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こうのとり追って:第1部・不妊治療の光と影/1 期待しては裏切られ

 ◇10年続け、44歳で断念「生理が来ると、どん底」

 「随分、時間がたったんだ」。10月上旬、東京都国分寺市内に住む女性(64)は、今年のノーベル医学生理学賞発表のニュースを、特別な感慨をもって受け止めた。受賞者は英国のロバート・エドワーズ博士(85)。博士が産婦人科医の故パトリック・ステプトー氏とともに、世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンさんを誕生させてから32年がたつ。

 女性は大学時代に卵巣のう腫で右側の卵巣を摘出。後遺症の腹部の癒着で左側の卵管がつまったため、不妊症になった。卵巣から採取した卵子と精子を受精させて体に戻す体外受精の成功を知った時、「やらないと一生後悔する」と感じた。

 女性はその後、卵管を通す開腹手術をしたが癒着が悪化、妊娠の可能性はほぼなくなった。80年の夏、女性はいちるの望みを抱いて英文の手紙を書き、ステプトー医師に送った。「私は34歳。あなたが試験管ベビーの専門病院を開くことを知って筆をとりました。ぜひ入院させてください」

世界初の体外受精児の受精卵を培養した「試験管」を手にするマイク・マカナミー所長=英国のボーンホール・クリニックで11月18日、笠原敏彦撮影
世界初の体外受精児の受精卵を培養した「試験管」を手にするマイク・マカナミー所長=英国のボーンホール・クリニックで11月18日、笠原敏彦撮影

 約1カ月後、「すでに順番を待っている人たちが大勢いる」と、丁重な断りの手紙が届いた。「もっと遅く生まれていれば」。身をよじって泣いた。

 養子縁組も模索したが、44歳のころ、子どもを持つことを断念。思いを振り切るため、集めた不妊治療の資料は全て捨てた。

     ◇

 英国ケンブリッジ市郊外にエドワーズ博士とステプトー医師が開いた世界初の体外受精施設「ボーンホール・クリニック」。「ルイーズが生まれて最初のころは助けを望む手紙が毎日ポストに入りきらないほど届いた。彼女の誕生が世界中の何百万の人に希望をもたらした。当時は年間3万件の依頼があったはず」。マイク・マカナミー所長(52)はそう話す。

 マカナミー氏によると、エドワーズ博士はある不妊の夫婦から悲しみや心の痛みを聞いたのをきっかけに人の体外受精の研究に乗り出した。エドワーズ博士には5人の娘がおり、「子どものいない人生は考えられない」と話していたという。

 ルイーズさん誕生から数年間に体外受精は各国で成功し、瞬く間に日本を含む世界中に広がった。研究所は89年から国内外の医師や科学者を対象とした実習プログラムを組み、普及を後押しした。

 マカナミー氏は「我々は不妊に悩む世界中の夫婦を手助けできる」と胸を張る。

     ◇

 国分寺市の女性は治療の日々を「一番つらかったのは、自分の中での葛藤」と振り返る。「可能性が低いと分かっていても期待してしまい、生理が来るとどん底になる。その繰り返しだった」。体外受精の技術が普及した今も、同様の葛藤に長期間苦しむ患者は多い。

 つい最近、20年来の友人が不妊治療を受けていたと知って驚いた。15歳年下。「体外受精もやったけど駄目だった」と打ち明けられ、「遅く生まれていても、子どもを持てなかった可能性があるのか」と初めて実感した。

     ◇

 身近になった不妊治療。しかし、全ての夫婦に福音をもたらすわけではない。「現代のこうのとり」の技術の光と影を追った。=つづく(須田桃子、斎藤広子、笠原敏彦、五味香織、下桐実雅子が担当します)

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 ◇不妊症

 性交渉がありながら2年以上妊娠しない症状。原因は男性側と女性側がそれぞれほぼ半々、さまざまな検査をしても原因不明の場合が1割程度ある。男性側の主な原因は、精液中の精子の数が少ない▽動きが悪い▽正常な精子が少ない--など。女性側は、卵子を子宮に届ける卵管や排卵の障害、子宮や卵巣、卵管に癒着を起こす子宮内膜症、高齢に伴う卵子の老化など。複数の要因が複合的に影響していることもある。

毎日新聞 2010年12月20日 東京朝刊

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