最終更新: 2010/12/24 18:41

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特定失踪(しっそう)者の娘との再会がかなわぬまま亡くなった母親が1冊の本を残しました。

北朝鮮による日本人拉致問題は、大きな進展もなく年を越そうとしています。
こうした中、特定失踪(しっそう)者である娘との再会の願いがかなわぬまま、2010年10月に亡くなった母親が、1冊の本を残しました。

古川朗子さん著「歩み来し道」より。
「了子への詫(わ)び状。のりちゃんごめん、ごめんなさい。子ども8人みんなみんなつらい思いをさせたけれど、中でもあなたが一番運命悪く引き込んだでしょうか」

2010年10月28日、娘の帰りを40年近く待ち続けた1人の母親が亡くなった。
古川朗子(さえこ)さん、享年94歳。
1973年7月7日に行方がわからなくなった特定失踪者・古川了子(のりこ)さんの母親。
朗子さんは、千葉市内の駅前で了子さんと待ち合わせをし、浴衣を買いに行く約束をしていた。
しかし急きょ、了子さんからキャンセルが入り、その後、了子さんの行方がわからなくなった。
了子さんの姉・竹下珠路(たまじ)さん(66)。
珠路さんは「わたしの娘と一緒に撮った写真なんです。この娘がもう、今39歳になってますので、それなりの年月がたっているってことですよね」と語った。
珠路さんはこれまで、朗子さんに了子さんを一目会わせようと、集会への参加や陳情など、懸命の救出活動をしてきた。
朗子さんは、了子さんの思い出の品を大切にし、親としての思いを書き記していた。
珠路さんは「了子に対しての手紙で、『のりちゃんごめんね』っていう文書から始まって、裏表たくさん書いているんですよね」と語った。
竹下さんは、朗子さんがつづった手紙や日記を1冊の本にまとめ、自費出版することにした。

古川朗子さん著「歩み来し道」より。
「何か事故かと思ってずいぶん探しました。占いにも見てもらいました。でもみんな生きてますよと言うばかり」

珠路さんは「泣き言だとか、泣き顔だとか見せることはほとんどない母だっただけに、つらい思いをいっぱいしながら書いたんだなと思うと、何かね、胸が締めつけられますね」と語った。
古川さんは、拉致認定を求めて行政訴訟を行っていたが、2007年、拉致問題に国が全力で取り組むことを条件に提訴を取り下げた。
しかし、政権交代を挟んで担当大臣は目まぐるしく交代。
進展が見られない拉致問題に、残された家族らは悲痛な叫びを上げている。
拉致被害者・横田 めぐみさんの母、横田 早紀江さんは「またお1人、亡くなってしまわれたのかなという思いが強いのと、政治に携わる方は、もしも自分がそういう立場だったら、本当にどうするかなと思ってね、1人ひとりが動いていただければ」と語った。

特定失踪者問題調査会の荒木和博代表は「(政府は拉致を)基本的には認定したくないですね。これは、ほかにも、同様の非常に、こういった事案があるわけですけれども、それを出してくることによって、それまでの不作為とか、あるいは隠ぺいを明らかになってしまうということがありますので」と語った。
12月、朗子さんの四十九日の法要を終え、出来上がった本は関係者に配られる予定。
珠路さんは「母に会わせるという大前提がなくなってしまったので、本当に悔しくてならない」と語った。
18歳という若さで、突如姿を消した古川了子さんは年が明けた1日、56歳の誕生日を迎える。

(12/23 12:52)


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