不妊治療のため東京都内のクリニックを訪れた中野区の高倉由利子さん(48)は医師から「(妊娠の)確率は下がる。夫婦二人の生活もあるよ」と告げられた。当時44歳で、不妊治療を始めて10年になった。それまで、病院やクリニックを何カ所も回った。「先生も無理だと思っているんだな」。しばらくして、治療をやめる決心がついた。
治療中、体質を改善しようと整体や気功も試した。「治療薬で自分が死んだとしても子供がほしい」。そんな思いに取りつかれていた時期もあった。40歳を過ぎたある日、自宅で義父に土下座した。「子供が産めなくて申し訳ありません」。義父はまったく責めなかった。
高倉さんは昨年11月、アロマセラピストの資格を取った。治療を受けていた時、アロマセラピーで気持ちがほぐれた経験がある。治療をやめてから本格的な勉強を始めた。自分の店を持てたら、と思う高倉さんは「つらい思いをしている人の心と体をほどいてあげたい」と明るく語った。
成功しない不妊治療にいつ区切りをつけるかは、患者と医師双方にとって重い課題だ。「妊娠する可能性がゼロではないから、医師は患者に無理だとは言えない。患者は可能性を自分でとじることを受け入れられない」。東京都港区の不妊治療施設、東京HARTクリニックでカウンセリングを行う臨床心理士の平山史朗さん(40)は語る。
晩婚化に伴い、初産の平均年齢や治療に通う患者の年齢層は上がっている。同クリニックでも、体外受精を受ける患者の約4割は40代。しかし、高齢になるほど妊娠しにくくなるため、望みがかなわない患者も多いのが現実だ。国内の不妊治療施設で行われている体外受精の実施数は増加しているが、生まれる子が比例して増えているわけではない。
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「治療をしなければ子供ができる可能性はない。心の安定を保つために治療に通っていたのかもしれない」。5年前、14年間の治療に終止符を打った千葉県市川市の高柳順子さん(50)は振り返る。
結婚した翌年から、医師の勧めや患者仲間の情報を基に計7カ所の大学病院やクリニックで治療を受けた。かかった治療費は1000万円超。排卵日など体のリズムに生活を合わせる治療は予定が立たないため、フルタイムの仕事はやめた。旅行にも行けなかった。
頭の片隅で「無理なのかな」と思うようになっても、治療をやめることはできなかった。42歳の時、友人が治療に成功したというクリニックを訪れた。そこでの治療が失敗したと知った同じ日、患者仲間から「患者を支える団体を作りたい。一緒にやってほしい」というメールが届いた。運命だと思い、「やる」と即答した。それでも44歳の時、「区切りをつけるため」と最後の治療を受けた。
「友人はみんなお母さんになり、私だけが取り残された。でも、人生に無駄なことなんてない。子供はいないけど、それが私の人生」。高柳さんは今、不妊患者らでつくるNPO法人Fineの副理事長として活動し、治療する人たちのつらい思いを受け止めている。=おわり(須田桃子、斎藤広子、笠原敏彦、五味香織、下桐実雅子が担当しました。第2部は1月下旬から掲載します)
日本産科婦人科学会によると、36歳以上で治療のため採卵した患者の割合は7割(08年)で、米国の6割(06年)を上回る。43歳以上が14%を占めるが、出産に至る率はゼロに近い。採卵実施数は08年までの6年間で1.8倍強に増えたが、出産数は1.2倍強にとどまった。データをまとめた徳島大病院の桑原章講師は「日本は高齢の患者が多い上、子宮に戻す胚を基本的に1個にするなどで、諸外国に比べ出産の確率が低い」と分析する。
毎日新聞 2010年12月24日 東京朝刊