|
>肝心要の池田センセが重篤ということである、
>噂によれば、悪性のアルツハイマーということだ。
>身体は何とか動いてもこの病気では人前に出すことは上不可能だ。
なるほど。
もし、其れが事実であるとするならば、応に仏法に於ける冥罰でありましょう。
しかし、其れが池田の意思を以てして〝覚悟の上で認知症になった〟のであれば、少しは
褒めてもいいでしょう。しかし、残念ながら、池田をして自らが選択した病では決してあ
りますまい。
さても、庶民の王者が、さても桂冠詩人が、さても高尚な哲学者が、其れこそ机を叩きな
がら「あ~う~」では仕方がありません。
これでは臨終の御時に、己(おのれ)をして題目さえも唱えられないでありませんか。
果ては題目も唱えられぬ、拝む本尊も判らぬ、そして、其の自分自身さえも判らぬとは…。
応にこれこそは、人間王者・池田太作に於ける冥罰でありましょう。
日蓮大聖人曰く『あまりの事どもなれば誑惑顕はれなんとす。但しばらく忍じて御覧ぜよ。
根露(あらわ)れぬれば枝枯れ、源渇けば流れ尽くると申す事あり』と。(新編 1256)
本より、れいな殿の記事が事実であるならば、応に池田太作の姿こそが、創価学会に於る
欺瞞と誑惑の証拠と成り得るのであります。
今しばらく観ておれば、其の腐った根が必ず露わとなる事でありましょう。
現証とは、まこと恐ろしいものであります。
|
|