奉祝・天皇誕生日
天皇陛下は本日12月23日、77歳のお誕生日をお迎えになられました。
天皇陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げると共に、今後益々のご健康を祈願してまいりたいと思います。
前エントリーより続く
☆ご報告第二弾 12・21 IN真名子〜宇都宮
御礼 栃木遠征に際し沢山のカンパを有り難う御座いました。
写真:支那人凶悪犯・羅成と平田学・県警巡査による格闘のあった真名子駐在所近くのJA倉庫前
「警察官の発砲」裁判支援闘争
凶悪犯制圧の道理を歪める人権派の狡猾戦術を退ける気概持て
栃木県警巡査の平田学氏が「特別公務員暴行陵虐致死罪」に問われた刑事裁判の結審(第四回目)は、12月21日の午後12時30分から同50分にかけて宇都宮地裁内の所定の場所において抽選券の配布が行なわれた。
このところマスコミ紙上では取り調べでの警察官による自白強要など、特別公務員暴行陵虐罪が何かと問題視されているので同様の罪で裁かれている平田巡査にとってイメージが悪いが、平田巡査が直面しているケースは凶器を振りかざしてきた支那人(中国人)への発砲即ち正当な職務執行が「暴力ではないか」と難癖をつけられたものである。
今回は48名分の傍聴席に対して抽選に並んだのは50数名であったため、かなりの高率で抽選に当たった。
私ども『NPO外国人犯罪追放運動』は4名が並んだうち全員が当たったし、『主権回復を目指す会』(西村修平代表)も帰京のため宇都宮を後にした数名を除いてほとんどの者が傍聴することが出来たのである。
民事・刑事両裁判を通じて今回、初めて宇都宮地裁まで出張してきた警視庁公安部公安第三課の2名も抽選に当たり、先ごろ講談社発売の『g2』の在特会バッシングで一躍話題となったジャーナリスト・安田浩一氏も入廷。
(初公判は約2分の1の確立、第二回目と第三回目の公判は定員割れ)
これまで抽選券配布の場所にて西村代表らが「マスコミ関係者のダフ屋行為を警察は取り締まれ!」「マスコミは初公判だとか結審だとか、判決の時だけ来て受け売りみたいな記事を書いてちゃ駄目だよ!」とするヤジを飛ばしていたのが功を奏したのか、この日はマスコミ関係者も「動員」を控え目にしたようで、主権回復を目指す会メンバーがマスコミ関係者から余った傍聴券をタダで譲り受けるという一幕も見られた。
開廷よりやや遅れて法廷に入った私の目に飛び込んできたのは、証言台で証言を開始する直前の「チョウ・キン」の後ろ姿だった。
平田巡査の職務質問に激しい暴行を加えるなどして抵抗した挙げ句、再三の警告にも関わらず逃げ込んだ民家の庭で石灯籠や竹の棒を振り回して襲いかかったため、平田巡査の発砲を受けて死亡した凶悪支那人・羅成(らせい)の妻だ。
この女は民事裁判の審理・判決においてもその姿を見かけているが、前回出廷した時よりも綺麗に束ねた髪をやや茶色に染めていた。その髪には髪飾りまでして上着は洒落たコートに身を包んでおり、背後から一見するとまるで別人のようで私はもしかすると替え玉が出廷しているのではないかと思ったほどだ。
証言を終えて検察側参考人の席に戻り、自身の訴訟代理人で人権派弁護士・鬼束忠則の横に座って一言二言の言葉を交わした時にやっとその素顔を確認出来たが、やはり薄黒くくたびれた顔はそのままの同一人物であった。
ちなみにこの羅成の妻、チョウ・キンは証言台では涙まで流して夫の無実と警察官の横暴(?)を好き放題に並べ立てたが、席に戻るや終始ふてぶてしく、時には肘をついた姿勢で「何言ってんのよ〜」と言わんばかりの表情と態度で法廷での様子をうかがっていた。
チョウ・キンが証言台で述べたことは民事裁判の時とほぼ同じ。1970年1月15日生まれの自分より2歳年上の夫は二人の子供にも優しい父で、自身の両親にも親孝行であったとうそぶく。
「温厚な人で家庭内での暴力沙汰などは一切なく、地域では橋の建設や農業にも尽力するなど村の人から尊敬されていた」とする辺りはセオリー通り。
ろくに舗装もされていない村に道路を通す資金を稼ぐために夫は研修生として日本行きを決意した−としているが、そんなものは地方政府なりが担うべき問題である。
そもそも支那人には日本人のように郷土への愛着や執着がなく、そのため世界各地に支那人が大挙して移住する現実を招いているとされる。
日本に行った後の夫・羅成からチョウ・キンは度々連絡を受けているが、「帰りたい」「すぐに会いたい」としながらも研修先の会社から失踪、不法滞在になってまで日本に留まり続けたのは不自然だ。
羅成はチョウ・キンに対して「研修制度の実態が違っていた(思ったより稼げなかった?)」と話していたと言うが、この辺りはいかにも密航ブローカーの口車に乗せられ、借金までつくって来日した者の言い分らしい。
そして夫が事件を起こした年月の06年6月、チョウ・キンは羅成から「仕事がないから帰る」との連絡を受け、その当時の様子を「嬉しくて仕方がなかった」ように述べているが、問題の箇所はこのあと!
法廷でチョウ・キンは「日本での不法滞在は犯罪と知っていたが、何故それで夫が撃たれなければいけないのか?」と悔しさを滲ませるように涙ながらに述べたが、平田巡査は何も相手が不法滞在者だから撃ったわけではない。
羅成が凶器を手に、再三にわたる警告にも従わないどころか「撃ってみろ!」と挑発して襲いかかってきたためにやむなく発砲したのである。
完全な論理のすり替えだ!
写真:羅成が凶器を振りかざして襲いかかり、平田巡査が発砲した現場
不法滞在即ち発砲の対象というわけではあるまいに。
大体、母国へ早々に帰る意思があったのならそこで大人しく捕まって入管に引き渡されるのを待てば良かっただけだ。
そうすれば三度の食事と寝る場所が保証される上に撃たれることはまずない。
まして日本人の血税を使っての母国への送り戻しなのだから至れり尽くせりではないか。
チョウ・キンは証言台に立つ間、夫の羅成を「犯罪とは無縁」として被害者然とした振る舞いに終始していたが、長きにおよぶ不法滞在そのものが立派な「犯罪」である。
さらには「家庭で一度も暴力をふるったことのない夫が外国で警察官を殺そうとするなど考えられない。…目撃者がいないのが悔しい」としてまたも事実を歪曲しているが、目撃者は複数存在して実際に裁判でも証言している。「男(羅成)が激しく警察官(平田巡査)を攻撃していた」と。
存在しないのは「自身にとって都合の良い目撃者」のことであろう。
支那人が警察官に致命的な気概を加えようとするのは日本だからこそやるのだ。彼らの母国で人民警察にそのような振る舞いをすれば一発の発砲どころでは済まない。
まして共産主義独裁国家では日本の警察のように迅速且つ公正な情報公開などは期待出来まい。
最後にチョウ・キンは「事件から4年半、私の住んでいる所は今も発展しておらず、地域での生活はさらに苦しくなって、朝から晩まで二人の息子の面倒を見る間もなく、農業をしたりクリーニング屋でパートをしたりして、このような困難な中で毎日のように夫を思い出し悲しみに暮れている」旨を述べて時代遅れなお涙頂戴劇を演出して見せたが、地域社会が発展していないのも自身の生活が苦しいのも日本と日本人にとっては何の関係もなく、仮に夫の羅成が帰っていたとしても生活状況に然したる違いはなかっただろう。
裁判の終了後、主権回復を目指す会の西村代表は地裁前でのインタビューにて「日本から多額の経済援助を受けて、そのカネで原爆やら軍備増強に勤しみ、今また尖閣沖で絶えず日本を恫喝し侵略行為を加えている共産・支那のどこが貧しいのか!? そのような国の人間が自身らの貧困を日本人の責任にすり替え、身内が引き起こした凶悪犯罪についてこれに毅然と対処した日本の警察官を訴えるなどは盗人猛々しくて本末転倒も甚だしい!」として怒りを露わにした。
法廷の証言台で平田巡査に対して「嘘八百を並べて許せない。良心はあるのか?」と述べたチョウ・キンだが、その言葉はそっくりそのままお返ししよう。
次にいよいよ検察官役の指定弁護士からの意見陳述と求刑へ!
次エントリーに続く
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一方、同日、東京では『政経調査会』の槇泰智代表らが法廷闘争を展開していた。
☆動画ご紹介 12・21 IN東京高裁 撮影者:レックス氏
(1/2)創価学会の訴訟乱発から言論の自由を守り抜け!
http://www.youtube.com/watch?v=UiHATvGBEVw
(2/2)創価学会の訴訟乱発から言論の自由を守り抜け!
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