年の瀬も近づき、今年も残すところ10日あまり。この時期になると、きまって聴きたくなる曲の一つに、中島みゆきの「誕生」がある。
サビの部分の「生まれてくれてウェルカム」を聴くと、なぜかいつも涙腺が緩む。この曲を聴きながら、わが子が誕生したときのアルバムをめくっていたら、あの日のことが次々に思い出された。
予定日を過ぎてもなかなか陣痛が来ない。近くの市民の森を2人で散歩した翌朝、自宅で破水。連れ合いを車に乗せて、急ぎ助産院を目指す。
それからおよそ12時間。なかなか生まれる気配がない。「なんとか子どもが無事に生まれてきますように、母の命も守られますように」と祈る。母体と胎児への影響を考えると、自然分娩(ぶんべん)はあきらめて陣痛促進剤を使いましょうかと言われたところで、連れがゆっくりと立ち上がった。
座っている私の両肩に手を置いて、中腰の姿勢のまま力をこめてイキムと、赤ん坊の頭がぐっとおりてきて顔を出した。「ウェルカム!」。大きな男の子の誕生だった。
そしていよいよ私の出番。へその緒を切るようにハサミを渡されたものの、つるつる滑って簡単には切れない。つい先ほどまで母の羊水の中で、母子をつないでいた命のパイプを切るのに、こんなにも勇気がいるとは思わなかった。立ち会い出産に臨んだものの、男親なんて情けないものだとつくづく思った。
とにかく生まれてくれてありがとう。あのときの感動は一生忘れられない。
多くの親たちが同じような瞬間を味わったと思う。命の尊さ。命の愛(いと)おしさ。生まれてくれさえすれば、生きてさえいてくれたらと願ったはず。
子どもが成長するにつれて、私を含め親たちは、その感動をつい忘れがちになる。
よその子に比べて、言葉が遅い。体が小さい。勉強ができない。コミュニケーションが下手……。わが子の足りないところを探し当てては、追いつめていく。子どもたちはどんどん自信をなくしていく。
ひとりの命は、何億分の1の確率でこの世に生を受けた奇跡ともいえる。ひとつの受精卵が細胞分裂を繰り返し、60兆ともいわれるほどの細胞に分かれて体を形成し、今を生きている。すごいことだ。
クリスマスソングを聴きながら、いま一度、子どもの命があることに感謝しよう。「生まれてくれてありがとう」と。そして、同じ言葉を、親である自分に対しても贈りたいものだ。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は1月9日
毎日新聞 2010年12月19日 東京朝刊