てっくさんのところで「親米派への問いかけ」って一連のシリーズが始まっていて、非常に読み応えがあり、興味深いのですが、「利米」派としてはやはりどうしても加えたい視点・意見があります。
まず日露戦争の後、日本は満州をアメリカと共同運営して、対ロシアで利害一致していれば「対華二十一ヵ条要求」に対するアメリカの態度は違ったものになっていただろうという視点です。そしてこれは決して荒唐無稽な話ではありません。
そのターニングポイントは、日露戦争の後、1905年にアメリカ鉄道王ハリマンが南満州鉄道の買収を持ちかけてきたとき、覚書を交わしながら結局断った「ハリマン事件」だと思います。この事件の背景には日露戦争を支援したユダヤ系国際金融資本(クーン・ローブ・グループ vs J・P・モルガン・グループ)の中国市場をめぐる勢力争いがありました。そして、その影響が後の歴史から現在にも繋がっていることを指摘しているのが、こちらの論説です↓
http://www.yorozubp.com/0410/041021.htm
実はハリマン事件の後も、日本には「彼ら」と対等に交渉できる人材(高橋是清や井上準之介など)がいたんですが、そういう人を太平洋戦争の前に日本人はテロでどんどん殺してしまうんですね。「ハリマン事件」そのものより、日本にとって一番の選択ミスはこの自国の有能な「ネゴシエーター」達を殺したり、迫害したことです。
で、これら「ネゴシエーター」グループから実権を奪った人達は、あろうことかユダヤ人を迫害しているドイツに接近していきます。この時点で日本の中心には「彼ら」と対等に交渉できる人がいなくなった、いや、いたけれども少数派になってしまい、またテロに狙われてうまく活動ができなくなった。
この時日本の実権を握ったのがアジア主義者や体制翼賛主義者です。これらの人々は国際的な現実主義を無視したロマン主義や官僚主義的な考えの持ち主でした。しかしながら、当事の国民はこれらの人々を国家を改革してくれると人達として期待し、支持しました。日本国にとっての戦犯が、この人達のなかにいると私は思っています。
ロマン主義や官僚主義におかされたこの当事の指導者は、おそらく欧米の「彼ら」をかなり甘く見ていました。しかし、多くの人が指摘・自覚しているように日本人は伝統的に謀略は苦手で、欧米の「彼ら」や中共・ソ連の方が上手です。日本人の謀略下手については、歴史的にどうしようもない部分があると思います。日本人の資質は謀略ではなくて、ルールや実利に基づいた説得や交渉に向いていると思います。
さて、当事日米にいろんなレベルでのギャップがあったのは事実だと思います。しかし、ここで大切なのはそのギャップを作り出したり、利用したりすると、「戦争」が起きて非常に儲かる人達がいると言う視点で見ることです。たぶんそういう筋金入りの商売人から見たら当時の日本人というのはとても操りやすく見えたのではないでしょうか。そして「彼ら」は日露戦争前後は日本をサポートしてくれました(ロシアがユダヤ人を迫害していたので)。しかし、太平洋戦争の前夜、彼らは上記のような日本をみて、「こりゃあかん」と思ったのでしょうね。
そして「彼ら」は日本を「サポート対象」から、「収奪対象」に切り替えた。その結果として例の「ハルノート」が出てくるのです。でたらめに「ハルノート」が出てくるわけではないのです。また、謀略の得意な中国・ソ連の連中もその動向をしっかり読んだ上で、対日工作をしていました。当事(今も?)日本にはたくさんのスパイがいました。戦後のはじめの容共やGHQの方針もほぼその線で理解可能です。
が、冷戦の危機が強まって、この方針が変わるわけですね。そのときに「彼ら」との交渉で活躍したのがあの「吉田茂」でした。つまり吉田茂は戦前の「ネゴシエーター」グループの生き残りです。で、その孫が今の麻生大臣ですね。
というわけで、戦争というのはいろんな誤解やギャップから起こると見せかけて、それらを利用して「ある特定の人達」が得するように、謀略によって起きる、という側面があると思います。なんといっても歴史を作るのは「人」ということですが、そこには表・裏のキーパーソンがいて、普通の人が知っているのはその表側だけなのですね。しかし歴史研究の専門家の中には、表と裏の連携がある程度わかっている人がいて、それはどういう人かと問われると、ネット上ではたぶんこの人やこの人やこの人だと思っています。
そして、その歴史に学ぶとすれば、日本国民は、「彼ら」と対等に交渉ができ、かつ愛国心の揺らがない人材をなるべく多く輩出し、支持する必要がある、ということです。
国民は政治家が日本をあっち側に売ろうとしている人なのか、行動は似ていてもしっかりと日本のための交渉をしている人なのか、あるいはなんにも気がつかずに相手の気持ちを逆撫でしているだけなのか(笑)、これをきちん見分ける必要があります。
そういう意味でも現在の日本はまさに戦前のターニングポイント(サポートか収奪か)と同じところにいると思います。現状をみると、だいぶ「収奪側」に進んでいるように感じます。これ以上日本が収奪されないようにするためには、国民は真に愛国的な政治家や活動家が誰なのか見極め、支援し、しぶとく「彼ら」と交渉することを祈りましょう。私は素人なので、現在誰が、どの人脈か、ということは断言できません(ただ、おぼろげながら、そうかな、と思えるぐらい)。
そして重要なことは政治家その他の活動家は「守りたい日本人や風土」があればこそ、「目先の利益」を超えて「長期的に日本を守る」ための行動をするということです。これは今も昔も変わりませんが、そのために適した人材というのは、単に日本民族の優良性を主張するようなロマン主義者や保身的な官僚ではなくて、交渉上手で現実主義に徹することができる人、というのが私の意見です。
真の愛国心とは以外に見えないものです。それは愛国心を表明することによって、反発されたり、利用されたりして、自分の思うように交渉できなくなるからです。交渉上手な人ほど、自分がどういえば、相手はこう動くという観点で戦略を立てているでしょうから、本心というのはなかなか判りませんね。判るのはその行為によってどのような結果が導かれたか、です。
で、我々一般国民にできることは、まず日本の有能な政治家や「彼ら」を含む世界の人々にとって日本人が将来にわたって守るに値する資質を持った人々であることを示すということに尽きます。国際社会において「誰が正義か」なんてことは意味がないのです。みんな打算的でずるい奴ばかりと思っておく方が正解でしょう(笑)。しかし、「謀略」の中においても、なお世界には金銭では交換できない有形・無形の「資産」があることを判っている人は判ってます。我々の先祖が守ってきたその有形・無形の「日本の資産」こそが、実は「日本の武器」なのです。それこそが「持てる国」と「持てない国」の差なのです。
我々にはそれを受け継ぐ「権利」と「義務」があります。
我々国民がその「義務」を忘れれば、どんな軍備や戦略も意味がありません。
憲法改正においては単なる9条の改正などではなく、上記の精神をはっきりと国民が持てる憲法にする、と言うことが何よりも肝要です。
一部の国民に多少疎ましい目で見られても、政治家やメディアは上記の正論を述べ、「目覚ましの薬」を国民にのませるべきだと思います。
我々の権利や資産はロマンで守るものではなく、護国を自覚した国民をどれだけ増やせるかにかかっていると思います。
今ならまだ遅くない、と私は思っています。
まず日露戦争の後、日本は満州をアメリカと共同運営して、対ロシアで利害一致していれば「対華二十一ヵ条要求」に対するアメリカの態度は違ったものになっていただろうという視点です。そしてこれは決して荒唐無稽な話ではありません。
そのターニングポイントは、日露戦争の後、1905年にアメリカ鉄道王ハリマンが南満州鉄道の買収を持ちかけてきたとき、覚書を交わしながら結局断った「ハリマン事件」だと思います。この事件の背景には日露戦争を支援したユダヤ系国際金融資本(クーン・ローブ・グループ vs J・P・モルガン・グループ)の中国市場をめぐる勢力争いがありました。そして、その影響が後の歴史から現在にも繋がっていることを指摘しているのが、こちらの論説です↓
http://www.yorozubp.com/0410/041021.htm
実はハリマン事件の後も、日本には「彼ら」と対等に交渉できる人材(高橋是清や井上準之介など)がいたんですが、そういう人を太平洋戦争の前に日本人はテロでどんどん殺してしまうんですね。「ハリマン事件」そのものより、日本にとって一番の選択ミスはこの自国の有能な「ネゴシエーター」達を殺したり、迫害したことです。
で、これら「ネゴシエーター」グループから実権を奪った人達は、あろうことかユダヤ人を迫害しているドイツに接近していきます。この時点で日本の中心には「彼ら」と対等に交渉できる人がいなくなった、いや、いたけれども少数派になってしまい、またテロに狙われてうまく活動ができなくなった。
この時日本の実権を握ったのがアジア主義者や体制翼賛主義者です。これらの人々は国際的な現実主義を無視したロマン主義や官僚主義的な考えの持ち主でした。しかしながら、当事の国民はこれらの人々を国家を改革してくれると人達として期待し、支持しました。日本国にとっての戦犯が、この人達のなかにいると私は思っています。
ロマン主義や官僚主義におかされたこの当事の指導者は、おそらく欧米の「彼ら」をかなり甘く見ていました。しかし、多くの人が指摘・自覚しているように日本人は伝統的に謀略は苦手で、欧米の「彼ら」や中共・ソ連の方が上手です。日本人の謀略下手については、歴史的にどうしようもない部分があると思います。日本人の資質は謀略ではなくて、ルールや実利に基づいた説得や交渉に向いていると思います。
さて、当事日米にいろんなレベルでのギャップがあったのは事実だと思います。しかし、ここで大切なのはそのギャップを作り出したり、利用したりすると、「戦争」が起きて非常に儲かる人達がいると言う視点で見ることです。たぶんそういう筋金入りの商売人から見たら当時の日本人というのはとても操りやすく見えたのではないでしょうか。そして「彼ら」は日露戦争前後は日本をサポートしてくれました(ロシアがユダヤ人を迫害していたので)。しかし、太平洋戦争の前夜、彼らは上記のような日本をみて、「こりゃあかん」と思ったのでしょうね。
そして「彼ら」は日本を「サポート対象」から、「収奪対象」に切り替えた。その結果として例の「ハルノート」が出てくるのです。でたらめに「ハルノート」が出てくるわけではないのです。また、謀略の得意な中国・ソ連の連中もその動向をしっかり読んだ上で、対日工作をしていました。当事(今も?)日本にはたくさんのスパイがいました。戦後のはじめの容共やGHQの方針もほぼその線で理解可能です。
が、冷戦の危機が強まって、この方針が変わるわけですね。そのときに「彼ら」との交渉で活躍したのがあの「吉田茂」でした。つまり吉田茂は戦前の「ネゴシエーター」グループの生き残りです。で、その孫が今の麻生大臣ですね。
というわけで、戦争というのはいろんな誤解やギャップから起こると見せかけて、それらを利用して「ある特定の人達」が得するように、謀略によって起きる、という側面があると思います。なんといっても歴史を作るのは「人」ということですが、そこには表・裏のキーパーソンがいて、普通の人が知っているのはその表側だけなのですね。しかし歴史研究の専門家の中には、表と裏の連携がある程度わかっている人がいて、それはどういう人かと問われると、ネット上ではたぶんこの人やこの人やこの人だと思っています。
そして、その歴史に学ぶとすれば、日本国民は、「彼ら」と対等に交渉ができ、かつ愛国心の揺らがない人材をなるべく多く輩出し、支持する必要がある、ということです。
国民は政治家が日本をあっち側に売ろうとしている人なのか、行動は似ていてもしっかりと日本のための交渉をしている人なのか、あるいはなんにも気がつかずに相手の気持ちを逆撫でしているだけなのか(笑)、これをきちん見分ける必要があります。
そういう意味でも現在の日本はまさに戦前のターニングポイント(サポートか収奪か)と同じところにいると思います。現状をみると、だいぶ「収奪側」に進んでいるように感じます。これ以上日本が収奪されないようにするためには、国民は真に愛国的な政治家や活動家が誰なのか見極め、支援し、しぶとく「彼ら」と交渉することを祈りましょう。私は素人なので、現在誰が、どの人脈か、ということは断言できません(ただ、おぼろげながら、そうかな、と思えるぐらい)。
そして重要なことは政治家その他の活動家は「守りたい日本人や風土」があればこそ、「目先の利益」を超えて「長期的に日本を守る」ための行動をするということです。これは今も昔も変わりませんが、そのために適した人材というのは、単に日本民族の優良性を主張するようなロマン主義者や保身的な官僚ではなくて、交渉上手で現実主義に徹することができる人、というのが私の意見です。
真の愛国心とは以外に見えないものです。それは愛国心を表明することによって、反発されたり、利用されたりして、自分の思うように交渉できなくなるからです。交渉上手な人ほど、自分がどういえば、相手はこう動くという観点で戦略を立てているでしょうから、本心というのはなかなか判りませんね。判るのはその行為によってどのような結果が導かれたか、です。
で、我々一般国民にできることは、まず日本の有能な政治家や「彼ら」を含む世界の人々にとって日本人が将来にわたって守るに値する資質を持った人々であることを示すということに尽きます。国際社会において「誰が正義か」なんてことは意味がないのです。みんな打算的でずるい奴ばかりと思っておく方が正解でしょう(笑)。しかし、「謀略」の中においても、なお世界には金銭では交換できない有形・無形の「資産」があることを判っている人は判ってます。我々の先祖が守ってきたその有形・無形の「日本の資産」こそが、実は「日本の武器」なのです。それこそが「持てる国」と「持てない国」の差なのです。
我々にはそれを受け継ぐ「権利」と「義務」があります。
我々国民がその「義務」を忘れれば、どんな軍備や戦略も意味がありません。
憲法改正においては単なる9条の改正などではなく、上記の精神をはっきりと国民が持てる憲法にする、と言うことが何よりも肝要です。
一部の国民に多少疎ましい目で見られても、政治家やメディアは上記の正論を述べ、「目覚ましの薬」を国民にのませるべきだと思います。
我々の権利や資産はロマンで守るものではなく、護国を自覚した国民をどれだけ増やせるかにかかっていると思います。
今ならまだ遅くない、と私は思っています。
気がしますが、高橋是清とアメリカの対中利権に
着目したところがすごいと思いました。
>国際的な現実主義を無視した
>ロマン主義や官僚主義的な考え
>の持ち主
「外国」という存在に対して、リアリズムを持ちにくいという
日本人の悪癖が見事に出ていますね。
外国を過剰に意識する割に、その行動様式や根本哲学を
理解しようとしないとか、
適正な比較対照ができないとか。
後者など、特にサッカーW杯の日本代表チームを
巡る報道に現れていましたね。
外国のクラブでベンチにすら入れない「海外組」を
実力者だと勘違いし、あげく主力が本大会中に
39度の熱でダウン。脇が甘すぎます。
そういう点は、
「日本は戦前にこんなひどいことばかりした」
という左翼と、
「日本はこんなにアジアで好かれている」
というネット右翼の言い合いにも
現れています。大切なのは「今」どうするかなのに・・・。
駄文失礼。また窺います。
そうだと思います。たぶん問題意識の根本部分が近いのでしょう。
>外国を過剰に意識する割に、その行動様式や根本哲学を理解しようとしない
ですね。とくに蛸壺にはまってしまった人達は、組織という村社会における地域ルールや利益のみを優先させがちになるので、国際化で価値や戦略の相対化が進むとついていけなくなるのだ思います。
おそらくこれは戦前も前後を通しての問題ですね。
バブル前までは、生産拠点である日本と消費地のアメリカで「太平洋モンロー主義」が成り立っていたから官僚主義でもいけたのだと思います。
>そういう点は・・・というネット右翼の言い合いにも現れています。
現れていますね。ま、これは自分も含めてもっと勉強や経験を踏んで大人になっていく過程と捉えれば悪くないかもしれません。これを機会に少しでも脱皮できれば、と。
大切なのは「今」そして「今後」ですね。
コメントありがとうございました。
>経験を踏んで大人になっていく過程と捉えれば
入り口として、黄文雄氏や「嫌韓流」を読んでもいいが
そこで立ち止まっていてはいけないということですよね。
今の嫌中韓ブログの多くは、批判のための批判で終わっています。
それでは、彼らが憎悪する平和人権左翼の言論と五十歩百歩でしょう。
幸い、私はそういうところに相互リンクを貼るような真似は
していませんが・・・。
自分の課題として、今後は理論的な面ではなく、
行動や体験も伴わせていきたいですね。
そういうわけで、今ロシア語やってます。
その通りですね。私のブログのタイトル「されど歩み続ける」にはそういう思いがこめられています。
>そういうわけで、今ロシア語やってます。
おおすごい!例の「中露離間の計」ですね!?