最初に言っておくと自分は「規制すれば?」派なので、コアな反対派のひとは読まない方が良いです。
反対派:
ゴハンの種にしてる人は何を言おうとゴハンの話でしかない。趣味をけなされて怒っているひとは、嫌悪の話でしかない。
賛成派:
我々の大事な青少年がおかしなことになってる、というのも含めて、最初から嫌悪の話でしかない。
都知事:
どうみてもヘイトを受けて力を増すタイプ。
反対派が悪態をついているのは彼を応援しているようにしかみえない。一撃で落とすか、それができないなら最低限、悪態を吐いて溜飲を下げるようなくだらないことは避けるのを勧める。
表現の自由:
ただのタテマエで役に立たない。
我々が、賛成派の各種「失言」を表現の自由として守らず、逆に血祭りに挙げてる(つもりでいる)のが良い例。嫌悪>>>表現の自由というのをちゃんと認識したほうがいい。判断する基準は、その表現で誰かを直接または間接的に攻撃したかどうかだ。たとえば、対象になる作品は、見た人のいくらかを不快にするという意味で直接攻撃して、かつ、作品の影響で実在の青少年を間接的に攻撃していると考えられている。
現に、知事の言う「自分の子どもにあんなもの見せられるのか!」に反論できない。
太陽の季節:
オモシロネタではあるけど反対派の役には立たない。
現に「過去に書いたことがあるからといって自分の子どもにあんなもの見せられるのか!」に反論できない。
経済的影響:
クールジャパンがどうのとか言って、あんな不健全な分野が素地になってるというのが本当なら無いほうがマシ、と言われて終わり。
状況:
まとめると全く、嫌悪vs嫌悪でしかなくて、その場合どちらが勝つかというとパワーが大きい方。パワーが小さい方にとってのありえる解決というのは2種類ある。
ひとつが、パワーをつけること。メジャーに成り得ない分野なら、テロ的な方法以外では実現しない。
もうひとつが、こちらの主張のほうがあなた方の利益になる、好ましい、ということを納得してもらうこと。我々がメシを食えるとか、我々がムカつかないとか、表現の自由という大儀が守られるいうのは、彼らにとっての利益ではない。説得例としてはたとえば、エロ本を規制すると青少年が不健全になるという話を信じてもらうとか。
それ以外では、パワーが違うヘイト連鎖状態なので、激しく衝突するほど大きく負ける。
自分:
規制すれば?って感じ。
多くの人が嫌うならば遠ざけられるに値するし、それがその時の、多くの人の利益になる。
若者が健全に育つかというと謎。個人的にはこのての刺激には遅く触れた方が深くはまる傾向を見ているので、青少年じゃない人が、彼らが言う「不健全」になるだけな気がする。なので、本気なら根絶☆だよねとも思う。いずれにせよ、子を産み育てるのは青少年じゃない人だ。
そういう意味で、どちらの動きにも不毛さを感じる。
結論:
どっちにしろ気が重い。
あとヘンリー・ダーガーが参考になる。
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