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[7933] Fate/Imitation Saber
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2010/12/23 09:22
・本作品について
プロローグより主人公として扱われている衛宮士郎はFateルート後半のものです。
物語もその時点から始まりますのでFateルートを念頭に読んでいただけると幸いです。
加えまして、本作品には『TS・憑依』『逆行』等の要素が含まれております。苦手な方はご注意ください。
また――(ダッシュ)、……(三点リーダ)が多用されていますが、作者厨二病最盛期の作品になりますので、そのあたりご了承願います。

・お願い
追加投稿の際に既存話の誤字等の修正をさせていただくことがございます。
皆様にご迷惑をかけてしまう行為かとは思いますが、どうかご了承願います。



2010.10.4
 Archer who covered the skin of Saber.より
 Fate/Imitation Saberへと題名変更



[7933] a prologue
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2010/08/27 14:29
 セイバーが宙に舞う。
 光の奔流に巻き込まれ、そして地面に叩きつけられた。
 血の塊を吐き出すセイバー。
 地面との衝撃によって鎧が砕け、左肩が露出している。

 俺は、そんな彼女を呆然と見つめ続けることしか出来なかった。

「セイ、バー?」

「――――ふん。
 我の一撃を相殺することも出来んとはな。拍子抜けだぞ、セイバー」

 その声に顔がそちらに向かう。
 俺の視線の先には金色の甲冑に身を包んだ英雄王――ギルガメッシュがいる。





       Fate/stay night  
              -Imitation Saber-





 ……なんで。
 なんで俺はセイバーを止めなかったんだ。

「セイバー! セイバー! セイバァーッ!!」

 必死にセイバーに呼びかけるが、口がからからに渇いて声が出てこない。

「……シロ、ウ……? そこに、いるのですか…?」

「――――セイバー!?」

 セイバーは目を開けている。だというのにその瞳は俺を捉えていない。
 もしかして、目が……?

 俺の声に反応して視線がこちらに向くが、俺に焦点が合っていないのが一目でわかってしまった。
 セイバーの視線は宙を彷徨ったまま、不安げに俺を探そうとしている。

 俺が……俺が本気でセイバーを止めていれば……。
 令呪でもなんでも使ってセイバーを止めていればっ!

 ギルガメッシュに会った時、その時から嫌な予感を俺は感じていた。
 いくらセイバーでもアイツだけには敵わないのではないかという漠然とした予感。
 それに、セイバーは先のバーサーカー戦で魔力を消費してしまっていて、万全ではなかった。

 ……全部俺の所為だ。
 魔力の供給ができないのも、セイバーがこんなに傷だらけになっているのも!
 全部、俺の所為で!

「ふん。雑種、貴様ごときに獅子を任せることは出来んな」

「――っ!!」

 悠然とセイバーに歩み寄っていくギルガメッシュ。



「ぬっ?」

 突然ギルガメッシュが足を止める。
 その視線を辿っていくともちろんそこにはセイバーの姿。

 そこで俺もようやく気づいた。
 セイバーの存在が不安定に揺らいでいる。
 色が薄れ、俺の感覚が目に見えているセイバーを無いものとして感じ始めてしまっている。

「加減を違えたか。
 …………だがこの程度も耐えられんとはな。少しばかり買いかぶり過ぎたようだ。
 充分すぎるほど手加減をしたつもりだったのだがな」

「…………」

 先ほどまで俺のいる方に向かって開かれていた瞳もいつの間にか閉じられている。
 俺やギルガメッシュの言葉に対しての答えも既にない。
 このままでは、セイバーが消えてしまう。

「そんなこと、させてたまるかっ……!」

 セイバーを助ける!
 俺の命に代えてでも、目の前のセイバーを助けてやる!!

 身体に残った魔力を回し、無理矢理立ち上がった。
 同時に頭にガツンッ、と撃鉄を下ろす。
 傷ついた身体を無理やりに奮い立たせ、持てる最高の速度でセイバーとギルガメッシュの間に立ち塞がった。

 残った魔力を全て魔術回路に回す。
 どうにも……これが最後の投影になりそうだ。
 脳が焼けていく感覚。
 遠坂が言っていた体の保障がきかないというのはきっとこれのことだろう。
 ――だがそんなことを言っている場合じゃない!
 この俺の身体がどうなろうと……セイバーをっ!!

「――――投影、開始」

 早く! より早く!!

 ――不意に、気に食わないアイツの顔が浮かぶ。
 次々と宝具と呼ばれる武具を作り出し、ランサーと闘っていた赤い男を。
 バーサーカーを足止めする前のアイツの言葉が脳裏で蘇る。

 ――――お前は闘う者ではなく、生み出す者にすぎん

 今ならアイツの言葉の意味が、分かる気がする。
 アイツに出来て、俺に出来ない筈はない。
 きっとあいつは■■の俺なんだから――――!

 アーチャーのように。
 そう、アイツのように作り出せ!


 俺の左手に握られるセイバーの、有り得ないはずの剣、「勝利すべき黄金の剣(カリバーン) 」 。
 剣に込められた様々な経験。それごと投影し、顕現させる。
 カリバーンを両手で構え、ギルガメッシュを迎え撃った。

「……退け、雑種。我は機嫌が悪い」
「セイバーを守る。俺はセイバーを迎えに来たんだっ!」

 ギルガメッシュの言葉に答えを返さず、鼓舞するように自分に言い聞かす。

 カスカスになった魔力を体に回し、左足で大きく踏み込んだ。
 その勢いのまま、俺を見下ろしているアイツの腹部に向かって大きく横に払う。

 金属同士がぶつかる甲高い音が空に響いた。

 ギルガメッシュはいつの間にか宝具であろう剣――装飾こそ簡素であるが膨大な魔力を秘めている――を右手に持ち、俺が振るったカリバーンを容易く弾き返したのだ。
 宝具戦ならばともかく接近戦に持ち込めばと思っていたが、あいつも常人と比べられないほどの剣術を持っているようだ。
 だが、それでもセイバーほどじゃない!

 俺だって剣の名を冠す英霊に鍛えられたんだ!
 簡単にやられるわけにはいかない!

 攻める攻める攻める――――!
 全力で目の前の相手に向かって剣を振るう。
 それは全てギルガメッシュの鎧へ届く前に防がれてしまっている。けれど、この気持ちだけは負けちゃいない!

 大きく弾かれた所でギルガメッシュが後ろへと退いた。
 それはたった一足。だというのに、ヤツは優に五メートル程の距離を跳躍した。

 ようやく生まれた空白に、荒く息を吐き出す。
 軽く痺れている右手でしっかりとカリバーンの柄を握りなおし、ギルガメッシュを睨みつける。

 セイバーに鍛えられた剣術と、剣に投影した経験からか拮抗状態まで持っていけた。
 ギルガメッシュも表情こそ変わらないが明らかに身体から怒りを滲ませている。
 思い通りにいかない事が何よりも気に喰わないのだろう。

「―――殺すか」

 ギルガメッシュが一言呟くと右手を真横に伸ばす。
 背後の空間が歪み、一本の剣が現れてその右手に収まった。

「なっ!?」

 それは……見覚えのある剣。
 細部こそ違うが俺が左手で握っている剣と根底を同じくしている。
 だが目に映るその剣は余分な装飾などなく、その作りに作り手の意思や、担い手の経験が感じられない。

「まさか……!?」

「ふん、いかな雑種といえどわかるだろう。
 魔剣、グラム。其の原型である原罪(メロダック)」

 言うや否や俺に向かって振り下ろされる魔剣。
 持ち主の危機を察知し、守るように返す剣――カリバーン――。

  砕かれる。

 ガラスの割れるような音が公園に響き、その一撃でこの手の幻想は粉砕かれてしまった。


 手に握っていたカリバーンは折れた。自然とその存在は靄となって消えていく。
 襲い来る衝撃を全く殺せず、身体が浮遊感で包まれた。
 ゆっくり、ゆっくりと視界が回る。

 体が地面に当たり、ギシギシと嫌な音を立てて軋むのがわかる。
 異様に軽くなった身体は地面に削られながらスピードを落としていった。


 ようやく、体が止まった。
 もう、あちこちが痛くて、体の何処が無事なのかもわからない。
 痛みを堪えて目を開けると、直ぐ横にはセイバーがいた。

 セイバーは動かない。
 直ぐ横なら俺が地面を滑っていた音も聞こえるだろうに、何も反応がない。その顔からは生気というものが感じられない。
 横たわり、意識もないのだろう。 体は透き通って今にも消えてしまいそうに見える。


 守りたい。
 望むことはひとつだけ。
 だけど、俺の体はもう駄目だ。

 立ち上がれない――――なにせ、下半身がない。
 遠くに落ちている俺の半身が見える。
 立ち上がってヤツの前に立ちふさがることも、もう出来なくなってしまった。


 セイバーに手を伸ばす。


 ―――彼女を守りたい。

 俺の剣となり、奔走してくれた彼女を。
 俺の盾となり、多くの危険から守ってくれた彼女を。
 俺を鍛え、共に闘ってくれた彼女を。

 ―――俺の全てを懸けても、守りたい。

 ただ、ただそれだけを願う。

 願うだけでは、駄目だ。
 なんとかなれ、ではなく、なんとかしなければならない。
 この体が動いてくれないのなら、何か――――

 だが、既に体に魔力は残ってない。


 ――――魔力がないのなら……!

 ギチギチと体が音を立てる。
 投影で作り出したまともなものは剣しかなかった。
 だけど、俺の中にあるものならば、きっと。

 体の、心の、衛宮士郎の中にあるものに手をかける。

 この世は全て等価交換。
 魔術にも代替するものが必要だ。
 簡易魔術なら魔力。
 大きな魔術には工程、時間、触媒、知識とどんどん増えていく。
 魔力も残っていない俺に残されたものは――――。


「なんだ? 雑種が。今更何を足掻こうと……」

 衛宮士郎の体が光を発し、作り換わっていく。
 形成すものは――――鞘。『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。
 鞘は光り輝き、セイバーの中に埋もれていく。
 途端にセイバーは実体を取り戻し、傷は消え、体を包む鎧が修復されていく。


 そして……彼女は静かに目を開く。






「これは……何が起こった?」

 ギルガメッシュにも事態がどうなっているのかわからない。

 わかったことは衛宮士郎が消え、倒れていたセイバーの中に取り込まれたこと。
 そしてその死に体だった筈のセイバーがゆっくりと起き上がったこと。……結果、セイバーを包む衣服が”紅く”なったこと。


「ふん。まぁ、いい。このままではセイバーが消滅してしまうところだったからな。
 雑種もこうして王に報いることが出来たとあれば本望だろう」


 自然と口が笑いを象る。

 嬉しい誤算、といったところか。
 セイバーの「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」の出力が想定していたよりも1ランク弱かった。
 それ故に危うく葬ってしまうところだったが、我としてもセイバーが消滅するのは本意ではない。

 見たところ目の前のセイバーにはマスターとの”ライン”が繋がっていない。
 さっさとセイバーを捕らえ、クーフーリンとかいう輩を聖杯に吸収させなくては。

 それには……

 セイバーに一直線に向かう。

 ……やはり弱らせなくてはなっ!!

 手に持つは竜殺しの魔剣。
 竜の因子を持つセイバーにとっては天敵といってもいい剣。
 体を斜に構え、右手で握ったその剣を大きく巻き込み、射程距離に入ると同時に斜めに大きく薙ぎ払う。

「ぬっ?! 打ち返す体力が戻っていたか」

 甲高い音が耳に障る。グラムは、振り切る前に何かによって止められた。
 見るとそれは「エクスカリバー」。
 グラムと逆の軌道を描き、打ち返してきたのだ。
 そして刃を合わせたままそのまま力比べになる。
 がりがりと嫌な音が耳に残るが、それも長くは続かなかった。

「なんだとっ!!」

 拮抗していたかに思われた鍔迫り合いはセイバーが押し始めた。
 先ほどまでとは違い、数十倍もの大きな魔力がエクスカリバーから放たれている。
 セイバー自身の魔力量も充分あるのだろう。でなければ傷や鎧を一瞬で修復するなど出来るはずもない。

「チィッ!」

 後ろに下がり間を取る。
 自然と眉間に皺が寄るのがわかる。

 まさか、日に二度これを使う羽目なるとはな。

 グラムを「王の財宝(ゲートオブバビロン)」に放り込み、乖離剣・エアを取り出す。
 魔力を流すと剣の上下が回転し、持ち主であるギルガメッシュの怒りを表すように辺りに魔力の渦が迸る。
 そして、エアに呼応するように輝き始める、セイバーの握るエクスカリバー。


天地乖離す(エヌマ) ――――
    「約束された(エクス) ――――

――――開闢の星(エリシュ) !!
    「――――勝利の剣(カリバー) !!


 強大な光が押しては引き、引いては押す。
 すっかり暗くなっていた周囲を真っ白な光が照らす。
 周囲には衝撃波が起こり、周りの木々が軒並倒されていった。

 時間にしては数秒。
 せめぎあっていたエネルギーは相殺され、霧散していった。

「――なん、だと?」

 我のエヌマ・エリシュを相殺させたとでもいうのか?
 信じられぬ。
 相手が彼の英雄、アーサー王だとしても、たとえ万全の状態だったとしても。
 我のエヌマ・エリシュを打ち消せる道理などはない。


――――■■、■■


 ズ……と静かに体を何かが通り過ぎて行った。左肩から右わき腹に熱を感じる。

 切られた、のか。

「それは……砕いた、はず――――」

 セイバーの手に握られている剣はカリバーン。
 もう既に、彼女の所有物ではないその剣――――永遠に失われた筈の剣。
 そしてそれは、衛宮士郎がいなくては存在し得ない幻。

 光がギルガメッシュの体を塗りつぶし、消滅させた。






「っ、はぁっ!」

 脱力し、思わずに片膝をつく。 魔力不足による脱力感、にしては度を越えている。
 どちらにせよ、体に残る魔力が一切合財なくなっていた。

「それにしても―――この体は……?」

 身体能力が先ほどまでとは段違いだ。

 手を見ると手甲。
 服こそ紅いが紛れも無くこの体はきっと――――

「セイバー、なのか」

 なんで衛宮士郎がセイバーになっているのかはわからない。
 だけど

「考えている暇も無い、ってか」

 魔力を使い切った所為だろう。
 体が段々と透き通っている。



 助けたくて、出来ることをしたのに。
 結局、身近にいるセイバーを助けることさえ、俺には出来なかった。
 共に参加した聖杯戦争、決断を誤った衛宮士郎はここまでだろう。
 …………いや、聖杯戦争だけでなく。この命も。

 意識が朦朧としてきた。
 まぶたが勝手に下がってくる。
 俺の体となっているセイバーの手は、向こう側が透けて見えていた。



 ただ、助けたかった……。
 一緒に闘ってくれた彼女を。
 守りたかった……。
 自分の持てる全てで。

 出来なかった。
 ただ、そのことが悔やまれる。



 目を閉じると目の前に広がるのは丘。
 空は一面夕焼けのように赤く、雲は千切れてながらも目に見える速度で流れていく。

 そして、どこまでも果てしなく、起伏の無い地面が広がっている。
 何も無いわけではない。
 無数の武器が地面に突き刺さっていて、抜かれるのを今か今かと待っている。
 誰かの声が赤い空に微かに響き、消えていった。


 その真ん中で俺は安心する。
 何故だかこの味気ない世界が俺にとって、とても居心地がよかった。



「セイ、バー…………」

 そして世界は暗転する。




[7933] 一日目
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2009/04/08 03:00

 泥が身体にまとわりつくような感覚。
 足掻こうとしても、体は重くて一向に動く気配がない。

 光の一切を許さない暗闇。
 目を開けているのかどうかも定かではない。


 そこには、どれほどいたのだっただろうか。
 一時間か、一日か、一ヶ月か……もしかしたら何年もの間、ただそこに『いた』のかもしれない。
 曖昧な意識でいた俺は、不意に、どこかに向かって体を引っ張られる。それもかなり強引にだ。
 体が動かず、なすがままに引き摺られていく。その先には光が見えた気がした。






 ふ、と意識が覚醒する。
 視界に入ってくるのは破壊されている天井。壊された時に落ちたのか壁材が散らかっている室内。
 天井は高く室内は広い。調度品も高級な物ばかりで、かなり裕福な家だと思われる。

 ……どうにも現状が掴めない。とりあえず落ち着こう。

 起き上がり、地面に正座し目をつぶる。
 弓道をやっていた頃の癖か、こうすると自然と落ち着いてくる。


 頭には自然と情報が浮かび上がってくる。

 召喚の目的は、聖杯戦争。
 俺が英雄として、サーヴァントとして呼び出されたこと。
 今回のクラスはアーチャーであるということ。
 そしてうっすらと思い出される他の英雄の情報、熾烈な戦闘の数々。
 衛宮士郎の生きていた頃にはなかった記憶。


 そうか、俺は英雄に……?
 この知識はおそらく英雄の座から渡されたもの、なのだろう。




 数秒もするとドアの外から走り来る足音が聞こえてきた。
 「ああもう、邪魔だ、このお!」という言葉と共に、扉が乱暴に開かれる音がする。
 声から察するに女性。……なにやら聞き覚えがある気がする。

「あなたが俺のマスターですよね?」

 魔力がその人物から流れてくるのが感じ取れる。
 それは不思議な感覚だけど、送られてくる量がかなりのものだということが俺でもわかった。
 その人物が魔術師として優秀なのだと俺に認識させる。

 その人物の容貌を見るべく閉じていた目蓋を開き、その姿を確かめるため視線を入り口に向かわせる。
 入ってきた人は肩で息をして……って?

 ……遠坂!?


 俺が呆然と目を見開いていると、辺りを見渡して何事か呟いている遠坂。
 余裕がない所為か、よく聞き取れない。

「えーと。貴女、見たところセイバー?」

 ――――確かに遠坂、遠坂凛だ。
 つり目で意志の強そうな瞳が俺のことを見つめている。
 横でふたつにわけられた艶のある黒い髪の毛。並みの女性が着たら似合わないだろう赤い服を当然のように着こなしている。

 その彼女は、なにやらいらいらしながら問いかけてくる。

「い、いや、俺はアーチャーだ、けど」

 意外な人物の登場に吃驚しながらも、なんとか返事を返す。
 頭の中は真っ白。返答も反射的に出ていた。

「ウソでしょ!? どう見てもあんたの格好、剣士のものじゃない!!」

「え? いや、でもアーチャーだって確かに……」

 おもむろに立ち上がり、自分の姿を見回す。
 視線を下にやると、まず目に入るのが鎧。ところどころに赤い刻印が入っている。
 腕を覆っている生地は赤く、少し目に痛いぐらいだ。
 手を見ると手甲(ガントレット)。指まで保護できるようになっている。
 それに、視界が低い。…………縮んだ?

 何故? 視界から入ってきた情報の意味も理由もわからない。

 生前の記憶を必死に思い出す。
 己の死に際まで振り返ってようやくその原因に思い当たった。途端に頭から血の気が引いていく。


 ――――もしかして、俺……セイバーになったまま?


 俺が呆然と自分の姿を見回している間に、どうやら遠坂が落ち着きを取り戻したみたいだ。

「なんだってアーチャーなのよ」

 ……って開口一番がそれか。

「む。俺がアーチャーだと不満だって言うのか?」

「そうよ! セイバーを呼び出そうとしたってのに……はぁ」

 あれだけの宝石を使ったっていうのに、と呟いて顔を渋くしている。

 呼び出した本人の前で、「あんただと不満」ときっぱり言い切るとは。
 その上にため息までつかれたし、まぁ遠坂らしいといったらそうなんだけれど。

「ちょっと待ってくれ。いきなり呼び出されて勝手に落胆されたら、いくら俺でも流石に傷つくぞ」

「――――ああ、ごめんね。ま、呼び出したのは私なわけだし、貴女に当たるのはお門違いよね。
 それでアーチャー、貴女は私のサーヴァントなわけでしょ? 早速だけど貴女の真名は何?」

 …………真名か。
 衛宮士郎、でいいのか?
 いや、でもこの格好だし、アーサーって答えた方がいいのかもしれない……けど。

 返答に窮する。どれも間違っていないようで、どれも間違っている気がする。
 どうしたものかと思案に暮れていると……。

「――――マスターなんだから訊く権利ぐらいあると思うのだけれど?」

 なんて、何を勘違いしたのか、笑いながらこめかみを引きつらせている遠坂が目に入る。
 遠坂、結構頭にきちゃってるみたいだな。いつもより沸点が低いというか、余裕がない。

 さて、それよりも真名をどうするかだ。
 もちろん遠坂を信頼していないなんて事はない。
 それどころか遠坂のことは、こと魔術関連なんか信頼してるんだけど……。

「真名……正直俺にもわからないんだ」

「はぁ? ちょっと、馬鹿にしてるわけ!?」

「いや、馬鹿になんかしてないって。なんていうか……ふたつあるというか。
 でもどっちも正しいかといわれれば……うーん、どうなんだろう」

 いきり立つ遠坂を必死で押さえて、ぼかしながら説明する。
 それを聞いて遠坂はうさんくさそうに俺を見る。

「ふたつぅ~? ……まぁ、とりあえず教えてみなさい」

 ごめん、セイバー。君の名前を騙らせてもらう。
 ――だって『衛宮士郎』なんて言ったらどうなることやら。
 というより『衛宮士郎』は英雄になるようなことはしていないし、それ以前にその技量も能力もない。

「アルトリア=ペンドラゴン。アーサー王って言ったほうがわかりやすいかな」

「アルトリア=ペンドラゴンねぇ…………ペンドラゴン?
 ってアーサー!? すごい!!! かなり有名な英霊じゃない!!
 アーチャーって言われたときは、もう、どうしようかと思ったけど!」

 言った途端遠坂は目を輝かせて俺の手を両手で掴む。

 落胆されるのも屈辱だったけど、ここまで喜ばれるのも何だか申し訳ない。
 どうしたものか、対応に困る。

「ん? ――――でも、それならなおさら『セイバー』じゃないの?」

「――それはそうなんだけど」

 確かに。
 セイバーの身体で呼び出されたのならクラスも『セイバー』であるべきだよなぁ。
 なのに『アーチャー』。
 俺って『アーチャー』足り得る技能なんて持ってたか?

「ん、まぁいいわ。貴女、本気でわかっていないようだし。
 それにその言葉使いの理由もわかったわ。男として振舞ってたんでしょ? アーチャーは」

「そう、なるのかな?」

 いい具合に誤解してくれたみたいだな。いい理由付けも出来そうにないので頷いておく。
 っていうか……やっぱりこれって生前俺が参加した聖杯戦争だよな……。

 セイバーか……。
 この世界の俺はセイバーを呼び出せるのだろうか?
 だって偽者とはいえセイバーの体を持った俺が呼び出されてここにいるのだから、どう転がるのかわからない。

「それにしてももうちょっと外見に合った話し方にしなさいよ。
 折角可愛い外見をしているんだから」

 思考の海に沈みかけた俺は、その突拍子もない遠坂の言葉に強制的に覚醒させられる。

「いや、それだけは断固として断る。大体、話し言葉くらい好きでいいじゃないか」

「アーチャー、いい? わかっていないみたいだから言うけど、アーサー王は男として広まってるのよ?
 どこからどう見ても『女の子』のほうが正体がばれる可能性も減るでしょう」

 これは……衛宮士郎の時によく見た邪悪な笑みだ。
 遠坂凛、ここでも健在ってことか。厄介な。
 しかも言ってくることが一々正論だから反論が難しい。

「う。それは確かにそうかもしれないけど……」

 それは流石にちょっとな。
 見かけはセイバーでも中身は衛宮士郎なわけだし。
 女言葉で話す俺を想像して寒くなる。何故か脳裏に浮かんだのは真っ当な男だった頃の俺。

 ……自分のことを俺とか言ってるセイバーもどうかと思うけどさ。

「うん。無理だ。断る」

「……」

「…………?」

 …………。
 ……あれ? 遠坂からの返答がない。
 俯いているから表情も見えない。
 何故だろうか。背中に悪寒が走ってる。

「……ふふっ」

 笑い声が聞こえてくる。
 発生源はわかっているのに、何故か素早く辺りを見回してしまう。

「アーチャー、まだ貴女は自分の立場がわかっていないみたいね」

 静かに遠坂がにじり寄ってくる。
 近づくにつれてその表情が露わになる。

 ……目が据わってる。隈もあるし。
 妙にテンパってるし寝不足なんじゃないか?
 ていうかなんだか俺、結構余裕あるな……。

Vertrag……. Ein neuer Nagel Ein neuer Gesetz neuer Verbrechen――――……

「って、何をする気だ? ……まさかっ!?」

「そのまさか。私の言うことを聞きなさいっ!

 魔力による擬似的な風が巻き起こる。
 赤い光を放ち、凛の手の令呪の一部が砕け散った。

「……まさかこんなことに令呪を使うなんて」

「では早速。アーチャー、口調を改めなさい」

 何を考えているんだ、と続こうとした口を無理やりに閉じる。

 なにやら口の周りに違和感を感じる。
 魔力による強制的な束縛だろう。このまま話したなら女言葉になっているのかもしれない。

 でも話さないからな。極力しゃべらないようにすればいいだけだ。

「返事は?」

「わかりました」

 いいっ!?
 勝手にしゃべり始めたぁ!?

「うん。良好良好。まだ硬いけど仕方が無いか。
 んじゃ、早速だけど部屋の片付けしておいてくれる?」

「とお――、いえマスター。サーヴァントをこういった雑事に使うのはどうかと思いますが」

 遠坂、と呼ぼうとして何か引っかかり、マスターと言い直す。
 何か違和感があると思ったら、セイバーの声で「遠坂」と発音することだ。
 考えてみれば、まだ遠坂のやつ俺に名前を教えてくれていないし。
 危うく初めにしてボロを出す所だった。

 それにしても、令呪での命令だといえ、どうやら頑張れば反論することは出来るみたいだ。
 口調にいたってはあまりに小さいことだから完全に効いてしまってるみたいだけど。
 話そうとすると意味が変わらない程度に自動で訳されてる印象を受ける。何故か話し方が本家セイバーみたいになってしまう。

「いいでしょ。貴女を呼び出すのに寝てないんだから」

「……仕方が無いですね。
 後は任せておいてくれれば結構です」

「そう?」

「ですがその前に、一つだけマスターに訊いておきたいことがあるのですが」

 踵を返し、居間から出て行こうとする遠坂を引き止める。
 掃除の言いつけなんかよりも、やっておかなきゃいけないことがあるだろうに。

「ん? 差し当たって問題でもあるの?」

 向かいかけた足を止め、首を傾げる遠坂。
 俺はそれが殊更重要であるように、真正面に向き直って真顔で告げる。

「ええ。とても重要な問題です。
 これの交換をしなくては貴女と私の信頼関係を築くことは容易ではなくなる」

「え!? ちょっと待って……交換?」

 本当に何だかわかっていない様子。
 信頼関係を築くことが難しいと聞いて焦ったのか、顎に手を当てて考え込んでしまった。
 ……仕方ないか、俺から切り出そう。

「――――ええ。
 私は教えたのですから、是非私にも、貴女の名を教えて欲しい」

 そう言って、右手を差し出す。
 これからよろしくという意味を込めて。

 その言葉を聞いた途端、何が不意打ちだったのかわからないけれど、見てわかるほどに遠坂は硬直、顔を赤くして狼狽した。

「あ、そうね。ええ。私、遠坂凛。凛と呼んでちょうだい」

「わかりました。では、凛と」

「う、うん。これからよろしくね」

 俺の右手をおずおずと握り、ぼーっとした様子で握った右手を開いたり閉じたりしている。

「……え、と。それじゃ、私、寝るから」

 そう言い残して部屋から出て行った。
 きっと疲れていたのだろう。その言葉もなんだか上の空だった。
 よく見ると、部屋に戻るその足元はふらついていた。




 凛が部屋から出て行って、甲冑姿で立ち尽くしたまま俺は現状について考える。
 少しばかり整理しないと何がなんだかわからなくなりそうだ。

 まず呼び出されたのは、生前の俺――衛宮士郎が参加した聖杯戦争。
 次に、呼び出された今の俺の体はセイバー。だっていうのにクラスはアーチャーだ。わけがわからない。

 とりあえず、『アーチャー』の位置に俺がいるってことはこの世界にアーチャーは召還されないのだろう。
 皮肉にもこの格好は赤が基調で、あいつと同じ色。

 ――そういえば、俺、あいつについてほとんど知らないんだよな。
 わかっているのはあのランサーと打ち合える強さと、あのバーサーカーを数回殺すことのできる能力。
 今となってはあいつがどれほどの実力者だったのかなんてわからないけど、その役目は俺が果たさなきゃならないのだろう。

 少しでも情報を得ようと、召喚されてすぐ頭に浮かんできた記憶を思い返してみるが、どうやらそれは衛宮士郎の記憶ではなくセイバーの『記録』だって分かっただけだった。
 ……思い返そうとしても、ぼんやりとしていてあんまり役には立ちそうにない。

 ――――そういえば、明日、明後日と凛とアーチャーは何をしていたのだろう?
 過去の俺はアーチャーの召還にはもちろん立ち会ってなかったし、その後も一緒に行動していたわけじゃない。
 凛と士郎――便宜上、この世界の衛宮士郎を士郎と呼ぶことにする――が合流してからならなんとかなるんだろうけど。

 とりあえず2日ほどは凛の指示に従うしかないみたいだ。
 できるだけ前回と同じように、それで出てきた犠牲を減らせればと思うんだけど何してたのか知らないんじゃどうしようもない。
 やりなおして死んでしまった人を助けるなんて考えもしなかったけど、助けられる人を助けないのは違うと、俺は思う。
 そのためにも凛を手助けして、出来るだけ被害が少なく済むようにすべきだろう。
 それに今の俺は凛のサーヴァントとして呼び出されたわけだから、実際は素人だろうと何だろうと、凛を守らなくちゃいけない。


 結局決まったことは流れのままに動くこと。現時点では情報が少なすぎる。
 後は臨機応変だろうか。それに、俺には似合わないだろうしあんまりやりたくはないけど、多少の小細工もしなくちゃならないかもしれない。



 そこまで考えた所で改めて部屋を見渡す。
 部屋、片つけなきゃいけないんだったよな。
 天井なんかは何をしたらこんなになるのかというほど崩れ落ちてしまっている。
 その破片なんかが床に散らばっていて、掃かないと足の踏み場もない。椅子なんかはひっくり返っている。
 なんでこんなになったのかはわからないけど、これは結構大変そうだ。

 それにしてもサーヴァント初めての仕事が部屋の片付けか。

「……はぁ、先が思いやられるな」

 思わずため息が漏れる。
 これからどうなるのやら。





[7933] 二日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:c7d39e23
Date: 2009/04/08 04:08
 朝方になってようやく片付けが終わる。
 凛のような魔術が使えればもっと早く終わったのかもしれないけど、生憎俺には使えない為にこんな時間になってしまった。
 天井なんてもうどうしようもないので、適当な板を打ち付けて体裁だけは整えてある。
 ……いや、でも俺は頑張ったと思う。

 片付けが終わるとやることもなくなってしまったので、朝食を作り始める。
 とりあえず冷蔵庫を漁るが、どうにも食材があんまり、というか全然無かったのでトーストにスクランブルエッグ。
 それだけではあまりに寂しいので彩りのためにレタスとトマトで飾る。
 野菜室の底の方にあったやつというのがなんとなく不安を煽るけど、たぶん大丈夫だろう。うん。

 と、そこで僅かな物音を聴覚が捉える。きっと凛が起きたのだろう。
 注意して聞いて、それでも気づくかどうかといった音なのに、何故かしっかりと聞こえてきた。
 セイバーの聴覚はかなり鋭いらしい。衛宮士郎であったなら間違いなく聞き逃していたと思う。

「おはよう~、ア~チャ~」

「おはようございます。凛、すごいことになってますよ」

 一分ほどしてからドアが開いた音と共に凛の挨拶が聞こえてくる。
 リビングの入り口を見ると凛が髪の毛はぼさぼさ、半目で呆けてこちらに歩いてきていた。
 その瞳は俺の顔に向けられているが、微妙に焦点が合っていない。
 いつもはふたつに結わっている髪の毛も下ろしている。どうやら起きてそのままここに歩いてきたらしい。

 その姿は過去――というより未来?――の寝起き姿と全く変わらない。
 普段とのあまりのギャップに『百年の恋も醒める』という言葉が浮かぶ。
 …………。
 あ、いや、別に恋してるわけじゃないぞ。憧れてはいたけれど。

「う~……、牛乳~」

「はい。どうぞ」

 冷蔵庫から出したよく冷えた牛乳をコップに注ぐ。
 先ほどから動かない凛の前に差し出すと、う~、と謎の呻きを漏らしながら受け取りその場で一気にあおった。

「……それじゃ、顔、洗ってくるわ」

 それだけ言うと洗面所にのそのそと歩いていく。

 その姿が見えなくなるまで見送ると配膳を開始する。
 焼きあがったトーストを皿に乗せ、スクランブルエッグののった皿をテーブルに置いていく。
 冷蔵庫からバターやジャムを出した所で丁度凛が洗面所から帰ってきた。
 髪の毛も結わかれていて、その姿は俺が知っている遠坂凛だ。
 ……ただ、まだ本調子ではないのか、少し動きが緩慢ではあるが。

 凛が椅子に座ったので、俺はジャムの瓶とバターを机に置いてその対面の椅子に座る。

「へぇ~。思ってたより綺麗になってるわね。
 ん? これ、貴女が作ったの?」

 きょろきょろと周りを一通り見渡して、ようやくテーブルの上に置かれた料理に気づいたようだ。

「そうですが。何か問題がありましたか?」

「だって貴女、王様だったんでしょ? よく料理なんてできるわね」

 思わぬ突込みに焦る。
 何の疑問も持たずに料理してたけど、セイバーは王様だったんだ。
 ――――正直そこまで考えていなかった。

「あ、いや。あーー…………、そう!
 戦争の際は少人数でキャンプをする日もありましたから」

 例え少人数でキャンプをしても王に料理なんてさせないだろう、と自分のどこかが投げかけてくるが無視。
 だって他に良い言い訳が浮かばない。

 やっぱり苦しいか?

「ふ~ん」

 まだしっかり目覚めていないのか、それともそれほど興味はないのかわからないが凛が気の入っていない返事をする。

 た、助かった……。
 気をつけて振舞わないとボロが出てしまいそうだ。

「あ、私朝は食べないから。今日は食べるけど用意はしなくていいわよ」

 …………。

――――凛

「ん? 何?」

それは、戴けない言葉ですね。食事における認識を欠いていると見受けられます。いいですか? 食事は一日のエネルギーの源です。朝を抜くなんてもってのほかです。
 朝食で得られるエネルギーというのは人間の活動帯において不可欠といって差し支えのないものです。これを食べないのではいざという時力出せなくなるでしょう。
 それに先ほどの様子から推察しましたが、恐らく凛は低血圧ですね? 血糖値が下がっているから朝に響くのです。そもそも、食べない食べないと言っていたら何時まで経っても……


「わ、わかったわよ。出来るだけ食べるようにするから。ね?
 わかったから少し落ち着いて」

 む……。
 何故だか自分でもわからないけど、思わず凛に詰め寄ってしまった。
 別にここまで食に対してのこだわりはなかったんだけどなぁ。 作るのは別として。
 体がセイバーだから影響出てるのだろうか?

「――コホン。それで今日はどうするのですか?」

 しっかりと椅子に座りなおし、トーストにマーマレードジャムを塗っている凛に問いかける。
 質問を投げかけながらも、横目で壁に掛かっているカレンダーを確認する。
 確か……凛はこの日、学校を欠席していたはずだけど。

「そうね……。今日はマスターの探知、それに地理の把握の為に街を回ってみようと思ってるんだけど――――アーチャー?」

 トーストにブルーベリージャムを塗っている手を止め、凛を見ると目が合った。
 視線に反応せず、凛は不思議そうに俺を見つめ続けている。
 そう、まるで珍しいものを見るように。

 ……なんでさ?

「どうしました? 凛?
 なにか珍しいものでも見たような表情ですが」

 思ったことをそのまま訊いてみる。

「えっと、あなたも食べるの?」

「えっ? 食べてはいけなかったでしょうか?」

 惜しみながら、ブルーベリージャムをたっぷり塗ったトーストを皿に置く。
 返事こそ凛に返してはいるものの、視線はトーストから離れない。いや離せない。

 なんだろうか、この感じは?
 活力は漲っている。確かに食事は摂らなくても問題はないんだろう。けど、なんか……こう。

 食べたい。
 美味しいものを味わいたい。

 この欲求が頭から離れない。
 セイバーもこんな感じだったのか?

「別にいいんだけど……。サーヴァントもご飯食べるのね」

「いえ、食べなくても大丈夫なのですが……その、私の場合、欲求の解消になりますから」

「要は食べたいってことでしょうが」

 間髪入れずに俺の言葉の粗を突き、呆れたようにこちらを見る凛。
 だけどその目は笑っているのが見て取れた。

 うう、顔が赤く染まっていくのがわかる。

「あ、う。……そ、その。そう! 凛、こ、コーヒー飲みます? それとも紅茶でもどうですか?」

「ふふっ。それじゃ紅茶をお願い。」

 は、恥ずかしい。
 頼むから、席を立つ俺を「可愛い子だなぁ」っていう目で見ないで欲しい……。






 からかわれながらの朝食も終わり、凛は町へ出るために部屋に戻って支度を始める。
 その間に俺は朝食で使った食器を洗う。
 洗い物が終わり、凛を呼びにキッチンを出ると、凛も俺を呼びに来る所だったらしく鉢合わせた。

 それにしても自然と皿洗いをしている自分が複雑だ。

「凛、準備はよろしいのですか」

「大丈夫よ。それじゃあアーチャー、霊体になってついてきてね」

 霊体……。
 あ、そうか。

「……あの、凛」

「何? 何か問題でもあるの?」

「私、どうやら霊体になれないらしいのですが」

「えっ!?」

「どうにもこのままで変われないのです」

 霊体のなりかたは英雄の座での記録に載っているからわかっているんだが、上手くいかない。
 セイバーもなれなかったし、そのセイバーの体なんだから出来ないのは当然なのかもしれない。
 っていうか、セイバーはまだ死んでいないのだから、霊体になれるわけがないんだった。

「――――もしかして召還の時に何か不都合なことがあったのかしら。
 まぁ、召還そのものが失敗しなかっただけ良かったと取るべきか……。
 ……………………。
 いいわ、服を貸してあげる。それ着てついてきて。」

 なにやらぶつぶつと一通りしゃべった後、割り切ったようで、すっきりとしたような顔で話し始める。

「えーと、アーチャーの体型なら私の中学の頃のサイズで大丈夫そうね」

 ごそごそとクローゼットの上を漁る凛。
 どうでもいいけど、さっきからあまり良くないタイプの予感がしているんだけど。

「はい、これね」

 凛に促されて洋服を受け取らされる。
 ああ、やっぱり。……スカート……女物なわけだ。

「あの、凛。ズボンとかは……」

「あー、悪いけどないのよね。残念だけど」

 ……隠している、というわけでもなさそうだ。
 そもそも貸してもらっておいて我侭は言えない。
 鎧姿じゃ、駄目だよなぁ。

 そうすると…………脱ぐのか。
 それでもって女物の服を着るのか、俺が。

 当たり前だけど、セイバーの身体なんだよな。

 凛が着替えようとしない俺を不思議そうに見つめている。
 ――――どうやら選択肢は他にないみたいだ。
 覚悟を決めろ、衛宮士郎!
 そしてスマン! セイバー!




「あの、凛……」

「何? 下着のつけ方がわからない?」

「は、はい……あの、教えていただけないでしょうか?」



「駄目駄目! 上を先に着るの! スカートは後」

「ぅ、すいません……」



 ……なんとか着替え終わるころには優に一時間が過ぎていた。


 ――――地獄だった。
 恥ずかしいやら、情けないやらで自己嫌悪。

 男としての砦がまた一つ篭絡された気がする。
 ……いや、きっと間違いなくされた。あといくつ残っているのだろう。




「それじゃこんな感じでいい?」

「はい、構いません」

 鏡に映る姿はいつかのセイバー。
 服装は以前遠坂から借りていた服と同じものだ。
 ただ唯一違うとすれば瞳の色。衛宮士郎と同じ色の瞳。
 ただ瞳の色が違うだけなのに、どこかおとなしそうな、地味な感じを受ける。
 そもそも、外見はセイバーでも中身は俺なんだけどな。

 鏡の中のセイバーはなんとも言えない様な顔で俺を見ている。
 目の前に手を伸ばす。俺の手と鏡の中のセイバーの手が合わさった。
 わかってはいたけれど鏡で確認なんてしなかったから実感できなかった。
 向き合ってしまうと、俺は今になってようやくセイバーになってしまったのだと実感してしまう。
 俺がセイバーになってしまったのなら、それじゃあ、本当のセイバーはどこにいってしまったんだ?
 アーチャーとして俺がここに存在してしまっているってことは…………?

「何してるの。それじゃ、そろそろ行くわよ。」

 そう言うなり凛はすたすたと出て行ってしまう。

 ……はぁ、どうやら考え事をしている暇はないらしい。
 とりあえず、俺自身のことは一段落ついてからゆっくり考えよう。

 マイペースなマスターに苦笑いしつつ、俺も用意されたローファーを履いてその後ろについていく。

 どうでもいいけどスカートって落ち着かないんだな。
 すーすーしてなんだか不便だ。




 なつかしい。何故かそう思った。
 町並みを見て、思わず涙腺が緩んでしまう。
 記憶の中の町と同じ。変わっていないのは当たり前なのだろうけど、それを見ることができるのがとても嬉しかった。
 きょろきょろと周りを見渡しながら、歩き慣れた筈の道を歩いていく。

「そんな珍しいものでもある?」

 凛は微笑んでいた。
 忙しなく見回してたものだから、凛には観光しにきた外国人みたいに見えるのかもしれない。
 凛に向き直ると、視界の端に金色の糸が揺れる。
 そう、なにしろ今の俺は金髪なのだし。

「いえ、そういう訳ではないのですが……」

「古代西欧から見れば区画整理はされているし、町並み自体が珍しいのかもしれないけどね。
 サーヴァントは呼び出される時代を知っているって聞いたけど、あくまで知識に過ぎないってことかしら」

 そうして自己完結。
 凛、頼むから勝手に早とちりするのはやめてくれ。
 突っ込まれても困るけど。




 深山町周辺を回り、凛がチェックしていく。
 ある程度歩き回った所で昼になった。
 大通りに出て昼食を摂るために有名なファーストフード店に入る。
 正直、俺としてはここで食べるのは不満があるが、
 「食費が……」という凛の呟きを聞いて、異議を唱えるほど命知らずではなかった。

 トレイを店内の座席に置いて、椅子に座る。
 注目を集めないようにと端の席を選んだのに、なんだか周りの視線を集めている気がする。

「あの、凛。なんだか私たち、注目を集めていませんか?」

「……なに、アーチャー。貴女、気付いていなかったの?」

 何だろう?

 ――――ああ。そうか。
 確かに冬木の町に外国人というのは珍しいからなぁ。
 しかも金髪というのは尚更目立つのだろう。納得がいった。

「……たしかにこの金髪は目立ってしまう。なんとかならないものでしょうか?」

「ま、まぁ、確かにそれもあるんだろうけどね」

「? 他に何があるのですか」

「いい? アーチャー、わかってないみたいだからはっきり言ってあげる」

「はぁ……」


「貴女、可愛いのよ」


「へ?」

 自分の周りだけ時間の流れが止まる。
 何を言われたのか理解しようとしたが、瞬間的に脳が拒否反応を起こした。

「端正な顔立ちの上に外国人、加えて私。そんな年頃の二人が連れ添いなしでいるのだから、男子連中の注目の的でしょうね」

「あ、うん。そうだった」

 素に戻る。
 口調にかかる魔力束縛すら無視。

 そうだった。 今の俺はセイバーだったんだ。
 いや、セイバーであることを忘れていたわけじゃなくて、その容貌を失念していただけだ。
 確かに、その、セイバーは可愛いし、な。
 自分がセイバーになってから顔を見る機会なんてあんまりなかったから、どうにも自分だという実感がつかない。
 衛宮士郎だった頃に、衆目を意識するような機会なんてなかったものだから。

「ま、それはそれでいいわ。どうにもならないし。見られるのは戴けないけどね。
 さて、この後は新都のほうでも回ってみましょうか」

 そういって凛はストローを咥えて音を立ててジュースを飲み、俺は考える。

 ……正直な所これからのことを考えるとかなり心苦しい。
 だって今の俺は多くのマスターの居場所を既に把握しているのだから。


 セイバーのマスターは俺。いや、この世界の衛宮士郎。
 召喚する順序として衛宮士郎が七人目で最後だったのだから、最後に残るクラスセイバーは衛宮士郎に呼び出される筈だ。

 アーチャーのマスターは遠坂凛。そしてそのアーチャーは俺自身。
 果たしてあの赤い男の役割を俺が果たせるかどうか。それはわからない。けれど、絶対に遠坂を護ってみせる。

 ランサー。あいつのマスターは結局はっきりしなかった。
 居場所も結局分からずじまい。まぁ、それがわかればマスターも見当つくんだけどさ。

 バーサーカー、マスターはイリヤ。
 町外れの森の中の城に住んでいる。たぶん向こうからやってくるとは思うけど。

 ライダーのマスターは間桐慎二。
 もちろんあいつは自分の家があるから、間桐邸にいるだろう。

 キャスター……あいつは自分のマスターを殺したと言っていた。誰だったのかは結局わからない。
 柳洞寺にいたのはおそらくキャスターだ。慎二の言葉を信じるなら魔女が巣くっている、らしい。
 キャスターは確かに女性だったし、クラスもその実力も魔女と呼ばれて然るものだ。
 マスターも柳洞寺にいたのかもしれない。

 アサシン。マスターは不明。
 でもマスターは柳洞寺内にいる筈だ。
 アサシンは柳洞寺門にくくられていた。マスターを護らねばならないサーヴァントが拠点の防衛に務めているのはおかしい。
 そうなるとキャスターと同盟でも結んでいたのだろう。もしくは、マスターが何らかの方法で二体のサーヴァントを従えているか。


 しかしここで話したりすると士郎がどうなるのか、俺にはわからない。だから迂闊に手が出せない。
 凛と知り合わないために、何も分からないまま殺されてしまう、かも知れない。
 このころの俺はサーヴァントの存在すら知らず、その癖、左手に令呪が浮かんでいたんだから始末に負えない。

 やっぱり当初の目的どおり、凛についていくしかないんだろうなぁ。


 凛は飲み終わったのか、紙のコップをべこべこと鳴らしていた。
 ……行儀が悪いぞ、マスター。





[7933] 二日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/08 13:36
 その後も色々と歩き回ったのだが、辺りに目ぼしいものは何も無かった。
 唯一、十年前から焼け野原になっている新都の公園で軽い悪寒を覚える。どうやら、この辺りは良くないモノが溜まっている。
 どうやらこのセイバーの身体はそういうモノに敏感らしく、そして衛宮士郎(おれ)としてもあまり長居したい土地ではない。
 その際、凛がマスターの視線らしきものを感じ取ったが、その後色々と歩き回っているうちに視線も消えたようだ。

 そして今、通りを抜けて、ビルが立ち並ぶ開発地区に向かっている。
 ある区画に入るや否や凛も俺も、すぐにその異常に気づく。

「アーチャー、わかる?」

「はい。妙な魔力が流れていますね……」

 進むにつれて魔力の匂いが強くなってくるのを感じ取る。
 セイバーの身体になったからだろうか、魔力の流れを細かく理解できるようになってきた。
 衛宮士郎だった頃は微弱なものは察知することすら出来なかったし、察知できても流れている方向の特定などできなかった。
 前回の時に衛宮士郎だった俺もここの近くにいたけれど、こんな感覚は微塵も感じなかった。

「――――魔力の流れの基点はここね。ついてきて、アーチャー」

 ある高層ビルの前で急に立ち止まって、勝手に入っていく凛。
 確かに魔力はこの建物から流れてきているけど……。
 勝手に入っていいのだろうか、とか、どうでもいいことを考えながらついて行く。

 そういえば凛を屋上で見たのは確かこのビルだったような。
 あの時は情報収集している時だったのかもしれない。もう、確かめる術はないけれど。


 数階上ったところの部屋の前でおもむろにドアを開け放つ。

 魔力の残滓がすごい。ドアを開けた途端に外に流れていく。
 中には清掃員らしき人たちが数人、衰弱し倒れていた。体は痙攣し、全員の意識は刈り取られている。
 見るからに危ない状態だって見て取れた。

「これは……生気がほとんど残って無いわ。吸い取られたのね」

「――――くっ」

 こんなことができるのはキャスターだろう。
 俺は二度も、この人たちの危機を見過ごしてしまったのか……。

「アーチャー、他のサーヴァントの気配はある?」

「いえ、この付近では感じません」

「そう」


「……凛、この人たちはどうするのですか?」

 じっ、と凛を見つめる。
 まさか凛が放って置くなんてこと、することはないだろうけど。

「しょうがないから応急処置ぐらいはしてあげるわよ」

 そう言いながら、凛は腕まくりをする。
 危険だと思われる人から、魔術による救急の処置を行っていった。






 一通り処置を終えた後、救急車を呼んでおいた。もういくらもしないうちに到着するだろう。
 処置に結構時間が掛かってしまい、外はすっかり暮れていた。

「――――ふう。それじゃ屋上に行きましょう」

「屋上? 何かあるのですか?」

「高い所から見れば魔力の流れが読みやすいでしょう」

「なるほど」

 数階上って、屋上に入るドアの前で凛は立ち止まった。
 ノブにかかっている錠を指差して、開錠の魔術を唱えることなく完全に立ち尽くす。

「アーチャー、これ、お願い」

 言わんとするところにはすぐ気がついた。
 あまり気は進まないけど、ここで出来ることの確認しといた方がいいかもしれない。

 頭に呼び起こすのは宝具でもない、概念武装も施していない凡庸な短剣。

「――――ふっ!」

 右手をノブに向かって振り下ろし、インパクトの瞬間に短剣を投影し、すぐに消す。

 がこん、と重たい音が階段に響いた。
 錠の部分に線が入り、断ち切られる。
 これで開く筈だ。ただ、もう施錠できないから扉ごと買い換えなきゃいけないだろうけど。

 うん。それにしてもなかなか、というかかなり投影の調子がいいみたいだ。
 魔術回路も以前とは比べ物にならないほど上手く回る。
 よほどのものじゃなければ軽く組み上げられる自信が出てくるほどに。



 屋上に出る。

 地面から離れている所為か風が強い。
 結んであるとはいえ、長い髪がはためいていて少し邪魔だ。

 前回はこの下で俺が凛のことを見かけたのだったか。
 一応、士郎から俺の姿は見えないようにしたほうがいいだろうな。

 そう判断し、凛から三歩ほど下がったところで待機する。
 傍から見れば主人と従者の立ち位置になっているだろう。

「駄目ね。さっきの部屋には魔力の残滓が強く残ってたのに」

「そのようですね。完全にこの建物で途切れているようです」

 上空だからか、下を歩いていた時よりも強く風が吹いている。
 凛と俺は黙って街を見渡すが、何の変化もない。

「ところでアーチャー。何故そんな離れたところにいるの? こっちに来ればいいじゃない」

「下の人が見たらこんなところに立ってるのは不審に思うのでは」

「地面から何メートルあると思ってるの? 下からなんて見えるわけないじゃない」

 そういって屋上の縁まで歩んでいく凛。
 結構な高さだというのに身を乗り出して下を覗き込む。

「えっ? 衛宮、士郎――――?」

「どうしたのですか?」

 やはり俺がこのビルを見上げ、遠坂を見かけたのは今日だったのだろう。

「いや、知ってるやつがいたんだけど……。まさかあっちからは見えてないでしょうし」

 いうや否や黙ってしまう。
 眉間に皺を寄せ、覗き込んでいたほうを睨み付ける凛。

 ……何か考え事をしているようだけど、いつまでもここに居てもよろしくないだろう。
 この高さにもなると風が強い。体感温度が何度下がっていることか。夏ならともかく二月では寒いだけだ。

「凛、体は大丈夫ですか? 寒さの所為か、顔が赤くなってますよ」

「え、そう?」

 別にあんまり寒くはないんだけど、と言いながら凛は自分の頬を両手でこする。

「しかしここは風が強い。これ以上の用がないなら帰ることをお薦めします」

「――そうね。それじゃあ今日は戻るわよ」

 言うが、歩き出すこともせずに顎の下に手を当てて黙ってしまった。
 その様子を見て、俺も進みかけた足を寸前で止める。

「凛?」

「……下は救急車とか警察でいっぱいよね。どうしようか…………」

 ――――凛って変なところでポカするんだよな。
 しかも要所要所で起こってるようだし。

 ふむ。
 体には魔力が有り得ない程に溢れている上に、凛からの魔力供給もある。
 前にセイバーがライダーと戦ったときにビルを駆け上っていたから降りる分も問題ない、と思う。
 階段で上ってこれたから、上った三階の窓から飛び降りても大丈夫だろう、と言ってるようなものかもしれないけどさ。

 ……それでもセイバーの身体能力に更に魔力を使えば、凛をカバーしながら飛び降りても大丈夫だろう、というのは変わらない。
 召喚の時過ぎったセイバーの経験からきているものなのかはわからないけど、出来てしまうような気がするのだ。

「凛、ここから飛びましょう。私がサポートします」

「それじゃ、お願いね」

 凛が躊躇もせずに勢いつけて飛び出す。俺もそれに習って凛を支えながら落下していった。
 抱え込みながら、着地前に魔力を噴出、スピードを殺して無事に地上に降り立つ。

 ……出来てしまった。いや、出来なければ今頃どうなっていたかわからないのだけれど。






「凛、夕食はどうするのですか?」

 帰り道一番心配だったことを尋ねてみる。
 どうしても食事時になると、思考の半分くらいがそちらに回される。

「そうね。アーチャー、あなた料理は作れるの?」

 作れる。けど、生憎和食が中心なんだよな。西欧の王様が和食作れたら絶対に不審だろうし。
 洋食は桜に習ったレシピも合わせればいくらかはあるけど、どうにも心許ない。

「簡単なものなら大抵作れますが、手の込んだものは書物を見ないと……」

「それじゃあ今日は私が作るわ。料理するの交代制っていうのはどう?
 貴女も食べるんだから構わないでしょ?」

「わかりました。任せてください」

「そうね。今朝のスクランブルエッグを見る限りじゃなんとも言えないけど、全く出来ないってわけでもなさそうだし、ね」

 言うなり挑発的な視線を投げかける凛。

 何にも出来ない王様だと思って舐めてるな。そこまで言うなら度肝を抜いてやる。
 凛の腕前はわかってるし、上手いのも認める。けど、こと料理に関してはそう簡単に負けてやらないんだからな。

 冷蔵庫に何もなかったのを思い出し、商店街に向かう。
 時間が時間なので、タイムセールが狙える筈。食材が安く買えるだろう。




「……っ! 美味しい……」

「そ。喜んでもらえて作った側としても嬉しいわ」

 思わず口をついて出た言葉に、凛がニヤニヤ笑いながらこっちをみる。

 今日の夕飯はチンジャオロースと、卵とネギの中華スープにレタスを使った炒飯だ。
 凛は中華で攻めてきた。
 この献立ははっきりいってそれほど難しいものではない。むしろ和食中心の自分でもレシピを見ずに作れるくらいだ。
 だが食べてみるととても新鮮で斬新な味に思える。
 以前、遠坂――呼び名が混ざって混乱するので前の世界の遠坂凛を遠坂と呼ぶことにする――が作ったことがあったのに、だ。
 セイバーが食いしん坊になるのも分かる気がする。セイバーの舌にとって革命だったのだろう。現代の食生活は。
 どうりで今朝食べた、ただのトーストが非常に美味しくいただけたわけだ。




 食べ終え、洗い物をしてる凛の終わりを見計らって紅茶を入れる。
 ソファーに座る凛に紅茶をソーサーごと手渡す。

「ありがとう」

 自分の分の紅茶を持って凛の対面のソファーに腰を下ろす。
 お互いの前に置かれた紅茶が湯気を上げている。

「ところでアーチャー、訊いておきたいことがあるのだけれど。
 貴女、アーチャーのクラスを冠しているってことは、飛び道具があるの?」

「飛び道具ですか……試したことはありませんが、出来るのかもしれませんし、出来ないかもしれません」

「出来る? あるとかないとかじゃなくて?」

「はい。私が持っている力の使い方を変えれば、ってことです」

 それはもちろん投影魔術のことだ。
 セイバーになって、さっき短剣を投影してから思いついた方法である。
 まぁ、ただ単に剣を自分の手の中に発現させるのではなく、相手に向かって射出するというものだったが。
 衛宮士郎のころはひとつのものを投影するのに時間が掛かりすぎるから出来なかった手段だ。

 ……あとは『風王結界(インビジブルエア)』なら遠距離攻撃もできるみたいだけど。
 開放時の一回しか使えない上に飛び道具というほど射程があるわけでもないので、やっぱり『飛び道具』としては使えない気がする。

「ま、出来るかどうかわからないことは算段に入れちゃ駄目よね……。そうなるとやっぱり接近戦主体になるわけ?」

「はい」

「あとは……あなたの武器見せてもらってもいいかしら?」

 武器……。
 さて、投影魔術はこの後に士郎と接触する時、色々と拙いことになりそうだからぺらぺらと話すことは出来そうにない。
 もちろんだが、さっきの手段も使えるか使えないかは別にして、ばれる覚悟でなきゃ使えないってことになる。
 あとはセイバーの『風王結界(インビジブルエア)』と『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』なんだけど。

 使えるのだろうか? っていうかそれ以前に出せるのだろうか?
 『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』だけならば、最悪のところ投影魔術で代用が利くかもしれない。けど、『風王結界(インビジブルエア)』はわからない。
 なにせ、投影しようにも剣じゃないようで、どちらかというと魔術のようだし。

 セイバーの体だから顕現できないはずはない、と思うんだけど。

「それではちょっと出してみます」

 念のために戦闘武装しておく。
 臨戦態勢であるこちらの姿の方が、剣のイメージを喚起しやすい。

 精神を集中させて剣を思い描いてみる。
 投影魔術と工程が同じだけど、現界させるにはこれで間違っていないらしい。

「……出せた」

「へ? 何もないけど何か出たの?
 何かある、っていうのは感覚的にはわかるんだけど」

 確かに視えてはいないけど確実に此処に在る。
 両手で握っている剣は確かな質感と重量を持っていた。

「視えないとは思いますが確かにこの手に存在します。何か切っても大丈夫なものはありませんか?」

「ちょっと待ってて」

 そういうと凛は部屋から出て行き、右手に分厚い電話帳を持って戻ってきた。

「これでいい?」

「構いません。それではこちらに放ってください。」

 山なりに投げられる電話帳。それを真っ二つに叩き切る。
 落ちる前に三、四と返す刀で切り返す。ばらばらになった電話帳は、ばさばさばさ、と音を立てて床に落ちた。

「……へぇ。すごいものね。切れ味もそうだけど、存在感がね。
 そこらにある刃物と比べるのがおこがましいくらい。ちなみにどれくらいまで刃があるの?」

「そうですね、ええと……」

 ――――同調、開始。

 ――――解析終了。


 なるほど、おおよそ90センチってところか。
 手と手を大まかに開いてみる。だいたいこのくらいだろうか?

「ふーん。視えないっていうのはどういう原理なのかしら?」

 それはたぶん俺に問いかけたものではなく、自問するように呟いたものだったと思う。
 そうしてしばらく神妙な顔をしたまま考え込んでいる。

 俺は紅茶に口をつけ、凛が口を開くのをただ待つ。

「見る限りじゃ接近戦だと敵なしってところかしら。
 ま、私も護身術程度の心得はあるけど、あなたの実力を量れるほどじゃないからなんともいえない。
 でもその見えない剣があるなら、接近戦においてすごいアドバンテージがあるわね。
 アーサー王という真名と、あなたから感じる魔力の量からいって最強って言ってもいいんじゃない?」

「――――凛、過信は禁物です」

 たしかに剣の経験に共感し読み取れば、擬似的にだけどセイバーと同じ動きができる。
 だけど、いかんせん俺自体はセイバー流剣術はまだまだ見習いレベル。身体能力が高いからイコールで強い、とはいかないだろう。

 ―――それに、バーサーカーとギルガメッシュ。
 あいつらと一対一で戦うなんてセイバーの体でも無謀としか思えない。
 単純に力という点ではヘラクレスに比ぶべくも無い。
 ギルガメッシュも前回は全魔力を動員してなんとか相殺まで持っていけたけれど、次も同じことが出来るとは限らない。

「アーチャー、謙遜?」

「いえ、敵のサーヴァントがわからない以上、慢心は戒めるべきだと」

「そうね。まだ始まったばかりだし。
 とりあえずあなたの戦闘手段もわかったことだし、戦闘に関しては一考してみるわ」

「お願いします」

「それじゃ、明日も情報収集をするつもりだから早めに寝ましょう」

「わかりました」

 一応、話は終わったようだ。
 背もたれに身体を預け、残った紅茶を飲み切る。

 なんだか疲れた。
 サーヴァントなのだから寝なくても大丈夫だとは思うけど、肉体よりも精神が疲弊してしまっている。
 脳が整理のために休息を欲しがっているのか、とても眠い。




「そういえばお風呂どうする?」

「え?」

「今日はシャワーでいい?」

「……ぁ」

 忘れていた……。
 ついでに眠気は吹き飛び、完膚なきまでに目は覚めた。

 どうする!? どうする!? どうしよう!?
 着替えの時はなんとか自制できたけど……風呂はまずい。

 ……色々触るし。その……色々。
 だって、洗うもんな。体。それはしょうがない。しょうがない、よなぁ。

 確かにしょうがないんだけど、でも。

「凛、お風呂はいいです。今日はやめておきます」

 問題の先送りだと思うけど、とりあえず今は心の平穏を優先して保たねば。

「駄~目っ! あんたも私も外を歩き回ったでしょう」

 凛は腰に手を当て、どうにもお冠の様子。
 何故そんなに風呂に入れたがるのか。

「その点は全く問題ありません。ええ、これでもかというほどに」

「それは答えになってないわ、アーチャー。入らないならうちの敷地はまたがせないわよ?」

「そ、そんなっ、凛! 私に死ねというのかっ!?」

 自分が何を口走っているのかわからなくなってきた。
 混乱、ここに極まれり。自分がここに召喚された時よりも、絶対に今この瞬間の方が混乱の度合いが高いだろう。
 わかってしまう自分が悲しい。

「それとも一緒に入りましょうか? 裸の付き合いをして親睦を深めるって言うのも良いかも知れないしね」

 じりじり近寄ってくる凛。
 距離が詰まらないように同じ速度で後ずさりする俺。 

 言っている事は一応の道理が通っているのだけれど、ただそれにしては目がエロ親父と大差ないのが……。
 ていうか、ウネウネ動くその手の動きは何だ!?  いったい俺に何をしようって言うんだっ!?

 どうやら凛はあちらの世界の住人らしい。
 凛との現実の距離は変わらないが、心の距離が果てしなく開いた気がしてならない。

「ひ、ひとりで入りますっ!!」

 隙をみてセイバーの身体能力をフルに使ってバスルームに高速移動。
 閉めた扉の奥から「チッ!」という舌打ちが聞こえたのは気のせいであって欲しい。



 どういうわけなのか、風呂に入っている間、意識が曖昧だった。
 事実として、俺の男としての砦は完全に劣勢だってことだけは間違えようがないようだった。





[7933] 三日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/08 13:56
 身の危険をひしひしと感じた夜が過ぎ去った。サーヴァントとして警戒していたとか、そういった真面目な理由とは残念ながら違う。

 こんなに疲弊した原因のひとつは、マスターである凛だ。
 昨夜、俺が入浴中に何かと理由をつけて風呂場の扉を開けようとしてきた。
 曰く、置いてあるものの使い方はわかるか。その髪は何か手入れをしているのか。スリーサイズはいくつなのか。何か不便はないか。……

 凛は、現代の風呂周りがわからないだろうと気を使ってくれていたのだろう。投げかけられた言葉に、風呂と無関係なものが混ざっていたとしてもそういうことにしておきたい。
 純粋な親切心だとしても、女の人に、女の子の体を洗っているところを見られるのは流石に御免被りたい。その女の子の体が、どういう因果か今は自分の体になってしまっているけどさ。
 そういうわけで入浴していた間は意識を張り、直感を最大限に働かせてなんとか事前に察知。そして何を問いかけられてもひたすらに「大丈夫です」「問題ありません」を連呼していた。
 お陰で何とか風呂場の扉は閉め切ったまま、事無きを得ることが出来た。

 夜中もそう、霊体になれないから寝るしかないんだけど、深くは眠れなかった。物音がするたびに飛び起きてしまう。
 何度か繰り返していると、今度は完全に眠れなくなっていた。そのまま眠気もないのに布団に潜っていると、有体もないことばかりが浮かんでくる。

 例えば、昨夜のうねうねと動いていた手。凛の手。
 時間潰しがてら、本当に凛はノーマルなのだろうか、と考えていた。親切心だけじゃあの時のエロ親父のような目つきは説明がつかない気がする。
 もし凛にそちらの気があったらどうするべきなのか。この体はセイバーのものなのだから易々と凛の手を許すわけにはいかない。
 ……そういえば、先ほどから聞こえてくる物音は俺以外のもの。この屋敷には凛と俺しかいないのだから、自然と凛が立てた音だと思う。となるとトイレにでも行っているのだろうか。
 今思えば俺、召喚されてからまだトイレには行っていない。飲み食いしていた割には、アーチャーになってからそっちの生理現象を覚えたことはない。
 おそらく食事を摂らなくていいのと同じように、トイレに行く必要もないのだろう。戦闘を目的としたサーヴァントなのだからそういった機能は省かれてしまっているのかもしれない。
 セイバーも同じだったと考えるとなんだか酷く寂しいけれど、今の俺は正直助かっている。そんな場面を想像しただけで赤面してしまう。
 実際にセイバーの体でトイレなんて行こうものなら、どうなるかわかったものじゃない。

 …………そんなことを延々と考えていたものだから、朝を迎える頃には精神がとてつもなく磨耗していた。



 それはそれとして、朝食を作り始めなくては。
 作ることは構わないんだけど、問題は何を作るかだ。なにせ得意の和食が作れない。
 セイバーの見た目から、作れるものは洋食以外にはない。けれど、朝なのであまり油っ気が強いものは胃が受け付けないだろうし。
 豊富とはいえない洋食のレパートリーを思い出し、吟味する。

 ……よし。今朝はフレンチトーストとカフェオレでいこう。
 セイバーがいる時代にはもちろんなかっただろうけど、和食を作るよりはマシだろう。
 かなり簡単だけど、あんまり重いものを作っても凛が食べられないかもしれない。
 もっと凝った料理が作りたいんだけど、とりあえずはこれで満足しておこう。


 食事の配膳をしていると、凛が起きた気配がする。
 その数分後、昨日と同じように髪の毛ぼさぼさで現れた。女同士と安心しているのか、今回はパジャマ姿での登場だ。
 色っぽいと言っていいのか、なんというのか。

「アーチャー、牛乳とって」

「どうぞ」

 昨日もしたように牛乳をコップに注ぎ、渡す。
 凛はそれをグイッ、と一気に飲み干すと、半目のまま歩いて洗面所に向かっていった。



 食事が終わり、洗い物も終える。
 テーブルには二組のティーセット。カップの中から紅茶がゆらゆらと湯気と香りを上げている。
 紅茶は慣れないながら、俺が淹れたものだ。凛が言うには「まぁ及第点ね」だそうである。
 しっかりと手順は踏んであるけれど、温度が違うようだ。ついつい緑茶のように扱ってしまうな。

 さて、今日も情報収集に出ると言っていたので、出かけるまでソファーに座って『世界の儀礼宝剣』なる本を読む。
 名前の通り、中身は儀礼的なものが多く、名前の割には英霊が使えそうな宝具(宝剣)のようなものはどこにもない。
 だからといってつまらないかというとそうではなくて、元々剣を見るのが好きな俺としては色々と思うところがある。
 まぁ、でも写真を見ただけでは何だか盛り上がらないっていうのが本音なのだけれど。

「アーチャー、そろそろ行くわよ」

 一息つこうとカップに口をつけたところで凛から声がかかる。
 見れば凛は既に紅茶の入っていたカップを片つけて、かけてあるコートを手に取ろうとしているところだった。

「わかりました」

 俺は片手でパタンと本を閉じ、返事をしてから口をつけていた紅茶を飲み干す。
 本を本棚の元の場所に戻すため、俺もソファーから立ち上がった。



 街中を練り歩く。
 昨日は寄らなかった町外れのほうまで出てみるがマスターの影も形もなく、結局徒労に終わることになる。

 俺はその間、今後のことについて考えていた。

 果たして、セイバーは呼び出されるのだろうか。
 ――――もし呼び出されるのだとしたら、今度こそ守りたい。

 今度こそは彼女を死なせたくない。これは、願いじゃない。誓いだ。
 一度は果たせなかった。今でもそのことを想うと胸が痛む。体中が後悔で一杯になり、心がずたずたになる。

 もしかしたら今回は助けられるかもしれない。
 いや、助けられるかも、じゃない。助けるんだ。

 そこで、さし当たっての問題はサーヴァント戦になる。
 凛の話によると、近戦闘では手助け自体が邪魔になってしまう場合もあるらしい。
 ということはやはり一対一になるのだろう。

 目下としては、俺が校庭で見かけたランサーだ。
 単純な能力ならひけはとっていない、と思う。ならば、残るは俺の技量次第。

 しっかりと対処を考えなければいけないのは、土蔵の前で見たランサーの宝具、『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。
 あれはセイバーの身体能力を持ってしてもかわすことができないものだ。因果律を操作し、当たるという事実が先に作られ、結果に沿う様過程が修正されている。
 つまり、かわすには素早く動けること、ましてや対槍の技術が重要なんじゃない。必要とされるのは【因果を覆すほどの要因】か、すさまじい【幸運】だ。
 この体は確かにセイバーのものだから、対魔力や神がかり的な直感などは備わっているだろう。
 だけど今の俺の【幸運】の部分に関してはわからない。衛宮士郎は、決して運がいいということはなかった。
 じゃなきゃ一日に二度も殺されそうになったりなんてしないだろう。

 本物のセイバーでさえ、直感と運を駆使してあの怪我に抑えたのだ。そう考えると俺がかわせるとは思えない。
 いや、セイバーと同じ程度の怪我に抑える、それすらも見上げるほどにハードルが高い。

 『ゲイボルク』を使われたらどうしようもない。
 使われる前に戦闘を終わらせるか、因果を覆せそうな要因――俺の持っている手札では唯一だろう『エクスカリバー』で、一か八か迎撃を試みるしか俺に選べる選択肢はない。
 凛と俺、二人分の命を掛け金にするには、どう考えても分が悪い。






 帰り際に学校の近くに寄る。
 特に重点的に見て回るつもりはなかった。そもそも、帰り道に付近を通ったからついでに見に来ただけだ。
 しかし、何気なく寄ったこの学校で、今日唯一といっていい手がかりと遭遇することになる。

「どうもここに結界を作ろうとしてるやつがいるみたいね」

 無言で凛の言葉に頷いた。確かに学校全体に魔力の”淀み”のようなものを感じとれる。
 完成はしていないのか、淀みはあるが周りから吸い上げているということではないようだ。


 魔力を同調させて分析しようとするが、サーヴァントの気配が感じられたのですぐに淀みを無視して向き直る。
 そちらに目を向けると、どんどん気配が濃くなっているのがわかる。
 相当なスピードで近づいているのだろう。これは相手側も俺に気づいたとみて間違いない。

 凛は俺から相槌がないのに気がついて、何事かと俺の顔を見て読み取ろうとしている。

「サーヴァントがすごい勢いでこちらに向かってきています。あと数十秒で接触というところでしょう。
 結界のことは後程。とりあえずはサーヴァントを!」

「そこの学校に入って! もう下校時間は過ぎてるから少なくとも生徒はいない筈!」

「わかりました! 失礼します」

 凛を抱えて、一足で敷地を隔てる塀を乗り越えた。



 広い場所の方が戦いやすいだろうとそのまま校庭まで移動すると、十数秒ほど遅れて蒼い男が跳んでくる。
 目の前数メートルに立つそいつは、いつの間にか赤い槍を右手に持っていた。

「ランサー……」

 口の中で呟く。
 同時に、『風王結界(インビジブルエア)』を手に顕現させた。
 出来るだけ自然に、徒手空拳であるように見せかける。

 凛を背に庇う様に立ち塞がり、ランサーと対峙する。 

「はん、こりゃ可愛い嬢ちゃんたちだ」

 ランサーは威圧感をそのままに、軽い口調で話しかけてくる。その間も、じり、と距離を測りながら隙を探すが糸口も掴めない。
 自然体でいながら、隙はない。――これが、英雄と呼ばれる者。セイバーの身を借りて、ようやく彼の持つ強さを知ることができる。

「何用だ? ランサー」

「こっちのクラスはバレバレか。ま、槍持ってちゃ仕方がねえな。
 ……マスターからの命令でな。全てのサーヴァントと闘ってこいってさ。いわば偵察だ」

 肩をすくめ、演技くさい仕草でやれやれ、と首を振るランサー。
 赤い槍を肩に担ぎ、気だるそうに俺を見た。

「……それではここで決着をつける気はないんだな?」

「いーや、それとこれとは話が別だ。俺は強いヤツと闘いたくてサーヴァントになったようなもんだからな。
 そっちも戦闘目的で歩き回ってたわけじゃなさそうだが、あきらめろ。何が何でも相手をしてもらうぜ」

 偵察に来たのなら総合的に及ばなくても、なんとか戦力的に拮抗すれば撤退してくれるのだが。
 相手が本気で来るというなら、実力で撃退するまでランサーは撤退してくれないだろう。

「――――そうか、仕方がない。やる気ならば、そちらから掛かってきてくれないか?」

 俺はそう、ランサーに向かってぶっきらぼうに言い捨てた。
 それを受け、ランサーは表情をがらりと変えて俺を睨み付ける。その形相に一瞬、体が硬直してしまった。

「……サーヴァントと殺り合おうってのに無手のままとは。てめえ、舐めているのか?
 得物を出す間ぐらいは待ってやる。さっさと構えろ」

 暴力的な殺気を叩きつけられる。思わず、喉が上下する。
 背後にいる凛も、心なしか震えているようだ。

 落ち着け、冷静になれ。衛宮士郎。
 本質的な技量で負けている分、相手をなんとか乱さなければ俺の実力では勝ち目は薄い。
 効果があるかどうかはわからない。それでも、出来ることはしておかないと。

「かかって来いと言っているだろう。貴様こそ殺り合おうという場になって、試合でもするつもりなのか?」

 俺の言葉遣いがアーチャー――俺ではなく、前の世界のアイツのようだ。危機を目の前にして、精神的に魔術束縛を上回っているんだろう。
 それにしても挑発しようとすると口調がアイツそっくりになってしまう。あまり気分はよくないが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「――――ああ、そうかい。久しぶりに頭に来たぜ。いいだろう、殺してやる」

 指向性のなかった殺気が俺に向けて集中する。
 心を強く持って殺気に対抗する。

 殺気を感じ、その重圧に耐えるのは、体ではなく感覚――精神だ。
 肉体はともかく、精神的には常人に毛が生えた程度。俺はちょっと前まで英霊でもなんでもない魔術使い、しかもそれすら半人前だったんだ。
 もちろん、いくつかの修羅場は潜り抜けてきたけどサーヴァントと完全な一対一という状況はなかった。

 ……これがサーヴァントなのか。
 知らずに手に汗を掻く。


 予備動作なしで槍が迫り来る。それはまるで一筋の赤い光。

 速、い……っ!
 芸術的なまでの速さの所為で、槍の軌道が見切れない。
 いや、辛うじて視えてはいるが『衛宮士郎』としての感覚がセイバーの身体能力に追いついてきていない。

 なんとか剣で槍を逸らし、直撃を避けた。
 金属と金属がぶつかり合う甲高い音が校庭に響く。

「チッ! 既に武器は持ってたってことか。舐めてたのは俺のほうだったみたいだな」

「――――っ!」

 そういってランサーは槍を握りなおし、体を前傾させる。
 口元に笑みを浮かべ、実力や得物を読み取らんと視線を俺全体に集中させる。

 考えが甘かった。ランサーは全然熱くなんてなっていない。
 確かに精神的に昂揚しているようだが、戦う者としての意識か、いたって冷静だ。
 俺がやった心理戦なんてまったく意味を持っていなかった。


 槍が迫る。
 何とか槍の横を叩いて、軌道を――――逸らす。

 赤い残像を残して次々と放たれる。
 ひたすら剣で受けに回るが、反撃を返す隙が作れない。

 完全に防戦一方。
 一撃目から空白無しに繰り出される槍。その軌道を逸らすのに精一杯で、相手に言葉を返す余裕もない。
 やっぱり俺の技量では、セイバーの身体能力を引き出しきれていない。

 しかし、相手に俺の底を見せてはいけない。
 顔に苦戦していることを出さないように、なんとか表情を装わないと。

 腹部に迫る一撃に体を入れ替えて回避に回るが、槍が鎧の脇を削る。
 落ち着く間もなく、槍が迫る。必死に逸らすが肩の横を槍が走り、生地が切り裂かれた。

「……っ!」

 くそっ!
 セイバーがランサーと戦っていた時、こんな無様な立ち回りはしなかった!

 彼女は、逸らすんじゃなく槍を弾いていた。
 体を前傾に、槍の軌道を見切って魔力を乗せた一撃で打ち返す。攻め込み、圧倒的な威力で相手から戦いの主導権を奪い取る。
 セイバーの性能を活かした戦い方。だがしかし、それを見様見真似で、しかも一朝一夕で出来る芸当だとは到底思えない。

 …………今の俺じゃ、剣の経験に習って、体に直接覚えさせるしかない。
 エクスカリバーの経験を前面に、剣の動きを束縛しないように心がける。

「はっ!」

 セイバーにこそ劣るが、それとほぼ同じ動きでランサーの槍を弾き返す。
 大きく弾かれ、後方に流れかけた槍を契機にランサーは一足下がり、ひゅう、と口笛を吹いた。

「ほお、その得物はおそらく剣だな?
 長さなんぞの正確な判断がつかねえけどな。……貴様、セイバーか?」

 ……得物が読まれてしまったが、仕方ない。形振りを構っていれば乗り切れなかった。
 槍を逸らした時にこちらの武器の幅は読まれ、最後にランサーを弾いた一撃も経験通りに槍を剣の中ほどで打ったものだから、他の武器の可能性が消えたのだろう。
 『武器が視えない』というアドヴァンテージが早々に消えようとしている。驚くべきはあの速度で槍を振るいながら、こちらの戦力を測っていたことか。
 ということは、ランサーの本当の実力はこんなものじゃないのだろう。まだまだ底がある筈だ。じりじりと精神が緊迫していく。

「さて、どうだろうな。
 セイバーかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 ランサーの実力に戦慄しながらも、それでも軽口を叩く。
 衛宮士郎としては実力以上、驚嘆するほどの結果を出せているが限界と感づかせては駄目だ。
 知られればランサーは偵察の必要もないと、ここで俺と凛は倒れることになるかもしれない。

「いまさら隠したところでしょうがねえだろうが。
 得物が剣で、その体捌き。その戦闘技術を持っていてセイバーじゃなかったらなんだってんだ?」

「……ふっ。アーチャー、だったりしてな」

「――はっ。そりゃあ、笑えねえ冗談だっ!!」

 言うなりランサーは残像を残しながら、飛び込んでくる。
 槍も更に速度が上がり、最早その軌道は線というより点。
 しかし、セイバーもどきの動きでも偵察目的で槍を振るうランサーなら抑えることはできる。

 衛宮士郎の体ならばともかく、
 ――――この体は元々セイバーのものなのだから。

 瀑布の如き攻撃を逸らし、いなし、弾く。
 狙いの甘いもの――おそらく目くらましの弾幕――は半身ずらして回避する。

 剣の反応に体が応え、自然に動く。
 この体捌きを覚えているかのように、全身が活性化していくのがわかる。

 先ほどの劣勢が嘘のように盛り返していく。攻める側は全て攻撃を封じられ、受け側が圧倒していく。
 ランサーも手数で勝負するが、こちらはそれを先回りし、それらを叩き落す。
 体が面白いほどに動く。さっきは逸らすだけで精一杯だったものが、今は槍を避け、打ち落としながらも前進できる。


 だが、こちらとしても手詰まりだった。
 経験に頼れるのは防御の時のみ、自分が攻撃に転じたらそれは意味をなくしてしまう。
 剣は持ち手である俺に迫ってくるものに反応して打ち返してくれるだけ。
 簡潔に言うと、受けるのはセイバーを模倣した技術であり、攻めるのは衛宮士郎の付け焼刃の技術ということだ。
 今俺に出来ることは、セイバーの動きをできるだけ自分の物にすること。

 ――ひたすら受け手に回り、ランサーの攻撃を無効化することに専念する。



 しばらくの膠着の後、このままでは埒が明かないと判断したのか。
 ランサーは数十メートルほど後退し、この付近一帯から魔力を枯渇させるが如く急速に吸い取っていく。

「セイバー、貴様。手を抜いていたな? 口惜しいが、今の攻防を見る限り貴様の方が一枚、上。
 手の内を隠すつもりだったのかも知れんが
 ―――この俺相手にその慢心、命につながることを身を持って知らせてやろう」

 『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』か!

 直ぐ様、俺も『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を発動するため魔力の充填を始める。
 だが、ランサーは宝具発動に足る魔力充填が終わったようで体を低く構えている。ランサーの周りにすさまじい魔力が纏われ、赤い炎のように揺らぎはじめる。

 駄目だ! 発動に間に合わない!
 必死で体に魔力を充填させていくが、先手を打つどころか迎撃にすら届かない。

 空気が張り詰めていく。準備を終えたランサーは今にも俺に向かって駆けようとして


 ――――――不意に、どこかで微かな呼吸音が聞こえた。


「誰だ―――!」

 ランサーが反射的に向き直る。

 かなり遠くに、走っている人影が見える。
 魔力で強化された視力で人物の特定はできた。

 ――――必死になって走っているのは、士郎。
 過去の、この世界の、衛宮士郎だった。

「ちっ、目撃者を出しちまったか!」

 言うなり、ランサーが弾丸のように士郎に迫る。

「アーチャー、追って!」

「わかりました!」

 凛の声が耳に届く前に、俺はランサーの後を追うべく走り出していた。



 セイバーの身体能力を持ってしても、サーヴァント中最速と呼ばれたランサーに追いつくことは敵わなかった。
 校庭に凛の姿を確認した後、昇降口から校舎に入っていく。

 校舎に入って感じたのは血の匂い。そして、ここから離れていくサーヴァントの気配。
 既に士郎は心臓を貫かれてしまったのだろうか。急いで彼の元に向かう。


 やはり、予想は当たっていた。
 士郎の胸は穿たれていて、傷の割には出血が少ない。

 『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』が持つ呪い。腕を取ると脈こそあるが、血の流れが強制的に止められようとしている。
 このままではもう数分もしないうちに生命活動を停止するだろう……いくら自分だからといって人が殺されたのなら気分が悪い。


 俺は、周りが幸せならそれでよかった。
 だけど第三者として見て初めて、『士郎』が死ぬということに苛立ちを覚える。

 ……俺はこの世界では、衛宮士郎でも、セイバーでもないのだろう。
 アーチャーとして、この世界に呼び出されたサーヴァントとして。
 士郎を含めたみんなが幸せであれば、と思う。――そう思う。



「―――っ!」

 少し遅れた凛が追いついて来て、倒れている男の顔を確認して息をのんだ。
 極力それに気づかない様子を装い、凛へと向き直る。

「……凛、どうしますか?」

「あなたはランサーを追って。その先にマスターがいるはずだから!」

「わかりました」

 壁に寄りかかって俯いている男の腕を放す。
 何かこの体と士郎との間につながりでもあるのだろうか。
 お互いの体の中の”なにか”が活性化し、触れた箇所を通して活力が士郎に流れ込んでいく感覚を覚えていた。

 けれど、それを振り切るようにして駆け出した。

 今俺がすべきことは、別にある。
 ランサーの気配が消えていった方向に向かって、未だ見ぬそのマスターを睨み付けていた。





[7933] 三日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/10 23:05

◆◆◆


 体中が異常を訴え、意識が強制的に覚醒する。
 起きなければならない。そんな意思に従って力を込めるが、全身が泥に埋まっているような倦怠感が枷になり、上体すら中々起こすことが出来なかった。
 随分な体力を使って体を起こし、ゆっくりと目を開けるとそこは薄暗くなった廊下だった。どうやら昼とは全く表情を異なっている、夜の校舎で横たわっていたようだ。

「……何で、こんなところに?」

 力の入らない両足を訝しげに思いつつ、壁に手をついて何とか立ち上がった。
 体中の生命力が消え失せてしまったかのように、倦怠感は五感すらもぼやかして包んでいる。

「――ぅ、ぐ!?」

 そして突然、ぼやけていたものが裏返ったように牙をむき、その中身を串刺しにした。

 体中の血が逆流しているような不快感。内臓ごと搾り出そうとするように、胸に敷き詰まって剥がれない吐き気。
 不意を撃たれて思わず口元に手を当て腰を折ると、自然と地面に広がっているものが目に映る。

「これって……」

 辺りの、一面の床が赤黒く染められていた。
 おびただしい血痕。いや、血痕といっていいのかどうか――そう、正しく血溜まり。
 雨が降った後の道路の水溜まりのように、まるで人が殺されたとでも云うように、廊下には血が溜まっていた。

「――――」

 認識もが反転する。……ああ、そうだ。俺の視界に、この惨状は初めから入っていた。
 誰よりも俺が認めたくなかったのだろう。視界にあっても脳がそうと認識させなかった。
 それを認めてしまえば、今の俺こそが異常になってしまう。だからこそ、都合の悪いその異常を無いものなのだと錯覚させていた。

 けれど、正面から向き合ってしまっては認めないわけにはいかない。
 青い男と赤い小柄な人物。その戦いが急に記憶に残っていた。いや、思い出した。
 赤い方は、よくはわからない。遠目だったのもあるし、その後の強烈な出来事に上から塗り潰されてしまったようだ。
 けれどそれでもあの蒼い奴は、顔も得物もその声も、しっかりと覚えてる。そいつだけは記憶に深く刻まれていた。

 そう。だって俺は、間違いなくあいつに殺されたのだから。


 いつからか、俺は右手を胸に当てていた。
 制服に穴が開いて血だらけになっているが、肉体には傷も、その痕すらも見当たらない。

「俺、本当に……殺された、のか?」

 意識が朦朧としていた。
 酸素が足りない。呼吸が、侭ならない。

 考えがまとまらないまま、雑巾とバケツを教室のロッカーから引っ張り出して、血を拭き取り始める。
 これを何とかしないと、月曜の朝には厄介なことになるかもしれない。そんな場合でもないのに、思考は積極的に逸れたがる。

「は、あ……なんだって……こんな」

 血が落ちない。落ちてくれない。
 現状すらも掴めずにいる苛立ちをぶつけるように、雑巾で床をこする。



 一通り綺麗になったところで雑巾とバケツを片付け、バッグを持って校舎を後にする。

 貫かれたはずの心臓……改めて胸に手を当てる。何事もなかったように、呼吸に合わせて上下している。疼くものの、痛みはほとんどない。
 きちんと機能しているのか、確かめるように深く息を吸い込んでいた。

「があっ! ぐっぅ! げほっ!」

 そして当然のように、大きく咳き込んだ。ずきん、ずきんと大きな痛みが胸を中心に走る。
 胸にこみ上げるものを感じ、抑える間もなく排水溝に吐き出した。

「血だ……」

 ついに足から力が抜け、ふらふらと道端に座り込んでしまう。

 確かに俺は殺された。
 殺されかけたのではなく、『殺された』のだ。
 どうして助かったのか――俺がこうして生きていられるのかはわからない。
 けれど、本来なら俺は死んでいた筈。こうしていられることが異常なのだと、理解していた。

 意識が完全に落ちる前、霞のような不確かな意識だったが、俺の腕をとった手、それと俺の胸に当てられた手だけは覚えている。
 ふたつの異なる暖かさ――おそらくその手の持ち主が、死ぬ運命にあった俺を助けてくれたのだ。

 壁に手をついて立ち上がり、また歩き始める。
 無理をしない程度であれば問題なく動けるが、何かの拍子で嘔吐感がぶり返すとも限らない。
 とりあえずは、家に帰って早々に休むべきだろう。



 一時間強をかけて、やっと家に辿り着いた。 進む速度はいつもの半分ほどだというのに、家に着いた時俺は息を切らせていた。
 件の嘔吐感は時間経過とともにいくらか収まってくれている。体を引き摺るようにして玄関で靴を脱ぎ、のろのろと居間に上がる。

 室内灯もついていない部屋を見ていると、自分がどこに立っているのかわからなくなった。
 いつもは感じないのだが、今日に限って誰もいないこの家が寂しく感じられる。
 心細い。時計の音だけが居間に響いている。時刻は十一時を既に回っていた。
 とりあえず電灯をつけて部屋を明るくすると、気が紛れてくれたことにほっとする。

 改めて自分の体を見渡す。制服は血まみれで、まるで銃で撃ち抜かれたようなひどい状態だ。
 人に見られていたら間違いなく通報されていただろう。

 制服に空いた穴から胸を触る。ドクンドクン、と心臓が拍動しているのが感じられる。
 俺は確かに殺されたはず。蒼い男が放った槍は皮膚を突き破り、心臓をも貫いていた。その痛みは確かに胸に残っている。
 もしあの痛みを伴ったものが夢だとしたら、悪夢なんてものを通り越しているだろう。

「ぐうっ!」

 その状況を思い返すと、また嘔吐感が激しくなっていく。
 精神を集中させて吐き気をゆっくりと抑えていく。

「はあっ! は、あ……はぁ…………ふぅ」

 呼吸を整えながら、なんとか気持ちを落ち着ける。

 ……あいつらはいったいなんだったんだろうか。
 とりあえず人じゃない、と思う。確実にその動きは人の規格から外れている。
 果たして人間が鍛錬を積んでいけば、あんな動きが出来るようになるのだろうか。


 突如、がらんがらん、と鳴り子のような音が家中に響く。
 あまり聞き覚えのない音だが、その意味は知っていた。

「この音っ!」

 親父が家に張った対侵入者の結界の、警報音。
 設置されてはいたものの実際に鳴った試しがなかったそれが、今鳴り響いている。

 悪寒が、背中に張り付いていて離れない。死が、危険が迫っているのだと体が訴えている。
 この人とも知れない気配は、学校で感じたものと全く同じではなかっただろうか。ということは、あの青い男が……?

 どうする。このままでは抵抗も出来ずにやられるだけだ。
 俺に出来るは少ない。その中でも有効な手段として挙げられそうなものは―――強化魔術。
 そうだ。強化した武器でなんとか応戦するしかない。
 しかし、ここは居間。道場ならともかく、都合よく木刀やらなにやら置いてあるような場所ではない。
 包丁などの刃物はいくつかあるのだが、いかんせんリーチが短すぎる。あの槍とやりあうには、せめてそこそこの長さがなければ話にすらならない。

「これしか、ないのか?」

 手にあるのは藤ねえがおいていった自衛隊募集のポスター。
 あまりに頼りない。けど、代替出来そうなものがない今、贅沢は言ってられない。

――――同調、開始

 それは、自身を魔術使いへと切り替える自己暗示。
 ただの紙のポスターに魔力を通す。

「――――構成材質、解明」

 魔力を隅々まで行き渡らせる。
 ポスターを織り成している物質を解析し、全体を把握する。

「――――構成材質、補強」

 構成されている材質の弱点部分を見つけ、魔力を重点的に通す。
 既に彩色されている粘土に絵の具で塗り足すように。

――――全工程、完了



「で……きた」

 それは、親父が死んでから一度も成功しなかった魔術。
 久方ぶりの会心の手応えに、思わず身震いしていた。

 いや、感動しているような場合じゃない。あの男が相手では、強化魔術を施した程度のポスターでは何の脅威にも成りはしないだろう。
 気を抜いて、気がついたら殺されていたなんて洒落にもならない。

「……っ」

 気を引き締め直した直後、居間の空気がいつの間にか変わっていることに気がついた。
 殺気が外から場所を移している。おそらく、今こうして感じているものは、頭上からの――

 考えるより先に咄嗟に身を翻す。


「……チッ! 気づかないうちに殺してやろうと思ったのによ」

 床板を貫く音と共に、俺が今正に退いた場所に赤い槍が突き立った。
 体裁を金繰り捨てて床を転がり、ポスターを構えて一気に立ち上がる。

 するとそこには、いつの間にか青い男が槍を手にして机の上に立っていた。

「まったく。何の因果で同じ人間を二度も殺さなきゃならねえのやら」

 そう、命を奪うという宣言をどうでもいいように呟いて、男は何の気なしに槍を放つ。
 そんな片手間に放たれた一撃は、俺の目に辛うじて視認できる速度で迫りくる。

「つあっ!」

 向かってくる槍の軌道を、ポスターで逸らす。
 室内に高い金属音が鳴り響き、ポスターを握る俺の手に重たい衝撃を与えてくる。
 腕に入れる力の配分を間違えれば、肩から持っていかれるかという威力。

「ほぉ、なんの手品だそりゃ。おもしれえ」

 そんな一撃をこちらにくれた男は、紙の筒なんぞに防がれたことが余程驚きだったらしい。
 打ち合わせた音が消える間も与えずに、次の音が生まれる。

 青い男は槍を『突く』ではなく、『振り回している』。
 狭い室内では長柄の得物は不利だという常識を無視して、家屋に遮られる事なく槍は縦横無尽に振り切られる。
 ぎりぎりのところで振るわれる槍を、鉄と化したポスターは受け止めてくれているが次第にその加圧に耐えられずに折れ曲がっていく。

「……微かだが魔力が感じられるな。コイツに心臓を貫かれても生きていられるってのは、魔術師だったからか」

 獣じみた殺気をぶつけられる。
 気を抜いたら足が笑って使い物にならなくなりそうだ。

 応戦するだなんて、思い違いも甚だしい。
 少しでも腕を振るう速度を上げれば、あの槍は俺を貫いているだろう。そうなっていないのは単に、俺で遊んでやがるからだ。
 アイツは今こうして目にも留まらない速度、達人の如き技を振るっても、本気なんてこれっぽっちも出しちゃいない。

「そら、受けてみろ!」

「くっ!」

 右手に握られたポスターを見て、焦りが増す。鉄と化した筈のものは、たった数合で折れ曲がっていた。
 せめてこのポスターに代わる、武器がなければ。必死で辺りを見回してみても、代わりになりそうなものすらもない。
 土蔵ならば、少なくともポスターよりはいいものがあったはず。




 男が隙を見せたところで意を決し、庭につながるガラス戸を破り、外に飛び出した。
 攻撃を止めていた男は反撃でも受けてやるつもりだったのか、遅れて後ろについてくる。

「いい判断だ。敵わないとわかれば現状を変えにいく。鍛えりゃいい線いったかもしれねぇな」

 赤い槍が、下から迫りくる。ひゅん、と風を切る音は最後まで聞こえない。
 いきなりの縦攻撃に反応し切れず、咄嗟にくの字に曲がったポスターを両手で固定し、受ける。
 振り上げられた槍の勢いは自分の体重を上回り、体はあっけなく宙に投げ出された。



 長い長い滞空時間を経て、背中から土蔵の壁に突っ込んだ。

「があ―――はっ!」

 衝撃に、肺から空気が搾り取られた。呼吸が出来ない。
 思わず咽返り、蹲りそうになる。

 ……けれど、そんなことしている時間もない。
 この体は運良く土蔵に向かって吹き飛んでくれた。扉は目と鼻の先だ。


 苦労して土蔵に滑り込ませる頃には、ランサーはすぐそこに迫っていた。
 繰り出される突きを、最後の抵抗とポスターを広げて、受け止める。

「チェックメイト。魔術師にしてはよくやったと思うぜ? この俺相手によ」

 だが、そこまで。
 貫かれたポスターはただの紙に戻り、槍から抜かれて床へとひらひら舞い落ちる。

「――――っ!」

 武器を探そうにも、男から目を逸らすことが出来ない。
 逸らさずとも男の一撃に俺は反応しきれないだろう。だが逸らしたら最後、その瞬間に俺は絶命する。

「案外、七人目ってのはお前だったのかも知れねえな。…………今となっちゃ、どうでもいいが。
 まぁ、人生二度も死ねるなんて、本当に運がなかったな。坊主」

 ゆっくりとした動作で、男は槍を構える。そんな動作の間も、俺は動くことが出来なかった。


 俺は……また、こんなに簡単に死ぬのか。
 助けられたからには、生きる義務を果たさなければならないっていうのに。


 槍は迫る。狙いはこの心臓。
 既に一度見た光景。そしてその結末も身を持って知っている。

 ゆっくりと、視界がスローモーションになる。


 日に、二度も殺される。殺されて。助けてもらって、また殺される。

 そんな莫迦なことがあっていいものか。
 どんな事情があったとしても、人を殺していいなんてことはないだろう!


 だから俺は絶対に、お前なんかに殺されてやるものか―――!




 ……槍がこの胸を貫こうとしたその時、地面からあふれ出た光が土蔵を照らす。
 その光の中、金属がぶつかり合う音がした。胸に迫る槍は確かに弾かれていた。





[7933] 三日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/11 10:10



「えっ?」

 知らず、声が漏れていた。
 あの窮地を傷ひとつなく脱することが出来ている今この時を、何より俺が信じることが出来ずにいた。


「―――まさか本当に、七人目だったのか!?」

 光の中から目の前に躍り出た人影。それは現れると同時に俺に迫る槍を撃ち落とし、返すように青い男に向かって何かを振り下ろした。
 切羽詰ったように声を上げながらも、男はなんとか両手に握る槍でそれを受ける。だが、その尋常ではない衝撃を殺しきることが出来ずに、土蔵の外に弾き飛ばされていく。


 そんな様子は視界の中にこそあれ、俺の意識には入っていなかった。突然目の前に現れた人物を、俺は魅入られたかのように見つめ続けていた。
 華奢といっていいほどに小柄な後姿。髪は結い上げられていて、糸のように艶やかな金髪。清廉な程に青い服、その上には白銀色に輝く鎧に身に纏っている。

 呆、と動けずに座ったまま見上げていると、その人物はこちらに振り向いた。

 それはとても美しい、少女だった。年は俺よりも下だろうか。しかし、凛としたその佇まいには王者の貫禄。
 鎧を着込み、視えない何かを構えている姿は戦意に溢れ、騎士という言葉がぴったり当て嵌まる。


「――――」

 突然の状況に頭が真っ白になったか、目の前の少女に見惚れてしまったのか。
 それはわからないが、喋る方法を忘れてしまったように言葉が出てこない。

「―――問おう。貴方が、私のマスターか」

「―――マス、ター?」

 儀式のように告げる彼女に対して、間抜けにも聞き返してしまう。
 疑問を問いかける余裕もなく、思考を停止させたまま目の前の彼女の姿を見つめていた。

「サーヴァントセイバー、召喚に従い参上した。マスター、指示を」

 その言葉を聞いた途端に左手が激痛を訴える。焼き鏝を当てられているような熱が手の甲に走る。
 口から声を上げそうになるのを堪えて、右手で左手の甲を押さえつけた。

「――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。
 ――――ここに、契約を完了した」

「契約……ってなんの―――?」

 彼女は俺の声に反応すらせず、外に目を向け、身を翻して土蔵の外に駆けていってしまった。

 ……まさかっ! あの男と殺り合うつもりなのか!?

 一拍、展開についていけずに座り込んだままでいた俺はそこに思い至るなり、躓きながらも立ち上がり少女の後を追う。
 あんなに小さい女の子があの男に敵うとは思えない。その脅威を、手合わせした俺は理解していたつもりだった。




「や、め……?」

 いいかけた言葉は、最後まで紡がれる事なく口の中で消えた。
 それもそうだ。俺が考えていた事態と、まるで真逆だったから。目の前では、なんとあの少女が蒼い男を圧倒していたのだ。

 剣戟の音が、暗く染まった空に響いていた。
 闇に浮かぶ無数の赤い突きを、少女はただひたすらに弾き落としていた。
 朱槍と『何か』は火花を散らし、夜中の庭を明るく照らす。

 突然の襲撃に男は思わず引き下がり、少女が剣を構えながら詰める。

「何故ここにいる!?
 キサマ、あの嬢ちゃんのサーヴァントじゃあなかったのか!?」

「……何を訳のわからないことをっ!」

 少女の張り上げた声と共に繰り出された一撃を、男は目測誤ったのか受け損ねる。
 槍が大きく跳ね上げられ、けれどその反動を利用し槍の石突を少女に向けて牽制、男は隙を潰して事無きを得る。

「チィッ! 先も思ってはいたが、視えない武器など卑怯だとは思わねえのか!!」

「――――」

 少女は話すことをやめたようだ。
 話している内容は理解出来ないが、話が噛み合ってないことだけは見ていてよくわかる。


 少女の一撃が地面をえぐり、一際大きな音が庭に響いた。
 男は間一髪で空中に逃れて庭の逆の位置につく。そこから動かず、槍を下に構えたまま攻め入る様子がない。

「――――どうした? ランサー。
 止まっていては槍兵の名が泣こう。来ないなら私から行くが」

「おいおい、今回は随分と積極的だな。
 そういえばどうしたんだそれは? さっきの赤い方も良かったと思うがな」

 男は話しながら、相好を崩す。
 その言葉は冗談だったのだろうが、その双眸の力は緩められることはない。

「――――貴様は先ほどから何を言っている」

「何って、俺とお前はもう既に戦っただろうが。
 お前の実力はわかったから、さっさとあいつのサーヴァントと闘わせてくれ」

 男が指差したその先には……俺?
 一時的に視線が俺に集まるが、相変わらず状況を理解できていない俺は困惑することしか出来ない。

 何でさ? っていうかサーヴァントって何だよ?
 必死に考えてはみるものの、最低限の情報さえもなくてはどうしようもない。

「何を言っている。あの方は私のマスターだ」

「おいおい、それならさっきの嬢ちゃんは誰のマスターだと言う心算だ?
 腕に令呪があったのは確認させてもらった。少なくともマスターであることは間違いない」

「貴様が何を言っているのかわからない、先ほどからそう言っているだろうが」

 男の口振りでは少女と認識があるようなのだが、彼女の言葉もどうやら嘘はなさそうだ。
 目の前の相手もまた本気で言っているのがわかっているからか、セイバーと名乗っていた彼女も戸惑いを隠せずにいる。

 男は構えを崩さず動きを止める。何かが引っかかっているのか、思案した様子。
 そのまま幾許もすると割り切ったのか、妥協点を見つけたようだ。

「…………?
 まぁ、いい。貴様の得物が剣である以上、セイバーだということばかりは相違ないのだろう」

「――この不可視なる剣を、どうして見破った」

「先の戦闘で見極めたんだよ。言ったろうが」

「――――っ! やるな、槍兵」

 驚愕を隠せずにいる少女と、その反応にまた軽く首を傾げる男。
 変わらず、会話が食い違っていく目の前の二人。何かの行き違いがあるのはわかるが、俺にも事情がわからないから修正させることも出来ない。

 二人とも至極真面目に話しているんだろうけど、何処か空気は弛緩している気がした。



「んで、ここらで引く気はねえか?」

 若干槍の穂先を下げるランサーと呼ばれた男。途端に空気がぴりっと張り詰めた。

 ――あの構えは!
 放たれるものはきっと、校庭で見た戦いを決着付ける筈だった必殺。

「――――断る。貴方はここで倒れろ、ランサー」

「残念だ。こっちはマスターがいねえし、お前のとこのマスターは何するでもない。
 出来るならば、万全の状態で闘いたかったんだがな」

 ランサーの周りに魔力が渦巻いた。周辺の魔力をも汲み上げ己へと補填していく。
 少女もその構えに警戒を顕にしていたが、魔力を収束させていく男に形相を一変させる。

「宝具――――!」



……その心臓、貰い受ける――――!

 ランサーは下段の構えから、さらに足元に向かって突撃する。
 槍から溢れる魔力が赤く伸びて、まるで尾を引いているようだ。

 もちろん、セイバーと呼ばれた少女も迎撃に打って出る。下段に対しては最上段よりの攻撃。
 ランサーを飛び越えて切りかかろうとする、が――


  「『刺し穿つ(ゲイ)―――

 言葉が放たれた途端に急速に槍は魔力を帯び、


                   「―――死棘の槍(ボルク)』

                             ありえない軌道で少女の胸に迫る。



 ――――それは確かに、必殺を冠するに相応しかった。

 セイバーと呼ばれる少女はその異常の直前に、何かを察知したかのように体を空中で入れ替えていた。迫る槍は、体を無理矢理にでもずらしたことで本来ならば回避できていた筈だった。。
 だがしかしそれすらも想定内とでもいうように、槍は少女の回避運動に合わせて軌道を曲げる。不可解な動きで槍は彼女の胸部を追尾し、貫いた。
 その衝撃に少女は体の制御を失い、空中に投げ出される。…………だがなんとか持ち直し、着地したようだった。

「因果の逆転―――!!」

 一瞬の出来事。しかし行われたそれはこの世の理を捻じ曲げていた。
 当たるべくして当てる。起こった神秘をその身に受けて、少女は苦しそうに声を上げる。


「――――かわしたな、セイバー。我が必殺のゲイ・ボルクを」

「っ……! ゲイ・ボルク……御身はアイルランドの光の御子か―――!」

「……有名っていうのも考え物だな。出すからには一撃でしとめなくちゃならねえってのに」

 最後に舌打をし、ランサーは槍を収める。そしてそのまま後方――庭の隅に向かって跳躍する。
 手傷を負わせたというのに彼女に目もくれず、塀の上に立ったランサーは背を向けた。

「マスターが帰って来いっていうもんでな。悪いが今回はここまでだ」

「逃げるのか、ランサー!」

「何。追ってくるのは構わん。だが――――」

 そこで、ランサーは背中越しに振り向いて、少女を見る。
 視線を追っていくと、セイバーと呼ばれた彼女が苦しそうに胸を押さえる様子が視界に入った。

「決死の覚悟ぐらいはしてから来い」

 ニヤリと笑って柳洞寺の方へと向き直ると、塀を飛び越えてランサーは闇に消えていった。
 俺はその先を見つめることしかできなかった。




「ぐっ!」

 ランサーの姿が完全に見えなくなってから、少女が膝をつく。
 あわてて駆け寄るが……改めて見ると、彼女はとても綺麗な子だった。
 って、違う。そうじゃない。

 傷を負った彼女に対して俺がしてやれることはあるだろうか?
 どうすればいい。槍によって貫かれた胸部は、いったいどういう処置をすればいいのか。
 とてもじゃないが救急箱で治療できるような軽傷ではないだろう。そうなると俺では手に負えそうにない。

 思考ばかりが空回りして、結果呆然として黙って見ていると少女が立ち上がって顔を上げる。

「――あれ?」

 傷が治っている……?
 いや、そうだ。俺を守ってくれたものだから安心していたけど、未だにこの子は得体がしれないのだった。

「え、と。君はセイバーでいい、のか?」

 警戒しながらも問いかける。何を訊ねるにしても、まずは名前を確認しておかないと。
 話しかける間、彼女の全身を確認してみたが怪我をしているところはなさそうだ。

「はい。マスター。私はセイバーのサーヴァントです」

「あ、俺は衛宮、士郎。この家の人間だ。
 って、違う、こんなことを訊きたいんじゃなくって……」



「――――あなたは正規のマスターではないのですね」

 後の話は何がなにやらさっぱりだ。
 結局わかったことは、セイバーが俺のことをマスターって呼んでいることぐらい。

「待ってくれ、俺はマスターなんて名前じゃないぞ」

「ええ、それではシロウ、と。私としてもこの発音のほうが好ましい」

「う……」

 セイバーの物言いに、顔に血が上る。

 その後話している最中に、いきなり左手の痣が赤くなって変な模様に見えるようになったりしたが混乱は増すばかり。
 そもそも、セイバーのいう令呪ってなんなんだ。そして俺をマスターと呼んでいた理由も不明のままだ。



「シロウ、傷の治療を」

「へ?」

 突然そんなことを言い出すセイバー。
 もちろん強化しか使えない半人前の魔術師が治療などできるわけはない。

「申し訳ないのですが、外の敵は二人。その重圧は凄まじい。
 気配からして私が本調子で臨んで互角、というところでしょう」

「ち、ちょっと待て、俺は傷の治療なんてできないぞ!
 それに傷なんて何処にも見当たらないし、治ってるんじゃないのか?」

 俺の問い掛けを聞くなり、セイバーは苦虫を噛み潰したような顔で数秒の間逡巡する。
 そしてそれが終わるや、ランサーと呼ばれた男と戦っていたときに振るっていた視えない剣が、恐らくその手に現れた。

「――シロウ、あなたは隠れていてください。そして隙をみて逃げるように」

 セイバーはそれだけ言うとその敵を壁越しに睨み付け、門から駆け抜けていってしまった。

 いや、待て。外の、敵だって?
 もしかして「隙をみて逃げるように」って自分が犠牲になる気なのか――――!

 俺はすぐにセイバーの後を追って、全速力で門を走り抜けていった。





◇◇◇





 俺はランサーに逃げ切られたところで凛に念話で話しかけられ、合流した後に逃げられたことを伝えた。
 そしてどうせなら最後まで面倒を見る、と凛からの一声があり衛宮家に向かっているところである。

「いい? 会ったとしても決して衛宮くんを助けたことを言わないようにね。
 私と違って彼は普通の人、まして私たちが巻き込んだようなものなんだから」

 実は、士郎も半人前とはいえ魔術使いなんだけどな。

 魔術師としてならば、一般人であると認識されている衛宮士郎は切り捨てられてもおかしくはなかった。いやむしろ切り捨てるのが正解だったのかもしれない。
 それでも助けてくれた凛はきっと、お人よし。人としての優しさは魔術師には必要ない。けれどそんな凛が、俺は好きだった。

 前回は有耶無耶になってしまったけど、あの時死の淵にいた俺を助けてくれたのは、やっぱり遠坂だったんだ。
 スカートのポケットに手を入れてそこにあるもの――赤い宝石のペンダント――を握り締める。
 昨日、着替える時に鎧の中に紛れているのに気がついた。文字通り、これは命の恩人のものだったから肌身離さず持っていたんだけど、一緒についてきているとは思わなかった。
 宝石を魔術に使う凛に見せたら一騒動あると思って黙っていたんだけど――――。

 これを返す相手は、この世界にはいないんだよな。


「っ!?」

 心臓が一際大きく拍動する。
 考えるよりも早く、反射的に戦闘武装を完了させた。

「どうしたの? アーチャー」

 サーヴァントの気配を感じ取る。
 一つはものすごい速度で柳洞寺の方向に向かって離れていく―――この速度、間違いなくランサーだろう。
 そして、もう一つ――大きく、強い気配が衛宮家の庭から発されている。

「凛、サーヴァントが二体付近にいます!
 おそらく一つはランサー、すごい速度で離れていくようですが、もう一体が――――来ます!」

「えっ!?」

 手にはエクスカリバー。それを構えて凛の前に躍り出る。
 果たしてこの相手、セイバーなのかはわからないが凛は守らなくては。


 人影が衛宮家の門より飛び出してくる。近づいてくる特有の気配。間違いなくサーヴァントだ。
 明かりが少なく、けれどどうにも相手が何か持ってるのようには見えない。

 ――――やっぱりセイバー、か!?
 風の鞘に包まれたエクスカリバーを、握り直す。

 それは直感なのだろうか、経験なのだろうか。それはわからない。
 だが、相手が振るってくる軌道が読めた。それに従い、こちらも相手も中間を基点にして同じ構え、同じ軌道で剣を振るう。

 互いに等距離の中空から、大きく鈍い音が響き渡る。
 こちらの得物も相手の得物も視えない為に、何もない空間に突如火花が発生したように見えた。

 かち合い、剣は反動で離れる。けれど互いが構わず前に進むために、また刃が重なり剣を介しての力比べが始まった。
 本調子ではないのか、相手の力は自分よりも少し弱いので俺が比較的優位に立ち回ることになった。



 そこで、強い風が吹く。
 衣服が風によって流され、髪がはためいた。

 雲に隙間が空き、月の光が俺たちを中心に差し込む。


「ちょっと……これっていったい、どういうことなのよ……!」

「――――!」

 月明かりに照らされるのは俺と――――セイバーの二人。
 その姿は色こそ違えど、まるで鏡に映った己を見ているように。


 ――――ああ、やっぱりセイバーだった。
 きゅう、と胸が締め付けられる。泣きたいような笑いたいような、そんな感情があふれ出てくる。
 目の前の彼女を思いっきり抱きしめたい。すまなかったと、ありがとうと、沢山の言葉を伝えたい。

 ……しかし、それをやる相手は彼女じゃない。そんな人違いを起こすわけにはいかない。
 彼女は、俺のサーヴァントであったセイバーではないのだから。俺の知っているセイバーとは、別人なのだから。



 時間にして数秒だろうか、時間が止まったように場が硬直していた。
 聞こえてくる足音に我に返ったセイバーは、大きく後退して視えない剣を構え直す。

「セイバー、やめろ!」

 遅れて飛び出してくる足音の主――士郎。
 躊躇もせずセイバーの前に躍り出ると、彼女を庇うように立ち塞がった。

 背後からは何事かと、凛が小さく息を飲む音が聞こえてくる。

「駄目だ。女の子が戦いなんてするもんじゃない! 見れば相手も女の子……っ?
 って、セイバーが二人!?」

 そこで俺を睨み付けた士郎は、姿を確認するや驚愕に目を見開き後ろのセイバーとを見比べ始める。
 見比べられているセイバーも、士郎ほどではないが困惑の表情を浮かべている。

 混乱した場で誰よりも早く立ち直ったのは、凛だった。
 歩き出し、俺の横に並ぶときょろきょろと見回している士郎を見やる。横目で見るに、無表情だ。

「どうも、こんばんは。衛宮くん」

「と、遠坂!? 何で遠坂がここに?」

「何でもいいでしょう。そんなことよりも、そう。まさか衛宮くんが魔術師だったとはね」

「な、何でそれを?」

 こちら側からは確りとした様子は見えないが、凛も内心動揺してないはずないのに普段どおり振舞おうとするのが分かった。
 その上で、相手の様子を見て有利になるように話を進めている。……なんていうか、魔術師してる。

 目の前のセイバーは目を見開いてこちらを凝視している。だが、咄嗟のことに反応できるように剣を構えたままだ。
 なので俺もエクスカリバーを構えたまま、セイバーから意識を離すことをしない。

「……凛、どうするのです?」

 声のみで問いかける。視線はセイバーから外さない。
 聞こえてきた己と同じ声色に、セイバーはびくり、と震えた。

「そうね……。どうやら衛宮くん、なんにも知らないみたいね」

 思わずといったように、はぁ、とため息をつく凛。
 横で結われた髪をかき上げると、改めて士郎にと向き直る。

「衛宮くん、家にお邪魔させてもらっても構わないかしら?」

「え? あ、ああ。でも、俺には何がなんだか」

「それを説明してあげるわよ。ま、私にもわからないことはあるけどね」

 言って、俺とセイバーを比べ見る。そして目線を切ると、剣を構えたままのセイバーの横を抜けて門へと歩いていく。
 擦れ違う瞬間セイバーの体がまた反応したが、結局歩いていく凛に剣を振るうことはなかった。
 何故か士郎は、凛に先導される形で続いていく。


「さて、マスター同士で話がついたようです。
 それで、貴女はどうするのですか? セイバー」

「――――!」

 構えを解いて、こちらから剣を収める。
 同時に身を包んでいた鎧も魔力へと分解され、ブラウスとスカートの姿へと戻った。
 そしてそのまま歩き出す。睨み付けるように視線を外さないセイバーの横を抜けて、先を歩く士郎の後に続く。

 セイバーから収めるとは思えないから、俺から構えを解かないと延々とこの膠着は続くことになっていただろう。
 後ろを振り返ると、セイバーは剣を還して、訝しげに俺を見ながらも無言で俺について来ていた。
 つい笑みが浮かびそうになるのを抑えて、衛宮家の門を潜った。





[7933] 四日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/11 10:05
 午前の1時過ぎを時計が刻む頃。所は藤村の屋敷と並んで大きな日本家屋。
 日付も変わったそんな深夜帯、年頃の青年である衛宮士郎が寝起きしている住居の居間には、見た目には三人の女性が机を囲んで黙って座っているという異様な光景が広がっていた。
 ちなみにその中の一人は本当に見た目だけで、どういうわけか中身は俺である。改めて言うまでもないが、他二人は正真正銘の女性だ。

 しかもそんな不思議な光景のそこには、台所から食欲を刺激する芳しい匂いが漂ってくるものだから余計に訳がわからない。
 なんだってこんな状況になってるんだろう。酷く居心地が悪い。それもこれも……アイツが変なことを言い出さなければよかったのだ。

 思わず敵意を篭めて、台所に立つ赤毛の青年を見てしまう。
 原因は、アイツだ。

「すまない。手が足りないから誰か皿の盛り付け手伝ってくれー」

 士郎はこちらの重たい雰囲気などお構い無しに声を上げた。


 その声を受けても、少なくとも他の二人に動き出そうという様子は見られない。

 セイバーは動かない。
 酷く真剣な顔でこちらを警戒していたが、時折意識が俺から外れることから士郎の作る料理の匂いにつられていた様子。
 出来上がりが近い今、俺への注意は払われていないといっても相違ない。

 そして凛は聞いているのか、いないのか。
 漂ってくる匂いから何かを分析しているのか、険しい表情で思考に没頭している。
 黙りこくっているが、その目つきはまるで戦場にいるかのようだ。正直、声を掛け辛いどころか目も合わせたくない。

 そして俺はというと、凛のサーヴァントという立ち位置なのであんまり動かないほうが良いと考えている。
 考えているのだけど―――仕方がない。消去法でいうと、俺しかいないじゃないか。


 仕方なく立ち上がり、台所へと向かう。
 そこでようやく俺が動いたことに気づいたセイバーが視線を向けるが、今ばかりは無視して歩みを進める。

「ああ、えっと、悪い。魚の煮付けを皿に盛り付けて欲しいんだけど。
 俺、これ洗い終わったら行くから、先に持って行って欲しい」

 士郎は使い終わったボールや包丁、まな板を洗っているところだった。

 準備はなるほど、もうほとんど終わっていた。
 持ち運べるようにお盆の上には四人分の茶碗と、味噌汁が盛られたお椀が鎮座ましましている。
 炊飯ジャーを見ると、米も炊き上がっているようだ。箸は気を使ってか、割り箸が三膳用意されている。

 コンロに歩み寄る。
 そこに乗ったフライパンの中の煮付けを一目見て、勝手に食器棚から長方形の長皿を四枚出す。

「お皿はこれで大丈夫ですか?」

「ああ、構わない。俺も、魚はその皿が良いと思う」

 洗い物を止めず、ぶっきらぼうに士郎が答える。

 まぁ、元々俺の家と寸分違わないし、皿がある場所も把握している。長皿だって俺ならこれを使うな、と思ったのを取っただけだ。
 うちにある皿だったら、確かに魚はこの皿が映えるからな。


 それにしても士郎のマイペースには我が事ながら呆れてしまう。
 セイバーが俺と凛を睨みつけて、凛は凛で物思いに耽ったままだったし、俺はセイバーに対してどういった態度を取ればいいのかわからない。
 そんな、ピリピリしてた空間で士郎は何にも考えた様子もなく、突然のたまった。

「飯でも食わないか? 時間も時間だし腹も減っただろ? 俺も夕飯食べてないしな」

 ……いや、正直助かった部分もあるにはあるんだけどさ。
 誰も喋らず、じりじりと精神力が削られていくようなあの空気が、一時的にとはいえ霧散してくれたのだから。
 それからは違った意味で居心地は悪いのだけれど、俺も凛も昼にファーストフードに寄って以来、何も食べていなかったしな。


 テーブルに皿が並べられる。
 献立は、銀ダラの煮付けに、ほうれん草のお浸し、油揚げとネギの味噌汁、そして白米だ。
 和食はアーチャーになって初めてになる。
 それにしてもいい匂い。……うわ、つやっつやのご飯を見てたら口の中に唾液が出てきた。

「いただきます」

「「いただきます」」

「……いただきます」

 士郎が手を合わせて声を上げた後、凛と俺も続き、セイバーがそんな三人の様子を見て、倣って最後に呟いた。
 各々が食事にかかる。

 おずおずと箸を伸ばす。まず味噌汁。震える手で器を持つ。
 具には手をつけずに汁だけに口をつける。味噌の味と香り、煮干の出汁。セイバーの身体になった影響か、懐かしくも新鮮な香り。
 味噌汁で箸を湿らせて、次は白米にかかる。
 おかずは何もいらない。白米だけを口に入れる。噛み締めると炊きたてだから余計にか、ふっくらとして甘い。

 胸にこみ上げてくる感動、食事を楽しめることへの感謝が胸の奥から溢れてくる。
 うわ、本当にやばい。あまりの幸福感に胸が一杯になって、目が潤んできた。

 もう箸は止まらない。ぐいと袖で目元を擦って、食事を再開する。
 なんだかんだでみんなもお腹が空いていたのだろう。一言も喋らずにひたすら食べている。
 特に、こくこくと頷いて感動を露にする、巧みに箸を使うセイバーと、幸せに満ち溢れてちょっと涙ぐんでしまっている俺は一心不乱だった。


 ああ、美味い。あれも、これも、それも。口に運ぶもの全てが愛おしい。
 食事って、味を調えたり材料に拘ってばかりいたけれど、そうじゃない。食事は、感動だ。
 だって物を食べてこんな感動を味わったことなんて、衛宮士郎の記憶の限りではそうそう無い。
 臥せっていて何も食べられずに二日、病み上がりに食べたおかゆなんかが一番近いかもしれない。


 ……ここまで感動しておいて言うのもどうかと思うけど、この食事はもっと美味しくなる。
 士郎が作ったものも確かに美味い。けど、この身体を得て今までにはない改善の発想が生まれようとしている。
 今ならば、同じメニューでも士郎より上手く作れる自信がある。

「よしっ」「勝った……!」

 次に活かして頑張ろうと小さくガッツポーズした俺の声と重なるように、誰かの声が聞こえた。
 顔を上げてその発生源を見やると、一通り箸をつけられた食事の前で同じポーズをした凛がこちらを見ていた。




 食事が終わって、士郎が各々の前に湯のみを置いていく。
 これまた懐かしく感じる香り。緑茶か、最近は紅茶ばかりだったから久しぶりだ。

「それじゃあ、遠坂。説明頼んでいいか?」

「わかったわ。まずは……そうね、あなたが巻き込まれているこの争いのことからね」

「ああ、頼む」

 説明をする凛と、受ける士郎。それを少し離れた位置から聞いている俺とセイバー。
 その説明は、おおまかには俺が聞いたものと同じだった。

 聖杯戦争の仕組み、聖杯を得るメリット。
 呼び出されるサーヴァントと、英霊について。彼らもが、呼ばれることで願いを叶えようとしていること。
 そして、魔術師たちがこの戦争参加する目的について。懸けられている執念と、それ故の参加者の背負う危険。

 その内で唯一、サーヴァントの在り方についてだけ凛は言葉を詰まらせた。
 おそらく見るからにはほぼ同一である、俺とセイバーのことだろう。


 一通り説明が終わると、士郎は手元の湯飲みを見つめながら黙ったままだった。
 考え込んでいる士郎を置いて、凛は湯飲みのお茶を飲み干し、離れた場所にいる俺とセイバーの元へと寄ってくる。

「ねえ、セイバー」

「――何用ですか?」

「やっぱり、あなたはセイバーよね」

「ええ。私は間違いなく、セイバーのサーヴァントですが」

 セイバーに問いかけた言葉とその確認に、凛の言わんとするところが見えた。
 昨日の午前中からずっと頭の中で組み立て、推敲し続けていた理屈を思い返す。――準備はOK。後はそれを話すタイミングを見計らうだけ。

「うちのサーヴァントはクラスがアーチャーなんだけど、貴女はアーチャーにも特性があるの?」

「――――ありえません。私という存在は、剣に特化した身」

 言葉にして、アーチャーだという俺を不審げに見るのはセイバー。
 問い掛けた凛はというと、それも予想通りだったのか驚きも無く続きを話し始める。

「でしょうね。私も恐らくそうじゃないかと思っていたわ。……やっぱりうちのアーチャーがイレギュラーってことになるわね。
 それで、順序が逆になったけど、真名について貴女たちに確かめておきたいことがあるの」

「何でしょうか」

 佇まいを整えてから俺が答え、セイバーは黙ったまま、横に座っている俺を静かに睥睨する。

「セイバー。私がアーチャーの真名を貴女に伝えるわ。貴女と彼女が同じ真名ならば、首を縦に動かして頂戴。
 貴女のマスターにも一緒に伝えないのは、衛宮くんって変に正直者みたいで隠し事はできそうにないから。
 彼から貴女の真名が他のマスターに伝わってしまうと、うちのアーチャーの真名も同じく看破されることになる。
 ばれるのがアーチャーの真名だとしても、然り。それはよろしくないでしょ?
 もちろん、もしアーチャーと真名が違うからといって訊き出したりはしないわ。首を横に振ってくれるだけでいい。
 アーチャーもセイバーになら言っても構わないでしょう? 現状を把握しないことには何も言えない訳だし」

「「構いません」」

 セイバーと俺の声が重なる。凛はステレオに聞こえただろう声に、目をぱちくりした。

 気を取り直した凛はセイバーに俺が語った真名を耳打ちする。
 ここまでくればセイバーも予想はついていたのか、驚きもなく首を縦に振る。

「……うん。服や、瞳の色が違う理由はさっぱりわからないけど、やっぱりセイバーとアーチャーは同一人物なのね。
 それにしてもアーチャーのクラス分けは置いといて、同じ聖杯戦争に同一人物が呼び出されるなんてあるのかしら」

「――凛。よろしいですか?」

「何? アーチャー、何か知っているの?」

「ええ。しかし合っているのか、確証となるものはありません。何せ、私もこのようなことを聞いたことはありませんから。
 それを踏まえて聞いてください。
 まず、ここにいる私たち英霊は、オリジナルではありません。言うなれば、複写のようなものです。
 英霊の座というところに本体があり、様々な時間軸に私たちは呼び出されます。それは絶命前の過去であろうと、遥か先の未来であろうと関係なく。
 複写である以上、確率は恐ろしく低くなるとは思いますが同時間軸に同時に呼び出される可能性もあるのかもしれません」

 ……どうだろうか?
 一応考えてきたことを言ってみたけど、サーヴァントシステムについて知っていることなんて無いに等しいし、そんな可能性があるのかもわからない。
 実際にサーヴァントであるセイバーが今の話を聞いて致命的な齟齬を覚えなければ、上手くいってくれると踏んでいるのだけれど……。

「……そうね。それ以外に可能性が見当たらないわ。
 なにより情報が少なすぎる……」

 ……なんとか成功したのだろうか。
 凛は同一人物と判断してくれたようだけれど、何故かセイバーの瞳には困惑の色が見える。

「ところで……セイバー、貴女、召喚された時からずっとその口調?」

「え、ええ、そうですが。何か問題がありますか?」

「あ゛~~~~、もう! 令呪一個分どうしてくれんのよっ! アーチャー!!」

 があー、っと吠える凛。吠え立てられる俺。それを見て目を白黒させるセイバー。
 確かに俺の口調の所為なのだけど、決してそれだけじゃないと思う。




「それで、衛宮くん。
 そろそろ教会に行きたいんだけど」

「え? 教会?」

 いつの間にか考え事を終えて、こちらを見ていた士郎に凛が声をかける。
 士郎は突然の申し出に、訳も分からず眉根を寄せる。

「そう。教会に聖杯戦争を管理しているやつがいるの。
 きっと聖杯戦争について色々と教えてくれるでしょう。衛宮くんも、詳しく知っておいたほうが後々困らないんじゃない?」

「それはいいんだけど……どこなんだ? それ」

「隣町の冬木教会。言峰綺礼なんて似合わない名前の神父が管理している教会よ」

 よいしょ、と婆臭く声を上げて凛が立ち上がる。
 士郎と俺もそれに続き、セイバーも士郎に続いて立ち上がった。




「セイバー。その鎧、目立つのだから武装解除しておきなさい。
 こんな時間だから人がそう出歩いているとは思わないけど、もし見られたなら不審者以外の何者でもないわ」

 玄関まで出ると、先頭を歩いていた凛が振り返ってセイバーに声を掛ける。
 セイバーは士郎のサーヴァントなんだけど、何故か凛が指示を出している。

「しかし、アーチャーのマスター」

「凛でいいわよ」

「では、リン。着替えがなければ解除のしようがないのですが。
 それにこの場合、普通でしたら幽体になるべきではないですか?」

「――――ああ、そうだったわね。私の失言だったわ。
 でも、セイバー。あなた幽体になれるの?」

「いえ。マスターからの供給状態が悪い所為かわかりませんが、幽体になることは敵いません。
 もしや、アーチャーも?」

「まあねー。ちょっと私が召喚の時にポカしちゃったみたいでね。ラインはしっかり繋がってるんだけど。
 いけないいけない。つい、アーチャーとセイバー、同じように認識してごっちゃにしちゃってるわ。
 あ、そうなると着替えか……私のを貸してあげてもいいんだけど、流石に持ってきてるわけないし。今回はレインコートで我慢してね」

 言いながら、勝手に玄関にある黄色い雨合羽をセイバーに渡し出す。
 他人の家の物を勝手に貸し出す始末。判断的には正しいとはいえ、その振る舞いはどうなのだろうか。



 ふと横を見ると、家主であり、セイバーのマスターである筈の士郎が所在無さ気に立ち尽くしていた。
 背中が小さく見える。そういえば、さっきからセイバーとの会話にも加わっていなかった。
 なんていうか、自然と蚊帳の外に追い出されているというか。
 同じくマスターに放って置かれている俺は、つい士郎にシンパシーを感じて声を掛けていた。

「セイバーのマスター、うちのマスターが迷惑をかけます」

 ぼんやりと二人を眺めていた士郎は、小さく頭を下げる俺を見ると「いや」と手を振ってはにかんだ。

「ありがとう、アーチャー、だったよな。
 あ、俺の名前は衛宮士郎っていうんだ。できれば君もそっちで呼んでくれないかな」

 ……その言葉を聞いて、ふと悪戯心が湧いて出てきた。
 元々士郎と呼ぶつもりだったのだから、これ以上に良いタイミングもないだろう。

「――ええ。それでは、士郎、と。私としてもこの呼び方のほうが好ましい」

 しっかりと士郎に向き直り、口の端を持ち上げて笑いかけた。

 つい、自分の記憶の中にあるセイバーの言葉と微笑を真似ていた。
 似ているかどうかはわからない。いや、そもそもがちょっとした出来心なんだけど。

「あ、う……。やっぱりアーチャーも名前で呼ぶんだね……」

 言うなり士郎は頬を赤く染め、照れくさそうにそっぽを向いて頬を掻く。
 ……む。たぶん成功したんだろうけど、なんだか嬉しくない。




 車も走っていない夜道を、横一列に並んで歩く。真ん中にマスターが二人、その横にそれぞれのサーヴァント。
 話しているのは専ら士郎と凛だけだ。俺とセイバーは何を話すわけではなく、黙々と歩いている。
 話を振られたら返すが、セイバーと会ってから迂闊に話せなくなっていた。


 俺は、この三人に自分の正体を明かそうとは思ってはいない。出来ることならば、セイバーがイレギュラーな形として召喚された、と認識されたままなのが一番いい。
 今現在セイバーに警戒されている俺が「俺は実は衛宮士郎だ」と伝えたところで、信じてもらえずに無用な不信感を煽るどころか、怒りを買うだけだろう。
 凛と士郎との関係もどうなるのか想像もつかなくなる。どうすれば先がよくなるかなんて思いつかないけど、少なくとも今正体を告白して良い関係を築けていけるとは思えない。

 そうなると俺なりにセイバーとして振舞うしかないのだが、それにしたっていずれ限界はくるだろう。
 戦闘能力としてか、普段の振る舞いか、それとも何か別の要因かもしれない。所詮、中身は衛宮士郎。剣の英霊を振舞い続けていられるとは思えない。

 でも、今露見するのは駄目だ。協力関係すら出来ていないこの状況で俺が波風立ててしまえば、二人に溝を作る原因にも成りかねない。
 絶対に、ばれるような真似が出来ない。記憶の中のセイバーをトレースし続けなければならない。
 だから、俺は彼女の前で話せない。
 迂闊にセイバーらしからぬ話し方をしたりすれば、誰よりセイバーが違和感を感じるだろうから。



 坂道を上り、外人墓地の横を抜けて、高台の上にある教会前に着く。
 敷地の入り口で、俺達は自然と、誰からというでもなく進めていた足を止めていた。

「――ここは? どういうことなんだ。この教会、妙な威圧感を感じる」

 教会を見て士郎が一人ごちる。
 確かにこの建物には気圧される何かがある。

「……シロウ、私はここに残ります」

「え? 何だってそんな――――ここまで来たら一緒に来たらいいじゃないか」

「私はシロウを守るために一緒に来たのです。私個人が教会に用があるわけじゃありません。
 私はここで待つことにします」

 セイバーはここで待つつもりらしい。
 思い返せば、前回でもセイバーはここで待機していたな。

「――――そうですね。では私も残ることにしましょう」

「わかったわ。それじゃ少しの間待っていて」

 倣って、俺も残ることにした。
 セイバーと二人きりになることに不安がないでもなかったが、極力セイバーと同じ行動、選択を取るべきだろう。

「行きましょう、衛宮くん」

「わかった。それじゃあ行ってくる」

「「気をつけてください」」

 声を上げると、セイバーのものと声が重なった。
 口調が同じなので、言いたいニュアンスと話し出すタイミングが揃えば、声も揃ってしまうようだ。
 自分の意思で話しているはずなのに、図ったように声が重なるのは不思議な感覚だ。

 異口同音に言葉を告げる俺とセイバーに見送られ、二人は静かに教会に入っていった。
 教会入り口のドアが閉まりきるまで、俺とセイバーは身動ぎもせずに己のマスターの後姿をずっと見つめ続けていた。




[7933] 四日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/12 14:05
 もう午前二時を回っただろう。そんな、生活の音がほとんど感じられない時間だった。
 人も、鳥も、動物も。それどころか動くものたちは全て排斥されたような教会の敷地にて、立ち尽くす。

 俺もセイバーも動かない。教会の入り口を挟み、壁を背に立っていた。
 互いに不必要に干渉することなく、けれど厭うこともなく、ただ二人で立っていただけだ。
 変化はない。変化を必要とはしていない。さながら、絵画や写真の中に迷い込んでしまったようだった。


 俺はこの空白の時間を使って、始まった聖杯戦争について考えを巡らせていた。

 凛の指示に従い物事を進め、臨機応変に対処する。初日に決めたこの方針、聞こえはいいが俺の言うそれは思考の放棄だ。
 ランサーと戦い、その殺し合いの場に立ってそれを痛感した。今回は何とか乗り切ったが、経験で劣る俺が何の策もなしに進めばいずれ大きな失敗をするのは目に見える。
 そしてこのまま惰性で進めば、士郎が、凛が、俺が、そしてセイバーは倒れることになるだろう。
 それではいけない。何があっても、それだけは防がなくてはならない。だから俺は出来る限り多くを考えなければならない。
 ……もう二度と、セイバーを失うようなことはしたくはない。


「――――アーチャー、貴女は」

 下方に視線をやったまま瞳を閉じ、思考に沈んでいた俺の耳に、声が聞こえてきた。
 目を開ける。ゆっくりとその方向に顔を向けると、セイバーがこちらに顔を向けていた。

 ――ああ、セイバーが話しかけてきたのか。
 考え込んでいたから、セイバーが話しかけたのだと気づくのに少し時間がかかった。

 セイバーはこちらを見ることなく、言いにくいのか口を開いてはまた閉じる。
 実直で、物事をはっきりさせる彼女にしてはあまりに珍しい。そんな態度を取ってまで、セイバーはいったい何を俺に話そうとしているのか?
 現時点で思い至るものは――――いくつもない。

 俺もいつからか寄りかかっていた壁から体を離して、セイバーに向き合う。
 壁に背を預けたまま聞いていい話じゃない、そう感じた。

 俺が正対したことで、セイバーも意を決して俺と向き合った。おそらくだけれど、セイバーに敵意はない。
 だが何故か俺を射抜くように見たまま。睨み合う様な形で、俺はセイバーの言葉を待つ。


「――――貴女は、誰、ですか?」

「っ!」

 ――――その一言。がつん、と頭をハンマーで殴られたような衝撃。
 目の前が、思考が、真っ白になる。

 いや、今、セイバーは、なんて……?
 誰、ってそんな――俺がセイバーじゃないと、こんなにも早く、気づいた?

 ……外見。瞳の色や、服の色は違う。大きな違いだけど、判断材料がない以上これは無視していい筈。
 細かい動作は完全とはいえない。だけど、それを見せるような機会自体がそうなかった。
 そして俺にも、セイバーとしておかしな行動を取ったつもりはない。本来なら一番怪しい口調も、令呪で縛られていてセイバーのものだ。

 何を、失敗したのだろうか?
 わからない。どこだ、俺は何を見落とした?

 頭の中を疑問が駆け巡る。考えても考えても、わからない。
 まだ会って数時間、その間だって極力話はせずに押し黙ったままだったというのに。

「貴女は、アーサー王と呼ばれた私なのですか……?」

「セイバー。あなたは、何を――――?」

 俺の言葉にも、セイバーは止まらない。

「貴女は、私と同じだ。けれど、違う。些細な――そう、それでいて根本的な違いが、私とあなたの間にはある。
 そう、今の私とは違う。貴女は、今もアーサー王として生き続けている私とは、違う」

「――――!」

 言葉も発せない。
 セイバーの言葉を受けて、ただ竦んでいることしか出来ない。

「アーチャー。いえ、アルトリア。貴女は――――。
 ……いや、すまない。これだけは、私が問いかけて良いものではなかった。どうか、忘れてほしい」

 セイバー酷く真剣に、だが結局最後まで問い掛けることはなかった。
 自分の発言の非を詫びてまた先のように視線を、体の向きを戻した。続く言葉はない。

「…………」

 気づかれてしまったのか。いや、それならば追求を途中で止める理由にはならない。
 けれど間違いなくセイバーは俺の違いに気づいている。俺が己とは違う存在だということを理解していた。
 セイバーにはそう遠くないうちに、気づかれるかもしれないとは予測していた。
 ――そう、いずれはボロが出てくるだろうとは思っていたけど、それがこんなにも早いものだとは思っていなかった。


 再び静寂が辺りを包んでいく。俺は、顔を真正面に向けて目を瞑る。
 セイバーは、これ以上言葉を紡ぐ様子はない。

 ――――俺は結局黙ったまま、何も答えることができなかった。

 さっきまで考えていたこれからの展望についてなんて、頭の中から完全に消え去っていた。
 セイバーとの邂逅から三時間も経たないというのに、俺は自分の今までの行動やこれからの不安に塗りつぶされていた。




 セイバーと俺は壁を背に、黙ったままマスターが帰ってくるのを待っていた。
 軋んだ音を立てながら凛と士郎が協会の扉から出てくると、先の話から微動だにしなかったセイバーが士郎に歩み寄っていく。

「シロウ、話は終わったのですか?」

「ああ、聞いてきた。全部まとめて、イヤっていうほどに」

 顔を強張らせていた士郎だったが、セイバーが近寄ってくるのを見てほっとしたように笑みを浮かべた。

「それでは――――」

「ああ。聖杯戦争に、参加する。
 セイバーの力を借りることになる。これからよろしく頼む」

「任せてください。
 ――私は貴方の剣。貴方に勝利をもたらしましょう」

 それを聞いた士郎が、おもむろに右手をセイバーに差し出した。
 セイバーは無表情にその手を見つめている。

「これからよろしく、てことで握手したいんだけど、駄目だったか?」

「――――あ、はい。よろしくお願いします。シロウ」

 驚いた様子でそれに応じるセイバー。
 手を握り合う二人。


「アーチャー? どうしたのよ、貴女」

「いえ」

 俺は二人を眺めたまま、立ち尽くしていた。
 凛は、入り口の近くで動かない俺を不審に思ったか側へと歩いてくる。

 いけない。いつまでも引き摺っていたら、また疑いを持たれてしまうかもしれない。

「それにしてもあの二人、何ていうか、見ていられないわね」

「と、いうと?」

 気を取り直して、凛に訊き返す。
 仲も良さそうで、これといって見苦しいようなものでもないと思うのだけど。

「別に。深い意味はないわ。そう感じただけよ」




 教会の門から行きと同じように並んで出て行く。
 坂を下っている辺りで、凛が士郎に向かって口を開いた。

「そうそう。衛宮くん、今日は見逃してあげるけど、明日から覚悟してなさい」

「ん? 覚悟って、俺がなんの覚悟をしなきゃならないっていうんだ?」

「なんのって……貴方、ちゃんと話聞いてたの?
 私や他のマスターと戦う覚悟よ。つまりは、明日から私と貴方は敵同士になる覚悟」

 士郎ははじめ「へ?」と口を阿呆みたいに開いた後、思い当たったのか眉根を寄せたなんともいえない表情を作る。

「あ、そうか。そうだよな。――――でも、俺は遠坂と闘う気はさらさらないぞ」

「どちらにせよ最後の一人になるまで闘わなきゃいけないんだから、そんな悠長なこと言ってられないわよ。
 ま、教会に連れて行ったところで貴方と私は条件的には対等。これで私も気後れなく闘えるわ」

「……」

 士郎が足を止めて黙り込んでしまったので、俺たちも士郎に倣って立ち止まることになる。
 何か考えてるのか、視線をはるか上に向けて唸っている。

「何? どうかした?」

「いや、遠坂って優しいんだなってさ。俺、お前みたいなやつ好きだ」

「っ!」

 凛が顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。セイバーは士郎を無表情で見つめている。
 俺はというと顔を染め、俯いて口元を手で覆っていた。
 いつか自分も発言した科白とはいえ、傍から聞くと何やら無性に恥ずかしい……。



「ねぇ、お話は終わった?」

 俺は考えるよりも早く、凛と声の主の間に立ちはだかっていた。
 横を見るとセイバーも同じく士郎の前に立ち、咄嗟に対応できるよう構えている。

 声は坂の上から聞こえてきた。それは高く、幼さの残る声。

「何者だっ!」

 セイバーが声を張り上げる。

 坂を見上げるとそこにはやはり、褐色の巨人バーサーカー。
 肩の上の少女の銀髪が月明かりに照らされて輝いている。

 威圧される。バーサーカーは立っているだけだというのに。
 その巨体の所為で4人で横並びに通った道がひどく狭く見えた。

「こんばんは、お兄ちゃん」

 バーサーカーの肩から降りたイリヤは、裾を摘んで会釈をした。
 この場に不釣合いな言葉。バーサーカーの息苦しいまでの重圧にそぐわない、邪気のない声。

「その黄色いのがお兄ちゃんのサーヴァントね」

 イリヤはセイバーを見やり、士郎に問いかける。
 そして目線を動かし、凛をその赤い瞳で射抜いた。

「はじめまして。
 私の名前はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

「アインツベルン――――」

「ええ、そうよ。トオサカの当代さん」

 凛の体が微かに揺れる。

 遠坂からこんな話を聞いた覚えがある。
 アインツベルン、マキリ、遠坂――――。それぞれの家の遠祖がこの聖杯戦争を作り出したのだと。
 ならば、遠坂がアインツベルンに思い当たるのも、イリヤが遠坂の名を知っていたのも当然なのだろう。 


「それじゃ、挨拶も終わり。殺しちゃえ! バーサーカー!」

■■■■■■■■ーーーーーー!!

 バーサーカーのその声とも言えない雄叫びが、大気を振るわせる。その声量も相まって威圧は凄まじい。
 だがアレと相対するのは初めてではない。どうやら、体が萎縮することはなかった。

「セイバー、協力しなければアレに勝つのは難しい」

「ええ。アーチャー、一時協力体制を敷きましょう」

 咆哮するバーサーカーに威圧されてばかりもいられない。視界から姿を外さないまま隣のセイバーに呼びかける。
 その存在感からサーヴァントの中でも桁違いの力を感じ取ったのか、セイバーも二対一の提案を受け入れた。

 セイバーが雨合羽を脱ぎ捨てる。それと同時に、俺は戦闘武装を終わらせた。
 ――月の光を反射する青銀の鎧。その手には不可視の剣。
 鎧に印された蒼い紋様、紅い紋様。エメラルドの瞳とダークブラウンの瞳。身に纏う衣服の青と赤。
 それら色の違いを除けば、鏡に映したような二騎が揃う。

 セイバーとアーチャーである俺は、同じ構えでバーサーカーに対峙する。

「二人とも、同じ英霊がサーヴァントなの!?」

 イリヤの驚きの声が闇夜に響く。
 マスターである凛も士郎も、俺たちの息が合ったというには余りに揃った動きに言葉を発せずにいた。

■■■■■ーーーー!!

 驚愕し動きを止めたマスターらに構わず、バーサーカーがその手の巨大な斧剣を俺たちに向かって振り下ろす。
 うなりを上げて迫る岩の斧剣。速度と大きさが相俟って、まるで巨大な鉄塊が降ってきているようだ。

 その一撃を、セイバーと俺は左右に散開して避けにかかる。
 直後腹に響くような破壊音が轟き、コンクリートの地面に大きな振動が走る。着弾した地点を見れば罅割れ、大きく陥没している。
 その威力、一撃でも貰ってしまえば致命傷。運良くそうはならなくても決定打になるのは明白だ。

 だがそんな豪腕を相手にして、セイバーには怖気の欠片も見られない。斧剣を振り下ろした状態のバーサーカーに、セイバーが弾丸のような速度で一直線に切り込んだ。
 俺ではまだ、セイバーと同じ様には立ち回れない。バーサーカーの攻撃にどれだけ対応出来るかも未知数だ。様子見を兼ねて撹乱に回る。大きく円を描くようにセイバーの横を走り抜けていく。


 ……前回は遮蔽物無しでバーサーカーにとって有利な場所だった。そのためにセイバーは苦戦を強いられることになったのだ。
 ならば今回は自分たちに有利な場所で、バーサーカーを叩く。いくら二人掛かりといってもバーサーカー相手であれば遠慮の一切は必要ないだろう。
 セイバーも同じ考えに辿りついたのか、打ち合わせることもなく二人揃った動きを見せてバーサーカーを翻弄しにかかる。

 俺は攻撃を大きくかわしながら、セイバーはバーサーカーの一撃に押されるように見せて場所を移動していく。
 バーサーカーは俺たち二人の動きに誘導され、その後を猛追して来る。


 戦場に選んだ其処までは、いくらというほどの距離もない。
 背後を振り返るとバーサーカーの遥か後方に、凛と士郎が坂を駆け上っているのが見えた。




[7933] 四日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/24 00:44
 アスファルトを駆け、電柱を蹴り、塀を越えてその敷地内へと飛び込んだ。
 空中で体を反転、バーサーカーの姿を視界に収めたまま墓石を足場に着地する。

 直後に、今まさに飛び越えた塀が吹き飛ぶ。まるで爆破されたように砕け散るコンクリート。

 ――くそっ、息つく間もない。
 こちらまで飛んでくる瓦礫のうち、拳大以上のものを空けた左手のガントレットで打ち払う。
 驚くべきは、視界に入る破片から危険そうなものを選別出来ていたこと、咄嗟にそれらに反応して叩き落せたことだ。

 黒い影が、空いた塀から侵入してくる。二五〇を越す長身と壁のように幅広の体躯はバーサーカーを措いて他にはいない。
 背の低くなったコンクリートの塀、鉄柵、墓石……バーサーカーの行進を阻むものは例外なく砕かれていく。


 上手くバーサーカーを目的地に誘い込むことが出来たようだ。坂の上にあった外人墓地にて進入してくるバーサーカーを睨み付ける。
 こんな土地で争うことになるのは気は引けるものの、それを理由に凛や士郎を危険に晒す訳にもいかない。天秤にかけて比べられるような重さのものじゃない。

 僅かに意識が外れた俺にバーサーカーは猛進してくる。秒と経たずに接近され、勢いはそのままに一撃は放たれる。
 死が迫っている、と体も頭も必死に訴えてくる。どちらも、一発でもまともに貰えば終わると告げている。
 思考する間もなく脚部に魔力を集中し、高く宙を舞って難を逃れた。大振りの得物によって切り殺されていく風の悲鳴を聞いて、体中には一斉に鳥肌が立っていた。

 その豪腕で振るわれる一撃は脅威だ。威力も然ることながら、問題はその速度。
 筋肉に覆われて鈍重に見えるバーサーカーだが、そんなことは決してない。流石にランサーと比べては劣るものの、猛獣のように動き回るその巨体は圧巻の一言に尽きる。
 だが、この土地――石の墓標が立ち並ぶ外人墓地では、その巨躯は制限される。その恩恵によって俺はこうして回避できている。
 正直なところ、ランサーとの一戦が先にあったのが助かった。なければ、体の反応速度に俺自身ついていくことが出来なかっただろう。
 ……それもこれも、この優れた身体能力と、剣の経験を用いてセイバーの動きをトレースしているという前提があってこその話になるけれど。


 えぐられていく地面。吹き飛ぶ、砕けた石材。
 それらを回避し、バーサーカーと距離を保ちながらセイバーを窺う。

 流れる水のように立ち回る彼女。唸り上げるバーサーカーの斧剣を、地を滑るようにくぐり剣を繰り出している。
 舞う石材をも足場に、どんな姿勢だろうと攻撃に対応する。魔力不足で思った機動が出来ない所為か表情は冴えないが、充分に過ぎるほどバーサーカーを相手に渡り合っている。

 俺もバーサーカーの攻撃をかわすだけならば可能だ。だけど一旦バーサーカーの標的がこちらに向かえば、かわすことに精一杯でそれ以上の余裕は捻出できそうにない。
 一対一では隙を見つけて一撃を与えるなんてことは、到底無理だ。剣の経験に補佐され、回避する自分の姿は傍目から見たとしても無駄などないだろうに、同じ動きをしている筈のセイバーは違う。


 回避に手一杯の俺と、避けながらも反撃に移ることの出来るセイバー。
 その差はとてつもなく大きいものだ。セイバーが外人墓地という場所で戦ったならきっと一人でも相手に出来るだろう。
 悔しいけれど、俺にその自信はない。

 体捌き、剣捌き、どちらもまだセイバーには及ばない。さらにその上に俺に足りない経験がセイバーにはある。
 俺がセイバーと同程度に闘えるようになるかは、まだわからない。だけど、強くならなければ俺は誰も守れない―――強くなれなければ俺の理想は嘘になる。 
 それは、身に染みて知った筈。


 セイバーに向かって斧剣を振った後の硬直、その一瞬にバーサーカーに切りかかる。

「――――っ! 何故っ!?」

 だが、刃は通らない。鈍い音を立てて、剣ごと弾き返された。

 魔力が充分に供給されている俺ならば、バーサーカーを倒すまでとはいかなくともダメージを与えることぐらいならば可能な筈だ。
 今となっては見ることは出来ないが、ステータスでのセイバーの筋力はランクでB。魔力が充分な俺ならばそれ以上の――恐らくAランクには該当しているだろう。
 ならばBランク以下の攻撃を無効化する十二の試練を越えて然るべき。

 だが、結果として俺の攻撃を受けたバーサーカーには傷ひとつついていない。そもそも、攻撃がダメージとしてバーサーカーに届いていない。
 ……通らないとならば、膨大な魔力に慣れていない為に攻撃に回す魔力の運用が上手く出来ていないと考えるのが妥当か。つまりは俺の意識の所為でこの優れた身体能力は発揮し切れていない、ということなのか。

「サーヴァント二騎で掛かって尚、決定打を与えられないとは――――!!」

 同じようにバーサーカーの鎧の前に弾かれるセイバーの剣。セイバーの場合は明らかに魔力不足によるランクダウンが枷になっている。
 魔力の補填が行われない限りは、例外を除いてセイバーの剣はバーサーカーに届くことはない。十二の試練とは、そういう概念を持っている。


 戦いは、俺たちが依然押す形になっている。だが、決して有利であるとはいえない状況でもある。
 バーサーカーの攻撃は俺にもセイバーにも当たっていない。一撃たりとも貰ってはいない。隙を狙って反撃を返す余裕もある。
 だが、相手にダメージを与える術がなければ有利とはいえない。逆に致命傷となりうる一撃を持つバーサーカー相手では、今は良くても長い目で見れば不利であるといっていい。
 事実、バーサーカーの一撃で周囲は薙ぎ倒され、バーサーカーの行動の阻害をしている墓石も数を減らしている。
 このままでは、魔力切れのセイバーか戦闘に慣れていない俺、どちらが先かわからないが倒れることになる。

 ……膠着は既に数分に渡り、その拮抗は破られようとしていた。


「――――つぁっ!」

 セイバーの動きから、精彩が欠け始める。回避し切れなくなり、バーサーカーと剣を打ち合わせるようになっていた。
 数回と繰り返すうちに、思わずといった様子で彼女は苦悶の表情を浮かべる。見ると、その胸部には丸く黒い染み。血の滲み。

 ゲイボルクの傷痕……! 不治の呪いか!

「セイバー!」

 思い至った瞬間、俺は追撃を加えようとしていたバーサーカーに切りかかっていた。
 隙を狙った訳ではない。特攻のような俺の攻撃は、バーサーカーにとって充分に対処の出来るものだった。
 アレは、受けに回ることなんて考えもしない。その剣は、確実に俺の頭を狙っていた。

 ――本能のままに放たれたバーサーカーの斧剣と、衝動に任せて放つエクスカリバーは衝突する。

「ぐ、うっ!」

 その反動に大きく跳ね飛ばされ、着地した後もたたらを踏む。衝撃の多くは相殺されたようだから俺が後退する程度で済んだが、手には恐ろしい振動が伝わってきている。

 揺るがず、怯まず、ただひたすらにバーサーカーが振るうのは圧倒的な破壊。どうやってもびくともしないような錯覚を覚えさせるこの手応え。
 無意識が後退を指示する。この暴力の具現と戦おうとする俺に、真正面からぶつかりあえると思っているのか、と疑問を投げかけてくる。

 バーサーカーは止まらない。
 こちらに向かって突き進みながら、また手に握る岩塊のようなそれを荒々しく振り下ろす。

 ――――ああ。
 これを避けるのは簡単だ。打ち合って易々と勝てるものでもない。なら、かわしてかわして、避けて回ればいい。
 精神をすり減らすような綱渡りではあるが、それならやってやれないことではない。
 しかし、それでは自然とセイバーにバーサーカーの攻撃が集中することになる。そうなってしまえば避けてばかりもいられず、またもセイバーとバーサーカーは打ち合うことになる。
 まだ、彼女はランサーとの戦いの傷が癒えてはいない。このまま打ち合っていれば傷の塞がり切っていない彼女は悪化し、いずれ倒れることになる。

 なら退けない。せめてセイバーが立て直す間だけでも、ここから俺は下がらない。

「負け、るか――!」

 体全部を使って繰り出さなければ、バーサーカーの一撃には対抗できない。
 いや、それだけじゃ駄目だ。加えて魔力をも駆使し、文字通りの全力でなければコイツ相手に打ち勝つことは不可能だ。

 踏み込む。体の軸はずらさない。セイバーの振るう一撃を脳裏に、意識はひたすら『必殺』を描いて。
 魔力のブーストで体を加速させながら、脚部、腕部に魔力を回す。出し惜しみはしない。片っ端から使い潰すつもりで、この一撃を。

 負けない。負けてなるものか。絶対に、勝つ。
 歯を食いしばれ。意識を逸らすな。覚悟を決めろ衛宮士郎――――!

「おおおおおおおっっっ!!!」

 火花が散る。あまりの衝撃に揺れる視界。

 俺とバーサーカーの距離は、開いていた。
 打ち勝ったわけではない。打ち負けたわけでもない。ぶつかり合ったところを基点に互いが等距離退けられていた。

 バーサーカーは既に二撃目を放つ体勢を整えている。
 次だ。魔力を引き出せ。怯むな。体を前に前に前に――――!

「ぜあああああっ!!」

 気勢を上げる。見栄でも何でも、相手を威圧しなければいられなかった。
 少しでも退こうと思ったなら、そこで負けてしまう。ひたすら敵を打倒することだけを――!




「狂戦士! 私を忘れてもらっては困る!」

 セイバーの声に、思考が戻ってくる。目の前のバーサーカーの標的が、セイバーに移っていた。
 俺との打ち合いの隙を狙って、攻撃を仕掛けたようだ。もちろんバーサーカーは無傷ではあったが、横槍に意識はセイバーへと移ったらしい。
 そのセイバーも始めと変わらない動きが戻っている。どうやら持ち直したようだ。

「――っ、はあっ!」

 いつからか止まっていた呼吸を再開させる。両手がびりびりと震えている。背中は冷や汗でびしょびしょに濡れていた。
 七撃、その全てを全力で放った。結局一度も勝つことなく、一度も打ち負けることはなかったが、死の際と生とを打ち合うたびに往復させられた気分だった。
 たった七つの全力が、俺には永遠のように感じられた。だがそれでも休んでいられる暇はない。
 俺が動かなければセイバーに負担が集中してしまう。

 剣を、握り直した。


 何とかセイバーは体勢を立て直し、俺も彼女も回避主体の戦い方に戻ったが、このままでは埒が明かないどころかジリ貧だ。
 周囲の墓石もだいぶ削られてしまっている。伴い、バーサーカーの動きも良くなってきている。
 ――何とか、好転させないと。

 そうなると、手札を切らなくてはならないだろう。選べるもので真っ先に思い当たるものは、宝具。
 問題は、使用に当たり該当する宝具のランクだ。ランクが高くなければ、バーサーカーの十二の試練を突破することはできない。
 …………マスターではない俺は、宝具のランクを確認出来なくなっている。
 衛宮士郎であった頃に目を通して、威力、射程、英霊の能力については把握しているが、宝具は特性や効果、威力ばかりに注視しがちで、ランクというところまでは覚えていない。
 ――なんて間抜け。だけれど、躊躇している余裕もない。駄目元でも、当たってみるしかないだろう。

 セイバーがバーサーカーの一撃を避け、大きく後退する。その横を駆け抜けるように、擦れ違った際にセイバーに話しかける。
 ただ、先の教会でのこともある。戦闘時には戻っているだろう言葉使いには気をつけないと。

「セイバー、私が宝具を使います。あのバーサーカーには生半可な攻撃は通用しないようです」

「……そのようですね。ならば私も使いましょう。二人でならあの巨体とて、ひとたまりもない筈」

 それだけ言葉を交わすと、俺が左へ、セイバーが右へと弧を描きながら疾走する。
 叶うならば俺一人で試し撃ちをすべきだったが、セイバーの提案を止められる理由もなかった。

 得物を追い込む猟犬のように、距離を詰めながら挟み込むように立ち回る。
 バーサーカーは一つの場所にいた標的を叩き潰そうとこちらへ走り出そうとしていたが、一斉に左右に分かれたために攻めあぐね、脚を止めた。
 その隙を逃す手はない。

 大きく息を吸い込むと、魔力が体に満ち溢れていく。高速で移動しながらそれを繰り返し、魔力を補填していく。
 駆けながら、精神集中に努める。意識を延長させて、腕に、その先の両手に、そして握られているエクスカリバーに――――見えた。
 『風王結界(インビジブルエア)』という鞘に意識を当て、本来の刀身を縛っている魔力を紐解いていく。

 途端に、手元から風と魔力が溢れ出し始めた。髪の毛が後ろに流され、衣服がはためき始める。
 俺、バーサーカー、セイバーが直線に並んだところで風のうねりは最大になる。剣が、風と魔力を開放したために暴れている。それを魔力を通した腕で無理矢理押さえつける。

 風の隙間から、黄金の輝きが見える。あとは、これを目の前の巨人に放つだけ――――!

■■■■■ーーーーー!!!

 中心にいるバーサーカーは暴風にさらされているというのに微動だにせず、咆哮を上げた。
 駆けていく。空気の流れで、セイバーもまた同時に駆け出したことを知った。

「「――あああぁぁぁぁぁぁっ」」

 風を剣に巻きつけ、セイバーと同時にバーサーカーの左右から切りかかる。
 剣の周囲は真空状態になり、重なり合った風の塊とエネルギーは全てバーサーカーを倒す為に注がれていく。



「な――?」

 そのエネルギーはバーサーカーに直撃する直前に弾け失せた。
 呆けた俺の声が空しく響く。

 風も魔力も剥がされ、裸になったエクスカリバーは当然のようにバーサーカーの肉体の前に弾かれた。勢い余った俺とセイバーは反動で飛ばされ、大きく後退していく。

「――無効化!?」

 同じくバーサーカーの向こう、遠くまで後退を余儀なくされたセイバーが叫ぶ。声からは戦慄が読み取れた。

 宝具に使われる予定だった魔力は、バーサーカーの周囲で霧散していく。
 そして、バーサーカーに叩きつけられようとしていた風の塊は『無くなった』。不可思議な程に唐突に消え去った。
 ――十二の試練。危惧していた規定ランク以下の無効化。風王結界のランクは、届いていなかった。



「――――?」

 ――だが、様子がおかしい。
 周囲の空気が、そして吹き飛んでいた魔力がものすごい勢いでバーサーカーに向かって流れていく。
 意味もわからないまま、姿勢を低くして墓地内に起こりつつある異常に備える。

「これは――!」

 バーサーカーを中心に、空気が急速に巻き取られていく。
 左右からベクトルの違うエネルギーが合わさり、空気の塊が消された空間――二つの『真空』に大気が流れ込み巨大な渦を作り出していく。
 しかも、ただの風によるものではない。風王結界の魔力に加えて大気中のマナをも巻き込んだ魔力の渦。
 次第に形を成していくそれは、人々に神の怒りと恐れられきた――――竜巻。

 雲へと届くまで成長した竜巻は、周りの墓石や地面を吹き飛ばし、風の隙間に巻き込んで磨り潰し砕いていく。
 こうなってしまえば、手を出すことは出来ない。高速回転する空気の渦は、最早災害だ。人が手を出せるものではない。


 大きく後方に飛び退きながら、風の鞘から解き放たれて姿を現したエクスカリバーを還す。
 バーサーカーは巨大な竜巻にのまれ、その姿は砂塵の中に隠れていった。



 竜巻が消えていく。

 視界が戻ってまず最初にしたことは、みんなの無事を確認することだ。
 士郎と凛は離れたところで体を屈めていた。内、凛は勝利を確信しているのか笑みを浮かべている。

 ……俺は警戒を緩めず、即座に対応できるようにバーサーカーがいた辺りを睨み付け、構えたままだ。
 セイバーも感じ取ったのか、構えを解かない。

 そう、バーサーカーの気配は消えていない。膝をついて、だが確実にそこにいた。
 しかし当然無事とはいえず、右腕が千切れ、左脇腹はえぐれ、体中に裂傷が走っている。本来ならば、退場を余儀なくされるほどの致命傷。

「驚いた。バーサーカーを一回殺すなんて」

 イリヤは目に映るものが信じられないらしい。ぱちぱちと瞬きをしてバーサーカーの姿を確かめていた。
 だがまだ余裕があるらしく、微笑を浮かべているところは変わらない。

「え?」

「――――な、何だ、あれ」

 凛と士郎の声が聞こえてくる。

 目の前で瀕死――いや、殺された筈のバーサーカーがゆっくり立ち上がっていた。
 体に走っていた裂傷は塞がり始め、えぐれていた脇腹が目に見える速度で修復されていく。
 バーサーカーは足元に転がった右腕を無造作に拾い上げると、腕の切断面に押し付け――数秒もしないうちに、その腕は繋がっていた。

「どういうこと? あの中にいて、まだ生きていられるっていうの!?」

 流石の凛も平静ではいられないらしく、取り乱す。
 士郎は目の前で起こったことに言葉をなくし、立ち尽くしている。

「いいえ、確かに死んだわ。でも、一回」

「一回?」

 ふふ、と笑みをこぼすイリヤに、眉を寄せる凛。

 俺とセイバーはバーサーカーから視線を外さない。
 バーサーカーの体は右腕とわき腹の、本来治癒不能といってよかった傷を残して完治している。
 もう行動自体には何の支障もないらしく、地面に突き刺さる斧剣を無事な左手で引き抜いている。

「リン、いいこと教えてあげる。バーサーカーの真名はヘラクレス。
 十二の試練を成し遂げた英雄。十二の命を持つサーヴァント。つまり――十二回殺さなければ倒せないわよ?」

「そんな化け物をバーサーカーに!?
 バーサーカーって本来、力の弱い英霊がなるクラスでしょう!」

「しかも同じ手段でバーサーカーは殺すことはできない。
 さて、二騎で宝具を使ったとしても、一回殺すことが出来たのは褒めてあげる。で、貴方たちはこのバーサーカー相手にこれからどう抵抗するのかしら?」

「――――!」

 凛と士郎が黙りこくってしまう。
 目の前の化け物に敵う手段が見つからないのだろう。
 セイバーも魔力の供給がないので無理はさせられない。

 なら俺が、アレを止める。
 ――そうしなければ、ならない。

 脳裏に、剣を支えに立ち上がるセイバーの姿が回顧される。
 あんなのはもう見たくない。
 それに、他ならぬ士郎のことだ。セイバーが危なくなれば、盾になって殺されてしまうだろう。
 凛だって、いくら魔術師といってもあの化け物相手では一撃も持たない。

 俺はみんなを守るって決めた。
 それなら力を惜しむ理由はない。

(凛、聞こえるか?)

 凛に念話を繋げる。既に何回か念話で会話していたため、手間取ることなく呼びかけられた。

(――どうしたの、アーチャー)

(魔力の使用量に構わければ、まだ闘うことは出来る。宝具の使用許可が欲しい)

(――あなた、まだ余力があるの!?)

(ああ。だけど、真名がばれてしまう可能性が高い。それに、相当の魔力を消費すると思う)

(――……背に腹は変えられない、か。思いっきりやっちゃっていいわ。アーチャー)

(わかった。危ないから、ちょっと離れていてくれ)

 そうして、繋がりを絶つ。
 許可は下りた。気合を入れるように、両手を握る。


「……黙っちゃって。ふふ、絶望しちゃったのかしら。
 いいわ。バーサーカー、殺しなさい」


「――――させない」

 こちらへ襲い掛かろうとするバーサーカーの前に、躍り出る。

 手には再び、風の鞘から開放されたエクスカリバー。
 じわ、と体に熱が篭っていく。生成される魔力を一切漏らさず体中に留め、宝具使用の為の充填を開始する。

「……!」

 イリヤはこの異常な魔力の猛りをその身に受けて、後ずさりする。

 セイバーと違って体に残る魔力は充分。凛からの供給もあるから倒れるなんてこともないだろう。
 体で高圧縮されていく魔力。目に見える程の魔力の輝きが、周りに瞬き始めた。

「――――殺させて、たまるか」

 力がみなぎっている。不可能なことなど無いと錯覚するほどに。
 高揚感で、心がはちきれてしまいそうだ。これがセイバーの力。これがセイバーの、宝具。

 だが、この膨大な魔力を消費する『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を以ってしても、バーサーカーを十一回も殺し切ることは出来ないだろう。
 しかし、回復しきっていないバーサーカーが相手であるなら、数回の死であればそれも可能。

■■■■■■ーーー!!

 危険を感じたのであろうか、あのバーサーカーが向き直り、俺を明確な敵と認識した。地面を蹴り、土を巻き上げながら突進を開始する。

 だが、遅い。こちらの魔力充填はほぼ終わっている。バーサーカーが俺に切りかかる前に準備は終わる。
 手にあるエクスカリバーが、瞬いている。まるで昼になったように墓地を明るく染め上げる。

「――駄目っ! バーサーカー、退きなさい!」

 イリヤが体をかたかたと震わせながら叫ぶ。
 見るとその顔から笑みは消えていた。俺を見る目には敵意と、ほんの僅かな怯え。
 駆け出していたバーサーカーはイリヤの言葉を聞くと、躊躇もせずに引き下がった。そして震えるイリヤの傍に寄り、その体を腕に抱く。

 抱えられて気を緩めたのか、イリヤに先ほどまでの体の震えはもう見えない。

「……今回は分が悪かったわ。今日は退いてあげる」

 イリヤを抱えたまま大きく跳ぶバーサーカー。
 数十メートル離れた辺りで、イリヤだけが振り返った。

「また改めて遊びに行くね、お兄ちゃん!」

 イリヤが無邪気な笑みを浮かべてそれだけを言うと、バーサーカーはその巨体に合わないスピードで跳び去っていった。



 その気配が感知できる範囲から消えたのを確認し、魔力を開放する。
 戦意を解くと、両手からエクスカリバーの質量が消えた。

(凛、追った方がいいか?)

(――……追わなくていいわ。今は、凌げただけでも良しとしとく)

(そう、だな。
 ……いや、でも助かった。宝具使ってたら相当魔力消費するから、後の戦いに支障が出ただろうしな。たぶん)

(――は? ……あんたねぇ、そういうことは先に言っておきなさいよ!)


「た、助かったのか……?」

 士郎が呆然と言った様子で呟く。
 凛は念話で交わしていた会話を打ち切り、視線を士郎へと向けた。

「そのようね……。アーチャーがいなければ危なかったわね」

「……っ!」

 凛の言葉に、セイバーが悔しそうに表情を歪める。
 マスターを守ると言っておいて、結果的に他のマスターのサーヴァントに助けてもらってしまったからだろう。
 例え原因がセイバーではなく、魔力供給も侭ならない士郎にあったとしても彼女は自分を責めてしまう。

「とりあえずここから出ましょう。こんな気味の悪いところに居続けたくないわ」

「ああ、そうだな」

 魔力を消費し、幾分重くなった体を引きずって外人墓地から出て行く。

 振り返って墓地を改めて見渡すと、墓石のその半分近くが叩き割られて吹き飛んでしまっていた。
 半分はバーサーカーに、もう半分は予想もしてなかった竜巻の威力によるもの。
 だが、それで削ることが出来たバーサーカーの命はたったのひとつ。そしてもちろん、同じ手段はもう通用しない。

 喉が鳴る。
 その光景から、狂戦士の恐ろしさを改めて感じ取っていた。



[7933] 四日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/24 02:13
 深山町に向かって歩く四人。
 しかしその間、誰一人言葉を発することなく無言だった。

 セイバーは黄色い雨合羽を上から羽織りなおし、一歩引いた位置からただ黙々とついてくる。
 士郎は大方、先ほどの戦闘をみて聖杯戦争の過酷さを改めて感じているのだろう。眉根を寄せて、酷く真剣な表情で集中している。
 凛は凛で何事か考え事をしていて、他の三人を気にした様子もない。
 その中で俺がしゃべる気になるわけも無く、セイバーの横で黙りこくったままただ足を進めていた。


 橋を渡り、交差点に差し掛かる。
 ここが凛と士郎の家の分かれ道。

「遠坂。明日から敵って話なんだけど――――」

「そのことについて話があるの。衛宮くん」

 そこに来て立ち止まり声を上げた士郎を、被せる形で凛が遮った。
 俺とセイバーも己のマスターに倣う形で立ち止まる。

「な、なんだ?」

「よければバーサーカーを倒すまで同盟を結ばない?」

「それは俺としても願ったりだけど――――どうして」

 士郎の疑問も尤もだろう。
 つい一、二時間前までは「明日からは敵同士。覚悟しなさいよ」なんて言っていたんだから。

「バーサーカーを見たでしょう? あれは正直、想像以上の化け物だったわ。
 私もアーチャーがいればこの聖杯戦争は負けはしないと思っていたけど、あんなダークホースがいるとは思わなかったのよ。
 やり様によっては一対一でも何とかなるかもしれない。でも、私にもアーチャーにも負担が掛かりすぎる」

「ああ、なるほど。そこでセイバーが出てくる訳か」

 バーサーカーの化け物振りを思い返したのか、話している凛は渋面を浮かべている。
 対して、すっかり講義を受けているように頷きで返しているのは士郎だ。

「そう。魔力こそ足りないけど、セイバーは白兵戦ではバーサーカーを圧倒していたわ。
 セイバーが足止めして、アーチャーが攻撃する。役割は逆でも構わないけど、他に取れる手段も出てくる。戦略は大幅に広がるわ」

「そうだな。俺も今日の戦いを見ていて感じた。アレと真っ向から一対一で戦うなんて、無謀だ」

「ま、もちろんバーサーカーを倒した後は元の敵同士に戻るけどね。
 それでも、貴方たちにかかる負担だって軽くなる。どう? 悪い話じゃないと思うのだけれど」

 その言葉を聞いて士郎は若干顔を顰めながらも、笑みを作った。

「その敵同士ってところは同意しかねるけど――――バーサーカーについては構わない。
 あ、セイバーもそれでいいか?」

「…………構いません。私はマスターに従います」

 問いかけから返答に若干の間があったようだけれど、セイバーも同盟を承諾した。
 戦闘が終わった後の凛の言葉と、今の話の流れ――己だけでは護り切れないと士郎に判断されたことで、心中は複雑だったのではないだろうか。

「そ。それじゃ、成立ってことでいいのね」

 言うなり手を差し出す凛。
 その差し出された手と、そっぽを向いて視線を合わせない凛の顔を交互に眺めた後、士郎はぼんやりと口を開く。

「えーと、どうしたんだ? 遠坂」

「ど、どうしたって、協力する人には、これからよろしくって握手するんじゃなかったの?」

 凛は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに顔を背けたままだ。
 だけど、差し出した手を引っ込める様子はない。

「あ、ああ。そうだな。よろしくな、遠坂」

 戸惑いながらも握手に応じる士郎。
 握手が終わるや、凛は『ふんっ』とそっぽを向いてしまう。
 恥ずかしかったならやらなきゃいいのに、と思う。


「あ」

 辺りを見回して、何かに気づいたように士郎がこっちに駆け寄ってくる。
 なんだろう? 訝しげに士郎を見るのは俺だけじゃない。

 俺の前に立つと、士郎はにっこり微笑んだ。

「アーチャーも、これからよろしくな」

 そう言って、右手が差し出される。

「へ? ――あ、うん。よろしく」

 慌てて、差し出された右手をこちらの手で握る。
 それに、士郎の行動があんまり予想外だったものだから口調が素に戻ってた。
 握った手を離した後、士郎は元の位置――凛の真正面へと戻っていく。

 俺は、握手した右手を胸の前で確かめるように握りながら、戻っていく士郎を見送っていた。
 ――士郎の手って、こんなに大きかったのか、なんてことを考えながら。
 いや、俺の手が小さくなったとは理解しているけど、俺よりも手が大きい俺(士郎)がいる、というのも何か変な感じだ。

 そんな時視線を感じて振り向くと、呆然と士郎を眺めていた俺を、セイバーが怪訝な顔で見ていた。たぶん、急に口調が変わったからだろう。
 でも、今回は仕方ないじゃないか。完全な不意打ちだ。

 ―――ええと、凛はなんで、俺と士郎をじとっとした目で睨んでいるんだ?


「……ところで衛宮くん、あなたの家に部屋って空いてる?」

「え? ああ、無駄に広い家だからな。部屋なら余ってるけど、何かあるのか?」

「何って、私たちが士郎の家に泊まり込むのよ。
 どうやら部屋はあるみたいだし、ちょっと間借りさせてもらうわね」

「な? なななな、何言ってるのかわかってるのか遠坂っ!!」

 士郎が真っ赤になって後ずさっていく。
 我が事ながら、大声を上げて後ろに下がっていく様はあまりに間が抜けている。

「ええ、充分にわかってるつもりだけれど。
 一箇所にまとまってないとバーサーカーに襲われたときに対応できないでしょう。
 とりあえず、これから一度家に帰るわ。今からだと……昼ぐらいにあなたの家に行くからそのつもりでお願いね」

「いや、まずいって! 俺の家、よく、藤ねえ――藤村先生と桜が来るんだから!」

「それじゃそっち用に何か適当な理由を考えとくわ。言いくるめれば問題はないわよね?」

「まぁ、それなら確かに問題は……って女の子が男の家に泊まること自体が問題だろ!?」

 うむ。まぁ正論だ。
 だが、相手は遠坂さん。一筋縄ではいかないぞ、士郎。
 なんて、妙に達観した気持ちで経験者は語ってみる。

「あら? それじゃ士郎は私に何かする気なのかしら?」

 凛がニヤニヤと笑っている。
 ああ、あの日の悪夢再び。俺が言われた時と全く同じ笑みだ。

 ――――これが、あくまである。
 仮にも健全な男子になんてタチの悪い。絶対に敵に回したくない。

「そ、そんなことするわけないだろ!」

「そうね。士郎はそんなことしないってわかってるわよ。
 ということで、お昼に行くからよろしくね」

「ぐっ!
 ――――そういえば遠坂、今俺のこと、士郎って呼んでなかったか?」

「協力するんだから名前で呼びたいんだけど、駄目だった?」

「い、いや。それは全然構わないんだけど……」

「よし。それじゃ、お昼にまた」

「あ、ああ」

 なし崩し的に論破され、呆然としたままの士郎を置いて凛は歩き出す。
 凛は鼻歌などを歌いながら足取りも軽く、何か上機嫌に見える。

 何故上機嫌なのか、俺にはさっぱりだったけど。






 昼、凛と共に、赤いボストンバックを両肩に掛けて衛宮家を訪れる。
 凛は車輪つきのトランクをごろごろと転がしてきた。トランク、ボストンバック二個。これ全部が凛の私物である。
 ああ、いや。着替えと、遠坂家にあった料理のレシピだけは俺が持ってきている物だ。まだ全部に目を通していなかったから借りてきた。
 ちなみに、トランクの中にはセイバー用に今俺が着ている物と同じものが数着分詰め込まれている。
 何故数着も予備があるのだろうか。この服、凛は着ていないって言ってたのに。

 凛が玄関先に設えられているインターホンを押す。
 きんこーん、と耳慣れた音が屋敷の中から聞こえてくる。

「あ、遠坂」

 てっきり玄関から出てくるかと思いきや、庭の方から士郎とセイバーがやって来た。
 どうやら、庭にある道場の方にいたようだ。

「あんたね、お昼に来るって言ってあったんだからちゃんと家にいなさいよね」

「悪い悪い。起きたらセイバーがいなかったもんでさ。
 道場にいたからそのまま道場で話し込んじまった」

 士郎は恐らく無意識に、人差し指で頬を掻く。
 ――へぇ、自分じゃ気がつかなかったけどこんな癖があったのか。

「まぁ、いいわ。で、私が使っていい部屋は何処?」

「あ、こっちの離れを使ってくれないか?
 そこそこ広いし、アーチャーも同じ部屋でいいよな?」

「ええ、構わないわ。ありがとう」

 …………。おな、じ部屋?
 それはもしかして凛と同室という意味でよろしいのでしょうか?

 いや、待ってくれ。
 それはまずい。精神が男の俺がっていうのもあるし、なにより妙に凛が怖い。

「し、士郎。出来れば凛の部屋とは別に、近くに私の部屋を貸して頂けると助かるのですが」

「……何を言い出すの? アーチャー。士郎に迷惑が掛かるでしょう」

 突拍子もないだろう俺の発言に、もちろん凛も訝しげに俺を見る。

「――――」

 言葉に詰まってしまう。
 確かに、部屋をもう一つ用意するんじゃ手間も掛かってしまうだろうけど。でも、同室はなんとかして避けたい。

「あれ? えーと、サーヴァントはマスターを危険から守るために近くで待機しているべきってセイバーに聞いたんだけど。
 現に、セイバーも俺と同じ部屋で寝ようとしたし」

 士郎がここにいる全員に確かめるように言う。
 それに「当然です」と言わんばかりに首肯するのはセイバー。

「それで、衛宮君。貴方セイバーと一緒に寝たの?」

「ね、寝るわけないだろ! 隣の部屋で寝てもらったんだよ」

「ま、あなたならそうでしょうね」

 ああ、そうだろうな。何てったって俺なんだろうし。
 現に今、未来の衛宮士郎も凛と同室になるのを必死で回避しようとしているところだ。

「というわけで同じ部屋でいいかと思ったんだけど。俺とセイバーとは違って同性なんだから」

「そうですアーチャー。それはサーヴァントとしてあるまじき提案です」

 確かに士郎の言うことも尤もだ。
 俺だって同じ状況なら、同室でいいんじゃないか、とか思っていただろう。
 セイバーの言うことだって間違っちゃいない。
 サーヴァントとして、マスターをすぐに守れる位置で控えるというのは当然のことなんだろう。力量に劣る俺なら尚更だ。

 でも、それでも――!
 あの夜の一言が、あの手の動きが頭から離れてくれないんだ。

「しかし……凛と同室で寝るとなると問題が……」

 俯いて喋る。これから俺がする発言に、どれだけの危機感が込められているのを読み取ってくれるだろうか。
 それによって、上手くいってくれるかどうかが決まる。士郎とセイバーが味方についてくれれば、あるいは。

「「同室で寝るのに、問題?」」

 士郎と凛が揃って不思議そうに声を上げる。
 意を決して、俺は顔を上げた。


「凛は、何故か私の体に過度の興味を抱いているようなのです」


「――――過度の興味って、遠坂。まさか、お前」

 誰も動かず、言葉も発せない中。
 数秒程経って、気づいたように士郎が凛から飛び退く。顔はヒクヒクと引きつり、その後もじりじりと後退している。

「ち、違うわよ! ア、アーチャー! 変なこと言わないで!!」

「セイバー、遠坂には極力近寄っちゃ駄目だぞ。何をされるかわかったものじゃない」

 士郎はセイバーを腕で後ろに下がらせる。
 だが、それに素直に従うようなセイバーではなかった。

「ええ、わかりましたシロウ。
 ――リン、先に言っておきますが、私はそちらの趣味は持ち合わせていません。少なくとも自ら進んで行おうとは思っておりません。
 どうか他を当たるよう、お願いします」

 セイバーは進み出て、手を『STOP!』というように凛の前にかざす。
 なるほど。サーヴァントはマスターを護るモノであって、マスターに護られるモノではないということなのだろうか。

「セ、セイバーまで……」

 流石にセイバーの一言は効いたのか、凛は力尽きたように膝をついてうな垂れた。

「アーチャー、今まで大変だったんだろう。近くに部屋を用意する。そこで寝泊りしてくれ」

「助かります、士郎。あなたの寛大な措置に感謝を――――」

 俺の肩に手を置いて何故か涙目の士郎に、俺は最上級の礼を贈っていた。

 ちなみにセイバーは俺を守るように立ち塞がってくれている。
 流石に、自分と同じ存在に貞操の危機(?)が迫っているのを良しとしなかったのだろうか。


――――いいから、私の話を、聞けぇぇーーーー!!



 時間は流れ、午後7時過ぎ。

 凛は士郎とセイバー、そして誤った認識を植えつけられていた俺の誤解を解いた。
 なんでも、女性として他の女の人のプロポーションは気になるものらしい。中身男の俺と、男として扱われたセイバーにはよくわからない心理だったが。
 一時間に及ぶ説得の末、自分の汚名を返上した凛は己が寝泊りする離れの客間を『改造』しに行った。
 俺はその後やることがなかったので縁側に座って、凛がばたばた走り回る様を呆っと眺めたり、凛の家から持ち出したレシピを読んだりしていた。
 ちなみにセイバーは道場でずっと正座していたらしい。

 あ、先ほど食事当番は順番でやることが決まった。
 士郎、俺、凛がローテーションで。俺が夜作ったら、次の日は昼作る、といった具合だ。

 イレギュラーである俺が料理が出来て、セイバーは料理が出来ないことを凛は不思議に思っていたようだが「色が違うくらいだから同一人物でも得手不得手の差異があるのかも」と都合よく解釈してくれたようだ。
 加えて、俺とセイバーは同一人物ってことになっているが、料理の件を切欠に色の違いや性格の微妙な違い、出来ること出来ないことがあることから、伝わる伝承の違いが人物の分化を起こしたのではないか、と推論している。
 結果として士郎も凛も、俺とセイバーは大本は同じ人物ではあるが多少の誤差があっても気にしない、という方向で扱ってくれている。
 凛のお陰で俺の正体がどんどん一人歩きしてしまっているが、自分らしく振舞えるようになったので万々歳だ。

 ま、そんなわけで料理当番のローテーションで、今回は俺の番ってことになった。

「それで、これからどうするか決まっているのですか? リン」

 セイバーの声が居間から聞こえてくる。
 俺はキッチンで居間で話している三人の話を聞きながら、玉葱を剥いていた。

「それなんだけど……まずはマスターを探すのが先ね」

「そうだな。今のところ分かってるのは俺と遠坂だけ。まずはそこからだ」

「何言ってるの、イリヤスフィールもでしょうが!」

 どうでもいいけど、なんだかここで一人だけ料理していると除け者にされたみたいで寂しいな。


 牛肉を玉ねぎの微塵切りとりんごの薄切りに赤ワインを加えたもので煮詰めるまで煮込む。
 ワインのアルコールが飛んだところで塩コショウを振り、軽くソテー。
 ソースは大根卸しに醤油を加えた和風なもの。好みでかけられる様に器を別にしておく。

 ――というメニューから分かる様に、今回からは準洋食だ。
 何か言われたら昼に料理の書物を読んでいたって言えばいいので、問題はないだろう。

 凛の家にあったレシピを漁っただけだが、俺の調理技能は確かにレベルアップしていた。
 以前は肉系の料理がどうにも苦手だった俺が、こうして色々と調理法が浮かぶようになったのだから大幅なレベルアップだろう。
 洋食の手法や、調理法を取り入れたから大体の食材にも対応できるようになったと思う。

 付け合せにコンソメベースのトマトとオニオンのスープを作る。
 レタスをちぎって深皿に盛る。トマトを切って飾りつけ。醤油にゴマ、それに油を加えて撹拌させた簡易ドレッシングも添えておく。
 白米は茶碗ではなく、皿に盛る。本来はパンなんだろうけど、そこまではいいだろう。洋食なのはあくまで雰囲気だ。

「アーチャー、手伝おうか? 一人じゃ大変だろ」

「あ、助かります」

 話が一段落付いたのか、士郎が声を掛けてきた。

 俺ってこんなに気が効くやつだっただろうか? 自分じゃわからないものだ。
 ま、前回は俺が手伝ったから、おあいこってことで手伝いに来てくれたのだろう。



「くっ!」

「これは――――」

「「美味しい―――!」」

 ちなみに前者が凛、後者がセイバーだが、その後の二人の台詞は意味合いが違う。
 凛は「あんた、こんなの作れたのっ!?」っていう意味で、セイバーはただ単に美味しいものに感心しているだけだろう。

「アーチャー、料理上手いんだなぁ。
 ――ん、メインの牛肉も柔らかいし、風味もいい。味付けも日本人好みになってる。
 俺も、桜のやつもこれはうかうかしていられないな」

「そうですか。ありがとうございます。頑張ってみた甲斐がありました」

 士郎が感心したように言ってくれる。
 自分だとわかっていても誉められれば嬉しいものは嬉しい。言いながらも、つい口元が吊り上ってしまう。

「これなら生前も良い奥さんとかになれたんじゃないかな……って何を言ってるんだろうな、俺は」

 そんな俺を見て、士郎は頬を掻き、顔を赤くしながらそんなことをのたまってくれた。
 生前、私はあなただったのですよ、士郎。

「…………」

 盛り上がっていたテンションは急降下した。そしてべちゃり、と底にひっついた。
 料理を誉めてもらえて嬉しかったってのに、余計な一言で今や完全にマイナスである。



 食事が終わる。
 正直、手順をしっかり踏んだ洋食技法は初挑戦だったからいくらか不安だったんだけど、案外受けがよくてみんな残さず食べてくれた。
 ただ自分で作った所為か、不思議と食べてみても士郎や凛の料理ほどの感動はなかった。少なくとも、目が潤んでくることはなかった。


 その後は士郎の魔術について、今後の指針、学校はどうするかを話し合う。
 しかし、大抵は士郎と凛で話を決めてしまうので俺やセイバーが口を出す機会はなかった。

 まず、士郎の魔術についてだが、戦力増強のために凛が基礎から教えることになった。
 戦力はあって困るものじゃない。少しでも時間があるうちに出来る事はやっておこうということだ。

 次は今後の指針。これはしばらく、他のマスターを探して回ることが決まった。
 けれど、こちらから動き回ると相手側の網にかかってしまうだろう、と受け手に回ることにしたようだ。
 ここまでは前回とだいたい同じ。大きな違いは無かった。

 第一の問題として、学校が挙がる。
 ランサーに襲撃される前、学校の敷地には魔術式――マナを集め、何かの結界を作る準備がされていたことを思い出す。
 近いうちに結界は完成してしまうだろう。

 そして、その学校にはマスターがいる。――――間桐慎二、ライダーのマスター。
 あいつは前回、ビルでの戦闘でセイバーに撃退され、その後逃げ出したところをイリヤに殺されたと聞く。

 俺は、慎二を信じたい。
 確かに回りに迷惑をかけて問題を起こすやつだったけど、昔は全然そんなやつじゃなかったんだ。
 今は無理かもしれないけど、いつかあいつもわかってくれると思ってる。
 そのいつかを得るには、あいつをイリヤに殺させちゃいけない。きっと、助けてみせる。

 それにはまず、結界を作るのを阻止しなければならない。
 幸い、完成するには時間がかかる。慎二もその間は特に動きを見せることは無かった筈だ。
 凛に知恵を借りて手を打っておけば対処できるかもしれない。

 ただ、学校に行くとしたら必然的にマスターの守りが手薄になってしまうことが問題か。
 というのも、俺もセイバーも霊体化が出来ないために人目がつくところでは護衛することが出来ないからだ。
 俺たちサーヴァントを家において各々が令呪で呼び出せば、という意見もあったが二人分の令呪を使うのはもったいない、と凛に却下されてしまった。

 代案として、危なくなったら俺かセイバー、一人を呼び出す。呼び出された一人が足止めしている間に、マスターの元に送られなかったもう一人が合流する方法を採ることになった。
 それには基本的に士郎と凛が出来るだけ一緒にいなければならない。色々と不都合が出てくると思うが、命と天秤にかけられるものじゃない。


 一通り話し合いが終わる。気がつけばもう日付が変わろうとしていた。
 士郎が大きなあくびをする。凛も眠気で少しぼんやりしているようだ。
 ただでさえ昨日は朝方まで起きていて、その後昼前には起きていたんだから眠くなるのは当たり前だろう。

 ある程度の方針は決まったので今日のところは解散となった。
 「おやすみ」と言葉を交わして、それぞれ部屋で眠りに就いた。



[7933] 五日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/04/30 23:58


 これは夢。
 きっと、夢。


 ――――いや、それはあり得ない。
 俺はアーチャーに――サーヴァントになったのだから、そんなことはあり得ない筈だ。
 過去、遠坂からサーヴァントは夢を見ることはないと、確かに聞いた覚えがあった。

 なのに、寝ている筈の俺の視界は何かを映している。


 誰かの視点を借りているだろう、見える画面はモノクロで。
 目の前に映っているのは、白黒の世界で尚映える黒い髪の少女。
 おとなしそうな女の子。
 俺の妹分である■を小さくしたような、そんな女の子。


 わからない。
 女の子が何を言っているのか。

 わからない。
 自分が、この視点の持ち主が何を言っているのか。


 なんで、この少女が泣いているのか。
 俺には何も、わからない――――――




「っ!?」

 飛び起きる。呼吸が荒れていた。
 ……原因はきっと、この窒息するぐらいに胸を圧迫している切なさ。
 これも悪夢なのだろうか。

 ふと、目の辺りの異常に気づいて手を当てる。

「あ……れ? 泣いて、る? 泣いているのか、俺」

 知らない間に雫が頬を伝っていた。
 ぽろぽろと零れ落ちて、涙は布団に染みを作っていく。






◆◆◆






 さて、俺は今、衛宮家の家計を預かる者として頭を抱えている。
 まぁ家計を預かるといっても、本来ここで暮らしているのは俺一人だった筈なんだけどな。
 そんな我が家はここ数日で、いきなり大所帯になりつつあった。

 人が増えるのはいい。嫌いじゃない。それらは置いておいて……問題は食費である。
 なにしろ食客が一気に三人増えた。
 作るのももちろん大変なんだけど、それはいい。楽しみがあるからそれほど苦にはならない。
 問題は材料費。遠坂はともかく、残る二人は結構な健啖家のようだ。これまたそこそこ食べる桜と藤ねえ、育ち盛りの俺を数に入れると、食費は二倍の計算になる。

「……はぁ」

 計算してみると、貯めておいておいた貯金を下ろさないと今月を乗り越えられそうにない。
 暫くは追加のバイトに行く暇もなさそうだから、補填しようにも充てがないのがまた痛い。
 とはいえ来月からバイトを増やせば、計算上では何とか帳尻は合ってくれる。……セイバーとアーチャーが昨日の食事の量で満足していたら、という前提あってだけど。


 布団を畳み、自分の部屋から廊下に向かう。
 昨日は鍛錬の後ついうとうとして土蔵で寝てしまっていたのだが、朝方に寒くて目を覚まし部屋に戻ってきていた。
 その所為かいくらか反応が鈍い体で、隣の部屋で寝ているだろうセイバーを起こさないように静かに部屋を出ていく。

 台所へ向かう途中洗面所に寄って顔を洗い、冷水で強制的に意識を覚醒させる。
 ぼんやりしていた頭がすっきりしたところで、改めて廊下を進んでいく。


「あれ?」

 まだ外だって薄暗い早朝のこの時間、居間の机の前に誰かがいるのを見つけて足を止めた。

 ――――セイバーかアーチャーが、目をつぶって正座している。
 昨日、遠坂が服を持ってきてくれたから、今セイバーとアーチャーは全く同じ服だ。
 髪留めの紐が唯一色違いなんだけど、ここからじゃ見えない。もちろん目をつぶっているんだから瞳の色など見えるはずも無い。
 その所為でセイバーだか、アーチャーだかの区別がつけられない。

「……セイバー、か?」 

 つかないし、自信も無いんだけど―――
 なんとなく俺には、彼女はセイバーであるような気がしていた。

「シロウ。おはようございます」

 ――当たった。

 セイバーは目蓋をゆっくりと開き、こちらに視線を送る。自然と真っ向から視線が噛み合った。
 ……セイバーのそのゆっくりとした動作、日本人にはない綺麗な色の瞳と向かい合ってるこの状況に、なんだかどぎまぎしてしまう。

「ああ、うん、おはよう。ちょっと待ってな。朝食作っちゃうからさ」

「はい。楽しみにしています。
 アーチャーの料理も美味でしたが、シロウの作ったこの国の料理は丁寧且つ繊細な味付けで、素晴らしいものでした」

「そ、そっか。それじゃ、セイバーの期待に応えないとな」

 笑顔を浮かべてそんなことを言われたら、否が応でも頑張らなきゃという気持ちになってしまう。
 自分の作った料理を美味しそうに食べてくれるだけでも嬉しかった。その上楽しみにしてくれているなら尚更落胆はさせられない。
 よし、と心の中で、静かに気合を入れる。


 ――今のやりとりだけで、こんなにも似ているセイバーとアーチャーが別人であると判別できていた。
 いくつか話すと尚更に判り易い。セイバーもアーチャーも実直な話し方だけど、セイバーの方がいくらか硬い印象だ。
 呼び方のイントネーションとかアーチャーの方がより日本人の発音に近いっていうのもある。
 でも、やっぱり外見ではわからなかったりするので、アーチャーが起きてきたら、せめて胸元のリボンの色も髪留めと同じ赤いものに変えてもらうよう言ってみよう。

 そんなことを考えながら頬を掻いて、今度こそ台所へ向かった。



 その後、三十分程してからアーチャーが居間に入ってくる。
 セイバーとは違い、目が充血しているようだけど何かあったのだろうか。

「ああ、いいえ。大事はありません。
 ただ、その、恥ずかしながら夢を見て少しだけ泣いてしまったようで……」

 調理しながらそのことについて訊ねてみたら、言葉を濁しながらも答えてくれた。
 頬を染めながら俯き、忙しなく視線を廻らせたりと、本当に恥ずかしいようだった。

 むう。別に恥ずかしがるようなことだとは思わないけど、女の子もそういうものなのだろうか。
 男なら『簡単に泣いてたまるか』なんて矜持があるけれど、彼女は少女といっていいぐらいなんだからそれぐらい構わない気がする。
 むしろ、そういったところが可愛いと思ってしまう俺が間違っているのか? 正直なところ、わからない。


 続いて起きてきたのは遠坂だ。
 なんというか、すごい。
 まず、目つきが悪い。入ってくる足取りの方は定まっておらず、まるで恐竜が闊歩しているようだ。
 その目つきと歩き方で、道で会ったら思わず進路を譲ってしまうだろう。
 とりあえず、普段の非の打ち所の無い優雅さは欠片も見当たらない。

 俺が抱いていたイメージがガラガラと音を立てて瓦解していく。
 やっぱり、学校では猫を被っていたんだろうなぁ……。
 身近に感じて嬉しいっていうのが大きいけれど、それでもどこかで寂しく思ってしまう。

 はあ……俺はさっきから何を考えているのだか。

 俺は挨拶の言葉も出せずに固まっていたのだけど、遠坂はその間に冷蔵庫から勝手に牛乳を取り出し、コップに注いで飲み干していた。
 洗面台のある場所を訊いてくるのに何とか答えると、またのそのそと廊下へと歩いていく。


 気を取り直して再び調理に取り掛かろうとしたところで、今度は客の来訪を知らせるチャイムの音が響く。
 つい、と壁がけの時計を見ると、どうやら起きてから結構な時間が経っていた。

 ん――、時間的に見ると、来客は桜だな。
 鍵を渡してあるんだから開けて入っちゃっていいっていつも言っているんだが、それでも一度は押すようにしているらしい。
 最近はようやく遠慮がなくなってきてくれたけど、こういうところは昔から変わらず律儀だ。

「シロウ、来客のようですが」

 敵意がないのを感じ取ったのか、セイバーが穏やかに話しかけてくる。
 同じ姿をしたアーチャーは彼女から離れたところに同じく正座で座って、声を上げたセイバーを無言で見ている。

「ああ。ええと、知ってるやつなんだけど、鍵を開けてやらないといけなくてさ」

「鍵ならば私が行き、開けてきましょう。シロウは料理を完成させてください」

「……そうか? それじゃ悪いけどそっちは頼むな」

 立ち上がり、俺を手で押しとどめて玄関へ歩き出すセイバー。
 申し出を拒否する理由もない……と思うので、セイバーに任せて今度こそ料理に取り掛かる。

 いや、しかし――――何かを忘れているような。
 引っかかっているのは今の一連の応答なんだけろうけれど。

 ええと、別に鍵を開けるだけだから、セイバーでも問題ないだろう。そんな難しい構造の鍵じゃないし、見れば分かる筈。
 桜に関しても、家に上げてなんら問題はない。いや、毎朝うちまで来てくれてありがたいぐらいだ。

 ……って、しまった! 桜とセイバーの間に面識がない!
 というか、桜にはまだ何も事情を説明していないんだ!

「士郎?」

 思い至るや否や、台所から駆け出して急いで玄関に向かう。
 背後からアーチャーの問い掛けが聞こえてくるけれど、応答している時間はない。



「待て、セイバー!」

 セイバーは鍵に手をかけようとしたまま、呼び止められてこちらを見ている。
 こちらは玄関まであと数歩、といったところ。

 何とか間に合ったか、と安心したのが悪かったのか。そこで俺は何かに足を取られていた。
 必死に駆けていた所為かその反動も大きく、体が空中に投げ出される。

 急転回する視界の中、滑った原因が足の下から転がり出る。
 これは、緑の小粒の宝石。確かペリドットとかいう種類だっただろうか。

「なんで宝石……遠坂かぁっ!!」

 昨日、魔術の説明を受けた時に「遠坂の魔術は宝石を使うの。お金が掛かって大変なんだから!」と、遠坂に八つ当たりされたのは記憶に新しい。
 宝石魔術がどういったものなのか例として使われたのがこのペリドットだった。何か二つを合成する際に、『つなぎ』として使えるらしい。説明を受けた今もよくわかっていないが。
 とりあえずは自身の金運の無さを嘆くより前に、宝石を落としたりするポカをまず直して欲しい。

「う、わぁぁ!」

 勢いがつきすぎて受身すら取れそうにない。為す術なく玄関のタイル――土間の辺りへと頭から突っ込んでいく。

「シロウ、危ない!」

 その声が聞こえたときには、セイバーに抱きとめられてた。
 あのままなら間違いなく地面に頭から落ちることになっていた。
 というものの、俺にはどうなって抱きとめられたのかわからない。いきなり目の前にセイバーが現れたように見えた。

 しかし……その、なんだか顔に柔らかいものが当たっているんだけど。

「先輩!? どうかしたんですか!?」

 扉ごしにくぐもった、だが焦ったような声。続いてがちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえてくる。
 起き上がる間もなく桜が合鍵を使って鍵を開け入ってきた。
 ばたばたと騒がしかったので心配になったんだろう。桜には珍しく、眉が釣りあがっている。
 しかし、俺を視界に捉えた途端に動きを停止させた。

「さ、桜? どうしたんだ?」

 抱きとめられたまま桜に向き直ろうと顔を動かすと、ふかっとした感触が頬に当たる。
 ――ええと、これは?

「シロウ、大丈夫ですか? その、頭を打ったりなどは……?」

 ふわっ、と優しく頭を撫でられる。
 そこで自分がどういう状況に居るか思い当たった。

「うわ、すまない! 大丈夫だ! セイバーのお陰でどこも打ってないぞ」

 セイバーから大急ぎで飛び退く。
 彼女は「それならばよいのですが」と返し、首を傾げて挙動不審であろう俺をじっと見つめている。
 その顔を見、視線を彼女の胸部に落とし、さっきの感触を思い出してしまって顔がかあっと熱くなってくる。

「――――先輩。説明をお願いしても宜しいでしょうか」

「え!? ああ、うん。それは構わないけど……」

 桜に声をかけられて、訳も無くうろたえてしまう。

 後、説明についてだけれど、言い訳担当の遠坂がこの場にいないことには下手なことも言えない。
 ――そういえば顔は笑っているのに、ぴりぴりとした威圧感が桜から俺に向けて発されているのは何故なんだろうか?
 視線を浴びて胃にキリキリとダメージを受けながらも、桜を居間に連れて行った。



 俺の料理の後はアーチャーが引き継いでくれていて後は並べるだけだった。
 引継ぎといっても既に八割がたは終わってたんだけど、動揺して火をつけっぱなしだった。
 アーチャーが機転を利かせてくれなかったら、危うく料理そのものが駄目になっていただろう。アーチャーには感謝だな。

 居間を見回すと、遠坂も既に普段の『遠坂凛』に戻っていて、すまし顔で席についている。

「遠坂……先輩?」

「おはよう。間桐さん」

 俺の後ろに続いていた桜は居間に入ったところで立ち尽くし、目を見開いて遠坂を見やる。
 対しては遠坂は余裕ありありといった様子で、呆然としている桜に向けて笑みを浮かべていた。

「な、なんで遠坂先輩が先輩の家に居るんですか!」

「ちょっと、落ち着いてくれ。な、桜」

 桜が、目に見えるほどに狼狽している。ここまで取り乱す彼女を未だ見たことはない。
 珍しいものを現在進行形で見ている気がする。

 ――いや、そんなことを考えている場合じゃないよな。

「私からちゃんと説明させてもらうから、間桐さん落ち着いて」

 言いながらも遠坂がアーチャーから湯飲みを受け取る。
 その様子、なんだか家主のような風格さえ漂っているような。

 ちなみに桜の視界にはセイバーやアーチャーはおろか、俺すら入っていないのだろう。というよりも、遠坂しか目に入ってないようだ。
 なにせ横にセイバーがいる状態で台所から同じ姿のアーチャーが出てきても、リアクションが全くなかった。

「今、私の家って全面改装中なのよ。
 どうしようかと思って、でも当てもないものだからホテルに泊まろうとしていたのだけれど、丁度そこに、し……衛宮くんがいてね。
 困っている私に、家に余ってる部屋があるから使えばいいって言ってくれたのよ」

「そんな……本当なんですか!? 先輩!?」

「う、ああ。本当だ」

 遠坂、よくもまあそんな嘘をべらべらと。
 桜に嘘をつくのは心苦しいけど、仕方がない。

「宿泊費も馬鹿にならないし、衛宮くんも遠慮しなくていいってことだから、お邪魔させてもらうことにしたわ。
 そういう訳で、これからしばらくはこちらでお世話になることになったからね」

「――――――っ!」


「今日~のご飯~はなーにかなっ♪ 士郎ー、おはよー」

 桜が眉根を寄せて、息を呑んだのも束の間、玄関の扉が乱暴に開かれる音がした。続くように妙な歌が聞こえてくる。
 あの陽気な声と珍妙な歌詞は藤ねえだ。これに至っては間違えようもない。

 見ると、流石のセイバーと遠坂も唖然としている。ここに通っている桜は慣れっこで、だが勢いは削がれていつもの表情に戻っていた。
 アーチャーの姿は先ほどから見えない。料理を机に出し終わった後、台所に行っているようだ。

 良くも悪くも、この重苦しい雰囲気を粉々に、それは木っ端微塵に砕いてくれた。

「ん~。今日もいい匂い。もしかして士郎、また腕を上げた? お姉ちゃんは嬉しいぞぅ」

 どたどたと足音をさせた後、豪快に開け放たれた扉の先にはやはり藤ねえ。

「「おはようございます、藤村先生」」

 姿を現した藤ねえに桜と遠坂が挨拶する。タイミングはぴったり、俺の耳には左右から同時に声が聞こえてきた。
 いきなり険悪だったけど、この二人ってなんだかんだで気が合うんじゃないか?

 藤ねえは挨拶もろくに返さず、席に着いて出された料理を勝手に食べ始める。
 頭の中は朝食で一杯らしい。年長者だというのに、行儀が悪いことこの上ない。

「うむ! やっぱり美味しくなってる! こうして士郎は料理人への道を駆け上るのであった!!
 このままお店とか持つのを目標に、調理師目指すって道もいいんじゃないかしら。そしたら私が毎日、いくらでも味見してあげるわよー。
 …………で、えーと、士郎。なんで遠坂さんがここにいるのかな? っていうか、この外人さんは誰?」

 一通り料理に箸をつけてようやく気づいたのか。
 意図せず喉から疲労の混じる空気が漏れる。これは、流石に付き合いの長い俺も桜も呆れざるを得ない。



 説明を要求する藤ねえに、遠坂がさっきの話をそのまま聞かせていった。
 その説明に対して、何故か藤ねえも必死で食い下がるが相手が悪い。遠坂のほうが完全に上手のようだ。
 俺の人柄について言及し、果ては学校の校風の話まで持ち出して次々と藤ねえが上げた反論を論破していった。

 それにしても、半端じゃないほど藤ねえは騒々しかった。
 理屈で勝てないとわかるや「下宿なんて許せるかー!!!」などと吠えるわ、最終的には料理の乗っているテーブルをひっくり返そうとまでしていた。
 そこまですれば今度はセイバーが黙ってはいない。暴挙を行おうとした藤ねえは、セイバーに実力行使されて捕り押さえられる。
 ……せっかく作ったものが無駄にならなくてよかった。お礼に、セイバーには藤ねえのおかずを一品プレゼントしてあげよう。


 それはさておき。
 この家だって結構大きい家なのだが、藤ねえの咆哮はきっと隣の家まで届いていたことだろう。
 ご近所の皆様には、毎度の事ながら申し訳なくなる。藤ねえがらみで迷惑掛け通しなので、今度菓子折りでも持っていかないと。



[7933] 五日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/05/14 13:23

「遠坂さんのことは百歩譲って納得したとして……。あ、ほんとーはしてないのよ? でも年頃の娘さんが宿無しになっちゃうのは可哀相だから、私が折れて納得したってことにしてあげるんだから。
 でもね。こちらの金髪の女の子はいったい何処のどちら様なの? こっちの子についてもお姉ちゃん聞いてないわよ?」

 セイバーに押し倒された状態からようやく開放された藤ねえは、彼女を指差しながら俺に向かって声を上げる。
 遠坂に論破されたからか、それともセイバーに武力制圧されたからなのか。先ほどより勢いは衰え声量は抑えられていた。
 この台詞も言い負かされて暴れる前に聞けたなら理解のある姉貴分だと尊敬もしてやれるのだけど、今更聞いたところで負け惜しみにしか聞こえない。あと、いい大人が人を指差すのはどうかと思うぞ。

 藤ねえの質問を受けて遠坂を見ると、あちらから目配せされた。――どうにも、ここからは俺の担当区分らしい。
 説明といっても俺の口は遠坂みたいにぽんぽん回るわけじゃない。少し考えてもみたけど、何の目的で出国していたのかわからなかった人物と関連づけてやることぐらいしか思いつかなかった。

「……あー。えっと、彼女は外国の方の、親父の知り合いの娘さんなんだって。
 親父を頼って日本に来たらしいんだけど、宿も取ってなかったみたいでさ。放り出すわけにもいかないだろ」

「切嗣さんの? 確かに外国にお知り合いが一杯いるみたいだったけど」

 出来る限り自然に説明しているつもりだけど、果たして聞いてる側はどうなのか。つい、と遠坂を見ると焦った様子で俺を睨んでいた。
 …………幸い、藤ねえの反応は普段通りだったから今回は大丈夫だったのだろうけど、どうやら俺に見破られずに嘘をつく才能はないようだ。

「……あれ?」

 言い終えた藤ねえがぽかんとした様子で台所の方を見つめていた。倣ってそちらに顔を向けてみると、アーチャーがエプロンで手を拭きながら戻ってきたところだった。
 使っているエプロンが俺のだってことはさて置いて、きっと今まで調理器具を洗っていてくれたのだろう。後で礼を言っておかないと。

「えーと、もしかして双子さん?」

「あ、ああ。言い忘れていたけど」

「ふぅーん、綺麗な子たちねー。
 それで彼女たちがここにいるってわけなのね。なるほどなるほど」

 その間、アーチャーはセイバーの傍に腰を下ろし、なにやら小声で話しかけている。こうしてみると仲の良い双子を見ているようだ。
 性格は違うけれど雰囲気やら言葉遣いは似ているし、そう考えてみると二人が完全に同一じゃないだけ双子という見方がしっくりくるような気がしてきた。



「それで、貴女たちのお名前はなんていうの?」

 頷きながら一通りの説明を受けていた藤ねえは納得したのか、本人であるセイバーとアーチャーに問いかける。
 なにやら話していた二人の内、すっ、と静かに藤ねえの前に出たのはセイバーだ。

「リア、と申します。親しいものは私をセイバーと呼びます」

「……は?」

 思っても見ない言葉がセイバーの口から放たれた。それに、思わず目を見開いて彼女を凝視してしまう。
 呆けてセイバーを見ていると、彼女の横にアーチャーが並び出る。

「私はアルト。同じく、親しいものは私をアーチャーと呼びます」

 そして同じ口調で、同じように続いた。

 ……えーと、『リア』に『アルト』だって? 
 二人からはそんな名前を聞いた事はないのだけど、それが二人の真名なのか?
 てっきり、セイバーとアーチャーって紹介すると思っていたけど……いや、考えてみれば名前としては向いてないな。
 セイバーだけならまだしも、アーチャーも揃ってしまえば大抵の人は何かの符号か偽名かと首を傾げるだろう。
 一応藤ねえは英語教師だし助かった、のだろうか。そんな配慮が藤ねえ相手に必要なのかどうかは別として。

 遠坂の発案かと思い、そちらを見ると片手に持ったお茶が空中で固定されている。口に運ぼうとしたままぴたりと固まっていた。
 その驚きようから察するに、どうやら遠坂にも知らされてなかったらしい。

「リアちゃんにアルトちゃんね。ほんとよく似てるのねぇ~二人とも。
 セイバーちゃんとアーチャーちゃんじゃ可愛くないから、呼び方はリアちゃん、アルトちゃんでいいでしょ?」

「「構いません」」

「私は藤村大河。なんと士郎のお姉ちゃん的存在なのだー!」

「「そうなのですか、よろしくお願いします」」

 話についていけず、綺麗に揃った返答する二人を、黙って眺めていることしかできない。

 いや、それにしてもすごいな。ここまで同じ言葉を重ねて話していると、なんだか芸を見てるようだ。
 ……あと、彼女たちより藤ねえの話し方の方が精神年齢が低く聞こえるのが弟分として恥ずかしい。

「うんうん、それでリアちゃんたちは何のために日本に来たのかなー?」

 人差し指を立てて、首を傾げて微笑みながら問いかける藤ねえ。
 どうやらお姉ちゃん風を吹かせているみたいだが、俺はというと必死に打開策を考えていた。
 セイバーにそんなこと訊いても上手く答えられるとは思えない。こっちで何かフォローを入れないと……。

 結局何も浮かばず、遠坂に視線を送る。目のみで意思伝達。
 どうやら通じたらしく、頷いてくれた。

「藤村先生、彼女たちは――」

「シロウをあらゆる敵から守るために。そのように切嗣から言われました」

 フォローにかかった遠坂の言葉を遮るように、セイバーが答えていた。
 セイバーの言葉に、藤ねえと桜の動きが止まる。完全に成り行きを見守るしかない俺。

 どうやらセイバーにとって、こういった場面で機転を利かせることぐらいなんてことなかったようだ。
 そして少なくとも、俺より話し振りが上手い。俺は事情を知っているっていうのに、セイバーと親父の間にまるで面識があるよう聞こえるのだから。

「――――え~っと、観光とかじゃなかったの?」

「もちろんです」

 浮かべていた年上ぶった微笑を消し、こめかみに人差し指を当てて、むむむ、と唸り出す藤ねえ。

「……守るって言うくらいだから多少は腕に自信があるんでしょうね?
 リアちゃん、剣道できる?」

「伊達にセイバーの名で呼ばれているわけではありません」

 藤ねえの口調がついさっきまで友好的だったものから、うってかわって挑戦的なものになっている。……なんでさ。
 対してセイバーも、ことが剣の腕ということになれば退く気はないようで、あからさまな挑発に易々と乗っかって戦意を含ませた笑みを浮かべている。
 なんだか拙い事態になりそうだ。いや、もうなってしまったのかもしれない。

「藤ねえ、やめておけって。朝だし、時間もないんだから。
 ほら、そろそろ学校に行かなきゃまずい時間だろ」

 セイバーと藤ねえの間に体を入れ、向かい合って止めようとするものの藤ねえは俺など眼中にない様子で視線をセイバーから逸らす。
 その視線の向かう先には、アーチャー。

「アルトちゃんの呼び名は『アーチャー』だったわよね」

「……? ええ」

「それじゃ、弓道が上手って解釈でいいかしら?」

「弓道というには邪道ですが、それなりには」

 まずいっ! 今度はアーチャーに絡みだした!
 俺が止める間もなく藤ねえとアーチャーの応答は続く。

「それじゃあ、ちょっとこれから一緒に学校にいってもらってもいいかな?」

「士郎と凛が学校に行ってる間はやることもないので、私は構いません」

 もしかして、藤ねえは弓道場でアーチャーに弓を引かせる気なのか?
 まてまて! セイバーもアーチャーも剣術がとてつもなく上手いのは分かっているけど、弓術も同じだとは限らない。
 仮にも同じ英雄のセイバーは、適正は『セイバー』にしか無いって聞いた。それでもまったく嗜みがないって訳じゃないとは思うけど、そもそも西洋の弓術と日本の弓道は異なるものだ。
 アーチャー(弓兵)だから、と安心するにはあまりに楽観的に過ぎるだろう。

 っていうか藤ねえ、部外者を学校の敷地内に入れるのは職権乱用で、おまけに公私混同だ。
 教師がそれでいいのか? 大丈夫だろうか穂群原。

「それじゃ、士郎。さっさと朝ご飯食べましょう」

 ここまできたら藤ねえの気は変わらないだろう。
 もしアーチャーが射れなかったとしても、セイバーが剣道で打ち負かせてくれるだろうからなんとかなるとは思う。
 けど、そうなったらそうなったでまた話がややこしくなりそうだ。

 とりあえず、俺にはもう手の打ちようがない。話が簡単に済むよう、アーチャーが見事な弓の腕を持っていることを祈るだけだ。
 どうにでもなってくれ、と茶碗に盛られたご飯を掻っ込んだ。




 朝食後、桜が衛宮家を出る時間に合わせてみんなで出てきた。
 藤ねえは教師としてやらなければいけないことがあるらしく、一足先に学校へ向かっていった。

 登校中、朝も早く生徒も少ない時間帯だというのにかなり注目されていた。
 桜、遠坂、セイバー、アーチャーの美少女四人に囲まれて登校すれば、嫌でも人目も引く。状況から見れば、俺は両手に花どころか、花畑に埋もれている状態だろう。
 周りからは羨ましく見えるかもしれないけど、これだけ囲まれると逆に肩身がせまい。

 セイバーと遠坂の二人でグループを組んでひそひそと話をしている。何かの魔術が働いているのか、声はほとんど聞き取れない。真剣な表情から聖杯戦争絡みのことだろう。
 残る女性陣の桜とアーチャーが並んで、どうやら料理の話で盛り上がっているようだ。洋食のレシピや技法について話している。
 必然的にあぶれた俺が二つのグループに挟まれる形で、一人歩いている。



「間桐さん」

「…………なんですか、遠坂先輩」

 通学路を半ばまで行ったところだろうか。不意に、遠坂が桜に切り出した。
 遠坂の呼びかけに、アーチャーとの料理談義で微笑みを浮かべていた桜の顔が強張る。

「貴女、これからは衛宮くんの家に来なくても大丈夫だから」

「――――え?」

 何を言われたのかわからない、といった風に聞き返す桜。

 何故、と考えるまでもなくその理由に思い至る。
 確かにうちに入り浸っていれば、サーヴァントの戦闘にも巻き込まれてしまうかもしれない。俺は戦争の参加者なんだ。
 なら、しばらくうちに来ないほうが桜にとってはよっぽど安全だろう。もし桜をこんな血生臭いことに巻き込んだりしたなら、俺はそれを絶対に後悔する事になる。

「私たちがいるからあなたがここにいる必要も、衛宮くんを世話する必要もないってことよ」

 間違っていない。考えてみれば確かにそれが正解なんだが、しかし遠坂。
 いくらなんでも、その言い方は身も蓋もないのではないだろうか。

「……先輩も、私がいると邪魔ですか?」

 しばらく黙りこくった後、桜は意を決したように、喉の奥から搾り出すようにして俺に問いかける。
 あまりに真剣なその表情と眼差しに、俺も佇まいを正す。

「桜を邪魔だなんて、そんなことは今まで思ったこともない。けど、しばらくはうちに来ないほうがいいと思う」

「――――――先輩が……そうおっしゃるなら」

 それ以降、桜が俯いて黙ってしまった。
 傷つけてしまったのだろうか? 俺には判断がつかない。

 ……それからは誰も話すことなく、そのままの様子で学校に到着した。





『ぉぉぉぉ…………』

 静謐としていた道場に響く、的中を知らせる音。
 その音の後に、不特定多数のため息とも取れる声が道場を満たしていく。

「……ふう。これぐらいで満足していただけたでしょうか?」

 残心から、アーチャーはうっすらと笑みを浮かべて藤ねえに問いかける。
 その立ち振る舞いは完全無欠。非の打ち所がなかった。

 アーチャーの格好は弓道衣。美綴に予備を貸りたものだ。
 金髪なのに、何故だか弓道衣がもの凄く似合っている。神事に関わる女性が持つような貞淑さ、神聖さがその姿から放たれているような気がする。


 学校に着いた後、道場に向かったら藤ねえが待ち構えていた。そして早々アーチャーに向かってのたまった「あそこの的に射ってみて」。
 なんというか、せめて簡単な説明くらいあって然るべきだと思うんだけど、まぁ今になってみればそれも必要なかったな、なんて思う。

 驚くべきはその結果。八本射って、皆中。
 全ての矢が的の中央へ吸い込まれていった。

「うううぅ。まだなんだからー! 所詮弓道は接近戦に向かないんだもん!
 今夜、剣道で勝負だからねっ!!」

 藤ねえは指をびし、とセイバーに向けてそう言い放ち、道場から飛び出していってしまった。
 こころなしか涙目だった気がするんだが、何が藤ねえをそこまで駆り立てているのだろうか。
 セイバーの横で正座していた俺と遠坂は、去って行く藤ねえの後姿を見送った。

 弓道に関して、アーチャーに言うべきことが無くなってしまったのだろう。
 大方、俺よりも下手だったら必要無いとでも言うつもりだったんだろうけど、先にも挙げたけど文句のつけようがなかった訳だ。

 今日の夜で徹底的に凹むことになるんだろうな。
 しかも今度は自分の得意分野で。藤ねえ、気の毒に。 


 藤ねえが去った後、自然とみんなの視線がアーチャーに集まる。
 アーチャーは和弓を胸の高さに持って、何事かときょろきょろと見回し辺りの異様な雰囲気に戸惑っている。

「衛宮、この子誰? この学校に編入とかしてくるわけ?」

 その中でアーチャーに向かわなかった美綴が俺の肩を掴み、凄い勢いで訊ねてくる。
 ライバルとして認めたのか、部員として入部させたいのかの判断は付かないが、有無を言わせない勢いだ。
 この状況じゃ答えないわけにはいかないんだろうな……。こんな厄介なことになったのもあのバカ虎のせいだ。

「この子はアー……アルトっていうんだ。別にこの学校に編入する予定はないぞ。
 こっちの女の子、リアと双子らしい」

 とりあえず訊かれた事について回答する。同じく話題に上ったリアにも弓道部員たちは興味が集まった。
 あっという間に、二人は弓道部員たちに囲まれていく。

「それで、衛宮とはどういう知り合いなわけ?」

「ああ、なんでも親父の知り合いの娘さんだって。それで親父を頼って俺のとこに訪ねてきたんだよ」

「――へえ。それにしても上手いねぇ。弓構えから射形に乱れが混ざらない感じなんか、衛宮を見ているようだった。
 射でいうならアンタと同等かってところじゃない?」

「ああ、そう、かもな」

 アーチャーの射は、足踏みから残心までの射法八節が一つの完成品のようだった。
 傍から自分の射を見たことはないが、自分で射る前に感じている(中たる)という確信を他人が射る前に感じられたのは初めてのことだ。
 まさか、アーチャーがこれほど見事に射をするとは――――的に当てるという結果じゃなく、弓道にとって重要なのはその立ち振る舞い、更にはその内面だ。一連の動作で培う精神鍛錬こそが目的であると、アーチャーは知っているようだった。
 外国の英雄であるだろうアーチャーが和弓を引けることに違和感はあるけれど、実際に引けてしまうのだからそういうものなんだろう。
 ちなみに、そういった意味で弓道としてみれば俺は邪道だ。……見ていてアーチャーの射は外れる気がしない。そういえば、彼女も邪道だと言っていなかっただろうか。
 美綴が言っていたように俺とアーチャーは同等、いや正しく同じ邪道なのかもしれない。

 件のアーチャーと、同じ姿のセイバーは、弓道部の女子部員たちに囲まれてえらい様子だ。
 年齢が自分たちより低く見える所為か、訊ねられ、手やら髪やら触られたり、抱きつかれたりとまるでペットのようだ。



「それで君たちはどこに住んでいるんだい? 僕がこの町を案内してあげようか?
 衛宮じゃ気の利いたところなんて知らないだろう?」

 珍しく朝錬に参加していた慎二が女子部員を掻き分けて、二人に笑いかけた。
 自然と弓道場全員の視線が、問いかけられた二人に集まることになる。

「いえ、結構です。私はシロウの傍にいなければいけません。町の構造も把握していますし、シロウの家に下宿させてもらっていますのでその必要はありません」

 あれだけ騒がしかった道場が静まる。
 話を振った慎二も笑い顔のまま、固まってしまっている。

 ……なんだか、盛大な誤解を招いている気がする。

「リアちゃんが衛宮の家にいるってことは、もしかしてアルトちゃんも?
 っていうか、衛宮、あんたって一人暮らしじゃなかった?」

 美綴が恐る恐るアーチャーに問いかけ、俺をギラリ、と睨む。
 俺に出来ることは下手なことを言わないでくれ、とアーチャーに意思を飛ばすことのみ。
 先に言っておくが、あいにく俺はテレパシーなどの能力は持ち合わせていない。

「ええ。士郎には色々とお世話になってます。
 離れの部屋で寝泊りさせてもらっていますが、鍵もついていますし、何も不自由なことはありません」

 アーチャーはにこり、と俺に微笑んでくる。俺の言いたいことを分かってくれていた。
 とりあえずこれ以上事態は悪化しないようなので、ほっと安堵の息を吐く。
 ――それにしても、アーチャーのその格好に笑顔は反則だと思う。

「ま、そうだよね。衛宮にそんな度胸があるとは思えない」

「えーとそれじゃ藤ねえも行っちゃったし、俺たちも行こう!」

 今俺に出来ることはボロが出ないうちに退場することのみ。
 かんらかんらと男前な笑い声を上げる美綴に礼をして、アーチャーとセイバーを引き連れ出口へと歩き出す。

「慎二、騒がしてすまなかった」

「あっ、衛宮!」


 固まったままの慎二に声をかけ、美綴の声を振り切って外に出た。
 二人の手を引いたまま外に出て、息を落ち着ける。

「まったく、藤ねえにも困ったもんだ」

「士郎」

「ん? どうしかしたか、アーチャー」

「弓道着のままなのですが」

「……わ、悪い」



 ……結局、後から出てきた遠坂がアーチャーの洋服を持ってきてくれたので、それに着替えてもらって借りていた弓道衣は後で俺から美綴に返すことにした。
 あの後また弓道場に入っていって、弓道衣を美綴に返す勇気は俺にはなかった。あの空気では何を問い質されるかわかったものじゃない。
 ただでさえ弓道部をやめた衛宮士郎が定期的に顔を出していて迷惑をかけているのに、あんな騒ぎを起こしたら周りも快く思わないだろう。

「はぁ。…………さて」

 遠坂の話では学校には結界が張られようとしているらしい。それを見つけない限り、対処もできない。
 セイバーとアーチャーが家に戻っていったのを見送って、校舎へ歩き出した。




[7933] 五日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/07/30 22:18

 朝のHR、うちのクラスの教壇には荒れたトラがいた。
 暗い顔でぼそぼそと出席を取り、かと思えばいきなり叫び出したりといつもより奇行が目立つ。普段からして理解が及ばないけど、今日は輪をかけてひどい。
 ただ、クラスのみんなも慣れっこなのかそれほど気に止めていないようだった。
 日ごろの行動がこういう時に反映されていることを知る。俺も気をつけようと思う。




 一、二時限目の授業をそつなくこなし、何とか三時限目の授業も終えることができた。

 午前最後の授業までの休み時間、俺は自然と机でうつ伏せになって体を休めていた。
 今日は朝から色々あってなんだか疲れた。
 仕掛けられようとしているという結界の件もあることだし、少し休憩しておかないと午後満足に動けなくなりそうだ。

「なぁ、彼女もしかして……!」

「本当だ!」

 そんな俺の耳に、クラスの男子たちの嬉しそうな声が聞こえてくる。
 うつぶせになっているので見えないが、その声の様子からなにやら色めきだち、興奮しているようだ。

「おいおい、あれ、遠坂さんじゃないのか?」

「なんだってこのクラスの前をうろうろしてるんだ?」

「拙者が数えたところ、既に三回このクラスを行ったり来たりしてるでござる」

 比較的近くの声を拾ってみたのだけど――なるほど。遠坂が廊下にいるのか。
 相変わらずの人気者だな。かくいう俺も、一週間前だったらきっと意識してしまっていただろうけどさ。

「なんだか、遠坂さん、こっちを睨んでないか?」

「そうでござるな。
 あれは『そっちがそういうつもりならこっちにだって考えがあるんだから』って顔でござる」

「あ~あ、遠坂さん、行っちゃったよ」

 それにしても何をしているのだか。何かこのクラスに用でもあるのだろうか?
 遠坂も不思議な奴だな。……なんにしても俺には関係のないことだろう。
 これでうちのクラスの男子連中もおとなしくなったし、残り五分を休息に充てられそうだ。

「お、やった! 遠坂さんが戻ってきたぞ」

「幻覚かな? 遠坂さんの周りが赤くぼやけて見えるんだけど」

「はて。なにやら衛宮の席を凝視しているのは拙者の見間違いでござろうか」


「……ん?」

 何やら周囲から視線を感じ、渋々と顔を上げる。
 遠坂を覗いていたと思しき連中が俺を見ている。と、視界に影。


 ――その男子連中の間をすり抜ける、親指の爪ほどの大きさの白い塊。
 反応する間もなしに俺の額に命中するや、どむん、とその質量からはありえない衝撃が脳を貫いた。

「でぇぇぇぇぇ!?」

 そして俺は見事な一回転。椅子に座っているというのに体が宙に投げ出され、落ちた。
 しかもそれだけで衝撃を殺しきれなかったのか、体は床に当たって跳ね、机や椅子を巻き込みながら壁に激突する。

「ぁっ――――くぅ!?」

 視界一杯が白く消え、また戻る。チカチカと明暗する。
 半端じゃなく、痛い。コレ、急所にもらったら、これで、死ねる。

「おおっ! 衛宮! それはなんという忍術でござるか!? もしや伝説の『忍法・地獄車』!?」

 後藤くんがもんどりうって倒れた俺に手を貸してくれた。
 ……貸してくれたのはいいのだけど、いったいどこからそんな感想が出てくるのか。
 そもそもそんな忍法が本当にあるのか? ――あったとしても間違いなく自爆技だ。間違いない。

 見ると床には消しゴムの切れ端が落ちていた。こんな小さな欠片でこの威力……衝撃はまるで弾丸どころか砲弾。
 このまま改良していけばそのうち消しゴムで人の頭を撃ち抜けるようになるかもしれない。そんなので殺される方がやりきれないだろうが。

 下手人を見ると、流石の遠坂もやりすぎたと思ったのか、あんぐりと口が開きっぱなしだ。

「っつあー!
 ……おい遠坂! 言いたい事があるなら口で言えばいいだろ!」

 起き上がり、額をさすりながら遠坂に呼びかけ、いや、怒鳴りつけた。
 何かしら俺に伝えたいことがあったのだろうけれど、だからといってそれで致死の攻撃を受けてはたまったものじゃない。

「何を言ってるでござ「し、士郎が気づかないのが悪いんじゃない!!」

 『頭がどうかしてしまったのか』とばかりに可哀相な目で俺を見てくる後藤くんの言葉は、遠坂の怒声によって遮られた。
 顔を真っ赤にした遠坂が教室に入ってきて、まだふらついている俺の前に肩を怒らせながら立ち塞がる。

「そんなこといっても気づくわけがないだろ!
 大体、何の用なんだよ?」

「貴方、私に『出来る限り一緒にいよう』って言ってたでしょう! 今まで教室で待ってたのに全然来ないし!」

 どよ、とクラス中が揺れた、気がした。

「……え……? ……あ、そう、だった」

 確かに昨日の夜、遠坂との間にそういった取り決めをしていた。件の様に言った覚えも、ある。
 朝のことに気を取られてすっかり失念していた。

「しっかりしてよね。ここまできたら士郎と私は一連托生、運命共同体なんだからね」

「いや、すまん。すっかり忘れてた」

「もう終わっちゃうからこの時間はいいけど、昼休みからは士郎が迎えに来てよね」

「わかったよ。俺が悪かった。
 ただ、今度からは普通に声をかけてくれると助かる」

 返事も返さず、ふんっ、と鼻を鳴らして遠坂は立ち去っていく。いくらかの勢いを失ったままに教室から出ていった。



「……たんこぶには……なってないか」

 当たった辺りを撫で擦る。あれだけの衝撃を受けておいて無傷とは、我が体ながら無駄に丈夫だ。
 視界はまだ定まってはいないし、身体は痛むものの大事はない。

 ぶれる視界で見回すと、なんだか知らないけどクラス中の人間が固まっている。

 ――む。さては遠坂の脱げかけたネコの中身を見てしまったか。
 確かに遠坂の違った一面を見たら不思議に思って当然。まず見間違えかと、己の両目が正常に動作しているかを疑うだろう。
 俺だって、最初はかなり驚いたからな。クラス連中にだって衝撃だったに違いない。

 いや、それとも椅子に座っていた俺が何の前触れも無く宙を舞い、床を跳ねながら壁に激突したことかもしれない。
 凄まじい速度で飛行した消しゴムは周りの人間には視えなかったろう。俺が勝手に吹き飛んだようにクラスのみんなの目には映った筈だ。
 だとするなら、あっけに取られるのも無理は無い、か?


 教室の大多数は固まったまま動かない。
 仕方が無いので、地獄車の巻き添えをくった机たちを元の位置に直そうと足を伸ばしたところで、一人の男子生徒が俺の前へとやってきた。
 ――能面のような表情だ。クラスでもお調子者として扱われている彼のこんな表情は、いまだかつて見たことがない。
 ただならぬ様子を不審に思い、俺が丁度身構えた時、彼は口を開いた。


「なぁ衛宮。お前、もしかして遠坂さんと付き合ってるのか?」


 決して大きくない声量であるのに、その声は何故かクラスに響き渡っていた。

「…………はぁ!?」

 若干の間の後、俺は思わず聞き返していた。
 なにせ、意味がわからない。いったいなんだってこの状況でそんな質問が出てくるのか。

「だってお前、『出来る限り一緒にいよう』って言ったんだろ? 遠坂さんに」

「あ、いや。それは確かに言ったけど、でも――」

 いつの間にか動き出していたのか、クラス中からヒューヒューとお決まりで囃(はや)し立てられる。

「な! ち、ちがっ!」

「それに遠坂さんも満更でもなさそうだったし。
 むしろ衛宮を名前呼びしてる彼女の方が積極的というか」

「いや、それは……」

 ……聖杯戦争を勝ち抜く為の作戦なんだ、なんてことは間違っても言えない。
 それっぽく理由をつけて誤解を解かなければいけないのだけど、なんて言ったらいいのやら。
 こんな事態は全然全くこれっぽっちも想定してなかったから、脳みそは空回りするばかりでまともに稼動してくれない。

「なんで衛宮ごときが遠坂さんとーー!!」

 俺が否定も出来ずにうろたえていると、教室の隅から怨嗟の声が届く。
 そちらを視ると、頭を抱えてぶんぶんと振り乱す男子生徒が多数。

「ま、応援はしてやれないけど、頑張れ、よっ!!」

「っげほ!? いや、だから……」

 死角から背中をばしばし叩かれる。
 ……これは激励じゃない。溢れんばかりに怒りが込められている。
 むせ返りながらも弁解しようとするも、叩いただろう彼は俺から離れて周囲を取り囲む女生徒の影に隠れてしまっていた。

「ねぇねぇ、衛宮くん、なんて告白したの? もしかして遠坂さんから?」

「う……ぁ、いや……」

 次いで、興味津々といった風に寄ってくる女子生徒の面々。
 キャーキャー、とこの上なく姦しい。こちらが言葉を紡ぐ間すら与えてくれない。

 …………まいった。どうしたらこの窮地を脱出できるのか?
 とてもじゃないが独力では切り抜けられそうもない。

   キーンコーンカーンコーン

「あ、あー! ほら、みんなチャイムだぞ。早く席に着かないと」

 丁度よく響く、休み時間終了を知らせる鐘の音。
 この機を逃せば活路は最早存在しない。なんとか煙に巻くんだ! 士郎!

「しょうがないなぁ。衛宮くん、後でちゃんと聞かせてよ?」

「納得がいかねぇぇぇーーー!!! 俺も遠坂さんに名前を呼び捨てにされてぇぇぇーー!!!」

「衛宮、月の出てない夜は気をつけろ」

 様々な言葉を投げかけ、席に戻っていく。
 ……全然誤魔化せてないし。こうなったら授業が終わったら即刻逃げ出すしかない。



 授業中、ふと背中に視線を感じる。
 いや、今やクラス中から注目されている身ではあるんだけどその中でも特に悪意を含むものがあった。

 これは、慎二、か? ……なんだって慎二が俺を睨むのか。
 ああ、そういえば慎二は遠坂に交際を申し込んだって言ってたな。
 そこにきて、『衛宮士郎が遠坂凛と付き合っている』って話だから慎二が俺に殺意やらを抱いても仕方ないのかも、って。
 いや、大前提に俺、遠坂と付き合っているわけじゃない。これ以上事態が悪化する前に、早めに誤解を解いておいたほうがいいのかもしれない。




 四時限目の授業が終わるや否や、一応弁当を持って教室を飛び出していく。
 なんとか教室からは抜け出したけど、クラスのやつらが俺を追ってきているみたいだ。
 後ろから数人の足音が聞こえてくる。それに振り返ることなく、遠坂のクラスに辿り着く。

「遠坂っ!」

 その勢いのままバンッと扉を開け放ち、大声で呼びかける。
 これは俺一人で対処出来るような規模ではない。だとするならば、一刻も早く遠坂の指示を仰がなければならねばならない。

「衛宮くん!」

 教室中の視線が遠坂に、廊下を歩いていた生徒の視線が俺に集まった。
 そんな中、遠坂が口を閉ざしたまま小走りで俺に走り寄り――結果的に俺達二人が周囲の視線を独占してしまっていた。

「確かに来いっていったけど、なんだってそんな大声で呼びかけるのよッ!」

 耳元で、小声で怒鳴られた。
 器用なことが出来るんだな、遠坂。

「あんまりおおっぴらにすると色々と面倒になるでしょう! なんだか知らないけどこのクラスに、私と士郎が付き合ってるって噂まで流れてるのよ!」

「いや、きっとこのクラスだけじゃない。俺の後ろを見てみてくれよ」

 背後から見えないように指で指し示す。怪訝そうな顔で俺の影からそちらを覗き見る遠坂。

「何なの? 廊下の角から覗いてるのが……十人はいる。こっちから見えないと思ってるのかしら」

 教室を出る時は確かに数人程度だったのに、ここに来て明らかに増えているのだが。

「あいつらも同じみたいだ」

 こうしている間にも、遠坂のクラスと廊下から視線を感じる。
 こそこそと話している俺達を見て、小さくない動揺が広がっていく。

「とりあえず屋上に行かないか? ここじゃ話もろくに出来そうにない」

「わかったわ。一応私もお弁当持ってくるから待ってて」

 遠坂が俺の右手にある包みを見て言う。
 その持ってくるって弁当の中身は、俺が作ったやつなんだけどな。

 弁当を携えた遠坂を伴い、足早に屋上に向かう。
 廊下を連れ立って歩いている間も、やっぱり注目が解かれることはなかった。




「それで、話って?」

 屋上に入り、フェンス近くまで進んで辺りを見回す。
 どうやらまだ他の生徒はここにはきていないようだ。寒いため、夏に比べてここで昼食をとる生徒も少ないが、午前授業終了の鐘から脇目も振らずに走ったからまだ来ていないのもあるのだろう。
 さて、どうやら屋上の見える範囲には俺たち二人だけしかいないのだけれど、完全に無人というわけでもなさそうだ。出入り口の扉は少し開いていて、何人かがこちらを窺っているのがわかる。
 見えてないだけで、もっと人数はいるに違いない。けれど、まぁこの距離ならこっちの会話が聞かれることはないだろう。

「あー、えーと、そのことなんだけど三時限の休み時間覚えてるか?」

「士郎が全然気づかなかったから、私がわざわざ出向いてあげた時のこと?」

 腰に手を当て憤る遠坂の言葉を受けて、そういえば失念していたことに対してしっかり謝っていなかったことを思い出した。

「ああ、あれはすまなかった。
 ――ってそうじゃなくて、色々言ったじゃないか。『出来る限り一緒にいよう』の話の件とか、俺を呼び捨てにしたりとか」

 自分で言ってても顔が赤くなってくる。
 今思えば、勘違いされて当然だ。そんな状況を見れば、俺だって絶対勘違いする。

「……もしかして、それが原因?」

「そうみたいだ。大方、携帯で広まったんだろう。『衛宮士郎と遠坂凛は付き合っているようだ』なんて感じで」

「あっちゃあ、やっちゃった。道理で授業中に注目されていたわけだ。
 私もおかしいとは思ったんだけど」

 ちなみに俺も遠坂も携帯は持っていない。
 持っていたら授業中もメールがきて大変だったことだろう。

「でも、士郎が気づいていればこんなことにはならなかったんだから」

「それを言われたら言い返せないけど……」

「――――いいわ、私も迂闊だった。
 っていうか、消しゴムの投擲がまずかったみたい。
 力加減間違っちゃったみたいで、消しゴムであそこまで威力が出るとは私も思ってなかったのよ」

 ……加減を間違えたで済ますのか、なんて疑問は残るが今話しておくべきことはそれじゃない。

「まぁ、それはそれとして。どうするんだ? このままじゃ誤解されたままだぞ」

 そうなのだ。
 否定しようにも大体こういう手合いを相手にむきになって否定すると逆に火がつく。
 だいたい、こういう場合は放っておくか、適当に流すに限るのだけど。

「――――」

 遠坂が顎に手を当て、何かを考える。
 俺はというとこういったことには頭が働いてくれない。遠坂に任せたほうが穏便に収まってくれるだろうから、遠坂の決定を待つほかない。


「――うーん。思ったんだけど、このままでいいんじゃない?」

「……このままって、遠坂!?」

「だってそうでしょう? これから先も士郎と私は一緒に行動しなければ危ない。
 だけど、一緒にいるには何かしらの理由が必要でしょう?」

「確かにそうだけど……」

「それに私も色々とつきまとわれて大変なのよ」

 ああ、遠坂ってもてるもんな。
 色々ってのは慎二とかのことだろう。

「で、どう?」

「――わかった。遠坂が助かるっていうなら俺が手を貸さない理由はないよ」

「そ、そう。助かるわ」

 言うなり遠坂の顔がじんわりと赤くなった。しかも何故だか知らないけど俺から顔を逸らす。

 笑ってる、のだろうか。顔が見えないからどんな表情をしているのか俺にはわからない。
 何かおかしなことでも言ったっけか? どうも俺には覚えがないのだけれど。

「ゴホン。……それより士郎、気づいた?」

「へ? 遠坂の顔が赤くなったことか?」

「ちちち、違う! 屋上に呪術による魔方陣が張られていることよっ!」

「いや、気づかなかった。ってそうなのか!?」

 確かに昨日、遠坂が学校に結界が張られようとしているって言ってたが、まさかこんな身近なところに仕掛けられているのか。

「見る限りじゃこれは結界の基点になる魔方陣ね。しかも基点はここだけじゃなさそうだし。
 それにしてもこんなあからさまなものに気づかないなんて、あなた本当に魔術師なの?」

「……ぐ」

 そう言われると、「そうだ」とは返せない。
 とてもじゃないが、遠坂と同じ『魔術師』だなんて言えるような実力は俺にはない。

「――ふぅ、ま、とりあえずここだけでも消しておいたほうがいいでしょ」

 遠坂が何らかの呪文を唱えると、体にかかっていた気づかないほどの重さが消えた。

「お、体がなんか軽くなった気がする」

「結界の戒めを一つ解いたんだから。それにすら気づかないようじゃ魔術師失格っていうか、一般人以下。
 それより、どうせだからここでお弁当食べちゃいましょう?」

「あ、ああ。そうだな」

 そうして、ベンチに並んで座って弁当を広げる。
 一緒に作ったものだから遠坂のも中身は同じ。人が居る所で食べたらえらいことになっていただろう。

 屋上出入り口から「本当に付き合ってるのかよー!」「マジでー!?」なんて聞こえてきた気がする。
 顔に血が上ってくる。うろたえて隣を見ると、どうやら遠坂の顔も同様だ。
 やっぱり、俺だけが聞こえた空耳じゃないようだ。




「ところで士郎、あなた、強化以外に使える魔術はないの? 師事させる側として聞いておきたいんだけど」

 弁当を粗方食べ終えたところで遠坂がふとそんなことを言ってきた。
 箸を止め、視線を隣の遠坂に向ける。

「うーん。たまに強化の練習で投影魔術を行っているけど、他には何も」

「『投影』ね……。また微妙なカテゴリを。
 て、ちょっと待って、なんて言った? 『強化の練習に投影魔術』?」

 おお? 遠坂の変な顔。
 珍しいものを見た。

「ああ。なんでも、投影って効率が悪いから強化にしとけって親父がさ。
 ほんとは先に覚えたのも投影が先なんだ。」

「――――まぁ、間違っちゃいないけど……」

 遠坂は何か言いたそうにしているが、俺は続ける。

「それにしても魔術って大変じゃないか?
 毎回使うたびに死と隣りあわせでさ、人のこと言えないけど遠坂もよくやるなぁ」

「――――使うたびに?」

「だって毎回魔術回路を作るわけだろ?」

「はぁ!? あなた、そんなことしているの?
 ……いい、衛宮君。貴方は致命的な勘違いをしてるわ」

 なにやら驚いているが、何に驚いているのか生憎俺にはわからない。
 何かおかしなことを言ってしまったのだろうか?

「勘違い?」

「いい? 魔術回路っていうのは毎回作るものじゃなくて、切り替えるものなの。それさえ出来れば、それこそスイッチを入れるみたいに魔術行使が可能になる。
 使うたびに死に掛けるなんてリスクを背負って行っていたんじゃ、命がいくつあっても足りないわ。
 まず、前提からして間違っているのよ、貴方は」

「いやでも、切り替えるって……俺にはそんなのできないぞ」

 俺は親父からそんなことは習っていない。
 っていうか、切り替えるって概念すら知らなかった。

「あなたの魔術の師匠、それくらい教えてくれるでしょう? 一体その人は何を教えていたのよ?
 はっきり言って衛宮くん、あなた魔術師と名乗るのもおこがましいほどのド素人だわ」

「ああ、俺の魔術の師匠って親父なんだけど、五年前に死んじまったからさ。
 とっかかりだけで、教えられたことだけを繰り返してたというか」

「――。ま、そこも含めて私が全部教えてあげればいいわけね?」

「俺としては何が間違ってるのか全然わからないんだけど、よろしく頼む」

 俺が頭を下げると、遠坂はふん、と鼻を鳴らして「任せておきなさい」と胸を叩く。

「さて、それじゃ、ちょっと帰りに家に寄るから遠回りよろしくね」

 遠坂はそれだけ言って弁当の残りを食べ始める。
 俺は弁当の最後の一口を咀嚼しながら、ベンチの背もたれに体を預けて青い空を見上げた。



[7933] 五日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/09/03 21:08

 全ての授業が終わってから遠坂と俺は二手に分かれ、学校敷地内に施されているという『結界の基点』を探すことになった。
 遠坂は校舎内を、俺はそれ以外を。もし攻撃されても、この敷地内ぐらいの距離ならば助勢に駆けつけることが出来るだろう。
 「解析出来なくても魔力さえ通すことさえ出来れば、いくら衛宮くんでも探査に対する魔力反発で基点の場所ぐらいわかるでしょ」とは遠坂の言だが……。
 解析魔術に関してなら、たぶん人並み程度には出来るんじゃないかとは思うんだけど……そもそも人並みの基準がわからないのでここは黙って頷くことにした。

 実際に校庭を見て回って解析を試みるも成果はなし。範囲が範囲なので少しばかり疲れが溜まるけれど、だからといって休んでもいられない。
 しかし、校舎を除いてあと残すところというと部室棟や体育館、弓道場や武道場か。

 とりあえず手近にある弓道場から当たろうと入り口に足を向けると、弓道場の向こうから慎二が近づいてくるのが見えた。
 場所が場所なので目的は部活かとも思ったが、どうやら違うようだ。顔にはにやついた笑みが張り付いている。
 ……どうやら慎二の用事とは、俺にあるのだろう。その足は迷いなく俺に向かっていた。

「まったく、どこにいるのか探しちゃったじゃないかよ、衛宮」

「ん。何か用事か?
 悪いけど、今日はちょっと頼まれ事する余裕はないぞ」

 声を掛けてきた慎二に対して、俺も足を止めて顔だけで向き直る。
 経験則から、わざわざ俺を探してまでの用事というと大抵は雑用やらの頼み事なので、先に断っておくことにした。
 今はとにかく時間が足りていない。流石に、人死にが出るかもしれないという学校内の結界と、慎二の頼み事を同じ天秤に乗せることはできない。

「はん。それじゃまるで、僕がいつも衛宮に頼み事をしているみたいじゃないか。
 今日はちょっとばかり話があったからお前を探してたんだよ。そういう衛宮も探し物の途中みたいだけどさ。
 ……ああ、そうだ。親切心から言っておいてやるけど、そんなところをうろうろしても弓道場にはお前が望むようなものはないぞ」

「俺が望むものって……慎二、何か知っているのか!?」

「ああ。サーヴァントのマスターとして最低限のことぐらいはね。当然だろ。
 衛宮、お前も今回のに魔術師として参加しているんだろう?」

 今、一般人である筈の慎二の口から放たれてはいけない言葉が聞こえた。
 『魔術師』、『マスター』、『サーヴァント』。今この時冬木においてこれらは、殊更に特別な意味を持っている。

「……慎二、お前マスターになったのか!?」

「ま、そんなことはどうでもいいんだ」

「…………」

 ため息をつき、姿勢を崩す慎二に対して俺は咄嗟に言葉が出ない。
 いや、だってそんな簡単に片付けるようなことじゃない筈だ。筈、だよな?

「ところで、だ。
 ちょっと小耳に挟んだんだけど、衛宮は遠坂と付き合っているって噂が流れているのはどうなんだ?」

 慎二の顔が不意に真剣な表情をかたちどる。
 不自然な話題の転換に、混乱している俺はもちろんついていけないでいる。

「へ? あ、ああ、どうやらそういうことになってるらしい」

「ちっ――――衛宮と遠坂が釣り合わないのは、衛宮自身わかってるだろ?
 だいたい遠坂の奴も馬鹿だよな。組むに相応しい相手っていうのがいるだろうに。まったく、自分で自分を貶めるようなことしてさ」

 一瞬顔を歪めたが、気を取り直してにやにやと笑いかけてくる。
 対する俺だけど、慎二のその言葉に……ちょっとだけ、かちんときてしまっていた。

「釣り合わないのは重々承知してる。
 だからといって、俺の前でそんな事を出汁に遠坂を貶すのはやめてくれ」

 俺のことは言われてもしょうがないけど、遠坂まで貶すのは違うだろう。
 『同盟を組んでいる建前上そうしている』ということを伝えるのを忘れて、なんだかわからない衝動に押されて俺はそう答えてしまっていた。

「……はっ、お前はどうせ僕の当て馬にされてるだけさ。遠くない未来に捨てられることになるんだから、今のうちに手を引いたほうがいいんじゃないか。
 それに、遠坂はマスターだ。寝首を掻かれる前に手を切っておくべきだと思うけどな」

 若干の間の後、意地の悪そうな笑みを浮かべた慎二に「それが衛宮のためだ」と続けて忠告される。
 どうやら頭に血が上ってしまっているらしい俺は、冷静に考える前に返答していた。

「そうはいかない。俺は、遠坂を信頼しているからな」


「……」

 俺と慎二との間に沈黙が下りた。
 慎二は忌々しげに俺を睨みつけ、しばらくしてから前髪を手で掻き揚げた。

「――――わかったよ、衛宮。僕より遠坂のやつを信頼するっていうんだな。
 なら、お前は僕の敵だ。今は見逃してやるけど、これから先、僕に殺されても文句言うなよ」

 それだけ言うなり、背を向けて校門に向けて歩き出そうとする慎二。

「その前にちょっと待ってくれ。
 ここに結界を張ろうとしているのは、慎二、お前なのか?」

 俺は、背中を見せて歩き始めた慎二を呼び止めた。
 慎二はうっとおしそうに俺に振り返り、しかし何かを思いついたのか薄く笑う。

「だとしたら、衛宮はどうするっていうんだ? 僕を殺すつもりなのか?」

「そんなことはしない。ただ、もしそうなら、俺は全力でお前を止める」

「ははっ! やっぱり衛宮は甘ちゃんだ」

「――慎二」

「…………ふん。僕じゃないさ」

 静かに声を掛けると、慎二は今まで浮かべていた軽薄な笑みを消した。

「それに、魔術師っていっても僕は知識だけで一般人とほとんど変わらないんだからな。結界なんてものが張れる筈もない。
 だいたいだ、そんなことを僕がするわけないじゃないか」

 知識だけで一般人とほとんど変わらない――それは、圧倒的に不利な要因な筈なのに、慎二の余裕は崩れる様子がない。
 そのままの様子で「そうだろう?」と俺に笑いかけた。

「そうか、そうだよな」

 返した俺の笑みは、ぎこちないものだっただろうと思う。――でも、内心では確かに安堵していた。
 止めると息巻いてはいたけれど、もし結界を張ったのが慎二だったとしたなら、俺には手の出し方が分からなかった。
 もちろんさっきの言葉だって嘘じゃない。全力で止めに入るつもりでいたし、俺に出来る限りのことをするつもりだったけれど、慎二が口で言った程度で素直に止めてくれるとも思わない。
 どうしたって実力行使に踏み切る他ないだろう。そうした結果、お互いが無事でいられるという保証はどこにもない。

「ま、疑い深くなるのも分かるけど、度を過ぎると人に嫌われるから気をつけたほうがいいよ」

 今度こそ俺に背を向けて歩き出していく慎二。
 俺はそれを眺めて、その背中に声をかけた。

「ああ、覚えておく」

 言って目線を切り、俺も弓道場へと歩き出した。
 ――――慎二が言っていたように、俺が探していた『結界の基点』らしきものは弓道場で見つけることは出来なかった。



 校門で遠坂と合流した俺は、二人で道を歩いていく。
 どうやら遠坂も『結界の基点』を見つけることは出来なかったようだ。
 全部を回ることは出来なかったので、残りは後日調べることになるだろう。

 道すがら、俺は慎二と話したことを遠坂に伝えていた。
 内容が内容だけに話すべきなのか迷ったけれど、結局は遣り取りの一部始終を話すことにした。
 遠坂が俺を信頼してくれて同盟を結んだっていうのに裏切りたくはない、というのが心情的に第一に立つ。
 加えて、どうやら慎二は俺と遠坂がマスターであると知っていた。情報という点で慎二に遅れを取っていたということだ。
 多くのマスターの正体が判明していない今の状態では、情報一つが勝敗をわけることになる。相手が何者であるかを把握できていれば、戦いを有利に運ぶ事だって出来るかもしれない。
 俺の頭じゃ高が知れているけど、遠坂ならそうはならない筈だ。まぁ一応、慎二を殺すようなことはないよう頼んでおいたけど、どうなるのか。

 話を聞いていた遠坂だが、この話を聞いて素直に驚いていたようだった。
 慎二の言葉の通り、慎二は魔術師ではないらしい。いや、確かに魔術師の家系に生まれてはいるものの、慎二には魔術回路が存在していないようだ。
 ならば何らかの方法を使ってサーヴァントの権利を誰かから借り受けたのではないか、とのことだが、その詳細はわからない。
 「間桐の出方もそうだし、学校の結界もあるし、ここは様子見するべきかしら」……遠坂は小さくそう呟いた。


 遠坂の家に着き、外で数分も待っていると小さいバックを手に提げて出て来た。
 何でも、「魔術の錬度をみるランプと、回路の切り替えを作るためのもの」が入っているらしい。
 遠坂からそのバックを受け取って、代わりに持っていく。女の子に荷物を持たせているのも男として情けない。それが俺のためのものだっていうんだから俺が持たない理由はないしな。
 そのバックを手に、他愛無い世間話をしながら帰途に着いた。



 家に着く頃には、外はもう薄暗くなっていた。

「あ、夜は私の番だったわよね」

 言って遠坂は玄関をくぐると一足先に靴を脱ぎ、台所に向かって小走りで駆けていく。

「今帰られたのですか、シロウ」

「士郎、おかえりなさい」

 遠坂の家から持ち出した荷物を抱えたまま居間に入る俺に、中から声が掛かった。
 同じ声色のそれは、セイバーとアーチャーのものだ。二人は居間で座って、仲良くお茶を啜っていた様子。
 相変わらず寸分違わないような容姿の二人だけれど、アーチャーの胸元のリボンが青いものから赤いものに変わっているので大分見分けがつきやすくなっている。

「ああ、ただいま」

 ……と、二人に聞いておきたいことがあったんだ。
 朝は時間がなかったし藤ねえも桜もいたから聞く事が出来なかったけど、今なら大丈夫だろう。

「そういえば二人とも、今朝藤ねえに名前聞かれた時にリアとアルトって名乗ってたけど、あれはどうしたんだ?」

 朝の自己紹介にて聞いたことのない、遠坂にさえも知らされていなかった名前を名乗った二人。
 今日一日ずっとそのことが引っかかっていて、もやもやしていたのだ。

 俺の問い掛けにセイバーが口元に運びかけた湯のみを下ろして、俺を見上げる。

「――その件ですか。
 あれは一般人に名前を聞かれたときクラス名では何かと不都合だろうとアーチャーが懸念し、その場で考えた仮名のようなものですが」

「そっか……アーチャーが」

 語り終えると、セイバーは飲み掛けていたお茶を一啜りする。
 入れ替わるように俺に視線を合わせたのはアーチャーだ。

「すいません、士郎。出過ぎたことだったでしょうか」

「ああいや、助かったよ。
 流石にセイバーとアーチャーじゃ、あまりに符号しすぎていて意味深すぎるだろうから」

 いくら藤ねえでも不審に思いかねない。……まぁ、十中八九大丈夫だったとは思うけど。
 朝はいきなりで驚いたのだけど、ここは素直にアーチャーの機転に感謝しておこう。

「やはり。セイバー、私の言った通りではないですか」

「ア、アーチャー! だから私も反対はしなかったではありませんか!」

 二人が言い争う様子を見ながら、自分が突っ立っていることに気がついた。
 バッグをとりあえず端に置いておいて、俺も胡坐(あぐら)で座り込む。

 それはそれとして、なんだか結構仲良くなってませんか、お二人さん。

「ま、そこはいいんだけどさ。えーと、これから二人を呼ぶ時はどっちで呼んだほうがいいんだ?
 俺としては人の名前を呼んでるって感じがするから、どちらかといえばリアとアルトの方がいいんだけど」

 個人的な感情で言えば、女の子に『セイバー』、『アーチャー』ではあんまりだと思う。
 サーヴァントとはいえ彼女たちも人間なのに、まるで戦うための道具の名前のようで俺は気に食わない。
 二人とも、そうは思っていないのだろうけど、ちゃんと呼ぶべき名があるならそちらの方がいい筈だ。

「私はどちらでも構いません。シロウの呼び易いよう呼んでください」

「セイバーがそういうのでしたら、私のこともお好きなように呼んでくれて結構です」

 セイバーは呼び名などはどうでもよさそうに。
 アーチャーは、セイバーが言うので渋々といった風に答えてくれる。

「そっか。それじゃこれからリア、アルトって呼ばせてもらうよ。
 ごっちゃになるから呼び名は統一したほうがいいよな。えっと、遠坂はどうするんだろう」

「ならば凛にも伝えてきましょう」

 そう言ってアー……アルトが立ち上がり、台所に向かう。
 と思いきや、向こうから遠坂の声がかかった。

「いいんじゃない? ちょっとネーミングが安直だけど。
 クラス名も隠せるから他のマスターやサーヴァントを撹乱できるかもしれないし、悪いことじゃないと思うわよ」

「だ、そうですね」

 アルトはセイバー……じゃなくてリアの向いの位置に座り直した。

 自分から呼び名を統一しようだなんて言っといてなんだけども、どうにも慣れない。
 ……あと遠坂、けっこう離れているのによくこっちの話が聞こえてたな。



「「「「いただきます」」」」

 揃っての食前の挨拶。
 最初の食事の時は戸惑っていたリアも、しっかり合わせて声を上げていた。

 さて肝心の夕食だけど、遠坂は中華系統でまとめたようだ。
 目の前の料理は今まで衛宮の家ではそう食べる機会のなかったものばかり。
 水餃子、回鍋肉(ホイコーロー)、胡麻と若布の中華スープ。
 和食は最初に俺が作ったし、洋食は前回アルトが作ったからか、残る中華料理に絞ったと見る。

 そして、予想はしていたけれどやっぱり

「美味い!」

 見た目から美味しそうだったが、それを全然裏切っていない。

 箸を進める最中、ふと周りを見る。
 遠坂はふふん、と胸を張っている。俺やアルトを見て「そうでしょう?」と言わんばかりだ。
 リアはただこくこくと首を縦に振って次から次へ料理を口に運ぶ。幸せそうなオーラがリアの体からにじみ出ている。
 アルトもさっきから箸が止まることはない。こころなしか涙ぐんでいるような……料理するみたいだし過去存在しなかった現代の味付けに感動でもしているのだろうか?
 声に出さずとも、二人のその様子は最高の賛辞だ。遠坂も満足そうに頷いた。

 斯く言う俺も、遠坂の料理に少なからず感銘を受けていた。
 以前に、中華料理は味付けに変わりがない一辺倒のものと見くびっていたけど、あれは誤解だったのだと痛感させられた。
 しっかりとした下ごしらえを感じさせる深みのある味わい、しゃきしゃきとした歯ごたえの残っているキャベツ……。
 昨日のアルトの料理もしっかりと洋食技法を踏まえたものだったけれど、遠坂の料理もまた油通し等の中華料理特有の調理法がされている。
 たぶん二人の料理の腕は方向は違えど、同じくらいだろう。
 これは俺にも更なる精進の必要がでてきた。遠坂にあんな目で見られるのは何か癪だし、二人に負けていられない。

 ちなみに、リアとアルトはともにご飯のおかわり三杯目。
 かくいう俺も二杯目をいただいている所。中華ってご飯がいくらでも進んでしまうのが欠点かもしれない。


 俺が「美味い」と呟いてからは、みんな黙々と料理に舌鼓を打っている。
 ただ、カチャカチャという食器の音が居間に響く。
 衛宮家の夕食は本来これぐらい物静かなものだったんだけど、何故か毎回騒がしくなるんだよな。

「ご飯っご飯~♪ 美味しいご飯~♪」

 ガラガラ、という引き戸の開け放つ音と一緒に、また変な歌が聞こえてきた。
 言うまでもなく、毎回この家を騒がしくしている原因だろう。

 俺は食事の手を止め、台所に行って分けられていた藤ねえの分の料理をとってくる。
 アルトは何を言うでもなく藤ねえの茶碗にご飯を盛ってくれている。
 遠坂はといえば口の周りを拭って身だしなみを整えてたりする。
 リアだけは休めることなく、卓上の料理を消費し続けていた。

 なんていうか、これだけ見ても性格が如実に表れている気がする。



 藤ねえは特別リアとアルトを気にした様子もなく食事を終えた。
 調理担当が遠坂だと知ると「遠坂さんってば、完璧超人……」と一言だけ呟き、言われた彼女も謙遜しているものの確かに勝ち誇っていて、その掛け合いは印象的だった。

 みんなで食後のお茶を飲み、一息入れてまったりとした空気が流れ出す。
 朝の台詞を忘れているのか、と俺が静かに安堵の息を吐いた所で、藤ねえがゆらり、と立ち上がった。

「……それじゃあリアちゃん、道場に行きましょうか」

 ……駄目だったか。
 このまま忘れてくれたらよかったのに。





[7933] 五日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/01 10:29

 いきり立つ藤ねえに連れられて、結局全員が道場に集まることになった。
 どうやら年長者としての自分を誇示したいようで、無関係の遠坂までを見学に誘っていた。
 その相手であるリアの強さを知っている俺と遠坂からしてみれば、いきり立っている藤ねえが気の毒と言う他ない。


 藤ねえは道着を着込み、道場中央で気合を入れて竹刀を振るっている。顔付きもいつもの緩んだものではなく真剣そのものだ。
 握られている竹刀も随分と使い込まれていて、まるで長年の友のように藤ねえに馴染んでいる。
 いや、待て。そもそもあんな年季入った竹刀、うちの道場にあったっけ――って。

「藤村組に封印されている『虎竹刀』じゃないか!」

 見間違えようもない。握りのところには小さな虎のストラップがついている。
 竹刀だというのに『血塗れた虎の牙』なんて二つ名を冠した物騒な代物で、名前にしても見た目にしても紛れもなく藤ねえの愛刀である。
 藤ねえはあの竹刀を使ってどんな偉業を果たしたというのだろうか。不思議には思うのだけど由来に対して全く興味が湧いてこないというのは何故だろう。
 それはともかく、虎竹刀を持ち出したってことは遠慮も手加減もするつもりはないらしい。

 さて対するリアはといえば、感心しながら振るわれる虎竹刀を眺めていた。
 「なるほど、模擬刀としては申し分ない」なんて声が聞こえてきそうな様子で頷いている。
 見る限りリラックスしていて、とてもじゃないが俺には今から立会うという雰囲気は感じ取れない。

「タイガ、本当に剣を交えるつもりなのですか?」

「当ったり前だー!
 アルトちゃんは得意なのが弓だっていうからいまいち実力がわからなかったけど、リアちゃんはそうはいかないんだからね!!」

 ……あの見事なアルトの投射を「わからなかった」で済ます気なのか。
 仮にも弓道部顧問だというのに、そう言ってのけるとは流石は藤ねえだ。傍若無人というか、大胆不敵というか。

「というわけで、ていっ!」

 ダンッ、という地を蹴る音が道場に響く。藤ねえがリアに向かって飛び込んだ。
 正眼の構えからの面当て。攻め込み方としては珍しいものではないが、藤ねえの踏み込みは目を見張るほどに早い。
 少なくとも、日頃鍛えている俺であっても対応するには難しいだろう。

 剣の英霊であるリアはどう対処するのか……って、対処も何もリアはまだ竹刀すら持っていないじゃないか!
 藤ねえ、一剣士として丸腰の相手に斬りかかるというのは許されるものなのか?


 俺が物言いをつけようと声を上げかけるも、藤ねえの一撃の方が早い。
 いざ、リアに竹刀が直撃か、というところで俺は不思議な光景を目撃した。

 二人が交差すると、何故か藤ねえが握っていた虎竹刀はリアの右手に収まっていた。
 藤ねえは剣を振りぬいた体勢のまま、だがその手には何も握られていない。
 ……全然、何がどうなったのかわからなかった。

「へ? あれれ?」

 藤ねえも、リアの持っている竹刀を見て、それから自分の手元を見て首を傾げる。

「え~っと……ほんと?」

 何に対する「ほんと?」か知らないけど、とりあえず傍目にも勝敗は明らかだった。

 リアは手に持った竹刀を構えようとはしない。ただ静かに藤ねえへと振り向いた。
 正面から向き合うことになった藤ねえは小動物のようにびくっと後ずさった。

「構えますか? ですが、あなた程の腕前であれば実力差がわかったことでしょう」

「う、うう――――。はう~」

 気圧され、よろよろと涙目で後退していく藤ねえ。
 壁際まで後退した所でペタン、と座り込んでしまった。

「士郎が、リアちゃんとアルトちゃんに取られちゃったぁーーーー!!」

「はあぁっ!?」

 そして大声で叫び上げた内容に、慄く俺。

 何を考えているのかはわからないけれど、とりあえず誤解を招くような発言は控えて欲しい。
 隣の遠坂がにやにやしながら、生温い視線を俺に向けてくるのだから。



 藤ねえを遠坂と二人がかりで慰め、落ち着かせる傍ら、遠坂の横にいたアルトが立ち上がって歩いていく。
 途端に引き締まった空気に、喚いていた藤ねえが口を噤(つぐ)んだ。俺達三人の視線は、自然とその空気を作り出したアルトへと集まる。
 壁に立てかけられていた竹刀を手に取ったアルトは、『虎竹刀』を持ったままのリアの前まで歩いていく。

「リア、お願いできますか?」

 鋭い視線でリアを射るアルト。
 対するリアもアルトをきつく見据えている。

「……構いませんが」

 俺達は声を上げることなく二人のやり取りを見守っていた。

 リアは自分が持っている得物に何か不吉なものでも感じたのか『虎竹刀』を壁に立て掛け、代わりに普通の竹刀を手に持った。
 確かめるように両手で握り、ひとつ頷く。

「それでは――」

「ええ。始めましょう」

 二人がそれぞれどの言葉を発したのかはわからない。
 ただ、開始の言葉を発したというのに二人は動かなかった。
 同じ構えで対峙する二人を中心に空気が急速に張りつめ、道場中を満たしていく。


 どれほど経ったであろうか、俺は無意識に喉を鳴らしていた。口内はいつからか、カラカラに乾いていた。

 そんな僅かな音が契機となったのか、アルトが上段から斬りこんでいく。
 踏み込みの音はほとんど聞こえない。なだらかに、だが凄まじい速度での斬りこみだった。
 先ほどの藤ねえの踏み込みも速かったが、速さだけを見てみればどうしたって目の前のそれには及ばない。

 流れるように体を入れ替え、その一撃を難なく避けたリアは、開いたアルトの胴に向かって鋭く斬り返す。
 竹刀が振り切られる前に繰り出された反撃は本来回避など不可能。しかしアルトは常識では考えられない反射神経でそれを察知し、紙一重で地を蹴って射程外へと逃れ出る。
 しかしリアはその動きすらも読んでいたのか。間髪入れず距離を詰め、後退するアルトへ向かって追い討ちをかけた。

 盛大な破裂音が道場内に響き渡る。俺は、それが打ち鳴らされた竹刀の音だとすぐには気づけなかった。

 なんとか体勢を立て直したアルトは、追撃に打ち返したようだった。
 二人は共に弾かれるように後ろに下がって、距離を取り始める。


 たった数秒間の攻防、とてもじゃないが目で追うのがやっとで細かな動きなんて見えていない。
 わかるのは、目の前で打ち合っている二人と俺の世界が違うものだということだけだ。


 その後も人間離れした打ち合いは続いていく。
 竹刀が風を切る音、打ち合う竹刀の音、地を蹴る音、地に着く音――。
 競い合うように生まれる音が鳴り止むことはなかった。
 それらが組み合って音楽となり、二人の揃った動きも合わさってまるで剣舞のようで。

(……きれいだ)

 俺の目には、二人仲良く舞を踊っているように見えていた。

 遠坂も藤ねえも二人に見とれている。
 発する言葉が見つからず、身じろぎもせずにただ見つめ続けていた。



 鳴り続けていた音が途切れて、俺はようやくリアの竹刀がアルトの頭の上で寸止めされていることに気がついた。
 それはいつまでも続くかと思われた打ち合いが、リアの勝利で終わったことを告げていた。

 二人は剣を納め、互いに向き直るとアルトが大きく息を吐く。

「……やはり、剣では勝てませんか」

「え? どういうこと? アルト」

 その言葉に疑問を持った遠坂が問いかける。
 アルトはリアに目線を向けたまま、若干気落ちした風に口を開いた。

「難しいことを言っているわけではありません。単純に、私の技量がリアに劣っているというだけのこと」

「……そうですね。アルトは守りは中々堅いわりに、攻めのほうはどうにもいただけない。
 剣筋はそう私と変わらないのかと思えば、素人かと思うほどに精彩を欠いたりして一概に劣るとも言い切れず判断に困ります」

 そう、だったのか?
 確かに今回はリアが勝つという結果に終わったけど、アルトも相当なものだと思う。
 しっかりとは見えていなかったけれど、俺の視点からだと充分互角に戦えていたように見えたのだけど。


 いや、それよりも考えなくちゃいけないのは自分のことだ。
 サーヴァントという点を差し置いてみても二人は強い、のだと思う。
 二人の立ち合いを見て、自分の力不足を実感した。動きすら追えないようじゃ相手を止める事だって出来やしない。

 セイバーであるリアに守られていれば、それだけでこの戦争を勝ち抜けるかもしれない。
 けれど、俺が聖杯戦争に参加した目的は勝ち残ることなんかじゃない。
 多くの人を助けるために、この戦争で悲しむ人を減らす為に。
 その為に戦うことを決めたんだ。
 守ってもらって勝ち残って、それじゃ俺がマスターとして参加する必要なんてない。

 俺に今守れるだけの力がないのなら、守れるようになればいい。
 いや、ならなければならない。未熟な半人前のマスターだからこそ、強くならないと。

「リア、頼みがある」

「シロウ? どうしましたか?」

「俺に剣の稽古をつけてくれないか?」

 その言葉に、ぽかんとした様子でリアが固まった。
 次いで、眉を顰め怪訝そうな表情を浮かべる。

「何を言っているのですか。
 私がいるのだから、あなたが闘う必要などない」

「それだって俺のところに危険が及ばないとも限らないだろ?」

「――そうですね。私が不甲斐無いばかりに」

 バーサーカーとの一戦を思い出したのだろう。
 唇を噛み締め、不甲斐なさを悔いているのを感じ取り、慌てて言葉を繋げる。

「いや、違う。リアがどうこうっていうんじゃないんだ。
 ただ、いざという時に自分の身ぐらいは守れるようにはなっておきたいじゃないか」

「確かに日頃から心がけておけば、判断の助けぐらいにはなるかもしれませんが……。
 ――わかりました。明日からで構いませんか?」

「ああ。面倒かけると思うけど、頼む」



「ねーねー、士郎。何の話をしているの?」

 ほ、と一息ついたところで、窺うように声がかけられた。
 振り向いて、思考が一瞬止まった。

 ――しまった。すっかり忘れていた。
 ここには藤ねえもいたんだった。
 魔術関係の話なんかはしゃべってないから大丈夫だとは思うけど、物騒な話題に、何か隠しているのではと疑念の目で見られていた。

「なんでもないよ、藤ねえ。
 最近事件が多いだろ? 何かあったときのためにリアに稽古をつけてもらうだけだよ」

 咄嗟にそう言って誤魔化しにかかる。
 一家惨殺事件やら、集団昏睡事件やらが実際に起こってニュースにもなっているから不自然でもないだろう。

「ふーん。
 稽古はいいけど、士郎から事件に首を突っ込んだりしないようにね」

 腰に手をやり、「私が保護者なんだから」というように言ってくる。
 自分が稽古をつけると言い出さない辺り、リアとアルトについてはあきらめたようだ。
 得意分野であんな超人的なものを見せられたら、口を挟むことなんて出来ないよなぁ。


「それじゃ、汗もかいたし一緒にお風呂にでも入ろっかー!」

 明るく鼻歌を歌いながら、藤ねえはリアとアルトを引きずって道場を出て行った。

 リアは為すがままといった様子だったが、アルトが顔を引き攣らせながらものすごく抵抗していた。
 彼女らしくもない慌て様だった。……まぁ結局、連れて行かれてしまったのだけれど。

 なんだかんだいって、藤ねえも二人のことを気に入ってくれたんだろう。
 ――そういえば、藤ねえって汗かくようなことしたっけ?

「衛宮くん、明日は学校を休んで魔術講座するからね」

「へ? 遠坂、なんでそんないきなり」

 唐突に遠坂が話しかけてきたものだから、驚いて変な声が出てしまった。
 何とか藤ねえを誤魔化して気を抜いたところだったものだから、何の気構えもしてなかった。

「あんたは一刻も早くスイッチを作らなきゃいけないの! それが最優先なんだから!」

「わ、わかったよ」

 怒鳴りつけてくる遠坂。
 大方、全く理解できていない俺に腹が立ったんだろう。

 これ以上反論したらただでは済まないだろうし、素直に頷くことにした。
 教えてもらえるのに、文句なんてないしな。


 これは余談なんだけど、どうやらあの後、風呂場でアルトが鼻血を吹たらしい。
 ……のぼせたのだろうか?






[7933] 六日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 00:43

◇◇◇


 あまりに寝苦しくて自然と目が覚める。知らぬうちに荒く息を吐いていた。
 背中が気持ち悪い。湿った感触から、どうやら寝汗を掻いていたようだ。

 息を整えながら目を開けると、視界に入ってくるのは見慣れない天井。
 布団から静かに上体を起こし、辺りを見回す。ここは……衛宮家の離れの部屋だ。
 ん? 土蔵や自分の部屋ならともかく、なんで俺は離れなんかで寝ているんだろうか?


 ――――ああ、そうだ。
 今の俺はもうヒトではなく、サーヴァントとして存在しているんだった。
 一週間が経とうとしている今も、未だにしっかりとした実感が湧いていない。


 覚醒しきっていないぼんやりした頭で昨日のことを思い出す。
 ……色々とあって大変だった、というのがまず浮かんでくる。

 まず挙がるのが、竹刀とはいえリアと打ち合ったこと。
 これは自分がどれだけ動けるのか試しておかなければと思って自分から申し込んだものだったけれど、当たり前だがセイバー……リアは強かった。
 立ち合いからじりじりと精神力を削られ、意を決して攻め入ればあっけなくかわされる。そして、僅かな隙に容赦なく斬り返される。
 事実だけ並べれば衛宮士郎であった頃のそれと変わりないが、格段に上がった身体能力でも同じようにやられるということは、俺はリアの技術に及びもついていないということだ。
 振るわれる鋭さも、体捌きの速度も衛宮士郎だった頃受けた稽古と違う。あの頃さんざん手を抜いてもらっていたことを身を以って実感した。
 衛宮士郎の身体能力と技術でサーヴァントに挑む無謀を、サーヴァントと同等の身体能力を得て初めて正しく理解できた。

 しかし、我ながらよく直ぐにやられなかったものだと思う。
 今の破格ともいえる身体能力を持ってしても、互角とは決して言えなかった。渡り合うだけですら神経をすり減らしながらで、まともに戦いになっていたのかも疑問だ。
 踏まえて、今俺に足りないのは技術と経験。
 能力だけでいえば他クラスのサーヴァントを上回っているのだろうけど、このままそれに頼り切っていたなら先は見えている。
 今は、兎にも角にもこの身体能力を十二分に使えるだけの鍛錬と、ヒトとは桁違いに大量な魔力の運用練習を欠かさないようにするしかない。


 そしてこれはあまり思い出したくもないのだけど、大変だったといえば昨日の風呂だ。
 もちろん断った。俺なりに必死に抵抗を試みたんだけど、同じ姿のリアが断らない以上藤ねえの手が緩まることはなく、敢え無く連れ込まれてしまった。
 せめて極力目線を向けないように頑張ったけど、それだって限界がある。
 顔を上げれば藤ねえとリアの裸が目に映るし、俯くとリアと寸分違わない俺の体が視界に入る。
 結局数分も経たずにまるで漫画のようなことが起こり、これ幸いにのぼせたと言い訳して逃げ出したのだけれど、そうでなければどうなっていたか。

 思い返して湧き上がってくるのは羞恥心よりも罪悪感。藤ねえもリアも女同士だと思って全然気にしなかったのだから尚更だ。
 確かに今の俺は男とは罷(まか)り間違っても言える様な姿じゃないけど、中身が伴っているわけじゃないんだ。
 そう言った意味じゃ女性二人がこちらを気にしないのは当たり前なのだけれど、こちらはそうもいかない。


 ……それにしてもリアって呼び方、なんだか言いにくくてしょうがない。
 知り合ったばかりの凛や士郎はともかく、俺はさんざんセイバーって呼んでたからなぁ。
 俺が言い出したことなんだけど、実際に呼ばれ続けるとなるとは思ってもいなかった。
 てっきり第三者専用の偽名になると踏んでいたんだけど、まぁ、『アルト』が『リア』よりはまだいくらか男っぽい名前で良かったとしておくべきか。



 ようやく覚醒した頭を振り、洗面台に向かって歩き出す。
 借りている寝巻きが汗で体にまとわりついて、やっぱり気持ちが悪い。
 そういや昨日も結局満足に風呂に入れなかったしな。
 早めに気がついたから朝食までは時間もあるし、今のうちに入っておこうか。


 先に風呂に追い炊きをかけてから着替え用の下着、ブラウスとスカートを取りに部屋へと戻る。
 脱衣所へと戻って寝巻きを脱ぎ、視線を極力下げないようにして風呂場に入っていく。
 手を浴槽の湯に入れてみるがやっぱりというか、まだぬるい。

 先に体を洗い始めることにして、スポンジにボディソープをつけて泡立てて体をこする。ちなみにだけれど、目は瞑っている。
 こうして洗うのも初めてじゃない。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら体を洗い終える。
 所要時間はおおよそ十五分超。以前なら五分程度で洗い終わっていたのを考えると優に三倍か。

 衛宮士郎だった頃はもちろん躊躇なんてせずに体が洗えてたんだけど、そういかなくなった。
 自分の意思通りに動いてくれるからには間違いなく自分の体と言えるのだけど、同時に借り物でしかないのも確か。
 何よりもセイバーの体を無碍に扱ったりなんて、俺に出来る筈もない。
 それでもまだ最初よりは慣れてきたのか、いくらかは抵抗がなくなってきた。
 もちろん裸を見ることなんてできないけど、俺からすれば大きな進歩だ。

 次いで髪の編み込みを解いてお湯で湿らせ、シャンプーであわ立てる。
 こちらもまた一苦労。当たり前だけれど髪の量が段違いに多い。
 初めの頃はガシガシと以前と変わらないやり方で洗っていたけど、どうにもそれじゃ髪が痛むとのことらしい。
 その割には髪質は全く変わりがなかったように思えるのだけれど、元より女性である凛がそう言うなら女性として常識的なことなんだろう。

「……ふぅ」

 女であるって、何かと大変だ。

 ようやく髪の毛を洗い終わり、タオルで包んで湯船につかる。
 こうすると髪の毛に潤いを保てるとか言っていたが、それとは関係なく長くて少し邪魔になるからまとめるのに丁度良い。

 目を瞑ると体の力と、精神的な疲労が抜けていく錯覚を覚えた。
 自然と意識が思考に沈んでいく。




 なんだか前回と今回の流れが変わってきてしまっている。
 そのこと自体には大分前から気づいていた。


 まず一つに、遠坂凛のサーヴァント――アーチャーである俺が戦闘に出来る状態であること。
 衛宮士郎であった時のアーチャーは何を思ったのか、セイバーの太刀をまともに受けていた。
 来ることがわかっていたから俺は何とか反応できたけど、前回のアーチャーはセイバーにやられて満足に動ける状態じゃなかった。

 そしてその後の食事と、話し合い。
 些細な問題なのかもしれないけど、それがイリヤと出会う時間の違いに影響したのだろう。以前バーサーカーが襲ってきたのは隣町の坂ではなく、冬木の町の道路だった。
 ただ、ここで俺がもしリアにやられていて動けなかったならば、バーサーカーを撃退できなかったかもしれない。
 単独でも膠着状態に持っていくことはできただろうけど、リアは単純な白兵戦でバーサーカーにダメージを与えることはできない。
 魔力供給が充分なら宝具を用いての撃退も可能だろうけど、マスターが士郎である限りリアは魔力不足のままだろうからどちらにしても窮地に陥ることに変わりない。
 予想外だったけど、俺がいて、リアがいてようやくなんとかなった。


 全体的に見ればいい方向に流れが進んでいるのだと思う。
 戦力的にも以前より充実しているし、士郎がやられることもなくバーサーカーを撃退できた。
 桜も衛宮の家にはしばらく来ないようにと言っていたし、あいつが巻き込まれるのは何としても避けたい俺としては助かる。

 ただ、少し気になることがある。
 慎二が完全に士郎の敵に回ったようだ。
 前回は表面上だけだったかもしれないが同盟を持ち掛けてきたというのに、今回はそれがなかった。
 士郎が慎二の家に呼ばれることはなく、そして柳洞寺の情報もこちらには伝わってきていない。
 学校の結界については慎二は否定し、俺はそれを嘘だと知っているが、セイバーの同一体と思われている俺には凛や士郎に伝えることは出来ない。

 なんとか慎二を止める方法はないだろうか?
 発動する前日に結界の基点になってる魔方陣を潰して回れば足止めは出来ると思ってるんだけど、阻止とまではいかない。
 邪魔し続けていれば諦めるかもしれないが、果たしてそう上手くいくのか。


 なんにせよ、俺が聖杯戦争に召喚されたことが全てに影響を与えているのだろう。
 このままうまく立ち回っていけば被害を最小限に留めることができる筈だ。
 なら、頑張らなきゃな。



 ――う、なんだかぐらぐらしてきた。
 のぼせたかな? そろそろ出ないとまずいか。

「おや、アルト。あなたもお風呂ですか?」

「うえ!? リア!?」

 リアが風呂場のドアを開けて俺を見ている。
 服は既に脱いでいて、風呂場に入ってこようとしていた。
 浴槽から出ようと立ち上がったところだったんだけど、反射的にお湯に身を沈めた。

「お風呂というものはいいものですね。この時代に召喚されてからすっかり気に入ってしまいました」

「あ、うん。気持ちいいよな」

 顔の半分まで浸かって、視線を前方から逸らせない。
 相槌も、のぼせてぼんやりした頭では気の入っていないものしか返せなかった。

「昨日はどうしたのですか? いきなり鼻血を出したりして」

 先の『漫画のようなこと』を実際に口に出され、恥ずかしさで更に頭に血が上るのを自覚する。
 随分長いことお湯に浸かっているから、顔はどっちにしろ真っ赤だったろうけど。

「あ、ああ。どうやらお湯に当たったみたいだ」

「ふふ、シロウのような話し方ですね。なかなか似ていますよ」

 顔は逸らしているからリアの表情を見ることは出来ないけど、雰囲気から微笑しているのが分かる。

 ようやくリアも俺と打ち解けてきた、のだろうか。リアの警戒がいくらか緩められているのは確かだと思うのだけど。
 それも、『伝承の相違による人物の分化』という凛の推論を聞いて自分と別の人格だとわかったからだろう。
 以前に衛宮士郎の口調でしゃべったときは相当剣呑な目で見られたのが、今は戯言だと思われるに済んでいる。
 どうやら感情が昂ると口調が戻ってしまうようので、俺としては今の状況はかなり助かっている。

「ところであの後は何をしていたのですか? 姿が見えなかったようですが」

「この周辺の見回りを。何かあってからでは遅い、ですから」

「そうでしたか」

 戻った口調に気づいて、咄嗟にセイバーを真似したがやはり言い慣れず途中で詰まってしまった。
 幸いリアは口調についてのそれ以上の追求はせず、俺は話した内容に会得がいった様子で頷いていた。


 見回りの件は、建前だ。確かに簡単に見回りもしたけれど時間をかけたわけじゃない。
 わざわざ嘘を言ってまで何をしていたのかというと、屋根上で投影魔術の確認をしていたのだ。こればかりは人に見られるわけにはいかなかった。

 対象は宝具。ランサーの『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』。
 今まで投影したもので、これほどのものは『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』を除いて他にはない。
 俺が出来て、少しでも戦力に反映し得ることは考える限り投影しかなかった。

 神秘の具現といわれる宝具を投影するなんて我ながら無茶だとは思っていたのだけど、どうやら行使自体には問題はなさそうだった。
 ただ、やはりというべきなのか『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』を投影するときよりも消費する魔力は格段に増え、精度は格段に下がった。
 『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』を普通に使うよりも消費が少なく済むようなのだけど、しかしこれでは戦闘に耐えられるかどうかも怪しい。
 真名開放したら自身の魔力を消費するのかどうかだってわからない。なにせ試しようがない。
 試したら試したで魔力が集中するのを凛やリアが気づいただろうし、使う相手がいる筈もない。

 確認しているのはどうにもならない、それこそ形振り構っていられない状況での選択肢を増やすためのものだ。
 そんな状況にならないに越したことはないのだけど、俺程度の戦闘技術ではどうしたって難しい。楽観視は出来ない。
 確かに、このまま何事もなく俺がただの『アーチャー』であるまま聖杯戦争が終結してくれるのならば、それが一番良い。

 実際に必要があって知られるとなれば構わない。確かに心境的には複雑にはなるだろうけれど、俺のことなんてどうでもいい。
 ただ衛宮士郎の成れの果てがこんな結末だと、知られたくないだけなんだ。
 俺の時のようはさせない。そんな未来に辿らせないために、俺はここにいるのだから。


 ……あ、そうだ。
 そろそろ朝ご飯、作らなきゃ。もう、たぶん、時間がない。
 って、あれ? 体に力が、入ら――

「アルト? どうしたのです?」

 セイバーが……いや、リアが近づいてくる。

「な、んでも な――――」

「アルト!?」

 大丈夫だと手を振ろうとして、動かず。
 視界は黒く染まっていった。




[7933] 六日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/11/05 09:47


「あっきれた! ただの湯当たりだったなんて!」


 気がついたら俺はまたもや離れの布団の上にいた。
 前回と違ったのは、額には濡れたタオルが置かれ、布団横には洗面器に張られた水が用意されていたことか。
 壁に掛かった丸時計はしっかりと時を刻み、起きた時には既に午前の十時を回っていた。

 そうして覚醒して自身の状態を把握する間もなく、傍で書き物をしていた凛にそれからの約一時間、お小言を頂戴しているのだけど……。

「お風呂が好きなのはわかったけど、少し加減を知りなさいよね。
 バーサーカーに襲われても湯当たりして動けません、じゃ目も当てられないわよ」

「すいません」

 これについては本当に申し訳ないという他なかった。口からは謝罪の言葉しか出てこない。
 訊けば朝食は代わりに士郎が作ってくれたらしいし、ここまで俺を運んでくれたのはリアだという。みんなに迷惑をかけてしまった。

 説教を受けているうちに自分がどうなったのかを思い出すことが出来た。
 どうやらリアが入ってきて風呂から出るに出られなくなった俺はのぼせて、リアの目の前で湯の中に沈んでいったらしい。

 それにしても、サーヴァントものぼせるものなんだな。
 暑さ寒さを感じ取れるのだからおかしな話ではないけれど……いや、それともセイバーが特殊な立ち位置にいるからだろうか?

「遠坂、もうそのへんでいいんじゃないか?」

「士郎には関係ないでしょう!
 さっさと稽古の続きなりしてきなさいよ」

 リアと稽古していたのだろう、タオルで首元の汗を拭いている士郎がいつの間にやら部屋の入り口からこちらを覗き込んでいた。
 肌に貼られた湿布が痛々しいが、士郎は気にした様子もなく笑っている。

「アルト、こんなこと言ってるけど遠坂の奴、かなり心配してたんだぞ。
 つきっきりで看病していたのも遠坂だしな」

「士郎!」

 遠坂が顔を赤らめて士郎に怒鳴り上げる。
 悪い悪い、と全然悪びれた様子なく士郎は頭を掻いた。

 事実、凛はずっと俺を看ていてくれたんだろう。覚醒した時、額に当てられていたタオルにはまだ冷たさが残っていた。
 わざわざ俺が宛がわれた部屋で書き物をしていたし、そうでもなければ自分の部屋があるのだからわざわざここでする必要もなかったろう。
 士郎にしても、道場から母屋に移動するならば、離れのこの部屋を通りがかるわけもない。どうやら、わざわざここまで様子を見に来てくれたようだった。

 俺はほぼ一人暮らしだったから、調子が悪い時に傍に誰かいない寂しさを知っている。
 こうして気遣ってもらえることが、どれだけありがたいかよくわかる。
 ……まぁ、今回倒れたのは間違えようなく自業自得なので、嬉しさよりも申し訳なさが先に立つのだけれど。


「あ、そうだ。アルト、良かったら夕食の買い物つきあってくれないか?
 午後は忙しくなりそうだから早めに行っておきたいんだ」

 ふと思い出したように、士郎が俺に声をかけてきた。
 軽く自己嫌悪に沈んで俯けていた顔を上げると、目前には凛。怪訝な表情を隠そうともしていない。

「士郎、なんだってアルトに頼むのよ? リアがいるでしょう」

 なんていう凛の疑問ももっともなものだった。確かに同盟を組んでいるとはいえ、あくまで俺は凛のサーヴァント。
 どこかに出かけるなら自身のサーヴァントであるリアを連れて行くべきではある。

「稽古に付き合ってもらって、その上買い物にもっていうんじゃリアが可哀想だ」

「あんたね、何のためのサーヴァントだと思ってるわけ?」

「それとこれとは別問題だろ? ずっと気を詰めっぱなしじゃ疲れるじゃないか」

「……はぁ」

 凛はこれ以上言っても無駄だと感じたのか、目を細めた後ため息を一つだけついて追求をやめた。

「私は構いませんよ。ちょっと外の風にも当たりたかったところです」

 これ幸いと追随するように俺も声を上げた。凛にはリアがいれば襲撃があったとしても問題はないだろう。
 それに心配してくれた凛に対してこういう言い方も失礼だけれど、この様子じゃいつまでお小言に付き合わされるかわかったものじゃない。

「――まぁ、アルトがいいっていうなら、リアもいることだし私は構わないけど」

「そっか、ありがとう。それじゃ稽古も終わったし、これから出れるか?」

「ええ。わかりました」

 そうと決まったならすぐに着替えないと。
 あんまり待たせるのも悪いし、俺も早く体を動かしたい。

 布団から立ち上がって、横に畳まれているいつもの私服を手に取る。
 誰に着替えさせられたのか分からないが、勿論自分で着た覚えのないパジャマのボタンに手を掛けた。

「うわわわわわわっ!!! ちょ、ちょっと、アルト!」

「士郎!? どうかしたのですか!?」

 士郎が慌てて大声を上げたのは、俺が全てのボタンを外し終わり、上を脱ぎ去ろうとした瞬間だった。
 咄嗟に周囲に気を張り巡らせ、警戒の構えを取る。

 ……しかし俺が見る限りでは異常が起こった様子はない。
 それにどうやら慌てているのは士郎だけで、凛には動じた様子がないし。

「士郎、一体何に」

「アルト! 頼むからこっちに寄って来ないでくれ!!」

「は?」

 士郎に駆け寄ろうとするが、声で止められた。そして程なくして気づく。

 士郎が必死に目線を逸らしているのだが、それは俺を視界に入れないようにするためだ。何事かと思ったら、そうだった。
 セイバーの姿を借りている俺は勿論、女性にしか見えないのだ。そりゃ異性が目の前で服を脱ぎ始めたりしたら慌てて声も上げるか。

 復調したつもりだったけど、前言を撤回させてもらいたい。
 体は問題ないけれど、頭はしっかりと覚醒してなかったようだった。

「お、俺、居間で待ってるから!!」

 だだだっ、と足音を残して、顔を真っ赤にした士郎が廊下へと消えた。



「アルト、あんたは少し人の目を気にしたほうがいいわね」

「……そうですね。気をつけます」

 凛が呆れたように、士郎が走り去った先を眺めて忠告してくる。それに素直に頷いた。

 しかし、俺は士郎にも気をつけなきゃいけないのか。
 俺から見れば士郎は過去の自分でしかないけど、士郎からすれば俺は人よりかなり強いだけの『女の子』として見えているのだろうし。
 はぁ……どうにも自分がどう見られているのか考えると、憂鬱だ。




 結局居間に向かったのはそれから三十分が経ってからになってだった。
 士郎が居間で待っているだろうに、凛の奴が「どうせ出かけるんだからお洒落でも」といつもとは違う服を持ってきた。

 俺の名誉のために言っておくけど、その服を着るのは嫌だった。
 今までだって、本当はTシャツジーンズで済ませたいところだが、セイバーと同じということでブラウスにスカートを着ている。それが、俺の最大限の譲歩だったんだ。
 だけど、「マスターの私に迷惑掛けて、その上、拒否なんかしないわよね」と、迷惑をかけたことを持ち出されて言われてしまえば、俺がそれを断ることなんて出来る筈がない。
 着替えさせられる間の凛の嬉々とした言葉の端々から推測するに以前から俺に色んな服を着せてみたかったようだけど、思うだけにとどめておいて欲しかった。

 さて前置きはもういいだろう。
 今俺が着ているのは長袖の胸に白で十字が入った赤い服、黒のミニスカート、これまた黒のニーソックス。
 一言で言えば遠坂が着ている服のサイズを小さくしたものだ。加えて、髪の毛も黒いリボンで二つに結ばれている。
 ただ、遠坂のように髪にウェーブがかかってないので同じ髪形のようには見えない。

 あまり似合っているとは思えないんだけど、遠坂はそこそこお気に入りの様子である。
 まぁ満足してくれたのならいいのだけど……俺はいつから凛の着せ替え人形になったのだろう?




 凛が用意しておいた昼食を済ませて、士郎と共に商店街に向かって、二人並んで歩いていく。

 ちなみにここまで来るにももう一悶着あった。
 昼食時に顔を合わせたリアが、わざわざ俺を買い物に誘った士郎に食って掛かっていた。「何故私ではなく、アルトを連れて行くのですか!」、と声を荒らげて。
 ま、確かに他のマスターのサーヴァントを連れて行くってことを考えると非常識なのは士郎。間違いなくリアが正しいのだけれど、それを言った士郎には通用しなかったようだ。

 別にリアが行ってくれると言うなら、素直に一緒に行ったらいいと思うんだけどな。
 何か俺と話したいことでもあるのだろうか? 士郎が何を考えているのか俺にもわからなくなってきた。

 と、慌てて右手でスカートを押さえる。考え事をしていたからそちらの注意が疎かになっていた。
 歩くたびに翻りそうになるスカートの裾を気にしていると、どうしても内股になってしまう。というか、このスカート明らかに短すぎるだろ。
 凛はどのような特異な魔術を使って、こんな短いスカートを翻させずに動き回っているんだ。

 有体もないことを考えていることに気がついて、思わずため息をついた。曇りがかった空を見上げ、また息を吐く。
 考えてみれば、今俺はとてつもなく情けない姿をしているのかもしれない。親父が俺のこの姿を見たらどう思うだろう。

 ……じいさん、あんたから夢を引き継いだ息子は、何故かこんなことになってます。




「あ、ところでアルト、リアとはどうだ?」

 ぼんやりと商店街に向かって歩いていると、何やら意を決した風にして士郎が話しかけてきた。
 しかしどうにも要領を得ない質問だったので、少し考えてしまう。

「どう、と言われましても。
 共に暮らしている上で、これといった問題は生まれてはいないと思いますが」

 むしろ仮に同盟しているサーヴァント同士であるというのに、打ち解けすぎなところまである。
 俺としては全然構わないんだけど、リアが他サーヴァントに対してここまで踏み込ませているというのも不思議な話だ。

「そっか。何でかは分からないけど性格も違うみたいだし、出来れば俺は仲良くしてほしいんだ」

「それこそ問題はありません。リアが私をどう思ってるかはわかりませんが、私の方は同盟に関係なくリアを大切に思ってます」

「うん。それならいいんだ」

 士郎は安心した風にそう呟く。
 そんな返答しながらも、俺は自身の時のアーチャーを思い出していた。

 アレを相手に仲良くしよう、なんて考えは当時も今も微塵もない。
 相性がどうとかではなく、アレとは決して相容れないものだと思っていたし、向こうだってそれは同じだったろう。
 俺とアイツが、今の俺と士郎のように話すなんてあり得ない話だ。想像すらできないし、出来たとしてもしたくない。

 ……ふと思ったんだけど、士郎は今回アーチャーとして召喚された俺にどんな印象を持っているんだろうか?
 俺としてはそこそこには仲良く出来ていると思うのでそんなに心配はしていないが、いい機会だから聞いておこうか。

「ところで、士郎。私からもひとつ訊いておきたいのですが」

「ん? 何?」

「士郎は、私の立ち振る舞いが気に入らないとか、私とは絶対的に反りが合いそうにないとか思っていたりはしませんか?
 端的に言うならば、アーチャーである私に対して何か不満はあったりはしないでしょうか」

 これらは俺がアイツに対して感じていたもの。同じ立場に立たされている俺に対し、士郎が同様に感じたりしないとは言い切れない。
 だが問われた士郎はと言えば俺が何を言っているのか理解できなかったのか、綺麗に一拍ほど固まった。

「い、いや、そんなことあるわけないじゃないか!
 それ以前に、俺は人の作法に文句をつけられるほど立派じゃないよ」

「そうですか。それはよかった」

「でも、いきなりどうして?」

「いえ、単にアーチャーのサーヴァントである私のことを不愉快に思っているのではないかと心配になりまして」

 どうやらただの杞憂だったみたいだけどさ。
 まぁそれでも安心したのも確かだった。相手が俺だとはいえ、出来る限りで仲良くやっていきたいと思っている。

「何だって俺がアルトのことを不愉快に思っているなんて考えたのかはわからないけど、間違いなく嫌ったりなんかしていないぞ。
 いや――――それにしても、やっぱりアルトは面白いな」

「えっ?」

「あ、人を指して『面白い』なんて失礼だよな。ごめん。
 なんていうかさ、俺が言いたいのはアルトって何だかサーヴァントらしくないっていうのかな。
 遠坂から聞いた話だと聖杯を手に入れるために呼び出されるって話だったけど、他のマスターに『自分を嫌っているか』なんて質問してくるとは思わなくて」

「……あ、あはは」

 思わず乾いた笑いが漏れてしまう。
 単純にサーヴァント歴が短いからか、それとも呼び出されてからも以前の生活とあまり変わらないものだからか、確かに自身がサーヴァントだと忘れてしまうことがある。寝起きなんかそれが顕著だ。
 極力注意しているつもりだけれど、気がついてないうちについつい友人のような対応をしてしまっているのかもしれない。

「他のマスター、か。慎二や遠坂には早いか遅いかの違いだけでどちらにも覚悟をしろって言われてるし。
 それに、他の四人のマスターとも積極的に争いたいとは思わないけど、傍観していると無関係な人に犠牲が出かねない。
 アルトは何か、穏便にこの聖杯戦争を終わらせる方法を知らないか?」

 つまりは犠牲を出さずに戦わないで済む方法、だろうか。
 訊かれたものの、俺はそんな方法を知らない。
 俺は結局、聖杯が実際にどんなものなのかを知る前に敗退させられた。あの後聖杯戦争がどう終結を迎えたかを知る術ももはや存在していない。
 その過程はともかく、最後を見届けることは出来なかった俺が聖杯戦争について持っている情報は、士郎が知っているものとそう大差ない。

「この聖杯戦争を終わらせるためには、例外なく他のサーヴァントを倒さなければいけません」

「それじゃあ、やっぱり戦う羽目になるのか……」

「……しかし、あくまで可能性という域を出ませんが、終結の際にサーヴァントを二騎以上残す方法があるかもしれない」

 ただ――イレギュラーがいることは知っている。
 鍵は、ギルガメッシュだ。

「可能性って……他の六人のサーヴァントを倒さなければいけないんだろ?
 どっちにしても最後の一人になるまで戦うんじゃないか?」

「要は六人の英霊を倒せばいいのです。イレギュラーに召喚されたサーヴァントを倒せば、或いは」

「そんなやつがいるのか?」

「わかりません。あくまで可能性の話なので」

 ただ、ギルガメッシュがいるのはわかるけど、それで聖杯戦争が終結するのかはわからない。
 聖杯戦争というシステムを俺は一片も理解できていないのだから、本来はこうして口に出すほど根拠のある考えでもない。

 それを聞いた士郎は「む」とくぐもった声を上げて俯き、考え込んだようだが、そう時間が経たないうちに顔を上げる。

「駄目だな。考えても情報が少ない俺じゃあ、良い案が浮かんできそうにない。
 今は情報集めを兼ねて、他のマスターとサーヴァントを探して回るしかないか」

 疑問は残ったようだが、いくらか晴れやかになった士郎は改めて俺に顔を向けてきた。

「ああ、そういえば。『聖杯』で思い出したんだけどさ。
 サーヴァントは聖杯に願いを叶えて貰う為に召喚に応じるって聞いたんだけど、アルトは聖杯に何を願うんだ?」

「私が願う……ことですか?」

「ああ。それとなくリアにも聞いてみたんだけど、うまくはぐらかされちゃってさ」

「私の、願い……」

 セイバーの無事、だろうか。確かに死ぬ間際、それを願っていたけど。
 今の俺がしなければならないことは――みんなが誰一人欠けることないまま、この聖杯戦争を終結に持っていくことだ。

 しかしこれは、聖杯に願うことじゃない。
 聖杯を手に入れたら聖杯戦争は終わるっていうのに、勝ち残った後に願うことが聖杯戦争をみんなで生き延びる、じゃあ本末転倒だ。

「もしかして、願うことなんてない、とか?」

「いえ、もちろん願いはあります。ただ、私の願いは聖杯に叶えてもらうようなものではありません。
 私が望むものは願い叶えてもらうものようなものではなく、この手で掴み取るものですから」

「む、そうなのか。
 リアはリアで何か難しいことを言ってたけど」

「姿は同じとはいえ、彼女の願いは私とは違うものでしょう。恐らくは、ですが」

「――――そっか。でも、願うことがあるのはいいことだと思う」

 何故か嬉しそうに笑みを浮かべた士郎は、俺から目線を切って空を見上げた。




「着いたようですね。士郎、今日の食事は何にしましょうか?」

 歩きながら話しているうちに、いつの間にか俺たちは商店街に到着していた。
 道行く人がちらちらとこちらを見ているが、大方金髪が珍しいのだろう。

 士郎が朝食代わってくれたことを思い出して、歩いて話している時に夕食担当を譲ってもらうことに成功していた。
 「迷惑なんかしていない」と渋ったものだったが、俺が「士郎の好きなものを作る」と言ってようやく、士郎は折れてくれた。

「えーと、アルトって和食も作れたりするのか?」

「任せてください。書物を読んで勉強していますので、大抵は問題ありません」

「そっか、んじゃ和食をリクエストしてもいいかな?
 俺や桜以外の人が作った和食って食べてみたかったんだ」

 ふむ。そうなると衛宮士郎が知っていそうなメニューでは何にも面白みがなさそうだ。
 となると、凛の家にあったレシピを組み合わせれば……悪くない。

「わかりました。それでは、食材を選ぶところからですね」

 気合を入れ直して、まず主菜に考えている魚を探しに足を進める。





「少々買いすぎてしまいましたか?」

「ああ、ちょっとばかし、な」

 二人の両手は中が沢山詰まった袋で塞がっていた。
 流石に『四人+虎』の食事分を買い溜めするともなると量が半端じゃない。
 いや、ちょっと気合を入れすぎて、それを考慮しても買いすぎたけど。


「さてそれでは…………この匂いは?」

 荷物を持ち直して帰路に着こうと伸ばした足は、漂ってきた香りに止められることになった。

 甘くて、香ばしいこの香りは……間違いない。『江戸前屋』だ。
 たい焼き、たこ焼き、どら焼きの焼き三種のラインナップで成り立っている凄い屋台である。
 中でもたい焼きが八十円という低価格の割に餡子ぎっしりで近隣の学生に大人気だ。

「士郎、このとても香ばしい香りは江戸前屋ですよ」

「ああ、あそこに見えるは確かに江戸前屋だ。
 相変わらず食欲をそそる匂いだな。深山まで出てくるなんて珍しい」

「あの、たい焼き、売ってますよ」

「うん。何処から見てもたい焼きを売ってるな。
 あそこのたい焼きは餡子がしつこくなくて、けっこう上品なんだよな。飽きないっていうか」

「あ、ああ! そうではなくて、ほら。見てください、焼き立てが美味しそうです。
 それにどうやら今ちょうどお客もいないようですし、直ぐ買えそうです」

「確かに美味そうだけど、昼食食べたばっかだからなー。
 お。俺たちには全然関係ないけど、四個以上で値引きされるみたいだぞ」

 …………。

「士郎、絶対わかってますよね。
 私をいじめて、楽しいですか」

「ぶっ! あははははははは……くっくっ……」

「――――――」

 無言で士郎を睨む。
 なにかが、怒りと共に体から湧き出てくる。ごう、と周囲の風が巻き上がった。

 ああいや、決して俺の意志でやってるわけじゃないぞ。
 体が勝手に臨戦態勢になって、殺気混じりで睨んでしまうんだ。俺の所為じゃ、きっとない。

「わ、悪かった。ちょっとばかりふざけすぎたな。
 そうだな……それじゃあ、どうせだからみんなの分も買っていこうか?」

「……そうですね。リアもこれで機嫌を直してくれるといいんですけど」

 とは言いながらも、俺の目はたい焼きに移って離れない。

 何だか食事に――特に加えて言うならば、甘いモノに目がなくなってきた気がする。
 知らずに精神が肉体に引きずられているような気もするけど……まぁ、体が欲しているものを素直に食べるべきだよな。うん。

 自己弁護を密かに終えた俺は、黙って士郎に手を突き出した。
 苦笑いしている士郎から五百円玉を受け取り、代わりに荷物を渡してから江戸前屋に向かって駆け出したのだった。






[7933] 六日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2010/01/30 06:35

 たい焼きが四つ入った紙袋を右手で抱えて、左手には買い物袋を提げて商店街を出口に向かって歩いていく。
 歩いていくのだが……俺の視線は引き摺られていくように下に向かい、それを視界に収めた途端に勝手に喉が鳴っていた。
 
「うーん。どこか落ち着けるような所ってあったっけ?」

「早くしなければたい焼きが冷めてしまいますよ」

 胸元に抱えた紙袋からはとてもいい香りが漂っていた。
 この匂いを嗅いでから食欲は際限なく増していくばかりで、とどまるところを知らない。
 しかもこの匂いの元は冷めれば味が落ちるという時間制限つきで、まるでおあずけを言われた犬になってしまったようだ。

 そんな俺の様子を見てか、士郎が「美味しいうちに先に食べちゃうか」と持ちかけてくれたのはいいのだが、中々落ち着けそうなところがない。

「アルト。それが美味そうなのは俺にだってわかる。熱々の焼きたてを食べたいってのもよくわかる。
 だからといって歩きながらは駄目だからな」

「ならば士郎は一刻も早く落ち着ける場所を見つけるべきです」

「そう言われても、この辺りに良さそうなところなんてあったか?
 えーっと……」

「お兄ちゃん、そこに公園があるよ」

「ああ、そうだったな。それじゃそこに――――っ!?」


「挨拶が先だったね。お兄ちゃん、こんにちは」

 いつの間にか士郎の横には紫の服を纏った小さな女の子が立っていた。身構えた士郎に向かって裾を軽く持ち上げ、小さくお辞儀する。
 顔を上げて可愛らしく士郎に笑いかけるイリヤがそこにいた。

 そんな他のマスターの接近に、サーヴァントである筈の俺はと言えばまったく気がついていなかった。

 どうやら注意が散漫になっていたようである。他のマスターを不用意に士郎に近づけたなどとリアに知れたら俺はどうなるのやら。
 いや、気づかなかったのはイリヤに害意が全くなかったということもあるわけで、そう、決してたい焼きに気を取られてたわけではない。

「なんでお前が!
 もしかして、こんな昼からやるつもりなのか!」

「お兄ちゃん、何言ってるの? お昼の間は戦っちゃ駄目なんだから」

「え? はぁ……」

 そんな邪気の欠片もない言葉に、士郎は呆然と相手を見詰めている。

 士郎の気持ちも俺にはわかる。俺だって似たような反応をしていたのだから。
 確かに今のイリヤと相対しても、あのバーサーカーのマスターと同一人物だとは思えない。
 冷酷に俺達を殺せとバーサーカーに命令していた相手からこんな真っ当な言葉が返ってくれば、呆然とするのも無理はない。

「っ! アルト!! この子に手は出さないでくれ」

 一方、一応敵のマスターということになっているイリヤを前に、サーヴァントの俺はというと特に警戒もせずにただ突っ立っていた。
 そんな俺に対して、士郎は気づいたように身体を割り込ませて手で後ろに下がらせてくる。

「士郎。私は戦闘の意思のない者に振るう剣は持ち合わせていません。
 その心配は無用です」

「……あ、そっか。悪い。
 リアは敵のマスターっていうとすぐに手を出そうとするものだから、ついアルトもかと」

「ああ。よくわかります」

 リアと出会ったときも俺の気配に反応して負傷しながらも打って出たようだし、やっぱりリアは俺の知るセイバーと変わらないんだよな。
 士郎の言葉に共感し、ついつい同意の声を上げてしまう。

「そうなんだよ。リアももう少し話し合いっていうのかな、そういうのが先にあってもいいと思うんだけど」

「しかし士郎、多くのマスターは話し合いをする気などはありません。
 気をつけてもらわねば、士郎自身が命を落とすことになりかねない」

 争いを収めたいという気持ちはわかるものの、流石にそれだけは避けてもらいたい。
 本人に自覚がなくてはこっちが必死に守ろうにも限界がある。自ら危険に飛び込まれてしまってはどうしようもない。

 ――あれ?
 これって以前俺がセイバーに言われたことじゃなかっただろうか?

「でも、戦わずに済むのならそれに越したことはないじゃないか」

「マスターがみな、士郎のような考えをしているわけではないのです。
 それに、先ほど話したでしょう? サーヴァントにだって願いはあるのですから、何としても己のマスターに勝ってもらわなければならない。
 手段を選んではきませんよ」

「ああ、確かにそうなんだろう。でも、俺は――――」


「ねぇ、お兄ちゃん。私のことはほったらかしなの?」

「え、あ。いや。ごめんな。
 そんなつもりはなかったんだけど」

 横からイリヤの声が聞こえる。
 話しているうちについつい熱くなってしまっていたようで、イリヤのことを放っておいてしまった。

 それにしても、どうにも考え方がリア寄りになってきているようだ。
 別に敵は無条件で倒すとか考えてるわけじゃない。俺だって争わないならそれが一番だと思ってる。
 ただ、あまりに士郎は自身が危険なことを言っているって気づいていない。たぶんこんなことに気がついたのは、俺の立ち位置が変わったからだろう。

 ともかく、話すならこんな道端じゃなくて落ち着いたところの方がいいよな。

「士郎、公園に行きましょう。話ならばそこですればいいでしょう」

「……サーヴァントの割には融通が利くのね、貴女」

 イリヤの俺に向ける視線が冷たい。まるでモノを見るような視線だ。
 そんな扱いをされる理由がわからないんだけど……何でさ?

 疑問を覚えながらも、イリヤを連れ添って公園に向かう。
 士郎はため息をつきながらも遅れてついてきた。




 寒いからか、それとも時間が悪いのかはわからないが、公園には遊んでいる子供も居らず、灰色の空もあって寂しい光景だった。
 到着した三人は、隅に設えられている一つのベンチに腰を掛ける。士郎を俺とイリヤで挟むような形だ。

 本来ならサーヴァントである俺は士郎を護るためにも間に入らないといけないのだけど、イリヤが相手なら大丈夫だろう。
 何故だかは知らないけどイリヤは俺をよく思っていないらしいし、俺が入ったら会話の妨げになるかもしれない。

「そういえばお兄ちゃん、名前はなんていうの?」

「あ、俺は衛宮士郎っていうんだ。えっと、君は……」

「もう、名乗ったのに覚えてなかったの? 失礼ね。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ。イリヤでいいわ」

「そっか。それじゃイリヤって呼ばせてもらうな。俺も士郎で構わない」

「そう。シロウ。ん。中々いい響きね」

 言って、にんまりと笑うイリヤ。
 士郎の方もそんな様子のイリヤを前に思わずと言った様子で笑みを浮かべる。

 俺の時よりも話がすんなりいってないだろうか?
 とりあえず士郎の方は忠告した手前、もう少し警戒心を持ってくれないと困るのだけど。

「あ、それでこっちがアルトっていうんだ」

「よろしく。イリヤスフィール」

「――――」

 どうやら嫌われているらしいので出来るだけ友好的に、笑みを浮かべてイリヤに挨拶してみた。
 ……してみたんだけど、イリヤは俺を見て河童が川を流れていくのを見つけてしまったような顔をしている。

 あれ、何か変なこと言ったっけ?

「あなた、サーヴァントなんでしょ?」

「はぁ、そうですね」

「敵のマスターに好意的に挨拶するサーヴァントなんて聞いたことないわ」

「そうですか? ……まぁ、そうかもしれませんね。
 でも、イリヤスフィールもバーサーカーを連れていないのでしょう?
 護衛もつけずに他のマスターに接触するマスターも、私は聞いたことがありませんけど」

 護衛をつけずにぶらぶらしてたのは他ならぬ俺だったしな。
 あの時は、後でこっぴどくセイバーに怒られたっけ。

「それに、挨拶も碌に出来ないようでは淑女(レディー)を名乗れませんものね」

 ふふっ、と知らずに笑みがこぼれる。
 いつだったかイリヤが遠坂をからかって淑女がどうのと言っていたのを思い出しての言葉だったのだが、まさかイリヤ本人に言うことになるとは思わなかった。

 いや……いやいやいや。ちょっと待て。
 いったいどこの誰が淑女(レディー)なんて名乗っちゃってるんだ?
 なんか、冗談とはいえ凄まじく危険なことを言っちゃった気がする。

「…………。そう。アルト、私、あなたに興味が湧いたみたい。シロウとあなたは殺すの、最後にしてあげる。
 あ、シロウは私の言うこと聞くなら特別に助けてあげてもいいのよ?」

 ぽかん、とあっけに取られた後、無邪気に笑うイリヤ。俺に向けられていた視線が柔らかくなったようである。
 顔を片手で覆って失言を悔いている俺は、その言葉を聞いてイリヤへと向き直り、しかし意図を読み取れずに首を傾げた。

 イリヤの興味を惹くようなことを言っただろうか。
 勢いでおかしなことを口走った気はするけどそれは間違いなく違うだろうし、それ以外におかしなところはなかったと思う。

「殺す云々はとりあえず置いとくけどさ。最後って言われても、別に俺はアルトのマスターでもなんでもないから無理だと思うぞ」

 考え込む俺を置いて、勘違いしているらしいイリヤを相手に士郎は苦笑いしながら訂正している。
 笑っている少女から殺すなんて言われても現実感は湧かないが、イリヤはそれを為し得るだけの力を持っているのだ。
 ただ、目の前のイリヤと殺すという言葉がどうにも結びつかないのだろう。

「……ああ、よく見たらあなたたちってラインが繋がっていないのね。
 それじゃ、アルトのマスターってトオサカの方なの?」

「そうですよ。この格好に見覚えありませんか?」

 白十字の入った赤い上着の裾をイリヤに見せるように持ち上げる。
 もちろんこの格好は凛の服をそのままサイズを小さくしたものだから、イリヤも見覚えがあるだろうと思ったのだが、イリヤは目をぱちくりさせている。

「そんなの着てたような気がするけど、覚えてないわ」

 心底どうでもいいのだろう。そう言ってイリヤは目線を切った。




「そ、そういえばアルト、その服似合ってるよな。
 なんていうか赤色って、遠坂もそうだけどアルトのカラーって感じだしさ」

 服の話題になったからだろう、士郎が若干口籠りながらも俺の格好を褒めてくれる。
 その割には目線はこちらに向けずに正面に向けているのがよくわからないのだが、たぶんお世辞ではないだろう。
 そう思ったのも、そもそも衛宮士郎という人間は世辞を言うような性格じゃないからだ。

「そうですか? あまり私にはわかりませんが」

 言いながら、スカートやオーバーニーを見下ろしてみる。
 しかし出る前に感じた違和感はやはり拭えていない。どうにもちぐはぐな印象を受けてしまう。

 外から見ると別にこの格好は変じゃないのだろうか。
 セイバーには青や白が似合うと思ってたから俺にはどうにもこの姿は不自然に映るんだけど、似合って見えるのなら内から衛宮士郎のオーラでもにじみ出ているのかもしれない。

「さっきは聞けずじまいだったけど、なんでその服着てるんだ?
 ……いや、なんとなくは予想はついているんだけどさ」

「これは凛に言われてのものです。その、迷惑も掛けてしまった代わりと言われたので……」

「やっぱり遠坂のやつか……。
 あいつ、本当に変な趣味はないんだろうな?」

「私からはなんとも……」

 ないとは思うが、そんなこと聞かれても俺にわかる筈もない。
 むしろ、あった場合が困る。立場柄、一番被害を受けることになるのは間違いなく俺である。

「イリヤ、お前も遠坂には気をつけたほうがいいぞ」

「何の話かわからないけど、敵のマスターなんだから気をつけるに決まってるじゃない」

「士郎、何もイリヤにまで言わなくてもいいでしょうに」

 それよりも、こんなことが回りまわって凛の耳に入ったらえらいことになるぞ。
 本当に、色んな意味で怖いもの知らずな。




 どうやら話が一段落ついたようなので、たい焼きの入った袋を開く。
 士郎に一つ。イリヤにも一つ渡してやる。
 イリヤに渡した分はリアと凛にと買った物だけど、後で買い足せば問題はないだろう。

「これ、なに?」

 不思議そうに渡されたたい焼きを見るイリヤ。
 そういえば前回も、どら焼きを不思議そうに見つめていたっけ。

「ああ、これはたい焼きっていうんだ。ほら、鯛の形に焼いてあるだろう?」

「ふーん。コレ、美味しいの?」

「もちろんです。イリヤスフィールもきっと気に入ることでしょう」

「そ、一応お礼は言っておくね。ありがとう、アルト。
 あと、私のことはイリヤでいいわ」

「どういたしまして。イリヤ」

「それ、俺の金で買ったんだけど。
 ……まぁ、いいか」

 ぼやく士郎を余所に、手に持ったたい焼きをまじまじと見つめたイリヤは意を決したように一口かぶりつく。
 怪訝な表情を隠そうともせずもぐもぐと咀嚼していたイリヤだったが、次第にその顔が笑顔で彩られていく。

「甘い! それにこれ、美味しいよ、シロウ!」

 魚の形の先入観だろうか。どうやら甘いものだとは思ってなかったらしい。
 一口齧って目をまん丸に開いたイリヤの姿は見た目の歳相応で、とても可愛らしかった。

「そっか、それはよかった」

 士郎も、いいとこのお嬢様然しているイリヤの口に合うかどうか心配だったみたいで、ほっと胸を撫で下ろしている。
 前回どら焼きも美味しい美味しいといって食べてくれていたから俺はそれほど心配してたわけじゃないけど、気に入ってもらえたみたいでなによりである。

「それにしても、何で魚の中に餡子を入れてあるの?」

 たい焼きの中身を見つめていたイリヤがおもむろにそんなことを言い出した。
 かぶりつこうと口を開いた士郎がそれを止め、イリヤへと向き直る。

「そういやなんでだろう?
 こういうものだと思っていたから考えたこともなかったな」

 顎に手をあて空を見上げて考え始める士郎と、それに追随するように視線を上げるイリヤ。
 イリヤの持つたい焼きの餡子から湯気がのぼっていく。
 そののぼる湯気を見て、俺は焦ったように袋の中からたい焼きを取り出した。

「美味しければそれでいいではありませんか。
 確かにすっきりとはしませんが、味に変化が出るわけではないのです」

 そう。そんな悠長なこと考えている時間はない。
 たい焼きの由来を調べるのは後でも出来るけど、焼きたてのたい焼きを食べることは今しか出来ない。

「いただきます」

 まるで儀式のように厳かに呟いた後、意を決して両手に持ったたい焼きにかぶりつく。

 途端にぴりっ、と頭に電流が走ったような錯覚を覚えた。

 口の中に広がるのは香ばしい香りと、餡子独特の甘み。
 咀嚼するたびに、意図せず口に笑みがこぼれてしまう。

「あぁ……美味しい。甘くて、なんて優しい」

 外はカリカリ、中はホクホク。目を瞑って細部まで味わうも、つけいる隙の一切が見当たらない。
 餡子は甘すぎず甘いのが苦手でも食べられる、しかし甘味好きでも満足感を得られる絶妙な味である。

 そして確信する。やっぱり味覚が変わってしまったみたいだ。
 前はあんまり甘いものに興味なかった。以前にもここのたい焼きを食べたことがあるのに、こんなにも美味しいとは感じなかった。

「……これは、幸せの味ですね」

 ここまでとは言わなくとも、何とか家で作れるようにはならないものか。
 帰ったらお菓子作りの本を読もうと考えながらも、次の一口をかじりついた。




「ねぇ、シロウ。アルトが変。
 何でタイヤキを食べながら泣いてるの?」

「ん? ああ、なんでも美味しいものを食べると、感動して涙が勝手に出るんだってさ。
 イリヤ、邪魔しちゃ駄目だぞ」

「う、うん。わかった。なんかちょっと怖いし……」

「そっか? 一生懸命に食べてるとことか微笑ましいと思うんだけどな」

「……んー、そう言われて見れば、ちっちゃい子供みたいで可愛いかも」

「おーい、アルトー。
 イリヤに子供みたいって言われちゃってるぞー」


 士郎とイリヤが何か言っているようだけど、もちろんたい焼きに夢中の俺の耳には入ってこない。
 全神経を味覚に総動員させて味を楽しみ、同時にレシピの解析を試みていたからだった。





[7933] 六日目【4】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/17 03:17


「ところで、なんでイリヤはこんなところにいるんだ?」

 先ほど買ったたい焼きを一足先に食べ終えた士郎が、喜色をにじませてベンチでぷらぷらと足を揺らしながらたい焼きを頬張るイリヤに尋ねる。
 ちなみに俺は士郎からの許可が出たので、二個目を頬張っているところだった。
 二個目でも一向に飽きがこない。流石は江戸前屋だった。

「なんでって、ただのお散歩だけれど?」

 イリヤは口の中にあるたい焼きをしっかりと飲み込んでから士郎の問いに答える。
 一回で口に入れられる量が少ないのか、手にはまだ四分の一くらいたい焼きが残っている。

「へぇ、散歩か。この辺りは新都ほどじゃないにしても商店街もあって活気があるからな。
 あ、そういえばイリヤって日本に住んでいたわけじゃないんだろ? ホテルとかに泊まっているのか?」

「ううん、引っ越してきたわ。
 町外れに森があるでしょ? そこにお城があるの」

「私有地になっている森は確かにあるけど、えっと、お城・・・・・・?」

「そう。わざわざこっちにお城まるごと引っ越してきたんだから」

 得意げに話すイリヤに対して、士郎はむむ、と眉を寄せて宙を見上げた。
 一言に城と言われても想像が働かないのだろう。

「よくわからないけど、ともかく相当大きな家なんだな?」

「うん。すっごく大きいんだから!」

 言いながらもイリヤは両手を思いっきり広げて、城の大きさをなんとか体いっぱいに表現しようとしている。
 その様子は少女らしく可愛らしいものだったのだが、士郎は話の内容が気になったらしくイリヤを気遣うように表情を曇らせていた。

「まさか一人で住んでる、なんてことはないよな?」

「何で? バーサーカーがいるし、リーズリットとセラもいるから一人じゃないわ」

「そっか。それならいいんだ」

 ほっ、と目に見えた様子で胸を撫で下ろす士郎。
 それに対してイリヤは不思議そうに士郎を見て、首を傾げている。

「ねぇ、アルト。シロウの言っていること、よくわからないんだけど」

 ちょうどたい焼きを嚥下したのを見計らってか、イリヤが俺に問い掛けてくる。
 俺がイリヤと会って、同じ話を聞いた時はどうだったか……ああ、そうだ。

「士郎はあなたを心配しているのですよ。
 もしかして大きな家に一人で引っ越して、寂しい思いをしているのではないかと」

「ア、アルトっ!」

 焦る士郎の声を聞いて、俺は思わず目を何度か瞬かせる。これは余計なことだっただろうか?
 でもまぁ、聞かれたことに答えただけだし、別に隠さないといけないようなことでもないだろう。

「……ふぅーん」

 イリヤが慌てふためいている士郎をまじまじと見つめている。
 しばらくは不思議そうに士郎のことを見ていたが、俺の発言と士郎の態度で会得がいったのか笑みを浮かべた。

「シロウって何だかあったかいね」

「わっ!」

 そんな晴々とした笑顔のままイリヤは士郎に向かって寄りかかり、腕に抱きついた。
 倒れないように空いていた右手でイリヤの肩を支えた士郎はその子供らしい様子に口元を緩めたらしいが、ふと俺を見て焦った表情を見せる。

 確かにリアなら「イリヤスフィール、離れなさい!!」と声を上げていたところだろう。
 夜に会うならともかく、こういったイリヤに危険がないことを知ってるから別に止めたりしないけどな。
 安心しろ、という意味を込めて士郎に向かって微笑んでやる。
 それを見て、何故か汗をかいて戸惑う士郎。イリヤは士郎の腕に抱きついたままじーっと擬音がつきそうなほど俺の顔を見つめている。

「なんだか、アルトってシロウと似てるね」

「「――えっ!?」」

 イリヤがふと、そんなことを言い出した。

「いやいや、待てイリヤ。俺なんかと一緒にしたらアルトに失礼じゃないか。
 ほら、似てるっていうならリアのことだろ?」

「ううん。そうじゃないよ。
 顔とか姿じゃなくて、笑い方とか、何気ない仕草とか」

 ちら、とこちらを見やる士郎と視線がぶつかる。
 恐る恐るといったその様子は俺の反応を伺っているのだと気づいて、突然の言葉に一瞬止まっていた思考が慌てて動き始める。

「そ、そんなことは絶対にあり得ません!!
 士郎が私に似ているなんて、そんな馬鹿なことがある筈も――――」

 まずい。この前はリアかと思ったら今度はイリヤか!?
 笑い方とか仕草だって俺なりにセイバーっぽく振舞っているつもりだっていうのに、会って十数分のイリヤに気づかれてしまうほど拙い模倣だったのだろうか。
 必死に言い繕う俺を前に、イリヤはくすくすと笑っている。

「あ~あ、ほら。そんなにきっぱり否定したからシロウが傷ついちゃったみたいよ」

 ああっ!? 士郎ががっくりとうなだれている!

「し、士郎! 違うのです!
 言葉の綾というか、その――――」

 確かに俺だってセイバーにきっぱり断られたら傷つく。
 でも、だからって俺にどうしろっていうんだ!

「あ、バーサーカーが起きちゃう」

 そんな慌てふためく俺と、気落ちした士郎を眺めて笑っていたイリヤだったが、ふと立ち上がり、虚空を見つめ独り言のように呟いた。
 突然のことに俺も士郎もまったく対応できずに様子が変わったイリヤを見つめることしかできない。

「お兄ちゃん、それじゃまた今度、お話しようね。
 タイヤキありがとね」

 呆然としているうちに、イリヤはそのまま駆け出して、公園の外に出て行っていってしまった。
 何をするでもなくイリヤを見送って、俺と士郎がベンチに取り残される。

「何だったんだ?」

「……わかりません」

 気が抜かれてしまった俺たちは、しばらくベンチに座ったままぼんやり呆けていた。




 たい焼きを食べ終えて、包まれていた紙袋を公園に備え付けられたごみ箱に捨て、帰路に着く。
 行きの時よりも幾分、俺の足取りは軽い。

 ――あ、そうだ。

「士郎」

「どうしたんだ?」

「少々気になることがあるので寄って欲しいところがあるのですが」

「ああ。あんまり遠回りじゃなければ別に構わないけど」

「それでは」

 俺が外になんて滅多にないからな。
 この機会に用事を済ませておかないと。


 今歩いている道から逸れて横道に入っていく。
 そのまま数分歩いていくと柳洞寺に続く階段の前についた。

 結構な勾配の階段、そしてその先にある寺には既に落ちた霊脈と言われていた面影はなく、すべてが色褪せ朽ちている。
 霊力や生命力という観点で見ると、モノクロの写真のようだ。
 近づくにつれて柳洞寺から俺を拒絶するような、びりびりとした威圧感を覚える。
 ……これが柳洞寺に張られているという結界なのだろう。
 セイバーが、サーヴァントにとって鬼門とまで言わしめたその理由が今わかった。これは相当に強力なものだ。
 下手に触れようものならサーヴァントといえど弾き飛ばされてしまうに違いない。しかも、霊脈が朽ちているというのに結界自体には綻びの一つも見当たらない。

 慎二からの情報提供がなかったから、凛も士郎もキャスターの居所を知らずにいる。
 俺がいることでキャスターの根城が替わっているかも、とも思ったけどサーヴァントの気配は柳洞寺から発されている。
 どうやら今回もキャスターは柳洞寺にを構えているらしいな。

「どうしたんだ、アルト? えーと、ここ柳洞寺って寺なんだけど……なにかあるのか?」

「はい。サーヴァントの気配がこの上の建築物から感じ取れます」

「それは本当なのか!?」

「ええ。この山には町中から命脈が集まっている。
 この距離から感知できる膨大な魔力の量に、命脈を操作できる魔術知識――これは推測ですが、キャスターでしょう。
 仮にマスターが流れを変えても、ここまで魔力を枯渇させることができるとは思えません。
 それに加えて、門の前からも微かに。気配の弱さから、もしかしたらアサシンもいるのかもしれません」

「枯渇……」

「おそらく過度の汲み取りをしたのでしょう。
 これほどの土地には溢れる程の生命力が満ちている筈なのです。しかし、今はそのほとんどが感じられない」

 ちなみに本当のことを言うとアサシンの気配を感じ取っているわけではない。
 サーヴァントとしての特性か、それともイレギュラー故の希薄な存在感か。
 アサシンの気配は精神を集中させても気配を感じることはなかった。
 だが、キャスターが呼び出されたならアサシンも同じく呼び出されている筈だ。
 もしかしたら、と言ってあるから、もしいなかったとしても問題はないだろう。

「もしかして、寺の人間がマスターなのか?
 だとしたら一成が危ないかもしれない」

「士郎、とりあえず家に戻りましょう。
 このことは私たちだけで話していても対処のしようがない。ともかく凛と相談した方が良さそうです」

「ああ、そうだな。急いで帰ろう」

 踵を返し、急いで衛宮家に向かう。
 少しでも早く帰る為に二人で帰り道を走っていたのだが、俺は士郎についていくことで精一杯で、速度が上げられないでいた。
 両手の荷物が邪魔ということもあるが、それよりも短いスカートに気が回ってしまって上手く走れなかった。
 風で裾が翻りそうになって、大股で歩くことが精一杯。それでも充分な速度だったけど、やっぱりスカートって不便だ。




「そう。それじゃ、柳洞寺にマスターがいるってわけね」

「ええ、まず間違いないでしょう」

 急いで家に帰ると、凛とリアは緑茶をすすっていた。
 この二人と緑茶って取り合わせはどうにもしっくりこないんだけど……。
 ま、それはそれとして急ぎ帰った俺と士郎は、早速柳洞寺の件を凛とリアに報告をし終えた。

「アルトの言うように――――あの地は命脈の集まる土地。落ちた霊脈です。
 拠点として、これほどに適した場所はないでしょう」

 横で聞いていたリアが思い出すようにして言葉を紡ぎ、俺たちの説明に補足する。
 それを聞いて目を見開いたのは凛だった。

「え? 落ちた霊脈って遠坂の家のことよ?」

「仔細はわかりませんが、あの地も立派に機能していた筈です」

「……なんでリアがそんなこと知っているわけ?」

「言いませんでしたか? 私は以前、この土地に召喚されたことがありますから」

「この土地に召喚? って、それいったいどんな確率なのよ!
 ――なら、アルトもこの地に召喚されたのは初めてじゃないってこと?」

「ええ」

 召喚っていうより、生きていた時代なわけだが、そんなことを言える訳がないので静かに頷いておく。
 いや、こうしてここにいることだし、そもそもあんまり死んだって実感がないのだけど。

「はぁ。ほんと、あんたたちって、この土地に何か因果でもあるのかしら」

 凛がどっと疲れたようでテーブルにだれる。

 確かに聖杯戦争に複数回参加するなんて、詳しくはわからないけどすごい確率なのだろう。
 けどまぁ、呼び出された本人である俺がよくわかってないんだけどさ。 

 ともかく、凛も落ち着いたようなので続きを話しておくべきだ。
 敵地の情報はしっかり凛や士郎に伝えておかないと、今後二人が下す判断が不確かなものに変わってしまう。

「話を戻しましょう。
 その柳洞寺ですが、命脈が集う土地だというのに霊力が枯渇していました。
 今のあの場には死地、という言葉がもっとも相応しいでしょう」

 俺の言葉を受けてリアの表情が一瞬、怪訝なものへ変わる。そしてすぐに引き締まった。

 セイバーはあの地が霊験あらたかな地だと知っていた。
 ならばもちろんリアも知っている筈。だというのにこの反応をしたのは、単純に信じられないのだろう。
 この俺でさえ、霊力が集まる地だと認識できた。以前はそれは豊かな土地だったのだろう。

「それにしても、なんでこんなにマスターが密集しているのよ。
 私に士郎、慎二、それに柳洞くんの家に一人。学校の関係者が多すぎじゃない!」

 ああ、もうっ、と凛が何かにむかって憤慨する。

 しばらく凛は興奮していた様子だったけど、それもしばらくすると落ち着いたようだ。
 佇まいを整えて改めてこの場の面子を見回し、最後に士郎と向き直った。

「さて、それじゃ今の情報を踏まえて、これからどうしましょうか?
 衛宮くん、あなたはどう考えている?」

 真剣な瞳を向けられ、士郎はしばらく考え込んだ後に口を開いた。

「そうだな。その柳洞寺にいるマスターのことなら、俺はまだ手を出すべきじゃないと思う。
 相手の正体がわからないうちは様子を見るべきだ」

「シロウ、戦わないつもりなのですか!」

「いや、そうじゃない。不確かな相手に攻め入るより、情報を収集するべきだと思ったんだ。
 確かにリアとアルトがいればなんとかなるかもしれないけど、相手だって馬鹿じゃない。
 きっと罠を仕掛けている筈だ」

「霊脈を枯渇させる所業、そのマスターが従えているのはキャスターで間違いないでしょう。
 ならばこそ、我ら二人には対魔力がついているのだから、キャスターは決して強敵ではない!
 それにいくら罠が仕掛けてあろうが、遅れを取る私たちではありません! 今日の夜にでも打って出るべきです!」

 リアが士郎に食って掛かる姿に既視感を覚える。
 ――ああそうだ。思い返してみれば前回もこんな感じで言い合いをしたんだった。
 あの時はサーヴァントがいるという情報だけでキャスターとわかっていた訳ではなかったけど、今と同じように俺とセイバーは意見がぶつかりあった。
 そうして結局、セイバーは夜中に単身で挑んでいったのだ。

「だからって、無傷で勝てるって決まったわけじゃないだろう?」

「シロウ、貴方は無傷で聖杯を手に入れるつもりなのですかっ!?」

 リアがテーブルを両手で叩きつける。乗っていた湯飲みが振動で傾き、元に戻る。
 敵がいるとわかり、リアは相当に熱くなってしまっているみたいだった。

「それは違う。そんな都合のいいことを考えている訳じゃない。
 ただ、戦うのはリアとアルトじゃないか」

「それに何の問題があるというのですか!
 言いたいことがあるなら、はっきりと言ってください!」

「聖杯戦争に参加して、結果俺が傷つくならいい。それは参加する意思を持つ限りならしょうがないことだと思う。
 けど、それだって俺は、リアやアルトみたいな女の子が戦って傷つくなんてことが嫌なんだ!」

 ぽかん、と呆気にとられるリア。言われたことを理解できなかったのか、そのままリアの動きが数秒止まった。
 隣で話を聞いていた凛は顔を手で覆い、背けている。けど、肩が震えていて笑っているのがばればれだった。

「そ、その言葉は私たちに対する侮辱です!
 私たちは騎士です! 今の言葉を撤回してください!!」

「騎士だってことは聞いてたし、知ってるさ!
 けど、女の子であることだって変わりはないだろ!」

 顔を赤くして激昂するリア。だが、対して士郎も引かない。
 意見が噛み合わない議論は、方向を変えながら無駄に熱くなっていた。

 俺はというと、目を逸らし、小さくなって座っていることしか出来ない。
 いや、その、いつの間にかリアが俺を騎士にしているのだけど、もちろんそんな過去は俺にはない。
 リアと一緒にまとめられるような高潔な騎士などではないんだけど、表立ってそれを表すわけにもいかないしでどうにも居心地悪い。

「二人とも少しは落ち着きなさい!」

 笑いが収まったらしい凛が見かねて二人を止める。
 二人は言い合いを止め黙ったが、リアは士郎を冷ややかな目で見ているし、士郎は士郎で決して目を逸らさない。

「はぁ。まったくもう。
 ……で、アルト。あなたはどう思うの?
 一応、全員の意見を聞いておきたいんだけど」

 にらみ合ってた二人の視線が俺に集中する。
 どちらも俺の意見に期待しているのか、「当然私と同意見ですよね」だとか「アルトはリアと違うよな」なんて変な思念が感じ取れる。

 さて、どうしたものか。
 前回でのことを思い出しながら、まず柳洞寺に攻め入ったとしてどうなるかを考えてみる。
 まず、実際にキャスターと戦う前に一つ障害がある。それに対してどう対処すべきかを考えなければならない。
 門前にいるだろうアサシンのことだ。今回はその存在を確認してはいないが、いると想定しておくべきだろう。

 そのアサシンの戦闘能力だが、あいつはなんと、剣技のみでセイバーを押していたらしい。
 宝具らしきものを持たず、だがそれでもセイバーと互角以上に渡り合う。
 セイバーでさえそれならば、セイバーの偽者である俺では戦いという形に持っていくことすらも困難かもしれない。

 しかし、こちらはサーヴァントが二人いるのだ。
 一人がアサシンと戦っている間に他の三人は正門を抜けられるだろう。それがもし俺だって、セイバーの身体能力を持つ今ならば足止めぐらいは出来るはずだ。
 中に居る筈のキャスターとはリアが言っていたように俺、リア共に相性の関係から有利だろうし、それに加えて凛の援護があればそう不利になるとは思えない。
 だけど――。

「私は、今はまだ待つべきだと思います」

 言った途端にリアが信じられない、というように俺を見る。
 今にも大声で異議を唱えそうだ。

「――理由は?」

 凛がリアを手で押し留め、俺に問いかける。
 彼女がいなかったら絶対に話がまとまらなかっただろうな。

「一つは門付近の妙な気配ですね。二体目のサーヴァント――おそらくアサシンであろうサーヴァントがいる可能性があること。
 もう一つは地の利。罠が仕掛けてあるかもしれませんし、それが私たちを対象にしているとは限らない。
 以上の二つは、私たちではなくマスターである凛や士郎が害される可能性です。
 加えて。これが一番の理由ですが、学校の結界を優先すべきではないかと考えています。
 未だ結界を張ったサーヴァントの正体は掴めませんが、明確な敵としてはそのサーヴァントでしょう。
 もしキャスターとの戦闘で私たちが実力を出し切れない状態に陥った時に、学校の結界が発動したなら後手に回らざるを得ない。
 また、その隙にバーサーカーに襲われてはマスターを守りきれないかもしれません。
 ならば、今は確実に迫っている敵から排除すべきでしょう。
 キャスターはその後でもいいのではありませんか?」

 バーサーカーもすぐに攻めてくるとは思えないけど、わざわざそれを言う必要は無いだろう。
 イリヤと会ったことは秘密にしておくという士郎との暗黙の了解も成り立っているし。

 それに、もう俺の知っている聖杯戦争からは外れている。
 不測の事態に対応できるように戦力は温存しておいたほうがいい筈だ。
 確かに一成たちは心配だが、深刻の度合は明らかに学校の方が上だ。
 危険が迫っているとわかっているのに手が出せないのはすごい歯がゆいけれど、こうしなければ学校の生徒たちを助けられなくなるかもしれない。

「……なるほど。アルトが一番冷静みたいね。
 同盟もバーサーカーを倒すまでって話だけど、ここで無理してやられちゃ元も子もないしね。
 キャスターを倒す時に協力するかは別にして、とりあえず私はアルトの意見に賛成。
 ――それに、リアは今日の夜に向かうって言っていたけど、今日はきっと無理よ」

「凛、それはいったい何故なのですか?」

 一応は納得してくれたのだろうか、リアが冷静に凛に尋ねる。

「ちょっとね。あなたのマスターに魔術を教えなきゃいけないからよ」

 幾分元気が無い凛。
 確か、こんな顔をした凛をいつか見た気がする。
 えっと……前回のバーサーカー戦の後、遠坂がこんな顔していたような。

 思い当たる。そっか。スイッチを作るのか。
 確かにあれをやるなら、士郎は今日一日動けなくなるだろうし、凛は宝石を使用するから経済的に小さくない損失だろう。
 必要な時に使わなきゃ持っている意味がない、とは遠坂の弁だったがどうやら完全に割り切れているわけでもなさそうだ。

「――――わかりました。少々納得しかねますが、アルトの意見は確かに的を射ていました。
 私も少し短慮すぎたようです。
 ……ところで聞きそびれていましたが、二人はこんな時間になるまで何をしていたのですか?」

 確か家に着いた時、既に二時を過ぎていた。イリヤと公園で話していたからなぁ。
 そうして言われて壁時計を見てみれば今は三時半。丁度おやつ時だった。

「ちょっとたい焼きを買っていてさ」

「タイヤキというと、餡が詰まった鯛の形のお菓子でしたか?」

「ああ。そうだ。二人にもたい焼きを買ってきたんだった。
 食べるか?」

「ええ。存在は知っていましたが、それは一度も食べたことがなかったので。
 興味深い」

「そうね。私も今はちょっと甘いものが食べたいかな」

 リアが食いついた。なんだか興味があるなんて言ってるけど、建前だろう。体が心なし前のめりになっている。
 凛も食べる気らしい。体重を気にして滅多に間食をしない性質なのに、ずいぶんと珍しい。

 ええと、たい焼きの入った紙袋は、と。
 ――――あ、あれ? いや、そうだ。もしかして、っていうか絶対。

「それじゃあ、アルト。たい焼きを――――」

「……買い忘れました」

「「え?」」

「あ、そっか。そういえば帰りに買い足さなきゃって思って、そのまま――」

 士郎もようやく思い当たったようだ。

「シロウ? タイヤキがない、なんてそんな馬鹿なことなどありませんよね?」

「いや、すまん。すっかり忘れて――――」

「そんな馬鹿なことなどありませんよね?」

 リアが微笑んだまま士郎に迫っていく。
 何故士郎が返事をしたのに繰り返したのだろうか。間違いなく聞こえていただろうに、逆に恐ろしい。

「衛宮くん。あなた、アルトには買ってあげて私たちには買ってこないってわけね」

 目をリアに向けていた間に、今度は凛が士郎を問い詰めていた。
 なんだかすこし論点がずれている気がしなくもない。

「な、なんで俺ばっかり攻められてるんだ!?
 そもそも、遠坂やリアの分まで余分に食べちゃったのはアルトだぞ!?」

「し、士郎!?」

 お前、俺を売ったな!
 ここでそういうことを言うのか! くそう! 裏切り者!

「へぇ~、アルトが私たちの分を食べたわけね……」

「アルト、この償いをどう取ってくれるのか。
 ふふ、楽しみです」

 目の前に迫る赤いあくまと飢えた獅子。
 後は壁。退路はない。っていうか壁なんか無くても、この二人から逃れる術を俺は知らない。




 数分後、俺はたい焼きが数個入った袋を持って全力で家に向かっていた。
 先ほどのようにスカートの裾を気にする余裕など、この時の俺にはまったく無かったのだった。





[7933] 六日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/18 10:23


◆◆◆


 アルトがたい焼きを買い求めて街へと飛び出しおおよそ十分。恐るべき速度で、だがその代償に髪の毛をぼさぼさにしながらもアルトが帰ってきた。
 とてもじゃないけどちょっと走った程度では十分で行って帰ってこれる距離ではない。
 間違いなく街中でサーヴァントの超人的な身体能力を使ったのだろうが、しかしあの時の妙な迫力のリアと遠坂を考えるとアルトを注意する気にはなれなかった。

 ともかく、そうしてたい焼きの袋を手にした遠坂に連れられ、俺は離れへと向かっていた。
 なにやらこれから行うことは魔術を修める上で重要なことらしいが、俺としては何をするのかさっぱりなものだから不安でしょうがない。

「さて、本当は魔術の精度を見たいところだけど、まずスイッチを作らなきゃね」

「えーっと、スイッチって結局何なんだ?」

 先を歩く遠坂が呟いた言葉を受けて、率直に質問をぶつけてみる。
 一応『スイッチ』とやらが必要なものだということはわかるのだが、具体的な説明はまだ聞いていない。
 投げかけられた質問に、遠坂は肩越しに一度俺を見る。

「あっと、そこからだっけ。まぁ、とりあえず入って」

 いつの間にか遠坂の自室にと割り振った洋室にたどり着いていたらしい。
 部屋の主はといえば既に部屋に入り、何も気にした様子なくベットに腰掛けている。
 移動中、後ろに続いていた俺は、つい入り口で足を止めてしまう。

 女の子が寝泊りする部屋に入るのはどうも気後れする。
 一応藤ねぇの私室に入ったことはあるが――まぁ、ともかく女の子の部屋ならこれが初めてのことだ。
 しかも、相手は少なからず憧れていた女の子。一男子として緊張しないほうがおかしい。

 今は何の因果か表面上だけとはいえ付き合ってることになってるけどさ。
 っていうか、今思い当たったんだけど、付き合っているって話が広まった次の日に二人して学校休むって拙くないだろうか。
 先日の大騒ぎを思い返すと、次に学校に行った時のことが今から恐ろしい。生まれて初めて学校に行きたくないなんて思ったかもしれない。

「どうしたの? 入らなきゃ話もできないでしょう」

 考え事をしながら部屋の中を見つめてしまっていた俺は慌てて我に返る。
 遠坂に目線をやるも、彼女はこちらを見ずにボストンバックを漁っていた。

「いや、女の子の部屋に入るのってさ。その……」

「……ふーん。衛宮くんってそういうの慣れてるって思っていたんだけど」

 俺の言葉を受け、しばらく手を止めていた遠坂が振り返る。
 その顔には意地が悪そうな笑みを浮かんでいた。こういう顔しているときの遠坂っていろんな意味で怖い。

「そういうのってどういうんだよ?」

「いいから入って入って」

 なんだかはぐらかされた気がするけど、突っついて蛇を出すのも怖い。
 促されるまま入室し、隅に置いてあった椅子をベッドの向かいに持ってきて座る。

 そのまま呆っと部屋を眺める。
 あまり人の部屋を見るのはよくないってわかってるんだけど、部屋に二人で遠坂ばかりを見ているのはそれはそれで辛いものがある。
 その遠坂はというと、お目当ての物が見つかったのか、缶をバッグから取り出していた。
 その缶からはカラカラという硬い物が転がる音がしていて、なにかが入っているのがわかる。
 形は昔よく見かけたドロップスの缶そのまんまだ。ということは中身は飴、だろうか?

「ん~っ!」

 缶の蓋が中々空かないようで顔を真っ赤にさせながら頑張っている。

「良かったら開けようか?」

「そ、そう? それじゃあお願い」

「よっ、と」

 渡された缶の蓋に手をかけて軽く力をこめると、カパンッと小気味のいい音がして蓋が外れる。
 遠坂があんなに必死になっていた割にはそんなに力を入れたわけでもないんだけど、しかしまた何で飴なんだろうか。疑問に思いながら外した状態のままの缶を返す。

「ありがと。はい、手を出して」

「サンキュ」

 遠坂が受け取った缶を俺に向けて傾ける。
 礼を言って手を出すと、中から一粒転がって出てきた。
 そのままドロップの缶は蓋をされまた鞄にしまわれてしまった。

 手のひらには赤いドロップ。赤は確かいちご味だっただろうか。
 口に放り込むけど、どういうわけか味がしない。なんだか無機物を口に入れてるみたいだ。

「遠坂、これ味がしないんだけど」

「当たり前でしょ。それは飲むの」

 言われて、そういうものだったのかと疑問を覚えずにドロップを飲み込んだ。
 それにしても。へえ、最近じゃ飲みこむ飴なんかあるんだな。初めて聞いた。
 ……しかし、なんだ。俺の気のせいだったらいいんだけど、なんだか咽喉が異様にヒリつくんだが。

「あのさ、遠坂。これ本当に飴か?」

「へ? 誰が飴なんて言ったの?
 それ、宝石よ」

「あぁ。宝石だったのか」

 道理で味がしないわけだ。
 無機物を口の中に入れてるみたいって、文字通り入れてたわけだ。
 確かに遠坂は飴だなんて一言も言ってなかった。

「……って遠坂」

「なに?」

「何だって宝石なんか飲ますんだよ」

「何でって、それが一番手っ取り早いからだけど。
 薬とかもあるんだけど、スイッチを作らずに数年魔術行使をしていたんでしょ? それじゃ薬程度じゃ効果もあんまり期待できそうに無いしね。
 そんなことよりもしっかり気を入れとかないと気絶するわよ」

「気絶って、何言って……」

  ドクン

「――――っ!?」

 大きく鼓動を一つ。
 熱い。体の中から熱が広がり、一気に沸騰する。
 神経がかき乱され、末端から体の感覚がなくなっていった。
 それが全身に行き渡り、意識が遠のき始めると、今度は痛みが背骨を走る。

「始まったみたいね」

「ハ――――」

 今度は痛みのあまり、思考にもやがかかる。
 酸素を求めて肺を動かそうにも、体が逆らって言うことを聞いてくれない。
 せめて遠坂の奴に文句の一つでも言ってやろうかと考えるも、それを為すだけの余裕がどこにもない。

「スイッチは普通の人間と魔術師を隔てているもの。
 魔術回路自体は一般人にも自然発生することがあるけれど、スイッチは魔術行使をする人間でなければ現れない。
 スイッチを作る知識があっても回路がなければ魔術行使はできない。回路があっても、本来はスイッチがなければ魔力を生成することも出来ないものよ。
 言ってしまえば回路の有無が魔術師であるかを決めるわけじゃない。その一歩先、スイッチを持つのが魔術師ってことね」

「ぐ――ウ――」

「士郎はわざわざ最初の手順――回路を作ることを繰り返していたんでしょう。そうして作った回路は眠らせ、また作るを繰り返していた。
 回路を作るという行為は、士郎の言うとおり死と隣り合わせよ。普通、魔術師だってそんな無謀なことを繰り返したりはしないわ。
 そもそもリスクとリターンが釣り合わない。それにしても士郎、今までよく生きてこれたわね」

「――くっ、ふぐ、はぁ。
 せ、せめて、それを先に説明、しといてくれ、遠坂」

 何とか声を絞り出す。
 この体の不調はは溢れ返る魔力が行き場を求めて反乱している所為であるのだと、ようやく理解できた。
 そこまでわかれば簡単だ。魔術行使をする時のように、体の中に流れを作って循環させてやればいい。
 麻痺や体に残る痛みは全然消えてはいないが、気を落ち着かせていけば何とかなりそうだ。

「へ!? あ、もう喋れるんだ。
 自身のコントロールに関しては中々上手いみたいね」

 そんなことを遠坂が話している間に呼吸を落ち着け、体の感覚を取り戻していく。

「それで続きね、スイッチが感覚的にわかるようになれば魔術を使う際に大分楽になる筈。
 なんていったって切り替えるだけでいいんだもの。毎回毎回死ぬ思いをする必要がなくなるし、速度も上がる。
 士郎が飲んだ宝石は魔力を注ぎ込んでスイッチを強制的にオンにするもの。もし、自分で回路をオフに切り替えなければそのまま。
 オフっていきなり言われてもやりようがないと思うけど、気持ちを落ち着かせてそのままで維持していれば体が勝手にオフにしてくれるから」

 少しずつ落ち着いてきたけど、体の熱が抜けていかない。
 まだ回路の切り替えが終わっていないのだろう。

「それでスイッチだけど、その状態から抜けると自然と頭に浮かぶから。
 人それぞれで、私の場合は心臓にナイフを突き刺すイメージ。
 こればっかりは人それぞれで、士郎の意識内のことだからどんなイメージかはわからないんだけどね
 で、どう? 喋れたんだから少しは落ち着いてきたんじゃない?」

 遠坂が俺の顔を覗き込む。
 体の不調――っていうのかわからないけど――は始めに比べればだいぶ落ち着いてきた。
 不快感や熱は未だに残っているけど、我慢できないほどじゃない。

「――あ、ああ。まだ気持ちは悪いけど、なんとか大丈夫だ」

「ま、魔力で全力疾走をしているようなものだしね。
 その代わり、しっかりスイッチが出来れば色々と助けになる筈だから」

「うん。助かる。
 自分ひとりでやっていたんじゃこんなことわからなかったし、遠坂には感謝してる」

「礼はいいわ。私は戦力的に考えて、必要だと思ったから行動しただけだし」

 遠坂がふいっと顔を逸らす。
 熱の所為か、はっきりしない頭に整理をつけながらぼんやりと遠坂を眺めている。

「な、なによ? 不躾に人のこと見つめて」

 なんだろう?
 その遠坂の様子になんだか嬉しさっていうのかよくわからないけど、自然と俺の顔は笑ってた。

「あー、いや、前も言ったけど、遠坂ってほんといいやつだなってさ」

 遠坂がぴしり、と固まる。
 変なこと言ったか、俺。いや、熱のあまり思考がうまく働いてないのかもしれない。
 それに、俺ってあんまり女の子と話すことなんてなかったから、気が利かないからな。

「そ、そう? う、あ、そうだ、上脱いで士郎。どうせだし回路の調子をみてあげる」

「いや、いいよ。流石にそこまで迷惑はかけられない」

「いいからおとなしく言うとおりにしておきなさい。
 宝石でスイッチを作るなんて私だって初めてなんだから何か起こってたら拙いでしょ」

 顔を赤くさせながら俺をベットに引っ張っていく。引っ張られていく俺は宝石の所為で体に力が入らず、為すがまま。
 ベットの縁に座らされて、遠坂が椅子に。さっきまでと座っているところが逆になる。

「い、いいって!」

「いいから、人の親切は受けときなさい。
 ほら、上脱いで」

「だから、大丈夫だって!」

 流石に男といえど女の子に上半身だけとはいえ裸を見せるのは気恥ずかしい。呆として確り働かない頭でもそれくらいはわかる。
 しかも相手はあの遠坂凛で、その場所はといえば仮とはいえ彼女の自室。憧れていた女の子が相手っていうのは、勘弁してほしい。

「あーーー!
 もう! 観念しなさい!!」

 ベットに押し倒される。軽く押されただけなのに、体に力が入らずバランスを崩して倒れてしまった、
 遠坂はすかさず俺の腹の上に座ってマウントポジション。
 それでも俺は力が入らない手で抵抗するが、片手で押さえられてしまう。
 もう片方の手は俺の服を捲り上げていく。

 悪気どころか、親切心からだっていうのはわかるけど、この体勢は拙い。
 腹に当たる感触は凶悪。遠坂の重みと今まで感じたことの無い感触にたじたじです。
 なんでこんなことになってんだ?

「待て待て待て! まずいって、遠坂。頼むから勘弁してくれ!
 ちょ……リア! アルト! 助けてくれぇ! むぐっ」

「ば、バカ!! そんな大声で叫んだら、本当にリアとアルトにも……」

 遠坂が俺の口を捲っていた手で押さえて俺に怒鳴る。
 だが、それは致命的なまでに遅かった。すでに部屋の外からは複数の走る音が聞こえていた。

「どうしたのです! シロウ!!」

 けたたましくドアを開け放つ音が響き、そしてそのまま時間が止まる。
 乱入者のリアは俺たちの姿を見るなり動きを止めてしまった。
 その後ではアルトが煎餅をくわえ、片手に煎餅の入った容器を抱えて同じように固まっている。

 そこまで確認した後、俺の意識はぷつんと途切れてしまった。





[7933] 六日目【6】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/21 20:39


◇◇◇


 居間にて、リアがたい焼きを頬張りこくこくと頷いているのを眺めながら、俺は茶請けの煎餅をかじっていた。
 深山町の商店街までを行って帰ってきたばかりだが、それによる肉体的な疲労はほぼない。流石はサーヴァントというところだろうか。
 むしろどちらかといえば二人の妙なプレッシャーを受けて精神的に疲弊していた俺だけど、リアが食べ物を美味しそうに食べているのを見ているとそれも癒されてしまうのだから安いものだ。

 お茶を啜り、口の中を洗い流して一息つくと、リアに尋ねておきたいことがあったのを思い出した。
 見ればリアもいつの間にか四つもあったたい焼きを食べ終えて、お茶を啜っている。話を切り出すには丁度いいタイミングだ。

「リア。ひとつ尋ねておきたかったのですが。
 バーサーカーに宝具を使いましたが、魔力の残量は大丈夫なのですか?」

 俺が気にかかっていたのは、リアの魔力に関してである。
 前回はバーサーカーにやられた傷の修復、今回は宝具の発動と程度の差こそあれ序盤で魔力の消費をしてしまっている。
 そもそも俺の最期だって、そうなった原因はセイバーに充分な魔力を送ることが出来ない力不足だ。早いうちから確認しておくことも必要だろう。

 そんな俺の問いに、リアは佇まいを正して俺へと向き直る。

「今後の戦闘に支障はありません。
 風王結界の発動程度ならば知れていますし、これといった手傷を負わされたわけでもない」

「それならばいいのですが」

 あくまでちょっとした状況確認、そのつもりで声をかけたのだが、どうやらリアにはそう聞こえなかったらしい。
 すっかり会話を終えたつもりでいた俺は、目の前にいるリアが俺を真剣に見据えていることに気がつく。

「なにか?」

「……共同戦線を張っていたとはいえ、私では力及ばずに結果的にシロウを守ってもらいました。
 借りはいつか必ず返します。それに同盟を組む者として、今後はあのような無様をしないことを約束しましょう」

「いえ、私は……」

 そんな意図での発言ではなかった。
 そう告げようとするも、外から聞こえてきた声に中断されてしまう。

「リア! アルト! 助けてくれぇ!」

「シロウ!!」「ッ!」

 士郎の声。助けを求める声。
 認識するや、俺とリアは考えるよりも早く動き出す。居間から庭へと飛び、そして離れへと最短距離を一足飛びで向かう。
 リアの進んでいく速度に合わせて順路を追っていくが、風景がものすごい速度で後に流れていく。

「どうしたのです! シロウ!!」

 声から秒で五も数えていないだろう。一足早くリアが凛の部屋に辿り着き、迷う間もなくドアを開け放った。
 遅れて着いた俺は、リアの直ぐ後にいて中が見えなかったので横から覗き込む。

 そこにいたのは、ベッドの上で半裸の男にまたがる女。もつれあう二人の男女だった。



「――――――はっ?」

 ぱきん、と乾いた何かが割れる音がする。
 発生源であろう下を見れば、そこには砕けた煎餅が散らばっている。

 ああ、口に咥えてるの忘れて、馬鹿みたいに口を開けたから落ちちゃったのか。
 うわ、結構細かく砕けちゃってるな。破片がフローリングの間に入って掃除しにくいんだよなぁ。
 ちりとりはどこに入れておいたっけ?

 ……。

 ちがうっ! あまりのことに現実逃避してた。
 いや、まて。なんだってこんな状況に!?
 落ち着け衛宮士郎。焦っては事を仕損じるぞ。まずは冷静に状況判断だ。

 まず、ベットの上で士郎を押し倒されていて、あまつさえその士郎の上には凛が馬乗りになっている。
 凛の片手が士郎の口を塞いでる。もう片手は士郎の両手を押さえつけて身動きを取れないようにしている。
 士郎の上着が捲られて半裸。凛の顔は上気していて、まるで「まずいものを見られてしまった」といった表情だ。

 以上の情報から推察すると……。
 凛が士郎を押し倒して、無理やり?

「えええぇぇぇーーー!?」

 俺の上げた大声に、他の固まっていた二人がビクッと体を振るわせる。

「何で? どういうこと?
 俺そんなの知らないぞっ!」

 なんだって凛と士郎が?
 俺の時だってこんな状況無かった。こればかりは断言できる。

「――――マスター同士での、その、交流を邪魔してしまったようですね。
 失礼しました」

 一つ頭を下げ、そういって俺の腕を引っ張って部屋から出て行こうとするリア。
 どうやら俺の声で再起動を果たしたらしい。俺はおたおたと取り乱すばかりだ。

「ちょ、ちょっと! 違うのよ!!」

 ようやく自分の体勢を思い出したのか、凛が士郎から飛びのきリアに食い下がる。その凛の顔はさきほどよりも真っ赤になっていた。
 声をかけられたリアは足を止めて、凛に振り返る。

「その、私たちも勘違いして飛び込んだのも悪いとは思いますが、ただシロウに凛も昼間からというのは感心できません」

「だから、話を……」

「そ、それに! シロウが悲鳴を上げるような……その…………行為は自重していただきたい」

 見ればリアの頬も幾分桜色に染まっている。
 それだけ言うと、俺を引っ張って部屋を出ていこうとするのだが、一向に話を聞こうとしないリアに凛が爆発した。

「あ゛-! 人の話を聞きなさいっての!!
 私は士郎の魔術回路の調子を診ようとしてただけ!」

「そうなのですか? しかし……」

「そ・う・な・の!!」

 そうだったのか。
 いや、そうだよな。士郎が凛となんて冗談でしかないか。

 ん? やけに静かだと思ったら、一人なんか様子がおかしい。

「あのー、凛。士郎はどうしたのですか?」

 ベッドで仰向けに倒れたままの士郎。
 まるで高熱が出た時のように呼吸を荒くし、顔を真っ赤にして意識もないように見えるのだけど。

「ああ、少し興奮させすぎちゃったのかも。
 できるだけ安静にさせておかなきゃいけなかったのに」

「そ、それで、シロウは大丈夫なんですか!?」

 今思い出したかのように気楽に言う凛に、慌てた様子でリアが詰め寄る。

「ま、大丈夫でしょ。明日の朝には落ち着いてるわよ。たぶん」

 ……たぶんって。いや、まぁ大丈夫なんだろうけどさ。
 とりあえず無事ならあとは安静にしておいたほうがいいだろう。

「そうですか。それでは士郎を彼の部屋に運びましょうか。ベッドを占領したままでは凛も寝られないでしょうし」

「別にこのままでもいいわよ。遅くても明日には目を覚ますでしょうし、一日ぐらいなら私がアルトの部屋で寝れば済むことだわ。
 わざわざ運ぶのも大変でしょ?」

「いえ、別にそれくらいなら苦でも何でもありませんが」

「いーの、いーの。ほらほら、士郎は寝てるんだから居間に行きましょ」

「は、はぁ」

 パンパンと手を叩いて凛が俺たちと一緒に部屋から出て行く。

 うーん、寝てるっていうか気を失ってるんだと思うけど。
 熱があるみたいだし、後で様子見がてら濡らしたタオルでも持っていってやるか。




 時の流れは早いもので時計の短針は5の字を指していた。
 まぁ、これといってやることもないので料理の下ごしらえを始める。
 今日は士郎の希望もあって和食だ。時間も充分にあることだし、そこそこ手の込んだものが作れるだろう。
 献立はイサキのから揚げ、サトイモの煮物、シイタケとしし唐の大根おろし和えってところか。

 まずは米を洗い、炊飯ジャーに入れて寝かせておく。
 メインディシュになるイサキを三枚におろし、腹骨、小骨を取って両面に軽く塩を振る。
 次にサトイモの皮をむいて、下茹でし、塩、砂糖、醤油を加えて弱火にかける。
 シイタケは軸を切り、しし唐のヘタをとって種を取っておき、網で焦げ目がつくように火を通す。
 大根をおろし器で摩り下ろし、醤油と酢で味付け。
 んー、しし唐が少し余ったから、イサキをあげる前に素揚げにしちゃうか。
 本当は食べる前に揚げるのがいいのだけれど、油ににおいがついちゃうからな。

 ジャーの開始ボタンを押して、とりあえずは一段落だ。後は食べる直前で大丈夫だろう。
 さて、まだ夕食には早いし、士郎の様子でも見てくるか。
 あいつ、和食を希望するのはいいけど、夕食までに起きてこれるのか?


 一応部屋に入る前にノックをしてみるけど、返事はない。
 ドアを開けて入ると、士郎はベットの上で汗を掻いて呼吸を荒くしていた。快復に向かっている様子は見えない。
 近くの机に洗面器を置き、タオルを絞って士郎の額に乗せる。そしてそのまま、ただただ呆っと士郎を眺めてみる。

 今回こうして士郎が寝込んだのは、魔術のスイッチを作る為。その理由は、僅かであっても戦力を充実させる為である。
 ただ、俺としては士郎が戦うのは、出来るだけ避けて欲しい。
 なんていったって、強化と投影だけの魔術使い。今いる四人で敵にやられやすいのは、間違いなく士郎である。
 強化なんかサーヴァント相手じゃ数合ともたない。投影は下手なもの投影しても役に立たないし、宝具の投影は危険だと遠坂にも忠告されていた。
 危険を顧みずに宝具の投影をしたところで、それを十二分に発揮するだけの能力も技術も持っていない。
 そんな戦闘能力しか持たない士郎が戦闘に参加するなど、自殺しにいくようなものだ。

 だが、他ならぬ士郎のことだ。凛やリアに危険が迫ったら形振り構わずに敵サーヴァントの前に飛び出すだろう。
 これが思ったよりも厄介だ。
 防ぐには士郎に戦う機会を与えず、且つリアや凛を危険に晒さないようにしなければならない。
 いや、逆に考えればそれさえ防げれば無茶をすることもないのか。つまり、戦闘で苦戦することなく、常に勝ち続ければいい。

 だが、そんなことが出来るなら最初からやっている。
 アーチャーとして戦ったバーサーカーやランサーを、苦戦もなしに倒せるかと聞かれれば否と答える他はない。そもそも、倒せるかどうかからして怪しいっていうのに。
 ただ、理論としては間違っていない。俺やリアの苦戦が少なくなれば士郎が出張る機会は減る。
 つまりは、事前に対策を練り、リアや凛と協力して頑張るしかないのか。

 士郎が寝汗を掻いているので、タオルで首周りや額を拭ってやる。
 冷たいタオルが心地いいのか、苦しそうな表情が少し和らいだ。拭いているうちに士郎の熱も治まっている気がする。
 ――そういえば、こうして意識のない士郎と二人でいることで思い出したけど、士郎が学校でランサーに貫かれていた時に感じたあの共有感はなんだったんだろう。
 たしか……そう、あの時士郎の腕に触れた途端にその感覚があったんだ。

 思い当たり、思考のままに投げ出された士郎の腕を掴んでみる。
 しかしこれといった変化はなく、部屋には士郎の荒い呼吸が響くだけだ。

 ……駄目だな。
 まぁ、あんなものを感じたのはあの時ぐらいのものだったし、触れた云々ではなく、同じ存在が死に瀕している方に関係があったのかもしれない。
 ん、そういえば心臓を貫かれたのはもう大丈夫なのか?
 俺のときは結構違和感が残って、ちょっと激しく動くと気持ちが悪くなったりしていたものだけど。

 腕を掴んでいた手を離し、そのまま士郎の胸に手を伸ばす。
 シャツが汗で濡れているが、士郎の体が熱を発していて冷たいとは感じない。

 お……?
 共有感……そう、あの時感じた、士郎と俺とが共鳴しあっているような不思議な心のざわめき。
 でも、不快なものではない。体がじわりと暖かくなっていくというのか、そんな熱の広がりが心地よくて不思議と心が落ち着いてくる。
 しかしそれも、この前に感じたほどじゃない。やっぱり直じゃないと駄目なのだろうか?

 そう思い、今度は士郎の上着を捲って胸に手を当てる。
 士郎に触れた手の平が熱を持つ。魔力を集中させたものによく似ていて、けどそれとは確実に違った熱。
 その熱を確かめるように、手の平で士郎の胸板をさする。触れれば触れるほどこの不思議な感覚が強くなっていく。

 おー、やっぱりこのほうがいいみたいだ……

「な、なにやってるのよ! アルト!!」

 いきなりの大声に振り向く。その先には顔を真っ赤にした凛がいた。
 すぐ後にはリアもいる。

「へ?」

「どこに行くのかと思ってついてきてみれば」

 ってつけてきたんですか、あなたたちは。

「いえ、別に何をしていたという訳ではないのですが」

「あんたねぇ。士郎の服を捲っておいて、胸弄って何もしていないって――」

 凛がずかずかと俺のそばに歩み寄り、詰めかかってくる。
 そう言われてもこの現象自体、自分の中でもまだ理解できていない。
 いや、凛が言ってるのはそういうことじゃないんだろうけど。

「おや? ――リン」

「ん、どうしたの? リア」

 いつの間にか士郎の横にいるリア。
 その声に凛だけでなく、俺もそちらに視線を向ける。

「士郎の様子が……」

「――元に、戻っている?」

 凛とリアの言葉の通り、士郎のつい先ほどまで赤かった顔色は普段のそれになっていた。
 それどころか汗は引き、規則正しい寝息をたてている。寝汗などの名残はあるが、今となっては静かに眠っているようにしか見えない。

「そんな、でも……宝石の魔力自体が消されているわけでもないし、魔力の過負荷による副作用だけが緩和されている?
 アルト、あなたいったい何をしたの?」

 一通りその様子を診察した凛は俺に振り返り、鋭く見つめてくる。
 リアは士郎から俺へ視線を移したまま。一瞬にして部屋の空気が重くなる。

「いえ、先ほども言ったように特には何も。
 ただ、士郎に触れると何かが『繋がった』ような感じがしたので」

「『繋がる』って、もしかしてライン――――とも思ったけどそういうわけでもないみたい」

 凛は士郎の胸に手を当てるが、俺の時のようなことはないらしい。何事か考えている。
 リアも士郎の胸を触りながら、首をかしげている。

 何だ? この状況?
 女二人、いや俺もだから女三人……いや、そこはどうでもいい。っていうか考えたくない。
 ともかく、女の子が寄ってたかって男の胸を触っているのはどうなのだろうか?

「……ん?
 っと、リア!? 遠坂!? 何やってるんだ?!」

 あ、士郎が起きたか。
 途端にリアと凛が自身の胸を触っているのに気づき、うろたえ始める。
 そんな中、リアは慌てず騒がず何事もなかったように俺の横まで歩いている。

「ってそうだ!!
 リア! アルト! 誤解だ!」

「「何がですか?」」

「いや、だから俺と遠坂は別にそういうんじゃなくて、魔術回路を診てくれるって」

「あー、あー。衛宮くんいいの」

「なんでさ?」

「それさっき説明したから」

「さっき? ……っていうか、もう六時!?」

 あー、士郎のボケで張り詰めていた部屋の空気が軽くなった。
 そもそも気を失ったことに気づいてなかったのか。

「とりあえず居間に行きませんか?
 そろそろ夕食の時刻でしょう?」

「あ、ああ」

「そうね。話は後でもいいか」

 リアが居間に向かって歩いていく。
 なんていうか、マイペースというかなんと言うのか。

「アルト、あなたがいなくては夕食が完成しません」

「わ、わかりました」

 俺はリアの威圧感に押されて足早に台所に戻っていった。




 夕食は大好評だった。
 衛宮士郎だった頃に遠坂に触発され、自分の料理を見つめ直して試行錯誤していたのは無駄じゃなかったようだ。
 士郎に至っては「今度教えてくれないか?」なんて言ってくれる。これだけで頑張った甲斐があるってものだ。
 いつの間にかそこに居た藤ねえなんか、「アルトちゃん、うちにお嫁に来ない?」なんて半分本気の目で訊きやがってくれました。

 それぞれが風呂に入って、藤ねえが蜜柑を散々食い散らかして帰っていったのを見計らってから、みんなで居間に集まった。
 各自の前に緑茶を置いていく。なんだかこの頃こういう役回りに慣れてきたというか、完全に小間使いになりつつあるというか。

「それで早速だけれど、さっきの話ね。
 士郎、体は大丈夫なの?」

「ああ、全然問題ないぞ」

「全然?」

「ああ。気持ち悪さも、体に残ってた痛みもきれいさっぱり消えてる」

「ふぅん、そう……」

 士郎の返答を聞き、凛は考え込む様子を見せる。
 そうして顔を上げ、また士郎と向き合う。

「スイッチの感覚は掴めた?」

「ああ、なんとなくだけど」

「それじゃ、これ強化してもらえる?」

 そういってすぐ横からランプを取り出す。
 ……いつ持ってきてたんだ?

「わかった」

 士郎は渡されたランプを両手で挟むように持ち、目を瞑る。
 途端に部屋の中が静まり返る。

「――――同調開始」

 居間に士郎だけの、衛宮士郎だけが持つ呪文が響く。
 途端にその体に魔力が生成されていくのがわかった。

「――――構成材質、解明」

 吹き出た魔力がランプの中を探査していく。これが魔力行使を察知するということなのか。
 とはいっても目に見えているわけではなく、セイバーの感覚が周囲の空気中の魔素を把握している。

「――――構成材質、補……」

 呪文の途中で、ぱきゃ、とランプのガラス部分が高い音を残して砕け散った。
 解析しなければわからないが、おそらくは魔力の流し込みすぎだろう。俺もガラスなんかはあっさり強化に失敗していたしな。

「ごめん、失敗だ」

 机の上には粉々に砕けたガラスの破片。
 とりあえず用意しておいたちりとりでまとめ、スーパーの袋に入れておく。

「うーん、やっぱり宝石で無理矢理開いたのがまずかった?
 でも、異常はないんでしょ? 回路の問題かしら」

 凛が顎に手を当て考え込み、それを受けて士郎は罰が悪そうに頭をかく。

「ああ、いや。
 実は強化なんてここのところ一回しか成功してないから、これが順当な結果というか」

「……ってことは何? 衛宮くんの強化魔術は『まず成功しない』?」

「む。まぁ、そう言われると辛いんだけどさ」

「それで、スイッチは確認できたわけ?」

「あ、うん。慣れは必要だと思うけど、とりあえずは問題なさそうだ。
 ……って遠坂? 何か怒ってないか?」

「――――」

「遠坂?」

「当ったり前でしょう! 強化しか使えないって聞いていたけど強化も満足に使えないんじゃ役立たずもいいとこじゃない!!」

 咄嗟に耳を押さえるが、少し遅かったようだ。
 凛の大声が、耳にキーンときた。

「う、すまん」

「……はぁ、いいわ。元々そんなに期待してたわけじゃないから。
 それで、んーっと、ちょっとアルト」

「はい?」

「士郎のことさっきみたいに触ってみて」

「わかりました」

「ちょっ、何をする気なんだ?」

「いいからあんたはおとなしくしてなさい!!」

「……」

 「いいわ」なんて言っておいて結構頭にきてるみたいだ。
 士郎なんか完全にその怒気に気圧されてる。
 ともかく、あんまり時間をかけるのも何だからさっさと済ませてしまおう。

「それでは失礼します」

 士郎のシャツを無造作に捲って、その中に手を突っ込む。
 俺の手が冷たかったのか、触れた途端に士郎の体がびくりと震えた。

「ななな、なー!?」

「衛宮くん、どう?」

「え? ど、どうって、ああ。
 ――――そうだな、なんだか、あたたかく包まれるっていうか。表現しにくいんだけど、いやな感じはしない」

「ふむ……」

 またも顎に手を当てて考え込む凛。

「何か分かったのですか?」

「…………さっぱりね。何が反応してるのかもわかんないし。士郎とアルトの間に何かあるぐらいしか。
 はい、んじゃ、次リア」

「では」

 リアも俺に倣って士郎の胸に手を当てる。

「どう?」

「うん……アルトの時ほどじゃないけど、やっぱり同じような感覚が」

「んー、ほんと、どういうことかしら?
 サーヴァントのリアよりもアルトの時のほうがその傾向が強いってのがわからない」

「へ? 何のことだ?」

「解剖でもしてみれば色々わかるかもしれないけど、流石にそれをするわけにもいかないし。
 とりあえずは害もないようだから、保留ってところかしらね」

「「そうですね」」

「よし。それじゃ、そろそろいい時間だし寝ましょうか」

「はい」



「へ? なぁ、遠坂? ちょっと待てって。
 リア? アルト!? 俺、何のことなのかさっぱりわかんないんだけど――――」

 ああ、今日は満月だったのか。
 そんなことを考えながら自分の寝泊りしている部屋に向かう俺たちを他所に、士郎は居間でめくれ上がったシャツをそのままに呆然としていた。





[7933] 七日目【1】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/23 20:53


 振るわれる褐色の豪腕。
 おぞましいほどの速度で己に迫る斧剣。
 それに魔力を起爆剤にして、真っ向から打ち合う。

 体からはこれでもかというほど魔力を引き出し迎撃しているというのに、打ち勝つことはおろか、剣を握る手が麻痺してきてしまう。
 歴代の英雄たちと戦うようになった今も単純な白兵戦で競り負けるということはそうなかった。
 その自分が、相手の圧倒的な力に押されている。
 かといってその動きが鈍重かといえば、そうではない。
 巨体にそぐわぬその威力と、巨体に似合わぬ身のこなし。
 目の前の狂戦士は。例え自分が万全の状態で戦ったとしても、苦戦するであろう。

 できることならば一人の騎士として万全な状態で戦いたい。
 だが、ここで退くわけにはいかない。
 自分はマスターの剣。
 サーヴァントとして、我がマスターをなんとしても聖杯へと導かなければならない。

 またも振るわれる斧剣。
 技巧もなく、練武されたわけでもない。だが、それは紛れも無い必殺。
 まともに受けてしまえば、人はもちろん、サーヴァントさえも一撃で砕け散るだろうその威力。
 魔力を腕に通し圧縮、剣を打ち返す。
 軌道は逸らせたが打ち負ける。体が後方に流れる。両の手が痺れる。
 視界に入る斧剣を打ち負かすべく剣を返す。
 敵の剣の勢いは衰えない。
 もちろん体勢を崩した状態で放つこちらの剣が、相手の上をいくわけもない。

 打ち合いの衝撃が胸の傷を開かせる。
 サーヴァントの再生能力をも遅延させる呪い。
 それがこの苦戦に拍車をかけていた。
 剣戟を繰り返す度、悪くなっていく戦況。
 圧倒的な一撃を受け続け、足が地に沈んでいく。

「駄目だ……逃げろ! セイバー!!」

 マスターの声が聞こえる。 
 直後、横に一閃。
 衝撃を殺せずに地に伏す。
 腹部からは灼熱。

 暗転。
 私の手から意識が離れていく。




   (くっ!!)

    セイバーは無意識のうちに立ち上がる。
    腹部と胸部が立ち上がった振動の余波で痛み、思わず俺は心の中でうめく。

    俺はセイバーの感覚を共有していた。
    視点の持ち主であるセイバーを守るようにあがこうとするが、体はぴくりとも動かない。
    動画を見せられるように場面が流れていき、体は勝手に動いていく。

    セイバーの思考が俺に流れ込み、しまいには俺の考えなのか、セイバーの考えなのかわからなくなってくる。
    加えて、体に流れる魔力、かかる負担、力み、痛覚。
    自分で動かすことができないものの、すべてが身に起こったことのようで、これは現実的なんて言葉じゃ生ぬるい。
    ……そう、今まさに俺は、夢の中でセイバーの過去を体感していた。

    この体感夢の始まりは昨日。
    夢はランサー戦から始まった。
    魔力を上乗せした剣撃で迫る槍を打ち落とし、攻撃を見事な体捌きで避ける。

    そして、「刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)」。
    胸に迫る悪寒。咄嗟に空中で体を入れ替えるセイバー。的中しなかったセイバーに驚嘆し、立ち去るランサー。
    俺の思惑とは裏腹に記憶どおりに進んでいく。
    セイバーが『俺』との話を一方的に打ち切り、門を出て行ったところで双剣を構えたアーチャーを斬り伏せて目が覚めた。
    ……俺の時とは違って『あっち』のアーチャーはやっぱり無防備だったのだけど。

    これを思い出したのは今日の夢を見始めた直後。

    明らかに俺の記憶じゃない。
    アーチャーを斬り伏せた状況なんて、その場にいなかった俺が知るわけがない。
    セイバーの考えなんて俺が知る由もないし、その考えが夢に出てくるなんてありえない。


「いいわよ、バーサーカー。そいつ、再生するから首をはねてから犯しなさい」

 迫るバーサーカー。

 私としたことが、寸閑、気を失っていたようだ。
 剣を何とか握りなおす。
 だが、魔力は体の補修にかかっていて引出せる状態ではない。

 横に払おうとする、剣というには無骨すぎる剣。
 狙いは私の首。

「こ――――のぉおお…………!!」

 “誰か”が狂戦士と私の間に立ちふさがった。
 小気味の悪い音とともに、私の顔に降りかかる赤の飛沫。
 ゆっくりと倒れていく“誰か”。

 ……何故、あなたがここにいて、腹部を“無”くしているのか。

「が――はっ! ――あ、れ」

 シロウが、何故マスターがサーヴァントである私をかばっているのか。
 ――――わからない。

「そうか。なんて、間抜け」

 そういってシロウは血を吐いた。
 白い少女が何事か喋って、巨体とともに帰っていく。

 頭を振って考えを改める。

 シロウは、マスターは大丈夫なのか!?

 ふらつきながら、シロウの横に向かう。リンもこちらに駆けつけていた。
 辿り着いたところで、横たわったシロウの目蓋がゆっくりと閉じていく。閉じられるまでに見た彼の瞳は、じわりと濁り始めていた。
 地面はシロウを中心に、花が開いたように赤黒さがぶちまけられている。

 これは、あまりに酷すぎる……。
 腹部がごっそりと持っていかれていて、中身が周囲に散らばっている。
 これほど臓器を破壊されていては、それこそ名の知れたメイガスでも修復は不可能ではないのか。


   (本当に、こんな傷から治るのか……?)

    目の前の『俺』は腹部をかなり失っており、もう少しで下半身と上半身が分断されそうだ。
    俺がこうしている以上、この場で命が絶たれるということはない筈だ。だけど、この状況を見ればわかる。
    いくら魔術があろうとも、『助かるほうがおかしい』。


「リン! シロウを治すことはできますか!?」

「――――無理、ね。
 ここまでだと流石に……。一応治療の魔術はかけてみるけど、期待は……」

「お願いします」

 リンが詠唱をはじめ、左腕が淡く輝いていく。
 魔力が指向性を与えられ、シロウへと注がれていく。

「――――Anfang. Wiederherstellung des ……」

 ぼんやりとした魔力の光が傷口へと集まっていく。


   (なんだ? 傷口から見えるものは、鉄、なのか?)

    傷口に隠れるようにして鈍く煌めくもの。
    それは確かに金属の光沢を放っている。


 傷がなんともいえない動きをして治っていく。
 これならば、シロウは助かるかもしれない!


   (セイバーには見えていないのか……?)

    視界を共有している筈のだが、彼女の思考には金属に関しての一切が混ざらない。


 しばらくするとリンの呪文が止んだ。
 不思議に思い、彼女に問いかける。

「リン、どうしたのですか? 早く治癒しなければ……」

「これ、どういうこと」

「なに、を……」

 リンの視線の先――シロウの傷口を見る。
 呪文の詠唱は既に止まっている。だというのに傷口が勝手に動き、他の部分とを繋げていく。
 もしや自分に蘇生魔術でも掛けていたのか。しかし、傷の治療などは出来ないと彼は言っていた。
 いったい、シロウはどうなっているのだろうか……。


   (っ!)

    感覚がセイバーから切り離されていく。
    夢が終わるのだろう。


「リンが……治、の魔術……のでは……か?」

「い、ら私……できな……」






 ――目が、覚める。
 おもむろに時計に目をやると午前四時をちょっと過ぎたところ。

 あれ?
 何か夢を見ていたと思っていたんだけど……。

 思い出そうと頭に残っている記憶の断片を必死で掘り起こすが、もう少しというところでぼやけてしまう。
 両手ですくった砂を何とかその手に留めようとするけど、指の間から零れ落ちるように。
 時間が経つにつれて薄れていって、次第に見失う。

 ……駄目だ。
 何かが引っかかるけど、それがわからない。

 俺は未だはっきりしない頭を振りながら、顔を洗うために洗面所に向かった。




 洗面所の扉を開けると、そこには既に先客がいた。

「凛?」

「……あー、アルト?」

 凛も顔を洗っていたらしい。
 洗顔時に水が撥ねたのか、髪の数房が濡れて顔にくっついている。
 もちろん髪は結わっていない。

「どうしたのですか? 凛がこんな時間に起きているなんて珍しいですね」

 俺たち四人の中でも凛が一番起きるの遅いんだよな。
 まぁ、それでも学校に向かうには充分な時間なんだけどさ。

「ん~、どうも夢を見ていたらしいんだけど思い出せないのよね。
 寝なおそうと思ってたんだけど、なんだかすっきりしなくて」

「そうなのですか? 実は私も夢を見たようなのですが、思い出せなくて……」

 半目のまま考えに耽る凛。

「――――へえ、サーヴァントは夢を見ないっていうけど。
 あー、サーヴァントとマスターのラインが繋がって夢を見ることもあるらしいから、もしかしたら同じ夢を見ていたのかもしれないわね」

 そっか。凛の夢を共有して見ていたのかな?
 ……う~ん、でもなんか違う気がするんだけど。
 元々俺は夢を見るほうじゃないから自信はないけどさ。

「そうですね。そうかもしれませんね」

「まー、思い出せないんじゃ確認のしようもないか
 あ、アルトも顔洗うの?」

「はい、そのつもりで来ました」

「それじゃ、私は顔洗ったら頭もすっきりしたし、寝なおすわ」

「わかりました。凛、お休みなさい」

「はい、おやすみ。あ、今日は結界消すために学校に行くから。
 いつでも動けるようにお願いねー」

「はい。それでは」

 それだけ言って凛は離れへと足を向けた。
 すっきりしたという割には幽鬼のようにゆらゆらと、気配を残さず立ち去って行った。

 今からまた寝なおすっていうのもあれだし、朝食の当番は俺じゃないから調理で時間も潰せそうにない。
 本当はやってしまいたいんだけど、一応順番決まってるから無視は出来ない。
 リアに倣って道場で精神統一でもしていようか。

 そんなことを考えながら、冷水で顔を洗う。
 春というにはまだ早い二月の朝の冷たい水で、頭はこれ以上ないくらいにすっきりした。
 洗い終わる頃には、引っかかっていた夢のことなどは完全に忘却していた。







[7933] 七日目【2】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/27 01:37


◆◆◆


 俺が思うに朝食とは、一日の活力を得ると共に、ゆったりと摂って心身ともに豊かにするべきものである。
 反して、この頃の我が家の食卓は争乱の一途を辿っている気がしてならない。
 いや、改めて言うまでもなく辿っている。

 普段はそれは静かなものだ。
 作り手に対する感嘆や、料理の感想などはところどころで漏れるとしても、それはきっと大抵の家庭で行われていることだろう。

 問題は、食事時になるとばたばたという音とともに現れる藤ねえだ。
 ――そこから食卓が加速する。
 手間をかけてこしらえた料理がものすごい速度で消費されていく。
 ほら。今出したばっかりの煮物が、あっという間に目の前で“消”えていった。

 その速度を生み出しているのはもちろん藤ねえ、それにリアにアルト。
 藤ねえが他の人のことを考えないで次々におかずを口に入れていくものだから、リアとアルトが触発されて箸を伸ばす。
 それを見た藤ねえの目が光り、何故か対抗心を燃やしてさらに速度を上げていく。
 全て取られるわけにはいかないとリアとアルトがまた箸を伸ばす。
 そしたらまた藤ねえが……というように互いに触発されて大規模な争いに発展していく。
 その様はまるで『取らねば何も食えない大家族』のようなもので、見てるこちらとしては微笑ましいのか、どうなのか。

 ただ、うちの財政が思った以上に芳しくないのは間違いない。
 このままじゃ今月越せないかもしれないなぁ……。


 俺は、大皿料理という戦場から遠坂と共に離脱し、ゆっくりと食事を摂る。
 流石にあの中に割って入っていく気にはなれなかった。
 ……お、今日の味噌汁は良く出来てるな。


 ちなみに昨日の夜、リアたちが俺の胸に手を当てていた理由は、後でリアから聞いた。
 聞いて何が起こっていたのかっていうのは理解したんだけど、結局何故それが起こったのか、なんてのはわからない。
 ただ、遠坂は「そんな不確かなものを頼っていたんじゃ命がいくつあっても足りないわ」だそうで、当面は放っておくという形になった。
 害があるというわけでもないようだし、それどころか役に立ってくれる……かもしれないしな。
 それにしても、昨夜感じた暖かさって見に覚えがあるんだけど、いつ感じたんだったっけか?

「ねえ、士郎……」

 俺が思考に沈んでいると遠坂が話しかけてきた。
 だけど、呼びかけてきた割にはこちらに顔を向けてはいない。
 眉根を寄せ、その顔は不機嫌そうに歪んでいる。

 何事かと遠坂の視線を追っていくと、その先にはテレビの画面。
 ニュース番組が流れていて、テロップには『冬木町で女性ばかりの行方不明、その数9人』と書かれていた。
 画面ではリポーターが見覚えのある風景をバックに、うちの学校の制服を着た女生徒に話しかけている。

 聖杯戦争が行われている冬木の町で、あまりに不自然な女性の失踪。
 連鎖するように思い起こされるのは先日の一家惨殺事件に、集団昏睡事件。
 知らず咽喉が鳴る。
 このごろの冬木の町はおかしい。いくらなんでも事件が多すぎる。

「遠坂、これってもしかして」

「どうやらそのようね」

 やっぱりそうか。頼りにするわけじゃないけど、遠坂が言うなら間違いないだろう。
 ニュースを見る限り行方不明になったのは三日前から集中しているようだ。間違いなくサーヴァントの仕業だ。
 一家惨殺事件から人死は起きていないけど、いまだに9人の内、誰も見つかっていない所をみると……。

「……なんとかしないとな」

 俺がそう呟くと同時に速報が入ったらしく、ニュースキャスターに原稿が渡されるのが見えた。

『只今入った情報によりますと、この事件での新たな行方不明者が出た模様です。
 新たな行方不明者は5人。調査中のため、同一事件なのかは今のところわかりませんが、行方不明者は14人にのぼります』

 ニュースキャスターは記事を機械的に繰り返し読み上げる。

 ぎり、と歯が鳴る音。ふと見れば、手のひらは爪が食い込んで白くなっていた。
 知らずに力を入れていたようだ。

「とりあえずは学校からだからね」

 遠坂がそんな俺の様子を見て念を押してくる。

「――――ああ、わかってるさ」

 今日の予定は学校の結界潰し。
 遠坂の見立てだとあと数日で完成してしまうらしいので、率先的に学校の結界を排除することになっている。
 ニュースのやつにしろ、学校に結界を張ったやつにしろ、他人をなんとも思っていないのだろうか。
 自分の願いを叶えるためとはいえ、人をないがしろにしていいという道理はない。

「ふぃー、ごっちゃんです」

 どこぞの相撲取りよろしく、妙にくぐもったそんな声に思考が中断された。
 ふい、とそちらをみると机の上を汁やら野菜屑やらでめちゃくちゃにして藤ねえが満足そうに腹を叩いていた。

「「ごちそうさまでした」」

 横ではこちらも満足したのか、すっかり落ち着いたリアとアルトが背筋を伸ばしていた。
 ただリアは左頬、アルトは口元に米粒がついていてすまし顔が台無しだ。

「――っく」

「「?」」

 ついつい忍び笑いが漏れる。まだ自分の顔についた米粒に気づいてないリアとアルト。
 二人して首を傾げて俺を不思議そうに見るので、俺が自分の左頬と口元を指差してやると、先にアルトが気づいて手を当て真っ赤になり、リアにも教えてあげていた。

「それじゃ、お姉ちゃんは先に行ってるね~。
 遅刻したら怒っちゃうんだからぁ~」

 食後のお茶を一杯飲んだ後、藤ねえはそれだけ言い残し、というかドップラー効果を残したまま走り去っていった。
 大人として決して褒められた行為ではないけど、そんないつもと変わらぬ藤ねえに、凝り固まっていた頭がこの短い間でほぐれていくのが感じ取れた。




 リアとアルトの見送りを受けて家を出る。
 二人には家で留守番してもらって、何かあったときにすぐ来れるように待機してもらっている。
 余談だが、アルトはようやく遠坂の許しが出たらしいので、今日はいつもの白のブラウスに藍のタイトスカートを穿いていた。
 リアとの見分けもつきやすいし、似合ってるからあの格好でもよかったと思うんだけどな。

 それはそれとして、時計を見るといつも登校する時間より十五分くらい早い。
 その所為か空気が澄んでいて、こころなし寒く感じる。
 ふと、すずめの鳴き声が聞こえてきた。見上げると電線の上にすずめが留まっている。
 まだ生徒が多い時間でもないので、生徒たちもまばらにしかおらず、空気がゆっくり流れているように感じる。
 このところ平和とは程遠いところにいたものだから、こういう時間は本当に貴重だと思うようになった。

 遠坂と横に並んで学校に向かう。隣には、澄ました顔の遠坂。
 ――こんな状況、一年前の俺は考えもしなかった。
 完全無欠のお嬢様だと思っていた遠坂が思っていたより付き合いやすい奴だとか、嘘とはいえその遠坂と付き合っているなんてことが予想できる筈もない。
 実際、先日だって遠坂があんな提案をしてくるなんて微塵にも思ってなかったしな。

 いやいや、何考えてるんだ、俺は。
 同盟を組み、協力するって上でこういう状況になっているんだから、こんなこと考えること自体が遠坂に対して失礼だ。
 遠坂だってそんなつもりは毛頭ないだろうし。

「何? 何か顔についてる?」

 そう言って手鏡を取り出してチェックする遠坂。
 知らず、遠坂の顔を見つめていたみたいだ。それに遅れて気づき、何とか取り繕おうと口を開く。

「い、いや、何もついてないぞ」

「それじゃ何で私の顔なんか……ははーん」

 うわ、なんだその『ははーん』ってのは。
 何か企んでいるんじゃないだろな?

「な、なんだよ?」

「そうだよねー、私たち恋人同士だしねー」

「な、何言ってんだ!? それは一緒にいるのに理由が必要だからってことで……」

「……あんたねぇ、人に訊かれてそんな風に答えないでよ?」

「う、わ、わかってる。学校ではちゃんとやるからそんなに心配しなくても大丈夫だ」

「はぁ。ま、そもそも衛宮くんに演技させようってのが無茶なわけだしね」

「む。そりゃ、確かに演技とか苦手だけどそのぐらいならなんとかなる」

 なんとかなるなんて言っておいてあれだけど本当はあまり自信はない。だが無茶なんて言われちゃこちらとしては退くことは出来ない。
 だって、これが本当のため息ですっていうため息つかれて、『できません』なんて言えるわけないじゃないか。
 期限付きとはいえパートナーなんだから、対等に手助けくらいはしてやりたい。

 遠坂が立ち止まって俺の目を見つめてくるから、俺も立ち止まって目を逸らさない。
 十秒も経って、周りに集まってきた生徒の目に気づいて顔が赤くなったころ、遠坂は俺の様子に決心してくれたのか「ふぅ」と息を吐き、

「そ、それじゃお願いね」

 なんて一言だけ残して先に歩いていってしまった。


 そんな遠坂の背中を眺めて、対策を取っておかなければならなかったことに気がつく。
 すっかり失念していたけど、付き合うという噂が流れた次の日に二人して休んでいたことについてを一切考えてなかった。

「どうしようか……」

 駄目だ、いい言い訳が思いつかない。このままではそうこうしているうちに学校についてしまう。
 ……こうなったら、みんなが忘れてくれてることを祈っていよう。







[7933] 七日目【3】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:ab66ab93
Date: 2010/08/27 14:14


 通学路を学校に向かって進んでいく。
 毎朝同じ道を歩いているっていうのに、今朝は違和感ばかりが付きまとう。

 原因はわかってるんだ。
 俺と遠坂の周りに生徒が極端に少ない。
 この時間にもなると朝錬の生徒が登校しているから学校付近では生徒たちの列が続く。
 だというのに、俺たちを中心にクレーターができたように人がいないのだ。

 外側からかなりの数の視線を受けて、緊張で体が硬くなってしまっているのがわかる。
 やっぱり隣に遠坂がいるからなのだろう。その遠坂もやはりいつもと勝手が違うのか、どこか居心地悪そうにしながら横を歩いている。

 それにしてもこの時間、友達同士で誰かしら談笑しているものなんだけど、いつものような生徒たちの喧騒がない。
 何があったのか。そんな疑問についてを考えていると、いつの間にか校門は目の前に迫っていた。

「衛宮くん、結構マズイことになってるのかもしれない」

「マズイこと?」

 遠坂が学校の塀を見ながらそんなことを言ってくる。
 なにがマズイことになっているんだかわからない。訊き返しながら校門をくぐった。

「うっ!?」

 視界が赤く染まり、歪む。泥沼を歩いているような感覚。
 体自体が重いわけじゃない。精神的に疲れきってしまって、体が思うように動かない時のような重さ。

「なんだ、これ……」

「この前、拠点を一つ潰したから後二日くらい余裕があった筈なんだけど……。
 どうも外部から無理矢理魔力を流して結界を作ってるみたいね」

 遠坂が辺りを見回しながら俺にしか聞こえないように小さく呟く。

 遠坂に倣って周りを見ると生徒たちにも活気がない。
 誰も彼もが俯き、視線は地面に向かったままとぼとぼと校舎に向かっている。

「もう結界として成り立ってしまってるのか?」

「それはまだ大丈夫。
 ただ、後ちょっとで起動するだけっていうところまできちゃってるみたい」

「それじゃリアとアルトを呼んだほうが……」

「そうね。学校内には無理だけど、近くで待機していてもらったほうがいいかもしれない。
 とりあえず裏の森に来るようにアルトに言っておくわ」

 そうか、念話だったっけ?
 俺とリアとじゃ出来ないからいまいちどんなものなのかわからないけど、マスターとサーヴァント間では普通に使えるものらしい。
 遠坂とアルトもいくつか不備があったからリアと同じく霊体化できないみたいだけど、それでもしっかり手順を踏んだ召喚だったようだからな。

「私ならこんな昼から仕掛けるなんて馬鹿なことやらないけど、相手が何考えてるかわからないからね」

 それでこの話は終わり、と遠坂は歩き出す。


 少し歩いた所で見知った顔がグラウンドの脇の水道で水を飲んでいた。
 挨拶しようかと近寄ると、相手も俺たちに気づいたみたいだ。そいつは弓道着のままの姿で校庭を歩いてくる。

「や、遠坂に衛宮じゃないか」

「美綴さん、おはよう」

「おはよう」

 瞬時に猫を被った遠坂が挨拶を返す。
 素の遠坂に慣れてしまった俺としては今の遠坂を見るとなんだか背筋が無性に寒くなってしまう。

「ああ、おはよう。
 ところで朝から仲がいいな。やっぱり二人は付き合っているのか?」

「え? あ、いや……、いっ!」

「ええ、彼とは先日からお付き合いさせていただいてます」

 俺の言葉を遮って微笑みながら答える遠坂。
 そうか、なんて言ってからから笑いながら美綴は俺の肩を叩く。

 遠坂、ちょっと言いよどんだだけで足を思いっきり踏むのはどうかと思うんだが。

「それで、どっちから告白したんだ?」

「「え?」」

 俺と遠坂は反射的に顔を見合わせた。
 美綴は俺と遠坂のその様子を興味津々に見ている。

 そうだ、ちょっと考えれば訊かれるってわかっている事だった。
 なんということか、そこまで打ち合わせていなかった。
 サーヴァントと結界のことへの対処を考えるので一杯一杯だったってのもある。
 目の前の遠坂を見ると、迂闊、なんて言葉がぴったりの表情で考えている。

 そういえば俺、こんな近くで遠坂のこと見つめてるよ。
 うわ、絶対顔が赤くなってるぞ、俺。

 ――――違う、問題は美綴への返答をどうするのかってことだ。

「あー……」

 とりあえず声は出してみたけど、解決にはならない。
 俺からってことにしておいたほうがいいのかもしれない。
 恥っていうつもりはないけど、好きでもない男に告白するなんて汚点、遠坂だってつけたくない筈だ。

「俺が遠坂に」「私が衛宮くんに」

 俺の声に被って声が聞こえた。
 推察するにその発信源は隣。その隣の遠坂は驚いた顔をして俺を見ている。
 きっと俺も遠坂と同じに吃驚した顔で見返しているんだろう。

 なんにせよ、このままだと話が食い違う。
 遠坂の尻馬に乗って話を進めないと。

「いや、遠坂が俺に」「いえ、衛宮くんが私に」

「「~~~っ!」」

 遠坂が顔をぐいっと耳に寄せてくる。
 美綴は俺たちの言動が何かツボに入ったらしく、文字通り腹を抱えて笑っていてこっちを見る余裕もないみたいだ。

「ちょっと士郎。私があんたに合わせようとしているのになんで意見をそうほいほいと変えるわけ?」

 顔を赤くしながらもばつが悪そうに俺にささやきかける。
 こんな事態だっていうのに、その仕草にどきどきしてしまう。

「そんなこと言ったって、俺だって遠坂に合わせようと……」

「あー、もう! そんじゃ私からってことにしておくから。
 士郎もそれで通して、わかった?」

「あ、でも遠坂はそれでいいのか?」

「いいもなにも……」


「おーい、あたしを放って置いて何を話しているんだ?」

 遠坂がそこまで言ったところで美綴に遮られる。
 いつの間にか美綴が復活していたようである。

「あ~あ、遠坂に先を越されちゃったか……
 それで遠坂、約束はどうするんだ?」

「約束?」

「え? いや、それより、さっきの質問は?」

 話の前後が見えない。
 質問に対処しようと遠坂と折り合いをつけたってのにいきなりその質問自体がなくなってしまった。
 そりゃ俺じゃなくたって疑問に思うだろう。

「言いづらいのなら別に言わなくても構わないさ。どうやら衛宮は素の遠坂を知っているみたいだしね。
 本気かどうかってのを知りたかったから訊いたけど、これはいよいよ本物か――ってわかっちゃったからさ」

 なんて、美綴が自己完結してくれた理由を教えてくれた。

 遠坂のやつの顔がボッと赤く染まる。
 あいつがそんな反応すると俺まで赤面しちまうじゃないか、チクショウ。

「ああ、約束ってあれ?」

「そ、あれ」

「……いい、無効にしましょう」

「は? いいの?
 後から言ったってもう聞かないぞ?」

 遠坂に問いかける美綴。その顔はどこか残念そうに見える。
 対する遠坂も心残りがありそうだ。

「ええ。
 ……それに、衛宮くんに失礼でしょ? そういうの」

 約束がなんなのか、あれっていうのが何を指しているのかわからないけど遠坂と美綴は二人で納得したようで笑いあった。
 っていうか俺が関係してるのか? 美綴と遠坂関連で思いつくことなんて何もないんだけど。

「遠坂、あんた変わったね。
 やっぱ、男が出来たからかい?」

「ええ、まぁ。ちょっとばかり事情があってね」

 そう言って遠坂は顔を美綴からふいっと逸らす。
 俺からは後頭しか見えないからどんな顔をしているのかわからないが真っ赤になっていることだろう。
 そういう俺も男っていうのが俺を指しているものだから平静にはいられないんだけどさ。

「それにしても何か用があるんじゃないの?」

「ああ、衛宮に訊きたい事があったんだ。
 間桐の兄妹知らないか?」

「間桐の兄妹って、桜もか!?」

 慎二のやつはわかる。
 あいつだって今回の聖杯戦争のマスターなんだから何か考えがあって家を離れているかもしれないし、俺や遠坂と会うのを避けているのかもしれない。

「ああ、昨日も学校に来てないし、今日の朝練にも出てきてない。
 せめて連絡くらい寄越せばいいのに。こっちから電話かけようにも家は出ないし、あいつら、携帯なんて持っていないしさ」

 慎二のやつも朝練はさぼってたりしてたらしいけど、意味もなく学校を休むやつじゃない。
 連絡もしないってのが気になるけど、マスターだっていうから許容範囲内だ。
 ただ、桜に至っては多少の無理を押しても学校に行こうとするくらい強情者だっていうのにどうしたんだろう?
 そこまで考えてある可能性に思い至る。


 ――――もしかして、連絡しないんじゃなくて、出来ないんじゃないだろうか、と。

 サーヴァント――会った事のあるランサーが、いまだ見ぬ慎二のサーヴァントをあの赤い槍で穿ち殺す。
 予想もしていなかった事態に間桐邸に逃げ込む慎二。そして、それを追うランサー。
 手の届くものを青い男に投げつけるが、もちろんそんなものがサーヴァントに通じるわけもない。
 生き汚い慎二にランサーは嘆息し、槍を放つ。

 胸に迫る赤い槍はそのまま慎二を貫き、その体を壁に縫い付ける。
 その口から漏れる赤い液体。魔槍によって血液の流れが止められ、間もなく慎二の心臓は動きを止める。
 家に居た桜が、槍に貫かれた慎二を見て叫び、駆け寄ってその肩を揺する。
 ランサーは目撃者を残すまいと槍を慎二から引き抜き、その切っ先を桜へ――――


 勝手に頭に流れていく映像を何とか消そうと頭を振る。
 何を考えてるんだ、俺は!
 そんな自分に怒りを俺自身に覚え、奥歯を噛んだ。

 遠坂も似た考えに至ったらしく、そんな考えをした自分に怒るような、それでいて焦ったような複雑な表情を浮かべている。

「衛宮?
 それに遠坂も、どうしたんだ?」

「あ、いや。なんでもない。
 悪いけど、桜のやつこの頃は家に来てないからわからないんだ」

「そっか、悪いね衛宮。
 この頃の事件のこともあるし、明日も休むようならあいつの家に様子を見に行っておいたほうがいいか」

 それはまずい。
 もしかしたら美綴を巻き込んでしまうかもしれない。

「いや、俺が行くよ。
 丁度あいつに用もあるしさ。美綴も部活の主将で大変だろ?」

「それじゃ頼んでいいか?
 なんだかここ数日は調子が悪くてさ、今もなんだか体が重たいんだ」

 美綴はふう、と息を吐き、遠くを見ながら肩を回す。

「綾子、あなたその格好のままでいいの?
 そろそろホームルームが始まるわよ?」

「ああ、そうだった。
 引き止めて悪かったな」

 そういいながらどこか気だるそうに片手を上げ、美綴は弓道場に向かって行った。



「遠坂」

「……ええ。言いたいことはわかってるわ。
 でも、とりあえずはこの結界を何とかしてから」

 そう言って遠坂は唇を噛んだ。
 俺はいつの間に握っていた拳をひらき、力の入れすぎで指の関節が痛みを訴えていることに、今更ながらに気がついた。





[7933] 七日目【4】
Name: 下屋柚◆60cf6a3d ID:aed74653
Date: 2010/10/04 17:26


 登校するまでは果たして遠坂とのことについてどれほど問いただされるのかと一人恐々としていたけれど、予想していたようなことは起こらなかった。
 それどころか意を決して教室に踏み入って挨拶をしてみても気づくのは近くにいた二、三人で、他の生徒は自分の机に縛り付けられたように動かず、ただそこにいるだけだった。
 誰もが他人に感心を寄せるほどの余裕がないらしく、いつもなら騒がしい筈の俺の教室は沈んでいた。

 どうやらこの結界内にいて、あれだけの影響で済んでいた美綴は他の人間に比べて特殊だったらしい。
 あの藤ねえでさえいつものような元気はなく、至極一般の教師みたいな振る舞いしかしなかったほどなのだから、思っていたより事態は深刻なようだ。



 色が褪せてしまったような教室内。
 時計の短針は『12』を回り、もう寸刻もすれば昼のチャイムが鳴るだろう。
 学校の敷地内の空気は重く、たぶん、いや間違いなく朝よりも状況は悪化している。

 ただただ教科書を読み上げる教師の声が響き、生徒たちは誰一人喋ることもなく上の空でいる。
 中途で気分が悪くなったと保健室に向かう生徒も一人ではなく、午前中だけで四人が席を外していた。
 この教室内で異質なのは教卓前で教鞭を執る葛木先生。
 彼は無感なのかと錯覚するくらいに普段と変わりない。美綴と同じであんまり影響を受けないタイプなのだろうか?

 教室を見回してみるが、ところどころに空席が目立つ。保健室に向かった生徒の席と、慎二の席だ。
 慎二はまだ学校に来ていないらしく、あいつの席は朝からずっと空いたままだった。
 連鎖するように、慎二の妹である桜の顔が脳裏に浮かんで、俺は朝のことを思い出していた。


 HRが終わった直後の休み時間を使って、遠坂と二人で桜が在籍している下級生のクラスに確認しに行ったのだが、桜の席は空いていた。
 入り口近くの女子生徒をつかまえて聞いてみるも、美綴の言うとおりに欠席の連絡もなくまだ登校してきていないらしい。

 そこで意外だったのが遠坂の反応だった。
 女子生徒から桜がいないと聞いた時、遠坂は親指の爪を噛み、眉間に皺を寄せて考えに耽っていた。
 いつでも悠然と物事をこなしている遠坂が、あんなにもわかりやすく動揺していた。

 魔術使いの俺と比べるのが失礼なほど魔術師である遠坂。
 桜のことを気の毒に感じるかもしれないとは考えていたが、こうまで心を乱されてしまうだなんて予想していなかった。
 けど、動揺していたのは俺も同じ。
 危険がないように、巻き込まないようにと桜を俺の家から遠ざけたっていうのに、これじゃあ何の為だったのかわからなくなる。

 いや、まだ巻き込まれたと決まったわけじゃない。
 もしかしたら間桐家で流行っている風邪で二人とも欠席しているかもしれないじゃないか。連絡だって忘れているだけなのかもしれない。
 ああ、そうだ。学校の結界を解除したらまず慎二の家に行けばいい。
 病気にかかっているかもしれないから、見舞いがてらに様子を見てこよう。

 だからこそ、この結界騒ぎに早く決着をつけないといけない。この問題が片付かないことには、慎二と桜の様子を見に行くこともできやしない。
 それどころか、放って置けば聖杯戦争とは無関係な学校のみんなが巻き込まれてしまう。それだけは絶対に防がなくちゃならない。


 午前中は生徒がいない弓道場やグラウンドなどの別棟を中心に、放課後は生徒が帰宅、部活で出て行くので教室がある本棟を見て回ると事前に遠坂と決めてある。
 正午を回ろうとしている今、別棟は全て見て回ったのだが、魔方陣は見つかっていない。
 見つからないから焦りが増す。焦りに任せて、数をこなそうと敷地内を走り回る。
 だというのに、成果は一向に上がらない。だから、余計に焦る。見事なまでに悪循環だった。

 こうも気を急かされていたら大事なものを見落としてしまう。
 どうせ授業中は動けない。せいぜい働かせることが出来るのは頭ぐらいのものだ。
 後手に回ってしまっているからこそ、落ち着かなければならない。
 少し冷静になって、結界を仕掛けた相手のマスターの情報を整理してみよう。

 まずはその意図。
 わざわざ人がたくさん集まるところに結界を仕掛けたってことは、そいつの狙いが『たくさんの人』なのだということは簡単に想像がつく。
 遠坂やイリヤは夜だけ――少なくとも戦闘するのは人気がない時間帯や場所と決めて行動しているようだけど、そのマスターはその範疇ではないのだろう。
 夜に発動させても生徒は家に帰っているのだから、目的から考えれば発動のタイミングは昼の筈だ。

 ただ、どうしてもわからないことがある。
 ――魔術は秘匿されるもの。
 それは魔術師の間では暗黙の了解となっている。魔術師相手に良識を求めてはいけないかもしれないのだけど、そんな世界にもルールはある。
 なのに相手は人目につく公共の場で行おうとしている。
 いくら聖杯戦争だからといって、普通の魔術師ならそんな危険を犯さないと思う、のだけれど、俺自身も魔術師とは胸を張って言える訳じゃないから確証はない。

 それに、不可解なことはもう一つ。
 具体的なことはわからないけど、遠坂の話では魔方陣を一つ組むにも、間取りや距離、高さに地脈の流れなどと色々な要素が絡むらしいから、それなりに内部に詳しくないといけない。
 普段から出入り出来る学校関係者でもないと魔術を組み上げるのは無理ではないだろうか、ということだ。
 そうなると学校の関係者でサーヴァントを従えているのは、俺と遠坂、慎二。
 後は、可能性の域を出ないが、キャスターの根城であるという柳洞寺に住んでいる一成ぐらいだろうか。もしくは、まだ見ぬマスターがいるのかもしれない。


「今日はここまでだ」

 その声に思考を中断して顔を上げると、計ったようにスピーカーから鐘の音が流れてきた。
 教卓には教材を纏める葛木先生の姿。こんな時まで時間に正確らしい。
 外的な刺激に生徒たちが反応して不思議そうに周りを見回している。ところどころから「あれ? もう昼か」なんて声が聞こえてくる。

 昼休みは屋上をチェックするついでに、遠坂と一緒に昼食を摂ることを決めてある。
 葛木先生が教室前のドアを開けるのを視界の端に、俺も弁当箱を片手に屋上に向かおうと席を立とうとして――


 一瞬、体中の感覚が消えうせた。


 足から力が抜け、重力に勝てず膝をつく。体が鉛のように重い。
 胃が勝手に蠢き、嘔吐感が体中を満たす。その所為で呼吸が侭ならない。
 背中は冷や汗で濡れ、額には脂汗が噴きだしている。

 そして、赤い。
 目に見えるもの全てが赤で染まっている。


 傾いていく視界の中、席に着いていた生徒がみな床に倒れていくのが見えた。
 教室前のドアでは、先ほどまでは何事もないように振舞っていたあの葛木先生もが膝をついている。

 ――――結界が発動して、しまった?

 ゆっくりと床が迫る。いや、倒れ掛かっているのは俺?
 体の中から活力が抜け落ちていくようだ。いや、これこそがこの結界の効力なのだろう。
 駄目だ。ここで倒れるわけにはいかない。ここで動かず、いつ動くというんだ。

「同調、開始――」

 魔術回路を起動させ、魔力を生成。体の中で循環させ、外からの略奪を僅かながら阻害させる。
 スイッチという概念がなければ、この環境に俺は集中しきれず、回路の起動に失敗して激痛にのた打ち回っていたことだろう。

 緩和されているとはいえ、結界の影響を受けていないわけではない。
 気力を奮って立ち上がり、ドアを開け放って廊下へ転がり出た。


 すると途端に、礼呪が刻まれている左手が疼きだす。
 お前にとっての脅威が、すぐ近くに潜んでいると痛みで危険を知らせている。
 位置までは掴めない。だが、ともかくここにいてはマズい。
 その直感の赴くままに、形振り構わずに全力で左へ跳んだ。

 ヅガッ、と硬質な音が背後から耳に届く。
 廊下を転がって反動で体を起こして向き直ると、今しがたまでいたところに銀色の馬鹿でかい釘が刺さっていた。

「はん、なんで今のが衛宮ごときに避けられるかな」

 聞き覚えのある声が廊下に響く。
 それは慣れ親しんだ声だった。聞き間違えようもない。

「――慎二!」

「不意をついたのに丸腰のマスターの一人も捕らえられないのかよ。
 サーヴァントっていっても所詮ライダーってことか」

 慎二は俺の言葉が聞こえてなかったように無視し、ひとりごちる。

「もしかして、この結界を作ったのは――」

「はっ、いくら馬鹿なお前でも流石にわかっただろ?
 間違いなく僕、この間桐慎二さ!」

 慎二は高らかにそう告げる。
 精神が高揚しているようでさっきから絶えずにやけている。

「一刻も早く作りたかったんだけど、ライダーのやつが魔力が足りない、なんて言うものだから他からわざわざ持ってきたんだ。
 まったく、僕まで要らぬ苦労をさせられたよ」

 釘が直結している鎖に引かれ、じゃらじゃらと音を立てて持ち主の手に戻る。
 あまりにでかすぎるソレは最早短剣と呼んでいい代物。
 手にするは女性。紫のロングヘア、俺よりも高いその長身。
 そしてその身に纏う死の気配。

 危険、危険、危険危険危険――――

 頭の中で警鐘がうるさく鳴り響いている。本能が必死に訴えてくる。
 アレは相手すべきモノではない、と。
 アレとの間に戦闘は成り立たず、一方的に殺されるだけだと。

「……ちょっとまて。
 他から『持ってきた』、だって?」

「ああ、衛宮はニュース見てないのか?
 確か『冬木の町で女性ばかりの行方不明者、その数16人』だったっけな? ……あ、まだ2人届けられてないらしいから『14人』か。
 笑っちゃうよな、14人も同じ町から、それもこんな短期間に行方不明者が出るはずないじゃないか」

 そう言って笑う慎二。手でライダーを下がらせて、一歩前に進み出てきた。
 あいつ自身は隙だらけだけど、その後にいるライダーが警戒を緩めない。

 慎二は違うと言っていたから除外していたが、慎二は先ほどの条件に見事に合致していた。
 学校関係者で、マスター。やはり、という思いがまったくなかったといわれればウソになる。
 それでも、疑いたくなんてなかったのに。

 ただ、今俺にわかっていることは人を殺した慎二を俺は許すわけにはいかないってことだけ。
 だけどその前に慎二に確認しておかなければならないことがある。

「桜は、無事なのか?」

「は! 自分の命が危ないっていうのにあんなやつの心配か。とことん甘ちゃんだな、衛宮は」

「質問に答えろ、慎二」

「お前が僕に命令するのか? ふざけるなよな。
 衛宮。お前さ、自分の立場わかってるのかよ?」

 俺の言葉に慎二は露骨に顔を歪め、不機嫌を全身で表した。舌打ちをして、唇を噛み、俺を見下している。

「ああ――桜のことだったっけ」

 だが、何か思いついたらしく、うって変わって歪んだ笑みを浮かべた。
 それを視界に入れた途端に、ぞくり、と俺の背筋に悪寒が走る。


「安心しろよ、今頃は家で疲れて寝てるんじゃないか?
 は、ははははは! 嫌になるほど犯してやったからな。
 泣いてばっかでうざったいんだよ、あの役立たず!!」


「――ぁ?」

 感情の猛りの余り、まず目の前が真っ白に染まった。
 ――――俺の耳は、おかしくなってしまったのか。

「衛宮、お前がもう来なくていいって言ったらしいじゃないか。
 あいつの態度に僕もいらいらしてたんだ! なにかある度に先輩、先輩ってめそめそとさぁ!」

「…………」

 言葉の意味を、脳が認識してしまう。
 反射的にガチリ、と再び頭に響く撃鉄の音。
 熱い、体中の血が沸騰しているようだ。


「そういえば組み敷いてやっている最中もお前のこと必死に呼んでたな。
 うるさいから殴って黙らせてやったけどさ!」

「…………」

 もう限界だった。視界が赤く染まる。
 もちろんそれは結界の作用なんかではなく――

「どうせ衛宮も遠坂とよろしくやってんだろ。
 遠坂がこの僕を振るくらいだから相当なテク持ってるんだろうさ。はん、衛宮もやることやってんじゃないか」

「もう、いい。お前は黙れ」

 ――溢れるほどの怒りで。


 瞬間、駆ける。爆発したように体が弾ける。
 両足のところどころからブチッブチッと何かが切れたような振動が伝わる。
 慎二までは十メートルほど。知らずのうちの魔力強化で、その距離を一足で半分に縮めてみせたその反動か。

「なっ! ライダー、衛宮を止めろ!」

 慎二が何か言っているようだけど聞こえない。
 俺の耳には届かない。

 ライダーだという女が俺を狙って釘剣を投げるが、体を前傾に倒して下に避ける。その勢いで踏み込み、更に加速する。
 慎二は動けない。あいつには逃げる間も与えてやらない。

 まさかそこから加速するとは思っていなかったのか、サーヴァントの動きが一瞬止まる。
 すぐさま立ち直って鎖を操り、凄い速度で俺に迫っていた。思い切り振りかぶった右腕に鎖が絡みつく。

「がっ!」

 鈍い音と短い悲鳴、俺の拳に衝撃を残して、慎二が吹き飛んだ。
 俺の拳を避けることも、防ぐこともできずに顔に受け、廊下を派手にもんどりうって、うつ伏せに倒れた。

 それより一瞬遅く鎖が巻き取られ、殴った方の腕が固定される。
 鉄の光沢を放つ釘が生き物のように動く。咄嗟にライダーと距離を開けようとして後退を試みるが、できなかった。

「なん――!?」

 既に左の二の腕に釘が突き刺さっていて、俺の体は無理矢理引っ張られていた。
 腕を貫通して、釘の先端が逆側から覗いている。鎖に巻き取られ、宙を舞い、そのままものすごい力で床に叩きつけられる。
 思い出したように痛みが左腕に走っていく。

「っぁ!」

 肺から空気が漏れる。背中を打って呼吸ができない。
 貫かれた腕が痛い、熱い。

「ライダー! 衛宮を宙吊りにしろ!!」

 慎二がいつの間にか立ち上がり、口元を制服の袖で拭っていた。
 鼻血で口の周りが真っ赤になり、その表情は憎悪に染められている。

「ぐ――ぎ、あ!?」

 鎖がジャラジャラと鳴り、俺の体が持ち上がっていく。体重が左腕一点にかかり、あまりの痛みに俺は悲鳴を上げていた。
 右手で釘を抜こうとするが鎖で絞められていて上手くいかず、せめて痛みを和らげようと鎖を持って体重を支える。

 いつの間にか逆側の釘は天井を貫き、俺の体を宙にぶら下げている。
 ライダーらしいサーヴァントは、歩み寄ってくる慎二の後方で控えているだけだ。

「知り合いのよしみで楽に殺してやろうかと思ったけど、やめだ」

 振りかぶった慎二の拳が、無防備な俺の腹に打ち込まれる。

「つぁっ……!」

 痛い。半端じゃなく、痛い。
 腕が、千切れる……!!

 衝撃で右手が緩み、左腕に体重がかかる。
 痛みにこらえながら、必死で右腕に力を入れて自重を殺す。

「僕はお前のことが前から気に喰わなかったんだ!」

「ぎっ……!?」

 しかし持ち直す前に鈍い音が響き、慎二の拳がわき腹に突き刺さる。
 体が揺れ、振動で左腕が軋みを上げる。

「遠坂のやつもなんでお前なんだ!
 僕がこいつなんかに劣っている所なんて一つもない!」

「……っ!」

 慎二の蹴りが鳩尾に入る。
 呼吸ができない。胃液が逆流する。


「――そんな考えをしてる時点で、あんたはどうしようもなく士郎に劣ってるわ」

「……と、おさかっ!」

 廊下の先には、遠坂。慎二の後ろから駆けて来たので接近に気づかなかった。
 階段から降りてきたっていうことはどうやら屋上で俺を待っていたようだった。

 俺を一目見やって慎二と対峙する。

「ようやくお出ましか。
 待っていたよ、遠坂」

 遠坂と慎二の距離は目測で十五メートル足らず。
 ライダーは慎二の横で控えている。

「あら、間桐くん、ちょっと見ない間に随分と男前な顔になったじゃない」

「――――っ!
 ……はっ、僕は寛容だからね、多少の暴言には目を瞑ろう」

 そう言って慎二は鼻血を拭う。

「で、遠坂。僕は君に同盟を申し込みたい。
 この状況をみてわかるように衛宮みたいな弱い奴と組むより僕と組んだほうが有益だと思うだろう?」

「――――」

 遠坂は答えない。慎二を睨みつけたままその口は閉ざされている。

「ああ、そうか。僕を蔑ろにしたと思って気が引けてるのかい?
 君も事情があったんだろう? 衛宮のやつに付きまとわれてたとかさ」

「――――」

「僕がここまで下手に出るなんて初めてかもしれない。
 遠坂、君は本当に運がいいよ!」

 はぁ、と一つ息を吐き、遠坂は慎二を見下した。

「――――悪いけど、間桐くん、私あなたと組む気は毛頭ないわ。
 そして私はこれからもあなたと組む気になることはありえない」

 決定的な拒絶。
 あまりのはっきりした遠坂の物言いに慎二は言葉を返すことも出来ない。

「だって勝率を上げてくれるならともかく……わざわざ下げる相手と組むわけないでしょう?」

「――は、ははは」

 慎二の乾いた笑い声だけが俺たち以外誰もいない廊下に響く。

「……わかった。
 ライダー、衛宮を殺せ。窓から放り投げれば充分だろう」

「わかりました、マスター」

「士郎っ!」

 どうなったのか、次の瞬間には窓ガラスを突き破って俺は空中に投げ出されていた。
 いつの間にか左腕から釘が抜かれていて、血を撒き散らしている。
 校舎側を見ると、遠坂が凄い形相で俺の名前を叫んでいる姿が目に入った。





[7933] 七日目【5】
Name: 下屋柚◆26967502 ID:aed74653
Date: 2010/12/23 10:12


◇◇◇

 士郎と凛が学校へ行ってすぐにリアと俺は念話で呼び出され、朝から共に学校付近の林に待機していた。
 木の幹に背を預け自分が座るその隣では、リアが顔をしかめて同じように座っている。先ほどまではぽつぽつと会話をしていたが、今は会話もない。二人黙って校舎を眺めるだけだ。
 そんな俺たちの元に、校舎からは昼休みを知らせる鐘の音が響いてくる。

 そもそも、何でリアはそんな渋い顔をしているのか。今、鐘の音を聞いてようやく理解する。
 ああ、腹が減っていたんだなと。
 それに思い当たると、急に俺もお腹が減ってきた気がした。

 一応、こんなこともあろうかと弁当を作ってある。弁当とは名ばかりで、呼び出されてから時間もなかったからおにぎりを三つずつだけど。
 士郎に借りた手提げからおにぎりを包んでいるアルミホイルを取り出して、リアへ向かって差し出した。

「リア。そろそろ昼食の時間です。
 急いでいたのでこれだけですが、どうぞ」

「ああ! 助かります。ありがとう……アルト」

 リアは俺の手の上にあるそれを両手でしっかりと受け取り、赤ん坊を抱くように胸に抱いた。
 どうやら昼食は半ば諦めていたらしく、喜びようもすごい。そこまで喜んでくれるなら俺も作った甲斐もあるってものだ。

 拳大のおにぎりを頬張るリアに頬が緩むのを自覚しつつ、俺も自分の分を取り出して膝の上に開く。
 アルミホイルから一つ取り出し、それを咀嚼しながら何となく学校を眺めている。


 遠坂、一成、藤ねえ、美綴、桜、……慎二。
 学校で特に関わりがあった奴らが浮かんでくる。俺の知っているみんなは今、どうしてるんだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えているうちに、ふと、もう学校に通えないことに思い当たった。
 あまりに代わり映えしない町並みに、俺はつい衛宮士郎の頃を延長させていた。

 サーヴァント……聖杯戦争のために呼び出され、終われば情報だけを元の座へ還し、消滅する。
 そもそもからして、英霊は聖杯戦争なんて例外を除けば世界の救済に呼び出されるだけの存在だ。
 俺に至ってはセイバーが死んでいないからどういう扱いになるのかもわからないけど、少なくともここにはいられないだろう。
 本来ならばギルガメッシュの一撃で絶命していたのだから、こうしていられることを喜ぶべきなのかもしれないが、それでも寂しいっていうのが本音。
 っと、いや。今はそんな感傷に浸っている場合じゃないな。


 こうして眺めている学校には、違和感ばかりが募っていた。
 俺の記憶が正しければ、学校の結界が発動したのは明後日だった筈だ。そのときですら慎二は不完全といっていた。
 しかし今こうして見ている校舎付近は前回以上に気配が変わっていて、意識せずとも肌にぴりぴりと強い魔力を感じている。

 あまりに結界に魔力が補填されるのが早すぎる。加えて、この結界の保有している魔力量は明らかに前回よりも多い。
 本来、これほどの異常を感じるのなら一も二もなくマスターの側で控えているべきなんだろう。

 小さく嘆息し、二個目のおにぎりに手を伸ばしてかぶりつく。
 どうやら二個目の中身は昆布の佃煮だったようだ。もぐもぐと口を動かしながら空を仰いだ。

(全く、うちのマスターときたら……)

(――何? 言いたいことがあるなら言ったら?)

「っ!?」

 内心でぼやく俺に、微妙に不機嫌な声で茶々が入る。
 頭の中に響き渡る頃にはその発生源の特定は出来た。どうやら、いきなり凛がラインを繋げてきていたらしい。
 未だに慣れない感覚に、思わず飛び上がりそうになってしまった。悪態をついていた手前、冷静を取り繕って言葉を選ぶ。

(それじゃ、言わせて貰うけどな。
 凛なら気づいてると思うけど、たぶんこの結界、今この瞬間にも発動できるぞ)

(――まぁ、そうじゃないかって予想はついてる。それで?)

(いや、それで……って、だから危険だって言ってるんだって!
 凛も士郎も敵の罠の中にいるんだぞ)

(――大丈夫。何かあったならすぐアルトのこと呼ぶから)

(そう言ったって……)

(――すぐ駆けつけてくれるなら、なんとかその間くらい持たせてみせる。
 心配してくれてるんでしょ? ありがとね)

(む……)

 そんな信頼を向けられたら、これ以上俺が言えることなんてないじゃないか。

(少しでも何か異常があったら言ってくれよ)

(――わかってるわ。アルトのこと、頼りに……)

(凛? どうしたんだ?)

 いきなり凛の声が途切れて聞こえなくなった。それはまるで、トンネルに入ってラジオに電波が入らなくなるように、ぷっつりと。

「アルト!」

 隣でリアが立ち上がり、俺もようやくその異常を察知する。
 膝の上にあるおにぎりが落ちることも気にせず、学校に向かってリアと共に駆け出した。

 学校を見ると、いつの間にか魔力のドームが敷地を覆っていた。
 衛宮士郎だったころに中からは見たことがある。それは視界を赤く塗りつぶすものだった。
 こうして外から見ると視覚的には何の変化もない。だが、感覚的には多くの魔力が一箇所にとどまったままその濃度をあげていくのがわかる。
 一般人は気づかないだろうが、何らかで魔力を察知できる人間にはその異常性は顕著だろう。

 相手の先手を封じるつもりが、完全に後手に回ってしまっている。
 念話は通じない。中の様子がどうなっているのかもわからない。
 中にいる凛と連絡を取ることができないのがどうしようもなく痛い。



 走ってきた勢いのまま、ドームに飛び込む。途端に、世界が切り替わった。
 赤、赤、赤。ただ、目に見えるもの全てが赤い。
 血の色に良く似た鮮やかさは、命が朽ち果てる様を連想させる。

 だが、サーヴァントに効果が及ぶほどの結界(もの)ではないらしく、感覚的に良くない場所だと感じるものの体に異常は感じない。

「っ、シロウ……!」

「リアっ!?」

 突然、走っているリアが光を放ち、それが収まるとその姿は目の前から掻き消えていた。
 今の光は見たことがあった。令呪発動に、共に発生する特有のものだ。

 士郎に、リアを緊急で呼び出さなければならない何かがあったのか!
 そうなると、士郎と一緒にいる筈の凛にも危険が迫っているかもしれない!

 さらにスピードを上げ、勢いを殺さずに校舎に進入する。
 廊下には生徒たちがところどころで倒れている。おそらく、昼食を摂るために思い思いの場所に向かおうとしたのだろう。
 中には体が溶け始めている者もいる。異様によい動体視力を持っていると、そんな光景が嫌でも目に入ってくる。

 やはり前回よりも状態が悪化している。このままだと確実に死人が出ることになる。
 ちょうど昼休みに入った辺りだったのは幸いか。士郎にしても凛にしても教室からはさほど離れていない筈だ。
 焦りを増して階段へと差し掛かるその時、見覚えのある人物が倒れているのが視界の端に映った。

 藤ねえと、美綴か?

 救急車を呼ぼうとしたのかもしれない。公衆電話の前で折り重なるように倒れていて、電話は受話器が外れて、宙吊りになっている。
 側に寄ってみるも反応はない。完全に意識を失っているようだ。
 思わず、倒れた藤ねえを抱き起こして――

 ――そこで俺は逡巡する。

 彼らを逃して助けることは出来ない。他の生徒全員を助ける余裕も、時間も無い。
 そんなことをしている暇があるのなら慎二に結界を止めさせたほうがよほど堅実だ。

 彼らを癒してやることは出来ない。
 いまだ吸収されつづける彼らを一時的に回復させても元凶が止まらない事には手が打てない。
 それに、俺は人を癒す魔術を知らない。

 結界を破壊することは出来ない。
 この体――セイバーの能力は立ちふさがる敵を打倒するためのもの。
 魔術の解呪はできない。

 サーヴァントになっても、目の前で苦しむ人を助けられないのか、俺は!

 現状を打破するには、慎二を止めるしかない。
 ……なら一刻も早く凛たちと合流するべきだ。
 納得できないにしてもそう理解し、行動しようにも頭のどこかが後ろ髪を引いている。

「――ぐ、ぅ!?」

 それを振り切って、凛の元へ駆け出そうとして、唐突に頭痛。
 ずきずきと痛む前頭部を手で押さえる。

 浮かぶ。あの、赤い外套の騎士の声が、後姿が。

 なんで、こんなときにアイツが。
 お前なんかを思い出している時間なんてない、のに。

 ――――お前は戦うものではなく、生み出すものにすぎん――――

 それは、前にも聞いた。
 ああ、認めるよ。お前の言葉がなければ俺はギルガメッシュとも満足にも戦えなかった。
 それよりも、俺は早く、凛たちの元に向かわないと――――

 ――――おまえに出来ることはそれひとつだけだろう――――

 そんなことは、ない!
 少しは剣だって扱えるようになってきたし、魔力の使い方も覚え始めてる。
 それが借り物だったとしても、あの頃の俺とは――

 ――――ならば、その一つを極めてみせろ――――



 唐突に痛みが頭から治まっていった。
 あの騎士も、俺の頭からいつの間にか消えていた。

 途端、頭に浮かぶ一振りの短剣。稲妻のような刀身、禍々しい色彩。
 裏切りの魔女と呼ばれたサーヴァント。其の所有物である、対魔術に特化した宝具。

 そうだ。
 俺にもまだ出来ること――いや、まだ俺には、俺にしか出来ないことがある。

「――――投影、開始《トレース オン》」




◆◆◆


 頭から地面に向かっていく。
 勢いがついていて体を逸らすことも出来ない。

「来てくれ! リアァァーーッ!」

 右手の令呪が光り、弾ける。
 熱と痛みが手の甲を走るのと、空間に揺らぎが生じ、その中からリアが飛び出したのは同時だった。

「シロウ!」

 リアは咄嗟に空中に投げ出されている俺を抱え、カッとグリーブを鳴らして着地する。

「大丈夫ですか? その左腕は!?」

「あ、ああ。大丈夫だ。俺は大したことない。
 それよりも三階にライダーと遠坂がいる。遠坂を助けてやってくれ」

「シロウ、あなたは?」

 リアはその言葉に戸惑ったようだけど、目を見て俺の意思を感じ取ってくれたみたいだ。

「俺もすぐに行く」

「……わかりました」

 それだけを言うと、リアは俺を地面へと下ろして、校舎の壁を一息に駆け上がっていく。ほどなくして、割れた窓から校舎に入っていった。
 俺も左腕を押さえながら、立ち上がる。サーヴァントを相手に何が出来るかはわからないが、俺も早く遠坂たちと合流しなくちゃならない。

 緊急事態ということで、手近な窓から校舎に侵入する。移動しながら、体の異常を確かめていく。
 どうやら風穴が空いている左腕以外は目立った外傷はない。ただ、どこかに打ったのか、左足の膝に痛みが走る。
 あとは内臓が軽くやられてるけど、我慢すれば無視できる程度だ。

 階段を駆け上がる。
 戦闘が始まったんだろう。直上から金属のぶつかり合う音が絶えず聞こえてくる。
 痛む左腕を押さえて、慎二のいる三階に上った。




「……どういう、ことだ?」

 その言葉は確かに俺の口から漏れたものだった。
 目の前ではリアとライダーが互角に戦っている。ライダーからは俺が対峙したときとは比べ物にならないほどの存在感を放たれていた。

 信じられないことだった。
 遠坂ならば、リアがライダーを押さえている間に慎二を倒してしまっているかもしれないとも思っていたのに。
 奥に慎二、その手前にライダー、リアが戦っていて、俺の目の前には遠坂が立ち尽くしている。
 慎二が視界に入った途端に怒りで目の前が真っ赤になるが、それを必死に押さえて遠坂に近寄っていった。

「……遠坂、どうなってるんだ? これは」

「衛宮君。――――どうもライダーは結界で吸い取った生気を常時魔力に還元してるみたい。
 足りない戦力を他所から無理矢理補って、戦闘力を向上させているようね。ま、それでようやくリアと互角らしいけど」

 遠坂が俺の顔を一瞥して驚き、この戦闘のからくりを教えてくれた。一通りの説明を終えると、遠坂はつまらないものを見るように慎二に目を移す。
 慎二の奴も俺が無事だったことに気づいたようで、目に見えて焦りだした。

「くそっ! ライダー、なんでちゃんと衛宮の奴を殺しておかないんだ!
 おい、何をてこずっているんだよ! さっさとソイツと衛宮を殺せ!」

 そうライダーに怒声を飛ばし、だがその言葉とは裏腹に、慄いたように数歩退いた。
 リアの相手だけで手一杯のライダーが俺に攻撃を仕掛けることなんて、もちろん出来るはずもない。

 確かに三階の高さから受身も取れないように速度をつけ、それも頭から落とされたならば、普通は為す術もなく死んでしまうだろう。
 だけど、異能の力を使う魔術師を相手にしてはあまりに確実性に欠ける。しかも慎二は遠坂と会話をしていて、その後の俺の動向に注意を払っていなかったらしい。

「それにしても……」

「ええ、手の出しようがない。この戦闘に私たちが介入する余地はないわ。
 まったく、アルトがここにきてくれたら戦況も変わるってのに」

 なにをしてるのよ、と遠坂が続けて苦い顔をしながら腕を組む。
 こうして会話をしている間にも剣戟の音は響いている。目に追えないほどの速度で攻撃を繰り出す二騎を前に、俺たちは見守ることぐらいしかできない。




「……くっ!」

 聞き逃すほどに小さく、しかし確実に漏れた苦悶の声を俺は聞いた。
 耳に慣れない声色。それは、今までほとんど喋らなかったあのライダーから発されていた。
 気がつけば互角だった戦闘が一方に傾き始めている。リアの一撃に、ライダーが耐え切れなくなっている。
 だけど、リアに特別何かがあったわけではない。どうやら、ライダーの方の動きが鈍くなっているようだ。

「何やってるんだよ! ライダー!
 遊んでいる場合じゃないだろう!?」

 慎二がヒステリックに喚く様子を眺めながら、遠坂が囁くようにして俺に声をかけてくる。

「なんだか知らないけど、地脈に接続されていた結界が切り離されて独立したみたいね。
 これなら生気を吸い取るっていってもたかが知れてるし、ライダーも実力以上に戦うなんてできなくなった筈」

 確かに体が軽くなっているし、不快感も少し落ち着いてきていた。
 赤く染まっていた視界も色が薄れている気がする。

「ってことは」

 ライダーにも慎二にも、決定的な隙が生まれるかもしれない。

「ええ。……」

 目でそう問いかけると、遠坂は一つ頷いてから何事かを呟き始めた。
 俺は腰を落とし、いつでも飛び出せるように身構える。

 遠坂の予想通り、ライダーが発していた圧倒的な気配は衰えて、比例するように動きは精彩を欠いていった。
 リアと一合あわせるごとにライダーは追い込まれている。

「はぁぁぁぁっ!」

 リアの声。そして響く、鉄の弾ける音。
 釘剣がリアの不可視の剣に大きく跳ね除けられ、ライダーは勢いを殺しきれず、体ごと壁へ吹き飛ばされていった。

 それを横目に、俺は全力で慎二に向かって駆け出していた。
 だが、慎二は一瞬早く走り出そうとしていた俺に気づき、背を向けて逃げ出している。

 手を伸ばすが慎二に届かない。
 貫かれた腕が思ったように振れず、体のバランスが上手く取れない。打ち付けた左足が引きつっているのか、踏み込みが甘い。
 速度が出ない。背を追いかけて駆けるが、その距離は縮まらない。

「あぐっ!?」

 慎二がいざ階段に逃げ込もう、というところで俺のすぐ横を抜けて、赤い何かが慎二の足に直撃した。
 途端に足から力が抜けたように慎二が倒れ、床に伏す。顔面を強打したらしく、低く悲鳴を漏らしている。


 背後を振り返ると、遠坂が左手の人差し指をこちらに向けたまま息を吐いている。俺にはよく感じ取れないけれど、たぶん、その指先には魔力の残滓が残っている。
 何をしたのか、赤い光弾のようなものが何の魔術なのかは俺にはわからない。
 ただ、結果として逃げられかけていた慎二に、俺は追いつくことが出来た。俺には出来ないことを、遠坂があっさりとやってのけたことは間違いないようだった。





[7933] 小劇場『記憶喪失①』
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 01:17
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
※注意※

ここより↓はHPのweb拍手にて載せていた小話になります。
本編キャラクターの性格が壊れていたり、メタ発言したりと作者が好き勝手やっている空間です。
本編ストーリーのイメージを破壊する恐れが多々ありますので、ご注意ください。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






小劇場
「AS:記憶喪失」




/アルト


 気が付いたら、俺は仰向けに倒れていた。
 後頭部が酷く鈍く痛む。
 上体を起こして見ると、すぐ後ろには壁があった。
 見渡せば床は板張り、とても広い空間。

「アルト? 大丈夫ですか、アルト?」

 ……そして、目の前には、ブラウスにスカートの女の子が立っていた。
 竹刀を片手に、心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「ん、大丈……夫…………?」

 ……あれ、アルトって俺のこと?

 ふらつくが、足に喝を入れて立ち上がる。
 自分の姿を改めて見直してみる。ブラウスに、スカート……。
 奇しくも、目の前の彼女と同じような格好だ。

 って、スカート……それに、胸がある。
 え、俺って女、だったの?

「アルト?」

「『アルト』っていうのは、自分のことですか?」

 ぴしり、と固まる目の前の少女。

 ま、声色とか色々考えても、間違いなく女なんだと思う。
 俺……んー、女なんだから『わたし』って言った方が良いか。
 いままで何でわたしは自分のこと、『俺』なんていってたんだろう。
 ともかく、わたしの記憶は綺麗さっぱりなくなっていた。

「……アルト、ちょっと待っててくださいね」

「はぁ」

 会話から、自分の名前が『アルト』であることを把握。
 わたしはアルトというらしい。一つ頷く。

 硬直から解けた少女は、竹刀を放り出して外へと駆け出していった。
 放り出された竹刀と、たぶんわたしが持っていただろう竹刀も拾い上げ、壁に立て掛けておく。
 どうやら、ここは道場らしい。なら、だらしなく座るよりも正座でもして待っていたほうがいいと思う。

 二、三分もすると、どたどたといった音を立てて人が飛び込んできた。
 一人は先程の少女。連れられて来たのは赤い服が目に映える、黒髪の女性。
 そして、オレンジの髪の青年。なんだか、見慣れた顔。

「ちょっとリア、アルトが大変って何がどう大変なのよ?
 いつもどおりじゃない」

 じろじろと見られて、どうしていいものか困ってしまう。

「アルト、この二人に見覚えはありませんか?」

「そちらの男性は、見たことあるかもしれません。
 でも、名前まではちょっと……」

「駄目ですか……。
 この二人に説明するので、アルトはもうちょっとだけ待っててください」

 ……待ってて、と言われても何をしていいのか。
 とりあえず立ち上がって色々と観察してみることにする。

 高めに設えてある窓から、背伸びをして外を覗いてみる。
 見るからに大きい日本家屋。広い庭。
 ……取り立てて面白そうなものもなさそうだ。
 道場の中を見渡していると、出入り口とは別に戸があるのを発見。
 その謎の戸に小走りに駆け寄る途中、掛け軸に目を奪われた。そこには達筆に「虎」と一文字。
 ……不吉な文字だ。
 近寄りたくなかったので、同じような格好をした少女の元に戻ることにした。

「ええと、アルトの今の行動を見てもらえたなら、理解も早いと思いますが」

「そうね。食事時ぐらいにしかころころ変わらない表情が、目まぐるしく変わってるわね。
 ――ありえないわ」

「あのー、それでみなさんはわたしとどういった関係なんでしょうか?」

「アルト、本当に記憶なくなっちゃってるんだな……」

 オレンジの男性が、わたしをみて寂しそうに呟いた。
 でも未だに、ここにいる人たち三人の名前もわからない状態だ。
 そこから教えてもらわないと。

「そうね、まずこれを見て」

 黒髪の赤い人に手鏡を渡される。
 そこに映っていたのは

「同じ顔?」

「そういうことね。貴方と彼女――リアっていうんだけど双子の姉妹なのよ」

「凛! それは対外用の……」

「アルト、貴女は彼女――リアの妹よ。
 そしたら、リアのことを何て呼ぶか、わかるわよね?」

 何て呼ぶかって……。
 姉妹で、リアって少女がわたしの姉なら呼び方は限られている。

「お姉ちゃん?」

「……うっ!」

 呼びかけてみて、合ってるか確かめてみる。
 お姉ちゃんは顔を真っ赤にした状態で口元を手で押さえて、なんでかわからないけど顔を背けている。

「それとも、リアお姉ちゃん?」

 反応がないので、上に名前を入れてみる。
 すると、リアお姉ちゃんは顔を背けたまま大きくこくこくと首肯するのがわかった。

 どうやら、わたしは以前から「リアお姉ちゃん」と彼女のことを呼んでいたらしい。

「こ、これが妹ですか……いいものですね」

 リアお姉ちゃんがよくわからないことを言い出した。
 どうしよう。





[7933] 小劇場『記憶喪失②』
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 01:14


/アルト


「なぁ、遠坂。いい加減にしとけって。
 記憶が飛んじゃってるなんて、洒落にならないだろ。
 早く何か解決法を探しておかないと。アルトは病院に連れて行ったりも出来ないんだからさ」

 オレンジの男性が黒髪の女性に一生懸命話しかけている。
 どうやらわたしの記憶がないのを心配して気にかけてくれているらしい。
 その必死な様子に、近しい人だとわかる。
 ――いい人なんだなぁ。わたしとどういった関係の人なんだろう。

 ちなみにリアお姉ちゃんは横で、わたしの頭をかいぐりかいぐりしてくれている。
 ぐう……なんか恥ずかしい。

「わかってるわよ。
 ……とりあえずは自己紹介からね。もしかしたら何か思い出してくれるかもしれないし」

「ああ。そうだな」

「えーと、アルト?」

「え? あ、は、はい!」

 一瞬、自分が呼ばれているのか認識できなかった。
 リアお姉ちゃんに撫でられて小さく揺れている視界を、黒髪の遠坂って人に向ける。


「私は、遠坂凛。貴女の主人よ。
 貴女は私の従者。言い方を変えるなら召使ってところね」


 そ、そうだったのか!
 確かに、目の前の遠坂さんからは高貴な雰囲気が漂っている気がする。
 いいところのお嬢さん、と言われてもなんら不思議ではない。

 何故か女性の横にいるオレンジの男性がぶっと噴出していた。

「私のことは『ご主人様』。若しくは以前通りに『お嬢様』とお呼びなさい」

「はい! わかりました凛お嬢様」

 召使だというなら、粗雑な言葉使いは出来ない。
 礼節を保った振る舞いをしなくては、使用人の無作法は主人の恥となってしまうだろう。

 ……そういう知識がパッと浮かんでくるあたり、使用人だったというのは確かなのかもしれない。

「凛お嬢様、申し訳ございません。
 記憶を失っていたとはいえ、アルトは無作法をしてしまいました」

「いいえ、いいのよ」

 深々と頭を下げるわたしに、ほほほと軽やかに答えてくださる凛お嬢様。
 このような無作法を働いたわたしに対してなんて寛大な……。



「と、ととと遠坂!
 お前! よくもまぁそんな出鱈目を……」

「アルト、それで彼――名は衛宮士郎というのだけれど……。
 この屋敷の維持から食事、財政管理、警護までこなす有能な執事よ。このような格好だけれどね
 貴女は彼とどういった関係だと思う? ヒントは幾つも出してあるわよ?」

 え? 士郎さんと、わたしがどういった関係か……?

 リアお姉ちゃんは撫でる手を止め、わたしをじっと見つめている。
 士郎さんも「え……」とわたしと凛お嬢様のお顔を見比べている。
 凛お嬢様はわたしを見つめて、微笑んでいらっしゃる。

 ヒントは幾つも出してある、とのこと。
 これくらいは推察してみせなさい、という凛お嬢様からの課題なのだろう。

 先ほど思ったように、その心配してくれる様子からとても親しい人なんだというのはわかる。
 そしてわざわざ凛お嬢様が問われることだ。決して『仕事上の上下関係』なんてつまらない答えではないのだろう。
 ……そういえば、リアお姉ちゃんが一番先に士郎さんと凛お嬢様の見覚えを尋ねてきた。
 つまりは、わたしにとってご主人様である凛お嬢様と、同程度の重要性がある筈……。

 思考に光明が見えてきた。
 それと同時に、顔に血が上ってくる。

 たぶんきっと、そうなんだ。
 だってそうでもないと、凛お嬢様以上に士郎さんに見覚えがあるなんて、考えられないもの。

「あの、士郎さんって、その……わたしの恋人、ですか?」

 その一言に、士郎さんの顔が真っ赤に染まった。「あ、う」と声にならない言葉を漏らして、ダウン寸前といった様子。
 リアお姉ちゃんも士郎さんと同じく顔を真っ赤にして、でも頭をぶるぶると振っている。
 何故か凛お嬢様は左手でお腹を抱え、右手で口元を覆っている。目は涙が溜まっていた。

「え? あれ?」

 間違っていたのだろうか、みんなの反応をどう解釈していいのかわからない。
 胸の中一杯に不安が広がる。間違ってたら……ああ、なんて恥ずかしいことを言ってしまったんだろう。
 でも、他に考え付かないし。え、もしかして本当に見当違いなこと言っちゃった?
 うわ、顔が心臓になったみたいにばくばくしてる。絶対リンゴみたいになっちゃってる。

 うろうろと視線を凛お嬢様に、でも答えてはくれない。けほこほ、と咳き込んでいらした。
 視線を士郎さんに。相変わらず、顔を真っ赤にして口をぱくぱくしてわたしを見つめている。

 どうしようもなくなって、隣にいるリアお姉ちゃんの袖を摘んで、引っ張る。

「ね、ねえ、リアお姉ちゃん。わたし、なんか間違ったこと言っちゃった?
 え。ど、どうしよう。う、恥ずかしい……」

 穴があったら入りたいっていうのはこういう心境なんだと思う。
 凛お嬢様と士郎さんの視線から逃げたくなってしまって、リアお姉ちゃんの背中に隠れた。
 頬を赤らめながら戸惑ったように見るお姉ちゃんを、見上げる形になる。

 途端に、ばたん、とリアお姉ちゃんが受身も取らずに前のめりに倒れた。
 うつ伏せになった顔の辺りから血溜りが広がっていく。

「お、お姉ちゃん!?
 お嬢様、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが!
 ああっ、お嬢様!?」

 姉がいきなり倒れた動揺から涙が浮かんできた。拭う間もなく凛お嬢様に縋りつくと、凛お嬢様の口元を押さえた右手からは赤い液体がぽたぽたと溢れてくる。
 と、吐血!? 口からじゃないとすると鼻だけどそんな筈はないし。
 え? いったい何が起こっているの?

「士郎さん、お二人が!
 早く救急車を呼ばないと……」

 あたふたと両手を振りながら士郎さんを見ると、何故か胸元を押さえながら転げ回っている。
 顔を真っ赤にしながら、「うわぁ、落ち着け俺! でもくそ! 抱きしめたい」とか何だかよくわからないことを叫んでいた。

 え? どうしよう?





[7933] 小劇場『記憶喪失③』
Name: 下屋柚◆26967502 ID:5480aeb6
Date: 2009/10/09 01:16


/アルト


 正気に戻った凛お嬢様が、士郎さんを外に追い出して答えを教えてくれた。
 確かに私と士郎さんは恋人同士ではあるのだけれど、士郎さんが極度の恥ずかしがりやである為に人前では絶対に認めてくれないとのことなのだ。

 そ、そっか。わたし、付き合っているんだ……。

 頬に血が上って赤く染まり、何故か背筋には寒気が走った。
 男の人と付き合ってるなんてそんな覚えは全然ないのだけれど、自分のことすらあやふやなわたしの記憶ほど宛てにならないものもない。

 ついでといってはなんだけれど、先ほどお嬢様やリアお姉ちゃんを襲った謎の奇病らしきものや、士郎さんの不思議な行動についても問うてみた。
 しかし何ともいえない表情と共に、言葉を濁されてしまった。持病か何かなのだろうか? 心配はないようなのだけれど。


 その後外で待っていた士郎さんと合流し、記憶を戻す手がかりになるかもとこのお屋敷を案内してくださる話の運びになった。

 使用人の分際でご足労願っては申し訳が立たないと答えさせて頂いたのだけれど、なんと凛お嬢様もご一緒してくださった。
 「その方が面白……記憶を戻せる手がかりになるかもしれないでしょう」と仰られるお嬢様の、なんと使用人思いなこと。
 わたしはとても良いご主人様にお仕えさせていただいているみたいだ。ならばこそ、一刻も早く記憶を取り戻しお世話させていただなくては。


 中庭に出、屋敷を外から眺めても見覚えがあるという程度で記憶が戻るということはなかった。一生懸命に記憶を探るもこればかりはどうしようもない。
 見覚えの有無など、いくらかの応答の後は本邸の方へと移る。

「あれ? 先輩に、姉さんも。道場の方へいらしていたんですか?」

「あ、桜か。そういえば今日の部活は半ドンだって言ってたもんな。
 いや、それがさ……って、どこから説明したものかな」

 玄関の戸を開けようとして、そこで振り返って出迎えたのは恐らくわたしよりも年上の女性。柔和な雰囲気で皆を出迎える。
 そして頭を掻きながら、わたしのことをたどたどしく説明し始める士郎さん。


 士郎さんと親しげに会話をする彼女を見ていると、凛お嬢様がこちらへと身を寄せて耳打ちをしてくる。

「アルト、あの子は私の妹の桜というのだけれど」

「凛お嬢様のご姉妹ですか。ならば私にとっても大事な方ということですね」

 だが、そう話す凛お嬢様の顔は浮かない。ふう、と見て取れるぐらいに悲壮を漂わせたため息をつく。

 何かあるのだろうか?
 挨拶しようと桜お嬢様に話しかけようとした私は、凛お嬢様が続きを話されるのを待つことにする。

「……だけれどね。
 実はあの子ってば、士郎のことを愛してしまっているのよ。その上、貴女から士郎を奪おうとしている」

「そ、そんな!?」

「リ、リン!? 何を!?」

 使用人であるわたしなんかが、お嬢様の妹様と恋敵だったなんて!
 何故か横ではお姉ちゃんが驚いている。お姉ちゃんも知らなかったことなのだろうか。

 こっそりと、改めて士郎さんと桜お嬢様を窺う。そう言われればなるほど、確かに桜お嬢様の士郎さんを見る瞳は恋する乙女のものだ。

「で、では、わたしは身を引いたほうが? え、でも、わたしと士郎さんは付き合っていると……」

「待ちなさい。貴女と士郎は確かに恋仲だわ。
 けれどもね、あの子少し粘着質なところがあってね。士郎の性格も手伝って押され気味なのよ」

「は、はい。では、わたしはどうすれば」

「アピールしなさい」

「え?」

 あぴーる?

「そう、貴女と士郎は付き合っているんだと、桜が入る余地なんてない程にラブラブなんだとあの子にわからせてやるのよ。
 あの子もあのままだといつまでも引きずっていることになるわ」

「そ、そうですね! わたしは使用人ですが、それとこれとは関係ないですよね!
 あ、でもアピールと言われても何をしたらいいのか」

「それは、貴女が考えることよ。
 まぁ、そうね。判断材料として言っておいてあげるけど。腕を組むぐらいなら桜と士郎は普段からしているからね」

「リン、悪ふざけも大概にしないと取り返しが……」

 言われて、わたしは考え込む。
 腕を組むのが普段からしている、となると、せめてそれ以上のことをしなくちゃいけないの、かな……?

 何かお姉ちゃんが言っていた気もするけど、わたしの耳には入ってこない。

「なあ、遠坂。代わりに桜に説明してやってくれないか。
 俺の説明じゃ上手く伝わってくれないらしい」

「えーと、アルトさんが頭を打って記憶を失っているんですよね?
 それがどうなって、姉さんがお嬢様になっているんですか?」

 疑問符を浮かべて、首を捻る桜お嬢様。

「ほら、アルト。今よ!」

「は、はい!」

 考えがまとまる前に声を掛けられて、わたしは思わず今考えていたことを実行し始める。
 脚が、士郎さんへと向かって駆け出していた。

「あ、アルトさん? ど、どうかしたんですか?」

「うぇ!? あ、あると!?」

 わたしへと振り向いた士郎さんの胸に抱きついた。思ったよりも厚い背中に腕を回す。
 恥ずかしがりやと言われていた士郎さんだけれど、本当なのだろう。その顔は真っ赤だ。たぶん、わたしもだろうけど。

 後ろからは凛お嬢様の声で「いったぁーーー!! キタコレ!」とか何やら興奮した声が聞こえてくる。
 しかし、本命である桜お嬢様は目を白黒とさせるだけでわたしを気遣ってくる。抱きつくぐらいならば許容範囲内みたいだ。
 これぐらいでは動じるに足りないのだろうか? な、なら……。

「し、しし、士郎さんっ!」

「な、何? 何だ? どうしたんだアルト?」

 意を決して、声を掛ける。
 すると、顔を赤くさせながら士郎さんの顔が背の低いわたしに合わせるようにこちらへと向いた。


 喉が小さく嚥下する。からからだ。

 士郎さんを見つめて、そして目を瞑る。とてもじゃないけど、目を開けながらなんてできっこない。

 つい、とつま先で地面を蹴り上げる。身体が少しだけ持ち上がる。


 そして、唇に感触。赤くになっていたからか、伝わってくる熱は熱い位に暖かい。

 ひゅ、と士郎さんの呼吸が止まったのがわかった。わたしの胸が早鐘のように打っている。

 直ぐに踵を地面へと下ろして、接触している唇が、士郎さんから離れていった。


「……あ、え、な、なな、アルト?
 な、なんでさ? え? 俺? これ、き、鱚?」

 目を開けると、士郎さんが顔の下半分を手のひらで覆っていた。
 今度は、耳までもが真っ赤だ。でもきっとそれはわたしも同じ。もう一度、唾を飲み込む。やっぱり、からから。
 それでも、ちゃんと言っておかないと。凛お嬢様も応援してくださっていることだし!

「し、士郎さんはわたしと付き合っています! 恋人なんです!
 桜お嬢様、申し訳ありません!」

 士郎さんに抱きついたまま、真っ白くなっている桜お嬢様に宣言する。
 桜お嬢様は動かなくなっていた。

「ど、どうでしたか? 凛お嬢様」

 顔を後ろへと向けると、凛お嬢様がしゃがみこんでいた。両腕で自分の肩を強く抱きしめて俯き、ぶるぶると震えている。
 その横のリアお姉ちゃんは、目を見開いて、口をぽかーんと開けていた。リアお姉ちゃんのヘン顔は珍しいような気がする。

「あ、あ、アルト! どこに、士郎の顔のどこにキスをしたのですか!?」

「ええ!? 言うの? す、すごい恥ずかしいんだけど、言わなきゃダメなのリアお姉ちゃん?」

 ぶんぶん、と首を上下に動かすお姉ちゃん。首が飛んでいきそうな勢いだ。
 凛お嬢様とリアお姉ちゃんはわたしの後ろに、桜お嬢様は士郎さんの後ろにいたから、キスしたことはわかっても、どこにしたかは私と士郎さんしか見えなかったみたいだ。
 そんなに首を振られたら答えなければならないだろう、ならないのだけれども。

「む、無理です!」

 あまりに恥ずかしくなって、「う、うああ、砂糖吐く。あ゛ま゛い゛~」と呟いてしゃがむ凛お嬢様の横を抜けて道場の方へと駆けていく。
 逃げた。とてもじゃないけど、口になんて出せない!

「あ、待ちなさいアルト! 返答如何によっては、いえ、どちらにしても既に恐ろしいことに!」


 残された士郎は、唇のすぐ横を押さえて呆然としていた。



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