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[24714] 【チラ裏から移動】魔法少女リリカルなのはWorthlesS
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:b155d12f
Date: 2010/12/22 02:07
≪更新報告≫
 2010年12月22日、第十七話~第二十話を投稿しました。

 これにてエリキャロ編は終了です。あと残るは三話。
 上手くいけば明日か明後日には、にじファンで公開中の全話をこちらにも投稿できそうです。
 そうしたら次はいよいよ最新話となる二十四話の執筆に取り掛かります。
 なのはWSには番外編もあるんですけど、今のところそれらを理想郷に投稿する予定はありません。とにかく本編やっつけたいから。
 まあ、番外編は知らなくても支障ないので、いいですかね?
 

≪あらすじ≫
 高町なのはに憧れる時空管理局員、ソフィー・スプリングス。
 彼女が新たに配属された部署は、“役立たず”と評される局員が集う場所、遺失物保護観察部(通称ホカン部)だった。

 猟奇的な部隊長、コスプレ少女、無口なお掃除ガール、嫁気取りなユニデバ、波乗り少年、おしとやかな妹分。

 そんな変な仲間達に囲まれたソフィーの物語。

 『魔法少女リリカルなのはStrikerS』で活躍した機動六課の解散後を物語る、ファンフィクションストーリー。


≪備考≫
 ※この作品は、『にじファン』にも投稿しております。



[24714] 第一話 憧れの人
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:b155d12f
Date: 2010/12/04 02:40
 不運の一言で片付けていいのだろうか。
 理不尽というものは間違いなくこの世に存在していて、しかしそれは誰もが遠ざけたいもの、自分の身には降りかかってほしくないものだ。
 当然だ。正当な評価を受けられなかったり、訳も分からずに傷付けられたり、どうしようもない運命に縛られたり。そんな理不尽を誰が喜ぶだろう。
 それとも、理不尽と感じることは未熟なのだろうか。不運、災難だと思い込んで自らの未熟を認めていないだけなのだろうか。
 いや、そんなことは無い。
 そんなことは無いと思う。
 たぶん、無い。
「元気ないね」
「そんなことないっ!」
 思わず声が大きくなってしまった。咄嗟に出たその勢いは、腰に締めているシートベルトが外れていたら間違いなく立ち上がっていた程の剣幕だ。
「あ、いや! …………す、すいませんっ!」
 私はすぐに我に帰って、隣の席の人物に謝罪した。
 ああ、何て無礼なことをしてしまったのだろう。陰鬱な気持ちに浸って周囲と自分自身を隔絶していたばかりに、不意に投げかけられた一言が自分の中の片一方の声だと思い込んでしまった。そうして反撃とばかりに飛び出したもう一方の自分の声。しかしその矛先は、あろうことか上官へと向けられてしまった。
 私は下を向いて身を強張らせた。だが下を向く直前、ちらりと見やった上官の表情は意外なものだった。大声に驚きつつも、優しい笑顔を見せている。
「そんなに不安がること無いよ。新しい配属先に初めて行く、そんな時は誰だってドキドキするものだよね。私もそうだったから」
 優しいなぁ。この人はこんなに優しくて、その上綺麗だ。
 だが、この人はそれだけではない。長く美しいストレートヘアーのサイドポニーと幼さを残した端正な顔立ちの彼女だが、その実、怪物的な魔力と天才的な魔道師としての素質を併せ持ったランクS+の空戦魔道師であり、戦技教導官も勤めている。
 その二つ名を知らない人などいない。“エースオブエース”、高町なのは一等空尉。
 直接会うのは今日が初めてだが、この人は私の憧れの人だ。
 こうして出会えたのは、私の向かう先と同じ場所に、なのはさんも届け物をしなくてはいけないという理由のおかげだ。
「あ、ほら。もうすぐ着くんじゃないかな?」
 なのはさんのその言葉を聞いて、私は輸送ヘリの窓から外を覗き見た。確かに高度が下がっている。
 もうすぐ到着してしまうのか。
「はぁー…………」
 私のため息が聞こえたのだろう。変わらない微笑を浮かべながら、なのはさんは言った。
「新しい配属先、そんなに嫌?」
「い、いえ……そういうわけでは…………」
 本当のことを言うと嫌だった。なのはさんも、輸送ヘリが降り立とうとしているところがどういうところなのか知らないはずはないのに。そんなことを訊いてくるなんて意地悪じゃないだろうか。
「なのはさんは………」
「ん?」
「どういうところだか知っていますよね、これから行くところ」
「『遺失物保護観察部』のことだよね?」
 そう、まさにそこのことだ。
 私が配属されることとなったのは時空管理局のとある部署、遺失物保護観察部。そこは名前の通り、遺失物管理部の機動一課から機動六課までが管理しているロストロギア関連のデータを保護・観察する部署だ。
 だがロストロギアと言えば、古代に消失したオーバーテクノロジーを有する文明の創りし遺産。一歩間違えれば世界はおろか全次元すら消し去るかもしれない超危険物。遺失物管理部とはそんな危険な代物を管理する部署のことで、それ故に所属する人員も皆エリート。そんな集団が調査データを誰かに委託する程蔑ろにしているわけなど無く、実際にその管理体制は管理局内でも最高レベルと評されている。
 では、遺失物保護観察部が何を保護・観察しなければいけないのかと言うと、はっきり言ってそんなものは無い。管理部が大切にしているデータ、及びその管理体制を横から覗き見ては不備の有無を本部に報告するという業務。だが、管理データやその管理体制の報告なんてものは管理部も独自に行っていることであり、本部から管理部へ査察が入ることもある。保護観察部が行っていることは、はっきり言って無意味なのだ。
「なのはさん、保護観察部が通称なんて呼ばれているか知ってますか?」
「え? ホカン部」
「“要らん部”です。他には“役立たん部”」
 なのはさんは苦笑した。その顔から、ホカン部の蔑称を知っていたものと見てとれる。
 そんなところに配属される者の表情なんて皆一緒だ。そう、まさに今の私の顔がそれだ。
 この人事異動は言い換えれば、管理局が私を要らないと判断してのことではないか。
 はっきり言って、私はそんな扱いを受けなければいけないようなことはしていない。身に覚えが無い。なのに、何のための配属なのだろう。
 この世は本当に理不尽だ。



 輸送ヘリの高度はどんどん下がり、窓の外に見える景色から、遠くに市街地と時空管理局地上本部があるのが分かる。
 コンクリート壁で囲まれたヘリポートが真下に近づき、私はシートに深く座り直した。
 ああ、許されるなら着陸などせずに、このまま私を別の地に連れ去ってほしい。
「そんなに悪くないと思うけどな、ホカン部」
 輸送ヘリが着陸して機体が大きく揺れる寸前、なのはさんがそう言ったのを聞いた。
 頭上でプロペラが喧しく音を立てている中、機体の揺れが止まると私は渋々シートベルトを外した。なのはさんも私の後に続いて席を立つ。
 機外に出ると、プロペラが巻き起こす風で私のショートヘアーがくしゃくしゃになった。それを片手で押さえながら、ヘリポートに隣接する五階建ての灰色の建物を見ると、ヘリポートと繋がる入り口の前に一人の女性が立っていた。
 両手を腰にあてがい、肩幅に開いた両足で仁王立ちをするその女性は、吹き付けてくる風と向かい合いながら長い髪を好き勝手に泳がせ、不敵に微笑んでいた。
「ようこそ! 遺失物保護観察部へ!」
 私となのはさんが近づくと、その姿勢を崩さぬまま再び口を開いた。
「私がここの部隊長を務めるミリー・バンカル三等空佐だ。お会いするのは初めてだな、高町一等空尉。それと…………」
 ミリー部隊長の目が私に向く。
「ほ、本日よりこちらの部署に配属となりました、ソフィー・スプリングス二等空士です! よろしくお願い致します!」
 私が敬礼をすると、隣でなのはさんも同じようにしていた。
 なぜだろう。なのはさんの敬礼はやたらとカッコいい。これがベテランとの差か。
「うむ! 声のデカイ奴は好きだよ。入りなさい、お茶でも入れよう」
 ミリー部隊長の後に続き、私となのはさんはホカン部隊舎へと足を踏み入れた。
 踏み入れた瞬間、ホカン部が一体どういった部署なのかを再認識させられた気がする。建物の造りこそ時空管理局の所有する隊舎や関連施設と変わらないが、天井の黄ばみや壁の傷は目立ち、ひび割れたタイルで敷き詰められた床は氷のような冷たさを感じさせ、足音がやけに響く。お情けで飾られているような鉢植えは枯れかけ、この隊舎のみすぼらしさを際立たせていた。
 要らん部。そう呼ばれるに相応しいと言える様相だ。
「二階と三階が部隊員の個室となる。ソフィーの部屋は後で寮母さんに案内させよう」
「え! この建物の中で寝泊りしてるんですか!?」
「そうだ。別に他所の部署でも隊舎と寮が一体なのは珍しくないだろう。なあ、高町一尉?」
「え、ええ……そうですよね。六課もそうでしたから」
 ミリー部隊長は「ほら」と言いながら高らかに笑った。でも私は、なのはさんの一瞬の動揺を見逃さなかった。彼女も、このオンボロ雑居ビルのような小さな建物の中にまさか部隊員の私生活スペースがあるとは想像も出来なかったのだろう。
 ミリー部隊長はエレベーターの前まで来ると、上昇のボタンを押して待った。
「四階がブリーフィングルームや資料室。お前達の主な職場だ。五階には部隊長室があるが…………まあ、あそこは行くことはないだろう」
「そうなんですか?」
「ああ、行っても誰もいないからな。私がブリーフィングルームにいることがほとんどで、部隊長室には滅多に行かないのだよ。臭いんだよ、あの部屋」
 私は湧き上がるツッコミをぐっと飲み込んだ。
 エレベーターに乗って向かったのは四階。そこからジュースの自動販売機と休憩用の長椅子を通り過ぎ、ブリーフィングルームの前にやってきた。
 両側横開きの自動ドアをくぐると、アンリアルモニター一体型のコンピューターデスクが六基並んでいて、一番奥には部隊長用のデスクがもう一基。ここだけは壁や床にも目立った汚れなどはなく、綺麗に整頓された空間が広がっていた。
「うわあ、まとも……」
「他がまともじゃ無いみたいな言い方だな」
 思わず声に出てしまっていたようだ。
 ミリー部隊長はそのまま部屋の中を進み、最奥にある自分のデスクに座った。
「今は私以外の全員が出払っていてね。もうじき戻ってくるかとも思うんだが……。先に済ませられる用件は済ませてしまおう」
 その言葉を聞いて歩を進めたのは、なのはさんだ。彼女はヘリの中にいる時からずっと小脇に抱えていたファイル数冊をミリー部隊長のデスクの上に置いた。
「これが六課の分です。デジタルでの資料は昨日のうちに送っておいたんですが、届いてますか?」
「うむ、確かに受け取っている。高町一尉に直接持ってきていただいて、手間をかけさせたな。広域捜査の一課から五課の報告書と比べると、対策専門の六課の報告書は面白くて気に入っていたんだが、六課解散は残念だ」
 なのはさんの出向していた機動六課は、一ヶ月前に期間満了で解散したのだ。
 もしまだ六課が存続していたら、私はホカン部などではなく、是非とも機動六課でなのはさんの部下として働きたいと思っていた。
「…………しかしなんだな、電子ファイルでピッと送れるんだから、わざわざ同じものを紙で保管する理由も分からんのだが」
「万が一のためですよ。紙で保管しておけば、コンピュータが無くても」
「閲覧記録も残らない……とかな」
 なのはさんの言葉を遮り、ミリー部隊長は意地悪そうな笑顔を浮かべながら言った。なのはさんは苦笑している。
 なんだかクセのありそうな人だ、と思った。この人が部隊長を務めるホカン部は、一体どんなメンバーによって構成されているのだろう。部隊長のもの以外にデスクが六基。一つは私用だとして、残り五基ということは、少なくとも五人はいるのか。もしかしたら部隊長に負けず劣らずのクセ者メンバーだったりするのだろうか。
 その時、部隊長デスク上の通信端末が突然コール音を響かせた。
 ミリー部隊長は落ち着いた様子で通信端末の通話ボタンを押した。
「ホカン部だ。何事だ?」
『こちら機動三課のノイズ曹長です! ミリー部隊長! どういうことですか!?』
「どういうことだだと? 連絡をよこしたのはお前だろう、どういうことだ?」
 ミリー部隊長が怪訝そうな表情を浮かべている途中、なのはさんが部屋の窓に視線を移したまま固まっている。
 何事かと私も同じ方向を見ると、そこにはとんでもない光景があった。
 ブリーフィングルームの部隊長デスク後方にある窓の外は、背の高い建物がほとんど無く、ここ一帯の景色を一望できた。数十キロ先に見えるのは時空管理局の地上本部。そしてそれを中心とする都市が広がっている。おそらくここまでは、この窓から見ることの出来るごく日常的な景色なのだろう。
 問題はその上空だった。
 地上本部の最上階とほぼ同じ高度に、細長い影が浮いている。そしてそれは自在に空を飛び回り、その長い形状を自在にくねらせている。まるで飛翔している蛇のようだ。
「なのはさん……あれって…………」
「遠くてよく分からないけど…………生き物みたい」
「そうだ。あれは別の世界に生息する、魔力を保有する大型生物だよ」
 いつの間にか通信を切っていたミリー部隊長が言った。
 私となのはさんが同時に部隊長を見る。今の発言は、明らかにあの生物について何かを知っている様子だった。
「どういうことですか?」
「いやなに、実は三課が輸送中だったロストロギアが起動してしまったらしいんだ」
「ロ、ロストロギアが!?」
「うむ。『プリズン』と言うロストロギアでね、第六十三管理外世界で発見されたものなんだ。真っ黒な立方体の形をしているそれは、大容量のデータ保存が可能なメモリなのだが、それ単体による保存データの復元機能を備えている」
「もしかしてあの大型生物は……」
「プリズンに保存されていたデータの復元だろうな。過去のデータとは言え、ああして復元された奴は本物だ。このままだと地上本部とその周辺都市が危ない」
 ミリー部隊長が言い終わるよりも早く、なのはさんは首から提げていた赤い宝玉に声を掛ける。
「レイジングハート、行くよ!」
「All right. Barrier Jacket standing up」
 なのはさんが管理局の制服から、白を基調としたバリアジャケットに身を包んだ魔道師姿へと変身していく。
 レイジングハート。なのはさんの所有する自立思考型魔法発動補助機(インテリジェントデバイス)だ。AIを搭載することで、自分で考えて行動するこの種のデバイスは、熟練な魔道師でないと扱いが難しいとされている。だが、なのはさんは魔道師になりたての頃からレイジングハートを使いこなしたという。本当にこの人はすごいんだ。
 私は憧れの人の変身に見惚れて、口を開け放したまま立ち尽くしていた。
 はっとして我に返った私は、すぐさま自分のやるべきことを見出した。
「マスタースペード! 私達も準備するよ!」
「All right」
 首から提げていたスペード型のペンダントが光り、私の体を包みこんでいく。やがて光は白の下地に薄紫のラインが走るバリアジャケットへと変わり、最後にラインと同色のマントが翻る。
 そう、私だって管理局の魔道師。誰かが危険に晒されているのであれば、困っている人達がいるのなら、私は助けるんだ。そこには部隊の違いも魔道師ランクもキャリアも関係ない。憧れの人がするように、私も空を飛ぶんだ。
 私のデバイス、マスタースペードは杖状に姿を変えて、私の右手に握られていた。この姿になると、緊張が高まってきて思わずマスタースペードを握る力が強くなってしまう。
「Shoulders down and relax」(肩の力を抜いて落ち着きましょう)
 そんな一言をくれたマスタースペード。大丈夫、私のデバイスだってレイジングハートに負けないくらいの良い相棒だ。
「うん! ありがとう!」
 気が付けば、なのはさんは私の方を向いて微笑んでいた。不思議と勇気付けられる笑顔。
 ミリー部隊長がデスクの上のスイッチを押すと、デスク後方にあった窓ガラスが壁の中へスライドして収納されていく。
「エースオブエースが駆けつけてくれるのなら心強い! 私の出番は無いだろ。それにソフィー!」
「はい!」
「来て早々だが初仕事となるな。高町一尉にしっかりくっついていけ。そして学んでこい!」
 私は短く敬礼をして、なのはさんと共に窓から大空へと飛び出した。



 私の十数メートル前方をなのはさんが飛んでいる。
 速い。少しでも気を抜けば魔力が弱まって一気に離されてしまう。
 杖状に変形したレイジングハートを左手に、なのはさんは真っ直ぐと前を見ている。目的地まで一直線だ。
 それは、私の追いかけてきた姿だ。
 訓練校時代から、雑誌の特集等になのはさんが掲載されれば全てチェックするようにしていた。同期の友達にもなのはさんのファンは多かったけれど、私がなのはさんに抱いた気持ちは、ファンとしての憧れではなかった。
 なのはさんは、私に希望の光をくれた人。
 私がなのはさんを初めて知ったのは、何かの雑誌のインタビュー。その中で彼女はこう言っていた。
 理由も知らないまま、訳も分からないまま、ただぶつかるだけなんて悲しい。
 でも、それでもぶつからなければいけない時。きっと誰にでも譲れないものはある。諦められないことはある。
 捨てればいいってわけじゃないのなら、逃げればいいってわけじゃないのなら、そういう時は全力全開でぶつかり合ってみるといい。そうしてお互いに通じ合えた時、譲れないものも、諦められないことも、互いに分かち合うことが出来る。きっとそこがスタートだ。そこからが始まりなのだ。
 なのはさんはインタビューでそう言った。
 当時、私はとある事情で悩みを抱えていて、逃げ出したくて仕方が無かった。何もかも捨て去ってしまいたかった。
 そんなときになのはさんのインタビュー記事を読んで、力を貰った。
 そして誓った。私もなのはさんのような人になる、と。魔道師ランクなんて低くてもいい。エースと呼ばれなくてもいい。
 ただ、この人のように真っ直ぐな人になりたい。強い人になりたい。何事にも全力全開でぶつかっていける人になりたい。
 だから、ここで引き離されているわけにはいかないんだ。なのはさんはまだまだ先を行っているけれど、私だっていつか追いついてみせる。そして、彼女の後方じゃなく、隣を飛んでみせる。
 私はなんとか速度をあげた。少し苦しいけれど、耐えられないわけじゃない。
 その時、頭の中になのはさんの念話が響いた。
 ――ごめんね、ソフィー。ちょっと速過ぎたかな?――
 ――だ、大丈夫です! 速度そのままでお願いします!――
 しかし、なのはさんは速度を徐々に落としてきて、私の隣までやって来てくれた。
「ソフィーは強いね」
 まだです。まだまだ弱いです。それでも、少しだけ嬉しいです。
 憧れた人に「強い」と褒められて、少し顔が熱くなった。そしてまた力を貰った気がする。
「ソフィー! あと数分で現地に到着するよ!」
「はい!」
「大型生物の注意は私が引き付けるから、ソフィーは周囲の被害状況を確認! 負傷者がいるなら救助を最優先!」
「了解!」
 私の返事を聞いた後、なのはさんは再び速度を上げて一足先に目標へ接近していった。
 私は私のやるべきことに全力を注ごう。
「マスタースペード、広域サーチ! 周りの状況が知りたいの!」
 目の前に出現した魔法陣を中心に、薄い光の波紋が広がっていく。一番早く返ってきた反応はあの大型生物。体長は五十メートルを超えるドラゴンタイプ。ここからでも大きな魔力を感じる。
 なのはさん一人で平気なのだろうか。まだまだ未熟な私だけど、何か手助け出来ることがあるんじゃないだろうか。
 いや、なのはさんは誰よりも強い人。私はあの人を信じている。
「…………周辺に目立った被害は無い。あれ? …………それどころか人が少ない。少な過ぎる」
 ここは時空管理局地上本部上空。それなのに、地上本部からの応援がまだ来ていない。状況が分かっていないはずはない。民間人の避難対応に追われているのだろうか。それにプリズンを運んでいた機動三課の輸送ヘリは地上に降りたのだろうか。とにかく、周辺空域に感じる気配はごく僅か。
「三人? いや、二人…………」
 その気配が、急速に接近してくるのを感じた。
 局員か。
「おーおー、地上本部からの応援局員かな? やっと到着とは、遅過ぎるんじゃないのかねぇ」
 目の前に現れたのは、全体的に黒を基調としたバリアジャケット姿の少女。手にしたデバイスは若草色の光の刃を先端から伸ばした大鎌タイプ。
 なんだか、見たことのあるデバイスだった。
 今度は上方から、もう一つの気配が近づいてきた。
 赤紫のメイド服風バリアジャケットに身を包んだその女性は、その長身な体を翻して静かに少女の隣に降り立った。手に持っているデバイスは、なんだか妙な形だ。T字型の先端と丸みを帯びたボディーをホースで繋いでいる。というより、まんま掃除機の形だ。
「キミ、名前は?」
 少女に尋ねられ、私は二人を見比べながら答えた。
「ソ、ソフィー・スプリングス二等空士です。遺失物保護観察部から駆けつけました」
「お? するとキミが今日から配属予定だった新人?」
「え? じゃあ、あなたも…………」
「うん。ボクはマル…………ん?」
 そこまで話しかけて、少女は視線を逸らした。その先には空を自在に飛び回る大型生物の姿があった。
「誰か戦っているね…………」
「あっ! なのはさん!」
 私がなのはさんの名を口にすると、少女と長身の女性は揃って私の方に向き直った。
「…………なのは、さん? それはエースオブエースの高町なのは一等空尉のことかな?」
「え? は、はい。さっきまで私と一緒にいたんですけど、あの大型生物の注意を引き付けるって…………」
 少女の表情が怪しく微笑んだ。何だろう、こういう意地悪な笑顔はミリー部隊長と同じ匂いを感じる。
「ははぁ……。では加勢にいかなくちゃ。なあ、ジージョ?」
「…………うん」
 ジージョと呼ばれた長身の女性がやっと声を発した。
 いや、それよりも二人はなのはさんの所にいくみたいだ。
 周辺には特に被害も出ていない。それならば。
「私も行きます!」
「オーケー! では行こう!」
 少女の掛け声を合図に、私達三人は一直線に飛んだ。
 近づくと、大型生物の周辺を飛び回るなのはさんの影が見える。なのはさんの持つレイジングハートから射撃魔法が放たれているが、大型生物の周囲で打ち消されている。
「ほほう、バリアを張るのか。…………ジージョ!」
「…………わかった」
 三人の中から、ジージョさんが先行する。
「どうするんですか?」
「バリアが邪魔だからね。あれを消してから砲撃魔法で気絶させよう」
「そしたら地上に落下しちゃうんじゃ…………」
「キミ、捕縛魔法(バインド)は得意?」
「ひ、人並みです」
「気絶したあの生物をバインドで縛り付けていてほしい」
 そう言い終えてから、少女はジージョさんに続くように飛んでいった。
 あんな大型生物を空中に固定させておけるだろうか。不安だが、任されたからにはやるしかない。というよりも、返事するよりも早く先に行かれてしまった。
 私は飛んだ。
 大型生物に近づくと、その大きさに改めて驚かされる。蛇のようにうねるこの巨体で叩き付けられたら、例えガードをしても無事では済まないだろう。
 私は大型生物の下方に回り込み、頃合を計った。
 上を見上げると、大型生物と共に踊るように飛ぶなのはさんが見えた。
 なのはさんの砲撃魔法なら何とかなるかもしれないが、思った以上に俊敏な大型生物のせいで、準備態勢に入れないのかもしれない。なのはさんの攻撃はチマチマとした射撃魔法ばかりだ。
 ふと、ジージョさんの影を見つけた。彼女が掃除機型のデバイスを大型生物に向けて構えると、頭の中に少女の声が響いてきた。
 ――そろそろだ。準備をしてくれ――
 ジージョさんの足元に赤紫の魔法陣が広がる。そして次の瞬間、大型生物の周囲に張られていたバリアが引っ張られるように伸びていくのが分かった。そしてその伸びていく先は、ジージョさんのデバイスの先端。
「うそ! 吸い込んでる!」
 まさに掃除機だった。
 大型生物はバリアを持っていかれまいとして必死に抗うが、ジージョさんもかなり踏ん張っている様子だ。
 その光景を見ていると、隣にはいつの間にかなのはさんがやって来ていた。
「あの子は?」
「ホカン部の部隊員です」
「バリアを吸い込んでる…………これなら砲撃も通るよ。来てくれたのは彼女だけ?」
「いえ、あともう一人…………」
 私は空を見渡して、少女の姿を探した。抵抗を続ける大型生物と、バリアを吸い取るジージョさん。その二人の更に上方に影が見えた。
「あ、あそこです!」
「どこ? ……ああ、あそこに…………って、え!? フェイトちゃん!?」
 なのはさんが口にして、私も思わず声を出した。
 そうだ、少女のデバイスを見た時に感じた違和感はこれだった。少女の手にしていた大鎌タイプのデバイスと、黒を基調としたバリアジャケット。あれは以前、なのはさんと共に雑誌に載っていた彼女の友人、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官と全く同じ装備だ。
 あの少女がフェイト執務官? いや、それは無い。身に着けた装備一式は同じでも、身長にはだいぶ違いがあったし、ボディーラインの起伏も別人みたいだった。
 そんなことを考えているうちに、大型生物のバリアはどんどん吸収されていき、ついに消えた。
 ――よし! 行くぞソフィー! 受け止めろよ!――
 少女からの念話。私はバインドの準備をする。
 なのはさんも私のやりたいことを察してくれて、同じようにバインドの準備をした。
 少女の影が、若草色の閃光を纏っていく。おそらく大型生物を気絶させるための砲撃魔法。しかもあの様子だとかなりの大技。
 その時、またしてもなのはさんが驚愕の表情を浮かべて言った。
「あれって! フェイトちゃんの技…………プラズマザンバーブレイカー!?」
 まさか、姿形だけでなく技までもフェイト執務官のものだというのだろうか。
 直後、放たれた巨大な光の柱は、大型生物の頭上に凄まじい勢いで叩きつけられた。
 耳をつんざくような唸り声を上げて、大型生物はその衝撃に打たれたまま徐々に降下を始めた。やがてその唸り声も聞こえなくなると、今度は自然落下の速度でどんどん私達の方に近づいてきた。
「な、なのはさんっ!」
 思わずなのはさんの名を叫びながら、私は必死でバインドを発動させた。
 私の薄紫の帯状魔力と、なのはさんの桜色の帯状魔力が大型生物の体の数箇所に巻きついた。
 あとは支えるだけ。
 支えるだけ。
 支えるだけ、なのに。
 重圧がすごい。噛み締めた歯が音を立てそうだ。なのはさんも精一杯支えている。
 まずい。二人でもこれだけ大変なのに、私の力がどんどん消耗されていくのが感じ取れる。いくらなのはさんでも、一人では絶対支えられないのに。
 ――ナイスキャッチだ、ソフィー!――
 突然の念話。そして、バインドで縛られた大型生物のすぐ脇に、少女の姿を見た。
 少女は右手にデバイスを、そして左手に真っ黒な立方体を持っていた。
 その立方体を大型生物に向けると、黒い立方体は禍々しい光を放ちながらその姿を六枚の正方形に分けた。
 分解、そして飛散。大型生物を囲うようにして位置を決めた六枚の正方形は、互いの幅を徐々に縮めていく。それに伴い、大型生物の体が砂のようになって原型を失っていった。
 砂は六枚の正方形の作る空間内を行き来し、しかし徐々に狭まる空間に押さえつけられるように、動きを小さくしていった。やがて六枚の正方形は砂を閉じ込めながら互いの一辺同士を繋ぎ、元の小さな立方体へと戻っていく。
 地上本部の上空が再び静寂を取り戻した時、少女は黒い立方体を手にしたまま私達の方にやって来た。
「あの、それって…………」
 私が訪ねると、少女は笑顔と一緒にその立方体を差し出してくれた。
「三課の輸送中だったもの。ロストロギア、プリズンだ。あの大型生物には再びこの中に保存されてもらったよ」
「呆れた…………。ロストロギアを輸送中に起動させるなんて、三課は何をしているの?」
 なのはさんが怒っている。
「いや、それなんですがね…………」
 少女が言いかけると、ジージョさんが戻ってきた。そしてそれと同時に、地上本部から輸送ヘリが飛び立ち、こちらに向かってきた。
 私達のいる高度まで飛んできたヘリは、後方の大型ハッチを全開にすると、私達に乗り込むよう指示してきた。
「もう! ガツンと言ってやるんだから!」
 なのはさんが意気込んで先に乗り込む。私達もそれに続くと、ヘリの中には数人の局員とミリー部隊長がいた。
「よっ! お疲れ様!」
 ミリー部隊長が私に笑いかけた。私がそれに笑顔で応えていると、横から凄い剣幕のなのはさんの声が聞こえてきた。
「どういうことですか!? ロストロギアを輸送中に起動させるなんて、地上に被害が出ていてもおかしくない状況でしたよ!」
「高町一等空尉!? なぜここに? いや、それよりも聞いてください! それは誤解ですよ!」
 そのやり取りを横目に見ながら、私はさっきまでのことを振り返っていた。
 ジージョさんのアシストと、まだ名も知らない少女の大型砲撃魔法によって今回の事件は大きな被害を出すことなく終わりを迎えた。
 私はつい先程まで遺失物保護観察部への配属を嫌い、理不尽だと自分の人生に泣き言を言っていた。だがその実はどうだ。フェイトさんそっくりの少女やジージョさんのような凄い先輩を持ち、ちょっとクセはあるが器の大きそうなミリー部隊長の下にやってきた。しかも配属早々、ロストロギア関連の重要な仕事に関わってしまった。
 ホカン部は、もしかしたら凄い部署なのかもしれない。私はここの部隊員になれて良かったのかもしれない。
 嬉しさでついつい顔が緩む。
「何をニヤついているんだ?」
 少女が話しかけてきた。
「あ、あの…………えっとぉ」
「ふふん。ボクはマルクル・コープレス。皆はマルコって呼ぶから、ソフィーもそう呼んでくれ」
「は、はい! マルコ先輩!」
「“先輩”も敬語も要らない。仲良くしよう」
「は……う、うん!」
 嬉しい。そして更に嬉しいことに、
「………………ジージョ・キーパーズ。よろしく」
 ジージョさんも自己紹介してくれた。
「よろしく!」
 この部署に来て良かった。私は心からそう思った。
「だから! 誤解だって言ってるでしょ!」
 横ではまだ言い争いが続いていた。
 私はミリー部隊長に尋ねた。
「あの、あの方は…………」
「ああ、機動三課のノイズ曹長だ。ブリーフィングルームで通信を入れてきただろ」
 この人がそうなのか。しかし、何が誤解なのだろう。
「私達は問題なくプリズンを輸送しておりました! しかし、ホカン部の二人が輸送状況の観察任務で同乗していた際、プリズンを勝手に取り出して面白半分で騒ぎ出した挙句に落っことして!」
「…………え?」
 全員が言葉を失った。静かにヘリの飛行音だけが響く。
 ミリー部隊長は笑顔だったが、額に青筋が浮かんでいた。
 マルコちゃんとジージョちゃんはハッチ方面にゆっくりと後ずさり、飛び降りようとしている。
「待て。マルコ、ジージョ」
 ミリー部隊長の声を待たずして、二人はヘリから飛び去った。
「逃げた…………」
 なのはさんが呆れ顔で額に手を当てている。
 この空気は一体何だろう。周囲を見れば、三課の隊員達の白い目が私達ホカン部に向けられている。
 ノイズ曹長がそっと言った。
「あの、ミリー部隊長。本部への始末書、お願いしてもいいでしょうか?」
「分かってるよ! くっそー! 今月何枚目だと思ってんだよっ!」
 私はこの部署に来て間違っていなかったのだろうか。
 少なくとも一つ分かったことがある。
「ホカン部って、本当に要らんことをしてるんだ…………」
 なんだか泣きたくなってきた。

 To be continued.



[24714] 第二話 役立たん部
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d2332b30
Date: 2010/12/04 11:01
「本日より遺失物保護観察部に転属となりました、ソフィー・スプリングス二等空士です! 精一杯やっていきますので、厳しいご指導をよろしくお願いいたします!」
 初めてやってきた部署での挨拶は、誰でもこんなものではないだろうか。
 新しい部署に配属となり、新しい仲間と共に新しい任務をこなしていこうというのだ。弱気な姿勢を見せたらこの人達は私に安心して仕事を任せられない。適度に緊張感は持ちつつも、臆することなく立ち向かえる精神で。意欲を見せていこう。仕事をするぞ、という意欲を。
 しかし、私の自己紹介を聞き終えた後でミリー部隊長が、「そんなに肩肘張るような仕事はうちには無いぞ」と、茶々を入れて笑った。
 自然とため息が漏れる。やはりこの部署はやる気が無い。
 遺失物保護観察部。通称ホカン部と呼ばれるここは、遺失物管理部に属する機動一課から五課までが管理するロストロギアの調査データを保護・観察する部署。
 しかし、ロストロギアに関連する重責な仕事というイメージを抱かせる部署名とは裏腹に、ここに集められた人物は時空管理局内でも不必要と判断された人達。この部署は“役立たずの寄せ集め”という何とも不名誉な場所なのだ。
「ではまあ、せっかくだから我々も自己紹介といこうじゃないか」
 ホカン部隊舎の四階にあるブリーフィングルーム。ここに集まった私とミリー部隊長を除いた四人が、端からそれぞれ自己紹介をしてくれた。
「…………ジージョ・キーパーズ…………よろしく」
 背が高くて無口でボーイッシュだけど、魔導師姿の時のメイド服風なバリアジャケットは何気に似合っていたジージョちゃん。つい三時間前に起こった“プリズンをうっかり起動させちゃった事件”の時にも会っている。
「ボクはマルクル・コープレス。改めてよろしく」
 ジージョちゃんとは逆に背がとても低い、眼鏡を掛けた彼女はマルコちゃん。彼女とも先程の一騒動で顔合わせを済ませた。
 ジージョちゃんとマルコちゃんと私の三人が、ブリーフィングルーム内のデスクに横一列で並んでいる。そして自己紹介は向かい側の三席に移った。
「僕はブラント・フーケだよぉ。よろしくぅー」
 先程の一騒動が終わった後、隊舎に戻ってきた私達を待っていてくれたのは、別任務から帰ってきたばかりのまだ会っていない部隊員二人だった。
 そのうちの一人が彼、唯一の男の子であるブラント君。一応先輩にあたるのだけど、年齢は私よりも五歳下の十一歳。皆も弟のように接しているので、ついつい「ブラント君」と呼んでしまう。なんだかボーっとした子で、任務以外のときはしょっちゅう寝ているそうだ。
「…………あたしはウィンディーヌ」
 ブラント君の隣の席に目を移すと、そこのデスクには誰もいない、ように見えた。
 椅子には誰も座っていないが、デスクの上にはツインテールを揺らしながら少女が仁王立ちしているのだ。といっても彼女は身長が三十センチ程しかない。
 ウィンディーヌちゃんはユニゾンデバイスだ。ユニゾンデバイスは、他の魔導師と融合することにより、融合した魔導師の能力を飛躍的に向上させる力を持っている。私も本物のユニゾンデバイスを見るのは初めてだ。
「…………えっとぉ」
 なぜかウィンディーヌちゃんが私をじっと見ている。いや、睨み付けている。ものすごく敵視されている理由は私には解らない。
「…………新米、ブラントに色目使ったりしたら承知しないからね」
 どうやら私がブラント君に横恋慕することを警戒しているみたいだ。
 これで全員。六基ある部隊員用の席は、全て埋まってはいなかった。
 全員の自己紹介が済んだところで、ミリー部隊長が再び口を開いた。
「さて、それでは自己紹介も終わったところで、本日の仕事は終わりだ。皆お疲れ様。明日の予定についてちょっと話をするから、聞き漏らさないように」
 それを聞いたマルコちゃんとジージョちゃんの表情が少し曇った。その理由は何となく解る。
 三時間前、マルコちゃんとジージョちゃんは任務の為に機動三課のロストロギア輸送業務に同行していたのだが、輸送中のロストロギア、プリズンを誤って起動させてしまい、しかもそれが時空管理局地上本部とその周辺地域を危険に晒すようなことだったので、ミリー部隊長より罰則が与えられることになった。
 騒ぎは大きな被害を出すことも無く沈静化出来たのだが、二人の直属の上官であるミリー部隊長は四方八方に謝りまくることとなった。
 その件に関して、私は幾つか解せない点がある。
 まず一番気になるのは、地上本部の対応の遅さ。プリズンが起動してしまったのはあろうことか地上本部の真上。にもかかわらず、対処に当たったのは私とマルコちゃんとジージョちゃん、そしてその時たまたま居合わせた高町なのは一等空尉の四名だけ。地上本部からの応援人員どころか、実際にプリズンを輸送していた三課の部隊員すら見当たらず、全員そそくさと地上に降りて騒ぎを傍観していたように思う。
 そしてもう一つは、ミリー部隊長が平謝りするだけで許されてしまうということ。二人にはミリー部隊長からの罰則があるとは言え、本部から直接のお咎めは無し。
 ロストロギアという超危険物に関する事件でありながら、この平穏な雰囲気のまま事態が終息していくことに私は疑問を感じずにはいられなかった。
 ちょっと前に、ミリー部隊長にその事を訊いてみたのだが、彼女から返ってきた回答は、
「私が属するのは“異質人物”保護観察部だからな。何をしでかすか分からん連中を面倒見るのも私の仕事のようなものだ。それを本部はよく理解していて、しかも関わることすら忌み嫌うのだろう」
 というものだった。ホカン部の蔑称を挙げて自虐的な回答をするミリー部隊長もまた、異質人物ということなのだろうか。
 ミリー部隊長はデスク上の紙面を見ながら、明日の予定について話し始めた。
「マルコ、それとジージョ。お前らは明日無限書庫に行け。三課がプリズンに関する資料を集めるというから手伝ってこい」
「それって…………罰則ですか?」
 マルコちゃんが拍子抜けしたような顔を見せた。
「もちろんだ」
「ずいぶんと楽勝ですね」
 私もそう思う。確かに無限書庫は、その膨大な情報量から目当てのものを引き出すだけでも大変な年月と苦労を必要とすると聞いた。だがそれも昔の話で、現在では優れた探索能力を有する司書がいるおかげで、圧倒的に探し物が楽になっている。
 無限書庫での探し物は、少し前ならば立派に重労働となったのだろうけれど、今はそうではない。
「楽勝? そんなこと言ってもいいのか? 明日はユーノ司書長が学会に出席するので留守だぞ」
「うげっ! やっぱりそういうオチですか」
 なるほど。それならば探し物は大変だ。
「それとソフィー」
「は、はい」
 ミリー部隊長は突然私の名前を呼んだ。
「お前も二人と一緒に行け」
「え? 私も無限書庫にですか?」
「精一杯やるんだろ? 頑張ってこい」
 私はすぐさま返事をし直した。
 正直に言うと、実は無限書庫にはまだ行ったことが無く、以前から一度は入ってみたいと思っていたので嬉しくもあった。
 ミリー部隊長は話を終え、解散の指示を出した。
 ちなみにブラント君とウィンディーヌちゃんの明日の予定は、隊舎の保守。つまりお留守番であり、ブラント君にとってはお昼寝タイムなのだという。



 翌朝、私は自室のベッドの上で目を覚ました。
 気分は少し弾んでいる。遠足に行く時のようだ。
 局員の制服に着替え、スペード型のペンダントを首から提げ、私は一階の食堂へと向かった。
 食堂にはすでにマルコちゃんとジージョちゃんが来ていて、寮母さんの作る朝食を受け取っているところだった。
「おはよう!」
「やあソフィー、おはよう」
「…………はよ」
 ジージョちゃんは相変わらず小声で無口だ。
「はぁー…………無限書庫で探し物なんて、司書長がいなかった頃は複数のチームが年単位で行っていたような途方も無い作業だよ。それをボク達にやってこいとは…………」
 マルコちゃんは皿の上のスクランブルエッグを突きながらぼやいた。
「私は無限書庫に行くの楽しみなんだー。入ったことないからさ」
「まあね。初めて入った時は確かに中の光景には驚いたし、面白くも思ったけど」
 やっぱり探し物は嫌みたいだ。
 私は無限書庫には入ったことが無い。だからその中での調査作業というものがどれほど大変なのかは知らないけれど、今日中に完了させろというわけではないのだし、これも正式な任務なのだからそんなに嫌がるのもどうかと思ってしまう。
 私達は時空管理局というところに所属し、働いて、それなりの給料も貰っているわけなのだから、あまり不平や不満ばかりを口にするのは良くない。共に同じ作業をする機動三課の人達にも、おそらくマルコちゃんのように大変な作業を嫌がっている人達もいるのだろう。それでもロストロギアの管理という重要な責務を果たす為にチームを組んで作業に取り掛かろうとしているのだから。
「さ! グチグチ言わないで、早く食べて行こう!」
 私はフォークを持つ手を早めた。
 朝食を終えてから、私達はすぐに無限書庫のある地上本部へと向かった。ホカン部隊舎の最寄り駅から列車に乗り込むと、その中でもマルコちゃんは愚痴をポロポロとこぼしていた。
 背の高いビルが立ち並ぶ街中を列車は進み、窓から見える地上本部が徐々に大きくなる。その光景と同じように、私の好奇心も大きく膨らんでいった。
 無限書庫。それは時空管理局本局内にある施設で、あらゆる世界の書籍やデータが全て収められた場所。あまりにも膨大なデータ量の為、ユーノ・スクライアという人物が司書を務めるまでは書庫のデータは未整理であったそうだ。
 地上本部にて機動三課の探索チームと合流した後、今度は時空管理局本局に移動魔法で向かうという手間もあるので、ますます遠足気分が高まってしまう。
 気分の沈んでいるマルコちゃんとジージョちゃんとは正反対の気持ちを抱えて、私は列車の外を眺めた。
 ようやく列車が目的の駅に止まり、私だけが意気揚々と、後ろの二人は重たい足取りで駅のホームに降り立った。それからバスに乗り、ついに地上本部へと到着。
 待ち合わせの時間には十分程早かったが、それでも地上本部内の転送室に向かうと、既に三課の探索チームは集合していた。
「待たせちゃったかな?」
「別に遅刻じゃないからいいのさ」
 マルコちゃんが先頭に立って転送室内を見渡す。チームの責任者に私達の到着を報告したいのだろう。
 私も転送室内を見渡した。本局へは航空隊に所属していた頃に行ったことがあるが、本局にあった転送室とほぼ同じだ。移動魔法の補助効果を備えた床と、窓ガラス越しに見える小さな部屋は座標指定をしてくれるオペレータールーム。仲が悪いと言われる本局と地上本部だが、だからと言って施設設備まで違うわけはないか。
 私達がキョロキョロしていると、横から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「やっとホカン部の到着か」
 ジージョちゃんと同じくらいの長身でいて小顔な為、ほっそりとした印象を与えるこの人は、機動三課のノイズ曹長だ。以前までは丸刈りだったとミリー部隊長が教えてくれたが、マルコちゃんが「マッチ棒」とからかうので最近角刈りにしたのだという。
「やっと、とは言ってくれますね。今日は遅刻せずに到着しました」
 いつもは遅刻しているみたいな反論だなと思った。
「たまにお利口さんだからと言って調子に乗るんじゃない。着いたなら早く教えに来いよー。こっちは一分一秒だって無駄には出来ないんだ。何せ今日はユーノ司書長が不在で探し物も大変なん」
「わーかったから! さっさと行きましょうよ、野菜スティックさん」
 角刈りだと野菜スティックなのか。私と、近くにいた探索チームメンバーは思わず吹き出してしまった。
 反論をしようとしたものの、大切な一分一秒を秤に掛けたノイズ曹長は仕方が無いといった様子でオペレータールームに合図を送った。
 合図の後、部屋の中央に集まった私達の足元が白い光を放つと、それは柱となって私達を丸呑みにした。移動魔法で転送されるときはいつもそうだった。この光に飲まれた後、少しだけ重力が無くなったような感覚が全身を襲って、服も髪も内臓も綺麗さっぱり消えてしまったように存在が感じられなくなる。しかし、それも一瞬だけのことで、気が付けば光は徐々に弱まり、同じような床の上に佇んでいることに気付くのだ。
 そして光は消え去り、辺りは転送室内の様子を取り戻す。つい先程までいた転送室と同じであると錯覚しがちだが、オペレータールームにいる人が別人になっているので、やはりここはもう地上本部の転送室ではない。
 時空管理局、本局にやって来たのだ。



 本局内を歩く私達三人は、ノイズ曹長を先頭とした探索チームの最後尾に並んでいた。
 三課の探索チームはノイズ曹長をリーダーとした十五人編成。この人数だけで無限書庫から欲しい情報を探し出せるのかと言うと、おそらく、いや断じて無理であろう。ユーノ司書長が帰ってくるのを待てばいい話なのだろうが、ロストロギアの調査ともなるとやはり迅速な行動が大切なのかもしれない。彼等は司書長不在を承知で無限書庫に挑もうというのだ。
 探索チームの足が止まり、そこが無限書庫前なのだと気が付くと、私の気持ちはもう我慢の限界を超えていた。
「うう! 早く入ってみたい!」
「よし。それならば先頭に行こう」
 マルコちゃんに続き、私とジージョちゃんも列から外れて先頭へと走る。
 そんな私達を見て、今まさに扉をくぐろうとしているノイズ曹長が「廊下を走るな!」と睨みながら言ってきた。
 扉の上部には『無限書庫司書室』の文字が並んでいる。
 とうとうやって来た、無限書庫。私はその扉が開くのを今か今かと待ち望んだ。
 自動ドアが開き、無限書庫の司書室内に入るノイズ曹長。それに続いて私達三人も入っていった。
 機械的な造りの本局内装の中で、これほど木材を使った部屋はここだけではないだろうか。本棚、机、椅子、天井、床といったあちこちが木製建築のシックな造りだ。
 中は一番奥に空席の司書長席があり、他には何人かの司書が忙しそうに机上や本棚の前で仕事に励んでいた。
「狭い……」
「当たり前だろ。ここは司書室。書庫はこの奥だ」
 私の呟きにノイズ曹長が静かにツッコミを入れた。なんとなくだが、本がいっぱいある部屋というのは静かにしていないといけないイメージがある。
 一人、男性の司書がノイズ曹長に近づいてきて、笑顔で話しかけてきた。
「遺失物管理部機動三課のノイズ曹長ですね」
「はい」
「お話は伺っております。調べ物をしたいとのことで」
「ええ」
「あいにくと司書長が不在ですので……その…………大変でしょうが、どうぞごゆっくりとお調べになってください」
 短い返事しか返していなかったノイズ曹長の笑顔は、なんだか引き攣っているように見える。なぜなのかは、次の言葉ですぐに解った。
「あの……もしよければ司書の皆様にもご協力をお願いしたいのですが…………」
 それを期待していたのだ。無限書庫での調べ物など今日一日では成果を挙げられないことは明白だったが、司書の力を借りられるのであれば話は別だと踏んだのだろう。
「も、申し訳ありません。お恥ずかしい限りですが、その…………我々もまだ司書になりたてな為、司書長のような検索魔法はまだ使えないのですよ」
 ノイズ曹長の肩ががっくりと落ちた。
 それを見ないようにと、司書は踵を返して司書室の奥へと歩を進めた。
「どうぞ、こちらが無限書庫の入り口です」
 司書長席の横にある木製のドア。そして金色のドアノブを回して開かれた先は真っ暗。足場も見えず、どうやって入るのかと思ったが、ノイズ曹長、マルコちゃん、ジージョちゃんが迷わず入っていくのを見て、私も同じように中に足を踏み入れた。
 その途端に、体から重さが消えた。無重力空間のようだ。手で掻いて進む必要も無く、行きたい方向に意識を向けると自然と体が宙を舞う。
 中の様子には驚かされた。縦長に伸びる円筒形の空間。その壁は全て本棚。そして本で埋め尽くされていた。天井も底も見えない。一体どこまで続いているのかも分からない。円筒系の空間の中を横切る白いものは何だろうか。上にも下にも不規則にあるが、あれはもしかしたら通路かもしれない。この広い書庫のほんの一部でも、足で歩いて巡れるようにとあるのだろうか。
 私はついに無限書庫にやって来ることが出来、そしてそのあまりの凄さに言葉を、少しの間だけ呼吸すらも忘れていた。
 この中から必要な情報だけを探し出す。チームを組んで年単位での調査を必要とする理由が今ならはっきりと分かる。ここは、ユーノ司書長が現れるまではまさに、すぐ近くにありながらも未知の世界だったのだ。
「さあ! では仕事に取り掛かろう!」
 ノイズ曹長の掛け声を合図に、三課の探索チームがあらかじめの計画通りに四方に散っていった。
「さあさあ! ホカン部も働いた働いた!」
 ノイズ曹長に促され、私とジージョちゃんは本棚の一角へ向けて移動を開始した。しかし、マルコちゃんは無限書庫の出入り口を見たまま動かない。
「ねえ、マルコちゃん! 仕事しようよ!」
 いつまでそうやって業務を怠ける気なのか。私は少し口調を強めて言った。
「誰か来たね…………」
 そう言ったマルコちゃんは、書庫の出入り口に向かって移動を開始した。
 まさか逃げる気なのだろうか。嫌な予感がして、私とジージョちゃんは後を追った。もういい加減諦めて仕事に専念してほしいものだ。
 先に出入り口をくぐったマルコちゃんを追い、私もすぐさま出入り口に頭を突っ込み、声を張り上げた。
「マルコちゃん! いい加減に…………って、あれ?」
 そこには、先程案内してくれた司書と話をする男女がいた。マルコちゃんはその横で私を見ながら、「ラッキーだ」と言って男女を指差した。
 女性の方は、私も昨日会った人。高町なのは一等空尉だった。
 そしてその隣には眼鏡を掛けた男性。長く伸ばした後ろ髪を一本に結わいた細身の人がいた。
「あれ? ソフィー?」
 なのはさんが私に気付いたので、私は軽く会釈をしてから二人に近づいた。
「昨日はお疲れ様」
「あ、はい。こちらこそ昨日はありがとうございました。…………あの、そちらの方は?」
 私が尋ねると、その男性は柔和な笑顔を浮かべて優しく言った。
「ユーノ・スクライアです。無限書庫の司書長をやっています」
 この人がここの司書長なのか。思っていた以上に若い人で驚いた。
「ユーノ君、この子がさっき話した昨日の…………」
「ああ。なのはと一緒にプリズンの保存データと戦った魔導師だね」
 二人のそのさりげない会話に、私は衝撃を受けた。
 この人は今、「なのは」と呼び捨てにした。一体二人はどういう関係なのだろうか。そもそもユーノ司書長は学会の為に今日は留守にしているはずではなかったか。それなのにここにいる。しかもなのはさんと二人で来たようだ。まさか密会か。エースオブエース、高町なのは一等空尉に恋人がいたのか。しかも公に出来ない彼氏。
 いつの間にか頬が熱くなっていることに気付き、私は両手で顔を挟んだ。
 それをマルコちゃんが見て、私の考えていることに感付いたのだろう。怪しい微笑を浮かべながら、マルコちゃんはなのはさんとユーノさんの側へと近づいた。
「お二人はどうしてここに?」
「いや、僕は学会に出席する予定だったんだけど、向かっている途中で急遽中止になったっていう知らせを聞いて」
「私はたまたま用事があって。こっちに来ていたらちょうどそこで帰ってくる途中のユーノ君に会って」
 マルコちゃんの表情がますます怪しくなった。
「ふーむ。まさにグッドタイミングで出会ったわけですね」
「え? ま、まあ、そうかな」
 マルコちゃんは右手の小指を立てながら、ユーノさんに近づいて言った。
「ひょっとしてなのはさんのコレですか?」
 その言葉を聞いた途端、なのはさんとユーノさんの顔が同時に赤く染まった。
 身振り手振りから否定しようとしているのだろうけれど、すっかり動揺してしまった二人は言葉を一生懸命探しているようで、声を発することが出来ていない。
「マルコちゃん! 失礼だよ!」
「なぜ?」
「なぜって……それは」
「まあまあ。それよりも、ユーノ司書長が戻ってきてくれたのなら探し物は片が付きそうだよ」
 と、その時。なのはさんとユーノさんの背後から一人の影が伸びてきた。
「マルコ、そうはさせないぞ」
 私とマルコちゃんは一斉に悲鳴をあげた。ちなみにジージョちゃんは顔が驚いているだけで、声は出ていなかった。
 その影の正体はミリー部隊長。なぜここにいるのかが分からない。
「お前らの様子を見に来た。暇だったからな」
「暇なら仕事してください」
 マルコちゃんが心臓の鼓動を押さえるようにして言った。
「する仕事が無い。それがホカン部だ」
 言い切った。
「それよりも三人共、全然書庫での探し物をしていないじゃないか。これでは罰ゲームにならんぞ」
 ミリー部隊長が厳しく言い放った時、隣でユーノさんが冷たい視線をミリー部隊長に送っていた。何となく気持ちは分かる。ユーノ司書長の仕事が罰ゲームと同レベル扱いされているのだから。
「とにかく探し物に戻れ。ユーノ司書長にはちょっとお茶に付き合ってもらう予定だったんだ。手伝わせないぞ」
 おそらく、いや絶対にミリー部隊長はユーノさんとお茶の予定なんて無かったのだ。
 マルコちゃんが小さく舌打ちをした。
「高町一尉、あなたも一緒にどうだ?」
「そうだよ。せっかくだし、なのはも一緒にどう?」
 恋人疑惑の掛かっているなのはさんがどう答えるのか。密かに注目しているのは私だけだろうか。
「ううん。家にヴィヴィオを待たせてるから、今日は帰るよ」
「ヴィヴィオ?」
 ミリー部隊長が首を傾げる。
「はい。えっとぉ…………娘、です」
「ええっ!」
 一番大きな声で驚いたのは私だった。
 しかし顔を見れば分かる。ユーノさん以外の全員は同じような心境に違いない。なのはさんに娘がいる。それは大変ビッグなニュースじゃないか。そんなのどこの雑誌にも書いていなかった。特ダネか。特ダネなのだろうか。娘ということは、当然父親がいるのだろう。それは誰だろう。まさか、まさかとは思うが。
 全員の目がユーノさんを見ていた。
 ミリー部隊長が小指を立ててユーノさんに近づき、こう言った。
「ひょっとして高町一尉のコレですか?」
 なのはさんは慌てて口を開いた。
「ち、違いますから! 孤児(みなしご)のヴィヴィオを私が引き取ったんです!」
 なのはさんは顔が赤くなりすぎて、額には汗すら浮かんでいる。
 私だって何故だか顔が熱い。憧れの人にいろいろな疑惑が浮かんで、すっかり気が動転してしまったみたいだ。
 それにしてもミリー部隊長とマルコちゃんは似ている。仕事に対する怠慢な態度や、なのはさんとユーノさんに対する接し方まで。部隊長がこんな人だから、マルコちゃんもこんな子なのだろうか。
 未だ火照っている顔を手で仰ぎながら、私は少し冷たい視線をミリー部隊長とマルコちゃんに向けた。
「さあ、マルコちゃん、ジージョちゃん。仕事しに行こう」
 二人の手を引くと、マルコちゃんは両足を突っ張ってユーノさんに「手伝ってください!」と訴え続けた。だが、ユーノさんはミリー部隊長にしっかりと捕らえられている。
 これで諦めるかとも思ったが、マルコちゃんは相変わらず司書室に留まろうと抵抗する。
 私も少し苛立ってきた。
 ホカン部に来たばかりの私にしてみたら、マルコちゃんは同い年でも先輩なのだ。それなのに、こんな先輩から何を教わろうと言うのだろう。昨日の自己紹介でも言った通り、私は厳しい指導を覚悟してきたのに。
 ホカン部への配属はやはり不当だ。私がここに来たのは間違いだったのだ。
 私はもっと時空管理局員として、誇りを持って仕事をしたい。だが、それはホカン部ではかなわない。私だってマルコちゃんのように振る舞えるなら、ホカン部への配属が決まった時に駄々を捏ねたかった。駄々けて転属の拒否をしたかった。
「おい! お前ら手伝いに来たんだろ!?」
 そこへノイズ曹長が司書室にやって来た。彼の文句は当然だ。
「あれ? た、高町一尉! こ、こんにちは!」
 ノイズ曹長が目の色を変えて敬礼をしている。
 私は構わず二人の手を引いて書庫に戻ろうとすると、マルコちゃんがまた嫌な笑みを浮べて、今度はノイズ曹長に近づいていった。そしてノイズ曹長の耳に手招きをする。
 ノイズ曹長が不思議に思いつつも身を屈めると、マルコちゃんは何かをそっと耳打ちした。
「む……むすめぇ!?」
 悲鳴にも似た、ノイズ曹長のひっくり返った声。それで耳打ちの内容は分かった。
 ノイズ曹長がユーノさんに近づく。なぜか少し殺気立っている気がする。
「ユ、ユーノ司書長!」
「は、はい?」
 ノイズ曹長は震える右手の小指だけを立てて、そっと訊いた。
「ひょっとして高町一尉のコレですか?」
 ユーノさんとなのはさんの呆れきった表情だけを確認し、私は二人を引く力を強めた。
 そんな遊んでばかりいるなら、早く仕事に取り掛かればいいのに。
 すると、両目に光る何かを抱いたノイズ曹長が私の目の前に立ちはだかった。
「お、お前ら! 何をぼやぼやとしているんだ! さっさと書庫に入れ!」
「は、はい! 今から三人で取り掛かります!」
「こんなところで油売ってないで仕事をしろ! だからお前らは“役立たん部”なんだ!」
 役立たん部。
 その言葉を聞いた私は、二人を引いていた手の力を緩めてしまった。いや、勝手に力が抜けた。
 後ろで二人が転ぶ音が聞こえたが、それすらも気にならないくらいに、私は何か大きな衝撃に打ちのめされた。
 やっぱり、私の今いる場所は“役立たん部”なのだ。誰にも必要とされない“要らん部”なのだ。
 なぜこんなところにいるのだろう、私は。
 不思議と涙がこぼれてきた。
 私は、泣いていた。
 好きでここにいるんじゃない。私はこんなところにいたくはない。誇りを持って仕事をしたい。誰かを助けたい。誰かの役に立ちたい。そう願って管理局に入ったはずなのに。
 どんなに辛い訓練でも、どんなに厳しい指導でも、どんなに苦しい任務でも、私は絶対に耐え抜いて、戦い抜いていこうと誓った。
 そう、そう誓ったはずだった。
 それなのに、生ぬるい職場と仲間と上司に囲まれて、そうして私は役立たずと評される。
 悔しい。
 ものすごく悔しい。
 私は、何も出来ない。
「ソフィー?」
 マルコちゃんの声が聞こえた。でも、私は彼女の顔を見ることが出来ない。見たらきっと、その時の私はすごく嫌な顔をしているから。
 気が付けば私は走り出していた。
 皆の声も振り切り、伸びてくる手も避けて。
 私は司書室を飛び出していた。

 To be continued.



[24714] 第三話 はじまり
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d2332b30
Date: 2010/12/06 23:50
 司書室を飛び出してからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
 泣きながら走り続けた私は、本局内の休憩スペースにあるソファーの上にいた。少し落ち着こうと思って買った缶ジュースも、私の両手の中で冷たさを失っている。
 ホカン部という所に心底絶望した。
 私が時空管理局に入局したのは、こんな思いをするためではない。もっとやりたいことがあった。希望があったのだ。
 仕事の内容はどうでもいい。私は管理局員として胸を張りたかっただけなのだ。管理局員になって自分の望みを叶えたかっただけなのだ。
 遺失物保護観察部。名前だけは大層立派な雰囲気が感じられる。
 いや、ロストロギア関連の仕事なのだから、そう感じられるだけではなく、実際に重要なポジションであると私は思う。
 遺失物管理部の管理データの保護・観察なんて、考えてみればとても重要なことだ。危険であり貴重であるものを守る為には、幾重にも監視の目を張り巡らすことは決して無駄ではないのだから。
 そう、やり方次第で私達ホカン部は、“要らん部”や“役立たん部”と言われることのない立派な部署で在ることが出来るのだ。
 ホカン部に必要なのは、部隊員のやる気と責任感だ。
 しかし、たったそれだけのものなのに、手に入れることが非常に困難だ。
 そして手に入らないことが、自分の想いが果たせないことが、
「…………悔しい」
 私はここで何度もそう呟いた。
 時折、近くを通り掛る人が私を横目で見たが、皆忙しくて声を掛けてはくれない。
 当然だ。忙しいのだから。
 私達と違って、忙しいのだから。
「ソフィー?」
 誰かが名前を呼んだ。忙しくない人かな? 忙しくない人は嫌いだ。
 だから私はその優しい声に煩わしさを感じた。
「隣、いいかな?」
 私の返事を待たずに、その人は座った。
 隣に座ったその人は、過去に幾つもの事件の中心人物として活躍してきた。
 幾度と無く激戦の中で体を張ってきたのだろう。だからこの人は今、こんなにも胸を張っていられる。
 それはきっと、自分の成すべき事に誇りとやりがいを持っているからだ。信じた道を一生懸命歩むことが出来たからだ。
 そしてそうすることが出来たのは、彼女を支えてくれる周囲の力があったからだ。
 そんな貴女に、私は問いたい。
「なのはさんは…………」
「うん? 何?」
「なのはさんは、昨日私と一緒にヘリに乗っている時、言いましたよね? ホカン部もそんなに悪くないんじゃないかって」
 こんなことを言っている私は今、とても醜くはないだろうか。意地悪なことを言っているんじゃないだろうか。
 次の言葉を口にしたら、私は明らかに自己嫌悪に苛まれるだろう。
「…………今でもそう言えますか?」
 自分のことが嫌いになる。
「言えるよ」
 それは欺瞞だ。
「それは、なのはさんがホカン部の人達のことを知らないからですよ」
「でも、ソフィーだってまだ出会って一日でしょ?」
「それでも分かりました。あの人達は要らん部の人間なんです。ホカン部の人じゃない。役立たん部なんです」
「…………仕事仲間の悪口は感心しないなぁ」
 少しだけなのはさんの口調が変わった気がした。
 だけどそんなことは気にならなかった。私は、もうここで働いていける自信が無い。
 二○三八航空隊にいた頃は良かった。危険な事もあったけれど、頼れる仲間や先輩がいて、訓練でも皆が競い合いながら切磋琢磨していて輝いていた。
 突然転属の話を聞かされ、それが悪名高いホカン部だと知った時は戸惑った。だがそれでも、ロストロギアに関する重要な仕事だと、自分のやりたいことを成し遂げられるチャンスかもしれないと、本当に僅かな期待を胸に隠してここに来た。ヘリの中では散々なのはさんに愚痴ったが、まだ「何とかやってやろう!」という気持ちがどこかにあった。
 だけどそんな気持ちも今では打ち砕かれた。
 私には何も無い。
「一日だけじゃ解らないよ」
「…………そうでしょうか?」
「ソフィーは、誰かと全力全開でぶつかってみたこと、ある?」
 ある。過去に一度だけ経験がある。
 しかし、口にすることが出来なかった。
「私ね、魔法に出会ったばかりの頃、一人の女の子とぶつかったんだ」
 懐かしそうに言うなのはさん。
 そんな昔話を聞かされたくらいで私の気持ちが持ち直すわけない。そう思っていたのに、彼女が語りだしたその話を、何故だか私は知っている気がした。
 そしてついつい続きを待ってしまった。
「その時の私は魔法を使って大事なお手伝いをしている時だった。そしてその女の子も譲れない想いがあって…………私とその子は同じ物を賭けた敵同士だったんだ」
 この話はどこで聞いたことがあったのだろうか。いや、たぶん話自体は知らない。でも私は、この話が私に伝えようとしていることに思い当たる節がある。同じことをどこかで学んだ気がする。
「私はその子と争わなくちゃいけない立場だった。実際に何度も戦ったんだけど、でも本当は争いたくなかった。本当は、その子のことが知りたかったんだ。その子と話をして、その子の気持ちを知って、分かち合いたかったんだ」
 止まっていた私の涙が、再び流れ始めた。
 ああ、そうか。この話は、私が貴女に憧れた理由そのものだ。
 そう、雑誌に書かれていたインタビュー記事。
 その中で、なのはさんが言っていたんだ。
 理由も知らないまま、訳も分からないまま、ただぶつかるだけなんて悲しい。
 でも、それでもぶつからなければいけない時。きっと誰にでも譲れないものはある。諦められないことはある。
 捨てればいいってわけじゃないのなら、逃げればいいってわけじゃないのなら、そういう時は全力全開でぶつかり合ってみるといい。そうしてお互いに通じ合えた時、譲れないものも、諦められないことも、互いに分かち合うことが出来る。きっとそこがスタートだ。そこからが始まりなのだ。
 なのはさんはそう言ったんだ。
 目から出た雫は手の上に落ちて、それが幾つも重なって、溢れてまた落ちた。
 雑誌のインタビュー記事を読んだ時と同じだ。どうしてだろう、止まらないんだ。
 止まらない理由もあの時と一緒だ。すぐに気が付いた。
 まだ私は、私の気持ちは生きているからだ。やり尽くしていないからだ。
「その子と友達になりたかったんだ。…………私は信じてたんだよ。きっと分かち合えるって、友達になれるって。そして…………そこからが始まりなんだって」
 私がさっき、なのはさんの問いに対して答えを声に出せなかった理由はここにあった。
 まだ始まってもいなかった。ホカン部での私はまだ始まっていなかったから、答えられなかった。過去に一度だけ経験があるからと言って、今がそうでなくては意味が無いじゃないか。
 私はマルコちゃんやジージョちゃんを信じていただろうか。彼女達に思いっきりぶつかった時、私と彼女達は譲れないものをきっと分かち合えると、そう信じていただろうか。
 最初から信じる気持ちを持たなかったから、こうして私は泣いているんだ。
 始まってもいないのに、悔やんでなんかいられない。
「なのはさん…………」
 始めなくちゃ。
「その子とはどうなりましたか?」
「うん……今でも親友だよ」
「…………ありがとうございますっ!」
 私は右腕で涙を拭った。そして勢いよく立ち上がった。
 すると、目の前にマルコちゃんとジージョちゃんがいることに、今更気が付いた。
「ソフィー……あの…………」
 マルコちゃんが口を開いたのと同時に、なのはさんも立ち上がった。
「私はっ!」
 マルコちゃんの言葉を待つことなく、私は声を張り上げていた。
 その声に驚いて二人の肩が跳ねたけれど、それでも構わず声を出した。
「私は……生まれ育った世界を失くしているの」
 ぶつけていいんだ。全力を出していいんだ。
 二人の答えを先に考えるな。私の全力が届けば、例えどんな結果でも、返ってくるものがあるから。
 そこからが始まりだ。絶望して泣こうが、分かち合おうが、全てはこれから始めるんだ。
「ロストロギアが原因で、私の居た世界は消滅した…………。間一髪で管理局が助けに来てくれたから、私と私の両親、それに一部の人々は生き延びることが出来たけど、皆揃って帰る場所を失くしたの。友達も、学校も、家も、好きだったお店も、大切にしていたオモチャも何もかも…………。だから、私みたいに失くす必要の無いものを失くす人が現れてほしくないから、私は管理局入りを決意したんだ。大切なものを、時間じゃなくて、捨てるでもなくて…………それなのに失くすのは悲しいよ…………許せないよ」
 もう涙は止まっていた。
 自分の過去に浸って泣くつもりは無いし、これから始まりを掴もうとするのに弱気ではいられないからだ。
「私の両親は管理局入りに反対した。ロストロギアの恐ろしさを目の当たりにした両親だから、それに関わるかもしれないと考えれば当然の優しさだった。でも、無視しても逃げても泣いても納得してくれない両親を私は嫌いになって…………ちょっとだけ自暴自棄になったんだ。私ってワガママだったから」
 そんな時に出会ったのが、なのはさんのインタビュー記事を載せた雑誌だった。
 あの言葉にどれだけ力を貰っただろうか。どれだけ勇気を貰っただろうか。
 ワガママが通用しなくてずっと避けてしまっていた両親に、きちんと向かい合って、頭を下げて、想いを伝えて、お願いを申し出ることが出来たのは間違いなくなのはさんの言葉のおかげだった。
「…………最後の最後でまだ諦めずにいたら、両親が許してくれた。そして私も両親の優しさが理解出来た」
 そう、なのはさんの言葉通りに全力全開でぶつかってみたら、本当に分かち合えたのだ。
 解り合えたのだ。
「…………そうして私は今、ここにいるの」
 だから許してくれた両親の為にも、自分の願いの為にも、そして助けを求めている人達のためにも。
「私は! 私の望んだ通りの管理局員でありたい!」
 言えた。きっかけの一言だ。
「泣いている人を助けてあげたい! 大切なものを守ってあげたい! 精一杯の声に応えてあげたい!」
 出し切った。全部出し切った。もうこれ以上ぶつけるものは残っていないというぐらいまで。
 言いたいことを、吐き出したいことを全部出すと、頭がスッキリとするものだと気が付いた。ちょっと気持ちいい。
 これが全力全開か。忘れていた感覚だ。
 この先マルコちゃん達がどんな答えを返してこようとも、私は受け止めきれる自信があった。
 でもそれ以前に、私はこの二人を信じている。だから余計な自信は要らないと思った。
「高町一尉! それにお前ら!」
 聞こえてきたのはマルコちゃんの声ではなかった。
 何時からいたのかは知らないが、私達を呼んだのはミリー部隊長の声だった。
「ミリー部隊長! 今はちょっと」
「問答無用だ。すぐに来い」
 なのはさんの言葉を遮り、ミリー部隊長が踵を返した。
 私とマルコちゃんとジージョちゃんは、ミリー部隊長の背中をしばらく目で追った。続いて足を踏み出そうとして、少しだけなのはさんを見やると、唇を尖らせて眉尻を吊り上げていた。
「別にいいですよ。言いたいことは言ったし」
「でも答えは?」
「…………二人とも、とにかく行こう!」
 私がマルコちゃん達に言うと、二人は無言で頷いた。



 ミリー部隊長が進んだ道を辿ると、彼女は司書室に辿り着くよりも手前で待っていた。
「こっちだ」
 そのままミリー部隊長に続くと、ブリーフィングルームの一室に連れて来られた。
「では、お借り出来ますね?」
「ふむ……まあ、お手並み拝見と行こうか」
 ノイズ曹長と、立派な髭を蓄えた恰幅の良い初老の男性が何やら話をしていた。
 何だかお互い笑顔で話してはいるものの、どこか硬い。お互いの様子を伺っている。もっと言えば、隙を見せぬようにしながら相手の隙を伺っているような。
 なんだか変な空気の理由を、ミリー部隊長が聞かせてくれた。
「第二十五無人世界で、プリズンが発見されたそうだ」
「えっ!」
「それがなぁ……第二十五無人世界、世界名『ヒデオウト』を巡航していた局員からの報告でプリズンの存在が発覚したんだが、それと同時に手配中の密輸組織がヒデオウトを隠れ家にしていたことも判って、更にプリズンはその密輸組織が持っていると判明した。だが巡航中の局員では戦力不足なんだよ。それを聞いたあそこのスティックサラダみたいな彼が、プリズンの管理は三課に任されていることを理由に自らの出動を志願した上、密輸組織の一網打尽までも約束したんだ」
「あっちゃー、ニンジンのくせに」
 マルコちゃんが面白そうに言った。
「で、さっきの借りる借りないって話は?」
「次元航行艦のことだ。今日連れて来た三課のメンバーの中に操舵ライセンスを持っている奴がいるのと…………」
 ミリー部隊長が声を小さくした。
「実は、スティックサラダも艦長ライセンスを持っているそうだ」
「ええー! セロリのくせにっ!?」
 マルコちゃんが目を丸くして言った。
「そこで、だ」
 ミリー部隊長の顔が、何かを企んでいそうな意地悪い笑顔になった。ちょっとだけ嫌な予感がした。
 それにしても、よく次元航行艦の貸し出しを許可してくれたものだと思う。おそらく髭の人は艦長を務める人か、もしくは次元航行部隊の管理職に当たる人ではないかと思うが、ライセンスを所持しているとは言え自らの管轄であろう任務を他部署に任せることなど、本来有り得ることなのだろうか。
 そもそも地上本部と、本局直属となる次元航行部隊は犬猿の仲として知られている。
 時空管理局発祥の地である次元世界ミッドチルダ。ここに置かれた時空管理局地上本部。通称、『陸(おか)』。
 時空管理局本局直属であり、広い次元を行き交い数多の世界を管理する次元航行部隊。通称、『海(うみ)』。
 同じ組織でありながら、二大勢力と称される程に不仲であったその理由は、簡単に言ってしまえば互いを理解し合わなかったことにある。ほとんどの魔導師は陸直属の部隊をスタート地点として育つ。そして管轄業務の性質上、取り扱う事件の規模が大きくなる海は、優秀な人材を必要としている為に陸で育った魔導師を引き抜く。海の引き抜きを、陸は自分達の戦力不足に結び付ける。このような実情を根本に抱え、陸と海は互いの言い分をぶつけ合ってきた。
 ただ、管理局に属する全ての者全員がどちらかを忌み嫌っているわけではない。全次元世界の平和を願う心は海も陸も変わらないのだから。その証拠、というわけでもないが、現在の局内事情はこうだ。
 昨年、地上本部の事実上トップであったレジアス・ゲイズ中将が亡くなった。それだけが原因というわけでもないが、極端なまでに海を毛嫌いしていたレジアス中将が亡くなったことにより、実は海と陸の関係は少しだけ良好になったそうだ。これはレジアス中将こそが不仲の原因だったのではなく、誰よりも先頭に立って海批判をしてきた彼が亡くなったことで、精力的とも言えるほど海批判をする者がいなくなったということだ。
 ただ、それでもやはり多少の蟠(わだかま)りは残っているようで、陸に属する機動三課に対して海が次元航行艦の貸し出しを了承するなど、まさに奇跡と言えるようなことだった。
 おそらく誰もが、何か裏があることを勘繰ってしまうような不自然さだ。
 だが、難しい話を今はしている余裕など無い。このことに関しては別の機会に考えるとして、今はミリー部隊長の笑顔の真意が重要だ。
「私も同行しましょうか?」
 なのはさんが声を掛けると、ノイズ曹長は満面の笑みを浮べた。
「いいんですか!? 是非お願いします!」
 早い。即答だ。
「あー、ノイズ曹長」
 ミリー部隊長が咳払いをしながらノイズ曹長に話しかけた。
「その任務、ホカン部も同行しよう」
「いえ、結構です」
 早い。即答だ。
「まあいいじゃないか。ホカン部のいつもの同行任務だろぉ? 全指揮は君が執ればいい」
 ノイズ曹長は何か言いたげだ。
 無理も無いだろう。昨日はその同行任務のせいで、地上本部上空での一騒動が起こったのだから。
「なのはさん、ヴィヴィオちゃんは大丈夫ですか?」
「うーん、でも昨日みたいなことがあると。それに……さっきのも、ね」
 それはもちろんそうだが、なのはさんが私のことを気に掛けてくれているというのも伝わってきた。本当に優しい人だ。
 一分間ほどミリー部隊長とノイズ曹長による押し問答が続いたが、最終的にはノイズ曹長が折れた。と言うよりも折られた。
 ミリー部隊長は楽しそうにしながら一言だけ礼を言い、次にマルコちゃんの方を見た。
「せっかくだ。隊舎で寝ているブラントとウィンディーヌも呼んでやれ」
「了っ解!」
 マルコちゃんがブリーフィングルームを出て行った後で、私は思ったことを口にした。
「あの、今から呼ぶんじゃ時間が掛かりませんか?」
 横を見ると、ノイズ曹長はさっそく出動準備の指示を出していた。
 ブラント君が隊舎で目を覚ましてから、地上本部の転送室まで行ってこの場にやってくるのでは三十分以上掛かる。おそらくこちらはあと十分程で出動してしまうだろう。
「いや、あいつならあっという間に来るぞ」
 疑わしい。だが、どちらにしてもこちらは間もなく出動してしまう。私達は同行という立場上、三課の予定に合わせて動かなければいけない。
 私の読み通り、十分経過するとノイズ曹長の指示で次元航行艦への移動が始まった。
 借用する次元航行艦の格納庫にやって来た私は少し震えた。
 幼少時、ロストロギアによって消滅寸前だった私の世界から、私達を救い出してくれたのが管理局の次元航行艦だった。今回乗艦する艦船は、昔乗った艦船とは同型ではないものの、やはりあの頃の記憶が嫌でも甦ってしまう。
 列を作って順々に艦船に乗り込もうとしていると、「おーい!」と言う声と共に、マルコちゃんとブラント君の走ってくる姿が見えた。二人が近づくと、ブラント君の肩にウィンディーヌちゃんが座っているのも確認できた。
「うそ! 早っ!」
「僕も乗るよぉー」
 どうやって来たのだろう。ホカン部には私の知らないことがまだまだ多い。
 全員の乗艦を確認した後、ノイズ曹長が艦長席に腰を下ろした。と、同時にいきなり蹴落とされた。
 私となのはさんは唖然としてしまった。
 ノイズ曹長を蹴落としたのはミリー部隊長だ。
「な、何するんですか!?」
「悪い、この席を譲ってくれ…………」
「ええっ!?」
 ミリー部隊長の肩が震えている。
「一度座ってみたかったんだ」
「でも、全指揮は」
「私が執る!」
 メチャクチャだ、この人。
「そ、それはダメです!」
「…………ノイズ君! 君の階級は? 言ってみたまえ!」
「り……陸曹長であります、サー!」
「では私の階級は? 言ってみたまえ!」
「ぐうぅっ……! さ、三等空佐であります、サーッ!」
 ノイズ曹長はその場に膝を着き、両拳を床に叩き付けて、体で抗議した。しかし、その姿は地に平伏しているようにしか見えなくて哀れだった。
 あまりにも酷い。これは何か言うべきだと思った私は、一歩進み出た。
「ミリー部たい」
「ソフィー!」
 私の声を遮り、ミリー部隊長は左手の平を私の目の前に突き立てて、あの意地悪な笑顔を見せた。
「お前の転属祝いだ」
「…………へっ?」
「今日は思いっきり仕事しようじゃないか! お前が望むのなら、我々ホカン部は幾らでも尽力しよう!」
 言葉が出なかった。ミリー部隊長の言葉の意味を理解するのに数秒を要してしまった。
 彼女は、今なんと言ったのだろう。
「お前が助けたいのなら、我々も手を伸ばそう! お前が守りたいのなら、我々も体を張ろう! お前が応えたいのなら、我々も共に叫ぼう!」
 止まったはずの涙。それが少しだけ視界を鈍らせた。
 ホカン部から私への、全力全開の返答がもたらした涙。でもそれは悲しい涙じゃない。
 マルコちゃん達の方を見ると、マルコちゃんが優しい笑顔を浮かべて言った。
「ボク達の答えは、ミリー部隊長と一緒だ」
 その一言で、溜めていた雫が一粒だけ頬を伝った。
 なのはさんは、相変わらず優しく笑っていてくれる。
 ようやくだ。遺失物保護観察部、ソフィー・スプリングスの始まりだ。
 ミリー部隊長が合図を出す。
「錨を上げろぉ、野郎共! 次元航行艦ウルスラ、出航!」

 To be continued.



[24714] 第四話 ホカン部
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:d2332b30
Date: 2010/12/04 11:05
 限りなく広大な次元の海を、目的の世界を目指して進む次元航行艦ウルスラ。
 その艦長席に威風堂々と座り、前方の大型モニターに移る目的地の詳細データを眺めながら、ミリー部隊長は不敵な笑みを浮べていた。
 この人に出会ってからまだ一日しか経っていないが、これ以上無いというくらいに楽しそうな顔をしているのが分かる。
 何がそこまで楽しいのだろうか。両端を吊り上げて白い歯を覗かせる口からは、獲物を見つけた獣がその味に思いを馳せて今にも襲いかかろうと牙を剥き出しているような、そんな雰囲気すら感じる。
 いや、きっとその通りなのだろう。ミリー部隊長はモニターに映るデータと睨めっこをすることで、頭の中でこれから行われる任務の戦況をシミュレートしているのだろう。
 だとするならば、モニターに釘付けの目はさながら狼の瞳か。明らかに狩る者の目だ。
「ソフィー」
 マルコちゃんに呼ばれた私は、ミリー部隊長から視線を外した。
「なあに?」
「その……だな。一言謝りたくて…………」
 隣にはジージョちゃんも並んでいて、二人して申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 なんでそんな顔をしているの? と、訊いたら意地悪になるだろうか。
 ただ、二人の言いたいことが分からないわけではないのだが、それでも今の私は謝ってもらうことなど無いと思っている。
「その……あれだ。ソフィーの気持ちを考えず、調子に乗り過ぎてしまった。ごめん」
「…………マルコちゃん」
「…………ごめん」
「ジージョちゃんまで…………二人とも謝ることはないよ」
 私は笑っていた。きっと、なのはさんに元気付けられるよりも少し前の私なら、謝られても文句さえ言えず、二人を信じられずに目の前から逃げ出していただろう。
 だが、今はミリー部隊長が私の気持ちを汲み取ってくれて、目の前の二人やブラント君とウィンディーヌちゃんも、私を支えようとしてくれている。
 謝らなくちゃいけないのは、感謝しなくちゃいけないのは私の方だ。
「私のワガママに付き合ってもらってるんだから、こちらこそごめん」
「いや、ボク達も一応管理局員だし…………それに、ソフィーの気持ちに気付いてやれなかった」
 マルコちゃんがポツリと零した。
「ボクは生まれてすぐに捨てられたみたいで、両親もいなかったから。失くす必要が無いのに失くしてしまうってことの悲しさがいまいち解らなくて…………。正直言うと今でも、管理局員という自分の立場に、ソフィーみたいな志(こころざし)を持つことが出来ないでいる」
 失くして悲しいものが、彼女には最初から無かったのだ。だから任務に対してあんなにも軽薄だったのだろうか。
 長いこと、守るものも救われたことも無いままでいた彼女に、私の気持ちを知る術は無かった。そう、私から動くまでは。
 なのはさんの話は、本当に大切なことを教えてくれていたんだ。マルコちゃんに本気でぶつかり合っていなかったから、きっと一生彼女のことを軽蔑していただろう。
 それなのに彼女は、私のために今ここにいてくれている。
 本当に、感謝しなくてはいけないと思った。
「皆、ありがとう…………」
 私は深く頭を下げていた。今出来ること、したいことはこれだったから。
 しばらくそうしてから、私は頭を上げて皆の顔を見た。
 皆は驚いた顔をしているけれど、すぐにそれも変わった。気合の入った、引き締まった顔に切り替わっている。
 たぶんそれは、頭を上げた時の私の顔がそんな表情だったからじゃないかと思う。
 だって今私は、俄然やる気に満ちているのだから。
「第二十五無人世界ヒデオウト到着まであと五分です」
 オペレーターを務めてくれている三課の人が、ミリー部隊長に告げた。
「あの、ミリー部隊長…………」
「キャプテン・ミリーと呼べ!」
「キャ……キャプテン・ミリー、到着後の指示を願います」
 ミリー部隊長は「おう!」と一言返事をした後で、私達の方を向いた。
 やっぱり楽しそうに笑っている。
「ソフィー」
「は、はい!」
「楽しいか?」
 楽しい? それは無いと思う。
 緊張はしている。だが、これからの任務は訓練ではない。ましてや遊びでもない。実戦だ。場合によっては敵を魔法攻撃によって倒さなければならない。もちろん魔法攻撃をする際には、物理的ダメージは与えずに相手の魔力値にのみダメージを与えるという、非殺傷設定を施しての攻撃をするつもりだが、それでも危険性が無いわけではない。ましてや犯罪者グループからの攻撃は、非殺傷設定なんて優しい配慮はなされていないだろう。
 場合によっては本当に命のやり取りとなってしまう。
 私はそれを楽しいと呼べない。呼べる人がいるなどと信じたくも無い。
「楽しいか楽しくないか…………そういった判断は、私には下せません」
「……そうか」
「到着まで二分です!」
 ミリー部隊長が楽しそうに微笑んでいた顔を思い出した。
 この人が楽しんでいることとは、一体何なのだろう。
 それを考えた時、初めてこの人を恐いと感じた。
「…………聞け! 本艦はヒデオウトに到着次第、巡航艦の送ってきた座標、密輸組織のアジトがあるポイントの上空に出現する! 敵は組織の上層メンバーを逃がす為に、違法魔導師で構成された護衛部隊を我々に仕向けると思われる! 機動三課の武装魔導師はポイント上空にウルスラ出現後、迅速に密輸組織のアジトに向かい、逃走しようとする者を残さず逮捕だ! 交戦はする必要無し!」
 そこまで話を聞いて、隅っこでしょぼくれていたノイズ曹長が口を挟んだ。
「ま、待ってください! 敵の護衛部隊はどうするのです!?」
「我々ホカン部がいただく!」
 この瞬間、ミリー部隊長はさらに笑みを増したのだ。
「…………信用しないわけではありませんが、私はアジトには向かいません。あなた達の監視をさせていただきます」
「ふんっ、監視ときたか……いいだろう。邪魔はするなよ」
 ノイズ曹長も心配なのだろう。指揮権をミリー部隊長に奪われたからと言っても、三課はホカン部の手駒ではないということを示しておかなければならない。
 いや、理由は本当にそれだけだろうか。もしかしたら、ノイズ曹長も私と同じ気持ちを抱いているのではないだろうか。
 ミリー部隊長は戦いたくて仕方が無い。彼女にとっての戦いとは、緊張感に興奮し、狙われる恐怖に笑み、討ち取る悦楽に酔うものなのではないだろうか。
 間違っている。そんなのは狂気の沙汰だ。
 もしミリー部隊長が本当にそんな人だとしたら、ノイズ曹長はそんな彼女に目を届かせていたいのかもしれない。
「キャプテン・ミリー、私はどうしますか?」
 なのはさんが言うと、ミリー部隊長は自分の隣を指差した。
「えっ?」
「留守番だ。少しホカン部の実力とやらを見てもらおう」
「到着まで一分です!」
 時間が迫り、私は少し震えている。
 今は余計なことを考えるのは止めた。
「ホカン部、聞け!」
「はい!」
 四人の声が揃った。
「直接戦闘はお前達に任せる。しくじるなよ」
 始まったばかりの私。想いへの第一歩だ。
 私が生まれ育った世界は、理由も無く消えていい世界なんかじゃなかった。
「出撃順はソフィー、ジージョ、ブラントとウィンディーヌ、マルコの順だ」
 夢があった。友達もいた。幸せに溢れていた。悪意もあったけれど、それを上回るくらいに思いやりがあった。
「ソフィーが斥候! 正確な情報を送れ! お前が突破口を作れば後は他の奴らが合わせる!」
 消えていい理由は無かった。消えなければいけない理由は無かった。
 失くす必要の無い、かけがえの無いものだった。
 失くすことが許せないんじゃない。
 “不必要に”失くすことが許せないんだ。
「いいか! 古代文明のオーバーテクノロジーとは言え、ただ容量が馬鹿でかいだけのメモリが何故ロストロギア指定なのかを考えろ!」
 失くして泣く人がいる。明日を奪われて立てない人がいる。
 そんな人達の悲しみを消せるなら、涙を拭えるなら、絶望を変えられるのなら、ほんの少しでも救えるのなら、私がホカン部にいる理由はある。
「プリズンが危険視されているのは中身が問題だからだ! 黒い立方体という外壁のせいで中身の危険度が計れない! 事によってはその中身によって次元世界が失われるかもしれん!」
「絶対に失くさせませんっ!」
 そうだ。それこそが私がここにいる理由だ。
「いいぞぉ! 出撃準備! 全員バリアジャケットセットアップ!」
 私達はそれぞれのデバイスを取り出し、変身していく。
 マスタースペードの光は私を包み、バリアジャケットの構築と同時に勇気をくれる。つま先から頭まで、体中を何かが走るのがはっきりと伝わった。血管が、神経が、細胞の一つ一つが温かい。届いてくる、相棒の気持ちが。この子もはりきっている。
 そうだね、がんばろう。
 隣では皆も変身を終えていた。
 ジージョちゃんのメイド服風バリアジャケット。ブラント君は真っ青なハーフパンツとフローティングベストに黄色いラインを走らせた、随分と軽装なバリアジャケットだ。そしてマルコちゃんは昨日と同じ、バリアジャケットもデバイスもなのはさんの親友であるフェイト執務官と全く同じ形状のものを装備している。
「よし、では高町一尉はここで私と一緒によく見ていてほしい」
「はい」
 そしてウルスラは、ヒデオウトの地表出現準備に入った。



 第二十五無人世界、ヒデオウト。
 密輸組織のアジトを発見したチームから送られてきた座標の周辺地域は、大きな森を抱えた大自然の中だった。
 大地一面に広がる緑の絨毯を突き破るようにして、裸の岩山が空を穿つ。
 その岩肌に見える小さな洞窟。送られてきた座標はその洞窟を示していた。
 次元という海を越えて、ウルスラが青く晴れ渡った大空にその姿を現した。雲よりも低く現れたそれは、大きな影を緑の絨毯に落とす。
 この世界に棲息する鳥が森の中から騒がしく飛び立ち、それを合図に座標の示す洞窟から人影がちらちらと見え隠れしていた。
 その様子を映したモニターを見て、ミリー部隊長がノイズ曹長に合図を送る。
「機動三課、地表へ転送!」
 合図を受けたノイズ曹長の指示を受け、ウルスラ内の転送ポートに待機していた三課の面々がその姿を消していく。
 直後、モニターには岩山目掛けて落下していく三課メンバーが映された。
 同じタイミングで、岩山の洞窟や森のあちこちからデバイスを手にした魔導師が浮かび上がってきた。数は思っていた以上に多い。それでも全員ではないだろう。足止めとして立ちはだかる彼等とは別に、逃走する者達の護衛を務める魔導師が地表にいるはずだ。
 ミリー部隊長がもう一つ合図を送った。
 私達ホカン部メンバーがすぐさま転送ポートの上に立つ。ノイズ曹長も一緒になってポートに立ち、ブラント君を羽交い絞めにした。
「何してるの?」
「僕、空飛べないんだぁ」
 ブラント君が照れながら言う。
「ノイズ! ブラントに変な真似したら溺死させるから!」
「しねえよ! あと“曹長”を付けろよ!」
 ウィンディーヌちゃんの一言にノイズ曹長が反論している。なんだか緊張感が切れそうだ。
「ソフィー」
 そこへミリー部隊長が言った。
「はい!」
「私から命令を出そう。今回、三課が受けた任務を我々は強引に奪ってしまった。ここまでしたからには失敗は許されないぞ…………いいか、私の顔に泥を塗るんじゃないっ!」
「はい!」
 力一杯の返答を返す。
「いい返事だ! …………我々、Worthless(役立たず)の底力を見せ付けてこい!」
「了解っ!」
 全員の声が重なった後、足元が白く光りだし、それが強さを増して、私達の体を船外へと送り出した。
 眩しさに一瞬だけ目を閉じ、それからすぐに開くと、もうそこはウルスラ艦内では無かった。
 緑の海と蒼い海が地平線一本を挟んで世界を二分している。こんな壮大な景色の中に極めて不釣合いな異物ウルスラは、私達の頭上で浮遊していた。
 空中に浮く違法魔導師の集団は、その視線を一斉に私達の方に向けてきた。無数の針が全身に突き刺さるようで、思わず息を呑んだ。
 斥候。私の役割は決まっている。
 右手に握った金色の杖の、スペード型の先端を頭上に掲げた。
「マスタースペード、広域サーチ! タイプ一号三型!」
「All right, search operation」
 足元に描かれた魔法陣の上で、索敵魔法を展開する。マスタースペードを中心に波紋が広がり、半径数キロ四方の空間を満たす。
 そして反射が私を叩く。下方の森から、頭上のウルスラから、飛び交う鳥から、流れる風から、後方の仲間から。
 そして、前方の敵陣から五十を超える反射が。
 その全てを読み取る。
 敵の数は六十二。各々の魔力値にはバラつきがあり、敵陣形の右翼に比較的高魔力反応が集合。
 足りない、もっと詳細に。
 敵全体の視点位置が散漫している。ウルスラに二十、私たちに三十二、地上に五、アジト入り口に五。心理状態はいずれも興奮状態。六十二人のうち、約七十パーセントに心拍数の乱れ有り。
 まだ足りない、もっと詳細に。
 聞こえるのは彼等の声。小さく、だが確かに。「やべえよ、管理局だ」、「バレてたんなら教えろよ!」、「俺達捨て駒じゃね?」、「ぶっ殺してやる!」、「やられる前にやってやるよ」、「ずらかろうぜ」、「捕まりたくねえよ!」、「てめえ一人で行けよ!」。
 解る、彼らの状況が。
 この陣形は無作為なもの、打ち合わせられたものではない。故にコンビネーションは考えられない。彼等は統率がとれていない。右翼に比較的高魔力を保持する者が固まっているのは単なる偶然。
 まるで鳥の為の撒き餌だ。ならば、喰らうしかない。
 右翼の敵に攻撃をされては厄介かもしれない。ならば先に散らすか。手を出させる前に叩くべきだ。
 あまり時間は無い。
 ついに敵側が動きを見せた。それぞれのデバイスに魔力を込め始めている。攻撃の前兆が見える。
「右翼に道を作ります! ジージョちゃん、準備を!」
 ジージョちゃんが掃除機型デバイスを構える。
 それと同時に、私はマスタースペードの先端を敵陣形の右翼に向けて、砲撃魔法発動の準備に入る。それほど大きな力は要らない。敵が一瞬怯んでくれればいい。
 素早く、そして確実に先手を取る。
「マスタースペード、バスターモード!」
「Buster mode!」
 マスタースペードの先端に薄紫の魔力球、発射台(スフィア)が浮かび上がり、そこへ魔力が急速に集まっていく。
「“単砲・天龍”、発射用意! 構えぇ――……撃てぇ!」
 声に合わせてスフィアから光線が放たれる。一直線に走るその閃光は、餌目掛けて飛ぶ鳥か、獲物を目指す獣か。
 いや、贄(にえ)を喰らう龍だ。
 龍は敵陣右翼を貫いた。先手は奪った。緊張と恐怖と焦りで困惑気味な違法魔導師達は、私の初弾を目の当たりにして更に混乱している。
 やらなければやられる。そんな直感が、大した覚悟も抱かずに空に出た彼等の思考を更に追い詰めた。狙いもつけず、スフィアも充分に練れず、お世辞にも攻撃とは言えぬ攻撃を放ち始めた。
 上手くいった。この戦況の支配権はこちらにある。
 私の砲撃が築いた道を、ジージョちゃんが辿り始めた。大丈夫、敵の弾は当たらない。
 赤紫のバリアジャケットを靡かせて、彼女はその視線を一点にしながら突き進む。
 途中、掃除機型のデバイスを前方に差し出した。
「…………クリンリネス、“バキューム”」
「Yes, with pleasure」(かしこまりました)
 正面に立ち上がった赤紫の魔法陣の中央に、ジージョちゃんはデバイスの先端を突き出した。スフィアが発生していない。攻撃ではないようだ。
 と、その時、敵陣から放たれたヤケクソの魔法弾が軌道を変えた。狙いも知らずに方々に飛んでいた魔法弾は、全てが引き寄せられるかのように湾曲の軌道を描き、ジージョちゃんの方に進路変更をした。まさか敵の魔法弾は追跡タイプだったのだろうか。
 いや、そうではない。全ての魔法弾はジージョちゃんのデバイス先端に向かっていた。
 そう、敵の魔法弾は全て吸い寄せられていた。そして、掃除機型のデバイスは引き寄せた魔法弾を一つ残らず飲み込んでいく。
 なおも止まらないジージョちゃんの進行。
「ブラント!」
「オッケーだよぉー!」
 ジージョちゃんの飛び去る姿に目を釘付けていた私は、突如背後から聞こえた声に驚いて肩を跳ねさせた。
 声の方を見ると、ウィンディーヌちゃんが水色の光を纏いながらブラント君の胸に溶け込んでいく瞬間に遭遇した。
「融合(ユニゾン)!?」
 ウィンディーヌちゃんの姿が完全にブラント君の中に消えた時、ブラント君はその容姿に少しだけ水色を漂わせた。
 初めて見た、ユニゾンデバイスとの融合を。
「ノイズ、放して!」
「“曹長”を付けろ!」
 ノイズ曹長はそう言いながら、羽交い絞めにしていたブラント君を手放した。
 落ちてしまう! そう思って目を丸くしたのは私だけだった。
 落下しながらブラント君が右腕のブレスレットに言い放った。
「ジェームスクック! 乗っていくよぉ!」
「O.K! Take off!」
 突如、ブラント君の足元には魔法陣と共に、細長な楕円形に近い板状デバイスが出現した。
 初めて見るタイプだ。武器型でないのは明白だが、かといって杖のように手に持てるような大きさでもない。全長はブラント君の身長の一・五倍はある。
「ウィンディーヌ! “ウォータースライダー”!」
 ブラント君が内にいるウィンディーヌちゃんに呼びかけると、魔法陣が突然水飛沫を上げた。更にそこから大量の水が噴き出し、重力に逆らって空を走る。勢いは留まることなく、その距離をぐんぐん伸ばし、ジージョちゃんを追うように伸びていく。
 空に川が流れている。
 幻想的なその光景に見惚れていると、次はもっと信じられない光景に遭遇した。
 ブラント君が板状デバイスに両足で乗り、その川の上を滑っていく。これは波乗りと言うのだろうか。空を走る水の道を滑り行く彼は、とても気持ち良さそうだった。
 水の道に乗るブラント君は、ジージョちゃんに近づきながら右手にもう一つのデバイスを構えた。
 細くて長い。先端には矢印型の刃。あれは銛か。
「アームドデバイス、ポリビウスだよ」
 ノイズ曹長が教えてくれた。
 ブラント君は波乗りをしながらジージョちゃんに更に近づいていく。それを確認したジージョちゃんが、クリンリネスを指で数回叩く。
「The cartridge filled」
 合図を受けたクリンリネスが、T字型の先端とホースで繋がれた反対側、丸いボディー部分から蒸気と共に小さな何かを幾つも射出した。
「何ですか? あれ?」
 ノイズ曹長に聞くと、きょとんとした顔でこう言った。
「知らないわけないだろ? カートリッジを」
 もちろん知っている。小指ほどの大きさのそれは、魔力を篭めた弾薬だ。カートリッジシステムは、その弾薬をデバイスがロードして内部に篭められた魔力を起爆剤として使用することで、魔力総量の底上げや瞬間的な攻撃力強化等を行うものだ。
「ジージョのクリンリネスは、吸引した魔力を空っぽの薬莢に充填出来るんだよ」
 高速でジージョちゃんに近づくブラント君は、左手をいっぱいに広げて更に速度を上げた。
 ジージョちゃんの側を横切る瞬間に、空中に吐き出された魔力を篭めたばかりの弾薬(カートリッジ)を掻っ攫い、それをポリビウスに装填していく。
「いっくよぉー!」
 ポリビウスがその柄を上下に伸縮し、空っぽになった薬莢を排出しながらカートリッジの中身を自身の内で開放する。それと同時に、跳ね上がるブラント君の魔力。
 ポリビウスの先端にはいつの間にか発射台(スフィア)が形成され、それをブラント君は敵陣に向けた。ジェームスクックはブラント君を乗せたまま周回軌道を描く。
 敵陣を囲うようにして飛び回り、その輪から逃げようとする敵をポリビウスが撃つ。束ねられた藁のように、逃げられない敵が徐々に輪の中央に密集し始めた。
 そんなに密集しては危険だ。大型の砲撃が来れば、一網打尽にされてしまうだろう。
「…………そっか!」
 私がすぐにマルコちゃんの方を向くと、彼女は今にも飛び出しそうな気迫を纏いながら言った。
「ソフィー、砲撃に最適なポイントを教えて欲しい。それと敵の行動予測を踏まえて、最適ポイントまでの移動コース、それとポイント到達までの許容時間を」
「りょ、了解!」
 マルコちゃんが飛び立った。
 私は波紋の反射を再度読み取った。敵全員の視点位置、心理状態、行動可能範囲内での行動予測を割り出し、敵を一網打尽にする砲撃の発射タイミングを算出。砲撃のベストポジションを探し、発射タイミングを逃さずに砲撃ポイントへ到着する為の最長許容時間を打ち出した。
 私は念話を送った。
 ――マルコちゃん! ブラント君の周回軌道に重なって今の位置からちょうど正反対まで飛んで! 許容時間は十四秒!――
 ――ははぁー! こんな塊をぐるりと回り込むのに十四秒しかないときたか!――
 確かに時間が足りない。現在のマルコちゃんの速度では間に合わない。
「レプリカストロ、“メタモルフォーシス”! モデル、“ストラーダ”!」
「O.K, baby! Model “Strada”!」
 突如、マルコちゃんの姿が光に包まれた。そしてその中から再び姿を現した彼女は、フェイト執務官の装備とは全く違う、槍状デバイスと真っ白なロングコートのバリアジャケットを身に着けていた。
 変身? あれがマルコちゃんの本当の装備だと言うのだろうか。
 彼女が空を飛び、一旦ジージョちゃんの横を通り過ぎる。その直前、ジージョちゃんのデバイスからは再びカートリッジが射出され、マルコちゃんはそれをブラント君と同じように拾った。
 カートリッジを装填した槍状のデバイスは、すぐさまカートリッジをロード。デバイスの各部から勢いよく蒸気が噴き出し、猛りを見せている。そしてマルコちゃんの魔力もまた、ブラント君の時のように飛躍的向上を見せた。
「突撃いいいぃぃっ!」
「Yahoooooooooooooooo!」
 マルコちゃんとデバイスが大声を発しながら、爆発的加速を見せた。
 速い。これなら充分間に合う。
 若草色の魔力光を噴射し、水の道を貫き、その推進力は風さえ寄せ付けない。
 ――ソフィー! カウント!――
 私は念話を通じてカウントダウンを始めた。
 ――9…………8…………7…………――
 止まらない。到着地点まであともう一息。
 槍状デバイスがカートリッジを再ロード。ロケットの噴射のような魔力は更に大きくなった。
 ――6…………5…………4…………――
 間に合った。ロケットの砲撃ポイントに到着寸前、待ち合わせたブラント君の手がマルコちゃんと繋がり、急ブレーキを掛ける。
 ――3…………2…………――
「レプリィ! モデル“レイジングハート”!」
 再び光に包まれたマルコちゃんの体。そして次なる姿は、私も良く知っている人だった。
「なのはさんっ!?」
 マルコちゃんの握るレイジングハートはバスターモードの形状をしていた。そして、スフィアの形成も早い。
 ――1…………――
「ディバイィィィン――――」
 タイミングはバッチリ。敵も一塊のまま。ブラント君とジージョちゃんが撤退。
 今しかない。
「――――バスタアァァァァッ!」
 若草色の柱が伸びる。その光に敵陣が飲み込まれる。なおも伸びる光線は、地平線を掴もうとどこまでも走った。
 やがて光は細り、それと同時に落ちていく敵魔導師達。地上では三課の人達がクッションネットを魔力によって作り、広げていた。
 戦果、密輸組織の構成員及び護衛に付いていた違法魔導師、全員逮捕。
 時空管理局遺失物管理部機動三課及び遺失物保護観察部、任務完遂。



 時空管理局本局に帰ってきた私達を出迎えたのは、ウルスラの貸し出しを許可してくれた局員の人だった。
「さすが機動三課、といったところか?」
 ノイズ曹長が誇らしげに笑顔を返すと、彼の脇腹をミリー部隊長が小突いた。
「…………あ、あとキャプテン・ミリー率いるホカン部の活躍もお忘れなく」
 ノイズ曹長が笑顔を引き攣らせながら付け足した。
 何を言っているのだと怪訝な表情を浮かべている次元航行部隊のその人は、一度大きく咳払いをしてから、ウルスラ内からゾロゾロと連行されていく密輸組織の面々を見て言った。
「ま、こういうのは今回だけだ。“陸”は地上の治安維持にこれからも励みなさい」
 内心ではやはり陸と海の確執に拘っている人だったと知った。それならば、なぜウルスラの貸し出しを許可したのか、本当に理由が解らない。
 ちなみに密輸組織の所持していた密輸品の対処には本局が当たることになったが、プリズンだけは機動三課が引き受けた。ノイズ曹長は「当然だ」と言って胸を張っていた。
 私はノイズ曹長に近づいた。
「あの」
「ん?」
 ノイズ曹長が角刈り頭をこちらに向けた。が、途端にバツの悪そうな表情を浮かべて視線を逸らした。
「な、なんだ?」
 なかなか顔を合わせてくれない。
「一言、お礼が言いたくて」
「いいよそんなの。ホカン部のいつもの同行任務だろ?」
「でも…………今日はありがとうございました」
 こちらを見てくれてはいないが、私は頭を下げた。
 ウルスラへの同乗を承諾、無理矢理だったとは言え最後までホカン部のワガママに付き合ってくれたこと。それら全てに、私は感謝した。
「…………お、俺も、一言言いたい」
「へ? ……はい」
「…………司書室では悪かった。それと、君の索敵魔法はたいしたもんだ」
 意外な言葉だった。驚きのあまり言葉が出てこない。
「確かに仕事は不真面目だが、ホカン部の力を認めていないわけではない。クセのある力を持った奴ばかりの部署だが、それ等はまるで部隊員全員で一つのシステムのようだと、以前から評価はしていた。君が加わって更に完成度を増したとも思っている」
 これは、褒められているのだろうか。
 要らん部と言われた私達が。役立たん部と蔑まされてきた私達が。
「だから…………役立たん部は言い過ぎた。すまなかったな」
 私は思わず駆け出して、再度お礼を言いながらノイズ曹長の背後に飛びついた。
 嬉しさのあまりついついとってしまった行動だったが、ノイズ曹長を随分と驚かせてしまったみたいで、彼は「うひゃあぁぁんっ!」という変な大声を出していた。
 でも、本当に嬉しかった。
「ソフィー」
 声の方に向き直ると、なのはさんが私に近づいて、頭を撫でてくれた。子供っぽくて少し恥ずかしい。
「ソフィー、すごかったよ」
「いえ、私だけじゃないです」
 そうだ。今日はホカン部の皆で成し遂げた任務だ。
 今ならはっきりと言える。私はこの部署でもっと頑張れる。
 なのはさんがそうだったように、私はこの部署での自分にやりがいを感じ、私の居場所に誇りを持っている。そして、周りの仲間の力に支えられている力強さを感じている。
 だから私は今、こんなにも胸を張っていられる。
 少しだけ憧れの人に、そう、貴女に近づけた気がします。

 To be continued.



[24714] 第五話 おつかい
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/05 21:22
 ヒデオウトでの任務から一週間が過ぎた。
 ホカン部では相変わらずの仕事をこなす日々が続いているけれど、私がそれを不満に思うことは無くなった。
 いや、正確に言うと無いわけではないけれど、以前よりも不満を言うことがめっきり少なくなったのだ。
 それはやはり、自分が今いる場所に誇りを持てたのが大きな理由だ。
 機動三課と合同での密輸組織の一斉検挙という成果を挙げた上に、ロストロギアの回収も成功させた。合同任務を承諾してくれた三課のノイズ曹長は、私たちホカン部を褒めてくれた。
 そして何より、ここの仲間達が普段のだらしない姿から一変して任務に勇ましく挑み、成功へと導いてくれたからだ。その時の彼女等の姿は、まさに私が望んだものの体現であった。
 憧れの人、なのはさんの周囲がそうであったように、私の周りにいる仲間も互いを強く信頼し合い、支えあうことの出来る人達であると知ったのだ。
 だから転属したばかりの時は、このホカン部で過ごす自分を頭に浮かべては陰鬱な思いしか抱けなかったけれど、今では現状に“ほぼ”満足している。
 さて、現在の時刻は朝の八時三十分。私は隊舎の一階にある食堂で朝食を終え、四階のブリーフィングルームに向かうところだ。お腹も膨れたし、本日も業務に精を出そうと意気込む。
 ところで、仕事が始まる朝だと言うのに私は食堂で誰にも会っていない。実はこの点が、“ほぼ”現状に満足している私が未だに感心出来ない問題の一つだったりする。
 珍しいことではない。私は業務開始の十五分前にはブリーフィングルームに着くように動いているのだけれど、そんな私よりもずっと早起きなのはミリー部隊長とジージョちゃんで、彼女達より先にブリーフィングルームに入ったことはまだ一度も無い。この二人に関しては文句はないのだが、問題は他の仲間だ。
 マルコちゃんは遅刻の常習犯で、いつも腰まで伸びたロングヘアーをぼさぼさにしたまま、眠そうな顔でやってくる。しかも三十分や一時間は平気で遅れてくる。
 ブラント君は意外にも時間通りにやってくる。というのも、奥様気分のウィンディーヌちゃんがしっかりと起こしてきてくれるからだ。だがそのせいもあって、ブリーフィングルームでは常にブラント君の寝息が聞こえている。
 やるときはやってくれるのに少し気が抜けるとこの醜態。これが今感じている不満である。
 エレベーターを使って四階まで上がると、私は真っ直ぐにブリーフィングルームまで向かった。
「おはようございます!」
「おはよう」
 ミリー部隊長が自分の席で新聞を読みながら、視線をこちらに向けることなく挨拶を返した。
 その後ろでは、ジージョちゃんが雑巾を片手に持って大きな窓を黙々と拭いていた。それから首だけを動かして私の方を向き、小さく口を動かした。たぶん挨拶を返してくれたのだと思うが、声が小さくて聞こえない。
 いつも通りの光景だった。
 私はデスクに着くと、脇にあるスイッチを押してアンリアルモニターを開いた。
 メッセージが数件届いている。遺失物管理部の各課より届く定期報告だ。
 さっそく中身を確認しようとファイルを一つずつ展開していると、機動三課からのファイルデータのところで手が止まった。
「あ、こないだのプリズンの報告、やっと届きましたね」
「ああ、遅いから昨日急かしたんだ」
 差出人はノイズ曹長からだった。
 ヒデオウトでの一件で三課が管理を引き受けたプリズンの調査。その調査結果をまとめた報告書がこのファイルだった。
 プリズン。それは信じられないほどの大容量のデータ保存を可能とする、光沢がある真っ黒な立方体の形をした記憶装置。古代文明のオーバーテクノロジーの産物であるそれは、次元世界の消滅を誘発してしまう恐れのある超危険物、ロストロギアに指定されている。
 だが、現代の技術では作り出すことが出来ない驚異の代物であることは確かだが、何故ただの記憶媒体がロストロギア指定なのか。私は最初、そんな疑問を抱いていた。
 その疑問はホカン部にある管理データを参照することで、あっという間に解けた。
 現在までに管理局が発見したプリズンの数は四つ。そしてその四つに、中身が入っていなかった事例は無い。
 そう、プリズンの最も恐れなくてはならないところは、中身なのだ。
 データと言っても、出力機器が無ければ不可視である電子データのことを指しているのではない。固体、液体、気体、有機物、無機物、魔法、あらゆるものを指す。一週間前に管理局地上本部の上空でプリズンを誤作動させてしまった際、保存されていた大型生物がその姿を現して、危うく地上に被害が及びそうになった。後に無限書庫での調べで分かったが、あの大型生物は別次元の世界に大昔生きていたもので、現在ではその生存は確認出来ないとされていた。
 プリズンの中には時間が存在しないのだそうだ。保存されたデータは、その中にある限り永遠に保存時の状態を保つ。
 そしてプリズンが危険視されるもう一つの理由は、それ単体による内包データの復元機能。保存されているデータを、当時のままの状態で瞬時に取り出せてしまうことにある。
 考えてみれば恐ろしい話なのだ。もし内包データが、全次元世界を一瞬で消し去ってしまうような兵器や術式で、復元と同時に作動してしまうようなことがあったら。
 私たち現代を生きる人々は、プリズンを見つけてはいけなかったのかも知れない。保存されているだけならば何も害は無いのに、発見し、それを管理しようとすることで、私たちは知らぬ間に消滅への道を歩んでいる可能性だってあるのだ。
 過去に発見されたプリズンに一体どんなデータが入っていたのかは公開されていない。それは、考え方によってはとても怖いことだと思う。
「ソフィー」
「はい」
 ミリー部隊長が新聞を折りたたんでデスクの上に置き、今度はモニターに目をやりながら私のことを呼んだ。
「悪いんだが一つ頼まれてくれ。三課に行って受け取ってきてほしい物がある」
「はい、分かりました。品物は何ですか?」
「極秘だ」
 ミリー部隊長がニヤニヤしている。なんだかあまり良い気がしない。
「…………なんか企んでるんですか?」
「はっはっは! そうかもなー。まあいいから頼まれてくれ。三課のサイオン部隊長に会いにいけばいい。向こうは用件を分かってるから」
「分かりました。じゃあ行ってきます」
 ミリー部隊長は満足そうな笑顔で「ん!」とだけ頷いた。
「でもホカン部って、他の課に比べると機動三課とはやけに仲良しですね」
 本当にそうなのだ。ホカン部と機動三課はとても仲が良い。現在遺失物管理部には、一課から五課までがある。その中でも特に三課との交流が多い。
 例えば、今日みたいにお遣いを頼まれて足を運ぶのも圧倒的に機動三課が多い。それに他の課の人達は私達のことを“要らん部”として見てくるのに対し、三課だけはホカン部に対して友好的なのだ。もちろん三課の中にも私達を邪魔者として見てくる人はいるし、逆に他の課にだって私達と友好的に接してくれる人もいるが、三課はやはりどこか親しみ深い雰囲気があるのだ。特にノイズ曹長は、私達のことを認めてくれているぐらいだ。
 機動三課とホカン部は、ずっと深い部分で関わっているように感じることがある。
 それと、これは単なる噂だが、実はこっそりと囁かれているのがミリー部隊長の不倫疑惑である。
 初めてこの話を聞いたのは、以前に三課の隊舎へお遣いに行った時。三課所属の女性局員が給湯室で話しているのをたまたま耳にしたのだが、隊舎から少し離れた高級レストランの中でミリー部隊長とサイオン部隊長が一緒にいたところを目撃したという話。
 サイオン部隊長には綺麗な奥さんがいることで有名だが、ミリー部隊長もあれでなかなかの美人だ。鋭い目つきと小さな鼻、綺麗な三角を描く輪郭はシャープで、その小顔と絶妙なバランスをとっているメリハリのあるボディーライン。髪だってそよ風にすらも遊ばれてしまうほどにサラサラで綺麗だ。同じ女として、私も羨ましく思ったりする。
 きっとモテるんじゃないだろうか。いや、絶対モテるだろう。
 それともう一つ。これは笑い話と同レベルの噂として、ミリー部隊長とノイズ曹長がデキているというものだ。これに関しては本当に苦笑するレベルだが。
「ホカン部って三課と一緒に仕事すること多いじゃないですか」
 ちょっとだけからかってみようと思った私は、
「もしかして、ミリー部隊長はお気に入りの人とかいるんですか? 例えばノイズ曹長とか」
 なんて言ってみた。
「そうだな。ノイズ曹長は、あれでなかなかイイ男だぞ」
 ぎょっとした。まさかそっちの筋が濃厚になるのか。
「だってあいつ、扱いやすいだろ?」
 ガハハハと笑うミリー部隊長。一瞬だけ生まれた可能性はあっという間に消え去った。
 そろそろ出掛けようかと思って私が席を立つと、ミリー部隊長が忘れていたという風に言葉を付け足した。
「ああ、悪い! もう一つ」
「はい」
「帰りに地上本部にも寄ってくれ。高町一尉からホカン部に話があるそうだ」
「なのはさんが、ですか?」
「ああ。いつでもいい話だと言っていたが、ちょうど今高町一尉は戦技教導の為に地上本部の訓練場にいるはずだから、こちらから顔を出してやれ」
 それにも返事をして今度こそ行こうとすると、
「それと…………まだ寝てる馬鹿共も連れて行け」
 それは、お守(も)りをしろと言うことらしい。



 電車とバスを乗り継いで、私とマルコちゃん、ブラント君、ウィンディーヌちゃんは機動三課へと向かう。
 マルコちゃんは私が部屋に行くまでずっと寝ていたみたいで、頭がまだ完全には覚醒していない。駅の自動改札機に管理局員証を突っ込んだり、バスの中に眼鏡を置き忘れそうにもなった。ちなみにマルコちゃんのデバイス、レプリカストロは、待機状態こそがマルコちゃんの普段掛けている眼鏡なので、忘れられそうになって悲鳴をあげていた。
 それと、珍しいことに始業時間になってもウィンディーヌちゃんとブラント君がブリーフィングルームに姿を見せなかったので、私が不思議に思って部屋に行くと、ウィンディーヌちゃんが寝ているブラント君に“おはようのチュウ”をしようとしているところだった。私の来訪でチュウのタイミングを逃したウィンディーヌちゃんは、隊舎を出てからずっと怨めしそうな視線を向けてくる。
「それにしても、ミリー部隊長が受け取ってきてくれって言ってたものは何だろうね?」
 そう言って後ろを振り向くと、寝ぼけ眼の二人と呪詛を吐きながら睨み付けてくるユニゾンデバイスが目に映った。
「どうせまたデータディスクさ。中身は知らないけどね。見ようと思ってもプロテクトが掛かっていて、ボク達じゃ中身を教えてもらえないよ」
 マルコちゃんが目を擦りながら言う。
「ミリーのことなんだし、どうせ仕事絡みじゃないわよっ」
 ウィンディーヌちゃんの言葉は本来なら上司を侮辱した発言だが、何故だろう、あながち捨てきれない考えであることが悲しい。
「うーん…………噂の人からの預かり物だからなぁ」
「噂って?」
 私はサイオン部隊長とミリー部隊長の噂を話して聞かせた。
 すると、一番食いついてきたのがウィンディーヌちゃんだった。さっきまでの不機嫌な態度はどこ吹く風で、キャッキャッと騒ぎながらあれこれと質問をぶつけてくる。いつからそういう関係なのか、目撃されたのはどこのレストランなのか、その時の服装は何か、食べたものは何か、サイオン部隊長も物好きな男だ、と言いたいが不倫とはミリーもなかなかやるな、そもそも不倫とは云々、等の持論を展開し、ちょっとの噂話から驚くくらいに妄想を膨らませていった。このノリはあれだ、三課の給湯室で話していた女性局員と全く同じノリだ。
「もう一つ、こんな噂もあるんだけど…………」
 今度はノイズ曹長とミリー部隊長の関係についても話してみた。
 すると、全員一致の即答で「それは無い!」と返ってきた。
「だってノイズ曹長は扱いやすいから気に入ってるってだけでしょ?」
 皆がガハハハと笑っている。ノイズ曹長は時々哀れだ。
 そんなノイズ曹長ではあるが、何だかんだでホカン部が他部署の局員で一番仲良くしているのも、やはり彼だ。ヒデオウトでの任務が終わった後、盛り上がった私達ホカン部はその後皆で打ち上げを行なったのだが、その時もミリー部隊長の計らいでノイズ曹長を中心とした三課局員が急遽呼び出されている。
 転属したばかりの頃の認識が少し変わりつつあった。
 ホカン部は、そこまで周りから邪険にされているわけではないのかも知れない。
 まだ止まらない笑い声を引きずりながら、私達は機動三課の隊舎前までやって来た。ホカン部と比べるとかなり大きな建物だが、少し年季を感じる。
 正面入り口を潜り、右手側にある受付端末に来訪記録を入力した。ついでに受付に座っている事務員にサイオン部隊長の居場所を訊くと、今は部隊長室にいるとのことだった。
 機動三課所属の局員は、全部で約百六十名ほどいると聞いたことがある。ロストロギアの広域捜査を担当する部署なだけに、捜査員等の人数も必要なのだろう。
 そんな機動三課のトップに立つのがサイオン・スチュアート部隊長である。遺失物管理部機動三課の課長も兼任する彼は、魔力はほとんど持っていないそうで、その経歴に魔導師としての彼は存在していない。だが、なかなかのやり手でロストロギアの発見、調査、管理において優れた手腕を発揮している。
 部隊長室は隊舎の最上階にある。私達はエレベーターの前まで移動した。やってきたエレベーターに乗り込んで最上階までのボタンを押すと、扉が閉まり始めた。
 すると突然、扉が完全に閉まるよりも早く十本の指が割り込み、扉を押し開けた。
「待った待った! 俺も乗せてくれ!」
 いきなりのことだったので私達は完全に不意を付かれ、悲鳴をあげそうになりながらその声の主を確かめた。
 ノイズ曹長だった。
「ビ、ビックリしたじゃないですかっ!」
 まだ心臓が高鳴っている。
 見ると、小脇にブルーのファイルを挟んで乗り込んできたノイズ曹長は、顔半分を覆うような大きなマスクをしていた。
「ノイズ曹長、風邪ですか?」
「ノイズ曹長でも風邪引くんですね?」
 マルコちゃんの余計な一言に鋭い視線で返答しながら、ノイズ曹長はエレベーターに乗り込んできて言った。
「んー、別に体調は何ともないんだが、今朝からくしゃみが凄くてな。念のためだ」
「誰かが噂していたんじゃないの?」
 ウィンディーヌちゃんがそう言うと、「それだったらいいけどな」と、ノイズ曹長は返した。
 なんだか、その噂をしていた主には心当たりがある。というか、私達ホカン部じゃないだろうか。
「もしかして、なのはさんかも」
 マルコちゃんが言うと、すっかりと表情を緩めて「それだったらいいけどなぁー」と頭を掻いている。
 ノイズ曹長が扱いやすいと言われる原因の片鱗を見た気がした。
 エレベーターが最上階に到着した。
 ノイズ曹長を先頭にして最上階に降り立つと、一階の受付前とは全く違う雰囲気に少し緊張した。物音一つしない廊下はモップ掛けしたばかりにようにピカピカで、なんだか歩くことすらも申し訳なく思ってしまう。部屋の数も少なく、本当に用事がない限りは訪れる人などいない。機動三課のトップに立つ人物の為の空間なのだと知る。
 部隊長室の前まで来ると、ノイズ曹長が私達の顔を一度見た。
「…………お、お先にどうぞ」
 私が手の平を差し出すと、ノイズ曹長はすました顔で部隊長室のドアを開けた。
「失礼します。管理係係長、ノイズです」
 敬礼をするノイズ曹長に続き、私達も敬礼と一緒に名乗った。
「い、遺失物保護観察部の者です」
 部隊長席の後方にある窓を前にしていた男性が、ゆっくりと振り返ってこちらを見た。
 高い身長とがっしりとした肩幅。それに少し角ばった顎に細い目。背を真っ直ぐに伸ばし、後ろで組んだ両手はそのままにこちらに歩み寄ってくる。その速度は酷くゆっくりで、威圧感と言う壁をジリジリと押し付けてきた。
 この人が機動三課の部隊長、サイオン・スチュアート。
「きたか……」
 低い声だった。
 ノイズ曹長が敬礼を解かないので、私達も姿勢を崩さずに待った。
「楽にしたまえ」
「はっ!」
 ノイズ曹長がようやく敬礼を解いた。私達はただ真似ることしか出来ない。
「まずはノイズだな……受け取ろう」
 その言葉を合図にノイズ曹長が脇に抱えていたファイルを差し出し、サイオン部隊長がそれを受け取った。それから中身を一通り捲って、ファイルを返した。
「ロストロギアの発見場所は座標まで正確に書きなさい。それと出動人数が当初の報告人数と違う。変更があったら漏れなく記入すること。それと誤字が目立つな。三ページと四ページの順序も入れ替わっているぞ。並べ直すように」
 ノイズ曹長が目を丸くしながらファイルを受け取り、指摘のあった箇所を確かめた。
 この人が、三課の部隊長。
 この人が、ミリー部隊長の好み。渋い。
「次はホカン部か。用件はデータファイルを受け取りに来てくれたんだな?」
「は、はい!」
 サイオン部隊長が自分の胸ポケットから一枚のミニディスクを取り出し、それを差し出してきた。
 私が両手で受け取ると、サイオン部隊長が言った。
「ヒデオウトでの件は報告を受けたよ。君が新しく配属されたソフィー君だね?」
「あ、は、はい! ソフィー・スプリングス二等空士です」
 名前を知られていた。それが余計に私の緊張を膨らませた。
「索敵魔法が得意だと聞いたよ。ノイズが褒めていた」
「…………とんでも滅相です。ございません」
 横でマルコちゃんが「はぁ?」という表情をしている顔が見えた。が、私は自分が言った言葉すら憶えていない。
 すると、初めてサイオン部隊長の表情が緩みを見せた。
「では、確かに渡したよ。ミリー君に確実に届けてくれ」
 こんな人でも笑うんだ。そんな変なことを思った私は、彼の見せた一瞬の笑顔に引き出されるように、胸の中の疑問を声にした。
「あの、このディスクには何が入っているんですか?」
「ミリー君は何と言っていたのかな?」
「極秘、だと」
「じゃあ、そういうことだ」
 サイオン部隊長は席に着いた。
 私の後ろでマルコちゃんが服の裾を引くので、私達は「失礼しました」と一礼してから部隊長室を後にした。
 一緒に出てきたノイズ曹長は、未だにファイルと睨めっこをしている。
 緊張感が一気に抜けて、なんだか喉が渇いた。一階まで降りたらジュースを買おう。
 手に持ったデータディスクを眺めていると、隣にいたマルコちゃんがノイズ曹長に話し掛けた。
「このディスクの中身、ノイズ曹長は知らないんですか?」
「んー? 部隊長は何て?」
「極秘」
「じゃあ、そういうことだ」
「ノイズ曹長も知らないんでしょ?」
「極秘だ」
 マルコちゃんが「怒られてたくせに!」と言って舌を出した。
 それにしても私達は極秘データを預かってきたわけだが、こういったものは通信端末を使って直接本人のもとに送ってはいけないのだろうか。わざわざ人の手を使って渡す理由が分からなくて、私は不思議に思った。
 三課とホカン部の繋がりからして、おそらくロストロギア関連のデータだとは思うが、それでも部隊長同士でしか知ることの許されない情報なのかと考えると、ますます気になった。
「ソフィー」
「ん? なあに?」
「中を覗こうだなんて考えちゃダメだよ」
 マルコちゃんが怪しい笑顔を浮かべながら言い、私はそれを慌てて否定した。
 否定はしたが、一瞬だけそんなことを考えたのも事実だった。
「ほら、それよりも早く地上本部に行かないと」
 そうだ。この後は地上本部に寄ってなのはさんに会わないといけない。
「なんだ? 地上本部に用があるのか?」
 ノイズ曹長が訊いてきた。
「はい。なのはさんが私達に話があるって」
 ノイズ曹長が羨ましそうな視線を送ってきた。本当に分かり易い人だ。



 三課を後にした私達は、途中で昼食を挟みながら地上本部にやってきた。
 今、なのはさんは戦技教導の為に地上本部の訓練場に来ているそうだ。
 なのはさんが所属する部署、戦技教導隊。本部は本局にあるが、地上部隊の訓練スペースを利用しての技能訓練や、演習での敵役、新装備の運用テストなどを行う部署である。
 また、その部隊名が示す通り、短期プログラムによって若い魔導師達の技術向上を狙った特別教導も行っている。
 そんなエリートばかりの部署で、なのはさんは戦技教導官を務めているのだ。
 なのはさんの教導はかなりハードなものだと聞いている。私が二〇三八航空隊にいた頃も、部隊内でも屈指の実力を持っていた先輩魔導師が更なる戦技上達の為に教導に参加していったことがある。三週間の教導期間を終えて帰ってきた先輩は、やはりその腕に磨きをかけて戻ってきたわけだが、特訓メニューなどを聞く限りでは、人のやることではないという印象を受けた。
 私は地上本部の訓練場へと向かいながら、その戦技教導風景を思い浮かべていた。憧れの人、なのはさんの下で仕事がしたいと思っていた私は、機動六課への配属を望んだ時期もある。機動六課では、なのはさんが一年近くにも渡ってその部隊のフォワード陣を育てていたと聞き、それを私は羨ましく思った。ホカン部に配属されず、機動六課が現在でも存続していたら、私はその中に身を投じたかった。
 訓練場までの道のりは少し長く、地上本部内を十分ほど歩いた先に、ようやく入り口を見つけた。
 広い訓練場は屋外に設置されていた。
 一辺五キロ程はあるだろうか。ほぼ正方形に形作られた広場の地面には、銀色のプレートのようなものが隙間無く敷き詰められていて、太陽の光を鈍く反射していた。この銀色のプレートは空間シミュレーターだ。市街戦や密林内を想定して模擬戦を行いたい時などに、その戦場を擬似的に作り上げることが出来る。作り上げられた戦場は見た目だけでなく硬さも存在し、障害物には触ることも乗ることも出来るという最新設備。
 その場内を見渡してみたが、誰もいない。今は訓練時間外なのだろうか。
 続いて訓練場の脇にあるコントロールルームを覗くと、そこに目的の人がいた。
「なのはさん!」
 私が声を掛けると、数人の人達と共に制御盤の前で話をしていたなのはさんが、制御盤から目を離してこちらを向いた。
「ソフィー! それに皆! こんなところまで来てどうしたの?」
「ミリー部隊長に、なのはさんがここにいるって聞きました」
 笑顔で近づいてくるなのはさんに、私達は揃って敬礼をした。
「もしかして私に会いにきたの?」
「はい。ミリー部隊長から、なのはさんがホカン部にお話があるそうだって聞いたんですけど…………」
 なのはさんは笑いながら頷いた。
「うん、そうなの。私から出向いても良かったんだけど、来てくれたんだ。ありがとう」
「あの……お話って?」
「ああ、それなんだけどね…………」
 なのはさんが外の空間シミュレーターを見やった。ここで行われる訓練を頭に思い描いているのだろうか。何もないシミュレーター上を何往復か見回している。
「再来週に、今教導している生徒達の最終的な仕上げをするの」
「模擬戦か何かですか?」
「うん。それでね、もしよければホカン部の皆も、その模擬戦に参加してみない?」
 私達は固まった。それから沈黙が続いた。
 私達が、戦技教導に参加する?
「この間の皆の戦いを見ていて思ったの。ああいうちょっと独特な戦い方をするホカン部に対して、今教えてる生徒達はどんな対処をするんだろうってね。きっとお互いに良い経験になると思うよ」
 マルコちゃんの顔を見ると、驚いたように目を丸くしていたが、徐々に面白そうだとでも言いたげな怪しい笑みを浮かべた。
 ウィンディーヌちゃんは面倒臭いという顔をしているものの、反対はしなかった。たぶんそれは、彼女の横でブラント君がワクワクしているからだ。ウィンディーヌちゃんにとって、ブラント君の意思は極力尊重してあげるべきものなのだろう。
 そして私の気持ちは、
「は、はい! 是非お願いします!」
 憧れの、なのはさんの教導訓練に参加出来る。それを断る理由なんて無かった。
「良かったぁー。じゃあ決まりだね。詳しい日程とかはまた連絡するから」
「よろしくお願いしますっ!」
「うん、よろしく」
 なのはさんは笑顔で手を振ってから、コントロールルームに戻っていった。
 なのはさんに誘われた。訓練に誘われた。
 正直に言って、私は浮かれた。ホカン部が、あのホカン部が、エースオブエースに認められている。
 地上本部を後にしてホカン部隊舎に戻る途中、私は一人、ずっとニヤニヤが止まらなかった。
「ソフィー、気持ち悪い」
 ウィンディーヌちゃんにそう言われても気にならない。
 ホカン部隊舎に到着した後、私は皆を待たずに急いでブリーフィングルームに向かった。早くミリー部隊長に報告して、二週間後の予定を空けておかなくてはいけない。
 エレベーターが降りてくるのを待てなくて、私は階段を駆け上がった。
 ブリーフィングルームに到着すると、少し切れ気味の息を整えるように深呼吸をして、扉を開く。
「ただいま戻りました!」
「おう、お疲れー」
 ミリー部隊長がデスクで本を読みながら待っていた。
 その本をデスクに伏せ、手を差し出している。
「例のもんは?」
「あ、はい、これです」
 データディスクを渡すと、彼女はそれを持って席を立った。
「あ、あの! なのはさんの話なんですけど」
「悪い、後で聞く。ちょっと大事な用でな。こいつの中身を確認しなくちゃならん」
 そう言うと、ミリー部隊長は足早にブリーフィングルームを出て行った。
 すれ違うようにして、マルコちゃん達がブリーフィングルームに入ってくる。
「ミリー部隊長は何だって?」
「話する前に出て行っちゃった」
 どうしたのだろう。大事な用とは、あのディスクの中身を確認することだろうか。それならばここでも出来るのに。
 いや、それよりも私が一番気になったのは、ディスクを渡した瞬間のミリー部隊長の顔だ。
 その時の表情は見たことがある。それは、私がミリー部隊長に恐怖を覚えた時の顔。次元航行艦ウルスラに乗ってヒデオウトに向かった時の、ミリー部隊長の楽しそうな顔だった。
 あのディスクには、一体何が入っていたのだろうか。
 私はミリー部隊長の歩いていった先をじっと見つめていた。
「ソフィー、食堂でお茶飲もー」
「もしかして、サイオン部隊長とのデートの予定が入っている……とか?」
 不意に、私の肩を誰かが叩いた。
 驚いて振り返ると、そこにはジージョちゃんが立っていた。背が大きいので余計に驚いてしまう。
「い、いつからそこに?」
 マルコちゃんが呆れたように言った。
「ソフィー、なのはさんに誘われて浮かれ過ぎだ。ジージョならお前がここに入った時からずっといたぞ」
「えっ!?」
「…………掃除してた」
 ジージョちゃんが恥ずかしそうに、しかし満足そうな顔で頬を赤らめながら呟いた。
 まさか、朝からずっと掃除していたのか。
 掃除好きにも程がある。

 To be continued.



[24714] 第六話 変身ヒーロー
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/09 00:40
 灰色の空の下、南西から吹く風に逆らいながら飛んでいる私は、右手に握ったマスタースペードの先端を正面に突き出して射撃魔法の準備をした。
 眼前に薄紫色の魔力球、発射台(スフィア)が形成された。十分に練った魔力はマスタースペード内部に圧縮されていき、発射準備が整っていく。
 狙うは私の数メートル前を飛ぶ魔導師。
 その魔導師の姿は、黒のハイニーソックスとミニスカートを下半身に纏い、上半身を覆うコートも同じように黒を基調としている。更にその上から白いマントを羽織って靡かせていて、左前腕部と甲には鈍く光る金属製のアームガードも装着していた。そして左手に握った戦斧形デバイス。
 その姿はまさに、時空管理局本局執務官、フェイト・T・ハラオウン執務官の姿であった。
 だが、今私の目の前を飛んでいるのはフェイト執務官では無い。姿形はそっくりでも目の前の彼女は別人だ。もし目の前の人が本物のフェイト執務官なら、こうしてスフィアを形成するよりも早く、私は撃墜されているだろうから。
 そう、彼女はフェイト執務官ではない。
 だから、勝機はある。
「連砲・朝潮(あさしお)――……撃てぇ!」
 スフィアから小さな魔法弾が連発される。
 しかし、発射と同時に目の前の彼女は旋回を開始。
 私は後を追うように、引き離されないように、同じ軌道を通りながら射撃を続けた。
 右、左、上下、スピン。不規則な動作で彼女は魔法弾を避けていく。だが、いつまでもそうしていられるわけが無い。デタラメに動いて的を絞らせないようにしているそれは、撃墜されるまでの時間を引き延ばしているだけに過ぎない。私はそう思った。
 次こそ当てる。
「連砲・赤城(あかぎ)!」
 魔法弾の大きさは一回り大きくなり、それに合わせて彼女の挙動も大きくなった。避けづらくなったのだ。
 チャンスだ。私を振り切ろうにも振り切れないでいる。
 相手を追い詰めているという確信が生まれ始めた。
 すると突然、彼女はその姿を光に包んだ。魔法弾を避ける動きはそのままに、しかし明らかに何かを仕掛けようとしているのが分かった。
 光は、彼女の全身を包んだ瞬間をピークとし、徐々に収束し始める。
 光から抜け出た彼女の姿は、先程までのフェイト執務官の姿ではなくなっていた。
 背中のマントは面影を残しつつも、ハーフパンツと半袖のシャツというボーイッシュなスタイル。手に握られていた戦斧も、いつの間にか槍へと姿を変えていた。あの姿は確か、彼女曰く“ストラーダモデル”。
 変身を終えた彼女は、魔力の込められた弾薬(カートリッジ)を素早くデバイスに装填し、デバイスは飲み込んだそれを瞬時にロードして、空っぽの薬莢を排出しながら若草色の魔力光を噴出した。それは爆発的推進力となり、彼女を引き連れたまま上空へと昇った。
 すぐさま後を追おうにも、彼女とそのデバイスは私の追跡を遥かに上回る速度で移動していった。
 取り逃がしてたまるか。
 私はループを描いて彼女の位置を捕捉しようとした。だが、灰色の空の中に彼女の影は見当たらない。ぐるりと一周して、地上のヘリポートマークが見えたところで私はその場に留まってしまった。
 いない。しかし消えるわけなどない。ヘリポート上空のこの空間に、身を隠せる障害物などあるわけもないのだから。
「ここだよソフィー!」
 聞こえた声は下から。そこに視線を向けると、私の真下には二度目の変身を終えた彼女がいた。
「なんで!?」
 尋ねている余裕などあるはずもないのに、私はその場から逃げることをしなかった。
 その一瞬の隙がいけなかった。
「ふふん! シュートバレット!」
 彼女の両手には二丁の拳銃形デバイスが握られていた。
 そして彼女の声に合わせて打ち出される無数の魔法弾は、私の身体を容赦なく叩いた。非殺傷設定なので物理ダメージが無いとは言え、魔法弾の直撃、しかも不意を付かれての連続被弾はきつい。
 私の身体は浮力を失い、落ちていく。
 しかし、下から私を撃ち落とした彼女が、魔力によって作ったクッションを展開しながら私の身体を自らの両腕で受け止めてくれた。
「はいソフィーの負けー。ジュースいただきー」
「えぇー、マルコちゃんどうやったの? 全然姿見えなかったんだけど」
 得意げに笑う彼女、マルコちゃんは、私を抱えながらゆっくりと高度を下げてヘリポートに降り立った。
「“オプティックハイド”。自分の姿を不可視にする幻術魔法さ」
「…………ずるい」
「戦術だよ」
 マルコちゃんと私がヘリポートに降り立つと、彼女はデバイスを待機状態(スタンバイモード)にしてから言った。
「今日の訓練はここまでにしよう」
「ええ! 私負けっぱなしなんだけど!」
 いよいよ来週に迫った、なのはさんの下で行われる戦技訓練に参加する為、私とマルコちゃんは最近ホカン部隊舎のヘリポート内にて自主練習を行っていた。
 戦技訓練の参加者はミリー部隊長を除いたホカン部メンバー全員なのだが、ジージョちゃんは寮母さんと一緒に食堂の掃除をする約束があると言い、ブラント君は眠いと言い、ウィンディーヌちゃんはブラント君に添い寝しないといけないと言い、結局自主練習に参加したのは私とマルコちゃんだけだった。ミリー部隊長は少しなら練習に付き合うと言ってくれていたが、マルコちゃんはもう切り上げるつもりでいる。
 それにしても悔しい。マルコちゃんにはこれで三連敗だ。
 マルコちゃんは、レプリカストロというデバイスを使って様々な魔導師の姿を真似ることが出来る。更にその真似は、姿形だけでなく変身した魔導師の技にまで及ぶ。マルコちゃん曰く、「一部の稀少技能(レアスキル)以外は結構イケるぜ」と豪語していた。
 レプリカストロも様々なデバイスに姿を変えて、その上、各デバイスの特徴さえも真似てしまうから器用なものだ。最も多くの人が使うごく一般的なミッドチルダ式魔法はもちろんのこと、近接戦特化が特徴的なベルカ式魔法もこなしてしまう。
 負けた言い訳をするつもりはないが、マルコちゃんのこの変身戦法は正直言って戦いづらい。デバイスの違いにより戦闘スタイルが全く変わることもあるというのに、彼女はそのデバイスに合った動きを器用に使い分けてくる。相手をするこちらとしては、調子が狂わされるのだ。
「もう一戦!」
「ダメ。今日は用事があるんだ」
 マルコちゃんは隊舎の方に向かって歩き始めた。
「用事ってなあに?」
「ちょいと本局にね。デバイスの調整をしなくちゃいけないんだ」
「デバイスの調整? それならいつもマルコちゃんが自分でやってるじゃん」
「いやいや、ちょいと約束もあるのさ。ソフィーもおいでよ。マスタースペードのメンテしよう」
 もう少し練習がしたかったが、戦技訓練の前に一度きっちりとマスタースペードの調子を整えるのも大切だと思い、私はその誘いを受けた。
 マルコちゃんは凄い。何が凄いのかと言うと、なんと彼女はデバイスマイスターの資格を持っているのだ。
 デバイスマイスターと言えば、魔導師用のデバイスを製作、管理することの出来る資格。簡易デバイスぐらいなら資格を持っていなくても作成は出来るのだが、やはり高性能を求めるとなるとデバイスマイスターには敵わない。
 ホカン部隊舎にあるマルコちゃんの部屋は、家具の代わりにコンピューターを置き、床には何十本という配線が所狭しと並び、もしかしたら暖房器具はマシンの排熱ファンで代用出来るのではないかと思うほどに異様である。しかも、何故か壁にはテレビで放映中の変身ヒーローのポスターが所狭しと並んでいるのだ。
 女の子の部屋ではない。いや、人の住む場所ではない。
 更に隊舎には彼女の“城”とでも言うべき場所がある。ブリーフィングルームの左隣にある“技術室”だ。任務以外でマルコちゃんがブリーフィングル-ムにいない時、大抵は自室か技術室にいる。
 そんな生粋のメカオタクである彼女だが、デバイスマイスターの資格を持っているだけあってその技術力は決して侮れない。ホカン部部隊員のデバイスのメンテナンスも、全て彼女が引き受けているのだ。
 だが不思議なものだ。それだけの力量があるのなら、幾らでも必要としてくれる部署はありそうなのだが。
 どういうわけか、彼女はホカン部にいる。
「じゃあシャワーを浴びて汗流したらボクの部屋まで来てくれ。ボクも準備して待ってるから」
「うん」
 マルコちゃんがホカン部にいる理由。せっかくだからデバイスメンテナンスの合間にでも話のネタにしてみようか。
 そんなことを考えていると、マルコちゃんよりもまず自分がホカン部に配された理由が分からなくて、ちょっと落胆した。



 時空管理局本局。次元空間に浮かぶ、時空管理局の総本部である超巨大艦船。次元航行部隊や航空武装隊の本部が置かれているのもこの本局であり、私が所属していた二〇三八航空隊などの空戦魔導師は、本局直属の局員ということになる。
 “海(うみ)”こと次元航行部隊と、“陸(おか)”こと地上本部の不仲は周知の事実だが、管理局本局の中でも最も代表的な部署が次元航行部隊であるため、海と陸の確執に拘る人達の中でも陸側は、本局そのものを嫌っている場合がある。それでも同じ時空管理局であることには変わりが無いため、陸士だろうと空士だろうと、本局への出入りは基本的には自由である。
 ただ、私の場合は本局に来るような用事も特に無い為、滅多に本局に足を踏み入れることは無い。この広い本局内では、私は迷子になる自信がある。
 マルコちゃんは本局にはちょくちょく出入りしているようだ。局内案内板には全く目もくれず、迷う素振りも見せずに目的地へ向けて進んでいる。
 そしてやってきたのはメンテナンスルーム。扉を開くと、何名かの技術員が白衣姿でコンピューターと向かい合っていた。
 ガラス製の大きなカプセルには様々な形態のデバイスが入っているし、何本ものコードに繋がれた機械部品は、おそらく製作中デバイスの一部のように見える。デバイスの製作、調整はここで一通り出来るようだ。
 部屋の奥へと進むと、マルコちゃんは一人の技術員を見つけて声を出した。
「よー! 来たよー!」
 声に気が付いて振り返ったその女性技術員は、背中を覆うくらい長い後ろ髪を靡かせた。真っ白な白衣は少しサイズが合っていないのか、長めの袖は手の甲をすっぽりと包んでいた。そして彼女も眼鏡を掛けている。
「ああ! マルコ遅いわよぉ!」
「ごめん、隊舎でちょっと訓練してたから」
「マルコが訓練? 珍しいわねぇ」
 その女性は親しげにマルコちゃんと話しており、マルコちゃんもまたその女性には随分と気を許している様子だった。
「そっちの子は?」
 技術員の女性が私の方を見た。
「ソフィー・スプリングス二等空士です」
 敬礼をすると、彼女は笑った。
「そんなに硬くならないで。私、今日は非番なの。…………自己紹介が遅れちゃったかな。シャリオ・フィニーノです。皆からはシャーリーって呼ばれているから、そう呼んでね」
「シャーリーは執務官補佐をしているんだ。それに優秀なメカニックでもある」
 シャーリーさんの横に移動したマルコちゃんは、彼女のことを紹介しながら自分の眼鏡を外して、それをシャーリーさんに手渡した。
「さっそくだけど、こないだのやつをヨロシク頼むよ」
 マルコちゃんが笑っている。しかもお得意の怪しげな笑みだ。
 眼鏡を受け取ったシャーリーさんは、マルコちゃんとは対称的な爽やかな笑顔を浮かべて、嬉々としてコンピューターデスクの画面に目を移した。
「はーい! …………これよ、これ。プログラムを組むの結構大変だったのよー」
 そう言ってマルコちゃんと一緒に画面上で視線を走らせる彼女だったが、突然私の方を向いて、「どうぞ」と隙間を作ってくれた。
 一体何をしているのかと画面に目をやってみたが、私には何をしているのかさっぱり分からなかった。
 首を傾げていると、その横で二人は楽しそうに笑いながら画面と互いの顔を交互に見ていた。
 聞こえてくる会話で断片的に理解出来たのは、「このパンツのフィット感が良い」、「排気口の色はもう少し濃いのでは?」、「ローラーの主軸の感覚はもっと広かったかもしれない」、「カートリッジロードの衝撃にゾクゾクするねぇ」、「六課のデバイスに関しては任せなさい」、「良い仕事してますなぁ」等々。
 二人がケラケラと笑う。
 はっきり言って、聞き取れる部分を聞いても何を言っているのか理解出来ない。ただ、シャーリーさんの手にあるレプリカストロが一緒になって笑っていることに気付いた瞬間、マルコちゃんのデバイスがまた厄介な物になるんじゃないか、という気はした。
「あ、そうだ」
 マルコちゃんが思い出したように言って、私の方を見た。
「ソフィー、デバイスのメンテをしなくちゃ」
「あ、そうだった」
 首から提げているマスタースペードを取り出すと、私はそれをマルコちゃんに手渡した。
 メンテナンスルーム内を見渡したマルコちゃんは、周囲をキョロキョロとしながら顔を顰めた。どうやら空いている調整機が無いようだ。
「マルコ、レプリィへのプログラムインストールは私がやっておくから、他所のメンテナンスルームを借りてくれば?」
「んん……仕方ないか」
 マルコちゃんはマスタースペードを持ったまま、「ちょっと待ってて」と言ってメンテナンスルームを出て行った。
 それを確認したシャーリーさんは、レプリカストロを脇に置いてから再びコンピューター画面の方を向いて、キーを叩き始めた。
 その隣に椅子を用意して、私は彼女と肩を並べた。
 シャーリーさんの眼鏡の奥の瞳は画面しか見ていない。手元のキー操作は随分と手馴れている動きだ。
 そんな姿をぼーっと見ていると、彼女が声を掛けてきた。目は画面上から動かないままだった。
「マルコ……ホカン部ではどう? 元気にしている?」
「あ、はい。全然元気です。今日の訓練も調子良かったですし」
「それなら良かったわぁ。あなたとも上手くやってるみたいだし、安心ね」
 少し優しい口調だった。最初から優しそうな話し方をする人だったけれど、今の言葉には安心感みたいなものも込められている気がした。
「シャーリーさんは、マルコちゃんとはどれくらいの付き合いになるんですか?」
 一瞬だけ目線が上を向き、右手の人差し指を顎に当てるシャーリーさん。
「初めて出会ったのは、あのコが十一歳の時かな?」
 再び画面に目線を戻してから、シャーリーさんは続けた。
「マルコはね……両親がいないの」
「はい…………一度、ちょこっとだけ聞いたことがあります」
「あのコは小さい頃、ずっと管理局の特別保護施設で過ごしたのよ。管理局の保護施設に入る子供達は、ほとんどが何か特別な力を持っている子達でね。成長したら管理局員としての道が開けるように、健全な心身育成を主とした保護プログラムの中で育てられるの」
「じゃあマルコちゃんにも特別な力が?」
「うん。あの子稀少技能(レアスキル)があるわけでもないし、特別強力な魔力を持っているわけでもないんだけど、知能指数が物凄く高いのよ。どんなに難しいことでもどんどん吸収して覚えていくし、それを決して忘れることもなく、応用だって利かせられる。あの子がデバイスマイスターの資格を取ったのは、確か九歳の頃だって聞いたわ」
「ええっ!?」
「将来は有望な管理局の技術員になるだろうって。次世代のデバイスを生み出せる可能性を示唆する人もいたし、新型次元航行艦の開発や、未だに未知数の部分が多い次元空間を開拓するための研究員としての期待もあった。魔力の資質や魔導師としての才能と違って、非魔法による才能はずっと幅が広いからね」
 その通りだ。現に彼女の才能は、魔力の有無に関係なく管理局内でも十分に発揮出来そうなものだし、それどころか彼女が才能を発揮するのに、管理局内に拘る必要すらない。世の中にはまだまだ魔法ではどうしようもないものが多く存在する。優れた魔導師が次元航行艦の製造を行えるわけでもないし、桁外れの魔力を持っていても人々の生活に利用されている電気を賄えるわけではない。
 魔法がありふれた世界では、時々忘れられそうになることがある。魔法が全てではないのだ。
 全次元世界の人々が生きていく上で何が一番大切なのか。それを私が答えるには、まだまだ無知過ぎる。
 だが、それでも一つだけ確信出来ることがある。
 世界は、魔法こそが絶対ではない。
 人々は、魔法を含めて会得している技術を利用して、一番良い生き方を模索しているのかもしれない。そしてそれは、どこの世界に行っても変わらない。
 そう、マルコちゃんの才能は決して不必要なものではない。
 そこで、私は抱いていた疑問を口にした。
「あの……」
「何?」
「マルコちゃんって、何でホカン部にいるんですか?」
 シャーリーさんは少し困った表情を浮かべた。
「そうね。そう考えるのも当然よね」
 キー操作をする手は止まらなかったが、目は少しだけ悲しさを抱いていた。
「…………マルコは両親がいないって言ったけれど、本当にあの子は出生が不明なのよ」
「と、言うと?」
「当時六歳だった彼女は、管理局の保護施設前に捨てられていたそうよ」
「…………それっておかしくないですか?」
 いや、口にしなくても明らかにおかしいことが解る。
 それは、幼い子を捨てるという事に対して“おかしい”と憤りを感じるのはもちろんなのだが、今の“おかしい”と感じた理由は、単純に捨てる場所が不可解だということだ。
 何故なら、時空管理局の特別保護施設は所在地がここ、本局内にあるのだから。
「不思議よね。どう考えても局内部の人間が幼かったあの子を置き去りにしたとしか思えない。一般人は本局内に入れるわけないしね。でも局員の誰がそんなことをしたのかが分からなくて。それに、あの子は置き去られるよりも以前の記憶が無いのよ。だから親の顔も知らない。気が付いたらそこにいたっていうの」
 記憶が無い? 私の胸の鼓動が高まっていた。
 何だろう、この感じは。いや、自問しなくたって解るじゃないか。
 この感じは、身に覚えがある。
 私はマルコちゃんに。
 私は。
「ソフィーちゃん?」
「あ、はい! なんでもないです、続けてください」
 考えるのは後にしよう。
「…………あのコが十一歳の時に、私はマルコに出会ったって言ったでしょ? 当時の私は執務官補佐になったばかりだったんだけど、上司と一緒に保護施設に用事があって来ていたのよ。その時、たまたま出会ったのがマルコだったの。一人でテレビを見ていたわ。変身ヒーローの特撮番組だったかしら」
 私の頭の中に、マルコちゃんの部屋の壁に貼ってあったポスターが浮かび上がった。
「十一歳の女の子が特撮ヒーロー番組をすごい一生懸命に見ていてね。ちょっと可笑しくって、話しかけてみたの。そしたらあのコ、自分もこんな風になりたいって言い出して。余計に可笑しくなったけど、そこが可愛くもあってね。それがきっかけで、たまに保護施設に会いに行くようになったのよ」
「マルコちゃんって特撮好きなんですか?」
「そうよ。だからあのコ、本当は正義感でいっぱいなんだから。それに自分のことを“ボク”って呼ぶでしょ。あれは、あのコが一生懸命観ていた変身ヒーローの真似なのよ」
 シャーリーさんは、微笑ましいでしょうとでも言うように笑っていた。
 私も一緒になって笑っていた。当時のマルコちゃんを思い描いてみると、確かに可愛いかもしれない。
 だが、その話の中で一つ、引っかかる点もあった。
 直感ではあるけれど、その違和感は彼女の傷でもあるように思えた。
「…………十一歳の頃って、まだ保護施設にいたんですか? 十一歳って言えば、もう訓練校にも入れる年齢だと思いますけど」
 楽しそうに笑っていたシャーリーさんの顔が、少しだけ曇った。
 十一歳と言えば、もうそろそろ保護施設にもいられなくなる歳ではないだろうか。一つ例を挙げるなら、一ヶ月前に解散した機動六課には、確か十歳くらいの魔導師も最前線として所属していたはずだ。
「…………マルコはね、自分が嫌いなのよ」
「自分が……嫌い?」
「そう…………。親に捨てられたことで、あのコは自分自身を“要らない人間”と思ってしまったの。そして保護施設内でも、周りの人達があまりにもマルコの才能を褒めて、褒めすぎて…………自分自身ではなく、自分の才能が必要とされていることにショックを受けたみたい。だから、あのコは自分のことが嫌いなの」
 正直言って、私には分からない悩みだった。それは彼女の気持ちを贅沢だと批難するのではなく、純粋に私には分からない、経験の無い悩みだったから。
「自分が好きになれないマルコは、自分の才能を周りの人の為に使うことを嫌ったわ。研究員としての勉強もしなくなったし、将来についても考えることを放棄していた。でも、いつまでも保護施設には居られない…………。私は心配になって訊いたの。やりたいこと、なりたいものは無いの? ってね。そしたらあのコ…………」
 その答えは私にも予想が出来た。
 続きを言おうとしたシャーリーさんが、また懐かしさと愛おしさを織り交ぜたように微笑んでいたから、私も少しだけノリ気になって、彼女の声に自分の声を重ねた。
「変身ヒーローになりたい!」
 見合った私達は笑った。
「そうなの。マルコったらそんなこと言うからついつい笑っちゃって…………。でも、あのコは本気だった。だから思い切って魔導師になることを薦めたのよ。管理局員になればヒーローみたいに困っている人を助けてあげられる。それに変身ヒーローというあのコの夢を叶えるため、ある一つの提案をしたのよ」
 それが、レプリカストロか。シャーリーさんの指先には一つの眼鏡があった。
 だが、普段のホカン部の働きを見る限りでは、あまり正義感を感じることが出来ない。無論、ホカン部の業務内容自体が事務処理ばかりだからかも知れないが。
 そこで、一つの可能性が浮かんできた。マルコちゃんには確かに正義感があるのかも知れない。だが、それ以前に彼女が変身ヒーローに憧れる理由は、自分という存在を隠すことが出来るから。自らの正体を隠して悪者をやっつける変身ヒーローのように、彼女は自分という正体を、変身することで隠しているのかも知れない。
 次元航行艦ウルスラの中で、彼女は私に何と言っていただろうか。
 “管理局員という自分の立場に、ソフィーみたいな志を持つことが出来ないでいる ”と、そう言った。
 それは、正義感が気持ちの最前に出ている人の言う言葉ではない。
 彼女は、やはり自分が嫌いなのだろう。
 自らを要らない子だと評した自分を、前に押し出すことが怖いのだろう。
 そう考えると、シャーリーさんの薦めは決して良策だったとは思えない。言わば彼女に逃げ場を与えてしまったのだから。
「マルコが魔導師になることを了解してくれてからは、もう目的まで一直線。あのコは元々学習能力がずば抜けて高かったから、訓練校も三ヶ月間の速成コース。陸士にはならず、いきなり空戦魔導師になったのよ」
 それは凄いことだ。空戦魔導師は空を飛べることが必須条件となるが、実はこの飛行訓練がなかなかの難関で、局内でも空を飛べない魔導師の数は多い。その為、ほとんどの魔導師は陸士部隊からスタートして経験を積む。これが一般的なのだ。
「だから、マルコがホカン部に異動となったときは驚いたわ」
「えっ! マルコちゃんも異動してきたんですか!?」
「そうよ。知らなかったの? ホカン部に異動が決まった時のあのコ、“自分は要らない子だから、要らん部への転属は必然だ”なんて言っていたから私心配だったのよ。でも、あのコにとってはこれでも良かったみたいね」
 そうなのだろう。自分を必要としてくれているわけではないが、自分の才能も必要とはしていない場所にやってきた。
 だから彼女にとってホカン部は、居心地がいいのかもしれない。
「おーい、ソフィー! デバイスのメンテ終わったぞー」
 そこへ、マルコちゃんがタイミングを見計らったかのように帰ってきた。
 シャーリーさんはマルコちゃんに笑顔を送りながら、謝っていた。私との話に夢中でレプリカストロのプログラムインストールとやらを忘れていたらしい。



 私とマルコちゃんは、本局の転送室前までシャーリーさんに見送ってもらった。
「マルコ、また今度ね」
「うん。そん時は、また新しいデバイスプログラムを頼むよ」
 二人がケラケラと怪しい笑いを響かせた。
「ソフィーちゃんもまたね!」
「はい、今日はありがとうございました」
 シャーリーさんは手を振りながら立ち去って行った。
 マルコちゃんが眼鏡のズレを直しながら踵を返し、転送室の入り口を開いた。
「さて、ではボク達も帰ろう」
「うん。…………マルコちゃんさ」
「ん?」
 私は、彼女の気持ちを完全に解ってあげることは出来ない。
 彼女は今、彼女なりの安息を見つけて、そこに落ち着いている。そこから私が強引に引っ張り出すことなんて出来るわけもない。
「私は、マルコちゃんに出会えて良かったよ」
「……は?」
 それでも、少しだけマルコちゃんと分かち合える気持ちがある。今日、それを知ることが出来た。
 それは、彼女の生い立ちについてだ。
 私には、別の次元世界から一緒にやってきた両親がいる。でも、実はその二人とは血の繋がりは無い。私もマルコちゃんと同じで、気が付いたら私は一人ぼっちで、今の両親の家の前にいた。
 ただの偶然だろうか。いや、偶然でも構わない。大事なのはもっと別のことだ。
 二人の両親は、捨てられていた私のことを本当に大切にしてくれた。
 そうだ、捨てられた私でも必要としてくれた人がいた。大事にしてくれた人に出会えた。
 大事なのは、私と同じようにマルコちゃんにも、彼女自身を必要としてくれる人が現れるかも知れないということ。その可能性を、そして希望を捨ててはいけないということ。
 それに、少なくとも私やシャーリーさんは、彼女を必要としていること。大切に思っていること。
「今の私にとってマルコちゃんは大切なの。だって、私の全力全開に応えてくれた仲間だもん。マルコちゃんに出会えたから、私は今こうしてホカン部でやっていけるんだよ」
 口をポッカリと開けたまま話を聞いていたマルコちゃんだったが、私の話を聞き終えた後、一回だけ鼻で笑った。
「シャーリーと何の話をしてたんだ? ま、別にいいけどね」
 マルコちゃんは転送室に入り、私を手招きした。
 いつか、彼女には本当の自分自身を堂々と曝け出してほしいと思う。
 隠す必要の無い、本当の自分を。
 そんな日が来ることを願いながら、私は彼女の後に続いた。



 隊舎に戻ると、ブリーフィングルームでミリー部隊長が一人拗ねていた。
 原因は、自主練習に付き合う気満々だったのに私とマルコちゃんが出掛けてしまったからだということが判明した。
「あ、あの……すいません」
「すいません、ミリー部隊長」
「知らない!」

 To be continued.



[24714] 第七話 模擬戦(前編)
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/09 00:43
「何で今日に限ってジージョちゃんまで寝坊しちゃうの!?」
 普段は部隊員の中でも一、二を争う早起きのジージョちゃんが、今朝は珍しく寝坊をしてしまった。彼女曰く、昨晩は隊舎内の全トイレを徹底的に掃除していて、終わったのが深夜の二時を回っていたというのだ。
 はっきり言ってそんなの夜中にやることではない。加えて彼女がそこまで掃除に情熱を注いでいる理由が分からない。
「夜中にトイレなんて行って、オバケが出てきても知らないから!」
 ほぼ八つ当たりでそんなことを言うと、ジージョちゃんはその長身をぐっと縮めて肩を震わせた。目には涙を浮かべている。
 それが私を恐れての涙なのか、オバケを恐れての涙なのかは分からない。いや、たぶん両方かな。
 だが、千歩譲っていつも早起きのジージョちゃんが寝坊したことは許そう。いつもきちんと起床してくる彼女が肝心な日に限って寝坊する。一万歩譲ればまだ可愛いものであった。
「マルコちゃん! 早く朝ご飯を詰め込んで!」
 完全に閉じた目と、どう聞いても寝息でしかない呼吸リズムと、舟を漕いでいる上半身。そんな状態でもマルコちゃんは朝食を食べている途中だった。ただ、力なく開いた口は小さ過ぎて、トースト一枚の侵入も完璧に防いでいる。
 そんなにも眠いのか。私が二回も部屋まで起こしに行って、それでも三度寝をしたので私がベッドから引き摺り下ろした挙句、四度寝をしようとしたので私が彼女の着替えを持って背中におぶってここまで連れて来たというのに、まだ眠り足りないのか。
「ソフィー……」
 背後からの声。
「何っ!?」
 私の返事は、もはや威嚇と呼べるものであった。
「靴下が片方無いの……」
 ブラント君が目を擦りながら片足立ちでそこにいた。
「ちゃんと部屋探したの? タンスの中にあるでしょ?」
 尋ねても「なかった」の一点張りで、私はもう限界だと言わんばかりにブラント君を抱っこして彼の部屋まで走った。背後からウィンディーヌちゃんの嫉妬混じりの金切り声が聞こえてきたが、そんなものに構っている余裕は無かった。
 一階の食堂から子供を一人抱えて三階の個室に駆け込み、靴下を拾って再び食堂に戻ってきた。ちなみに靴下はちゃんとタンスの中にあった。
「……っくはぁ」
 疲れた私はコップ一杯分の水を喉に流した。
 すると、さっきまで見当たらなかったミリー部隊長がジージョちゃんと並んで玄関に立っていた。ジージョちゃんは、さっきまでは持っていなかった中身の詰まったリュックを背負っている。
 ミリー部隊長だけはきっちりと起きてくれた人だが、どういうわけか朝起きて着替えを済ませた後、姿が見えなくなっていたのだ。
「何その荷物!?」
 ジージョちゃんを睨みながら言うと、ミリー部隊長がジージョちゃんの背負ったリュックを手で叩きながら笑って言った。
「模擬戦観戦と言ったら、酒とツマミが無いとな!」
 ミリー部隊長が親指を立てた。
「置いていきなさいっ!」
 この人は本当に何を考えているのか分からない。スポーツ観戦に行くオヤジかと言いたい。
 だが、ミリー部隊長は今回見学者として私達に同行するので、スポーツ観戦のオヤジという立ち位置はあながち間違ってもいないのだが。
 私が朝からこんなに慌しくしている理由は、今日の特別な予定のためだ。
 今日は地上本部の訓練場で行われる、戦技教導隊が行っている戦技訓練の模擬戦に参加する日。教導官を務めるなのはさんが、航空隊の戦技教導の総仕上げとして行う訓練メニューに、私達ホカン部を招いてくれたことが始まりだ。
 待ち合わせ場所とその時刻は、地上本部訓練場に十時半集合。
 だが、現在の時刻、十時十二分。
 どうやったら片道三十分の道のりを十五分に縮められるのだろう。残念ながら魔導師は、緊急時以外の市街地上空の飛行を禁止されている。個人的には今がまさに緊急事態なのだが。公共の交通機関を使って行くのでは、時間短縮は絶望的だ。
 ああ、遅刻したらきっとなのはさんはすごく怒るんじゃないだろうか。いや、普段あんなに優しいのだから、もしかしたら。でも普段優しい人ほど怒ると怖いと言うし。まさか遅刻したことで教導に参加させてもらえないなんてことに。憧れだったのに、なのはさんの教導に参加するのは私の夢の一つでもあったのに。
「もう出発するよ!」
 とにかく、今出来ることはすぐにでも隊舎を出発することだ。私が声を張ると、玄関前には一人を除いて全員が揃った。
 さて、揃っていない一人、マルコちゃんが右手にコップを持ちながら歯ブラシを一生懸命動かしていた。一生懸命と言っても、動作が鈍い。鈍すぎる。
「早く口濯いで!」
 ヒステリックな声を上げると、マルコちゃんはコップの中身を口に含んでから、厨房にある流し台に口の中のものを捨てた。
 その光景を見て、彼女はまだ寝ているのだなと思った。吐き出されたものがオレンジジュースだったからだ。それでは歯磨きの意味が無い。
 私はあえて何も言わず、彼女の手を引いて玄関を出た。
 それからはレールウェイとバスを乗り継いで地上本部へと向かった。道中、交通が滞ったりすることもなく順調に進んでくれたのは幸いだった。加えて、ホカン部メンバーがデバイスを忘れずに持ってきてくれたことも奇跡的だった。絶対忘れる人がいると思っていたのに。
 だが、結局地上本部に到着したのは十時五十分。大遅刻だ。
 地上本部の中でも走る速度を落とさず、私達は訓練場へと急いだ。
 なのはさんの所属する戦技教導隊は、戦闘時に最前線へと出る魔導師達の技術向上を目的とした訓練を定期的に行っている。部隊の本部は管理局本局にあり、次元世界の方々にある支部・支局所有の訓練場等を訪れ、短期間の教導プログラムで多くの魔導師を育てている。特に空戦魔導師を対象とした教導が多く、教導官を務める者は皆一流の空戦魔導師ばかりだ。
 戦技教導隊の行う戦技訓練は希望者が誰でも参加出来るわけではなく、部隊内でも優れた技術力や優秀な成績を認められた人が上官の推薦にて参加出来るという、普段の訓練よりも一つか二つ上のレベルの訓練だ。
 そして中年層が多い教導官の中に混じって、厳しく密度が濃いながらも堅実なレベルアップが出来ると定評のある教導プログラムを組む若き教導官こそが、“エースオブエース”の二つ名を持つ高町なのは一等空尉。私の憧れの人だ。
 昨年起こった大規模なロストロギア関連の事件で最前線を戦い抜いた六課メンバー、機動六課フォワード陣。彼等を育てたのもなのはさんであることを考えると、なのはさんの教導は参加するだけでも物凄いプラスを生み出すことは疑いようがない。
 今日は模擬戦ということなので、技術面を直接教えてもらえるわけではないと思う。しかし、なのはさんの見守る中で訓練をするということ自体が、私の精神に少しでも六課フォワード陣の力を感じさせてくれる気がするのだ。
 足音を響かせながら、私達ホカン部メンバーはようやく辿り着いた訓練場に飛び込んだ。
「遅くなりましたぁっ!」
 入り口を潜ると、良く晴れ渡った空の下で鈍く光る空間シミュレーターのプレートと、その上で各々準備運動をしている生徒達の姿が目に入った。
 良かった、まだ始まっていないようだ。
 私が胸を撫で下ろしていると、誰かの拳が私の脳天に静かに下りてきた。
「こら、ソフィー! 遅刻だよ」
 振り返ると、そこには教導服を着たなのはさんが眉を吊り上げて立っていた。
「ご、ごめんなさい!」
 私が頭を深く下げると、「やーい怒られてやんのー!」と言うミリー部隊長の声が聞こえてきた。
 表情を引きつらせながらゆっくりと頭を上げていくと、なのはさんの腹部まで視線が持ち上がったところで、なのはさんの隣に立つ人物の存在に気付いた。
 持ち上がる視線が徐々にその人の姿を捉えていく。腰部から広がる前面の大きく開いたスカートの中に素足を覗かせながら、左右の腰骨辺りに付けた鎧からガチャリと言う音を立てている。更に視線を上げると、華奢にも見えるくびれと大きく膨らんだ胸から女性らしさを放っていた。しかし、更にその上の顔を見た瞬間、“女性”であったその人が“戦士”になった。
「もしかして、“剣の騎士”ことシグナム二等空尉かな?」
 横からミリー部隊長が腕組みをしながら現れた。
 シグナム二等空尉。その名は私も知っている。機動六課のライトニング分隊副隊長を務めた空戦魔導師だ。
 曰く、烈火の将。
 曰く、剣の騎士。
 曰く、決闘趣味(デュエルマニア)。
「ええ。はじめまして、ミリー部隊長」
 シグナムさんが笑顔で握手を求めている。それにミリー部隊長は快く応じた。
 なんだかこういうのは感動する。私達のリーダーが六課の凄い人と握手をしている。たったそれだけなのに、私は妙に胸が熱くなった。
「私って……あの六課にこんなにも近いところにいるんだ。ああ、私も握手したい…………」
「ソフィーってミーハーだな…………」
 マルコちゃんの声にはっとして、私は顔を両手で隠した。
「それと…………そちらさんもはじめまして、だな」
 ミリー部隊長がシグナムさんの顔を見ながら再び挨拶をした。
 いや、正確にはシグナムさんの顔の隣を見ている。私も一緒に覗き見ると、シグナムさんの肩の後ろから小さな人がひょっこりと顔を出した。
「よろしくな、ミリー部隊長さん!」
「アギト、目上の方への礼儀を忘れるな」
 アギトと呼ばれた小さな彼女は、シグナムさんに窘められていた。
 アギトさんはウィンディーヌちゃんとほぼ同じ大きさだ。ということは、彼女もユニゾンデバイスなのだろうか。
「はははっ、私は構わんよ」
 ミリー部隊長が笑いながら言うと、シグナムさんが軽く頭を下げた。
 凄い。私達の部隊長が、元機動六課の人達とあんなにも親しげにしている。
 ホカン部の業務だってロストロギアに関することなのだから、別に対等に付き合うのは自然なことなのかもしれない。だが、ホカン部の普段の体たらくな姿を見慣れている私にとって、これは刺激的な光景だった。
 私達ホカン部が、あの“奇跡の部隊”と呼ばれる機動六課とお近づきになっている。
「私、生きてて良かった…………」
「ソフィー、鼻血出すなよ」
 マルコちゃんの声を聞いても、私は感激を抑えられなかった。
「もしかして、シグナム二尉も訓練に参加か?」
「はい。ただ、人にものを教えるのは苦手なので、上空から今回の模擬戦の監視員を務めさせていただきます」
「そりゃあ残念だな。ウチの部隊員共をしごいて貰えたらと思ったんだが」
 ミリー部隊長が眉を顰めていると、なのはさんが横から言葉を付け足した。
「大丈夫ですよ。せっかくシグナムさんが休暇を利用して来てくれたんだから、監視をしてもらいながら戦闘訓練にも参加してもらいます」
 ミリー部隊長は満足そうに微笑みながら「お、良かったぁ」と返した。
 私も嬉しかった。六課の隊長陣の中の一人が、私達の戦闘訓練に参加してくれるというのだ。
 ますますやる気が沸いてくる。なのはさんは教導官という立場だし、技術に関して何かアドバイスが貰えればいいなと思っていたのだが、シグナムさんは実際に戦闘訓練をつけてくれるというのだ。こんな機会は滅多に、いや、もう二度と無いと言ってもいいだろう。
 どんな戦い方をするのだろう。私はシグナムさんの姿をもう一度見た。
 すると、シグナムさんが怪訝な表情を浮かべて一点を凝視していた。その視線の先には、ミリー部隊長がいた。
「ん? シグナム二尉、どうした? 私の顔に何か付いているか?」
 ミリー部隊長もその真っ直ぐな視線を疑問に思い、きょとんとした顔で尋ねた。
「…………あ、いえ、失礼しました。…………あの」
「ん?」
「以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
 突然そんなことを言い出したシグナムさん。
 私は首を傾げた。ついさっき、二人は「はじめまして」と挨拶を交わしていたのに、シグナムさんは何故そんなことを言ったのだろう。
「いや、以前に六課の照会データを見たのでシグナム二尉の顔だけは知っていたが…………会うのは初めてだぞ」
「…………そうですか。失礼いたしました」
「構わんさ。私もシグナム二尉とは一度会いたいと思っていてな。これを機に仲良くしてくれると嬉しいな」
 ご機嫌な調子でミリー部隊長がそう言うと、なのはさんが仕切り直すように言った。
「さあ、じゃあそろそろ始めようか。ソフィー、それに皆は準備運動をしておいた方がいいよ」
「いえ! ここまで走ってきたのでウォームアップは大丈夫です!」
「そう、じゃあ始めようか」
 なのはさんの声を合図に、私達は声を重ねて返事をした。



 一辺五キロ程度の広さに敷き詰められた金属プレート。その上に私達は足を踏み入れた。
 青い空が見下ろす中、私は高鳴る胸の鼓動に合わせて足を動かし、歩を進めていく。
 十数メートル先には、なのはさんの指導を受けてきた生徒達が各々ストレッチを行っていた。
 彼等の目には、厳しい訓練を積み重ねてきたという自信がはっきりと映っていて、それだけで私は少し臆してしまった。
 彼等は各航空隊の中でも選りすぐりの魔導師。この戦技教導に参加しているということは、相応の実力を認められている猛者である証だ。
 戦技教導の訓練期間は数週間程度のもの。その中で彼等がどれほどの努力をしてきたのか、私は見ていない。だが、彼等の訓練に対する姿勢が物語るのだ。
 一体どれほどの汗を流して“ここ”にいるのかを。
 一体どれだけの涙を堪えて“ここ”に立っているのかを。
 そのどれもが自信となって“ここ”で彼等を支えていることを。
 戦技教導の訓練期間は数週間程度である。その中で彼等はどれだけの成長をしてきたのか、私には伝わった。そう、彼等の訓練に対する姿勢が物語るのだ。
 一枚の壁があるように、私は彼等の側に近づくことが出来なかった。互いの距離が縮まるにつれて、歩幅は小さくなっていく。
 緊張し過ぎだ。
 心の中で臆病な自分を叱咤しながら、私は重たい足を更に進めた。
「ソフィー?」
 ふと、前方から私は呼ばれた。
 生徒の中の一人が、私の方に駆け寄ってきた。
「カローラ!?」
 彼女の顔を見て、私はさっきまでの緊張を忘れて声を上げた。その声に、何人かの生徒が視線を向けてきた。
「久しぶりじゃなーい! もしかして今日一緒に教導に参加するのって、ソフィー達?」
 カローラ・ヴァーサ。私が二〇三八航空部隊にいた頃の同僚だが、訓練校時代の同級生でもある。
 彼女も教導に参加していたのか。緊張でガチガチだった私の身体は、程よく緩んだ。
 教導に参加しているということは、航空隊の中でもトップクラスの戦技レベルと認められたのだろう。彼女は本当に一途で、一生懸命で、それに見合うだけの実力も持っていた。この場にいることは何ら不思議なことではない。
 私と一緒になっていつか戦技教導にも参加したいと言っていた仲なので、今日の再会は嬉しかった。
「うん! 私達ホカン部一同、今日はお世話になります!」
 私が敬礼をすると、カローラも笑顔でそれに応えてくれた。
 だが、同時に私達を見る視線が増えたことにも気が付いた。本来教導に参加予定の無い部外者を見る目か、何故か一人の生徒と親しげにしている連中を見る好奇の目か。
 いや、たぶんそれらも含まれているだろうが、何よりも彼等の視線を集めたのは、私の発した一言が原因だろう。
「ああ、あれがホカン部か」
「要らん部だろ?」
「何しに来たんだろうな」
 小さく、だが確かにそんな囁きが聞こえた。
 カローラにも聞こえていたのは間違いないが、彼女はそんな声を掻き消すように言った。
「皆さん、私の友達がいつもお世話になっています」
 マルコちゃん達にさっきの蔑みが聞こえたのかは分からないが、皆も笑顔でカローラに応えてくれた。
「さ、早く準備して。始まっちゃうよ?」
 カローラに言われて、私達はすぐさまバリアジャケットのセットアップを開始した。
 カローラを含めて生徒全員は教導用の訓練服を着用していた。手に持ったデバイスも全員が同型の量産タイプだった。おそらく、なのはさんが組んだ今回の教導メニューの目的は、各魔導師の基本技術そのもののレベルアップではないかと思う。それはカローラが愛用のデバイスを持っていないことからも容易に想像出来た。
 そんな中で私達だけ自分用のデバイスを使っていることに、少し後ろめたさを感じた。一応なのはさんに確認したところ、彼女は私達に対して各々の装備で構わないと言ってくれたけれど。
 特にマルコちゃんには一番注目が集まっていた。そりゃあ嫌でも集まるだろう。あの、フェイト執務官とそっくりな格好をしているのだから。
 ブラント君は小脇にジェームスクックを抱えながら、ポリビウスを肩に担いでいた。どちらのデバイスもちょっと彼の体格には合わないように思うくらい大きいので、知らない人から見たら危なっかしく映るのかも知れない。特に女生徒の注目が、母性本能というフィルター越しで彼に集まる。
「ちょっと! あんまりブラントのこと見ないでよ!」
 ウィンディーヌちゃんは案の定怒っている。
 ジージョちゃんは、生徒を含めた全員の中でも一、二を争うくらいの長身で目立つ。更にクリンリネスは掃除機の形をしたデバイスということで、その珍しさも注目の的だ。
 私は、自分がホカン部メンバーの中でも一番地味だと気が付いた。白を基調として所々に薄紫のライン模様をあしらったデザインのバリアジャケット。ライン模様と同色の短いマントも羽織っている。それと、濃紺のスカートと胸元の赤いリボンが個人的にはカワイイと思っているし、つば全体が上向きに伸びた帽子も結構気に入っている。以前、なのはさんに「セーラー服だ、水兵さんみたいで可愛いね」と言われて照れながらも、なのはさんの故郷ではこういうデザインの服があることを知った。
 そんな私のちょっとしたお気に入りが、誰にも注目されていなかった。ちょっと寂しい。
「変なのが多いな」
「あれで戦えるのか?」
「どうやって使うんだよ、あれ。デバイスなの?」
「だから“役立たん部”なんだろ?」
 今度ははっきりと聞こえた。私だけでなく、ホカン部全員に聞こえるような声だった。
 私は再確認し、確信した。やはり周りのホカン部に対する認識は、これが普通なのだ。
 なんとかしたいと思った。ホカン部は、皆が思っているような部署ではない。役立たずでも要らない部署でも決して無い。そう証明したかった。
 確かに仕事は不真面目な面もあるし、ヒデオウトの件以来大きな仕事をしたわけでもない。
 だがホカン部には、なのはさんが持っていたものに相当する、私の欲しかったものがある。
 ホカン部は今や私の居場所だ。私の願いを叶える舞台でもあり、私が頑張っていきたいと決めた部隊でもあるのだ。
 何も知らない人達に悪く言われるのは許せない。
 どうしたら彼等の認識を変えられるだろうか。
 どうしたら? そんなこと考えるまでもない。良い方法が目の前にあるじゃないか。
 私以外の皆に注目がある中、私は声を張り上げて頭を下げた。
「遺失物保護観察部、精一杯頑張らせていただきます! どうぞよろしくお願いします!」
 全ての視線が私に集まったのを感じた。
 そうだ、ホカン部が本当に要らん部なのかを、思い知らせてやる。
 返事は無かったが、そんなことはお構い無しに私は自分を奮い立たせた。
 すると、拡声器越しになのはさんの声が場内に響いた。
『ではこれより、教導の最終プログラム、二チームに分かれての模擬戦を行います』
 いよいよだ。
 私が深呼吸をしていると、マルコちゃん達が私の前に集まってきた。
「やるじゃないか」
「だって悔しいでしょ!?」
「ふん! 同意だ」
「ようし! 暴れちゃうぞ!」
「あたしはブラントと一緒だしぃ」
 ジージョちゃんは相変わらず無口だけど、目で答えていた。
 全員に気合いが入ったのを確認すると、少しだけ怒りが引いた。
 そうだ、こんなに良い仲間達を持ったことを教えてやるんだ。
 私はそう決意しながら、なのはさんのアナウンスに耳を傾けた。
『皆には二チーム、スターズ隊とライトニング隊に分かれてもらい、空中での模擬戦を行なってもらいます。魔法攻撃は出力を軽度麻痺効果(スタンレベル)まで落として行なうこと。撃墜されたらその人は戦線から離脱。地面に着地しても離脱とみなすからね。チームメンバーの三分の二が撃墜、そしてチームリーダーの撃墜、この二つの条件を満たした時点で模擬戦終了。ちなみに、今日は教導にシグナム二等空尉が特別参加してくれます。シグナムさんには空中からの監視員をしてもらうけど、一応ライトニング隊として加わってもらうので、スターズ隊の子はガンガン挑んでみてね。きっと良い経験になるよ』
 シグナムさんはライトニング隊か。いや、それよりも機動六課内の分隊名が模擬戦のチーム名というのは燃える演出だ。憧れの六課に入った気分での模擬戦。考えただけでも体がゾクゾクしてくる。
「ソフィー、出血しないようにな」
 そうだった。感激して悶えている場合ではなかった。私は鼻を押さえた。
 その後、なのはさんからチーム分けが発表され、私達ホカン部はスターズ隊となった。ちなみに、スターズ隊は六課でなのはさんが隊長を務めた分隊なので、私は再び悶えた。
 ――ソフィー――
 突然、念話が入ってきた。
 ――カローラ?――
 ――チーム分かれちゃったね――
 そう、カローラは敵チームになってしまったのだ。しかも彼女はライトニング隊のチームリーダー。一緒に航空隊にいた頃のカローラの実力を考えれば、それも納得出来ることだった。
 ――さっきはごめんね――
 ――へ? 何が?――
 ――ホカン部のことを悪く言う人がいて――
 ――そんなのカローラが謝ることじゃないじゃん! それに、そのおかげで私達はやる気になっちゃったよ。撃墜されないように気をつけてね、リーダーさん――
 ――言ってくれるわねぇ。ようし! 模擬戦は手加減無しだからね!――
 ごめんと言った時のカローラは、本当に悲しそうな声だった。
 自慢ではないが、彼女は私のことを本当に大切に思ってくれている。訓練校時代からずっと仲良しで、些細なことでも私を気遣ってくれた彼女の優しさを考えれば、ホカン部に所属する私への風当たりの厳しさが、まるで自分に向けられているようで辛かったのだろう。それはおそらく、悪く言われた本人である私以上に。
 良い友達だと改めて思う。そしてその気持ちを噛み締める。
 だからこそ、彼女の思いやりに応えたいからこそ、
 ――もちろん、全力で向かいます!――
 そう返事をするのだ。
 チームごとに分かれた私達は、訓練場上空に浮かび上がっていった。それを合図に、下方の空間シミュレーターが青い輝きを放ちながら、セーフティークッションを形成した。撃墜者を受け止めるための対策か。
『では、模擬戦を開始するよ。…………レディー、ゴー!』
 開始の合図。
 スターズリーダーから私達ホカン部に念話が送られてくる。
 ――おい、あんたら! 何が出来る!?――
 ――よ、よろしくお願いします!――
 ――挨拶は後だ! 何か出来るか!?――
 ――索敵魔法が得意です! 斥候いかせていただきます!――
 ――頼む!――
 私は陣前衛に飛び出して、マスタースペードを掲げた。
「マスタースペード、広域サーチ! 一号三型!」
「させない! 敵斥候を狙え!」
 私が索敵魔法を展開するよりも早く、カローラの指示によって敵陣の最前衛(フロントアタッカー)から魔法弾の集中豪雨が放たれた。
「Protection」
 マスタースペードが自動で障壁を開いたので、私自身に魔法弾が届くことは無かった。
 しかし、今の攻撃ではっきりと解った。カローラは私の索敵魔法を警戒して使わせないようにしている。
「くっ! もう一度!」
 足元に魔法陣を展開すると、再び魔法弾の雨が降り注いできた。
 またもやガードしかさせてもらえない。
 ――ダメです! 索敵出来ません!――
 スターズリーダーに報告をすると、苛立ちの混じった声が返ってきた。
 ――もういい、下がれ! ホカン部は前衛(ガードウィング)に回れ!――
 ――す、すみま――
 その途中で、スターズ隊から一人の魔導師が敵陣に飛び出して行った。
 最前衛(フロントアタッカー)を追い越し、単身で敵陣中央に突貫していくその魔導師は、手にした戦斧形デバイスを光らせていた。
「マルコちゃん!?」
「いくぞ! “サンダーフォール”!」
 マルコちゃんを中心とし、彼女の周囲が幾つもの落雷に包まれた。
 まるで雷の林だ。
 突然の事に敵陣は一瞬怯んだが、そこはやはり戦技教導参加者達。防御魔法を展開し、自身を護るのと同時に反撃のチャンスを伺っている。
 この状況はまずい。あんなところにいては、彼等からの一斉攻撃に対処するのは不可能だ。
「敵陣を散らせ!」
 スターズリーダーの掛け声と同時に、スターズメンバーが魔法弾を連射しながらマルコちゃんの方へと向かっていく。
 マルコちゃんを助けるためか。しかし、それでも状況はあまり良くない。敵陣はすぐさまスターズ隊の接近を察知し、マルコちゃんを狙う魔導師を残しつつも迎撃体制に入る。
 突撃したスターズメンバーの中に、ジージョちゃんの姿があった。
 ジージョちゃんはクリンリネスを前方に向けて、一直線にマルコちゃんを目指す。
「…………“バキューム”」
 敵、味方共に放たれた魔法弾が、彼女のデバイスに吸引されていった。
 呆気に取られる両者を尻目に見ながら、ジージョちゃんはなおも飛ぶ。
「…………“リバース”」
 今度は逆に、クリンリネスの先端から砲撃が放たれた。
 真っ直ぐに突き進んだそれは、マルコちゃんの脇を抜けて敵陣形を二つに裂いた。
 この状況をどう見るべきだろうか。敵陣形の分断は、戦況的に見て私達の有利を思わせた。あの状態ではライトニング隊の統制は崩されたのではないか。
 そう思ったのは私だけではなかったのだろう。スターズの誰もが、両断されたライトニングを交互に見やって動かなかった。
 だがそれは、防御の必要性を軽んじてしまうこととなった。統制のとれない相手を前にして、意外な展開に誰もが余裕を抱いてしまい、それは油断となった。
「ライトニング、ポジションチェンジ! 二手に分かれてスターズを挟め!」
 カローラの声が響いた。おそらく念話も使って、今の指示はライトニング全体に届けられただろう。
 そう、敵陣形の両断によって敵の不利を信じてしまった私達は、実は目標が定まらずに手を出せないでいる状態だった。そしてそれに気付くのが遅かった。
 スターズ陣が左右からライトニングに挟まれた。
 マルコちゃんの予想外の行動から始まった状況を、冷静に見据えて機転を利かせたカローラは手強い。
「ライトニング、撃てぇっ!」
 左右からの一斉射撃。僅かな時間の中で、何人ものスターズメンバーが撃墜されていった。
 眼球の動きが追いつかない。無数の魔法弾が私たちの左右から容赦無く向かってきて、すぐ側を掠めていく。
 意識が追いつかない。接近する敵意の数が多過ぎて、最良の回避コースを判別することが出来ないでいた。
 体力が追いつかない。目の前の攻撃を避けることにしか集中出来ず、身体は無駄な動きをも全力でこなそうとしてしまう。
 私は息があがっていた。呼吸が荒々しくなって、それでも止まることが出来ずにいた。
「離してよぉ!」
 私の斜め前方から声がした。聞き覚えのある声だ。
「ブ、ブラント君っ!」
 空を飛べない彼は、スターズの女性魔導師に抱えられて空中に上がってきていたのだ。頃合を見計らってウィンディーヌちゃんと融合(ユニゾン)して戦線に加わる予定だったのだが、それよりも早くこんな状況に陥ってしまった。ブラント君を抱えている魔導師は、被弾することを恐れて回避に夢中で、ブラント君を抱えたまま離さない。いや、もう抱えていることすら忘れている。身体が硬直してしまっているのだろう。
「たすっ……けなきゃ!」
 しかし、自分のことだけでも精一杯なのに、どうやったら彼等を助けられると言うのだろう。
 そこへジージョちゃんが、クリンリネスで魔法弾を吸引しながら私の側に飛んできた。
「大丈夫?」
「ジージョちゃん! ブラント君がっ!」
 私がブラント君のいる方を指し示すと、ちょうど同じタイミングで、ブラント君と彼を抱えていた魔導師が被弾した。
 二発、三発、四発。まるで狙っているかのように魔法弾が直撃していき、二人は完全に戦意を喪失していた。
「ブラント君っ!」
 私は下方に飛んだ。彼を受け止める為に。
 しかし、私は腕をジージョちゃんに掴まれて、そのまま上空に引っ張られていった。
「セーフティークッションには救護機能があるから、危険な体勢での落下はしない」
 そう言いながら、ジージョちゃんは高度をどんどん上げていく。
 私達の左右から放たれていた魔法弾には、いつの間にか追跡特性を持たせたものも混じっていて、私達二人の後をずっと追いかけてきていた。
 しかし、高度を上げながらジージョちゃんがクリンリネスで全て回収する。
 左右から挟まれた私達が取る回避行動は、上下への退避。しかし着陸は出来ないので、必然的に上空への退避行動をとる。
 それに気が付いた何人かのスターズメンバーも、同じように昇ってきた。
 私達の隣にウィンディーヌちゃんがやって来た。
「ウィンディーヌちゃん! 無事だったの!?」
「ブラントとはぐれちゃったの! ブラントはっ!?」
 私は彼女から視線を逸らしながら、小さな声で言った。
「撃墜……された」
「んんああああああっ!」
 叫んだウィンディーヌちゃんが、何もない空中を両拳で叩いた。
「ホカン部!」
 スターズリーダーが近づいてきた。 
 彼の無事を確認することが出来て、初めて私はスターズがまだ負けていないことを知った。もうスターズの残存メンバーの数は、三分の一以下になっていたのだから。
「どういうことだ! あんな暴走じみた行為の結果がこれだぞ!」
「すいません!」
 私は頭を下げたが、既に彼の声は違う方向へ向けられていた。
「残りのメンバーに告ぐ! ポジションチェンジだ!」
 スターズリーダーが言い終わるのと同時に、下方にライトニングが集結しているのが確認出来た。
 責任を取らなければいけない。私達ホカン部のせいでこんな惨状になってしまったのだ。
 私は飛び出していた。
「あっ馬鹿! 戻れ!」
 このままではホカン部が本当に役立たん部になってしまう。
 私の居場所が、大切な仲間が、願いを叶える舞台が、不必要な存在にされてしまう。
 怖い。
 自分が被弾することよりも、ホカン部に石を投げられることの方が怖い。
 自分が撃墜されるよりも、ホカン部がズタズタに貶されることの方が怖い。
 自分が意識無く落ちていくことよりも、ホカン部が周囲から忘れられることの方が怖い。
 私の、私達のホカン部はここにあるんだと、要らなくはないのだと、皆に解ってほしい。
「ソフィー!」
 カローラが驚いたように私を見ている。
 例え敵対していても、無謀な行動に出た私を気遣っていることがその目から伝わった。
 カローラの心配をよそに、ライトニングメンバーから魔法弾が射出される。
 大丈夫、一発くらいはどうってことない。非殺傷設定の施された攻撃で、しかも模擬戦で放たれる魔法弾は出力が極めて低い。
 堪えてみせる。
 マスタースペードを突き出した私は、飛んできた魔法弾を避けようともせずに突っ込んだ。
 その時だった。
 激しい痛みが右腕を走った。
「えっ?」
 いきなりの痛みに、マスタースペードを握る右腕が思わず力を緩めてしまう。
 腕を見た。私のお気に入りの白いバリアジャケットが、二の腕辺りを赤色に染めていた。同時に、真っ青な空に赤い鮮血が一筋描かれている。
 非殺傷設定の魔法攻撃は、物理ダメージを与えないはずなのに。
 痛みが走った瞬間は何が起こったのか解らなかったが、痛みの根源を見て、激痛は一気に私の意識まで駆け込んできた。
「ソフィイイイッ!」
 カローラの声が遠くなる。
 意識が遠のいているのか? いや、あまりにもショックな出来事に、私が飛行を忘れているだけだ。
 そうか、それなら声も遠くなって当然だ。
 そういえば、模擬戦前にマルコちゃんが「出血するな」って言っていたっけ。
 私は、青い空の中を落ちていた。

 To be continued.



[24714] 第八話 模擬戦(後編)
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/09 00:48
 景色が逆さまに流れていく中で、私は意外にも冷静な自分自身に少し感心してしまった。
 確かに少しは動揺している。それはいつもよりも早いペースで脈打っている心臓のおかげで分かる。腕の痛みだってまだ続いている。
 だが、空から落ちるというのは航空隊にいた時の訓練でも経験しているし、それほど驚くようなものでは無かった。
 頭の中には「ああ、撃墜されちゃったんだ」という、ぼんやりとした感覚があるだけだった。
 引力に任せっぱなしで地上へと落ちていく私は、途中で減速していることに気が付いた。地面に敷き詰められている空間シミュレーター。それが形成するセーフティークッションの人命救護機能が働いているようだ。
 頭を逆さまにして落ちていた私の身体は、徐々に仰向けの状態に向きを変えていった。
 航空隊での訓練時に落下した時も、教官が設置してくれた魔力製クッションに受け止められたっけ。あの時と似た感覚が身体に伝わってきた。
 仰向けのまま、私の身体はマシュマロに似た感触に受け止められて、そのままどんどん沈んで、最後には地面から数十センチぐらいの高さまで下降した。
「はぁー……」
 やがてマシュマロの感触も消え去り、背は地面に触れ、家のベッドに寝るような自然体で完全に脱力した私は、そこに着地していた。
 右腕を見ると、赤く染まったバリアジャケットと血の香りが痛々しかった。
 空を見上げたまま動かないでいると、真上から誰かが文字通り飛んで来た。
「ソフィーッ!」
 大声を上げながら最初に私の隣に降り立ったのは、目尻から真っ直ぐ横に涙の跡を付けたカローラだった。
「大丈夫っ!? ねえ! しっかりしてよっ!」
 次に降りてきたのはマルコちゃんとジージョちゃん。二人もいつもは見せない真剣な表情だ。
 そして二人に続いて降りてきたのは、シグナムさんだった。
 地面に降り立つなり、シグナムさんが駆け寄ってきて屈み、私の頬を優しく叩いた。
「意識はあるな。大丈夫か?」
「……はい」
 小さく返事をした。皆必死の形相で心配してくれているので、意外と無事でいる自分がちょっと恥ずかしい。
 シグナムさんの視線が私の右腕に移った。
 足音が聞こえた。数人の足音。誰だろうと思ったけれど、私の名前を呼びながら近づいてきたからすぐに分かった。
 なのはさんとミリー部隊長だ。それ以外の足音は、顔をそちらに向けて目視するまで分からなかった。なんてことはない、ブラント君と撃墜された生徒達と医務員さんだった。
「すいません、大事(おおごと)にしちゃって。大したことはないんですけど」
 大きな声は出なかったが、それは冷静に話そうと意識して落ち着き過ぎたからだ。具合は特に悪くない。
「いや、はっきり言ってこれは重大な問題だぞ」
 シグナムさんの口調は少し怖かった。
 だんだん足音が多くなってきた。模擬戦中だった生徒達もぞろぞろと集まり始めたようだ。
 医務員さんが私の右腕に両手をかざして、治癒魔法をかけている。その手際を何気なく見ていると、突然胸の上に圧し掛かるものがあって驚いた。
 見てみたら、そこには私の胸に顔を埋めているカローラの姿があった。
 泣いているのかな? 私が空から落ちる姿を初めて見たわけでもないのに、大げさだなと思った。
「カローラ、私は平気だよ」
 嗚咽交じりに「平気じゃないよ!」と言ったのが解った。
「ソフィー、腕の怪我は魔法弾で?」
「はい」
 返事をしてから見たなのはさんの顔は、私達が遅刻してきた時に見せた怒り顔よりもずっと怖いものだった。
「全員集まって」
 なのはさんの口調は穏やかではない。そして、シグナムさんの表情も同じだ。
 なんだか嫌な空気になってきた。
「ソフィーを撃ったのは誰?」
 微動だにしない生徒達。その沈黙は、時間の経過と共に周囲の空気を更に重くした。
「…………模擬戦は中止します」
 静かにそう告げたなのはさん。
 その一言を聞いて、私は一瞬で落ち着き過ぎた自分を見失った。
「どうしてですか!?」
 急激に上半身を起き上がらせたので、医務員さんの治癒が止まってしまい、傷口が再び血を吐き始めた。
「どうしてって……当然でしょう?」
「私ならまだ出来ます!」
「どっちみち撃墜されているでしょう」
「お願いします! 続けてください! 私が撃墜されたのは私のミスです! 他の皆には問題な」
「無いわけないでしょう! その傷口を見てみなさい!」
 なのはさんの怒気の籠った声に圧倒され、私はすくみ上がってしまった。
「私は模擬戦前に言ったはずだよ? 魔力攻撃の出力は軽度麻痺効果(スタンレベル)まで落とすようにって。それを守っていれば出血なんてするはずがない」
 確かにその通りだ。私の腕の傷は、間違いなく非殺傷設定を解いて放たれた魔法弾による傷。
 あの時私は、肉を切らせて骨を断つつもりで敵に突っ込んでいった。そして飛んでくる魔法弾を自らの意思で避けなかった。もしあの時の魔法弾が、腕ではなく顔に当たっていたら、胸に当たっていたら。
 今更になって嫌な汗が背中を伝った。同時に生唾を呑んだ。
「模擬戦だよ? 訓練の成果を発揮するための練習だよ? 命に関わるようなことをしろなんて、私は一言だって言ってないよ?」
 なのはさんが言い終えて、またしばらくの沈黙が続いた。
 その沈黙を破ったのは、マルコちゃんだった。
「誰だ……誰がソフィーを撃った!? 前に出ろっ!」
 誰も動かなかった。それが彼女を更に苛立たせたようで、マルコちゃんは誰かの胸倉を掴んで殴ってしまいそうな気迫を発しながら歩き始めた。
「どうせボク達が気に入らなくてわざとやったことなんだろ!」
 マルコちゃんは進行し続けた。
 しかし、なのはさんがマルコちゃんの前に手を出してそれを止めた。
「とにかく、模擬戦はこれで終わりにします。それと今日の教導も」
「なのはさん!」
 私は声を張り上げていた。
 全員の視線が集まっているのが分かる。
 これを言ったら、なのはさんは更に怒りそうだと思った。いや、絶対に怒るだろう。
 それでも言わないわけにはいかなかった。
 言わないと、私の気が済まない。
「模擬戦、続けさせてください」
 案の定、なのはさんの顔が一番怖くなった瞬間を見た。
 だが、ここで止めたら、皆ホカン部のことを何も知らないまま終わってしまう。
 そんなのは耐えられない。本当のホカン部は皆が思っているようなところじゃない、本当はもっと素晴らしいのに。
 模擬戦前の蔑み。あれこそが、周囲のホカン部に対する認識の現状だ。私達に友好的に接してくれる人が近くにいたので、現状を忘れていただけなんだ。
 私がホカン部の皆をどんなに受け入れようと、ホカン部の皆がどんなに応えてくれようと、やはり私達はまだ“要らん部”なのだ。
 それが何を意味するのか。それは私が大切に思うホカン部が、私達を知らない人の中では、失われてもいい存在であるということに等しいってことじゃないか。
 そんなのは絶対に耐えられない。失くす必要の無いものを失くすのは、とても悲しいことなんだ。
 失くさないでほしい。私達は決して“要らん部”ではないんだ。
 誰かのために役立つことが出来る。大切なものを守ることが出来る。
 私達だって、管理局の一員なんだ。
「お願いです! 続けさせてください!」
「ダメ。もう二度とこんな危険行為を起こさないためにも、模擬戦は中止する」
「お願いします! きっと間違って非殺傷設定を解いちゃっただけなんです! わざとやったわけでは」
「非殺傷設定なんて、間違えて解けるようなものじゃないでしょう!?」
 さっきまで嗚咽を漏らしていたカローラが、突然大声を出した。
 私は彼女の顔を申し訳なさそうに見た。それに応えるように、またカローラが泣き出した。
 そうだ、確かにカローラの言うとおり、非殺傷設定は間違えて解けるようなものではない。物理的な切り替えスイッチがあるわけでもないし、魔導師のみによる発動ならまだしも、魔法発動補助機(デバイス)を介しての発動ならば設定解除には解除キーが必要となるから、なおさら間違えようがない。
 明らかに誰かが故意にやったこと。おそらく、驚かせるつもりでやった性質(たち)の悪い悪戯なのだろう。さっきマルコちゃんが言っていたように、私達ホカン部という、見下す対象に向けられた悪意。
 だが、それでも誰がやったのかを突き止めてどうこうしようなんて気は無かった。もちろん腹は立つが、自分のこと以上にホカン部のことを想ってしまっていた。
 私は、これくらいのことでホカン部を“要らん部”のままにしておくつもりはない。
「…………お願いします。どうしても続けたいんです」
 まだスターズメンバーにはマルコちゃんとジージョちゃんとウィンディーヌちゃんが残っている。
 最後まで諦めずに戦ってほしい。
「どうする? もし再開するなら、私ももっと注意深く見ておこう。もしまたルールを守らない者がいたなら、私が全力で叩き伏せてやるが」
 シグナムさんが一度だけ生徒達を睨み付けると、彼等は一様に怯んでしまった。
「ダメなものは」
「高町一尉!」
 突然、ミリー部隊長がなのはさんの言葉を遮って前に出た。
「私からもお願いする。ソフィーの要望を呑んでやってくれないか?」
 思わぬ助け舟に、私は驚いて口を開け放した。
「ミリー部隊長! あなたまでそんなことを言うんですか!?」
「ソフィーは今日、あなたの下で模擬戦に参加出来ることを凄く楽しみにしていたんだ。おそらくこいつなりの想い入れがあって来たんだと思う。それを酌んでやってはくれないだろうか?」
「次はもっと酷い怪我をするかもしれないんですよ? それどころか一歩間違えたら…………」
「それはあなたの敷いたルールを無視した奴が現れた場合の話だろう? シグナム二尉も目を光らせてくれるんだ、そんな奴は出ないと思うぞ。それに…………」
 ミリー部隊長の表情が変わった。
「…………嘗められっぱなしじゃあ、ホカン部は引き下がらんぞ」
 笑っていた。
 ミリー部隊長がいつも見せる怪しげな笑みよりも、もっとどす黒い何かを孕んだ笑顔だった。
 一瞬にしてその場の雰囲気が変わった。背筋が寒くなり、熱く感じていた腕の傷すら凍りつく気がした。喉を通って肺に入る空気がやけに冷たい。
 その場にいる誰もが恐怖しているのを感じた。
 言葉でなくても伝わるものがあった。もし仮に、誰かがまた同じようにルールを無視して動いた時、それは今のミリー部隊長への挑戦と見なされる。
 お前たちの誰もが私には勝てない。挑むな、怒らせるな、立ち塞がるな、助けを乞うな、諦めろ。
 そんな意思を、頭に無理やり押し込められている気分だ。
 何故だろう。この人がたまに見せる深さの分からない感情表現を見ると、言い様も無い不安に駆られることがある。
「…………なのはさん、お願いします」
 少し震える声で、私はもう一度お願いした。
 視線を私の顔に移し、未だ吊り上げたままの眉で、それでも呆れ顔を浮かべながらなのはさんがため息をついた。
「…………じゃあ仕切り直してもう一本。さっきのは無効試合とするから、撃墜された子も復帰してよし」
「あ……ありがとうございますっ!」
「開始は二十分後ね。とにかく、その傷の手当てをしっかりして」
「はい!」
 良かった。なんとかチャンスを貰えた。
 私はミリー部隊長にお礼を言おうと振り返ると、彼女は既に場内移動用のカートに向けて歩き始めていた。
 私はその場で医務員さんの治癒魔法を受けながら、再びカローラを見た。
 やはり物凄く心配そうな顔を浮かべていて、不安そうな眼差しのまま、親指と人差し指で自分の下唇を摘んでいる。昔からの彼女の癖だ。
 おそらく模擬戦のやり直しには賛同出来ていないのだろう。
 そっと彼女の手を取って、一言「ごめんね」と呟いた。
 私の手を握り返しながら、反対の手で涙を拭うカローラ。
「本当に、昔からワガママなのは相変わらずなんだから」
「へへっ」
 すると、スターズリーダーの人がなのはさんに向かって話している声が聞こえた。
「高町教導官、模擬戦の仕切り直しは結構ですが、チーム替えもお願いします。はっきり言って、もうホカン部のメンバーと組むのは嫌です。あんな暴走行為に走られては迷惑だ。勝負も目に見えている」
 彼の言い分は最もな気がして、私は視線を落とした。
 更にスターズリーダーは、他のスターズメンバーに意見の同意を求めた。リーダーとの同意見を主張する者はいなかったが、それでもやはり内心では私達と組むのを嫌がっているのだろうか。
 不安になった。いや、寂しかった。
 だが、これは私達が撒いた種でもある。仕方が無いのだ。
「ならば、私と替わりましょう」
 カローラが立ち上がった。皆が驚いた表情を向けている。
「私がスターズリーダーを務めます。他のメンバーは同意していないようなので、リーダーだけ入れ替わりましょう。それでよろしいですか?」
 スターズリーダーは、後悔するぞとでも言わんばかりの笑顔を見せて、左腕に付けていたスターズの腕章を外した。
 カローラも同じく腕章を外し、お互いのものを交換する。
 これで良いのだろうか。私としてはカローラと組めて嬉しいけれど、彼女に迷惑を掛けてしまったようで心配だった。
「いいの? 私達なんかと組んで」
 そう尋ねると、カローラは少し怒りながら言った。
「何よその言い方。まさか迷惑掛けるつもり?」
「いやいや! そんなわけじゃあ……」
「じゃあ自信持ってよ。ワガママを言っていた時くらいの強気でいてくれなくちゃ困るわ。…………大丈夫、フォローは私がするから」
 私は心からのお礼を伝えた。



 模擬戦開始、三分前。
 私達スターズは、一箇所に集まって出撃の準備をしていた。
 カローラが三十名以上いるメンバーのポジションを確認している。
 やっぱり彼女は凄いと思う。模擬戦でのリーダーを務めているだけでも凄いのに、彼女は自分を囲む生徒達から絶対の信頼を得ているようだ。
 カローラを取り囲むスターズメンバーの誰もが、彼女に同調しようと、彼女の指示に従おうと、彼女と力を合わせようとしている。
 良いチームなんだな。素直にそう思った。
「ホカン部の皆に関してはソフィーが一番詳しいでしょう? だから指揮系統はツーラインで行きましょう。私とソフィーで連携を取り合うから、ホカン部への指揮はソフィーが執って」
「了解」
「じゃあ以上で打ち合わせは終わりね。さ、浮上しましょう」
「あの…………」
 私が呼び止めると、ホカン部とカローラを含め、メンバー全員の視線が集まった。
「…………さっきの模擬戦は、すみませんでした」
 腰を折って頭を下げた。
「皆さんに迷惑を掛けるようなことをして、ごめんなさい。今度こそ……今度こそ必ず…………」
「あなた達…………」
 カローラが驚いていた。
 あなた達? 私はその言葉に疑問を感じて、少しだけ頭を上げてみた。
 するとどうだろう。スターズメンバー達と同じように私を見ていると思っていたホカン部の皆が、カローラ達に向けて私と同じように深く頭を下げていた。
 いつもの騒がしさも、マイペースさも、気位も、“要らん部”や“役立たん部”と言われる所以を一切捨て去り、皆がたった一つの気持ちを伝えようとしている。
 良いチームだな。素直にそう思った。
「…………頭を上げて。誰ももうあなた達を責めようなんて思ってないわ」
 カローラの声を聞いて、私達は同時に頭を上げた。
 そして視界に映したスターズメンバーの顔は、誰もが笑顔だった。
 そう、信頼するカローラに向けるような笑顔だった。
 認めてもらえたみたいだ。私達はようやくチームになったんだ。
「期待してるわよ、ホカン部! さっき見た限りじゃあ随分と面白そうな能力を持っているみたいだし」
「任せてよ、必ずスターズを勝利に導いてみせるから!」
 私がそう言って笑った時、カローラが何故か一歩だけ後退した。
 いや、彼女だけでなく、私達を見ていたスターズメンバー全員が一瞬だけ動揺を見せた。
「え? 何?」
「え、いや…………ううん、何でもない。…………さあ、行きましょうか!」
 カローラがそれ以上を言わなかったので、私達ホカン部はスターズメンバーに続いて空へと飛び上がった。
 高度を上げていくと、また地面のシミュレーター上にセーフティークッションが形成されていった。
 いよいよ始まる。ホカン部の二度目の挑戦。
 敵陣、ライトニング隊も予定通りのポジションについて陣形をとっていた。
『では、模擬戦を始めます。…………レディー、ゴー!』
 始まった。私は斥候に出ていいのだろうか。
 さっきと同じ目に遭うことを思い、踏みとどまった。
 ――ソフィー!――
 カローラからの念話だ。
 ――敵陣左翼に突破口を作りたいの! ホカン部で何とかできる!?――
 本当に頼れる友達だ。
 ――任せて!――
 私はスターズ陣の最前衛(フロントアタッカー)ポジションに出た。
 すぐ側にはマルコちゃんとジージョちゃんがいる。
「マルコちゃん! 敵陣左翼に砲撃準備!」
「イエッサー! レプリィ、モデル“レイジングハート・エクセリオン”!」
「Leave it to me! Model”Raising Heart Exelion”!」
 マルコちゃんが素早く変身する。
 その姿は高町なのは一等空尉の姿と、そのデバイス。
 私と並んでデバイスの先端を敵陣左翼に向ける。
 ライトニング隊にも動きが見られた。こちらの砲撃準備に気が付いたらしい。
 ――二人ともそのままで!――
 信頼出来るリーダーが私達に指示を下した。
 マルコちゃんの横顔を見ると、彼女は顔の向きは変えないまま目だけを私に向けて、無言で了解する。
「スターズ最前衛(フロントアタッカー)バリア展開! 前衛(ガードウィング)は迎撃用意!」
 私とマルコちゃんを守るようにして、スターズメンバーとジージョちゃんが防御魔法を発動した。
 無数の魔法弾が私達目掛けて突っ込んでくる。
「撃てっ!」
 こちらの迎撃魔法弾が一斉に発射された。数はどちらも五分。
 そして、私とマルコちゃんの砲撃準備が整った。
「単砲・高雄(たかお)、発射用意! 構えぇ――……」
 私の声と同時に、マルコちゃんの手に握られたレイジングハートが弾薬(カートリッジ)を一発ロードした。
「ストレイト――――」
 私達を守っていたシールドが瞬時に消え去り、ジージョちゃんがクリンリネスで飛んでくる魔法弾を吸引しながら私達の後方に回る。
「……――撃てぇっ!」
「――――バスタアァァァッ!」
 二本の光柱は競うように直進し、迫る魔法弾すら打ち消し、敵陣左翼を貫かんとした。
「砲撃に続けぇ!」
 カローラの合図を受け、スターズメンバーの最前衛が二つの光柱の後を追った。砲撃魔法を盾とすることで、余計な回避動作を省いて敵陣に接近することが出来る。
 すると、その進行を止めようとシグナムさんが動きを見せた。
「そっか! あの人ライトニングだった!」
「ボクがいただこう!」
「いいわ、マルコさん行ってらっしゃい!」
 カローラの承諾を得て、マルコちゃんはすぐさま飛び立った。
「ソフィー! 僕もぉ!」
「分かった! マルコちゃんと協力して!」
 ブラント君とウィンディーヌちゃんが融合(ユニゾン)を完了させると、ブラント君を抱きかかえていた女性魔導師がその手を離した。
「ジェームスクック! マルコに追いつけ!」
「O.K!」
 大蛇の如く伸びる水の道を、ブラント君はジェームスクックに乗って滑って行く。
 それを見たカローラが、自分の周りに発射台(スフィア)を三つ出現させ、そこから魔法弾を三つ飛ばした。誘導制御弾のようだ。
 ブラント君の猛進を止めようと、ライトニングからの更なる攻撃が放たれた。
 しかし、カローラの放った魔法弾はブラント君と並走し、近づいてきた敵の魔法弾にその身を当てて相殺する。
 ブラント君が親指を立てた手を高く上げた。
「スターズ! ソフィー! 私に続け!」
 カローラが先頭を切って飛んだ。
 私とスターズメンバーは指示に従い、カローラの後を追う。
 向かうのは敵陣右翼。
 ――ソフィー!――
 ――なあに!?――
 ――久しぶりに“ツインシフト”行くわよ!――
 私は思わず笑みをこぼした。
 ツインシフトは、私とカローラが航空隊内でコンビを組んだときによく使ったコンビネーションだ。
 懐かしさが込み上げてきて、私は頬を熱くさせながら返事をした。
 ――シフトB!――
 カローラが敵陣右翼の集団に魔法弾を連射しながら注意を引き付ける。
 その間に、私はスターズを引き連れながら敵陣右翼下方に回り込んでいく。
 カローラの射撃は精密だ。相手自体を狙うだけでなく、相手の注意力を散漫させるような撃ち方も出来るし、相手の行動を制限するような撃ち方も出来る。相手は自分の思い通りに行動させてもらえないのだ。
 しかもそんな精密射撃を、複数の相手に仕掛けることが出来る。
 スターズリーダーは伊達ではない。
 カローラの攻撃を防ぐのに夢中でいる集団は、私達の移動に気付きながらもなかなか私達の後を追えないでいる。
 カローラが敵の足止めをしてくれている間、私達は敵陣右翼下方に到着して飛行を止めた。
 ここだ。カローラが次に出すであろう指示を実行するのに最適な場所。
 私達がカローラのために援護射撃を始めると、それを機に、少しだけ離れていたカローラが私達の陣に戻ってくる。
 やっぱり航空隊の頃と一緒だ。ちっとも身体は忘れていない。
 嬉しかった。カローラとまたこんな風に空を飛べることが。
「シフトC! 私達は敵陣後方に回るから!」
「ビンゴ! その指示了解!」
 予測していた通りの指示が来た。シフトCは一番得意なコンビネーションだ。
 カローラとスターズ陣が、私を置き去って敵陣後方に回り込もうとする。
 敵陣後方には、ライトニング隊の後衛(フルバック)が密集していた。そこを叩けば、ライトニングメンバーはサポート魔法による支援を失う。後衛がポジションチェンジによって攻撃側に回るよりも早く叩いて、敵勢力を削る算段だろう。
「スターズメンバー、五名を残して散開!」
 カローラと五人のスターズメンバーを残して、他のメンバーがライトニングメンバーとの戦闘に加わった。
 シフトCは、カローラと五人を無事に目的のポイントまで届けること。
「マスタースペード! 照準サーチ、四号三型!」
「All right!」
 足元の魔法陣と同時に、私の眼前に薄紫色に光る照準が出現した。
 照準越しにカローラ達の周辺を見やる。
 見つけた。敵魔導師が射撃準備をしている姿を。敵魔導師のデバイス前に発射台(スフィア)が形成されている。狙っているのはカローラと五人だ。
 カローラ達に向けられたスフィアを数える私。
「……三、四…………七、八…………」
 数は増えていく。が、私の眼球に連動して動く照準は素早くそれらを捕捉する。
 カウントに合わせて、私の周辺に薄紫のスフィアが並んでいく。
「……十、十一、十二…………追砲・古鷹(ふるたか)、用意――……撃て!」
 数え終えた後に素早く発射した十二発の誘導制御弾。
 そして私の発射とほぼ同時に、ライトニングメンバーからも魔法弾が放たれた。数はぴったり十二発。それらは真っ直ぐにカローラ達を狙う。
 しかし、私の魔法弾が敵の十二発を打ち消さんと進む。
 一発、二発、三発、四発。次々と私の魔法弾が敵の弾を打ち消し、カローラ達への到達を防いだ。
 そしてカローラ達は減速をすることなく、まるで狙われていたことを知らぬかのように、真っ直ぐに敵陣後方に辿り着いた。
 突如として現れたカローラ達に困惑するライトニング隊後衛。そんな状況での戦闘は、少人数とは言えカローラ達が有利だった。
 シフトC、成功。私はマスタースペードの構えを解いて少し笑った。
 その直後、すぐ脇を何かが素早く横切っていった。
 とっさに反応して距離を取り、横切ったものに視線を向ける。
「マルコちゃん!?」
 そこには、必死の形相で若草色の魔法弾を放つマルコちゃんがいた。
 その魔法弾の行き先は、マルコちゃんを追いかけるシグナムさんだった。
 シグナムさんの雰囲気が、訓練場入り口で見た時よりも少し違うことに気が付いた。そして彼女に対する違和感を、私は身近で感じたことがある。
 そう、一人の身体から気配が二つ感じられるこれはまさに、ブラント君とウィンディーヌちゃんが融合(ユニゾン)した時と同じものだった。
 私の脳裏に、シグナムさんの肩に乗っていた融合型デバイスのアギトさんが思い浮かんだ。
 それはつまり、シグナムさんの真剣さを物語っている。
 シグナムさんの右手に握られた長剣型デバイスが振りかぶられ、それは炎を纏いながらマルコちゃんへと狙いを定めた。
 激しい衝突音が鳴り響く。
 デバイス同士の接触により術者同士は無傷でいるものの、パワー、スピード、タイミングのどれもが上手(うわて)であるシグナムさんの優勢は明らかだった。
 繰り返されるシグナムさんの猛攻は、かろうじてマルコちゃんには届いていない。しかし、確実にマルコちゃんの勢いを殺し、逃げられない彼女を追い詰めていた。
 突如、シグナムさんの後方に迫る水の弾。
 シグナムさんは背を向けていたはずなのに、競り合うマルコちゃんを容易く退け、素早い身のこなしでその水弾を叩き散らした。
 水弾と同じ軌道を通って、ジェームスクックに乗ったブラント君がポリビウスを振りかざす。
 銛型デバイスの先端が真っ直ぐにシグナムさんを捉え、術者と共に突っ込んでいった。
 しかし、足元に紫色の魔法陣を展開したシグナムさんが、デバイスを構え直した。
「レバンティン! 迎え撃つぞ!」
「Explosion!」
 長剣型デバイス、レバンティンの剣身根本(フォルト)部分にあるボルトアクション方式のカートリッジシステムが、蒸気を噴き出しながら薬莢を排出した。直後に剣身周りの炎が更なる猛りを見せる。
 シグナムさんがブラント君に向けて飛び出す。
「いくぞ! “紫電一閃”!」
 炎を纏った剣の猛威。振り抜かれたそれは横一文字を描き、ポリビウスと対峙する。
 重なり合う二つのデバイス。一見すれば均衡状態である両者だが、術者の顔を見比べればそれが錯覚だと知ることが出来た。
 いつもはぼーっとして寝てばかりいるブラント君の、あんなにも余裕の無い表情は初めて見た。
 それでも、押し切られまいとして両手を突っ張る。
 対するシグナムさんは、少しだけ楽しそうに微笑んでいた。それだけ余裕があるということか。
「嘗めるなぁっ!」
 マルコちゃんが叫んだ。
「レプリィ、“メタモルフォーシス”だ! モデル“グラーフアイゼン”!」
「O.K, baby! Ummmm...Jawohl!」
 マルコちゃんの変身が始まった。
 光から姿を現した彼女は、赤の帽子とゴシックロリータドレスに身を包んでいた。右手に握るのは鉄槌型デバイス。広げた左手の五指には、四つの鉄球が挟まれていた。
 左手を横に振ると、鉄球が彼女の目の前で若草色の魔力に包まれながら浮遊した。
 おそらく、攻撃準備が整ったのだ。
「っらぁぁぁぁぁ!」
 今度は右腕を振ることで、鉄槌が次々と目の前の鉄球を弾き飛ばし、それらは赤い尾を引きながら真っ直ぐにシグナムさんの背中へと猛進した。
 直撃コースだ。球であるはずのその弾の威力は、速さを増すことで鋭い針とも等しくなる。シグナムさんと言えど、このままでは危険だ。
 その時、シグナムさんがブラント君を弾き返し、それと同時に剣で空中を斬った。
 空振り? いや、剣を振った直後に、シグナムさんの剣は刃を複数に分割し、それらは一本のワイヤーで繋がれたまま鞭となって彼女の周囲を這い回り始めた。
 主を守る蛇とでも言おうか。縦横無尽に伸ばしたその鞭状の剣は、シグナムさんの背後も上下も正面も見事に包み込み、一切の攻撃をも寄せ付けまいとする意志を見せ付けた。
 マルコちゃんの打ち放った鉄球は、その刃に受け止められて失速、落下していく。
 もう一度、四つの鉄球が放たれた。
 更にもう一度。
 しかし、それでも蛇は鉄球を寄せ付けない。
 シグナムさんが背を向けたまま、視線だけを背後に送って鼻で笑った。
「ちいぃぃっ!」
 悔しそうに睨むマルコちゃん。
 凄い。これが元機動六課ライトニング分隊副隊長の実力か。
 ――ソフィー!――
 突然、カローラから念話が入った。
 ――ライトニングを包囲した! このまま一気に決めたいの!――
 見れば、一塊となったライトニング陣の外周を、スターズが方々から攻め入っている状況だった。
 ――ソフィー、“主砲”いける!?――
 カローラはこれを待っていたのだろうか。その言葉を聞いて、私は震えた。
 これは武者震いだ。
 シグナムさんはマルコちゃんとブラント君に夢中。ライトニングメンバーも誰もがスターズとの交戦で手一杯。しかも私のいる場所は敵陣の下方。足元より低い相手にはなかなか注意を向けられないものだ。
 誰も私に意識を向けていない。
 いける。今なら魔力チャージの時間も取れる。
 ――了解! すぐにでも“主砲”発射用意に入るからサポートをお願い!――
 ――こちらも了解!――
 私はすぐさまマスタースペードに指示を出した。
「マスタースペード、主砲用意! “マスターソードモード”!」
「All right. Master Sword Mode!」
 直後、マスタースペードの形状が変化を起こした。
 純白の柄と鍔から伸びる金色の両刃。刃の上を黒く、細い文様が走っていく。陽の光を反射しながら現れたそれは、私の手中で薄紫のオーラを纏った。
 これは、一振りの魔法の剣だ。
 変形が完了するとすぐさま、私は魔力を溜め始めた。
 しかし、こんな大勢の前で大規模な魔力チャージを始めればどうしたって目立つ。
 案の定、幾つもの視線が私に向けられていた。
「ソフィーが近接戦闘?」
 マルコちゃんが驚いた様子で言っていたが、私は魔力を溜めるのに精一杯で答えている余裕が無かった。
 そして、一番厄介な人が私の挙動に気付いた。
 シグナムさんだ。ブラント君とマルコちゃんを力ずくで蹴散らし、私の方に向き直ったシグナムさんが叫んだ。
「させん! いくぞアギト!」
 姿は見えないが、確かにアギトさんの声も聞こえた。
『おっしゃあ! 烈火の剣精の力見せ付けてやらぁ! 剣閃烈火!』
「飛竜――」
 レバンティンが弾薬(カートリッジ)をロードすると、物凄い勢いで噴き出た蒸気がシグナムさんの周囲を霞ませた。
 同時に、弾き飛ばされていたマルコちゃんとブラント君が私に急接近してきて、すぐさま魔力障壁を展開した。
 今の私では魔力チャージに集中していて防御が出来ない。
 それを知ってか知らずか、とにかく二人の存在は実に頼もしかった。
「一閃!」
 レバンティンが再びその刃を切り離し、暴蛇の如く身をくねらせて突っ込んで来た。
「ソフィーを絶対死守だっ!」
「応っ!」
 二人の魔力障壁が悲鳴を上げた。暴蛇の毒牙は障壁を食い破ろうとする。
 怖い。すぐ背後では一撃必殺とも思える攻撃が迫ってきている。
 だが信じられる。彼等なら必ず私を守り抜いてくれる、と。
 障壁は限界を迎えていた。暴蛇の毒牙が突き刺さった部分からヒビが広がり、二人分の魔力はあっという間に底を突きかけていた。
「耐えろおぉぉぉっ!」
 マルコちゃんの気合いとは裏腹に、ヒビは更なる広がりを見せる。
 限界か。
 その時、
「加勢します!」
 駆けつけたカローラの障壁が加わった。そしてジージョちゃんもレバンティンの纏う魔力を吸って力を削ぎ始める。
 それでもまだ止まらない。この蛇は、思った以上に執念深い。
「戻れ!」 
 シグナムさんが一瞬刃を引くと、レバンティンは連結を繰り返して再び長剣となり、更にカートリッジをロードした。
「参るぞ!」
 炎を纏った長剣の一閃が、シグナムさんの踏み込みと共に繰り出された。
 突っ込んでくるシグナムさんの一閃が、皆の障壁とぶつかり合う。
 刃と私の距離はほんの数メートル。その距離をなんとか保っていられるのは、皆の力。
「ソフィー! まだ!?」
 ありがとう皆。これでスターズは勝利を手にすることが出来る。
「オッケー! 魔力チャージ完了!」
 皆が盾となる中、私は手にした剣を空に掲げた。
「大口径砲・金剛大和(こんごうやまと)、発射用意!」
 カローラからの念話が訓練場全域に放たれる。
 ――全スターズメンバーに告ぐ! 空域D、E、F、Gより完全退避! 遅れるなっ!――
 皆がくれたチャンス。
 これを放てば私達は。
「構えぇ――……」
 シグナムさんの雄叫びが聞こえた。
 それでも障壁は壊れない。
 皆の気持ちは壊れない。
 撃てる。
 私達ホカン部の、いや、スターズを含めた仲間達へ送る、勝利の道を作り上げられる!
「……――撃てええぇぇぇっ!」
 マスタースペードの切っ先から太い光の柱が放たれた。
 それは空域Dを貫き、数キロある距離を一瞬で走り抜ける。
 空域D、E、F、Gに密集していたライトニング隊の一部を撃墜。だが、これで終わりはしない。
「薙げぇぇぇぇぇっ!」
 私が振るう剣の動きに合わせて、伸びたままの集束砲は空域DからGの間を移動した。
 危険を感じて逃げるライトニング隊。しかし、もう遅い。
 私は近接戦闘は出来ない。剣の形はしていても、マスタースペードはあくまでも杖型デバイス。けれど、この光の剣で空を斬ることが出来る。
 薙いだのだ。スターズを勝利へと導くための、大きな一振りだった。
 そしてその軌跡に残るものは、蒼天だけ。
『…………ライトニング隊員の三分の二以上の撃墜と、ライトニングリーダーの撃墜を確認…………模擬戦終了! 勝者、スターズ!』
 なのはさんの声に続いて響いたのは、スターズの雄叫びだった。



「どうもありがとうございました!」
 頭を下げた先にいるのは、シグナムさんとアギトさん。そして、なのはさん。
 シグナムさんは満足そうな笑みを浮かべながら、「またやりたいものだな」と言って握手を求めてきた。私達は一人ずつその手を握り返したが、マルコちゃんは「もう勘弁っす」と言いながら苦笑いも返していた。
 アギトさんもシグナムさんと同じ気持ちのようだ。この二人は本当に良いコンビなんだなと、見ていて思った。
 そして最後に待っていたのは、
「きょ、今日はお招きいただきまして……その…………ありがとうございまし、た…………」
 まだ少し頬が膨れている。
 なのはさんは呆れたように一度だけため息をついてから、少しだけ表情を緩めてくれた。
「ソフィーって意外とワガママなんだね」
「よ、よく言われます」
 なのはさんがようやく声を出して笑ってくれた。
 私の主砲によってスターズが勝利した後、今度はシグナムさんがスターズ隊に入り、もう一戦行なわれた。その時はカローラもライトニング隊に戻って行ったし、私達もそれほど目立った行動を取ることがなかったので、無事に二回戦目は終わった。ちなみに勝ったのはライトニング隊だ。
 模擬戦終了後、何人かの生徒がホカン部に謝りに来てくれた。スターズとライトニング、どちらからもそういった人が現れてくれたことが嬉しくて、私は握手をしながらお喋りをした。
 皆が口を揃えて言うのだ。「ホカン部って思っていたのとは違うんだね」と。
 その言葉だけで、私は腕の痛みもすっかり忘れて何も無かったかのように思えるのだ。
 今日はこの模擬戦に参加出来て良かった。
 そしてまた少し、ホカン部が好きになっていた。
「ソフィー!」
「ああ、カローラ!」
 模擬戦で流した汗を拭きながら、カローラが駆け寄ってきた。
「もう隊舎に戻るの?」
「うん」
「そっかぁ…………」
 カローラが親指と人差し指で自分の下唇を摘んでいる。落ち着きが無い様子だ。
 これは昔からの彼女の癖で、何か言いたいことがあるけれどこちらから尋ねるまで言えない時の仕草だ。
 カローラも相変わらず変わっていないことを可笑しく思いながら、私が尋ねた。
「なあに?」
 気が付いて貰えて嬉しそうに微笑みながら、カローラは私だけに聞こえるように小声で言った。
「ソフィーさ……やっぱり航空隊に戻ってこない? ミリー部隊長とかにもお願いしてみてさ」
 得意の甘え声だ。
 胸の中が温かくなるのを感じながら、私は彼女に言った。
「んー…………もう少しホカン部に居てみたい、かな」
 名残惜しそうに小さく息を吐きながら、カローラは「そっか」と零した。
 私はカローラの大切さを改めて認識することが出来た。
「カローラは相変わらず可愛いなぁ」
「んふふっ! じゃあ、教導の修了式があるから行くね! バイバイ!」
「あ、カローラ」
 私は最後に一つだけ、彼女に訊いておきたいことがあったのを思い出して呼び止めた。
 既に立ち去ろうとしていたカローラは、不思議そうな表情だけをこちらに向けてきた。
「なに?」
「あのさ、私が怪我してから模擬戦が再開される前に、何か驚いてたじゃん。あれって何だったの?」
 そうだ。彼女がスターズリーダーになった時、私とホカン部の皆でスターズメンバーに頭を下げた。
 あの時、頭を上げてからスターズを勝利に導くと言った瞬間に、私達ホカン部を見たカローラとスターズメンバーは、皆何か怖いものを見たかのように驚いていた。
 あの反応の意味が知りたかった。特にどうと言うわけでもないのだが、ふと思い出したのだ。
「ああ、あれ? …………んー」
 言いづらいことなのだろうか? そうなるとますます気になる。
「遠慮しなくていいよ。なあに?」
「うん…………。ほら、ソフィーが模擬戦をやらせてくれってワガママ言った時、ミリー部隊長が助け舟を出したでしょう? あの時にミリー部隊長が見せた笑顔……覚えてる?」
 あの、鳥肌が立つような怖い顔のことか。
「うん」
「ああいう笑い方って、もしかしてホカン部で流行ってるの?」
「へ? どういうこと?」
 カローラの言っていることの意味が分からなかった。
「…………そっくりだったのよ。ソフィー達が、スターズを勝利に導きますって言った時に見せた笑顔が…………ミリー部隊長の笑い方にすごく似てたの」
 言葉が出なかった。
 私の顔が、笑い顔が、ミリー部隊長のあの笑顔に似ていたというのか。
 ミリー部隊長には悪いかも知れないが、とてつもない衝撃を受けた。
 あの、猟奇性を秘めた笑顔が私の中にもある?
 私にも、猟奇的な面がある?
 私は。
「じゃあ、もう行かなくちゃ。ソフィー、また連絡するから!」
「え? あ、うん。バイバイ!」
 慌てて手を振ったが、カローラが手を振り返してくれたかどうかは確認しなかった。
 いや、気にすることが出来なかった。
 佇んだまま、動けなかった。
「ソフィー! 行くぞ!」
 背後から突然の声。
 私はようやく意識を外界に向けることが出来た。
 近づいた私を、突然ミリー部隊長が右腕で抱きかかえた。ミリー部隊長の手が腕の傷に触れて、少しだけ痛みが走った。
「かっこ良かったぜーソフィー!」
 今のミリー部隊長は、子供のように無邪気な笑顔をしていた。
 少し照れていると、なのはさんが目の前に立っていた。
「本当にソフィーは、ううん、ホカン部は良いものを持ってるよ。今日の戦いは本当に良かった」
「ありがとうございます」
 にやけた顔が戻らなくて恥ずかしい。
「今度ご褒美をあげたいんだけど、受け取ってくれる?」
 なのはさんからのご褒美? 心臓が高鳴り出した。
「わ、私にですか? …………いいんですか!?」
「うん! ソフィーならきっと気に入ってくれるんじゃないかな?」
「はいっ!」
 さっきまでの不安が一気に消えた。
 憧れの人からのご褒美だ。こんなに嬉しいことは無い。
 嬉しさと恥ずかしさと緊張と期待と興奮が身体の中で大暴れをしている。その場で踊り出してしまいそうなくらいだ。
「うわあコイツ! ソフィー!」
 ミリー部隊長の大声と、ホカン部の皆の呆れ顔と笑い声が突然聞こえてきて、私の方が驚いた。
 ホカン部の皆どころか、シグナムさんが背中を向けたまま肩をヒクヒクと震わせ、アギトさんはお腹を抱えて爆笑している。なのはさんはまた呆れ顔だ。
 一体どうしたというのだろうか。
「鼻、鼻!」
 マルコちゃんの声を聞いて、私は自分の鼻を触ってみた。
 あれ? ヌルっとした。
 見てみたら、血が出ていた。

 To be continued.



[24714] 第九話 お姉ちゃん
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/16 11:31
 今日、私は朝からずっと機嫌が良い。
 目覚まし時計のアラーム音よりも早く目覚めた身体は、ベッドから降りる動作も軽やかだった。朝食だっておかわりもしてしまったし、ブリーフィングルームの掃除をしていたジージョちゃんに「お疲れ様!」と言って労いの意を込めた肩揉みだってしてしまった。
 こんなにも私が機嫌を良くしている理由は、午後に控えた約束事のためである。
 一週間前に、なのはさんに誘われてホカン部の皆で参加した戦技教導の模擬戦。その時の戦いぶりを見て褒めてくれたなのはさんが、私にご褒美と称して渡したいものがあると言ってくれた。
 そしてそのご褒美を受け取るのが、今日の午後なのだ。
 憧れの人が私達を認めてくれたばかりか、更にはご褒美までくれると言うのだ。こんなにも心躍ることはなかなか無い。
 高まる喜びと期待を必死に抑えて、仕事に専念しようとデスクに座る。しかし、どうしても抑えきれずに漏れ出た感情が、私の表情を知らぬ間に変えていた。
「ソフィー……気持ち悪いぞ」
 私の顔を覗き見たマルコちゃんが引いている。
 しかし、それでも私は全然気にならなかった。
 突如、ブリーフィングルームの扉が開いて、ミリー部隊長が入ってきた。
 朝早くから部隊長室に閉じ籠もっていたミリー部隊長は、扉を潜ってきたかと思うと満面の笑みを浮かべながら自分の席に着いた。
 ミリー部隊長もやたらとご機嫌だ。あの緩みきった表情は、よっぽど良い事があったのかと思わせる。
「ミリー部隊長、何でそんなに嬉しそうなんですか?」
 私がにやけながら訊くと、
「ソフィーこそ全然締まりの無い顔してどうしたんだ?」
 と、訊き返してきた。
 異常なほどの笑顔が二つ、室内に花を咲かせる勢いで振り撒かれている。笑い声すらも重ね合わせ、私達二人は己の幸せを見せ付けあった。やがて表情を見せ合うだけでは抑えきれなくなり、私は席を立った。そして同じように席を立ったミリー部隊長と両手を繋ぎ合わせ、舞った。
「…………頭痛くなりそうだ」
 マルコちゃんがデスクに突っ伏した。
 結局十分ほど踊ってから、私は改めてミリー部隊長に尋ねた。
「今日はどうしたんですか?」
「ちょっと本局に行ってくる。用件は…………んー、まあ帰ってきてからのお楽しみだな」
 両手は繋がれたままだ。
「あ、私も本局に行く予定があるんです」
「そうなのか? なんだ、じゃあ一緒に行くか?」
「はぁい!」
 再び舞った。
 更に十分後、耐え切れずに技術室へと逃げていくマルコちゃんを見送り、私はようやく落ち着きを取り戻した。ミリー部隊長も踊り疲れたのか、「腹が減ったな」と言いながら私の椅子の背もたれに寄り掛かる。
 時刻はお昼の少し前。まだ本局へ移動をするには早い頃か。それでも時計の針が時を刻んでいく度に、私はまた落ち着きを失いそうになっていた。
 そんな私の様子をウィンディーヌちゃんが見て、いや、見かねて、ある提案をしてきた。
「二人とももう本局に行きなさいよ。向こうでちょっと早いお昼でも食べてくれば?」
「あ、それいいかも」
「でしょ? ここで迷惑振り撒かれるより全然良いわよ」
 ウィンディーヌちゃんの毒舌が冴える。振り撒いているものは迷惑だったのか。
 しかし、それすらも受け流して、私とミリー部隊長は提案を受け入れた。
「よし、そうするか。ウィンディーヌ、悪いが本局まで送ってくれ」
「自分で行け!」
「そう言うなよー。お前もランチを一緒に食おう。奢るぞ?」
 それでもウィンディーヌちゃんは首を縦に振らなかった。
「あたしはね、ブラントと一緒に食べるの」
 そう言ってウィンディーヌちゃんは室内をふわふわと漂いながら、ブラント君の姿を捜した。だが、ブラント君の姿が見当たらない。
 そう言えばいつの間にか姿が見えなくなっていた。ブリーフィングルームに一度顔を出したのは確認したけれど、その後は特に気にも留めていなかったので、姿を消していることに今更気がついた。
 そんな私とウィンディーヌちゃんの様子を見て、ミリー部隊長はにこやかに微笑みながら言った。
「ブラントなら今は地上本部だぞ」
「え!?」
「あいつ、今日は健康診断なんだよ。先月寝坊ですっぽかしたからな。レントゲン検査もあるから、検査終わるまでは何も食べられないんだってー」
 舌を出した顔の両脇で手の平をひらひらと振りながら、ミリー部隊長は「残念でしたぁー」と言い放つ。 
 ウィンディーヌちゃんの両肩が震えている。三十センチ程しかない身体から放たれている怒気は、同じ室内にいる私達を押し潰しかねないくらいに膨張していく。
 平然としているミリー部隊長を除いて、私とジージョちゃんはデスクの下に素早く避難した。



 ホカン部隊舎のヘリポートに、私とウィンディーヌちゃん、それにタオルを片手に持ったミリー部隊長が降り立った。
 つい先程のことだ。ウィンディーヌちゃんの怒りを買ったミリー部隊長は、水攻めを受けている間苦悶の表情を浮かべながら「じ、人生が見える!」と言っていたから、おそらく自分の人生を走馬灯のように振り返っていたんじゃないかと思う。それでも「今朝、ちょうど顔を洗い忘れていたところだ」という強がりを、大量の水と共に吐いていた。
 その後、一旦着替えに戻ったミリー部隊長と、結局誘いを受けてしまったウィンディーヌちゃんと共に、私達は本局へと向かうべくこの場に集まった。
 しかし、何故ヘリポートなのだろうか。本局に行くなら地上本部を経由しなくては行けないから、まずは駅に向かうべきなのに。
 ウィンディーヌちゃんの足元に、正三角形の魔法陣が展開された。
 魔導師の操る魔法体系にある二種類の内の一つ、ベルカ式。正三角形の中に剣十字の紋章が回転する魔法陣を特徴としたそれを操る人は、私の周りにはあまりいなかった。ホカン部の中でも、私とジージョちゃんとマルコちゃんの三人は円形魔法陣のミッドチルダ式だ。ブラント君がベルカ式だというのは知っていたけれど、ウィンディーヌちゃんが単身で魔法を使う機会が少ないせいか、彼女もベルカ式だったということに、今まで気が付かなかった。
「じゃあ本局に直接送るわよ」
 ウィンディーヌちゃんがミリー部隊長に確認を取る。
 短く返事をしながらミリー部隊長が頷くのを見て、私は思わず口を挟んだ。
「えっ、えっ、え!? 本局に直接って…………出来るんですか?」
 一般論で言えば無理だ。だから私は焦った。
 転移魔法は確かに遠くの地へ瞬間的に移動できる便利なものだが、その利便性にも限界はある。
 まず第一の問題は、距離が遠過ぎる。地上本部や本局内にある転送室の魔法補助設備があるならともかく、単身による魔法で転移出来る程の距離では無いと思う。
 それに第二の問題として、仮に転送出来るとしても、ダイレクトに本局内へは入れないようになっているはずだ。部外者の転移魔法による侵入を防ぐという防犯上の理由から、本局に限らず、管理局所有の重要施設にはその建物を覆うように魔力障壁があるので、無許可での転移は出来ないはずだ。だから、普段私達は地上本部の転送室から本局へと向かう手筈を取っているのだ。
「なんだ? ソフィーはまだウィンディーヌの転移魔法を知らなかったか?」
「ウィンディーヌちゃんって、転移魔法が得意なんですか?」
 タオルを肩に掛けたまま、ミリー部隊長は髪を手指で梳きながら言った。
「ああ。ウィンディーヌは、ある一定量の水があればその付近まで転移出来るんだよ。それに転移出来る距離は、そんじょそこらの魔導師なんか裸足で逃げ出すくらい凄いぞ」
 私はヒデオウトに行った時のことを思い出した。ミリー部隊長が呼んだブラント君とウィンディーヌちゃんが、片道三十分は掛かるであろう移動時間を十分以内に縮めてきたことがあった。
 あれは彼女の転移魔法だったのか。
 今の説明が間違いでなければ、ウィンディーヌちゃんの転移魔法は相当なものだ。
「…………でも、魔力障壁は?」
「ウィンディーヌのもう一つの能力で解決だな。こいつ、流動性のあるものの流れを読んだり、多少ならその流れを変えることも出来るんだよ。魔力障壁は物理隔壁みたいな固体による壁ではない。常に注がれている魔力が一枚の膜を作っているようなものだ。魔力障壁は、魔力が絶え間なく流れて壁を成しているわけだから、その流れをちょこっと操って穴を作るくらいはウィンディーヌにとっちゃ造作も無い」
「その通り! あたしは“水の精霊ウィンディーヌ”! ゾーサも無い、ゾーサも無い」
 思わず感心してしまった。稀少技能(レアスキル)みたいなものだろうか。もっとも、ウィンディーヌちゃんは魔導師ではなくてデバイスだから、レアスキルと呼んでいいのかどうかは微妙なところだが。
 ふと、今の解説を聞いて、そこに生じる一つの問題点が頭に浮かんでしまった。
「あれ? でもそれって…………」
「はははっ! 不正規なルートでの移動だからな。バレたら怒られるぞー」
 一緒に行くの、やめようかなぁ。
「ほら、位置掴めたからもう出発するわよ」
 ウィンディーヌちゃんの魔法陣に乗り遅れたい気持ちを抱きながら、私はミリー部隊長と共にウィンディーヌちゃんの側まで歩み寄った。
 魔法陣の上に乗ると、なんだか不安定な足場にいるような気がした。地面が波打っているみたいだ。
 そう、まるで水の上に立っているみたいに。身体が今にも沈んでしまいそうだ。
「…………なんか、嫌な予感がするんですけど」
「そうか? だったら鼻と口を閉じとけ」
 それはどういう意味だろうか? 嫌な予感が増すだけの奇妙なアドバイスだった。
 突如、私は足場を失って高所から落下する感覚に見舞われた。瞬間的に見開いた目は、景色が一気に上昇していく様子をはっきりと捉えている。
 高所から落下しているというのは、あながち間違っていなかった。私は今、急に液体のようになってしまった地面の中に沈んでいく最中なのだから。
 嫌な予感が当たった。
 悲鳴を上げる間もなく魔法陣の中へとダイブしていく私の身体は、水攻めを受けたミリー部隊長のように無様にもがいた。
 しかし、魔法陣の中の真っ白な世界を刹那的に見た後で、すぐさま周囲の景色は現実的なものになった。
 転移成功、ということか。ここはどう見てもシャワー室だった。
 誰もいなかったのは幸いだろう。清掃をするわけでもないのに、シャワー室に服を着たままの姿で入る理由があるものか。私達は完全におかしかった。
「うむ。本局内のシャワー室に見事到着だ」
「見事……ですか」
「本当なら誰かに大量の水を用意してもらって手でも突っ込んでいてもらえれば、その人を目印にしてその近くに出られるんだけどね。目印が漠然過ぎるとこうなるのよ」
 なるほど、水がいっぱいあるだけでは転移ポイントを定めるのが難しいということか。まあ、水がたくさんある所と言っても、トイレじゃなかっただけ幾分マシか。
 私達はすぐさまシャワー室を後にして歩き始めた。
 それにしても、本当にここが本局内であることに驚いた。ウィンディーヌちゃんの転移魔法は、その始動時の溺れるような感覚と転移場所の不安定ささえ無ければ、相当優れたものであることが分かった。
 迷うことなく道を進むミリー部隊長に続いて、私とウィンディーヌちゃんは彼女の後ろ姿を追った。向かう場所は本局内の食堂だ。
 時刻がまだお昼前とあってか、空席の方が多い局員食堂。これから大勢が押し寄せてくるのを待ち構えるように、厨房の方からは良い匂いが漂ってきて食欲をそそった。
 朝ご飯はしっかりと食べてきたはずなのに、もうお腹が鳴りそうだった。
 食べ慣れたホカン部隊舎の食事とは違う、バイキング方式で選べる食堂のメニューに相当迷いながら、私達はそれぞれ食べたいものを選んで適当な席に腰掛けた。
 ミリー部隊長が私のお皿に乗ったメニューを見て、「子供みたいだな」と笑った。少し恥ずかしい。
 ウィンディーヌちゃんは自分の身体の半分くらいもあるパンに一生懸命齧り付いている。こうして見ると、ウィンディーヌちゃんの方が可愛らしく見えるのは私だけだろうか。
 じっとウィンディーヌちゃんを見ていると、彼女が私の視線に気が付いた。そしてこちらを見た途端、呆れたような表情で言った。
「はぁー……ソフィー、口元に付いてる」
「へ?」
 自分の口を指で拭うと、その指先には赤いソースがたっぷりと付いていた。
「本当に子供だな!」
 ミリー部隊長が大きな笑い声を上げた。
「そんなんじゃあブラントと変わらないわよ」
 そう言えば以前、食事中のブラント君も口元を汚していて、それを見つけたウィンディーヌちゃんはハンカチで拭き取ってあげていたっけ。
 ホカン部で時折見られる、ブラント君とウィンディーヌちゃんの微笑ましい光景が、私は何気に気に入っていた。
「ウィンディーヌちゃんって、ブラント君のお母さんみたいだよねー」
「“お母さん”じゃなくて、“奥さん”と呼んでちょうだい」
 サラダに手を伸ばしながら言う彼女を見て、私はずっと抱いていた疑問をぶつけてみた。
「なんでウィンディーヌちゃんってブラント君の“奥さん”なの?」
「そりゃあ、五年前から一人ぼっちだったあの子をずーっとお世話してきてるんだから。ご飯も衣服も寝る世話も、まだまだお子様なブラントの面倒を見てきたのよ。そこまでする人と言ったら、やっぱり奥さんじゃない?」
 そこで、ミリー部隊長が口を挟む。
「こいつ、あたしとは融合(ユニゾン)の相性が悪いからって、ブラントと出会うなりあっという間に自分の主人(ロード)をブラントに決めちゃったんだぞ?」
 その話を聞いて、ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんの付き合いの長さを感じることが出来た。二人は相当前から知り合いだったらしい。
「んー、でもそこまで世話してきたとなると、やっぱりお母さんってイメージの方が…………」
「お母さんっていうのは、あたしが名乗るわけにはいかないのよ」
 口に含んだ野菜を飲み込んでから、ウィンディーヌちゃんは想いに耽るように目を閉じた。
 その表情に秘められた意味は解らないけれど、今の言葉で感じたことはある。
 ウィンディーヌちゃんがブラント君に対して抱いている気持ちは、単純な恋愛感情では無いのかも知れない。どういうわけか母親と名乗ることに抵抗があるようなので、彼の世話をする義家族としての便宜上の理由で“奥さん”を自称しているような印象を受けた。もちろんブラント君を好きである気持ちは本物なのかもしれないが、彼女には、ただそれだけではない理由がありそうだ。
 ふと、ミリー部隊長を見ると、ウィンディーヌちゃんの言葉を聞いたからなのかどうかは分からないが、とても穏やかな表情を浮かべていた。だが、穏やかであると同時に少し切なさも織り交ざっている気がして、思わずその表情に見入ってしまった。
 普段のミリー部隊長が見せる、勝気で不敵で意地悪そうな笑顔とは似ても似つかないその表情を見ていると、何故だか胸に温かさが湧き上がる。
 包み込まれているような。優しさに触れているような。
 何故だろう。切なさの共有ならまだしも、この人に対して安心感を抱く理由が解らない。
 ふと、思い出した話題を振ってみた。
「そう言えば」
「ん?」
「この間の模擬戦の時に、カローラに言われたんです。私の、それにホカン部の皆の笑顔がミリー部隊長の笑顔に似ているって」
 ミリー部隊長とウィンディーヌちゃんが、同時に私のことを見たまま固まった。驚いている様子では無いが、不快に感じたり理解が出来ていなかったりするわけでも無さそうだ。ゆっくりと私の言葉を頭の中で一文字ずつ確認するかのように、動きを止めている。
 そして次第に、ミリー部隊長の口元が緩んでいった。これもまた、優しさに満ちた顔だった。
「不満か?」
 声が少し明るさを増したように聞こえた。喜んでいるのかな?
 私はなかなか答えられずにいた。
 ミリー部隊長の笑顔は、時々物凄く怖いことがある。それだけで相手を飲み込んでしまうような、何とも言えぬ圧力を放つことがあるのだ。
 模擬戦の時に、私のワガママに助け舟を出してくれたミリー部隊長が見せた笑顔は、本当に怖かった。
 あの時の笑顔に似ていると言われたことは、正直に言うとあまり喜べない。
 私の中にもミリー部隊長が持つ猟奇性や邪悪さがある。そんなことを思わせるので、私は答えられずにいた。
 ミリー部隊長は続けて言った。
「覚えているか? ヒデオウトに向かう次元航行艦の中で、私がお前に言った言葉を」
「どの言葉ですか?」
「お前に、『楽しいか?』と訊いたことがあっただろう」
 思い出した。これから戦いに身を投じようとしていた私に向けて、ミリー部隊長はそう訊いてきたのだ。
 私は答えられなかった。戦いを楽しいなどと答えたくは無かったのだ。
「あの時、何で私がそんなことを訊いたのか。それは…………」
 まさかと思った。
「ソフィー、お前が笑っていたからだよ」
「…………うそ」
「嘘じゃないわよ」
 今度はウィンディーヌちゃんだ。
「それに、ソフィーがウルスラの中であたし達に頭を下げた時、身体を起こしたあんたの笑顔もミリーに似ていたわよ」
「そんな…………」
「え、やっぱ嫌か?」
「あ、えっと…………別に…………」
 ミリー部隊長のことは好きだ。ちょっと危険視してしまう部分もある性格だが、私やホカン部のことを本当に大切に思ってくれていることは、今まで一緒に過ごしてきた日々からも十分に感じ取れる。
 だが、彼女に似ていると言われてショックを受けたのは否めなかった。
 ミリー部隊長の顔を見ると、なんだか少しがっかりしているような表情を浮かべていた。
 まさか失礼な態度が露骨に出ていたのだろうか。
 私は少し強引に笑顔を浮かべて言った。
「皆にそう言われてちょっと驚いただけですから、気にしないでくださいね! 私、ミリー部隊長のこと好きだし!」
「えっへへへ! そうか!」
 ミリー部隊長は照れていた。
 こういう時に見せる笑顔は本当に可愛らしくて素敵なんだけどな。
 この話題は、今はあまり引っ張りたくなかった。
 私は話題を変えた。
「あと、何でウィンディーヌちゃんはミリー部隊長のことを呼び捨てなんですか? 一応は上司ですよね?」
「一応も何も……紛れも無く私は上司なんだけど」
 ミリー部隊長のツッコミを無視しながら、ウィンディーヌちゃんがあっさりと答えた。
「付き合いが長いからでしょ。管理局に入るよりも前からミリーとはずっと一緒だし」
「へぇー! そうなんだ!?」
「ああ。私もウィンディーヌのことは融合騎(ゆうごうき)というよりも、一人の友人のように思っている」
 そうなのか。だからウィンディーヌちゃんはミリー部隊長を呼び捨てにし、ウィンディーヌちゃんと一緒に過ごしてきたブラント君も彼女に倣って呼び捨てで呼ぶのか。
「それにしても融合騎って呼び方珍しくないですか? それってユニゾンデバイスの古い呼び方ですよね?」
「まあな。呼ぶ奴がいないわけじゃないけど、今じゃユニゾンデバイスの方が一般的だしな」
 その後も他愛の無いお喋りが続き、私達は少し長めのランチを楽しんだ。



 食堂を飛び出して、私は走っていた。
 お喋りに夢中になって、なのはさんとの約束の時間がすぐそこまで迫っていたのに気が付かなかった。それはミリー部隊長も同じだったようで、「はははっ! 遅刻だぜ!」と言いながら私とは反対方向に走って行った。
 少し食べ過ぎたお腹が苦しい。
 すれ違う人達にぶつかりそうになりながら、私は廊下を駆けた。
 しかし、以前本局に来た時もそうだったが、こんな広い施設内を私一人で迷うことなく進めるわけなどなかった。
 壁に掛かっている案内表示を見てもよく分からず、案の定迷子になってしまった。
 なのはさんに念話が繋がるかと思って試みたが、施設内は同室にいるなどの至近距離でないと念話が通じないようになっているらしい。そりゃあそうだ、機密事項等が駄々漏れな事態があってはならないのだから。
 途方に暮れていた私は、誰かに道を尋ねようと周囲を見渡した。しかし、こういう時に限ってすれ違う人がいない。
 何てことだ。遭難してしまった。
 私は壁にもたれ掛かって天井を仰いだ。
「どうかしましたか?」
 柔らかな声が聞こえた。
 その声の方向に視線を向けると、そこには行儀良く佇む一人の女性がいた。
 歳は同じくらいかもしれないが、ウェーブの掛かった長い髪と猛々しさを一切知らなさそうな優しい目、それに柔らかな物腰と声が、彼女をずっと大人びた風に見せている。
 着ている管理局の制服は真新しさが感じられる。卸したてだろうか。
「あ、あの! 道に迷っちゃったんです! 第四メンテナンスルームって何処ですか?」
「あらあら、迷子さんですか? 困りましたねぇ、私も迷子なんです」
 がっくりと肩が落ちる。
 しかし、次の一言が私を元気付けた。
「でも、メンテナンスルームなら先程通り過ぎて来ましたよ。ご案内いたしましょうか?」
「ええ! でも、いいんですか? えっとぉ…………」
「ノーラです」
「ノーラさんも迷子ですよね」
「構いません」
 いや、構った方がいい気がする。しかし、私はせっかく掴んだ頼みの綱を手放せずにいた。
 彼女が「こちらです」と言って歩き出したので、私はおとなしくその背中に付いて行った。
 何と言うか、外見や喋り方だけでなく、歩き方も清楚な感じがした。規則正しく響く小さな足音は、聞いていて不思議と心地良い。
 彼女の左耳に付いているイヤリングが目に入った。ぶら下がっているのは金色の鈴。不思議なことに、どんなに揺れても音はしなかった。
「可愛いイヤリングですね」
 そう言うと、彼女は少し振り向いて微笑んだ。
 そして次の瞬間、
「Thank you」
 彼女とは違う声が聞こえてきた。
「デバイスだったんですか」
「ええ。シルウェストリスと言います」
「I'm pleased to meet you」(お会いできて光栄です)
 程なくして、私達はとある部屋の前にやって来た。
 両開きの扉の上には『第四メンテナンスルーム』の名前。
「着いたぁ! ノーラさん、どうもありがとうございます!」
「どういたしまして。えーと…………」
「あ、自己紹介が遅れました。遺失物保護観察部のソフィー・スプリングスです」
「遺失物保護観察部…………」
 私が敬礼をすると、彼女も微笑んで敬礼を返してくれた。
 それにしても、確か彼女も迷子になっていたはずだが大丈夫だろうか。自分が目的地まで連れてきてもらったのに、彼女をこのまま放っておくのは何だかすごく悪い気がした。
「ノーラさんは何処に行こうとしていたんですか?」
「人と待ち合わせをしていたんですけれど、私が勝手に待ち合わせ場所から動いてしまったから。局員食堂まで行ければ、その先は分かるのですが…………」
「あ、私がさっきまで居た場所だ」
 しかし、ここまでの道のりを私は思い出せない。つくづく自分の役立たずぶりに呆れてしまう。
 すると、私の言葉を聞いたノーラさんが両手の平を胸の前で合わせて言った。
「そうですか。ではソフィーさん、もしよろしければ、少し協力していただけませんか?」
「え? あ、はい。お役に立てるなら…………でも、道覚えてないんですけど」
 彼女は私に近づいて、「構いません」と言いながら自分の両手の平を差し出してきた。
 すると、彼女の足元には薄い黄色のベルカ式魔法陣が展開し、彼女の広げられた両手の上に、魔法陣と同じ色で輪郭を示す半透明の猫の影が浮かび上がった。
 目だけは真っ赤なその猫は、私とノーラさんの足元に飛び降りると、私の足の周りをぐるぐると歩き回った後、小さく一回だけ鳴いたような素振りを見せた。
「すみませんが、ソフィーさんの記憶を少しの間だけお借りしますね」
「…………はい?」
 半透明な猫が歩き始めると、ノーラさんはそれを追いかけて行ってしまった。途中、一瞬だけ振り向いて「では、また後で」と言い残していく。
 まるで再会することが分かっているような言い方だった。
 それにしても気になるのはあの猫だ。おそらく魔法の一種なのだろうが、あんな魔法は見たことが無い。
 彼女の歩いていった先を見つめていると、突然メンテナンスルームの扉が開いた。
「あれ? ソフィー来てたの?」
 声の方に振り向くと、そこには目的の人、なのはさんがいた。
「あ、なのはさん」
「あ、なのはさん、じゃなくて。来てたなら入ってくれば良かったのに。これから探しに行こうかと思ってたんだよ?」
 私は頭を掻きながら謝った。
 二人でメンテナンスルームの扉を潜ると、中にはもう一人、私の知っている人がいた。
「やっほー、ソフィー」
「シャーリーさん!? どうしてここに?」
 なのはさんとシャーリーさんが顔見知りだったとは知らなかった。それなのに、シャーリーさんと私に面識があることをなのはさんは知っているようだ。
 シャーリーさんは私が近づくと、目の前の機械に向き直って操作キーを打ち始めた。機械のディスプレイには相変わらず難解な記号や単語や数値が表示されていて、更にそれらが目まぐるしく消えたりスクロールしたり出現したりしている。
「なのはさんに頼まれたのよ。あなたへの贈り物を渡すのに協力してくれってね」
「贈り物?」
 続きはなのはさんが言った。
「うん。こないだの模擬戦のご褒美なんだけどね…………もしソフィーさえ良ければ、私のとっておきを受け取ってくれないかな?」
「とっておきって何ですか?」
「集束砲撃魔法。私もソフィーも中、長距離を得意とする空戦魔導師だし、ソフィーの今後を考えても覚えておいて損は無いと思うんだ」
「私に、なのはさんの魔法をくれるんですか?」
「ソフィー自身は、模擬戦で見せたような大型集束魔法を既に持っているから、特別必要だとは思ってないんだけど…………何て言うのかな? ソフィーとの繋がりがちょっと欲しいなって、私自身が思ったの」
 憧れの人が、そんなことを言ってくれた。
 胸が熱くて仕方が無かった。嬉しいなんてものではない。今の自分が幸せ過ぎて、この現実を簡単に信じていいのかどうかさえ迷ってしまうくらいだ。
「ど、どうして私なんかに…………?」
 なのはさんが頬を赤らめながら、私の頭に手を置いて言った。
「幾つか理由はあるんだけどね。ホカン部を受け入れられない悩みを、誰かに相談することもせずに一人で抱え込んでいたところとか、模擬戦の時に最後まで私にワガママを主張する頑固なところとか、ちょっと私に似ているところがあるなって思って…………。それにね、私、小さい頃に家庭の事情でちょっとだけ寂しい時期があったの。お父さんとお母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃんにも構ってもらえなかった時期が。それで、妹がいてくれれば寂しくもないし、その妹も寂しがらないように私がずっと側にいてあげられるのに、って考えたことがあって」
 本当になのはさんは優しいし、可愛いと思った。
 私が憧れた人は、こんなにも普通の女の子だったんだ。
「今はヴィヴィオがいるでしょう? だから“お母さん”の気持ちっていうのは少し分かるんだけど、“お姉ちゃん”の気持ちっていうのは、きっとソフィーと一緒にいる時に感じるものがそうなのかも」
「私の……お姉ちゃん?」
「うん! ちょっと恥ずかしいんだけどね、ソフィーが妹みたいでほっとけない……って言うのかな」
 赤面していくのが分かった。なのはさんの顔を直視出来ない。
 何て言えばいいのだろうか。とりあえず、なのはさんの申し出に返事をしなければいけない。
「えと……あ、あの! なのはさんのとっておき、欲しいです! よろしくお願いします!」
 なのはさんも顔を赤くしていた。そして、それから一度だけ頷いた。
 私の返事を確認した後、シャーリーさんがマスタースペードを貸してくれないかと言ってきた。
 首から提げている待機状態のマスタースペードを渡すと、シャーリーさんはそれを整備カプセルに入れた。
 私がカプセルに近づくと、マスタースペードが三回程点滅をした。
「ごめんね、マスタースペードの意見を聞かないで」
「Worry is not needed. I'm glad」(心配無用です。私は嬉しいですよ)
 すると、背後からシャーリーさんの声がした。
「んー、やっぱりどうしてもカートリッジシステムを搭載したいのよ。マスタースペードは了解してくれるかしら?」
 それを聞いて、本当に申し訳なく思いつつ再びマスタースペードに視線を送る。
「…………らしいんだけど」
「No problem」
「…………ほんとごめん」
 私がカプセルから離れると、シャーリーさんがディスプレイを操作しながら言った。
「じゃあマスタースペードはしばらく預かることになるから、ミリー部隊長にはソフィーから伝えといてくれる?」
「はい、よろしくお願いします」
 時計を見ると、そろそろミリー部隊長と合流しなければいけな時間だった。こんなにも時間が押し迫っているのは、やはり迷子になったからか。
 私がなのはさんとシャーリーさんにそのことを伝えると、なのはさんが一緒にミリー部隊長の所まで来てくれることになった。
 廊下を歩いている途中、私は何度も御礼を言った。なのはさんは「もういいよ」って何度も言っていたけれど、こんなにも想ってもらえていたことが今でも夢みたいに思えて、私はとめどなく溢れる喜びを全て感謝に変換するくらいの気持ちでいた。
「ソフィー、ほら」
 なのはさんが指差す方を見ると、そこにはミリー部隊長とウィンディーヌちゃんの姿があった。
 そして二人の側に、見覚えのある一人の後ろ姿が見えた。
 ウェーブの掛かったロングヘアーから見え隠れする左耳の鈴型イヤリング。
「ノーラさん?」
 私が声を上げると、ミリー部隊長が目を丸くして言った。
「あれ? もう顔合わせしてたのか?」
 後ろ姿の女性も私の声に気が付いてこちらを向いた。やっぱりノーラさんだ。
 彼女はそれほど驚いた様子もなく、変わらない優しそうな微笑みを浮かべながら言った。
「また会いましたね、ソフィーさん」
「どうしてここに?」
 私の問い掛けに、ミリー部隊長が笑顔で答えた。
「ようし、では紹介しよう!」
 紹介? 一体どういうことだろう。
「私の用事ってのは、この子を迎えに来ることだったんだ」
「迎えに……ですか?」
 ノーラさんが一歩前に進み出た。
 それから私となのはさんに一礼をした。姿勢まで美しいお辞儀だった。
「本日より遺失物保護観察部に配属となりました、ノーラ・ストレイジー三等空士です」
「ホカン部に配属? …………って、ええええええっ!?」
 そう言えば、彼女は私と別れる時に再会を仄めかすようなことを言っていた。
 ノーラさんが少しだけ笑った。
「ふふふっ、どうぞよろしくお願いします」

 To be continued.



[24714] 第十話 探し物
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/16 11:34
「本日より、遺失物保護観察部に配属となりましたノーラ・ストレイジーです。至らぬ点もあるかと思いますが、皆さんどうぞよろしくお願いいたします」
 丁寧なお辞儀と共に、ノーラちゃんはそう言った。再び頭を上げて直立する彼女の姿勢はやっぱり美しい。
 ホカン部隊舎に戻って来た私とミリー部隊長とウィンディーヌちゃんは、新しく仲間に加わったノーラちゃんを連れて来た後、さっそくホカン部の全員と顔合わせをすることにした。
 ブリーフィングルームへの道中、ノーラちゃんはホカン部に配属されたことをどう思っているのか、もしかしたらかつての私のように、自分を要らない人材なのだと思って落ち込んだりしていないかと心配になった。
 しかし、そもそも彼女は以前に別部署へ務めていたという経歴が無く、このホカン部が最初の配属先であると教えてくれた。
 そうか、ならばこのホカン部が周囲からどんな評価をされているのか知らないかもしれない。つまり、ホカン部への配属を悲観することもない。
 私は、ある意味幸せだと思える彼女の境遇に、少し安心した。
 ノーラちゃんが自己紹介を終えると、彼女はミリー部隊長に促されて空いているデスクに着いた。そこは私の目の前の席。
 決して広くはないホカン部のブリーフィングルーム。私が配属されたばかりの時に見た七基のデスクは、ノーラちゃんの登場によって全て埋まったことになる。
「ようやく全員揃ったわけだ!」
 ミリー部隊長が嬉しそうに微笑んだ。
 揃ったと言えばその通りだが、もし、この先も人数が増えるようなことがあったらどうするのだろう。この部屋ではさすがにもうデスクを並べることは出来ない。それともこれ以上ホカン部のメンバーは増えないという意味で言ったのだろうか。
 考えてみれば、この隊舎はノーラちゃんが加わっただけで、これ以上の人員増が起こり得る可能性を無くしたように感じる点が幾つもある。
 備えられたデスクの数、隊舎内にある部隊員用の個室の数、その他にも設備環境等のあらゆる面で、今以上の増員を許さないような空間であるホカン部隊舎。
 まるで、私達が揃うことは最初から打ち合わせられていたかのような。
 そんなまさか。私はその考えを拭い去った。
「ノーラの部屋は既に寮母さんが綺麗にしておいてくれたから、後で案内してやろう」
「はい、よろしくお願いします」
 微笑むノーラちゃんを見て、マルコちゃんが話しかけてきた。
「なかなかおしとやかなお姉さんだな」
「え? でもノーラちゃん、私とマルコちゃんのいっこ下だよ?」
 マルコちゃんの目も口も鼻も、とにかく顔全体が開いた。面白い表情だ。
 ホカン部隊舎に戻ってくる途中で、私とノーラちゃんで年齢の話になった時に本人から聞いた情報だ。彼女は私とマルコちゃんの一つ下で、それを理由に「親しみ易く呼んでほしい」とも頼まれた。
 マルコちゃんが表情を戻さないので笑いが止まらないでいると、ミリー部隊長が席を立って言った。
「よし、今日も一日お疲れ様! 業務終了だ」
 私達は声を揃えて返事をした。
 ふと、一つ思い出したことがあって、私は皆が部屋を出るよりも早く声を出した。
「ミリー部隊長!」
「ん?」
「あの、実は今私、デバイスを持っていないんですけど。代用機ってありませんか?」
 私のデバイス、マスタースペードは、現在シャーリーさんに預けてしまっていた。なのはさんが自分の持つ魔法を私に贈ってくれるということで、その作業のためにマスタースペードをしばらく預けなくてはいけなかったのだ。
 事情を説明すると、ミリー部隊長は視線を宙で泳がせた。
「…………どうだったかな?」
「確か倉庫に一機ありましたよ」
 マルコちゃんが言う。
「そうか。じゃあ当分はそのデバイスを使え」
「ありがとうございます」
「ただ、結構古いやつだったはずだぞ。一度念入りにメンテした方がいいな」
 返事をした私は倉庫に向かった。
 その後ろを、ジージョちゃんとマルコちゃんが追ってきた。二人とも探し物を手伝ってくれると言う。だが、ホカン部隊舎の倉庫はそれほど大きくない。そんなに探し物も難しくないはずだ。
 そう思っていた。
 一階の倉庫にやって来た私は、その扉を開いて絶句した。
「これは…………」
 マルコちゃんも驚いている。
 その理由はなんと、
「み、見事に片付いている…………」
 そこには、倉庫とは思えない程の清々しい空間が広がっていた。
 並べられた棚は一寸のズレも無く綺麗に整列して倉庫内に佇み、小物は種類別、用途別に小分けされていて分かり易い。そして物の使用頻度が徹底的に考慮されたその配置と取り出し易さは、まさに芸術だった。ホカン部の倉庫は、部隊の評判に反しない物、所謂ガラクタと思われるものばかりが収納されている。だからこそ、この綺麗な整頓が余計無駄に思えてしまう。
 倉庫らしい薄暗いイメージを抱いていた私達は、照明の光を反射する床に足を踏み入れることが出来ずに、思わず「倉庫らしく埃くらいあればいいのに」と漏らしていた。
「なんでこんなに綺麗なの?」
「…………二週間前に……掃除した」
 ジージョちゃんが声を漏らした。
「お前すごいな」
 マルコちゃんも唖然としている。
 思わず靴を脱いでしまった私とマルコちゃんは、倉庫内を見渡してから言った。
「で? デバイスはどこ?」
「ジージョ、デバイスはどこにしまった?」
 同時にジージョちゃんを見ると、彼女は部屋の中で何度も視線を泳がせた。
 本当に彼女のお掃除好きは凄いと感じた瞬間だった。綺麗過ぎて探し物が見つからない。
「まあ、明日には思い出すかもしれないさ。明日にしよう」
「うん、急ぎじゃないしね」
 私達は倉庫を後にして、その日はいつも通りの夜を過ごした。
 しかし翌朝、私は再びやって来た倉庫で呆気に取られた。
 なんとジージョちゃんが綺麗に片付いていた倉庫内の物を片っ端から引っ張り出して、眩しかった床を覆いつくしていたのだから。
 声も出せずにいると、眠たげな目でやって来たマルコちゃんが倉庫の中を覗き込み、一瞬にして顔全体を開いた。寝起きでそれをやられると、むくみもあって別人みたいな顔になる。
 何故だか泣き出しそうな顔をしながらジージョちゃんは、小さな声で「…………見つからない」と呟いた。
 話を聞けば、昨晩私達と別れた後、シャワーを済ませてから再び倉庫にやって来たらしい。たぶん私を想って夜のうちに見つけておこうとしてくれたのだろう。だが、一向にデバイスが見つからず、結局一晩中ここで探し続けてくれたという。
「で、それでも見つからない、と」
 マルコちゃんの言葉に、彼女は小さく頷いた。その両目は、もう涙をそれ以上溜めておけそうにもない。
「どうする?」
 マルコちゃんがこちらを向いた。
 無いならそれでも構わない気はするが、やはり空戦魔導師として何時如何なるときでも備えはしておくべきとも思う。
「んー…………」
「お困りですか?」
 背後からの声。
 振り向くと、そこにはノーラちゃんが立っていた。
「おはようございます」
 華麗な挨拶に私達は返事をした。それから再び倉庫内を見渡す。
 マルコちゃんが頭を掻きながら言った。
「お困りだねぇ。というよりも、お手上げだ」
 不思議そうに首を傾げるノーラちゃんに、私は事情を説明した。
 すると、ノーラちゃんは何故か微笑を浮かべて何度か頷いた。
 一体どうしたのだろう。彼女の胸中を察することが出来ないでいると、
「それでは、私にお手伝いをさせていただけませんか?」
 と言うのだ。
 しかし、この状況で手伝えることと言ったら、散らかった物の片付けしかない。デバイスはどこをどう見ても無いのだから。
「よし、じゃあ手伝ってもらおう。ノーラはそっちの荷物を片付けて…………って、どうした?」
 マルコちゃんの指示を聞かずに、彼女はジージョちゃんに近づいた。
「掃除をしたのは何時頃でしょうか?」
「…………二週間前」
 ジージョちゃんが答えると、彼女はまた頷きながら、両手の平を前に差し出した。そして彼女の足元にはベルカ式の魔法陣が広がる。
 私は思い出した。
 それは昨日、本局内で迷子になった彼女が使っていた魔法だった。
「ノーラちゃん……それって…………」
「はい、記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)と言います」
 昨日と同じように、彼女の両手の上には半透明な猫の影が現れた。
 猫はジージョちゃんの足元に飛び降りると、警戒するジージョちゃんの足元をくるくると回りだして、その真っ赤な目を光らせながらノーラちゃんの方に向き直る。
「なんだい? その猫」
「私の稀少技能(レアスキル)です。この猫は、対象者の記憶を自らに宿します。デバイスを見失ったのは二週間前ですよね。では、二週間前のジージョさんの記憶を少し覗かせていただきます」
 そう言うと、ノーラちゃんは足元の猫を抱き上げた。猫はそんな彼女には興味無さそうに、周囲をキョロキョロと見回したり顔を撫でたりしている。
「ジージョさんは、掃除の最中にデバイスを一旦倉庫の表に出していますね。入り口の脇に立てかけておいて掃除を続けています。彼女が窓の拭き掃除をしている最中、背後からウィンディーヌさんの声が聞こえました。…………何かを借りていったようですが、ジージョさんはその何かを確認することなく返事をしています」
 凄い。どうやら彼女には、当時のジージョちゃんの視点が視えているようだ。
「…………掃除を終えて、倉庫内の整理をしていますね。でも、この時点でデバイスは既に見当たりません。おそらくウィンディーヌさんが借りていったのは、そのデバイスだったのではないですか?」
 ノーラちゃんの話が本当にジージョちゃんの記憶なら、状況から言って間違いなくウィンディーヌちゃんがデバイスを持ち去った犯人だ。
「便利な能力だな…………捜査任務に向いている」
 マルコちゃんが感心していると、ジージョちゃんが心配そうに尋ねた。
「記憶って…………全部見られちゃうの?」
 彼女は不安なのだろう。自分が忘れてしまっていた記憶ですら、この能力を使うノーラちゃんには筒抜けになってしまうのだ。能力が便利であることは確かに認めるが、記憶を全て知られてしまうのは怖い気もする。
 ノーラちゃんは申し訳無さそうに言った。
「やはり気味悪いですよね。ごめんなさい。私も必要最低限の記憶しか見ないように気をつけています。最初にデバイスを失くした時期を尋ねたのもそのためです」
「じゃあ…………」
「ええ、倉庫の掃除をしていた記憶以外は見ていません。あの…………信じていただけますでしょうか?」
 少し考えるようにしてから、ジージョちゃんが頷いた。
 人の記憶を見るということには、それなりの弊害があるのだと知った。ジージョちゃんの例を見てみると解るように、どんなに些細なことであってもその人が体験したことは確かに記憶として残り、対象者本人が忘れていようともノーラちゃんはまるで録画映像を見るかのように、その記憶の詳細を知ることが出来る。だがそれは、例えばその人が思い出したくない、もしくはずっと胸の内に秘めておきたい、誰にも知られたくない、忘れたままでいたい、そういった記憶すらも知ってしまうということ。
 そんな能力を持つ彼女は、今まで周囲からどんな風に思われてきたのだろう。
 嘘が通用しないから厄介であり、隠すことが出来ないから恐怖であり、掌握された気がするから憤る。そんな、今まで彼女を取り巻いていたであろう声が聞こえてきそうだった。
 ノーラちゃんは、もしかしたら周囲から疎まれたり避けられたりしてきたのではないだろうか。
 自分の能力を「気味悪い」と言ったノーラちゃん。本人も能力による弊害を理解しているのだろう。
 今回ジージョちゃんは彼女を信じると頷いてくれたが、だからと言って必ずしも毎回誰かが信用してくれるわけではない。むしろ信用してもらえない事の方が多いかもしれない。
 私は、もしかしたら不幸だったのではないかと思える彼女の境遇を、少し悲観した。
 そんな時、廊下の方から噂の人の鼻歌が聞こえてきた。
「これは…………はっ! すぐに容疑者を確保だ!」
 マルコちゃんの声に頷いた私とジージョちゃんは、廊下に飛び出して鼻歌の主を追った。
 すぐに追いつくと、突然目の前に立ち塞がった私とジージョちゃんを見て、ウィンディーヌちゃんが理解を示せないまま驚いていた。
 私とジージョちゃんは、ウィンディーヌちゃんの小さな両腕を摘むとそのまま倉庫の方に走った。
「ちょっとぉ! なんなのよ!?」
「マルコちゃん! 容疑者を確保しました!」
「よろしい! …………さて、ウィンディーヌ。二週間前にキミがここから持ち出したデバイスはどうした?」
「デバイス? そんなもん借りたかしら?」
 マルコちゃんの視線がノーラちゃんに向けられた。
「しらばっくれるか…………やれ」
「よ、よろしいのですか?」
「構わん」
 不安げなまま、ノーラちゃんは再び猫を出現させた。
 猫と目を合わせたまま動かないウィンディーヌちゃん。
 しばらくして、ノーラちゃんは「もう結構です」と言って私とジージョちゃんを見た。
 私達が手を放すと、案の定ウィンディーヌちゃんが怒り心頭に発した様子で喚き散らす。
 それを宥めながら、私達はノーラちゃんの話を聞いた。
「ウィンディーヌさんは、借りたデバイスを隊舎の中庭に持っていきました」
「中庭? なんで?」
「どうやら高齢の寮母さんは、最近中庭にある物干し竿に手が届かないそうです。それを見兼ねたウィンディーヌさんはそのデバイスを、竿上げ棒に利用するよう提案していますね」
 寮母さんが毎日綺麗にしてくれている洗濯物に、私達の探し物が一役買っていたというのか。ウィンディーヌちゃんの優しさに少しだけ胸が熱くなった。
 しかし、
「お前……デバイスを何だと思ってる!?」
「別に使い道無さそうだったし良いでしょ!」
 マルコちゃんとウィンディーヌちゃんの口論が始まってしまった。
 とりあえずデバイスの所在が判明すれば良い。口論を続ける二人を引き連れながら、寮母さんのもとに向かった。
 寮母さんの部屋の前まで来てすぐさま扉をノックすると、寮母さんが顔を出した。そして事情を説明してデバイスを返してもらおうとすると、驚くべき答えが返ってきた。
「え! ブラント君が持って行っちゃったんですか!?」
 どうやら、デバイスを貰ってから数日後、ブラント君が寮母さんに新しい竿上げ棒を渡し、それと引き換えにデバイスを渡してくれと言ったらしい。
 新たな容疑者が捜査線上に浮かび、私達はすぐさまブラント君に会う為に、彼の部屋へと急いだ。
「ブラント! いるのは分かっている! 無駄な抵抗は止めておとなしく出て来い!」
 無駄な抵抗などしていないブラント君に向けてマルコちゃんが呼びかけていると、ウィンディーヌちゃんが言った。
「言っとくけど、今ブラントはお昼寝中よ。そんな簡単には起きないわよ」
「お昼寝って、まだ昼前だぞ! 叩き起こせ!」
 マルコちゃんの声が響くものの、ブラント君の目覚めの悪さを知っている私達はその指示に従うつもりは無く、最初からノーラちゃんの力を頼りにしていた。
 鍵の掛かった部屋のドアを見て、「立て籠もる気か……」と零すマルコちゃん。
 だが、同室を利用するウィンディーヌちゃんが、扉を壊されてはたまるかと言って、合鍵を取りだした。
 中に入ると、ベッドで気持ちよさそうに眠るブラント君がいる。幼さの残るその寝顔は随分と可愛らしい。
 さっそく、ノーラちゃんの猫がブラント君の記憶を探る。
「出ました。どこかの建物に持っていってますね。ホカン部隊舎よりも大きなところです。…………この方は誰でしょう? 角刈り頭の背の高い殿方ですが…………」
「ほう……捜査線上に新たな容疑者が浮かんだな」
 ちょうどタイミング良く、ブラント君が目を覚ました。大きく口を開いて欠伸をしている。
「ブラント! 寮母さんから受け取ったデバイスをどうしてノイズ曹長に渡した!?」
 マルコちゃんが問うと、ブラント君は寝ぼけ眼のまま答えた。
「デバイスゥ? ああ、だってぇ……デバイスはああいう風に使うものじゃないもん」
 至極全うな回答。そう判断したところは偉い。
「寮母さんに返してもらって、三課に持ってった」
「だから何で三課に持っていくんだよ!?」
「えぇー? …………だって寮母さんがあんなの持ってるわけないし、きっと遺失物(おとしもの)だから」
「そういう意味の遺失物管理部じゃないだろ!?」
 マルコちゃんの怒声がブラント君に叩きつけられる。しかし、ブラント君は「おとしものは届けないと」という、いまいち的を射ていない答えを返す。まだ寝ぼけているのだろう。
 とにかく、ここまで行き先が判明したのなら追わないわけにも行かない。
 私達はすぐさま機動三課の隊舎へと向かった。



 そういうわけで、私達は何故か全員で機動三課の隊舎までやって来た。
 最初に探し物を始めた私とマルコちゃんとジージョちゃん、それに捜査担当のノーラちゃんはともかく、何故ブラント君とウィンディーヌちゃんが付いてきたのかと言うと、それはやはりジージョちゃんと同じく、ノーラちゃんの能力への疑念だった。
 ノーラちゃんの能力の説明と、記憶を覗くことに対するノーラちゃんなりの精一杯の配慮を話して聞かせ、二人も新しい仲間のことをとりあえず信じてくれた。
 三課隊舎の受付からノイズ曹長を呼んでもらうと、五分くらいしてからノイズ曹長が眉間に皺を寄せてやって来た。
「なんだ、ホカン部全員でぞろぞろと…………って、そちらの方は?」
 ノーラちゃんのことだろう。彼女を知らないノイズ曹長は、一瞬だけ見せた私達へのいつもの態度を隠すように、ノーラちゃんへ視線を向けた。
「昨日来たばかりのホカン部の新人です。ノーラ、こちらは“三課の角材”ことノイズだよ」
「“曹長”を付けろ! あと角材は要らん!」
「はじめまして、ノイズ曹長。ノーラ・ストレイジーと申します。以後、お見知りおきを」
 ノーラちゃんの挨拶を受け、少しだけ頬を赤らめながらノイズ曹長が挨拶を返した。彼女の清楚な物腰に鼻の下を伸ばすノイズ曹長は、少しだらしなく思う。
「ところで角材曹長」
「訂正しろ」
「以前、ブラントからデバイスを預からなかったですか? ブラントが鉄筋曹長に渡したと供述しているのですが」
「ああ、預かったな。それと建築材扱いはやめろ」
「やっぱり犯人は釘曹長、あなただったんですね? で、そのデバイスは?」
「んー…………あれ、どうしたっけ? あと細くて長くて天辺が平らだからって釘は酷いぞ」
「思い出してください。じゃないと“モデル・グラーフアイゼン”で打っちゃいそうです」
「いや、本当に思い出せない。それと打ったって刺さらないからな」
 マルコちゃんが模擬戦の時に見せた鉄槌を構える魔導師に変身して、その手に握った鉄槌を振りかぶった。
「ぬおりゃあぁぁっ!」
「待て待て待て待て!」
 ノイズ曹長の悲鳴を受けて、私はマルコちゃんを押さえつつノーラちゃんに合図を送る。すると、彼女は再びアインディープ・デスゲデヒトニスを使った。
 不思議そうに見入っているノイズ曹長を横目に、影の猫はその場に座って尻尾を振った。
「ノイズ曹長はデバイスを受け取った後、そのまま隊舎の外に出ていきました。この時に傘を二本持って行ってますね。ブラントさんの記憶でもそうでしたが、その日は雨が降っていました」
「二本? 外に何しに行ったんだ?」
「どうやら一本はブラントさんのものみたいです。忘れた傘を持って慌てて追いかけています」
 雨が降っているのに傘を忘れるブラント君もどうかと思う。
「戻ってきたノイズ曹長は、デバイスを自分の傘と一緒に隊舎入り口の傘立てに置きました」
 なるほど。おそらくそこに置いたまま放置してしまったから、デバイスの行方を憶えていないのだろう。
 マルコちゃんは、ノーラちゃんの報告を聞いてノイズ曹長が許せなくなったのか、再び鉄槌を構えた。
「ずありゃあぁぁぁっ!」
「だから待てって! 悪かったよ!」
 私とジージョちゃんがマルコちゃんを押さえると、ウィンディーヌちゃんが隊舎入り口の傘立てに視線を送りながら呟いた。
「じゃあ、今はどこにあるの?」
「分からない。だが、忘れ物とかは受付で一旦預かったりするからな。ちょっと訊いてこよう」
 ノイズ曹長が受付の方へ走る。まるでマルコちゃんから逃げるように。
 しばらくして戻ってきたノイズ曹長は、なんだかとてもバツが悪そうな顔をしていた。
「どうだったんですか?」
「…………サイオン部隊長が拾ったのを見たそうだ。まずいな……デバイスを放置するなんて、怒られるよな…………」
「…………次はサイオン部隊長か」
 マルコちゃんが三課の部隊長室に行こうとエレベーターの方を向くと、ノイズ曹長が慌てて彼女の正面に立った。
 何事かと思えば、「俺が放置したことは、内密に」と言って、顔の前で両手を合わせている。
 それを聞いたマルコちゃんは、怪しい笑みを浮かべながら「分かってますよ」と返事をした。
 怖い。弱みを握られることの恐ろしさを知った。
「あ、サイオン部隊長だ」
 ブラント君の声に振り向くと、隊舎の入り口から入ってくるサイオン部隊長の姿があった。相変わらずガッチリとした大きな身体で、その両脇には秘書らしき人を二人ほど引き連れて歩いていた。
 どこかに出掛けていたのかもしれない。隊舎の外から、車が走り去る音がする。
 マルコちゃんが軽快な足取りでサイオン部隊長に近づいていった。
「サイオン部隊長、お疲れ様でございます」
「ん? ああ、ホカン部の。どうしたのかな?」
「実は一つお伺いしたいことがあるのですが、先週デバイスを一本拾われましたよね?」
 サイオン部隊長は「ああ」と言いながら小さく頷いた。
 良かった。他の皆と違ってしっかりと憶えている様子だ。もっとも、デバイスを拾うなんて滅多にないことは、忘れることの方が難しいかもしれない。
 ふと、ノイズ曹長を見ると、両手を前に突き出しながら届かぬマルコちゃんを引き戻したい衝動と戦っていた。わなわなしている。
「あれは君のだったのか? 何故あんなところにデバイスが?」
 少し険しい表情を浮かべるサイオン部隊長は、やはりデバイスの放置という失態を咎めているようだ。
「いいえ、放置したのはボクではありません。実はそのデバイスはホカン部にあった物なんですが、今朝からそれを探していましてねー」
「そうなのか? だが、それなら何で私が拾ったということを知っている?」
「あそこにいるホカン部の新入りが実はレアスキルを持っていまして、その力でここまで辿り着いたというわけです」
「レアスキルを?」
 サイオン部隊長の目がノーラちゃんを捉えた。
 マルコちゃんがノーラちゃんに手招きをした。ノーラちゃんも、ホカン部と付き合いの多い三課の部隊長には一度挨拶をしようと思ったのだろう。小走りで駆け寄っていく。
「はじめまして。ノーラ・ストレイジーと申します」
「ストレイジー? …………ああ、まあ、はじめましてだな。レアスキルを持っているんだって? どんな力だ?」
 ノーラちゃんのファミリーネームに示した反応はなんだろう?
「はい、記憶を読むことが出来る能力です」
「…………記憶を」
 サイオン部隊長の顔が一層険しくなった。
 不安だった。ホカン部の倉庫でもジージョちゃん等が心配していたように、記憶を読むという力をサイオン部隊長は快く思っていないのかもしれない。
 それにしても、あんなに露骨に嫌な顔をされてはノーラちゃんが少し気の毒だ。フォローが必要かもしれない。助けてあげなくちゃ。
 私が一歩踏み出すと、それと同時にサイオン部隊長が再び口を開いた。
「今も読んでいるのか?」
「い、いいえ! 今は魔法は発動していません」
 すると、サイオン部隊長の険しかった表情が少しだけ緩んだ。何かほっとしたように、少しだけ肩も落ちた。
「あの…………」
「ああ、いや、すまんな。…………だが、そういう能力はあまり言い触らさない方がいい」
「ご、ごめんなさい!」
 ノーラちゃんが頭を下げた。だが、サイオン部隊長の厳しい視線はマルコちゃんに向いていた。
 マルコちゃんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「気を悪くしないでくれ。君のために言っているのだ。確か局内の査察官に、同じように記憶を読む者がいると聞いた。だからこそ、将来的にもその力は大切にしてほしい」
 ノーラちゃんが改めて敬礼をすると、マルコちゃんが言った。
「サイオン部隊長。あの、デバイスは…………?」
「ああ、そうだったな。…………あれは、この間地上本部に行く予定があったので、向こうの技術部に渡してしまった」
「そうですか! よしノーラ、次は地上本部だ。サイオン部隊長、ありがとうございます!」
 マルコちゃんがそう言ってノーラちゃんの手を引くと、サイオン部隊長が引き止めるように言った。
「ところで、デバイスを置き去りにしたのは結局誰なんだ?」
「ああ、ヒントは角刈りです!」
 マルコちゃんの際どい発言を聞き、ノイズ曹長は冷や汗を掻きながら全身を震わせた。はぐはぐしている。
 それにしても今度は地上本部か。正直言うと、あちこちに振り回されて疲れてしまった。



 地上本部に来れば、やっと探し物のデバイスに巡り合えると思っていた。
 しかし、その期待も見事に裏切られた。
 つい数日前のことだ。なんと、技術部になのはさんが顔を出したという。
 なのはさんは自分の用件を済ませた後、サイオン部隊長が持ってきたデバイスを見た途端に目の色を変えて、本局に持っていってもいいかと尋ねた。
 その時のなのはさんの顔は、欲しいオモチャを目の前にした子供みたいに嬉しそうだったそうだ。
 事情を聞き終えた私とマルコちゃんとジージョちゃん、それにノーラちゃんにブラント君にウィンディーヌちゃん、最後にノイズ曹長が、同時にため息を吐いた。
 また移動しなくてはいけないのかとうんざりする気持ちも分かるが、ノイズ曹長が一緒にいる理由はよく分からない。
 だが、その理由も聞いてみれば予想していた通りだった。ブラント君やウィンディーヌちゃんと同じで、何も知らずに記憶を読まれたままでは不安だそうだ。
 だったら三課の隊舎で不安要素を解消してしまえば良かったのにと思ったが、どうやらデバイス放置の犯人に勘付いたサイオン部隊長と、顔を合わせたくないだけのようだ。
 地上本部から本局へと移動しようと、私達は転送室へと向かった。
 その途中でノーラちゃんの方を見ると、なんだか少し元気が無かった。声を掛けてみたが、「何でもありません」と微笑まれるだけ。
 何でもないわけがないのだ。いくらデバイスを探すためとは言え、彼女は忌み嫌われる能力を立て続けに何人もの人に使ってきた。
 そしてその度に、記憶を読まれた人は皆、ノーラちゃんに向けて警戒心を込めた視線を送っている。
 少々鈍感な面のあるマルコちゃんは気が付いていないのかもしれない。ノーラちゃんは、人の記憶を覗き見る度に少しずつ傷付いている。それは、サイオン部隊長に能力のことで注意された時も明白だった。
 何か声を掛けてあげたくて、彼女の声を聞いてあげたくて、それでも私は何と切り出せばいいのか分からずにいた。
 転送室を経て本局に辿り着いた私達は、本局内にある『戦技教導隊本部』に向かった。道案内は本局内の地理に詳しいマルコちゃんだ。
 教導隊本部に辿り着くと、二十基以上のデスクが並ぶ部屋の入り口にいる女性事務官にマルコちゃんが近づいていった。
「高町教導官はいらっしゃいますか?」
「高町教導官ですね。ご用件は?」
「ホカン部の者です。お伺いしたいことがありますと伝えてください」
 事務官の女性が了解して席を立つ。
 するとそのすぐ後で、教導隊本部に新たな来訪者が現れた。
 誠実そうな凛々しい顔立ちのその人が着ている服は、黒を基調とした騎士を思わせるデザインのロングコート。局員の制服ではないからバリアジャケットだろうか。その服越しからでも、しっかりと鍛え込まれていそうな身体であるのが分かる。元々大きな肩幅だが、服の両肩に付いた大きな棘の装飾が肩幅を更に大きく見せていた。
 教導隊本部の前でなのはさんを待っていた私達は、その人数のせいで邪魔になっているようだった。その来訪者は、私達の間を縫って歩くのが困難そうで表情に難色を示した。
 私達が道を開けようとした瞬間、突然ノイズ曹長が声を出した。
「あれ? クロノか?」
「ん? あ、ノイズじゃないか。こんなところで何やってるんだ?」
 二人が互いの顔を指し合い、目を大きく開いていた。
 知り合いなのか。私達が遠慮がちに端に寄ると、来訪者は私達を一度だけ見てから再びノイズ曹長と顔を合わせた。
「三課の子達か?」
「いや、彼等はホカン部だ。ところでお前、何でここに」
「私が呼んだんですよ、ノイズ曹長」
 その声は、私達の待ち人であるなのはさんだった。
 教導服を着た姿で立っているなのはさんは、右手に杖状デバイスを一機持っていた。
 マルコちゃんがそのデバイスを見て「あ!」と声を上げた。
 なのはさんがデバイスを見て首を傾げると、マルコちゃんが近づいて言った。
「これこれ! ホカン部の倉庫にあったデバイス!」
「ええ!? ホカン部にあったの!?」
 なのはさんが声を上げる。
 すると、クロノさんがそのデバイスを見て驚いたように言った。
「それ! もしかして僕のS2U!?」
 なのはさんが嬉しそうに笑って言う。
「そうなの! 懐かしいでしょう? この間地上本部の技術部にデバイス用の部品を取りに行ったら、そこでたまたま見つけてね。ほら、柄のこの辺り。十年前に私とフェイトちゃんが戦っている最中にクロノ君が割り込んできた時の、デバイスを受け止めた傷が付いてるの。これを見てすぐに分かったよ」
「なのは……まさか僕を呼んだ理由はこれを見せるためか?」
 呆れたように言うクロノさんに、なのはさんが「懐かしいでしょう?」と笑いかけた。クロノさんは他にも何か言いたげだったが、それよりもデバイスを手にとって微笑んでいた。友人と久しぶりに会うかのような、少しだけ遠くを見るような笑顔だった。
 ここまでの事を整理すると、ホカン部の倉庫にあった私達の探し物は、なのはさんと付き合いの長い友人であるクロノさんの使用していたデバイスだったということか。
 S2U自体は、だいぶ前まで量産されていたストレージ機能に特化したデバイスだ。ただ、なのはさんの見つけたこの機体は、クロノさんのお母さんがクロノさん用にチューンナップをしたデバイスであるらしい。なのはさんもクロノさんもこのデバイスには思い入れがあるとのことだ。
「使わなくなってからいつの間にか失くしたと思っていたんだけど…………どっかで他所の備品に紛れたのかな?」
「思い入れがあるなら、もう失くさないように」
 なのはさんの軽いお説教を、クロノさんは笑顔で受けていた。
 そんな品なら、私の代用機にするわけにはいかないだろう。
「そう言えば、ホカン部はどうしたの? 私に用事って?」
「実はぁ…………」
 今更で、しかも目的のものが何やら大切そうなものなので言い出しづらかった。
 それでも私が事情を二人に説明すると、意外な答えが返ってきた。
「僕は貸しても構わない。古い機種ではあるけれど、使えるなら使ってやってくれ」
「えっ! いいんですか!?」
「ああ。自分のデバイスが戻ってきたら返してくれればいいよ」
 凄く悪い気はしたが、せっかくここまで探しに来たのだからと、私はそのご厚意に甘えることにした。
 なのはさんの友人が昔使っていたデバイス、か。
 また一つ、なのはさんとの繋がりが増えた気がして嬉しかった。
「ありがとうございます! 大事に使いますね!」
「ああ、よろしく頼む」
 私は、デバイス探しの一番の功労者であるノーラちゃんにもお礼を言った。
「どうもありがとう!」
「いえ…………どういたしまして」
 まだ元気が無い。
 せっかく彼女のおかげでここまで来れたのに、一番助けてくれた彼女がこんなに悲しそうにしている。
 理不尽じゃないだろうか? 私は頑張ってくれた彼女に、一緒に笑ってほしかった。
 珍しい力を持ってしまったが故の不運なのだろうか。
 本当に、不運の一言で片付けていいのだろうか。
 そう言えば、こう考えたことは以前にもあったな。それは、私がホカン部に配属される初日のヘリの中だ。
 私は、彼女を何とか元気付けられないかと考えた。
 ホカン部に来たばかりの私が救われたように、彼女を救ってあげたかったのだ。

 To be continued.



[24714] 第十一話 夜景
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/16 11:37
「なるほど、そういうことがあったのか」
 ミリー部隊長は椅子の背もたれに体重を預けながら、目線を横にずらして口元に手を当てて唸った。
 しばらくの沈黙。
 私はミリー部隊長の真剣な表情を見ながら、次の言葉を静かに待ち続けていた。
 私達がデバイスの代用機を探し回った日から更に丸二日が過ぎ去り、その間、ノーラちゃんは何処と無く元気が無い様子を見せていた。私達との会話や業務に対する姿勢はいつも通り可憐で、真面目で、明るく振舞っている。しかし、そんな彼女が時折、僅かだが陰を見せる。
 ノーラちゃんが元気を失くしている理由は一つしか考えられない。それは、彼女が持つ稀少技能(レアスキル)が原因だ。
 記憶の泥棒(アインディープ・デスゲデヒトニス)。対象者の記憶を、魔力によって生み出した猫に宿らせることが出来る能力。ノーラちゃんは、この猫を介して他者の記憶を見ることが出来たり、記憶を猫に辿らせることで道案内をさせたりすることが出来る。
 しかし、三日前のデバイス探しの際に、彼女はその能力について機動三課のサイオン部隊長から厳しい態度を取られたのだ。
 あの時のサイオン部隊長の言い分は最もだと思うし、決してノーラちゃんの能力を否定するような発言でもなかった。だが、彼が一瞬だけ露骨に示した表情は、明らかに彼女の能力を、そしてそれを使う彼女自身を疎ましく思うようなものだった。敵意と言っても過言ではない。
 記憶を読む。それはプライバシーというものを消し去る。知られたくない事というのは誰にでも一つくらいはあって、ノーラちゃんの能力は、そういったものの秘匿性をゼロにしてしまう。
 ホカン部の皆は、ノーラちゃんの能力に対してとりあえず理解は示してくれた。そしてノーラちゃん自身も、他者の記憶を読むということが信頼関係に溝を作ってしまう可能性を孕んでいると自覚しているので、必要とする最低限の記憶しか読まないように配慮している。
 それでも、本当に彼女は最低限の記憶しか読んでいないのか、実は記憶を全部読まれているのではないか、という猜疑心は必ず湧き起こる。
 そして、その心理は当然のことだと思う。
 私、ジージョちゃん、ウィンディーヌちゃん、ブラント君、ノイズ曹長。この五人はノーラちゃんの能力によって記憶を読まれた。皆、記憶を覗かれた際に僅かながら不安や疑念を抱いた。もちろんこの私も、記憶を読まれた後で彼女の能力を知ったとき、一瞬だけ不安に駆られたのは紛れも無い事実だ。
 彼女の能力と、それを使う彼女の配慮を知り、私達は彼女への疑念を払拭した。現にホカン部メンバーやノイズ曹長は、早くもノーラちゃんをホカン部の一員として捉えており、彼女との接し方にぎこちなさや不自然な態度を示すことは無い。
 しかし、そんなにあっさりとノーラちゃんに気を許せたのは、はっきり言って凄いことだと思う。ホカン部やノイズ曹長がノーラちゃんへの疑念をあっさりと消してみせたのは、楽観主義者だからだろうか。それとも上辺(うわべ)だけ取り繕って、本当はまだ信用していないのだろうか。正直言ってどちらなのかは分からない。
 私は、ノーラちゃんの姿にどうしても陰を見てしまう。それは、考え過ぎだとか気のせいだと言われれば、本当にそうかもしれないと思う程のごく僅かなもの。
 それでも、一度気になってしまうとどうしても頭から離れなくて、もし彼女が大きな悩みに押し潰されそうになっているのなら、私はそんな彼女を助けてあげたい。一緒に支えてあげたい。助けを求めているのなら応えてあげたい。そう思うのだ。
 こんなにも彼女を助けたいと思うのは何故だろう?
 私は理由を探った。
 私がホカン部にやって来たばかりの時、私は仲間のことを信じられずに一人で泣いた。でもなのはさんに教えられ、一度は軽蔑した皆と正面から向き合い、皆を信じたことで今の私がいる。
 その時のように、私はノーラちゃんを信じるべきなんだと思う。あっさりと気を許してしまうことは決して悪いことではない。楽観主義でもなく、上辺だけでもなく、まずは一度彼女を信じてみるべきなのだ。
 そうして真正面から彼女と向き合えば、もしかしたら私は、彼女と悩みを分かち合うことが出来るかもしれない。分かち合う仲間が出来れば、ノーラちゃんも元気になるかも知れない。
 私がかつてホカン部から貰った“分かち合える仲間”を、今度は私があげる番なのかもしれない。
 そう思ったから、私は彼女を助けたいと思うのだ。
「では、こうしようか…………」
 ミリー部隊長がようやく口を開いた。
 私はノーラちゃんを助けたいと思ったが、情けないことにどうしたら良いのかが分からないでいた。
 そこで私は、ミリー部隊長と二人きりになったことを機に、全てを打ち明けて相談に乗ってもらっている。
 ミリー部隊長は、普段こそやる気があるのか無いのかよく分からない人ではあるが、ホカン部に対して、いや、ホカン部の仲間達に対しては助力を惜しまない人だ。それは間違いない。
 それに、実はミリー部隊長もノーラちゃんが見せる僅かな陰に気が付いていた人だった。
「ノーラの能力だが、私の許可無しでの使用を禁止することにしよう」
「禁止……ですか?」
「ああ。実はな、ノーラのレアスキルについては、あの子がウチに配属されると分かった時から、何かしらの規制をするべきじゃないかと考えていたんだ」
「何でですか?」
 ミリー部隊長がデスク上に両肘を乗せてから答えた。
「私がノーラの能力を知ったのは、あの子のホカン部配属に伴い送られてきた事前確認用の資料に目を通した時なんだ。捜査や査察等の仕事は管轄外であるホカン部では、ノーラのレアスキルは使い道が無い。だからノーラの力は無闇に使わせるべきではないと思ったんだ」
 全うな意見だった。と言うよりも、当然な意見だろう。
 現にノーラちゃんは、能力の使用によって辛い状況にいる。それに、今回はたまたま自分自身が悩みを抱えるだけに留まっているが、これで周囲との軋轢を生じさせていたのなら、もっと厄介なことになっていただろう。
 ミリー部隊長は続けた。
「サイオン部隊長の言葉は正論だ。ああいった能力はあまり公にするものではない」
「でも、ノーラちゃんは私のデバイス探しを手伝ってくれるつもりで能力を使ったんです。単なる人助けなんです。それすらも控えるべきでしたか?」
 私だってサイオン部隊長の言葉が間違っているとは思っていない。
 しかし、過ぎ去ってしまった事はどうしようもなくて、それなのにノーラちゃんがいつまでも責められている気がしたから、思わず反論をしてしまった。
 ミリー部隊長は答えた。
「ああ、控えるべきだったな。アインディープ・デスゲデヒトニスの使用によって起こり得る弊害は、ノーラ自身も自覚しているんだろう? だったらよく考えて、自重するべきだった」
「ただの人助けなのに…………」
「そうだな、ただの人助けだ。それなのに初っ端から最終手段を持ち出すのか? 辛い思いをするかもしれないと解っているんだろう? デバイスが見つからなかったのなら技術部等に問い合わせても良かったはずだ。そうせずに最初から能力を使ったノーラの気持ちはよく分からん。あの子なりに能力を使って人助けをすることは、何かしらの意味があるのかもしれない。もしくは他の手段が考え付かなかった間抜けか…………どちらにせよ、目的に合わせて労力を最低限に抑えるという無駄の排除は、仕事に限らずいろいろな面において大切なことだと思わないか?」
「…………思います」
「能力による弊害を理解していながら能力に頼り過ぎた。単なるデバイス探しにアインディープ・デスゲデヒトニスを使用するのは不等価だ。結果とリスクが釣り合っていないんだよ」
「じゃあ…………」
 少しだけ、私は拳を握り締めた。
 悔しい。
 ノーラちゃんは決して悪くはない。それなのに。
「何でノーラちゃんはホカン部に来たんですか? あんなに凄い能力を持っているなら、他にもっとふさわしい部署があるはずじゃないですか。どうしてホカン部なんですか?」
「…………なあ、ソフィー。ムキになるな」
 ミリー部隊長が立ち上がって私の頭に手を乗せた。
 どうしてだろう。温かくて、不思議と落ち着いてしまう。
「確かにノーラにはここよりもふさわしい部署があるのかも知れない。だが、若いうちはいろいろ経験しておくものだ。それに、ノーラがここにやって来たことにもちゃんと意味はある」
「意味って……なんですか?」
 ミリー部隊長の困ったような優しい笑顔。これも初めて見る顔だった。
「お前と一緒だよ。お前達は大切な存在なんだ。ホカン部はお前達を必要としていることを、お前達自身も信じてくれないか? でないと、ここは本当に役立たずの部署になってしまう」
 曖昧な答えではぐらかされた気がするが、ミリー部隊長の優しい笑顔を見ていると、なんだが言うとおりにしようと思えてしまう。
 本当に不思議な人だ。
 優しくて、怒ると怖くて、それでいて私達を大切にしてくれる人。
「ノーラが責められているように感じてしまうかもしれないが、あの子が迂闊だったのは確かだよ」
 最後にそう言われて思った。
 ノーラちゃんは迂闊過ぎたのだろうか。どうして能力を使ったのだろうか。
 私は、そこに何かしらの理由があると信じた。何故なら、能力に頼らない解決方法を思いつかないほどノーラちゃんが間の抜けた子だとは思えなかったからだ。
 きっと能力に頼る理由がある。
 私が彼女を信じて向き合うべきポイントは、そこだと思った。
「ノーラちゃんは今どこにいますか?」
 すぐにでも行動を起こしたくて、私はミリー部隊長に詰め寄った。
「今日は三課のサイオン部隊長のところまで行かせたよ。マルコとジージョの二人と一緒に、データディスクを受け取りに行ってもらっているんだ」
 またデータディスクか。私は、以前に自分が行ったおつかいのことを思い出した。ミリー部隊長曰く、新入りの他部署への顔見せという理由も含めておつかいに行かせていると言う。
 しかし、デバイス探しの件もあったし、それでサイオン部隊長と再会となると、ますます心配になってくる。
「じゃあソフィー、ちゃんとノーラに伝えとけよ。私に許可を取っていない場合は能力の使用を禁止するって」
「え!? 私が言うんですか!?」
 驚いていると、背を向けながら手を振るミリー部隊長が言った。
「よろしく頼むぞー」
「でも、ノーラちゃんが元気無いのはどうするんですか!?」
 既にブリーフィングルームの出入り口から片足を出していたミリー部隊長は、顔だけ振り向かせながら言った。
「大丈夫だ、あの子は良い子だよ」
 そう言って再びミリー部隊長は部屋を出て行った。
 唖然とした私は時計を見た。
 どんなタイミングでノーラちゃんに切り出したらいいのだろう。私は頭の中に無数の状況を思い浮かべてシミュレーションをした。
 とっくに昼過ぎを迎えている時計の指針が憎らしい。
 針が進むたびに、私の精神的余裕は削られていく。



 結局、ノーラちゃんが三課から帰って来ても話を切り出すことが出来ず、終業時刻を迎えてしまった。
 それどころか、自室にいる彼女を訪ねれば良かったのに、やたらと緊張してしまってそれすらも出来ずにタイミングを逃してしまった。夕食時も明るく振舞って皆とお喋りをしているノーラちゃんを、じっと見つめるだけの私。
 案外私には意気地が無いのだなと思いながら、夕食を終えた私は自室でシャワーを浴びた後、隊舎の屋上に上がった。
 ため息を零しながら柵に寄り掛かる。
 私、何がしたかったんだっけ?
 ノーラちゃんが少し落ち込んでいるように見えたから、彼女を励ましてあげたかった。悩みを抱えているのなら、一緒に悩んで、助けてあげたかった。
 それだけなのに、その話の切り出し方がなかなか見つからない。
 顔を見て「どうして元気が無いの?」と訊けばいいのかな。でも、彼女がもし元気が無いことを否定したらどうする。私がそう見えただけのことを、彼女の本心であるとして話を進めるのはただの傲慢だ。
 仮に私の勘違いだったとして、そんな話をしたら彼女はどう思うのだろう。思い込みの激しい私を笑って許してくれるかな。きっと、にっこりと微笑んで「お気遣い、ありがとうございます」なんて言うのだろう。
 それならば尚のことさっさと訊けばいいのだが、もし本当に悩んでいて、それでも彼女が明かしてくれない時に「お気遣い、ありがとうございます」なんて流されたら、それ以降はもっと訊き辛くなる。
 私はどうしてもノーラちゃんを助けてあげたいと思った。私の気持ちをホカン部が分かち合ってくれたように、彼女の悩みを私も分かち合いたい。
 そう思うのだが、私は失敗が怖くて話を切り出せないでいる。
 ちゃんと、彼女と想いを分かち合える仲間になれるだろうか。
 もう一度ため息を吐くと、夜風が少しだけ吹いて、私の吐いた息を連れ去った。
 突然、屋上の出入り口の扉が開く音がした。
 振り返ると、そこにはパジャマ姿のノーラちゃんがいた。
「ノーラちゃん!」
「ご一緒してもよろしいですか?」
 私の気持ちと一緒に吐き出されたさっきのため息は、もしかしたら夜風に攫われて彼女の所に届けられたのかもしれない。
「どうして屋上なんかに?」
「先程たまたまミリー部隊長とお会いしました。そしたら、ソフィーさんを捜してみろと言うので、あちこち捜し歩いてここに来ました」
 ミリー部隊長の差し金か。おそらく、いつまでも話を出来ないでいる私を見兼ねて仕向けてくれたのだろう。
 隣に来たノーラちゃんは、柵に手を掛けて景色を眺めた。
「あまり光が見えませんね」
「うん。綺麗な夜景じゃなくて残念だよね」
 遠くに見える地上本部とその周辺地区が煌びやかな光を放っている。それとは対極的に、ひっそりと佇むホカン部隊舎の周囲には暗闇が広がっていて、屋上から地上を見下ろせば、お情け程度に街灯がポツポツとある。隊舎から離れたところには雑居ビルや民間住宅の窓から漏れ出る灯りも見えるが、小さなその光には、やはり華やかさが感じられない。
「ノーラちゃん、さ…………」
「はい」
 しばらく眺めた景色から視線を外さないまま、私は言った。
「…………その、ホカン部はどう? やっていけそう?」
 なんだか、言いたいことが素直に出てこない。
「はい。皆さん良い人ですし、仕事もあまり難しくないので働き易いですよ」
 仕事が簡単というのは、何だか素直に喜べないな。
「そっか…………」
 意を決した。ミリー部隊長がせっかくくれたチャンスだ。
「最近、ノーラちゃん元気無いように思うんだけど…………気のせいかな? なんか困ったことがあったら相談に乗るからさ、遠慮無く言ってね」
 少しだけ間を置くノーラちゃん。
 何故か私はノーラちゃんの顔を見れないでいた。
 そして、聞こえてくる彼女の声。
「…………はい、ありがとうございます。…………あの」
「なぁに?」
 少しだけ鼓動が早まった。
「私、ホカン部にいてもいいんでしょうか?」
 その言葉を聞いて、ようやく私はノーラちゃんの顔を見ることが出来た。
 彼女はまだ視線を夜景に向けたままだが、その目はさっきとはだいぶ違っていた。
 この目だ。この顔だ。私がノーラちゃんのことを気に掛けてしまっていた理由だ。彼女の陰を見た時、彼女はいつもこんな目をしていた。
 微動だにしない眼球が映すものは愁い。彼女は何かを思って、悲しみを携えている。
 助けたい。そんな衝動が強まった。
「ホカン部は居心地が悪い?」
「いいえ、そんなことありません!」
 慌ててノーラちゃんは否定した。
「そんなことはありませんが…………私がいては、皆さんの方こそ居心地が悪くなったりしませんか?」
 すごく不思議な悩み事に聞こえた。
「え? 何でノーラちゃんがいると私達が居心地悪くなるの?」
「私の能力、アインディープ・デスゲデヒトニスは人の記憶を覗いてしまう能力です。この能力を使うと、その人の人生を全て知ってしまうのと同じことになります」
「でも、ノーラちゃんは必要最低限の記憶しか見ないようにしているんでしょう?」
「はい。そのように配慮はしています。…………ですが、記憶を見られた人達はそう捉えてくれません。当然です、私の配慮なんて証明のしようがありませんから」
 やっぱり、そう思っていたんだ。
 そんな悩みを抱えた彼女を助けることが、本当に出来るのだろうか。
 ノーラちゃんの悩みを聞くまではあんなにも助けてあげたいと思っていたのに、いざ話を聞いてみたら、だんだん助けてあげられるのか不安になってきた。
「既に私はこのホカン部で、ソフィーさん、ジージョさん、ウィンディーヌさん、ブラントさんに対して能力を使いました。皆さんは、私がどこまで皆さんの記憶を読んだのか不安ではありませんか? 出会ったばかりの私が皆さんの過去を全て知っているかもと考えて、怖くはないですか? そんな私が一つ屋根の下にいて、皆さんは嫌ではありませんか?」
「…………ノーラちゃんは、自分の能力が嫌いなの?」
 そう訊くと、ノーラちゃんは少しの間だけ俯いてから言った。
「…………私は、この能力のせいで他人と信頼関係が築けないことを理解しています。そしてそれは、私が望むことではありません」
「じゃあ、どうしてデバイスを探している時に能力を使ってくれたの? それに本局で迷子になっていた時も私の記憶を読んだよね。どうして?」
 しばらくの沈黙の後で、彼女は俯いていた顔を今度は空に向けてから言った。
「…………確かめたかったんです」
「え?」
「“要らん部”や“役立たん部”と言われる部署に配属されると知った時、何故そのような部署に配属となったのか、何故私が不必要と判断されたのか、私は納得出来ませんでした。…………本音を言えば、私の能力は人に忌み嫌われるものではありますが、利用価値が無いとは思っていません。それなのに何故“役立たず”なのか、それを知りたかった」
 ノーラちゃんも、自分の身に降りかかった出来事を理不尽だと思ったのだ。
 同じだ。私と似ているんだ。
「私は考えました。局内で“役立たず”のレッテルを貼られているホカン部において、私の能力はどのように受け止められるのだろうか、と。こんなことを言っては失礼かもしれませんが、もしホカン部の皆さんが私の能力を知っても尚、私のことを受け入れたのなら、それはきっと私を同類と看做したからであると、私を“役立たん部”へ置くに値する者として、親近感を抱いたからなのだという風に捉えることにしました」
 ノーラちゃんって、見かけによらず思い切った考えをする子なのだと知った。
 “役立たず”と評される私達が彼女を仲間として受け入れることはすなわち、彼女を私達と同類、“役立たず”であると断定することになると言う。
 それは少し間違った解釈だと思う。
 しかし、そんな考えに行き着いてしまったノーラちゃんの気持ちは、決して理解出来ないものではない。
 彼女も必死だったんだ。救いを求めていたんだ。
 きっと心の中では、苦悩の重圧に押し潰されそうだったのかもしれない。
 私にも身に覚えがある。私だってホカン部に配属された自分を恨んだりしたのだから。
 誰にも必要とされなくなった時の切なさや孤独感は、世界から自分が削り取られてしまうみたいで怖いものだ。
 本当の両親を知らない私やマルコちゃんは、そのことを良く知っているはずだ。
 そして自分の存在価値を確かめる為に、私達は苦心したはずだ。
 幼かった私は、拾ってくれた両親が私を想ってくれている証が欲しくて、ワガママをたくさん言った。
 幼かったマルコちゃんは、才能ではなく自分自身の価値が欲しくて、その才能を世に出さなかった。
 そしてノーラちゃんは、自分が不必要では無いという理由が欲しくて、自分なりの判定方法を見出した。
 私達は、本当に似ていたんだ。
「…………結果は?」
 尋ねるのは意地悪だろうか。
 ホカン部の皆は、記憶を読まれた直後こそ彼女に疑念を抱いたりもしたが、今ではすっかり馴染んでしまっている。
 もちろん、本心ではノーラちゃんを信用していない人もいるという可能性は捨てきれない。
 だが私が見る限りでは、ノーラちゃんに接する皆の態度には、そういった本心を隠している様子は感じ取れない。ホカン部は、彼女のことを仲間として受け入れている。
 “役立たず”と評されるココこそが最終到達地点であるという認識があるのか、ココにやって来る人々を行き場の無い人として捉えているのか、とにかくホカン部は誰であろうと受け入れてしまうのかもしれない。
「結果は…………皆さん、とても優しいんですよね。本当に……居心地が良いくらい」
 皮肉なものだと思った。ノーラちゃんがホカン部を居心地良く感じれば感じる程、自分自身を“役立たず”とする判断は確固たるものとなる。
 だから彼女は愁い顔を浮かべていたのだ。
「私…………父には能力の使用を厳しく禁じられてきました。昔からあまり私に関心を持たない父ではありましたが、私にレアスキルがあると知ってからは、より一層近づいてくれなくなりました」
「それって酷い。お父さんなんでしょ?」
「仕方ないんです。私は養子ですから。育ててもらっただけでも感謝していますし。…………でも、そんなことを言いながらも、やっぱり私は求めていたのでしょうね…………皆さんがくれるような優しさや温かさを。だからこんなに居心地が良いんだなって」
 驚いた。これは偶然なのだろうか。本当に、偶然の一言で片付けていいのだろうか。
「どうしましたか?」
 ノーラちゃんが私の顔を覗き込んでいた。
「あ、いや! …………えっとね、私達ってすごい似てるなぁって」
「と、言いますと?」
「実はね、私も本当の両親を知らないの。育ててくれた両親は血が繋がってないんだ。それにね、マルコちゃんもブラント君も両親がいないの。ジージョちゃんはどうなのか知らないけど…………なんか、こんなことって偶然にしてはちょっと…………」
 ノーラちゃんも驚いたように目を開いたが、それから寂しそうに言った。
「ホカン部って…………もしかしてそういう意味で“要らん部”なのでしょうか?」
「え?」
「世界から、要らないって捨てられてしまった人達の集まりなのでしょうか?」
 その言葉に、私は思わず声を大きくしてしまった。
「そんなことない! そんなことないよっ!」
 声が大きくなったのは、私自身も心のどこかでそう思っていたからだろう。
 そして強引にその考えを否定するために、その考えをかき消すように、私は声を荒げたのだろう。
「…………ごめんなさい」
「あ、ううん。私もごめん。…………でも、そんなこと言わないで」
 ノーラちゃんは無言で頷いた。
 また沈黙。こういう時間は少し辛い。
 でも、必要な時間でもあった。いきなり全部は片付けられない話だ。
「ノーラちゃん」
「はい」
「ミリー部隊長が言ってくれたんだけどね」
 もう充分彼女の気持ちを聞くことが出来た。
 これから私達はどうするべきか、何となく解ったような気もする。
「私達がホカン部に集まったのには、ちゃんと意味があるんだって」
 ノーラちゃんは自分の存在価値が分からないでいる。
 だけど、ホカン部は彼女のことを受け入れて、彼女もホカン部を居心地が良い場所だと思ってくれている。
「私達はね、ホカン部にとって大切な存在なんだって」
「大切? どのようにですか?」
「分からない…………でも、私達がホカン部に必要とされていることだけは間違いなくて、それを信じないと、ホカン部は本当に“役立たず”になっちゃうんだって」
 私達は、お互いを大切な存在だと認め合い、信じあえる。
 存在価値なんて、きっと自分一人では見つけられないんだ。誰かがいてこそ、初めて生まれるものなんだ。
 機械の部品は決まった形と決まった数があって、決まった順番で組み立てなければいけない。不必要なものは決して混じることが出来ない。
 でも、私達は部品じゃない。例え不必要と言われても、集まればお互いが大切な存在になれる。そして意味のある存在になれる。
 かっこ悪いだろうか。みっともないだろうか。情けないだろうか。
 私はそうは思わない。
 集まってお互いに大切な存在となったのなら、意味のある存在になったのなら、その変化は私達の未来も変えられる。
 世界に不必要と判断されても、再び自分達を世界に組み込むことが出来る。
 だとするならば、ホカン部は、そしてホカン部に属する私達は、決して不必要なんかじゃない。
 ノーラちゃんが小さく声を出して笑い出した。
「じゃあ、私も自分が必要とされていることを信じないと、本当の“役立たず”になってしまいますね」
「そういうことだね」
 私も笑顔を返した。
 ふと、疑問に思ったことがあった。
「ところでノーラちゃん、ホカン部が“要らん部”とか“役立たん部”って言われてること知ってたの? 局入りして初めての配属先がココなんでしょ?」
「はい、知っていました。実は、私の父は管理局員なんですよ。ルミオン・ストレイジーと言って、次元航行部隊にいます」
 そう言ったノーラちゃんの表情には、もう愁いは見えなかった。
「へぇー」
「ソフィーさんも会ったことがあると思いますよ」
「え?」
 意外な答えだ。
「父がその時のことを話していましたから」
 誰だろう。次元航行部隊には知り合いはいない。唯一いるとすれば、デバイスを貸してくれたクロノさんぐらいだ。
 自分の記憶を辿りながらノーラちゃんの方を見ると、彼女はまた柵に寄り掛かって夜景を見ていた。相変わらずの寂しい景色。
 突然、ノーラちゃんが言った。
「ポツポツとあるあの街灯も、雑居ビルや民間住宅の窓から漏れ出る灯りも、とても小さくて華やかではないですが、誰かが必要としている灯りなんですよね」
「…………うん、そうだね」
 私達は、思い違いをしていたのだろうか。
 この世には、不必要なものなんて無いのかもしれない。
 どんなに小さくても、どんなに儚くても、必ず誰かが必要としてくれているのかもしれない。
 そう考えただけで、寂しいと思っていた屋上からの夜景は、なんだかとても綺麗に見えた。

 To be continued.



[24714] 第十二話 不安
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/18 00:45
 自動開閉式の暗幕が掛けられた窓。固く閉ざされた出入り口。そして天井にある照明は一つとして光を放っていない。
 真っ暗な部屋の中で唯一光を放っているのは、最奥の壁にある大きなスクリーン。映写機からの光を受けているそれは、暗闇に容易く飲まれてしまうくらいのぼんやりとした反射光によって、室内を僅かに照らしていた。
 スクリーンのすぐ横にはノイズ曹長が立ち、左手には複数枚束ねたプリント用紙を、そして右手にはリモコンを握っていた。
 彼がリモコンの先端を映写機に向けると、真っ白だったスクリーンに一枚の画像が映し出された。
「…………こちらをご覧ください。これは先月、我々三課によって輸送中であったプリズンが誤作動してしまった際のものです。映し出されている竜の様なこの生物に関しては、無限書庫のユーノ司書長に調べていただきました。ユーノ司書長の話によれば…………」
 ノイズ曹長が手元の資料を捲る。
 ここは機動三課隊舎内にある会議室。ホカン部隊舎には無い広さの部屋にいるのは、私達ホカン部全員と、機動三課の管理係を取り仕切るノイズ曹長と、管理係に属する局員の内二十名。そして機動三課のトップ、サイオン部隊長だ。
「…………この大型生物は、古代ベルカ時代において『オルギプス』と呼ばれていたようです。従って、我々も今後この大型生物をオルギプスと呼称することにします」
 久しぶりに見た。
 私は見覚えのあるその大型生物、オルギプスの画像をまじまじと眺めていた。
 忘れるはずがない。何故なら初めてホカン部にやって来た日に、地上本部の上空でこのオルギプスと対峙したのだから。
 三課が輸送中だったプリズンが、同行任務中であったマルコちゃんとジージョちゃんの悪戯のせいで起動してしまい、内部に保存されていたオルギプスが解き放たれてしまったのだ。しかもその場所が、あろうことか管理局地上本部上空。地上本部どころか、周辺区画への被害も危惧される事件となった。
 しかし、その事に対して私はずっと解せないことがあった。
 それは地上本部の対応の遅さ。自分達の頭上で古代の大型生物が飛び回っているというのに、私となのはさんが現地に到着してみると、そのオルギプスの対処に当たっていたのはマルコちゃんとジージョちゃんだけ。
 何故他の局員は誰もいなかったのだろう。直接の責任が無いとは言え、三課の局員達ですらその場を離れていたのには驚いたものだ。
 後日、一度だけノイズ曹長にその疑問をぶつけたことがあった。すると、「退避命令が出された」と言うのだ。確かに輸送ヘリがオルギプスによって撃墜されれば、機体の墜落等による二次被害も考えられた。しかし、一度撤退するのは良いとして、その後に応援すらも寄こさなかったことが納得出来ない。それに関しては、ノイズ曹長も「応援に行こうとはしたが、そのまま待機するように命令が出された」と言っていた。
 ますます訳が解らなかったあの事件。幸いにも被害は一切出なかったことに加え、世間には管理局員の迅速な対応があったことが報道されたので、大きく騒がれることはなかった。
 迅速な対応をしたことに間違いはないが、それをしたのは私達やなのはさんという僅かな人員のみであって、あの時の管理局の対応には憤りを感じずにはいられなかった。
 それとも、私がまだ知らない事情があったのだろうか。
「ソフィーさん、どうかしましたか?」
 隣に座っているノーラちゃんが声を小さくして訊いてきた。どうやら私はよっぽど難しい顔をしていたみたいだ。
「ううん、何でもない」
 そう返してからノイズ曹長の方へ視線を向けると、彼は再びリモコンを映写機に向けた。
「次の画像は、オルギプスの生態を説明する資料となります」
 そう言うノイズ曹長。
 だが、私の目に映った画像、いや、この場にいる全員の目に映っているそれは、どう頑張ってもオルギプスの生態資料には見えなかった。
 唖然とする室内。
 その様子に気が付いたノイズ曹長は、「どうしました?」と言いながらスクリーンの方を振り向いた。
 スクリーンに映し出されていたのは、なのはさんとノイズ曹長が並んで写っている写真だった。写真の中のノイズ曹長は、だらしない表情で頬を赤らめていた。
 静まり返る室内。
 ノイズ曹長が、平常心を装った表情のまま素早くリモコンを操作した。
 次に映し出されたのは、どこかのパーティー会場だった。ドレスを着たなのはさんとフェイト執務官のツーショットだ。
 冷たい空気が流れる室内。
 またもやリモコンが操作された。
 今度は戦技教導中と思われるなのはさんの写真。そして写真の中のなのはさんの隣には、別の写真から切り抜いたのであろうノイズ曹長自身の写真が貼り付けられていた。
 重くなる室内。
「ノイズ曹長申し訳ありませぇん! 資料用画像を整理していたら、誤ってノイズ曹長のプライベートアルバムの画像が混ざっちゃったみたいなんですぅ!」
 そう言って深々と頭を下げて謝っているのは、ノイズ曹長の助手を務めている女性局員。何度も頭を下げる度に、彼女のポニーテールが振り回されて頭の前後を往復する。
 彼女のことを私は知っている。と言うより、少なくとも遺失物管理部の一課から五課までとホカン部に属する人間ならば、彼女を知らない者はいない。
「アイサ君……まずいんじゃないのかな…………」
 小刻みに震えるノイズ曹長。そしてサイオン部隊長の視線も冷たい。
 彼女は、機動三課の超絶ドジっ子こと、アイサちゃん。
 本人には全く悪気は無いのに、常に何かしらの迷惑を撒き散らしてしまう彼女。実際に私達もその被害を被ったことがあるが、その危険度と言ったら計り知れない。彼女が歩くだけで、次元世界の崩壊すらも起こり得ると評されるほどだ。現に、彼女は搬送中のロストロギアを転んでぶちまけたこともあるくらい危なっかしい。
 曰く、転ぶ超規格外危険人物(ロストロギア)。
 曰く、間抜けのエース。
 曰く、三課の凶器(リーサルウェポン)。
「聞いた? ノイズ曹長のプライベートアルバムの写真だって」
「えーなんか可哀想」
「最後の写真とか、見てると涙が出てくるよな」
 皆、声を小さくして話しているつもりなのだろうが、これだけ静まり返った室内ではもはやヒソヒソ話にはならない。
 ノイズ曹長が静かにリモコンを操作すると、ようやくオルギプスの生態資料が表示された。しかし、もはや手遅れだ。
「…………では、オルギプスの生態について説明します」
 覇気の無い声を漏らすノイズ曹長。声と一緒に魂まで抜け出てしまうのではないかと心配になる。
 気の毒だと思いながら、ふとミリー部隊長の方に目をやる。やたらと静かだ。
 おかしい。絶対おかしい。ノイズ曹長をからかうことが生活習慣であるようなこの人が、ノイズ曹長のあんな失態を目の前で見ておきながら、何もリアクションを起こしていない。極めて冷静なその表情は、まるで先程の出来事など見ていなかったかのような振る舞い。
 嫌な予感がした。彼女が何かに備えているような、そんな気がした。
 あれこれと考えていると、突然サイオン部隊長の声が響いた。
「ノイズ曹長」
「は、はい!」
「せっかくのところ申し訳ないのだが、次の予定が押し迫っている。オルギプスの生態については後で資料を確認しておくから、先に本題の方について聞かせてくれないか?」
「了解しました」
 サイオン部隊長は、先程のノイズ曹長の写真に関してノータッチを決め込んだ。
 気を取り直したノイズ曹長は、全員に資料の二十ページを開くように指示した。
 どうやらノイズ曹長のお手製らしいこの資料冊子は、会議室内にいる全員に一冊ずつ配られている。
 しかし、妙なことに最後のページ、つまり今開いている二十ページだけに少し厚みを感じる。よく見てみると、二十ページ目に使用されている紙は二重になっていて、その片隅には捲り剥がす為にわざと糊付けされていない余白部分があった。
 二十ページの裏に、意図的に隠された一ページがあるようだ。
「今回の任務は、第五十二無人世界『チーク』にオルギプスを放すことです」
 その後に続く説明を受ける。
 今回、私達ホカン部が三課に同行して観察する任務の内容はこうだ。
 プリズンにデータとして保存されていたオルギプスは、現在では生存していないと思われる稀少な生物であり、殺処分にするにはあまりにも惜しいという声が各方面から相次いだという。そこで、第五十二世界に放すことで、研究対象としてオルギプスを調査しようという計画が立てられた。
 そして、その輸送任務を任されたのが機動三課だった。
 オルギプスを保存していたプリズンを発見し、このミッドチルダに輸送してきたこと。そして現在でもオルギプスの入ったプリズンを管理していること。
 以上の理由から、機動三課はオルギプスをチークまで運ぶこととなり、今回はホカン部の同行任務も重なった。
 ホカン部の同行任務は定期的に行なわれている為、それ自体は特に不思議なことでもない。だが、今回の同行任務はホカン部全員が出動となっているらしく、そこがまた理由不明だった。
 私は、ノーラちゃんの逆隣に座るマルコちゃんに訊いてみた。
「ねえ、なんで今回の同行任務はホカン部全員が出動なの?」
 マルコちゃんは怪しく微笑んだ。この顔は何かを知っている顔だ。
 だが、彼女は答えてくれなかった。「もう少しで解るさ」とだけ言って、資料冊子に視線を落とす。
 そんなマルコちゃんの両手の指は、先程から気になっていた隠されたページを開く為の用意に入っていた。
「…………以上が任務内容の簡単な説明です。なお、第五十二無人世界チークに関してですが、大自然に覆われた、緑と水に満ちた大変美しい世界です。しかし、それ故に未開の地なども多い為、現地の地理に詳しい人間に応援を要請しました。チークは自然保護指定がされている世界でもあるので、自然保護隊員の数名が現地にて合流してくれる予定です」
 ノイズ曹長が説明を終えると、サイオン部隊長が席を立った。
「ありがとう。…………出発は明日だ。任務に当たる者は、今日は早いうちから休んでおくように。では、私はこれで失礼する」
 会議室の扉が開き、少しの間だけ、廊下の明かりが真っ暗な室内に入ってきた。
 サイオン部隊長が部屋を出ると、再び暗闇に包まれた会議室内の空気は少々軽くなったように感じる。やはりサイオン部隊長のような厳しい上司が放つ威圧感というものは、それだけの緊張を生み出すものなのだろう。
 しかし、緊張感が緩んだはずの室内は、いつまでも静寂を守り続けていた。
 どうしたのだろうか。会議はまだ続くはずなのだが。
 突如、室内に何者かの笑い声が響いた。
「くっくっくっく…………では、大変長らくお待たせいたしました」
 声の主はノイズ曹長だった。背後のスクリーンの光を背にしているせいで、正面が陰っていて表情は読み取れない。しかし、その姿に何か言い知れぬものを感じた。
 異変は彼だけではなかった。この部屋にいる全員が一様に顔を俯かせている。三課の局員はもちろん、アイサちゃんも、ミリー部隊長も、マルコちゃんも。
 事情を知らないのは私とノーラちゃんとジージョちゃんとウィンディーヌちゃんだけのようだ。ちなみに、ブラント君は会議前からずっと後ろで寝ているので論外だ。
「な、何?」
「ちょっと怖いですね」
 ノーラちゃんが私の右腕にしがみついてきた。
 しかし次の瞬間、突然ノイズ曹長が大声を上げた。
「では皆さん! お手元にある資料の、“二十一ページ”を開いてください!」
 二十一ページ。それは、隠された一ページ。
 俯いていた皆が全員、視線を変えないまま勢いよく閉ざされていたページを開いた。糊付けが剥がされる音が一斉に鳴り響く。
 事情を知らない私達も恐る恐る開いていく。
 徐々に明らかになるそのページは、前ページ同様の書体で、しかし、前ページとは全く違う内容が書かれていた。
「こ、これは…………?」
 ノイズ曹長が映写機のリモコンを操作した。
 彼の背後にあるスクリーンが映し出したものは、先程まで映していたオルギプスの生態資料とは似ても似つかないものだった。
 カラフルな文字で書かれた煽り文句、大自然の中で微笑む家族を写した広告写真、そして見出しのタイトル。
「ただいまより! 明日訪れるチークにおいて開催される、機動三課主催バーベキューパーティーの開催前日集会を始めますっ! うおおおおおお!」
 ノイズ曹長の雄叫びに続き、室内の局員全員が拳を高く掲げて吼えた。その中には、ミリー部隊長とマルコちゃんも加わっている。
「バーベキュー!? どういうことよ!?」
 ウィンディーヌちゃんがミリー部隊長に詰め寄ると、雄叫びを上げていたミリー部隊長が目を光らせながら言った。
「その名の通りだ! チークは美しい大自然の世界! 澄んだ川! 美味しい空気! 雄大な山々! そんなところに行ったらバーベキューするしかないだろう! おおおおおおおおおっ!」
「任務中に遊ぶんですか!?」
「任務の後だよ! チークは結構遠い世界だから、明日の出発時間じゃあ確実に向こうで一泊だ! ヤフォォォォォォッ!」
 マルコちゃんも絶叫している。
「だって明日の任務はサイオン部隊長も一緒なんですよ!? オッケーしてくれたなんて信じられない!」
 すると、ミリー部隊長が怪しく笑って答えた。
「オッケーなんてしてないぞ。というより、任務の参加者で唯一このことを知らないのは、サイオン部隊長だけだ」
「…………へぇぇえっ!?」
「やっちまえばこっちのもんだぜぇ!」
 詳しく聞けば、チークの大自然でバーベキューをしたいと言い出したのはミリー部隊長とマルコちゃんで、それを聞いたノイズ曹長は、サイオン部隊長の説得をしてくれるというミリー部隊長を後ろ盾として、今回の幹事を務めているということだ。
 今更だが、機動三課ってホカン部にノリが近いような気がする。
「よっしゃあああっ! 皆、水着は用意出来てるかぁぁあ!?」
 ノイズ曹長の問いに、幾つもの咆哮が答える。
「肉は食いたいかぁぁあ!?」
 咆哮が増えた。
 気が付けば、ウィンディーヌちゃんもノーラちゃんも加わっている。
「川で泳ぎたいかぁぁぁあ!?」
 ジージョちゃんまでもが拳を小さく掲げ始めた。声は出ていないけど。
「バァァァァベキュゥゥゥウゥがしたいかぁぁぁあ!?」
 もうこうなったらヤケになるしかない。
 私も遂に拳を掲げて声を張り上げた。
「やるぜぇ! バーベキューだあぁぁぁっ!」
 盛り上がりは最高潮を向かえ、全員が小刻みに全身を上下させてリズムをとる。
「おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ! おうっ!」
「わーっしょい! わーっしょい! わーっしょい! わーっしょい!」
 意味など無い勢いだけの大合唱が轟き、時空管理局内で最高のバカ達が血を滾らせた。
 遺失物管理部機動三課、激震の時。



 時空管理局本局から一隻の艦船が飛び立った。
 私達を乗せたその艦船は、L級次元空間航行艦船『マリアンヌ』。
 今回の任務は古代生物を第五十二無人世界チークに輸送し、現地に解き放つこと。たったそれだけの任務だ。
 古代生物オルギプスは、ロストロギア・プリズンの中に収容されている。このプリズンは手の平サイズの真っ黒な立方体であるため、マリアンヌの貨物室程の収納スペースを必要としない。マルコちゃんは、「トイレに置いとけば芳香剤と見分けが付かないくらいの大きさだ」と評していた。
 だが、当然ながらトイレに置いて輸送するわけにもいかない。古代生物を収容しているプリズンは、厳重な警備体勢によって守られた貨物室に入れられた。
 幾つもの小さなコンテナボックスと共に。
「プリズンと一緒に積まれていたあのコンテナボックスは何だ?」
 次元航行を続けるマリアンヌの艦長席横に立つサイオン部隊長が、艦長席に座っているノイズ曹長に尋ねた。
 コンテナボックスの中身は、十中八九バーベキュー用の道具や食材だろう。
 乗組員の中で艦長ライセンスを取得しているのはノイズ曹長のみなので、この場において彼が艦長席に座ることは間違ったことではない。しかし、上司を差し置いて艦長席に座るということが落ち着かないのか、ノイズ曹長の手元はそわそわしている。
「コ、コンテナ……ですか? あの…………ミリー部隊長からお話は聞いておられませんか?」
「話? ミリー君からか? 何のことだ?」
 挙動不審なノイズ曹長がチラチラと私達ホカン部を見てくる。
 ノイズ曹長の縋る様な視線をミリー部隊長に教えてあげるべきだろうか。たぶん、ミリー部隊長はバーベキューの話をまだサイオン部隊長にしていない。
 そのミリー部隊長はと言うと、艦内ブリッジの片隅でマルコちゃん達とお喋りに興じて笑い転げている。
「ま、いっか」
 私はノーラちゃんと一緒に仮眠室へ向かった。昨日は前日集会の興奮が治まらなくてよく眠れなかった。チークへの到着にはまだまだ時間が掛かるということなので、少し眠っておこうと思ったのだ。
 仮眠室の扉を潜ると、既に何人かの三課の人が眠っていた。たぶん理由は私と同じだと思う。
 なるべく音を立てないように室内を進むと、二つの簡易ベッドが並んでいるのを見つけ、私とノーラちゃんがそれぞれに入った。
「んー、眠い」
「私もです」
 目を擦るノーラちゃんが、顔以外を掛け布団の中にすっぽりと収めた状態で言った。
「楽しみですね」
「バーベキューが?」
「はい」
 もう任務のことなんてどうでもいいみたいだ。
「でもちゃんとお仕事を済ませてからだからね」
「分かってます」
 ノーラちゃんが子供みたいに微笑む。
 その姿が何だか愛らしくて、私も思わずつられて笑っていた。
 仕事も大事だが、バーベキューが楽しみなのは私も否めなかった。
 鉄網の上で肉汁を垂らすお肉と、少し固めの歯ごたえを残した野菜を齧る自分を想像したら、口の中に唾が溢れてきた。
 川の水は冷たいだろうか。泳ぎ回る魚の姿がはっきりと見えるくらいに透き通った川の流れを受けながら、笑い声を上げる皆の姿。
 木々の間からはチークの原生動物達が私達を物珍しそうに覗き見て、食べ物の匂いに釣られて近づいてくるのだ。その愛くるしい姿に私達は微笑みながら、動物達と触れ合う。
 そう、動物達がすぐ側にやって来て、私達と触れ合う。
 動物達がすぐ側に近づいて。
 近づいて。
「あれ?」
 近づいてくると思う。
 それはもしかしたら危険なのでは、と思う。
「ノーラちゃん」
「何ですか?」
 ノーラちゃんはもう両目を閉じていた。意識が完全に落ちるのも時間の問題のようだ。
「ふと思ったんだけどさ」
「はぁい」
「オルギプスを放した後で…………バーベキューなんてするの?」
 ノーラちゃんの目がパッチリと開いた。
「…………危なくないですか? それ」
「危ないよね」
 イメージの中でバーベキューを楽しむ私達の上空に、あの古代の大型生物が飛翔する姿が加えられた。
 至福を凝縮したようなイメージが、一瞬にして地獄絵図に変わった。
 オルギプスって何食べるんだろう? 外見からは、明らかに肉食な気がするのだが。
 まさか誰も気が付いていないのだろうか。バーベキューという目的に目が眩み、自分達の安全というものに注意が行き届いていないのだろうか。
 そもそも何故オルギプスをチークに放すのか。チークが“無人世界”であるという点に、もっと早くから着目すべきだった。
 まずい。今回の任務は、もしかしたらかなり危険なものなのかもしれない。
「ソフィーさん、これは皆に話してみるべきでは?」
「そうだね。寝てる場合じゃないかも」
 私達がベッドから出ようとすると、突然室内に鈍い衝撃音が鳴り響いた。それと同時に小さな悲鳴も聞こえた。
 周囲を見渡すと、薄暗い室内に並んだ簡易ベッドの内の一つが、誰もいないのにシーツをグシャグシャに乱している。しかしすぐに、ズレ落ちそうなシーツを手繰るようにしてベッドの下から両腕が登ってきた。
「うぅ……痛い」
「あ、アイサちゃんだ」
 ベッドによじ登ったドジっ子は、額を手で押さえながら「四回目だよ……」とぼやいていた。
 しかし、すぐに私とノーラちゃんの視線に気が付くと、恥ずかしそうに赤らめた顔を布団に埋めた。
「大丈夫?」
「はい。お恥ずかしい限りで……」
 ゆっくりと顔を上げるアイサちゃん。
 その顔を見て、私とノーラちゃんは短い悲鳴を上げた。
 鼻血が出てる。
「アイサちゃん! 鼻血出てるから!」
「ふぇ? そうなんですか?」
「血が出るくらい落ちるならもうベッドで寝ない方がいいですよ!」
 私とノーラちゃんが駆けつけてポケットティッシュを渡すと、彼女は「ありがとうございます」と言いながらティッシュを右の鼻の穴に詰めた。
 血が出ているのは左なのに。
「ホカン部のお二人も仮眠ですか?」
「うん。昨日は寝れなくてさ」
 彼女の鼻血を拭き取ってあげながら答える。
「そうですか、あたしもなんですよ。だってバーベキューが楽しみで楽しみで…………」
 そう言いながら笑うアイサちゃんを見て、私とノーラちゃんは先程までの会話を思い出した。やはり皆、危機感が働いていないようだ。
「それなんだけどね。もしかしたらバーベキューどころじゃ無いかも知れないんだよ」
 首を傾げるアイサちゃん。
 そんな彼女に、上空にオルギプスが浮かんだまま暢気にバーベキューなんてしていたら、私達がオルギプスの食肉になってしまうんじゃないかという不安を話して聞かせると、彼女は少しだけ間を置いてから「ああ」と言って頷いた。
 だめだ、こんなにボケボケな子は真っ先にオルギプスの口の中だ。
 しかし、次に彼女の口から発せられた言葉は意外なものだった。
「それなら心配いりませんよ。オルギプスは肉食ではありませんから」
「…………え?」
「オルギプスは古代ベルカ時代の大型生物ですが、あれは野生生物ではないそうです。元々は戦争の戦闘生物兵器として生み出されたらしく、自我も薄い為、生まれてから死ぬまで主人の命令に従うことしか出来ないようです。なので摂食活動も行ないません」
「そう……なの? 何でそんなことを知ってるの?」
「一応、昨日の会議でお渡しした資料にも書いてあったのですが、昨日は前日集会で説明を忘れてしまいましたからね。でも、機動三課では皆知ってますよ。先月にミリー部隊長が教えてくれましたから。だからホカン部の皆さんも知ってると思っていたのですが」
 アイサちゃんが不思議そうに首を傾げている。
 知らない。そんな話は聞いていない。無論、昨日の会議で説明される予定だったのなら、私達がミリー部隊長から聞かされていなくたって何ら不思議はないのだが。
 しかし、問題はそんなところではない。
「先月にミリー部隊長から聞いたって…………もしかして、地上本部の上空にオルギプスが出現した時?」
「はい。あたしもあの輸送任務に就いていましたので。いやー、あの時のプリズン誤作動は、あたしが原因じゃないかと真っ先にサイオン部隊長に疑われましてね」
 頭を掻きながらアイサちゃんは笑った。
「じゃあ、オルギプスが地上本部上空に出現した時、アイサちゃんも地上に避難してたんだ」
「はい。主人のいないオルギプスは暴れたりしないから、とりあえず対策を練る為に一旦地上に降りて来いって命令が下されたんです。その命令を出したのがミリー部隊長で、その時にオルギプスの生態も聞いたんですよ」
 胸の中に何かが引っかかった。
 ミリー部隊長は以前からオルギプスの生態を知っていたのだ。地上本部上空にオルギプスが出現しても管理局の対応が遅く感じたのには、そういう事情があったからなんだ。
 だが、私はオルギプスと対峙したあの日、一度だけミリー部隊長に尋ねたはずだ。
 管理局の対応の遅さの不思議。
 マルコちゃんとジージョちゃんの失態をミリー部隊長が謝罪するだけで許された不思議。
 この二点をミリー部隊長に問いただした時、彼女はこう答えたことを覚えている。
 ――私が属するのは“異質人物”保護観察部だからな。何をしでかすか分からん連中を面倒見るのも私の仕事のようなものだ。それを本部はよく理解していて、しかも関わることすら忌み嫌うのだろう――
 では、管理局は私達ホカン部に関わりたくないから応援を寄こさず、特別な罰則も与えなかったというのか。そんな子供の好き嫌いみたいな稚拙な理由が通用するものなのか。
 それに、ミリー部隊長のこの答え方では、少なくとも三課の待機命令を出したのが自分であるという事実を感じ取らせないような、真相をはぐらかすような回答ではないか。
 ミリー部隊長がオルギプスの生態を何故知っていたのかも気になるが、それは無限書庫に資料があるのだから、以前にも調べたことがあると言われれば納得は出来る。
 しかし、何故私の質問に対して真相を隠すように答えなければならなかったのか、その一点がどうしても解せない。
 ミリー部隊長の真意が知りたい。
 彼女の隠し事が許せないわけではない。そんなことは私の傲慢だと理解している。
 だが、彼女がホカン部を、そしてホカン部に属する私達を大事にしてくれていることが解っているからこそ、私はミリー部隊長を“上司”という立場とは違う人として見てしまう。
 そんな人が意図的に私を欺いていると考えると、何故だかとても悲しい気持ちになってしまうのだ。そして、とても怖い気持ちになってしまう。
 何が悲しいのだろう。何を恐れているのだろう。
 それはきっと“裏切られる”ということ。
 ミリー部隊長が私達を大切に思っているのと同じくらい、私は彼女のことを大切に思っている。
 だからこそ、裏切られるようなことがあったら、彼女を失ってしまうから。
 それがとてつもなく怖くて、悲しいんだ。
「ソフィーさん、オルギプスがおとなしいのなら、やっぱり寝ませんか? 安心したら眠くなっちゃいました」
 ノーラちゃんが大きな欠伸を手で隠した。
 私は考えるように唸った。
 ミリー部隊長が隠したいと思っているのなら、真意を訊いてもそう簡単に教えてくれるとは思えない。
 それに、ミリー部隊長の私達に対する気持ちは決して嘘ではないと信じているから、迂闊に疑わしく思う気持ちをぶつけることは出来ないし、したくない。
 しょうがない、か。
「…………そうだね。一眠りしようか」
 私とノーラちゃんはベッドに戻っていった。



 どれくらい寝ていたのかは解らないが、私達はマルコちゃんに起こされるまでずっと仮眠室にいた。
 引っ張られるようにしてマルコちゃんの後ろを歩くと、連れて行かれたのはブリッジではなく、マリアンヌの船外に通じる出入り口だった。
 いつの間にかチークに着いていたようだ。久しく感じる外気がマリアンヌ内の通路を吹き抜けていて、出口の向こうが地表であることを教えてくれた。
 次第に早まる足の動き。
 ノーラちゃんと顔を見合わせると、起きたばかりの時は眠たそうにしていた彼女の表情が、溢れんばかりの笑顔に変わっている。
 マルコちゃんが笑い声を上げながら、一番に船外へと飛び出していった。
 私とノーラちゃんも続く。
 私達の両足がしばらくぶりの土を踏んだ。
「…………うわあぁー!」
 思わず声が出た。
 ノーラちゃんも興奮気味に周囲をキョロキョロと見回している。
 空は若干夕暮れ。草木の匂いと土の匂いが入り混じった空気は美味しく、森の中から聞こえる虫達の鳴き声と木々の葉が擦れ合う音はまさに大地の息吹。
 見渡す限りの大自然に、私とノーラちゃんとマルコちゃんは大喝采を送った。
 既に表に出ていたミリー部隊長達と合流すると、皆口々にチークへの賛美を語る。
 それは三課の人達も同じようで、待ち受けるバーベキューへの期待をより一層大きなものにした。
「浮かれるな」
 サイオン部隊長の厳しい声が響く。
「遊びに来たわけじゃないぞ。それよりも、宿舎内にて最終打ち合わせを行なう」
 宿舎? そんなものがどこにあるのだろう。
 そう思っていた私は、マリアンヌの隣に聳え立つ灰色の建築物を見て驚いた。
 こんな大自然の中において、その人工物は明らかに不釣合いだ。
 だが、よく見ればこの巨大なマリアンヌが着陸出来るという時点で、チークは人の手が入った世界だと思い知るべきだった。
 第五十二無人世界、チーク。無人世界とは言っても、自然保護指定がされているということは、既に誰かが介入したのだと知ることが出来る。誰かがこの世界を知っていなければ、自然保護指定など出来ないのだから当然か。
 以前からここの自然には様々な調査の手も入っており、そういった人々の生活スペースとして宿舎が建てられているのは仕方が無いことだ。
 更には次元航行艦の着陸スペース。一隻分とは言え、その広さは数キロ四方に及ぶ。
 私達が踏んだ土の大地は、マリアンヌが着陸スペースの端っこギリギリに降り立った為に、出入り口ハッチの扉が敷地からはみ出たが故だった。
 サイオン部隊長に促されるまま私達が宿舎内に入ると、そのまま全員が一旦会議室に集められた。
 ノイズ曹長が宿舎の管理人と何か話をしている。
 その姿を背にして、サイオン部隊長が全員に言った。
「任務は行なわれるのは明日の午前中だ。本日は各自宿泊室にて待機となる」
「……サイオン部隊長、自然保護隊からの応援者が今着いたそうです」
 ノイズ曹長が伝えると、サイオン部隊長は小さく頷きながら再び言う。
「では、明日の任務に協力していただく自然保護隊の方々を紹介しよう」
 その言葉の後、会議室の入り口を潜ってきたのは六名の男女だった。
 しかし、その六人の中でもとりわけ目立ったのが、ブラント君と年齢がそう違わないであろう少年と少女。他の四人はガッチリとした体格や色黒な肌から、アウトドア系とでも言うべき雰囲気を醸し出しているので、余計に二人の子供が頼りなく見えてしまう。
 男の子の方は凛々しい中性的な顔立ちをしているが、年齢のせいもあってまだ“少年”という雰囲気が抜けていないように思う。女の子の方は可愛らしい笑顔をこちらに向けていて、少し大きめのバッグを重たそうに両手で持っている。その仕草が余計にか弱く見える。
「自然保護隊って、あんなに若い子も所属しているんですね」
 ミリー部隊長にそっと囁くと、彼女は笑いかけながら言った。
「なんだソフィー、お前あの二人を知らないのか? ミーハーなくせに」
「へ?」
 サイオン部隊長が自然保護隊の面々に自己紹介を促すと、右端の男の子が声を発した。
「自然保護隊のエリオ・モンディアルです。よろしくお願いします」
 名前を聞いた瞬間、私は目を見開いていた。
 少年に続いて、今度は少女が自己紹介を始める。
「同じく、自然保護隊のキャロ・ル・ルシエです。どうぞよろしくお願いします」
 可愛らしいトーンの声を聞いて、私は口を大きく開け放した。
 あの二人を私は知っている。直接会ったことは無いが、名前を聞いてすぐさま気が付いた。
 エリオ・モンディアル二等陸士。
 キャロ・ル・ルシエ二等陸士。
 “奇跡の部隊”として知られる、遺失物管理部機動六課にて、部隊の最前線を担ったフォワードメンバー。
 六課内で高町なのは教導官の教導を受けて育った、凄腕の魔導師。
 その二人に間違いなかった。

 To be continued.



[24714] 第十三話 緊急事態
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/20 18:32
≪チャプター1:大食堂にて≫

 第五十二無人世界チークにおける任務の最終打ち合わせを済ませた私達は、一旦宿泊部屋に荷物を置いてから,、大食堂にて夕食の運びとなった。
 豊かな大自然を有する世界であるチークは、動植物の生態調査や気象観測等の理由で、無人世界と言う割にはちょくちょく人の出入りがある世界らしい。私達のいるこの宿泊施設も、常に十五名ほどの管理人が常駐しているそうだ。
「生物学者や植物学者の来訪がほとんどで、一般の人々には来訪許可が下りていない世界ですけど、この綺麗な世界はもっといろんな人に見てもらいたいと思います」
 そう言いながらエリオ君は、私の顔の二倍はあろうかという大皿に乗った山盛りのパスタにフォークを突き立てた。
「私とエリオ君は、普段は別の世界でお仕事をしているんですけど、このチークには三回ほど巡回に来ているんです。綺麗で素敵なところですよね」
 そう言いながらキャロちゃんは、私の顔に微笑みを向けながらスープに入ったニンジンをフォークで拾って避けていた。
 実は大食漢であったエリオ・モンディアル二等陸士と、実はニンジン嫌いであったキャロ・ル・ルシエ二等陸士を前にして、私は終始顔がにやけっぱなしだった。
 エリオ君とキャロちゃんは、ブラント君と同い年の十一歳でありながら、“奇跡の部隊”と称される『遺失物管理部機動六課』内において高町なのは教導官の教導を受けて育った魔導師だ。昨年、六課によって解決へと導かれたとある大事件では、部隊の最前線メンバーとしても活躍している。
 機動六課に憧れを抱く私としては、そんな凄い人達とこうして食事を共にしていること自体が奇跡であり、幸福だった。
 ホカン部に配属されて良かったと思えることの一つが、遺失物管理部との接点だ。ホカン部の業務は決して重要度の高い仕事とは言えない。むしろ必要性に疑問を感じてしまうこともある仕事ではあるが、それでもこうして機動一課から六課までの皆さんと僅かながらでも接点を持つことが出来た点に関しては、感謝すらしている。特に、今でこそ解散してしまった六課ではあるが、その六課にいたなのはさんとの初めての出会いはホカン部に配属されなければ起こり得なかったことかも知れないのだから。
 ああ、ホカン部サイコー。
「ミリー部隊長、ソフィーの鼻が噴火しそうです」
「ティッシュを近くに置いてやれ」
 何故か手元にティッシュ箱が置かれていることに気が付き、私はそれを一枚抜き取って、テーブルの向こう側へと腕を伸ばした。
「エリオ君、口元についてるよ」
「あ、ありがとうございます」
 エリオ君が頬を少し赤くしながら口を寄せてきた。
 たまんない! 私、壊れる!
「マルコ、ソフィーを引き戻せ」
「イエッサー」
 引っ張られながら席に座り直した私は、再びフォークを持ってから二人に尋ねた。
「ねえねえ、自然保護隊ってどんなお仕事をしているの?」
 大皿に乗ったパスタが三分の一になったところで、エリオ君が水を一口飲んでから答えた。
「チークみたいな無人世界や、辺境の世界にある保護指定された自然を保護・観察するのが主な任務です。他にも研究者の人達に協力したり、未開地区の探索もしたりします。あとは今回のように管理局と共に仕事することも珍しくないんですよ」
「管理局と共にって、自然保護隊は局員じゃないってこと?」
「厳密には違います。一応、隊にいる期間は管理局勤務期間とされるみたいですけど」
 エリオ君が一旦言葉を切ると、水の入ったグラスを空にしたミリー部隊長がその後を続けた。
「自然保護隊は管理局の外部組織だ。管理局の一部署でも間違いじゃないんだが、保護隊の全管理権限は自然保護隊が独自に持っているんだよ」
「へぇー」
「自然保護官は保護隊管理者が適性を持った一般人に嘱託する場合もあるが、自然保護官にはある程度の戦技能力も求められる場合があるからな。日頃から訓練をしている局員が自然保護官となるケースも多いんだ」
「戦技能力が必要なんですか?」
 私はパスタを口に入れる寸前で訊いた。
「ああ。保護指定された自然の中で暮らす生物達を、密猟者の手から守るのも彼等の仕事の内だからな」
 なるほど、それなら尚のこと管理局員を使うのは理に適った話だ。
 それにしても、この二人は本当にしっかりしているなとつくづく感じる。ただでさえこんなに若い年齢であるというのに、自然保護隊という中で自分達の役割に誇りを持ち、悪く言えば子供らしさがないような生真面目さを持っている。補足的に一例を挙げるなら、私達がチークに到着して一旦会議室に集まった時も、自分達の自己紹介を終えて簡単なミーティングも済んで解散となった直後に、この二人はわざわざ三課のサイオン部隊長とホカン部のミリー部隊長のところまで律儀に挨拶回りをしていたくらいだ。
 私は横目でブラント君を見た。お腹一杯になったからだろうか、テーブルに突っ伏して寝ている。
 こんなにも違うのか。少しだけ呆れてため息を吐く。
 ふと、テーブルの下にある私のつま先が、何かを小突いてしまったことに気が付いた。
「ああ、ごめん! 蹴っちゃった!」
「え?」
 つま先の向いていた方向に座るキャロちゃんに謝ったが、彼女は何が起こったのか全く分かっていない顔をしていた。
 あれ? 違う人の足だったかな?
 私がテーブルの下を覗き込むと、自分の目に映る光景に驚き過ぎて、テーブルの角に頭をぶつけた。
「大丈夫か? ソフィー」
「うわっうわっうわっ! 何!? 何か下にいる!」
 その言葉に釣られて皆がテーブルの下を覗き込む中、キャロちゃんだけは納得したように頷きながら微笑んだ。
「驚かせてごめんなさい。私の相棒のフリードリヒです」
 テーブルの下でサラダとパスタの盛り合わせを食べているその子は、一匹の竜だった。
 子猫ほどの大きさの体は、足も尻尾も背も翼も綺麗な白で、頭部の小さな角だけは薄い青に染まっている。角張った顎をお皿の上で一生懸命動かし、下顎の綺麗な白色をパスタのソースで汚していた。
 皆が向ける視線も気にすることなく食事を続けているようだが、ふと、顔をこちらに向けて真っ赤な目で私達を捉えてから、甲高い声で小さく鳴いた。
「キャロちゃんの竜?」
「はい。ほらフリード、皆さんにご挨拶して」
 キャロちゃんはそう言うと、食事中のフリードを両手で抱き上げて、テーブルの上まで持ってきて私達の方に体を向けさせた。フリードが小さな翼を目一杯広げながら再び鳴く。
 まるでキャロちゃんの言葉を理解しているかのようで、その仕草がやたらと可愛い。
「そうか、キャロ陸士は“竜召喚士”だったな」
「はい。フリードとは小さい頃からずっと一緒だったんですよ。ね?」
 キャロちゃんがフリードの喉をくすぐると、フリードが目を閉じて頭を下げる。気持ち良さそうだ。
 私も触らせてもらいたくて声を掛けようとした時、物凄い勢いで近寄ってくる人影が見えた。
「きゃーっ! 何ですかぁー!? このプリティードラゴンは!?」
 アイサちゃんだ。
 奪い取るかのような勢いでフリードを両手に持ったアイサちゃんは、呆気にとられるキャロちゃんの横でフリードを抱えたままくるくると回った。
 アイサちゃんの騒がしさに大食堂の中の視線は全て彼女に向けられ、それでも彼女は気にすることなくフリードを強く抱きしめた。
「可愛いですねぇー! この子をあたしにくださぁい!」
「いや、それは…………」
 キャロちゃんが困惑しているところへ、どこからともなくノイズ曹長が現れた。
「キャロさん、申し訳ない。あいつは俺が止めますから」
 そう言うと、ノイズ曹長はアイサちゃんの近くまで歩み寄ってから、声を張り上げた。
「アイサ君! すぐにフリードを放してあげなさい!」
「ああ! ノイズ曹長! どうですか!? この子可愛くないですか!? お持ち帰りしたくなりませんかぁ!?」
 アイサちゃんがフリードをノイズ曹長の眼前に突き出す。
 宝石のように赤くて丸いフリードの眼と視線を重ねながら、ノイズ曹長は鼻でため息をついてから言った。
「あのなぁ! ちょっとは落ち着きを持って行動したらどうだ?」
 その時、突然フリードが口を開いた。そしてそれを見たキャロちゃんは、慌てたように声を上げた。
「危ない! 避けて!」
 その声が直接的な命令形であったからだろう。ノイズ曹長は声に素早く反応して身を屈めた。
 それとほぼ同時に、フリードの口から小さな炎が上がった。
 短い悲鳴が幾つか響き渡った後、しばらくの沈黙。
 誰もが言葉を失っていた。
 動く者はなく、姿勢を保ち続けながら見守った。
 そう、見守った。
 ノイズ曹長の頭を。
 煙が立っていた。一瞬のことだったので、火自体は既に消えているようだったが、妙な臭いが周囲に広がって鼻を突く。
「…………焼け野原、か」
 ミリー部隊長の一言だけが、その場に空しく響き渡った。



≪チャプター2:調査メンバーの出発≫

 翌朝、宿舎施設の会議室に集まったボク達は、サイオン部隊長の威圧的な声の指示を聞いていた。
 どうやら機嫌が良くないようだ。まあ、分からなくはないけど。
「アイサはまだ見つからんのか!?」
 アイサの名前を叫びながら、数人の三課局員が廊下をばたばたと走り回っていた。その中には、頭にタオルを巻いているノイズ曹長もいた。
「もういい。アイサ抜きで説明をする。聞き漏らさないように」
 サイオン部隊長の前に並ぶのは、ボクとソフィーとジージョ。それにエリオとキャロを含めた自然保護官全員。そして三課局員が十名だ。
 ここにいる十九名と行方をくらませている一名は、竜型古代生物オルギプスを解放する区画の下見に向かう調査メンバーだ。主人のいないオルギプスは温厚だそうだが、その巨体故、宿舎の近くや貴重な動植物の生息地域に放すわけにはいかない。
 ということで、オルギプスの解放に適した場所を探すのが、ボク達調査メンバーの役割となる。その他の皆は宿舎の会議室にて別作業となる。
 同行任務で来ているボク達ホカン部までもが三課局員同様に働かされるというのは不服だが、ミリー部隊長が「いいから手伝ってやれ」と言うので仕方がない。まあ、この任務さえ終えることが出来れば、待ちに待ったバーベキューだ。そのためと思えば、多少は協力してやってもいいか。
 サイオン部隊長の説明が終わり、ボク達は宿舎の外に出た。
 チークの陽射しは強かった。ホカン部隊舎ではいつも技術室か自室で機械いじりばかりしているボクとしては、バーベキュー等の楽しい出来事でもない限りこういう陽射しの下には出たくない。
「少し遠いかもしれませんが、南西の方角に五十キロほど行った所が解放区画としては良いと思います。あの辺りは比較的木々も少ないですし、動物達の縄張りにも触れませんので」
 自然保護官の一人がそう言うので、ボク達は移動を開始することにした。
 五十キロという距離は少々遠いな。ボク達は空を飛べるからいいけれど、三課局員には飛行能力を持つ者が少ない。加えて、エリオとキャロも飛行能力の無い陸戦魔導師だから、地上からの経路しかない。
「こんな暑い中を歩いて行くのか? 五十キロだぞ」
 ぼやいたのはボクだけだが、ソフィーとジージョも同じような気持ちであることを表情に出していた。
「いえ、僕達が先に向こうへ行きますから、その後、僕達を目印にして転移魔法で飛んできてください」
 そうエリオが言った。
 だが先に行くというのが引っ掛かる。空を飛べないのはキミ達の方だと言うのに、どうやって先に行くというのだろう。それだったら空を飛べるボク達を先に行かせれば早いじゃないか。
「その役目はボク達がやるよ。空を飛んでいった方が早いだろ?」
「でも、場所が分かる人も一緒じゃないと困りませんか?」
「困るけど、キミ達は飛べないじゃないか」
 そう言うと、エリオとキャロが微笑みながら「大丈夫です」と声を重ねて答えた。
 何が大丈夫なのだろう。不思議に思って首を傾げていると、キャロが一歩前に歩み出てきた。
 両目を閉じた彼女の足元に突然桃色の魔法陣が広がり、その中央に佇む彼女の小さな唇から言葉が漏れ出す。
「蒼穹を走る白き閃光。我が翼となり、天を駆けよ。来(こ)よ、我が竜フリードリヒ――――」
 突然の詠唱。
 キャロの詠唱に呼応して、フリードの体が光を放ち始める。
「――――竜魂召喚!」
 言葉の後に続き、光を放っていたフリードの体が一気に肥大する。
 ボクは口を開いたまま固まった。おそらくソフィー達も同じような表情を浮かべているんじゃないだろうか。
 大食堂のテーブル下で皿の上のパスタに顔を埋めていたあの小さな竜と、ボク達の目の前に姿を現したこの巨大な竜が同一の固体だと、話を聞かせたとして一体何人が信じてくれるだろうか。
 樹のような太く引き締まった腿が、人では決して及ぶことの無い力強さを思わせる。
 羽ばたくだけで嵐を感じさせる大きな翼が、空の狭さを物語る。
 大剣を連想させる鋭く伸びた青い角が、見る者全てに畏怖の念を抱かせる。
「な……なんちゅー迫力…………」
 竜召喚士。こればっかりはボクのモノマネも及ばない力だ。彼女の使う『竜使役』という能力は、竜族と心を通わせて従えさせる能力。これはどんなに魔力が強かろうと、どんなに優れた魔導師であろうと、そんなに易々と手に入れることの出来るものじゃない。事実、知られている竜召喚士の全員が、竜使役及び竜召喚術を一族より相伝してきている。もはや先天的能力と言ってもいい。
 これだけの力を持つからだろうか。歳も若くて、明らかに非力そうなキャロが六課の最前線に立っていたというのも頷ける話だ。
「わたしとエリオ君はフリードに乗って行くので、空を飛べる方はわたし達と先行していきましょう。残った方々は、わたし達が向こうに着いたら合図をするので、その後に転移魔法でやって来てください」
「よし、じゃあ決まりだな。行こう」
 エリオとキャロがフリードの背中に乗るのを確認した後で、ボク達もバリアジャケットを装備した。
 変身を終えると、ボクのバリアジャケット姿にエリオとキャロが目を丸くしていた。まあ、分からなくも無いけど。
「…………フェイトさんと同じ姿だ」
 そりゃあそうだ。フェイト執務官と同じ装備なんだから。
 フェイト執務官もなのはさんの親友として、そして優秀な執務官として有名だから、ボクのこの姿を見て驚く人も多い。
 けれど、おそらくそんな人達の中でもとりわけ二人は驚いているんじゃないかと思う。なんてったってフェイト・|T《テスタロッサ》・ハラオウン執務官と言えば、なのはさん同様に機動六課へ出向していた人で、その中でもライトニング分隊の隊長を務めていたのだから。エリオとキャロは六課内でライトニング分隊に所属していたわけだから、フェイト執務官は彼等二人のリーダーだったわけだ。
 そんな親しい人と瓜二つの格好をしたボクを見れば、もっと騒ぎ立てて驚いたっていいぐらいだ。
「マルコさんって、フェイトさんの何なんですか?」
 なんだ、その愛しい人に横恋慕する恋敵へと向けるような台詞は。
「別に何でもないさ。ただの一ファンだよ」
 いつも通りの答えを返した僕は、誰よりも早く空へと浮き上がった。
 ボクに続いてソフィーとジージョも飛び立ち、フリードもその翼を羽ばたかせようとした時、物凄い勢いで近寄ってくる人影が見えた。
「きゃーっ! 何ですかぁー!? このワイルドクールなドラゴンは!?」
 またお前か。
 飛び込むかのような勢いでフリードの背に飛び乗ったアイサは、唖然としているエリオとキャロの後ろの席を陣取った。
 アイサの騒がしさに調査メンバーの視線は全て彼女に向けられ、それでも彼女は気にすることなくフリードの背で声を張り上げた。
「かっこいいですねぇー! この子をあたしにくださぁい!」
「キャロ、落としていいぞ」
 冗談でも落とそうとしないのは、おそらくキャロの堅苦しい真面目さ故だろう。
「アイサちゃん何処行ってたの? サイオン部隊長がすごいカンカンだったよ?」
 ソフィーが呆れながらも言うと、満面の笑みでアイサが言った。
「はぁい! 早朝のお散歩に行ってたら、森の中で迷子になっちゃいました」
「え、よく帰ってこれたね…………」
 帰って来なくても良かったんじゃないか?
「なんかぁ、昔から勘だけは良くって、こっちかなーって方向に進んでいたら帰ってこれましたぁ」
 何でそういうところだけ都合良く進むんだ? 管理局はコイツにとり憑かれているんじゃないのか?
「ちゃんとサイオン部隊長には謝ってきた? ダメだよ、ごめんなさいってしないと」
「バッチシ謝ってきました! ぶっ飛ばされましたけど!」
 敬礼しながら笑顔で言うな。サイオン部隊長が人をぶっ飛ばすなんて滅多に無いんじゃないのか。
「ソフィー、もう構うな。早く行こう」
 そう言いながら、ソフィー以外のメンバーの顔もチェックする。返答は全員一致で「そうしましょう」だった。
 ボク達は南西に向かって飛び始めた。



≪チャプター3:緊急事態発生≫

「サイオン部隊長、調査メンバーが移動を開始しました」
「ああ。アイサに持たせた発信機の反応はどうだ?」
 俺は受信機のモニターを確認した。円形のレーダー画面の中に、中心点から遠ざかっていく点滅光が確認出来る。
 これは広域用の電波送受信装置だ。当然ながらこの送受信機はオルギプスのために用意されたもので、プリズンからオルギプスを解放した際に奴の体に発信機を取り付けることで、今後チークにやって来る研究者達がオルギプスの居場所を知ることが出来るように、という措置のために用意された。
 送受信機の動作テストを兼ねて、試しに発信機をアイサ君に持たせてみた。失くさないかどうかが心配でならない。
「感度は良好です」
 俺の返事を聞いて、サイオン部隊長が右の拳を擦りながら短い返事を返した。
 拳、どうしたんだろう?
「ノイズ曹長!」
 突然名前を呼ばれて、俺は声の方向に振り返った。
 声の主はミリー部隊長だった。
「どうされました?」
「バーベキューセット、マリアンヌから降ろしておいた方がいいだろう? ブラントとノーラを手伝わせるぞ」
「ああ。いや、大丈夫ですよ。うちの男共にやらせますから」
 そう言うと、ミリー部隊長が申し訳無さそうな笑顔を浮かべながら頭を掻いた。
「なんか悪いな。下見グループの三人ならともかく、ここにいるとホカン部の仕事が無くてな。何か力になれればと思ったんだが」
 ミリー部隊長もやはり大人だな。まあ、年齢的にもそうでないと困るけど。
 何だかんだで細かいところに気を遣ってくれる彼女は、やはり一つの集団を束ねるリーダーなのだなと感じる。
 思えばミリー部隊長にはいろいろと世話になっている。俺が三課に所属してからの付き合いだし、俺が彼女と知り合ってからの期間は、ウィンディーヌを除いたホカン部メンバーの誰よりも長いのだから当然か。
 それだけの付き合いなのだから、やはり彼女も俺のことを気に掛けてくれているのだろう。
 それぐらいの付き合いなのだ。
 そう、それぐらいの付き合いなのだから。
 だから、早いところ済ませてほしいことがある。
「あの…………いい加減サイオン部隊長にバーベキューのことを話していただけないでしょうか?」
「あれ? まだサイオン部隊長はバーベキューのこと知らないんだっけ?」
「嘘ですよね? 冗談ですよね? ミリー部隊長がサイオン部隊長を説得してくれるって言うから、俺頑張って幹事やってるんですけど」
 この人はいつもそうなんだから。まるで俺を困らせることが趣味のように、いや、絶対俺を困らせることが趣味なんだ。
 だっていつもそうだもの。たまに俺がホカン部隊舎に報告書を届けに行くと、いつもホカン部の雑務を手伝わされるのだ。ホカン部の“業務”ではなくて“雑務”を手伝わされる。だから俺は、例え手の空いている部下がいなくても自分では絶対に報告書を届けに行かない。
 そう言えば、あれは何時の話だっただろうか。俺がホカン部隊舎に用事があって出向いた時。そんな大した用事でもなく、五分くらいで済むはずだったのに、ブリーフィングルームに足を踏み入れた瞬間、食堂の厨房掃除を手伝えと言われたっけ。しかもミリー部隊長ったら、「ノイズ曹長、“掃除のなにぬねの”を知っているか? 『な』でるように掃き、『に』かい掃き、『ぬ』れ雑巾で拭き、『ね』この手を借りるくらいなら、『ノ』イズを呼べ」なんてことを言うのだ。
 もう俺この人を信じるのは止めよう。
 何があったってもう絶対助けてやらないんだ。
「そうですか。バーベキューは無しですか」
「何?」
「残念だなー、皆楽しみにしていたのに。サイオン部隊長がオッケーしてくれないんじゃあ絶対無理だもの」
 俺は何故この人を信じてしまったんだろう。酷い扱いしか受けてこなかったというのに。いつまでもこんな人を頼るから付け込まれるんだ。
 もうやめた。こんな人に構っていたら俺ばかり損をする。
 バーベキューは中止だ。皆には申し訳ないけれど、会費を返すということで納得してもらうしかないな。
「よしよし分かった。サイオン部隊長の説得は私に任せておけ」
「出来るんですか? そんなこと」
 口を尖らせてわざとっぽく言うと、ミリー部隊長がすっと近づいてきた。
 まずい、怒らせただろうか。
「ノイズ曹長…………」
「は、はい!」
 俺は態度を一変させて直立した。
 しかし、横から拳が飛んでくるんじゃないだろうかと思っていた俺の目の前には、何故だかミリー部隊長の右手が差し出されていた。
 これは、握手を求めているのか?
「悪かった。私も少々やり過ぎたかも知れないな。何だかんだ言ってこういう時に頼れるのはノイズ曹長だけなのにな」
「…………ミ、ミリー部隊長」
 やはり、長い付き合いの中で、俺とミリー部隊長には固く結ばれた絆があったのか。
 嬉しく思う。
 彼女が滅多にしない謝罪を口にしたからじゃない。俺を頼ってくれたからでもない。
 彼女が、あの、いつも何を考えているのか分からなくて嫌がらせばかりしてきてそのくせ仕事は何してるんだか分からないくせにやたらと人使いは荒いというミリー部隊長が、俺にその絆を示すような本心を語ってくれたことが、そしてその絆を再確認しようと手を伸ばしてくれたことが、たまらなく嬉しかった。
 俺は、何だかんだ言いつつもこの人には敵わない。
 雑務を頼まれれば引き受けてしまうし、困っていれば気になってしまうし、いつまでも仲良くしていきたいと願ってしまうのだ。
 俺は彼女の右手を握った。細くて、しかし、しっかりと力強い握力で、彼女は応えてくれた。
「幹事、ご苦労だな」
「いえ、ミリー部隊長にも是非楽しんでいただきたいと思っていますから」
 そう言うと、ミリー部隊長は恥ずかしそうに笑いながら手を離し、俺の横をすり抜けていった。
「サイオン部隊長」
「ん? 何だ?」
「実はな、この任務が終わったら、チークの川原でちょっとバーベキューでもしようと思うんだが、一緒にどうだ?」
「バーベキュー? 遊びに来たわけではないだろう」
 やはり、サイオン部隊長の顔が険しくなる。
 俺は心臓の高鳴りを感じていた。やはり、ミリー部隊長と言えどもあのサイオン部隊長を説得するなんて無理なのではないだろうか。
「いいじゃないか、別に。任務が終わっても帰るのは明日だ。時間ならあるぞ?」
「時間の問題ではない。我々が一体何者であり、何を成すべきなのか自覚をしているのかどうかという問題だ」
 無理か。遺失物管理部内でも相当の堅物と言われるサイオン部隊長だからな。
 だが、全てはミリー部隊長に掛かっている。
 頼む。勝ってくれ、ミリー部隊長。
「しかし、せっかく用意もしてきたんだ。このまま帰るんじゃ、せっかくの肉も駄目になってしまう」
「そんなもの、今日の夕食にでも出してもらえ」
「頼むよぉ。ノイズ曹長のためでもあるんだからさ」
 え? 何で俺の名前が出てくるんだ?
「ほら、あいつのプライベートアルバムを見ただろう? ちょっとはノイズ曹長にも楽しい思いをさせてやらないと」
「…………ふん。ま、部下のメンタルケアも仕事の内か」
「って、おおぉぉぉおい!」
 突っ込まずにはいられなかった。だってサイオン部隊長のあんなに他人を哀れんでいる目は見たことが無い。
 そんなに俺は寂しいわけではない。あのアルバム写真はちょっと魔が差しただけだ。
 俺は決して病んでいない!
 その時、突然部下の一人が飛び込んできた。
「ノイズ曹長!」
 慌てた様子の部下は、驚愕した表情で唾を飛ばしながら言った。
「南西の方角に未確認機が出現しました! L級次元航行艦です!」
「何!? 所属を訊いたのか!?」
「一切応答がありませんでした! 管理局の船ではありません!」
 それはおかしい。チークは民間の訪問を許可していないはずだ。
「ノイズ、南西は調査メンバーを向かわせた方向だぞ」
「ええ」
「それが…………現在調査メンバーが未確認機と交戦中だそうです!」
 その言葉を聞いた瞬間、その場にいた全員に緊張が走った。

 To be continued.



[24714] 第十四話 騎士
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/20 18:23
≪チャプター1:森の中の戦闘≫

 翳した手の平を中心にして、目の前に若草色の魔力障壁が展開される。
 その障壁越しに見えるのは、涼やかな青空には全くもって不釣合いな程に薄汚れた茶色の艦船。そしてその艦船のあらゆる部位から、魔力砲による攻撃が繰り出されていた。
 宿舎に待機している三課に「現在交戦中」と連絡は入れたけれど、はっきり言って交戦なんかになっていない。艦船からの魔力弾に当てられないよう、羽虫みたいに飛び回って逃げているだけだ。
 空を飛んで宿舎に戻るにしても、艦船に狙われて撃ち落とされる可能性の方が高い。ボクは、同じように逃げ惑う仲間達全員に念話を送った。
 ――全員降下! 森の中に身を潜めるぞ!――
 返事を待たずして、ボクは地面に向かって急降下を始めた。
 背の高い木々の群れに飛び込めば、視界は一気に緑一色。なおも降下を続け、地面に両足を着いてから頭上を見る。
 ソフィーが降りてくる姿を確認。続いてジージョと三課局員数名。そしてフリードに跨っているエリオ、キャロ、アイサの三人。なんとか全員無事に降下出来たようだ。
「相手が悪すぎる。次元航行艦なんてボク達だけじゃどうしようもないよ」
 安堵のため息と共に一言零すと、空を覆うように密集する枝葉の隙間から見える艦船は、攻撃を辞めてボク達の頭上に浮いたまま動かなかった。たぶん、ボク達が再び姿を見せればまた攻撃してくるだろう。
「マルコちゃん、待機チームからは何だって?」
 ソフィーが不安そうな声を出した。情けない声だけどそれも仕方ないだろう。いきなり現れた大型艦船から訳も分からずに攻撃を受ければ、誰だって恐怖を感じるものだ。
「向こうの魔力弾を避けながらだったからね。こっちの状況を伝えるのに必死で、返事は待ってられなかったよ。でも交戦中だって送ったから、おそらく何かしらの形で助けに来てくれると思うけど」
「それにしてもあの船は一体?」
 エリオがもう一度空を見上げる。
 ボクもそれに倣いながら、一応確認のために、エリオに訊いた。
「今日は学者とかのチーク来訪予定は無いんだよね?」
「ありません。それに、仮にそういう予定があっても攻撃なんてしてくるわけないですよ」
 そりゃあごもっともなお答えで。
「となると、考えられるのは?」
 全員同じ表情を浮かべて首を傾げた。
 しかし、分からないことをいつまでも考えていたって無駄に時間を浪費するだけだ。今必要なことは、上空の艦船に見つからないようにしながら宿舎に戻ること。
 艦船に姿を見られないようにしながら移動する方法と言えば、陸路しかない。ボクは森の中から宿舎のある方角を見た。言わずもがな、目指す方向どころか左右後方も樹木だらけ。おまけに倒木や泥の沼まである。
 この中を進めと言うのか。骨が折れる道のりを眼前にすると、骨よりも先に心が折れそうだ。
「…………何か、近づいてきてます」
 突然エリオが険しい表情を浮かべた。
 彼の言葉にボクは、バルディッシュモデルのレプリカストロを握り締めた。他の皆も警戒心を剥き出しにしている。
 しかし、見渡す限りではその“何か”がよく分からなくて、エリオの勘違いではと、思わず彼を疑ってしまった。
「何かってなんだい?」
「人の気配です。取り囲まれているみたいだ」
 疑いはするけれど、そこまではっきりと断言されると身構えずにはいられないな。彼の感覚はやたらと鋭いのかも。
 ボク達は自然と、一箇所に集まって全方位に視線を向けるような陣形を取った。
 正直言ってヤバイ。ソフィーやジージョ、それに居合わせている三課局員は中距離から遠距離での戦闘を得意とする連中だし、フリードはその巨体故に地上じゃ動きは遅そうだ。だからと言って空を飛ぶわけにもいかないし、小さくなっては戦力にならない。それとキャロは一番の非力だから、陣の中央に置いて守ってやらなくちゃいけない。
「エリオ、はっきり言うけど、ここにいる皆の無事はボク達にかかっているぞ」
「え?」
「近接戦闘(クロスレンジ)はボクとキミしか出来ないってことだよ」
「…………分かりました! 全力で守ります!」
 そう言ったエリオが、手にした槍型デバイスの『ストラーダ』を構え直した。
 その様子を見た瞬間、ボクは思わず身震いをした。さすがは元機動六課のフォワードメンバー。その構えから醸し出される騎士の風格は伊達じゃない。
 あらゆる方向にも素早く飛び出せるようにと、踵を僅かに浮かせた足。
 いかなる瞬間でも素早く先手を奪えるようにと、程よく脱力した肩と握力。
 迫り来る気配達にも臆することなく挑もうと、凄まじい闘気を発した鋭い眼光。
 なかなか心得ているな。シグナムさんと同様に、敵対するのは勘弁願いたいと思う人物だ。
 だけど、まだまだ厳しい状況は変わっていない。この場にブラントがいてくれるだけでも全然違うのにと、ボクはため息を零した。ホカン部の中の戦技能力番付ではボクとブラントが同列で二位くらいだし、あいつもクロスレンジが得意だから。
 そんなことを考えていると、エリオの言っていた“何か”というものがようやくボクにも感じ取れるようになった。それだけ相手が近づいてきている。
「仕方ないな。ちょっとばかり気合い入れるか」
 そう言ってから、ボクは足元に魔法陣を展開した。
「仕入れたばかりだぜぇ! レプリカストロ、メタモルフォーシス! モデル“マッハキャリバー”!」
「All right buddy!」
 言い終えると同時にボクの体は光に包まれた。そして今装備しているフェイト執務官のバリアジャケットが消失していくのと同時に、別のバリアジャケットが構築されていった。
 デニムのホットパンツと胸部だけを覆う袖無しラッシュガードを身に纏う。そして腰には前開きの白いスカート。上半身には丈の短い白のジャケット。最後に長い鉢巻が額を締め付ける。
 両足に装着されたローラーブーツ型デバイス『マッハキャリバー』と、右拳に装着されたグローブ型デバイス『リボルバーナックル』が、ボクの体内を振動させるように唸りをあげた。
 チークにやってくるちょっと前に完成したばかりの、ボクの新しいモノマネだ。
「それって…………」
 エリオとキャロの目が点になっている。
「キミ達はこの姿をよく知ってるだろう?」
 そりゃあそうだろう。なんてったってこの姿は、二人同様になのはさんの教導を受けて育った六課のフォワードメンバーの一人、スバル・ナカジマ陸士の装備なのだから。
「さあ、やってやろうじゃないか!」
 胸の前で右拳を左掌に打ちつけたボクは、再び周囲に注意を払った。
 おそらくボクが変身をしたからだろう。こちらの動きを察した気配達は、隠れ蓑にしていた草木を揺らし始めた。いよいよ来るか。
「いけぇっ!」
 突如響いた野太い声と共に、隠れていた気配の正体達が物陰から飛び出してきた。
 敵連中は、何処を探検してきたんだと尋ねたくなるようなサファリファッションで、これまた時代を間違えているんじゃないかと思うような鈍器をそれぞれ振りかざして突っ込んできた。
「まさか密猟団!?」
 エリオが敵に向かって飛び出しながら口走った。ということは、密猟者は皆サファリジャケットが好きなのか?
 馬鹿馬鹿しく思いつつ、ボクもローラーブーツのタイヤを転がして飛び出した。
 魔力操作によって自動回転するローラーがボクの体を滑らかに、軽やかに、そして俊敏に走らせる。
 姿勢は低く、視線は真っ直ぐ、思考は冷静に。ボクは右拳を握り締めたまま腕を引いた。
 まずは一人目。
 土埃を巻き上げながら急接近すると、敵はボクの脳天目掛けて棍棒を真っ直ぐに振り下ろしてきた。
身を捩ると、頬を掠めた棍棒が地面を叩く。と、同時に敵の顔面に右拳を叩き込む。
 仰け反りながら鼻血を撒き散らす一人目が倒れる姿を横目で確認しつつ、ボクはローラーブーツを更に走らせた。
 まるで蛇の進行のような軌道で、敵に的を絞らせることなく駆け巡る。
 そして二人目。
 暢気にボクの姿を目で追っている場合じゃないぞ。少しだけ加速をして近づき、地面と平行になるくらいまで姿勢をぐっと下げて滑り込む。そして伸ばした右足で地面に円を描くのと同時に敵の両足を刈り取ると、今度は敵の体が地面と平行になり、そのまま大地に口づける。
 そんなところへ三人目が走り寄ってきた。
 いいだろう、次はお前か。滑走しながらボクは両足を屈めて、地面を蹴った。空中で弧を描くボクの体は、真っ直ぐに敵の方へ向かっていく。驚愕している敵の顔目掛けて、両足裏のローラーを叩きつけてやった。だがまだ止まらない。ローラーをそのまま回転させると、甲高い悲鳴を上げる敵の顔には二本の滑走跡が刻まれた。
「はっはぁー! 男前だねぇ!」
 耐久度良し、駆動精度良し、魔力感応良し。デバイスの調子は上々だ。動作テストとしては申し分ない結果。
 よし、一発かましてみるか。
 リボルバーナックルに備えられたリボルバー式のカートリッジシステムが音を立て、手首部分にある大きな二層の歯車が噴出した蒸気と共に高速回転する。
「リボルバァァァ――」
 敵が複数人固まっている場所を見つけ、マッハキャリバーの速度を上げた。
 そして到達したのは射撃ポイント。発射の時を今か今かと待ち望んでいるようなリボルバーナックルを、敵の一団に向ける。
 食らえ、そして吹き飛べ。
「――シュゥトォォォッ!」
 右拳の先端から、若草色の高速魔法弾が衝撃波を引き連れながら弾き出される。
 落ち葉と砂煙を巻き込みながら、緑の草木を揺らしながら、清涼なる空気を押し退けながら、放たれた魔法弾と衝撃波は敵一団の中央を貫いた。
 荒れ狂う暴風の直撃を受けたように、後方から何者かに引っ張られたように、見えない掌に虫の如く払われたように、敵連中は悲鳴だけを残して吹き飛んだ。
「ふん! 良い出来じゃないか。なあ、レプリィ?」
「It''s perfect!」
「うおあっ!」
 突然聞こえてきた叫び声の方を向くと、エリオのストラーダによって叩き伏せられた敵連中がごろごろと転がっていた。
「やるねえ」
 思わず言葉を漏らすと、その呟きは膝を震えさせている残りの敵共にも聞こえたようだ。一気に人数が半分以下になってしまった敵連中は、ボクとエリオに三メートル以上近づけないまま言った。
「な、嘗めやがって……!」
「嘗めてるのはどっちだい? 管理局の魔導師相手にそんな原始的装備を用意してくるなんて、そっちこそ無礼じゃないのか?」
 人差し指を向けて言い放つと、連中が悔しそうに表情を歪めた。
 あまり心配するほどでも無かったのかな。次元航行艦による奇襲で面食らったのは確かだが、これでは随分と呆気ないじゃないか。
 この場で全員逮捕してしまおうか。
 そう考えていた時、突然頭上から声が降ってきた。
「無礼だったか? そりゃあ申し訳ないな」
 いきなりのことで、ボクとエリオを含め、全員が視線を空に向けた。
 すると突然一人の男が、ソフィー達の作る陣の中央に降り立った。そしてすぐさま近くのキャロを羽交い絞めにする。
 短い悲鳴を上げたキャロだが、男が突きつけてくるナイフを確認すると、下手に抵抗しないほうが良いと悟ったようで黙り込んだ。
「キャロ!」
 エリオの悲痛な叫び。
 迂闊だった。ふざけた装備で攻めてきた敵にばかり気を取られていたのと、まさかこんなお粗末な連中の仲間の中に魔導師がいるとは思わなかったため、上空への警戒を怠ってしまった。
「竜召喚師、キャロ・ル・ルシエだな? 俺達と共に来てもらおうか?」
 言い終えるのと同時に、男はキャロを捕まえたまま再び空に舞い上がっていった。
 すぐさま後を追おうと構えるも、男の持つナイフがキャロの頬を微かに押して留まる。それを見たボク達は、それ以上の男への接近を躊躇せざるを得なかった。それどころか、人質をとられては少しも動けない。
「キャロォッ!」
「エリオ君!」
 キャロとエリオがお互いの名を呼び合う中、エリオの背後に忍び寄っていた敵が、棍棒を振りかぶって現れた。
「危ない!」
「え?」
 ボクやソフィー達が駆け出すよりも早く、振り下ろされた棍棒はエリオの意識を刈り取った。エリオの体が横たわるのと同時に、上空からはキャロの悲鳴が響いてくる。
「余計なことしてねえで一箇所に集まってろ! 船がてめえ等を拾えねえだろ!」
 キャロの悲鳴に続いて聞こえてきたのは男の怒声で、その声を聞いた敵達は倒れている仲間を引っ張り集めて一箇所に固まった。すると、敵連中の足元に大きな転移魔法の魔法陣が展開し、彼等の体は光に攫われていった。
「よし。残ったお前等には、俺からのメッセージを仲間達のところへ届けてもらおうか」
 そして頭上の男が、一枚のメモリスティックをボクの足元に落とす。
 それを拾い上げて再び上を見上げると、男とキャロの姿はもうずっと遠くに行ってしまっていた。
 僕達は、極めてヤバイ状況に陥ったのだと思う。



≪チャプター2:成長する騎士≫

「…………で、これが敵から渡されたメッセージカードか」
 サイオン部隊長が手に取ったのは、森の中でマルコちゃんの足元に投げ落とされた小さなメモリスティック。
 キャロちゃんが攫われてしまった。謎の男が茶色の艦船内にキャロちゃんを連れたまま入っていくと、敵の艦船は転移して消えてしまったのだ。
 あまりにも唐突でショッキングな出来事を目の当たりにした私は、キャロちゃんの身が心配になって泣きたくなった。でも、泣いても彼女が帰ってこないことを理解して、昏倒するエリオ君を抱えたまま宿舎へ向かったのだ。その道のりの途中で緊急発進したマリアンヌに拾われて、私達はようやく宿舎に戻ってくることが出来た。
 宿舎に戻ってきてから、私達はすぐさま医務室にエリオ君を寝かせた後で会議室に集まり、こうしてサイオン部隊長等に事の顛末を話している。
 話はマルコちゃんがほとんどしてくれた。正直言うと、キャロちゃんが攫われたことで私はすっかり気が動転してしまって、あまり頭が働かないでいた。どこから話すべきなのか、どのような順序で説明するべきなのか、どれだけの時間で説明を終えるべきなのか、考えれば考えるほどに分からなくなって、声の出し方を忘れてしまったみたいに口が動いてくれなかった。
 そんな私の隣に、いつの間にかノーラちゃんがやって来た。両肩に手を載せて励ましてくれている。
「まあ、とにかく敵からのメッセージを見てみないか?」
 ミリー部隊長の言葉に、サイオン部隊長が頷く。手にしているメモリスティックを三課局員に渡すと、その局員はメモリスティックを再生機に差し込んだ。
「音声ファイルが一個あります」
「再生しろ」
 しばらくの静寂の後、再生機のスピーカーから聞き覚えのある男の声が流れてきた。
『我々からの要求は、プリズンに収められた竜型古代生物の引き渡しだ』
 あの男、キャロちゃんを連れ去った男と同じ声た。
『それと引き換えに、こちらで預かっているキャロ・ル・ルシエ陸士の身柄をそちらに渡そう。なお、管理局や自然保護隊本部への連絡は一切するな。下手な真似をした場合は人質を殺す』
 何の前触れも無く、誰もが交わす当たり前の日常会話のように「殺す」という単語が飛び出したことで、私は一層不安を大きくした。
『取り引き場所と時間はこちらで指定するので、空を飛べる魔導師がプリズンを持って一人で来い。判断は貴様等だけでしろ。では場所と時間を今から言う…………』
 音声ファイルから聞こえてくる声は、淡々とした声の調子を全く変えることなく取り引き場所と時間を指定すると、再生はそこで終了された。
 険しい表情を浮かべたままのサイオン部隊長。真剣な眼差しのミリー部隊長。再生機を操作する三課の局員は、ヘッドホンをしながらリピート再生をしていた。
 ふと、ミリー部隊長が鼻で笑いながら呟いた。
「ま、とりあえず緊急通信を本局に入れる前にメッセージが聞けて良かった。状況把握を優先して本局への連絡を後回しにしたのは正解だったようだ」
「そのようだな。先に連絡をしていたら手遅れだったかもしれん」
 敵からの音声ファイル同様に、冷静な口調で会話するサイオン部隊長とミリー部隊長を見て、私は驚いた。そんなに暢気に構えていられる事態では無いはずなのに、二人からは焦りというものが一切感じられない。指定された取り引きの時間まで約三時間しかないというのに。
「あ、あの…………」
 ようやく私の口が動き、情けないくらいに震えた声が喉から出てきた。
 その声を聞いて、サイオン部隊長とミリー部隊長、それに会議室内の全員の視線が私に集まる。
 こうして視線を集めたことは今までも何度かあったけど、今回は皆の視線がやたらと怖く思える。
「キャ、キャロちゃんを…………助けるんです……よね?」
 すると、ミリー部隊長はサイオン部隊長に視線を送った。
 その視線に気が付いたのか、それとも気が付いていないのか、サイオン部隊長はミリー部隊長のことを少しも見ることなく答えた。
「検討中だ」
「え?」
 今、彼は何と言ったのだろうか。私は自分の耳を疑った。
「検討中って…………助けないんですか?」
「だから検討中だ」
 さっきまで声を発することが出来なかった自分は、もういなかった。
 不安よりも、恐怖よりも、悪びれる様子もなくそんなことを言ったサイオン部隊長への怒りが大きくなった。
「検討中って何ですか!? 検討するまでもないじゃないですか! 助けに行きましょうよ! 行くんです!」
 会議室内に響き渡る私の声に、マルコちゃんもジージョちゃんも、他のホカン部局員や三課局員、自然保護官の皆までもが驚いた表情でいた。
 一切表情を崩すことなく冷静に構えているのは、サイオン部隊長とミリー部隊長。それと再生機の前にいる局員だけは、ヘッドホンによって外部からの音声を完全に遮断しているためか、会議室内に響いた私の声すら届いていない。
「ソフィー君。君の進言は、一つの提案として受け取ろう」
「提案じゃありません! 当然の結論だと思います!」
「決定権を持っているのは君ではない。私だ。それに今回の任務、及びこの場にいる局員の指揮権をを持っているのも、私だ」
 退けない。ここで退いたら、キャロちゃんを助けにいけない。強引に私だけ飛び出したところで敵に勝つのは無理だから、どうしてもこの場の皆と協力をする必要がある。
 そのためには、私は一歩だって退いちゃいけないんだ。
「敵の情報や作戦も無しにどうやって人質救出をするつもりだ? がむしゃらに飛び出したところで、我々の動きを敵が知ったら人質が殺されてしまうかもしれん」
「……で、でも! だからと言って助けるか否かで迷うのはおかしいんじゃないでしょうか!?」
「迷ってなどいない。検討しているんだよ」
 変わらないように感じる。私は納得が出来なかった。
 ミリー部隊長の方を見た。彼女なら、もしかしたら前みたいに助け舟を出してくれるかも知れない。
 私のそんな視線に気が付いたようで、ミリー部隊長がじっとこちらを見てきた。しかし、表情は私の期待に応えてくれるような雰囲気では無かった。
「ミリー君、部下を甘やかし過ぎじゃないのか?」
「そうか? まあ私は親バカだからな」
「肯定するなら、反省の色を見せたまえ」
 ミリー部隊長が歯を見せて微笑んだ。
 そんな、笑っている場合じゃないのに。
「皆さん、どうしてここにいるんですか?」
 突然聞こえてきた声の方を向くと、会議室の入り口に、包帯を頭に巻いたエリオ君が立っていた。
「お、目が覚めたか」
「エリオ君、もう大丈夫なの?」
 私とミリー部隊長の言葉に返事をすることなく、エリオ君は更に声を荒げて言った。
「どうしてここにいるんですか!? キャロを、キャロを助けにいかないと!」
 やはり、彼ならそう言うと思った。
 エリオ君は宿舎の玄関に向かおうとしたところで、急に足を止めて会議室に戻ってきた。そして椅子に腰掛けるサイオン部隊長に詰め寄り、真っ直ぐな瞳をサイオン部隊長の目に叩きつけるようにして尋ねた。
「キャロは……どこですか!?」
 エリオ君も相当焦っているようだ。そして頭が働いていない。キャロちゃんの居場所も分からないまま宿舎を飛び出そうとしたのも、彼女を助けたいという気持ちが先行したからだろう。
 サイオン部隊長は、私が意見を言った時と同じような、迷惑そうな表情を浮かべて言った。
「場所は分からない。だから動き様が無いだろう」
「じゃあ捜索しないと!」
 そう言って離れようとするエリオ君に向けて、サイオン部隊長が「待て」と声を掛けた。
「捜索をするつもりはない」
 足を止めたエリオ君は、相変わらずの真っ直ぐな瞳で、だけど明らかに怒りも込められた瞳で、サイオン部隊長の方に振り返った。
「どういうことですか?」
「言葉通りの意味だ。現状では、我々が動くわけにはいかない」
 そうか、エリオ君は敵からのメッセージを聞いてないから知らないんだ。私達の不審な動きを敵に見られるわけにはいかないということを。
「キャロ陸士を守ることに繋がる。だから動けないのだよ」
「そんなっ! だからってここで何もせずに待っていろと言うんですか!?」
「そういう風に聞こえなかったのか?」
「きけません! 僕だけでも捜索に出ます!」
 それは少しまずい。私はエリオ君を止めようと口を開きかけた。
 開きかけて止まったのは、そのすぐ後のミリー部隊長の行動に驚いたからだ。
 会議室の出入り口に向かって進みだすエリオ君。すると、すぐさま彼の後ろ襟をミリー部隊長の手が捕らえた。そのまま勢いよく引っ張られたエリオ君は、重心を完全に後方に傾けてしまって姿勢を崩した。後方に倒れかかるエリオ君を更に引っ張るミリー部隊長。その勢いが付き過ぎたせいか、それとも彼女の故意なのか、エリオ君の体は会議室の壁目掛けて投げつけられていた。
 鈍く重い衝突音と共に、エリオ君の呻き声が聞こえる。彼が壁にぶつかる瞬間、私も思わず短い声を上げてしまった。
「頭を怪我した割には血の気が引いてないんじゃないのか? 少し冷静になれ」
 ミリー部隊長の、怒気が込められた声。しかし、そんな声を発している時でも、彼女の顔は怪しげな笑みを携えていた。
「“奇跡の部隊”で最前線を張ったフォワードメンバーが、まさかこれほどの火の玉少年だったとは驚いたな」
「…………ぼ、僕の魔力変換資質は“電気”です! “炎熱”じゃない!」
「おまけにジョークが通じないほど頭が固いときたか。棍棒の一撃で昏倒したのが不思議なくらいだな」
 挑発にも似たミリー部隊長の言葉を聞き、エリオ君の目付きがより鋭利になっていく。
 ミリー部隊長が、再生機の前に座る三課局員の頭からヘッドホンを抜き取った。突然のことに驚く局員には目もくれず、ミリー部隊長はそのヘッドホンを持ったままエリオ君の目の前まで進む。
 そして壁にもたれ掛かるエリオ君の顔に自分の顔を近づけ、手にしたヘッドホンを乱暴に彼の頭に取り付けた。
「聞こえてくる音声をよく聞いてみろ」
 ヘッドホンで外部からの音を遮断されたエリオ君には、おそらくミリー部隊長の声は届いていない。
 だが、それでもミリー部隊長は彼の真正面から話を続けた。まるで目から目へ言葉を届けるように、押し込むように。そんな表情でミリー部隊長は言う。
「大事な彼女を助けたいのなら、もう少し賢く動け。現状からキャロ陸士の生存率が一番高く残る行動を選択し、実行するんだ。気迫で力を発揮する感情論と、気持ちで勝利を掴み取る精神論は私も嫌いではない。だが早まるな。お前はまだ幼い」
 いつの間にかミリー部隊長の右手はエリオ君の胸倉を鷲掴みにしていて、エリオ君からの一切の反発を許していなかった。
 有無を言わせぬ威圧感。この感じは前にもどこかで感じたことがある。そうだ、カローラ達との模擬戦で、撃墜された私が模擬戦の続行を懇願した時に助けてくれたミリー部隊長が、同じような雰囲気を発しながらなのはさんを説得してくれた。
 あの時の、“怖いミリー部隊長”がまた現れていた。
 しばらくの間が空き、それからエリオ君がゆっくりとヘッドホンを外した。
「…………すみませんでした。まさかこんなことになっているなんて」
 しょげた様な声を出したエリオ君は、俯いたまま謝った。
 ミリー部隊長が彼の胸倉を放すと、しわくちゃになった服を直すこともしないままエリオ君は立ち上がった。
「僕はキャロを助けたいです。キャロは……僕にとって大切な人なんです」
 言葉は静かな室内を駆け巡り、ここにいる私達全員の耳に届いていた。
「同じ六課で一緒に戦った仲間であり、フェイトさんに保護してもらった者同士というかけがえの無い家族であり…………」
 エリオ君の想いが溢れてきている。溢れても溢れても止まらないその気持ちが、私達すらも飲み込んでしまうのにそう時間は掛からなかった。
 足元からあっという間に頭まで。溺れそうなくらいに飲み込まれた私達は、しかし誰一人としてその想いの海から這い上がろうと、足掻くことはしなかった。
「…………僕が一生を掛けてでも守っていきたいと思う人なんです」
 想いの海に沈んだ体は、全身で彼の気持ちを受け止めようとしていた。
 鼻で吸い、口で飲み込み、肌を潤し、温かさを感じ取った。
 助けたい。
 誰もが、同じ想いを胸に秘めて。
「協力してください」
「もう一度顔を見せろ」
 ミリー部隊長が言うと、エリオ君はその顔をミリー部隊長の方に向けた。
 そこにいる少年の顔は、つい先程までのものとは別人のようで驚いた。
 強い意志は変わることなく、しかし、明らかに新しい何かも秘めている顔つきだ。
 それは覚悟か。最高から最悪までのあらゆる結果を受け入れるだけの覚悟。
 それは決意か。己が成すべきことを徹底的に成し遂げて目的を果たす決意。
 それは希望か。全てが終わるまで決して絶やさぬことを誓った確かな希望。
 とにかく、エリオ君はたった僅かな時間の中で更に成長したようだ。
「いい顔するじゃないかぁ」
 ミリー部隊長が笑いながらそう言った。
 そしてすぐに私達全員の方を向くと、両腕を胸の前で組んでから言った。
「こちらにいる一人の騎士が、力を貸して欲しいそうだ」
 貸して欲しい?
「おかしいと思わないか?」
 貸して欲しいとはどういうことだ?
「なあ諸君! 我々はオルギプスの解放任務のためにやって来たホカン部、及び機動三課だ!」
 貸して欲しいだなんて、慎ましいにも程がある。
「ホカン部である前に、機動三課である前に、我々は何者だ!?」
 仲間が攫われた。失くしてはいけない人が危険に晒された。
 そんな人を救うのは、一体誰だ?
「時空管理局員だろ! 協力してやるさ! 幾らでもな!」
「おおおおおおぅっ!」
 正義に満ちた勢いの良い雄叫びが轟き、時空管理局に集った勇者達が血を滾らせた。
「というわけだ、サイオン部隊長。検討の方はどうかな?」
 サイオン部隊長がゆっくりと立ち上がり、相変わらずの厳しい表情で言い放つ。
「…………全員静まれ。これより、キャロ・ル・ルシエ陸士の救出作戦会議を始める」
 遺失物保護観察部、及び遺失物管理部機動三課、激震の時。

 To be continued.



[24714] 第十五話 元捜査官
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/21 01:44
≪チャプター1:アウロン・ジープ≫

 シーツも掛かっていない簡素なベッド。空っぽの引き出しと一体型の机。固定式のデスクチェア。天井の照明は少し光量が弱まっていて、寂しげな室内の冷たい雰囲気を一層際立たせている。
 固いベッドの上に腰を下ろした私は、自分自身の無力感と情けなさを恨んでいた。
 私は、何をしているんだろう?
 あんなに敵にあっさりと捕まってしまい、皆の足を引っ張ってしまっている。時空管理局員なのに、なのはさんの下でたくさん訓練してきたのに、こうして何も出来ない自分は本当に無力だ。
「エリオ君、怪我しちゃったかな? 大丈夫かなぁ?」
 私はエリオ君の具合が心配になった。
 そう、エリオ君は、捕まった私に気を取られて背後に迫った敵の攻撃を受けてしまったんだ。
 私のせいだ。私があまりにも情けなかったから。
 自然と視界がぼやけてきて、溢れそうな“それ”を零さないようにと、私は何度も心の中で止まれと命じた。
 そんなに弱いはずはない。私は機動六課でずっとやって来た。自信もある。弱いはずはないんだ。
 自分自身に言い聞かせて、ぎゅっと拳を握り締めた。
 でも、どうしても堪え切れなくて、幾つかの雫が膝の上で弾けた。
 悔しい。
 捕らわれた現状に対する恐怖よりも、自分が皆の足手まといになってしまったという事実がとても悔しい。幾らでも沸いて出てくる怒りや呆れは、全て自分にしか向けられない。
 そしてそれらは雫となって、いつまでも止まることなく目から溢れ続けていた。
 突然、固くロックされていたはずの部屋の扉が開いた。
 すぐさま両手で目を擦り、扉の方を見た。誰かが入ってきた。
 扉が開いたのと同時に入ってきたのは、私をここに連れてきて閉じ込めた男だった。
 肩に触れるぐらいまで無造作に伸ばした髪を後頭部で結わいたその男は、無精髭に囲まれた口をニヤつかせながら、その長身の体で扉を潜ってきた。そして私を捕まえた時と同じ、腕を捲くったサファリジャケット姿を私の方に向けてきた。
「なんだぁ? 泣いてたのか? やっぱガキンチョだな」
「泣いてません!」
 私は濡れた指先を拳の中に丸め込んで隠した。
 でも、強がって大きな声を出したけれど、本当はとても怖い。
 目の前には私を攫った男。助けてくれる人は誰も近くにいなくて、デバイスはここに入れられる前に取り上げられてしまった。バリアジャケットも解除してしまった今の私は、自然保護官の制服に身を包んだだけの無力な子供だ。デバイスの力が無ければ魔法の制御なんて自信が無いし、かと言って腕力で敵うわけでもない。
 何も出来ない。その事実が、再び私の瞳を濡らしそうになった。
「また泣きそうだ。機動六課のフォワードメンバーと言ったって所詮は子供。大したことないな」
「えっ? 機動六課って…………私のことを知っているんですか!?」
 目の前の男が言い放った侮辱の言葉を忘れてしまう程、私は驚いた。皮肉にもその驚きのせいで、瞼の中の潤みは何処かへ消えてしまった。
 私の素性を知っているこの男、一体何者なのだろう。
「まあな。機動六課と言えば、昨年のJS事件の解決を機に“奇跡の部隊”と呼ばれるようになった優秀な部隊だろ。その中でも最前線で活躍した面子を知らないなんて……な?」
 それでも、一般の人々がJS事件を解決した六課のメンバーまで知っているとは考えにくい。
 この男は間違いなく、管理局の内情に精通している。
「な、何でそんなことを知っているんですか?」
「JS事件っつったら有名だろ?」
 JS事件。正式名称を『ジェイル・スカリエッティ事件』と言う。
 生体改造、生命操作、精密機械等のあらゆる分野に通じた天才的頭脳を持つ科学者であり、数多くの事件に関与してきた次元犯罪者でもある男、ジェイル・スカリエッティ。そんな彼を中心として引き起こされた、ロストロギア『レリック』を巡る事件を、通称『JS事件』と呼んでいる。
 私達がつい最近まで所属していた遺失物管理部機動六課は、昨年、この事件を解決へと導き、スカリエッティも逮捕することに成功した。
 だが、機動六課の事細かな内部事情はおろか、各メンバーの素性まで一般人に報道されるようなことにはなっていないはずだ。
 しかし、確かに目の前の男は言った。JS事件に関与した機動六課の最前線メンバーを知らないわけがない、と。そんな意味合いのことを、男は確かに言っていた。
 そこから導き出される一つの考えは、おそらく当たっている。
「…………あなたは、管理局員なんですか?」
「“元”、だけどな」
 だから魔法を使えるんだ。私を攫った時に空を飛んでいたのが気になっていたが、元管理局員ということならば不思議でもない。決して管理局員だけが魔法を使えるわけではないけれど、こうまで管理局の内情に詳しいとなると、もうその考え以外は思いつかなかった。
 これは敵に関する重大な情報だと思う。私はそのことを皆に知らせたかった。
 でも、ここからではそれも叶わない。
「どうしてこんなことをするんですか?」
「あ?」
「どうしてこんなことをするんですか? あなたのやっていることが悪いことだって分かるでしょう? 管理局員だったのなら尚更…………どうしてですか?」
 そう問いかけると、男は俯いた。
 しかし、すぐに肩が震えだす。その震えは一体何を意味しているのか分からない。でも、こんな犯罪行為に手を染めた理由は、何かとてつもなく重苦しい事情があるのではと思った。
 そう思えた理由は、やっぱり男の経歴を考えてのことだった。
 次元世界の平和を守るために存在する時空管理局ではあるが、完全に善良な組織というわけではなかった。それは昨年のJS事件で明らかになってしまった事実なのだ。昨年、JS事件における最終決戦が行なわれている中で亡くなったレジアス・ゲイズ中将は、時空管理局内でも絶大な力を持つ人でありながら、実は裏でスカリエッティと繋がっていたのだ。
 だけどその汚職事実も、レジアス中将が抱いた理想の正義を実現するための、行き過ぎた手段だった。そう、レジアス中将は悪に魅了されたわけではなかったのだ。
 そんな物語に関わってきた私だから、元管理局員だという男の胸深くには、きっと何か事情があるのだろうと思えた。それこそレジアス中将のような、不本意でも悪に手を染めてしまうような止むを得ない事情が。
 震える男の答えを、私はいつまでも待つつもりでいた。話してくれれば、もしかしたら彼を更正させることが出来るかもしれない。理解して、正しい方向に導いてあげることが出来るかもしれない。
 すると突然、男の震えが少し大きくなって、そして“笑い声”が聞こえてきた。
「…………お子様なんだなぁ、本当に」
「え?」
 男の震えは、笑いを堪えていた震えだった。
「何でこんなことをするかって? おいおい、自分の利益にならないことなんてしないだろ、普通」
「利益?」
「そうだよ。自分に損なことはしない。これ、当たり前」
 理解が出来ない。何故こんなことが人の利益になるのだろう。
「で、でも、利益が欲しいなら他にもやり方があるんじゃ…………。悪いことをしても追いかけられたり捕まったりするだけだし、もっと全うなやり方なら」
「まあな。管理局員に追われるっていうリスクは確かにデカイよな。俺だって元々管理局員だからさ、連中が厄介なのは解ってるよ」
 では、何故?
「でもな……ダメなんだよ。世の中にはこういうやり方しか出来ない奴ってのがいて、俺はそういう部類なのさ。ほら、向き不向きってあるだろ?」
「よく……解りません」
 困ったような顔を浮かべる男。
 私は不思議でならなかった。不器用だからと言って、全うなやり方が向いていないからと言って、だからと言って悪いことをしていい理由にはならないと思う。
「管理局に入ったのだって、魔法が覚えられればそれで良かったのさ。だって便利じゃねえか」
 そんな考えを持った人がいることが、なかなか信じられなかった。
「子供にはまだ難しいか? いいねぇ、純粋で」
「…………さっきから子供子供って、私には名前があります」
「分かったから膨れるなよ。じゃあキャロでいいのか?」
 犯罪者に、親しげに名前で呼ばれることは少し抵抗があった。
 私はまた頬を膨らませる。
「おいおい、結局どっちなのさ」
 男はまた笑った。
 何故だろう。この人は私と仲良くしたいのかな。それとも子供だと思ってからかっているのかな。
 不思議と、目の前の男から純粋な何かを感じ取ることが出来た。口で説明するのは難しいけれど、余計な意思の無い、本当に無垢な何か。少なくともそれは、私の中には見つけることが出来ないものだ。いや、もしかしたら私の中にもあるのかも知れない。そういう思いはあるけれど、いずれにしろ今の私は知らないものだった。
 本当に、悪い人なのかな。
 今までいろいろな悪い人達を取り締まってきたけれど、彼等全員が深い事情を持っているわけではないというのは分かっている。お金が欲しいとか、魔が差したとか、そんな単純な理由で犯罪に手を染める人がいることを私は知っている。
 でも、思えば私は、今まで捕まえた人達ときちんと喋ったことなんてなかった。彼等が犯罪に手を染めた理由も、調書を通して知ることが多かったから。
 悪人にもいろんな人がいるのだと、改めて思い知らされた。
 目の前の人は、悲しくて深い事情があって悪事に手を染めたわけでは無いと言うけれど、本当にそうなのかな。こうして面と向かって話していると、何だか憎めないような気もする。
「さてと……ところでキャロ?」
「はい」
「俺はキャロと仲良くなりたいんだ」
「え?」
 男がニコニコしながらじっと私の目を見てきた。
「俺の仲間にならない?」
「なりません!」
 そんな質問には迷わず即答出来る。
 私は男を睨みつけた。
「まあまあ、そんなすぐに答えを出すこたぁねえよ。ちょっとは考えてくれないか? 俺は自分の利益になることしかしないんだ。つまり、キャロを誘うってことはそれだけキャロが俺にとっての利益に繋がるってことさ」
「解りません! どうしたらそうなるんですか!?」
「そんなに悪い話でもないと思うぜ? 俺自らが声を掛けるくらいだ。それなりに良い待遇で迎えてやるさ」
「そんな誘いは受けません」
 自分が犯罪者の下に厄介になるなんて、考えたことも無かった。考えるまでも無い。有り得ない。
 私には、独りぼっちだった私を引き取ってくれたフェイトさんがいて、いつまでも一緒にいたいと思える大好きなエリオ君がいて、私を大切に想ってくれる仲間達もいて。
 そんな人達の側を離れて、そんな人達を裏切って、そんな人達を捨てて。
 そんな生き方なんて考えられない。私には、失えないものがあるから。
 目の前の男は相変わらず笑っていた。
「まあいきなり仲良くなろうっつったって無理だよな。とりあえず、俺の名前を教えるよ。素性の分からない奴なんかと仲良く出来ないもんな」
 素性が分からないから仲良く出来ないんじゃなくて、信用に足るものが無いから仲良く出来ないのに。
「アウロン。アウロン・ジープって名前だ。覚えてくれよな」
 そう言うと、アウロンさんは部屋の扉の前に再び立った。
「考えてといてくれよ」
「私は絶対仲間になりません」
「だから、考えといてくれ」
 そう言いながら、アウロンさんは私の方に顔を向けて微笑んだ。
 その時、突然アウロンさんの目の前の扉がスライドして、やって来た別の男が慌てた様子で喋りだした。
「いた! アウロンさん、こんなところで何してたんすか!? 探しましたよ!」
「何だよ、うるせーな」
「侵入者がいるんですよ、この船に!」
「何ぃ!? 管理局員か?」
「他にいないでしょ!」
 アウロンさんが私の顔を再び見る。少し怖かった。
 侵入者? 誰かが私を助けに来てくれているのだろうか?
「とにかく捕まえろ。今人質を手放すわけにはいかない。この部屋の扉をロックしたら、部屋の前に見張りを立てろ。いいな?」
 アウロンの指示を聞くと、男はすぐさま返事をして走り去っていった。
 続いてアウロンも部屋を出て行くと、扉は再び固く閉ざされてしまった。



≪チャプター2:サイオン・スチュアート≫

 緊迫した空気で満たされた会議室内に、サイオン部隊長の重たい声が響いた。
「では、キャロ・ル・ルシエ陸士の救出作戦会議に移ろう」
 敵が指定してきた取り引き時刻まで、あと二時間四十分となった。この限られた時間の中で、キャロちゃんを救出するための妙案が出てくるだろうか。仲間が捕らわれてしまっているという、私が初めて経験する特殊な状況下での作戦会議は、いつもの会議とは全然違うものだった。
 緊張感と焦りで、時計の針が進む度に私の中の不安はどんどん大きくなっていく。
 怖い。私達がこうしている間にもキャロちゃんが何かされているんじゃないかと考えると、会議なんてほったらかして、すぐにでもこの場を飛び出して助けに行きたいという衝動が強くなる。
 横を見ると、エリオ君も同じような考えを抱いていることがすぐに分かった。ミリー部隊長に窘められて納得は示したものの、やはり心のどこかではすぐにでもキャロちゃんを助けに行きたいのだ。
「現状で我々が出来ることは極めて少ない。とにかく、敵を知るところから始めてみようと思う。現在手元にあるじょ」
 突然、サイオン部隊長の声を遮る音が、けたたましく鳴り響いた。その音は、通信機が外部からの通信連絡を受けた際に流れる受信音だった。
「誰からだ?」
「発信元不明です。回線開きますか?」
 サイオン部隊長が頭を縦に振る姿を確認すると、三課局員の通信士は目の前の通信機を操作した。
 そして開かれた通信回線。モニターは無いが、聞こえてくる音声はリアルタイムで送られてくる言葉。
 そしてその声は、聞き覚えのあるものだった。
『てめえら、どういうつもりだ!? 下手な真似したら人質は殺すというメッセージを聞いてねえのかよ!?』
「…………敵からです!」
 室内が騒然とする。エリオ君の足が、一歩だけ踏み出された。そんな彼の様子を見たミリー部隊長は、そのままエリオ君から視線を外さなかった。おそらく、彼が通信機に向かって飛び出さないようにと見張っているのだろう。
「マイクを貸せ」
 サイオン部隊長がマイクを片手に取ると、スイッチを入れてから話しだした。
「こちらで指揮を執っているサイオンだ。事情を聞かせてくれ」
 冷静な口調で淡々と話すサイオン部隊長に対して、通信機の向こうから聞こえてくる声はかなりの剣幕で返事をしてきた。
『とぼけてんじゃねえぞっ! こっちの船に侵入者がいる! てめえ等以外の誰が入り込むってんだよ!?』
「侵入者だと? 生憎だがこちらは一切手を出していない。間違いではないのか?」
 心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じて、私は胸を両手で押さえた。
 敵の様子から察するに、向こうは予想外の事態に見舞われて相当興奮しているのが分かる。たとえ本当にこちらが何もしていなくても、すっかり頭に血が上ってしまっている敵が、サイオン部隊長の弁解を簡単に聞き入れるとは思えない。
 下手な受け答えをしたら、キャロちゃんの命が危ない。
『嘗めてんのかぁっ! てめえ等仲間の命よりもオルギプスの方が大事だってのか!? くそったれ!』
「落ち着いてくれ。我々は取り引きに応じるつもりだ。嘘じゃない」
『信じられるかっ! 人質の腕の一本ぐらい折ってやらねえと分かんねえんだろ!』
 その言葉が聞こえてきた瞬間、エリオ君が体を前傾にして走り出そうとした。それと同時に、ミリー部隊長が彼の体をがっちりと抱え込んで放さない。
「待ってくれ、頼む。本当に分からないんだ。そして取り引きにも間違いなく応じる。人質の命が最優先だからな」
『…………なら、見つけた侵入者は俺達の好きなようにさせてもらうからな。後で人質と一緒に返してくれとか言い出すんじゃねえぞ』
 その時、エリオ君を押さえつけていたミリー部隊長が、片手でサイオン部隊長に合図を送る。サイオン部隊長がマイクを持って彼女に近づくと、マイクに噛み付こうとするかのように動くエリオ君の頭を力ずくで伏せさせながら、ミリー部隊長は近づけられたマイクに向かって言った。
「サイオンと同じく指揮を執っているミリー・バンカルだ。もし良ければ、人質の声を一言だけでも聞かせてもらえないか?」
『そりゃあ寝言か? 一生夢見てろ、バカヤロウ』
 それだけ言い残すと、通信回線は一方的に切られた。
 手にしていたマイクを置き、ため息を吐きながら椅子に腰掛けたサイオン部隊長は、背もたれに体重を預ける。
 敵の声はもう聞こえないけれど、敵との通信によって一気に高まった室内の緊張感はいつまでも残り続けた。
 キャロちゃんが危ない。
 イメージしたくなくても勝手に湧き上がってしまう最悪の結果を思うと、私は泣き出してしまいそうだった。
「侵入者だと? こちらにはキャロ陸士以外全員揃っているだろう?」
「そのはずですが…………」
 ノイズ曹長が会議室内を見渡す。
 すると、別の三課局員が「あれ?」と声を上げた。
 全員の視線が彼に集まる。その彼の目の前には、広域用電波送受信装置、所謂レーダーがある。
「ノイズ曹長、ちょっとこれを見てください」
 ノイズ曹長がレーダー画面を覗き込んでいる。何だろう。何か分かったのかな?
「発信機の信号を感知出来ません。宿舎どころか、ここを中心にした周辺区域にも反応が無いんです」
「発信機って、アイサ君に持たせたやつか? まさか持ち帰って電源を切ったりしたんじゃないだろうな。アイサ君、発信機をどこへやったんだ?」
 響くノイズ曹長の声。しかし、何処からも返事は無かった。
 再びアイサちゃんの名前を呼ぶノイズ曹長。しかし、その声はどんなに大きくなっても空しく響くだけだった。
 嫌な予感がした。
 マルコちゃんの顔を見ると、口角を引き攣らせている。ミリー部隊長は呆れたようにポッカリと口を開け放し、エリオ君は周囲をきょろきょろと見渡していた。
 私は窓際に駆け寄り、外で待機しているフリードの背中を見た。誰も乗っていない。
 ノイズ曹長が、ゆっくりとサイオン部隊長を見る。私も同じようにサイオン部隊長を見ると、彼は固く握り締めた拳を輪郭が掴めない程に震えさせていた。
「サ、サイオン部隊長…………」
「…………レーダーの捕捉範囲を次元空間に切り替えろ。チーク周辺の次元空間なら出来るだろう?」
 地の底から湧き出るような声だった。
 命令通りに装置が操作されると、画面には発信機の信号を受け取った証の光が映った。
 誰もがため息を吐いた。
「キャロ陸士と一緒に、返してもらえますかね?」
「忘れろ。キャロ陸士だけに専念する」
 酷い。だが、今度ばかりは私も意見することが出来なかった。それだけサイオン部隊長の声が、そして表情が怖かった。
 しばらくの沈黙の後、サイオン部隊長が大きな深呼吸をしてから、仕切り直すように言った。
「では、作戦会議を始める」
「キャロは……キャロは無事なんでしょうか?」
 エリオ君が不安そうに尋ねた。
 当然だ。敵の船にいる侵入者がアイサちゃんだと分かり、それがこちらの意図する事態では無いとしても、敵にとってそんな事は関係無いのだから。
「エリオ陸士、落ち着け」
「落ち着けませんよ! キャロが危ない!」
 再び騒ぎ出したエリオ君を見ながら、サイオン部隊長が言葉を続けた。
「キャロ陸士はおそらく無事だ」
「何で分かるんですか!?」
「追って説明する」
 サイオン部隊長が全員の方に向き直り、淡々とした言葉で話を始めた。
「まずは敵の事を知ろう。今手元にある情報から、ある程度敵の全体像を割り出そうと思う」
 出来るのだろうか、そんなことが。手元にある情報と言っても分かっていることと言えば、キャロちゃんを攫った男は魔法が使えることと、敵は集団であり次元航行艦を所有していることと、オルギプスを狙っているということだけだ。一体これだけの情報から何を引き出すというのだろうか。
 私の思っていることを代弁するかのように、ノーラちゃんが呟いた。
「分かるんでしょうか? 敵のことなんて」
 その呟きが聞こえたのか、ミリー部隊長が私とノーラちゃんを見て小さく囁いた。
「まあ見てろ」
 彼女の手は、ようやくおとなしくなったエリオ君の体から離れたところだった。
「まず敵の正体についてだが、ある程度見当が付いた」
 思わず声を上げそうになった。一体、サイオン部隊長は何をもってそんなことを言っているのだろうか。
「とにかくこちらは、表立って下手な行動はしない方がいいな。取り引きは敵の指示に従うべきだろう。メモリスティック内のメッセージがご丁寧に無音な環境で録音されている上、要求も単刀直入に始まっている。必要以上の情報を残さないように纏められている手口から、敵もそれほど馬鹿ではないと分かる。我々の下手な細工は通用しないと思っていいだろう」
「名前、言ってなかったよね」
 ブラント君がぽつりと呟く。
「名前を言うのは馬鹿な証拠だ。犯罪者が自己紹介なんてしてどうする? まあ、一点だけ突っ込ませてもらうなら、声も変えてくるべきだったな。もっとも、ここにあるだけの設備であと二時間半の間、声一つで何が分かるかと言えば高が知れているがな」
 ミリー部隊長が尋ねた。
「で、敵の正体とやらは?」
「このメモリスティックを落としていった時点で既に気になっていた。敵は人質を取ったその場でこのメモリスティックを残している。つまり、このメッセージはあらかじめ録音されていたものだ」
 サイオン部隊長と、ミリー部隊長の会話だけが会議室内に続いていった。
「それで?」
「あらかじめ用意していたものであるにも関わらず、メッセージ内にはキャロ陸士のフルネームが入っている。つまり、キャロ陸士のことを元々知っていたということになる」
「なるほど。たぶんキャロ陸士の顔も知っていたんじゃないか? 周囲の敵に気を取られているとはいえ、調査チームの陣形のど真ん中に降り立って、迷わず彼女を捕らえている」
「そうだな。それらが示すことは、最初から狙いはキャロ陸士だったということだ。そしてメッセージ内容に、もう一つ気になる点がある。管理局ばかりか自然保護隊本部への連絡禁止まで指示してきた。一般人が自然保護隊を知らないわけではないが、普通なら『管理局への連絡禁止』と言うだけで通じるものだ。潜在的に自然保護隊と管理局の微妙な組織関係を少なからず理解し、意識しているからこそ区別して言ったのだろう」
「なるほど。ってことは管理局内部に精通しているな」
「おそらく管理局に関係がある、もしくはあった人間だろう」
「それと……敵はプリズンの存在とオルギプスの名称まで知っていた」
「そこだ。“古代文明のデータ保存装置に閉じ込められていた竜型古代生物を、チークにて保護観察する”という情報は、確かに各方面の関係者、研究組織にも開示してきた。しかし、我々の輸送任務を知っている者は限られてくる」
「管理局内部に内通者か?」
「それもあり得るが、まずは外から疑おう。一部の研究組織には、輸送任務の日程は伝えてあるからな」
「もしかしたら敵は元管理局員かもな。プリズンの捜索は十年前から続けられているから、少なくとも十年前までは管理局員であったとすれば、プリズンのことは知っていたかも」
「そしてオルギプスの名称も知っている。我々三課は無限書庫で最近調べたわけだが、古代ベルカ時代や古代生物に詳しい学者なら既に知っていたかもしれん。その点を踏まえて考えると、敵には協力者、もしくは依頼主がいるんじゃないか? そいつが艦船でやって来た奴にオルギプスの情報も流しているとすれば……」
「オルギプスを独り占めしたい研究者が、元管理局員の犯罪者に依頼したってところか。オルギプスを奪ってきてくれってな」
「その筋が強いな。依頼主の研究者、もしくは研究組織は、管理局から今回の任務について情報開示を受けている者の中に絞り込んでいいかも知れん。研究者ってのは最新や最先端というものに異様に執着する気があるから、自分だけが知り得る情報を同業者に教えることはまず無い。それと、これは重要なことになるが…………」
 サイオン部隊長が一瞬だけ間を置いた。
「キャロ陸士は無事だ。しかも高確率で。それと断言は出来ないが、おそらく簡単には殺されない」
「な、何でですか?」
 エリオ君が驚きながら訊いた。
「最初にも言った通り、敵は元々キャロ陸士を攫う予定だったと見ている。その理由を考えたんだが、ただ非力だからなんていう理由ではなく、もっと別の何かがある気がする」
「私も同感だ」
「キャロ陸士の能力を考えれば自然な答えが出る。主のいないオルギプスは害こそ無いが、その代わり何も出来ない。研究者にしてみれば、少々物足りない研究材料かもしれん」
「だが、使役してくれる主がいれば別だ」
「その通りだ。都合の良いことに、今回の任務に同行してくれたキャロ陸士は稀少な竜召喚士。もしかしたら竜型古代生物の主を務めることが出来るかも知れない」
「敵もなかなか考えたものだ」
 私は感心していた。サイオン部隊長の分析能力に驚かされたのだ。
 僅かな情報から読み取る力。それは魔法やレアスキルなんかではなくて、誰もが持っている“頭脳”の鍛錬によって得られる力。
 出来る出来るとは聞いていたが、これほどまでだったのか。
 ふと、私の方をマルコちゃんがニヤニヤしながら見ていた。
「ソフィー、ボケーっと口が開いてて、アホ面だったぞ」
「いや、サイオン部隊長って凄いなぁって……」
「あの人、元捜査官なんだって」
「え? そうなの?」
「うん。ボクも聞いた話だけどね。魔力はほとんど無いから魔導師にはなれないけれど、その分頭を使って数多くの事件を解決しているんだとさ。だから機動三課の部隊長にも、大勢の高官達の推薦で大抜擢されたらしい」
 そんなに凄い人だったなんて。
 ついさっきまで、私はそんな凄い人に意見していたのか。ちょっと身震いした。
「敵の素性が大体分かれば、敵の動きも予想しやくすくなる。続いてはキャロ陸士救出までの手順にについてだ。全員聞き漏らすな」
 今度はミリー部隊長が話を始めた。
 なんだか、私は凄い人達に囲まれているんだと感じた。
 機動六課のなのはさんと、エリオ君やキャロちゃん。クセが強くてやる時はやるホカン部の仲間達。三課の優秀な部隊員の皆。
 私の身近には、こんなにも凄い人達がたくさんいる。
 無敵。
 その一言が、私の頭の中を占めていた。
 敵に回してはいけないんだなと、キャロちゃんを捕まえている一団にほんの少しだけ同情しながら、ミリー部隊長の立てた作戦を聞いていた。

 To be continued.



[24714] 第十六話 純粋
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/21 01:48
≪チャプター1:勇気と決意≫

「そんな作戦に乗るとでも思うか?」
 ただでさえアイサちゃんの件でご機嫌斜めなサイオン部隊長が、鬼の様な形相でミリー部隊長に詰め寄った。しかし、見ているだけで謝ってしまいたくなるようなサイオン部隊長の気迫を前にしても、ミリー部隊長の表情は僅かな変化だって見せなかった。
 サイオン部隊長の言葉が続く。
「ふざけるのも大概にしろ。我々を何だと思っている? 捨て駒と勘違いしているならまだマシだ。だが……お前の言うやり方では捨て駒以下になるかも知れんのだぞ」
「もちろん大切な仲間だと思っているさ。信頼している。だから、私達のことも信じてもらえないか?」
 不敵な笑みを浮かべたミリー部隊長は、迫り来るサイオン部隊長を前にして一歩も退くことなく、両腕を組んだまま仁王立ちの姿勢で構えていた。
 私がノーラちゃんとマルコちゃんの二人に視線を向けると、ノーラちゃんはサイオン部隊長の気迫に圧倒されて完全に竦み上がり、マルコちゃんも黙って見守っていろと言わんばかりに息を吐く。
 この展開の発端は、ミリー部隊長立案の『キャロちゃん救出作戦』に対してサイオン部隊長が猛反対したからだ。
 だが、実を言うとサイオン部隊長の気持ちは分からなくもない。もし私がサイオン部隊長の立場でも、この作戦内容は“怖くて”反対すると思うからだ。
「何だ? サイオン、まさかビビッてるのか?」
「そうではない! ただ危険度の高さを考えれば実行するべきではないと言っているんだ!」
 いや、たぶん内心では怖がっている。
 ミリー部隊長の立案した作戦は、キャロちゃんを救出するばかりか敵の逮捕も目論んだ作戦。その内容はと言うと、ずばり少数精鋭。宿舎にいる局員全員で動くと規模が大きすぎて敵に察知される可能性が高い。そうなってはキャロちゃんの命が危ないからということで、取り引きを行なう役の局員一名と少人数チームだけで動き、残りの局員は敵に気付かれない場所で待機というものだった。そして取り引きによってキャロちゃんを保護した後、敵グループの逮捕に全員で当たるという作戦なのだ。
 こうして聞けば、まあまあ妥当な作戦ではないかと思う。敵の所有する次元航行艦の型式を調べたところ、実装している魔力感知レーダーは旧式であり、マリアンヌのような大型次元航行艦で移動したり十人以上の魔導師が一箇所に固まったりすれば、簡単に捕捉されてしまって敵艦に近づくことは出来ない。だが、少人数でならそう簡単に察知されることもないだろうというのだ。
 そんな作戦において、サイオン部隊長が怖がっている、もとい危険視している点が幾つかある。
 まず一つ目は、少人数による実働チームの構成メンバーだ。ミリー部隊長が指定したそのメンバーが誰なのかと言うと。
「何故そのチームの構成メンバーがホカン部なのだ!? その時点で危険ではないか!」
「そいつは心外だな。我々ホカン部だって武装局員の集まりだぞ? それにほら、優秀な人材も加わる」
 そう言ってミリー部隊長は、エリオ君の頭を手の平で叩いた。
「三課の魔導師では何故いかんのだ?」
「空を飛べる奴が極端に少ないだろう」
「ブラントとエリオ陸士も飛べんぞ」
「ブラントにはウィンディーヌがいるし、エリオ陸士にはフリードがいる」
 サイオン部隊長の歯軋りが聞こえてきそうだった。
 相手が次元航行艦を所有している以上、やはり最低でも飛行能力は欲しいというミリー部隊長。だが、本来の任務に連れてきた三課局員のほとんどが空を飛べない人ばかり。今この場にいる三課局員で飛行能力を持つ魔導師の数は、ノイズ曹長を含めて片手で数え切れてしまう程度だ。
 幾ら少数精鋭と言っても、三課の空戦魔導師だけでは少な過ぎる。かと言ってホカン部隊員と足しては少々多い。だから、ホカン部隊員とエリオ君がいれば人数的に丁度良いのだと言う。
「だ、だがそれでも危険だ! お前達ホカン部に任せていいのか!? 本当に大丈夫だと言い切れるのか!?」
 サイオン部隊長は、どちらかと言えばホカン部を悪くは思っていない人だと思う。いや、悪く思っていないというよりも、“要らん部”とか“役立たん部”と蔑まれているホカン部の評価自体に関心を抱いていないとでも言うべきか。
 そんなサイオン部隊長ではあるけれど、今回の作戦の万が一を考えれば、彼が最も信頼している三課局員を使いたいという心境であるのは当然と言えるだろう。
「お前達が失敗することで全滅する可能性だって充分あり得るんだぞ! 解っているのか!?」
 サイオン部隊長がこの作戦を恐れている、もとい危険視している理由の二つ目は、少数行動をする実働チームに、待機チームの命運までも預けることになるという点だ。
 実は待機チームの隠れる場所に問題があり、サイオン部隊長はその点を怖がっている。正直に言って、私もどちらかと言えば実働チームに加えられて良かった思っているくらいだ。
 私もこの作戦は怖い。
「心配するな。どっちにしろ円満解決を望むならこの作戦がベストだ。他に良案があるなら聞かせてもらいたいが、取り引きの時間まであと一時間ちょっとだ。何か案はあるのか?」
 ミリー部隊長の視線が一瞬だけ時計に向けられたが、サイオン部隊長の視線は一瞬だって逸らされることはなかった。ミリー部隊長の両目を睨みつけたまま、噛み締められた顎は小刻みに震えている。
「…………円満解決だと? それを言うならプリズンを引き渡さずに解決する道を考えるべきだ。それに敵の狙いにはキャロ陸士自身も含まれている可能性が高いと言っただろう。オルギプスの主人として利用するためだ。本当に取り引きで返してもらえると思っているのか?」
 そう、この作戦ではプリズンを捨てることになる。敵の要求通り、プリズンを敵に渡してしまうのが作戦の一環なのだ。隙があれば作戦実行中にプリズンを回収という手筈ではあるのだが。
 そして何より、キャロちゃんが戻ってくるという保障も無い。というより、サイオン部隊長の推理を聞いた後では、キャロちゃん解放の可能性は絶望的だ。敵の狙いがオルギプスだけでなく、その主人となり得るキャロちゃんでもあるのなら、間違いなく手放すわけなど無いのだから。
「安心しろ。この作戦ではプリズンを奴等に渡すことこそが要となる。それを成して初めてキャロ陸士救出の兆しも見えてくるというものだ。それにプリズンだけだったら諦めてもいいだろう。たかが容量の馬鹿でかいメモリじゃないか。無理して取り返す必要は無い。くれてやれ、こんなもん」
「馬鹿も休み休み言え! これはロストロギアだぞ! みすみす敵にくれてやるつもりか!?」
「人命とロストロギア、どっちを優先するつもりだ?」
 なかなか終わりを迎えない二人の口論に、とうとうエリオ君が痺れを切らしたように口を挟んだ。
「サイオン部隊長! お願いします、作戦を実行させてください!」
「決定権を持っているのは我々二人だ。黙って待っていろ」
 刺さるような視線を向けられてもなお、エリオ君は食い下がった。
「約束します、必ず成功させてみせますから! 僕に……僕達に皆さんの命運を預けてください!」
 その真っ直ぐな眼差しは、誰にも有無を言わせない我儘の表れ。しかしそれは、誰にも曲げられない信念の表れでもある。
 そうだ、こんな争いをしていても時間の無駄だ。他に最良の手が無いのなら、今ある可能性に全力を注ぎ込むのが正しいはずだ。
 エリオ君は、ついさっきミリー部隊長に言われたことをしっかりと守っているんだ。少なくとも取り引きを成功させるまではキャロちゃんも無事でいるだろうと見込み、極力敵の要求に応えているこの作戦に賛成している。彼女の、無事でいる確率が最も高い手段を選択している。たったそれだけのことなんだ。
 危険だからとか、もしも失敗したらとか、そんな些末なことに怯えるよりも、確かにある可能性を信じて動く。エリオ君はそんな考えに従って動いているんだ。
 逞しいと思った。例え危険や失敗の可能性があっても、自分のため、そして仲間のための最良を選択する勇気を持ち、そして実行する覚悟を持っている。
 機動六課の『エリオ・モンディアル』という名の騎士を、改めて強いと感じた。
 両拳を固く握り締め、深い皺を眉間に刻み込んだサイオン部隊長が言葉を搾り出した。
「…………必ずだ、必ず成功させろ…………そして私達を“助け出せ”」
「はっ! 助け出せときたか…………誰の救出作戦なんだか分からんな」
 ミリー部隊長の嫌味を聞き流せないサイオン部隊長は、わざとらしく顔を背けて大声でノイズ曹長の名前を呼んだ。その叫びを聞いたノイズ曹長が大慌てで駆け寄ってくる。
 近づいてきたノイズ曹長に向けて声を投げかけたのは、ミリー部隊長だった。
「ノイズ曹長、作戦の決行が決まった。ということで、敵との取り引きを行なう役目は君に任せたい」
「は、はい! 了解しました!」
 真っ直ぐに背筋を伸ばし、胸を張って敬礼するノイズ曹長。
 そんな彼に、サイオン部隊長が呪詛を吐くように一言言った。同時にノイズ曹長の胸倉を掴んでいる。
「貴様もだ……絶対にしくじるんじゃないぞ! 分かってるな!?」
「はっはぁ、はあぁい! 了解しましたぁっ! …………だから怒らないでくださぁい」
 半べそを掻いていた。
「よし、決まったな。では早速準備に取り掛かろう」
 ミリー部隊長の言葉を最後まで聞くことなく、サイオン部隊長はその場を離れていった。
 私は何度か深呼吸をした。作戦決行が正式に決まった今になって、心臓が高鳴り始めたのだ。
 この作戦を成功させないと、サイオン部隊長に殺される。
 いや、そうじゃなかった。
 成功させないと、キャロちゃんを助けることが出来ない。
「エリオ君、絶対キャロちゃんを助け出そうね!」
 作戦の成功を約束するために、私は誰かとこの決意を分かち合いたかった。
 無論、誰もが作戦の成功を望んでいるのは分かっている。だが、決意をより確かなものにしたくて、そしてキャロちゃんのことを誰よりも想っている人から勇気を分けてもらいたくて、エリオ君にそう言っていた。
 人質を取られているという特殊な状況下において、私はきちんとやるべきことをやれるだろうか。そんな不安を打ち消すためにも、誰よりも強い彼の勇気と覚悟が、私には必要だったのだ。
「はい! 頑張りましょう!」
 エリオ君が右手を差し出してくれた。力強くて温かい手だ。私よりも年下の少年がこんなにも頼もしい。
 私には、彼がずっと大きく見えた。
 エリオ君の手を握り返していると、背中を誰かに小突かれた。
「忘れるな。ボク達もいるぞー」
 私の背後にはホカン部の仲間達。
 そうだ、このメンバーが揃えば出来ないことなんて無い。私の自慢の仲間達なのだから。
 エリオ君ばかりか、もっと大勢から私は力を貰っているんだ。
「お前達、士気は高まったか?」
 ミリー部隊長が相変わらずの仁王立ちで言ってきた。
「はい! バッチリです!」
「ようし、その意気だ。安心しろ、今回の作戦は必ず成功するさ。何てったって……」
 仁王立ちのミリー部隊長の表情が、いつか見たことのある楽しそうな笑顔になった。
「私も出撃するからな!」
 高らかな笑い声を響かせて、ミリー部隊長が天井を仰いだ。
 ミリー部隊長と一緒に出撃。私には初めての経験だ。
 彼女の存在も頼もしく思う反面、緊張感が高まったのも事実だった。ミリー部隊長の空戦技術は見たこと無いが、彼女の性格を考えると、おとなしい戦いをする人では無いと分かる。
 下手したら攻撃に巻き込まれたりして。
 まさかね、と思い直していると、ノイズ曹長の控えめな声が聞こえてきた。
「…………あの」
「ん? 何だ?」
「作戦に関して質問があるのですが、よろしいですか?」
「ああ」
「…………アイサ君は、どうしたらいいのでしょうか?」
 あ、そうだった。
 彼女だって、キャロちゃん同様に助けなければいけない仲間だ。
 いや、忘れていたわけではない。他の皆だって、彼女の人質としての価値を軽んじてはいないはずだ。
 私達は、“二人とも”助け出さなければいけないのだ。
「プリズンに菓子折りでも付けとけばいいだろう」
 菓子折りとアイサちゃんが同じ価値、ということか。
 いや、本当はアイサちゃんの価値を軽んじてなどいないはずだ。
 そう信じたい。



≪チャプター2:純粋だから≫

 ここに閉じ込められてからどれくらいの時間が経っただろうか。時計が無いから分からないけれど、二時間以上は経った気がする。
 捕まっているとは言え、長時間一人だといろいろと考える余裕も生まれる。
 私は敵の目的を考えていた。
 チークは自然が豊かだし、原生生物もたくさん棲息しているから、目的は密猟だろうか。でも、それなら私を攫った理由が分からない。管理局員に鉢合わせて都合が悪かったのなら、その場からすぐに逃げ出しても良かったはずだ。
 私を攫った上に、ついさっきは「仲間にならないか?」と誘われた。ということは、仲間が欲しかったのだろうか。でも、もし最初からそれが目的だとしたら、私達管理局員がここに来ていることを知っていたということだ。それってつまり、わざわざ管理局員を仲間に誘おうとしたのかな?
 何だかどれもしっくりこない理由で、でも私にはそれ以外の理由が思い付かない。
「一体何が目的なんだろう?」
 ふと、アウロンさんの事でまた一つ思い出した。
 彼は元管理局員だ。それは関係あるのだろうか。
 気になる。
 すると、部屋の扉が再び開いた。
「よう、キャロ。俺からの誘いは考えてくれたか?」
 笑いながら入ってきたのは、やっぱりアウロンさんだった。
 何度誘われようが、私の気持ちは変わらない。
「いいえ。あなたの仲間にはなりません」
「つれないなー」
 幾ら言われようとも、私が彼等の仲間になろうと首を縦に振ることなんて絶対に有り得ない。
 アウロンさんから視線を外してそっぽを向くと、背後からアウロンさんのため息が聞こえた。
 次の瞬間、私の首に一本の腕が巻きついてきた。
「え!?」
「あまり俺を困らせないでくれねえか?」
 巻きついてきた腕とは反対側の腕が私の顔の前に伸びてくる。そしてその手に大きなサバイバルナイフが握られていることに気が付いた。ぼんやりとした部屋の照明を反射する刃が、ゆっくりと私の首筋に近づいてくる。
「考える時間は与えたはずだ。それでも首を縦に振ってくれないなら、不本意だが乱暴な方法を取らせてもらうしかねえんだよ」
 心臓の鼓動が早まる。額から流れ落ちた汗が頬を伝って、顎の先端に向かう。
 吐き出す呼吸が震えているのを感じながら、それでも私は、
「何を考えさせる為の時間だと思ったんだ? 俺とお前の立場を弁えろよ。俺は“お願い”してるんじゃねえ…………“命令”してるんだよ」
 それでも私は。
「…………ぜ、絶対に協力しません!」
 首に巻きつく腕の締め付けが強まり、呼吸が更にし辛くなった。
 無言の圧力。それでも、負けるつもりは無かった。
「ぜ、絶対にイヤです!」
「殺されてえのかよっ!?」
「殺されたくありません! でも、絶対に協力もしません!」
 ナイフの刃が首筋に触れ、その冷たさが皮膚一枚を挟んだ向こう側から伝わってきた。
 心臓が破けそうなくらいに高鳴っている。それに上下の歯がカチカチと音を立て始めた。膝だって、肩だって、手だって震えている。
 それでも、私は気持ちを変えるつもりは無いし、幾らでも正直な気持ちをぶつけるつもりでいた。
「管理局員としての意地か? そこまで頑固になるのは」
「ち、違います。こんな乱暴なやり方には、絶対に負けないってことです。あなたの誘いは確かに受けられない…………受けられないけれど、あなたの気持ちを考えてあげることは出来る。だから、あなたの気持ちを考えさせてもらえないこんなやり方には、私は屈しない」
「俺の気持ちだぁ? 犯罪者相手に何言ってるんだ?」
「あなたみたいな人、初めてだから」
 そう、初めてなんだ。私が今まで経験した戦いは、手段を間違った人が相手だったから。
 JS事件の中、私と対峙した少女がいた。彼女は、母親を助けたいという一心で動いていた。そしてその少女に付き従う者は、彼女自身を想うが故に動いていた。
 彼女達は、幸せの、探し物の見つけ方を間違ってしまっただけ。決して彼女達自身が悪かったのではなく、彼女達の選んだやり方が悪かっただけ。
 そして彼女達は気が付いてくれた。幸せや探し物の正しい見つけ方を。
 だけど、アウロンさんは純粋な気持ちでこのやり方を選んでいる。仕方なくというわけでは無く、迷いを抱いているわけでも無く、間違って選んだのでも無く、彼にとってはこのやり方が正しいのだ。
 アウロンさんの行動理由は、自分の利得のため。彼が望むだけの利得を手に入れるためという単純な欲望のために選んだ手段。
 だから、初めてアウロンさんがこの部屋にやってきて話をした時、彼から無垢さを感じ取ったんだ。
 それは、私にとって親近感のあるタイプの人だから。この人を憎めないように感じたのは、きっと純粋さがあるから。そしてそれは、もしかしたらとても真面目で真っ直ぐな性格のエリオ君や、まだまだ酸いも甘いも知らない私の無知さに近いものだからなのかもしれない。
 さっきは、この人が本当に悪い人なのかと考えた。でも、それは正解であって、少し違った。
 悪いことをするから悪い人なんだけど、悪いことしか知らないから悪い人ではない。
 そう、この人の純粋さなら、きっと変わることも出来る。
「アウロンさんの目的は分からないけれど、アウロンさんはきっと変われると思います」
「変わる?」
「こんなやり方をしていたら、欲しいものはきっと手に入らない。だから、違うやり方を学びましょう」
「何言ってるんだか分かんねえな。だいたいてめえみたいなガキンチョが生意気なんだよ」
「アウロンさんと仲良くなりたいって気持ち…………無いわけではないですから」
 そう言って私は微笑んだ。
 肩はまだ震えているけど、首に当てられたナイフも怖いけど、アウロンさんから感じた純粋さには親近感があって、仲良く出来るかもしれないと本気で思っていた。
「…………変なガキだな。笑ってるんじゃねえよ」
 そう言ってアウロンさんは、私の首から腕を外した。ナイフも離れていく。
「とにかくてめえは必要になる。だからここにいろ」
「何で私が必要なんですか?」
「それは」
 アウロンさんが喋っている途中で、再び部屋の扉が開いた。
「ああ、またここにいた!」
「だから何だよ!?」
 アウロンさんを呼びに来た手下の人だ。
「例の侵入者、捕まえましたよ。やっぱり管理局員でした」
「お、やるじゃん。さぁて、じゃあそいつはどうしてやろうかね?」
 侵入者って一体誰なんだろう?
 私は二人の会話に耳を傾けた。
「船に乗せていたって荷物になるだけですよ?」
「だがまあ、場合によっちゃ使い道があるかもな」
 せめてその侵入してきた局員の姿だけでも確認出来ないだろうか。私はベッドから体を乗り出して扉の方を覗き見た。
 そんな姿をアウロンさんに見られた。
「…………待てよ? そうだなぁ……使い道を決めた」
 扉のところには連れて来ていないみたいだ。そこには手下の人とアウロンさんしかいなかった。
「キャロ」
「は、はい」
 乗り出していた体を引っ込めて座り直すと、アウロンさんが言った。
「お前の仲間がな、お前を助けるためにこの船に侵入していた」
「侵入者がいるって話は聞こえてました。誰ですか?」
 まさかエリオ君? いや、エリオ君は殴られて倒れてしまっていたから違う。
 じゃあ誰だろう?
「誰であろうとお前の仲間であるのには変わらない。そこで、だ」
 アウロンさんは笑っていた。
「そいつの命をお前が預かれ」
「え?」
「そいつを殺されたくなかったら、俺に協力しろ」
「そ、そんな!」
 酷い。そんなやり方は、私にナイフを突き付けたやり方と何も変わらない。
「いいさ、協力するかどうかはお前が決めろ。まあでも、乱暴なやり方じゃ納得出来ないって言ってたし、たぶん断られちゃうんだろうなー」
 どうしたらいいのだろうか。
 私は、なかなか答えを出せずにいた。



≪チャプター3:作戦開始直前≫

 取り引き時刻まであともう少し。
 準備を終えた私達は、敵が取り引き場所として指定してきた空域ポイントの真下に来ていた。
 メンバーはミリー部隊長、私、マルコちゃん、ジージョちゃん、ブラント君とウィンディーヌちゃん、ノーラちゃん。
 そして、エリオ君とフリード。
 森の中に身を潜めている私達の頭上には、敵の出現を待つノイズ曹長が、片手にレリックと菓子折りを持ったまま待機していた。
 当然ながら、私達がこうして森に潜んでいることを敵は知らない。それにおそらく敵も気が付いていないだろう。何故なら、このポイントと宿舎との距離はかなり離れていて、陸路で来たのでは取り引き時刻には絶対間に合わないからだ。まさかここに局員がいるとは思ってもいないはずだ。
 では、何故私達が取り引き時刻に間に合うようにここへ辿り着けたのか。それはウィンディーヌちゃんのおかげだ。空を飛んだり転移魔法を使ったりすれば、敵の艦船にある魔力感知レーダーに引っ掛かる恐れがあり、こちらの企みに気付いた敵がキャロちゃんに危害を加えるかもしれない。しかし、流動性のあるものを操ることが出来るウィンディーヌちゃんの能力があればレーダーの感知システムも掻い潜ることが出来るので、彼女の転移魔法なら安心して使用できたというわけだ。ちなみに、ここで待機している間もウィンディーヌちゃんの能力は役立っている。私自身から僅かに発せられている魔力を隠してくれているのだ。
「ノイズ大丈夫かなー?」
 ブラント君が心配そうに言う。
「サイオン部隊長にかなりプレッシャー掛けられてたし、テンパってなければいいけどね」
 ウィンディーヌちゃんが頭上を見上げながら続けた。
「プリズン渡さずに菓子折りだけ渡したりしてな」
 ミリー部隊長の言葉に、マルコちゃんとウィンディーヌちゃんとブラント君が爆笑していた。
 どうしてそんな余裕があるのだろう? 私なんて口の中がカラカラなのに。
「でも、どうして敵は取り引き場所を空にしたのでしょうか?」
 ノーラちゃんの疑問は、私も気になっていたことだった。空を飛べる魔導師を取り引き役として指定してきたわけだし、何か理由があるのだろう。
「空ならプリズンを回収して逃げやすいからだろう」
「どういうことですか?」
「キャロ陸士は空を飛べないからな。例えば空中でプリズンとキャロ陸士を交換した場合、敵はプリズンを持って船まで飛んでいけばいいが、キャロ陸士を受け取った取り引き役は人間一人を抱えたままでは満足に動けない。つまり、敵としてはその場で捕まる恐れが無いってことだ」
 なるほど。そう言われればそうだ。さすがはミリー部隊長だと感心した。
 だが、敵の狙いがキャロちゃんであるのはほぼ間違い無く、キャロちゃんが解放される可能性は極めて低い。そうなると、果たして空の上で引き渡しが行なわれるのだろうか。
「その場で受け渡しされなかったら?」
「極力その場での受け渡しに持ち込むしかないな。ノイズには念を押しておいたが、プリズンを渡す前に必ずキャロ陸士の無事の確認を要求することだ。敵の要求を呑むとは言え、こちらが欲しいものに対して消極的になる必要もあるまい。まあ、最悪プリズンだけ渡してトンズラされたとしても、それは敵の逮捕に時間が掛かるだけ。勝ち目はこちらにある」
 その通りだ。この作戦のメリットは、敵にプリズンを奪われても勝ち目があるところだ。
 ただし、サイオン部隊長が危惧していたデメリットももちろんある。
 それは、取り引きの中止と私達実働チームの全滅が絶対許されないことだ。
「サイオン部隊長はあんなにビビッていたが、この作戦の成功率は決して低くない。取り引きを持ち掛けてきたのは向こうだから、敵もプリズンを受け取らないようなことはしないだろう」
 ミリー部隊長の言葉は続く。
「では、今から我々実働チームのオペレーションを説明する」
 宿舎の方では作戦決行の準備に時間を費やしてしまったため、私達実働チームの動き方についてはこの場での打ち合わせとなる。
「まず、ノイズと敵の取り引きが終了することを見届ける。その後が我々の出番だ。出来れば、奴等とはこの場所での交戦が望ましい。敵艦を次元空間に逃がすな。取り引き終了後、一気に空へ出て敵艦に向かう」
「陣形はどうします?」
 マルコちゃんが言うと、ミリー部隊長は地面から枝を拾い上げ、土の上に図を描き始めた。
 それは、一本の矢印だった。
「矢印の先端を三名の最前衛(フロントアタッカー)とする。その後方に、前衛(ガードウィング)、中衛(センターガード)、後衛(フルバック)を各一名ずつ並べる」
 本当に矢印みたいな配置だ。
「この陣形を“ワースレスアロー”と名付けよう」
「…………役立たずの矢(ワースレスアロー)ですか。なんか、作戦の成功率を下げそうな名前ですね」
 マルコちゃんの言う通りだ。全員の表情が一気に暗くなった。
「別にこの矢が刺さる必要は無いんだよ。我々ワースレスアローは、“本命の一本の矢”を艦船まで無事に届ければいいんだから」
「本命の一本?」
 ミリー部隊長が数歩だけ歩いてから、エリオ君の頭を叩いて言った。
「お姫様を救うのは騎士(ナイト)の役目、だろ?」
 エリオ君の表情が引き締まる。意気込みは充分のようだ。
 となると、このワースレスアローはホカン部だけで構成するということだ。
 先程のミリー部隊長の説明だと、矢の先端は三人の最前衛だと言っていた。
 三人? 誰だろうか? ミリー部隊長は指揮を執るから中衛だろうし、ジージョちゃんも私も最前衛が務まる程の空戦技術は持っていない。ノーラちゃんは完全なる後衛だし。残りはマルコちゃんとユニゾン状態のブラント君だけだ。
「ということで、ワースレスアローの指揮はお前が執れ……ソフィー」
「…………へ?」
 私の肩にミリー部隊長の手が乗せられた。
 今、彼女は何と言ったのだろうか。
「私が、指揮を?」
「そうだ」
「何でですか!?」
 あまりにも衝撃的な指示に、私は驚愕した。
 確かに模擬戦の時は私とカローラで一緒に指揮を執ったりもしたが、実戦において指揮を執るなんんて出来るわけが無い。無理だ。
 それに、今の私のデバイスはマスタースペードじゃない。クロノさんから借りているS2Uだ。慣れないデバイスでは索敵魔法の精度だって落ちる。
「大丈夫だって。敵艦に向かって真っ直ぐ進むだけなんだし」
「で、でも! 今の私じゃあ索敵も射撃も精度が」
「索敵も攻撃も特に必要無い。目で見て、敵艦に突っ込むまでのあれこれを指示してくれりゃあいいさ」
 私は救いを求めるようにノーラちゃんとジージョちゃんを見た。二人ともお手上げ状態のポーズを取っている。
 マルコちゃんを見ると、彼女は哀れむような目で私を見ながら肩に手を置いた。
「ヨロシク頼むよ、指揮官殿」
「な、何で私なのぉ? ミリー部隊長はぁ?」
「あの人の性格を考えろ。陣形の真ん中でおとなしく指示を出してくれると思うか?」
 そう言ってマルコちゃんがミリー部隊長の方を指差すと、ミリー部隊長は胸元からブラウスの下に手を入れ、隠していた銃弾型のペンダントを引っ張り出した。
「ウルカヌス……セットアップだ」
「Jawohl」
 静かな呟きと共に、ミリー部隊長の体が光に包まれていく。
 彼女の妖艶な肢体に纏わり付く光が、徐々に形を成していった。赤を基調とした迷彩柄のズボンと、同柄の袖が捲くられたジャケットを纏い、膝まで届きそうな黒いブーツで大地を踏む。カートリッジシステム用の弾薬がずらりと並べられたベルト型ホルダーを袈裟懸けにし、魔力光と同じ色の真紅のベレー帽を頭に乗せている。
 指を露出した黒いグローブが嵌められている手で持っているデバイスは、身長の半分程の大きさがあるガトリングガン型。カートリッジシステム搭載で、六連装の銃身が猛るように回転していた。
 その姿から、おとなしく指揮を執っている姿なんて想像できなかった。好戦的なフロントアタッカーにしか見えない。
「さあ……暴れてやろうじゃないか」

 To be continued.



[24714] 第十七話 部隊と舞台と部隊長
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 01:57
≪チャプター1:取り引き≫

 約束の時刻がやって来た。
 早鳴る心臓の鼓動。それを落ち着かせたくて大きく深呼吸をした。大自然の中に満ちている空気を鼻から思いっきり吸い込むと、不思議と気持ちが落ち着く。
 しかし、右手に持った漆黒の立方体に視線を落とすと、せっかく良い具合に鎮まり掛けていた胸の鼓動がまた少しだけテンポを上げた。
 キャロ陸士救出作戦の第一段階は俺に掛かっている。願わくば、敵が最初に要求してきた通り、プリズンとキャロ君の交換取り引きが上手くいけば万々歳。俺には、極力取り引きを成功させること、という重要な役割があるのだ。
 しかし、敵はおそらくキャロ君を必要としており、彼女を手放すとは思えない。
 例えば、キャロ君が解放されずにプリズンが敵の手に渡ったとしても、敵の“逮捕だけ”ならば成功すると思う。それがこの作戦のメリットだから。
 しかし、ミリー部隊長はこの空域で勝負したがっている。その理由は言わずもがな、キャロ君の無事を確かなものとするためだ。それはエリオ君のためと言い換えても良いだろう。
 とにかく、俺に課せられた責任はそれなりに重い。俺の行動がキャロ君の救出成功確率を変動させることは確かだからだ。加えて、サイオン部隊長にもプレッシャーを掛けられた通り、待機チームの命運まで左右してしまう。今思えば、幾ら作戦の成功率が低くないとは言え、ミリー部隊長も随分と思い切った作戦を立てたものだと思う。
 だが、信頼は出来る。バーベキューの話をサイオン部隊長に通してくれなかったことは隅に置いておくとして、彼女はやる時はやる人だということを俺は知っている。
 そんなミリー部隊長に任された役割だ。弱気になってはいけない。作戦の成功を信じることが大事だ。出来るか出来ないかではなく、必ず助けてみせると、俺はプリズンに誓った。
 ふと、右の脇の下に挟んだ菓子折りに目を向けた。
 不謹慎かも知れないが、高まった緊張感がちょっと和らいだ。こちらも必ず助けてやらなくちゃいけない。
 そんなことを思っていると、俺の前方上空に巨大な影が転移して現れた。
 老朽化が目立ち、所々に手荒な修復の跡を見ることが出来る茶色の次元航行艦。艦船製造リストとの照合によれば、今から十年以上前に製造されていた、当時の管理局では主力艦船として活躍していた型式の機体だ。現在、管理局では別種が主力艦船となっているが、民間向けにはまだ僅かに製造が行なわれているそうだ。無論、民間向けと言っても次元世界間を航行する運送関係者や旅行業者が主なユーザーであって、一個人がL級次元航行艦を所有しているという話は聞いたことが無い。敵は何らかの方法、おそらく表沙汰には出来ない非合法なルートで手に入れたのではないかと思う。
 敵艦船の側面にある搬入ハッチが開いた。
 垣間見える内部の様子に、思わず唾を飲み込んだ。
 開かれたハッチの中には、一人の男が立っていた。その脇には灰色の布に包まれた塊が捕縛魔法(バインド)に縛られて転がっている。大きさは人間一人がまるまる収まる程度。
 あれが人質、キャロ君か。あんな状態で捕らえられているとは酷いものだ。エリオ君が激怒しそうな気がした。
 しかし、俺を一番驚かせたのは敵の背後に見えるものだった。“それ”が俺の額から汗を噴き出させる。
「…………飛行型の自立機動兵器(ガジェット)か? なんて厄介な物を積んでやがるんだよ」
 ガジェットとは自立判断機能を有した機械兵器のことで、昨年のJS事件においてはジェイル・スカリエッティも数種類のガジェットを使用していたと調書で見たことがある。敵艦船に積まれているガジェットはスカリエッティが使用していた機種とは全くの別物のようで、調書の画像で見たどの機種にも該当しなかった。
 ただ、見たところ全翼機タイプであることが三角形のボディーから解り、空中戦に備えた敵側の準備だと見受けられる。
 まさかこちらの思惑を察してか? いや、気が付きはしなくとも、警戒するのは当然だろう。こちらが何もせず馬鹿正直に取り引きに応じるとは、向こうだって思っていないのだろうから。あのガジェットを見せ付けることで、こちらに二の足を踏ませる。そういう魂胆なのかもしれない。
 やり辛いな。おそらくこちらが何かを仕掛ければ、敵は間違いなくガジェットをこの空にばら撒くだろう。
 搬入ハッチからこちらを見た敵が、俺に向かって手招きをしてきた。俺が高度を上げて搬入ハッチに近づくと、今度はハッチ付近で滞空するように手の平を突き出してきた。
「それ以上は近づくな」
 声の主は宿舎で聞いたメモリスティック内の声と同一のものだった。
 こいつが主犯格か。
「先に言っておく。念話で人質と会話をしようなんて思うな。薬で眠らせているからな」
「分かった。とにかく人質を解放してくれ」
 俺が言うと、敵は不敵に笑いながら布の塊をハッチ脇ギリギリまで引きずってきた。
「プリズンを先に渡せ。それからこれを拾って離れろ」
「布を外せ。布の中身が誰なのかを確認したい」
 すると、敵が布の塊を片足で踏みつけた。
「あ!」
 布の塊は動かない。
「無事だ、信じろ」
「出来るか!? 確認しないことには渡せない!」
「早くプリズンをこっちに投げろ」
 どうするべきだろうか。ここで渡していいのか。そうすればホカン部達は行動を開始するだろうか。
 布の中身がキャロ君ではない可能性は大きい。いや、もしかしたら人ですら無いかも知れない。幾らプリズンを渡せればいいとは言え、敵の言うことにホイホイ従うだけというのも、後で不都合に繋がる気がする。だが、確かなことは言えない。
 誰にも相談すら出来ないこの状況が、俺のことを崖っぷちまで追い詰めていた。
 駄目だ。不確定要素が多すぎる。
 俺がなかなかプリズンを渡せずにいると、敵が俺の方を見て言った。
「おい。その脇に挟んでいるのは何だ?」
「え? ああ、これは、な…………その、あれだ、菓子折りだ」
「何?」
「実はな……非常に言いにくいんだが、そちらにいた侵入者というのは、やっぱりうちの局員らしくてな。ちょっとした手違いだったんだが」
 本当に言いにくい。こんなかっこ悪い役をさせたアイサ君に対して、ちょっとだけ怒りがこみ上げてきた。
「で、その局員を脇に抱えた菓子折りで返せってか。バカじゃねえの? 侵入者はこっちの自由にするって通信は入れただろ? プリズンだけこっちに投げろ。そうすりゃ俺の足元にいる人質は返してやる」
 やはり駄目か。まあ、当然と言えば当然だよな。
 しかし、菓子折り自体はそれほど重要ではない。もちろんアイサ君が重要じゃないわけではないが。
 今回の作戦の第一段階は、プリズンを敵に渡すことだ。兎にも角にもこの段階をクリアしなければ、作戦は次に進まない。
 だが、やはりベストなのは今、この段階での人質確保だ。何もせずにただプリズンを渡すわけにはいかないと思う。
 狙うならば、妥協の無い最高の展開を。
 何か、何か手は無いか。せめて敵をこの空域に留まらせておければ、ミリー部隊長ならきっと合わせてくれるはずだ。
 待てよ? そういえばアイサ君は、敵側にとって何かメリットのある存在なのか?
 目の前の布の塊。その中身は誰だろうか。
 姿を確認出来ないようにしていることからも、少なくともキャロ君ではない。では、別の誰かだ。キャロ君と偽ってこちらに渡すとしたら、アイサ君が入っている可能性も考えられる。だが、踏みつけたり眠らせていると言ったり、塊が動かないことに不信感を抱かせまいとしているのが感じられた。ということは、やはり人ではないのかも知れない。
 少し、揺さぶってみるか。
「その布の中身……キャロ君と侵入した局員のどちらだ?」
 少しだけ眉尻を動かした敵。キャロ君では無いことが言い当てられそうで動揺したのだろうか。
「どっちだろうと人質だ。お前はそのプリズンを置いていけばいい」
 ほぼ確定だな。先程まで自分が優位にいるという余裕から俺を見下していた敵の目が、いつの間にか俺を警戒して見上げるような目になっている。嘘が下手な奴だ。
 俺は一つの案を実行することにした。
 今この場で思いついた即興の小細工だから不安なところもあるが、ミリー部隊長達が上手くやってくれることに期待しよう。
 ミリー部隊長は本当に信頼出来る人だから。あの人が味方にいるだけで、どんなに頼もしいことかを俺は良く知っている。
「まあ、確かに人質はどちらでもいいんだ。どっちみち犠牲は避けられないと思っていたからな」
「…………何?」
 俺の言葉を聞いて、敵が怪訝な表情を浮かべた。
 俺の仕掛ける小細工は、敵の不信感を煽ることだ。
 敵は、自分達の艦船に侵入者がいると分かった時、怒り心頭の状態で通信を繋いできた。そんなことがあれば、俺達が人質の危険を顧みずにまた何か仕掛けてくるかもと疑うのは当然の心理だ。現に敵は警戒心を剥き出しにしている。こうしてガジェットの出撃用意を整えているのが何よりの証拠だ。
 ならば、その警戒心を煽ってやろう。
「なんでお前達の艦船に局員を送り込んだと思っているんだ?」
 いや、警戒心を煽るなんてものではなく、いっそのこと俺達を一切信用できない相手であると認識させてやろうじゃないか。
 昨年のJS事件におけるレジアス中将の汚職が発覚してから、管理局は世間の一部に不信感を抱かれてしまった。JS事件以降も、管理局の位置付けは変わっていない。しかし、平和と秩序のためにある管理局に対して、不安を感じてしまった人々がいるのは事実だ。反省し、改善していかなければならない課題である。
 そしてこれは俺の勝手な推測ではあるが、おそらく目の前の敵も管理局に対してそういった不信感を抱いている。激怒しながら繋いできた通信からも、それは感じ取れたことだ。
 本来ならこんなやり方は気が引けて嫌だ。だが、現状を打破するためにも敵には、管理局は本当に“くそったれ”なのだと思わせるしかないようだ。
「オルギプスが入っているこのプリズンってのはな、ロストロギアと言って、俺達が何としてでも管理しなくちゃいけないものなんだよ。それをみすみすお前等にくれてやるつもりは無いんだ」
「何が言いたい?」
 俺の口角が釣り上がる。
 相手に疑念を抱かせるような、そして不安を煽るような。
 俺から送る最上級の笑顔。
 そう、ミリー部隊長のような、怪しさを孕んだ黒い笑顔だ。
「ロストロギアを失うリスクを背負うくらいならばと、我々はこの艦船の“破壊”による撃墜をもって、事態の終息を選んだ。先に送り込んだ局員は手ぶらだったか? “何を持って”侵入したのか、お前が知らないのなら、こちらの思惑通りに事が進んでいるというわけだ」
「どういうことだ?」
 敵の眉間に皺が刻まれていく。
「さっき言っただろう? 犠牲は避けられないって。侵入者がお前達の艦船内に仕掛けたものと、お前達に渡すつもりで持ってきたこの菓子折り。実は中身が一緒なんだけど…………受け取ってもらえるかな!?」
 俺は脇に抱えていた菓子折りを素早くハッチ内に投げ入れた。
 嘘も方便だな。『艦船の破壊』と『秘密裏に仕掛けたもの』と『犠牲』。これらのキーワードから敵が連想したものは容易に察しがつく。思ったとおり、敵の顔から一気に血の気が引いていた。
 俺は素早く艦船に飛び移って、布の塊を引き剥がしに掛かる。
 放り投げられた菓子折りの箱は、敵の視線を引き付けながらガジェット達の横を通り過ぎて、床に落ちた。その瞬間、敵は小さく悲鳴を上げながら頭を抱えて身を縮めた。
 だが、菓子折りは静かに転がるだけ。当たり前だ。それは“爆弾”なんかじゃなくて、ただのご当地名物ミッドチルダ饅頭だからだ。
 布を捲り返すと、中身はやはり人質ではなかった。取り引きは不成立。ミリー部隊長の指示であるプリズンを敵に渡すという仕事は、どうやら失敗のようだ。これでは渡せない。
 しかし、最初に危惧していたような劣勢とは違う状況でもある。
 取り引きの失敗が上手くいった。
 菓子折りが落ちても何も起こらないことに気が付いた敵は、しばらく視線を泳がせてから、俺の方を見た。
 俺は右手にプリズンを乗せて、挑発するように笑った。
「てめえええぇぇえぇっ!」
 敵が駆け出す。
 良い反応だ。そのまま怒りに任せて俺を追ってくれれば、尚良い。
 ハッチから飛び降りると、敵も量産タイプのデバイスを右手の中に出現させながら、俺を追って飛び降りてきた。
 予想通りの動きを見せる敵。これ以降で俺がやるべきことは、手中にあるプリズンの死守と、主犯格の男を艦船から引き離すこと。
 俺は口元に笑みを浮かべながら急降下した。



≪チャプター2:暴君≫

「よし、ノイズが動いた」
 ミリー部隊長が双眼鏡を片手に言った。
 いよいよだ。『キャロちゃん救出作戦』の第二段階が始まる。
 私の前方で並ぶ仲間達の様子を見ると、五人とも準備は整っているようだ。続いて後方を振り向くと、体のラインを浮き上がらせる黒のレオタードに、赤いミニスカートと丈が胸下くらいまでのパーカーを重ね着したノーラちゃんが、手に嵌めたグローブ型デバイスのシルウェストリスを撫でていた。
「準備オッケーですよ」
 首輪に付いた鈴を鳴らしながら、彼女が微笑む。こちらも準備が整った。
 そして最後に上空を見上げる。ノイズ曹長が敵艦船のハッチ内に入っていった。
 S2Uを握る力が自然と強まる。
 エリオ君はフリードに跨り、私達もそれぞれがデバイスを手にして飛び立つ体勢に入った。
「私の合図で一斉に行くぞ、構えろ…………」
 決して失いはしない。失う必要の無いものは、決して取りこぼしたりしない。
 ――エリオ君、必ず君をキャロちゃんのところに届けるから――
 私はエリオ君に念話を送っていた。出撃間際になって何をしているんだと、自分を責めた。
 それでも、エリオ君は応えてくれた。
 ――はい! 僕達で必ず、キャロを助けてみせましょう!――
 その約束が、士気を高める起爆剤となった。
 必ず助けよう。胸に抱いた、そして仲間に誓った決意は、私達の翼となる。
「…………出撃だっ!」
 地を蹴って、緑を貫き、私達は一斉に上昇していった。空気を掻き分けるようにして浮かび上がった体は、ぐんぐんスピードを伸ばしていく。
 上空にノイズ曹長の姿を発見。ノイズ曹長がハッチから飛び出して、急降下してきた。
 そして、敵艦船の搬入ハッチからもう一人、別の人物が飛び出してきた。それがまさか、キャロちゃんを攫った男だとは思わなくて驚いた。
 何があったというのか。
「どうして!?」
「陣形を乱すな! ノイズに任せて私達は敵艦船を目指す!」
 私の質問をミリー部隊長が制し、私達は打ち合わせた通りの陣形、ワースレスアローを形作った。
 一本の矢が、唸りを上げて空を駆け上る。
 先頭を行く三名はミリー部隊長、マルコちゃん、ユニゾン状態のブラント君。その三名が、エリオ君とフリードを囲うようにして飛ぶ。
 その後方に、ジージョちゃん、私、ノーラちゃんの順で続く。
 ――飛行型ガジェットが来ます! 注意してください!――
 ノイズ曹長から全員への念話。その声を聞くのと同時に、ノイズ曹長がプリズンを握り締めているのが確認できた。
 ――了解した! お前は持っている物を死守しろ!――
 ――さっすがミリー部隊長! 解ってるぅ!――
 降下しながら敬礼をするノイズ曹長と、空へと飛び上がっていく私達がすれ違った。
 キャロちゃんを攫った男がノイズ曹長を追う理由は、おそらくノイズ曹長が持っているプリズンだ。そして、男が戻らない限り敵艦船がこの空域を離れることはないだろう。
 これはチャンスなんだ。人質二人を救うなら、今しかない。
 そして、プリズンが未だ敵の手に渡っていないイレギュラーを知りながらもすぐに現状を理解して合わせようとするミリー部隊長には脱帽だった。
 私も戸惑っていられない。失敗ではなく、作戦は続行だ。
 私は飛びながらS2Uを前方に突き出した。
「周辺サーチ、五号二型!」
 広がる魔法陣と波紋。敵艦船のハッチから何かがばら撒かれるように飛び出してきたのを確認したので、素早く索敵を開始した。
 ノイズ曹長の言っていたガジェットの大群だ。数は六十機以上。機体下方に小型魔力炉と砲身を搭載している。魔法弾を発射することが出来るタイプのようだ。それらが私達目掛けて突っ込んでくる。
 ――ミリー部隊長、攻撃来ます! 側面からの攻撃は後方三名に任せてください!――
 ――了解! では前方四名にて直線コース上のガジェットを排除する!――
 ガジェットから放たれる魔法弾を、私とノーラちゃんの射撃、そしてジージョちゃんの吸引によって迎撃していく。
 そんな中、ミリー部隊長だけが速度を上げ、陣形の先を行った。
「ウルカヌス、物理破壊設定オン! 久しぶりに大暴れだ! 残さずぶっ壊しちまえぇっ!」
 ミリー部隊長のガトリングガン型デバイスが、六連装の銃身を激しく回転させた。それと同時に、先端からは物凄い連射で真紅の魔法弾が吐き出されていく。
 渦を巻く飛行に合わせ、真紅の魔法弾が蒼空に螺旋状の弾幕を張る。
 縦横無尽に飛び回るガジェットは魔法弾の接近に合わせて軌道を変えるが、後からぞくぞくと押し寄せる追撃によって回避に失敗し、そのボディーに無残な風穴を開けて爆発していく。広大な空に、爆炎と煙による模様が広がっていった。
「足りないぞおぉっ! もっとだぁウルカヌスウゥゥゥッ!」
 尚も続く射撃。それはまさに地上から天に向かう赤い雨のようだった。ガジェットから放たれる魔法弾を避けつつ攻撃を繰り出すミリー部隊長と、彼女の手に握られたデバイスから、獲物を嬲る獣の咆哮が轟き続ける。
「ボク達も続くぞ、ブラント!」
「応っ!」
 ブラント君とマルコちゃんも飛び出した。
「レプリィ! モデル“レバンティン”!」
 マルコちゃんがシグナムさんの姿に変わると、レバンティンモデルのレプリカストロがカートリッジを二発連続でロードした。
「火竜一閃っ!」
 鞭状に変形したレバンティンが龍のように空を駆け、周囲のガジェットを二つに裂いていく。更に振られるマルコちゃんの腕に導かれ、龍はその身体をくねらせて次々と獲物を喰らっていった。
「ウィンディーヌ! “ビッグウェーブ”!」
『任せろこんならあああぁあぁあ!』
 ブラント君の足元を走る水の道がみるみるうちに横幅を広げていき、巨大な波となって、遂に壁となった。
 その上を自在に滑るブラント君。手にする銛型デバイスのポリビウスが、その先端でガジェットを次々と貫いていく。
 まるで海を泳ぐ捕食者が次々と小魚を飲み込むかのように。残骸と爆煙を蹴散らして、ブラント君は大きな波を縦横無尽に滑走していった。
「フリード! 僕らも行こう!」
 応えるように吼えたフリードは、エリオ君を乗せたまま翼を大きく羽ばたかせた。
 充分に加速したフリードの上に立ち、エリオ君はストラーダを前方に突き出してから、カートリッジを一発ロードした。
「貫け! ストラーダ!」
 魔力を噴射したストラーダに身を任せ、フリードの飛翔速度を超える速さで空に舞い上がったエリオ君は、ガジェットを数機纏めて貫いた。ストラーダが上昇を止めると、今度は自然落下の速度に乗って下方のガジェットを叩き伏せていく。ボディーを切り裂かれ、制御部を潰され、飛行軌道から弾き飛ばされて。そんなガジェット達が次々とただの鉄塊に姿を変えていく。そして落ちるエリオ君を受け止めたフリードは、続けて上昇をしていった。
「す、すごい…………」
 私が口をぽっかりと開けていると、後方のノーラちゃんから念話が入った。
 ――ソフィーさん! 敵艦船が!――
 敵艦船に意識を向けると、開放していた搬入ハッチを閉じ始めている。
 キャロちゃんとアイサちゃんが中にいるのなら、私達も乗り込むしかない。
 ――ノーラちゃん! 強化魔法(ブーストアップ)をお願い!――
 ――了解!――
 ノーラちゃんが魔法陣を展開した。
「シルウェストリス、ブーストアップ! “ターボロード”!」
 ノーラちゃんの手に嵌められたグローブ型デバイスから薄黄色の魔力光による道が伸びて、敵艦船に向かっていく。
 飛行中の体をその光の道に沈めると、私達の飛行魔法が強化されていった。徐々に飛行速度は上がり、速さは二倍に、更に三倍に、そして四倍に加速していく様な感覚に包まれる。
 目を細めながら、普段では体感しない速度を受け止めていく。空がどんどん小さくなっていく気がした。
 ――ジージョちゃん!――
 私の指示に無言で頷いたジージョちゃんが、クリンリネスの先端をエリオ君とフリードに向けた。
「クリンリネス……“キャッチ”」
 ノーラちゃんの加速魔法に乗ることが出来ないフリードは、ジージョちゃんのクリンリネスに吸い寄せられて、彼女と並んで飛ぶ。クリンリネスに引き寄せられるフリードの首に、エリオ君がしがみついた。
 しかし、いつの間にか敵艦船の搬入ハッチが完全に閉ざされてしまった。このままでは衝突するだけだ。
 どうするべきか。
 いや、迷っている時間は無い。指揮を執るのは私の役目だ。
 これだけの仲間がいれば、出来ないことは無い。
 方法は一つ。乱暴だが、あれしかない。
 ――このまま全員で敵艦船に突っ込みます! ミリー部隊長!――
 ――何だっ!?――
 ――“風穴”開けてやってください!――
 ――そういうのを待ってたぞぉぉっ!――
 ウルカヌスがカートリッジをロードした。
 噴き出した白い蒸気は風に流されてあっという間に空へと溶けて消えた。ウルカヌスの先端に発射台(スフィア)が形成され、六連装の銃身が回転する度にスフィアをどんどん肥大化させていく。
「久しぶりにお前の慟哭(なきごえ)を聞かせてくれぇ! なあ、ウルカヌスウゥゥッ!」
 チャージは最速で、火力は最大で、気分(テンション)は最高だ。
 ミリー部隊長が銃口を敵艦船の搬入ハッチへと向けた。
「発射(ファイア)ッ!」
 真紅の光線が、蒼い空の中で一際目立ちながら伸びていった。
 突如、艦船の周囲に半透明な光の幕が生まれた。魔力障壁(シールド)か。
 ミリー部隊長の砲撃は、そのシールドとぶつかるなり飛沫を撒き散らした。しかし、尚も前進を止めようとしない。
 ――ウィンディーヌちゃん! 障壁をお願い!――
『おうよっ!』
 シールドが歪みを見せ、同時に砲撃が再び伸び始めた。
 もう少し。
 ウルカヌスが再度カートリッジをロードした。
 シールドがどんどん凹んでいく。
 あと一歩。
「貫けぇっ!」
 遂に光線が幕を突き抜けた。そして搬入ハッチの扉と光線が触れ合った瞬間、耳を劈くような爆音と共に、黒煙が巻き起こる。
 黒煙の中へと突っ込んだ私達は、煙でむせ返りながら艦船内に着地した。
「全員構えを解くな! このまま突っ込むぞ!」
「了解!」
 全員の返事が重なるのと同時に、黒煙のほとんどが風に飛ばされて消えていった。
 しかし、晴れた視界に飛び込んできたのは、陸戦専用ガジェットの群れだった。四本足と卵型の丸みを帯びたボディー。そこから伸びる二本の長い腕は、ノコギリ状になった鎌を先端に備えていた。
「ちぃっ! こんなもんも積んでやがるのか!」
「陸戦なら僕達に任せてください! マルコさん!」
「おうさぁ! レプリィ、モデル“ストラーダ”!」
 槍型デバイスのストラーダを構えたエリオ君と、その隣に彼と全く同じ姿で並ぶマルコちゃん。
 二人の差異は性別と顔だけだ。体格まで似ているものだから、エリオ君が二人いるように見える。
「ノーラ! 助けてやれ!」
「はい! ブーストアップ、“スライス”!」
 ノーラちゃんの両手から放たれた魔力球が、二人のデバイスの先端に宿る。すると、二本のストラーダの先端がより鋭利さを増して光った。
 二つのストラーダが全く同じタイミングでカートリッジをロードする。
 二人のエリオ陸士が全く同じ中腰の姿勢でデバイスを前方に突き出す。
 そして二人の叫びが全く同じ呼吸と台詞で敵ガジェットにぶつけられる。
「双閃激突っ!」
 速度、タイミング、威力のどれもが等しく、二人はガジェット達の群れを綺麗に切り裂きながら突貫していった。
 突貫が止まった二人を、袋の鼠とばかりにガジェット達が取り囲んで、四足歩行の卵型ボディから伸ばした二本の鎌を振り上げる。
 しかし、そんな中でも二人の同調(シンクロ)は発揮された。
 それはまさに舞踊。申し合わせたかのように、二人の動きは寸分の狂いも無く揃い、手にした槍を振るう。
 踏み込むステップは軽やかに、舞い踊る肢体はしなやかに、弧を描く刃は鮮やかに。
 飛び散るガジェットの破片は電撃の発光を纏いながら、踊り狂う二人を彩る煌びやかな花吹雪となって、私達の目を釘つけた。
 見る者を魅了する二人のいる場所は、まさに舞台(ステージ)だった。
 艦船内に続く道を塞いでいたガジェットがあらかた片付くと、エリオ君が声を張り上げた。
「行きましょう!」
「でかした!」
 私達はガジェットの残骸の間をすり抜けながら走った。
 艦船内であれだけ暴れれば、当然ながら武装した敵達も行く手を阻もうとしてきた。
 しかし、私達の先頭に立ったミリー部隊長とブラント君が、そんな彼等を蹴散らしていく。
 ブラント君の繰り出す棒術からの攻撃は的確に急所を狙い、最小の動作で敵の意識を刈り取っていく。鳩尾を突き、顎を穿って脳を揺らし、ポリビウスを振り上げて金的を叩く。狙う急所の一つ一つが一撃必殺だった。
 僅か十一歳の彼が、ホカン部内での戦技能力番付二位をマルコちゃんと争うのも頷けた。彼の格闘センスは抜群だった。以前に「ミリーから教わったんだよ」なんて笑いながら言っていたけれど、その笑顔は純真無垢だったくせに、彼の攻撃はどれもがえげつない。
 そして、
「ブラント君……強ぉい…………」
「私、あっちの方が怖いんですが…………」
 ノーラちゃんの指す方に目をやると、思わずその目を背けたくなった。ホカン部内戦技能力番付堂々の第一位が、これまたえげつなかったからだ。
 ガトリングガン型という形状でありながら、その頑強さと重量は彼女専用の鈍器となるには充分だった。それだけではない。両手に持った鈍器もさることながら、彼女自身の体術があまりにも桁外れに強烈だった。
 敵の鼻を頭突きで潰し、ロケットのように飛び出す膝蹴りは敵の肋骨を削ぎ落とすかのような威力を有し、敵の衣服を捕らえて放さなければそのまま軽々と大男を背負い投げて落とし、それでもまだ足りぬと言わんばかりに、ウルカヌスが振り回された。
 そして何より怖かったのは、そんな攻撃を繰り出しながらも、彼女の表情は息を乱すことなく終始笑っていたことだ。 
 何がそんなに楽しい? 何がそこまで嬉しい? 何がそれほどに心地良い?
 理解の範疇を超えた微笑は、もはや悪魔だった。
 表情だけではない。聞こえるのだ。愉悦に浸りきった、地の底から響くような、轟くような声が。
 私はいつか見た彼女の恐ろしい笑顔を思い出した。
 あの時と一緒だ。立ち塞がる者に対して無言の宣告を下す、あの鬼のような微笑。
 怯えたって許さない。謝ったって聞き入れない。泣いたって哀れまない。求めたって与えない。
 敵が抱く希望の何一つすらも認めない、そんな最たる恐を体現するかのような。
 無限大の欲望を満たそうとするかの如く。無尽蔵の力を使い切ろうとするかの如く。
 時空管理局遺失物保護観察部部隊長、三等空佐ミリー・バンカル。
 その暴力は、私達の目の前で完全に解放されていた。

 To be continued.



[24714] 第十八話 逆転
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 01:59
≪チャプター1:第一段階≫

 紺色の魔法弾が俺の左肩を掠めていった。千切れたバリアジャケットの切れ端が、あっという間に風に流されて見えなくなっていく。
 切れ端を追って視線を後ろに向けたのは正解だったかもしれない。最初の一撃に続いて、後方から次々と魔法弾が飛んできていたからだ。
 真っ直ぐ飛んでいるだけではただの的だな。そう判断した俺は、真下に広がる森と平行に飛んでいた体を起こして高度を上げた。
「てめえだけはぜってえ許さねえぞ! 待てこらぁっ!」
 俺を追ってくる敵はかなりご立腹のようだ。そんなに怒らなくてもいいのに。ちょっぴり嘘ついてびびらせてそれを嘲るかのように微笑んだだけなのに。
 俺の右手にあるプリズンはこの作戦における切り札のようなものだけれど、必要無かったかもしれないな。後方から追ってくる敵が自分の艦船のことなどすっかり忘れている今の内に、敵艦船に乗り込んだチームが人質二人を助け出してくれれば、後はこいつ等を一斉に取り押さえるだけだ。
 暴君と化したミリー部隊長が艦船内に入った時点で、俺はこの作戦の成功を確信できた。何故かと言うと、この一言に尽きるからだ。
 あの人はやばい。
「プリズンをよこせってんだよ! そんでもって俺に殺されろ!」
 なんか無茶苦茶なこと言ったぞ、あいつ。
 作戦の成功を確信しつつも、後ろの奴といつまでも鬼ごっこをしているわけにもいかない。変則軌道で飛行を続けながら、俺はこの後の行動を考えた。
 そして空いている左手に杖状の量産型デバイスを出現させると、俺は銀色の魔法陣を足元に展開してその場に急停止した。構わず飛んでくる魔法弾は、振り向きざまに出現させた魔力障壁(シールド)でやり過ごす。
「いい加減に――――」
 俺への直撃コースを走る魔法弾だけやり過ごすと、デバイス先端に銀色の魔力球、発射台(スフィア)を素早く形成して前方に向けた。
「――――しろっ!」
 繰り出される銀色の魔法弾の連射。
 今度は逃げ役交代だ。銀色の魔法弾は、男の回避軌道に沿って次々と飛んでいった。
 俺は射撃位置をずらしながら、男の影を追って攻撃を続けた。男はそれを避けながら周りを飛び続ける。
 上手いな。敵の動きを目の当たりにして、俺が抱いた率直な感想がそれだった。
 俺が狙う場所を予測と目視確認で回避。こちらが射撃位置をずらすことを考慮した旋回軌道。こちらの手が止むまで下手に近づいてこない間合いの取り方。
 やたらと空戦に慣れている、なかなか鍛えられた空戦魔導師だ。出会ってからまだそれほどの時間は経過していないが、それでもその腕前を認めてしまうくらいに、敵の動きはその力量を雄弁に語ってくれた。
 突如、敵が足元に魔法陣を展開した途端、跪くような姿勢をとって魔法陣に手の平を置いた。すると一瞬で男の体が魔法陣の中に飲み込まれていった。
「あれっ!?」
 咄嗟の出来事に、情けない声が漏れ出る。
 逃げたのか? プリズンを手に入れることもせずに? おそらく今のは転移魔法だが、そうだとすれば一体何処に?
 そしてまたしても咄嗟。俺の背中に嫌な感覚が覆い被さってきて、反射的にその場を離れた。離れながら後ろを振り向くと、そこにはデバイスを思いっきり振り下ろした後の姿勢で固まったまま俺を睨みつける敵の姿があった。
「――っぶねえ!」
「よく避けられたな」
 避けられた理由は俺にもはっきりとは分からないが、理論的に言ってしまうと、遺伝子が人によってそれぞれ違うように、魔力というのは個人特有の波長がある。それに加えて魔導師は、特にバリアジャケットを纏っている時なんかは全身から漂わせる魔力量が平常時よりも多い。だから近くに自分以外の魔導師が近づいたりすると、それを気配や雰囲気と同じような感覚で察知できるという。それは時々殺気と勘違いされて言われるらしい。
 だが、確かに感じたとは言え、避けられたのは本当に運が良かったのだろう。幾ら理屈ではそんな仕組みがあると言っても、百発百中で意図的に出来るのかと言えばまず無理だ。戦闘中という緊張感が俺の感覚を研ぎ澄ましてくれていたことと、今まで培ってきた経験等が俺を救ってくれたと言うほうが、よっぽど納得出来る話だ。要するに“まぐれ”って奴だ。
 と、自分ではそのように思いつつも、ここは一応、
「ふ、ふん! 貴様の動きなんぞ……見えていた!」
 強がっておいた。
 それはそうと、これほどの超近距離であるとは言え、敵の転移魔法は発動までの時間がやたらと短かった。それはつまり目的ポイントの座標の見極め、そして指定が恐ろしく早いということ。随分と器用な奴だ。
 思えば、敵の中に魔導師は何人くらいいるのだろうか。敵側で魔法を扱うのは、今のところ目の前の男しか確認出来ていない。それに森の中で調査チームを襲った連中の様子からも考えると、おそらく他に魔導師がいたとしても若干名、下手したらこいつ一人だけ。敵連中のほとんどは魔法を使えないと思っていいだろう。見たところ俺と同じくらいの年齢であるこの男が組織の頭を務めているというのは、魔法が使えるという強みのおかげなのか。
 いや、それは過小評価か。腕の立つ空戦魔導師であり、転移魔法を器用に扱うほどのセンスを持つ元時空管理局員。そういうキャリアがあるだけ、こいつは只者ではないという感じがする。やはり何かしらのカリスマ性があるのかもしれない。
 だからこそ思う。そんなに優秀なら、悪いことなんてせずとも偉くなれただろうに。
 本当に、人って奴は分からないものだな。
「…………お前、元管理局員なんだろ? 良い腕してるじゃないか」
「だったら何だよ? 管理局員様のお前が、正義の心を忘れてしまったのかぁなんて俺に説教でも垂れてみるか?」
「いいや、どうせ聞く耳なんて持ってないだろ? それより投降しろ。お前に勝ち目は無いよ」
「投降だぁ? 勝ち目が無いだぁ?」
 本当にこいつには勝ち目が無いだろう。
 こいつの欠点を挙げるとしたら一つ、もう少し大人になるべきだった。自分の艦船をほったらかしにして、怒りに任せて俺を追ってくるというのは駄目だろう。
「お前、人質を船に残して俺を追って来ちゃ駄目だよ。あの艦船に乗り込んだメンバーは厄介だぞ。たぶん人質は奪還されて、お前の仲間も全員とっ捕まってる」
 経過した時間から考えても、俺の予想は当たっているだろう。
 仮にこいつが俺を追うことなどせずに艦船から離れなかった場合。もしかしたらこいつなら、ミリー部隊長に対して健闘は出来たかもしれない。まあ、どちらにしても船に彼女等を乗り込ませた時点で失敗だとは思うが。
 しかし、目の前の敵は意外にも笑っていた。肩を小刻みに震えさせながら、俺の方を見て嘲笑を浮べていたのだ。
 その余裕は何処から来ているのか、俺には予想も出来なかった。
「くれてやるよ、あんなオンボロ船」
 くれてやる? 人質ではなくて、船を?
 まずい。直感的にそう感じた。
「人質が船の中にいるって…………誰か言っていたのかな?」
 敵の嘲笑が徐々に大きくなった。
 それに合わせるつもりは無かったが、俺の顔には徐々に困惑の表情が浮かび上がっていた。
 やられた。そうきたか。
 タイミングを見計らったように、敵の腰からぶら下がっている通信端末が受信音を鳴り響かせた。
 その端末を手にした敵がスイッチを一つ押すと、スピーカー部分から俺がよく知る人の声が聞こえてきた。
『こちら管理局のミリー三佐だ。これを聞いているのは、アウロンという男か?』
「そうだ。局員がこの無線機に連絡を入れてくるってことは、もしかして俺の船は制圧されちゃったかな?」
 この男はアウロンと言うのか。彼は嫌味っぽい笑顔で話しかけながらも、俺から視線を全く外さないでいた。
『察しの通り、船は我々が制圧した。だが…………人質がいない。何故だ?』
 ミリー部隊長の口調は冷静だった。
「保険ってやつかな? 別の場所にいるよ。俺の手下と一緒にな」
『…………そうか…………どうやら、我々はお互い話し合う必要があるな』
「話し合う必要はねえよ。従ってくれればいい」
 やはり、この作戦は失敗だったのか。しかも予想していた失敗よりも少々複雑な状態だ。
「後で指示を出そう。お前等はそのオンボロ船で自分達の宿舎に戻って待ってろ」
 それだけ言うと、アウロンは通信を切った。
 それから俺の方に少し近づいて言った。
「さあ、次はあんた次第だ」
「…………俺次第、か」
 また俺だけこんな切羽詰った状況での選択を迫られているのか。不公平だ、世の中は不公平過ぎる。
「その手に持っているプリズンと、その中身…………あとついでだからお前等の艦船を貰っていくとしよう。俺たちのオンボロよりも質は良いだろう?」
 だからまずいって。今、マリアンヌはサイオン部隊長等の待機チームを乗せて、ある場所に隠れている。それはもちろん、敵を一網打尽にするためなのだが。
 だが、まさかこんな状況になるとは予想出来なかった。
 どうする?
「…………船は、隠してあるんだ」
「そうなのか。じゃあ、とりあえず今から一旦お仲間達と合流しよう。変な真似はするなよ、人質が心配ならな。船は奴等と合流してから明け渡してくれればいい」
 そう言いながら、アウロンが更に近づいてきた。そして素早い動作で、俺が持っていたプリズンを奪い取った。
「とりあえずこっちは貰っとくぜ」
 アウロンの嫌らしい笑みが、俺に向けられた。



≪チャプター2:第二段階≫

 ブリッジの艦長席には、すました顔のミリー部隊長が座っていた。腕を組み、足を組み、操舵機器の前に座る傷だらけの敵達を見渡していた。
「ミリーさん、まもな」
「キャプテン・ミリーだっつーの!」
「キャ、キャプテンミリー! 間もなく管理局の宿舎に到着です!」
 敵の一人が泣きそうな声を上げた。
 私達が敵艦船に乗り込んでからは、ホカン部のトップスリーとエリオ君の活躍によって、船の制圧は何とも呆気なく達成されてしまった。艦船内のアウロン一味は、艦船の操舵技術を持つ者以外は全員縛り上げ、格納庫に収容中である。
 しかし、艦船の中にはキャロちゃんとアイサちゃんの姿が見当たらなかった。敵の一人から聞き出すと、どうやら二人は、取り引きが始まるよりも先に数名の敵魔導師と共に地上に降ろされたそうだ。
 そしてついさっき、ミリー部隊長はアウロンと二度目の通信を交わした。その内容は、私達の乗っているこの艦船を宿舎に着陸させた後、アウロン一味の全員を解放しろというものだった。そしてその後の私達はと言えば、当然ながら捕虜扱いだろう。しかもキャロちゃん達の状況が分からない状態では、下手に抵抗も出来ない。
 作戦は失敗なのだろうか。船を操舵している敵達は、今でこそミリー部隊長が怖くて従っているけれど、船が着陸してしまえば立場が逆転するのだ。
 こんな状況なのに、ミリー部隊長は平静を保ったまま艦長席に座っている。何か策があるのならいいけれど。
「着陸態勢に入ります」
 徐々に艦船の高度が下がっていくのを感じる。それと同時に、私達の危険が大きくなるのも感じる。
 不安なのは私だけではない。ノーラちゃんも怯えるような表情を浮べて私のバリアジャケットの裾を掴んでくるし、ジージョちゃんもミリー部隊長の側から離れない。マルコちゃんとブラント君とウィンディーヌちゃんは、敵が持っていた煎餅を摘みながら「まずいかもな」と言い合っている。この三人はまだ余裕がありそうだ。
 そしてエリオ君は、落ち着いた様子でブリッジの隅に腰を下ろしていた。だが、本当に落ち着いているのだろうか。いや、そんなはずは無い。大切な人を助けにきたはずなのに、肝心のキャロちゃんがいなかったのだから。本当は悔しくて仕方が無いはずだ。
 しばらくして、足元から伝わる振動で艦船が着陸したことを知った。
 操舵席から次々と立ち上がる敵達は、私達の方を見ながら怪しく微笑み、そして言い放った。
「さあて交替だ。今度は俺達の言うことを聞いてもらいましょうか?」
「ンガアァッ!」
 敵の声が終わるのと同時に、ミリー部隊長が突然何処から出したのかも分からないような声で吼えた。敵達は一瞬で怪しい笑みを消し、頭を抱えながら短い悲鳴と共に身を縮めた。
 その反応を楽しむかのように見てから、ミリー部隊長は一度だけ鼻で笑って言った。
「好きにしろ」
 従っちゃうんだ。意外だった。
 私達は誰もが暗い影を落としながら一列に並んで、敵に連れられて艦船の外に出た。
 少し陽が傾き始めたチークの空の下、私達は敵艦船の前に一列に並んで、デバイスを待機状態に戻してから両手を頭上に持ち上げた。フリードも私達の後方でおとなしくしている。
 それから間もなくして、敵艦船の格納庫に収容されていたアウロン一味が解放されてぞろぞろと外に出てきた。私達の横を通り過ぎる度に、一人一人が馬鹿にしたように笑ったり文句を吐き捨てたりしていく。
 ふとミリー部隊長の方を向くと、彼女は相変わらずのすまし顔だ。それは覚悟を決めた証なのか、それとも策がまだあるからなのか。
 私は念話を送って訊いてみた。
 ――どうするんですか?――
 しかし、何度か念話を送ってみたものの、ミリー部隊長からの返事は無かった。
 半ば泣き出しそうになりながら、私は正面に立つ敵を見た。敵の手には、おそらく違法ルートで入手したのであろう銃が構えられていて、その銃口が私達の方を向いている。
「あんなもの持ってるなら、船の中でも使えば良かったのにね」
「アホ。飛行中の艦船内で銃をぶっ放すバカがいるか。魔法攻撃と違って物理破壊しか出来ない武器なんだぞ? 艦船内部を傷つけて墜落でもしたらどうする?」
 横からブラント君とマルコちゃんの緊張感ゼロな会話が聞こえてきた。こっちは怖くて泣きそうなのに、なんでそんな余裕が保てるんだろう?
 しばらくすると、森の中から捕縛魔法(バインド)に縛られたキャロちゃんとアイサちゃんを連れた敵が三人現れた。そしてほぼ同じタイミングで、同じように縛られたノイズ曹長と、敵の主犯格であるアウロンらしき男が空から降りてきた。
「キャロッ!」
 キャロちゃんの姿を見るなり、エリオ君が大声を上げた。それを煩いと言わんばかりの表情で、男が「黙れよ」と制した。
 縛られたままのノイズ曹長は私達の横に並べられたが、キャロちゃんとアイサちゃんだけはアウロンの隣に置かれたままだった。
 どうしようもない。そんな絶望感が頭の中を埋め尽くしていく。
 突如、ノイズ曹長からの念話が私達に送られてきた。
 ――申し訳ない――
 そんな一言に誰も返事をしなかった。
 ノイズ曹長のせいではない。私達全員の目論みが外れたことが原因だ。もっと充分に考えるべきだったのかも知れない。もっと時間をかけて、落ち着いて考えていればこういう状況も想定出来たかもしれない。
 今更何を言ってもどうしようもないし、言い訳になってしまうが、取り引き時刻が押し迫っている緊迫した空気の中では、やはり完璧な作戦は思いつけないのだと思い知らされた気分だ。
 誰のせいでもない。敵が一枚上手だっただけ。それだけだ。
 だが、この失敗はなかなか苦しい。
 ――謝るな――
 突然、ミリー部隊長が返事をした。
 ――状況はそれほど悪くもないぞ――
 聞いた瞬間、私はもう一度自分の頭の中でその言葉を反芻した。
 だが、それでもやはりすぐには理解出来なかった。言葉の意味が解らないのではなくて、どうしたらそんな答えが出せるのかということが解らなかった。
 ――いや、しかしですね…………人質は助け出せなかったし、プリズンも敵の手に――
 ノイズ曹長が続けようとすると、ミリー部隊長はその言葉を遮った。
 ――作戦の第一段階クリアの最低条件、覚えているか?――
 ――ええと……あ、プリズンを敵に渡すこと――
 声には出さなかったが、私も思わず口を開けて思い出したような表情を浮べてしまった。もちろん、隣で不安がっていたノーラちゃんやジージョちゃんも一緒だ。
 そうだった。人質救出は出来ずとも、プリズンを敵の手に渡すことが出来れば、まだ手はある。それが本来の作戦第一段階クリア条件だった。
 ミリー部隊長が冷静でいられたのは、こういことだったのか。
 私やノイズ曹長は勘違いをしていた。敵を艦船から引き離すことが出来たせいで、作戦は予定されていた道を僅かに逸れてしまっていたのだ。それなのに、私やノイズ曹長は作戦変更と勘違いしてしまい、結局対応仕し切れずにいた。だからこんなにも不安に駆られてしまったんだ。それに比べてミリー部隊長は、達成すべき目標は一つだけと、始めから冷静に状況を見ていた。だから余裕を持っていられたんだ。
 ――出来れば人質救出は早い方が良かったが、まあ状況的には当初の予定と変わらない。作戦は続行だ――
 ――ということは、次は第二段階?――
 ――少し敵を揺さぶる。お前達は第二段階に入ったらすぐに動けるよう備えておけ――
 改めてミリー部隊長の頼もしさが身にしみる。敵艦船内での暴れっぷりを見ている時は、何だか自分達の仲間じゃなくなってしまったように感じて怖かったが、それを除けば、彼女ほどに安心感を抱ける仲間というのも珍しいのではと思う。
 ――最後のチャンスですか?――
 突然、エリオ君から全員に送られた念話。その声には、余裕が感じられなかった。
 彼の言う通りだ。第二段階は実行したら二度目が無い。これがキャロちゃん達を救出する最後のチャンスになる。
 エリオ君に何か言ってあげた方がいいだろうか。頑張れとか、必ず助けようとか、力になるよとか、当たり前の言葉しか浮かんでこない。そんなことは改めて言わなくたっていいことだ。
 気の利いた言葉が一言も出てこない自分を情けなく思っていると、ミリー部隊長の言葉が響いてきた。
 ――そんなに気張るな。しくじるぞ――
 そう言ったミリー部隊長は、チークでは初めて見せる優しそうな笑顔を浮かべていた。
 それを見ていたら、なぜか緊張感が解れてしまった。
 彼女の見せるいろいろな表情が、私達のコンディションを整えてくれているように感じる。そしてそれは、私だけが感じたことではないようだ。
 人質に取られているキャロちゃんを目の前にして、てっきり頭に血が上りきっていると思っていたエリオ君が、何故か穏やかに微笑んでいたからだ。
 先ほどの彼には感じられなかった余裕が、今では充分なくらいあった。
 いける。これなら必ず成功する。
「二手に分かれるぞ。てめえ等はそっちのオンボロに乗り込んで、いつでも離陸出来るようにしとけ」
「え!? 管理局の船を頂戴するってのに、このオンボロも持ち帰るんすか?」
「当たり前だろ。足が付いたらどうすんだよ?」
 敵の会話を聞く限り、チークには船を一隻も残していくつもりはないらしい。
 アウロンの指示を受けた手下の半数が、ぞろぞろと敵艦船に乗り込んでいく。ちらほらと「新しいのに乗りてえよ」という愚痴が聞こえてくる。
 そろそろこちらから仕掛けないと。ミリー部隊長の方を見ると、彼女も同じ心境のようだ。
「さて……俺達の準備はほとんど整った。後はお前等の船を頂戴するだけなんだが?」
 アウロンの意地悪い笑顔がこちらを向く。
 意地悪い笑顔ならこちらも負けない。ミリー部隊長がお得意の笑顔で返した。
「アウロン、取り引きだ」
「は?」
 浮べた笑顔は崩さないまま。しかし、明らかにアウロンの機嫌は傾きかけていた。
「私達の艦船、マリアンヌをくれてやろう。その代わり、人質二人と交換だ」
「そりゃあ寝言か? 一生夢見てろ、バカヤロウ」
 どこかで聞いた台詞だ。ミリー部隊長の眉が微かに動いた。
「キャロ陸士はプリズンの中身の主人にはなれない。つまり、お前等が連れて帰ってもメリットは無い」
「…………嘘が得意なのか?」
「事実だよ。それにお前が二人を返さない限り、こちらもマリアンヌを渡してやる気は無い」
 ――ミリー部隊長、挑発し過ぎると二人が危ないんじゃ――
 ――平気だ。キャロ陸士ばかりかアイサまでも無事でいる。おそらく二人を手放すつもりはないんだろう。逆に言えば、二人は簡単に殺されないってことだ――
 私の心配をよそに、ミリー部隊長は続けた。
「早く二人を放せ。どうせお前にとっちゃ役立たずの二人だ。プリズンが手に入ってマリアンヌも手に入るなら、役立たず二人くらいは安いもんだろ」
「その手に乗るかよ」
 アウロンはそう言うと、プリズンを掲げた。
 アウロンの周囲にいた敵が、驚愕しながら叫んだ。
「ここで開けるんすか!?」
「見せてやるよ、本当にキャロが役立たずなのかどうか…………キャロ!」
「は、はい」
 キャロちゃんが戸惑いながら返事をした。
「お仲間の命が心配だったら…………解ってるよな?」
 その言葉が、私達にキャロちゃんの置かれている状況を教えてくれた。
 そうか、アイサちゃんが無事な理由は、キャロちゃんを言う通りにさせるための餌だったんだ。
 ますますアウロンの非道さに苛立ちを覚える。あんな悪人、絶対に放っておくわけにはいかない。
「キャロ!」
 エリオ君が再びキャロちゃんの名前を叫ぶ。
 しかし、悲痛な表情を浮べながら、キャロちゃんは叫び返した。
「ごめんなさい! 私、この人の言う通りにしか出来ない!」
「何言ってるんだ!?」
「エリオ君、ごめんなさい……それに皆さん、本当にごめんなさい。私、管理局員失格です。皆さん、早く逃げてください……ここから離れてください」
「それは駄目だな。奴等は一人ずつオルギプスの餌にしようと思ってるんだから。絶対逃がさねえよ」
 キャロちゃんの両目から大粒の涙が零れ始めた。
 大好きな人と過ごす、最後かもしれない時間がこんな時だなんて、あまりにも残酷だ。幾らアイサちゃんが人質に取られているとは言え、敵の言いなりになることを彼女が簡単に選んだとは考えにくい。考えて、考えて、何度も何度も選べないと悩んで、それでも彼女は選んだはずだ。しかも、自分の選んだ道が大好きな人の命を奪ってしまうかもしれないという現状を目の当たりにしてしまった。
 もしエリオ君が死んでしまったら、そして私達がオルギプスの餌になってしまったら、彼女の涙は絶対に止まらない。
「エリオ君! ごめんなさい! 私…………私はっ!」
 嗚咽が混じる叫びをエリオ君は黙って聞いていた。
「さあ、よろしく頼むぜ! 竜召喚士様よぉ!」
 アウロンがプリズンを空に投げた。高く舞い上がるプリズンは、上昇と共に淡い光を放ち始めた。
 漆黒の立方体が六つに分かれていく。そしてそれぞれが一枚の正方形の板となったプリズンの各パーツは、重力に逆らって上昇を続けながら、互いの間隔を拡げていった。
 空中に舞い上がったそれらは、オレンジ色の光線で互いを結びつけたまま更に拡がり、その光線で囲まれた内側には極小の粒が、何億、何十億とも言える数で群れを成しながら泳ぎ回った。
「エリオ君逃げてえぇぇぇ!」
「僕は…………絶対にキャロを置いて行ったりしない!」
 ミリー部隊長の笑みが増した。その笑みは、隣で叫んだ一人の騎士への応え。彼の強い意志を感じ取り、高まった己の士気に呼応した笑み。
 ミリー部隊長だけではない。私達にだってエリオ君の意志が、エリオ君の覚悟が伝わってきている。
 絶対にこの場から退かない。
 一人の騎士の覚悟が私達に伝播して、それは一つの大きな力となる。
 粒の群れが徐々に形を成していき、一粒一粒が結合するかのように互いを光で包んでいく。
 輪郭が出来上がりつつある中、アウロンは嬉しそうに笑み、彼の手下達は驚愕の表情を浮かべ、アイサちゃんはぽっかりと口を開け放し、キャロちゃんは両手で顔を覆って泣いていた。
「見ろ! これがオルギ…………」
 アウロンの嬉しそうな声が途切れた。そしてそれと同時に、ミリー部隊長の笑みが最高潮にまで増した。
 エリオ君は誰よりも早くデバイスを構え、私達もそれに続いた。
 アウロン達はまだ空を見上げている。目を釘付けている。
 その気持ちも無理はないだろう。何故ならプリズンから出現したのは、彼らが求めていた竜型古代生物などではないのだから。
 L級次元空間航行艦船、『マリアンヌ』がそこに現れた。
「全員攻撃開始!」
 ミリー部隊長の声と共に、私達は雄叫びを上げながら走り出していた。
 頭上から降り注ぐマリアンヌの駆動音が、私達の雄叫びも、アウロンの悔しそうな絶叫も、敵一味の悲鳴も、全ての音を飲み込んでいった。
 周囲を色とりどりの魔法弾が飛び交い、一気に交戦状態に入る。
 これが作戦の第二段階。敵がプリズンを開いたところで、マリアンヌ、及び現場にいる局員全員で敵を叩く。
 下準備は取り引きが開始される前から進んでいた。まず、オルギプスの入ったプリズンを持ったチームが、ウィンディーヌちゃんの力によって敵の目が届かない地点まで転移する。そこでオルギプスを放してしまい、すぐさま宿舎に帰還。あとはサイオン部隊長率いる待機チームが乗り込んだマリアンヌをプリズンに閉じ込め、取り引きを行なう。取り引き時に人質を取り返すことが理想的ではあったが、仮にプリズンだけが敵の手に渡ってしまったとしても、敵がプリズンを開けた時点でこちらの奇襲は成功となる。キャロちゃんやアイサちゃんを助け出せる確率は下がるかもしれないが、最低でも敵を取り逃がさないという目的は、高確率で達成できる。ちなみにサイオン部隊長が恐れていた事態というのは、敵の手にプリズンが渡らずに、尚且つ私達実働チームが全滅した場合だ。プリズンは内側からは開けられないので、誰にも解放してもらえなければ、マリアンヌはその小さな立方体から出ることが出来なくなるのだから。
 これがミリー部隊長の提案した、『キャロちゃん救出作戦』の全容だ。不安要素ももちろんあったが、短時間の間に考えられる作戦の中では最も勝算が高かった。
 そして現状。困惑して完全に統率の取れていない敵の一団の様子を見れば、私達には充分な勝機があると思えた。
「どうだアウロン! 言った通り、キャロ陸士に“あれ”の主人は務まらないだろう!? 私は中身がオルギプスだなんて一言も言ってないからな!」
「くそ!」
 突如、キャロちゃんを抱えたアウロンが空を飛んだ。
「逃がさないぞ! フリード!」
 エリオ君の声に合わせて鳴いたフリードが、翼を羽ばたかせてアウロンへと向かった。そしてフリードの背中に飛び乗るエリオ君。
「我々も追うぞ!」
 ミリー部隊長が腕を大きく振った。
 マリアンヌから降りてきた待機チームの局員達が、地上のアウロン一味を次々と取り押さえていく。その様子を確認しながら、私達はアウロンの姿を見据えてすぐさま飛んだ。
 アウロンは自分達の艦船に向かって真っ直ぐ飛んでいった。敵艦船は既に離陸を始めていて、開け放たれた搬入ハッチの中から、アウロンの手下が手招きをしている。
「すぐに転移の準備をしろ! 俺が乗り込み次第次元空間に逃げるぞ!」
 アウロンが船に向かいながら声を張り上げた。次元空間に飛ばれたらマリアンヌでしか追えなくなる。それでは取り逃がす可能性もあるので、何としてでもここで捕らえる。もしくは私達が敵艦船に乗り込まなくてはいけない。
「キャロを――――」
 エリオ君を乗せたフリードが速度を上げた。
 その背中には、ストラーダを振り上げたエリオ君が立っていた。
「――――放せぇっ!」
 ストラーダは、アウロンの背中目掛けて勢い良く振り下ろされた。
 それを杖状デバイスで受け止めたアウロン。だが、視線はただひたすらに艦船へと向けられている。
 敵艦船が更に高度を上げていく中、マリアンヌから魔法弾が放たれて、敵艦船の一部に直撃した。
 私達ホカン部はミリー部隊長と私が先頭を飛び、そのすぐ後ろにノーラちゃん、ジージョちゃんが続き、マルコちゃんとブラント君が一番後ろから追ってきていた。
「まずい! 敵艦船に逃げられるぞ! マルコォ!」
「了解! レプリィ、モデル“ケリュケイオン”!」
 ミリー部隊長の言葉から彼女の意図を察したマルコちゃんは、キャロちゃんそっくりの姿に変身した。
「強化魔法(ブーストアップ)、“ジェット”!」
 マルコちゃんの両手に嵌められたグローブ型デバイスから、若草色の光の弾が四つ放たれた。それは私とミリー部隊長、ノーラちゃんとジージョちゃんにそれぞれ一発ずつ直撃した。その瞬間、私達の飛行速度が一気に上がっていく。
「ウィンディーヌ! 行って来い!」
 ブラント君と分離したウィンディーヌちゃんは、ブラント君が振り被ったポリビウスに張り付いた。水の道が消え、ジェームスクックから両足を離したブラント君は、自分が落下するよりも先にポリビウスを思いっきり振った。その勢いに乗って、ウィンディーヌちゃんがロケットのように飛ぶ。
 キャロちゃんを抱えたアウロンが、エリオ君とフリードを引き連れたまま艦船ハッチ内に飛び込んでいった。
「間に合えぇぇぇっ!」
 敵艦船が転移を開始。艦船全体が真っ白な光に包まれる。
 敵艦船にある次元転送システムの駆動音が鳴り響く中、私達の体はその光の中に飛び込んだ。
 そこから先は、視界が真っ白になってしまったのでよく分からない。ただ、地上本部から本局へ転送される時と同じような、自分の体が消えていく感覚に包まれたことははっきりと分かる。
 どうやら、間に合ったみたいだ。
 
 To be continued.



[24714] 第十九話 フェイトの子供達
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 02:01
≪チャプター1:キャロの気持ち≫

 第六管理世界に暮らす少数民族『ル・ルシエ』の子として生まれた。
 『竜使役』という特殊技能を持っていた私が白銀の飛竜フリードリヒを従えたのは、六歳の頃。でも、その才能が原因で私は生まれ育った部族を追放されてしまった。強過ぎる力は、不幸や災いを呼んでしまうそうだ。
 管理局によって保護されたのはその後。その時に出会った人達は皆、私の持つ力を褒めてくれた。でも私は、大き過ぎる自分の力は皆の迷惑になるものだと思っていたから、その力に怯えて制御することが出来なかった。だから、最初はあんなに褒めてくれていた人達の目が、いつの間にか“役立たずの処理に困っている”ような目に変わったのも当然だと思っていた。
 不幸にしないために私は居場所を失ったのに。
 迷惑を掛けるのが怖くて力が使えないのに。
 何もしなくたって、私は邪魔者だった。
 私が居ちゃいけない場所。私がしちゃいけない事。いつだって私の周りにはこの二つしかなくて、私は自分の在り方が分からないでいた。
 だから、行きたい場所やしたい事なんて考えたことも無かった。
 そんな私が今こうしていられるのは、私に笑いかけてくれる優しい人達が現れたから。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官。フェイトさんは、誰にも心を開けなかった私を引き取ってくれた人。そして、私に温かい居場所を与えてくれた人。
 エリオ・モンディアル陸士。エリオ君もフェイトさんに引き取られた男の子で、六課で出会った時からいつも私の側にいてくれた人。そして、私に自分の力でしたい事を教えてくれた人。
 この人の側に居たいと思えた。この人を守りたいと思えた。
 二人に出会うことが無かったら、私はいつまでも自分の在り方を知らないまま、自分の力と向き合えないままの子供だったはず。
 人は、こんなにも変われるのだと知った。
 何時なのかも分からない。何処から来るのかも知らない。誰が、何がきっかけとなるのかも予測出来ない。自分で探さなくちゃいけない時もあるのかもしれない。
 でも、人を変える出来事や出会いは確かにある。
 自分が知らないことの数は、自分が変われる機会(チャンス)の数。
 私はそう学んだ。
 もしもあなたにそのチャンスが訪れていないのなら、私はあなたの機チャンスになりたい。
 私はきっかけとなるだけ。誘うだけ。
 そう、こんなにも素敵なことが世界にはあるんだよって、伝えるだけ。
 変わるか否かはあなた次第。選ぶのは、あなた。
「キャロオォォォッ!」
 つま先の向く方から声がした。
 それは一番聞き慣れた、優しい人の声。
 そして一番大好きな、私に笑顔をくれる人の声。
「エリオ君っ!」
 すぐにでも彼の元へと飛び出したい。でも、私の体を抱える二本の腕は、締め付ける力をちっとも緩めようとしない。
 照明の明かりを反射する艦船通路と平行に飛行する私。正確には、飛行するアウロンさんに抱えられている私。
 私を抱えているこの人は、こんなやり方しか知らない人。
「アウロンさん、もう諦めてください」
「黙れ! くそっ、奴等乗り込んできやがった! くそっ! くそっ! くそぉっ!」
 アウロンさんの歯が食いしばられている。顔のあちこちに深い皺を作って、悔しそうに前を見ている。
 私は視線をもう一度後方に向けた。
 すぐ後ろまで迫っているのはフリードに乗ったエリオ君。その後ろに、ミリー部隊長とソフィーさん、ジージョさんとノーラさん、ウィンディーヌさんが続いている。
 私とアウロンさんは通路を真っ直ぐ進んで、とうとう艦船ブリッジに辿り着いた。もうこれより先に逃げ道は無い。
 ブリッジ内にはアウロンさんの手下が数人、操舵席に着いて計器や操舵パネルと向かい合っていたけれど、アウロンさんが飛び込んできたことに気付いた途端、次々と視線をこちらに向けてきた。
「アウロンさん、やべえっすよ!」
「黙って操舵してろよ!」
「それどころじゃねえって! 転移前に受けた管理局からの攻撃で、航行システムがイカれちまった! もうこの船はもたねえってば!」
「く……っそおぉぉっ!」
 捕縛魔法(バインド)で私の動きを封じると、アウロンさんは私を少し離れたところに降ろして、杖を前方に構えてから足元に魔法陣を展開した。杖の先端には発射台(スフィア)。ブリッジに飛び込んできた皆を撃つつもりだ。
 入り口にフリードの鼻先が見えた瞬間、アウロンさんの杖から紺色の中型砲撃魔法が放たれた。それはフリードの胴に直撃すると、苦痛の叫びを上げるフリードを床に転がした。
「フリード!」
 エリオ君と私の叫びが重なる。
 身体を横たえたフリードは光を放ち、その姿を通常時の小型サイズに戻してしまった。
 エリオ君はすぐさまストラーダから魔力を噴出してアウロンさんへと突撃していく。
 ストラーダの先端が真っ直ぐにアウロンさんの体を向いている。それをアウロンさんは直撃寸前のところで身を翻して避けると、回る身体の流れに乗せて杖を横一直線に振るった。背中に杖の一撃を叩き込まれたエリオ君は、ブレーキを掛け損ねたままブリッジ上を滑って転がる。
「エリオ君!」
 私の声が届いていないのか、エリオ君はその身をすぐさま起き上がらせると、再びストラーダと共に突進してきた。カートリッジロードの衝撃音が一度響く。
 それすらも見越していたのか、アウロンさんはその場で転移魔法を発動した。一瞬だけ視界から消えたアウロンさんの身体は、突進中のエリオ君の真上に出現した。足の下をエリオ君が通り過ぎた後で着地したアウロンさんが、未だ背中を向けたままのエリオ君に向けて魔法弾を放つ。
 放った三発の魔法弾が、こちらを振り向いたばかりのエリオ君に容赦無く叩き込まれた。
 膝を着くエリオ君。漏れ出た呻き声が私の耳に届いた時、私は両手で顔を覆っていた。
 苦しいのは彼なのに、泣いたのは私だった。
「諦めろ、アウロン」
 いつの間にかブリッジに入ってきていたホカン部の皆が、ミリー部隊長を先頭にしてアウロンさんと向き合っていた。
「ふざけんな」
「もう逃げられない。諦めて降参しろ」
「出来るかよぉっ!」
「…………アウロンさん」
 呟いた。小さな声だったけれど、私は一言そう呟いた。
 その小さな声は、皆に聞こえていたみたいだ。視線を幾つも感じるし、アウロンさんも私に目を向けてくれた。
「諦めてください」
 あなたは知らないだけ。
「こんなことしなくたって、自分を幸せには出来ます。これから知ればいいじゃないですか。だから…………」
「…………何だよ。俺は別にそんな大それた理由でやってるわけじゃねえって言っただろ? オルギプスとお前を奪って持ち帰れば、それが金になっただけの話だぞ……なんでそんな説教されなくちゃいけねえんだよ?」
「お金が欲しいなら、もっと別のやり方だってあるじゃないですか」
「手っ取り早いんだよ! リスクがあったって、これが俺にとってやりやすい方法だし、得意だからだ!」
「やり直しましょうよ」
「お前みたいなの見てるとイライラすんだよ! 俺がこんなことをする理由なんて単純なんだ! 重い過去も無えし、深い事情も無いんだよ! それをガキ一人が訳ありみたいに勝手に解釈して説教垂れてんじゃねえぞ!」
「だってぇ!」
 私は確かに鬱陶しいことを言っているのかも知れない。アウロンさんにしてみたら、私の言っていることは正解で、理想論で、幻想で、綺麗事で、煩わしいだけなんだと思う。まだまだ酸いも甘いも知らない子供の、それはまるで小さい頃に読んだ絵本の御伽噺を現実と信じているくらいの、甘ったれた持論なんだと思う。アウロンさんにしてみたら、私の言葉はそんな戯言でしかないんだと思う。
 世界を分けるのは簡単ではない。
 正義があれば悪がある。でも本当は、その真ん中だってある。
 綺麗なものがあれば汚いものもある。でも本当は、どちらにもなり得るものだってある。
 そう、境界線はとても曖昧で、はっきりとは分けられない。
 でも、だからこそ、どちらにもなり得るからこそ、という考え方もある。
 複雑なものがあれば単純なものもある。でも本当は、どちらも考え方によっては同だったりする。
 真っ直ぐな道があれば歪んだ道だってある。でも本当は、同じ場所から出発して同じ場所を目指していたりする。
 自分の在り方を知らなかった私は、きっと違うきっかけ一つで今とは全然違った子になっていただろう。もしかしたらアウロンさんみたいな生き方しか知らない子になっていたかも知れない。
 そう、本当に境界線は曖昧なんだ。
 だからこそ、私の戯言は、甘い考えは、未熟な訴えは、アウロンさんの気持ちに通じるものでもあると信じている。
「だって…………アウロンさんは“私と仲良くなりたい”って言ってくれたじゃないですか」
「…………てめえ、あの状況での言葉の意味を履き違えているんじゃねえのか?」
 アウロンさんがため息と共にそう言った。たぶん、私に物凄く呆れているんだと思う。
 それでも、私はあの時と同じことを、同じ表情で言い返した。
「アウロンさんと仲良くなりたいって気持ち…………無いわけではないですから」
 そう言って微笑んだ。涙で顔はきっとぐしゃぐしゃだろうけれど、それでも私は笑った。
 もしアウロンさんが変わってくれるのなら、私は優しく笑いかけてあげられる人でいたいから。
 そう、フェイトさんやエリオ君みたいに。
 私は、笑った。
「…………お前といると、調子が狂う」
「彼女の純粋さは眩しいな。まるでギラギラした凶器(ナイフ)だ。深く刺されてしまったんじゃないか?」
 アウロンさんの呟きに、ミリー部隊長が続いた。
「もういいだろう。この船も限界みたいだし、諦めて降参しろ」
「嫌だね」
 アウロンさんは笑っていた。
「こんなガキンチョの言いなりになるのは勘弁ならねえ」
 ミリー部隊長が呆れたように笑いながら、デバイスを構えて言った。
「確かにキャロ陸士の説教もガキ臭くて甘ったるいが…………お前の頑固さもガキンチョみたいだな」
 アウロンさんが舌を出しながら右手の中指を天井に向けて突き出した。
 ミリー部隊長は大きなため息を吐くと、そのままゆっくりとアウロンさんに歩いて近づいた。足取りはとてもゆっくりとしていて静かだけど、気迫は全く穏やかではなかった。
 アウロンさんはそんな彼女の目を睨みながら、杖を振り被った。 
 二人の距離はどんどん縮まり、離れたところからはソフィーさんが落ち着き無くミリー部隊長の名前を呼ぶ声が聞こえる。
 そして遂に、張り詰める空気の中で二人の制空圏が触れ合う。
 その瞬間、ミリー部隊長のこめかみ目掛けてアウロンさんの杖が振られた。
 響く幾つかの悲鳴。
 杖がミリー部隊長のこめかみに触れる直前、彼女は一瞬だけ身を屈めて杖をやり過ごした。
 空振りをするのは承知の上だったのか、アウロンさんは怯むことなく杖を再び背中に回して振り被る。
 その瞬間だった。杖がアウロンさんの背後に回された瞬間を、僅かに重心が後方に移動したタイミングを、ミリー部隊長は見逃さなかった。すぐさまデバイスを正面に突き出してアウロンさんを押し込んだミリー部隊長は、後方に仰け反るアウロンさんのバタつく足を払った。
 尻餅をついたアウロンさん。その右手に握られていた杖は、素早く繰り出されたミリー部隊長の足蹴りによって遠くに飛ばされてしまった。
「個人的な意見だが、管理局員は白兵戦の訓練をもっとした方がいい」
 そう言いながら杖を蹴り飛ばしたミリー部隊長の足は、続いてアウロンさんのお腹の上に落とされた。
 呻き声を漏らしたアウロンさんはその場に仰向けとなり、ミリー部隊長を完全に見上げていた。
 そして、ミリー部隊長のデバイスの銃口がアウロンさんの胸に向けられる。
「そう思わないか? “ガキンチョ”」
 しばらくの沈黙。
 それから、アウロンさんは呼吸がし辛くなりながらも笑った。そして言った。
「ははっは…………分かった。俺の負けだ…………降参してやる」
 その言葉を聞いて、私は安堵した。
 彼が私の言葉で変わってくれたのかどうかは分からない。あの様子だと、やっぱり無理だったのかな。
 でも、これで事件が落ち着くと思うと、ようやく胸が落ち着いた。
「キャロ……」
 エリオ君が胸を押さえてストラーダを杖代わりにしながら、私の隣にやって来てくれた。それに続いてフリードを抱えたソフィーさん達も側に駆け寄ってくる。
 私はエリオ君に抱きつきながら何度もお礼を言った。
 傷だらけで、埃だらけで、ボロボロになりながらもエリオ君は、痛いのを堪えて笑ってくれた。
 優しく、笑いかけてくれた。
「ありがとう」
 それからもう一度ミリー部隊長とアウロンさんの方を見ると、何故か二人の体勢は変わっていなかった。
 そのまま見守っていると、
「…………貴様、いつまでガキ大将でいるつもりだ?」
 全員が息を呑んだ。まるで凍りついてしまうような空気が走る。
 アウロンさんの額から汗が噴き出ているのが分かった。
「……は?」
「“降参してやる”だと? …………貴様、元管理局員だったな。訓練校では“命乞い”の仕方を教えてくれなかったのか?」
「い、いのちご……ちょ、ちょっと待てよ」
「つくづくガキンチョめ」
 ミリー部隊長のデバイスが、その六連装の銃身を回転させ始めた。魔力が注ぎ込まれていくのが分かる。
「てめ! 無抵抗の相手に攻撃だぁ!? それが管理局員のすることか!?」
「まだだ、まだ全然命乞いになっていない。お勉強はしっかりしておくべきだったな」
「ふざけんな……まさかてめえ…………非殺傷設定は掛かってるんだろ? なあ、そうだろ!? おい!」
 その時、私は側にいたエリオ君の腕にしがみついていた。
 怖い。
 彼女は管理局員。では、正義なのだろうか。
 正義があれば悪がある。でも本当は、その真ん中だってある。
 私は、彼女がどちらなのか分からない。
 そして、今、彼女が浮べている笑顔の真意が分からない。
「非殺傷設定だと? ――――」
 ミリー部隊長の言葉が、アウロンさんに向けて吐き出される。
 それが、合図。
「――――そりゃあ寝言か? 一生夢見てろ、バカヤロウ」
 激しい断続音を撒き散らしながら、ミリー部隊長のデバイスから飛び出す真っ赤な魔法弾が、アウロンさんの胸に次々と降り注ぐ。痙攣のように何度も手足をばたばたとさせているアウロンさんの体は、陸に上げられて苦しむ魚みたいで怖かった。
 悲鳴がこだました。その悲鳴の中には、私の声も混じっている。
 やがて銃声が鳴り止み、誰もがそのままの姿勢を崩さなかった。エリオ君はじっとミリー部隊長の方を見据えて驚いているし、私はずっと目を逸らしたままでエリオ君の腕にしがみついていた。ふと、横にはソフィーさんが尻餅をついている姿もあった。
 声は聞こえない。
 恐る恐るミリー部隊長の方を見ると、ぴくりともしないアウロンさんの体から足を離した彼女は、アウロンさんのバリアジャケットのあちこちを探り出した。何をしているのかと見守っていると、彼女はアウロンさんの腰にあるポケットの辺りで手を止め、中に右手を突っ込んで何かを掴み、それを引き抜いた。
 それから彼女は、私達の方に向き直って舌を出した。
「非殺傷設定、掛かっていて良かったな」
 そう言いながらミリー部隊長は、右手に掴んだものを投げて渡してきた。エリオ君がそれをキャッチしてくれたので見てみると、私のデバイス、『ケリュケイオン』の待機状態であるブレスレットだった。
 ミリー部隊長が近づいてくる途中、ソフィーさんが涙目になりながら言った。声は震えている。
「ははは…………腰抜けちゃって動けないや」



≪チャプター2:エリオの気持ち≫

 信じられないと言うのが率直な感想だった。ミリー部隊長という人がこんなにも怖い人だったなんて。
 もっと言えば、こんなにも怖い人が管理局にいたなんて。
「あの野郎、私に二回もバカヤロウと言ったからな」
 そう言って口元は微笑んでいたが、その顔にはまだ怒りが残っていた。
 キャロ救出に協力してくれたことは感謝している。頭に血が上って暴走しかけた僕を止めてくれたことももちろんだし、たぶん、この人がいなかったらキャロを助け出すことは出来なかった。
 頭が良くて、おそらく戦技能力もこの中で一番優れている。ホカン部はよく“要らん部”や“役立たん部”って言われていたけれど、それでも一部隊の部隊長を務めるくらいだから、それなりに優秀であるとは思っていた。
 そして今回、チークで彼女と出会い、短い時間でも行動を共にして分かったことは、管理局員としての彼女は間違いなく優秀だった。
 だけど、この人自身の奥深く、根幹部分に、何か引っ掛かるものがある気がする。
 信用していいのだろうか。彼女は、僕が初めて接するタイプの人だ。
 自分で言うのも何だけど、僕は色々と鋭いところがある。
 僕の出生にはちょっと複雑な事情があったせいで、過去には人間の酷い部分や汚れた部分をたくさん目の当たりにしてきた。ある時は自分が人として扱われなかったこともある。それ等が理由で酷く人間不信に陥っていた僕は、近づく人間を全て敵としか思えない時期があった。
 そんな僕も、フェイトさんと出会ってから変わった。彼女が体を張って僕を立ち直らせてくれた上に、僕を引き取ってくれたという経緯があって、今の僕がいる。
 過去の記憶はやっぱり忘れることが出来なくて、潜在的に過去の自分が、今でもあらゆる場所で僕に働きかけているように感じる。
 でも、それは決して悪いことだとは思っていない。今の僕は誰とでも真っ直ぐ向き合えると思うし、他人を信じる勇気だってある。それに僕の中に潜在する、疑心に満ちていた頃の自分のおかげで、周囲の僅かな異変や細かな機微にも鋭くなったし、同じような想いを他の人にさせたくないという確固たる信念も抱くことが出来る。
 僕は、きっかけと想いで変わることが出来た。
 そんな僕の心が言っている。
 ミリー部隊長は、危険だと。
 彼女は悪い人ではない。そう、決して悪い人ではないんだ。
 でも、善人ではない。
 何か確信に至るものがあるわけではない。でも、僕の直感がそう訴えてくる。
 ミリー部隊長は不思議な人だった。
 彼女の猟奇的な一面を見て、僕は畏怖の念を抱いてしまう。最初、彼女は戦うことが大好きな人なんだと思った。でも、途中からそれは違うような気がしてきた。戦うことが好きというよりも、戦うことで得るものに執着しているような。ただ戦うことが好きなのだとしたら、僕が暴走しかけた時に、僕を窘めたりしないし、その後で仲間達の士気を高めるようなリーダーシップを執ることもしないと思う。彼女が求めているものは、戦うことよりも、戦った先にあるもののような気がする。だから、確実に戦いで勝利を得るために、チームを最高の状態(コンディション)に整えようとするんじゃないだろうか。
 それともう一つ、彼女がホカン部の皆と一緒にいる時の表情や仕草に、僕は何故か懐かしさのようなものを感じてしまう。何故だろうかと考えてみたけれど、それは、僕やキャロに触れている時のフェイトさんと同じようなものを感じるからだと気付いた。フェイトさんとミリー部隊長が似ているとは思わない。でも、ホカン部の皆に声を掛けている時の感じや、一緒に過ごしている時の雰囲気が、何処となくフェイトさんを彷彿とさせる。
 本当に不思議な人だった。
「さて、では早いところチークに戻らないといけないな」
 ミリー部隊長がそう言うと、操舵席に座っていたアウロンの手下達が慌てた様子を取り戻して言った。
「そ、そうだ! おい、この船はチークまで行けるのかよ!?」
「無理だ……完全にイカれちまった。俺達どうなるんだよぉ」
 手下達が口々に状況を言い合っては、絶望感に打ちひしがれて頭を抱えていた。
「見せてみろ」
 ミリー部隊長が操舵席の一つに入り込む。
「ミリー部隊長、次元航行艦のことなんて解るんですか?」
 ソフィーさんが不思議そうに聞いた。
「まあな。ライセンスは持って無いが…………ああ、駄目だこりゃ。チークでマリアンヌに撃たれた箇所がちょうどこの船の航行制御を処理していた部分だ。動力炉は生きているが、どっちみち思い通りには飛んでくれないだろう。この船の脆さが原因だな。こんだけオンボロじゃあ仕方ないか」
「ど、どうするんですか!? まさかこのまま次元空間を漂流なんてことに!?」
 ソフィーさんの顔から血の気が引いていく。僕やキャロには艦船のことは解らないけれど、漂流ってことは、しばらくはこの艦船内で過ごすことになるのかな。
「慌てるな。いけそうなら近くの次元世界に転移も出来るし、それに救難信号は出せるから、漂流してもすぐに見つけてもらえるんじゃ」
 笑いながらミリー部隊長がそう言った瞬間、突然船全体が揺れて、同時に何処からか轟音が聞こえてきた。
 傾いたブリッジの上に座り込みながら、僕は周囲を見渡した。艦船のモニター全てに映る緊急事態の文字と、けたたましいアラート音。不安が更に煽られた。
 もう一度操舵席のモニターを見たミリー部隊長は、さっきまでの笑顔をすっかり消してしまっていた。
「ど、どうしたんですか?」
「まずいな…………」
「な、何がですか!?」
 ソフィーさんばかりか、アウロンの手下達までもミリー部隊長に縋るように次々と尋ねる。
「損傷していた航行制御部だが、どうやら火が上がっていたようだな。制御部と繋がっていた転移装置に引火して爆発を起こしたみたいだ」
「そ、それじゃあ転移は出来ないってことですよね? じゃ、じゃあやっぱり救援を待たないと」
「それで済めばいいがな。艦船外の様子をモニターに回せるか?」
 ミリー部隊長の指示を受けたアウロンの手下が、頷きながら震える手でタッチボードを操作すると、正面の大型モニターに映っていた警告表示が消えて艦船の外の様子が映された。おそらく船首のカメラから写した映像だろう。海と呼ばれる次元空間は、青や緑が混じり合い、重なり合った抽象画のような空間だった。
「ここじゃない。艦船の真下を映してくれ」
 再び操作がされると、今度は艦船のちょうど真下を移した映像が流れた。
 先ほど見た船首からの映像と同様の模様が広がる中で、所々に黒い穴のようなものが確認出来た。
 先ほどの映像には無い、亀裂のようなその黒い穴を見て、ミリー部隊長が表情を引き攣らせた。
「…………“虚数空間”」
「何ですか? それ」
「見た通り、次元空間に空く“穴”だよ。あの中は魔法も完全にキャンセルされてしまう。魔法だけじゃない、ありとあらゆるエネルギーが引き込まれてしまう。転移魔法や飛行魔法はもちろん、この艦船が万全だったとしてもあの中じゃ動きやしない。二度と上がってこられないまま落ち続けるぞ」
「私達……お、落ちてるんですか?」
「徐々に引き込まれている。おそらくこの艦船の転移装置が爆発した際に、魔力炉内部の高圧縮魔力が漏れ出て誘爆。それが原因で、小規模だが次元断層が生じたんだろう」
「難しい言葉はご遠慮願いますぅ」
 ソフィーさんとノーラさんが手を組み合わせて泣きながら言った。このままだと僕達は、あの真っ黒な穴の中に船ごと飲み込まれてしまう。
 せっかくキャロを助け出せたのに、帰れないのでは意味が無い。
「まだ間に合う! ウィンディーヌ、チークまで転移するぞ! 今の内に座標を掴んどけ!」
「何人いると思ってるのよ! 容量過多(キャパシティオーバー)だっつーの!」
「お前しかいないんだよ! 早くしろ!」
 ウィンディーヌさんが険しい顔のまま足元に魔法陣を展開した。
 彼女の転移魔法の凄さは、チーク上での作戦時にこの目で見てきた。彼女ならたぶんいける。
 皆もそう考えたのだろう。ミリー部隊長とソフィーさん、ノーラさん、ジージョさん、そしてアウロンの手下数名と僕とキャロ。既に十名以上がウィンディーヌさんの小さな体に縋りつくように一箇所に集まった。
「暑苦しい!」
「虚数空間に落ちたら転移魔法も使えないぞ! それまでに早く!」
 ふと、キャロが僕の腕から離れ始めた
「キャロ!?」
「アウロンさんが!」
 既に傾いている艦船のブリッジ上を這い始めたキャロ。僕は彼女の片足を掴んで放さなかった。
「行っちゃだめだ!」
「でも、ほっとけないよ!」
 突如、二度目の爆発が起こった。更に傾斜がきつくなったブリッジは、寝転がったままのアウロンの体を滑らせて遠ざけた。
「キャロ陸士戻れ!」
「キャロちゃんダメだってば!」
 それでもキャロは止まらなかった。
 彼女の目は、アウロンを助けることしか見ていない、真っ直ぐな目だった。
 そして、少しだけ涙を溜めていた。
 僕は、ずっと考えていたんだ。
 キャロが攫われた瞬間、気を失ってしまって何も出来なかった自分が情けなくて、許せなくて、キャロのことが頭から離れなかった。目を覚ますなり、状況の確認すらも怠って彼女を助けに出ようとしたくらい、じっとしていることが出来なかった。
 ミリー部隊長や他の皆が協力してくれた。ソフィーさんもずっと励ましてくれた。
 それでも、どうしても自分を責めることが止められなかった。
 そして、キャロが開封されていくプリズンの前で泣いた時。僕は、あの時が一番悔しくて、一番自分を責めた瞬間だった。
 どうしても失いたくないと願うくらい、大切に想っている人なんだ。
 二度とこんな目に遭わせるものかと誓うくらい、守りたい人なんだ。
 いつでも隣で涙を拭ってあげようと思うくらい、泣かせたくない人なんだ。
 今度こそ、僕は彼女の側を離れてはいけない。
 今度こそ、僕は彼女を守らなくちゃいけない。
 今度こそ、僕は彼女に涙を流させてはいけない。
「ストラーダッ!」
「Explosion!」
 カートリッジを一発ロード。
 ソフィーさん達の声を無視して、僕はキャロの側まで飛び出してその体を抱え、そのままストラーダと共にアウロン目掛けて突進していった。
 ブリッジの床すれすれを滑走していくと、アウロンの姿がすぐ目の前にやって来た。
 僕達よりもだいぶ大きな体だけれど、それでも僕はアウロンの腕を自分の肩に回して、その体を支えた。
「キャロ! しっかり掴まってて!」
「うん!」
 遠くで、ソフィーさん達の声が響く。
「ウィンディーヌ! 止まれ止まれ止まれ! 転移キャンセル!」
「ウィンディーヌちゃんまだダメ! ダメだから!」
「バカァ! もう止まれないわよ!」
 ストラーダに再度カートリッジをロードさせると、僕達はすぐさま来た道を戻り始めた。
 ウィンディーヌさんの転移魔法が発動寸前を示すように、強い光を放ち始めている。
 僕は、僕が抱えているこの男に一言ぶつけてやらなくちゃいけない。
 僕自身からの、男としての、一言を。
「キャロを泣かすなあぁぁぁぁぁっ!」
 その声は、ストラーダから噴き出す魔力のように猛々しく吐き出された。
 転移の光が更に強まって、ソフィーさん達の姿がその形を失い始めた。
 その時、僕は確かに聞いた。ストラーダの機動音と空気を切る音が混じって耳が塞がっていたし、ウィンディーヌさんの所に間に合おうと必死だったし、焦りから更にもう一発カートリッジロードも発動した。
 それでも、すごく小さくても、僕にははっきりと聞こえた。
「ありがとう」
 僕達は、最大限まで大きくなった転移魔法の光の中に飛び込んだ。

 To be continued.



[24714] 第二十話 不明瞭な答え達
Name: 虹鮫連牙◆f102f39d ID:bedef84a
Date: 2010/12/22 02:03
 エリオ君の背後に立ったジージョちゃんが、彼の背中に両手を翳した。その両手からは柔らかな光が放たれ始めて、エリオ君の背中にある青黒い痣を覆い隠すように包み込んでゆく。
「痛っ」
 少しだけ表情を歪めたエリオ君が、上半身裸の状態で椅子に座りながら呟いた。
 痛がるエリオ君の顔を見たキャロちゃんが心配そうにしていると、そんな彼女の様子に気が付いたエリオ君が歪めた表情を笑顔に変えて、「大丈夫だから」と言った。
「ジージョちゃん、エリオ君の怪我の具合はどう?」
「軽症。酷くない」
 私の問い掛けに、ジージョちゃんは笑顔を添えて答えてくれた。
 良かった。エリオ君の怪我は大したことないみたいだ。安心した私は、空いている椅子を引っ張ってきて座りながら、安堵のため息を吐いた。
 こうして何とか無事に、全員揃ってチークの宿舎に戻ってこれた。現状を思い返して、改めて良かったと思う。
 虚数空間に引き込まれていく次元航行艦の中から、私達はウィンディーヌちゃんの転移魔法によって無事にチークまで帰ってくることが出来た。
 転移直前、ウィンディーヌちゃんの魔法陣から放たれた光に包まれて、エリオ君とキャロちゃんが転移魔法の発動に間に合ったのかどうかが確認出来なかった。もしかしたら二人は、虚数空間に落ち行く艦船内に取り残されてしまったんじゃないかと不安になったのだが、そんな不安も転移後にすぐ消えた。チークの大地に流れる浅い小川の上に転移してきた私達が、びしょ濡れになったままお互いの無事を確認し合う中で、エリオ君とキャロちゃん、それに意識を失ったままのアウロンが側にいることも確認出来たからだ。
 二人がちゃんと間に合ってくれたことが嬉しくて、その時の私は思わず涙ぐんでしまった。
 その後、ミリー部隊長がアウロンとその一味を素早く縛り上げた後でマリアンヌと連絡を取り、艦船に迎えに来てもらって宿舎に帰還。アウロンの一味はマリアンヌ内にある貨物室にて拘束し、現在に至る。
 負傷をした人は医務室にて治療を施しているのだけれど、幸いなことに大きな怪我をした人は皆無だった。
 強いて一番重症であると言えば、ミリー部隊長に止めを刺されたアウロンだ。アウロンだけは貨物室ではなく、マリアンヌ内にある個室のベッドにて治療を行ない、そのままそこに拘束されている。もちろん捕縛魔法(バインド)は掛けたままだ。
 非殺傷設定が掛かっていたとは言え、零距離での魔法弾の集中砲火を浴びたのだ。その衝撃はやはり凄まじかったようで、命に別状は無いけれど少し安静にする必要があるそうだ。
 そんな状態であれば逃げ出すことも出来ないだろうと、アウロンは施錠された室内に一人で寝かされている。扉の外には見張りとして二人ほど三課局員が立っているけれど、まだ目を覚ます気配はないらしい。
「それにしてもミリー部隊長には驚かされたなー」
 エリオ君に治癒魔法を掛け続けているジージョちゃんに向けてぼやくと、エリオ君とキャロちゃんもうんうんと頷いた。ジージョちゃんだけは苦笑いを浮べている。
「あそこまでするなんてさ」
 いくら相手が犯罪者とは言え、ミリー部隊長の行為は少々やり過ぎであったように感じるのだ。
 しかし、視線はエリオ君の背中に向けたままのジージョちゃんが、笑いながら言った。
「ソフィーの気持ちも分かるけど、あれはあれでミリー部隊長らしいと思う」
「だとしてもだよー。正直、私は少し怖かったなぁ…………本当に撃ち殺しちゃったんじゃないかって思って」
「私も怖かった。でも、ミリー部隊長の怖さも言い換えればとても頼もしいなって。だって、私達には優しいから」
 ジージョちゃんの意外な心境に少しだけ驚かされた。彼女はミリー部隊長に対して絶対的な信頼を置いているみたいだ。
 もちろん私だってミリー部隊長のことは好きだし、信頼もしている。でもジージョちゃんからは私以上の気持ちを、それこそやや妄信的とも言えるような強い気持ちを感じ取った。
 目を丸くして少しだけ間を置いた私は、意地悪くっぽく言ってみた。
「ジージョちゃん」
「え?」
「いつもより喋るね」
 するとジージョちゃんは、顔を真っ赤にしてから口をきつく閉じてしまった。
「おっかねえ上司で悪かったよ、ソフィー?」
 背後から突然声が聞こえて、私は両肩を跳ね上げた。
 その声は、まさに私達が噂していた人物その人だったからだ。
「安心しろ、お前の敵にはならないから」
「あ、はいぃ…………ありがとうございますです」
 ゆっくりと振り向くと、いつもの意地悪そうな笑顔を浮かべたミリー部隊長が私の後ろに仁王立ちをしていた。
 助けを求めるように再び正面を向くと、私と目を合わせようとしないエリオ君とキャロちゃんとジージョちゃんの姿が映った。
 全身を力ませて動かない私の肩に、ミリー部隊長は両手を置きながら言った。
「ソフィー、一つ頼まれてくれ」
「何なりとお申し付けください」
 機械音声のように固い声の私。
 そんな私の体を揉み解そうとしているのか、肩に乗せられたミリー部隊長の指が、掴む力加減をリズミカルに変動させてくる。だが、かえって緊張が増してしまう。
「キャロ陸士を連れてアウロンのところまで行ってほしい」
「え?」
 私の言葉と同時に、エリオ君も視線を鋭くして反応した。キャロちゃん自身でさえもぽっかりと口を開け放して呆けている。
「アウロンがさっき目を覚ました。そしたらいきなりキャロ陸士との面会を要求してきたんだ」
「それを……許可したんですか?」
 そう訊いたのは私ではなく、エリオ君だった。
「したよ。暴れるかと思っていたんだが、随分とおとなしくなってやがるからな」
「危険です!」
「三課の奴が二人、見張りに付いている。更にソフィーも付ける。今はアウロンの両手に手錠も掛けているから、まあ変な真似も出来まい」
「それでもっ!」
「先に言っておくが、エリオ陸士の同行を許すつもりは無いんだ。頭に血が上った時の君は、今のアウロン以上に行動が予測できない。許せてもせいぜいマリアンヌ前までの二人の見送りだ」
 有無を言わせないミリー部隊長の口調に、私達は口を閉じた。
 確かに危険がないのかと言えば、断言は出来ない。アウロンは意識を失う直前まで、キャロちゃんの説得にも応じた様子は見せなかったし、彼女に面会を求めた理由も分からない以上、何か企んでいるのではと疑うのも必然だった。
 ミリー部隊長も口を閉ざした。そうしてキャロちゃんを見る彼女の視線から、面会の件は決して命令ではないということが解る。キャロちゃんの返答一つで、アウロンの要求を否認することも出来るのだ。
「…………私、行ってきます」
 キャロちゃんの答えに何かを言いたそうなエリオ君ではあったが、不満そうな表情を浮べながらも、口を閉ざしたまま耐えていた。
「よし。まあ一応気をつけろ、とだけ言っておこう。ソフィーも頼むぞ」
「はい」
 それからミリー部隊長は、医務室を出て行った。
 しばらくの沈黙が続いた後、私はキャロちゃんに「じゃあ行こうか」と声を掛けると、彼女は一言だけ返事をして立ち上がった。その横で、素早く上着を着たエリオ君が「僕も行きます」と意気込んで立ち上がる。
 二人と一緒に医務室を出た私は、少し気まずい空気も一緒に引き連れながら廊下を歩いた。
 アウロンの面会の目的とは一体何なのだろうか。全く予想もつかない上に、相手はつい先程までキャロちゃんを人質としていた犯罪者。改めて考えても不安ばかりが浮かんできてしまう。
 とにかく、アウロンが下手な真似をしたらすぐさま私が攻撃を加えるしかない。部屋の前に着いたらデバイスは準備しておいた方がいいだろう。
 医務室を出てから廊下を歩いて、会議室の前までやってきた。
 すると、会議室前の廊下に佇む人物を見つけた。
 アイサちゃんだ。両手には何故か一つずつバケツを持っていて、そのバケツの中にはたっぷりと水が注がれていた。
 何となく予想は出来たが、一応訊いてみた。
「アイサちゃん、何してるの?」
「廊下に立たされていますぅ」
 バケツを吊るす両腕がふるふると震えていた。
「やっぱり、サイオン部隊長に怒られた?」
「ぶっ飛ばされました」
 その上で廊下に立たされているのか。まあ、それで済むのならまだ優しい方なのかも知れない。
「そう言えばアイサちゃんは、どうして敵艦船の中にいたの?」
「いやあ、それなんですがねぇ…………森の中で敵に襲われた時、キャロさんが敵に捕まってしまったのを見て、あたしも狙われるんじゃないかと思ったから逃げようとしたんです。そしたらあたしの行く先で敵さん達が一箇所に集まってて、こりゃあダメだーと思った瞬間、何故かその敵さん達と一緒に艦戦内に転移させられてしまいましたぁ」
 え、それって敵艦船が地上の仲間達を回収しようとした時に、巻き込まれたってことか?
 要するに、自分も捕まるのではと早とちりをした結果、呼ばれてもいないのに自ら捕まりにいったのだ。
 正直なところ、私達ばかりか敵側からしても迷惑な話だ。
「本当に、ぶっ飛ばされて廊下に立たされるだけで済んでよかったね」
「頭がガンガンしますぅ」
 アイサちゃんの、良いのか悪いのか分からない運に、私は呆れてそれ以上の言葉を掛けられなかった。
 私達はアイサちゃんに向けて手を振った。苦笑いを添えて。
 宿舎を出ると、マルコちゃんやノーラちゃん達、それに三課局員や自然保護官の人達が慌しく動いてた。皆、マリアンヌからコンテナボックスを運び出したりその中身を取り出したりしている。確か皆が運んでいる荷物は、バーベキューの道具だったはずだ。
 まさかと思った。
「おう、ソフィーにエリキャロコンビ。怪我はもういいのかい?」
 私達に気付いたマルコちゃんがそう言いながら近寄ってきた。
 呆気に取られてしまった私の顔を見たマルコちゃんが、不思議そうに尋ねる。
「どしたの?」
「まさか…………バーベキューするの?」
 私達が宿舎に帰り着いたのは、既に陽が落ちてチークの森が夕焼け色に染められていた頃だった。そして怪我の手当てを終えた今では、外はすっかりと暗くなっている。おそらく夜行性の原生生物が活動を始める頃なのだろう。昼間では聞こえなかった虫や獣の鳴き声がちらほらと聞こえ始めていた。
 いや、この際チークの時刻なんかはどうでもいい。そんなことよりも気になる疑問がある。
 あれだけの事件が終わった後だと言うのに、しかも敵だってまだ艦船内に拘束したままだと言うのに、それなのにバーベキューなんてしてもいいのだろうか。一刻も早く本局に戻り、事件に関する事後処理を済ませなくてはいけないのではと思うのだが。
「何言ってるんだい? バーベキューは明日だよ。とりあえず今夜は準備だけ」
「だからそうじゃなくって! いいの? 早く管理局に戻って今回の事にきっちりと後始末をつけないと」
「固いなぁ、ソフィーは。それにミリー部隊長から聞いてないのか?」
「え、何を?」
「マリアンヌのことさ。敵艦船との戦闘で損傷してね。飛ぶだけなら動かなくも無いんだけど、次元空間に出れば行き先も知れないまま漂流しちまう状態なんだよ」
 自分でも顔から血の気が引いていくのが分かった。マルコちゃんの言うシチュエーションは、アウロンとの最終決戦で突入した艦船内にて充分味わったので、もう遠慮したいところだ。
「本局には既に連絡を入れているけど、迎えに来てもらうにしても、どのみち救援の到着は明日になるんだとさ」
「そ、そんなぁ……」
「まあいいじゃないか。大体、バーベキューをしなかったらチークまで来た意味が無いだろ?」
「…………それは違うんじゃないかな」
 マルコちゃんの頭の中には、いや、もしかすると他の皆の頭の中にはチークでのバーベキューの事しかないのかもしれない。
 本当に、遊ぶことに関してのパワーは凄い。呆れを通り越して感心すらしてしまう。
「エリオとキャロもバーベキューを楽しんでいったらいいよ。キミ達も帰りは明日だろう?」
「は、はい…………」
 二人もたぶん私と同じ心境なのだろう。
 二人の返事を聞いたマルコちゃんは、笑顔で「明日を楽しみにしていなさい」とだけ言ってから再び作業に戻っていった。
 しばらく立ち尽くす私達。
 サイオン部隊長はこのことを知っているんだろうか? アイサちゃんのことで絶対ご機嫌斜めはずなのに、これが原因で私達にまで雷が落ちなければいいのだけれど。
「ま、まあ気を取り直して…………行こうか?」
「…………皆さん、いつもあんな感じなんですか?」
 エリオ君の言葉が痛い。私は小さく頷いた。
「ごめんね。皆変な人ばかりで」
「あ、いえ! 皆さんいつも楽しいんだろうなーって、ちょっと羨ましくも思ったり…………ね、キャロ?」
「うん、そうだね。毎日賑やかそうだし」
 たぶん褒めてくれているんだろうけれど、素直に喜べない私は間違っているのだろうか。
 私は二人に顔を向けられないまま、マリアンヌの方へと歩いていった。



 艦船内に入った私とキャロちゃんは、静かな通路を進んでいった。
 外で待っているエリオ君が最後まで一緒に来たがっていたけれど、そこは一応ミリー部隊長の命令だからということで我慢してもらった。
 アウロンを閉じ込めている部屋までの間、自然と私達は無口になっていた。
 緊張もあるだろう。数時間前まで私達と敵対して戦っていた犯罪者と向かい合うのだ。怖くないわけなどないし、面会を要求してきた理由だって見当もつかない。アウロンの口からどんな言葉が飛び出すのかと考えれば、胸も高鳴って当然と言える。
 ただの付き添いである私がこんなに緊張しているのだから、キャロちゃんはもっと緊張していることだろう。
 何か言ってあげたほうがいいのだろうか。いや、それよりも今のうちに打ち合わせをしておいた方がいいのかも知れない。アウロンがもし暴れたりしたらどう対処すべきか、面会時間はどれくらいにするべきか、室内に入る前にバリアジャケットとデバイスの準備はしておくべきじゃないだろうか。
 あれもこれもと考えていると、突然キャロちゃんが言った。
「あ、あの……ソフィーさん?」
「ん? 何?」
 そう返事して横を見ると、キャロちゃんの姿が無かった。
 一瞬だけ固まってからすぐに後ろを振り向くと、キャロちゃんとアウロンの見張り役の二人がきょとんとした顔で私を見ていた。キャロちゃん達の側には、個室に通じる扉がある。
 私一人だけ、部屋を通り過ぎていたようだ。
 込み上げてきた恥ずかしさで顔を染めながら、私は三人の元へと歩み寄った。なんだか私が一番落ち着いていないみたいだ。
 部屋の扉を前にすると、やはり心臓の鼓動が更に速まった。それに手の平にはじんわりと汗を掻いている。
 私は深呼吸を三回してから、キャロちゃんの方を向いた。
「キャロちゃん」
「はい」
 もう一度深呼吸。
「危ないと思ったらすぐに部屋を出るからね」
「はい」
 二回目の返事をした彼女は、笑っていた。
 見張り役の人から話を聞くと、一応二人も室内に入ってアウロンにバインドを掛けておいてくれるそうだ。それを聞いて、若干だが安心した。
「では」
 私の一言と共に、スライド式の扉が開かれた。
 いた。
 狭くて質素な部屋の一番奥にあるベッドの上に、アウロンが腰掛けていた。
 両腕は金属製の手錠によって手首部分を繋がれたまま、両腿の間にだらりと垂れ下がっている。顔は若干俯きつつ、しかし、視線だけは私達の方に真っ直ぐ向けられていた。
 すぐさま見張り役の二人がバインドを掛けた。アウロンの体が青い光の紐で縛られる。
 アウロンの姿を見ただけで、私は唾を飲み込んでしまった。状況的にも私達の方が圧倒的に有利、アウロンが何か仕掛けてくるようにも思えないというのに、彼の放つ雰囲気に押しつぶされそうで苦しい自分がいた。
「キャロと二人じゃダメなのか?」
 アウロンの声は、やたらと落ち着いていた。
「そりゃあダメだ。これが我々の許容できる面会状況だよ」
 アウロンの不満に対して見張り役の人が答えてくれた。正直に言って、私は緊張のせいで口が動かないし、言葉も浮かんでこない。
 アウロンの舌打ちの音が響いた。
 そんな中、キャロちゃんが一歩前に進み出た。
「アウロンさん、私に話って何ですか?」
 キャロちゃんの声は少しだけ震えていた。
 でも、その眼差しはとても真っ直ぐで、しっかりとアウロンに向けられていた。
「声、震えてんじゃん。怖いのか?」
 アウロンの言葉を聞いたキャロちゃんは、一度だけ深呼吸をしてから、今度は怯えを微塵も感じさせない声ではっきりと言った。
「いいえ」
 鼻で笑うアウロン。何故かその微笑みは明るかった。
 キャロちゃんが敵に捕まっている間も、二人はこんな感じで話したりしたんだろうか。キャロちゃんからは捕まっている時の状況などを詳しく聞いていなかったので分からないが、何だか二人の交わした短いやり取りの中に“慣れ”のようなものを感じ取ることが出来た。
「話っつっても大したことじゃないんだ。お前にきっぱりと言っておきたいことがあっただけだから」
「言っておきたいことって、何ですか?」
 少しだけの間を置いてから、アウロンが再びその口を開いた。
「まあ、意識が戻ってから色々考えたんだがな…………俺は、これっぽっちも反省してねえ」
 そう言い放ったアウロンの口は、やっぱり笑っていた。
 対するキャロちゃんは、その言葉を聞いても口を閉ざしたままだった。
「この計画がおじゃんになっちまったから、お前と仲良くする理由も俺には無い。だから船の中で言っていた、俺と仲良くなれる、みたいな言葉はきれいさっぱり諦めろ。こっちから願い下げだっつーの」
 私は唖然としてしまった。いや、私だけじゃなく、彼を縛り上げている見張り役二人ですらも目が点になってしまっている。
 そうなるのも無理は無い。アウロンの言い放った言葉を思えば、呆気にとられるのも当然だからだ。
 まさかこの人は、そんなことを言うためだけにキャロちゃんとの面会を要求したのか。
 確かに敵艦船内で、キャロちゃんはアウロンに対して「仲良くなりたい」というような意味合いの言葉を言っていた気がする。それはたぶん、キャロちゃんが人質に取られている間でアウロンと交わされたやり取りに由来する言葉だったのだろう。事情を詳しく知らない私達にはさっぱりな会話ではあったが。
 それに対してのアウロンの回答。それが先程の「仲良くなるつもりはない」という一言。
 だが、そんなつまらない一言を言うためだけにキャロちゃんとの面会を要求したのか。それは何と言うか、とてつもなく“アレ”だ。たぶんミリー部隊長がこの場にいたら、艦船内で何度も言っていた言葉をまた吐き出していただろう。
 その時、キャロちゃんがようやく口を開いた。
「何でそんなことを言うんですか?」
 その口調に、私は妙な違和感を覚えた。
 それは、彼女の口調がとても穏やかに、もっと言えば嬉しそうにすら聞こえたから。
 彼女のその反応も私には理解し難いものだった。何をそんなに嬉しがる必要があるのだろうか。彼は、キャロちゃんの言葉を否定し、キャロちゃんの気持ちを拒絶したのに。
 そして、キャロちゃんの言葉に対するアウロンの答え。
「俺はガキンチョだからな」
 その答えは、私がついさっき抱いた彼への印象、まさしく“アレ”な言葉そのものだった。
 自覚しているのか。もっとも、だからどうだと言うわけでもないのだが。
 しかしキャロちゃんだけは、その言葉を聞いた途端に少しだけの間を置いた後、手を口元に当てて吹き出した。
 笑っている?
 私は状況がいまいち飲み込めないでいた。
 すると、今度はアウロンも笑い出した。こちらは口元を隠すこともせず、楽しそうに、本当に楽しそうに笑い出した。
 やがて、小さかった二人の笑い声は徐々にボリュームを上げて、遂には部屋の外までも聞こえそうなくらいになった。
 ますます訳が分からない私は、見張り役の二人と顔を見合わせながら、首を傾げることしか出来なかった。
 ただ、二人とも本当に仲が良い友達同士のように、楽しそうに笑いあっていたのが印象的だった。
「本当にお前といると調子が狂うぜ。最後の最後まで夢見がちな子供の戯言なんかを聞かせやがって」
「でも、届いてくれたんですね?」
「届かねーよ。さっきも言った通り、俺は反省する気はねえ…………ただ、まあ」
 アウロンの次の言葉を待つキャロちゃんは、本当に嬉しそうだった。
「お前みたいな奴がいるってことだけは、覚えておいてやる」
「はい。それで充分です」
「あと、あの槍を持った小僧にも言っとけ」
「え?」
「“泣かして悪かった、ありがとう”って」
 アウロンの顔が何故か赤かった。視線ももう私達の方には向けられておらず、誰もいない部屋の隅を見据えたまま動かなかった。
 そんな彼の言葉を聞いたキャロちゃんは、この日一番の満面の笑みを浮べて言った。
「きっとエリオ君にも聞こえてましたよ、アウロンさんの言葉……ありがとう……って」
 その後、私とキャロちゃんは、アウロンに「目障りだから出ていけ」と言われて半ば追い出されるような感じで部屋を後にした。
 今度はマリアンヌの外へと向けて、再び艦船内の通路を歩き始める私達。
 その間もキャロちゃんはずっと笑顔で、何だか私だけよく分からないことがじれったくなった。
「ねえ、さっきの面会、どういことだったの?」
 我慢出来ずに聞いてみると、キャロちゃんが表情をそのままに、私の方を見て言った。
「アウロンさんは、ミリー部隊長が言っていたようにまだまだ大人になりきれていないってことです」
「…………うん?」
「アウロンさんって、自分のやり方以外を知らないし知ろうともしない、子供っぽい人なんです。だからこそ、そんなアウロンさんなら他のやり方を知れば、きっと変わってくれると思いました。結局、最後の最後まで意固地になってあんな態度でしたけど…………。でも、一つだけ変わってくれたことがあったんです」
「え、何?」
「自分のことを“ガキンチョ”だって言って、すごく楽しそうに笑ってました。きっとアウロンさんはこれから先、また一つずつ変わっていってくれるんじゃないかって思います」
「それって何? 自分のことをガキンチョだって認めたってこと?」
「そんな感じです」
「んー…………でも、キャロちゃんの思い描くように変わるかは分からないよ? もしかしたらもっと性質が悪くなったりして」
「それでも構わないと思っています」
「えっ!?」
「もちろん悪くなってほしくはないですけど…………私はアウロンさんが変わるきっかけに、機会(チャンス)になるだけでいいんです。どう変わるかはアウロンさん次第だから。それに私は、アウロンさんならきっと良い方に変わってくれると思いますよ」
「その根拠は?」
「だってさっき、私が笑った時に、アウロンさんも同じように優しく笑ってくれました。人は、優しく笑いかけてくれる誰かがいるだけで、変われるものなんですから」
 その言葉の意味すらも、私には半分も分からなかった。
 優しく笑ってくれる人が側にいると、人は変われる。その言葉に秘められた意味は、もしかしたらキャロちゃん自身に深く関わることなのかも知れない。私はキャロちゃんの過去などを知っているわけでもないから、その真意に辿り着く答えを持っているかどうかすらも分からない。
 でも、その言葉の意味に通じるような、思い当たる節なら私にも無いわけでない。
 幼かった私を拾って大切にしてくれた両親がいて、ホカン部に配属となって沈んでいた私を励ましてくれた憧れの人がいて、いつも明るくて思いやってくれる上司や仲間がいて。
 そんな人達の誰か一人でも欠けていたとしたら、間違いなく今の私は存在しないのだから。
 アウロンにとって、変化のきっかけとなる人、優しく笑いかけてくれる誰かがキャロちゃんであるのならば、彼女の言うとおり、もしかしたらアウロンは変わるのかもしれない。
 自らの未熟さを認め、変化の可能性を受け入れたアウロンは、キャロちゃんというチャンスに出会うことで変わる。
 それをキャロちゃんは見越しているということなのだろうか。
 ミリー部隊長が言っていた。キャロちゃんの言い分は甘ったるくてガキっぽい、と。でも、彼女がそれを口にした理由は、少なくとも彼女にはその甘ったるい戯言が現実となった経験があるからだと思う。そう、夢見がちなことかも知れないが、現実に起こり得る可能性だってあるのかも知れない。
 それを彼女は一人の男に教えた。伝えた。心に届けた。
 ミリー部隊長のように力で制するのではなく、サイオン部隊長のように知恵で戦うのでもなく。
 彼女のように心に訴える。
 そういう結末もあるのだと、私は少しだけ感心した。 
「キャロちゃんって…………」
「はい?」
「大人だねぇ」
 そう言うと、今度は真っ赤になったキャロちゃんの顔がそこにあった。
「そ、そんなことないですよ」
「いやいや立派だよ。…………だから、明日のバーベキューはニンジンも食べようね?」
 途端に、キャロちゃんが無言になったのは言うまでも無かった。



 マリアンヌから降りた私とキャロちゃんは、落ち着き無く歩き回っていたエリオ君と合流してから宿舎に戻っていった。二人はすぐに部屋へ戻ると言うので、私達はそのまま宿舎の玄関で別れた。
 私も一旦部屋に戻ってシャワーを浴びたかった。今日はいろいろと気を張り詰め過ぎたから、酷く疲れてしまったのだ。
 宿舎に入った途端、急に重くなった気がする足を引きずって、私は廊下を歩いていった。すると、向かう先にある休憩ロビーの長椅子に、缶ジュースを片手に腰掛けている人影を見つけた。
 その後ろ姿に近づくと、彼女もこちらを振り向いた。
「おう、ソフィー。キャロ陸士の付き添い、ご苦労様」
 ミリー部隊長だった。
 ミリー部隊長は、手にしていた未開栓の缶ジュースを私に向けて差し出してくれたので、私はそれを受け取って長椅子に腰を落ち着かせた。途端に疲労感が全身を駆け巡っていく。少し瞼も重い。
「キャロ陸士とアウロンの話は何だったんだ?」
 自動販売機からもう一本ジュース買いながら、ミリー部隊長が言った。
「んー、何て言うのかなー? なんか……よく分からなかったです」
「なんだそれ」
 そう言いながら笑ったミリー部隊長だが、それ以上は訊いてこなかった。
 代わりに、嬉しそうな表情を浮べて言葉を漏らす。
「明日は楽しみだな」
「バーベキューですか?」
「ああ。だって元々の目的を忘れるわけにはいかないからな」
 元々の目的こそ間違っているのでは。そう突っ込みたかった。
「あ、そうだ……」
 私が思い出したように言うと、ジュースを飲みながらミリー部隊長が視線をこちらに向けてきた。
「あの、実は……ミリー部隊長にお尋ねしたいことがあるんですが」
「何だ?」
 ミリー部隊長と二人きりだし、この際だからと、私はチークに来る前から気になっていた疑問をぶつけた。
「ミリー部隊長って、チークに来る前からオルギプスの生態について知っていたんですか?」
「ん? ああ。知ってたけど、それがどうした?」
「じゃあ、地上本部の上空にオルギプスが出現した時、どうして私となのはさんにオルギプスが実はおとなしいってことを教えてくれなかったんですか? 三課には地上での待機命令を出したんですよね?」
 そう言った途端、ミリー部隊長の顔から笑顔が徐々に苦笑いに変わり、動揺しているような様子が伺えた。
「いやあ、そりゃあ……危険なのは確かだったよ。幾らオルギプスに主人がいないと言ったって、あんなもんが地上本部の上空に現れたら他の局員が下手に手を出していたかもしれん。そうなれば先の予測は出来ないからな」
 何だか腑に落ちない。苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
「それって本当ですか?」
 私としては、例えどんな理由であってもミリー部隊長が本当のことを言ってくれるだけで安心出来るのだけれど。
 彼女に嘘をつかれると、何だか寂しくなったり悲しくなったりしてしまうのだ。
「いやぁ…………」
 少しだけバツの悪そうな顔をしたミリー部隊長。
 ふと、こんな顔をする彼女も初めて見ることに気が付く。
 それから、ミリー部隊長は一度だけため息をついた。
「参った」
「参った?」
「ああ。確かにわざと言わなかったんだよ」
「何でですか?」
 知られたくない理由があったというのだろうか。
「配属されたばかりのお前が高町一尉と一緒になってはりきっている姿を見たら、どうもなぁ……せっかく頑張ろうとしているお前を止めるのは気が引けて、な」
 何と言うか、キャロちゃんの誘拐事件やミリー部隊長の猟奇性、それにアウロンとキャロちゃんのやり取り等もそうだが、今回やって来たチークでは訳も分からないまま驚かされることばかりで本当に疲れる。
 ミリー部隊長の言葉に私は正直呆れてしまった。
「…………そんな理由のために、ですか?」
「そんな理由って言うなよ」
 ミリー部隊長が少しだけ口を尖らす。
 だが思い返してみれば、私が配属されて間もない頃のヒデオウトでの一件において、私が自分の思い描く管理局員でありたいと訴えた時にその気持ちを最初に汲み取ってくれたのも彼女だったのだ。
 そして今し方、彼女が打ち明けた“そんな理由”。
 この二つだけを考えても、やはりミリー部隊長の考えや行動において何よりも先立つものは、私達ホカン部のことなのだ。
「少なくとも私にとっては、それなりの理由だったんだ」
 それでもやはり腑に落ちないのは、彼女が口にした言葉以上の何かがまだ隠されているからだと思う。
 ただ今の私には、それをこの場で無理に聞き出す必要も無いという思いが生まれていた。嘘をついている様子ではないミリー部隊長の様子から察するに、このことについては何か腹黒さがあるとも思えない。
 それに、こんなに困った様子のミリー部隊長を見ることが出来て、今日はそれだけで満足だった。
 決して彼女を困らせたいという意味ではない。
 今回の一件で、実はミリー部隊長に対して近寄り難い気が生まれつつあった。普段の強気な性格に加え、今回の戦いで見せられた猟奇的な一面が、確かな恐怖となって私の心に植えつけられたせいだ。
 でも、そんな気持ちを綺麗に拭い去ってくれたのが、困り果てた今の彼女の様子だ。
 これまでミリー部隊長にはたくさんの表情を見せてもらった。優しさや怖さも全部ひっくるめて、彼女の奥深さに私はどんどん惹かれていった。彼女のことをもっと知りたい、もっと側にいたいと思ったのだ。
 もし、今以上に彼女のことを知ることが出来て、側にいることが出来るのなら、私はミリー部隊長のことをもっと好きになれる気がした。そしてそれは、医務室でのジージョちゃんに感じたような、彼女に対する奥深い愛情になるのではと思っている。
「じゃあいつか、それなりの理由ってのも詳しく聞かせてくださいね」
「そのうちな」
 そう、いつか、そのうちに。

 To be continued.


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