第81回選抜高等学校野球大会

 

センバツ高校野球大会

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見果てぬ夢・センバツ81:/5 準V「二十四の瞳」中村元エース・山沖之彦さん

人と人との支え合いをグランドソフトボールが思い出させてくれた(右が山沖さん)
人と人との支え合いをグランドソフトボールが思い出させてくれた(右が山沖さん)

 ◇聖地の教え「やれば答え」 障害者と交流、新たな一歩--山沖之彦さん(49)

 「甲子園に魔物? いますよ。それを味方にしたから、うちは勝てた」。山沖之彦さん(49)は柔和な笑みを浮かべた。77年センバツで中村(高知)のエースとして初出場準優勝。部員わずか12人の快進撃は「二十四の瞳」と話題を呼んだ。

 野球少年ではなかった。中学ではバスケット部に。長身を生かしてすぐにレギュラーになったが、練習がきつい。2年の時、「楽しそう」な野球部に移った。しかし、練習試合で30個の四球を与える制球難。高校で野球を続ける気はなかった。

 大学進学を目指して地元の中村高へ。何度も野球部に誘われ、練習を見に行ったらそのまま入部させられた。「勉強と両立すればいいか」と軽い気持ちだったが、2年夏の高知大会で転機が訪れる。強豪・土佐と互角に戦ったが、終盤ストライクが入らず0-1で惜敗。「悔しくて悔しくて、どうしても勝ちたかった」。勝ちにこだわり、1日4時間の練習で、より真剣に野球と向き合うようになった。それが、翌春のセンバツを呼び寄せた。

 部員は選手9人、一、三塁コーチに各1人、記録員1人の12人。しかも「1、3番しかカーブが打てない」戦力だ。ただし少人数ならではの結束は十分。各自の責任感が強く、山沖さんも「野手を楽にさせたい」一心で三振を狙った。戸畑(福岡)との初戦を3-0で完封すると、準々決勝までは毎試合2けた奪三振。決勝まで全5試合を完投した甲子園は「自分が持っている以上の力を出させてくれる場所」だった。

 専大卒業後、ドラフト1位でプロ野球・阪急(現オリックス)へ。身長191センチの右腕は13年間で通算112勝を挙げた。しかしフリーエージェントで阪神に移籍した95年、右肩の故障で1試合の出場もないまま戦力外通告。何も手に付かない日々が続いた。

 そんな時、阪神大震災の復興ボランティア活動で知り合った視覚障害者の誘いで「グランドソフトボール」に出合った。地面に転がるハンドボールをバットで打ち、音を頼りにベースに駆け込む。自身もアイマスクを着けボールを放した瞬間の孤独感やベースに駆け込む恐怖、それを支える人の温かさを体感した。人は「いろんな人にサポートされている」と、思いだした。普及のためコーチを買って出、チームを作った。形を変えた野球とのかかわりが、新たな一歩へのきっかけになった。

 現在は野球解説者の傍ら、社会人野球のコーチも務める。「中途半端に終わった」という思いが強い野球人生。それでも、甲子園が教えてくれた「やったら答えが出る」という体験だけは、広く後輩に伝えたい。【水津聡子】=つづく

毎日新聞 2009年1月29日 大阪朝刊

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