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【芸能・社会】米寿までスティック!! 豊岡豊80歳 現役ドラマー2010年12月24日 紙面から
御年80歳、音楽生活60周年の大ベテランが、節目の年も現役バリバリで年の瀬を迎えた。知る人ぞ知る名ドラマー、豊岡豊。NHK「紅白歌合戦」でバンマスとしてタクトを振ったことも3回ある。周囲は、88歳まで第一線で頑張れとエールを送る中、本人はひょうひょうときょうもスティックを握る−。 40代後半以上の人たちには、「ベスト30歌謡曲」(NETテレビ=現テレビ朝日)などの歌番組でバンドを率いていたヒゲの面白そうなオッサン、そんな印象が残っているはずだ。実際、コント風のアドリブで楽しませていたから、ミュージシャンとは思わずに見ていた人がいるかもしれない。 実は名門ラテンバンド「見砂直照とキューバンボーイズ」で6年間活躍、その後自らのバンド「豊岡豊とスイングフェイス」を率い、今なお第一線で活躍する、正真正銘のスタードラマーだ。石原裕次郎さんから厚い信頼を得ていたのは有名な話。一つ年下だったドリフターズのいかりや長介さんとは、公私ともに濃密な時間を過ごした盟友だった。 現在は、平均すると月に3、4本のステージ。「ちょうどいいね。これ以上やるとお迎えがきちゃうから」と真顔で言う。それでも、銀座スィングでは一晩に3回のステージをこなす。「あんまり一生懸命やりませんから、適当に聴いてください」。のっけからこんなあいさつで、お客を笑わせる。そう油断させておいて、プレーの手抜きは一切ない。遊び心いっぱいのドラムソロは、思わず引き込まれるテクニックを披露して拍手をさらう。 もともとは、ジャズなんか全く知らなかった。故郷の北海道登別で、終戦を迎え、「ヤンキーがきたら竹やりでやってやろうと真剣に考えてた」。ところが、FENから聞こえてきたジャズに魅せられ、見よう見まねのドラマーに。やがて縁あって「キューバンボーイズ」に。「東京で9番目のバンドなんてやだ」と思ってたというのも、本気なのか冗談なのか。 が、ここで鍛えられたのが大きい。「オヤジ(見砂さん)は、カウントベーシーが来ると見に行ってきなさいって行かしてくれたりね。原信夫とシャープス&フラッツ(人気ジャズバンド)と合同が多かったので、ラテンはオレ(見砂さん)が一番、ジャズも負けたくなかったんだね」。おかげでラテンもスイングも怖いものなしだ。 同じスタイルで「神様」と崇めるのが、5歳年上で現役の米国のロイ・ヘインズ。今でも「この人に近づこう」と研究しているほどだ。 よく聞かれるのが、元気の素。特別なことは何もやっていないので「自分でも分かんない」が、「太鼓たたいてるのがいいんじゃないのかなぁ」。仕事がない日は昼まで寝ている。青汁を飲む程度で特に食事に気を付けているわけではないという。ただ、酒は体質が合わないので一滴も飲まない。「奈良漬二切れで二日酔い。絡みますよ」 以前は機械的にたたいていたというドラム。最近は「メロディックに」と心掛けるようになった。そのドラムは、「体の一部でしょうね」と当たり前のように答えた。 現役のまま88歳まで。仲間はすでにお祝いの計画を練り始めている。(本庄雅之) ◆お笑い フジテレビ「お昼のゴールデンショー」にバックバンドとしてレギュラー出演した際、司会の前田武彦さんからコントに引っ張り出されて、目覚める。それまではマイクを持ってもうまく話せないほどだった。その後、日本テレビでコント55号と共演。アドリブギャグで笑いに磨きがかかった。 ◆趣味 1年半ほど遠ざかっているが、ゴルフはハンディ12、ベストスコア71の腕前。「また始めようかな」という今日このごろ。ギャンブルは、一切ダメ。「ポーカーやってると、顔に出しちゃう」。 ◆豊岡豊(とよおか・ゆたか) 1930(昭和5)年5月29日、北海道登別市登別温泉生まれ。7人兄弟姉妹の四男。旧制室蘭中学卒業後、プロのドラマーとして演奏活動を始める。約1年後に上京、クラブや米軍キャンプなどでバンドを結成。63年、見砂直照と東京キューバンボーイズに参加。その後、独立して「豊岡豊&ジョークエリントン」を結成(後に豊岡豊とスイングフェイスと改名)。夫人と2人暮らし。 PR情報
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