来ます。

しかし、カナズチさんは、アレっきり、何のご返事もありません。それは、黄金の兎さんにも云えるとは思いますが、まずは、返事に対してどうだったのか。信心云々の前に、人としての振る舞いでしょう。わからないならわからない。わかるならわかる。わからないなら、何処の部分がわからないのか。という風に・・私は、不誠実な人は、人として『人間』が成り立っていない、自立、出来ていないと思っております。私は、19歳で入信しました。任用試験、懐かしいです。勉強(研鑽)お疲れ様でした。どういう経緯で、任用試験を受けられたかは存知あげませんが、試験の為の勉強では何にもなりません。大聖人様が、1222年に生誕されて云云。。。

大事なのは、大聖人様が、無名の門下の方の一言でも逃すまい、法華経の疑念には、明確に応えるという姿勢であり、その御心に触れることです。その、凄まじい精神闘争です。伝えたい、何とか救いきりたいー。という慈愛に、自身の心が感動で突き動かされるかどうかです。【大聖人様のお心に打たれ、何度、涙を流したか】が一番大事であり、御書の世界は、何処までいっても、自分自身と大聖人様との心の対話なのです。一対一の態度なのです。これを、仏道修行とも求道とも言います。私など、門下の人と大聖人様の命のやりとりに、何度、男泣きしかたわかりません。・・

鎌倉の世に、大聖人様に帰依するということは、即、命の危険に及ぶということを意味していました。ギリギリのお手紙であり、命をつぐ希望の光だったのです。一言でも、漏らすまい。一言の文字にも、全魂を込めれられ激励されているのです。その、振る舞いの中に、心が動かされなかったら御書を学ぶ意味は、ありません。マサまる子さんからは、人としての心音が伝わってまいりました。立派です。
貴殿の人生をお祈りいたします。不明なことは、いつでも、聞いてください。時間がある時に、必ず、返答いたします(遠慮されずに)

佐渡の朱鷺さん

『自分を大切にできない人が他人を大切にすることはできない。』

この、真の意味を理解出来ない人は、自立出来ていませんね。まずは、自分自身を救うことが先です。ここが、混同され曖昧になって意味不明な方向に行ってしまっている世の中です。自分を大切に。ということが、一切の出発起点です。自身がどう生きるかという根本命題は、そのまま、他者や社会に責任を持つということです。

大聖人様の仏法は、生命を対象とした生き抜く、生きる哲学です。
法華経二十八品であるがゆえに、28歳。確かに、私は、壮絶な精神格闘の末に、悟達しました。その不思議な体験を通して、その一瞬に覚悟した境地は、即、私の使命として、この法門を伝えきらなければ死ねないということを意味していました。また、それは苦難の連続であるということも意味していました。私は、その時、その世界に包まれている時、このまま死にたいー。と心の底から求めました。でも、それは許されませんでした。大聖人様の御心は、法を伝え、人に教える広めること意外にありません。

内証の境地(境涯)というのは、他者からはわかりません。見えません。平凡な庶民として生き、泣き笑いする中でしか、法は弘められません。仏といったところで、人間以外にありません。しかし、その人間が、尊極な存在だったということです。この秘密を知っているのが仏、知らないでいるのが衆生ということです。即身成仏。その身、そのままで仏の境涯に至るという未聞の法ですね。

 

皆様

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年12月 3日(金)04時50分47秒 softbank220058091171.bbtec.net
  月末、月初と仕事が多忙なゆえに、レス出来ませんでした。
ご返事遅くなりました。申し訳ありません。
マサまる子さん、佐渡の朱鷺さん、また時間があるときに正式に返答いたします。
今後とも、よろしくお願いします。
 

マサまる子さん及び管理人さんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年12月 1日(水)13時42分26秒 i210-161-191-129.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  「私にしか絶対に分からない」との確信、ですが、私にもそういう確信があります。
どうすればそうなれるのか。
そうなりたい、と言う気持を強く持てば、誰もがそうなれると思います。
最初は、そういう人を見て、何となく、自分もそうなりたい、と願う。
それだけでも良いと思います。
でも、(なぜ自分はそういう確信を持ちたい、と願ったのだろう?)と言う部分を自問自答して行く中に、自分の弱さに目を瞑り、自分を祖末に扱って来た過去の経歴を見いだすことができるのではないだろうか、と思います。
自分を大切にできない人が他人を大切にすることはできない。
人の為に何かが出来る自分になりたい、と願うなら、自分を卑下する弱い心を一歩づつ乗り越えながら、過去の過ちを塗り替えつつ、豊かな人格を育んで行かなければなりません。
それは、常人には考えられない様な高い境涯にある人だけが為せるわざではありません。
人としてあたりまえの、人の道ではないだろうかと私自身は考えています。
もしもそのあたりまえの事が自分のこれからの人生に想像することができないのであるならそれは人としてどうなのでしょうか。

堕落を目指して頑張る人があまりにも多い世の中です。
権力主義者はそれを喜びます。
真実は何かと言うことを、真剣に模索されることをおすすめ致します。
そのためにはこの掲示板はとても有難い存在です。

なにより管理人様の真摯な人格がこれほどまでに伝わって来る掲示板はかつてありませんでした。
これまでのご苦労に心より感謝致しております。
今後も宜しくお願い致します。
 

>信念

 投稿者:マサまる子  投稿日:2010年12月 1日(水)01時32分53秒 wb09proxy11.ezweb.ne.jp
  管理人さま
「信念」でのお書き込みの最後の2行より推察いたしますと、私の書き込みは貴掲示板において、掲示板の趣旨にそぐわない書き込みだったのでしょうか?
私の無知な頭では掲示板のタイトルやサブタイトル等から掲示板の趣旨を読み取ることが出来ておりませんでした。
もし、貴掲示板における趣旨にそぐわない書き込みであったのであれば、心よりお詫び申し上げます土下座
ただ、私の書き込みはお遊びのつもりではなかった・掲示板の趣旨を理解出来ていなかったと、ご理解いただければ幸いです。
向学のためのロム専に戻りますが、また書き込みをさせていただく事もあるかと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


佐渡の朱鷺さま
「悟り」のお書き込みで親切・丁寧にご回答していただき、誠にありがとうございます。
この数日、任用試験の追い込みのため掲示板を見ておりませんでしたので、返答が遅くなってしまい大変申し訳ありません土下座
ご回答いただいた内容は概ね了解です。
私の書き込みが舌足らずで分かりにくかったのだと反省しておりますが、私の感じた疑問とは
今日より明日へさまの「私にしか絶対に分からない」との確信を語れる境涯になるためには、どうすれば良いのか?
「自分には想像できない境涯だな」という部分でした。
ともあれ、ご回答いただいた事に心より御礼申し上げます土下座
 

信念

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月28日(日)05時21分39秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん、そして皆様

私を擁護して下さり、感謝しております。そして、なぜに、そこまで人の真意を的確に汲み取られるのか、心情機微に熟達されるまでの人生のご苦労(使命)を、拝察してもいます。
自らの人生を、自ら能動で生き切って来られた方ならではの、懸命に生き抜いて来られた魂が、文脈に注がれ伝わって参ります。文字は、魂です。信仰の世界は、確信です。
誰かれから聞いた、受け売りの浮いた言葉ではなく、自分の生涯を懸けた、全生命を懸けた不動の確信があるかないかです。

誰かれから何か言われたら迷い込むような、堕落脆弱な精神世界には住していない。
何処の誰に会おうが、真っ直ぐに眼球を見つめ、堂々と主張しぶれないー。そういう人こそ、真に自立した一個の人格であり、真の人間性ですね。
そもそも、仏法は、真の人間を育てる、人格陶冶の完成を目指しているものです。毅然と、自立し、大地に立つ。一個の小宇宙であり、果ては三千大千世界も収まるという究極の法理です。絶対不動という境地を確立する。日蓮仏法は、悟りの法門です。最終的には、仰るように、「です」「ます」という断定的な末尾になります。また、そうならないと確たる信ではありませんね。

『創価学会は、会員を牛じることにのみ腐心してどんどん狂って来ています。
しまいにどうなってしまうのかが恐ろしいです。』

ここに、危機感を持っていない会員は、間違いなく狂信であり、盲信です。
といいますか、日蓮仏法の淵底が解っていない証拠です。先生の心からも、疎い。

逆転の発想は、日蓮仏法の真骨頂です。時代の闇が深ければ深いほど、混迷の度が増すほど、機は熟す。若者も壮年も職を失くし、家庭は崩壊。自殺者や天災、人災も、相次ぎ、列強の狭間で、右往左往し、東シナ海の脅威も、弾道ミサイルの配備も、9条改定の叫びも山河にこだまし始めた昨今。人の世は、国法が裁くのではなく、仏法律が裁く。宇宙を揺り動かしている法の力は、あまりにも神秘。そして、あまりにも正確であり厳粛です。

700年の時を待ち、悲劇の原爆投下と共に、現代に蘇りし蓮祖の魂。末法尽未来際までも流るべし。御本仏の大功徳は、地球文明を浴し、完璧に慈悲に包まれています。恐れるものも、悲観するものも何もありません。本門の弟子は、機を待ち、陸続と出ずる。
苦悩渦巻く、この娑婆世界こそ、仏の本国土です。娑婆即寂光土です。
さあ!胸を張って、安心立命の境地へ、衆生救済の真っ只中を、奔走しょうではありませんか!
無明の闇が深ければ深いほど、地湧の菩薩は乱舞し。勢いを増す。悪戦苦闘、一人ぼっちでも、歯牙にもかけず。悠久の綺羅星は、見つめています。三世十方の仏菩薩は、瞳を凝らして見つめています。何が正義かを!誰が正義かを!

※私は、当該掲示板の管理人として、約9ヶ月ほど一度閉鎖しました。そして、私の意志で再開した直後、一通のメールをいただきました。それは、一人の女子部の方からでした。

「私は文章力もなく、伝える術も持っていません。再開されて感謝しています。どうか閉じないでください」という内容でした。私は感動し、直ぐに返信いたしました。登場されていませんが、そういう方がロムされている限り、私は真剣なのです。生半可な人の投稿は、お断りいたします。ここは、命を懸けて、最高幹部の不正に戦いを挑み、除名になられた方々もロムされています。お遊びの場ではないということも、付け加えさせていただきます。実動部隊の、法華経の行者のサイトです。
 

犬死にしない為に

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月26日(金)20時28分4秒 i60-34-90-140.s02.a015.ap.plala.or.jp
  末端の、真面目な会員がなぜ、一番苦しまなくてはいけないのでしょうか。
私は、たまたま、ご主人の反対で会合に出る事ができずに困っていた部員さんの頼みで、家庭訪問をした時に、そのご主人から、「学会はこんな事をしている悪い団体なのだ」とインターネットの、ある除名になった方のサイトを紹介されました。
無下に出来ず、真剣にそれを読み、「これはおかしい。幹部が、信心を利用して会員を強迫し、自分たちの私利私欲を満たす為に、都合の悪い人物を、組織上の立場をフルに使って、亡きものにしようとしている。」と思い、自分の安易な思い込みではいけないと感じ、その方に会いに行き、裁判も傍聴し、「おかしいぞ」と確信し、地区の同志みんなと、県幹部クラス、あるいは、日蓮正宗を相手に裁判を起していた青年僧侶改革同盟の方にも、お会いし、とにかく知って欲しい、と思い、お話して行ったわけですが、真面目な会員さんであったとしても、「知る」と言う段階から拒絶反応が酷く、「読まなくても分かる」、とか、「あなたは騙されている」等、酷いバッシングを受け、「なぜそう思うのか」と聞いても、泣いたり、嘲笑したり、睨みつけられたり、まともな反応は返って来ず、どんなに真面目に活動している人たちでも、盲目の状態にされている人間社会の現状である、と認識するしかなかったです。

例えば、最近、地元の民主党議員と話をしていた時に、南京大虐殺は捏造だった、従軍慰安婦もなかった、日本の軍隊は素晴らしかった、軍人こそ尊敬に値する、平和憲法は過ちであり、日本は再び軍隊を持たねばならない、戦争なしで世界平和などはありえないのだ、と言っていました。
彼は靖国の熱心な信者です。
現政権は、この議員に象徴される思想の持ち主が中心となって運営されている政権です。
これらの右翼的な人々の活動のエネルギーをわざわざ創ってやっているのが、今の創価学会ではないでしょうか。
エゴを撥ね付け、不正を下す、不動の心の姿勢を、保つ事が出来ない。
創価学会にも、同じ様な、精神の惰弱性が見て取れます。

こうも思います。
なぜ日本はドイツのように、アウシュビッツと言う過ちを振り返り、二度とそのような過ちを犯さない様に、子どもたちにも加害者の子孫として、過去を振り返りながら、何がいけなかったのかを考えさせる教育を行う事ができないのか。
ある方は「子どもが可哀想だから」と言っていました。
ですがそれは、その人自身が、自分の感傷に浸っているだけなのだと思います。
未来を担う子どもたちへの愛よりも、自分のささやかな心の傷を庇う事の方が、より重要なのだと言うことです。
人の為に痛みを引き受けることなど、まっぴらごめんなのです。
私は、そこに、自らの過ちを過ちとして認識し、前向きに改善する力のない、深く汚染された一念の狂い、愛の不足を感じます。

第一次、第二次世界大戦、高度経済成長期を経て、人間の、本当の幸せとはなんだろう、本当の豊かさとは何なのだろう、と言う問いかけに対する思慮深い答えが、かつてこれほどまでに求められた時代はありません。
それに対し、確たる答えを提出する事のできない宗教を、宗教等とは呼べません。
信心をしていながら、困っている人と手を繋ぐ事が出来ない事を、恥ずかしい、と思えないなら、それは人間性の敗北の姿です。

池田先生は「人間主義」と言いました。
これは、「人間は、人としてどうかなのだ」と言う意味である、と私自身は捉えています。
ひたむきに、真っ直ぐに、人間主義を貫いて来たら、創価学会にいられなくなり、いまここに、こうしております。
それは、私が、創価学会の幹部に言われた様に、「広宣流布に必要のない人間だから」、ではないとしたら、一体、どういう事になるのでしょうか。
その事について、学会員さんたちは、真剣に考えてなくてはいけない、と思います。

全人類の救済を、祈って参りましょう。
過ちだらけの人生を生きて来た、自分自身を、犬死にさせないためにもです。
 

組織の問題

 投稿者:黄金のウサギ  投稿日:2010年11月25日(木)21時59分23秒 softbank126122224122.bbtec.net
  組織の問題は人間の限界に因るものではないでしょうか。学会の組織の場合は特にひどい様にも見受けられます。魔が競うのではなく自らが魔の姿を露呈しているのではないか、と思う時さえあります。よく学会は良くないけど信心(仏法)は正しいと言う人がいますが、正しいのなら学会には仏法はないと思います、ただし個人ではなく組織としてですが・・・。
末端には地域で真面目に頑張っている会員さんもいるのに、です。正直これは酷な話です。
 

勤行

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月24日(水)12時02分38秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  創価学会には、活動は熱心に行うのに、勤行をしない、と言う人はとても多いですよね。
特に幹部で勤行をしないくせに、新規会員には勤行をしろと言う偽信者の宝庫です。

問題は、どういう勤行をするかの形式にあるのではない、と私は思います。
逆説的ですが、形式をきちんと整えることで、内容を精査して行く必要性のために、自行の行いをするのだと言う風にまず考えるべきだと私は思います。
ですから、いくら勤行の形式をあれこれ変えてみた所で、内容に目を向ける、と言う意識、内道の意識を持つ事ができなければ、何の意味もないと私は思います。

そもそも学会員なら全ての人が「内外相対」を学んでいるはずなのに、知識だけ頭に植え付けて中身を疎かにするので、仏法用語は記憶していてもそれが何を意味しているのかを自分の言葉で語る事が出来ない。
つまり、外道を折伏することができない、と言う状態になっているような気がします。
信心している人はしていない人より偉いのだ、と言うような、他人に大きな顔をする為だけの仏法の知識ならそんな知識は邪念です。
勤行・唱題をしなくたって、優れた意識を持つ人は世の中にたくさんいるのです。

何のための勤行なのか。
そのままのあなたではダメなんだ、と言うことです。
長行を省いたくらいでは、組織改革は出来ません。
というか、考え方がおかしいです。
創価学会は、「あなたの明日を新しく」等と言うテレビCM等を流していた時期もありました。
コマーシャルで人集め。笑いました。
これが広布の団体なのか?あまりにも人をバカにしています。

創価学会は、会員を牛じることにのみ腐心してどんどん狂って来ています。
しまいにどうなってしまうのかが恐ろしいです。
自分たちが言う通り、一刻も早く、古い価値観を脱皮して新しくなって頂きたいです。
宗教法人としての外側だけ体裁を整えればそれで良いと思っているふしがあります。
創価学会には、宗教法人税の優遇措置に甘んじることなく、社会に堂々と胸を張れる団体となって行く為にきちんと納税することをおすすめします。

個々人が、どこがどうダメなのかを真剣に、真面目に考え、適切に対応することができるようになれば、組織は必ず、良くなって行くのです。
良くならないはずがない。
良くなって行ったら、腐敗の幹部がすっ飛んで来て、邪魔しに来たりするでしょうね。
正しい事を言う人に対して、「あの人には問題がある」とさもさも分かったような、もったいぶった口ぶりで言いふらし、孤立させようとする。
真面目な思いの欠片もない相手に一々対応していたら、自分の暮らしがままならなくなって行く。

「何故ですか?」と問いただす事もなく、幹部に追従し、正しい人を弾圧する人も多い。
あることないこと、いいふらす。
彼らは、自らを誤魔化し、正しい事から逃げ続けて来たツケで、前頭葉がやられている。
他人の気持を思いやるだけの、人間らしい心を失ってしまっている。
腐り切った水の流れに、まともな生命は住めません。
その必要性もありませんが。

ですが、そういう人も、お題目によって、いずれは全うな人間へと生まれ変わって行くのです。
今世では無理でも、何度も、何度も、生まれ変わりながら、この世の果てまで、生命はみな、連鎖する。
一緒なのです。
闇があるから光がある。
光の数だけ、闇は深いのです。

いずれにせよ、仏法は素晴らしいです。
永遠に続く学びの軌道です。
このチャンスを逃さないで、一生成仏、如説修行に、勇猛精進して参りましょう。
 

悟り

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月24日(水)09時26分22秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
  黄金のウサギさん

言葉の表層面での解釈に固執して議論することは、「悟り」における多次元に渡る生命の本質的内容を誤解させる怖れもあることから、それらを慎みながら思う所を述べてみます。
「です」「ます」断定調が多いですが、中途半端に言及する性質ではない内容にさしかかるとそうなってしまいます。
聞きづらい場合はお許しください。

「一個人的な悟り」を否定する必要性はないと思います。
一個人として悟った人間が、社会の中でそれらの叡智を必要としている場面に出向き、他者の意識に働きかけて行く事で世の中を変革して行く中で、人は自他の関係性を、修復させ、あるいは、成熟させながら、世の中を良くすることができると思います。
それは、「人間として、あるいは人類としての、本来の姿を取り戻す」実践、そのものだと私は感じています。
仏法は、それらの展開の中の、確たる座標軸のようなものであると思います。
個人の悟りと言うものは、その縦横無尽に展開する現実の中に、自らの一念を位置づける現場を正確に把握し、事象に対して的確に対応するために必要です。
「私はここにいる」と言う意識は、それらの行為の土台になります。
そういった方々が大勢いる、と言うことは、素晴らしい事ではないでしょうか。
自分が存在する地球と言う惑星に対して責任感が生まれ、我々人類が為して来た行いを精査し、過ちを正そうとする意識が芽生えると、そういう風になると思います。
その事の中には、「全ての過ちを了解している」、と言う前提があります。

文明の進化の歴史、と言うのは、私たちが、困難を乗り越えるために頼った手段のことです。
この手段には、例えば、核兵器や、原子力発電等、一歩間違えば取り替えしの付かない危険性を伴うものがあります。
これらの手段が生まれた背景には、現実に対し物理的な不足を感じる人々の欲望があります。
無明を深くした原因を生命の中に見いだそうとするなら、それは一般的に、「エゴイズム」である、と言う風に言えるでしょう。

しかし、生命の本質はエゴイズムではありません。
エゴは本質に刻み付けられた、汚れのようなものです。
この汚れがあると、生命力が弱くなり、不安や恐怖に囚われやすくなり、本来、特別な問題ではないことが、問題に思えるようになります。
例えば、必要以上にお金を貯蓄しているお金持ちが、それよりお金を持っていない人たちよりも優れた存在に思えたり、一流企業に勤めている人が、中小企業で頑張っている人よりも高い能力を持つ存在に思えたり、都会で暮らす人達の方が、田舎で暮らすじいちゃんばあちゃんよりも優れた存在に思えたり、木造の、田畑が付いた手入れの大変で味のある家屋よりも、高層ビルの暮らしを選んだ人の方が聡明で立派だ、と考える。
物事の価値観が、全く転倒してしまうのです。

価値観が転倒している人たちの物事に対する反応は、正しい価値観を持っている人たちと正反対になります。
私はその事を良く感じます。
例えば、私が住む島には、古くて味のある、木造の家屋が、何千件も空き家になっています。
それらの家は、生命を使って作られた、生きている家です。
かつてそこに住み、自然と調和して美しい暮らしを送っていた人たちは、生きている家を放置し、田畑を放置して、高層ビルの建ち並ぶ都市へ行き、死んだコンクリートのマンション等に住んでいる。
原点に帰って来れない、いわば、悟りと共に日々を送る境涯から転落し、それらを失った状態になっています。

これらの逆転した世相の現実を踏まえて、「自分はどこからきて、どこへ向かっているのか」と思索するのは大切な事だと思います。
私なら、「私は無明から生まれ、一光に向かっている」と答えます。
一念が定まったら、「私は何の為に生まれ、何を為すべき人なのか」と問いかけます。
第二代会長は、「確信のある人が一番偉い」とおっしゃっていました。
確信を持って、為すべき事を為して行く。
一人では何も出来ないのが人間です。
できれば仲間と共に。御互いを守り合って。
人生はそれだけです。

他人がどのように言おうとも、本当の意味で偉い人にならなくてはいけないです。
それが、全人類を救済する仏法守護を宣言した者の義務であると私は思います。

マサまる子さん、はじめまして。

「どなたか特定の方にしか分からない一事を教えられている」のではなくて、みんなのためにと考えて教えた内容が、特定の方にしか伝わらなかったのだ、と解釈すれば、仏法を学ぶ心得と申しますか、その厳しさを想像できるかもしれません。
その特定の方には、その他多くの修行者の為に、法を広める使命と自覚を持っています。
それだけ、多くの方が苦しみに喘いでいる悲惨な現実がある、と言うことです。
その現実を踏まえつつ、自分はどうあれば良いのか、どのように対応すれば良いのかを真剣に考えて行きたいですね。
 

恥めまして、創価初心者若葉マークより

 投稿者:マサまる子  投稿日:2010年11月24日(水)04時53分5秒 wb09proxy11.ezweb.ne.jp
  管理人様、皆様はじめまして。
様々な勉強のため、ロムさせていただいております事、感謝申し上げます。


〉私にしか絶対にわからないー。という不動の確信の表明です。

大聖人さまは、どなたか特定の方にしか分からないー事を教えられているのでしょうか?
現在、間近に控えた任用試験に向けて学んでいる中、少々疑問に感じたため初めて投稿させていただきました。

初投稿でありながら大変失礼な投稿とは思いましたが、どうかお許し下さいませ。
 

道標

 投稿者:黄金のウサギ  投稿日:2010年11月23日(火)23時48分36秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >「私はここにいる」。
それが、答えではないでしょうか。

いま、ここ、が大事なのだと思います。
いま、ここから、全てが始まるのです。

佐渡の朱鷺さんへ。
以前は私もそう考えておりました。しかしこれは現実的(瞬間的な)結果論であって未来的な指向性を含んでいるでしょうか・・・私はここにいる。と意識できる、また思喩する人は大勢います。また仏法でもこの一瞬の中にすべてが包含されるとも聞きました。しかし、私が言いたかったことは一個人的な悟りではなくてどうすれば人間として本来の姿を取り戻せるか、ということなのです。
>科学信仰が、無明を深くしたのでしょうね。
この点も真逆です、無明を深くした原因は生命の本質的な部分で科学信仰という近代に発生した観念は単に無明の増大を加速した、と言うに過ぎません。
 

本因妙の仏法

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月23日(火)23時12分46秒 softbank220058091171.bbtec.net
  カナズチさん、
投稿ありがとうございました。私の呼びかけに、誠実に投稿してくださり、人として、同志としても、感動いたしました。仰る通り、われ等が先生は、お元気に(心配ですが)出席されていました。皆を、励まされたく無理にもお姿を見せられたことでしょう。お互いに、弟子として、先生のご健康と報恩感謝の行動を示さなければなりませんね。後継者としての使命の自覚。共々に、精進しましょう!

まず、私が過去世のことを述べました真意は、随自意というタイトルにも思いを込めましたが、以下に述べることは、私にしか絶対にわからないー。という不動の確信の表明です。
私には、寸毫の迷いもありません。そして、当然ですが、その胸中にある内証の内容は、私にしかわかりません。

何も、過去世のことを伝えたいのではなく、我々の命が永遠に続いているし、今後も、果てしなく連続して行くということを伝えたかったのが本旨です。大聖人の仏法は、言うまでも無く本因妙です。過去の世で、いかに罪業をつくり上げたにしろ、南無妙法蓮華経の偉大なるお力で、良い行いをしたかのように、完全に書き変えれます。現当二世です。今、この瞬間から永遠に未来に向って、黄金の希望の軌跡です。

病気や経済苦等が、無くなるのではなく、迷いと絶望の衆生を救う為に、信仰の確信度が深まるにつれ、大難が押し寄せて来ます。法華経の行者とは、大難に遭う人の異名です。
自らが、猛烈な激闘を背負い、人の苦しみを分かち、苦楽を共に人生の劇を演じる。全ては、救済する為です。その本地は、仏であり、如来です。決して、見捨てない。金持ちで、不自由がないのは、菩薩ではありません。御本仏、大聖人自らが、処を追われ、命に及ぶ大難の連続でした。牧口先生は、獄死です。戸田先生も経済苦のど真ん中で、妙法を広められました。池田先生も、牢獄に入られています。

大聖人が、佐渡流罪という当時では、極刑である死の判決が決定した時、門下のほとんどが「末法の本仏が、なぜ佐渡に流罪になるのか!インチキではないのか!」という疑念が渦巻き、ほとんどの人間が法華経を捨て去ってしまいました。佐渡では、雪を食べ飢えを忍ばれました。食べるものがない。全身に極寒地獄を味わうとも仰せになっています。牧口先生が、牢に入られるやいなや、「牧口の野郎!」に豹変した門下生もほとんどでした。要は、自身の胸中に、絶対不動の揺ぎ無き信がなった為です。状況がどうあろうと、敢然に信心で乗り越える!その心を失くしたときが、その人の本性が、問われるときです。私は、自身の胸中に、確立しているものを持っています。一人で十分です。私が創価学会にいる限り、21世紀の学会は磐石です。

さて、疑念にお応えいたします。

法蓮抄の対告衆は、曾谷教信です。彼は、非常に仏教の研鑽に明け暮れた求道心の篤い信徒でした。折に触れ、経文上における自身の判らないことを大聖人に、赤裸々に質問しています。法蓮抄は、大聖人さまが、54歳の御時に、身延から与えられたお手紙です。未だ、出世の本懐である三大秘法の大御本尊を建立(御図現)されていないときです。建立は、弘安二年の十月(御年、58歳)ですから、さかのぼること4年程度前です。当時の勤行(仏を賛嘆する詩・偈)は、法華経の全文を暗誦したり、自我偈をやっていたり、寿量品の全文を読んだりと定かではなかったようです。

未だ、信仰の対象となる根本の本尊が確立していなかったわけですから。その中で、曾谷教信さんは、お父さんが亡くなった追善供養として自我偈を読み、それに対して大聖人様は、最大にお誉めになっているわけです。その思いを、賛嘆されているところに焦点があるわけです。往々にして、大聖人様は、その人の思いや気持ちを大事にされ、最大に宣揚されます。文筆には、そういう傾向があります。大聖人様の深い、深い慈愛です。

御書の中で、極説(随自意)で、述べられている抄は、御義口伝・百六箇抄・本因妙抄です。百六箇抄の中で・・
【下種の法華経教主の本迹】『自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり』
この御文で仰せの文底の本因妙とは、長行の我本行菩薩道の御文です。

【御義口伝巻下】『第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事』「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり」

大聖人様は、釈迦の法華経である『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に南無をお付けになり
『南無妙法蓮華経如来寿量品第十六』とされました。その真髄は、寿量品全体を、御本仏であらされる大聖人様の悟りの境界で読む観心の拝し方となり、釈迦仏法の立場からの教相ではなくなったという意義です。天台の読み方とは天地雲泥の差となります。ですので、寿量品全体を、大聖人様の立場で、読まなくてはならないということになります。
寿量品は、日蓮仏法の魂なのです。

御書の文を引用するのは、まだまだ出来ますが、長くなりますので、本日は、このへんで止めます。

私が、言いたいことは、戸田先生も講義の中で、寿量品の講義に大変な心血を注がれ解説されています。池田先生も、その全体の重要性を講釈されています。
それを、自我偈だけで問題がないと、きり文句だけで、ろくに説明もせずに切って捨てた、ときの学会総務会(教義改訂の決定機関)に対して、義憤の念を感じています。それは、全学会員さんの為です。

私、個人的には題目だけで十分です。直ちに、境地冥合いたします。
勤行の際の、長行の読了は必要なのです。した方がいいのです。

※この投稿は、全学会員さん及び、日蓮仏法を学ばれている方々の全ての人に捧げる思いで 書きました。学会の教学部の方でも、疑義や不明なことがあれば、いつでも投稿されて下 さい。必ず、ご返答いたします。一人でも多くの方が、元品の無明を打ち破られ、仏界の 生命を、胸中に確立されることを希求いたしております。
 

今回こそは「投稿」です

 投稿者:カナズチ  投稿日:2010年11月23日(火)02時36分47秒 softbank220058066029.bbtec.net
  先日は、「メール」と打ち込んでしまい、失礼しました。
メールばかりで、「投稿」したことなど無い初心者なもので、ご無礼お許しください。

日付が変わりましたが、先生の300の称号のご受章、本当におめでとうございます!
82歳の先生。80歳を過ぎれば、人間誰でも、多少は体にガタが来るものです。
ほかの82歳の老人たちに較べれば、先生は本当にお元気だと思いました。
そうでなければ、わざわざ直接ご出席はされませんよね。
師匠のご健康とご長寿を、弟子として、ただただ祈る日々です。

さて、佐渡の朱鷺さんのお言葉に救われました。
本当にありがとうございます。
まったくもって他意は無いのですが、
最初から「荒らし目的」ととらえられてしまい、残念でなりませんでした。
今回、投稿するかどうかも、相当迷いました。

過去に荒らしがあったとのことですが、最初からそのように疑われてしまうと、
自分をはじめ、ほかの見ている方々が、もっと投稿できなくなってしまいます。
わりと特定の方しか、投稿されていないようにも見受けられますが、
それこそ、仲間内の掲示板になってはしまわないでしょうか。

今日より明日へさん、
過去世から、輪廻転生を繰り返し、
ずっと法華経を弘めてこられたんですね。
すばらしいことです。

御書の一節に、
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とありますが、
この御文に照らせば、過去世にこれだけの因を積まれているわけですから、
今世は学会のなかではもとより、社会的立場におかれましても、
間違いなく、病気や経済苦など無縁の、
所願満足の人生を歩まれていることとご推察いたします。

自分は以前、部員さんから、
「自分は過去世の記憶を持っている」と告白されたことがあります。
自分の過去世って、確かに興味はあります。
それでつい、過去世の記憶に関する投稿について、
つい反応してしまったわけです。

「法華経の行者」でしたら最高ですが、虫けらだった可能性だってあるわけです。
果たして、過去世の記憶を受け継いでいるからといって、
それが幸せだとは、必ずしも限らないのかなあと、考えてしまったりします。

でも、黄金の兎さん、佐渡の朱鷺さんの投稿を見て、
あらためて、現当二世ですし、大事なのは今であり、
これからなんだなあと気付かされました。
本当にありがとうございます。

あと、長行を読まなくなって、久しくなりました。
昔は御葬式でも、御焼香の間、長行を2回読んでいたりしましたね。
大聖人御在世から、少しずつ勤行の形は変化していったと聞いたことがありますが、
実際はどうなんでしょうか。

法蓮抄にこんな御文を見つけました。

今の施主・十三年の間・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし、
夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、
三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、
自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、
此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には
小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、
其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり

長行も寿量品の命であることに、異論はありませんが、
自我偈って、すごいんですね。
 

一光

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月22日(月)23時00分11秒 i58-93-208-182.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ”人はどこから来てどこへ行くのか”・・・・

なつかしいなと思いました。
子どもの頃、良くそういう事を考えました。

しかし、今の私には、そういう問いはありません。
「私はここにいる」。
それが、答えではないでしょうか。

いま、ここ、が大事なのだと思います。
いま、ここから、全てが始まるのです。

科学信仰が、無明を深くしたのでしょうね。
文明を、後戻りさせることはできません。
ならばそれを正しく使う為の智慧を、偉大なる叡智を私たちは持たねばならない。
それが無明の暗黒を照らす、一光なのではないでしょうか。

『佐渡の朱鷺さんも、除名になった方々も、再び創価学会員になられるのが、先生の願いです。諸仏の願いであり、諸天の渇仰です。除名になった崇高な使命の方々の再入会が、三代会長の創価学会の勝利です。』

これを読んで、どうしようもなく泣けてしまいました。
やさしい心配りをして頂き、本当に感謝しています。
みなさんの幸せを、祈っています。
 

信仰

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年11月22日(月)19時49分4秒 softbank126122224122.bbtec.net
  >大事なのは、過去ではなく、いまです。
正にその通りだと思います、佐渡の朱鷺さん。今を生きている生命が未来を新しくし過去にあった事の意味を変えていけるのだ、と私は考えています。ただ原点は知っていなければなりません。仏法で説く人間の生命が何故宇宙的長大な時間を経るごとに無明を増していったのか・・・この根本的な原因については私は近年に至迄考えたことがありませんでした。本来、仏法の器である人間自身にいったい何が起ったのか、という疑問です。一般的に言われる”人はどこから来てどこへ行くのか”・・・・この問いこそ過去や未来、生死も含めて宗教が提示しなければならない重要課題だと確信しています。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月22日(月)07時51分17秒 i60-34-90-73.s02.a015.ap.plala.or.jp
  一般的に、人が自分の過去世を知りたい、と思う時は、考えうるあらゆる手段を講じても状況の改善がうまく行かず、あるいは却って悪くなる、と言うような事があり、現状打破に行き詰まった時ではないでしょうか。
そういう場合には、過去の宿業が原因となっている場合が多いのではないかと思います。
それは必ずしも「悪い行い」と言うよりも、深い契り、であったりだとか、使命の自覚のようなものへと目を向け指せようとする流れである場合が多く、仏法者であれば、その使命の自覚が人生の一大事です。

カナヅチさんの投稿を読んで、私は、何かとてつもなく困難な状況に遭遇してしまっているのだろうか、しかし、初めて参加する為にこの掲示板の流れが見えず、参加する姿勢を決定するための、アタリを付けているのかな、とも感じました。
いずれにせよ、カナヅチさんに、何か真剣な思いがあるのであれば、「なぜ今日より明日へさんに対してそのような質問を行ったか」の理由を明らかにされるだろう、と思いました。

世の中には、過去世を知って、いたずらに霊的高慢に取り憑かれたりする人がたくさんいます。
大事なのは、過去ではなく、いまです。
いまの自分がどうであるかです。
そういった事情にも深く配慮して、今日より明日へさんはカナヅチさんに対応されておられると思います。

カナヅチさんへ

はじめまして。佐渡の朱鷺と申します。
ぶしつけな質問かもしれませんが、よろしければ、何故過去世を知りたいと思ったのかの理由をお聞かせ願えますでしょうか。
 

中有の道

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月21日(日)23時47分48秒 softbank220058091171.bbtec.net
  黄金の兎さん、

いや~お久しぶりです。そうですね、三年の月日が流れましたか。・・
再びの投稿に、懐かしい感情が沸き起こりました!
あの頃は、確か・・キリスト教と仏教に迷われていたと記憶しています。その後、お変わりありませんか?お元気そうで何よりです。当掲示板は、あれから幾度となく、嘲笑の荒しに遭遇して、一度、閉鎖している経緯を辿っています。なので、荒し行為及び誘発するような投稿に関しては、特に敏感になっております。

カナズチさんの真意は、推し量れませんが、一般論として、投稿とメールを間違うものでしょうか!?・・冒頭から、理解に苦しみます。・・
荒し目的と思われても、仕方ないと鑑みます。もしも、そうではなかった場合には、申し訳ないと謝罪したします。再投稿していただければ助かります。
 

過去世

 投稿者:黄金の兎  投稿日:2010年11月21日(日)20時33分0秒 softbank126122224122.bbtec.net
  3年ぶりにこのブログを拝見しました。かなずちさんのコメントは特に今日より明日へさんのコメントに対して皮肉で言っている訳でもなさそうに感じますが・・・・。(今、来たところなので今迄の経過は解りませんが)
この過去世の記憶は人によって様々です、自分も億劫の過去と未来を超えて現在にいる、という感覚を何度も覚えています。その人にしか解らない、その人の内面に強く働きかける何か・・・ということは確かです。
人の生死より以前の記憶はそれを語る者がいないので(死者が語ることはない、という意味で)推測の域を出ないのです。
 

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月20日(土)04時31分1秒 softbank220058091171.bbtec.net
  あの日、あの時、あの瞬間。

あの光景、あの声、あの表情。・・54年、背後から、正面から、取り囲み切り付けた。
前も、後ろも敵。断じて、絶対に、永遠に忘れてはならない。

創立日には、実名の公表は掲載されませんでした。誰なのか。裏切りの首謀者の連名は、先送りされました。先生は、いかにも病み上がりのご様子で、激痩せされていました。従来の勢いというか、精気が感じられませんでした。魔物の勢力は、いや増しているようです。

私は、この、今のタイミング(今年)を逃しての発表は、考えられません。
次回は、もう直ぐおとずれる宗門から破門された日。あるいは、元旦。
これは、最も一大事の、永久に学会の歴史に留め於かなければ成らない刻印です。
師弟の呼吸の、一大因縁です。
これこそ、54年来、先生ただお一人、文底秘沈されている本門の戦いです。

もしも、先生が、この儀式をされずに逝去されるような事態になれば、師弟の敗北です。
私には、それは考えられません。時を忍ばれ、時を待たれた先生の展望は、必ず、儀式を踏まえられるのが必然です。先生のご寿命は、その日は、日蓮大聖人様が決められます。炯々には、決して推し量れない摩訶不思議な世界です。

佐渡の朱鷺さん、おしゃる通りです。信じる心がどうかですね。微量の疑いがあっても、それは不信です。王仏冥合の理念は、仏法の仏法たるゆえんです。国の法ではなく、仏の法の統治です。衆愚政治とは、民が愚かということであり、民を真に賢くするには、各自を人間革命させて、境涯を引き上げるしかありません。六道は、迷いの生命です。愚かという境涯です。ホイットマンの民主主義の展望という本に、余すことなく書いてありますね。生命の浄化には、題目しかありませんね。

『過去世からの宿業によって汚染の極まった自分自身を改め、清浄な意識を注がれた正しい存在に立ち返る』・・・答えですね。

佐渡の朱鷺さんも、除名になった方々も、再び創価学会員になられるのが、先生の願いです。諸仏の願いであり、諸天の渇仰です。除名になった崇高な使命の方々の再入会が、三代会長の創価学会の勝利です。本来、除名にならなければならない人間(魔物)が、除名権を持っている。本末転倒です。正義が、見事にひっくり返っています。この、日本ほど、正義がひっくり返るところも、宇宙では稀でしょう。仏と魔の主戦場は、日本です。平安末期から鎌倉初期は、おどろおどろしい妖怪(坊主)が、次々と現れて来ました。銀河団から送り込まれました。大闘争の舞台は、日本です。しかし、魔は、仏には絶対に勝てません。なぜならば、魔を活かしているのが、仏だからです。仏とは、人間のことです。「人間」とは、本当は、途方もない潜在能力を持っています。佐渡の朱鷺さんこそ、女性信徒の鏡のような方です。信心根本、美しい言葉です。

こちらこそ、いつも長文のお言葉に、敬意を表しております。
烏合の衆では、何にも大善は、生まれませんね。

カナズチさん、はじめまして。
メールではなく、投稿ですね。
残念ですが、真剣な姿勢が感じられませんので、恐縮ですがお応え出来ません。

Theimpossiblehashappenedからは、日本時間の深夜に電話がありました。緊急の問題は、解決いたしました。皆さん、ご安心ください。
 

緊急

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年11月19日(金)13時46分4秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  今日より明日へさんへ

送りました。
 

過去世の記憶

 投稿者:カナズチ  投稿日:2010年11月17日(水)01時13分22秒 softbank220058066029.bbtec.net
  初めてメール致します。
今日より明日へさんは、未だに勤行で長行をされたり、とても熱心な方なんですね。
しかも過去世から修行僧として、仏道修行に励まれていたなんて、御書に説かれる、「三世を知るを聖人という」そのものですね。
自分はまだまだ未熟者なので、過去世の記憶なんて、思い出すことなどできませんが、どのようにしたら、今日より明日へさんのように、過去世を思い起こすことができるのですか?
 

信心根本

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月16日(火)10時39分23秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  「こんなに大勢の人がお題目をあげているのに世の中が良くならないのはどうしてなのだろう」と言う意識の中には、「一人より大勢の方がすごい」と言う意識が微量であっても含まれている、と思います。
それは、「ひとりを大切に」と言う学会指導とは相容れないものだと思います。

私は学会員だったころ、公明党の支援を、盲目的に一生懸命やりました。
お題目を上げて一心に行動することで現象が現れます。
あまり喜ばしく無い現象がほとんどでしたが、日本の、民主主義の美名を借りた衆愚政治の浄化であると捉えていました。
政局等について勉強する必要性は感じなかった。
マスメディアによって表現されている政治の表面的な部分には、あまりにも嘘や捏造が多いわけです。
信用に足る文献も少ない。
私はそれらの事情を踏まえて創価学会に入信し、内なる世界の浄化の為に選挙活動をしていたわけです。
それを盲目的な支援活動と見るかどうかは、他人の自由な判断です。

そもそも政治が政治になっていない人間社会の現状なのですから、信心を根本にして政治の世界を改革しようと言う事であったわけです。
創価学会という宗教団体が公明党を作った背景にはそういう経緯があったと思います。
公明党にしてみたら、言葉の、上辺だけの事だったのかもしれませんが、私はその事に賛同したのです。
実際に、選挙の支援活動によって何かが起こり、それが自分や周囲を良くしていると実感するので選挙戦を闘うわけです。
それを通して、過去世からの宿業によって汚染の極まった自分自身を改め、清浄な意識を注がれた正しい存在に立ち返る、それを繰り返す、継続される人間革命を主体的に行ってゆく、と言う意識を持たない人たちの中には、支援活動に対してあまり意欲を持つことができず、あれこれ屁理屈が出てきて、バカだの愚かだのと活動そのものを批判的にしか見ない人もたくさんいるのだと思います。
しかし私はそういう部員さんとは、どうにかして実感を分かち合うと言う事を通して、浄化の波に組み込む工夫をするようにしていました。
全ては部員さんや、ひいては私自身の真の幸せのためです。
創価学会はそのためのフィールドを、全ての会員に解放してくれているのだと私は考えていました。

私自身の浄化が進むと、そのフィールドがどういうフィールドかがだんだん見えて来ます。
それが、組織の上層部の都合で、自在に問題を捏造しては罪なき個人にそれをなすり付け、除名にする、と言うことを平気で行うような人たちのフィールドだと言うことが分かって来た時、その悪しき有り様に異を唱えるのは当然のことだと思います。
私たちは過去からの自分の宿命を目の当たりにし、それによって深淵な自己知識を得て、使命の地と結ばれるようです。

いくら大勢がお題目をあげたとしても、それが烏合の衆のようであっては壊れたテープレコーダーにお題目を唱えさすのと一体どこが違うでしょうか。
心の底に疑いを抱えながら口先でお題目を唱えれば、その祈りが叶う、とは御書には書いていなかったと思います。

私は自分が学会婦人部として活動していたことが間違っていたとは思っていません。
連綿として今に続く正しいプロセスとしてその経験は必要でした。
なので今、盲目的に公明党の支援活動をしている人たちも、やがては正しい軌道へと導かれるのだ信じています。
その時、自分がかつて創価学会で出会った幹部たちのような、人を利用して上から見下し、汚い手を差し伸べることで上手い汁を啜るだけの不潔な存在ではなく、人の誠意と繋がることのできる正しい受け皿となれるように、力を付けて参りたいと願っています。

今日より明日へさん

深い心情を書いて下さり、読ませて頂き、何か誉れのように感じました。ありがとうございました。
頑張りますね!
 

随自意

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月14日(日)20時49分31秒 softbank220058091171.bbtec.net
  私は、自身の過去世の姿が、動く動画として脳裏に浮かんで来ます。それは、突如として、または、睡眠中にもリアルにあります。最も、インパクトのある姿は、ガンダーラ地方(現在のパキスタン周辺)の世の在りし日々です。出家僧として伽藍で修業していました。茶褐色の衣を纏い、大乗経を暗誦していました。

「空」の概念、実体を掴む修養に明け暮れておりました。岩陰では、経典を紐解き、仲間と共に、法華経の研鑽に努めていました。

現代は、法華経が成立した推定年代を、BC50年~150年の期間であるとする見方が一般的です。中国では、古来より奇跡の経典、畏怖する経典、力のある不思議な経典として広く巷間で囁かれ、広まりました。チベット語・ウイグル語・西夏語・等々に次々と翻訳された法華経という経典が、どれほどの民衆の渇望と魅了、希望の光源であったかが一目瞭然です。タクラマカン砂漠、シルクロードは・・・懐かしいです。胸が締め付けられるほど、熱くなります。私の故郷です。今一度、足を運び、当時を偲びたい気持ちに溢れます。

釈迦在世より400年後の時代が下り、法華経は大成されました。誰が編纂したのかは、歴史の謎です。私は、法華経を編纂した人間の一人として、いかに、この不可思議な世界を伝えるか、伝え切きるか・・・に途方もない労苦のエネルギーが注がれ、巧みな智慧を紡ぎだしたか・・それは、血を吐くがごとき執念の一念の凝縮でした。

当時は、悟達者が幾人もいました。焦点は、未来にあります。日蓮大聖人様の御出現を待ち、確信し切っての精神闘争でした。空諦に、過去も現在も未来もありません。堪忍の娑婆世界は、一夜のかりの宿です。ただ、一睡の夢ぞかしです。生命の本体は、意識です。識は、無限に連続し、転戦します。法輪とは、廻る識ということです。

私は、勤行が大好きです。100%ではありませんが、ほぼ必ず、如来寿量品第十六の長行をします。文字は魂です。文字と境地冥合します。不思議な話しですが、私にはそれが映像となって、魂に吹き込まれます。感無量の境地に誘われ、歓喜雀躍します。文字と一体になる自身があります。波長を感じ、音が聞こえ、時間軸が無くなります。

「水中に火をみるがごとし」と比喩された大聖人様は、難信難解である仏界の生命(世界)を、何としても、現出して、生死の苦悩を断ち切ってほしいという想いと願いが込められています。木から花を見るという自然界の不思議な現象(真実)を述べられての巧みな比喩は、方便でありながら真実を示されています。文筆の運びに込められて広大無辺な慈悲の偉大さに、打たれます。驚嘆いたします。逆説から真実への誘い。

水中に火がある、火の中に水があるとは、とても信じがたく、普通は思えません。しかし、水の中にあった石を取り出だして、乾いた石と石を打ち鳴らしたら、うまくしたら火花が散ります。そうすると、水中に火が確かにあったと言えます。もともと、妙法を伝え広めるという仏の聖業は、自覚し歓喜し、自ら実践するものです。

先ほど、本日の聖教紙面上に先生の随筆が掲載されていました。
上記、引用した御書の文は、奇しくも観心本尊抄です。師弟の呼吸です。

「敵は内部」「内部崩壊」・・最も狡猾なところに、巧みに隙を突く。

平成版の勤行要典には、寿量品の長行を削除してあります。学会規則には、教義の改変には総務会の承認が必要となっています。現総務会の議長は、山本武です。
真実は、必ずや時とともに、満天下に示されます。総務会という魔の巣窟は、54年に先生の辞任を決議した因縁のポジションであり、師敵対の構成メンバーです。
「時の流れには・・」を言い切った、最終局面に先生に一矢を放った魔物の徒です。

新勤行要典の改定にあっては、SGIの同志の要請であるというのが、最もらしい理由となっております。しかし、日蓮大聖人様の御書には、寿量品を魂とす。とハッキリと明示されています。自我偈だけでは、不十分です。仏界の生命と感応動交するには、長行が必ず必要です。

54年に先生を裏切った、最高幹部の反逆の輩は、故・山崎正友等と夜な夜なマージャンに興じ、放蕩三昧の堕落し切った姿でした。・・銜えタバコに「これで学会を牛耳った」と高笑いしたことでしょう。・・

しかし、本門の弟子の追撃の手は、生まれ持って刻印してあります、己が使命を自覚するとき、その力量は、炸裂します。

佐渡の朱鷺さん、いつもお心使いありがとうございます。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月10日(水)21時36分41秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさまへ

「お前は、百姓さんの気持ちがわかっているのか!米粒一粒に、百姓の思いが込められているんだぞ、残さず、最後の米粒まで食え!」

うわー!なんだか怖いですねぇその先輩。。。
まるで昔の軍隊の様です。

私は食べられないものは無理に食べようとせずに残すことにしています。
無理に食べて体調を崩す様な事があってはいけないし。
私ならその先輩に、「権威的なもの言いはお断りします。ましてや食事時に一体何ですか。あなたが食べなさい。」と、見えない場所で叱ります(笑)

しかしその先輩は、今日より明日へさんの事を思って、転ばぬ先の杖としてあえてそのような事を言って下さったのでしょう。
後輩思いの、愛情深い先輩なのでしょうね。

まあ私も、残さず食べる、と言うのが基本だと思っていますが、そうはいっても残ってしまう事はあります。
申し訳ない気持で残します。

百姓の中には、ベンツの乗り換えの為に頑張っている人もいます。
新品の耕耘機を見栄や体裁の為に欲しがる百姓もいます。
子どもの学歴を自慢することが唯一の楽しみだったりする百姓もいる。
お米を作る気持と言っても、いろいろですね。

『皆々様、急激な気温差に風邪を惹かれませぬように。』

お心遣い、有り難うございました。
今日より明日へさんも体調に気を付けてお過ごしくださいませ。
大変な毎日ですが、清く澄み渡った空気で胸を満たし、豊かな秋の日を楽しんで参りましょう。
 

相次ぐ国難(総罰)

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年11月10日(水)00時13分23秒 softbank220058091171.bbtec.net
  次から次へと国難が競い起こっています。他国侵遍の難、自界叛逆の難。三災七難が討ち続いております。大集経や薬師経に説かれている仏法の方程式は、完璧です。

森羅万象の動きは、雲の形にも連続しています。繋がっている意識。一国や民族という眷属の次元では、よりリアルに感覚が連動するものです。日本は、大乗の国です。2000年前に、法華経という最勝の経典がこのクニに必ず根付くと宣言した仏典の予言は、過たず的中しました。御本仏の出現の地は、日の出づる国である日本です。その意味では、世界中の何処のクニが最大事であるかは、明らかです。なかんずく、創価学会が指標です。

これだけの数の家庭に、本門の御本尊様が安置されています。問題は、自覚です。目覚めです。梵天・帝釈や日月天と言ったところで、我が胸中に収まります。先生の取り巻きは、保身の大馬鹿どもの集まりに過ぎません。所詮、真の仏法の力がいかばかりか。折伏もしない、大難にも遭わない。信心が解るはずもありません。難即安楽。難即悟達です。逆巻く烈風に身を投じない限り、大我は開きません。我が生命への猛烈な圧迫。これこそ、人間革命の直動です。真っ直ぐな大道です。総罰は、計らいです。

きずくまで、目覚めるまで競い起こるというのが、私の不動の確信です。最後は、これしかない。54年からの、師匠を裏切った責苦は、全会員が償うべきです。何もかも、来る日も来る日も、身を投げ打って激励されつづけられた師匠のおかげです。もうすぐ、三代目の会長に就任されて50周年です。廻り来たりました。・・

皆々様、急激な気温差に風邪を惹かれませぬように。嗚呼、先生、お疲れ様でした。必ずや、先生の仇を討ちます!世界広宣流布は、弟子がやり遂げます!御安心ください。

さて、佐渡の朱鷺さん
私も、ポジティブな意味の諦めです。信心することは、決まっておりました。御本尊様に、この身をあずけております。いのちにレーダーにメッセージが届きます。

貧困問題、全く同感ですネ。
仕組まれた社会です。日本人は、一度、西洋ナイズされています。東洋にいながら、アジア人でありながら、マクドナルド化されています。
違うでしょ。松陰が夢見た世界は、真の草莽崛起は、人間らしい、いかにも日本人らしいものだったはずです。

余談ですが、私が学生部だったころ、ご飯をお腹一杯に満たして、少し残していました。
すると先輩から烈火のごとく叱られました。
「お前は、百姓さんの気持ちがわかっているのか!米粒一粒に、百姓の思いが込められているんだぞ、残さず、最後の米粒まで食え!」と。とても、人の気持ちがわかる愛情のある人でした。・・
 

貧困問題

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年11月 7日(日)21時55分6秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  ふと思い立ち、この掲示板の最初の方から読ませて頂いているうちに、沖縄のランボーさんの長文の書込みが目にとまり、思わず読み入ってしまいました。
なぜだか、胸がいっぱいになって、涙が溢れて来ました・・・。

同じ様な事を考えていた方がいらしたのだなあと言う思いでした。

私は、創価学会に関するさまざまな出来事に傷つき、また、傷ついた人の言動に傷つき、イラク戦争の開戦を宣言するジョージ=ブッシュのもったいぶった演技に傷つき、小泉総理の人をバカにしたような発言に傷つき、混沌を抱え、身体を壊して、一体世界はなぜこんなことになっているのだろうと一人悶々としながら、世界と繋がっている感覚を失いながらもブログを書いていた時期がありました。
沖縄のランボーさんも書いてましたが、「世界は良くなるどころか悪くなる一方じゃないか」と、私も感じていました。
またその一方で、私や世界がどうあれ、また創価学会がどうあれ、仏法はあまりにも正確である、と言うことも感じていました。
御書の読み方も変わって来て、それまで頭で解釈していたものを、実体験として魂で理解するようになっていました。

その頃の私は、世間とはかなりずれた次元で生きていたので、そのことに戸惑いを感じていたし、このまま世間との接点を失ってしまうのだろうか?私は一体どうなってしまうのだろう?と言う気持も若干ありました。
自分の中の何かが壊れ、何かが生まれているのが分かりました。

ある時、ブログに書き込みをしてくれた方がいました。
その方は佐渡が島でお米を作っている農家の方でした。
私の、「宗教って一体、何の為にあるのだろう」と言う問いかけに対して、その方は、「寒さにかじかんでいる時に、みんなで一つの炎を囲み、あたたかいね、と言い合うため。それが宗教の本来の役割なのだと私は思います。」と書いてくれた。
私はそれが真実であると思っています。

そもそも創価学会は、不幸な民衆が元気になり、屈強な邪宗の権力者に負けない、心も頭も強い人間を作り、どんな邪悪にも騙されることなく、個々人の幸せと宿命転換を願いつつ、ひいては世界平和をこの問題の多い惑星上に築いて行くためのものだったと思います。
ところが戦後のアメリカによるエゴの奨励と、関西地方で顕著に見られる、国家権力には騙されないが官僚には弱い政治音痴の関西人気質によって、民は間違った方向へ元気になって行ったと思います。
戦後の日本の土建屋政治は、関西が発端ではないかと私は見ています。

高度経済成長と言うのは、新しい形の戦争の幕開けでした。
多くの日本人が、勝利者の為の下僕としての国民教育(洗脳)を受けるようになり、小さな頃から義務教育を通して、支配と服従の権威主義的理論を刷り込まれ、抵抗を試みるものは社会のシステムから排除されました。
検察や司法がそれらの計画をアメリカの上層部と綿密に計画を立て行いました。
それは子どもたちの世界にまで行き渡る様徹底的に行われ、その中でまともな感受性を保っているものは、次々にしつこい虐めのターゲットになり、いのちを落すことになりました。
そんな中で多くの民が、自らを欺くことに違和感を感じなくなり、率先して大きなものに、コントロールされるようになって行きました。

私の母は東京都北区の出身ですが、空襲を逃れて佐渡へ疎開に来て、そのまま島に移住したと言う経緯があります。
海に囲まれた戦時中の佐渡での暮らしは、焦土と化した本土とは別世界で、大変長閑なものだったようです。
母の当時の思い出と言えば、楽しく和やかな暮らしの記憶しかないそうです。

終戦後東京に戻ってみると、家があった場所は焼け野が原と化していたそうです。
そこにはたくさんのテントが張られ、威勢の良いかけ声と共に、美味しいものがたくさん売られていたそうです。
それからわずか数十年で東京は突出した大都市になりました。
悪魔に魂を売り払ったおかげです。

今、東京での暮らしを振り返ると、そこには人が生きる上でもっとも大切な「食文化」がなかった、と思います。
食文化が無い、と言うのは、自分が口に入れるものを作ってくれている生産者との交流が希薄であるか、無いと言うことです。
この生き物としての根本的な不自然さ、それをそうさせた悪魔のシステム、大量生産、大量消費の、多数決による目くらましの構造に私たちは気付かねばなりません。

アジア諸国の経済成長が目覚ましい、と言われています。
願わくば、日本の二の舞にならないように、ある地域だけに富が偏るような、貪りのいのちに毒された愚かな国にならないようにと思います。
世界の貧困問題と言うものは、経済的な豊かさのみを豊かさを見てしまう、先進国の人々の愚かさにあるのです。
発展途上国と呼ばれている国々の人達は、かけがえのない美しい精神文化を失わないようにして欲しい。
それが人類の希望だからです。

私たちが見栄や体裁にかまけて、無闇な公共事業や開発を行う事で、切り崩された山や森林は、地球の財産であり人類のものではありません。
所有の幻想に振り回され、何でも誰かの持ち物にしようとして、恥ずかしげもなく境界線を引く。
仏法は、自然を愛し、あらゆるいのちを大切にする、共存共栄を願う、生き物らしい生き物の、豊かで健全な心に流れるのです。
大地の世話をすることもなく、他者に負けじと次々に高層ビルを建て、弱い立場にある人々の、ささやかな暮らしすら破壊して行く行いの、一体どこに仏法があるかと思います。

守るべきものも守らずに、薮から棒な経済発展等、広宣流布とは何の関係もないものだと私は思っています。
 

宇宙の心のビジョン

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月31日(日)23時37分57秒 i58-93-220-52.s02.a015.ap.plala.or.jp
  変な話なんですが、今日より明日へさんが以下で述べた内容のビジョンを、私は見た事があります。

なぜなのかはわからないけれど、私は目で見る映像とは別に、第三の目のようなものがあってそこで映像を見ていることが良くあります。
そういった力は、何かの修行の果てにつかみ取った力とかではなく、自然に子どもの頃から備わっていたものです。
それは「神」を意味するものなのだと物心付いた時から感じていました。
ビジョンの印象が、あきらかに自分で考えたとは思えない神聖さや、荘厳さを備えておりますので。

上記のような内的な経験から、今日より明日へさんのおっしゃる通り、人間にはもともと、内なる宇宙が備わっている、と私は思います。
私はずっとその宇宙を旅しながら、現実世界においてその印象を具現化する、と言う生き方をして来ているように思います。
私の意思とは無関係に、それは起きている事で、私はその事に気付き、受け入れるだけなのだと、変な言い方ですが、やはり、諦めています(笑)
もっとも、この場合の諦めとは、ネガティブな意味合いを含まない、全くポジティブな意味の諦めです。
おそらく今日より明日へさんのおっしゃる「諦め」も、そういう性質の「諦め」なのだと感じます。

仏から見て、仏法即世法と言うのはあたりまえのことなのですが、現実世界の変革にはタイムラグがあるようです。
そのタイムラグを短縮する為には、世間の法に染まらない純粋なエネルギーが必要なようだと感じています。
何故短縮を願うのかと考えますと、やはり、「愛するが故」なのではないかな。
お題目はそのためのエネルギーを運ぶ道具のような役割をする、と考えたりしたこともあります。

どういう方向から考えても、お題目をあげると言うのは、仏界のエネルギーに触れる為の素晴らしい行為、と感じます。

28才。。主人に出会った頃です。御本仏の計らいです。
戦闘機は偵察機。。。そうですね。
何を偵察しているのやら(笑)金とヒマが有り余っているようです。
 

内なる秘密の扉

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月31日(日)11時41分13秒 softbank220058091171.bbtec.net
  『所詮己心と仏心と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を礙わる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず、一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可からず。』

畢竟、仏法は悟りの法門です。先覚者(仏)の伝えたいことは、何としても、伝えたかったことは、外に眼を向けるのではなく、自分自身に目覚めよ!自身の胸中には、無限の宇宙力が秘められている、もともと、具わっている!その秘法にきずきなさい!ということです。

究極の、人間解放、人間賛歌であり、フランス革命の遥か延長線上にある人権の確立です。
名も無い、一人の人間が、実は、深遠なる尊極な存在なのです。

『凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くなり神通とは神(魂)の一切の法に通じて礙無きなり』

我が心に迷っている人を凡夫、覚っている人を仏と。思念致しますれば、仏教の開祖は釈迦です。難行苦行の末、一人、樹木の影に座し想念の果てに、一瞬の閃光のうち大我を開き、自身の過去世の姿、振る舞いを鮮烈につかみました。我がいのちは、永遠なり!いのちは、永遠に連続して行く!恐れるものなど、何もない。大宇宙と共に在り!この一瞬に、人類史上に計り知れない影響を与えた仏教が姿を現しました。生死を越えた心こそ、三代会長の御心であり、宇宙の心です。そう、その心こそ、真性の弟子の心であります。妙法の松明は、静かに、そして確実に、全世界へと受け継がれました。そのクニに、一人立つ弟子がいる限り、燎原の火は広がります。松明人の使命は、生まれ持って、確定しております。

『人生は、28歳の時に決まる!』とは、師池田先生の不滅の言です。

限られた有限の娑婆世界に於いて、28歳を大聖人様は、定められています。この年齢に達した時に、弟子の身に何が起きたのか・・・人生を決定づける「何か」が必ず起こっています。それは、定められているというのが、不肖私の揺ぎ無い確信です。皆、28歳です。
世界広宣流布の松明は、御本仏日蓮大聖人様の絶対のお約束であり、御遺命です。必ず出来るように、最初から設定されております。人法一箇とは、妙なる法が、その人に宿り突き動かすという意味です。

私の人生行路も、もがいても、あがいても、結局は御本尊様に突き動かされ、導かれて今日まで来ました。半生を振り返っても、全てが必然でした。変な話しですが、最後は諦めております。自分の意思では、どうにもならない力が、土壇場で、必ず働くからです。節目、節目で、最初から用意されていたとしか表現できません。妙な話しですが、偽らざる正直な心境です。

本日、私がお伝えしたかったことは、いかなる時代の混迷があったとしても、微動だにする必要はないということです。この投稿も、御本尊様の指示としか表現できません。突き動かされております。・・不思議な話しですが。

佐渡の朱鷺さん、戦闘機は偵察機でしょう。

Theimpossiblehashappened、ユーチューブありがとう。
 

今日より明日へさんへ

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月29日(金)03時26分7秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。

If I can make it there, I'll make it anywhere.
はNYではとても有名な歌詞で、NYの人々に一番愛されている歌、
フランク・シナトラの「New york, New york」のサビのところです。

Barでヤンキースが勝った後、たまに、そこで飲んでる人たち、みんなで合唱したりしてます。

その後に来るのは、
It's up to you New york New york~~!
(NYで成功できるなら、どこででも成功できるさ。自分次第さ、ニューヨーク、ニューヨーク~~!)
 

異常な音

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月26日(火)23時32分28秒 i220-220-54-174.s02.a015.ap.plala.or.jp
編集済
  10分ほど前の事ですが、佐渡島上空を戦闘機が飛んで行きました。
今結構、すごい風が吹いていて、その音にかき消されそうでしたが、確かにあれは戦闘機の音です。
同時にネットが不通になり、今立ち上がりましたが。。。なぜこの島の上空を戦闘機が飛んで行くのか、疑問に思っています。。。
 

Theimpossiblehashappenedさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月26日(火)13時59分40秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  はじめまして!
了解しました♪
 

佐渡の朱鷺さんへ

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月26日(火)11時57分47秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  紛らわしい書き込みすみませんでした。
どうしても時差の関係などで、電話やメールではすぐに連絡が取れません。
そのため、前もってあういうやりとりをしてました。次回からは宛名をつけたいと思います。

今から一杯やりながらアメリカン・フットボール(ニューヨーク・ジャイアンツ)の試合をみたいと思います。
あさってからはワールド・シリーズです。楽しみです。
 

今日より明日へさまへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月26日(火)07時35分24秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさまへ

お詫びだなんて!私は不愉快な思いはしておりませんのでご了承ください。
単純に、(何だろう・・・?)と思っただけですので、どうか気にしないで下さい。
却ってこちらこそぶしつけな質問をして不快感を与えてしまったかな。。いずれにせよご説明くださりありがとうございました、了解しました。

それと、投稿に関する事ですが、私も昔、良くそういうことがありました。。
同じ文章は二度と書けないです。もったいない、と思うけれど、それはそれで良いのだろうとも思うことで、現象に囚われず、前に進むことのほうが大事なんだとも考えたことがあります。

ビジュアルの自由化の時流ですが創価学会は同中をYou tubeやその他の媒体で一般庶民に流すことをしませんね。
臆病の心があると、堂々と振る舞うことができないのでしょう。

スカイプ座談会とかいいな、なんて昨日ふと考えました。
 

本部幹部会同放

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月26日(火)04時37分45秒 softbank220058091171.bbtec.net
  11・18創立記念、本幹に過日行って来ました。
先生のメッセージを原田会長が代読して、数年前の先生が登壇されている時の本幹を再放送していました。過去の本幹を観るというのは、あれはあれでいいですね。目の前に、先生がいらっしゃるという感覚になります。時空を超越している感じです。観終わった直後は、あれ!?となり現実に引き戻されますが・・師弟は、生命の直感応であるだけに、時間を越えます。

私は、もうここ何年も、入場チケットは、一切持って行きません。(最初から貰ってもいませんが)所属名も無記入です。一切無視して、堂々と座ります。
当掲示板をご覧の、除名になった方や、組織から出られなくなった方は、聖教新聞で先生が参加されたと報じられたら、本幹に行ってみてきださい。最近は、ノーチェックですよ!
本部も、方面も統制が取れず、監視する力もないようです。
創価学会も、いよいよ、です。

だいたい、先生に会いに行くのに、所属名とかチケットとか・・アホか!
そう言えば、私が5年前に沖縄の闘争に出掛けた時に、会館に入って入り口を丸無視して通ったら、慌てて幹部が私が座っているところに、飛んで来ました。

患部「何処の所属の方ですか?」

私「東京から交流に来ました」

患部「東京のどちらですか?」

私「沖縄に折伏に来ました!」

患部「所属名を書いて頂かないと困ります」

私「何で!」

患部「・・・・・」

アホか!
 

ご返答

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月26日(火)03時54分16秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さん、Theimpossiblehashappenedの投稿に不愉快な思いをされたことを、お詫びいたします。。。過去に、何度か書いていますが、私に対して、メールを送りましたという意味です。当掲示板で知らせるのが、何かと便利な為に、その様にしております。
大変に失礼しました。NYの街並みの写真とか、いろいろと近況や質問をしてきています。
それに対して、日本時間の何時ごろに自宅に電話を入れてくれ等のやり取りをしております。

佐渡の朱鷺さんの「狂人」に対して、何度か投稿しかけましたが、一瞬の操作ミスで投稿出来ませんでした。残念です。私は、文章が長くなるので、投稿する前に、一端保存しておかないとエラー表示になり、アップ出来なくなります。。。今まで、何度もそれを繰り返しております。熱く成り過ぎて、保存することを忘れてしまうのです。(苦笑・激怒)
同じ文章は、二度と書けません。タイミングを外すと、いやになります。
 

質問

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月25日(月)08時07分14秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  質問なんですが、良く、Theimpossiblehashappened さんが「送りました」と書いておりますが、誰に対して何を送ったとおっしゃっているのでしょうか。もう少し分かりやすくおっしゃっていただかないと、おっしゃりたい意味内容が伝わらず、読む側は困ってしまいます。。。  

(無題)

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月24日(日)08時33分34秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。  

狂人

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月19日(火)20時58分8秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『堕落の人から激励されたくもありません(笑)・・意識といいますか、感覚が本末転倒です。号令だけ、かけ声だけ、闘っているふり。みんなとっくに、お見通しです。このことに、何も思わない、何も感じない会員は、麻痺しています。盲信であり狂信です。』

全くそう思います。

小学校の時娘がいじめで不登校になり他の学校へ転校し、そこでもいじめがあってふたたび不登校になった時、クラスの父兄から「お茶しませんか」と誘われた事がありました。
てっきり娘の事でお話がしたいのだろうな、心配をかけてしまっているな、と勝手に憶測し待ち合わせの場所へ出向いてみるとクラスの父兄ともう一人、見知らぬ女性がいました。
嫌な予感がしたのですが、まあいいやと思い席につくと、「Kさん、福運って言う言葉を知っていますか。」とにこにこして言います。
あっけにとられながら話を聞いていると、「ここにコップがあるでしょう?コップに福運をどんどん積んで行くと人は幸せになるのです」と言う。
「そうでしょうねえ」と私が言うと、何か調子が出て来た様子でグングン話は進んで行き、終いには紅潮した顔で「お題目ってご存知ですか?」と言う。
私が「南無妙法蓮華経の事ですか?」と聞くと、「その通りです!Kさんは日蓮大聖人をご存知ですか?」と言う。
「佐渡の人ならみんな知ってますよ」と言うと、「大聖人様はこのお題目を上げる事でしか日本は救えないとおっしゃったのです!」と意気込んで言う。
「そうですね。私もそう思います。」と言うと、「Kさんは仏法を知っているのですか!」とおっしゃるので、「知っているというか。。はい多少。」と言うと、「何かの団体に入ってますか?」と言うので、「入っていません」と言うと、「実は私どもは顕正会と言います。」と初めて組織の名前を言いました。
なので、「宗教の勧誘なんですか?」と言うと、「勧誘ではなくて折伏と言います。あなたに福運を積んで頂きたいのです」と言うので、「だったら最初にそう言わなければいけないです。あなたも一生懸命なんだろうけれど私もわざわざ時間を作ってあなたに遭いに来ているのですよ。相手の都合を無視してはいけないです。私は福運を沢山頂いています。このような娑婆世界に生まれ、お題目を上げる事が出来ると言う事以上の福運ってないのだと思っています。」と言うと悪びれもせずに「仏法者なら話は早いです。今の日本がダメになって来ているのは全て創価学会と公明党のせいなんです。日本は池田大作が率いる彼らによって滅びる寸前です。それは創価学会が正本堂を破壊したからですよ!」と言う。
「一部同感の思いもありますがあなたの話には間違いがあって、正本堂を破壊したのは創価学会ではなく日蓮正宗です。謗法が寄進したものは取り壊すのが正しいと言って創価学会が寄進した正本堂を破壊したと記憶しています。いいかげんな事を言ってはいけないです。」と言いました。
自分で捏造した嘘をベラベラしゃべるうちに自分の嘘に自分で腹を立ててキレ、それを他人に見せつけて一体どうしたいのかと不思議な生き物を発見した気持で観察してました。
世にも珍しい生き物として人から観察されることを折伏と名付ける宗教もあるんだなとこの時初めて知った次第です。

自分が関わりを持つ学校に不登校者がいることをなんとも思わない感覚と言うのも、既に人として狂っていると言えるでしょう。
こんな狂人に折伏されても困ってしまう。。。
 

先生の写真

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月18日(月)23時59分59秒 softbank220058091171.bbtec.net
  本日の聖教新聞に、久方ぶりに、先生のお写真が掲載されていました。
スーツは、ぶかぶかで、眼もトロンとされ、見るに忍びない気持ちになりました。・・
明らかに、健康を損なわれているご様子に、万感の思いが込み上げて参りました。
かなり、お痩せになられていました。

最高患部のコメント(代表者会議)は、会員の激励に、徹しようという内容でした。違うでしょ。本来は、幹部が率先垂範して、大折伏戦の大波を起こして参りましょう!でしょ。
まずは、自分から10人の方を折伏いたします!でしょ。闘ってもいない。堕落の人から激励されたくもありません(笑)・・意識といいますか、感覚が本末転倒です。号令だけ、かけ声だけ、闘っているふり。みんなとっくに、お見通しです。このことに、何も思わない、何も感じない会員は、麻痺しています。盲信であり狂信です。インプリンティングです。

激痩せされている師匠の写真を見て、何も思わない会員は、弟子でもなければ、正統なる日蓮仏法の信奉者でもありません。

悲しいかな、先生の思いや心を求めている会員が少なくなっているのが現状です。少数派なのです。真に、学会の行く末を案じている真性の弟子が、マイノリティなのです。

世間は、いろんな問題が、一気に噴出しております。
 

早急

 投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2010年10月15日(金)03時09分49秒 user-387g1vj.cable.mindspring.com
  送りました。  

南里Guyさんへ

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月12日(火)15時20分2秒 i219-167-242-211.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『地球民族主義の流布を阻む求心力をもつ「もの」』

了解しました!
そう考えると、国家主義思想はいじめの根幹にある思想ですね。
彼らは内面のキャパシティに問題があり、思考停止しやすく対話を拒否する特徴があります。
そういった人たちの、ある面お茶目な可愛らしさとその反面の、頑に我見を通そうとする意固地さが問題になるのだと思います。
できるだけ感情的にならないように対応しようと努力していますが、親程の年齢差がある相手に対して我が子のような愛情を注いで応対しなくてはならない状況は大きな心労になります。
企業であれば結果的に業務が滞る原因ともなります。
今の世の中、こんな企業がたくさんあるのではないでしょうか。
この状況を早く打開しなくてはならないわけでして、そのきっかけ作りに私も必死です。
 

(無題)

 投稿者:南里Guy  投稿日:2010年10月12日(火)10時58分52秒 nttkyo304191.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
  佐渡の朱鷺さま、あらためて熟慮しないままツィートしたことをお詫びいたします。

この掲示板での方が却ってよかったです。

私のツイッタ―での「国家」とは、ここでの柚木照哉さんが拘泥している「国家」を指しています。その「国家」は、国籍の有無を問いません。地球民族主義の流布を阻む求心力をもつ「もの」です。

国構えに民の文字に、国構えはいらないとまで考える時もあります。

思考が足りません。柚木照哉さんへの意見も書かねばと思っていました。彼への話の重要な土台でもありますのでじっくり考えます。

これから出かけなければなりません。後ほどまた書き込みいたします。

http://twitter.com/nanriguy

 

お返事

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月12日(火)10時19分17秒 i60-34-219-51.s02.a015.ap.plala.or.jp
  南里Guyさんへ

ツイッターですが、書込みできなかったり、TLが見当たらないだとかの表示が出たりしてめちゃめちゃな事になっておりますので、忘れないうちにこちらでお返事させて頂きます。

国家の概念は通常膨大な奥行きを持ったものとなりやすいので、認識が異なるままそれについて話し合ったりすると気持の上での温度差の違いやらで感情的な摩擦が激しくなりがちな傾向があります。
なので国家についての話し合いをする時は、「国家」とはなにかと言う事に対してとりあえずのガイドラインを設定し、それに従って話し合うのが感情的な摩擦を防ぎながら議論を成熟させるために有効ではないかと思っています。

国構えに「民」と書いて「くに」とした大聖人の信念に大賛成し、同意しながら、私は国構えに「或」と書く「くに」のあり方について考えています。
「可能性」の試みに過ぎないかもしれませんが、やがては大聖人の唱えた「くに」のあり方へと続く道を模索している昨今です。
 

心こそ大切なれ

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月11日(月)22時15分43秒 softbank220058091171.bbtec.net
  佐渡の朱鷺さま

いえいえ、私は、自身の信仰体験や実感や確信を、一人でも多くの人に伝え切れば、それでいいのです。伝えることが、私の使命であると自覚しております。ありがとうございます。
一心の妙用。一念一心法界に普し。仏法の真髄です。心こそ、不可思議境です。心は、宇宙全体を包み込むというのが、不可思議境ですね。このことを、体得いたしました。
 

一心の妙用

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月11日(月)21時05分13秒 i60-34-219-51.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさまへ

今日より明日へさまは、御書の事などとても詳しくご存知だし、先生のご指導も明確に捉えて下さっていて、ご自身が理解しているその内容をこうして見ず知らずの者に伝えて下さっていることに感謝の気持でいっぱいです。
いつもお忙しい時間を割いて長文でお答えくださること。
かけがえのないものを頂いている気持になります。
本当にありがとうございます。

そのご指導はたびたび私の脳裏をよぎり、そしてまた「殺す心を殺すのだ」と言うご指導と共に消えて行くのです。

一心の妙用。
不思議な御指導です。
 

「民」

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月11日(月)07時24分46秒 softbank220058091171.bbtec.net
編集済
  『そのころから、同中がカットされると言う事が起き始め、先生のお話と聖教新聞紙面上のお話が微妙に食い違いを見せていることを不審に思うことがありました。

ある時、「今後10年間は死んではならない。とんでもないことが起こる。天地がひっくり返る」と言う、先生御指導のプリントが男子部内に流れた事がありました。』

そうですね。16年ほど前になりますね。先生の本幹での発言と紙面上の内容が微妙に違って来ました。「今後、10年間は死んではならない。大変なことがおこる。有名人が落ちて無名人が出て来る。今がその天王山だよ」というような内容のプリントが組織に出回りました。私も、そのプリントをしばらく仏壇に置いていました。当時は、何が起こるんだろうと真剣に思索して、祈っていました。あの頃、先生の身に何か重大なことがあっていたのかも知れません。後日、あのプリントは、大阪から発信されたガセネタであると私の所属していた組織からは、おりてきましたが・・私には先生の直言としか思えませんでした。

誰が上でも下でもない。地湧の菩薩に、序列は付けられません。そもそも、人間に序列などありません。みんな平等で、一念三千の当体であり、南無妙法蓮華経の尊極なる存在です。
誤っているのは思想(宗教)です。思想の正邪です。内部も外部もありません。そのことが、身で解らない会員は、狂信になります。内にこもり、他を排除する洗脳に陥ります。盲目こそ、宗教のドグマです。独善になっていることにきずかない。大聖人からも、三代会長の心からも、かけ離れてしまっています。

大聖人の「国」という概念は、有名な立正安国論の原文には、国構えに「民」と書かれて「国」としたためられています。王様がいて、民がいるのではない。民衆がいて、国なのだと。民こそ、主権であり、権力者はいないのだと。受け取った北条氏は、激怒したことでしょう。「生意気な、貧乏坊主が!生かしてはおかぬ!」目に浮かびます。

また、海を隔てた大陸では、チンギスカンが猛威をふるっていました。中東はおろかヨーロッパまでも、勢力(領土)を拡大し、ユーラーシア大陸全体を支配下に置く、かのローマ帝国の支配領土を越えるほどであり、悪逆非道の戦争を仕掛けていました。猛烈なスピードでの奇行戦闘は、世界中の民の脅威でした。

アジアの日本だけは、神風がふいて、支配できませんでした。驚くべきことに、蒙古襲来を境に、チンギスカンの勢力が急激に衰えていきます。御本仏である日蓮大聖人様の目には、日本人だけではなくアジア全体、世界中の民が映じていた、民を救おうとされいたと確信しております。愚かなる石原莞爾などは、太平洋戦争を「神風」がふく神の国などとうそぶき、扇動しましたが。戦争にも大聖人を利用しました。正邪がひっくり返る。というペテンな芸当は、この国の宿命なのでしょう。

一庶民さん「先生を、自分の思いで伝えなければならない時代に入っている」のです。
先生を、真剣に求めている人が少なくなっているのです。
 

一般講義

 投稿者:一庶民  投稿日:2010年10月11日(月)06時21分18秒 w12.jp-k.ne.jp
  皆さんの地域では、今回はもう終えたんでしょうか?参加されましたか?
僕の地域では、二回ありますが、当初は一回のみの予定で連絡がありました。
でも今回、連絡が別々の理由で流れています。
面白いです。
一つは好評だったからというのともう一つは前回、参加者が少なかったからということでした。
先生亡き後何十年何百年は、こういったことになるのかなとつくづくと思い知らされた感じです。
先生を自分の思いで伝えないといけない時代になりましたね。
 

国ってなんでしょう

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月10日(日)07時38分14秒 i220-99-224-53.s02.a015.ap.plala.or.jp
  日蓮大聖人は、「一宗の為ではなく、一国のために言っているのだ」とおっしゃっています。
つまり、それほどまでに日本と言う国には問題があり、とんでもないのだと考えた方が良いと思います。
それは今も変わりない。
正義を守らなければならない検察等が率先して、極めて無様な姿をさらしています。

国とはなんだろう、と考えたこともあります。
さまざまな捉え方がありますが、日本国憲法をベースに運営される、日本国籍を有する民で形成される組織の総体、と一般的に考えた時、「日本国籍」を与えられない日本の大地に生まれた人々の存在を、私たちはどのように考え、対応するべきでしょうか。
 

「もう一度!」

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 9日(土)21時37分8秒 i220-99-224-53.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさま

『佐渡の朱鷺さんも投稿で述べられていますが、3~4年程前だったと記憶しておりますが』

私が投稿で述べたのはその時のお話ではありません。
次女が生まれる前でしたので、おそらく16年ほど前のお話です。
そのころから、同中がカットされると言う事が起き始め、先生のお話と聖教新聞紙面上のお話が微妙に食い違いを見せていることを不審に思うことがありました。

ある時、「今後10年間は死んではならない。とんでもないことが起こる。天地がひっくり返る」と言う、先生御指導のプリントが男子部内に流れた事がありました。
婦人部等には流れてこなかったのですが、たまたま主人と同じ会社の寮にいる部員さんの部屋で仏壇の掃除をしていて発見したもので、内容を読んで驚いた記憶があります。

「これなんですか?」と本人に聞いてみた所、要領を得ない返事が帰ってきたのでそれ以上追求しなかったのですがその事を思い出しました。

組織についてのお考え、同意します。
組織を離れて仏法はありえません。
基本は個人。
一人立つ個々人がスクラムを組む組織なら、誰が上でも下でもない、みんなが平等に尊重される民主的な組織になるはずです!

「もう一度!」
この言葉が肝心かなと思いました。
ありがとうございました。
 

学会組織

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 9日(土)17時49分43秒 softbank220058091171.bbtec.net
  さて、お待たせしました。
現状の、創価学会の組織について、持論を述べたいと思います。
そして、佐渡の朱鷺さんも投稿で述べられていますが、3~4年程前だったと記憶しておりますが、本部幹部会の席上にて池田先生が明言されたことは・・

「もう一度、私と共に、新しい創価学会を創りましょう!」とおっしゃいました。

そして、その前後だったと記憶していますが・・

「今後、創価学会は、大変なことになる・・」と苦渋の表情で、おっしゃいました。今までで、見たこともない先生の苦悩の表情でした。

上記の、師匠のご発言により、創価学会の組織が、先生の思いとはかけ離れてしまった、完全に行き詰まったことは明らかです。先生は今まで、一貫して、組織から絶対に離れるなと言い続けられて来ました。しかし、ついに、先生自ら、組織の破綻(臨界点を越えてしまった)を宣言されるような事態にまで来てしまったと、おっしゃらなければならなかったということです。先生の最晩年は、あまりにも・・・

正しいことを言って、通るような組織ではありません。まだ、心ある人は内々でヒソヒソ話しをしているだけです。患部は、好き勝手やっています。何処に、未来があるのか・・こんなになってしまって・・・

大聖人ご在世当時は、組織という形態はありませんでした。中心者が、寄り会って大聖人様のお手紙を拝するぐらいでした。三代会長の死闘で、全国に座談会が創り上げられ学会の伝統になっています。座談会が基礎で、専従の本部職員がいて、組織が成り立っています。

見て、見ぬふりをする羊の群れも悪いし、中堅幹部も悪いです。極悪の輩がA級戦犯ですが、会員全体も、与同罪でしょう。ここまで来たら、組織は要らないのではないのか。と思いがちですが、組織は、絶対に必要です。原理原則、基本は、自身と御本尊様と正しく導いてくれる師匠。個人で、信仰して全く問題ありません。個人の成仏の問題は、解決します。しかし、立正の安国の境地に立ったら、そうはいきません。真性の法華経の行者は、その内なる魂のDNAの中に、「日蓮と同意ならば」の遺伝子を、生まれ持って宿しています。民を思う、その一念の心は、国にあります。

【日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし】という御本仏の宣言は、ながる(流れる)ということであり、水の流れのように、途絶えることがない。水の流れのように、蛇行しても、大岩があっても、大海(民衆)に流れるということであります。四季がある日本の気候は、「冬は必ず春となる」という宇宙の運行を、証明しております。大聖人様は、厳冬の冬は、絶対に暖かな木漏れ日の春(人間賛歌)になると仰せです。この、冬の時代は、通過点です。本門の時代は、これからです!学会組織の新生は、我々がやります。それが、生まれた使命だからです。
 

(無題)

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 7日(木)08時20分2秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  『全部、池唾駄作の責任です。』

そんなことはいちいち他人が指摘しなくても、そういう志で生きているのが法華経の行者と言う存在です。
世間に甘えるとあなた自身の発言権を失います。ご注意を。
 

佐渡の朱鷺さま

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 7日(木)00時03分32秒 softbank220058091171.bbtec.net
  『障碍者、と言う言葉があまり好きではありません。』

私も、好きではありません。がンさんに配慮しました。しかし、佐渡の朱鷺さんは早すぎます(苦笑)

下記お題の【創価学会ってなんだろう】の内容文は、素晴らしい啓発でした。当に、クローズアップして、今こそ、皆が明確な回答を必要としているものです。書きかけていたら、お題が変わっていました。残念です。明日、時間があったら投稿します。流れるのが、もったいないです。・・素晴らしいです。
 

ありがとうございました。

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 6日(水)23時27分22秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  今日より明日へさま

がンさんのご紹介、ありがとうございました!
私も発達障害者です。
子どもの頃は「自閉症」を疑われていました。
少し違うんですが・・・。

最近、子どもの事で通っていたスクールカウンセラーに「高機能自閉症」ではないかと言われました。
おそらくそうだろうと思います。
その事に納得し、受け入れてから、人生が多少、楽になりました。
人と繋がる事ができるようになったからです。

適応能力が大変発達しているので、「ふつうの人」のふりをするのは上手なんですが、家族からは「宇宙人でしょ?」等と言われています。
そういう風に考えないと、家族もいろいろ大変なのだろうと思ったりしています(笑)

彼女はアスペルガー症候群で、自分の事を「わたしアスペちゃんなのにすごい頑張っててエラいです!」、と言ってました。
そういう彼女だからこそ分かる、人の悩みや苦しみがあり、分かるからこそ、対応の仕方も適切なのだなと感心しました。

障碍者、と言う言葉があまり好きではありません。
障害者、と言うのは、社会の、その個人への対応に不適切な場面が多々あり、本来ならケアされるべき事がきちんと為されなかったりして、人生において害を与える事が多い、と言う事なのだろうと私は考えています。
それを、個人の個性そのものが害であるかのような考え方をする。
「障害者」と言う言葉に、何かマイナスのイメージがつきまとうと感じる事を解決しようとして、単に言葉の上辺の表現をあれこれ取り違えて見たところで、社会全体が個人を平等に尊重すると言う心を取り戻さなければ、なんの意味もないことと思います。

本来みんなが平等に負担すべき、社会的機能のマイナス面を一個人になすりつけるような社会のあり方、根本的には、弱肉強食の能力主義のような社会のあり方は、近代教育の弊害だと思います。

学校教育からテストや成績表を無くし、知識詰め込み式の勉強方法を改善しない事には、本当の意味での「学ぶ力」と言うものを身につける事は難しいと思います。
そしてこれからの社会では、そのような従来のやり方では何もかも全くうまく行かないと言う酷い経験を積み重ねる事によって、少しづつ人類の真実へと肉迫して行く、そんな内発性の優れた学びが始まるような予感もしています。
 

創価学会ってなんだろう

 投稿者:佐渡の朱鷺  投稿日:2010年10月 6日(水)22時12分38秒 i220-99-223-40.s02.a015.ap.plala.or.jp
  私は学会員ではありません。
脱会しようと思った事はありませんが、創価学会には統監があります。
転居先で組織に連絡をしなければ自動的に統監は抹消され、名目上は学会員でなくなります。
統監も、それぞれの地域の担当の方の考え方でいろいろです。
行方不明になった会員をなんとか探し出して組織につけようとする人もいれば、どうでもいいと考える人もいます。

今近所に創価学会の方がいて、新聞啓蒙をしに来て下さったりします。
会合のお誘いにきても良いですか、等と聞かれた事もありました。
どうぞ、とお答えしましたが、ですがそうなった時、自分のこれまでの行きさつを、例えば、見ず知らずの学会員がいる会合の中でありのままお話するのは、ある意味危険な事だとも考えています。
誤解のないようにお話をして、きちんと理解して頂くのは本当に大変な事なのです。
ですから私は学会員ではないのです。
これは私の責任ではありません。
正しい事に対して聞く耳を持たない学会組織の責任なのです。

自らの矛盾した論理によってまじめな会員を組織から追い出す様な事をしておきながら、外部に向かって偉そうな事を言える筋合いなどこれっぽっちもありません。

ある時池田先生は、同中で、「青年部!新しい創価学会を作りましょう!」とおっしゃった。
多くの青年部がハイ!と返事をしていましたが、先生は首を傾げて、ボソっと、「・・・わっかんねえだろうなあ・・・」とおっしゃっいました。
その後、「組織と言うのは、自然発生的で無ければならない。」ともおっしゃいました。

私はこんな風に考えるのです。
統監等の形式ではなく、見えない心と心の絆でつながる決して壊れない連帯があってこそ、真の仏意仏勅の組織と言えるのではないだろうかと。
その、名も無き人間の連帯にこそ「心こそ大切なれ」とおっしゃった、大聖人の仏法の真髄、信心の血脈があるのではないだろうか、と言うことです。
 

いじめられっこの元祖

 投稿者:今日より明日へ  投稿日:2010年10月 6日(水)21時53分13秒 softbank220058091171.bbtec.net
  私が、がンさんと初めてお会いしたのは、南里Guyさんと初めてお会いした、その日です。
場所は、JR信濃町駅構内でした。とても誠実な正直な方でした。

お約束していた、アスペルガ-の障碍者手帳も、直ぐにみせていただきました。
佐渡の朱鷺さんも、実際にお会いされたら、ああなるほどと納得されるでしょう。
兎に角、とても正直な方です。文章では、ちょっと!?と思われるでしょうが、お会いされたらわかりますよ。気真面目な、ご自分が納得いくまで、どこまでも追求されるお姿は、粘り強く、ご忍耐の持続性に打たれます。

また、私的には、ある種の天才的なものを、がンさんには感じております。今後とも、よろしくお願いいたします。大変に失礼ですが、「いじめられっこ」ということには、通底されているようにも感じます。

佐渡の朱鷺さんには、小学校の時分からの、生々しい体験を語って頂きました。・・
私も、教室では浮いた存在でした。いつも、帰りの会(ホームルーム)では立たされていました。決まって、私のせいに仕立て上げられてもいました。何もかも(笑)
高校生の頃は、「いじめられっこ」をかばって、私も大勢からいじめられました。あまりにも、悲惨ないじめられ方をしていたので、見るに見かねて「やめろ!」と代わりに言ってやりました。・・リーダー格のヤツは、急に態度を変え仲良くしに来ましたが。

私も、生まれつきに、「いじめられる」素地を持っています。おっしゃる通り、使命です。正義感が強い人間は、この国ではいじめられます。多勢に無勢。筆舌に尽きぬ壮絶ないじめの連続。・・

いじめ抜かれて、上等ではありませんか!日蓮大聖人は、日本中の民からいじめ抜かれました。「日蓮のクソ坊主が!日蓮だけは、生かしてはおかぬ!」来る日も来る日も、命をつけ狙われ、謀略、悪口雑言の数々。讒言は、日常茶飯事。大聖人ほど、いじめぬかれた人はいないでしょう。それでも「いまだ懲りず、候」山と山を重ね、波と波をたたむ。大難の真っ只中。それでも、民を救おうとされました。ただ、ただ、民衆に法華経を伝えるため・・
何というご慈悲の深さでしょうか!我々は、その末裔です。何という生命の絆と連続性でしょうか!すごいことです。ありがたいことです。いじめに遭うことこそ、法華経の行者の証ですね。

佐渡の朱鷺さんの活字は、生きています。十二分に、伝わっております。ありがとうございます。とんでもない話しです。患部は、邪教の信奉者です。人権蹂躙の極致ですね!
 

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