<追跡>
新たな生命を生み出すため、卵子と精子を体外で受精させ、子宮へ戻す体外受精技術が今年のノーベル医学生理学賞に選ばれた。開発から約30年、世界の不妊カップルに福音をもたらす一方、カップル以外からの卵子提供で2人の「母」が生じる事態も生んだ。国内では公的に認められていない、卵子提供による治療で妊娠した女性と、卵子を提供した女性が毎日新聞の取材に応じた。提供側とそれを受ける側がともに取材に応じるのは初めて。
「自分(の卵子)じゃなくてもいいけど、夫の子が本当にほしかった。それが、ようやくかないます」
西日本に住む女性(37)は今秋、夫の精子と、弟の妻(37)が提供した卵子による体外受精で妊娠した。卵子提供でなければ妊娠できない人への卵子提供を容認する「日本生殖補助医療標準化機関(JISART)」(田中温(あつし)理事長=セントマザー産婦人科医院院長)の会員クリニックで成功。来年初夏、待望の子を抱く予定だ。
女性は20代前半で結婚したが、月経が来なかったり、異常に早く閉経する「早発閉経」のため卵子が成熟せず、不妊治療を続けた。30歳ごろ、主治医から「もう難しい」と告げられ、養子、子のいない人生、離婚--。あらゆる選択肢を夫婦で話し合った。卵子提供も検討したが、主治医に「国内で認められていない」と言われた。
同じ頃(03年)、厚生労働省の部会が、卵子提供による治療を認め、法制化を求める報告書をまとめた。女性は「報告書は知っていた。『国内でもいつかどうにかなるかもしれない』と感じた」。
だが、法制化は遅々として進まない。35歳になった女性は、ネットでJISARTが卵子提供の治療を始めたことを知った。不妊を相談していた義妹は、以前から「(卵子提供も含め)力になる」と言ってくれていた。夫も「2人で育てることが一番」と賛成した。最初の治療で妊娠した。
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「私自身が不妊治療を受けていたから、お姉さんの思いが理解できた」。義妹は、こう口を開いた。義妹も結婚後、子ができず、体外受精も受けた。排卵障害が原因と分かり、治療を受けると自然に妊娠した。今、3人の子がいる。
卵子提供のための採卵では、排卵誘発剤などによる副作用の恐れが指摘される。だが、義妹は体外受精治療の経験があり、採卵に不安はなかった。
彼女には別の事情もあった。6年ほど前、30代半ばの兄が、がんで亡くなった。治療法を探したが、なすすべもなく兄は逝った。「自分の協力でお姉さんの苦しみが解消されるのなら……。治らないつらさを、分かっていたからこそ協力した」
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女性が産む子は、遺伝的には夫と義妹の子、民法解釈で母は出産した女性と、複雑な親子関係になる。女性は子にすべてを話すつもりだ。「何があっても母親は私だから」
だが、卵子提供は、米国などで認められている一方、日本は国も日本産科婦人科学会も認めていない。女性は「子の将来を考えると、この治療を社会全体で認める制度ができてほしい」と訴える。義妹は「(家族関係の複雑さは)考えないようにしている。将来、公的制度ができても、私のような経験のない人は簡単には協力しないのでは」と語った。
国内外の不妊治療の事情に詳しい柘植あづみ・明治学院大教授(医療人類学)は「一般に『子を産むことが幸福だ』という前提があり『産めないのも自然』とは考えられていない。また『子がほしい』という望みを医療がどこまで支えるか、国のルールがなく医師の判断に任されている。技術が広がった今こそ、その使い方や子を持つ意味について社会で議論すべきだ」と指摘する。【永山悦子】
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■ことば
日本産科婦人科学会(日産婦)の指針では、夫婦以外の体外受精の実施を認めていない。国内では98年に長野県の根津八紘(やひろ)医師が卵子提供治療の実施を公表、日産婦から除名された(03年復帰)。JISART(全国25施設が参加)は倫理委員会による審査など独自の手続きを定め、08年に実施に踏み切った。
毎日新聞 2010年12月19日 東京朝刊