「公開しないということによって、自分たちが何をやってきたか知ることができず、教訓が読み取れない。教訓がなければ、次の行動でまた同じ過ちを繰り返してしまう」
一方、国は、
「文書は発見できなかった」
「一般論として、交渉途中の文書は廃棄することがある」
と主張した。
文書を封印させた
官僚の体質
原告側にもう1人、密約の文書を公開すべきだという証言者が現れた。アメリカの密約文書にサインをした日本側の責任者・元外務省アメリカ局長の吉野文六さん。吉野さんは、密約が問題になった38年前、国会の答弁で密約の存在を否定した。しかし、アメリカで密約の文書が次々と見つかる中、吉野さんはこれ以上密約を隠してはおけないと思い直したという。
原告側の依頼に応じて法廷に立ち、こう証言した。
「アメリカの文書にサインをしたのは私です」
「日本側にもこの文書はあったはずです」
なぜ当時、情報を公開できなかったのか? 吉野さんは、官僚の体質に原因があったと語った。
「外務省で育った奴が、本来持っている習性に従ったわけですよ。つまり隠せと。正直なことを言ったらクビになったでしょう」
一方、国はこの証言に真っ向から反論。
「吉野氏の証言は、推測による供述にとどまり、重要文書として現在まで保管されていることをうかがわせるような具体的な供述は一切していない」
判決は、原告側の全面勝訴。密約の存在を認めた上で、国が「密約文書がない」として開示しなかった処分を取り消し、公開を命じる判決が下された。我部教授が発見したアメリカ側の密約文書、そして、日本にも密約文書があるはず、とした吉野さんの証言が原告の訴えを認める決め手となった。
国は文書を廃棄したことをきちんと説明できなければ、文書を保有していると見なされることになる。この判決に国は、
「徹底的な調査をおこなったことが反映されていない」
として控訴する姿勢を見せている。
40年前から密約問題を取材してきた原告で作家の澤地久枝さんは、判決をこう見た。
「外交交渉のさなかでは、秘密も必要であろうけれども、一定年数が経ったときに、こういうやりとりがあってこうなった、ということを歴史に対してきちんと証言を残す義務が国側にあると思うのです。この国では、それがなされなかった。そういう大きな戦後の歴史の中の一部ですね、今回私たちが争ったのは。でもそこで敗れ去っていたら、本当に闇から闇でしたから。良かったなと思いますね」