2010年12月22日17時13分
1968年の小笠原諸島返還の際、米側が有事の際に同諸島に米軍の核兵器を貯蔵する方針だったことが22日、外務省が公開した外交文書で裏付けられた。当時この方針を日本側に口頭で伝え、明文化しなかった経緯への反省が、69年の沖縄返還交渉で米側が核密約を強く求める原因となっていた。
小笠原返還時の経緯は米国で開示された文書で既に明らかになっていたが、今回、日本側の公文書で、沖縄返還交渉に大きな影を落としていたことが明らかになった。
69年6月5日の日米外相会談の記録によると、同席していたジョンソン国務次官が小笠原での「緊急事態における核に関する特別の取り決め」の存在を指摘。8月5日には、スナイダー駐日公使が日本側に「小笠原のケースは軍は極めて不満である。有事持ち込みについて更に考えられないか」として、沖縄への核持ち込みの確約を迫った。
米側文書によると、68年3月の小笠原返還をめぐる協議で駐日大使が三木武夫外相に「核兵器の貯蔵が必要とされる有事の際、米国はこのことを日本政府に提起したい」と述べた。三木氏は「協議に応じるとしか言えない」と返事をするにとどめ、文書は交わさなかった。(山口博敬)