平家物語 高野本 巻第七

平家 七(表紙)
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平家七之巻 目録
清水冠者  北国下向
竹生島詣  火打合戦
木曾願書  倶梨迦羅落
篠原合戦  真盛
玄房    木曾山門牒状
同返牒   平家山門連署
主上都落  維盛都落付聖主臨幸
忠度都落  経正都落付青山
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一門都落  福原落
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平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第七(だいしち)
『清水冠者(しみづのくわんじや)』S0701
○寿永(じゆえい)二年(にねん)三月(さんぐわつ)上旬(じやうじゆん)に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)と木曾(きその)冠者(くわんじや)
義仲(よしなか)不快(ふくわい)の事(こと)あり【有り】けり。兵衛佐(ひやうゑのすけ)木曾(きそ)追
討(ついたう)の為(ため)に、其(その)勢(せい)十万(じふまん)余騎(よき)で信濃国(しなののくに)へ発
向(はつかう)す。木曾(きそ)は依田(よだ)の城(じやう)にあり【有り】けるが、是(これ)をきい【聞い】
て依田(よだ)の城(じやう)を出(いで)て、信濃(しなの)と越後(ゑちご)の境(さかひ)、熊坂
山(くまさかやま)に陣(ぢん)をとる。兵衛佐(ひやうゑのすけ)は同(おなじ)き国(くに)善光寺(ぜんくわうじ)に
着(つき)給(たま)ふ。木曾(きそ)乳母子(めのとご)の今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)を使
者(ししや)で、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の許(もと)へつかはす【遣す】。「いかなる子細(しさい)のあれば、
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義仲(よしなか)うた【討た】むとはの給(たま)ふなるぞ。御辺(ごへん)は
東八ケ国(とうはつかこく)をうちしたがへて、東海道(とうかいだう)より攻(せめ)
のぼり、平家(へいけ)を追(おひ)おとさ【落さ】むとし給(たま)ふなり。義
仲(よしなか)も東山(とうせん)・北陸(ほくろく)両道(りやうだう)をしたがへて、今(いま)一日(いちにち)も
さきに、平家(へいけ)を攻(せめ)おとさ【落さ】むとする事(こと)でこそ
あれ。なんのゆへ(ゆゑ)【故】に御辺(ごへん)と義仲(よしなか)と中(なか)をたがふ(たがう)【違う】
て、平家(へいけ)にわらは【笑は】れんとはおもふ【思ふ】べき。但(ただし)十郎(じふらう)
蔵人殿(くらんどどの)こそ御辺(ごへん)をうらむる【恨むる】事(こと)ありとて、
義仲(よしなか)が許(もと)へおはしたるを、義仲(よしなか)さへすげ
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なうもてなし申(まう)さむ事(こと)、いかんぞや候(さうら)へば、うち
つれ申(まうし)たれ。ま(ッ)たく義仲(よしなか)にをいて(おいて)は、御辺(ごへん)
に意趣(いしゆ)おもひ【思ひ】奉(たてまつ)らず」といひつかはす。兵衛佐(ひやうゑのすけ)
の返事(へんじ)には、「今(いま)こそさやうにはの給(たま)へ【宣へ】共(ども)、慥(たしか)に
頼朝(よりとも)討(うつ)べきよし、謀反(むほん)のくはたて【企て】ありと
申(まうす)者(もの)あり【有り】。それにはよるべからず」とて、土肥(とひ)・梶原(かぢはら)
をさきとして、既(すで)に討手(うつて)をさしむけらるる
由(よし)聞(きこ)えしかば、木曾(きそ)真実(しんじつ)意趣(いしゆ)なき由(よし)を
あらはさむがために、嫡子(ちやくし)清水(しみづの)冠者(くわんじや)義重(よししげ)
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とて、生年(しやうねん)十一歳(じふいつさい)になる小冠者(せうくわんじや)に、海野(うんの)・
望月(もちづき)・諏方【*諏訪】(すは)・藤沢(ふぢさは)な(ン)ど(なんど)いふ、聞(きこ)ゆる兵共(つはものども)
をつけて、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の許(もと)へつかはす【遣す】。兵衛佐(ひやうゑのすけ)
「此(この)上(うへ)はまこと【誠】に意趣(いしゆ)なかりけり。頼朝(よりとも)いまだ
成人(せいじん)の子(こ)をもたず。よしよし、さらば子(こ)にし申(まう)
さむ」とて、清水冠者(しみづのくわんじや)を相具(あひぐ)して、鎌倉(かまくら)へこそ
『北国下向(ほくこくげかう)』S0702
帰(かへ)られけれ。○さる程(ほど)に、木曾(きそ)、東山(とうせん)・北陸(ほくろく)両道(りやうだう)を
したがへて、五万(ごまん)余騎(よき)の勢(せい)にて、既(すで)に京(きやう)へ
せめ【攻め】のぼるよし聞(きこ)えしかば、平家(へいけ)はこぞ【去年】より
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して、「明年(みやうねん)は馬(むま)の草(くさ)がひ【草飼】について、いくさ【軍】
あるべし」と披露(ひろう)せられたりければ、山陰(せんおん)・
山陽(せんやう)・南海(なんかい)・西海(さいかい)の兵共(つはものども)、雲霞(うんか)のごとくに
馳(はせ)まいる(まゐる)【参る】。東山道(とうせんだう)は近江(あふみ)・美濃(みの)・飛弾(ひだ)の兵共(つはものども)
はまいり(まゐり)【参り】たれ共(ども)、東海道(とうかいだう)は遠江(とほたふみ)より東(ひがし)は
まいら(まゐら)【参ら】ず、西(にし)は皆(みな)まいり(まゐり)【参り】たり。北陸道(ほくろくだう)は若狭(わかさ)
より北(きた)の兵共(つはものども)一人(いちにん)もまいら(まゐら)【参ら】ず。まづ木曾(きその)冠
者(くわんじや)義仲(よしなか)を追討(ついたう)して、其(その)後(のち)兵衛佐(ひやうゑのすけ)を討(うた)ん
とて、北陸道(ほくろくだう)へ討手(うつて)をつかはす。大将軍(たいしやうぐん)には
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小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)維盛(これもり)・越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)・但馬守(たじまのかみ)経
正(つねまさ)・薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・三河守(みかはのかみ)知教【*知度】(とものり)・淡路守(あはぢのかみ)清房(きよふさ)、
侍大将(さぶらひだいしやう)には越中(ゑつちゆうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)・上総(かづさの)大夫(たいふの)判官(はんぐわん)忠綱(ただつな)・
飛弾(ひだの)大夫(たいふの)判官(はんぐわん)景高(かげたか)・高橋(たかはしの)判官(はんぐわん)長綱(ながつな)・河内(かはちの)判官(はんぐわん)
秀国(ひでくに)・武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有国(ありくに)・越中(ゑつちゆうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛嗣(もりつぎ)・
上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)忠光(ただみつ)・悪(あく)七兵衛(しちびやうゑ)景清(かげきよ)をさき【先】と
して、以上(いじやう)大将軍(たいしやうぐん)六人(ろくにん)、しかる【然る】べき侍(さぶらひ)三百四十(さんびやくしじふ)余
人(よにん)、都合(つがふ)其(その)勢(せい)十万(じふまん)余騎(よき)、寿永(じゆえい)二年(にねん)四月(しぐわつ)十七日(じふしちにち)
辰(たつの)一点(いつてん)に都(みやこ)を立(たち)て、北国(ほつこく)へこそおもむき【赴き】けれ。
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かた道(みち)を給(たま)は(ッ)て(ン)げれば、逢坂(あふさか)の関(せき)よりはじめ
て、路子(ろし)にも(ッ)てあふ権門(けんもん)勢家(せいけ)の正税(しやうぜい)、官物(くわんもつ)を
もおそれ【恐れ】ず、一々(いちいち)にみなうばひ【奪ひ】とり、志賀(しが)・辛崎(からさき)・
三[B ツ]河尻[B 「九」に「尻」と傍書](みつかはじり)・真野(まの)・高島(たかしま)・塩津(しほつ)・貝津(かひづ)の道(みち)のほとりを
次第(しだい)に追補【*追捕】(ついふく)してとをり(とほり)【通り】ければ、人民(じんみん)こらへ
『竹生島詣(ちくぶしままうで)』S0703
ずして、山野(さんや)にみな逃散(でうさん)す。○大将軍(たいしやうぐん)維盛(これもり)・通
盛(みちもり)はすすみ給(たま)へ共(ども)、副将軍(ふくしやうぐん)経正(つねまさ)・忠度(ただのり)・知教【*知度】(とものり)・清房(きよふさ)
な(ン)ど(なんど)は、いまだ近江国(あふみのくに)塩津(しほつ)・貝津(かひづ)にひかへたり。其(その)
中(なか)にも、経正(つねまさ)は詩歌(しいか)管絃(くわんげん)に長(ちやう)じ給(たま)へる人(ひと)
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なれば、かかるみだれの中(なか)にも心(こころ)をすまし【澄まし】、湖(みづうみ)の
はた【端】に打出(うちいで)て、遥(はるか)に奥(おき)なる島(しま)を見(み)わたし、供(とも)
に具(ぐ)せられたる藤兵衛(とうびやうゑ)有教(ありのり)をめし【召し】て、「あれ
をばいづくといふぞ」ととは【問は】れければ、「あれ
こそ聞(きこ)え候(さうらふ)竹生島(ちくぶしま)にて候(さうら)へ」と申(まうす)。「げにさる
事(こと)あり【有り】。いざやまいら(まゐら)【参ら】ん」とて、藤兵衛(とうびやうゑ)有教(ありのり)、安
衛門(あんゑもん)守教(もりのり)以下(いげ)、侍(さぶらひ)五六人(ごろくにん)めし【召し】具(ぐ)して、小舟(こぶね)に
のり、竹生島(ちくぶしま)へぞわたられける。比(ころ)は卯月(うづき)
中(なか)の八日(やうか)の事(こと)なれば、緑(みどり)にみゆる梢(こずゑ)には
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春(はる)のなさけをのこすかとおぼえ、澗谷(かんこく)の鴬舌(あうぜつ)
声(こゑ)老(おい)て、初音(はつね)ゆかしき郭公(ほととぎす)、おりしりがほ(をりしりがほ)【折知顔】
につげわたる。松に藤なみさきかかつて
まことにおもしろかりければ、いそぎ舟(ふね)よりおり、
岸(きし)にあが(ッ)【上がつ】て、此(この)島(しま)の景気(けいき)を見(み)給(たま)ふに、心(こころ)も
詞(ことば)もをよば(およば)【及ば】れず。彼(かの)秦皇(しんくわう)(シンクハウ)、漢武(かんぶ)、〔或(あるいは)〕童男(どうなん)丱女(くわぢよ)(クハヂヨ)
をつかはし【遣し】、或(あるいは)方士(はうじ)をして不死(ふし)の薬(くすり)を尋(たづ)ね
給(たま)ひしに、「蓬莱(ほうらい)をみずは、いなや帰(かへ)らじ」と
い(ッ)て、徒(いたづら)に舟(ふね)のうちにて老(おい)、天水(てんすい)茫々(ばうばう)(ベウベウ)として
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求(もとむる)事(こと)をえざりけん蓬莱洞(ほうらいどう)の有様(ありさま)も、
かくやあり【有り】けむとぞみえ【見え】し。或(ある)経(きやう)の中(なか)に、
「閻浮提(えんぶだい)のうちに湖(みづうみ)あり、其(その)中(なか)に金輪際(こんりんざい)より
おひ出(いで)たる水精輪(すいしやうりん)の山(やま)あり【有り】。天女(てんによ)すむ所(ところ)」と
いへり。則(すなはち)此(この)島(しま)の事(こと)也(なり)。経正(つねまさ)明神(みやうじん)の御(おん)まへに
ついゐ給(たま)ひつつ、「夫(それ)大弁功徳天(だいべんくどくてん)は往古(わうご)の如
来(によらい)、法身(ほつしん)の大士(だいじ)也(なり)。弁才(べんざい)妙音(めうおん)二天(にてん)の名(な)は各別(かくべつ)
なりといへ共(ども)、本地(ほんぢ)一体(いつたい)にして衆生(しゆじやう)を済度(さいど)し
給(たま)ふ。一度(いちど)参詣(さんけい)の輩(ともがら)は、所願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)円満(ゑんまん)すと
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承(うけたま)はる。たのもしう【頼もしう】こそ候(さうら)へ」とて、しばらく
法施(ほつせ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ふに、やうやう日(ひ)暮(くれ)、ゐ待(まち)【居待】
の月(つき)さし出(いで)て、海上(かいしやう)も照(てり)わたり、社壇(しやだん)も弥(いよいよ)かか
やき【輝き】て、まこと【誠】に面白(おもしろ)かりければ、常住(じやうぢゆう)の
僧共(そうども)「きこゆる御事(おんこと)なり」とて、御琵琶(おんびは)を
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、経正(つねまさ)是(これ)をひき【引き】給(たま)ふに、
上玄(しやうげん)石上(せきしやう)の秘曲(ひきよく)には、宮(みや)のうちもすみわたり、
明神(みやうじん)感応(かんおう)にたへ【堪へ】ずして、経正(つねまさ)の袖(そで)のうへ【上】に
白竜(びやくりゆう)現(げん)じてみえ【見え】給(たま)へり。忝(かたじけな)くうれしさの
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あまりに、なくなく【泣く泣く】かうぞ思(おも)ひつづけ給(たま)ふ。
千(ち)はやふる神(かみ)にいのりのかなへ【適へ】ばや
しるくも色(いろ)のあらはれ【現はれ】にける W049
されば怨敵(をんでき)を目(めの)前(まへ)にたいらげ(たひらげ)【平げ】、凶徒(きようど)(ケウト)を只今(ただいま)
せめ【攻め】おとさ【落さ】む事(こと)の、疑(うたがひ)なしと悦(よろこん)で、又(また)舟(ふね)に
『火打合戦(ひうちがつせん)』S0704
とりの(ッ)【乗つ】て、竹生島(ちくぶしま)をぞ出(いで)られける。○木曾(きそ)
義仲(よしなか)身(み)がらは信濃(しなの)にありながら、越前国(ゑちぜんのくに)火
打(ひうち)が城(じやう)をぞかまへける。彼(かの)城郭(じやうくわく)にこもる勢(せい)、
平泉寺(へいせんじの)長吏(ちやうり)斎明(さいめい)威儀師(ゐぎし)・稲津(いなづの)新介(しんすけ)・斎
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藤太(さいとうだ)・林(はやしの)六郎(ろくらう)光明(みつあきら)・富樫(とがし)入道(にふだう)仏誓(ぶつせい)・土田(つちだ)・武部(たけべ)・
宮崎(みやざき)・石黒(いしぐろ)・入善(にふぜん)・佐美(さみ)を初(はじめ)として、六千余騎(ろくせんよき)
こそこもりけれ。もとより究竟(くつきやう)の城郭(じやうくわく)也(なり)。
盤石(ばんじやく)峙(そばだ)ちめぐ(ッ)て四方(しはう)に峰(みね)をつらねたり。
山(やま)をうしろにし、山(やま)をまへにあつ。城郭(じやうくわく)の
前(まへ)には能美河(のうみがは)・新道河(しんだうがは)とて流(ながれ)たり。二(ふたつ)の川(かは)
の落(おち)あひにおほ木(ぎ)【大木】をき(ッ)てさかもぎ【逆茂木】にひき【引き】、
しがらみををびたたしう(おびたたしう)【夥しう】かきあげたれば、東
西(とうざい)の山(やま)の根(ね)に水(みづ)さしこうで、水海(みづうみ)にむかへ【向へ】るが
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如(ごと)し。影(かげ)南山(なんざん)を浸(ひた)して青(あをく)して晃漾(くわうやう)たり。
浪(なみ)西日(せいじつ)をしづめて紅(くれなゐ)にして隠淪(いんりん)たり。
彼(かの)無熱池(むねつち)の底(そこ)には金銀(こんごん)の砂(いさご)をしき、混明
池【*昆明池】(こんめいち)の渚(なぎさ)にはとくせい【徳政】の舟(ふね)を浮(うか)べたり。此(この)火
打(ひうち)が城(じやう)のつき池(いけ)【築池】には、堤(つつみ)をつき、水(みづ)をにごし【濁し】
て、人(ひと)の心(こころ)をたぶらかす。舟(ふね)なくしては輙(たやす)
うわたすべき様(やう)なかりければ、平家(へいけ)の大勢(おほぜい)
むかへ【向へ】の山(やま)に宿(しゆく)して、徒(いたづら)に日数(ひかず)ををくる(おくる)【送る】。城(じやう)
の内(うち)にあり【有り】ける平泉寺(へいせんじ)の長吏(ちやうり)斎明(さいめい)威儀
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師(ゐぎし)、平家(へいけ)に志(こころざし)ふかかり【深かり】ければ、山(やま)の根(ね)をまは(ッ)
て、消息(せうそく)をかき【書き】、ひき目(め)【蟇目】のなかに入(いれ)て、忍(しのび)や
かに平家(へいけ)の陣(ぢん)へぞ射(い)入(いれ)たる。「彼(かの)水(みづ)うみは
往古(わうご)の淵(ふち)にあらず。一旦(いつたん)山河(やまがは)をせきあげて候(さうらふ)。
夜(よ)に入(いり)足(あし)がろ【足軽】共(ども)をつかはし【遣し】て、しがらみをきり
おとさ【落さ】せ給(たま)へ。水(みづ)は程(ほど)なくおつべし。馬(むま)の
足(あし)きき【利き】よい所(ところ)で候(さうら)へば、いそぎわたさせ給(たま)へ。うし
ろ矢(や)は射(い)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】む。是(これ)は平泉寺(へいせんじ)の長吏(ちやうり)
斎明(さいめい)威儀師(ゐぎし)が申状(まうしじやう)」とぞかい【書い】たりける。大将軍(たいしやうぐん)
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大(おほき)に悦(よろこび)、やがて足(あし)がる【足軽】共(ども)をつかはし【遣し】て柵(さく)を
きりおとす【落す】。緩(おびたたし)(アヤ)うみえ【見え】つれども、げにも
山川(やまがは)なれば水(みづ)は程(ほど)なく落(おち)にけり。平家(へいけ)の
大勢(おほぜい)、しばしの遅々(ちち)にも及(およ)ばず、ざ(ッ)とわたす。
城(じやう)の内(うち)の兵共(つはものども)、しばしささへてふせき【防き】けれ共(ども)、
敵(てき)は大勢(おほぜい)也(なり)、みかた【味方】は無勢(ぶせい)也(なり)ければ、かなう(かなふ)【叶ふ】
べしともみえ【見え】ざりけり。平泉寺(へいせんじの)長吏(ちやうり)
斎明(さいめい)威儀師(ゐぎし)、平家(へいけ)について忠(ちゆう)をいたす。
稲津(いなづの)新介(しんすけ)・斎藤太(さいとうだ)・林(はやしの)六郎(ろくらう)光明(みつあきら)・富樫(とがし)入道(にふだう)
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仏誓(ぶつせい)、ここをば落(おち)て、猶(なほ)平家(へいけ)をそむき、加賀(かが)
の国(くに)へ引退(ひきしりぞ)き、白山河内(しらやまがはち)にひ(ッ)【引つ】こもる。平家(へいけ)
やがて加賀(かが)に打越(うちこえ)て、林(はやし)・富樫(とがし)が城郭(じやうくわく)二
ケ所(にかしよ)焼(やき)はらふ。なに面(おもて)をむかふ【向ふ】べしとも見(み)え
ざりけり。ちかき【近き】宿々(しゆくじゆく)より飛脚(ひきやく)をたてて、
此(この)由(よし)都(みやこ)へ申(まうし)たりければ、大臣殿(おほいとの)以下(いげ)残(のこり)とど
まり給(たま)ふ一門(いちもん)の人々(ひとびと)いさみ悦(よろこぶ)事(こと)なのめなら
ず。同(おなじき)五月(ごぐわつ)八日(やうか)、加賀国(かがのくに)しの原(はら)【篠原】にて勢(せい)ぞろへ
あり【有り】。軍兵(ぐんびやう)十万(じふまん)余騎(よき)を二手(ふたて)にわか(ッ)て、大手(おほて)
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搦手(からめて)へむかは【向は】れけり。大手(おほて)の大将軍(たいしやうぐん)は小松(こまつの)三
位(さんみの)中将(ちゆうじやう)維盛(これもり)・越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)、侍大将(さぶらひだいしやう)には越中(ゑつちゆうの)
前司(せんじ)盛俊(もりとし)をはじめとして、都合(つがふ)其(その)勢(せい)七万(しちまん)
余騎(よき)、加賀(かが)と越中(ゑつちゆう)の境(さかひ)なる砥浪山(となみやま)へぞ
むかは【向は】れける。搦手(からめて)の大将軍(たいしやうぐん)は薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・
参河【*三河】守(みかはのかみ)知教【*知度】(とものり)、侍大将(さぶらひだいしやう)には武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)
を先(さき)として、都合(つがふ)其(その)勢(せい)三万(さんまん)余騎(よき)、能登(のと)越中(ゑつちゆう)
の境(さかひ)なるしほ【志保】の山(やま)へぞかかられける。木曾(きそ)
は越後(ゑちご)の国府(こふ)にあり【有り】けるが、是(これ)をきいて
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五万(ごまん)余騎(よき)で馳(はせ)向(むか)ふ。わがいくさ【軍】の吉例(きちれい)なれば
とて七手(ななて)に作(つく)る。まづ伯父(をぢ)の十郎(じふらう)蔵人(くらんど)
行家(ゆきいへ)、一万騎(いちまんぎ)でしほの手(て)へぞ向(むかひ)ける。仁科(にしな)・
高梨(たかなし)・山田(やまだの)次郎(じらう)、七千(しちせん)余騎(よき)で北黒坂(きたぐろさか)へ搦手(からめて)
にさしつかはす【遣す】。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)兼光(かねみつ)・落合(おちあひの)五郎(ごらう)
兼行(かねゆき)、七千(しちせん)余騎(よき)で南黒坂(みなみぐろさか)へつかはし【遣し】けり。一
万(いちまん)[B 余]騎(よき)をば砥浪山(となみやま)の口(くち)、黒坂(くろさか)のすそ、松長(まつなが)の
柳原(やなぎはら)、ぐみの木林(きばやし)にひきかくす【隠す】。今井(いまゐの)四郎(しらう)
兼平(かねひら)六千(ろくせん)余騎(よき)で鷲(わし)の瀬(せ)を打(うち)わたし、ひの
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宮林(みやばやし)【日埜宮林】に陣(ぢん)をとる。木曾(きそ)我(わが)身(み)は一万(いちまん)余騎(よき)で
おやべ(をやべ)【小矢部】のわたりをして、砥浪山(となみやま)の北(きた)のはづ
『願書(ぐわんじよ)』S0705
れはにう(はにふ)【羽丹生】に陣(ぢん)をぞと(ッ)たりける。○木曾(きそ)の給(たま)ひ
けるは、「平家(へいけ)は定(さだめ)て大勢(おほぜい)なれば、砥浪山(となみやま)
打(うち)越(こえ)てひろみへ出(いで)て、かけあひ【駆け合ひ】のいくさ【軍】にて
ぞあらんずらむ。但(ただし)かけあひ【駆け合ひ】のいくさ【軍】は勢(せい)の
多少(たせう)による事(こと)也(なり)。大勢(おほぜい)かさ【嵩】にかけてはあし
かり【悪しかり】なむ。まづ旗(はた)さし【旗差し】を先(さき)だてて白旗(しらはた)を
さしあげたらば、平家(へいけ)是(これ)をみ【見】て、「あはや
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源氏(げんじ)の先陣(せんぢん)はむかふ(むかう)【向う】たるは。定(さだめ)て大勢(おほぜい)
にてぞあるらん。左右(さう)なう広(ひろ)みへうち出(いで)
て、敵(てき)は案内者(あんないしや)、我等(われら)は無案内(ぶあんない)也(なり)、とりこめ
られては叶(かなふ)まじ。此(この)山(やま)は四方(しはう)巖石(がんぜき)であん
なれば、搦手(からめて)O[BH へは]よもまはらじ。しばしおりゐて
馬(むま)やすめ【休め】ん」とて、山中(さんちゆう)にぞおりゐんず
らむ。其(その)時(とき)義仲(よしなか)しばしあひしらふやうに
もてなして、日(ひ)をまち【待ち】くらし、平家(へいけ)の大
勢(おほぜい)をくりから【倶利伽羅】が谷(たに)へ追(おひ)おとさ【落さ】ふ(う)ど思(おも)ふなり」
P07024
とて、まづ白旗(しらはた)三十(さんじふ)ながれ先(さき)だてて、黒
坂(くろさか)のうへ【上】にぞう(ッ)たて【打つ立て】たる。案(あん)のごとく、
平家(へいけ)是(これ)をみて、「あはや、源氏(げんじ)の先陣(せんぢん)は
むかふ(むかう)【向う】たるは。定(さだめ)て大勢(おほぜい)なるらん。左右(さう)なふ(なう)
広(ひろ)みへ打出(うちいで)なば、敵(てき)は案内者(あんないしや)、我等(われら)は無
案内(ぶあんない)なり、とりこめられてはあしかり【悪しかり】なん。
此(この)山(やま)は四方(しはう)巖石(がんぜき)であんなり。搦手(からめて)O[BH へは]よも
まはらじ。馬(むま)の草(くさ)がひ【草飼】水便(すいびん)共(とも)によげ
なり。しばしおりゐて馬(むま)やすめ【休め】ん」とて、砥浪
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山(となみやま)の山中(やまなか)、猿(さる)の馬場(ばば)といふ所(ところ)にぞおり
ゐたる。木曾(きそ)は羽丹生(はにふ)に陣(ぢん)と(ッ)て、四方(しはう)を
き(ッ)と見(み)まはせば、夏山(なつやま)の嶺(みね)のみどりの
木(こ)の間(ま)より、あけ【朱】の玉墻(たまがき)ほのみえ【見え】て、かた
そぎ【片削】作(づく)りの社(やしろ)あり【有り】。前(まへ)に鳥居(とりゐ)ぞた(ッ)たり
ける。木曾殿(きそどの)国(くに)の案内者(あんないしや)をめし【召し】て、「あれは
いづれの宮(みや)と申(まうす)ぞ。いかなる神(かみ)を崇(あがめ)奉(たてまつる)
ぞ」。「八幡(やはた)でましまし候(さうらふ)。やがて此(この)所(ところ)は八幡(やはた)の
御領(ごりやう)で候(さうらふ)」と申(まうす)。木曾(きそ)大(おほき)に悦(よろこび)て、手書(てかき)に
P07026
具(ぐ)せられたる大夫房(だいぶばう)覚明(かくめい)をめし【召し】て、「義
仲(よしなか)こそ幸(さいはひ)に新(いま)やはた【新八幡】の御宝殿(ごほうでん)に近付(ちかづき)
奉(たてまつり)て、合戦(かつせん)をとげむとすれ。いかさまにも
今度(こんど)のいくさ【軍】には相違(さうい)なく勝(かち)ぬとおぼ
ゆる【覚ゆる】ぞ。さらんにと(ッ)ては、且(かつう)は後代(こうたい)のため、且(かつう)は
当時(たうじ)の祈祷(きたう)にも、願書(ぐわんじよ)を一筆(ひとふで)かいてま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】ばやとおもふ【思ふ】はいかに」。覚明(かくめい)「尤(もつとも)然(しか)るべ
う候(さうらふ)」とて、馬(むま)よりおりてかかんとす。覚明(かくめい)が
体(てい)たらく、かち【褐】の直垂(ひたたれ)に黒革威(くろかはをどし)の鎧(よろひ)
P07027
きて、黒漆(こくしつ)の太刀(たち)をはき、廿四(にじふし)さいたるくろ
ぼろ【黒母衣】の矢(や)おひ【負ひ】、ぬりごめ藤(どう)【塗籠籐】の弓(ゆみ)、脇(わき)には
さみ【鋏み】、甲(かぶと)をばぬぎ、たかひもにかけ、えびら
より小硯(こすずり)たたふ紙(がみ)(たたうがみ)【畳紙】とり出(いだ)し、木曾殿(きそどの)の
御前(おんまへ)に畏(かしこまつ)て願書(ぐわんじよ)をかく。あ(ッ)ぱれ文武(ぶんぷ)二
道(じだう)の達者(たつしや)かなとぞみえ【見え】たりける。此(この)覚明(かくめい)
はもと儒家[* 「出家」と有るのを他本により訂正](じゆけ)の者(もの)也(なり)。蔵人(くらんど)道広(みちひろ)とて、勧学
院(くわんがくゐん)にあり【有り】けるが、出家(しゆつけ)して最乗房(さいじようばう)信救(しんぎう)と
ぞ名(な)のりける。つねは南都(なんと)へも通(かよ)ひけり。
P07028
一(ひと)とせ高倉宮(たかくらのみや)の園城寺(をんじやうじ)にいら【入ら】せ給(たま)ひし
時(とき)、牒状(てふじやう)(テウじやう)を山(やま)・奈良(なら)へつかはし【遣し】たりけるに、
南都(なんと)の大衆(だいしゆ)返牒(へんてふ)(へんテウ)をば此(この)信救(しんぎう)にぞかかせ
たりける。「清盛(きよもり)は平氏(へいじ)の糟糠(さうかう)、武家(ぶけ)の塵
芥(ちんがい)」とかいたりしを、太政(だいじやう)入道(にふだう)大(おほき)にいか(ッ)て、「何条(なんでう)
其(その)信救法師(しんぎうほつし)め【奴】が、浄海(じやうかい)を平氏(へいじ)のぬかかす、
武家(ぶけ)のちりあくたとかくべき様(やう)はいかに。
其(その)法師(ほつし)めからめと(ッ)て死罪(しざい)におこなへ」との
給(たま)ふ間(あひだ)、南都(なんと)をば逃(にげ)て、北国(ほつこく)へ落(おち)くだり【下り】、木曾
P07029
殿(きそどの)の手書(てかき)して、大夫房(だいぶばう)覚明(かくめい)とぞ名(な)のりける。
其(その)願書(ぐわんじよ)に云(いはく)、帰命頂礼(きみやうちやうらい)、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は日域(じちいき)朝
廷(てうてい)の本主(ほんじゆ)、累世(るいせい)明君(めいくん)の曩祖(なうそ)也(たり)。宝祚(ほうそ)を守(まも)らん
がため、蒼生(さうせい)を利(り)せむがために、三身(さんじん)の金容(きんよう)をあらはし、三所(さんじよ)の権扉(けんぴ)をおしひらき給(たま)へり。
爰(ここ)に頃(しきり)の年(とし)よりこのかた、平相国(へいしやうこく)といふ者(もの)
あり【有り】。四海(しかい)を管領(くわんりやう)(クハンリヤウ)して万民(ばんみん)を悩乱(なうらん)せし
む。是(これ)既(すでに)仏法(ぶつぽふ)の怨(あた)、王法(わうぼふ)の敵(てき)[* 左に(カタキ イ)の振り仮名]也(なり)。義仲(よしなか)いや
しくも弓馬(きゆうば)の家(いへ)に生(むま)れて、纔(わづか)に箕裘(ききう)の
P07030
塵(ちり)をつぐ【継ぐ】。彼(かの)暴悪(ぼうあく)を案(あん)ずるに、思慮(しりよ)
を顧(かへりみる)(カヘリミル)にあたはず。運(うん)を天道(てんたう)にまかせ【任せ】て、身(み)を
国家(こつか)になぐ。試(こころみ)に義兵(ぎへい)をおこして、凶
器(きようき)(ケウキ)[* 「器」の左に(ルイ イ)の振り仮名]を退(しりぞけ)んとす。しかる【然る】を闘戦(たうせん)(トウセン)両家(りやうか)の陣(ぢん)を
あはすといへども、士卒(しそつ)いまだ一致(いつち)の勇(いさみ)を
えざる間(あひだ)、区(まちまち)の心(こころ)おそれ【恐れ】たる処(ところ)に、今(いま)一陣(いちぢん)旗(はた)
をあぐる戦場(せんぢやう)にして、忽(たちまち)に三所(さんじよ)和光(わくわう)の
社壇(しやだん)を拝(はい)す。機感(きかん)の純熟(じゆんじゆく)明(あきら)かなり。凶徒(きようど)(ケウト)
誅戮(ちゆうりく)(チウリク)疑(うたがひ)なし。歓喜[B ノ](くわんぎの)涙(なみだ)こぼれて、渇仰(かつがう)(カツガフ)
P07031
肝(きも)にそむ。就中(なかんづく)に、曾祖父(ぞうそぶ)(ザウソブ)前(さきの)陸奥守(むつのかみ)義
家[B ノ](ぎかの)朝臣(あつそん)、身(み)を宗廟(そうべう)の氏族(しぞく)に帰附(きふ)して、
名(な)を八幡(はちまん)太郎(たらう)と号(かう)せしよりこのかた、
其(その)門葉(もんえふ)たるもの【者】の、帰敬(ききやう)せずといふ事(こと)
なし。義仲(よしなか)其(その)後胤(こういん)として首(かうべ)を傾(かたむけ)て
年(とし)久(ひさ)し。今(いま)此(この)大功(たいこう)を発(おこ)す事(こと)、たとへば
嬰児(えいじ)の貝(かひ)をも(ッ)て巨海(きよかい)を量(はか)り、蟷螂(たうらう)
が斧(をの)をいからかし【怒らかし】て隆車(りゆうしや)に向(むかふ)がごとし【如し】。
然(しかれ)ども国(くに)の為(ため)、君(きみ)のためにしてこれを
P07032
発(おこ)(ヲコス)[* 「発」の左に(ホツス)の振り仮名]す。家(いへ)のため、身(み)のためにしてこれを
おこさ【起こさ】ず。心(こころ)ざしの至(いたり)、神感(しんかん)そらにあり【有り】。
憑(たのもしき)哉(かな)、悦(よろこばしき)哉(かな)。伏(ふして)願(ねがは)くは、冥顕(みやうけん)威(ゐ)(イ)をくはへ、
霊神(れいしん)力(ちから)をあはせ【合はせ】て、勝(かつ)事(こと)を一時(いつし)に決(けつ)し、
怨(あた)を四方(しはう)に退(しりぞけ)給(たま)へ。然(しかれば)則(すなはち)、丹祈(たんき)冥慮(みやうりよ)に
かなひ【叶ひ】、見鑒(けんかん)【見鑑】加護(かご)をなすべく(ン)ば、先(まづ)一(ひとつ)の
瑞相(ずいさう)を見(み)せしめ給(たま)へ。寿永(じゆえい)二年(にねん)五月(ごぐわつ)
十一日(じふいちにち)源(みなもとの)義仲(よしなか)敬(うやまつて)白(まうす)とかいて、我(わが)身(み)を始(はじめ)
て十三人(じふさんにん)が、うは矢(や)【上矢】[B ノ]かぶらをぬき、願書(ぐわんじよ)に
P07033
とりぐし【具し】て、大菩薩(だいぼさつ)の御宝殿(ごほうでん)にぞ
おさめ(をさめ)【納め】ける。たのもしき【頼もしき】かな、大菩薩(だいぼさつ)
真実(しんじつ)の志(こころざし)ふたつ【二つ】なきをや遥(はるか)に照覧(せうらん)
し給(たま)ひけん。雲(くも)のなかより山鳩(やまばと)三(みつ)飛
来(とびきた)(ッ)て、源氏(げんじ)の白旗(しらはた)の上(うへ)に翩翻(へんばん)す。昔(むかし)
神宮【*神功】皇后(じんぐうくわうごう)新羅(しんら)を攻(せめ)させ給(たま)ひしに、
御方(みかた)のたたかひ【戦ひ】よはく(よわく)【弱く】、異国(いこく)のいくさ【軍】こ
はくして、既(すで)にかうとみえ【見え】し時(とき)、皇后(くわうごう)
天(てん)に御祈誓(ごきせい)ありしかば、霊鳩(れいきう)三(みつ)飛
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来(とびきた)(ッ)て楯(たて)の面(おもて)(ヲモテ)にあらはれ【現はれ】て、異国(いこく)の
いくさ【軍】破(やぶれ)にけり。又(また)此(この)人々(ひとびと)の先祖(せんぞ)、頼
義(らいぎの)[* 左に(ヨリヨシノ)の振り仮名]朝臣(あつそん)、貞任(さだたふ)・宗任(むねたふ)を攻(せめ)給(たま)ひしにも、
御方(みかた)のたたかひ【戦ひ】よはく(よわく)【弱く】して、凶徒(きようど)のいくさ【軍】
こはかりしかば、頼義(らいぎの)朝臣(あつそん)敵(てき)の陣(ぢん)に
むか(ッ)【向つ】て、「是(これ)はま(ッ)たく私(わたくし)の火(ひ)にはあらず、
神火(しんくわ)なり」とて、火(ひ)を放(はな)つ。風(かぜ)忽(たちまち)に
異賊(いぞく)の方(かた)へ吹(ふき)おほひ【覆ひ】、貞任(さだたふ)が館(たち)栗
屋川(くりやがは)の城(じやう)焼(や)きぬ。其(その)後(のち)いくさ【軍】破(やぶれ)て、
P07035
貞任(さだたふ)・宗任(むねたふ)ほろびにき。木曾殿(きそどの)か様(やう)【斯様】の先蹤(せんじよう)(センゼウ)
を忘(わす)れ給(たま)はず、馬(むま)よりおり、甲(かぶと)をぬぎ、手水(てうづ)
うがい(うがひ)をして、いま霊鳩(れいきう)を拝(はい)し給(たま)ひけん
『倶利迦羅【*倶梨迦羅】落(くりからおとし)』S0706
心(こころ)のうちこそたのもしけれ。○さるほど【程】に、源平(げんぺい)
両方(りやうばう)陣(ぢん)をあはす。陣(ぢん)のあはひわづかに三町(さんぢやう)
ばかりによせ【寄せ】あはせたり。源氏(げんじ)もすすまず、
平家(へいけ)もすすまず。勢兵(せいびやう)十五騎(じふごき)、楯(たて)の面(おもて)に
すすませて、十五騎(じふごき)がうは矢(や)【上矢】の鏑(かぶら)を平
家(へいけ)の陣(ぢん)へぞ射(い)入(いれ)たる。平家(へいけ)又(また)はかり事(こと)【謀】
P07036
とも【共】しら【知ら】ず、十五騎(じふごき)を出(いだ)いて、十五(じふご)の鏑(かぶら)を
射(い)返(かへ)す。源氏(げんじ)卅騎(さんじつき)を出(いだ)いて射(い)さすれば、
平家(へいけ)卅騎(さんじつき)を出(いだ)いて卅(さんじふ)の鏑(かぶら)を射(い)かへす【返す】。五十
騎(ごじつき)を出(いだ)せば五十騎(ごじつき)を出(いだ)しあはせ【合はせ】、百騎(ひやくき)を
出(いだ)せば百騎(ひやくき)を出(いだ)しあはせ【合はせ】、両方(りやうばう)百騎(ひやくき)づつ
陣(ぢん)の面(おもて)にすすんだり。互(たがひ)に勝負(しようぶ)をせん
とはやり【逸り】けれ共(ども)、源氏(げんじ)の方(かた)よりせいし【制し】て
勝負(しようぶ)をせさせず。源氏(げんじ)はか様(やう)【斯様】にして日(ひ)
をくらし、平家(へいけ)の大勢(おほぜい)をくりから【倶利伽羅】が谷(たに)へ
P07037
追(おひ)おとさ【落さ】ふ(う)どたばかりけるを、すこしも
さとらずして、ともにあひしらひ日(ひ)をくら
す【暮す】こそはかなけれ。次第(しだい)にくらふ(くらう)【暗う】なりければ、
北南(きたみなみ)よりまは(ッ)つる搦手(からめて)の勢(せい)一万(いちまん)余騎(よき)、
くりから【倶利伽羅】の堂(だう)の辺(へん)にまはりあひ、えびらの
ほうだて(はうだて)【方立て】打(うち)たたき、時(とき)をど(ッ)とぞつくり
ける。平家(へいけ)うしろをかへり見(み)ければ、白旗(しらはた)
雲(くも)のごとくさしあげ【差し上げ】たり。「此(この)山(やま)は四方(しはう)巖
石(がんぜき)であんなれば、搦手(からめて)よもまはらじと
P07038
思(おもひ)つるに、こはいかに」とてさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】あへり。去(さる)
程(ほど)に、木曾殿(きそどの)大手(おほて)より時(とき)の声(こゑ)をぞ
あはせ【合はせ】給(たま)ふ。松長(まつなが)の柳原(やなぎはら)、ぐみの木林(きばやし)に
一万(いちまん)余騎(よき)ひかへたりける勢(せい)も、今井(いまゐの)四郎(しらう)が
六千(ろくせん)余(よ)騎(き)でひの宮林(みやばやし)【日埜宮林】にあり【有り】けるも、同(おなじ)
く時(とき)をぞつくりける。前後(ぜんご)四万騎(しまんぎ)が
おめく(をめく)【喚く】声(こゑ)、山(やま)も川(かは)もただ一度(いちど)にくづるる
とこそ聞(きこ)えけれ。案(あん)のごとく、平家(へいけ)、次第(しだい)に
くらふ(くらう)【暗う】はなる、前後(ぜんご)より敵(てき)はせめ【攻め】来(きた)る、「きた
P07039
なしや、かへせかへせ」といふやからおほかり【多かり】
けれ共(ども)、大勢(おほぜい)の傾(かたむき)たちぬるは、左右(さう)なふ(なう)
と(ッ)てかへす【返す】事(こと)かたければ、倶梨迦羅(くりから)が谷(たに)
へわれ先(さき)にとぞおとし【落し】ける。ま(ッ)さきにすす
む【進む】だる者(もの)がみえ【見え】ねば、「此(この)谷(たに)の底(そこ)に道(みち)のある
にこそ」とて、親(おや)おとせ【落せ】ば子(こ)もおとし【落し】、兄(あに)
おとせ【落せ】ば弟(おとと)もつづく。主(しゆう)おとせ【落せ】ば家子(いへのこ)郎
等(らうどう)おとし【落し】けり。馬(むま)には人(ひと)、ひと【人】には馬(むま)、落(おち)かさ
なり落(おち)かさなり、さばかり深(ふか)き谷(たに)一(ひと)つを平家(へいけ)の
P07040
勢(せい)七万(しちまん)余騎(よき)でぞうめたりける。巖泉(がんせん)
血(ち)をながし、死骸(しがい)岳(をか)をなせり。されば其(その)
谷[B ノ](たにの)ほとりには、矢(や)の穴(あな)刀(かたな)の疵(きず)残(のこり)て今(いま)に
ありとぞ承(うけたま)はる。平家(へいけ)の方(かた)にはむねと
たのま【頼ま】れたりける上総(かづさの)大夫(たいふの)判官(はんぐわん)忠綱(ただつな)・飛
弾(ひだの)大夫(たいふの)判官(はんぐわん)景高(かげたか)・河内(かはちの)判官(はんぐわん)秀国(ひでくに)も此(この)谷(たに)
にうづもれ【埋もれ】てうせにけり。備中国(びつちゆうのくにの)住人(ぢゆうにん)瀬尾(せのをの)
太郎(たらう)兼康(かねやす)といふ聞(きこ)ゆる大力(だいぢから)も、そこにて
加賀国(かがのくにの)住人(ぢゆうにん)蔵光(くらみつの)次郎(じらう)成澄(なりずみ)が手(て)にかか(ッ)て、いけ
P07041
どり【生捕り】にせらる。越前国(ゑちぜんのくに)火打(ひうち)が城(じやう)にてかへり
忠(ちゆう)(ちう)【返り忠】したりける平泉寺(へいせんじ)の長吏(ちやうり)斎明(さいめい)威儀
師(ゐぎし)もとらはれぬ。木曾殿(きそどの)、「あまりにくきに、
其(その)法師(ほふし)をばまづきれ」とてきられにけり。
平氏[B ノ](へいじの)大将(だいしやう)維盛(これもり)・通盛(みちもり)、けう[B 「けう」に「希有」と傍書]の命(いのち)生(いき)て加賀(かが)
の国(くに)へ引退(ひきしりぞ)く。七万(しちまん)余騎(よき)がなかよりわづかに
二千(にせん)余騎(よき)ぞのがれ【逃れ】たりける。明(あく)る十二日(じふににち)、奥(おく)の
秀衡(ひでひら)がもとより木曾殿(きそどの)へ竜蹄(りようてい)(レウテイ)二疋(にひき)奉(たてまつ)る。
一疋はくろ月毛、一疋はれんぜんあしげなり。
P07042
やがて是(これ)に鏡鞍(かがみくら)をい(おい)【置い】て、白山(はくさん)の社(やしろ)へ神馬(じんめ)
にたてられけり。木曾殿(きそどの)の給(たま)ひけるは、
「今(いま)はおもふ【思ふ】事(こと)なし。但(ただし)十郎(じふらう)蔵人殿(くらんどどの)の志保(しほ)
のいくさ【軍】こそおぼつかなけれ。いざゆい【行い】て
見(み)む」とて、四万(しまん)余騎(よき)〔が中(なか)より〕馬(むま)や人(ひと)をすぐ(ッ)て、二万(にまん)
余騎(よき)で馳(はせ)むかふ【向ふ】。ひび[B みイ]の湊(みなと)をわたさんとする
に、折節(をりふし)塩(しほ)みちて、ふかさ【深さ】あささをしら【知ら】ざり
ければ、鞍(くら)をき馬(むま)(くらおきむま)【鞍置き馬】十疋(じつぴき)ばかりをひ(おひ)【追ひ】入(いれ)たり。
鞍爪(くらづめ)ひたる【浸る】程(ほど)に、相違(さうい)なくむかひ【向ひ】の岸(きし)へ
P07043
着(つき)にけり。「浅(あさ)かりけるぞや、わたせ【渡せ】や」とて、二
万(にまん)余騎(よき)の大勢(おほぜい)皆(みな)打入(うちいれ)てわたしけり。案(あん)
のごとく十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、散々(さんざん)にかけなされ、
ひき【引き】退(しりぞ)いて馬(むま)の息(いき)休(やすむ)る処(ところ)に、木曾殿(きそどの)「され
ばこそ」とて、荒手(あらて)二万(にまん)余騎(よき)入(いれ)かへて、平
家(へいけ)三万(さんまん)余騎(よき)が中(なか)へおめい(をめい)【喚い】てかけ入(いり)、もみに
もふ(もう)で火(ひ)出(いづ)るほど【程】にぞ攻(せめ)たりける。平家(へいけ)の
兵共(つはものども)しばしささへて防(ふせ)きけれ共(ども)、こらへずし
てそこをも遂(つひ)に攻(せめ)おとさ【落さ】る。平家(へいけ)の方(かた)には、
P07044
大将軍(たいしやうぐん)三河守(みかはのかみ)知教【*知度】(とものり)うた【討た】れ給(たま)ひぬ。是(これ)は入
道(にふだう)相国(しやうこく)の末子(ばつし)也(なり)。侍共(さぶらひども)おほく【多く】ほろびにけり。
木曾殿(きそどの)は志保(しほ)の山(やま)打(うち)こえて、能登(のと)の
『篠原合戦(しのはらかつせん)』S0707
小田中(こだなか)、新王(しんわう)の塚(つか)の前(まへ)に陣(ぢん)をとる。○そこ
にて諸社(しよしや)へ神領(じんりやう)をよせられけり。白山(はくさん)へは
横江(よこえ)・宮丸(みやまる)、すがう(すがふ)【菅生】の社(やしろ)へはのみ【能美】の庄(しやう)、多田(ただ)の
八幡(やはた)へはてう屋(や)(てふや)【蝶屋】の庄(しやう)、気比(けひ)の社(やしろ)へははん原(ばら)【飯原】
の庄(しやう)を寄進(きしん)す。平泉寺(へいせんじ)へは藤島(ふぢしま)七郷(しちがう)
をよせられけり。一(ひと)とせ石橋(いしばし)の合戦(かつせん)の時(とき)、
P07045
兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)射(い)たてま(ッ)【奉つ】し者(もの)ども【共】都(みやこ)へにげのぼ(ッ)【上つ】
て、平家(へいけ)の方(かた)にぞ候(さうらひ)ける。むねとの者(もの)には
俣野(またのの)五郎(ごらう)景久(かげひさ)・長井(ながゐの)斎藤(さいとう)別当(べつたう)実守【*実盛】(さねもり)・
伊藤【*伊東】(いとうの)九郎(くらう)助氏【*祐氏】(すけうぢ)・浮巣(うきすの)三郎(さぶらう)重親(しげちか)・ましも【真下】の四郎(しらう)
重直(しげなほ)、是等(これら)はしばらくいくさ【軍】のあらんまでやす
まんとて、日(ひ)ごとによりあひよりあひ、巡酒(じゆんしゆ)をして
ぞなぐさみ【慰さみ】ける。まづ実守【*実盛】(さねもり)が許(もと)によりあひ
たりける時(とき)、斎藤(さいとう)別当(べつたう)申(まうし)けるは、「倩(つらつら)此(この)世中(よのなか)の
有様(ありさま)をみる【見る】に、源氏(げんじ)の御方(おんかた)はつよく、平家(へいけ)
P07046
の御方(おんかた)はまけ色(いろ)【負色】にみえ【見え】させ給(たま)ひけり。いざ
をのをの(おのおの)【各々】木曾殿(きそどの)へまいら(まゐら)【参ら】ふ(う)」ど申(まうし)ければ、みな
「さ(ン)なう」と同(どう)じけり。次(つぎの)日(ひ)又(また)浮巣(うきすの)三郎(さぶらう)が許(もと)
によりあひたりける時(とき)、斎藤(さいとう)別当(べつたう)「さても
昨日(きのふ)申(まうし)し事(こと)はいかに、をのをの(おのおの)【各々】」。そのなかに俣野(またのの)
五郎(ごらう)すすみ出(いで)て申(まうし)けるは、「我等(われら)はさすが東
国(とうごく)では皆(みな)、人(ひと)にしられて名(な)ある者(もの)でこそ
あれ、吉(きち)についてあなたへまいり(まゐり)【参り】、こなたへ
まいら(まゐら)【参ら】ふ(う)事(こと)もみ【見】ぐるしかる【苦しかる】べし。人(ひと)をば
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しり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず、景久(かげひさ)にをいて(おいて)は平家(へいけ)の
御方(みかた)にていかにもならふ(う)」ど申(まうし)ければ、斎藤(さいとう)
別当(べつたう)あざわら(ッ)【笑つ】て、「まこと【誠】には、をのをの(おのおの)【各々】の
御心(おんこころ)どもをかなびき奉(たてまつ)らんとてこそ申(まうし)
たれ。其上(そのうへ)さねもり【実盛】は今(この)度(たび)のいくさ【軍】に討死(うちじに)
せふ(う)ど思(おもひ)き(ッ)て候(さうらふ)ぞ。二(ふた)たび【二度】都(みやこ)へまいる(まゐる)【参る】まじ
き由(よし)人々(ひとびと)にも申(まうし)をい(おい)【置い】たり。大臣殿(おほいとの)へも此(この)
やうを申(まうし)上(あげ)て候(さうらふ)ぞ」といひければ、みな人(ひと)
此(この)儀(ぎ)にぞ同(どう)じける。さればその約束(やくそく)をたが
P07048
へ【違へ】じとや、当座(たうざ)にありしものども【者共】、一人(いちにん)も残(のこ)
らず北国(ほつこく)にて皆(みな)死(しに)にけるこそむざん
なれ。さる程(ほど)に、平家(へいけ)は人馬(じんば)のいきをやす
め【休め】て、加賀国(かがのくに)しの原(はら)【篠原】に陣(ぢん)をとる。同(おなじき)五月(ごぐわつ)
廿一日(にじふいちにち)の辰(たつ)の一点(いつてん)に、木曾(きそ)しの原(はら)【篠原】におし【押し】
よせ【寄せ】て時(とき)をど(ッ)とつくる。平家(へいけ)の方(かた)には
畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)重能(しげよし)・小山田(をやまだ)の別当(べつたう)有重(ありしげ)、去(さんぬ)る治
承(ぢしよう)より今(いま)までめし【召し】こめられたりしを、
「汝等(なんぢら)はふるい【古い】者共(ものども)也(なり)。いくさ【軍】の様(やう)をもをき
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てよ(おきてよ)【掟てよ】」とて、北国(ほつこく)へむけられたり。是等(これら)兄弟(きやうだい)
三百(さんびやく)余騎(よき)で陣(ぢん)のおもてにすすんだり。
源氏(げんじ)の方(かた)より今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)三百(さんびやく)余騎(よき)
でうちむかふ【向ふ】。畠山(はたけやま)、今井(いまゐの)四郎(しらう)、はじめは互(たがひ)に
五騎(ごき)十騎(じつき)づつ出(いだ)しあはせ【合はせ】て勝負(しようぶ)をせさ
せ、後(のち)には両方(りやうばう)乱(みだれ)あふ(あう)【逢う】てぞたたかひ【戦ひ】ける。
五月(ごぐわつ)廿一日(にじふいちにち)の午(むまの)剋(こく)、草(くさ)もゆるがず照(てら)す日(ひ)に、
我(われ)をとら(おとら)じとたたかへば、遍身(へんしん)より汗(あせ)
出(いで)て水(みづ)をながすに異(こと)ならず。今井(いまゐ)が方(かた)にも
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兵(つはもの)おほく【多く】ほろびにけり。畠山(はたけやま)、家子(いへのこ)郎等(らうどう)
残(のこり)ずくなに討(うち)なされ、力(ちから)をよば(およば)【及ば】でひき【引き】
しりぞく【退く】。次(つぎに)平家(へいけ)のかた【方】より高橋(たかはしの)判官(はんぐわん)
長綱(ながつな)、五百(ごひやく)余騎(よき)ですすむ【進む】だり。木曾殿(きそどの)の
方(かた)より樋口(ひぐちの)次郎(じらう)兼光(かねみつ)・おちあひの五郎(ごらう)兼
行(かねゆき)、三百(さんびやく)余騎(よき)で馳(はせ)向(むか)ふ。しばしささへて
たたかひ【戦ひ】けるが、高橋(たかはし)が勢(せい)は国々(くにぐに)のかり武者(むしや)【駆武者】
なれば、一騎(いつき)もおち【落ち】あはず、われさき【先】にとこそ
おちゆき【落ち行き】けれ。高橋(たかはし)心(こころ)はたけくおもへ【思へ】共(ども)、うしろ
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あばらになりければ、力(ちから)及(およ)ばで引退(ひきしりぞ)く。
ただ一騎(いつき)落(おち)て行(ゆく)ところ【所】に、越中国(ゑつちゆうのくに)の
住人(ぢゆうにん)入善(にふぜん)の小太郎(こたらう)行重(ゆきしげ)、よい敵(かたき)と目(め)をかけ、
鞭(むち)あぶみをあはせ【合はせ】て馳来(はせきた)り、おしならべて
むずとくむ。高橋(たかはし)、入善(にふぜん)をつかうで、鞍(くら)の前
輪(まへわ)におしつけ、「わ君(ぎみ)はなにもの【何者】ぞ、名(な)のれ
きかふ(う)」どいひければ、「越中国(ゑつちゆうのくに)の住人(ぢゆうにん)、入善(にふぜんの)小太
郎(こたらう)行重(ゆきしげ)、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)」となのる【名乗る】。「あなむざん、
去年(こぞ)をくれ(おくれ)【遅れ】し長綱(ながつな)が子(こ)も、ことしはあらば
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十八歳(じふはつさい)ぞかし。わ君(ぎみ)ねぢき(ッ)てすつべけれ共(ども)、
たすけ【助け】ん」とてゆるしけり。わが身(み)も馬(むま)
よりおり、「しばらくみかた【味方】の勢(せい)またん」とて
やすみゐたり。入善(にふぜん)「われをばたすけ【助け】たれ共(ども)、
あ(ッ)ぱれ敵(かたき)や、いかにもしてうたばや」と思(おも)ひ
居(ゐ)たる処(ところ)に、高橋(たかはし)うちとけて物語(ものがたり)しけり。
入善(にふぜん)すぐれ【勝れ】たるはやわざのおのこ(をのこ)【男】で、刀(かたな)を
ぬき、とんでかかり、高橋(たかはし)がうちかぶとを二
刀(ふたかたな)さす。さる程(ほど)に、入善(にふぜん)が郎等(らうどう)三騎(さんぎ)、をくれ(おくれ)【遅れ】
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ばせ【馳】に来(きたつ)ておち【落ち】あふ(あう)たり。高橋(たかはし)心(こころ)はたけくおもへ【思へ】ども、運(うん)やつきにけん、敵(かたき)はあまたあり、
いた手(で)【痛手】はおふ(おう)【負う】つ、そこにて遂(つひ)にうた【討た】れにけり。
又(また)平家(へいけ)のかたより武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有国(ありくに)、三
百騎(さんびやつき)ばかりでおめい(をめい)【喚い】てかく。源氏(げんじ)の方(かた)より
仁科(にしな)・高梨(たかなし)・山田(やまだの)次郎(じらう)、五百(ごひやく)余騎(よき)で馳(はせ)むかふ【向ふ】。
しばしささへてたたかひ【戦ひ】けるが、有国(ありくに)が方(かた)の
勢(せい)おほく【多く】うた【討た】れぬ。有国(ありくに)ふか入(いり)【深入り】してたたかふ【戦ふ】
ほど【程】に、矢(や)だね皆(みな)い【射】つくして、馬(むま)をもい【射】させ、
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かちだちになり、うち物(もの)【打物】ぬいてたたかひ【戦ひ】けるが、
敵(かたき)あまたうちとり、矢(や)七(なな)つ八(やつ)い【射】たてられて、
立(たち)じににこそ死(しに)にけれ。大将(たいしやう)か様(やう)【斯様】になり【成り】し
『真盛【*実盛】(さねもり)』S0708
かば、其(その)勢(せい)みな【皆】落(おち)行(ゆき)ぬ。○又(また)武蔵国(むさしのくに)の住人(ぢゆうにん)
長井(ながゐの)斎藤(さいとう)別当(べつたう)実守【*実盛】(さねもり)、みかた【御方】は皆(みな)おち【落ち】ゆけ
共(ども)、ただ一騎(いつき)かへしあはせ【合はせ】返(かへ)しあはせ【合はせ】防(ふせき)(フセギ)
たたかふ【戦ふ】。存(ぞんず)るむねあり【有り】ければ、赤地(あかぢ)の錦(にしき)
の直垂(ひたたれ)に、もよぎおどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、くわがた(くはがた)
う(ッ)たる甲(かぶと)の緒(を)をしめ、金作(こがねづく)りの太刀(たち)をはき、
P07055
きりう(きりふ)【切斑】の矢(や)おひ【負ひ】、滋藤(しげどう)の弓(ゆみ)も(ッ)て、連銭葦
毛(れんぜんあしげ)なる馬(むま)にきぶくりん【黄覆輪】の鞍(くら)をい(おい)【置い】てぞ
の(ッ)【乗つ】たりける。木曾殿(きそどの)の方(かた)より手塚(てづか)の太郎(たらう)
光盛(みつもり)、よい敵(かたき)と目(め)をかけ、「あなやさし、いか
なる人(ひと)にて在(ましま)せば、み方(かた)の御勢(おんせい)は皆(みな)落(おち)候(さうらふ)
に、ただ一騎(いつき)のこらせ給(たま)ひたるこそゆう(いう)【優】
なれ。なのら【名乗ら】せ給(たま)へ」と詞(ことば)をかけければ、「かういふ
わとのはた【誰】そ」。「信濃国(しなののくに)の住人(ぢゆうにん)手塚(てづかの)太郎(たらう)金
刺(かねざしの)光盛(みつもり)」とこそなの(ッ)【名乗つ】たれ。「さてはたがひによい敵(かたき)
P07056
ぞ。但(ただし)わとのをさぐるにはあらず、存(ぞんず)るむねが
あれば名(な)のるまじひ(まじい)ぞ。よれくまふ(くまう)手塚(てづか)」とて
おしならぶる処(ところ)に、手塚(てづか)が郎等(らうどう)をくれ(おくれ)【遅れ】馳(ばせ)に
はせ来(きたつ)て、主(しゆう)をうたせじとなかにへだたり、
斎藤(さいとう)別当(べつたう)にむずとくむ。「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、をのれ(おのれ)【己】は
日本(につぽん)一(いち)の剛(かう)の者(もの)とぐんでうず(くんでうず)【組んでうず】な、うれ」とて、と(ッ)て
引(ひき)よせ、鞍(くら)のまへわにおしつけ、頸(くび)かきき(ッ)て
捨(すて)て(ン)げり。手塚(てづかの)太郎(たらう)、郎等(らうどう)がうたるるをみて、
弓手(ゆんで)にまはりあひ、鎧(よろひ)の草摺(くさずり)ひき【引き】あげて
P07057
二刀(ふたかたな)さし、よはる(よわる)【弱る】処(ところ)にくんでおつ。斎藤(さいとう)別当(べつたう)
こころ【心】はたけくおもへ【思へ】ども、いくさ【軍】にはしつかれ【疲れ】ぬ、
其上(そのうへ)老武者(おいむしや)ではあり、手塚(てづか)が下(した)になりに
けり。又(また)手塚(てづか)が郎等(らうどう)をくれ(おくれ)【遅れ】馳(ばせ)に出(い)できたるに
頸(くび)とらせ、木曾殿(きそどの)の御(おん)まへに馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「光盛(みつもり)
こそ奇異(きい)のくせ者(もの)【曲者】くんでう(ッ)【打つ】て候(さうら)へ。侍(さぶらひ)かと見(み)
候(さうら)へば錦(にしき)の直垂(ひたたれ)をきて候(さうらふ)。大将軍(たいしやうぐん)かと見(み)
候(さうら)へばつづく勢(せい)も候(さうら)はず。名(な)のれ名(な)のれとせめ
候(さうらひ)つれども、終(つひ)になのり【名乗り】候(さうら)はず。声(こゑ)は坂東
P07058
声(ばんどうごゑ)で候(さうらひ)つる」と申(まう)せば、木曾殿(きそどの)「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、是(これ)は
斎藤(さいとう)別当(べつたう)であるごさんめれ。それならば
義仲(よしなか)が上野(かうづけ)へこえたりし時(とき)、おさな目(め)(をさなめ)【幼目】に
み【見】しかば、しらがのかすを【糟尾】なりしぞ。いまは定而(さだめて)
白髪(はくはつ)にこそなりぬらんに、びんぴげのくろい
こそあやしけれ。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)はなれ【馴れ】あそ(ン)でみ【見】
し(ッ)たるらん。樋口(ひぐち)めせ」とてめされけり。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)
ただ一目(ひとめ)みて、「あなむざんや、斎藤(さいとう)別当(べつたう)で
候(さうらひ)けり」。木曾殿(きそどの)「それならば今(いま)は七十(しちじふ)にも
P07059
あまり、白髪(はくはつ)にこそなりぬらんに、びんぴげ
のくろいはいかに」との給(たま)へ【宣へ】ば、樋口(ひぐちの)次郎(じらう)涙(なみだ)を
はらはらとながひ(ながい)【流い】て、「さ候(さうら)へばそのやうを申(まうし)あ
げうど仕(つかまつり)候(さうらふ)が、あまり哀(あはれ)で不覚(ふかく)の涙(なんだ)のこぼれ
候(さうらふ)ぞや。弓矢(ゆみや)とりはいささかの所(ところ)でも思(おも)ひいでの
詞(ことば)をば、かねてつかひをく(おく)【置く】べきで候(さうらひ)ける物(もの)
かな。斎藤(さいとう)別当(べつたう)、兼光(かねみつ)にあふ(あう)【逢う】て、つねは物語(ものがたり)に
仕(つかまつり)候(さうらひ)し。「六十(ろくじふ)にあま(ッ)ていくさ【軍】の陣(ぢん)へむかは【向は】ん
時(とき)は、びんぴげをくろう【黒う】染(そめ)てわかやがふ(う)どおもふ【思ふ】
P07060
なり。其(その)故(ゆゑ)は、わか殿原(とのばら)【若殿原】にあらそひてさき
をかけんもおとなげなし、又(また)老武者(らうむしや)とて
人(ひと)のあなどらんも口惜(くちをし)かるべし」と申(まうし)候(さうらひ)しが、
まこと【誠】に染(そめ)て候(さうらひ)けるぞや。あらは【洗は】せて御(ご)らん
候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、「さもあるらん」とて、あらはせ
て見(み)給(たま)へば、白髪(はくはつ)にこそ成(なり)にけれ。錦(にしき)の
直垂(ひたたれ)をきたりける事(こと)は、斎藤(さいとう)別当(べつたう)、最後(さいご)
のいとま申(まうし)に大臣殿(おほいとの)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)けるは、「さね
もり【実盛】が身(み)ひとつ【一つ】の事(こと)では候(さうら)はねども、一年(ひととせ)東
P07061
国(とうごく)へむかひ【向ひ】候(さうらひ)し時(とき)、水鳥(みづとり)の羽音(はおと)におどろいて、
矢(や)ひとつ【一つ】だにも射(い)ずして、駿河(するが)のかん原(ばら)【蒲原】より
にげのぼ(ッ)【上つ】て候(さうらひ)し事(こと)、老後(らうご)の恥辱(ちじよく)ただ此(この)
事(こと)候(ざうらふ)。今度(こんど)北国(ほつこく)へむかひ【向ひ】ては、討死(うちじに)仕(つかまつり)候(さうらふ)べし。さ
らんにと(ッ)ては、実守【*実盛】(さねもり)もと越前国(ゑちぜんのくに)の者(もの)で候(さうらひ)し
かども、近年(きんねん)御領(ごりやう)につい【付い】て武蔵(むさし)の長井(ながゐ)に
居住(きよぢゆう)せしめ候(さうらひ)き。事(こと)の喩(たとへ)候(さうらふ)ぞかし。古郷(こきやう)へ
は錦(にしき)をきて帰(かへ)れといふ事(こと)の候(さうらふ)。錦(にしき)の直
垂(ひたたれ)御(おん)ゆるし候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、大臣殿(おほいとの)「やさしう
P07062
申(まうし)たる物(もの)かな」とて、錦(にしき)の直垂(ひたたれ)を御免(ごめん)あり【有り】
けるとぞ聞(きこ)えし。昔(むかし)の朱買臣(しゆばいしん)は錦(にしき)の
袂(たもと)を会稽山(くわいけいざん)に翻(ひるがへ)し、今(いま)の斎藤(さいとう)別当(べつたう)は其(その)
名(な)を北国(ほつこく)の巷(ちまた)にあぐとかや。朽(くち)もせぬむな
しき【空しき】名(な)のみとどめ【留め】をき(おき)て、かばねは越路(こしぢ)
の末(すゑ)の塵(ちり)となるこそかなしけれ。去(さんぬる)四月(しぐわつ)十
七日(じふしちにち)、十万(じふまん)余騎(よき)にて都(みやこ)を立(たち)し事(こと)がらは、なに
面(おもて)をむかふ【向ふ】べしともみえざりしに、今(いま)五月(ごぐわつ)下
旬(げじゆん)に帰(かへ)りのぼるには、其(その)勢(せい)わづかに二万(にまん)余騎(よき)、
P07063
「流(ながれ)をつくしてすなどる時(とき)は、おほく【多く】のうを【魚】を
う【得】といへども、明年(めいねん)に魚(うを)なし。林(はやし)をやいて
かる【狩る】時(とき)は、おほく【多く】のけだもの【獣】をう【得】といへども、
明年(めいねん)に獣(けだもの)なし。後(のち)を存(ぞん)じて少々(せうせう)はのこ
さるべかりける物(もの)を」と申(まうす)人々(ひとびと)もあり【有り】けると
『還亡(げんばう)』S0709
かや。○上総督忠清、飛弾督景家は、おととし(をととし)入道
相国薨ぜられける時、ともに出家したりけるが、
今度北国にて子ども皆亡びぬときいて
其おもひのつもりにや、つゐに(つひに)【遂に】なげき死にぞ
P07064
しににける。是(これ)をはじめておやは子(こ)にをくれ(おくれ)、
婦(め)は夫(おつと)(ヲツト)にわかれ、凡(およそ)遠国(をんごく)近国(きんごく)もさこそあり
けめ、京中(きやうぢゆう)には家々(いへいへ)に門戸(もんこ)を閉(とぢ)て、声々(こゑごゑ)
に念仏(ねんぶつ)申(まうし)おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】事(こと)おびたたし【夥し】。六月(ろくぐわつ)
一日(ひとひのひ)、蔵人(くらんどの)右衛門権佐(うゑもんのごんのすけ)定長(さだなが)、神祇(じんぎの)権少副(ごんのせう)(ごんのユウ)大中臣(おほなかとみの)
親俊(ちかとし)を殿上(てんじやう)の下口(しもぐち)へめし【召し】て、兵革(ひやうがく)しづまらば、
大神宮(だいじんぐう)へ行幸(ぎやうがう)なるべきよし仰下(おほせくだ)さる。大神
宮(だいじんぐう)は高間[B ノ]原(たかまのはら)より天(あま)くだらせ給(たま)ひしを、崇神
天皇(しゆじんてんわう)の御宇(ぎよう)廿五年(にじふごねん)三月(さんぐわつ)に、大和国(やまとのくに)笠縫(かさぬひ)(カサヌイ)の里(さと)
P07065
より伊勢国(いせのくに)わたらひ【度会】の郡(こほり)五十鈴(いすず)の河上(かはかみ)、
したつ石根(いはね)【下津石根】に大宮柱(おほみやばしら)をふとしきたて【太敷立て】、
祝(あがめ)そめたてま(ッ)【奉つ】てよりこのかた、日本(につぽん)六十(ろくじふ)
余州(よしう)、三千七百五十(さんぜんしちひやくごじふ)余社(よしや)の、大小(だいせう)の神祇(じんぎ)
冥道(みやうだう)のなかには無双(ぶそう)也(なり)。され共(ども)代々(だいだい)の御
門(みかど)臨幸(りんかう)はなかりしに、奈良御門(ならのみかど)の御時(おんとき)、
左大臣(さだいじん)不比等(ふひとう)の孫(まご)、参議(さんぎ)式部卿(しきぶきやう)宇合(うがふ)(ウガウ)
の子(こ)、右近衛[B ノ](うこんゑの)権少将(ごんのせうしやう)兼(けん)太宰少弐(ださいのせうに)藤原広
嗣(ふじはらのひろつぎ)といふ人(ひと)あり【有り】けり。天平(てんびやう)十五年(じふごねん)十月(じふぐわつ)、
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肥前国(ひぜんのくに)松浦郡(まつらのこほり)にして、数万(すまん)の凶賊(きようぞく)を
かたら(ッ)て国家(こつか)を既(すで)にあやぶめんとす。是(これ)
によ(ッ)て大野(おほの)のあづま人(うど)を大将軍(たいしやうぐん)にて、
広嗣(ひろつぎ)追討(ついたう)せられし時(とき)、はじめて大神宮(だいじんぐう)
へ行幸(ぎやうがう)なりけるとかや。其(その)例(れい)とぞ聞(きこ)えし。
彼(かの)広嗣(ひろつぎ)は肥前(ひぜん)の松浦(まつら)より都(みやこ)へ一日(いちにち)におり
のぼる馬(むま)を持(もち)たりけり。追討(ついたう)せられし
時(とき)も、みかた【御方】の凶賊(きようぞく)おち【落ち】ゆき、皆(みな)亡(ほろび)て後(のち)、
件(くだん)の馬(むま)にうちの(ッ)【乗つ】て、海中(かいちゆう)へ馳入(はせいり)けるとぞ
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聞(きこ)えし。その亡霊(ばうれい)あれ【荒れ】て、おそろしき【恐ろしき】事(こと)
ども【共】おほかり【多かり】けるなかに、天平(てんびやう)十六年(じふろくねん)
六月(ろくぐわつ)十八日(じふはちにち)、筑前国(ちくぜんのくに)みかさ【見笠】の郡(こほり)太宰府(ださいふ)
の観世音寺(くわんぜおんじ)、供養(くやう)ぜられける導師(だうし)には、
玄房僧正(げんばうそうじやう)とぞきこえ【聞え】し。高座(かうざ)にのぼり、
敬白(けいひやく)の鐘(かね)うちならす時(とき)、俄(にはか)に空(そら)かき曇(くもり)、
雷(いかづ)ちおびたたしう【夥しう】鳴(なつ)て、玄房(げんばう)の上(うへ)に
おち【落ち】かかり、その首(かうべ)をと(ッ)て雲(くも)のなかへぞ
入(いり)にける。広嗣(ひろつぎ)調伏(てうぶく)したりけるゆへ(ゆゑ)【故】とぞ
P07068
聞(きこ)えし。彼(かの)僧正(そうじやう)は、吉備大臣(きびのだいじん)入唐(につたう)の時(とき)あひ【相】
ともな(ッ)て、法相宗(ほつさうじゆう)(ホツサウジウ)わたしたりし人(ひと)也(なり)。
唐人(たうじん)が玄房(げんばう)といふ名(な)をわら(ッ)【笑つ】て、「玄房(げんばう)とは
〔かへ(ッ)【還つ】て〕ほろぶ【亡ぶ】といふ音(こゑ)(コヘ)あり【有り】。いか様(さま)にも帰朝(きてう)の後(のち)
事(こと)にあふべき人(ひと)なり」と相(さう)したりける
とかや。同(おなじき)天平(てんびやう)十九年(じふくねん)六月(ろくぐわつ)十八日(じふはちにち)、しやれかう
べ【髑髏】に玄房(げんばう)といふ銘(めい)をかいて、興福寺(こうぶくじ)の庭(には)
におとし【落し】、虚空(こくう)に人(ひと)ならば千人(せんにん)[B 「千」に「二三百イ」と傍書]ばかりが声(こゑ)
で、ど(ッ)とわらふ【笑ふ】事(こと)あり【有り】けり。興福寺(こうぶくじ)は
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法相宗(ほつさうじゆう)の寺(てら)たるによ(ッ)て也(なり)。彼(かの)僧正(そうじやう)の弟
子共(でしども)是(これ)をと(ッ)てつか【塚】をつき、其(その)首(くび)をおさ
め(をさめ)【納め】て頭墓(づはか)と名付(なづけ)て今(いま)にあり【有り】。是(これ)則(すなはち)
広嗣(ひろつぎ)が霊(れい)のいたす【致す】ところ【所】なり。是(これ)によ(ッ)て
彼(かの)亡霊(ばうれい)を崇(あがめ)られて、今(いま)松浦(まつら)の鏡(かがみ)の宮(みや)と
号(かう)す。嵯峨(さがの)皇帝(くわうてい)の御時(おんとき)は、平城(へいぜい)の先帝(せんてい)、
内侍(ないし)のかみのすすめによ(ッ)て世(よ)をみだり給(たま)ひ
し時(とき)、その御祈(おんいのり)の為(ため)に、御門(みかど)第三(だいさんの)皇女(くわうによ)ゆう
ち(いうち)【有智】内親王(ないしんわう)を賀茂(かも)の斎院(さいゐん)にたてまいらせ(たてまゐらせ)【立て参らせ】
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給(たま)ひけり。是(これ)斎院(さいゐん)のはじめ也(なり)。朱雀院(しゆしやくゐん)の
御宇(ぎよう)には、将門(まさかど)・純友(すみとも)が兵乱(ひやうらん)によ(ッ)て、八幡(やはた)の
臨時(りんじ)の祭(まつり)をはじめらる。今度(こんど)もかやう【斯様】の
例(れい)をも(ッ)てさまざまの御祈共(おんいのりども)はじめられけり。
『木曾山門牒状(きそさんもんてふじやう)』S0710
○木曾(きそ)、越前(ゑちぜん)の国府(こふ)について、家子(いへのこ)郎等(らうどう)めし【召し】
あつめ【集め】て評定(ひやうぢやう)す。「抑(そもそも)義仲(よしなか)近江国(あふみのくに)をへ
てこそ都(みやこ)へはいらむずるに、例(れい)の山僧(さんぞう)共(ども)は
防(ふせく)事(こと)もやあらんずらん。かけ【駆け】破(やぶつ)てとをら(とほら)【通ら】ん
事(こと)はやすけれ共(ども)、平家(へいけ)こそ当時(たうじ)は仏法(ぶつぽふ)とも【共】
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いはず、寺(てら)をほろぼし、僧(そう)をうしなひ【失ひ】、悪行(あくぎやう)を
ばいたせ、それを守護(しゆご)の為(ため)に上洛(しやうらく)せんものが、
平家(へいけ)とひとつ【一つ】なればとて、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)にむ
か(ッ)【向つ】ていくさ【軍】せん事(こと)、すこし【少し】もたがは【違は】ぬ二(に)の
舞(まひ)なるべし。是(これ)こそさすがやす大事(だいじ)【安大事】よ。いかが
せん」との給(たま)へ【宣へ】ば、手書(てかき)に具(ぐ)せられたる大夫房(だいぶばう)
覚明(かくめい)申(まうし)けるは、「山門(さんもん)の衆徒(しゆと)は三千人(さんぜんにん)候(さうらふ)。必(かなら)ず
一味(いちみ)同心(どうしん)なる事(こと)は候(さうら)はず、皆(みな)思々(おもひおもひ)心々(こころごころ)に候(さうらふ)也(なり)。
或(あるい)は源氏(げんじ)につかんといふ衆徒(しゆと)も候(さうらふ)らん、或(あるい)は又(また)
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平家(へいけ)に同心(どうしん)せんといふ大衆(だいしゆ)も候(さうらふ)らん。牒状(てふじやう)(テウジヤウ)を
つかはし【遣し】て御覧(ごらん)候(さうら)へ。事(こと)のやう【様】返牒(へんてふ)にみえ【見え】候(さうら)
はんずらむ」と申(まうし)ければ、「此(この)儀(ぎ)尤(もつとも)しかる【然る】べし。
さらばかけ【書け】」とて、覚明(かくめい)に牒状(てふじやう)かかせて、山門(さんもん)へ
をくる(おくる)【送る】。其(その)状(じやう)に云(いはく)、義仲(よしなか)倩(つらつら)平家(へいけ)の悪逆(あくぎやく)を
見(み)るに、保元(ほうげん)平治(へいぢ)よりこのかた、ながく人臣(じんしん)の
礼(れい)をうしなふ【失ふ】。雖然(しかりといへども)、貴賎(きせん)手(て)をつかね、緇素(しそ)
足(あし)をいただく。恣(ほしいまま)に帝位(ていゐ)を進退(しんだい)し、あく【飽く】
まで国郡(こくぐん)をりよ領(りやう)【虜領】す。道理(だうり)非理(ひり)を論(ろん)ぜず、
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権門(けんもん)勢家(せいけ)を追補【*追捕】(ついふく)し、有財(うざい)無財(むざい)をいはず、
卿相(けいしやう)侍臣(ししん)を損亡(そんまう)す。其(その)資財(しざい)を奪取(うばひとつ)て
悉(ことごとく)郎従(らうじゆう)にあたへ、彼(かの)庄園(しやうゑん)を没取(もつしゆ)して、
みだり
がはしく子孫(しそん)にはぶく。就中(なかんづく)に去(さんぬる)治承(ぢしよう)三年(さんねん)
十一月(じふいちぐわつ)、法皇(ほふわう)を城南(せいなん)の離宮(りきゆう)に移(うつ)し奉(たてまつ)る。
博陸(はくりく)を海城(かいせい)の絶域(ぜつゐき)に流(なが)し奉(たてまつ)る。衆庶(しゆそ)物(もの)
いはず、道路(たうろ)目(め)をも(ッ)てす。しかのみならず、同(おなじき)四年(しねん)
五月(ごぐわつ)、二(に)の宮(みや)の朱閣(しゆかく)をかこみ奉(たてまつ)り、九重(きうちよう)の垢
塵(こうちん)をおどろかさしむ。爰(ここ)に帝子(ていし)非分(ひぶん)の害(がい)
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をのがれ【逃れ】んがために、ひそかに園城寺(をんじやうじ)へ入御(じゆぎよ)
の時(とき)、義仲(よしなか)先日(せんにち)に令旨(りやうじ)を給(たまは)るによ(ッ)て、鞭(むち)を
あげんとほ(ッ)する処(ところ)に、怨敵(をんでき)巷(ちまた)にみちて予
参(よさん)道(みち)をうしなふ。近境(きんけい)の源氏(げんじ)猶(なほ)参候(さんこう)せず、況(いはん)
や遠境(ゑんけい)においてをや。しかる【然る】を園城(をんじやう)は分限(ぶんげん)
なきによ(ッ)て南都(なんと)へおもむか【赴むか】しめ給(たま)ふ間(あひだ)、宇治
橋(うぢはし)にて合戦(かつせん)す。大将(だいしやう)三位(さんみ)入道(にふだう)頼政(よりまさ)父子(ふし)、命(めい)を
かろんじ、義(ぎ)をおもんじて、一戦(いつせん)の功(こう)をはげま
すといへども、多勢(たせい)のせめ【攻め】をまぬかれ【免かれ】ず、形骸(けいがい)
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を古岸(こがん)の苔(こけ)にさらし、性命(せいめい)を長河(ちやうか)の浪(なみ)に
ながす。令旨(りやうじ)の趣(おもむき)肝(きも)に銘(めい)じ、同類(どうるい)のかなしみ
魂(たましひ)をけつ。是(これ)によ(ッ)て東国(とうごく)北国(ほつこく)の源氏等(げんじら)をの
をの(おのおの)【各々】参洛(さんらく)を企(くはた)て、平家(へいけ)をほろぼさんとほ(ッ)す。
義仲(よしなか)去(いん)じ年(とし)の秋(あき)、宿意(しゆくい)を達(たつ)せんが為(ため)に、
旗(はた)をあげ剣(けん)をと(ッ)て信州(しんしう)を出(いで)し日(ひ)、越後(ゑちご)
の国(くに)の住人(ぢゆうにん)城(じやうの)四郎(しらう)ながもち【長茂】、数万(すまん)の軍兵(ぐんびやう)
を率(そつ)して発向(はつかう)せしむる間(あひだ)、当国(たうごく)横田川原(よこたがはら)
にして合戦(かつせん)す。義仲(よしなか)わづかに三千(さんぜん)余騎(よき)を
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も(ッ)て、彼(かの)数万(すまん)の兵(つはもの)を破(やぶ)りおは(ン)(をはん)ぬ。風聞(ふうぶん)ひろ
きに及(およん)で、平氏(へいじ)の大将(だいしやう)十万(じふまん)の軍士(ぐんし)を率(そつ)
して北陸(ほくろく)に発向(はつかう)す。越州(ゑつしう)・賀州(かしう)・砥浪(となみ)・黒坂(くろさか)・塩
坂(しほさか)・篠原(しのはら)以下(いげ)の城郭(じやうくわく)にして数ケ度(すかど)合戦(かつせん)す。
策(はかりこと)を惟幕(ゐばく)の内(うち)にめぐらして、勝(かつ)事(こと)を咫
尺(しせき)のもとにえたり。しかる【然る】をうてば必(かなら)ず伏(ふく)し、
せむれば必(かなら)ずくだる。秋(あき)の風(かぜ)の芭蕉(ばせう)を破(やぶる)に
異(こと)ならず、冬(ふゆ)の霜(しも)の群葉(ぐんえふ)をからす【枯らす】に同(おな)じ。
是(これ)ひとへに神明(しんめい)仏陀(ぶつだ)のたすけ【助け】也(なり)。更(さら)に義仲(よしなか)が
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武略(ぶりやく)にあらず。平氏(へいじ)敗北(はいぼく)のうへ【上】は参洛(さんらく)を企(くはたつ)る
者(もの)也(なり)。今(いま)叡岳(えいがく)の麓(ふもと)を過(すぎ)て洛陽(らくやう)の衢(ちまた)に
いる【入る】べし。此(この)時(とき)にあた(ッ)てひそかに疑貽【*疑殆】(ぎたい)あり【有り】。抑(そもそも)天
台衆徒(てんだいのしゆと)平家(へいけ)に同心(どうしん)歟(か)、源氏(げんじ)に与力(よりき)歟(か)。若(もし)彼(かの)
悪徒(あくと)をたすけ【助け】らるべくは、衆徒(しゆと)にむか(ッ)【向つ】て合
戦(かつせん)すべし。若(もし)合戦(かつせん)をいたさば叡岳(えいがく)の滅亡(めつばう)踵(くびす)
をめぐらすべからず。悲(かなしき)哉(かな)、平氏(へいじ)震襟【*宸襟】(しんきん)を悩(なやま)し、
仏法(ぶつぽふ)をほろぼす間(あひだ)、悪逆(あくぎやく)をしづめんがために
義兵(ぎへい)を発(おこ)す処(ところ)に、忽(たちまち)に三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)に向(むかつ)て
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不慮(ふりよ)の合戦(かつせん)を致(いたさ)ん事(こと)を。痛(いたましき)哉(かな)、医王(いわう)山王(さんわう)に
憚(はばかり)奉(たてまつり)て、行程(かうてい)に遅留(ちりう)せしめば、朝廷(てうてい)緩
怠(くわんたい)の臣(しん)として武略(ぶりやく)瑕瑾(かきん)のそしりをのこ
さん事(こと)を。みだりがはしく進退(しんだい)に迷(まどつ)て案内(あんない)
を啓(けい)する所(ところ)也(なり)。乞願(こひねがはく)は三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)、神(かみ)のため、〔仏(ほとけ)のため、〕
国(くに)のため、君(きみ)の為(ため)に、源氏(げんじ)に同心(どうしん)して凶徒(きようど)を
誅(ちゆう)し、鴻化(こうくわ)に浴(よく)せん。懇丹(こんたん)の至(いたり)に堪(たへ)ず。義仲(よしなか)
恐惶(きようくわう)謹言(つつしんでまうす)。寿永(じゆえい)二年(にねん)六月(ろくぐわつ)十日(とをかのひ)源(みなもとの)義仲(よしなか)進上(しんじやう)
『返牒(へんてふ)』S0711
恵光坊(ゑくわうばうの)律師(りつしの)御房(おんばう)とぞかい【書い】たりける。○案(あん)のごとく、
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山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)此(この)状(じやう)を披見(ひけん)して、僉議(せんぎ)まちまち
なり。或(あるい)は源氏(げんじ)につかんといふ衆徒(しゆと)もあり、或(あるい)は
又(また)平家(へいけ)に同心(どうしん)せんといふ大衆(だいしゆ)もあり【有り】。おもひおもひ【思ひ思ひ】
異儀(いぎ)まちまち也(なり)。老僧共(らうそうども)の僉議(せんぎ)しけるは、「詮(せんず)る
所(ところ)、我等(われら)も(ッ)ぱら【専ら】金輪聖主(きんりんせいしゆ)天長地久(てんちやうちきう)と祈(いのり)奉(たてまつ)る。平
家(へいけ)は当代(たうだい)の御外戚(ごぐわいせき)、山門(さんもん)にをいて(おいて)帰敬(ききやう)をいたさる。
されば今(いま)に至(いた)るまで彼(かの)繁昌(はんじやう)を祈誓(きせい)す。し
かりといへども、悪行(あくぎやう)法(ほふ)に過(すぎ)て万人(ばんじん)是(これ)を背(そむ)
く。討手(うつて)を国々(くにぐに)へつかはす【遣す】といへ共(ども)、かへ(ッ)て【却つて】異賊(いぞく)
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のためにほろぼさる。源氏(げんじ)は近年(きんねん)より
このかた、度々(どど)のいくさ【軍】に討勝(うちかつ)て運命(うんめい)ひら
けんとす。なんぞ当山(たうざん)ひとり宿運(しゆくうん)つき
ぬる平家(へいけ)に同心(どうしん)して、運命(うんめい)ひらくる源
氏(げんじ)をそむかんや。すべからく平家(へいけ)値遇(ちぐ)の儀(ぎ)
を翻(ひるがへ)して、源氏(げんじ)合力(かふりよく)の心(こころ)に住(ぢゆう)すべき」よし、一
味(いちみ)同心(どうしん)に僉議(せんぎ)して、返牒(へんてふ)ををくる(おくる)【送る】。木曾殿(きそどの)
又(また)家子(いへのこ)郎等(らうどう)めし【召し】あつめ【集め】て、覚明(かくめい)に此(この)返牒(へんてふ)
をひらかせらる。六月(ろくぐわつ)十日(とをかのひ)の牒状(てふじやう)、同(おなじき)十六日(じふろくにち)到
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来(たうらい)、披閲(ひえつ)のところ【所】に数日(すじつ)の鬱念(うつねん)一時(いつし)に
解散(げさん)す。凡(およそ)平家(へいけ)の悪逆(あくぎやく)累年(るいねん)に及(およん)で、
朝廷(てうてい)の騒動(さうどう)やむ時(とき)なし。事(こと)人口(じんこう)にあり、
異失(いしつ)するにあたはず。夫(それ)叡岳(えいがく)にいた(ッ)ては、
帝都(ていと)東北(とうぼく)の仁祠(じんし)として、国家(こつか)静謐(せいひつ)の精
祈(せいき)をいたす。しかる【然る】を一天(いつてん)久(ひさ)しく彼(かの)夭逆(えうげき)に
をかされて、四海(しかい)鎮(とこしなへ)に其(その)安全(あんせん)をえず。顕密(けんみつ)
の法輪(ほふりん)なきが如(ごと)く、擁護(をうご)の神威(しんゐ)しばしば
すたる。爰(ここに)貴下(きか)適(たまたま)累代(るいたい)武備(ぶび)の家(いへ)に生(むまれ)て、
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幸(さいはひ)に当時(たうじ)政善(せいぜん)【*精撰】の仁(じん)たり。予(あらかじめ)奇謀(きぼう)をめぐ
らして忽(たちまち)に義兵(ぎへい)をおこす。万死(ばんし)の命(めい)を
忘(わすれ)て一戦(いつせん)の功(こう)をたつ。其(その)労(らう)いまだ両年(りやうねん)を
すぎざるに其(その)名(な)既(すで)に四海(しかい)にながる。我(わが)
山(やま)の衆徒(しゆと)、かつがつ以(もつて)承悦(しようえつ)す。国家(こつか)のため、累家(るいか)
のため、武功(ぶこう)を感(かん)じ、武略(ぶりやく)を感(かん)ず。かくのごと
く【如く】ならば則(すなはち)山上(さんじやう)の精祈(せいき)むなしからざる事(こと)
を悦(よろこ)び、海内(かいだい)の恵護(ゑご)おこたりなき事(こと)をしん【知ん】
ぬ。自寺(じじ)他寺(たじ)、常住(じやうぢゆう)の仏法(ぶつぽふ)、本社(ほんじや)末社(まつしや)、祭奠(さいてん)
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の神明(しんめい)、定(さだめ)て教法(けうぼふ)の二(ふた)たび【二度】さかへ(さかえ)【栄え】ん事(こと)を悦(よろこ)び、
崇敬(そうきやう)のふるきに服(ふく)せん事(こと)を隨喜(ずいき)し給(たま)ふ
らむ。衆徒等(しゆとら)が心中(しんぢゆう)、只(ただ)賢察(けんさつ)をたれよ【垂れよ】。然(しかれば)則(すなはち)、
冥(みやう)には十二(じふに)神将(じんじやう)、忝(かたじけな)く医王(いわう)善逝(ぜんぜい)の使者(ししや)と
して凶賊(きようぞく)追討(ついたう)の勇士(ようし)にあひくははり【加はり】、顕(けん)に
は三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)しばらく修学(しゆがく)讃仰(さんぎやう)の勤
節(きんせつ)を止(やめ)て、悪侶(あくりよ)治罰(ぢばつ)の官軍(くわんぐん)をたすけし
めん。止観(しくわん)十乗(じふじよう)の梵風(ぼんぷう)は奸侶(かんりよ)を和朝(わてう)の外(ほか)に
払(はら)ひ、瑜伽(ゆが)三蜜【三密】(さんみつ)の法雨(ほふう)は時俗(しぞく)を尭年(げうねん)の
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昔(むかし)にかへさ【返さ】ん。衆儀(しゆぎ)かくの如(ごと)し。倩(つらつら)是(これ)を察(さつせ)よ。
寿永(じゆえい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)二日(ふつかのひ)大衆等(だいしゆら)とぞかいたりける。
『平家(へいけ)山門(さんもんへの)連署(れんじよ)』S0712
○平家(へいけ)はこれをしら【知ら】ずして、「興福(こうぶく)園城(をんじやう)両寺(りやうじ)は
鬱憤(うつぷん)をふくめる折節(をりふし)なれば、かたらふとも【共】
よもなびかじ。当家(たうけ)はいまだ山門(さんもん)のためにあた
をむすばず、山門(さんもん)又(また)当家(たうけ)のために不忠(ふちゆう)を存(ぞん)
ぜず。山王大師(さんわうだいし)に祈誓(きせい)して、三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)を
かたらはばや」とて、一門(いちもん)の公卿(くぎやう)十人(じふにん)、同心(どうしん)連署(れんじよ)
の願書(ぐわんじよ)をかいて山門(さんもん)へ送(おく)る。其(その)状(じやう)に云(いはく)、敬(うやまつて)白(まうす)、
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延暦寺(えんりやくじ)をも(ッ)て氏寺(うぢてら)に准(じゆん)じ、日吉(ひよし)の社(やしろ)を
も(ッ)て氏社(うじやしろ)として、一向(いつかう)天台(てんだい)の仏法(ぶつぽふ)を仰(あふぐ)べ
き事(こと)。右(みぎ)当家(たうけ)一族(いちぞく)の輩(ともがら)、殊(こと)に祈誓(きせい)する事(こと)
あり【有り】。旨趣(しいしゆ)如何者(いかんとなれば)、叡山(えいさん)は是(これ)桓武天皇(くわんむてんわう)の
御宇(ぎよう)、伝教大師(でんげうだいし)入唐(につたう)帰朝(きてう)の後(のち)、円頓(ゑんどん)の教
法(けうぼふ)を此(この)所(ところ)にひろめ、遮那(しやな)の大戒(だいかい)を其(その)内(うち)に
伝(つたへ)てよりこのかた、専(もつぱら)仏法(ぶつぽふ)繁昌(はんじやう)の霊崛(れいくつ)と
して、鎮護(ちんご)国家(こつか)の道場(だうぢやう)にそなふ。方(まさ)に今(いま)、
伊豆国(いづのくに)の流人(るにん)源(みなもとの)頼朝(よりとも)、其(その)身の咎(とが)を悔(くい)ず、
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かへ(ッ)て【却つて】朝憲(てうけん)を嘲(あざけ)る。しかのみならず奸謀(かんぼう)
にくみして同心(どうしん)をいたす源氏等(げんぢら)、義仲(よしなか)行家(ゆきいへ)
以下(いげ)党(たう)を結(むすび)て数(かず)あり。隣境(りんけい)遠境(ゑんけい)数国(すこく)を
掠領(りやくりやう)(シヨウりやう)し、土宜(とぎ)土貢(とこう)万物(ばんぶつ)を押領(あふりやう)す。これに
よ(ッ)て或(あるい)は累代(るいたい)勲功(くんこう)の跡(あと)をおひ、或(あるいは)当時(たうじ)
弓馬(きゆうば)の芸(げい)にまかせ【任せ】て、速(すみやか)に賊徒(ぞくと)を追
討(ついたう)し、凶党(きようたう)を降伏(がうぶく)すべき由(よし)、いやしくも勅
命(ちよくめい)をふくん【含ん】で、頻(しきり)に征罰(せいばつ)を企(くはた)つ。爰(ここ)に
魚鱗(ぎよりん)鶴翼(くわくよく)の陣(ぢん)、官軍(くわんぐん)利(り)をえず、聖謀(せいぼう)
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先戟(せんげき)【*電戟(てんげき)】の威(ゐ)、逆類(ぎやくるい)勝(かつ)に乗(のる)に似(に)たり。若(もし)神明(しんめい)仏
陀(ぶつだ)の加備(かび)にあらずは、争(いかで)か反逆(ほんぎやく)の凶乱(きようらん)をしづ
めん〔是を以て、一向天台之仏法に帰し、不退日吉の神恩を憑み奉る〕耳(のみ)。何(いかに)況(いはん)や、忝(かたじけな)く臣等(しんら)が曩祖(なうそ)をおもへ【思へ】ば、
本願(ほんぐわん)の余裔(よえい)とい(ッ)つべし。弥(いよいよ)崇重(そうちよう)すべし、弥(いよいよ)
恭敬(くぎやう)すべし。自今(じごん)以後(いご)山門(さんもん)に悦(よろこび)あらば一門(いちもん)
の悦(よろこび)とし、社家(しやけ)に憤(いきどほり)あらば一家(いつか)の憤(いきどほり)とし
て、をのをの(おのおの)【各々】子孫(しそん)に伝(つたへ)てながく失堕(しつだ)せじ。
藤氏(とうじ)は春日社(かすがのやしろ)興福寺(こうぶくじ)をも(ッ)て氏社(うぢやしろ)氏寺(うぢてら)
として、久(ひさ)しく法相(ほつさう)大乗(だいじよう)の宗(しゆう)を帰(き)す。平氏(へいじ)は
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日吉社(ひよしのやしろ)延暦寺(えんりやくじ)をも(ッ)て氏社(うぢやしろ)氏寺(うぢてら)として、まのあた
り円実(ゑんじつ)頓悟(とんご)の教(けう)に値遇(ちぐ)せん。かれはむかし
のゆい跡(せき)【遺跡】[M 「ゆく跡」とあり「ゆく」をミセケチ「ユイ」と傍書]也(なり)、家(いへ)のため、栄幸(えいかう)をおもふ【思ふ】。これは
今(いま)の精祈(せいき)也(なり)、君(きみ)のため、追罰(ついばつ)をこふ【乞ふ】。仰(あふぎ)願(ねがはく)は、
山王(さんわう)七社(しちしや)王子(わうじ)眷属(けんぞく)、東西(とうざい)満山(まんざん)護法(ごほふ)聖衆(しやうじゆ)、十二(じふに)
上願(じやうぐわん)日光(につくわう)月光(ぐわつくわう)、医王(いわう)善逝(ぜんぜい)、無二(むに)の丹誠(たんぜい)を照(てら)
して唯一(ゆいいつ)の玄応(げんおう)を垂(たれ)給(たま)へ。然(しかれば)則(すなはち)じやぼう【邪謀】逆臣(げきしん)
の賊(ぞく)、手(て)を君門(くんもん)につかね、暴逆(ほうぎやく)残害(さんがい)の輩(ともがら)、
首(かうべ)を京土(けいと)に伝(つたへ)ん。仍(よつて)当家(たうけ)の公卿等(くぎやうら)、異口(いく)同音(どうおん)に
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雷(らい)をなして祈誓(きせい)如件(くだんのごとし)。従(じゆ)三位(ざんみ)ぎやう【行】けん【兼】越
前守(ゑちぜんのかみ)平(たひらの)朝臣(あつそん)通盛(みちもり)従(じゆ)三位(ざんみ)行(ぎやう)兼(けん)右近衛(うこんゑの)中将(ちゆうじやう)
平(たひらの)朝臣(あつそん)資盛(すけもり)正(じやう)三位(ざんみ)行(ぎやう)左近衛(さこんゑの)権(ごんの)中将(ちゆうじやう)兼(けん)伊与【*伊予】
守(いよのかみ)平(たひらの)朝臣(あつそん)維盛(これもり)正(じやう)三位(ざんみ)行(ぎやう)左近衛(さこんゑの)中将(ちゆうじやう)兼(けん)播磨[* 「幡摩」と有るのを他本により訂正]守(はりまのかみ)
平(たひらの)朝臣(あつそん)重衡(しげひら)正(じやう)三位(ざんみ)行(ぎよう)右衛門督(うゑもんのかみ)兼(けん)近江(あふみ)遠江守(とほたふみのかみ)
平(たひらの)朝臣(あつそん)清宗(きよむね)参議(さんぎ)正(じやう)三位(ざんみ)皇大后宮(くわうだいこうくうの)大夫(だいぶ)兼(けん)修
理(しゆりの)大夫(だいぶ)加賀(かが)越中守(ゑつちゆうのかみ)平(たひらの)朝臣(あつそん)経盛(つねもり)従(じゆ)二位(にゐ)行(ぎやう)中
納言(ちゆうなごん)兼(けん)左兵衛督(さひやうゑのかみ)征夷(せいい)大将軍(たいしやうぐん)平(たひらの)朝臣(あつそん)知盛(とももり)従(じゆ)
二位(にゐ)行(ぎやう)権(ごん)中納言(ぢゆうなごん)兼(けん)肥前守(ひぜんのかみ)平(たひらの)朝臣(あつそん)教盛(のりもり)正(じやう)弐位(にゐ)
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行(ぎやう)権(ごん)大納言(だいなごん)兼(けん)出羽(では)陸奥(みちのくの)按察使(あんぜつし)平(たひらの)朝臣(あつそん)頼盛(よりもり)
従(じゆ)一位(いちゐ)平(たひらの)朝臣(あつそん)宗盛(むねもり)寿永(じゆえい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)五日(いつかのひ)敬(うやまつて)白(まうす)と
ぞかかれたる。貫首(くわんじゆ)是(これ)を憐(あはれ)み給(たま)ひて、左右(さう)
なふ(なう)も披露(ひろう)せられず、十禅師(じふぜんじ)の御殿(ごてん)にこめ
て、三日(さんにち)加持(かぢ)して、其(その)後(のち)衆徒(しゆと)に披露(ひろう)せらる。はじ
めはありともみえ【見え】ざりし一首(いつしゆ)の歌(うた)、願書(ぐわんじよ)の
うは巻(まき)【上巻】にできたり。
たいらか(たひらか)【平か】に花(はな)さくやど【宿】も年(とし)ふれば
西(にし)へかたぶく月(つき)とこそなれ W050
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山王大師(さんわうだいし)あはれみをたれ給(たま)ひ、三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)力(ちから)
を合(あは)せよと也(なり)。されども年(とし)ごろ日比(ひごろ)のふる
まひ【振舞】、神慮(しんりよ)にもたがひ【違ひ】、人望(じんばう)にもそむきに
ければ、いのれどもかなは【叶は】ず、かたらへ共(ども)なびかざり
けり。大衆(だいしゆ)まこと【誠】に事(こと)の体(てい)をば憐(あはれ)みけれ共(ども)、
「既(すで)に源氏(げんじ)に同心(どうしん)の返牒(へんてふ)(ヘンテウ)ををくる(おくる)【送る】。今(いま)又(また)かろ
がろしく其(その)儀(ぎ)をあらたむるにあたはず」とて、
『主上都落(しゆしやうのみやこおち)』S0713
是(これ)を許容(きよよう)する衆徒(しゆと)もなし。○同(おなじき)七月(しちぐわつ)十四日(じふしにち)、
肥後守(ひごのかみ)貞能(さだよし)、鎮西(ちんぜい)の謀反(むほん)たいらげ(たひらげ)【平げ】て、菊池(きくち)・原
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田(はらだ)・松浦党(まつらたう)以下(いげ)三千(さんぜん)余騎(よき)をめし【召し】ぐし【具し】て上洛(しやうらく)
す。鎮西(ちんぜい)は纔(わづか)にたいらげ(たひらげ)【平げ】ども、東国(とうごく)北国(ほつこく)のいくさ【軍】
いかにもしづまらず。同(おなじき)廿二日(にじふににち)の夜半(やはん)ばかり、六
波羅(ろくはら)の辺(へん)おびたたしう【夥しう】騒動(さうどう)す。馬(むま)に鞍(くら)をき(おき)【置き】
腹帯(はるび)しめ、物共(ものども)東西南北(とうざいなんぼく)へはこびかくす。ただ
今(いま)敵(かたき)のうち入(いる)さまなり。あけて後(のち)聞(きこ)えしは、
美濃源氏(みのげんじ)佐渡(さどの)衛門尉(ゑもんのじよう)重貞(しげさだ)といふ者(もの)あり、一(ひと)とせ
保元(ほうげん)の合戦(かつせん)の時(とき)、鎮西(ちんぜい)の八郎(はちらう)為朝(ためとも)がかた【方】の
いくさ【軍】にまけて、おちうとにな(ッ)たりしを、から
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めていだしたりし勧賞(けんじやう)に、もとは兵衛尉(ひやうゑのじよう)
たりしが右衛門尉(うゑもんのじよう)になりぬ。是(これ)によ(ッ)て一門(いちもん)
にはあたま【仇ま】れて平家(へいけ)にへつらひけるが、其(その)
夜(よ)の夜半(やはん)ばかり、六波羅(ろくはら)に馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)ける
は、「木曾(きそ)既(すで)に北国(ほつこく)より五万(ごまん)余騎(よき)でせめ【攻め】の
ぼり、比叡山(ひえいさん)東坂本(ひがしざかもと)にみちみちて候(さうらふ)。郎等(らうどう)に
楯(たて)の六郎(ろくらう)親忠(ちかただ)、手書(てかき)に大夫房(だいぶばう)覚明(かくめい)、六千(ろくせん)余
騎(よき)で天台山(てんだいさん)にきをひ(きほひ)【競ひ】のぼり、三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)皆(みな)
同心(どうしん)して唯今(ただいま)都(みやこ)へ攻入(せめいる)」よし申(まうし)たりける故(ゆゑ)也(なり)。
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平家(へいけ)の人々(ひとびと)大(おほき)にさはい(さわい)【騒い】で、方々(はうばう)へ討手(うつて)をむ
けられけり。大将軍(たいしやうぐん)には、新中納言(しんぢゆうなごん)知盛卿(とももりのきやう)、
本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)重衡卿(しげひらのきやう)、都合(つがふ)其(その)勢(せい)三千(さんぜん)余騎(よき)、
都(みやこ)を立(たつ)てまづ山階(やましな)に宿(しゆく)せらる。越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)
通盛(みちもり)、能登守(のとのかみ)教経(のりつね)、二千(にせん)余騎(よき)で宇治橋(うぢはし)をかた
めらる。左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)、薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)、一千(いつせん)余騎(よき)
で淀路(よどぢ)を守護(しゆご)せられけり。源氏(げんじ)の方(かた)には
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、数千騎(すせんぎ)で宇治橋(うぢはし)より入(いる)とも
聞(きこ)えけり。陸奥(みちのくの)新判官(しんはんぐわん)義康(よしやす)が子(こ)、矢田(やたの)判官
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代(はんぐわんだい)義清(よしきよ)、大江山(おほえやま)をへて上洛(しやうらく)すとも申(まうし)あへり。
摂津国(つのくに)河内(かはち)の源氏等(げんじら)、雲霞(うんか)のごとく【如く】に同(おなじく)
都(みやこ)へみだれ入(いる)よし聞(きこ)えしかば、平家(へいけ)の人々(ひとびと)
「此(この)上(うへ)はただ一所(いつしよ)でいかにもなり給(たま)へ」とて、
方々(はうばう)へむけられたる討手共(うつてども)、都(みやこ)へ皆(みな)よびかへ
さ【返さ】れけり。帝都(ていと)名利地(みやうりのち)、鶏(にはとり)鳴(ない)て安(やす)き事(こと)なし。
おさまれ(をさまれ)【納まれ】る世(よ)だにもかくのごとし【如し】。況(いはん)や乱(みだれ)たる
世(よ)にをいて(おいて)をや。吉野山(よしのやま)の奥(おく)のおくへも
入(いり)なばやとはおぼしけれども、諸国(しよこく)七道(しちだう)悉(ことごとく)
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そむきぬ。いづれの浦(うら)かおだしかるべき。三
界(さんがい)無安(むあん)猶如(ゆによ)火宅(くわたく)とて、如来(によらい)の金言(きんげん)一乗(いちじよう)の
妙文(めうもん)なれば、なじかはすこし【少し】もたがふ【違ふ】べき。
同(おなじき)七月(しちぐわつ)廿四日(にじふしにち)のさ夜(よ)ふけがたに、前(さきの)内大臣(ないだいじん)宗
盛公(むねもりこう)、建礼門院(けんれいもんゐん)のわたらせ給(たま)ふ六波羅殿(ろくはらどの)へ
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まう)されけるは、「此(この)世(よ)のなか【中】のあり様(さま)、さり
ともと存(ぞんじ)候(さうらひ)つるに、いまはかうにこそ候(さうらふ)めれ。
ただ都(みやこ)のうちでいかにもならんと、人々(ひとびと)は申(まうし)
あはれ候(さうら)へ共(ども)、まのあたりうき目(め)をみせ【見せ】まいら
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せ(まゐらせ)【参らせ】むも口惜(くちをしく)候(さうら)へば、院(ゐん)をも内(うち)をもとり奉(たてまつり)
て、西国(さいこく)のかた【方】へ御幸(ごかう)行幸(ぎやうがう)をもなしまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】て見(み)ばやとこそ思(おも)ひな(ッ)て候(さうら)へ」と申(まう)され
ければ、女院(にようゐん)「今(いま)はただともかうも、そこのはか
らひにてあらんずらめ」とて、御衣(ぎよい)の御袂(おんたもと)に
あまる御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず。大臣殿(おほいとの)も
直衣(なほし)の袖(そで)しぼる計(ばかり)にみえ【見え】られけり。其(その)夜(よ)
法皇(ほふわう)をば内々(ないない)平家(へいけ)のとり奉(たてまつり)て、都(みやこ)の外(ほか)へ
落行(おちゆく)べしといふ事(こと)をきこしめさ【聞し召さ】れてや
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あり【有り】けん、按察(あぜちの)大納言(だいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)の子息(しそく)、右馬頭(うまのかみ)
資時(すけとき)計(ばかり)御供(おんとも)にて、ひそかに御所(ごしよ)を出(いで)させ
給(たま)ひ、鞍馬(くらま)へ御幸(ごかう)なる。人(ひと)是(これ)をしらざりけり。
平家(へいけ)の侍(さぶらひ)橘(きち)内左衛門(ないざゑもんの)尉(じよう)季康(すゑやす)といふ者(もの)あり【有り】。
さかざか【賢々】しきおのこ(をのこ)【男】にて、院(ゐん)にもめし【召し】つかは【使は】れ
けり。其(その)夜(よ)しも法住寺殿(ほふぢゆうじどの)に御(お)とのゐして
候(さうらひ)けるに、つねの御所(ごしよ)のかた、よにさはがしう(さわがしう)【騒がしう】ささ
めきあひて、女房達(にようばうたち)しのびね【忍び音】になきな(ン)ど(なんど)
し給(たま)へば、何事(なにごと)やらんと聞(きく)程(ほど)に、「法皇(ほふわう)の俄(にはか)に
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見(み)えさせ給(たま)はぬは。いづ方(かた)へ御幸(ごかう)やらん」といふ
声(こゑ)にききなしつ。「あなあさまし」とて、やがて
六波羅(ろくはら)へ馳(はせ)まいり(まゐり)【参り】、大臣殿(おほいとの)に此(この)由(よし)申(まうし)ければ、
「いで、ひが事(こと)【僻事】でぞあるらむ」との給(たま)ひながら、
ききもあへず、いそぎ法住寺殿(ほふぢゆうじどの)へ馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て見(み)
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へば、げにみえ【見え】させ給(たま)はず。御前(ごぜん)に
候(さうら)はせ給(たま)ふ女房達(にようばうたち)、二位殿(にゐどの)丹後殿(たんごどの)以下(いげ)一人(いちにん)も
はたらき【働き】給(たま)はず。「いかにやいかに」と申(まう)されけれ
共(ども)、「われこそ御(おん)ゆくゑ(ゆくへ)【行方】しりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たれ」と申(まう)さるる
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人(ひと)一人(いちにん)もおはせず、皆(みな)あきれたるやうなり
けり。さる程(ほど)に、法皇(ほふわう)都(みやこ)の内(うち)にもわたらせ
給(たま)はずと申(まうす)程(ほど)こそあり【有り】けれ、京中(きやうぢゆう)の騒動(さうどう)
なのめならず。況(いはん)や平家(へいけ)の人々(ひとびと)のあはて(あわて)【慌て】さは
が(さわが)【騒が】れけるありさま【有様】、家々(いへいへ)に敵(かたき)の打入(うちいり)たりとも【共】、
かぎりあれば、是(これ)には過(すぎ)じとぞ見(み)えし。日比(ひごろ)
は平家(へいけ)院(ゐん)をも内(うち)をもとりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
西国(さいこく)の方(かた)へ御幸(ごかう)行幸(ぎやうがう)をもなし奉(たてまつ)らんと支度(したく)
せられたりしに、かく打(うち)すてさせ給(たま)ひぬれば、
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たのむ【頼む】木(こ)のもとに雨(あめ)のたまらぬ心地(ここち)ぞせら
れける。「さりとては行幸(ぎやうがう)ばかりなり共(とも)なし
まいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」とて、卯剋(うのこく)ばかりに既(すで)に行幸(ぎやうがう)
のみこし【御輿】よせたりければ、主上(しゆしやう)は今年(こんねん)六
歳(ろくさい)、いまだいとけなうましませば、なに心(ごころ)も
なうめされけり。国母(こくも)建礼門院(けんれいもんゐん)御同輿(ごとうよ)にまいら(まゐら)【参ら】
せ給(たま)ふ。内侍所(ないしどころ)、神璽(しんし)、宝剣(ほうけん)わたし奉(たてまつ)る。「印鑰(いんやく)、
時(とき)の札(ふだ)、玄上(けんじやう)、鈴(すず)か【鈴鹿】な(ン)ど(なんど)もとりぐせよ【具せよ】」と平(へい)大
納言(だいなごん)下知(げぢ)せられけれども、あまりにあはて(あわて)【慌て】さは
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い(さわい)【騒い】でとりおとす【落す】物(もの)ぞおほかり【多かり】ける。日(ひ)の御座(ござ)の
御剣(ぎよけん)な(ン)ど(なんど)もとりわすれさせ給(たま)ひけり。やがて
此(この)時忠卿(ときただのきやう)、子息(しそく)蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)、讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)時実(ときざね)三
人(さんにん)ばかりぞ、衣冠(いくわん)にて供奉(ぐぶ)せられける。近衛(こんゑ)
づかさ、御綱(みつな)のすけ、甲冑(かつちう)をよろひ【鎧ひ】、弓箭(きゆうせん)を
帯(たい)して供奉(ぐぶ)せらる。七条(しつでう)を西(にし)へ、朱雀(しゆしやか)を南(みなみ)
へ行幸(ぎやうがう)なる。明(あく)れば七月(しちぐわつ)廿五日(にじふごにち)也(なり)。漢天(かんてん)既(すで)に
ひらきて、雲(くも)東嶺(とうれい)にたなびき、あけがたの
月(つき)しろく【白く】さえ【冴え】て、鶏鳴(けいめい)又(また)いそがはし【忙がはし】。夢(ゆめ)に
P07103
だにかかる事(こと)は見(み)ず。一(ひと)とせ宮(みや)こ【都】うつり
とて俄(にはか)にあはたたしかり(あわたたしかり)しは、かかるべかりける
先表(ぜんべう)とも【共】今(いま)こそおもひ【思ひ】しられけれ。摂政殿(せつしやうどの)
も行幸(ぎやうがう)に供奉(ぐぶ)して御出(ぎよしゆつ)なりけるが、七
条大宮(しつでうおほみや)にてびんづら【鬢】ゆひたる童子(どうじ)の御
車(おんくるま)の前(まへ)をつ(ッ)とはしり【走り】とをる(とほる)【通る】を御覧(ごらん)ずれば、
彼(かの)童子(どうじ)の左(ひだり)の袂(たもと)に、春(はる)の日(ひ)といふ文字(もんじ)ぞ
あらはれ【現はれ】たる。春(はる)の日(ひ)とかいてはかすがとよめば、
法相(ほつさう)擁護(をうご)の春日大明神(かすがだいみやうじん)、大織冠(たいしよくわん)の御末(おんすゑ)を
P07104
まもら【守ら】せ給(たま)ひけりと、たのもしう【頼もしう】おぼしめす【思し召す】
ところ【所】に、件(くだん)の童子(どうじ)の声(こゑ)とおぼしくて、
いかにせん藤(ふぢ)のすゑ葉(ば)のかれゆくを
ただ春(はる)の日(ひ)にまかせ【任せ】てや見(み)ん W051
御供(おんとも)に候(さうらふ)進藤(しんどう)左衛門尉(さゑもんのじよう)高直(たかなほ)ちかふ(ちかう)【近う】めし【召し】て、「倩(つらつら)
事(こと)のていを案(あん)ずるに、行幸(ぎやうがう)はなれ共(ども)御幸(ごかう)
もならず。ゆく末(すゑ)たのもしから【頼もしから】ずおぼしめす【思し召す】
はいかに」と仰(おほせ)ければ、御牛飼(おんうしかひ)に目(め)を見(み)あはせ【合はせ】
たり。やがて心得(こころえ)て御車(おんくるま)をやりかへし、大宮(おほみや)
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のぼりに、とぶが如(ごと)くにつかまつる。北山(きたやま)の辺(へん)知
『維盛都落(これもりのみやこおち)』S0714
足院(ちそくゐん)へいら【入ら】せ給(たま)ふ。○平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)
盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、是(これ)を承(うけたま)は(ッ)てをひ(おひ)【追ひ】とどめ【留め】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】むと頻(しきり)
にすすみけるが、人々(ひとびと)にせいせ【制せ】られてとどまり
けり。小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)維盛(これもり)は、日比(ひごろ)よりおぼしめし【思し召し】
まうけられたりけれ共(ども)、さしあた(ッ)てはかなしかり【悲しかり】
けり。北(きた)のかた【方】と申(まうす)は、故(こ)中[B ノ]御門(なかのみかど)新(しん)大納言(だいなごん)成親
卿(なりちかのきやう)の御(おん)むすめ也(なり)。桃顏(たうがん)露(つゆ)にほころび、紅粉(こうふん)
眼(まなこ)に媚(こび)をなし、柳髪(りうはつ)風(かぜ)にみだるるよそほひ、
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又(また)人(ひと)あるべしとも見(み)え給(たま)はず。六代(ろくだい)御前(ごぜん)
とて、生年(しやうねん)十(とを)になり給(たま)ふ若公(わかぎみ)【若君】、その妹(いもと)
八歳(はつさい)の姫君(ひめぎみ)おはしけり。此(この)人々(ひとびと)皆(みな)をくれ(おくれ)【遅れ】じと
したひ【慕ひ】給(たま)へば、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)の給(たま)ひけるは、「日比(ひごろ)
申(まうし)し様(やう)に、われは一門(いちもん)に具(ぐ)して西国(さいこく)の方(かた)へ
落行(おちゆく)なり。いづくまでも具(ぐ)し奉(たてまつ)るべけれ共(ども)、
道(みち)にも敵(かたき)待(まつ)なれば、心(こころ)やすふ(やすう)【安う】とをら(とほら)【通ら】ん事(こと)も有(あり)
がたし。たとひわれうた【討た】れたりと聞(きき)たまふ【給ふ】共(とも)、
さまな(ン)ど(なんど)かへ給(たま)ふ事(こと)はゆめゆめ有(ある)べからず。その
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ゆへ(ゆゑ)【故】は、いかならん人(ひと)にも見(み)えて、身(み)をもたす
け【助け】、おさなき(をさなき)【幼き】もの【者】共(ども)をもはぐくみ給(たま)ふべし。
情(なさけ)をかくる人(ひと)もなどかなかるべき」と、やうやう
になぐさめ給(たま)へども、北方(きたのかた)とかうの返事(へんじ)
もし給(たま)はず、ひき【引き】かづきてぞふしたまふ【給ふ】。
すでにう(ッ)たたんとし給(たま)へば、袖(そで)にすが(ッ)て、「都(みやこ)
には父(ちち)もなし、母(はは)もなし。捨(すて)られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
後(のち)、又(また)誰(たれ)にかはみゆべきに、いかならんひと【人】にも
見(み)えよな(ン)ど(なんど)承(うけたま)はるこそうらめしけれ【恨めしけれ】。前世(ぜんぜ)の
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契(ちぎり)あり【有り】ければ、人(ひと)こそ憐(あはれ)み給(たま)ふとも【共】、又(また)人(ひと)ごと
にしもや情(なさけ)をかくべき。いづくまでも友(とも)なひ
奉(たてまつ)り、同(おな)じ野原(のばら)の露(つゆ)ともきえ、ひとつ【一つ】
底(そこ)のみくづともならんとこそ契(ちぎり)しに、
さればさ夜(よ)の寝覚(ねざめ)のむつごとは、皆(みな)偽(いつはり)に
なりにけり。せめては身(み)ひとつ【一つ】ならばいかが
せん、すてられ奉(たてまつ)る身(み)のうさをおもひ【思ひ】し(ッ)【知つ】てもとど
まりなん、おさなき(をさなき)【幼き】者共(ものども)をば、誰(たれ)にみ【見】ゆづり、
いかにせよとかおぼしめす。うらめしう【恨めしう】もとどめ【留め】
P07109
給(たま)ふ物(もの)かな」と、且(かつう)はうらみ【恨み】且(かつう)はしたひ給(たま)へば、三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)の給(たま)ひけるは、「誠(まこと)に人(ひと)は十三(じふさん)、われは
十五(じふご)より見(み)そめ奉(たてまつ)り、火(ひ)のなか水(みづ)の底(そこ)へも
ともにいり、ともにしづみ、限(かぎり)ある別路(わかれぢ)まで
も、をくれ(おくれ)【遅れ】先(さき)だたじとこそ申(まうし)しかども、かく
心(こころ)うきあり様(さま)【有様】にていくさ【軍】の陣(ぢん)へおもむけば、
具足(ぐそく)し奉(たてまつ)り、ゆくゑ(ゆくへ)【行方】もしらぬ旅(たび)の空(そら)にて
うき目(め)を見(み)せ奉(たてまつ)らんもうたてかるべし。其
上(そのうへ)今度(こんど)は用意(ようい)も候(さうら)はず。いづくの浦(うら)にも心(こころ)
P07110
やすう落(おち)ついたらば、それよりしてこそ迎(むかへ)に
人(ひと)をもたてまつら【奉ら】め」とて、おもひ【思ひ】き(ッ)てぞたた
れける。中門(ちゆうもん)の廊(らう)に出(いで)て、鎧(よろひ)と(ッ)てき【着】、馬(むま)ひき【引き】
よせさせ、既(すで)にのらんとし給(たま)へば、若公(わかぎみ)【若君】姫君(ひめぎみ)
はしりいで【出で】て、父(ちち)の鎧(よろひ)の袖(そで)、草摺(くさずり)に取(とり)つき、
「是(これ)はさればいづちへとて、わたらせ給(たま)ふぞ。我(われ)
もまいら(まゐら)【参ら】ん、われもゆかん」とめんめん【面々】にしたひ
なき給(たま)ふにぞ、うき世(よ)のきづなとおぼえ
て、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)いとどせんかたなげには見(み)えられける。
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さる程(ほど)に、御弟(おんおとと)新三位(しんざんみの)中将(ちゆうじやう)資盛卿(すけもりのきやう)・左中将(さちゆうじやう)
清経(きよつね)・同(おなじき)少将(せうしやう)有盛(ありもり)・丹後(たんごの)侍従(じじゆう)忠房(ただふさ)・備中守(びつちゆうのかみ)師
盛(もろもり)兄弟(きやうだい)五騎(ごき)、乗(のり)ながら門(もん)のうちへ打入(うちい)り、庭(には)に
ひかへて、「行幸(ぎやうがう)は遥(はるか)にのびさせ給(たま)ひぬらん。いか
にや今(いま)まで」と声々(こゑごゑ)に申(まう)されければ、三位(さんみの)中
将(ちゆうじやう)馬(むま)にうちの(ッ)【乗つ】ていで給(たま)ふが、猶(なほ)ひ(ッ)【引つ】かへし、■(えん)の
きはへうちよせて、弓(ゆみ)のはずで御簾(みす)をざ(ッ)と
かきあげ、「是(これ)御覧(ごらん)ぜよ、おのおの。おさなき(をさなき)【幼き】者
共(ものども)があまりにしたひ候(さうらふ)を、とかうこしらへをか(おか)【置か】んと
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仕(つかまつ)るほど【程】に、存(ぞん)の外(ほか)の遅参(ちさん)」との給(たま)ひもあへず
なか【泣か】れければ、庭(には)にひかへ給(たま)へる人々(ひとびと)皆(みな)鎧(よろひ)
の袖(そで)をぞぬらさ【濡らさ】れける。ここに斎藤五(さいとうご)、斎藤
六(さいとうろく)とて、兄(あに)は十九(じふく)、弟(おとと)は十七(じふしち)になる侍(さぶらひ)あり【有り】。三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)の御馬(おんむま)の左右(さう)のみづつきにとりつき【取り付き】、
いづくまでも御供(おんとも)仕(つかまつ)るべき由(よし)申(まう)せば、三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)の給(たま)ひけるは、「をのれら(おのれら)【己等】が父(ちち)斎藤(さいとう)別当(べつたう)北
国(ほつこく)へくだ(ッ)し時(とき)、汝等(なんぢら)が頻(しきり)に供(とも)せうどいひしかども、
「存(ぞんず)るむねがあるぞ」とて、汝等(なんぢら)をとどめ【留め】をき(おき)、
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北国(ほつこく)へくだ(ッ)て遂(つひ)に討死(うちじに)したりけるは、かかる
べかりける事(こと)を、ふるひ(ふるい)【古い】者(もの)でかねて【予て】知(しり)たり
けるにこそ。あの六代(ろくだい)をとどめ【留め】て行(ゆく)に、心(こころ)や
すうふち【扶持】すべき者(もの)のなきぞ。ただ理(り)をま
げてとどまれ」との給(たま)へ【宣へ】ば、力(ちから)をよば(およば)【及ば】ず、涙(なみだ)
ををさへ(おさへ)【抑へ】てとどまりぬ。北方(きたのかた)は、「としごろ日
比(ひごろ)是(これ)程(ほど)情(なさけ)なかりける人(ひと)とこそ兼(かね)てもおも
は【思は】ざりしか」とて、ふしまろびてぞなかれける。
若公(わかぎみ)【若君】姫君(ひめぎみ)女房達(にようばうたち)は、御簾(みす)の外(ほか)までまろび
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出(いで)て、人(ひと)の聞(きく)をもはばからず、声(こゑ)をはかりに
ぞおめき(をめき)【喚き】さけび【叫び】給(たま)ひける。此(この)声々(こゑごゑ)耳(みみ)の底(そこ)
にとどま(ッ)【留まつ】て、西海(さいかい)のたつ浪(なみ)のうへ【上】、吹(ふく)風(かぜ)の
音(おと)までも聞(きく)様(やう)にこそおもは【思は】れけめ。平家(へいけ)
都(みやこ)を落行(おちゆく)に、六波羅(ろくはら)・池殿(いけどの)・小松殿(こまつどの)、八条(はつでう)・西八条(にしはつでう)
以下(いげ)、一門(いちもん)の卿相(けいしやう)雲客(うんかく)の家々(いへいへ)廿(にじふ)余ケ所(よかしよ)、付々(つきづき)
の輩(ともがら)の宿所(しゆくしよ)宿所(しゆくしよ)、京(きやう)白河(しらかは)に四五万間(しごまんげん)の在家(ざいけ)、一度(いちど)
『聖主(せいしゆ)臨幸(りんかう)』S0715
に火(ひ)をかけて皆(みな)焼払(やきはら)ふ。○或(あるい)は聖主(せいしゆ)臨幸(りんかう)の
地(ち)也(なり)、鳳闕(ほうけつ)むなしく礎(いしずゑ)(イシズヘ)をのこし、鸞輿(らんよ)ただ
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跡(あと)をとどむ。或(あるいは)后妃(こうひ)遊宴(いうえん)(ユウエン)の砌(みぎり)也(なり)、椒房(せうはう)の嵐(あらし)声(こゑ)
かなしみ、腋庭(えきてい)の露(つゆ)色(いろ)愁(うれ)ふ。荘香[B 「香」に「鏡(キヤウ イ)」と下部に傍書](さうきやう)翠帳(すいちやう)の
もとゐ、戈林(くわりん)【*弋林(よくりん)】釣渚[M 「釣法」とあり「法」をミセケチ「渚」と傍書](てうしよ)の館(たち)、槐棘(くわいきよく)の座(ざ)、燕鸞(えんらん)のすみか【栖】、
多日(たじつ)の経営(けいえい)をむなしう【空しう】して、片時(へんし)の灰燼(くわいしん)(クハイシン)と
なりはてぬ。況(いはん)や郎従(らうじゆう)(らうジウ)の蓬■(ほうひつ)にをいて(おいて)
をや。況(いはん)や雑人(ざふにん)(ザウにん)屋舎(をくしや)にをいて(おいて)をや。余炎(よえん)
の及(およぶ)ところ【所】、在々所々(ざいざいしよしよ)数十町(すじつちやう)也(なり)。強呉(きやうご)忽(たちまち)に
ほろびて、姑蘇台(こそたい)の露(つゆ)荊棘(けいぎよく)にうつり、暴
秦(ぼうしん)すでに衰(おとろへ)(ヲトロヘ)て、咸陽宮(かんやうきゆう)の煙(けぶり)へいげいをかくし【隠し】
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けんも、かくやとおぼえて哀(あはれ)也(なり)。日比(ひごろ)は函谷(かんこく)二
■(じかう)のさがしき【嶮しき】をかたう【固う】せしかども、北狄(ほくてき)のため
に是(これ)を破(やぶ)られ、今(いま)は洪河(こうが)■(けい)渭(ゐ)(イ)のふかきをた
のん[B 「ん」に「ミ」と傍書]【頼ん】じか共(ども)、東夷(とうい)のために是(これ)をとられたり。豈(あに)
図(はかり)きや、忽(たちまち)に礼儀(れいぎ)の郷(きやう)を責(せめ)いだされて、泣々(なくなく)
無智(むち)の境(さかひ)(サカイ)に身(み)をよせんと。昨日(きのふ)は雲(くも)の上(うへ)に
雨(あめ)をくだす神竜(しんりよう)(シンリウ)たりき。今日(けふ)は、肆(いちぐら)の辺(ほとり)に
水(みづ)をうしなふ【失ふ】枯魚(こぎよ)の如(ごと)し。禍福(くわふく)(クハフク)道(みち)を同(おなじ)(ヲナジ)うし、
盛衰(じやうすい)掌(たなごころ)をかへす【返す】、いま目(め)の前(まへ)にあり【有り】。誰(たれ)か是(これ)を
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かなしまざらん。保元(ほうげん)のむかしは春(はる)の花(はな)と栄(さかえ)(サカヘ)し
かども、寿永(じゆえい)の今(いま)は秋(あき)の紅葉(もみぢ)と落(おち)はてぬ。去(さんぬる)
治承(ぢしよう)四年(しねん)七月(しちぐわつ)、大番(おほばん)のために上洛(しやうらく)したりける
畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)重能(しげよし)・小山田(をやまだの)別当(べつたう)有重(ありしげ)・宇津宮左衛門(うつのみやのさゑもん)
朝綱(ともつな)、寿永(じゆえい)までめし【召し】こめられたりしが、其(その)時(とき)
既(すで)にきら【斬ら】るべかりしを、新中納言(しんぢゆうなごん)知盛卿(とももりのきやう)申(まう)
されけるは、「御運(ごうん)だにつきさせ給(たま)ひなば、これら
百人(ひやくにん)千人(せんにん)が頸(くび)をきらせ給(たま)ひたり共(とも)、世(よ)をとら
せ給(たま)はん事(こと)難(かた)かるべし。古郷(こきやう)には妻子(さいし)所従等(しよじゆうら)(しよジウら)
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いかに歎(なげき)かなしみ候(さうらふ)らん。若(もし)不思議(ふしぎ)に運命(うんめい)
ひらけて、又(また)宮古(みやこ)へたちかへらせ給(たま)はん時(とき)は、あり
がたき御情(おんなさけ)でこそ候(さうら)はんずれ。ただ理(り)をまげて
本国(ほんごく)へ返(かへ)し遣(つかは)さるべうや候(さうらふ)らむ」と申(まう)されけれ
ば、大臣殿(おほいとの)「此(この)儀(ぎ)尤(もつとも)しかる【然る】べし」とて、いとまをたぶ。
これらかうべを地(ち)につけ、涙(なみだ)をながい【流い】て申(まうし)ける
は、「去(さんぬる)治承(ぢしよう)より今(いま)まで、かひなき命(いのち)をた
すけ【助け】られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうら)へば、いづくまでも御供(おんとも)
に候(さうらひ)て、行幸(ぎやうがう)の御(おん)ゆくゑ(ゆくへ)【行方】を見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と頻(しきり)に
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申(まうし)けれ共(ども)、大臣殿(おほいとの)「汝等(なんぢら)が魂(たましひ)(タマシイ)は皆(みな)東国(とうごく)にこそ
あるらんに、ぬけがらばかり西国(さいこく)へめし【召し】ぐす【具す】べ
き様(やう)なし。いそぎ下(くだ)れ」と仰(おほせ)られければ、力(ちから)なく
涙(なみだ)ををさへ(おさへ)【抑へ】て下(くだ)りけり。これらも廿(にじふ)余年(よねん)
『忠教【*忠度】都落(ただのりのみやこおち)』S0716
のしう(しゆう)【主】なれば、別(わかれ)の涙(なみだ)おさへ【抑へ】がたし。○薩摩守(さつまのかみ)
忠教【*忠度】(ただのり)は、いづくよりやかへら【帰ら】れたりけん、侍(さぶらひ)五騎(ごき)、
童(わらは)(ハラハ)一人(いちにん)、わが身(み)とも【共】に七騎(しちき)取(とつ)て返(かへ)し、五条(ごでう)
の三位(さんみ)俊成卿(しゆんぜいのきやう)の宿所(しゆくしよ)におはして見(み)給(たま)へば、
門戸(もんこ)をとぢて開(ひら)かず。「忠教【*忠度】(ただのり)」と名(な)のり給(たま)へば、
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「おちうと【落人】帰(かへ)りきたり」とて、その内(うち)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】あへり。
薩摩守(さつまのかみ)馬(むま)よりおり、みづからたからかにの給(たまひ)
けるは、「別(べち)の子細(しさい)候(さうら)はず。三位殿(さんみどの)に申(まうす)べき事(こと)
あ(ッ)て、忠教【*忠度】(ただのり)がかへりまひ(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。門(かど)をひらかれず
とも【共】、此(この)きはまで立(たち)よらせ給(たま)へ」との給(たま)へ【宣へ】ば、俊成卿(しゆんぜいのきやう)
「さる事(こと)あるらん。其(その)人(ひと)ならばくるしかる【苦しかる】まじ。
いれ【入れ】申(まう)せ」とて、門(かど)をあけて対面(たいめん)あり【有り】。事(こと)の
体(てい)何(なに)となふ(なう)哀(あはれ)也(なり)。薩摩守(さつまのかみ)の給(たま)ひけるは、「年
来(としごろ)申(まうし)承(うけたまは)(ッ)て後(のち)、をろか(おろか)【愚】ならぬ御事(おんこと)におもひまい
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らせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へ共(ども)、この二三年(にさんねん)は、京都(きやうと)のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、国々(くにぐに)の
みだれ、併(しかしながら)当家(たうけ)の身(み)の上(うへ)の事(こと)に候(さうらふ)間(あひだ)、そらく【粗略】
を存(ぞん)ぜずといへども、つねにまいり(まゐり)【参り】よる事(こと)
も候(さうら)はず。君(きみ)既(すで)に都(みやこ)を出(いで)させ給(たま)ひぬ。一門(いちもん)
の運命(うんめい)はやつき候(さうらひ)ぬ。撰集(せんじふ)のあるべき由(よし)
承(うけたまはり)候(さうらひ)しかば、生涯(しやうがい)の面目(めんぼく)に、一首(いつしゆ)なり共(とも)御恩(ごおん)
をかうぶらうど存(ぞん)じて候(さうらひ)しに、やがて世(よ)の
みだれいできて、其(その)沙汰(さた)なく候(さうらふ)条(でう)、ただ一身(いつしん)
の歎(なげき)と存(ぞんず)る候(ざうらふ)。世(よ)しづまり候(さうらひ)なば、勅撰(ちよくせん)の御
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沙汰(ごさた)候(さうら)はんずらむ。是(これ)に候(さうらふ)巻物(まきもの)のうちに、
さりぬべきもの候(さうら)はば、一首(いつしゆ)なりとも【共】御恩(ごおん)を
蒙(かうぶり)て、草(くさ)の陰(かげ)にてもうれしと存(ぞんじ)候(さうら)はば、
遠(とほ)き御(おん)まもり【守り】でこそ候(さうら)はんずれ」とて、日比(ひごろ)
読(よみ)をか(おか)【置か】れたる歌共(うたども)のなかに、秀歌(しうか)とおぼし
きを百余首(ひやくよしゆ)書(かき)あつめ【集め】られたる巻物(まきもの)を、今(いま)
はとてう(ッ)【打つ】たた【立た】れける時(とき)、是(これ)をと(ッ)てもたれ
たりしが、鎧(よろひ)のひきあはせ【合はせ】より取(とり)いで【出で】て俊
成卿(しゆんぜいのきやう)に奉(たてまつ)る。三位(さんみ)是(これ)をあけてみて、「かかる
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わすれがたみ【忘れ形見】を給(たまはり)をき(おき)候(さうらひ)ぬる上(うへ)は、ゆめゆめ
そらく【粗略】を存(ぞん)ずまじう候(さうらふ)。御疑(おんうたがひ)あるべからず。さて
も唯今(ただいま)の御(おん)わたり【渡】こそ、情(なさけ)もすぐれてふかう【深う】、
哀(あはれ)もこと【殊】におもひ【思ひ】しられて、感涙(かんるい)おさへ【抑へ】がたう
候(さうら)へ」との給(たま)へ【宣へ】ば、薩摩守(さつまのかみ)悦(よろこん)で、「今(いま)は西海(さいかい)の浪(なみ)
の底(そこ)にしづまば沈(しづ)め、山野(さんや)にかばねを
さらさばさらせ、浮世(うきよ)におもひ【思ひ】をく(おく)【置く】事(こと)候(さうら)
はず。さらばいとま申(まうし)て」とて、馬(むま)にうちのり
甲(かぶと)の緒(を)をしめ、西(にし)をさいてぞあゆま【歩ま】せ給(たま)ふ。
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三位(さんみ)うしろを遥(はるか)に見(み)をく(ッ)(おくつ)【送つ】てたたれたれば、
忠教【*忠度】(ただのり)の声(こゑ)とおぼしくて、「前途(せんど)程(ほど)遠(とほ)し、
思(おもひ)を鴈山(がんさん)の夕(ゆふべ)の雲(くも)に馳(はす)」と、たからかに
口(くち)ずさみ給(たま)へば、俊成卿(しゆんぜいのきやう)いとど名残(なごり)おしう(をしう)【惜しう】
おぼえて、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)【抑へ】てぞ入(いり)給(たま)ふ。其(その)後(のち)世(よ)
しづま(ッ)て、千載集(せんざいしふ)を撰(せん)ぜられけるに、忠教【*忠度】(ただのり)
のあり【有り】しあり様(さま)、いひをき(おき)しことの葉(は)、今
更(いまさら)おもひ【思ひ】いで【出で】て哀(あはれ)也(なり)ければ、彼(かの)巻物(まきもの)のうち
にさりぬべき歌(うた)いくらもあり【有り】けれ共(ども)、勅勘(ちよつかん)の
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人(ひと)なれば、名字(みやうじ)をばあらはされず、故郷花(こきやうのはな)
といふ題(だい)にてよまれたりける歌(うた)一首(いつしゆ)ぞ、
読人(よみびと)しら【知ら】ずと入(いれ)られける。
さざなみや志賀(しが)の都(みやこ)はあれにしを
むかしながらの山(やま)ざくらかな W052
其(その)身(み)朝敵(てうてき)となりにし上(うへ)は、子細(しさい)にをよば(およば)【及ば】
ずといひながら、うらめしかり【恨めしかり】し事(こと)ども【共】也(なり)。
『経正都落(つねまさのみやこおち)』S0717
○修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもり)の子息(しそく)、皇后宮(くわうごうぐう)の亮(すけ)経正(つねまさ)、幼少(えうせう)
にては仁和寺(にんわじ)の御室(おむろ)の御所(ごしよ)に、童形(とうぎやう)にて候(さうら)
P07126
はれしかば、かかる■劇【怱劇】(そうげき)の中(なか)にも其(その)御名残(おんなごり)
き(ッ)とおもひ【思ひ】出(いで)て、侍(さぶらひ)五六騎(ごろくき)めし【召し】具(ぐ)して、
仁和寺殿(にんわじどの)へ馳(はせ)まいり(まゐり)【参り】、門前(もんぜん)にて馬(むま)よりおり、
申入(まうしいれ)られけるは、「一門(いちもん)運(うん)尽(つき)てけふ既(すで)に帝都(ていと)
を罷出(まかりいで)候(さうらふ)。うき世(よ)におもひ【思ひ】のこす事(こと)とては、
ただ君(きみ)の御名残(おんなごり)ばかり也(なり)。八歳(はつさい)の時(とき)まいり(まゐり)【参り】
はじめ候(さうらひ)て、十三(じふさん)で元服(げんぶく)仕(つかまつり)しまでは、あひ
いたはる事(こと)の候(さうら)はぬ外(ほか)は、あからさまにも御
前(ごぜん)を立(たち)さる事(こと)も候(さうら)はざりしに、けふより後(のち)、
P07127
西海(さいかい)千里(せんり)の浪(なみ)におもむい【赴むい】て、又(また)いづれの日(ひ)
いづれの時(とき)帰(かへ)りまいる(まゐる)【参る】べしともおぼえぬ
こそ、口惜(くちをし)く候(さうら)へ。今(いま)一度(いちど)御前(ごぜん)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、君(きみ)をも
見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たふ(たう)候(さうら)へども、既(すで)に甲冑(かつちう)をよろひ【鎧ひ】、
弓箭(きゆうせん)を帯(たい)し、あらぬさまなるよそほ
ひ【粧】に罷成(まかりなり)て候(さうら)へば、憚(はばかり)存(ぞんじ)候(さうらふ)」とぞ申(まう)されける。
御室(おむろ)哀(あはれ)におぼしめし【思し召し】、「ただ其(その)すがたを改(あらた)
めずしてまいれ(まゐれ)【参れ】」とこそ仰(おほせ)けれ。経正(つねまさ)、其(その)
日(ひ)は紫地(むらさきぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、萌黄(もえぎ)の匂(にほひ)の
P07128
鎧(よろひ)きて、長覆輪(ながぶくりん)の太刀(たち)をはき、きりう(きりふ)【切斑】
の矢(や)おひ【負ひ】、滋藤(しげどう)の弓(ゆみ)わきにはさみ【鋏み】、甲(かぶと)を
ばぬぎたかひもにかけ、御前(おまへ)の御坪(おつぼ)に
畏(かしこま)る。御室(おむろ)やがて御出(おんいで)あ(ッ)て、御簾(みす)たかく
あげさせ、「是(これ)へこれへ」とめされければ、大
床(おほゆか)へこそまいら(まゐら)【参ら】れけれ。供(とも)に具(ぐ)せられたる
藤兵衛(とうびやうゑ)有教(ありのり)をめす。赤地(あかぢ)の錦(にしき)の袋(ふくろ)
に入(いれ)たる御琵琶(おんびは)も(ッ)てまいり(まゐり)【参り】たり。経正(つねまさ)是(これ)
をとりついで、御前(ごぜん)にさしをき(おき)、申(まう)されけるは、
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「先年(せんねん)下(くだ)しあづか(ッ)て候(さうらひ)し青山(せいざん)もたせま
い(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。あまりに名残(なごり)はおしう(をしう)【惜しう】候(さうら)へども、さしも
の名物(めいぶつ)を田舎(でんじや)の塵(ちり)になさん事(こと)、口惜(くちをし)う
候(さうらふ)。若(もし)不思議(ふしぎ)に運命(うんめい)ひらけて、又(また)都(みやこ)へ立帰(たちかへ)る
事(こと)候(さうら)はば、其(その)時(とき)こそ猶(なほ)下(くだ)しあづかり【預り】候(さうら)はめ」と
泣々(なくなく)申(まう)されければ、御室(おむろ)哀(あはれ)におぼしめし【思し召し】、一
首(いつしゆ)の御詠(ぎよえい)をあそばひ(あそばい)【遊ばい】てくだされけり。
あかずしてわかるる君(きみ)が名残(なごり)をば
のちのかたみにつつみてぞをく(おく)【置く】 W053
P07130
経正(つねまさ)御硯(おんすずり)くださ【下さ】れて、
くれ竹(たけ)のかけひの水(みづ)はかはれども
なを(なほ)【猶】すみあかぬみやの中(うち)かな W054
さていとま申(まうし)て出(いで)られけるに、数輩(すはい)の
童形(とうぎやう)・出世者(しゆつせしや)・坊官(ばうくわん)(バウクハン)・侍僧(さぶらひぞう)(サブライゾウ)に至(いた)るまで、経正(つねまさ)の
袂(たもと)にすがり、袖(そで)をひかへて、名残(なごり)をおしみ(をしみ)【惜しみ】
涙(なみだ)をながさぬはなかりけり。其(その)中(なか)にも、経
正(つねまさ)の幼少(えうせう)の時(とき)、小師(こじ)でおはせし大納言(だいなごんの)法印(ほふいん)
行慶(ぎやうけい)と申(まうしし)は、葉室大納言(はむろのだいなごん)光頼卿(くわうらいのきやう)[* 「光」の左に(クハウ)の振り仮名]の御子(おんこ)也(なり)。
P07131
あまりに名残(なごり)をおしみ(をしみ)【惜しみ】て、桂川(かつらがは)のはたまで
うちをくり(おくり)【送り】、さてもあるべきならねば、それ【其れ】
よりいとまこふ(こう)【乞う】て泣々(なくなく)わかれ給(たま)ふに、法印(ほふいん)
かうぞおもひ【思ひ】つづけ給(たま)ふ。
あはれ【哀】なり老木(おいき)わか木(ぎ)も山(やま)ざくら
をくれ(おくれ)【遅れ】さきだち【先立ち】花(はな)はのこらじ W055
経正(つねまさ)の返事(へんじ)には、
旅(たび)ごろも【旅衣】夜(よ)な夜(よ)な袖(そで)をかたしき【片敷き】て
おもへ【思へ】ばわれはとをく(とほく)【遠く】ゆきなん W056
P07132
さてまい【巻い】てもたせられたる赤旗(あかはた)ざ(ッ)とさし
あげ【差し上げ】たり。あそこここにひかへて待(まち)奉(たてまつ)る侍
共(さぶらひども)、あはやとて馳(はせ)あつまり、その勢(せい)百騎(ひやくき)ばかり、
鞭(むち)をあげ駒(こま)をはやめて、程(ほど)なく行幸(ぎやうがう)に
『青山之(せいざんの)沙汰(さた)』S0718
を(ッ)(おつ)【追つ】つき奉(たてまつ)る。○此(この)経正(つねまさ)十七(じふしち)の年(とし)、宇佐(うさ)の勅
使(ちよくし)を承(うけたま)は(ッ)てくだられけるに、其(その)時(とき)青山(せいざん)
を給(たま)は(ッ)て、宇佐(うさ)へまいり(まゐり)【参り】、御殿(ごてん)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)り
秘曲(ひきよく)をひき給(たま)ひしかば、いつ聞(きき)なれたる
事(こと)はなけれ共(ども)、ともの宮人(みやびと)をしなべて(おしなべて)、
P07133
緑衣(りよくい)の袖(そで)をぞしぼりける。聞(きき)しらぬや
つこまでも村雨(むらさめ)とはまがはじな。目出(めでた)かりし
事共(ことども)なり。彼(かの)青山(せいざん)と申(まうす)御琵琶(おんびは)は、昔(むかし)仁
明天皇(にんみやうてんわうの)御宇(ぎよう)、嘉祥(かしやう)三年(さんねん)の春(はる)、掃部頭(かもんのかみ)貞敏(ていびん)
渡唐(とたう)の時(とき)、大唐(たいたう)の琵琶(びは)の博士(はかせ)廉妾夫(れんせふふ)(レンセウフ)にあひ、
三曲(さんきよく)を伝(つたへ)て帰朝(きてう)せしに、玄象(けんじやう)・師子丸(ししまる)・青山(せいざん)、
三面(さんめん)の琵琶(びは)を相伝(さうでん)してわたり【渡り】けるが、竜神(りゆうじん)
やおしみ(をしみ)【惜しみ】給(たま)ひけむ、浪風(なみかぜ)あらく立(たち)ければ、師子
丸(ししまる)をば海底(かいてい)にしづめ、いま二面(にめん)の琵琶(びは)を
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わたして、吾(わが)朝(てう)の御門(みかど)の御(おん)たからとす。村上(むらかみ)の
聖代(せいたい)応和(おうわ)のころおひ(ころほひ)、三五夜中[B ノ](さんごやちゆうの)新月(しんげつ)白(しろ)く
さえ【冴え】、涼風(りやうふう)颯々(さつさつ)たりし夜(よ)なか半(ば)に、御門(みかど)
清涼殿(せいりやうでん)にして玄象(けんじやう)をぞあそばさ【遊ばさ】れける時(とき)
に、影(かげ)のごとく【如く】なるもの御前(ごぜん)に参(さん)じて、ゆう(いう)【優】
にけだかき声(こゑ)にてしやうが【唱歌】をめでたう仕(つかまつ)る。
御門(みかど)御琵琶(おんびは)をさしをか(おか)【置か】せ給(たま)ひて、「抑(そもそも)汝(なんぢ)はいか
なるもの【者】ぞ。いづくより来(きた)れるぞ」と御尋(おんたづね)あれ
ば、「是(これ)は昔(むかし)貞敏(ていびん)に三曲(さんきよく)をつたへ候(さうらひ)し大唐(たいたう)の
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琶(びは)のはかせ廉妾夫(れんせふふ)(れんゼウフ)と申(まうす)者(もの)で候(さうらふ)が、三曲(さんきよく)
のうち秘曲(ひきよく)を一曲(いつきよく)のこせるO[BH 罪イ]によ(ッ)て、魔道(まだう)へ沈淪(ちんりん)
仕(つかまつり)て候(さうらふ)。今(いま)御琵琶(おんびは)の御撥音(おんばちおと)(おんバチヲト)たへ【妙】にきこえ【聞え】侍(はんべ)る
間(あひだ)、参入(さんにふ)仕(つかまつる)ところ【所】なり。ねがは【願は】くは此(この)曲(きよく)を君(きみ)に
さづけ奉(たてまつ)り、仏果(ぶつくわ)(ぶつクハ)菩提(ぼだい)を証(しよう)(セウ)すべき」由(よし)申(まうし)て、
御前(おんまへ)に立(たて)られたる青山(せいざん)をとり、てんじゆ【転手】を
ねぢて秘曲(ひきよく)を君(きみ)にさづけ奉(たてまつ)る。三曲(さんきよく)のうちに
上玄(しやうげん)石上(せきしやう)是(これ)也(なり)。其(その)後(のち)は君(きみ)も臣(しん)も
おそれ【恐れ】させ
給(たま)ひて、此(この)御琵琶(おんびは)をあそばし【遊ばし】ひく事(こと)もせさ
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せ給(たま)はず。御室(おむろ)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られたりけるを、経
正(つねまさ)の幼少(えうせう)の時(とき)、御最愛(ごさいあい)の童形(とうぎやう)たるによ(ッ)て下(くだ)
しあづかり【預り】たりけるとかや。こう(かふ)【甲】は紫藤(しとう)のこう(かふ)【甲】、
夏山(なつやま)の峯(みね)のみどりの木(こ)の間(ま)より、有明(ありあけ)の月(つき)
のいづる【出づる】を撥面(ばちめん)にかかれたりけるゆへ(ゆゑ)【故】にこそ、
青山(せいざん)とは付(つけ)られたれ。玄象(けんじやう)にもあひをとら(おとら)ぬ
『一門都落(いちもんのみやこおち)』S0719
希代(きたい)の名物(めいぶつ)なりけり。○池(いけ)の大納言(だいなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)も
池殿(いけどの)に火(ひ)をかけて出(いで)られけるが、鳥羽(とば)の南(みなみ)
の門(もん)にひかへつつ、「わすれたる事(こと)あり」とて、
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赤(あか)じるし切捨(きりすて)て、其(その)勢(せい)三百(さんびやく)余騎(よき)、都(みやこ)へと(ッ)てかへ
さ【返さ】れけり。平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、大臣
殿(おほいとの)の御(おん)まへに馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「あれ御覧(ごらん)候(さうら)へ。池殿(いけどの)の御(おん)
とどまり候(さうらふ)に、おほう【多う】の侍共(さぶらひども)のつきまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
罷(まかり)とどまるが奇怪(きつくわい)(キクハイ)におぼえ候(さうらふ)。大納言殿(だいなごんどの)まで
はおそれ【恐れ】も候(さうらふ)。侍(さぶらひ)共(ども)に矢(や)一(ひとつ)いかけ候(さうら)はん」と申(まうし)け
れば、「年来(ねんらい)の重恩(ちようおん)を忘(わすれ)て、今(いま)此(この)ありさま【有様】を
見(み)はてぬ不当人(ふたうじん)をば、さなくとも【共】ありなん」
との給(たま)へ【宣へ】ば、力(ちから)をよば(およば)【及ば】でとどまりけり。「扨(さて)
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小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)はいかに」との給(たま)へ【宣へ】ば、「いまだ御一
所(いつしよ)も見(み)えさせ給(たまひ)候(さうら)はず」と申(まう)す。其(その)時(とき)新中納
言(しんぢゆうなごん)なみだ【涙】をはらはらとながい【流い】て、「都(みやこ)を出(いで)ていまだ一日(いちにち)だにも過(すぎ)ざるに、いつしか人(ひと)の心(こころ)共(ども)
のかはりゆくうたてさよ。まして行(ゆく)すゑとて
もさこそはあらんずらめとおもひ【思ひ】しかば、都(みやこ)の
うちでいかにもならんと申(まうし)つる物(もの)を」とて、大臣
殿(おほいとの)の御(おん)かたをうらめしげ【恨めし気】にこそ見(み)給(たま)ひけれ。
抑(そもそも)池殿(いけどの)のとどまり給(たま)ふ事(こと)をいかにといふに、
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兵衛佐(ひやうゑのすけ)つね【常】は頼盛(よりもり)に情(なさけ)をかけて、「御(おん)かたをば
ま(ッ)たくをろか(おろか)【愚】におもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はず。ただ故(こ)
池殿(いけどの)のわたらせ給(たま)ふとこそ存(ぞんじ)候(さうら)へ。八幡大菩
薩(はちまんだいぼさつ)も御照罰(ごせうばつ)候(さうら)へ」な(ン)ど(なんど)、度々(たびたび)誓状(せいじやう)をも(ッ)て申(まう)
されける上(うへ)、平家(へいけ)追討(ついたう)のために討手(うつて)の使(つかひ)の
のぼる度(たび)ごとに、「相構(あひかまへ)て池殿(いけどの)の侍共(さぶらひども)にむか(ッ)【向つ】て弓(ゆみ)ひくな」な(ン)ど(なんど)情(なさけ)をかくれば、「一門(いちもん)の平家(へいけ)は運(うん)
つき、既(すで)に都(みやこ)を落(おち)ぬ。今(いま)は兵衛佐(ひやうゑのすけ)にたすけ【助け】
られんずるにこそ」との給(たま)ひ【宣ひ】て、都(みやこ)へかへられける
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とぞきこえ【聞え】し。八条(はつでうの)女院(にようゐん)の仁和寺(にんわじ)の常葉(ときは)
どのにわたらせ給(たま)ふにまいり(まゐり)【参り】こもられけり。
女院(にようゐん)の御(おん)めのとご、宰相殿(さいしやうどの)と申(まうす)女房(にようばう)にあひ具(ぐ)
し給(たま)へるによ(ッ)てなり。「自然(しぜん)の事(こと)候(さうら)はば、頼盛(よりもり)
かまへてたすけ【助け】させ給(たま)へ」と申(まう)されけれども、
女院(にようゐん)「今(いま)は世(よ)の世(よ)にてもあらばこそ」とて、たの
もしげ【頼もし気】もなふ(なう)ぞ仰(おほせ)ける。凡(およそ)は兵衛佐(ひやうゑのすけ)ばかり
こそ芳心(はうじん)は存(ぞん)ぜらるるとも、自余(じよ)の源氏
共(げんじども)はいかがあらんずらむ。なまじひに一門(いちもん)にははなれ
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給(たま)ひぬ、波(なみ)にも磯(いそ)にもつかぬ心(ここ)ち【心地】ぞせられ
ける。さる程(ほど)に、小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)は、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)維
盛卿(これもりのきやう)をはじめ奉(たてまつり)て、兄弟(きやうだい)六人(ろくにん)、其(その)勢(せい)千騎(せんぎ)
ばかりにて、淀(よど)のむつだ河原(がはら)【六田河原】にて行幸(ぎやうがう)に
を(ッ)(おつ)【追つ】つき奉(たてまつ)る。大臣殿(おほいとの)待(まち)うけ奉(たてまつ)り、うれしげ【気】
にて、「いかにや今(いま)まで」との給(たま)へ【宣へ】ば、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)「お
さなき(をさなき)【幼き】もの共(ども)があまりにしたひ候(さうらふ)を、とかうこし
らへをか(おか)【置か】んと遅参(ちさん)仕(つかまつり)候(さうらひ)ぬ」と申(まう)されければ、
大臣殿(おほいとの)「などや心(こころ)づよふ(づよう)六代(ろくだい)どのをば具(ぐ)し奉(たてまつり)
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給(たま)はぬぞ」と仰(おほせ)られければ、維盛卿(これもりのきやう)「行(ゆく)すゑ
とてもたのもしう【頼もしう】も候(さうら)はず」とて、とふ【問ふ】につら
さのなみだ【涙】をながされけるこそかなし
けれ。落行(おちゆく)平家(へいけ)は誰々(たれたれ)ぞ。前(さきの)内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)・
平(へい)大納言(だいなごん)時忠(ときただ)・平(へい)中納言(ぢゆうなごん)教盛(のりもり)・新中納言(しんぢゆうなごん)知盛(とももり)・修
理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもり)・右衛門督(うゑもんのかみ)清宗(きよむね)・本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)重衡(しげひら)・小松(こまつの)三
位(さんみの)中将(ちゆうじやう)維盛(これもり)・新三位(しんざんみの)中将(ちゆうじやう)資盛(すけもり)・越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)、
殿上人(てんじやうびと)には蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)・讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)時実(ときざね)・左中将(ひだんのちゆうじやう)
清経(きよつね)・小松(こまつの)少将(せうしやう)有盛(ありもり)・丹後(たんごの)侍従(じじゆう)忠房(ただふさ)・皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)経正(つねまさ)・
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左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)・薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・能登守(のとのかみ)教経(のりつね)・武蔵守(むさしのかみ)
知明【*知章】(ともあきら)・備中守(びつちゆうのかみ)師盛(もろもり)・淡路守(あはぢのかみ)清房(きよふさ)・尾張守(をはりのかみ)清定(きよさだ)・
若狭守(わかさのかみ)経俊(つねとし)・兵部少輔(ひやうぶのせう)正明(まさあきら)・蔵人(くらんどの)大夫(たいふ)成盛【*業盛】(なりもり)・大夫(たいふ)敦
盛[* 「淳盛」と有るのを他本により訂正](あつもり)、僧(そう)には二位(にゐの)僧都(そうづ)専親【*全真】(せんしん)・法勝寺(ほつしようじの)執行(しゆぎやう)能円(のうゑん)・中
納言(ちゆうなごんの)律師(りつし)仲快(ちゆうくわい)、経誦坊(きやうじゆばうの)阿闍梨(あじやり)祐円(いうゑん)、侍(さぶらひ)には受
領(じゆりやう)・検非違使(けんびゐし)・衛府(ゑふ)・諸司(しよし)百六十人(ひやくろくじふにん)、都合(つがふ)其(その)勢(せい)七千(しちせん)
余騎(よき)、是(これ)は東国(とうごく)北国(ほつこく)度々(どど)のいくさ【軍】に、此(この)二三ケ
年(にさんがねん)が間(あひだ)討(うち)もらさ【漏らさ】れて、纔(わづか)に残(のこ)るところ【所】也(なり)。
山崎(やまざき)関戸[B ノ](せきどの)院(ゐん)に玉(たま)の御輿(みこし)をかきすへ(すゑ)【据ゑ】て、男山(をとこやま)を
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ふし拝(をが)み、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)「南無(なむ)帰命(きみやう)頂礼(ちやうらい)
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、君(きみ)をはじめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、我等(われら)都(みやこ)へ
帰(かへ)し入(いれ)させ給(たま)へ」と、祈(いの)られけるこそかなしけれ。
おのおのうしろをかへり見(み)給(たま)へば、かすめる空(そら)
の心(ここ)ち【心地】して、煙(けぶり)のみこころぼそく立(たち)のぼる。平(へい)
中納言(ぢゆうなごん)教盛卿(のりもりのきやう)
はかなしなぬしは雲井(くもゐ)にわかるれば
跡(あと)はけぶりとたちのぼるかな W057
修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもり)
P07145
ふるさとをやけ野(の)の原(はら)にかへりみて
すゑ【末】もけぶりのなみぢをぞゆく【行く】 W058
まこと【誠】に古郷(こきやう)をば一片(いつぺん)の煙塵(えんぢん)に隔(へだて)つつ、前
途(せんど)万里(ばんり)の雲路(うんろ)におもむか【赴か】れけん人々(ひとびと)の心(こころ)
のうち、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)也(なり)。肥後守(ひごのかみ)貞能(さだよし)は、河
尻(かはしり)に源氏(げんじ)まつときい【聞い】て、けちらさ【散らさ】んとて五
百(ごひやく)余騎(よき)で発向(はつかう)したりけるが、僻事(ひがこと)なれば帰(かへ)りのぼる程(ほど)に、うどの【宇度野】の辺(へん)にて行幸(ぎやうがう)に
まいり(まゐり)【参り】あふ。貞能(さだよし)馬(むま)よりとびおり、弓(ゆみ)わきばさみ【鋏み】、
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大臣殿(おほいとの)の御前(おんまへ)に畏(かしこまつ)て申(まうし)けるは、「是(これ)は抑(そもそも)いづち
へとておち【落ち】させ給(たまひ)候(さうらふ)やらん。西国(さいこく)へくだらせ給(たま)ひ
たらば、おち人(うと)とてあそこここにてうちちら
さ【散らさ】れ、うき名(な)をながさせ給(たま)はん事(こと)こそ口惜(くちをしう)候(さうら)へ。
ただ宮古(みやこ)のうちでこそいかにもならせ給(たま)はめ」
と申(まうし)ければ、大臣殿(おほいとの)「貞能(さだよし)はしら【知ら】ぬか。木曾(きそ)既(すで)に
北国(ほつこく)より五万(ごまん)余騎(よき)で攻(せめ)のぼり、比叡山(ひえいさん)東坂本(ひがしざかもと)
にみちみちたんなり。此(この)夜半(やはん)ばかり、法皇(ほふわう)もわた
らせ給(たま)はず。おのおのが身(み)ばかりならばいかがせん、
P07147
女院(にようゐん)二位殿(にゐどの)に、まのあたりうき目(め)を見(み)せまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】んも心(こころ)ぐるしければ、行幸(ぎやうがう)をもなしまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】、人々(ひとびと)をもひき【引き】具(ぐ)し奉(たてまつり)て、一(ひと)まどもやと
おもふ【思ふ】ぞかし」と仰(おほせ)られければ、「さ候(さうら)はば、貞能(さだよし)は
いとま給(たま)は(ッ)て、都(みやこ)でいかにもなり候(さうら)はん」とて、めし【召し】
具(ぐ)したる五百(ごひやく)余騎(よき)の勢(せい)をば、小松殿(こまつどの)の
君達(きんだち)につけ奉(たてまつ)り、手勢(てぜい)卅騎(さんじつき)ばかりで都(みやこ)へ
ひ(ッ)【引つ】かへす【返す】。京中(きやうぢゆう)にのこりとどまる平家(へいけ)の
余党(よたう)をうたんとて、貞能(さだよし)が帰(かへ)り入(いる)よし聞(きこ)えしかば、
P07148
池(いけの)大納言(だいなごん)「頼盛(よりもり)がうへ【上】でぞあるらん」とて、大(おほき)に
おそれ【恐れ】さはが(さわが)【騒が】れけり。貞能(さだよし)は西八条(にしはつでう)のやけ跡(あと)
に大幕(おほまく)ひかせ、一夜(いちや)宿(しゆく)したりけれ共(ども)、帰(かへ)り入(いり)
給(たま)ふ平家(へいけ)の君達(きんだち)一所(いつしよ)もおはせねば、さすが心(こころ)
ぼそうやおもひ【思ひ】けん、源氏(げんじ)の馬(むま)のひづめにかけじ
とて、小松殿(こまつどの)の御(おん)はか【墓】ほらせ、御骨(ごこつ)にむかひ【向ひ】奉(たてまつり)
て泣々(なくなく)申(まうし)けるは、「あなあさまし、御一門(ごいちもん)を御覧(ごらん)
候(さうら)へ。「生(しやう)あるもの【者】は必(かなら)ず滅(めつ)す。楽(たのしみ)尽(つき)て悲(かなし)み
来(きた)る」といにしへより書(かき)をき(おき)たる事(こと)にて候(さうら)へ共(ども)、
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まのあたりかかるうき【憂き】事(こと)候(さうら)はず。君(きみ)はかやう
の事(こと)をまづさとらせ給(たま)ひて、兼(かね)て仏神(ぶつじん)
三宝(さんぼう)に御祈誓(ごきせい)あ(ッ)て、御世(おんよ)をはやう【早う】させまし
ましけるにこそ。ありがたうこそおぼえ候(さうら)へ。
其(その)時(とき)貞能(さだよし)も最後(さいご)の御供(おんとも)仕(つかまつ)るべう候(さうらひ)けるもの
を、かひなき命(いのち)をいきて、今(いま)はかかるうき目(め)に
あひ候(さうらふ)。死期(しご)の時(とき)は必(かなら)ず一仏土(いちぶつど)へむかへ【向へ】させ給(たま)へ」と、
泣々(なくなく)遥(はるか)にかきくどき【口説き】、骨(こつ)をば高野(かうや)へ送(おく)り、
あたりの土(つち)をば賀茂川(かもがは)にながさせ、世(よ)の有様(ありさま)
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たのもしから【頼もしから】ずやおもひ【思ひ】けん、しう(しゆう)【主】とうしろあ
はせ【後ろ合はせ】に東国(とうごく)へこそおち【落ち】ゆき【行き】けれ。宇都宮(うつのみや)をば
貞能(さだよし)が申(まうし)あづか(ッ)て、情(なさけ)ありければ、そのよしみ
にや、貞能(さだよし)又(また)宇都宮(うつのみや)をたのん【頼ん】で下(くだ)りければ、
『福原落(ふくはらおち)』S0720
芳心(はうじん)しけるとぞ聞(きこ)えし。○平家(へいけ)は小松[B ノ](こまつの)三位[B ノ](さんみの)中
将(ちゆうじやう)維盛[B ノ]卿(これもりのきやう)の外(ほか)は、大臣殿(おほいとの)以下(いげ)妻子(さいし)を具(ぐ)せられ
けれ共(ども)、つぎざま【次様】の人共(ひとども)はさのみひき【引き】しろふに
及(およ)ばねば、後会(こうくわい)其(その)期(ご)をしら【知ら】ず、皆(みな)うち捨(すて)てぞ
落行(おちゆき)ける。人(ひと)はいづれの日(ひ)、いづれの時(とき)、必(かなら)ず
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立帰(たちかへ)るべしと、其(その)期(ご)を定(さだめ)をく(おく)【置く】だにも久(ひさ)
しきぞかし。況(いはん)や是(これ)はけふを最後(さいご)、唯今(ただいま)限(かぎり)
の別(わかれ)なれば、ゆくもとどまるも、たがひに
袖(そで)をぞぬらしける。相伝(さうでん)譜代(ふだい)のよしみ、年(とし)
ごろ日比(ひごろ)、重恩(ぢゆうおん)争(いかで)かわする【忘る】べきなれば、老(おい)
たるもわかきもうしろのみかへりみて、
さきへはすすみもやらざりけり。或(あるいは)磯(いそ)べ
の浪枕(なみまくら)、やへ【八重】の塩路(しほぢ)に日(ひ)をくらし、或(あるいは)遠(とほ)き
をわけ、けはしきをしのぎつつ、駒(こま)に鞭(むち)うつ
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人(ひと)もあり、舟(ふね)に棹(さを)さす者(もの)もあり、思(おも)ひ思(おも)ひ
心々(こころごころ)におち【落ち】行(ゆき)けり。福原(ふくはら)の旧都(きうと)につい
て、大臣殿(おほいとの)、しかる【然る】べき侍共(さぶらひども)、老少(らうせう)数百人(すひやくにん)めし【召し】
て仰(おほせ)られけるは、「積善(しやくぜん)の余慶(よけい)家(いへ)につき【尽き】、
積悪(せきあく)の余殃(よわう)身(み)に及(およ)ぶゆへ(ゆゑ)【故】に、神明(しんめい)にもは
なたれ奉(たてまつ)り、君(きみ)にも捨(すて)られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、帝
都(ていと)をいで旅泊(りよはく)にただよふ上(うへ)は、なんのたのみ【頼み】
かあるべきなれども、一樹(いちじゆ)の陰(かげ)にやどるも先
世(ぜんぜ)の契(ちぎり)あさから【浅から】ず。同(おな)じ流(ながれ)をむすぶも、多生(たしやう)
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の縁(えん)猶(なほ)ふかし。いかに況(いはん)や、汝等(なんぢら)は一旦(いつたん)したがひ【従ひ】
つく門客(もんかく)にあらず、累祖(るいそ)相伝(さうでん)の家人(けにん)なり。
或(あるいは)近親(きんしん)のよしみ他(た)に異(こと)なるもあり、或(あるいは)重
代(ぢゆうだい)芳恩(はうおん)是(これ)ふかきもあり、家門(かもん)繁昌(はんじやう)の古(いにしへ)
は恩波(おんぱ)(ヲンパ)によ(ッ)て私(わたくし)をかへりみき。今(いま)なんぞ
芳恩(はうおん)をむくひざらんや。且(かつう)は十善(じふぜん)帝王(ていわう)、三種(さんじゆ)
の神器(しんぎ)を帯(たい)してわたらせ給(たま)へば、いかなら
む野(の)のすゑ【末】、山(やま)の奥(おく)までも、行幸(ぎやうがう)の御供(おんとも)
仕(つかまつ)らんとは思(おも)はずや」と仰(おほせ)られければ、老少(らうせう)
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みな涙(なみだ)をながい【流い】て申(まうし)けるは、「あやしの鳥(とり)け
だものも、恩(おん)を報(ほう)じ、徳(とく)をむくふ【報ふ】心(こころ)は候(さうらふ)なり。
申(まうし)候(さうら)はんや、人倫(じんりん)の身(み)として、いかがそのことはり(ことわり)【理】
を存知(ぞんぢ)仕(つかまつ)らでは候(さうらふ)べき。廿(にじふ)余年(よねん)の間(あひだ)妻子(さいし)
をはぐくみ所従(しよじゆう)をかへりみる事(こと)、しかしな
がら君(きみ)の御恩(ごおん)ならずといふ事(こと)なし。就中(なかんづく)
に、弓箭(きゆうせん)馬上(ばしやう)に携(たづさは)るならひ【習ひ】、ふた心(ごころ)あるを
も(ッ)て恥(はぢ)とす。然(しかれ)ば則(すなはち)日本(につぽん)の外(ほか)、新羅(しんら)・百済(はくさい)・
高麗(かうらい)・荊旦(けいたん)、雲(くも)のはて、海(うみ)のはてまでも、行
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幸(ぎやうがう)の御供(おんとも)仕(つかまつ)て、いかにもなり候(さうら)はん」と、異口(いく)
同音(どうおん)に申(まうし)ければ、人々(ひとびと)皆(みな)たのもしげ【頼もし気】にぞ
見(み)えられける。福原(ふくはら)の旧里(きうり)に一夜(いちや)をこそ
あかされけれ。折節(をりふし)秋(あき)のはじめ【始め】の月(つき)は、
しもの弓(ゆみ)はり【弓張り】なり。深更(しんかう)空夜(くうや)閑(しづか)にして、旅(たび)
ねの床(とこ)の草枕(くさまくら)、露(つゆ)もなみだ【涙】もあらそひて、
ただ物(もの)のみぞかなしき【悲しき】。いつ帰(かへ)るべし共(とも)
おぼえねば、故(こ)入道(にふだう)相国(しやうこく)の作(つく)りをき(おき)給(たま)ひし
所々(ところどころ)を見(み)給(たま)ふに、春(はる)は花(はな)みの岡(をか)の御所(ごしよ)、秋(あき)は
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月(つき)み【月見】の浜(はま)の御所(ごしよ)、泉殿(いづみどの)・松陰殿(まつかげどの)・馬場殿(ばばどの)、二
階(にかい)の桟敷殿(さじきどの)、雪見(ゆきみ)の御所(ごしよ)、萱(かや)の御所(ごしよ)、人々(ひとびと)
の館共(たちども)、五条(ごでうの)大納言(だいなごん)国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)の承(うけたま)は(ッ)て造進(ざうしん)
せられし里内裏(さとだいり)、鴦(をし)の瓦(かはら)、玉(たま)の石(いし)だたみ【石畳】、いづ
れもいづれも三(み)とせ【三年】が程(ほど)に荒(あれ)はてて、旧苔(きうたい)
道(みち)をふさぎ、秋(あき)の草(くさ)門(かど)をとづ。瓦(かはら)に松(まつ)おひ、
墻(かき)に蔦(つた)しげれり。台(たい)傾(かたぶき)て苔(こけ)むせり、松風(まつかぜ)
ばかりや通(かよふ)らん。簾(すだれ)たえ【絶え】て閨(ねや)あらはなり、
月影(つきかげ)のみぞさし入(いり)ける。あけぬれば、福原(ふくはら)の
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内裏(だいり)に火(ひ)をかけて、主上(しゆしやう)をはじめ奉(たてまつり)て、
人々(ひとびと)みな御舟(おんふね)にめす。都(みやこ)を立(たち)し程(ほど)こそ
なけれども、是(これ)も名残(なごり)はおしかり(をしかり)【惜しかり】けり。海
人(あま)のたく藻(も)の夕煙(ゆふけぶり)、尾上(をのへ)の鹿(しか)の暁(あかつき)の
こゑ【声】、渚々(なぎさなぎさ)によする【寄する】浪(なみ)の音(おと)、袖(そで)に宿(やど)かる
月(つき)の影(かげ)、千草(ちくさ)にすだく蟋蟀(しつそつ)のきりぎりす【蟋蟀】、
すべて目(め)に見(み)え耳(みみ)にふるる事(こと)、一[B ツ](ひとつ)として
哀(あはれ)をもよほし、心(こころ)をいたま【痛ま】しめずといふ事(こと)
なし。昨日(きのふ)は東関(とうくわん)の麓(ふもと)にくつばみをならべ
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て十万(じふまん)余騎(よき)、今日(けふ)は西海(さいかい)の浪(なみ)に纜(ともづな)をとい
て七千(しちせん)余人(よにん)、雲海(うんかい)沈々(ちんちん)として、青天(せいでん)既(すで)に
くれなんとす。孤島(こたう)に夕霧(せきぶ)隔(へだて)て、月(つき)海
上(かいしやう)にうかべ【浮べ】り。極浦(きよくほ)[* 右に(タク)左に(キヨク イ ホ)の振り仮名]の浪(なみ)をわけ、塩(しほ)にひかれ
て行(ゆく)舟(ふね)は、半天(はんでん)の雲(くも)にさかのぼる。日(ひ)かず
ふれば、都(みやこ)は既(すで)に山川(さんせん)程(ほど)を隔(へだて)て、雲居(くもゐ)
のよそにぞなりにける。はるばるき【来】ぬと
おもふ【思ふ】にも、ただつきせぬ物(もの)は涙(なみだ)なり。浪(なみ)の
上(うへ)に白(しろ)き鳥(とり)のむれゐるを見(み)給(たま)ひて
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は、かれなら[B 「ら」に「ンイ」と傍書]ん、在原(ありはら)のなにがしの、すみ田川(だがは)【隅田川】
にてこととひけん、名(な)もむつましき都鳥(みやこどり)
にやと哀(あはれ)也(なり)。寿永(じゆえい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)廿五日(にじふごにち)に平家(へいけ)
都(みやこ)を落(おち)はてぬ。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第七(だいしち)