沖縄返還前の68年11月に行われた初の琉球政府行政主席公選で、日米両政府が米軍基地存続を容認する保守系候補を当選させるため、沖縄県民の悲願だった国政選挙への参加を同候補の実績として選挙戦に利用しようと画策していたことが22日公開の外交文書で分かった。保守系候補に有利になるよう選挙資金のてこ入れを促したことも判明、裏工作で選挙に介入した構図が浮き彫りになった。
公選は、沖縄自民党総裁の西銘(にしめ)順治氏と、無条件の即時返還などを訴えた革新系の屋良朝苗(やらちょうびょう)氏との接戦が予想されていた。
外務省北米局作成の極秘文書などによると、日本側は68年5月14日の協議で、「選挙前に実現すれば西銘候補が勝てる」として国政参加の実現などを提案。米国側は6月7日、国政参加の実現について「選挙戦の一つの武器として使用したい」と同意したうえで、「表向きにはいかに困難かを指摘しつつ、実現時にはそれが西銘氏の力によるところが大なるがごとき印象を与えるよう取り運ぶ」「(選挙直前の)10月ごろ、日本政府より『西銘案』を基礎にした国政参加実現の提案を行い、米側が同意する」などのシナリオを提案した。
三木武夫外相は7月25日、ジョンソン駐日大使と「選挙に効果的な時期に発表する」などと打ち合わせを行った。日米両政府は10月9日、沖縄から衆院に5人、参院に2人の計7人が国会審議に参加することで合意した。
また、68年6月18日付の下田武三駐米大使の公電によると、米国務省のスナイダー日本部長らが外務省幹部に「本土自民党の援助が手遅れになることを最も心配し、沖縄への選挙資金送金方法改善について申し入れを行った」と、自民党に金銭的支援を促していた。
日米両政府の裏工作にもかかわらず、公選では、屋良氏が約2万8000票差で当選した。【吉永康朗】
毎日新聞 2010年12月22日 東京夕刊