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体外受精:応用多岐に 倫理の検討、置き去り

 世界で初めて体外受精児を誕生させた英ケンブリッジ大名誉教授、ロバート・エドワーズ博士に今年のノーベル医学生理学賞が贈られた。その技術は、不妊治療の可能性を広げ、これまでに世界で400万人以上の子が誕生した。一方で、第三者からの卵子提供や代理出産など、倫理的な問題もはらむ技術も登場し、子を求める不妊カップルの希望に応えてきた現場からも、戸惑いの声が上がっている。【須田桃子、斎藤広子、五味香織】

 12月10日、スウェーデン・ストックホルムで開催されたノーベル医学生理学賞の授賞式。健康上の理由で欠席した受賞者のエドワーズ博士に代わり、研究仲間でもあった妻ルースさんが、国王からメダルと証書を贈られると、大きな拍手に包まれた。最終選考に携わったカロリンスカ研究所ノーベル賞選考委員会のクリステル・ホーグ教授が「あなたの仕事の結果、数百万人の不妊のカップルが子という貴重な贈り物を授かり、我々すべてを感動させた」と功績をたたえた。

 子を求める夫婦のうち10組に1組が不妊に悩むとされる。日本では08年に2万1704人(日本産科婦人科学会調べ)が体外受精などの技術を利用して誕生した。50人に1人が体外受精などの技術で生まれた計算で、不妊治療として体外受精はもう珍しくない。

 一方で、遺伝上の母親と産んだ親が異なる卵子提供や、第三者に受精卵を託して出産してもらう代理出産も可能になった。体外受精の技術が親子関係の複雑化や、報酬目的の代理出産といった現代社会に新しい問題をもたらしている。この点について、ジョラン・ハンソン同委員会事務局長は毎日新聞の取材に「我々は体外受精の開発を評価はしたが、応用方法は議論しておらず、授賞対象にも含まれない」と語り、卵子提供や代理出産に対する評価を避けた。

 排卵誘発剤による副作用や、高齢での妊娠、出産を可能にしたことによる母子への影響も指摘される。慶応大の久慈直昭講師(産婦人科)が国内医療施設に行った調査では、海外で卵子提供を受けたとみられる妊娠が04~08年に計23例あり、平均年齢は45歳だった。妊娠高血圧の合併症、出産時の異常出血が多いことや、低出生体重の赤ちゃんが多いなどの特徴があったという。

 国内で公的なルールがないまま、先進技術の利用だけが進む。生まれてくる子や親たちが直面する問題の答えはまだ出ていない。

 ◇技術の行使「社会が決めて」 日本の先駆者にも迷い

 エドワーズ博士ら英国の後を追うこと5年、大学間の激しい競争の末、国内で初めて体外受精による出産に成功したのは83年10月の東北大だった。同大チームで女性からの採卵を担当した星合昊(ほしあいひろし)・近畿大教授(65)は「当時、世界ですでに300人が生まれ、先天異常などの報告はなかった。しかし、100%安全が確立されたわけでもないと考え、この技術でなければ妊娠が不可能な卵管閉塞(へいそく)の患者に対象者を限定した。子に恵まれない夫婦に福音をもたらそうという思いだった」と振り返る。

 同年、日本産科婦人科学会(日産婦)は、同大の倫理憲章を参考に会告を作り、体外受精対象者を夫婦間に限定した。しかし、その後、長野県の根津八紘医師らが夫婦以外の精子や卵子を使う体外受精による出産や娘の卵子を使って親が出産する代理出産の事実を公表するなど、国内の法整備が進まないまま、公的に認められていない治療例が相次ぐ状態になっている。

 83年当時「神の領域」に人が手を出す行為として強かった体外受精に対する社会からの反発も、やがて収まっていった。星合さんは「体外受精に限らず、医師側が可能な技術を提示し、患者の希望をかなえることが医師の役割になり、今さら何がいい、悪いということが言えなくなった。その結果が、現在の状況だ」と指摘する。

 日産婦の統計では体外受精1回あたりの妊娠率は2割程度。星合さんは「年齢が高くなっても妊娠に希望を持つ人が増えたが、実現性の低い夢を抱かせてしまった、という面はある。医師は技術を提供できる。その技術を使ってよいかどうかは、社会が決めてほしい」と問いかける。

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 ◇あすから連載

 不妊治療の技術は進みましたが、社会の理解や制度が追いついているとはいえない状況です。20日からくらしナビ面で連載「こうのとり追って 第1部・不妊治療の光と影」を始めます。治療がもたらした成果や問題点、患者や医師らの悩みを取り上げながら、私たちの社会が目指すべき道を探ります。

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 ◇不妊治療に関する出来事

1948年 慶応大が日本で初めて非配偶者間人工授精(AID)を実施

  78年 英国で世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンさんが誕生

  83年 東北大病院で国内初の体外受精児が誕生

  91年 日本産科婦人科学会が顕微授精を条件付き容認

  92年 宮城県で国内初の顕微授精児が誕生

  98年 長野県の諏訪マタニティークリニックで、妹から卵子提供を受けた女性が体外受精で出産と発表

2001年 同クリニックで、妻に子宮がなく妊娠できない夫婦の受精卵を使い、妻の妹が代理出産

  03年 厚生労働省の生殖補助医療部会が、第三者による精子や卵子の提供について匿名で無償などを条件に容認、実施には法整備が必要とする報告書をまとめる。代理出産は禁じた

  04年 国が体外受精や顕微授精の経済的負担軽減を図るため、助成事業を開始

  09年 日本生殖補助医療標準化機関(JISART)が、第三者からの卵子提供による治療を2件実施し、出産したと発表

  10年 ルイーズ・ブラウンさんを誕生させた英国のロバート・エドワーズ博士(85)がノーベル医学生理学賞を受賞

2010年12月19日

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