22日に一般公開された外交文書で、沖縄返還前の1968年に行われた琉球政府の主席を選ぶ初めての選挙で、日米両政府が、保守系の候補を当選させるため、返還前の国政への参加をこの候補の実績として利用しようと動いていた詳しい実態が明らかになりました。
沖縄返還前の1968年11月に行われた琉球政府の主席を選ぶ選挙は、革新系の屋良朝苗氏と保守系の西銘順治氏が争い、無条件での早期復帰を訴えた屋良氏が公選による初めての主席に選ばれました。この選挙については、公開されたアメリカの文書などから、日米両政府が、保守系の西銘氏を当選させるため、復帰前の国政への参加を西銘氏の実績として利用しようと動いていたことが指摘されていましたが、22日に一般公開された外交文書で、その詳しい実態が明らかになりました。具体的には、1968年7月の文書によると、アメリカ大使館の参事官が外務省の局長に「西銘候補の支援に最大限に利用するため、難しい譲歩を取り付けたという形で、本件の実現を図りたい」という考えを示し、復帰前の国政参加を日米両政府が秘密裏に合意していたことが明らかになりました。また、当時の沖縄のアメリカ民政府の最高責任者のアンガー高等弁務官が、国政参加を認める意向を、事前に西銘氏に伝えていたこともわかりました。さらに、日米両政府は、返還前の国政への参加にあたって「西銘試案」を9月中旬に公表し、その後、アメリカがいったん難色を示すものの、選挙直前の10月に「西銘試案」に沿う形で国政参加の合意を発表するというスケジュールを検討し、西銘氏に伝えていたことが明らかになりました。今回の公開によって、日米両政府が政権に協力的な主席が当選するよう水面下で行っていた活動が、日本側の文書で裏付けられた形となりました。これについて、日米関係に詳しい名古屋大学の春名幹男特任教授は「沖縄県民の民意とはかけ離れたところで、日米両政府が沖縄の政治を動かしてきたというゆがんだ姿が、改めて浮き彫りになったと言えそうだ。選挙は民主主義の根幹に関わるもので、重く受け止めるべきだと思う」と話しています。